ラテンアメリカに存在するマチスモと性差別 性暴力

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ラテンアメリカの女性

~マチスモ文化について~









香川研究会春学期

総合政策学部3年

川瀬 明希子

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<章立て> ……… P.2



<序章> ……… P.3~4



<1章> ラテンアメリカ世界の伝統

1-1.ラテンアメリカ地域の定義 ……… P.5

1-2.ラテンアメリカ世界の多様性 ……… P.5

1-3.ラテンアメリカ世界の文化と伝統 ……… P.6~7

1-4.ラテンアメリカの女性 ……… P.7~8



<2章> マチスモ

2-1.メキシコ人の歴史     ……… P.8~13

2-1.マチスモとは     ……… P.13

2-1.マチスモの現われ方     ……… P.13~14

  

<結章> ……… P.15



<おわりに> ……… P.15~16



<参考文献> ……… P.16





























<序章>

なぜ今、ラテンアメリカの女性についての研究なのか。これには二つの理由がある。私のラテンアメリカ世界への関心は「コロンブス新大陸発見500周年」という1992年の記念すべき年に端を発する。コロンブスによる新大陸、つまり現代のラテンアメリカ世界の「発見」は世界にとって、とりわけヨーロッパ諸国にとって大きな意義があったことはまぎれもない事実である。しかし、ラテンアメリカ世界側の視点にたつと彼らはヨーロッパ世界からの侵略者であり征服者であったわけである。コロンブスがアメリカ大陸に到達する以前に、何千年という長い年月をかけてこの大陸に人類が住みつき、文明を発達させていたことは今日ではよく知られる事実である。そこにスペイン人が侵略し、自らのイベリア文化を積極的に移植したことは決して「発見」という軽い言葉で済まされることではなく、むしろ「侵略・征服」といった表現を用いる方が適切のであるという議論がここ数年前に高まったのである。しかしながら、やはり「コロンブスの新大陸発見」という表現が一般では最も使われ親しんでいることと、この表現に関する問題に関して私が充分な研究をしてきていないという理由でこのレポートにおいては特にこだわらず、一般表現である「新大陸」「発見」を使用することにする。

次に、ラテンアメリカ諸国が抱える数ある問題の中からなぜ女性なのかについてだが、近頃頻繁にセクシャルハラスメントに関する記事や話題にぶつかることが多くなり、女性の権利についてや、男女平等な社会とはどのような社会であるのか等について考える機会が増えた。そのような中で、ラテンアメリカにおいて「マチスモ」という男尊女卑の伝統文化が存在することを知り、いつ、どこで、なぜこういった差別精神が生まれるのか、そしてそれは女性や社会全体に対してどのような影響を与えるのかを考えるためにこのテーマを選んだ。したがって「マチスモ」というラテンアメリカ文化がここ数年で大きな曲がり角を迎えているとか、世界的な問題へと波及したことによる緊急な対処を必要とするテーマであるということではない。しかしながら、「マチスモ」というのは、今に始まったことではなくヨーロッパ勢力がラテンアメリカを発見した400年前から現代に至るまでずっと潜み続けたり、あるいは表面化した形でラテンアメリカ社会において解決されることなく受け継がれてきた文化であるという意味では重要な研究であると思われる。

ラテンアメリカの女性が近年著しく社会進出している状況はよく知られている。高等教育を受けることのできる上流・中流階級の女性たちが増えたことで社会進出度が高まったのである。しかし、一方で各国によって多少の違いがあるにせよ、依然として国内の上流・中流と下層階級の間には大きな隔たりが残り、下層階級の女性が自立できる日はまだまだ遠いと考えられる。私はこの格差を決定的にする理由の一つがマチスモ文化であると考え、そのマチスモ文化の発生と発展及び現代社会におけるその行方について調べることで、少しでもラテンアメリカの女性たちの階級格差をなくす手段が見出せればよいと思う。

私はこの研究を通して、最終的にはラテンアメリカの女性にとって住みよい社会を築くための政策提言をしたいと考えている。もちろん、ラテンアメリカという地域は多様であり、各国様々な状況を抱えているというのは事実であるし、国や地域によっては開発も進み、政策提言をするまでもない場合もあるかもしれない。しかしながら、「マチスモ」という文化を伝統的に持つ、または持っていたラテンアメリカ社会は、一般的に女性にとって不利な場合が多く、それらの不平等を何とかして解決する道を探りたいと私は思うのである。

今期の研究は政策提言どころかマチスモがどのような経緯でラテンアメリカ社会に定着していき、その由来はどこにあるのかというところまでにしか及ばなかった。というのも、ラテンアメリカの女性を理解にするためにはその背後に隠れているマチスモ文化の把握が重要不可欠であるし、そのマチスモ文化を把握するためには時代をスペイン人、ポルトガル人の新大陸発見にまでさかのぼらなくてはならず、非常に複雑であるからである。また、文化というものは数値によるデータが存在するわけでもなく、さらには形として残っているものではないから確証しにくいということがある。どうしても、人類文学者や心理学者などによる既存の研究を参考にしてしまい、個人的な分析がを怠りがちであったようにも思う。そういった意味で今回の研究のように文化に注目する際にはやはり直接的なアプローチ、つまり実際にその文化の中で過ごしてみるとか、そのような文化を身を持って体験している人に話しを直接聞くなどといった方法をとることが必要となることを改めて痛感した。

