資本論

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第1部:資本の生産過程

第1篇:商品と貨幣

第1章:商品
第1節
商品の2つの要因――
使用価値と価値(価値の実体、価値の大きさ)

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なぜ商品の分析からはじめるのか

私たちの社会では、“富”は「商品の集まり」として現われる。おのおのの商品は、私たちの社会全体の富の要素という姿・形をとる。私たちの社会を研究しようとすると、どうしても、商品を分析することが大前提となる。
使用価値

商品は、なにより、私たちのさまざまな欲求を満たす物――“有用物”だ。つまり、商品は、人間生活の必要を満たしたり便宜に役立ったりする適性をもっている。これを、その商品の「使用価値」という。

この使用価値は、空中に浮かんでいるのではなく、商品という実体なしには存在しえない。だから、商品体そのものが、使用価値なのだ。

商品の、この使用価値というものは、どんな社会にあっても、富を形作っている要素だけれども、私たちの社会では、同時に「交換価値」の素材でもある。

ある生産物の一定量と他の生産物の一定量との交換比率として、あるいは、ある使用価値が他の使用価値と交換される比率として現われるのが、交換価値だから、それは、その時々、その場所によってたえず変化するものだ。だから、交換価値というのは、なにか偶然的で、相対的なものに見える。商品に固有の価値などというものは、“形容矛盾”のように思えるが、はたして、事態の本質を探って行こう。
価値の実体

川上則道さんの『「資本論」の教室』(1997年8月15日初版、新日本出版社)のなかで紹介されている例(『新版カンボジア黙示録』井川和久さん著)によれば、1979年5月当時のカンボジアの村々では、白米が、マンゴー、雷魚、アメリカ製たばこなどと、一定の比率でもって交換されていたという。たとえば、マンゴー1個は白米(ミルク缶で)3缶、雷魚1匹は5缶、アメリカ製たばこ1本は半缶というふうに。この交換比率でゆくと、ミルク缶1杯の白米が、マンゴー3分の1個、雷魚5分の1匹、アメリカ製シガレット2本と交換されていたと言い換えることができる。

白米は、いろいろな交換価値をもっている。そして、マンゴー3分の1個、雷魚5分の1匹、アメリカ製たばこ2本は、どれもミルク缶1杯の白米の交換価値であり、互いに置き換えることができる。そして、たがいに等しい大きさの交換価値である。

白米とアメリカ製たばことの交換比率を等式に置き換えてみると

ミルク缶1杯の白米=2本のアメリカ製たばこ

という等式に表わすことができる。

この等式は、2つのまったくちがった物のなかに、同じ大きさの、ある共通のものが、確かにあるということをしめしている。だから、ミルク缶1杯の白米、2本のアメリカ製シガレットは、それぞれ、ある共通な第三のものに還元することができる。

さて、この共通な第三のものは、商品そのものがもっている自然的属性ではない。商品の物体としてのさまざまな属性が問題になるのは、それらが商品を有用なもの――使用価値にする限りでのことだが、さまざまな商品を交換するときには、ちがう使用価値をもつものどうしでしか交換は成立しえないからだ。ここでは、使用価値の差異は取り除かれていることになる。

商品から使用価値を度外視すれば、あとにのこるのは、その商品が労働による生産物であるということだけだ。しかし、商品交換の際、この労働生産物の使用価値を度外視するということは、同時に、その商品を使用価値にしている、“有用性”を生み出した労働の有用的性格をも度外視しているということになる。商品を生み出した労働の具体的すがたの区別も、ここでは取り除かれているのだ。

労働の具体的形態までもが取り除かれれば、あとにのこっているのは、たんに、この商品が、人間の労働力の支出によって生み出されたということだけである。

それらに残っているものは、同じまぼろしのような対象性以外のなにものでもなく、区別のない人間的労働の、すなわちその支出の形態にはかかわりのない人間的労働力の支出の、単なる凝固体以外のなにものでもない。これらの物が表わしているのは、もはやただ、これらの物の生産に人間的労働力が支出されており、人間的労働が体積されているということだけである。これらの物に共通な、この社会的実体の結晶として、これらの物は、価値――商品価値である。[52]

商品の交換関係、あるいは、交換価値に表われている“ある共通物”は、商品の価値だ。この「価値」は、さしあたり、ここでは、交換価値とは区別して考察される。
価値の大きさ

ある使用価値である商品が価値をもつのは、それが抽象的な人間労働の結晶であるからにほかならない。その価値の大きさは、価値を形づくっている労働の量によってはかられる。労働の量は、それが継続される時間によってはかられ、“時間”とか“日数”とかの一定の時間部分を度量基準としている。

この労働時間は、社会的に平均された労働量として作用する。だから、ある人が怠けたり、未熟だったりして、商品の完成に他の人より多くの時間を必要とするからといって、彼の商品がそれだけ価値が大きくなるわけではない。ある商品を生産するために、その社会で平均的に必要な労働時間の量によって、その商品の価値が規定される。社会的に必要な労働時間とは、その時々の社会的標準的な生産条件と、労働の熟練および強度の社会的平均度とで規定される。

労働時間は、労働の生産力が変われば、それにつれて変わる。労働の生産力は、労働者の熟練の平均度、科学の発展や技術革新、生産ラインの社会的な結びつき具合、生産手段の規模、さらには自然環境によっても規定される。

一般的に言えば、労働の生産力が大きければ大きいほど、ある物品の生産に必要とされる労働時間はそれだけ小さく、それに結晶化される労働量はそれだけ小さく、その価値はそれだけ小さい。逆に、労働の生産力が小さければ小さいほど、ある物品の生産に必要な労働時間はそれだけ大きく、その価値はそれだけ大きい。すなわち、一商品の価値の大きさは、その商品に実現される労働の分量に正比例し、その労働の生産力に反比例して、変動する。[55]

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第1部:資本の生産過程

第1篇:商品と貨幣

第1章:商品
第2節
商品に表わされる労働の二重性

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第1節で、商品に含まれる労働に、二面的性質があることがしめされたが、これは、マルクスによってはじめて批判的に指摘されたことだった。この点が、私たちの社会の経済の分析においては決定的である。

すべての労働は、一面では、生理学的意味での人間的労働力の支出であり、同等な人間的労働または抽象的人間的労働というこの属性において、それは商品価値を形成する。すべての労働は、他面では、特殊な、目的を規定された形態での人間的労働力の支出であり、具体的有用的労働というこの属性において、それは使用価値を生産する。[61]

具体的有用的労働

商品の使用価値には一定の有用的労働が潜んでいる。使用価値をもっているさまざまな生産物は、具体的な生産労働(=具体的有用労働)の質的な差異がなければ、商品として相対することはできない。

ここで言う、「有用労働」とは、価値として表われる「人間労働」と区別してよばれているものだが、具体的有用労働と抽象的人間労働という2つの種類の労働があるのではなく、同じ労働に2つの面があるということだ。有用物をつくる労働(=具体的有用労働)は、人間が生きてゆく上で必ず必要なものであって、商品生産社会(=資本主義社会)でなくても、ずっとむかしから存在してきた。

マルクス自身、「資本主義的生産様式」が支配的な社会を念頭において、この第1章の考察をすすめていることは確かだ。しかし、“売るために生産する”という行為自体は、資本主義社会よりかなり以前に発生している。「商品が生産される社会」という意味では、必ずしも、資本主義社会とは同義語ではない。

商品生産者たちの社会では、自立した生産者たちの私事として、互いに独立に営まれる有用的労働の質的区別が、社会的分業に発展する。

異なった使用価値をもつ生産物の間で、商品交換はおこなわれる。だから、さまざまな使用価値を生みだす、さまざまな有用労働がおこなわれるということ、つまり、分業がすすんでいるということは、商品交換の前提ではある。しかし、原始共同体のなかや工場のなかで分業がおこなわれていても、その内部では、商品交換はおこなわれない。分業が存在するからといって、商品交換が存在するとは、必ずしも言えないのだ。商品生産社会の特徴は、私事として独立に営まれる労働と、社会的分業がむすびついていることだ。
抽象的人間的労働

マルクスが例としてとりあげた上着とリンネル。ここでは、1着の上着は、10エレのリンネルの2倍の価値をもっているとされている。ということは、20エレのリンネルは1着の上着と同じ価値の大きさをもつということがいえるわけだ。

当然のように比較されるこの2つの商品を、もっとよく分析してみよう。上着は、裁縫労働によって生産され、リンネルは織布労働によって生産されている。それぞれ、裁縫労働と織布労働という、質の異なる労働によって生産されているわけだ。もちろん、質の異なる労働によって生産されているからこそ、上着とリンネルはそれぞれの使用価値を違えているわけで、それだからこそ、商品として比較対象となりうる。

商品として比較対照するとき、なにがおこなわれているか。なんらかの欲求を満たすために労働し生みだす生産物、その生産活動の有用的な性格をとりのぞいてみよう。そこには、いったいなにが残るか。

裁縫労働と織布労働とは、質的に異なる生産的活動であるにもかかわらず、ともに、人間の脳髄、筋肉、神経、手などの生産的支出であり、こうした意味で、ともに人間的労働である[58-59]

商品として比較対照されるとき、つまり、商品価値であるとき、上着とリンネルとは、使用価値の区別が取り除かれている。使用価値の区別が取り除かれるということは、それぞれを生産した裁縫労働、織布労働という労働の有用的な差異が取り除かれているということだ。これらの生産物が、商品として比較対照されるとき、それらに共通しているのは、それらの生産物が、人間の労働によって生産されたということだけだ。
単純労働と複雑労働

確かに、人間的労働力そのものは、それがあれこれの形態で支出されるためには、多少とも発達していなければならない。しかし、商品の価値は、人間的労働自体を、人間的労働一般の支出を、表わしている。……それは、平均的に、普通の人間ならだれでも、特殊な発達なしに、その肉体のうちにもっている単純な労働力の支出である。[59]

より複雑な労働は、何乗かされた、あるいはむしろ何倍かされた単純労働としてのみ通用し、そのために、より小さい分量の複雑労働がより大きい分量の単純労働に等しいことになる。[59]

価値の大きさと商品に含まれる労働の量

商品に含まれている労働は、使用価値との関連ではただ質的にのみ意義をもつとすれば、価値の大きさとの関連では、それがもはやそれ以上の質をもたない人間的労働に還元されているので、ただ量的にのみ意義をもつ。まえの場合には、労働のどのようにしてと、なにをするかが問題となり、あとの場合には、労働のどれだけ多くが、すなわちその継続時間が問題となる。一商品の価値の大きさは、その商品に含まれている労働の分量だけを表わすから、諸商品は、一定の比率においては、つねに等しい大きさの価値でなければならない。[60]

生産力というのは、つねに、具体的有用的労働の生産力であって、一定の時間内の合目的的生産活動の作用度が問題となる。生産力が上昇すれば、それだけ大きい分量の使用価値(商品体)を生み出すことになり、より大きい素材的な“富”を生み出す。生産力が下降すれば、素材的“富”がそれだけ失われる。

生産力というのは、つねに、具体的有用的労働の生産力であるから、生産力の上昇や下降は、それ自体では、価値に表わされる抽象的人間的労働には、影響をあたえることはできない。生産力がどんなに変化しても、同じ労働は、同じ時間内に、つねに同じ大きさの価値を生み出す。一方では、生産力の変動によって、同じ労働が、同じ時間内であっても、ちがった分量の使用価値を生み出す。

したがって、生産力が大きくなり、一定量の使用価値(商品体)の生産に必要な労働時間が短くなれば、生産された一定量の使用価値(商品体)の価値の大きさは、以前より小さくなる。また、生産力が小さくなり、一定量の使用価値(商品体)の生産に必要な労働時間が長くなれば、生産された一定量の使用価値(商品体)の価値の大きさは、以前より大きくなる。

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第1部:資本の生産過程

第1篇:商品と貨幣

第1章:商品
第3節
価値形態または交換価値

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商品は、自然形態と価値形態という二重形態をもつ限りでのみ、商品として現われ、言い換えれば、商品という形態をとるのである。[62]

使用価値または商品体としての商品は、目に見え、手でつかみ取ることができるが、その商品の価値というものは、いくらその商品体をこねくり回してもつかまえようがない。商品の価値は、商品と商品との社会関係、交換関係のなかでのみ現われうるのだ。この、価値の現象形態である、交換価値という形態に立ち返って、考察をつづけよう。

だれでも、ほかのことはなにも知らなくても、諸商品がそれらの使用価値の種々雑多な自然形態とはきわめていちじるしい対照をなす一つの共通の価値形態、すなわち貨幣形態をもっているということは知っている。しかし、いまここでなしとげなければならないことは、ブルジョア経済学によって決して試みられることもなかったこと、すなわち貨幣形態の発生を立証すること、すなわち、諸商品の価値関係に含まれている価値表現の発展を、そのもっとも簡単なもっともめだたない姿態から目をくらませる貨幣形態にいたるまで追跡することである。それによって、同時に、貨幣のなぞも消えうせる。[62]

A 簡単な、個別的な、または偶然的な価値形態

x量の商品A=y量の商品B(x量の商品Aはy量の商品Bに値する)

20エレのリンネル=1着の上着(20エレのリンネルは1着の上着に値する)……[A]

1 価値表現の両極――相対的価値形態と等価形態

[A]はもっとも簡単な価値表現である。これをつぎの等式とくらべてみよう。

20エレのリンネル=20エレのリンネル

この等式は、価値を表現したものではない。ここでは、たんに、一定分量の使用価値であるリンネルは、それ以外のものではない、ということをいっているだけである。リンネルの価値は、他の使用価値(商品体)でしか表現できない。「20エレのリンネル」は、その価値が、「1着の上着」という別の使用価値(商品体)で、相対的に表現されている。すなわち「相対的価値形態」にある。また、「1着の上着」は、「20エレのリンネル」と等しい価値をもつ物、すなわち“等価物”として機能している。すなわち「等価形態」にある。

さて、「1着の上着」は、「20エレのリンネル」の等価形態にあると同時に相対的価値形態にあることはできない。「1着の上着」が相対的価値形態をとるためには、さきの等式[A]は

1着の上着=20エレのリンネル(1着の上着は20エレのリンネルに値する)

としなければならない。すると、今度は、「20エレのリンネル」が、「1着の上着」の“等価物”となり、等価形態をとる。

同じ商品は同じ価値表現においては同時に両方の形態で現われることはできない。この両形態は、むしろ対極的に排除しあうのである。[63]

そこで、ある一つの商品が相対的価値形態にあるか、それと対立する等価形態にあるかは、もっぱら、価値表現におけるその商品のそのつどの位置――すなわち、その商品は、その価値が表現される商品なのか、それでもって価値が表現される商品なのか――にかかっている。[64]

2 相対的価値形態
a 相対的価値形態の内実

この価値関係の本質を探るためには、まず、これら2つの商品がどのような比率で交換されているかという、その量的な関係のあれこれについてではなく、なぜ、これらの異なった物どうしが、一定の比率で交換されうるのかという観点から、考察されなければならない。等式[A]の基礎は

リンネル=上着

なのである。

これら2つの商品は質的に等しいとされているわけだが、それぞれの役割はちがっている。ここでは、リンネルの価値だけが表される。「等価物」または「交換されうるもの」である上着との関係のなかで。ここでは、上着は、リンネルの価値を、その商品体そのものでもって表現する「価値物」としてのみ、リンネルと同じものである。そして、リンネルは、この関係のなかでのみ、それ自身の価値を表現する術をえるのである。

商品の価値は、人間的労働の凝固体であるが、その商品に、その自然形態とは異なる価値形態が与えられるのは、他の商品にたいするその商品の関連のなかでである。リンネルと上着との関係のなかでは、上着をつくりだした裁縫労働がリンネルをつくりだした織布労働と等しいとされる。もちろん、裁縫労働と織布労働とは具体性のちがう労働だけれども、この関連によって、上着をつくりだした裁縫労働は、リンネルをつくりだした織布労働と等しいとされることによって、両方の労働のなかの、抽象的な人間的労働という共通な性格をもっているのだということをあらわにする。そして、この顕現によって、リンネルをつくりだした織布労働も、それが価値をうみだす抽象的人間的労働という性格をもっていることがしめされるのである。

種類の異なる諸商品の等価表現だけが――種類の異なる諸商品に潜んでいる、種類の異なる、諸労働を、それらに共通なものに、人間的労働一般に、実際に還元することによって――価値を形成する労働の独自な性格を表わすのである。[65]

もっとも、リンネルの価値を構成している労働の独自な性格を表現するだけでは十分ではない。流動状態にある人間的労働力、すなわち人間的労働は、価値を形成するけれども、価値ではない。それは、凝固状態において、対象的形態において、価値になる。リンネル価値を人間的労働の凝固体として表現するためには、リンネル価値は、リンネルそのものとは物的に異なっていると同時にリンネルと他の商品とに共通なある「対象性」として表現されなければならない。この課題はすでに解決されている。[65-66]

このリンネルと上着との関係のなかで、上着はその自然形態で価値を表わす物として通用する。ところで、上着という商品体そのものは、明らかに使用価値であって、上着そのものだけでは価値を表現できない。しかしまた、上着には、それをつくりだした裁縫労働という形態で人間の労働力が支出されており、抽象的人間的労働がふくまれているから、明らかに価値をもっている。上着は、リンネルとの価値関係のなかで、抽象的人間的労働をふくんでいるという、ただこの面だけから、価値を体現したものとして通用している。そして、上着がリンネルの価値を体現したものとして通用できるのは、リンネルにたいして価値が上着という商品体の姿で対応しているからなのである。

こうして、上着がリンネルの等価物となる価値関係のなかでは、上着形態が価値形態として通用する。それゆえ、商品リンネルの価値が商品上着の身体で表現され、一商品の価値が他の商品の使用価値で表現されるのである。使用価値としては、リンネルは、上着とは感性的に異なる物であるが、価値としては、リンネルは、「上着に等しいもの」であり、したがって、上着のように見える。このようにして、リンネルは、その自然形態とは異なる価値形態を受け取る。[66]

価値関係の媒介によって、商品Bの自然形態が商品Aの価値形態となる。言い換えれば、商品Bの身体が商品Aの価値鏡となる。商品Aが価値体としての、人間的労働の物質化としての、商品Bに関連することによって、商品Aは、使用価値Bを、それ自身の価値表現の材料にする。商品Aの価値は、このように商品Bの使用価値で表現されて、相対的価値という形態をもつ。[67]

b 相対的価値形態の量的規定性

商品の価値関係において、商品が一定の比率の分量でもって交換されるということについて、考察をすすめよう。

商品は、一定の分量をもつ使用対象として存在する。ある与えられた商品の一定量は、それをつくりだすために必要な一定量の抽象的人間的労働をふくんでいる。だから、一定量の商品体によってしめされる価値は、一定の大きさをもつものとして表わされることになる。上着にたいするリンネルの価値関係においては、上着商品は、価値を表わす物としてリンネルと質的に等しいとされるだけでなく、一定分量のリンネル商品にたいして、おなじ価値の大きさをもつ一定分量の等価物として量的に対応する。

等式[A]は、両方の商品分量がそれぞれ等しい量の労働、言い換えれば、等しい大きさの労働時間によってつくりだされているということを、その前提条件として成立している。ところが、ここでしめされている分量の商品の生産に必要な労働時間は、織布労働や裁縫労働の生産力が増減するたびに、短くなったり長くなったりする。すなわち、それぞれの商品の価値の大きさは、生産力の変動によって変動する。等式[A]によって表わされる価値関係が、生産力の変動による価値の大きさの変動によって、どのような影響をうけるかということが、つぎに考察される。[68-69]

リンネルの価値は変動するが、上着価値は不変のままである場合……(1)

(1)の検証からわかることは、上着で表現されるリンネルの相対的価値は、上着の価値が不変のままでも、リンネルの価値に正比例して、上下するということだ。

リンネルの価値は不変のままであるが、上着価値が変動する場合……(2)

(2)の検証からわかることは、上着で表現されるリンネルの相対的価値は、リンネルの価値が不変のままでも、上着の価値の上下に反比例して、低下または上昇するということだ。

リンネルおよび上着の生産に必要な労働分量が、同時に同じ方向に、同じ比率で変動する場合……(3)

(3)の場合は、どんな変動においても同じ等式がえられる。これらの商品の実際の価値の上下は、第三の商品とくらべることでわかる。また、すべての商品の価値が、同時に、同じ比率で、上下するとすれば、これらの商品の実際の価値の変動は、同じ労働時間内に、以前よりも多くのまたは少ない商品分量が供給されることからわかる。

リンネルおよび上着の生産にそれぞれ必要な労働分量が、同時に同じ方向に異なる度合で変動するか、あるいは、反対の方向に変動する場合……(4)

(4)のケースは、(1)から(3)の場合の応用でわかる。

こうして、価値の大きさの現実的変動は、価値の大きさの相対的表現または相対的価値の大きさには、明確にも余すところなしにも反映されはしない。一商品の相対的価値は、その商品の価値が不変のままでも変動しうる。一商品の相対的価値は、その商品の価値が変動しても、不変のままでありうる。そして、最後に、一商品の価値の大きさとこの価値の大きさの相対的表現とが同時に変動しても、この変動が一致する必要は少しもない。[69]

3 等価形態

等式[A]において、上着(商品B)がになっている等価形態について、考察がすすめられる。リンネル(商品A)は、上着が直接リンネルと交換されうるものだということによって、リンネル自身の価値を表現するのであった。ある商品の等価形態とは、その商品の他の商品との直接的交換可能性の形態なのである。また、交換されうる比率は、リンネルの価値の大きさが与えられているので、上着の価値の大きさによって規定される。ただ、この価値関係のなかでは、上着の価値の大きさがそれとして表現されはしないのであって、上着は一定分量の商品体そのものとしてのみ役割をはたす。だから、ある商品の等価形態には、量的な価値規定は含まれないのである。

等価形態の考察にさいして目につく第一の独自性は、使用価値がその反対物の、価値の、現象形態になるということである。[70]

リンネルの相対的価値形態は、リンネルの価値をその商品体とは別の商品を等しく対応させて、その価値を表現する。だから、必ず、別の商品と等しく対応するという関係をむすぶことが前提となるし、そのことから、この相対的価値形態の社会性ともいうべきものがあきらかなのだが、等価形態とは、まさに、上着という商品体そのものが、価値を表現するということから、まるで、「交換されうるもの」という属性(直接交換可能性という属性)を、もともとその商品がもっているように見えるのである。

もちろん、これまで見てきたように、等価形態という価値形態が通用するのは、ある商品が等価物として、ある商品に関連している価値関係のなかでのことにすぎない。ここで、マルクスは、物の属性を認識する過程についてふれている。物の属性は、その物の他の物との関係から、生まれてくるのではなくて、確認されるだけである。たとえば、「分銅」は、物体としては、天秤で量り合われる他の物とはまったく異なる物だが、天秤で量り合われる関係のなかで「重量をもつ」という属性を表現し、その現象形態として機能する。そして、「分銅」の場合は、量られる他の物との共通な属性は、「重さをもつ」という、その金属体としての物体的自然属性である。このような認識過程によれば、リンネル商品と結ばれる価値関係のなかで、上着商品がになっている等価形態が、上着という商品体の自然属性であるかのようにみえてしまうのである。ところが、上着がリンネルとの価値関係において、その身体そのもので表現し、2つの商品に共通な属性である「価値の大きさ」というのは、社会的に必要な労働量という、まったく社会的なものであって、上着の商品体そのものの自然属性ではない。

具体的労働がその反対物の、抽象的人間的労働の現象形態になるということが、等価形態の第二の独自性である。[73]

等価物である上着商品は、社会的に必要な労働量という価値の大きさを体現するものとして通用するから、すなわち、それは抽象的人間的労働を体現したものとして通用する。しかもつねに、使用価値であるから、すなわち、裁縫労働という具体的有用的労働の生産物である。したがって、上着をつくりだした裁縫労働という具体的労働が、一般的人間労働を、上着という商品体の姿で表現することになる。

裁縫労働という労働形態も織布労働という労働形態も、どちらも抽象的人間的労働という一般的属性をもっており、この労働量の一定分量が価値の大きさの実体であることを見てきた。ここにはなにもミステリアスなものはないのだが、いったん、商品が他の商品と交換関係をむすび、その商品の価値がある姿で現われる段になると、ある転倒がおきる。等式[A]においては、リンネルをつくりだした織布労働を、その具体的労働のもつ一般的人間労働という属性を体現するものとして、上着をつくりだした裁縫労働というまったく具体性の異なる具体的労働と、対応させることになるのだ。

私的労働がその反対物の形態、直接に社会的な形態にある労働になるということが、等価形態の第三の独自性である。[73]

まったく具体性の異なる労働が、等しく対置されることで、上着をつくりだした裁縫労働という具体的労働が、リンネルをつくりだした織布労働と、区別のない、人間的労働の表現だというその同等性の形態をとる。とりもなおさず、このことは、裁縫労働という私的具体的労働が、人間的労働という社会的に平均され一般化される労働による具体的形態であることをあらわにする。上着商品をつくりだした労働の、人間的労働という一般的属性によってこそ、その具体的労働は、リンネル商品と直接に交換されうる(直接的交換可能性をもった)上着という具体的な商品体の姿をとる。
アリストテレスの卓見と限界

最後に展開された等価形態の2つの独自性は、価値形態をきわめて多くの思考形態、社会形態および自然形態とともにはじめて分析したあの偉大な探求者にまでわれわれがさかのぼるとき、さらにいっそう理解しやすいものとなる。その人は、アリストテレスである。[73]

マルクスはここで、アリストテレス Aristoteles (384 B.C. - 322 B.C.) の卓見を評価している。なにより、アリストテレスは、商品の貨幣形態とは、ある任意の他の一商品による一商品の価値表現の、発展した姿にすぎないということをすでに指摘していたというのである。彼、アリストテレスはこう言っている

5台の寝台=1軒の家

というのは

5台の寝台=これこれの額の貨幣

というのと区別されないと。そして、さらに、この価値表現の背後にある価値関係は、家が寝台に質的に等しいとされることが前提条件になっており、これらの見た目にも異なる物は、等しいとされる本質的な同等性によってしか、同じ単位で計量されうるものとして関連することができないということを見抜いていたのだという。

ところが、アリストテレスはここまできて、はたと立ち止まる。「しかし、種類を異にする諸物が、同一の単位で計量されうることは、ほんとうは、不可能なことである」から、こうした等式が成立するのは「実際上の必要のための応急手段」なのだと。そして、価値形態のこれ以上の分析をやめてしまったのである。彼にとって、人間的労働という共通の実体を発見することは、歴史的な限界があったのだとマルクスは言う。すべての労働が等しい妥当性をもつものとして表現されているのだ、という観点は、当時、アリストテレスが生きていた奴隷労働を基礎とした社会においては、到底思いも及ばなかったことだったのだと。つまり、この時代、人間とその労働力の不平等が、その社会にとっての基礎であったからなのだと。

価値表現の秘密、すなわち、人間的労働一般であるがゆえの、またその限りでの、すべての労働の同等性および同等な妥当性は、人間の平等の概念がすでに民衆の先入見にまで定着するようになるとき、はじめて、解明することができる。しかし、それは、商品形態が労働生産物の一般的形態であり、したがってまた商品所有者としての人間相互の関係が支配的な社会的関係である社会においてはじめて可能である。アリストテレスの天才は、まさに、彼が諸商品の価値表現のうちに一つの同等性関係を発見している点に、輝いている。ただ彼は、彼が生きていた社会の歴史的制約にさまたげられて、この同等性関係が、いったい「ほんとうは」なんであるかを、見いだすことができなかったのである。[74]

4 簡単な価値形態の全体

この章のはじめでは、普通の流儀にしたがって、商品は使用価値および交換価値であると言ったが、これは、厳密に言えば、誤りであった。商品は、使用価値または使用対象、および「価値」である。商品は、その価値がその自然形態とは異なる一つの独自な現象形態、交換価値という現象形態をとるやいなや、あるがままのこのような二重物として自己を表わすが、商品は、孤立的に考察されたのではこの形態を決してとらず、つねにただ、第二の、種類を異にする商品との価値関係または交換関係のなかでのみ、この形態をとるのである。[74-75]

商品Bにたいする価値関係に含まれている商品Aの価値表現を立ち入って考察してみると、この価値表現の内部では、商品Aの自然形態はただ使用価値の姿態としてのみ意義をもち、商品Bの自然形態はただ価値形態または価値姿態としてのみ意義をもつ、ということがわかった。したがって、商品のうちに包み込まれている使用価値と価値との内的対立は、一つの外的対立によって、すなわち2つの商品の関係によって表わされ、この関係のなかでは、それの価値が表現されるべき一方の商品は、直接にはただ使用価値としてのみ意義をもち、これにたいして、それで価値が表現される他方の商品は直接にはただ交換価値としてのみ意義をもつ。したがって、一商品の簡単な価値形態は、その商品に含まれている使用価値と価値との対立の簡単な現象形態なのである。[75-76]

労働による生産物というものは、太古の昔から使用対象であり、使用価値であったが、この労働生産物が商品となるためには、使用価値を生み出す人間労働の抽象的一般的属性が対象化されうる、ある一定の社会の発展段階が前提とならなければならなかった。労働生産物が「商品」という形態をとる歴史的発展過程は、交換関係あるいは価値関係の発展、すなわち価値形態の歴史的発展過程と一致するものである。

だから、これまで見てきた「簡単な、個別的な、偶然的な価値形態」は、この歴史的発展過程の萌芽状態なのである。この価値形態においては、上着商品の等価形態は、リンネル商品の価値をリンネル商品の使用価値から区別するだけであり、リンネル商品が他のすべての商品と、質的な同等性をもっているとか、量的に一定の比率で関係しあっているとかということは表わさない。あくまで、上着は、リンネルとの関係のなかでのみ、等価形態をとる。

しかし、このことがまさに、必然的に、リンネル商品が上着商品以外の他のあれこれの商品との交換関係あるいは価値関係にはいってゆく可能性を示唆しているのである。リンネル商品と価値関係にはいる商品が、鉄であってもよいわけだし、小麦であってもよいわけである。そして、リンネル商品と鉄商品、リンネル商品と小麦商品との価値関係のなかで、さまざまな、「簡単な、個別的な、偶然的な価値形態」が生じ、この価値表現のケースは、リンネル商品とは異なる商品の数だけ存在する。すなわち、

商品Aの個別的価値表現は、商品Aのさまざまな簡単な価値表現の絶えず延長可能な列に転化する。[76]

B 全体的な、または展開された価値形態

z量の商品A=u量の商品B または=v量の商品C または=w量の商品D または=x量の商品E または=等々

20エレのリンネル=1着の上着 または=10ポンドの茶 または=40ポンドのコーヒー または=1クォーターの小麦 または=2オンスの金 または=1/2トンの鉄 または=等々……[B]

1 展開された相対的価値形態

ここでは、いまやリンネル商品の価値はリンネル商品以外のすべての商品で表現され、そのことによって、この価値をつくりだす労働の一般的妥当性を表わす。この労働の一般的抽象的人間的労働としての性格が、はっきりと現われてくる。この価値形態のなかでは、リンネルは、もはや商品世界のなかの一要素として社会的関係のなかにある。そして、同時に、リンネル商品の価値を表現するうえで、それを体現する商品体の、あるいは使用価値のちがいは、まったく問題にならないということがしめされる。

等式[A]においてしめされた価値形態では、商品交換の量的な比率は偶然的なものであったのが、等式[B]でしめされる価値形態では、商品交換の量的比率を規定するものが見えてくる。リンネルと交換関係にはいり、リンネルの価値を表わすさまざまな商品は、それがいかに私的に個別に生産され、具体性の異なる商品であっても、それらが表わす価値が同じ大きさであるということは、個々の商品所有者の偶然的な関係は、まったく問題にはならないということだ。交換によって商品の価値の大きさが規制されるのではなく、商品の価値の大きさがそれらの交換比率を規制するのである。
2 特殊的等価形態

等式[B]では、上着、茶、コーヒー、小麦、金、鉄などなどの商品は、リンネルの価値表現において、どれも等価物として通用する。これらの商品体そのものが、それぞれ等価形態である。リンネル商品以外のさまざまな商品をつくりだす特定の具体的有用的労働は、その商品の数だけ、特殊な等価形態として、すなわち、人間的労働の特殊な現象形態として通用する。
3 全体的な、または展開された価値形態の欠陥

第一に、商品の相対的価値表現は未完成である。[78]

つまり、新たな商品が登場するたびに、新たな価値関係が結ばれ、新たな価値表現が生まれるから、その例示の列が完結しないのである。

第二に、この連鎖は、ばらばらな、さまざまな種類の価値表現の雑多な寄木細工をなしている。[78]

最後に――当然そうならざるをえないのだが――どの商品の相対的価値もこの展開された形態で表現されるとすれば、どの商品の相対的価値形態も、他のどの商品の相対的価値形態とも異なる価値表現の無限の一系列である。[78]

結局、すべての商品が、それぞれに、その商品以外の商品との価値関係のなかで相対的価値形態をとり、それ以外の商品が等価形態をとることになるから、それぞれの商品ごとに、その商品以外の数だけの無限の例示の列があらわれ、それが商品の数だけ無限に展開されるというわけである。

相対的価値表現の未完成な状態は、それと対応する等価形態にも反映する。等式[B]では、リンネルの等価形態である、上着、茶、コーヒー、小麦、金、鉄などなどは、おのおのが無数の他の特殊な等価形態とならぶ一つの特殊な等価形態として、リンネルと価値関係をむすんでいる。だから、それぞれの等価形態は、互いに別個の、排除しあった、制限された等価形態である。そして、これらの特殊な等価物となっている商品をつくりだした、それぞれの特殊な具体的有用的労働も、それぞれが、互いに別種類の、排除しあった、制限された労働形態である。もちろん、これらの特殊な具体的労働の形態の全体には、抽象的一般的人間的労働をふくんではいる。しかし、この価値形態のケースでは、結局、その一般的人間的労働は、統一的に姿を表わすことはない。

ところで、この等式[B]で展開された相対的価値形態は、等式[A]のおのおのの総計から形成されているということがわかる。たとえば、

20エレのリンネル=1着の上着

20エレのリンネル=10ポンドの茶

などの総計として。ここで、リンネル商品所有者の立場から、上着商品所有者や茶商品所有者の立場に立ってみよう。すなわち、これらの等式は

1着の上着=20エレのリンネル

10ポンドの茶=20エレのリンネル

を含んでいることがわかる。等式[B]で展開されているさまざまな商品との価値関係のなかに、すでに含まれていた、この逆の関連を実現すれば、新たな価値形態が現われる。
C 一般的価値形態

1着の上着 = ┐ 20エレのリンネル
10ポンドの茶 = │
40ポンドのコーヒー = │
1クォーターの小麦 = │
2オンスの金 = │
1/2トンの鉄 = │
x量の商品A = │
等々の商品 = ┘

1 価値形態の変化した性格

商品は、それぞれの価値を、いまや(1)簡単に表わしている、なぜなら、ただ1つの商品で表わしているからであり、かつ(2)統一的に表わしている、なぜなら、同じ商品で表わしているからである。諸商品の価値形態は、簡単かつ共同的であり、それゆえ一般的である。[79]

ここでマルクスは、交換関係の歴史的発展と重ねて、AやBでみてきた価値形態をふりかえって総括している。

Aでしめされた価値等式は、労働生産物が偶然、ときおり行なわれる交換によって商品に転化されるそもそもの始まりにおける姿を表わしている。ここでは、たとえば、1着の上着=20エレのリンネルとか、10ポンドの茶=1/2トンの鉄などのような交換関係が個別に偶然的にむすばれるから、リンネルに等しいもの、鉄に等しいものという、上着や茶のこの価値表現は、リンネルと鉄がちがうように、異なっている。

Bでしめされた価値等式では、リンネルの価値は、リンネル商品以外のあらゆる商品体の姿で、リンネル商品に対応し、Aでしめされた価値形態よりも完全に、一商品の価値を、その商品体(使用価値)から区別する。ただ、ここでは、これら価値を表現する商品体(等価物)は、すべて異なるものである。この価値形態が歴史上現われるのは、たとえば、家畜が、慣習的に他のさまざまな商品と交換されうるような段階である。

いま、私たちの前にあらわれた、この価値形態では、あらゆる商品が、ある一つの商品種、リンネルを等価物とすることによって、すべての商品の価値が、それらの使用価値から完全に区別されて、統一的に表現されている。

どの商品の価値も、いまや、その商品自身の使用価値から区別されているだけでなく、およそ使用価値というものから区別されており、まさにそのことによって、その商品とすべての商品とに共通なものとして、表現されている。だから、この形態がはじめて現実的に諸商品を互いに価値として関連させ、言い換えれば、諸商品を互いに交換価値として現象させるのである。[80]

前の2つの価値関係のなかでは、個々の商品の価値は、個別に、商品ごとに表現される。個々の商品が、それぞれの価値を体現する形態を他の商品に与え、等価物としての役割を負わせることは、それぞれの商品ごとに行なわれる。いま、私たちの前にあらわれた、この一般的価値形態においては、ある一商品以外のすべての商品が、それらの価値を、その一商品で表現している。ここでは、統一的等価物としてのその一商品が、他のすべての商品の価値をその商品体でもって表現するから、いまや、どの新しい商品種類も、この一般的統一的等価物によってその価値を表現することを余儀なくされるのである。

この一般的価値形態の成立が可能になるのは、商品が、ある一商品をその共通の、一般的統一的な等価物とならしめるまでの、数限りない商品交換、交換関係の発展が前提となる。この発展過程では、すべての商品の社会的関連が不可欠である。

諸商品の価値対象性は――それがこれらの物の単に「社会的な定在」であるがゆえに――諸商品の全面的な社会的関連によってのみ表現されうること、それゆえ、諸商品の価値形態は社会的に適用する形態でなければならないこと、が現われてくる。[81]

一般的統一的等価物によって表現されるすべての商品が、いまや、質的に等しいものとして現われてくる。と同時に、すべての商品が、同じリンネルという商品体にそれらの価値の大きさを反映させるので、それぞれの価値の大きさも、リンネルという共通の材料をもとにして量的に比較しあうことができる。あるいは、日本の江戸時代において“米”がさまざまな商品と交換されうる基本的生産物として現れる段階である。あるいは、ポル・ポト政権崩壊後のカンボジアのような(第1部第1章第1節の例)。

リンネル商品体は、いまや、いっさいの人間的労働の現象形態となる。リンネルをつくりだす織布労働という具体的労働が、同時に、一般的社会的に、他のすべての労働と同質であるということをしめす形態となる。こうして、商品価値として表われる労働全般が、その具体的形態や有用的属性とが取り除かれた労働として、消極的に表わされるだけでなく、むしろ、どのような労働も、人間的労働という共通の属性に、あるいは、人間的労働力の支出に還元される。

労働生産物を区別のない人間的労働の単なる凝固体として表わす一般的価値形態は、それ自身の構造によって、それが商品世界の社会的表現であることを示している。こうして、一般的価値形態は、商品世界の内部では労働の一般的人間的性格が労働の独自な社会的性格をなしているということを明らかにしている。[81]

2 相対的価値形態と等価形態との発展関係

相対的価値形態の発展の程度には等価形態の発展の程度が対応する。しかし――しかもこれは十分注意すべきことであるが――等価形態の発展は相対的価値形態の発展の表現であり結果であるにすぎない。[81]

Aでしめされた形態においては、相対的価値形態と等価形態との対立は、固定化されていない。同じ等式が、まえから読まれるかあとから読まれるかにしたがって、たとえばリンネルと上着という2つの商品が、あるときは相対的価値形態に、またあるときは等価形態になりうる。

Bでしめされた形態では、商品種類一つずつがその相対的価値を全面的に展開する。その商品種類以外のすべての商品がその商品種類の等価形態となり、その限りで、その商品種類が相対的価値形態を獲得している。ここでは、等式の両辺を置き換えることは、等式の性格そのものを、価値形態の全体的展開という姿から、一般的価値形態に転化させることになる。

Cでしめされた一般的価値形態においては、すべての商品に一般的社会的な相対的価値形態を与える。それは、とりもなおさず、一般的等価物となった商品以外のすべての商品は等価形態とはなれないからである。だから、一般的等価物となった商品が、相対的価値形態となって、その価値を表現しようとすれば、むしろ、Cの形態はさかさになって、Bでしめされた形態のように表現されなければならず、その価値は、ほかのすべての商品体の無限の列によって表現される。

一般的等価形態も、やはり一つの対立的商品形態なのであり、一般的に展開された相対的価値形態と不可分の形態である。だから、すべての商品が同時に等価形態となり、直接的交換可能性を帯びることは決してできない。しかし、このことは、一見しては容易にはわからない。物の属性を認識する過程について、マルクスがのべたある例を、さきにあげたけれども、それと同じ理由で、一般的等価形態のもつ一般的直接交換可能性という属性が、その商品そのものにそなわっているかのように見え、そのことが、こんどは、その直接的交換可能性の一般的性格ゆえに、すべての商品に、同時に、直接的交換可能性を押しつけることができるかのような幻想も、まま生まれてくるのである。しかし、これは、あくまで幻想である。
3 一般的価値形態から貨幣形態への移行

一般的等価形態は、それでもなお、さまざまな価値がとりうる一つの姿であって、どの商品もこの価値形態をとることができる。ただ、ある商品が、この価値形態をとるのは、その商品が、その商品以外のすべての商品にとっての等価物となるかぎりのことではある。この価値形態をとる商品が、一つの独自な商品種類に最終的に限定された瞬間、はじめて、あらゆる商品が、相対的価値形態として、一般的社会的に通用するようになる。そして、この一つの独自な商品種類は、貨幣商品となり、貨幣として機能する。その商品種類が、その商品社会のなかでもつ一般的等価物としての役割は、その社会の独占的地位をしめる。この特権的地位を、実際の歴史の上でかちとったのは、金であった。
D 貨幣形態

20エレのリンネル = ┐ 2オンスの金
1着の上着 = │
10ポンドの茶 = │
40ポンドのコーヒー = │
1クォーターの小麦 = │
1/2トンの鉄 = │
x量の商品A = │
等々の商品 = ┘

Dでしめされる価値形態は、Cの形態とくらべて、AからBへ、BからCへの移行にともなっておこった本質的な変化はない。ちがうのは、一般的等価形態をとる商品が、いまや社会的慣習によって、金という商品となり、一般的直接交換可能性という属性が金独自のその物体的形態に癒着しているということだけである。しかし、このことが可能なのは、あくまで金が商品社会の一員であったからにほかならない。労働生産物の交換関係の発展、価値関係の歴史的発展のなかで、金は商品世界のなかで、一般的等価物としての地位の独占をはたしたのであり、その瞬間から、貨幣となった。

貨幣として機能しはじめた金商品とむすばれる商品の相対的価値表現は、価格形態となる。一定量の価値の大きさは、その一般的等価物の一定分量で表わされるから、いまやその表現は、金のその社会における分量表現の慣習的呼称となり、マルクスの国では、「ポンド・スターリング」と呼ばれる。

ここは訂正しなければならない。「ポンド・スターリング pound sterling 」という貨幣の呼称は、イギリスの呼称である。「マルクスの国」という言い方はたいへん不正確だった。マルクスはドイツ生まれ(当時はまだ連邦制であったが)であり、この『資本論』が書かれていたころに在住(亡命)していたのがイギリスだった。

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第1部:資本の生産過程

第1篇:商品と貨幣

第1章:商品
第4節
商品の物神的性格とその秘密

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商品の物神的性格

商品交換の社会で、この形態を自明のもの、当然のものと見ているうちは、なんの不思議もないけれども、いったん、なぜ、そもそもちがう尺度で量られるべき異なる物が、一定の比率で交換されうるのか、という観点にたって、分析してゆくと、なんと転倒した、やっかいな関連をふくむ代物であったか。

しかし、よくよく冷静に考えをすすめれば、商品が使用価値であって、それがもっているさまざまな性質によって人間のさまざまな欲求を満たすという側面や、人間の労働力が支出されてつくりだされた生産物が使用価値としてのさまざまな有用性をもつのだという側面も、ミステリアスなものは何もない、自明なものだ。つまり、太古の昔から、人間は、労働によって自然のさまざまな素材でもって、人間にとっての有用物という形態に変えてきたし、それらの有用物は、目に見え、つかみ取られ、感覚的にとらえられるものである。そして、それらの有用物が、商品として交換関係をむすぶと、感性でとらえられない、価値という共通の属性によって、一定比率の分量でもって交換されることになる。

したがって、商品の神秘的性格は、商品の使用価値から生じるのではない。それはまた、価値規定の内容から生じるものでもない。[85]

では、労働生産物が商品形態をとるやいなや生じる労働生産物の謎的性格は、どこから来るのか? 明らかに、この形態そのものからである。[86]

人間的労働は、人間の脳髄、神経、筋肉、感覚器官などの使用によるものであるという意味で、どんな労働も同等である。生産物は、その同等性をもつ労働によってつくりだされている限りにおいて、どれも価値であるという同等性を受け取ることになる。この人間的労働の量、労働力の支出される継続時間の一定量が、その労働によってつくりだされる生産物の価値に一定の大きさを反映する。そして、その生産物の交換、流通の発展は、おのおのの生産者たちが、その社会の内部で、互いのために労働し生産するという一定の様式を生み出す。生産者たちの、その社会のなかでの関係が、彼らの労働によってつくりだされる生産物の、その社会的関係に反映する。

商品生産者たちの、社会的関係が、彼らの生産物の社会的関係に反映されるとき、まさに、反映された社会的関係を、その生産物自身がもともとそなえていた属性であるかのように、認識してしまう。この転倒が、商品形態のミステリアスなのである。

労働生産物の商品形態およびこの形態が自己を表わすところの労働生産物の価値関係は、労働生産物の物理的性質およびそれから生じる物的諸関係とは絶対になんのかかわりもない。ここで人間にとって物と物との関係という幻影的形態をとるのは、人間そのものの一定の社会的関係にほかならない。だから、類例を見いだすためには、われわれは宗教的世界の夢幻境に逃げ込まなければならない。ここでは、人間の頭脳の産物が、それ自身の生命を与えられて、相互のあいだでも人間とのあいだでも関係を結ぶ自立的姿態のように見える。商品世界では人間の手の生産物がそう見える。これを私は物神崇拝と名づけるが、それは、労働生産物が商品として生産されるやいなや労働生産物に付着し、それゆえ、商品生産と不可分なものである。[86-87]

だから、商品の物神的性格は、その商品を生産する労働がもつ社会的性格から生じる。なぜ、生産物が商品になるかと言えば、その生産物が、その社会の内部で互いに独立に営まれる、まったく私的な労働の生産物であるからにほかならない。この私的なさまざまな労働の全体が、その社会の総労働であるが、おのおのの生産者たちは、彼らのつくりだした生産物を交換することによって、はじめて社会的につながりをもつ。だから、彼らのおのおのの私的労働が、総体として社会的分業をなしているという、独特の性格も、この交換関係のなかではじめて現われる。

だから、生産者たちにとっては、彼らの私的諸労働の社会的諸関連は、そのあるがままのものとして、すなわち、人と人とが彼らの労働そのものにおいて結ぶ直接的に社会的な諸関係としてではなく、むしろ、人と人との物的諸関係および物と物との社会的諸関係として現われるのである。[87]

商品の物神的性格が生まれる必然性

生産物は、それらが交換される関係のなかではじめて、それらが互いに異なる有用性をもっているというだけでなく、社会的に等しく比べあうことのできる価値をもつ物であるということを明らかにする。有用物であるということと価値をもつ物であるということ――労働生産物のこの二面性が実際に現われるのは、生産物の交換関係が発展し、十分な広がりと重要性をもち、生産物が、交換されることを前提に生産されるまでになったときである。

この瞬間から、生産者たちのおのおのの労働は、社会の要求を満たすための一定の有用物を生み出す労働であると同時に、その社会の労働全体の分業の一部分という条件を満たさなければならなくなる。また、この瞬間から、生産者たちのおのおのの労働は、その具体性も有用性もちがうそれぞれの労働による生産物が、ちゃんと同等に量りあわれ、交換されうるものとして通用するのだという前提のもとに、行なわれることになる。

おのおのの生産者たちは、実際の交易によって、有用性もそれが生み出された具体性も異なる生産物が、価値の大きさの割合でもってある一定比率で交換されるということを体験する。そのことで、おのおのの生産者たちは、自分たちの生産物をつくりだした労働の、これら二重の社会的性格を実感することになる。

したがって、人間が彼らの労働生産物を価値として互いに関連させるのは、これらの物が彼らにとって一様な人間的労働の単なる物的外皮として通用するからではない。逆である。彼らは、彼らの種類を異にする生産物を交換において価値として互いに等置し合うことによって、彼らのさまざまに異なる労働を人間的労働として互いに等置するのである。彼はそれを知ってはいないけれども、それを行なう。[88]

労働生産物は、それが価値である限り、その生産に支出された人間的労働の単なる物的表現にすぎないという後代の科学的発見は、人類の発達史において一時代を画するものではあるが、労働の社会的性格の対象的外観を決して払いのけはしない。商品生産というこの特殊的生産形態だけにあてはまること、すなわち、互いに独立した私的諸労働の独特な社会的性格は、人間的労働としてのそれらの同等性にあり、かつ、この社会的性格が労働生産物の価値性格という形態をとるのだということが、商品生産の諸関係にとらわれている人々にとっては、あの発見のまえにもあとにも、究極的なものとして現われるのであり、ちょうど、空気がその諸元素に科学的に分解されても、空気形態は一つの物理的物体形態として存続するのと同じである。[88]

商品生産者たちの関心は、生産物が交換されるその割合の大きさであるが、その割合を規定する、労働生産物の価値の大きさは、商品生産者たちの意志や憶測ややりくりにかかわらず、絶えず変動する。そして、商品生産者たちの生産物の交換という社会的運動が、商品生産者たちにとっては、生産物自身の運動という姿をとる。だから、商品生産者たちは、この運動を制御するのではなく、逆に、この運動によって強制されることになる。

個々の商品生産者たちの労働は、その総体が社会的労働であり、個々の商品生産者たちの労働は、交換関係を通して、その社会的総労働の分業の部分としてそれぞれ機能するのであった。この交換関係のなかで、その交換の比率が社会的に一定の基準に落ち着くのは、交換される商品の生産のために社会的に必要な労働量が、その交換比率を規制するからである。商品生産者たちの労働が、私的に、個別に行なわれるので、この規制的法則は、彼らの商品交換の運動の全体を通して、さまざまな悲喜劇をともないながら自己を貫徹せざるをえない。

この、ある意味無慈悲な、強力的法則が発見されるのは、完全に発展した商品生産様式の存在が前提となる。そのときまでは、労働時間が価値の大きさを規定するのだという事実は、交換比率として現われる価値形態の背後に隠されている。いったん、この隠されていた事実が明らかになれば、労働生産物の価値の大きさは偶然的に規定されるものではないということが、はっきりする。しかし、だからといって、交換比率として現われる価値形態そのものがなくなるわけでは、決してない。

労働生産物が商品であり、その交換、流通によって成り立っている社会では、この価値形態が、歴史的なものでなく、不変な、自然なものとして、人々の眼前に存在している。だから、この社会についての科学的分析は、まず、商品価格の分析からはじまるのであり、それが価値の大きさが人間労働の分量によって規定されるという分析結果をもたらした。そして、貨幣として表現されている商品についての分析は、商品の価値が社会的に規定されるものであるという分析結果をもたらした。

ところが、貨幣形態という、商品交換の発展の完成形態が、まさに、この商品社会のさまざまな私的労働が社会的に結びついている姿を、かえって覆い隠し、この貨幣形態という商品の一形態そのものが、商品と商品とを結びつけているかのように見せるのである。

この種の諸形態こそが、まさにブルジョア経済学の諸カテゴリーをなしている。それらは、商品生産というこの歴史的に規定された社会的生産様式の生産諸関係にたいする、社会的に妥当な、したがって客観的な、思考諸形態なのである。それゆえ、商品生産の基礎上で労働生産物を霧に包む商品世界のいっさいの神秘化、いっさいの魔法妖術は、われわれが別の生産諸形態のところに逃げ込むやいなや、ただちに消えうせる。[90]

『ロビンソン・クルーソー』に描かれた「社会」

マルクスはここで、まずはじめに、当時よく引き合いに出されていた『ロビンソン・クルーソー(Robinson Crusoe)』を例にあげて、商品交換のない世界の、初期の、きわめて抽象的な姿をしめしている。

ノートしたあと、本文を読み返して、ロビンソン・クルーソーの話を思い返してみて、この「初期の」姿というのは余計な言葉だったと思う。これはけっして人類の初期の姿ではない。その一般化でもない。むしろ、人間労働の一般化とでもいったほうがよかった。人間は、その属種の誕生から社会的な存在であって、たった独りでの労働というのは、人間的労働の実際の姿ではない。

無人島に漂着したロビンソンは、まずなによりも彼自身の生命を保持するために、そして、彼が生活してきた文化水準をできる範囲で維持しようとするために、道具をつくり、家具をつくり、島の野生の動物を飼いならし、魚をとり、狩りをする。これらのさまざまな有用的労働は、なにをつくりだすかという機能は異なってはいるが、同じロビンソンという人間の労働であって、その活動形態が異なっているにすぎない。彼は、その労働の重要性に応じて優先順位をつけ、それぞれの労働の時間をうまく配分していかなくてはならない。その加減は、さまざまな試行錯誤によって、彼自身が覚ってゆく。ここには、これまで見てきた価値規定の本質が、すでに含まれているのである。
中世のヨーロッパ社会

ついでマルクスが描くのは、ヨーロッパ中世の社会である。ここでは、なによりも、身分制度によって、だれもが互いに依存関係にある。たとえば、農奴と領主、臣下と君主、俗人と聖職者などのように。これらの依存関係が、社会の生産関係や生活を規定している。この社会では、人間の労働も、それによる生産物も、賦役や貢納という、身分的人格的依存関係に対応したかたちで、社会のなかに関連してゆく。私たちの社会のような商品生産社会では労働の一般性が労働の社会的な形態となるが、この社会では、まさに労働の具体的有用的特殊性が、労働の社会的形態となっている。

賦役労働も、商品を生産する労働のように労働力が支出された時間の分量によって量られるが、賦役労働を行なう当の農奴たちは、自分たちの労働の一定分量を領主に賦役として支出していることを重々承知している。カトリック教会におさめるべき貢納(たとえば「十分の一税」)にしても、信者たちの生産物の一定分量であることを彼ら自身承知の上である。ここでは、彼らの労働による人と人との社会的関係が、いつでも彼ら自身の関係として直接現われ、物と物との関係であるかのように幻想されることはない。
家族内分業労働

日本でも、戦後の高度経済成長期以前までには、農村で一般的に行なわれていた、農民家族の素朴な家父長的な勤労に、直接的に社会化された労働の典型を、マルクスは見出している。

自家用に生産される、穀物や家畜、糸、布、衣類などは、互いに商品として対応することはない。同時に、これらの生産物を生み出す、農耕労働、牧畜労働、紡績労働、織布労働、裁縫労働などは、その形態のままで、家族という社会のなかで自然発生的な分業労働として機能している。性別、年齢のちがい、季節の移り変わりが、家族のあいだでの労働の配分と、その家族の個々の成員の労働時間を規制する。家族成員個々人の労働力は、家族の共同的総労働力の有機的一部分としてのみ作用しているから、個人的労働力の支出は、やはり継続時間によってはかられるにしても、その労働が家族労働全体のなかでもっている役割に規定されている。
自由な人々の共同社会

ここでマルクスが想定する社会は、共産主義的社会である。この社会は人類史のあけぼのに、その原始的形態の存在が実証されているが、マルクスは、過去にすぎさった社会としてではなく、むしろ、資本主義社会の先に展望される社会として想定している。

この社会では、個々人の労働力は、共同的生産手段でもって支出され、個々人はその個人的労働力が、その社会の総労働力の一部分として支出されることを自覚している。個々人は、いかなる形態によっても人格的に依存していないし、社会的機構によって強制されてもおらず、自覚的自律的に連合している。

ロビンソンの「社会」では、すべての生産物は彼自身の生産物であり、彼にとって使用されるべきものであった。この共同社会のすべての生産物は、その社会全体の生産物である。この生産物の一部分は、その社会での再生産のための手段となり、依然、社会的なものである。生産物の他の部分は、生活手段として、共同社会の成員によって消費される。この部分は、彼らのあいだで分配されるが、この仕方は、その社会の生産手段の社会化のあり方と、これに対応する生産者たちの、発展程度におうじて変化してゆく。ここでは、労働時間によって、分配が規定されるものと前提される。そうすると、この社会で、労働時間は二重の役割をはたすことになる。一面、その社会の成員の総労働時間の社会的配分が、その社会全体のさまざまな欲求をみたすための労働機能の割合を規制する。また他面では、個々人の労働時間が、その社会の共同的総労働にたいする関与の度合をあらわすから、その個人が、生活手段として消費する生産物の分配のための尺度となる。ここでも、人びとが彼ら自身の労働やその生産物にたいしてもつ社会的関係は、簡単明瞭で、幻想的錯覚の余地はない。
宗教は現実世界の反映である

マルクスは、商品生産社会にふさわしい宗教は、キリスト教などの一神教だと指摘する。ことに、そのなかでも、ブルジョア的発展であるプロテスタントや、理神論などとしてのキリスト教がもっともふさわしいと。なぜなら、この社会では、生産者の生産物はすべて商品という形態で関連しあい、彼らの私的な労働がすべて同等な抽象的人間的労働として互いに関連づけられるから、キリスト教など、抽象的な人間(つまり唯一絶対の神)を信仰する一神教などが、宗教として対応するのであると。原始的共同体が崩壊してゆく、そのはじまりの前からすでに存在していた商品生産者たちは、共同体の崩壊とともに、社会のなかで重要な役割をもつようになるが、古代から信仰のあったユダヤ教のような一神教も、それとともに発展してきたのである。

まだ商品生産が重要な役割をになうにいたっていなかった社会、個々人が氏族共同体などの自然的なつながりからまだ切り離されていない社会では、それだけ個人としての存在も自覚も未成熟であったし、専制的支配や奴隷的隷属関係のなかにあった。これらの社会は、その社会での労働生産力の発展度合の低さに対応した、人間関係や自然への認識の狭さをもっていた。これらの現実が、当時の自然宗教や民族宗教に反映しているのである。

現実世界の宗教的反射は、一般に、実際の日常生活の諸関係が、人間にたいして、人間相互の、また人間と自然との、透いて見えるほど合理的な諸関連を日常的に表わすようになるとき、はじめて消えうせる。社会的生活過程の、すなわち物質的生産過程の姿態は、それが、自由に社会化された人間の産物として彼らの意識的計画的管理のもとにおかれるとき、はじめてその神秘のヴェールを脱ぎ捨てる。けれども、そのためには、社会の物質的基礎が、あるいは、それ自身がまた長い苦難に満ちた発展史の自然発生的産物である一連の物質的実存諸条件が、必要とされる。[94]

古典派経済学の到達点と限界

マルクス以前の、それまでの経済学の最良の到達は、商品価格という形態を分析することで、労働が価値を生み出し、労働量が価値の大きさを規定することを発見したが、なぜそうなるのかという問題提起はなされなかった。また、価値の大きさの規定ということ自体が、人間的労働の質的な同等性を前提としているということも意識しなかったのである。それまでの経済学にとっては、人間を支配している商品としてあらわれる価値形態が、自明な自然なものであったから、その価値形態が歴史的発展のなかの一つのあり方であるということを発見できなかったのである。だから、そもそもなぜこの社会で、人間の労働がこのような形態としてあらわれるのかという問題提起を行なうべくもなかったし、この社会以前に存在してきた社会や、商品生産社会に到達していない他の社会形態は、すべて「必然的ではないもの」であり、「野蛮」な「非文明的」なものとされたのである。市民社会が商品生産様式の上になりたっているのと同様に、それまでの歴史的社会も、商品生産社会に到達していない他の社会形態も、それぞれの社会のその時々の経済が社会の基礎をなしてきたし、なしているのだということには、思い及ばなかったのである。
商品の物神的性格がもたらす経済学上の混乱

まず、「交換価値の形成における自然の役割」をめぐる論争について。交換価値は、生産物に支出された労働を表現する社会的形態であって、自然素材を含むということはありえないのである。

大規模な官僚・軍隊・宮廷貴族の俸給を確保するために、多量の貨幣や貴金属の獲得につとめ、貨幣が富の源泉だとみた重金主義・重商主義は、金や銀などの貨幣として機能している貴金属が、商品生産社会に特有の社会的生産関係を、貨幣形態としてその自然物の姿で表わしているのだということを見抜けなかったゆえのものである。農業生産こそが富の源泉であるとして、地代は土地から生じるとした重農主義も、商品形態が発展するにつれて、賃金・利潤・地代などの具体的な形態が発生してくることで、商品の物神的性格を簡単に見抜けなくなることで生まれた。

さいごに、「商品の使用価値は、物体としての商品には属さない。むしろ、物体としての商品に属しているのは価値である。商品はただ交換価値としてのみ関連しあう」という議論について。なぜこのような混乱が生じるか。物の使用価値というものは、人間にとって交換関係が介在しなくても、直接、実現するものだが、物の価値というものは、ただ交換関係においてのみ実現されるという事情からである。

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第1部:資本の生産過程

第1篇:商品と貨幣
第2章
交換過程

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商品を交換関係のなかに関連させるためには、なにより、そういう行為を意図する商品所有者が存在しなければならない。また、おのおのの商品所有者たちが交換する商品をどうこうする権利を、彼ら自身が確かにもっているということが前提となるし、交換し合う商品所有者たちの双方が、自分の商品を相手に譲渡することで他人の商品を自分の物にするのだ、という共通の意志をもっていることが前提されていなければならない。この契約関係は、商品生産社会の経済的関係が反映された、意志関係である。

これまでに分析してきた、価値形態のあり方、価値関係は、実際に商品所有者たちのあいだの関係をどのように反映しているのだろうか。

商品にとっては、他のどの商品体も、その商品の価値の現象形態としての意義しかもたない。商品所有者にとっては、彼自身の商品には直接的な使用価値はない。むしろ、彼の商品体の具体性は、彼以外の他人にとっての使用価値である。だから、商品所有者にとっては、彼の商品は、ただ交換価値の担い手であり、交換手段という使用価値をもっているだけである。

すべての商品は、その所有者にとっては非使用価値であり、その非所有者にとっては使用価値である。したがって、これらの商品は、全面的に持ち手を変換しなければならない。ところが、この持ち手の変換が諸商品の交換なのであって、またそれらの交換が諸商品を価値として互いに関連させ、諸商品を価値として実現する。それゆえ、諸商品は、みずからを使用価値として実現しうるまえに、価値として実現しなければならない。[100]

他面では、諸商品は、みずからを価値として実現しうるまえに、みずからが使用価値であることを実証しなければならない。というのは、諸商品に支出された人間的労働が、それとして認められるのは、この労働が他人にとって有用な形態で支出された場合に限られるからである。ところが、その労働が他人にとって有用であるかどうか、それゆえその生産物が他人の欲求を満足させるかどうかは、ただ諸商品の交換だけが証明できることである。[100]

商品所有者にとって、交換過程は2つの面をもっている。一面では、交換は彼にとって個人的な過程である。なぜなら、商品所有者は、自分の欲求を満たす使用価値をもっている別の商品としか自分の商品を引き換えようとはしないからである。他面、交換は彼にとって社会的過程である。なぜなら、彼自身の商品が他の商品所有者にとって使用価値をもっているかいないかにかかわりなく、同じ価値をもつ他のどの商品ででも価値を実現しようとするからである。しかし、また、この交換過程は、すべての商品所有者にとって、同時に個人的であるとともに一般的社会的であるということは、ありえない。

すなわち、商品所有者にとって、他人の商品は自分の商品の特殊的等価形態として存在し、自分の商品は他のすべての商品の一般的等価形態として存在するが、すべての商品所有者が同じことを行なうのだから、どの商品も一般的等価形態とはなりえないし、それぞれの商品はそれらの価値を表現するための一般的相対的価値形態をもっていない。商品は商品として相対しているのではなく、たんに使用価値として、生産物として相対しているのである。

彼らは、彼らの商品を一般的等価物としての他のなんらかの商品に対立的に関連させることによってしか、彼らの商品を価値として、商品として、互いに関連させることができない。このことは、商品の分析が明らかにした。だが、もっぱら社会的行為だけが、ある特定の商品を一般的等価物にすることができる。だから、他のすべての商品の社会的行動がある特定の商品を排除し、この排除された商品によって他のすべての商品はそれらの価値を全面的に表示するのである。これによって、この排除された商品の自然形態が社会的に通用する等価形態となる。一般的等価物であるということは、社会的過程によって、この排除された商品の独特な社会的な機能となる。こうして、この商品は――貨幣となる。[101]

貨幣結晶は、種類を異にする労働生産物が実際に互いに等置され、それゆえ実際に商品に転化される交換過程の必然的産物である。交換の歴史的な拡大と深化は、商品の本性のうちに眠っている使用価値と価値との対立を発展させる。交易のためにこの対立を外的に表示しようとする欲求は、商品価値の自立的形態へと向かわせ、商品と貨幣とへの商品の二重化によってこの自立的形態が最終的に達成されるまでとどまるところを知らない。それゆえ、労働生産物の商品への転化が生じるのと同じ度合いで、商品の貨幣への転化が生じるのである。[102]

商品交換の歴史的発展過程
そのはじまり

商品交換のはじまりは、物々交換である。この直接的な生産物交換は、第1章で分析された価値形態Aの等式にあらわされた価値表現の形態をもっているが、ただし、交換のまえには商品ではないから、他面ではまだその形態をもってはいない。それはたんに使用対象として存在する。それは交換を通してはじめて商品となる。ある使用対象が、交換しうるものとなるためには、その使用対象が余剰生産物であり、その使用対象の所有者の「直接的欲求を超える分量の使用価値」となっていなければならない。

物はそれ自体としては人間にとって外的なものであり、それゆえ譲渡されうるものである。この譲渡が相互的であるためには、人々は、ただ、黙って、その譲渡されうる物の私的所有者として、またまさにそうすることによって相互に独立の人格として、相対しさえすればよい。[102]

しかし、商品交換のはじまりに存在するであろう、氏族社会のような自然発生的な共同体社会の成員のあいだには、互いに他人である「私的所有者として、相互に独立の人格として、相対する」というような関係はない。だから、商品交換は、その共同体社会が、他の共同体または他の共同体の成員と接触するところではじまる。そして、その使用対象がいったん商品として対外的に機能しはじめると、それらのものは交換価値をもつものとして意識されるから、その共同体社会のなかでも商品となる。

この交換のはじまりでは、物と物とがどれだけの分量で取り引きされるかは、ケース・バイ・ケースである。そのうちに、他者の使用対象への欲求がしだいにたかまり、交換は反復される。すると、交換が規則的な社会的過程となり、その交換比率が固定されてくる。時の経過とともに、生産物の一部分が意図的に交換のために生産されるようになり、この瞬間から、その社会の生産物の有用性が、成員にとって直接的に必要な有用性と、交換のための有用性とに分離する。この瞬間から、これらの生産物の量的な交換比率は、生産物の生産される度合いに依存するようになる。

諸物の使用価値は、諸物の交換価値から分離する。[103]

物々交換の段階では、どの商品もその商品所有者にとっては交換手段であり、その商品をもっていない他の商品所有者にとっては、その商品が彼にとっての使用価値をもっている限りにおいて、等価物である。

したがって、交換品は、それ自身の使用価値または交換者の個人的欲求から、独立した価値形態をまだ受け取ってはいない。[103]

交易の発展と貨幣の登場そのはじまり

交易の実際では、さまざまな商品所有者の商品がその交易のなかで第三の商品種と交換され、価値として比較される過程がともなう。この第三の商品種は、他のさまざまな商品にとって等価物となることで、狭い範囲内においてにしろ、一般的社会的な等価形態を受け取る。

この一般的等価形態は、それを生み出す一時的な社会的接触とともに発生し、それとともに消滅する。この形態は、あれこれの商品に、かわるがわる、かつ一時的に帰属する。しかし、それは、商品交換の発展につれて、もっぱら特殊な種類の商品に固着する。すなわち、貨幣形態に結晶する。それがどのような種類の商品に固着するかは、さしあたり偶然的である。しかし、一般的には、二つの事情が決定的である。貨幣形態が固着するのは、外部からはいってくるもっとも重要な交易品――これは、事実上、内部の諸生産物がもつ交換価値の自然発生的な現象形態である――が、さもなければ、内部の譲渡されうる所有物の主要要素をなす使用対象、たとえば家畜のようなものである。[103]

商品交換がそのもっぱら局地的な束縛を打破し、それゆれ商品価値が人間的労働一般の体化物にまで拡大していくのと同じ割合で、貨幣形態は、一般的等価物という社会的機能に生まれながらにして適している商品に、すなわち貴金属に、移っていく。[104]

金や銀などの物体的特性が貨幣のさまざまな機能に適していることは確かである。それらの貴金属が、貨幣として機能するのは、商品の価値の大きさが社会的に表現される材料として役立つからである。すなわち、どの一片をとってもみな均等な質をもっており、任意に分割することが可能で、その分割されたものがふたたび合成可能であるという属性をそなえているからである。

貨幣として機能しはじめた商品の使用価値は二面性を帯びる。一面では、たとえば金が虫歯の充填や、奢侈品の原材料などに役立つというような特殊的な使用価値を、他面では、貨幣としての独特な社会的機能から生じる形式的な使用価値を帯びる。

他のすべての商品は貨幣の特殊的等価物にほかならず、貨幣はこれらの商品の一般的等価物であるから、これらの商品は、一般的商品としての貨幣にたいして特殊的商品としてふるまう。[104]

貨幣形態をめぐるこれまでの経済学研究

貨幣形態は、他のあらゆる商品の関連の反映が、一つの商品に固着したものであって、「貨幣は商品である」というのは、完成された貨幣形態を分析した際の一つの発見ではあったが、それだけでは不十分である。

交換過程は、ある商品種に貨幣としての価値を与えるのではなくて、貨幣という独特な価値形態を与えるのである。この「価値」と「価値形態」という2つの規定の混同は、金や銀の価値は、想像的なものだという誤りを生んだ。また、貨幣が社会のなかで機能するうちに、一定量の貨幣が一定の章標で置き換えられうるようになることから、「貨幣は物の章標である」という誤った見方が生まれた。

他面、この誤りのうちには、物の貨幣形態はその物自身にとって外的なものであり、その背後に隠されている人間の諸関係の単なる現象形態にすぎないという予感があったのである。この意味では、どの商品も一つの章標であろう。なぜなら、どの商品も、価値としては、それに支出された人間的労働の物的外皮にすぎないからである。[105]

しかし、一定の生産様式の基礎上で、諸物が受け取る社会的諸性格、あるいは労働の社会的諸規定が受け取る物的諸性格を、単なる章標として説明するとすれば、そのことによって同時に、それらの性格を人間の恣意的な反省の産物として説明することになる。これこそは、その成立過程がまだ解明されえなかった人間的諸関係の謎のような姿態から少なくともさしあたり奇異の外観をはぎ取ろうとして、18世紀に好んで用いられた啓蒙主義の手法であった。[106]

第1章で分析されたように、ある商品の等価形態はその商品の価値の大きさの量的規定を含んではいない。だから、たとえば金が貨幣である場合、金が他のすべての商品と直接的に交換されうるものであるからといって、それだけでは10ポンドの金の価値の大きさを規定することはできない。貨幣である金も、それ自身の価値の大きさを表現するには、他のさまざまな商品を対応させなければならない。貨幣である金そのものの価値は、それが生産されるのに必要な労働時間によって規定されるのであり、それと同量の労働力の支出によってつくりだされた他の商品の一定量で表現される。貨幣である金の相対的価値の大きさは、それが産出される場所での金としての直接的な交換取引のなかで確定される。

すでに17世紀の最後の2、30年間に貨幣分析の端緒はかなり進んでいて、貨幣が商品であるということが知られていたけれども、それはやはり端緒にすぎなかった。困難は、貨幣が商品であることを理解する点にあるのではなく、どのようにして、なぜ、なにによって、商品が貨幣であるのかを理解する点にある。[107]

貨幣物神の謎は、その背後にある商品物神の謎にほかならない

われわれが見たように、すでにもっとも簡単な価値表現、x量の商品A=y量の商品Bにおいても、他の一つの物の価値の大きさがそれによって表わされる物は、その等価形態を、この関連から独立に社会的自然属性としてもっているかのように見える。われわれはこの虚偽の外観の確立を追求した。一般的等価形態が、ある特殊な種類の商品の自然形態に癒着したとき、あるいは貨幣形態に結晶したとき、この外観は完成する。他の諸商品がその価値を一商品によって全面的に表示するので、その商品ははじめて貨幣になるのだとは見えないで、むしろ逆に、その商品が貨幣であるからこそ、他の諸商品はその商品で一般的にそれらの価値を表示するかのように見える。媒介する運動は、それ自身の結果のうちに消失して、なんの痕跡も残さない。諸商品は、みずから関与することなく、自分たち自身の価値姿態が、自分たちの外に自分たちとならんで実存する一商品体として完成されているのを見いだす。金や銀というこれらの物は、地中から出てきたままで、同時に、いっさいの人間的労働の直接的化身なのである。ここから、貨幣の魔術が生じる。人間の社会的生産過程における人間の単なる原子的なふるまいは、それゆえまた人間の管理や人間の意識的な個人的行為から独立した彼ら自身の生産諸関係の物的姿態は、さしあたり、彼らの労働生産物が一般的に商品形態をとるという点に現われる。だから、貨幣物神の謎は、目に見えるようになった、人目をくらますようになった商品物神の謎にほかならない。[107-108]

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第1部:資本の生産過程

第1篇:商品と貨幣

第3章:貨幣または商品流通
第1節
価値の尺度

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歴史上、貨幣商品として独占的地位を獲得したのが金だった。ここでは、今日一般的に使用されている不換紙幣などの銀行券や小切手や手形などは直接には扱われない。それはのちの章で分析されることになるはずだ。

マルクスが存命中には、不換紙幣が登場することはなかったので、『資本論』のなかでも、不換紙幣についての叙述はない。紙幣が金と交換される保証のあった「金本位制」は、第一次大戦後崩壊した。

貨幣商品である金の第一の機能は、価値の尺度としての機能だ。

金の第一の機能は、商品世界にその価値表現の材料を提供すること、すなわち、諸商品価値を、質的に等しく量的に比較可能な同名の大きさとして表すことにある[109]

注意すべきことは、貨幣が商品交換を可能にしているのだ、ということではない、ということだ。これまでみてきたように、貨幣商品も、あくまで商品の一つであって、そもそも、すべての商品が、人間的労働によって生産されたものであること、つまり「対象化された人間的労働」であって、この人間的労働自体が時間という単位で計られるということこそが、すべての商品を同じ単位で量りあうことを可能にしているのである。そして、長々しい商品交換の歴史過程を通じて、すべての商品の価値が独特な一つの商品ではかられるまでに到達し、この独自の商品を貨幣としたのである。商品交換の過程が貨幣を生み出したのである。

価値尺度としての貨幣は、諸商品の内在的価値尺度である労働時間の必然的現象形態である[109]

なぜ貨幣は労働時間そのものを直接に表現しないのか

マルクスが第1節の注(50)で提起した問題は、「価値尺度としての貨幣」の理解をふかめる上で、たいへん参考になる。ここで私は、第1章第3節のAの2のb「相対的価値形態の量的規定性」の部分を思い出した。くり返しの引用になるけれども、この文章のさいごにマルクスが述べた部分をふたたび引用する。

価値の大きさの現実的変動は、価値の大きさの相対的表現または相対的価値の大きさには、明確にも余すところなしにも反映されはしない[69]

商品の価値の大きさの尺度は労働時間という同じ単位であっても、その商品価値は交換過程を通じて相対的に表現される。その相対的に表わされる価値の大きさは、その内実の価値の現実の大きさと必ずしも一致するわけではないのである。

なぜ貨幣は労働時間そのものを直接に表現しないのかという問題は、きわめて単純に、なぜ商品生産の基礎上では労働生産物は自己を商品として表さなければならないのかという問題に帰着する。というのは、自己を商品として表わすということは、商品と貨幣商品とへの商品の二重化を含んでいるからである。あるいは、なぜ私的労働は、直接に社会的な労働として、私的労働の反対物として、取り扱われえないのかという問題に帰着する[109]

「表象されただけの、または観念的な貨幣」

商品の価格または貨幣形態は、商品の価値形態一般と同じように、手でつかめるその実在的な物体形態から区別された、したがって単に観念的な、または表象されただけの形態である[110]

ここで言われている「観念的な」とは、どういう意味なのか。

鉄、リンネル、小麦などの価値は、目には見えないけれども、これらの物そのもののうちに実存する。これらの価値は、それらの物の金との同等性によって、それらの物のいわば頭のなかにだけ現われる金との関連によって、表象される[110]

商品の価値は、相対的にしか、他の商品の使用価値体そのものによってしか表現されない。このことはすでに前の章で明らかにされた。価値はたしかに実存するが、その商品そのものだけでは目に見えない。商品の価値は、第2章で明らかになったように、交換過程を通じてのみ表象され、ついには貨幣形態を獲得する。そして、金という特定の商品が貨幣形態としての地位を独占する段階では、商品価値は、実存する金という貨幣材料の一定分量を頭の中に思い浮かべて、それと関連されて表わされるようになる。すなわち「価格」として。商品所有者は、彼がもっている商品の価値に見合うだけの貨幣商品、たとえば金を、その商品の横にならべて「これだけの価値をもっているんですよ」とわざわざしめさなくてもよいのである。商品所有者は、彼がもっている商品に、貨幣商品の一定分量を表わした数字と単位を書きしるした値札をつけさえすれば、それで十分、彼の商品の価値を社会的にしめすことができるのである。

価値尺度機能のためには、ただ表象されただけの貨幣が役立つとはいえ、価格はまったく実在的な貨幣材料に依存している。たとえば、1トンの鉄に含まれる価値、すなわち人間的労働の一定分量が、等しい量の労働を含む貨幣商品の表象された一定分量によって表現される。したがって、金、銀、銅のどれが価値尺度として使われるかに従って、同じ1トンの鉄の価値はまったく異なる価値表現を受け取るのであり、言い換えれば、金、銀、銅のまったく異なる量によって表象されるのである[111]

たとえば、マルクスがイギリス貨幣制度の歴史を例に指摘しているように、金と銀という2種類の貴金属が貨幣として同時に価値尺度として機能している場合は、すべての商品は、金による価格表現と銀による価格表現との二通りの価格表現をもつことになる。しかし、このことは、注(53)で指摘されているとおり、金価格と銀価格との比率がいつも同じであるということを意味するものではない。

価値尺度の二重化はその機能と矛盾するということが、事実によって証明される[111]

法律上2つの商品に価値尺度機能が与えられている場合には、事実上つねに一つの商品だけが価値尺度の地位を占める[111]

貨幣の、価格の度量基準としての機能

諸商品価値は、さまざまな大きさの表象された金分量に、したがって、商品体の錯綜した多様性にもかかわらず、金の大きさという同名の大きさに転化される。諸商品価値は、このようなさまざまな金分量として相互に比較され、はかられ合う。そこで、諸商品価値を、その度量単位としてのある固定された分量の金に関連づける必要が技術的に生じてくる。この度量単位そのものは、さらに可除部分に分割されることによって度量基準に発展させられる[112]

すべての金属流通では、重量の度量基準の既存の呼称がまた貨幣の度量基準または価格の度量基準の最初の呼称をなしている[112]

貨幣は、価値の尺度として、また価格の度量基準として、2つのまったく異なる機能を果たす。貨幣が価値の尺度であるのは、人間的労働の社会的化身としてであり、価格の度量基準であるのは、確定された金属重量としてである。貨幣は、価値尺度としては、多種多様な商品の価値を価格に、すなわち表象された金分量に転化することに役立ち、価格の度量基準としては、この金分量をはかる[113]

一商品の価値を他のなんらかの商品の使用価値で表わす場合と同じように、諸商品を金で評価する場合にも、そこで前提されることは、ただ、与えられた時点で一定の金分量を生産するには一定分量の労働が必要であるというだけである。商品価格の運動にかんしては、一般に、すでに展開された簡単な相対的価値表現の諸法則があてはまる。

商品価格が全般的に上昇しうるのは、貨幣価値が変わらなければ、商品価値が上がる場合だけ、商品価値が変わらなければ、貨幣価値が下がる場合だけである。逆に、商品価格が全般的に低下しうるのは、貨幣価値が変わらなければ、商品価値が下がる場合だけ、商品価値が変わらなければ、貨幣価値が上がる場合だけである[114]

貨幣の名称についての歴史的事情

さて、貨幣の名称は、最初のその材料となる貴金属の重量をしめす名称からしだいにズレてくる。ここでは、マルクスはその歴史的要因を3つあげている。

商品交換の発展程度の低い社会への外国貨幣の導入。
社会全体の富の増大に応じて、価値尺度機能を果たす貴金属がより高級なものになっていく。
そのときどきの支配階級による貨幣の変造。

こうした歴史的過程は、金属重量での貨幣名とその慣習的重量名との分離を世の習わしにする。貨幣の度量基準は、一方では純粋に慣習的であり、他方では一般妥当性を要求するので、最終的には法律によって規制される。……一定の金属重量が金属貨幣の度量基準であることに変わりはない。変えられたのは、分割と命名だけである[115]

日本の貨幣名をめぐる事情

1匁とは一文銭(約3.75グラム)1個の重さであり、「もんめ」とは「文目」のことだと考えられます(目とは目方、目減りなど量を意味する語)。また1貫とは一文銭1,000個の重さです。一文銭は唐の通貨である開元通宝をモデルとしています。日本は当時の先進国である中国から多くの通貨を輸入して使用したので、通貨が重さを測る単位となり、価格名から逆に重量名が生まれるというようなことが起こりました。

自国で貨幣を生み出したイギリスでは、……価格名のポンドは重量名のポンドから生まれましたが、後進国であった日本では、この関係が逆転しているわけです。もっとも、1両小判の「両」はもとは重さの単位であり、10匁のことでしたから、この場合は、日本でも重量名から価格名が生まれています [川上則道氏著『「資本論」の教室』:64-65ページ]

価格形態がもつ矛盾

商品の価値の大きさは、社会的労働時間にたいする、一つの必然的な、この商品の形成過程に内在する関係を表現する。価値の大きさの価格への転化とともに、この必然的な関係は、一商品とその商品の外部に実存する貨幣商品との交換比率として現われる。しかし、この交換比率においては、商品の価値の大きさが表現されうるのと同じように、与えられた事情のもとでその商品が譲渡されるさいの価値の大きさ以上または以下の大きさも表現されうる。したがって、価格と価値の大きさとの量的不一致の可能性、または価値の大きさから価格が背離する可能性は、価格形態そのもののうちにある。このことは、価格形態の欠陥ではなく、むしろ逆に、価格形態を、一つの生産様式に――規律が盲目的に作用する無規律性の平均法則としてのみ自己を貫徹しうる一つの生産様式に――適切な形態にするのである[117]

価格形態の発展の極致

価格形態は、価値の大きさと価格との、すなわち価値の大きさとそれ自身の貨幣表現との量的不一致の可能性を許すばかりでなく、一つの質的な矛盾――貨幣は諸商品の価値形態にほかならないにもかかわらず、価格がそもそも価値表現であることをやめるにいたるほどの矛盾――をも宿しうる。それ自体としては商品でないもろもろの物、たとえば良心、名誉などが、その所有者によって貨幣で売られる物となり、こうしてその価格を通して商品形態を受け取ることがありうる。だから、ある物は、価値をもつことなしに、形式的に価格をもつことがありうる。価格表現は、ここでは、数学上のある種の大きさと同じように想像的なものとなる。他方、想像的な価格形態、たとえば、なんの人間的労働もそれに対象化されていないためになんの価値ももたない未耕地の価格のようなものも、ある現実の価値関係、またはそれから派生した関連を潜ませていることがありうる[117]

しかし、マルクスはこの節のさいごに、再度こう強調している

価格形態は、貨幣と引き換えに商品を譲渡する可能性と譲渡する必然性とを含んでいる。他方、金が観念的価値尺度として機能するのは、金がすでに交換過程において貨幣商品として動き回っているからにほかならない。だから観念的な価値尺度のうちには、硬い貨幣が待ちかまえている[118]

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第1部:資本の生産過程

第1篇:商品と貨幣

第3章:貨幣または商品流通
第2節
流通手段

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商品流通の媒介者として、貨幣は流通手段と言う機能を受け取る[128]

a 商品の変態

すでに見たように、諸商品の交換過程は、矛盾し互いに排除しあう諸関連を含んでいる。商品の発展は、これらの矛盾を取りのぞくのではなく、これらの矛盾が運動しうる形態をつくり出す。これが、一般に、現実的諸矛盾が自己を解決する方法である[118-9]

ここで言われている「矛盾し互いに排除しあう諸関連」というのは、たぶん、第2章のつぎにあげる部分で述べられたことだろう。

立ち入って見てみると、どの商品所有者にとっても、他人の商品はどれも自分の商品の特殊的等価物として意義をもち、それゆえ、自分の商品は他のすべての商品の一般的等価物として意義をもつ。しかし、すべての商品所有者が同じことを行なうのだから、どの商品の一般的等価物ではなく、それゆえまた、諸商品は、それらが自己を価値として等置し、価値の大きさとして比較し合うための一般的相対的価値形態をもってはいない。だから、諸商品はおよそ商品として相対しているのではなく、ただ生産物または使用価値として相対しているにすぎないのである[101]

そして、この矛盾は、商品交換という社会的行為によって、貨幣という一般的等価物を生み出すことで解決されたわけだが、ここでマルクスは、商品の交換という行為がもつ本質をより深く分析していく。

交換過程が、諸商品を、それらが非使用価値である人の手から、それらが使用価値である人の手に移行させる限りにおいて、それは社会的素材変換である。ある有用な労働様式の生産物が他の有用な労働様式の生産物に取って代わる[119]

「社会的素材変換」は、商品交換によってどのように生じているのか

交換過程は、商品と貨幣とへの商品の二重化を、すなわち、諸商品がそれらに内在する使用価値と価値との対立をそこに表わす外的対立を生み出す。この対立においては、使用価値としての諸商品が交換価値としての貨幣に相対する。他方、この対立の両側は商品であり、したがって使用価値と価値との統一である。しかし、区別のこの統一は、両極のそれぞれに逆に自己を表わしており、そうすることによって同時に両者の相互関連を表わしている。商品は、実在的には使用価値であり、その価値存在は、価格のなかに、ただ観念的に現われるにすぎない。この価格によって商品はその実在的な価値姿態としての、対立する金と関連させられる。逆に、金材料は、価値の体化物としてのみ、貨幣としてのみ意義をもつ。それゆえ、金は、実在的に交換価値である。その使用価値は、一連の相対的価値諸表現のなかに、やはりただ観念的に現われるにすぎないのであり、この一連の相対的価値表現のなかで、金は、その実在的な使用諸姿態の全範囲である、対立する諸商品と関連させられる。諸商品のこれらの対立的な形態が、諸商品の交換過程の現実的な運動諸形態なのである[119]

ここまでは、これまで、私たちがマルクスとともにたどってきた叙述の「まとめ」である。さて、マルクスは、貨幣を仲立ちとして商品が取引される市場での一例を取り上げる。

20エレのリンネル ― 2ポンド・スターリング ― 聖書

こうして、商品の交換過程は、相対立し、かつ互いに補い合う2つの変態――商品の貨幣への転化と貨幣から商品への商品の再転化――において、行なわれる。商品変態の諸契機は、同時に、商品所有者の諸取り引き――販売、すなわち商品の貨幣との交換、購買、すなわち貨幣の商品との交換、および、両行為の統一、すなわち買うために売る――でもある[120]

この取り引きの過程は、リンネル商品をもっている人にとってみれば、価値は同じだけれども、リンネルとは有用性のちがう別の商品を手に入れた、ということである。貨幣を仲立ちにしたこの商取引は、かれの労働生産物であるリンネルと他人の労働生産物である聖書との交換を媒介しているということで、

その素材的内容からすれば、W―W、すなわち商品と商品との交換であり、社会的労働の素材変換であり、その結果のなかでは過程そのものが消えうせている[120]

実際の商品の交換過程は、つぎのような形態変換において行なわれる。

商品―貨幣―商品

W ― G ― W

W―G。商品の第一の変態または販売

商品価値が商品のからだから金のからだに飛び移ることは、私が別のところで名づけたように、商品の“命がけの飛躍”である[120]

ここでマルクスが指している「別のところ」というのは注にあるとおり『経済学批判』のなかで述べたところだ。

商品Wは、たんに特殊な使用価値、たとえば1トンの鉄としてだけではなく、また一定の価格をもつ使用価値、たとえば3本と17シリング10ペンス1/2、すなわち1オンスの金という価格をもつ使用価値としても、流通過程にはいる。この価格は、一方では、鉄にふくまれている労働時間の量、すなわち鉄の価値の大きさの指数であるが、それと同時にまた、金になりたいという鉄の敬虔な願望、すなわち鉄そのものにふくまれている労働時間という姿をあたえたいという願望を表現している。もしこの化体が成功しないならば、1トンの鉄は商品でなくなるだけでなく、生産物でもなくなる。なぜならば、鉄はその所有者にとって非使用価値であるからこそ商品なのであり、言いかえれば、彼の労働は、他人にとっての有用労働としてだけ現実的労働であり、抽象的一般的労働としてだけ彼にとって有用であるからである。だから、鉄または鉄の所有者の任務は、商品世界で鉄が金をひきつける場所を見つけることである。しかしこの困難、商品の命がけの飛躍は、この単純な流通の分析で想定されているように、販売が実際におこなわれれば克服される。1トンの鉄は、その譲渡によって、すなわちそれが非使用価値である人の手から使用価値である人の手に移ることによって、使用価値として実現されるが、それと同時にその価格を実現して、ただ表象されただけの金から現実の金となる(『経済学批判』第1部第2章B貨幣の度量単位にかんする諸理論2流通手段(a)商品の変態[70-71])

「販売が実際におこなわれる」ということは、売り手が実際に貨幣を手に入れるということだが、貨幣を「他人のポケット」[121]から引き出すということは、容易ならざることである。まさに“命がけの飛躍”……。

マルクスは、この困難とその克服の過程を、商品生産社会における私的生産労働の社会性――この社会に特有の「分業」形態の特徴という観点から分析し、実際の市場における丁丁発止の緊迫感あるやりとりをリアルに再現している。

こうして、商品は貨幣を恋い慕うが、「“まことの恋が平穏無事に進んだためしはない”」。分業体系のうちにその“ひきさかれたる四肢”を示している社会的生産有機体の量的編成は、その質的編成と同じく、自然発生的・偶然的である。それゆえ、わが商品所有者たちは、彼らを独立の私的生産者にするその同じ分業が、社会的生産過程とこの過程における彼らの諸関係とを彼ら自身から独立のものとすること、諸人格相互の独立性が全面的物的依存の体制によって補完されていること、を見いだすのである。

分業は、労働生産物を商品に転化させ、そうすることによって、労働生産物の貨幣への転化を必然にする。同時に、分業は、この全質変化が成功するかどうかを偶然にする。とはいえ、ここでは、現象を純粋に考察しなければならず、それゆえその正常な進行を前提しなければならない。いずれにせよ、およそ過程が進行するならば、したがって、商品が売れなくなるのでない限り、商品の形態変換はつねに行なわれる。もっとも、異常な場合には、この形態変換において実体――価値の大きさ――が減らされたり増やされたりすることはあるだろうが[122]

さて、W―G、商品と金との交換は、商品にとっては金というその商品の“一般的価値姿態”と交換される、ということであり、金にとっては商品というその使用価値の一つの“特殊的姿態”と交換される、ということである。

金が貨幣としてリンネルに対応しているのは、リンネルの価格=貨幣名が貨幣としての金にリンネルを関連させているからである。だから、W―Gとは、

商品の価格においてただ表象されているだけの金を、その商品の使用価値が現実に引き寄せる

ということを意味する。

商品価格の実現、あるいは商品の単に観念的なだけの価値形態の実現は、同時に、逆に、貨幣の単に観念的なだけの使用価値の実現であり、商品の貨幣への転化は、同時に貨幣の商品への転化である。同じ一つの過程が二面的な過程なのであり、一方の極、商品所有者からは販売であり、対極、貨幣所有者からは購買である。言い換えれば、販売は購買であり、W―Gは同時にG―Wである[123]

金が貨幣材料としての地位を占めるにいたると、鉱山などから産出され、ほかの労働生産物と交換されて、いったん商品市場に入った瞬間から、金は、商品価格をその実体でもって表わすことになる。

金の産源地での金と商品との交換を別にすれば、金は、どの商品所有者の手中においても、譲渡された彼の商品の脱皮した姿態であり、販売すなわち第一の商品変態W―Gの産物である[123]

この起点から、W―G―Wの連続運動が始まる。

わがリンネル織布者がその商品を譲渡して得た2枚の金貨は、1クォーターの小麦が転化した姿態であると仮定しよう。リンネルの販売W―Gは、同時にその購買G―Wである。だが、リンネルの販売としては、この過程は、その反対の過程、聖書の購買によって終わる一つの運動を始動させる。リンネルの購買としては、この過程は、その反対の過程、小麦の販売によって始まった一つの運動を終わらせる。W―G(リンネル―貨幣)、すなわちW―G―W(リンネル―貨幣―聖書)のこの最初の局面は、同時に、G―W(貨幣―リンネル)、すなわちW―G―W(小麦―貨幣―リンネル)というもう一つの運動の最後の局面である。一つの商品の第一の変態、すなわち商品形態から貨幣への商品の転化は、つねに同時に、別の商品の第二の対立的な変態であり、貨幣形態から商品へのその商品の再転化である[124]

G―W。商品の第二の、または最後の変態、すなわち購買

貨幣は、他のすべての商品の脱皮した姿態であり、言い換えれば、それらの一般的譲渡の産物であるから、絶対的に譲渡されうる商品である[124]

第一の商品の変態である、販売にたいして、購買という商品の変態は絶対的にその転化が保障されている。それはなにより、貨幣が、「直接的交換可能性」の一般的形態であり、一般的等価形態であるからに他ならない。

