手塚治虫が描いた「在日」 サンミリオンコミックス版 空気の底

空気の底 (1978年) (Sun million comics)
手塚 治虫
朝日ソノラマ
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手塚治虫/サンミリオンコミックス版空気の底<上・下>
CATEGORY漫画
COMMENT2



空気の底表紙



空気の底で蠢くちっぽけな人間たちの世界!
息が詰まるような日々の暮らしの中で、若者たちの満たされぬ愛と、やり場のない怒りが、しだいに人々を追い詰めていく!
問題作を多数収録した、異色の短編集!

◆手塚治虫漫画全集掲載のあとがき


プレイコミックの発刊当時、カスタムコミックとして月一回連作したのがこのシリーズです。
このシリーズの前に三回、それから連載中に一回、「空気の底」と関係のない読み切りを描いていますが、従来出版されていた二冊組みの単行本では、これらもすべて混ぜてしまっています。まあそのくらいシリーズには種種雑多な内容の作品がふくまれていて、タイトルの名も漠然としたものです。
しかしぼくは、この短編のどれもが大好きなものです。それぞれに熱をこめ、工夫をこらして描きあげたつもりです。優にひとつひとつが長編になり得る要素をもっています。
当時は虫プロの末期で、いろいろ多難な時代でしたが、そんなに暗いムードでもなく、よくひきしまった味が出せたものだと思います。
他の青年ものとちがい、秋田書店の本は肩をはらずに描けたので、そこらが幸いしたのでしょう。

◆重く暗いテーマを扱った珠玉の短篇集
記念すべき1000記事目は漫画の神様、手塚治虫の作品をレビュー!!
厳密にはこれまでにバラバラだった記事を一つに統合したりしてきたため、ブログにある記事数自体は936なんですけれども、1000記事作成してきたのは事実だし別にいいよね(小声)

本書「空気の底」は前述のあとがきにもあるように、プレイコミックという雑誌に連載された手塚治虫の短編作品群。
短篇集「空気の底」は今現在も何度も底本を変えて刊行されておりますが、今回は1972年、73年に始めて単行本化されたサンミリオンコミックス版を紹介したいと思います。
このバージョンをずっと探してたんだ……!

上記あとがきの『「空気の底」と関係のない読み切り』というのは、週刊ポストに掲載された「バイパスの夜」、漫画サンデー掲載の「嚢」、サンデー毎日読物専科に掲載された「一族参上」、小説サンデー毎日掲載の「現地調査」「蛸の足」「ながい窖」の事を指しています。
特に「ながい窖」は今現在は封印作品であり、1978年の改訂版(こちらもサンミリオンコミックス)の時点で早くも収録作品から削除されてしまった作品。


サンミリオンコミックス版空気の底改訂版
こちらがサンミリオンコミックス改訂版の空気の底
通販で探そうと思っている人はこれと間違えないように注意!
「ながい窖」のみならず「嚢」を除いたサンデー関係の掲載作品が削除され、
その代わり下巻に「大暴走」が収録されている

そのため今「ながい窖」を読むためには当時の小説サンデー毎日、もしくはこのサンミリオンコミックス版の下巻を入手するしか無かったのです。
行きつけの古本屋にて上下巻セットでまさかの1050円で入手できたんで、封印作品「ながい窖」を含めた本書収録作品をさっそく紹介だ!
どれも傑作揃いだよ!

■ジョーを訪ねた男

ジョーを訪ねた男




ベトナム戦争で戦死した黒人兵のジョーの臓器をもらって生き延びたオハラ隊長は、南部の出身で、人種差別主義者だった。 彼は、自分の体内に黒人の臓器がある事を秘密にするために、その事を知っているジョーの家族をハーレムに訪ねるが……

黒人差別を扱った短編作品。
主人公の白人、オハラ隊長はそれはもう悪辣な人種差別主義者であるのですが、そんな彼が戦場で重傷を負い、医師の手で部下であった黒人の臓器を移植されてしまう。
その事実を知ったオハラは「自分が黒人になってしまった」とショックを受け、家にも、許嫁のミリーに会うことまで諦めてしまう。
差別される黒人の怒りや悲しみもそうなんですが、白人側の「黒人になることは死ぬほどつらい事」という感情を描いているのにも注目です。
終盤ハーレムに住む黒人たちから衝撃的な事実を聞かされ、オハラが少し心変わりするシーンはホロリと来る。
しかしラストシーンはかなり虚しい。
ちなみにサンミリオンコミックス版では「クロンボ」というセリフが使われているのですが、現在刊行されているバージョンでは修正済み。

