中国武術修行者から見た拳児と大気拳法vs極真  龍飛雲門下生vs極真








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“拳児”が嫌いな理由

このところ何かと気忙しくて、またこのブログをサボってしまっていた。
気がつくとまた2ヶ月近く…。
歳をとると時間が経つのがあっという間だ。。

さて、今回の記事。
これも実は、このブログを書き始めた当初から予定していた記事で、何度か書きかけては放ってあった。
(草稿用のフォルダに、入れては出し、入れては出し…)
これまでの話の流れからして、タイミング的にもいいかなという感じなので、ちゃんと書いてアップしておくことにしよう。

タイトルにある“拳児”とは、中国拳法をやっている人ならほとんどの人が知っているであろう、松田隆智さんが原作を担当した漫画、『拳児』のことだ。
僕より幾つか下の年齢以降の人たちは、中国武術を始めたきっかけとしてこの漫画からの影響を挙げる人が結構な割合で居るようだ。
そういう人たちには悪いのだが、僕はこの『拳児』が嫌いである。
今回はそれについてのお話。

『拳児』は週刊少年サンデーで1988年から1992年まで連載された。
連載開始時には、少年サンデーの姉妹誌で武田鉄矢さん原作の『お~い!竜馬』(1986年-1996年)が連載中で、僕は勝手に、武田さんとの繋がりで持ち上がった話なのかな、と想像していた。
説明するまでも無いだろうが、松田さんと武田さんとは、武田さんが原作、脚本、主演を務めた映画『刑事物語』を撮るにあたって、松田さんから蟷螂拳やアクションシーンの武術指導を受けた間柄である。
ちなみに『刑事物語』は、割とヒットして5作も作られた人気シリーズになった作品だが、中でもハンガーヌンチャクが有名で、YouTubeなどにもそのシーンがアップされていたりする。
見たことが無い人は探してみるといい。
今見れば大したこと無いアクションなのだが、当時は(特に拳法をやっている我々のような者たちの間では)、結構話題になっていたものだった。

それはともかく、松田さんご自身の少年サンデーとの縁は、『拳児』よりずっと前に『男組』や『男大空』の頃からあるのだけど(だからかどうかはわからないが『拳児』の作画を担当した漫画家は池上遼一さんの元アシスタント)、漫画原作をやったことが無い松田さんが原作者として直接関わるきっかけとしては、武田さんが先に着手していたことが大きかったのではないだろうか…?
まぁ、それは僕の勝手な想像なので、どうでもいいのだが。
どうでもいいことついでに言えば、僕は、このお二人が、原作者とは言えそんなに細かくご自身でシナリオを書いていたとは思っていない。
たぶん資料や過去の著作やアイデアノートなどと共に編集者や漫画家と打ち合わせをしながら作っていったものだろうと推察する。
それなりにヒットした作品を生み出したのだし、ご自身に漫画原作者としてのれっきとしたノウハウが(連載中にでも)確立されていれば、その後も発表を続けることができたはずだからだ。

『拳児』がリアルタイムに連載されていた頃、多感な中学・高校生時代を過ごした世代は、すでに30代後半~40代になっている。
例えば1988年に中学1年生で13歳だった人は、今年38歳だ。
連載開始時はすでに中国武術がブームまっただ中、武術雑誌『武術(うーしゅう)』も刊行中で、調べてみると創刊されたのは『拳児』よりも約5年前、1982年の暮れ近くだった。
その中国拳法ブームはほぼ、松田隆智さんがもたらしたものと言って過言ではない。
1973年、ブルース・リーがきっかけで、カンフー映画がブームとなり、また、それまで『空手バカ一代』など梶原一騎原作の空手漫画でじわじわと火が付きかけていた空手が一躍ブームとなったが、空手と中国拳法とは、その頃はまだあまり区別されていなかった。
その後“中国拳法”が認知され始めるのは、これも松田隆智さんが関わった漫画『男組』(1974年-1979年)や、それ以降に出版された同氏の数々の著書によるところが大きいだろう。
そしてジャッキー・チェンによるカンフー映画ブームの再燃。。