貨幣は、一方では売られた商品を代表するとすれば、他方では買われうる諸商品を代表する[124]

“命がけの飛躍”とマルクスが形容した販売という商品変態と、この購買という商品変態との相違は、マルクスの次の指摘に集中的に表わされている。

商品生産者は単一の生産物だけを供給するので、それをしばしば大量に販売するが、他方、彼は、彼の多面的な欲求に迫られて、実現された価格または入手した貨幣額を絶えず、多数の購買に分散しなければならない。だから、一つの販売は、さまざまな商品の多数の購買になっていく。こうして、一つの商品の最後の変態は、他の諸商品の最初の諸変態の総和をなす[125]

一つの商品の総変態過程――四つの終点と三人の契約当事者

“販売は購買であり、購買は販売である”――商品流通の内部では、売り手と買い手とは、決して固定的な役割を担っているわけではない。

商品所有者は、販売の担当者としては売り手になり、購買の担当者としては買い手になる。しかし、商品のどちらの転化においても、商品の両形態、商品形態と貨幣形態とが、相対立する両極に分かれながらも同時に実存するのと同じように、同じ商品所有者にたいして、売り手としての彼には別の買い手が、買い手としての彼には別の売り手が、相対する。同じ商品が二つの相反する転化をつぎつぎに経過し、商品から貨幣になり、また貨幣から商品になるのと同じように、同じ商品所有者が売り手の役割と買い手の役割とをつぎつぎに取り替える[125]

最初に商品にはその価値姿態としての貨幣が相対するが、この価値姿態は、向こう側の他人のポケットのなかに物的な堅固な実在性をもっている。こうして、商品所有者に貨幣所有者が相対する。つぎに、商品が貨幣に転化すると、貨幣は商品の一時的等価形態となり、この等価形態の使用価値または内容は、こちら側の他の諸商品体のうちに実存する。第一の商品転化の終点としての貨幣は、同時に第二の商品転化の出発点である。こうして第一幕の売り手は第二幕では買い手となり、そこでは彼にたいしてある第三の商品所有者が売り手として相対する[125]

商品流通と直接的な生産物交換との本質的なちがい

リンネル織布者は、リンネルを聖書と、すなわち自分の商品を他人の商品と、無条件に交換した。しかし、この現象はただ彼にとって真であるにすぎない。冷やすものよりも温かくするものを好む聖書の売り手は、聖書と引き換えにリンネルを得ようなどとは考えもしなかった。それは、ちょうど、リンネル織布者が、彼のリンネルと交換されたのが小麦であったことなどは知らないのと同じである[126]

商品流通の内部において成立している商品と商品の交換、すなわち「社会的生産物の素材変換」は、それが貨幣を仲介しているために、それぞれの商品所有者が、所有する商品を互いに交換し合うわけではない。彼らは、自分の商品が、何と交換されるのか、直接的には知りようがないし、知る必要もない。このことは、

一面では、商品交換が直接的な生産物交換の個人的場所的制限を打ち破り、人間的労働の素材変換を発展させる。他面では、当事者たちによっては制御不可能な、社会的な、自然的諸関連の全範囲が発展する[126]

“カネは天下のまわりもの”という言葉があるけれども、貨幣がいったん流通過程のなかに入ったら、そのときから、商品と商品の変換の間を取り持ち、それぞれの商品所有者とは別の第三者の手を介する。このような過程の連続する総過程が商品流通過程である。

流通過程は、直接的な生産物交換と違って、使用価値の場所または持ち手の変換によって消失するものではない。貨幣は、商品が立ちのいた流通上の場所につねに沈殿する。……商品による商品の置き換えは、同時にある第三者の手に貨幣商品を付着させる。流通はつねに貨幣を発汗する[127]

販売と購買との同一性――その本質

商品交換社会のなかでは、販売は購買であり、購買は販売である。商品流通は販売と購買との均衡をもたらす、ということは、実際の販売の件数と購買の件数が同じだということを言っているのであって、その限りでは同義反復である。さて、しかし、

販売と購買は、二人の対極的に対立する人物、すなわち商品所有者と貨幣所有者とのあいだの相互関係としては一つの同一の行為である。それらは、同じ人物の行動としては二つの対極的に対立する行為をなす。だから、販売と購買との同一性は、もしも流通の錬金術的蒸留器に投げ入れられた商品が貨幣として出てくるのでなければ、すなわち商品所有者の売るところとならず、したがって貨幣所有者によって買われないならば、その商品は無用になるということを含んでいる。さらに、その同一性は、この過程がもしも成功すれば、それは一つの休止点を、商品の生涯の長いこともあれば短いこともある一時期を、なすということを含んでいる[127]

だれも、別の人が買わなければ、売ることができない。しかし、だれも、自分自身がすでに売ったからといって、ただちに買う必要はない。流通は生産物交換の時間的、場所的、個人的制限を打ち破るが、それはまさに、生産物交換の場合に存在する、自分の労働生産物の譲渡と他人の労働生産物の入手との直接的同一性が、流通によって販売と購買との対立に分裂させられることによってである[127]

このことの重大な矛盾、矛盾であり、商品流通の発展を促す本質、だからこそ、商品生産社会のかかえる深刻さというのを、マルクスはつぎのように指摘している。ただし、ここでは、まだそれを、つまり“恐慌”という矛盾の爆発点を全面的に分析、展開するには、まだ早すぎるので、匂わせる程度であるが。しかし、貨幣の流通手段としての機能のなかに、すでにその萌芽があるのだ、という指摘は、たいへん衝撃的だ。

自立して互いに相対している諸過程が一つの内的な統一をなしているということは、とりもなおさず、これらの過程の内的な統一が外的な諸対立において運動するということを意味する。互いに補い合っているために内的に非自立的であるものの外的な自立化が、一定の点まで進むと、統一が強力的に自己を貫徹する――恐慌によって。商品に内在的な対立、すなわち使用価値と価値との対立、私的労働が同時に直接に社会的労働として現われなければならないという対立、特殊的具体的労働が同時に直接に社会的労働として現われなければならないという対立、物の人格化と人格の物化との対立――この内在的矛盾は、商品変態上の諸対立においてそれの発展した運動諸形態を受け取る。だから、これらの形態は、恐慌の可能性を、とはいえただ可能性のみを、含んでいる。この可能性の現実性への発展は、単純な商品流通の立場からはまだまったく実存しない諸関係の全範囲を必要とする[127-8]

b 貨幣の通流
流通部面での貨幣の運動

訳注に示されているとおり、ここで“通流”と訳されている言葉は、本来、貨幣のたどる「過程または経路」という意味で使用されているとのこと。“流通”とはまったく別の過程を意味する。

商品流通によって貨幣に直接与えられる運動形態は、貨幣が絶えずその出発点から遠ざかること、ある商品所有者の手から別の商品所有者の手に移っていくこと、すなわち貨幣の通流である[129]

この貨幣の運動は、錯覚を生みだす。この運動が、その本質とは反対の概観を生みだすからだ。

貨幣は、絶えず商品の流通場所で商品に取って代わり、それによって貨幣自身の出発点から遠ざかることにより、諸商品を絶えず流通部面から遠ざける。それゆえ、貨幣の運動は商品流通の表現にすぎないにもかかわらず、逆に商品流通が貨幣の運動の結果にすぎないものとして現われるのである[130]

この貨幣の運動を、マルクスは、さきの「a 商品の変態」で分析された、第一の変態と第二の変態とのちがいにもとづいて解説している。

商品の第一の変態は、貨幣の運動としてだけでなく、商品自身の運動としても目に見えるが、商品の第二の変態は、ただ貨幣の運動としてしか目には見えない。商品は、その流通の前半においては、貨幣と場所を換える。それと同時に、商品の使用姿態は、流通から脱落して消費にはいる。商品の価値姿態または貨幣仮面が商品に取って代わる。流通の後半を、商品は、もはやそれ自身の生まれながらの外皮ではなく、金の外皮に包まれて通り抜ける。それとともに、運動の連続性はまったく貨幣の側に帰することになり、商品にとっては二つの相対立する過程を含むその同じ運動が、貨幣自身の運動としては、つねに同じ過程を、すなわち貨幣がつねに別の商品と行なう場所変換を、含む[129-130]

商品の「変態」が貨幣の「場所変換」に反映される。W―G―Wで表わされる商品の形態変換は、その方向とは反対方向への貨幣の場所変換という運動に反映されている。
流通はどれだけの貨幣を吸収するか

どの商品も、流通へのその第一歩によって、その第一の形態変換によって、流通から脱落し、そこにはつねに新しい商品がはいってくる。これにたいして、貨幣は、流通手段として絶えず流通部面に住みつき、絶えずそこをかけめぐっている。そこで、流通部面はどれだけの貨幣を絶えず吸収するのか、という問題が生じる[131]

ここで考察されている商品流通の段階では、金や銀などの貨幣が直接商品と対置される。だから、その社会でどれだけの貨幣が必要かということは、その社会の商品の価格の総額で規定されるはずだ。ただし、価格と貨幣材料の価値とのあいだの相互関係からして、貨幣材料の価値の変動によって、商品の価格も変動するから、当然、流通が吸収できる貨幣の総量もそれにともなって変動する。

流通手段の総量における変動は、この場合、確かに貨幣そのものから生じるけれども、流通手段としての貨幣の機能から生じるのではなく、価値尺度としての機能から生じるのである。諸商品の価格がまず貨幣の価値に反比例して変動し、次に流通手段の総量が諸商品の価格に正比例して変動する[131]

なぜこのことが強調されているのだろう。先を読み進めていって、マルクスの問題意識の一端がここにあるのではないか、と考えたのが、すぐあとのつぎの叙述。

新しい金銀産源地の発見に続いて生じた事実の一面的観察は、17世紀およびことに18世紀に、商品価格が上昇したのはより多くの金と銀とが流通手段として機能したからであるという誤った結論に導いた[132]

さて、金などの貨幣材料の価値がある与えられた大きさであると前提されれば、貨幣総量は、商品の価格総額によって規定される。そして、すべての商品の価格がある与えられた大きさであると前提されれば、商品の価格総額は、流通している商品量によって決まる。だから、

商品総量を与えられたものと前提すれば、流通する貨幣の総量は、諸商品の価格変動に応じて、増減する[132]

諸商品の価格変動が現実の価値変動を反映しようと、単なる市場価格の動揺を反映しようと、流通手段の総量にたいする影響は同じである[132]

貨幣通流の速度

1クォーターの小麦―2ポンド・スターリング―20エレのリンネル―2ポンド・スターリング―1冊の聖書―2ポンド・スターリング―4ガロンのウィスキー―2ポンド・スターリング

これはマルクスがこの節でよく取り上げる例だが、

この2ポンド・スターリングは、4回の通流をなしとげる[133]

この過程が経過する、相対立し、互いに補い合う諸局面は、空間的に並存することはできず、ただ時間的に継起することができるだけである。それゆえ、期間がこの過程の継続の尺度をなす。あるいは、与えられた時間内における同じ貨幣片の通流の回数が、貨幣通流の速度をはかる[133]

流通のある与えられた期間については――諸商品の価格総額/同名の貨幣片の通流回数=流通手段として機能する貨幣の総量となる[133]

この貨幣の通流速度が表わすものはなにか。

貨幣通流一般には、諸商品の流通過程だけが、すなわち相対立する諸変態を通しての諸商品の循環だけが現われるとすれば、貨幣通流の速さには、諸商品の形態変換の速さが、諸変態系列の連続的なからみ合いが、素材変換のあわただしさが、流通部面からの諸商品の急速な消滅と新しい商品による同じく急速な置き換えが、現われる[134]

流通する貨幣の総量を規定する三つの要因

価格の運動、流通する商品の総量、そして最後に、貨幣の通流速度という三つの要因は、さまざまな方向とさまざまな割合で変化しうる。したがって、実現されるべき価格総額、それゆえ、それによって制約される流通手段の総量は、非常に多くの組み合わせを取りうる[135]

さまざまな要因の変化は相互に相殺されうるから、それらの要因が絶えず動揺しているにもかかわらず、実現されるべき商品価格の総額は、したがってまた流通する貨幣の総量も、一定不変のままである。だから、ことにかなり長い期間を考察すれば、各国において流通する貨幣総額の平均水準が、外見から予想されるよりは、はるかに一定していること、また、周期的には生産恐慌や商業恐慌から生じ、まれには貨幣価値そのものの変動から生じる激しい攪乱をのぞけば、この平均水準からの偏差が、同じく予想されるよりはるかに小さいことがわかる[136]

流通手段の量は、流通する商品の価格総額と貨幣通流の平均速度とによって規定されるという法則は、諸商品の価値総額が与えられていて、それらの変態の平均速度が与えられていれば、通流する貨幣または貨幣材料の量はそれ自身の価値によって決まる、というように表現することもできる[136-7]

これにたいして、

商品価格は流通手段の総量によって、その流通手段の総量はまた一国に存在する貨幣材料の総量によって、規定される

という学説がある。これは、当初、より端的に、

世界における金銀の総量と世界における商品の総額とを比較すれば、個々の生産物または商品は、金銀の一定部分と比較されうる……世界にただ一つの生産物または商品しか存在せず、または買いうる商品がただ一つしか存在せず、またそれが貨幣のように分割可能であると仮定すれば、この商品のこの部分は貨幣の総量のある部分に相当し……諸物の価格の決定は、根本的にはつねに、貨幣章標全体にたいする諸物全体の割合に依存する【モンテスキュー『法の精神』第3巻、12-3ページ】[138]

という見解に現われているように、

商品は価格なしに、貨幣は価値なしに、流通過程にはいり、次にそこにおいて、ごたまぜの商品群の一可除部分が山をなす金属の一可除部分と交換される[138]

というあやまった仮説に根ざしている。これは、貨幣となる金銀も商品である、ということが見抜けなかったために生まれたあやまりであった。商品と貨幣は相対立して眼前に立ち現われるので、そのようなあやまりに陥りやすかったのだろう。
c 鋳貨。価値章標

はじめは地金のまま使われていた貨幣は、取引がさかんになり、流通手段としての機能が発揮されればされるほど、そのままでは日常の取引には不便になってくる。そこで、政府が、一定の品質と重量をもつ貴金属を一定の形に鋳造するようになる。鋳貨とは、造幣された貨幣のこと。

造幣業務はそれぞれの国の政府によって行なわれるから、その品質や重量の基準もそれぞれの国によってちがう。しかし、この鋳貨がいったん国の外に出て行くと、造幣された国での命名も基準も関係なくなり、ほんらいの金属重量が唯一の基準として機能するようになる。ここにはすでに、商品流通の国内的部面と世界市場的部面との分離が現われている、ということが言える。そして、このことは、

金鋳貨と金地金とは、もともとただ外形によって区別されるだけであり、金は一方の形態から他方の形態に絶えず転化することができる[139]

ということも現わしている。だが、しかし……
鋳貨のもつ宿命

造幣局から出ていく道は、同時に坩堝への歩みでもある。すなわち、通流しているうちに、金鋳貨は、あるものはより多く、あるものはより少なく、摩滅する。金の肩書きと金の中身とが、名目純分と実質純分とが、その分離過程を歩み始める。同名の金鋳貨でも、重量が異なるために、価値が等しくなくなる。流通手段としての金は、価格の度量基準としての金から背離し、したがってまた、諸商品――金がこれらの商品の価格を実現するのであるが――の現実的等価物であることをやめる[139]

そしてこのことは、“実質純分”となる鋳貨を、“名目純分”である公称金属純分の象徴に転化させる。金属目減りの程度によっては、その鋳貨を通用不能にする必要がでてくる。日本でも、金本位制がとられていた当時、明治30(1897)年に発効した「貨幣法」という法律にその定めがある。

[貨幣の製造発行権]

第一条 貨幣ノ製造及発行ノ権ハ政府ニ属ス

[単位]
第二条 純金ノ量目七百五十ミリグラムヲ以テ価格ノ単位ト為シ之ヲ円ト称ス

[貨幣の品位]

第五条 貨幣ノ品位ハ左ノ如シ

一 金貨幣    純金九百分参和銅一百分

二 銀貨幣    純銀七百二十分参和銅二百八十分

三 ニツケル貨幣 純ニッケル

四 青銅貨幣   銅九百五十分錫四十分亜鉛十分

[貨幣の量目]

第六条 貨幣ノ量目ハ左ノ如シ

一 二十円金貨幣  十六・六六六六グラム

二 十円金貨幣    八・三三三三グラム

三 五円金貨幣    四・一六六六グラム

四 五十銭銀貨幣   四・九五グラム

五 二十銭銀貨幣   一・九八グラム

六 十銭ニツケル貨幣 四グラム

七 五銭ニツケル貨幣 二・八グラム

八 一銭青銅貨幣   三・七五グラム

九 五厘青銅貨幣   二・一グラム

[金銀貨幣の純分の公差]

第九条 金銀貨幣純分ノ公差ハ金貨幣ハ一千分ノ一銀貨幣ハ一千分ノ三トス

[金銀貨幣の量目の公差]

第十条 金銀貨幣量目ノ公差ハ左ノ如シ

一 金貨幣二十円ハ毎斤〇・〇三二四グラム一千枚毎ニ三・一一二五グラム十円ハ毎斤〇・〇二二六八グラム一千枚毎ニ二・三二五グラム五円ハ毎斤〇・〇一六二グラム一千枚毎ニ一・五三七五グラムトス

二 銀貨幣五十銭ハ毎斤〇・〇六四一二グラム一千枚毎ニ三・九九九七五グラム二十銭ハ毎斤〇・〇四〇一二グラム一千枚毎ニ一・九九九八七グラムトス

[金貨幣の通用最軽量目]

第十一条 金貨幣ノ通用最軽量目ハ二十円金貨幣十六・五七五グラム十円金貨幣八・二八七五グラム五円金貨幣四・一四三七五グラムトス

金属以外の材料からなる貨幣の登場

貨幣通流そのものが、鋳貨の実質純分を名目純分から分離し、その金属定在をその機能的定在から分離するとすれば、鋳貨機能においては、金属貨幣に代わって他の材料からなる標章または象徴が登場する可能性を、貨幣通流は潜在的に含んでいる[140]

さきに紹介した「貨幣法」にも補助鋳貨の規定が現われているが、金という高級金属の代替物として、銀やニッケル、青銅というようなより低級な金属による鋳貨が通流するという事情の中に、その可能性が潜んでいる。

銀製または銅製の標章の金属純分は、法律によって任意に規定される。それらは、通流するうちに、金鋳貨よりもいっそう急速に摩滅する[140]

マルクスがさきに指摘しているが、低級金属による鋳貨が補助鋳貨として使用されるのは、商品流通が、それだけ小規模に絶え間なく繰り返されるようになっている領域である。鋳貨の流通の速度もそれだけ速いので、鋳貨の摩滅度も当然、大きいということになる。

だから、それらの鋳貨機能は、それらの重量とは、すなわちおよそ価値とは、事実上まったくかかわりのないものとなる。金の鋳貨定在は、その価値実体から完全に分離する。こうして、相対的に無価値な物、すなわち紙券が、金の代わりに鋳貨として機能することができるようになる[140-1]

念をおして、マルクスはつぎのようにことわりがきをしている。

ここで問題となるのは、強制通用力をもつ国家紙幣だけである。それは直接に金属流通から発生する。これにたいして、信用貨幣は、単純な商品流通の立場からいってわれわれのまだまったく知らない諸関係を想定する。しかし、ついでに述べておけば、本来の紙幣が流通手段としての貨幣の機能から生じるとすれば、信用貨幣は、支払手段としての貨幣の機能に、その自然発生的な根源をもっている[141]

“支払手段としての貨幣”というカテゴリーは、まだわれわれの考察外のカテゴリーである。
なぜ貨幣は無価値な章標に置き換えられうるのか

1ポンド・スターリング、5ポンド・スターリングなどといった貨幣名が印刷された紙券が、国家によって外部から流通過程に投げ込まれる。それらが現実に同名の金総額に代わって流通する限り、それらの運動には貨幣通流そのものの法則だけが反映する[141]

したがって、紙幣は、それが表わす流通部面の金または銀の総量に応じて、発行を制限されるべきである。ところで、現実に流通している金の量は、一定の平均水準をもってはいるものの、絶えずその上下に変動している。しかし変動するとはいえ、ある一国に流通している金の総量は、一定の最小限よりも下がることはない。だから、やはり、この最小総量は、紙幣によって置き換えることが可能なはずだ。

これにたいして、もしもきょうすべての流通水路がその貨幣吸収能力の最大限にまで紙幣で満たされるとすれば、あすは、商品流通の変動の結果、水路があふれるかもしれない。限度はすべて失われる。しかし、紙幣がその限度を、すなわち流通したはずの同名の金鋳貨の量を超過するならば、全般的信用崩壊の危険は別にして、紙幣は、商品世界の内部では、やはりただ、この世界の内在的諸法則によって規定された金量を、したがってまたちょうど代理されうるだけの金量を、表わすにすぎない。もしも紙券の総量が、たとえば、1オンスずつの金の代わりに2オンスずつの金を表わすとすれば、たとえば1ポンド・スターリングは、事実として、約1/4オンスの金の代わりに約1/8オンスの金の貨幣名になる。結果は、金が価格の尺度というその機能の点で変更をこうむったのと同じである。それゆえ、以前は1ポンド・スターリングという価格で表現された同じ価値が、いまでは2ポンド・スターリングという価格によって表現されるのである[142]

紙幣は、あくまで貨幣章標であるということ。紙幣が価値章標として機能するのは、価値分量でもある金分量を紙幣が代理する限りでのことなのである。

紙幣の登場は、商品交換の発展にともなう貨幣の登場と、その貨幣通流速度の増大による鋳貨形態の登場の必然的帰結だったわけだが、一国において、紙幣によって置き換え可能な最小総量の金貨幣は、持続的に流通手段として機能していることが前提となっている。

したがって、その運動は、商品変態W―G―W――そこでは、商品の価値姿態は、ただちにふたたび消えうせるためにのみ、商品に相対する――の相対立する諸過程の継続的相互転換を表わすだけである。商品の交換価値の自立的表示は、ここでは一時的契機でしかない。この自立的表示はただちにふたたび別の商品によって置き換えられる。だから、貨幣を絶えず一つの手から別の手に遠ざける過程においては、貨幣の単なる象徴的実存でも十分なのである……貨幣の章標に必要なのは、それ自身の客観的社会的妥当性だけであり、紙製の象徴はこの妥当性を強制通用力によって受け取る[143]

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第1部:資本の生産過程

第1篇:商品と貨幣

第3章:貨幣または商品流通
第3節
貨幣

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ここで「貨幣」と訳されているのは、訳注によると、定冠詞なしの「貨幣」、貨幣としての金または銀そのものをさしている。このような形態で、金が機能するのは、まず、金が貨幣商品として現われる場合、したがって、価値尺度としてでもなければ流通手段としてでもなく現われる場合。また、金の貨幣としての機能が、金そのものを唯一の価値姿態として、ほかのすべての商品にたいして固定する場合。
a 蓄蔵貨幣の形成

商品変態の連続的循環、つまり販売と購買との絶え間ない転換は、貨幣の絶え間ない通流に現われるが、それが中断され、販売が購買に転換されなくなるやいなや、貨幣は固定され、鋳貨から、この節の表題で使用されるところの「貨幣」に転化される。

商品流通のそもそもの始まりにおいては、使用価値の過剰分だけが貨幣に転化される。こうして、金銀は、おのずから、あり余るものの、または富の、社会的表現となる[144]

商品流通そのものの最初の発展とともに、第一の変態の産物である、商品の転化された姿態または商品の金蛹を固持する必要と情熱とが発展する。商品を買うためにではなく、商品形態を貨幣形態に置き換えるために、商品が売られる。この形態変換は、素材変換の単なる媒介から目的そのものになる。商品の脱皮した姿態が、商品の絶対的に譲渡されうる姿態または単に一時的な貨幣姿態として機能することをさまたげられる。こうして、貨幣は蓄蔵貨幣に化石し、商品販売者は貨幣蓄蔵者になる[144]

そして、この傾向は、商品生産が発展するにつれていっそう激しくなる。

彼の欲求は絶えず更新され、他人の商品を絶えず買うことを命じるが、他面では彼自身の商品の生産と販売は時間を要し、また偶然に左右される。売ることなしに買うためには、彼は、あらかじめ、買うことなしに売っていなければならない[145]

「買うことなしに売る」という行為は、まず貨幣材料の産源地で、金銀の所有者と商品所有者とのあいだで行なわれる。これを起点にして、これ以降の「買うことなしに売る」行為が、商品所有者のあいだに貨幣材料を再配分してゆくのである。

こうして、交易のすべての地点に、きわめて種種さまざまな規模での金銀の財宝が生まれる。商品を交換価値として、または交換価値を商品として固持する可能性とともに、黄金欲が目覚める。商品流通の拡大とともに、貨幣――富の、いつでも出動できる、絶対的社会的な形態――の力が増大する[145]

第1部のさいしょに、マルクスは、「商品は富の要素をなす」といったが、いまや、より厳密に

使用価値としての商品は一つの特殊な欲求を満たし、素材的富の一つの特殊な要素をなす[147]

と叙述されている。「使用価値としての商品」が「素材的富」の要素をなすとすれば、一方、

商品の価値は、素材的富のあらゆる要素にたいしてその商品がもつ引力の程度をはかる尺度となり、それゆえ、その商品の所有者がもつ社会的富の尺度となる[147]

さらに、

蓄蔵貨幣形成の衝動は、その本性上、限度を知らない[147]

それはなにより、貨幣がどの商品にもすぐに転化されうるという性質をもっており、「素材的富の一般的代表者」というその形態からして、無制限であること、しかし、一方で、現実の貨幣というものは量的な制限をうけているので、それ自体としては「素材的富の一般的代表者」という効力を制限されている購買手段であること、による。この「貨幣の量的制限と質的無制限性とのあいだの矛盾」が、貨幣蓄蔵者に絶え間ない、貨幣の蓄積衝動を呼び起こす。

貨幣を蓄蔵するためには、まず貨幣を購買手段として使わないようにしなければならず、また、たくさん生産し販売して、商品流通の流れの中から貨幣を引き上げなければならない。

だから、勤勉、節約、および貪欲が彼の主徳をなし、たくさん売って少ししか買わないことが、彼の経済学の総括をなす[147]

蓄蔵貨幣の直接的形態とならんで、その審美的形態、すなわち金銀製品の所有が行なわれる。それは、ブルジョア社会の富とともに成長する……こうして、一面では、金銀の絶えず拡大される市場が、金銀の貨幣諸機能からは独立に形成され、他面では、ことに社会的な暴風雨の時期に流出する貨幣の潜在的な供給源が形成される[147-8]

金属貨幣が流通する経済において蓄蔵貨幣が果たす機能について、マルクスはつぎのように分析している。

蓄蔵貨幣の貯水池は、同時に、流通している貨幣の流出および流入の水路として役立ち、それゆえ、流通する貨幣は、その通流水路から決してあふれ出ないのである[148]

商品流通の規模、価格、速度が絶えず変動するのにつれて、貨幣通流総量も絶えず変動するから、貨幣は、あるときは流通の中に鋳貨として引き寄せられ、あるときは流通から、固定された「貨幣」としてはじき出される。蓄蔵貨幣形態は、その調整弁の役割を果たしているのである。
b 支払手段

これまでに考察された商品流通の直接的形態においては、同一の価値の大きさがつねに二重に存在した。一方の極における商品と対極における貨幣と。それゆえ、商品所有者は、双方の側に現存する等価物の代理人として接触しただけであった。しかし、商品流通の発展とともに、商品の譲渡がその商品の価格の実現から時間的に分離される諸関係が発展する[149]

一方の商品所有者は現存する商品を売るが、他方は貨幣の単なる代表者として、あるいは将来の貨幣の代表者として、買う。売り手は債権者となり、買い手は債務者となる。この場合には、商品の変態、または商品の価値形態の展開が変わるので、貨幣もまた一つの別の機能を受け取る。それは支払手段になる[149]

「商品の譲渡がその商品の価格の実現から時間的に分離される諸関係」について、ここではマルクスは、単純な商品流通のケースに、すでにその可能性が含まれていることを指摘している。それぞれの商品の生産にかかる時間的な差、それぞれの商品生産の時期的季節的なちがい、それぞれの商品が生産される場所の市場からの距離の差などなど。だから、

ある商品所有者は、別の商品所有者が買い手として登場するまえに、売り手として登場することがありうる[149]

債権者または債務者という役柄は、ここでは単純な商品流通から生じる。単純な商品流通の形態変化が、売り手と買い手に、この新しい刻印を押すのである。したがって、それらは、売り手と買い手という役割と同じように、さしあたり一時的な、同じ流通当事者たちによってかわるがわる演じられる、役割である。しかし、この対立は、いまや最初から、あまり気持ちのよくないもののように見え、またいっそう結晶しやすいものである[149]

支払手段としての貨幣の機能

商品と貨幣という二つの等価物が販売過程の両極に同時に現われることは、すでになくなった。いまや、貨幣は、第一に、売られる商品の価格規定における価値尺度として機能する。契約によって確定されたその商品の価格は、買い手の債務、すなわち彼が一定の期限に支払う責任のある貨幣額を示す。貨幣は第二に、観念的購買手段として機能する。それは、だた買い手の支払約束のうちにしか実存しないけれども、商品の持ち手変換を引き起こす[150]

商品流通の第一の局面――商品が貨幣姿態に転化した段階で、流通から引き上げられ、蓄蔵貨幣に転化した流通手段は、今度は支払手段として機能するが、この支払手段としての貨幣が流通にふたたび入ってくるのは、すでに商品が流通から出ていって、消費に入ってしまったあとである。だから、

貨幣は、もはや、この過程を媒介するのではない。貨幣は、交換価値の絶対的定在または一般的商品として、この過程を自立的に閉じる。売り手が商品を貨幣に転化したのは、貨幣によってある欲求を満たすためであり、貨幣蓄蔵者が商品を貨幣に転化したのは、商品を貨幣形態で保存するためであり、債務者である買い手が商品を貨幣に転化したのは、支払うことができるようになるためである……こうして、商品の価値姿態である貨幣は、いまや、流通過程そのものの諸関係から生じる社会的必然によって、販売の目的そのものになる[150]

買い手は取引商品を受け取ってから一定期間の後に代金を支払うという契約をする。このように、その商品の変態の展開の仕方が変わるのに対応して、「売り手は債権者となり、買い手は債務者となる」。商品流通の形態が新たな発展段階にいたり、商品生産者・商品所有者の経済関係が新たな発展形態を獲得するのに対応して、貨幣は支払手段という機能をもつことになる。

ところが、注(98)で指摘されているように、貨幣の「前払い」というケースでは、商品流通の新たな発展があるわけではない。それは、通常の商品流通の範囲内で、購買手段という貨幣の機能を果たしているにすぎない――つまり、これまで見てきたW―G―Wの、第二の変態――G―Wをしめしているにすぎないからだ。
支払手段の運動

流通過程のどの一定期間をとっても、そこで支払期限に達した諸債務は、諸商品――その販売によってこれらの債務が生み出されたのだが――の価格総額を表わしている。この価格総額の実現のために必要な貨幣総量は、さしあたりまず、支払手段の通流速度によって決まる。この通流速度は二つの事情によって制約される。すなわち、Aがその債務者Bから貨幣を受け取り、それをさらに自分の債権者Cに支払うというような債務者と債権者との諸関係の連鎖と、さまざまな支払期限のあいだの時間の長さとである[151]

流通手段の通流においては、売り手と買い手とのあいだの連関が表現されるだけではない。この連関そのものが、貨幣通流において、貨幣通流とともに、はじめて成立する。これにたいして、支払手段の運動は、すでにその運動以前にできあがって現存している社会的連関を表現するのである[151]

貨幣が支払手段としての機能を獲得するまでになると、貨幣の運動速度とその量とが販売と購買の広さを現わしていた状況を、変えてしまう。

諸販売の同時性と並行性は、通流速度が鋳貨総量の代わりをすることに制限を加える。それらは、むしろ逆に、支払手段の節約の一つの新しい梃子となる[151]

ここでマルクスが紹介している具体例は“振替”という決済方法だ。すでにこのシステムは中世、南フランスのリヨン(Lyon)で発生していたらしい。販売がより多く、より広く行なわれ、それらの支払いの決済を行なう固有の施設が発生してくると、決済の集中もその度合いを増す。さまざまな債権は、つき合せれば一定の額までは互いに相殺されるから、債務の差額だけが清算されればよい。

支払いの集中が大量になればなるほど、それだけその差額は、したがって流通する支払手段の総量もまた、相対的に小さくなる[151]

支払手段としての機能の矛盾

さまざまな商取引が円滑に、かつ、大量に行なわれていればいるほど、さまざまな支払いは相殺され、債務の差額はそれと対応して小さくなってゆくから、貨幣は帳簿上の数字として、まったく観念的な価値尺度として機能する。貨幣がその素材の形態で現われるのは、現実に支払いが行なわれなければならない場合だ。

商品流通が発展し、さまざまな商取引の決済システムが十分に発達してゆけばゆくほど、その連鎖の、どこか一箇所でも途切れてしまうと、決済システムの中での観念的価値尺度は、突然、実体をもつ貨幣としての機能をもとめられ、その強制力が次から次へと、システム全体に波及してゆく。一方で、通流する貨幣の総量を制限し、支払手段の節約をすすめてきた、おなじ過程が、今度は突然、大量の貨幣を要求するのである。

恐慌においては、商品とその価値姿態である貨幣との対立は絶対的矛盾にまで高められる。それゆえまた、この場合には貨幣の現象形態はなんであろうとかまわない。支払いに用いられるのが、金であろうと、銀行券などのような信用貨幣であろうと、貨幣飢饉は貨幣飢饉である[152]

ここで言われている銀行券とは、今日の私たちが目にしている日本銀行券のような不換紙幣ではなく、金と交換可能な兌換紙幣のことである。まだ、この段階では、不換紙幣は考察対象にはなっていない。

諸価格、貨幣通流の速度、および諸支払いの節約が与えられていても、ある期間、たとえば一日のあいだに通流する貨幣の総量と、流通する商品の総量とは、もはや一致しない。すでにずっとまえに流通から引きあげられた諸商品を代表する貨幣が流通する。その貨幣等価物がやっと将来になってから現われる商品が流通する。他面、日々に契約される諸支払いと、同じ日に支払期限に達する諸支払いとは、まったくつり合いのとれない大きさである[153]

信用貨幣

信用貨幣は、売られた商品にたいする債務証書そのものが債権の移転のためにふたたび流通することによって、支払手段としての貨幣の機能から直接的に生じてくる。他面、信用制度が拡大するにつれて、支払手段としての貨幣の機能も拡大する。このようなものとして、それは、大口取引の部面を住みかとする独自の実存形態を受け取り、これにたいして、金鋳貨または銀鋳貨は、主として小口取引の部面に押しもどされる[154]

商品生産が、信用貨幣などを生みだすまでの発展をとげると、貨幣の支払手段としての機能は、商品流通以外のさまざまな社会的契約の媒介物としても機能しはじめる。たとえば、地代や租税などが、現物による納付から貨幣による支払いに転化してゆく。この「現物納付から貨幣支払いへの転化」という現象が、生産過程の発展度合いに、いかに強く規定されるものであるかということを、マルクスはつぎに指摘している。

この転化が生産過程の総姿態によってどんなに強く制約されるかは、たとえば、あらゆる公課を貨幣で取り立てようとしたローマ帝国の試みが二度にわたって失敗したことで証明されている。……ルイ14世治下のフランス農民の途方もない窮乏は、重税のせいだけではなく、現物税から貨幣税への転化のせいでもあった。他面、地代の現物形態がアジア――そこではそれが同時に国税の主要な要素である――では自然諸関係と同じような不変性をもって再生産される生産諸関係にもとづいているとすれば、この支払形態は反作用的にこの旧来の生産形態を維持する。それは、トルコ帝国の自己維持の秘密の一つをなしている。もし、ヨーロッパによって押しつけられた対外貿易が、日本において現物地代の貨幣地代への転化をもたらすならば、日本の模範的な農業もおしまいである。その狭い経済的実存諸条件は解消されるであろう[154-5]

当時の日本をめぐる情勢

ここで突然日本国の名前がでてくるのだが、『資本論』第1部初版刊行の年1867年当時、日本はちょうど「大政奉還」がなされた年であった。ペリー来航、いわゆる黒船騒動が1853年。1858年にはかの「日米通商条約」が結ばれている。ここにいたって、植民地、あるいは半植民地、または従属国、またその他のさまざまな形態で、ほぼ地球全土が資本主義の渦中にのみこまれた時代だった。日本は当時、「日米通商条約」という、治外法権を認めさせられ、関税自主権を認められず、事実上の外国領土を国内に認めさせられるという、不平等条約をアメリカとむすんでいたが、これと同じ内容の条約を、オランダ、ロシア、イギリス、フランスなど、当時のヨーロッパ列強諸国とも結んでいた。日本が、半植民地市場として、欧米資本主義に従属させられようという、これまでの歴史上、まれにみる危機的状況を迎えていた。

当時、江戸市中においては“ええじゃないか”などの庶民の騒動が発生していたが、私がたいへん感動した事件が対馬をめぐる対馬島民の英雄的な自発的行動が、当時行なわれていたということだ。かなり長い引用になるけれども、ここにその事件の概要を紹介したい。

中国はアヘン戦争で香港をイギリスに奪われたが、日本でも貿易の開始と同じころ、半植民地化の危機に直面していた。それを克服したのも無名の庶民であった。

1861(文久元)年2月3日、艦長ビリレフ以下360人をのせたロシアの軍艦ポサドニック号が、鑑の修理を口実として、対馬の尾崎に来航し、ついで芋崎に上陸し、建物や井戸など永住の施設をつくりはじめた。かれらはロシアの海軍大臣コンスタンチン大公の指示のもとにこの島に海軍基地をつくるつもりで来たのである。対馬は朝鮮海峡にのぞみ、日本海と東シナ海を制圧する要衝の地である。ビリレフは、対馬藩にたいし、芋崎周辺の土地の租借、外国からの対馬防衛の約束、軍事指導の提案など、対馬を事実上ロシアの保護領にする12カ条の要求をだした。

かれらの言い分によれば、英・仏両国が対馬を共同の海軍基地とすることを決定したので、その先手をうって対馬を保護防衛するのだという。事実、イギリスの函館領事ホジソンは、対馬を「極東のペリム島」(紅海の入口にある英海軍基地)にすべきであるといい、イギリス駐日公使オールコックも「もし露鑑が同島の退去をこばむなら、英国自身がこれを占領すべきである」と本国に上申していた。

対馬藩主宋義知は、ビリレフらの動静を幕府に報告していたが、幕府は何の対策もたてられず、6月8日にはじめて長崎奉行所の役人が対馬にきて、その6日後に幕府外国奉行小栗忠順がビリレフに退去交渉にくるという対応の遅さである。

その間に現地のロシア兵は、島内各地を測量し、木材、食糧などを略奪した。この暴挙に島民はがまんできなかった。ロシア兵のボートが大船越というところを通過しようとしたので、村民は石や木材を投げて抵抗した。とくに安五郎という百姓は、勇敢に戦ったので、狙撃されて即死した。他に二人が捕らえられた。人民が殺されたという報せは、全島民に衝撃をあたえた。老人や女子を疎開させ、男子は猟銃などで武装して警備隊をつくった。肥前の田代にあった対馬藩の飛地からも、郷士や青年300人あまりが海を渡ってかけつけた。

この戦いのさなかに来島した小栗忠順は、ビリレフの要求する藩主との会見を許可して対馬を去った。やむなくビリレフと会見した藩主は、儀礼的な面会だけにとどめ、ロシアの要求は、島民の戦いにはげまされてあくまで拒否した。しかし、その藩主も幕府にたいして、対馬の代わりの土地に転封させてほしいと願い、対馬を見かぎっていた。

その間に、イギリスの駐日公使オールコックはイギリス東インドシナ艦隊の軍艦2隻を対馬に派遣して、ロシアの対馬占領に抗議した。ポサドニック号が対馬を退去したのは8月15日である。この英鑑の干渉による露鑑の退去まで、対馬が独立を守りぬくことができたのは、それまでのねばりづよい対馬島民の英雄的な戦いであった。

【加藤文三氏著『日本近現代史の発展 上』新日本出版社(24-25ページ)】

支払期限

たとえば、日本では“盆暮勘定”という言葉があるけれども、月末から月の初め、そしてとくに年の暮れや年度の終わりなどに、さまざまな決済が集中する。マルクスの指摘を読んで、なるほどと思ったのだが、こういう支払期限というものは、それぞれの国の季節の周期や、慣習などによって、多少のちがいがあるものなのだった。たとえば、アメリカの事業所を舞台にしたラブコメディなどで、クリスマス・イブ休み直前の様子が描かれているのを観たことがあったけれども、あちらでは日本でいう年の暮れが、12月23日にあたっているようだ。そして、決済が集中するこのような時期には、一時的に、貨幣が支払手段として大量に実体化する必要にせまられる。しかし、これがまったく表面的な攪乱であって、さきにマルクスが指摘した「貨幣恐慌」とは事情が異なるということを注(106)でマルクスが例証している。

1826年の議会の調査委員会でクレイグ氏は次のように述べている。「1824年の聖霊降臨節の月曜日に、エディンバラでは銀行券にたいする莫大な需要が生じたので、11時にはわれわれの手もとにはもはや1枚の銀行券もなかった。われわれは、ほうぼうの銀行につぎつぎに使いをとばして借りようとしたが、手に入れることはできなかった。多くの取り引きはやっと“書きつけ”によって清算されえただけだった。ところが、午後3時になると、もう全部の銀行券がそこから出ていった銀行にもどってきたのである。これらの銀行券は持ち手を変えたにすぎなかったのである」。スコットランドにおける銀行券の実際の平均流通高は、300万ポンド・スターリングを割っていたにもかかわらず、1年のうち何回かの支払期限日には、銀行の保有するすべての銀行券、つまり全部で約700万ポンド・スターリングの銀行券が残らず動員される。こうした場合、銀行券はただ一つの独特な機能を果たさなければならないが、いったんこの役割を果たしてしまえば、そこから出ていった各銀行に流れ帰るのである【ジョン・フラートン『通貨調節論』、第2版、ロンドン、1845年】[156]

支払手段の通流速度にかんする法則の帰結として、どんな起源をもつ支払いであろうと、すべての周期的支払いにとって必要な支払手段の総量は、諸支払期間の長さに正比例する[156]

支払手段としての貨幣の発展は、負債額の支払期限のための貨幣蓄積を必要とさせる。自立的な致富形態としての蓄蔵貨幣形成がブルジョア社会の進展とともに消失するのにたいして、支払手段の準備金の形態をとる蓄蔵貨幣形成はブルジョア社会の進展とともに逆に増大する[156]

これで、“成金趣味”という言い回しがジェントルマンにとって侮蔑的な言葉だということの意味がわかったような気がする。エジプトやチグリス(Tigris)・ユーフラテス(Euphrates)などの古代文明に特有の黄金の出土品、ラテン・アメリカ地域のインカ(Inca)、アステカ(Azteca)などの文明にも黄金文化が存在したけれども、当時の生産力が、今日の資本主義世界の生産力とは桁違いに低かったことと、黄金蓄積の程度の差との関係が、この一連のマルクスの指摘でわかったような……。なかには金丸何某などのように、金庫に金の延べ棒を後生大事にしまっておいた方もいらっしゃったようだが。
c 世界貨幣

貨幣は、国内の流通部面から外へ歩み出るとともに、国内の流通部面で成長する価格の度量基準、鋳貨、補助鋳貨、および価値章標という局地的諸形態をまた脱ぎ捨てて、貴金属のもともとの地金形態に逆もどりする……世界市場においてはじめて、貨幣は、その自然形態が同時に“抽象的”人間的労働の直接的に社会的な具現形態である商品として、全面的に機能する[156]

当時の世界経済事情を反映して、マルクスはこう続けている。

世界市場では、二重の価値尺度、金と銀とが、支配する[157]

エンゲルスは、注(108)の追記のなかで、実際に金本位の国と銀本位の国が併存する時代から、ゆくゆくは、世界市場においても金本位へとすすんでゆくだろうということを展望している。それは、マルクスがイギリスの貨幣制度の歴史を分析し、二重の価値尺度の存在の矛盾が克服される過程を展望したのと同じ理由であるが、エンゲルスの場合は、金と銀とのそれぞれの生産方法の技術革新、あるいは新たな銀鉱脈の発見や金の精錬方法の改革の、その後の実際の進展状況にもとづいている。

金を生産する労働はむしろ増大したのに、銀を生産する労働は決定的に減少したのであり、したがって、銀の価値低下はまったく当然のことである。この価値低下は、銀価格がいまもなお人為的な手段によってつり上げられていなかったとすれば、もっと大きな価格低下として表現されたであろう。だが、アメリカの銀埋蔵量はやっとその小部分が採掘できるようになっただけであるから、銀の価値がまだかなり長い間にわたって低下しつづけるという見込みが十分にある……むしろ、銀は、世界市場においても、その貨幣資格をますます失うであろう[157]

世界貨幣としての機能

世界貨幣は、一般的支払手段、一般的購買手段、および、富一般(“普遍的富”)の絶対的社会的物質化として機能する。国際収支の差額を決済するための、支払手段としての機能が、優先する[157]

どの国も、その国内流通のために準備金を必要とするように、世界市場流通のためにも準備金を必要とする。したがって、蓄蔵貨幣の諸機能は、一部は国内の流通手段および支払手段としての貨幣の機能から生じ、一部は世界貨幣としての貨幣の機能から生じる。このあとのほうの役割においては、つねに、現実の貨幣商品、生身の金銀が必要とされる[158-9]

貨幣材料の世界市場における運動

一面では、その流れは、その産源地から世界市場の全体に広がり、そこにおいてさまざまな国民的流通部面によってさまざまな規模で引き入れられ、それらの国の国内通流水路にはいり、摩滅した金銀鋳貨を補填し、奢侈品の材料を提供し、また蓄蔵貨幣に凝結する。この第一の運動は、諸商品に実現された国民的労働と貴金属に実現された金銀産出諸国の労働との直接的交換によって媒介されている。他面、金銀は、さまざまな国民的流通部面のあいだを絶えず往復する。これは、為替相場のやむことのない動揺のあとを追う運動である[159]

蓄蔵貨幣は最小限にまで制限される

ブルジョア的生産の発展している諸国は、銀行という貯水池に大量に集積される蓄蔵貨幣を、その独自な諸機能のために必要とされる最小限にまで制限する。一定の例外をのぞけば、蓄蔵貨幣の貯水池がその平均水準を超えて目立ってあふれるということは、商品流通の停滞か、または商品変態の流れの中断をさし示すものである[160]

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第1部:資本の生産過程

第2篇:貨幣の資本への転化

第4章
貨幣の資本への転化
第1節
資本の一般的定式

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単純な商品流通と資本を生成する流通とのちがい

この章では、いよいよ私たちの生活している社会、“資本主義社会”を特徴づける要素となる「資本」が登場する。マルクスは最初に、「資本」が登場するためには「商品生産」「商品流通」の発展が絶対必要条件だったことを述べている。そして、なによりも「資本」は、まず「貨幣」形態から発生するということを。

商品流通の素材的内容、すなわちさまざまな使用価値の交換を度外視して、この過程が生み出す経済的諸形態だけを考察するならば、われわれは、この過程の最後の産物として、貨幣を見いだす。商品流通のこの最後の産物が、資本の最初の現象形態である[161]

なぜ「貨幣」が「資本」に「転化」するのか――この章では、マルクスはその歴史的過程そのものを研究するのではなく、その歴史的過程に裏づけられている、論理的必然性を、貨幣を媒介とした流通形態の転換から、立証しようとしている。ここでマルクスがまず最初に提起しているのは、

貨幣としての貨幣と資本としての貨幣とは、さしあたり、それらの流通形態の相違によってのみ区別される[161]

という問題だ。

商品流通の直接的形態は、W―G―W、商品の貨幣への転化および貨幣の商品への再転化、買うために売る、である。しかし、この形態のほかにわれわれは、それとは独特に区別される第二の形態G―W―G、貨幣の商品への転化および商品の貨幣への再転化、売るために買う、を見いだす。このあとのほうの流通を描いて運動する貨幣が、資本に転化し、資本に生成するのであって、その性質規定から見てすでに資本である[162]

まずマルクスは、G―W―Gという流通形態について、それが、もう一つの形態と決定的に区別される点を指摘している。G―W―Gとは、「貨幣で商品を買いその商品で貨幣を買う」という運動であり、その結果だけをみれば、貨幣と貨幣とを交換する、ということである。だれしもわざわざ手間ひまを使って、同じ価値をもつ貨幣量どうしを交換しはしない。この運動では必ず、まずはじめに商品を買うために流通市場に投げ込まれる貨幣価値よりも、その買われた商品をさらにふたたび市場に投げ入れることで新たに流通市場から引き上げられる貨幣価値のほうが大きい、ということが期待されているのであり、実際、そういう運動が行なわれているのである。したがって、循環G―W―Gは、循環W―G―Wの一環とは、明確に区別して考察されるべき循環運動なのである。

いずれにしても彼の貨幣は、単純な商品流通での運動、たとえば、穀物を売りそれで手に入れた貨幣で衣服を買う農民の手のなかでの運動とは、まったく種類の異なる、一つの独自で特色ある運動を描いたのである。したがって、まず、循環G―W―GおよびW―G―Wとの形態上の区別の特徴を明らかにすることが重要である。この特徴を明らかにすれば、同時に、これらの形態上の区別の背後に隠れている内容上の区別も明らかになるであろう[162]

二つの形態の共通点――四つの終点と三人の契約当事者

どちらの循環も、同じ二つの相対立する局面、すなわちW―G、販売と、G―W、購買とに分かれる。この両局面のどちらにおいても、商品と貨幣という同じ二つの物的要素が相対しており、買い手と売り手という二人の同じ経済的扮装をした人物が相対している。そして、どちらの場合にも、この統一は三人の契約当事者の登場によって媒介されていて、そのうちの一人は売るだけであり、もう一人は買うだけであるが、第三の人は交互に買ったり売ったりする[163]

運動主体のちがい――貨幣の還流

とはいえ、両方の循環W―G―WとG―W―Gとをもともと区別するのは、同じ対立する二つの流通局面の順序が逆なことである。単純な商品流通は、販売で始まって購買で終わり、資本としての貨幣の流通は、購買で始まって販売で終わる。まえの場合には商品が、あとの場合には貨幣が、運動の出発点と終点をなしている。第一の形態では貨幣が、第二の形態では逆に商品が、全経過を媒介する[163]

循環「商品―貨幣―商品」の運動主体は「商品」であり、あくまで「買うために売る」、つまり最後には役立つ使用価値を得るために貨幣が支出される循環運動である。これにたいして、循環「貨幣―商品―貨幣」の運動主体は「貨幣」である。そして「売るために買う」――つまりさきほど指摘されていたように、

彼が貨幣を手放すのは、ふたたびそれを手に入れようという、ずるい下心があってのことにほかならない。それゆえ、貨幣は前貸しされるにすぎない[163]

また、循環「商品―貨幣―商品」では、この運動を媒介するのは「貨幣」である。この循環運動では、

同じ貨幣片が二度その場所を換える。売り手は、買い手から貨幣を受け取って、もう一人の別の売り手にそれを支払ってしまう。商品と引き換えに貨幣を手に入れることで始まる総過程は、商品と引き換えに貨幣を引き渡すことで終わる[163]

これにたいして、循環「貨幣―商品―貨幣」では、この運動を媒介するのは「商品」である。

この場合に二度場所を換えるのは、同じ貨幣片ではなくて、同じ商品である。買い手は、売り手から商品を受け取って、それをもう一人の別の買い手に引き渡す……同じ商品の二度の場所変換が貨幣をその最初の出発点に還流させるのである[163]

循環運動の主体のちがいは、その運動の目的のちがいを現わしている。循環「商品―貨幣―商品」が、消費の充足、ことなる使用価値を得ることを目的とする運動であるのにたいして、循環「貨幣―商品―貨幣」という運動の目的は、貨幣という「直接交換可能性」の表象、交換価値そのものだ。
循環運動G―W―Gの完全な姿

循環「商品―貨幣―商品」の両極は質の異なる使用価値である。一方、循環「貨幣―商品―貨幣」の両極は、「使用価値」のちがいがとりのぞかれている形態であって、両極を区別するのはそれらの「質」のちがいではなく、「貨幣額の大きさ」という「量」のちがいである。初めに流通に投げ込まれた貨幣額よりも、最後にふたたび引き上げられる貨幣額の方が大きいから、

この過程の完全な形態は、G―W―G'であり、このG'は、G+ΔGすなわち、最初に前貸しされた貨幣額プラスある増加分、に等しい。この増加分、または最初の価値を超える超過分を、私は剰余価値(surplus value)と名づける。それゆえ、最初に前貸しされた価値は、流通のなかで自己を維持するだけでなく、流通のなかでその価値の大きさを変え、ある剰余価値をつけ加える。すなわち自己を増殖する。そして、この運動が、それを資本に転化させるのである[165]

循環運動G―W―Gには終わりがない

買うための販売の反復または更新は、この過程そのものと同じく、この過程の外にある究極目的、消費に、すなわち特定の諸欲求の充足に、その限度と目標とを見いだす。これに反して、販売のための購買では、始まりも終わりも同じもの、貨幣、交換価値であり、そしてすでにそのことによって、その運動は無限である[166]

マルクスは注(6)のなかで、すでにアリストテレスが「貨殖術」の無限性について言及していることを紹介している。

貨殖術が追求する富にもまた限界はない。すなわち、ただ目的のための手段を追求するだけの術は、目的そのものが手段に限界を設けるので、限界がないということはないが、これにたいして、その目標が手段としてではなく最終の究極目的として意義をもつ術はすべて、その目標に絶えず近づこうとするがゆえに、その追求には限界がない。それと同様に、この貨殖術にとってもその目標に限界はないのであって、その目標は絶対的な富である【アリストテレス『政治学』、ベッカー編、第1巻、第9章】[167]

仮に、1億円が、循環運動「貨幣―商品―貨幣」により、1億1千万円になったとしよう。このさき、1億1千万円が、ある商品を購入し、消費を充足するために支出されれば、そこで循環は途切れてしまう。むしろ、循環運動「商品―貨幣―商品」の環の一つとして、貨幣の役割は終結する。また、このさき、1億1千万円が、そのまま流通から引き上げられたままであれば、それは蓄蔵貨幣となって、増殖することはない。しかし、1億円も1億1千万円も、

ひとたび価値の増殖なるものが問題となれば、増殖の欲求は……同じである。というのは、両者ともに交換価値の限定された表現であり、したがって両者ともに、大きさの増大によって富自体に近づくという同じ使命をもつからである[166]

1億1千万円は、もとの1億円とくらべれば、たしかに1億円+剰余価値1千万円というふうに分析できるけれども、形態としては、ある量的に限定された貨幣額であることにはちがいない。

運動の終わりには、貨幣がふたたび運動の始まりとして出てくる[166]

単純な商品流通――購買のための販売――は、流通の外にある究極目的、すなわち使用価値の取得、欲求の充足、のための手段として役立つ。これに反して、資本としての貨幣の流通は自己目的である。というのは、価値の増殖は、この絶えず更新される運動の内部にのみ実存するからである。それゆえ、資本の運動には際限がない[167]

人格化された資本――資本家

循環運動「貨幣―商品―貨幣」の運動主体は「貨幣」であり、この循環にはいるやいなや「資本」として機能する。この「貨幣」の運動は「貨幣」を所有する人物の、価値の増殖という目的意識を推進力としている。この「貨幣所有者」は、その瞬間から「資本家」となる。彼のポケットこそが、貨幣の還流の起点であり終点である。

彼を「資本家」たらしめているのは、彼が多くの商品所有者であるからでもなく、彼が、ある瞬間瞬間で、多くの利得を得ているということでもない。

利得することの休みのない運動のみが資本家の直接的目的[168]

なのであり、

ただ抽象的富をますます多く取得することが彼の操作の唯一の推進的動機である限りでのみ、彼は資本家として、または人格化された――意志と意識とを与えられた――資本として、機能する[168]

絶対的な致富衝動、この熱情的な価値の追求は、資本家と貨幣蓄蔵者とに共通であるが、しかし、貨幣蓄蔵者は狂気の沙汰の資本家でしかないのに、資本家は合理的な貨幣蓄蔵者である。価値の休みのない増殖――貨幣蓄蔵者は、貨幣を流通から救い出そうとすることによってこのことを追求するのであるが、より賢明な資本家は、貨幣を絶えず繰り返し流通にゆだねることによってこのことを達成する[168]

「商品形態をとることなしに貨幣が資本になることはない」

流通「商品―貨幣―商品」では、商品の価値は貨幣形態として商品交換を媒介する。そして、この循環運動の最終結果の段階には、商品価値は、貨幣形態から商品そのものに解消する。

流通「貨幣―商品―貨幣」では、この循環運動を媒介している商品は、

価値の特殊ないわばただ仮装しただけの実存様式として――機能するにすぎない[168]

また、貨幣形態は、価値の「一般的実存形態」として機能しており、

価値は、この運動のなかで失われることなく、絶えず一つの形態から別の形態へ移っていき、こうして一つの自動的な主体に転化する[169]

貨幣そのものは、ここでは価値の一つの形態として通用するだけである。というのは、価値は二つの形態をもつからである。商品形態をとることなしには、貨幣が資本になることはない。したがって、貨幣はこの場合には、蓄蔵貨幣形成の場合のように商品にたいして敵対的に登場することはない[169]

単純な流通においては、商品の価値は、その使用価値に相対してせいぜい貨幣という自立的形態を受け取るにすぎないが、この場合はその価値が突然に、過程を進みつつある、みずから運動しつつある実体として現われるのであって、この実体にとっては、商品および貨幣は二つの単なる形態にすぎない[169]

価値みずからが絶えない循環運動を始める

価値はいまや、商品関係を表す代わりに、いわば自己自身にたいする私的な関係にはいり込む[169]

マルクスは、価値の自己増殖循環の運動もようを、日本人にとっては至極難解な例でもって、解説している。

父なる神としての自己を、子なる神としての自己自身から区別するのであるが、父も子もともに同じ年齢であり、しかも、実はただ一個の人格でしかない[169]

これはキリスト教、なかでもローマ・カソリックの教義の中心である、神と子(イエス・キリスト)と聖霊とは「三位一体」である、という教義を例にとってあるものだと思われる。

いずれにしろ、ここでは、原価値と剰余価値との関係について、語られているわけだ。ここでは、原価値=「父」、剰余価値=「子」である。「父」という存在は「子」という存在があってはじめて相対的に「父」と認識される。「子」という存在の認識についても同様である。「子」ができてはじめて“彼”は「父」となるから、「父」となったときからの時間と「子」の年齢とが同一であるのは当然である。しかし、「子」が誕生した、その瞬間に、「父」と「子」の両者は同一の価値形態として生まれ出るから、「ただ一個の人格」として認識される、というわけである。

ローマ・カソリックで言う「三位一体」説は、どのような論理構成でもって、説明されているのであろうか。イエス・キリストが“父”と呼んだ“神”は、イエス・キリストとの相対性のうちに認識される。しかし、イエス・キリスト自身が「子なる神」であるならば、その相対性と、「神は唯一絶対の存在である」という教義との統一は、どのようになされるのか。さらには、マリアにイエスの受胎を告知するときに登場し、ほかにもさまざまな場面で登場してきた聖霊と「唯一絶対の存在である神」との統一は、なおのこと、どのようになされたのか。さきのマルクスの例示と異なり、唯一絶対の神の存在は、イエスがマリアから生まれいずるより数千年の昔から信じられてきたのであって、この場合、「父」と「子」の年齢のちがいは画然としている。「父」はたしかに「子」よりも以前から存在を信じられていた。また、聖霊が「神」にたいして「御使い」であると自らの存在を相対化している例があることとの整合性は? マルクスが例示として「三位一体」説を“ユニーク”をもって用いているとはいえ、「神(ヤーヴェ)」と「イエス」と「聖霊」とが「唯一絶対の存在として統一されうる」というこの教義は、私にはどうしても理解不能である。この「統一」は、ただただ“信仰”によってのみなしうるものであろう。閑話休題。

価値は、流通から出てきてふたたび流通にはいり込み、流通のなかで自己を維持しかつ幾倍にもし、増大して流通からもどってくるのであり、そしてこの同じ循環を絶えず繰り返し新たに始めるのである。G―G'、貨幣を生む貨幣――money which begets money――これが、資本の最初の代弁者である重商主義者たちの語った資本の記述である[170]

流通部面に現われる資本の一般的定式――G―W―G'

商業資本、産業資本、利子生み資本など、資本の生産過程のさまざまな実際についての考察は、のちの章で行なわれるだろう。ここでは、マルクスは、いずれにしろ、とくに商業資本、産業資本などについて、

購買と販売との合間に流通部面の外部で行なわれるであろう諸行為は、この運動の形態をいささかも変えはしない[170]

ということを指摘し、事実上、この定式は、流通部面における一般的定式としてあてはまるということを断言している。

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第1部:資本の生産過程

第2篇:貨幣の資本への転化

第4章
貨幣の資本への転化
第2節
一般的定式の諸矛盾

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貨幣が蛹の状態を脱して資本に成長するさいの流通形態は、商品、価値、貨幣、および流通そのものの本性について以前に展開されたいっさいの法則に矛盾する[170]

資本は、流通から発生するわけにはいかないし、同じく、流通から発生しないわけにもいかない。資本は、流通のなかで発生しなければならないと同時に、流通のなかで発生してはならない[180]

資本が発生する循環運動、貨幣が資本たるべき循環運動が、単純な商品流通運動から区別されるものは、販売過程と購買過程の順序の転倒であった。これは、実際の資本の運動にそのような順序の転倒がみられるということなのだが、この節で考察されるのは、いかにして、単純な商品流通から、循環運動過程そのものの質の転換をともなう流通形態の転換が生じるのか、ということである。この節の考察のなかで、資本の循環運動の形式上の特徴のなかにふくまれている矛盾が明らかになり、それと同時に、矛盾の解決方向も提起される。

この転倒は、互いに取り引きし合う三人の取り引き仲間のうちの一人にとって実存するだけである。私は、単純な商品所有者としては商品をBに売り、次に商品をAから買うのであるが、資本家としては、商品をAから買い、こんどはそれをBに売る。取り引き仲間のAとBとにとってはこのような区別は実存しない。彼らはただ商品の買い手または売り手として登場するだけである。私自身も、そのつど単純な貨幣所有者または商品所有者として、買い手または売り手として、彼らに相対するのであり、しかも私は、どちらの順序においても、一方の人にはただ買い手として、他方の人にはただ売り手として、一方の人にはただ貨幣として、他方の人にはただ商品として、相対するだけである[170-1]

流通「商品―貨幣―商品」と流通「貨幣―商品―貨幣」との共通点は、いずれのケースにも、「四つの終点(二つの局面)と三人の契約当事者」が存在するということだった。「商品―貨幣」という“販売”と「貨幣―商品」という“購買”という二つの局面の順序の転倒は、三人の契約当事者のうちのただ一人にとっての「転倒」である。

「貨幣―商品」によって「私」は購買し、「商品―貨幣」によって販売する。しかし、このような、局面の順序の転倒は、いわゆる「単純な商品流通」である「商品―貨幣―商品」の循環運動の一環としての運動と、どこが異なるのだろうか。単純な商品流通における二つの局面を転倒させても、それだけでは、「商品―貨幣―商品―貨幣―商品」という循環運動の一環である「……―貨幣―商品―貨幣―……」と、ちがいがないことがわかる。ここには剰余価値が生じる余地はない。

したがってわれわれは、順序を転倒することによっては単純な商品流通の部面を越え出たことにはならないのであって、むしろわれわれは、単純な商品流通が、その本性上、この流通にはいり込む価値の増殖、したがって剰余価値の形成を許すかどうかを、見きわめなければならない[171]

マルクスは、単純な商品流通が、その過程そのもののなかに、はたして、剰余価値の形成、すなわち価値の自己増殖を生じさせる契機の可能性を含んでいるのだろうか、という観点から、あらためてこの流通過程を考察する。

まず、この過程においては

貨幣が流通手段として商品と商品とのあいだにはいり込み、購買と販売という行為が感性的に分裂しても、事態にはなんの変わりもない。商品の価値は、商品が流通にはいり込むまえに、その価格で表わされているのであり、したがって流通の前提であって、結果ではない[172]

この流通過程においては、異なる使用価値どうしの交換がことの本質であり、貨幣は商品の価値の媒介物である。この交換は、異なる使用価値の所有者、すなわち二人の商品所有者のどちらにとっても、交換価値の増加ではない。

単純な商品流通においては、ある使用価値が別の使用価値と取り替えられるということをのぞけば、商品の変態、商品の単なる形態変換のほかにはなにも起こらない。同じ価値、すなわち同じ分量の対象化された社会的労働が、同じ商品所有者の手のなかに、最初には彼の商品の姿態で、次にはこの商品が転化される貨幣の姿態で、最後にはこの貨幣が再転化される商品の姿態で、とどまっている。この形態変換は価値の大きさの変化を少しも含まない[172]

商品交換は、その純粋な姿態においては、等価物どうしの交換であり、したがって価値を増やす手段ではない[173]

商品流通のその単純な形態、純粋な形態で前提とされるのは等価交換である。この場合に剰余価値が形成されないのであれば、純粋ではない商品流通、すなわち非等価物どうしの交換の場合には、剰余価値が形成される可能性があるのだろうか。

売り手が商品をその価値以上に売ること、その価値が100なのに110で、したがって10%の名目的な価格引き上げをして売ることが許されると仮定しよう……全体としては、事実上、すべての商品所有者が自分たちの商品を互いにその価値よりも10%高く売り合うということであり、それは、あたかも彼らが商品をその価値どおりに売ったのとまったく同じ、ということになる……諸商品の貨幣名すなわち価格は膨張するであろうが、諸商品の価値関係は不変のままであろう。

逆にわれわれは、商品をその価値以下で買うことが買い手の特権だと想定してみよう……彼は、買い手になるまえに売り手であった。彼は、買い手として10%もうけるまえに、すでに売り手として10%の損をしていたのである。すべてはやはりもとのままである[175]

Aは40ポンド・スターリングの価値のあるワインをBに売って、それと引き換えに50ポンド・スターリングの価値のある穀物を手に入れるとしよう。Aは自分の40ポンド・スターリングを50ポンド・スターリングに転化させ、よりわずかの貨幣をより多くの貨幣にし、自分の商品を資本に転化させた……交換が行なわれるまえには、Aの手には40ポンド・スターリング分のワインがあり、Bの手には50ポンド・スターリングの穀物があって、総価値は90ポンド・スターリングであった。交換の行なわれたあとでも、総価値は同じ90ポンド・スターリングである。流通している価値は一原子も増加しはしなかったが、AとBとへのその配分が変わった……流通している価値の総額は、明らかに、その配分におけるどのような変化によっても増加されえない……一国の資本家階級の総体は自分で自分からだまし取ることはできない[177]

結局、これらの検証から明白なことは、

等価物どうしが交換されても剰余価値は生じないし、非等価物どうしが交換されてもやはり剰余価値は生じない。流通または商品交換はなんらの価値も創造しない[177-8]

ということである。

さて、では、資本主義社会以前の社会にすでに存在していた、「商業資本」や「高利貸資本」は、“不等価交換”とか“流通を経ずに生じる詐欺的取得”など以外に、どのように説明されるのだろう。マルクスは、ここでは、

商業資本の価値増殖を商品生産者にたいする単なる詐欺によって説明すべきでないとすれば、そのためには一連の長い中間項が必要なのであるが、商品流通とその簡単な諸契機とが唯一の前提となっているいまの場合には、それらの中間項はまだまったく欠けている。

商業資本にあてはまることは、高利貸資本にはいっそうよくあてはまる……高利貸資本においては、形態G―W―G'が、無媒介の両極G―G'に、より多くの貨幣と交換される貨幣に、貨幣の本性と矛盾しておりそれゆえまた商品交換の立場からは説明しえない形態に、短縮されている[179]

と指摘した上で、

われわれの研究が進むにつれて、商業資本と同じく利子生み資本もまた、派生的形態として見いだされるであろう。それと同時に、なぜそれらが歴史的に資本の近代的な基本形態よりも先に現われるかということも述べられるであろう[179]

として、考察対象としては保留している。

剰余価値が流通からは生じえないとすれば、流通の外部にその契機をもとめなければならないのであろうか。

流通は、商品所有者たちのいっさいの相互関連の総和である。この流通の外部では、商品所有者はもはや自分自身の商品と関連するだけである。この関係は、彼の商品の価値について言えば、一定の社会的諸法則によってはかられた彼自身の労働のある分量をその商品が含んでいるということに尽きる。この労働分量は、彼の商品の価値の大きさに表現される……しかし、彼の労働は、その商品の価値プラスその商品自身の価値を超える超過分に表わされはしない……商品所有者は、彼の労働によって価値を形成することはできるが、しかし、自己を増殖する価値を形成することはできない。彼は、新たな労働によって現存する価値に新たな価値をつけ加えることによって、たとえば革で長靴をつくることによって、商品の価値を高めることはできる。同じ素材がいまや、より大きい労働分量を含んでいるから、より多くの価値をもつ。それゆえ、長靴は革よりも多くの価値をもつが、しかし革の価値はもとのままである。革は自己を増殖しはしなかったし、長靴製造中に剰余価値を生み出しはしなかった。したがって、商品所有者が、流通部面の外で、他の商品所有者たちと接触することなしに、価値を増殖し、それゆえ貨幣または商品を資本に転化させるということは、不可能である[180]

これらの考察の結果、資本の流通における一般的定式の矛盾を解決するべき、問題提起がなされる。

貨幣の資本への転化は、商品交換に内在する諸法則にもとづいて展開されるべきであり、したがって等価物どうしの交換が出発点をなす……貨幣所有者は、商品をその価値どおりに買い、その価値どおりに売り、しかもなお過程の終わりには、彼が投げ入れたよりも多くの価値を引き出さなければならない。彼の蝶への成長は、流通部面のなかで行なわれなければならず、しかも流通部面のなかで行なわれてはならない。これが問題の条件である[180-1]

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第1部:資本の生産過程

第2篇:貨幣の資本への転化

第4章
貨幣の資本への転化
第3節
労働力の購買と販売

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貨幣の価値の変化は、流通運動「貨幣―商品―貨幣」の、いったいどこで生じているのだろうか。これまでの考察ではっきりしていることは、(1)貨幣の価値変化は貨幣そのものには起こりえないということ。

貨幣は、それが買いまたは支払う商品の価格を実現するだけであり、他方では、貨幣は、それ自身の形態にとどまっている場合には、同じ不変な大きさの価値をもつ化石に凝固するからである[181]

また、(2)第二の局面「商品―貨幣」、すなわち商品の再販売にも価値の変化は起こりえないということ。

この行為は、商品を自然形態から貨幣形態に再転化させるだけだからである[181]

そして、(3)第一の局面「貨幣―商品」によって買われた商品の価値自体にも変化は起こりえないということだ。

というのは、等価物どうしが交換されるのであり、商品はその価値どおりに支払われるからである[181]

それでは、いったい、どこに価値の変化が起こる契機があるのだろうか。ここでマルクスは、これまで考察されなかった間隙をついたのである。

したがって、この変化は、その商品の使用価値そのものから、すなわちその商品の消費から生じうるのみである[181]

商品の購買と、その商品の再販売との間隙。しかし、消費そのものが価値を生む商品などというものが市場において、すなわち流通の内部において存在するのだろうか。貨幣所有者は、その商品を見つけたのであった。それが「人間の労働能力または労働力」という商品である。この商品は独特な性質をもつ商品である。マルクスはその特徴を次のように表現する。

それの使用価値そのものが価値の源泉であるという独自な性質をもっている一商品……したがってそれの現実的消費そのものが労働の対象化であり、それゆえ価値創造である一商品[181]

マルクスは「労働力または労働能力」を次のように定義する。

人間の肉体、生きた人格性のうちに実存していて、彼がなんらかの種類の使用価値を生産するそのたびごとに運動させる、肉体的および精神的諸能力の総体[181]

しかし、私は、はたと立ち止まる。さきに、第2節のなかで考察された、流通の外部での長靴の生産過程の例を思い出してみよう。“彼”は革を加工することによって長靴をつくった。長靴は革よりも多くの労働分量を含むためにより多くの価値をもっている。それなら、貨幣所有者が、革という商品を買って、自分自身で長靴に加工し、再販売すれば、価値の自己増殖とはならないのだろうか。生産するさまざまな手段と切り離された、「肉体的、精神的諸能力」という形態で存在する、ある独特の商品である「労働力」をわざわざ市場で購買する必要はないのではないか。

しかし、また私は反省的に考える。それでは、流通「商品―貨幣―商品」という循環運動となんら変わらなくなってしまう。長靴という、革よりも多くの価値をもつ商品の再販売によって貨幣所有者の手に還流するのは、長靴と等価である貨幣量であるにはちがいないが、貨幣所有者自身の労働の苦労は、革の価値量とそれに彼自身が加えた労働量との総体と等価で交換される貨幣量でむくわれるにすぎない。これは、価値の自己増殖とはまったく異なる流通運動である。

やはり、貨幣所有者は、自分とは異なる人格の「労働力」を市場で、すなわち、商品として見いだし、購買し、消費しなければならないのだ。つまり、自分で生産した商品を再販売するのではなく、自分が買った商品に他人の「労働力」という商品の消費による加工をへたのちに、その商品を再販売しなければならないのだ。

この商品が、商品として市場で見いだされるには、これまで私たちが見てきた商品生産者とは別の人びとを想定しなければならない。これまで私たちが見てきた商品生産者たちは、さきほどの長靴製造者のような人びとであり、みずからの労働力を分化する必要のない人びとであった。私たちがここで出会う人びとは、自らの労働能力を商品として意識的に分化して、市場に投入することのできる、人格と環境との自由を前提とする人びとだ。

商品としての労働力は、ただ、労働力がそれ自身の所有者によって、すなわちそれが自分の労働力である人によって、商品として売りに出されるかまたは売られる限りにおいてのみ、またそのゆえにのみ、市場に現われうる。労働力の所有者が労働力を商品として売るためには、彼は、労働力を自由に処分することができなければならず、したがって自分の労働能力、自分の人格の自由な所有者でなければならない。労働力の所有者と貨幣所有者とは、市場で出会って互いに対等な商品所有者として関係を結ぶのであって、彼らが区別されるのは、一方が買い手で他方が売り手であるという点だけであり、したがって両方とも法律上では平等な人格である。この関係が続いていくためには、労働力の所有者がつねにただ一定の時間を限ってのみ労働力を売ることが必要である。というのは、もし彼が労働力をひとまとめにして全部一度に売り払うならば、彼は自分自身を売るのであって、自由人から奴隷に、商品所有者から商品に、転化するからである。人格としての彼は、自分の労働力を、いつも自分の所有物、それゆえまた自分自身の商品として取り扱わなければならない。そして、彼がそうすることができるのは、ただ、彼がいつでも一時的にだけ、一定の期間だけに限って、自分の労働力を買い手の処分にまかせて消費させ、したがって労働力を譲渡してもそれにたいする自分の所有権は放棄しないという限りのことである[182]

貨幣所有者が労働力を市場で商品として見いだすための第二の本質的条件は、労働力の所有者が、自分の労働の対象化された商品を売ることができないで、自分の生きた肉体のうちにのみ実存する自分の労働力そのものを商品として売りに出さなければならない、ということである[183]

貨幣を資本に転化させるためには、貨幣所有者は商品市場で自由な労働者を見いださなければならない。ここで、自由な、と言うのは、自由な人格として自分の労働力を自分の商品として自由に処分するという意味で自由な、他面では、売るべき他の商品をもっておらず、自分の労働力の実現のために必要ないっさいの物から解き放されて自由であるという意味で自由な、この二重の意味でのそれである[183]

貨幣所有者と「自由な」労働者とが市場で対等に向き合うことができるためには、それ相応の歴史的発展が必要であった。

自然は、一方の側に貨幣または商品の所有者を、他方の側に単なる自分の労働力の所有者を、生み出しはしない。この関係は自然史的関係ではないし、また、歴史上のあらゆる時代に共通な社会的関係でもない。それは明らかに、それ自身、先行の歴史的発展の結果であり、幾多の経済的変革の産物、すなわち社会的生産の全一連の古い諸構成体の没落の産物である[183]

それゆえ、資本の運動が存在できる条件も歴史的なものだ、ということになる。マルクスは、これまで第1章から考察してきたさまざまな商品流通形態が、歴史的発展の実際に裏づけられているものであることを概括しながら、「資本の実存諸条件」が歴史的なものであり、資本主義の時代が、あくまで、社会的生産の歴史的発展過程のある一時期であることを指摘している。

生産物量の圧倒的大部分が直接に自家需要に向けられていて商品に転化していなくても、したがって社会的生産過程がその全体的な広さと深さの点でまだまだ交換価値に支配されているというにはほど遠くても、商品生産および商品流通は生じうる。商品としての生産物の出現は、社会的分業が十分に発展して、直接的交換取引においてはじめて始まる使用価値と交換価値との分離がすでに完成されていることを条件とする。しかし、このような発展段階は、歴史的にはなはだしく異なる経済社会諸構成体に共通のものである。

他方、貨幣を考察するならば、貨幣は商品交換の一定の発展程度を前提する。貨幣の特殊な諸形態――単なる商品等価物、または流通手段、または支払手段、蓄蔵貨幣、世界貨幣――は、いずれかの機能の作用範囲の違いと相対的優越とに応じて、社会的生産過程のきわめて異なる諸段階を示している。にもかかわらず、経験によれば、これらのすべての形態が形成されるためには、商品流通の比較的わずかな発展で十分である。資本については事情は異なる。資本の歴史的な実存諸条件は、商品流通および貨幣流通とともに定在するものでは決してない。資本は、生産諸手段および生活諸手段の所有者が、みずからの労働力の売り手としての自由な労働者を市場で見いだす場合にのみ成立するのであり、そして、この歴史的条件は一つの世界史を包括する。それゆえ、資本は、最初から社会的生産過程の一時代を告示する[184]

さて、では、この、人間の労働力という独特な商品の価値は、どのように規定されるのだろうか。

労働力の価値は、他のどの商品の価値とも同じく、この独特な物品の生産に、したがってまた再生産に必要な労働時間によって規定されている。労働力そのものは、それが価値である限り、それに対象化された社会的平均労働の一定分量を表わすのみである[184-5]

労働力は、それがそれを所有する個人の全人格とは分化された形態で、商品として市場に投入されているとはいえ、生きた個人の資質として、その人間の存在自体とわかちがたく存在しているものである。

労働力はその発揮によってのみ自己を実現し、労働のなかでのみ確認される。しかし、労働力の確認である労働によって、人間の筋肉、神経、脳髄などの一定分量が支出されるのであって、それはふたたび補充されなければならない。この支出の増加は収入の増加を条件とする。労働力の所有者は、きょうの労働を終えたならば、あすもまた、力と健康との同じ条件のもとで同じ過程を繰り返すことができなければならない[185]

だから、「労働力の生産に必要な一定の社会的平均労働量」ということの内容は、労働力を所有しているその個人の維持、または再生産に必要な一定の社会的平均労働量ということにある。ということは、その個人の維持、または再生産に必要な、一定量の生活手段の生産に必要な社会的平均労働量こそが、労働力の価値の大きさを規定するということになる。

生活諸手段の総量は、労働する個人を労働する個人として、その正常な生活状態で維持するのに足りるものでなければならない。食物、衣服、暖房、住居などのような自然的欲求そのものは、一国の気候その他の自然の独自性に応じて異なる。他面では、いわゆる必需欲求の範囲は、その充足の仕方と同様に、それ自身一つの歴史的産物であり、それゆえ、多くは一国の文化段階に依存するのであり、とりわけまた、本質的には、自由な労働者の階級がどのような条件のもとで、それゆえどのような慣習と生活要求とをもって形成されたか、に依存するのである。したがって、労働力の価値規定は、他の商品の場合とは対照的に、歴史的かつ社会慣行的な一要素を含んでいる。とはいえ、一定の国、一定の時代については、必要生活諸手段の平均範囲は与えられている[185]

人間は個体としては永遠に生存するわけではないが、種としては、自然環境がゆるすかぎり、生殖によって永遠に存在する。

したがって、労働力の生産に必要な生活手段の総額は、補充人員すなわち労働者の子どもたちの生活諸手段を含む[186]

第1章のなかで、マルクスは、労働の生産力を規定するさまざまな要因をあげていた。労働者の熟練度、科学の発展と技術応用度、生産過程の社会的結合度合い、生産手段の規模の大きさやその作用能力、自然環境の変化。労働力がそのときどきの「科学とその技術学的応用可能性との発展」度合いに応じた、生産手段の作用能力に適応するには、労働者の知識や技能の向上が必要になる。

一般的人間的な本性を、それが特定の労働部門における技能と熟練とに到達し、発達した独特な労働力になるように変化させるためには、特定の養成または教育が必要であり、それにはまたそれで、大なり小なりの額の商品等価物が費用としてかかる。労働力の性格がより複雑なものであるかないかの程度に応じて、その養成費も異なってくる。したがって、この修業費は、普通の労働力についてはほんのわずかでしかないとはいえ、労働力の生産のために支出される価値の枠のなかにはいっていく[186]

さて、労働力の価値が、一定の生活手段の価値量に相当するとすれば、このさまざまな生活手段の生産力の変動とともに、あるいは、生産に必要な労働時間の変動とともに、労働力の価値もまた変動することになる。

生活手段には、さまざまなサイクルをもって消費されるものがあるが、たとえば、ある一定期間、1日とか1カ月とかの、生活手段の価格の平均額が算出可能である。貨幣所有者が、それが、日割りであろうと、月割りであろうと、平均額と同価値を支払えば、労働力という商品を等価交換することを実現するわけである。

労働力の価値の最後の限界または最低限界をなすものは、日々その供給を受けなければ労働力の担い手である人間がその生活過程を更新しえないようなある商品総量の価値、すなわち、肉体的に必要不可欠な生活諸手段の価値である。もし労働力の価格がこの最低限にまで下がるならば、それは労働力の価値以下への低下である。というのは、その場合には労働力は、ただ萎縮した形態でしか維持され発揮されえないからである。しかし、あらゆる商品の価値は、その商品を標準的な品質で供給するために必要な労働時間によって規定されているのである[187]

ここでマルクスが指摘している内容のシビアさは、今日、私たちの眼前で、いたるところで実証されているわけだ。

労働能力が売れないならば、それは労働者にとってなんの役にも立たないのであり、彼は、自分の労働能力がその生産のために一定分量の生活維持諸手段を必要としたこと、そしてその再生産のために絶えず繰り返し新たにそれらを必要とすることを、むしろ冷酷な自然的必然時として感じるのである[187]

労働力を市場で売ることができなかった、その商品所有者を、今日も私たちはハローワーク、あるいは公園や橋げたの下で目にしている。

買い手と売り手のあいだに契約が結ばれても労働力の使用価値はまだ現実に買い手の手に移行していない……労働力の価値は、他のどの商品の価値とも同じように、それが流通に入るまえに規定されていた……が、労働力の使用価値は、そのあとで行なわれる力の発揮のなかではじめて存立する……販売による使用価値の形式的譲渡と買い手へのそれの現実の引き渡しとが時間的に離れている商品の場合には、買い手の貨幣は、たいてい支払手段として機能する……労働者はどこでも、資本家に労働力の使用価値を前貸しする。労働者は、労働力の価格の支払いを受けるまえに、労働力を買い手に消費させるのであり、それゆえ、どこでも労働者が資本家に信用貸しする[188]

いまや私たちは、等価交換の運動のなかにありながら、その消費によって価値をつけ加え、等価交換による商品の再販売が新たな価値を含んだ貨幣量を貨幣所有者の手もとに還流させることのできる商品を見いだした。マルクスの提起した矛盾の解決の突破口は切り開かれた。

われわれは、いまでは、労働力というこの独自な商品の所有者にたいして貨幣所有者から支払われる価値がどのように規定されるかを知っている。この貨幣所有者自身が交換で受け取る使用価値は、労働力の現実の使用、すなわちその消費過程においてはじめて現われる。貨幣所有者は、原料その他のようなこの過程に必要なすべての物を商品市場で買い、それらに価格どおりに支払う。労働力の消費過程は、同時に、商品の生産過程であり剰余価値の生産過程である。労働力の消費は、他のどの商品の消費とも同じく、市場すなわち流通部面の外で行なわれる。それゆえ、われわれも、貨幣所有者および労働力所有者と一緒に……流通部面を立ち去って、この二人のあとについて、生産という秘められた場所に……はいっていこう。ここでは、どのようにして資本が生産するかということだけでなく、どのようにして資本そのものが生産されるかということもまた、明らかになるであろう[189]

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第1部:資本の生産過程

第3篇:絶対的剰余価値の生産

第5章
労働過程と価値増殖過程
第1節
労働過程

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たしかに

労働力の消費過程は、同時に、商品の生産過程であり剰余価値の生産過程である[189]

が、より一般的にいえば、

労働力の使用は労働そのものである[192]

自分の労働を商品に表わすためには、彼はなによりもまず、その労働を使用価値に、なんらかの種類の欲求の充足に役立つ物に表わさなくてはならない。したがって、資本家が労働者につくらせるものは、ある特殊な使用価値、ある特定の商品である[192]

ある財貨の生産そのものの過程は、それが資本家のためであろうとなかろうと、その一般的本質――労働力の消費を、なんらかの種類の欲求を満たす物に表わすという性質――が変わることはない。マルクスは、まず、このことを確認し、労働過程そのものの一般的考察からはじめている。

労働過程は、さしあたり、どのような特定の社会的形態にもかかわりなく考察されなければならない[192]

「人間の一実存条件」としての労働と「苦役」としての労働

第1篇第1章第2節のなかで、マルクスはつぎのようにのべていた。

労働は、使用価値の形成者としては、有用的労働としては、あらゆる社会形態から独立した、人間の一実存条件であり、人間と自然との物質代謝を、それゆえ人間的生活を、媒介する永遠の自然必然性である[57]

労働とは“苦役”である前に、「人間の一実存条件」なのだと。その内容が、第5章のこの節では、より厳密に考察される。

労働は、まず第一に、人間と自然とのあいだの一過程、すなわち人間が自然とのその物質代謝を彼自身の行為によって媒介し、規制し、管理する一過程である[192]

この叙述部分を読むときまずはじめに頭に思い浮かぶのは、遠い昔、ヒトがようやくサル目の系統のなかで、独自の属種として歩みだしたころのことだが、考えてみれば、いまも、人間は、自然のなかから生まれでた存在として、この天体上の環境に規制されたある一定の自然力として、自然素材に相対しているのであった。

このなかで、マルクスはたいへん印象的な考察をしている。

人間は、この運動によって、自分の外部の自然に働きかけて、それを変化させることにより、同時に自分自身の自然を変化させる[192]

マルクスの親友であり、まさしく人生をかけて『資本論』刊行にあたったエンゲルスは、『猿が人間になるにあたっての労働の役割』という本を書いたが、“労働が人間を人間たらしめた”という見地の一端が、このマルクスの叙述のなかにもある。そして、この、そもそも労働が人間を発達させる上で持っている重要な役割と、一方で、“苦役”と感じられる労働との関連が、つぎに考察されている。

彼は自然的なものの形態変化を生じさせるだけではない。同時に、彼は自然的なもののうちに、彼の目的――彼が知っており、彼の行動の仕方を法則として規定し、彼が自分の意志をそれに従属させなければならない彼の目的――を実現する。そして、この従属は決して一時的な行為ではない。労働の全期間にわたって、労働する諸器官の緊張のほかに、注意力として現われる合目的的な意志が必要とされる。しかも、この意志は、労働がそれ自身の内容と遂行の仕方とによって労働者を魅了することが少なければ少ないほど、それゆえ労働者が労働を自分自身の肉体的および精神的諸力の働きとして楽しむことが少なければ少ないほど、ますます多く必要となる[193]

一定のストレスは、それを克服し解消するための一定の肉体的精神的作用をもたらすから、その限りでは、新たな発達をうながす契機となりうる。しかし、文字通りの意味で、死ぬほど働いている人びとが、現代日本にはいる。それがけっして楽しみある労働の結果でないことを私たちは知っている。現代日本では、いっけん肉体的にはそこなわれてはいなくても、その労働の過密さゆえに、相当の神経細胞の損傷をこうむる環境が広がっているのではないだろうか。
生産手段

労働過程の単純な諸契機は、合目的的な活動または労働そのもの、労働の対象、および労働の手段である[193]

さて、ここからマルクスは、労働過程が成立するうえでなくてはならない要因として、労働対象と労働手段をあげて考察する。
労働対象

まず、労働対象について。なかでも「土地」と「水」(経済学的には水は土地に含まれるそうである)は、もっとも主要な労働対象である。それは

人間の関与なしに、人間の労働の一般的対象として存在する[193]

マルクスは、人間と自然との関連を労働過程においてたいへん厳密に考察して、つぎのようにのべている。

労働が大地との直接的連関から引き離すにすぎないいっさいの物は、天然に存在する労働諸対象である……これとは反対に、労働対象がそれ自身すでにそれ以前の労働によっていわば濾過されているならば、われわれはそれを原料と名づける……原料はすべて労働対象であるが、どの労働対象も原料であるとは限らない。労働対象は、それがすでに労働によって媒介された変化をこうむっているときにのみ原料である[193]

原料の実例としてマルクスがあげているのは、あとは選鉱をまつだけの、人の手によって大地から「割り採られた鉱石」である。

ここで「洗鉱」という語彙について。専門用語なのかはわからないが、原訳文にはこの語彙が使用されている。が、辞典では見つけることができなかった。むしろ、この文意から適当だと思われ、辞典に典拠をしめすことのできる語彙が「選鉱」だった。この語彙の意味は

せん-こう 【選鉱】 採掘した鉱石を、有価鉱物に富んだ部分(精鉱)と無価値の部分とにえりわけること[広辞苑・第三版]

上記の「洗鉱」について指摘を受けた。この言葉、ドイツ語テキストでは“auswaschen”と記述されているそうだ。これは「(汚れなどを)洗い流す」という意味なので、わざわざ、「選鉱」ではなく「洗鉱」と訳してあるのだろう。

選鉱の方法はさまざまに発達しているけれども、鉱石を「洗う」という方法は、一番はじめに人類が考えだした手法にちがいない。たとえば、金鉱石などは、その採取方法としてもっとも初期に行なわれていたのが、河床などで発見される砂金などを軽い川砂を洗い流すことで回収する方法だった。

金の歴史は少なくとも6,000年遡る。年代の明らかな最も古い発見は、エジプトやメソポタミアに於ける紀元前4,000年前のものである。紀元前3,000年頃から、支払いの方法として金環が用いられるようになったが、大部分は装飾用であった。エジプトが金生産の中心で、この時代金は全て漂砂鉱床から採掘された。軽い川砂を洗い流し、残った金を溶解して純度を上げた。紀元前2,000年頃には、塩を使って塩化銀として銀を取り除く金精製法が開発された。10世紀になって、水銀アマルガム法が開発され金の回収が改善された。……

大部分の金は鉱石中に自然金の形で含有される。

漂砂金は河床や氾濫源で発見されるものである。通常、非常に細かい自然金の粒の形で、砂金として産する。漂砂鉱床は風や雨或いは温度変化が金を含有する岩石に作用して二次的に形作られる。古代に於ける金はすべて漂砂金である。鉱体の中では他の金属や硫化物は次第に溶けて除かれ、金や不活性の酸化物が富鉱化される。一般に山金に比べて純度が高い。

【参照:Webサイト「史跡 佐渡金山」】

だからここで鉱石から不純物を「洗い流す」ことで選鉱するというふうにマルクスが述べているのであれば、原料の定義も、人の手が少しでも入っているものは原料と呼ぶことができる、ということの厳密さをしめしているのではないだろうか。
労働手段

つぎにマルクスは労働手段について考察する。

労働手段とは、労働者が自分と労働対象とのあいだにもち込んで、この対象にたいする彼の能動活動の導体として彼のために役立つ、一つの物または諸物の複合体である[194]

このなかで、新約聖書の引用がなされており、訳注では、日本聖書協会新共同訳には「寿命をわずかでも延ばすことができようか」となっており、ルター訳聖書からの引用だと、記してある。しかし、1997年に刊行されている日本聖書協会文語訳の『舊新約聖書』では、マルクスが引用した訳を主にとりあげて、異訳として、「その生命を寸陰も延べ得んや」との訳を紹介している。

この故に我なんぢらに告ぐ、何を食ひ、何を飲まんと生命のことを思ひ煩ひ、何を著んと體のことを思ひ煩ふな。生命は糧にまさり、體は衣に勝るならずや。

空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に収めず、然るに汝らの天の父は、これを養ひたまふ。汝らは之よりも遥かに優るる者ならずや。

汝らの中たれか思ひ煩ひて身の長一尺を加へ得んや。

又なにゆゑ衣のことを思ひ煩ふや。野の百合は如何にして育つかを思へ、労せず、紡がざるなり。

されど我なんぢらに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだに、その服装この花の一つにも及かざりき。

今日ありて明日爐に投げ入れらるる野の草をも、神はかく装ひ給へば、まして汝らをや、ああ信仰うすき者よ。

さらば何を食ひ、何を飲み、何を著んとて思ひ煩ふな。

是みな異邦人の切に求むる所なり。汝らの天の父は、凡てこれらの物の汝らに必要なるを知り給ふなり。

【マタイ伝福音書 第6章25―32】

また弟子たちに言ひ給ふ『この故にわれ汝らに告ぐ、何を食はんと生命のことを思ひ煩ひ、何を著んと體のことを思ひ煩ふな。

生命は糧にまさり、體は衣に勝るなり。

鴉を思ひ見よ、播かず、刈らず、納屋も倉もなし。然るに神は之を養ひたまふ、汝ら鳥に優るること幾許ぞや。

汝らの中たれか思ひ煩ひて、身の長一尺を加へ得んや。

されば最小き事すら能はぬに、何ぞ他のことを思ひ煩ふか。

百合を思ひ見よ、紡がず、織らざるなり。されど我なんぢらに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだに、其の服装この花の一つにも及かざりき。