今回の研究ではまず、第1章ではラテンアメリカ世界における各国が持つ特徴及び多様性を女性だけに限らず総合的にを紹介した上でこれらの国々が共通して持つ伝統について述べたい。第2章ではラテンアメリカ特有でかつメソティソ社会で顕著に見られるといわれるマチスモ文化についてその由来を突き止め、その伝統がなぜ、どのような形でラテンアメリカ社会に影響を与えたのかについて考えてみたい。マチスモについてはラテンアメリカ全般に見られる伝統であるとされるが後述するように、メソティソ社会において一番よく見られるという特徴がある。したがって、マチスモ文化を説明する際にはラテンアメリカの国々の中でその多くをメソティソが占めている国であるメキシコをモデルにしてこの伝統文化について考えてみる。なお、マチスモが他のラテンアメリカ社会の中でどのように位置づけられているかについては研究が及んでいない。そのため、マチスモに関してはメキシコのみの例をもとに考えていこうと思う。第2章では、マチスモの実体を心理学的側面から捉えたものと、実際社会の中にどのよう形態で現れるかについて述べる。また、このマチスモ文化がラテンアメリカ社会に根強く残る要因となったと考えられる法体系についてもマチスモ文化に関連させて述べることにする。







<1章> ラテンアメリカ世界の伝統

1-1.ラテンアメリカ地域の定義

ラテンアメリカという呼称に関してはそれがどの範囲の地域にまで及ぶかについて色々な議論がある。学説上では北アメリカの一部、つまりメキシコからカリブ海地域を通って南アメリカ大陸に及ぶ広大な地域のことを「ラテンアメリカ」と呼ぶ立場が最も有力で、このレポートにおいても同様の定義をすることにする。



1-2.ラテンアメリカ世界の多様性

 ラテンアメリカには独立国とイギリス、フランス、オランダ、およびアメリカ合衆国の植民地が存在している。このような多数の国々からなり、広大な領域を占めるラテンアメリカ世界が同質で単一な世界ではあることはありえない。自然環境も地理的状況も人種も実に様々であるし、各国の国土面積も違えば人口規模も違う。そして何より経済活動と発展レベルを異にする国々が散在している地域、これがラテンアメリカなのである。アンデス山岳地帯、アマゾン側流域と熱帯低地、パンパの大草原、冷涼なパタゴニア台地のように、地勢と気候の多様性は言うに及ばず、人口の過半数を原住民インディオが占めている国々、またアフリカの黒人を多数受け入れたカリブ海地域の国々、原住民インディアとスペイン人との間の混血がほとんどのような国々などラテンアメリカでは地勢や気候、人種や言語などに多様な要素を見出すことができる。これらの多様性は、地理と自然条件を除けば、スペイン人やポルトガル人が植民地化した地域に存在していた原住民社会の規模や文明のレベル、また植民地時代の経済発展のしかた、および19世紀初期の独立以降の近代史のあり方などによって生じた差異である。現代ラテンアメリカ諸国は,キューバを除くと貧富の格差の大きい階層社会であり、多民族・多文化社会を成している。

 これほどにまで違うこの地域の各国が広くラテンアメリカと呼ばれるのはこの地域に形成された国々が基本的には16世紀から19世紀にかけてスペインとポルトガルによって同じく植民地化されたという共通の歴史を持つからである。

アメリカ大陸は1492年にコロンブスによって「発見」され、以後ヨーロッパ世界の関心の及ぶ地域となっていった。ヨーロッパ諸国は征服時にラテンアメリカ地域の原住民が築き上げてきた巨大な文明を吸収し、独自の宗教や言語から町並み、風景、風俗、習慣に至るまでのイベリア文化をこの広大な地域に積極的に移植したのである。そして今日でもラテンアメリカ諸国に共通するカトリック教、スペイン語、アシエンダ制と呼ばれる大土地所有制度や多くの社会制度、伝統と慣習、行動様式、社会規範や心情などは主として16性および17世紀のイベリア半島のそれらを受け継いでいる傾向にある。





1-3.ラテンアメリカ世界の文化と伝統

アメリカ合衆国の社会人類学者Charels Wagleyはラテンアメリカを三つの文化圏に部類できるとし、それぞれを「インドアメリカ」「アフロアメリカ」「イベロアメリカ」と名づけた。

インドアメリカ文化圏とはペルー、ボリビア、エクアドル、コロンビア等からなるアンデス地域およびコスタリカを除く中米諸国とメキシコから成るメソアメリカ地域をさす。この地域では、ヨーロッパ人の到来以前にインカ文明、マヤ・アステカ文明などの高度な古代文明が栄えていたが、スペイン人達の征服により、ここに住んでいた原住民インディオを労働力と利用され、山が開発され、農園が開かれた。初め、スペイン人が支配した植民地社会はスペイン人社会と原住民インディオ社会を明確に分離した人種的身分制度社会をなしていたが、時代を経るに連れて混血が進んだ。現在メソティソと呼ばれる白人とインディオの混血が国民に占める割合は多いメキシコの60%からグアテマラやボリビアの30%まで多様であるが、この文化圏における白人は全人口の10~20%であり、原住民インディオと混血メソティソが占める割合が非常に高い。その結果これらの国々の伝統や生活様式のなかには言語、風俗、食べ物、音楽等のおいて、土着的要素が多数残されていることが多い。現にこれらインドアメリカ文化圏では多くの原住民の言語が今日でも多数の原住民によって話されているのである。

