いわゆる骨法は中国武術 詠春拳 纏絲勁のパクリである



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※詠春拳とジークンドー そして骨法を比較すると打撃のノウハウが詠春拳にクリソツであることがわかる

道理で柔術など色んな技術体系をパクるわけですなぁ

なんせ堀辺がグレートカブキと一緒に近代空手に出ていた当時の技術体系自体がパクリなんですからw

上が詠春拳の構え
下が骨法の構え
上が中国武術の纏絲勁の解説
下が骨法の徹しの解説

よーするに何一つオリジナルが無くパクってばっかのインチキだったってこってす

以下参照↓

http://ameblo.jp/taka-the-sabertigar/entry-11524159462.html


【ある種、面白い】骨法、再び!!【格闘技シリーズ】
2013-05-05 00:25:51
テーマ:格闘技・武道

読者の皆様こんばんは。「ある種、面白い格闘技シリーズ」です。今夜は以前もこのシリーズで取り上げた堀辺正史師範の骨法に迫ってみたいと思います!!(骨法がどのように「ある種、面白い」かは読者の皆様のご判断にお任せ致します。私は骨法という武道について、批判も肯定もしません。)

骨法↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AA%A8%E6%B3%95_(%E6%A0%BC%E9%97%98%E6%8A%80 )

堀辺正史↓

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E8%BE%BA%E6%AD%A3%E5%8F%B2

堀辺センセ、骨法は奈良時代から約1200年間(!)一子相伝で伝承されてきた純国産武道だと主張しておられます!!


電子媒体から拾った骨法の情報につき、以下に転載します。骨法に対する解釈は、読者の皆様のご自由なご判断にお任せ致します。↓

668:638[sage] 09/10/19(月) 13:40:34 ID:T78dF+ni0(8)
「骨法」の名称は大山倍達氏の著書「100万人の空手」(昭和50年)などからの借用のような気がしてなりません

日本神話の力比べ、古代相撲、手乞い、相撲=素の舞い、
当麻蹴速と野見宿禰の試合や

江戸初期の骨法の使い手、紀州の佐々木五郎右衛門について
書かれています
琉球に唐手が伝えられる以前の話だとも

その他、世界中の闘技、パンクラチオン、中国拳法の記述もあります
世界地図が書かれていて、トルコ相撲、台湾拳法、朝鮮拳法のイラストも


水の無いプールでの世界ケンカ大会も、この辺りからの着想でしょうか^^


※は恥ずかしい自称経歴
1941年10月14日 茨城県水戸市に生まれる。
※1950年 (堀辺正史 9歳) 伝統ある第五十二代目骨法伝承者に選ばれ、父より「堀辺正史源一夢」の名を与えられたと自称。
※1963年 (堀辺正史 21歳) シンガポールで北派少林拳の主席師範に勝利したと自称。
※1970年8月10日 (堀辺正史 28歳) ビバリーヒルズのパンクラチオン大会で優勝したと自称。
1975年8月18日 (堀辺正史 33歳) 換骨術十九世宗家・大東合気武術協会会長という肩書きでの新聞広告。
1977年4月29日 (堀辺正史 35歳) 換骨拳四十世宗家として換骨拳の存在を明らかにする。
1978年3月20日 (堀辺正史 36歳) 東京・東中野の換骨拳総本部から『換骨拳入門』が発行される。著者は吉丸貞雄。
1987年2月 (堀辺正史 45歳) 自著『「骨法」の秘密―ホネを直せば万病治る』発売。
1989年12月 (堀辺正史 47歳) 大河ドラマ『天地人』原作者である火坂雅志が『骨法秘伝』を発表。
1993年11月13日 (堀辺正史 52歳) 第一回骨法の祭典 最優秀選手はミスター骨法
1994年11月12日 (堀辺正史 53歳) 第ニ回骨法の祭典。打倒グレイシーに立ち上がる。
1995年11月25日 (堀辺正史 54歳) 第三回骨法の祭典 骨法完成を謳う。
1996年8月4日 (堀辺正史 54歳) UVF2(東京ベイNKホール)で、グレイシーを打撃技で完璧に打ち倒すことができる可能性を持つミスター骨法がルタ・リーブリ歴2ヶ月のカーロス・ダニーロに48秒で敗れる。
1998年11月 (堀辺正史 57歳) 骨法が完成する。   
12月 (堀辺正史 57歳)自著『骨法の完成―時代を超える最強の未来武道誕生』発売。骨法「旧約」時代の終了を宣言。骨法「新約」時代が幕を開ける。
2007年3月29日 (堀辺正史 65歳) 性欲が満たされていなかったミスター骨法が幼女に「おじさんとエッチしよう」と声をかける。
2007年11月12日 (堀辺正史 66歳) 性欲が満たされていなかったミスター骨法が電車内で女子高生に後ろから下半身を密着させる。
2008年2月 (堀辺正史 66歳) 骨法がナイフ術に進化。

