スカーフェイス 亡命キューバ人=マフィア=CIA=テロリスト  政策分析の専門家として高く評価されているレイモンド・ガルトフは、米国情報局で長年の勤めた経験をもっている人物だが、その彼が次のように書いている。10月危機が噴出する前の週に、フロリダで活動している亡命キューバ人のテロリスト集団が、米国政府公認のもと、「キューバのハバナ近くのシーサイドホテルにたいして、高速モーターボートを使った大胆な機銃掃射攻撃をおこなった。そこにはソビエト軍の専門家たちが集合しているということが分かっていた。そして多数のロシア人とキューバ人を殺害した」。彼は続けて次のように書いている。この後すぐ、テロリスト部隊は、イギリスとキューバの貨物船を攻撃し、さらに再びキューバを急襲した。これらは10月上旬に規模を拡大した他の攻撃のひとつだった。そのうえ、11月8日には、キューバ・ミサイル危機がまだ解決せず、緊張の糸が張りつめているときだったにもかかわらず、米国から送り込まれたテロ・チームが、キューバの産業施設を吹き飛ばしたのだった。それはマングース作戦が公式に一旦停止された後のことだったのだ。フィデル・カストロは、「スパイ機が撮った写真」を手がかりに、400人の労働者がこの作戦中に殺されたと主張した。キューバ危機の終了後すぐに、カストロ暗殺計画と他のテロ攻撃が続けられた。そして近年ふたたびそれがエスカレートしてきたのだ。























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ルイス・ポサダ・カリレス





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ルイス・ポサダ・カリレス(1962年)
ルイス・クレメンテ・ファウスティーノ・ポサーダ・カリーレス(Luis Clemente Faustino Posada Carriles、亡命キューバ人からはバンビ[1]とも、1928年2月15日 - )はキューバ系ベネズエラ人反共テロリストで、元アメリカ中央情報局(CIA)の工作員[2][3][4][5][6][7][8]。



目次 [非表示]
1 概要
2 前半生(1928年 - 1968年)
3 ベネズエラ(1968年 - 1985年) 3.1 クバーナ航空455便爆破事件

4 コントラと中米(1985年 - 2005年) 4.1 ハバナ連続爆破事件
4.2 パナマ ‐ 逮捕、有罪判決そして釈放(2000年 ‐ 2004年)

5 アメリカ(2005年 - ) 5.1 2010年のテキサス州での公判

6 ハバナ連続爆破事件との関連
7 家族
8 脚注
9 参考文献
10 関連項目
11 外部リンク


概要[編集]

73名が死亡した1976年のクバーナ航空455便爆破事件[9][10]や1997年のハバナ連続爆破事件[11][12][13]のほか、ピッグス湾事件やイラン・コントラ事件などアメリカ州で起こったテロ事件・計画に関与したとして、パナマでは欠席裁判により有罪判決を受けている[14]。

2000年に同国で発生したフィデル・カストロ暗殺未遂事件関連の罪で収監されていたが、当時のミレヤ・モスコソ大統領から、任期最終年である2004年に恩赦を受け釈放[15][16]。なお、本人はクバーナ航空455便爆破事件やカストロ暗殺未遂事件について、一貫して容疑を否認している[17]。2005年、密入国の容疑でアメリカ連邦政府によりテキサス州で拘留されたが、2007年5月8日に釈放された。以来アメリカ政府はポサダのキューバ、ベネズエラ両国への身柄引き渡しを拒んでおり[18][17]、両国政府から憤激を買った[19]。なお、ポサダの身柄引き渡しについては、両国のみならず、反テロ国際会議[20]やノーベル文学賞受賞者のナディン・ゴーディマー[21]らも支持。また、アメリカ司法省も「ポサダがテロの首謀者であるのは明白」として、裁判所に対し拘留を求めている[13]。

2008年9月9日、アメリカ合衆国控訴裁判所は告発を却下した地方裁判所の判決を破棄、地方裁判所にポサダを再拘留した[22]。翌年4月8日には連邦地方検事が告発を提起。2010年2月26日まで公判を行う予定であったが、同月22日、少なくとも3か月間は延長すると表明[22][23]。公判は結局2011年4月8日に結審し、無罪判決が言い渡された[24]。このように、アメリカ国内では一度も、各種破壊活動により有罪判決を受けたことが無いばかりか、現住地のマイアミでは「強硬路線を取る反カストロ主義の亡命者コミュニティにおける英雄的人物」として評価が高い[25]。しかしながらアメリカ国家安全保障アーカイブのピーター・コーンブルーは、ポサダを「近年において最も危険なテロリストの一人」であり、「亡命キューバ人のゴッドファーザー」と評している[25]。

前半生(1928年 - 1968年)[編集]

キューバのシエンフエーゴス生まれ。ハバナ大学で薬学と化学を学んだ後、ファイアストン社でスーパーバイザーを務めた[26][27]。学生時代にはカストロと懇意の仲であったものの、1959年のキューバ革命を機に新政権と対決姿勢を強めてゆく。軍事刑務所で一時期収監された後メキシコへ亡命。1961年までには、侵攻が失敗に終わったピッグス湾事件で支援を受けた、アメリカへ居を移す[28]。所属していた艦隊は実戦に参加したことが無かったものの、当時同じ部隊に籍を置き、後にキューバ系アメリカ人財団(CANF)総裁に就くホルヘ・マス・カノサらと度々接触し、終生にわたる交友関係を築いた[29]。ピッグス湾侵攻失敗の後、1963年3月から翌年3月までの間、フォート・ベニング陸軍基地でCIAにより破壊活動の訓練を受ける[28][30]。マイアミではCIAと密に行動を共にし、CIAのフォーティー作戦にも参加。後に自らの任務を「第一級工作員」のものと表現し、CIAへ亡命者コミュニティ内の政治運動について報告したほか、反カストロ活動に手を出している[29]。

その他フロリダでは、キューバへの潜入を目的とする団体「キューバ革命臨時政府」(Junta Revolucionaria Cubana、JURE)メンバーの訓練にも当たった[30]。CIAの文書によると、1965年のグアテマラ政府転覆未遂事件に関与したという。また、同年にはホルヘ・マス・カノサと共謀し、爆破計画に関わったとCIAは報告している。1968年、「ギャング構成員との交際が問題視されるとCIAとの関係が悪化。ベネズエラへ転居し、手榴弾や信管をはじめ、CIAから提供された様々な武器を持ち込んでいる[30]。同国に帰化すると、仲間の亡命キューバ人やテロリストのオルランド・ボッシュとも交流を結んだ[29]。

ベネズエラ(1968年 - 1985年)[編集]

情報機関DISIPにて複数の作戦を指揮[31][32]するものの、ベネズエラ政府と度々衝突した末、1974年までには解雇[31]。解雇に先立って、CIAはコカイン密売や、当時キューバとの関係修復に努めていたヘンリー・キッシンジャー暗殺計画にポサダが関わったのではないかとしている[30](ポサダとは1976年2月13日、公式に関係を断絶)。CIAによる幾多の謀略の恐れを契機に開かれた、1975年のチャーチ委員会公聴会はCIAへ大きな衝撃を与え、ポサダとの関係も「評判が良くない」とされた[29]。この間、ポサダはカラカスに私立探偵事務所を設立[1]。また、オルランド・ボッシュやフリエルモ・ノヴォ・サンポル、ハスパル・シーメンス・エスコベドと共に、反カストロ主義テロ組織も立ち上げる[33][34]。

クバーナ航空455便爆破事件[編集]





「我々の信頼しうる情報源によると、クバーナ航空DC-8型機爆破は、ルイス・ポサダ・カリレスらが出席した、ベネズエラ・カラカスでの2度の会合で計画の一部が練られたと(中略)確認する」と書かれてある、FBIの機密解除文書[35]
クバーナ航空455便は、バルバドス発トリニダード経由キューバ行きであった。1976年10月6日、ダグラス DC-8型機に仕掛けられたダイナマイトまたはC-4とみられる2個の時限爆弾が爆発。中米カリブ選手権で金メダルを獲得したばかりのフェンシングのキューバ選手団24名を含む、73名の乗客と乗組員5名全員が死亡した[36]。キューバやベネズエラ、アメリカから派遣された調査員は、ベネズエラ人2名(フレディ・ルーゴ、エルナン・リカルド・ロザノ)を実行犯と特定。両者はベネズエラの私立探偵事務所でポサダに雇われており、その後犯行に及んだ。2人の自白から1週間後、事件を計画した容疑でルイス・ポサダとオルランド・ボッシュを逮捕、ベネズエラで収監された[37]。機密解除されたFBIとCIAの報告書によると、両局が事件発生の数日以内にポサダの関与を疑っていたという[38][34]。また、マイアミ市民数名とボッシュが事件直前にドミニカ共和国で落ち合い、キューバへのテロを実行する旨の声明文を出したことも発覚している[1]。1976年10月13日付のCIA機密解除文書には、当時カラカスにいたポサダが、事件の数日前に「我々はキューバの定期旅客機を攻撃する。(中略)オルランドが詳細を握っている」と話した事実を引用[39]。

なお、ポサダは事件への関与を否定しており、「唯一の目的はキューバの自由のために闘うことであった」と主張している[40]。軍事法廷により無罪を勝ち取ったものの、この判決は民事法廷で覆され、裁判に掛けられることとなった。1977年、フレディ・ルーゴと共に脱獄し、チリ当局に自首。即座に身柄が引き渡され、1985年に再び脱獄するまでの8年間にわたり有罪判決を受けることは無かった。脱獄には巨額の賄賂と「ラモン・メディナ」という偽名を用いたと言われている[29][41][42]。ポサダによると、脱獄は当時レーガン政権とも近しい関係にあった、CANF総裁を務めていたホルヘ・マス・カノサが計画し、資金提供を行ったという[37]。マスは当時、エルサルバドルでホワイトハウスが実行していた作戦(エルサルバドル内戦)に参加、ポサダに同地への移住を手助けしている[37]。

コントラと中米(1985年 - 2005年)[編集]

1967年のチェ・ゲバラ逮捕を監督していたCIA工作員フェリックス・ロドリゲスの補佐官に就任。2人は、ニカラグアの革新勢力であるサンディニスタ民族解放戦線に敵対するレーガン政権が資金提供していた、民兵のコントラに対する軍事的支援を担当した。ポサダへはリチャード・セコード陸軍少将から、毎月3,000ドルと諸手当が支払われた[29]。その後、イラン・コントラ事件の調査により、アメリカの同地における作戦が発覚。フェリックス・ロドリゲスらポサダの関係者も証言を行うこととなる。この間、ポサダはエルサルバドルにおり、亡命キューバ人のグループと接触を重ねていた[29]。1990年2月、グアテマラ市内で何者かにより銃撃を受ける。自身の回想では、治療費はCANFが出したという[37]。ホンジュラスで療養を続けるが、FBIはポサダが同国で41件もの爆破事件に関わったと見ており、ポサダ自身もキューバに対する無数の襲撃事件を計画、同国の軍隊から支援を仰いでいた(結局は失敗)[29]。

ハバナ連続爆破事件[編集]





ハバナのマレコン(海岸通り)
1997年、キューバで発展を続ける観光産業に止めを刺すべく、一連の爆破テロ事件に関与(ハバナ連続爆破事件)。イタリア系カナダ人のファビオ・ディ・チェルモが死亡、11名が負傷した。ポサダは翌年に行われたインタビューで、チェルモの死に対し「そのイタリア人は運が悪かっただけだ」と言い放った[25]。また、ニューヨークタイムズのインタビューでは、「誰かが死んだのは悲しいが、我々は(テロ行為を)止めない」と発言している[41]。なお、アメリカの報道機関が連続爆破事件を中々報じない姿勢に業を煮やし、「宣伝してくれなければ、仕事が無駄になるじゃないか」との放言も報じられた[29](当該発言は後に撤回[43])。

1998年、ニューヨークタイムズはアメリカ政府がポサダの破壊活動への支援を打ち切った後でさえ、法執行を怠るなど寛容な態度により恩恵を受けていた可能性を示唆。また、同紙は爆弾がハバナ市内のホテルやレストランに仕掛けられた際、ポサダのビジネスパートナーであるキューバ系アメリカ人が、グアテマラやアメリカへその事実を知らせようとしたと報じている[44]。2007年5月3日、FBI捜査員が爆破事件調査の一環として前年にキューバを訪れたことが暴露された。FBIの新文書では、靴やシャンプーの瓶に爆薬を忍ばせるなど、新たなテロの詳細が次々と明るみにもなった[45]。

パナマ ‐ 逮捕、有罪判決そして釈放(2000年 ‐ 2004年)[編集]





2000年に暗殺未遂事件の標的となったフィデル・カストロ
2000年11月17日、パナマ市内で200ポンドの爆薬を所持している所を見つかり、1959年以来初めて同国を訪れていた、フィデル・カストロの暗殺未遂の容疑で逮捕。その際、マイアミのCANFに勤務していたハスパル・シメネスやペドロ・レモン・ロドリゲス、そしてカルロス・ムニス・バレラの3名の亡命キューバ人も逮捕された[29]。カストロは、国際放送で計画の全貌を公表、ポサダを「良心の呵責が全く無い卑怯者」と評した。また、陰謀を画策したと伝えられるCANFも非難。その直後、ハバナ連続爆破事件で犠牲となったイタリア人の父親である、ジュスティノ・ディ・チェルモがキューバのテレビ番組に出演し、パナマ政府に対しポサダをキューバへ身柄を引き渡すよう主張した。ポサダは結局暗殺未遂容疑によりパナマで有罪判決を受け、投獄されることとなる[29]。

2004年8月、ポサダのほか3名の受刑者が、退任するミレヤ・モスコソパナマ大統領により恩赦を受ける。アメリカのブッシュ政権と近しい関係にあったモスコソは、ポサダらを釈放するようアメリカ政府から圧力を受けたことを否定しており、アメリカ政府も関与を否定する声明を出した[46]。




"(恩赦の)決定に際して外国の大統領から何ら圧力を受けていないし、ポサダらが国内に留まるようであれば、キューバなりベネズエラへ身柄が引き渡されるでしょう。"

—ミレヤ・モスコソパナマ大統領[47]

モスコソの決定はマルティン・トリホス次期大統領から厳しい批判を受け[48]、恩赦はやはり政治的な動機によるものではないかとする憶測が広まった[46]。キューバ問題評論家のジュリア・E・スウェイグは「政治的外交的縁故主義の影が見え隠れする」と論評。また、パナマとフロリダの亡命キューバ系アメリカ人のコミュニティ間に横たわる事業的人的関係を持ち出し、ジェブ・ブッシュフロリダ州知事が釈放に一役買った可能性を仄めかしている[46][49]。なお、恩赦決定が報じられた直後、ベネズエラとキューバはパナマと国交を断絶した[48]。

アメリカ(2005年 - )[編集]

2005年に弁護士を通じてアメリカへ亡命を申請し、同年5月3日、ベネズエラ最高裁判所は国外追放処分を下した[6]。 2005年5月17日、マイアミヘラルドは南フロリダでポサダにインタビューを行い、国土安全保障省により拘留されていること、逮捕の際亡命を撤回し、密かに国外へ逃れようとしていたことを報じた。逮捕と時を同じくして、ハバナでも反ポサダ派による大規模な抗議活動が行われ、主催者によると数十万人のキューバ人がこれに参加したという。同年9月28日、アメリカ出入国管理事務所はポサダの身柄引き渡し拒否を決定。ベネズエラ政府はこの決定に激怒、アメリカの「所謂『テロとの戦い』における二重基準」を強く非難した[18]。アメリカ政府も国外追放処分を検討したが、少なくとも友好関係のある七カ国は受け入れを拒否している[50]。

一方、キューバ及びベネズエラは爆弾テロ防止国際会議や安全航行に対する不法行為防止国際会議への引き渡しを模索中[51]。なお、1971年の安全航行に対する不法行為防止国際会議により、アメリカはポサダの引き渡しを拒む場合、テロ関連法違反で起訴しなければならない[52]。このように、所謂「テロとの戦い」を背景として、ブッシュ・ドクトリンに則りアメリカ政府を厳しく批判する向きがある。例えば、2001年9月の国連安保理決議1373を含む国際法は、「テロリストにいかなる安住の地をも与えてはならない」と言明。また、2005年にスペイン西部のサラマンカで開催された第15回イベロアメリカ首脳会議の最終宣言でも、「73名の無実の市民が死亡した、1976年の航空機爆破テロ事件の容疑者を引き渡すか起訴すべし」と要求している[53]。その他、ウゴ・チャベスベネズエラ大統領が2006年9月20日に国連総会で行った演説において、アメリカの「帝国主義」や「偽善」を指摘した上で、ポサダを「この大陸で最大のテロリスト」と名指しで批判。「CIAや政府関係者のおかげで逃亡を許され、政府に守られながらこの国に暮らしている」と発言した[54]。

国連安保理会期中、アメリカはベネズエラ、キューバ両国代表により、ポサダが関わった諸々の事件の証拠についてコメントを求められたが、 当時のウィルソンアメリカ代表は「罪を犯したということが十分に立証されなければ、何人も告発されなければ身柄も引き渡されることは無い」と述べるに留まった[55]。また、「身柄が引き渡されれば拷問を受ける可能性がある」としてベネズエラ、キューバ両国への送還も拒絶した[55]。ベネズエラ代表はウィルソンの主張を否定、そのような事はしていない例としてアブグレイブやグアンタナモにおけるアメリカ自身の記録を挙げた[56]。

ニューオーリンズ地方裁判所は2007年4月19日、司法省が密入国の件での釈放を拒むよう要求したにもかかわらず、これを却下し釈放。政府関係者の庇護を受けマイアミへ移動し、現地のキューバ人コミュニティから愛国者として歓迎を受ける[57]。ただし、弁護士や医師との面会時にのみ外出することを条件として、公判までマイアミの妻のアパートに軟禁されることになった。同年5月8日、カスリーン・カードン地方判事は密入国に係る7件の訴えを却下。カードンが下した38ページにわたる判決文によると、「告発の元となった移民当局による取り調べに際し、アメリカ政府が不正を行った」という[58][59]。カードンの判決は2008年半ばに控訴裁判所が棄却し、密入国違反で公判を行うべきとの判決を下した[50]。2009年には連邦大陪審がハバナ連続爆破事件で起訴を提起。また、同年4月9日付のマイアミヘラルド紙は、次のように伝えている。


エルパソ大陪審は、ポサダ容疑者(81)をハバナ連続爆破事件の計画・実行ではなく、同事件の法廷において嘘の証言を行った廉で起訴した。入国審査の際の取り調べで虚偽報告したという告発以外にも、偽証罪がこれに加わった。「国際テロ」に対してアメリカが調査を行う上で、もう一つ新たな障害が生まれたことになる。[60]

2010年のテキサス州での公判[編集]

“ 要点は司法省がポサダにテロという恐ろしい活動の証言をさせようとしていることにある。(中略)この公判によって、ルイス・ポサダがテロの首謀者であるという周知の事実が確かなものになりうる ”

— アメリカ国家安全保障アーカイブのピーター・コーンブルー(2010年2月25日)[61]


1997年に発生したハバナ連続爆破事件への関与について、連邦当局に虚偽報告した廉で告発され、テキサス州で公判が開始[61][17]。公判はポサダがアメリカ国内に密入国し、亡命を申請した後に始まったが、ハバナ連続爆破事件や航空機爆破事件そのもの、あるいは密入国の際係官に虚偽報告した件については罪を問われなかった[61]。同年2月28日に筆頭弁護士が作成した文書には、公判の過程で漏れる恐れのある情報が克明に記されている。

アルトゥロ・エルナンデス弁護士は文書の中で、「ベネズエラや中米での反共活動には一貫して、カストロ政権転覆に始まる被告とCIAとの浅からぬ関係が認められる」と説明。アメリカ政府がハバナ連続爆破事件で被告と共謀していること、法廷から「キューバでの破壊活動に(アメリカ政府が)関与、共謀していること」を示す情報を全て機密解除するよう求められていることを明らかにした。また、「アメリカ政府や関連機関を慮って、ポサダの活動との関係や詳細を非公開とすることを示す文書類」の公開を求めている[62]。