■夜の声

夜の声



青年社長の我堀は、やり手で仕事の鬼だったが、だだ一つ風変わりな道楽を持っていた。日曜だけ乞食になって道に座っているのだ。誰にも干渉されず、行き交う人々を見るのが彼の勉強でもあった。
ある日我掘は、家出した若い女を助け、女は乞食の我堀のほったて小屋で生活するようになる。
まじめで心が美しい彼女が気に入った我堀は、女を自分の会社に入社させ、奥さんにしようと考えるのだが……

主人公の我掘が社長と乞食の二重生活を送っていたがために、ある日出会った美しい女性……ユリとの恋にすれ違いが起きてしまうという物哀しい一編。
ユリが好きなのは我掘社長ではなく乞食のおじさんなのだが、その乞食のおじさんと我掘社長が同一人物という事を知る由もなく……
ちなみにユリが実は「部落民である」という設定は当時の掲載誌とこのバージョンでしか拝むことが出来ず、1978年の改訂版の以降は「前科六犯」に修正されてしまってます。
前科六犯と部落民じゃユリのキャラクター性がだいぶ変わってくるよなぁ。

■野郎と断崖

野郎と断崖



フランスの西海岸に、「妄想の崖」と呼ばれる切り立った崖があった。 その崖は穴だらけで、風がふくたびに古代楽器のような音を奏で、人間にあらぬ妄想を見させる……
監獄から脱走した男が、この崖に逃げて来た。パトカーのサイレンを聞いた男は、通りがかった家族連れを人質に取り、崖下へ逃げるが、崖の上では警官の話し声や、男を説得する警官の声が聞こえる。 男は行き場のない崖の中腹から逃げる事も出来ず、家族連れを殺害し、崖の上の警官隊に突入するが……

脱獄犯の男が家族連れを人質に取り、断崖に立てこもるというお話。
崖の上に居る警官隊がまったく脅しに屈しないため、怒りに任せて夫婦を殺害してしまい、残った人質は赤ん坊だけに。
親を殺されたことを認識できず笑顔を向ける赤ん坊に次第に男は絆されていき、警官隊に食料を要求するのですが、相手は全く動きを見せない。
だんだんと衰弱していく赤ん坊をを助けるため、とうとう男は崖から上がる判断を下すのですが……

これまたラストシーンが虚しい一編。
というか本作の短編作品はだいたい後味が悪い。
「カナツンボめっ」というセリフはやはり現在は削除されており、「この情けしらずめっ」と短いものになっています。

■うろこが崎

うろこが崎



取材のため、南紀州の小島の村に行った手塚治虫は、うろこが崎の伝説を聞く。
昔、網元の嫁が、村の若い衆とできてしまい、怒った網元がふたりをうろこが崎の穴の中に閉じ込めた。何年か経って、その穴から人間の大きさの魚が2匹釣れた、という話である。 そんな時、現代のうろこが崎の穴に、子どもが落ちてしまう。子どもを助けるために、ある会社が機械を提供したが、手塚治虫の調べでは、そのあたりの海にはその会社の工場から毒物が流れ込んでいた。そして……

手塚治虫本人が主人公として登場!内容は公害問題を扱ったダークな一編。
島に伝わる昔話がショッキングなラストシーンに繋がるという構成にゾクゾクします。

■暗い窓の女

暗い窓の女



大学生の外山は、妹とふたり暮らしで、妹が働いて兄の学資を出していた。 ふたりは兄妹だが愛し合っていた。外山は、妹の勤めている会社のビルの窓から、妹の姿を見つめ、ふたりの間の壁の厚さを実感していた。
そして、妹の会社の専務が、妹を気に入ってプロポーズした時から、外山の精神は危険な状態になっていった……

近親相姦を扱ったインモラルな作品。
兄の外山義治が妹と法的に結婚するために「肉体的に血の繋がりを断つ事はできないか」を友人の医者に相談する下りは、妹を愛しすぎて感情が爆発しそうになっている苦しみが真に迫っている。
そして妹の会社の専務がプロポーズする現場を目撃し、妹を奪われまいと専務を撲殺してしまうのですが……

■わが谷は未知なりき

わが谷は未知なりき



嵐の夜に、谷に男がやって来た。谷には父と息子と娘の一家3人が住んでいた。
一家はもう何代も谷から出た事が無かった。息子は、自分たちは宇宙移民の実験のためにここで暮らしている、と父から説明されていた。
谷の外から来た男は、その家の娘と恋愛関係に落ちるが、谷を追い出される事になり、それに付き添った娘は、初めて谷の外を見た。そこは……

