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1990年代後半から2000年代を又に世界を相手に戦った柔術家 渡辺直由先生の柔術 MMAの歴史コラム

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September 05, 2018

総合格闘技・柔術 個人史 その1


一つの歴史として記録に残したいので
自分の記憶がちゃんとしているうちに
私が総合格闘技や柔術を始めた頃からの話を書いて行きたいと思います

何故私がこのような個人史を書こうと思ったかと言うと
自分の記憶は人に比べて正確であるがとても多いので(誰かと話していて記憶に関して認識の違いなどがあり後々写真などで確認すると自分が合っている事が多い)
日本の総合格闘技やブラジリアン柔術の黎明期を知る自分がそれを後世に伝えるのは適任かもと感じまして

とは言え細かい時期などまでは覚えていないので前後した記憶などに関しては
正しい時系列などを確認出来るものが見つかればその都度、加筆・修正などを繰り返し
徐々に完成させて行きたいと思います

編集中の記事に関して
誤字脱字
重複などに関してはご容赦ください

~編集中~←まだまだ加筆・修正します

私が修斗ジムK'z FACTORYに入門したのは確か1997年の夏だったと思います

当時はまだ音楽事務所とのアーティスト契約が残っている期間だったのですが
このままいても歌手としては売れなさそうだし
やりたい音楽の方向性も全然違うので、思いきってやりたい事をやろうと思い従兄弟のKz所属の西山典男(当時アマチュアシューター)に連絡して実家の千代田区から相模大野にあるKzまで一時間半をかけて行きました

余りにも遠いので、本当は数ヶ月後にオープンが予定されているレジェンド中井祐樹先生の道場(まだパレストラと言う名前も発表されていなかった)に本格入門するまでの繋ぎにと言う気持ちでの入門でしたが
結果的にはKzの人たちに仲間意識が芽生えてしまい
結局は中井先生の道場には行かずにKzに残る選択をしたのですが…

話を入門の日に戻すと
確かその日は後に無敗の修斗絶対王者ペケーニョことアレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラに初めて土を付けた勝田哲夫選手がいて
続いて後の世界王者・リアルタイガーマスク勝村周一朗選手が来ました
この時はまだみんなアマチュアです

しばらくして代表の草柳さんが来て入会申込書を書き
当時修斗を始めた人がみなやらされたと言う謎のステップ(手を左右交互にクロスして頬を隠すような構えでステップを踏む動き)を教わり
その後、大雑把に『はい、コレがマウント、これがエビ、これが腕十字な!やってみろ』みたいな感じで習いました

当時の格闘技界には今のように親切丁寧に教えるような文化は無かったので
草柳さんのこの教え方でも、かつて高校時代に通ったボクシングジムでステップとジャブだけで数ヶ月、半年かかってストレートしか教えてくれないのを経験していた自分は『初日からこんなに沢山教えてもらえるなんて!』と感激したのを覚えています

入門当初の優しい先輩と言えば
先述した勝田くん、勝村さん
他にはアマチュア修斗の生き証人こと本田さん
あとは結局プロにはなりませんでしたが佐野さんと言うセンス抜群の先輩がいました
佐野さんは当時適正階級が無くて
無理に上の階級でやって山口守選手(後の世界王者マモル)などに善戦していました

Kzは厳しいジムと言われていましたが
昔いたボクシングジムなどに比べたら上記の優しい先輩たちがいて
自分にはパラダイスのように感じられましたね

※(注)現在のKz FACTORYはプロ志向の方だけでなく初心者から女性まで幅広く楽しく学べるジムになっております👍

そしてまた入門初日の話に戻ると
基本練習も終えて陽も落ちる頃
スーパースター佐藤ルミナ選手や
巽宇宙選手など
会場や格闘技通信でしか見た事がないような人が次々にやって来て
メチャメチャテンション上がり
夢のような気持ちになり
その日はスパーリングは無しで終了

それから1週間くらいは草柳さんに『スパーはまだ早いから見てろ』と言われてスパーリングの時間は見学

そんなある日に隣にいたルミナさんが『スパーしないの?』と喋りかけて来て
『あ、まだ草柳さんから早いって言われてるんで』と答えたら
『見てても強くなんないよ、やらないと!』ってアドバイスをいただき
恐る恐るメチャメチャ緊張しながらスパーの所に入って行くと
当時はプロデビュー前ながら柔道出身でサンボやアマチュア修斗でも好成績を残し“プロになれば上に行くのは確実”と言われていた植松直哉選手が面倒臭そうに『やりますか?』と声をかけてくれて(笑)

※誤解されないように書いておくと、当時のプロを目指す格闘技道場ではニコやかに『スパーお願いします♪』なんて言ってくる人はいません
いても逆にかなり浮いてしまいますし
そんな人は仲間になれない雰囲気すらありましたので、極めて普通なんです

で、初めてのスパーは植松くんが立ち技でわざとバックを取らせてくれて
抱きついたら彼の両足の間から自分の片足取られて派手にスッ転びました(笑)
グレイシーとかの護身術にあるアレですね

しばらくして打撃スパーの時間になったら
元はボクシングやってた僕は『これなら少しはやれるかも』と思いイキイキしていたら
勝田くんにはパンチに綺麗にタックル合わされて何も出来ず…
総合格闘家のタックルって
喰らった経験が無い人は簡単にジャブとか膝を合わせられると思ってますが
ドンピシャのタイミングで来られたら全然打撃なんて合わせる暇もなければ切れない(かわせない)んですよ

タイミングも去ることながら
打撃オンリーの人が忘れがちなのって“こっちは打撃打つから相手はタックル”って思い込んでますが
向こうもジャブ打ったりジャブのフェイントして来るんで
それに反応して気づいたら密着されてアレよと言う間にコカされて天井向いてます(苦笑)

そんなまだ入門して間もない頃に
総合格闘技の歴史に残るイベント
PRIDE1が開催されました
当時はまだプロレス(高田選手)応援側だったと言う歌手の先輩の池田聡さんにお誘い頂いて
35000円の席を購入して観戦😱
ちょっと話は遡りますが
池田さんとは自分がNACK5のラジオパーソナリティーをしていた時にゲストで来ていただきましたが
収録中は全く話が盛り上がらず
収録後に初期UFCやバリジャパの話でもりあがり
1996年のエンセンvsズール戦を共に観戦し
この日もまた一緒にPRIDEを見るなど
格闘技好きが結んでくれた縁であります

この日池田さんのコネで十万円のチケットを買った人しか入れないパーティーに参加させていただき
ホイラー・グレイシーと3人で撮った写真は宝物であります

池田さんも後にある出来事がキッカケでパラエストラさんに入門し柔術を習い始めて
音楽家&柔術家になりました

PRIDEを生で観戦した私はより一層また練習に熱中しましたね

とにかく
先述したように
当時のプロ志向の道場には“初心者を大切に育てよう”などと言う感覚はないので
強くなりたい奴は盗め、努力して居場所を確保しろ!みたいな感じでしたから

組技が弱くて仲間の練習相手として役に立たない私は居場所を得るために無理して打撃スパーをけっこう頑張ってました

しかし慣れない蹴りでやられたり
『マススパーやろうぜ』と言いながらやたらとガチな
巽宇宙さんや
謎の同期の新人くんにボコボコにやられて鼻血が吹き出す日々…

まあ彼らはガチだとか以前に拳が異様に硬いのと
“マススパー”と言うモノの力加減の認識が僕や他の人とは違っていました

ちなみに自分が高校時代にいたボクシングジムでのマススパーって言うのは本当に軽い
シャドーボクシングの延長つーか
二人で向かい合ってシャドーするみたいなんで
当たったとしても大した事がない強さでした

で、そのボクシングジムでのマスの強度を1としたら
Kz全体の平均は3ぐらい
巽さんと謎の新人くんと
あとルミナさんのマス強度は7くらいで
たまにヒートアップすると9くらいまでになりました
恐怖です(>_<)

僕はとにかくその謎の同期の新人くんが怖くて
打撃だけでなく
組技スパーでもイキナリ飛びかかって来て思いっきりキムラ極められて
それから10年くらい(知り合いの整体みたいなの行って治療してもらうまで)は肩がおかしかったです

彼はとにかく野獣のようで
道場に入って来るとあちこちを動物のような目でギョロギョロ見渡したり
何か独り言をブツブツつぶやいていたり
とにかく変わっていたのです

私には高性能の変人レーダーが備わっているので
大体誰よりも早く変人を発見します

さっき登場した本田さんが変人だと言うのを周知の事実にしたのも私です(笑)

で、ある日草柳さんと先輩たちに混じって自分も一緒に練習開始前の世間話してる時
あの謎の野獣新人くんが入って来たので
草柳さんに『あの人って相当変わってないですか?』と聞いたら
『え?あぁ五味?別に普通だよ』って言われて
他の先輩も『別に普通だよ』って
彼こそが後のスーパースター五味隆典です

えぇ!( ̄▽ ̄;)あ、あれが普通だなんて…と驚いたのですが

まあコレは俺の感覚が鋭いのか
はたまた先輩たちもアノの時代に総合格闘技やるような変人たち(←良い意味ですよ・笑)なんで
同じ感覚だからわからないのか

とにかく最初は誰も五味くんを変人とは思っていなかった事に大きな衝撃を受けた覚えがあります

入門当初は頑張って巽さんや五味くんやルミナさんの打撃スパーに付き合っていた自分ですが
段々と寝技が出来るようになって
そこに居場所が出来た自分は
無理に危険な打撃スパーをやる必要が無くなったので
彼らのスパーリングパートナーを物色する視界に入らないよう
スパーリング開始直前のタイミングは洗面所に隠れて指名されないようにして
スパーが始まったのを見計い、終わらないうちに次の安全地帯目指してジム内を移動します(笑)
※一か所にずっといると怪しまれるからね
でもこの時も決して安心は出来ません
例えばスパー時間内であれ五味くんに誰かが殴り倒されてスパーが中断すると
新たな獲物を求める彼に『次ナオさんお願いしまーす』と言われかねません💦
実際これで何回か捕まっていますし…😂
一番安全だったのは典男を見つけて緩いスパーをするか
もしくはラガーさんという心優しいヒールホールドだけが得意技だった人がいで
その人と申し合わせて軽い打撃スパーをやる事だったのです
最終手段でトイレに行く手もありましたが
そこには僕を嫌っている犬がいて噛まれそうになるので
五味くんの打撃か犬の恐怖かの選択を迫られていました

あの頃はとにかく皆がガチ過ぎて
五味くんもデビュー前だから格闘技のプロの世界でどれくらい打撃が強いかの物差しが無いから
自分もどう接して良いかわからず大変でしたよ

今現在なら五味くんと殴り合う事がどれくらい危険か世界中が知ってますが
あの頃は殆ど誰も知らないわけですから

『五味くんに殴られると何日も頭が痛いんだけど、これで逃げるのは甘えなのか?…でも直感的に命の危険を感じるんだが…』

果たして、その直感は正しかったのです!

そんな中で五味くんの圧力に耐えながら打撃スパーに付き合ってたのが後のパンクラス、ライトヘビー級王者竹内出さんでした
恐らくこの事がきっかけで竹内さんと五味くんには絶大な信頼関係が築かれ2018年現在も五味くんのセコンドをしています

竹内さんは自分の一つ上ですが
確か誕生日が自分と1日違いだったり
ボクシング好きと言う事で話が合い
仲良くしてもらってました

竹内さんやヂャッカル大石さんは寡黙であまり喋りませんが
ちゃんと練習する人には目をかけてくれます

ヂャッカル大石さんは今も50歳を前にして現役のプロでMMAを戦い続け
世界的にその功績が認められている偉人です

まさに雨の日も風の日もただ黙々と練習し続ける鉄人で
Kzではルミナさんと並び若手たちから一番尊敬されていたと思います

自分が入門してから数ヶ月が経ち
大石さんや竹内さんも最初は“歌手”と言う色物で見られていた自分を格闘技仲間として接してくれるようになりました

歌手ってことでいじられるの半分と
でも歌手だから別枠で
練習付いていけなくても許してくれるってのもあり
結果的に良かったと思ってます

柔道とかレスリング経験ないとほぼほぼの人間が付いていけなくて辞める道場でしたからね

あの伝説の男、中井祐樹先生も当時を振り返って『あの頃のKzはジャパン・トップチームだったね!』と言わしめる
伝説の男が認める正に伝説の道場でした

あ、一応追記すると
その荒くれものたちを束ね
ジムを纏められたのはボスの草柳さんのおおらかさがあっての事なのは言うまでもありません

そんな厳しいジムの中で自分が生き残れたのは
ミュージシャンだからって甘く見てもらえたからであって
だからマイペースで長く続けられて強くなれたんです

この頃から
本当にすこーしずつですが
寝技が解ってきて
初めてのサブミッションは従兄弟の典男から取った腕十字でした

当時、影の実力者で通称ナンシーさんこと高橋大児さんと言う寝技師がいて
自分と似て軟体だったので
みんなに『直さんはナンシーさんを手本にするといいよ』と言われて真似たりもしていたら
何となく寝技のしつこさみたいなのが身に付いた気がします

それからしばらくして
たまーにですが
油断している時の勝村さんや大石さんから
ほぼ偶然みたいな感じではありますが
一本が取れるようになります

でも
そんな偶然の積み重ねがやがて自信となり確信となり
寝技の技術はこの頃から飛躍的に延び始めます

更にその頃から植松くんが色々と教えてくれるようになり出稽古にも連れて行ってくれるようになり
自分は勝手に植松直哉の一番弟子を名乗るようになります👊
本人に許可はもらってませんし
仮に弟子と認めてくれてたとして
果たして本当に一番の弟子だったかどうかも実は未だにわかりません(笑)

植松くんの指導は衝撃でした
個々の身体的特徴や時に性格までを考慮した技術・戦略を考えて教えてくれます
当時こんなタイプの指導者は他に知りませんでした

ちなみに初めて『直さんは意外にセンスあるかも』と言ってくれたのは植松くんでした
時期は忘れたけど
あれは確か植松くんのプロデビュー戦の前日だったな

それまでは典男と共に
“この従兄弟同士はセンスない”とKzでは散々言われてましたので😅

でもそんな事で心が折れるような私たちではありませんでした

特に自分は音楽事務所で散々方向性などで折り合いが付かずに『この曲を自分の名前で出さなきゃならんのか…』と悩んでストレスで眠れぬ夜を何度過ごした事か…

Kzで総合格闘技と出会い
仲間が出来て
やりたい事がやれる喜びの余り道場からの帰り道で時折ひとり嬉し涙を流しておりました

皆で同じ“強くなる”と言う夢を見てひたすらにそこに向かい練習する

こんなに楽しい人生があるんだと知ってしまったのです

続く

※編集中の為
今後まだこの記事も加筆・修正して行きます

http://blog.livedoor.jp/tfstyles/archives/52049472.html

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September 05, 2018

総合格闘技・柔術 個人史 その2


~編集中~←今後まだ加筆・修正あり

しばらくして
中井先生の道場であるパレストラ(現パラエストラ東京)が出来ました

確かそのオープン記念として日本で初めてのブラジリアン柔術の大会“第一回BJJJAM”が開催されたので植松くん&大石さんと観戦に行きました
パラエストラ東京のあのスペースに百人以上はいるかと言う観客が押し寄せて
試合は殆ど見れませんでした(笑)
見れたのはサンボの王者・若林次郎さんとパラエストラ番頭・若林太郎さんの兄弟対決と
最終試合の若林次郎vs桑原幸一さんの試合の一部だけ

この後パラエストラ東京さんは昼柔術と言うパラエストラ会員さんでなくても無料で参加出来るスパーリングの時間を設けたのです

これには驚きましたが
時間的にKzに行けない時もこっちに来れるな~と嬉しかったですね

千代田区に住む自分はKzで練習するには18時に家を出て
帰ってくるのは0時を過ぎますから
何かちょっとでも予定外の事が起きると相模大野まで行けなくなるし
行っても帰れないなんて事態になるので
そんな日にパラエストラさんの昼柔術にたまにでもお邪魔させていただけるのは本当に有り難かったです

でもバリジャパを見て死ぬほど尊敬している中井先生の道場に無料で行くのが心苦しくて
毎回お菓子とか買って行ってました
※気になる方はバーリトゥードジャパンや中井祐樹を検索してみてください

他の強い選手と違い
当時の自分は弱くてパラエストラさん側に与えられるようなモノが無かったですからね

昼柔術にはスパーリングや技術交流などの練習面はもちろんですが
それだけでなく色々な有名選手を見れたり
今も続くチームメイトとの最初の出会いもあったり
本当に色々な部分で助けて頂きました

初期の昼柔術には
後のアブダビ王者でグラバカ代表の菊田早苗さん
パンクラス山田学さん
元グラバカ佐々木有生さん
後に対戦もしていただいた柔術の先輩林俊介さん
当時としては本当に珍しかった女性の参加者であり今は海外で活躍していらっしゃる鈴木尚美さん
日本女子柔術界を引っ張ってきた茂木康子さん
後のノヴァオニオン代表(現在はどうかわかりませんが)阿部修さん
後に同じプロ柔術にも参加した植野雄さん

少し経ってからは
パンクラスの近藤有己さんや
あの岡見勇信さんなんかも来てましたよね確か
浜さん(ハマジーニョ)がいたとの噂もあるが当時まだ意識していなかったのでわからず

そんな中に現トライフォース総代表の早川光由さんもいまして
本人もたまに語ってますが
謎の緑帯を締めていました(笑)

早川さんと自分との最初のスパーリングは早川さん自身は覚えてないらしいですが
確かポジショニングでやられたような気がします

何故あんまり覚えないかと言うと
当時は一本取ったか取られたかしか気にしてませんでしたので
ただ、劣勢だったのは何となく覚えています

ちょっと話は飛びますが
早川さんとの2回目のスパーリングは
当時よく行われた柔術大会後の
会場での交流スパーリングでして
早川さんが良く自虐ネタにしている通り
僕がバッキシと極めてしまい早川さんは腕を怪我して
パラエストラ番頭の若林太郎さんが『光由大丈夫か~!』と駆けよって来るのが練習を録画したビデオにも収録されています(笑)

しかしこれは早川さんは試合後の疲労がある中で
自分はビンビンに元気な状態でスパーを挑んだので
参考にはなりません😅

早川さんと僕は仲は悪くはなかったですが
当時は微妙な感じで会話は殆どしませんでしたね

これはいつだったか忘れましたが
多分時系列的にはもっと先
パラエストラさんの正月の昼柔術に参加したら
パラエストラ八王子代表の塩田歩さんが(確かまだ八王子オープンする前)練習後にレッドロブスターで皆で飯を食おうと言い出して
10人くらいで何台かの車に別れたのですが

皆が乗り込んだら車が全ていっぱいになり
俺がポツンと1人残ってしまい
その後に遅れてパラエストラさんから出てきた早川さんの車のみが空いていて
『早川くんナオくん乗せてってよ~』と塩田さんが言ったが為に
殆ど話した事がない早川さんの車の助手席に乗る羽目になり
緊張でレッドロブスターへの5分くらいの道のりが1時間にも感じたのを覚えています😅

しかも早く降りたくて思い切りドア開けたら早川さんの車のドアをちょっと駐車場のブロックにぶつけてしまって更にマズい空気が流れてたんですよね💦

そんなよそよそしかった人と同じチームを立ち上げて一緒にいるのも不思議な感じがします(笑)

話をまたパラエストラさんの開設初期くらいの時代に戻しますね

確かパラエストラさんオープンのすぐ後くらいに
トーナメントオブJと言う大会の軽・中量級の大会が開催されます

当時はかなり話題になった胴着の上着だけを着用した総合格闘技大会で
有名選手が多数参戦していました

軽量級部門では我が師匠、植松直哉が決勝では宇野薫選手にアキレス腱固めで秒殺勝利して優勝!

もう一つの階級では竹内出さんが優勝を逃すも
確か優勝者の須田さんか誰かに惜敗だったんではないかと記憶しています

帰り道
俺はすげー人たちと練習してるんだ~って思って
嬉しくて嬉しくてたまらなかったです✨

年も明けた1998年
まだ俺は23歳かな?(笑)

植松くんに連れられて出稽古なんかを繰り返すうちに練習ではそこそこ名のある人を極めたりする場面も出て来て

自分はやがてKzの門番(出稽古や道場破りを迎え撃つ人)みたいな立ち位置になって来ました

そんなある日
某、格闘技通信やゴング格闘技のカラーページを席巻した超有名団体のトップ選手が出稽古に来たんですが
勝村さんが『ナオさん相手して下さいよ』って言うから
『は?冗談ですよね?俺いまこの道場にコンスタントに来てる人の中では1番弱いのに…あんな有名人の練習相手になるわけ無いじゃないですか』って言ったら
『ナオさんの方が強いですよ』って…

勝村さんマジで冗談も程々にして~と思いつつ
仕方なくやられに行こうとお願いしたら
三角にすんなり入れて、その方タップ…
えー!