公判の結果無罪が確定[17][43]。アメリカや法廷、判事に感謝の弁を述べた上で、「ここで起こった事はわが国やキューバの正義にとって好例とすべきである」と述べた[63]。

ハバナ連続爆破事件との関連[編集]

1998年、ニューヨークタイムズのインタビューで、前年に発生したハバナ連続爆破事件の際、CANFから資金提供を受けたと主張しているが、CANFは強く否定している[2]。キューバ内相も同事件はCANFが計画、実行したと主張[64][65]しているものの、CANF側はやはり否定。しかしながら、幹部数名が1990年代にキューバ攻撃計画を策していたとのCANF元会員による証言がある[66]。また、1997年、CANFがキューバへのテロ攻撃を無条件で支援する声明文を公表、当時のCANF議長は「こうした行為をテロとは思わない」と主張した[67]。その中で、ポサダがハバナ連続爆破事件の首謀者であるとも述べている[68]。それ以外にも、機密解除されたCIA及びFBIの文書は、「クバーナ航空455便爆破事件の『実行犯』の1人」と断言している[69]。

家族[編集]

アメリカへ赴いた1960年、フロリダ州マイアミの住民と結婚、2人の子供がいる[14][70]。なお、現在もマイアミに住んでおり、現地の反カストロ抗議集会にも参加している[25]。

脚注[編集]

1.^ a b c “Anti-Castro Extremists Tolerated, if Not Encouraged, by Some Latin American Nations.”. New York Times. (1976年11月15日). オリジナルの2007年9月29日時点によるアーカイブ。 2009年2月17日閲覧. "Mr. Posada, the detective agency operator, known as Bambi among Cuban exiles. Mr. Posada, who is now under indictment, is not a friend of President Perez or the rest of the leadership of the ruling Democratic Action Party."
2.^ democracynow.org: Terrorist Cuban Exile Luis Posada Carriles Seeking Political Asylum in U.S.
3.^ Los Angeles Times: A terrorist walks
4.^ NY Daily News: Cuban-born terrorist Luis Posada Carriles's day in court may be here
5.^ Associated Press: Cuban exile, accused terrorist informed on allies
6.^ a b “National Briefing”. New York Times. (2006年4月27日) 2009年2月17日閲覧. "1976年のキューバ航空機爆破事件を首謀したとして告発を受けたキューバ人傭兵は、火曜日にアメリカ国民となったことを彼の弁護士が明らかにした。ルイス・ポサダ・カリレスというその男は5月以降、密入国の容疑でエルパソにて収監中。元CIA工作員でフィデル・カストロ議長の熱狂的な敵対者であるポサダ氏は、ベネズエラに潜伏中の1976年、爆破事件を計画した廉でキューバとベネズエラより告発を受けている。しかし、本人は73名が死亡した爆破事件への関与を否定。航空機爆破事件の再審が行われる1985年にベネズエラの監獄から脱走し、同国は公式に身柄引き渡しを求めている。"
7.^ National Security Archive, LUIS POSADA CARRILES, THE DECLASSIFIED RECORD
8.^ Declassified document, October 1976. (PDF) . Retrieved on 2011-04-25.
9.^ Selsky, Andrew O. (2007年5月4日). “Link found to bombing”. Associated Press
10.^ Castro: U.S. to free 'monster' Posada, Miami Herald, Wed, April 11, 2007.
11.^ Organizations Demand Cuban Militant's Arrest. Local10.com (2005-04-21). Retrieved on 2011-04-25.
12.^ Christian Science Monitor, May 20, 2005, US tiptoes between terror, Castro's policies
13.^ a b LA Times, 20 April 2007, U.S. criticized as Cuban exile is freed
14.^ a b US v. Luis Posada Carriles, No. 07-CR-87 (appeal of mag decision). (PDF) . Retrieved on 2011-04-25.
15.^ The Guardian, October 25, 2006 US embarrassed by terror suspect
16.^ The Confessions of Luis Posada Carriles. Voltairenet.org. Retrieved on 2011-04-25.
17.^ a b c d BBC, 9 April 2011, Cuba anger at US Posada Carriles verdict
18.^ a b BBC, 28 September 2005, No deportation for Cuban militant
19.^ Push to free convicted Cuban spies reaches D.C., Miami Herald, September 22, 2006
20.^ 元CIAテロリスト処罰要求 反テロ国際会議 キューバ 米政府の「二重基準」を非難しんぶん赤旗 2005年6月7日
21.^ 「テロリストとして裁け」 知識人ら1827人署名しんぶん赤旗 2007年4月21日
22.^ a b United States v. Luis Posada Carriles, Western District of Texas. Txwd.uscourts.gov. Retrieved on 2011-04-25.
23.^ [1][リンク切れ]
24.^ http://www.miamiherald.com/2011/04/08/2157558/jurors-acquit-cuban-militant-posada.html
25.^ a b c d Former CIA Asset Luis Posada Goes to Trial by Peter Kornbluh, The Nation, January 5, 2011
26.^ Bardach, Ann Louise; Larry Rohter (1998年7月13日). “A Bomber's Tale: Decades of Intrigue”. The New York Times (The New York Times Company) 2007年1月20日閲覧. "2年間薬学、次いで化学を学んだ後、ハバナ、革命後はオハイオ州アクトンのファイアストン社に勤務。一家全員キューバ革命に関わっている"
27.^ Adams, David (2005年5月18日). “Cuban "terrorist' arrested in Miami”. St. Petersburg Times (Florida) (Times Publishing Company): pp. National; Pg. 1A 2007年1月20日閲覧。 ? "EARLY 1961: A supervisor for Firestone Tire and Rubber Co., he flees Cuba, first to Mexico, then to Florida."
28.^ a b Candiotti, Susan (2005年5月18日). “Alleged anti-Castro terrorist Posada arrested”. CNN. オリジナルの2008年6月2日時点によるアーカイブ。 2008年5月22日閲覧。
29.^ a b c d e f g h i j k Bardach, Ann Louise. Cuba Confidential: Love and Vengeance in Miami and Havana. p180-223.
30.^ a b c d CIA declassified report on Luis Posada. (PDF) . Retrieved on 2011-04-25.
31.^ a b CIA declassified document 926816, October 13, 1976. (PDF) . Retrieved on 2011-04-25.
32.^ The center for justice and accountability Venezuela: Luis Posada Carriles
33.^ Jean-Guy Allard, Granma, Posada and his accomplices, active collaborators of Pinochet’s fascist police. Retrieved on 2011-04-25.
34.^ a b Kornbluh, Peter (June 9, 2005) "The Posada File: Part II." National Security Archive.
35.^ Declassified FBI report on bombing of Cubana Flight 455, dated 5 November 1976. (PDF) . Retrieved on 2011-04-25.
36.^ キューバ人57名やガイアナ人11名(18-19歳の医学部生や外交官の妻を含む)、北朝鮮人5名(政府高官およびカメラマン)と、乗客名簿には世界各国の代表が記載。国立スポーツ研究所長のマヌエル・ペルムイ・ヘルナンデスや内務省職員のドミンゴ・コエリョらキューバ政府関係者も搭乗していた。
37.^ a b c d Ann Louise Bardach and Larry Rohter, The New York Times, 12 July 1998, A Bomber's Tale: Taking Aim At Castro
38.^ Luis Posada Carriles The Declassified Record at the National Security Archive
39.^ Declassified CIA document dated October 14, 1976. (PDF) . Retrieved on 2011-04-25.
40.^ BBC, 9 May 2007, Profile: Cuban 'plane bomber'
41.^ a b San Francisco Chronicle, 18 May 2005, Arrest of Cuban ex-CIA figure puts Bush in tough political spot
42.^ Venezuelanalysis.com, 16 March 2011, Day 25 in the Trial of Posada Carriles - Follow the Money
43.^ a b The Guardian, 10 April 2011, Cuba denounces acquittal of former CIA agent Luis Posada as a farce
44.^ Human Rights Watch, The U.S. and Cuban Exile Violence, 1999
45.^ AFP, 3 May 2007, FBI probes Cuban's possible links to 1997 Havana bombing: report
46.^ a b c The Washington Post, 27 August 2004, U.S. Denies Role in Cuban Exiles' Pardon: Panama Frees 4 Convicted in Plot To Kill Castro
47.^ The Washington Post, 27 August 2004, U.S. Denies Role in Cuban Exiles' Pardon
48.^ a b BBC News, 28 August 2004, Venezuela envoy to leave Panama
49.^ Weaver, Bill (September 1, 2005) "On Why Luis Posada Carriles Will Not Be Extradited." Narcosphere; NarcoNews.
50.^ a b Los Angeles Times, 15 August 15, 2008 Cuban militant Luis Posada Carriles to stand trial in U.S.
51.^ US trial begins for Anti-Castro militant, JURIST
52.^ CounterPunch, 28 August 28, 2009 A Decision in the Posada Case
53.^ Comunicado especial de apoyo a la lucha contra el terrorismo (Spanish only)
54.^ The Washington Post, 20 September 2006,President Hugo Chavez Delivers Remarks at the U.N. General Assembly
55.^ a b United Nations Security Council Verbatim Report meeting 6015 page 30, Ms. Willson United States on 12 November 2008 (retrieved 2009-01-04)
56.^ 外交文書及びベネズエラの外交官や在米ベネズエラ大使館、アメリカ国務省の各関係者との間で行われた公式会談を通して、ベネズエラはアメリカが身柄を引き渡せれば、法の支配を貫徹し人権にも配慮することを十全に保障してきた。テロ活動なり拷問が証明されているとすれば、それは例えばアメリカが幾度も汎米人権委員会や国内外の報道機関へ公表を拒んできた、アブグレイブやグアンタナモで行った事である。(中略)カリレスはかつてCIAに雇われており、これこそアメリカ政府が匿う特別の理由に他ならない。United Nations Security Council Verbatim Report meeting 6015 page 33, Mr. Valero Brice?o Venezuela on 12 November 2008 (retrieved 2009-01-04)
57.^ スペインの新聞「インフォルマシオン」紙 2007年4月20日
58.^ CNN, 8 May 8, 2007 Judge throws out charges against anti-Castro militant
59.^ カードンは本人への翻訳が充分なものではなく、「被告と取調官との間に有効な意思疎通が存在しなかった」としている。また、「この件での起訴が移民当局による取り調べに基づくという事実を考えると、翻訳があまりに杜撰なため、被告の供述としては信憑性に欠ける」と結論付けている。 Judge throws out charges against anti-Castro militant, CNN, 8 May 2007
60.^ Chardy, Alfonso (2009年4月9日). “U.S. indicts Cuban exile Luis Posada, links him to bombings”. The Miami Herald. オリジナルの2009年4月17日時点によるアーカイブ。
61.^ a b c Cuban killer Luis Posada Carriles goes on Trial by Chuck Strouse, Miami New Times, February 25, 2010
62.^ El Paso Diary Day 25: Graymail and Secret Memos. Freethefive.org. Retrieved on 2011-04-25.
63.^ Cuba denounces acquittal of former CIA agent Luis Posada as a farce
64.^ Cuba Interior Minister (1997年9月11日). “Official statement about terrorist arrest”. Prensa Latina
65.^ CNN & Reuters (1997年9月4日). “Explosions hit 3 hotels in Havana, killing 1”. CNN
66.^ Wilfredo Cancio Isla (2006年6月25日). “Former CANF Board member admits to planning terrorist attack against Cuba”. El Nuevo Herald
67.^ CANF President Francisco Hernandez (1997年8月13日). “CANF Statement”. El Nuevo Herald
68.^ Righteous Bombers? by Kirk Nielsen, Miami New Times, December 5, 2002
69.^ Peter Kornbluh (2005年5月18日). “Luis Posada Carriles: The Declassified Record”. National Security Archives
70.^ “CIA: Anti-Cuba Militant was a Snitch”. CBS News. (2009年10月7日)

参考文献[編集]
Cuba Confidential: Love and Vengeance in Miami and Havana by Ann Louise Bardach, 2003, Vintage Books, ISBN 0385720521
Dateline Havana: The Real Story of US Policy and the Future of Cuba by Reese Erlich, 2008, Polipoint Press, ISBN 0981576974
Deadly Secrets: The CIA-Mafia War against Castro and the Assassination of J.F.K by Warren Hinckle & William W. Turner, 1992, Thunder's Mouth Press, ISBN 1560250461

関連項目[編集]
テロリズム
テロとの戦い
フィデル・カストロ
キューバ系アメリカ人財団

外部リンク[編集]
ルイス・ポサダ・カリレス - インターネット・ムービー・データベース(英語)
キューバの「航空機爆破犯」のプロフィール BBCニュース 2007年5月9日放映
ルイス・ポサダ・カリレス.ポサダ・ファイル パートⅡ機密公開されたCIA及びFBIの文書(いずれもアメリカ国家安全保障アーカイブ所収)



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http://yaplog.jp/worldofmmls/archive/160


亡命キューバ人テロリストの怖さ

April 29 [Sun], 2007, 10:30


 今キューバやマイアミ、ベネズエラで話題になっているのは、ラテンアメリカで数々のテロ行為をやってきたキューバ系ベネズエラ人のルイス・ポサーダの保釈問題です。

 このポサーダは、キューバ革命直後にカストロ政権に反発し、アメリカに向かい、その後CIAのスパイになって、60年代から今までの数々のカストロ暗殺計画やキューバ関係施設の爆破に関わった筋金入りのテロリストです。中でも一番ひどかったのは、1976年にベネズエラのカラカス発ハバナ行きのキューバ航空爆破事件。爆破により、乗客乗員全員死亡、この中にはキューバのナショナル・フェンシング・チームもいました。

 ポサーダは70年代にも80年代にもチリやベネズエラで逮捕されていますが、マイアミの右翼の亡命キューバ人の助けを借りて、2回の脱獄に成功。その後は、80年代の中米紛争でも左翼ゲリラと戦う政府側に武器を流したり、秘密工作にも関わっていました。

 そして、2005年にアメリカに政治亡命を申請し、今に至っています。
 アメリカは「不法入国」で彼を起訴していますが、ベネズエラやキューバは身柄引き渡しを強く要求。先日保釈された直後はキューバ国内で大規模な抗議運動が起こりました。

 ポサーダがここまでラテンアメリカ域内で悪名高い存在でいながら、アメリカが「不法入国」の罪でしか問わないのは、やはり彼が元CIAのスパイだった、過去のアメリカの悪事が暴露されたら困るというのがあるのでしょう。
 しかしながら、一方では、「アメリカは9・11の後、テロリストとの戦いに躍起になって、イラクやアフガニスタンを攻撃したり、イギリスやアメリカ国内のイスラム教徒を不当逮捕したりしているのに、ラテンアメリカ最大のテロリストを国内にかくまっているじゃないか!」という非難の声もあります。最近では、ポサーダをテロリストとして裁くことを要求する署名運動まで展開されているようです。

 また、ここまで非難されながらも、アメリカが強く出れないもう1つの理由としては、マイアミの亡命キューバ人の政治力があります。アメリカの中でもラティーノの中でも決して数が多いとは言えない、キューバ系は上・中流階級が多いとともに、反カストロ・反共産主義を掲げる人が多いので結束力が強く、アメリカ政府に対し積極的なロビー活動を展開しているのです。

 2000年の大統領選でブッシュとゴアが戦った時に、最後のキーになったのはフロリダ州、しかもキューバ系が圧倒的に多いマイアミ=デード郡だったことは記憶に新しいですよね?

 それに、マイアミは60年代にCIAの支部があり、亡命したキューバ人の一部がCIAの手先となって数々のテロ事件やカストロに同調する人物の暗殺カストロ政権への敵対行為もしていたのです。ケネディ大統領を暗殺したオズワルドが亡命キューバ人と接触があったこともあり、暗殺を「亡命キューバ人による犯行」とする説もあるようです。

 今でこそキューバ系の中でも世代交代が進んでいて必ずしも全員が反カストロというわけではないのですが、それでも40年近く経った今でもカストロに対して憎悪の念を抱き続ける人は多いのです。

 私は、院時代のフィールドワークでそういった人々ともお話しましたが、お会いした人の中で一番緊張したのはフェリックス・ロドリゲスです。彼は、元CIAの要員として60年代70年代は数々の工作に関与、1968年にチェ・ゲバラがボリビアで殺された際、最後にゲバラに尋問した人物で、「チェ・ゲバラを殺した男」というあだ名がついています。たまにTVでも出てきますし、本も出版しています(日本語訳もあり)。今はピッグス湾事件(1961年に亡命キューバ人がキューバのピッグス湾を攻撃した事件)の時に戦った「2506旅団」の理事長を務めています。

 最初に顔あわせた時に、「なんだこのアジア人のコムスメは?」という表情で見られました。きっと彼自身も色々キケンな目に遭ってきたわけですし、簡単に人を信用できないのでしょう。私がただの学生と分かってからはちょっと緊張が解けましたが、それでも「こんなガキを相手にしているヒマはない」という感じで、電話で呼び出されてどこかに行ってしまいました・・・。

 そのほかにも今はただのおじいさんとはいえ、映画の「スカーフェイス」(マイアミに亡命したキューバ人が裏世界で大物になっていく話)じゃないですが、昔はマフィアっぽい仕事をしてたんだろうなという人にも会いました。引退していて年金もそこまであるわけはないのに、マイアミ・ビーチの目の前のコンドミニアムで優雅な生活を送っていたので。

 恐縮してしまい深いところまでは聞けなかったですが、マイアミには徹底して反カストロ主義を掲げる世代も多く、何か独特の雰囲気があります。私は遠いアジアからきたただの学生だったので、あまり警戒されることはありませんでしたが、一昔前はやたらとカストロや今のキューバを賞賛したりすると、脅迫・暗殺ということもあったようです・・・。

 何気に私の動きやプロフィールも亡命キューバ人社会の中で保存されているのかもしれませんね・・・・。

http://yaplog.jp/worldofmmls/archive/253


CIAと亡命キューバ人

November 08 [Thu], 2007, 22:48


 今公開中の映画「グッド・シェパード」でCIAが支援したピッグス湾事件について触れられていますが、CIAと亡命キューバ人のブラックな関係は国際的には知られている事実です。

 そもそも、キューバ革命直後にアメリカに亡命したキューバ人は、キューバ革命の成就によって崩壊したバティスタ元大統領の関係者やキューバ革命によって資産を没収された上・中流階級出身の人々が多く、彼等と同様革命によって大打撃を被ったアメリカの企業やマフィアと利害が一致したのです。

 当初は「カストロ政権は短期間でつぶれる」と思われていましたが、その予想とは裏腹にソ連圏に接近したことでますます力をつけ、亡命キューバ人にとってもアメリカ政府にとっても脅威の存在になりました。

 アメリカは1954年にもCIAを使ってグアテマラの社会主義政権アルベンス大統領をクーデターにより失脚させるという闇の実績を持っているのですが、カストロ政権に対しても同じ手を取ろうとしたのです。

 キューバからの亡命者を際限なく受け入れ、彼等に対してアメリカの移民史上最も良い待遇を与えるとともに、反カストロ活動に対し積極的に支援していきました。

 まず、上記映画の中でも登場したように、亡命キューバ人の傭兵を使い、キューバのヒロン湾を侵攻し(ピッグス湾事件)それが失敗に終わった後は、亡命キューバ人をCIAの工作員として雇ったり、反カストロ主義を唱える政治団体の活動を支援していったのです。政治団体といっても様々ありカストロの暗殺、テロ等過激な行為もいとわないものもありました。

 ピッグス湾事件の最短期間で撤退となった理由としては色々挙げられていますが、その中に「ケネディ大統領が援軍の派遣をドタキャンしたため」というものがあります。また、その直後キューバ危機が起こり、結果として米ソ間の取り決めで「ソ連がキューバからミサイルを撤退させる代わりに、アメリカはキューバに侵攻しない」という合意に至ったわけですが、これら2点は亡命キューバ人やCIAの怒りを買ってしまったのです。
 
 ケネディ大統領の暗殺については、様々な憶測が飛び交っており、私としても全てが明らかになると言われている2039年が待ち遠しいですが、一説に因れば、「亡命キューバ人+CIA+マフィア説」もあります。