第二の文化圏、アフロアメリカ文化圏には今日のカリブ海地域およびカリブ海に面した国々の一部とブラジルの主要地域が入る。これらの熱帯・亜熱帯地域では植民地時代にヨーロッパ市場を目的とした砂糖プランテーションが行われた。その労働力としてアフリカから多数の黒人奴隷が輸入され、現代においても彼らはひどい差別を受けているという。アメリカ大陸へ奴隷として運ばれたアフリカ人の数は1500万人とも2000万人とも推計されており、新大陸のほとんどの地域へ黒人奴隷は送り込まれたが、最も多くの奴隷を受け入れた熱帯プランテーション地帯では植民地時代を通じてヨーロッパ人よりアフリカ人の数の方がはるかに多かった。彼らは、アフリカを起源とする食生活、信仰、音楽や風俗などをこの地域にもたらし、主人であるスペイン人やポルトガル人のヨーロッパ文化の影響のもとで変容していきながらも今日までアフリカの文化と伝統を保持している。

イベロアメリカ文化圏はアルゼンチン、チリ、ウルグアイ、ブラジル南部、およびコスタリカから成る白人人口の高い地域である。この文化圏に共通する要素は、植民地時代を通じて辺境地帯であったことである。これらの地域には、もともと高い文明を持つ原住民社会が存在せず、スペイン人やポルトガル人が目指した貴金属も産出できなかったし、コスタリカを除くと熱帯プランテーションとして使われることもない温帯に属していた。この地域が白人国となった最も大きな要因は、19世紀に始まり20世紀前半まで続いたヨーロッパ移民の大量流入である。スペイン、ポルトガル、イタリア、ドイツ、ポーランド等から多くの移民たちが、これらの国々が取ったヨーロッパ移民誘致政策に応えてやってきた。現在アルゼンチンの白人人口は98%にまで及ぶ。

以上見てきたように、ラテンアメリカ地域を形成しているのは三つの主な文化圏である。それらは互いに著しく異なる特徴を持っているわけでこの地域の持つ多様性は明らかである。しかし、一方でこれら三つの文化圏がラテンアメリカ世界としてあるまとまりを有しているというのも事実であり、その共通の軸というのはヨーロッパ文化に起因するのだと考えられる。具体的には、植民地時代にスペイン人やポルトガル人の支配と同時に移植されたイベリア半島の中世的価値観と諸制度及びカトリック信仰であると考えられる。同時に19世紀のラテンアメリカ諸国が競って近代ヨーロッパの制度と文化を模倣し受け入れた事実からも推測できるように、ヨーロッパ世界の優位性を認めるとともに征服されたことへの劣等感が多少なりとも抱いていたかのように思う。



1-4.ラテンアメリカ世界の女性

今までは地域を部類し、その歴史や人種に焦点を置いてラテンアメリカ世界全般に関して述べてきたが、次は視点を本題の女性に移すことにする。一般にラテンアメリカの伝統社会と呼ばれるものは、カトリック教会の強固な支配による女性の社会進出への阻害、家父長的家族制や大土地所有制による女性の家庭的役割への固執、人種的身分制による決定的な差別などを基盤としており、それらによって形成された制度、慣習、価値観などを保有する社会であるといえるであろう。国により差異はあるが、ラテンアメリカ諸国は概ね19世紀後半から欧米をモデルとした近代化政策を推進したため、19世紀末から20世紀初期にかけて大きな社会変化を遂げた後、第二次世界大戦を景気として工業化時代に入った。しかし、そういった発展をよそに、伝統社会の特徴の多くは今日でも根強く生き続いており、人種的被差別者や女性の地位向上を阻んでいるという事実がある。

家父長的家族制度は、基本的にはイベリア半島から持ちこまれた伝統である。家長は血縁集団の結束と財産の保全に対して絶対的な権限を持っており、法的にも精神的にも一族を支配する役割を果たした。この家父長的家族制のもとで、女性は子孫を残すための母親としての地位を与えられており、子供を産み、育てることが第一に要求された。女性は、娘である時代には父が、また結婚してからは夫が絶対的な権力者であったため、一般に女性の世間的な接触は極めて限られ、女性は家族内の男性の傘下で庇護されることである程度の安定を保っていた。しかし、これは言葉を裏返すと家の中に閉じ込められて狭い世界で生きてきたということなのである。

この家父長制を補強したのがカトリック教会である。カトリック教会は、女性の本質を母性とし、女性の役割をもっぱら母親と妻であることに求めた。キリスト教の聖母マリアに象徴されるように「血の純潔」を女性の最も重要な使命とみなし、自愛、慣用、忍耐、道徳心などを女性の特性として捉え、同時にそれらを求めた。その結果、女性は家のために子供を産むものであり、よき母親であり、夫に対し寛容と忍従の精神で仕えるものであるとする伝統的な女性観が形成された。この女性観は男性だけのものではなく、女性も受け入れた社会全体の風習となった。また、カトリック教会は植民地時代を通じて教育の実質的な担い手であり、社会の精神生活を支配することで、このような女性観を根強くラテンアメリカ社会に植え付けることになった。