今日ありて、明日爐に投げ入れらるる野の草をも、神は斯く装ひ給へば、況て汝らをや、ああ信仰うすき者よ、

なんぢら何を食ひ何を飲まんと求むな、また心を動かすな。

是みな世の異邦人の切に求むる所なれど、汝らの父は、此等の物のなんぢらに必要なるを知り給へばなり。

【ルカ伝福音書 第12章22―30】

この聖書の言葉をふまえながら、マルクスは、なお、つぎのように語ったのである。

こうして、自然的なものそれ自身が、彼の能動活動の器官、すなわち聖書の言葉にもかかわらず、彼が自分自身の肉体的諸器官につけ加えて彼の自然の姿を引き伸ばす一器官になる。土地は、彼の本源的な食糧倉庫であるのと同様に、彼の労働諸手段の本源的な武器庫である[194]

聖書のなかで語られるイエスの言葉は、飾らず偽らぬ、神への絶対の信仰そのものがなにより尊いのだといい、創造主たる神は足るものを知るのである、と説くのであるが、マルクスは、この聖書の言葉をかりて、しかし、なお、人は、自然から生まれ出でながらも自律的に、試行錯誤をへながら、みずからの労働手段として自然のさまざまな諸物をわが手となし足となし、「身の長一尺を加へ」て、さらに自然に働きかけてきたのだ、と指摘しているのだ。

労働諸手段の使用と創造は、萌芽的にはすでにある種の動物にそなわっているとはいえ、独自的人間的労働過程を特徴づけるものであり、それゆえフランクリンは、人間を a tool-making animal すなわち道具をつくる動物と定義している。滅亡した動物種属の身体組織を認識するのに遺骨の構造がもつのと同じ重要性を、労働諸手段の遺物は滅亡した経済社会構成体を判断する場合にもっている。なにがつくられるかではなく、どのようにして、どのような労働手段をもってつくられるかが、経済的諸時代を区別する。労働諸手段は、人間労働力の発達の測定器であるばかりでなく、労働がそこにおいて行なわれる社会的諸関係の指標でもある[194-5]

すべての商品のうちで、本来の奢侈品は、さまざまな生産時代の技術学的比較にとってもっとも意義のないものである(注5)[195]

過去のさまざまな遺物が紹介されるときに、違和感を感じていたことがあった。それは、たとえば、中南米で発掘された文化の遺物や、古代エジプトの工芸品を紹介するときに、その黄金装飾の見事さのみを紹介するケースが多いことだ。たしかに、すばらしい技巧がこらされた装飾品であるにはちがいないが、なにか、その黄金の輝きのほうに目をうばわれているような気がしてならない。もちろん、考古学の分野では、これまでのそのときどきの人間社会で使用されていた労働手段についての研究に、たいへん重要な位置付けがされていることは承知しているが、マスコミでの取り扱い方は、ニュアンスに相当の誤差があると思う。

そういう意味でも、ここでのマルクスの指摘は、たいへん示唆に富んでいると思う。「なにがつくられたかではなく、どのような技術で、どのような労働手段でつくられているか」――これが人間の労働の発達、社会の発展度合いを見る場合の重要な指標となること。だから、黄金の輝きのみに目を奪われず、そのすばらしい技巧がどのような技術によるものか、どのような労働手段が当時存在し、それがどのようにして生み出されたのかということに注目したい。そして、それらの技術を生み出し、支えることのできた社会とは、どのような社会だったのか、という観点が必要だろう。

道具や工具のように人間の身体の一部分の延長として役立つもののほかに、労働対象への働きかけを媒介し、労働活動に役立つものはすべて労働手段と規定することができる、とマルクスは指摘している。

それらは直接にこの過程にはいり込みはしないが、それらなしにはその過程はまったく進行できないか、不十分にしか進行できない。この種の一般的労働手段はやはり土地そのものである。というのは、土地は労働者には“立つ場所”を、彼の過程には作用空間(“仕事の場”)を与えるからである。労働によってすでに媒介されたこの種の労働諸手段は、たとえば作業用建物、運河、道路などである[195]

ここまでの叙述のなかで、よく理解できていないのが、「生産の筋骨系統と名づけることのできる機械的労働諸手段」と「生産の脈管系統と呼ぶことができるような労働諸手段」との区別と関連である。この部分はとりあえず宿題。ここで「化学工業においてはじめて重要な役割を演じる」「容器としての労働手段」というのは、たとえば反応炉や溶融炉のようなもののことをいっているのだろうか。

労働諸手段そのもののなかでは、その総体を生産の筋骨系統と名づけることのできる機械的労働諸手段のほうが、労働対象の容器としてのみ役立ち、その総体がまったく一般的に生産の脈管系統と呼ぶことができるような労働諸手段、たとえば管、桶、籠、壺などよりも、ある社会的生産時代のはるかに決定的な徴標を示す。容器としての労働手段は、化学工業においてはじめて重要な役割を演じる[195]

この「筋骨」系統というのは、生産過程において骨格となる労働手段というような意味あいで使用されているようだ。だから「脈管」系統という言い方は、むしろ「筋骨」ということばに対応するものとして使用されているようだ。
労働過程の一般的規定

労働とは、人間が、彼の目的意識にしたがって、労働手段によって、労働対象を変化させる全過程のことである、ということができる。

過程は生産物においては消失する……労働はその対象と結合した。労働は対象化されており、対象は加工されている。労働者の側においてはいまや静止した属性として、存在の形態で現われる[195]

このように考えると、生産物は、「労働手段」(の一部分)と「労働対象」が労働力によって結合された使用価値である、ということもできる。

上記のノートは引用した「労働はその対象と結合した」という記述を早合点したものだった。ここで「結合」される労働は、あくまで労働手段の使用によって労働対象と結合されるのであって、労働手段と労働対象とは、労働過程のなかで並立的に機能するものではない。

また、労働を労働対象に結実させるに足る労働手段が、「その一部分」であるとしている点は、誤りだ。このことは、つぎの第6章「不変資本と可変資本」で明らかになる。労働は、労働手段に内在する価値の一部分を生産物に移転するにしても、実際の労働過程のなかでは、労働手段の総体が機能しなくてはならない。

この労働力の消費、支出は、支出された生産物において、彼の目的意識に適合するよう形態変化した自然素材、として現われる。だから、労働過程を、

生産物の立場から考察するならば、労働手段と労働対象の両者は生産手段として、労働そのものは生産的労働として現われる[196]

さらに、生産手段のうち、労働手段には、多かれ少なかれ人間労働がすでに加えられているし、労働対象については、さきにマルクスが考察したように、「天然に存在する労働手段」のほかに、「労働によってろ過された労働手段」である「原料」が存在する。むしろ、ほとんどの産業においては、「原料」が、労働手段として労働過程のなかで取り扱われる。

ある使用価値が労働過程から生産物として出てくるとき、それ以前の労働過程の諸生産物である他の諸使用価値が生産諸手段としてこの労働過程にはいり込む。後者の労働の生産物であるその同じ使用価値が、前者の労働の生産手段を形成する。それゆえ、生産物は労働過程の結果であるだけでなく、同時にまたその条件でもある[196]

労働対象を天然に見いだす採取産業をのぞけば、すべての産業部門は、原料すなわちすでに労働によって濾過された労働対象、それ自身すでに労働生産物である対象を取り扱う。たとえば、農業における種子がそうである。自然の産物とみなされがちな動物や植物も、おそらく前年の労働の生産物であるだけでなく、現在の形態をとっているそれらのものは、幾多の世代を通して、人間の管理のもとで、人間の労働を介して続けられてきた変形の産物である[196]

原料は生産物の主要実体を形成することもありうるし、また補助材料としてのみ生産物の形成にはいり込むこともありうる[196]

原料には、主要実体を形成する「主要材料」と、労働手段によって消費されたり、触媒として素材的変化を生じさせたり、労働環境を整えるうえで消費されたりする「補助材料」とがある。マルクスは、この主要材料と補助材料との区別は、化学工業が発展するほどに、実際に生産された商品のなかに痕跡をのこせなくなるので、あいまいになってゆくことを指摘している。

また、「物」は、それ自体がいろいろな属性をもっており、科学技術の発展とともにその属性も新たに発見されてゆくので、

同じ生産物がきわめてことなった労働過程の原料となりうる[197]

また、加工される原料であると同時に主要材料や補助材料をつくる手段となる羊や牛のような家畜のように、

同じ生産物が、同じ労働過程において、労働手段としても、原料としても、役立つことがありうる[197]

さらに、その生産物が、そのまま消費されるにふさわしい形態であっても、なお、原料となりうる(たとえばワインの原料となるブドウのような)原料もあれば、「段階製品」と呼ぶにふさわしいように、

もとの原料は、それ自身すでに生産物であるにもかかわらず、さまざまな過程からなる全段階を通過せねばならないかもしれないのであり、これらの過程においてこの原料は、絶えず変化した姿態で、絶えず新たに原料として機能しながら最後の労働過程にいた[197]

る原料、たとえば綿花や糸、などがある。

このようにみてくると、ある生産物が、原料となるのか、労働手段として役立つのか、そのまま労働過程から出でて消費されるのかは、その生産物が労働過程のなかでどういう機能を果たすかで変わってくるということがわかる。生産物は、労働過程に入らずそのまま消費される以外では、すなわち、生産手段として新しい労働過程にはいり込む場合には、

その生産物の使用諸属性の、過去の労働による媒介は消えうせている[197]

紡績工は、紡錘を、紡ぐ手段としてのみ取り扱い、亜麻を、紡ぐ対象としてのみ取り扱う。もちろん人は、紡績材料と紡錘がなくては紡ぐことはできない。それゆえ、これらの生産物が現存していることは、紡績の開始にさいして、前提されている。しかし、この過程そのものにおいては、亜麻と紡錘が過去の労働の生産物であることはどうでもよいことであって、それはちょうど、パンが農民、製粉業者、製パン業者などの過去の諸労働の生産物であることが栄養行為の場合にどうでもよいのと同じである[197]

生産手段の消費と生活手段の消費

しかし、このことは消極的なことではなく、むしろ積極的な意味をもっているということを、マルクスは次のように指摘している。

これらの物は労働の火になめられ、労働の肉体として同化され、それらの概念および使命にふさわしい諸機能を営むまでに、この過程のなかで精気を吹き込まれながら、確かに消費されてなくなりもするが、しかしそれらは、生活手段として個人的消費にはいり込むかまたは生産諸手段として新たな労働過程にはいり込むかすることのできる新たな諸使用価値の、新たな諸生産物の形成要素として、合目的的に消費し尽くされる……生産物の労働過程への投入、したがって生きた労働との接触は、過去の労働のこれら諸生産物を使用価値として維持し実現するための唯一の手段なのである[198]

労働とは、生産的消費だといえる。それは、労働する人間の肉体と精神を消費し、労働対象や労働手段を消費する。この消費は、人間の生活手段の消費とは区別される。
資本家のもとでの労働過程

さて、ここまでは、労働過程について、「人間の一実存条件」であり、「どのような特定の社会形態ともかかわりな」く、一般的考察がすすめられてきたが、こんどは、いよいよ、資本家が購入した労働力を有する労働者とともに入っていった、彼の工場のなかで行なわれるであろう労働過程について考察がすすめられる。

資本家が、彼の目的とする労働過程を開始するには、まずはじめにそれを行なうのに必要なものをそろえなければならない。だから、資本家である彼は、市場で、さまざまな生産手段――労働諸対象と労働諸手段を購入するとともに、それらを彼が販売したい使用価値とするための労働力をもつ労働者と労働力の売買契約を結んだのだった。資本家が彼の貨幣でもって、はじめに市場から購入しなければならなかったのは、労働対象と労働手段と労働力である。

わが資本家は自分の買った商品、労働力の消費にとりかかる。すなわち、彼は労働力の担い手である労働者に、それの労働によって生産諸手段を消費させる[199]

ここでの労働過程の一般的性質は、これまで考察されてきた労働過程と変わりはない。しかし、また、独自な面も表わしている。

労働者は、自分の労働の所属する資本家の管理のもとで労働する……さらに、第二に、生産物は資本家の所有物であって、直接的生産者である労働者の所有物ではない……商品の使用は商品の買い手に所属し、そして、労働力の所有者は、自分の労働を与えることによって、実際には、自分が売った使用価値を与えるだけである。彼が資本家の作業場にはいった瞬間から、彼の労働力の使用価値は、したがってそれの使用すなわち労働は、資本家に所属したのである……労働過程は、資本家が買った諸物のあいだの、彼に所属している諸物のあいだの一過程である。それゆえ、この過程の生産物は……彼に所属する[200]

上記引用部分のすぐ前の文章のなかで、マルクスは、またたいへん厳密な言い方をして、労働過程が資本のもとに従属することと、生産の仕方の変化との間には、一定の時間的距離があることを指摘している。このことについては、のちの章でとりあげられるはずであるが。

労働過程の一般的本性は、労働者が労働過程を自分自身のためではなく資本家のために行なうということによっては、もちろん変化しはしない。しかし、長靴をつくったり、糸を紡いだりする一定の仕方もまた、資本家の介入によっては、さしあたり、変化しえない。資本家は、さしあたり、市場で見いだすままの労働力を、したがってまた資本家がまだ一人もいなかった時代に発生したままのその労働を、受け入れなくてはならない。労働が資本のもとに従属することによって生じる生産様式そのものの転化は、もっとのちになってからはじめて生じうるのであり、それゆえもっとあとになってはじめて考察されるべきである。[199]

私たちは、一般的生産過程から、流通過程のなかから引き出された新たな、まったくそれまでには存在しなかった、人格と分化された労働力という商品が、さまざまな生産手段とともに資本家に購入され、それらが消費される、これまたまったく新しい生産過程の考察にはいる。

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第1部:資本の生産過程

第3篇:絶対的剰余価値の生産

第5章
労働過程と価値増殖過程
第2節
価値増殖過程

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資本家にとっての生産物は、それが売り物になるかどうかが問題である。市場において、彼が所有する商品が売り物として通用する品質をそなえているかどうかということは、資本家にとって大問題であるけれども、それはあくまで、売れるかどうか、購買者の目にとまるかどうかを心配しているからであって、その商品が社会に役立つかどうかということは、彼にとってはむしろどうでもいいことなのである。

そして、なにより、資本家が期待し、そのために彼の大事な貨幣を投資したのは、その投資によって彼のもとで生産された商品を販売することで、彼が投資した貨幣の価値量よりも、大きな価値量の貨幣を手に入れるためである。

この場合、使用価値は、一般に、それらがただ交換価値の物質的基体、その担い手であるがゆえに、またその限りでのみ、生産されるのである。そしてわが資本家には二つのことが問題である。第一に、彼は、交換価値をもつ使用価値、販売予定の物品、商品を、生産しようとする。そして第二に、かれは、その生産のために必要な諸商品の価値総額よりも、すなわち彼が商品市場において彼の貴重な貨幣を前貸しして得た生産諸手段と労働力との価値総額よりも、大きい価値をもつ商品を生産しようとする。彼は、使用価値だけでなく商品を、使用価値だけでなく価値を、しかも価値だけでなく剰余価値をも、生産しようとする[201]

私たちが第1節で見てきた一般的労働過程から、こんどは新たな価値を生み出す独特の労働過程に踏み込んで考察がはじまるわけだが、はじめにマルクスは、この考察の前提を次のように提起している。

ここでは商品生産が問題なのであるから、事実上、われわれはこれまでのところ明らかに過程の一側面を考察したにすぎない。商品そのものが使用価値と価値との統一であるのと同様に、商品の生産過程は労働過程と価値形成過程との統一でなければならない……こんどはわれわれは、生産過程を価値形成過程として考察することにしよう[201]

ここからマルクスが例示しているさまざまな原料や貨幣の単位は、われわれにはなじみのないもので、少々わかりにくいものだが、私も数字に強いほうではないので、単位を私たちになじみのものに換算するときにまちがって、よけいに混乱しないとも限らないので、そのまま、マルクスの例示をもとに、考察をつづけようと思う。

商品の価値は、その生産のために社会的に必要な労働時間によって規定される。このことは、資本家のもとで生産される商品についても、もちろん適用される。

わが資本家が生産する商品は「糸」である。「糸」を生産するために必要な生産手段――労働対象と労働手段はそれぞれ、「綿花」と「紡錘(とその他)」である。わが資本家は市場で、10ポンドの綿花を10シリングで購入した。また、10ポンドの綿花を加工するのに消耗され、摩滅した労働諸手段――紡錘その他は、2シリングに相当した。

いま、40ポンドの糸を生産するために、40ポンドの綿花とまるまる1錘分の紡錘(とその他)が必要であれば、

40ポンドの糸の価値=40ポンドの綿花の価値+まる1錘分の紡錘の価値[202]

となる。なお、マルクスは、綿花を糸に加工するのに必要なさまざまな労働手段の代表として紡錘をあげており、使用されたほかのすべての労働手段の価値も「紡錘の価値」に含まれるものとする。これ以降の例示もこれにならう。

この等式の両辺を生産するために同じ労働時間が必要であるとすれば、一般的価値法則に従って、たとえば10ポンドの糸は10ポンドの綿花および1/4錘の紡錘との等価物である……綿花の生産に必要な労働時間は、綿花を原料としている糸の生産に必要な労働時間の一部分であり、それゆえに糸のうちに含まれている。紡錘量の生産に必要な労働時間についても、事情は同じである。この紡錘量の摩滅または消費なしには綿花は紡がれえないからである[202]

マルクスは、「綿花という原料と、紡錘に代表される労働手段の価値――生産手段の価値が、生産物である糸の価値の“構成部分”である」ということをめぐって厳密な考察を行なっている。

綿花が栽培され畑から摘み取られたときと、それが原料として糸の生産過程に入ったときとの時間的空間的な差、あるいは、紡錘や綿花加工に必要な工場その他の労働手段が製造され設置されたときと、それが、実際に綿花の加工過程に入ったときとの時間的空間的な差は、糸の生産に必要な労働時間、糸の価値を考察する限りにおいては、まったく影響をおよぼさない。

むしろ、満たされなければならない条件は

第一に、綿花と紡錘とは現実に、ある使用価値の生産に役立っていなければならない……価値にとっては、どのような使用価値が価値を担うかはどうでもよいが、しかしどうしてもなんらかの使用価値が価値を担っていなければならない。第二に、与えられた社会的生産諸条件のもとで必要な労働時間だけが費やされたということが前提となる……もし資本家が気まぐれに、鉄の紡錘の代わりに金の紡錘を用いるとしても、糸価値においては、社会的に必要な労働時間だけが、すなわち鉄の紡錘の生産に必要な労働時間だけが計算にはいる[203]

さて、10ポンドの糸の価値のうち、10ポンドの綿花とそれを綿花に加工するのに消費された労働諸手段とが形成している生産諸手段の価値部分は、10シリング+2シリングで、12シリングという価格で表わされる。なお、ここでは、12シリングの金の生産に24時間の労働量が社会的平均時間として必要とされる。生産手段でもって10ポンドの糸を生産するのは、紡績工である。だから、こんどは、10ポンドの糸の価値のうち、この紡績工の労働の表わす価値部分が考察対象となる。

ここで、私たちは、改めて第1章の第2節で考察された「商品に表わされる労働の二重性」を思い出してみよう。すなわち、使用価値に表れる「具体的有用的労働」と価値に表れる「抽象的人間的労働」とを。

労働過程中においては、綿花を糸に転化させるという目的にそった活動が問題であった。他のすべての事情が変わらないものと前提すれば、労働が目的にそったものであればあるほど、それだけ糸の出来はよい。紡績工の労働は、他の生産的諸労働とは独特に相違するものであった。そして、この相違は、紡績の特殊な目的、その特殊な作業様式、その生産諸手段の特殊な本性、その生産物の特殊な使用価値において、主体的にも客体的にも現われていた。綿花と紡錘とは紡績労働の必需手段として役立ちはするが、それらをもって腔綫砲をつくることはできない。これとは反対に、紡績工の労働が価値形成的すなわち価値源泉である限りでは、それは鑽開工の労働、または――ここでわれわれの身近にある例では――糸の生産諸手段に実現されている綿花栽培者および紡錘製造工の労働とまったく相違しない。ただこの同一性によってのみ、綿花栽培、紡錘製造、および紡績は、糸価値という同じ総価値の、単に量的にのみ相違する諸部分を形成しうるのである。ここでは、もはや、労働の質、性状、および内容が問題ではなく、いまやその量が問題となるだけである。これはただ単に計算されればよい[203-4]

ここでマルクスは、第1章第2節で考察した「商品における労働の二重性」について、より具体的な例示でもって示している。私たちが考察対象としている生産過程、労働過程においては、糸を紡ぐ労働、紡績工の労働力の支出は、その具体的有用的労働としての「紡績」という労働の質においてではなく、労働力を支出する継続時間量という限りにおいてのみ意義をもっている。

いまや、決定的に重要なのは、この過程の継続中に、すなわち綿花の糸への転化の継続中に、社会的に必要な労働時間だけが消費されるということである[204]

ここまでくれば、私たちは、事の本質の一端を垣間みていることを自覚する。資本家のもとでの労働過程、言い換えれば、「売るために生産される生産物」について考察してゆけば、とどのつまり、そこで問題になるのは、その生産物が「いくらで売れるか」ということだけであって、そこでは、使用価値ではなく、価値に現われる一般的人間的労働の一定量を量りうる基準のみがすべてである。それは、時間である。労働力が消費された継続時間量、その労働の対象となるすでに購入されている原料商品に対象化されている労働時間、その原料商品を加工するのに必要なさまざまな労働諸手段に対象化されている労働時間。だから、それらの労働が、質的な相違をもっているとしても、社会的にそれらの質の異なるさまざまな労働力の支出を量る唯一の基準は、その社会において、その商品を生産するに必要な平均的労働時間のみである。

労働力の販売のところでは、労働力の日価値は3シリングであり、この3シリングには6労働時間が体化されており、したがってそれだけの労働分量が労働者の日々の生活諸手段の平均額を生産するために必要であると想定された……わが精紡工が……6時間では10ポンドの綿花を10ポンドの糸に転化する……紡績過程の継続中に綿花は6労働時間を吸収する。この労働時間は3シリングの金分量に表わされる。したがって、綿花は紡績そのものによって3シリングの価値をつけ加えられる[205]

10ポンドの糸の総価値を調べてみよう。綿花と紡錘量とに含まれる労働時間が24時間、紡績工の労働過程の継続時間は6時間、したがって10ポンドの糸に対象化されている労働時間の総計は30時間である。同じ労働時間は15シリングの金量で表わされるから10ポンドの糸の価値に相当する価格は15シリングとなる。

かりに、わが資本家が、10ポンドの綿花とその紡錘に必要な労働諸手段のみに投資し、また、かりに、契約をむすんだ紡績工に6時間だけ働いてもらったとすれば、わが資本家の手にある生産物「糸」の総価値は、投資された貨幣の価値(10ポンドの綿花に10シリング、その紡錘に必要な労働諸手段に2シリング、紡績工を雇用するのに日当3シリング、合わせて15シリング)と等価であって、これを販売しても、これでは、剰余価値は生じないし、投資された貨幣は、けっきょく「資本」には転化しない。

しかし、心配するには及ばないのである。そもそも、わが資本家は、もうけようと思って、生産手段と労働者の雇用とに、大事な貨幣を投資しているのである。わが資本家が雇用した紡績工の労働力の消費についての全権が、資本家の手にあるのであって、なにも6時間だけで満足しなくてもよいのであって、ここではわが資本家は彼が雇用した紡績工に12時間、労働力を支出してもらう権利を有するから、そうする。資本家のあとについていった労働者をまっているものは、10ポンドの綿花とそれを10ポンドの糸に加工するに足るだけの労働手段ではなく、12時間の労働過程にふさわしい量の生産手段である。すなわち、20ポンドの綿花と、それを20ポンドの糸に加工するに足るだけの労働手段である。

労働力の日々の維持費と労働力の日々の支出とは、二つのまったく異なる大きさである。前者は労働力の交換価値を規定し、後者は労働力の使用価値を形成する……労働力の価値と、労働過程における労働力の価値増殖とは、二つの異なる大きさである……労働力の有用的属性は、価値を形成するには労働が有用的形態で支出されなければならないという理由からいって一つの“不可欠な条件”であったにすぎない。しかし、決定的なものは、価値の源泉であり、しかもそれ自身がもっているよりも多くの価値の源泉であるという、この商品の独特な使用価値であった。これこそは、資本家がこの商品から期待する独特な役立ち方なのである。そして、その場合、彼は商品交換の永遠の諸法則に従って行動する。事実、労働力の売り手は、他のどの商品の売り手とも同様に、それの交換価値を実現してそれの使用価値を譲渡する。彼は、後者を手放すことなしには、前者を受け取ることはできない。労働力の使用価値すなわち労働そのものがその売り手に属さないのは、売られた油の使用価値が油商人に属さないのとまったく同様である……それゆえ、労働力の一日のあいだの使用が創造する価値がそれ自身の日価値の二倍の大きさであるという事情は、買い手にとっての特殊な幸運ではあるが、決して売り手にたいする不当行為ではないのである[207-8]

こんどは、20ポンドの糸の総価値を調べてみよう。綿花と紡錘量とに含まれる労働時間は、こんどは、10ポンドの綿花とその紡錘量とに含まれる労働時間の2倍になるから48時間、紡績工の労働過程の継続時間は12時間、したがって20ポンドの糸に対象化されている労働時間の総計は60時間である。同じ労働時間は30シリングの金量で表わされるから20ポンドの糸の価値に相当する価格は30シリングである。

10ポンドの糸を生産するために、わが資本家が投資した総額は15シリングであった。20ポンドの糸を生産するために、わが資本家が投資したのはいくらだったろうか。まず、20ポンドの綿花とそれをすべて糸に加工するに足る労働手段が購入される。これらの生産手段の価値に相当する価格は、20シリング+4シリング=24シリングであって、10ポンドの糸の生産のために必要な生産手段の2倍の価格である。しかし、紡績工の雇用にかかる経費、人件費は、紡績工の労働力の日価値が変わらなければ、10ポンドの糸の生産過程のときと同様の価格で購入できるから、3シリングである。したがって、わが資本家が、20ポンドの糸の生産のために投資した貨幣の総額は24シリング+3シリング=27シリング。わが資本家は、27シリングを投資して、30シリングの価値をもつ生産物を手に入れた。もちろん、これは販売され、彼は30シリングの貨幣を27シリングを出したのと同じポケットに還流するのである。3シリングの剰余価値が生じたわけである。

手品はついに成功した。貨幣は資本に転化した。

問題のすべての条件が解決されており、商品交換の法則は少しもそこなわれてはいない。等価物どうしが交換された。資本家は買い手として、それぞれの商品、すなわち綿花、紡錘量、労働力にその価値どおりに支払った。それから、彼は、商品の他の買い手がだれでも行なうことを、行なった。彼はそれらの商品の使用価値を消費したのである。労働力の消費過程は、同時に商品の生産過程であって、30シリングの価値をもつ20ポンドの糸という生産物を生み出した。資本家は市場に立ちもどってきて、まえには商品を買ったのであるが、こんどは商品を売る。彼は1ポンドの糸をその価値よりびた一文も高くも低くもない1シリング6ペンスで売る。それでも、彼は、彼がはじめに流通に投げ入れたよりも、3シリングだけ多くを流通から引き出す。この全経過すなわち彼の貨幣の資本への転化は、流通部面において行なわれるのであり、しかも流通部面において行なわれるのではない。流通の媒介によって行なわれる。なぜなら、商品市場における労働力の購買によって条件づけられているからである。流通において行なわれるのではない。なぜなら、流通は生産部面において起こる価値増殖過程を準備するだけだからである[209]

わが資本家が追い求めるものは、「交換価値」であって「使用価値」ではない。彼が生産する商品は、彼にとっては、その社会の必要段階に応じて販売に値するかどうかということのみが、大切なのである。しかし、この資本家の行動そのものは、彼が自覚するかしないかにかかわらず、その社会にとって積極的な意義を持ち合わせている、と同時に、その社会の生産様式の枠組みそのものの崩壊要因ですらある、という矛盾を、ここで、マルクスは、簡潔に述べている。その詳細な考察は、のちの章で行なわれることになるはずだ。

資本家は、新たな一生産物の素材形成者として、または労働過程の諸要因として、役立つ諸商品に貨幣を転化することによって、すなわち諸商品の死んだ対象性に生きた労働力を合体することによって、価値を、対象化された過去の死んだ労働を、資本に、自己を増殖する価値に、恋にもだえる身のように「働き」始める、命を吹き込まれた怪物に、転化させる[209]

さて、わが資本家は、27シリングに3シリングの「もうけ」を加えた30シリングを前に、ただホクホクとよろこんでいるだけではない。このまま30シリングを流通から引き上げてしまえば、四苦八苦して、土地を買い(あるいは借用し)、工場を建設し、機械を購入したあげくに、たったの3シリングしかもうからないことになる。こんな馬鹿げたことは、わが資本家は考えていない。“苦労”の代償を受けとるために、わが資本家はただちに再投資にかかる。

価値形成過程と価値増殖過程とを比較してみると、価値増殖過程はある一定の点を超えて延長された価値形成過程にほかならない。もし後者が、資本によって支払われた労働力の価値が新たな等価物によって補填される点まで継続されるだけなら、それは単純な価値形成過程である。もしも価値形成過程がこの点を超えて継続されるならば、それは価値増殖過程となる[209]

上記のように書いたあとで、よく読み返してみると、「価値形成過程から価値増殖過程への転化」を叙述したこの部分の理解が不正確だったことに気がついた。この引用部分でマルクスが述べようとしていたのは、「投資の継続」ではなかった。

上記の引用部分のなかで、「資本によって支払われた労働力の価値が新たな等価物によって補填される点まで継続されるだけ」の場合というのは、マルクスのこれまでの例示で言えば、糸の生産が10ポンドだけである場合であって、剰余価値が生じるためには、それ以上の生産過程が継続されなければならない。すなわち、10ポンドをこえる糸の生産過程の継続が、価値形成過程から価値増殖過程への転化となる。

「使用価値」を目的とする生産過程と、「交換価値」を目的とする生産過程との区別を、マルクスは次のように簡潔に表現する。

労働過程と価値形成過程との統一としては、生産過程は商品の生産過程である。労働過程と価値増殖過程との統一としては、それは資本主義的生産過程、商品生産の資本主義的形態である[211]

商品生産そのものは、かなり太古の昔から人類社会において営まれてきた。しかし、それが、「交換価値」を目的とする商品生産、すなわち「資本主義的生産過程」、商品生産の資本主義的形態にいたるには、それ相応の歴史的発展と社会的世界的情勢の発展が不可欠であった。

ここでは、マルクスは、その転換点のポイントを叙述している。それは、社会的平均労働時間が自覚され、認識されるにいたる段階、ということをめぐる叙述である。たとえば、単純労働と複雑労働とについて。あるいは、その労働時間の分割の仕方について。

資本家にとって取得される労働が単純な社会的平均労働であるか、それとも、より複雑な労働、より高い特殊な比重をもつ労働であるかは、価値増殖過程にとってはまったくどうでもよいことである。社会的平均労働に比べてより高度な、より複雑な労働として意義をもつ労働は、単純な労働力と比べて、より高い養成費がかかり、その生産により多くの労働時間を要し、それゆえより高い価値をもつ労働力の発揮である。もし労働力の価値がより高いならば、それゆえにこそこの労働力はより高度な労働においてみずからを発揮し、それゆえに同じ時間内で比較的高い価値に対象化される。とはいえ、紡績労働と宝石細工労働とのあいだの等級上の区別がどうであろうとも、宝石細工労働者が彼自身の労働力の価値を補填するにすぎない労働部分は、彼が剰余価値を創造する追加的労働部分と質的には決して区別されない。前者の場合も後者の場合も、剰余価値は、労働の量的な超過によってのみ、同じ労働過程の、すなわち一方の場合には糸生産の過程の、他方の場合には宝石生産の過程の、時間的延長によってのみ生じてくるのである。

他方では、どの価値形成過程においても、より高度な労働は、つねに、社会的平均労働に還元されなければならない。たとえば、一日のより高度な労働はx日の単純労働に還元されなければならない。したがって、資本によって使用される労働者は単純な社会的平均労働を行なうと仮定することによって、余計な操作がはぶかれ、分析が簡単化される[211-3]

上記のノートについても、かなり「大言壮語」的なことを言っていたものだと反省している。もちろん価値形成過程や価値増殖過程において、労働の継続量、すなわち、その「時間」がもつ意義が語られているにはちがいないが、むしろここでは、価値増殖過程への「転換点」について、というよりも、やはり、第1章第2節のなかでマルクスがのべていた、「単純な労働力の支出」一般として人間的労働が認識されることについて、これまでの考察をふまえて、より厳密に叙述している箇所だと思う。マルクスは、当該箇所で、つぎのようにのべていた。

確かに、人間的労働力そのものは、それがあれこれの形態で支出されるためには、多少とも発達していなければならない。しかし、商品の価値は、人間的労働自体を、人間的労働一般の支出を、表わしている。ところで、ブルジョア社会では、将軍なり銀行家なりは大きな役割を演じ、これにたいして人間自体はごくみすぼらしい役割を演じているが、この場合の人間的労働もそのとおりである。それは、平均的に、普通の人間ならだれでも、特殊な発達なしに、その肉体のうちにもっている単純な労働力の支出である。確かに、単純な平均労働そのものは、国を異にし文化史上の時代を異にすれば、その性格を変えるが、現に存在する一つの社会では、与えられている。より複雑な労働は、単純労働の何乗かされたもの、またはむしろ何倍かされたものとしてのみ通用し、そのために、より小さい分量の複雑労働がより大きい分量の単純労働に等しいことになる。この還元が絶えず行なわれていることは、経験が示している。ある商品はもっとも複雑な労働の生産物であるかもしれないが、その価値は、その商品を単純労働の生産物に等置するのであり、したがって、それ自身、一定分量の単純労働を表わすにすぎない[59]

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第1部:資本の生産過程

第3篇:絶対的剰余価値の生産
第6章
不変資本と可変資本

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労働者は、彼の労働の一定の内容、目的、および技術的性格がどのようなものであれ、一定分量の労働をつけ加えることによって、労働対象に新たな価値をつけ加える。他方では、われわれは、消耗された生産諸手段の価値を、生産物価値の構成部分として、たとえば綿花と紡錘との価値を糸価値のなかに、ふたたび見いだす[214]

生産手段の価値が、生産物の価値に、そっくりそのまま移転する、ということ。このことをめぐって考察されているのが、この章である。

生産諸手段の価値は、それが生産物に移転することによって維持される。この移転は、生産諸手段の生産物への転化のあいだに、労働過程中に、行なわれる。それは労働によって媒介されている。では、どのように行なわれるのか?[214]

わが紡績工は、同じ時間内に、新たな価値を付け加える労働と、生産手段の価値を生産物に移転する労働と、二重労働を、行なっているわけではない。精紡工の同じ時間内の労働が、まったく相反する二つの結果を生み出しているということなのである。

結果のこの二面性は、明らかに彼の労働そのものの二面性からのみ説明されうる[214]

ここでも、ふたたびわれわれは、「労働の二重性」ということをふり返ろう。「具体的有用的労働」という側面と「抽象的人間的労働」という側面とを。

マルクスは「生産的消費」ということを言った。ある使用価値の消費によって、別の使用価値を生み出すという能力を人間の労働は持ち合わせている。これを、価値形成過程において、厳密に考察すれば

生産諸手段の使用価値のもとの形態は消えうせるが、しかし使用価値の新たな一形態で出現するためにのみ消えうせる[215]

というふうに言うことができる。きわめて“神秘的”な言い回しであるが、実際の労働過程を想像してみれば、すぐに合点がゆく。糸と織機でもってつくられる反物は、糸とはまったく異なる「使用価値」であり織機ともまったく異なる「使用価値」である。しかし、実際に、人の“織る”という労働行為によって、糸と織機という使用価値の形態が消えうせる(織機の場合にはその一部分が磨耗、消耗する)ことによって、反物という、まったく別の使用価値が生み出されるのである。

人間がある素材を別の素材でもって、まったく異なる使用価値を生み出すということには、さきの章で考察されたように、人間の合目的的行為、人間の目的意識が前提にある。人間は、まず、何をどのような目的のために、どのようにつくるか、ということを意識して労働するのである。さまざまな目的意識による労働は、それぞれ多種多様な要求にもとづいて、特殊な有用性を帯びることになる。

労働者が消耗された生産諸手段の価値を維持するのは、すなわちそれらの価値を価値構成部分として生産物に移転するのは、労働一般をつけ加えることによってではなく、この付加的労働の特殊的有用的性格によって、それの独特な生産的形態によってである[215]

また、マルクスの指摘のなかで、たいへん重要なのは、この労働行為が、別の使用価値を生み出すために他の使用価値を消耗するだけだということではない、という点が指摘されていることである。

労働は、ただ接触するだけで生産諸手段を死からよみがえらせ、それらに精気を吹き込んで労働過程の諸要因にし、それらと結合して生産物となるのである[215]

そして、一方、新たな価値をその生産物につけ加えるのも人間の労働である。それは、人間労働の、一般的抽象的社会的労働という側面である限りにおいてである。「商品における労働の二重性」についての発見が、どれだけ画期的だったか、ということが、読み進むにつれて明らかとなる。マルクスは、生産手段の価値移転について、労働の二重性という側面から、つぎのように考察する。

精紡工の労働は、その抽象的一般的属性においては、すなわち人間的労働力の支出としては、綿花と紡錘との価値に新価値をつけ加え、紡績過程としてのその具体的、特殊的、有用的属性においては、これらの生産手段の価値を生産物に移転し、こうしてそれらの価値を生産物において維持する[215]

新たな価値をつけ加える「人間的労働力の支出」は、その継続時間ではかられる。生産手段の価値を生産物において維持する具体的有用的労働は、その生産物の具体的有用的形態に反映する。マルクスは、第1篇第1章第2節のなかで、生産力の変化をめぐる考察をしているが、そこで、つぎのようにのべていた。

素材的富の量の増大に対応して、同時にその価値の大きさが低下することもありうる。このような対立的運動は、労働の二面的性格から生じる。生産力は、もちろんつねに、有用的具体的労働の生産力であり、実際、ただ、与えられた時間内における合目的的生産的活動の作用度だけを規定する。だから、有用的労働は、その生産力の上昇または低下に正比例して、より豊かな生産物源泉ともなれば、より貧しい生産物源泉ともなる。これにたいして、生産力の変動は、それ自体としては、価値に表わされる労働にはまったく影響しない。生産力は、労働の具体的有用的形態に属するから、労働の具体的有用的形態が捨象されるやいなや、生産力は、当然、もはや労働に影響を与えることはできなくなる。だから、生産力がどんなに変動しても、同じ労働は同じ時間内には、つねに同じ価値の大きさを生み出す。ところが、同じ労働は同じ時間内に、異なった分量の使用価値を――生産力が上がれば、より大きい量を、生産力が下がれば、より小さい量を――提供する。したがって、労働の多様性を、それゆえ、労働によって提供される使用価値の総量を、増大させる生産力の変動は、もしもそれがこの使用価値総量の生産に必要な労働時間の総計を短縮させるならば、この増大した使用価値総量の価値の大きさを減少させる。反対の場合には逆になる[61]

このとき考察された現象が、ここ第6章では「価値移転」という側面から、より詳細に分析される。

なんらかの発明によって、精紡工が以前には36時間で紡ぐことができたのと同じだけの綿花を6時間で紡ぐことができるようになったと仮定しよう。合目的的で有用的生産的な活動としては、彼の労働はその力を6倍にした。その生産物は6倍の糸であり、6ポンドではなく36ポンドの糸である。しかし、36ポンドの綿花は、いまや、以前に6ポンドの綿花が吸収したのと同じだけの労働時間を吸収するにすぎない。6ポンドの綿花には、旧方法をもってするのに比べて6分の1の新たな労働がつけ加えられ、それゆえいまでは、以前の価値の6分の1がつけ加えられるだけである。他方、いまや、6倍の綿花の価値が、生産物すなわち36ポンドの糸のうちに実存する。6紡績時間のうちに、6倍の原料の価値が維持され、生産物に移転される。もっとも同じ原料に6分の1の新価値がつけ加えられるのであるが。このことは、同じ不可分の過程中に価値を維持するという労働の属性が、価値を創造するという労働の属性といかに本質的に相違するものであるかを示す。紡績作業中に同じ分量の綿花に費やされる必要労働時間が多ければ多いほど、綿花につけ加えられる新価値はそれだけ大きいが、しかし、同じ労働時間内に紡がれる綿花のポンドが多ければ多いほど、生産物において維持される旧価値はそれだけ大きい。

その反対に、紡績労働の生産性が不変のままであり、したがって精紡工は、1ポンドの綿花を糸に転化するために相変わらずまえと同じだけの労働時間を必要すると仮定しよう。しかし、綿花そのものの交換価値が変動し、1ポンドの綿花の価格が6倍に騰貴するか、または6分の1に下落するとしよう。どちらの場合にも、精紡工は引き続き同じ分量の綿花に同じ労働時間、したがって同じ価値をつけ加え、どちらの場合にも、彼は同じ時間内に同じ量の糸を生産する。それにもかかわらず、精紡工が綿花から糸すなわち生産物に移転する価値は、一方の場合には以前の6倍であり、他方の場合には6分の1である。労働諸手段が高価になったり廉価になったりしても労働過程においてつねに同じように役に立つ場合にも、右と同じである。

紡績過程の技術的諸条件が不変のままであり、またその生産諸手段についてもなんら価値変動が生じないとすれば、精紡工は、まえと変わらぬ価値をもつ同じ分量の原料と機械設備を、同じ労働時間でこれまでどおり消費する。この場合には、彼が生産物において維持する価値は、彼がつけ加える新価値に正比例する……

……相対的な意味では、労働者はつねに新価値をつけ加えるのと同じ比率で旧価値を維持すると言うことができる。たとえ綿花が1シリングから2シリングに騰貴するか、または6ペンスに下落するかしても、労働者が1時間の生産物において維持する綿花価値は、その価値がいかに変動しようとも、つねに2時間の生産物において維持する価値の半分でしかない。さらに、彼自身の労働の生産性が変動し、それが上昇するかまたは低下するならば、彼はたとえば1労働時間に以前よりもより多くの、またはより少ない綿花を紡ぎ、それに対応して、より多くの、またはより少ない綿花価値を1労働時間の生産物において維持するであろう。それにもかかわらず、労働者は2労働時間では1労働時間の2倍の価値を維持するであろう[216-7]

かなり長い引用になってしまったが、要約するよりも、直接、マルクスの叙述を読んだほうがわかりやすいと思って、全体を引用してしまった。

さて、これまた第1篇第1章第1節で、マルクスは、つぎのようにのべていた。

ある物の有用性は、その物を使用価値にする。しかし、この有用性は空中に浮かんでいるのではない。この有用性は、商品体の諸属性によって制約されており、商品体なしには実存しない。それゆえ、鉄、小麦、ダイヤモンドなどのような商品体そのものが、使用価値または財である[50]

これ以降、私たちは、マルクスの叙述とともに考察をすすめてきたので、「使用価値」と「価値」、「労働の二重性」などの側面から、より、「商品」あるいは、この社会の「財」というものについて認識を深めてきた。使用価値なしには価値は実存しえない。また、私たちは、生活手段としての消費と、生産過程における生産手段の消費とのちがいもみてきた。生活手段としての商品は、その消費によって、使用価値がなくなり、それとともに価値もまたなくなる。しかし、生産過程における消費、生産手段が労働過程のなかで消費されるときには、それらの生産手段の使用価値はなくなっても、それらの生産手段の価値は、新たに労働力の消費によってつくりだされる別の使用価値の姿で、継続される。

労働過程において、価値が生産手段から生産物に移行するのは、ただ、生産手段がその独自な使用価値とともにその交換価値をも失う限りでのことである。生産手段は、それが生産手段として失う価値だけを生産物に引き渡す[217]

ただし、この生産手段の価値移転の仕方、あり方には、労働対象としての生産手段と、労働手段としての生産手段とに、ちがいがある、ということをマルクスは指摘している。生産手段のうち、労働対象である、原料や補助材料などは、労働過程のなかで、ほぼその自立的な形態を失ってしまうが、

本来の労働諸手段の場合は、違っている。用具、機械、工場の建物、容器などは、それらが最初の姿態を保持し、きのうとまったく同じ形態であすもふたたび労働過程にはいり込む限りにおいてのみ、労働過程で役に立つ[218]

もちろん、すべて、天然に存在する物も、生産された商品についても、労働手段としてのさまざまな生産物についても、ほおっておけば、風化し、酸化し、その使用価値を失うとともに価値を失って行く。この場合、ほおっておくかぎりにおいて、つまり労働過程のなかにはいり込まないかぎりでは、それは、生活手段の消費による使用価値の消失、だから、同時に価値が消失する、ということよりも、まったく、社会的には無意味な消耗、消失である。

しかし、生産的消費においても、さまざまな労働手段は、使用されるごとに、摩滅し、消耗するのであって、だからこそ、その摩滅し、消耗する分だけ、その使用価値分だけ、生産物に価値を移転するのである。

第3篇第5章第2節で、糸の生産について、マルクスの前提を紹介した。

40ポンドの糸の価値=40ポンドの綿花の価値+まる1錘分の紡錘の価値[202]

これ以降の例示で、便宜上、私たちは、10ポンドの糸、20ポンドの糸の価値について、考察をつづけたのであったが、そのさい、「まる1錘分の紡錘の価値」は、それぞれ、4分の1の紡錘価値、2分の1の紡錘の価値、として算出してきた。しかし、1錘分の紡錘(この場合では、マルクスは、他の労働手段の代表として、紡錘を取り上げているのではあるが)という労働手段の実存形態は、たとえば、2分の1人という人間がいないのと同様に、40ポンドの綿花を40ポンドの糸に加工するだけの、一定の実存形態としてあるわけである。

ある機械がたとえば1000ポンド・スターリングの価値をもち、1000日で摩滅するとしよう。この場合には、機械の価値の1000分の1が、日々、機械そのものからそれの日々の生産物に移行する。生命力がしだいに失われるとはいえ、機械総体は労働過程において不断に作用し続ける。したがって、労働過程の一要因である、ある生産手段は、労働過程へは全体としてはいり込むが、価値増殖過程へは部分的にはいり込むだけだということがわかる。ここでは、労働過程と価値増殖過程との区別は、同じ生産手段が同じ生産過程において、労働過程の要素としては全体として計算にはいり、価値形成の要素としては一部分ずつ計算にはいるにすぎないということによって、それらの過程の対象的諸要因に反映する[219]

マルクスは、この部分の注で、たいへん丁寧な解説を行なっている。というのも、その当時、労働手段と労働対象、労働力という、労働過程における諸契機についての考察に、きわめて雑な研究がなされていたからだったらしいが。しかし、私にとっても、この注での説明は、たいへんわかりやすく、理解を深めるための、たいへん重要な指摘だった。

ここでは、労働諸手段すなわち機械、建物等の修理のことは問題にならない。修理される機械は、労働手段としてではなく労働材料として機能する。それを用いて労働が行なわれるのではなく、その使用価値を補修するためにそれ自身が加工されるのである。われわれの目的にとっては、このような修理労働は、その労働手段の生産に必要な労働のなかにつねに含められていると考えることができる(注21)[219]

マルクスが、いかに実際の労働過程を調査しているかを実感したのが、つぎのマルクスの指摘である。いわゆる“ダスト”について。また、少々長い引用になるが、直接読んだほうがわかりやすいので、そうする。

ある生産手段は、部分的に労働過程にはいり込むだけであるにもかかわらず、価値増殖過程には全体としてはいり込むことがありうる。綿花を紡いで糸にするさいに、毎日115ポンドにつき15ポンドが屑になって糸にはならず、“デビルズダスト”にしかならないと仮定しよう。それでも、この15ポンドの屑が標準的であり、綿花の平均加工と不可分のものであれば、糸の要素をなんら形成しないこの15ポンドの綿花の価値は、糸の実体を形成する100ポンドの綿花の価値とまったく同様に、糸価値のなかにはいり込む。15ポンドの綿花の使用価値は、100ポンドの糸をつくるために塵にならざるをえない。したがってこの綿花の消滅は、糸の一つの生産条件である。そうであるからこそ、この綿花はその価値を糸に引き渡すのである。こうしたことは労働過程のすべての廃棄物についてあてはまる――少なくともこれらの廃棄物がふたたび新たな生産諸手段を形成せず、それゆえ新たな独自な使用諸価値を形成しない限りにおいてのことであるが[220]

この問題は、現代においては“リサイクル”問題につながることではないだろうか。ただし、ここでは、廃棄物が他の新たな生産手段を形成しない限りにおいてのケースとして、例示しているから、リサイクルといっても、同じ原料や補助材料としてのリサイクルということになる。この引用部分につづいて、マルクスは、マンチェスターの機械製作工場での鉄くずが製鉄所からリサイクルされて、ふたたび原料として工場にもどされる例をあげているが、原料や補助材料が効率的合理的に利用しつくされるような方法の研究、開発は、その社会全体にとっても重要な課題でもあるし、真の効率性を考えれば、その企業経営者にとってみても、たいへん重要な課題でありうるはずだ。

労働過程では、このような廃棄物が多少なりとも生じるのではあるが、いずれにしろ、生産手段が労働過程において生産物の新たな姿態に移転する価値の最大限は、

それらが労働過程にはいるときにもっていた最初の価値の大きさによって、すなわちそれら自身の生産に必要な労働時間によって、制限されている。それゆえ生産諸手段は、それらが役立つ労働過程とはかかわりなくもっている価値よりも多くの価値を生産物につけ加えることは決してできない……労働過程においては、それは、使用価値としてのみ、有用的属性をもつ物としてのみ役立つのであり、それゆえ、もしそれがこの過程にはいるまえに価値をもっていないとしたら、それは生産物になんらの価値も引き渡しはしないであろう[220]

労働者は、彼の労働力の消費によって、さまざまな生産手段を新たな姿の生産物という使用価値を生み出すことで、新たな価値をつけ加えるだけでなく、同時に、それらの生産手段の価値をそっくりそのまま移転し、維持する。それは、彼の労働の二面性によるものである。「具体的有用的労働」という側面と「抽象的人間的労働」という側面と。

価値をつけ加えることによって価値を維持するということは、自己を発現している労働力すなわち生きた労働の天性というべきものである。この天性は、労働者にはなんの費用もかからないが、資本家には現存資本価値の維持という多大の利益をもたらす天性なのである[221]

この部分でマルクスは、生産労働過程における生産手段の価値移転を「輪廻」という仏教用語を使って表現している。「死から他の生へ生まれ変わることの繰り返し」――この「労働の無償の贈り物」の意義は、皮肉なことに、過剰生産恐慌による労働過程循環の強制的中断によって明らかとなる、ということを、同時にマルクスは指摘している。

1862年11月26日付の『タイムズ』紙上で、800人の労働者を使用し、毎週平均150梱の東インド綿花または約130梱のアメリカ綿花を消費する紡績工場の持ち主である一工場主が、彼の工場の年々の操業中断費のことを読者に嘆き訴えている。彼はそれを6000ポンド・スターリングと見積もっている。この失費のなかには、地代、租税、保険料や、1年契約の労働者、支配人、簿記係、技師などの給料のような、いまの場合われわれとは関係のない多くの費目がある。それから彼は、工場をときどき暖め、蒸気機関をときおり運転するための石炭代を150ポンド・スターリングと計算し、そのほかにときおりの労働によって機械設備を「いつでも動かせる状態」に保っておく労働者の賃銀をも計算する。最後に、機械設備の損傷を1200ポンド・スターリングと計算する。なぜなら、「天候と腐朽の自然法則とは、蒸気機関が回転をやめるからといってその作用を停止しはしない」からである。彼は、この1200ポンド・スターリングという額は、機械設備がすでにひどく消耗しきった状態にあるがゆえに、非常に少なく見積もられていると断言している。(注23)[221]

さて、いよいよ「価値移転」の解明の佳境にはいっていく。生産手段の価値が維持され、移転される、ということの実質的内容は、どのようなものか。労働過程においてその変化をとげるのが使用価値であるが、もともと価値を内在させていた使用価値が他の使用価値になるという過程のなかで、維持され、移転されるのである。

それゆえ、生産諸手段の価値は生産物の価値のなかに再現するのであるが、しかし厳密に言えば、それは再生産されるのではない。生産されるのは、新たな使用価値であり、そのなかで旧交換価値が再現するのである[222]

見かけ上は「再生産」されるように見える生産手段の価値は、「再生産」されるのではなく、単に「再現」されるだけである、とマルクスは指摘する。

これにたいして、労働力の場合は、事情が異なる。ここでは、まず、労働者が、労働力の価値と等価の生産物を生産する場合を考えてみよう。これまでの例示で言うと、10ポンドの糸を生産する6時間労働による3シリングの価値の追加で、生産過程が中断する場合。

確かにこの価値は、資本家によって労働力の購買にさいして前貸しされ、労働者自身によって生活諸手段に支出された貨幣を補填するものでしかない。支出された3シリングとの関連で見ると、3シリングの新価値は再生産としてのみ現われる。しかし、この価値は、現実的に再生産されているのであって、生産諸手段の価値のように単に外見的にのみ再生産されているのではない。ある価値の他の価値による補填は、この場合には新たな価値創造によって媒介されている[223]

労働力の価値を規定する、さまざまな生産物は、労働者自身によって消費され、彼の血となり肉となったのである。それは、彼の筋肉、脳髄、教養などなどを維持し、労働力発揮の継続を保障するものとなっている。これらの価値が、労働過程において、労働者の実際の労働力の発現のなかで、価値を「創造」することによって、実質的に「再生産」されるのであって、このことは、生産手段の「価値移転」とは、まったく別の過程である。

そして、この「価値形成過程」が、彼の労働力と等価の生産物の生産以上の生産過程を継続することによって、「価値増殖過程」へと発展する。

労働過程のさまざまな契機となる、労働対象や労働手段のような生産手段と、人間の労働力とが、生産物の価値を形成するさいにはたすさまざまな役割が考察されてきた。そして、そのことは、同時に、それら、労働過程の諸契機に投資された資本が、どのようにその価値を増殖させていくのか、ということを明らかにした。

生産物の価値を構成しているのは、資本家が最初に投資した価値を超える超過分、すなわち剰余価値部分と、資本家が最初に投資した生産手段と労働力の価値部分である。これまでみてきたように、わが資本家が投資した資本のうち、生産手段に投資された部分は、生産過程でその価値の大きさを変えないまま、生産物にそっくり移転される――これをマルクスは「不変資本」と名づけた。わが資本家が投資した資本のうち、労働者の雇用にあてられた部分、労働力の購入にあてられた部分は、生産過程で(これまでのところ)その消費継続時間の長短によってその価値の大きさを変え、剰余価値を生み出す――これをマルクスは「可変資本」と名づけた。

労働過程の立場からは客体的要因および主体的要因として、生産諸手段および労働力として、区別される同じ資本構成諸部分が、価値増殖過程の立場からは不変資本および可変資本として区別される[224]

この「不変資本」の“不変”という意味について、マルクスは、さらにつぎのように述べている。

不変資本という概念は、それの構成諸部分の価値革命を決して排除するものではない[224]

生産諸手段の価値における変動は、たとえ生産諸手段がすでに過程にはいったのちに反作用的に生じたものであっても、不変資本としてのそれらの性格を変えない[225]

生産手段が労働過程に入っている間に、それらの価値に変動がおきる場合がある。むしろ、そういうケースの方が多い。そのような変化は、当然マルクスは想定している、と言っているのである。マルクスが、生産手段に投資される資本を「不変資本」と名づけるのは、たとえ、労働過程にはいり込んでいる間に、それら生産手段の価値変動がおこったとしても、生産手段の価値が、労働過程において、そっくりそのままの価値の大きさで移転するという内容に変わりはない、という意味においてである。生産手段の価値変動は、その変動があくまで労働過程の外で、流通過程でおきているから、それら生産手段が、労働過程をへて、生産物として流通過程にはいり込んだその瞬間から反映する。だから、価値の変動がおきる以前にその生産手段が購入され、労働過程を経て、流通過程に、すでに、はいり込んでいる生産物にも、その価値変動は反映される。

ここで、マルクスは、この「価値革命」をめぐって、「投機の法則」という、たいへん興味深い考察を行なっている。生産手段のうち、とくに原料が

労働過程にはいり込んでいる場合には、それがいましがた通過した労働過程の数が少なければ少ないほど、それだけこの結果が確実となる。それゆえ、このような価値革命にさいしては、加工されることのもっとも少ない形態にある原料に投機すること、したがって、織物よりはむしろ糸に、また糸よりはむしろ綿花そのものに投機することが、投機の法則なのである[224]

で、このような現象がなぜ生じるかといえば、

一商品の価値は、確かにそのなかに含まれている労働の分量によって規定されているのであるが、しかしこの分量そのものは社会的に規定されている。その商品の生産に社会的に必要な労働時間が変化したとすれば……もとの商品への反作用が生じるのであって、その商品はいつでもその類の個別的見本として通用するにすぎないのであり、その価値は……つねに現在の社会的諸条件のもとで必要な、労働によってはかられる[224-5]

からである。

そして、この「価値変動」をめぐっては原料などの労働対象だけではなく、機械や工場などの労働手段にも、同様のことがいえる。

原料の価値と同じように、すでに生産過程で役立っている労働諸手段、すなわち機械などの価値も、したがってまたそれらが生産物に引き渡す価値部分も、変動することがありうる。たとえば新たな発明の結果、同じ種類の機械が労働のより少ない支出でもって再生産されるならば、もとの機械は多かれ少なかれ減価し、それゆえまた、それに比例してより少ない価値を生産物に移転する。しかしこの場合もまた、価値変動は、その機械が生産手段として機能する生産過程の外部で生じる。この過程内では、その機械は、それがこの過程とかかわりなくもっている価値よりも多くの価値を引き渡すことは決してない[225]

さて、この章のさいごにマルクスが述べていることについて、なぜ、あえて、このことをここで強調しているのかが、私にはまだよく理解できていない。このことは、これ以降の章を読みすすめれば、理解可能であろうか? とりあえず、以下にその部分を引用する。これもしばらくは宿題。

不変資本と可変資本との比率における変動も、それらの資本の機能上の区別には少しも影響しない。たとえば、労働過程の技術的諸条件が改革され、その結果、以前には10人の労働者がより価値の少ない10個の道具を用いて比較的小量の原料を加工していた所で、いまや、1人の労働者が1台の高価な機械を用いて100倍の原料を加工するとしよう。この場合には、不変資本すなわち使用された生産諸手段の価値総量はおおいに増大し、労働力に前貸しされた資本の可変部分はおおいに減少するであろう。とはいえ、この変動は、不変資本と可変資本との大きさの割合、すなわち全体の資本が不変的構成部分と可変的構成部分とに分割される比率を変化させるだけであって、不変と可変との区別には影響しない[225]

いま、おおよそ予測できるのは、この考察が、剰余価値の大きさを資本家がどのように苦心して大きくしようとするか、なぜ、それができるのか、その考察の前提を述べているのか、ということくらいである。

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第1部:資本の生産過程

第3篇:絶対的剰余価値の生産

第7章:剰余価値率
第1節
労働力の搾取度

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生産諸要素の価値は前貸資本の価値に等しいのであるから、生産物価値のうち、それの生産諸要素の価値を超える超過分は、前貸資本の増殖分に等しい、または生産された剰余価値に等しいと言うことは、実際には、同義反復である。

とはいえ、この同義反復にはより詳しい規定を必要とする[226]

私は第1部第5章第2節「価値増殖過程」のノートで、マルクスの例示で示された剰余価値3シリングを、うかつにも「たったの3シリング」と評してしまった。第1部第5章第2節「価値増殖過程」の例示では、1日1労働者がかかわる生産過程への前貸資本の価格は27シリング、1日1労働者が生産する生産物の価格は30シリングであった。前貸資本27シリングにたいする剰余価値3シリングを「たったの3シリング」と評しうるのかどうか。

この節では、これまでの「不変資本」「可変資本」の分析をふまえたうえで、マルクスはつぎのように例示している。

資本Cは、生産手段に支出される一つの貨幣額cと、労働力に支出されるもう一つの貨幣額vとの二つの部分に分解する。cは不変資本に転化される価値部分を、vは可変資本に転化される価値部分を表わす。したがって、最初はC=c+vであり、たとえば前貸資本500ポンド・スターリング=410ポンド・スターリング(c)+90ポンド・スターリング(v)である。生産過程の終わりには商品が現われてくるが、その価値は(c+v)mであって、このmは剰余価値である。たとえば{410ポンド・スターリング(c)+90ポンドスターリング(v)}+90ポンド・スターリング(m)である。最初の資本CはC'に、500ポンド・スターリングから590ポンド・スターリングに転化した。両者の差額は、m、すなわち90ポンド・スターリングの剰余価値である。

500ポンド・スターリングの前貸資本と、その増殖分、90ポンド・スターリングの剰余価値。このことはたしかなことではあるが、90ポンド・スターリングが500ポンド・スターリングにたいして、「たった18%だけの増殖」というように言うのは、はたして正しいのかどうか。マルクスは、この点に注意をよびかけている。ここで、前の章で分析された前貸資本の各部分、「不変」部分と「可変」部分との考察が重要になるのである。

マルクスは、この節のはじめの例示をもとに、より厳密に考察をつづける。

まず、第1点

生産物価値と比較されるものは、生産物の形成にさいして消費された生産諸要素の価値である。しかし……充用された不変資本のうち労働諸手段から成り立つ部分は、その価値の一部分のみを生産物に引き渡すのであるが、他方、残りの部分はそのもとの実存形態で存続する。この後者は価値形成においてはなんの役割も演じないのであるから、ここではこの部分は度外視しなければならない[226-7]

かりに、不変資本c=410ポンド・スターリングは、312ポンド・スターリング(原料)+44ポンド・スターリング(補助材料)+54ポンド・スターリング(生産過程で消耗摩滅する諸設備)から構成されているとする。そして、この生産過程に充用された諸設備全体の価値は1054ポンド・スターリングだと仮定する。

マルクスのはじめの例示のなかには、もともと、不変資本のうちもとの形態のまま存続する1000ポンド・スターリングは算入されていない。これをもし算入する場合には、最初に例示された式の両辺に、前貸資本と生産物価格との両方に、1000ポンド・スターリングを算入しなければならない。差額は相変わらず90ポンド・スターリングとなる。

価値生産のために前貸しされた不変資本と言うとき、われわれは、文脈から見て反対の結果が出てくるとわかるのでない限り、生産において消耗された生産諸手段の価値という意味にのみ解する[227]

そして、第2点

価値変化、価値変化の割合を正しく算出するためには、生産過程で消耗された生産手段である不変資本をゼロとして計算すること。それは、すでに前の章で明らかなように、前貸資本のなかの「不変資本」が、生産過程のなかで「以前の使用価値に内在していた価値を、そっくりそのまま新たな使用価値に再現する」という性格によるものである。

このことを前提にしてC=c+vという定式にもどると、この定式は、C'=(c+v)+mに転化し、またまさにこのことによって、CはC'に転化する。……不変資本の価値は生産物において再現するにすぎない。したがって、過程において現実に新たに生み出された価値生産物は、過程から得られた生産物価値とは異なるのであって、それゆえ、一見そう見えるように、(c+v)mすなわち{410ポンド・スターリング(c)+90ポンドスターリング(v)}+90ポンド・スターリング(m)ではなく、v+mすなわち{90ポンドスターリング(v)+90ポンド・スターリング(m)}なのであり、590ポンド・スターリングではなく、180ポンド・スターリングなのである。[227]

現実の価値変化および価値変化の割合は、前貸総資本の可変的構成部分が増大する結果、前貸総資本もまた増大するということによってあいまいにされる……したがって、過程を純粋に分析するためには、生産物価値のうち不変的資本価値が再現するにすぎない部分を完全に度外視すること、すなわち、不変資本c=0とすること、そのうえで、不変量と可変量の演算をするのに、加減のいずれかによってのみ不変量が可変量に結びつけられる場合の数学上の一法則を適用することが、必要である[228]

第6章「不変資本と可変資本」では、もっぱら、不変資本を「不変」と名づけるゆえんが考察されていたが、この第7章では、第6章で簡単にふれられるだけになっていた「可変資本」について、よりつっこんだ考察が行なわれている。労働力の購入のために前貸しされる資本部分をなぜ「可変」部分とよぶか。

90ポンド・スターリング(v)すなわち90ポンド・スターリングの可変資本は、ここでは、実際に、この価値が通過する過程を表わす象徴であるにすぎない。労働力の購入に前貸しされた資本部分は、一定分量の対象化された労働であり、したがって、購買された労働力の価値と同様に不変の大きさの価値である。しかし、生産過程そのものにおいては、前貸しされた90ポンド・スターリングに代わって自己を発現する労働力が、死んだ労働に代わって生きた労働が、静止している大きさに代わって流動している大きさが、不変の大きさに代わって可変の大きさが、登場する。その結果は、vの再生産プラスvの増加分である。資本主義的生産の立場からは、この全経過は、労働力に転換された、最初は不変な価値の自己運動である。この過程とその結果は、この不変な価値によって生じるものだとされる。それゆえ、90ポンド・スターリングの可変資本すなわち自己増殖する価値という定式が矛盾に満ちたものに見えるとしても、それはただ資本主義的生産に内在する矛盾の一つを表現するにすぎない[228]

また、不変資本部分をゼロとしてあつかうことの妥当性について、マルクスはつぎのように考察をすすめている。

資本の一部分を、労働力にこれを転換することによって増殖するためには、資本の他の部分が生産諸手段に転化されなければならない。可変資本が機能するためには、不変資本が、労働過程の一定の技術的性格に応じて、それ相応の比率で前貸しされなければならない。とはいえ……価値創造および価値変化がそれ自体として、すなわち純粋に考察される限りにおいては、生産諸手段すなわち不変資本のこの素材的諸姿態は、流動的な、価値形成的な力が固定されるべき素材を提供するだけである。それゆえ……この素材は、生産過程中に支出されるべき労働分量を吸収しうるに足る分量で現存しさえすればよい。この分量が与えられれば、それの価値が上がろうと下がろうと、または土地や海洋のように無価値であろうと、価値創造および価値変化の過程は、そうしたことによっては影響されない[229]

見かけではなく、本来、創造され、増殖した価値、その変化は、このようにして、不変資本をゼロとあつかうことによって、生産物価値のうち、可変資本が再生産され増殖した部分、価値生産された部分がまず算出されることによって、明らかとなる。上述の例では、180ポンドスターリング。そして、可変資本の自己増殖の絶対的大きさは、180ポンド・スターリングから、可変資本価値=90ポンド・スターリングを差し引くことで算出できる。90ポンド・スターリング=mは、生産された剰余価値の絶対的大きさである。さらに、この剰余価値の可変資本にたいする割合が、可変資本価値の自己増殖割合であって、m/v、すなわち、90/90=100%である。見かけ上の「搾取度」18%{90(m)/500(c)}の5倍以上の搾取率である。

可変資本のこの比率的増殖または剰余価値の比率的大きさを、私は剰余価値率と名づける。

【注28】これは、イギリス人が「“利潤率”」「“利子率”」などと言うのと同じ言い方である。第3部からは、剰余価値の法則を知れば利潤率は把握しやすいということがわかるであろう。逆の道をたどったのでは、“どちらも”把握されない[230]

さて、ほんらいの価値増殖の変化の割合が、これで明らかになったのだが、

価値一般の認識にとっては、それを労働時間の単なる凝固として、単なる対象化された労働として把握することが決定的である[231]

第17章“労働力の価値または価格の労賃への転化”参照

マルクスは、明らかとなった「剰余価値の比率的大きさ」をめぐって、この立場からさらに考察をすすめる。

まずマルクスは、労働者が、彼の労働力の価値を再生産する労働日の部分、したがって、可変資本価値を補填する労働時間を「必要労働時間」と名づけ、この時間中に支出される労働を「必要労働」と名づけている。

そして、労働者が、必要労働の限界を超えて労働力を支出し、剰余価値を形成する労働日のもう一方の部分を「剰余労働時間」と名づけ、この時間中に支出される労働を「剰余労働(surplus labour)」と名づけている。

可変資本の価値は、この資本によって購買された労働力の価値に等しいのであるから、また、この労働力の価値は労働日の必要部分を規定するが、剰余価値のほうは労働日の超過部分によって規定されるのであるから、次のような結論が生じる――剰余価値の可変資本にたいする比は剰余労働の必要労働にたいする比と等しい。すなわち、剰余価値率m/v=剰余労働/必要労働である。両方の比率は、同じ関係を相異なる形態で表現するのであって、一方は対象化された労働の形態で、他方は流動的な労働の形態で、表現する。

それゆえ、剰余価値率は、資本による労働力の、または資本家による労働者の、搾取度の正確な表現である[231-2]

剰余価値率は、労働力の搾取度の正確な表現であるとはいえ、搾取の絶対的な大きさの表現では決してない(注30a)[232]

この、「必要労働」「剰余労働」の考察のなかで、資本主義的生産の段階にある社会が他の段階の社会と区別される特徴を述べている部分がある。以下に引用するのがその部分である。

労働者は、社会的分業にもとづく状態において生産するのであるから、彼の生活諸手段を直接に生産するのではなく、ある特殊な商品、たとえば糸の形態で、彼の生活諸手段の価値――または彼が生活諸手段を購買するのに用いる貨幣――に等しい価値を生産するのである……彼が資本家のためにではなく、自分自身のために独立して労働するのだとしても、その他の事情が変わらない限り、彼の労働力の価値を生産し、それによって彼自身の維持または永続的な再生産のために必要な生活諸手段を獲得するためには、彼は、相変わらず平均して、1日のうちの同じ可除部分だけ労働しなければならないであろう。しかし、労働日のうち労働者が労働力の日価値……を生産する部分においては、彼は、ただ資本家によってすでに支払われた労働力の価値の等価物を生産するだけなのであるから、したがって新たに創造された価値によって前貸可変資本価値を補填するだけなのであるから、価値のこの生産は単なる再生産として現われる[230]

労働者が必要労働の限界を超えて苦役する労働過程の第二の期間……この剰余労働が、直接的生産者すなわち労働者からしぼり取られる形態だけが、もろもろの経済的社会構成体を区別するのであり、たとえば奴隷制の社会を賃労働の社会から区別するのである[231]

資本主義的生産段階にある社会が、“賃労働”という搾取形態を特徴としており、この“賃労働”という形態が生み出される前提に、一方に、生産手段をもつ貨幣所有者、一方に、生産手段をもたずわが身に内在する労働力を商品として市場に投入する、これまでの社会には一般的ではなかった独特の直接的生産者との存在があること。また、同時に、資本主義的生産における社会的分業の具体的形態として“賃労働”という形態が存在すること。など、資本主義社会における賃労働という搾取形態の必然性と矛盾を示唆していて、たいへん興味深い。

剰余価値率を算出するには、労働日の絶対的大きさ、労働過程の期間、同時に労働過程に入る労働者の数を知らなくてもよい。必要なのは、その労働過程で生産される生産物全体の価値、その労働過程で加工され消耗される生産手段に転化する不変資本価値――これはゼロに等しいとされるから生産物価値全体から差し引かれる――、生産物価値全体から不変資本価値を除いた残りの価値生産物のうち、剰余価値か可変資本か、どちらか一方がわかっていれば、それぞれ、可変資本と剰余価値をもとめることができる。さいごは、m/vを計算すればよい。そして、剰余価値率は、これを、剰余労働/必要労働に転換できるから、たとえば、100%の剰余価値率の場合、労働者は1労働日のうち半分を自分のために、半分を資本家のために労働する。1労働日が10時間であれば、剰余労働と必要労働はそれぞれ5時間。1労働日が8時間であれば、剰余労働と必要労働はそれぞれ4時間。

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第1部:資本の生産過程

第3篇:絶対的剰余価値の生産

第7章:剰余価値率
第2節
生産物の比率的諸部分での生産物価値の表現

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第1部第5章第2節「価値増殖過程」の例がふたたび示され、これまでの考察をもとに改めて分析される。

彼が雇う精紡工の必要労働は6時間、剰余労働も同じく6時間、それゆえ労働力の搾取度は100%であった。

12時間の労働日の生産物は、30シリングの価値をもつ20ポンドの糸である。この糸価値の8/10(24シリング)だけは、単に再現するにすぎない消耗された生産諸手段の価値(20シリングの価値の20ポンドの綿花、4シリングの価値の紡錘など)によって形成されており、すなわち不変資本からなっている。残りの2/10は、紡績過程中に生じた6シリングの新価値であり、そのうちの半分は前貸しされた労働力の日価値すなわち可変資本を補填し、他の半分は3シリングの剰余価値を形成する。したがって、20ポンドの糸の総価値は次のような構成になっている。30シリングの糸価値=24シリング(c)+{3シリング(v)+3シリング(m)}

マルクスはこの節で、次のような考察を行なっている。

この総価値は20ポンドの糸という総生産物において表現されているのであるから、さまざまな価値要素もまた当然、生産物の比率的諸部分で表現しうるはずである[235]

と。すなわち、より一般的にいえば、

生産物――生産過程の結果――が、生産諸手段に含まれている労働または不変資本部分だけを表現するある分量の生産物と、生産過程でつけ加えられた必要労働または可変資本部分だけを表現するもう一つの分量の生産物と、同じ過程でつけ加えられた剰余労働または剰余価値だけを表現する最後の分量の生産物とに分解すること[236]

は、可能である、と。

上述の例では、20ポンドの糸が30シリングの価値を表現するから、総価値の8/10、24シリングの不変資本部分は、生産物の8/10、16ポンドの糸を表現し、12時間の紡績労働で生産された6シリングの新価値は、あとに残っている生産物の2/10、4ポンドの糸を表現する(消費された労働力の価値、3シリングの可変資本部分はこの4ポンドの糸のうち半分を、3シリングの剰余価値は残りの半分を表現する)、と言うことができる。

さらに、わが精紡工は12時間で20ポンドの糸を生産するから、さきの方法を踏襲すれば、総労働時間の8/10、16ポンドの糸を生産する10時間が不変資本部分を表現し、のこりの2/10、4ポンドの糸を生産する2時間が可変資本部分と剰余価値を表現する、と言うこともできる。

ただし、ここで注意すべきことは、これはあくまで、生産物価値の構成部分を生産物の比率部分で「表現できる」ということであって、とくに、時間で「表現する」ことは、けっして、その表現された時間内にその表現される価値部分が実際に「生産される」ということを意味しない。なぜなら、

精紡工の12労働時間は6シリングに対象化されているのであるから[236]

である。

30シリングの糸価値には60労働時間が対象化されている。その60労働時間は20ポンドの糸のうちに実存するのであるが、この20ポンドの糸の8/10すなわち16ポンドは、紡績過程以前に過ぎ去った48労働時間の体化物、すなわち糸の生産手段に対象化された労働の体化物であり、これに反して、2/10すなわち4ポンドは、紡績過程そのものにおいて支出された12労働時間の体化物である[236]

この、時間比率で「表現できる」ということと、実際にその表現される比率部分の価値が「生産される」のに経過している時間ということとの混同があると、

次のように思い込まされることがありうる。すなわち、わが精紡工は、たとえば彼の労働日の最初の8時間には綿花の価値を、次の1時間36分には消耗された労働諸手段の価値を、次の1時間12分には労賃の価値を、生産または補填するのであり、そしてかの有名な「最後の1時間」だけを工場主に、すなわち剰余価値の生産にささげるのである、と。こうして精紡工には、綿花、紡錘、蒸気機関、石炭、油などをもって糸を紡ぎながら、それと同じ瞬間にこれらのものを生産し、そして、与えられた強度をもつ1労働日をそのような5労働日にするという、二重の奇跡が背負わされる。というのは、われわれの事例では、原料および労働諸手段の生産が24/6すなわち4日分の12時間労働日を必要とし、それらのものを糸に転化するのにさらに1日分の12時間労働日を必要とするからである[237]

この「混同」の典型例が、次の節で取り上げられる“シーニアの「最後の1時間」”である。

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第1部:資本の生産過程

第3篇:絶対的剰余価値の生産

第7章:剰余価値率
第3節
シーニアの「最後の一時間」

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マルクスが紹介しているのは、イギリスの経済学者ナッソー・W・シーニア Nassau William Senior(1790-1864)。彼の主張する、いわゆる「最後の1時間」説を、ロンドン、1837年刊行のパンフレット『綿業に及ぼす影響から見た工場法についての書簡.レナド・ホーナーからシーニア氏あての書簡,およびエドマンド・アシュワース氏,トムスン氏,シーニア氏の鼎談記録つき』から引用している。

現行法のもとでは、18歳未満の者を雇用する工場は……1日に11時間半以上、すなわちはじめの5日間は12時間、土曜日には9時間以上操業することはできない。さて、以下の分析は、このような工場では、純利得の全部が最後の1時間から引き出されているということを示すであろう。ある工場主が10万ポンド・スターリングを投資するとしよう――工場の建物および機械に8万ポンド・スターリング、原料および労賃に2万ポンド・スターリングである。資本が年に1回転し、総利得が15%であると仮定すれば、この工場の年間売上高は、11万5000ポンド・スターリングの価値をもつ商品となるに違いない。……23の半労働時間の各々は、毎日、この11万5000ポンド・スターリングの5/115すなわち1/23を生産する。11万5000ポンド・スターリングの全体を構成するこの23/23のうちの20/23、すなわち11万5000ポンド・スターリングのうちの10万ポンド・スターリングは、資本だけを補填する。1/23(11万5000ポンド・スターリングのうちの5000ポンド・スターリング)は、工場および機械の摩滅を補填する。あとに残る2/23、すなわち毎日の最後の2つの半時間が10%の純利得を生産する。それゆえ、価格はまえと変わらないとして、工場が11時間半ではなく、13時間操業することができるならば、約2600ポンド・スターリングの流動資本を追加することによって、純利得は2倍以上になるであろう。他方、もし労働時間が1日につき1時間だけ短縮されるならば、純利得は消滅するであろう。もし、労働時間が1時間半だけ短縮されるならば、総利得さえも消滅するであろう【『綿業に及ぼす影響から見た工場法についての書簡』ロンドン、1837年、12-13】[238]

1802年世界初の工場法は、幼年工の12時間労働と深夜業を禁止した。マルクスが本文中にあげている工場法は1833年の「一般工場法」のことであるが、この法律によって9歳未満の児童の雇用が禁止された。また、労働時間が制限され、9~13歳は週48時間(さらに1日2時間の就学義務が課せられた)、14~18歳は週68時間以内とし、工場監督官制がもうけられた。その後、1844年には8~13歳の6時間半労働、女性の12時間労働が規定され、1848年には繊維工場の女性・児童に10時間労働法が適用され、67年以降はすべての工場に10時間労働法が適用されるにいたった。しかし、成年男子労働者にたいしては法的規制はなく、労使協定にゆだねられていた。

この一連の時期は、都市労働者の運動が、組織的政治的に高まっていた時期であった。1832年に、当時のイギリスのウィッグ党内閣が行なった「第1回選挙法改正」によって、有権者が16万人から96万人余に増加したが、人口の約4%にすぎなかったうえ、新たに有権者となったものの多くは都市の新興産業資本家であった。その後、1837年頃から1858年頃にかけて、「第1回選挙法改正」でも選挙権を獲得できず、生活苦にあえいでいた都市労働者が主体となって、オーウェンらの指導のもと、普通選挙権獲得を目的とした運動、チャーティスト運動が広がり、1839年、42年、48年と3波にわたって請願・デモ・ストライキなどを行なっている。

マルクスは、シーニア氏のような経済学者が産業資本家擁護の学説を展開した背景に、このような都市労働者の政治運動と、労働時間短縮の流れに対抗しようとする産業資本家の要求という、政治的利害関係があったことを指摘している。

さて、シーニア氏のパンフにある説明は、よく読んでも少々わかりにくいところがあるので、ここで、マルクスがわざわざシーニア氏の言いたかったことを代弁して、わかりやすくまとめてくれている注があるので、それを引用する。

注32への追加。シーニアの叙述は、それの内容の誤りをまったく度外視しても混乱している。彼が本来言おうとしたことは、次のようなことであった。工場主は、労働者たちを毎日11時間半、すなわち23/2時間、働かせる。個々の労働日と同じく、年労働も11時間半、すなわち23/2時間(掛ける1年間の労働日の日数)から構成されている。このことを前提すれば、23/2労働時間は11万5000ポンド・スターリングの年生産物を生産する。1/2労働時間は、1/23×115,000ポンド・スターリングを生産する。20/2労働時間は、20/23×115,000ポンド・スターリング=100,000ポンド・スターリングを生産する。すなわち、それは前貸資本だけを補填する。3/2労働時間が残り、それは3/23×115,000ポンド・スターリング=15,000ポンド・スターリングすなわち総利得を生産する。この3/2労働時間のうちの1/2労働時間は、1/23×115,000ポンド・スターリング=5,000ポンド・スターリングを生産する。すなわち、それは工場および機械の摩滅の補填分だけを生産する。最後の2つの半労働時間、すなわち最後の1労働時間が、2/23×115,000ポンド・スターリング=10,000ポンド・スターリングを、すなわち純利潤を生産する。(注32)[238]

シーニアは1労働日11時間半労働時間を23にわけ(つまり30分を1単位としたわけだ)、同様に、それと同じ比率で年間労働日を、すなわち年間総労働時間を、わけている。そして、1年間に生産された生産物価値の各構成部分をこの23のうちのいくつに相当するかという比率で表わしているわけである。こういう表現方法は有効ではあるが、シーニアの「誤り」あるいは故意の「ごまかし」は(実際のところどちらだったかはわからないが)、これらの各比率部分で表わされた価値が年間労働日の各比率時間によって実際に生産されるものとしているところにある。だから、最後の1時間(2つの半労働時間)が「純利得」を生み出すなどというのも、この「混同」から導きだされた「結論」である。

ここで「純利得」と言われているものは、マルクスが「剰余価値」とよんでいるものと同じと考えてよい。シーニアは、原料と労賃を分けずに、つまりほんらい価値が変化せずに新たな使用価値に移転する部分とその価値が増殖する価値部分とを分けずに、2万ポンド・スターリングとしているから、労賃、すなわち可変資本部分がいくらに相当したかが正確にわからない。またシーニアが「総利得」とよんでいるもののなかには、生産手段の消耗価値の補填部分、不変資本部分も加えられている。シーニアの分析では、生産物価値の機能的に異なる構成部分が、その機能ごとに明確に分けて考察されていないのである。

シーニアが恣意的にか無知のためか、見逃していたのは、マルクスが第1部第6章で考察したことである。

労働は、その合目的的な形態によって生産諸手段の価値を生産物に移転し維持するあいだに、その運動の各瞬間に、付加的価値すなわち新価値を形成する[223]

第6章で考察された「不変資本」と「可変資本」との分析こそは、シーニアがとなえた説のようなまやかしを粉砕する画期的な発見であった。

マルクスは、この節のこれ以降の部分で、「労働者が1時間で労賃を再生産する場合」を例に、詳細な批判的考察を行なっている。はたして、1日の労働時間を1時間延長したからといって、200%の剰余価値を期待できるというのは、はなはだ「楽観主義的」だということ、1時間短縮したからといって、剰余価値および可変資本価値部分をも損失してしまうと考えるのは、はなはだ「悲観論すぎる」ということ。これらの考察の基本的考え方はすべてすでにこの第7章の第2節で展開されている。

この「最後の1時間」をめぐっては、おぞましい顛末があって、マルクスは注32aで詳細に紹介している。たとえば、アンドルー・ユア(Andrew Ure 1778-1857)という、スコットランドの化学者で、のちにロンドンで製造技術コンサルタントとなり、アルカリメーター、バイメタルのサーモスタットなどの発明、製作などによって、技術革新にも貢献した人物の、恥知らずな“証明”(『製造業の原理』、ロンドン、1835年、406ページ)を紹介している。

シーニアが、工場主たちの純利得、イギリス綿業の存在、イギリスの世界市場での偉大さが「最後の1労働時間」にかかっていることを証明したとき、ドクター・アンドルー・ユアのほうでは、おまけに、工場の児童および18歳未満の年少者たちは、作業場の暖かくて純潔な道徳的雰囲気のなかにまる12時間閉じ込めておかれないで、「1時間」早く冷酷で浮薄な外界に突き出されると、怠惰と悪徳によって彼らの魂の救いを奪われるということを証明した[241]

マルクスは、当時の工場監督官報告書という公的資料を駆使して、この恥知らずな“証明”の偽善ぶりと、当時の紡績工場主たちが、どんな悪辣な方法で労働時間短縮を阻止しようとしたかを暴露している。

1848年に10時間法案が議会を通過したとき、工場主たちは、ドーシットシャーとサマシットシャーとの間に散在する農村地方の亜麻紡績工場で何人かの正規の労働者たちに強要し、反対請願文を出させたのであるが、そのなかではとりわけ次のように述べられている――「われわれ請願者たちは、人の親として、暇な1時間を追加することは、子どもたちを堕落させる以外にはなんの役にも立たないと考えます。というのは、怠惰は悪徳のもとであると信じるからです」と。これについて、1848年10月31日の工場報告書は、次のように述べている――「これらの徳の高い情け深い親の子どもたちが働いている亜麻紡績工場の空気は、原料から出る塵と繊維とのほこりが、立ち込めているので、わずか10分間でさえ、紡績室で過ごすことは非常に不愉快なほどである。というのは、避けようのない亜麻の塵で目、耳や鼻、口がすぐにふさがれてしまい、それを避けるすべもないので、このうえもない苦痛を感じることなしにそこにいることはできないからである。労働そのものは、機械の熱狂的な速さのために、倦むことを知らない注意力の制御を受けながら、絶えず熟練と運動を用いることを要求される。そして、食事時間をのぞいてまる10時間、このような雰囲気のなかでこのような仕事にしばりつけられている自分の子どもたちにたいして、『のらくら』という言葉を両親が用いるように仕向けるのは少し情け知らずであるように思われる。……これらの子どもたちは、近隣の村の作男たちよりも長時間労働している。……『怠惰と悪徳』についてのこのような残酷なおしゃべりは、まったくの信心家ぶった言い草であり、またもっとも恥知らずな偽善として烙印を押されるべきである。……約12年前、工場主の『純利得』全部が『最後の1時間』の労働から流れ出るのであり、それゆえ、労働時間を1時間だけ短縮すれば彼の純利得が無くなってしまうということが、公然と大まじめに、確信をもって、しかも上級の当局の是認のもとで宣言されたが、公衆の一部はこの確信にびっくりした。ところがいまになって『最後の1時間』の功徳にかんするあの独創的発見が、それ以来はるかに改良されて、『道徳』をも『利得』をも等しく含むものになったということ、その結果、もし児童労働の時間がまる10時間に短縮されるならば、児童の道徳は彼らの雇い主の純利得もろとも、消えてなくなる――というのは、純利得も道徳も、この最後の、この致命的な1時間に依存するのであるから――ということをいまや見いだすにおよんで、この公衆の一部は――とわれわれは言う――きっとほとんど自分の目を信じかねるであろう」と(『工場監督報告書。1874年10月31日』、101ページ)。次いで、この同じ工場報告書は、これらの工場主諸君の「道徳」と「美徳」の見本、すなわち、彼らがまったく抵抗できない少数の労働者たちにさきのような諸請願文に署名させるために、さらにそれらを一産業部門全体、各地域全体の請願文として議会に信じ込ませるために、彼らが用いた奸計、策略、誘惑、脅迫、偽造などの見本をあげている(注32a)[241]

今日における児童労働についての詳細は、ILO国際労働事務局のIPEC(児童労働撲滅国際計画)が調査している。現在においても、児童労働をめぐるおぞましい実態は、マルクスが引用した19世紀におとらず、先進資本主義国をふくめて、全世界におよんでいる。

引用するのは、堀田一陽氏によって日本語訳されたミシェル・ボネ Michel Bonne (1934年、フランス・アルビ生まれ。カトリック司祭。現在、モロッコ「子どもの権利監視全国センター(ONDE)」顧問)著による『働く子どもたちへのまなざし~現代世界における子どもの就労――その分析と事例研究』(2000年10月30日初版発行、社会評論社)による。「第3章 働く子どもたちの主要形態」という部分の、ほとんど全体におよぶので、かなり長い引用になるが、ご了承ねがいたい。

1979年の国際児童年につづいて、国連はテュニジアの専門家アブドゥル=ワッハーブ・ブーディバに世界の児童労働に関する特別報告をまとめるよう求めた。報告書【 A. Bouhdiba, L'esploitation du travail des enfants, New York, Nations Unies, 1982.】は1982年に提出された。資料として少々古くなったとはいえ、この報告書のもっとも有用とされる成果の一つは、児童労働の類型学を練り上げたことであり、この有用性は今後も変わらない。ここでは労働をとおして子どもと家族との間に形成される多少とも変動性のある関係を分類基準として、子どもの家族との結びつきが希薄になればなるほど、搾取の危険性は増大するとの仮説が提示されている。……左は、わたしが便宜上そのまま援用させてもらおうと思っているブーディバの分類表である。

家族の枠内でおこなう仕事
仲介者なし
家族でおこなう農業
家族でおこなう職人仕事
仲介者あり
出来高払いの職人仕事
家族の枠の外でおこなう仕事
仲介者なし
自分の責任でおこなう手間仕事
仲介者あり
第三者の責任でおこなう手間仕事
農業の季節労働者
見習い
「スウェットショップ・システム」
特殊な例
(住み込みの)家政婦
債務奴隷
児童売春

1、家族でおこなう農業

……ここでは仕事に就いている子どもはその大部分が地方にいて、基本的には農業に従事していることを指摘するだけにとどめよう。……開発途上国では相変わらず地方に圧倒的多数の住民がいるだけでなく、地方住民は働くための最小単位が家族となっているからである。そこで働く子どもたち、ことに幼い働く子どもたちが多くいるのである。実際、一方に地方住民の貧困があり、他方では必要に応じて受けられる社会的サービスや教育が不足しているために、家族として生きることは子どもにとってはごく普通のこととして家族の活動すべてに参加することを意味する。……

2、家族でおこなう職人仕事

……子どもたちは陶芸、籐細工、機織り、刺繍、皮革工芸、ブリキ細工、簡単な木工などに従事する。これらの仕事の他に、季節、家族の求めにより、家事労働や農作業にも加わる。

農作業がそうであるように、家族全体が参加する職人仕事は、その見習い過程および子どもの社会化としての価値が伝統的にも広く一般的にも認められている。……

……観光客による急激な需要の増加によって高まった市場圧力をうけてこの生産をますます脆いものにしている。一方で、住民のなかでももっとも貧しい階層の人々がより貧困化することで必要最小限の品々ができるだけ安く手に入るようになる、つまり大企業によって市場に提供される近代的な製造物が求められるようになっている。ブリキやプラスチックの台所用品がその良い例である。他方、観光はこれら伝統的な品々を「みやげもの」として、その品の目的とともにその商品価値を急速に変化させている。こうして大量生産の観点から生産様式を変更し、家族的な枠組みをはみ出す傾向を生じさせる。

3、出来高払いの職人仕事

出来高払いといっても、製品も技術も、家庭という生産現場も同じであるので、仕事の外的な条件は「家族でおこなう職人仕事」とほとんど違いはないように思える。しかし、生産過程に仲介者が登場することによって根本的な変化が生じる。……

家族でおこなう職人仕事とは、子どもの労働を習慣と伝統的価値に導く糸と、新たな搾取の形態に至らしめる糸とが絡み合った結び目である。職人の仕事場の製造企業への変身はここで起こるからだ。その行き着く先は大企業による工場生産である。田舎に散在する多数の職人の仕事場での生産が、商業網に合わせて強力に集中させられることは避けようはずもない。

……家内工場と明示すべきところをこの行政的なトリックで巧妙に言い換えた主要産業部門の推進を支えているのは、子どもたちを含めた無数の働く人々である。わたしが頭に描いているのは、例えば、ここ数年メディアの強烈なキャンペーンの的となったインドの絨毯産業である。あるいは子どもの搾取で世界中に知られたインド南部、シバカシに生産の中心地をもつマッチ産業でも、花火産業でもよい。

本書が刊行される1998年はサッカーのワールドカップがフランスで開催される年でもあるので、一例として、数か月前からスーパーマーケットで売られている子ども向けのサッカーボールから、スタジアムの芝生を跳ね、テレビ画面を埋め尽くすサッカーボールまでの製造に触れてみるのも悪くはないだろう。サッカーボールの製造は世界の70%以上がパキスタンに集中している。この国は毎年、約2千万個のサッカーボールを輸出する。その10~12%はフランス向けで、パキスタン経済の外貨獲得への寄与は際立っている。サッカーボールの製造は総じてインド国境に近い、ラホール北東部の都市シャルコットとその周辺でおこなわれている。サッカーボールの製造を専門にしている企業は約400あり、そのうち210の企業がパキスタンスポーツ用品生産者連盟に加盟している。サッカーボールの製造にフルタイムで従事している大人の労働者は4万2千人とされている。これら400の企業の大半は工場というよりは商品倉庫である。大手メーカーの求めに応じてプリント、裁断された革の端切れを、この地方の村や集落に散らばる無数の仕事場に配布する下請けたちに供給しているからだ。こうして、男の子も女の子も、家族総出でボールを縫う。……子ども1人が、1日8、9時間の労働で1~3個のボールを作り、大人の半分の給料を得る。月に平均750ルピー【約2000円】稼ぐ。約7千人の子どもたちがフルタイムで働き、ほぼ同数の子どもたちが学校の授業に合わせて半日だけ働いている【ILOとIPECの協力の下、1996年12月におこなわれた調査研究、《 Child labour in the Football Manufacturing Industry 》, Directorate of Labour Welfare, Panjab による】。

4、自分の責任でおこなう手間仕事

自分の責任で仕事をすることは、たとえその生活が苦しくとも、子どもにとって一つの進歩、家族の圧力からの一種の解放であり、他の働く子どもたちに比べれば一つの社会的地位の向上である。ありとあらゆる仕事があるが、恒常的に定まっているものはない。洗車、靴みがき、荷物運び、まだ売り物になる果物や野菜の市場での選別などである。……

