先日紹介したMMAプロプレイヤーの徐暁冬 vs 楊氏太極拳 雷公太極拳  太極大師の雷雷 の背景と詳細  鳩が手のひらから飛ばない スイカの中身が破壊されていたのは実はトリックだった!ことも暴露される! 危機感を抱いた中国武術界は他流試合の決闘を全面禁止する動きが… 対する散打をベースとする中国MMAの雄 徐暁冬が中国伝統武術に公開挑戦状!























http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/101059/051000099/


西洋格闘技に20秒で惨敗した中国伝統武術の現実

「伝統武術はどれも詐欺だ」…勝者の挑発、真の意味は






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2017年5月12日(金)

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(Barcroft Media/Getty Images)

 4月27日に四川省“成都市”のある“武館(武術道場)”で“格闘狂人”こと“徐暁冬”と“太極大師”こと“雷雷”の“約架(決闘)”試合が公開で行われた。38歳の徐暁冬は中国伝統の格闘技“散打(さんだ)”出身で、自称「中国総合格闘技(MMA:Mixed Marshal Art)の第一人者」。これに対して雷雷は、公称42歳、本名は“魏雷”、“陳家太極拳”と共に太極拳の双璧をなす“楊氏太極拳”の継承者であると自称し、自ら興した流派“雷公太極拳”の創始者である。2人の対決は、太極拳を含む中国伝統武術と西洋格闘技の雌雄を決する一大イベントとして注目を集めた。

 成都市は雷雷の居住地で、北京市を本拠とする徐暁冬は飛行機で成都入りした。半ズボンにサンダル履きで試合会場入りした徐暁冬は、黒色で両肩に赤色を配した半袖シャツと黒色の半ズボンに着替え、赤色の運動靴を履いて入場した。一方の雷雷は、白色の“太極拳服”に黒色の“太極褲(パンツ)”を履き、伝統的な格式を備えている風情を漂わせ、右手の掌で2個の胡桃(くるみ)を擦り合わせながら威風堂々と入場した。入場した雷雷は用意した“功夫茶(中国茶道)”のお茶を決まり通りの小さな茶碗で飲み、自分が太極拳の達人であるということを所作で示そうと懸命の演出を試みていた。

 2人が入場すると、司会者が両者の名前を呼び上げて2人を観客たちに紹介し、それに続いてレフリーが紹介された。レフリーは2人を呼んでルールを説明し、それが終わると2人は握手を交わした後に離れて対峙し、レフリーの試合開始の合図を待った。会場には格闘技の試合で使われる常設のロープを張ったリングはあったが、太極拳に敬意を表した徐暁冬が譲歩してリングを使わず、リング横に格子柄のマットを敷いた床が試合場となった。

最初のジャブから血まみれKOまで、わずか10秒

 レフリーが試合開始を宣言すると、徐暁冬は両拳をボクシングスタイルに構え、雷雷は両手の5本の指を軽く開き、右手を下段、左手を上段に構えて相対した。観衆が固唾を呑んで見守る中、両者はにらみ合いながら試合場を左回りに一周した後、徐暁冬が先制の左ジャブを打ち込み、雷雷がこれを避けようとした刹那、徐暁冬の右フックが雷雷の左顔面に炸裂した。雷雷はパンチを食らって茫然自失となり、この機を捉えた徐暁冬が一気呵成にパンチを浴びせて攻め込むと、雷雷は横向きに倒れ込んだ。徐暁冬は倒れた雷雷の頭部にパンチを連打し、雷雷は身動きできず、レフリーが試合の中断を宣言した。試合開始から試合中断までわずか20秒、徐暁冬の圧勝であり、雷雷は完膚なきまでに打ち負かされた。

 試合中断により立ち上がった雷雷は血まみれの顔面をタオルで拭いながら、苦痛に顔をしかめて立ちすくんでいた。その後、レフリーから試合を再開するかと問われた雷雷は再開を断念する旨を表明し、徐暁冬の勝利が確定した。レフリーを真ん中に右に徐暁冬、左に雷雷が並び、レフリーは徐暁冬の右手を挙げて徐暁冬の勝利を宣言した。徐暁冬が最初のジャブを放ってから、レフリーが試合の中断を宣告するまではわずか10秒だった。それが中国伝統武術と西洋格闘技の雌雄を決する一大イベントの結果であった。「大山鳴動して鼠一匹」とはこのことか、実に呆気ない幕切れだった。

さて、上記の試合はインターネットの“視頻(動画)”サイトを通じて全国に配信された。徐暁冬は従前から「太極拳を始めとする伝統武術はどれも詐欺だ」と公然と言い募り、“武術打假(武術の偽物を撲滅する)”と述べて、中国の伝統武術に対し宣戦布告を行っていた。これは伝統武術を飯の種としている武術の道場主や師範たちにとって、生活を脅かす由々しき問題である。危機感を覚えた武術家たちはネット上で徐暁冬と論戦を繰り広げたが、確固たる信念を持って発言する徐暁冬と激論を戦わせてもらちが明く話ではない。そうこうするうちに、徐暁冬に戦いを挑む者が現れた。これは徐暁冬にとって「飛んで火にいる夏の虫」であり、望む所であった。挑戦者として名乗りを上げたのが、成都市で雷公太極拳の道場を営む太極大師こと雷雷であった。雷雷が徐暁冬の挑戦者として名乗りを上げ、4月27日に成都市で“約架(決闘)”試合が行われることはネットを通じて全国に広く知れ渡っていたのだった。

