私の母の時代は 『満州国』があった時代であり、 それ程 「我が家」が特殊とは考えないのだが、 「シナ人」や「朝鮮人」という言葉をもし使うなら 少なくとも いくらかの「蔑視感情」を含んで使用されていたと思う。 若い方の中で 一部の大人が 「日本がアジアを開放するために立ち上がった」、「人種差別をせず、 平等にふるまった」 というような言説を 軽々しく信じて、 自分の考えを構築していると、 「戦争法案」ではないが、 世界の中の 『6000対3』のように どうしてよいかわからない立場に追い込まれる。












http://ryuma681.blog47.fc2.com/blog-entry-1419.html


朝鮮人差別の現実  モランボンのコマーシャルと米倉斉加年  -- 辛淑玉さんの文章から --

 July 03, 2015 22:00
 日本と言う国
 0
 0


 私の母の時代は 『満州国』があった時代であり、 それ程 「我が家」が特殊とは考えないのだが、 「シナ人」や「朝鮮人」という言葉をもし使うなら 少なくとも いくらかの「蔑視感情」を含んで使用されていたと思う。 若い方の中で 一部の大人が 「日本がアジアを開放するために立ち上がった」、「人種差別をせず、 平等にふるまった」 というような言説を 軽々しく信じて、 自分の考えを構築していると、 「戦争法案」ではないが、 世界の中の 『6000対3』のように どうしてよいかわからない立場に追い込まれる。

 米倉 斉加年の文章 (おとなになれなかった弟たちに…) が 国語の教科書に載っているのだが、その彼が 1979年に 出演した『韓国企業のCM』について、 「読む・考える・書く」 というブログに こんなことが書いてある。

                                                        読む・考える・書く より引用
 名優、米倉斉加年(よねくら・まさかね)さんが亡くなられた。 米倉さんといえば、「モランボンのジャン」のCMを抜きには語れないと思うのだが、主要メディアの訃報でこれを取り上げたものがあっただろうか? Web上では、かろうじて次の二つが見つかっただけだ。

スポーツ報知(8/28)--読売系--:   食品メーカー「モランボン」の焼き肉のたれ「ジャン」のCMも話題となった。
zakzak(夕刊フジ)(8/27)--産経系--: 食品メーカー「モランボン」の焼肉のタレ「ジャン」のCMなどでお茶の間
                            に親しまれた。                  (必要か所のみ記載)

 米倉さんが「ジャン」のCMに出たのは1979年だ。当時、「朝鮮」を正面に掲げた食品のCMに出ることが巻き起こす嵐は、「話題となった」とか「お茶の間に親しまれた」などという言葉で表せるようなものではなかった。

辛淑玉さんの文章から引用する。

  焼肉のタレといえば「モランボンのジャン」がすぐ思い浮かぶ。スーパーの肉コーナーには欠かせない一品だろう。  そのジャンのコマーシャルには、今では想像もできないほどの産みの苦しみがあった。今から、30年ほど前だと思う。

 当時、キムチは朝鮮人だけが食べるもので、ニンニク臭いとされ、一般のスーパーでは見かけることもなかった。 なにしろ「チョーセン」という言葉を口にすることさえはばかれた時代だ。 まして放送の中ではタブーを超えていたと言ってもいい。 そんな中、「朝鮮の味、ジャン!!」というナレーションと共に、美しい映像がテレビ画面いっぱいに流されたのだ。  私は、その映像に釘付けになった。

 モランボンのコマーシャルは、何度となく放送局から拒否された。 また、「朝鮮」を掲げた企業のコマーシャルに出演してくれる俳優を探すのも困難を極めた。 それこそ、俳優生命の終りを意味するほどの差別感情が社会に蔓延していたからだ。 抜擢されたのは、CMには決して出ることのなかった名優、米倉斉加年さんだった。