……このなかでも「独立した」働く子どもたちは実は少数派である。というのは、たとえ端目には一人で活動しているように見えても、ほとんどの場合周辺の隠れたところで手綱を握っていて、儲けの何パーセントかを巻きあげる大人の存在に出くわすからだ。……

5、第三者の責任でおこなう手間仕事

このタイプの働く子どもたちは地方よりも都市部に多く見られる。子どもたちは小さな商店にいるか、原則として路上でおこなう仕事をする大人に付き添っている。運び屋、床屋、掃除屋、軽業師、動物の曲芸人などである。……

普通よく見かける子どもたちは単独か、一人の大人と一緒に働いている。こういう光景から職人仕事に近い、それゆえに好ましい仕事だという印象をうけるが、実際は大人への依存は、その活動全体が大人の習慣と意志に沿って構成されているので、たちまち搾取に変わる。子どもは抵抗するだけの力をもっていないし、出来高払いでおこなう職人仕事のように原材料を口実にして生産量を抑えることはできない。……このタイプの職業においては、生き延びるための解答は二つしかないと子どもたちが言っている。つまり、ほとんど子が親を思うような感情に基づいた大人の雇用者との関係を築き、それを友好的な師弟関係へと進展させるか、そうでなければ一刻も早く逃げ出すチャンスをじっと窺うしかない……。

ところで、働く子どもたちのなかでも特殊なタイプ、子どものくず拾いについて少し触れよう。家政婦や召使として雇われる子どもたちにつづいて多いのが、おそらくこの子どもくず拾いに分類される子どもたちである。この子どもたちの集団は都市化の進行と現代生活から生み出されるごみの増大につれて、今も増えつづけているばかりでなく、組織化の非常にすすんだ過程に入っている。……

子どものくず拾いは二重の網に捕らえられている。第一の網は収集の段階に張られていて、子どもたちにはまったく自由がない。子どもたちは1個のテリトリー(1本または数本の通り)で働き、それを他のくず拾いたちとの競合から守りぬかねばならない。そのために通常、子どもたちは数人の仲間とグループを作っている。さらに子どもたちには歩くコースが決められていて、かつぐときの重さを考慮に入れながらゴミのよく集まる地点で収穫量を確保する。車の往来、動物、ビルのガードマンなど、さまざまな危険からわが身を守らなければならない。子どもたちを頭から非行少年としか見ていない警官は特に危険だ。また、子どもは大きくなるにつれて、弟や妹の「職業訓練」をも引き受けなければならないようになる。

第二の網は、拾い集めた成果の販売段階に関わる。子どもたちは買い上げ業者と直接向かい合っている。……子どもたちはほとんどが読み書きができないので、値段の交渉も計量のチェックもできず、総じて買い上げ業者のいいなりになっている。

……メキシコ、カイロ、マニラなどの首都のごみ捨て場は(ある団体なり、ある機関なりがこのごみ捨て場を自分たちの人道援助活動の場と見なしたときには)、決まって欧米のメディアのトップニュースを飾る。これらの子どもたちの組織は独立した子どもくず拾いの組織とはずいぶん違う。この子どもたちはごみ捨て場に家族とともに暮らし、その活動は家族労働の枠に入るからだ。

6、 農業の季節労働者

……ブーディバはこの分類法のなかでは触れていないが、ここで輸出農産物専用の大農場や大企業における児童労働について述べておかなくてはならない。子どもたちは通常、家族と一緒に仕事の場に住み込んでいる。農場主や工場主に直接、フルタイムで雇われる子どもはごくまれで、たいていは両親の必要に応じて収穫量が給料を受け取るための最低限の線まで届くように手助けする。あるいは……日給制で雇われ、出来高払いで賃金を得る。子どもたちの状況は非常に厳しい。家族とともに大農場にとどまる以外に選択の余地はなく、またその小さな体躯と知識のなさから、肥料や農薬の大量使用の影響をまともに受けてしまうからだ。

7、見習い

……見習いといっても、二つの大きな見習いのシステムには違いがある。一つは公式に管理されているシステムで、専門のセンターでの学業の形態あるいは職業教育として認められた生産活動の形態で、ときには両者が交互におこなわれている。もう一つは庶民の経済活動に必要な一部となっているシステムで、子どもを家族企業とも言える生産拠点に預け、働かせながら主人の仕事を習わせるものである。ここで取り上げるのはこの第二のタイプの見習いである。

この家族は通常、職業か雇用者かによって居住地を定める。家族は見習い契約を結び、なんらかの監督を担保する。しかし実際は雇用の確保が困難になっているので、子どもがどこかで「職にありつく」ことが第一の関心事である家族は、見習いがどのようにおこなわれるかについてはますます注意を払わなくなっている。ここからあまたの濫用がはじまる。雇用者は子どもの教育よりも子どもの労役により重きをおく。とりわけ子どもが幼ければ、たんなる家政婦・召使として使う。……

8、「スウェットショップ・システム」

低賃金、長時間労働を強いる工場をスウェットショップ、つまり「汗かきブティック」と呼んで産業革命期には労働者の搾取の象徴だったのだが、今や開発途上国の児童労働における搾取の象徴となった。ただ子どもたちの数としてはそのパーセンテージは小さく、おそらく働く子どもたち全体の10%に満たないだろう。それでもやはり、多少は進歩した数十万か所の作業場や工場で子どもたちが、大人たちと大差ない仕事についていることには変わりはない。大人と違うところは、格段のとは言わないが明らかな低賃金と、法の網をくぐり抜けているか違法な就労のために、また大人の雇用者に比べて子どもの力が弱いために言いなりになって働かされていることだ。そして目先の利益を優先するあまり、(外部からの介入がない限り)子どもの健康を取り返しのつかないほどに損ねてしまい、労働力そのものを破壊している。……

9、(住み込みの)家政婦

個人の家に住み込み、家政婦・召使として働くというのは、農業を除けばおそらく世界でもっとも普及している児童労働の形態であろう。……都市部では働く子どもたちの50%近くを占めることもあるが、その大半は家族単位か個人で田舎から上京した子どもたちである。大部分は少女、すなわち住み込みの家政婦である。

これらの子どもたちの生活条件は、最小限の休息も十分な食べ物も与えられず、ただただ服従することのみを教えられる以外に教育らしきものはなく、ほとんど奴隷に近い。殴打その他の体罰などの虐待が日常茶飯事となっていることが確認されている。雇用者の家族による性的攻撃もしばしば起きている。……

10、債務奴隷

……問題は子どもの労働によって返済されることを想定した、家族と雇用者とのあいだで交わされる借金契約である。子どもに求められる労働の種類は特別なものではないので、雇用者はさせたい仕事を子どもにさせ、まるで家畜か機械の所有者のようにふるまう。そのうえ労働の報酬は契約のなかには明確にされていないので、雇用者は就労期間を際限なく延長できる。……インド、パキスタン、ネパール、ブラジルでの特徴的な点についてはかなり研究されているが、研究がすすむにつれてその他の多くの国々にも実在することがわかってきた。

11、児童売春

……子どもの性的搾取の形態はさまざまである。路上でおこなわれる売春があり、公園や浜辺でおこなわれる売春がある。単独で客に声をかける子どももいれば、バーかホテルに誘って客に身をまかす少年少女もいる。……ビデオテープを中心としたポルノ産業の発展もまた、子どもの性的搾取を飛躍的に増大させている。……セックス観光とポルノ産業はこの子どもの搾取の根本原因ではなく、世界の各地域にしっかりと根を下ろしているこの搾取の増大要因であるとの指摘を今一度想起してみることが重要であると思う。ここで地域というのは第三世界の住民たちに限ってのことではない。子どもの性的搾取は先進諸国にあってもまた実にさまざまな形態で存在している。

通信手段が非常に簡便化されたことも子どもの性的搾取を増大させた。子どもを送り込むためのネットワークがいくつも存在する。……

【『働く子どもたちへのまなざし  現代世界における子どもの就労――その分析と事例研究』,2000年10月30日,初版発行,社会評論社】[41-59]

あえて言うが、これは決して19世紀の話ではない。21世紀初頭の現代世界の実態である。

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第3篇:絶対的剰余価値の生産

第7章:剰余価値率
第4節
剰余生産物

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生産物価値の機能的または概念的に異なる構成部分を、生産物そのものの、おのおのの構成部分の比率におうじた各部分で表現することは、たしかに可能である。

マルクスは、生産物のうち剰余価値を表わしている部分を「剰余生産物(surplus produce, produit net)」と名づけた。

たいへん重要なのは、この節でマルクスが指摘した「富の程度をはかる基準」である。

剰余価値の生産が資本主義的生産の規定的目的であるのと同じように、富の高さの程度をはかるのは、生産物の絶対的大きさではなく、剰余生産物の相対的な大きさである[243]

直接的な生産者の存続に必要な労働を表わしている生産物の部分にたいする剰余生産物の割合、比率が、富の程度をはかるのである。ここには、資本主義的生産の特徴がよく表現されている。資本主義的生産社会においては、富は、生産物価値の「絶対的大きさ」の度合いではなく、剰余生産物の「相対的大きさ」によって規定されること、このことが、絶え間のない、“生産のための生産活動”の無限の循環の基盤となっている。

この章の第2節でとりあげられた例示によれば、12労働時間(1労働日)が対象化されているのが6シリング価値であり、4ポンドの糸であった。この例によれば、剰余価値率は100%であり、このうち必要労働は6労働時間(1/2労働日)、剰余労働は6労働時間(1/2労働日)である。すなわち、

必要労働と剰余労働との合計、すなわち労働者が彼の労働力の補填価値を生産する時間と剰余価値を生産する時間との合計は、彼の労働時間の絶対的大きさ――労働日( working day )を形成する[244]

労働者の労働時間、労働日の「絶対的大きさ」を規定するものには、不変資本部分に対象化されている労働時間は含まれない。労働日を形成するのは、ほんらい生産される新価値(可変資本価値の補填とその増殖価値)に対象化されている労働時間にほかならない。この規定のもつたいへん重要な内容は、次の章以降の考察で明らかにされてゆくはずである。

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第8章:労働日
第1節
労働日の諸限界

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労働日は不変量ではなく可変量である。その二つの部分のうちの一方は、確かに労働者そのものの持続的な再生産のために必要な労働時間によって規定されているが、しかし、その全体の大きさは、剰余労働の長さまたは継続とともに変動する。それゆえ、労働日は規定されうるものではあるが、それ自体として規定されているものではない。[246]

それでも1日は24時間しかないのだから、労働日の最大限界は存在するわけだ。一方でマルクスは、資本主義的生産様式を基礎としているかぎりは労働日の“最小限度の限界”というものはない、と断言している。必要労働時間だけ、つまり剰余労働時間がゼロとなる労働日は、資本主義社会には存在しないというわけだ。

マルクスは、労働日の最大限度を制限する規定を二つあげている。労働力の肉体的制限と、社会的制限である。

人間は、24時間からなる1自然日のあいだには、一定分量の生命力しか支出できない。……1日のある部分のあいだにこの力は休息し、睡眠をとらなければならず、また他の部分のあいだに人間は食事をし、身体を洗い、衣服を着るなどの他の肉体的な諸欲求をみたさなければならない。……労働者は、知的および社会的な諸欲求の充足のために時間を必要とするのであり、それら諸欲求の範囲と数は、一般的な文化水準によって規定されている。[246]

労働力の買い手である資本家は、その労働力の消費について全権をにぎっている。彼が購入した労働力という商品をどういうふうに使うかは、買い手である資本家の権利である。さらに、彼が投資した資本は、その機能上不変資本と可変資本とに分かれるけれども、いずれも、“対象化された労働”であって、“凝固した、死んだ労働”である。“生きた、流動する労働”なしには、資本は資本たりえない。すなわち価値は自己増殖を行なわない。剰余価値は生み出さない。だから、資本家にとっては、労働力の消費という“生きた、流動する労働”の継続こそ“命”なのである。必要労働時間をどれだけ超えて、労働を継続させることができるか、すなわち剰余労働時間をどれだけのばすことができるか、あるいは、剰余労働時間の必要労働時間にたいする割合をどれだけ大きくすることができるかということが、資本家の欲求となる。

労働力の売り手である労働者は、市場において同等の商品所有者として資本家に相対している。労働者が売るのは「労働一般」ではなく、あくまで「労働力」である。その労働力の価値を規定するものは、労働力の再生産に必要な生活手段価値であり、すなわち労働力を内在させている労働者の生存の維持と再生産に必要な生活手段価値である。だから、労働者は、こう主張することができる。

私は、……私の唯一の財産である労働力を管理し、そのばかげた浪費はいっさい節制することにしよう。私は毎日、労働力の正常な持続と健全な発達とに合致する限りでのみ労働力を流動させ、運動に、すなわち労働に転換しよう。……私の労働力の利用とそれの略奪とは、まったく別のことがらである。……私は標準労働日を要求する。なぜなら、私は他のすべての販売者と同じように、私の商品の価値を要求するからである。[248-9]

労働日を規定する労働力の消費時間。その労働力の買い手である資本家と、売り手である労働者とのあいだには、商品交換の法則上、利害の対立が生じる。必要労働時間は、その社会の平均時間がそのときどきで規定されうるが、剰余労働時間は、けっきょく、資本家と労働者との力関係、おのおのの強制力の加減に大きく左右されることになる。だから、その意味では、剰余労働時間には限界がない、というふうに言える。また、労働日の標準的大きさというとき、それは社会的標準として表わされるから、資本家と労働者とは、たがいに個人対個人として相対立するのではなく、その社会の資本家総体と労働者総体として相対立することになる。

資本家が労働日をできる限り延長し、できることなら1労働日を2労働日にしようとする場合には、彼は、買い手としての彼の権利を主張する。他方、売られた商品の独特な本性は、買い手がこの商品を消費することへのある制限を含んでいるのであって、労働者が、労働日を一定の標準的な大きさに制限しようとする場合には、彼は売り手としての彼の権利を主張する。したがって、ここでは、どちらも等しく商品交換の法則によって確認された権利対権利という一つの二律背反が生じる。同等な権利と権利とのあいだでは強力がことを決する。こうして、資本主義的生産の歴史においては、労働日の標準化は、労働日の諸制限をめぐる闘争――総資本家すなわち資本家階級と、総労働者すなわち労働者階級とのあいだの一闘争――として現われる。[249]

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第1部:資本の生産過程

第3篇:絶対的剰余価値の生産

第8章:労働日
第2節
剰余労働にたいする渇望。工場主とボヤール

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この節の表題にある「ボヤール」とは、訳注によると、ロシアやルーマニアなどの領主、ある特定地域の封建領主を意味している。

マルクスは、歴史的資料や「工場監督官報告書」などの公的文書などにもとづいて、ドナウ諸侯国など特定地域の封建制社会における剰余労働欲求の実態と、資本主義社会を代表する当時のイギリスにおける剰余労働欲求の実態を、詳細に比較考察している。そのなかで、資本主義社会における「剰余労働にたいする渇望」が法的制限を受けるにいたる必然と、法的制限をも乗り越えようとする「渇望」の特徴をうきぼりにする。
剰余労働は資本主義社会だけに存在するものではない

資本が剰余労働を発明したのではない。社会の一部の者が生産諸手段を独占しているところではどこにおいても、労働者は、自由であろうと自由でなかろうと、生産諸手段の所有者のための生活諸手段を生産するために、自分の自己維持のために必要な労働時間に余分な労働時間をつけ加えなければならない。[249]

とはいえ、ある経済的社会構成体において、生産物の交換価値ではなくそれの使用価値が優位を占めている場合には、剰余労働は、諸欲求の範囲――狭いとか、広いとかの差はあっても――によって制限されているのであって、剰余労働にたいする無制限な欲求は生産そのものの性格からは発生しない……。[250]

剰余労働そのものは資本主義社会に特有のものではない、ということは、第1部第7章第1節のなかでも述べられていた。

労働者が必要労働の限界を超えて苦役する労働過程の第二の期間……この剰余労働が、直接的生産者すなわち労働者からしぼり取られる形態だけが、もろもろの経済的社会構成体を区別するのであり、たとえば奴隷制の社会を賃労働の社会から区別するのである[231]

より低い生産諸形態と資本主義的生産との接触をめぐって

マルクスがこの節のはじめのところで行なっている「アメリカ合衆国南部諸州における黒人労働」についての考察はたいへん興味深い。

その生産がまだ奴隷労働、夫役労働などというより低い諸形態で行なわれている諸民族が、資本主義的生産様式によって支配されている世界市場に引き込まれ、この世界市場によって諸民族の生産物を外国へ販売することが、主要な関心事にまで発展させられるようになると、奴隷制、農奴制などの野蛮な残虐さの上に、過度労働の文明化された残虐さが接木される。それゆえ、アメリカ合衆国の南部諸州における黒人労働は、生産が主として直接的な自家需要に向けられていた限りでは、穏和な家父長的な性格を保っていた。しかし、綿花の輸出がこれら諸州の死活の利害問題となるにつれて、黒人の過度労働が、所によっては黒人の生命を7年間の労働で消費することが、打算ずくめの制度の要因になった。黒人から一定量の有用生産物をしぼり出すことは、もう肝要ではなくなった。いまや、剰余価値そのものの生産が肝要であった。[250]

この指摘は、まったく同じとはいえないが、いくらか、日本の搾取形態にもあてはまる部分があるのではないだろうか。

日本では、鎌倉幕府の確立以後、承久の乱から関ヶ原の戦いまで、400年のあいだにおこったいくつかの大きな内乱をへて完成された封建制社会が、江戸幕府の鎖国政策のもとで300年つづいた。この約700年におよぶ日本封建制社会の内的発展の過程をつうじて、商品交換が発展し、江戸時代も後期には、問屋制家内工業や工場制手工業の発生とあいまって賃労働者が一定数生まれるなどの段階に至っていた【参考文献:『日本歴史 上』、新日本新書、初版1978年6月30日、[236,240-2]】。しかし、幕末における、当時先んじて資本主義を確立していた欧米諸国との接触によって、日本も資本主義の世界市場に引き込まれたことが、日本の資本主義化を促進する重要な契機になったことはまちがいない。

この過程のなかで確立された絶対主義的天皇制のもとで、国家権力の強制力によって、軍需産業といわゆる「殖産興業」(製糸産業、紡績産業など)を中心に資本主義産業の育成がすすめられた。同時に絶対主義的天皇制はその確立期からすでに軍国主義的侵略的政策をとっており、1874年には台湾侵略を開始し、1876年には軍事的恐喝のもとで日朝修好条規(江華島条約)という不平等条約をむすび、朝鮮への侵略的干渉と収奪を開始している。そのなかで天皇みずからが日本最大の大資本家、大地主として、地位を確立していった。

72年には600町歩にすぎなかった「御領地」は、86年には50倍にふえて3万町歩に、憲法発布の年89年には113万町歩となり、その翌年には365万町歩になった。当時の民有地の全国統計が700万町歩であった。……維新当時10万円ほどであった皇室の動産は、91年には1295万円とふえた。これらの財産がうみだす利子、配当などは、1年間で161万円にたっした。天皇の動産がふえていく過程で大きな役割をはたしたのは、のちの日清戦争で清国からうばった賠償金3億6000万円の約6%にちかい2000万円が皇室財産とされたことである。【『日本近現代史の発展 上』,1994年9月10日初版,新日本出版社、96-7ページ】

この過程で、農村部に依然として残っていた封建的地主制度が、急激に資本主義的生産様式に引き込まれてゆき、農民にたいする搾取も過酷さをました。明治維新期の天皇制政府の政策によっても、1871年の商品作物栽培の自由の認可、田畑の売買禁止と、1873年の地租改正などによって、その傾向が加速された。同時に、没落してゆく自作農民あるいは土地から切り離された小作人が、多数都市に集中することで、農村は、労働力の供給源となっていった。農村から集まってきた労働者が働いていた工場でも、労働者の大多数は、『女工哀史』【細井和喜蔵著、1925(大正14)年刊、1980年7月16日岩波文庫初版】に見られるような、封建的徒弟制度の名残の上に、「過度労働の文明化された残虐さが接木され」た労働条件下で、無権利状態のもとにおかれていた。
剰余労働が空間的に分離されているかいなか

さて、イギリスの工場における剰余労働と、ドナウ諸侯国の夫役労働のような剰余労働との比較で、まずマルクスが指摘するちがいは、剰余労働の形態が「自立的に知覚できるか、できないか」という点である。

労働日は6時間の必要労働と6時間の剰余労働からなるものとしよう。そうすれば、自由な労働者は資本家にたいして毎週6×6すなわち36時間の剰余労働を提供する。それは、労働者が週のうち3日は自分のために労働し、3日は無償で資本家のために労働するのと同じことである。しかしこのことは目には見えない。剰余労働と必要労働とは互いに融合し合っている。それゆえ、私は、この同じ関係を、たとえば労働者は1分間ごとに30秒は自分のために、30秒は資本家のために労働するというように表現することもできる。夫役労働の場合には事情は異なる。たとえば、ワラキアの農民が自己維持のために行なう必要労働は、ボヤールのために行なう彼の剰余労働とは空間的に分離されている。彼は、一方を自分自身の畑で行ない、他方を領主の直営農場で行なう。それゆえ、労働時間のこの両部分は、自立的に並存する。夫役労働の形態においては、剰余労働は必要労働から厳密に分離されている。[251]

したがって、夫役労働の場合には夫役日数の増加というかたちで剰余労働にたいする渇望が現われ、資本主義的生産形態の場合には労働日の延長というかたちで剰余労働への渇望が現われる。
法制化された夫役労働と法的に制限された工場労働

ドナウ諸侯国における夫役労働は、ロシアの占領を受けた時期(1829―1834)に、ときの総督となったキシリョーフ将軍のもとで公布された「レグルマン・オルガニク」(国家基本法)によって法的に整備確立された。この夫役労働の法制化が、それまで自然発生的であったドナウ諸侯国の夫役労働を過酷な状態におしあげる役割をはたしたことは、マルクスの研究の紹介([252-3])にくわしい。

一方、『資本論』第1部が刊行された当時にイギリスにおいて工場労働を制限していたのは1850年に発効した工場法であった。週6日の労働日の平均が1労働日10時間と制限され、法律の実行についての内務大臣直属の監督官の任命、彼らによる報告が半年ごとに議会に提出され公表されるべきことなどが規定されていた。実際、マルクスは、彼ら工場監督官の報告書を大英博物館(1973年に英国図書館が分離)で自由に閲覧できたのである。

ドナウ諸侯国のレグルマン・オルガニクが剰余労働にたいする渇望の積極的表現であり、その各条項がそれを合法化したものであるとすれば、イギリスの工場諸法は同じ渇望の消極的表現である。これらの法律は、国家の名によって――しかも資本家と地主との支配する国家の側から――労働日を強制的に制限することにより、労働力を無制限にしぼり取ろうとする資本家の熱望を取り締まる。日々ますます威嚇的にふくれ上がる労働運動を度外視すれば、この工場労働の制限は、イギリスの畑地にグアノを注ぎ込んだのと同じ必然性によって余儀なく行なわれたのである。この同じ盲目的な略奪欲が、一方の場合に土地を疲弊させ、他方の場合には国民の生命力の根源をすでに襲っていた。[253]

交換価値が剰余労働の目的となる資本主義的生産形態において、剰余労働の渇望が、労働者の「生命力の根源を」奪うほどに際限がなくなること、同時に、その渇望の制限が、資本主義的生産形態の維持にとっても「余儀なく行なわれる」典型例として、マルクスはイギリスの工場立法をあげている。ここに現在、日本で行なわれている「労働基準法」改定が、いかに歴史的発展に逆行しているかを見てとることができるではないか。イギリスにおける工場立法がまだ工場労働の実態に追いつかず、その実行がまだ完全でなく、ここでマルクスがフランスとドイツの国民の兵役適格性の低下――身長の低下を引き合いにだすような、イギリス「国民の生命力の根源をすでに襲っていた」実態については、フリードリヒ・エンゲルス Friedrich Engels(1820-95)の『イギリスにおける労働者階級の状態』(1845年)にくわしい。

マルクスはこれ以降の叙述で、1850年工場法の制限下における、資本家階級の剰余労働渇望の実態を、工場監督官の報告書をもとに克明に紹介している。

ここでは労働者は、人格化された労働時間以上のなにものでもない。[258]

食事時間や休養時間から始終「こそどろ」され、法定時間を超えた過度労働を強いられながら、「全時間工」「半時間工」とよばれる、この分野の産業労働者たちと、現代日本において、変形労働時間制のなかで心筋梗塞や過労自殺に追い込まれ、一方で「パート」とよばれ「フリーター」とよばれて、正社員なみに働かされながら、雇用が安定しない状態におかれている労働者たちと、どれだけの差があるのだろうか。

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第1部:資本の生産過程

第3篇:絶対的剰余価値の生産

第8章:労働日
第3節
搾取の法的制限のないイギリスの産業諸部門

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この節では、『資本論』第1部発行当時に、工場立法の対象外であるか、その当時ごく最近までそうであった産業部門の実態について考察されている。ここで紹介されている産業は、レース製造業、製陶業、マッチ製造業、壁紙製造業、製パン業などである。そして、農業労働者と鉄道労働者、婦人服仕立女工と鍛冶工などの労働実態も紹介されている。

ここでマルクスが依拠している資料は、官公文書である『児童労働調査委員会報告書』『公衆衛生報告書』と、エンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』、新聞や雑誌の記事などである。工場立法がまず制限したのは、児童労働と女性労働だったが、法的制限からのがれていた産業部門においては、この児童労働や女性労働の過酷さは凄まじい。成人男性労働者にいたっては、工場立法適用産業においても、実質上はその規制外におかれているものがほとんどであるから、規制がない産業では、1労働日は際限なく延長されている。ここでは、資本主義社会における剰余労働の追求がなんの制限も受けない場合の、人間の人格形成や生命の維持成長への影響が、どのような段階にまで達するものであるかを暴露している。

これらの産業部門の労働者に共通しているのが、不衛生な労働環境と超長時間労働などの過度労働による、発育不全と早期死亡、家庭生活の破綻である。また、製パン業など食品産業における不純物混和の凄まじさなども言及されている。

レース製造業に従事している人たちのあいだでは……9歳ないし10歳の児童たちが、朝の2時、3時、4時に彼らのむさくるしいベッドから引きずり出され、露命をつなぐだけのものを得るために夜の10時、11時、12時まで強制的に働かされ、その間に彼らの手足はやせほそり、彼らの体格は萎縮し、彼らの容貌は愚鈍な表情になり、彼らの人間性は、石のような無感覚状態にすっかり硬化して、見るだけでもまったくぞっとするほどである。……この制度は、……無制限的な奴隷状態の制度、社会的、肉体的、道徳的、知的な点で奴隷状態の制度である。……成年男子たちの労働時間が1日18時間に制限されるべきであるという請願を行なうために公開の集会を催す町があることを、どう考えたらよいであろうか。【ロンドン『デイリー・テレグラフ』、1860年1月17日付】[258]

陶工たちは、男子も女子も、一つの階級として、肉体的にも精神的にも退化した住民を代表する。彼らは、通常、発育不全で、体格が悪く、しばしば胸が奇形化している。彼らは早くから老い込んで短命である。彼らは無気力で血の気がなく、彼らの体質の虚弱さは、消化不良、肝臓・腎臓障害、リウマチという痼疾にかかることで示される。しかし、とりわけ彼らは、肺炎、肺結核、気管支炎、喘息といった胸部疾患にかかりやすい。ある型の喘息は彼らに特有のものであって、陶工喘息または陶工肺結核の名で知られている。……この地方の住民の退化がもっとひどくならないのは、もっぱら周辺の農村からの補充と、より健康な種族との結婚のおかげである。【『児童労働調査委員会、第1次報告書』、1863年6月13日付】[260]

フランスの化学者シュヴァリエは、商品の「“混じりもの製造”」にかんする論文のなかで、彼が検査している600いくつかの品目の多数について、10種、20種、30種のさまざまな不純物混和の方法を数え上げている。彼は、自分がすべての方法を知っているわけではなく、また自分が知っているすべての方法に言及しているわけでもない、とつけ加えている。彼は、砂糖については6種、オリーヴ油については9種、バターについては10種、塩については12種、ミルクについては19種、パンについては20種、ブランデーについては23種、小麦粉については24種、チョコレートについては28種、ワインについては30種、コーヒーについては32種などの不純物混和の仕方をあげている。主なる神でさえ、この運命をまぬがれない。ルアール・ド・カル『聖体の偽造について』、パリ、1856年、を見よ。(注76)[264]

これらの労働実態、産業部門の実態は今日的問題として重なりあうものが多い。食品産業における“混和”問題などは、日本ハムの輸入肉詐称販売をめぐる一連の事件や、雪印乳業で発覚した廃棄乳の使いまわし事件などを思い浮かばせる。また、次に引用する鉄道事故多発をめぐる鉄道労働者の労働実態の暴露は、最近、日本国内で多発している運送トラックによる事故などをめぐる労働者の労働実態とも重なりあうものがある。

機関士と火夫の注意力が一瞬でもゆるめば、その結果どうなるかはだれもが知っている。それにしても、ひどい荒天のなかで、中休みも休養もなしに際限なく労働が延長される場合、どうしてそれ以外のことが起こりえましょうか? 毎日起こっている例として、次の場合をあげましょう。この月曜日、1人の火夫が夜明け早々に1日の仕事を始めました。彼は14時間50分後に仕事を終えました。お茶を飲む暇さえなく、彼はまた新たに仕事に呼び出されました。……彼は29時間15分、休みなしに苦役を続けねばならなかったのです。彼の1週間の仕事の残りは以下のように組まれていました――水曜日15時間、木曜日15時間35分、金曜日14時間半、土曜日14時間10分、この週の合計は88時間30分。そこで、彼が6労働日分の支払いしか受けなかったときのおどろきを想像してください。この男は新米だったので、1日の仕事とはどれだけのことを言うのかと質問しました。答えは13時間、したがって週あたり78時間ということでした。では、10時間30分の余分な時間にたいする支払いはどうなっているのか? 長い口論のすえ、彼は10ペンスの手当を受け取ったのです。【『レイノルズ・ニューズペイパー』、1866年2月4日付】[268]

ロンドンのある大陪審の前に3人の鉄道労働者、すなわち車掌、機関士、および信号手が同時に立っている。ある大きな鉄道事故が数百人の乗客をあの世に送ったのである。鉄道労働者たちの怠慢が事故の原因である。彼らは陪審員たちの前で異口同音にこう言明している。10年ないし12年前には、自分たちの労働は1日にたった8時間にすぎなかった。最近の5、6年のあいだに、労働は14、18、20時間へしゃにむに引き上げられ、また行楽専用列車の時期のように旅行好きな人々がとくに激しく殺到する場合には、労働は、しばしば中断なしに40―50時間続く。彼らは普通の人間であって、キュクロープスたちではない。ある時点では、彼らの労働力は役に立たなくなる。感覚麻痺が彼らを襲う。彼らの脳は考えることをやめ、彼らの目は見ることをやめる、と。[267-8]

マルクスがこの節のさいごに紹介している「調査報告」のなかに印象的な一文がある。

人間のほとんど本能的な一技術であってそれ自体としては非難すべき点のない職業が、単に労働の過重というだけのことで人間の破壊者になる。【リチャードスン博士「労働と過度労働」。所収、『社会科学評論』、1863年7月18日号、476-7ページ】[271]

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第1部:資本の生産過程

第3篇:絶対的剰余価値の生産

第8章:労働日
第4節
昼間労働と夜間労働。交替制

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マルクスはまず、交替労働制が発生する必然についてふれ、それが「資本主義的生産の内的衝動」によるものであることを指摘している。

不変資本である生産諸手段は、価値増殖過程の立場から考察すれば、労働を――そして一滴一滴の労働とともに剰余労働のある比率的分量を――吸収するためにのみ定在する。生産諸手段が剰余労働の吸収を行なわない限り、その単なる実存は資本家にとって消極的損失である。……使用中断によって仕事の再開のために追加支出が必要となるようになるやいなや、この損失は積極的なものとなる。……それゆえ、1日の24時間全部にわたって労働をわがものとすることが、資本主義的生産の内在的衝動なのである。しかし、同じ労働力が昼夜連続的にしぼり取られるなどということは肉体的に不可能であるから、この肉体的障害を克服するために、昼間食い尽くされる労働力と夜間に食い尽くされる労働力との交替が必要になる。[271-2]

この「内的衝動」はすでに公文書――ここでは『児童労働調査委員会、第四次報告書』、1865年――のなかで、資本家諸氏によってあからさまに表明されており、典型例として、この節の中では、「サンダースン兄弟会社」のオーナーであるサンダースン氏の言が紹介されている。

「鋼の生産そのものにかんして言えば……まったく変わりないであろうが、しかし、その場合には、きわめて高価な機械設備が半分の時間遊んでいることから損失が生ずるであろうし、またこんにちの制度のもとでわれわれが提供できるだけの生産物量をこなすには、建物と機械施設とを2倍にしなければならず、それは支出を2倍にするであろう。……確かに、遊休機械設備から生じるこの損失は、昼間だけ仕事が行なわれるすべての工場に存在する。しかし、われわれの場合、溶鉱炉を使用していることで特別の損失が生じるであろう。溶鉱炉の火を燃やし続ければ、燃料が浪費され……また火を消せば、ふたたび火入れして必要な高温を得るのに時間の損失が生じ……そして溶鉱炉そのものも温度の変化によって傷められるであろう」[278]

これらの「内的衝動」によって労働者にもたらされている労働実態が、『児童労働調査委員会、第四次報告書』という公文書の実例によって、具体的に紹介されている。ここでも、児童労働の過酷さに焦点があてられている。

一般に少年たちを昼夜交替で働かせる方法は、事業の繁忙時にも平常時にも、労働日の法外な延長に導く。……あれこれの理由から、交替の少年がときどき欠勤するということが必ずある。その場合には、すでに自分の労働日を終えた出勤中の一人または数人の少年がその欠落を埋め合わせなければならない。……ある圧延工場では、名目的労働日が朝の6時から晩の5時半までであったが、ある少年は、毎週4晩は、少なくとも翌日の晩の8時半まで働き……しかもこれが6ヵ月間続いた。……もう一人の少年は、9歳のときには、ときどき12時間労働の3交替分をぶっ続けで働き、10歳のときには2日2晩ぶっ続けで働いた。……現在10歳の第三の少年は……朝の6時から3晩は夜の12時まで、その他の晩は晩の9時まで働き続けた。……現在13歳の第四の少年は……まる1週間のあいだ午後6時から翌日の正午まで働き、しかもときどき3交替分をぶっ続けで、たとえば月曜日の朝から火曜日の夜まで働いた。……現在12歳の第五の少年は、ステイヴリーのある鋳鉄所で、朝の6時から夜の12時まで14日間働き通したが、それ以上続けることはできない。【『児童労働調査委員会、第四次報告書』、1865年】[273-4]

製鋼・製鉄工場や鍛鉄工場、圧延工場、冶金工場などにおける児童労働について、その制限に抵抗している資本家諸氏の理由づけのなかにも、「内的衝動」が明白に表われている。

18歳未満の少年の夜間労働を許さないことにわれわれが異議をとなえるのは、出費の増加が理由であるが、しかしこれがまた唯一の理由なのである。【『児童労働調査委員会、第四次報告書』、1865年】[276]

交替制という労働形態によって、1労働日は24時間という1自然日をゆうに超えて、際限なく延長されてゆく。

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第1部:資本の生産過程

第3篇:絶対的剰余価値の生産

第8章:労働日
第5節
標準労働日獲得のための闘争。
14世紀中葉から17世紀末までの労働日延長のための強制法

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“内的衝動”の強制的制限の必要性と必然性

第5節から第7節にわたって、資本主義的生産の内的衝動による際限のない1労働日の延長に制限をくわえるための、長いながい、労働者たちのたたかいの歴史が考察されている。このたたかいの意義について、第7節の末尾の部分で、マルクスはつぎのようにのべている。

わが労働者は生産過程にはいったときは違うものとなって、そこから出てくるということをわれわれは認めなければならない。市場では、彼は、「労働力」商品の所有者として他の商品所有者たちと相対したのであり、商品所有者が商品所有者と相対したのである。労働者が自分の労働力を資本家に売るときに結んだ契約は、彼が自分自身を自由に処分するものであることを、いわば白い紙に黒い文字で書きとめたようにはっきりと証明した。取り引きが終わったあとになって、彼は「なんら自由な行為者ではなかった」こと、彼が自分の労働力を自由に売る時間は、彼がそれを売ることを強制されている時間であること、実際に、彼の吸収者は「一片の筋肉、一本の腱、一滴の血でもなお搾取することができる限り」手放しはしないことが暴露される。自分たちを悩ます蛇にたいする「防衛」のために、労働者たちは結集し、階級として一つの国法を、資本との自由意志的契約によって自分たちとその同族とを売って死と奴隷状態とにおとしいれることを彼らみずから阻止する強力な社会的防止手段を、奪取しなければならない。「譲ることのできない人権」のはでな目録に代わって、法律によって制限された労働日というつつましい“大憲章”が登場する。それは「労働者が販売する時間がいつ終わり、彼ら自身のものとなる時間がいつ始まるかをついに明瞭にする」。[319-320]

資本主義的生産においては、制限がくわえられなければ、1労働日は際限なく延長される。それが労働者の正常な発育や精神的発達を阻害しても関係なく。当然、労働者の労働力の発現は、このような労働過程に身をおいているかぎり、日に日に萎縮していき、もしくは、労働者自身の寿命を縮める。

労働力の確保は資本主義的生産において不可欠であり、労働者の数が減っていくか、あるいは労働者の発現する労働力が小さくなればなるほど、資本家の期待する生産過程を維持するのが困難になるから、マルクスのいうように

資本はそれ自身の利害によって一つの標準労働日を指向させられているかのように見える。[281]

しかし、これはあくまで「そうであるかのように見える」だけである、ということを、つづけてマルクスは考察している。その地域内、あるいは、その国のなかだけで考えれば、資本主義的生産は、みずからの存立基盤である労働力をみずからの内的衝動によって食いつぶしていくことで、上述したような困難をかかえることになる。しかし、その地域の外部、あるいは国外からの労働力の補填によって、その困難は打開されるのである。マルクスが例示するのは、アメリカにおける黒人奴隷労働のためにアフリカ大陸からつぎつぎに“投入”される労働力について。さらに、イギリス・ロンドンの製パン業に“命がけの志願”をするドイツなどからの労働力の集中、あるいは、イングランド南部の農村からマンチェスターへの労働力の移入などである。

『ベリー・ガーディアン』紙は、英仏通商協定の締結後は、1万人の追加の人手が吸収されうるであろうし、やがてさらに3万人か4万人の人手が必要となるであろうと嘆いた。人肉取引の周旋人と下請周旋人が1860年に農業地方をあさり回ってほとんど成果をあげられなかったが、そのあと、「1人の工場主代表が救貧局長のヴィラ―ズ氏にたいし、救貧院労役場から貧児と孤児とを供給することをふたたび許可されたいと請願した」。[283]

この部分を読んで思い浮かべたのは、『赤毛のアン』の主人公がマリラやマシューと出会うまでの生い立ち、『ジェイン・エア』の主人公の半生である。

国内の“過剰人口”を食いつくしたのちに、資本は、国外の“過剰人口”に目をつけるわけである。この場合の“過剰人口”というのは、彼らの労働力が資本主義的生産において発現されていない、あるいは、生産過程に投入するには効率が悪い、という意味においてのみ、そう資本から判断されているのである。その地域社会の住民、その国の国民の健康と寿命にはいっさい無頓着な資本主義的生産の内的衝動は、地域や国の枠を乗り越えて、その内的衝動のおもむくままに、精神的肉体的疲弊を広げていく。内的衝動が制限されないかぎり、結局、ある時期がくれば、世界中の労働力人口が、資本にとって無意味な存在になるところにまで行き着いてしまうだろう。しかし、それまでにはまだ間があると、資本家諸氏はみながみな考えるのである。「私の目の黒いうちにはまだそういう日は来ない」と。

どんな株式思惑においても、いつかは雷が落ちるに違いないということはだれでも知っているが、自分自身が黄金の雨を受け集め安全な場所に運んだあとで、隣人の頭に雷が命中することをだれもが望むのである。“大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!”これがすべての資本家およびすべての資本家国民のスローガンである。それゆえ、資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない。……しかし、全体として見れば、このこともまた、個々の資本家の善意または悪意に依存するものではない。自由競争は、資本主義的生産の内在的な諸法則を、個々の資本家にたいして外的な強制法則として通させるのである。[285-6]

興味深いのは、企業家自身のなかに、“国家による強制介入”の必要性を訴えている例が、すでにマルクスの時代に存在したことである。

それゆえ、たとえばわれわれは、1863年のはじめに、スタッフォードシャーに広大な製陶工場をもつ26の商会……が、ある陳情書のなかで「国家の強制的介入」を請願しているのを見いだすのである。「他の資本家たちとの競争」は、自分たちが児童の労働時間を「自発的に」制限することなどを許さない。「それゆえ、いくらわれわれが上記の弊害を嘆いたところで、工場主たちのあいだでのなんらかの種類の協定によってそれを阻止することは不可能であろう。……これらすべての点を考慮した結果、われわれは強制法が必要であると確信するにいたった」(『児童労働調査委員会、第1次報告書、1863年、322ページ』)。【注114】[286]

近代工場法以前

資本が萌芽状態にあり、資本がやっと生成したばかりで、したがってまだ単なる経済的諸関係の強力だけによってではなく、国家権力の助けをも借りて十分な分量の剰余労働を吸収する権利を確保するような場合[286-7]

イギリスにおいてこのような時期は、14世紀中葉から17世紀末までであったと、マルクスは考察している。その時代の規制法は、労働日を「強制的に延長しようとする」。賃労働という搾取形態が社会的に一般化するためには、すなわち資本主義的生産様式が発展し、労働者が彼の労働能力を売るように社会的に強制されるようになるまでには、数世紀を要した。その結果、労働時間の強制的延長は、労働者の肉体的ギリギリの限界にまで達した。

それゆえ、14世紀中葉から17世紀末まで、資本が、国家権力の助けを借り大人の労働者たちに押しつけようとする労働日の延長が、19世紀の後半に、子供たちの血が資本に転化するのを防ぐために国家がときおり設ける労働時間の制限とほぼ一致するのは当然なのである。こんにち、たとえば、最近まで北アメリカ共和国のもっとも自由な州であったマサチューセッツ州において、12歳未満の児童の労働の国家的制限として布告されているものは、イギリスでは、まだ17世紀中葉には、血気さかんな手工業者、たくましい作男、および頑健な鍛冶屋の標準労働日だったのである。[287]

労働日を延長しようとする資本の側の意図的な努力がはじまっていたこの時代に、典型的な2つの思想潮流があった。まだ、資本が、労働者を週賃金でまるごと1週間拘束しきれていなかった時代、つぎのような議論がなされていたという。労働者が、4日間の賃金で7日間生活することは労働者を怠慢にする、という論と、労働効率をあげるためには強制的労働から解放される時間が必要だ、という論である。

週の7日目を休日とすることが神の摂理であるとみなされるならば、このことは、他の週日が労働に属することを含むのであり、神のこのおきてを強制することが残酷だととがめるわけにはいかない。……人間は一般に生まれつき安楽と怠惰を好むのであり、このことについて、われわれは、生活手段が高騰する場合以外には平均して週に4日以上は労働しないわがマニュファクチュア細民の行動から、不幸にも経験させられるのである。……1ブッシェルの小麦が労働者のすべての生活諸手段を代表し、その値段が5シリングであって、労働者が、その労働によって毎日1シリングかせぐとしよう。そうすれば、彼は週に5日だけ働けばよいし、1ブッシェルが4シリングならば、4日だけでよい。……しかし、この王国の労賃は生活諸手段の価格と比べてはるかに高いから……マニュファクチュア労働者は4日間働いて、週の残りを遊んで暮らす余分な金をもつことになる。……おそらく総人口の8分の7がわずかしか、あるいはまったく財産をもっていないわが国のような商業国家において、“群衆”を増長させることは、きわめて危険である。わが工業貧民たちが、いま4日間でかせいでいるのと同じ金額で甘んじて6日間労働するようになるまでは、治療は完全ではないであろう。【『工業および商業にかんする一論。租税にかんする諸考察を含む』、ロンドン、1770年、69ページ】[291-2]

労働者(“よく働く貧民”)が5日間で、生活するのに十分なものを受け取ることができるならば、彼はまる6日間も働こうとしはしないというあまりにも多くの人々の口にのぼる陳腐な言い方に注意を払わざるをえない。……彼らは、手工業とマニュファクチュア労働者とに休みなしの週6日間の労働を強制するため、租税その他なんらかの手段によって生活必要品をさえも騰貴させる必要があると結論する。……彼らは、「“働かせるだけで全然遊ばせない”」とうすのろになる、という諺を忘れている。イギリス人たちは、これまでイギリス商品に一般的な信用と名声を与えてきた彼らの手工業者とマニュファクチュア労働者との独創性と熟練とを自慢にしているのではないのか? これはどんな事情のおかげであったか? おそらく、わが労働人民が自分なりにうさばらしをするそのやり方のおかげ以外のなにものでもないであろう。もし彼らが、1週間にまる6日間、絶えず同じ仕事を繰り返しながら、1年中働き通すことを強制されるならば、このことは彼らの独創性をにぶらせ、彼らを機敏かつ熟練にするのでなく愚鈍にするのではなかろうか? そしてわが労働者たちは、そのような永遠の奴隷状態の結果、その名声を維持するどころか失ってしまうのではなかろうか?……彼らの多くは、フランス人が5日または6日間かかるのと同じ仕事を4日間でする。しかし、もしイギリス人たちが永遠の苦役労働者であるべきだとすれば、彼らはフランス人以下に退化するおそれがある。……なぜ、わが手工業者とマニュファクチュア労働者たちとの優れた独創性、精力、および熟練が、彼らが自分なりのやり方でうさばらしをする自由のおかげであってはならないのか? 願わくは、彼らがこれらの特権を決して失うことのなからんことを、また彼らの労働技能の、同時にまた彼らの勇気の源泉となっているよき生活を決して失うことのなからんことを!【ポスルスウェイト、『商工業百科事典』への補遺および『大ブリテンの商業的利益の説明および改善』、第二版、ロンドン、『第一諸論』、14ページ】[290-1]

労働時間の強制的延長が、労働者の肉体的限界まで達し、労働力の保持のためにあまりの延長の強制に歯止めをかけざるを得なくなる時期が到来した。

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第1部:資本の生産過程

第3篇:絶対的剰余価値の生産

第8章:労働日
第6節
標準労働日獲得のための闘争。
法律による労働時間の強制的制限。
1833-1864年のイギリスの工場立法

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資本が労働日をその標準的な最大限界まで延長し、次いでこれを超えて12時間という自然日の限界にまで延長するのに数世紀を要したが、そのあとこんどは、18世紀の最後の3分の1期に大工業が誕生して以来、なだれのように強力で無制限な突進が生じた。風習と自然、年齢と性、昼と夜とのあらゆる制限が粉砕された。古い法令では農民流に簡単だった昼と夜の概念でさえもきわめてあいまいになったので、1860年になってもなお、イギリスの一判事が、昼とはなんであり夜とはなんであるかを「判決上有効に」説明するために、真にタルムード学者的な英知をしぼらなければならなかった。[294]

工場監督官レナド・ホーナーの報告によれば、ここで12時間となっている労働日は、拘束時間ではない。食事の時間や通勤時間をふくめるとこの当時の労働者が1日に拘束される時間は14時間である(1841年12月31日の報告書【注131】)。

19世紀初頭に開始されたイギリス労働者の抵抗は、1802年から1833年にかけて公布された労働法に反映したが、議会がその法律の執行のための予算を可決しなかったために、実行力のないものであった。近代の工場法はようやく1833年の工場法にはじまる。この工場法は、木綿工場、羊毛工場、亜麻工場、絹工場など紡績産業のほとんどに適用された。
近代工場法のはじまり

1833年の法律が言明するところによれば、普通の工場労働日は朝5時半に始業し、晩の8時半に終業するものとし、また15時間という時限の制限内では、年少者(すなわち13歳ないし18歳の者)を1日のうちのどんな時間に使用しても、同一の年少者が1日に12時間以上労働しさえしなければ、特別に規定されたある場合をのぞき、適法であるとされる。この法の第6条は、「このように労働時間を制限された者には、すべて、毎日少なくとも1時間半の食事時間が与えられるものとする」と規定している。9歳未満の児童の使用は、のちにふれる例外をのぞいて禁止され、9歳から13歳までの児童の労働は、1日8時間に制限された。夜間労働、すなわちこの法律によれば晩の8時半から朝の5時半までの労働は、9歳ないし18歳のすべての者について禁止された。[295]

あくまでこの1833年の工場法は、法律による労働時間の本格的な強制的制限措置の第一歩にすぎなかった。これより数十年間、法律の穴をかいくぐろうとする資本家との闘争、彼らを利する法的措置を講じようとする議会会派との闘争が続く。

1833年の工場法は、その完全実施までに3年間の猶予期間がもうけられていた。期限である1836年までの間に、議会では資本の要求のために、児童にたいする労働制限を緩和する議決が数度なされている。資本の側の攻勢によって、政府はついに1835年、完全実施を目前にして、「児童」の法的年齢限界を13歳から12歳に引き下げることを議会に提案した。しかし、労働者の運動が急速に高まったために、下院はその提案を却下し、ようやく児童労働8時間制が完全に効力を発揮したのであった。

完全実施されたとはいえ、1833年の工場法ではまだ9歳から13歳までの児童の8時間労働がゆるされている。このことが、このあとにマルクスが考察しているように「リレー制度」という児童の新たな交替労働制を生み出す素地となった。

たとえば朝5時半から午後1時半までは9歳ないし13歳の1組の児童が、午後1時半から晩の8時半までは別の1組が、継ぎ馬として使われるといったふうになった。[296]

このリレー制は「改良」が重ねられ、児童が労働する8時間は細かく配分され、リレーが引き継がれるタイミングも細分化された。労働時間が細分化され、まとまった時間ではなくなったために、児童労働者の食事時間、休憩時間もまとまってとれなくなった。したがって、この労働形態では、食事時間や休憩時間の「こそどろ」がおこなわれやすい。いっぽう、工場監督官にとっては、法執行違反の摘発がさらに困難にされた。
10時間制獲得のたたかい
運動の画期―チャーティスト運動の開始と穀物法反対運動

この時期、労働者の運動は新たな段階に到達していた。1838年5月8日、ロンドン労働者協会など労働者諸団体が「人民憲章」を発表している。これは男子普通選挙権、平等・秘密選挙などの政治改革を要求する内容のもので、これが労働者の政治的な選挙スローガンとなった。またそれとともに労働時間の10時間制実現が彼らの経済的選挙スローガンとしてかかげられた。この労働者の本格的な経済的政治的運動は組織的系統的に行なわれた世界で最初の労働者自身の自覚的運動であり、1838年以降約20年間継続される。これがいわゆるチャーティスト運動である。

またこの時期には、穀物輸入制限法である、1815年の穀物法の廃止をもとめる運動がたかまっており、1839年に反穀物法同盟が結成されている。1815年法は穀物、とくに小麦生産者保護の政策の反映であったが、資本主義勃興期の資本家たちにとって、原料輸入にたいしてかかる関税というコストはがまんならないものだったのである。この反穀物法運動にたいして、イギリス保守党の前身であるトーリー党が反発した。というのも当時、トーリー党は大地主などによって構成されており、地代の減収につながるこの運動はわが身をおびやかすものだったからである。新興してきた産業資本家の要求と旧来の資産家の要求とは、当時、ちがいがあったわけである。旧来の支配層は、新興産業資本の法律違反にたいして

博愛家ぶった憤激をあらわにしながら、彼らの敵たちの「非道な術策」をどなりつけた。[298]

いっぽう、反穀物法同盟にとっては、自由主義的改革のために、一大政治勢力となった労働者を取り込む必要があったので、チャーティストらがかかげた10時間制の要求を支持しないわけにはいかなかった。さらには、

工場主自身のうちでも工場経営を1833年の法に従ってすでに規制していた一部の者は、よりひどいあつかましさか、より幸運な地方的事情かによって法律違反をなしえた「にせ兄弟たち」の不徳義な「競争」にかんして陳情書をつぎつぎに提出し、議会を圧倒した。[298]

これら一連の政治的背景については、第1部第7篇第23章第5節e項のなかで、具体的にふれられている([704])。
1844年の追加工場法

このような情勢のなかで、1844年の工場法で、18歳以上の成年女性労働者の労働時間が12時間に制限され、夜間労働が禁止された。ここにいたって、児童労働だけでなく、成年労働者の労働実態についても監督されるべきことが定められた。また、同法によって、13歳未満の児童の労働日は原則6時間半、あるいは一定の条件下では7時間と、さらに短縮された。また、例の「リレー制度」の濫用をふせぐために、1844年の工場法は次のような細則をさだめた。

「児童および年少者の労働時間は、だれかある児童または年少者が、朝、工場で仕事し始める時間から数えられるものとする」と。

その結果、たとえばAは朝8時に仕事を始め、Bは10時に始めるとしても、Bの労働日はAのそれと同じ時間に終わらなければならない。労働日の開始は公的な時計、たとえばもよりの鉄道時計で示されるものとされ、工場の時計はこれに合わせられなければならない。工場主は、工場内に、労働日の開始、終了、休憩を示す大きな活字で印刷された掲示を掲げなければならない。午前の労働を12時前に始める児童たちは、午後1時以後にふたたび使用されてはならない。したがって、午後組みは午前組みとは別の児童たちから成り立っていなければならない。食事のための1時間半は、すべての非保護労働者に同一時限に与えられなければならず、少なくとも1時間は午後3時以前に与えられなければならない。児童または年少者たちは、少なくとも30分の食事のための休憩なしに、午後1時以前に5時間以上使用されてはならない。児童、年少者または婦人たちは、どの食事時間中も、なんらかの労働過程が行なわれている工場の室内にとどまってはならない、など。[299]

労働時間の制限の厳密さは、工場経営者のごまかしをふせぐためのものであったが、同時に、工場内協業の効率を高めることにもなった。工場内での労働の開始と終了、休憩が、工場にすえつけられた時計によって統制されるようになったのである。細則は厳密に、工場の時計は「もよりの鉄道時計で示される」としているから、この時間はイギリスの標準時間にあわせられていたわけであり、国内的にも一律の時間で生産ラインが動かされるようになったわけである。正確な時刻を打つ時計は、工場になくてはならないものとなった。

工場協業の発達は、女性や児童の労働制限を、それにともなう生産ラインの改善にむすびつけることにもなった。すなわち、協業の一環をなす成年男性労働者の労働時間の制限をももたらすこととなったのである。

それらは、近代的生産様式の自然諸法則として、諸関係のなかからしだいに発展してきたのである。それらの法則のもっとも手近な結果の一つは、実践のなかで成年男子工場労働者の労働日も同じ制限に従わせられた――というのは、大多数の生産過程において、児童、年少者、および婦人たちの共同作業が不可欠であったから――ということである。それゆえ、一般に、1844-1847年の期間中は、工場立法に従わせられているすべての産業部門において、12時間労働日が一般的かつ画一的に行なわれていた。[299]

しかし、1844年6月の、この追加工場法は、同時に工場主にたいする譲歩をゆるしている。

工場主たちにけしかけられて、下院は、神と法によって資本に当然に与えられるべき「工場児童の追加供給」を保証するために、働かせるべき児童の最低年齢を9歳から8歳に引き下げた。[299]

運動の新たな局面――穀物法撤廃

経済政策の転換はたたかいの反映であるが、その転換がたたかいをさらなる段階へうながすことになる。

1846-1847年は、イギリス経済史で新紀元を画する年である。穀物法が撤廃され、綿花その他の原料にたいする輸入関税が廃され、自由貿易が立法の導きの星と宣言された! 要するに、千年王国が始まった。他方、同じこれらの年にチャーティスト運動と10時間法運動とがその頂点に達した。[300]

反穀物法同盟ははじめ10時間法運動を支持していたが、それはあくまで穀物法撤廃のための支持勢力として、労働者をとりこむためであったから、穀物法が撤廃された段階では、支持する理由がなくなった。反穀物法同盟を形成していた新興産業資本家たちは、あっさりと、約束を反故にしたのである。一方、保守党トーリー党は、地代収入などの旧来の既得権益を侵害されたために、新興産業資本家と敵対し、チャーティスト運動と10時間法運動にたいして同盟した。このような政治的背景をともなって、組織的政治的にたかまっていた労働者の運動によって、10時間法が議会で可決された。1847年6月8日の最初の可決から、同年7月1日の議決を経て、約1年後の1848年5月1日に10時間法は確定した。この新工場法は、13歳から18歳までの年少者と女性の労働日を10時間と規定した。

この間の議会の議決にたいするマルクスの評価の基準は一貫している。それはなにより、労働時間短縮のためにどれだけ効力を発揮するものであったかという点であった。このことはつぎの叙述のなかにも表われている。

1847年6月8日の新工場法は、「年少者」(13歳から18歳)およびすべての婦人の労働日が、1847年7月1日には暫定的に11時間に短縮されるが、1848年5月1日には最終的に10時間に制限されるものとすると確定した。その他の点では、この法は、1833年および1844年の法の修正的な追加でしかなかった。

資本の側の抵抗もあらたな段階を迎えていた。1848年5月1日の新工場法完全実施期限を前に、資本がとった手立てというのは、段階的な労働時間短縮にともなう賃銀引き下げであった。この措置によって、労働者が、より長い労働時間のほうを選択すると期待したのである。

工場主諸氏は、10%の一般的な賃銀引き下げによって、この事情の当然な作用を強めようとした。これは、いわば新しい自由貿易時代の除幕式として行なわれた。これに続いて、労働日が11時間に短縮されるやいなや、さらに8(と)1/3%の賃銀引き下げが行なわれ、そして労働日が最終的に10時間に短縮されるやいなや、その2倍の賃銀引き下げが行なわれた。それゆえ、なんとか事情が許した場合には、少なくとも25%の賃銀引き下げが行なわれた。[300-1]

資本は、労働者たちに「首切り」をちらつかせて脅迫しながら、10時間制を定めた1847年法の撤廃のために、請願署名を出させることまでやったのである。

もう一つの「穏便な」策略は、成年男子労働者を12時間ないし15時間労働させ、次いでこの事実をプロレタリアートの心からの願いの最上の表現であると説明することであった。しかし、またもや「無慈悲な」工場監督官レナド・ホーナーがいあわせた。たいていの「超過時間労働者」は次のように供述している――「彼らは、もっと少ない労賃で10時間働くほうがはるかに好ましいのであるが、彼らにはまったく選択権がない。彼らのうちの多くの者が失業しており、多くの精紡工が余儀なくただの“糸つなぎ工”として働かされているのであるから、もし彼らがより長い労働時間を拒絶すれば、すぐさま他の者が彼らに取って代わるであろう。こうして、彼らにとって問題になることは、より長時間働くか、それとも首を切られるかということである」。[301]

工場主たちの反乱

工場主たちのあらゆる妨害工作にもかかわらず、10時間法は1848年5月1日に発効した。しかし、あらたな工場主たちの反乱も開始され、それとともに労働者たちの運動への新たな弾圧が開始された。

チャーティスト党の大失敗――その指導者が投獄され、その組織は粉砕された――は、すでにイギリス労働者階級の自身を動揺させていた。その後まもなく、パリの六月蜂起とその血ぬられた圧殺は、ヨーロッパ大陸においてもイギリスにおいても、支配階級のあらゆる分派――すなわち土地所有者と資本家、オオカミ相場師と小商人、保護貿易主義者と自由貿易主義者、政府と反対党、僧侶と無心論者、若い売春婦と年老いた尼――を、財産、宗教、家族、社会を救え! という共同の叫びのもとに糾合した。労働者階級はいたるところで法の保護の外におかれ、破門され、「“容疑者逮捕法”」のもとにおかれた。[302]

ここでいわれている「チャーティスト党の大失敗」や「パリの六月蜂起とその血ぬられた圧殺」とは、具体的にはどのようなものであったのだろうか。

いずれにしろ、この大弾圧の期間、それまで反目しあっていた旧来の支配層と新興産業資本家たちは大同団結して、労働者のさまざまな争議に相対したのである。

工場主たちは力強い援軍を得て、これまで積み重ねられた労働時間にたいする法的規制を取り払うためのさまざまな取り組みを開始した。マルクスは、これらの具体例を考察する上で、これまでに定められた工場法の性格と弱点をはじめに指摘している。

以下に述べることを理解するためには、1833年、1844年、および1847年の工場法は、そのうちの一つが他のものを修正しない限り、三つとも法律としての効力をもつということ、それらはいずれも18歳以上の男子労働者の労働日を制限してはいないということ、さらに、1833年以来、朝の5時半から晩の8時半までの15時間の時限がずっと法律上の「昼間」であったのであり、この範囲内で、はじめは12時間、のちには10時間の年少者および婦人の労働が規定の諸条件のもとで行なわれるものとされたこと、そうしたことが想起されなければならない。[302]

第一の措置――児童・女性労働者の解雇と男子労働者の夜間労働の復活

工場主たちはあちらこちらで、彼らが使っていた年少者と婦人労働者の一部、ときには半分を解雇しはじめ、その代わりに、ほとんどなくなっていた夜間労働を成年男子労働者のあいだに復活させた。[302]

協業の一環であり、法的規制のもとに置かれている児童・女性労働を、生産ラインから切り離してしまえば、もともと規制対象外におかれている成年男子労働は、工場主の思うがままである。
第二の措置――食事休憩からの「こそどろ」

工場主諸氏の主張するところによれば、1844年の法の食事時間にかんする実に厳密な諸規定は、労働者たちに彼らの工場への出勤以前と工場からの退出以後に、したがって自宅において飲食する許可だけを与えたものである! それに、労働者たちはなぜ朝の9時以前に昼食をとってはならないのか? ところが、勅選弁護士たちは、規定の食事時間は、「実際の労働日のあいだの中休み中に与えなければならず、かつ朝の9時から晩の7時まで引き続き10時間、中休みなしに仕事をさせることは違法である」と判定した。[303]

マルクスはこれらの措置を「楽しい示威運動」[303]と形容しているが、これはマルクス特有の皮肉だ。まったく、食事時間についてのこのようなやりとりほど、ナンセンスなものはない。が、実際に法の網の目をくぐりぬけるために、このような姑息な主張が堂々と展開されたのである。
第三の措置――1844年法の弱点を利用

これらの楽しい示威運動ののち、資本は、1844年の法の条文に合致した、すなわち合法的な措置によって、その反逆を開始した。1844年の法は、確かに午前12時より前に就業させられた8歳から13歳の児童たちを昼の1時よりあとにふたたび就業させることを禁止した。しかしそれは、午前12時またはそのあとに労働時間が始まった児童たちの6時間半の労働は規制しなかった! そえゆえ、8歳の児童たちは、午前12時に労働を始めた場合には、12時から1時まで1時間、午後2時から4時まで2時間、晩の5時から8時半まで3時間半、全部合わせて法定の6時間半使用されることができた! あるいはもっとうまいやり方もできた。児童たちの使用を晩の8時半までの成年男子労働者の労働に適合させるためには、工場主たちは、午後2時より以前には児童たちになんの仕事も与えなければよいのであって、そうすれば彼らを晩の8時半まで中断せずに工場にとどめておくことができた![303]

それだけではまだこと足りない! 資本のずる賢い目は、1844年の法が、元気回復のためのすくなくとも30分の休憩なしには午前中の5時間の労働を許していないが、しかし、午後の労働についてはこの種のことはなにも規定していないことを発見した。それゆえ、資本は、8歳の働く児童を2時から晩の8時半まで休みなしに苦役させるだけでなく、ひもじくもさせるという楽しみを要求し、かつ、むりやり獲得した![304]

新たなリレー制度の考案――1844年法条項からの公然たる逸脱

つぎに工場主たちがとった手立ては、1844年法の精神であった「リレー制度」防止措置を、新たな形態のリレー制度をつくりあげることで無視することであった。これは裁判所判事の共同のもとに行なわれた。工場監督官たちの告発、訴訟にもかかわらず、工場主たちの法律違反は法律違反として認められることなく、リレー制度を新たなかたちで、またたく間に多くの工場に広げていったのである。この制度では児童労働者、成年に満たない労働者たちの入れ替わりがあまりにも頻繁に行なわれ、そのやり方も巧妙なので、工場監督官も明白な証拠をつかむことがきわめて困難となった。

「私は」――とレナド・ホーナーは報告している――「7つの異なる裁判所管区における10回の訴追によって……この法律を励行しようと試みたが、治安判事によって支持されたのは1件にすぎなかったので、……法律違反のかどでこれ以上訴追しても無益であると考えた。この法のうち、労働時間の均一性を確保するために作成された部分は、……もはや私の管区ランカシャーでは存在しない。私も部下も、いわゆるリレー制度が支配的に行なわれている工場が年少者および婦人たちを10時間以上働かせていないことを確かめる手段をまったくもっていない。……1849年4月末、私の管区ではすでに114の工場がこの方法で作業したのであって、その数は最近急激に増加してきている。一般にそれらの工場は、現在朝の6時から晩の7時半まで13時間半作業しており……若干の場合には、朝の5時半から晩の8時半まで、15時間作業している」。[306-7]

労働人員は、しばしば12ないし15の部類に分けられ、これらの部類そのものがまたその構成部分を絶えず変えた。15時間の工場日の時限のあいだに、資本は、あるときは30分、あるときは1時間、労働者を引き寄せてはまた突き放すことによって、彼をあらためて工場に引き入れては、また工場から追い出すようにし、こうしてまる10時間労働が完全に遂行されるまではいつも労働者をつかんで放すことなく、わずかなばらばらの時間ずつ労働者をあちこちに追い立てたのである。……労働者たちはいまや、工場への往復時間は勘定に入れずに、15時間のあいだ工場に属した。こうして、休息時間は強制された怠惰の時間に転化し、それが若い労働者たちを居酒屋へ、若い婦人労働者たちを売春宿へかり立てた。[307-8]

ここで、若い労働者たちが居酒屋をもとめるのはわかるのだが、若い婦人労働者たちがなぜ売春宿へかり立てられなければならなかったのか。どういう意味なのだろうか。

疑問だった上記引用部分だが、第13章第7節まで読みすすめたら、理由として類推できそうな引用をみつけた。

「綿花飢饉のために職を失った不幸な婦人たちは、社会ののけ者となり、そのままにとどまった。……若い売春婦の数は、最近25年間よりも増加した」。(244)『工場監督官報告書。1865年10月31日』、61、62ページ所載のボルトン警察署長ハリスの手紙から。[482]

家庭内労働からも切り離され、ほかに就く職のあてもない女性たちに、生活の糧を得るための方策として残されていた職業が売春だったというのである。この引用は1865年当時の「報告書」からのもので、綿業恐慌による首切りのために職を失った女性労働者に関する記述部分だ。しかし、分業による部分労働への固定化がすすみ、「家庭内労働からの分離」を遂げている女性労働者、という点では共通している。

いずれにしろ、細分化された「休息時間」ではまんぞくな休息は得られるはずもない。このような労働体系のもとでは、週に1度の休日にも、なにをする意欲もわかずただゴロゴロしていて家族から“粗大ゴミ”と言い放たれてしまう現代の労働者と同様に、文化的人間的時間を過ごすすべがない。

マルクスは、平然と法律の条文を逸脱する工場主たちの言い分を紹介している。それは、日本において、世紀末から21世紀冒頭にかけてすさまじい勢いで開始された「不良債権処理政策」という名のリストラ応援策、中小業者つぶし政策の口実と、実によく似ている。

それは、悪い助言に惑わされている労働者たち自身のために、「彼らにより高い賃銀を支払うことができるようにするために」行なわれるのである。「それは、10時間法のもとで大ブリテンの産業の覇権を維持するための、唯一の可能な案である」。「リレー制度のもとで反則を発見することは少しは困難かもしれないが、しかし、それがなんだというのか? ……この国の大きな工場利益が副次的なことがらとして扱われるべきなのか?」[305]

1850年工場法をめぐって――工場主たちの勝利と労働者たちの新たな抵抗

2年間にわたる資本の反逆は、イギリスの4つの最高裁判所の1つである“財務裁判所”の判決によってついに勝利の栄冠を与えられた。この裁判所は、1850年2月8日に提起された訴訟事件において、工場主たちは確かに1844年の法の精神に反する行為を行なったが、しかしこの法そのものがこの法を無意味ならしめる若干の文言を含んでいる、と判決した。「この判決をもって10時間法は廃止された」。これまでまだ年少者と婦人労働者たちにたいするリレー制度の適用をためらっていた多数の工場主も、いまやこれにとびついた。[308]

しかし、資本のこの概観上の決定的な勝利とともに、ただちに1つの転換が起こった。労働者たちは、不屈でしかも日々新たな抵抗を行なってきたとはいえ、これまでは受動的であった。いまや彼らは、ランカシャーとヨークシャーで公然たる威嚇的集会を開いて抗議した。すなわち、いわゆる10時間法はこのように単なるぺてん、議会的まやかしだったのであり、いまだかつて存在したことはないのだ! と。[309]

こうした事態のもとで、工場主たちと労働者たちとのあいだに妥協が成立し、それが1850年8月5日の追加新工場法のなかで議会により承認された。[309]

1850年の法律は、「年少者および婦人たち」について、……15時間の時限を、……12時間の時限に変更しただけであった。したがって、児童たちについては変更はなく、彼らの総労働時間の長さは6時間半を超えてはならなかったとはいえ、この12時限の開始前の半時間と終了後の2時間半は相変わらず彼らを使用することができた。……1850年の法は、ついに1853年に、「年少者および婦人たちよりも朝は早く、晩は遅くまで児童たちを使用すること」の禁止によって補完された。このとき以来、わずかの例外をのぞいて、1850年の工場法は、その適用を受ける産業諸部門において、すべての労働者の労働日を規制した。最初の工場法の発布以来、いまや半世紀が流れ去っていた。[311-2]

これ以降、1863年には、農業、鉱山業、輸送業をのぞく、主要産業部門のすべてに1850年法が適用されるにいたった。この労働者の巻き返しについて、マルクスはつぎのように分析している。

1853-1860年の大工業諸部門の驚くべき発展は、工場労働者の肉体的および精神的再生と手をたずさえて進み、どんな視力の弱い目にも映った。労働日の法律による制限と規制とを、半世紀にわたる内乱によって一歩一歩奪いとられた当の工場主たち自身が、まだ「自由」である搾取領域との対照を自慢げに引き合いに出したほどである。「経済学」のパリサイ人たちは、法律による労働日の規制の必然性にたいする洞察こそ彼らの「科学」の特徴的な新発見であると宣言した。簡単に理解されることであるが、工場実力者たちが不可避的なものに順応し、それにたてつかなくなってから、資本の反抗力はしだいに弱まり、同時に他方では、直接には利害関係のない社会階層のなかで労働者階級の同盟者の数が増大するとともに彼らの攻撃力が増大した。1860年以来の比較的速い進歩は、そこから生じた。[312-3]

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第1部:資本の生産過程

第3篇:絶対的剰余価値の生産

第8章:労働日
第7節
標準労働日獲得のための闘争。
イギリスの工場立法が他国におよぼした反作用

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第2節以降、われわれが見てきた労働者たちの実態は、良心による憤激を呼ぶ。その熱くなった頭を、この節の冒頭の叙述は冷静にさせてくれる。まずは事の次第を冷めた頭脳でいま一度広い視野から見つめなおすのだ。
近代的産業の発展にともなう歴史的諸事実から導きだされるもの

これまで展開してきた立場では、自立した、それゆえ法律上成年である労働者のみが、商品の売り手として資本家と契約を結ぶ……。したがって、われわれの歴史的素描において、一方では近代的産業が主役を演じ、他方では肉体的および法律的未成年者の労働が主役を演じるとすれば、われわれにとっては、前者は労働吸収の特殊な部面としてのみ意義をもち、後者は労働吸収のとくに顕著な実例としての意義をもっただけである。とはいえ、これから先の展開を先回りして述べないまでも、単なる歴史的諸事実の連関から、次のような結論が引き出される。[315]

労働日の無制限な延長をつくり出した産業部門は、最初に、水力、蒸気機関、機械設備などの技術革新によって生産様式の変革をとげた紡績産業であったこと。この産業部門における生産様式の変化は、資本家と労働者とのあいだの関係の変化をともなっており、初期に労働日の無制限延長をつくり出し、次いで労働日の法律的制限という社会的抑制を呼び起こしたこと。

さらに、紡績産業部門において開始された生産様式の変革は、他の産業部門の旧来の生産様式を駆逐してゆき、すべての産業部門を工場体制のなかに組み込んでゆくとともに、工場立法を例外的なものではなく、それらの産業部門にも適用されるものとして一般化していったこと。

“標準労働日”は資本家階級と労働者階級との長期にわたる闘争の産物であること。この闘争は近代的産業部門において開始されるから、近代的産業部門が発生した最初の国であるイギリスにおいてまず開始されたこと。

また、

イギリスの工場労働者たちは、単にイギリスの労働者階級ばかりでなく近代的労働者階級一般の戦士だったのであり、同じくまた彼らの理論家たちも資本の理論に最初に挑戦したものである[317]

こと。ここでマルクスは、その理論家の一人としてロバート・オウエン(Robert Owen (1771-1858) )を紹介している【注191】。
フランスにおいてイギリス工場立法がおよぼした反作用

ここでふれられているフランスの二月革命については宿題。

フランスにおける12時間法についてマルクスは、イギリスにおける初期工場法よりもはるかに多くの弱点をかかえていることを指摘しつつ、イギリス工場法ではまだ完全に確立できていない前進面を評価している。

それは、すべての作業場および工場にたいして一挙に無差別に労働日の同じ制限を課しているのであるが、これにたいしてイギリスの立法は、ときにはこの点で、ときにはあの点で、事情の圧力にしぶしぶ屈服しており、新たな法律的な紛糾を生み出すおそれが多分にある。[317-8]

また、イギリスではまず児童労働や女性労働に適用され、長いたたかいの歴史のすえようやく一般的普遍的権利として成年男子労働者にたいしても適用されるにいたった内容を、フランスの法律ははじめから“原理”として位置づけていること。
アメリカ合衆国においてイギリス工場立法がおよぼした反作用

マルクスは南部諸州における黒人労働の性格について、つぎのように指摘している。

北アメリカ合衆国では、奴隷制が共和国の一部を不具にしていた限り、どんな自立的な労働運動も麻痺したままであった。黒人の労働が焼き印を押されているところでは、白人の労働も解放されえない。[318]

それだからこそ、南北戦争という合衆国内乱で北部諸州が勝利し、奴隷制が撤廃されたことの意義をマルクスは高く評価したのだ。なによりその成果は、合衆国全土に広がった8時間運動である。

ボルティモア全国労働者大会(1866年8月)は次のように宣言する――「この国の労働を資本主義的奴隷制から解放するための、現在の第一の大きな必要事項は、アメリカ連邦のすべての州において、8時間を標準労働日にする法律を施行することである。われわれは、この輝かしい成果が達成されるまで全力を尽くす決意である」と。[319]

この当時のアメリカ合衆国労働者によって宣言された8時間労働制は、翌月にはジュネーブで開かれた国際労働者協会の大会で国際的統一要求として宣言された。これはイギリス・ロンドンの総評議会の提案にもとづく決議だった。

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第1部:資本の生産過程

第3篇:絶対的剰余価値の生産
第9章
剰余価値の率と総量

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この章では、これまでの剰余価値をめぐる考察から導きだされる、剰余価値率と剰余価値総量とあいだのいくつかの法則的関連が指摘され、次章以降の新たな考察をすすめるうえでの基礎がすえられる。
第1の法則

生産される剰余価値の総量は、前貸しされる可変資本の大きさに剰余価値率を掛けたものに等しい。あるいは、同じ資本家によって同時に搾取される労働力の総数と個々の労働力の搾取度との複比によって規定される。……それゆえ、一定総量の剰余価値の生産では、ある要因の減少が別の要因の増加によって埋め合わされることがありうる。[321-2]

第2の法則

本来24時間よりもつねに短いものである平均労働日の絶対的制限は、剰余価値率の上昇による可変資本削減の埋め合わせにたいする、または労働力搾取度の引き上げによる被搾取労働者総数の削減の埋め合わせにたいする、絶対的制限をなしている。[323]

第3の法則

相異なる諸資本によって生産される価値および剰余価値の総量は、労働力の価値が与えられており、労働力の搾取度が等しい大きさであるならば、これらの資本の可変的構成部分の大きさに、すなわち、生きた労働力に転換される資本構成部分の大きさに、正比例する。[325]

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第1部:資本の生産過程

第4篇:相対的剰余価値の生産
第10章
相対的剰余価値の概念

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総労働時間に限界があるもとで剰余労働はどのように延長されるか

ある一定の生産諸条件にある社会においては、必要労働時間、すなわち労働日のうち労働力の価値の等価物を生産する部分は、不変の大きさとみなしうる。第5章から第9章まで、第1部第3篇の考察ではこのことが前提となっていた。第8章の詳細な考察で明らかなように、必要労働時間を不変の大きさと仮定した場合においても、剰余労働時間が可変であるため、総労働日、総労働時間全体は可変であった。

では、総労働日、総労働時間に、ある一定の限界がある場合には、どのようにして剰余労働時間が延長されうるのだろうか。

剰余労働の延長には、必要労働の短縮が対応するはずである。すなわち、労働者がこれまで実際に自分自身のために費やしてきた労働時間の一部分が、資本家のための労働時間に転化する。変化するのは、労働日の長さではなく、必要労働と剰余労働とへの労働日の分割なのである。[331-2]

労働力の価値より少ない価値の賃金を支払うという方法でも、さきの問題提起の答えにはなりうるが、マルクスの考察の前提となっているのは“等価交換”であるから、このケースは除外されている。

このことが前提される以上、労働力の生産または労働力の価値の再生産に必要な労働時間が減少しうるのは、労働者の賃銀が彼の労働力の価値以下に低下するからではなくて、労働力の価値そのものが低下するからにほかならない。労働日の長さが与えられていれば、剰余労働の延長は、必要労働時間の短縮から生じなければならず、その逆に、必要労働時間の短縮が、剰余労働の延長から生じるのではない。[333]

生産力の増大による労働力価値の低下

さて、

生活諸手段の価値が定まれば、彼の労働力の価値が定まり、彼の労働力の価値が定まれば、彼の必要労働時間の大きさが定まる。[332]

したがって、

労働力の価値が1/10だけ低下するということは、それはそれで以前に10時間で生産されたのと同じ分量の生活諸手段が、いまでは9時間で生産されるということを条件とする。とはいえ、このことは、労働の生産力が増大しなければ不可能である。[333]

いままで考察した形態における剰余価値の生産にあっては、生産方法は与えられたものと想定されていたのであるが、必要労働を剰余労働に転化することによって剰余価値を生産するためには、資本が、労働過程をその歴史的に伝来した姿態または現存の姿態のままで支配下におき、ただその継続時間を延長するだけというのでは、決して十分ではない。労働の生産力を増大させ、労働の生産力の増大によって労働力の価値を低下させ、こうしてこの価値の再生産に必要な労働日部分を短縮するためには、資本は、労働過程の技術的および社会的諸条件を、したがって生産方法そのものを変革しなければならない。[333-4]

労働日の延長によって生産される剰余価値を、私は絶対的剰余価値と名づける。これにたいして、剰余価値が、必要労働時間の短縮およびそれに対応する労働日の両構成部分の大きさの割合における変化から生じる場合、これを、私は相対的剰余価値と名づける。[334]

マルクスは、労働力価値の低下をもたらす生産力の増大が、どのような生産部門に生じる必要があるか、ということを、丁寧に分析している。

すでに指摘されているように、労働力価値の低下は、労働力価値を規定する労働者の生活諸手段である諸生産物を生産する労働力価値の低下が前提となる。すなわち、生活諸手段の生産部門における生産力の増大が、労働力価値の低下をもたらすうえで決定的である。むろん、商品は、その原材料の生産から加工労働の全過程にわたるさまざまな労働過程をへているわけで、生活諸手段の生産諸部門における労働過程の変化は、その商品を生産する過程でかかわる、いずれかの労働過程におよんでいることになる。

たとえば長靴の価値は、製靴労働によってだけでなく、革、蝋、糸などの価値によっても規定されている。したがって、生活必需品を生産するための不変資本の素材的諸要素、すなわち労働諸手段および労働材料を提供する諸産業において、生産力が増大し、それに対応して諸商品が安くなると、労働力の価値もまた低下する。[334]

ただし、

個々の資本家が労働の生産力を増大させてたとえばシャツを安くする場合、彼の頭には、労働力の価値を引き下げこうして必要労働時間を“その分だけ”引き下げるという目的が、必ずしも浮かんでいるわけではない。しかし彼が究極においてこの結果に貢献する限りにおいてのみ、彼は一般的剰余価値率の増大に貢献するのである。資本の一般的かつ必然的な諸傾向は、これら諸傾向の現象諸形態とは区別されなければならない。[335]

競争の強制――「特別剰余価値」

「競争」をめぐる考察は、この章のなかでは本格的に行なわれる段階にはない。なにより、資本主義的生産の法則は、いまの段階では、まだその全容が考察されているわけではないからだ。

資本主義的生産の内在的諸法則が、諸資本の外的運動のうちに現われ、競争の強制法則として貫徹し、それゆえ推進的動機として個々の資本家の意識にのぼるさいの仕方は、ここでは考察されない……競争の科学的分析が可能なのは、資本の内的本性が把握されているときに限られる[335]

したがって、ここで考察される競争の強制法則は、あくまで、これまでの考察で明らかになったことにもとづいてのみ、分析される。

さきにマルクスが指摘しているように、労働の生産力を増大させて彼の商品を安くしようとする資本家の行動は、個別に行なわれる。その個々の資本家の運動が、生活必需品の生産にかかわる生産部門において行なわれる限りにおいて、彼は、その社会全体の剰余価値率の増大に貢献するが、ここでまずマルクスは、生活必需品の生産にかかわる生産部門にかかわらず、ある商品の生産部門で剰余価値が増大するケースについて、「特別剰余価値」という概念をもちいて分析している。
資本家の個別経済活動と「特別剰余価値」の発生

もし1労働時間が、6ペンスすなわち1/2シリングの金分量で表されるとすれば、12時間労働日には6シリングの価値が生産される。与えられた労働の生産力で、この12労働時間に12個の商品が仕上げられると仮定しよう。各個の商品に消耗された原料などの生産諸手段の価値が、6ペンスとしよう。このような事情のもとでは、個々の商品は1シリングになる。すなわち生産諸手段の価値が6ペンス、その商品が加工されるなかで新たにつけ加えられた価値が6ペンスである。いま、ある資本家が労働の生産力を2倍にし、それゆえ、12時間労働日において、この種の商品を12個ではなく24個を生産することができるとしよう。生産諸手段の価値が変わらなければ、個々の商品の価値は、いまや9ペンスに下がる。すなわち、生産諸手段の価値が6ペンスで、最後の労働によって新たにつけ加えられた価値が3ペンスである。生産力が2倍になったにもかかわらず、1労働日は相変わらず6シリングの新価値をつくり出すだけであるが、その新価値は、いまや2倍の生産物に配分される。それゆえ、各個の生産物には、いまではこの総価値の1/12ではなく1/24が、すなわち6ペンスではなく3ペンスが割り当てられるにすぎない。または同じことであるが、生産諸手段が生産物に転化するさいには、生産物1個について計算すると、以前は生産諸手段にまる1労働時間がつけ加えられたが、いまでは半労働時間がつけ加えられるにすぎない。この商品の個別的価値は、いまや、その社会的価値よりも低い。すなわち、この商品には、社会的平均的諸条件のもとで生産される同種の物品の大群よりも少ない労働時間しかかからない。その1個は、平均的には1シリングであり、言い換えれば社会的労働の2時間を表わしている。変化した生産方法によれば、その1個は9ペンスにしかならない、言い換えれば1時間半の労働時間しか含んでいない。しかし、1商品の現実の価値は、その個別的価値ではなく、その社会的価値である。すなわち1商品の現実の価値は、その商品が個々の場合に生産者に実際に費やさせる労働時間によってはかられるのではなく、その生産に社会的に必要な労働時間によってはかられる。したがって、新しい方法を用いる資本家が彼の商品をその社会的価値1シリングで売るならば、彼は、個別的価値よりも3ペンス高く商品を売るのであり、3ペンスの特別剰余価値を実現する。しかし他面、12時間労働日は、いまや彼にとって、以前のように12個ではなく24個の商品で表わされる。したがって、1労働日の生産物を売るために、彼は2倍の販路を、すなわち2倍の大きさの市場を必要とする。他の事情が同じであれば、彼の諸商品は、価格の引き下げによってのみ、より大きな市場圏を獲得する。それゆえ彼は、その諸商品を個別的価値以下で、しかし社会的価値以下で、たとえば1個10ペンスで、売るであろう。こうして彼は、相変わらず1個あたり1ペンスの特別剰余価値をたたき出す。[335-6]

このケースでは、生産力の増大は、必ずしも労働力の価値を規定する商品の生産において生じていなくてもよい。どの商品生産部門の資本家にも生じ得る傾向として、マルクスがここであげているのは、“より多くの商品を、より大きな市場で販売するために、それら個々の商品を社会的価値以下で販売しようとする傾向”である。

個々の資本家にとっては、労働の生産力を高めることによって商品を安くしようとする動機が実存する。[336]

生産力の増大による個々の商品価値の低下の内実

さて、生産力の増大によって、1労働日に生産される商品個数が増え、個々の商品価値が、同種商品の社会的価値よりも小さくなるということを、“必要労働時間と剰余労働時間との比率”という点からみてみると、どのような内実だろうか。

必要労働時間が10時間、すなわち労働力の日価値が5シリングであり、剰余労働が2時間、それゆえ日々生産される剰余価値が1シリングであるとしよう。ところで、わが資本家は、いまや24個を生産し、これを1個あたり10ペンスで、すなわち合計20シリングで売る。生産諸手段の価値は、12シリングであるから、14(と)2/5個の商品は、ただ前貸不変資本を補填するだけである。12時間労働日は、あとに残る9(と)3/5個で表わされる。労働力の価格は5シリングであるから、6個の生産物で必要労働時間が表わされ、そして3(と)3/5個で剰余労働が表わされる。必要労働と剰余労働との比率は、社会的平均的諸条件のもとでは5対1であったが、いまではもう5対3にすぎない。……12時間労働日の生産物価値は、20シリングである。そのうち12シリングは、生産諸手段の再現するだけの価値に属する。したがって、8シリングが労働日を表わす価値の貨幣表現として残る。この貨幣表現は、同じ種類の社会的平均労働の貨幣表現よりも大きいのであって、その社会的平均労働の12時間は、6シリングで表わされるにすぎない。例外的な生産力の労働は、力能を高められた労働として作用する――すなわち、同じ時間内に、同じ種類の社会的労働よりもより大きい価値をつくり出す。しかし、わが資本家は、労働力の日価値にたいして、相変わらず5シリングを支払うだけである。したがって労働者は、この価値を再生産するのに、以前のように10時間ではなく、いまではもう、7(と)1/2時間を必要とするにすぎない。それゆえ彼の剰余労働は、2(と)1/2時間だけ増加し、彼によって生産される剰余価値は、1シリングから3シリングに増加する。そのため、改良された生産方法を用いる資本家は、同業の他の資本家たちよりも、労働日のより大きい部分を剰余労働として取得する。[336-7]

「特別剰余価値」の“特別”たるゆえん

彼は、資本が相対的剰余価値の生産にさいして一般的に行なうことを、個別的に行なうのである。しかし他面、この新しい生産方法が普及し、それにともなって、より安く生産された諸商品の個別的価値と社会的価値との差が消滅するやいなや、右の特別剰余価値も消滅する。労働時間による価値規定の法則は、新しい方法を用いる資本家には、彼の商品を社会的価値以下で売らなければならないという形態で感知されるのだが、この同じ法則が、競争の強制法則として、彼の競争者たちを新しい生産方法の採用にかり立てる。したがって、一般的剰余価値率が、結局、全過程を通じて影響を受けるのは、労働の生産力の向上が、生活必需品の生産諸部門をとらえた場合、すなわち、生活必需品の範囲に属し、それゆえ労働力の価値の諸要素を形成している諸商品を安くした場合に限られる。[338]

生産力の増大により大量の商品を生産できるようになると、それを販売するための市場確保のために、商品を一般的な価格よりも安くしなければならない。商品価格を安くするために、より一層の生産力の増大が追求され、さらにより多くの商品生産をもたらす。この一連の過程は、必然的に生産様式の変革を要求するようになる。量的な変化は、ある一定の段階で質的な変化をもたらし、質的変化はつぎの段階の量的変化をうながす。

個々の資本家の大量生産を追求する運動は、特別剰余価値への欲求に基づき個別的に行なわれるにしろ、この節のはじめにマルクスが指摘したように、労働力価値の低下という、その社会における相対的剰余価値をもたらす決定的な変化を生じるには、一連の生産様式の変化が、生活必需品の生産部門におよぶ段階が前提となる。
ケネーが提起した矛盾にたいする返答
なぜ、商品の価値は生産力に反比例し、相対的剰余価値は生産力に比例するのか

12時間という社会的平均労働日は、貨幣価値が変わらないものと前提すれば、つねに6シリングという同じ価値生産物を生産する。それは、この価値総額が、労働力の価値の等価物と剰余価値とのあいだにどう配分されるかにはかかわりがない。しかし、生産力が上がった結果、日々の生活手段の価値、それゆえ労働力の日価値が5シリングから3シリングに下がると、剰余価値は1シリングから3シリングに上がる。労働力の価値を再生産するために、かつては10労働時間が必要であったが、いまではもう6労働時間しか必要としない。4労働時間が自由になったのであり、それは剰余労働の範囲に併合されうる。[338]

交換価値の生産のみを追求する資本家が商品の交換価値を絶えず下げようと努めるのはなぜか

商品の絶対的価値は、その商品を生産する資本家にとって、それ自体、どうでもよいことである。彼が関心をもつのは、商品のなかに潜んでいて、販売のさいに実現されうる剰余価値だけである。[338]

労働の生産力の発展、増大は、個々の商品を安くし、同時にそれらに含まれる剰余価値を大きくする。このことが、ケネーの提起した矛盾への返答となると、マルクスは指摘する。

ケネーは、次のように言う――「諸君も認めるように、生産をさまたげずに、手工業生産物の製造における諸費用または費用のかかる諸労働を節約することができればできるほど、この節約は、ますます有利である。なぜなら、その節約は、製品の価格を下げるからである。それにもかかわらず、諸君は、手工業者たちの労働から生まれる富の生産は、彼らの製品の交換価値を増大することにあると信じている」。[339]

“労働の節約”は必ずしも“労働日の短縮”を意味しない

ケネーが言う“諸労働の節約”は、労働の生産力の発展によるものであるが、資本家にとって、生産力の発展は、ある数量の商品の生産に必要な労働時間が“節約”されるということであって、労働時間総体の“節約”を目的とするものではない。

労働者が、彼の労働の生産力を増大させて、1時間に、たとえば、以前の10倍の商品を生産し、したがって商品1個あたりについて10分の1の労働時間しか必要としないということは、彼に従来どおり12時間働かせ、12時間のあいだに以前のように120個でなくて1200個を生産させることを、決してさまたげるものではない。それどころか、彼の労働日が同時に延長され、その結果、彼はいまや14時間のあいだに1400個を生産するなどということもありうる。[339-340]

“労働の生産力を増大させることは資本の内在的な衝動であり不断の傾向である”

労働の生産力の発展は、資本主義的生産の内部では、労働日のうち労働者が自分自身のために労働しなければならない部分を短縮し、まさにそのことによって、労働日のうち労働者が資本家のためにただで労働することのできる他の部分を延長することを目的としている。[340]

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第1部:資本の生産過程

第4篇:相対的剰余価値の生産
第11章
協業

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“協業”とは

この「協業」という概念については、原書ページ344のさいごにつぎのように述べてある。

同じ生産過程において、あるいは、異なっているが連関している生産諸過程において、肩をならべ一緒になって計画的に労働する多くの人々の労働の形態が、協業と呼ばれる。[344]

マルクスは、この協業形態をめぐる考察を順序をおってすすめていて、その形態の初期のあり様とその特徴、そこに含まれている、それまでの生産様式から資本主義的生産様式への発展の萌芽を、歴史的発展過程に重ね合わせて分析している。
多数の労働者の同時就業

より多数の労働者が、同時に、同じ場所で(同じ作業場でと言ってもよい)、同じ種類の商品を生産するために、同じ資本家の指揮のもとで働くということが、歴史的にも概念的にも資本主義的生産の出発点をなしている。[341]

マルクスは、第3篇第5章のなかで、労働過程が資本のもとに従属することと、そのことで労働過程において生産の仕方に変化がおこるまでの間には、一定の時間差があることを指摘し、つぎのように述べていた。

労働過程の一般的本性は、労働者が労働過程を自分自身のためではなく資本家のために行なうということによっては、もちろん変化しはしない。しかし、長靴をつくったり、糸を紡いだりする一定の仕方もまた、資本家の介入によっては、さしあたり、変化しえない。資本家は、さしあたり、市場で見いだすままの労働力を、したがってまた資本家がまだ一人もいなかった時代に発生したままのその労働を、受け入れなくてはならない。労働が資本のもとに従属することによって生じる生産様式そのものの転化は、もっとのちになってからはじめて生じうるのであり、それゆえもっとあとになってはじめて考察されるべきである。[199]

この章でも、はじめに指摘されている「資本主義的生産の出発点」にあらわれる協業形態について、つぎのように分析している。

生産方法そのものについて言うと、たとえば初期におけるマニュファクチュアは、同じ資本によって同時に就業させられる労働者の数がより多いこと以外には、同職組合的な手工業的工業と区別されるものはほとんどない。……したがって、区別はさしあたり単に量的である。すでに述べたように、ある与えられた資本が生産する剰余価値の総量は、個々の労働者が提供する剰余価値に、同じときに就業している労働者の総数を掛けたものに等しい。この労働者の数は、それ自体としては、剰余価値率または労働力の搾取度をなんら変えるものではない。[341]