西瓜を果肉を破壊、鳩を飛べなくする秘技

 「伝統武術はどれも詐欺だ」と断言した徐暁冬が、決闘試合では雷雷をわずか20秒でKOした。徐暁冬は試合前に「“太極拳不堪一撃(太極拳はひとたまりもない)”」と豪語していたから、言葉通りの結果になった。徐暁冬が雷雷を挑戦者に選んだのには理由があった。それは2015年11月24日に国営テレビ局“中央電視台(中央テレビ)”のチャンネル4「体育在線」の特別番組「“体験真功夫(本当のカンフー体験)”」の楊氏太極拳特集に成都市在住の武術家として雷雷がゲスト出演したことに起因する。

 同番組の中で、雷雷は中国の十大武術師範の1人と位置付けられ、「雷雷は北京出身で、タイの格闘技“泰拳(ムエタイ)”と朝鮮の“跆拳道(テコンドー)”を学んだ後に楊氏太極拳に転向した。ムエタイとテコンドーの段位は低かったものの、実戦に長けていたため、その経験を活かして太極拳で格段の進歩を遂げ、今では楊氏太極拳の創始者“楊露禅”の継承者になった」と紹介された。番組では雷雷の道場の練習風景を紹介した後に、雷雷が中国武道の“形意拳”を学んだ外国人エリックと練習試合を行い、雷雷がエリックを圧倒して勝利した。次に雷雷が丹田に集めた気を西瓜に向けて吐き出しながら軽く西瓜の表面を押さえると、表面には何ら変化がないのに、中身の果肉は破壊されていた。その次に雷雷は“雀不飛”という秘伝の技に挑戦する。これはハトが飛ぼうとして脚を踏ん張る瞬間に、その力を消失させて飛ばせなくするという秘技で、雷雷はいとも容易にハトが飛翔するのを抑制してみせた。

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/101059/080500010/


ネットで告発「少林寺住職は生臭坊主」

「仏教界の大トラ」は檻に収まるか?






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2015年8月7日(金)

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 日本では仏教の戒律を破る僧侶を「破戒坊主」とか「生臭坊主」とか呼ぶが、中国では“花和尚”と呼ぶ。“花和尚”とは、「仏教の戒律を守らず、酒を飲み、肉を食らうなどの行為をする和尚」を意味するが、その語源は小説『水滸伝』の登場人物の1人である和尚の“魯智深”が破戒僧で、全身に“花繍(入れ墨)”があったことから“花和尚”とあだ名されたことに起因する。

中国仏教協会副会長を実名でネット告発

 さて、2014年4月に“国家宗教事務局”が発表した資料によれば、中国全土には3.3万カ所の仏教活動拠点があり<注1>、22.2万人の僧侶がいるという。それだけの数の僧侶がいれば、その中に程度の差こそあれ一定数の破戒坊主が含まれていることは容易に想像できるし、筆者もそれらしき僧侶を度々目撃している。しかし、それが世界的に著名な名刹の住職であり、しかも“中国仏教協会”副会長であるとなると、話は別であり、聞き捨てにできない一大事である。

<注1>そのうち、大乗仏教の寺院は3600か所余り、上座部仏教(旧称:小乗仏教)の寺院は1700カ所余り。
 2015年7月25日、ネットの掲示板に『少林寺“方丈(住職)”の“釈永信”は“大老虎(大トラ)”である。誰が監督するのか』と題する実名の告発文が掲載された。告発したのは“釈正義”と名乗る人物であった。少林寺は河南省“鄭州市”の管轄下にある“登封市”に所在する禅宗の寺院であり、山号を“嵩山(すうざん)”という。少林寺は1982年に“李連傑(ジェット・リー)”主演で制作された香港映画「少林寺」によって世界中に知られるようになった少林武術発祥の地であるだけでなく、北魏時代の大和19年(西暦495年)に創建された1500年以上の歴史を持つ寺であり、インドから渡海した達磨が壁面に向かって9年間座禅を組んだことでも知られている。現在、その少林寺で名誉ある住職の位置にあるのは釈永信である。

公式記録は「22歳で要職に就き、少林寺を変革」

公式に報じられている釈永信の経歴は以下の通り。

(1)釈永信(俗名:“劉応成”)は、1965年9月に安徽省“阜陽市”に属する“潁上(えいじょう)県”で生まれた。来月でちょうど50歳になる釈永信は両親が敬虔な仏教徒であったことから、1981年に16歳で自ら進んで少林寺へ赴き、当時の住職であった“方正法師”に仏門入りを懇請し、両親の許しを得ることを条件に少林寺へ入り、剃髪して出家し、“永信”という法名を賜った。釈永信は方正法師を師と仰いで修行に励んだ後、江西省“雲居山”、安徽省“九華山”、北京市“広済寺”などの寺院で修行を積み、1984年に少林寺へ戻った。同年9月には江西省“普照寺”に赴いて“具足戒(僧侶が守るべき戒律)”を受けて1人前の僧侶となった。

(2)1987年に方正法師が亡くなると、釈永信は弱冠22歳で“少林寺管理委員会”主任の職務を引き継ぎ、少林寺の事務全般の責任者となった。釈永信が1986年から始めていた少林武術および少林寺の宣伝活動は順調に推移し、1987年には少林寺武術隊(後の“少林寺武僧団”)を結成し、1989年には少林寺武僧団を率いて全国各地で模範演技を実演するようになった。こうして少林寺および少林武術の名声が高まると、全国から観光客が押し寄せるようになると同時に少林武術を学びたい学生が集まるようになり、少林寺は収入が増えて財政が豊かになった。

