ドロップキックインタビューより  当たり前なんですが1984年のUWFはプロレスサイドからの否定が半端ないですわ 笑えたわ だから船木は八百長プロレス側の人間だって言ってんのに わかってないなぁ 柳澤健も そういえば 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか が発売されたばっかの当時もプロレスサイドの反応は同じでしたよねぇ

http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1148711



地上最も過激な格闘技「ミャンマーラウェイ」の実態!!■死闘の体験者 紅闘志也インタビュー



2016-12-02 13:30
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後楽園大会に大会まるごと「直輸入」された危険な格闘技「ミャンマーラウェイ」。素手で殴り合い、頭突きあり、KOされてもタイムで2分間休憩できるなど、いちいち物騒なルールなのだ。来年2月に再上陸する「地上最も過激な格闘技」の体験者である紅闘志也選手にその実態を伺った。







──日本で一番ラウェイに詳しいのは紅闘志也さんだと聞いて飛んできました! ぜひラウェイについて教えてください!



紅 よろしくお願いします。ちなみに、今年8月にミャンマーで『ラウェイワールドチャンピオンシップ』という大会があったんですけど、そのときに自分はレフェリーの許可書を取ってきたんですよ。

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──ラウェイのレフェリーライセンスを所持してるんですね。なんだかカッコイイ!(笑)。


紅 まあ、けっこう適当に取れるんですけどね(笑)。


──紅さんはラウェイへの参戦経験がありますけど、そもそもラウェイとの最初の接点はどういう感じだったんですか?


紅 自分がラウェイを知ったのは96年頃ですね。当時タイで2日連続試合をやらされたことがあったんですけど、その一つがラウェイだったんです。


──2日連続で試合をする時点でムチャクチャですね(笑)。


紅 初日の試合は普通のムエタイでKO勝利することができたんですけど、「2日目の試合は計量もないし、遊びみたいなもんだからもう1試合やるか?」と誘われて。タイの田舎のほうまで3時間以上かけてバイクで連れて行かれて闘ったのがラウェイでしたね。


──3時間かけて移動後にラウェイ!(笑)。


紅 そこでタイとミャンマーの対抗戦みたいな大会をやってて。当時は自分もラウェイの存在を詳しくは知らなかったんですけど、大道塾の市原海樹さんとかがラウェイに参戦したという話はちょこっと聞いたことがあって。まさか自分が闘うことは思っていませんでしたけど……。


──市原海樹さんのラウェイ挑戦はかなり話題になりましたね。


紅 いま振り返ってみると、自分らがやった試合なんかラウェイの下の下の試合。ファイトマネーも日本円で数百円程度なんですけどね。


──数百円の死闘!


紅 相手もそんなに強くないミャンマー人だったと思いますし。とはいえ、やっぱり何が起こるかわからない怖さというのはありましたから。とにかく「ケガをしないで帰りたい」という思いだけで戦いましたね。その試合で死んでいたとしても、新聞にも出なかったと思いますから……。


──素手、頭突きありの未知の格闘技ですもんねぇ。


紅 ルールもよくわからないまま戦いましたからね。計量はないし、とにかく素手で闘って、頭突きもOKだという話だけで。


──試合前に詳しい説明はないわけですか。


紅 ないです。


──ひえ~!!(笑)。
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紅 だから、そのときは勝ち負けよりも、とにかく「生きて帰ろう!」と。その場でどう闘うかを考えるわけですけど、前の試合なんかを見ていたら、ブレイクから試合再開までけっこう時間がかかるというのがわかってくるんですね。その大会はタイとミャンマーの対抗戦だったから、タイ人とミャンマー人のレフェリーが一人ずついて、ブレイクになるたびにレフェリー同士が握手して、選手を分けて「ファイト!」とやっていたので。そのやりとりを観て「これで時間稼ごう」と。実際、自分は試合中にタックルをしまくって、相手が倒れた瞬間にちょっと殴ったりとかして。その戦法を5ラウンドやり続けて引き分けましたけど。


──その「タックルして殴る」というのはルール上OKなんですか?


紅 タックルはOKでしたけど、倒れた相手を殴るのはダメなんですよ。でも、そのときはルールがよくわからないから。ラウェイは5ラウンド制で判定決着もないので、試合が終わったときは「ケガしなくてよかったなあ……」ってホッとしました。


──その大会はお客さんを入れてるんですよね?