“平均的”労働力の発揮――「誤差」の相殺

それにもかかわらず、ある限界内では、変化が生じる。価値に対象化されている労働は、社会的平均的な質の労働であり、したがって、平均的労働力の発揮である。しかし、一つの平均的大きさは、つねに、同じ種類の多数の異なる個別的大きさの平均としてしか実存しない。どの産業部門においても、個々の労働者……は、多かれ少なかれ平均的労働者から背離している。この個別的な背離は数学では「誤差」と呼ばれるが、比較的多数の労働者が集められると、たちまち相殺され、消滅する。[342]

この、多数の労働力の集中によって生じる「誤差」の相殺が、やはり、人間労働の対象化という「価値の本性」によるものであることが、つぎに述べられている。

各人の1労働日をたとえば12時間であるとしよう。そうすると、同時に就業している労働者12人の労働日は、144時間の総労働日を形成する。そして、12人のそれぞれの労働は、社会的平均労働から多かれ少なかれ背離しているかもしれず、それゆえ一人一人をとってみると、同じ作業に必要な時間がいくらか多かったり少なかったりするかもしれない。にもかかわらず、各個人の労働日は、144時間の総労働日の12分の1として、社会的平均的な質をもつ。[342]

12人の労働者が、資本家の工場で同時に1労働日を働くのと、12人の労働者が2人ずつ、それぞれ同業組合の親方のもとで1労働日を働くのとでは、上記でのべている「誤差」の相殺――労働の平均化という点で、ちがいが生じるとマルクスは指摘している。

もし12人の労働者のうち2人ずつが一人の小親方によって就業させられるとすれば、個々の親方がいずれも同一の価値総量を生産するかどうか、それゆえまた一般的剰余価値率を実現するかどうかは、偶然的なこととなる。そこでは個別的な背離が生じるであろう。ある労働者……にとって個別的に必要な労働時間が、社会的に必要な労働時間または平均労働時間からいちじるしく背離しているとすれば、彼の労働は平均労働として通用せず、彼の労働力は平均的労働力として通用しないであろう。……それゆえ、6人の小親方のうち、ある者は一般的剰余価値率よりも多くのものを、他の者は一般的剰余価値率よりも少ないものを、しぼり出すであろう。これらの不等性は、社会にあっては相殺されるであろうが、個々の親方にあっては相殺されないであろう。[343]

つぎの指摘はたいへん重要だ。

したがって、個々の生産者が資本家として生産し、多くの労働者を同時に使用し、こうしてはじめから社会的平均労働を動かすようになるときに、はじめて価値増殖の法則が、一般に、個々の生産者にたいし、完全に実現されるのである。[343]

生産手段の“節約”

数人の労働者が個別に分散して労働する場合にくらべ、より多くの労働者が同じ場所で同時に労働する場合には、労働様式にまだ変化が起こらない段階でも、生産手段の使用形態にある変化が生じる。

多くの人々が働く建物、原料などのための倉庫、多くの人々に同時にまたは交互に役立つ容器、用具、装置など、要するに生産諸手段の一部分は、いまや労働過程で共同で消費される。[343]

この「生産手段の共同使用」は「生産手段の節約」をもたらすとマルクスは述べている。

たしかに、共同使用され、生産手段がより効率的に消費されるようになっても、そのこと自体は、それらの生産手段の交換価値を高めるものではない。と同時に、共同使用される生産手段は、個別分散型労働にくらべてその規模がより大きいものとなるのではあるが、

大規模に集中された共同の生産諸手段の価値は、一般に、それらの規模および有用効果に比例して増大するものではない。[344]

マルクスは具体例として、作業場の確保のためにかかる労働量をあげている。

20人の織布工が20台の織機で労働する部屋は、2人の職人を使う1人の独立した織布業者の部屋よりも、広くなければならない。しかし、20人用の仕事場を1つつくるほうが、2人ずつで使う仕事場を10つくるよりも、かかる労働は少ない。[343-4]

なぜこのような事情が生まれるのかということについて、マルクスは2つの点から分析している。

一つには、それらの生産諸手段が引き渡す総価値は、より多量の生産物に同時に配分されるからであり、また一つには、それらの生産諸手段は、個々別々に使用される生産諸手段に比べれば、確かに絶対的にはより大きな価値をもって生産過程にはいるのであるが、しかし、それらの作用範囲を考えれば、相対的にはより小さい価値をもって生産過程にはいるからである。[343-4]

マルクスがつぎに指摘しているように、この生産手段総価値の「多量同時配分」と「作用範囲の拡大による配分の相対的縮小」ということは、まさに、「多数の労働者の同時就業」による「生産手段の共同消費」からしか生じない。

そしてこれらの生産諸手段は、社会的労働の諸条件または労働の社会的諸条件としての性格において、個々別々の自立した労働者または小親方たちの分散した相対的に高価な生産諸手段とは区別される。多くの人々が同じ場所に集合して労働するだけで、協力して労働するのでない場合でも、上のような性格を受け取る。[344]

さて、生産手段の節約をめぐる考察の、ひとまとまりの段落のとりあえずのさいごの部分は、いまはよく理解できない。

生産諸手段の節約は、一般に、二重の観点から考察されなければならない。一方では、その節約が、諸商品を安くし、そのことによって労働力の価値を低下させる限りにおいて。他方では、その節約が、前貸総資本にたいする――すなわち総資本の不変的構成部分および可変的構成部分の価値総額にたいする――剰余価値の比重を変化させる限りにおいて。このあとのほうの点は、この著作の第三部の最初の部分においてはじめて論及されるのであり、これまでのことに関係のある幾多の論点も、関連上、そこに譲ることにする。分析の進行上、対象のこの分断が必要になるのであるが、それは同時に、資本主義的生産の精神に対応する。すなわち、資本主義的生産において、労働諸条件は労働者にたいして自立的に相対するのであるから、その労働諸条件の節約もまた、労働者にはなんのかかわりもない、それゆえ労働者個人の生産性を高める諸方法から切り離されている、特殊な操作として現れるのである。[344]

集団力としての生産力

個々別々の労働者の力の機械的な合計は、多数の働き手が、分割されていない同じ作業で同時に働く場合……に展開される社会的力能とは、本質的に違っている。……ここで問題なのは、協業による個別的生産力の増大だけではなくて、それ自体として集団力であるべき生産力の創造である。[345]

このことは、本文中で指摘されているように、人間が社会的動物であるということから生じる特質である。たとえば、アリは社会的生物であるとよく言われるけれども、物質的外的刺戟による単純な行動も、それが多数の個体によって継続的集団的に行われると、いかに大きな仕事をなしとげることができるかは、アリの生態からよくたとえられることだ。しかし、なお、ここでは、人間の生産活動という、刺戟にたいする反射運動にとどまらない、外界にたいする意識的働きかけについて述べられている。個体の行為の積み重ねによる集団力とは質的にことなる、「独自な興奮と競争心」についての考察がそうである。

たいていの生産的諸労働の場合には、単なる社会的接触によって、生気……の独自な興奮と競争心とが生み出され、それらが個々人の個別的作業能力を高める[345]

集団力としての生産力について、さらに考察されているのが、つぎの点である。

各人の個別的労働が、総労働の一部分として、労働過程そのものの異なる諸局面を表わすこともありうる[346]

このことは、異なる種類の労働が複合的融合的に結合している労働過程ではなくとも生じうる。ここでマルクスが例にあげているのは、レンガ積み工の集団作業において、レンガを左から右へ(あるいは右から左へ)と運搬する作業の並列的連続によって、

たとえば労働者全体の24本の手は、足場を昇ったり降りたりする個々の労働者それぞれの2本の手よりも、早く煉瓦を運ぶ。労働対象は、同じ空間をより短い時間で通過する[346]

ということであり、また、作業の立体的結合によって集団の労働が遍在性をもつことによって、

144時間の結合された労働日は、多方面の空間から労働対象をとらえ、自分たちの仕事により一面的に取りかからなければならない多かれ少なかれ個々別々な労働者の12時間の12労働日よりも、より速く総生産物を仕上げる。生産物のさまざまな空間的諸部分が同じときにでき上がる[346]

という点である。
共同労働による労働時間の“節約”

そして、まさに、マルクスがつぎに指摘している点は、「協業」という労働形態が、この第4篇で考察される「相対的剰余価値の生産」方法の具体例であり、歴史的に発展しつつある労働形態であることの指摘である。

われわれは、互いに補い合う多くの人々が、同じことまたは同種のことをするということを強調したが、それは、共同労働のこのもっとも単純な形態が、協業のもっとも発達した姿態においても大きな役割を果たすからである。労働過程が複雑であれば、一緒に労働する人々が多数であるというだけで、さまざまな作業を異なった人手のあいだに配分することができ、それゆえ諸作業を同時に行ない、これで総生産物の生産に必要な労働時間を短縮することができる。[346-7]

限定された作業期間における労働の集中

たしかに、身近な例でも、水稲農業労働においては、田植えの季節、稲刈りの季節など

決定的な瞬間、すなわち労働過程そのものの本性によって規定された時期[347]

の労働の集中は、それができるだけ一度に、大量に、短期間に行なわれることがのぞましい。

個々人が1日から切り取ることのできるのは、たとえば12時間からなる1労働日にすぎないのであるが、たとえば100人の協業は、12時間の1日を1200時間の1労働日に拡大する。労働期間の短さが、決定的な瞬間において生産場面に投入される労働総量の大きさによって埋め合わされる。この場合、効果が適時のものとなるかどうかは、多くの結合労働日が同時に使用されるかどうかにかかっており、その有用効果の大きさは労働者総数にかかっている――とはいえこの労働者総数は、同じ期間に同じ作業範囲を個々別々にやりとげる労働者の総数よりも、つねに小さい。[347]

このように限定された作業期間をもっている労働というのは、自然環境などに制約されている農業や漁業、林業などの第一次産業に多いと思われる。
作用範囲の拡大と作業空間の縮小

一方で、協業は、労働の空間的部面の拡大を可能にする。それゆえ、ある種の労働過程にとっては、労働対象の空間的連関からいって、すでに協業が必要とされる――たとえば、土地の干拓、築堤、灌漑、運河・道路・鉄道の建設などの場合がそうである。他方、協業は、生産の規模に比べて、生産の場を空間的に縮小することができる。このように、労働の作用部面を拡大しながら同時に労働の空間部面を縮小することによって多額の空費が節約されるのであるが、この縮小は、労働者の結集、さまざまな労働過程の集結、および生産諸手段の集中から生じる。[348]

共同労働がもたらす効用のうち、「作用範囲の拡大」については、かなり古くから知られていたのであろう。ここで例示されている、「土地の干拓、築堤、灌漑、運河・道路……の建設」における共同労働の痕跡は、数千年前の文明社会にさかのぼることができる。
労働の結合による社会的生産力の発現

結合労働日は、それと同じ大きさの、個々別々の個別的労働日の総和と比較すると、より大量の使用価値を生産し、それゆえ一定の有用効果を生産するのに必要な労働時間を減少させる。……結合労働日の独特な生産力は、労働の社会的生産力または社会的労働の生産力である。それは、協業そのものから生じる。労働者は、他の労働者たちとの計画的協力のなかで、彼の個人的諸制限を脱して、彼の類的能力を発展させる。[348-9]

資本のもとにおける協業
協業の規模は資本の大きさに依存する

第一に、労働力の購入に支出する資本の大きさに依存する。

同じ資本、同じ資本家が賃労働者たちを同時に使用することができなければ、すなわち彼らの労働力を同時に買うことができなければ、賃労働者たちは協業することができない。それゆえ、これらの労働力そのものが生産過程において統合される以前に、これらの労働力の総価値、すなわち労働者たちの1日分、1週間分などの賃銀総額が、資本家のポケットのなかに統合されていなければならない。[349]

第二に、労働手段や労働対象などの生産手段の購入に支出する資本の大きさに依存する。

共同で使用される労働諸手段の価値の大きさと素材総量とは、確かに、雇用される労働者総数と同じ程度には増加しないが、しかしいちじるしく増加する。したがって、かなり多量の生産手段が個々の資本家の手に集中することは、賃労働者たちの協業の物質的条件であり、協業の範囲または生産の規模は、この集中の範囲に依存する。[349]

労働の指揮機能は資本に帰属する

労働にたいする資本の指揮は、はじめは労働者が自分のためにではなく、資本家のために、それゆえ資本家のもとで労働することの形式的結果として現われたにすぎなかった。〔しかし〕多数の賃労働者の協業とともに、資本の指揮は、労働過程そのものを遂行するための必要事項に、現実的生産条件に、発展する。生産場面における資本家の命令は、いまや、戦場における将軍の命令と同じように不可欠なものとなる。

比較的大規模の直接に社会的または共同的な労働は、すべて多かれ少なかれ一つの指揮を必要とするのであるが、この指揮は、個別的諸活動の調和をもたらし、生産体総体の運動――その自立した諸器官の運動とは違う――から生じる一般的諸機能を遂行する。……指揮、監督、および調整というこの機能は、資本に従属する労働が協業的なものになるやいなや、資本の機能となる。[350]

資本に帰属した指揮機能の特性

協業という共同労働において労働過程がおのずから社会的性格をもち、それゆえに生産に直接たずさわる者とは別に、労働過程全体を指揮、監督、調整する機能を担当する者がもとめられるのは、その本性上の必然であった。資本のもとに統合された労働過程の指揮機能が、資本に帰属するのは、その労働過程そのものの社会的性格からいって必然であった。
搾取機能としての特性

一方で、資本のもとに統合される労働過程において、その生産過程を推進する動機、目的は、できるだけ大きな剰余価値を生みだすことである。したがって、指揮する資本と、指揮され、直接生産にたずさわる労働者たちとのあいだに敵対関係が生じる。この敵対関係の内容については、第8章労働日の章で詳細に考察された。

資本主義的生産過程を推進する動機とそれを規定する目的とは、できるだけ大きな資本の自己増殖、すなわちできるだけ大きな剰余価値の生産、したがって資本家による労働力のできるだけ大きな搾取である。同時に就業している労働者の総数が増えるとともに、彼らの抵抗が増大し、それとともに、この抵抗を抑えつけるための資本の圧力が必然的に増大する。資本家の指揮は、社会的労働過程の本性から発生し、この過程につきものの一つの特殊な機能であるだけではなく、同時に、社会的労働過程の搾取の機能であり、それゆえ搾取者とその搾取原料〔労働者〕とのあいだの不可避的敵対によって条件づけられている。[350]

生産手段の生産者にたいする対立と管理の必要性の増大

他人の所有物として賃労働者に対立する生産諸手段の範囲が増大するとともに、生産諸手段の適切な使用を管理する必要も増大する。[350]

この「生産手段の管理」をめぐっては、注(21)で「資本家と労働者たちとの一種の組合制度〔共同で業務を執行する制度〕」について言及されていることから、マルクスがけっして資本のもとにおける「生産手段の管理の必要性」のみに言及しているわけではないことがわかる。一般的にも、協業形態は、「生産手段の管理の必要性の増大」という傾向をもつということだ。ここでは直接生産にたずさわる労働者が生産手段の管理や運営に関与している。

一方、この節での考察対象は資本が所有権をもつ生産手段の「対立と管理の必要性」、とくに生産手段と生産者との「対立」である。その場合にもっぱら現われてくる特性が以下に考察されている。
専制的特性

賃労働者たちの協業は、資本が彼らを同時に使用することの単なる結果である。賃労働者たちの諸機能の連関と生産体総体としての彼らの統一とは、彼らのそとに、彼らを集め結びつけている資本のなかに、ある。それゆえ、彼らの労働の連関は、観念的には資本家の計画として、実際的には資本家の権威として、彼らの行為を自己の目的に従わせる他人の意志の力として、彼らに対立する。

それゆえ、資本家の指揮は、内容から見れば二面的である――それは、指揮される生産過程そのものが、一面では生産物の生産のための社会的労働過程であり、他面では資本の価値増殖過程であるという二面性をそなえているためである――とすれば、形式から見れば専制的である。[351]

指揮系統の自律的発展

協業がいっそう大規模に発展するにつれて、この専制は、それ独自な諸形態を発展させる。資本家は、彼の資本が本来の資本主義的生産をはじめて開始するための最小限の大きさに達したときに、さしあたり、手の労働から解放されるのであるが、いまや彼は、個々の労働者および労働者群そのものを直接にかつ間断なく監督する機能を、ふたたび特殊な種類の賃労働者に譲り渡す。軍隊と同様に、同じ資本の指揮のもとでともに働く労働者大衆は、労働過程のあいだに資本の名において指揮する産業将校(支配人、マネージャー)および産業下士官(職長、“監督”)を必要とする。監督の労働が、彼ら専有の機能に固定される。

マルクスはこの段落のさいごで、資本のもとにある協業において労働過程の指揮系統のもつ性格の二面性を再度強調している。それは古典派経済学が、指揮系統の専制的性格のみに目を奪われているために、そもそも社会的労働過程の本性上、指揮系統の発展が必然であり、資本主義的生産過程の成立のうえで、協業という労働形態が資本のもとに形成されることが必然であり、だからこそ、個々の資本家が、労働過程の指揮系統を掌握し管理する社会的位置にあることを分析できずにいたからであった。

資本主義的生産様式を考察するにあたっては、経済学者は、共同の労働過程の本性から生じる限りでの指揮の機能を、この過程の資本主義的な、それゆえ敵対的な性格によって条件づけられる限りでの指揮の機能と、同一視する。資本家は、彼が産業上の指揮官であるがゆえに資本家であるのではなく、彼が資本家であるがゆえに産業上の指揮官になるのである。[352]

社会的生産力は資本に帰属する

資本家は、100個の自立した労働力の価値を支払うが、100個という結合労働力に支払うわけではない。独立の人間としては、労働者たちは個々別々の人間であり、それら個々別々の人間は、同じ資本と関係を結ぶのであるが、お互いどうしで関係を結ぶのではない。彼らの協業は労働過程ではじめて始まるが、労働過程では、彼らはすでに自分自身のものであることをやめてしまっている。労働過程にはいるとともに、彼らは資本に合体される。……労働者が社会的労働者として展開する生産力は、資本の生産力である。労働の社会的生産力は、労働者たちが一定の諸条件のもとにおかれるやいなや無償で展開されるのであり、そして資本は、労働者たちをこのような諸条件のもとにおくのである。労働の社会的生産力は資本にとってなんの費用も要しないのであるから、また他方、労働者の労働そのものが資本のものとなる以前には労働者によっては展開されないのであるから、この労働の社会的生産力は、資本が生まれながらにしてもっている生産力として、資本の内在的な生産力として、現われる。[354-5]

資本主義的協業が他の様々な協業形態と区別される点

共同労働という意味での協業は、資本主義に特有のものではないし、むしろ人類社会の初期、氏族共同体においては、その社会の労働形態として支配的なものであった。しかし、氏族社会における協業は

一方では、生産諸条件の共同所有にもとづいており、他方では、……各個人が部族または共同体の臍帯から切り離されていないことにもとづいている。[354]

また、

古代世界、中世、および近代的植民地で大規模な協業があちこちに散在して行なわれているが、これらは、直接的な支配隷属関係に、多くの場合は奴隷制に、もとづいている。[354]

つまり、資本主義のもとに行なわれる協業と、氏族社会における協業や、「古代世界、中世、および近代的植民地」において行なわれる協業とを区別する、もっとも本質的なことは、

〔協業の〕資本主義的形態は、最初から、自分の労働力を資本に売る自由な賃労働者を前提している[354]

ということである。

歴史的には、この形態は、農民経営に対立して、また独立手工業経営――それが同職組合的形態をもつかどうかにかかわりなく――に対立して、発展する。これらと向かい合って、資本主義的協業が協業の一つの特殊な歴史的形態として現われるのではなく、協業そのものが、資本主義的生産過程に固有な、かつこの過程を独特なものとして区別する歴史的形態として現われる。[354]

協業は資本主義的生産様式の基本形態である

労働力と生産手段の集中、そして同じ場所で同じ時間に同じ労働を行なうということ。このことは、資本そのものの発生とともに生じ、発展する。そして、協業によって展開される労働の社会的生産力という、巨大な“たまもの”が資本の生産力として現われる。ここでマルクスは、資本主義的生産様式の人類史的意義をつぎのように指摘している。

一方では、資本主義的生産様式が、労働過程を社会的過程へと転化させる歴史的必然性として現われるとすれば、他方では、労働過程のこの社会的形態は、資本が労働過程の生産力を増大させ、それによってこの過程をより有利に利用するために使う一方法として現われる。

資本主義的協業は、全体としてその形態を発展させるとともに、その単純な形態、中間的形態などが、資本主義的生産が支配的社会のなかでも、社会内分業に応じて、それぞれの労働過程に応じて、共存しうる。これ以降の章で、協業のさまざまな形態についての詳細な考察が行なわれる。

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第1部:資本の生産過程

第4篇:相対的剰余価値の生産

第12章:分業とマニュファクチュア
第1節
マニュファクチュアの二重の起源

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まずはじめにマルクスが指摘しているのは、共同労働における共同作業場内での分業が、典型的な形態で確立したのが、このマニュファクチュア(Manufacture)の段階であることだ。ただし、共同作業場内における分業の仕方は、もっとも単純な分業システムであっても、それぞれの商品のちがいにおうじて千差万別である。まずマルクスは、マニュファクチュアの分業の発生についての考察で、多種多様なそれらの形態の発生過程を、大きく二つの系統に分類することができる、と指摘している。

「種類を異にする自立的な手工業の結合」と、「種類を同じくする手工業作業の特殊化、分立化」である。

マニュファクチュアの発生の仕方、手工業からのマニュファクチュアの生成は、二面的である。一方で、マニュファクチュアは、種類を異にする自立的な諸手工業の結合から出発するのであって、これらの手工業は、自立性を奪われ、一面化され、同一商品の生産過程における相互補足的な部分作業をなすにすぎないところにまで到達する。他方で、マニュファクチュアは、同じ種類の手工業者たちの協業から出発するのであって、同じ個別的手工業をさまざまな特殊的作業に分解し、これらの作業を分立化させ、自立化させ、それぞれの作業が一人の特殊的労働者の専門的職能になるところまでもっていく。[358]

こうしてマニュファクチュアは集中された作業場内で行なわれる生産過程のなかで、分業をいっそう発展させる。しかし、マルクスは、この発展する分業をめぐって、マニュファクチュアという協業形態の段階にふさわしい限界をもっていることも、合わせて指摘している。

生産過程をその特殊な諸局面に分割することが、この場合には、一つの手工業的活動をそのさまざまな部分作業に分解することとまったく一致する。その作業は……依然として手工業的であり、それゆえ、個々の労働者が自分の用具を使用するさいの力、熟練、敏速さ、確実さに依存する。……この狭い技術的基盤は、生産過程の真に科学的な分割を排除する。というのは、生産物が通過するそれぞれの部分過程は、手工業的部分労働として生産過程の基盤であるからこそ、各労働者はもっぱら一つの部分機能に適応させられ、彼の労働力はこの部分機能の終生にわたる器官に転化される。[358-9]

したがって、この節のさいごでマルクスが強調しているように、マニュファクチュアにおける分業の発展という積極面は、協業という労働形態の一般的本質から発生するものであって、マニュファクチュアという歴史的特殊的分業形態はむしろ、それに応じた限界をもつのである。

この分業は協業の特殊な種類であって、その利点の多くは協業の一般的本質から発生するのであり、協業のこの特殊な形態から発生するのではない。[359]

だから必然的に、分業のより高度な発展のためには、いずれマニュファクチュアという協業形態は、より高度に発展した協業形態に発展し、並存しつつ駆逐されてゆかなければならなくなる。
「客馬車マニュファクチュア」雑感

ここで例にあげられている「客馬車」。『資本論』が書かれた時代がだいたいどういう時代であったか、あらためて想う(『資本論』第1巻の初版が刊行されたのは1867年)。乗用機械は現代においては、当時からだいぶん様相を違えているが、考えてみればフォード社がガソリンによるエンジン稼動の乗用車を大量生産するのにベルトコンベアーによる生産ラインを採用したのが1908年。現代の「モータリゼーション」のような、車椅子や歩く人間がおきざりにされたいびつな交通システムが永遠につづかないことの逆の証明のように思える。

このあとの章で展開されてゆくはずの「機械による大工業の段階」も、まだこの時代には、先んじて技術革新をとげているのは紡績産業であり、他の産業部門における技術革新と生産過程の変革は、動力が蒸気から電気へと変化してゆくのにともなって、また自然科学の進展にともなって、『資本論』が書かれた時代よりはるかに多様な発展をとげている。

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第1部:資本の生産過程

第4篇:相対的剰余価値の生産

第12章:分業とマニュファクチュア
第2節
部分労働者とその道具

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マニュファクチュア内部の分業の発展そのものが詳細に考察されてゆく。

細目労働者と彼の用具は、マニュファクチュアの単純な諸要素を形成する。[362]

分業の発達は、労働過程全体のシステムを発達させるが、その労働過程を構成しているのは、分業のそれぞれの分野に責任を負う労働者たちである。したがって、マニュファクチュアにおける生産力の増大をめぐって考察を深めるさい、全体の労働過程の変化と作用しあっている諸要素である、分業作業を担当する各労働者たちと、彼らの作業の特殊化にともなって変化してゆく彼らが使用する道具について分析する必要がある。
「部分労働者」

部分労働の方法も、それが一人の人の専門的職能に自立化されたのちに、さらに完成される。同一の限定された活動を絶えず反復し、この限定されたものに注意を集中することにより、目的とする有用効果を最小の力の支出で達成するすべが、経験を通じて教えられる。なお、また、世代を異にする労働者たちがいつも同時に一緒に生活し、同じマニュファクチュアで一緒に働くのであるから、こうして獲得された技術上のコツは、やがて固定され、堆積され、伝達される。[359]

現代における「技術の堆積、伝達」雑感

これはマニュファクチュアの段階の部分労働についての考察であり、現代日本においては、つぎの章で考察される「機械による大工業」が支配的な労働形態となっている。ただし、あくまで支配的なのであって、現代日本では、個々の中小の工場そのものが、社会的マニュファクチュア的分業を行ない、その「大工業」システムを基底でささえているのである。

ここで指摘されている「技術の堆積、伝達」のためには、「世代を異にする労働者たち」の同時就業が必要であり、前提であるわけだが、現代日本においては、その前提が崩壊しつつある。なにより、技術を伝達すべき若年労働者の割合が急速に低くなっていること。そのなかで、伝達するべき蓄積された技術をもつベテラン労働者が伝えるべき相手をなくしていること。あるいは、ベテラン労働者の中途「希望」退職の強要によって、貴重な技術の伝達が完全になされないまま、少数となった若年労働者層に過大な労働が集中し、労働現場における労働者の疲弊と混乱を広げていること。その結果としての労働災害もまた、今日の日本においては深刻の度を増している。

分業による積極面の一つである「技術の蓄積と伝達」という点では、いま、日本のものづくりの現場は、惨憺たる状況を呈している。
終身職業への転化

他方、マニュファクチュアが部分労働をある人の終身の職業に転化させるということは、それ以前の諸社会が職業を世襲化させ、それをカーストに石化させ、または、一定の歴史的諸条件がカースト制度に矛盾する個人の変異性を生み出す場合には、それを同職組合に骨化させるという傾向に照応している。[359-360]

このことは、技術が蓄積され伝達されより一層の緻密さや精巧さで、生産力を引き上げる要素であると同時に、第1節で考察されたように、

その作業は、……依然として手工業的であり、それゆえ、個々の労働者が自分の用具を使用するさいの力、熟練、敏速さ、確実さに依存する。手工業が依然として基盤である。この狭い技術的基盤は、生産過程の真に科学的な分割を排除する。[358]

この協業形態における生産力の上昇には限界があるのであって、マニュファクチュアにおける部分労働は二面性を帯びているのである。
同一労働の連続の二面性

生産性の増大は、この場合、ある与えられた時間内における労働力の支出の増加、すなわち労働の強度の増大によるものであるか、または労働力の不生産的消費の減少によるものである。すなわち、静止から運動への移行のたびに余分な力の支出が必要とされるが、この支出は、ひとたび得られた標準速度をさらに長続きさせることにより、相殺される。他面、同一種類の労働が連続することにより、活動の転換そのもののなかに回復と刺激とを見いだす活力の弾力とはずみが破壊される。[361]

部分労働における道具の特殊化

もともと個別手工業における一連の作業のなかで使用される道具にしても、その作業の特殊性や具体性に応じて、幾種類もの形態に分化してきた。身近な職人技である、たとえば「硯」づくりに使用される「鑿」一つとってみても、けずる石の部分のちがい――「海」をえぐるときと「丘」をならすときとでは、使用する鑿はちがう。このような道具の特殊化は、一般的にどの手工業にも発生するものである。

マニュファクチュアにおける部分労働において、道具の特殊化は、どのような方向にむかっているのか、また、どのような意義をもっているのか。

労働用具の分化――これによって同じ種類の各用具がそれぞれの特殊な用向きの特殊な固定的諸形態をもつようになる――および労働用具の専門化――これによって上のような特殊用具がそれぞれ専門の部分労働者たちの手のなかでのみ十分な働きをする……マニュファクチュア時代は、労働道具を部分労働者たちの専門的な特殊職能に適合させることにより、それらの道具を単純化し、改良し、多様化する。それによって、マニュファクチュア時代は、同時に、単純な諸道具の結合から成り立つ機械設備の物質的諸条件の一つをつくり出す。[361-2]

個別的に行なわれる手工業の場合、道具の特殊化は、特定の個人の作業と作業対象に依存しているが、協業的に行われる手工業の場合には、道具の特殊化は、それを使う労働者が一定程度の人数に達するために、すなわち一定程度「一般化」するために、その作業そのものの特殊性により大きく依存する。その分業部門にたずさわる労働者だれもが、その作業で使用できるほどにまで、道具は「一般的に特殊化される」。より「単純に」より「多様に」。すなわち、他の作業部門ではほとんど用をなさなくなるほどまでに、道具の特殊化、具体化がすすむ。だからこそ、この場合の道具の「特殊化」は、個別的手工業における特殊化と異質なのであり、つぎの段階の分業の発展をうながす、労働手段部面の土台を形成する。

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第1部:資本の生産過程

第4篇:相対的剰余価値の生産

第12章:分業とマニュファクチュア
第3節
マニュファクチュアの二つの基本形態――
異種的マニュファクチュアと有機的マニュファクチュア

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マルクスは、マニュファクチュアという協業形態の要素の考察から、この節でその「全体の姿」の考察に移る。まずマルクスは、その基本形態を二つに大きく分類することができるとし、その要因がマニュファクチュアによって生産される製品に依存していることを指摘している。

独立した部分諸生産物を単に機械的に組み合わせることによって形成されるか、または、一系列の関連する諸過程および諸操作によってその完成した姿態が得られるか[362]

異種的マニュファクチュア

上記の引用で「独立した部分諸生産物を単に機械的に組み合わせることによって形成される」製品として、マルクスがあげている典型例が「時計」。ここで取り上げられている、独立した部分生産物の製作にたずさわる「部分労働者」の名前は、主なものだけで実に34種類。

最後に、時計全体を組み立ててそれを動くようにして引き渡す“最終仕上げ工”。時計の諸部分のうちでごくわずかのものだけが、さまざまな人手を経るのであって、これら“引き裂かれたる四肢”のすべてがはじめて集められるのは、それらを最終的に一つの完全な機械に結合する人手のなかにおいてである。[363]

このような製品の場合には、それぞれの部品を生産している部門が、同一の工場内にある場合とない場合と、さまざまなケースがありうる。むしろ、とくに時計のような製品の場合、部品生産のそれぞれが個別に各々の特殊な形態と作業工程をもっているために、共同で使用される労働手段が限られる。マルクスはこの点を、「一般的」マニュファクチュアと比較して、つぎのように特徴づけている。

この場合、結合されたマニュファクチュア的経営は、例外的な諸関係のもとでのみ、有利である。なぜなら、自宅で作業したがる労働者たちのあいだで競争がもっとも激しいからであり、生産が多くの異種的過程に分裂しているため、共同の労働手段をほとんど使用しなくてすむからであり、また、資本家は、この分散した製造においては、作業用建物などの支出をはぶくことができるからである。[363]

マルクスはこの節のはじめに、マニュファクチュアの編成の基本形態のちがいをめぐって、つぎのように述べていた。

あとでマニュファクチュアが機械経営の大工業に転化するさいに、まったく異なる役割を演じる。

この「異種的マニュファクチュア」の項の分析を読んだときに、私の脳裏にうかんだのは、「大工業」が発展している現代日本における、トヨタ自動車の“看板方式”であった。
有機的マニュファクチュア

マルクスはこの形態を「マニュファクチュアの完成された形態」とよぶ。

マニュファクチュアの第二の種類、すなわちマニュファクチュアの完成された形態は、相連関する発展諸局面、すなわち一連の段階的諸過程を通過する製品を生産する。[364]

それぞれが独立した「作業」ではあっても、まったくことなる部分製品をつくるわけではなく、それぞれの独立した諸段階を経なければ完成しないような製品の場合――ここでは「縫い針」が例に取り上げられている。ここでもその部分労働者のたずさわる特殊労働の種類は実に「72種から92種」にわたるという。

形態も作業過程も異なる諸生産物の組立作業によって製品化される「異種的マニュファクチュア」とちがい、一連の諸段階を経て完成される製品の場合、それが個別に分散されて生産されるよりも、それらが結合され、同じ作業場で同時により大きな規模で一連の「部分労働」段階が展開されるとき、生産力が増すのはなぜか。マルクスは、その要因を主に

製品の個別的な生産諸局面のあいだの空間上の分離を少なくする。製品が一つの段階から他の段階に移行する時間が短縮され、これらの移行を媒介する労働も同様に短縮される[364]

という点にもとめている。同時にマルクスは、マニュファクチュアという協業形態がもつ二面性にもとづいて、つぎのように分析している。

こうして、手工業に比べ、生産力が増大する。しかもこの増大は、マニュファクチュアの一般的な協業的性格から生じるのである。他方、マニュファクチュアに固有な分業の原理は、さまざまな生産諸局面の分立化を生じさせ、それらは、同じ数の手工業的な部分労働として相互に自立化したものとなる。分立化させられた諸機能のあいだの連関を確立し維持するには、製品を一つの手から別の手に、また一つの過程から別の過程に絶えず運ぶ必要が生じる。このことは、大工業の立場からすれば、特徴的な、費用のかかる、マニュファクチュアの原理に内在する、限界性として現われる。[364]

「物流」雑感

この「物流」管理の問題は、この先どの辺りで考察されることになるのだろうか。現代資本主義においても、この物流、運送は、原料、中間的加工原料、そして完成製品などなど、いずれの段階でもたいへん重要な要素である。大量輸送交通網の発展や、それとならんで小規模な分散型輸送網の発達は、現代の複雑に多様化した生産システムのなかで、たいへん大きな役割を負っている。
マニュファクチュアの諸特徴

マルクスが「完成されたマニュファクチュア」とよんだ、この第二の種類「有機的マニュファクチュア」のもっている特徴が、いくつか指摘されている。
同時性

ある製品一つをとってみると、その原料から完成品にいたるまで、それぞれの段階でそれぞれの部分労働者の作業過程を経ているわけで、そうして見るかぎりでは、時間的経過にそくして、製品ができあがっていくわけである。しかし、

その作業場を一つの全体機構として見るならば、原料は、そのすべての生産諸局面に同時にそろって存在している。……さまざまな段階的諸過程が、時間的継起から、空間的並存に転化されている。それゆえ、同じ時間内により多くの完成商品が供給される。[365]

そしてこのことは、つぎに指摘されている特徴と関連している。
労働相互の直接的依存

一方の労働成果は、他方の労働の出発点をなす。それゆえこの場合、一方の労働者は、直接に他方の労働者に仕事を与える。それぞれの部分過程で目的とする有用効果を達成するために必要な労働時間は経験的に確定されるのであって、マニュファクチュアの全機構は、与えられた労働時間内に与えられた成果が達成されるという前提に立っている。この前提のもとでのみ、相互に補足し合うさまざまな労働過程が、中断することなく、同時にかつ空間的に並行して、続行できるのである。労働相互の、それゆえ労働者相互のこの直接的依存は、各個人にたいし自分の機能に必要な時間だけを費やすよう強制するのであり、そのため、独立の手工業の場合とは、または単純な協業の場合とさえも、まったく異なる労働の連続性、画一性、規則性、秩序、とりわけ労働の強度までもが、生み出される。[365-366]

与えられた労働時間内にどれだけ多くの製品を市場に供給できるか――これがマニュファクチュアの段階では否応なしにもとめられる。このことがつぎに指摘される特徴に関連する。
労働過程の量的規制と比例性の発展

指摘されてみれば確かにその通りである。マニュファクチュアによる分業は質の異なる労働の有機的連関からなりたっているのであるから、それぞれの部分労働の段階で供給される生産物の分量は、それぞれの部分労働すべてで必ずしも一様ではない。むしろ、労働時間もちがえば、供給される加工製品の量もちがう。

したがって、もし同じ労働者が毎日同じ作業だけを絶えず行なうとすれば、いろいろな作業にたいし、それぞれ異なる比例数の労働者が使用されなければならない。たとえば、ある活字マニュファクチュアで、鋳字工は1時間に2000個の活字を鋳造し、分切工は4000個を分切し、磨き工は8000個を磨くとすれば、このマニュファクチュアでは、1人の磨き工にたいし、4人の鋳字工と2人の分切工が使用されなければならない。ここでは、多数の人たちが同時に就業し同種のことを行なうという、もっとも単純な形態における協業の原理が復活する――ただし、いまや一つの有機的関係を表現するものとして。……マニュファクチュア的分業は、社会的労働過程の質的編制とともに、その量的な規制および比例性をも発展させる。[366]

このあとに指摘されている、「監督労働」および「運搬部門労働」の「自立」をめぐっては、今後どのへんまで考察がすすめられるのだろう。楽しみだ。
全体機構の要素としての労働編制

同じ部分機能を行なう労働者たちの個々の群、小集団は、同質な諸要素から成り立っており、全体機構の一つの特殊な器官を形成する。とはいえ、さまざまなマニュファクチュアでは、この群そのものが一つの編制された労働体であり、他方、全体機構は、これらの生産上の要素的有機体の反復または倍加によって形成される。[367]

実例としてあげられているのが「ガラス壜」マニュファクチュアである。このマニュファクチュアでは大きく3つの作業過程に分かれている。第1は、「ガラスだね」をつくる準備段階。第2は、液状のガラスだねを加工する段階。第3は、完成したガラス壜の取り出し、分類、荷づくりの段階。とくに、ここでは、「本来のガラス壜製造」の過程である第2の段階について考察されている。

1つのガラス窯の同じ口のところで1つの群が労働しているが、この群はイギリスでは「穴」と呼ばれていて、“壜製造工”または“壜仕上工”1人、“吹き細工工”1人、“集め工”1人、“積み上げ工”または“磨き工”1人、および“搬入工”1人から構成されている。この5人の部分労働者は、単一の労働体の5つの特殊器官を形成しており、この労働体は、ただ統一体としてのみ、すなわち5つの特殊器官の直接的協業によってのみ、機能を果たしうる。もし5つの部分からなる労働体の1つの部分が欠けると、この労働体は麻痺してしまう。しかし、同じガラス窯は、いくつかの口、たとえばイギリスでは4つないし6つの口をもっていて、その各々は、液体状ガラスのはいった1つの土製の溶融坩堝をそなえており、その各々のところで、同じ5つの部分から編制された形態の独自の1労働者群が就業している。[367]

ガラス壜マニュファクチュアは、このガラス窯の共同使用を中心に、先に分類された、第1段階、第3段階の設備とそれにたずさわる労働者群が配置され、編制されているのである。
マニュファクチュアの結合によるマニュファクチュアの形成

ここであげられている実例はひきつづきイギリスのガラスマニュファクチュアである。ガラス壜製造の過程で主要な生産手段となる溶融坩堝を製造するマニュファクチュアと、さきに例にあげられたガラス壜製造作業場が結合されるという例である。

生産手段のマニュファクチュアが、生産物のマニュファクチュアと結合される。[368]

つぎに例としてあげられているフリント・ガラスとは、『広辞苑』によれば

フリント【flint】火打石。―-ガラス【―硝子】鉛を含むガラス。主に酸化ナトリウム・酸化カリウム・酸化鉛・珪酸を成分とする。屈折率が大きく、光沢に富む。光学ガラス用のほか、装飾・工芸用。鉛ガラス。

だから、ここであげられているのは工芸ガラス製品としてのフリント・ガラスマニュファクチュアだと思われる。ここでは、ガラスマニュファクチュアに、完成されたガラス壜あるいはガラス製品を研磨する「ガラス磨き業」とガラス製品に金属をはめ込む「真鍮細工業」とが結合する例があげられている。

生産物のマニュファクチュアが、この生産物そのものをふたたび原料としているマニュファクチュアか、あるいはあとでそれを自己の生産物と一体のものにするマニュファクチュアと結合されることもありうる。[368]

マニュファクチュア時代の機械設備

マルクスはこれまでの考察の節々で、マニュファクチュアにおける分業の発展と限界について指摘してきた。マニュファクチュアという協業形態において、分業が、その限界をこえて発展してゆく契機ははたしてどこにあるのか。

マニュファクチュア時代は、商品生産に必要な労働時間の短縮を、やがて意識的な原理として表明するのであるが、それはまた、機械の使用をも散在的に発展させる――ことに、大きな力を用いて大規模に行なわれるべきある種の簡単な準備的諸過程のために機械が使用される。[368]

商品生産一般にはたらく「競争の外的強制」が、どのようにマニュファクチュアに働くかということを、マルクスはすでにつぎのように指摘していた。

一商品にたいし、その生産のために社会的に必要な労働時間だけが費やされるということは、商品生産一般にあっては、競争の外的強制として現われる。なぜなら、皮相な言い方をすれば、個々の生産者たちはいずれも商品をその市場価格で売らなければならないからである。これに反して、マニュファクチュアでは、与えられた労働時間内に与えられた分量の生産物を供給することが、生産過程そのものの技術的法則となる。[366]

「競争の外的強制」はマニュファクチュアのなかに機械設備を導入させたが、ここで、マルクスは、たいへん興味深い考察を行なっている。たとえば、機械設備の「使用」や労働用具の「分化」に貢献したのは、たしかにマニュファクチュアの部分労働者たちだったが、機械設備の「発明」に貢献したのは、「学者たち、手工業者たちであり、農民たち」などであったという指摘。また、

機械設備の散在的使用は、17世紀にきわめて重要となったが、それは、この機械設備が当時の大数学者たちに近代力学をつくり出すための実際の手がかりと刺激を与えたからである。[369]

という考察である。訳注によれば、ここでいう17世紀の「大数学者たち」というのは、ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei 1564-1642, 投げ出された物体が放物線を描くという発見)、ケプラー(Johannes Kepler 1571-1630, 惑星の軌道が楕円になるという発見)、フェルマ(Pierre de Fermat 1601-1665, 解析幾何学の創始者)、パスカル(Blaise Pascal 1623-1662, 数学的帰納法を確立)、ニュートン(Isaac Newton 1643-1727, 微分積分の発見者)らをさす。生産様式の発展とそれにともなう技術の発達、そして、それと相乗的に関連している人類の知的発展という観点は、たいへん大事だと思う。

しかしながら、マニュファクチュアにおける機械設備の使用は、さきにマルクスが分析しているように、まだ一般的系統的なものではない。それはなにより、マニュファクチュアという協業形態の分業システムそのものに要因がある。

マニュファクチュア時代の独自な機械設備は、依然として、多数の部分労働者たちから結成された全体労働者そのものである。[369]

だから、この機械設備の導入そのものは、マニュファクチュアがつぎの章で考察される分業段階に飛躍するための直接的な契機ではないらしい。マルクスがこの先考察をすすめているのは、マニュファクチュアにおける作業内容の進展である。やはり、この部分労働の形態の変化そのものに、つぎの段階への契機があるのだろうか。
部分労働者の等級的区分

さまざまな諸作業が分離され、自立化され、分立化されたのち、労働者たちは、その目立った特性に応じて、分割され、分類され、群に分けられる。彼らの自然的諸特性が、分業が接木される基礎を形成するとすれば、マニュファクチュアは、ひとたび導入されると、生来ただ一面的な特殊機能にしか適しない諸労働力を発達させる。……習慣としてある一面的機能を営むことにより、部分労働者は、この機能の自然に確実に作動する器官に転化させられ、他方、全機構の連関により、部分労働者は機械の一部がもつ規則正しさで作業するように強制される。[369-370]

全体労働者のさまざまな機能は、簡単なものや複雑なもの、低級なものや高級なものがあるので、その諸器官すなわち個別的諸労働力は、まったく程度の違う訓練を必要とし、それゆえ、まったく違う価値をもつ。したがってマニュファクチュアは、諸労働力の等級制を発展させ、それに労賃の等級が対応する。[370]

マルクスの以下の指摘が、はたして、つぎの章へつながる叙述なのかどうか。

どの生産過程も、どのような人間でもできるある種の簡単な仕事を必要とする。このような仕事も、いまや、活動のより内容豊富な諸契機との流動的連関から引き離されて、専門的諸機能に骨化させられる。[370]

労働者のもつ可能性の全面的発揮をめぐって

上に引用したマルクスの指摘とかかわるのだが、この前後でいくつか印象的な考察が行なわれている。ユア博士の論文で指摘されていることとの対比でもこれらの考察が行なわれているのであるが、マルクスは、労働者の等級づけにかんするユア博士の考察部分を引用しつつ、労働者の等級づけは各々の労働者の「先天的および後天的」「技能の順位」あるいは「熟練度」によって行なわれるというユア博士の考察を否定して、むしろ、分業システムそのものが各々の労働者の機能を「専門的諸機能に骨化させ」るのだと指摘している。マルクスは端的につぎのような指摘さえしている。

部分労働者の一面性が、またその不完全性(46)さえもが、かれが全体労働者の分肢となる場合、完全性となる。

注(46)たとえば、一面的な筋肉の発達、骨の彎曲など。[370]

このさき分業の発達にともなって、それに従事する労働者たちの機能はますます部分的、専門的、特殊的なものに「骨化させられる」ことになるはずである。だとすれば、労働過程においては、もはや人は、その機能の全面的発揮をもとめられることがなくなり、その過程にあるかぎりにおいては、部分労働でもとめられる機能以外の機能の発達は望むべくもないということになる。

上の引用部分のなかの「全体労働者の分肢となる場合」というところは、訳注によれば新約聖書と関連しているとのこと。聖書のその部分を読んでみたが、“連関”と“統一”「部分」と「全体」ということについての、古代世界なりの、素朴だが含蓄深い叙述だ。

體(からだ)は一肢(ひとつえだ)より成らず、多くの肢(えだ)より成るなり。

足もし「我は手にあらぬ故に體に属せず」と云ふとも、之によりて體に属せぬにあらず。

耳もし「われは眼にあらぬ故に體に属せず」と云ふとも、之によりて體に属せぬにあらず。

もし全身、眼ならば、聴くところ何れか。もし全身、聴く所ならば、臭ぐところ何れか。

げに神は御意(みこころ)のままに肢をおのおの體に置き給へり。

若しみな一肢ならば、體は何れか。

げに肢は多くあれど、體は一つなり。

眼は手に対(むか)ひて「われ汝を要せず」と言ひ、頭(かしら)は足に対ひて「われ汝を要せず」と言ふこと能はず。

否、からだの中(うち)にて最も弱しと見ゆる肢は、反(かえ)つて必要なり。

體のうちにて尊からずと思はるる所に、物を纏(まと)ひて殊に之を尊ぶ。斯く我らの美(うるは)しからぬ所は、一層(ひときは)すぐれて美しくすれども、

美しき所には、物を纏ふの要なし。神は劣れる所に殊に尊栄(たふとき)を加へて、人の體を調和したまへり。

[新約聖書 コリント人への前の書 12.14-24]

機能の単純化と不熟練労働者層の発生

手工業経営が支配的だった時代には排除の対象だった「半人前」労働者が、マニュファクチュアの一定の発達にともなって、生産機構全体にとって不可欠の構成要素となる。不熟練労働者の機能は「どのような人間でもできるある種の簡単な仕事」にまで単純化された労働過程の部分を担うから、「修業」費用はほとんどかからない。また、一方、「ベテラン」中堅労働者にとっても、ますます部分労働の内容が特殊化され単純化されてゆくから、手工業経営と比較して「修業」にかかる費用は減少する。

どちらの場合にも、労働力の価値は低下する。……修業費が不要になるか、または減少することから、労働力の相対的な価値減少が生じるが、これは資本のより高い価値増殖を直接に含んでいる。なぜなら、労働力の再生産に必要な時間を短縮するすべてのものは、剰余労働の領域を延長するからである。[371]

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第1部:資本の生産過程

第4篇:相対的剰余価値の生産

第12章:分業とマニュファクチュア
第4節
マニュファクチュア内部の分業と社会内部の分業

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各々のマニュファクチュア作業場での分業と、それらを包括している社会のなかでの分業とは、どのような関連があるのか。

マルクスはまず、「労働そのものだけを眼中におくならば」と前提したうえで、「一般的分業」「特殊的分業」「個別的分業」の三種の分業を指摘している。下の引用は、マルクスが参考にした文献。

注(50)「われわれは、ある程度の文明に達している諸国民のもとでは、三種の分業に出会う。第一のものは、われわれが一般的分業と名づけるものであって、生産者を農業者、工業者、および商人に区別し、国民的労働〔原文は「産業」〕の三つの主要部門に照応する。第二のものは、特殊的分業と名づけうるものであって、各労働〔産業〕部門の種への分割である。……最後に第三の分業は、仕事の分割または本来の意味での分業と呼ばれるべきものであって、それは、個々の手工業や職業のなかで形成され、……たいていのマニュファクチュアと作業場のなかで地歩を占める分業である」スカルベク『社会的富の理論』、84、85ページ[371]

社会内部の分業の発展

マルクスは社会内部の分業の発展を「相対立する出発点から」分析している。一方では、一共同体内における「自然発生的な分業」、他方では、異なる共同体社会の接触によってはじまる生産物交換による分業の発生である。

ここでは、第2章で考察された「交換過程」の発展が概観され、つぎのように指摘されている。

交換は、諸生産部面の区別をつくり出すのではなく、異なる生産部面を関連させ、こうしてそれらを、一つの社会的総生産の多かれ少なかれ相互に依存し合う諸部門に転化させるのである。この場合、社会的分業は、本来異なっていて互いに独立している諸生産部面間の交換によって成立する。……

……生理的分業が出発点となっているところでは、直接の結びつきでつくられている一全体の特殊な諸器官が、相互に分解し、分裂し――この分裂過程にたいして、他の共同体との商品交換が主要な衝撃を与える――、自立化して、異なる労働の連関が商品としての諸生産物の交換によって媒介されるまでになる。[372-3]

原初の「家族」形態と「交換」のはじまりをめぐって

この項のなかで、マルクスは

一家族の(50a)内部で、さらに発展すると一部族の内部で、自然発生的な分業が、性や年齢の相違にもとづいて、すなわち純粋に生理学的な基礎の上で発生する[372]

と叙述しているが、この部分はその後の研究によって修正されるべき部分で、そのことは注(50a)でエンゲルスがつぎのようにのべている。

注(50a)――人類の原始状態にかんするその後のきわめて徹底的な研究によって著者の達した結論によれば、本源的には、家族が部族に発達したのではなく、その逆に、部族が、血縁関係にもとづく人類社会形成の本源的な自然発生的形態であった。したがって、部族的きずなの解体が始まってから、あとになってはじめて、いろいろと異なる家族諸形態が発展したのである。[373]

ここでエンゲルスが「著者の達した結論によれば」としている「著者」とはもちろんマルクスのことを指しているのであるが、マルクスは草稿ノートにその考察や「結論」を書いてはいても、マルクス自身のこの問題に関するまとまった著書はない。いま私たちは、エンゲルスの詳細な研究による著書(『家族、私有財産および国家の起源』)で、そのまとまった考察と「結論」を読むことができる。

また、ここでは、第2章「交換過程」で考察された、異なる「共同体あるいはその成員」間の接触による交換のはじまりをめぐって、その必然性が分析されている。

異なる共同体は、それぞれの自然環境のなかに、異なる生産手段や異なる生活手段を見いだす。それゆえ、これら共同体の生産様式、生活様式、および生産物は異なっている。この自然発生的な相違こそが、諸共同体の接触のさいに、相互の生産物の交換を、それゆえこれら生産物の商品へのゆるやかな転化を、引き起こす。[372]

社会の人口・密度と分業

あらゆる発達した、商品交換によって媒介された、分業の基礎は、都市と農村との分離である。

マニュファクチュア内部の分業にとっては、同時に使用される労働者の一定数がその物質的前提をなすのと同じように、社会内部の分業にとっては、人口の大きさとその密度……とが物質的前提をなす。とはいえ、この人口密度は相対的なものである。交通手段の発達している相対的に人口の希薄な地方は、交通手段の発達していない人口のより多い地方よりも、稠密な人口をもっているのであって、この意味では、たとえばアメリカ合衆国の北部諸州は、インドよりも人口が稠密である。[373]

社会的分業への反作用――分業の地域的人的「骨化」

よく「市場経済」という言葉を「資本主義」と同義語のように用いる人がいるが、それは不正確である。いわゆる「市場」は生産物が商品として売り買いされ、流通する場をいうのであるが、この商品生産、商品流通がはじまったのは、はるか紀元前の時代にまでさかのぼる。「市場経済」というときには商品生産や流通がその社会全体に支配的なものになっているという意味で用いられ、とくに貨幣流通をともなう経済活動へと発展している段階をいうのであるが、そのような経済社会は、資本主義社会以前にすでに長期間にわたって存在していた。日本においては貨幣による商品流通の発達はたいへんゆっくりとしたテンポであったが、それでも平安時代末期からすでにはじまっており、とくに江戸時代中期以降急速に発展している。現代の「市場経済」はむしろ「資本主義的市場経済」とでも言うべきか。マルクスが原書ページ[374]で「商品生産および商品流通は、資本主義的生産様式の一般的前提である」と述べている部分は、第1部第4章第3節「労働力の購買と販売」のなかの考察が前提となっている(原書ページ[184])。

さて、商品生産、商品流通が発展してゆくと、すなわち商品交換が発展してゆくと、上で分析されたように、その社会内部の分業が発展してゆく。社会的分業の一定の発展がマニュファクチュア生成の前提であるが、こんどはマニュファクチュアにおける分業の発展が、社会的分業に「反作用」する。

労働諸用具の分化とともに、これらの用具を生産する職業がますます分化する。これまで本業または副業として他の諸職業と連関させながら、同じ生産者によって営まれていたある職業が、マニュファクチュア的経営によってとらえられると、ただちに分離と相互の自立化とが生じる。また、マニュファクチュア的経営がある商品の一つの特殊な生産段階をとらえると、その商品のさまざまな生産段階がさまざまな独立の職業に転化する。……製品が、部分生産物を単に機械的に組み合わせてつくられた全体にすぎない場合、部分労働は、ふたたび自己を独自な諸手工業に自立化しうる。マニュファクチュアの内部で分業をより完全に行なうために、同じ生産部門が、その原料の相違に応じて、または同じ原料がとりうる形態の相違に応じて、さまざまな――部分的にはまったく新しい――マニュファクチュアに分裂させられる。[374]

地域的分業は、特殊な生産諸部門を一国の特別の地方に縛りつけるのではあるが、これはすべての特殊性を利用するマニュファクチュア的経営によって、新たな刺激を与えられる。……社会内部の分業は、社会の経済的領域のほかに、社会のあらゆる他の領域をもとらえ、いたるところで専業すなわち専門職のあの形成と人間分割の基礎をすえる[374-5]

植民地主義とマニュファクチュア

社会内部の分業のための豊富な材料をマニュファクチュア時代に提供するのは、マニュファクチュア時代の一般的実存諸条件の一部をなす世界市場の拡大および植民制度である。[375]

15世紀末から16世紀にかけて世界各地へ進出していったポルトガルやスペインの「大航海時代」には、西欧がアメリカ大陸にたどり着き、ヴァスコ・ダ・ガマ(Vasco da Gama 1469-1524)によって喜望峰経由によるインド航路が開拓された。これらは、その後のオランダやイギリスなどをはじめとする西欧諸国によるアジア、アメリカの植民地化の開始を準備した。

この植民地化の実態の一端が、この節の注のなかにも叙述されている。この段落の前で「人口密度と交通機関の発展度合との関係」が述べられている部分に対応する注であるが、イギリスによるインドの植民地化の様子の一端がわかる。

注(53)1861年以来の綿花の大需要の結果、東インドのもともと人口の多いいくつかの地方で、米の生産を犠牲にして、綿花の生産が拡張された。それゆえ局部的な飢饉が発生した。なぜなら、交通機関の不完備、それゆえ物理的連絡の不完備のために、地方における米の不足が他の諸地方からの輸送によって補充されえなかったからである。[373]

綿花の大需要の結果、主食である米の生産を犠牲にして綿花生産を拡張したのは、当時のインド国民自身の貿易利潤追求による結果だったのだろうか。この注につけ加えられなければならないのは、この飢饉が、物理的連絡の不完備が直接的な原因だったとはいえ、もともとの自然発生的な地域分業の連関を断ち切り、飢饉発生の経済的「土台」をつくった、東インド会社を拠点にインドの植民地化をすすめていたイギリスの経済政策方針に遠因があるということだ。

ついでに関連していえば、いまや主食である米をはじめとする食料自給率を4割を切るところまで低めてしまった現代日本は、新たな植民地主義的国際経済戦略のもとに自国の利益優先をWTOなどのあらゆる国際機関を通じてつらぬこうとしている現代アメリカの新型の「植民地」ではなかろうか。ただし現代日本の場合は、日本国政府が甘んじてその自国にとっては屈辱的戦略を、屈辱的だとは感じないまま積極的に受け入れているのではあるが。その日本国自身も、かの第二次世界大戦時、アジア諸国において、軍事優先の植民地主義的経済政策による飢饉発生を引き起こし、多数の人びとを餓死させている。
マニュファクチュア内部の分業と社会内分業とのちがい

社会の内部における分業と作業場内部の分業とのあいだには数多くの類似および諸連関があるにもかかわらず、この両者は、ただ程度が異なるだけでなく、本質的にも異なっている。[375]

商品として生産されるかいなか

社会の内部における分業は、さまざまな労働部門の生産物の売買によって媒介されており、マニュファクチュアにおける諸部分労働の連関は、同一の資本家にさまざまな労働力が販売され、その資本家がこれらを結合労働力として使用することによって媒介されている。[376]

マルクスは第1部第1章第2節「商品に表わされる労働の二重性」のなかで、分業といっても、社会内部のそれと工場内でのそれはちがうと指摘していた。その節でも指摘されていたもっとも本質的なちがいは、それぞれの分業部門で生産される製品が商品として生産されるのかいなかである。

古典派経済学の巨頭の一人であるアダム・スミス(Adam Smith 1723-1790)が、社会内部の分業を「大マニュファクチュア」注(57)[377]と評し、マルクスが指摘しているように

社会的分業は、ただ主観的に、すなわち観察者にとってのみ、マニュファクチュア的分業と区別されるにすぎず、マニュファクチュア的分業の場合、観察者は多様な部分労働をひとめで空間的に見渡すが、社会的分業の場合には、広い面積にわたって部分労働が分散しており、各特殊部門の従業者が多数であるため、その連関が見えにくくされている[376-377]

と「思い込」んでいたわけである。この分業にかんする観点をめぐる批判的指摘が、すでに第1部第1篇「商品と貨幣」で行なわれていたわけだ。とくに、第1章第2節「商品に表わされる労働の二重性」の節で指摘されていたことは、重要だと思う。この「商品における労働の二面性」こそ、古典派経済学の巨頭たちがたどり着き得なかった認識だったし、この発見こそが、「人間労働一般」と「労働力の価値」の分析を可能にし、したがって、商品交換の発展過程そのものの科学的認識が可能となり、分業の発生をめぐる認識も発展したからである。
市場経済の法則のはたらき方のちがい

そしてマルクスはこの指摘にとどまらず、社会的分業と個々の工場内での分業とのちがいを、「市場経済」のもつ根本的矛盾の観点から分析している。

商品交換が成立するためには、個々の商品生産者たちにそれぞれ生産手段が分散していることが前提となる。その前提の上に商品交換が発展し、マニュファクチュアのように、ある特定の商品生産者のもとに生産手段が集中する段階にいたっているわけである。すなわち、

マニュファクチュア的分業は、一人の資本家の手に生産手段が集中されることを想定しており、社会的分業は、相互に独立的な多数の商品生産者たちのあいだに生産諸手段が分散することを想定している。[376]

マルクスは第1部第1章第4節「商品の物神的性格とその秘密」で、個々の商品生産者と社会的分業との関係を考察した。商品生産、商品流通が支配的な社会においては、個々の私的な商品生産活動が総体として社会的分業をなしている。このことから市場経済の強制的法則――価値法則が作用する。この強制的法則が、マニュファクチュアが発生している段階ではどのように作用するのか。

一方で、各商品生産者はある使用価値を生産し、したがってある特殊な社会的欲求を充足しなければならないのであるが、これらの欲求の範囲は量的に相違している。それで、一つの内的なきずながさまざまな欲求群を一つの自然発生的体系に連結することによって、生産部面の均衡が保たれる。他方では、社会がその処分しうる全労働時間のうち、特殊な商品種類のそれぞれの生産にどれだけ支出しうるかを商品の価値法則が規定するということによって、右の均衡が保たれる。しかし、均衡を保とうとするさまざまな生産部面のこの絶え間ない傾向は、この均衡の絶え間ない破壊にたいする反作用としてのみ働く。作業場の内部における分業にあっては“先天的”に計画的に守られる規則が、社会の内部における分業にあっては、市場価格のバロメーター的変動において知覚されうる、商品生産者たちの無規則な恣意を圧倒する、内的な、無言の、自然必然性として、ただ“後天的”にのみ作用する。[377]

このあとのマルクスの指摘はたいそう皮肉がまじっている。自分が所有する個々の工場内で無条件の権威をもっている資本家たちが、彼ら相互の関係では、競争原理――市場経済の価値法則のもとで、つねに「弱肉強食」のるつぼのなかにいるということ。

マルクスの皮肉のなかには、資本主義的生産様式をのりこえたさきに展望されている生産様式の本質についてふれている部分がある。「社会的生産過程のあらゆる意識的な社会的管理および規制」、「社会的労働のあらゆる一般的組織」は「全社会を一つの工場に転化するものであるということ」。

マニュファクチュア的分業、細目作業にたいする労働者の終生の従属、および資本のもとへの部分労働者たちの無条件的隷属を、労働の生産力を高める労働組織として賛美するその同じブルジョア意識が、社会的生産過程のあらゆる意識的な社会的管理および規制を、個別的資本家の不可侵な所有権、自由、および自律的な「独創性」への侵害として、同じように声高く非難する。工場制度の熱狂的な弁護者たちが、社会的労働のあらゆる一般的組織にたいして、それは全社会を一つの工場に転化するものであるということ以外になんの憤懣をも述べえないということは、きわめて特徴的である。[377]

社会的分業の発展過程のなかの位置づけ

つぎにマルクスは、商品交換の発展のそれぞれの段階における、社会的分業と作業場内分業との関係を考察している。そのなかで、つぎの第5節につながる、マニュファクチュア的分業の歴史的位置づけを明らかにしようとしている。

資本主義的生産様式の社会においては、社会的分業の無政府性とマニュファクチュア的分業の専制とは相互に制約し合っているのであるが、職場の特殊化が自然発生的に発展し、次いで結晶し、最後に法律的に確定された以前の社会諸形態は、これに反し、一方では、社会的労働の計画的かつ権威的な組織の姿を示すが、他方では、作業場内部の分業をまったく排除するか、または、それをきわめて小規模にしか、もしくは散在的かつ偶然的にしか、発展させない。[377-8]

「古インド的共同体」における分業

注によれば、ここで叙述されているインドの共同体社会は、17世紀初頭に発行された『インド南部の歴史的概要』と17世紀中葉に発行された『近代インド』による。どちらもイギリスはロンドンで発行されている。当時インドの植民地化をすすめていたイギリスの知識人層によって観察された、“当時の”インド社会の叙述である。

16世紀末から17世紀のインドと言えば、すでに統一国家としていくつかの政変、王朝の交替を経験している地域である。だからマルクスがここで引用している共同体社会は、明らかに氏族社会が崩壊した後の社会であり、それでも「部分的にいまなお存続している」「太古的な小さいインド的共同体」のことである。「太古的」であり「インド的」であると形容されているとおり、厳密に言えば、氏族社会的要素はもっているものの、すでに商品交換が支配的になっている社会のなかに存続している共同体であるから、マルクスはきちんとそのことを念頭において、この社会の叙述を分析しているものと思われる。それでも、先んじて氏族共同体が崩壊して久しいイギリス社会から見て、当時のインド社会にのこる「共同体」には、往古の氏族社会的要素が、より色濃く見いだされたことだろう。

この共同体は、「土地の共同所有と、農業と手工業との直接的結合と固定的分業を基礎として」いる。

この共同体は、自給自足的な総生産体をなしており、その生産領域は、100エーカーから2、3000エーカーにいたるまでさまざまである。生産物の大部分は、共同体の直接の自家需要のために生産され、商品として生産されるのではなく、それゆえ生産そのものは、商品交換によって媒介されるインド社会の分業全体から独立している。生産物の余剰だけが商品に転化されるのであり、この余剰の一部もまた、大昔から一定分量が現物地代として流入する国家の手によって、はじめて商品に転化する。インドでは、地方が異なれば共同体の形態が異なる。もっとも単純な形態では、共同体が土地を共同で耕作し、その生産物を成員のあいだに分配する[378]

社会組織としてかなり整備され洗練された社会内分業が行なわれていることが、さきに紹介した2つの記録によって詳細に描かれている。この共同体のなかにはもちろん鍛冶屋、大工、陶工、銀細工師などがおり、それぞれの作業場がある。ただし、

この共同体の機構は計画的分業を示してはいるが、そのマニュファクチュア的分業は不可能である。というのは、鍛冶屋や大工などの市場は不変のままであって、せいぜい、村の大きさの相違に応じて、鍛冶屋や陶工が1人でなく2人か3人いるといったぐらいのものだからである。[379]

インド的共同体内の作業場がしたがうべき強制力は、その共同体内の成員が必要なそれぞれの生産物を必要な量だけつくるという「自給自足的」法則なのである。作業場を牛耳る職人には、ただただ自分が代々継承してきた専門技能を、その共同体内の目的と必要量に応じて発揮することが求められているのである。これらの作業場は、共同体社会の枠組みによって、まだ商品交換市場に完全にはのみこまれてはいない。
「アジア諸社会の不変性の秘密」をめぐって

つぎの考察は、「古インド的共同体」の再生産をめぐるものだが、たいへん興味深い。

注(61)「この単純な形態のもとで……この国の住民たちは大昔から生活してきた。村々の領域の境界は、まれにしか変更されなかった。そして村々は、たびたび戦争や飢饉や疫病に襲われ、荒らされさえしたが、同じ名称、同じ境界、同じ利害、および同じ家族さえもが、幾世代を通じて存続してきた。住民たちは、王国の崩壊や分割によってはわずらわされない。村が分割されない限り、村がどんな権力に引き渡されるか、どんな主権者の手に帰するかは、彼らにとっては、どうでもよい。村の内的経済は、変わらないままである」(元ジャワ副総督Th・スタンフォド・ラッフルズ『ジャワの歴史』、ロンドン、1817年、第1巻、285ページ)。[379]

この自給自足的な共同体の単純な生産有機体は、アジア諸国家の絶え間のない崩壊と再建ならびに絶え間のない王朝交替といちじるしい対照をなしているアジア諸社会の不変性の秘密をとく鍵を提供する。社会の経済的基本要素の構造は、政治的霊界の嵐によって影響されないのである。[379]

雑感的印象であるが、このなかで「村が分割されない限り」、すなわち共同体の経済基盤である土地や居住圏域が分割されない限りにおいて、この共同体は不変的に存続しえたという分析をめぐって。現代日本の先を争っての「合併」競争や、アフリカにおいて宗主国によって経度と緯度にもとづき机上でひかれた国境線のために、それら植民地が独立主権国家となったいまなお起こっている悲劇の数々を想う。
中世西欧におけるギルドと商人資本

ギルド(同職組合)の規則によって、各「親方」の使用する職人の数が制限されていたため、労働力の集中とそれらを効率的に消費するための生産手段の集中も、おのずから制限されていた。一方、すでに存在していた商人階層は、手工業製品の売りさばきのための役割を果たしていたものの、労働者が各々の親方の徒弟として作業場内に、人的関係でも労働過程の面でも強く拘束されていたために、労働力を商品として買うことはできなかった。

それでもその社会の外部からの、あるいは作業場間相互の刺戟から、社会のなかでの分業がすすみうる。しかし、その場合でも、ギルドの枠組みは、既存のギルドの亜種を生みだすか、新たなギルドを、以前のギルドと共存させるにとどめ、やはり、生産手段や職人たちの集中が行なわれることがなかった。

同職組合組織は、その職業の特殊化、分立化、および完成がどんなにマニュファクチュア時代の物質的実存諸条件の一部になるとはいっても、マニュファクチュア的分業を排除した。一般に、労働者と彼の生産諸手段とは、カタツムリとその殻のように、相互に結合されたままであり、したがってマニュファクチュアの第一の基礎、すなわち労働者に対立する資本としての生産諸手段の自立化が、欠けていた。[380]

したがって――とマルクスはつぎのように結論づける。このように、商品交換過程の発展にともなう分業を、社会全体と、その内部のおのおのの作業場、相互の関連を概観すると、マニュファクチュア的分業があくまで、ある特定の経済的要因をもつ歴史的分業形態であり、資本の存在ぬきには考察されえないものであると。

一社会全体のなかでの分業は、商品交換によって媒介されていてもいなくても、きわめてさまざまな経済的社会構成体に存在するのであるが、マニュファクチュア的分業は、資本主義的生産様式のまったく独自な創造物である。[380]

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第1部:資本の生産過程

第4篇:相対的剰余価値の生産

第12章:分業とマニュファクチュア
第5節
マニュファクチュアの資本主義的性格

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相対的剰余価値を生みだす、資本のもとにおける協業を、単純な形態からマニュファクチュア的形態へと考察がすすめられてきたのであるが、マニュファクチュアという協業形態の発展段階の特徴が、この節で考察される。
投下される資本の倍数的増加

マニュファクチュア的分業の段階では、その作業場および関連設備を稼動させる労働者の人数は、この段階に応じた、技術的に可能なギリギリの数にまで増大する。より多くの利益を生もうとすれば、労働者の数を増やすことが条件となるが、その増加は分業の比例性の発展にともなって、倍数的に増加してゆくことになる。またそれとともに、労働者が労働力を行使する生産手段の総量も増加してゆかなければならない。「分業の利益」を増やすための労働者数の増加は加速度的なものであるから、

建物、炉などのような共同的生産諸条件の範囲のほかに、ことにまた原料が、労働者数よりもずっと速く増加しなければならない。与えられた時間内に、与えられた労働分量によって消耗される原料の分量は、分業によって労働の生産力が増大するのと同じ割合で増大する。[380-1]

したがって、マニュファクチュアを維持する場合に、個々の資本家が生産手段に投資するべき資本の大きさ、あるいはその社会全体において個々の手工業者や勤労市民たちの生活手段や生産手段が資本に転化してゆく傾向の増大は、資本のもとにおけるマニュファクチュアの分業の発展にともなう必然である。
生活手段が資本に転化する

よく「社会主義・共産主義の社会では財産が公的なものとなり、私的な財産の保有が認められない」という誤解があるが、この節でマルクスが指摘しているように、資本のもとにおける分業の発展は、社会的分業の一部門であった手工業者の生産手段のみならず、生活手段までをも、マニュファクチュア的分業の有機的連関のなかに組み込んでゆく。結局、それまで手工業者や職人たちが自立的に運営していた生産手段は、マニュファクチュアの一部分労働部門として運営・管理の対象となる。そのさい重大なのは、手工業者や職人たちの生産手段は、彼らの生活手段をも生み出していたことである。生活手段、すなわち彼ら自身の生活を営むうえでかかせない生産物さえも、マニュファクチュア的分業の連関のなかで、資本の運営・管理の対象のなかに入り込んでゆくことになる。端的に言えば、資本主義的生産様式こそが、直接生産にたずさわってきた生産者の私的財産である生産手段や生活手段を、資本のもとに吸収してきたのである。

一方で生産力の増大によって、その社会全体の“富”が急速に増大するために、資本のもとに吸収される個々の中小生産者たちの生産手段や生活手段が、それまで以上により大量に資本のもとに吸収されていっても、それが「相対的」にしか表に現われないために、その吸収度のすさまじさが容易には見えにくかったのである。

マルクスは、労働過程に入り込み生産物を生産する対象と手段を生産手段とよび、この生産手段の消費によって生産され、直接人びとのさまざまな生活で消費される物資を生活手段とよんで、厳密に区別している。それは、生産手段と生活手段がそれぞれまったく機能をことにする原料、あるいは生産物であり、それぞれの消費の意義も社会的にまったく異なるからである。このことは、とくに第1部第5章第1節「労働過程」の生産手段の考察で指摘されている。
部分労働の特殊化の促進

単純協業は、個々人の労働様式を一般に変化させないが、マニュファクチュアは、それを徹底的に革命し、個別的労働力の根底を襲う。それは、生理的な衝動および素質のいっさいを抑圧し、労働者の細目的熟練を温室的に助長することによって、労働者を不具にし奇形者にしてしまう……。特殊的部分諸労働が、さまざまな個人のあいだに配分されるだけでなく、個人そのものが分割されて、一つの部分労働の自動装置に転化……される。[381-2]

単純協業ではまだいくばくかでも残っていた自立的作業は、マニュファクチュアでは完全に排除されている。マニュファクチュアにおける分業は、単純協業で開始された個人の作業能力の特殊化をさらにおしすすめ、彼自身が自立的に生産活動を行なうことを不可能なまでにする。

労働者は本源的には、商品を生産するための物質的諸手段をもたないから自分の労働力を資本に売るのであるが、いまや、彼の個別的労働力そのものは、それが資本に売られない限りは役に立たない。この個別的労働力は、いまや、それが販売されたあとではじめて実存する一つの連関のなかで、すなわち資本家の作業場のなかで、機能するにすぎない。マニュファクチュア労働者は、その自然的性状から自立的な物をつくることができなくされており、もはや資本家の作業場への付属物として生産的活動を展開するにすぎない。[382]

精神労働と肉体労働の分離の促進

未開人が戦争のあらゆる技術を個人的策略として行なうように、自立的な農民または手工業者がたとえ小規模にでも展開する知識、洞察、および意志は、いまではもはや、作業場全体にとって必要とされているにすぎない。生産上の精神的諸能力は、多くの面で消滅するからこそ、一つの面でその規模を拡大する。部分労働者たちが失うものは、彼らに対立して資本に集中される。部分労働者たちにたいして、物質的生産過程の精神的諸能力を、他人の所有物、そして彼らを支配する力として対立させることは、マニュファクチュア的分業の一産物である。この分離過程は、資本家が個々の労働者に対立して社会的労働体の統一と意志を代表する単純協業において始まる。この分離過程は、労働者を不具化して部分労働者にするマニュファクチュアにおいて発展する。この分離過程は、科学を自立的な生産能力として労働から分離して資本に奉仕させる大工業において完成する。[382]

資本の生産力の増大と個別労働者の生産能力の貧弱化

マニュファクチュアにおいては、全体労働者の、それゆえ資本の、社会的生産力の富裕化は、労働者の個別的生産諸力の貧弱化を条件としている。……実際、若干のマニュファクチュアは、18世紀のなかばに、簡単ではあるが工場の秘密をなす特定の諸作業に、好んで半白痴者を使用した。[383]

マルクスが引用しているように、マニュファクチュア的分業がもたらす労働者への影響については、すでに古典派経済学者たちが指摘していた。ファーガスン(Adam Ferguson 1723-1816)は彼の著書『市民社会史』(エディンバラ、1767年)のなかで

マニュファクチュアがもっとも繁栄するのは、人々がもっとも精神力を奪われて、作業場が……人間を部品とする一つの機械とみなされうるようになっている所である。(280ページ)[383]

と指摘していたし、アダム・スミスは『諸国民の富』のなかで

簡単な作業の遂行に全生涯を費やす人は、……彼の理解力を働かす機会をもたない。……彼は、およそ創造物としての人間がなり下がれる限り愚かで無知なものになる。……彼の特定の職業における彼の技能は、彼の知的、社会的、および軍事的な徳を犠牲にして獲得されるように思われる。ところで、あらゆる産業的文明社会では、これこそ……労働貧民、すなわち人民大衆が必然的におちいらざるをえない状態なのである。(158-9ページ)[383]

とさえ指摘していた。精神労働が肉体労働と分離し職業として成立しうることについては、ファーガスンがより端的に指摘していたことが、注のなかで紹介されている。(注71[384])

マニュファクチュア的分業による「人民大衆の完全な萎縮を防止するために」[384]、アダム・スミスは国家による国民教育を奨励している。ここでマルクスは、「慎重な同毒療法的服薬として」と書いているが、これがスミスの言ったことなのか、マルクスの考えなのか、よくわからない。この辺の研究については、『哲学の貧困』で考察されていることが注のなかにのべられているので、そちらを参照してみたい。なぜ「国家による国民教育」が「毒をもって毒を制する」と評されるのか。

ある種の精神上および肉体上の不具化は、社会の全般的な分業からも切り離すことはできない。しかし、マニュファクチュア時代は、労働諸部門のこの社会的分割をさらにはるかに前進させ、また他面では、その固有な分業によってはじめて個人の生命の根源を襲う[384]

生産力の発展過程におけるマニュファクチュア的分業の意義

資本のもとにおける単純協業が、マニュファクチュアのような「分業にもとづく協業」に発展してゆくのは必然であり、自然発生的であったが、このマニュファクチュア的分業がその社会のなかで支配的な生産過程となってゆくにしたがって、むしろ、価値増殖過程として、意識的、計画的、組織的な労働形態となる。

だから、はじめ自然発生的に生み出されてきた分業は、経験的に、作業場内と社会内部とに配置されるのであるが、やがて、以前の単純協業にくらべてはるかに“もうけ”を生み出してくれる労働形態をなんとか「破壊」せずにおこうという欲求から、いったん生み出された部分労働形態を、固守しようという傾向が生まれてくる。この傾向は場合によっては数世紀にわたり部分労働の諸形態を「維持」することになるとマルクスは指摘している。

マルクスは、社会の発展過程のなかで、とくに社会の生産力の発展という観点から、「資本主義的生産様式の意識的、計画的、かつ組織的な形態」[385]としてマニュファクチュア的分業が発展することで、「労働の新しい社会的生産力を発展させる」ことを指摘している。ただし、資本主義的な形態としてのマニュファクチュアが、「社会的生産力を、労働者のためにではなく資本家のために」発展させるということを指摘することを忘れてはいない。

マニュファクチュア的分業は、一方では、社会の経済的形成過程における歴史的進歩および必然的発展契機として現われるとすれば、他方では、文明化され洗練された搾取の一手段として現われる。[386]

経済学の成立

マルクスは、経済学が独自の科学として成立したのは、マニュファクチュア時代にはいってからであったことを指摘している。古典派経済学の一連の天才たちを輩出したのがこの時代であった。

さきにマルクスは社会的分業そのものは原初の人類社会から存在するものであることを指摘していたが、古代ギリシアのポリス市民たちがすでに社会的分業について考察を行なっている。彼らの考察の内容と比較して、「独自の科学としての経済学の成立」について、マルクスはつぎのように指摘している。

マニュファクチュア時代にはじめて独自の科学として成立する経済学は、社会的分業一般を、もっぱらマニュファクチュア的分業の観点から、すなわち同じ分量の労働でより多くの商品を生産するための、それゆえ商品を安くし資本蓄積を速めるための、手段としてのみ考察する。量および交換価値のこの強調とは正反対に、古典古代の著述家たちは、もっぱら質および使用価値に固執する。……生産物の総量の増大に言及することがあっても、それはただ、使用価値がよりいっそう豊富化することに関連してである。交換価値や商品の低廉化については、ひとことの考えも述べられていない。[386-8]

ここで「古典古代の著述家たち」と呼ばれている人びとはまさに紀元前のポリス市民であるプラトン(Platon(Πλατων)427B.C.-347B.C.)やイソクラテス(Isokrates(Ισωκρατης)436B.C.-338B.C.)、クセノフォン(Xenophon(Ξηνοφον)430B.C.-354B.C.)ら天才たちのことである。彼らの社会的分業をめぐる考察が使用価値にのみ注目されているのは、社会発展のうえでの、すなわち商品交換の発展度合や、奴隷制を基盤にした経済社会であるという歴史上の制約からであって、彼らの知性の優劣にかかわるものではない。人間のそのときどきの認識は、そのときどきの社会のあり様に規定されるのであるから。

しかし、マルクスは注のなかで、これら「古典古代の著述家たち」の「口真似をしているにすぎない」18世紀の経済学者たち(ベッカリーア(Cesare Bonesna de Beccaria 1738-1794)、ジェイムズ・ハリス(James Harris 1746-1820)ら)を引き合いにだすときには、古典派経済学の天才たち(ペティ(Sir William Petty 1623-1687)、ファーガスン(Adam Ferguson 1723-1816)、アダム・スミス(Adam Smith 1723-1790)ら)とは一線を画して、その時代錯誤ぶりを皮肉たっぷりに指摘している。ここには、古典派経済学の天才たちを俗流経済学者たちと区別しているマルクスの評価と、そのときどきの社会の最良の科学的到達点を批判的に吸収しようとするマルクスの姿勢が表われているように思われる。
「大工業」への契機――マニュファクチュアのかかえる矛盾

さきにマルクスは、マニュファクチュアの諸特徴を概観してつぎのようにまとめている。

手工業的活動の分解、労働諸用具の専門化、部分労働者たちの形成、一つの全体機構のなかにおける彼らの群分けと結合[386]

一方でマルクスはつぎのように指摘している。

マニュファクチュアが資本主義的生産様式の支配形態である時代のあいだ、マニュファクチュア独自の諸傾向の十分な展開は多面的な障害に突きあたる。[389]

この「多面的な障害」の根本的要因は、やはりマルクスが同じ段落のなかで指摘している。

手工業的熟練は、相変わらずなおマニュファクチュアの基礎であり、マニュファクチュアのなかで機能している全機構は、労働者そのものから独立した客観的骨格を保っていないので、資本は、絶えず労働者たちの不従順と格闘する。[398]

マルクスはマニュファクチュアの「限界」を指摘しつつ、「同時に」マニュファクチュアがつぎの段階の生産形態へ発展する、マニュファクチュア自体が内包する矛盾を分析している。

マニュファクチュアは、都市手工業と農村家内工業との広範な基礎の上に、経済的作品としてそびえ立っていた。マニュファクチュア自身の狭い技術的基盤は、ある一定の発展度に達すると、それ自身によってつくり出された生産諸要求と矛盾するにいたった。

マニュファクチュアのもっとも完成された形成物の一つは、労働諸用具そのもの、およびことにまたすでに使用されていた複雑な機械的装置を生産するための作業場であった。……マニュファクチュア的分業のこの生産物そのものが機械を生産した。この機械は、社会的生産の規制的原理としての手工業的活動を廃除する。こうして、一方では、一つの部分機能への労働者の終身的合体の技術的基礎が除去される。他方では、同じ原理が資本の支配にたいしてなお課していた諸制限がなくなる。[390]

マルクスは、機械の導入がマニュファクチュアから大工業への発展の契機だとは言ってはいない。なにより分業の発展、共同労働の一般的本質が資本のもとで促進することになったマニュファクチュア独自の諸特徴そのものが、協業に機械を導入したと指摘している。

そして、労働者を手工業的くびきから解放した、機械の導入による生産過程の変革は、相対的剰余価値の増大という、資本の要求を限りなくおしすすめることとなる。

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第1部:資本の生産過程

第4篇:相対的剰余価値の生産

第13章:機械設備と大工業
第1節
機械設備の発展

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マルクスがこの節のはじめに引用しているミル(John Stuart Mill 1806-1873)の叙述は、「機械的諸発明」による労働強化のもとにある労働者の実態を目の当たりにして、その観察から直観的に考察されたものだったのだろう。

ジョン・スチュアト・ミルは、彼の著書『経済学原理』で、次のように言う――

「これまでに行なわれたすべての機械的諸発明が、どの人間かの日々の労苦を軽くしたかどうかは、疑わしい(注86)」〔第4篇、第6章、2.末永茂喜訳、岩波文庫、(4)、109ページ〕

マルクスはこのミルの考察について、つぎのようにのべている。

注(86)ミルは、“他の人びとの労働によって養われていないどの人間かの”というべきだったであろう。というのは、機械設備が上流の怠け者の数を非常に増やしたことは、疑問の余地がないからである。[391]

マルクスは指摘する。資本のもとにおける機械設備とその発達は、不払労働時間の割合を増やし、剰余価値を大きくするための手段となるのだと。

そして、まずマルクスが指摘するのは、機械設備の発展が、労働手段の変革を起点としていることだ。

生産様式の変革は、マニュファクチュアでは労働力を出発点とし、大工業では労働手段を出発点とする。したがって、まず研究しなければならないことは、なにによって労働手段は道具から機械に転化されるのか、または、なにによって機械は手工業用具と区別されるのか、である。[391]

考察をすすめる前に、マルクスは「道具」と「機械」についての定義づけが、かなり混乱し、不正確であることを指摘している。まずは考察対象である「道具」と「機械」について、正確に定義づけなければならない。このことは必然的に、マルクスがさきに提起した問題に答えをしめすことにもなる。

数学者や機械学者たちは――そしてこのことは、ときおりイギリスの経済学者たちによって繰り返されているのであるが――道具は簡単な機械であり、機械は複雑な道具である、と説明している。彼らは、ここでは本質的な区別を見ておらず、……経済学的立場からは、この説明はなんの役にも立たない。というのは、それには歴史的要素が欠けているからである。他方、道具と機械の区別を、道具では人間が動力であり、機械では……人間力とは異なった自然力が動力であるということに、求める人がいる。それによると……牛のひく犂は機械であるが、ただ1人の労働者の手で運転されて1分間に96000の目を編む“クラウセン式円形織機”は単なる道具にすぎない、ということになるであろう。それどころか、同じ織機も、手で動かされると道具であり、蒸気で動かされると機械である、ということになるであろう。[392]

この引用のなかでもマルクスが言うように「歴史的要素」を見なくてはならない。

社会史の諸時代は、地球史の諸時代と同じように、抽象的な厳密な境界線によって区別されていないからである。[391]

この点で、マルクスはダーウィン(Charles Robert Darwin 1809-1882)の進化論の観点を評価し、引き合いにだしている。

注(89)……ダーウィンは、自然の技術学の歴史に、すなわち動植物の生活のための生産用具としての動植物の諸器官の形成に関心を向けた。社会的人間の生産的諸器官の、すなわち、特殊な各社会組織の物質的土台の、形成史も、同じような注意に値するのではないか? そして、この形成史のほうが、いっそう容易に提供されうるのではなかろうか? ……人間の歴史が自然の歴史から区別されるのは、前者はわれわれがつくったのであるが、後者はそうではないという点にあるからである。技術学は、人間の自然にたいする能動的態度を、人間の生活の直接的生産過程を、あらわにする。[392]

さて、マルクスはここで、すでに一定の発達をとげている機械設備を、機能のことなるいくつかの部分にわけて分析している。

すべての発達した機械設備は、3つの本質的に異なる部分、すなわち、原動機、伝動機構、最後に道具機または作業機から、成り立っている。原動機は、全機構の原動力として作用する。それは、蒸気機関、熱気機関、電磁機関などのように、それ自身の動力を生み出すか、または、水車が落水から風車が風から受け取るなどのように、それの外部の既成の自然力から動力を受け取るか、である。伝動機構は、はずみ車、駆動軸、歯車、滑車、シャフト、ロープ、ベルト、噛み合い装置、さまざまな種類の中間歯車から構成されていて、運動を調節し、必要なところでは運動の形態を転換させ――たとえば直線運動から円形運動に――運動を道具機に配分し伝達する。機構のこの両部分は、道具機に運動を伝えるためにだけあるのであり、それによって道具機は労働対象をとらえ、目的に応じてそれを変化させる。機械設備のこの部分、すなわち道具機こそが、18世紀産業革命の出発点をなすものである。道具機は、手工業経営またはマニュファクチュア経営が機械経営に移行するたびごとに、いまなお毎日あらためて出発点となっている。[393]

直接労働対象をとらえその形態を変化させる機能部分の変革が、生産様式の変化を生みだす。したがって、機械設備のこの機能部分に着目し、それを歴史的観点で考察してゆかなければならない。

作業工程や生産される製品によっては、作業機そのものはいまだに手工業やマニュファクチュアの作業場で製作され、作業機体に取りつけられるものがある。マルクスが具体的に例示しているのは、力織機の紡錘、靴下編み機の針、のこ機械ののこ身、肉刻み機の包丁など。原動機と伝動機構によって動かされるものではあれ、それらの道具は「以前に労働者が類似の道具で行なったのと同じ作業を行なう一機構である」。

原動力が人間から出てくるか、それ自身また一機械から出てくるかは、事態の本質をなにも変えない。本来的な道具が人間から一つの機構に移されたときから、単なる道具に変わって機械が現われる。[394]

「本来的な道具が人間から一つの機構に移された」事例としてマルクスが例示しているのは、ジェニー紡績機である。それは、この紡績機が、人間が原動力のままであるにもかかわらず、もっとも顕著に「機械化」の特徴をしめしているからである。それは「1労働者が同時に使用できる労働用具数の制限からの解放」である。

人間が同時に使用できる労働用具の総数は、人間の自然的生産用具、すなわち彼自身の肉体的器官の総数によって制限されている。ドイツでは、最初、1人の紡績工に2台の紡車を踏ませようと、したがって、同時に両手両足を使って働かせようとの試みがなされた。これは、あまりにも骨の折れることであった。その後、2つの紡錘をつけた足踏み式紡車が発明されたが、同時に2本の糸を紡ぐことのできる紡績の熟練者は、双頭の人間と同じように、きわめてまれであった。それに反して、ジェニー紡績機は、最初から12‐18錘の紡錘で紡ぎ、靴下編み機は、同時に何千本もの針で編む、等々。同じ道具機が同時に働かせる道具の総数は、最初から、1人の労働者の手工業道具を限られたものにする器官的制限から解放されている。[394]

マルクスはつぎの段落で、手工業における道具について、「原動力としての人間と操縦者である人間とは『感性的に』区別される」[395]と指摘している。「紡ぎ車」では、労働者の「足」が「原動力」となり、紡錘を操作して糸を引き撚る「手」が本来の紡績作業を行なう。

まさに手工業用具のこのあとの部分をこそ、産業革命はまず第一にとらえる[395]

一方で、道具のなかには人力を原動力とするものもあり、これは比較的早期に機械化されてきた。

たとえば、ひき臼の柄を回すとか、ポンプを動かすとか、ふいごの柄を上下に動かすとか、すり鉢で砕くとか、などの場合のように……しかしこれらは、生産様式を変革しない。[395]

17世紀末、マニュファクチュア時代中に発明されて、18世紀の80年代はじめまで存続していたような蒸気機関そのものは、産業革命を呼び起こしはしなかった。むしろその逆に、道具機の創造こそが、蒸気機関の変革を必然にしたのである。人間が、道具で労働対象に働きかける代わりに、原動力として道具機に働きかけるにすぎなくなると、原動力が人間の筋肉をまとうことは偶然となり、風、水、蒸気などがそれに代わりうる。[395-6]

作業機の発達にともなって、それまですでに開発されつつあったさまざまな原動力機構は、より大規模なものがもとめられるようになる。またこれらの原動力を作業機に伝えるための伝動機構の大規模化効率化がもとめられるようになる。ただしこの過程は、原動力機構の開発から伝動機構の開発へ、という一方向的なものではなかったようだ。これらの過程でさまざまな「科学的および技術的」発展があった。

すでに17世紀には、二つの回転石、したがってまた二つのひき臼を一つの水車で動かすことが試みられていた。ところがこんどは、伝動機構の規模が大きくなって、いまや不十分になった水力と衝突するにいたったのであって、これは摩擦の法則のいっそう精密な研究を促した事情の一つである。同様に、柄の押し引きで動かされた製粉機において動力の作用が不斉一であることが、のちに大工業できわめて重要な役割を演じるはずみ車の理論と応用に導いた。このようにしてマニュファクチュア時代は、大工業の最初の科学的および技術的な諸要素を発展させた。[397]

このようにして、原動力機構は伝動機構の発達をともなって相乗的に発展してゆく。そしてついに、ワット(James Watt 1736-1819)が開発した複動式蒸気機関によって、大工業時代は本格的な幕開けを迎える。

ワットの第二のいわゆる複動式蒸気機関によってはじめて、原動機――石炭と水を食ってみずからその動力を生み出し、その力能がまったく人間の管理のもとにおかれ、可動的であって移動手段でもあり、都会的であって水車のように田舎的でなく、水車のように生産を地方に分散させるのでなくて都市に集中することを可能にし、その技術学的適用において普遍的であり、その所在地において地方的事情により制約されることが比較的少ない原動機が、発見された。ワットの偉大な天才は、彼が1784年4月にとった特許の明細書のなかに示されており、そこには、彼の蒸気機関が、特殊的諸目的のための発明品としてでなく、大工業の一般的推進者として記述されている。[398]

本来の道具として機能していた作業器具が機械装置としての道具機に転化することで、原動機や伝動機構の機械化と道具機への適応をうながしたが、ひとたび原動機や伝動機構が機械的道具に適応して一つのシステムがつくりあげられると、今度は、どれだけ多くの道具機を同時に動かすことができるか、そして、それに対応して、原動機構と伝動機構をどこまで拡大できるかがもとめられる。

ただし、その同時に動かされるより多くの道具機が、同種のものか、異種の一系列のものかは、「区別されなければならない」、とマルクスは指摘する。

前者、「多数の同種の機械の協業」では、「一製品全体が、同じ作業機によってつくられる」。この製品は、必ずしも、その製作作業過程でマニュファクチュア的分業が発達しているものではない。