607:592です[sage] 09/10/17(土) 07:44:01 ID:1/079Y1M0(3)
>>604
80年代後半まで、私と堀辺さんとは交流があったんですよ
彼は太氣拳を正式に習ったことはないんだけど、王樹金先生や澤井先生のお弟子さんたちとは多少の交流がありましたよ
講習会に弟子や友人を行かせて後でコッソリ習うというのが彼の得意パターンでした
名前は出せませんが張策の系統の通背拳の先生の所にも弟子を出入りさせてたみたいですよ
堀辺さんは当時の人間としては大柄で力も強いほうだったし、技術的にも武道家としての実力はそれなりのものでした

突き蹴りはキレはあまりなかったが、掴みながら殴ったり、肘打ちを出したりする独特の喧嘩テクニックを持っていました
組手では壁際に追い詰めたりするプレッシャーをかけるのは非常にうまい人でした
ゴルドーのようなラフで圧力のある組手スタイルでしたね

堀辺さんのチンナや柔術的立ち関節は結構力技でしたし、合気的なテクニックは苦手でしたね
ただ、チンピラ同士の喧嘩を制するときには技を決めてましたから、実戦で誤魔化すテクニックはうまかった


612:東中野の赤き流星[] 09/10/17(土) 10:07:26 ID:K02sQZo7O(5)
>607様 詳しい情報ありがとうございます。
骨法の技術のルーツが判ってきました
以前に骨法の受け技の名称が太気拳の受けの名称と全く同じだったので怪しいと思っていました。

通背拳もパクっていたとは驚きです。

南拳各種にチンナに少林拳と台湾では収穫があった時代だったんですね。


614 + 2:592です[] 09/10/17(土) 17:03:03 ID:1/079Y1M0(3)
堀辺さんは合気上げとかが苦手でしたね
相手を誘導して押えたり相手に合わせて受けたりする合気の技術が性格的にむいていない人でした
いわゆるセガールの合気道に近いですね


立ち関節も合気的ではなくて柔道やコマンドサンボのように腕力を使って耐えた相手でも強引にねじあげる感じでした
ただ、柔道やコマンドサンボの人ほどテコの原理や崩しはうまくなかったですね。

彼の名誉のために申し上げますが、喧嘩は強かったですよ
私と彼とで飲んでいた時のことですが、店で大騒ぎしていた某大学の柔道部員3名を彼がうるさいと一喝したことがあります
その場では大人しくしていた学生たちですが、我々が店を出ようと勘定をすめせていると、彼らも店を出ようと席を立ったのです

私は「これはめんどうなことになった・・。」と喧嘩の覚悟を決めましたが
堀辺さんは無言で店の出入り口においてあった素焼きの鉢植えをつかむと学生のひとりめがけて投げつけ「駅まで走ろう!」と一気に外に駈け出しました
学生の一人に命中し、顔を押さえてうずくまっていました
あわてて私も外に駈け出したのですが堀辺さんの姿が無い
パッと後ろを振り返ると堀辺さんは別の素焼きの鉢植えで学生たちをメッタ打ちにしていました

後で聞いたのですが、走って駅まで逃げると思わせて店のかどで待ち伏せしていたそうですw

彼はどういうわけか非常に闇眼が利く男で、明るいところからいきなり暗い外に出ても外の様子がはっきりとみてとれるようでしたね
彼は玄米を食うと目がよくなるとか言っていましたがw