 さらに、ニクソン大統領が失脚するきっかけになった「ウォーターゲート事件」では亡命キューバ人が逮捕されています。

 以前の記事で亡命キューバ人テロリストのポサーダのことを取り上げましたが、彼もCIAの工作員でした。
 
 実際マイアミの60代、70代の人に会うと、ピッグス湾事件の時戦った経験を持つ人もいれば、CIAやマフィア関係の仕事していたのかなという人もいます。話すと普通のおじさんなのですが、カストロやキューバのことに話が及ぶと驚くほど情熱的に話してくれます。

 今でこそキューバ系コミュニティの中で世代交代が進み、昔ほど過激な政治活動にのめりこむ人は少なくなりましたが、カストロ政権を倒すという執念は強いです。

http://naotatsu-muramoto.info/amerikasi/kenedhiansatu28.html

CIA、亡命キューバ人の過激派、アメリカ・マフィアは、
JFKの暗殺を決意する

(『ケネディ暗殺』ロバート・モロー著から抜粋)

ケネディ政権が反カストロの活動を妨害し続けるため、亡命キューバ人の好戦的なメンバーはケネディを殺そうと企てた。

そして、この目的のためにアメリカ・マフィアと手を結んだ。

亡命キューバ人たちは、ケネディ兄弟を裏切り者と見ていた。

ケネディは1960年の大統領選挙の時に、亡命キューバ人から支持を得るために、
「当選したら、亡命キューバ人の組織を支持して補助金を出す」と約束していた。

ところが、当選してしばらくすると、カストロのキューバと和解してしまった。

マフィアのボスであるカルロス・マルセロは、1963年4月にJFK暗殺のコントラクトを出した。

マルセロは、ロバート・ケネディの指示でグアテマラに強制移送されたので、
ケネディ兄弟に対して憎悪をむき出しにしていた。

亡命キューバ人は、暗殺契約を履行することで、反カストロ活動の資金を調達できる。

ローランド・マスフェラーは、コーリーのマイアミ・グループとキューバ人マフィアの傭兵の、財政的パイプ役を果たした。

マルセロは、ガイ・バニスターとデイブ・フェリーに、ルイジアナ州ポンチャトレイン湖畔にいるコーリーのグループを手助けさせた。

コーリー配下のデル・バレは、この2つのグループの連絡役だった。

このネットワークは、ピッグズ湾侵攻の時に構築され、そのまま残っていた。

マルセロは、フェリーとバニスターに、ケネディ暗殺計画の立案と実行を依頼した。

フェリーの組織をまとめる才能と、複雑な作戦を計画する能力は、他に並ぶ者はなかった。

フェリーの計画は、「亡命キューバ人の焦り」と「カストロを操ること」がポイントになっていた。

カストロ殺害を企てて失敗すれば、カストロはアメリカ政府に復讐しようとする。

その後にJFKを殺せば、怒りに燃えているカストロの仕業に見せかけられる。

カストロがJFKを殺したと思わせれば、アメリカ国民はキューバ侵攻を要求するだろう。

こうして、マフィアと亡命キューバ人の目的が同時に果たされるのである。

カストロ殺害の企ては、サントス・トラフィカンテがシナリオを書いた。

彼はダブル・スパイとして行動し、第三者を通して「CIAが大統領の指示の下で、再度カストロの暗殺を企てる」と、カストロに警告する。

トラフィカンテは、犠牲にしてよい2名の部下を選び、暗殺者としてキューバに向かわせた。

この2名には、CIAのために働いていると信じさせ、CIAのものと確認できる暗殺道具を持たせる。

カストロに捕らえられて拷問にかけられた2名は、CIAに雇われたと告白し、
カストロはケネディへの復讐を発表する。

この計画は上手くいき、63年9月7日にカストロは、「キューバ指導者を暗殺するテロ計画を、アメリカが支援した。これが続けられれば、アメリカの指導者は生命の危険に晒される。」と警告を発した。

このカストロ暗殺未遂の作戦は、トラフィカンテの下でトニー・ベロナがコーディネートした。

ベロナは、暗殺チームにCIAの自決用ピルを渡した。

拘束された時に、CIAが支給したピルと高性能ライフルを所持していたため、
カストロはアメリカ政府が暗殺計画に関与していると結論を出した。

カストロに計画を漏らすのは、カルロス・ガルシア・ボンゴというキューバ人弁護士を介して行われた。

トラフィカンテは、JFK暗殺の実行者を探すのも担当した。

JFKの処刑は、CIAが支援する亡命キューバ人と、マイアミとニューオーリンズの傭兵集団から、実行者が選ばれた。

この暗殺は、単独の殺し屋のしわざに見せかけるのが理想だった。

デイブ・フェリーは、単独の殺し屋の役割に、オズワルドを推薦した。

トラフィカンテは、キューバ人傭兵のマスフェラーを、暗殺の支援者として選んだ。

マスフェラーは、暗殺チームの間の調整役となった。

暗殺チームの1つには、ジョン・マイケル・マーツが居た。

(2016年4月8日に作成)


ケネディ大統領の暗殺事件 目次に戻る

http://tacktaka.blog.fc2.com/blog-entry-205.html

チョムスキー「世界の誰もが知っている: アメリカは世界最強=最悪のテロ国家だ」 
平和研究、アメリカ理解(2014/12/24)
────────────────────────────────────────
CIAによる拉致・拷問の世界地図
CIA拷問 世界地図 cia-rendition-map3
http://www.washingtonpost.com/blogs/worldviews/wp/2013/02/05/a-staggering-map-of-the-54-countries-that-reportedly-participated-in-the-cias-rendition-program/
20141225101941de8.jpg

────────────────────────────────────────
 アメリカ上院情報委員会は、12月9日、CIA調査の主要部分を編集した500頁の要約を公表しました。これにより9・11同時多発テロ以降の米国の拷問プログラムの生々しい詳細が明らかになり、改めてアメリカの蛮行が世界中で話題になりました。
 ドイツでも、ベルリンの人権団体がジョージ・W・ブッシュ政権の拷問プログラム立案者たちに対し、刑事告発を行いました。「欧州憲法・人権センター(European Center for Constitutional and Human Rights)」は、ジョージ・テネット元CIA長官、ドナルド・ラムズフェルド元国防長官はじめ、ブッシュ政権の高官たちを戦争犯罪で告訴し、ドイツの検察官による即刻の調査を要求しています。
 ブッシュ政権高官たちにたいする戦争犯罪の告訴を一貫して拒否してきたオバマ大統領は、このような不利な状況を打ち破るためでしょうか、12月17日、50余年ぶりにキューバとの国交を正常化させると発表しました。これにはハバナの米国大使館開設が含まれ、両国間の囚人の交換も行われる予定です。また経済封鎖の解除も期待されています。
 しかしオバマ氏は、これとほとんど同時にロシアやベネズエラにたいする経済制裁を発表しています。このことを考えると、オバマ氏のキューバにたいする国交回復は、本当の国交改善を望んでいるかどうか、その真意が疑われます。下記の櫻井ジャーナルは、その裏舞台を鋭く分析しています。
「キューバにおける体制転覆」

 オバマ氏の真意を疑わせるもうひとつの事実は、世界最強の大国アメリカが一貫してカリブ海の弱小国キューバに、思わず目を覆いたくなるようなテロ攻撃を続けてきたという事実です。
 チョムスキーはこれを「マフィアの原則」と呼んでいます。「たとえどんなチンピラであろうが、マフィアのボスの許可なく行動するものがあれば、容赦なく制裁を加える」という原則です。「言うことをきかないものがあれば、見せしめに殺してもよい」「さもなければ他のものが言うことをきかなくなる」というわけです。
 この「マフィアの原則」をロシアやベネズエラに適用しているわけですから、自主独立の道を歩んでいるキューバが、この後も安泰であるはずがありません。では、アメリカはキューバや中南米に何をしてきたのか。以下のチョムスキー論文は、「世界最強=最悪のテロ国家アメリカ」の行状を、主としてキューバを例にしながら詳細に説明しています。
 同時にチョムスキーは、アメリカの政府だけでなくニューヨークタイムズを初めとする大手メデイアやアメリカ知識人がもつ典型的思考パターンを、改めて鋭く告発しています。(私には、国外におけるアメリカの行動が、国内で白人警官が丸腰の黒人を射殺しても無罪であることと鏡像関係になって見えます。)

────────────────────────────────────────
世界の誰もが知っている
アメリカは世界最強=最悪のテロ国家だ
ノーム・チョムスキー
http://www.telesurtv.net/english/opinion/Its-Official-The-US-is-a-Leading-Terrorist-State-20141020-0067.html
It's Official: The US is a Leading Terrorist State
国際世論の調査によれば、米国は「今日の世界平和にとっての最大の脅威」として、群を抜いて筆頭に位置している。二位のパキスタンを大きく引き離しており、他は足下にも及ばない。

 ロシア紙『プラウダ』のトップ記事が、諜報機関KGBに関する次のようなことを報じたと想像してみよう。
 <クレムリンが世界中でおこなっている巨大テロ作戦をKGBは再検討している。作戦の成否を生む結果になってしまった要因が何なのかを探るのが目的だが、不幸にも上手く成功を収めたものはほとんどなかった。それで、最終的には政策の再検討が妥当であると結論づけている。>
 さらに記事が次のように続いていたと想定してみてほしい。
 <プーチンはKGBに「反政府勢力に資金を渡したり武器を供給したりして実際にうまくいっている国がないか調査をしろ」と要求したが「大したものが出てこなかった」。だから、これ以上そんなことに精力を傾けることは、気が進まないようだ。>

プーチンがそんなことをしたり言ったりすることは、想像できないことだが、もしそのような記事が現れたとすると、アメリカの激怒と憤慨の叫びが天まで達することだろう。そしてロシアはこっぴどく非難されるか、もっと悪くすると[爆撃されるかも知れない]。
 なぜなら、そのような言動は、プーチンが今まで危険なテロリストだったことを自分でおおっぴらに認めてしまったことになるからだ。それだけでなく、プーチンの言動にたいするロシア政界の反応ぶりが、あまりにもひどいからだ。彼らはプーチンのテロ行為に何の関心も持っていない。関心があるのは、ロシアの国家テロがいかにうまく実施できたかどうか、テロの実践力が向上できるかどうか、だけだ。

上記のような記事が現れることは、ほとんど想像することすら難しい。ところが驚いたことに、実際にそういう記事が出たのだ。

ニューヨークタイムズ紙は10月14日、トップニュースで、CIAによる研究を報じた。それはホワイトハウスが世界中でおこなっている巨大テロ作戦についてCIAが調査しているという記事だった。
 その調査・研究は、テロ作戦の成否を生む結果になってしまった要因が何なのかを探るのが目的だが、成功を収めた例は不幸にもきわめて稀だったので再検討が妥当であると結論づけている、という。
 記事はそれに続けて、「オバマ氏は、反政府暴動をおこそうとしている連中に金品を渡したり武器を供給したりして実際に成功した事例がないか、それを見つけ出すべく調査しろとCIAに命令したが大した成功例が出てこなかった。だから、そんな努力を続けることにオバマは気が進まないようだ」と述べている。

しかし上記の記事には、オバマ氏のこのような言動にたいする激怒もなければ憤慨もなかった。何もなかったのだ。

この記事の結末は全く明瞭だろう。西側の政治風土においては、自由主義世界の指導者がテロリストであり、「ならず者」国家なのだ。またそのようなテロ犯罪における卓越ぶりを公然と宣言しても、それは完全に自然で適切なのである。さらに、ノーベル平和賞受賞者でリベラルな憲法学者が権力の座にあるからには、そのような行動をさらに効果的におこなってくれることにのみ関心を払うというのは、なおさら自然で適切なのである。

もっと詳細に記事を見てみると、いま述べた結論がますます確かであることが分かる。
http://www.nytimes.com/2014/10/12/opinion/sunday/end-the-us-embargo-on-cuba.html?_r=1#

ニューヨークタイムズ紙のその記事は「アンゴラからニカラグア、キューバまで」の米国の作戦を引き合いに出すことからはじまっているが、この記事で省略されていることを少し補ってみることにしよう。

アンゴラで米国は、当時の南アフリカ共和国の侵略活動に加担して、ジョナス・サビンビ(Jonas Savimbi)のUNITA(アンゴラ全面独立民族同盟)というテロリスト軍隊に決定的な支援を提供した。そして注意深く監視された自由選挙でサビンビが完敗した後も、米国は軍事支援をつづけた。
 それどころか、南アが支援を止めた後でさえ、米国は、この「権力をひたすら追い求め、自国民にひどい不幸をもたらした怪物」(イギリスのアンゴラ駐在大使マラック・グールディング(Marrack Gouldingの言)に支援を続けたのだ。隣国のコンゴ民主共和国の首都キンシャサにいたCIA支部長でさえ、「ザビンビの犯罪があまりにも広範囲だから、そのような怪物を支援するのは好ましくない。ザビンビは怖ろしく残酷だ」と米国政府に警告して、アンゴラ駐在大使グールディングの「怪物」発言を肯定していた。

アンゴラで米国支援の大規模で殺人的なテロ活動がおこなわれていたにもかかわらず、キューバ軍は南アの侵略者たちを国外に追い払い、不法占領していたナミビアからも退去させた。こうしてキューバ軍はアンゴラに選挙ができる道を開いたのだった。そのアンゴラでの大統領選挙でサビンビは敗北した。にもかかわらずサビンビは、ニューヨークタイムズ紙によれば、「投票が・・・完全に自由で公正なものだったとする800人近くの外国人選挙立会人の見解を完全に退け」、米国の軍事支援を得てさらにテロ戦争を継続したのだった。

アフリカ解放とアパルトヘイト終焉におけるキューバの功績について、ネルソン・マンデラは、ついに刑務所から解放されたとき、これを高く讃え、マンデラの制定した最初の法令のなかで次のように宣言した。「私が牢獄に繋がれているあいだ、キューバは私を鼓舞し、フィデル・カストロは常に私の心の支えだった。(中略)[キューバ軍の勝利は]白人の圧制者は打ち負かすことができないという神話を打破し、(そして)南アフリカの闘う大衆を激励した。(中略)キューバ軍による勝利が、アパルトヘイトの惨劇から、我が大陸を、我が人民を解放する分岐点となった。(中略)アフリカとの関係において、これほど大きな私心のなさを示してくれた国が、キューバの他にあっただろうか」

他方、テロリストの指揮官ヘンリー・キッシンジャーは、カストロの不服従に怒り狂った。あんな“小物”は“叩き潰す”べきだと考えていたからだ。これはウィリアム・レオグランデ&ピーター・コーンブラー著『キューバへの裏舞台』という本の中に記されている。最近の機密解除文書をもとにした傑作だ。

ニカラグアに話題を変えよう。レーガンのテロ戦争について詳しく述べる必要はない。レーガンのテロ戦争は、国際司法裁判所がワシントンに「軍隊の不正使用」――すなわち国際テロのことだが――を中止せよ、そして実質的な賠償金を支払え、と命令を下した後も、ずっと続けられたからだ。また国連安全保障理事会の決議で、すべての国家に(ということはつまり、これは米国のことを意味しているのだが)国際法を遵守せよと要求した(これにワシントンは拒否権を発動した)後も、レーガンのテロ戦争は続けられた。

しかしながらレーガンによるニカラグアのテロ戦争は、エルサルバドルとグアテマラでレーガンが熱狂的に軍事支援した国家テロほどには破壊的ではなかった。ニカラグアには、米国が指揮するテロ部隊に対抗するための自国の軍隊をもっているという強みがあったからだ(後に、CIA長官から「政治屋」=大統領になったブッシュ1世が、ニカラグアのテロ戦争をさらに拡大したのだが)。ところが隣国[エルサルバドルとグアテマラ]では、国民を襲撃するテロリストたちが、ワシントンによって武装され訓練された国軍だったから、国民には自分たちを守ってくれる部隊が存在しなかったのだ。  

あと数週間もすれば、私たちはラテンアメリカにおけるワシントンのテロ戦争を記念する大フィナーレの日を迎えることになる。つまりラテンアメリカの指導的知識人6人とイエズス会の司祭たちが殺された日だ。それはエルサルバドル軍のエリートテロ部隊アトラキャトル大隊によってなされたのだ。この大隊はワシントンによって武装され訓練されたもので、最高指揮官の明白な命令の下で行動していたのだ。そして一般人犠牲者の大虐殺という長い長い記録をともなうことになったのだ。

エルサルバドルの首都サンサルバドルのイエズス会大学で、1989年11月16日に実行されたこの衝撃的な犯罪は、テロという巨大な疫病の最終楽章だった。
 その疫病が南アメリカ大陸全体に広がったのは、ジョン・F・ケネディがラテンアメリカにおける米軍の任務を、「西半球の防衛」――こんなものは時代遅れの第2次世界大戦の遺物なのだが――から、「中米各国の国内の安全保障」に転換した後のことであった。
 「国内の安全保障」といっても、なんと驚くなかれ、じっさいは中米各国の国民に対する戦争を意味するものだったのだ。その悪影響については、1961年から1966年まで米国の対ゲリラ作戦および中米国内防衛計画を指導してきたCharles Maechlingが簡潔に描いている。
 すなわち、Maechlingは、ケネディの1962年の決定を、「エルサルバドル軍やグアテマラ軍の貪欲と残酷さを黙認する行為から、彼らの犯罪にみずから共謀・加担する行為へと、方向転換するものである」と述べた。言いかえれば、「ナチス親衛隊(SS)最高指導者ハインリッヒ・ヒムラーがつくった特務絶滅部隊の方法」を支援する方向へと転換したというのである。

しかし、これらの事実はすべては忘れ去られた。それは米国の支配層にとって「正しい事実」ではないからだ。

キューバでは、激怒したケネディ大統領によって、ワシントンのテロ作戦が開始された。キューバ人を罰するためだ。米国が実行するピッグズ湾侵攻作戦を挫折させてしまったからだ。
 歴史家ピエーロ・グレイジェシースPiero Gleijesesが書いたように、ケネディ大統領は「弟ロバート・ケネディ司法長官に、マングース作戦(Operation Mongoose)を監督するトップレベルの特別機関を指導してくれと頼んだ。」
 「マングース作戦とは、ケネディが1961年後半に開始した作戦であり、フィデル・カストロに“地球規模の恐怖”をお見舞いする準軍事行動計画だった。それは軍事訓練を施した亡命キューバ人をキューバ本土に派遣して経済活動を妨害・撹乱するなどの破壊活動をおこなわせ、カストロ政権を転覆しようとするものだった。」

 “地球規模の恐怖・テロ行為” 'terrors of the earth' という語句はケネディの同僚で歴史家アーサー・シュレジンジャーから引用したものであり、彼が書いたロバート・ケネディの準公式的伝記の中にあるものだ。ロバート・ケネディ(RFK)はテロ戦争を指揮する責任を割り当てられていたのだ。RFKはCIAにこう通告した。
 キューバ問題は「米国政府の最優先課題だ――他のすべては二次的だ」、カストロ政権を打倒する、つまりキューバに“地球規模の恐怖”をもたらす取り組みにおいては、「いかなる時間も、いかなる労力も、いかなる人的資源も、出し惜しみしてはならない」。

ケネディ兄弟が開始したテロ戦争は些細な問題どころではなかった。400人のアメリカ人、2000人のキューバ人、船足の速い船をもった民間人、そして年間予算5000万ドルが関わっていた。それらはマイアミのCIA支部によって運営され、中立法(Neutrality Act)に違反する行動だった。また、それは米国内でCIAの作戦を禁止する法律にも違反していた。作戦には、キューバのホテルや工業施設の爆撃、漁船の撃沈、農作物や家畜への毒物散布、輸出用砂糖の汚染などが含まれていた。これらの作戦のなかには、CIAが認可していないものもあったが、いずれにせよ、CIAが資金提供し軍事支援したテロ部隊によって実行された。アメリカが公式に敵と認めた相手には、そのような区別立ては無用だったのだ。

マングース・テロ作戦は、エドワード・G・ランズデール(Edward Lansdale)空軍少将を作戦立案者に指名し、ケネディ政権の総力を挙げてカストロを倒そうとするものだった。ランズデールは、フィリピンとベトナムにおいて、米国が実行するテロ活動で充分な経験を持ち合わせていた。マングース作戦を実行するための彼の予定表では、1962年10月に「大々的に反乱を開始し、共産主義政権を打倒する」ことを命じていたが、テロと破壊が政権転覆の土台を準備したとしても「最終的成功のためには、決め手となる米国の軍事介入が必要になる」という計画だった。

