みんみんぜみ@inuchochin さんによる柔術史





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みんみんぜみ@inuchochin さんによる柔術史
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みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-27 17:00:45
以前ツイートした関口流の小具足。古流柔術というと、合気道みたいに手首を掴まれたのに関節技で反撃、というイメージがある人が多いかもしれないけど古い流派だと胸倉掴み合う、こういう想定の技が多い。pic.twitter.com/wfeaOQsukC








kanou @kanou1 2014-09-27 21:50:20
@inuchochin 実際やってるとわかるんですけど手首とれねえんですよねー、手首とってもらうことはできるけど…。あと刃物持ってると切られるし…






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-28 10:44:13
@kanou1 「古流柔術=手首逆とか手首を掴む」って明治以降の大東流系の流派や間接的に影響受けた流派のイメージだと思うんですが、大東流の古い技って肘のあたり掴むものが多いんですよね。先に小手や手首のあたりを受けたりはしますけど、掴むのは肘が先か、同時くらいで。






namiki yoshihary @cogito_ergo_su 2014-09-28 01:02:28
@inuchochin この絵たしか以前 秘伝の表紙になったのと同じでしょうか。改めて見て、正中面(移動軸)がしっかり描かれていたんですね、感動。黒田先生の所のフエ之巻も同じ様な形態でしたね。技のニュアンスは大分違いますが。最も変化の難しい間合いだから練る意味がありそうですね。






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-28 10:45:46
@cogito_ergo_su 正中面とかはよくわかりませんが、小具足は基本的に座敷の中の技術のようなので、間合いが近い形も多いようです。






namiki yoshihary @cogito_ergo_su 2014-09-28 10:54:18
@inuchochin 嬉しくて つい技術的な事に触れてしまいましたが、これを始めるとキリがなくなるから自重しようと思いました。みんみんぜみさんのポリシーに従うべきだと思いました。ただ小具足で使われる小刀は 首切り刀とは違うでしょうけれど、首の取り合いを思い出しました。良い資料!






namiki yoshihary @cogito_ergo_su 2014-09-28 16:46:46
小具足の具足ってたしか仏教由来で、「全て満ち足りた状態」って意味だったと思います。
鎧のカブト胴袖など主要部以外の部品について小具足といったと思います。それが転じて組討の体術を表すようになったのはなぜ?
竹之内流小具足腰之廻の腰之廻って何?実際に腰を廻すのではなく半身からの変化?






namiki yoshihary @cogito_ergo_su 2014-09-28 17:16:16
ヤワラと小具足と組討
故松田隆智師は、柔と言うと 陳元贇と言うのはケシカランと仰った。でも起倒流の伝書に書いてあるのは福野、三浦らに「良くは知らないが自分の知っている中国のそれはこんなです」っていってヒントを与えて福野らが作り上げた柔らかい体術を「柔」と言ったという記述。何か納得






namiki yoshihary @cogito_ergo_su 2014-09-28 17:31:57
@cogito_ergo_su 柔っていう言葉は 世が少し平和になって 殺伐とした物が受けなくなった結果、同種とされる武術を一般に説明しやすい様に、柔って言うようになったのでは?
現在から過去への視線の中では、柔術は皆ヤワラカと感じられるけれど、実はそうでもない流派も結構ある。






namiki yoshihary @cogito_ergo_su 2014-09-28 17:40:13
@cogito_ergo_su そうそう起倒流も沢庵和尚の命名だって。
ホントにそんなにあっちこっちで沢庵さん知恵貸して上げたの?
単なる仮託?
新陰の茨木氏が関与してるので一応筋は通りますが。






神無月久音 @k_hisane 2014-09-30 05:04:59
十兵衛著の「月之抄」内に、沢庵和尚が起倒流と名付けたという記述があるので、これについて和尚命名なのは確かなようです。 @cogito_ergo_su そうそう起倒流も沢庵和尚の命名だって。 ホントにそんなにあっちこっちで沢庵さん知恵貸して上げたの? 単なる仮託?