619:東中野の赤き流星[] 09/10/17(土) 20:43:35 ID:K02sQZo7O(5)
>617 592様
堀辺師範の著書ザ・喧嘩の120ページに
ある健康食品会社の依頼で日光へ消費者参加の2泊3日の講習ツアー
で護身術の講座が有り堀辺師範と空手の先生と合気道の先生が、
ツアー後地元のバーで飲んでいたら
レスリング部の大学生達が、空手の先生を
人間違いで因縁を、付けてきて、喧嘩になり空手の先生と合気道の先生が、倒され
最後に堀辺師範がレスリング部と乱闘に
なって地面に落ちて
た角材でぶん殴ったり各種の骨法の蹴りを
使ったり、最後にビール瓶で相手を流血
させて学生3人を病院送りにしたそうです。


632 + 2:592です[sage] 09/10/18(日) 20:05:06 ID:0Ls419EU0(6)
うーん、説明不足でした・・・。
騒いでいた柔道部員たちはほかの客にも迷惑になるほど大騒ぎしてましたし、店員も何度か注意してましたが、ゴリラ見たいな連中相手に強くは言えないようでした。
そこで、堀辺さんが一喝したわけです。
彼は金銭欲は強くてケチな男でしたが、正義感は強かったし、いい恰好したい虫が騒いだんでしょうw

我々が勘定をすませていると、学生たちが「おい、俺らも出ようぜ!」「やるか!!」と我々を睨みながら席を立ってきたのです
彼らは数の上でも体格でも我々より上でしたし
彼らからは、あのムカつくオヤジどもを締めあげてやるか!という明らかな殺意を感じましたよ

638 + 1:名無しさん@一本勝ち[] 09/10/18(日) 22:11:30 ID:A7lTPAbi0(3)
なるほど、592さん、情報ありがとうございます

誤解して言い過ぎたことを謝ります


ところで
詠春拳がどうやって骨法に取り入れられたかご存知ですか?
自らが香港、台湾で習った
弟子が習っていたなど、いろいろ言われています

よかったら教えてください (その他、骨法の他武術との関係なども)
是非お願いします

639 + 1:592です[sage] 09/10/18(日) 22:27:19 ID:0Ls419EU0(6)
>>638
前にも言いましたが、堀辺さんは台湾で南拳をかじってます

太祖拳や鶴拳には詠春拳のチーサオと非常に近いテクニックはありましたし
太氣拳の推手や剛柔流のカキエも類似の技術です
詠春もかじっていたかもしれませんが80年代初頭は不動うちのテクニックはまだそれほど教えてなかったと思いますよ


堀辺さんはこの手の技術は好きでしたね
最も本人はあまりうまくはなかったですね

641:638[] 09/10/18(日) 22:44:00 ID:A7lTPAbi0(3)
>>639

592さん、早速のご返事ありがとうございます!

なるほど、南派の太祖拳や鶴拳などが原型なんですね
詳しい情報感謝します!

ところで堀辺氏には合気武術以外にも
空手や少林寺拳法などの修行歴があることが噂されています

このことについて何か情報がありましたら
教えていただけませんか?

また、当時のケンカに強い堀辺氏の力の根源は
何だと思いますか?武田流だけで強くなったのでしょうか?

聞いてばかりですいません
なにかご存知でしたら是非お願いします

本当に詳しい情報ありがとうございます!


644 + 1:592です[sage] 09/10/18(日) 23:50:48 ID:0Ls419EU0(6)
堀辺さんの強さのベースは空手とボクシングですよ
少林寺拳法ではなく北派少林拳ではないですか?
突きのフェイントで反応を引き出すのはうまかったですよ
これは空手の技術だと思います
ハッとその場で地面を素早く踏んで前手をぴくっとさせるんです

すると人間は前に突っ込んでくる人と全く反応しないで待つ人
そして、さっと間合いを切って後ろに下がる人の三種類になります

これを使って相手のタイプを判断して殴るのはうまかった
だからキレのない突き蹴りでも強かったんですよ

こう言っては失礼ですが武田流はハク付けや理論武装用の飾りでしょうね
645 + 3:592です[sage] 09/10/18(日) 23:57:29 ID:0Ls419EU0(6)
蹴りを流す技術もうまかったですよ
これは太祖拳や鶴拳の技術だと思います
相手の前蹴りなんかには手をまっすぐ落としてふくらはぎを外からパッとよこに払うんです
そうやって背後をとってチンナで首を絞めてましたね
前腕と脛がぶつかったら痛いですからね 絶対にぶつけずに蹴りをすくうのが得意でしたよ



ただ、そういった自分の得意な実戦テクニックは弟子に教えない人でしたw

647:638[sage] 09/10/19(月) 00:12:30 ID:T78dF+ni0(8)
>>644

592さん、詳細な情報ありがとうございます!