1962年10月は、もちろん近代史においては非常に重大な時だ。ニキータ・フルシチョフがキューバにミサイルを送ったのはその月だった。
 それがミサイル危機を勃発させ、不吉にも、地球を滅亡させる最終的核戦争に、あわや今一歩というところまで接近したのだった。
 しかし、今では、このような状態にフルシチョフを追い込んだのは、アメリカにも責任がある、というのが学会の通説になっている。フルシチョフが攻撃用兵器削減を要求していたことにたいして、ケネディが米国の軍事的優位性を急速に拡大させ、武力において米国が圧倒的優勢になっていたからだ。
 また、もう一つは、米国がキューバに侵攻する可能性があったことへの懸念も、フルシチョフの行動を促した。
 何年も経ってから、ケネディの国防長官だったロバート・マクナマラは、キューバとロシアが攻撃を恐れるのはもっともなことだったと認めた。「もし私がキューバ人かソビエト人だったら、私だってそう考えただろう」。キューバミサイル危機40周年を記念する大きな国際会議で、マクナマラはそう述べたのだ。

政策分析の専門家として高く評価されているレイモンド・ガルトフは、米国情報局で長年の勤めた経験をもっている人物だが、その彼が次のように書いている。
 10月危機が噴出する前の週に、フロリダで活動している亡命キューバ人のテロリスト集団が、米国政府公認のもと、「キューバのハバナ近くのシーサイドホテルにたいして、高速モーターボートを使った大胆な機銃掃射攻撃をおこなった。そこにはソビエト軍の専門家たちが集合しているということが分かっていた。そして多数のロシア人とキューバ人を殺害した」。
 彼は続けて次のように書いている。
 この後すぐ、テロリスト部隊は、イギリスとキューバの貨物船を攻撃し、さらに再びキューバを急襲した。これらは10月上旬に規模を拡大した他の攻撃のひとつだった。そのうえ、11月8日には、キューバ・ミサイル危機がまだ解決せず、緊張の糸が張りつめているときだったにもかかわらず、米国から送り込まれたテロ・チームが、キューバの産業施設を吹き飛ばしたのだった。
 それはマングース作戦が公式に一旦停止された後のことだったのだ。
 フィデル・カストロは、「スパイ機が撮った写真」を手がかりに、400人の労働者がこの作戦中に殺されたと主張した。キューバ危機の終了後すぐに、カストロ暗殺計画と他のテロ攻撃が続けられた。そして近年ふたたびそれがエスカレートしてきたのだ。

今まで、テロ戦争のむしろ端役的なものに注目が集まっていた。他方、数多くのカストロ暗殺計画が企てられ実行されたにもかかわらず、それは概してCIAの幼稚な悪ふざけとして片付けられている。それは別としても、起きたことのいずれも、[西側マスコミでは]ほとんど何の関心も論評も引き出してはこなかった。キューバ人への影響を調査する最初の英語で発表された本格的研究は、2010年、カナダの研究者キース・ボウレンダーKeith Bolenderによるものだった。彼の著書『相手からの声:キューバに対するテロの口述史』である。非常に価値ある研究だが、大手メディアからほとんど無視されている。

米国テロにかんする、今回のニューヨークタイムズ紙の記事で浮き彫りになった3つの事例は、氷山の一角にすぎない。それでもなお、ワシントンが殺人と破壊的なテロ攻撃に夢中になっていたこと、そして、このようなひどいことが政界やマスコミにとって何の関心も呼び起こさず何の重要性も持たなかったことを、このように彼らが公然と認めたことは、私たち民衆にとって有益である。それは、彼らがこのような行為を正常かつ適切なものとして受け入れていることを示すからである。要するに、米国はテロ超大国であるべきであり、したがって法律と文明的基準とは何の関係もない、というわけだ。

アメリカ人にとっては奇妙なことかもしれないが、このようなアメリカに、世界は賛同しないだろう。国際的調査機関WIN/GIA(the Worldwide Independent Network/Gallup International Association)によって1年前に公表された国際世論調査によると、「今日、世界平和にとって最大の脅威はどこか」という質問事項にたいして、米国はダントツの第一位であり、その遙かに下に第二位のパキスタンがいる。まして、その他の諸国はどれもア足下にも及ばない。(ただしパキスタン票が急増したのはインド人の投票によるものだろう。)

幸いにもアメリカ人は、この重要な情報を知らせてくれるメディアをもっていないので、毎日を心安らかに送ることができる。


<註> この翻訳は下記の寺島研究室HPにも載せてあります。写真入りのPDFファイルですから、こちらのほうが読みやすいかも知れません。
http://www42.tok2.com/home/ieas/translation_index.html
http://www42.tok2.com/home/ieas/Chomsky_US_Laeading_Terrorist_State.pdf

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-06-07/06_01_3.html

元CIAテロリスト処罰要求

反テロ国際会議

キューバ

米政府の「二重基準」を非難


写真

「テロに反対し、真実と正義を求める」国際会議=4日、ハバナ(松島良尚撮影)


 【ハバナ=松島良尚】キューバ政府の呼びかけで同国の首都ハバナで開かれていた国際会議「テロに反対し、真実と正義を求める」が四日、三日間の日程を終えて閉会しました。

67カ国から参加

 この会議は、あらゆるテロリストを法律に基づいて厳正に処罰することを主張し、現在、米当局に不法入国で逮捕、拘束されているテロリスト、ポサダ・カリレスの身柄をベネズエラ政府の求めに応じて引き渡すよう米政府に強く要求するために開かれました。

 会議には、中南米を中心に六十七カ国から六百人以上が参加。その多くは、一九七〇年代に南米諸国の軍事政権が共同して左翼勢力や民主的な活動家、市民を逮捕・拷問・殺害した「コンドル作戦」の犠牲者の家族や同作戦の研究家ら。キューバからも約八百人が参加しました。

 約七十人の発言者はそれぞれ、身内や自分自身が受けた「国家テロ」の実態を生々しく語るとともに、軍事政権を支え、弾圧に直接関与してきた米政府の責任を糾弾しました。ポサダら米国に亡命した反キューバ活動家やネグロポンテ元米国連大使ら国務省幹部らによる当時の弾圧への関与も浮き彫りにされました。

 「コンドル作戦」関係諸国の犠牲者家族らが一堂に会したのはこの会議が初めてです。

米軍の暴虐指摘

 発言者らはまた、イラクでの米軍の暴虐ぶりなどを指摘し、「国家テロ」に関与した自らの過去の問題に口を閉ざしたまま「反テロ」をかかげるブッシュ政権の「二重基準」を非難しました。

 キューバのカストロ国家評議会議長は閉会にあたって発言。「証言」で明らかにされた「コンドル作戦」などの残虐性は文明やヒューマニズムと一切無縁だと指摘。参加者の思いはテロ非難と米政府の責任の追及という点で完全に一致しているとのべました。

 また、テロを裁く恒久的な法的機関の創設を提案するとともに、米州機構(OAS)がポサダ引き渡しの措置をとるべきだと主張しました。

 一方、カリブ海諸国の経済共同体、カリブ共同体・共同市場(カリコム)はこの会議にメッセージを送り、ベネズエラへのポサダ引き渡しを支持するとのべました。


 ポサダ・カリレス ベネズエラ国籍も持つ亡命キューバ人。米中央情報局(CIA)の要員として、カストロ議長の暗殺未遂をはじめ、中南米各地で数々の謀略・破壊活動に関与。

 七十三人の犠牲者を出したキューバ民間機爆破事件(一九七六年十月)の共犯者としてベネズエラ当局が逮捕。脱獄して国外逃亡後、米国で逮捕・拘束。ベネズエラは米国と犯罪人引き渡し協定を結んでいますが、米政府はベネズエラの要求が引き渡し要件を満たしていないとして拒否しています。

http://www.asyura2.com/sora/war4/msg/855.html


米国テロ事件・キューバの中立が語るもの



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投稿者 dembo 日時 2001 年 11 月 20 日 06:42:36:





米国テロ事件・キューバの中立が語るもの:ハバナ・クレイジー ~ウソがマコトになるとき~
http://journal.msn.co.jp/articles/nartist2.asp?w=87363

2001 年 11月 19日
服部 雅博

「我々につくか、テロリストにつくか」。ブッシュ米大統領が世界に二者択一を迫るなか、キューバは、アメリカにもテロリストにもくみしない独自の立場を貫いている。中立でいられるのはキューバが石油に支えられた大量消費の豊かな物質生活とは無縁だからかもしれない。が、それゆえにひとつの理想を世界に示せたのではないかとも思えるのだ。


●「テロ支援国家」キューバの対応
アメリカ合衆国には、「テロ支援国家リスト」というものがある。テロリズムを支援したり、そのスポンサーとなっている、と米国政府がみなしている7カ国を名指したリストで、キューバはこれに該当している。(筆者注1)
アメリカ合衆国領土から140キロメートル程度しか離れていない社会主義国家キューバは、米国と長く深い確執を有し続けてきた。いわゆる冷戦が終了した現在においても、両国には国交がない。
しかし、9月11日の米国大規模テロ事件では、両国はこれまでにない歩み寄りを行った。事件発生から数時間後にはキューバ外務大臣が、急遽(きょ)、事件への関与の否定とテロリズム非難の会見を行い、同時に米国民への「連帯」を表明した。
米国内の事件に対し、キューバ政府がこれほど早急に声明を出したのは、異例のことだった。また、被害者を含む米国民に連帯を表明することも稀(まれ)だ。
キューバ国民の間でも、テロ非難と被害者への同情を示す声があがっていた。
「恐ろしいことだ!」と、私の古い友人マリオ・エルナンデスは言った。「多くの人間が死んだんだぜ。ひどいことをしやがった」
一方米国も、事件発生直後から積極的にキューバに接触した。米国内の唯一のキューバ側窓口である、在米キューバ共和国利益代表部を自ら訪問し、テロに関する様々な情報を求め、また情報交換を行った。
この時点での両国のやり取りは、異例に友好的であった。
キューバ政府は、テロを痛烈に非難した。637回の暗殺計画を潜り抜けてきたフィデル・カストロは、「テロは非人道的であり、戦いの手法としてばかげている」「テロは非難され、叩かれなければならない」と述べた。同時に彼は、その解決は交渉によってなされるべきであるとも強調していた。
米国内では、キューバとの関係改善を求める声があがった。
元在キューバ米国利益代表部署長のワイン・スミスや、通常はカストロ批判を行っている亡命キューバ人団体、人権団体など16の個人・団体が共同で、米国当局に対しテロ支援国家リストからキューバを外すべきかの再考を促す要請書を提出した。


●一転して非難がエスカレート
このようにテロ事件を機会に改善に向かいかけた両国関係だったが、事件解決の手段としてアメリカが軍事力の行使を強調し始めると、キューバは、あからさまな米国批判を始めた。
9月下旬頃にはキューバは、「米国は、戦争を挑発している」と非難。国連主導による解決を求めた。
キューバの指導者フィデル・カストロは、米国はビン・ラディンが犯人である具体的証拠を示せていないとして、「素朴な疑問として、アメリカの指導者らは、なぜそんなに傲慢(ごうまん)なのだ?」と嘆いた。
そして、アメリカから独裁者と呼ばれているフィデルの方から、「ブッシュの計画は、国際法も国際的な慣例も無視した、圧倒的な力で行う、世界的軍事独裁である」と非難した。
米英によるアフガニスタン空爆が始まるとフィデルは、米国非難をさらにエスカレートさせる。
空爆駆使開始から4日後の10月11日深夜に始まった演説では、「この戦争は、まったくもってヒステリーだ」と断言。アメリカは「組織的な犯罪輸出者」であり、「米国こそが、テロリストである」と、75歳の指導者は翌朝まで5時間に渡ってまくしたてた。
さらに「テロリストの攻撃は、残忍で狂気な行為である。しかし、その悲劇が、無実の人々を虐殺する無謀な戦争を始めることに利用されてはならない」と、熱意を持って語った。


●テロリズムとキューバ
フィデル・カストロの並々ならぬテロ否定には、自らの体験に基づく哲学があった。
米国による、フィデル・カストロらへの暗殺計画というテロリズムは、はっきりと判明しているものだけでも、「ブルータス作戦」「マングース作戦」「AMーLASH作戦」がある。これらは、大統領、大統領直属の国家安全保障会議、CIAらによって計画、承認、実行(未遂)されてきた。
さらに大規模なテロとして、CIAと反カストロ亡命キューバ人によるキューバへの空襲と武力侵攻がある。これはCIAが主となって計画し、時の大統領J.F.ケネディが承認したもので、米国では「豚の湾事件」、キューバでは「ヒロン浜侵攻」と呼ばれている。
加えて米国が保護する亡命キューバ人によるカストロへのテロ計画は、無数に行われてきた。キューバは、米国側によるフィデル暗殺計画数を637回と算出している。
米国がカストロ暗殺にこだわったのは、政権の座に就いた彼が徹底した対米独立の態度を見せたからだ。このフィデルの姿勢は、これまでキューバを「裏庭」として半植民地状態にしてきた米国の利益に大きく反した。
数多くテロの標的となってきたフィデル自身は、バティスタ軍事独裁政権に対しゲリラ戦を闘っていた時、指導者バティスタの暗殺は選択肢にはまったくなかったという。
軍事独裁体制そのものが問題であり、その中の個人を殺害したところで社会は変わらないと信じていたからだ。
彼のゲリラ戦は、独裁者の国外逃亡によって勝利するが、圧倒的に戦力の劣った革命軍の勝利の背景には、多数の民衆の支持があった。
「我々は、テロリストのやり方を実施したことは、決してない。我々は、倫理を有している。どんな戦争も、倫理を有していなければならない。もし我々に倫理がなかったなら、あのゲリラ戦争に勝利してはいなかっただろう」
今回の米国テロ事件に関してフィデルは、過去を振り返りつつこのように述べている。
手段として倫理ある戦争を肯定し、また自国内では反体制派を弾圧し絶対的権力で民衆を支配するフィデル・カストロだが、それらとテロを明確に区別したうえでテロリズムを一貫して否定し続けてきたのだった。


●「新自由主義」に抵抗して
米国大統領ブッシュは「あらゆる地域の全ての国家は、今、選択をしなければならない。我々側につくか、テロリスト達側につくか」と強要し、一方オサマ・ビン・ラディンは「いまや世界は二つに分けられた。信仰を持つ者と、異教徒とに」と宣言したが、これをフィデル・カストロは大問題視している。
彼は、「巨大で権力ある国のみならず、全ての国家が、ジレンマにたたされている。誰もが、戦争かテロ攻撃の脅威から逃れることが出来ない。米国政府側かテロリズム側かどちらかにつかなければならない、と我々すべてが命令されているのだ」と述べている。
そんな極端な二者択一強制のなかで中立を保っているキューバは、稀有(けう)な存在であろう。
フィデルは、アメリカの自由競争を基調とした世界戦略は貧富の差を拡大し富を偏在させるとして、徹底非難してきた。
今回の事件に関しても彼は、米国流の価値観を世界に強制することは怒りと謀反を育むだけだと主張し、「(アメリカが唱える)新自由主義は、大災害でしかない。これは、最悪の危機である。この世界は、間違いなく、爆発する」と警告している。
さらに続けて、「イスラム教徒らの強烈なナショナリズムと深い宗教的感情が、金や約束事によって骨抜きにすることが出来ると考えたのは、米国とNATOの金持ち同盟国にとって大変に大きな過ちだ」と述べているが、これは、物質的なものよりも精神的なものを重視するフィデルらしい見解であろう。
フィデル・カストロは、「人類の最も偉大な業績というものは、物質的なものではなく、良心とモラルの形態であり、それは世界を変え歴史を前進させるのだ」という、ほとんどクレイジーと呼べるほどの信念を持っているのだ。


●キューバの中立が語るものとは
米国大規模テロ事件でのキューバの中立は、石油に支えたれた大量消費の豊かな物質生活のためのパワーゲームとは無縁であったがゆえ、到達できた立場であろう。
そのキューバ共和国の暮らしは、先進諸国と比べると、物質的には決して豊かとはいえない。国民にも不満の声は多い。
配給だけでは満腹にならない。長らく肉を口にしていない。バスはいつも満員だ。断水は多いし、アパートのエレベーターは故障したまま。娯楽は少なく、家財道具はとてもシンプル。そして自家用車は夢の夢だ。
「なんでもかんでも、不自由だぜ、ここキューバでは」と、エルナンデスは言う。
国民の不満は、しかしながら、直接的かつ全体的なカストロ政権への否定に結びつくわけではない。それは「この問題をなんとかしてくれ」という、批判を含んだ要望のレベルであるのだ。
そんなキューバ人たちは物質的に質素な暮らしを不満に思う一方で、(90年代に破綻が見られたとはいえ)教育や医療の無料など社会福祉が充実し、安全で平等な環境下で生活を楽しんでいる。
近所の者が寄って楽しむドミノゲーム。いつ終わるとも知れないおしゃべり。路上野球に夢中になる子供たち。手作りのアクセサリーでデートに出かける少女。情熱だけを武器に女を口説き続ける青年。道で出会う知人たちと大げさに繰り返される挨拶のキス。揺りカゴの赤ん坊を見に来る隣人たち。
それは、何かに「白ける」ということのない暮らしだ。
また主にスペイン系白人とアフリカ系の黒人およびその混血からなるこの国では、最高の親友が自分と正反対の肌の色であることも珍しくない。夜道の一人歩きにそれほど危険はなく、子供の誘拐などありえない。路上生活者も皆無に等しければ、病院にかかれずに亡くなる人間もいない。
この生活様式がカストロ政権によって強制された価値観によるものであれば、それはフィデルの主張と矛盾することにもなるが、いずれにしても米国テロ事件においてキューバ政府が示した中立の背景にはそんな暮らしが存在しているのだ。
一方、自由主義と物質生活に浸かりきった経済先進国の我々にとって、キューバの暮らしやその政府の手法は、とうてい受け容れられるものではない。
自己利益のため、アメリカがイラクのサダム・フセインを挑発し悪に仕立てて起こした湾岸戦争によって中東支配の足場を作ったことと、イスラエルに関する米国のダブルスタンダードの政策に怒って、オサマ・ビン・ラディンは「米国民よ」と呼びかけながら、次のように宣言していた。
「パレスティナに平和が訪れない限り、(イスラム教の預言者)ムハマンドの聖なる地から異教徒の軍隊が全て出て行かない限り、米国に平和は訪れないだろう」
そんな構造のテロ事件において、米国の矛盾と偽善に満ちた論理にも、極端な二元論でテロ行為を正当化する加害者ビン・ラディンの論理にもくみしないフィデル・カストロの主張は、利害関係に塗れていないがゆえ、ひとつの理想を示すものとなっている。
(*1該当国は、北朝鮮、イラン、イラク、シリア、リビア、スダーン、キューバの7カ国。アフガニスタンは該当していない)


関連リンク

ハバナ・クレイジー ~ウソがマコトになるとき~ (4)
(服部 雅博:2001 年 7月 16日)
ハバナ・クレイジー ~ウソがマコトになるとき~ (3)
(服部 雅博:2001 年 7月 9日)
ハバナ・クレイジー ~ウソがマコトになるとき~ (2)
(服部 雅博:2001 年 6月 15日)
ハバナ・クレイジー ~ウソがマコトになるとき~ (1)
(服部 雅博:2001 年 6月 8日)

http://aajc.la.coocan.jp/archive40.html

ポサーダ・カリーレスの罪状


1976年のキューバ航空機爆破事件、2000年のカストロ議長暗殺未遂事件などの首謀者、ポサーダ・カリーレスは、数々のテロ行為を実行した国際テロリストとして、その犯罪を裁くよう、米国のニューヨーク・タイムズなどのマスメディア、キューバ、ベネズエラ、メルコスルなどのラテンアメリカ諸国によって要求されていますが、本年4月米政府は彼を釈放しました。ブッシュ政権のテロ対策への二重基準が鋭く問われている問題です。参考資料として、ポサーダ・カリーレスの罪状を紹介します。


1928年2月15日、ルイス・ポサーダ・カリーレス、キューバのシエンフエゴスに生まれる。父親は、製糖工場の化学技師。身長190センチ、瞳の色、緑、白髪、肌の色は白。キューバ人女性ニエベス・ゴンサーレス・レイバと結婚、二人の子供。エルサルバドル女性を愛人とする。
次の偽名を多用:Ramon Medina, Ignacio Medina, Juan Ramon Medina, Ramon Medina Rodriguez, Jose Ramon Medina, Rivas Lopez, Juan Jose Rivas, Juan Jose Rivas Lopez, Julio Cesar Dumas, Franco Rodriguez Mena.