 その彼が、30年前、全鎮植氏(注:モランボン創業者)の求めに応じて、朝鮮風のパジチョゴリを着てコマーシャルに出演したのだ。 そのせいで米倉さんが受けた仕打ちは凄まじいものだった。まず、すべての役から下ろされ、メディアへの出演も断られた。仕事がまったくなくなったのだ。朝鮮人の味方をする者への兵糧攻めである。

 もちろん米倉さんの子どもも無事ではいられなかった。学校で「チョーセンジン」といじめられて帰ってきて、「ねぇ、お父さん、私の家は朝鮮人なの?」と尋ねたそうだ。 その時、米倉さんは微動だにせず「そうだ、朝鮮人だ。朝鮮人で何が悪い?」という趣旨の言葉を子どもたちにかけた。

 米倉さんは、1934年に福岡で生まれた日本人である。しかし彼は、自分は日本人だとは決して口にしなかった。それは、このコマーシャルを引き受けるときの彼の覚悟でもあったのだろう。当時を振り返って、「あのとき、このコマーシャルはただ焼肉のタレの宣伝ではない、社会意識への挑戦であり、文化を伝える作業だと認識していたのは、全さんと私と、あなた(私のこと)だけだったかもしれませんね。わっはっは」と愉快そうに語ってくれた。

     朝鮮人と共に生きるということは、日本人の側にも相当の覚悟が必要なのだ。
                     それは今でも変わらない。            (引用終り)

 差別問題では、受けた側と する側では 認識の度合いが 全く違う。 「差別するつもりは 私にはありません。」という発言で 有名になった 「産経新聞」や「曾野綾子氏」。 それはちょうど このCMが 「話題となった。」「お茶の間で親しまれた」と 後に書いているようなもので、 「差別を受けた側」からの視点は まるでない。 また、 「現実」との乖離 (かいり) もおおきい。

http://vergil.hateblo.jp/entry/2014/08/30/220034


米倉斉加年さんとモランボンの「ジャン」

差別 在日


名優、米倉斉加年(よねくら・まさかね)さんが亡くなられた。

米倉さんといえば、「モランボンのジャン」のCMを抜きには語れないと思うのだが、主要メディアの訃報でこれを取り上げたものがあっただろうか?

Web上では、かろうじて次の二つが見つかっただけだ。

スポーツ報知(8/28):


◆米倉 斉加年(よねくら・まさかね)1934年7月10日、福岡県生まれ。西南学院大在学中に演劇に目覚め、57年に中退。劇団民藝に入団する。60年に常田富士男らと劇団青年劇場を結成して一時は退団も、65年に民藝に復帰。以降、2000年に退団するまで劇団の中心人物の1人として活動しながら映画、テレビなどにも出演。食品メーカー「モランボン」の焼き肉のたれ「ジャン」のCMも話題となった。絵本作家としても知られ、83年の「おとなになれなかった弟たちに…」は中学1年の国語の教科書に採用された。

zakzak(夕刊フジ)(8/27):


テレビや映画でも活躍し、映画「男はつらいよ」シリーズ、NHK大河ドラマ「花神」(77年)、同局の連続テレビ小説「ちりとてちん」(07年)などに出演。食品メーカー「モランボン」の焼肉のタレ「ジャン」のCMなどでお茶の間に親しまれた。

黙ってスルーした他のメディアよりはましだが、これらの書き方も実態からはかけ離れている。

米倉さんが「ジャン」のCMに出たのは1979年だ。当時、「朝鮮」を正面に掲げた食品のCMに出ることが巻き起こす嵐は、「話題となった」とか「お茶の間に親しまれた」などという言葉で表せるようなものではなかった。

辛淑玉さんの文章[1]から引用する。


 焼肉のタレといえば「モランボンのジャン」がすぐ思い浮かぶ。スーパーの肉コーナーには欠かせない一品だろう。

 そのジャンのコマーシャルには、今では想像もできないほどの産みの苦しみがあった。

 今から、30年ほど前だと思う。

 当時、キムチは朝鮮人だけが食べるもので、ニンニク臭いとされ、一般のスーパーでは見かけることもなかった。なにしろ「チョーセン」という言葉を口にすることさえはばかれた時代だ。まして放送の中ではタブーを超えていたと言ってもいい。