ついでにこの当時の、『拳児』に至るまでの中国武術やそのブームに関わる出来事を、簡単な年表にして挙げておこう。

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1973年(S48) ブルース・リー映画『燃えよドラゴン』日本公開。
1974年(S49) 漫画『男組』連載開始。※休載期間を挟んで1979年まで。
1974年(S49) 松田隆智『太極拳入門』『少林拳入門』(サンポウブックス)刊行。
1975年(S50) 松田隆智『謎の拳法を求めて』刊行。※『拳児』の元となった体験記。
1979年(S54) ジャッキー・チェン映画『ドランクモンキー 酔拳』日本公開。
1980年(S55) 漫画『男大空』連載開始。※『男組』の後継作。古武術&中国拳法。
1982年(S57) 武術雑誌『武術(うーしゅう)』(福昌堂)創刊。
1982年(S57) リー・リンチェイ(現ジェット・リー)映画『少林寺』日本公開。
1985年(S60) 劉雲樵『八極拳』(大柳勝・訳)を始め八極拳の入門書が出始める。
1988年(S63) 漫画『拳児』連載開始。※1988年2・3号から1992年5号まで。
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他の作品、著書、雑誌、など、細々としたことは省いている。
一応『拳児』を軸に、ということで。
それから、松田さんの著書でどれが一番古いのかは、調べてみたが定かではない。
中国拳法の本としては、たぶん上記1974年の2冊のいずれかが最初ではないだろうか…?

さて、本題に入るが。
実のところ『拳児』のストーリーを細かく憶えているわけではない。
リアルタイムに連載されていた当時、直接少年サンデーで読んでいたのだが、話が進むほどダレてきて、読む気が萎えつつも一応読んでいる、という感じだった。
好きなジャンルで、それ以前に松田さんの著書にハマッた時期があったのでなければ、とっくに読むのをやめていただろう。
そして、その松田さんに対してもがっかりしてしまう一因になるほど、この作品は(少なくとも僕にとっては)酷い出来だった。

まず、お話が始まって間がない頃、作中でまだ小学生の拳児が、学校の体育の授業で、理不尽な先生にいびられている友人をかばって、先生に逆らい、逆手をかけて撃退するシーンがあった。
かけた技といい、かけ方の描写といい、チビの小学生が大の大人を手玉に取る現実味の無さといい、武術家が思いつくエピソードとは思えないお粗末さを感じてガックリきてしまった。
これが松田隆智原作で無かったなら、そんなことは気にかけなかったことだろう。
しかし、
馬鹿教師相手に毅然とした態度で(悪く言えば上から目線で)、名人さながらに余裕で技をかける、小学生の拳児…。
その態度、姿が、あまりにも鼻につく。
そしてまた、松田さんと関わりのある武術家をモデルとした登場人物のヨイショっぷり。
物語の中で描かれる人生観や武術観についても、優等生や八方美人が口にしがちな、一見正論のようでいて中身の無いキレイごと…といった印象。
出してくることわざなどもいちいち説教臭い。
何より拳児は、よく見れば決して性格は良くない。
礼儀正しいフリをしているだけで、暗に挑発するような態度を取りがちだし、偏った主観を似非君子の衣をまとってごまかす、例えれば「嫌われるタイプの学級委員長」だ。
それが物語の中では都合良く師匠たちに好かれて、色んなことを学んで成長(?)していく…。
それが、何だか空虚なことばかりを言いながら大家気取りになっていく現実の松田さんとリンクするようで、僕にはそう見えて、純粋に漫画として楽しめなくなっていった。
もちろん現実の松田さんとは会ったことも無い。
書いている僕の思い、印象は、あくまでも雑誌や著書を通しての想像でしかない…のだが。。

さらに、漫画を描いていた藤原芳秀氏の絵も、師匠である池上遼一氏の絵に似てはいるのだが、線がザツで、トーンもあまり使わないためのっぺりした画面だったのと、コマ割りや構図が悪いページが多くて読み辛い印象だった。
また、これは池上さんも『男大空』あたりからはそうだったが、戦いのシーンで入門書の用法解説写真そのままのような構図がチラホラあり、漫画としての伸び伸びさに欠けていた。
漫画には漫画独特の大胆な構図の取り方があるのだから、画として迫力ある戦いを演出するべきだろう。