kanou @kanou1 2014-09-28 21:31:54
@inuchochin 中国武術でもまず肘か手は同時に押さえますね。きんだで肘にゆびいれるかけかたもありますし…






知足者富 @Chi_Soku 2014-09-28 07:19:32
捕手や小具足と柔術の線引の話は、凝り出すとキリがなくなりそう。ただいちおう論を展開しようとするならその場だけでも整理して区別したほうが良さそうだ。






知足者富 @Chi_Soku 2014-09-28 07:21:56
まあ世の中、捕手や小具足知らない人のほうが多いんだからしょうがないけれど。私も「ほしゅ」で変換するしなあ^^;






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-28 10:53:39
@Chi_Soku 私もホシュで変換してます(^^;;






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 16:23:06
知足者富さんが書かれているとおり捕手・小具足(腰廻)・組討・柔術を以下に分類するか、ってのは昔から結構あやふやで、江戸時代から人によっていろいろな分類をしてる。twitter.com/Chi_Soku/statu… でもある程度傾向はあって私はこんな感じに考えてる。続く)







みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 16:23:47
捕手はこちらからとっ捕まえる術で、いかに実力上の人間を不意を打って取り押さえるか、という高度な技。
小具足(腰廻)は小具足(短刀・小脇差)を使う技術。(個人的には槍長刀大太刀を大具足と言ったところから小具足は小さな武器を示している、って説が正しい気がする)






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 16:25:58
小具足については、竹内流とか古い流派では双方が短刀を持っている言わば短刀術みたいな感じ。でも江戸初期の関口流や制剛流になると敵が短刀を持って攻撃するのを素手で防ぐ技の割合が増え、江戸時代後期の天神真楊流なんかでは『小具足』という形が素手で小太刀捕する形名になっている。






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 16:28:04
捕手にしろ小具足腰廻にしろ、文献上は竹内流を最古とするわけだけど、竹内流の文献にも開祖修行した時点でいくつか流儀があったような事を書いている。当然無からいきなり流派が現れるわけじゃないから、なにかしら捕手・小具足的な技術はあったんだと思う。






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 16:29:51
時代はくだるけど、天流の外物(とのもの)に小具足として太刀の柄をつかまれた場合とか旅行中囲まれた場合とか様々な状況に対する対応法がまとめられてる。念流の犬の巻(これも外物)にも同種の技法があるとか。こういった感じで敵を捕らえる場合の心得や、座敷で襲われた場合身を守る方法として






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 16:32:57
技法はいろいろあったんじゃないかと思う。一刀流の外物にも『詰座刀抜』(狭い場所で刀を抜く方法)とかあり、新陰流外物にも『人捕時打所』(そのまま、人を捕らえるとき打つ急所)なんかの心得がある。






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 16:35:04
柳生新陰流の柳生宗矩には『捕手小脇差居相』という何十手かの短刀護身術や捕手術の伝書を書いている。内容は竹内流の小具足腰廻や捕手によく似ている。石舟斉も近い内容の伝書を出しているから、疋田豊五郎・柳生石舟斎の二人が似たような内容の伝書を出している以上、上泉信綱の時点で






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 16:35:46
たぶん、小具足的な技法や捕手的な技法の心得も何手かあったんだと思う。






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 16:39:05
『戦国時代の武術は殺し業。」とかいう一般的なイメージと違って『捕手』は戦国の技、と書かれている事もあるくらい古い技術。当然戦国時代でも、敵の使者なんかを捕縛する必要はあるだろうし、間者を生け捕りにするとか殺すより捕縛のほうがずっと武術として意味がある技なわけで。しかも当時の捕手は






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 16:40:44
しかも当時の捕手は『逮捕術』のイメージと違って当身技を多用するものだったらしい。逆手、関節技で華麗に取り押さえるというのは近代柔術のイメージで、やはり戦国時代の捕手は初期の技術だけあって実用性があり、人権意識も少ないだろうからか荒っぽいものだったらしい。