(3)こうして経営者としての才覚を発揮して少林寺を一躍全国のみならず世界に名高い寺院へと変革した釈永信は、1993年には中国仏教界理事に選出され、1998年には河南省仏教協会会長に当選した。1999年に少林寺の住職に就任した釈永信は、2002年には中国仏教界副会長に選出されたし、1998年から現在に到るまで連続4期(1期5年)にわたって“全国人民代表大会代表(日本の国会議員)”を務めている。さらに、2006年には少林寺の入場料収入は1億元(約20億円)を超えたし、少林寺が海外に開設した“分寺(別院)”の年間収入は1000万英ポンド(約1億4000万円)を超え、その1/3が少林寺の収入となっている。また、2010年8月に少林寺は世界文化遺産に認定されたが、これは少林寺武僧団を世界各国へ派遣して少林武術の公演を続けて来た効果であり、釈永信が国内外へ働きかけた成果と言えよう。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20081030/175729/


お金はいりません「大悲寺」
商魂たくましい「少林寺」

現代の僧侶はどう生きるべきか?“修行”それとも“金儲け”






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2008年10月31日(金)

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 2008年1月9日、中国のポータルサイト“網易”(Net Ease)の掲示板に「大悲寺と少林寺の対比」というスレッドが立った。これは2007年9月22日に「了原居士」という人のブログに掲載された「同じ出家、大悲寺と少林寺の対比」という文章が大きな反響を呼んだことから、この問題を改めて論議することを意図したものであった。

 少林寺という名前は日本生れの拳法である「少林寺拳法」で日本人にも馴染み深いが、大悲寺という名前は初耳である。ところで、「対比」とはどういう意味かというと、中国の仏教界で両極端に位置づけられる両寺の現状を比較することで、真の仏教僧とはどうあるべきかを中国国民に問うたのである。



再建の道を歩みつつある中国の仏教


 ところで、我々日本人にとって馴染みの薄い中国の仏教の現状を概観してみよう。2000年の歴史を有する中国の仏教は、1949年以降中国共産党の政権が確立されるにつれて活力を失い形骸化し、文化大革命期間中(1966~1976年)の寺院の破壊や僧侶の迫害によりさらに衰退した。その後、中国政府は宗教の存在を容認する方針を示し、仏教は再建の道を歩みつつある。

 中国政府が公表しているデータによれば、現在中国国内にある仏教寺院は1.3万カ所余り、出家している僧・尼が約20万人、そのうち、チベット語系仏教のラマや尼僧が約12万人、活仏が1700人余り、寺院が3000カ所余り、雲南省の少数民族を中心とするバーリ語系仏教(=上座部仏教、或いは小乗仏教)の僧侶および長老が約1万人、寺院が1600カ所余りとなっている。

 これを整理すると、チベット語系仏教とバーリ語系仏教を除いた中国の仏教(=大乗仏教で日本と同じ)の規模は、僧・尼が約7万人、寺院が8400カ所ということになる。



賽銭箱が置かれていない寺「大悲寺」


 前置きはさて置き、本題に入る。「大悲寺」という名前の寺は中国に多数あるのだが、ここで言う大悲寺とは遼寧省南部に位置する海城市毛祁鎮曹家堡子村にある1668年創建の古刹を指す。

 この大悲寺は1949年に中華人民共和国が成立してからは学校として使われていたが、1999年8月の宗教政策の変更により寺院が解禁されたことを受けて、学校が移転したため仏教寺院として復活したのであった。その後、信者たちが献金を募って本殿を修復し、観音堂、念仏堂、僧坊を新築、流出していた本尊を買い戻し、寺院としての装いを一新した。2000年には釈妙祥大師が住職として「妙祥僧団」と呼ばれる弟子たちを引き連れて大悲寺に入り、釈妙祥大師の指導の下で僧侶たちは厳しい修行の日々を送るようになったのである。



大悲寺
“不捉金銭戒”を守る「大悲寺」


 大悲寺の僧侶は“不捉金銭戒”(=金銭に触れない戒律)を守っており、同寺には“功徳箱”(=賽銭箱)が置かれていない。“社会主義市場経済”という名目の資本主義が蔓延する中国では寺院も僧侶もその大多数が金銭に汚染され、日本の寺院と同様に維持経費の名目で、どこの寺院も拝観料とか入山料などを徴収しているのが実情であり、中国広しといえども賽銭箱が置かれていない寺は大悲寺以外には数えるほどしかないと思われる。

 大悲寺の僧侶には次の8項目の約束事が課せられている:
[1]金銭に触れない戒律
[2]日中1食(正午を過ぎたら食事はしない。お茶、飲料、果物を含む)
[3]行脚する(乗り物には乗らない)
[4]托鉢を行う(食物のみで金銭は受け取らない)
[5]外部の僧侶の贈り物は受けない
[6]僧侶が受け取った供物はすべて寺に収め、僧侶全員で等しく配分する
[7]僧侶の所持品である3種類の衣と1つの鉢は肌身離さず、18種類の必需品は常に準備しておく
[8]托鉢しても無理強いせず、人に求めない。

 大悲寺の僧侶たちは年に数カ月間を数万キロの行脚に費やし、托鉢をしながら各地で仏の教えを説く日々を送っている。その間、彼らは毎日を野宿で過ごし、決して他人の家に泊めてもらうことをしない。

 こうした彼らの真摯な姿を知ることで、信者は年々増え続け、過去8年間で“比丘”(=僧侶)となった者数百人、仏教に帰依して信徒となった者は数万人を数えている。厳粛な佇(たたず)まいを見せる大悲寺は僧侶たちの深い慈愛に包まれているという。



