カムイ伝  日本の歴史の中でもっとも身分制度が厳しかった江戸時代における階級社会の矛盾,人が人を差別することの不条理,人が人から搾取することへの怒りというテーマに貫かれています



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444-411 部落差別問題の基本的理解

【部落問題の歴史認識その一、古代から幕藩体制期までの歩み】
 部落差別の由来をどこに求めるのか、ここから論を起こしたい。まず歴史的に次のように認識したい。洋の東西を問わず、階級社会の成立とともに賎視される人びとが発生している。古代ローマの奴隷、中世ヨーロッパの農奴、インドのカースト等はその例である。

 日本でも2・3世紀には奴碑が存在していたことが知れており、彼らは「奴隷」として社会の下層におかれ、賎しめられつつ酷使労働力として利用されていた。あるいは特殊技能労働により自存していた部分もあるやに思われる。

 古代国家が確立し、唐の律令制が取り入れられるにおよんで、賎民制度が成立した。

 7世紀から8世紀にかけて、天皇を頂点とする身分制度がつくられ、いわゆる平民身分は「良民」と「賎民」とに分けられ、更にその内部にさまざまの身分があった。賎民は「五賎」といって、官戸・陵戸・家人・公奴碑・私奴碑に分けられていた。また良民でも、品部(ともべ・しなべ)や雑戸(ざっこ)は一段低くみられていた。古代賎民制はすでに8世紀から動揺をはじめ、9世紀ごろから古代身分制が崩れはじめ、10世紀初めには律令制における奴碑身分も廃止された。

 中世賎民の出現は、古代賎民制の解体ののちにみられる。系譜的には古代賎民のあとをひく者もいたが、天災や飢饉、戦に敗れるなどの理由で新たに体制から流出した者、あるいは手工業者、物資の運搬・皮細工・染色・壁塗り・井戸掘りなどの経済活動に従事して商工業の発展に尽す者の一部も含まれていた。あるいは猿楽能、曲舞などの庶民芸能や造園業者や宗教者も含まれており、このような階層を総称して「非人」とよんでいる。

 このような人々の中には、銀閣寺の庭園を造ったと言われる善阿弥や仏像彫刻で有名な運慶など、日本の優れた文化をつくり出した人が多くいる。してみれば、「非人」=賎民とは断定し難い面があるように思われる。いずれにせよ、この頃の身分は非常に流動的であったところに特徴が認められる。

 これらが平安期にとくに厳しくなった「触穢思想」などの影響をうけ、死や血のけがれに触れるものに対して賎視が強くなった。清掃や死牛馬の処理、葬送、行刑執行等々の「清め(キヨメ)」の職種がこれに該当すると思われる。

 鎌倉末期になると、賎民も分化し、職業や領主関係などによって名称も異なってきた。犬神人・河原者・散所民・穢多・きよめ・坂の者・夙の者・声聞師などがそれである。中世賎民は厳しい差別をうけたが、身分間の移動がまったく不可能であったわけではない。

 ところが近世になると、検地や人別改めが行なわれ、身分によって居住地や職業までもが区別される支配体制が整備されることになった。豊臣秀吉の兵農分離・刀狩り令によって支配階級たる武士と被支配階級たる農工商との身分が分離された。更に、検地政策が、農民=百姓を土地持ちと持たざる者とに識別することとなった。

 「検地」とは、一筆(一枚の田)ごとに土地の広さを調べて、そこから獲れる米の石高やその土地の耕作者を決めて年貢を納める義務を課すことにあったが、この時土地の耕作者=本百姓政策を基本としたことにより、勢い本百姓ならざる百姓の階層分化を進めていくことになった。

 この過程で、一向一揆等々の体制反逆者たちが最下層へ落とし込められた形跡がある。

(私論.私見) 賎民制度と江戸期身分制における「えた・ひにん」制との繋がりについて

 問題は、こうした歴史的経緯における賎民制度と次に述べる江戸期身分制における「えた・ひにん」制との繋がりであろう。同一階層が横滑りで「えた・ひにん」化されたものなのか、新たな編成替えが為されたのか。
【部落問題の歴史認識その二、幕藩体制における部落差別の構造】
 江戸時代に入ると近世身分制が確立された。徳川幕藩体制は、武士階級が百姓を中心とする民衆から、苛酷な租税をしぼりとることによって成り立っていた。200万の武士が2800万人の民衆を支配するために、「士・農・工・商・えた・ひにん」という身分序列を設けた。この時、それぞれの身分がさらに細かな身分に分けられ、且つ中世賎民の一部が把握されなおされ、賎民身分として近世身分制の最下層におかれた。

 農本経済を基調にしていたこともあり、農民は武士の次の身分に位置付けられていた。その下に職人、商人を置き、更にその下に、「えた」、「ひにん」身分をつくった。「えた」と「ひにん」の身分差も巧妙にされていた。「えた」は、親子代々「えた」から抜けられず、「ひにん」はある一定の条件のもとでは「足洗い」をして、農・工・商のいずれかの身分にもどれるという仕組みにしていた。

 そのため、「えた」は身分が上挌だといって「ひにん」をさげすみ、「ひにん」はいつでも農・工・商にもどれるから自分たちの方が上だと考えて「えた」をさげすんだ。たがいに他人をさげすみあい、「自分たちの方がまだましだ」と思わせるという巧妙な制度であった。

 なお、身分によって居住区が分けられ、武士は「城下町の武家地」、町人は「町方(まちかた(城下町の町人屋敷地))」、百姓は「村・在方(ざいかた、農漁村の意味))」、「穢多」は「村・在方の特殊部落」、「非人」は「河原、その類(たぐい)」、「その他の雑賎民」は無宿人として相応のところという風に制限されることになった。

 この封建的身分制のもとでは、社会的地位や職業・財産などは原則として父系親族体系にもとづいて相続・世襲されることから、人びとは生まれながらにして出自と家柄によって社会的身分が決定された。そればかりではなく、居住区域・家屋様式・髪形・服装・職業・言語様式・教育などすべての生活様式や文化にわたっても、厳しい身分による差異が設けられた。

 これらの生活様式や文化の差異は、日常の社会関係において身分の違いを目にみえる形で表示し識別しうる標識として、身分制の維持のために重要な意味をもっていた。また身分社会においては、親族体系が地位の相続や世襲に関して重要な意味をもつために、結婚についても異なる身分間の通婚は規制された。
 
 近世の封建制度下の身分制の最底辺におかれた「穢多」は集団的に閉じ込められ、賎民職業として主として畜産食肉業、皮革職業に従事した。ケモノを殺したり、皮を剥ぎ、それを加工したりするので「皮多(かわた)」とも云われた。領主に皮革を納めるかわりに、死んだ牛や馬をひきとり処理する特権(斃牛馬処理権)を認められたほか、皮革業を行なうための作業場として屋敷地をあたえられたり、年貢を免除されたりすることも多かった。

 しかしこれらはいずれも、賎民としての身分と結びついた権利であり、日常生活のうえでは賎民身分としてさまざまな厳しい差別をうけた。しかも特権をもっていた者は一部にかぎられており、多くの人は農業、皮革加工業、日雇い賃かせぎなど雑多な仕事で生計をたてていた。

 領主によっては、「えた」身分の者を罪科人の処刑や牢番、役人の下で警備や犯罪者の逮捕など警察組織の手先としてつかい、分裂支配の手段として利用したところもあり、「長吏」とも呼ばれた。通説として、幕府の分断統治、反目政策とみなされている。

 中世の社会はまだ流動的で、賎民でもその身分から逃れることも不可能ではなかったし、近世封建制のもとで新たに「えた」身分におとされた者も少なくはなかった。
 
 徳川幕府時代の封建的身分秩序は「士農工商、エタ非人」制に貫かれていた。徳川中期には賎民身分に対する差別はますます厳しくなり、風俗規制や、「穢多狩り」といって原住地をはなれ都市に流れこんだ者を捕らえることさえも行なわれた。穢多・非人が領主の賎民支配の中核になった。その他にも雑多な賎民が存在していた。加賀藩の藤内、山陰の「はちや」などは地域的な特色があるが、茶筅・さいく・夙の者・「はちたたき」などが広範に存在していた。
【部落問題の歴史認識その三、幕藩体制下での部落民の抵抗と幕府の対応史】
 「えた」身分の人たちは、こうした差別と貧困に泣き寝入りしていたわけではない。1856(安政3)年の渋染一揆に代表されるように、幕末に近づくにつれて「えた」身分の人びとも、差別と貧困に抵抗して立ちあがり、身分差別撤廃のたたかいを展開していった。幕末期にはこうした闘いの火の手が次々と挙がっており、次第に幕藩権力に抵抗する運動へと激化した。

 1749(寛延2)年の姫路藩の全藩一揆、1782年(天明2)年の和泉北部54カ村の千原騒動、1823(文政6)年の紀州北部280カ村7万人の百姓一揆などのときには部落民が一般百姓一揆に加わって幕藩権力をおびやかしている。1804(文化11)年から1855年(安政3)年にかけて丹波篠山藩において本村の隷属下にあった皮多村が、分村独立運動を50年間にわたって闘い、願意を貫いた闘争もある。1806年(文化3)年豊後杵築藩での部落民に「浅黄半襟」を強要したことに対し、成功しなかったものの、領外に2カ月も立ち退いての闘争もある。

 1837(天保8)年の「大塩平八郎の乱」のとき、この決起に部落民も参加している。

 渋染一揆はその貴重な史実である。時に、1855(安政2).12月、池田藩(現在の岡山)は財政改善のため29条にわたる倹約令を出したが、最後の5カ条の「別段御触書」の内容が「部落の者は無紋にして渋染(しぶぞめ)の衣服以外は着てはならない」というものであり、被差別部落民はこの差別法令の撤回を要求してたちあがった。1856(安政3).1月から6月中旬までの間、53ヶ村の代表が何回も会合を開き相談をし、その過程では村によって考え方に微妙な相違が見られたにもかかわらず最終的には約1500名の部落民が強訴している。6.13日に集結し、15日に嘆願書を池田藩筆頭家老・伊木若狭(いぎわかさ)に渡し、再吟味するとの約束を勝ち取った。8月に、別段御触書は取り下げさせることに成功しているが、調印だけはするようにとのことになった。この闘いの代償もまた大きかった。1857(安政4).5月判決が出され、12名が投獄された。内6名が病死、2年後に残りの6名が釈放された。投獄中、厳しい拷問を受けている。すべての部落民に14日間の外出禁止が課せられてもいる。

 1866年(慶応2)の長州再征のときなどに、幕府・長州藩とも脱賤を切望する部落民に対し、平民にしようという条件で部落民に動員をかけ事実上協力を取り付けている。長州では、幕末に民衆による軍隊がつくられ、そのなかに部落の人びとからなる「維新団」、「一新組」が組織され、幕府による2回めの「長州征伐」のときには、芸州口(げいしゅうぐち)のたたかいなどで奮闘している。こうした解放への胎動が、「解放令」を生みだす原動力となる。

 いよいよ幕末動乱期になると、幕藩体制否定の反封建思想が高揚するとともに、外国からの平等権的啓蒙思想(天賦人権説)が広まった。また識者のなかには社会政策の上からも、部落解放策を唱える者が出てきた。1868(慶応4・明治1)年、幕府は江戸浅草の“えた”頭弾左衛門とその手下60人余を平民にしている。
【部落問題の歴史認識その四、明治維新による新秩序】
 明治維新は、封建社会から資本主義社会へ移行する近代日本の出発点となった。明治政府は近代的中央集権国家体制を目指し、政治、経済、教育のあらゆる分野の制度改革を進めた。これを俗に「文明開化政策」と云う。明治維新によって「四民平等」がとなえられ、近世身分制は廃止されることになった。

 明治新政府は、徳川幕藩体制の桎梏的な諸制限を廃止していった。1871(明治4)年に太政官布告で「賎民解放令」が出され、「エタ・非人」制度を法的には廃止し、法律や制度のうえでの身分差別はなくなった。「解放令」は、四民平等の近代社会を建設していくことを宣明しており、差別的な呼称の廃止、職業の自由を認めたという点では、画期的な意義をもっていた。

 「解放令」の発令によって、部落大衆は長年にわたる差別から解放されると期待して狂喜したが、一般国民は、自分らは部落民と同じ社会身分におとされ、結婚をはじめ社会慣習・生活様式などすべて同格にされると恐れて、解放政策反対の大規模な一揆をおこした。中国・四国・近畿・北九州地域に勃発し、政府はこの鎮圧に苦慮した。

 しかし、翌1872(明治5)年わが国で最初の近代的な戸籍といわれる「壬申戸籍」がつくられた。この戸籍には、旧身分や職業、壇那寺、犯罪歴や病歴などのほか、家柄を示す族称欄が設けられていた。部落の人びとについて「旧えた」とか、「新平民」とか付記されていた。戸籍法では、従前戸籍の公開が原則とされていたので、この「壬申戸籍」は1968年(昭和43年)包装封印されるまで、他人の戸籍簿を閲覧したり、戸籍謄(抄)本を取ったりすることができた。

 こうしたことから判明するように、「賎民解放令」は宣言にのみとどまった。「エタ・非人」の生活環境諸条件は相変わらずそのままであったので何ら実効性を伴わなかった。

 他方で、天皇を中心とする専制的な政治を強めていき、天皇制国家秩序の中での新身分秩序として「皇族、華族、士族、平民、新平民」制を定めたので、身分差別構造が形を変えて続いていくことになった。出目や家柄を尊重し、それによって人びとを差別する前近代的な価値観や慣習も根強く残存し、「エタ・非人」制は近代社会の仕組みのなかで特殊部落として差別されていくことになった。

 明治政府のこの二面的政策により賎民身分に対する差別はなくならなかった。これを「半ば封建的な政治、経済、社会の遺制的仕組み」と理解すべきか、明治維新後の「資本制社会の新たな差別の仕組み」と見なすかで議論が分かれている。分析すべきは、近代資本主義の発展の中で、部落差別が強化されたのか緩和されたのか、新たな差別構造として存続したのか漸次解消方向へ向かったのか等々であるが、さほど精査されていない。「部落住民の困窮をより一層強めることになった」という見方もある。