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 16:44:25
室町・戦国時代に簡便な捕手・捕縛技術がある程度発展して、そこで捕手・小具足腰廻を1532年頃に大成したのが竹内久盛なんじゃないだろか。竹内流の初期の技法は小具足二十五手・捕手五手と手数も少ないし、おそらく有用な技術を取りまとめ工夫した感じなんじゃないかと想像します。






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 16:54:38
柔術の源流とされる「戦場組討」、これも戦国時代にいったいどこまで体系化されていたかなぞです。起倒流の開祖たちが『相撲』の名手とされているところから見て、おそらく伝統的な相撲(土俵が無かった?)もので鍛錬して、あとは心得程度のものだったんじゃないかと想像します。






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 16:56:22
ただ、小具足腰廻も別名『組討』というようですし、小具足の技術にある、短刀を持った手を押さえられたのを外す各種のテクニックは戦場組討でも使われていたものでしょうし、関連はありそうな気もします。






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 16:59:33
江戸時代になると、柳生石舟斎・柳生宗矩の門下から相撲の名手福野氏らが良移心当流や起倒流といわれる流派を創始します。これも江戸初期(1620年代?)に陳ゲンピンに福野ら三人の浪人が学んで柔術を創始した、といまでも言われることがありますが、






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 17:01:29
福野の良移心当流和の伝書内容は陳ゲンピンにあった前後で何も変わっていないので、参考にした程度と思われます。(しかも古い記録では陳から拳法か何かを習ったのではなく、陳が「人を捕る技」について語ったのを聞いたと書いているだけです)






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 17:04:30
福野の良移心当流の伝書は柳生十兵衛が著書に引用しているのでよく知られていますが、体・請身の二つを基本にしたシンプルな体系だったような感じです。この流派から発展した起倒流も初期は表裏の十数本程度だったようで、現在伝わる起倒流・柔道古式の形・直信流の形を見ても






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 17:07:00
起倒流系の古い技はシンプルで、まとめてしまえば「捨身投」と
「膝を付いて後ろへ倒す技」の二つしかありません。これまた古流柔術のイメージからはかけ離れていますが、これが古い柔術の姿の一つだと思います。






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 17:09:57
で、『柔術』の起源ですが、起倒流の伝書や尾張の武術関係の資料等によれば、江戸時代も安定してきた頃、力の必要な従来の組討に対して、力ではないもので勝つ技術という意味で『ヤワラ』と名乗ったようです。小具足・捕手・組討というふるい名称に対して『拳法』『和』『柔』という名称が現れました。






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 17:10:55
『拳法』『和』『柔』『イ和』などという名称はいずれも『ヤワラ』と読んだようで、これは明治頃まで一般的にそのように読まれていたようです。





注 俰(イ和)で一字です



みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 17:15:31
で、江戸初期に現れ、その後隆盛した起倒流以外の柔術流派も関口新心流(1630頃開流?)、制剛流(1600年代半ば開流?)、楊心流(実質的な開祖が1660年代に活躍)で、同じく江戸初期に現れています。






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 17:18:18
関口新心流は柔術、制剛流は(イ和)、楊心流も柔術と名乗っていました。このうち関口流と制剛流は流派の体系として関口流と制剛流は小具足と捕手を持っています。特に制剛流は最初に捕手を学び、それに対する技をその後習う、という感じの体系になっていたようです。






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 17:21:03
制剛流は浅山一伝流・難波一ぽ流・竹内流の三流儀に開祖が創始した制剛流を加えたもので、開祖の頃は四つの流儀を教えていたようです。それを二代目で実質的な開祖の梶原直景が捕手・小具足・イ和羽手という体系にまとめ、最初に捕手(これは他流の技とか)を学び、それに対するヤワラの技を教えた






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 17:22:49
とかいう話もあります。ここでもヤワラはそれまでの流儀の一つ上の武術として考えていたみたいです。関口流の場合はよくわかりませんが、開祖は「柔らかな力の使い方」を発見し、それによって流派を創始したそうですから、やはりそれまでの体術とは違う、という意識があったんじゃないかと思います。