このような作業機が、一つの比較的複雑な手工業道具の機械的再生にすぎないものであろうと、種類の異なる、マニュファクチュア的に特殊化された単純な用具の結合体であろうと――いずれにせよ、工場では、すなわち機械経営にもとづく作業場では、いつも単純協業が再現する[399]

注(100)マニュファクチュア的分業の立場からすれば、織ることは、単純な手工業的労働ではなくて、むしろ、複雑な手工業的労働であった。それゆえ、力織機は、きわめて多様なことをする機械である。近代的機械設備が最初に征服するのは、マニュファクチュア的分業がすでに単純化していたような諸作業であるという見解は、一般的には誤りである。紡ぐことおよび織ることは、マニュファクチュア時代のあいだに新しい種に分けられ、それらの道具は改良され変化したが、労働過程そのものは、まったく分割されないで、手工業的なままであった。機械の出発点は、労働ではなくて、労働手段である。[400]

後者、「種類を異にするが相互に補足し合う道具機の一つの連鎖によって遂行される」一系列の労働過程――マルクスはこのシステムを「本来的機械体系」[400]と位置づけている。

本来的機械体系が個々の自立した機械に代わってはじめて現われるのは、労働対象が連関する一系列の相異なる段階過程を通過する場合であるが、それらの各段階過程は、種類を異にするが相互に補足し合う道具機の一つの連鎖によって遂行される。ここでは、マニュファクチュアに固有な分業による協業が再現しているが、しかしいまでは部分作業機の結合としてである。[400]

「分業による協業」という意味ではマニュファクチュアが確立した要素を持ち合わせているものの、その過程の内容は質的に異なっている。それは具体的には「労働手段」の在りようにしめされている。

たとえば羊毛マニュファクチュアでは打毛工、櫛毛工、剪毛工、毛糸紡ぎ工などの独自な諸道具は、いまや、専門化された作業機の諸道具に転化しており、この作業機のそれぞれは、結合された道具機構の体系における特殊的器官をなしている。[400]

この質的なちがいは、マニュファクチュアでは労働者の特殊労働に適合されていた「労働手段」が、機械的体系に転化されていることによる。

分業は労働過程を特殊化し部分労働過程に労働者を適合させるのであるが、その部分労働自体は、マニュファクチュアの段階では、まだ労働者の部分労働に依存し、適応されていたから、そこで使用される道具の特殊化もまた一定の「限界」をもっていた。しかし、この道具が、完全に機械化され、一つの体系となったとき、分業のもつ「労働過程の特殊化」という要素は、人間労働の個別的制限のさいごの壁を突破する。その特殊化は、人間の生理学的意味での特殊化というより、むしろ、「力学、化学などの技術的応用」によってすすめられるようになる。

ただし、この新たな段階の「特殊化」に人間の実際の労働過程が介在していることはまちがいのないことであって、

その理論的構想は、やはり、大規模な積み重ねられた実際的経験によって仕上げられなければならない。[401]

マニュファクチュア時代から大工業時代への過渡期、あるいは転換期に、実際の生産部門でどのような経過で機械体系が取り入れられていったかを、マルクスはつぎのように分析している。

マニュファクチュアそのものは、機械体系がはじめて採用される諸部門では、一般に生産過程の分割の、それゆえまたその組織の、自然発生的な基礎を機械体系に提供する。しかし、すぐに、本質的区別が現われる。[400]

注(101)大工業の時代より以前には、羊毛マニュファクチュアがイギリスの支配的マニュファクチュアであった。それゆえ羊毛マニュファクチュアでは、18世紀の前半期のあいだに、たいていの実験が行なわれた。その機械的加工がそれほどめんどうな準備を必要としない綿花には、羊毛で得られた諸経験が役立った――のちには、その反対に、機械的羊毛工業が機械的綿紡績業および機械的綿織物業の基礎の上に発展するのと同じように。羊毛マニュファクチュアの個々の要素は、たとえば梳毛のようにやっとこの数十年来工場制度に合体された。[401]

同時に動かされるより多くの道具機が、同種のものか、異種の一系列のものかは、「区別されなければならない」として考察してきたマルクスは、ある段階に達した機械化システムでは、その両種とも「自動装置(アウトマート)」を形成すると、指摘する。

機械設備の体系は、織布でのように同種の作業機の単なる協業にもとづくものであろうと、紡績でのように異種の作業機の結合にもとづくものであろうと、それが自動的な原動機によって運転されるようになるやいなや、それ自体として一つの大きな自動装置を形成する。……作業機が、原料の加工に必要なすべての運動を人間の関与なしに行ない、いまでは人間の調整を必要とするにすぎなくなるやいなや、機械設備の自動的体系が現われる[401-2]

このあとにマルクスが考察している「自動調節機」については、卓見であると思う。ここでは具体的には、紡績機における「自動停止器」であるが、それが「まったく近代的な発明品」であることは、「アウトマート」における調整の役割を、これまた「アウトマート」によって行なうシステムの構築という観点からであろう。

この「調節機能の自動化」については、実際の労働過程や作業現場における数え切れない実践の積み重ねが必要であるし、それとともに発展する技術革新がともなわなければならない。しかし、昨今多発している原子力発電所での事故などについては、もう一つ、政治的な非合理主義(原発においては「安全神話」)が安全管理における技術発展を阻害することを教えている。

もっぱら伝動機械設備を媒介として一つの中央的自動装置からその運動を受け取る諸作業機の編成された体系として、機械経営はそのもっとも発展した姿態をもつ。[402]

機械を製作する労働者は、マニュファクチュア時代の分業労働者たちのなかから生まれたし、機械そのものは、原動機などのかたちでマニュファクチュア時代にすでに製作がはじまっており、機械製作の技術の発展、あるいは機械製作の分業化の促進はすでにマニュファクチュア時代にはじまっていたわけで、

したがって、ここでわれわれは、マニュファクチュアのなかに大工業の直接の技術的基礎を見てとる。そのマニュファクチュアが機械設備を生産した[403]

とはいえ、機械経営が実際に支配的な形態となるまでには、それ相応の試行錯誤がともなっていた。

機械経営は、それに不相応な物質的基礎の上に、自然発生的に現われた。ある発展度に達すると、機械経営は、はじめには既成のものとして見いだされ、次には古い形態のままでさらに仕上げられた基礎そのものを変革し、それ自身の生産方法にふさわしい新しい基盤をつくり出さなければならなかった。……すでに機械的に経営されている産業の拡大と新しい生産諸部門への機械設備の侵入とは、その仕事のなかば芸術家的な本性のために飛躍的にではなく徐々にしか増やされえなかった労働者部類の増加によって、まったく制約されたままであった。[403]

一定の発展段階において、大工業は、技術的にも、その手工業的およびマニュファクチュア的な基礎と衝突するにいたった。原動機や伝動機構や道具機の規模を拡大すること、道具機がその構造をもともと支配している手工業的な型から解放されその機械的課題によってのみ規定された自由な姿態をとるにつれて、上記の機械類の構成部分の複雑さ、多様さ、厳密な規則正しさを増すこと、自動的体系を完成すること、および処理しにくい材料たとえば木材に代わる鉄の使用がますます不可避的になること――これらの自然発生的に生じるすべての課題の解決は、いたるところで人的諸制限に突きあたったが、その諸制限は、マニュファクチュアで結合された労働者人員によっても、ある程度打破されるだけで本質的には打破されない。[403-4]

注(103)……機械学がいっそう発展し、実際的経験が積み重ねられたあとにはじめて、機械の形態は完全に機械学的原理によって規定され、それゆえ、道具の伝来の身体形態からまったく解放され、道具は一人前の機械に成長する。[404]

すでに一定の段階に達している社会的分業においては、

一産業部面における生産方法の変革は、他の産業部面におけるそれの変革を引き起こす。[404]

たとえば、機械紡績業は機械織布業を必要とし、そしてこれらの二つはともに、漂白業、捺染業、染色業における機械的・化学的変革を必要とした。たとえば他方では、綿紡績業における変革は、綿実から綿の繊維を分離するための“綿繰り機”の発明を呼び起こしたが、いま必要となっている大規模木綿生産が、それによってはじめて可能となった。[404]

マルクスは、マニュファクチュアから大工業への転換期に変革されたものとして、さきの章でも「社会的生産過程の一般的条件」と位置づけられていた「運輸・通信手段」の変革についても指摘している。

マニュファクチュア時代から継承された運輸・通信手段も、まもなく熱病的生産速度、膨大な規模、一つの生産部面から他の生産部面への大量の資本と労働者の絶え間ない投入、新しくつくり出された世界市場の連関、をともなう大工業にとっては、やがて耐えがたい束縛に転化した。それゆえ、まったく変革された帆船建造を別とすれば、運輸・通信制度は、川蒸気船、鉄道、大洋汽船、および電信の体系によって、徐々に大工業の生産方法に適合された。[405]

マルクスは、この“転換期”を決定づけた要素として、「機械によって機械を生産する」技術の確立を指摘している。

こうしてはじめて大工業は……自分自身の足で立った。[405]

この「機械によって機械を生産する」上で大量の鉄鋼生産をささえることのできる機械製作の技術革新が必要だった。大工業時代を特徴づける「恐ろしいほど大量の鉄」の消費と生産をささえることのできる一体系は、マルクスの叙述によれば19世紀後半に確立された。

19世紀の最初の数十年間における機械経営の増大とともに、実際に機械設備が道具機の製造をしだいに征服していった。とはいえ、やっと最近数十年間に、大規模な鉄道建設および大洋汽船航海が、原動機の建造に使われた巨大な諸機械を出現させた。[405]

マルクスはここで、自在に出力調整可能な原動機の存在と、鉄鋼加工を精密かつ容易で安価なものにした「工具送り台(スライド・レスト)」の発明と自動化・応用とに注目している。

機械による機械の製造のためのもっとも本質的な生産条件は、どんな出力をも出すことができ、しかも同時に完全に制御しうる原動機であった。それは、すでに蒸気機関において実存していた。しかし同時に、個々の機械部分に必要な厳密に幾何学的な諸形態――線、平面、円、円筒、円錐、球のような――を機械で生産することが必要であった。[405]

機械を製造するために用いられている機械設備は、大規模な形態でもって手工業的用具を再現する、とマルクスは指摘する。大規模な原動機によって動かされる巨大な錐、造船所で合板を切り裂く巨大なカミソリ、鉄鋼板を剪断する巨大なハサミ、6トン以上の重さで2メートル以上の高さから垂直落下する「トールハンマー」。

そして、もっとも重要なのは、これらの機械設備によって製造される巨大な機械システムは、社会化された共同労働によってのみ機能する、ということである。この特徴は、これまでみてきた「単純協業」や「マニュファクチュア」においてよりも、一般化されている「大工業」の特徴である。

労働手段は、機械設備として、人間力に置き換えるに自然諸力をもってし、経験的熟練に置き換えるに自然科学の意識的応用をもってすることを必須にする、一つの物質的実存様式をとるようになる。……いまや、労働過程の協業的性格が、労働手段そのものの本性によって厳命された技術的必然となる。[407]

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第1部:資本の生産過程

第4篇:相対的剰余価値の生産

第13章:機械設備と大工業
第2節
生産物への機械設備の価値移転

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上述したように、機械によっては道具は駆逐されない。道具は、規模においても数においても、人間有機体の矮小な道具から、人間によってつくられた機構の道具に成長する。[408]

この章の第1節のはじめにマルクスが提起した「道具と機械」についての分析結果がここに示されている。

第1部第6章「不変資本と可変資本」で考察されているように、労働手段に投資される資本価値部分は、新たな価値を生み出すわけではなく、その消耗した分の価値を生産物に引き渡すだけである。いかに大規模で、科学技術の応用がこれまでのどの協業形態よりも徹底して応用されても、機械設備もまた労働手段であって、機械設備自体はなんら新たな価値を創造しはしない。しかし、これまでの労働過程のなかで使用されていた労働手段にくらべ、機械設備は、その製作と維持に多大な労働力を必要とする。

労働手段は、労働過程のなかで、その価値の一部を生産物に移転するとはいえ、機能するためには、その総体が、労働過程のなかに入り込んでいなければならない。だから、これまでのどの協業形態よりも、比較にならないほど大規模となった大工業における労働手段の価値は、ある一生産過程で機能する労働手段の価値としては、やはりこれまでとは比較にならないほど大きくなっている。

機械設備が価値をもち、それゆえ価値を生産物に引き渡す限りでは、機械設備は生産物の一つの価値構成部分をなす。機械設備は、生産物を安くするのではなく、自分自身の価値に比例して生産物を高くする。[408]

機械設備が入り込む、ある労働過程の総生産物価値は、これまでとは比較にならないほど大きい。一方で、その総生産物の総量も、格段に大きい。この第4篇での考察対象は「相対的剰余価値の生産」である。価値増殖過程のなかで、機械設備が相対的剰余価値生産に、いったいどのように機能しているのか。

機械設備は労働過程にはいつも全部的にはいり込むが、価値増殖過程にはつねに部分的にのみ入り込む……。機械設備は、それがその消耗によって平均的に失うものよりも多くの価値を決してつけ加えない。したがって、機械の価値と機械から生産物に周期的に引き渡される価値部分とのあいだには、大きな差がある。価値形成要素としての機械と生産物形成要素としての機械とのあいだには、大きな差がある。同じ機械設備が同じ労働過程で繰り返し役立つあいだの期間が大きければ大きいほど、その差もますます大きくなる。[408]

本来的労働手段または生産用具は、どれも、労働過程にはつねに全部的にはいり込み、価値増殖過程にはつねに部分的にのみ、すなわちその日々の平均的摩滅に比例してはいり込むにすぎない。とはいえ、利用と消耗とのあいだのこの差は、機械設備においては道具におけるよりもはるかに大きい。[408-9]

マルクスは、この「利用と消耗とのあいだの差」について、なぜ機械設備の方が道具よりもはるかに大きくなるかということについて、三つの理由をあげている。

機械設備に使用されている材質はこれまでの道具にくらべ、より耐久性があり、長期にわたり同じ労働過程で繰り返し使用することが可能となっている
機械設備の稼動は、人間の生理的法則ではなく、力学的化学的法則によって規制されており、設備の消耗の節約を飛躍させる
機械設備の作用範囲は、道具の作用範囲よりも、格段に大きい

大工業においてはじめて、人間は、自分の過去のすでに対象化された労働の生産物を、大規模に自然力と同じく無償で作用させうる。[409]

もう一つマルクスが指摘しているのは「共同使用による消費節約」についてである。協業的労働過程では、生産手段の共同使用による消耗の節約によって、個々の生産物への価値移転がそれだけ小さくなり、共同的使用による生産手段の規模の増大とそれにともなう生産手段価値の増大の度合いにくらべ、生産物の価格を低くおさえる傾向にある。この傾向は機械設備が導入された労働過程ではよりいっそう顕著になる。大工業システムによる労働過程においては、原動機および伝動機構、そして多数の作業機がそれまでの協業的労働過程にくらべ格段に大きな規模で共同的消費を行なうから、生産物の価格の騰貴を低くする傾向はますます高まる。

さて

機械設備の価値と、機械設備の日々の生産物に移転される価値部分とのあいだの差が与えられているならば、この価値部分が生産物を高価にする程度は、まず第一に、生産物の範囲に、いわば生産物の面積に、依存する。……蒸気ハンマーの日々の摩滅、石炭消費などは、蒸気ハンマーが日々に打つ恐ろしく大量の鉄に配分されるから、各1ツェントナーの鉄には、わずかな価値部分しか付着しない――もしこの巨大な用具が小さい釘を打ち込むことになれば、この価値部分は〔相対的には〕きわめて大きいであろう。[409-410]

作業機の作用範囲、したがってそれの道具の総数、または――力が問題となるところでは――その道具の大きさが与えられていれば、生産物の総量は、作業機が働く速度に、したがって、たとえば紡錘が回転する速度またはハンマーが1分間に与える打撃の総数に、依存するであろう。[410-411]

このように、機械設備の生産性の高さは、生産物に「引き渡す価値」の少なさの度合いによっている。

このとき、生産物に引き渡される価値は、機械設備自身の価値の大きさにも依存している。すなわち、機械設備に含まれている労働が少ないほど、生産物に引き渡される価値も少なくなる。また、

機械設備による機械設備の生産は、その大きさと効果に比較して機械設備の価値を減少させる。[411]

以上の考察から、マルクスは次のように指摘している。

手工業的またはマニュファクチュア的に生産される商品の価格と、機械の生産物としての同じ商品の価格との比較分析から、一般的には、機械の生産物の場合、労働手段に帰着する価値構成部分は相対的には増加するが絶対的には減少する、という結論が生じる。すなわち、この価値構成部分の絶対的大きさは減少するが、たとえば1ポンドの糸という生産物の総価値に比べてのこの価値構成部分の大きさは増加する。[411]

したがって、この「結論」は、機械の生産性について、次の結論も導く。

機械の生産性は、機械が人間労働力に取って代わる程度によってはかられる。[412]

マルクスは、19世紀中葉に発表された報告や研究などにもとづき、この「機械が人間労働力に取って代わる程度」の、いくつかの具体例を示している。

1857年当時のある紡績工場では、1日の労働時間を10時間として休日をのぞく1週間、つまり6日間、2.5人の労働者が稼動させる機械設備によって、約366ポンド、すなわち約166キログラムの糸が紡がれる。したがって、約166キログラムの糸は150労働時間(60労働時間×2.5人)を吸収する。

これと同量の糸を、手工業的工場において手紡ぎ工が生産する場合には、1人の手紡ぎ工が1週間(6労働日)に、上記の紡績工場の自動ミュール紡錘1錘あたりがやはり60労働時間に紡ぐ糸量と同量の糸量、すなわち13オンス、約368グラムを紡ぐとして、約166キログラムの糸は、27000労働時間を吸収する。

手工サラサ捺染の旧式方法が、機械捺染によって駆逐されたところでは、1人の男子または少年がつきそう1台の機械は、1時間に、以前には200人の男子がやったのと同量のサラサの四色捺染を行なう。イーライ・ホイットニーが、1793年に“綿繰り機”を発明する以前には、1ポンドの綿花を綿実から分離するのに1平均労働日かかった。彼の発明によって、毎日100ポンドの綿花が1人の黒人女子工員によって得られるようになり、そして綿繰り機の性能はそれ以後なおいちじるしく高められた。……インドでは、綿実から綿繊維を分離するためにチュルカという半機械的用具が使われているが、それで男子1人と女子1人が1日に28ポンドの繊維を分離する。フォーブズ博士〔イギリスの発明家〕によって数年前に発明された〔改良〕チュルカで男子1人と少年1人が1日に250ポンド生産する。牛、蒸気、または水が原動力として使用されるところでは、少数の少年と少女とが、フィーダー〔餌係りの意〕(機械のために材料を供給する人)として必要なだけである。この機械16台が牛によって動かされると、1日に、以前の750人の平均的な1日分の仕事を行なう。[413]

続いてマルクスが考察するのは、人間労働力にかかる費用と、取って代わった機械設備の費用とをめぐってである。マルクスはこの章の第1節のなかで、次のような例を引いていた。

(96)ジョン・C・モートンは、1859年12月、技能協会で、『農業で利用される諸力』についての論文を読み上げた。……モートン氏は、蒸気力、馬力、人間力を、蒸気機関で常用される度量単位、すなわち3万3000ポンドを1分間に1フィート持ち上げる力に換算して、1蒸気馬力の費用を、1時間あたり、蒸気機関では3ペンス、馬では5ペンス半と計算している。……蒸気機関がする仕事を行なうためには、66人の労働者が1時間あたり合計15シリングの費用で使われなければならないが、馬がする仕事を行なうためには、32人が1時間あたり合計8シリングの費用で使われなければならないであろう。[398]

ここでは、蒸気機関による機械犂が1時間あたり3ペンス(1/4シリング)の費用でする仕事量と、66人の労働者が1時間あたり総額15シリングの費用でする仕事量とは同じである。ここで言われている費用とは、それぞれの仕事量の貨幣表現ではないことに、マルクスは注意をうながしている。

必要労働にたいする剰余労働の比率が100%であったとすれば、この66人の労働者は1時間あたり30シリングの価値を生産したことになる……。したがって、ある機械に、それによって駆逐される150人の労働者の年賃銀と同じだけ、たとえば3000ポンド・スターリングの費用がかかると仮定しても、この3000ポンド・スターリングは、決して、150人の労働者によって提供され、労働対象につけ加えられた労働の貨幣表現ではなくて、これら労働者の年労働のうち、自分自身にとって労賃となって表われる部分の貨幣表現でしかない。これに反して、3000ポンド・スターリングの機械の貨幣価値は、その機械の生産中に支出された全労働を……表現している。[413-4]

ここで挙げられている例で言えば、3000ポンド・スターリングの機械設備に駆逐される、年賃銀総額3000ポンド・スターリングの150人の労働者が1年間に生産する総生産物価値のうち、彼らが労働対象に新たにつけ加える価値の貨幣表現は、剰余価値率が100%である場合、6000ポンド・スターリングとなる。つまり、3000ポンド・スターリングの貨幣価値で表わされる機械設備によって駆逐されたのは、6000ポンド・スターリングの貨幣価値で表わされる価値を生み出す人間労働力である。

したがって、機械にその機械によって置き換えられた労働力と同じだけの費用がかかるとしても、機械そのものに対象化された労働は、つねに機械によって置き換えられた生きた労働よりもはるかに小さいのである。[414]

このことは、リカードウが直観的にすでに指摘していたことであった。彼がその本質を必ずしも理解していなかったにしても。

(116)「これらもの言わぬ働き手」(機械)「は、つねに、それが取って代わる労働よりもはるかに少ない労働の生産物であり、それらが同じ貨幣価値をもっている場合でも、そうなのである」(リカードウ『経済学および課税の原理』、40ページ)。[414]

(109)リカードウは、労働過程と価値増殖過程とのあいだの一般的区別を展開していない……機械が生産物に引き渡す価値構成部分をときたま忘れてしまい、機械を自然諸力とまったく混同している。[409]

ここで指摘されている、「機械そのものに対象化された労働は、つねに機械によって置き換えられた生きた労働よりもはるかに小さい」という点は、「生産物を安くするための手段」として機械設備の使用が効果を発揮するということを表わしているが、資本家にとっては、さらなる効果がもたらされる。

資本は、充用された労働を支払うのではなく、充用された労働力の価値を支払うのであるから、資本にとっては、機械の使用は、機械の価値と機械によって置き換えられる労働力の価値との差によって限界づけられる。[414]

そしてこの差が

資本家自身にとっての商品の生産費を規定し、競争の強制法則によって彼を左右する[414]

しかし、この強制法則が、必ずしも、機械設備が人間労働力に取って代わるという具合に働かない場合がある、ということもマルクスは指摘している。すなわち、「置き換えられる価値の差」が小さければ、あるいは、人間労働力を置き換えない方が、資本家自身の投資する貨幣価値の節約をもたらす場合には、機械設備の使用は不要なものになるからである。

機械そのものは、古くから発展した諸国では、いくつかの事業部門へのその充用により、他の諸部門において労働過剰(リカードウは、redundancy of labour と言う)をつくり出し、そのために、そこでは、労働力の価値以下への労賃の下落が機械設備の使用をさまたげ、また、もともと使用労働の減少からではなく支払労働の減少からその利得が生じる資本の立場から、機械設備の使用を不要にし、しばしば不可能にするのである。[415]

したがって、機械設備への「置き換え」が、ある産業部門では促進されるが、他のある産業部門では延期されるか、逆に「過剰人口」の置き換えによって凌がれる、という傾向のちがいが表われる。

イギリスの羊毛マニュファクチュアのいくつかの部門では、最近数年のあいだに児童労働が非常に減らされ、あちらこちらでほとんど駆逐された。なぜか? 工場法は、一方は6時間、他方は4時間働くか、またはそれぞれが5時間ずつ働くかの2組の児童の順番を強制した。ところが、親たちは、この半時間工を、以前の全時間工よりも安く売ろうとはしなかった。それゆえ、機械設備による半時間工の置き換えが行なわれた。[415]

鉱山における婦人と児童(10歳未満の)の労働が禁止される以前には、はだかの婦人や少女をしばしば男子と一緒にして炭鉱その他の鉱山で利用する方法を、資本は自分の道徳書、またとくに自分の元帳とよく一致していると考えていたので、やっとそれらの禁止後に、機械設備に手を出した。[415]

ヤンキーたちは石割のための機械を発明した。イギリス人たちはそれを採用していない。なぜなら、この労働を行なっている「貧乏人」(wretch は、農業労働者を表わすイギリス経済学の述語である)は、その労働のほんのわずかの部分しか支払いを受けていないので、機械設備は資本にとって生産を高くつくものにするだろうからである。イギリスでは、ときどき、馬の代わりに、いまでもなお婦人が運河船の曳航などに使用されるが、それは、馬や機会の生産に必要な労働は数字的に定まった量であるが、それに反して、過剰人口の婦人の扶養に必要な労働はどのようにも計算できるからである。それゆえ、機械の国であるイギリスほど、つまらないことに人間力を恥知らずに乱費するところはないのである。[415-6]

マルクスはこの節のなかで、資本主義的生産様式における「市場経済の法則」がもたらす「機械設備の価格と、それによって置き換えられる労働力の価格との差」のさまざまなあり様に言及するとともに、「競争の強制法則」から「自由な」生産様式を基礎とした社会の生産過程における機械設備のもたらす可能性についてもふれている。

必要労働と剰余労働とへの労働日の分割は、国が異なれば異なり、同じ国でも時期が異なれば、また、同じ時期でも産業部門が異なれば異なる……、またさらに、労働者の現実の賃銀は、ときには彼の労働力の価値以下に下がり、ときには労働力の価値以上に上がるのであるから、機械設備の価格と、それによって置き換えられる労働力の価格との差は、たとえ機械の生産に必要な労働分量と、機械によって置き換えられる労働の総分量との差が同じであっても、はなはだしく変化することがありうる。[414]

(116a)第二版への注。それゆえ、共産主義社会では、機械設備は、ブルジョア社会とはまったく異なった活動範囲をもつであろう。

ここで言われている「まったく異なった活動範囲」は、どのような「活動形態」でどのような範囲におよぶものと展望されているのか――いままで読みすすめてきたなかでとりあえず言えることは、市場経済の「競争の強制法則」から自由となる社会では、「機械設備の価格と、それによって置き換えられる労働力の価格との差」は、市場経済の「調整機能」によって、直接、生産性の高さのみに反映されるとともに、その生産力の増大がその社会全体の要請に応じて応用されることが可能となるから、原書ページ[417]でマルクスが皮肉ったように「機械の国であるイギリスほど、つまらないことに人間力を恥知らずに乱費するところはない」というような現象が一掃される。すなわち、生産性の高さが直接、労働時間のより一層の短縮というかたちで人間労働の節約に反映する。

ここでマルクスが皮肉った、機械設備の発展がもたらしたイギリス資本主義における「人間力の乱費」という矛盾は、現代日本の社会状況にもむけられているようだ。19世紀後半の時点から比べてはるかに大工業の発展度合いの大きい日本において、大工業の発展は、「人間力の節約」を、労働時間の短縮というかたちではなく、大リストラと雇用形態の「自由化」というかたちで反映している。そのことが、日本社会全体の購買力の低下を引き起こしており、商品供給との不均衡を増大させ、日本経済全体を危機的な長期不況の悪循環のなかに陥らせている。

われわれは現在、資本主義的生産様式が支配的な社会に生活しており、マルクスの研究の主題も、当面、この生産様式の考察である。この節の最後にも、機械設備による労働過程の変革が労働者に及ぼす影響について、若干ふれられているが、次の節ではより具体的な分析に入る。

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第1部:資本の生産過程

第4篇:相対的剰余価値の生産

第13章:機械設備と大工業
第3節
労働者に及ぼす機械経営の直接的影響

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工場の編制された機械体系……この客観的有機体に人間材料がどのように合体されるかを見るまえに、その革命が労働者そのものに及ぼすいくつかの一般的反作用を考察しよう。[416]

a 資本による補助的労働力の取得。婦人労働および児童労働

「工場の編制された機械体系」は、労働過程における筋力の比重を下げる。そのため、非力な、あるいは成長過渡期であり、作業にたいする柔軟性の高い、女性や子どもが工場の作業現場に引き入れられる。このことがもたらす労働者、あるいは労働者家族への影響を、マルクスはいくつか指摘している。

(1)労働者人口の増大

労働と労働者とのこの強力な代用物は、たちまち労働者家族の全成員を性と年齢の区別なしに資本の直接的支配のもとに編入することによって、賃労働者の数を増加させる手段に転化した。[416]

(2)家事労働の減少と家計支出の増大

資本家のための強制労働が、児童の遊戯に取って代わったのみでなく、慣習的限界内における家族自身のための自由な家庭内労働に取って代わった。[416]

(120)……アメリカの南北戦争にともなった綿業恐慌……は、労働者を工場の雰囲気から締め出したことは別として、衛生上ほかにもいろいろな利点をもっている。労働婦人たちは、いまでは、自分の子供たちをゴッドフリーの強心剤(一種のアヘン剤)で毒する代わりに、授乳するために必要な暇を見いだした。彼女たちは料理を習う時間を得た……また恐慌は、特殊学校で労働者の娘たちに裁縫を教えるために利用された。[416]

(121)家族の特定の諸職能、たとえば子供の世話や授乳などは、まったくやめにすることはできないので、資本によって徴用された家庭の母は多かれ少なかれ代わりの人を雇わなければならない。裁縫やつぎあてなどのような家庭の消費に必要な諸労働は、既製商品の購入によって補われなければならない。……労働者家族の生産費が増大して、収入の増大を帳消しにする。そのうえ、生活手段の利用や準備における節約と合理性が不可能になる。[417]

(3)労働力価値の低下

機械設備は、労働者家族の全成員を労働市場に投げ込むことによって、夫の労働力の価値を彼の全家族が分担するようにする。それゆえ機械設備は、彼の労働力の価値を減少させる。たとえば4つの労働力に分割された家族[の労働力]を買い入れることは、以前に家長の労働力を買い入れた場合よりもおそらく多くの費用がかかるであろうが、しかしその代わり、4労働日が1労働日に取って代わるのであって、それら労働力の価格は、4労働日の剰余労働が1労働日の剰余労働を超過するのに比例して下がる。[417]

(4)搾取度の拡大

1家族が生活するためには、いまや4人が、資本のために、労働だけでなく剰余労働をも提供しなければならない。こうして機械設備は、はじめから、資本の人間的搾取材料すなわちもっとも独自な搾取分野と同時に、搾取度をも拡大するのである。[417]

(5)労使関係の法的変革

機械設備はまた、……労働者と資本家とのあいだの契約を根底から変革する。商品交換の基礎上では、資本家と労働者とは自由な人格として、独立の商品所有者として……相対するということが、第一の前提であった。しかしいまや、資本は、児童や未成年者を買う。……いまや労働者は、妻子を売る。彼は奴隷商人となる。[417-8]

乳幼児の死亡率をめぐる考察

第3篇第8章「労働日」のなかで詳細に告発された児童労働や女性労働の実態について、マルクスはこの節のなかでも告発しているが、とくにマルクスがここで注目しているのが、乳幼児死亡率の増大である。現代日本で社会問題となっている児童虐待(この場合には「恣意的放任」「精神的威圧」も含まれる)を連想させる叙述部分は次の通り。

1861年の公式医事調査の示すところでは、地方的事情を別とすれば、この高い死亡率はとくに母親の家庭外就業によるものであり、またそれから生じる児童の放任と虐待、なかでも栄養不適、栄養不足、アヘン剤の投与などによるものであり、さらに、母親が自分の子供から不自然に隔離されていること、その結果として故意に飢えさせたり有毒物を与えたりすることが加わる。[420]

女性労働はいまも一般的に行なわれており、日本においては、とくにその労働形態が正規労働者としてではなく、流動的労働力として資本の思うがままに使用することができるしくみづくりがさかんに行なわれてはいる。ただし、現代の資本主義社会においては、労働者の運動もあって、乳幼児や児童を社会が保育する制度が一定程度確立しており、日本における乳幼児死亡率の高さを単純に「母親の家庭外就業によるもの」と断定できない条件が多分にある。むしろ前段で指摘された、家族生活の破壊作用が、色濃く反映しているものと見ることができる。
義務教育制度をめぐる考察

続けてマルクスは、工場主たちが“しぶしぶながら”認めざるを得なくされた、初等教育を義務づける教育法をめぐって、資本の本質的指向について指摘している。

婦人労働および児童労働の資本主義的搾取から生じる精神的な萎縮……未成熟な人間を単なる剰余価値製造機械に転化することによって人為的につくり出された知的荒廃――それは、精神の発達能力やその自然的豊饒性そのものの破壊なしに精神を休閑状態におく自然発生的な無知とはいちじるしく異なるものであるが――は、ついに、イギリス議会をさえ強制して、工場法の適用を受けるすべての産業において、初等教育を14歳未満の児童の「生産的」消費のための法定の条件にさせるにいたった。[421-2]

資本主義的生産の精神は、工場法のいわゆる教育条項のいい加減な作成から、またこの義務教育を大部分ふたたび架空なものにしてしまう行政的機構の欠如から、またこの教育法にたいする工場主たちの反対そのものから、そしてこの教育法の法の網をくぐり抜けるための彼らの実際的な策略と計略からも、きわめて明白である。[422]

この教育法が、かなり長期にわたって、子どもたちに確かな初等教育を施すという意味で、ほとんど効力を発揮していなかった実態は、この後にマルクスが引用している『工場監督官報告書』の驚くべき記録のなかで暴露されている。

「……立法府は、児童教育のために配慮していると見せかけながら、この口先だけの目的を確保できるただ一つの規定をも含まない欺瞞的法律を公布した……この法律が規定しているのは、ただ、児童たちが毎日一定の時間数」(3時間)「のあいだ、学校と称する場所の四壁内に閉じ込められるべきこと、また児童の使用者が、これについて、毎週、男性または女性の学校教師という名前で署名する人物から証明書をもらわなければならない、ということだけである」[422]

1844年の改正工場法の公布以前には、……学校教師が自分で字が書けないので、彼らによって十文字のしるしで署名された通学証明書がまれではなかった。[422]

「学校」と称される教育現場の悲惨な状況の描写は、現代日本においても、再三にわたる教師や父母たちの要請にもかかわらずいまだに国の制度として確立していない少人数学級制や、現在問題となっている「学級崩壊」のようすを彷彿とさせる。

「……第二の学校で、私は、奥行15フィート〔約4.6メートル〕、間口10フィート〔約3メートル〕の教室を見たが、この部屋に75人の児童がいて、わけのわからないことをしゃべっていた」。「……有能な教師がいる多くの学校でも、3歳以上のあらゆる年齢の児童たちのがやがやする群集のために、教師の努力は、ほとんどまったくむだになってしまう……。教師の暮らしは、どうせみじめなもので、一室に詰め込めるだけ詰め込んだ最大多数の児童から受け取る小銭の数に依存している。そのうえ、学校の備品はとぼしく、本やその他の教材は不足しており、息詰まるような臭い空気は哀れな児童たち自身に作用して元気を失わせる。私はこのような多くの学校を訪ねたが、そこで、まったくなにもしていない多数の児童を見た。そしてこれが通学として証明され、またこのような児童が公式統計では教育を受けたものとして示される」[423]

マルクスは、この小節のさいごに、もう一つ、児童労働と女性労働が及ぼす影響をあげている。資本家総体と労働者総体との社会的対立の力関係に及ぼす影響である。

結合された労働人員に圧倒的多数の児童および婦人をつけ加えることにより、機械設備は、マニュファクチュアにおいて男子労働者が資本の専制に対抗してなお行なっていた抵抗を、ついに打ちくだく。[424]

b 労働日の延長

第2節で考察されたように、機械設備は、商品の生産に必要な労働時間を短縮する。このことは、「競争の強制法則」が満遍なく貫かれる資本主義生産様式のもとでは、労働時間の短縮ではなく、労働日の限りない延長をもたらした。なぜか。
労働手段の稼動が労働者にたいして自立化する

機械設備においては、労働手段の運動および活動が労働者にたいして自立化する。労働手段は、それ自体として、一つの産業的な“永久運動機関(ペルペトウム・モビレ)”となるのであって、この機関は、それの人間的助手……の肉体的弱点と我意に衝突しないならば、不断に生産し続けるであろう。それゆえ自動装置は、資本として……、反抗的であるが弾力的な人間の自然的制限〔肉体的弱点と我意〕を押さえ込み最小限の抵抗にしようとする衝動によって、精気を吹き込まれている。[425]

労働日の拡大にたいする抵抗を押さえ込む、大工業システムのもつ本質的要因を、マルクスは、児童や女性を労働力として資本のもとに引き入れる傾向とそれがもたらす影響とは、明確に区別して考察している。
資本を労働日の延長に駆り立てる動機が生まれる

第2節で考察されたように

機械設備の生産性は、……機械設備から製品に移転される価値構成部分の大きさに反比例する。機械設備が機能する機関が長ければ長いほど、機械設備によってつけ加えられる価値がそれだけ多くの生産物に配分され、機械設備が個々の商品につけ加える価値部分がそれだけ小さくなる。しかし、機械設備の活動的な生存期間は、明らかに、労働日の長さすなわち日々の労働過程の継続時間に、この労働過程が繰り返される総日数を掛けたものによって規定される。[426]

しかし、また

機械の摩滅は、決して厳密に数学的にその利用時間に対応するものではない。[426]

7年半にわたって毎日16時間働く機械は、15年にわたって毎日8時間しか働かない同じ機械と同じ大きさの生産期間を包括しており、また前者が後者より多くの価値を総生産物につけ加えるわけではない。しかしまえの場合にはあとの場合に比べて、機械価値が2倍再生産されるであろうし、資本家は、この同じ機械によって、7年半で、あとの場合に15年間にそうするのと同じ分量の剰余価値をのみ込むであろう。[426]

なぜなら、「機械の消耗」には3通りあって、機械の使用による消耗と、機械が使われないで放置されているあいだの自然力による消耗、そして「社会基準上」の減価をこうむるからである。

はじめの種類の摩滅は、機械の使用に多かれ少なかれ正比例し、あとの種類の摩滅は、ある程度まで機械の使用に反比例する。[426]

機械は、同じ構造の機械がより安く生産されうるようになるか、より優れた機械が現われそれと競争するようになれば、その程度に応じて交換価値を失う。どちらの場合にも、その機械の価値は……もう、事実上その機械自身のなかに対象化されている労働時間によって規定されるのでなく、それ自身の再生産またはより優れた機械の再生産に必要な労働時間によって規定される。それゆえその機械は、多かれ少なかれ減価している。機械の総価値が再生産される期間が短ければ短いほど、社会基準上の摩滅の危険はそれだけ少なくなり、また、労働日が長ければ長いほど、右の期間〔機械の総価値再生産の〕はそれだけ短くなる。[427-8]

他の条件が同じで、労働日が制限されている場合とそうでない場合とを比べてみる。前者の場合、2倍の労働者数を雇用しようとすれば、機械工場の設備や原料、補助材料などもそれに応じて2倍にしなければならない。後者の場合、生産手段、とくに工場設備に投資される大きさは変わらないままでも、労働日が延長されれば、生産の規模も拡大される。

それゆえ、剰余価値が増大するだけでなく、剰余価値の搾取に必要な諸支出が減少する。確かにこのことは、労働日が延長される場合にはいつでも多かれ少なかれ起こることであるが、しかしこの場合には、いっそう決定的に重要である。……この形態〔機械設備や建物等〕においては、資本は、一方では絶えず価値増殖しうるが、他方では、生きた労働との接触を断たれるとただちに使用価値と交換価値を失うのである。[428]

機械経営における「特別剰余価値」

機械は、それが直接的に労働力の価値を減少させること、また、労働力の再生産にはいり込む諸商品を安くして労働力を間接的に安くすることによってのみ相対的剰余価値を生産するのではなく、また、機械がはじめて散発的に採用されるさいに、機械所有者によって使用される労働を、力能を高められた労働に転化し、機械生産物の社会的価値をその個別的価値以上に高め、こうして資本家が1日の生産物のより少ない価値部分で労働力の日価値を補填することができるようにすることによっても、相対的剰余価値を生産する。それゆえ、機械経営が一種の独占状態にあるこの過渡期のあいだには、利得は途方もなく大きく、そして資本家は、この「青春の初恋の時代」を、労働日のできる限りの延長によって、もっとも徹底的に利用しようとする。利得の大きいことが、いっそう多くの利得への渇望を激しくする。[429]

いずれにせよ、マニュファクチュア時代から大工業時代への過渡期における、この「特別剰余価値」は、

同じ生産部門における機械設備の普及につれて、機械生産物の社会的価値はその個別的価値まで低下し、またそれにつれて、剰余価値は資本家が機械によって置き換えた労働力から生まれるのではなく、逆に、資本家が機械につけて働かせる労働力から生まれるという法則が貫徹する[429]

ことで、解消される。一時期の熱狂的渇望は法則的渇望へと発展する。
労働者数を減少させることによってのみ剰余価値率を増加させる

これまでの考察によって、機械経営は、つぎのような「矛盾」をはらんでいることが明らかとなる。

機械設備は、与えられた大きさの資本が与える剰余価値の2つの要因のうち、一方の要因、すなわち労働者数を減少させることによってのみ、他方の要因、すなわち剰余価値率を増加させる[429]

資本の指向は、労働者数の減少を労働時間の延長によって埋め合わせようとする。

搾取される労働者の相対的総数の減少を、相対的剰余労働の増加のみならず絶対的剰余労働の増加によっても埋め合わせるために、労働日のこのうえない乱暴な延長へと資本をまたもやかり立てる[430]

機械は過剰人口の生産手段となる

機械設備の資本主義的充用は、一方では、労働日の無際限な延長の新しい強力な動機をつくり出し、この傾向にたいする抵抗を打ちくだくような仕方で労働様式そのものと社会的労働体の性格とを変革するとすれば、他方では、一部は、労働者階級のうち、以前には資本の手の届かなかった階層を編入することによって、一部は、機械に駆逐された労働者を遊離することによって、資本の法則の命令に従わざるをえない過剰人口を生み出す。そこから、機械は労働日のあらゆる社会基準的(ジットリッヘ)および自然的な諸制限をくつがえすという、近代産業の歴史における注目すべき現象が生まれる。[430]

c 労働の強化

第8章で詳細に考察されたとおり、

機械設備が資本の手中で生み出す労働日の無際限な延長は、……のちにいたって、その生命の根源をおびやかされた社会の反作用を引き起こし、それとともに、法律によって制限された標準労働日をもたらす。[431]

この「標準労働日」の社会的強制によって生じる

労働日の強制的短縮が、生産力の発展と生産諸条件の節約に巨大な刺激を与えるとともに、同時に、労働者にたいして、同じ時間内における労働支出の増加、労働力の緊張の増大、労働時間の気孔充填のいっそうの濃密化すなわち労働の凝縮を、短縮された労働日の以内でのみ達成されうる程度にまで強制するにいたるやいなや、事情は一変する。与えられた時間内へのより大量の労働のこの圧縮は、いまや、それがあるがままのものとして、すなわちより大きい労働分量として、計算される。「外延的大きさ」としての労働時間の尺度とならんで、いまや、労働時間の密度の尺度が現われる。[432-3]

労働日の短縮がもたらす一般的労働強化

機械設備が一般的ではない産業部門においても、労働日の短縮は一般に、労働の規則性、画一性、秩序、継続性、エネルギーを高める。機械設備が支配的に充用されるようになった工場においても、1844年のイギリス工場法における労働時間短縮をめぐる論議を契機に行なわれた実験的経営によって、その作用が確認されている。

この小節のはじめに、マルクスは「出来高賃銀」についてもふれている。この問題は第1部第19章で扱われることになるが、ここでは、労働者が短縮された時間内に労働力をより多く「流動させる」ようにするために資本がとる「支払い方法の配慮」という言い方でふれられている。
資本の手中にある機械設備による労働強化

労働日の短縮は、さしあたり、労働凝縮の主観的条件、すなわち与えられた時間内により多くの力を流動化させる労働者の能力をつくり出すのであるが、この労働日の短縮が法律によって強制されるものとなるやいなや、機械は、資本の手中にあって、同じ時間内により多くの労働をしぼり出すための、客観的な、かつ系統的に充用される手段となる。そうなるには、二通りの仕方がある――すなわち、機械の速度の増大と、同じ労働者によって監視される機械設備の範囲または労働者の作業場面の範囲の拡大とによってである。[434-5]

これらの労働強化は、機械設備の改良をともなってすすめられる。

労働日の制限は、資本家に生産費の極度の切り詰めを強制する……。蒸気機関の改良は、そのピストンの1分間の運動回数を増加させ、同時に、いっそうの力の節約によって、石炭消費を不変のまま、または減少させながら、同じ原動機でより大規模な機構を運転することを可能にする。伝動機構の改良は、摩擦を減少させ、そして……大小のシャフトの直径と重量を、絶えず低下する最小限度まで縮小させる。最後に、作業機設備の改良は、近代的な蒸気織機の場合のように、速度を高め作用を広げながらその大きさを減らすか、または、紡績機の場合のように、機体とともに機械の運転する道具の大きさと数を大きくするか、または、これらの道具の運動性を、目立たない細部の諸変更……によって増加させるか、である。[435]

この機械設備機構の改良は、かのレナド・ホーナー(Leonard Horner 1785-1864)――工場主の法律やぶりはもちろん、その法律そのものの矛盾点すら時には大胆に指摘し、労働者の実態を克明に記録し、暴露しつづけた、工場監督官――でさえ、予想だにしなかった密度と広がりをもって発展し、また、それに応じて、人間労働力は「豊かな弾力性」を発揮したのである。すなわち、12時間に制限された工場労働において、その限界点まですすめられていると考えられていた労働強化は、10時間(12時間より1/6だけ短縮された労働時間)に制限された工場労働においても、さらにより強力におし進められた。

12時間に制限された工場法のもとでも、すでに

「以前に比べると、工場で行なわれる労働は非常に増大したが、それは、……機械設備の速度のいちじるしい増加が労働者にいっそうの注意深さと行動性とを要求するということの結果である」(164)ジョン・フィールデン『工場制度の呪詛』、ロンドン、1836年、32ページ[435]

「工場の諸工程で仕事をしている人々の労働は、いまや、このような諸作業の導入のときの3倍もの大きさである。機械設備は、疑いもなく、数百万の人間の腱や筋肉に代わる仕事をしてきたが、しかしまた、その恐ろしい運動によって支配される人間の労働をおどろくほど増大させた。……40番手の糸を紡ぐため、12時間にわたって1対のミュール紡績機につき従う労働は、1815年には、8マイルの距離を走り回ることを含んでいた。1832年には、同じ番手の糸を紡ぐため、12時間のあいだに1対のミュール機につき従って歩き回る距離は、20マイルまたはしばしばそれ以上にのぼった。1825年には、紡績工は、12時間のあいだに各ミュール機につき820回、総計で12時間に1680回の糸張りをしなければならなかった。1832年には、紡績工は、その12時間労働日のあいだに各ミュール機につき2200回、合計4400回の糸張りを、1844年には、各ミュール機につき2400回、合計4800回の糸張りを、しなければならなかった。……――労働が累進的に増加していくのは、歩行距離がいっそう増大するからだけでなく、生産される商品の量が増加するのに工員が比例的に減少するからでもある……」(165)ロード・アシュリー『10時間工場法案』、ロンドン、1844年、6―9ページの各所[435-6]

この傾向は、10時間法が適用された工場において、ますます促進された。

「紡錘の速度は、1分間に、スロッスル紡績機では500回転、ミュール紡績機では1000回転だけ、増加した。すなわち、1839年には1分間に4500回転であったスロッスル紡錘の速度は、いまでは」(1862年)「5000回転になっており、また1分間に5000回転であったミュール紡錘の速度は、いまでは6000回転になっている……」(168)『工場監督官報告書。1862年10月31日』、62ページ[437]

「……同じ名目馬力の近代的蒸気機関が、その構造上の改良、ボイラーの容積縮小と設備などの改良によって、以前よりも大きな力で運転される。……それゆえ、名目馬力との比率では以前と同じ数の工員が働かされていても、作業機との比率では、より少数の工員が使用される」(170)『工場監督官報告書。1856年10月31日』、14、20ページ[437-8]

「あらゆる種類の機械に加えられたいろいろな大改良は、機械の生産力をいちじるしく高めた。労働日の短縮が……これらの改良に刺激を与えたことは、まったく疑問の余地がない。これらの改良と労働者のより強度な緊張とは」(2時間すなわち1/6だけ)「短縮された労働日中に、以前のより長い労働日中に生産されたのと少なくとも同量の製品が生産されるという結果をもたらした」(173)『工場監督官報告書。1858年10月31日』、10ページ。『工場監督官報告書。1860年4月30日』、30ページ以下参照

以下にあげる表は、マルクスのあげた数字にもとづくものであるが、ここに明らかに示されるように、1850年から1862年にかけて、各工業部門で、紡錘、織機などの工場設備が増加する一方で、就業人口は減少している(ただし児童労働者数は増加している)。これらの数字がものがたる工場労働の強化は、労働者の健康状態に著しい影響をおよぼした。
イギリスの絹工業の進展 紡錘数 織機数 労働者数
1856年 1,093,799錘 9,260台 56,137人
1862年 1,388,544錘 10,709台 52,429人
イギリスの梳毛糸工業の進展 紡錘数 織機数 労働者数 (14歳未満児童労働者数)
1850年 875,830錘 32,617台 79,737人 9,956人
1856年 1,324,549錘 38,956台 87,794人 11,228人
1862年 1,289,172錘 43,048台 86,063人 13,178人

(175)……第二版への追加。「30年前」(1841年)「には、1人の綿糸紡績工は、3人の助手と一緒に、300錘から324錘の紡錘をつけた1対のミュール紡績機を受けもつことだけしか要求されなかった。いまでは」(1871年末)「彼は5人の助手とともに、2200錘もの紡錘をつけたミュール紡績機を受けもたなければならず、1841年に比べて少なくとも7倍の糸を生産している」(『技能協会雑誌』1872年1月5日号のなかの工場監督官アリグザーンダー・レッドグレイヴの論述)。[439]

「たいていの綿工場、梳毛糸工場、絹工場では、機械設備の運転速度が近年異常に速められているが、その機械設備につく労働に要する心身消耗的な興奮状態が現われており、そのことが、グリーノウ博士が彼の最近の感嘆すべき報告で指摘した肺疾患による死亡率の過大なことの原因の一つである」(176)『工場監督官報告書。1861年10月31日』、25、26ページ[440]

労働時間の限りない延長による労働者の健康被害と搾取率の増大は、資本に標準労働日を強制した。労働時間の制限による労働強化もまた、限られた一定の労働日のなかでの労働者の健康被害を広げ、搾取率を増大させた。この資本の傾向は、

やがてまた労働時間の再度の減少が不可避となる一つの転換点に到達せざるをえない。(177)いま(1876年)、8時間運動がランカシャーで工場労働者たちのあいだに始まっている。[440]

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第1部:資本の生産過程

第4篇:相対的剰余価値の生産

第13章:機械設備と大工業
第4節
工場

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前節で保留されていた問題

工場の編成された機械体系……この客観的有機体に人間材料がどのように合体されるか[416]

が、この節で考察される。

さきに第7章で、児童労働をめぐるおぞましい弁明を行ない、これまでもたびたび登場していた化学者、アンドルー・ユア博士の、愕然とするほどの「自動化工場賛美」が引用される。このなかでマルクスはたいへん興味深い指摘を行なっている。機械設備が資本主義的でない充用のされ方をする場合と、資本主義的充用の場合との比較、という考察である。この節のなかで、後半部分でも、マルクスはつぎのようにのべている。

社会的生産過程の発展による生産性の増大と、社会的生産過程の資本主義的利用による生産性の増大とを、区別しなければならない。[445]

ユア博士の「自動化工場賛美」――まったくあきれてしまうほどのその心酔ぶりはつぎのマルクスの引用部分に典型的に現われている。

「これらの大きな作業場では、仁愛な蒸気の権力が自分のまわりに無数の家来を集めている」(179)ユア『工場の哲学』〔ロンドン、1835年〕、18ページ[442]

「仁愛な蒸気の権力」とは恐れ入った。有能な化学者であり技術者でもあるユア博士であるが、科学技術への自信過剰のあまり、それが資本主義的に充用されたときの労働者および社会全体に与える負の影響すら、美化してとらえてしまったのだろうか。いずれにせよ、ここで重要なのは、マルクスが批判的に取り上げたユア博士の叙述のなかに、機械設備のもつ二つの側面が、現われていたことである。マルクスはそれを、つぎのようにのべている。

ユア博士は、この自動化工場を、一方では、

「一つの中心力(原動力)によって間断なく作動させられる一つの生産的機械体系を、熟練と勤勉とをもって担当する、成年・未成年のさまざまな等級の労働者の協業」

であると記述し、他方では、

「一つの同じ対象を生産するために絶えず協調して働く無数の機械的器官および自己意識のある器官――その結果、これらすべての器官が自己制御的な一つの動力に従属する――から構成されている一つの巨大な自動装置」

であると記述している。

これらの二つの表現は、決して同じではない。第一の表現では、結合された総労働者または社会的労働体が支配的な主体として現われ、機械的自動装置は客体として現われている。第二の表現では、自動装置そのものが主体であって、労働者はただ意識のある諸器官として自動装置の意識のない諸器官に付属させられているだけで、後者とともに中心的動力に従属させられている。第一の表現は、大規模な機械設備のありとあらゆる充用にあてはまり、第二の表現は、それの資本主義的充用を、それゆえ近代的工場制度を特徴づけている。[441-2]

マルクスは、ユア博士の叙述のなかに、彼の認識の狭さと浅さによるものではあるが、はからずも指摘している「資本主義的でない機械設備の労働過程における充用の特徴」を見てとったのである。ユア博士の「第一の表現」がそれであるが、「結合された総労働者または社会的労働体が支配的な主体として」機械設備に相対する労働過程――ここには、マルクスの展望する、「ポスト資本主義社会」における労働過程の在りようが示されているのではないだろうか。

ユア博士の浅薄さにたいする批判として、マルクスは、ここで指摘されている「第一の表現」をめぐって、機械設備の資本主義的充用のさいには、「成年・未成年のさまざまな等級の労働者の協業」は、むしろ労働の均等化、平準化の傾向に駆逐され、年齢や性別などの生物的区別が主要なものとして現われるとして批判的に指摘している。

マニュファクチュアの編制された群に代わって、主要労働者と少数の助手との連関が現われる。本質的区別は、現実に道具機について働いている労働者(これに原動機の見張りまたは給炭を行なう何人かの労働者が加わる)と、これら機械労働者の単なる下働き(ほとんど児童ばかりである)との区別である。この下働きのうちには、多かれ少なかれ、すべての「フィーダー」(機械に労働材料を供給するだけの者)が数えられる。[443]

なお、このなかでマルクスは、法的には「労働者」の範疇から除外されていながら、議会への統計報告には工場労働者として含まれている部類の人員をあげ(技師、機械専門工、指物職など)、

機械設備全体の管理とその不断の修理とに従事している数的には取るに足りない人員……比較的高級な、一部は科学的教養のある、一部は手工業的な、労働者部類であり、工場労働者の範囲外のもの[443]

と分別している。

大工業経営工場のなかでは、等級的区別は現われないが、機械設備にもとづく協業という性格上、さまざまな労働工程で稼動するさまざまな作業機、伝動機、原動機などに応じて、さまざまな種類の労働者の配置が必要となる。ただし、

機械経営は、同じ労働者に同じ職能を持続的に担当させることによって、この配分をマニュファクチュア式に固定化するという必要をなくしてしまう。工場の全運動が、労働者からでなく、機械から出発するのであるから、労働過程を中断することなしに、絶えず人員交替が行なわれうる。……単なる下働きの職務は、工場では、一部は、機械によって置き換えられうるものであり、一部は、それがまったく単純なために、この苦役を担わせられる人員をいつでもすぐに交替させることを可能にする。[444]

この「部分労働への固定化からの解放」は、すぐあとにマルクスが指摘するように、資本主義的機械経営においては、単純に反映しない。しかし、マニュファクチュア的な「部分労働への地域的人的骨化」という傾向が、機械経営においては「技術的に」打破されるという点は、重要である。

さきに第12章第3節「分業とマニュファクチュア」のなかで「部分労働者の等級的区分」について考察されている箇所で、分業がもたらす労働者への影響について分析されていた。分業が発展すればするほど、その内容は無内容なものとなっていくから、その労働過程に拘束されているあいだは、労働者は彼の人間的能力の全面的な発現をはばまれることになる。マニュファクチュア経営においては、その分業が人的地域的固定化と分かちがたく結びついているために、かの節でマルクスが指摘したように、

部分労働者の一面性が、またその不完全性さえもが、かれが全体労働者の分肢となる場合、完全性となる。[370]

機械経営は、この部分労働による分業を人間生理の限界をこえて無内容なものに「進化」させていくと同時に、分業の人的地域的固定化を、技術的には排除する。そうすることで、労働者1人あたりが「苦役」に拘束される時間を短くすることが可能になる。機械経営の技術的可能性自体は、マニュファクチュア時代までには経験されなかった、労働者の人間能力の全面的発現を可能にする時間的可能性を開くものとなる。

しかし、マルクスが指摘するように

この場合にも、社会的生産過程の発展による生産性の増大と、社会的生産過程の資本主義的利用による生産性の増大とを、区別しなければならない。[445]

マニュファクチュア的伝統を引きずりながら発展してきた工場機械経営においては、それ自体が切り開く技術的可能性、時間的可能性は、人件費の相対的縮小という傾向に反映する。そして、労働者をますます無内容になっていく部分機械付属労働に固定化する。

部分道具を扱う終生的専門が、部分機械に仕える終生的専門になる。機械は、労働者そのものを幼少時から部分機械の部分に転化させるために悪用される。こうして労働者自身の再生産に必要な費用がいちじるしく減らされるだけでなく、同時に、工場全体への、すなわち資本家への、労働者のどうしようもない従属が、完成される。[445]

労働過程であるだけでなく、同時に資本の価値増殖過程でもある限り、すべての資本主義的生産にとっては、労働者が労働条件を使用するのではなく、逆に、労働条件が労働者を使用するということが共通しているが、しかしこの転倒は、機械とともにはじめて技術的な一目瞭然の現実性をもつものになる。……内容を抜き取られた個別的機械労働者の細目的熟練は、機械体系の中に体化しこの体系とともに「雇い主」の権力を形成している科学や巨大な自然諸力や社会的集団労働の前では、取るに足りない些細事として消えうせる。[446]

こうなると、ますます無内容になっていく部分機械の付属労働に縛りつけられる労働者の苦役は、ますます絶えがたいものになっていかざるをえない。

「同じ機械的過程が絶えず繰り返される果てしない労働苦のたまらない単調さは、シシュフォスの苦労にも似ている。この労働の重荷は、シシュフォスのあの岩のように、繰り返し疲れ切った労働者の上にもどり落ちてくる」。(186)F.エンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』、217ページ[445]

マニュファクチャ経営における部分労働への人的骨化の「伝統」が、資本のもとにおける機械経営においては、その編制された工場機械設備に応じた労働者の従属に発展する。

労働手段の画一的な運動への労働者の技術的従属と、男女両性および種々さまざまな年齢の諸個人からなる労働体の独自な構成とは、一つの兵営的規律をつくり出し、この規律が、完全な工場体制に仕上がっていき、また、すでにまえに述べた監督労働を、したがって同時に手工労働者と労働監督者とへの――すなわち産業兵卒と産業下仕官とへの――労働者の分割を、完全に発展させる。[447]

この労働者の管理体制の確立によって、工場作業場でどのようなことが行なわれていたかは、第8章でも詳細に述べられていたが、この節でマルクスが引用している、F.エンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』で報告されている、「いっさいの自由が、法律的にも事実的にもなくなる」(190)[447]実態は、現代日本の労働災害をめぐる司法判断を彷彿とさせる。

機械経営は、その生産手段の集中度の大きさによって、手工業的経営とくらべて生産手段の「節約」の度合いも増大している。単なる協業においても、生産手段の「節約」は手工業的分散型生産様式に比較してより効果的に行なわれるが、大工業的協業においては、生産手段のより大規模な集中と機械設備体系の確立、発展によって、労働過程における生産手段の「節約」はますます徹底される。

このこと自体は、その社会において、より効率的効果的に生産手段が労働過程に入り込むことになるから、自然界に存在する資源の活用と同時に、それに働きかける労働の効率性と保全・維持という点でも、それまでの生産様式では実現されえなかった新しい可能性を切り開くことになる。

ただし、同時にこの生産様式は、資本の本性にもとづいて発展しているから、工場内あるいは作業場内において徹底して行なわれる生産手段の節約は、市場経済の強制法則によって、社会的分業の効率性という観点では、はなはだ非効率的に反映する。その調整は同じく市場経済の法則にもとづいて、「疾風怒濤の」混乱と生産物の破壊・破棄をともなって貫徹されることになる。また、市場経済の強制法則は、工場内の徹底した生産手段の節約を、商品価格を引き下げつつ利潤を引き上げるという、資本の精神にのっとって行なわせることになる。この際、機械体系に従属させられている労働者、ほんらい「死んだ労働」に命を吹き込み、彼らなしでは工場製品が完成されず、工場経営にはなくてはならない存在であるはずの労働者の労働環境は、生存可能条件ギリギリまで「節約」されることになる。

工場制度のなかではじめて温室的に成熟した社会的生産手段の節約は、資本の手のなかでは、同時に、労働中の労働者の生存諸条件、すなわち空間、空気、光の組織的強奪、また労働者の慰安設備については論外としても、生産過程での人命に危険な、または健康に有害な諸事情にたいする人的保護手段の組織的強奪となる。フリエが工場を「緩和された徒刑場」と呼んでいるのは、不当であろうか?[449-450]

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第1部:資本の生産過程

第4篇:相対的剰余価値の生産

第13章:機械設備と大工業
第5節
労働者と機械との闘争

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資本家と賃労働者とのあいだの闘争は、資本関係そのものとともに始まる。それは、全マニュファクチュア時代を通じて荒れ続ける。しかし機械の採用以後にはじめて、労働者は、資本の物質的な実存様式である労働手段そのものにたいしてたたかう。[451]

ここでいわれている「全マニュファクチュア時代」とは「16世紀中葉から18世紀最後の3分の1期にいたる」時代[356]。なにより機械設備が導入される段階にいたって、労働手段がはじめて、労働者から自立して労働者に相対することになる。

労働手段は、自動装置に転化することによって、労働過程そのもののあいだ、資本として、生きた労働力を支配し吸い尽くす死んだ労働として、労働者に相対する。生産過程の精神的諸力能が手の労働から分離すること、および、これらの力能が労働力にたいする資本の権力に転化することは、……機械を基礎として構築された大工業において完成される。[446]

労働手段が機械に転化される過程で、そのことによって職を失うことになる労働者たちの憎悪は、はじめ、機械設備そのものに向けられ、その「たたかい」の方法も、機械設備の物理的破壊、建設者や発明者の抹殺という形態をとった。

労働者が、機械設備をその資本主義的充用から区別し、それゆえ彼の攻撃を物質的生産手段そのものからその社会的利用形態に移すことを学ぶまでには、時間と経験が必要であった。[452]

マルクスは、その粗暴さが、技術的科学的進歩と時には相反する行動をよびおこしてきたことを後追いながらも、いったいなぜ労働者が、労働手段そのものにたいして「反逆」したか、その必然性を、マニュファクチュア時代の階級闘争と比較しながら考察を深めている。

マニュファクチュア内部における労賃をめぐる諸闘争は、マニュファクチュアを前提としているもので、決してマニュファクチュアの実存にたいして向けられているものではない。マニュファクチュアの形成にたいして反抗がなされる限りでは、それは、同職組合親方や特権都市から起こるのであって、賃労働者から起こるのではない。[452]

マニュファクチュア時代のあいだには、手工業的経営は、分解されたとはいえ、依然として基礎であった。新たな植民地市場〔の需要〕は、中世から引き継いだ比較的に少数の都市労働者によっては満たされえず、それと同時に本来的マニュファクチュアが、封建制の解体とともに土地から追放された農民にたいして、新しい生産諸領域の門戸を開いた。したがって当時は、作業場内における分業および協業においては、それらが就業労働者をより生産的にするというその積極面のほうがきわだっていた。[453]

ここでマルクスは、協業の発展が農業部門に適用された場合の「農業の変革」についてふれている。これはイギリスにおいては「囲い込み」という自作農民からの土地略奪という形態で知られるものである。このことは同時に農業における小生産者たちの没落をともなうもので、「多くの無為の者」(196)[454]の都市への集中という、大工業時代を準備する過程にもつながるものである。

協業と少数者の手中における労働手段の結合とは、それが農業に適用されると、多くの国々では大工業時代よりもずっと以前に、生産様式の、それゆえまた農村住民の生活条件および就業手段の、大きな突然の暴力的な革命を呼び起こす。しかし〔革命にともなう〕この闘争は、最初は、資本と賃労働とのあいだよりも、むしろ大土地所有者と小土地所有者とのあいだで演じられる。他面、労働者が、羊、馬などの労働手段によって駆逐される限りでは、直接的な暴力行為が、この場合まず第一に産業革命の前提をなす。まず労働者が土地から追い出され、それから羊がやってくる。イギリスにおけるような大規模な土地略奪は、まず大農業にこの略奪を利用する舞台を提供する。そのためこの農業の変革は、その当初においては、むしろ政治革命の外観をもつ。[453-4]

上記引用部分のさいごに述べてある「政治革命の外観」とは、具体的にはどのようなものだったのだろうか。とりあえず宿題。

第3節「労働者に及ぼす機械経営の直接的影響」で指摘されたように、機械設備の充用は「過剰人口」を生み出す。すなわち労働力の買い手がつかない労働力人口が生み出される。第3節では、「過剰人口」の作用について、「労働日の限界をとり払う」ことと、「労働強化」について指摘されていた。「労働力価値の低下」への作用をめぐっては、機械設備の充用が、補助的ではあれ児童労働・女性労働を労働力人口に引き入れ、労働力人口の増加をもたらすことで、1人当たりの労働力価値を低下させると指摘していた。この第5節のなかでは、さらに、機械設備の充用によって工場から放り出される労働者の一群が、市場において賃金(労働力価値の貨幣表現)を引き下げる作用をすることを指摘している。

労働者階級のうち、機械設備によってこのように余剰な人口に、すなわち資本の自己増殖にもはや直接に必要ではない人口に、転化された部分は、一方では、機械経営に反対する旧式な手工業的およびマニュファクチュア的経営の勝負にならない闘争のなかで没落し、他方では、はいり込みやすいあらゆる産業部門をあふれさせ、労働市場を氾濫させ、それゆえ労働力の価格をその価値以下に低下させる。[454]

受救貧民化した労働者にとっての大きな慰めといえば、一面では、彼らの苦悩がただ「一時的なもの」にすぎないということ、他面では、機械設備が徐々にしか一生産部面全体を征服しないことによりそれの破壊的作用の範囲と強度とが弱められるということであろう。一方の慰めは、他方の慰めをだめにする。機械が徐々に一生産部面をとらえていく場合には、機械は、それと競争する労働者層のなかに慢性的窮乏を生み出す。その推移が急激な場合には、機械は大量的かつ急性的に作用する。[454]

機械は絶えず新しい生産領域をとらえることによって、機械の「一時的」作用は、永続的である。[455]

労働手段が労働者を打ち殺す。[455]

資本主義的生産様式が一般に、労働者に相対する労働条件および労働生産物に与える、独立化され疎外された姿態は、こうして機械とともに完全な対立にまで発展する。それゆえに機械とともに、はじめて、労働手段にたいする労働者の粗暴な反逆が現われてくる。[455]

手工業的、マニュファクチュア的経営との競争によって、社会的にますます明らかになっていく、労働手段と労働者との対立。しかし、この対立は、さらに、大工業そのものの発展のなかで、すなわち「機械設備の絶え間のない改良および自動体系の発達」[455]によっても先鋭化する。

(202)第二版への追加。グレイト・ノーザン鉄道の機械部長A.スタロック氏は、機械(機関車など)製造について、次のように述べている――「費用の高くかかるイギリス人労働者の使用は、日々少なくなっている。生産は、改良された用具の使用によって増加され、そしてこの用具は、また、低級な種類の労働によって取り扱われる。……以前には、熟練労働が、当然に蒸気機関のあらゆる部品を生産した。いまでは、同じ部品が、熟練度は落ちるが、優秀な用具での労働によって生産される。……私がここで用具というのは、機械製作のさいに用いられる機械のことである」(『勅命鉄道委員会、証言記録』、第17862号および第17863号、ロンドン、1867年)。[457]

驚くべきことは、労働者にとって過酷な、この大工業の急速な発展期において、労働者のしたたかで法則的な抵抗が行なわれ、勝利すら手にしていたことである。

(207)……イギリスの工場主たちは……1867年はじめに……いつもの切り抜け策に訴え、労賃を5%だけ切り下げた。労働者は抵抗し、唯一の救済策は、時間短縮、すなわち1週あたり4日働くことだと、理論的にまったく正しい声明をした。かなり長い反抗ののち、産業指揮官を自称する連中は、あるところでは賃銀切り下げなしで、他のところでは5%の賃銀切り下げで、そうする決心をしなければならなかった。[457]

「賃金引き下げなしの労働時間短縮」――このスローガンがすでに19世紀中葉にかかげられており、労働者たちの果敢なたたかいがあったのだ。

さて、これまでのマルクスの例示のなかにたびたび登場してきた「アメリカ南北戦争」による綿業恐慌。このくわしい経済的政治的事情については知識がないのだが、少なくともうかがえるのは、アメリカ南部諸州における大規模な綿花生産が、この内戦によって打撃をうけたことにともなって、イギリスへの綿花供給が減少したのではないか、ということだ。原料供給の減少は、綿業工業にとっては大打撃である。

生産手段の節約効果を発揮する機械設備のさらなる発展は、このような経済的政治的にのっぴきならない外的な強制力によっても進展するものだ。アメリカ南北戦争という契機のなかでも

実際的経験の蓄積と機械的手段の既存の範囲と技術の絶え間のない進歩との結果である、機械制度の非常な弾力性[456]

は大いに発揮されたのだった。

マンチェスターの一工場主は、次のように説明している――

「われわれは、いまでは、75台の梳綿機の代わりに、わずか12台使っているだけであるが、それらは、以前よりも上質ではないにしても、同じように良質のものを同じ分量だけ生産している。……労賃の節減は1週あたり10ポンド・スターリング、綿屑の節減は10%にのぼる」と。

マンチェスターのある精紡工場では、

「運転速度の増大と、さまざまな“自動”工程の採用とによって、ある部門では労働人員の1/4が、他の部門では1/2以上が、排除された。他方、第二梳綿機に代わった精紡機は、これまで梳綿室で働いていた工員の数をおおいに減少させた」。[457]

マルクスは、アメリカの内乱期の影響のもとにすすめられた「機械の諸改良の総成果」を示すものとして、1856年、1861年、1868年それぞれの年の議会報告(『下院の要請にたいする報告』)にもとづく表を掲載している。そこからマルクスは、何をもって「機械の諸改良の総成果」と指摘しているか。

1861年から1868年までに、338の綿工場が消滅した。すなわち、より生産的でより大規模な機械が、より少数の資本家たちの手中に集中された。蒸気織機数は2万663台だけ減少したが、同時にその生産物は増加したので、その結果、いまや改良織機1台は、旧式織機1台よりも多く生産したことになる。最後に、紡錘数は161万2547錘だけ増加したが、他方、就業労働者数は5万505人だけ減少した。したがって、綿業恐慌が労働者をおとしいれた「一時的な」窮乏は、機械設備の急速で持続的な進歩によって増大させられ、固定された。[458-9]

機械設備の技術的発展の促進は、突発的な経済諸状況によるものだけではなく、よりあからさまに、労働者の示威活動にたいする資本の側の実際的な反撃として行なわれることがある。

機械設備は、つねに賃労働者を「過剰」にしようとする優勢な競争者として作用するだけではない。それは、資本によって、賃労働者に敵対的な力能として、声高くかつ意図的に、宣言されまた取り扱われる。それは、資本の専制に反対する周期的な労働者の蜂起、ストライキなどを打倒するためのもっとも強力な武器となる。[459]

蒸気ハンマーの発明者ネイズミスは、労働組合調査委員会における彼の供述のなかで、1851年の大規模な長期のストライキの結果彼が採用した機械設備の諸改良について、次のように報告している――

「われわれの現代的な機械的諸改良の顕著な特徴は、自動道具機の採用である。いまや機械労働者がなさなければならないことは、そしてどんな少年でもなしうることは、みずから働くことではなく、機械のみごとな作業を監視することである。……以前は私は、1人の機械工につき4人の少年を使用していた。これらの新しい機械的結合のおかげで、私は、成年男子工の数を1500人から750人に減らした。その結果は、私の利潤のいちじるしい増加であった」。[459]

労働争議やストライキなどの示威行動は、労働者の生活と生存をかけた、のっぴきならないたたかいであった。マルクスがこの後の一連の部分で紹介しているわれらがユア博士の陳腐な論理にもとづけば、「労働者たちの反抗が機械設備の発展をもたらす」という理屈も生まれてくる。しかし、同じくユア博士が「彼らの反抗さえなければ工場制度はずっと急速に発展した」といっているように、この理屈には脈絡も整合性もない。機械設備の発展自体は、資本主義的生産様式のもとで充用されるかぎり、ひたすら可変資本の大きさを相対的に小さくしながら剰余価値率を増加させる手段としてのみ意義をもつのである。この傾向が絶え間ない失業者群を形成するのは、この生産様式の宿命であって、その傾向にたいして労働者たちのたたかいによる社会的制限がなされないとすれば、ますます歯止めなく失業者を生み出すだけのことである。

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第1部:資本の生産過程

第4篇:相対的剰余価値の生産

第13章:機械設備と大工業
第6節
機械によって駆逐された労働者にかんする補償説

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「補償説」とは

一連のブルジョア経済学者たちは、いずれも、労働者たちを駆逐するすべての機械設備が、いつの場合も同時にまた必然的に、まったく同じ労働者たちを就業させるのに十分な資本を遊離させる、と主張している。[461]

これが、この節の表題になっている「補償説」である。しかし、彼らは単に「可変資本を遊離させる」という主張をしているのではない、ということを、マルクスは指摘している。

ある資本家が、たとえば壁紙製造所で、100人の労働者を1人あたり年30ポンド・スターリングで使用するとしよう。したがって、彼が年々支出する可変資本は3000ポンド・スターリングになる。彼は50人の労働者を解雇して、1500ポンド・スターリングかかる機械設備で残りの50人を働かせるとしよう。簡単にするために、建物、石炭などは、度外視する。さらに、年々消費される原料は、これまでと同じく3000ポンド・スターリングかかると仮定する。この変態によって、なんらかの資本が「遊離」されているだろうか? もとの経営様式では、6000ポンド・スターリングの支出総額は、半分は不変資本、半分は可変資本から成り立っていた。それがいまでは、4500ポンド・スターリング(3000ポンド・スターリングは原料に、1500ポンド・スターリングは機械設備に)の不変資本と、1500ポンド・スターリングの可変資本からなっている。可変資本部分、すなわち生きた労働力に転換される資本部分は、総資本の半分ではなく、わずかに1/4をなすにすぎない。ここで生じているのは、資本の遊離ではなく、労働力と交換されることをやめる一形態に資本が拘束されること、すなわち可変資本から不変資本への転化である。[461-2]

(単位:ポンド・スターリング) 支出総額 不変資本 可変資本
機械導入前 6,000 = 3,000 + 3,000
機械導入後 6,000 = 3,000+1,500 + 1,500

マルクスはためしに別のケースも想定している。50人を解雇し導入した機械設備の費用が、1500ポンド・スターリングより少ない場合、たとえば1000ポンド・スターリングだったとすればどうだろうか。差額は500ポンド・スターリング。たしかに遊離されるであろうこの500ポンド・スターリングは、1人あたりの年賃金が30ポンド・スターリングで変わらなければ約16人の労働者の年賃金に相当する。しかし、

500ポンド・スターリングは、資本に転化されるためには、ふたたび一部が固定資本に転化されなければならず、したがって一部しか労働力に転化されえない[462]

すなわち、500ポンド・スターリングは、その一部が、原料の費用として投資されなければならないから、とても16人もの労働者の人件費にあてる部分はでてこないのである。上記の例でいえば、6000ポンド・スターリングの50%、3000ポンド・スターリングが原料の費用としてあてられるから、500ポンド・スターリングのうち同じ比率で不変資本部分を算出すると、250ポンド・スターリング。機械設備の費用にあてられた資本部分比率は、機械設備にかかる費用がすでに支払われることが前提になっているから、この際算入する必要はないだろう。残りの250ポンド・スターリングが可変資本部分にあてることが可能である。1人あたりの年賃金が30ポンド・スターリングのままだとすると、約8人の労働者の年賃金に相当する。

同様にマルクスは、「新しい機械設備の製作」が雇用を拡大すると仮定した場合についても検証している。

機械設備の製作は、せいぜいのところ、機械設備の使用が駆逐するよりも少ない労働者しか雇用しない。解雇された壁紙製造工の労賃だけを表わしていた1500ポンド・スターリングの金額は、いまでは機械設備の姿態で、(1)機械設備の生産に必要な生産手段の価値、(2)機械設備を製作する機械工の労賃、(3)その「雇い主」の手におちる剰余価値、を表わしている。

「一連のブルジョア経済学者たち」の主張はつまるところ次のようになる。たしかに解雇された50人の労働者は、工場主からは「自由」になった。しかし、同時に、これまで50人の労働者に支払われる1500ポンド・スターリングによって購入されていたさまざまな生活手段は、いまは50人の労働者たちに購入されることはない。だから

機械設備は労働者を生活諸手段から遊離させるという単純な決して新しくない事実が、経済学的には、機械設備は生活手段を、労働者のために遊離させる、あるいは労働者を使用するための資本に転化させる、ということになる。……

この理論によれば、1500ポンド・スターリングの価値のある生活手段は、50人の解雇された壁紙労働者の労働によって価値増殖された資本であった。したがって、この資本は、この50人が休暇をとるとすぐにその仕事を失ってしまい、上記の50人がふたたびそれを生産的に消費できるような新たな「投資口」をみつけるまでは、落ち着くところがない。したがって、機械設備によって駆逐された労働者の苦悩は、この世の富と同じように、一時的なものである。[463]

「補償説」にたいする反証

この「ブルジョア経済学者たち」の「補償説」には「すりかえ」がある、とマルクスは指摘する。ここであげられている1500ポンド・スターリングという「遊離された」貨幣価値を詳しく考察してみよう。

1500ポンド・スターリングの金額の生活手段は、解雇された労働者50人の手から「遊離された」のである。50人の労働者にとって、それらの生活手段は商品として相対している。50人の労働者は、1500ポンド・スターリングに相当する金額の生活諸手段にたいしては、消費者として相対しているのみである。

一方、工場主が可変資本部分から不変資本部分へ転換した1500ポンド・スターリングは、機械設備を導入するまでは100人の労働者によって生産されていた壁紙生産とその販売によって、工場主が取得した貨幣のうちの一部である。剰余価値率が100%とすると、機械設備導入前、年あたり6000ポンド・スターリング(原料その他に3000ポンド・スターリング、人件費に3000ポンド・スターリング)を投資する壁紙工場の年総売上は9000ポンド・スターリング(総資本6000ポンド・スターリング+剰余価値3000ポンド・スターリング)。この100人の労働者のうち機械設備と引き換えに解雇された50人分の人件費が1500ポンド・スターリングであった。この1500ポンド・スターリングは、50人の労働者にとって、壁紙として相対していたわけでも、生活手段として相対していたわけでもない。工場主の投資する資本の一部分として、賃金として貨幣形態で彼らの生活諸手段のための「購買手段」として相対していたものである。

機械設備が彼らを購買手段から「遊離」させたという事情は、彼らを購買者から非購買者に転化させる。それゆえ、それらの商品にたいする需要は、減少する。“ただそれだけのことだ”。もしこの需要の減少が、他の方面からの需要の増加によってつぐなわれないならば、それらの商品の市場価格は下落する。そのことが、かなり長くまたかなり大規模に続くならば、それらの商品の生産に従事している労働者の移動が生じる。これまで生活必需品を生産していた資本の一部分は、ほかの形態で再生産される。市場価格が下落し、そして資本が移動しているあいだは、生活必需品の生産に従事している労働者たちも、彼らの賃銀の一部分から「遊離」される。こうして、あの弁護論者氏は、機械設備が労働者を生活手段から遊離することによって、同時にこの生活手段を労働者を使用する資本に転化することを証明するどころか、その反対に、お定まりの需要供給の法則によって、機械設備は、それが採用される生産部門においてだけでなく、採用されない生産諸部門においても、労働者を街頭に投げ出す、ということを証明する。[463-4]

マルクスはつぎに、この章の第2節でマルクス自身がすでに指摘していた視点で考察を深めている。

社会的生産過程の発展による生産性の増大と、社会的生産過程の資本主義的利用による生産性の増大とを、区別しなければならない。[445]

すなわち、機械設備による生産力向上効果そのものは、労働者から生活手段を切り離すものではないということ。機械設備の充用による矛盾は、その資本主義的充用から生じるということ。

機械設備は、それがとらえる部門の生産物を安くし、また増加させるのであって、他の産業諸部門で生産される生活手段の総量をさしあたり変化させない。したがって、機械設備の採用のあとも、社会は、非労働者によって消費される年間生産物の莫大な部分をまったく度外視しても、排除された労働者のためにこれまでと同量またはより多量の生活手段をもっている。……機械設備の資本主義的使用と不可分な矛盾や敵対関係は実存しない。なぜなら、それらは、機械設備そのものから生じるのではなく、その資本主義的使用から生じるからだ![464-5]

さきの「補償説」のような理論は、このことに目をつむっているのである。マルクスはその欺瞞にたいして、ディケンズ(Charles Dickens)の『オリヴァ・ツイスト(Oliver Twist)』に登場する「ビル・サイクス(Bill Sikes)」の言葉を使って皮肉たっぷりに、しかし本質をついた批判を行なっている。[465-6]
機械経営がもたらす雇用の増加

さらにマルクスは検証をつづける。

機械設備は、それが採用される労働諸部門においては、必然的に労働者を駆逐するとはいえ、他の労働諸部門においては雇用の増加を呼び起こすことがありうる。しかしこの作用は、いわゆる補償説とはなにも共通するものをもたない。[466]

機械によって生産される製品の総分量は、それまで手工業的マニュファクチュア的な労働によって生産されていた製品の総分量よりもはるかに多くなる。すなわち、これまで手工業的マニュファクチュア的工場で生産されていた製品よりも数多くの製品が、それまでの工場で生産にたずさわっていた労働者数より少ない労働者によって生産されるようになる。

生産される製品の総分量は多くなっているわけだから、その製品を生産するために必要な原料の生産量もそれに応じて増加されなければならない。原料の増加する比率は生産される製品総分量の増加に比例する。

労働手段――「建物、石炭、機械など」[466]については、それらの消耗を補填する労働の増加する限界が、機械設備の生産力に依存しているため、その増え方はさまざまに変動する。

労働手段そのもの、機械設備や石炭などの生産に、あるいは労働の増加が必要となるかもしれないが、この増加は、機械設備の使用によって生じた労働の減少よりも小さいに違いない。そうでなければ、機械生産物は、手工生産物と同じように高価であるか、またはより高価であるだろう。……建物、石炭、機械などのような消耗された労働手段について言えば、それらの生産に必要な追加的労働が増加しうる限界は、機械生産物の総量と、同数の労働者によって生産されうる手工生産物の総量との差につれて、変動する。[466]

したがって、ある産業部門における機械経営の拡張とともに、まず、その部門に生産手段を供給する他の諸部門の生産が上昇する。[466]

このことはたしかにその部門における就業労働者数を増加させる傾向を生じるだろう。しかし、この傾向も、さまざまな要因から、さまざまに変動しうる。まず、労働日の長さ、労働強化の度合い、そしてその生産部門に投資される資本の構成比率(不変資本と可変資本の比率)、さらにまた、その生産部門に機械経営システムが導入される度合いによっても、事情はおおいに異なってくる。

炭鉱や金属鉱山で働くように宣告された人間の数は、イギリスの機械制度の進歩とともに、恐ろしくふくれ上がった――もっともその増加も、最近数十年間には鉱山用の新機械設備の使用によって緩慢になっている。新しい種類の労働者が機械とともに生まれる、すなわち機械の生産者である。すでに述べたように、機械経営がこの生産部門そのものをも、ますます大きな規模で支配下におく。さらに原料について言えば、たとえば、綿紡績業の嵐のような進展が、合衆国の綿花栽培およびそれとともにアフリカの奴隷貿易を温室的に促進しただけでなく、同時に黒人飼育をいわゆる境界奴隷制諸州の主要事業にしたことは、少しも疑う余地がない。1790年に最初の奴隷人口調査が合衆国で行なわれたとき、その数は69万7000人であったが、それにたいして1861年には約400万人になった。他方、機械性羊毛工場の勃興が、耕地をしだいに牧羊地に転化させるとともに、農村労働者の大量追放と「過剰化」を呼び起こしたことも、同じように確かである。アイルランドでは、1845年以来ほとんど半減した人口を、アイルランドの地主とイングランドの羊毛工場主諸氏との要望に正確に照応する程度にまで、さらにいっそう削減しようとする過程が、なおこの瞬間にも行なわれている。[467]

上記引用部分で、マルクスは、「機械経営の拡張のもとにある産業部門に生産手段を供給する他の産業部門の生産の上昇」の数々の事例を、たいへんリアルに網羅している。なかでもこれまで知識がなく、そのおぞましさに戦慄したのは、アメリカ合衆国の内乱勃発まで続いていた、南部諸州と北部諸州とのあいだの「境界奴隷制諸州」における「黒人奴隷の飼育」(!)。『資本論』第1部フランス語版の注へのマルクス自身の付記によれば、

(219)……*〔……――「……これらの州は、輸出用に飼育した黒人を家畜のように南部諸州に売っていた」〕[467]

協業の発展とともに、社会的労働分業もより発展する。労働対象である原料は、いくつもの工場に分かれた、いくつもの労働過程を通過して、最終的な形態へといたる。このような通過過程のなかの、ある途中段階に機械経営がはいり込む場合にも、まだ機械設備が導入されていない作業場に機械経営による製品がはいり込むことになるので、その作業場における労働材料が急増することになり、労働需要も増加することになる。マルクスは、その具体例をあげている。

たとえば、機械紡績業は紡糸をたいへん安くまたたいへん豊富に供給したので、手織工は、さしあたりは、支出を増すことなしに十分な時間働くことができた。こうして彼らの収入は増えた。それゆえ、綿織物業への人間の流入が起こった――それは、たとえばイングランドでジェニー紡績機、スロッスル紡績機、ミュール紡績機によって生み出された80万人の綿織物工が、ついにふたたび蒸気織機によって滅ぼされるまで続いた。こうして、機械で生産された衣服材料が豊富になるとともに、裁縫工、仕立女工、縫物女工などの数が、ミシンが出現するまで増加する。[468]

機械経営の発生自体が、社会的分業の一定の発達段階を前提としたものであるが、機械経営が社会的分業を推進する作用は、それまでの手工業的マニュファクチュア的経営よりも格段に大きい。なによりも、機械経営がとらえる、社会的分業の一過程あるいは一産業部門での生産力が、それまでの協業形態よりも格段に高度の増大をとげるからである。

機械経営が比較的に少ない労働者数によって供給する原料、半製品、労働用具などの総量が増加するのに応じて、これらの原料や半製品の加工は無数の亜種に分化し、したがって社会的生産諸部門の多様性が増加する。[468]

マルクスはここで2つの興味深い指摘を行なっている。

機械のもたらすもっとも直接的な結果は、剰余価値を増加させると同時に剰余価値が表現される生産物総量を増加させることであり、したがって、資本家階級がその取り巻き連中と一緒にくい尽くす資産とともに、この諸社会層そのものを増加させることである。彼らの富が増大し、第一次的生活手段の生産に必要な労働者数が絶えず相対的に減少する[468]

ここでマルクスが「取り巻き連中」と呼んでいるのがどこまでの階層のことを指しているのか定かではないが、さしあたり想定できるのは、「個人事業主」はもちろんであるが、そのほかに事業にたずさわる会社の役員や管理職員などであろうか。これらの「諸社会層」の増加という点が1つ。もう1つは、彼らの富が増大する一方で、「第一次的生活手段の生産」にたずさわる労働者が「相対的に減少する」という点。

ここでマルクスが「第一次的生活手段の生産」と呼んでいるのは、いったい何を指しているのか。よく「第1次産業」と一般に呼ばれているのは農林水産業であるが、それらの産業部門のことなのだろうか。しかし、ここまでの文脈から推察するかぎり、どうも「食生活」だけに言及されているわけではないようだ。確かなのは、それが、原料や機械ではないことである。原料や機械設備(あるいは機械を製作する機械)は決して消費財としては労働者に向きあっていないからだ。「生活するのに最低限必要な消費財」という意味だとすれば、それは社会的歴史的にさまざまに発展変化しうる。社会生活の水準がその社会全体として向上すればするほど、その消費財の質と量とは増大するからである。マルクスは、広義の意味で、つまり、「生活するのに最低限必要な消費財」という意味で、「第一次的生活手段」という言葉を使用したのだろうか。そのように考えると、その生産にたずさわる労働者の「相対的減少」ということと、つぎにつづく「奢侈品生産の成長」という指摘が、より深刻な意味合いを持ってくる。

すなわち、この節のさいごに触れられている「家内奴隷」階層の増大をめぐる記述の現代的意味だ。イギリスにおける「召使階層」については、歴史ドラマや映画のなかで私たちの目にふれているが、現代日本において、考察対象となるべき階層は、サービス産業――いわゆる第3次産業にたずさわる労働者の相対的増大である。次の段落でもマルクスは次のような指摘をしている。

労働者数の相対的な減少にともなって、生産諸手段および生活諸手段が増加することにより、運河、ドック、トンネル、橋などのように、その生産物が遠い将来においてのみ実を結ぶような産業部門において労働の拡大が引き起こされる。直接に機械にもとづくにせよ、あるいはまさにそれに照応する一般的な産業的変革にもとづくにせよ、まったく新しい生産諸部門が、それゆえ新しい労働分野が形成される。[469]

ここでマルクスは、20世紀から21世紀初頭の資本主義社会を予測して、サービス産業の隆盛について言及したわけではない。ここで具体的に指摘されているのはむしろ、世界市場における生産関係の結びつきの発展。それにともなう輸送業の発展としての鉄道、電信、船舶関連の産業の発展。そして社会資本を整備する上で必要となる土木業全般の進展である。

しかし、ここで注目したいのは、マルクスが機械経営の傾向として指摘している次の諸点である。

機械のもたらすもっとも直接的な結果は、剰余価値を増加させると同時に剰余価値が表現される生産物総量を増加させること[468]

労働者数の相対的な減少にともなって、生産諸手段および生活諸手段が増加する[469]

大工業の諸領域で異常に高められた生産力は、他のすべての生産領域における労働力の搾取の内包的および外延的増大を現実にともないながら、労働者階級のますます大きな部分を非生産的に使用することを……可能にする。[469]

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第1部:資本の生産過程

第4篇:相対的剰余価値の生産

第13章:機械設備と大工業
第7節
機械経営の発展にともなう労働者の反発と吸引。綿業恐慌

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「就業労働者数の相対的減少は、その絶対的増加と両立する」

資本主義的生産様式を永遠に存続するものと前提する経済学者たちにとっても、機械経営が労働者たちに及ぼす影響のおぞましさは明白であったし、少しでも理性的にその実態に相対するものは、その改善を志向もする。

では、彼らがこぞって出す切り札は、なにか? 機械設備は、その採用期および発展期の恐怖ののちには、労働奴隷を最終的には減少させないで、結局はこれを増加させる、ということである![471]

すなわち、経済学者たちは次のように展望しているというのだ。労働者の奴隷状態をつくり出している失業者群は、一定期間ののちには――それは短いかもしれないし相当長いかもしれないが――より多くの労働需要が発生することによって、また労働現場にもどることができると。

マルクスは、この考え方を指して、“失業期の恐怖を味わっていた労働者が、奴隷状態で搾り取られる工場現場で苦役の恐怖を味わうことで、「事は成れり」と喜んでいる”と皮肉っている。そして、失業者群がはたして資本主義的機械経営の発展自体で解決されるのか、と問題提起をしている。

マルクスはこの節で、これまでの節で考察してきた、機械経営が「過剰人口」を増大させる傾向――すなわち就業労働者数を減少させる傾向と、機械経営がそれまでの生産様式を駆逐していくなかで就業労働者総数を増大させる傾向とについて、それらの一見相反する傾向が両立しうるということを検証している。
就業労働者数の相対的減少と絶対的減少が結びついている事例

確かに、すでに二、三の実例、たとえばイギリスの梳毛糸工場や絹工場において明らかにされたように、工場諸部門の異常な拡張は、一定の発展度に達すると、使用された労働者数の相対的減少だけではなく絶対的減少とも結びついていることがありうる。[471]

この事例はすでにこの章の第3節のC項「労働の強化」で挙げられていたものである。第3節Cの事例では、とくに1856年と1862年のあいだの変化が著しい。工場の機械設備が増加する一方で就業人員が減少している。
就業労働者数の見かけ上の増加

経験的に与えられた場合においては、就業工場労働者の増加は、しばしばただ外見的なものにすぎない。すなわち、その増加は、すでに機械経営を土台とする工場の拡張によるものではなくて、副次的諸部門の漸次的併合によるものである。[472]

この部分では、マルクスは就業労働者総数の減少傾向についての検証を行なっている。その事業部門自体の拡張によって就業労働者数を増加させた綿業工場にたいして、この事業部門と関連する繊維工業の諸部門――じゅうたん、リボン、亜麻などの事業部門では、機械経営の導入によって、機械経営工場における就業労働者数は増加したものの、それまで手工業的マニュファクチュア的工場で就業していた労働者の多くを排出した。また、多くの機械経営工場では、就業労働者のなかの女性や児童、年少者の比率が高められた(このことはすでに第3節のC項「労働の強化」で指摘されていた)。

