相撲の存在を実証的に検証した名エッセイ、高橋秀実氏の『おすもうさん』(草思社)によると、相撲が国技とされたのは、明治期に相撲専用の競技場を作るにあたり、名前をどうするかということになって、「国技館」と名付けたことが始まりだそうだ。国技館で行うから国技である、と。それ以前に相撲が国技と称された文献はないという。しかし、戦争期になると、相撲は武士道の精神を体現した国技として称揚されるようになる。このときに、武士道の延長としての伝統競技というイメージが作られた。だが、相撲の起源は芸能であって、つまり被差別民の文化であって、侍文化ではない。元来、あぶれ者や経済的に厳しい家の体の大きな子どもが、半ば身売り同然に預けられ、興行を行ったのが相撲。だから、さまざまな事情を抱えた者やルーツの者が集まる場だった。今は、モンゴルを始め世界中から一旗上げようという者が一堂に会している。その相撲がいつの間にか、純血を求める国威発揚の場に変わろうとしている。恐ろしいのは、この線引きはごく自然なことであり何もおかしいとは感じない、という人のほうがもはやマジョリティとなっていることだ。それが今の日本社会の反映であることはいうまでもない。





























おすもうさん
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高橋秀実 (たかはし・ひでみね)
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現代思想2010年11月号 特集=大相撲

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http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50654
「日本スゴイ」ブームの極み、大相撲人気に覚える“ある違和感”
こうして国威発揚の場と化した…

星野 智幸

小説家


プロフィール







「日本礼賛」が信仰になるとき

「保育園落ちた日本死ね」が2016年の流行語大賞にノミネートされて賛否が沸騰したが、密かに流行語となっているのが「日本スゴイ」である。これは日本の素晴らしさを褒める言葉ではなく、日本を自我自賛する風潮を指している。

「保育園落ちた日本死ね」は日本を貶める言葉でそんなものが流行語大賞の候補になるとは言語道断だ、と腹を立てるのも、「日本スゴイ」現象の一環といえよう。

私の知る限りでは、早川タダノリ氏の『「日本スゴイ」のディストピア』(青弓社)という本が昨年に出版され、東京中日新聞でも「テレビで本で『日本スゴイ』 ブームの行く先は…」という特集記事が年末に書かれたことなどから、日本礼賛の傾向に批判的な人たち(私もその一人)の間で、「日本スゴイ」ブームというような言い方がされるようになったようだ。



私が日本礼賛の風潮が顕著になったと感じたのは、東日本大震災以降だ。

「日本よ、ガンバレ」というような鼓舞の気分が、次第に日本はすごいのだという己への言い聞かせになり、さらには信仰のようになりつつあるように思う。

だが、「日本人」のアイデンティティが強調されるようになったのはもっと以前からで、まずスポーツの世界で選手たちを「サムライ」になぞらえることから始まった。ワールド・ベースボール・クラシックの侍ジャパン、サッカー日本代表のサムライ・ブルーなど、比喩はサムライ一色に覆われるようになった。

私がそのきっかけとして捉えているのは、2004年にトム・クルーズ主演のハリウッド映画『ラスト・サムライ』が大ヒットしたことである。この映画以降、日本中で、自分たちをサムライ視するイメージや言葉が爆発的に広がっていった。

私の目には、アメリカ人から「お前たちはサムライだ」と言われて、にわかに「そっか、自分たちはサムライだ! だから強いんだ!」と言い出したように映る。大半の日本の住民は、武士ではなく百姓の子孫であるはずなのに。

その武士のイメージが、イメージではなく本物だと思われ、ブームを起こしているのが大相撲である。小学生のころから大相撲ファンだった私からすると、このブームの内実を見るにつけ、本当に相撲好きが増えているとも言いがたい面があり、なかなか共感しにくい。


〔PHOTO〕gettyimages

NEXT ▶︎ 声援の多寡を決めるもの





日本人力士が背負わされる“プライド”

場所中の国技館などに足を運べば、このブームの原動力を肌で理解できる。

声援の多寡を決めるのは、「日本人力士」であるかどうかなのだ。この傾向は3年ぐらい前から目につくようになり、2016年にことさら強まった。その理由は、昨年初場所で、大関・琴奨菊が「日本人力士(日本出身力士)」として10年ぶりの優勝を果たしたからだ。

