ベスト・キッド 同時期に公開された『ランボー2』や『インディ・ジョーンズ2』は同じく勧善懲悪を基軸としたストーリーでありながら、敵はベトナム兵(あるいはそれをモデルにしたもの)であり、強いアメリカを訴える内容であったのに対して、こちらは黒人が白人に勝つ話なのである。(同じ監督が手掛けた『ロッキー』1作目も結果だけを見れば、白人の素人ボクサーが黒人チャンピオンに負ける話である。勝負には負けたが「戦いには勝った」というような男のロマンが1作目の魅力だったが、これに納得がいかなかったのか、シルベスタ・スタローンは続編では自分が監督になり、白人素人ボクサーが黒人チャンプやソ連のボクサーに勝つ映画を作った。当然、つまらないのである。ちなみにスタローンはランボーでも同じことをして作品をチープにしていった)BTFも「白人家庭にとっては」懐かしの古き良き50年代アメリカ社会を舞台にしているが、同時期に人種隔離政策の下、白人より下の存在として無下に扱われていた黒人の存在はそこにはない。しかもこのBTFでタイムマシンを狙って博士を襲撃・殺害するのはなぜかリビアのテロリストなのだ。BTFは当時のレーガン政権の下で進んでいたリビア(および中東)に対する偏見が露骨に表れた作品で、最後には殺害されたはずの博士が歴史改ざんという荒業によって見事、復活する。アメリカの科学力が海外からの侵入者に勝利する。運命さえも乗り越える。非常にアメリカらしい「アメリカすげー!」映画。それがバック・トゥ・ザ・フューチャーである。これらの「アメリカすげー!」映画、ベトナム戦争のリベンジをしている自慰的映画とは対照的に、『ベスト・キッド』で登場する悪役は元ベトナム兵士だ。作中登場する元ベトナム兵士のジョン・クリースは「コブラ会」というあんまりなネーミングの空手道場の経営者・師範として子供たちに空手を教授しているが、その練習風景はまさにアメリカ軍のそれであり、「敵を同じ人と思うな」、「勝つことこそ全て」というスポーツマンシップとはおよそ縁遠い教育を行っている(その教育方針が原因か3では経営難に陥っている)。このコブラ会の門下生を相手にダニエルが大会で戦うことになる。言わば『ベスト・キッド』は第二次世界大戦を通じて暴力の愚かさに気づいたリベラルとベトナム戦争という惨禍を経験してもなおアメリカの正義を信じる保守との間の戦いを描いた映画でもあるのだ。























































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映画『ベスト・キッド』『ベスト・キッド2』

2016-08-12 19:34:09 | 文学


今、テレビ東京で特集を組んでいるので、せっかくだからこの映画についてコメントしようと思う。


時期的にはスターウォーズ・エピソード6が公開された翌年1984年から1989年までの5年にかけて
3作品が制作されたファミリー向けの青春アクション映画、『ベスト・キッドシリーズ』(4?気にするな!)


同時期に作られた『バックトゥザフューチャー』(1985年)同様、
この時期の代表的なアメリカ映画の一つであるが、実のところ、この映画はかなりの異色作である。



物語はカリフォルニア州のある町にアメリカ南部から引っ越してきた黒人の少年、ダニエルが
現地の白人エスタブリッシュメントの家に生まれた少女に恋をするところから始まるわけだが、
この時点からすでにこの映画が一見、典型的な勧善懲悪に基づいたアクション映画であるように見えながら、
貧富・人種間の恋愛というかなりナイーブな問題に切り込んでいることが感じられると思う。



1の中盤では富豪やその御曹司、令嬢が参加するパーティでダニエルが笑いものにされ、
逃げるように去るエピソードがあるが、そういう社会の爪はじきにされた少年と友情を育むのが
日系アメリカ人収容所に収容された経験のある元従軍兵士、ミヤギ氏であることは非常に興味深い。