禅宗発祥の名刹「少林寺」


 これに対して、中国武術の「少林拳」で名高い「少林寺」は河南省登封市の北に位置する少室山の麓にある。北魏(386~534年)の第6代皇帝・孝文帝がインドから来た仏教僧を厚遇し、この僧のために太和19(495)年に少室山の林の中に建立した寺院であることから「少林寺」と名づけられた。

禅宗の始祖と言われるインド僧“菩提達磨”(=達磨《だるま》)が少林寺に入って9年間壁に向かって修行し、その教えを高弟に伝えたという伝説があり、少林寺は中国の禅宗発祥の地でもある。



少林寺
少林拳で名高い「少林寺」


 唐(618~690年、705~907年)の初め、後に第2代皇帝(太祖)となる李世民が戦場で苦境にあったのを少林寺の僧兵13人が救いだしたことで、皇帝となった李世民は少林寺の曇宋和尚を大将軍に任ずるとともに、少林寺に僧兵の訓練、殺人、飲酒食肉を許可した。こうした歴史を背景に僧兵を擁する少林寺は歴代王朝の支援を受けて大寺院となり、「天下第一の名刹」という称号を博するようになった。

 宋代(960~1270年)になると、僧兵による少林武術は飛躍発展を遂げ、少林寺の僧は2000人規模に膨れ上がり、明朝(1368~1644年)にその最盛期を迎えたが、清朝(1644~1912年)になるとその勢力は衰えて忘れ去られた。



映画「少林寺」で大ブレイク、中国武術の代名詞へ


 1982年にジェット・リー(中国名:李連杰)主演で公開された香港映画「少林寺」は、上述した李世民と少林寺の僧兵13人の故事を描いたものであったが、ブルース・リー(中国名:李小龍)亡き後の新たな“功夫”(=中国拳法「カンフー」)映画として全世界に旋風を巻き起こした。

 折しも、1978年12月に開催された中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議で採択された改革開放政策の下、文化大革命(1966~1976年)で疲弊した経済を立て直すべく社会主義市場経済への道を歩き始めた中国で放映された「少林寺」は、中国人としての民族意識を高揚させるとともに、長年にわたって世間から忘れられていた「少林寺」を表舞台に押し出す作用を果たした。

 仏教に対する迫害も厳しかった文化大革命が終了した頃の少林寺は荒れ果て、寺内には十数人の僧侶しかおらず、しかも老人がほとんどで少林拳ができる者は1人もいなかったという。

 ところが、映画「少林寺」が公開されるや、少林寺には中国国内はもとより海外からも観光客が押し寄せるようになり、今では年間に数百万人が押し寄せる盛況ぶりを示している。また、登封市には少林拳に由来する「中国武術」を教える民間学校が20校前後も開設されており、実数は定かではないが、恐らく10万人規模の学生たちが全国各地から集まって中国武術を学んでいる。

 数百万人の観光客、10万人規模の武術学生は、登封市のみならず河南省にとっても重要な収入源であり、これも少林寺あったればこそで、少林寺は貴重な文化財であるとともに金銭を生み出す「打ち出の小槌」というべき存在なのである。



「少林寺実業」を設立、人気をビジネスに結びつける


 こうした少林寺の人気をビジネスに結びつけたのが少林寺の“方丈”(=一定規模以上の寺院の住職で「総住職」と考えればよい)である釈永信である。1965年生まれの釈永信は、1981年(17歳)に共産党から少林寺に派遣されたことを契機に出家する。その後、釈永信は少林寺を離れて他の寺院で修行したが、1984年(20歳)に共産党からの指示で「民生管理委員」として少林寺へ再度派遣された。これが釈永信の人生を決定づけることとなる。

 1986年に少林拳研究会を発足させた釈永信は、1987年には少林寺武僧団を組織して団長となった。また、同年には少林寺の住職となるが、この時彼は弱冠22歳で全国最年少の住職であった。1999年には34歳で正式に少林寺の“方丈”に就任し、少林寺1500年の歴史の中で最年少の継承者となったのである。

 釈永信が“方丈”となるのと相前後して少林寺は、「仏教寺院」から「商業寺院」への転換を図ることになる。これには「少林寺」を商標として勝手に使用する国内外の企業があまりにも多かった(国内だけで54件、海外は70カ国に及んだ)ことが要因であった。少林寺は投資を行い1998年7月に「河南少林寺実業発展有限公司」(以下「少林寺実業」)を設立する。

 その後同企業を拠り所として「少林寺」に絡む45種類200項目余りの商標登録を取得する。2000年10月にはEU(欧州連合)、米国、マレーシアなど30の国・地区で「少林」の商標登録を申請。また、2004年11月には、「少林寺」が国家工商管理総局から著名商標として認定を受けた。こうして、商標権を持つ「少林寺実業」には商標使用料が国内外から次々と支払われるようになった。

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徐暁冬(シュー・シャオドン)が太極拳掌門をKOの次はボクシング五輪チャンピオンに挑戦?