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 17:25:51
楊心流はこれらの流派とちょっと違い、長崎で異人から医術を学んだ人が急所についての知識を加えて創始した、柳の動きから開眼した、とかいろいろ言われています。ただ、どうも初代の医者というのは実在が怪しく、実質的には二代目の肥前の人・大江専兵衛が開祖ではないかといわれています。






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 17:28:48
楊心流は関口・制剛と違い、明確に小具足・捕手・ヤワラというような技法分類はなく、古い表の技は互いに帯刀した座敷での捕手術だったようです。ただそれまでの流派と違い、急所についての詳細な知識や締め技と高度な活法・整法を伝承しました。また、その技術も古い捕手と違い、






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 17:30:42
締め技や逆手を併用した、高度な捕縛技術を編み出したようです。締め落としても活法で生き返らせる、という事が出来たことから、『柔術の達人は活殺自在』、というイメージはこの流派が生み出したようです。起倒流などは楊心流の活殺自在に対して「本当に殺したら生き返らせる事なんか出来ない」と






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 17:30:59
伝書で批判していたりします(笑)






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 17:34:03
まとめると、
・室町・戦国時代
捕手(生け捕る技術)や小具足腰廻(主に短刀を使った格闘技術)の流派が生み出された。
・江戸時代初期
それまでの力ずくの組討・捕縛技に対して「力ではない高度な技術」としてヤワラ(柔・和・拳法)が現れた。また医術を取り入れ活殺自在の技法が出現。









剣 @kentarou_yokota 2014-09-30 00:50:13
@inuchochin 捕手小具足が「力ずく」にはちょっと異論あり。あと、当身も単なる打撃ではないです。そこんとこヨロシクゥ。






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-30 03:48:47
@kentarou_yokota そのあたりの事は突っ込まれると思いつつ書き忘れました。すみません。要は後の「ヤワラ」流派の宣伝文句なんですけどね(^^;;






剣 @kentarou_yokota 2014-09-30 07:44:18
@inuchochin まあ力ずくの人も居たとは思いますが(笑)力が無い私なんかだとキチンと形が出来ていないと全く崩せませんし反撃されます。流祖は体力も筋力も今の私達よりはあったと思いますが、力が上の人は沢山いたと思われます。そういう中で力に頼らずに勝ちを得る技術だという事で。






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-30 11:35:32
竹内流の初期の師範方も小柄な体格で大力の兵法者を捕縛した逸話がありますし、力づくの技ではけして無かったのです。あくまで世間一般への宣伝文句、もしくは江戸初期には組討捕手というと力づくに見える流派が多かったと言うことかもしれません。






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-30 11:37:32
面白いことに、柔術を名乗った関口新心流、そこから出て関口正統を名乗った渋川流柔術ですが、江戸中期以降の話と思われますが、体格が良く、力が強くないと強くなれない流派との評判だったようです。



注 終わり



みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 17:36:54
なお居合(抜刀術)は戦国時代末期、小具足・捕手がすでにあった時代、敵は近間で小具足(短刀)でこちらを攻撃してくるのに対して、長い刀をいかに抜くか、という点から発展したと思われます。よく言われる「ヤワラと剣術の間」のヤワラは小具足や捕手の事と考えたほうがよさそうです。


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みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 17:39:30
以上の話は高橋賢先生の連載「幻の日本柔術」、島田貞一先生の連載「槍と槍術」、渡辺一郎先生の連載「武道の名著」、ほか色々な伝書を元に想像で書きました。






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 17:46:06
ついでに江戸中期以降の話もちょっと






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 17:47:59
江戸時代初期までは、武術種目と身分というのはあまりうるさくいわなかった傾向があったようで「武士でも捕手が出来ないとものの役に立たない(間者を捕らえられない)」くらいの説もあったようです。ですが、身分制度が固まってくると「捕手は捕方の技で立派な武士が学ぶものではない」といった