近年、女性史研究が進むに連れて、女性が抑圧と忍従の中でのみ生きてきたとする見方は女性史の一側面を強調するものに過ぎず、従来考えられていた以上に多くの女性たちが様々な分野で働き生きていたことが分かった。女性は家事労働者や農婦として働いていただけでなく、男性と肩をならべて農園を経営したり、商取引に従事していた他、各国の独立解放戦争に武器を手にして参加していたことも知られるようになった。しかし、どのような社会においても他とは異なるな生活を送っていた人々はいるわけであり、これらの女性たちの生き方は例外であったというべきである。なぜなら、法的に女性が無能力者であることが規定され、男性の保護なしでは社会生活がし得ない時代に彼女たちが活躍し得たのはその背後に父や夫あるいは一族の後ろ盾があったという特殊な例に限られると考えるからである。

世界のいずれの国においても男性が女性を支配し隷属と忍従を強いてきた歴史は長く、ラテンアメリカに特有のものではない。しかし、ラテンアメリカの場合には、それがイベリア文化の伝統を基礎に、強い男性優位主義の精神文化と行動様式となって現れているのが特徴であるといえよう。次の章ではラテンアメリカ社会、中でもメソティソ社会に極めて顕著に見られるマチスモという固有の文化について、その発生から発展、そしてその影響を述べることにする。



<2章> マチスモ

2-1.メキシコ人の歴史

マチスモというラテンアメリカ社会特有の文化は特に植民地時代においてはいずれの国でも多少なりとも見られたといわれている。しかし、ラテンアメリカ地域とは、前述したように人種構造が多様であり、例えばあまりヨーロッパ文化による強い影響を受けなかった地域ではその文化が根づかずに消滅していったと考えられることもできる。但し、文化の消滅や潜在というのは、えてして図ることが困難であり、通常は推測による不確実性の高いものとなってしまう傾向がある。これ以降のマチスモ文化に関する見解にしても、確証的なデータがあるわけではなく、通説であったり推測による物がほとんどであることをここでお断りしておきたい。

次に、マチスモについて具体的に見ていくことにする。マチスモはメキシコで最も顕著に見られるといわれている。その理由はマチスモがメソティソ社会、つまり混血の社会に由来するのもであり、全人口におけるメソティソが占める割合がラテンアメリカにおいて最多である国がメキシコであるからである。以降、メキシコ人の歴史を概観し、マチスモがどのような経緯で生まれてきたかについて見ていくことにする。ラテンアメリカのマチスモは非常に複雑な背景を抱えており、メキシコ人の歴史を把握せずにはマチスモを理解することが困難であるというのがその理由である。

メキシコの歴史といえば有名なのがマヤ文明やアステカ文明などの古代・中世における優れた諸文明であり、すでに多くの研究がなされているが、マチスモを取り上げる際にここで問題となるのはこういった文明などのメキシコの全歴史ではなく、むしろごく限られた、主にスペイン人によるアステカ王国征服以後の歴史であり、これは現代に至るまでのメキシコ人を知るために重要な歴史であると考えられている。その理由は先に挙げたマチスモを語る際に話題となるメキシコ人がまず第一に、現代のメキシコ人でありアステカ王国を築き上げたアステカ人やその他の原住民ではないということ、第二にそのメキシコ人というのが主にメキシコ中央高原に住むメソティソを中心とする人々であって、メキシコ全住民を指しているわけでは決してないということの二点が挙げられる。したがって、ここでは現代メキシコ文化とは直接的関わりの薄い、今なお独自の生活様式を守り続けている原住民すなわちインディオ人口は対象に含めていない。また、メキシコの歴史は約一万年二千年前の人々から始まるともいわれているがここで扱うのはそのような「メキシコ」の歴史ではなく現代の「メキシコ人」、つまり、前述した二点を含む人々の歴史である。

メキシコ人の歴史はアステカ征服から始まると考える人は少なくない。それは現代のメキシコ人の大半がメキシコ土着の人々とスペイン人との混血であるメソティソであることから考えてもそれは充分妥当な考えだとされる。ここでもその立場に立ってメキシコ人の歴史について述べていくことにする。以下にメキシコのアステカ人及び土着民がスペイン人によって征服されたことで現代メソティソであるメキシコ人が生まれた過程を述べた角川雅樹氏の文章を引用する。

スペイン人がメキシコ征服時、メキシコ全土には約2500万人の土着民がいたといわれているがアステカ人とはもちろんその一部に過ぎない。しかし、アステカ王国が征服されたということは、メキシコという国にとって決定的に重要な意味を持つものであった。メキシコはスペインの植民地体制の中に組み込まれ、完全にその政治的な支配下に入ることになった。そして、この征服という歴史的な大事件の後、メキシコでは混血に混血が重ねられることにより、その結果現在のメキシコ人の直接の祖先が生み出されるに至ったわけである。征服はアステカ人に対して、決定的かつ強烈な変化をもたらした。いわば、征服によって、アステカ人を含む土着の人々がメキシコ人になったということができるであろう。

