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http://globoesporte.globo.com/pb/noticia/2013/11/livro-conta-historia-de-ivan-gomes-lutador-paraibano-que-nunca-perdeu.html

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http://igf123da.blog.jp/archives/889978.html


藤原組長が猪木の姪、ファニーと再会!イワン・ゴメスとの失敗談を語る

GENOME9 2009.8.9 有明コロシアム
藤原さんがイワン・ゴメスとのエピソードを語っています。

組長に任せんかい!より

今から35年前、猪木さん、坂口さん、山本小鉄さんと共にブラジル遠征した事がある。私はまだ25歳、入門2年目で山本小鉄さんの鞄持ちだった。もちろん、私にとって初めての海外旅行だった。旅行会社から配られた、小さな本でポルトガル語を一生懸命勉強した。ブラジルの旅では、1人で買い物に行ってみたり、1人で夜の街に出掛けたりもした。その後、バーリトゥードのチャンピオンだったイワン・ゴメスが来日した。私は彼のテクニックの中から何かを学ぼうと、積極的にスパーリングパートナーを買って出た。因みに、ヒール・ホールドと呼ばれる技は、彼から学んだ技だ。私生活でも彼と行動を共にしていた。もう一つ学びたい事があったからだ。それはポルトガル語である。ゴメスはポルトガル語と片言の英語しか話せなかったのだが、なんとか私達の会話は成立していたのだ。ある日、猪木さんの弟が奥さんと生後何ヶ月かの娘さんを連れて、来日した。私は可愛い赤ちゃんに、ゴメスから教わった言葉を試してみたくなった。「お嬢ちゃんきれいだね」のつもりで「ボセエボニータ、ファゼアモア」と言ってしまった。母さんの顔色が変わり、睨みつけられたのだった。何かとんでもない事を言ってしまったと気付いた私は、ゴメスの前に行って問い詰めた。ゴメスはゲラゲラ笑いながら言いやがる。私が言った意味は「一発やらせろや」だったのだ・・・。謝らねばと思ったのだが、時すでに遅し。チャンスは無かった。しかし、それから30数年後、日本でその女の子と再会した。名前をファニー猪木さんと言う。私は彼女に謝った。ところが当時彼女は赤ちゃんだ、覚えている訳はない。それから暫くして、又お会いする事が出来た。彼女はあの後、電話で母さんにこの話をしたらしい。母さんはこの事件をしっかりと覚えていて、笑いながら「気にしなくていいわ」と言ってくれたという。

ファニー猪木さんは啓介さんの娘さんで、猪木さんの姪。寛子さんの従姉妹。サイモンさんの親戚になるんですかね。猪木一族の1人です。ポルトガル語が話せるので、猪木事務所があった頃はLYOTO選手のマネージャーを務めていました。

ファニーさんは、先日、藤原さんが参加した西口プロレスで小猪木さんの元マネージャーでしたので、その時に会ったようです。現在はミュージシャンとして幅広く活動をされているようです。

この1974年12月のブラジル遠征で、イワン・ゴメスが発掘されて留学生として新日本に来たんですよね。1976年の8月、2度目のブラジル遠征では木戸さんをフロントチョーク、ストロング小林さんをKO、ルスカとは大流血の壮絶なセメント戦を展開し伝説となっています。
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初戦のリオデジャネイロではいきなりルスカと対戦。

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ゴメスは約1年間の新日本での修行を積み凱旋。ルスカはレスリングスタイル。

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ゴメスの掌打がルスカの目に入ったか。ルスカはブチ切れ反則のストレートパンチで応酬。

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セメントを仕掛けたゴメスが返り討ちに。大流血のゴメス。ルスカのKO勝利。

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納得のいかないゴメスと観客を猪木さんが入ってきて収めた。
後日、ルスカとレフェリーの高橋さんはリオデジャネイロ体育協会より追放処分を受けました。

2戦目のブラジリアではストロング小林さんを顔面蹴り、ストレートの打撃でなんとKO。ルスカ戦でもそうですが、どうしても勝ちたいゴメスはセメントを仕掛けたようです。
画像は後ほど。探してみます。
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3戦目はサンパウロの木戸戦。

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とにかく、この打撃が特徴です。隙あらば仕掛けてきます。

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木戸さんも打撃をかいくぐり捕まえようとしますが、逆に片足タックルから持ち上げて後ろに放り投げる。

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左のハイキックが炸裂。木戸さんがグラついた。

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組み付けばヒザ蹴りを飛ばしてくる。木戸さんは何とかグラウンドに持ち込もうとする。木戸さんが寝技を得意としてることを熟知しているゴメスは付き合わず。

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ロープに追い詰めても、木戸さんは、なかなかブレイクせず、ゴメスも油断することなくガード。猪木プロレスですね。

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風貌はヘンゾに似ている。

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最後はフロントチョークで決着。いわゆるプロレスの動きのない試合ですね。

イワン・ゴメスはカーウソン・グレイシーからグレイシー柔術を学び、1974年12月に新日本がブラジル遠征した際に、バーリトゥードの王者と称して猪木さんに挑戦してきました。猪木さんはアキレス腱固め等で従来と違う極め方をしていることに着目。逆にゴメスも知らない技があることに興味を持ち、今度は猪木さんに弟子入りを志願。

猪木さんも新しい技術を取り入れるために新日本にゴメスを入れました。ゴメスは38歳の若さで亡くなりましたが、新日本にアキレス腱固めやヒールホールド等の技術を伝授した功績は後のUWFを経て、日本の格闘技界が発展する上で大きな影響を受けています。

それにしてもプライベートのゴメスの話は珍しいですね。私生活を共にしたという藤原さんならではのエピソードですね。→

※実際問題ゴメスが仕掛けるのならばボディではなく顔面を思い切り殴るはずです
逆にルスカが顔面から殴ったという事はルスカ側が仕掛けたと見るべきでしょうな
しかもゴメスがバックに回ってさてこれから絞めようかという瞬間にストップをかけてルスカ勝利の裁定を下すという事は新日本プロレス側が逆にルスカを焚きつけて仕掛けたと見ていいんでしょうね
それが寝技ではルスカが圧倒されてバックに回られてやられそうになったんで慌ててストップをかけたというのが真相でしょう
いかにも薄汚いプロレスラーの連中がやりそうな手ですわ
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