Kzや出稽古で揉まれた自分は
知らないうちにけっこう強くなっていたのです

…にしても
知名度と強さは必ずしもイコールではない
と言う事実を知りました

それから
練習では寝技に関してだけは道場の真ん中かそのちょい下くらいまでは強くなったかなと言う頃

初めて柔術の試合にエントリーします
その事を先輩の先輩の巽宇宙さんに告げると
『ぜって~ぶっ殺せ!』とのエール(苦笑)

これ一時期修斗関係者の間で
セコンドがこういう事言うのが問題になり専門誌にも取り上げられました

確かに笑いながらイキって
ふざけた感じで『ぶっ殺せ~w』みたいなのは俺も嫌いだけど
巽さんみたいに自分も殺される覚悟を持っての“殺せ!”は重みがあってカッコ良かったな~

でも時代が変わりつつあったんだよね

だから殺せはダメってのもわかるし
ただあの時代はまだアリな最後の時代と
ダメになる時代
その変革の時期だったような気がする

とにかく俺はそんな本気の巽宇宙さんが大好きだった
だから巽さんの引退までずっとパンチのミット持ちしてたしね

巽さんの執念はマジ半端なくて
初めて自分が巽さんから腕十字取った日は
巽さんなかなかタップしなくて
かなり腕を痛めたんだけど
3日後に会ったら
『あれからムカついて熟睡出来ねぇーんだけど』って言われて
メチャメチャ謝ったら
俺にじゃなくて、取られた自分に腹が立ったって言う
ストイックな完璧主義者だったね

巽さんの勝負はいつだって殺るか殺られるか!

そしてペケーニョに一本取られた=殺された

だから
それでサッと引退したんだよ
一本筋が通った凄い人だった

世間的に許されるかとか
対戦相手が許してくれるか
それは分からないけど
俺の中のルールは巽宇宙の『殺す』は許されるんですよ

余談だけど
巽さんがジョン・ホーキ戦でだったかな?
眼窩底骨折して入院した時にお見舞いに行ったら
自分が歌手やってた時の東芝EMIのディレクターさんと同じ病室でビックリした
そのディレクターさんは交通事故で顔に確かプレートか何か入っていて
定期的に入院してて
巽さんと同じタイミングで病室にいたんですが
今またポケットビスケッツが復活したみたいなのネットで見たけど
ポケビを作った人で
その時も千秋がお見舞いに来て
巽さんとも会話してたな~

さて
では自分の初試合の話を書きましょう

その時は柔術ルールでたったニキロぐらいですが初めて試合の為の減量と言うのを経験しました
白帯ペナ級(フェザー級)で出場したのですが
初っぱな三角を担がれてパスされてしまいましたが
膝をねじ込んで(下からニーオンザベリーするみたいな感じ)そこから顔に足をかけて十字を極めて逆転

この映像は見返す度にいつも早川さんに爆笑されています

長髪を結ったポニーテールな上に柔術着がメチャメチャ小さいくてかなりヤバい出で立ちだからです

ちなみに柔術着が小さいのはズルしたわけではなくて
当時のギのサイズがいい加減過ぎて
バッドボーイが売り出した日本限定50着の柔術着を買ったら
植松くんと自分は同じサイズを買ったにも関わらず大きさが全然違いまして
俺のが異様に小さかったのです

でもサイズ小さいからって試合では道着チェックもまだ実施されていない時代

で、これはかなり後に気付いたのですが
練習後に自分が柔術着を脱いで裏返しで置いといたら大石さんが
『おぉ、クルーガンズの着買ったの?』と聞いてきたから
え!?って思って良く見ると
裏にクルーガンズの刺繍あって
上からバッドボーイのパッチが貼ってあるだけでした

でも植松くんのバッドボーイの裏地見てもクルーガンズの刺繍は無い…
とにかくそんないい加減な時代でした

まだ足関節も白帯からほぼありで
ヒールホールドと外掛けアキレスだけが禁止だったかな?

うちらは足関バリバリのジムだったから柔術ルールに関してはそれでもかなりブーブー言ってたね~みんな

あの頃のKzの足関技術は世界の最先端行ってたよ
ルミナさんもハファエル・コルデイロ極めた時に『足関節は世界一だと思っているんで』って確かインタビューに答えてたしね

ルミナさん、植松くんは勿論
秋本じんさん、代官山剣さんも足関節上手かったよな~

あの人たちとの練習のお陰で自分は未だに試合で足関節極められた事無いし
足関なんちゃらみたいな人にもほぼほぼ極められた事ないです(な~んて言ってると次辺り極められるんだけど、もう現役でもないしいいやw)
パラエストラでの練習試合で一回北岡悟くんにアンクル極められた事あるかな

当時のKzでは足関のガチの取り合いで毎晩のように怪我人出てましたよ

俺は光速見込みタップして『タップ早え~よ!練習にならない』ってルミナさんと植松くんに良く怒られてました😅

だから怒られない為にも入らせないようにメチャメチャ考えるようになったのです

試合の2戦目は確かコンバットレスリング(グラップリング)だったかな?

初戦は全く寝技出来ない人に
ヒールホールドかなんか仕掛けて
でも回転されて場外かなんかのブレイクで
その後珍しくバックチョークか何かを極めての勝利

コンバットレスリングはトーナメントなんで
次戦に進んだところで三角に入るも持ち上げられてブレイク

今はわからないけど
当時のコンバットレスリングは腰まで持ち上げたらブレイクとルールブックにはあるけど
実際はちょっと持ち上げられただけでブレイクになり
テイクダウンか何かのポイントで敗退

あ、そうそう
書き忘れてたけど
Kzは基本みんな柔道とかレスリングとかのベースがあり立ち技強すぎる上に
しかも選手志向の集まりだからガチなんで
立ち技練習ではスープレックスとか普通に容赦なくやられて顔面からマットに突き刺さったりもして『これはいつか大怪我するか死ぬ!』と思ってすぐ引き込むスタイルになってしまい
だからレスリング激弱だったんです(涙)

そんな立ちレベルだから
コンバットは何回か出たけど
初戦は突破出来ても
大体次くらいで立ち技で負けたね

コンバットのどれかの大会で
若林次郎さんが自分以外の全員から一本取ってぶっちぎりで優勝してMVPもらった時は
ポイント負けしたクセに
実はちょっと嬉しかった
『志低い!』って怒られそうだから悔しいフリしてたけど(笑)

当時の次郎さんは凄かったからね~

そんなコンバットと平行して柔術も第2、第3戦と出てたけど
振るわなかったな~(>_<)

練習で並のプロとか極められるようになって
Kzの皆に『ナオさんが白帯は反則』とか言われるのがプレッシャーだったのかも
今にして思えば

白帯なら余裕で勝たないと←みたいな、まだ自分だって白帯なくせに変なプライドが出てしまったのか
はたまた
緊張してる自分を受け入れられなくて
緊張してないフリをしたりする事が凄くダメだったような気がします

当時、自分よりちょっと後に入っ来た通称ウニくんって
寝技好きの柔道家の後輩がいて
道着着れば当時の自分よりは確実に強かったそのウニくんと
前日に朝まで眠れないで二人でデニーズでコーヒー飲んで
そのまま試合会場行って
三角入るも極め切れなくて疲れてアドバンテージで負けたり

そのトーナメントの優勝候補は渡辺孝さんか自分だなんて中井先生が書いててくれたのに一回戦敗けで
当時の彼女も来てたのに恥ずかしくて恥ずかしくて😩

その次は後のスリーエス時代のチームメイトでもある金子さんに引き込み際だか起き上がり際に大外刈合わされて負けたんだったかな?

金子さんの試合では終了後に負けて会場で座ってたら足の小指がジンジンしてきて
しばらくしたら真紫になって腫れて
靴も履けなくなってケンケンで帰って翌日レントゲン撮ったら小指を螺旋状に骨折しててさ

治らないうちに西表島縦断キャンプが始まってしまったんだけど
干潟を歩く時は激痛だったな~

ジャングルは四つん這いが多いから何とかなったけどね

あの頃はまだ試合の勝ちかたってのが全然わかってなかったです

あ、そうそう
当時はちゃんとしたブラジリアン柔術の練習方法なんかわからないから
とにかく皆で道着を着て修斗の寝技の練習をしていたんですよ

Kzに頻繁に出稽古に来ていた桜井マッハさんがある日デラヒーバやオモプラータをブラジル人から習って来て
それを紹介してくれたんだけど
その前後の技がマッハさんを含めてうちらも全然わからないから
皆で研究した結果『こんなの使えねえ』みたいな結論で終わったもんねw

でその場にいなかった植松くんに俺がマッハさんから習ったこんな技あるんですよってオモプラータを教えたら
『これの技の名称ってなんて言うんですか?』って聞かれて
う~~~~んって思い出せなくて
肩・・・肩が・・・極まるから・・・~カタパルトだっけなって
『カタパルトですね確か』とか
全然違う事伝えてましたよw

道着のスパーは主に草柳さんと植松くんと
前述したウニくんで回して
そこにたまに竹内さんや
サンボの平石さんとか加わって
あ、いま書きながら思い出したけどKzにはサンボクラスあったんだった

そこに松本秀彦さんて言うメチャメチャ強くて怖いサンボの先輩がいたな
つっても遠くにいるのを横目で見るだけの段階でもう怖すぎて
サンボクラス始まる前に逃げるように帰ってたから
ほぼ全く絡まなかったから実際に怖い思いは殆どしてないんだけどね(笑)

松本さんとは自分がまだクソ弱い頃に何回か寝技スパーしてやられたくらいしか絡みはありません

しばらくして後の修斗ミドル級王者の菊地昭くんが入門してきて
彼も道着練習参加してくれたような気がするが
それがいつの時期であったかは正確に覚えていない

そんなある日“ワドウ”さんと呼ばれる人が突然Kzにやって来ました

ブラジルでの柔術修行からの帰りで
自宅に帰らずにブラジルから直でKzに来たらしく
そのネズミ色の柔術着からとんでもない香りがしていました

なんとブラジルで練習した汗だくの道着をそのままカバンに詰めて
それを着て練習を始めたのです

そのあまりの華麗な動きと強さと匂いと
何を言っているか聞き取れない強烈な個性に衝撃を受けました!

当時1人だけ本場の柔術のテクニックを知っている和道さんは
全ての先輩たちを極めまくって行きます

『道着の汚れなんて気にしないんだ…なんてワイルドなんだろう…』と、サバイバルキャンプとかが好きな自分は和道さんに格闘技だけでなくワイルドさも負けたのがちょっと悔しかったです

そこに遅れてルミナさんがやって来て『和道お前強くなったの?』と話しかけて
いよいよスパーが始まりそうな雰囲気
※あえてここではあまり書かずにルミナさんの全盛期の強さはまた別の章でとことん触れますが
ちょっとだけ触れておきましょう

全員が和道さんにやられて
もしやルミナさんも危うしか?!と思っていたら

まあルミナさんは道着は着ていないと言うハンデはありながらも和道さんを全く寄せ付けません!

和道さんが亀になったところでサーファーのように上に立ち『ほら和道~動け~』と言って煽っています
和道さんにやられた先輩たちは“流石ルミナさん”って言うのと“唖然”が入り交じったような表情でその光景を見つめていました

続く
~編集中~←今後まだ加筆修正あり

http://blog.livedoor.jp/tfstyles/archives/52049538.html


September 05, 2018

総合格闘技・柔術 個人史 その3


この章では“佐藤ルミナ”

実はしっかり伝えられていない
その全盛期のあまりに桁外れで超人的な強さについて書きたいと思います

これを上手く皆に伝えられれば俺の格闘技界での仕事はほぼ終わったと言っていいのではないでしょうか(笑)

KO修斗ジムの小楠代表が先日石垣島に来てくださり
そこで“ルミナの本当の強さを後世に語り継がなければ”と言われまして

その事と
今回沖縄本島で五味くんと昔話をした事

それと石垣島の生徒さんにした格闘技界の話を
その方が『是非とも文字に起こしてください』との事で

その3つがこのコラムを書く原動力となりました

今の若い世代はレジェンド佐藤ルミナを
“修斗や総合格闘技をお洒落にファッションとして広めた人”
ぐらいにしか思ってない人がいますが
と~~~~~~~んでもありません(>_<)

ルミナさんのKzでの全盛期の強さは練習仲間や
出稽古に来た誰もが感じた…いや
逆に言うと
その強さの底は誰にも感じることすら出来なかったんではないかと言う程
ありえない!
とんでもない!

それはもう

異常と言うか
超常現象と言うか
奇跡としか言えないものでした

・『仲間だから遠慮や尊敬が過剰にあったんだろう』とか
・『大袈裟じゃないの?』とか
・『試合では⚪⚪選手に負けてるし』とか
色々な意見はあるでしょう

まあ試合の結果に関しては
“結果が全て”と言う人に対しては、それはその通りで正論なんで
返す言葉はありません

ただとにかく練習は半端じゃなくて
前に自分が柔術魂2と言う雑誌のインタビューで語ったように
“ルミナさんが来ると嵐が来て全てがなぎ倒されたかのように練習相手が秒殺でぶっ飛んでタップして…まるで残骸が転がっているようだ”と
そう形容するに相応しい
それはもう誰もが冷や汗をかいて最後にはもう苦笑いするしか無い状態でした

当時修斗のライトヘビー級で活躍する竹内さんも『3秒でパスされて何も出来ませんよ』って苦笑しながら呟いていて

前章で書いたトーナメントオブJをぶっちぎりで優勝した後の植松くんも『どうにもなんないすね…』と

大石さんも名だたるトップ選手全員から余裕でタップ奪いまくって大して汗もかかずに帰るルミナさんを見て『ルミナ弱いとか言ってるやつ呼んでこい!』って笑ってましたもんね

練習では試合の10倍は強くて
他団体のチャンピオンクラスをコテンパンにする勝田くんも手も足も出ないような状況でした

『いやいや、んなアホな』って声が聞こえて来そうですが

ルミナさんは全盛期に
海外でのグラップリング大会で確かマーシオ・フェイトーザやシャオリンと対戦しています
彼らは本場ブラジルで大会を連覇している組技の絶対王者

ですが、確か
ルミナさんは彼らと寝技ではほぼ互角の攻防をしてテイクダウンか何かのポイント差で負けているんですよね
※もし誤認があればご指摘下さい

まあ仮に1回ぐらいパスとかされてたとしても
それでも凄いことには変わりありません

ノヴァウニオンの総帥
アンドレ・ペデネイラスとの総合の試合でも
サッカーボールキック(バーリトゥードや総合の部分)で負けてはいますが
当時ブラジルの専売特許であった筈の寝技の攻防では
ルミナさんが抱え十字であわや秒殺しかかっています

あのホイス・グレイシーを絞め落としたイズマイウ選手も『ルミナのサブミッションは危険だと仲間から聞いた』みたいな話を格闘技専門誌で語っていました

総合や柔術のジムなんて
ほんの数えるくらいしか無い時代の日本に
寝技大国ブラジルのトップ中のトップの選手たちが警戒する選手が育つなんて
どう考えても異常事態じゃないですか?

今もオーストラリアやノルウェーでそういう選手は突然変異的に生まれてはいますが
柔術黒帯が世界のあちこにいて
ネットで柔術のチャンピオンの技や試合が幾らでも見れるここ数年とは状況が全く違います

当時はファビオ・グージェウやホレッタの裏ビデオみたいにダビングされて顔も誰だかわからない映像を
あーでもないこーでもないと想像しながら見ていた時代でして

あの中井先生もが対戦したマシャドに
『日本の寝技は青帯レベル』と厳しい意見を言われた時代なのです

ルミナさんの試合の結果はさておき
ブラジルには恐らく日本の数百倍のジムがあり
競技人口があったであろう
その頂点に君臨する男たちが実際にスパーで肌を合わせた上で警戒した事は幻想ではないまぎれもない事実

そして
それだけ異常な強さを誇ったルミナさんが勝てなくなったのは何故か?
これを僕はこの10年以上ずっと考えています

クローンでも作るか
タイムマシンでも無ければ
どれも仮説の域を出ませんが

ルミナさんはある時期から突き抜けて強くなりすぎて
スパーリングでは満足感を得られず
追い込んだ練習が出来ていないと言う不安からウエイトトレーニング等に多くの時間を割くようになった事もひとつの原因な気がします

1人だけ突き抜け過ぎて
宇宙にポーンと放り出されたような孤独感と言うか
天才にしか知りえない境地の不安があったんじゃないかと
勝手に僕は推測してみました

今になって思えばルミナさんは現役時代に
寝技はシャオリンやフェイトーザとか
レオジーニョとかジャカレイと

立ち技は全日本かオリンピッククラスのレスラーと練習するべきだったんじゃないかと思います

そうしたらまた違う結果が生まれていたのではないかと…

あ、誤解して欲しくないのは
ルミナさんは普通に練習してれば最強だから
調子が悪いから負けたんだよ的な
ルミナさんに勝った人の価値を落とすような事を言いたいワケではありませんので悪しからずm(__)m

あんな神の様に強い時期のルミナさんに勝利したジョエル・ギャルソン選手や宇野薫選手には
尊敬の念しかありません

色んなモノを引っくるめての勝負ですからね

勝負ってのは色々な要素があるし
それを含めての結果なんで
そこは全て認めた上ですから

ただ単に
自分はとにかく
佐藤ルミナの潜在能力の限界はどこにあったのか?
それに今でも凄く興味があります

ルミナさんが全盛期の力を発揮出来なくなった理由を自分なりにいつも分析してみているのですが
それはもちろん私ごときにはわかりません

でも一つだけ思い当たることがあります

ルミナさんがブラジリアン柔術の柔術の試合に出始めた頃(2007年とか2008年くらい?)の事です

『ナオさん道着のテクニック教えてよ!昔ナオさんには道着でコテンパンにされたからな~』って

え!?(・・;)
いや、コテンパンにされたのは私なのです

良く覚えているのですが
ルミナさんがほぼ初めて道着を着たと言う
あれは確か1999年くらいの時

自分もまあまあ柔術の試合に慣れて結果も出始めた頃
ほぼ初道着のルミナさんとスパーをしたら
両襟を掴んでぶら下がられて特殊な組手から一気に十字を取られ秒殺され肘を軽く痛めました

ルミナさんに『あれ?ナオさん最近ずーっと道着やって試合も勝ってんじゃないの?』と言われて
肘を抑えて苦笑いするしかありませんでした😰

あの記憶は何故かルミナさんにとってルミナさんがやられた事になっている…

俺は格闘家では世界で1番佐藤ルミナを尊敬してるんで
誤解を恐れずに敢えて言うと
ルミナさんは自分の力を自分で封じ込めてしまっているような気がする

何故そうなのかは
あの総合や柔術黎明期の日本でただ一人大国のトップに匹敵するような強さを持っていた理由がわからなかったように

いまその力が眠っている理由もわからない

こんな記事をルミナさん本人に読まれたらメチャメチャ怒られるかもだが
俺もいま相当危険な仕事してて
いつまで生きてるかわからないから、ルミナさんの本当の強さを後世に伝えずには死ねん

ルミナさん
もし読んでも『馬鹿な後輩が何か言ってるな』くらいで許してくださいm(__)m

俺はオカルトとか変なスピリチュアルは嫌いだけど
前述したブラジルのトップたちの反応はルミナさんの異常な強さが妄想や幻想ではなく
事実だった事を物語っています

ルミナさんは打撃においても最強クラスであったと言う事実を
後々の章では語りたいと思います

~編集中~←まだまだ加筆・修正あり

http://blog.livedoor.jp/tfstyles/archives/52049582.html






September 06, 2018

総合格闘技・柔術 個人史 その4


いつだったか細かい記憶が無いんですが←20年も経つからそんなんばっかですみません(笑)

パラエストラ東京さんの夜クラスに出稽古に行った時
クラス終了後、中井先生が
「明日の夜に自分と植松直哉選手は和術慧舟會さんの本部に出稽古に行くから強くなりたい者は御茶ノ水駅の改札に来なさい」と話していて

おぉ!怖いけどなんか行ったら為になりそうだな…中井先生と植松くんだけならアレだが
誰か自分くらい弱い人も来るだろうって事で
行ったら見事にお二人以外は俺しかいない…😵

まあ冷静に考えたら当時のパラエストラさんは道場がスタートしたばかりで初心者が殆どだから、来ないのは無理もないのです

しまった~( >_<)と思いつつも
まあ寝技だし最悪怪我するだけで死にはしないだろうと開き直り
地下への慧舟會本部への階段を下ります

着替えて準備体操したら
出稽古の中井先生、植松くん、自分の3人での元立ち(うちらはずっと残る形式のスパー)を守山先生か久保先生に指示され

確かインターバル無しの5分を8本くらい

稽古を付けて下さる慧舟会の皆さんは柔道やレスリング経験か
もしくは総合経験が長い猛者揃いで、まずミュージシャンやって来た自分なんかとは
当たり前だけど体躯が全然違う

こちらはと言うと
・中井先生→言わずと知れたレジェンド
・植松くん→若手ながら多数のタイトルを取り輝かしい戦歴を誇るホープ
・俺→白帯ペナ級で1勝したのみ…

「やっちまった…帰ればよかったかな…アホや俺」と気付くが時既に遅し

元立ちが始まり
当たり前だが誰にも何も出来ず
8人中で1人くらいには五分れたかもたが、後はもう撃沈

途中に宇野さんとか来て
そこは割と優しくやってくれた記憶がありましたが
小路さんとかには膝立ちからの突進で壁まで吹っ飛ばさてクルックヘッドシザーズやられた(笑)
40分間ひたすら耐え
何とか終了~