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 17:50:43
身分によって学ぶ武術が決まるようになってきたようです(藩によるようです)
そうすると、「柔術は組討や捕手より高度な技」という意識も身分制度と関連して起倒流や関口新心流は藩主クラスにも学ばれたようですが、捕手を主とする流派はあまり学ばれなかったようです。






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 17:53:18
江戸時代も終わりに近づく頃に創始された流派は、戦国時代の流派が主とした小脇差を使う技や捕手の技より、素手対素手の想定の技が増える傾向があったようです。幕末に創始されたと思われる三神荒木流や気楽流の技法は大半が素手対素手の技法で、古い流派に比較して逆手、関節技もかなり増えてきます。






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 17:55:55
維新後、廃刀令により帯刀できなくなった際にさらにその傾向は進み、帯刀技をすべて目録から削除した流派もあったようです。明治後期に創始された大東流は小具足や捕手的な技がほとんど無く、素手対素手で技法がまとめられ、手首や肘の高度な逆手を持っています。この大東流の影響か






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 17:57:29
大正・昭和に創始された柔術的流派は、帯刀しなくなった影響と、護身術が求められた影響か、手首や肘の逆手が多く、「古流柔術といえば逆手・関節技」のイメージはこの頃の流派(特に合気道や少林寺拳法)の影響じゃないかと個人的に思います。






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 17:59:17
技法で言えば、江戸時代以前の小具足の技は逆手が少なく、抑えて短刀で突いたり、逆手といっても腕を押さえたり、脇固めしたり、というかんたんで効果的な逆手がほとんどです。捕手術も逆手で抑える業よりも、合気道で言う入身投的な、相手に入り込んで倒すような技が多いです。






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 18:00:55
また、起倒流系で見られるように、投げ技も腰投(請け手が使う)や膝を付いての投げや捨て身投げが主体ですし、楊心流の古い捕手技も締め技を併用しますが、やはり入り込んで倒すような技が多く、逆手のみで相手を制圧するというのは少ない印象です。






namiki yoshihary @cogito_ergo_su 2014-09-29 23:40:51
@inuchochin みんみんぜみさん 感動しました。貴方の著作ほどんな形であれ世に残すべきだと思いますよ。武器史等でよく目にする大学の教授の仕事よりも丁寧だと思います。どこからレス付けたらいいのか迷いました。
まず、同様の起倒流の当て身に関する態度について 続けます→






namiki yoshihary @cogito_ergo_su 2014-09-29 23:45:14
@inuchochin 起倒流も少し当て身を伝えているものの、当て身に対してちょっと屈折した態度が見られますね。 当流は敵と一体となって技を掛けるので、当て身は効力を持たない とか 当流は鎧組み打ちなので当て身は効かないなどど言ってますね。実際は脅威を感じてもいたのでしょう。






namiki yoshihary @cogito_ergo_su 2014-09-29 23:51:23
@inuchochin 起倒流については 私の周りで 結構熱心に調べている人たちがいまして、伝書の通り技を試しています。私も少々やりますが、技術論なのでなるべく避けて書きたいのですが、福野流として 相撲から始まり多種の流れが出来ましたが、私は起倒流はかなり特殊な柔術と考えます。






namiki yoshihary @cogito_ergo_su 2014-09-29 23:55:21
@inuchochin あえてシンブルに構成した流れだったのではと思います。
ある意味 難しすぎて真実が失伝したかも知れないと思います。
起倒流の伝書は しつこいほど 柔らかく 相気を外す 虚体 空機 敵の力で 我は弱く を繰り返し説いていますが、その考えだと 柔道とは 続く→






namiki yoshihary @cogito_ergo_su 2014-09-29 23:58:18
@inuchochin 全く違う様相をしめす筈です。私の現時点での答えは 位置取りと
誘導を主に稽古する物ではなかったかと言う事です。これらを構成するコツや技術は多岐にわたりますが 今巷間見られるものよりは伝書に忠実だと思います。
もう既に 良くお読みと思いますが、伝書から→