 そんな中、「朝鮮の味、ジャン!!」というナレーションと共に、美しい映像がテレビ画面いっぱいに流されたのだ。

 私は、その映像に釘付けになった。



 モランボンのコマーシャルは、何度となく放送局から拒否された。また、「朝鮮」を掲げた企業のコマーシャルに出演してくれる俳優を探すのも困難を極めた。それこそ、俳優生命の終りを意味するほどの差別感情が社会に蔓延していたからだ。

 抜擢されたのは、CMには決して出ることのなかった名優、米倉斉加年さんだった。



 その彼が、30年前、全鎮植氏(注:モランボン創業者)の求めに応じて、朝鮮風のパジチョゴリを着てコマーシャルに出演したのだ。

 そのせいで米倉さんが受けた仕打ちは凄まじいものだった。まず、すべての役から下ろされ、メディアへの出演も断られた。仕事がまったくなくなったのだ。朝鮮人の味方をする者への兵糧攻めである。

 もちろん米倉さんの子どもも無事ではいられなかった。学校で「チョーセンジン」といじめられて帰ってきて、「ねぇ、お父さん、私の家は朝鮮人なの?」と尋ねたそうだ。

 その時、米倉さんは微動だにせず「そうだ、朝鮮人だ。朝鮮人で何が悪い?」という趣旨の言葉を子どもたちにかけた。

 米倉さんは、1934年に福岡で生まれた日本人である。しかし彼は、自分は日本人だとは決して口にしなかった。それは、このコマーシャルを引き受けるときの彼の覚悟でもあったのだろう。

 当時を振り返って、「あのとき、このコマーシャルはただ焼肉のタレの宣伝ではない、社会意識への挑戦であり、文化を伝える作業だと認識していたのは、全さんと私と、あなた(私のこと)だけだったかもしれませんね。わっはっは」と愉快そうに語ってくれた。

 朝鮮人と共に生きるということは、日本人の側にも相当の覚悟が必要なのだ。それは今でも変わらない。





日本人である米倉さんの、「そうだ、朝鮮人だ。朝鮮人で何が悪い?」という言葉は、植木等さんの父親、徹誠(てつじょう)さんが、「ヒトシ、俺は部落民じゃない、と言ったその瞬間からそれは部落差別なんだ」と語ったという話を思い起こさせる。これらの言葉は、マイノリティのみならず、マイノリティの側に立とうとする者にまで向けられれるこの社会の異常な敵意に対して、どのように向き合わなければならないかを教えてくれている。

改めて、米倉さんのご冥福をお祈りします。安らかにお休みください。

[1] 辛淑玉 「サバイバル手帳:踏み絵としての朝鮮人」 (社)子ども情報研究センター 「はらっぱ」 2010年6月号

http://blogs.yahoo.co.jp/tubuyaki2594/11068055.html


米倉斉加年さんと朝鮮
記事をクリップするクリップ追加 .
2014/9/2(火) 午後 7:40
差別のこと
倫理学
.

facebookでシェア


twitterでつぶやく




7

.


ぼくの大好きだった俳優の米倉斉加年(よねくら まさかね)さんが亡くなりました

米倉さんは、ぼくとつで飄々とした雰囲気を漂わせる人でしたけど

ぼくは米倉さんが昔からものすごくインテリに見えてました


インテリというのは「知識人」ということで、「いろんなことを知ってる人」というコトなんですけど

ぼくはそんなことよりも、「批判精神の旺盛な人」こそ、真の知識人やと思ってるんです

(と同時に、想像力の豊かな人も、真の知識人に該当すると思います)