 いずれにせよ、富国強兵政策遂行上、低賃金労働力の供給元として部落差別が再生産されたことは疑いない。その構造は、第一に、民衆に経済的・政治的・文化的な低さをがまんさせ、低い生活を維持させるために必要でした。これが部落差別の経済的存在意義である。第二に、民衆の不満のはけ口を部落民にむけさせ、民衆同士を分裂させる役割をはたした。これが部落差別の政治的存在意義である、と云われている。
【部落問題の歴史認識その五、近代部落解放運動の歩み】
 1877年(明治10)代の自由民権期に入ると、部落のなかには板垣退助指導の自由党に加入したりして部落解放運動を始めたり、中江兆民のような自由民権論者のなかに部落解放を唱える人物もでてきた。

 明治中期になって、福本日南の『樊噌夢物語』(1886刊)や柳瀬勁介の『社会外の社会穢多非人』(1901刊)のように、部落民を日本の海外発展の市場獲得の先兵にしようという論もでてきた。島崎藤村の『破戒』(1906刊)の主人公・瀬川丑松が部落差別に耐えきれずアメリカのテキサスに旅立つのも、こうした時代環境にあったからであろう。

 政府の無策によって、部落の有力者は、自主的な部落改善運動をおこした。1893年(明治26)の和歌山県の青年進徳会、翌々年の大阪での中野三憲らの勤倹貯蓄会、その翌年,岡山県での三好伊平次らの修身会・青年会などがそれであり、1902年(明治35)の岡山県の三好伊平次らの備作平民会、またその翌年,全国的規模の大日本同胞融和会、1912年(大正1)の奈良県を中心とした大和同志会、その翌々年の帝国公道会など、部落改善運動(部落の自粛をとくに強調)が勃興し、融和運動を主張してきた。

 大正期になると、折からの大正デモクラシーの高揚に伴い、1913年に民俗学者柳田国男の「所謂特殊部落の種類」(国家学会雑誌)、1919年(大正8)喜田貞吉『民族と歴史』(特殊部落研究号)などに部落問題が学者らに注目されるようになった。1910年(明治43)、いわゆる大逆事件がおこったが、このころから政府も部落対策を講じてきた。しかし治安維持と救貧策の見地からの慈善的恩恵的な行政施策であった。さらに部落の自主的な改善運動がおこってきたが、政府は十分に改善施策を助成し促進することをしなかった。

 1917(大正6)年、奈良県橿原市の畝傍(うねび)山のふもとにあった洞(ほら)部落が神武天皇陵を見おろしているから恐れおおいということで、強制的に移転させられている。戦前の軍国主義時代、解放運動の父・松本治一郎が叫んだ「貴族あれば賤族あり」ということばは、みごとにこのことを示している。

 1918年(大正7)夏、米騒動が勃発して、部落民の蜂起が激しかったことがわかって、政府は部落問題の重要性を認識した。ついで1920年(大正9)奈良県南葛城郡掖上村柏原での燕会の創設から、1922年3月京都岡崎公会堂で全国水平社が創立された。全国水平社は政府の融和事業を排撃し、人間の尊重を基礎とし、団結して自らの行動によって絶対の解放を期し、もって人の世に熱と光を与えることを目的とした。

 水平社運動の初期の段階は、差別したものに対する徹底した糾弾闘争で、1923年の奈良県都村における水平社対国粋会との流血事件、群馬県世良田村の自警団との事件、26年の福岡連隊事件などとつづいた。しかし運動の激化に伴い、闘争のあり方に内部分裂がおこり、折からのアナ・ボルの対立が水平社運動にも波及し、政治的な労農闘争と連携していく運動となった。

 これに対して1928年(昭和3)の三・一五事件、翌年の四・一六事件といった共産党弾圧事件に水平社幹部も多く検挙され、折からの昭和恐慌の荒波にあって、水平社運動も沈滞した。1933年(昭和8),水平社は勤労大衆の階級的連携を強化するとともに,部落委員会活動をおこし、不況のなかで部落大衆の経済的・文化的要求を、組織を通して行政に要望していこう、という運動に転じた。これが折からの高松地方裁判所の差別判決閾争と重なり、水平社運動をもりあげた。水平社は政府が1936年(昭和11)から始めた「融和事業完成10カ年計画」に批判的であったが、太平洋戦争の勃発で、しだいに国策順応に傾斜していった。
 
 こうして、融和運動は水平社運動へ結実していったものの、その水平社運動もジグザグし、いわゆる「絶対主義的天皇制、寄生地主制、家父長制的家族制度」の中で、部落の差別的な実態や一般住民との断絶状態はそのままに温存された。大きな解決の条件は第二次世界大戦後をまたなければならなかった。
【部落問題の歴史認識その六、戦後部落解放運動の歩み】
 敗戦後、米欧型民主主義が導入され、戦後憲法の策定、明治期につくられた華族制度の廃止が為され、部落差別は法的に解消された。新憲法には、戦争放棄の宣言とともに、「すべて国民は、法の下に平等であって、 人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない」(第14条)とうたわれていた。また第11条では基本的人権、第25条では最低生活権を有することも明文化されていた。 しかし、これを実効的にさせる為の諸施策につき行政当局が自ら進んで為すことは無かった。これを促すのが戦後の部落解放運動の主潮となる。1946(昭和21).2.1日、旧水平社を中心に部落解放全国委員会が結成される。
【部落差別の起源について】
 一般に職業起源説から把握されているが、「歴史的事実にも合わない誤った俗説」として否定する見解もある。意図的に社会政策的に作り出されたとする「政治起源説」もあるが、具体的にどういう判断に基づいていたのかとなるとはっきりしない。「身分は社会発展の一定の段階で生みだされ、これを封建権力が制度化した」と言い換えても同じである。
【部落差別の定義】
 以上を受けて以下「部落差別の定義」をしておこうと思う。次のように云えるのではなかろうか。「人種や民族の違い、出身や職業の違い、性の違いなどの違いを理由に、基本的人権である権利を奪い、政治、経済、文化等の生活全般にわたって、社会的に不利益な扱いをすることが差別であり、とりわけ、被差別部落(同和地区)の出身であることを理由に行なわれる差別が部落差別と云う」、「部落民とは、近世の封建的身分制の士農工商秩序の下で、これらの身分とは分離させられ最下位におかれた賎民で、その主要な部分を占めていたエタ身分に属していた階層を云う。この階層は集団的に閉じ込められたことにより特殊部落を形成することになった。衣・職・住等生活のあらゆる面で厳しい規制を受け、排外された。更に、その下位に特殊部落とは又異なる非人層も存在した。明治維新後、士農工商秩序は解体されたが、この特殊部落は残存され、引き続き経済的・社会的・文化的に低位な生活を余儀なくされた」、「戦後の新憲法の発布と共に法的には解体されたが、社会生活上根強く残存され部落解放運動が要請される所以となった。1965年に出された内閣同和対策審議会答申では『同和問題とは、人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる課題である』」ことを明らかにしている 」。
【「ケガレ意識」に纏わる部落差別】
 封建時代の斃牛馬処理との関連から生み出されたものであるが、「差別観念を生み支える感性的諸条件」に「貴賎意識、ケガレ、ヨゴレ意識」がある(部落に対する蝕穢思想)。

 この差別感は現在急速に薄れてきている。戦後社会の民主化と経済発展、技術革新により、環境が衛生化したことにより、物質的基礎が改善されたことによる。

 同族意識

 本家・分家などの家系譜を同じくす驩ニ々(同族団)の間における祖先伝来の家産の共同所有や管理、生活や農業の相互扶助、祖先の共同祭祀などにもとづく集団結合の意識と、その内部における本家・分家間の上下関係の意識のことです。歴史的には前近代的な性格をもつ社会結合の原理です。明治維新後も、農村を中心に同族的な結合や意識が根づよく残されていましたが、第二次世界大戦後は、家父長制的家族制度の解体とも相まって急速に弱まりました。しかし、長い差別の歴史のなかで居住の自由を実質的に制限され、「部落外」との通婚を妨げられてきた部落においては、都市・農村をとわず今日においてもなお一部に、同族的な結合や意識が相対的に強く残存しており、部落民を地区にしばりつけ、地区内の民主化を妨げる要因となっているだけでなく、部落排外主義的な考え方を生みだしやすい温床ともなっています。
【同和運動について】
 戦後、部落解放運動は「同和問題」として立ち現れてきている。戦後の憲法秩序に沿う形で特殊部落の一般市民化が要請されることになり、これを「同和」と称した。その後、大衆社会の出現と共に「同和」はかなり進んでいるが、その認識を廻って、部落差別問題は日共系の「急速に解消論」と解放同盟系の「根強く残存論」の二派の見解が対立している。

 日共系は次のように述べている。「部落解放の課題とは、封建的身分差別からの解放という本来的にはブルジョア民主主義の課題であり、資本主義的な搾取・収奪からの解放ではありません。したがって、独占資本の横暴な専制的支配に対し、自由と民主主義を守り発展させる運動を拡大・強化させていくならば、部落問題の解決は資本主義の枠内でも実現させることができます」。 

 内閣同和対策審議会答申は次のように述べている。「いわゆる同和問題とは、日本社会の歴史的発展の過程において形成された身分階層構造に基づく差別により、日本国民の一部の集団が経済的・社会的・文化的に低位の状態におかれ、現代社会においても、なおいちじるしく基本的人権を侵害され、特に、近代社会の原理として何人にも保障されている市民的権利と自由とを完全に保障されていないという、もっとも深刻にして重大な社会問題である」。

 また、答申の前文では次のように、部落問題解決の責任が国にあり、国民的課題であることが高らかに歌われています。「いうまでもなく同和問題は人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる課題である。従って、審議会はこれを未解決に放置することは断じて許されないことであり、その早急な解決こそ国の責務であるとの認識に立って対策の探求に努力した」。

 さらに、答申第3部の「同和対策の具体案」のなかでは、同和行政は、部落問題が解決されるまで総合的・抜本的に実施されなければならないことを、以下のように明確に指摘しています。「けれども現時点における同和対策は、日本国憲法に基づいて行なわれるものであって、より積極的な意義をもつものである。その点では、同和行政は、基本的には国の責任において当然行うべき行政であって、過渡的な特殊行政でもなければ、行政外の行政でもない。部落差別が現存するかぎりこの行政は積極的に推進されなければならない。したがって、同和対策は、生活環境の改善、社会福祉の充実、産業職業の安定、教育文化の向上および基本的人権の擁護等を内容とする総合対策出なければならないのである」。
【特殊部落の現況】
 特殊部落の現況は次の通り。「被差別部落(未解放部落)」、「同和地区」、「対象地域」、あるいは単に「部落」といわれることもある。総務庁の1993(平成6)年調査によると、全国に6000地区が確認され、そのうち法的施策の対象である同和地区数は4603、世帯数・人口を把握しえた部落の数は4443地区で、同和関係世帯数は約30万世帯(地区全体は約74万世帯)、同和関係人口は約89万人(地区全体は約216万人)となっている。部落の数は特に近畿、中国などの西日本に多く、内訳は、中国23.1% 近畿21.9% 四国14.8% 関東13.7% 中部7.5%。関西では大都市の中の大型部落。関東では少数散在型。現在は混在が進みつつある。

 部落の居住環境や生活実態は、旧身分の残りものともかかわって極めて劣悪な状態におかれていたが、1969(昭和44)年以来、同和対策事業特別措置法、地域改善対策特別措置法および地域改善財特法にもとづいて行政上の特別措置がとられ、同和行政が以前とは比較にならないほど前進している。

(私論.私見)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%82%A4%E4%BC%9D








カムイ伝





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関連項目[表示]



『カムイ伝』(カムイでん)は、白土三平による日本の長編劇画。1964年から1971年まで『月刊漫画ガロ』に連載された。連載中、『週刊少年サンデー』(小学館)に『カムイ外伝』を不定期連載している。1982年から1987年まで『ビッグコミック』(小学館)誌上に『カムイ外伝 第二部』を連載、そして同誌上に1988年から2000年まで『カムイ伝 第二部』が発表された。『カムイ伝 第三部』の発表は未定。『カムイ外伝』は別項目を参照。



目次 [非表示]
1 作品内容 1.1 第一部
1.2 第二部
1.3 第三部

2 登場人物(第一部) 2.1 日置藩武士
2.2 浪人
2.3 百姓
2.4 非人
2.5 忍者
2.6 商人
2.7 その他の人物

3 その他
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク


作品内容[編集]

江戸時代の様々な階級の人間の視点から重層的に紡ぎ上げられた物語となっている。名脇役が数多く登場する壮大なスケールのこの物語は、1964年の連載開始から40年以上経過しながら未だ完結しておらず、白土自身も漫画家生活の大半をこの作品に費やしていることから、白土のライフワークとも言われる。

第一部[編集]
発表『月刊漫画ガロ』1964年12月号から1971年7月号までの全74回単行本1967年:ゴールデンコミックス『カムイ伝』全21巻1979年:旧小学館文庫『カムイ伝』全15巻1982年:小学館豪華愛蔵版『カムイ伝』全4巻1988年:小学館叢書『カムイ伝』全15巻1995年:小学館文庫『カムイ伝』全15巻2005年:ビッグコミックススペシャル『カムイ伝全集[第一部]』全15巻
「カムイ」とは主人公である忍者、およびサブストーリーとして語られる狼の名前である。主にカムイ(非人)、正助(農民)、竜之進(武士)という三者三様の若者を中心に物語は展開されてゆくが、非人のカムイは物語の進展にともない傍観者的になり、農民の正助が物語の中心になっていく。江戸時代初頭の架空の藩を舞台に展開され、主人公もまた架空の人物である。百姓道具の発案を作中の架空の人物にさせていることや、作品の発表された時代背景により「穢多」「非人」身分を全て「非人」に統一しているなど、フィクション的要素も多い。旧来の漫画にはみられない様々な群像が入り乱れる骨太のストーリーが高く評価され、時代小説に比しても遜色ない漫画路線の礎を築いたとされる。それは「ヴィジュアルは映画を凌ぎ、ストーリーは小説を越えた」というかつてのキャッチコピーにもみて取れる。

白土はこの作品連載のために「赤目プロダクション」を設立。『カムイ伝』前半のペン入れを小島剛夕が[1]、後半のペン入れを白土の弟である岡本鉄二がそれぞれ担当した。物語中盤において画風に少し変化が感じられるのはそのためである(明確ではないが、全15巻型単行本では第10巻第四章辺りから)。作品の最後に『カムイ伝』は全三部作であると述べられるが、これは当初から決まっていたことである[2]。