1954年、ハバナに移住し、米企業、ファイア・ストーン社勤務。バチスタとの関係をもち、バチスタ独裁制の秘密警察の協力者となる。
1957年、FBIとの関係が始まる。ファイア・ストーン社のセールスマンとして中南米を回る。
1959年、キューバ国内各地の反革命破壊活動分子と協力。ドミニカの独裁者、トルヒージョ大統領のキューバ革命政府転覆活動に参加。
1960年、アルゼンチン大使館に政治亡命。

1961年2月25日、出国許可を取得し、マイアミに到着後1週間して、CIAの命令により米国の傭兵によるキューバのプラヤ・ヒロンへの侵攻計画で訓練指導員として参加。マイアミの反革命テロ組織、キューバ民族主義運動(MNI)と関係を持つ。3-4月、グアテマラで侵攻軍の訓練の教官となる。プラヤ・ヒロンには、船の故障により参加できず。
1962年、CIAにより訓練を受ける。
1963年、CIA要員となる。海事関係の訓練教官となる。ジョージア州のフォート・ベニングでマス・カノーサとともに、キューバ侵攻訓練、爆発・破壊・諜報活動の訓練を受ける。他の亡命キューバ人とともにケネディ大統領暗殺に関与。米軍の中尉の位を受ける。
1964年、CIAのタンパ基地にて、傭兵キューバ人を訓練。
1964-65年、米国、ドミニカ、プエルトリコで反キューバ革命活動に参加。CIA・FBIにマイアミのキューバ人についての膨大な情報を提供。CIA、ポサーダに反キューバ秘密作戦訓練センターの設立を指示。
1965年、FBI、ポサーダがグアテマラ政府打倒に関係していると報告。
1965年6月、ポサーダ、マス・カノーサとメキシコのベラクルスでソ連船を爆破する計画を立てる(CIA解禁文書)。

1967年10月、CIAによりベネズエラに派遣され、ベネズエラの情報・予防サービス局(DISIP)で作戦部長として勤務、左翼勢力を弾圧。バシリオの偽名を使用。
1967-76年、CIA要員として、ベネズエラ、グアテマラ、エルサルバドル、チリ、アルゼンチンで秘密作戦に従事。60年代、反キューバ革命組織、Alpha 66, Comandos L, Movimiento 30 de Noviembreと密接な関係を維持。
1971年、ポサーダ、カストロのチリ、ペルー、エクアドル訪問の機会に、暗殺を計画。
1974年1月、アルゼンチン、ペルー、メキシコのキューバ大使館爆破事件に関与。
1974年、ポサーダ、メキシコのキューバ領事暗殺に参加、領事の警備員死亡。
1974年7月、ラ米の各キューバ領事館に爆弾入り書籍を送る。
1974年11月、ブラジル研究所とエクアドルのボリビア大使館爆弾を仕掛ける。
1974年12月、ボッシュ他亡命キューバ人、チリに到着、ピノチェトの「コンドル作戦」での協力を開始。
1975年6月、ポサーダ、カラカスにテロ活動用の隠れ蓑会社、商業・工業調査企業(ICICA)を設立。
1975年10月、ポサーダ、チリ人政治家、ベルナルド・レイトン夫妻をローマで暗殺計画を実行、夫妻は重症。

1976年、オルランド・ボッシュとともに、反キューバテロ組織、統一革命組織委員会(CORU)を設立。76年1月-77年1月、CIA長官は、ジョージ・ブッシュ(父)。
1976年4月、ポルトガルのキューバ大使館爆破事件に関与。キューバ人外交官2名死亡。爆弾はC-4(一般にCIAが使用する)。
1976年6月21日、ポサーダ、キューバ航空機爆破計画をCIAに報告。
1976年7月1日、コスタリカのコスタリカ=キューバ文化センターに爆弾を仕掛ける。
1976年7月9日、ジャマイカでキューバ航空機の荷物の中に爆弾を仕掛ける。
1976年7月10日、バルバドスのキューバ航空事務所に爆弾を仕掛ける。
1976年7月11日、コロンビアでエアー・パナマ事務所に爆弾を仕掛ける。
1976年9月21日、ポサーダ、ボッシュ、ギジェルモ・ノボ・サンポルとともに元チリ外相、オルランド・レテリエル、アメリカ人ロニ・モフィットの爆弾暗殺に関与(FBI文書)。
1976年10月4日、CORU、キューバ映画を上映しているプエルトリコのTV局に爆弾を仕掛ける。
1976年10月6日、バルバドス上空でキューバ航空機を爆破。73名全員死亡。主犯オルランド・ボッシュとともに首謀者と認定される。その後カラカスでベネズエラ当局に逮捕され、エルナン・リカルド、フレディ・ルーゴとともに服役。

1985年8月、ベネズエラ刑務所で服役中に脱獄。アルバ経由でコスタリカ、エルサルバドルに逃避。エルサルバドルで待っていたのは、ポサーダの上司フェリクス・ロドリゲス(1967年、ボリビアで捕捉中のゲバラ殺害指示者)。この脱出は、全国キューバ系アメリカ人基金(FNCA=スペイン語、CANF=英語)とCIAにより資金が支援された。
1985年以降、エルサルバドルのイロパンゴ軍事基地を基盤に、ニカラグアのサンディニスタ政権打倒のため、反革命勢力(コントラ)とともに秘密作戦を展開。オリバー・ノース=CIAの武器輸送網(イラン・コントラ)の一翼を担う。多くのニカラグア人が死亡。
1986年、イラン・コントラ事件発覚後、ベネズエラ人教官とともにエルサルバドルで警官に対ゲリラ戦技術、尋問方法を教える。
1987年、ベネズエラ法廷、ポサーダを逃亡中で判決を下さず、オルランド・ボッシュを爆破事件と無関係として釈放。
1988年、グアテマラに移住し、グアテマラ電話公社の保安顧問として働く。ビニシオ・セレソ大統領の安全保障補佐として活動。
1989年6月、連邦検事、ジョー・D・ホイットレー、FBIその他の資料からボッシュを数々のテロ事件に関与したとして、米国から国外追放を命じたが、ブッシュ大統領、釈放しマイアミの自宅にかくまう。
1990年7月、ブッシュ大統領、ボッシュを自由人だと宣告。ポサーダ、グアテマラで爆破未遂事件で負傷、FNCAの資金を受けて、エルサルバドルで長期間治療。

1992年、FNCA、反キューバテロ活動用の軍事組織を組織し、ポサーダ、ノボ・サンポルとともに参加。
1993年、FNCAのテログループ、キューバ国民戦線を名乗る。
1994年1月、ホンジュラスのカルロス・ロベルト・レイナ大統領就任行事でカストロの暗殺をFNCAの資金により計画。
1994年6月、コロンビアのカルタヘナでガルシア・マルケスと同行していたカストロ暗殺を計画。自伝「戦士の道」を発行、FNCAとの関係を軽く触れる。
1994年、ポサーダ、ホンジュラスにおいてキューバ侵入の秘密コマンドを訓練秘密基地で、ホンジュラスの軍事諜報員として活動。

1994-97年、中米諸国で、キューバ観光施設爆破テロ要員を訓練。
1995年、ポサーダ、ホンジュラスの各地で41回の爆弾を設置。
1995年6月、コスタリカに行き、キューバ船爆破を計画、12月に実施。
1997年、キューバの数箇所の観光施設爆破事件を指導。イタリア人Fabio di Celmoが死亡。
1997年、ベネズエラのマルガリータ島における第7回イベロアメリカ首脳会議開催の機会にカストロ暗殺を計画。キューバ側に発覚され、未遂となる。
1998年7月12日・13日、ニューヨーク・タイムズとインタビューし、キューバの観光施設爆破計画の首謀者であることを認め、その資金がFNCAにより出ていることを認める。また、CIA、FBIより一度も妨害を受けなかったと述べる。ベネズエラ、エルサルバドル、グアテマラ、米国の4つの国籍、パスポートをもっていることを認める。
1998年8月、カストロのドミニカ訪問の機会に、暗殺を計画。
1998年9月、キューバのホテル爆破実行犯、Raul Ernesto Cruz Capote逮捕され、ポサーダから資金を受け、指示されたものであることを認める。
1998年、ポサーダ、ハバナ―中米のキューバ航空機爆破を計画。

2000年11月、パナマでイベロアメリカ首脳会議に参加したカストロ議長暗殺未遂事件を計画、逮捕される。ガスパル・ヒメネス・エスコベド、ペドロ・レモン、ギジェルモ・ノボ・サンポルとともに逮捕、拘留。
2004年4月、パナマで暗殺未遂関係者、裁判で4-8年の懲役の判決を受ける。

2004年8月26日、ブッシュ政権の圧力でパナマのミレヤ・モスコソ大統領、政権交代5日前に、ポサーダ・カリーレス他3名を恩赦で釈放。トクメン国際空港に飛行機で移動したあと、特別機でホンジュラスに向かい、ポサーダはホンジュラスに留まる。他3名はマイアミに到着。
2005年3月、ポサーダ、メキシコ経由でエビ漁船にてマイアミに不法に入国し、亡命を求めて帰国。
2005年4月、カストロ議長、国際テロリスト、ポサーダをかくまっている米国政府を非難。
2005年5月4日、ベネズエラ外相、アリ・ロドリゲス、ベネズエラ・米国の両国により署名されている犯罪者引渡し協定に基づき、ポサーダ・カリーレスの身柄引き渡しを米国政府に要求。
2005年5月10日、ニューヨーク・タイムズ、米国政府は、ポサーダを逮捕し、ベネズエラ政府に引き渡すべきだと社説で主張。
2005年5月12日、カストロ議長、FBI、CIA解禁文書を引用し、キューバ航空機爆破事件へのFBI、CIAの関与を指摘。
2005年5月15日、マイアミの「ヌエボ・ヘラルド」紙(右派系)も、ポサーダは、フィデル・カストロとの戦争で勝てない」と報道。
2005年5月17日、ハバナで、ポサーダ・カリーレス裁判要求のデモ行進。120万人参加。マイアミで、ポサーダ・カリーレス逮捕される。
2005年5月28日、米当局、ポサーダをベネズエラに引き渡すに足る十分な犯罪証拠がないと述べる。
2005年6月15日、ベネズエラ政府、公式にポサーダの身柄引き渡しを要求。
2005年9月13日、キューバ政府、テロリスト。ポサーダ・カリーレスのキューバ引渡しを米国政府に要求。
2006年3月、米移民局、ポサーダは、当面釈放されないと述べる。
2006年3月22日、米移民局、ポサーダ・カリーレス宛の書簡を送り、「国際社会、航空の観点から国家安全保障上危険人物とみなし、釈放できない」とのべる。

2007年4月6日、テキサスの法廷で、キャサリン・カルドーン判事は、ポサーダ・カリーレスの5月11日までの保釈金、釈放を決定する。
2007年4月19日、ポサーダ・カリーレス、米連邦裁判所によって保釈される。
2007年5月8日、米連邦裁判所は、ポサーダ・カリーレスの入国管理法違反の起訴もすべて却下。

岡知和作成。(資料:AIN、Prensa Latina, Granma)

http://blog.livedoor.jp/soliton_xyz/archives/22402302.html

2005年05月18日



テロリストの帰還

73人の乗客が死亡した1976年のキューバ航空445便DS8型機爆破事件の首謀者として起訴されていたテロリスト、ルイス・ポサダ元被告が、30年近くの逃亡生活を経て、突然フロリダ州南部に舞い戻り、アメリカに亡命を申請してきた。

ポサダはベネズエラで航空機爆破事件の容疑者として逮捕され起訴されたが、脱走し逃亡していた。
ベネズエラは、裁判のためポサダの身柄の引渡しをアメリカ政府に要求している。

17日にはカストロ・キューバ議長を先頭にハバナでは数十万人規模のデモが行われた一方で、フロリダ州マイアミではポサダを自由の戦士と称えて擁護するデモが行われたが、デモと同じ17日、ポサダは、亡命申請を撤回して国外に出ようとしたところを本土安全保障省に身柄を確保された。

USA国務省高官
「国外退去処分にしたいが、キューバと、キューバに引き渡す可能性のあるベネズエラには引き渡したくない」

キューバ政府高官
「いかなる者もテロリストをかくまってはならないとしたブッシュ大統領の政策を実行する良い機会だ」




NHK・BS1で見たアメリカのABCニュース「ナイトライン」は、予想もしていなかったテロリストの帰還を取り上げてました。

ポサダは、ケネディ政権が立案し失敗に終わった1961年のヒッグス湾侵攻作戦のために集められたキューバ人亡命者の一人だった。1963年2月から1964年3月までアメリカ軍に在籍。1966年7月には月およそ300ドルでCIAの工作員をしているとのFBIの文書が残っている。その後、当時は反カストロだったベネズエラの情報機関に入った。

1972年以降はCIAとの関係は切れたと思われるが、1997年のハバナでの一連のホテル連続爆弾テロに関与した後、2000年にはパナマ訪問中のカストロ議長の暗殺を企てた容疑で、15kgのプラスチック爆弾を押収され投獄されたが、2004年9月にパナマ大統領から恩赦を受けていた。

航空機爆破事件の数日後にはカストロ議長がCIAの関与を非難したが、キッシンジャー国務長官は「アメリカ政府と関わりのある人物は一切関わっていないと断言できる」と全面否定した。

しかし、最近になって機密解除となった文書によると、1976年6月22日付けのCIA極秘文書「キューバ亡命者過激派によるキューバ航空機爆破計画の可能性」で警告されているとおりに3か月後に爆破され、その翌日の10月7日付けのFBI極秘電報は「ある情報筋がポサダとその仲間の計画犯行だと大筋で認めた」と書かれているほか、「在ベネズエラ米国大使館勤務のFBI工作員が、実行犯の一人のアメリカ・ビザ取得を助けた」との文書もあるなど、政府の関与を示す文書はないものの、関係の深さを示す文書は数多いという。


CIAって、とてもわかりやすい文書名を付けますね。似たようなのが「華氏911」にもあったような気がしますけど。。。

http://www.jca.apc.org/stopUSwar/latin_america/cubanfive.htm



“Cuban Five”:「対テロ戦争」の欺瞞を暴く
カストロ首相とキューバに対する亡命キューバ人組織によるテロを利用してきた米政権、その首謀者をかくまう
――逆にテロ防止活動をしたキューバ人を8年も不当に投獄――


 「キューバン・ファイブ」「ルイス・ポサダ」という言葉をご存じだろうか。欧米の反戦平和運動の中ではほとんど周知になっているこの言葉が、日本ではほとんど皆無と言っていいほど知られていない。私たちはこれまで、ブッシュによる対イラク戦争の無法性と犯罪性を批判してきたが、今回は、この知られていない事件について、簡単に紹介することとしたい。

********************************

 1976年10月6日、キューバ航空の旅客機が爆破され、73人の乗客・乗員が死亡した。その首謀者であり、数多くの反キューバ・テロ犯罪に関わったルイス・ポサダ・カリレスが、フロリダ州マイアミに安住の地を手に入れようとしている。
 その一方で、テロ活動を防止しようと情報収集を行なったことで、米国の国家安全保障を脅かすスパイ活動を行なっていたという「罪」に問われ、8年以上にわたって投獄され続けている5人のキューバ人がいる。

 ルイス・ポサダ・カリレスは、キューバ航空機爆破事件の容疑者の一人として逮捕されたが、そのときは証拠不十分として釈放された。彼は、米国フロリダ州マイアミに本拠を置く反キューバ組織と深いつながりがあり、そこから資金援助を受けて活動していた。70年代にはベネズエラ諜報局の高官であり、このキューバ航空機爆破もベネズエラから指揮していたとされる。機密指定が解除されたCIAとFBIの公文書では、ポサダが実行犯の一員であるとはっきり述べられている。キューバ航空機爆破事件の少し前に起きた事件、チリ・アジェンデ政権の下で活躍した外交官の爆殺事件にもかかわった疑いがある。1997年のハバナでの連続爆破事件は、フロリダの反キューバ組織から資金援助を受けて行なったと、ニューヨーク・タイムズのインタビューで自ら語った。
 ポサダは、2000年にパナマ訪問中のカストロ・キューバ首相暗殺計画が発覚して逮捕され、8年の刑でパナマで服役していたが、2004年9月、米国に支持されたマイアミの亡命キューバ人組織などの圧力で恩赦によって釈放された。中米での逃亡生活の末、2005年3月に米国に亡命しようと不法入国し、5月にマイアミで拘束された。キューバ政府とベネズエラ政府は、ポサダの身柄をベネズエラに引渡すことを米国に対して要求している。ベネズエラは、1976年のキューバ航空機爆破事件の容疑で、キューバは1997年のハバナでの連続ホテル爆破事件の容疑で、ポサダを指名手配しているからである。しかし、彼は、フロリダ州マイアミで大きな顔をしてテレビに登場して「手柄話」をすることができる。米国当局は、彼の政治亡命を認め、あらゆる告発から彼を護ろうとしている。
※(CIA、FBI文書)LUIS POSADA CARRILES/THE DECLASSIFIED RECORD/CIA and FBI Documents Detail Career in International Terrorism; Connection to U.S.
http://www.gwu.edu/~nsarchiv/NSAEBB/NSAEBB153/
※(ニューヨーク・タイムズ記事)Key Cuba Foe Claims Exiles' Backing
http://www.nytimes.com/library/world/americas/071298cuba-plot.html#1


the Cuban Five

 1976年の航空機爆破テロの後、数限りなく行われ続けるキューバとキューバ人に対するテロ活動を防止するために、5人のキューバ人がマイアミの亡命キューバ人組織に入り込み、テロ活動に関する情報を収集してキューバ政府に知らせる活動を行なった。マイアミの反キューバ諸組織は、40年以上にわたって数え切れない反キューバ・テロ活動を行い、3,400人以上のキューバ人を殺害してきたのである。

 5人のキューバ人――ジェラルド・ヘルナンデス、ラモン・ラバニーノ、アントニオ・ゲレロ、フェルナンド・ゴンサレス、レネ・ゴンサレス――が、1998年9月、FBIによって逮捕され、米国の国家安全保障を脅かすスパイ活動を行なったという罪に問われた。マイアミの拘置所に17ヶ月にわたって不当に孤立監禁された後、2000年11月、反キューバの異常な魔女狩り的な雰囲気をもつマイアミの裁判所で裁判が開始された。弁護団は、正当な裁判が行われる上での裁判地の不適切さを繰り返し主張したが、それはことごとく却下された。2001年12月、陪審員が身体的な脅威を感じるような雰囲気の中で、米国政府に対するスパイ活動その他の罪状で長期刑の判決が下された。

 「5人」は、自分たちの活動が、マイアミを拠点とするテロリスト・グループの行動をモニターしていたのであって、米国政府に向けられたものではないこと、自分たちの国キューバへのテロリストの攻撃を防ぐためのものであること、犯罪行為を防止し多くの人命を護ることが目的であること、などを精力的に訴えた。彼らは、いかなる武器も所持せず、誰にも危害を加えてはいなかった。
 マイアミのテロリスト・グループは、FBIとCIAの認知と支持の下に、完全な免責特権をもって、米国内からキューバを攻撃するための活動を行なっている。「5人」は、それらのテロ組織に潜入してその行動を監視し、差し迫った攻撃についての情報をキューバ政府に伝えていたのである。


「5人」の解放運動の進展と高揚する反戦運動との結合

 2005年になって、「5人」の家族たちによる国連人権委員会への訴えがきっかけとなって、運動が高揚し始めた。05年5月、国連「恣意的勾留に関するワーキング・グループ」が意見と勧告を出した。国連人権委員会は、「5人」の投獄が不法かつ恣意的であると結論付け、米国政府に「5人」を釈放するよう勧告したのである。