ミヤギ氏は戦時、「敵国外国人」として、
日系アメリカ人が強制収容された場所として有名なマンザナ収容所に身重の妻と共に収監されていた。


青年日系アメリカ人の中にはアメリカへの忠誠心を見せるために、
志願兵になる者もいたが、ミヤギ氏もその1人であったことが映画では描かれている。


ミヤギが戦地で戦う中、刑務所ではろくな治療もされず、妊娠中の妻が死亡してしまう。

アメリカのために命をかけて戦った礼として
妻を見殺しにされたミヤギは、酒を飲むたびに妻を思い出し泣くのである。


ここまで読むとなんとなくわかるが、
実はこの映画、大衆映画のくせにやたらとリベラルな映画なのだ。


同時期に公開された『ランボー2』や『インディ・ジョーンズ2』は
同じく勧善懲悪を基軸としたストーリーでありながら、
敵はベトナム兵(あるいはそれをモデルにしたもの)であり、強いアメリカを訴える内容であったのに対して、
こちらは黒人が白人に勝つ話なのである。

(同じ監督が手掛けた『ロッキー』1作目も結果だけを見れば、
 白人の素人ボクサーが黒人チャンピオンに負ける話である。

 勝負には負けたが「戦いには勝った」というような男のロマンが1作目の魅力だったが、
 これに納得がいかなかったのか、シルベスタ・スタローンは続編では自分が監督になり、
 白人素人ボクサーが黒人チャンプやソ連のボクサーに勝つ映画を作った。当然、つまらないのである。

 ちなみにスタローンはランボーでも同じことをして作品をチープにしていった)

BTFも「白人家庭にとっては」懐かしの古き良き50年代アメリカ社会を舞台にしているが、
同時期に人種隔離政策の下、白人より下の存在として無下に扱われていた黒人の存在はそこにはない。

しかもこのBTFでタイムマシンを狙って博士を襲撃・殺害するのはなぜかリビアのテロリストなのだ。


BTFは当時のレーガン政権の下で進んでいたリビア(および中東)に対する偏見が露骨に表れた作品で、
最後には殺害されたはずの博士が歴史改ざんという荒業によって見事、復活する。

アメリカの科学力が海外からの侵入者に勝利する。運命さえも乗り越える。
非常にアメリカらしい「アメリカすげー!」映画。それがバック・トゥ・ザ・フューチャーである。


これらの「アメリカすげー!」映画、ベトナム戦争のリベンジをしている自慰的映画とは対照的に、
『ベスト・キッド』で登場する悪役は元ベトナム兵士だ。


作中登場する元ベトナム兵士のジョン・クリースは「コブラ会」という
あんまりなネーミングの空手道場の経営者・師範として子供たちに空手を教授しているが、
その練習風景はまさにアメリカ軍のそれであり、「敵を同じ人と思うな」、「勝つことこそ全て」という
スポーツマンシップとはおよそ縁遠い教育を行っている(その教育方針が原因か3では経営難に陥っている)。


このコブラ会の門下生を相手にダニエルが大会で戦うことになる。

言わば『ベスト・キッド』は第二次世界大戦を通じて暴力の愚かさに気づいたリベラルと
ベトナム戦争という惨禍を経験してもなおアメリカの正義を信じる保守との間の戦いを描いた映画でもあるのだ。


この戦いの決着は『ベスト・キッド2』の冒頭でつくことになる。

徹底して争いを好まず、自ら仕掛けることはないミヤギがクリースの攻撃を軽々を交わしてく。
クリースの両の拳はミヤギの背後の自動車のガラスを割ったことで負傷し、戦闘不能になる。


クリースの血まみれの手とミヤギの傷一つついていない手。
この対比こそ、ベスト・キッドシリーズの名シーンの1つだろう。



さて、『ベスト・キッド』では人種間の友情と恋愛がテーマだったが、続編では
白人と黒人の和解など知ったことかと言わんばかりに、白人少女との恋愛はなかったことにして
ダニエルは沖縄でアジア系美少女クミコと恋に落ちる。良い意味で暴走したのが『ベスト・キッド2』だと思う。