紅 います、います。試合場は野外なので、お客さんはそのへんの床に寝転がったり。一種のお祭りみたいな感じですね。


──地域の小さいイベントみたいな。


紅 そこから10年ぐらい経ったあとに、和術慧舟會の西良典さんが長崎でやっていた『Kushima's Fight』というイベントの中で、何試合かをラウェイルールでやるという話を聞いたんです。当時、水道橋にバンゲリングベイというジムがあって、自分はその当時フリーの格闘家で練習はそこでもやらせてもらってたんですよ。そのジムで寒川直喜も練習してて、寒川が『Kushima's Fight』に出ることになりそうだ、と。で、寒川は、自分が昔ラウェイの経験があることを知ってたんで、「一緒に練習してくださいよ」と。しかも、そのとき寒川が指導を頼んでいたのが当時格闘結社田中塾の田中健一さんだったんですよね。


──田中さんはミャンマー現地に選手を送り込んでましたね。


紅 一番最初の公式緬日ラウェイ対抗戦で日本からラウェイ日本選手団を率いたのが田中さんでした。その前に、関西の空手家・長谷和徳さんなどが個人で飛び入り参加する機会はあったんですけど、ミャンマー政府公認のラウェイ協会での試合をしたのは2004年7月田中さんたちが初めてだったみたいです。


──いわゆる野試合ではいろんな人がやっていたけど。


紅 市原さんや長谷さんも公認ではなかったです。そのあと04年にミャンマーで日本チームとの対抗戦をやったときも、田中さんのジムにいた田村彰敏でしたっけ? その選手が勝ったのはけっこう話題になりましたよね。


2004年緬日対抗戦・田村彰敏勝利

https://youtu.be/MUrCa8DvZi0 

紅 ついでに言うと、パンクラスにも出ていたシャノン・“ザ・キャノン”・リッチとか、あのへんも昔ラウェイに出たことがあるはずですよ。

──おお、シャノン・リッチも(笑)。


紅 田中さんは当時からラウェイの攻略法を凄く考えていた人だったんです。だから俺も、寒川と練習しているときに「ちゃんと練習できるなら、俺ももう一回やってみたいな」と思ったんですよね。


──それで何度かラウェイに参加するようになるわけですか。



この続きと、永源遥、NOAH新体制の謎、那須川天心、グレイシー柔術、ディファ有明閉鎖、アジャ・コングなどの記事がまとめて読める「14万字・詰め合わせセット」はコチラ 

http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1164999

http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1240311





Dropkick

消えた腕自慢、道場破り……突破者よ、出てこい■中井祐樹



2017-04-06 10:58
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中井祐樹先生の新連載企画!! そのときどきの事件やニュースを中井先生の格闘技観を通して解説していきます! 2回目のテーマは「消えた腕自慢、道場破り」です!





【前回の記事】
幻のキング・ハク戦と『1984年のUWF』

【関連記事】
朝日昇
“奇人”が語る「本当に恐ろしい昭和格闘技」

山田学
初代シューターにしてパンクラシストの大冒険




――今回は「道場破り」をテーマにうかがいます!


中井 力試し、力自慢というか、いきなり「やらせてください!」ってやってくる人は昔はけっこういたんですよ。


――けっこういたんですか!!(笑)。それは中井先生が現役だった90年代前半ですか?


中井 いや、あの頃はジムや道場自体が少なかったし、やってる人間もそんなにいなかったですからね。



――ほとんどが顔見知りに近かったんですね。


中井 でも、緊張感は凄くありましたよ。スーパータイガージム横浜にいたときアマチュアの分際で木口道場に出稽古に行ってたんですけど。石川(義将、第2代ミドル級チャンピオン)さんに連れて行ってもらったんですが、横浜から通ってたのはボクだけだったんですよ。横浜と木口ってライバル関係だったりしてたので。


――敵地の飛び込んでいたんですね。


中井 週1回の木口DAY。修斗、サンボの選手が集まってグラップリングをやるんですけど、山田(学)さん、桜田(直樹)さん、朝日(昇)さん、草柳(和宏)さん、サンボの五木田(勝)さんとかが参加して。


――うわあ〜、メンツが濃すぎて吐きそうです!(笑)。


中井 あそこは格闘技の礎を築いたマグマな場所だったんですよ。あのときの山田さんは栃木から来てたんですよね。こないだ栃木で練習会があったんですけど、ビックリするくらい遠くて。「こんな遠いところから来てたんだ……」って思うと感動しましたね(笑)。


――そこまでして練習したくなるほど、当時の木口は“最先端”だったわけですね。


中井 ボクも柔道でやってきたことが通じなかったし、凄く勉強になりましたね。デビュー前の(佐藤)ルミナくんもいましたね。まだ練習相手にならないから「やらない」って拒否しましたけど(苦笑)。


――えっ!?