 この国連人権委員会ワーキング・グループの意見・勧告が出されて、ようやく7年にわたる不当性の訴えが米国内でも取り上げられるようになった。そして2005年8月、アトランタの第11管轄区控訴院(the 11th Circuit Court of Appeals)の3人の判事による陪審団(three-judge panel)が、有罪判決の破棄とマイアミ以外の地での新たな裁判を命じる裁定を下したのである。
 ところが、そのすぐ後の10月末に、同じ控訴院が、その裁定を無効にし12人の判事全員による合議のやりなおしを決定した。前の画期的な裁定からきっかり1年後の2006年8月、控訴院は、10対2で新たな裁判を否定する決定を下した。

 この決定に対して、即座に抗議行動が行なわれ、9月の逮捕8周年へ向けて国際的なキャンペーンが行なわれた。この運動をはじめとして、2006年は、5人の解放運動が一大高揚をとげた年であった。その最も大きな原動力は、米国内のイラク反戦運動と結びついたことにある。「キューバン・ファイブ解放委員会」が米国各地に250以上つくられ、その活動が「ANSWER連合」の反戦運動と緊密に結びつくようになった。「キューバン・ファイブ解放」のスローガンは、ブッシュの「対テロ戦争」の虚偽と欺瞞を暴く象徴として、イラク反戦運動の中で恒常的な位置を占めるようになったのである。


国際的な運動の広がり

 2006年は、米国内においても国際的にも、運動が大きく広がり前進した。「キューバン・ファイブ解放全国委員会」とその支部は、特に報道管制を打ち破る闘いに力を入れた。2月のアトランタ控訴院での口頭弁論では、傍聴席を国内外の司法関係者で満杯にし、春から夏にかけてメディア・キャンペーンを実施し、ジャーナリストの討論集会を行い、法的または政治的な事態の進展がある毎に記者会見を開くなど、メディアへのはたらきかけを精力的に行なった。その結果として、地方の有力紙だけでなく大手メディアの一部もこの問題を取り上げるようになった。

 「5人」が逮捕・拘束された8周年の9月23日には、司法省からホワイトハウスまでのデモ行進と集会が組織され、その前後の国際的なキャンペーンで、運動の新たな拡大と前進があった。「キューバン・ファイブ解放委員会」は、国際的な広がりをもった組織になり、すべての大陸に広がった。
 マイアミと南フロリダに進歩的なキューバ人コミュニティーが形成され、数多くのフォーラムやデモンストレーションが行なわれるようになったのも、画期的なことである。

 12月の国際的キャンペーンでは、ロサンゼルス、シアトル、ニューヨーク、シカゴ、サンタバーバラ、ニュープラッツ、ワシントンDC、アトランタ、マイアミなど、全米各地と、マドリードでの5,000人行動をはじめとして、英国、イタリア、ロシア、ウクライナなどでも、さまざまなイベントが行われた。「キューバン・ファイブ解放委員会」は、今年1月には全世界で290を数えるまでになった。


「対テロ戦争」の欺瞞が白日の下に晒されている

 2005年春、不法入国でマイアミで拘束されたポサダは、米国への政治亡命を申請した。ポサダの拘束と亡命申請が明らかになったとき、ANSWER連合は「テロリスト、ルイス・ポサダ・カリレスの米国亡命を阻止せよ!」「殺人者ルイス・ポサダをベネズエラに引き渡せとのベネズエラ・キューバの対ブッシュ要求に支持を!」というキャンペーンを行なった。それに対して1ヶ月で2万人以上の賛同が集まった。

 米国移民局の拘置の下にあったポサダの勾留期限(今年2月1日)が近づく中で、連邦行政執行官がポサダの釈放を勧告し、ポサダが何の罪にも問われず釈放される可能性が報じられた。それに対して、反戦運動と連帯したキューバン・ファイブ解放運動の精力的な活動によって、「テロリストをかくまい反テロ闘士を投獄するブッシュ政権」という批判が、米国内でも国際的にも高まった。その結果として、米国政府は、ポサダの釈放は外交上その他の有害な結果を招くとして、反対せざるをえなくなった。
 その中で、今年に入って1月11日、ポサダが拘置されているテキサス州エルパソの連邦大陪審は、7項目の起訴状を発表した。これは、さまざまなテロ容疑で悪名高いポサダをアメリカ合衆国が初めて罪に問うものであるが、その罪状は、不法入国した際の事情聴取で偽りの供述をしたことについてであった。テロ活動については全く不問に付されたのである。
 起訴することで、ブッシュ政権は、政治亡命を認め釈放することによる国内外の批判・非難を回避し、身柄引き渡し要求に応じないで米国がポサダを勾留し続ける口実を確保したのである。

 「キューバン・ファイブ」の問題は、このように、ブッシュ政権の「対テロ戦争」という虚偽と欺瞞を白日の下にさらす重要な闘いとして、米国内と全世界で高い関心を呼び起こしつつあるのである。
 それが、日本においては全く報じられていない。私たちは、今後もこの運動に注目し連帯していくとともに、日本のマスメディアに対して、今や全世界的な関心事のひとつとなっている「キューバン・ファイヴ」について正しく報道することを要求する。
※(NATIONAL COMMITTEE TO FREE THE CUBAN FIVE)http://www.freethefive.org/
Who are the Cuban Five?
http://www.freethefive.org/whoarethefive.htm
※(NATIONAL COMMITTEE TO FREE THE CUBAN FIVE)Communique from the National Committee to Free the Cuban Five
http://www.freethefive.org/updates/Comuniques/CONatCommUpdate123106.htm
※(NATIONAL COMMITTEE TO FREE THE CUBAN FIVE)Grand jury indicts Cuban exile militant Luis Posada Carriles and two associates
http://www.freethefive.org/usTerrorism/USTerrPosada11207.htm



2007年1月25日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%B9_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

スカーフェイス (映画)





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スカーフェイス

Scarface

監督
ブライアン・デ・パルマ

脚本
オリバー・ストーン

製作
マーティン・ブレグマン

製作総指揮
ルイス・A・ストローラー

出演者
アル・パチーノ
スティーヴン・バウアー
ミシェル・ファイファー
メアリー・エリザベス・マストラントニオ

音楽
ジョルジオ・モロダー

撮影
ジョン・A・アロンゾ

編集
デイヴィッド・レイ
ジェリー・グリーンバーグ

配給
ユニバーサル・ピクチャーズ

公開
アメリカ合衆国の旗 1983年12月9日
日本の旗 1984年4月28日

上映時間
170分

製作国
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国

言語
英語

製作費
$25,000,000

興行収入
$45,408,703[1] アメリカ合衆国の旗カナダの旗
$65,884,703[1] 世界の旗
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『スカーフェイス』(原題:Scarface)は、1983年のアメリカ映画。監督はブライアン・デ・パルマ。

1932年のギャング映画『暗黒街の顔役』(こちらも原題は Scarface)をオリバー・ストーンが脚色した。主演はアル・パチーノ。キューバからアメリカにやってきたボートピープルの青年トニー・モンタナが、コカインの密売でのし上がり、自滅していく様子を描いたピカレスクロマン。トニー・モンタナ役は、当初はジェフ・ブリッジスがやることになっていた。

1983年に全米公開され、全米興行収入週末成績初登場2位(1983年12月9日-11日付)のヒットを記録した。日本における公開は1984年4月。

ゴールデングローブ賞ではジョルジオ・モロダー(作曲賞)、スティーブン・バウアー(助演男優賞)、アル・パチーノ(主演男優賞)がノミネートされた。



目次 [非表示]
1 ストーリー
2 キャスト
3 スタッフ
4 『暗黒街の顔役』との相違点
5 影響
6 ゲーム版
7 脚注
8 関連項目
9 外部リンク


ストーリー[編集]

1980年、キューバから反カストロ主義者として追放され、フロリダ州マイアミへ船で渡ってきたトニー・モンタナ(アル・パチーノ)とマニー・リベラ(スティーヴン・バウアー)は、政治犯レベンガの殺害を皮切りにアメリカの裏社会で暗躍するコカイン取引きで一攫千金を狙い、麻薬王と呼ばれるフランク(ロバート・ロッジア)の配下におさまる。独断でボリビアの黒幕・ソーサ(ポール・シェナー)と高額取引を成立させたトニーを危険視したフランクは、殺害を試みるが失敗。逆にトニーはフランクを殺害し、フランクの座はトニーに奪取されることとなる。全てを手にし、ふと空を眺めるトニーの目に映ったのは、宣伝用の飛行船に書かれた"The World is Yours"(世界はあなたのもの)の文字だった。

フランクの大邸宅と情婦エルヴィラ(ミシェル・ファイファー)を手にし、マイアミの麻薬王として君臨するトニーだったが、次第にエルヴィラやマニーと確執が生じるようになり、自身も麻薬の大量摂取により崩壊していく。ある時、脱税の摘発をきっかけに麻薬取締りの手がトニーとソーサ達を包囲し始める。事態を打開しようとしたソーサは、麻薬取締り委員会最高顧問の殺害をトニーに依頼。依頼を了承しソーサが差し向けた殺し屋と共に爆殺を試みるが、家族と一緒の場面を見て関係のないファミリーを巻き添えにすることを躊躇したトニーは、家族皆殺しを決行しようとするソーサの部下を逆に射殺し、大邸宅へと引き返す。そして、トニーが溺愛するあまりに素行の乱れた妹ジーナ(メアリー・エリザベス・マストラントニオ)のことで母に罵られ、苛立つトニーはジーナと弟分のマニーが結婚していた事実を知らずに衝動的にマニーを射殺してしまう。

裏切り者を始末しようと、武装したソーサ一味はトニーの大邸宅を襲撃する。激しい銃撃戦の中、部下をはじめ妹までも失ったトニーは1人で敢然と立ち向かうが、無数の銃弾を浴び、息絶える。トニーの死体を見下ろすように、オブジェに記された"The World is Yours"(世界はあなたのもの)の文字が輝く。

キャスト[編集]


役名

俳優

日本語吹き替え


ソフト版

テレビ朝日版

テレビ東京版

アントニオ・“トニー”・モンタナ アル・パチーノ 山路和弘 樋浦勉 磯部勉
エルヴィラ・ハンコック ミシェル・ファイファー 石塚理恵 戸田恵子 高島雅羅
マニー・リベラ スティーヴン・バウアー 楠大典 石丸博也 谷口節
ジーナ・モンタナ メアリー・エリザベス・マストラントニオ 岡寛恵 土井美加 深見梨加
フランク・ロペス ロバート・ロッジア 菅生隆之 石田太郎 小林勝彦
オマー・スアレス F・マーリー・エイブラハム 牛山茂 仲木隆司 麦人
アレハンドロ・ソーサ ポール・シェナー 石塚運昇 金内吉男
メル・バーンスタイン ハリス・ユーリン 佐々木梅治 藤本譲 筈見純
トニーの母親 ミリアム・コロン 野村須磨子 竹口安芸子
テレビ朝日版 - 初放送1989年5月28日 『日曜洋画劇場』
テレビ東京版 - 初放送1991年3月28日 『木曜洋画劇場』

スタッフ[編集]
監督:ブライアン・デ・パルマ
製作:マーティン・ブレグマン
製作総指揮:ルイス・A・ストローラー
撮影:ジョン・A・アロンゾ、A.S.C.
音楽:ジョルジオ・モロダー
脚本:オリバー・ストーン

『暗黒街の顔役』との相違点[編集]

ハワード・ホークスが手がけた『暗黒街の顔役』のリメイク作品で、部分部分に違いが見られるものの、基本的な話の流れは原作と変わらない。

大きな相違点は、主人公の出自がキューバ人ということになっていることである。原作では警察が彼への包囲網を強め、結果として死に至るが、本作では警察の捜査により摘発されたトニーが、それから逃れるために同盟関係にある男から人殺しの依頼を受け、しかしそれができず死に至るという展開であることなどが挙げられる。

『暗黒街の顔役』の上映時間92分に対し、『スカーフェイス』は170分あり、電動ノコギリによる拷問シーンなどリメイクオリジナルのシーンも多数ある。

影響[編集]

公開当時は、決して評論家などからの評価は高くなかったが、その後時間の経過と共にマフィア映画のカルト的な傑作としての評価が確立し、特に黒人の若者たちの間では熱狂的に支持されるようになった。今では都市部のギャングのライフ・スタイルのバイブルとして、この作品と主人公のトニー・モンタナは、映画を超えた文化的なアイコンとなっている。また、そうした社会的な影響の中でも、特にヒップホップ音楽に於いてはこの作品のイメージはアイコンとして何度も引用され、ギャングスタ・ラップのアーティストたちのファッションや歌詞のスタイルに大きな影響を与えている。

全世界で大ヒットしたRockstar Games社のコンピュータゲーム『Grand Theft Auto: Vice City』は、本作の影響を受けた作品として知られている。

主人公トニー・モンタナの台詞 "Say hello to my little friend!(「これがご挨拶だ!」)" は、アメリカン・フィルム・インスティチュート (AFI)が選んだ「アメリカ映画の名セリフベスト100」の61位に選ばれ、現在でも映画やテレビ番組などで度々引用される。

ゲーム版[編集]

2006年にVivendi Games社から本作のビデオゲーム版『Scarface: The World is Yours』(対応機種:PS2、Xbox(Xbox 360対応)、Wii(2007年発売予定)、Windows)が発売された(すべて海外版のみ。)。ストーリーは映画版の「If」をテーマにしており、ラストの襲撃を辛うじて生き延びたものの富も権力も全て失ったトニーが、ソーサ一味に復讐するために再び成り上がっていく、という筋書き。本編同様、スラングや暴力描写がふんだんに盛り込まれている。

ゲーム内容は敵対するギャングと戦いつつ、麻薬売買やマネーロンダリングを通じて資金を稼ぐというもの。ある程度持ち合わせができればマイアミの物件(トニーの屋敷も含む)を買い漁ったり、表社会のビジネスに投資したりして徐々に勢力を取り戻していくことができる。三人称視点のゲーム画面や自動車の運転など、一見『GTAシリーズ』に似通った作風ではあるが、街中で銃を構えたり自動車を盗んだりすれば即座に通報されてしまうなど、『GTA』とは異なったコンセプトに仕上がっている(こうした事情から自動車は自分で購入したり部下に電話して調達しなければならない)。

なお、トニーの声を出しているのはアル・パチーノ本人ではなく、彼が推薦した声優のアンドレ・ソグリウゾである。

脚注[編集]

1.^ a b “Scarface (1983)” (英語). Box Office Mojo. Amazon.com. 2010年2月9日閲覧。

関連項目[編集]
最も多くFUCKという言葉が使われた映画一覧

外部リンク[編集]
ユニヴァーサル・ピクチャーズ『スカーフェイス』
Scarface Movie Soundboard (英語)
スカーフェイス - allcinema
スカーフェイス - KINENOTE
Scarface - AllMovie(英語)
Scarface - インターネット・ムービー・データベース(英語)



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ブライアン・デ・パルマ監督作品
1960年代
Murder a la Mod (1968年) -
ロバート・デ・ニーロのブルーマンハッタン/BLUE MANHATAN2・黄昏のニューヨーク (1968年) -
御婚礼/ザ・ウェディング・パーティ (1969年)

1970年代
ロバート・デ・ニーロのブルーマンハッタン/BLUE MANHATAN1・哀愁の摩天楼 (1970年) -
Get to Know Your Rabbit (1972年) -
悪魔のシスター (1973年) -
ファントム・オブ・パラダイス (1974年) -
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クバーナ航空455便爆破事件
クバーナ航空455 出来事の概要
日付 1976年10月6日
概要 爆破テロ
現場 バルバドスの旗 ブリッジタウン沖のカリブ海
乗客数 48
乗員数 25
負傷者数
(死者除く) 0
死者数 73
生存者数 0
機種 ダグラス DC-8-43
運用者 キューバの旗 クバーナ航空
機体記号 CU-T1201
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クバーナ航空455便爆破事件(Cubana Flight 455) は、1976年10月6日にキューバの民間航空機に対する爆破テロによって発生した航空事故である。

目次

1 事件の概要
2 事故の真相
3 引用
4 外部リンク
5 関連項目

事件の概要

1976年10月6日、クバーナ航空(キューバ航空)455便はダグラスDC-8-43(機体記号:CU-T1201)で運航されており、ガイアナのジョージタウンからトリニダード・トバゴとバルバドスとジャマイカを経由してキューバのハバナに向かうフライトプランであった。

455便は経由地のバルバドス・シーウェル空港(現在のグラントレー・アダムス国際空港)を離陸し次の経由地であるジャマイカ・キングストンに向かうはずであった。離陸して9分後、18000フィートを飛行していた午後5時24分に機体後部の洗面所で爆発が発生した。機長は直ちに「機内で爆発が起きた!機が急降下しています、火災も発生しています。非常事態であり緊急着陸を要請します!」"We have an explosion aboard, we are descending immediately! ... We have fire on board! We are requesting immediate landing! We have a total emergency!"と管制塔に連絡した。

機長は空港へ引き返そうとしたが、そこで第二の爆発が発生した。この時機体後部から煙を出しながら雲の下を飛行している姿が目撃された。もはや無事に着陸するのは不可能と判断したかのように、455便は大きく右旋回しながら海岸から離れていった。そして空港から8Km、ブリッジタウンの沖合16Km離れたカリブ海に機首を上げた状態で突入してしまった。

この事故で乗員25名と乗客48名の計73名全員が死亡した。455便の搭乗者の国籍はキューバ57名、ガイアナ11名、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)5名であった。また乗客にはキューバのフェンシングのナショナルチームのメンバー24名が含まれており多くは10代であった。またキューバ政府の高官数名も含まれていた。なおガイアナ人は医学生と外交官夫妻、朝鮮人は北朝鮮政府高官とカメラマンであったという。

455便が墜落したのは、爆発で発生した火災で機内で有毒ガスが発生し、操縦乗員が意識を失ったためと推測されている。
事故の真相

爆発が機体後部で発生したことから当初からテロによるものとみられていた。被疑者としてキューバのカストロ政権に反発する反カストロ主義者が考えられた。445便に偽名で搭乗してバルバドスで降りた2名のベネズエラ人をトリニタード当局が逮捕し、その自供から事件の首謀者としてルイス・ポサダ・カリレスら2名が逮捕された。

事件の裁判はベネズエラで行われたが、1980年9月に同国の軍事裁判所は「証拠不十分」を事由に無罪を宣告した。これは不可解なことにバルバドスの捜査当局が収集した証拠資料の提出が遅れた上に、翻訳(バルバドスの公用語は英語、ベネズエラの公用語はスペイン語)されなかったのが原因であるという。しかしルイス・ポサダ・カリレスが首謀者であったことが、2007年5月に機密指定が解除されたCIAおよびFBIの公文書において判明している。この中でポサダがCIAに長年協力しており、クバーナ航空455便を爆破した実行犯の一員であると断言されている[1]。

ポサダはその後もキューバに対するテロ活動を行っていたとされ、キューバの観光産業への打撃を狙った1997年のハバナにおける連続爆弾テロの時も、ベネズエラに滞在していた。しかし2005年4月になってアメリカ・マイアミへ逃走し、政治亡命を申請した。その際に、彼の顧問弁護士がアメリカ合衆国政府に保護される要件として、彼がアメリカのために対外破壊工作活動に協力してきた点を強調した。そのためか2007年5月8日、エル・パソ連邦地裁は、尋問に不備があったとしてポサダに対する全ての訴状を却下し、彼を釈放した。そのためベネズエラ、キューバ両国の外相は、テロ活動に対する「アメリカの二重基準」を厳しく批判した[2]。

1998年、カストロがバルバドスを訪れた際にバルバドスの西海岸で事件の慰霊碑の除幕式が行われた。
引用

^ LUIS POSADA CARRILES: The Declassified Record(The National Security Archive, the George Washington University、英語)
^ 「米政府は『二重基準』ベネズエラとキューバが批判」 しんぶん赤旗

外部リンク

Aviation Safety Network for Cubana 455
PDF Report on the Judicial Proceedings (in Spanish)
1998 Barbados Monument located in the parish of Saint James, Barbados|Saint James, dedicated to the victims of the aircraft bombing.
Picture of the airplane

関連項目

キューバ系アメリカ人財団:1997年のハバナにおける連続爆弾テロを資金面で支援したとされるキューバの反体制組織

[隠す]