つまり、最後の文章に表されているように、今我々が呼んでいる「メキシコ人」という呼称はアステカの土着民がスペイン人との混血を重ねて生まれたメソティソのことをさして呼んでいのであり、もしスペイン人による血の支配すなわち混血が進まなかったら、現在の「メキシコ人」という人種は存在しないということなのである。征服後、メキシコは実に300年にわたってスペインの政治的な支配下に置かれるわけであったがその結果スペイン本国からはぞくぞくとスペイン人がメキシコの地にやってくるようになった。彼らはそこでは徹底的な支配者であり、アステカ文化はことごとく破壊され、その代わりにイベリア文化を中心としたヨーロッパ文化が次々と移植されていくことになった。ここにおいて征服者と被征服者という図式的な関係はいっそう明確なものとなり、1821年にメキシコがスペインより独立するまで300年の間メキシコ人はスペイン人の支配を受けることになったのである。そしてしばらくしてアシエンダ制という大土地所有制が確立し、主従関係はさらに強固なものとなった。アシエンダという大農場における主人はもちろん常にスペイン人であり、メキシコ人はそこで半農奴的な身分で半ば強制的な労働を従事させられることになった。そのような状況下で、メキシコ人は絶えず自分と支配者であったヨーロッパ人の間の絶大な差の認識を余儀なくされることになったのである。このようなアシエンダ制に基づく植民地時代を通じ、メキシコ人は常に被支配者という立場に立たされ続けざるを得なかった。そしてそのような状況下で必然的に、メキシコ人のスペイン人に対する劣等感が培われていくことになったといわれている。

 Samuel Ramosは『メキシコにおける人と文化の横顔』という本の中で「メキシコ人の性格を形成している特徴の全ては劣等感に対する反動の産物である。それは経済的に劣っているとか、知的にあるいは社会的に劣っているということから来るのではない。疑いもなく、それは自分がメキシコ人である問事実に由来するものである」と述べている。彼はメキシコ人の性格が劣等感に対する反動の産物であるとして、現代メキシコ人の行動様式やものの考え方などを主に劣等感という観点から理解しようとしている。そしてメキシコ人の劣等感の起源は他ならぬスペイン人による征服にあるとしている。以下に今まで述べてきた経過を図に表した。



征服前























征服後













































征服時、メキシコにわたったスペイン人は初期の頃はほとんどが男性であった。一方、混血が行われるにあたり、その主役となったのはメキシコ土着民の女性であった。したがって一般的に混血というのはスペイン人男性による力の征服によって推し進められたと考えることが普通である。そういう中で、メキシコ土着民の男性は全く無力であったといわれる。というよりは無力であることを余儀なくされたという方が正しいのかもしれない。その後、社会が比較的安定し、アシエンダ制に基づく植民地社会が確立するに至ってもメキシコ人のおかれた状況は征服時とたいして変わらず、メキシコ人男性は半農奴的な身分におかれ、そしてスペイン人である主人とメキシコ人女性という一種の三角関係が依然として存続したとされる。

 メキシコ人としての歴史の初期にこのような状況に強制的におかれた土着民あるいはメソティソの男性たちはメキシコ人研究者の多くが指摘するようにそのことが一つの精神的外傷体験となってのちのちの人間形成、さらには国民形成に大きく影響したものと考えることができる。もともと父親中心であったアステカ文化を、スペイン人による征服およびその後のアシエンダ制が弱体化したという見方がある。元来アステカの社会は父親中心、男性中心の社会であり、アステカ人は女性に対して劣等な立場に余儀なくさせたといわれる。例えばアルコールなどはもっぱら男性の飲むもので女性は飲むことを禁止されていた等のようにである。アステカ文化は父親中心の文化であり、男性や戦士たちの文化であったといわれる。ところが、スペイン人の征服により事情は一変しスペイン人征服者と、メキシコ人男性、及びメキシコ人女性という三者関係の中で、メキシコ人男性の権威は完全に失墜してしまった。メキシコ人の征服者に対する敗北は既存の父親中心・男性中心社会の崩壊、既存の価値観の崩壊を意味したのである。そしてアステカ王国征服によって、メキシコでは父親中心社会が崩壊し、男性中心・男性支配という状況は大きく変わらざるを得なくなった。すなわち、メキシコ人男性は自らを無力な人間と規定することを余儀なくされたのである。そして、その全てを失ったメキシコ人男性の保証として、男性側からの自己主張の必要性が生じるようになり、これがマチスモの始まりとなったのである。マチスモとは一言で言えば「男性性の叫びであり」男性性を脅迫的に志向することである。この現象はメキシコ人男性心理の一つの大きな特徴として、メキシコの精神分析学者や心理学者たちもしばしば問題にしているが、「メキシコ人男性は自分が「大変男性的だ」ということを表明する必要に迫られて生まれてくる」といわれている。そしてこのマチスモが女性に与える被害は非常に大きいものなのである。以下にマチスモ形成についての経緯を図で表し、その後詳しく述べることにする。

















・支配者への敗北

・父親中心・男性中心社会の崩壊

・既存の価値観の崩壊











 2-2.マチスモとは

マチスモとはイベリア半島の文化と伝統を受け継いだラテンアメリカ社会における男性優位主義の別名である。マチスモはラテン語の“Mascuius”に由来し、スペイン語で生物学的な「オス」を意味する“macho”(マチョ)から来ている。日本でもこれから派生した「マッチョ」という言葉が筋肉質でたくましい男性をさす場合に口語として使われている。男性が自分はmachoである、と言えば男らしい男であると言う意味で使われているが、machoと言う言葉は一般的に男性の性を誇示した意味合いが強い。端的に言えばmachoは多くの子供を持ち、勇敢で奔放に生きる男のイメージである。心理学的に言えばそれは自らの男性性に対する不安にその端を発するもので、不安を打ち消そうとするため逆に男性性を過度に追求することによって精神的安定を得ようとするものであるとされている。具体的には立派なひげを生やし、胸を張って堂々と歩き、家に戻ればソファーに座りこんで何事も妻に指図し、自分は全く動こうとしない、そして時には気にくわないことがあれば妻や子供にまで暴力を振るい、最悪の場合は家を棄てて出ていってしまうということもある。