自分はいいんだけど
慧舟会の皆さんが練習にならずに申し訳なかったな~と

きっとみんなに「何でこんな弱い奴が来てんの?」と思われたに違いありませんし、それを後で冷静になって考えたら
恥ずかしくて仕方なかったです😳

でも
俺は何も考えずにこういうとこに行けてしまうバカなところが良さなのかも?ってのも
同時に思いましたがね

後にまた書きますが…いや…書けないかもだが
軽く触れると

色んな⚪道の強豪大学とか
エリートしかいない⚪道全日本強化合宿に潜入したりとか
今になって思えば身の程知らずも良いとこな~😅

さて
前のルミナさんの章で“天才”について話しましたので
“才能”に関連する話をしましょう

悲しいかな人間には何をやっても埋められない才能の差と言うのがあります

まだこの頃の自分は試合でもコンスタントに結果が出せず
だけど才能は無いまでもジム内では“寝技ならナオさん”的な立場に
だんだんですが、なって来て

強い先輩にはもちろん勝てないながらも「寝技でこんな展開になったらどうする?」みたいな事もその先輩から聞かれたりするようになり

「え!あの先輩が自分なんかに意見を求めるなんて!」とビックリ&感激と共に困惑しながらも
自分の技術に少しずつ自信を持ち始めました

そんな頃に高校の同級生で相模原の近くに住んでいた萩生田健二と言う親友がKzに入門して来ます

とりあえずこっちは1年くらい先輩と言う事で軽く稽古を付けようとしたら有り得ないくらい強くて
死ぬ思いで三角か何かをやっと極めたんですが
それから健二が3回くらいジムに来ただけでもう全く勝てなくなり
「俺の1年(1年半かも)は何だったんだ…」って😫

自分が20年近くこの世界で指導に関わって見てきて
この“後から来た人に抜かれて辞める人”が怪我以外では最も多い気がします

で、その抜かれた相手が自分が誘った友達とかなら尚更なんだよね

自分はこの時に格闘技への愛を試されました

でも大好きで辞めなかったから
後の柔術家としての自分があります

強者の匂いに敏感な五味くんにも健二はすぐに目を付けられスパーリングパートナーやらされていました

入門から1週間も経たないうちに某強豪プロからアキレスで一本を取ったりと怪物ぶりを発揮し
勝田くんをして「健二さん真面目にやったらルミナさんみたいになりますよ」とまで言わしめました

でも天才ってのは得てして飽きっぽいモノでして
健二はそれから多分10回ちょっとくらい来て、もう飽きてしまいジムに来なくなりました

またまた細かい時期は忘れましたが
確か健二が来なくなったくらいの時期にKzに沢山の強い新人が入って来ます

朴光哲、ソン・ファンジン、菊地昭などなど

いつだったか、割と最近
専門誌だかネットの格闘技関連サイトだかに“菊地昭はKz入門時からバケモノでみんなやられてた”みたいな記事を見ましたが、それは間違いです

入門時は道着無しに慣れず
みんなにやられまくってましたし
道着もまだそんなに
柔術とかの動きには対処出来ていませんでした

五味くん仕切りのクラス時間には
「おぉ~い!ミュージシャンと柔道家~、2人組んでスパーだぁ~」とか言われて俺と菊地くんがスパーやらされた時も
まだ菊地くんはノーギはからきしダメで
三角とかスッポリ入ってました

何が言いたいかと言うと“人間の記憶なんて曖昧だ”って事です

現在ではかつてのジム仲間に「ナオさんはKz入った頃から光るモノがありましたよね~」とか言われる事すらありますが
全くそんな事実はございません😂

菊地くんは少し経って
ノーギに慣れて半年くらい経ってからの強さは凄まじく自分もボロ雑巾のようにされましたが
その強さが印象的で
多分入門時もそうだったと多くの人に記憶されてしまっているのでしょう

後にあのジェイク・シールズとも勝ったり負けたりしてる怪物菊地くんは明らかな努力家タイプです👊

朴さんとファンさんに関しては
彼らの得意分野が打撃だったんで
僕は彼らや五味くんのスパーを横目で見ながら「うわあ~怖え~、入りたくねぇ~😫」って洗面所とロッカーの間で震えてました

ファンさん朴さんは
寝技に関しては僕は彼らより経験があり
だけど基礎体力は彼らの方があったので
お互い得るものがあり
無理の無いちょうど良いくらいの練習パートナーだったと記憶してます

そんな格闘技の事ばかり考えていた頃でしょうか
当時の彼女に愛想を尽かされます😅

仕方ないし当然ですよね
彼女の認識としては僕はミュージシャンですから

なのにアーティスト契約も切れたまた毎日毎日格闘技ばかりやって遊んでいる男なのです

まあ別れたりは最後の最後までしなかったですが
気持ち的に離れたり→また戻ったりを繰り返し
結局8年ぐらい一緒でしたが最終的には別れました

たまに仕事をもらっていた叔父にも「格闘技なんてやって遊んでんじゃね~ぞ、お前は歌わないと」って言われるし

親父には「格闘技はそろそろ週1回くらいにしてウクレレ勉強してウクレレスクールを継ぎなさい」と

まあ~それはそれは周囲から色々言われましたわ

でもね、ちょっと話は飛びますが(飛んでからまた戻りますが)
早川さんに拾ってもらって
格闘技=柔術で食えるようになれば
毎日(格闘技で)遊んでた男は、イキナリ毎日毎時間
仕事の事を考える“仕事熱心な男”変身するわけです

だから
人様からは無駄に見える
遊びや趣味ってのも
実は後の人生で重要な事だったりするんですよね

続く

~編集中~←まだまだ加筆・修正編して行きます

http://blog.livedoor.jp/tfstyles/archives/52049622.html

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September 06, 2018

総合格闘技・柔術 個人史 その5


この頃(1998~1999年)
早くから次世代のスター候補と目されていた五味くんや植松くんもプロデビューを果たします

彼らの快進撃が始まり
K'z FACTORYは第一次の黄金期を迎え(もしかしたら第二次なのかも?)

当時まだ日本には総合格闘技のジムは数えるくらいでしたし
総合格闘技の興行をする団体も少ない状況

修斗のTシャツは大人気で
購入する為に長蛇の列が出来る程でしたし
その修斗のトッププロの半分近くが所属するKzには入門希望者が殺到しました

その新人たちの指導を代表の草柳さんに任されたのが主に自分と五味くんの2人で

最初は何となく新人が多い日に草柳さんに声を掛けられて指導するみたいな感じでしたが
あまりにも新人が多くなり過ぎたので初心者クラスを作る事になりました

この時に初めて格闘技で指導料をいただき凄く嬉しかったのを覚えています

金額とかではなく
尊敬する草柳代表に格闘技の指導を許されたと言うのが本当に名誉な事だったので

曜日は忘れたので適当ですが
例えば
五味クラスが火曜
渡辺クラスが木曜

みたいな感じだったと思います

※以下、誤解され迷惑がかからないないように前もって説明しますが
今現在のK'z FACTORYや
ラスカル(五味くんのジム)で
これから書かれるようなスパルタ指導が行われているワケではありません
あの時代のあの場所だから起きた事でありますので
よろしくお願いします

当時の五味くんの指導はとにかくハードで
新人が入れば「俺の袈裟固め100回返せ~ほら~!」なんて言って
袈裟固めして
もちろん新人は五味くんの袈裟なんて返せる筈もなく(つーか俺も返せない・笑)
3分くらい暴れさせてバテバテにしてからわざと返されて
死にそうな顔した新人に「ほらぁ~あと99回!!」とかまた言うから何人かは泣きながらやってましたよ😅

あとロープで五味くんを引きずりながら走らされたりとか
「もし俺がいまこの時期に入門して五味クラスに出たら間違いなく3日で辞めるな~可哀想~…」と思いながら横目で見てました😒

対して自分はテクニック中心の緩いクラスをやっていたんで
段々と新人さんが僕のクラスばかりを受講するようになります

で、ある日の火曜日の午後に携帯が鳴り着信を見ると“五味隆典”
一応番号は登録してるが電話なんかした事も無いから珍しいな~って電話を取ったら
「ナオさ~ん、あいつらクラス来ないし俺もうやる気ね~から指導やめるわ~、だから今日ナオさんクラスやってよ」と言われ
その時は当時の彼女と飯食ってましたが事情を話し草柳さんにも電話で確認を取ってから急遽相模大野に向かうことに

相模大野の駅に付いたら新人たちがいっぱいいて
どこで聞きつけたのか「今日ナオさんのクラスになったんすね!!」と駆け寄って来たのです
※五味くんが彼らに「もうやらん!」と連絡したんだっけかな?

相模大野からジムまでの道を歩きながら
リーダー格であった通称青学くんと話していたら
「いや~うちら五味さん尊敬してて大好きなんすけど、練習キツ過ぎてもう付いていけないっすわ~、最近は生きてるのも辛くて…でも今日からナオさんが火曜も指導するって聞いたんで、来なくなってた奴らも呼んだんです!」って涙ぐんでいて
「そうかそうか、もう今日からは大丈夫だから!楽しくテクニック中心でやろう」と話しながら
ジムに着いて扉を開けたら

「お前ら、引っかかったな~!!今日は100倍シゴいてやるぞ~!あ、ナオさんお疲れ~帰っていいよ」と“根性”と書かれたジョイントマットの切れ端で作ったお仕置き棒を振り回す五味くんが
ヽ(;▽;)ノ

マジで爆笑しそうになったけど
新人たちの絶望に凍り付いた顔を見たら笑えないし
どうしたら良いかわからんから
『みんなどんな地獄見てるんだろ~・・・』なんて考えながら
とりあえず夜のプロ練の時間まで近くのマクドナルドで待機してました😂

そういえば
そんな五味くんのスパルタ指導に
一人だけ耐え続けた男がいました
それは桜田くんと言う人です

桜田くんはプロには確かなりませんでしたが
当時の五味くんの指導に耐えるのはプロになるより大変だったので本当に尊敬しますm(__)m

五味くんはスパルタではあったけど
仲間や弟子への愛が強くて
本当~に強くなって欲しかったんだと思います

ただ、誰も彼の期待の高さに付いて行けなかった(汗)

ちなみに新人だけでなく
自分や典男(自分の従兄弟のプロシューター)も
たまに五味くんにつかまって

ある日は
「兄貴からテイクダウン取るまで今日は帰れないよ~」なんて言われて

※兄貴=五味靖典さんと言うグレコのレスラー

うちらがお兄さんからテイクダウンなんて取れる筈ないのに
典男は正直だから普通にフルパワーでレスリングしてけちょんけちょんにされ

俺はスタートから3~4分くらいは運動経験ゼロの人くらいめちゃめちゃ弱いフリをして
イキナリフルパワー出したらお兄さんビックリして尻もち付いたから「やったー!」って叫んだら
五味くんが「はーい、今の無しでもう1回~!」ってなって
実力バレたらもちろん全くテイクダウン出来ず
死にました😂

そして

繰り返しになりますが
現在はこのような事は行われておりません!

草柳先生の元で楽しく笑顔で強くなれるK'z FACTORYに変わりました🌟

優しい指導で定評のある私も草柳代表のジムを自信を持ってオススメ致します👊😌

~編集中~←まだまだ加筆・修正します

http://blog.livedoor.jp/tfstyles/archives/52049670.html


September 06, 2018

総合格闘技・柔術 個人史 その6


最初にも少し触れましたが
自分はかつて売れない歌手をしていて
1995年にデビュー
東芝EMI TM FACTORYと言うところからシングルとアルバムを出しました

当時仲良くしていただいた先輩には“サイレント・イブ”で有名な辛島美登里さんや“君とピアノと”が有名な東野純直さんなどがいます

同期には雷波少年の企画“ラストチャンス”で起死回生の大ヒットを記録した柏の崖っぷちバンド
“サムシングエルス”さんがいました

ちょうど自分が格闘技にハマりだして、ちょっと強くなった頃にテレビの企画でラストチャンスが大ヒット!

彼らとは売れない時期に同じライブハウスに出演して
そのブレイク前の時期には僕の実家で皆で鍋をしたり
仕事以外での交流もありました

ちなみにその
共に出演していた売れないミュージシャンの抱き合わせ的なライブ出演者たちの中には何と何と
元光GENJIの諸星克己さんもいて
本当にビックリしましたよ~
僕らが小中学生の頃なんかの諸星くんの人気っていったら
今のキムタク以上でしょうね
アイドルグループとかも少ないし、ネットもない時代ですから
みんなテレビ見てましたからね

もう流石に諸星君は覚えてないでしょうが
「あ!前も一緒でしたね」なんて当時は世間話するくらいにはなってました(笑)

そのサムエルが大ヒットを飛ばした後にライブに招待してくれまして
久しぶりにメンバーたちと再会

まだまだ格闘技の先輩たちからみたらヒョロい自分でしたが「ガタイ良くなったね~」なんて言われて嬉しかったのを覚えています

で、これはかなりそれより後(トライフォース設立後?)ですが
サムエルの今井千尋くんと松本英子さんの結婚パーティーに呼んでいただきまして
そこでまた偶然の再会がありました!

日本が世界に誇るジャズギタリスト小沼ようすけさんが松本英子さんの繋がりで来ていたのです

小沼さんとは音楽専門学校時代にデュオを組んでいて
とても仲良くしていたのです

話は戻りますが
サムエルと再会した頃
自分は格闘技にハマりながらも
まだ音楽事務所とのアーティスト契約が残っていたので
曲はリリースしないながらもネットのラジオ番組のパーソナリティをしていて

その時にパーソナリティを一緒にやっていたMちゃんと言う後に十五少女漂流記と言う番組の企画?にも出ていた子が
前の方の章で触れた自分の柔術デビュー戦に応援来てくれたのですが、そのMちゃんが
「ナオヨシくんの試合って6試合目だよね?この4試合目に出る阿部ミケールさんって人が私の友達のギタリストの友達なんだよね」と聞いて
それが初めて“ダンス⭐マン”のギタリストであるミケールさんとの出会いの日でありました

6試合目の自分がアップをしているとセコンドについてくれている和道さんが
「ナオさん、今試合してるの(4試合目)あれブラジル人だねぇ!試合見て勉強しないと」と言われたので見ると
確かに外人さんが試合してる…しかし、、、アレ?秒殺負け?

「和道さん…ブラジル人負けましたよ」
「う、う~ん、おかしいな、まあいいや、ナオさんもうすぐ試合だから忘れて集中して!」と言われて

後で分かったのが
そのブラジル人と思われた人がミケールさんでした😂

実はミケールさんはこの時、船木誠勝さんの掌底の構えをマネしたらしく
それをブラジル人がやる袖を持たせない構えと勘違いした和道さんがミケールさんをブラジル人と思い
“ミケールさんブラジル人騒動”の発端となりました(笑)

※ミケールさんは日本とマダガスカルのハーフ

ミケールさんの名誉の為に書いておくと
当時のミケールさんはダンス⭐マンと言うメジャーの有名バンドの活動をしながら忙しい合間を縫って数人のサークルで練習するのみ

相手は名門ピュアブレッドで後に軽量級の看板選手となる実力者でした👊

先述しましたが
その後にはプライド1を一緒に観戦しモノクロームビーナスで有名な池田聡さんも中井先生のパラエストラ東京に入門

池田さん、ミケールさん、自分はミュージシャン柔術家の御三家(笑)とは言われてはいませんが
なんか同カテゴリーと言う事で仲間意識&かるーいライバル意識みたいなのが芽生えたような気がします

※音楽では天と地なので同列に考えたら失礼なのですが
柔術繋がりと言う事でご容赦下さい


~編集中~←まだまだ加筆・修正します

http://blog.livedoor.jp/tfstyles/archives/52049807.html


September 08, 2018

総合格闘技・柔術 個人史 その7


ある時、自分の師匠である植松直哉選手が水道橋の格闘技用品のショップで働き始めたのですが
そこのオーナーさんがジムを出すと言う事で
そこの立ち上げメンバーとしてお誘いいただき指導する事になりたした
※1998か1999年頃

ショップは2階にあり
総合格闘技・柔術クラスが3階
キックボクシング・ムエタイクラスが4階

会費を払えばどちらの階のどのクラスも受講出来るシステムは当時(1998~1999)まだ少なく画期的でした

この“スリーエスアカデミー”と言うジムに通うには自宅からは電車と歩きでたった15分
対してK'z FACTORYまで行くのは90分かかります

なので両方に通いながらも段々とこちらに通う頻度が高くなって行きました

試合に関しては
Kzには籍を置いたまま
“SSS ACADEMY & K'z FACTORY”と言う所属でしてしばらくは出ていましたね

スリーエスにムエタイの指導員として在籍していたのは
なんとあの“ランバーソムデートM16”

最近の若い人はランバー先生の事を知らない人が沢山いるので
第3章でルミナさんの強さを説明したように
ランバー先生の強さも本当はしっかり説明したいのですが
それはまたの機会にして軽くだけ説明すると

ランバー先生は祖国タイでもその攻撃的なスタイルとおどけたパフォーマンスが大人気の有名選手で
来日しキックボクシングの様々な団体の日本チャンピオンたちをバッタバッタと嵐のように1ラウンドKO

格闘技マニアの芸能人
関根勤氏も大絶賛して当時の格闘技番組では特集が組まれたりもしました
※気になる人はランバーソムデートM16をYouTubeで検索だ!

この時ランバー先生は全く日本語が出来ませんでしたが
寝技に興味を持ったランバー先生が空き時間に植松くんや自分のクラスにも遊びに来てくれて
言葉は通じずとも取っ組み合いの中で仲良くなって行きました

ランバー先生の寝技はメキメキ上達し
最初の1~2年は流石にプロの総合格闘技の試合では勝ったり負けたりでしたが
植松くんがタイ語を勉強しまくりタイ語でランバー先生のセコンドをする頃にはもう総合格闘技もめちゃめちゃ強くて
総合の全盛期にはほぼ無敗だったんではないでしょうか

植松くんの通訳で会話が成立するようになってからは色んな事を話しましたが
自分はとにかくこのランバー先生の人柄が大好きで
おどけてイタズラ好きではありますが
肉体的にも精神的にも人を傷付けるような行動は絶対にしないし
何より素晴らしいのは笑顔を絶やさない

そしておどけてはいても
いつも瞳の奥には優しさと、あと自分の想像ではありますが祖国を離れて暮らす寂しさと言うか郷愁をたたえているような、そんな何とも言えない眼差しがとっても印象的でした

数年後にお互い所属が変わったランバー先生と巣鴨駅で再会します

イキナリ駅でフードを深く被った小さい人が雄叫びを上げてタックルしてきたのでビックリして「おわぁ~!」と叫んでしまった自分を
フードを脱いだイタズラ大好きランバー先生が指差して爆笑してる(笑)
「何だよ~ランバー先生か~、ビックリしたじゃ~ん!」って言ったら
「ヒサシブリ」と日本語で返して来たから「あ!日本語出来るようになったの?」って聞いたら
チョットって指でジェスチャーしてきて

電車に乗りながら色々とお互いの近況報告しててお別れの駅が近付いて来た時にランバー先生の口から
「コンド、シアイ、シュウト、タイトルマッチ」
まじか、、、

ランバー先生はこの時怪我もしてるし
ミット持ちで毎日忙しいって言ってたから練習はちゃんとしてるのかと聞いたら

「レンシュウ、ゼンゼン(して)ナイ」と…

それは心配だって伝えたら

「ダイジョウブ、レンシュウ、ムカシ、イッパイヤッタ」

その何ともシンプルかつ深く、重みのある言葉を聞き

間もなく自分は乗り換えでその電車を降り
ランバー先生はニッコリ笑いながら電車から手を振ってくれてサヨナラしました

ちなみにその修斗世界タイトルの戦の結果はランバー先生の完勝!