連載が始まってしばらくすると、この話が松田隆智さんの武術体験記である『謎の拳法を求めて』(1975年?)が元になっていることはすぐ判ったのだが、前述のように『拳児』の方が何かにつけ偉そうで、しらけてしまった。
『謎の~』の中で紹介されていた人物も『拳児』の際には、その時点での人間関係によって紹介しないでいる場合があるようだったが、とにかく登場する人物は皆すごい武術家として描かれている。
そして、次々と色んな師に出会って、習っていくわけだが、素朴な疑問、
『そんなすごい人と出会ったのなら、一人に深く習えばいいんじゃないのか?』
と思ってしまう。
経緯の説明が疎かでおかしい。
深く関わってもいないのに、都合良く好かれて教えてもらえて、当の本人はちょいつまみ的に師匠を渡り歩いているだけ、という風に見える。
そんなことで主人公の成長を描くのって、あまりにも嘘臭くならないだろうか…?
他の武術と混ぜて勁道やら戦い方やらを組み立て直す等の理屈も、結局八極拳に戻る云々も、整合性がつかないことだらけだ。
松田さんは漫画原作者としてはプロではなかったにせよ、少なくとも武術に関する部分はもう少し納得できる理屈があっても良かったんじゃないかと思うのだが。

これまたついでだが、
以前、『拳児』のことをもう少し具体的に書くために調べようと検索していたら、赤松健という漫画家のページが目についた。

赤松健論:『拳児』、『史上最強の弟子 ケンイチ』との比較
http://www1.kcn.ne.jp/~iz-/man/akamatsu/horon02a.htm

この中で赤松氏は、キャラクターやストーリー手法の面から書いているのだが、僕ががっかりしてしまったことを別の面でほぼ言い表している。
もちろんこの人は漫画論として書いているわけで、一概に『拳児』をこき下ろしているわけではないのだが、ツッコミどころは的確だと思う。
参考までに。

…で。

『拳児』以降、『拳児』に影響を受けて拳法を始めたとか、それが八極拳ならなおさら(笑)、そんな人に出会うと、ちょっとひいてしまう。
ネットでそんなことを書いている人に対しても然りだ。
もちろんこの一点でその人を判断する材料にはならないが、第一印象として、僕の中ではマイナスポイントの一つになってしまう。
SNSや掲示板で、ちょっと中国武術に詳しくて、一見礼儀正しいが正論っぽいことを上から目線で書いているような人を見ると、拳児を模した慇懃無礼なタイプに見えてしまう。。
さらに、武侠映画の中国人のように包拳礼をし合って、武術界を「武林」と言い、拳法仲間が数人寄れば戦隊ヒーローのようにポーズを取ったりする人なら、武術修行者と言うよりもオタ過ぎてアイタタタッ…だ。。(^^;
(まー、現実的視点を持ち合わせた上で武術を追求している人の中にも、そういう人は居るのだろうけど…)

あと、言っておかなければならないが、『拳児』の中では、中国武術至上主義的な主観、その中でも特に北派拳や内家拳が高級拳法という扱い、型を練ることこそが強さへの道、などといった偏った見方が主を成している。
すべてが間違いというわけでは無いにしても、あまりにも鵜呑みにし過ぎて、大人になってもファンタジーの住人のままオタ武術家になってしまうのは、どうにもこうにも痛々しい。
かく言う僕自身が、少しはそんな道を辿った時期もあったわけなので、あまり笑える話では無いのだが…。
だからこそ言うのだが、楽しみ方は人それぞれ、どうでもいいのだけれども、
「強くなりたい!」
--という一点において、そこに拘るならば、現実と幻想の区別をつけて修行すべきだろう。
そしてもう一つ、お節介ながら言うが、手放しに中国人や中国文化大好きな人は別として、強くなりたいがためのアプローチとして中国拳法を選んだのなら、何も中国拳法だけに拘ることはない。
一つを深くやることは大事だが、幅広く見る目も養わなければならない。
それに我々は日本人だ。
中国人のようになりきろうとするばかりでなく、日本なりの消化の仕方があると思う。
そして現代的消化の仕方も。
そんなことも考えながらやってみてはと思うのだが。