表 話 編 歴

← 1975年 1976年の航空事故 1977年 →

6月27日:エールフランス139便
9月10日:ザグレブ空中衝突事故
10月6日:クバーナ航空455便

カテゴリ:

航空機テロ飛行中の火災による航空事故DC-8による航空事故1976年の航空事故アメリカ合衆国・キューバ関係1976年の国際関係バルバドスの災害バルバドスの交通1976年のバルバドス1976年10月

http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201104120000/

アメリカで匿われていた「テロリスト」が無罪放免になり、改めてアメリカが「テロ国家」だということが確認された


カテゴリ:カテゴリ未分類

 ルイス・ポサダ・カリレスという「テロリスト」がアメリカで無罪放免になった。この人物はキューバ出身の反革命派。CIAの訓練を受けて1961年のキューバ侵攻作戦に参加し、後にキューバの旅客機を爆破したことでも知られている。

 1976年10月6日にキューバの旅客機、CU-455便がバルバドス沖で爆破されて73名が犠牲になっている。この旅客機はガイアナからキューバへ向かっていたのだが、途中、トリニダード、バルバドス、そしてキングストンに立ち寄ることになっていた。バルバドスを飛び立って9分後、高度約5500メートルのところで爆破されたのである。

 爆破から数時間後、トリニダード当局はふたりのベネズエラ人を爆破容疑で逮捕している。ふたりはトリニダードで爆弾を仕掛けた鞄を機内に持ち込み、バルバドスで下りてトリニダードへ戻っていた。

 取り調べの中で浮かび上がったのがポサダ・カリレスとオルランド・ボッシュ。工作はポサダらの命令だったとふたりのベネズエラ人は証言したのだ。10月14日にポサダらはベネズエラのカラカスで逮捕され、その際に武器、爆発物、無線機も押収されている。ポサダが住んでいたベネズエラのアパートでは、キューバ航空の時刻表などが見つかった。この爆破計画をポサダはCIAに知らせていたとされているが、勿論、キューバ政府にこの情報は知らされていない。

 ポサダとボッシュはベネズエラで起訴されるのだが、1985年に脱獄し、すぐにCIAのフェリックス・ロドリゲスと会っている。ロドリゲスは当時の副大統領、ジョージ・H・W・ブッシュと親しく、コントラを支援する秘密工作で重要な役割を果たしていた。ポサダもコントラ支援工作に加わっている。

 もうひとつ、ポサダが注目されている理由がある。彼が持っていたワシントンDCの地図には、1976年9月に暗殺されたチリの元外相、オルランド・レテリエルの移動経路が書き込まれていたのだ。この暗殺をCIAも事前に知っていた疑いがるのだが、そのときの長官はジョージ・H・W・ブッシュ。レテリエル暗殺にポサダらが関係していた可能性は高いと考えられている。

 ポサダらの活動は1990年代に入っても続く。例えば1994年にはキューバのフィデル・カストロの暗殺を企て、94年と95年にはホンジュラスで軍の右翼将校に協力して十数回の爆弾事件を起こし、97年にはキューバのホテルやレストラン、11カ所を爆破している。

 1994年とは別のカストロ暗殺計画をパナマ当局が暴き、2000年11月にポサダは逮捕された。2004年4月に8年から9年の懲役が言い渡されたのだが、特赦となっている。その翌年の3月にはメキシコ経由でアメリカへ不法入国し、アメリカへ「亡命」を求めた。

 当然、ベネズエラ政府はアメリカ政府に対し、ポサダの引き渡しを求めるが、アメリカ側は拒否してテキサス州の刑務所に収監して引き渡しには応じなかった。そして今回、無罪放免になったわけである。

 ところで、2006年3月にジョージ・W・ブッシュ大統領(当時)は演説の中でこんなことを言っている。「テロリストを匿い、食事を与え、寝床を提供する人間はテロリストと同じだ。」やはり、アメリカは「テロ国家」だった。

http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/d9d6ec63ed38208451e7365b6f39f083


ルイス・ポサダ・カリレス逮捕。ベネズエラへの引渡し要求を/A.N.S.W.E.R.連合

2005-05-20 14:02:19 | 世界




マイアミのアントニオ・マセオ団(訳者註:Antonio Maceo Brigadeはキューバ政府を支持するキューバ人キューバ系アメリカ人の組織)のアンドレス・ゴメスからの飛び込み情報によると、本日東部標準時午後3時30分、ルイス・ポサダ・カリレスが税関移民警察によって拘留された。ポサダは国土安全保障省によってホームステッド空軍基地に航空機で送られたということだ。この空軍基地は現在使われていないのだが。

米政府がポサダをどう処遇するかはっきりしていない。ベネズエラへの引き渡
し要求を政府に認めさせることが緊要である。1976年にポサダとオスランド・
ボッシュがキューバ航空455便爆破を計画したのはベネズエラからである。

先月、A.N.S.W.E.R.連合が始めた「ポサダに亡命を許すな」キャンペーンの一
環としてブッシュと連邦議会に送られた手紙は2万通を超えている。我われは5
月13日にワシントンDCで記者会見を開いたが、広くマスコミに報道された。4
月21日には、マイアミの指導者と活動家がポサダ・カリレスの亡命に反対して
記者会見を行った。この世論の圧力を加えるキャンペーンによって、ブッシュ
政権が「テロ」問題についてかぶっていた仮面がものの見事に引き剥がされ
た。テロリストをかくまう国はテロ行為に関して有罪である、とする公式見解
と、当のブッシュ政権がポサダら反キューバテロリストたちを支援し大事に世
話をしていることとの矛盾があまりにも明白なので、ブッシュのいわゆる「テ
ロとの戦争」が本当は何を意味するのか、アメリカ合州国の市民多数にはっき
りわかってしまった。

我われが5月13日の記者会見で指摘したように、ポサダの行方はわからないと
いうブッシュ政権の言明-これは必然的に政権にはなすべきことは何も無いと
いっているに等しい-には根拠が無い、特にポサダの亡命申請に照らせば。と
いうのは亡命申請を行えば亡命に関する審尋を受けるために喚問されるし、も
し出頭できなければポサダの亡命申請は却下されるからだ。また5月13日に
は、ベネズエラがポサダ引き渡しの正式要求書をアメリカに送ったので(以前
は国際刑事警察機構を通じて送っていた)、今やブッシュ政権が対応を迫られ
ている。今日ポサダの亡命審尋が午前7時に予定されていたが、ポサダは行か
なかったと報じられている。

ポサダと代理人たちが公表したところによると、ポサダはブッシュ政権に圧力
が掛かっているためにアメリカを離れつつあったという。今日ポサダが逮捕さ
れる直前には、150万人のキューバ国民が街頭に出、ハバナのアメリカ関連地
区を通過して行進した。アソシエイティドプレスは、「『これはアメリカ国民
に対するデモ行進ではない。』と78歳になるカストロは国民とその政府とを分
けて考えており、『これはテロに反対し、命と平和を支持する行進なんだ。』
と語った。」と報じた。

米当局の今の問題は、ポサダ・カリレスを米国内あるいは外どちらにしろどこ
か安息の地に連れて行くか、それともポサダが逃亡してきたベネズエラに引き
渡すか、ということだ。ベネズエラはポサダが恐るべきキューバ航空機爆破を
計画した地である。アメリカ合州国民衆はポサダを裁判に掛けさせるためにベ
ネズエラに引き渡すよう要求し、政府に圧力を掛け続けなければならない。

《この機会にブッシュと連邦議会に手紙を送ろう。<今すぐ下のURLをクリック
して手紙を送ってください!>》
http://www.pephost.org/site/R?i=9mC1dCkNKkC72suC2Mm5YQ..

についてさらに詳しいことは下のURLをクリックすると読めますし、この事件
の背景となる知識、マスコミ報道も知ることができます。>
http://www.pephost.org/site/R?i=VcTMaIFFTKO72suC2Mm5YQ..

<マイアミヘラルド紙の5月17日付け記事から取ったポサダとのインタビューを
下のウェッブサイトで読むことができます。>
http://www.pephost.org/site/R?i=iYWpY2RB6xq72suC2Mm5YQ..

資金が緊急に必要です。我われは皆さんの助けなしには何もできません。<下
のURLをクリックすると、安全なサーバーを通してカンパをすることができま
す。小切手によるカンパの仕方もわかるようになっています。>
http://www.pephost.org/site/R?i=1TTzR6umM1K72suC2Mm5YQ..
翻訳:寺尾光身
---------------------------------------
【マイアミ(米フロリダ州)17日】キューバのカストロ国家評議会議長の暗殺とカストロ共産政権打倒に生涯をささげてきたキューバ人過激派のルイス・ポサダ・カリレス容疑者(77)が17日、米フロリダ州マイアミで米当局に逮捕された。ポサダ・カリレス容疑者は数年間、米中央情報局(CIA)の工作員として働き、中南米で航空機やホテルの爆破事件に関与したとしてキューバ、ベネズエラなどから手配されていた。同容疑者は米国への亡命を求めていた。(写真は17日、ハバナの百万人デモの先頭に立つカストロ議長=中央の軍服)
カストロ議長は17日、同容疑者の身柄のキューバへの引き渡しなどを要求する百万人デモをハバナで催し、先頭を歩いた。ポサダ・カリレス容疑者はその数時間後に米国土安全保障省と入国管理・税関局により逮捕された。しかし国土安保省は、逮捕者をキューバあるいはその利益代表国には引き渡さないのが米国の政策だと強調した。

ポサダ・カリレス容疑者は米国が後押しした1962年のキューバ侵攻に参加し、その後、CIAから報酬を得て工作員を務めていた。76年に死者73人を出したバルバドス沖上空でのキューバ旅客機爆破事件の犯人としてベネズエラから指名手配されていた。ベネズエラは先週13日に米国に対し、同容疑者の逮捕と身柄引き渡しを公式に要請していた。キューバも97年のハバナのホテル爆破事件で同容疑者を手配していた。

ポサダ・カリレス容疑者は2000年にパナマで首脳会議が開催された際にカストロ議長爆殺を企てたとしてパナマで8年の禁固刑を宣告され、04年に恩赦を受けていた。〔AFP=時事〕
----------------------------------------
キューバでは17日、数千人がフィデル・カストロ議長が呼びかけたルイス・ポサダ・カリレスの逮捕、引渡しをアメリカに要求するデモに参加した。

 キューバは、ポサダ・カリレスが1976年キューバ航空へのテロで73人の死者を出した主犯だと主張、ポサダ・カリレスはベネズエラで裁判を受け、拘留された。
 CIAの元エイジェントはキューバ生まれの77歳、ベネズエラの居住権を持っている。1985年裁判中にベネズエラから逃亡、現在マイアミでアメリカへの亡命を求めているとされる。

 「まさにアメリカの領土からキューバ国民や国に対してテロの手を伸ばし、制裁を受けている経済を破壊しようとするテロのプロの裁判を要求することは決してやりすぎではない。」カストロは言明し、さらにアメリカのダブル・スタンダードを非難した。

 ポサダ・カリレスの引渡しは、キューバだけでなくベネズエラもアメリカに対して行っている。
 本人は多くのテロへの関与を認めているが、キューバ航空の件は否定してきている

---------------------------------------------------
件名:6月13日ベネズエラへのポサダ引き渡し要求行動-エルパソ他全米で
発信者:"A.N.S.W.E.R.連合"
発信日時:2005年5月20日(金) 18:53:36 -0500
受信者:teraoter@mint.ocn.ne.jp

転送歓迎

〈行動呼びかけ〉

            ≪6月13日(月)≫
            ≪全米行動デー≫

     《ルイス・ポサダ・カリレスの亡命をゆるすな》
        《ポサダをベネズエラに引き渡せ》
   《アメリカの45年に及ぶキューバに対する戦争をやめよ》

        <テキサス州エルパソで地域デモ>
        <ポサダの入国審問実施庁舎の外で>

           <地域統一抗議行動を>
             <全米の市町で>

4月12日、悪名高い反キューバテロリストで人殺しのルイス・ポサダ・カリレ
スが、マイアミの顧問弁護士を通してアメリカ合州国への亡命を訴えた。公然
とマイアミに住みはじめてひと月以上もたった5月17日、世論の圧力に押され
た連邦政府はポサダを拘留し、米国への不法入国のかどで起訴した。5月19日
公表されたところによると、ポサダはテキサス州エルパソで6月13日に入国審
判官と会い審問を受ける(審問の行われる場所の変更があるかもしれないの
で、引き続き注目を)。この審問でポサダの弁護士は亡命嘆願書を提出し、米
政府はポサダを米国居住者と認め米国に留まることを許可するべきであると主
張するつもりだ。

ベネズエラは、1976年10月6日73人の死者を出したキューバ航空455便爆破に関
して訴追するために、ルイス・ポサダ・カリレスの引渡しを要求している。米
政府は長期にわたって反キューバテロリストを支援してきたので、ブッシュ政
権はこれまでのところ米ベネズエラ間の犯人引渡条約に従うことを拒否してい
る。ポサダ・カリレスは、暗殺、爆発物、破壊工作の訓練を受けたCIA工作員
であった。ポサダのテロリストとしての経歴は数十年に及んでいる。今こそポ
サダの手にかかった犠牲者に対して正義が行われるべき時である。

A.N.S.W.E.R.連合が始めた「ポサダの亡命を許すな-ベネズエラへ引き渡せ」
キャンペーンの一環として、このひと月の間に2万通以上の手紙がブッシュと
連邦議会に送られている。大きな記者会見が4月21日にマイアミで、5月13日に
ワシントンDCで行われ、この件に関する主流メディアの報道の壁を突破するの
に役立った。この世論による圧力キャンペーン効果的にはたらき、「テロ」の問
題でブッシュ政権がかぶっている覆面を引き剥がした。「テロリストをかくま
う国はテロ行為に関しても同じく有罪である」とする公式見解と、ポサダら反
キューバテロリストをブッシュ政権が支援しねんごろに扱うこととのあまりに
も明らかな矛盾が、アメリカ合州国の多くの民衆にブッシュのいわゆる「テロ
との戦争」の実相がいかなるものかを明白にしてしまったのだ。

〈ポサダのアメリカ亡命許可に反対することよりも、告訴のためにベネズエラ
に引き渡すことを要求し、また米政府の45年にわたるキューバに対する戦争を
やめるよう呼びかけることの方が、今やもっと重要である。〉

A.N.S.W.E.R.連合が呼びかけた行動呼びかけ。最初の共同呼びかけ団体:アン
トニオ・マセオ団、全米法律家ギルド、ラ・アリアンザ・マルティアーナ、
ラ・アリアンザ・デ・トラバヤドレス・ド・ラ・コムニダド・クバーナ、
キューバの5人解放全米委員会、ラ・アソシアシオン・デ・ムイェレス・クリ
スチアナス。

      <6月13日(月)-ポサダ審問日-を>
         <全米行動日とする。>

(訳者註:以下抄訳)
皆さんが参加できること

1) 〈エルパソの地域デモに参加する。〉

2) 〈皆さんの市町で地域抗議行動を組織する。〉

〈抗議行動が計画されている都市:ワシントンDC、サンフランシスコ、マイア
ミ、ロサンジェルス、ニューヨーク市〉

3) 〈行動呼びかけに賛同する〉(個人、団体どちらも歓迎)。
http://www.pephost.org/site/R?i=MoeITqO5g-HgY6mOMBF31A..

4) 〈宣伝し広めて!〉

5) 〈ブッシュと連邦議会議員に手紙を送る〉
http://www.pephost.org/site/R?i=XihxRwSIXvWdR0Q2mUZ2MQ..

6) 〈カンパを〉 http://www.pephost.org/site/R?i=PeH04c4zbRe7A7o-qNqgQA..
(訳者註:以上抄訳終り)

* * * * *

(訳者註:この間省略)

〈ポサダのベネズエラへの引渡しを要求するA.N.S.W.E.R.連合のキャンペーン
について、また、これに関連する背景情報と報道記事を知るには下のURLをク
リックしてください。〉
http://www.pephost.org/site/R?i=Ild0xFv04vIuee8OrLtyKw..

原文はサイト
http://answer.pephost.org/site/News2?JServSessionIdr003=ctajamx4l1.app8a&abbr=ANS_&page=NewsArticle&id=6191&security=1023&news_iv_ctrl=1521
で読むことができます。

翻訳:寺尾光身
一部抄訳、一部省略。

http://shosuzki.blog.jp/archives/7929714.html


ポサダ・カリレス 稀代の爆弾テロリスト



たしかルイス・ポサダ・カリーレスについては一文をモノした記憶があるのだが、現物は存在しない。

とりあえず年表から拾っておく。

最初に文献に名前が登場するのは1963年1月である。

前の年、10月中旬から11月初めにかけてキューバミサイル危機があった。それが一応沈静化して、12月にはピッグス湾侵攻作戦で捕虜になったキューバ亡命人2506部隊が釈放された。

これは殺人狂を野にはなったようなものだった。

CIAは隠密裏にカストロ暗殺計画を建て、彼らを実行役に仕立てる。本拠地はメキシコ支局内に立ち上げられた。ボスがフィリップスでハントが支局長代理となった。ゲリラ部隊が中米各地,ジャクソン基地,ベニング基地などで訓練に入った。この時のキューバ人幹部のリストの中にフェリックス・ロドリゲス,ニーニョ・ディアス,ボッシュらに加えてポサダの名があげられている。

ポサダはバチスタ独裁政権の時代に警察の幹部として人民弾圧にあたった。亡命後は米軍のレンジャー部隊大尉を勤め,破壊活動と爆発物の専門家として頭角を現していく.

彼らの名はそっくりそのまま、ケネディ暗殺事件の暗殺チームにふくまれる。

ケネディ暗殺後、一方ではベトナム戦争の激化により、他方ではラテンアメリカ各地でのゲリラ闘争の発生により、彼らは分散していく。フェリックス・ロドリゲスはゲバラの殺害に関わった。ポサダはベネズエラに入り、ペレス大統領(当時内相)の補佐官に就任し、「左翼組織抑圧のための傭兵部隊」を指導することとなった。

次にポサダの名が登場するのが、キューバ航空のジェット機爆発事件である。76年10月6日、キューバ航空のDC-8機が,バルバドス空港を離陸10分後に上空で爆発.乗客など73人全員が死亡した.この飛行機は,ガイアナの首都ジョージタウンからトリニダード,バルバドス経由でハバナに向かっていた.乗客のうちキューバ人は57人.うち半分はフェンシングのキューバ代表選手たちだった。

2人の犯人はトリニダードから乗り込み,トイレに爆弾をセットしたあとバルバドスで降り,米国大使館に駆け込んだ。このあとバルバドスからトリニダーに逃れるが,空港で現地警察により逮捕されてしまった.当時のトリニダードの首相エリック・ウィリアムズはCIAとの関係を示すノートの存在を明らかにした。

彼らはベネズエラ人で、ベネズエラ国内でオルランド・ボッシュとルイス・ポサダ・カリーレスの指示を受け,犯行へ参加したことを自白した。ベネズエラ官憲は二人を逮捕した。ボッシュは,獄中でNYタイムズと会見.50件以上の爆弾テロ作戦を行ったと喋った.

キッシンジャーは爆破事件へのCIAの関与を全面的に否定したが、現在ではチリのクーデター、その後亡命したアジェンデ政府の元内相レテリエルの暗殺にも関与したことが明らかになっている.ノーベル平和賞とは飛んだお笑い草だ。

これで話が終わったと思ったが、ニカラグアでのサンディニスタの勝利とアメリカの干渉により、ふたたび戦火が燃え上がった。テロや破壊作戦のベテランであるポサダは、CIAにとって必要な人物とされた。

85年8月、ベネズエラのフアン・デ・ロス・モロス重刑務所で大脱走作戦が展開され、ポサダ・カリレスが見事救出された。後にイラン・コントラ ゲート事件の調査では,オリバー・ノースはじめ米政府関係者が,脱獄とその後の活動に援助を送ったことが明らかになっている。カリレスは米国務省職員として採用され, エルサルバドルのニカラグア人道援助局の局長補佐に任じられる.