“むかし沢山練習した”の言葉の重みは更に増しました

過酷過ぎる命懸けのムエタイの世界で生き抜いてきた人間だから言える言葉であり
更にその上で出せる結果であったと思います

余談ですが
私は2011年に八重山に移住して
以来ずっとほぼ軽~い練習をするのみで
時には半年とかポッカリ期間が空いたり
去年からは1年以上全く練習していない時期があったのですが
たまに組技の試合に出たりスパーリングをしてもあまり動きが落ちていない

なんなら怪我だらけの現役後期(2009~2010年)よりは今の方が強いくらいです

後に登場する盟友須藤元気さんも
「練習出来てないと言うマイナスイメージを持つのが良くない、練習はあまりしなくても“自分は練習してないぶんだけ身体がフレッシュな常態だから、むしろ今日はいける”とポジティブに考える事が重要」と昔から言ってました

でも実際、格闘技やスポーツやって来て
ある程度まで行った人間ならわかると思うけど
練習を休むのって物凄く怖い

“相手が自分より努力して強くなってたら”と言う恐怖に勝てず練習しちゃうんですよね

自分は現役時代は恐怖で休めずに身体がボロボロになり
結局は2011年の八重山移住で練習環境がなくなり
強制的にその体験が出来て
これはとてもよかったです

逆にあのまま東京にいて練習を続けていたら再起不能になって
2014年の“一騎討”や
先日の五味隆典選手との試合は出来なかったと思います

そんな環境の変化から
ランバー先生や元気さんが言う境地を
ほんの入口くらいではありますが体験し理解するまでに
格闘技を始めてから
つい最近までかかりましたよ😅

自分が今、ほぼ練習していない状況で
たまに試合に出たり
交流スパーリング大会に参加しても
全盛期を100てして80~85くらいは維持出来ています

いや、維持出来てると言うか
格闘技は現役を辞めたり
コンスタントに練習が出来なくなってから残ったそれが本当に真の意味で身に付いた実力なのかもな~なんて
思ったりもしています

あ、俺の考えなどどうでもいいですね(笑)

とにかく
ランバー先生みたいにずっとムエタイしてたり
若い頃から柔道やレスリングをして
そこから総合格闘技や柔術に流れてくるような
格闘技で人生の大半を生きてきたような人間のいるステージは
僕らとは全然違うんです

例えばランバー先生や
柔道やレスリングエリート上がりの総合格闘家や柔術家がマラソンランナーで
彼らの格闘人生がマラソンだとしたら
ウチらとかはマラソン走ってる彼らの横にたまに並んでダッシュして短距離の勝負しかけてるようなもんで
その短距離でもなかなか勝てなくて
短距離ならたまに勝つ場合もあったりするけど
根本的には…と言うか
長い目でみたら全然勝てない

でもエリートに対して
短距離だろうがなんだろうが
うちらみたいな一般人がたまに勝つだけでも凄いっしょ(笑)

自分が柔術で対戦して1勝1敗だった青木真也選手とかもそうで

あの日、あの瞬間にたまたま勝っただけで
長い目でみたら
ずっと柔道やって来て
今も総合格闘技のトップにいるような人間と僕らなんかは全然モノが違うんです

前に現カルペディエム代表の石川さんとトライフォース立ち上げて一緒に仕事してる時に話してましたけど
「青木くんとか小室さんとか(石川さんが対戦した小室宏二選手)小齋さんとか(2003年頃に自分が紫帯無差別で対戦した小齋武志選手)エリートで柔道上がりの彼らが死ぬ気で頑張ってた時にうちら合コンとかしまくって飲んだくれて、ライブとかレコーディングで夜更かししまくってたんだから、その中でさ、相手は柔術が本職のルールじゃないとしても、それでもエリートの彼らと“どっちが勝つか?”なんて一時でも話題になったんだから、うちらもまあまあ頑張ってるよね」って
そんな事を語ってました

だからその短期間での頑張りだけは自慢させて下さい(笑)

格闘技って
自分にとっては人生の大一番でも
対戦相手には息抜きだったり
新しいジャンルへのチャレンジだったり
単なるお金の為の仕事だったり
ヒマ潰しぐらいの感覚の人もいれば
やりたくないけど義理とか恩返しで戦う場合もあったり

それぞれのドラマやストーリーがあるんで
それぞれが個々の物語を楽しめばいいんじゃないかと👊

前から思ってたけど
特に最近はそれを強く思います

そう考えると
柔術って寝てる状態が多いから
ガチ格闘技の中ではセンスにそれほどは左右されないし

ある程度年齢行っても強くなれるし
帯や年齢カテゴリーが細かく別れているから
色々な人が自分の生活環境や体力レベルで試合も楽しめて
ストーリーが生まれやすい

だから柔術はやっぱり最高の格闘技の一つだな~って
改めて思いますね

なので
いま格闘技や柔術をやりながら今後の進路や上達の方法やスピードとか
色々悩んでいる人は他人と比べすぎずに
マイペースで楽しんで欲しいと思います⭐

まあ他人と競う格闘技でありスポーツなんで
全く意識しないなんてのは土台無理な話で(笑)
心身共に元気な時は意識しまくって練習や試合しまくって
それに疲れてしまった時期は忘れてマイペースに戻し
そんなのを繰り返してるうちに
気付いたら自分はまあまあ強くなっていたように思いますので
そんな部分で迷っている方の何かの参考になればと、、、

先述したように
彼らエリートと僕なんかはモノは違います

彼らと比べてたら年齢的には遅く格闘技を始めて
普通にやったら絶対勝てない
ではそんな相手にどうやって勝つ可能性を見出すか?
と言う“ジャイアントキリング”をテーマに色々考えて知恵を絞って来ました

だから
そこで得た経験からの積み重ね

・試合の緊張との向き合い方
・戦略面
・幾つかの技術

などの指導力では
今でも部分的にですが誰にも負けないものもあると思ってるので
そこに関してだけは揺るぎない自信を持って後進の指導に当たっております

~編集中~←まだまだ加筆訂正して行きます

http://blog.livedoor.jp/tfstyles/archives/52049852.html






September 08, 2018

総合格闘技・柔術 個人史 その8


開設当初のスリーエスアカデミーには植松先生の繋がりで沢山の超強豪柔道家が来ました

・柔術関係者には特に説明のいらないコムロックの小室宏二さん

・アブタビ予選なども制し、何かのメジャー大会に派手な髪の色で出た事が議論を呼びニュースにもなった矢嵜雄大くん

・コロンビアのナショナルチームを指導し最近テレビでもその様子が放送されらしい早川憲幸くん

・オリンピック金メダリスト野村選手と並び日本の60キロ級を代表する選手である江種辰明さん

・PRIDEシリーズで活躍した中村和裕さん

・先日石垣島にいらして久しぶりにゆっくりお話させていただいた、今も様々なMMA大会で大活躍中の小見川道大さん

などなど

あの頃は持ち前の天然っぷりで普通に練習させてもらってましたが
冷静に振り返ったら恐怖で今更ながら震えが来るメンバーであります😅

もちろん当時の私など彼らに敵う筈も無いのですが
何故か小室さんだけにはやたらと相性がよく
自分を極めまくる先輩を簡単に極めまくる小室さんには何故か自分のスタイルがまあまあハマって「じゃんけんみたいだね」って皆で笑ってました

あ、もちろん当時もし小室さんと試合とかしたら絶対コテンパンにされてたと思いますよ

更に言うと寝技限定スパーだったんで
立ちから始めたら繫ぎでパスされて極められてたと思います

まだまだ自分は白帯で試合の勝ち方も試合への気持ちの作り方も分かってない状態だったので

何が言いたいかと言うと
あの時代ってまだ技術が煮詰まってなくて
個人が考えた奇策的な戦術や特殊な技やスタイルもたまたまハマったりすれば
格上にも通用したりしたんですよね

今はネットが発達して
今日試合で誰かがやった変な技とかが一瞬でシェアされて広まってしまいますけど
昔はそのスピードがゆっくりだったので

それから2~3年後
自分が紫帯の時
某巨大合宿に小室さんのコネで参加させていただき
寝技の1本取りをやろうって話になったら40分くらい決着付かずに「やめますか…」って中断

そしたらヘトヘトのところに小室さんが誰か連れて来て
「彼とも一本お願いします」って言われた人が
斎藤順道さんと言う柔道家で
はんっぱじゃなく強かったです😅

疲れてなくても絶対やられてましたね…

フィジカルの桁が違いすぎて
何をしかけてもスッと立ち上がられて持ち上げられポイってぶん投げられて
パスを防ごうと腰に脚をかけたら斎藤さんの動きが重くて早過ぎて膝が一瞬外れて怪我しました(汗)

自分の技が全く通用しないレベルのフィジカル差があると
もう何をやってもダメですね

例えば自分のフィジカルが80だとして
100の相手は技で崩せるが
120まで行くとイキナリ何も通用しなくてお手上げみたいな…

僕は技術屋タイプで
セミナーしたりとか
そういう商売面を考えたら“技術が全て”と言いたいですが
人間が自然の一部であり
動物である以上
全くフィジカルが強さに関係しないようなガチ格闘技は存在しないと思っています

力が全然なくて、例えばイルカみたいに超音波で相手を無力化するような人とか超能力者が
もしかしたら世の中には数人くらいはいるかも知れない可能性は捨てきれませんが

それは個人の能力であり
武道や格闘技として師匠から弟子に継承できるようなシステムはまだ存在しないと思っているので

あくまで私の知る限りですがね

そうそう
小室さんと一緒に練習に来る小室ファミリー(勝手に心の中でそう呼んでいた)の中に
無名ながら激強の人がいました
※柔道界では無名ではないのかも知れません

伊藤さんと言う方で
下の名前は失念してしまいましたが
60キロくらいと軽く
イケメンで見た目も割とスラッとしていて
いかにも柔道家と言う外見ではないのですが
寝技が強烈に強く
小室さんのようにガンガン一本取ると言うスタイルではないですが
堅実に脚を捌いて抑えてくるタイプで
伊藤さんと練習していた次期(青帯でまあまあ活躍してたぐらいの頃まで)は手も足も出ませんでした

去年石垣島にいらしていたオリンピック二連覇の内柴正人さんとも
この伊藤さんの話になり
「ナオさん伊藤さん知ってるんですか?強かった!マニアックな人知ってますね~」と
内柴さんも伊藤さんの寝技の強さを認めてらっしゃいました

当時の柔術界は
柔道VS柔術みたいな対抗意識があり
ライバル心が剥き出しの人がかなり沢山いましたよね

ある日の両国国技館でのバイト中に
小室さんから連絡来ました

高瀬さん(一時期日本最強の寝業師として鳴らした高瀬大樹)が試合会場に来なくて欠員が出たからRJJ(リアルジャパン柔道)チームで出て欲しいと連絡があり
バイトが暇だったんで上がらせてもらって
自宅に道着取りに行って代打出場した事がありました

あの時も自分が柔術サイドだと思ってた人からは「なんで柔道チームで出てるの?」ってかなり言われましたね😅

当時は自分はまだ修斗ジムで一番長い期間練習して
その後は植松先生について柔道家と練習する機会の方が多くて
後でまた遡って書きますが
この柔道チームの試合の少し前に柔術家の和道さんに弟子入りしたばかりだったので
まだ自分は柔術家と言う意識はあまり無かったんですよね

総合格闘技も柔道も柔術も
特に別だという意識はなくごちゃ混ぜで
とにかく自分が強くなれればそれでいいとしか
考えて無かったです

自分勝手かも知れませんが
当時は皆にコテンパンにされてばかりなんで
そんな格闘技界の派閥とか
武道の種類とか
そんな大それた事は考える暇も無かったのです

とにかくあの人にヤラれないようにはどうするか

やられなくなったら次に、極めるにはどうするか

で、その人に勝てたら
次はもっと強いあの人!
みたいに

考えてるのはそれだけでしたね

20代半ばの若造なんて
そんなもんでしょう

~編集中~まだまだ加筆修正します

http://blog.livedoor.jp/tfstyles/archives/52049906.html

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September 09, 2018

総合格闘技・柔術 個人史 その9


前章で進んでしまった話を少し戻します

水道橋のスリーエスアカデミー開設後に
植松くんと相談して当時としては本当に貴重な
本場ブラジルで修行経験のある和道稔之先生をブラジリアン柔術のヘッドインストラクターとして招聘する事になりました

スリーエスが出来る前からちょくちょく教えていただいて
デビュー戦のセコンドもしていただいてましたし
和道さんが来てくれるのが決まった時は嬉しくスキップしてました(笑)

現在のようにYouTubeなどがまだ無く(あったかもだが広まっていない)
教則本やDVDがとても少ない時代でしたので
和道さんに本場の技を習えると言うのは
本当に本当に、ほんと~~~~に!
物凄く価値のある事でして
いま日本全国に散らばってアカデミーを持つような有名柔術家たちも
皆が和道さんの元を訪れて技を学んだのです

和道さんの知っている技の数は半端じゃなく
当時和道さんは間違いなく“日本で1番沢山のブラジリアン柔術の技を知っている人”でした

もしかしたら今でもそうかも知れません

一つ技を質問すると
『こんなのもあるね~!あ、あとこれもあって、あ、もう一つは、で…』と20個くらい一気に教えてくれて(笑)

結局アホな俺は1日に2個ぐらい覚えるのがやっとなのですが😅

自分が日本の柔術界に広めたホレッタ・スィープと言う技がありますが
あれも和道さんがある日
『ナオさんはホレッタ参考にしたらいいよ』とアドバイスされて
それで画像がメチャメチャ悪いホレッタの試合のVHSをスリーエスアカデミーで見まくって研究したんです

和道さんから技術を習い青帯、紫帯と認定していただき自分の柔術の実力は飛躍的に向上しました

植松先生から習った極め技と和道さんの柔術が融合して
段々と勝ち試合が多くなり
専門誌のインタビューなんかも来るようになります

初めて格闘技通信の年末の選手名鑑に載った時なんか嬉しくて毎日100回くらい見返しました(笑)

和道さんは練習もメチャメチャ強くて
自分が有名になり始めた頃も練習では全く歯が立ちませんでした

とにかく技の繋ぎが惚れ惚れするくらい美しい!
天才肌の柔術家ですね

このすぐ後に練習仲間となった早川光由さんが『和道さんや俺と他の人の柔術の違いがわかる?俺らの柔術は1つの技が終わる前にもう次の仕掛けが始まってるんだよ、だから止まらないし、それが成功したら相手が攻撃する順番が回ってこない』って教えてくれて

なるほど!と思いました

勝負は色々な要素があるから
パワーだったり
瞬発的な極めだったり
得意分野に引き混んで漬けて
当時和道さんや早川さんに勝つ人がいたとしても
二人のように繋ぎが美しい柔術をする人は
90年代の終わりから2000年の始めぐらいの日本には他に誰もいなかったし
今でも本当に少ないです

和道さんはとにかく指導に全力を注いでらっしゃったので
自分の為の練習と言うのはあまりせず
なので試合ではその実力の半分も出てなかったと思います

あの頃もし和道さんがご自身の練習に力を入れていたら
間違いなく和道さんも日本最強柔術家の1人だったでしょう👊

その頃スリーエスアカデミー内にはパレストラさんの水道橋支部がクラスとして入っていて
現在ロータス・パラエストラ世田谷代表の八隅孝平くんが指導に来ていました
彼のクラスは常に笑いの絶えない雰囲気ではありましたが
内容としてはKzの五味クラスに近いくらいフィジカル練がキツかったです(笑)

レスラー上がりの人のトレーニングって尋常じゃない…
レスリングがそれだけハードってことなんですけど

グラップリング界の実力者として知られる彼がある日
『ナオさん、ヤバい人が入会してきましたよ…弘中さんって人で半端じゃなく強いです』と

それから数日後かな
盟友にして兄弟分となる
弘中邦佳(後の修斗世界王者・CAGEFORCE王者)との初対面、初スパーをします

口で説明するのは難しいですが
普通にグラップリングだったら簡単に切れる(外せる)ような変な組手が怪力過ぎて全く切れずに綺麗に宙を舞わされ
そのまままるで岩にでも挟まったかのような抑え込みをされて万事休す(>_<)

この頃の自分はまだ若かったんで軟体を駆使した特殊なスタイルに奇襲や騙し技をミックスしていて
Kz時代からずっと道場破りや生意気な出稽古の撃退請負人(笑)やってたんで
一見さんとの初対決にメチャメチャ強く
多分この前後数年の時期に初見のスパーでやられたのは弘中だけだったと思います
※奇襲戦法だから、複数回スパーするうちに本当に強い人には慣れられてボコされるのは沢山あった(笑)

その次くらいに確か一本取れたけど
もう3ヶ月くらいたったら虐殺か?というくらい蹂躙され続けました

タイプは違うけどルミナさん以来にこんな強い人間を体感しましたね

パワーが凄すぎて十字とか三角入れても『はいナオさん筋トレ筋トレ♪』とか言われて
全力で行ったらギックリ腰になったり
もう殆どコント状態でした(笑)

彼とは練習に限っては大人と子供くらいの実力差がありましたからね

最初弘中は『柔道で散々道着は着たからもう着たくない』と総合格闘技のみをやると言ってたので
当時総合の練習パートナーがいない状況のスリーエスから出稽古に連れて行ってました

1人で行けといっても『怖いじゃないですか~』とかクソ強いクセにわけわらん事を言うので
弱い兄貴分の私は巻き添え食って常に付き添い役😂

その1つが新宿スポーツセンターでの菊田早苗さん率いる菊田軍団(後のグラバカ)
弘中は練習は世界最強クラスだけど出稽古になると緊張して何故か実力が3割くらいしか出せず
俺が極めた○○選手にもその後に見てたら極められたりもしてて
『あんだけ俺ボコしといて何で俺が極めれる○○さんに負けてんの?』と(笑)

つまり出稽古受け入れ先の人も弘中の真の強さは多分体感していないと思います

あとこぼれ話だけど
ある日修斗の下北沢大会で久しぶり再会した五味くんにも弘中の練習相手頼んだ事があって
『弘中って言うメチャメチャ強い逸材が入って来て俺じゃ手が付けられないから五味くん一緒に練習してあげてくれない?』って聞いたら
『うん、いいけどさぁ~、ナオさん、俺も相当つえ~よ!!w』って
会話の方向が斜め上行ってて爆笑したわ😂

強いのわかってるからお願いしてるんじゃん!って(笑)

弘中が強いのはネットの戦績や試合動画見れば分かるんだけど
それは氷山の一角も一角

第3章で語ったルミナさんの全盛期の実力もそうだけど

そう言う一般に知れ渡る事の無い部分の強さを私は伝えて行きたいのです

それがこのコラムを書く原動力かな

柔術だったら
俺と弘中の戦績見たら俺の方が強いと思ってる人が結構いて
それもまあ無理もないんだが
実際は天と地ほど開きがあるね

前に元同門で現マスタージャパン福岡&香港柔術代表の“世界の荒牧”こと荒牧誠くんと
練習の弘中があまりに強過ぎて話にならないから
弘中vs荒牧&渡辺の1対2マッチをやったんだけど
俺が助ける間もなく荒牧くんが秒殺されて
その後俺もなぶり殺しにされました😂

今は弘中も古傷沢山抱えていて
数年前にスパーした時は前ほどの鬼神の如き強さはなかったけど(それでもしっかりヤラレたけど・笑)
でもその時期の方が試合では安定した結果出してたりするから

試合はまたわからんね~

前の方にも書いたけど
“試合結果が全て”って人には
それは正論だから
何も反論は無いんだけど

自分とか植松くんなんかは
試合もまた“試し合い”であり
練習の一部
そこで強いのも強さの一部分と言う考え方なのです

例えば実力はあっても
試合の日程が迫ってくるプレッシャーに耐えられず
眠れなくなり体調崩す人がいたり
でももしかしたら
当日欠員が出てイキナリ試合とかなれば
そのパターンだと激強の人もいるかも知れない

だから
強さって色々な多角的な見方があっても良いと自分は思っている

↑みたいな事を試合本番に弱い奴が言ってたら言い訳みたいだけど
俺はまあまあ本番に強いから
説得力あると思うんです(笑)

だから色々な要素があり
柔術で弘中に勝った人間に勝った事はあるけど
自分が弘中より強いと思った事は1度も無いです

とにかくルミナさんと弘中ほど
組んでみて強い人はいなかったな
全盛期の菊地くんもそれに近いかも

あ、あと首を悪くする前の状態で
更に調子の波に乗ってる時の早川さんはマジでヤバかった
ルミナさんの境地を感じたね

そんな話また後々の章で👍

にしても
強さって何なんだろ?と
今も時々考え込んでしまいますね

~編集中~←まだまだ加筆修正します

http://blog.livedoor.jp/tfstyles/archives/52049935.html


September 09, 2018

総合格闘技・柔術 個人史 その10


スリーエスアカデミーの話ばかり書いて来ましたが
この時期まだ自分はK'z FACTORYにも同時に通ってましたので
そちらの話もして行きましょう

2001年?くらいに
佐藤ルミナvs五味隆典の試合が組まれました

その試合が組まれたから五味くんがKzを辞めたのか?
やる為に前もって組まれないうちに辞めたのか?