本当に詳しいですね!ビックリです!

やはり空手をやっていたんですか・・・
足で踏む、というと剛柔流をやはり連想してしまいます

そしてボクシングの経験も本当にあったんですね

ということは、上にもありましたが、
父親から受け継いだ骨法は南拳みたいだった=空手(父親がやっていたかは不明)、
学生時代にやったボクシング、

はある程度本当だったんですね

それにプラス台湾の南派拳法(北派の影響も)

大変よくわかりました 本当にありがとうございます!

648:592です[sage] 09/10/19(月) 00:14:02 ID:nS0Fl2NY0(5)
喧嘩芸時代の方でしょうか?
彼の喧嘩芸のビデオは見たことがありますが、あきらかに稽古不足で腹も出ていましたね
おそらく30代以降は突き蹴りはほとんど練習せずに理論武装とつまみ食いばかりしていたのでしょう
元々技にキレのあるタイプではなかったですから年をとったらああなって当然でしょう
649 + 1:638[sage] 09/10/19(月) 00:19:03 ID:T78dF+ni0(8)
>>645

なるほど、堀辺氏の技はかなり台湾の南派拳法の影響が強いんですね

てっきりブルース・リーの詠春拳と
松田隆智氏の本からの影響だとばかり思っていました

何度もありがとうございます!

また宜しくお願いします!

650:592です[sage] 09/10/19(月) 00:20:37 ID:nS0Fl2NY0(5)
彼が稽古で汗を流しているのは見たことがなかったですからねw
道場に遊びに来ても技のつまみ食いや切り売りをするだけでしたね
ただ、前述の相手のタイプを見切る能力と壁際に追い込む能力だけは高かったですね
基本が嫌いで理論武装と組手だけが好きな人でしたよ
子供のころから空手はやっていたそうですから、若いころの財産と自己流の喧嘩テクニックだけでやっている人でしたね

652 + 1:592です[sage] 09/10/19(月) 00:28:46 ID:nS0Fl2NY0(5)
>>649
北派少林拳は向いてなかったのだと思います
そもそも剛柔流の母体は鶴の用法を取り入れた太祖拳だとおもいます
ですから、堀辺さんにとっては南派拳術は受け入れやすかったのでしょう
ただし、あくまでもつまみ食いです
小手先の小技を取り入れただけですね
根本から理解できていれば、もっと体の使い方もうまくなっていたと思うのですが
地道な基礎練習は嫌いな人ですからねwww


653:592です[sage] 09/10/19(月) 00:38:45 ID:nS0Fl2NY0(5)
彼のビデオや写真を見てもらえればわかるのですが、構えた時の姿勢が非常に悪い
空手や南拳をきちんとやっている人間なら脳天から首、背骨、お尻までが一直線に杭のようになっているはずです
こうしない突き蹴りは予備動作も大きくまっすぐに突きが出せません
ジャブで橋をかけてもその上(或いは下)を渡れないのです
橋からそれて斜めに流れてしまっては橋手の意味がありません
だから、掌握や不動打ちといった技術も下手だったんですよ

今はやりのコツカケやがマク・チンクチといった剛柔流のカラダ作りがダメでしたね
ただ、10代のころの写真を見た感じでは首も伸びてきれいにガマクはかかっていますから
ボクシングの悪い部分の影響でしょうね

654:638[sage] 09/10/19(月) 00:39:47 ID:T78dF+ni0(8)
>>652

わわわ、ということは骨法の母体は実は剛柔流なんですね!

そしてプラス太祖拳etc・・・

すごい展開です! 推理小説のナゾ解きのようです!

592さん、本当に何度もありがとうございます!!!

