殴者 NAGURIMONO ヴァンダレイシウバ 桜庭和志 実在のMMAプロを多用した糞映画  殴者 NAGURIMONO



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2006-04-03 ダメだコリャ…



歩き過ぎで故障気味の、相変わらず休日に休めていない私ですが、皆さんいかがお過ごしですか。


本日もまた困った映画の感想をどうぞ。







■[映画感想・な] 06/3/27 053(803) 『殴者 NAGURIMONO』 (DVD/05年日/須永秀明監督)  06/3/27 053(803) 『殴者 NAGURIMONO』 (DVD/05年日/須永秀明監督)を含むブックマーク CommentsAdd Star

《解説》

極度のワケの分からなさで物議を醸した『けものがれ、俺らの猿と』の監督による、格闘をメインに据えた時代劇とラブストーリーの融合を試みた…んだか何なんだかな作品。

製作にPRIDEを興行している会社が関わっているらしく、有名格闘家が複数出演しております。


舞台は明治初期。

ピストル愛次郎[~陣内孝則]を頭領とする雷一家は、武道の心得のあるものや腕力自慢のならず者を集め、“殴者(なぐりもの)”と呼ばれるその連中に、金持ちの好事家の前で死者も頻出する勢いでのセメントマッチ、通称“殴合(なぐりあい)”を行なわせる闇興行を開催し、莫大な利益を上げていた。


愛次郎の側近で、殴合の責任者である暗雷[~玉木宏]は、幼少の頃に実父を愛次郎によって眼前で殺害され、毎日のように虐待されて育ったというのに忠実な部下であり続け、周囲からは“愛次郎の影”と揶揄される人物。

そんな暗雷の心の支えになっていたのは、自分同様に愛次郎によって家族を殺され、一緒に育ってきたものの現在では女郎に仕立てられてしまった月音[~氷川あさみ]の存在だった。


一方、愛次郎は死刑執行人(首切り役人)の黒田浅右衛門[~山田明郷]と手を結び、黒田が死体の肝から作る肺病の特効薬とされる丸薬の販売を手掛け、そちらの商売でも荒稼ぎをしていたのだが、雷一家のシマで舶来の肺病薬を販売し、黒田の丸薬より効果があるとの評判を集める連中が出現。

愛次郎は薬の売人を捕らえ、拷問の末に西洋カブレの皮舌雨舌[~篠井英介]率いる蟷螂一家が薬を捌いているコトと、その仕入先がヴィンセント[~クリスチャン・ストームズ]というイギリス人であるコトを吐かせる。


愛次郎は早速ヴィンセントに接触し、月音の肉体をエサに商売相手を蟷螂一家から雷一家へと乗り換えるよう説得。

ヴィンセントもその気になって交渉は成功かと思われたが、そこに愛次郎の動きを察知した皮舌が手下を引き連れて殴り込んでくる。


一触即発の状況の中、暗雷は乱闘で無駄な血を流すよりも“殴合”でカタを付けようと提案。

ヴィンセントから選手の提供を約束された皮舌はその話に乗り、両者は三人ずつの“殴者”を出場させての勝負を行なうコトとなる。

そのための準備が進められる中、暗雷はある思惑から暗躍を開始する…というような話が、試合が進行する中に回想シーンのように断片的に挿入される形で映画は展開しますよ。


他の主な登場人物に、雷一家の殴者である虎走六[~虎牙光揮]、銀閣[~桜庭和志]、鉄風[~高山善廣]、蟷螂一家がヴィンセントから提供される選手ドン・ディガ[~クイントン・“ランペイジ”・ジャクソン]、メイソン[~ドン・フライ]、モルテ[~ヴァンダレイ・シウバ]など。


《感想》

現役の格闘家を起用しているだけあって、“殴合”のシーンはそれなりに迫力があり、スローモーションを挿入するタイミングが『バトルフィールド・アース』級とは行かないまでも『コンボイ』(ペキンパーのアレ)並に鬱陶しいというマイナスポイントはありつつも、作品の見所として機能しています。


ですが、その流れを断ち切るようにして本筋や過去の回想がブツ切れで挿入されるスタイルは、話がアチコチに飛びすぎている為、スタンダードな編集をしたトコロで決して良くはないコトが予想される物語のテンポを最悪の状態にさせていて、どう考えても演出として失敗しているとしか思えません。


ついでに、蟷螂一家サイドがヴィジュアル的に強さを感じさせる順に選手を登場させているのに対し、雷一家がどう見ても徐々に弱そうになってゆく(虎牙の体格でシウバと闘ったら普通は秒殺でしょう)のも、ちょいと賢さが不足気味。


こうした格闘シーンの一方で、暗雷と愛次郎の歪んだ擬似父子という関係や、暗雷と月音の兄妹愛と恋愛感情と同類相憐れむ状態がゴッチャになったようなややこしい関係などが盛り込まれたドラマがあるワケですが、核となる暗雷・愛次郎・月音の三人共に心理描写が薄く(特に主役である暗雷の正体不明っぷりは問題外)、オマケにコチラが想像で補おうにも描写がこれまたペラく(特に愛次郎が暗雷の見ている前で月音を犯すシークエンスは絶望的)、観ていて厭世感に駆られる勢いです。


それでも、「死と隣り合わせの闘いの中でしか生きている実感を得られない(大意)」と語る虎走六に代表される殴者たちの生き様と、愛次郎を憎みながらも仕え続ける暗雷のアンビヴァレントな心情がキッチリと劇中でリンクされていれば、テンションが違いすぎる格闘とドラマの両パートを関連付けて観るコトも可能だったのでしょうが、話作りのヘタさ故にイマジネーションをフル稼働しなければ関連付け不可能なレベルにあり、両パートの距離感はかなりのモノ。


そもそも、舞台設定が明治初期である必然性が全く無く、肺病の薬を外国産の新種ドラッグにするなどのちょっとした変更で、スムーズに現代劇に改造できそうなのも頭悪いですよ。

で、コレらの問題点だけならば“よくある出来の悪い邦画”というカテゴリーにブチ込んで、観て2.3日後には内容の大半を忘れるだけなのですが、この作品はラスト10分で神懸り的な阿呆展開が用意されており、観る者を憤死させかねないクソ映画へと飛翔しています。


近年蔓延る邦画(あと韓国映画)の悪習として“人の死=感動”という安直この上ない馬鹿演出がありますが、その極北とも言える唐突かつ無意味かつ説得力皆無なラストには、腹立ちやムカつきや怒りを飛び越して、作り手の意図とは無関係なベクトルで悲しくなりましたよ。

15年前に戻ったかのような安い芝居をカマす陣内を始め、役者の演技もキャラ造形も壊滅状態で、こんなモノが平然と作られているようでは邦画再興への道は険しい、と確信させてくれる一本です。【-8】
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