実際、クミコは地元の資産家サトーに牛耳られている村民の1人であり、
前作にあった貧富間の恋愛という要素は一切、ない。ちなみに2では基本的に白人自体が登場しない。


マイノリティはマイノリティ同士、仲良くしていくぞという極端な左翼思考がここにはあり、
現に作中で描かれる沖縄が非常におかしなものである以上、日本が好きで沖縄を舞台にしたというよりは、
沖縄に象徴されるエキゾチックな感覚、アメリカのマイノリティしか存在しない社会が作りたかったのだろう。


なお、この2では「一夜にしてアメリカ兵が何万も死んだ戦い」として沖縄戦を記憶しているダニエルに対して
「その10倍以上の日本人が死んだ戦い」と答えるミヤギの会話があり、この歴史観などは第二次世界大戦を
アメリカが全体主義国家と戦い勝利した戦争とみなす一般的なアメリカのそれとは一線を画する。


1、2と一貫して『ベスト・キッドシリーズ』はアメリカの正史を否定しているのである。


2の悪役として登場するミヤギの元親友でもあるサトーは、後半で改心したのち、
それまで着込んでいたスーツを脱ぎ、作業着に着替えて村人に土地の権利書を委譲し、
台風で破壊された村の再建に協力すること、自分が間違っていたことを認め、ミヤギに許しを請う。


村人を苦しめる資本家としてのサトーから労働者の味方サトーへと変身する象徴的な場面である。
『ベスト・キッド2』は製作者のリベラルな思想が1以上に強烈に表れた作品で、
 およそ大ヒット映画としては似つかわしくない反アメリカ的な内容がふんだんに盛り込まれているのだ。


2では屈強な米軍兵士が割れなかった氷の板を一般市民のダニエルが空手で叩き割るシーンがある。
これなどは、アメリカ軍の強さを強調するハリウッド映画では到底表現することができない。

B級映画ならではこそ可能な自由な作風。それこそがベスト・キッドの魅力であろう。


このようにアメリカの映画としては、かなりの変化球である『ベスト・キッドシリーズ』だったが、
3では名が売れすぎたのか、普通の青春映画として仕上がっている。


面白いことは面白いが、2まであったスタッフたちの強い自己主張はもはや存在しない。
1&2で一つの作品、3は番外編として位置づけるのがベストな解釈だと私は思う。


4になるとダニエル少年がダニエル中年になりかかっていることもあってか、
白人美少女女子高生とミヤギとの交流になっており、ハッキリ言って凄くつまらない。
(監督も1~3までを手掛けたジョン・アヴィルドセン氏ではない)


この「カッコよくてかわいい女の子を前面に推し出せば売れるだろう」という
男性主義的な考えが見え見えの時点で、もはや1~3まであった左翼くささは完全に消え去っている。


当然、売れなかった。


また、2010年に公開されたジャッキー・チェンが関わっているリメイク作品では
空手ではなくカンフーを習うことになっており・・・えーい!書くのも面倒だ!


自分から仕掛けてはいけない、まず心を磨くべし。
こういう空手っぽい精神を訴えることが肝なのに、ただのアクション映画にした時点で、
ジャッキー・チェンはやっぱり、どこまで行ってもジャッキー・チェンだなと思ってしまう。


以上、長々と書いたが、それなりに有名なB級映画であり、レンタルビデオ店に行けば
まず置いてある作品なので、興味を持った方はぜひ鑑賞してほしい。


私たちが目にするアメリカ映画は基本的に金のかかっているハリウッド映画で、
そこには非常にアメリカくさい大衆性、保守性が散見されるのだが、B級映画になると、
俄然、話が変わり、アメリカの嫌な部分に焦点を当てようとする意欲作もよく作られている。


そういう映画を作ることが出来るというのがアメリカの良いところでもあるのだが、
そういう映画に限ってあまり日の目を見ることがないというのがアメリカの悪いところであろう。
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