メキシコでは「男性的でなければならない」といういわば暗黙の社会的前提が存在すると言われる。心理学者Rogelio Díaz-Guerrero はこのことを社会心理学的調査に基づいた結果として述べているが、メキシコの家族における大前提として、第一に父親の完全な優越、第二に母親の完璧な犠牲ということが挙げられるとしている。子供は「男の子でなければならない」とされ、男の子は特に甘やかされ、女の子は小さい時から、家事などを一人前にこなすようにしつけられる。かつて、産婆は男の子を取り上げると女の子の倍の料金を請求したとの例もあるぐらいである。

マチスモは必然的に男性優位をもたらす点は日本でいう男尊女卑的傾向をもたらすのと

重なる部分もあるが、メキシコの事情はさらに複雑である。例えば、子供は男の子でなければならないということで、息子が歓迎されるが一方でその息子は「父親以上に男性的であってはならない」のである。それは当の父親が自分以上に男性的である人間に対して不安を抱くため、そのような息子を歓迎しないからだという。



 2-3.マチスモの現われ方

マチスモはラテンアメリカ世界全般で見られるとされている。しかし、メキシコのメソティソ社会ではそれが顕著で中でも上流階級・中流階級よりも下層階級でより根強く残るとされている。下層階級では例えば、街中や市場で男同士のけんかになるとたいていは言葉によるののしり合いから始まるが時には暴力にまで発展することも少なくないらしい。この時、

当事者はもっぱら自らの力に訴え、男性性を誇示することによって相手を打ち負かそうとする。しかし、逆に相手に女性性を付与することによって、相対的に自分の男性性を際立たせるという方法が取られることもある。その方法は例えば、“Puto”というPuta(売春婦)から派生した言葉の男性名詞で応酬するなどである。このように下層階級のマチスモは外から見て非常に分かりやすい。ところが上・中流階級などでは一般にマチスモを否定的に見ているため、たいていは自らのマチスモを隠そうとするのである。しかし彼らの間にもマチスモ文化が見られるのは事実であり、一般的に彼らのマチスモは非常にデリケートな形で表出されることが多く、角川氏はこれを”Machismo Sofisticado”と呼び、これは表明している本人自身気付かないという特徴を持っていると位置づけ、下層階級で見られる顕著なマチスモと区別している。

さらに、もう一つマチスモからくるメキシコ社会における特徴は父親不在である。精神分析学者Santiago Ramírezはメキシコの家族の実に四分の一は父親がいないか、いてもたまにしか帰ってこず、実際はいないに等しいといっている。メキシコでは法律上の結婚、あるいは宗教上の結婚以外の婚姻形態で夫婦が結ばれているという場合が少なくなく、このような場合は婚姻統計には現れない。つまり離婚として表面に出てこない離婚がメキシコでは少なくないのである。

メキシコでは結果的に母子家庭が多いことになるが、これはメキシコに限らずカリブ海地域やアメリカの黒人社会の一つの特徴であるという見方もある。なお、父親が家族を放棄する時期は、その70%が妻の妊娠の時期と一致しており、残りのうち20%は生まれた子供が満一歳に達する前に父親が家を出るという。父親が家を出ることにより、母親中心の家庭という点が強調されるが父親がたとえ家にいたとしても、子供が産まれるとその態度はがらりと変わるといわれている。父親は自分と妻との間に距離を置くようにあり、時には攻撃的となったり権威主義的になったりする。

以上をまとめるとメキシコ家庭の状況を一言で言うと父親不在、母親過剰、子供過剰であるとされるが母親過剰であることによって息子は父親と同一化することを阻害され、必然的に男性性を身につける機会が充分ないままに成長することになる。その結果いわば二次的に男性性の脅迫的志向という「マチスモ」の傾向がもたらされ、ここに一つの悪循環が生じるわけである。父親は自らの不安により家庭を放棄するが、その結果残された子供は男性性を身に付けることができず、いずれは男性性の不安という状況に直面し、さらにはそれがマチスモを形成するに至るのである。

最後に男性の優位性を示していると思われる、メキシコで使われる表現についても注目してみる。メキシコでは「パドレ」(父親)と「マドレ」(母親)という言葉があるが使用頻度が「パドレ」の方が圧倒的に多いことと、使われ方にも男女間に差があるように思われるということが指摘できる。例えば、「素晴らしい!」という時に“Qué padre!”という表現を用いる。直訳すれば「なんという父だ!」というニュアンスになるであろう。一方、母親にあたる「マドレ」は、「なんてこった!」という時に”Madre mía!”という表現がよく使われる。こちらは直訳すれば「私の母親!」となるであろう。また、両親を指す場合も父親を意味する「パドレ」を複数の形にした「パドレス」という言葉で表現されるのである。ここにも男性優位社会が反映されているのではないかと思われる。

<終章>

ラテンアメリカ世界には矛盾があるといわれている。というのは帰る家もなく、路上をさまよう子供たちがいたり、かろうじて雨をしのぐ家はあっても電気どころか給水設備もないスラムの生活を強いられていたり、さらにはその日の食糧にも事欠き、施しを乞う人だけの人もいる一方で、広大な土地と豪勢な邸宅を何ヶ所にも持ち、自家用飛行機で屋敷内や農園などを見回り、普段は英語やフランス語の小説を読み、休日にはヨーロッパへ旅行に行ってみるといった生活をしている半端ではない金持ちが存在しているという事実があるからである。すなわちこれがラテンアメリカの姿なのである。