第二部[編集]
発表『ビッグコミック』1988年5月10日号から2000年4月10日号までの全168回単行本1989年:ゴールデンコミックス『カムイ伝[第二部]』全22巻※連載の途中までを収録1999年:ビッグコミックスワイド『カムイ伝[第二部]』全10巻※ゴールデンコミックス第20巻までの内容2006年:ビッグコミックススペシャル『カムイ伝全集[第二部]』全12巻
基本的に第一部の続きの世界を描いている。ただし、第一部と作中の年号がかぶっていることなど、一部矛盾する点もある。第二部においては、藩の場所をある程度の地域に定めており、歴史上の人物を多く中心においた構造になっている。また、作品に執筆当時の時代の風潮を大きく取り入れる作者であるとされ、例えばマルクス主義に対する時代の評価などが、第一部と第二部の間に大きく変化をもたらしているとの見方もある。

第二部においては岡本鉄二が一貫して作画を行なっており、作画者としてもクレジットされている。なお、「カムイ伝 第二部』は連載中に完結しておらず、単行本(二種)も最後まで収録されないまま続刊の発行を中止。2006年発行の単行本『カムイ伝全集[第二部]』第12巻に初めて連載分の最後まで全てが収録され、さらにラストの5枚が追加され完結となった。

第三部[編集]

構想は進んでいるが、発表は未定。

登場人物(第一部)[編集]
カムイ(弟)物語序盤の主人公。身分上最下層とされる「夙谷」と呼ばれる非人部落の出身だが、物乞いに甘んじる部落の連中を嫌って、自由と誇りを求め単身で生きようとする。百姓小頭たちによって非人の子供が殺され、復讐のため立ち上がったが、あっけなく捕らわれ斬首の刑に処せられた。容姿端麗で熱血漢。カムイ(兄)死んだはずのカムイが再び姿を現したことで、カムイに双子の兄がいることが判明する。以後、兄カムイがシリーズを通しての主人公となる。容姿は弟カムイと瓜二つで、弟に比べ冷静沈着。喧騒を嫌い、特に騒がしい女を毛嫌いしている節がある。強くなることが唯一の自由だと信じ、その信念が自らを忍の道へと導く。類まれな身体能力と洞察力で数々の秘術を体得し、忍者としての才能を開花させた。ときに鏡 隼人(かがみ はやと)という美剣士に変装することもある。正助(しょうすけ)花巻村の下人の出身で、カムイの姉であるナナ(非人)の夫となる。また、自身も父が下人で母は非人という生い立ちである。勤勉で利口な上、慈悲深い性格から仲間内の信頼が厚い。のちに本百姓となり農民の生産力を高め、全ての百姓・非人の生活経済を向上させ平等な世界を築こうと人々を導く。第一部において中心となる人物。草加 竜之進(くさか りゅうのしん)日置藩の次席家老の嫡子。若くして剣の腕が立ち、周囲から前途有望と目されていたが、橘軍太夫との勢力争いに巻き込まれ負傷。さらに家老である父・草加勘兵衛が失脚、一門すべて殲滅され失意に堕ちる。父の遺言に従い自らは脱藩し、浪人の身となり復讐の機を狙うが失敗し、一角とともに非人に身をやつす。ここで苔丸に出会い、さまざまな矛盾に目覚め成長していく。才色兼備で誠実な青年剣士。
日置藩武士[編集]
笹 一角(ささ いっかく)日置藩剣法指南役で竜之進の師匠。道場破りに来た水無月右近に勝負で負け、剣客としての誇りを失い脱藩。露木鉄山(剣豪)のもとで修行を積み、右近への復讐を誓っていたが、橘軍太夫の策により弟の笹兵庫が切腹したことを知り、一門の復讐を果たすべく武士の本能に目覚めた。橘 軍太夫(たちばな ぐんだゆう)日置藩の目付役。野心家で藩の実権を握ろうと企んでおり、ことあるごとに領主に甘言を弄する。都合の悪い相手に対して徹底的に排他的な行動を取る、謀略に長けた男。竜之進や一角たちの仇役。三角を嫌っているが、上下関係を理解しているので表面上は従っているフリをしている。日置藩改易後、元藩士らに切腹するよう要求され自害。橘 一馬(たちばな かずま)橘軍太夫の嫡子。若いころ、竜之進に試合で負け、さらにカムイに右足を切断されて以来、堕落の一途をたどっていたが、叔父の橘玄蕃の荒療治で魔剣・無人流の使い手となる。日置藩の改易と軍太夫の死をきっかけに浪人の身となった。三角 重太夫(みすみ じゅうだゆう)日置藩城代家老。橘軍太夫と地位権力を争う。徹底した現実主義者で、利益のある方に転ぶ。橘軍太夫よりは長期的な視野を持ち、農民に対しては多少の理解があり、正助を高く評価しているが、上下関係はしっかりと示すべきとの価値観を持つ。日置弾正の死後、隣領望月藩から養子に入って新藩主になった若君に藩の秘密を明かし、無礼討ちにあう。橘 玄蕃(たちばな げんば)橘軍太夫の実弟。無人流(むにりゅう)と呼ばれる魔剣の使い手で、初見の時に竜之進に決闘を申し出るも、カムイの邪魔が入り返り討ちにされた。軍太夫の懐刀として悪行を繰り返す残忍な男。日置藩の秘密を探るため手風に挑むが、返り討ちにあい顔を焼かれる。後に一馬とともに竜之進に挑むが敗れて両足を切断される。日置 弾正(ひおき だんじょう)日置藩領主。暗愚で軍太夫の甘言に乗り、藩の重鎮である草加一門を殲滅させるなど失政を重ねているが、徳川家康の出生の秘密を握っているので幕府も手が出せない。草加 十兵衛(くさか じゅうべえ)草加勘兵衛の従兄。草加一門の討伐隊に加わるが、実は勘兵衛の頼みで放浪中の竜之進を援助するため裏切ったふりをしていた。後、事情を知らぬ竜之進に討たれる。宝 監物(たから けんもつ)日置藩江戸家老。三角重太夫と共に藩の秘密を握る。日置藩改易の際に切腹の沙汰が下るが、その前に陰腹を切った。
浪人[編集]
水無月 右近(みなづき うこん)浪人剣士。道場破りにおいて一角を倒すほどの剣客。非人頭の横目に挑まれ、左足を切断された。己の誇りをかけ強い相手を探しながら旅を続けていたが、武士の生きざまに疑問を覚え刀を捨てる。アテナに想いを寄せている。露木 鉄山(つゆき てつざん)剣豪。未熟だったカムイに剣術を教えた最初の師匠。大きな秘密を知る忍者を斬ったことで、自身もまた大きな秘密を知る事件に関わった人物として忍者衆に斬られ最期を遂げた。アテナ露木鉄山の娘で、薙刀の名手。笹一角に想いを寄せており、仇討ちに燃える一角の後を追うようになる。父の死後は青木鉄人(剣豪)のもとに身を寄せていたが、そのうち水無月右近や松林剣風と行動をともにする。一角の死後は仏門に入り尼となった。松林 剣風(まつばやし けんぷう)松林蝙也斎の実弟で、天下一の抜刀術使い。無益な闘いを避ける賢明な男。竜之進が代官になっている時に刀を捨て百姓暮らしになる。堂面 六左(どうめん ろくさ)元島津藩士。不見流を遣う剣士。浪人して後、困窮していたところを日置藩江戸家老の宝監物に腕を買われ日置藩士となる。笹一角と対峙し、一角の右手の親指を切り落とす。青木 鉄人(あおき てつじん)アテナを養子にした老道場主で剣豪として名高い。道場にはアテナや竜之進が稽古をした他、カムイも下働きをしていたことがある。カムイはこの時にアテナの薙刀をヒントに鍛錬し、見たものは必ず死ぬと噂されるほどの「変移抜刀霞切り」という技を編み出す。
百姓[編集]
権(ごん)花巻村の農民の息子で、大柄で力の強い男。正助と共に活動し、正助の試みを支えてきた人物。正助と同じように人々の生活向上を考えるようになるが、段々と正助に頼り過ぎる人々を見て、もし正助が死んだらどうするのかという危機感から、自分自身も強くなろうと成長して行く。小六(ころく)花巻村の農民。娘のオミネを日置藩領主の側女にするための策略にはまり潰れ百姓となった挙句、凌辱されたオミネは自殺。侮辱されたと激昂する領主は、オミネの死体を切り刻み野ざらしにしてしまう。それを見た小六は発狂してしまい、以後、正助が養うようになる。オミネ小六の娘。竜之進の恋人であり、正助が密かに恋焦がれる女性であったが、日置藩領主に凌辱されたことを苦に入水自殺してしまう。その後非人達の手により火葬され、骨だけになった姿を見た竜之進は絶望のあまり号泣した。正助は頭蓋骨をほら穴に安置し、後に身を隠すため非人になりすました竜之進は正助に案内され、日置藩こそ真の敵であると認識し直した。花巻村 庄屋(はなまきむら しょうや)花巻村の庄屋。当初は正助を忌み嫌っていたが、利用する価値があると分かると途端に支えるようになった。農民と武士という関係の中では、武士寄りの発言をする。役人の言いなりで農民からの支持はそれほど無い。竹間沢村 庄屋(ちくまざわむら しょうや)竹間沢村の庄屋。正助に読み書きを教える。正助の良き理解者であり支持者だが、武士からの圧力に抵抗するほどの力は持たない。ダンズリ正助の父で、花巻村の下人。村一番足の速い男。当初は非人を差別していたが、正助の影響で改心してゆく。息子を信頼し、弾圧に屈しない強い意志を持っており、百姓に禁じられている読み書きを、正助が花巻村庄屋に見つかった時に自分で指を数本切り落としている。シブタレ花巻村の農民。密告により父を失った過去を持っている。農民の行動を監視し何かあると直ちに代官等に密告する嫌われ者だったが、正助の影響で次第に農民の立場に目覚めていく。苔丸(こけまる)玉手村の下人。蚕を飼って生計を立てていたが、一揆を起こし失敗したことから人相を変えるため顔に傷を付けて非人に身をやつし「スダレ」とあだ名されるようになる。正助の最大の理解者の1人であり支持者。五郎(ごろう)竹間沢村の農民で末っ子でガキ大将。権達とは少年時代からのケンカ友達。権と違い末っ子なので一人娘のアケミの婿に強引になった。アケミ花巻村の百姓代、武助の一人娘。百姓の中では多少読み書きが出来、正助を色仕掛けで落とそうとする気の強い女。権とは相思相愛だったがそれぞれ長男と一人娘のため家の存続のために結ばれず、五郎を婿に迎えることとなった。最初は五郎とは仲が悪かったが、のちに仲の良い夫婦になる。
非人[編集]
横目(よこめ)日置藩一帯の部落を仕切っている非人頭。橘軍太夫の手先となり、非人でありながら庄屋並みの高待遇を受けている。カムイに一目置いており、自分の配下にしたがっているが結局は拒まれ、あげくカムイと対峙した際に重傷を負った。鎖鎌の使い手で武術者。サエサ横目の娘。カムイの強さに惚れており、その情熱のあまり自らも忍者となった。諜報活動を行いながら神出鬼没のカムイを追い続けている。父・横目からカムイを諦めるよう諭されるが、まったく聞く耳を持たない。キギス横目の下人。自らの立場上、サエサを「おじょうさん」と呼んでいるが、実のところ横目の嫡子であり、サエサの兄であった。そうとは知らないサエサに片目を抉り取られてしまう。カムイの姉ナナを崇拝しており、武士の手先となり非人や百姓たちの仲を裂こうとする横目に不信感を抱くようになる。タブテ夙谷部落の非人で、カムイを崇拝していた。後に仁太夫(にだゆう)と名乗り、江戸こじきの大頭になってからは日置藩の非人に大きな力を行使するようになる。弥助(やすけ)カムイの父で、夙谷部落の小頭。罪人の処刑や牛馬の死体処理など、人が嫌う仕事を請け負う部落民の掟に従いながら生きている。妻を亡くし、男手一つで子供を養っていたが、息子のカムイ(弟)が処刑されるなど、過酷な日々を過ごす。ナナカムイの姉であり、正助の妻。正助との愛をつらぬき結ばれるが、厳しい身分差別のため正式な妻としては認められていない。正助を信じ、厳しい現実に耐え忍びながら生きている。カサグレ無人流の達人。橘一馬を川底から拾い、無人流をスパルタ教育で覚えさせた。かたわであり非人でもあったため、自分から世に出るのではなく自身の分身として成長させた人物がどのようになるかを生き甲斐にしていた。玄蕃の師匠でもあるが拳銃で撃たれてしまう。竜之進にも密かに無人流を教えていた。
忍者[編集]
赤目(あかめ)伊賀忍者でありカムイの師匠。作者に『怪物的な忍び』と語らせるほどの凄腕だったが、非情になりきれぬ己を悟って「抜け忍」となり、忍びの掟によりカムイをはじめとする忍者衆から追われる羽目に。しかし天才忍者と評されるカムイでさえ赤目を倒すことはできなかった。普段は夢屋の番頭の市(いち)と名乗って生活している。搦の手風(からみのてぶり)幕府隠密団の小頭。カムイを窮地に追い込むほどの技を持つ凄腕忍者。日置藩の謎を追いつつ、カムイ抹殺の命を受け暗躍していたが、のちに嫌々ながらカムイの協力者にならざるを得ない立場に追い込まれてしまう。風のトエラ(しなどのトエラ)カムイの兄弟子で、十種の忍術を会得する伊賀忍者。「山陰(やまかげ)」という技を得意とする。忍の掟に翻弄される下忍という自らの立場に疑問を持ち、抜け忍となってしまう。カムイと互角に渡り合えるほどの凄腕。百舌の爺(もずのじい)表向き日置藩鷹匠で忍びの里への連絡員でもある。カムイはここから忍びの世界に入り、犬番として日置藩の鷹狩りに参加することもある。
商人[編集]
夢屋 七兵衛(ゆめや しちべえ)資本力で階級社会の楔さえも越えようとするスケールの大きな商人。流刑に処されていたとき赤目と出会い、己の頭脳と彼の行動力を柱にして資本の拡大を図っていく。赤目と2人だけのときは、「七さん市さん」と呼び合っている。蔵屋(くらや)日置藩の御用商人。莫大な利益を上げるが、途中から経営に失敗し、大きな赤字を出した。そして資本が無くなったため、農民の生産物を安値で買い叩こうとしたが、暴動が起きた。運上金などの献金も日置藩に出来なくなったため、徐々に力を弱める。後に夢屋と市場を争って負ける。最後は日置藩の藩札政策失敗の責任を全てなすりつけられ、打ち首にされた。大蔵屋(おおくらや)夢屋の代理商人。夢屋の名前を出さずして日置藩が生み出す利益を吸い上げようとした。仮に失敗しても、大蔵屋に全ての責任を押し付け、夢屋は無傷であろうとした。イタミ屋(イタミや)日置藩改易後に開業し百姓が開いた市を手中に収めたり代官などに媚を売ったりするあくどい商人。実は夢屋の隠し番頭。
その他の人物[編集]
山丈(やまじょう)山深くに住む野人化した大男。まだ幼きカムイを抱きかかえ「カムイ!」と歓喜の雄叫びを上げた。クシロ海を愛する漁民の青年。漁師の伝統を廃し企業化しようとする夢屋に敵意を抱いており、「金は人を腐らせる」として武士や商人を嫌っている。その頑固すぎる強い意志は、時に愛する人を失うことにもなった。キクという娘と相思相愛の仲。キク流人の娘で隠れキリシタン。夢屋の養女。漁師が起こした一揆をかばい自ら捕縛されるが、後にクシロに救出される。他のキリスト教徒を救うため苦渋の決断のすえ踏み絵を行った。聖母マリアの再来とさえ言われた心美しき女性。
その他[編集]
しりあがり寿がオマージュとして自身の作品の中で、『カムイ伝』を想起させるキャラクターや台詞をパロディ化してしばしば引用している。
「ストリートファイターII」に登場するバルログというキャラクターの必殺技「イズナ・ドロップ」は、カムイの「飯綱落とし」をトレースしており、技の形態も全く同じものである。その後も多くの対戦型格闘ゲームで「空中で相手に抱きついたまま地面に落下して相手の頭を地面に叩きつける技」の名前として使用されている。
手塚治虫原作の劇場用アニメ「クレオパトラ」にカムイがゲスト出演している。