宇宙移民のテストとしてこの辺境の地で生活していると父に教えられ、畑を耕しながら日々を過ごしているとある一家。
しかし谷の外から来た男により、自分たちが住んでいるこの世界の真実を知らされる……という、ラストからの展開がSF海外小説ないしSF映画めいている一作です。

■電話

電話



大沢優は学園闘争の闘士だ。今もバリケードをはって、仲間と大学の校内にたてこもっている。 そこに、寺山博子という女性から電話がかかる。彼女は自由の無い女子寮住まいで、さみしい女性だった。
大沢は彼女に自由を得るために学校と戦うべきだと言い、デートの約束をした。 ところが約束の日時に行ってみると、代理の女性が来ており、寺山博子は1ヵ月前に死んだという。 だが、寺山博子からの電話は、いまだに大沢のもとへ毎晩かかってくるのだ。そして、彼女と本当に会える日がやってきた……

学生運動を取り扱っていますが、そこは別にメインじゃなくて死んだはずの人間から電話が来るというシンプルにホラーな一作。
電話の相手と落ち合おうとする度に別の人間が代わりに来て、「寺山博子はデモで死んだ」と聞かされる。
最後の最後にようやく大沢は博子と会うことができるわけなんですが……ちょっとゾクっと来るお話でした。

■嚢





綾野リカはぼくの好みどおりの娘だった。だが求婚のため彼女の家を訪ねると、リカという娘はいないと言う。
外見がそっくりの娘マリはいたがタイプの異なる別人。しかしその後会ったリカは、マリのことを姉さんと言う。

畸形嚢腫(「テラトマ体」という呼称の方が一般的。ググる時は注意)を扱った物哀しい恋のお話。
畸形嚢腫絡みの手塚作品といえばブラック・ジャックのピノコ誕生エピソードが思い浮かぶけど、手塚治虫が畸形嚢腫を漫画にしたのはこの作品の方が先だとか。
(ブラック・ジャック「奇形嚢腫」は本作の6年後に制作された)
手塚治虫の悲恋系作品ではかなり好きな一編です。後味の悪さと切なさが入り混じった絶妙なラストだと思う。

■バイパスの夜

バイパスの夜



雨夜のタクシーの中で、お互いの恐ろしい罪を告白しあう乗客と運転手。
二人の言葉は嘘か?真実か?

91年に「世にも奇妙な物語」にて阿藤快と寺田農主演で同タイトルで実写化もされた、息の詰まりそうな雰囲気が堪らない密室劇。
深夜、不自然な時間帯に個人タクシーに乗り込んだ男は一億円を強奪した殺人犯だった。
一方、タクシーの運転手も実は女房の浮気の現場を目撃してしまい、カッとなって女房を殺害。トランクに死体を載せて捨てに行く途中だったのだという……
心理描写が秀逸な短編です。これもシブくて大好き。無慈悲なラストもたまらん。
二人が実際に罪を犯したのかは曖昧に描かれていますが、「世にも~」の方ではオチが改変されてその辺がやや明確になっています。

■猫の血

猫の血



地方の映画館にフィルムを届けて回る男がいた。ある地方で、化け猫映画が妙に受ける所があった。そこでは猫が信仰されていたのだ。 男はその地方の農家の美しい娘を嫁にもらい、東京で暮らすが、娘は都会暮らしになじめず、ノイローゼ気味になり、東京が火の海になると言いだすしまつだった。
しかし、実はそれは動物的なカンであったのだ。中・ソの対立から東京に核爆弾が飛来したのである。男は旅行に出ていて助かるが、彼女は……

猫神信仰が根強い村の娘・妙と結婚し、都会のマンションで一緒に暮らし始めた主人公、須藤。
妙を近代的な家庭婦人に教育しようと躍起になる須藤だったが、熱いものが全く食せない、水風呂にしか入れない、やけどすると舌でなめて治そうとするなど猫のような奇癖を持つ彼女を矯正するのは並大抵のことではなかった。
終盤東京に核爆弾が落とされるという展開は急転直下すぎてちょっと面食らったんだけど、この当時は「ありえないことでもない」という想像がされていたりしたのかな。

セリフの修正は最後の「放射能症にかかってケロイドと出血症状で死にかけながら~」が現在では「爆発の熱でからだは焼けただれ~」に変更されているぐらいかな。
あとラストに登場する猫のトーンが現在のバージョンでは無くなっています。これはいまいち理由が分からん。
上巻収録作品はここまで。

