プロレスのルーツはグレコローマンでもキャッチアズキャッチキャンでもあらず 悪名高いオールインレスリングでありゴッチやロビンソンのサブミッションもオールインからの裏技だという可能性が考察される!  アドサンテル エドストラングラールイスの動画も!









https://www.youtube.com/watch?v=Wvds8n-Rex8

https://www.youtube.com/watch?v=tsjVHEMP40s

https://www.youtube.com/watch?v=neNToe0DCBY

https://www.youtube.com/watch?v=duHhBAz-SrU



http://sanjuro.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-8e47.html

オールインについて




 英国における1930年-1940年のプロレスリング
(http://www.allinwrestling.co.uk/に原文あり)

 オールイン・レスリングが英国で始まったのは1930年の秋である。このとき二人の前世界チャンピオン、ヘンリ・アースリンガーとベニー・シャーマンがロンドンのロイヤルアルバート・ホールで興行を行う予定だった。ところが手続の問題で手間取ってこれは延期された。12月になって、ロンドンのオリンピア劇場とマンチェスターのベルヴューで二つの興行が同時開催された。ロンドンではヘンリ・アースリンガー対ジョージ・モドリッチ戦、マンチェスターではバート・アシラティ対アソール・オークレー戦が行われた。いずれもプロボクシングの試合と一緒に行われた。
「オールイン」とは、要するに当時ひろく行われていた三つのレスリング・スタイル、すなわち柔術(柔道)、キャッチ・アズ・キャッチ・キャン、グレコローマンを混ぜ合わせたものである。従来よりも刺激的で観客受けする新しいレスリングを作ることが目的であった。二人の巨人がマット上で組み合って何時間も戦い続けるのは時代後れになったのだ。レスリングは組織的なものになった。レスリング監理委員会ができ、ラウンド制が導入され、勝負は2フォールまたは2サブミッションまたはノックアウトで決められた。
 1931年はじめに、ロンドンのベーカー街のレインズ・クラブでオールインの初代ヘビー級チャンピオン決定戦が行われた。決勝戦では、元プロ・ラグビー選手でカンバーランド・ウェストモーランド・レスリングのチャンピオンでもあるハッダーズフィールドのダグラス・クラークがアソール・オークレーを降して初代王者になった。
 以後は、英国各地の競技場でプロボクシングと一緒にこの新しい「オールイン・レスリング」の試合が行われるようになった。
 1930年代終わりごろになると、オールイン・レスリングの評判は悪くなってきた。マッド(泥)レスリング、盲人レスリング、女子レスリング、男女混合レスリングなどが行われるようになったからである。レスリングを規制していたロンドン州委員会は市内のホールにおけるレスリング興行を禁止しはじめた。1939年に戦争が始まると観客は激減しホールも閉鎖された。プロレスリングは、兵士や勤労動員された工員の慰問のために細々と続いた。

https://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&sl=en&u=http://www.allinwrestling.co.uk/&prev=search


「ALL-IN」

レスリング
戦前のレスリング1930-1940 レスラー



歴史の ルール プログラム ポスターの ポスター



「ALL-IN」レスリングは、1930年の当初、2人の元世界チャンピオンのレスラーによってロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで宣伝が行われ、 アンリ・イルルスリンガー、ベニー・シャーマン。 しかし公式のレッドテープのため、プロモーションは12月に延期され、2つのショーがロンドンオリンピアとマンチェスターのベルビューで開催された。 オリンピアでは、アンリ・イズリンガーはジョージ・モドリッチに反対し、マンチェスターではバート・アシラティがアソール・オークリーと対戦した。 これらの試合はプロボクシングと並行して行われました。


「ALL-IN」という言葉は、柔道(または柔術)、キャッチ・ア・キャッチ・キャン、グレコ・ローマンのような流行の主要なスタイルの合併だけを意味します。 レスリングの新しいスタイルをよりエキサイティングにし、一般の人に喜ばせることを目的としています。 2人の巨大なレスラーが何時間もマットの上で戦闘に拘束される時代はなくなった。