脚注[編集]
1.^ 「ダ・ヴィンチ」2005年10月号(メディアファクトリー)196-199頁
2.^ 「日本読書新聞」1965年9月6日号(日本読書新聞社)

関連項目[編集]
部落問題
唯物史観
唯物弁証法
唯物論
COM (雑誌)
火の鳥

外部リンク[編集]
小学館特別サイト「カムイ伝から見える日本」
松岡正剛『カムイ伝』書評

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私的漫画世界

白戸三平のすべてがここに凝縮されている

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カムイ伝の系譜

白土三平(1932年生 )はプロレタリア画家の岡本唐貴を父にもち,妹は絵本作家の岡本颯子,弟の岡本鉄二は「赤目プロ」で作画を担当しています。紙芝居,貸本屋,前衛誌,劇画の世界を歩んできた,日本の漫画界の巨人です。

1960年代には「忍者武芸帳 影丸伝」,「サスケ」,「ワタリ」,「カムイ伝」など忍者を題材とした作品で人気を博しました。特に「忍者武芸帳 影丸伝」は貸本屋時代のヒット作であり,カムイ伝がなければ氏の代表作となるほどの高い評価を得ています。

一方,カムイ伝はまちがいなく白土の代表作であり,執筆開始から半世紀近くが経過しても完結していない氏のライフワークとなっています。「カムイ伝」とは忍者カムイを主人公とする物語ですが,作品世界を共有する下記の作品の集合体ということができます。




タイトル

執筆時期

連載誌

単行本

カムイ伝 第一部 1964-1971年 月刊漫画ガロ 21巻
カムイ外伝 第一部 1964-1971年(不定期) 少年サンデー 3巻
カムイ外伝 第二部 1982-1987年 ビッグコミック 17巻
カムイ伝 第二部 1988-2000年 ビッグコミック 22巻
カムイ伝 第三部 発表未定 ■ ■


作者の白土三平は32歳の頃から「カムイ伝 第一部」の執筆を開始しており,その後の漫画家人生の大半をカムイ関連の作品に費やしています。白土はカムイ伝の執筆を開始する前から3部作になることを明言しています。

第一部が終了(1971年)してから第二部が開始(1988年)されるまでの17年間は漫画家としてもっとも充実しているはずの時期ですので,ここが空白期間となったのは大きな痛手となっており,氏の年齢を考えると第三部が実現するかどうかは不透明です。

とはいうものの,カムイ伝が壮大なテーマをもって本当に輝いていたのは「カムイ伝 第一部」ということになります。私としては「カムイ伝」は第一部で完結してもなんら違和感はありません。

第一部には日本の歴史の中でもっとも身分制度が厳しかった江戸時代における階級社会の矛盾,人が人を差別することの不条理,人が人から搾取することへの怒りというテーマに貫かれていますが,それでは第二部のテーマは何かと問われると答えようがありません。

第二部では江戸時代の歴史の中で登場人物を動かしているだけに見えるのは私だけでしょうか。第一部と第二部は体裁は類似していてもまったく異質の作品なのです。カムイ伝から社会の抱えている様ような矛盾や社会の底辺で懸命に生きる人々の姿を取り去ると,後には娯楽作品としての評価しか残りません。

「カムイ外伝」は「カムイ伝」の重いテーマから脱け出し,抜け忍となってからのカムイが追っ手と繰り広げる秘術を駆使した戦いであり,カムイと社会との関わりを描いた娯楽作品となっています。外伝は最初からそのために作られたものですからまったく違和感はありません。

それに対して「カムイ伝」の本作はあくまでも白土氏が描こうとした重いテーマで進めて欲しかったと考えます。残念ながら白土氏が17年間苦吟しても第二部の重いテーマは見つけ出せなかったように感じます。それは,多くの人たちが指摘しているように日本社会の思想的変動によるものが大きいと考えます。

「カムイ伝 第一部」のメインテーマは反差別,反権力,村落コミューンであり,それぞれのテーマの具現者がカムイ(非人),草加竜之進(武士),正助(農民)という優れた個人でした。

彼らはそれぞれの役割を果たすことにより物語は進展していきますが,第一部の最後ではそれぞれに与えられたメインテーマに挫折しており,捲土重来を期すことになります。

私などは第二部も権力と対峙して人間の権利を取り戻す闘いがテーマになると思っていましたが,白土は日本社会の左翼思想の退潮が読者をしてそのようなテーマを消化できないという危惧を抱かせたのではと推測します。

確かに1960年代の学生運動の盛り上がりは1970年代に入ると急速にしぼみ,終焉してしまいます。「カムイ伝 第一部」が終了したのはちょうどその頃であり,そのような変化と軌を一にして白土三平作品の愛読者は激減したという報告もあります。1960年代の白土三平ブームは学生運動の終焉とともに終わりを迎えることになったのです。

社会的背景の変化を目の当たりにして,自身の社会思想をカムイ伝の中で語ってきた白土氏が容易に第二部の構想に着手できなかったのは当然であり,その苦吟の深さはいかほどかと考えます。第二部の構想が具体化しないまま白土氏は「神話シリーズ」,「カムイ外伝」に歩を進めます。

このような事情から私は(第三部を見ずに断定するのことはできないにしても)「カムイ伝 第一部」には白土三平の思想と苦悩と才能がすべてが凝縮されているので,ここで完結してもてよいと考えるわけです。以後,カムイ伝=第一部として扱っていきます。

「カムイ伝」の特徴はなんといっても物語の密度にあります。通常の漫画単行本でしたら1日あれば21巻は楽に読み通すことはことはできます。しかし,「カムイ伝」はその2-3倍の時間をかけないと内容をちゃんと理解することはできません。「カムイ伝」の物語密度はそのくらい高いものなのです。

発表当時は月刊誌の「ガロ」に掲載されていましたので,読者はストーリーを追うのに相当苦労したであろうと想像できます。「反権力」,「反差別」,「農村コミューン」を題材とし,しかも大変な密度の物語を発表できたのはひとえに「ガロ」という媒体があったおかげであり,この雑誌があってはじめて「カムイ伝」は可能であったのです。

月刊誌「ガロ」は1964年に貸本漫画の出版などで知られていた編集者・長井勝一により創刊されました。「ガロ」は「カムイ伝」の発表媒体であったとともに,斜陽化していた貸本漫画家の活躍の場を提供していました。また,商業誌にはなじめない作品を描く新人も受け入れていた前衛誌でした。

読者層は大学生以上の年代であり,商業性よりも作品のオリジナリティを重視する姿勢は,多くの優れた作品を生み出しています。しかし,看板作品である「カムイ伝」が1971年に終了するとガロの発行部数はしだいに落ち込んでいき,1990年には青林堂からツァイトに経営譲渡されています。60年代と70年代を共に駆け抜けた「カムイ伝」と「ガロ」は時代のある部分を写す鏡のようなようなものでした。

カムイ伝が始まった1964年前後は白土がもっとも多様な作品を発表していた時期にあたります。1961年には「シートン動物記」,「赤目」,「真田剣流」,「サスケ」を完結させ,1962年には氏のもう一つの傑作である「忍者武芸帳」を完結させています。

カムイ伝が開始されてからも並行して「ワタリ」,「風魔」,「カムイ外伝(少年サンデー版)」を発表しています。この時期の白土氏は超多忙であり,作品制作のため1964年に「赤目プロダクション」を設立しています。

このような分業体制により多くの作品をこなすことができました。プロダクションの設立は漫画家個人と出版社の力関係に限界を感じていた白土氏がその改善を目指したという側面もあります。

カムイ伝も「赤目プロダクション」による分業体制で制作されています。前半のペン入れは小島剛夕が,後半のペン入れは白土氏の弟の岡本鉄二がそれぞれ担当しています。そのため,単行本の13巻あたりからは作画が変化しています。

カムイとは

カムイは神威などとも表現され,「神を意味するアイヌ語」とされていますが,必ずしも私たちの考えている絶対的な超越者を意味するものではありません。近代以前のアイヌの人々の宗教観はアミニズムであり,生物・無生物を問わずすべてのもの,あるいは自然現象(地震,津波,疫病など)の中に「ラマッ」と呼ばれる精霊が宿っていると考えていました。

アイヌの人々は世界を「人間の住むところ(アイヌモシリ)」と「精霊の住むところ(カムイモシリ)」に分けて理解していました。アイヌモシリのラマッは何らかの役割をもってやって来ており,その役割を果たすと再びカムイモシリに戻ると考えていました。日本語の精霊に相当するアイヌの言葉は「ラマッ」ですから,カムイに相当する日本語は思い当たりません。

私は北海道出身ですので「カムイ」という言葉は小さなころから知っていましたが,北海道以外の日本人がこの言葉を知るようになったのは「カムイ伝」によるところが大きいことでしょう。この特異な響きをもつ言葉は作品中では双子の兄弟とシロオオカミの名前として使用されています。

どちらの場合も命名者は山丈(やまじょう)という山に棲む巨人です。山丈は大きな感銘を受けたときに「カムイ」と口走ります。夙谷(しゅくだに)に現れた山丈は幼児から握り飯を差し出され,幼児を抱き上げて「カムイ」と口にします(第1巻)。

猟師の犬たちに追い詰められたシロオオカミは断崖を背にして犬と闘い全滅させます。これを見た山丈が「カムイ」と叫び,彼に向かって手を合わせます(第4巻)。

物語の最終盤には日置大一揆があり武士と戦う一揆衆を後押しするように山丈が「カムイ…オオーッ」と叫びます(第19巻)。作品中には「人のこころの強さ,美しさ,豊かさに喜びと尊敬の感動があるとすれば,この叫びは一つのものとなる」と解説されています。

「カムイ伝」を白土三平のもう一つの代表作とされる「忍者武芸帳」と比較すると,エンターテインメント要素が可能な限りそぎ落とされ,徳川幕藩体制下で様ような矛盾に突き当たりながらも,懸命に生きていこうとする人々の姿が克明に描かれています。

「忍者武芸帳」では一つの集団として描かれていた農民を「カムイ伝」では個人のレベルまで掘り下げて,圧倒的なリアリティと物語の重厚感を紡ぎ出しています。

物語のタイトルとなっている「カムイ」は忍者カムイとシロオオカミだけではなく権力や差別に立ち向かっていく多くの人々の象徴となっています。言いかえると物語の中には多くの「カムイ」が存在し,新しい人間社会を目指す彼らの苦悩と行動を描き出すことが「カムイ伝」の最大のテーマとなっていると考えます。

差別の構図

カムイ伝の作品世界は人間の世界の物語と狼の世界の物語が並行するという特殊な形態をとっています。なぜ,作者はサブストリートしてシロオオカミを登場させたかを考えると,この作品のテーマの一つである「差別」の本質が見えてきます。

同じときに生まれた数匹の子どものうち一匹だけは毛色が白でした。残りのものは本来の茶系統の毛色であり,兄弟の中で早くもシロオオカミに対する差別が生じます。

このような差別が動物の世界で実際に起こりうるのかどうかという点については疑問が残りますが,作者としては動物の世界でも異質のものは差別され,それは人間の世界と同じだということなのでしょう。

実際,古代インドでは中央アジアから侵入していきた印欧語族のアーリア人が先住民族のドラヴィダ人を隷属化あるいは駆逐してガンジス川流域を支配するようになりました。彼らは自然現象を神々として崇拝する宗教を持っており,その聖典「リグ・ヴェーダ(神々の讃歌)」の中に「ヴァルナ」およびそれに基づく職業階級制度(ヴァルナ・ジャーティ)を記しています。

「ヴァルナ」はそのものずばり「色」を意味しており,肌の色を基準とした階級制度となっています。最大の目的は色の白いアーリア人と褐色の先住民族を識別することでした。ヴァルナが大まかな概念であることに対して「ジャーティ」は内婚と職業選択に関するものであり,2,000とも3,000ともいわれるジャーティはかならずいずれかのヴァルナに属することになります。

このような社会慣習を総称してポルトガル人は「カースト」と呼ぶようになり,その言葉は現在まで使用されています。しかし,本来の階級を決める要素は「ヴァルナ」なのです。人間は作者のいうオオカミと同様に肌の色で差別を行い,肌の色が同じ集団でも,社会慣習的な差別を定着化しています。

日本の中世には河原に住み牛馬を殺して皮を剥ぐ仕事をしていた職業集団が穢れているとして「穢多(エタ)」と差別されています。しかし,支配階級であった武士にとっては馬具や甲冑の材料として欠かせない皮革製品を生産させるために賎民のまま一定の優遇をしたようです。

江戸時代になると支配体制の安定化と経済的必要性から食糧生産と皮革生産は職業として固定化する必要が生じ,士農工商という職業階級制度を制定し,その下に賎民身分として「穢多」,「非人」を定着化させています。