どちらかは忘れてしまいましたが
とにかく五味くんがKzを去ると言う話題で持ち切りになります

記憶違いかも知れませんが
五味くんはそんな噂が立ち始めた時期からもうKzには殆ど来ていなかったような記憶があります

ある晩
偶然自分はその場に居合わせたのですが
五味くんがひょっこり現れて
「ルミナさん、最後に打撃スパーお願いします」と言い
ルミナさんもこれを受けてガチンコスパーが始まりました

その時に誰がジムにいたかは覚えてませんが
僕を含めて5人前後と
少なかった気がします

クリーンヒットすればただでは済まない威力の
それはそれは恐ろしい迫力のスパーリングでした

スパーリングが終わって着替えてる五味くんが楽しそうに笑いながら「佐藤ルミナ、やっぱこえ~♪」とブツブツ呟いていて

「あー…この人って怖さが楽しいんだ…根っからのファイターなんだな」と

組技だけでなく
全盛期のルミナさんは五味くんとバリバリ打ち合う程に
打撃も最強クラスだったのです

にしても
怖さを楽しめるって凄いですよね

だから五味くんは打撃得意な外国人とも真っ向から打ち合いが出来るんだな~って

俺は“怖い”はどこまで行っても“怖い”でしか無いですから(笑)

ただ、自分もちょっとだけ一般の人とは違うところがあって
怖さを楽しめないまでも
好奇心が怖さを超える事はままありました

例えば
普通の試合だったら緊張の度合いが強すぎて全く楽しんでる余裕なんて一ミリもないんだけど
これが
同門やチームメイトや生徒との練習試合とかレベルくらいになると
「負けたらどうしよう!」とか思うんだけど
その“怖い!どうしよう!”と同時にワクワクぞくぞくもしてしまう(笑)

設立話は後にゆっくり書きますが
トライフォースと言う道場を設立して
支部も増えて
支部間の交流試合を頻繁にやるようになったんだけど

生徒さんとかは支部長同士の対決も見たい人が実は多数いて
俺ってかなり話しやすいタイプの先生だから
生徒さんたちがぶっちゃけて
「支部長対決とかやらないんですか?」って興味本位で俺にだけそんな事を聞いて来るんですよ(笑)

だから「俺はいつでもいいですよ♪ってか、たまに俺から提案すらしてます」って答えたら
けっこうビックリしてて

「おお!では勝つ自信がおありなんですね?」と聞かれたから
「いや、早川さんも徹さんも芝本さんも、実力的にはみんな俺より強いから全然無いですwでもやったら面白いし、俺が負けても生徒さんたちの最高の酒の肴になるでしょ?」って言ったら
皆目を丸くしてました😂

前に自分の二番目の弟子が支部対抗の団体戦に出た時に歯茎を怪我していて
欠場の可能性があったから一応道着持って行ったんだけど
結局彼は欠場しなくて
自分に出番は来なかったけど
まさか生徒に混じって支部長が試合しようとしてたなんて
後で話したら知った皆は衝撃受けたみたい

基本試合なんてしたくないんだけど、でもしたい!(笑)的な
謎の表裏一体の願望は常にあるんですよね

自分が秋葉原の道場を閉鎖する時も「最後に師弟対決見たい!」って高弟2人との練習試合を皆に煽られたんですが
“こう言うパターンってどうせ黒帯の先生はやらないだろう”的な空気が道場を支配し始めていたから
予想を裏切ってやろうと
記念に2試合ぶっ続けでやりましたよ

“先生負けたら面白い”的な空気が最高に面白くて
逆に普段以上のパワーが出て返り討ちにしてやりましたが😂

当時怪我も今より深刻で弱ってましたから
負ける可能性もかなり高かったですが
柔術と言う部分では日本と世界で
K'z FACTORY→
SSS ACADEMY(Az)→
トライフォース→って
その時代時代の看板背負って戦って来て
くぐり抜けて来た修羅場の数がまだまだ違うんだよって事を道場の最後に見せてやりました

弟子たちは紫帯ではありましたが
才能や強さ的には俺が負けても全然おかしくない

おかしくないから皆見たがったんだし
並の黒帯よりもは既に強いような最強クラスの弟子でしたから
怖さは多少ありましたね

その一番弟子の1人が
今は奈良で仏像修復の仕事をしてるんですが
入門して間もない頃に
「他の武道と違って先生が実際に乱取りしてくれる事に感動した」って言ってたんです

なるほど

うちらは総合格闘技や柔術の黎明期に始めたんで
監督やコーチみたいな立場の人なんて逆にいなかったから
先生や先輩には実際組み合ってコテンパンにされて教わってきたわけで
身をもって教えてられたからこそ絶対的に先人を信頼出来て尊敬出来たんだし

先生の怪我や年齢で
それが許さなくなったらそれはもう仕方ないけど
元気なうちに変なマイナスの方向の意地とプライド持って隠居するみたいな
そんな情けない先生にはなりたくないって
思うんですよ

だったらまだ弟子にガッツリやられて
その後ニッコリ
強くなったな!と言えばいい

ちゃんと指導者として自信を持ってやり切れば
そう言える筈なんじゃないかと自分は思うんです

※匿名ですが、前にそんな“生徒の前で試合をするのが怖い”って勇気を出して自分に相談してくれて、そこを乗り越えた先生がいて
感動しました👏

自分のかつての弟子たちも
いつか先生になった時に
弟子に取っ組み合いで伝えられる先生になって欲しいですね👍

あ、そうそう
“怖さ”の話に戻りますが
それと似たような感じで
出稽古とかもやっぱり怖いですよね

でもこのピリピリ感も大好きでして

出稽古って
「壊し屋がいたらどないしよ」とか
「自分の技術が全く通用しなかったら」とか
「出稽古は五体満足では返さないジムだったら?」とか
とにかく色々な不安が頭を駆け巡り
下手したら緊張で手も冷たくなるし喉もカラカラになるんです

でも「どんな強い人がいて、どんな未知の技があるんだろう?」
あとは「練習後にどんな友達が出来るんだろう?」って言う
自分は現役時代はもうこれの中毒でした

なので一時期はあの最強柔術家の1人
杉江アマゾン選手からも“格闘ソムリエ”と言われていて
「ナオさんは誰とでも練習してるから、知らない選手の組技の情報はナオさんに聞けばわかる」とさえ言われてました😂

北は北海道のパラエストラ札幌さんから
南は沖縄本島のハイブリッドレスリング武∞限さんまで

どちらも図々しく道場に寝泊まりまでさせていただきまして😳

そんなこんなで
交流の人数や幅が
当時、多分日本で一番くらい多かったんで
まあこう言うコラムを書くには
もしかした自分はうってつけなのかも知れないですね

話をKz繋がりに戻しますが
このルミナvs五味
実現の前に

Kzの若手たちに一番尊敬されていた“ヂャッカル大石”こと大石真丈さんが劇的な一本勝ちでジム初の世界王者になりまして
これは自分のKz在籍時のハイライトと言うか
最も思い出深い瞬間の1つでした

冷酷と言われた私もこれにはリングサイドで号泣してしまいまして…
いや、大石さんの努力を間近で見ていて泣かない人間は多分いなかったんじゃないかな

Kzみんながリングに上がって
総合格闘技ではプロで試合しなかった自分にとっては
総合格闘技人生の中で
あれが最高の瞬間だったと言っていいと思います

色んな道場の時代に
それぞれ別の種類の楽しさがあるけど

一番の青春って言えば
それはK'z時代だったかな

学生時代みたいな感じで
なんの責任もなく
ただ強くなるために努力した

そんな選手指向の人間ばかりだったから
皆で格闘技バカになって夢中で全力で駆け抜ける事が出来たんだと思います

http://blog.livedoor.jp/tfstyles/archives/52050047.html


September 10, 2018

総合格闘技・柔術 個人史 その11


前章でマジメな話をし過ぎたんで
今回はちょっとくだけた内容も混ぜて行きますか😊

スリーエスアカデミーは東京の中心
“格闘技の聖地”後楽園ホールがある水道橋にジムを構えていて
更に当時(2000年前後)としては珍しい“格闘自由
空間”と言う“ゆるい格闘技ジム”と言うのを売りにしていたので
沢山の有名格闘家のみならず著名人や芸能人たちが来たり
色々と華やかな仕事の話なども入って来ました

しかし一方
あまりにジムの規律が緩すぎて
一時期はもう無法地帯でしたね

「洗濯が楽だ」と言う理由から
ヒモパンや
股間に靴下だけを装着し
ほぼ全裸のようなスタイルで練習する強者が出てきてしまい

彼との寝技スパーでは上四方固め(いやらしく説明するとシック⚪ナイ⚪で下にされた状態)をされた時にヒモパンからはみ出たキンタマがあと数センチで私の顔面に乗って来そうな状況が発生して
普段は絶対に出せないレベルの火事場の馬鹿力が発動し
ギリギリの所で死ぬ気の逆エビを連発して難を逃れた事もありました…
※俺が上四で抑えられるような実力者は数人しかいないので
名前をふせても誰かっていうのは分かる人には分かってしまうでしょう(笑)

これらは全て実話です…

後に練習着のルールが改正されて危機は去りましたが
あのままヒモパンで抑え込まれるような練習をしてたらさらに強くなったかもね😂

そんなある日
スリーエスで打撃を指導していた元プロボクサーで俳優のMKさんが
何やら可愛らしい男の子を連れて来ます

「この子⚪⚪ニーズの若手で
ボクシングとか好きだから練習に連れて来たんでよろしく」と

俺と弘中は「へー!あの事務所かー!」ってビックリ

でも全然顔は知らなかったから
ふつーに冗談交えて会話して
帰る頃に「頑張って有名になれよ~」とか言ってたら

翌日くらい何気なく見上げた渋谷駅の近くの目立つ場所に
ドーン!!と
彼の巨大ポスターが

(>.<)やってもうたー
既にメチャメチャ有名人やん!

「弘中~!あの子“や⚪ぴー”って言って超有名らしい!渋谷にメチャメチャでかいポスター貼ってあった!」

「え?マジすかナオさん、やべー」

当時皆に「2人(俺と弘中)いてどっちもや⚪ぴー知らないとかあり得ない」と散々言われました😱

格闘技バカはテレビ見てる暇ないからね~

あとそのMKさん繋がりで
当時新作だった⚪イキのドライフィットって言うTシャツの
宣伝用ポスター撮影の仕事もしたな

ドライフィットを着たモデルさん同士が三角とかキムラとかアンクルとか
色々と技をかけ合い
ポスターに“ナイ⚪の技”と書かれてるやつで

当時色々な駅看板に巨大ポスターが貼られていたね

その技術指導をやったんだけど
外国人の写真家さん?が
「この脚の角度は美しくない」とか
「この腕は反対の方がいいわね」とか
無茶苦茶な事を言うから
「それだと極まらないですよ」って説明するのだけど
「かまわない」と外国人の写真家さんは自分の感性でバシバシ撮影を進めるわけですよ

だから俺がうーーーんって渋い表情してたら
日本人のスタッフさんが来て「どうしたんですか?」って聞いてくるから
「いや、、、あれだと手が逆だから極まんないですよ」って伝えたら
「困ります!!」って怒られたり😰

いやいや知らんがな✊

みたいな
そんな意味不明な謎の仕事とか

他にも
面白そうな仕事は何でも
安請け合いしちゃうんで
色々やりましたね

あ、そうそう
今書きながら思い出したんだけど

秋葉原道場時代にテレビ局から
「元ボクシング世界チャンピオンの⚪⚪さんが柔術家と寝技をやったら何分逃げられるかと言う企画をやりたい」って言う電話来て

「え?😅組み合ってから始めるんですよね?で、相手のボクシング世界王者の方は柔道とかレスリングの経験あるんですか?」って聞いたら

「ありません、でも極めるのは流石に無理だと思うんで」って言うんです

何で無理だってあんたに分かるんよ…?
打撃ありならまだしも
組技経験無い人に逃げられるわけないやろ…アホな企画やな~と思ったけど
まあ別に良いから一丁やったるか!
と受けたら

撮影本番の数日前に連絡来て急に
「元ボクシング世界王者が、どうしても収録の日に名古屋から動けない」って連絡来てさ

「じゃあアライブっていうジムに“杉江アマゾン大輔”って選手がいるから連絡してみてください、多分想像とかなり違う結果になりますが、それでも良ければ…」って半笑いで伝えたけど
あの企画は結局どうなったんだろうかね~

あ、また書いてる途中で思い出したんだけど
稲垣吾郎さんの“忘分(わすれぶみ)”って言う朝4時くらいに放送してた番組から出演依頼が来て 出た事があったな

朝4時放送なんて
誰も知り合いは見てないだろうと思ったら
結構沢山「見たよ!」って連絡来て
テレビの力の凄さを感じました

~編集中~まだまだ加筆修正します

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September 11, 2018

総合格闘技・柔術 個人史 その12


今回は日本の柔術やグラップリング界の“知られざる強豪”について書きたいと思います

弘中入門前後のスリーエスアカデミーには
何かシンクロでもしたかのように
知る人ぞ知る影の実力者たちが何人も入会して来ます

まずは“シュクタツ”こと鈴木淑達(本当の名前の読み方はヨシサト)と言う名門ピュアブレッド大宮の初期メンバーで
あの桜庭和志選手と一進一退の寝技の攻防を繰り広げた
“褐色の侍”カーロス・ニュートンから練習でタップを奪ったと言う逸話を持ち
レジェンド中井先生も「シュクタツは本当に強かった」と語る程の日本の総合格闘技の黎明期に鳴らした壊し屋でした

彼は練習へのモチベーションに無茶苦茶ムラがあり突然1年とか2年練習しなかったり

試合本番では熱くなり過ぎるのと、あと彼独自の「面倒になったら一本取らせて、それより痛い技で仕返しすると言う」変わった勝負感みたいなのを持っていたからか
なかなか試合での結果は出ませんでした

だが
独創的でえげつない関節技の数々と
練習を終わればスパーリング時の人格と真逆の非常に温厚な人格が現れるとても魅力的な人間で

可愛くてお洒落なインテリアがあるような、およそ格闘家が行くような場所ではない、そんなカフェとかが大好きなギャップが最高なのです

自分も実際にシュクタツによくそんな店に連れていかれました

無駄にお洒落で変に清潔過ぎて落ち着かないし
飯が豆粒みたいに小さくて高くて
腹も全く満たされないし
イライラする(笑)

そんな店で「ここの店の雰囲気が好きなんすよ♪このコーヒーカップとかもお洒落じゃないですか?」なんて言うもんだから
「カップがお洒落とか知らんがなw」とお洒落に鈍感な私は思いながら
女の子が好きそうな雑貨に囲まれてお洒落な服着てニコニコしてる耳の潰れたクラッシャー関節技男の画がミスマッチ過ぎて
そこはかなり面白くてツボで
だから楽しくて良く一緒に飯行ったりしてました😂
彼は今は練習してるんだろうか?

次に紹介する影の実力者は
宮口浩徳さんと言う
これも知る人ぞ知る知るヤバい人で
2000年の前後くらいかな

あの日本最強寝技師の一人と言われた高瀬さんに練習会で大善戦した人間がいると言う噂が柔術界を駆け巡りまして
それから間もなくその噂の主である宮口さんがスリーエスに入門して来たのです

最初の頃は自分得意の変則騙し討ちスタイルが通用しましたが
それに耐性が出来た宮口さんにはかなりやられましたね😰
宮口さんには“クレーン帯取り返し”なる必殺技があり
もし帯を取られてしまったなら
まるでクレーンや重機で運ばれるかのようにどんなに姿勢を低くしようが遠くに重心を置こうが引っこ抜かれるように宙を舞わされるのです😱
で、ひとたび上のポジションになれば
シンプルではありますが
力強く正確で速く隙の無いパスガードがあり

後に語る柔術界のトップが集う練習会でも
ある時期は早川光由、弘中邦佳、宮口浩徳
このメンバーが練習会最強トップ3に君臨していました

しかし宮口さんは当時あまり本番でその実力を発揮出来ず
ある柔術トーナメントでは
その頃まだ練習ではそれほど寝技が強くなかった北岡悟くん(後のDEEP・戦極ライト級王者)にポイントで敗れ
練習と試合って違うんだな~と
驚いた記憶があります
※北岡くんは昔から本番に強かった

宮口さんが本番で力を発揮してきたら
今からでも有名選手になると思います

話はちょっと飛びますが
パラエストラ番頭の若林太郎さんも「沢山の人間を見てきたから大体誰々は将来これくらい強くなりそうだってのは何となく分かるけど、北岡がここまで強くなるとは読めなかった!北岡がここまで強くなったのは嬉しい誤算」と語っていたくらい
北岡くんのある時期からの急激な伸びは異常でした

2006年頃だったような気がするのですが
北岡くんと久しぶりにグラップリング練習したら何回も首を極められて「やべー!凄い強くなってる💦」とビックリしましたからね

何の試合かは忘れましたが
その次の大事な試合で北岡くんが激勝して「ナオさん極めまくったから自信が持てて良い試合出来ました」って言ってくれて
極められた甲斐があったな😂と
ちょっと嬉しかった記憶もあります

その他には
もう今はかなりの人が知ってるかもだけど
当時の影の実力者って意味では
バイロン・ジョンさんですかね

10年近く(10年以上?)フィリピンの柔道チャンピオンとして活躍したフィリピンの英雄ジョンさん

ジョンさんはまだ当時
柔術を始めたばかりでブラジリアン柔術のルールやポイント制度に特化した戦い方を熟知していなかったのですが
ジョンさんがそれを完全に理解していたら
早川、弘中、宮口に並ぶか
ある部分ではそれを超えたかも知れない程のヤバい強さでしたよ

加えてジョンさんはうちらより10歳以上年上で
もし同じ年齢で早くから柔術もやっていたらと考えたら
ある意味最強の人だったかもと思います

ある時に有名柔術家のマイケル・ファウラーから
柔道ルールながら関節を取って一本勝ちし
柔道界では元々英雄だったジョンさんは柔術界でも一躍時の人になり“影の実力者”ではなくなりましたが
その試合動画が柔術界で拡散される以前に関してはジョンさんの強さを知る人はまだ僅かしかいませんでした

ジョンさんが得意としたガードからの方襟片袖の組み手は強烈で
※ホレッタの組手のような対角線の袖を持つガードだったかも
スパーリング一本目の5分は何とか耐えられても二本目には大体もう体幹が耐えられなくなり
バッキシ極められるかひっくり返されてましたよ

あそうだ
あと、いまフッと頭をよぎったので書きますが
日本の柔術界では知らない人はいない
だがその実力は多くの人が知らない“ハマジーニョ”こと浜島邦明

彼の強さを知りたい人は沢山いるんじゃないかと思うんでバラしますが

あれはハマさんがスリーエス(アーザ)高島平のオーナーになり
日本初のプロ柔術興行“グランドインパクト”通称GI(ギ)の
第2回大会開催の直前だったような

他支部ではありますが
自分とハマジーニョさんが一時期同門になり
その同門になった直後ですね

ぶっちゃけ
「柔術界の有名人だか何だか知らんが、もうしばらくスパーしたなんて話も聞いた事ないから強くないだろ!軽く捻ってやんよ」と思ってたら
メチャメチャ強くてビビりました😵

3分ぐらいは一進一退の攻防で
でも流石にそん時は
俺がバリバリ試合に出てた時期なもんで
久しぶりのスパーリングだったハマさんはスタミナ切れ起こし
自爆しましたが想像の25倍くらい強かったです

巨体の割に驚くほど俊敏な動きが衝撃で

後に仲良しになった早川さんと深夜のファミレスで
“ハマさんの意外な強さ”について話したんですが「そう!!ハマさんは意外に強いんだよ」と早川さんは言いながら何故か爆笑していました(笑)

あ!そうそう
もう1人忘れてましたよ

さっきもちょっと書いた
パラエストラ番頭の若林太郎さん

若林さんは有名サンビストの弟の次郎さんが知られていますが
実は太郎さんもメチャメチャ強くて
僕は青帯くらいまでは太郎さんのアキレス腱固めでヤラれまくっていて
それから練習していないので
太郎さんには今現在も恐怖しかなくて
未だに勝てる気が全くしません(笑)

自分がそこそこ結果出してから太郎さんに
「太郎さんに勝てる気がしない」と言うと
「いやいや何言ってんの!w」と太郎さん自身は笑いますが
本気で今も勝てないような気がしてしまいますね


~編集中~←まだまだ加筆修正します

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September 12, 2018

総合格闘技・柔術 個人史 その13


2002年5月2日
日本で初めてのプロ柔術興行
Graund Impactが開催される事が発表されました

けっこうネーミングにうるさい自分ですが
グランドインパクトの頭文字のGとIを取ってGI(ギ)=ブラジル人は柔術着を“ギ”や“キモーノ”と言う

その素晴らしいネーミングセンスに「カッコイイ!」と唸らされました👍

主催者はハマジーニョこと浜島邦明さんで
無敵の天才柔術家レオナルド・ヴィエイラ&ヒカルド・ヴィエイラ兄弟を招聘して中井祐樹先生と吉岡大選手が彼らを迎え撃つ超豪華カードが組まれました

当初、まさかそんな豪華なメンバーに混じって
前座とは言え自分が出場するなどとは考えもしてなくて
「和道さんはGIに出るのかな?出たらいいな」くらいに
完全に他人事と言うか
観客目線で考えてましたね

ある日和道さんが
「浜島にナオさんの試合は面白くなるからプロ柔術に出すように言っといたから」って言われて
えー!!って

で、トントン拍子に話は進みました

最初に自分の対戦相手として候補に上がった方は
某海外有名アカデミーの日本支部長の方で、その人と対戦すると思っていたら
偶然その数日後に総合格闘技の開場でその方とお会いしまして
「よろしくお願い致します」と挨拶させていただいたのですが
「今回はちょっと都合が悪いので、またよろしくね」と言われまして
「えー!じゃあ誰になるのかな?」と心臓バクバクで不安な日々を過ごしていました

そして結局は現トライフォース同門で
当時はストライプルの早川光由先生の門下であった丹裕選手との対戦が決定します

大会のスケジュールと対戦カードが格闘技通信やゴング格闘技に掲載された時は
嬉しさ半分
恐怖が半分

コンビニや書店に行く度にそれらの専門誌を確認して
「やべー!俺の名前マジで載ってる…夢じゃないよな…こんなのに出ちゃって大丈夫か俺…」って
とにかく毎日落ち着かなかった記憶しかないです

遂に試合当日

試合前に自分の入場曲が流れ…

これが実は
とってもとっても
感慨深かったです

ある意味では試合そのものよりもです

今まで試合は沢山経験していても
入場曲をかけての入場なんてもちろんした事は無い

近年
アウトサイダーを皮切りに
色んなアマチュア興行で誰もが入場曲をかけての入場が出来る世の中になりましたが
当時はプロの格闘技興行でも前座の入場曲は無かったり
あっても興行サイドが用意した固定のもので
個人が選択したりは出来ないのが殆ど

プロの厳しい世界で勝ち続けた者の中で、更にチケットが売れる人気者など
ほんの一握りしか好きな入場曲など選んで流す事は出来なかったんです

だから自分なんかは
家でラジカセに布団をかぶせて頭を突っ込んで
“もし自分がプロ興行に出たら”を妄想しながら爆音で曲をかけて
「よし!ここのタイミングで“渡辺直由選手の入場です”♪ってコールされて!」な~んて
両手を突き挙げたら布団がめくれて爆音が外に漏れ
親に「近所迷惑だから小さくしなさい」って怒られて
せっかく盛り上がった気持ちが台無しになったり(笑)

多分格闘技ファンだけでなく
多くの一流を夢見る現役格闘家たちでさえも
入場曲で入場する自分を夢見つつ
でも今生でそれを達成するのは難しいであろうとの現実も理解し
こんな格闘妄想オナ⚪ーをしていたのではないかと
思います

だからって
「今の若い奴はアマチュアデビューから入場曲なんかかけてちょーしコイてんじゃねー!」などと老害のようなことは思っていません

ただ
入場曲をかけて入場出来るって事の有り難さを噛み締めて
入場してもらいたいなと
あんな時代を経てきたオッサンは
勝手に願っています
※充分老害か?(笑)