namiki yoshihary @cogito_ergo_su 2014-09-29 23:59:28
@inuchochin 1. 體
互いに禮をする 八寸の身 眼色顔形惣躰を荒くせず如何にも
柔和にして無拍子を落とし丹田を た持ちて虚体となりて立ち居る
受け方より 腹の所と脊の所の上帯を持ちて 横の方へ引く。
捕り方引くに乗り込 左手にて向こうの後ろの上帯を持ち →






namiki yoshihary @cogito_ergo_su 2014-09-30 00:00:58
@inuchochin 右の手を向こうの頭の上へ上げて 右の足を折り 左の足を立
腹気と空機にて落とす 投げ離し留め無し 残心までの残心は
八方残心とて 天地一バイ(杯?)の 残心なり敵一人に気を留めず
個々には全く力感がありません。
柔道の古式と違って 手で頭を後ろへ誘導します






namiki yoshihary @cogito_ergo_su 2014-09-30 00:06:08
@inuchochin この1本目の「体」が起倒流の表の全ての始まりで、最も重要な理合を表していると思われます。
こんなことから、起倒流が 柔らかい技 の中心地付近にいる様に思う訳です。
確かに外形の特徴は捨て身技ですが、例えば真揚流の物理的なバランスとタイミングと異質と思います






namiki yoshihary @cogito_ergo_su 2014-09-30 00:37:23
組討と関係して、流派の教えと言うよりは、起倒流 良移新当流の福野の武士のならいの様なものじゃないかと思うけれど 首搔きの事が何だか生々しかった
首搔き様の事
うつぶしにして脊へ左の膝を折り敷き 右の足を延ばし
左の手にて髪の毛をつかんで 右の手にて 馬手差しを →






namiki yoshihary @cogito_ergo_su 2014-09-30 00:38:50
抜き持ち 首より地まで突き込て 尤 横に刃の方 右の方へして突きぬくなり 左の手を引きて切る
又 馬手差し返して左の方へ刃を向け左の方に持ち右の手にて髪をつかんで右へ引き切るなり

知らない世界を垣間見た






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-30 04:07:43
@cogito_ergo_su 空機やノビは富山の系統ですね。富山の系統は白井亨の影響もあり用語や考え方が少し独自化してそうです。起倒流は系統により色々差異がありますから(^^;;






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-30 04:09:32
@cogito_ergo_su 私は大東流や合気道と同じような感じを受けました。当然、他の流派にもある理合なんでしょうけど形がそれを表して言語化したところが起倒流が他の流派と違い、上級武士に受け入れられたところじゃないかと。柔道との差異ですが、やはり崩しの理や自然体といった






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-30 04:12:24
@cogito_ergo_su 考え方は起倒流をちゃんと修行した人だから作れたものじゃないかと思います。柔道と起倒流の違いは、形は形として、やはり自由な試合、攻防になれば理合を現した約束の流派の形と違いが出るのは剣術の形と試合の差と同じかなあ、と






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-30 04:16:17
@cogito_ergo_su その起倒流や合気道の理をもっと試合に現そうとしたのが富木先生じゃないかと思います。富木流はやってた人と少し交流があったくらいですが、大東流を習ったり、起倒流の伝書を読んだりして「これを現したかったのかな」と思った記憶があります。






ちていのき @baritsu 2014-09-30 04:21:56
まぁ初期の柔道書を見ると、腕も体も力を入れない、体捌の自由、足(体)で崩す、体の安定、相手の動きについて動く…起倒流をやさしい形に落としてるという感じが大きいのは確かなんだよな






ちていのき @baritsu 2014-09-30 04:36:00
ついでにかくと、崩し、作り、掛けと3つに書く人がいるけど、これは作りと掛けの2つで崩しは作りの中に入るのが正しい、この作りには発見したきっかけで語られてるように彼我の体勢だけでなくタイミング的なものを含めたもの。というかこっちがメインの発見。






ちていのき @baritsu 2014-09-30 04:41:27
嘉納は柔術時代には「崩したところに足払いなんかををかけていた」と言うんだけど、これを念頭に置くと富田が試合を回想して柔術側を言った「力柔道」の雰囲気が分かるような気もする





てほどきについて



我乱堂 @SagamiNoriaki 2014-09-29 17:59:19
@inuchochin 掴まれた手を外す「てほどき」とかは、アレは昔からあるもんなんでしょうか?