2017/05/05



この記事の所要時間: 約 8分19秒

格闘の狂人と呼ばれる徐暁冬(シュー・シャ

オドン)が中国で話題となっています。

MMAの格闘家である徐暁冬が太極拳の名人

に挑戦状をたたきつけ、20秒たたずにKO勝ち。

「太極拳のほとんどは偽物だ」

とビッグマウスをかまして、今度はボクシングの

チャンピオン鄒市明(ジョウ・シーミン)に挑戦状を

突きつけています。

強いのは間違いないようですが、決闘によって

力を誇示するケンカ上等な姿勢や現在の太極拳

界を侮辱するような発言に伝統武術界の批判や

世間的な反感を買って大いにメディアを騒がせて

います。

今回の騒動について調べてみました。








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太極拳の宗師・魏雷をKO

4月27日、成都で太極拳とMMAの異種対決が

行われ、現在格闘技のコーチをしている徐暁冬

(シュー・シャオドン)が雷公太極拳の創始者

魏雷(ウェイ・レイ)と対決。

熱戦が繰り広げられることを期待したファン

の前で、実際は20秒足らずで魏雷が倒される

という結果となりました。

シュー・シャオドンは北京什剎海で散打と

ボクシングを学び、散打の選手として活躍

した後、今はコーチとして格闘技を教えて

います。

中国のMMA第一人者と言われる人物。





今回の対戦以前、シュー・シャオドンは

「太極拳は偽物」という発言をしてウェイ・

レイを挑発し、2人はネット上で激しい舌戦

を繰り広げていました。

「口だけじゃなく実際に証明しろ」

というネットユーザーの声に応える形で、対

戦に至ったもの。




こちらが実際の対戦風景です。



太極拳の大家・魏雷(ウェイ・レイ)とは何者か?

そもそも魏雷(ウェイ・レイ)とはどんな人物な

のか、本当にそれなりの実力者だったのかが

気になります。



ウェイ・レイのプ百度ロフィールを見ると、

7,8歳頃から楊式太極拳の第4代伝承者に

太極拳を学んだとありますが、あまり情報は

ありません。

成都で自らの名を冠した雷公太極拳の創始者

として太極拳の指導をする41歳。



ネットで情報を探すとかつて中央テレビの

「体育オンライン」という枠の「真のカンフ

ーを体験する」という番組に出演経験あり。

番組の中では「中国が生んだ太極拳の宗師は

10人、雷公はその1人」と紹介され、実際の

映像もあったようです。



実演では西瓜を叩くが西瓜に変化はない。

しかし、割ってみると中は果肉がグチャグチ

ャになっていて、黒く変色した部分もある。

というパフォーマンスだったとのこと。

ネット上で映像を探しましたが、見つかりま

せんでした。

また、別の番組では手に乗せた鳩が飛び立て

ないというパフォーマンスを披露。

太極拳の世界では名人になると手に乗せた雀

が飛び立てないという伝説があります。

それの鳩バージョンというわけです。

しかし、これには「透明な樹脂で手のひらに

鳥の足が接着してあった」と中央テレビの記

者が明かしたという説もあります。



偽物武術家が許せない?

現在は成都にいるウェイ・レイですが、かつ

ては北京で散打を習っていたとのこと。

シュー・シャオドンも北京で散打とボクシン

グを習っていて、その頃から知っていたよう

です。

業界筋の話によれば、ウェイ・レイは数年前、

生活のために成都に居を移し、数年太極拳を

習っただけで自らの門派を創設した。

シュー・シャオドンはこれを「実力を伴わな

い偽宗師」として避難挑発したということの

ようです。



負けたウェイ・レイは取材を受けて、

「真の内功を使ったら命に関わる。

そしたら私は今頃刑務所の中だ」

「新しい靴だったので滑った」

などと言い訳全開。



ウェイ・レイの敗北を受けて彼の太極拳の師

匠である四川太極推手研究会の路行(ルー・

ハン)会長は太極拳伝承者の立場として、正

式にシュー・シャオドンに対戦を申し込んだ

とのこと。

映画「イップマン」みたいな世界ですね。



シュー・シャオドンが他に偽物としている

人物には王占軍(ワン・ジャンジュン)や

王占海(ワン・ジャンハイ)も。

彼らはそれぞれ陳式太極拳の伝承者で、国家

無形文化財太極拳伝承者である王西安(ワン・

シーアン)の弟子であり息子。

父親が権威であるために、その顔をつぶさな

いため八百長が行われているというのが彼の

考えのようです。

つまり、偽物を討つ――というのが彼の主張。



しかし、世間では彼の真の目的はそれではな

く、世間を騒がせて注目を集めること。

いわゆる炎上商法だと見ています。

シュー・シャオドンは北京拓天陛図体育文化

メディア有限公司的法定代表人であり、社長

であり、株主。

たんなる体育バカではないんですね。

彼が注目を集めて実際の対戦となれば、その

中継を巡って大きな金が動き、番組出演など

のオファーも来る、つまり、シュー・シャオ

ドンに懐に金が転がり込む。

そのために、これだけ派手な動きをしている

のだというわけです。

これに対して本人は、

「そう思うなら、それでもいい。

じぶんは偽物を討ちたいだけ」

と放しています。


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太極拳自体を否定しているわけじゃない

シュー・シャオドンは太極拳すべてを否定し

ているわけではありません。

ただ、本物は1%だと言っています。

彼がケンカを売っているのは99%の偽物とい

うことなのでしょう。

現代スポーツとしての中国武術は表演(パフ

ォーマンス)で優劣を競うわけですから、実

際の対戦では使えないとは、よく言われてき

たことです。

個人的にはダンスのように身体芸術としての

見せる武術もあっていいとは思います。

それはそれですごいことですが、自分の持つ

以上の力があると吹聴することは、どんな分

野においても品のいいことではないですよね。



鄒市明(ジョウ・シーミン)との対決はなるか?