■処刑は3時に終った

処刑は3時におわった



ナチス捕虜収容所配属将校のレーバー中尉は、戦犯として銃殺の刑場に引かれながら落ち着き払っていた。ユダヤ人の科学者ドクトル・フロッシュを殺して奪った「時間延長剤」の力でこの場を逃れられる自信があったからだ。

ここから下巻収録作品。
「時間延長剤」という薬を手に入れたレーバー中尉。
時間の流れがひどくゆっくりに感じられるようになるこの薬の力で処刑場からゆうゆうと逃げ出そうとするレーバーだったが、この薬の効果には大きな落とし穴があり……というお話。
ぶっちゃけオチ自体は「そりゃまあそうなるよな」と思わなくもない。

■一族参上

一族参上



浪人・仙石は、ある男から、空想の人物への仇討を行い、知名度を上げる企てを持ちかけられる。
話に乗った仙石は次第に名を馳せるが、ある日、仮の仇の名が実在の人物だと知り……

腕は立つが仕官のくちがかからない浪人の仙石為五郎。
しかし架空の仇討ちをでっち上げる事でお偉いさん連中を騙し、一気に名を売るという計画を男から持ちかけられ、用意された台本通りに行動することで少しずつ名前が売れていく事に。
仇の相手は実在しないであろう「い(カナガシラ)ろは」という名前に設定したのだが、大きく知名度があがったある日、なんと「いろは」という男が藩に発見されてしまった。
やむなく為五郎は立身出世のために、見ず知らずの赤の他人であるいろはを殺害するのだったが……というブラックユーモアな短編。
メタなセリフ回しも多く、黒い笑いがこみ上げてくるお話でした。

■聖女懐妊

聖女懐妊



南川博は、A4級型アンドロイドの部下マリヤと土星の衛星チタンの基地で暮らし、七年目に彼女と結婚した。そこをフォボス特殊刑務所からの脱走囚らが襲い、博を射殺。マリヤを酷使するが、彼女は自分が妊娠中だと言う……

ロボットが人間の子を宿すという、何か大きな力が働いた奇跡を描く短編作品。
聖母マリアの処女懐胎にかけたストーリーなのは一目瞭然。
博は無神論者だったのだけれども、宇宙基地で天体の運行を見守る仕事を続けていく内に『宇宙には大きな力が働いている事がわかった。これが「神」の力なのではないか』という考えに至っています。
冒頭のナレーションも印象的。こういう文をさらっと書いちゃうところもホント偉大な漫画家だと思う。


ぬばたまの常闇の彼方
光芒の天関に懸るあり
ここにチタンなる星屑のもとにて
遙けき故郷を惟る

■現地調査

現地調査



地方の排気ガス公害調査団の調査員が誰一人として戻って来ないため、ある記者が様子をうかがうように命じられる。
彼は現地で調査をするうちに、公害病の実体を身をもって知ることになる……

またも公害問題を扱ったホラーテイストな短編。8ページで終わるあっさり目なお話。
工場の排気ガスによって発症するこの公害病は、想像を遥かに越える恐ろしいものだった……!というところでは終わらず、さらにもう一段階どんでん返しが付いて終わるのが印象的。
手塚治虫のブラックユーモアほんとすき。

■カタストロフ・イン・ザ・ダーク

カタストロフ・イン・ザ・ダーク



深夜放送のディスク・ジョッキー田所満男は、ある晩、局へ向かう途中、自分に声をかけてきたファンが、その瞬間、マンホールに落ちるのを目撃した。
しかし田所は、関わり合いになるのが面倒だったため、そのまま放送局へ行ってしまった。 その後、そのファンが死んだというニュースが田所の耳に入り、良心に責められた田所は、放送中も彼女の幻覚に悩まされるようになる。

通りすがったファンの女性、西啓子を図らずも見殺しにしてしまった事で、良心の呵責に苛まれつづける男を描くミステリアスな短編。
スタジオに送られてくる手紙や電話が何故か全て死んだはずの西啓子からのものに感じられるという幻覚に襲われる主人公。
「世にも奇妙な物語」テイストなホラーさが面白い。そして最後の最後に判明する真実がまた衝撃的。
オチに向けた伏線の張り方に唸らされる。これも好きな一編です。

それはそれとしてこの作品に登場するファンの女性、西啓子は不気味な美しさがあって個人的にすごく好きなんだけどみんなはどう?(唐突な問いかけ)