つまり,他の階級との婚姻を禁止することにより身分の定着化が図られています。それはインドの「ヴァルナ・ジャーティ」の内婚制度,職業制度と結びつくものです。

カムイ伝における非人の身分は「穢多」に相当します。江戸時代の「非人」は固定的な賎民身分ではなく,平民が非人になることも非人が平民に戻ることもあったとされています。しかし,おそらく作者は「穢多」という差別用語を使用するのにためらいがあり,「非人」という言葉で代表させたのではと推測します。

ただし,「穢多」を差別する意識は支配階級が意図的に作り出したものではなく被支配階級(平民,大多数は農民)の中から自然発生的に生じたもののようです。支配階級は社会の安定化と身分制度を正当化するため,人々のもつ差別意識を利用したと考えます。もちろん,支配階級にとっては農民と切り離された賎民階級は人々の分断支配の手段として利用できたという側面もあります。

私自身も「エタ」という活字を初めて目にしたのは住井すゑさんの「橋のない川」でした。この著書の中には被支配階級であった人々が新平民となった人たちに対する抜きがたい差別意識が赤裸々に描かれています。まさしく,差別意識は私たち自身の心の中から生まれてくるものなのです。

カムイ伝の中では非人(穢多)は支配階級の都合により社会の最底辺の階級とされており,農業は禁止され,平民との結婚も禁止されているという設定となっています。これは支配,被支配という構図に基づく階級闘争の立場から必要な視点でした。

しかし,繰り返しになりますが,差別意識の源泉は支配されている人々のこころの中にもあることを私たちは認識しなければなりません。このような差別意識は現代にも引き継がれており,社会的弱者や異質なものを貶める意識につながっています。

白土は江戸時代における階級社会の矛盾,人が人を差別することの不条理の象徴として日置藩の秘密をもってきています。カムイと公儀隠密の「搦の手風(からみのてぶり)」は徳川家康が「ささらもの(簓者・筅者)」出身であることを証明する古文書を見つけ出します。

賎民出身の徳川宗家を頂点とする身分制度は矛盾そのものであり,逆にいうと身分制度は支配階級の都合により制度化されたものであることを明示しています。同時に高貴な身分や高貴な血筋も人為的に作りだされたことになります。白土は直接的な表現はしていませんが,高貴な血筋を敬うこころと差別を生み出すこころは同質のものだと言いたいのだと私は解釈しています。

この江戸徳川体制の根本的矛盾を知った人々の運命は明らかです。カムイと搦の手風は自分の身を守るために抜け忍にならざるをえず,新領主に日置藩の秘密を言上した城代家老の三角重太夫は惨殺されます。

新藩主は松平伊豆守に家康の出自に関する秘密文書を送り届けますが,当然のように口封じのため事故にみせかけて暗殺されます。松平伊豆守は誰にも相談することなく秘密文書を燃やし,徳川体制の矛盾は闇の中に消えていきます。

カムイ伝の世界

カムイ伝の主人公に相当するのは「非人のカムイ」,「下人の正助」,「次席家老の嫡男・草加竜之進」という三人の若者と「シロオオカミ」と考えるべきす。ただし,彼ら以外にも社会の矛盾や差別と闘った多くの人々が描かれており,彼らはすべてこの作品の主人公ということもできます。上にあげた3人と1匹は登場回数が多いので主人公に相当するという表現をさせてもらいました。

物語の時期は江戸時代の前期,舞台となるのは架空の日置藩です。カムイ(非人),正助(下人),竜之進(武士)という三人のすぐれた若者が徳川の幕藩体制の礎石となっている身分制度と関わり合いをもちながら自分の生きる道を模索していきます。

また,人間社会の外にあっては「カムイ」と呼ばれる突然変異のシロオオカミがハンディキャップにもめげず,強く生き抜いていくサブストーリーもこの作品の一つのテーマとなっています。さらに,彼らを取り巻く大勢の人々の生き方が重層的に描かれており,「大河小説」と呼ぶべき体裁をもっています。

そのような人々の生き方の総体が「カムイ伝」となっており,たとえあらすじでもストーリーを書き連ねることはとてもできません。そこで,登場人物の何人かに焦点をあてて,物語中で果たした役割を書くことにします。それにより,「カムイ伝」がどのような物語であったかを類推していただきたいと思います。



■ ■ ■ カムイ ■ ■ ■


カムイは一卵性双生児の兄弟であり,弟は物語序盤の主人公となっています。物乞いに甘んじる非人社会から脱け出すため,夙谷非人部落を出て単身で生活するようになり,非人部落の若者たちのリーダーとなります。しかし,百姓との諍いにより人を傷つけることとなり,斬首の刑に処せられます。

荼毘に付された彼の頭骨を拾い上げた兄は弟の犬死を嘆きます。カムイ兄は強くなるため剣を修行し,さらに忍者の道に入ります。厳しい訓練の結果,カムイは一流の忍者になりますが,組織の中にあってはまったく自由はありません。

与えられた任務を命がけで遂行する存在となった自分の生き方に大きな疑問をもつようになります。特に抜け忍となり多くの追っ手を殺害した自分の兄弟弟子である「風のトエラ」の殺害を命じられたとき,さらには師匠の「赤目」の殺害を命じられたときは任務遂行に大きなとまどいを感じることになります。

そして,カムイ自身もそのような立場に追いやられることになります。公儀隠密集団は土井大炊頭(利勝)の遺言から外様大名である日置藩にはなにか大きな秘密が隠されていると推定し,その探索をカムイに命じます。

カムイは日置藩の江戸屋敷と城代家老宅の池で飼育されている多くの亀の中から餌付けにより識別された特別の亀を見つけ出します。二匹の亀の甲羅の内側には金で文字が彫り込んであり,上の句と下の句を合わせると「風鳴りに眠れる六蔵のうちに有りて日を仰げば乱(あや)立ちぬ」となります。

この句の謎を解いてカムイは日置藩の秘密にたどりつきます。それは徳川家康の出自に関する古文書であり,家康が賤民の出自であることを証明するものでした。徳川幕藩体制の礎石を崩すような重大な秘密を知ることとなり,そのまま報告すれば(秘密を守るため)自分が抹殺されることになります。残された道はただ一つ,組織から抜けることしかありません。カムイは組織を抜け,抜け忍として公儀隠密から狙われる存在となります。



■ ■ ■ 正助 ■ ■ ■


正助は花巻村の庄屋の下人となっているダンズリの息子です。江戸時代の農民階級の下人は名主や庄屋などの有力者に隷属する階層の人々です。下人の歴史は古く,平安中期に遡ります。当時は家に隷属する人々でしたが,江戸時代になると家内隷属型ではなく年季奉公のような形態となってきています。

物語の中では花巻村の庄屋宅では家に隷属している人々とされており,「めったに嫁ももらえない」という表現がありますが,それでは下人は一代限りとなりあとが続きません。おそらく,下人身分でも婚姻があり,次の世代も親と同じように家に隷属する身分となるようです。

正助はものごころがついたときから母を知りません。若いときダンズリは行き倒れの若い娘を助け,結婚します。しかし,正助が生まれたとき女は自分が非人であることを打ち明けます。非人などと血を結んでしまったことに怒ったダンズリは女を責め,彼女は首をつります。

正助がこの事実を知ったのはずっと後のことですが,身分制度などにとらわれない性格に育ちます。それは父親が下人として牛馬のように使役させられてきたことを見てきたことによります。

少年となった正助は非人部落のスダレ(苔丸)やナナと親しく交流するようになります。正助は伊集院により学問を教わり,神童と言わしめています。庄屋の帳簿なども読むことができるようになり,虫干しのとき年貢の割り付け帳の不正を読み取り,写しを作成します。

百姓の読み書きは禁じられていますので,本を読んでいたことを知られた正助は庄屋にムチで打たれます。しかし,正助は割り付け帳のことを持ち出し,難を逃れます。庄屋は自分の不正の証拠を取り戻すため小さな田と本百姓の身分と引き換えに写しを返すように取引をもちかけます。こうして正助は本百姓になることができました。

正助が取り組んだのはこの地域では初めてのワタの栽培でした。百人手間といわれたワタ栽培の成功は商人の夢屋の注意を引くことになります。正助は農機具の発明などを通して村の若者のリーダーに成長します。

正助は非人の娘ナナ(カムイの姉)と実質婚となります。正助の理想は新田開発と新作物により非人を含め村全体を豊かにすることです。村では若者組が組織され,新しい形態の村落コミューンが形成されます。少年時代からの友人のゴンは若者組のサブリーダーとして活躍し,非人部落のスダレ(苔丸)もそれをサポートします。

新田開発により非人部落との交流も活発化しますが,それは支配階級にとって好ましいものではなく地域の非人を束ねる横目を通して分断工作が行われます。それでも正助の描いた村落コミューンは次第に現実の姿となっていきます。

しかし,藩札の発行により商品作物の取引はピンチとなります。自分たちの生産物は領内でしか通用しない紙になってしまうのです。しかも,藩札の乱発により諸物価は天井知らずに上がることになります。

そんなとき,天候不順による飢饉が村を襲います。餓死するよりは一揆で闘おうとする竜之進や苔丸に対して正助は逃散の道を選択します。人々は各地の職場で働くことになります。

日置藩の秘密が幕閣の手により処分されたことにより,幕府は日置藩を取りつぶし天領とします。逃散していた人々は元の村の戻り農業を開始します。新代官には笹一角(実は竜之進)が就任し,百姓と力を合わせて新しい村づくりを目指します。

しかし,夢屋は幕閣に手を回し,代官を更迭し,この地域の商品作物の独占を図ろうとします。幕府名代の検地を機に「日置大一揆」が勃発します。一揆の首謀者となった正助は領内の百姓を組織して名代に検地十万日延期の証文を書かせます。

一揆は成功しますが,苔丸を除く首謀者は京都所司代に送られ過酷な拷問を受けます。これに耐え,江戸の白州で正助は「百姓なくしてこの国はない」と絶叫します。しかし,百姓たちの死を賭した叫びは支配者には届くことはありません。ひとり正助は舌を切断され,花巻村に戻されます。正助が裏切って自分だけが助かったと誤解した村人はしゃべることのできない正助に石を投げ,打ちかかります。



■ ■ ■ 草加竜之進 ■ ■ ■


竜之進は日置藩の次席家老草勘兵衛の嫡子です。恵まれた環境で育ち,剣技を磨いています。藩主がお蔵役方を変えることに次席家老が反対したことによりうらみを買い,果し合いの名目で暗殺されそうになり左手の指の一部を失います。しかし,百姓女オミネが藩主に夜伽を命じられて自害したことにより,左手の不自由を克服した剣技を編み出します。

日置藩の台所は火の車であり,暗愚な藩主は目付の橘軍太夫の甘言により草加一門を誅殺して所領を没収することに同意します。竜之進は姦計により主君の顔に傷をつけてしまいます。これにより草加家が取り潰しとなり一門は誅殺されることになりますが,勘兵衛は御一門払いの真相を見抜き,その前に竜之進を勘当します。これにより,竜之進は生き残ることになります。

竜之進は笹一角とともに軍太夫に対する復讐の機会を狙います。参勤交代で江戸表に出立する藩主の行列に切り込み,鉄砲で撃たれ,危ういところをカムイに救われます。竜之進と一角は非人部落に身を隠すことになり,百姓や非人の置かれている境遇を知ることにより,階級制度の矛盾に目覚めていきます。

竜之進と一角は時期をみて江戸に脱出します。竜之進の仇は橘軍大夫でしたが,暗愚な藩主が領民を苦しめていることから殺害しようと江戸屋敷に滞在中の領主の動向を探ります。振袖火事の混乱の中で二人は藩主に迫りますが,カムイに阻止され,竜之進は重傷を負います。

カムイは日置藩の秘密を探るため藩主を死なせるわけにはいかないという事情があります。傷の癒えた竜之進は一角ともに日置藩に戻り,百姓仕事に精を出します。しかし,一角はそのような生活に藩主殺害の決意が鈍るのを恐れ,竜之進とたもとを分かち,江戸に出立します。

竜之進は恐るべき無人流の使い手である橘玄蕃と対決することになります。竜之進は敗れ,危ういところを小六に扮したカムイに救われます。竜之進はその後,無人流を使うカサグレに出会いこの恐ろしい剣技を会得することになります。

竜之進はかってこの地を支配していた豪族の流れをくむ木の間党に身を寄せ,悪徳商人や大庄屋を襲い,その金を人々に分け与えます。飢饉が日置藩を襲ったとき竜之進と苔丸は一揆を主張しますが,正助は逃散を選択します。

竜之進は木の間党に裏切られ捕縛され江戸送りとなります。江戸の白州では藩主を殺害した笹一角が草加竜之進と名乗り,取り調べを受けており,彼の口から藩主殺害が明らかになったことから日置藩はお取り潰しとなり,関係者は処分されることになりました。一角は打ち首を拒否し,武士としての最後を遂げます。

これにより竜之進は笹一角として天領となった日置の代官として赴任することになります。竜之進は日置の地に戻った百姓とともに農村の復興を目指し,多くの成果をあげます。しかし,夢屋が幕閣に手を回し,この地域の商品作物の独占を図ろうとします。竜之進は罷免され,新代官により入牢となります。日置大一揆のときに竜之進は赤目により救い出されます。

優れた資質をもったカムイ,正助,竜之進の三人の若者はそれぞれ反差別,反権力,村落コミューンを実現するために最大限の努力をしますが,権力あるいは権力と結びついた政商によりその夢を断たれます。

第一部の終了時はまさに死屍累々といった状態であり,徳川幕藩体制の重しは個人的な努力ではまったく変革できないと知らされた第一部の状況からどのように第二部につなげていくかは皆目見当がつかない状況でした。

作者自身もあとがきで「いまやっとカムイ伝三部作のうち第一部が終わったところだ。しかし,物語の真のテーマはいまだに現れていない。何と不可解なことであろう」と述べています。

実際,登場人物の大半が死んでしまうという第一部の結末から第二部の壮大な物語を発展させるためにはそれに倍するエネルギーが必要になります。これは白土氏の才能をもってしてもあまりにもハードルの高い仕事であったと思います。白土氏はなにをもってカムイ伝は三部作になると明言したのかは知る由もありませんが,個人的には第一部でも十分に作者の描きたかったものが出ていると考えます。