シュー・シャオドンは現在、ボクシング選手

の鄒市明(ジョウ・シーミン)にも挑戦状をた

たきつけています。

ジョウ・シーミンといえば北京五輪・ロンド

ン五輪で金メダルをとった実力派。

これは偽物を倒すという目的ではなく、もと

もとジョウ・シーミンはシュー・シャオドン

の憧れの選手、それで、ぜひ対戦してみたい

ということのようです。

また、対戦のチケット収入を恵まれない子供

のために使いたいというような意向も示して

います。

この辺は上述したような、金目当ての炎上疑

惑を慮ってのことかもしれません。

これにはワンダグループの御曹司、王思総

(ワン・スーゾン)がスポンサーになってもい

いと名乗りを挙げています。



しかし、いきなり五輪選手に挑戦という不敵

なやり方をいわゆる炎上商法的な行為と見る

むきも多く、ジョウ・シーミンのマネジメント

側は、

「正式な対戦要求を受け取っていないので、

応じるつもりはない。

それに、級別も違うし、かたやプロでかたや

アマチュアだ」

と相手にしていないようす。

ボクシング協会も対戦には反対しています。

ボクシング界では、「挑戦する資格自体がない」

という見解が大半のよう。

確かにこれに応じるのは大人げない、勝った

としてもかっこよくないです。

今のところ、こちらは実現しそうにありません。




世間を騒がせて注目を集めようとする目立ち

たがり屋さんなんだろうなとは思いますが、

個人的にはわりと好感が持てます。

外見もガキ大将のよう、39歳とは思えない雰

囲気です。

いい奴そうに見えますよね。

お金の問題は分かりませんが、ウェイボーの

コメントなどを見ていても裏表がなさげに思

えるのは私が単純だから?

口だけでなく実際に対戦するからには、自分

負けて大恥をかくリスクもある。

けっこう勇気が要る行動ですよ。

その点に関してはいいと思います。

シュー・シャオドンが負けた時に、どんな姿

勢を見せるかで、器が見えるかな。

ウェイ・レイ掌門のような言い訳野郎には、な

らないで欲しいですね。

http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:LFA5mIyKZJMJ:sugisaku39.com/15125.html&num=1&hl=ja&gl=jp&strip=1&vwsrc=0

徐暁冬(シュー・シャオドン)の武術・格闘技の経歴や出身校!ビッグマウスな語録も


2017/05/05



この記事の所要時間: 約 6分7秒

中国伝統太極拳界の実力を90%は嘘っぱち

だとこき下ろし、あちこちにケンカを売っ

て話題になっている徐暁冬(シュー・シャオ

ドン)。

ジャッキー・チェンやジェット・リー、ブ

ルース・リーでさえ、いい俳優だが格闘家

としてはアマチュアだと豪語する度胸の持

ち主です。

ボクシングの五輪チャンピオン鄒市明(ジョ

ウ・シーミン)には「アマチュア」と言われ

てしまったようですが、ボクシングはアマ

チュアでも散打では一級コーチの資格を持

ち、中国ではMMAの第一人者と言われる

格闘家。

彼のこれまでの経歴を調べてみました。






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徐暁冬(シュー・シャオドン)プロフィール

氏名:徐暁冬(シュー・シャオドン)

生年月日:1979年11月15日

国  籍:中国

民  族:漢族

卒 業 校:北京什刹海体育学校

身  高:177cm

体  重:88kg

種  目:散打、ブラジリアン柔術、ボクシング、MMA

所  属:北京什刹海体育学校

社会地位:北京MMA訓練センターの創設者でありコーチ



北京什刹海体育学校というのは体育局に所属

する国家級重点職業中学校(小・中学校)。

スポーツの早期英才教育をする学校です。

数々の名選手を輩出してきた名門で、アクシ

ョンスターのジェット・リー(李連傑)もここ

の武術科である北京武術隊の出身。



武術・格闘技経歴

1997年:北京什刹海体育学校で散打とボクシングを専攻。梅恵志、張興正両氏に師事。北京散打招待大会で2回優勝、2回準優勝を納めると同時に全国青年散打大会で5位に。

卒業後は北京什刹海養成所二部で散打の対外訓練コーチにアマチュアクラスの指導に当たると同時に、北京什刹海体育学校散打少年隊のアシスタントコーチを務める。



2001年:タイの引退したムエタイチャンピオンに付いてムエタイを習い始める。同時に北京の第一期ムエタイコーチとなる。

ネットを通じて趙一平氏と知り合ったことで、MMAの知識を深めると同時に訓練を始める。



2002年:オランダの精武界コーチ趙秋榮(チャオ・チウロン)氏に総合格闘技(MMA)を習う。

世界キックボクシング協会(WKA)の許可を得て北京でMMAの普及活動を開始。同時に関連の指導を始める。

中国初のMMAチーム、悪童軍団を組織。北京万寿路の武術館で中国初のMMA形式の大会を開催。

2003年:国家一級散打コーチの資格を取得、全国的な散打の大会にチームを率いて参加するようになる。

北京に中国初のMMA訓練所と普及推進を目的とする北京総合格闘技(MMA)訓練・普及センターを創設し、コーチを務める。

これ以後、中国MMAの第一人者と呼ばれるようになる。

MMAのレッスンと訓練を行う武術館として、北京什刹海体育学校総合格闘技館と元武道館を創設。



2004年:サッカーをやっていた際に後十字靱帯裂断によって手術。

術後、9級の障害が残った認定される。

2005年:選手を引退しMMAの振興とプロコーチとして後進の指導にあたる。



徐暁冬(シュー・シャオドン)語録

「ブルース・リーは実戦でも実力者だったのか?