■蛸の足

蛸の足



退社した組合委員長を社に戻すために、彼の自宅へ向かう社長。
しかし「骨身を削れば充分に食べていける」と言いう元委員長。復帰を促す社長の前に、一品の肉料理が出されるが……


架空の伝染病を扱った、これまたちょっとブラックユーモア風味な7ページ程度の短編作品。
元委員長が罹った病気の絵の生理的嫌悪感が半端無いけど、それ以上にオチのブラックなバカバカしさが印象に残りまくる。

■ながい窖
※この封印作品だけはあらすじのみではなく、ラストまで紹介しちゃいたいと思います。
「自分で現物を拝みたい!」という方は読み飛ばし推奨。

大企業、長浜軽金属の専務として部下に慕われ、家族との関係も良好な男、森山尚平。
だが彼は、自分が実は「趙」という姓の朝鮮人であり、帰化して日本人になった事を周囲にひた隠しにしていた。
それはかつて第二次世界大戦中、日本軍によって岐阜県の戸狩山で日本人兵士にひどい差別と虐待を受けながら地下壕……ながい窖(あなぐら)を掘らされていた体験が大きなトラウマとなっていたからだ。


ながい窖序盤

その心の傷は大きく、今や朝鮮料理の店に入ることを拒否、さらには韓国籍である人間を面接の段階で落とすという行動を取るまでに至ってしまっている。
自分が朝鮮人であると思われたくないがために、自分自身が朝鮮人を差別するようになっていたのだ。

そんなある日、森山は同じ朝鮮人である親友から「女房の親戚の青年を一人匿ってほしい」と頼まれる。
社長の座を目前としている森山からすれば、朝鮮人を家に匿うことはリスク以外の何者でもないのだが、戦時中地下壕で日本人の虐待に耐えてきた仲である親友の頼みとあって、嫌々ながらもこの「除英進」という青年を居候させることにするのだった。

除という青年が日本に不法入国してきたその目的は、「生き別れのオモニ(お母さん)に会いたい」という一心であった。
森山の娘、亜沙はいつしか除に惹かれ、一緒に彼の母親を必死になって探すようになる。
そしてようやく託児所の保母をやっている事を突き止め、再会というところまで来たのだが、その直前になって除を追ってきた刑事に見つかり、急いで逃げ出そうとして除と亜沙は車に轢かれて死亡してしまう。

森山は死んだ娘の遺体と対面するのだが、そこでも自分が朝鮮人である事を知られたくないという気持ちが邪魔をして、名乗り出る事ができなかった。

「森山さん…あなたのおじょうさんですか?」
「ちがいます…………私の友人の娘さんです」


ながい窖差別

森山の息子の久は、父が堂々と人前で朝鮮人である事を名乗り出せず、なにより姉の亜沙の名前を遺体の前で呼ばず、後でこっそりと引き取るという行動を取ったことに呆れ、怒っていた。

「ねえさんはきっと泣いてますよ。実の親なのに娘と呼んでくれなかったのはなぜだって……」

久は父親の制止を振りきり、朝鮮人の高校に入って朝鮮人としての誇りを持って生きていく事を誓う。
今の時代ならば、朝鮮民族と日本人はある程度理解しあっていると信じているからだ。

……だが、現実は非情なものであり、高校に入学した久は友人との下校中、朝鮮人を差別する不良グループの壮絶なリンチに遭い、重態に陥ってしまう。
その事件を病院からの電話で知る森山。
しかし、それでも森山は久が自分の息子であるとははっきり主張しなかった。いや、できなかったのだ。

後日、森山は不良グループが通う高校の校長の元へ釈明を求めに訪れる。
が、校長は森山が日本人ではなく朝鮮人である事を見抜き、その差別意識から彼に対する釈明を一切拒否。
それどころか「さ、もうお帰りください。なんならあなたの会社へ電話してぶちまけてもいいですがね。つまり……あなたの素性をだ」と脅しにかかる。
日本人による理不尽な差別を受け続け、娘を喪い、息子までも重態にさせられた森山は、とうとう怒りを爆発させる……


ながい窖ラスト

これだけメッセージ性の強い作品が完全に封印されているのは非常に勿体無い……というか間違っている気がする。
手塚治虫漫画全集ではわざわざ毎回最後に「読者の皆様へ」というページを用意して、作中に登場する外国人の姿や描写に(殆ど)手を加えず出版する事に対する理解を求める文章を掲載しているのになぁ。