そういう点で、ぼくは昔から、米倉さんがあのぼくとつで飄々とした雰囲気の中に

鋭く光る批判精神をもってはる真の知識人のように思ってまして、

そういうところも、ぼくが米倉さんに惹かれる理由でした


そんな米倉さんには、俳優としての演技の思い出もいろいろあるんですけど

米倉さんといえば「モランボン」…

そう、もうずいぶん昔の話になってしまいましたが、米倉さんが出演されたCMのことを

ぼくは懐かしく思い出します


では、ここであるtweetを紹介しましょう

米倉斉加年さんとモランボンのジャンhttp://bit.ly/1w1xDjR
「日本人である米倉さんの『そうだ、朝鮮人だ。朝鮮人で何が悪い?』という言葉は、植木等さんの父親徹誠さんが『俺は部落民じゃない、と言ったその瞬間からそれは部落差別なんだ』と語ったという話を思い起こさせる」
リンク先の記事を参考に書きますけど

米倉さんは1979年に、食品メーカー「モランボン」が製造する焼き肉のたれ「ジャン」のCMに出演されます

この食品メーカーの経営者は在日コリアンであり、

この商品は「朝鮮の味」を売り物にしたものだったのですが

その頃は今以上に(…というか、今とほとんどおんなじくらい)在日コリアンに対する差別感情が

社会に蔓延していて、TVCMのなかで「朝鮮」という言葉が出てくることは

ほとんどなかったと記憶しています


当時、この企業のCMは何度となく放送局から拒否され、また、「朝鮮」を掲げた企業のコマーシャルに

出演してくれる俳優を見つけるのも大変だったそうですが

そんななかで、米倉さんは「朝鮮の味、ジャン!」というナレーションと共に

朝鮮風のパジチョゴリを着て、この商品のコマーシャルに出演したのでした

(ぼくもそのCMを見たときは、いろんな意味でビックリしたもんです…もちろん、よい意味で)


ところが、米倉さんはそのCMに出演したせいで、メディアへの露出が激減してしまいます

(それはつまり、朝鮮人の味方をする者への兵糧攻めで、俗に言う「干された」…ということです)


ここからは、リンク先の記事をそのまま引用してみます



 もちろん米倉さんの子どもも無事ではいられなかった。学校で「チョーセンジン」といじめられて帰ってきて、「ねぇ、お父さん、私の家は朝鮮人なの?」と尋ねたそうだ。

その時、米倉さんは微動だにせず「そうだ、朝鮮人だ。朝鮮人で何が悪い?」という趣旨の言葉を子どもたちにかけた。

米倉さんは、1934年に福岡で生まれた日本人である。しかし彼は、自分は日本人だとは決して口にしなかった。それは、このコマーシャルを引き受けるときの彼の覚悟でもあったのだろう。

当時を振り返って、「あのとき、このコマーシャルはただ焼肉のタレの宣伝ではない、社会意識への挑戦であり、文化を伝える作業だと認識していたのは、全さん(=モランボンの経営者)と私と、あなた(=辛淑玉さんのこと)だけだったかもしれませんね。わっはっは」と愉快そうに語ってくれた。

朝鮮人と共に生きるということは、日本人の側にも相当の覚悟が必要なのだ。それは今でも変わらない。                         
(辛淑玉 「サバイバル手帳:踏み絵としての朝鮮人」)

日本人である米倉さんの、「そうだ、朝鮮人だ。朝鮮人で何が悪い?」という言葉は、植木等さんの父親、徹誠(てつじょう)さんが、「ヒトシ、俺は部落民じゃない、と言ったその瞬間からそれは部落差別なんだ」と語ったという話を思い起こさせる。
これらの言葉は、マイノリティのみならず、マイノリティの側に立とうとする者にまで向けられれるこの社会の異常な敵意に対して、どのように向き合わなければならないかを教えてくれている。

このエピソードを読むと、ぼくが米倉さんのことを「真の知識人」だと感じていたことは

やっぱり間違っていかなったと思います。。。

※空手バカ一代の朝鮮漬けエピソード
Karate#11_154
Karate#11_155
Karate#11_156
Karate#11_163
Karate#11_164
Karate#11_165
スポンサーサイト

| 未分類 | コメント(0)

コメント

非公開コメント

トラックバック

http://kimuramasahiko.blog.fc2.com/tb.php/3410-03520c2b