彼はアクションスターであるが実戦で戦える

格闘家ではないという説があるが、どう思うか?」

と質問されて



徐暁冬

「彼は武術の推進家であり理論家だと思うが

格闘の達人ではない。

アマチュアとしては十分にハイレベルで、

多くの人に愛されたゆえに武術の知識が広

まった。

同時に映画スターであるから、もちろん彼

のファンは多い」



腐敗を討つには大物を討たなければいけない。

王岐山がそう言っている。

このシュー・シャオドンは中国武術の偽物を

やっつけるため大物を相手にする。

掌門はみな老人だという説もある。

俺は今38歳、今年は39歳になり、もう若く

ないが、若い掌門もやっつける!

年寄りなら一晩に続けて2人や3人あいてに

してやる。

※ 王岐山は政治家。



最近、何人かは弟子に戦わせると言っている

奴がいる。

それでもいいぜ。

だったら俺も自分の弟子と戦わせよう。

それが公平ってもんだ。

掌門のくせに逃げるなよ、怖いのか?

言い訳ばかりしやがって、疲れないか?

15日以内に掌門と戦うと明日、公表する。

言っておくが、あっちから挑戦してきたんだ。

だから、お子ちゃまは黙ってろ。



武術の99%は偽物だ。

武術は防御・防衛のためのものだ。

伝統武術は格闘技やボクシングとは、まった

くの別物で伝統武術を学ぶのは風情を楽しむ

ようなもの。

金庸や古龍の小説の世界にはあっても歴史に

は実録がない。

我々の生きている歴史の中には、本物は1%

しかない。



ジェット・リー(李連傑)先生はすごくカッコ

イイチャンピオンだった。

武術の套路の選手で武術家でいい俳優だ。

彼の動作は美しく、俺も尊敬している。

だが、演技の実力であり実践力ではない。

彼より有名なのがブルース・リーだ。

ジャッキー・チェンもいい俳優であり、武術

を広めた功績が大きい。

だがアクションスターであり同じ土俵では語

れない。

ブルース・リーもいい俳優だ。

ドニー・イエンは俳優になる前に訓練を受け

ているのでアマチュア格闘家とはいえる。

ジャッキー・チェンは普通のアマチュアだ。

ジェット・リーは套路のチャンピオンだ。




かなりの自信家であることは確かですね。

ブルース・リーを「いい俳優だが実戦の格闘

家としてはアマチュアレベル」と言い放った

とあっては、かなりの人間を敵に回すことに

なりそうです。

ブルース・リーはいまだに破られない多くの

記録保持者。

ネットユーザーは「相手がもういないと思っ

はったりこくな!」と反応。

これも炎上商法ってやつでしょうか。

ブルース・リーには思い入れがあるので、個

人的にも「われ、何言うてくれとるんじゃ、

なんぼのもんじゃい!」と思いましたが、まあ

ここまで言えるのはすがすがしいですよ。

今後が楽しみです。

http://www.recordchina.co.jp/b177057-s12-c50.html


太極拳の達人はマイク・タイソンに勝たねばならないのか―中国紙

環球網

配信日時:2017年5月4日(木) 1時10分




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太極拳の達人はマイク・タイソンに勝たねばならないのか
画像ID 561932

環球時報のコメンテーターである単仁平氏が、「現代太極拳の達人はタイソンに勝たねばならないのか」と題する文章を寄せた。写真は太極拳。


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環球時報のコメンテーターである単仁平氏が、「現代太極拳の達人はタイソンに勝たねばならないのか」と題する文章を寄せた。

中国の「格闘狂人」と呼ばれる徐暁冬さんが、「雷公太極」と名乗る太極拳の達人である雷雷さんを20秒足らずで打ち負かした動画が中国のネットで話題になった。「中国武術は無用の長物だ」とまで語る声もあり、中国武術を罵倒する掲示板スレッドまで現れた。中国武術をめぐる議論が激しさを増す中で、「中国独特の神秘主義が民族的悲哀と混ざり合った時、中国武術をめぐる想念は霍元甲やイップ・マン(葉問)などの神話を作り出した」と指摘する文章が反響を呼んだ。

「太極拳の達人はタイソンに勝てるか」という疑問にはこう答えるしかない――太極拳の選手にはタイソンのようにがっちりした体格の人が少ないから、タイソンに勝てる人はまれにしかいない。だが、もしタイソンのような体格を持った人が太極拳を修めているのなら、勝敗は分からないだろう。

中国武術は、その起源を独特の歴史的な環境に求めることができる。武器の開発が進まず、肉体が最大の武器だった「冷兵器時代」だ。中国社会は神秘主義に満ちあふれ、あらゆる武術の流派が登場した。武術は「水滸伝の世界」で重要な意義を持つ。武術の流行は中国社会が無秩序に混乱を極めていたことの裏返しでもあった。だが、あらゆる武術の流派が登場したことは、そうした世界に秩序をもたらしたとも言える。弱肉強食の秩序ではあるが、ないよりはましだからだ。

中国の武侠小説は武術を神格化する。それは武術の枠を超えて、精神性までも具備するに至る。このような事例は、世界のあらゆる文化に存在している。それらに共通するのは「忠義」と「勧善懲悪」を掲げる世界観だ。これらは科学的な現代社会にも通用する価値観だと言うことができるだろう。

しかし、現代社会は武術が盛んになった往時とは違う。武術を用いる機会が皆無になった今日では、武術の退化が起きた。武術の変化は二つの方向に分かれる。一方は格闘技へ、もう一方は心身を鍛練する修身の術だ。中国の武術愛好家たちは、後者を選ぶのが大半だ。