655 + 1:592です[sage] 09/10/19(月) 00:43:42 ID:nS0Fl2NY0(5)
私の知る限りでは剛柔流に南拳諸派の小技を取り入れ、詠春拳で纏めて、武田流で理論武装したのが骨法という武術だと思います

https://yasurok.wordpress.com/2007/08/09/%E9%AA%A8%E6%B3%95%E3%81%A8%E8%A9%A0%E6%98%A5%E6%8B%B3/

骨法と詠春拳
投稿日: 2007年8月9日 投稿者: yasurok

友人が骨法を話題に出したので、YouTubeで骨法関係のビデオを見てみた。骨法は、十年ほど前だろうか、猪木が取り入れたり(「浴びせ蹴り」、「袈裟蹴り」、等)、あるいは骨法をテーマにした漫画があったり、と一時期話題になっていたので、聞きかじったことはあっても、実際の動きを見たことはなかった。

手技のビデオや、それを駆使した試合のビデオを見て、アッと驚いた。ブルース・リーが最初に香港で正式に学んだ格闘技の詠春拳のトラッピングの技術とほとんど同一なのだ。

足を固定する技術も、一部の伝統中国拳法の技や、インドネシアのシラットの技を思い起こさせた。

格闘技はアプローチにはバリエーションはあっても、人殺しという目的は同一なのだから、似たような技術が関係のないような流派に現われることは、珍しくはない。しかしそれでも、私にはとても興味深い。

ところで、試合のビデオであの間合で戦っているのは第三者としては非常に奇妙に思える。骨法以外のバックグラウンドを持つファイターがもし戦ったなら、距離を取りつつ蹴りで攻めるところだろう。

http://yoshikogahaku.jp/2016/01/18/post-244/

1965、1995、オウムと骨法、生き恥を越えて生きること

2016/1/18 思想系, 書き物

 『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』という本がある。
4062879182 日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか (講談社現代新書)
内山 節
講談社 2007-11-16

 およそ1965年くらいをターニングポイントとして、キツネが人を化かすような民族学的ファンタジーが日本から消えていった、という論考だ。かつての共同体意識が弱体化し、テレビが普及し、人々の情報伝達が「クチコミ」的伝承からマスメディアへと転換した時期と一致する。また正誤でものを考える教育が普及した、との言及もある。
 わたしたちはもちろん、フィクションと共に生きている。本当のところ、フィクションと「現実」は合わせて一つであり、共通のフィクションこそが現実を構成している。
 しかしそのフィクションの有り様は、情報の共有・伝達方式に強く縛られていて、テレビと近代教育の普及にキツネはついていけなくなった。
 それが1965年。

 一方、速水健朗氏に『1995年』という快作がある。
4480067450 1995年 (ちくま新書)
速水 健朗
筑摩書房 2013-11-07

 1995年はオウム事件、阪神大震災の年。そしてインターネットや携帯電話といった、今わたしたちの生きている「現代日本」を構成する基本要素が、一通り出揃った時期だ。これ以降、もちろんインターネットは爆発的に普及し質的にも向上したが、根本的な転換は起こっていない。
 インターネットの登場ももちろん、情報の共有・伝達方式を大きく変える。ここでもまた、わたしたちを支えていたフィクションの一部が潰えて、また別の(それとは自覚できない)フィクションがわたしたちを支配するようになった。

 わたしは世代的に、1965年のことは分からないが、1995年のことはよく覚えている。
 1995年に既に思春期以降であった人間というのは、それまで生きていた現実=フィクションが一度崩れ去るのを経験している世代だ。
 それは「恐怖の大王」が来なかった世代とも言える。
 当時、高度成長期以降に生まれた人間は四十何歳だかで死ぬ、みたいな言説があって、わたし自身、なんとなく「汚染物質まみれ」な世界を生きてきた人間は早死にするんじゃないか、今の老人が長生きなのは、明治のパワーで生き抜いた人々に現代医学がプラスされている一時的な現象なんじゃないか、という、ぼんやりとした予感があった。冷戦期を記憶している世代なら、ある日突然世界が終わるんじゃないか、というファンタジーがどこかにあった筈だ。だから「恐怖の大王」もあれだけ人々の間を駆け巡った。
 しかし「恐怖の大王」は来なかったし、わたしたちの世代も四十何歳だかに近づきつつあるけれど、一斉に死んでいっている気配もない。
 それ以降の世代だったら、こんな物語には巻き込まれなかっただろう。彼らは「恥をかかずに済んだ」。
 わたしたちの世代、1995年に思春期以降だった人々は、おそらく1965年を越えた人々と同様に、「恥をかいている」。つまり、一つのフィクションが終わり、別のフィクションに飲み込まれるという、恥辱の瞬間を越えてなお「生き恥を晒している」。
 そして正に、「生き恥」こそが生きるということなのだろう、とわたし自身は思っている。
 とりわけ、こうした「現実構成」が数十年おきに、あるいはもっと速く転換する時代を生きている人間は、「生き恥」こそが人生だ。恥に耐えられない人間はこの世界を生きていくことができない(そして実際、死ぬ人間は沢山いる)。