前述したとおりこの作品は1978年の改訂版で削除された一作だけど、もっと多くの人に読まれてもいいんじゃないかと思える。
この作品は差別を助長するわけではなく、ラストシーンを見ての通りむしろダイレクトに差別に反対してますしね。
ただこの作品、手塚治虫自身が封印を決めたのならその意志は尊重すべきですけども。

■ロバンナよ

ロバンナよ



大学時代の悪友の小栗を南伊豆に訪ねた手塚治虫は、世間とのつきあいを断った小栗が、メスのロバを可愛がっていることを知る。 その晩泊まった手塚は、小栗の奥さんがロバを殺そうとするのを止めた。 奥さんが言うには、小栗は動物の方が好きな変態だと言う……

「うろこが崎」同様、手塚治虫本人が語り部として登場する一編。
小栗の奥さんは狂人であると思われていたのだが、奥さんによると本当は主人こそが狂人であり、家に自分を閉じ込め続けているのだという。
漫画のタネどころじゃなくなった手塚は夜明け頃に家をぬけ出す事に決めるが、「入るな」と口止めされていた地下室へのトビラが開いていたのに気づき、好奇心にかられてつい部屋の中を除いてしまう。
そこには訳の分からない機械が置かれており……
ある意味では獣姦を取り扱った、ややアナーキーな雰囲気のミステリーと言える短編です。

■ふたりは空気の底に

ふたりは空気の底に



ある熱帯魚の水槽に、愛し合う2匹のグッピーが棲んでいた。だが水槽にタバコの吸殻が落ちたでけで、2匹は死んでしまった……
19XX年、核戦争が起こり人類は滅びる。しかし、万博会場に展示された宇宙旅行用ユニット・カプセルの中で、男女ふたりの赤ん坊がスクスクと成長していた。 ふたりは狭いカプセルの中で大人になり、愛し合うようになる。だが、たりはカプセルの外の世界が気になり、外へ出てみたいと思うようになった。

本書のラストを飾るのはこの一編。
宇宙旅行用ユニット・カプセルの中が世界の全てだった二人の男女が成長するに従って知識を付け、やがて男女の仲になっていく。
そんなある日、部屋に残された資料から「万国博のパビリオンで結婚式を挙げられる」という映像を発見し、「結婚するとより幸せになれる」という知識をつけた二人。
これまで外の世界に出たことは無かった二人だったが、思い切って冒険してでも幸せを掴む決意をし、ユニット・カプセルから初めて外に飛び出すのだった。

冒頭のグッピーが生まれ変わり、今度は人間として新たな幸せを手に入れることができるかと思えば……な悲劇的な恋のお話。
地球上に残された最後のカップルが迎えた最期……シチュエーション設定がもうすごく好みな短編だ。
ちなみに作中に挿入される実写のラブシーンは、プレイコミック掲載時の写真とは差し替えられている模様。
【参考:手塚治虫100 その15「空気の底」】

◆〆
本書「空気の底」は重く暗いテーマを多く扱った短編集ですが、そのどれもが手塚治虫のあとがきにもあるように充分長編になりえる要素を持ったパワーのある作品ばかり。
短編なだけにテンポも良いし話の密度も濃いので、有名所以外の手塚作品を色々読み漁ろうと思っている人には特にオススメしたい。「ながい窖」以外は今でも普通に読めますし。
まあホント後味悪い作品が多いけどね!


こちらは現在比較的入手が容易なバージョン
「ながい窖」は当然未収録であり一部収録作品も入れ替わっているが、
全400ページのボリューミーな一冊

http://getnews.jp/archives/272772

手塚治虫が描いた「在日」


DATE:2012.11.14 21:30 BY:GAGAZINE
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手塚治虫が描いた「在日」
「ながい窖」(サンデー毎日1970年11月6日増刊号掲載)。大企業の重役を勤める在日朝鮮人(作中では帰化朝鮮人という設定で、帰化朝鮮人と在日朝鮮人は厳密には違うが、便宜上、在日朝鮮人としておく)の苦悩を描いた作品だ。

私はこんな作品を手塚が描いていたことをまったく知らなかった。というのも本作は手塚治虫漫画全集や無数にある文庫本には収録されていない。サンミリオンコミックス『空気の底』下巻(1972年刊)にのみ収録されているが、絶版である。但し古本屋では比較的安価で買える。私も1500円程度で購入した。