ポサダはエルサルバドルの米軍基地に籍を置き,NSCの直接指示の下,ニカラグアへの武器の配布に従事した。

それから1年余、86年の10月にハーゼンファス事件が起きるに及んで、ふたたびポサダの名はメディアに登場する。コントラへの物資支援のためエルサルバドルを飛び立ったC-130貨物輸送機が、ニカラグア領内で撃墜される。逮捕された機長ハ-ゼンファスは,補給作戦の指導者がフェリックス・ロドリゲスとルイス・ポサダであると自白する。さらにフェリックス・ロドリゲスがブッシュから直接指示を受けていたと供述したため、米議会は調査に乗り出した。これがイラン・コントラゲート発覚の緒となっていく。

97年11月、ハバナのホテルで連続爆弾事件が発生した。マイアミ・ヘラルド紙は,キューバ系米国人が参加していたことを明らかにする.報道によれば爆弾事件の背後には「バンビ」と呼ばれる亡命キューバ人が存在していたとされる.

キューバの新聞グランマはこれを追跡報道し、「バンビ」の本名はルイス・ポサダ・カリレスであると明らかにした.当時ポサダはCIA要員として中米各地で活動.エルサルバドルではラモン・メディーナ,グアテマラではフアン・リバスの偽名を用いる.紛争終結後は「バンビ」の偽名を用い,画家として売り出していたという.

しかし、当時の状況のもとではキューバ当局は切歯扼腕するほかなかった。

2000年11月、またしてもポサダの名が浮かび上がる。おりからパナマで第9回イベロアメリカ・サミットが開かれ、フィデル・カストロも出席を予定していた。

その直前になってパナマ当局は市内のサンフランシスコ・ホテルに滞留中の亡命キューバ人テロリスト4名を逮捕した.室内には数万ドルの現金があった.ついでトクメン国際空港の近くでC4プラスチック爆弾8キロを発見した。

彼らは、その自供によればカストロを,「肉体的に抹殺しようと」していた.これはキューバ情報機関からの情報にもとづくものであったという。

キューバ情報機関は情報源を危険に晒しかねない危ない橋を渡ったわけだ。それだけの価値はあった。4人の筆頭にはポサダ・カリーレスの名が挙げられていたのである。


暗殺計画には二つの説があり、一つはカストロを載せた飛行機を地対空ミサイルで撃ち落とすというもの。もう一つはパナマ大学で講演予定だったカストロを,車で移動中に襲撃する計画。


2004年4月、パナマ第五刑事裁判所は、被告らに「集団の安全に対する罪及び公文書偽造」で有罪判決を下した。すでに76歳となったポサダ・カリレスに禁錮8年の経が言い渡された。判決では「「発見されたプラスチック爆弾は、衝撃が200メートルに及ぶ高性能なものであり、カストロ議長及びその周囲の人々に重大な害を及ぼす明確な意図があった」と認定された。

キューバ政府は量刑の不十分さを指摘しながらも「多くの人々を殺害しようとしたテロリスト」という認定に満足した。

ところがアメリカの圧力を受けたパナマのモスコソ大統領は、犯人に恩赦を与え、48 時間以内に国外に退去するよう通告したのである。彼女は「キューバかベネズエラに犯人を引き渡せば,命が失われることになるため」と説明した.

マイアミ紙によれば、パウエル国務長官がモスコソにポサダらの釈放を要請したとされる。しかし釈放後には「アメリカはいっさい関わっていない」と釈明した.スパイ大作戦のセリフみたいだ。

ポサダの行方はそのまま不明となった。各国が非難声明を出した。エルサルバドルさえも入国を拒否した。

翌05年4月、ポサダ・カリレスがマイアミに出現。政治亡命を申請した。1ヶ月前にメキシコから不法入国していたという。顧問弁護士は、「ポサダは約40年にわたってCIAに協力してきており、保護されるだけの要件を備えている」と強調した。
ポサダはどうどうと記者会見を開いた。米政府は会見が終わったのを見計らって不法入国容疑で拘留した。
ブッシュ政権は亡命申請を却下するが、「送還すれば拷問が行われて公正な裁判が見込めない」として送還を拒否した。

ハバナではポサダの引渡しを要求する120万人のデモが行われた。

07年4月、テキサスの連邦地裁はルイス・ポサダ・カリレスの保釈を認める。結局アメリカ政府は稀代の爆弾テロリストをかばい通したことになる。

私はここまでしかフォローできていない。この時点で77歳だから、もう生きていないかもしれない。しかしこの男が畳の上で死ねるとは奇跡である。

http://d.hatena.ne.jp/El_Payo_J/20090822/1250872671

2009-08-22



■身勝手なアメリカ: 犯罪者の扱いCommentsAdd Star

アメリカの様々な二重基準がよく取り上げられますが、考え様によっては常に首尾一貫しているのかも知れません; 『アメリカ大統領およびアメリカ国民の利益のためなら、アメリカは他国・国際規範に従う必要は無い』 明快ですね。そんな国が正義だ、平和だとのたまうから訳がわからなくなる。


このところ1988年12月21日発生したパンアメリカン航空103便爆破事件 への関与の疑いによりスコットランドにて服役中だったアブデルバゼット・メグラヒ容疑者が余命3ヶ月の末期の前立腺ガンと診断され2009年8月20日に温情措置で釈放後リビアへ帰国した件に関して、米英から非難の声が上がっています。


爆破事件で死亡した被害者の3分の2は、クリスマス休暇を利用して帰国する予定の米国人だったことを考えると当然の様に見えます。しかし被害者のご遺族には申し訳ありませんが、少なくともアメリカには今回の措置・リビアでの大歓迎について非難する資格はありません;



パンナム機爆破犯の釈放で米国内から怒りの声 「誤りだ」とオバマ大統領

8月21日20時54分配信 産経新聞

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090821-00000609-san-int

--- 複数の遺族の代理人を務める弁護士のマーク・ゼイド氏は「国家というものは国民の利益を守るためでなく、国家の利益を守るために行動する」と述べ、訴訟も検討する考えを示した。

アメリカ弁護士による売名行為およびカネ儲けに過ぎませんね。



爆破犯歓迎に反発強まる=王族のリビア訪問中止へ-英

8月21日23時31分配信 時事通信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090821-00000181-jij-int

---英スコットランド当局によって釈放されたパンナム機爆破犯のリビア元情報部員が帰国したリビアで大歓迎を受けたことに、英国が反発を募らせている。

確かに、カダフィ大佐手配の特別機で帰国のメグラヒ容疑者はトリポリ空港で大歓迎受けていましたね。(下に関連記事抜粋あり)



リビア元将校の釈放はスコットランドの「慈悲」、米国の厳罰主義との違い浮き彫りに

8月21日21時14分配信 産経新聞

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090821-00000611-san-int

---死者270人のうち180人の犠牲者を出した米国は「テロ犯」釈放に怒りをあらわにした。一方、独立した司法権を持つスコットランド当局は、末期がんを患う元将校への「慈悲」を強調し、多くの州で死刑が残る米国の厳罰主義との違いを際立たせた。

これを書いた記者は、 『米国の厳罰主義』 などと云う見当違いを犯していますね。ロンドン駐在の高給取りのブンヤだろ、もっと勉強すべき。



リビア帰国を数千人が歓迎 米機爆破の元受刑者

配信元: 産経新聞 2009/08/21 09:29更新

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/mideast/292190/

---米パンナム機爆破事件で、英スコットランド当局が20日に釈放したリビア元情報将校のアルメグラヒ元受刑者が同日夜、母国リビアに帰国し、首都トリポリの空港で若者ら数千人の歓迎を受けた。

---元受刑者は到着に先立ち弁護士を通じて声明を発表。フランス公共ラジオによると、事件への関与を否定するとともに「この恐ろしい試練は帰国しても終わらず、解放されるのは自らが死ぬ時だ」と訴えた。

英米は、何故彼がリビアで大歓迎受けたのか? を考えたことは無いのだろうか?


2009年1月25日付け 『キューバと云う国: フィデル・カストロ と チェ・ゲバラ 』 で紹介した 米国の対キューバ経済封鎖解除決議、圧倒的大差で採択 中で、


---米国政府は、30カ国以上の企業に対してキューバへの輸出、金融、観光などを制限しています。一方でブッシュ政権は、自国に都合の良い、年間6億ドル近い自国の農産物のキューバへの輸出は許可しています。また、ブッシュ政権は、経済封鎖でキューバ国民の生活に悪影響を与える一方、米国に追随するキューバ国内の反体制派には、人道援助と称して昨年2億7000万ドルを供与したと述べています。これは、明らかに内政干渉行為です。また、こうしたブッシュ政権の欺瞞的な政策は、ブッシュ政権が、さまざまなキューバ政策で見せている二重基準政策のひとつでもあります。その最たるものは、五人のキューバ人愛国者を長期に拘留し続ける一方、1976年のキューバ航空機爆破事件の首謀者、国際テロリストのポサーダ・カリーレスを無罪釈放したことです。


との記載がありますね。いいですか、アブデルバゼット・メグラヒ容疑者が仮に真犯人だったとするなら、1976年10月6日発生の クバーナ航空455便爆破事件 の真犯人はルイス・ポサダ・カリレス (Wikipedia ”Luis Posada Carriles” 参照) です。アメリカの対応は;



事故の真相 (ウィキペディアよりの抜粋)


爆発が機体後部で発生したことから当初からテロによるものとみられていた。被疑者としてキューバのカストロ政権に反発する反カストロ主義者が考えられた。445便に偽名で搭乗してバルバドスで降りた2名のベネズエラ人をトリニタード当局が逮捕し、その自供から事件の首謀者としてルイス・ポサダ・カリレスら2名が逮捕された。


事件の裁判はベネズエラで行われたが、1980年9月に同国の軍事裁判所は「証拠不十分」を事由に無罪を宣告した。これは不可解なことにバルバドスの捜査当局が収集した証拠資料の提出が遅れた上に、翻訳(バルバドスの公用語は英語、ベネズエラの公用語はスペイン語)されなかったのが原因であるという。しかしルイス・ポサダ・カリレスが首謀者であったことが、2007年5月に機密指定が解除されたCIAおよびFBIの公文書において判明している。この中でポサダがCIAに長年協力しており、クバーナ航空455便を爆破した実行犯「エンジニアS」の一員であると断言されている。


ポサダはその後もキューバに対するテロ活動を行っていたとされ、キューバの観光産業への打撃を狙った1997年のハバナにおける連続爆弾テロの時も、ベネズエラに滞在していた。しかし2005年4月になってアメリカ・マイアミへ逃走し、政治亡命を申請した。その際に、彼の顧問弁護士がアメリカ合衆国政府に保護される要件として、彼がアメリカのために対外破壊工作活動に協力してきた点を強調した。そのためか2007年5月8日、エル・パソ連邦地裁は、ポサダに対する全ての訴状を却下して、彼を釈放した。そのためベネズエラ、キューバ両国の外相は、テロ活動に対する「アメリカの二重基準」を厳しく批判した。


これがアメリカの真の顔ですよ。アメリカ国内では子供がひとり誘拐され死体で発見されただけ (失礼は承知ですが、比較のために敢えてこの様な言い方をします) でも大騒ぎになるのに、アメリカ政府が国外で正義の名の下今日この瞬間にも殺害している子供には目も向けない。アメリカ国内にはカネで自由を得た麻薬の売人やら反カストロ・チャベス派の犯罪者を沢山飼っているのに、他国が死を迎えようとしている容疑者を釈放したことに怒りを表明--- 私の常識では到底受け入れ難い。


奇しくもアメリカ政府による暗殺委託がすっぱ抜かれました;


<CIA>アルカイダ暗殺を委託…04年、民間軍事会社へ

8月21日21時4分配信 毎日新聞

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090821-00000103-mai-int


--- 報道によると、CIAは米同時多発テロの起きた01年、アルカイダ幹部の暗殺を計画。04年にブラック社に委託した。正式な契約はなく、CIAと同社の両幹部の個人的な合意で進められた。CIAは民間に「発注」することで、「問題が起きた場合も組織を守れる」と考えたという。


 ブラック社は02年、アフガニスタンのCIA事務所の警備を受注。その後、CIAの対テロ担当の複数の高官が同社に天下りした。同社は07年、イラクのバグダッドで警備員が「攻撃を受けた」として市民17人を殺害し、問題視された。


 米国ではCIAの秘密計画にも一定の規制があり、議会情報委員会への通告などが義務付けられている。しかし02年、当時のチェイニー副大統領が「CIAにはアルカイダ幹部を殺す権限があり、議会に報告する必要はない」と秘匿を命じたとの情報があるという。


でもこんなのは氷山の一角に過ぎません。アメリカは何をやっても許されるのです。国家・国旗・国歌への絶対忠誠を誓わされますが、日本もアメリカの5x番目の州にしてもらいましょうよ~~~



http://www.futoko.org/special/special-40/page0905-1742.html

アレイダ・ゲバラさん講演録(上)

(11-09-05)


アレイダ・ゲバラ

2008年5月にチェ・ゲバラの娘・アレイダ・ゲバラさんが日本に初来日した。その際、5月17日に行なわれた東京講演会の講演抄録は2008年6月1日のFonteに掲載された。今回のHP特集では、当時の講演録を掲載する。アレイダさんはキューバの歴史を追いながら、医療状況やアメリカの経済封鎖について、話された。

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 こんにちは。今日はこんなにたくさんの人が来ていただいて、感謝の気持ちでいっぱいです。今日はたくさんお話したいことがあります。でも……いつも時間はありません(笑)。まずは大急ぎでキューバの歴史をふり返りつつ、教育と医療について触れたいと思います。
 キューバにとって大きな社会的変化といえばキューバ革命です。キューバ革命が起きたのは1959年1月1日。この日以来、キューバは革命を続けています。
 革命以前、国内の医療は皆無に等しかったと言えます。医師の数は人口500万人に対し6000人しかいませんでした。しかもその半数が都心におり、乳児死亡率は0・6%でした。また、教育も充分ではなく識字率は33%でした。
 こうした現状は米国による支配政治が影響していました。1902年、キューバはスペインから独立しましたが、独立の際に介入を許した米国に、その後支配されることになります。米国はキューバ国内に2万ヘクタールもの土地を独占していました。また、製糖業、乳工業、石油業、それに銀行や電話会社などが米国企業の進出によって事実上独占されていたのです。とくに1952年のクーデター以後、支配政治は顕著になりました。もうキューバの人は生きていけない」、そういう機運が高まっての革命だったのです。
 革命後、政府が最初に着手したのは教育でした。キューバ革命の先駆者ホセ・マルティ(生没1853年~1895年)は「人々は教養があって、はじめて自由になれる」という言葉を残しました。教育は人間としての権利です。教育がすべての人に開かれ、なおかつ無料で受けられるための施策を講じました。
 つぎに政府が緊急課題としてとりくんだのが医療の無償化です。健康もまた人間の権利だからです。また、医療環境が整備され、医療を知ることができると、人は命のなんたるかを学びます。人の命は売買できるもではありません。命は聖なものです。それを知ることは健康と教養を得ることにつながります。
 こうして政府は教育と医療の無償化を進めたのですが、みなさんは第三世界と言われた国がどうやってこれを可能にしたと思われますか。それは天然資源を国有化したからです。ただし、そこから米国政府との戦いが始まることになりました。(つづく)

■プロフィール
1960年チェ・ゲバラと妻アレイダ・マルチとの娘として生まれる。現在はキューバ親善大使を務めながら、父と同様に小児科医として活躍。ラテンアメリカやアフリカを飛びまわって子どもたちの医療活動などを行なっている。また自らジャーナリストとしてベネズエラのチャベス大統領にインタビューしたり、昨年上映されたマイケル・ムーア監督作品『シッコ』にも出演するなどの活動もしている。

※2008年6月1日 Fonte掲載

http://www.futoko.org/special/special-40/page0912-1743.html

アレイダ・ゲバラさん講演録(下)

(11-09-12)


アレイダ・ゲバラ

2008年5月にチェ・ゲバラの娘・アレイダ・ゲバラさんが日本に初来日した。その際、5月17日に行なわれた東京講演会の講演抄録は2008年6月1日のFonteに掲載された。今回のHP特集では、当時の講演録を掲載する。アレイダさんはキューバの歴史を追いながら、医療状況やアメリカの経済封鎖について、話された。
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 米国が最初にとった行動は経済封鎖です。
 キューバは世界屈指のニッケル資源国です。1940年代、米国はニッケルに注目し、「キューバのために」と言って、ニッケル工場建設に協力しました。しかし、ここに罠があったのです。国際市場で売れるニッケルの純度は98%前後。しかし、米国の協力のもと、つくられた工場では純度85%前後のニッケルしかつくれません。こんな純度では世界中のどの国も見向きしませんでした。しかし、一カ国だけ積極的にキューバのニッケルを購入した国があります。それが米国企業だったんです。米国企業は安価のニッケルを購入して合金することで利益を得ました。
 キューバにとって不利な貿易でしたが、それでもいくらかの外資獲得を果たしたのも事実です。その状況が変わったのが1960年代から。米国による経済封鎖が始まり、米国企業はもちろんのこと、日本など諸外国の企業もキューバのニッケルを買えなくなりました。米国がそれを許さなかったからです。経済封鎖のため、米国内では厳しい罰則が設けられました。キューバと売買した企業は500万~1000万ドルの罰金、または企業資本の没収されるというのです。
 ここで強調したいのが、たとえ国家間で問題があったとしても、人道的に食品や薬品などの輸出入は禁止されるべきではありません。キューバ国内で流通する薬品のうち、8割は米国製でした。食品も多くを輸入に頼っています。いま日本が経済封鎖をされたならば、どうなりますか? 子どもや貧しい人たちが犠牲になるのです。

経済封鎖をする理由は?

 いまキューバは、さまざまな国に「輸出」をしています。ベネズエラに3万4000人の医師を、米国の先住民が住む地域には教師を派遣しています。こうした人道的な派遣をしながらも米国中心の国際社会から「罰」を受けているのです。この大変、理不尽な状況を生んでいる理由は一つです。それはキューバが「ほかのやり方でも生きていける」ことを示している国だからです。米国に頼らず、喜びをもって自由に生きることを示す国だからです。
 もちろん、キューバは完璧な国ではありません。ただし、キューバは私たち自身のものです。私たち自身がつくる国です。キューバの問題を解決できるのはキューバ人だけです。他国の干渉によってでは解決できません。米国は大きな国ですが、非常に偽善的な政府だということを、私たちは知っています。偽善者たちはけっして尊敬されません。みなさんは知っていると思います。長崎・広島に落とされた原爆が、私が言いたいことそのものです。ただ、私たちは長崎や広島のような惨状をまだ許しています。
 数年前、米国大統領は「いたるところでテロと闘わなければいけない」と言いました。これがまずは偽善なのです。
 みなさんはルイス・ポサダ・カリレスという人をご存じでしょうか。彼はキューバ国籍ですが、1961年に米国に亡命し米国陸軍で訓練を受けた人です。1976年、キューバの旅客機が爆破され73名が亡くなる事件が起きました。亡くなった73名は誰一人として前科がありません。ポサダ自身、この事件の首謀者であることを発言しており、FBIやCIAの公文書でもその関連性が明らかになっています。このほか、ポサダはキューバでのホテル連続爆破事件の指名手配者にもなっています。しかし、米国はこのテロ行為の罪を問わずにポサダを釈放してしまいました。テロリズムはどこに行ってもテロです。よいテロ、悪いテロはありません。米国のテロだけは許されるのでしょうか。
 米国をはじめ多くの国はイラクに軍隊を派遣しました。キューバは必要に応じて教師・医師・技術者を派遣し、貧しい人々の命と生活を助けたいと思っています。世界には爆弾はいりません。必要なのは連帯です。世界は人々、人民のあいだの連帯を求めています。金持ちも貧しい人もいます。しかし、私たちは等しく人間です。そして人間は守られる義務があります。すべての人間が尊厳を持って生きられるよう、キューバは最後まで戦い続けるでしょう。(抄録)

■プロフィール
1960年チェ・ゲバラと妻アレイダ・マルチとの娘として生まれる。現在はキューバ親善大使を務めながら、父と同様に小児科医として活躍。ラテンアメリカやアフリカを飛びまわって子どもたちの医療活動などを行なっている。また自らジャーナリストとしてベネズエラのチャベス大統領にインタビューしたり、昨年上映されたマイケル・ムーア監督作品『シッコ』にも出演するなどの活動もしている。

※2008年6月1日 Fonte掲載
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