作品データ
作者 : 白土三平(1932年生)
著作時期 : 1964年-1971年
単行本数 : 全21巻
発表雑誌 : ガロ

作者の他の作品
忍者武芸帳(1959年-1962年)
サスケ(1961年-1966年)
忍法秘話(1963-1965年)
ワタリ(1965年-1966年)
カムイ伝第二部(1988年-2000年)
カムイ外伝(1982年-1987年)

主要登場人物

カムイ(弟)

物語序盤の主人公,非人部落の出身,物乞いに甘んじる部落の人々とは異なり,自由と誇りを求め単身で生きようとする。部落の子どもを罰するため木の枝から吊るして死亡させた百姓の家に押し入ったため捕らわれ,斬首の刑に処せられた。

カムイ(兄)

弟の死後に登場した一卵性双生児の兄であり物語の主人公となる。弟と同様に自由と誇りを求め,強くなるため剣を修行し,さらに忍びの世界に入る。師匠であった赤目が抜け忍となったことに大きな影響を受ける。日置藩の秘密を突き止めたことにより,組織を抜けることになる。

正助

花巻村の下人の息子,母親は非人の出身であり正助を生んだ後,事情を打ち明け自害している。非常に聡明で勤勉であり,下人の身でありながら若者たちのリーダーとなっていく。本百姓となり,若者組を率いて非人を含めた豊かな村づくりを目指す。

草加 竜之進

日置藩の次席家老草加勘兵衛の嫡子,若くして剣の才能を開花させる。橘軍太夫の姦計により草加家が取り潰しとなり一門は誅殺される。父親に勘当されたため生き残ることになり,橘軍太夫に対する復讐の機会を狙う。





カムイ伝・第二部

第二部も動物の世界と人間の世界が並行して描かれています。動物の世界ではニホンザルのコミュニティにおけるボスの地位を巡る血みどろの闘争が描かれています。サルの群れと対立する野犬の群れでもリーダーをめぐる争いがあり,こちらは外来種のグレートデンが圧倒的な力の差によりボスの座につきます。しかし,この二つの勢力はシロオオカミに率いられる狼群や人間の世界とはほとんど関わり合いをもちません。

人間の世界では一転して江戸と千葉が物語の舞台となり,動物の世界と同様に権力闘争が描かれています。第一部から引き続いて登場するのはカムイ,正助,竜之進と代官の錦丹波だけです。旧日置藩のとなりの望月藩では望月佐渡守が兄の所領を手中に収めようと画策しています。佐渡守とじっこんの幕府大老酒井忠清は将軍家の権力を牛耳ろうと姦策を弄しています。

このように第二部は動物の世界も人間の世界も「権力闘争」が描かれており,第一部の「階級闘争」とはまったく趣の異なる展開となっています。そのような権力闘争の一方に竜之進やカムイが加担する形となるストリーは個人的にはどうしてそうなるのと思わざるを得ません。


カムイ外伝


真田剣流

「忍者旋風」,「真田剣流」,「風魔」と続く風魔三部作の第2作目です。執筆時期は1961-1964年です。おそらく貸本屋時代の作品でしょう。白土三平の作品集は70年代の小学館漫画文庫で収集しました。しかし,文庫本のサイズは老眼になると読むのは困難であり,手放してしまいました。真田剣流だけは欲しいと思っていたら,最近,ブックオフで入手できました。しかも続編の風魔も一緒に手に入りとても幸せな気持ちになりました。

関ヶ原の戦いで徳川方が勝利を収めたものの,まだ徳川幕府体制が盤石と云えない時代の物語です。家康の懐刀と呼ばれて天海の指示で「暗夜軒」は「丑三の術」を駆使して豊臣恩顧大名を次々と暗殺していきます。この不思議な術の謎ときが物語のテーマとなっています。

作品のタイトルとなっている「真田剣流」とは真田忍群が使用する複数の秘太刀のことをいいます。この秘太刀と「丑三の術」を記した人物は明国から派遣された暗殺者であり,船の難破により一時期真田家に世話になり真田忍群に秘太刀を伝えます。その後,事故で記憶を失い風魔の表の首領となっています。彼の一人娘・桔梗は真田忍群や風魔と行動をともにして丑三の謎を解こうとします。


風魔

「忍者旋風」,「真田剣流」,「風魔」と続く風魔三部作の第3作目です。執筆時期は1965-1966年です。おそらくこれも貸本屋時代の作品でしょう。物語は風魔が中心となります。この一族は「風魔の小太郎」に率いられ,全国の忍びの生活と権利を守るための組織と説明されています。つまり,忍びの者の労働組合のようなものです。

この風魔に対抗しようと服部半蔵の影武者・犬丸半蔵が新たな忍者集団を組織しようとします。このもくろみは失敗します。犬丸半蔵は次に「猿飛の一族」を風魔に対抗させようとして,これも失敗します。最後には犬丸半蔵自身が風魔の首領に化けて組織を乗っ取ろうと画策します。

この作品では「風魔の小太郎」の二人の息子である「太郎」と「二階堂主水」が活躍します。二階堂主水の「心の一方」は瞬間催眠法であり複数の人物が同時にかかることが可能かどうかは議論のあるところです。また,犬丸半蔵の元で活躍した忍犬シジマの悲しい末路も描かれています。


赤目

「赤目」というタイトルの作品はいくつかありますが,この作品に登場するのはウサギです。「赤目」というからには「メラニン色素」を作れないため毛色は白,眼球にも色素がないため内部の血管の色が透けて見えるため赤色になります。このように遺伝子の欠損により「メラニン色素」を作ることのできないものを「アルビノ」といいます。

ペッとして飼われているウサギの多くは「アルビノ」ですのでウサギの眼は赤いと思われていますが,実際にはノウサギの毛は茶色であり,眼は黒や茶色となっています。ノウサギは保護色のため白い冬毛をまといますが,それでも眼の色は変わりません。

この作品ではノウサギを赤目と呼んでおり,残忍な領主により妻を惨殺された農民が僧に扮して赤目のたたりを人々に信じ込ませ,食物連鎖を利用して遂には一揆を成功させます。

http://1000ya.isis.ne.jp/1139.html


白土三平





カムイ伝




小学館叢書 1988~1989


ISBN:4091878512
















 山丈(やまじょう)という巨人が「カムイ!」と一声吠えて去っていく。日置藩と花巻村と夙谷(しゅくだに)の日々。そこに3人の少年がいた。

 正助はダンズリが非人の女に生ませた子だ。足が速く、身軽な少年に育っていた。けれども、小六が目付の橘軍太夫の策謀にあって下人(げにん)の身分に落とされ、その娘のオミネが領主に犯されて自害してしまったのがくやしい。小六はそれがもとで発狂していた。正助はそういう境遇に甘んじていることに腹をたて、下人を脱して本百姓になることを決意する。
 草加竜之進は日置藩の次席家老の嫡子で、笹一角のもとで剣法修行にあけくれている。橘軍太夫の子の一馬を御前試合で破ったのが自慢だったが、領主の日置弾正の巻狩りに加わったとき、誤ってオミネの腿を矢で射った。それを謝りに小六を訪ねるうちにオミネを好きになる。そのオミネは領主に犯されて自害する。竜之進は怒りをおぼえるが、計略にはまって逃亡せざるをえなくなる。小六は白痴に近いようだが、哭きいさちるスサノオのようだ。
 あるとき領主が参勤交代で江戸に向かうと聞いた竜之進は、軍太夫を倒すために行列に切りこんだ。笹一角が応じ、事態は混乱。そこへカムイがあらわれて竜之進と一角の髷を切り、かれらを夙谷の非人部落に連れていく。
 3人目のカムイは正助や竜之進よりまだ小さい少年である。夙谷に非人として住む弥助の子であるが、生まれてまもなく河原にいた山丈に握り飯をあげたことで、みんなからカムイと呼ばれていた。物乞いに甘んじる部落の連中を嫌って、単身で生きようとする。そこにはカムイとほぼ同じころに生まれた白狼の姿がいつもつきまとう。このオオカミもカムイと呼ばれた。


 3人の少年がすべて臑に傷をもって出揃うところまでが『カムイ伝』の序曲になる。いったいどのように物語が進むのか、まったくわからない。やがて正助は本百姓になり、竜之進は剣を磨き、カムイは忍者になるのだが、しばらく進むとほかにも重要な脇役が何人も出てくるのがわかる。登場人物はべらぼうに多い。全巻で300人をこすだろう。
 たとえば、花巻村には正助の親友になるゴンと、ゴンに思いを寄せる明美がいる。カムイは双子らしかったが、一人は死んだ。姉にナナがいる。枯木屋敷に住む横目は軍太夫の部下で、忍法の素養をもっている。手下にキギスがいて、その横目の一人娘のサエサがカムイに心を寄せていた。飛礫(つぶて)がうまい少年タブテもカムイに従いたい。水無月右近は丹下左膳めいた素浪人で、故あって横目とカムイの両方を打倒しようとしている。さらに花巻村には密告屋のシブタレが、玉手村に一身に繭を育てる苔丸がいる。苔丸は物語の最後まで生き残る。
 こうした面々がのちに日置藩で百姓一揆が勃発するときに、複雑相互にからみあう。偶発的にそうなっていくのではない。身分と村落という社会がそうさせる。『カムイ伝』は「分」の社会哲学がマンガになったのである。

 では物語はどう進んで、どのような結末を迎えたかというと、これはいまもって未完の作品なのだ。話はまったく終わっていない。未完とはいえ、いまぼくの手元にある小学館叢書版では第15巻まで続く。マンガや劇画ではめずらしくはないけれど、かなりの長編である。
 それなのに白土三平は1971年の「ガロ」に、「いまやっと『カムイ伝』三部作のうち、第一部が終わったところだ」と書いた。それどころか、そのあとに「物語の真のテーマはいまだに現れていない。なんと不可解なことであろう」と自分で書き加えた。本人に「なんと不可解なこと」と言われては、われわれは対応を失うばかりである。

 そもそも『カムイ伝』が前衛マンガ誌ともいうべき「ガロ」に始まったのが1964年で、それから8年にわたって連載がえんえん続き、その後は全15巻のシリーズ本にもなったのに(新書判では21巻になる)、やっと第一部が終わったというだけなのだ。それでも当時はその継続がすぐに期待されたのだが、待てども待てども再開の気配もなく、やっと17年後の1988年に今度は「ビッグコミック」にその場を移して(そのときはもう「ガロ」は終刊していた)、『カムイ伝』第二部が再開された。
 あまりに長い中断で、こんな例は唯一、埴谷雄高の『死霊』がおもいあわされる程度だが、白土三平は埴谷のように中断や遅筆を自慢しなかったし、その理由を叙述もしなかった。黙って再開した。ところがその第二部も2000年に中断され、いまなおそのままになっている。いま作者は74歳くらいだろうから、はたして完結するのかどうか、どんな予断も許されない。

 いったいこのような作品をどう扱ったらよいのか。白土三平の思想と才能を褒めちぎるだけなら、おそらく『忍者武芸帳』のほうがいいだろう。影丸伝説の一大叙事詩ともいうべきこの作品は、1959年から1962年まで3年にわたって貸本文化のなかで彗星のごとく輝いた長編だった(単行本で全16巻になる)。
 すでに戦後日本マンガ史の金字塔という評価も定まっている。大島渚によって映画化もされた。その後の忍者マンガや忍法小説の原型は、すべて『忍者武芸帳』のなかにある(忍者ブームはその前から小説にもマンガにもあった)。時代も永禄7年(1564)から天正10年(1582)のあいだに限定されていて(信長時代)、前半は奥州の最上(もがみ)領だけが舞台になっている。『カムイ伝』にくらべるとストーリーも格段にわかりやすく、影丸の正体を追うという読者の関心にも焦点がある。ぼくは2度読んだが、2度とも堪能できた。影一族と明智十人衆の熾烈な攻防のなか、百姓たちの闘争の烽火がしだいに立ち上がっていく構成には、まったく破綻がない。

 しかし、白土三平はやっぱり『カムイ伝』なのだ。これほど日本のマンガ作品のなかで悪戦苦闘をした作品はないし、作者が全力を傾注して、なおその作品に打ちのめされていった作品もない。
 壁をつくりながらそれに攀じ登り、作者がその壁を相手に格闘したままなのだ。
 『忍者武芸帳』も百姓一揆をテーマにしたが、そこにはまだしもアレクサンドル・デュマがいた。エンタテイメントがあった。影丸はヒーローだった。『カムイ伝』はデュマじゃない。カムイもヒーローじゃない。『カムイ伝』の白土三平はいわばジュール・ミシュレやフェルディナンド・セリーヌやアントニオ・ネグリなのである。
 いや、そのような比喩では語れない。『カムイ伝』は70年代以降の日本の社会思想の変転そのものであり、その変転を全体小説のごとくに収容しようとした白土三平の、壮絶きわまりない社会思想実験の軌跡なのである。
 未完だし、それも三部作のまだ半分も進んでいないというのだから、その実験の評価を"確定"するわけにはいかないが、それでも今日の体たらくの日本に、1964年に構想した物語が壮大なスケールをもって解体し、蘇生し、また異常な食風景になっていく過程を見ることは、やはりだれかが引き受けていかなければならないことなのだろうとおもわれる。

 白土三平については、以前から四方田犬彦がすぐれたクリティックをしつづけてきた。2004年にはその決定版ともいうべき書き下ろし750枚の『白土三平論』も上梓した。四方田こそは『カムイ伝』解体神話と蘇生伝説の本気のウォッチャーであるだろう。
 なにしろ四方田は『サスケ』を読んで、10歳のときに微塵隠れの術をいろいろ試した少年だった。それから40年、ずうっと白土三平のマンガを読み、その背景の文脈に目を凝らしてきた。白土三平において柳田国男や南方熊楠を、白土三平において大島渚と中上健次を、白土三平においてゴダールと大岡昇平を考えてきたのだ。四方田を借りないで、白土について何が書けるものかというところだ。しかも四方田は今後は『甲賀武芸帳』の石丸少年に倣って茸についての書物を執筆するのが老後の夢だというのだから、これは何をか言わんやなのだ。