試合に話を戻しますと

セコンドの早川さんが
「いいぞ丹、お前のペースだ!」と言う度に「ヤバイ!相手のペースだ(汗)」と焦りました

確かに試合全体の八割は丹選手ペースでしたしね

余談ですが、早川さんのセコンドはかなり厄介で
当時自分とはやや敵側であった早川さんには
色んな柔術トーナメント等で度々相手のセコンドに付いては
「そこにいたら三角来るよ!前に行くとアサノ返し来るよ」と自分の得意な仕掛けを相手にことごとくバラしていて
勝ち試合を数試合は落としました😂

そんな名セコンド早川さんに対し
こちらのセコンドは…

・当時はお世辞にも頭脳派セコンドとは言い難かった弘中邦佳
(タイマーの時間設定を間違え「あ!ナオさん試合時間1分増えました」と言いだしたり、スイープされても「作戦どーり!」と叫んだりw)

・セコンド時も普段通り無口な宮口さん(笑)

・頭脳派セコンドだが
日常会話ですら凄く注意深く聞かないと何を言っているか分からない和道さん😂

でも自分にとってセコンドは内容云々より
共に汗を流した仲間が近くにいる安心感の方が大事なんで
とっても彼らのサポートが有り難かったです

試合は早川さんの言うとおり
丹くんペースで進み
2回も返されて4ー0で丹くんリード

たまに極めの形に入れても不完全で決定打にはならず
ラスト1分くらいの時には
「あーエラい事になったな、やっぱり負けか…出ない方が良かったかも、、、でもせっかくだから最後まで思い切りやろう」と思った仕掛けが入り
ラスト2秒で逆転勝ちする事が出来ました

しかし柔術自体の実力では完全に丹くんの方が強かったので
勝利者インタビューでは“運良く勝てただけで丹選手が柔術では上”と
そのように答えました

繰り返しになりますが
試合内容云々よりも

高校時代にボクシング始めてから
ずっと長年の夢であった入場曲での入場の夢を叶えられた事

それと
会場に呼んだ母親に
音楽時代には出来なかった
“100%完全に自分が心底やりたい事の
その道で輝いてる姿を初めて見せられた事”

これが出来たのが
本当に嬉しかったです

試合結果に関しては
自分も丹くんもまだ紫帯だったし

セコンド陣の方がうちらより強いし

さらにメインのヴィエイラ兄弟みたいな神もいて

まだまだこれから僕も丹くんも強くなる過程でのほんの一瞬を切り取ったものだったんで
“勝ち負けはどうでもいい”とまでは言いませんが
そんなに重要視してませんでした

ラスト2秒まで丹くんが勝ってたし
何か1個でも違ったら結果が逆だったんで
本当に全然自慢出来るようなモノではないですから

ただ
仲間や親が喜んでくれたのだけが
本当に嬉しかったです


~編集中~←まだまだ加筆修正します

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September 12, 2018

総合格闘技・柔術 個人史 その14


グランドインパクトの後だったと思いますが
この個人史コラムを書く事を提案して下さったKO修斗ジム小楠健志代表から浜松プロ柔術への出場オファーが来ました

確か自分が車を出して
試合の日にセミナーをやる和道さんと
小楠代表と同郷のヂャッカル大石真丈さん
後にプロシューターになる丸ちゃんこと丸井憲一郎選手とで楽しくピクニック感覚でドライブしながら東京を出発→浜松を目指しました

前日に小楠代表が浜松の街を案内してくれたのですが
そこかしこにいる日系ブラジル人の女の子たちが美人過ぎて
試合を控えて遊べない自分にイライラ(笑)

おまけにその夜は丸ちゃんのイビキが爆音過ぎて
俺も和道さんも大石さんもほぼ眠れず😂

和道さんは途中で外に行って寝てました(笑)

とにかく日系ブラジル人の美人が多い浜松ですが
なんとなんと試合当日対戦相手の
当時期待の新人であったジョン・バチスタ・ヨシムラ選手が連れてた彼女(だと思う)もメチャメチャ可愛くて
「くっそー、これで柔術も負けたら完全に人生で彼に負けた事になるから絶対に勝つ!!」と
普段はビビりで攻撃的なメンタルには一切ならない自分が
イビキで寝不足にも関わらず珍しく戦闘モードになり

当時は上攻めなんかほぼ出来なかった私なのに
普段の3倍くらいの実力が出て紫帯時代ではもしかしたら1~2回くらいしか成功していないパスガードに成功してしまい
最後は結局得意なホレッタ十字でしたが
勝つことが出来ました

バチスタ選手は当時まだ若く
仕事も忙しくてはあまり練習出来ていなかったとの事でしたが
後に急成長し
自分も生で観戦していたプロ柔術興行で小室選手を撃破するなど素晴らしい活躍をしていましたね

同じプロ大会には
自分が2012年に石垣島に移住してら何度も来島して一緒に遊んだり練習してくれて仲良しになった
“真足関十段”花井岳文選手もグラップリングで出場してまして
代名詞の足関でブラジル人に秒殺勝利していましたね

確かこの前後くらいにスリーエスアカデミーはアカデミアAz(アーザ)と改名し
体制も大きく変わります

4階のキックボシング担当は
新田明臣さんが代表を務めるバンゲリングベイになりまして

その新田さんが「紹介したい人がいる」と言って会わせてくれたのが須藤元気さんでした

須藤元気さんは格闘コロシアムと言う番組で“逆輸入ファイター”として初めて日本のメディアに登場し

その頃は格闘技会場で見かけても雰囲気的にチャラそうで(俺に言われたくないわなw)
なんかこの人とは話が合わなそうだと勝手に判断してました

しかし元気さんもご自身の自伝で語っているように
一度挫折を経験してから考え方も変わり

バンゲリングベイで新田さんが会わせてくれた時にはその挫折から復活した後で
その印象は「あれ?須藤元気ってこんな落ち着いた感じの謙虚な人だったかな?本当に格闘コロシアム出てた人と同一人物?」と疑ってしまう程の変わりようでした

新田さんが「直さんて言って柔術のプロなんですよ」って元気さんに言ったら
元気さんが「黒帯なんですか!凄いですね!」って言うもんで
「いやいや、日本はまだ黒帯数人しかいなくて、プロって言っても僕はまだ紫帯なんです」って苦笑いしながら答えたり
そんな内容の会話をしたのです

それからは
その雰囲気が変わった須藤元気選手に注目するようになり

魔裟斗戦を見て「何じゃコリャ!?実戦であんな動きするなんて、こんな人が世界にいるんだ!」って感動してテレビの前で一人ではしゃいでましたよ(笑)

しばらくして
「須藤元気さんがホイラー・グレイシー選手と対戦するので柔術家の練習パートナーを探している」と言う話が回って来ました

柔術サイドの人間なんで
数秒間だけ悩みましたが
魔裟斗戦で度肝を抜かれて格闘家としてのハートを鷲掴みにされた私はすぐに「行く!」と手を上げて
当時は白銀にあったトータルワークアウトさんに元気さんの練習相手として行く事になりました

元気さんとのスパーでは
後のインタビューで元気さんが語ったように“K-1で立ち技ばかり練習していて柔術を忘れていた”と言う時期だった事もあり
何本かやった後には
元気さんから定期的に寝技を教えて欲しいとの有難いオファーを頂きます

それから元気さんがちょいちょい連絡をくれて何度か練習しました

元気さんが忘れている柔術のパーツを埋めながら
ホイラー対策を徹底して練り
結果は皆さんが知る通り元気さんがKO勝ちを収めます

家でその試合を見てすぐ
「おめでとうございます!おめでとうメール殺到してると思うんで返信はいらいです」って送ったら
忙しいなんてもんじゃない中
速攻で元気さんから丁寧なお礼の返信来て
なんて律儀な人なんだろ~って
感心しましたよね

で、その後に
元気さんが鯛を釣っている表紙の格闘技通信が発売され
あれで
“直さんにボコボコにされて”
“直さんと練習していなかったら流れが変わっていたかも”
などなど

普通は絶対に有名選手が無名選手に対して言わない&書かれたくないような内容の事がずらりと書かれていて

いや正直
嬉しかったですね👊
あくまで練習だし
それを自慢したいとかでは無いんですが

だってね

詳細は問題が出るから書けないですけど
自分はけっこう無名時代(それこそ影の実力者時代)に色んな選手だったり
プロレスラーだったりに
技教えたり対策練りに行ってあげて

でその選手が勝っても
「あれは元々俺の得意技(得意パターン)だった」とか
「⚪⚪選手と練習したおかげ!」とか言って
たまたま1回ぐらい練習した有名選手との練習の事だけ書かれていてたりとか(笑)

それでムカつくような俺じゃないけど
何回ズッコケたかわからんもんね😅

まあわからんよ
その選手は発言してても
雑誌からしたらそんな無名選手の話に文字数割けないとかあるしね

でも個人の、しかも日常のブログでも
あんだけ無償で協力してて
有名選手との写真はバンバン載せてて
俺には一ミリも触れないんかい!!ってのもあったね😂

あ、このコラムも有名選手中心に書いてますが
これは単に一般向けを意識してるから
誰も知らない人の事あまり書いても内輪以外は理解出来ないからってのがありますんでね

だから自分も当時無名なんで
雑誌に書かれないのも理解できますよ👌

しかし
そんな中で敢えて
1番有名なあの須藤元気が
1番無名な私の存在を語ってくれて
ライターさんもそれを書いてくれて

こんなんされたら
一生応援したくなるやん👊
って思うよね✨

だから俺は
そんな須藤元気が
大好きなんです

あ、それと
その元気さん対ホイラーの1~2年前には
吉田秀彦さんのところに
対ホイス・グレイシー第一戦の対策で
呼ばれて行ってた事もあったな

吉田さんとは体格とフィジカル違いすぎて
吉田さんは自分とはかなり力抜いてスパーしてましたね

だから
あまりお役に立てなくて申し訳なかったですが
それでも

吉田さんも気を遣って雑誌にチームメイトとして写真載せて下さったり
ダイナマイトの会場にも
プレミア打ち上げにも呼んで下さりまして

隣に
ヘンゾ・グレイシー選手や
ジェロム・レバンナ選手がいたり

近くにいた生叶姉妹のあまりの乳のデカさに高瀬さんと共に驚愕したり(笑)

二次会に行こうとしたら乗ろうとしたエレベーターからミルコが降りてきて睨まれたからリアクションに困って
何故か咄嗟に手を出してしまい握手したり(笑)

さらにその打ち上げ後には
座っただけで十万とか取られそうな銀座の超高級な店に初めて連れ行ってもらったり
なかなか出来ない体験を沢山させていただきましたね

吉田さんは
それはそれは
気持ちの大きな
優しい方でした

高いお店に連れてってくれたとか
美味しいご飯食べさせてくれたからとか
それは一部であり

いつも優しい笑顔と態度で接してくれて

元気さんも
吉田さんも

やはり本当にビッグになる男たちは
気持ちもビッグなんだよな~と

スモールな私は
ただただ
感心&感謝の気持ちが溢れ出すのみであります

当時吉田道場で一緒に練習していた
高瀬大樹さんも
怖いガチキャラだとばかり思われてますが
意外に冗談好きだったり

僕と100キロくらいの人とかがスパーしたりしてて
向こうがムキになったて危ない場面があったりすると
「軽い相手に怪我させる気か~、力抜け~」とか言ってくれたり
優しくて気遣いがある人でしたよ

~編集中~←まだまだ加筆修正します

http://blog.livedoor.jp/tfstyles/archives/52050291.html






September 13, 2018

総合格闘技・柔術 個人史 その15


和道稔之先生と早川光由さんが軸となり
柔術でトップを目指したい人間たちが集う練習会がスタートしました
※以下敬称略・順不同
肩書きは自分が知りうる限りの2018年現在のもの

・和道稔之 CHECKMAT CDJJ代表
・早川光由 トライフォース柔術アカデミー総代表
・桑原幸一 グラスコ柔術アカデミー代表
・泊憲史 トライフォース博多代表
・弘中邦佳 マスタージャパン代表
・植松直哉 ネクサセンス代表
・草柳和宏 K'z FACTORY代表
・石川祐樹 CARPE DIEM代表
・宮口浩徳 謎
・荒牧誠 香港柔術代表
・中山徹 トライフォース五反田代表
・山崎剛 リバーサルジム新宿Me,We代表
・マックス増沢 マックス柔術アカデミー代表
・バイロン・ジョン John Bylon CDJJ代表
・芝本幸司 トライフォース新宿代表
・中村大輔 パトスタジオ代表
・浜島邦明 デラヒーバジャパン代表
・渡辺直由 不漁続きの三流チンピラ海人😰

※↑書かれてなくて俺もチームにいたぜ!って方がいたら連絡下さい
追記します(笑)

これに更に連盟役員の肩書きが付く人もいますが
連盟のポストはいまネットで軽く調べたらちょっと見つからなかったんで
こちらも分かり次第、編集して追記しますm(__)m

こうして並べたら
宮口さんと私以外は皆今もブラジリアン柔術界で重要なポジションにいる方々ばかりですなw

このチームは後にJFT=ジャパンファイトチームと命名され
チームパッチも作り活動していきます
※正確な英語だと確かジャパニーズファイトチームになるのかな?

上にズラーッと書きましたが
初期はこんなに人数はいなくて
和道さん、早川さん、弘中、桑原さん、宮口さん、荒牧くん、石川さん、俺、辺りが主要メンバーで徐々に徐々に増えて行きました

ここで私は今まであまり交流が無かったストライプル所属の早川さんや石川さんと会話するようになります
※後にトライフォース柔術アカデミーを立ち上げる3人がここで出会います

早川さんの事はこれまでちょいちょい触れて来ましたが
石川さんの事は殆ど書いてないので最初に自分が石川さんを意識した日の事を書きます

当時アーザの同門だった荒牧くんが
茗荷谷にある体育館で開催されていた柔術大会に青帯でエントリーして試合していた石川さんを指さして
「あの人は石川さんと言って海外で柔術を始めた人で基礎体力があり強いんですよ」と教えてくれたんです
※後に様々な柔術大会で荒牧vs石川は7回くらい実現しているライバルの中のライバル

日本に帰って来てから早川さんの門下に入っていた石川さんはJFTに練習に来るようになります

とても話が合った早川さん石川さんと自分の3人はよく練習後にファミレスやスタバで練習の課題や下らない世間話をするようになりました

もちろん日によっては他のJFTメンバーも来るけど
特にこの3人は喋るのが好きで
大体練習後は毎回エンドレスにトークしてました

早川さんと石川さんはめちゃくちゃ仲良しなのだけど
当時はまだ若かったし

仲が良過ぎるが故に
時折話題がヒートアップして
自分が「まあまあ」と間に入る役でした

これはトライフォース設立後もしばらくそんな感じだったかな(笑)

石川さんはとにかく頑張り屋さんの働き者で
朝の5時に起きてパーソナルのウエイトトレーニングや柔術を外国人のクライアントさんに教え
それからJFTに来て
終わってお茶をしたらまたパーソナルの仕事に戻っていきます

そして翌日はまた5時に起きて巨大な外国人クライアントさんと取っ組み合いをして
それをほぼ毎日繰り返すんですから
大変です

いつも疲労困憊の石川さんは
一緒にご飯を食べていても「あれ?声が聞こえないな」と振り向いたら箸を持ったまま寝ていたり…
いや、寝ていると言うよりは気絶に近いニュアンスでしたね

練習や試合以外ではのんびり屋の多い格闘技界で
あんなに一生懸命働いていた人は彼しかいなかったんじゃないかと思います

いま大成功しているそうですが
あの努力家なら当然の結果だろうと頷けますね

のんかー(沖縄方言でのんびり屋の意味)と海人のにーにーに言われて
大漁出来ずに漁師で大失敗している私とは正反対(笑)

そんな練習練習の日々が続いて
2003年の夏が来て
自分は毎年恒例の八重山一人旅に出かけていました

米原キャンプ場の海で魚とりをして上がって来て魚臭いままの手で携帯をチェックしたら
ある柔術関係者から
コパストライプルの無差別級にあの小齋武志がエントリーしたとのメールが来ていました

小齋武志さんは柔道界ではその名を知らぬ者はいない強豪で
井上康生選手からも確か一本は取られていないし
あのエメリヤーエンコ・ヒョードルから柔道では一本勝ちしている怪物です

正直、そんなモンスターと自分が戦ったらどうなってしまうのか?と真夏のうだるような熱さの石垣島でひとり震えましたが

結局は好奇心に負けて“自分もエントリーします”とメールし、その日はテントに入っても緊張であまり眠れずに朝を迎えました

帰京し
日焼けの皮も剝け切らないうちに
試合の日が来ました

当日会場に着くと
早川さんが駆け寄ってきて
「ナオさん、小齋さん前よりデカくなっててヤバいよ…あれは人間じゃない…やめても誰も文句言わないからキャンセルしたら?」って言って来たんで

とりあえず近くを小齋さんが歩いてたので
デカさチェックを兼ねて挨拶をしに行って握手したら
本当にデカくて圧力がヤバくて
ビビッてオシッコが近くなり何回もトイレに行きました😅

いよいよ試合順が近付き
小齋さんが呼び出され
目の前に歩いて来ます

すると小齋さんが突然四股を“ドーン、ドーン”と2回踏んで
大袈裟じゃなく柔道場が地震のように揺れ会場がザワつきました

続いて開始の合図と共に小齋さんが地鳴りのような声で「おっしゃあぁぁ~!!こいやぁぁ!!」と叫ぶと
会場は一気に大歓声に包まれます

結果から言うと1度パスされて3ー0で負けました
が、しかし
自分で言うのも何ですが
良い試合だったと思います(笑)

と言うのも確かこの頃
100キロから更に100キロ超級に階級を上げた小齋さんは
過去に出た柔術の試合よりも更に重く最重量で
その小齋さんにちょっと抑えられただけで生還出来たんで
個人的には満足です😄

試合を見ていた植松先生も
「柔道ルールの寝技に当てはめても一本の時間に達する程は抑え込まれていないから善戦と言って良いんじゃないですかね」と言ってくれたし
更に怪我もなく終われてホッとしました

本当にラッキーだったのは
小齋さんのセコンドのタイゾウ君が頻繁に「三角来るよ!」と言うので
小齋さんがそれを必要以上に警戒して離れてくるんで
本当ならもっとギタンギタンにされていた筈なんですが
あのセコンドに救われました

あんな太い首と肩周りに三角入ったところで100%極まらないんで
本当にツイてました😂

だから試合後のインタビューで小齋さんが「今まで対戦した柔術家の中で1番強かった」と自分を評してくれたのは
実は相手セコンドのタイゾウ君のお陰なのです(笑)

小齋さんはとにかく謙虚な方で
試合後に写真撮影をお願いしたら
首から掛けた優勝メダルを慌てて外して(自分は全くメダルは何とも思わないが、多分彼なりの礼儀だっだったと理解しました)
「また勉強させて下さい」と深くお辞儀されまして
超一流の武道家が三流の私に対して取ったその態度
その姿が
とても強く記憶に焼き付いています

だから小齋さんの訃報を聞いた時はとてもとても残念でした

小齋さんは
謙虚なだけでなく
素晴らしエンターテイナーでもあり
先程も書いた四股踏みからの雄叫びや
試合中もブラジル人たちを煽って盛り上げてみたり

で、煽ったらブラジル人達が予想以上にヒートアップして
そしたら小齋さんも笑って「まーまーこれくらいで」みたいなジェスチャーしたら
ブラジル人たちも笑って返して

そんな楽しいやり取りも演出してくれる
素晴らしい男でした

またあんな人が柔術界のマットに現れてくれたらと
願っています

余談ですが
小齋さんとの試合終了後に握手した早川さんが何故か号泣していて
「感動した!感動した!」と繰り返し肩を叩いてくれたのも
とってもビックリしました

この時はまだ仲良しになり始めで
こんなに人間らしい感情がある人とは知らなかったので(笑)

ちなみに石垣島で真っ黒に日焼けした私の肌は
小齋さんとの激闘でこすれて
翌日か翌々日にはツルツルの美白になっていました
これはネタではなく本当にです😅

~編集中~←まだまだ加筆修正します

http://blog.livedoor.jp/tfstyles/archives/52050294.html


September 13, 2018

総合格闘技・柔術 個人史 その16


2004年だったと思うんだけど
初めて試合での海外遠征を経験します

今はパン柔術選手権とか言うのかな?←違うかもw

当時はパンアメリカン柔術選手権みたいな名前で
通称パンナムと呼んでいたね

そこにまだ当時は所属の違う早川さん石川さんと共に遠征し

現地で杉江アマゾン選手や服部恵子選手のアライブ勢
他には
現・ドラゴンズデン代表の澤田真琴選手も来ていて合流します

当時はアメリカ在住で後にJFTに参加するマックス増沢さんとも
この大会で初めて会いました

そうそう
自分は結構アライブの皆さんに仲良くしていただいていて
パンナムでもお世話になり
その経緯を書き忘れてたから
パンナム記の前に軽く触れますね

アライブの鈴木社長と
ある合同練習会でスパーしたら
社長が凄く自分の技を気に入ってくれて
社長が初めての“渡辺直由セミナー”を名古屋のアライブで開催してくれたんです

今にして思えば参加メンバー凄くて
※以下敬称略・順不同
杉江アマゾン大輔、日沖発、岩間朝美、木部亮
…他にも誰か強豪がいたような気がするが忘れたので思い出したら追記します

練習後のスパーでは2人目のアマゾンで完全にガス欠して
もうボロボロで
社長に案内されてホテルでチェックインした時にはボールペン持った途端に掌がつって名前も住所も上手く書けず😅

そんなんだから初セミナー大失敗だったかな~と思ったら
後に“伝説のセミナー”として語り継がれるくらい
評判良かったらしい✨

「こんなに深く柔術の技を考えてる人がいたんだ…」と思ってくれた

らしい!…が…いや、どうだろう

皆さん優しいから嘘かも分からんので
真に受け過ぎたら良くないけどねw

アマゾンとは名古屋の全日本選手権で紫帯時代に対戦して
パス→ニーオンの5ー0で負けたことあり

そんなこんなでアライブの皆さんには色々と良くしてもらいました
※パスされてニーオンされた部分だけは良くされてないかw

余談だけど
歌手時代に初めてライブとか営業行ったのも
名古屋だった

名古屋は自分の仕事の始まりの地なんです

さてパンナム記に戻ります

試合の時はみんな大体
“試合会場から近くて安い”
みたいな基準でホテル選ぶから
似たような場所に泊まるんで
ホテルは柔術家だらけ

まずエレベーター乗ったら柔術着のズボン履いた眉毛繋がった兄ちゃんがいるから
カテゴリー何?と聞いたら「アダルト紫帯レーヴィ」って言うから
一緒やん!と意識していて
後で分かったんだけど
そいつが結局俺のカテゴリーを優勝した後のアダルト黒帯世界王者ルーカス・レイチだった

しばらくしたら
テレレが門下生を連れてホテルに来て
早川さんを見つけてかな?
うちらに話しかけて来たんです

石川さんと
「名前とか知らないけどテレレの横にいるあいつとか無茶苦茶強そうじゃない?」って二人で噂してたのが
これも後の黒帯世界王者
アンドレ・ガウヴァオン

他にも
柔術世界王者にして
MMAで大活躍中の
ビビアーノ・フェルナンデスやジャカレイも同じホテルで
その辺うろうろしてるし
右を見ても左を見ても強そうなのばっかでとにかく不安で不安で仕方なかったね

ジャカレイは超ハイテンションで
ホテルの朝食の時に
エレベーターから降りて来たら
「いえーい!」みたいにいきなり叫んで
朝食食べてる全員と握手しだしてさ😆
すんげー陽気な兄ちゃんでした

試合の2日前くらいかな
日本人皆でトーランスのグレイシーアカデミーに出稽古に行って

そこで
まだあどけなさが残るハレック・グレイシーと杉江アマゾンがスパー対決してたが
流石にこれはアマゾンが圧倒してたね

その後にヘナー・グレイシーが俺を指名してくれて
どんだけボコされるかと思ったら
意外なくらい善戦出来て
早川さんも「おー!直さんすげー」と盛り上がってました(笑)

結局は確か8分くらいで
面白い形の十字絞めを取られてタップ!