中井 いまは「ゴメンナサイ」って気持ちです(笑)。ボクは朝日さんや山田さんとやりにきてるから「キミとやってる時間はないよ」って感じだったんです。


――ギラギラしてますねぇ。ボクが佐藤ルミナだったら二度と参加しない怖さ!(笑)。


中井 あとになってからやるようになって、ルミナくんに1回だけアンクルで取られたことがあるんですよ。「このガキ!?(怒)」ってカチンときたことがありましたね(笑)。


――ハハハハハハ! 怖い!!


中井 ルミナくんには当時から光るものがあったってことですよね。ちなみにアンクルを日本で初めて使ったのは船木誠勝さんなんです。船木さんが新生(UWF)で使ってるのを見て、修斗の若い子たちがマネして修斗に流れてきたんだと思いますね。



この続きと、フミ斎藤や金原弘光が語る『1984年のUWF』、シャーク土屋・後編、KINGレイナ、鈴木みのると全日本イズム、「チキン諏訪魔騒動」とは何か……など20本以上の記事がまとめて読める「13万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 

http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1255162

http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1267101



『1984年のUWF』と骨法――堀辺正史の「船木離脱」の真相はデタラメなのか? ■証言者・中川カ~ル



2017-05-15 19:333

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1984年のUWF
























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骨法離脱の真相が明かされ、大きな反響を呼んだ船木誠勝の『1984年のUWF』インタビュー。しかし本人の証言が当てにならないのがプロレス史の難しさ。というわけで、80年代末期に骨法に在籍していた漫画家の中川カ〜ル氏に話を聞いてきました! 骨法で何が起きていたのか?(聞き手/ジャン斉藤)





いま入会すれば読める5月度更新記事一覧




船木誠勝と『1984年のUWF』/UFCが狙う那須川天心/笹原圭一RIZIN広報/「帝王」高山善廣/ビンス・マクマホン映画脚本流出……など

http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/201705

<関連記事>

・船木誠勝と『1984年のUWF』

・「斎藤文彦INTERVIEWS⑬」/『1984年のUWF』はサイテーの本!

・『1984年のUWF』には描かれなかったリングスの実態……■金原弘光

・ヤノタク、堀辺正史を語る「骨法は俺の青春でした……」【愛と悲しみの17000字インタビュー】





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オリジナルの骨法Tシャツで取材に臨んだ中川先生!これは欲しい!!


――今回は中川カ〜ル先生に船木誠勝インタビューの裏取りをさせていただきたいと思ってます! じつは昨日船木さんを取材してきたんですけど、2003年に出版された自伝に書いてあった記述を否定してたんですよ(笑)。

中川 それは凄く船木さんらしいですよね(笑)。船木さんとは骨法のときに一緒だったんですが、船木さんって嘘はつかない人ですからね。誰かに気を遣ったりしないで正直になんでも言っちゃうから勘違いされちゃうんですよ。


――だから自伝すらも否定してしまう、と。中川さんは『1984年のUWF』に登場していますけど、どういう経緯で取材を受けたんですか?


中川 もともと柳沢さんとは知り合いで。それで前田日明のレガースを作成していた当時の話をしたんです。


――『1984年のUWF』を読んでどう思われました?


中川 メチャクチャ面白かったと思うんですけど、怒ってる人が多いでよね……。そんなに怒るようなことなのかって。


――なぜ怒ってると思います?


中川 なんなんですかね? 前田(日明)さんのことでしょ、要は(笑)。


――まあ、そうなんでしょうね。


中川 そんなに酷いことは書いてないと思うんですけどね。


――主に修斗方面からUWFを見れば、ああいう書き方にはなるとは思うんですね。


中川 だから前田日明を叩くために組み立てていったわけじゃないと思いますよ。中井(祐樹)さんの目を潰したゴルドーや、怪しげなビジネスをやってる神社長が信用ならないという声もありますけど、それって新生UWFとは関係ない話ですし。


――「ここは間違ってるけど、あそこの部分は資料として信用できる」という見方でいいと思うんですけど、「この本を認める・認めない」という極端な空気になってますね。


中川 塩澤幸登さんの『U.W.F.戦史』に怒るんだったらまだわかるんですよね。あっちのほうが酷いし。


――『1984年のUWF』の1984倍酷いですよ、あの本は。それでも前田日明さん推薦図書なんですけど(笑)。


中川 俺も前田日明は好きですけど、『1984年のUWF』で前田日明の価値は落ちないですよ。落ちると思ってるファンはいままで前田日明の何を見てきたんですかね? ちょっとオタオタしすぎですよね。