 四方田ほどではないけれど、白土三平に伴走してきた読者はそうとうにいたはずである。とくに60年代後半から70年代前半までは、白土は社会思想をマンガにできる教祖ですらあった。
 たとえばその一例だが、『白土三平論』によると1967年に「サンデー毎日」が「いい感じのする日本人」を選んだらしいのだが、そのとき吉永小百合・宇野重吉・大江健三郎を押さえて白土がダントツの1位になった(なぜ宇野重吉がベスト3にはいったのかはわからない)。
 これは60年代後半にいかに白土ブームが日本列島を覆っていたかということで、しかも新左翼系や学生や知識人のみならず一般の劇画ファンまでもが、まだ階級意識とか唯物史観とか差別問題をヴィヴィッドなものとしてうけとめていたことをあらわす指標のひとつになっていた。白土を見るには、まずこのことを出発点にする必要がある。
 ところが『カムイ伝』第一部が終わった1971年には、四方田によると白土の劇画を読んでいたのは一握りに激減していたという。70年安保と全共闘運動の終焉とともに、白土ブームはあっけなく終わってしまったのだ。燻し銀のように光っていた白土の「抵抗の道徳」やそれにもとづく「コミューン幻想」に、あっというまに無責任な終止符が打たれてしまったのだ。

 その後のことは明々白々で、日本マルクス主義の退嬰と学生左翼の撤退とともに白土はまったく読まれなくなった。劇画ブームはマンガ一般のブームとなり、少女マンガや少年コミックや大人マンガやギャグ・マンガが流行し、アニメとゲーム・キャラのほかは手塚治虫の再来ばかりが何度も取り沙汰されることになったのだ。
 そのあいだ、白土についてはわずかに解放出版社から中尾健次の『「カムイ伝」のすゝめ』が刊行された程度だったのである。
 四方田や中尾の分析を借りながら、今夜は往時の白土三平の格闘をビデオ早送りしてみたい。

 白土劇画の基本には一貫して「忍者」と「差別」と「村落コミューン」という問題の生き方が流れている。すでに最初のヒット作品『甲賀武芸帳』で忍者の日々を描いたのはむろんだが、老いた牧十馬という銃術家にコミューンをつくらせていた。このような発想が白土の初期から芽生えていたことは、白土の生い立ちにも関係がある。
 白土は1932年に岡本唐貴の三男に生まれた。岡本唐貴は知る人ぞ知る、左翼の道を歩みつづけてきた画家で、プロレタリア美術の歴史では必ずその名をのこしてきた社会活動家でもあった。
 1923年に二科展に入選し、作家やアナキストや美術家たちの「アクション」同人となり、1925年には村山知義と読売新聞で紙上論争したりした(村山と父親が酒を酌み交わして議論していたのを、白土はよく憶えているという)。その後は「人間集団主義」を唱えて絵画の復活をめざし、さらに「モニュメンタリズム」を提案すると、20年代後半には社会主義リアリズムにも日本プロレタリア美術家同盟にも加担した。このころ黒澤明が岡本唐貴の指導で絵を習っている。岡本の油絵と黒澤のコンテを比較すると、かなり似通ったものがある。
 戦後になると岡本は日本共産党にも入り、親ソ連派の活動を開始していった。日本アンデパンダント展に連続出品するかたわら、1967年には松山文雄と『日本プロレタリア美術史』を執筆した。

 そんな父のもとに白土は育ったのである。ちなみに妹の岡本颯子は150冊もの著書がある絵本作家になっている。
 さて、ここに決定的な経緯がひそんでいた。その岡本一家が戦時中の1944年、長野県の真田村に疎開したのだ。2年間ほどの疎開だったようだが、白土三平はそこで中学校(いまの松代高校)に通い、近くの真田信綱を祀った信綱神社や真田幸村の菩提寺で遊んだ。紀州九度山の真田幸村の拠点ではなく、そこに真田家が出身したほうの拠点だ。のちにそこ(いまは上田市真田町)を訪れた四方田によると、かつての真田村こそは「忍者と差別と村落の原型」を白土三平にインプリンティングした土地だったにちがいないと感じたという。

 白土がマンガ家になった経緯にもふれておかなくてはならない。東京に戻ってきた岡本一家の日々、16歳の白土が紙芝居にかかわったことが特筆される。唐貴の友人の作画家の金野新一や加太こうじに出会い、「なかよし会」「ともだち会」といった紙芝居づくりの会に加わったのだ。白土は『ミスターともちゃん』『カチグリ・カッチャン』などの紙芝居をつくった。
 1952年、20歳になった白土は紙芝居を描くかたわら、指人形劇団の太郎座にもかかわった。学校などをまわり、それなりの意欲も示したようだが、太郎座は解散した。それとともに紙芝居が急速に衰えていった。1957年、白土は春子と結婚し、旧知の牧かずまのアシスタントをしながら、いよいよマンガを描くようになる。『こがらし剣士』がデビュー作だ。
 このころ白土の生涯を決する長井勝一と会った。長井は当時は貸本をプロデュースする日本漫画社にいたが、のちに「ガロ」を創刊する。あの長井だ。長井に出会って白土は貸本マンガにとりくんだ。それが『嵐の忍者』や『甲賀武芸帳』である。
 ついで長井が三洋社をおこすと、白土はそこから『忍者武芸帳』を刊行しはじめた。それが1959年のこと、「少年サンデー」「少年マガジン」が創刊された年だ。ついでにいえばこの年には「週刊現代」「週刊文春」「朝日ジャーナル」「朝日ソノラマ」も創刊された。水原弘の「黒い花びら」が大ヒットし、長嶋が天覧試合の阪神戦でサヨナラホームランを打った。日本が敗戦後の15年をへて、ついにメディア爆発した年である。
 それからのことは省略するが、1961年に『シートン動物記』『赤目』『真田剣流』『サスケ』が、1962年に『忍者武芸帳』を完結すると、『少年剣士宮本武蔵』(四方田はこれが中断されたことを惜しんでいる)が、翌年には『ざしきわらし』『鬼』『スガルの死』が発表され、1964年に「ガロ」に『カムイ伝』が鳴り物入りで連載開始されたのである。
 途中、赤目プロが組織されて、『ワタリ』『風魔』『カムイ外伝』などが連載されるけれど、大島渚によって『忍者武芸帳』が映画化され、「サンデー毎日」で第1位の日本人になった1967年以降は、すべての連載をおえて『カムイ伝』だけにとりくんだ。

 忍者と村落コミューンに異様な関心を集中させてきた白土三平について、あらかたの背景がこれでわかったとおもうが、これを『カムイ伝』のその後の物語の展開にかぶせてみると、さらに興味深いことがあきらかになってくる。
 1967年のことは先に書いたが、このとき白土はあまりの苛酷な仕事ぶりで体を壊した。継続中の連載は何本もあるし、頼まれた単発も何本もある。多忙をきわめた白土は房総半島に引っ越して静養し、そこから連載を次々に完結させて『カムイ伝』だけにとりくむようにした。その後、白土は今日にいたるまでずっと房総を離れていない。何度か転地しながら漁村と海を体に滲みこませている。
 このことが『カムイ伝』の次の展開に反映されたのだ。すなわち日置藩の海側の漁師町の五代木がクローズアップされた。白土は『忍者武芸帳』のときもそうだったのだが、猛烈に学習をしながら物語の背景と細部をつくっていくタイプのマンガ家である。一揆や差別問題や徳川社会史についても、その知識と洞察はしだいに濃くなっていく。
 同様に、自身の環境や業界や政治経済状況との相互関係にも真摯にとりくんだ。いいかえれば、それらを正直に作品にとりこんだ。房総への転居は、こうして『カムイ伝』の第2幕に影響をもたらした。
 かくて『カムイ伝』は最初の転換を見せていく。能でいうなら「破」が始まっていく。そこに、日置藩に隠されていた恐るべき秘密があるらしいことがあかるみに出て、カムイたちの忍者群がその探求にさしかかるという裏のプロットが動き出す。

 物語は正助が念願の本百姓となって、花巻村で綿の栽培に成功するところから、農村社会の「理想」の準備に入る。農機具を改良し、旱魃にそなえて井戸を掘り、肥料の人糞を蓄えるために公衆便所をつくり、子供たちには勉強会をつくる。若者組もできあがってきた。
 正助は新田開発の許可をとり、理想に燃える。江戸に行っていた竜之進も振袖火事をきっかけに戻ってきて(だいたいの時代がわかるとおもう)、これを手伝っていた。ところが、日置藩は藩札の発行によって財政テクニックを弄するばかりで、花巻村の綿と新田もその藩札によって買い叩かれてしまう。モノはカネに負けるのだ。徳川資本主義とでもいうべきものに、正助の理想は蹂躙されるのだ。
 抜け目のない商人の夢屋七兵衛が暗躍しているとも伝えられてきた。栽培や開発にかかわってきた百姓たちは怒りはじめた。正助は一揆の扇動者としてお上に睨まれるようになっていく。
 カムイのほうはといえば、「夙の三郎」という名で忍者になって、鷹匠の百舌兵衛(もずべい)の配下にいる。忍(しのび)の掟は厳しく、おいそれと勝手なことはできない。風のトエラが抜けたときは、忍者頭からその殺害を命じられた。赤目も抜忍になっていた。カムイは赤目を追わされ、さらに一揆の扇動者の正助の暗殺を言い渡された。忍者はテロリストでもある。
 しかし赤目には逆襲され、さらに夢屋の手によって助けられてしまう。カムイは任務を果たせない。こうしてカムイも忍者社会のなかで追いつめられていく。

 ここで、物語はいったん日置藩が秘めているという謎の解明に焦点が移る。そもそも外様(とざま)の小藩がろくな経営もできず問題ばかりおこしているのに取り潰されないことには、何かの裏の事情があるはずだったのである。
 この秘密を解くため、公儀隠密の搦(からみ)の手風(てぶり)は日置に入って、寺社の過去帳や日置領見聞録などを調べはじめた。どうも日置藩には亀にまつわる怪事件が多い。亀を食べて斬られた者たちが何人もいるし、鼈甲師も不審な死をとげている。蔵六屋敷の名をもつ城代家老の屋敷の池には亀が無数に飼われている。蔵六とは亀の異称であった。
 一方、カムイも変身して美粧の鏡隼人として、その秘密を解こうとしていた。カムイにのこされた道は任務で成果を見せるか、抜忍になるか、どちらかなのだ。心ならずも二人は力を出し合い、競べあいしながら、秘密に迫る。風鳴りの谷で妖しく光る亀の甲羅を割ると、内側が黄金になっている甲羅には文字が読めた。和歌の上の句である。さらにもう一匹の亀を捜しあて、甲羅の内側をこじあけると、はたして黄金の中に下の句がある。合せてみると「風鳴りに眠れる六蔵のうちに有りて日を仰げば乱(あや)立ちぬ」というメッセージだった。
 大凧をつかっての上空からの地形スポットの確定がおこなわれた(こうした忍者の道具立ては以前から白土の独壇場で、そのような場面のたびにコマ外に詳細な解説がつく)。狙い定めた地点に突風によって姿をあらわしたのは、蔵六神という巨大な石碑である。その中に古文書が隠されていた。そこにはなんと大御所徳川家康が「ささらもの」(簓者・筅者)であることが暴露されていた。


 家康が卑賎の出身であるとは、これまで何度も議論されてきた"偽史の定番"ともいうべきもので、古くは村岡融軒から八切止夫まで、新しくは南條範夫から隆慶一郎まで、たびたび議論され、たびたび小説や映画のフィクションに応用されてきた。白土三平がどのようにしてこの偽史に関心をもったかはわからないが、これは『カムイ伝』のストーリーの隠れた要になっている。
 しかし、白土はこの家康賎民説をおもしろがったのではなかった。幕藩体制としての体制社会とそこに支配される日置藩と、任務を遂行する忍者たちの宿命とを、ぐるりとつないで構造的な矛盾を露呈させるようにするために、この謎をもちこんだ。『カムイ伝』はその全編が身分制度に対する強烈な問いであり、ということはその身分制度をつくりだした徳川社会システムそのものが問われているのだ。
 カムイはその身分制度のなかで非人扱いされることを嫌い、あえて忍者になった青年である。忍者がどいうものかは、すでに白土の父の好敵手であった村山知義が『忍びの者』でもあきらかにしている。ぼくも第929夜にそのあらましを書いておいた。

 忍びの任務は秘密の任務である。それゆえ秘密の任務の対象がさらに大きな秘密にかかわるのなら、大なる秘密と小なる秘密は暗闇で激突するか(その両者の暗闇での闘いを描写してきたのが日本の忍者ものである)、あるいは大なる秘密が小なる秘密を食べ尽くすか、互いにドグラマグラになるかということになる。
 カムイも与えられた任務を遂行していけば、その天下の秩序を律する身分制度とどこかでぶつかっていくしかなかった。とくに幕府の秘密を暴けば、徳川幕府そのものが解体しかねない。それでは少年カムイがもともと願った身分制度の超越はおこせない。全体が捩れて変容するだけなのだ。

 四方田は、このように設定された家康賤民の秘密は「それ自体が閉じられ自己完結していると信じられた世界を、内側から解体させていくような醜聞であり、幾何学に譬えていうならば、クラインの壷に開けられた小さな穴」になっていると指摘した。
 つまり『カムイ伝』は支配と被支配、差別と被差別のあいだを抉(えぐ)るために、そこに百姓一揆が隆起していくプロセスと、忍者が任務を遂行することによって抜け忍として自身の立場を喪失していくプロセスとを、二重にも三重にも多重にも組み回して掘りこんでいった物語なのであるが、そのどの一点にも全体の矛盾が噴き出るように仕組んだ物語でもあったのである。
 白土はその数多くの一点を束ねる最大の一点に、徳川幕府最大のスキャンダルをもってきた。それならこれは一点が崩れれば全体が崩壊しかねないという物語構造なのである。
 しかし社会の総体というものは、たとえどのような政変や戦争がおころうと、そのまま変節をくりかえして生きながらえるようになっている。それを登場人物たちや白土三平自身がどのように受けとめられるのか。人間はどう受けとめるのか。このあとの『カムイ伝』はそこを白土自身が挑戦していくという恰好をとる。壮絶な試みだといっていい。

 白土はそこでひとまず、社会のいかような変化も切り抜ける男を導入した。夢屋七兵衛だ。数百人にのぼる登場人物のなかで、唯一出自があきらかではない人物で、それゆえ身分社会からも挟み撃ちになってはいない。赤目とともに御蔵島から島抜けをして、房総の浜辺で江戸勧進頭の仁太夫に拾われ、乞食たちのあいだで頭角をあらわした人物だ。
 盆送りの川に流された野菜に目をつけて、これをさっさと漬物にして大儲けをするような商才の持ち主だ。カネさえあればどんな事態も切り抜けられるという、今日ならば金融株式主義者の典型である。
 これを悪徳商人にしてしまうなら、つまらない。そんなお定まりの時代劇を白土は書こうとはおもわない。そうではなく、理想に挫折する者たちが続出するなかで、一人、ひょっとして理想をものにする人物の危険な可能性として夢屋七兵衛は選ばれたのだ。
 案の定、赤目はこの夢屋に身を任せ、ひとつ運試しをしようかとおもう。夢屋は五代木に質屋を開いてカツオ船を入手して、漁民を低賃金で働かせて儲けると、材木や贋札づくりにまで手を出した。どんな権力にも対応するドライフール(猫かぶりの道化)なのである。けれども赤目はさすがにその貪欲につきあいきれない。