早川さんも「ヘナーにこれだけ善戦したら直さんの活躍は約束されたもんだ」と太鼓判を押してくれました

それよりちょっと前の話だと記憶してるけど
アーザ高島平で行われたデミアン・マイアのセミナーでも
何故か奇跡的にデミアンに大善戦出来て
これは確かどっかにスパー画像残ってる筈だな

「スパーとか練習で善戦して喜んでるなんてアホじゃん?」と思う人もいるかもだが

流石に俺くらい長くやってたら
本気か本気じゃないかはわかるね
※有名選手は来日すると遊びまくって体調崩すし、セミナーで技教えた後のスパーは疲れてるから勿論それらは差し引いて考えてますよ

また後々詳しく書くけど
スパーでの相手の本気度が分からない人は
あまり強くなれない人が多いですね

それに気付けないと
相手の罠に引っ掛かり易いのです

ま、それはまた詳しく後程👍

コラムの初期にも書いたけど
当時の自分は軟体の変則スタイルだから
ハマったら格上にも
まあ希にだが
善戦する事があったね

そんな早川さんからの太鼓判で
少し不安から解放され
試合当日を迎えます

石川さんと俺は
紫帯のペナと紫帯のレーヴィなんで
カテゴリー的に試合開始時間が近いので(一階級違う)ホテルのロビーで待ち合わせて
タクシー呼ぼうか迷ったけど
リラックスしたいからゆっくり一緒に歩いて試合会場に向かおうっていう話になり
歩き始めました

大通りに出たら石川さんが
突然小石を俺の前にコローンと蹴ってきて

「この小石を会場まで蹴り続けられたら俺たちは優勝だ…だが!もし
あの1つ目のブロックを越せなかったら俺たちの1回戦負けが確定する!」
と宣言し謎の占いを開始

応じた私が石川さん目の前に小石を蹴り返すと…

なんと
次の3回目でイキナリ石川さんが思い切り高速道路並みのスピードで車の行き交う大通りの真ん中に小石を蹴飛ばしてしまい

二人で「あぁ!!!…」と叫ぶも
時既に遅し

小石は車に飛ばされて行方不明…

うつむいた石川さんが
「…これは…うん…忘れよう」と呟き

不吉な予感に包まれた私たちは
そこから会話もあまりないまま会場入り

果たして結果は

2人揃って1回戦負けでした(T_T)

次章に続く

~編集中~←まだまだ加筆修正します

http://blog.livedoor.jp/tfstyles/archives/52050336.html






September 13, 2018

総合格闘技・柔術 個人史 その17


初の海外遠征
初の海外試合で

初戦の相手は黒人選手の
エダー・パシリアーノだかエデル・ペリシリアーノみたいな名前😵
読み方や日本語表記がわからない
※日本では無名だが後に黒帯で杉江アマゾン選手にも一本勝ちした強豪(だが細川顕選手がこの試合前アマゾンに深刻な怪我があった事を語っている)

黒帯カテゴリーの試合はもっと後なので早川さんは確かまだ会場に到着していなくて
石川さんもほぼ同時刻の別マットで試合
なので誰もチームメイトがいない私のセコンドには現ドラゴンズデン代表の澤田真琴さんが付いてくれました👊

初っぱなの出会い頭に飛びつきクロスをされ
クローズドを解こうと腰を上げた瞬間に
相手はクローズドの脚を解かないで両足クロスしたままの巴投げをみたいなのを仕掛けてきて
これを食らった私は
「うそーん!!こんな技あるのぉ~?」と思いながら宙を飛んで1回転
そのままマウント取られるもなんとか脱出
試合中盤くらいに
1回だけホレッタ十字が綺麗に入り
これが唯一のチャンスで相手の腕がミシミシ鳴るが
マウント→バック取られかけから逃げるので体力使い果たしていて極め切れず
腕をぶっこ抜かれ
その後にまたマウントか何かを取られて
ポイント12ー2で敗退

初の海外遠征は大敗を喫しました

そのパシリアーノさん?も
マイケル・ファウラーとの立ち技勝負に敗れ
マイケル・ファウラーもルーカス・レイチに敗れ
改めて“世界に出たら自分は何者でもない”と言う現実を知ります

「やっちまったな~」と思いながら会場を歩いていたら汗だくの石川さんを発見

「どうだった?」って聞いたら
二人とも占い通りの1回戦負け…

石川さんの相手は強豪ジョナタス・グージェウでした

杉江アマゾン選手は
日本にも来日経験があり
GIグラップリングにも出場した
スティーブ・マグダレノ選手と対戦し、確か一本勝ち
次の試合か、その次の次の試合で
ポイント的には勝っていた筈なのに誤審で負けたような記憶があります

しかも酷い事にアマゾン選手は小手絞りか袖車か送り襟絞めか何かをした時に
その手を相手選手に噛まれて
手にはクッキリと歯形が残っていました😠

早川さんは“ポルトゲイス”と言う
日本では無名ですが
ブラジルでは有名で
“神童”マルセリーニョ・ガッシアをして最大のライバルだったと言わしめる強豪選手と対戦し敗退

内容や対戦相手のレベル
初海外遠征での緊張や時差ぼけとか
そう言った要素はあったかもだが
それらはさておき
結果としてはJFT3人ともに初戦敗退

小齋さんとの試合や
スパーでヘナーやデミアンに善戦した自信も塵と消え

テレレやジャカレイなど
次元の違う“神々”の試合を見せつけられ
体育館の椅子に坐りながら
ただただ呆然とするしかありませんでした

この夜に早川さん石川さんと反省会ミーティングをします

自分と石川さんより早くから世界で戦っていた早川さんが
世界のレベルっていう言うのはこう言うもんだ的な話をしてくれて「なるほど」と

和道さんからレオジーニョやテレレやシャオリンなど
黒帯トップ選手の凄さは聞いていましたが
色帯までもがここまで凄いとは正直分かってませんでした

この夜に自分はブラジル修行に行く決意をします

敗者に休息は無いと言う事で
石川さんと俺は翌日と翌々日に出稽古をしました

確か1日目がトーランスのマシャド柔術で
出稽古のビジター料金は1回70ドルくらいして
いい値段でしたね

旅費もカツカツで来てたんで一瞬迷いましたが
「せっかく来たんだから勉強して、払った分だけのモノを持って帰ろう」と石川さんが言って奮い立たせてくれたんで覚悟が決まり
70ドルを払って柔術着に着替えました

テクニックは何をやったかサッパリ忘れましたが
スパーリングでは
元立ち(勝ち残りスパー)をやり
俺と石川さんは
平均100キロくらいのアメリカ人色帯たち相手に全勝!

「俺たちなかなか強いじゃん!」と
試合で失った自信を少しだけ取り戻します(笑)

全勝の余韻に浸る自分のところに
遅れてやって来た最強のオーラを纏いし
これまた100キロ近くはある貫禄バリバリの茶帯が
「日本の紫帯のお兄ちゃん、俺がもんでやるよ」的な雰囲気でやって来てスパーリングをお願いされ

これはマズい…と思ったら
私が仕掛けた腕十字が速攻で極まり
意地を出してタップが遅れた巨漢茶帯は腕を痛めて怪我をしてうずくまってしまいます😅

もうこれで全員とスパーして
やがてクラスも終了かと言う雰囲気になって来ました

その時、早川さんはポルトゲイスとの試合で軽く負傷していたので練習はせずに
マシャド道場のソファでマシャドの人達と「あの二人は俺の生徒だよ♪」みたいに
うちらの活躍を見ながら嬉しそうに語っていたのですが
やがて伝説のヒーガン・マシャド(ヒクソン・グレイシーの最強のライバル)が道場にやって来て
明らかに座りたそうに早川さんに対して
「そこ俺のソファなんだけど…」的な視線を送っているのですが
「オー!ヘイ、ヒーガン!」なんて言いながら握手しつつ全く移動しない早川さんw

それを見た石川さんが
「なんて言うか…早川さんのああいうところはマジで天然と言うか…大物だよね…いやいい意味でね、俺ならヒーガン来たらビビって隅っこ行っちゃうからさ、世界で戦うにはああ言うメンタルも必要かもな」なんて
そんな事を呟いてました

クラスの時間は終了しましたが
勝ち残り練習に全勝したうちらに
「君たちが練習やり足らなかったら相手してもいいよ」とでも言いたげな感じで
クラスを仕切っていた
小太りで中年体型のおじさん黒帯がイヤーガードを付けて準備し出したので
※石川さんがお願いしたんだったかも
自分は
「あの先生は一体誰なんだろう?」と思いつつ
「昔は強かったんだろうけど、今は多分練習してないんだろうな…今日はお世話になったしあんまり本気は出さないでおこう」なんて思っていたら

5秒でパスされて
抑えられたら全く動けず
30秒で絞められタップ!!

気を取り直して本気モードでかかるも
結果は全く変わらず
ありえないくらいバッキバキに繰り返し極められて😵

まあ強さってその時の自分のレベルで相対的に感じるものだから分からないけど

あの時点では間違いなく
人生で組み合った人間で過去最強クラスに感じました

その人は後で名前を聞いたらホジャー・マシャドと言いまして
本気で尋常じゃなく強かったです

褒め言葉なんですが
見た目は運動不足のジョージクルーニーみたいな感じで
全然強く見えないんですよね

この見た目と強さのギャップには自分も石川さんも感動して
しばらくはホジャー・マシャドの話ばかりしてました

マシャド兄弟と言えば
ヒーガンやジアンが有名ですが
そこまで有名でなくとも
こんなに強い人がいる

ブラジルの層の厚さと奥深さを感じました

翌日は
現地で友達になったばかりのマックス増沢さんに紹介していただいた
もう一つの出稽古先であるカイケ道場へ

こちらでも練習させて頂いたのですが
旅疲れが極限に達した早川さんが練習開始前にマットで熟睡してしまい

起こそうとしたら道場の人も「疲れてるんだから寝かせてあげなさい」みたいなジェスチャーされて

ウォーミングアップのマット運動では40~50人近い生徒や
もちろん俺も石川さんも
皆が寝ている早川さんの上をジャンプしたり避けたりしながら移動していて
その状況がシュール過ぎて爆笑しながら走ってましたw

「いやマジで…マシャドでもそうだけど…早川さん大物だわ…ありえんでしょ」と石川さんも笑いを必至にこらえながら走っていて(笑)

早川さんの大物っぷりと
カイケ道場の皆さんの優しさと大らかさが生み出した
とっても素敵なシチュエーションでした♪

私は
この旅で本当に沢山の事を学びました

完全ではないまでも柔術界全体の世界観とか
他にも色々な事が段々と分かって来て

それまでは
まだちょっと怖いと思っていた
早川さんや石川さんが
実は基本的にお茶目な人間で
ある意味では俺と変わらないくらい天然だと言う事もw

だから一緒にチームを作って
やって来れたのだと思います

~編集中~←まだまだ加筆修正します

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September 13, 2018

総合格闘技・柔術 個人史 その18


パンナムで世界を体感し
日本に帰国した私は
ブラジル修行をどう計画するかで頭が一杯になります

しかし同時にまた将来の自分の進路の問題も表面化してきました

この頃もう20代の後半になっていた私は
父親にも「お前もそろそろ30だし格闘技は趣味にして本格的にウクレレを修行して指導員になりなさい」と言われ始めていました

自分の親父は日本ウクレレ協会創設メンバー3人のうちの1人で
ウクレレの教則なども出してロングセラーになっているウクレレ界の大御所だったんです
※数年前に他界しました

そんな親父は俺以上の自由人で
自分が小学校くらいから確定申告の時期しか家に帰って来なくなり(笑)
ほぼ交流はなかったのですが

自分がK'zに入門し
それからしばらくして音楽事務所を辞めて収入が無くなってからは
久しぶりに連絡して
親父の経営する“日本ウクレレスクール”と言うウクレレ教室で働かせてもらっていました

自分はウクレレはたいして弾けなかったので
初心者クラスのみ
もしくは
アドバンスクラス開始前のチューニングや基本的なコード進行だけを教える時間だけを担当し親父にバトンタッチしたり

歌手時代の経験で人前で喋ったり歌ったりは慣れていて
ギターも上手くはないですが
基本的なコードは弾けるので
まあ何とか初心者クラスぐらいなら対応は出来ました

ウクレレを柔術に例えたら
自分は帯の結び方やエビ
十字や三角の打ち込みなど
基礎ムーヴのみを教える先生な感じですかね

ウクレレスクールの本部は池袋にあり
出張で教えていたカルチャースクールなども七割方が池袋周辺に集中していましたので
夜に始まるウクレレ講座を教えた後は
相模原にあるK'zはもちろん
水道橋のアーザのクラスの時間に間に合わない事もあったので
池袋から近いパラエストラ東京さんによくお邪魔させていただいてましたね
ミッドナイトスパーリングみたいな時間も確かありましたし

そんなウクレレバイトの日々だったのですが
もちろん親父としてはそれだけではなく後継者として自分を見ていたので
冒頭に書いたように30歳を前に後を継ぐかどうかの選択を迫られます

申し訳ないですがウクレレを人生のメインにするつもりは全く無かったので
どうしようと言う事になり

当時のジムの経営者の方に何とか給料を出していただけないかと

紫帯の身分で何と自分勝手で偉そうな相談とは思いつつも
それでも生活はしなければならないと言う理由も話して
交渉させていただいてました

しかし当時のアーザは
会員数もそこまで多くは無く
和道先生の給料を払うのでやっとの経営状況

当たり前なのですが
給料は出ませんでした😢

それまでの自分は
バイト感覚でのウクレレ講師を親父に許されていたので
練習をメインに生活出来ましたが
それも永遠には続く筈も無く

ウクレレ修行をするにしても
どこかに就職するにしても

その道に進んでしまえば
ブラジルや海外への長期修行はもちろん
短期での遠征試合すら危うくなり
趣味でしか柔術に関われなくなります

3年間はスリーエス→アーザと
無償で指導員をやって来ましたが
いよいよそうも行かなくなり

その人生の岐路で悩んでいた時に相談に乗ってくれたのが
現師匠でトライフォース柔術アカデミー総代表の早川光由先生でした

当時ストライプル所属で
“リアル・グラップラー刃牙”平直行先生の下にいた早川さんは
本当に平先生を尊敬していて
その現状に不満はないものの
あれだけのブラジリアン柔術への拘りと技術と哲学を持っている人だから
やはり自分の道場を持ち己が
“これこそが100%の早川柔術だ”と言うモノを作り伝えて行きたいのではないかなと
私は思っていて
度々その事を話題に出していました

別に私がそそのかしたのでは無いのですが(汗)
そんなこんなで
何となくシンクロニシティ的に
同じようなタイミングで
こう言った悩みがお互いに出て来まして

最初は
冗談やさぐり合い的な感じではありましたが
独立もありかな?的な雰囲気の内容もちらほら話題に登るようになりました

やがてそれは
迫り来るウクレレ指導員への道のタイムリミットの関係もあり
真剣な話になってきます

早川さんの門下に行こうと思った理由は
後に述べる
早川さんが約束してくれた生活面の保障が目当てだということだけではありません

以前の章でも触れましたが

和道さんは当時(今現在もそうかも)日本一ブラジリアン柔術のテクニックを知っていて
その数は膨大で
その量はとても自分如きが覚えられるようなモノではありません
和道さんは本物のブラジリアン柔術の申し子です

そして早川さんも和道さんと同じように天才肌の柔術家であり

2人は柔術が服を着て歩いているような人間なんですね

しかし私は、二人に比べたら
謙遜は一切抜きで
凡人も凡人

で、今は和道さんも
もしかしたらそうかも分かりませんが

当時に関しては

そんな凡人にも分かり易いように
技術を整理整頓して
才能に関係なく誰しもを指導者として育て
将来ブラジリアン柔術で飯が食える為の道を切り開く事を考えていたのは早川さんでした

全ては書けませんが
大きくは
・まず柔術と毎日関わる為の今現在の生活面と
・私のような凡人柔術家が柔術で生きて行く為の将来的な生活面

それらを考えて
私は早川さんに付いて行く考えを固めて行ったのです

誤解されないように書いておくと
和道さんと早川さんのどちらが優れているか
という意味ではありません

僕みたいなタイプの人間が柔術で生きる場合の選択が
そうであったと言うだけです

とにかく
和道さんにはカリスマ性があり
その人間性からか
いつも周囲に沢山の支援者が集まります

対して私はと言うと
これは全然ヒネクレてのグチとかじゃないんですが(笑)
・GI-01丹裕戦
・コパストライプの小齋戦
・GI-03のエドムンド・カバウカンチ戦
など
どんだけ人の記憶に残るような試合や
セミナーやクラスを提供しても
全く支援者は現れずw

ここまでやって柔術で生活出来ないなら
もうダメだろうと
半ば諦めてもいました

これは私の不徳と致すところであり、全て自分のせいなのです

そして遂に

そんな
夢のような柔術漬けの生活もいよいよ終わろうかと言う最後の最後

早川さんが救いの手を差し伸べてくれました

「誰も支援者なんか居ねえ」と挫けそうになった時
近くで一緒に戦ってきた仲間が
最大の支援者になってくれたのです

だから
これには絶対に恩返ししようと思い

まあ当たり前なんですが
トライフォースを始めてから
本部での指導を終えるまでに
遅刻は電車が遅れた時の1回だけ

しかも開館に15分遅れただけなんでクラス開始までには全て開館し
自分の部屋はめちゃくちゃ汚い自分ですが
トライフォース巣鴨本部のトイレもシャワーもいつもピッカピカに磨いており
これには早川さんも大変満足してくれました

「もし直さんが本気で独立に付いて来てくれなら俺は絶対に直さんを路頭に迷わせるような事はしない、必ず成功させる!」と力強く言ってくれた事は生涯忘れないでしょう

しかし
段々と独立の話が現実味を帯びてくる中
それが近付いてリアルになってくる分だけ揺らぐ気持ちも強くなりました

和道さんはもちろん
苦楽を共にし兄弟のように過ごした弘中、荒牧、丸ちゃん、まきどん、石井ちゃん
そして他にも
書き切れない沢山の教え子たち
その全てにかけがえのない思い出がありました

そこを離れるかと思うと辛くて
しかも「移籍をどう告げよう…」と言うので悩んで悩んで
胃が痛くなる毎日でした

でもそんな時に自分を奮い立たせてくれたのは
「自分は絶対に柔術で生きて行くんだ!」と言う覚悟

柔術の道で生きて行けば
また彼らとどこかで必ず会える筈だ!って
思ったんです

柔術が趣味で終わってしまえば
逆に皆と遠く離れてしまう

だったら一度離れて
もし仮に
例え裏切り者と言われようと
柔術の道で生きて行けば
いつか必ず彼らと再会して笑い合える日がくるって
そう言い聞かせて
早川さん石川さんとの新道場設立の決意を
より強固なものにして行きました