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 18:02:39
@SagamiNoriaki 竹内流の小具足ですでに使ってますよ。だって敵を突きにいった時に、手を捕られたら手ほどきしないと攻撃できないじゃないですかw






我乱堂 @SagamiNoriaki 2014-09-29 18:04:20
@inuchochin まあそりゃそうだw というか、俗に「てほどき」という言葉はこの手解きからきている…というのは本当なのですかしらね?






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-29 18:05:13
@SagamiNoriaki どーなんでしょ?たしかに天神真楊流は全国的にはやりましたが…






ちていのき @baritsu 2014-09-29 18:09:26
他に語源となるような言葉があるか、なければ何故初歩の教えが「手をほどく」なのかと @SagamiNoriaki @inuchochin






ちていのき @baritsu 2014-09-29 18:21:11
手解きの語源であるとしたら書物の紐をほどくことかなぁ。ただこちらは紐解くがあるし、ここから初学のための本の紐を解く→手解きは無理があるよな






ちていのき @baritsu 2014-09-29 20:14:46
言葉としての「手ほどき」が広まったのって意外に新しいかもなぁ。俚言集覧には出てるけどこれは増補だから参考にはならない。広文庫には出ていない






namiki yoshihary @cogito_ergo_su 2014-09-30 00:18:37
@baritsu @SagamiNoriaki @inuchochin 天神真揚流の初めの教えは手解きですね。 pic.twitter.com/kTowGKWERq








ちていのき @baritsu 2014-09-30 00:21:39
それが、いつから、どんな経緯で一般慣用句化したかがなかなかわからんのですw RT @cogito_ergo_su: @SagamiNoriaki @inuchochin 天神真揚流の初めの教えは手解きですね。 pic.twitter.com/1zZqRhW7n0








ちていのき @baritsu 2014-09-30 01:40:20
明治7年には「学の手ほどき」と言う本が出てるから、「手ほどき」が普通に通用してたって事だよなぁ  p.twipple.jp/aN7Na








ちていのき @baritsu 2014-09-30 03:57:27
古典籍DBで「手ほどき」を検索してみたらいくつかあったんだが、天保はいいとして正保三年というのがある。うーん…こりゃ困るな

〇歌曲糸の手ほどき (かきょくいとのてほどき) 天保六刊 1835
〇詞の手ほどき ( ことばのてほどき ), 【写】岩瀬(正保三写)1646






ちていのき @baritsu 2014-09-30 03:59:24
それこそ竹内流で「手ほどき」という言葉が使われてたか、くらいな問題になってしまうなぁ





新陰流系統について



神無月久音 @k_hisane 2014-09-30 02:29:11
この辺、興味深いところですね。他の新陰流系の流派も小具足・捕手は近い内容だったりするのでしょうか。 @inuchochin 疋田豊五郎・柳生石舟斎の二人が似たような内容の伝書を出している以上、上泉信綱の時点で






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-30 04:23:58
@k_hisane あとは西一忳の伝書や仙台の信陰流くらいでしか捕手的な記述は見たこと無いです。両方とも目録なので内容不明です






神無月久音 @k_hisane 2014-09-30 04:30:08
なるほど。とはいえ、伊勢守の新陰流の時点で小具足・捕手の術があったことの可能性は高そうですし、面白いお話を伺えてありがたやですよ。 @inuchochin あとは西一忳の伝書や仙台の信陰流くらいでしか捕手的な記述は見たこと無いです。両方とも目録なので内容不明です






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-30 04:34:49
昼間は書き忘れましたが中條流にも「刀」の部として小具足と同内容の術がありますし、あったんでしょうね@k_hisane :なるほど。とはいえ、伊勢守の新陰流の時点で小具足・捕手の術があったことの可能性は高そうですし、面白いお話を伺えてありがたやですよ。