これらの工場労働者の増加は、就業労働者の総数における減少の表現にすぎなかった。[472]

総資本の構成の変化と総資本の絶対的増大

このように機械経営によって、それまでの手工業的マニュファクチュア的工場から、多くの労働者が機械設備と置き換えられ、工場の外に投げ出されることになるし、その傾向はますます強められる。しかし――とマルクスは続ける――それにもかかわらず、機械経営の進展は、そのはき出された労働者数よりも多くの労働者を工場に吸収する。

ここでマルクスは、第6節で検証された、総資本の構成比の変化をもう一度検証している。手工業的マニュファクチュア的経営のもとでの不変資本部分よりも、機械経営のもとでの不変資本部分の構成比の方が大きくなる。可変資本部分である賃銀には、より小さい比率で構成された資本部分があてられることになるから、その分だけ労働者が解雇されることになる。

ただし、総資本自体が大きくなれば、構成比は小さくなっても、可変資本にあてられる構成部分の絶対的大きさは以前の経営様式と同じか、それよりも大きくなりうる。
(単位:ポンド・スターリング) 総資本 不変資本 可変資本
機械経営以前[A] 500(100%) 200(40%) 300(60%)
機械経営以前[C] 2,000(100%) 800(40%) 1,200(60%)
機械経営[A] 500(100%) 400(80%) 100(20%)
機械経営[B] 1,500(100%) 1,200(80%) 300(20%)
機械経営[C] 2,000(100%) 1,600(80%) 400(20%)

ここでは、生産手段価値や労働力価値の変動がないという前提で、可変資本の構成比率が比較されている。

たとえば労働者1人あたり1ポンド・スターリングずつ、支出されるとしよう。……使用資本が……2000ポンド・スターリングに増加すれば、400人の労働者が、したがってもとの経営様式の場合より1/3だけ多くのものが就業させられる。使用労働者数は、絶対的には100人だけ増加したが、相対的には、すなわち投下された総資本にたいする割合では、800人だけ減少した。なぜなら、2000ポンド・スターリングの資本は、もとの経営様式では400人の労働者ではなく、1200人の労働者を就業させたであろうから。こうして、就業労働者数の相対的減少は、その絶対的増加と両立する。[473]

機械設備や原料からなる不変資本部分は、機械経営の発展とともに増大し、それにともなって可変資本部分は減少する。この機械経営の発展、改良は、これまでの手工業的マニュファクチュア的経営にくらべて頻度が高いから、不変資本部分の構成比の増大も格段に速度をはやめる。

しかし、この絶え間ない変動も、また、休止点によって、さらに、与えられた技術的基盤の上における単に量的な拡張によって、絶えず中断されている。それとともに、就業労働者の数は増加する。[473]

ここで言われる「休止点」とはどういう状態をさしているのだろうか。“恐慌”あるいは“停滞期”のことなのだろうか。また「与えられた技術的基盤の上における単に量的な拡張によ」る中断とは、どういう状態のことなのだろうか。
機械経営の拡張傾向の巨大さと世界市場への依存性

われわれの理論的叙述そのものがまだ説きおよんでいない純事実的諸関係に、部分的にふれておこう。[474]

マルクス自身がこのように断わっているように、この段落で概略的に展開されている機械経営の拡張と世界市場との関連については、たぶん第1部第7篇で具体的に考察されるものと思われる。

この叙述をめぐってマルクス本人と編者エンゲルスの、アメリカ合衆国に関する注がある。当時、「工業を主とする生産地」であったイギリス本国の植民地であったアメリカ合衆国は、「農業を主とする生産地に転化させ」られていた[475]。

(234)合衆国の経済的発展は、それ自身ヨーロッパ、とりわけイギリスの、大工業の産物である。合衆国は、そのこんにちの姿(1866年)においても、相変わらずヨーロッパの植民地とみなさなければならない。{第4版のために。――その後、合衆国は世界第2の工業国へと発展したが、それで植民地的性格をまったく失ったわけではない。――F.エンゲルス}[475]

その後、第1次世界大戦によるヨーロッパ全土の荒廃により、本土が直接戦火を受けなかったアメリカ合衆国が、ヨーロッパの植民地的位置から経済的にも完全にぬけだすことになる。
労働者の反発と吸引

工場制度の巨大な飛躍的な拡張可能性と世界市場への工場制度の依存性とは、必然的に、熱病的な生産とそれに続く市場の過充をつくり出すが、この市場の収縮とともに麻痺が現われる。産業の生活は、中位の活気、繁栄、過剰生産、恐慌、停滞という諸時期の位置系列に転化する。機械経営が労働者の就業に、それとともにその生活状態に押しつける不確実性と不安定性とは、産業循環の諸時期のこのような変動にともなう正常なものとなる。[476]

「市場の過充」が「市場の収縮、麻痺」に転換する契機について、また、経済の「中位の活気、繁栄、過剰生産、恐慌、停滞」という周期がなぜ発生するのかについては、ここではくわしくふれられていない。これらもまた第1部第7篇で考察されるのだろうか。いずれにしろ、ここでは、「繁栄期」をのぞいて実際に行なわれた、賃金切り下げ傾向が告発されている。

(235)……――産業の不況期さえも工場主たちは利用して、過度の賃銀切り下げにより、すなわち労働者の最低生活必需品の直接的な略奪によって、法外な利潤を得ている。……――「私が、工場主からも労働者からも得た報告によると、疑いもなく、賃銀は、外国の生産者との競争あるいはその他の事情によって余儀なくされたよりも、さらに大幅に切り下げられた。……賃銀の切り下げは、需要の刺激に必要とされるよりも大きい。実際において、多くの種類のリボンの場合、賃銀の切り下げにともなって製品価格がいくらかでも引き下げられたことは一度もない」(『児童労働調査委員会、第5次報告書。1866年』、114ページ、第1号におけるF.D.ロンジの報告)。[476]

この賃銀切り下げ傾向は、機械経営を導入する速度が、不況期においてますます高まるということと相まって、商品価格を引き下げようとする経営者たちの傾向によって高められていく。

繁栄期をのぞいて、資本家のあいだには、市場における個人的分け前をめぐるきわめて激しい闘争が荒れ狂う。この分け前は、生産物の安さに正比例する。このため、労働力に取って代わる改良された機械設備と新生産方法とを使用する競争が生じるほかに、労賃を労働力の価値以下に強力的に押し下げることによって商品を安くしようと努力する一時点が、そのつどに現われる。[476]

マルクスはすでに「就業労働者数の相対的減少は、その絶対的増加と両立する」ことを検証しているが、就業労働者の絶対数が増加するためには、彼らが就業する生産ラインに投下される総資本が、就業労働者数が増加する割合よりもはるかに大きい割合で増加しなければならない。しかし、投下される総資本の増加割合が急速に大きくなる期間は限られている。このことは先にマルクスが「産業循環の傾向」として指摘していた。

産業の生活は、中位の活気、繁栄、過剰生産、恐慌、停滞という諸時期の一系列に転化する。[476]

機械設備そのものの改良によって、同程度の投資で以前よりも生産力を上げることが可能になれば、総資本のうちの可変資本部分の比率は相対的に小さくなりうる。また、就業労働者の絶対数が大きくなるということは、同一の労働者がふたたび工場にもどるということを意味しない。

このように労働者は不断に、反発されたり吸引されたり、あっちにやられたりこっちにやられたりするのであって、しかも、徴募されるものの性、年齢、および熟練さは絶えず変動する。[477]

マルクスは過去十数年間のイギリス綿工業をめぐる歴史を概観して、この指摘を裏付けている。[477-9]
イギリス綿工業をめぐる歴史
1770-1815 イギリス綿工業による機械設備と世界市場の独占。あいだに5年間の不況、沈滞期
1815-1821 不況期
1822-1823 繁栄期
1824 労働者組織の設立や活動を禁止した団結禁止法の廃止。工場の全般的拡張
1825 恐慌
1826 綿業労働者の労働生活条件の悪化、暴動
1827 小規模の好転
1828 蒸気織機の増加。輸出の増加
1829 輸出規模がこれまででもっとも大きくなる(とくに対インド輸出)
1830 市場の過充、困窮
1831-1833 持続的な不況。東インド会社の貿易独占権廃止
1834 工場と機械設備の増加。労働力の不足。救貧法改定にともなう、農村から工場地域への児童を含む労働者の集中
1835 大きな繁栄期。綿手織工の餓死
1836 大きな繁栄期
1837-1838 不況、恐慌
1839 回復期
1840 大不況。暴動の勃発と軍隊の干渉
1841-1842 工場労働者の窮乏。穀物法撤廃のための大規模な首切り。反対運動の軍隊による弾圧
1843 ひどい窮乏
1844 回復
1845 大繁栄
1846 初期の持続的高揚期。続いて反動期。穀物法撤廃
1847 恐慌。賃銀の大幅な切り下げ(10%ないしそれ以上)
1848 持続的不況
1849 回復
1850 繁栄
1851 物価下落、賃銀低下、ストライキの頻発
1852 好転へ。ストライキ継続
1853 輸出上昇。プレストンで8カ月にわたるストライキ、窮乏
1854 繁栄、市場の過充
1855 アメリカ合衆国、カナダ、東アジアなどから破産報告が殺到
1856 大繁栄
1857 恐慌
1858 好転
1859 大繁栄。工場増加
1860 イギリス綿工業の絶頂期。インド、オーストラリアなどで供給過剰。英仏通商条約締結。工場および機械設備の膨大な増加
1861 初期には前年からの高揚が継続。つづいて反動。アメリカ南北戦争、綿花飢饉
1862-1863 完全な崩壊。綿業恐慌
綿業恐慌

この章に入ってから、レナド・ホーナーに代わって頻繁に登場するようになる工場監督官A.レッドグレイヴ(Alexander Redgrave 1818-1894)。彼の報告書の記述は、先の節でもよく引用されていたが、機械経営の実態が緻密な調査にもとづいて、機械設備の発展とそのもとでの労働者の実態の両面から、詳細に記述されているのが特徴的だ。マルクスは彼の調査報告にもとづいて綿業恐慌の実態を分析している。

興味深いのは、綿花飢饉による小規模工場の閉鎖、小規模経営者の破産によって、より大規模な工場経営者のもとにもうけが集中することになり、綿業恐慌が大規模工場主たちにとっては有利にはたらいたということである。当時、イギリスの綿工場の数は2,887。レッドグレイヴの管轄区域内にはそのうちの7割以上の工場があったという。うち25%の工場は「中小規模」工場で、20馬力未満の蒸気機械で操業していた。あとの75%は20馬力以上の蒸気機械設備で操業する比較的「大規模」な工場であった。中小規模の工場の多くは、1858年以降の好況期に操業が開始されたもので、そのほとんどが綿花飢饉による恐慌のなかで没落していったという。

彼らは工場主の数の1/3を占めていたとはいえ、彼らの工場は綿工業に投下された資本のうち比較にならないほどわずかの部分しか取り込んでいなかった。[480]

一方、綿業恐慌による生産ラインの状況は、

信頼できる評価によると、1862年10月に、紡錘の60.3%と織機の58%が休止していた。これは、この産業部門全体にかんするものであって、個々の地域ではもちろん非常に異なっていた。ほんのわずかな工場だけが完全操業しており(週60時間)、そのほかの工場は断続的に操業していた。[480]

この時期に“かろうじて”操業していた「ほんのわずかな工場」のなかで、労働者がどのような労働条件下におかれていたかは、レッドグレイヴの報告書で詳細に語られている。

アメリカの内乱によってアメリカ合衆国南部諸州で大規模に生産されていた良質な綿花が生産ラインにはいり込まなくなったために、粗悪な綿花が、それに代わってはいり込むことになった。そのため、それまで綿繊維精製のために添加されていた材質が、代用物に変えられた。粗悪な綿繊維は、それまでのものよりも短いから、作業場内の塵、埃はすさまじい量となった。労働条件はこれまで以上に悪化したにもかかわらず、機械設備はこれまでの綿繊維に適応させられていたために、再三に渡って故障をきたしたので、生産ラインは度々中断された。それにかかるコストは、すべて、「出来高賃金」に反映されたため、悪化した労働環境のもとで作業する従業員たちの賃金から差し引かれることになった。従業員たちの健康と賃金を犠牲にして、イギリスの綿工業の大規模工場は、綿業恐慌を乗り切ったのである。

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第1部:資本の生産過程

第4篇:相対的剰余価値の生産

第13章:機械設備と大工業
第8節
大工業によるマニュファクチュア、手工業、および家内労働の変革

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a 手工業と分業とにもとづく協業の廃除

すでに見たように、機械設備は、手工業にもとづく協業と手工業的分業にもとづくマニュファクチュアとを廃除する。[483]

資本主義的経営様式のなかで、大工業経営がたいへん大きな影響力をもち、手工業経営や工場制手工業経営を駆逐してゆくことは、協業形態の発展のうえで不可避的な傾向だ。

しかし、大工業経営が社会で支配的な経営形態になる過程は、一気に、画一的にすすむものではない。先にマルクスは、道具が作業機となることが機械経営の発生のうえで画期をなす、ということを指摘していた(第13章第1節)。ただし、大工業経営は「自動化工場」の出現を必要とする。作業機は、制御可能で人間的地域的制約を脱した原動機とそれに応じて発達した伝動機構と結びつき、相互に作用し発展することで、機械工場の体系を形成したのであった。この、作業機と原動機とが結びつく過程で、作業機が手工業経営の基盤となることがある。

個々の作業機が、協業またはマニュファクチュアに取って代わる限りは、その作業機そのものがふたたび手工業的経営の基礎となりうる。しかし、機械設備にもとづくこのような手工業経営の再生産は、工場経営への過渡をなすにすぎないのであって、機械を動かす場合に機械的原動力すなわち蒸気または水が人間の筋肉に取って代わるやいなや、普通、いつでも工場経営が現われる。[484]

さらに、その過程では、機械経営がもたらす社会的分業の発展にともなって、新しい分野の産業が生み出される。マルクスは、これらの新興産業部門の発展過程に見られる、興味深い特徴を指摘している。それらの産業部門のなかには、必ずしも、全体が一時に機械経営を導入するわけではなく、段階的に、順を追って、協業形態を発展させる産業部門が存在するというのである。

工程の性格上、最初から大規模生産が必要でなかった場合、たとえば封筒製造、鉄ペン製造などのような最近数十年間に新たに登場した諸工業は、通例、工場経営への短期の移行局面として、まず手工業経営を、次いでマニュファクチュアを、経過した。[484]

画一的ではなく、一様ではないながらも、協業形態の発展傾向は、大工業経営を社会の支配的生産様式へと発展させてゆく。
b マニュファクチュアおよび家内労働に及ぼした工場制度の反作用

工場経営の発展に伴う、農業の変革について、マルクスは言及しているのだが、ここではその具体的実態がわからない。

工場制度が発展し、それにともなって農業が変革されるにつれて、あらゆる他の産業部門における生産規模が拡大されるだけでなく、それらの性格もまた変化する。[485]

工場経営が発展するにつれて、機械工場で確立され洗練されてくる諸原理が、手工業経営や工場制手工業経営がいまだ支配的な分業部門に影響を及ぼしてくる。この影響が、その労働現場で作業している労働者や家族にたいして与える激変は相当なものである。

工場経営はそれに応じた設備の配置とそれらに応じた人的配置を前提に発展してゆくが、この経営原理が、なんの設備的基盤も人的基盤もない分業部門に適用されるのである。徒弟制度的なシステムがいまだ支配的な作業場に、急速に、新しい経営原理が適用される。これがマルクスの指摘する「反作用」の実態である。

この反作用にも二つの側面がある。一方では、工場制手工業のもとで固定化されていた分業への労働者の束縛の解体。一方では、労働力の流動化。

いまでは、婦人労働、あらゆる年齢層の児童労働、不熟練工の労働、要するにイギリス人がその特徴から名づけている「チープ・レイバー」、すなわち安い労働を使用できる場合には、つねに分業の計画がこの使用を基礎にして立てられる。[485]

このいわゆる近代的家内工業は、独立の都市手工業、自立した農民経営、とりわけ労働者家族の家を前提とする古い型の家内工業とは、名称以外になんら共通するものをもたない。それは、いまでは、工場、マニュファクチュア、または問屋の外業部に転化している。[485]

マルクスは第1部第8章第2節で

その生産がまだ奴隷労働、夫役労働などというより低い諸形態で行なわれている諸民族が、資本主義的生産様式によって支配されている世界市場に引き込まれ、この世界市場によって諸民族の生産物を外国へ販売することが、主要な関心事にまで発展させられるようになると、奴隷制、農奴制などの野蛮な残虐さの上に、過度労働の文明化された残虐さが接木される。[250]

と指摘していた。ここでは、協業形態の「より低い形態」の工場が、「より高い形態」の協業形態の支配下におかれた場合の「残虐さ」の「接木」が分析されている。

安くて未成熟な諸労働力の搾取は、近代的マニュファクチュアでは本来の工場におけるよりもいっそう恥知らずなものとなる。なぜなら、工場に実存している技術的基礎、機械による筋力の置き換え、および労働の容易さは、マニュファクチュアではほとんど欠けており、同時に婦人のあるいは未成熟者の身体がきわめて非良心的に毒性物質などの影響にさらされるからである。[486]

この搾取は、いわゆる家内労働においては、マニュファクチュアよりもさらに恥知らずなものとなる。なぜなら、労働者の抵抗能力は彼らの分散とともに減退するからであり、一連の盗人的寄生虫が本来の雇い主と労働者のあいだに介入するからであり、家内労働はいたるところで同一生産部門における機械経営あるいは少なくともマニュファクチュア経営と闘争するからであり、貧困は労働者からもっとも必要な労働諸条件――空間、光、換気など――を奪うからであり、就業の不規則さが増大するからであり、最後に、大工業と大農業とによって「過剰」にされた人々のこの最後の避難所においては、労働者の競争は必然的にその最高限度に達するからである。[486]

機械経営によってはじめて体系的に完成された生産手段の節約は、……いまでは、ある産業部門において労働の社会的生産力と、結合された労働課程の技術的基礎とが未発達であればあるほど、その敵対的で殺人的な側面をますますあらわにする。[486]

この段落の最後部分の「労働の社会的生産力と、結合された労働課程の技術的基礎」との発達度合いについての記述は、2つの見方ができると思う。1つは、この小節の考察対象となっている、資本主義的経営のもとにおける、手工業的経営とマニュファクチュア的経営にたいする指摘であるということ。もう1つは、より一般的な、あるいは逆説的な意味合いである。すなわち、「労働の社会的生産力と、結合された」(ここがみそだ)「労働過程の技術的基礎」との、より全面的な発達によって、資本主義的生産様式のもとでの生産手段の節約の反映が、「殺人的」ではないような段階に、乗り越えられる可能性である。深読みだろうか。
c 近代的マニュファクチュア

先の小節で指摘された諸傾向が、具体例で検証される。まず「近代的マニュファクチュア」の実態である。マルクス自身が本文のなかで指摘しているとおり、この実態は「労働日」の章(第1部第8章)で詳細な告発がなされている。

この叙述のなかでたいへん印象的なのは、マルクス(そして『イギリスにおける労働者階級の状態』を調査執筆したエンゲルス)が、女性労働者や児童労働者、そして「一般的な」男性労働者たちの道徳的退廃と肉体的影響とが、彼らのおかれている労働環境の粗悪さに原因があること、あるいは、彼らをその労働過程に引きずり込んでいる、社会的生産様式に原因があることを指摘している点である。

マルクスやエンゲルスは、博愛主義者でもなければ単なる人道主義者でもなかった。少なくとも、『資本論』が刊行された時点では。彼らは冷徹な視点で社会のあり様を観察したのではあったが、その視点の始点は、人間が人間として発達してきた、そもそもの労働のあり様を、科学的に検証し、生産力の発展過程を、人間社会の太い発展方向として見定めているものであった。

女性や子どもたちの「堕落」は、いったいどのようにしてもたらされたのだったろうか。現代の日本で頻発している、少年犯罪、児童虐待などを報道するメディアの視点が、ワイドショー的なものに感じられるから、余計、百数十年前のマルクスたちの人間への視線の温かさを感じざるをえない。

“枢密院”の主席医務官で、『公衆衛生報告書』の公式編纂官であるサイモン博士は、とりわけ次のように述べている――「私の第4次報告書」(1861年)「で示したように、労働者たちの第一の衛生権、すなわち、彼らの雇い主が彼らをどのような仕事のために集めようと、その労働が雇い主によってどうにでもなるものである限り、すべての回避できる不健康な状態から労働が解放されるべきだという権利を主張することは、労働者にとっては実際には不可能である。私は、労働者が自分でこの衛生的正義を獲得することが実際にできないあいだは、彼らは、保健警察当局からなんらかの有効な援助を得ることができないと指摘した。……無数の男女労働者の生命は、いまでは、彼らの就業そのものが生み出す無限の肉体的苦痛によって、いたずらに苦しめられ、縮められている」注(255)『公衆衛生、第6次報告書』、ロンドン、1864年、29,31ページ。[489]

引用されているこの報告書が刊行されてからすでに100年以上を経ている。日本国憲法が公布されたのは1946年11月3日、半年後の1947年5月3日に施行された。その25条にはこう記されている。

第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

マルクスやエンゲルスの叙述した労働者の実態から百数十年を経た現代日本で、はたして、この条項に則った生活を保障されている日本国民は何パーセントいるのだろうか。
d 近代的家内労働

次にマルクスが検証しているのは、資本主義的生産様式のもとにある家内労働の実態である。この実態については、ミシェル・ボネ(Michel Bonne)が彼の著書で告発した現代世界における児童労働の実態と、まったく瓜二つである。

貧しく零落した親たちは、ただ、子供たちからできるだけ多くを絞り出すことしか考えていない。子供たちは、成長すれば、もちろん親たちのことなど少しも気にかけず、親たちを見捨ててしまう。[493]

ここら辺りの記述に妙にリアリティを感じてしまうのは、なぜだろう。

「このような育ちの人々のあいだに、無知と悪徳とが満ちあふれているのは、なんらおどろくにあたらない。……彼らの道徳は最低の段階にある。……多数の女たちは私生児をもっており、しかもかなりの者が、犯罪統計の精通者でさえもおどろくほどの未成熟な年齢である」。そして、この模範的家族の母国は、キリスト教では確かに権威者であるモンタランベール伯に言わせると、ヨーロッパのキリスト教の模範国なのだ![493]

いま、「教育基本法」の「改定」を声高にさけび、「『愛国心』を持つ子どもを」と殊更に言い立てる政治家の多くが、企業や官僚との癒着を指摘されている。

日本において彼らの所属する政党・会派がすすめてきた青少年政策、教育政策はいかなるものだろうか。高校を卒業しても就職するあてのない状況を放置する一方で、彼らの親たちの働く場さえも奪っているのが、彼らのいう「改革」である。また、少年犯罪の多発にたいして、その根っこにあり、国連機関からも告発されている「過度の競争主義的教育環境」は野放し、あるいは強化する一方、犯罪にたいする「報復」措置対象年齢を引き下げる、というのが、政府の「対策」である。「国のため」「子どものため」という言葉が、経営者や閣僚や議員らの口から出てくる時にこそ、用心しなければならないのは、100年前も今日も同様である。
e 近代的マニュファクチュアおよび近代的家内労働の大工業への移行。それらの経営諸様式への工場法の適用によるこの変革の促進

婦人の労働力および未成熟の労働力のむきだしの濫用、あらゆる正常な労働条件および生活条件のむきだしの強奪、そして過度労働および夜間労働のむき出しの残虐さ――これらによる労働力の低廉化は、ついには、踏み越えられない一定の自然的諸制限に突きあたる。それとともに、このような基礎にもとづく商品の低廉化および資本主義的搾取一般も、同じ自然的諸制限に突きあたる。ついにこの点に到達するやいなや――それは長くかかるのだが――機械を採用し、分散した家内労働(あるいはマニュファクチュアも)を工場経営に急転化させる時が告げられる。[494]

ここで言われている「自然的諸制限」とは何か。

販売市場を――とくにイギリスにとっては、イギリスの習慣や趣味までも広まっている植民地市場をも――絶えず拡大させたもの、また日々拡大させているものは、まさに、商品に転化された人間の汗と人間の血との安さであった。ついに、転換点がやってきた。旧来の方法の基礎、すなわち労働者材料の単に野蛮な搾取は、体系的に発展した分業を多少ともともなってはいるが、それだけではもはや、増大する市場、およびいっそう急速に増大する資本家たちの競争にとっては、十分ではなかった。[495]

ミシンが労働者に及ぼした影響

ここでマルクスが取り上げている典型例は、裁縫労働過程全般にわたって導入されたミシンである。

近代的マニュファクチュア、すなわち資本主義的生産様式のもとにおけるマニュファクチュアには、すでに大工業経営が支配的な産業部門から、安い労働力、原料、「半加工品」などが供給されている。しかし、経営様式は手工業的分業形態を維持している。ミシンという「革命的な機械」が導入されても、一時にはその経営形態が崩れることはない。

社会的経営様式の変革という、生産手段の変化のこの必然的産物は、過渡的諸形態が多様に錯綜するなかで遂行される。これらの過渡的形態は、ミシンがすでにあれこれの産業分野をとらえている範囲とその時間的長さによって違うし、労働者の現状によっても、マニュファクチュア経営、手工業経営、あるいは家内労働経営のいずれが優勢かによっても、また仕事場の賃借料などによっても違ってくる。[496-7]

ミシンという機械が革命的であったのは、裁縫労働の多様性に適応する柔軟性を機械そのものの機能として備えていた点にあった。

過渡的形態の多様性は、本来の工場経営への転化の傾向を隠すものではない。この傾向は、ミシンそのものの性格によって助長されるミシンの多様な応用性が、これまで分離していた事業諸部門を同じ建物の中と同一資本の指揮のもとに結合させるからである。また、この傾向は準備的な針仕事やその他若干の作業も、ミシンのあるところでやるのがもっとも適当だという事情によって助長され、最後に、自分自身のミシンで生産する手工業や家内労働者の不可避的な収奪によって助長される。[497]

さらに、ミシン設備拡大のために投下される資本の増大、ミシンそのものの改良と低廉化などによって、ミシンの資本への集中が加速される。さまざまな関連する労働過程が「同じ建物の中と同一資本の指揮のもとに結合」される傾向は、必然的に、原動力を機械力に置き換えられる段階に至る。

ミシンの導入過程の描写で、たいへん興味深い部分がある。現代日本で私たちが活用しているパソコンの低廉化にもあてはまるような傾向を指摘した部分である。

やむことなく続くミシンの構造変化と低廉化とは、その古い型のものをも同じように絶えず減価させる。[498]

また、マルクスの考察のリアルさを実感させる叙述部分がある。原動力が機械力となり、作業機としてのミシンの改良という相互作用を引き起こす件である。

蒸気力の応用は、最初は、機械の振動、機械速度の調整の困難、軽量機械の急速な破損などのような、純粋に技術的な障害につきあたるが、それらは、経験がやがて克服することを教えるような障害にすぎない。[498]

工場法適用産業部門の拡張による産業革命の促進

この自然発生的に進行する産業革命は、婦人、年少者、児童が労働しているあらゆる産業部門に工場法が拡張されることによって、人為的に促進される。労働日の長さ、休憩、始業および終業時刻についての強制的規制、児童の交替制度、一定の年齢に満たないすべての児童の使用禁止などは、一方で、機械設備を増加させ、動力としての蒸気によって筋肉に代置されることを必要ならしめる。他方、時間で失われるものを空間で取りもどすために、共同で利用される生産手段、炉や建物などの拡張が起こる。すなわちひとことで言えば、生産手段のより大きな集中およびそれに照応する労働者のより大きな集合が起こる。[499]

工場法の適用は生産条件の整備を強制する

工場経営の本質的条件は、とくに労働日の規制を受けてからは、結果の正常な確実性、すなわち、与えられた時間内に一定分量の商品または所期の有用効果を生産することである。さらに、規制された労働日の法定の休憩は、労働が突然に、または周期的に休止されても、生産過程内にある製品は損害を受けないとみなしている。結果のこの確実性と労働の中断可能性とは、たとえば、製陶業、漂白業、染色業、製パン業およびたいていの金属製造業などのように、化学的および物理的諸工程が役割を演ずる工場よりも、純粋の機械的工場でのほうが、もちろん、容易に達成されうる。[499]

しかしあらゆる産業部門に工場法が適用されると、その達成が比較的容易ではない工場でも、工場法にもとづく生産工程の変革を迫られた。

それゆえ、ある産業部門に工場法を導入するさいに、6カ月ないし18カ月の猶予期間が設けられ、その間に工場主が技術的障害を除去することになった。[501]

この傾向は必然的に工場設備への資本投下の増大傾向を呼び起こす。周辺の手工業経営主らの没落と資本の集中が促進される。
工場法の適用は過度労働の最初の合理的抑制となる

純粋に技術的な、そして技術的に除去しうる障害を別とすれば、労働日の規制は労働者たち自身の不規則な習慣にぶつかる。……労働力の支出におけるこの不規則性は、単調な労働酷使の退屈さにたいする一つの自然発生的な粗野な反動であるが、しかし、それは比較にならないほど高い程度において生産の無政府性そのものから発生するのであって、この無政府性はまた資本による労働力の拘束されない搾取を前提としているのである。産業循環の一般的な周期的変動および各生産部門における特殊な市場の動揺のほかにも、とくに、航海に好都合な季節の周期性にもとづくにせよ、あるいは流行にもとづくにせよ、いわゆるシーズンがあり、またごく短期間で処理されなければならない大注文の突発性がある。このような注文の習慣は、鉄道および電信とともに拡大する。[501-2]

「注文の突発性」という点では、交通や電信手段が格段に発達している現代社会においては、当時と比較にならないくらい大きくなっている。

「……何年か前には、われわれはいつでも、暇なあいだに次の季節の需要にそなえてあらかじめ働くことができたが、いまでは、だれも次にどんな需要があるのか予言することはできない」(284)『児童労働調査委員会、第4次報告書』、XXXIIページ。「鉄道体系の拡張は、突然の発注というこの慣習におおいに寄与し、その結果である労働者の繁忙、食事時間の無視、超過時間に寄与するところ大であったと言われている」(同前、XXXIページ)。[502]

このあとにマルクスは工場法の適用を受けていない工場やマニュファクチュアでの過度労働を告発しているが、現代日本で身近によく見聞きする青年労働者の実態とたいへん似通っている。

「われわれの雇い主は、奇妙な人たちです。彼らは、一人の少年が半年間は死ぬほど働かされ、あとの半年間はほとんどぶらぶらせざるをえなくされても、その少年になんの害も与えていないと信じています」(286)『児童労働調査委員会、第4次報告書』、127ページ、第56号。[503]

現代日本にも、ずいぶん「奇妙な人たち」がおおぜいいるようだ。

「児童労働調査委員会」の根本的に良心的な調査が、実際に証明しているのは、いくつかの産業において、すでに使用されている労働総量は、労働日の規制によってのみ1年を通じて均等に配分されるであろうこと、この労働日の規制は、殺人的な、無内容な、それ自体大工業の制度に不適当な流行の気まぐれにたいする最初の合理的な抑制であること、大洋航海および交通手段一般の発達は、季節労働の本来の技術的基礎をとり去ったこと、その他すべての統御できないと言われる諸事情も、建物の拡張、機械設備の追加、同時に就業する労働者数の増加、および卸売商業の制度にたいしおのずから起こってくる反作用によって一掃されるということである。けれども資本は、その代弁者の口を通じて繰り返し明らかにされているように、労働日を強制法的に規制する「一般的な議会制定法の圧力下でのみ」、このような変革に同意するのである。[503-4]

文字通り、死ぬほどの過度労働や、いわゆる「サービス残業」と呼ばれるただ働きの蔓延にたいして、政府・行政が「労使の話し合いによる解決を」とうそぶいていることの欺瞞は明らかである。マルクスがここで指摘している課題は、今日的にもたいへん重要な意義をもっている。

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第1部:資本の生産過程

第4篇:相対的剰余価値の生産

第13章:機械設備と大工業
第9節
工場立法(保健および教育条項)。イギリスにおけるそれの一般化

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資本主義的生産様式の発展過程で、とくに大工業時代に、社会がその社会の生産過程にたいする制御の形態として生みだしたのが工場立法だった。

工場立法、すなわち社会が、その生産過程の自然成長的姿態に与えたこの最初の意識的かつ計画的な反作用は、すでに見たように、綿糸や自動紡績機や電信と同じく、大工業の必然的産物である。[504]

この「意識的かつ計画的な」制御は、労働日のみならず、労働者の身体の保護と、初等教育の義務付けに及んでいた。

この制御がなければ、労働者の手足は工場機械にもぎとられ、また、工場の生産過程に順応した知識と技能をもたず、文化的生活を営めない一大階層を生みだしてしまうのが、資本主義的生産様式なのである。
保健条項をめぐって

工場立法の最低限の「保健条項」にたいして、出費を惜しむ工場主たちの反発があり、それとの切り結びのなかから、「保健条項」の厳格な適用が一つひとつ勝ちとられてきたのであった。

アイルランドでは最近20年間に亜麻工業が非常に増え、それにつれスカッチング・ミル(亜麻を打ちくだくための工場)も非常に増加した。アイルランドには1864年にこうしたミルが1800あった。秋と冬には周期的に、主として年少者と婦人、すなわち近隣の小作人の息子や娘や妻で、機械設備のことはまったく知らない人々が、畑仕事からつれてこられて、スカッチング・ミルのローラーに亜麻を食わせる。その災害は、数から見ても程度から見ても、機械史上まったく類例を見ない。キルディナン(コーク近郊)のただ一つのスカッチング・ミルだけでも、1852年から1856年にかけて、6件の死亡と60件の不具になるほどの重傷を数えているが、それらはすべて、数シリングしかかからないきわめて簡単な設備で防止できたものであった。[505]

資本主義的生産様式には、もっとも簡単な清潔・保健設備でさえ、国家の強制法によって押しつける必要があるということ、これ以上にこの生産様式をよく特徴づけうるものがほかにあるだろうか?[505]

Scutching mills の装置とは、具体的にどのようなものだったのか。おおまかに知ることができたのは、検索エンジンでたどりついた、The Ulster Folk and Transport Museum という「ビジター・アトラクション」のサイトの説明からだった。ここでの説明も、ほぼ、マルクスの叙述どおりで、マルクスの指摘を裏づけるものとなっている。

マルクスは前の節で、工場法適用が労働条件の整備を強制し、過度労働を抑制することを指摘していた。しかし、この節で取り上げられている「保健条項」をめぐって、マルクスは次のような指摘を行なっている。

同時に工場法のこの部分は、資本主義的生産様式が、その本質上、一定の点を超えるとどのような合理的改良をも排除するものだということを的確に示している。[506]

マルクスの記述によれば、1866年当時イギリスの医師たちは、労働者1人あたり最低約5メートル四方(約152立方メートル)の空間を確保することが健康保全上必要だと見なしていた。この基準を満たす労働条件の整備の強制は

何千人もの小資本家を一挙に直接に収奪するものであろう! この法律的強制は、資本主義的生産様式の根底を、すなわち、労働力の「自由な」購入と消費による資本の大なり小なりの自己増殖を、おびやかすであろう。[506]

先に指摘されていたことだが、工場法が強制する労働条件の整備にはそれ相応の資本を必要とする。この整備に見合った資本力を持たない工場主たちは没落し、生産手段や労働力はより大きな資本をもつ工場主たちに吸収されてゆくことになる。

マルクスが告発しているように、1人あたり5メートル四方の空間は健康保全のためには必要だが、大工業経営のもとではそれだけの空間の確保は不可能だと見なされるにいたるのである。

保健関係当局、産業調査委員会、工場監督官たちは、500立方フィートの必要性とそれを資本に強制することの不可能とを、再三にわたって繰り返している。彼らは、このように実際には、労働〔者〕の肺結核その他の肺疾患が資本の生活条件であると宣言しているのである。[506]

教育条項をめぐって

マルクスは、工場法の適用によって初等教育が児童労働者たちに保障されたことについて、次の点を指摘している。

教育および体育を筋肉労働と結合することの可能性、したがってまた、筋肉労働を教育および体育と結合することの可能性[507]

そしてマルクスは、この「結合」が有益であることを、『工場監督官報告書』から見出している。

「……ただ半日しか学校にいない生徒たちには、つねに新鮮であり、ほとんどいつでも授業を受け入れる力があるし、またその気もある。半労半学の制度は、二つの仕事のそれぞれ一方を他方の休養と気晴らしにするものであり、したがって児童にとっては、二つのうちの一つを絶え間なく続けるよりもはるかに適切である。朝早くから学校に出ている少年は、とくに暑い天候のときには、自分の仕事を終えて元気溌剌として来る少年とは、とうてい競争できない」(299)『工場監督官報告書。1865年10月31日』、118、119ページ。[507]

「最後の1時間」で有名なシーニア博士も、この効果を認めざるをえなかったらしい。そのことをめぐって、マルクスお得意の皮肉たっぷりの指摘がある。

1863年のエディンバラにおける社会科学大会で、シーニアがおこなった講演……ここで彼はとりわけ、上流階級および中流階級の児童の一面的な不生産的で長い授業時間が、教師の労働をいたずらに増加させるということ、「他方、このような授業時間が、児童の時間や健康やエネルギーを、ただむだにするだけでなく、まったく有害に浪費させる」ということを示している。[507]

(300)シーニア、『議事報告』、ロンドン、1863年、66ページ、「社会科学振興国民協会」第7年次大会における講演。一定の高度に達した大工業が、物質的生産様式と社会的生産関係との変革によって人間の頭脳を変革するということは、1863年のN.W.シーニアの講演と1833年の工場法にたいする彼の反対演説とを比較すればはっきりわかる……[508]

さらに、マルクスはこの教育制度に見られる「未来の教育」のあり方の萌芽を指摘している。

工場制度から未来の教育の萌芽が芽ばえたのであり、この未来の教育は、社会的生産を増大させるための一方法としてだけでなく、全面的に発達した人間をつくるための唯一の方法として、一定の年齢以上のすべての児童にたいして、生産的労働を知育および体育と結びつけるであろう。[508]

マルクスのこの指摘は、「児童労働容認」の立場からのものではない。社会における、富めるものと富から「自由な」ものとの分離・対立。それとともに発生した、肉体労働と精神労働との分離・対立を、ふたたび結合させ統一することの重要性が指摘されている箇所だと思う。

この段落以降、マルクスは、社会的規制のもとにおかれていない「大工業の資本主義的形態」における分業が、いかに肉体的精神的退廃をもたらすかということを、マニュファクチュア的分業と比較しながら分析している。

大工業は、一人の人間全体を生涯にわたって一つの細部作業に結びつけるマニュファクチュア的分業を技術的に廃除するが、同時に、大工業の資本主義的形態は、この分業をいっそう奇怪なかたちで再生産する。……マニュファクチュア的分業と大工業の本質との矛盾は、……とりわけ、近代的工場およびマニュファクチュアに就業している児童の大部分が、ほんの幼少のころからもっとも単純な操作にかたく縛りつけられ、長年にわたって搾取されていながら、しかも、のちに彼らがせめて同じマニュファクチュアか工場で使えるようななんらかの労働をも習得できない、という恐るべき事実のなかに現われている。[508-9]

ここでは「書籍印刷業」の少年工たちが例示されている。たしかに「恐るべき」実態である。
「秘伝」から「技術学」へ

つぎにマルクスが分析しているのは社会の生産技術の発展についてである。それはその社会内部の分業のあり方と不可分に結びついている。

「部分労働の地域的人的固定化」を特徴とする手工業的マニュファクチュア的分業は、一生産者が本来持ち合わせている能力の多様性を基盤にして、生産過程の部分部分を特殊化した。そして特殊化された生産過程に応じて、技術的形態が完成され、昇華された。この過程はたいへん長期にわたる漸次的なものであった。

経験的に適応した形態がひとたび得られると、労働用具も骨化するのであって、そのことは、しばしば千年にもわたってある世代の手から他の世代の手へと伝えられていくことが証明している。18世紀までは特殊な生業が“秘伝技”と呼ばれ、その神秘の世界には、経験的かつ職業的に秘伝を伝授された者のみがはいることができたということは、特徴的であった。[510]

近代のテクノロジー、技術学は、この「神秘のヴェール」を引き裂いた。その革命的性格をマルクスは次のように指摘している。

社会的生産過程の多様な、外見上連関のない、骨化した諸姿態は、自然科学の意識的に計画的な、そしてめざす有用効果に従って系統的に特殊化された応用に分解された。技術学は、使用される道具がどれほど多様であろうとも、人間の身体のあらゆる生産行為が必然的にそのなかで行なわれる少数の大きな基本的運動諸形態を発見した[510]

大工業における絶え間ない技術革新は、社会内部の分業も絶えず変革した。

それゆえ大工業の本性は、労働の転換、機能の流動、労働者の全面的可動性を条件づける。[511]

しかし同時に大工業は、部分労働の特殊化と分立化の基準を、生理学的基準から力学的技術的基準へと推し進め、部分労働を機械経営に付属したより無内容なものにし、労働者をその極度に特殊化された労働に縛りつける。これは第4節工場の当該箇所ですでにマルクスが考察している。

これら、労働者の全面的可動性と、新たな部分特殊労働の分立化という矛盾が

労働者の生活状態の一切の平穏、堅固、および安全をなくしてしまい、労働者の手から労働手段とともに絶えず生活手段をたたき落とそうとしており、そして、労働者の部分機能とともに彼自身を過剰なものにしようとしている。さらに、この矛盾は、労働者階級の絶え間ない犠牲の祭典、諸労働力の際限のない浪費、および社会的無政府性の荒廃状態のなかで、暴れ回る。[511]

「労働の流動化」と「人間の全面的発達」との関連

マルクスはこの「否定的側面」をめぐって、次のような興味深い分析を行なっている。たしかに「生産の社会的無政府性」から必然的に発生する「自然法則の盲目的に破壊的作用」によって、労働者はあちらの工場からこちらの工場へ、さもなくば短期ないし長期の失業状態へと振り回されるのであるが、

大工業は、労働の転換、それゆえ労働者の可能な限りの多面性を一般的生産法則として承認し、そしてこの法則の正常な実現に諸関係を適合させることを、自己の破局そのものを通じて、死活の問題とする。[511-2]

これは矛盾である。そして矛盾の対立はそれを統一しようとする内的必然的傾向から、新たな段階の矛盾へと発展せざるをえない。

大工業は、資本の変転する搾取欲求のために予備として保有され自由に使用されうる窮乏した労働者人口という奇怪事の代わりに、変転する労働需要のための人間の絶対的な使用可能性をもってくることを――すなわち、一つの社会的な細部機能の単なる担い手にすぎない部分個人の代わりに、さまざまな社会的機能をかわるがわる行なうような活動様式をもった、全体的に発達した個人をもってくることを、死活の問題とする。[512]

マルクスはこの後に事例としてあげる職業教育機関などにかかわって、たいへん典型的な実例を挙げている。

(308)あるフランス人労働者は、彼がサンフランシスコから帰るさいに、次のように書いている――「私は、カリフォルニアでやっていたあらゆる仕事が自分にできようとは、思ってもみませんでした。私は、書籍印刷業のほかにはなんの役にも立たないものと固く信じていました。……自分の仕事をシャツよりも無造作に取り替える冒険者たちのこの世界の真ん中にひとたびはいると、どうでしょう! 私は他の者と同じようにやりました。鉱山労働の仕事はあまりもうからないことがわかったので、それをやめて町に移り、そこで、つぎつぎに植字工、屋根ふき、鉛工などになりました。どんな仕事でもできるというこの経験によって、私は、自分が軟体動物というよりもむしろ人間であるということを感じています」(A.コルボン『職業教育について』、第2版〔パリ、1860年〕、50ページ)。

マルクスのこの評価は、資本主義的生産様式のもとにおける教育制度を丸ごと容認しているものでないことは、次の叙述で明らかである。以下の考察には、資本主義社会をのりこえた社会での教育をめぐるマルクスの展望が示されている。なおかつ、その社会は、「労働者階級による政治権力の獲得」が避けることのできない必然的必要条件であることも。マルクスの指摘する具体的「契機」とは、「総合技術および農学の学校」「職業学校」。――宮沢賢治の「羅須地人協会」の取り組みを連想した。

工場立法は、資本からやっともぎ取った最初の譲歩として、初等教育を工場労働と結びつけるにすぎないとすれば、労働者階級による政治権力の不可避的な獲得が、理論的および実践的な技術学的教育のためにも、労働者学校においてその占めるべき席を獲得するであろうことは、疑う余地がない。また、生産の資本主義的形態とそれに照応する経済的な労働者の諸関係とが、そのような変革の酵素とも、また古い分業の止揚というその目的とも真正面から矛盾することは、同じように疑う余地がない。[512]

しかし、なおもマルクスは次のように指摘する。

一つの歴史的な生産形態の諸矛盾の発展は、その解体と新たな形成との唯一の歴史的な道である。[512]

こういう叙述に、マルクスが青年期から取り組んだヘーゲルの弁証法的思考の学びを感じる。資本主義的生産様式を、歴史的にとらえる観点があったからこその叙述部分ではないだろうか。

単純に当てはめることはできないが、今日のわが国の教育制度の現状を考えるうえで、たいへん示唆的な叙述がある。

(309)経済学史における真に傑出した人物、ジョン・ベラーズは、対立した方向にではあるが社会の両極に肥大症と萎縮症とを生み出すこんにちの教育と分業との必然的廃止を、すでに17世紀末にきわめて明確に把握していた。彼は、とりわけ次のようにみごとに述べている――「怠けながら学ぶことは、怠けることを学ぶよりも、ほんのわずかましであるにすぎない。……肉体労働は、もともと神のおきてである。……労働が肉体の健康にとって必要なのは、食事が肉体の生存にとって必要なのと同じである。なぜなら、安逸によってまぬがれる苦痛は、病気となって現われるだろうからである。……労働は声明のランプに油を注ぎ、思考はランプに点火する。……」(『あらゆる有益な商工業と農業のための産業高等専門学校設立の提案』、ロンドン、1696年、12、14、16、18ページ〔浜林正夫訳、所収『イギリス民衆教育論』、明治図書、28-34ページ〕)。[513]

「子どもの権利」

児童労働の実態の凄まじさについては、これまでマルクスが幾度も数々の資料を駆使して告発してきた。先にマルクスが考察しているように、家内労働は、大工業経営が社会で支配的な生産様式として確立するにつれ、「近代的家内労働」として、工場におけるよりもよりあからさまに、その作業場において資本主義的生産様式の性格を発揮する。工場立法の適用が、いよいよそれら近代的家内労働に適用される段階にいたったとき、その経営基盤となっている家父長的領域が揺るがされることになる。

工場立法が、工場やマニュファクチュアなどにおける労働を規制する限りでは、このことは、さしあたり、資本の搾取権にたいする干渉として現われるにすぎない。それに反して、いわゆる家内労働のあらゆる規制は、ただちに“父権”にたいする、すなわち近代的に解釈すれば親権にたいする直接的干渉として現われる。……事実の力は、ついに、大工業が古い家族制度とそれに照応する家族労働との経済的基礎とともに、その古い家族関係そのものを解体するということを、いやおうなく認めさせた。児童の権利が宣言されなければならなかった。[513]

マルクスは、家族労働そのもののうちに児童労働の強化をもたらす要因をみているのではなかった。これまで幾度かマルクスによって告発されてきた児童労働の実態をもたらしたのは、それまで長い期間を経て培われてきた家内労働のさまざまな条件では間に合わないほどの激変をもたらした、大工業的経営の影響だったのだ。「児童労働調査委員会」という公的機関がつくられざるをえないほど、子どもたちの心身に深刻な影響をもたらした「親権の濫用」は、むしろ家内労働そのものからよりも、家内労働の経済的基盤を打ち壊した「資本主義的搾取様式」によってもたらされたのだ、とマルクスは指摘する。

家内労働の経済的基盤を打ち壊した資本主義的搾取様式は、「古い家族関係そのものを解体」した。

資本主義制度の内部における古い家族制度の解体が、どれほど恐ろしくかつ厭わしいものに見えようとも、大工業は、家事の領域のかなたにある社会的に組織された生産過程において、婦人、年少者、および児童に決定的な役割を割り当てることによって家族と男女両性関係とのより高度な形態のための新しい経済的基礎をつくり出す。……きわめてさまざまな年齢層にある男女両性の諸個人が結合された労働人員を構成していることは、労働者が生産過程のためにあって、生産過程が労働者のためにあるのではないという自然成長的で野蛮な資本主義的形態においては、退廃と奴隷状態との害毒の源泉であるとはいえ、適当な諸関係のもとでは、逆に、人間的発展の源泉に急変するに違いない。[514]

家族形態の在り様というのは、歴史的なものだとマルクスは指摘している。資本主義制度はそれまでの古い家族関係を解体する。それは「親権の濫用」をもたらすと同時に、資本主義制度の向こうに展望されるより高度な社会形態における新たな人間関係の土台をつくる。

マルクスがここで「家事の領域のかなたにある社会的に組織された生産過程」と言っているように、未来社会における人間関係、家族関係を考える際に、マルクスは「家族」という単位そのものがなくなることは想定していない。「古い家族制度の解体」は「家族」そのものを解体させるのではなく、新たな家族関係を形成する土台をつくるのだ。

しかし、「自然成長的で野蛮な資本主義的形態においては、退廃と奴隷状態との害毒の源泉である」という傾向は、マルクスの時代から100数十年を経た現代日本資本主義のもとでも同様である。労働時間の拡大と、労働の過密化、その一方での失業者群の再生産と労働者の購買力の低下……。現代日本でも、国策として行なわれている資本主義制度の「野蛮さ」の拡大は、家族を構成する個々人の安穏の場であるはずの家庭を、狭く、ゆがんだものにしている。新しい家族関係、人間関係を形成するためには、「適当な諸関係」をつくり出す意識的主体的な努力がなにより不可欠なのだ。
工場法適用の拡大は「大工業の歴史的な発展行程から生じる」

協業形態の発展は、大工業経営を社会の支配的生産様式としてゆく。手工業、マニュファクチュア、家内労働は、大工業的経営の影響をもれなく受けることになり、そのことが、工場法の適用の拡大を促す。このことはこれまでのマルクスの分析のなかで明らかにされてきた。さらにマルクスは、もう一つの角度から、工場法適用の拡大傾向を促進する要因を分析している。

「自由競争」の原理が満遍なく貫かれている社会のただなかに、社会的規制によって粗野な搾取に制限が加えられる作業場あるいは工場がポツンポツンと現われると、まだ制限が加えられていない作業場あるいは工場で、制限による「損失」を埋め合わせようとする傾向が生じる。この搾取の貪欲さこそ、「大工業の歴史的な発展行程」そのものなのだが、そのことが、社会的規制の適用の拡大を呼び起こす。それはなにより、規制され制限を受けているものにとっての「不公平感」によって、「搾取の平等」にたいする要求が生まれてくるからである。

「自分は、工場法実施のどんな誓願にも署名するつもりである。とにかく自分は、仕事場を閉めてから、他人がもっと長く作業させて自分の注文を横取りしはせぬかと考えると、夜もおちおちしていられない」〔『児童労働調査委員会、第5次報告書』、IXページ、第28号〕[515]

「比較的大きな雇い主の諸工場を規制に服させるのに、小経営は同じ事業部門でも労働時間の法的制限になんら服していないのは、大きな雇い主にたいし、不当であろう。比較的小規模な作業場を除外すれば、労働時間にかんする競争条件が平等でなくなるという不公平に加えて、大工場主たちにとっては、もう一つの不利益が加わるであろう。彼らにたいする青少年労働および婦人労働の供給が、法律の適用をまぬがれている諸作業場に向けられるということである。最後に、このことは、比較的小さな作業場を増加させる刺激となるであろうが、このような作業場は、ほとんど例外なしに国民の健康、快適、教育、および一般的改善にとって、もっとも好ましくないことである」〔『児童労働調査委員会、第5次報告書』、XXVページ、第165-167号〕[515]

「児童労働調査委員会」は、その最終報告において、140万人を超える児童、年少者、婦人――そのほぼ半分が小経営および家内労働によって搾取される――を工場法のもとに置くよう提案している。[516]

工場法「拡大」は、「親権」だけではなく、妻にたいする夫の強制力にたいしても法的強制力のもとにおくことになる。イギリスにおいて、1867年8月15日に「勅裁」を受けた「工場法拡張法」第7条には、次のように記されていたという。

第7条、すなわち、この法律の諸規定に違反して、児童、青少年労働者、および婦人を就業させることにたいする罰則条項は、作業場の所有者――親であるかどうかにかかわらず――にたいしてのみならず、「児童、青少年労働者あるいは婦人の保護者であるか、あるいはその労働から直接の利益を受ける、親またはその他の者」にたいしても、罰金を規定している。[518]

次に展開されるマルクスの叙述――「告発」と言ったほうが近いかもしれないが――には、現代日本の労働基準監督署の職員配置実態を彷彿とさせるものがある。

“作業場規正法”は、そのすべての細目にわたってひどいものであり、その施行を委任された都市および地方の諸官庁の手のなかで死文のままになっていた。議会が、1871年に、その全権をこれらの官庁から取り上げて、工場監督官に委任したので、彼らの監督地域では一挙に10万以上の作業場が増え、煉瓦製造所だけで300も増えたが、工場監督官の職員は、それまででもひどい手不足であったのに、慎重至極にもわずか8人の補助員が増員されただけであった。[518]

資本主義社会の発達期、資本家階級と労働者階級とのせめぎ合いは、率直ではないにしろ議会にも反映した。

1867年のこのイギリスの立法で目立つことは、一面では、資本主義的搾取の行きすぎにたいし、まったくなみはずれの広範な対策を原則的に採用する必要が、支配階級の議会に強要されたことであり、他面では、議会がそのあとでこの対策を現実に実行するにあたって示した中途半端、嫌悪、および“不誠意”である。[519]

このせめぎ合いのなかの「中途半端、嫌悪、および“不誠意”」という、きわめて「謙虚な」言い回しで指摘されている胸糞の悪い実態は、このあと数ページにわたる報告書の紹介によって告発されている。むろん、この19世紀の鉱山労働者の実態は過去のものではない。とりあえず鉱山労働者にかぎってみても、塵肺障害による深刻な健康侵害は、今日、21世紀初頭にいたるまで、資本の側が正面からその社会的責任を認めていないものだし、日本国の裁判制度においても、かろうじて数十年を経て、ようやく社会的責任を司法の上で問うことができたにすぎない。実際の社会的賠償はこれからの課題である。

それでもなお、資本の搾取欲求は社会的強制力によって規制されなければならない、という一定の合意は広がっていかざるを得ない。

とにかく、1872年の法律は、どんなに欠陥だらけであっても、鉱山で働く児童の労働時間を規制し、採鉱業者および鉱山所有者に、ある程度まで、いわゆる災害にたいする責任を負わせる最初の法律である。……私がここで注意を促さなければならないことは、こうした諸原則を一般的に適用しようとする抗しがたい傾向が存続していることである。[525]

資本の集中・専制の一般化が資本の支配にたいする闘争をも一般化する

労働者階級の肉体的および精神的な保護手段として工場立法の一般化が不可避的になると、他方では、それは、すでに示唆したように、矮小な規模の分散した労働過程から大きな社会的規模での結合された労働過程への転化を、したがって資本の集中と工場体制の専制とを、一般化し、かつ促進する。工場立法の一般化は、資本の支配をなお部分的に背後におおい隠しているすべての古い諸形態および過渡的諸形態を破壊して、資本の直接的なむき出しの支配をもってこれに代える。したがってそれは、資本の支配にたいする直接的な闘争をも一般化する。工場立法の一般化は、個々の作業場においては、斉一性、規則正しさ、秩序、および節約を強要するが、他方では、労働日の制限と規制が技術に押しつける強大な刺激によって、全体としての資本主義的生産の無政府性と破局、労働の強度、そして機械と労働者との競争を増大させる。工場立法の一般化は、小経営および家内労働の領域とともに、「過剰人口」の最後の避難所を、そしてそれとともに全社会機構の従来の安全弁を破壊する。工場立法の一般化は、生産過程の物質的諸条件および社会的結合とともに、生産過程の資本主義的形態の諸矛盾と諸敵対とを、それゆえ同時に、新しい社会の形成要素と古い社会の変革契機とを成熟させる。[525-6]

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第1部:資本の生産過程

第4篇:相対的剰余価値の生産

第13章:機械設備と大工業
第10節
大工業と農業

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大工業が、農業およびその生産当事者たちの社会的関係に引き起こす革命は、もっとあとになってはじめて述べることができる。[527]

『資本論』第1部の目次によれば、第23章「資本主義的蓄積の一般的法則」、第5節「資本主義的蓄積の一般的法則の例証」、e「大ブリテンの農業プロレタリアート」、という項目がある。また、第24章「いわゆる本源的蓄積」、第2節「農村民からの土地の収奪」、また同章第4節「資本主義的借地農場経営者の創生期」、第5節「工業への農業革命の反作用。産業資本のための国内市場の形成」、などの項目がある。

この節では、「簡単な示唆」と称しながら、かなり多岐にわたる興味深い指摘が行なわれている。

マルクスは、「農民」階級を旧社会の「堡塁」と呼んだ。封建制の経済的社会的基盤であった農村において、その村落共同体を形成している集団。こういうと語弊があるだろうか。

農業分野における機械化は、労働者の過剰化をいっそうあからさまに促進する。同時に農村人口の減少と都市人口への人口集中をはげしくする。

農業の部面において、大工業は、それが古い社会の堡塁である「農民」を破滅させ、彼らを賃労働者と置き換える限りにおいて、もっとも革命的に作用する。こうして、農村の社会的変革要求および社会的諸対立は、都市におけるそれらと均等化される。[528]

この「革命的作用」のさまざまな現われを、マルクスは列挙している。[528-9]

非合理的経営に代わって、科学の意識的技術的応用が現われる
農業およびマニュファクチュアなどの生産様式の発展度合いに対応していた家族関係の解体が完了する
農業と工業の対立を生みだすと同時に、この対立を基礎とする、より高い総合、結合の物質的諸前提をつくり出す。
都市への賃労働者の集中によって、「社会の歴史的原動力を蓄積する」と同時に、「人間と土地とのあいだの物質代謝」を撹乱し、このことによって「都市労働者の肉体的健康と農村労働者の精神生活とを……に破壊する」が、同時に、「完全な人間の発展に適合した形態において」、物質代謝を、「社会的生産の規制的法則として」「体系的に再建することを強制する」。
農業においても、「生産過程の資本主義的転化」は、労働手段の「労働者の抑圧手段、搾取手段、および貧困化手段」への転化として現われ、「労働過程の社会的結合は労働者の個人的活気、自由、および自立性の組織的圧迫として現われる」。
「近代的農業においては、労働の生産力の上昇と流動化の増大とが、労働力そのものの荒廃と衰弱とによってあがなわれる」。
「一定期間にわたって土地の肥沃度を増大させるためのあらゆる進歩」が「同時に、この肥沃度の持続的源泉を破壊するための進歩」として現われる。

資本主義的生産は、すべての富の源泉すなわち土地および労働者を同時に破壊することによってのみ社会的生産過程の技術および結合を発展させる。[530]

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第1部:資本の生産過程

第5篇:絶対的および相対的剰余価値の生産
第14章
絶対的および相対的剰余価値

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マルクスは第5章において、労働過程の一般的規定として、つぎのことを指摘していた。すなわち、労働過程全体を、生産物から考察するならば、労働そのものは生産的労働として現われる、という考察である。しかし、マルクスは第5章の該当部分に対応する注でつぎのように補足していた。([196])

注(7)生産的労働のこの規定は、単純な労働過程の立場から生じるのであって、資本主義的生産過程にとっては決して十分なものではない。[196]

労働過程は資本主義的生産様式のもとで、どのような特殊性を帯びるのか。
一般には「生産的労働」の概念が拡大する

生産物は、一般に、個人的生産者の直接的生産物から一つの社会的生産物に、一つの総労働者、すなわち一つの結合された労働人員――その成員は労働対象の処理に直接または間接にかかわっている――の共同生産物に、転化する。そのため労働過程そのものの協業的性格とともに、生産的労働の概念や、その担い手である生産的労働者の概念も、必然的に拡大される。生産的に労働するためには、みずから手をくだすことはもはや必要でない。総労働者の器官となって、そのなんらかの部分機能を果たせば十分である。生産的労働にかんする前述の本源的な規定は、物質的生産そのものの性質から導き出されたものであり、全体として見た場合の総労働者にとっては依然として真実である。しかし、その規定は、個々に取り上げられたその各成員にとっては、もはやあてはまらない。[531-2]

ここで言われている「一般に」という意味は、たぶん、「資本主義的生産様式一般」という意味ではなく、「協業的労働一般」という意味だろう。協業的性格の発展にともない、社会的分業のあり様も複雑化し、とくに精神労働と肉体労働の分離・対立は先鋭化してゆく。
「生産的労働」の概念がせばめられる

資本主義的生産は商品の生産であるだけでなく、本質的には剰余価値の生産である。労働者は自分のためにではなく、資本のために生産する。それゆえ、彼が一般に生産を行なうということだけでは、もはや十分でない。彼は剰余価値を生産しなければならない。資本家のために剰余価値を生産する、すなわち資本の自己増殖に役立つ労働者だけが、生産的である。……生産的労働者の概念は、決して単に活動と有用効果との、労働者と労働生産物との、関係を含むだけでなく、労働者を資本の直接増殖手段とする、特殊に社会的な、歴史的に成立した生産関係をも含んでいる。[532]

資本のもとへの「労働の包摂」

これまで第3篇から第4篇にわたって考察されてきた、資本主義的生産様式における剰余労働のあり様が概観され、その歴史的関連が示される。

絶対的剰余価値の生産……それは資本主義制度の一般的基礎をなし、また相対的剰余価値の生産の出発点をなしている。……資本主義的な生産様式……は、……最初は、資本のもとへの労働の形式的包摂を基礎として、自然発生的に成立し、発展させられる。形式的包摂に代わって、資本のもとへの労働の実質的包摂が現われる。[532-3]

「高利資本」と「商業資本」

以前、考察対象としては保留されていた「高利貸資本」「商業資本」についての言及がある。この段落部分で指摘されている「資本のもとへの労働の包摂」という観点から、まず次のように分析されている。

剰余労働が直接的強制によって生産者から汲み出されることもなく、また資本のもとへの生産者の形式的従属も生じていない中間諸形態……。ここでは資本はまだ労働過程を直接には征服していない。[533]

以下これら「中間形態」の特徴が列挙されている。[533]

伝統的様式によって自立的経営を行なう手工業者や農民などとならんで現われ、自立的生産者に「寄生」し搾取する。
ある社会のなかでこれらの搾取形態が優勢だと資本主義的生産様式は排除されるが、資本主義的生産様式への過渡も形成しうる。――「中世後期におけるように」
外見上かなりの変化を遂げてはいるが、大工業経営が支配的な社会においても「ところどころに再生産される」。

絶対的剰余価値と相対的剰余価値との区別

絶対的剰余価値の生産のためには、資本のもとへの労働の単なる形式的包摂だけで……十分であるとしても、他面では、相対的剰余価値の生産のための方法は、同時に絶対的剰余価値の生産のための方法であることが明らかとなった。……一般に、特殊な資本主義的生産様式は、それが一つの生産部門全体を征服してしまえば、ましてすべての決定的な生産諸部門を征服してしまえば、相対的剰余価値の生産のための単なる手段ではなくなる。それは、いまや、生産過程の一般的な、社会的に支配的な、形態となる。[533]

特定の観点からすれば、絶対的剰余価値と相対的剰余価値との区別は、一般に幻想的に見える。相対的剰余価値は絶対的である。というのは、労働者自身の生存に必要な労働時間を超える労働日の絶対的延長を、それは条件としているからである。絶対的剰余価値は相対的である。というのは、必要労働時間を労働日のうちの一部分に限定することを可能にするような労働生産性の発展を、それは条件としているからである。[533-4]

しかし剰余価値の運動に注目すると、この外観は消えうせてしまう。資本主義的生産様式がひとたび確立されて、一般的な生産様式になってしまえば、剰余価値率を一般に高めることが問題になる限り、絶対的剰余価値と相対的剰余価値との区別は感知されうるものとなる。……労働の生産力および労働の標準的な強度が与えられているならば、剰余価値率は労働日の絶対的延長によってのみ高められうる。他方、労働日の限界が与えられているならば、剰余価値率は、必要労働および剰余労働という労働日の構成部分の大きさの相対的変動によってのみ高められ、この変動はまた……労働の生産性または強度における変動を前提している。[534]

「第三者のための無償の労働」のあり様

「剰余価値」は、資本主義的搾取形態における剰余労働のあり様から発生するのだが、このあり様が歴史的なものであることを、マルクスは概括している。

人間がその最初の動物的状態からようやく脱出し、したがって人間の労働そのものがすでに一定程度まで社会化されているときにのみ、ある人の剰余労働が他の人の生存条件となるような諸関係が生じる。[535]

諸欲求は、その充足手段とともに、またその手段によって発展する。[535]

文化の初期には、他人の労働によって生活する社会部分の割合は、大量の直接的生産者に比べるときわめて小さい。労働の社会的生産力の進展とともに、この社会部分の割合は、絶対的にも相対的にも増大する。[535]

資本関係は、長い発展過程の産物である経済的基盤の上に発生する。資本関係が生まれる基礎である労働の既存の生産性は、自然の賜物ではなくて、幾十万年にもわたる歴史の賜物である。[535]

外的自然的条件と社会的生産性との関連

一般的に、限られた生産諸力のなかでの「生産性」とは、「第三者のための無償の労働」のあり様に依存している。そして、マルクスはさらに、その生産性と自然諸条件との関連を分析している。

自然的諸条件は、すべて、人種などのような人間そのものの自然と、人間を取り巻く自然とに、還元されうる。外的な自然的諸条件は、経済学的には、生活手段の自然的豊かさ、すなわち土地の豊度、魚の豊富な海や河などと、労働手段の自然的豊かさ、すなわち勢いのよい落流、航行できる河川、材木、金属、石炭などとの、二大部類に分かれる。文化の初期には、自然的豊かさの第一の種類が決定的であり、より高度な発展段階では、第二の種類が決定的である。[535]

絶対的に充足されなければならない自然的欲求の数が少なければ少ないほど、また自然的な土地の豊度や気候の恩恵が大きければ大きいほど、生産者の維持と再生産のために必要な労働時間は、それだけ少なくなる。したがって、生産者が自分自身のためにする労働を超えて他人のために行なう労働の超過分が、それだけ大きくなりうる。[535]

資本主義的生産と自然条件

資本主義的生産がすでに前提されていて、ほかの事情が不変であり、また労働日の長さも与えられていれば、剰余労働の大きさは、労働の自然的条件によって、ことに土地の肥沃度によって、変動するであろう。しかしその反対に、もっとも肥沃な土地が、資本主義的生産様式の成長にもっとも適している土地だということには決してならない。資本主義的生産様式は、自然にたいする人間の支配を前提としている。あまりに豊かな自然は、……自然必然的に人間自身の発展をもたらさない。……社会的分業の自然的基礎をなし、そして、人間が居住している自然的環境の変化によって、人間自身の諸欲求や諸能力、労働手段、および労働様式を多様化するように、人間を刺激するのは、土地の絶対的な肥沃度ではなく、その分化、その自然的産物の多様性である。自然力を社会的に管理し、それを節約し、それを人間の手になる工事によって大規模にまず自分のものにする、すなわち馴らす必要性が、産業史においてもっとも決定的な役割を演じている。[536-7]

自然条件の地域的相違の反映

自然的諸条件の恵みは、つねに、剰余労働の、したがって剰余価値または剰余生産物の、可能性を与えるにすぎないのであって、その現実性を与えるのでは決してない。労働の自然的諸条件が異なることによって、同じ量の労働が、異なる国々において、異なる欲求量を充足するのであり、したがって他の事情が類似していれば、必要労働時間が異なるということになる。自然的諸条件は、自然的制限としてのみ、すなわち、他人のための労働が開始できる時点を規定することによってのみ、剰余労働に作用するのである。産業が前進するのと同じ程度に、このような自然的制限は後退する。[537]

ミル氏の見解についての批判

マルクスがこの章のさいごに展開しているジョン・ステュアト・ミル氏の見解をめぐる批判的考察だが、なぜここでおもむろに展開されているのだろうか。剰余価値をめぐる見解の「限界」あるいは「誤り」を、この章における考察と対照しているのだろうか。この部分の叙述の位置付けがいまいちよくわからない。

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第1部:資本の生産過程

第5篇:絶対的および相対的剰余価値の生産
第15章
労働力の価格と剰余価値との大きさの変動

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考察の前提

機械経営はこれまでにない量の生活物資をその社会にもたらすとはいえ、ある社会のある一時期においては、生活水準は一定程度維持されるから、ある人が、衣食住などにかかわって一般的に必要とする最低限度の生活手段の量は劇的に増加することはない。

労働力の価値は、平均労働者が慣習的に必要とする生活手段の価値によって規定されている。この生活手段の総量は、その形態が変動することはあっても、一定の社会の一定の時代には与えられており、それゆえ不変の大きさとして取り扱われうる。変動するのはこの総量の価値である。[542]

しかし、労働力の価値の大きさを規定するのは「生活手段の価値」だけではない。「労働力の育成費」――教養・教育関係費、「労働者家族の再生産費」などが、価値規定にかかわってくる。ただし、この篇におけるマルクスの研究においては、これらの価値規定要因は除外されている。したがって、考察の前提としては、次のように想定される。

商品は、その価値どおりに売られる
労働力の価格は、ときにはその価値以上に高くなることはあっても、その価値以下に低くなることはない

このように想定すると、労働力の価格との相対的な大きさは、次の三つの事情によって制約されていることがわかった。

労働日の長さ、すなわち労働の外延的大きさ。
労働の標準的強度、すなわち労働の内包的大きさ。したがって一定の時間内に、一定の労働分量が支出されるということ。
最後に労働の生産力。したがって生産諸条件の発展の程度によって、同分量の労働が同じ時間内に、より大きいまたはより小さい分量の生産物を提供するということ。

これらの三つの要因の一つが不変で二つが可変であるか、または、二つの要因が不変で一つが可変であるか、または最後に、三つの要因すべてが同時に可変であるかによって、きわめて多様な組み合わせが可能である……以下においてはその主要な組み合わせだけを述べる。[542-3]

労働日の大きさおよび労働の強度が不変で(与えられていて)労働の生産力が可変である場合
労働日と労働の生産力とが不変で労働の強度が可変である場合
労働の生産力と強度とが不変で労働日が可変である場合
労働の持続、生産力、および強度が同時に変動する場合

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第1部:資本の生産過程

第5篇:絶対的および相対的剰余価値の生産
第16章
剰余価値率を表わす種々の定式

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第1の定式

剰余価値/可変資本(m/v)=剰余価値/労働力の価値=剰余労働/必要労働

この定式の相互関連については、第1部第3篇第7章第1節“労働力の搾取度”のなかで厳密に分析されている。

すでにイギリスなどの古典派経済学の人びとによって「利潤率」「利子率」という言い方で発見されていたのではあったが、古典派経済学の人びとは、この比率を導き出す分母となっている可変資本部分が、「労働の価格」ではなく「労働力の価格」へ前貸された部分であるという本質的発見には至らなかった。
第2の定式

剰余労働/労働日=剰余価値/生産物価値=剰余生産物/総生産物

この定式では、生産物価値のなかに、不変資本から価値移転される価値部分はふくまれていないし、その意味では1労働日に生産される価値部分は厳密に区別して理解されている。

しかし、この定式がしめすのは、現実の剰余価値率ではない。

実際には、労働日またはその価値生産物が、資本家と労働者とのあいだに分割される比率を表現している。[554]

第2の定式が、剰余価値率を正しく表わしていないことは、マルクスが引用しているL.ド・ラヴェルニュ氏(Louis-Gabriele-Léonce-Guilhaud de Lavergne[1809-1880])の査定によっても明らかにされている([555])。剰余価値率は100%になりうるし、100%以上にもなりうる。第2の定式は、現実の搾取度を反映できない弱点をもっているのである。

この定式が、資本の自己増殖度の直接的表現として妥当するならば、剰余労働または剰余価値は決して100%に達することができない、というまちがった法則が妥当することになる。剰余労働はつねに労働日の一可除部分でありうるにすぎず、また剰余価値はつねに価値生産物の一可除部分でありうるにすぎないのであるから、剰余労働は必然的につねに労働日よりは小さく、また剰余価値はつねに価値生産物よりも小さい。ところが、100/100という比率であるためには、この2つは等しくなければならないであろう。剰余労働が全労働日を吸収するためには……、必要労働はゼロにまで低下しなければならないであろう。しかし必要労働が消滅すれば、剰余労働もまた消滅する、なぜなら、剰余労働は必要労働の一つの機能にすぎないからである。[554]

第2の定式はまた、「労働日を不変の大きさとして取り扱う」という方法を固定化することになった。

なぜなら、ここでは、剰余労働はつねにある与えられた大きさの労働日と比較されるからである。価値生産物の分割がもっぱら注目される場合も、同様である。すでにある価値生産物に対象化された労働日は、つねに与えられた限界をもつ労働日である。[555]

この傾向は、シーニアが典型的に陥ったようなあやまりを呼び込む(第1部第3篇第7章第2節“生産物の比率的諸部分での生産物価値の表現”および第3節“シーニアの「最後の一時間」”)。

剰余価値と労働力の価値とを価値生産物の分割部分として表わすことは……資本関係の特殊な性格、すなわち、可変資本と生きた労働力との交換、およびそれに照応した生産物からの労働者の排除をおおい隠す。それに代わって、労働者と資本家とが生産物をそのさまざまな形成諸要因の割合にもとづいて配分するある協同関係、という偽りの外観が現れる。[555]

このあやまりに陥ったのはシーニアだけではなかった。さきに、マルクスが部分的に評価し、引用し、のちにエンゲルスによって批判されているロートベルトゥス(Johann Karl Rodbertus-Jagetzow[1805-1875])もそうであった。

(注17)……「資本は、単に労働にたいしてのみならず、それ自身にたいしても、救われなければならない。そしてこの救済が実際にもっともよく行なわれるのは、企業家=資本家の活動が、資本所有を通じて彼に委託されている国民経済的および国家経済的な諸機能として理解され、彼の利得が俸給形態として理解される場合である。なぜなら、われわれはまだ他の社会組織を知らないからである。ところで、諸俸給は、規制することができるし、また、それが賃銀からあまり多くを奪い取るときには、引き下げることもできる。……」……【『ロートベルトゥス・ヤゲツォー博士の書簡および社会政治論集』、ルドルフ・マイアー博士編、ベルリン、1881年、第1巻、111ページ。ロートベルトゥスの第48書簡】[555]

第3の定式

剰余労働/労働力の価値=剰余労働/必要労働=不払労働/支払労働

さきの章ですでに指摘されているように、資本家は市場で等価交換によって労働力の処分権を獲得し、労働力を一定期間利用する。

資本家によるこの労働力の利用は、二つの期間に分かれる。一つの期間では、労働者は、一つの価値=彼の労働力の価値、したがって等価を生産するだけである。こうして資本家は、前貸した労働力の価格にたいして、同じ価格の生産物を受け取る。それは、あたかも彼がこの生産物をでき合いのものとして市場で買ったようなものである。それにたいして剰余労働の期間では、労働力の利用は、資本家のために価値を形成するのであるが、それは資本家には価値の代償を要しない。資本家は労働力のこの流動化を無償で手に入れる。

資本の自己増殖についての秘密は、解いてみれば、資本が他人の一定分量の不払労働にたいし処分権をもつということである。[556]

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第1部:資本の生産過程

第6篇:労賃
第17章
労働力の価値または価格の労賃への転化

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労働は価値をもっているか

商品の価値とはなにか? 商品の生産に支出される社会的労働の対象形態である。また、われわれは、この価値の大きさをなにによってはかるのか? 商品に含まれる労働の大きさによってである。それでは、たとえば12時間労働日の価値は、なにによって規定されるのであろうか? 12時間労働日に含まれる12労働時間によって――これはばかげた同義反復である。[557]

「労働は価値の源泉である」――古典派経済学は、この認識には到達していたものの、上記のような「同義反復」からは抜け出すことができなかった。そもそも資本主義社会では、労働者に支払われる賃銀が、労働者による一定分量の労働にたいして支払われる一定分量の貨幣として現われるので、他の商品の価値や価格と同様に、「労働の価値」「労働の市場価格」についてまず語られることになったのである。

労働は価値の実体であり、価値の内在的尺度であるが、労働そのものはなんらの価値ももたない。

「労働の価値」という表現においては、価値概念が完全に消し去られているだけでなく、その反対物に変えられている。この表現は、たとえば土地の価値と同じように、一つの想像上の表現である。とはいえ、これらの想像上の表現は、生産諸関係そのものから発生する。それらは、本質的諸関係の現象形態を表わすカテゴリーである。[559]

労働は商品か

はたして、そもそも労働は商品なのだろうか。

労働は、商品として市場で売られるためには、それが売られる以前に必ず実存していなければならないであろう。

注(22)「……労働は、市場にもっていかれる瞬間につくり出される。いやそれどころか、労働がつくり出されるより以前に、市場にもっていかれるのである」(『経済学におけるある種の用語論争の考察』、75、76ページ)。[558]

「労働は商品である」――これは解決不可能な、形式論理的矛盾だ。

12時間の労働日が、たとえば6シリングの貨幣価値で表わされるとしよう。いま、等価物どうしが交換されるものとしよう。そのときには、労働者は12時間の労働にたいして6シリングを受け取る。彼の労働の価格は、彼の生産物の価格と等しいであろう。この場合に彼は、労働の買い手のためになんらの剰余価値をも生産せず、6シリングは資本に転化せず、資本主義的生産の基礎は消滅することになるであろうが、しかし、この資本主義的生産の基礎上においてこそ、労働者は自分の労働を売り、彼の労働は賃労働なのである。[558]

対象化された労働、生きた労働

注(24)「行なわれた労働が、行なわれるべき労働と交換されるときには、いつでも、後者」(“資本家”)「が前者」(“労働者”)「よりもより高い価値を受け取るべきであると取り決められ」(「“社会契約”」の新版だ)「なければならなかった」(シモンド《すなわちシスモンディ》『商業的富について』、ジュネーヴ、1803年、第1巻、37ページ)。

一方は対象化された労働であり、他方は生きた労働であるという形態的区別から、より多くの労働とより少ない労働との交換を導き出すことは、なんの役にも立たない。一商品の価値は、現実にその商品のうちに対象化されている労働の分量によってではなく、その商品の生産に必要な生きた労働の分量によって規定されているのであるだけに、上の導き出しは、なおのことばかげている。ある商品が6労働時間を表わすとしよう。もしこの商品を3時間で生産しうる諸発明がなされるならば、すでに生産された商品の価値も半減する。この商品は、いまや、以前の6時間ではなく、3時間の社会的必要労働を表わす。したがって、商品の価値の大きさを規定するのは、その商品の生産に必要な労働の分量であって、労働の対象的形態ではない。[559]

「労働の市場価格」の変動

需要と供給による市場価格の変動は、よく「需要供給曲線」として、Xのかたちに交わるグラフでしめされたものだ。しかし、マルクスが指摘するところでは、古典派経済学の到達は、市場価格変動曲線を、そのようには認識していなかったとある。むしろ、「騰落が相殺されて、ある中位の平均的大きさ、ある不変の大きさ」の「上下への」「動揺」。すなわち、波動三角(サイン、コサイン)関数的変動曲線である。

この問題をめぐっては、第1章でも参考に紹介した川上則道教授が、くわしい研究を行なっている(『「資本論」の教室』、「補論II 需要曲線と供給曲線との交点で価格は本当に決まるのか」、新日本出版社、1997年、177-192。および、『「資本論」で読み解く現代経済のテーマ』、「第1章 市場万能主義と社会進歩――需要・供給曲線の問題点から考える――」、新日本出版社、2004年、7-18)。

労働の偶然的市場価格を支配し規制するこの価格、すなわち労働の「必要価格」(重農主義者)または「自然価格」(アダム・スミス)は、他の諸商品の場合と同じように、貨幣で表現された労働の価値でしかありえない。このようなやり方で、経済学は、労働の偶然的諸価格を通して労働の価値に迫っていくと考えた。次に、この労働の価値は、他の諸商品の場合と同じように、さらに生産費によって規定された。しかし、生産費――労働者の生産費、すなわち労働者そのものを生産あるいは再生産するための費用とはなにか? [560]

「労働」と「労働力」

経済学が労働の価値と名づけるものは、実際には労働力の価値であり、この労働力は、労働者の人身のうちに実存するのであって、それがその機能である労働とは別のものであることは、機械がその作動とは別のものであるのと同じである。[561]

古典派経済学の人びとは、分析過程において、実質的には上記の区別に達していたにもかかわらず、「労働の価値」あるいは「労働の自然価格」というカテゴリーから抜け出せないでいたために、自らの到達点に気づかないままだった。このことが、

古典派経済学を解決しえない混乱と矛盾におとしいれたのであり、他方ではそのことは、俗流経済学にたいして、原則として外観のみに忠誠を尽くすその浅薄さのための確実な作戦根拠地を提供したのである。[561]

「労賃」への転化
労働の価格が労働の生産物の価格より小さくなる

1労働日が12時間で、労働力の日価値が3シリング――「6労働時間を表わす一つの価値の貨幣表現である」――とする。労働者が3シリングの賃銀を受け取るなら、12時間のあいだ機能する彼の労働力の価値と等価を受け取ることになる。

この「労働力の日価値」3シリングが、「労働の日価値」として表現されるならば、

労働の価値は、つねに労働の価値生産物よりも小さくならなければならないという結果がおのずから生じる。というのは、資本家はつねに、労働力自身の価値の再生産に必要であるよりも長く、労働力を機能させるからである。上の例では、12時間のあいだ機能する労働力の価値は3シリングであり、労働力はこの価値の再生産に6時間を必要とする。これに反して、労働力の価値生産物は6シリングである、なぜなら、労働力は実際に12時間のあいだ機能し、そして労働力の価値生産物は、労働力自身の価値によってではなく、労働力が機能する継続時間に依存するからである。こうして、6シリングの価値をつくり出す労働が、3シリングの価値をもつという、一見ばかげた結論が得られる。[561-2]

不払労働の痕跡が消える

労働日の支払部分すなわち6時間の労働を表わしている3シリングの価値が、6不払時間を含む12時間の総労働日の価値または価格として現われる。したがって、労賃の形態は、必要労働と剰余労働とへの、支払労働と不払労働とへの労働日の分割のあらゆる痕跡を消してしまう。すべての労働が支払労働として現われる。夫役労働では、自分自身のための夫役者の労働と領主のための彼の強制労働とは、空間的にも、時間的にも、はっきり感性的に区別される。奴隷労働では、労働日のうち、奴隷が自分自身の生活手段の価値を補填するにすぎない部分、したがって、彼が実際に自分自身のために労働する部分さえも、彼の主人のための労働として現われる。彼のすべての労働が不払労働として現われる。その反対に、賃労働では、剰余労働または不払労働さえも支払労働として現われる。[562]

労賃という形態の必然性

労働力の価値および価格を労賃の形態に――または労働そのものの価値および価格に――転化することの決定的重要性が、いまや理解される。現実的関係を見えなくさせ、まさにその関係の逆を示すこの現象形態は、労働者および資本家のもつあらゆる法律観念、資本主義的生産様式のあらゆる神秘化、この生産様式のあらゆる自由の幻想、俗流経済学のあらゆる弁護論的たわごとの、基礎である。

世界史が労賃の秘密を見破るには多大の長い時間を要するとしても、それでもこの現象形態の必然性、“存在理由”を理解することほどたやすいことはない。[562]

マルクスは、ここで、なぜ「労賃」という形態への転化が生じるかを、いくつか分析し具体的に指摘している。([563-4])

資本と労働との交換は、他の商品の売買と同じ仕方で現われる。その実、労働者が資本家に提供する「使用価値」は、労働力ではなく、特定の有用的労働というその機能であり、一方でこの同じ労働が価値を形成する。しかしこの労働の独特の属性は普通は意識されることがない。だから、「労働の価値」「労働の価格」という表現が「綿花の価値」「綿花の価格」といったような表現よりも不合理であるようには見えない(第1部第1篇第1章第2節“商品に表わされる労働の二重性”)
労働者は、労働を提供したあとに賃銀の支払いを受ける。資本家が購入し受け取ったのは「労働力」という商品であるが、賃銀(貨幣)は「支払手段」という機能をここではたらかせている。商品を受け取ってから“一定期間ののちに”代金を支払うという契約のもとに(第1部第1篇第3章第3節“貨幣”C“支払手段”)
労働者にとっては、受け取る賃銀は彼の提供する一定の労働時間の“対価”であり、彼の生活手段の購買手段となる。生活手段の価値が変動しようと、彼は一定の労働時間を提供する。生活手段の価値は取りも直さず賃銀価格に反映するのであるが、その変動が、あたかも彼の与える一定時間の労働の価値の変動のように見える
資本家の立場からは、できるだけ少ない費用でできるだけ「多くの労働」を手に入れようとする。彼の関心は、実際には「労働力の価格と労働力の機能がつくり出す価値とのあいだの差」である。ただし、彼自身はこのことを意識していない。彼は「すべての商品をできるだけ安く買い」、できるだけ多くのもうけを得ようとしているにすぎない
労賃の変動そのものが、労賃が労働の対価であるような錯覚をあたえる
労働日の大きさの変動にともなう変動
労賃の個人差

現象形態は、直接に自然発生的に、普通の思考形態として再生産されるが、その隠れた背景は、科学によってはじめて発見されなければならない。古典派経済学は、真の事態にほぼふれてはいるが、しかしそれを意識的に定式化してはいない。[564]

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第1部:資本の生産過程

第6篇:労賃
第18章
時間賃銀

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労賃そのものは、また、きわめて多様な形態をとるが、この事情は、経済学の概要書からは知ることのできないものである――これらの概要書は、素材にたいして強烈な関心をもつだけで、どのような形態的区別をも考慮しない。とはいえ、これらの形態のすべてを叙述することは、賃労働の特殊理論の範囲に属し、したがって本書の範囲外である。その代わりここで、二つの支配的な基本形態を簡単に展開しなければならない。[565]

マルクスが取り上げている「基本形態」とは、「時間賃銀」と「出来高賃銀」だ。それぞれ、この章と次の章で扱われる。しかし、より“率直な”転化形態は、「時間賃銀」、すなわち、労働力が販売されるもっとも一般的な基準となる時間に対応する形態である。

現代日本でも、最低賃金は時間給当たりの賃金を基準にして、日給、週給、月給と当たりの額が定められている〔厚生労働省サイト参照〕。ただし、地方自治体によって格差があるし、最低賃金自体、生活保護の受給基準額よりも低く設定されているという始末であるが。

さて、「労働の価格」ととらえられたこの労賃の実体は、「労働力の価格」であった。

それでは、この〔労働の〕価格、すなわちある与えられた分量の労働の貨幣価値は、どのようにして見いだされるか? 労働の平均的価格は、労働力の平均的日価値を平均的労働日の時間数で除することによって得られる。たとえば労働力の日価値が6労働時間の価値生産物である3シリングであり、労働日が12時間であるとすれば、1労働時間の価格は、3シリング/12=3ペンス である。こうして見いだされた1労働時間の価格が、労働の価格の尺度単位として用いられる。[566]

「労賃の総額」と「労働の価格」とを区別せよ

労働者が自分の日労働、週労働などと引き換えに受け取る貨幣額は、彼の名目的労賃、すなわち価値で計算された労賃の額を形成する。しかし、労働日の長さしだいで、したがって労働者により日々提供される労働の量しだいで、同じ日賃銀、週賃銀などが、労働のきわめて異なる価格、すなわち同じ分量の労働に支払われるきわめて異なる貨幣額を表わしうる[565-6]

労働の価格が下落しても、日賃銀、週賃銀は不変でありうる

たとえば、普通の1労働日が10時間で、労働力の日価値が3シリングであったとすると、1労働時間の価格は、3(と)3/5ペンスであった。1労働日が12時間に延長されると、1労働時間の価格は3ペンスに低落し、15時間に延長されると、2(と)2/5ペンスに低落する。それでも日賃銀、週賃銀は変わらない。[566]

労働の価格が不変あるいは下落しても、日賃銀、週賃銀は騰貴しうる

たとえば、1労働日が10時間で、労働力の日価値が3シリングであれば、1労働時間の価格は3(と)3/5ペンスである。もし労働者が、仕事が増えたために、労働の価格が不変なままで12時間労働するならば、いまや、彼の日賃銀は、労働の価格の変動をともなわずに、3シリング7(と)1/5ペンスに騰貴する。労働の外延的大きさの代わりに、労働の内包的大きさが増加する場合にも、これと同じ結果が生じうるであろう。それゆえ、名目的な日賃銀または週賃銀が騰貴しても、労働の価格の不変あるいは低落をともなうことがありうる。[566]

「労賃の総額」と「労働の価格」のあいだの一般的法則

日労働、週労働などの量が与えられているならば、日賃銀または週賃銀は、労働の価格によって決まるのであり、労働の価格そのものは、労働力の価値とともに変動するか、さもなければ労働力の価値からの価格の背離とともに変動する。これに反して、労働の価格が与えられているならば、日賃銀または週賃銀は、日労働または週労働の量によって決まる[567]

過少就業、過度労働

時間賃銀の度量単位すなわち1労働時間の価格は、労働力の日価値を、通例の労働日の時間数で除した商である。いま時間数が12時間であり、労働力の日価値が6労働時間の価値生産物、3シリングであるとしよう。この事情のもとでは、1労働時間の価格は3ペンスであり、その価値生産物は6ペンスである。いま、もし労働者が日々12時間よりも少なく(または1週に6日よりも少なく)、たとえば6時間または8時間しか就業させられないならば、彼は、この労働の価格では、2シリングまたは1シリング半の日賃銀しか受け取らない。前提によれば、労働者は、自分の労働力の価値に対応する日賃銀を生産するためだけで、平均して日々6時間労働しなければならないのであるから、また同じ前提によれば、労働者は、各1時間のうち半分だけは自分自身のために労働し、半分は資本家のために労働するのであるから、彼が12時間よりも少なく就業させられる場合には、6時間の価値生産物をかせぐことができないことは、明らかである。[567-8]

注(34)このような異常な過少就業の影響は、労働日の全般的な強制法的短縮の影響とは、まったく異なる。前者の影響は、労働日の絶対的長さとはなんら関係がなく、15時間労働日の場合にも6時間労働日の場合にも同じように現われうる。労働の標準価格は、第一の場合には労働者が1日に平均して15時間労働し、第二の場合には6時間労働するものとして計算されている。それゆえ、労働者が第一の場合に7時間半しか、第二の場合に3時間しか就業させられないならば、結果は、やはり同じ〔過少就業〕である。[568]

「働いた時間におうじて」支払われる賃銀

もし資本家が日賃銀または週賃銀を支払う義務がなく、自分の好きなだけ労働者を就業させてその労働時間にたいしてのみ支払う義務をおうという仕方で、時間賃銀が確定されるならば、資本家は、もともと時間賃銀または労働の価格の度量単位の基礎になっている時間よりも少なく、労働者を就業させることができる。……いまや、資本家は、労働者にたいして自分自身の維持に必要な労働時間を与えることなしに、労働者から一定分量の剰余労働をしぼり取ることができる。……資本家は、「労働の標準価格」を支払うという口実のもとに、労働日を以上に延長――労働者にそれに対応したなんらかの補償をも与えずに――することができる。[568]

この指摘をめぐっては、現代日本でも驚くべき事態が進行している。1987年の労働基準法改定によって認められ、1993年の同法改定にともないさらに拡大された「変形労働時間制」である。

この制度は、ある定められた期間内の1日の労働時間を弾力化できる制度である。大きく、

1カ月単位の変形労働時間制
フレックスタイム制
1年単位の変形労働時間制
1週間単位の非定型的労働時間制

の4つの制度がある。いずれも、特定期間内においては、1労働日の長さ、その始業時刻、終業時刻などが、資本の需要の変動に応じて設定されうる。

さらに1987年の労働基準法改定は、「裁量労働時間制」という制度の導入を許した。この制度は、もはや労働時間というカテゴリーを名目上だけのものにしてしまい、実際の労働と切り離してしまった。「労働者が自由に働き方を裁量する」ことが前提とはなっているが、資本主義的生産過程においては、生産過程の指揮監督権は資本の側に握られている。そういう実態のもとで、「労働者の自由裁量」という名目のもとに、資本への制限をなくしてしまえば、いかなる事態を招くかは、火を見るよりも明らかである。この制度ははじめ適用部門が限定されていたが、1997年の同法改定で対象業務の拡大が認められた。なお、その後の労働組合側のたたかいもあって、対象業務や対象事業場、対象労働者への適用については、労使委員会の設置を前提とすることが義務づけられている。
残業代をあてにする

日賃銀または週賃銀が増大しても、労働の価格は、名目的には不変でありながら、しかもなおその標準的水準以下に下落しうる。このようなことは、労働――または1労働時間――の価格が不変で、労働日が通例の長さ以上に延長されるときには、いつも起こる。労働力の日価値/労働日 という分数においては、分母が増大すれば、分子はさらに急速に増大する。労働力の価値は、労働力が消耗するので、それの機能時間とともに増大し、しかも機能時間の増加よりももっと急速な割合で増大する。それゆえ、労働時間の法律的制限がなくて、時間賃銀が支配的である多くの産業部門では、労働日は、ある一定の時点まで……でありさえすれば標準的なものとみなされる慣習が、自然発生的につくり上げられた……。労働時間は、この限界を超えると、超過時間を形成し、時間を度量単位にして、より多く支払われる(“割増給”)……。この場合には、標準労働日は、現実の労働日の分数の一部として実存するのであって、しかも現実の労働日は、しばしば1年中にわたって標準労働日よりも長く続く。……いわゆる標準時間内での労働の価格が低いために、労働者が一般に十分な労賃をかせごうと思うならば、より多く支払われる超過時間の労働を余儀なくされる……。労働日の法律的制限は、この楽しみを終わらせる。[568-570]