「試合で勝負を決める」という昔からの考え方の影響を受けて、「中国武術大師VSマイク・タイソン、武術大師が勝てるのか」という問いが出てきた。だが、荒唐無稽に思われるこの問いの中にも道理がある。

中国武術界は、今では武術の実際的な有用性が衰えるようになったことを認識した上で、流派にこだわらない「散打」という格闘技を作り出した。だが、散打はテレビコマーシャルの宣伝や長い歴史もなく、オリンピックで戦われるさまざまな格闘技に圧倒されている。そのため、必ずしも将来が明るいとは限らない。

今日のいわゆる「武術大師」には、お金をだまし取るための詐欺大師が存在する。これは武術界特有のものではなく、中国社会全体の縮図に過ぎない。武術界の詐欺師を摘発することはぜひとも進めていかなければならないが、中国武術そのものが腐敗しているわけではない。少数の詐欺師の存在を理由として、太極拳や少林寺拳法などの中国武術の全てを偽物武術だと咎めるのは行き過ぎだ。

太極拳は中国社会の隅々にまで広がっている。大衆の関心を集めるため、目立つように試合で勝負を決めるというやり方は、太極拳が持っている元来の文化にそぐわない。

今日、太極拳はラジオ体操のように心身を鍛練するためのエクササイズとして定着しつつあり、一方では伝統文化として尊重されてもいる。伝統文化の尊重は、歴史を通して今を生きる世代の自尊心と自己肯定感を満たすことにも繋がっていく。「イップ・マン」のような武術家の映画とその物語が今日に伝わっているのも悪くはないだろう。(提供/環球網・編集/インナ、黄テイ)

http://livesports.ninja/articles/165

中国版「柳龍拳」が大きな話題に!?MMA選手による中国武術への挑戦についてまとめてみました。


ツイート


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格闘技人気が急上昇している中国において今最も話題になっているのが、徐暁冬というMMA選手による中国武術への挑戦です。2000年代に起きた柳龍拳騒動と似た構図となっているのですが、ここにきてMMA選手の過去の政治的な発言が取りざたされるようになっています。


目次
MMA選手が中国武術に宣戦布告
日本での「柳龍拳」事件と似てる?


MMA選手が中国武術に宣戦布告

既にTwitterで話題になっていたのでご存じの方も多いかもしれません。

猛烈な経済成長が進んでいる中国では、かつての日本と同じように格闘技人気が急上昇しており、とりわけキックボクシングでは世界最大のマーケットとなっています。

そんな中国において、徐暁冬というMMA選手が「中国武術界は嘘つきばかりだ」として、挑戦状を叩きつけている事件が起きています。

要約するとこんな感じ

情報源となったのは以下の一連のツイートですが、少々長くなってしまうので簡単に要約を掲載しています。情報元を見たい方は以下の埋め込みツイートをご覧ください。
1.徐暁冬という中国MMAの選手が「中国武術界は嘘つきばかりだ!」と、武術会に挑戦状を叩きつける
2.太極拳の達人とのベアナックルでの決闘が実際に行われ、太極拳の人が20秒足らずでボコボコにされてしまう
3.この騒動は太極拳のみならず、武術会全体に飛び火し、中国格闘界の英雄であるイー・ロンも徐暁冬に宣戦布告している
4.しかしここに来て徐暁冬の過去の政治的な発言が拾われ、中国のネットで炎上状態になっている

(※長い埋め込みツイートの下にもまだ記事の続きがあります)

日本での「柳龍拳」事件と似てる?

かつて日本でも2006年に柳龍拳という合気道の達人を真剣勝負の舞台に引きずり込み、格闘家がたちまちボコボコにしてしまうという騒動がありました。





柳龍拳という合気道家が自身のホームページで、PRIDEを含めていかなる相手の挑戦を受けると公表しており、そこにネットメディアの「探偵ファイル」が実際に柳龍拳へ挑むという企画を発案。

結果的に岩倉豪という格闘家と対戦した末に、柳龍拳が一方的にやられてしまい、その様子を収めた動画がYouTubeにおいて当日世界で最も再生されるなど大きな話題となりました。

「伝統的な武術が真剣勝負においてやられてしまう」という構図、そして格闘技の枠を飛び越えた騒動になることは似ていますが、騒動の発端としては今回の中国の方がかなり物騒です。

というのも柳龍拳の場合は、自身がHPで挑戦を受け付けており、そこに探偵ファイルというメディアが(話題性を狙ったとは言え)正規のルートで申込んだのに対し、中国の件では徐暁冬という選手が個人的に中国武術に挑戦状を叩きつけているからです。

中国サイトでも連日話題に

中国最大のポータルサイト「バイドゥ」の掲示板でも連日この騒動について書き込まれており、クンルンファイトや武林風と言った既存団体の話題が完全に流されています。

最近では徐暁冬というMMA選手が過去に、尖閣諸島の無人島である「魚釣島は日本の領土」といった政治的な発言をSNSに残していたことが発掘され、その一部を削除したそうですが、掲示板サイトに大量のキャプチャーが貼られてしまっています。(この辺は日本の炎上に近いですね)

イー・ロンを始めとした多くの武術家が宣戦布告したものの、その後に炎上騒動になったことで、この後どうなるのかは全く不明ですが、何か進展があればお知らせすることがあるかもしれません。

程度の差は大分ありますが、キックボクシングイベントが国民的な人気を得ていることや、高いファイトマネーで世界の覇権を握ろうとしていることなど、中国は何かと一昔前の日本格闘技と似ている印象がありましたが、今回の件でそれが更に強まりました。

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