手塚プロダクションのwebサイトでも、名前は載っていても作品解説はない。インターネット上でも少数のサイトしか触れていないし、世に数多ある手塚研究書でも本作が大きく扱われたことはないようである。

以下はあらすじである。ネタバレ注意。

大企業・長浜軽金属の専務取締役である森山尚平(トップ画像の男)。部下に慕われる気風のいい男だ。娘と息子と妻に囲まれた家庭も円満。彼は元々は「趙」という姓の朝鮮人であったが、今は帰化して日本国籍を取得している。だが、差別や迫害を恐れるあまり、それを周囲には徹底的に隠している。朝鮮人であったこと(あること)は、森山の心において深いトラウマとなっており、焼肉屋に誘われるだけで眩暈を起こすほどである。また、永住権取得朝鮮人を、朝鮮人だからという理由だけで、会社の面接で落としたこともある。自分が朝鮮人だと思われたくないために、朝鮮人を差別したのだ。

ふと夜の街で、森山は在日同朋の金文鎮(トルコ風呂の主人)と再会する。金とは第二次世界大戦中、日本軍により岐阜県瑞浪の戸狩山に強制連行され、地下壕(ながい窖)を掘らされていた時以来の仲だ。終戦後、ブローカーをやり、土地の売買で金をもうけ、二人は今の地位を築いた。

手塚治虫が描いた「在日」

森山と金は酒を酌み交わす。すると、金は「女房の親戚の除を匿って欲しい」と森山に持ちかける。除は、4回も日本に密入国しては強制送還された経験があり、今回は大村収容所(現・大村入国管理センター)から脱走したのだという。

森山「そんなのはきみのほうでなんとかしたれ」

金「それがやな………“北”なんで………………」



森山「そしたらよけいかんけいないやろ!」

だが、森山は友誼に折れ、厄介者(朝鮮人という出自に苦悩している上、社長の椅子が目前になっている森山にとっては厄介者以外の何物でもない)の青年・除英進(下の画像)を暫くの間匿うことになる。

手塚治虫が描いた「在日」

除が日本に密入国をした理由は「生き別れのオモニに会いたい」という一心だけであり、一目会えたら帰国していいと思っている(朝鮮民主主義人民共和国に帰りたい奴なんているか? ということは、今の我々だから考えられるのであって、1970年の手塚は朝鮮民主主義人民共和国の惨状など想像もできなかっただろう)※付記4。その除の親を想う心に、森山の娘・亜沙は惹かれていく。森山はこれも面白くない。森山は朝鮮語が喋れない。森山の子供も喋ることができない。その前で平然と朝鮮語を話す除に、森山は甚だしく苛立つ。

除のオモニらしき人物は、亜沙の協力もあって見つかる。だが、除と亜沙が「オモニ」の働く託児園に近づくと、除を捜査していた刑事が待ち構えていた。焦って逃げる二人は、トラックの前に飛び出てしまい、事故死する。

霊安室に駆けつけた森山。

検視官「森山さん…あなたのおじょうさんですか?」

泣き叫ぶ妻の横で、森山は涙一つ見せず言う。

森山「ちがいます………………私の友人の娘さんです」

亜沙の弟の久は、そこまでして「自分が帰化朝鮮人であること」を隠そうとする父親が許せない。「ねえさんはきっと泣いてますよ。実の親なのに娘と呼んでくれなかったのはなぜだって……」

逆上する森山。それが久を尚更怒らせる。

手塚治虫が描いた「在日」

久は父親への反抗心と、急激に芽生えた朝鮮民族としてのアイデンティティをむき出しにし、朝鮮高校への転入を決意する。

久は「朝鮮民族と日本人とはある程度理解しあってる――すくなくとも日本人はぼくらに遠慮があるはずだ」だからこそ正々堂々と朝鮮人だと名乗るべきだと考えている。そうして、朝鮮学校での「愛国的」な教育も受けていく。

その結果、久はやがて日本人の不良とのケンカ(というよりも凄絶なリンチ)により、半死半生の重態に陥る。

手塚治虫が描いた「在日」

森山は久が搬送された病院からの知らせに「その子は…たぶん…うちのせがれではありません……いや…そ そういうわけでもないのです 知人の子どもなのです 私の息子が朝鮮学校へいってるわけがないじゃありませんか……」と涙ながらに嘘をつく。

森山は、久を半殺しにした不良の通う学校の校長に直談判して釈明を求める。しかし校長は森山の出自を見抜き「朝鮮人がひとりやふたりなぐられた そんなことで全校生徒をよび出してしらべられますか!」「たかが朝鮮人のことで責任もてというんですかね? 冗談じゃない」 とはねつけ、 「さ、もうお帰り下さい なんならあなたの会社へ 電話して ぶちまけてもいいですがね つまり………………あなたの素性をだ」と脅す。

