日本柔術界で最初にエンセン井上から黒帯を認められた男 朝日昇がドン引きするほどの練習の鬼 プーさんこと 吉岡大先生が亡くなられたそうです…























世界柔術2014 準決勝 吉岡大VSパウロ・ミヤオ


2008年ムンジアル決勝
吉岡大vs.サミュエル・ブラガ戦




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悲報 日本人男子黒帯柔術家、最高成績残す──ブラジリアン柔術家の吉岡大さんが亡くなる。
















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2016.10.12
JJ Globo
News
.吉岡大
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dai-yoshioka【写真】ムンジアル、最後の一戦となったパウロ・ミヤオ戦に挑んだ際の吉岡さん (C)MMAPLANET

SNSで幾人かの柔術、格闘技関係者が触れているが、ブラジリアン柔術家の吉岡大さんが9日(日)に亡くなられた。享年40歳。

日本を代表する柔術家・吉岡さんは木口道場で格闘技を始め、その後ピュアブレッド大宮で柔術に出会った。ふくよかな体形でプゥさんの愛称で呼ばれ、親しまれていた吉岡さんは、柔術家としてそのストイックな姿勢は誰もが知るところだった。

2001年にパンアメリカン選手権で茶帯ライトフェザー級(当時はポルトガル語でプルーマ級と呼ばれていた)で優勝、エンセン井上より黒帯を受ける。この年にムンジアル初出場を果たし、初戦でホビソン・モウラと対戦。仕事との兼ね合いで出場できない年もあったが、ここから一昨年まで吉岡さんのムンジアル挑戦は続き、常に世界を目指していた。

2008年には決勝進出を果たし、サムエル・ブラガにアドバン2-3で敗れたものの見事にライトフェザー級で準優勝を獲得。この戦績が今も日本人黒帯柔術家の世界最上位である。2014年に同級ベスト8となるも、翌年より黒帯のムンジアル出場は国際格のトーナメントでポイントを獲得する必要がある制度に移行され、出場大会を絞りそこに全精力を集約する形で競技会に臨んでいた彼はとって、この年が最後のムンジアル挑戦となった。2015年1月にはヨーロピアン・オープンに出場し、世界と戦う姿勢を持ち続けていた。

9月に東京で開催されたアジア選手権にもエントリーしており、MMAPLANETでは事前取材を試みていたが、「ケガもあり、出場できない可能性もある」という理由でインタビューは実現していなかった。

日本を代表する柔術家、吉岡さんの冥福を祈りたい。

BJJ PLUS: 訃報 吉岡大さん
http://bjjplus2013.blogspot.jp/2016/10/blog-post.html


※参照終了

毎日休みなく8時間の練習 それも全てスパーリングは当たり前で朝から夜中までぶっ続けで練習 それもスパー
という異常な練習量で日本柔術創世記で伝説になった柔術家 吉岡大
そのスタイルはシッティングガードからの力を使わない時間無制限サブミッション決着勝負に最も向いたスタイル
競技柔術よりもBJJ KUMITEとかに向いていたんじゃないでしょうかね


今時は皆 技は力の中にあり

というガチガチの競技志向のスタイルの柔術に皆が走る中

へウソングレイシーの力を使わない柔術のスタイルに魅了され

それを極めようとした柔術家

皆が皆

フィジカル強化に走る中
それに背を向け技術のみを極めることだけに全てを捧げた男

渡辺孝真先生のようにエリオグレイシーの思想を継いだ日本人だったと言ってもいんじゃないでしょうか
インタビュー記事は上記雑誌に掲載されています!
濃い面白さです!

他の柔術家たちとは一線を画すストイックな生き方

流行のビジュアル系キモノには目もくれず
ボロ雑巾と化した汗だらけになった無地の安物柔道着で技術の探求を追求した人

生きていれば柔術を極めた人にのみ到達する境地
ファビオグージェウもその領域に入ることがあるという境地に達したと思うだけに
こんな若さで亡くなったのが残念ですね…
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