 こうした転換について、オウムはあまりに象徴的で、あまりに多くの人々が言及している。
 わたし自身、オウムは胡散臭い存在だとは思っていたけれど、身の回りに普通にいたし、そんなに突拍子もない人々でもなかった。「変な人たち」ではあるけれど、まぁ世の中には変な人は結構いるものなので、それなりに生きていくのだろう、というぐらいにしか思っていなかった。実際、当時の文化人にはオウムに親和的な人たちが結構いた。彼らも「生き恥」を生きている。
 以降の新興宗教はもっとクレバーになって、YouTubeにふっとばされるような物語は語らなくなった。

 このオウムと並んで、個人的によく思い出すのは骨法だ。これはオウムに比べると格段にマイナーで、最近、身近にいる少し下の世代で格闘技に馴染みのない人物に尋ねたら、骨法など名前も知らなかった。でも、90年代に格闘技・武術に親しんでいた人々、あるいはプロレスファンなどであれば、知らない人はいない、というくらいものすごい存在だった。
 ここで言う骨法とは、堀辺正史師範による「喧嘩芸骨法」のことで、「奈良時代の武人、大伴古麻呂より伝わる日本独自の拳法」を自称していたものだ。当時、プロレスラーにも教えを請いに来る人たちがいて、中国武術ライクな技術体系で武術オタクを魅了していたものだ。しかし時はバーリトゥード草創期。ゴロツキの集まりのような初期UFCが開催され、多くの格闘技ファンが夢見ていたような美しいバトルは展開されず、訳の分からない泥仕合の中で、異様に地味な寝技戦法を使うヒョロリとした無名の男が優勝をかっさらっていった時期だ。骨法はこの「黒船来襲」を本当に迎え撃ちに行き、惨敗を期してメディアから消えた。それまでさんざん骨法を持ち上げてきた『格闘技通信』などは手のひらを返し、後に謝罪までした程で、格闘技・武術界隈では黒歴史的に語り継がれる怪事件だった。
 骨法会員番号229番!漫画家・中川カ〜ルが見た「骨法変節の瞬間」:Dropkick:『Dropkick』チャンネル(Dropkick編集部) – ニコニコチャンネル:スポーツという記事を読むと、当時の骨法には、「オウムか骨法か迷って骨法に来た」という人がいたそうで、「ああやはりな」と思った。
 わたしは当時、格闘技・武術はなにも分からず入門したレベルで、それほど入れ込んでいるわけではなかったけれど、周りで骨法のことを気にしている人たちはチラホラと見えた。堀部師範の本を読むと、これが実に劇画調で、めちゃくちゃ面白かった。幸い?東京から遠く離れていたので入門こそしなかったけれど、東京在住だったらうっかり東中野に通っていたかもしれない。
 大槻ケンヂ氏が、「堀部師範は二十年早ければ大山倍達になれた人だった」とおっしゃっていたらしいけれど、本当にその通りだと思う。彼の語る物語は実に魅力的で、もう少し時代が早ければ、つまり「1995年」より前で、グレイシーもやって来ていなければ、ハッタリももうちょっと長持ちして、そのうち本当に強い選手を育てられて、「嘘から出た真」的にそれなりな流派になっていたのではないかと思う。