そのようなラテンアメリカ世界の中で、近年の女性の目覚しい社会進出は話題を呼んでいる。しかし、それはやはり一握りの富裕層の女性による活躍であって、いまだに全女性に同じような機会が与えられているとは言い難い。そういった貧富の格差の広いラテンアメリカ社会を考える際に、私はマチスモという文化に注目していかにすればその格差が縮まるか、その解決策を見出せればよいと思い、まずはマチスモの始まりから現代に至るまでの実際を調べてみたつもりである。

その結果、男女共にマチスモ文化を否定的に考える上流・中流階級では当然ながら、男女間の差別も少ないし、それだけ女性が世界に出て活躍できる機会も多く提供されている。ところが、マチスモ文化が伝統的に根強く残る農村を中心とした下層階級では依然として女性の地位は低く、社会参加の機会がないどころか夫や他の男性による暴力の吐き口となっているケースも多い。彼女らは貧困と女性であるということの二重の差別を受けて苦しんでいるのである。このような女性の地位が守られるためにはこれから先、女性自身はもとより、男性の、マチスモという文化に対する意志改革が必然的に必要となってくる。また、女性の中でも特に下層階級に位置する女性の人権や平等な機会が保障されるような実効性のある法体系及び政策が必要となってくることは確実である。加えて、確かにラテンアメリカの女性をめぐる環境及び本人自体の考え方が変化しつつある現代ではあるが、長い歴史過程で形成された女性の社会的地位や女性に関する通念を変えるには今後もそれと同じだけの長い時間と努力が必要であろうことを常に念頭においておくべきである。

<おわりに>

冒頭でも説明したのだが、私はこの研究を通して最終的にはラテンアメリカに住む女性の生活向上を目指す政策提言をしたいと思っている。しかし、その前にまずその地域の女性に関わる文化的背景を捉える必要があると思い、今回はマチスモ研究に焦点を当てたわけであるのだが、文化というものは具体性がなく、表面的には理解できたと思えてもやはりそれはその地域で実際に暮らしてみないと分からなかったり、日本人である私とマチスモに関して言えばメキシコ人である彼女らとの考え方には根本的な考え方にずれが生じている可能性だってあるわけで、正確な理解は非常に難しいことを改めて痛感した。また、マチスモ形成までのメキシコ人の征服者に対する敗北やそこから来る劣等感に関しては多くの研究者や心理学者がそのように述べているにしてもこの見方は若干ヨーロッパ側よりの気がしないわけでもない。実際、このことを張本人であるメキシコ人に聞いてみると、そんなでたらめを言うなと全く反対するわけである。この部分においても文化の捉え方の難しさにぶつかるのである。

文化の研究というのは個人的心情が影響されやすいように思う。そのような意味でもやはり実際にその文化を肌で感じ、実体験のもとで研究を進めるという手段が必要となると思う。今後この研究を進めていく際に現地にいって実際に生活を経験してみるとか、その地域にいたことのある人の話を聞いてみるとか、なるべくその地域にいる人に近い視点から眺めて問題を考えていくことが重要であることを改めて感じた。



<参考文献>

『ラテンアメリカ 人と社会』 中川文雄 三田千代子 株式会社新評論 1995

『ラテンアメリカの新しい風』 大串和雄 同文館出版株式会社 1995

『メキシコ人』 パトリック・オスター 株式会社晶文社 1992

『ラテンアメリカ 家族と社会』 三田千代子 奥山恭子 株式会社新評論 1992

『ラテンアメリカ 社会と女性』 国本伊代 乗浩子 株式会社新評論 1985

『性と生殖に関する権利』 リード・ボーランド 明石書店 1997


1


http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=6800323&id=1941798950
ラテンアメリカのマチスモ(男性優位主義)2015年05月06日11:38全体に公開 みんなの日記 757 view.

ラテンアメリカのマチスモ(男性優位主義)
女性蔑視 女性に対する性差別
ラテンアメリカでは、女性が殴り殺されるDV事件が多発している。
マッチョな男性が好まれる。暴力をふるう事でマッチョをアピール。
胸毛やすね毛は濃い程良いとされている。

ラテンアメリカでは、男は男らしく、女は女らしくが求められる。
子どもの頃から男子は外でサッカー、女子はあまり外では遊ばない傾向がある。

ゴリゴリのキリスト教徒。
キリスト教会が中絶を認めていない。
政教分離ができていない。
国庫からカトリック教会にカネが出ている。
学校教育が不十分なので、教会が教育を補っている。
社会福祉が不備なので、教会が補っている。

宣教師は侵略者の先兵としての働きをした。
キリスト教会は植民地支配に積極的に加担した。
現在もキリスト教会の支配力が強い。

愛国教育と偏った宗教教育を受けているので、無駄に愛国心が強い。
ラテンアメリカ人は、他国や外国人を侮辱して下げて、自分たちが上だと主張する。

スペイン白人は新大陸を侵略して、先住民(黄色人種)を征服して奴隷にした。
過酷な労働とヨーロッパから持ち込まれた伝染病で先住民は死んだ。
不足した労働力を補う為に、奴隷運搬船でアフリカから黒人を輸送した。