このマルクスの指摘が100年以上前のものであることを念押ししておかなければならない。現代日本では、「この楽しみ」はまだ終わりを告げてはいない。そればかりか、「割増給」さえ支払われない労働が「自主的に」労働者によって経営者に捧げられているのである。いわゆる「サービス残業」という名目で。「サービス」とはよく言ったものだ。

「サービス残業」の実質的強制という違法行為は論外として、残業代をあてにしなければならない基本給の低さこそが問題とされなければならない。

上に引用した事態にたいして、いまから100数十年前のイギリス労働者たちは、きわめて正確な要求をかかげてたたかっていた。

注(38)『工場監督官報告書。1863年4月30日』、10ページを見よ。建築業で働くロンドンの労働者たちは、この事態をまったく正しく批判し、1860年の大ストライキおよびロック・アウト中に、次の2つの条件のもとでのみ時間賃銀を受け入れるであろうと宣言した。すなわち、

1労働時間の価格とともに、9時間および10時間のそれぞれの標準労働日を確定し、10時間労働日の1時間の価格を、9時間労働日の1時間の価格よりも大きくすること、
標準労働日を超える各時間を超過時間として、比較的に高く支払うこと。[569]

「労働の価格」と「労働時間の延長」との相互関係

まず、「労働の価格が与えられている場合には、日賃銀または週賃銀は、提供される労働の量によって決まる」という法則からは、労働の価格が低ければ低いほど、労働者がみじめな平均賃銀だけでも確保するためには、労働分量はそれだけ大きくなければならない、または労働日はそれだけ長くなければならない、という結論が出てくる。この場合には、労働の価格の低いことが、労働時間の延長への誘引として作用する。[570]

その逆に、労働時間の延長そのものがまた、労働価格の低落、したがって日賃銀、週賃銀の低落を生み出す。

労働力の日価値/与えられた時間数の労働日 による労働価格の規定は、もしなんの補償も行なわれなければ、労働日の単なる延長は、労働価格を低下させるという結果を生む。しかし、長いあいだには労働日を延長することを資本家に可能にする同じ事情が、資本家に、この増加した時間数の総価格したがって日賃銀または週賃銀が低下するまで、労働価格を名目的にも引き下げることを、はじめは可能にし、ついには余儀なくするのである。[571]

労働者間の競争

もし1人が1人半または2人分の仕事をするならば、たとえ市場にある労働力の供給が不変であっても、労働の供給は増大する。こうして労働者のあいだに引き起こされる競争が、資本家に、労働の価格を切り下げることを可能にするのであり、他方では、また逆に、この労働の価格の低落が、資本家に、労働時間をさらにいっそう引き延ばすことを、可能にする。

この「労働者間の競争」は、労働過程の指揮監督権をにぎっている資本によって、意識的につくりだされ、利潤追求のために利用される。「労働者間の競争」は、「資本家間の競争」のために活用されることになる。なぜなら、

商品価格の一部分は、労働の価格からなっている。労働の価格のうちの支払われない部分は、商品価格では計算する必要はない。この部分は、商品購買者にただで贈呈されてもよい。これは、競争がかり立てる第一歩である。競争が強制する第二歩は、労働日の延長によって生み出される異常な剰余価値の少なくとも一部分を、同じように商品の販売価格から除外することである。このようにして、商品の異常に低い販売価格が、まず散在的に形成され、しだいに固定されて、それ以後は、過度な労働時間のもとでのみじめな労賃の恒常的基礎となる[571]

成果主義賃金制度の拡大

上記引用部分をめぐっては、現在日本の主な産業部門に採用されている成果主義賃金制度を連想した。

「努力すれば報われる処遇制度」「賃金は自分の努力による目標の達成度の評価で決めることができる」とのうたい文句で、相当広い産業部門への適用がすすんでいるようだ。当初管理職への年俸制の導入とともに適用がはじまったこの制度、いまや一般労働者も対象とされはじめているようである。社会経済生産性本部の調べによれば、2002年の段階で、主な9つの業種(サービス業はもとより、電気機器、鉄鋼・金属製品、産業用機械、金融・保険業、精密機械、石油・化学、卸売・小売業など)で3割~5割強の導入率である。

うたい文句とは裏腹に、もともと、賃金制度に成果主義をもちこもうとした経営側の目的は、人件費総額の「節約」・削減であったから、一部の限られた労働者にとっては一時的に賃金が上がることがありうるが、その職場・作業場の労働者全体では、人件費総額が必ず「節約」されなければならなかった。

また、査定による労働者間の競争促進によって、職場・作業場内での技能・技術の伝承の妨げ、保守・点検・修理部門の軽視による安全管理体制の弱まり、などの弊害が指摘されている。そもそも査定をどういう機関が行なうのかは、その職場の労使の力関係に左右されるにまかされており、はなはだ主観的恣意的なものとなっているのが実状のようである。「目標管理」「人事考査」など査定の名目による圧力は相当なものである。実際、職場・作業場の生産性そのものも、この制度のもとで、向上しうるのかどうか。はなはだ疑問だ。

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第1部:資本の生産過程

第6篇:労賃
第19章
出来高賃銀

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出来高賃銀は時間賃銀の転化形態である

普通の労働日が12時間であり、そのうち6時間が支払われ、6時間は不払いであるとしよう。その価値生産物は6シリングであり、それゆえ1労働時間の価値生産物は6ペンスであるとしよう。平均程度の強度と熟練で労働する1労働者、したがってある物品を生産するために実際に社会的必要労働時間だけを用いる1労働者が、24個――別々の24個であれ、または連続的製品の24個の測定可能な部分としてであれ――を12時間のうちに提供するということが、経験的に明らかであるとしよう。その場合には、この24個の価値は、それに含まれている不変資本部分を差し引けば、6シリングであり、各1個の価値は3ペンスである。労働者は、1個につき1(と)1/2ペンスを受け取り、こうして12時間では3シリングをかせぐ。[575]

ここで問題となるのは、1個の価値を、それに体化されている労働時間によってはかることではなく、その逆に、労働者によって支出された労働を、彼によって生産された個数によってはかることである。時間賃銀では、労働は、その直接的持続時間によってはかられ、出来高賃銀では、労働は、労働が一定の持続時間中にそのなかに凝縮される生産物量によってはかられる。労働時間そのものの価格は、結局は、日労働の価値=労働力の日価値 という等式によって規定されている。したがって、出来高賃銀は、時間賃銀の変化された形態にすぎない。[576]

出来高賃金の特徴
労働の質が製品の出来に規制される

出来高賃銀は、資本家たちに、労働の強度をはかるまったく確かな尺度を与える。あらかじめ定められかつ経験によって確定されたある商品分量に体化される労働時間のみが、社会的に必要な労働時間とみなされ、そのようなものとして支払われる

労働者が平均な作業能力をもっていないならば、それゆえ一定の最小限の日仕事を提供できないならば、彼は解雇される。[576]

労働の質・強度が労賃の形態に規制される

この場合には、労働の質と強度が労賃の形態そのものによって規制されているので、この労賃の形態は大部分の労務監督を不用とする。それゆえ、この労賃の形態は、前述した近代的家内労働の基礎をなすとともに、等級的に編制された搾取および抑圧の制度の基礎をなす。[577]

「等級的に編制された搾取および抑圧の制度」について、マルクスはつぎの2つの形態を指摘している。

資本家と賃労働者とのあいだの介在者、下請け制度
工場内における「班長労働者」と彼の「補助労働者」

前者の場合は、介在者たちのもうけ分は、資本家が彼らに支払う労働価格と、このうち労働者に実際に手渡される分との差額である。後者の場合は、資本家は個々の「班長労働者」と契約を結び、「班長労働者」はその労働価格の範囲内で「補助労働者」を集めるので、「資本による労働者の搾取は、労働者による労働者の搾取を介して実現される」。

注(50)「製品が数人の手を通り、その各々の人が利潤の分け前を取り、仕事をするのは最後の人だけである場合には、女子工員の手にはいる給金は、みじめなほど不つり合いなものとなる」(『児童労働調査委員会、第二次報告書』、LXXページ、第424号)。

注(51)弁護論者のウォッツでさえも、述べている――「1人の人が、自分自身の利益のために彼の仲間を過度に労働させることに関心をもつのではなく、ある仕事に従事するすべての者がそれぞれ自分の能力に応じて契約当事者となるならば、それは、出来高制度の大きな改善であろう」(『児童労働調査委員会、第二次報告書』、53ページ、第424号)。[577]

出来高賃銀制の効果―労働者の個人的利益と資本家の利潤

出来高賃銀がひとたび行なわれるようになれば、労働者が自分の労働力をできる限り強度に緊張させることは、もちろん労働者の個人的な利益であるが、そのことは、資本家が労働強度の標準度を高めるのを容易にする。それと同じように、労働日を延長することも、労働者の個人的な利益である――なぜなら、それにともなって彼の日賃銀または週賃銀が増大するからである。それとともに、時間賃銀のところで既述した反動が生じてくる――労働日の延長は、出来高賃銀が不変な場合にさえ、それ自体として労働の価格における引き下げを含むということを別にしても。[577-8]

「同一労働同一賃金」原則の瓦解

時間賃銀では、ほとんど例外なく、同一の機能にたいする同一の労賃が支配しているが、出来高賃銀では、労働時間の価格は、確かに一定分量の生産物によってはかられはするが、しかし、日賃銀または週賃銀は、労働者の個人的な相違によって変動する……。したがってこの場合には、実際の収入については、労働者個人の熟練、力、精力、持久力などの相違に応じて、大きな差が生じてくる。[578]

それでは出来高賃銀制は、個人の力量に応じた、がんばっただけ報われる賃金制度なのだろうか。マルクスはつづけて、出来高賃銀のもたらすこの「効果」が「資本と賃労働とのあいだの一般的関係をなにも変えはしない」ことを指摘している。

個人的な相違はその作業場全体では相殺され、その支払われる賃銀総額はその事業部門の平均的額となる
個々の労働者が提供する剰余価値の総量は、労働者個々人の賃銀に対応しているから、労賃と剰余価値との比率は変化しない

そしてマルクスは、出来高賃銀が労働者の個性に負っているということのもたらす、いくつかの傾向を指摘している。

労働者の個性――自由感、自立性、自制――を発展させる傾向
労働者相互の競争を発展させる傾向
労働者個人の労賃を平均水準以上に引き上げる一方で、この水準そのものを低下させる傾向

資本主義的生産様式にもっとも適応した労賃形態

大工業の「疾風怒濤時代」(「1797-1815年」)には労働時間を延長し労賃を引き下げる役割を果たしたこの賃金制度は、工場法適用以降、制限された労働時間内で剰余価値率を上昇させることに効果を発揮した([580])。

出来高賃銀制は、すでに「14世紀のフランスおよびイギリスの労働法令」に出現していたにもかかわらず、なぜマルクスは「資本主義的生産様式にもっとも適応した労賃形態である」と強調したのか。それは、上記に指摘された「効用」をもたらす特徴を、この賃金形態がもっているからだ。
資本家と労働者との絶え間ない闘争を呼び起こす

労働の生産性が変動するにつれて、同分量の生産物によって表わされる労働時間が変動する。したがって、出来高賃銀も変動する。というのは、出来高賃銀は一定の労働時間の価格表現であるからである。……言い換えれば、出来高賃銀は、同じ時間内に生産される出来高の数が増加する――したがって同じ1個の出来高に費やされる労働時間が減少する――のと同じ割合で、引き下げられる。出来高賃銀のこの変動は、純粋に名目的であっても、資本家と労働者とのあいだの絶え間ない闘争を呼び起こす。なぜなら、資本家は、それを口実にして労働の価格を実際に引き下げるか、または、労働の生産力の増大には労働の強度の増大がともなうからである。あるいはまた、労働者は、彼にとっては彼の生産物に支払われるのであって、彼の労働力に支払われるのではないかのように見える出来高賃銀の外観を真に受け、それゆえ、商品の販売価格の引き下げが対応しない賃銀の引き下げにたいして反抗するからである。[581-2]

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第1部:資本の生産過程

第6篇:労賃
第20章
労賃の国民的相違

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賃銀の国際比較を行なううえでの理論的前提

国民的諸労賃の比較にあたっては、労働力の価値の大きさの変動を規定するすべての契機――すなわち自然的な、および歴史的に発展してきた、第一次的生活必要品の価格と範囲、労働者の教育費、婦人労働および児童労働の役割、労働の生産性、労働の外延的および内包的大きさ――が、考慮されなければならない。[583]

中位の労働強度は、国々によって変動する。それは、ある国ではより大きいが、他の国ではより小さい。したがって、これらの国民的諸平均は段階状をなし、その度量単位は世界的労働の平均単位である。したがって強度の高い国民的労働は、強度の低いそれに比べて、同じ時間内に、より多くの貨幣で表現されるより多くの価値を生産する。

……世界市場では、より生産的な国民的労働は、このより生産的な国民が競争によってその商品の販売価格をその価値にまで引き下げることを余儀なくされない限り、やはり、強度のより大きい国民的労働として計算される[584]

名目賃銀、実質賃銀、相対賃銀

異なる国々で同じ労働時間内に生産される同種の商品の異なる分量は、不等な国際的価値をもち、これらの価値は、異なる価格で、すなわち国際的価値に応じてそれぞれ異なる貨幣額で表現される。したがって貨幣の相対価値は、資本主義的生産様式のより発展した国民のもとでは、発展の低い国民のもとでよりも小さいであろう。したがって、名目的労賃、すなわち貨幣で表現された労働力の等価物も、やはり、第一の国民のもとでは、第二の国民のもとでよりも高いであろう、ということになる――しかしこのことは、現実の労賃、すなわち労働者の自由な処分にゆだねられる生活手段についても同じように言えるということには決してならない。

しかし、異なる諸国における貨幣価値のこの相対的相違を度外視しても、次のことがしばしば見いだされるであろう――すなわち、日賃銀、週賃銀などは、第一の国民のもとでは、第二の国民のもとでよりも高いが、相対的労働価格、すなわち剰余価値や生産物価値との割合から見た労働価格は、第二の国民のもとでは第一の国民のもとでよりも高いということである。[584]

イギリスの諸会社は、東ヨーロッパでもアジアでも、鉄道建設を請け負った場合には、その土地の労働者とともに、一定数のイギリス人労働者を使用している。こうして、実際の必要に迫られて、労働の強度における国民的相違を考慮せざるをえなかったが、会社にとっては、このことは、なんの損害ももたらさなかった。これらの会社の経験の教えるところでは、賃銀の高さは、多かれ少なかれ中位の労働強度に照応するとはいえ、相対的な労働価格(生産物と比較しての)は、概して正反対の方向に動く。[586-7]

ケアリの賃銀理論にたいする批判

H.ケアリは、彼のもっとも初期の経済学的著作の一つである『賃銀率にかんする試論』において、異なる国民的労賃は、国民的労働日の生産性の程度に正比例することを証明し、この国際的関係から、労賃は一般に労働の生産性に応じて騰落するという結論を引き出そうとしている。剰余価値の生産にかんするわれわれの全分析は、この推論の愚かしさを証明している[587]

「剰余価値の生産にかんする分析」は、第2篇第4章第3節から第3篇、第4篇、第5篇、そして、第6篇のこれまでの章で、行なわれている。そのなかで、「労賃は労働の生産性に応じて変動する」という賃銀論の誤りが、すでに検証されている。

この章では、労賃を国際比較する場合、世界市場における価値法則が国内での働き方とはまた別の独自の働き方をすることを考慮しなければならないという指摘があった([584])。ある国とある国との、労働生産性の違いは、「より生産的な国民が競争によってその商品の販売価格をその価値にまで引き下げることを余儀なくされない限り」、労働強度の違いとして計算されることになるということ。

ケアリ(Henry Cahrles Carey [1793-1879])は、この現象を見て、それを一般的傾向として国内における労賃の法則的傾向として結論づけたのだろう。ただし、ケアリの誤りの深さは、マルクスが縷々指摘しているように、彼の出した結論を裏付けるような事実だけを取り上げたうえに、結論と反するような事実に対しては、結論と矛盾するような例外を設けて、帳尻を合わせているところにある([587-8])。

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第1部:資本の生産過程

第7篇:資本の蓄積過程
第21章
単純再生産

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第7篇の序論

本来、この21章の前に、序論的なひとまとまりの叙述がある。訳注によれば、フランス語版でははっきりと「序論」と見出しがあるとのこと。第7篇“資本の蓄積過程”で論じられる内容についての理論的前提が述べられている。
「資本の蓄積」とは

なお、注によれば、マルクスに先んじて、すでに「資本の蓄積」というカテゴリーは存在していた。注にはマルサスの著作からの引用があり(注(21))、本文にも、

剰余価値を資本として用いること、あるいは剰余価値を資本に再転化することは、資本の蓄積と呼ばれる。[605]

とある。
資本の流通過程について

ある貨幣額が生産手段と労働力とに転化することは、資本として機能すべき価値分量が行なう第1の運動である。この運動は市場で、すなわち流通部面で行なわれる。[589]

第3篇第6章“不変資本と可変資本”参照。価値移転や価値増殖は生産過程で行なわれるにしろ、まず、商品市場でもって、生産手段と労働力が贖われなければならない。

運動の第2の局面である生産過程は、生産手段が商品に転化されると同時に完了するが、この商品の価値はその構成諸部分の価値を超えており、したがって最初に前貸しされた資本に剰余価値を加えたものを含んでいる。これらの商品は、それからふたたび流通部面に投げ込まれなければならない。これらの商品を売り、それらの価値を貨幣に表現し、この貨幣をあらためて資本に転化する……。いつも同じ継起的な諸局面を通過するこの循環は、資本の流通を形成する。[589]

蓄積の第一の条件は、資本家が自分の商品を売り、それで得た貨幣の大部分を資本に再転化するということをすでになし終えていることである。以下では、資本がその流通過程を正常に通過することが前提されている。この過程のより詳しい分析は第二部で行なわれる。[589]

剰余価値が資本に転化されるためには、まず、剰余価値を生産するべき条件が前提されなければならないし、剰余価値が実際に生産されていなければならない。
剰余価値の転化形態について

剰余価値を生産する資本家……は、なるほどこの剰余価値の最初の取得者ではあるが、決してその最後の所有者ではない。彼はあとで、社会的生産全体のなかで他の諸機能を果たす資本家たちや、土地所有者などと、この剰余価値を分け合わなければならない。それゆえ、剰余価値はさまざまな部分に分かれる。剰余価値の諸断片はさまざまな部類の人々の手にはいって、利潤、利子、商業利得、地代などのような、相互に自立したさまざまな形態を受け取る。剰余価値のこれらの転化形態は、第三部ではじめて取り扱うことができる。[589]

剰余価値が資本に転化される際、実際には、剰余価値が「利潤、利子、商業利得、地代などのような、相互に自立したさまざまな形態」に転化されているという前提が存在する。
現段階で「資本の蓄積過程」を取り扱ううえでの理論的前提

ここではわれわれは、一方で、商品を生産する資本家が商品をその価値どおりに売るものと想定し、商品市場への彼の復帰については、流通部面で資本に付着する新しい諸形態についても、またそれら諸形態のなかに包み込まれている再生産の具体的諸条件についても、さらに詳しく述べることはしない。他方、われわれは、資本主義的生産者を全剰余価値の所有者であるとみなすことにしよう。……したがってわれわれは、さしあたり蓄積を抽象的に、すなわち直接的生産過程の単なる契機として考察する。[590]

剰余価値がどのようにして資本に転化されるのか。この運動の本質を探るためには、資本の運動の局面におうじて生じるさまざまな現象の背後にある、運動の太い軌跡を見つめなければならない。

剰余価値の分割と流通の媒介運動とは、蓄積過程の単純な基本形態をあいまいにする。[590]

この点で、ここでマルクスが前提していることは、資本の蓄積過程の実際を無視するということではけっしてない。

蓄積が行なわれる限り、資本家は生産した商品の販売と、それによって得た貨幣の資本への再転化とに成功しているのである。さらに、剰余価値がさまざまな部分に分解されるということは、剰余価値の本性を変えるものではないし、また剰余価値が蓄積の要素となるために必要な諸条件を変えるものでもない。……われわれが蓄積の叙述において想定していることは、蓄積の現実の過程においても想定されている。[590]

社会的生産過程は同時に再生産過程である

生産過程は、その社会的形態がどのようなものであっても、継続的でなければならない……あらゆる社会的生産過程は、その恒常的な連関のなかで、またその更新の絶えざる流れのなかで考察すれば、それは同時に再生産過程である。[591]

まずマルクスは、生産過程の継続ということが、資本主義的生産過程に限らない、人類社会の歴史で一般的なものであることを指摘する。

生産を継続するためには、生産物のうち一定部分を、引き続く生産のための材料として確保し、補填しなければならない。一般に、あらゆる社会において、生産手段のための生産物は、生活のために消費されるべき生産物とは別に、当初からつぎの生産のための物資として生産される。

それは最初から生産的消費に予定されているのであり、その大部分はおのずから個人的消費にまったく不適当な現物形態で実存する。[591]

資本主義的生産様式のもとでは、この再生産過程は、資本の再生産過程として現われる。

資本主義的生産様式のもとでは、労働過程が価値増殖過程のための一手段としてのみ現われるのと同じように、再生産も、前貸価値を資本、すなわち自己増殖する価値として再生産するための一手段としてのみ現われる。[591]

マルクスが注(1)([592])に引用しているように、この「自己増殖する価値」の「周期的増加分」が、シスモンディの目には「資本から生じる収入」と映った。資本が「自己増殖する価値」として機能するうえで不可欠な、人間の労働、労働力への投資と消費にかんして、彼は、「社会秩序のもとでは、富は他人の労働によって自分を再生産する力を得ている」([592])として、ア・プリオリで考察無用の大前提としている。いずれにしても、シスモンディがこの現象形態の背後にある本質に到達していないにしろ、現象形態としては、たしかに、

資本価値の周期的な増加分、あるいは過程のなかにある〔活動の状態にある〕資本の周期的果実としては、剰余価値は資本から生じる収入という形態をとる。[592]

剰余価値――これをわれわれはしばらく資本家の消費元本にすぎないものとみなす[592]

この収入が資本家にとって消費元本としてのみ役立つとすれば、あるいは、周期的に獲得されるのと同じように周期的に消費されるとすれば、他の事情が変わらなければ単純再生産が行なわれる。[592]

単純再生産過程における可変資本
賃銀は「前貸し」資本

これまでの叙述のなかで、不変資本・可変資本をめぐって、「前貸し」されるものという強調がたびたび行なわれてきた。この章で、「資本の生産過程の繰り返し・継続」自体が考察されるに及んで、この「前貸し」される資本ということの意味が、よりはっきりとうきぼりになる。

単純再生産は同じ規模での生産過程の単なる繰り返しであるとはいえ、この単なる繰り返しあるいは継続は、この過程にある新しい性格を刻印する、あるいはむしろその過程が単なる孤立的な過程の経過であるかのような外観上の性格を消滅させる。[592]

生産過程は、労働力を一定期間購買することから始められるのであり、この開始は、労働〔力〕の販売期限が切れるごとに、したがって一定の生産期間、たとえば週や月などが経過するごとに、絶えず更新される。しかし、労働者は、彼の労働力が働いて自分自身の価値と剰余価値とを商品のなかに実現させたあとで、はじめて支払われる。したがって彼は、剰余価値……と同じように〔のほかに――フランス語版〕、彼自身への支払元本である可変資本を、それが労賃の形態で彼のもとに還流してくる以前に生産しているのであって、彼はこの元本を絶えず再生産する限りでのみ仕事を与えられる。[592]

労賃の形態で絶えず労働者のもとに還流するものは、労働者自身によって絶えず再生産される生産物の一部分である。資本家は労働者に商品価値を、確かに貨幣で支払う。しかし、この貨幣はただ労働生産物の転化した形態にすぎない。労働者が生産手段の一部分を生産物の転化しているあいだに、彼の以前の生産物の一部分が貨幣に再転化される。きょう、あるいは今後半年間の彼の労働は、その前の週あるいはその前の半年間の彼の労働で支払われる。[592-3]

貨幣形態が生み出す幻想は、個々の資本家や個々の労働者の代わりに資本家階級や労働者階級が考察されれば、ただちに消えてなくなる。[593]

賃銀は労働元本の特殊的現象形態

可変資本は、労働者が彼の自己維持と再生産とのために必要とし、どのような社会的生産体制のもとでもつねにみずから生産し再生産しなければならない生活手段の元本、あるいは労働元本の特殊な歴史的現象形態にすぎない。労働元本が彼の労働の支払手段の形態で絶えず彼のもとに流れてくるのは、彼自身の生産物が絶えず資本の形態で彼のもとから遠ざかるからにすぎない。[593]

マルクスはこのことを、夫役労働と比較しながら説明している。決定的な違いは、生産手段が彼、直接労働者の所有であるのか、そうではないのか、にある([593-4])。

ただし、このちがいは、労働元本の再生産過程の外観には、なんら影響しない。

他の事情が変わらなければ、彼は相変わらず週に6日間、3日は自分自身のために、3日はいまでは賃雇い主に転化してしまったもとの夫役領主のために、労働するであろう。彼は相変わらず、生産手段を生産手段として消費し、その価値を生産物に移転するであろう。生産物の一定部分は相変わらず再生産にはいり込むであろう。[593-4]

しかし、夫役労働が賃労働の形態の形態をとるのと同様に、夫役農民によってこれまでどおり生産され再生産される労働元本も、もとの夫役領主が彼に前貸しする資本という形態をとる。[594]

単純再生産過程における総資本
再生産周期数

ここでは、追加投資は想定されていない。1000ポンド・スターリングの投資によって生産された1200ポンド・スターリングの価値生産物の販売によって、資本家氏のポケットには 1000+200 ポンド・スターリングが還流してくるが、資本家氏は(いかなる手段によるかは分からないが)、資本家氏の家族の生活諸手段費用として、年々200ポンド・スターリングを消費するから、次の年に投資できるのは、前の年と変わらず1000ポンド・スターリングである。

1000ポンド・スターリングの資本で周期的に、たとえば年々生産される剰余価値が200ポンド・スターリングであり、この剰余価値が年々消費されるとすれば、同じ過程が5年間繰り返されたのちには、消費された剰余価値の総額は 5×200 であり、最初に前貸しされた1000ポンド・スターリングの資本価値に等しいということは明らかである。[594]

一般的に言えば、前貸しされた資本価値を年々消費される剰余価値で割れば、最初の前貸資本が資本家によって消費し尽くされ、それゆえ消えうせてしまうまでに経過する年数、あるいは再生産周期の数が出てくる。……一定の年数が経過したのちには、彼が所有する資本価値は同じ年数のあいだに等価なしで取得した剰余価値の総額に等しく、彼が消費した価値額は最初の資本価値に等しい。……この資本の価値は、ただ彼が無償で取得した剰余価値の総額を表わしているにすぎない。彼のもとの資本の価値はもう一原子も存続していない。[594-5]

単純再生産は、長かろうと短かろうと、ある期間ののちには、どの資本をも蓄積された資本または資本化された剰余価値に必然的に転化させる。……つまり貨幣形態であろうとなかろうと他人の不払労働の体化物となるのである。[595]

資本関係の再生産

労働生産物と労働そのものとの分離、客体的な労働諸条件と主体的な労働力との分離が資本主義的生産様式の事実上与えられた基礎であり、出発点であった。[595]

第4章“貨幣の資本への転化”第3節“労働力の購買と販売”参照。

しかし、はじめはただ出発点にすぎなかったものが、過程の単なる継続、単純再生産に媒介されて、資本主義的生産特有の成果として絶えず新たに生産され、永久化される。一方では、生産過程は絶えず素材的富を資本に転化させ、資本家のための価値増殖手段と消費手段に転化させる。他方では、労働者は絶えずこの過程から、そこにはいったままの姿で――富の人的源泉ではあるがこの富を自分のために実現するあらゆる手段を奪われたものとして――出てくる。[595]

資本家による労働力の消費

生産過程は同時に資本家による労働力の消費過程でもあるから、労働者の生産物は絶えず商品に転化されるだけでなく、資本に、すなわち価値を創造する力をしぼり取る価値に、人身を買う生活手段に、生産者を使用する生産手段に転化される。それゆえ、労働者自身は絶えず客体的な富を資本として、すなわち彼にとっては外的であって彼を支配し搾取する力として生産するのであり、そして資本家もまた絶えず労働力を、主体的な、それ自身の対象化および現実化の手段から切り離された、抽象的な、労働者の単なる生身のうちに実存する富の源泉として、簡単に言えば労働者を賃労働者として生産するのである。[596]

労働者による生産手段の消費

生産そのものにおいて、彼はその労働によって生産手段を消費し、それを前貸資本の価値より大きい価値の生産物に転化させる。これは彼の生産的消費である。それは同時に、彼の労働力を買った資本家による彼の労働力の消費でもある。[596]

労働者による生活手段の消費

賃銀によって労働者が生活手段を購入することは、生産過程において生産手段を消費することとはまったく別の、個人的消費である。

しかし、この個人的消費を、資本の再生産過程のなかで考察すると、彼のこの消費行動が、彼の労働力の発揮を再生産し、資本の再生産の新たな契機となっていることが明らかになる。

資本家が自分の資本の一部分を労働力に転換すると、彼はそれによって自分の総資本を増殖する。彼には一石二鳥である。彼は、自分が労働者から受け取るものからだけでなく、自分が労働者に与えるものからも利益を得る。労働力と引き換えに譲渡される資本は生活手段に転化され、この生活手段の消費は、現存する労働者の筋肉、神経、骨、脳髄を再生産して、新しい労働者を生み出すために役立つ。それゆえ、労働者階級の個人的消費は、絶対に必要なものに限って言えば、資本が労働力と引き換えに譲渡された生活手段の、資本によって新たに搾取されうる労働力への再転化である。それは、資本にとってもっとも不可欠な生産手段である労働者そのものの生産および再生産である。[597]

見かけ上の「自由」、見えない軛

社会的観点から見れば、労働者階級は直接的な労働過程の外部でも、死んだ労働用具と同じように資本の付属物である。……個人的消費は、一方では彼ら自身の維持と再生産のために配慮し、他方では生活手段を消滅させることによって、彼らが絶えず労働市場に再出現するように配慮する。ローマの奴隷は鎖によって、賃労働者は見えない糸によって、その所有者につながれている。賃労働者の独立という外観は、個々の雇い主が絶えず替わることによって、また契約という“法的擬制”によって維持される。[599]

「見えない糸」が「目に見える軛」として社会的に露になることがある。

「居住地選択の自由」にたいする制限というのは、いわゆる社会主義を看板にしていた一部の国家の十八番のように言われているが、マルクスによれば、かつて、かのイギリスで、「自由な経済発展」の名のもとに、労働者の移住が法的に制限されていたという。

以前には資本は、自分にとって必要と思われた場合には、自由な労働者にたいする自分の所有権を強制法によって通用させた。たとえば、イギリスでは機械労働者の移住が1815年にいたるまで重刑をもって禁止されていた。[599]

1861年にアメリカ南北戦争が勃発し、綿業恐慌がイギリスを襲った。このとき綿業労働者の多くが失業し、新たな仕事を植民地ヨーロッパ大陸やアメリカ合衆国にもとめたときにも、議会は彼らの移住を、事実上阻止した。

彼らの移住は阻止された。彼らは綿業地域の「道徳的“労役場”」に閉じ込められ、そして相変わらず「ランカシャーの綿業主の強み」となっている。

注(16)議会は移民のために一文の支出も議決もしないで、労働者を生死の境で維持する権限、すなわち正常な賃銀を支払わないで彼らを搾取する権限を市当局に与える法律だけを議決した。これに反して、3年後に牛ペストが発生したときには、議会は乱暴にも議会の作法すら破って、百万長者である地主の損失を補償するためただちに数百万の支出を議決した。しかし、これらの地主の借地農場経営者はもともと肉価の騰貴によって損失をまぬがれていたのである。[602-3]

彼の経済的隷属は、彼自身の販売の周期的更新や、彼の個人的雇い主の交替や、労働〔力〕の市場価格の変動によって、媒介されると同時におおい隠されている。[603]

資本関係そのものが再生産される

したがって、資本主義的生産過程は、その連関のなかで考察すれば、すなわち再生産過程としては、商品だけを、剰余価値だけを生産するのではなく、資本関係そのものを、一方には資本家を、他方には賃労働者を生産し、再生産するのである。[604]

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第1部:資本の生産過程

第7篇:資本の蓄積過程

第22章:剰余価値の資本への転化
第1節
拡大された規模での資本主義的生産過程。
商品生産の所有法則の資本主義的取得法則への転換

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どのように資本から剰余価値が生じるかはさきに考察したが、いまや、どのように剰余価値から資本が生じるかを考察することになる。[605]

いよいよ、本格的に、資本の「蓄積」が、考察対象となる。

私たちの一般的な語感からは、「蓄積」というと、「たくわえためること」という意味合いを、まず受け取る。しかし、ここでは、経済学的な用語として使用されている。『広辞苑』によれば、

ちく - せき【蓄積】(1)たくわえためること。たくわえてたまったもの。(2)資本家が利潤(剰余価値)の一部分のみを個人的消費につかい、残余を資本に転化して拡大再生産をはかること。資本の蓄積は集積と集中との二つの形態をとる。「本源的――」

とあり、(2)でしめされている意味で使用されているのが、この篇での「蓄積」だ(「残余を」という言い方が適切かどうかは別にして)。だから、第22章の見出しはそのまま「資本の拡大再生産」(=「資本の蓄積」)と同義語だ。このことは、第7篇の「序章」ともいうべき叙述部分で、定義されていた。第21章では、資本の「単純再生産」さえも、それまでの再生産とは質的に異なる性格が現われることが、分析された。さらに、第22章のこの節では、とくに、「商品生産の所有法則」が、その法則を貫徹する過程で、なぜ「資本主義的取得法則」へと転換するのかが、考察される。

これまで、資本家によってそのすべてが消費されると仮定されていた剰余価値は、その一定部分が、「資本に転化される」。剰余価値は、一定の貨幣額として、資本家の手元に還流しているわけだが、

ある価値がもっている剰余価値としての性格は、それがどのようにしてその所有者の手にはいったかを示しはするが、価値や貨幣の本性を少しも変えるものではない。[605]

資本家が、彼の手元に、貨幣を還流させるためには、彼の所有する生産物を、市場にもち込まなければならない。紡績業者が、彼の所有する生産物をもち込む市場(流通過程)には、当然、ほかのすべての生産業者個々人の所有する生産物も、もち込まれる。

たとえば、年あたりの、すべての生産業者の所有する生産物の総量、年総生産物をみてみると、つぎのことがいえる。

これらの商品は、市場に来るまえにすでに年々の生産元本のうちに……、存在していたのである。市場における経過は年生産の個々の構成部分を売買させるだけで、それらを一方の手から他方の手に移しはしても、年総生産を大きくしたり、生産された物の本性を変えたりすることはできない。[606]

その社会が再生産を行なうためには、

年生産は、さしあたりまず、その年のうちに消費される資本の物的構成部分を補填すべきあらゆる物(使用価値)を提供しなければならない。[606]

この「補填」部分を差し引けば、剰余生産物が残る。拡大再生産を行なうためには、この一部分を資本に転化しなければならない。

しかし、奇跡でも行なわない限り、資本に転化できる物は、労働過程で使用されうる物すなわち生産手段と、ほかには労働者が自分の生活を維持しうる物すなわち生活手段だけである。……年々の剰余労働は、前貸資本の補填に必要な分量を超える追加的生産手段および追加的生活手段の製造に充てられていなければならない。……剰余価値が資本に転化できるのは、剰余生産物……がすでに新しい資本の物的諸構成部分を含んでいるからにほかならない。[606-7]

年々の総生産物がどのように使われるかは、総生産物自身の構成に依存するのであり、決して流通に依存するのではない。[606]

拡大再生産されるためには、新たな追加資本は、「他の事情がすべて同じままなら」、さきに投資されたのと同じ割合で、新たな生産手段と労働力に投資されることになる。剰余価値率がまえと変わらなければ、追加された可変資本(賃金への投資額)と同額の剰余価値が生み出されることになる。

この節でマルクスが想定している例で言えば、最初に投資される総額10000ポンド・スターリングのうち、可変資本として前貸しされる20%は、剰余価値率が100%と想定されているので、2000ポンド・スターリングの剰余価値を生み出す。新たに生み出された2000ポンド・スターリングが、同様の条件のもとで、さらに追加投資されれば、このうちの20%が労賃として前貸しされることになり、400ポンド・スターリングの剰余価値を生み出す。さらに、この400ポンド・スターリングが、追加資本として前貸しされれば、80ポンド・スターリングの新たな剰余価値を生み出す。

ここでは、資本家によって消費される剰余価値部分は度外視する。同様に、追加資本が最初の資本に加えられるのか、それとも別にされて独立に価値増殖を行なうのか――あるいはまた、追加資本を蓄積した同じ資本家がそれを利用するのか、それとも彼が他の資本家にそれを譲渡するのかということは、さしあたりわれわれの関心事ではない。ただ忘れてならないのは、新たに形成された諸資本とならんで、最初の資本が引き続き自分を再生産し、剰余価値を生産するということ、そして、同じことは蓄積されたどの資本についても、それによって生み出された追加資本との関連ではつねにあてはまるということである。[607-8]

最初に投資された10000ポンド・スターリングは、さしあたり、「彼自身の労働と彼の先祖の労働とに」よって、彼が取得していたもの、と規定することができるかもしれない。それにたいして、この投資によって生み出され、追加投資される、2000ポンド・スターリングは、「最初から、他人の不払労働に由来しない価値を一原子も含んでいない」。

労働者階級は、彼らの今年の剰余労働によって、次の年に追加労働を使用するであろう資本をつくり出した。これがすなわち、資本によって資本を生み出すということなのである。[608]

第一の追加資本2000ポンド・スターリングの蓄積の前提は、資本家が前貸しし、彼の「最初の労働」によって自分のものになっている1万ポンド・スターリングという価値額であった。これに反して、第二の追加資本400ポンド・スターリングの前提は、第一の追加資本2000ポンド・スターリングの蓄積が先に行なわれているということにほかならないのであって、第二の追加資本は第一の追加し本の剰余価値が資本化したのものである。いまや、過去の不払労働を所有することが、生きた不払労働を絶えず増大する規模で現在取得するための唯一の条件として現われる。[609]

最初の操作として現われた等価物どうしの交換は、一転して、外観的にのみ交換が行なわれるようになる。というのは、労働力と交換される資本部分そのものが、第一には、等価なしに取得された他人の労働生産物の一部分にすぎず、第二には、その生産者である労働者によって補填されなければならないだけでなく、新しい剰余をともなって補填されなければならないからである。したがって、資本家と労働者のあいだの交換関係は、流通過程に属する外観にすぎないものとなり、内容そのものとは無縁な、内容を神秘化するにすぎない単なる形式になる。[609]

所有は、いまや、資本家の側では他人の不払労働またはその生産物を取得する権利として現われ、労働者の側では自分自身の生産物を取得することの不可能性として現われる。所有と労働との分離は、外見上は両者の同一性から生じた一法則の必然的帰結となる。[610]

第1部の第4章および第5章で解明されたように、貨幣の資本への転化、生産過程の価値増殖過程への転化は、等価交換という、商品生産・商品流通の一般的法則から生じた。

資本主義的取得様式は、商品生産の本来の諸法則とどんなに矛盾するように見えるにしても、それは決してこれらの法則の侵害から生じるのではなく、むしろ反対にその適用から生じるのである。[610]

ところが、労働力という商品の等価交換を含んでいるがゆえに、資本主義的生産様式のもとでの取得様式は、生産と所有との関係に、根本的転換を生じる。労働力の購買者は資本家であり、それを消費させるのも資本家であるが、直接生産にたずさわり直接労働力を行使しているのは労働者である。生産手段と労働力の購買者であり、生産過程に投入するのが、資本家であるから、この生産過程で生産された商品の取得権は、資本家にある。直接の生産者である労働者は、彼らが生産した商品にたいして、一片の取得権ももっていない。

生産物は資本家のものであって、労働者のものではない。
この生産物の価値は前貸資本の価値のほかに剰余価値を含むが、この剰余価値は労働者にとっては労働を費やさせたが資本家にとってはなにも費やさせなかったにもかかわらず、それは資本家の合法的所有物になる。
労働者は引き続き自分の労働力を保有し、買い手がみつかればまた新たにそれを売ることができる。

端初においては、生産物は生産者のものであり、生産者は等価物どうしを交換しながら、自分の労働だけで富を得ることができるのであり、資本主義時代においては、社会の富が、絶えず増大する程度において、他人の不払労働を絶えず新たに取得する立場にある人々の所有となるのである。

こうした結果は、労働力が労働者自身により商品として自由に売られるのと同時に、不可避となる。しかしまた、そのときからはじめて、商品生産は一般化されて典型的な生産形態となる。そのときからはじめて、各生産物も最初から販売のために生産され、生産された富はすべて流通を通過するようになる。商品生産は、賃労働がその基盤となるときはじめて、全社会に自分を押しつける。さらにまた、そのときはじめて、商品生産は隠されたすべての力能を現わす。賃労働の介入は商品生産を不純にするなどと語ることは、商品生産が不純にされたくなければ発展してはならないと語るに等しい。商品生産がそれ自身の内的諸法則に従って資本主義的生産に成長していくのと同じ程度で、商品生産の所有諸法則は資本主義的取得の諸法則に転換する。[613]

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第1部:資本の生産過程

第7篇:資本の蓄積過程

第22章:剰余価値の資本への転化
第2節
拡大された規模での再生産にかんする経済学上の誤った見解

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ブルジョア経済学にとって決定的に重要だったことは、資本蓄積を第一の市民的義務であると布告し、出費するよりも多くのものをもたらす追加的な生産的労働者を獲得するために収入のかなりの部分を支出することをしないで、収入の全部を食い尽くしてしまうのでは、蓄積はできない、と倦むことなく説教することであった。……貨幣を流通しないように秘蔵することは貨幣を資本として増殖するのと正反対であり、蓄財的意味での商品蓄積はまったく愚かなことである。[615]

したがって、古典派経済学は、不生産的労働者によってではなく生産的労働者によって剰余生産物が消費されることを蓄積過程の特徴的契機として強調する限りでは、正しい。[615]

しかし、古典派経済学の誤りは、追加資本のすべてが、可変資本になると結論づけたことにあった。より厳密に言えば、

純生産物のうちから資本に転化される部分がすべて労働者階級によって消費される[617]

という命題である。すなわち、

各個別資本は不変的構成部分と可変的構成部分とに分かれるとしても、社会的資本はただ可変資本のみに帰着する……。たとえば、ある織物工場主が2000ポンド・スターリングを資本に転化するとしよう。彼は、この貨幣の一部分を織布工の雇い入れに支出し、他の部分を毛糸や毛織機械などに支出する。しかし、彼が糸や機械を買う相手の人々は、さらにその代金の一部をもって労働に支払い、こうして同様のことがつぎつぎに行なわれ、ついには、この2000ポンド・スターリングの全部が労賃の支払いに支出される、すなわちこの2000ポンド・スターリングで代表される生産物の全部が生産的労働者によって消費され尽くす[616]

という主張である。

アダム・スミスを筆頭に、リカードウやミルら、後継者たちが見誤った、社会的総資本についての分析について、マルクスは、その混迷の要因を、つぎのように指摘している。

年総生産の元本のみに注目する限り、年々の再生産過程は容易に理解できる。しかし、年生産のすべての構成部分が商品市場にもち出されなければならないのであって、そこから困難が始まる。個別諸資本と個人的諸収入の運動が、全般的な場所変換――社会的富の流通――では交錯し、混雑し合い、消失するのであり、この全般的な場所変換が見る目を混乱させ、非常にもつれた課題の解決を研究に提起する。[617]

古典派経済学の天才たちも、現実の資本の運動の諸連関に幻惑され、からみあった諸連関の背後にある資本の運動の本質に迫りきることができなかったのだった。それは、彼らの研究・分析方法に、“ボタンのかけちがい”があったからかもしれない。そのひとつは、マルクスが注(32)で指摘している“荒唐無稽なドグマ”――「商品の価格が労賃、利潤(利子)、および地代から、すなわち労賃および剰余価値のみから構成されている」([617])――という命題である。

マルクスが、この篇、第7篇の「序論」部分で、「資本の蓄積過程」をめぐる分析・叙述姿勢について、念の入った解説を行なっていたが、その分析・叙述方法に、混迷をさけるための重要なカギがあったのだ。

前節、第22章第1節で、マルクスが分析していたように([606])、社会的総資本は個別諸資本の総額であり、この社会的総資本がその年のうちに転化する、その年の総生産物は、市場にもち込まれるまえに、すでにその総生産物自身のうちに、不変資本価値部分と可変資本価値部分と剰余価値部分とを内在させている。

市場における経過は年生産の個々の構成部分を売買させるだけで、それらを一方の手から他方の手に移しはしても、年総生産を大きくしたり、生産された物の本性を変えたりすることはできない。[606]

もちろん、年総生産全体を、総体として見るから、このような分析が可能なのであって、実際の資本の運動は、年という単位よりも短いサイクルで、より複雑な経過をたどっている。マルクスは、叙述の構成上、別途、篇をもうけて、その全容についての考察を行なっている(第2部第3篇)。そこで、かの「ケネーの経済表」が登場するらしいことが予告されている。

第2部、第3篇において、私は、現実的連関の分析を行なうであろう――流通から出てくるさいの姿態で年生産の形象を示すという試みを彼らの“経済表”のなかではじめて行なったことは、重農主義者の大きな功績である。[617]

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第1部:資本の生産過程

第7篇:資本の蓄積過程

第22章:剰余価値の資本への転化
第3節
剰余価値の資本と収入とへの分割。節欲説

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剰余価値のうち、どれだけの部分を資本として「蓄積」するか、どれだけの部分を資本家自身の生活手段として消費にまわすか、この割合を決めるのは、剰余価値の所有者である資本家である。剰余価値の分割権は資本家に属しているし、資本家の意志行為であることにはちがいない。しかし、資本主義的生産様式のもとにおいては、この資本家の意志は、「社会的機構の作用」の反映として現われる。

マルクスは、この「累進的蓄積衝動」をめぐって、多面的な叙述を行なっていて([618])、資本主義的生産様式の強制法則を指摘すると同時に、その法則のもたらす、累進的爆発的な社会的生産力の発展の、人類史的意義を強調している。

資本家は、人格化された資本である限りにおいてのみ、一つの歴史的価値をもち、……歴史的存在権をもつ。その限りでのみ、彼自身の過渡的な必然性が、資本主義的生産様式の過渡的な必然性のうちに含まれる。……価値増殖の狂信者として、彼は容赦なく人類を強制して、生産のために生産させ、それゆえ社会的生産諸力を発展させ、そしてまた各個人の完全で自由な発展を基本原理とする、より高度な社会形態の唯一の現実的土台となりうる物質的生産諸条件を創造させる。……彼は貨幣蓄蔵者と同様に、絶対的な致富衝動をもっている。しかし、貨幣蓄蔵者の場合に個人的熱狂として現われるものが、資本家の場合には社会的機構の作用なのであって、この機構のなかでは彼は一個の動輪にすぎない。そのうえ、資本主義的生産の発展は、一つの産業的企業に投下される資本が絶えず増大することを必然化し、そして競争は個々の資本家にたいして、資本主義的生産様式の内在的諸法則を外的な強制法則として押しつける。競争は資本家に強制して、彼の資本を維持するためには絶えず資本を拡大させるのであるが、彼は累進的蓄積によってのみそれを拡大することができる。[618]

マルクスのこの叙述には、古典派経済学による「市民社会」の歴史的使命の評価との決定的なちがいがある。

古典派経済学にとっては、プロレタリアが単に剰余価値生産のための機械としてのみ意義をもつとすれば、資本家もまた古典派経済学にとって、この剰余価値を剰余資本に転化するための機械としてのみ意義をもつことになる。[621-2]

古典派経済学も、「ブルジョア時代の歴史的使命」を「蓄積のための蓄積、生産のための生産」と定式したし、その「富の生みの苦しみ」(無産者階層の増大、貧困の増大)を指摘もした。しかし、ブルジョア時代が、より高次の人類史の発展を切り開く、物質的土台を形成するという展望を導くことはなかったし、資本家階級と労働者階級との対立を、固定的機械的にしか考察できなかった。

剰余価値の分割をめぐって、「享楽衝動」と「蓄積衝動」とが、資本家のなかでせめぎあう。初期の資本家は、「享楽衝動」を抑制し、個人的消費を罪悪だとして、「蓄積のための『節欲』」を自らに奨励する。「資本主義的生産様式、蓄積、および富の発展につれて」([619])、資本家にとって、蓄積は、「みずからの享楽衝動の『禁欲』」として感じられるようになる。また、資本主義的生産の一定の発展段階では、奢侈が、「富の誇示であると同時に信用の手段」ともなる。「奢侈が資本の交際費にはいり込む」。いわゆる“ステータス”維持のための支出が生活手段の消費として算入される。

もともと資本家は、貨幣蓄蔵者と違って、彼の個人的労働や彼の個人的非消費に比例して富裕になるのではなく、彼が他人の労働力を搾取する程度、また労働者に生活上の享楽をすべて禁欲するよう強制する程度に応じて富裕となるのである。……彼の浪費は彼の蓄積につれて増大するのであって、一方が他方を中断させるわけではない。[620]

一定程度、「資本の蓄積」が発展してゆくにつれ、古典派経済学の主張のなかに、きわめて“過激な”「蓄積のすすめ」が登場している。

マルサスは、今世紀20年代のはじめに、ある分業を擁護したが、それは、実際に生産にたずさわる資本家には蓄積の仕事を割り当て、剰余価値の分配にあずかるその他の人々――土地貴族、国や教会からの受禄者など――には浪費の仕事を割り当てる、というものである。彼は、「支出への情熱と蓄積への情熱を分離させておくこと」〔(38)マルサス『経済学原理』、319、320ページ〕がもっとも重要である、といっている。[622]

しかし、古典派経済学の主な潮流の人びとにとって、「享楽衝動の『節欲』」そのものが利潤の源泉をなすのではなく、生産的に用いられる資本の使用こそが利潤の源泉をなすのだ、ということは、自明であった。

ここで、かの「最後の一時間」で登場したシーニア氏が、ふたたび登場する。彼の主張は、資本家の「蓄積衝動」を、「享楽衝動の『節欲』」だと言い換えることで、投資活動の本質から目をそむけ、資本家の搾取活動を美化する。

彼はもったいぶって言った――「私は、生産用具として考えられる資本という言葉に代えて、節欲という言葉をもってする」と。……シーニアは講義する――「未開人が弓をつくるとき、彼は一つの事業を行なうが、しかし節欲を実行するのではない」と。……「社会が進歩すればするほど、社会はますます節欲を要求する」。すなわち、他人の事業〔勤労〕とその生産物とを取得するために、事業を営む人々の節欲が要求される。労働過程のすべての条件は、このときから、資本家による、それとおなじだけの節欲行為に転化する。……要するに、世界はこの資本家というヴィシュヌ神の近代的な贖罪者が自分に難行苦行を課すことによってのみ生きている……。蓄積のみならず、単純な「資本の維持さえも、それを食い尽くそうとする誘惑に抗するための不断の努力を必要とする」。[623-4]

この俗流経済学の典型にたいして、マルクスは、つぎのように皮肉っている。

注(41)第二版への追加。俗流経済学者は、人間のあらゆる行為はその反対の行為の「節欲」だと理解しうる、という簡単な反省すらしたことがない。食事は断食の節欲、歩行は停止の節欲、労働は怠惰の節欲、怠惰は労働の節欲、等々。諸君はスピノーザの言葉、“規定は否定である”、について一度考えなおしてみるがいい。[624]

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第1部:資本の生産過程

第7篇:資本の蓄積過程

第22章:剰余価値の資本への転化
第4節
剰余価値の資本と収入とへの比例的分割から独立して蓄積の規模を規定する諸事情――労働力の搾取度、労働の生産力、充用される資本と消費される資本との差額の増大、前貸資本の大きさ

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剰余価値が資本と収入とに分裂する比率を与えられたものと前提すれば、蓄積される資本の大きさは、明らかに剰余価値の絶対的な大きさによって定まる。……蓄積の大きさの規定にさいしては、剰余価値の総量を規定する諸事情のすべてが一緒に作用する。[625-6]

「労働力の搾取度」が蓄積の規模を規定する

剰余価値率はまず第一に労働力の搾取度に依存する……。剰余価値の生産にかんする諸篇では、労賃は少なくとも労働力の価値に等しいということが絶えず想定されていた。けれども、実際の運動では、価値以下への労賃のこの強制的な引き下げがあまりにも重要な役割を演じている……。この引き下げは、事実上、一定の限界内で、労働者の必要消費元本を資本の蓄積元本に転化する。[626]

もし労働者が空気だけで生きていけるなら、彼らはどんな価格でも買うことはできないであろう。したがって、労働者がただであるということは数学的意味での極限なのであって、絶えず近づくことはできても決して到達しえないものである。彼らをこの虚無的な立場に〔彼らの価格をゼロに〕引き下げようとするのは、資本の変わらぬ傾向である。[626]

実際、労働者の生活費をどれだけ切り詰められるかという、とんでもない“経済学的研究”が、くそまじめに行なわれていたらしい。いくつかの“経済学論集”からの引用を、マルクスが行なっている。

「しかし、わが貧民」(労働者を表わす述語)「がぜいたくに暮らしたいと思うならば……彼らの労働は当然高いものになるに違いない。……ブランデー、ジン、茶、砂糖、外国産果物、強いビール、捺染もののリンネル、嗅ぎタバコ、喫煙タバコなどという、わがマニュファクチュア労働者たちによって消費されるおびただしい量のぜいたく品のことを考えてみるがよい」【『工場および商業にかんする一論』、ロンドン、1770年、44ページ】[627]

「労働はフランスではイギリスでよりも実に3分の1も安い。というのも、フランスの貧民たちは過酷な労働をするが衣食は粗末であり、彼らのおもな食物は、パン、果物、野菜、根菜、および乾魚だからである。すなわち、彼らはごくまれにしか肉を食べず、また小麦が高価なときには、パンもごくわずかしか食べないからである……そのうえさらに、彼らの飲物はと言えば、水かまたはそれに似た弱いリキュール酒であるから、実のところ彼らはおどろくほどわずかな金しかつかわない。……このような事態にもっていくことは確かに困難なことではあるが、しかし、フランスでもオランダでも、実際にそうなっていることがはっきり証明しているように、それはできないことでもない。」【同前、70、71ページ】[627]

「大麦5ポンド、とうもろこし5ポンド、3ペンスの鯡、1ペンスの塩、1ペンスの酢、2ペンスの胡椒と野菜――合計20(と)3/4ペンスで64人分のスープができる、それどころか、穀物の平均価格でなら、費用は1人あたり1/4ペンス(3ペニッヒ足らず)まで下げられる」【ベンジャミン・トンプスン『政治的、経済的、および哲学的論集』、全3巻、ロンドン、1796-1802年、第1巻、294ページ】[628]

さらに、労働の強度を増すことによっても、蓄積を増大させることができる。

どの産業部門でも、労働手段〔フランス語版では、「労働手段」が「労働手段類(ウチャージ)」となっており、これは「機械、器具、用具、建物、建造物、運輸・通信手段など労働手段の総体を意味する」という注がついている〕から成り立つ不変資本部分は、投資の大きさによって規定される一定の労働者数にたいして十分なものでなければならないが、それは決して就業労働量とつねに同じ比率で増加する必要なない。……資本家はもとからいる100人の労働者を、8時間ではなく12時間労働させることもできるのであり、この場合には既存の労働手段で十分間に合うのであって、ただそれがいっそう急に摩損するだけである。こうして労働力のより高度な緊張によって生み出される追加労働は、それに比例して不変資本部分を高めることなしに、剰余生産物と剰余価値を、すなわち蓄積の実体を増大させることができる。[629-630]

具体的に、マルクスは、「本来の工業」「製造工業」に原料と労働手段を提供する、採取産業(鉱山業など)と農業とにおける労働強化によって、「追加的な資本の供給をまたないで生み出した生産物増加分」が、「製造工業をも利する」という関係を指摘して、つぎのように述べている。

一般的な結論――資本は、富の二つの原形成者、すなわち労働力と土地とをみずからに合体することによって膨脹力を獲得するのであって、これにより資本は、一見すると資本自身の大きさによって定められた限界を超えて、すなわち資本の定在形態たる、すでに生産されている生産手段の価値および総量によって定められた限界を超えて、自己の蓄積の諸要素を拡大することができる。[630-631]

「労働の生産力」が蓄積の規模を規定する

労働の生産力の上昇とともに、一定の価値を、したがってまた与えられた大きさの剰余価値を表わす生産物の総量が増大する。剰余価値率が不変であれば、またかりにそれが低下しても、労働の生産力の上昇よりも徐々にしか低下しない限り、剰余生産物の総量は増大する。それゆえ、収入と追加資本とへの剰余生産物の分割が不変であれば、資本家の消費は蓄積元本の減少なしに増加しうる。蓄積元本の比率的な大きさは、消費元本を犠牲にしても増大しうる――その場合にも、資本家は商品の低廉化によって、以前と同程度かあるいはそれより多くの消費手段を自由に処分することができるが。[631]

また、第1部第15章“労働力の価格と剰余価値との大きさの変動”(とくに第1節)で分析されたように、「労働日の大きさ、労働の強度が与えられている場合」、

労働の生産力における変動、それの増加または減少は、労働力の価値には逆の方向に作用し、剰余価値には同じ方向に作用する[543]

実質賃銀が上昇する場合でさえもそうである。実質賃銀は決して労働の生産性に比例しては上昇しない。したがって、同じ可変資本価値がより多くの労働力を、それゆえまたより多くの労働を運動させる。[631]

また、労働の生産力が上昇するということは、生産手段としての生産物価値も低下させるということであるから、

同じ不変資本価値が、より多くの生産手段に、すなわちより多くの労働手段、労働材料、および補助材料になって表われ、したがって、より多くの生産物形成者ならびにより多くの価値形成者、または労働吸収者を提供する。[631]

だから、労働の生産力が発展するにつれて、追加される資本の価値が増加しなくても、つまり、変わらないか、減少する場合でも、蓄積は加速的に行なわれることになる。再生産のための生産手段が、より多くなることはもちろんのこと、剰余価値の生産の増大が、追加資本の価値の増大よりも、ますます速くなる。
労働手段への反作用

機能している不変資本の一部分は、機械設備などのような労働手段からなっており、これらは比較的長期間にわたってのみ消費され、それゆえ再生産され、あるいは同種の新品によって取り替えられる。……この労働手段の一部分は、……毎年その周期的再生産の段階、または同種の新品による代替の段階にある。もし労働の生産力がこうした労働手段の出生の場所で増大するならば――そして労働の生産力は科学および技術の不断の流れとともに絶えず発展するが――より効率の高い、その性能を考慮すればより安価な機械、道具、装置などが、旧式のものに取って代わる。……旧資本はより生産的な形態で再生産される。[631-2]

労働対象への反作用

原料や補助材料のような不変資本の他の部分は、その年のうちに絶え間なく再生産され、農業から生まれるものはたいてい年々再生産される。したがってこの場合には、改良された方法などの採用は、いずれも、追加資本とすでに機能している資本とにたいし、ほとんど同時に作用する。化学のあらゆる進歩は、有用な素材の数を増やし、すでに知られている素材の利用を多様化し、それゆえ資本の増大につれてその投下部面を拡大する……。それは同時に、生産過程および消費過程の廃物を再生産過程の循環のなかに投げ返すことを教え、こうして、先行の資本投下を要することなく新たな資本素材をつくり出す。[632]

「社会基準上の摩滅」にたいする「減価償却」

労働力の緊張をより高めることによる自然的富の利用が増大することと同じように、科学および技術は機能資本の与えられた大きさからは独立した資本の膨脹力能を形成する。この膨脹力能は、同時に、原資本の更新段階にはいった部分にも反作用する。原資本はその新しい形態のなかに、古い形態の背後で生じた社会的進歩を無償で合体する。もちろん、このような生産力の発展は、同時に、機能諸資本の部分的な減価をともなう。この減価が競争によって痛感されるようになると、またその主たる重圧は労働者にのしかかる。……資本家は、労働者の搾取を強めることによって損失を埋め合わせようとする。[632]

「生きた労働の天分」――「再生産の重要な契機」

同一の労働量はつねに同量の新価値額しか生産物につけ加えるにすぎないとはいえ、それが同時に生産物に移転する旧資本価値は、労働の生産性が高まるにつれて増大する。……生産物のなかに旧価値は新しい有用的形態で維持され、……新たに資本として機能することができる。……新価値を創造しながら旧価値を維持するということは、生きた労働の天分である。それゆえ労働は、その生産手段の効果や規模や価値の増大につれて、したがって労働の生産力の発展にともなう蓄積につれて、絶えず膨脹する資本価値を、つねに新しい形態で維持し、永久化する。[632-3]

注(60)古典派経済学は、労働過程および価値増殖過程の不完全な分析のために、再生産のこの重要な契機を本格的には把握しなかった……。たとえば、彼〔リカードウ〕は言う――生産力の変動がどのようなものであろうと「100万の人間は工場ではつねに同じ価値を生産する」と〔『経済学および課税の原理』、ロンドン、1821年、320ページ〕。もし、彼らの労働の長さと強度が与えられているなら、それは正しい。しかしそれは、100万の人間が、彼らの労働の生産力が異なるのに応じてきわめて異なる量の生産手段を生産物に転化し、それゆえ、きわめて異なる価値量をその生産物のうちに維持するのであり、したがって彼らが提供する生産物価値もまたきわめて異なる、ということをさまたげない[634]

「充用される資本と消費される資本との差額の増大」が蓄積の規模を規定する

資本の増大ともに、……労働手段の価値量や素材量は増大するが、他方、それらの労働手段はただ漸次的にのみ摩損するにすぎず、それゆえそれらの価値を一部分ずつ失うだけであり、したがってまた一部分ずつその価値を生産物に移転するだけである。これらの労働手段は生産物に価値はつけ加えないが生産物形成者として役立つ程度に応じて、したがって、全部的に充用されながら部分的にしか消費されない程度に応じて、……自然力と同様の無償の役立ちをするのである。過去の労働のこの無償の役立ちは、生きた労働によって利用され生気を与えられるとき、蓄積の規模の増大とともに累積されていく。[635]

「前貸資本の大きさ」が蓄積の規模を規定する

労働力の搾取度が与えられていれば、剰余価値の総量は同時に搾取される労働者の数によって規定されるのであり、この数は、比率は変わるものの、資本の大きさに照応する。したがって、継続的な蓄積によって資本が増大すればするほど、消費元本と蓄積元本とに分かれる価値総額もそれだけ増加する。……こうして結局、前貸資本の総量につれて生産の規模が拡大されればされるほど、生産のすべてのばねがますます精力的に働くのである。[635-6]

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第1部:資本の生産過程

第7篇:資本の蓄積過程

第22章:剰余価値の資本への転化
第5節
いわゆる労働元本

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「労働元本」は固定的なものか

古典派経済学は以前から、社会的資本を、固定した作用度を有する固定した大きさのものとして把握することを好んだ。[636]

しかし、

この研究の進むなかで明らかになったように、資本は固定的な大きさのものではなく、社会的富のうちの弾力的な一部分であり、また剰余価値が収入と追加資本とに分割されるにつれて絶えず変動する一部分である。[636]

第22章第3節を参照。

さらに、すでに見たように、機能資本の大きさが与えられていても、その資本に合体される労働力、科学、および土地(これは、経済学的には人間の関与なしに自然に現存するいっさいの労働対象と解すべきである)は、一定の限界内では、資本そのものの大きさにはかかわりのない作用範囲を資本に許すような、資本の弾力的な力能を形成する[636]

第22章第4節を参照

また、この第7篇では、具体的に考察対象となっていないが、資本の「流通過程の諸関係」においては、「同じ資本量ではなはだしく相異なる作用度を生じさせる」。

実際の資本の運動を見誤らせる、この「社会的資本は、固定した作用度をもつ固定した大きさのものである」という「ドグマ」から、旧来の経済学潮流の一部分は、「可変資本は固定した大きさのものである」という説を導き出し、「労働元本」は固定的なものであると結論づけた。

可変資本の素材的実存、すなわち、可変資本が労働者のために代表する生活手段の総量、またはいわゆる労働元本は、社会的富のうちで、自然の鎖に縛られて超えることのできない特殊部分だとでっち上げられた。[637]

社会的富のうちの、固定的で変化することのない生活手段総量とされた、この「労働元本」について、マルクスはつぎのような反証を行なっている。そもそも、この第22章で展開された叙述全体が、マルクスによる反証になっているのであるが。

社会的富のうち、不変資本、すなわち素材的に表現すれば生産手段として機能すべき部分を運動させるためには、一定総量の生きた労働が必要である。この量は技術学的に与えられている。しかし、この労働量を流動させるのに必要な労働者の数は与えられていないし――というのは、個々の労働力の搾取度につれて変動するからである――またこの労働力の価格も与えられていないのであって、ただ、その価格の最低限度が、しかもきわめて弾力的なものが与えられているだけである。[637-8]

「固定資本および流動資本」と「不変資本および可変資本」

「労働元本」の制限性ということについての“経済学的解説”が、いかにナンセンスな「同義反復」に陥っているか、ということの典型例を、マルクスは、H.フォーシット教授の著書『イギリスの労働者の経済状態』【ロンドン、1865年】から引用している【120ページ】。

彼は言う――「一国の流動資本は、その国の労働元本である。それゆえ、それぞれの労働者が受け取る平均的貨幣賃銀を計算するためには、われわれはただ簡単に、この資本を労働者人口数で割りさえすればよい」。[638]

この引用の注で、マルクスは、「固定資本および流動資本」という、資本の流通過程から生じる区分と、資本の生産過程において区分される「不変資本および可変資本」というカテゴリーとの、混同について、古典派経済学以来の傾向を指摘している( 注(67)[639] )。

ただし、「混同」といっても、そもそも「不変資本・可変資本」というカテゴリーを用いたのは、マルクスがはじめてであった( 注(67)[639] )。だから、内実は、資本の運動を、生産過程と流通過程とで、それぞれより正確に分析・考察し、なおかつ、資本の運動を、生産過程と流通過程とにおける全過程で、これまたより正確に分析・考察するには、「固定資本・流動資本」というカテゴリーから、一歩も二歩もふみ込んだ、資本にたいする分析が必要だったというわけだ。

詳細な考察は、「資本の流通過程」を取り扱うことになる第2部(とくに第2部第2篇)において行なわれることが予告されているが、とりあえず、カテゴリーとしての概要を、『社会科学総合辞典』(社会科学辞典編集委員会編、新日本出版社発行、第1版、1992年7月15日)からの引用で紹介すると、つぎの通り【209ページ】。

生産資本は、価値の増殖においてはたす役割からは、不変資本と可変資本とに区分されるが、資本価値の回転の仕方からは、固定資本と流動資本とに区分される。不変資本のうちの機械や建物などの本来的な労働手段に支出された資本部分は、1回の回転期間においては、その全部が生産に参加するのではあるが、その価値を一部分ずつ生産物に移転するので、これを固定資本という。これにたいして、不変資本のうちの原料に支出された資本部分および可変資本として労働力に支出された資本部分は、1回の回転期間において、その価値を全部生産物に移転するので、これを流動資本という。資本家は、固定資本の価値を数回の回転期間にわたって回収するのにたいして、流動資本の価値を1回の回転期間に回収する。

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第1部:資本の生産過程

第7篇:資本の蓄積過程

第23章:資本主義的蓄積の一般的法則
第1節
資本の構成が不変な場合における、蓄積にともなう労働力需要の増大

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資本の構成

「資本の構成が不変な場合」とは、どのようなケースを言うのだろうか。

まず、マルクスは言う。

資本の構成は二重の意味に解されなければならない。[640]

資本の価値構成

価値の面から見れば、この構成は、資本が不変資本すなわち生産手段の価値と、可変資本すなわち労働力の価値、労賃の総額とに分割される比率によって規定される。[640]

資本の技術的構成

生産過程で機能している素材の面から見れば、どの資本も生産手段と生きた労働力とに分かれるのであり、この場合の資本の構成は、一方で充用される生産手段の総量と、他方ではその充用に必要な労働量との、比率によって規定される。[640]

資本の有機的構成

この両者〔資本の価値構成と資本の技術的構成〕のあいだには緊密な相互関連がある。この関連を表現するために、私は、資本の技術的構成によって規定され技術的構成の変化を〔自己のうちに〕反映する限りでの資本の価値構成を、資本の有機的構成と名づける。簡単に資本の構成と言う場合には、つねに資本の有機的構成と解すべきである。[640]

社会的資本の構成

一定の生産部門に投下される多数の個別資本は、それぞれ多かれ少なかれ互いに異なる構成をもっている。これら諸資本の個別的構成の平均が、この生産部門の総資本の構成となる。最後に、すべての生産諸部門の平均的構成の総平均が、一国の社会的資本の構成となるのであり、以下では結局この社会的資本の構成のみが問題にされる。[640-1]

資本の構成が不変であるということとは

「資本の構成が不変な場合」とは、すなわち、充用される生産手段の総量と、その充用に必要な労働量との比率が、一定であり、そのために、資本が不変資本(生産手段の価値)と、可変資本(労働力の価値、労賃の総額)とに分割される比率が、一定である場合のことである。

他の事情が不変であるとともに、資本の構成も不変のままである――すなわち、一定量の生産手段または不変資本が運動させられるためにはつねに同じ量の労働力を必要とする――と想定すれば、明らかに労働にたいする需要と労働者の生活維持元本とは資本に比例して増加し、資本が急速に増加すればするほどそれだけ急速に増加する。[641]

すなわち、マルクスは、この節で、まず「労働者たちにとってもっとも有利な蓄積条件」([645])を想定したうえで、「資本の増大が労働者階級の運命におよぼす影響」([640])について考察をすすめているわけだ。
労働の需要と労働元本とが資本に比例して増加する

資本の増大は、資本の可変的構成部分、すなわち労働力に転換される構成部分の増加を含む。追加資本に転化される剰余価値の一部は、つねに可変資本、または追加的労働元本に再転化されなければならない。……資本は年々剰余価値を生産し、そのうちの一部分は年々原資本につけ加えられる……また、この増加分そのものは、すでに機能している資本の大きさが増大するのにともなって年々増加する……たとえば……新市場・新投資領域の開拓のような、致富衝動の特別な刺激のもとでは、蓄積の規模は、資本と収入とへの剰余価値または剰余生産物の分割の単なる変化によって、突然に拡大しうる[641]

このような前提のもとでは、

資本の蓄積欲求が労働力または労働者数の増加をしのぎ、労働者にたいする需要がその供給をしのぎ、それゆえ労賃が騰貴することがありうる。それどころか、上の前提がそのまま持続する場合には、……毎年、前年よりも多くの労働者が就業させられるのであるから、遅かれ早かれ、蓄積の欲求が労働の普通の供給を超えて増大しはじめる時点、したがって賃金上昇が起こる時点が到来せざるをえない[641]

とはいえ、賃労働者が維持され増殖される事情が有利になるか不利になるかということは、資本主義的生産の基本的性格をなんら変えるものではない。……蓄積は、拡大された規模での資本関係を――一方の極にはより多くの資本家またはより大きな資本家を、他方の極にはより多くの賃労働者を――再生産する。……資本の蓄積はプロレタリアートの増加である。[641-2]

労働者層の増大傾向を保証する方法

第22章第2節でマルクスが指摘していたように、古典派経済学の人びとは、「資本の蓄積はプロレタリアートの増加である」という認識に到達していた。彼らの理解をより忠実に表現すれば、むしろ、「プロレタリアートの増加は資本の蓄積の必要条件である」という命題になるかもしれない。

すなわち、資本の蓄積のためには、「プロレタリアート」の増加を保証する必要がある、という経済学研究が発達したようだ。

1696年……ジョン・ベラーズ……「……一人の労働者もいなければ、富者が労働者にならなければならないであろう。そして労働者は人々を富裕にするのであるから、労働者が多ければ多いほど、ますます富者も多くなるであろう。……」【『産業高等専門学校設立の提案』、2ページ】[642]

……バーナード・ド・マンドヴィル……「……貧民の大部分が決してのらくらでなく、しかも彼らの得る収入を絶えず支出することは、すべての富裕な諸国民の利益である。……働く者を勤勉にしうる唯一のものは適度な労賃である。少なすぎる労賃は、彼の気質しだいでは、彼を意気消沈させたりやけにならせたりするし、多すぎる労賃は、彼を横着にし怠惰にする……もっとも確実な富は勤勉な貧民がおびただしくいることにあるということが明らかになる。……社会」(もちろん非労働者から成り立っている社会)「を幸福にし、人民そのものをみじめな状態で満足させるには、大多数の者がいつまでも無知であり、貧しくあることが必要である。知識はわれわれの願望を拡大して何倍にもするのであって、人の願望するものが少なければ少ないほど、それだけ彼の欲求もより容易に満たされうる」。【『蜜蜂物語』、第5版、ロンドン、1727年、注釈、212、213、328ページ】[643]

まあ、言いたい放題のことを言ってくれたものである。

マルクスは、このような「分析結果」にたいして、つぎのように指摘している。

蓄積過程そのものの機構が、資本とともに「勤勉な貧民」――すなわち自分の労働力を、増大する資本の増大する価値増殖力に転化させ、まさにそうすることによって資本家のうちに人格化されている自分自身の生産物へのみずからの従属関係を永久化させざるを得ない賃労働者――の総数を増加させる[643]

マルクスが「アダム・スミスの弟子のなかで、18世紀中になにがしか重要な仕事をしたただ一人の人」と評価している、サー.F.M.イーデン(Sir Frederic Morton Eden 1766-1809)は、著書のなかでつぎのように述べている。

「私たちの地域は欲求を充足するために労働を必要としており、それゆえ少なくとも社会の一部分はたゆまず労働しなければならない。……若干の人々は、労働しないにもかかわらず、この勤勉の生産物を支配することができる。……彼らは市民的諸制度のまったくの創造物なのである。……これらの制度は、人が労働によらなくとも労働の果実を取得できるということを承認している……独立の財産をもつ人々がその財産を得たのは、ほとんどまったく……他人の労働のおかげであり、彼ら自身の能力……のおかげではない。富者を貧者から区別するものは、土地と貨幣の所有ではなく、労働にたいする支配権である。……」【『貧民の状態、またはイギリスの労働階級の歴史』、第1巻、第1部、第1章、1、2ページ、および序言、XXページ】[643-4]

マルクスが注(73)で指摘しているように、イーデンは、「法律を物質的生産諸関係の産物と見るのではなく、その逆に生産諸関係を法律の産物とみなしている」[644]。しかし、彼は、資本家階級と労働者階級の従属関係を、的確にとらえていた。
労働者の消費元本の増加

これまで想定された、労働者たちにとってもっとも有利な蓄積条件のもとでは、資本への彼らの従属関係は、……資本の増大にともなっていっそう内包的となるのではなく、いっそう外延的となっていくにすぎない。……ますます膨脹し、ますます多く追加資本に転化されていく労働者たち自身の剰余生産物のうち、ますます大きな部分が支払手段の形態で彼らの手に還流していき、その結果、彼らは自分の享受の範囲を拡大し、自分の衣服や家具などの消費元本を比較的十分に準備し、わずかながらの積立金をつくることができる。しかし衣食や待遇が改善され“特有財産”が増えても奴隷の従属関係と搾取とがなくならないのと同じように、賃銀労働のそれもなくなりはしない。資本の蓄積の結果としての労働の価格の騰貴は、実際には、賃労働者がみずからすでに鍛え上げた金の鎖の長さと重さが、いくらかその張りのゆるみを許す、ということを意味するにすぎない。[645-6]

労働価格の騰貴の限界

剰余価値の生産または貨殖が、この〔資本主義的〕生産様式の絶対的法則である。労働力は、それが生産手段を資本として維持し、それ自身の価値を資本として再生産し、不払労働の形で追加資本の源泉を提供する限りでのみ、販売されうる。したがって、労働力の販売の諸条件は、労働者にとって有利であると不利であるとを問わず、労働力の不断の再販売の必然性と、資本としての富の不断の拡大再生産とを含んでいる。……

……労賃は、その本性から、労働者の側での一定分量の不払労働の提供をつねに条件としている。労働の価格下落をともなう労賃の騰貴などはまったく別として、労賃の増加は、せいぜい、労働者が提供しなければならない不払労働の量的減少を意味するだけである。この減少は、それが制度そのものを脅かす点までは決して進みえない。[647]

労働価格の騰貴が継続する場合

労働価格の騰貴が、資本の蓄積の進行をさまたげないかぎり、それは継続する。

「利潤が減少する場合でさえも、資本は増加する。それは以前よりも急速にさえ増加する。……大資本は、利潤が小さい場合でさえ、大きな利潤をともなう小資本よりも、一般に、いっそう急速に増加する」【A.スミス『諸国民の富』、第1巻、189ページ】[647]

この場合には、

不払労働が減少しても、資本支配の拡大は決してさまたげられない

労働力または労働者人口の絶対的または比例的増大の減退が資本を過剰にするのではなく、逆に、資本の増加こそが搾取されうる労働力を不足にする[648]

労働価格の騰貴によって資本の蓄積が衰える場合

蓄積が減少すれば、資本主義的生産過程のしくみそのものが、この減少の原因となっている、「一時的な」障害を取りのぞく。「労働価格は、ふたたび資本の価値増殖欲求に照応する水準にまで低下する」。

この水準が、いまや賃銀増加の始まるまえに標準なものとみなされていた水準よりも、以下であろうと以上であろうと、または等しかろうと、論外である。[648]

この場合には、

労働力または労働者人口の絶対的または比例的増大の増進が資本を不足にするのではなく、逆に、資本の減少こそが搾取されうる労働力――またはむしろその価格――を過剰にする。[648]

資本の大きさと労働人口の関係――その本質

上記の二つのケースから、見かけ上「資本の大きさと労働人口との関係」のように表われる現象について、つぎのことが言える。

資本の蓄積におけるこの絶対的運動が、搾取されうる労働力の総量における相対的運動として反映するのであり、それゆえ、この労働力の総量の独自な運動に起因するかのように見えるのである。数学的な表現を用いれば、蓄積の大きさは独立変数であり、賃銀の大きさは従属変数であって、その逆ではない。[648]

資本、蓄積、および賃金率の関係〔フランス語版と英語版では「資本の蓄積と賃金率との関係」〕は、資本に転化された不払労働と、追加資本の運動に必要な追加労働との関係以外のなにものでもない……。したがってそれは、一方では資本の大きさと、他方では労働者人口の数という、互いに独立する二つの大きさのあいだの関係では決してなく、むしろ結局は、同じ労働者人口の不払労働と支払労働との関係にすぎない。[649]

すなわち、「資本の大きさと労働人口」あるいは「資本の蓄積と労賃」の相関関係の内実は、つぎの通りである。

もし、……不払労働の量が、支払労働の異常な追加によらなければ資本に転化されえないほど急速に増大するならば、賃銀が上昇し、そして他のいっさいの事情が不変ならば、不払労働がそれに比例して減少する。しかし、この減少が、資本を養う剰余労働がもはや標準的な量で提供されなくなる点に接触するやいなや、一つの反作用が生じる――すなわち、収入のうちの資本化される部分が減少し、蓄積が衰え、賃銀の騰貴運動は反撃を受ける。したがって労働価格の高騰は、資本主義制度の基礎を侵害しないだけでなく、より拡大された規模でのこの制度の再生産を保証しもする限界のうちに閉じ込められ続ける。[649]

自然法則にまで神秘化されている資本主義的蓄積の法則は、実際には、資本主義的蓄積の本性が、資本関係の不断の再生産、およびその絶えず拡大する規模での再生産に重大な脅威を与えかねないような、労働の搾取度のあらゆる減少または労働価格のあらゆる騰貴を排除することを、表現するにすぎない。[649]

資本主義的生産様式においては、このような傾向以外の傾向はありえない。なぜなら、

労働者が現存価値の増殖欲求のために存在するのであって、その逆に対象的富が労働者の発達欲求のために存在するのではない[649]

からである。

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第1部:資本の生産過程

第7篇:資本の蓄積過程

第23章:資本主義的蓄積の一般的法則
第2節
蓄積とそれにともなう集積との進行中における可変資本部分の相対的減少

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この節の見出しについて、訳注に断り書きがある。

*〔これまでの諸章では、すべて「集中」と訳出したこの語 Konzentration は、フランス語版およびドイツ語第3版以降の Zentralisation (資本の「集中」)の新たな概念規定と区別して、以下の諸章では「集積」と訳出する。なお、本節の表題は、フランス語版では「蓄積の進行中における資本構成の継起的変化、および労働力と交換される資本部分の相対的減少」と改められている〕[650]

フランス語版で改められた見出しの方が、ぐんと分かりやすい。「集積」と「集中」についてだが、本節を読みすすめてゆけば、ちがいが分かってくることになっているはず。

マルクスが引用しているように、古典派経済学の人びとは、「蓄積の持続的増大と速度が、労賃の騰貴を引き起こす」ととらえてきた。(A.スミス『諸国民の富』、第1篇、第8章)

たしかに、マルクスも、前節で、そのケースを考察したのであったが、注意すべきは、前節での考察の前提が、「資本の構成が不変である場合」だったことである。それでもなおかつ、「労賃の騰貴」には、資本主義的生産様式ゆえの「限界点」があることも、前節でマルクスは指摘した。

さらに、マルクスが本節で指摘するように、その前提は「特殊的局面」においてのみ適用可能だが、「蓄積の持続的増大とこの増大の速度」は、「この(特殊的)局面を超えて進む」([650])。「蓄積の持続的増大と加速」そのものが、「可変資本部分の相対的減少」をもたらす段階にいたるのである。
労働生産性の増大がもたらす資本構成の変化

資本主義制度の一般的基礎がひとたび与えられれば、蓄積の経過中に、社会的労働の生産性の発展が蓄積のもっとも強力な槓杆となる時点が必ず現われてくる。[650]

この現象そのものについては、古典派経済学は、きちんと認識していた。ただし、それが、どのような資本構成の変化をもたらすか、ということに関しては、研究をすすめなかった。

A.スミスは言う――「賃銀を高めるのと同じ原因、すなわち資本の増加は、労働の生産諸能力を増進させ、比較的少量の労働が比較的多量の生産物をつくり出せるようにする」(『諸国民の富』、第1巻、エディンバラ、1814年、142ページ)。[650]

いったい、労働の生産性の増大、すなわち、労働の生産力の増大によって、「資本構成の変化」が生じるのは、なぜなのか。どのような理由、あるいは、過程から生じるのか。

労働の社会的生産性の度合いは、1人の労働者が所定の時間内に労働力の同じ緊張度をもって生産物に転化する生産諸手段の相対的な量的大きさで表現される。……一方の生産諸手段の増大は労働の生産性の増大の結果であり、他方の生産諸手段の増大は労働の生産性の増大の条件である。……しかし、条件であろうと結果であろうと、生産諸手段に合体される労働力に比べての生産諸手段の量的大きさの増大は、労働の生産性の増大を表現する。したがって……〔労働の生産性〕の増加は、労働によって運動させられる生産諸手段の総量に比べての労働総量の減少のうちに……現われる。[650-1]

「労働の強度の増大」と、「労働の生産性の増大」とのちがいについて、以前、私自身、理解を深めた(第1部第5篇第15章第1節)。上記引用部分のなかで、「1人の労働者が所定の時間内に労働力の同じ緊張度をもって生産物に転化する」という叙述部分は、「労働の強化」の度合いが一定である前提のもとで労働者が生産過程にはいり込む場合をさす。

労働生産性の増大は、生産ラインを形成する、生産諸手段それ自体の生産性を同時に増大させるわけだが、このことに関連して、マルクスの記述のなかに、わかりやすい説明がある。

たとえば、マニュファクチュア的分業と機械の使用にともなって、同じ時間内により多くの原料が加工され、したがってより多量の原料および補助材料が労働過程にはいり込む。これは、労働の生産性の増大の結果である。他面では、使用される機械、役畜、鉱物性肥料、排水管などの総量は、労働の生産性の増大の条件である。建物、溶鉱炉、輸送手段などに集積される生産諸手段の総量も同様である。[650-1]

ここで「……輸送手段などに集積される生産諸手段の総量……」と使用されている「集積」という訳語は、本節のはじめに断り書きがしてあったように、これまで「集中」と訳されていた語彙である。

古典派経済学の人びとが見落としていた点、すなわち、「資本の蓄積の増大」が、必然的に「資本構成」そのものの変化を生じさせるということが、考察される。

資本の技術的構成におけるこの変化、すなわち生産諸手段に生命力を与える労働力の総量に比べての生産諸手段の総量の増大は、資本の価値構成に、すなわち資本価値のうちの可変的構成部分を犠牲とする不変的構成部分の増加に反映する。たとえば、一資本のうち、……最初は50%が生産諸手段に、50%が労働力に投下されていたのに、のちには労働の生産性の度合いの発展につれて、80%が生産手段に、20%が労働力に投下される、などとなる。[651]

なぜマルクスは「資本の構成」をめぐって「技術的構成」および「価値構成」という二面的分析を強調したか

資本の価値構成の変化は、資本の技術的構成における変化を「近似的に」しか示さない。なぜなら、

労働の生産性が増大するにともない、労働により消費される生産諸手段の量が増加するだけでなく、その量に比べてその価値が低下するからである。[651]

……不変資本と可変資本との差の増大は、不変資本がそれに転化される生産手段の総量と、可変資本がそれに転化される労働力の総量との差の増大よりもはるかに小さい。[652]

「可変資本部分の相対的減少」ということ

蓄積の進行は、可変資本部分の相対的大きさを減少させるとしても、だからといって、可変資本部分の絶対的大きさの増加を排除するわけでは決してない。ある資本価値が、当初は50%の不変資本と50%の可変資本とに分かれ、のちには80%の不変資本と20%の可変資本とに分かれると仮定しよう。その間に、たとえば6000ポンド・スターリングの最初の資本が1万8000ポンド・スターリングに増大したとすれば、その可変部分も 1/5 だけ増大したことになる。それは3000ポンド・スターリングであったのに、いまでは3600ポンド・スターリングである。[652]

「資本主義的生産様式」と「資本蓄積」との相互作用

上記で引用した、例示の場合には、同時につぎのようなことが言える。

労働にたいする需要を20%増加するためには、以前には20%の資本増大で十分であったであろうが、いまでは最初の資本を3倍にすることがそのためには必要だということになる。[652]

したがって、増加する労働需要に対応できるだけの大きさの資本を投下できる資本家が、蓄積の進行に対応できるわけだ。

個々の商品生産者の手もとにおけるある一定の資本蓄積が、独自的資本主義的生産様式の前提をなす。[652]

ある一定程度の資本蓄積が独自的資本主義的生産様式の条件として現われるとすれば、逆作用としてこの生産様式が資本の蓄積の加速化を引き起こす。それゆえ、資本の蓄積にともなって独自的資本主義的生産様式が発展し、また独自的資本主義的生産様式にともなって資本の蓄積が発展する。[653]

これらの両方の経済的要因は、それらが相互に与え合う刺激に複比例して資本の技術的構成における変動を生み出し、この変動によって、可変的構成部分が不変的構成部分に比べてますます小さくなる。[653]

実際、蓄積の増大は、古典派経済学の人びとが展望したようには、「労賃の騰貴」を持続しなかった。

可変資本部分に比べての不変資本部分の増大の進行というこの法則は、(すでに以前に展開したように)商品価格の比較分析――同一国民におけるさまざまな経済的時代を比較するのでもよいし、同じ時代におけるさまざまな国民を比較するのでもよいが――によって、一歩ごとに証明される。[651]

社会的資本の増大と「集中」

それぞれの個別的資本は大なり小なりの生産諸手段の集積であり、その大小に応じて、大なり小なりの労働者軍を指揮する。それぞれの蓄積が新たな蓄積の手段となる。この蓄積は、資本として機能する富の総量の増加にともなって、個別資本家の手におけるこうした富の集積を拡大し、それゆえ、大規模生産と独自的資本主義的生産方法との基礎を拡大する。社会的資本の増大は、多数の個別的資本の増大を通じて行なわれる。[653]

直接に蓄積にもとづく、またはむしろ蓄積と同一物であるこの種の集積は、2つの点によって特徴づけられる。第1に――個別資本家の手のもとでの社会的生産諸手段の集積の増大は、他の事情が不変ならば、社会的富の増大の度合いによって制限されている。第2に――社会的資本のうちそれぞれ特殊的生産部面に住み着く部分は、互いに独立し、互いに競争する商品生産者として相対する多くの資本家のあいだに配分されている。……蓄積は、一方では生産諸手段と労働にたいする指揮との集積の増大として現われるとすれば、他方では多数の個別的資本の相互反発として現われる。[654]

「蓄積および集積と区別される本来的集中」

多数の個別的資本への社会的総資本のこのような分裂、または、社会的総資本の小部分の相互反発にたいしては、それらの小部分の吸引が反作用する。これはもはや、蓄積と同一物であるところの、生産諸手段と労働にたいする指揮との単純な集積ではない。それは、すでに形成されている諸資本の集積であり、これらの資本の個別的自立性の廃棄であり、資本家による資本家の収奪であり、群小の資本のより大きな少数の資本への転化である。[654]

この過程が最初の〔前述の〕過程から区別される点は、この過程が、すでに現存して機能しつつある諸資本の配分の変更のみを前提にしており、したがってこの過程の作用範囲が、社会的富の絶対的増大、または蓄積の絶対的限界によって制限されてはいない、ということである。一方において一人の人の手のもとで資本が膨脹して大きな総量となるのは、他方において多数の人の手のもとで資本が失われるからである。[654]

「競争と信用制度」の発展

資本主義的生産および蓄積が発展するのと同じ度合いで、集中のもっとも強力な2つの槓杆である競争と信用も発展する。[655]

商品価格を安くし販売数を増大させようという事業主の志向は、競争をはげしくさせ、商品価格を安くしようとする傾向を加速する。商品価格を安くするということは、労働生産力を高めることによって実現されるが、「労働の生産性は生産の規模に依存する」([654])。したがって、競争の激化は、生産手段の規模がますます大きくなる傾向を生むから、

標準的な条件のもとで事業を営むのに必要な個別的資本の最小規模が増大する[654]

そうなれば、必然的に、大資本が有利になるから、比較的小さな資本は、まだ大資本の支配が完全ではない産業部面に寄り集まってくる。すると、その産業部面での競争がはげしくなるのであるが、

ここでは競争の激しさは、対抗する諸資本の数に正比例し、それらの資本の大きさに反比例する[655]

その産業部面において、結局は、一部の「勝利者」の手に資本が集中してゆくことになる。小資本は没落するか、または、大資本の支配が不完全か、あるいは、弱まっている、別の産業部面に向けてターゲットを変えることになる。新たに生まれてくる小資本も同様である。そして、またその産業部面で新たな競争の激化が生じ、資本の集中が進行する。この連関と過程のなかで、資本主義的生産はますます発展してゆくのであるが、それとともに、

一つのまったく新たな力である信用制度が形成され、それが、最初は蓄積の控え目な助手としてひそかに忍び込み、社会の表面に大小の量で散在している貨幣資力を、目に見えない糸で個々の資本家または結合資本家の手にかき集めるが、やがて競争戦における一つの新たな恐るべき武器となって、ついには諸資本集中のための巨大な社会的機構に転化する。[655]

ここで言われている「信用制度」について。ここではすでに、銀行を中心とした信用取扱業をふくめたものとして、使用されていると思われる。
「資本の集積・集中」の「経済的作用」

集中は、産業資本家たちにたいしてその作業規模を拡張できるようにすることによって、蓄積の仕事を補完する。さて、この作業規模拡張という成果が、蓄積の結果であれ、集中の結果であれ、……その経済的作用は同じである。どこにおいても、産業設備のいっそうの拡張が、多数の者の全体労働をいっそう包括的に組織し、全体労働の物質的原動力をいっそう広範に発展させるための、すなわちばらばらな、慣行的に運営されている生産過程を、社会的に結合され科学的に配置された生産過程にますます変換していくための、出発点をなす。[656]

前章、第22章第3節で、マルクスはつぎのように、資本主義的生産様式の発展の人類史的意義を指摘していた。

価値増殖の狂信者として、彼は容赦なく人類を強制して、生産のために生産させ、それゆえ社会的生産諸力を発展させ、そしてまた各個人の完全で自由な発展を基本原理とする、より高度な社会形態の唯一の現実的土台となりうる物質的生産諸条件を創造させる。[618]

資本集中がもたらす労働の相対的需要の減少

円形かららせんに移行する再生産による資本の漸次的増加である蓄積は、社会的資本の構成部分の量的群別を変更するだけでよい集中に比べれば、まったく緩慢なやり方であることは明らかである。……集中は、こうして蓄積の作用を高め促進すると同時に、資本の技術的構成における変革――資本の可変部分を犠牲にして不変部分を増加させ、それによって労働にたいする相対的需要を減少させる変革――を促進する。[656]

一方では、蓄積の進行中に形成される追加資本は、その大きさに比べればますます少数の労働者を吸引する。他方では、新たな構成で周期的に再生産される旧資本は、従来それが就業させていた労働者をますます多く反発する。[657]

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第1部:資本の生産過程

第7篇:資本の蓄積過程

第23章:資本主義的蓄積の一般的法則
第3節
相対的過剰人口または産業予備軍の累進的生産

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ここまで、第1節では、量的拡大として現われる資本蓄積が、第2節では、資本構成の持続的変動という質的変化のなかで、不変的構成部分の不断の増加、すなわち、資本の可変的構成部分の累進的相対的減少をともないながら行なわれる資本蓄積が、それぞれ考察された。

これらの考察から、必然的に導かれるのは、

労働にたいする需要は、総資本の大きさに比べて相対的に低落し、しかも総資本の大きさの増大にともなって累加的に低落する[658]

という結論である。

確かに総資本の増大につれて、……この総資本に合体される労働力も増加しはするが、しかし、それは絶えず減少する比率で増加する。[