 骨法を批判する人たちは多い。
 堀部師範は佐川幸義先生の門下出身で、吉丸慶雪氏の協力などを受けて当初「換骨拳」の道場を立ち上げ、その後「骨法」と名前を変えた。当初はトリッキーな蹴り技などが目を引いていたけれど、掌打を中心とする詠春拳かジークンドーのようなスタイルに変形(これが現在も動画が残り、多くの人々が知っているいわゆる「ペチペチ骨法」)、その後のバーリトゥード襲来を目撃した以降は「三角の構え」などの今までとまったく違うスタイルに再変更、これも試合で敗れて、以降の詳しい変遷は知られていないが、現在も武器術を中心として指導が行われているらしい。
 批判者の多くは、骨法の選手が試合で惨敗したことや、堀部師範の経歴にあまりに「嘘」が多いこと、そしてスタイルがコロコロと変わり一貫性がないこと、金にまみれた道場経営などをやり玉にあげている。
 これらは全くその通りだし、堀部師範のストーリーも、今思えばハッタリにしてもやり過ぎだ。始祖伝説などはどんな武術でも胡散臭いものなので、その辺は割り引いて見た方が良いかと思うけれど、彼個人の喧嘩列伝も、冷静に考えれば多くがフィクション、または大幅な脚色を加えたものだっただろう。
 また、カルト宗教じみた道場経営にも問題はあっただろう。その辺りは、上にあげた中川カ〜ル氏の記事が、変遷をよく伝えている。中川カ〜ル氏が抜けた以降あたり、矢野卓見選手がよく批判する時期というのは、本当に金まみれのカルト教団のようになっていたのだと思う。
 ただおそらく、中川カ〜ル氏がおっしゃっている通り、初期の頃は本当に一定の実力を備えた町道場の一つだったのだろう、と思っている。
 堀部師範のことを気軽に誹謗する人たちは大勢いるし、もちろん直接の「被害」を受けた方々が批判するのは当然なのだけれど、多分、彼自身も一定の実力者だったのだと思う。堀部師範の動画を嗤う人たちがいるけれど、一定の武術的訓練を受けたしっかりした動作だという印象を受ける。わたしのレベルでは何ともいえないけれど、当時一緒に動画を見たことのある人たちにも「弟子の動きや技法はともかく、堀部氏自身はそれなりに強い」という感想をもった人たちが何人もいた。
 ただ、それらはあくまで武術ベースのもので、それをそのまま格闘技の試合に使えるかといえば、そう簡単な話ではないだろう。総合格闘技草創期には、その辺の弁別がまだはっきりしておらず、ナイーヴに参戦してしまったことが失敗を招いたのだと思う。山田英司氏の言い方をするなら「アダプターテクニック」的なものをもっと時間をかけて育成していたら、そこそこ戦える、勝ったり負けたりする流派になっていた可能性は多いにあるだろう。
 ちなみに、山田英司氏は、当時骨法を盛り上げてきた『格闘技通信』のスタンスを「見る側」とし、「やる側」代表として『フルコンタクトカラテ』誌を引っ張っていた人物だ。氏自身は中国武術出身の方だが、伝統武術の問題点を批判し、当時はフルコンを高く評価していた。今はまた武術系に戻り、独自の研究をすすめているらしい。こういう人物こそ、武術と格闘技のそれぞれの特性をよく理解し、武術にできることできないことをよく見極めていたと思う。だからこそ、武術を格闘技につなぐ「アダプター」という発想をし、そのままで突然武術の達人が活躍するようなファンタジーを批判し、それでいてなおかつ、武術本来の価値を見失わなかったのだろう。
 骨法の堀部師範も、もう少し慎重さがあれば、そういう道を歩み、時間をかけてそれなりの流派を育てられた可能性はあったはずだ。あれだけのカリスマ性があったのだから、集まる人材の中には優れた人も沢山いただろう。
 いけなかったのは、中川氏の記事にもあるように、「オウムか骨法か」のようなタイプの人々が流入してカルト化してしまったこと、カリスマ的人気がありすぎたのか、道場経営がズブズブになってしまったこと、そして「黒船襲来」が早すぎたことだろうか。また、中川氏の記事ではじめて知ったのだけれど、4スタンス理論で知られる廣戸聡一氏、スポーツトレーナーとして活躍されている最上晴朗氏は骨法草創期のメンバーで、凄まじい実力者だったそうだ。彼らは骨法初期の書籍でモデルをつとめているので、当時の本を知っている人は目にしたことがある筈だ。中川氏の言う通り、彼らが骨法をやめず、九州の格闘技大会に出て活躍していれば、歴史が変わっていたかもしれない。そういう実績をあげれば、それだけ人材も集まるし、その中には元々強い人もいたはずだ。その後、総合の舞台で「勝ったり負けたり」だったとしても、大失速するという事態にはならなかったように思う。大体、普通のどんな流派でも「勝ったり負けたり」なわけで、強さなんて所詮個人のものなのだから、母体数が多くて時々ぽっと強い人がいれば、要するに普通の団体としてやれてはいけるだろう。
 当時の骨法には夢があったし、堀部氏自身も、もともとはそれなりのバックグラウンドを持った実力者なのだと思う。これを武術的に発展させ、格闘技向けのアダプター的技法を時間をかけて組み立て、強い弟子を育てていれば、武術・格闘技業界の様相も違ったものになっていたかもしれない。
 でもそういうロマンの時代は、1995年で終わってしまった。
 インターネットがやってきて、30秒の動画でパッと誰にでもわかる力を示せないものは、即フルボッコにされるか無視される時代になってしまった。