まー好き勝手書いたけれども、『拳児』を好きな人は好きなままでいい。
好きな人は好き、僕は嫌い、それだけだ。
ただこういう意見も、客観的に捉えて、何かを考える材料にしてもらえるならば、僕も書いた甲斐があるというものだ。

http://doyotaichi.seesaa.net/article/332425777.html
中国拳法への失望

今回の記事は、実は先月始めから書きかけていたのだが、色々忙しかったり、煩わしいことがあったりで、ちょっとほったらかしにしてしまった。
2月も終わりなので、いい加減アップしておこう。。

昨年末に書いた喧嘩話の時期から何年か経った頃、テレビ番組で中国拳法と極真空手が組手をしているのを見たことがあった。
記憶の中の映像は幾つかあって、一つは番組企画で、見覚えのある日本人先生とその弟子たちが極真空手の門下生たちと一人ずつ出て組手を行うというものだった。
あと、一つか二つ(一つだけだったかも知れない)、太気拳と極真空手が組手を行っている古い映像が紹介されていた。
何分ずいぶん前のことで細かいことは憶えていなかったのだが、後にYouTubeなどに映像がアップされていて、改めて見ることが出来た。
調べてみると、番組は『リングの魂』だったことが判った。
『リングの魂』は、wikiによれば1994年から2000年まで放送されていたとのことなので、僕は20代の内に見たと思っていたのだが、どうやら30代になってからだったらしい。
時期を照らし合わせる内に段々と思い出してきたが、“ニッカ”との喧嘩からは7、8年くらい経っていたようだ。
その間の僕はというと、拳法の稽古は段々とおざなりになっていき、特にこれといった進歩も無いままで、そして左手を大怪我して武術をあきらめてしまっていた。

で、そのテレビ番組の映像だが。

後で判ったことも交えて書くが、見覚えのある日本人先生とは、何年か前に亡くなった龍飛雲さんで、この人は昔、全中連にも習いに来ていたそうだ。
酔拳を始め教えている拳法の幾つかは創作だろうとの噂もあるが、それについてはよく知らない。
とにかく、映像の中の酔拳も蛇拳も、
「そんな戦い方は無いだろう!」
と思うような、映画のカンフーアクションモドキで、極真の門下生に苦々しくあしらわれてしまっていた。
…と言うか、間の取り方がほとんど素人に近くて、評する言葉も無い。
悪いがこれについては、極真空手を凄いと思うよりも、あまりにも中国拳法側が痛々しくて、
(何でこんな人たちを連れてきたんだろう…?)
というがっかり感でいっぱいだった。
けれど、他の流派や団体の人を連れてきたところで、型中心の稽古をしている人なら大して変わらない気もしてしまう。
一方、太気拳の人たちも、極真相手にあまり通用しているとは言えなかった。
太気拳と言えば故・澤井健一さんの名声と共に日本では有名な拳法流派の一つで、澤井さんと大山倍達さんの交流も知られていたが、
(蓋を開けてみればこんなものか…)
というのが、そのときの正直な感想だった。
…けれども、、
そう言う僕だって、大した自信は無く、映像の中の人たちに比べれば、
「もう少しマシな組手が出来ただろう…」
という思いはあったが、中途半端にしか技を知らないところでブランクがある上、怪我をして武術をあきらめてしまっていたのである。

ところで、『リングの魂』が始まった頃は、その少し前にK-1が登場したこともあり、格闘技ブームの真っ直中だった。
レアな映像を見たのをきっかけに同番組や格闘技関連の番組を度々見るようになって、その頃からK-1やボクシングも以前よりは見るようになった。
そんなときに目に留まったのは、極真空手からK-1に参加して来たフランシスコ・フィリォ選手だった。
フィリオが他の選手と比べてどうだとか、彼の技が上手いかとか、そんなことはともかく、彼自身、大きくて、パワフルで、すごい選手だと思った。
そしてこれも『リングの魂』だったか(?)、彼の練習風景を取材している映像があったが、彼の蹴りでサンドバッグがくねって大きく揺れる様を見て、
(こんなヤツに勝てるワケが無い!)
と思った。
自分ごときの腕前では、これほどパワフルな相手の攻撃をいなすことは難しいし、有効な攻撃を当てることも難しい…と。
もちろん、本当の実戦、それこそ殺し合いともなれば、目突きや急所攻撃もアリだし武器だって何だってアリだ。
しかしそんな理屈を持ち出してきたら話にならないし収拾がつかない。
あくまで徒手武術の技術論として。