最終ページの1コマ。

手塚治虫が描いた「在日」

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さて、全体的に話の筋が急展開の連続めいている雰囲気があって(特に後半)、本来ならばこれは単発読みきりではなく前後編あるいは3回ほどの短期連載でまとめるべきだったとは思う。手塚の短篇の中でも、純粋にマンガとしての完成度はそれほど高いものではあるまい。

但し、そのメッセージ性は現代の我々にも強いものがある。自らの出自に誇りを持てない在日朝鮮人、出自を隠すために同じ朝鮮人を差別する弱さ。その背景にある日本人からの陋劣な蔑視。さらに日本の戦争責任さえも問いかける。

「アドルフに告ぐ」や「ジョーを訪ねた男」など、ユダヤ人や黒人への差別を扱った手塚作品は知名度が高い。だが、何故朝鮮人差別を扱った本作が、全集に再録さえされず、殆ど封印作品と同じような扱いになっているのか。

確かに、本作に登場する朝鮮人は、善男善女が好む「カワイソウな、完全被害者としての朝鮮人」とは半歩ずれている。朝鮮人が朝鮮人を差別したり、トルコ風呂のオーナーとして性的搾取をしているという描写に都合が悪い人はいるだろう。あるいは、「こんな風に日本人を悪く描くな! 悪いのは全部朝鮮人だ!」と叫ぶ方面の善男善女にも都合が悪いだろう。※付記5 そのために復刻されないのだろうか? 誰かが圧力をかけているとしたら唾棄すべきことだし、手塚プロダクションあるいは出版社の自主規制だとしたら残念なことである。無論手塚自身が「この作品は封印する」と言っていたのならばその意向は尊重すべきではあるが。

呉智英は手塚治虫の創作姿勢を「すべての価値観への不信」としたが(『現代マンガの全体像』)、手塚はステレオタイプな「気の毒な朝鮮人」という価値観にも不信の念を抱いていたが故に、このような描き方にならざるを得なかったのではないか(勿論その半面で、被差別者への同情・慈しみの心が多大にあったことなど、くだくだしく言うまでもないことである)。

いずれにしろ、40年前の在日朝鮮人の状況を知る上での貴重な資料であり、また今なお在日朝鮮人問題が大きなしこりとなっている中、改めて復刻されて読まれるべきだと強調しておく。

「在日朝鮮人を描いたマンガ」の情報提供は今後も募集しています。よろしくお願いします。

(文責・岸本元。画像は著作権法32条に基づく引用の範囲内と考えるが、勿論手塚プロダクションから抗議があれば画像は消します)

付記1 完成度が低いから再録されなかったという意見は、私は採らない。失敗作と自身で認定した「サンダーマスク」や、なんとも陰惨で救いのないとした「ボンバ!」なども全集に収録されているからである。

付記2 1970年前後の手塚作品の絵には表現主義あるいはそれに前後する時期の美術の影響があると私は見ているのだが(特に「ボンバ!」ではマルク・シャガール、エドヴァルド・ムンクの引用がある)、これについて誰かが指摘している論文等があればご教示いただければ幸いである。本作も強制労働やリンチのような残虐なシーンを敢えてそういった美術の手法で描いている様子がある。

付記3 「徐英進」ではなく「除英進」と一貫して表記されている。一般的な朝鮮姓なら「徐」であるが、誤植かどうかは不明。

付記4 この点、2つほど指摘を受けたので見せ消ち。一つは1970年の朝鮮民主主義人民共和国は大韓民国と比較して必ずしも劣悪な経済状況ではなかったので帰国はあり得るということ。もう一つは「たとえ劣悪な祖国であってもそこに帰りたいと思うのは自然な心理でありそれを否定するのはどうか」ということで、前者はその通り、私が無知でした、すみません。後者も、私はそういう心情をまったく持たないが、理解は出来る。私の誤解や内なる差別心を剔抉してくれた人には感謝している。

付記5 赤字は11月12日付追記。「右からの圧力だろう」という推理がブクマコメントにあったが、たしかにそういう説も否定は出来ない。そういうことに思いが至らなかったのは私の偏見であろう。深く反省しておく。なお、原稿紛失の可能性もある。

※この記事はGAGAZINEさんよりご寄稿いただいたものです






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