神無月久音 @k_hisane 2014-09-30 04:44:18
おお、やはり。この感じだと新当流にもありそうですね。 @inuchochin 昼間は書き忘れましたが中條流にも「刀」の部として小具足と同内容の術がありますし、あったんでしょうね






みんみんぜみ @inuchochin 2014-09-30 04:49:07
まだそれらしい古い資料を見てませんが、何かしら心得的なものでもあったとは思います。一応、神道流系統の腰之曲(こしのまわり)や柔術もありますし。江戸時代以降ですがw @k_hisane: おお、やはり。この感じだと新当流にもありそうですね。






神無月久音 @k_hisane 2014-09-30 02:32:52
「月之抄」の「カラメ取心得」でも「ボコれ(超訳)」って書いてあったりしますしね。ミもフタもないけど、やっぱそうなるよなあと。 @inuchochin やはり戦国時代の捕手は初期の技術だけあって実用性があり、人権意識も少ないだろうからか荒っぽいものだったらしい






神無月久音 @k_hisane 2014-09-30 02:34:29
当該箇所はこれですね。『カラメ取心得之事付け道具、亡父(石舟斎)ノ録ニ此儀無之。老(宗矩)云。一人ヲ二人シテ、カラメ取事、成ニクキ物也。然ルニよりハため所ノ心持専也。ツラ・コシ・コビンノマハリ・ムナイタ・眼ツボ・フグリ、かやうの所ヲフミもし、打モシ、ツキモシテ、取心持専ナリ』


神無月久音 @k_hisane 2014-09-30 02:39:43
あと、取り押さえる前に、逃げる相手を追い掛ける時の心得も、「走りながら切ったって切れないからやめとけ。足を止めさせてから切れ」「不意に行き会ったら、とりあえず足引っ掛けろ」「もし馬に乗ってたら、相手がぶっ倒れるまで追い掛け回せ」とか、そのまんま過ぎだろのオンパレードで砂。


  



神無月久音 @k_hisane 2014-09-30 02:41:18
そして原文がこれ。『追懸心持之事、亡父ノ録此儀ミエザル也。老云、追イかけものハ、能きほと成と奥ヘハ、遠キモノ也。打テハ打チハヅスモノ也。とらへて切つク心持よし。不知セシテ、同し所より立出テスルニハ、敵のあゆムアシニ我か足ヲツレテ、ハコビカゝレバ、敵しらぬもの也(続⇒






神無月久音 @k_hisane 2014-09-30 02:45:45
(続⇒)馬などにてハ、なるほとながく追マハシ、草臥ラカシ、ヒトリタヲルル心持ヲ思ふへし。これ専也』。こうしてみると、やはり兵法家伝書と比べて、「実際こういう時ってどうすんの?」「そういう時はこうすんだよ」「おー」みたいな話が多くて、想定している読者が誰であるかの差が出てるなーと。






神無月久音 @k_hisane 2014-09-30 02:50:48
というか、良移心当流や起倒流のことについても、「月之抄」内で言及してますし、今やってる沢庵和尚関連の話が済んだら、また石舟斎の頃も含めて伝書を読み返してみようかしらん。






神無月久音 @k_hisane 2014-09-30 03:00:26
しかし、「剣や兵法は戦場では役に立たない」という類の言説は相変わらずそこかしこで見ますが、そういうのは、「戦闘は戦場で起きるもの」「戦闘時は最適の装備でいるのが当然」という無言の前提があるのかなーと思ったり。そんないつでも都合のいい条件で戦えるなら、随分と苦労は減るだろうなと。






神無月久音 @k_hisane 2014-09-30 03:07:39
むしろ、日常の中で唐突に起こった喧嘩が命のやり取りになったり、遠距離攻撃などしようもないくらいの乱戦になったりと、いつどこでどんな風に戦闘が起こるかわからないからこそ、携帯性の高い刀剣の術や、前述のような小具足の術が、兵法として工夫され、多くの兵法者が出たんじゃないのかなーと。
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