この頃はまさに
“トライフォース誕生前夜”と言える時期だったですね

~編集中~まだまだ加筆修正します

http://blog.livedoor.jp/tfstyles/archives/52050449.html






September 14, 2018

総合格闘技・柔術 個人史 その19


新道場設立への覚悟を決めた2004年の夏

私はアーザの同門
弘中邦佳と共にブラジリアン柔術の本場
ブラジルはサンパウロへ修行の旅に出ます

歌手辞めて
ウクレレ辞めて
バンドも辞めて
(今までコラムで触れてないが柔術と並行して再デビュー目指してバンド組んでた時期もあり)

ブラジリアン柔術で飯喰うためにブラジルまで修行しに行くって…俺も思い切ったな~としみじみ

今後の人生が楽しみなのはもちろんですが
正直言って30近くもなってまだ紫帯だから
これから柔術の道で果たして本当に食えるのか
将来に関しては不安もいっぱい

将来どころか
今そこにある危機として
まず飛行機着いてから下宿先まで行けるのかも心配だし
旅行のガイドブックみても治安悪いとかボラれるとか
不安になる事ばかり書いてある…

一応は3ヶ月くらい前にサンパウロに先乗りして柔術修行してる和道さんの弟弟子の石井ちゃんが空港に迎えに来てくれるって事にはなっていましたが
当時は連絡手段もネットカフェでのE-mailぐらいしかないから
ちょっとした手違いや遅延だったりトラブルがあれば連絡もすぐには出来ないので
果たして本当にそのタイミングで来れるのかは分からない

とにかくブラジルまでのフライトは長くて長くて
映画を全て見尽くして
持ってる本を全て読み尽くして
更に寝て起きてを何回か繰り返して
それでもまだまだ着かない…

格闘技を始めてからはゲームなど殆どやらなかった自分ですが
移動やら何やらでヒマするのが嫌だったのでゲームボーイアドバンスか何かを買って持参した記憶があります

ソフトは確か“熱血硬派くにおくん”と“メトロイド”を購入
後は忘れました

自分はブラジル着いてからはブラジル生活が楽しくてゲームは全くやらなかったけど
練習以外は基本引きこもりだった弘中は
旅の中盤くらいにはメトロイドの達人になっていて笑った😂

話を戻しますが
アメリカを経由して
24時間くらいかけてサンパウロの空港に到着

空港ロビーには異様な匂いが立ちこめていて
最初はなにかが腐敗してるのかと思ったら
後に判明したのはブラジル人の国民食とも言えるポンデケージョ(直訳するとチーズパン)の香りでした

チーズの匂いってチーズと分からないで嗅ぐとヤバいからね

ゲートを出たら
石井ちゃんは約束通り来てくれていて一安心👊

バスに乗り
石井ちゃんの近況を聞いたり
ブラジル生活に必要な知識を教わりながら
何となく河の向こうに見える建物や風景が沖縄を連想させるな~なんて思っていました

自分たちが宿泊する施設は
島根県人会と言うところ

ブラジルにはこの“⚪⚪県人会”と言う組織=建物があり
母体はブラジル都道府県人会連合体なる組織で…なんて書いてみましたが、それ自体が何なのかは未だに全く分かっていません😅

多分移民の方々が暮らしやすいように作った組織なのではないかとおもいます

弘中と自分が宿泊する島根県人会に到着すると
そこにはヨシコさんと言う
日本語が八割くらいは理解出来る日系人のキュートで優しいメガネのおばさんがいまして
最初言葉が全く分からなかった自分たちには彼女の存在がとても心強かったです

石井ちゃんが泊まっていたのは広島県人会で
そこには広島の原爆の被害の写真が沢山展示してありまして
それらの資料を見ながら
地球の裏側の異国の地で
初めてちゃんと自分の国の悲劇を意識すると言うのも
何だか不思議な気持ちでした

ちなみに
何故うちらが島根県人会に宿泊したかと言うと
それは弘中の更に知り合いの知り合いの方が島根県人であり…
みたいな感じで
きっかけがそれなだけで
関係はほぼありません
石井ちゃんも広島県人ではありませんし

多分ですけど
その県人会に宿泊施設があって(無い県人会もあるらしい)申請が通れば他県の県民でも利用料を払って泊まれるんではないかと思います

この県人会の施設は
ホテルに比べたら安いですが
もちろん無料ではありませんし
県人会が違えば宿泊料も変わって来ます

で、最初の方に書いた
バスから見えた沖縄っぽい風景ですが
後から聞いて分かったのは
ブラジルでは県人会として最大規模の沖縄県人会がある地域で沖縄からの移民が多い地区だったそうです

なるほど
初期の日本のブラジリアン柔術界にはホドリゴ・キンジョウさんとか
明らかに沖縄移民の名前の柔術家がいましたもんね

同じく日本柔術界の黎明期に活躍したアギナルド・タバさんの“タバ”もおそらく沖縄の姓です

県人会が大きい=移民の数も多い…だと思うんですよ
多分ね

ちゃんと調べろよ!って話ですが😅

ちなみに
自分がいた島根県人会の2軒隣には納豆や豆腐や豆乳を売っている日系人が経営するお店があり
日本の味が恋しくなるとここで買い物してました

この日本食材屋さんの店長さんは名前がわからないのですが
有名な格闘家兄弟
エンセン井上さんのお兄さんの
イーゲン井上さんにそっくりだから
心のなかでイーゲンさん呼んでました

イーゲンさんは日本語はからきしでしたが
いつも島根県人会からの出掛けと帰りに
「コニチハ!」「ゲンキ?」と笑顔で挨拶してくれて
とっても癒やされましたね

ブラジルに来た目的はもちろん柔術ですが
それ以前にまず生活をしなければならないので
買い出しにと
メトロ(地下鉄)に乗り
島根県人会のある“プラサダアルボレ”の駅から日本人街がある“リベルダージ”まで行きました
行ったは良いがとにかくまだポルトガル語もわならないし
英語はほぼ通じないんで
困ってたら売店のお兄さんが日本語が出来て助けてくれました

余談ですが
地下鉄の改札は遊園地の入り口みたいにチケットを入れて
レバーを押すとガチャッとレバーが回転して中に入れるようになっているのですが

このステンレス製のレバーは…
う~ん
文字で伝わるかが不安ですが…
カメラとかの三脚が横倒しになったような形状に3本が広がっていて
それが回転して行くんですよね

で、後に友達になったブラジル人が
「ナオが得意なホレッタスイープのホレッタはこれの事を言うんだぞ」と
3本の指を立体的に立てて回転させて
ほらな?みたいに説明してくれまして
「なるほど!」確かにホレッタだ
と思いましたね

あ、でもブラジル人は冗談が好きだから
冗談の可能性もあります(笑)

次章からは修行先を探す為の道場探し編になります👍

~編集中~←まだまだ加筆修正します

http://blog.livedoor.jp/tfstyles/archives/52050575.html






September 15, 2018

総合格闘技・柔術 個人史 その20


ブラジル滞在中の柔術修行先を決めるために
石井ちゃんの案内で道場巡りを開始しました

最初に訪れたのは石井ちゃんが今回の滞在でお世話になっているアリアンシのサンパウロ支部

このチーム2018年現在までに
数え切れない程の黒帯や世界王者を育て
世界選手権の団体優勝を
自分の知る限りでも最低5回連続(もっと記録は伸ばしたかも)成し遂げた程の超・名指導者
ファビオ・グージェウ率いる名門チームです

アリアンシ・サンパウロはかつての和道さんの修行先であり
このアリアンシのリオ支部は早川さんの修行先でもあります

和道さんがアリアンシで修行した頃の黄金時代には
レオジーニョ、ヒカルジーニョ、テレレ、コンプリード、デミアンマイアなど
錚々たるメンバーがいましたが
自分が訪れたこの時はアリアンシに歴史的大量離脱(ファビオとの方向性の違いでレオジーニョを中心にトップ選手たちが離脱)があった後で

看板選手はこの少し前にアブタビコンバット(ノーギ)でシャオリンからバックチョークで秒殺一本勝ちをして台頭してきた“神童”マルセリーニョのみ

当時はあまり“ギ”(柔術着)のイメージがなかったマルセリーニョでしたし
自分が中心に学びたいのはギだったので
八割方は他の道場でお世話になるだろうと考えを固めていました

ブラジルに来る直前
ある人から「いまアリアンシは大量離脱で強い選手が少ないからあそこはやめた方がいいよ」とのアドバイスもされていましたしね

※実際この時期のアリアンシを修業先に選ぶ日本人は石井ちゃんと自分以外に殆どいなかった

ぶっちゃけ言うと最初の体験入門の日も「石井ちゃんがいるからとりあえず行ってみるか」くらいの感じでした

当時のアリアンシの道場は
“イタインビビ”と言う高級住宅街にあり
アカデミア・オリンピアと言うプール付きのフィットネスジム内にありました

日光が沢山入る仕組みになっている建物で
室内が明るく
加えてマットはホワイトカラーなので
すごく清潔感があり明るい場所なので気持ちがよかったです

このアリアンシでの体験入門は
記念すべき本場ブラジルでの初練習であり
書きたい事が山ほどあますが
長くなりすぎてしまうので割愛します

後に親友となるエインヒケとの一進一退のスパーや
2010年には世界王者にも輝いた若き日のターシス・フンフェリーと弘中のスパーなど
後々のドラマに繋がって行く出来事が沢山ありましたしね

練習後には
まだポルトガル語が殆ど分からない自分に
エインヒケを始めとするアリアンシのメンバーが英語も交えて
とってもとっても優しく話しかけてくれました

ファビオ・グージェウのクラスの雰囲気も最高だったし
皆が皆
笑顔で大歓迎してくれて
「こんなに良くしてくれたのに、他に通うのは心苦しいな~」と思って
気まずかったです

皆にお礼を言い
いよいよアリアンシから帰る時に
マルセリーニョが僕らを呼び止めて
満面の笑顔で「アテ・アマニャン」と言ったのです

ポルトガル語がまだわからない俺が「へ?」みたいな顔をすると
「see you tomorrow」と英語で言い直してくれて

自分の考え過ぎの可能性もありますが
マルセリーニョはとても勘の鋭い人間だから

あの時になんとなく気まずそうにしている俺を見て「こいつもう道場に来ないかもな」と察したんではないかと勝手にですが思ってます(笑)

だから呼び止めてまで
「また来なよ!」って言う意味での
「アテ・アマニャン」だったのかなって

大量離脱を経験したアリアンシは
やっぱりあの時はかなり厳しい状況であったのは
間違いない事実なんですよね

だから
まあ以下は単なる自分の妄想とか想像の域を出ないんですが

皆その大量離脱の痛みを知り
それを乗り越えようと必死だんだんじゃないかと思うんです

みんなの明るさや優しい笑顔の中にも
ふとした瞬間の表情に悲しみや淋しさが見え隠れしていて

想像してみてください

ある日自分の道場から七割くらいの人間がトップ選手含めてゴソッと居なくなるわけですから…

その寂しさは尋常ならざるものだったでしょう

そんな悲しみを知る彼らだからこそ
ちょっとしたビジターでも本当に大切にしてくれたんじゃないかと

あ、もちろん
ビジター来たらお金になるけど
そんな目先の小さな金とかの部分じゃなくてね

その時は他にもっと有名選手がいるアカデミーが沢山ある中で
「うちに来てくれてありがとう!また来てね」って言う
そんな気持ちがビシビシ伝わって来てさ

大量離脱にはついて行かなかった人

つまり

本当にアリアンシと
恩師ファビオ・グージェウを信じ
愛する人間が残り
「俺たちの手でアリアンシを再建しよう!」という結束と気概に満ちていて

ここで踏ん張るぞって溢れんばかりのパワーと覚悟を感じたんです

なので
他の道場を巡りながらも
アリアンシの人々の優しさと
マリセリーニョの「see you tomorrow」がずっと頭から離れませんでした

~編集中~←まだまだ加筆修正します

http://blog.livedoor.jp/tfstyles/archives/52050588.html






September 16, 2018

総合格闘技・柔術 個人史 その21



アリアンシに後ろ髪を引かれながも

渡伯前に修行場所のメインにしようと考えてた

最強選手から最新テクニックを学べると言う某道場に向かい

住所を頼りに石井ちゃんのお陰で何とかジムに辿り着きました




こちらもアリアンシと同じくフィットネスジム内にクラスを構えていて「フィットネスジムと組むのがブラジルの主流のスタイルなのかな~」なんて思いながら入って行くと…

何やら薄暗い建物で

光量もアリアンシの半分くらい…




中に入ると最強選手である某先生がいて緊張!!




丁寧に挨拶はしたが…とりあえず機嫌があまり良く無さそう😅




そこに何故弘中がいなかったのかの理由は記憶に無いのですが

石井ちゃんは付き添いのみでクラスには不参加で

ひとりで体験入門をしました

※弘中は風邪だったかも




軽いアップの後にスパイダーガード系のテクニックを幾つか習います




この時にその道場の生徒さんたちとテクニックで組まされるのですが

1人目に組んだ若者に

バーっとポルトガル語をまくし立てられて

理解出来ないので「ごめん、わからない」と言うと

“マジかよ!?”って顔をされて

言葉は分からずともジェスチャーで全て分かりましたが

次にそいつは近くにいた友達に

「こいつポルトガル語喋れないからお前が組めよ」みたいに言ってて

友達も「嫌だよ冗談じゃねえよ」ってリアクションで




悪いからとりあえずマットの端にいたんだけど

某先生もとりあえず何も対応してくれず




最初に組んだ若者の彼女らしき女の子が凄く気を遣って組んでくれて

申し訳なかったです




よそ者ウェルカムじゃないなら

それはそれで別に構わないんだけど

「彼女に気を遣わせて自分は何にもしない男ってどうなんよ?お姉ちゃん、そんな奴とは別れて俺と付き合わないかい?」って思ったよねw

結構美人だったし😂




それからポジションスパーを指示され

でも最後には通常スパーやるって思ってたから体力セーブしてたんよ

何故かと言うと

その通常スパーであいつらバッキし言わたろ!と計画してたからね~👊

しかし結局ポジションスパーのみで

そのままクラスは終了😵

※名門道場だから返り討ちされる可能性も高かったがw




それから最後に腹筋とかのフィジカルをやる時間になったんだけど

ちゃんと身体を起こさないと10回追加されるみたいな罰ゲーム付きの腹筋でさ




明らかにズルしてる白帯のやつがいて

彼に対して最強先生が

「はーいお前は腹筋10回追加ね!」みたいに言ったら

「は!?俺はズルしてねーよ!フザケンな!」みたいに喧嘩になってて




俺は「…なんやこの道場…クラス崩壊してるやん…ここは修行先としては絶対無いな…」と思い直したんよ




ちなみにブラジルから帰った後に某柔術ライターさんに

ブラジルの道場のレビューお願いしますと言われて

この道場で起きた事を道場名も指導者名も全部出して話したら全てカットされました😂

ま、これは書けんわなw




ブラジル人は基本的にみんなめちゃくちゃ優しいので

道を尋ねても時間があれば目的地まで連れてってくれるような人が沢山いて

こんなに冷たくされたのは

述べ3ヶ月を超えるブラジル滞在でもこの時だけ




フィットネスジムから出るときに最後に受付で「はいお金払って!」言われて

いや、もちろん物事には対価があるから

そのつもりだったけど

アリアンシがあのおもてなしで体験入門無料だったから

「これで有料か…しかもまあまあ良い値段…」とガッカリはしたよね




教えるテクニックが凄いからとか

先生が最強だからとかは置いといて




出稽古を有料で受け入れといて放置はないわ~




更に生徒さんの女の子が気を遣わなあかんとか、もっと無いわ~




こんなん仕事としてあり得んわ~と




ドン引きしました😫




続いては最後の出稽古先TT(ティーティー)柔術




「え?道場巡りなんて言ってそれしか回ってないん?」と言われそうですが

スパーまでしたのは3つだけです




見学はいくつか行きましたが

「ここならアリアンシの方がいいや」と思った道場では体験入門まではしなかったので




TT柔術の魅力は

テレレやアンドレ・ガウヴァオンエドワルド・テレスを始めとする強豪が沢山いる事と

自分と弘中が滞在していた島根県人会の最寄駅“プラサダアルボレ”から近い“アナホーザ”駅に道場があった事です

※アナホーザだったかな?記憶がちょい曖昧




そしてもう一つは

ワカ・ワカヤマこと現在沖縄首里にある若柔術代表の若山達也くんがいて通訳をしてくれる事




あんまりポルトガル語を覚える気が無く

遠くまで通うのが苦手な弘中は最終的にTTに通う選択をします




アリアンシに通うには何通りか方法はありましたが

幾つか乗り継ぎがあり

島根県人会からは40分から1時間はかかりましたからね




ワカについてはまたゆっくり書きますが

ワカは自分の事をブラジルに来る以前から知ってくれていたようで

とても良くしてくれました




TT柔術はとにかく衝撃なのが

まずその道場の広さ

そして壁の至る所にはスーパーサイヤ人の絵が書いてあります




そして何よりも

みんな平均してデカ過ぎて強すぎる😵




自分が体験入門した時間帯は

本チャンのクラス開始前か何かで人数が少なくて




・アンドレ・ガウヴァオンと

・謎のメイオペサード(ライトヘビー級)くらいの茶帯と

・コトネッチと言う紫帯

練習に参加したのは

この3人くらいで




テレレはそれを見ていただけだったような気がします




確かそのTTの3人と

自分、弘中、石井ちゃんで

時間を特に決めずスパーをしたのですが

弘中はアンドレと

自分はコトネッチと

これは記憶にないので確かではないですが

多分石井ちゃんは謎の茶帯か

それかワカとでもやってたんですかね?




自分はコトネッチと激闘を繰り広げてたんで

他人を気にしている暇はありませんで(笑)




ちなみにコトネッチと言うのはあだ名で

直訳すると綿棒😅




細身で身長が190くらいあって

頭の形も本当に綿棒みたいで

これは本当にマッチしたあだ名でした




ちなみにブラジル人はあだ名付けるの大好きなんですよね




自分より1~2階級重いコトネッチに

8分くらい互角にやれましたが

途中で劣勢になり10分くらいで極められてスパー終了~




弘中が既にアンドレとのスパー終えてたから

「どうだった?」って聞いたら

「強えぇぇぇ😭」って泣きそうな声出してて

これは初めて聞いたw




前にもこのコラムで書いたけど

出稽古では100%の力が出ない弘中ではあったが

それでもやはり無茶苦茶強いし




出稽古の緊張で上手く動けない時は本人もそれが分かるから

「う~ん、まあ取られましけど、ちゃんと普段通りやれば」みたいな感じで返してくるんですけど




そんな弘中の弱音を初めて聞いたらもう恐怖しかなくて




次にアンドレが「スパーやる?」みたいに笑いかけて来たときはもう

破れかぶれの玉砕覚悟でしたw




アンドレは本当に優しくて人格者で

そんなのがスパー中にもひしひしと伝わって来て

「ほら、ここを持ったらスイープ出来るよ♪」みたいに持たせてくれて

明らかにワザと転ぶんだけど

転んで3秒後くらいにはアンドレのカウンターで俺タップ😝




しばらくしたら

明らかに態度悪そうな掃除係のオッチャンがアンドレになんかガーって言ってきて

まだ俺とのスパー中にアンドレとオッチャンが口論に!!




その隙にせめて1回くらいひっくり返したろうと全力でオリャー!!とアンドレの脚にしがみつくがピクリとも動かず

それに気付いたアンドレが「お!いいぞ~頑張ってるな~♪」みたいな

まるで俺が女の子とか中学生とスパーする時みたいな優しい目差しになり

ワザとらしくスイープされてくれたと思った瞬間にまたタップ!

そんなのを繰り返して

結局10回くらいタップしました(笑) 




で最後の仕上げに

謎のメイオペサード茶帯にカラードラッグを食らい頭からマットにめり込んで目に火花が飛んでKOされまして

体験入門終了~😵




その後テレレがワカの通訳を通して色々話してくれて

テレレとアンドレの人柄がとても気に入ったんだけど




直感的に「皆があまりに強すぎて、この道場では俺は強くなれん」と思ったんだよね




例えるなら

ベンチプレス素人が

いきなり80とか100キロ挙げようとしても無理だし怪我する的なね




先ずは50とか60キロからだろうってさ




果たしてその予感は正しかったです




この後何年かの間に

俺と大多同レベルくらいの強さやサイズやフィジカルの人がTTで修行に行って

みんな大怪我したみたい😅




やっぱりな!って




ワカくらい軽ければTTの人たちも加減するけど

俺くらいの強さやサイズの人間が一番危ないなって

自分の直感がそう囁いたんだよね




弘中みたいに

メジオ級(ミドル級)で

若い頃から柔道で鍛え抜かれたフィジカルがあればいいけど

歌手上がりのレーヴィ級(ライト級)の俺には着いていけないなって




ちなみにTTに壊し屋がいるワケではないですよ

普通の攻防で怪我をしてしまうって意味です




この後

弘中はアリアンシかTTを少し迷ってたけど

先述したようにTTを修行先に決め




自分は翌日にはアリアンシに正式に入門しました




今も大親友のエインヒケ

そしてマリセリーニョたちも最高の笑顔で迎えてくれて

この日本格的なブラジル修行がスタートしました✨




~編集中~←まだまだ加筆修正します
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