当時の龍飛雲さん一派は、自分たちのスタイルがあれほど通用しないとは思っていなかったのだろう。
番組企画とは言え、少なくとも一門の中では実力のある者を連れてきたのだろうし…。
だがそういう勘違いは、昔も今も、中国武術の世界には蔓延している感覚だという気がする。
古い映像の中で組手を行っていた太気拳の人たちの場合、大勢の交流会の中での組手なので、もしかしたらキャリアの浅い人が胸を借りるつもりで挑んだのかも知れない。
ただ、いずれにしても。
僕は極真の技術にも組手スタイルにも疑問を持っている方なのだが、それでも、構え合って少し様子を見た後、通常なら当たりにくいようなハイキックを、得体の知れない他派相手に出してくる自体、極真側は相手をなめているのだし、それを喰らってしまう側は実力差を認めざるを得ない、ということが言えるだろう…。

ちなみに、テレビに流れたかどうかはわからないが、太気拳と極真の組手映像は他にもあり、そっちに出ている人たちはほぼ互角に戦っている。
どれも動画がYouTubeに上がっているので、見た人も多いことだろう。

…で。

僕は19歳になる年に中国拳法や古武術を始めて、しばらくは、この世界のご多分に漏れず、現代武道やリング上の格闘技をどこか軽く見ていたところがあった。
それこそさっきの話、目突きや金的や急所攻撃を考えれば、体格差は埋められる、と。
リングの上での戦いを想定して武術をやっているわけではないのだから、と。
そしてそれは当時、上からの受け売りでもあった。
まぁ…確かにそれはそうなのだが、では、例えばグローブをはめた立ち技系格闘技は、本来の武術の技から大きく離れているのか、と言えば、そうではないのである。

理論的に言えば、ボクシングを始めグローブ格闘技では、手や腕を攻撃する(掴む、打つなど)、関節部分を攻撃する(極める、叩く、打つなど)といった攻撃が禁止されている他、肘打ち(※ムエタイには今でも肘打ちがあると思うが)、投げ、体当たりなどが無いため、それらへの対応が必要無く、また技自体もあまり知らないため、そういう技を知っている武術系の方が有利と言える。
しかし基本かつ終わりのない課題である間の取り方や攻撃線、攻撃線を外す防御の考え方、などといった部分は、現代武道も格闘技も同じなのであって、例えば武術をやっている者が目やノドを狙ったところで簡単には攻撃をヒットさせてもらえないのは言うまでもない。
そして練習量が違い体つきも違えば、ナマナカな技ではそう簡単には対抗できないのである。
例えばK-1などの格闘技を見ると、空手や拳法などをある程度経験した者からすれば、必ずしも上手いとは言えない選手が目につくことがあるだろう。
総体的な動きは通常の初段~二段くらいのものであっても、パワーとスタミナを付け、スピードを磨けば、そんじょそこらの三段~四段を上回ってしまうということだ。
中国拳法や古武術をやっていて、
「力じゃない」
というのを、ただ教えられるままに信じて、受け売り的に他人へも吹聴しているような人は、この辺のこともよく考えてみるといい。

僕の世代は、松田隆智さんが紹介して、少なくともその当時、謎の技法として一大センセーションを巻き起こした“発勁”に代表されるように、体格や力で劣る者でも大男相手に強大な威力を発揮できるというところに惹かれて、中国拳法を始めた。
ところがその発勁が一般的な技法として定着し始めたはいいが、フルコン空手やグローブ格闘技に比べて見劣りしない威力を出せる人がどれほど居るだろうか?
そんなことを思って、僕は中国拳法が嫌いにさえなった。
いや、と言うより、体操のような中国武術や、それらをやっている人たちのノリが嫌いになった、という方が正しいだろう。
もし強くなりたいという気持ちで武術をやるのなら、脱力だの身体操作だの正しいフォームだのに拘るのもいいが、まずは威力を出すためにごく当たり前な努力をするところから始めた方がいいと思う。

まーそんなこんなを考えて、他の武道・格闘技をより参考にするようになると、今まで自分が学んだ技に対しても理解が深まり、気づくところが幾つも出てきた。
気づいたことの中には、後に復帰してから教わったことと重なることも幾つもあった。
それらについても、また書くと思う。
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