なぜ、あえて「日本人力士」とカギカッコをつけるかというと、モンゴル出身の旭天鵬は現役中に日本国籍を取得し、2012年に日本人力士として優勝しているからだ。彼を日本人にカウントしないのであれば、法治国家の日本において誰を「日本人」と呼ぶべきなのか、決められなくなる。その結果、「日本出身力士」という苦しまぎれの表現もひねり出されたりした。


〔PHOTO〕gettyimages

琴奨菊の優勝により、今度は「日本人横綱」の誕生が期待されるようになった。貴乃花が2003年に引退して以来、「日本人横綱」も不在なのだ。残念ながら琴奨菊は綱取りに失敗したが、今度は横綱級の力を持つ大関の稀勢の里に、とてつもない期待がかかるようになっていった。



こうして2016年は稀勢の里ブームに沸くこととなった。しかし、稀勢の里は横綱昇進の条件をそれまでより緩くしてもらうという特別なチャンスももらいながら、綱取りはおろか、優勝さえできていない。ライバルであるはずの「日本人」大関・豪栄道にも、初優勝で先を越されてしまった。

稀勢の里のメンタルの弱さのせいといってしまえば、そのとおりだ。だが、稀勢の里は、歴代の大関が背負ったこともないプライドを負わされることになったのも事実だ。「日本人」という、実体のはっきりしないプライドを。

稀勢の里が、白鵬をはじめとするモンゴル出身の横綱勢と当たると、館内では圧倒的に稀勢の里に応援が集まる。中には「日本人力士がんばれー!」という、差別とも言える声援まで多数飛ぶ。

NEXT ▶︎ 大相撲人気が急上昇した理由

純血を求める「国威発揚」の場に

昨年あたりから顕著になった応援の一つに、手拍子がある。

これまで相撲では、個人がひいきの力士の名を呼んで応援するのが流儀だった。ところが、他のスポーツで見られる「日本チャチャチャ」のような、館内中が力士の名を呼んで手拍子を打つという応援がいつの間にか広まり、定着していった。

私は非常に違和感を覚えた。個人対個人で勝負する相撲は、応援するほうも個人であるべきだ。集団で威圧するのは、感じがよくない。ましてそれが、相手がモンゴル人力士だから、という理由で行われるのであれば。

この手拍子は、モンゴル人力士に対してはまず起こらないのだ。「日本出身」の人気力士か、モンゴルの横綱と対戦する日本の大関陣に対してのみ、起こる。



稀勢の里はこの手拍子の重圧に負けたようなものである。象徴的だったのは秋場所初日で、稀勢の里にはとてつもなく盛大な手拍子が起こったときである。ガチガチに硬くなった稀勢の里はいきなり負けた。

その場所の稀勢の里は負けが込み、優勝は日に日に遠のいていく。すると、手のひらを返したように手拍子は消えた。そして、序盤は何の期待もされなかった豪栄道に優勝の芽が出てきたとたん、まるでそれまでも主役だったかのように分厚い手拍子が送られた。


〔PHOTO〕gettyimages

これらの現象を見てわかることは、大相撲はまさに「日本スゴイ」を感じるために、人気が急上昇したということである。「日本人」のスゴさを感じられそうな力士を応援し、日本を応援する集団と一体に溶け合って陶酔したいのだろう。なぜなら、相撲は「国技」だから。

相撲の存在を実証的に検証した名エッセイ、高橋秀実氏の『おすもうさん』(草思社)によると、相撲が国技とされたのは、明治期に相撲専用の競技場を作るにあたり、名前をどうするかということになって、「国技館」と名付けたことが始まりだそうだ。国技館で行うから国技である、と。それ以前に相撲が国技と称された文献はないという。

しかし、戦争期になると、相撲は武士道の精神を体現した国技として称揚されるようになる。このときに、武士道の延長としての伝統競技というイメージが作られた。だが、相撲の起源は芸能であって、つまり被差別民の文化であって、侍文化ではない。

元来、あぶれ者や経済的に厳しい家の体の大きな子どもが、半ば身売り同然に預けられ、興行を行ったのが相撲。だから、さまざまな事情を抱えた者やルーツの者が集まる場だった。今は、モンゴルを始め世界中から一旗上げようという者が一堂に会している。

その相撲がいつの間にか、純血を求める国威発揚の場に変わろうとしている。恐ろしいのは、この線引きはごく自然なことであり何もおかしいとは感じない、という人のほうがもはやマジョリティとなっていることだ。それが今の日本社会の反映であることはいうまでもない。
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