 骨法は1995年直前の大ブームの反動で大失速はしたものの、幸い、オウムほどの大事件にはならなかった。堀部師範は要するに一武術指導者であって、日本転覆とかを企んだわけではない(企んでたのかな?)。
 だから麻原彰晃のように塀の中に閉じ込められることはなかったし、今も細々道場を運営されている。
 正に「生き恥」を生きている。
 こういうと堀部師範を悪く言っているようだけれど、最初に書いたように、「生き恥」を生きることこそが人生だとわたしは信じている。だから、堀部師範が今も道場を運営されているということは、むしろ立派なことだと思う。
 時代に振り回されてしまったというだけで、氏自身は多分、魅力的な人物なのだろう。動画などで拝見する所作は美しいし、ちょっとはにかんだ笑みなども可愛らしいところがある。そういう魅力があるから、あれだけの人を惹きつけたのだろうし、今も慕ってくる人がいるのだろう。氏自身というより、その周りにいる人達があまりに怖そうで、わたし個人はちょっと近づく度胸はないのだけれど。
 ネットの時代になって、「元骨法」という人たちの声を時々耳にできるようになった。色々な流派でそれなりに武術・格闘技を続けている方も多い。実績をあげた方もいるし、趣味でやられている人もいるし、無縁になってしまった人たちもいるだろう。実は身近にも「元骨法」の人が一人いるのだけれど、彼は五十代にして尚、別の武道を続けているし、活き活きとしていて結構強い(骨法のことは、先輩に対してちょっと聞けない雰囲気だけれど)。
 皆んなそうやって、1995年を越えて生きていくものだと思う。生きなければいけない。
 その後の「恥をかかないで済んだ」世代にしたところで、2025年あたりにまた大転換がくるかもしれない。その時には、今の現実がフィクションになり、大恥をかく人たちもいるだろう。でも、生きなければいけない。
 後からやってきて「バカなことをやっていた」というのは簡単だけれど、その中を生きていて、転換を抜けて振り返り、なお生きるということは、必ずしも簡単なことではない。でも、生きなければいけない。
 人は常に、いつどこで恥をかくか分からないものなのだから、恥をかいた人を笑ってはならない。そういう調子に乗った態度は、必ず自分にかえってきてひどい目にあう。恥と誇りで人は生きているのだ。人の誇りを傷つけるというのは、物理的に腕をへし折ることなどより余程非道で、かつ災いをかえす行いだ。だから、恥を知って、生き恥の中を生き、その自覚をもたないといけない。
 人の誇りを傷つけて腕を折られた人間がいたら、その人をこそ嗤う。
 もちろん、彼または彼女もまた、腕を治して生きなければならない(願わくば、もう少し賢くなって)。

 わたしたちの世代にとって、恐怖の大王は、ある意味本当にやって来たのではないかと思う。
 恐怖の大王は今ここにいるし、じわじわとわたしたちを苦しめながら、共に生きている。
 それも悪くない。
4576880993 必殺 骨法(こっぽう)の極意―喧嘩に勝てる秘伝のテクニック (サラ・ブックス)
堀辺 正史
二見書房 1988-08

 と、今あらためてこの有名な本をAmazonで見てみたのだけれど、いやぁ、今見ると実に胡散臭い。でもそこが面白いと思うのよ!

 ちなみに、上に触れた吉丸慶雪氏も、当時の武術オタク界隈では結構キャッチーな人物だったと記憶している。当時在籍していた道場の先生が影響を受けていた(笑)。
 既に故人なので悪くは言いたくないけれど、とにかく伸筋使えばいい的な分かりやすい図式で、冷静に考えれば無茶苦茶なのだけれど、身体操作とか追求している系の人々の心には妙に響くものがあったと思う。
 これも、文字通りにとった理論としてはおかしいけれど、感覚ベースで考えると主観的にはしっくりくるものがある、という例だと思う。多分、直接吉丸氏から指導を受けていた人の中には、色々と収穫を得られた人もいるのではないだろうか。まぁでも、本で読んで鵜呑みにしてはやっぱり危ないだろうけれど。
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