 かくて物語はしだいに「破」から「急」に移っていく。残された主人公はもはや個人ではなくなっている。農民そのものであり、村人そのものである。
 いや、自然と生活をかかえた村落そのものだ。白土はそこをこそ描きたくて、ここまで物語を引っ張ってきた。
 だからこのあとは忍者間の抗争は退いていく。暗闇の暗闘は白昼の激闘に変わっていく。個々の取引や権謀術数も脇のプロットに変わっていく。そのかわり正助やゴンや苔丸と百姓たちが真ん中で立ち上がり、困難に直面し、そして白昼に挫折する。それでへこたれるわけにはいかない。時代に拮抗し、状況を変革する力をそのプロセスで獲得しなければならない。
 そのうち日置藩そのものにも危機がやってきて、お取り潰しの瀬戸際に立つ。幕府以外はどこもかしこも同じ宿命なのである。そういうときには、新たなロールプレーも現出される。なかで、竜之進が木の間党を率いてゲリラ活動を展開するというのがめざましい企図になるのだが、白土はその成功すらおぼつかないものに描こうとする。
 物語は急速に、どの場面でも矛盾を見せていく。そこへ自然の猛威も加わってくる。材木の過剰伐採は大雨によって地滑りとなり、クマザサの急成長は野ネズミの大量発生を促した。白土が『赤目』や『サスケ』で何度か描いてきた食物連鎖に由来する異変は、『カムイ伝』でもくりかえし人間を襲うのだ。むろんオゾンホールや環境ホルモンの問題までは予告されていないけれど、村人たちが土中の寝地蔵をもって雨乞いにあたるエピソードには、石をぶつけられて沈んでいく地蔵の微笑として、おそらく今日のテレビ・ドキュメンタリーの手法に似たものを感じさせよう。

 結局、洪水が日置藩の全域に飢饉をもたらした。人事をこえる災害が人事を激発させたのである。食えなくなった百姓は打ち壊しをはじめるが、それによって犠牲者が出ることを恐れた正助は打ち壊しに反対し、苔丸や竜之進と意見対立してしまう。
 そこへ隣の望月藩の一揆衆がなだれこむ。ぐずぐずしていた村人たちに代わって、隣からフリーライダーがなだれこんだのだ。いわば難民がなだれこんだのだ。日置の村々は大混乱になる。正助は夢屋の力を借りて一揆衆たちをアグリ銅山に送りこみ、なんとか危機一髪をしのぐのだが、苔丸は苔丸で夙谷の非人たちに故郷を捨てることを促し、自分は現地に留まることを決意する。正助は失業者の群れを救いたい。
 しかし事態はとまらない。ここについに「逃散」という大量エクソダスがおこる。徳川社会での最も悲劇的な出来事だ。もはや内部改革の手が尽きるのだ。これがおこれば村はカラッポだ。大半は日置を捨て、江戸大森の海苔養殖場に移っていくことになった。しょせん村民は供給をもたらしてくれるところへ移動する需要者なのである。流民なのである。そんなことはマルクスを借りるまでもなく、徳川の貧困な村落のすべてにおこったことだった。

 日置藩は取り潰された。天領になった。それまでの努力はこういう首尾なのである。藩主はそれも知らず、松平伊豆守に家康の秘密を書いた文書を必死で送りとどけ、自身の延命のカードにしようと試みた。だが、伊豆守はその文書を庭先であっさり燃やし、徳川幕府最大の出自の秘密をふたたび封印することになる。藩主も口を封じられて殺される。
 それでどうなるかといえば、村々がやっといっときの小康をとりもどすなか、新たな代官として錦丹波がやってきて、新たな火種をつくり、ここについに百姓の最後の一揆が巻き起こるのだ。『カムイ伝』にはすでに数十回におよぶ大小の一揆が描かれてきたのだが、これは140ページを費やしての最大の一揆である。あれこれの理屈による反乱ではない。妥当すべき権力に向かって革命をするのでもない。カタストロフィに似た反乱、いや理由なき氾濫なのだ。こういうものを描かせては、白土はさすがにその徹底したリアリズムは圧倒的である。徳川社会と人間の欲望と倫理の矛盾を描いて余すところがない。
 このような描写は手塚治虫にはないものだ。なぜならそこにはいっさいのドラマトゥルギーがないからだ。白土自身が村々の隅々を写しとる数台の同時カメラとなったドキュメンタリー本体なのである。数台のレンズをもったガルシア・マルケスが白土一人の手持ちカメラとなったのだ。

 一揆は大勝利におわった。しかし一揆の首謀者はこの社会では公儀に背いた犯罪者なのである。正助やゴンたち30人は京都の二条屋敷に護送され、次々に拷問を受ける。けれども正助はすべては江戸の大白州で申し上げたいと言って屈しない。ゴンは壮絶な最期をとげ、残りの二十数名も死んでいった。
 もはやいっさいの努力は無駄におわったのかもしれない。『カムイ伝』全15巻が物語ってきたものの存在証明は、こうなれば正助が江戸北町奉行の白州で何を陳述できるのかにかかるだけだった。しかし正助が言い得たことは、百姓こそが田畑を守る者であるということと、こんな状況ではいつまでたっても一揆が絶えないということと、「民なくして国もなく、我らなくして日本国はありえない!」と絶叫することだけだったのである。
 これが『カムイ伝』全15巻の、白土三平のいう第一部のすべての結末なのである。そうだとしたら、これは巨大な挫折と壮絶な幻滅の物語であるとしかいいようがない。いったいテーマはどこにあったのか。いや、この不透明に雪崩れていった事態そのものがテーマだったのだ。そうだったのだろうか。そうだったのだ。それ以上の説明ができないように、『カムイ伝』はいったん終わったのだ。なんといっても作者自身が第一部をおえた時点で、「物語の真のテーマはいまだに現れていない。なんと不可解なことであろう」と書いたのだ。


 なんとも陰惨である。なんともやりきれない。むろん白土自身がこの結末にたじろいだにちがいない。
 それなら1988年にやっと再開された第二部は、この挫折と幻滅を補うものかといえば、実はぼくはまだその詳細を読みこんでいないのだが、ざっと読んでみたかぎりは、まったく別の様相を呈している。もはや白土独特の農本主義的な農民社会の描写はそこになく、むしろ職人や本草学や民間信仰や、さらには洋学が浮上して、新たな社会状況に対応する人間の姿が活写されている。それとともに幕府の体制側の矛盾についに手がおよんでいる。
 これならば物語は、たとえていうならアレクセイ・トルストイをこえる大長編として期待がもてそうなのだが、最初にも書いたように、これまたいまは中断されたままなのだ。まさに白土三平自身が物語と化していて、社会の揺動の波間にふたたび絶句しているかのようなのだ。なんだか、今日の日本社会を寓意しているような沈黙だ。

 白土三平とは何だったのか。非ハリウッド、非ディズニー、非手塚治虫。ここまでは白土三平のファンならずとも気がつくことである。反差別、反搾取、反権力。これは白土三平ならずとも、すでに社会思想が訴えてきたことだ。
 しかし、白土三平はこれらの「非」や「反」にとどまらなかったのではないかと、ぼくは感じている。白土三平は日本の「聖と賤」の秘密を描かざるをえないところまで展出してしまっていて、それなのに徳川社会の村落にとどまらざるをえなくなった矛盾に喘いだのだ。それは浅草弾左衛門がついにその役割を明治に入って放棄することで、近代社会に突入していかざるをえなかった宿命に似た宿命を、白土三平が背負ったということなのである。「絶対矛盾の自己同一」に向かうしかないところへ投企してしまったのに、それを天皇や祭祀や仏教社会に向けないことによって背負ったのだ。
 もしそうだとすれば、白土三平は真の意味での「負」のマンガ家なのである。「非」や「反」を超えたマンガ家なのだ。それを知るには白土三平が『カムイ伝』の筆を折ってから描きつづけた神話シリーズに目を向けなければならない。そこには「火の鳥」が一匹とて飛んでないはずである。




附記¶白土三平の作品はたいてい新書か文庫で読めるが、いま書店にはあまり出回ってはいないかもしれない。版元か古本屋に注文するのが早い。『カムイ伝』も『忍者武芸帳』も本書のシリーズをはじめ、小学館ビックコミックス版、小学館文庫版がある。『カムイ外伝』は『カムイ伝』とはまったく別の読み切りシリーズ。四方田犬彦『白土三平論』は作品社、中尾健次『「カムイ伝」のすすめ』は解放出版社。「ガロ」については長井勝一『「ガロ」編集長』(筑摩書房)を。

http://www.bea.hi-ho.ne.jp/good-luck/freedom/kamuiden.html

「カムイ伝」  白土 三平  【小学館】
カムイ伝 子供のころには,「サスケ」とか「赤影」とかいった忍者ものの漫画や映画・テレビ番組があり,私はそういったものが結構好きだった。
 「カムイ伝」を書店で8年ぐらい前に見つけ買った。この本にはもちろん忍者の色々な術や剣法などもふんだんに盛り込まれているのだが、読み進んでいくと,この本が江戸時代の被差別民衆の生きようと、百姓(農民)を支配するために幕府や藩がとった悪辣な手段をイメージ化しながら、部落問題を訴えることを一つのテーマとしているのだということが分かってくる。(2002年7月)



(第一巻P100より)
 もし,みなさんが人間としての正当な要求を無視され,おしつぶされてしまったとしたら,どのように憤慨し,かつ悲しむことになるだろう!!今日,人間社会は高度に発展し,いよいよ,人々にとって生活は喜びとならなけらばならないはずであるのに,事実は逆である。
 この物語も,寛永の末から寛文年間に至る30年間の歴史の中から,喜びの生活を求めて,そこから少しでも前へ進もうとした人々の生活をうきぼりにしてみた。
(中略)
この物語の舞台である徳川封建社会をえがくには,その根本的矛盾を支えている要素・・身分制度という権力によってつくられた差別政策を通してみればその本質を明らかにすることができる。
(第一巻P296より)
 カムイのように,差別され,社会の最低辺におさえつけられた人間が,そこからぬけだそうとするには,当時にあっては,個人的な飛躍しかなかったろう。今のみなさんなら,おそらく,仲間と手を組んで,共に,自分たちの境遇をかえようとするだろう。
(中略)
 その夢とはどんなものだろう。まずしい社会においては,夢もまずしくなることがおそろしい。まずしい社会においては,小さな夢のために,大きなことをしなけらばならない。われわれの祖先も,そして現代のわれわれもそのまずしい社会に生きている。そして,この物語の主人公たち・・カムイ,正助,竜之進らも,結局小さなことのために,大きなことをしてきえていったのである。しかし,人々のあとには,人々が続き,そして,今,われわれがあるのである。


3つの場面を引用して見ていきます。カムイ伝より 3つの場面に
■ 江戸時代の被差別民衆と農民たちの関係
■ 幕府や藩の分裂支配のイメージがよく分かる場面
■ 農民と被差別民衆が手を取り合って、同じ田畑を作ることができるようになった場面。

 おそらく今の部落史研究からすると、この物語の歴史的考証については、疑問のあるところはあるのだろう。が、差別とはどんなもので、権力をもつものの考えはどのようなものなのか、ということをイメージで示してくれるとてもよい漫画である。今回全15巻を読み直して、あらたに怒りを感じながら、「なんで正助が・・!」「カムイはどうなった?」と少し終わり方にも疑問を感じるところはあるが、作者の意図や意気とさまざまな知識、表現力には、「さすが!」と言いたい。

http://www.bea.hi-ho.ne.jp/good-luck/freedom/kamuiden2.html

「カムイ伝」  白土 三平 【小学館】より引用


■ まず,江戸時代の被差別民衆と農民たちの関係を見ていきたい。
 これと同じよう に容器を別にするというような場面が映画『橋のない川』にもあったように思う。どちらも怒りに震える.
 この場面に登場している正助は,この物語でたいへん大きな役割を持っている。とても正義感が強く,勇気と知恵をあわせ持っている。彼の才覚と働くものの社会を作るための努力は,徐々に実を結び,物語が進むにつれ,彼の住む花巻の村と周辺の村々の人々を変えていく。
 ここにあるように正助は農民身分でも庄屋に隷属する下人である。正助をなぐる父親ダンズリだが,彼にも被差別民衆にかかわる秘密があった。
もう少し先をいうと,正助は,夙谷に住む被差別民衆のナナさんと結ばれる。しかし,当時の身分を越えた二人の愛には,数々の困難が待ち受けている。


■ つぎに,幕府や藩の分裂支配のイメージがよく分かる場面を2つを引用する。
 『自然にやつら みずから互いにいがみあうようにしむける』
・・というような罠が本当に悪辣に敷かれていく。
人の幸せをなんだと思っているんだ!
 百姓 一揆などの首謀者は、その要求が聞き入れられても徹底的に調べられ(実は拷問)、厳しく処罰された。
 この場面は、首謀者たちが牢の中で自殺し、その遺体が家族には返されず、「非人渡し」になり、被差別身分の人たちがその遺体を、村人の前に引きずりながら歩かされているところである。
こういった役割や一揆の鎮圧、処刑などを被差別民衆がやらされる場面が数々この物語に登場する。


■ 農民と被差別民衆が手を取り合って、同じ田畑を作ることができるようになった場面。
 『うんだ。もう非人も下人もねえ。』
といいながら仲良く非人の頭と田ををおこしている人物が、一番最初に引用した場面の正助の父ダンズリであることに注目してください。
 農民の子どもと被差別民衆の子どもが手をつなぎ、一緒に遊んでいる。
 P296の引用の「小さな夢」かも知れない。でもこのため何人の命をかけた犠牲者がいたことか。しかもこの「小さな夢」-本当は大きな究極の夢かも知れない-は、実現されたかと思うと、まだまだ先にこれまた悪辣な手段によってくずされようとしていく。
 最後の正助の、微妙な表情は今の喜びとその先の起こるであろう困難を表しているのではないだろうか。


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