今からの格闘は構造化されようとしていましたが、レスリングボードがあり、タイムラウンドがあり、勝利は2回の落下、2回の応募、またはノックアウトによって得られます。


1931年の初めにヘビー級トーナメントがLanes Club、Baker Street、Londonで開催され、誰が最初の "ALL-IN"ヘビー級チャンピオンになるか決定しました。 前のラグビーリーグの選手であったハダーズフィールドのダグラス・クラークとカンバーランドとウェストモーランドのレスリングチャンピオンの数々の試合がアトール・オークレーを勝利して勝利を収めた。


会場の上下にある場所は、セント・ジェームス・ホール・ニューキャッスル、リバプール・スタジアム、リーズ・タウンホール、オリンピア・ブラッドフォード、スメットウィック・マーケット・バーミンガム、ホワイト・シティ・ハル、ナショナル・スポーツ・クラブなどの場所でボクシングと並んで「オール・イン」の新しいスタイルを見せ始めたミドルスボロー、マデリー・ストリートバスス・ハル、カジノ・ロチェスター、グランビー・ホール・レスター、パビリオン・ホワイトチャペル、スタジアム・クラブ・ホルボーン、リング・ブラックフリアーズ、コロシアム・サザンプトン、スタジアム・ブラックプール、ビクトリア・バス・ノッティンガムなど


「ALL-IN」レスリングは、30代後半に泥レスリング、ブラインドレスリング、男性と女性、女性と女性とのレスリング試合を展開した番組を宣伝した際に悪評を募り始めました。 レスリングを規制していたロンドン郡庁(London County Council)は、彼らのホールでそれを禁止し始めた。 レスリングは第2次世界大戦の勃発まで続けられ、出席が拒否され、ホールは閉鎖されました。 それは、軍隊の娯楽、そして戦争の努力を支援している工場に雇用されていた市民として、再び短期間続けられた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%B3

プロレス[編集]

1920年代にエド・ルイスらが「トラスト」と呼ばれるプロレスラーの組合を結成して以降、プロレスはブックと呼ばれる事前の打ち合わせに基づいて試合が行われるようになった。しかしながら選手間の人間関係の悪化などの理由により、しばしばその打ち合わせを無視して試合が進行する場合がある。このような試合をガチンコやシュートと呼ぶ。この隠語の発祥の地であるアメリカでは、リング内の真剣勝負のみならず、リング外でのストーリー破りもシュートと呼んでいる。また、レスラーは試合をファンによる乱入により妨害された場合には、乱入者に容赦ない攻撃を加えることがあるが、アメリカではこれもシュートと呼ばれる。日本ではリング内はガチンコ、リング外はシュートと呼んでいたが、リング内での真剣勝負もシュートと呼ばれる機会が増えている。

※参照終了
ルール的に見れば昔のレスリングにはサブミッションなどというものは見受けられずピンフォールでの勝敗が目的の競技だった
いわゆるグレコローマンでありキャッチアズキャッチキャンだ

んでもって多くの人間が不思議に思ていたのが一体何時ごろからサブミッションでも勝敗が着くルールが採用されたかってことだ

それがオールインレスリングというものらしい

いわゆるオールイン=異種格闘技マッチではないという事か

当初は前田光世がハッケンシュミットに提案したような3本勝負にして柔術ルールで グレコローマンのルールで キャッチアズキャッチキャンのルールで

みたいなもんだかのかもしんない

それがいつの間にやらサブミッションとか含めた柔術での決め手もピンフォールもどちらもアリにしたんだろう

それがオールインレスリング

しかし年代が発展すると同時にどんどんプロのレスリング=オールインレスリングは八百長ショーと化していったと言うような事は上記に貼ったりリンクした動画を見ても明らか

特に30年代辺りになるとプロとアマチュア グレコローマン キャッチアズキャッチキャンのレスラーたちは完全に別のモノと化しているのがわかる

となるとロビンソンやゴッチ ロイウッド ジーンラーベルのサブミッションは本来キャッチアズキャッチキャンではなく
それよりも
歴史の浅いオールインからのノウハウだという事か
翻訳ブログさんの言う事が的を得ているといえる

実際に20世紀初頭 20年代のレスリング動画見てもサブミッションでの決着はあんまり見られません
露骨に現在の八百長プロレス化してきたのは30年代からでしょうか
オールインレスリングが本格的にスタートした年代です
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