――歴史的事実と歴史的評価は決して切り離せないものですが、それにしてもゴッチャに捉えてる方が多いんですね。フミ斎藤さんのインタビューで聞き手のボクが「前田日明は競技をやったことがない」という事実を言っただけで、前田日明を評価していないと受け取ったのか「あれはヒクソンが逃げたんだ!」みたいなコメントが飛んできたり。「競技をやってない」と「ヒクソンが逃げた」には何の繋がりもないし、そもそもヒクソンが逃げたということにしても検証が必要になるんですけど。



中川 フミ斎藤さんはあのインタビューで「柳沢さんはプロレスを利用している」と言われてましたけど、そんなことはないと思うんですね。柳沢さん、プロレス大好きですし、俺もよく一緒にプロレスを見に行ったりするし。新生UWFは熱心に見てないから、前田日明や新生UWFが盛り上がっていく過程は過去の資料を追っていくしかなかったと思うんですけどね。べつにプロレスを利用しているわけではないですよ。



――中川さんは新生UWFをリアルタイムで目撃してたんですよね。


中川 旗揚げ戦とNKホール大会以外は見に行ってるんですよ。当時『闘翔ボーイ』を連載していた竜崎遼児先生のアシスタントをやってたんで、取材も兼ねてついていって。


――『闘翔ボーイ』はUWFや骨法とかを取り入れて描いていた格闘漫画でしたね。


中川 でも、新生UWFはつまらなくてしんどかったですねぇ。お客さんは入ってたんですけど。


――なぜつまらなく感じたんですか?


中川 単純に試合自体がつまらなかったです。あと雰囲気も気持ち悪くて……。旗揚げ戦以外でも後楽園ホールで前田と山崎一夫がシングルをやってるんですけど、2人の頭がぶつかって山崎が流血してそれで試合が終わったんです。前田が「これはスポーツだから……」みたいに言ったら観客が拍手して。その光景が凄く気持ち悪かったんですよ。ドクターが止めるならまだいいですよ。格闘家が自ら「やめましょう!」なんて言わないじゃないですか。


――船木さんが戸惑ったスポーツプロレスの気持ち悪さ。


中川 船木さんと鈴木(みのる)さんが入ったことで、つまらないUWFをなんとかしてくれないかなとは思いましたね。


――新生UWFは最初から格闘技ではないとわかってました?


中川 そうですね。竜崎先生はガチンコだと思ってましたけど。


――中川さんが「これは格闘技ではない」とは言わなかったんですか? 


中川 言っても聞かないんですよ。あの頃ってプロレス自体もボンヤリしていた時代だったじゃないですか。


――UWFが「こっちが本物である」と主張し始めて「普通のプロレスは本物じゃないんだ」って空気になってましたね。


中川 前田日明は「UWFはガス燈時代のプロレスをやりたかった」なんて振り返ってましたけど、後付けですよね(笑)。新生UWFは格闘技という打ち出しをしていましたよ。


――中川さんはどこで新生UWFはプロレスだと見極めたんですか? いまならともかく当時はその判断がけっこう難しいですよね。



中川 俺は旧UWFをガチンコだと思って見てたんですよ。でも、コスチューム屋でプロレスの仕事を始めたときに「UWFはガチンコだから大変ですよね」って言ったら「何を言ってるの?」ってバカにされて(笑)。「あ、違うんだ」って。



――業界人に教えてもらったんですね。


中川 前田がニールセンと戦うときのレガースを作る現場にいたんです。レガースって中身は発泡
スチロールなんですけど、そのときは前田日明側から旭化成の特殊な素材を持ち込まれて。上から卵を落としても割れないみたいな。ダメージを吸収する効果にどんな意味があるのかイマイチわからなかったんですけど(笑)。


――蹴られたほうに都合がいいかもしれない(笑)。


中川 あの頃って新生UWF側もマスコミに対してけっこう油断してたというか。名前は出せないですけど、ある有名スポーツジャーナリストから前田vsゴルドー戦のリハーサルの話を試合当日に聞かされてたんですよ。「前田の目が腫れているのはリハーサルでやっちゃったんだよね」って。


――リングスの頃は内部の関係者ですら判断がつきにくいものになっていたのは、その反省からかもしれないですねぇ。


中川 新生UWFは最初はガチンコでやるのかなって思ってたんですけど、「あ、やらないんだな」って感じで。あと、どっちかいうと佐山サトルのほうが好きだったのでシューテイングも見てたんですよ。


――ああ、それなら違いがわかりますよね。
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