スペインが新大陸と侵略した当時は、航海技術や造船技術が大西洋を横断するには不完全だったので、危険を伴う冒険的な航海だった。
白人移民は男性が多かった。
侵略者は征服者(コンキスタドール)を自称して、奴隷に子どもを産ませた。
ラテンアメリカ人の多くは奴隷の母親から産まれた奴隷の子孫。
少しでも白人の血が混ざっていると、白人意識が強い。

白人至上主義の人種差別主義者(レイシスト)

日本人などのアジアの黄色人種に対して、根拠の無い優越感と強い差別心を持っている。
「日本人は顔が中国人と似ているから同じだ。」とされて、「チーノ・コチーノ(汚い中国人)」と言われる。

ラテンアメリカは、治安が悪く犯罪が多い。スリ、置き引き、ひったくりが多いだけでなく強盗が多いので怖い。

ラテンアメリカの後進性が起こした事件だ。


■10歳少女暴行され?妊娠 中絶禁止のパラグアイで波紋
(朝日新聞デジタル - 05月06日 09:29)
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ラテンアメリカ・カリブ研究 第 12 号: 25–34 頁. cO2005

〔研究動向〕

マチスモを通して見るラテンアメリカ・フェミニズム

―メキシコを足がかりに―

林 和宏 (Kazuhiro Hayashi)

メキシコ国立自治大学大学院

「問題」としてのマチスモ

現在、首都メキシコ・シティ南部に位置する

メキシコ国立自治大学ラテンアメリカ研究大学

院に籍をおいている。メキシコの男性優位文化

として知られる「マチスモ」を研究するという

日本の一学生に対して、この社会は様々な事例

を提起し続けてくれる。無論、そのマチスモに

対する視点はそれを経験する各人にとって主観

的なものであり、ひとくくりにはできない。し

かし、興味深いのは、一度その話を始めるや、そ

のマチスモというタームを媒介として個々人の

私的な経験がそれぞれ固有のやり方で描き出さ

れていくというところである。つまり、それが

怒りをもたらすものか、あるいは、あるべき男

性像を描き出す肯定的な議論であるかなどは別

として、マチスモはメキシコで、今日において

も語られ、実体のある「何か」として生きられ

ている。アカデミックな文脈においても、2004

年 6 月にはメキシコ・プエブラ州のプエブラ州

立大学を中心に「第 1 回男性研究に関する国際

会議」が開催され、とりわけラテンアメリカ各

国より多くの参加者を集め、「男らしさ」の現在

が議論されている

1



昨年本誌(第 11 号)においてマチスモにま

つわる議論を整理し、それが国民文化という文

脈においてどのように言説化されているのかを

追ってみた。そこで同時に見たのは、このよう

な文脈において、メキシコ固有の「文化」とし

てマチスモが描きだされていることである。し

かし、こちらのアカデミズムに所属し、ラテン

アメリカ諸国のジェンダー研究者やフェミニス

トと交流するうちに、この「マチスモ」なる用

語がメキシコという一国家にとどまるものでは

ないことを再認識させられ、ラテンアメリカ諸

国においてマチスモという実体を持った「敵」

が域内のフェミニストに連帯のための土台を提

供していることにも気づかされた

2



指導教官の薦めで参加した国際フェミニズム

1 プエブラ州立自治大学にて 2004 年 6 月 23 日より 4

日間開催された Primer Coloquio Internacional de la Inves-

tigación de las Masculinidades, 私は “La constructividad...

¿Para quién?” と題して発表した。

2 林和宏「揺らぐマチスモ―「転換期」メキシコにおける

男性アイデンティティ」(『ラテンアメリカ・カリブ研究』

第 11 号、2004 年、つくばラテンアメリカ・カリブ研究会)



Page 2

26

林和宏

講習会などもラテンアメリカのフェミニストに

共有されるマチスモの諸相に接近する良い機会

であった。スペインを含むスペイン語圏諸国か

ら参加した講師によって告発されたのは、アカ

デミズム、家庭、国際開発といった個別の現場

においてそれぞれ存在するマチスモであった。

また、こうしたグローバルなコンテクストにお

けるマチスモの配置に興味をもったのは、自ら

の関心でもあるチカーナ・フェミニズムによる

ところも大きい。アメリカ合衆国という場にお

いても、メキシコ系の女性移民の生活を大きく

規定したのがマチスモという「メキシコ文化」

であったことを知ったときにこうした関心は拡

大した。本稿では、マチスモという変数を媒介

に垣間見たラテンアメリカ・フェミニズムの諸

相を描き出してみたい。

多様性としてのラテンアメリカ

メキシコの社会学者エステラ・セレッは「21

世紀に向けてのメキシコのフェミニズム」にお

いて、何ものか新しい代替案のように頻繁に使用

されるジェンダーの平等にまつわる言語が果た

して公共政治の場面においていかなる効用を持

ちえるのかを論じている。こうしたジェンダー

概念は誰に普及しているのか、どのような人々

に共有されているのであろうか。より簡潔に言

うならば、それは果たして「女性」すべてに共

有されるものなのであろうか。

そうした問題点を実感させられたのが、2004

年 12月 8 日から 10日までメキシコ・ミチョアカ

ン州の州都モレリアにて開催された「第一回公共

政治と文化的多様性にまつわる全国会議―エス

ニシティとジェンダー (1er Congreso Nacional

de políticas públicas y diversidad cultural: etnia

y género)」であった。上のディプロマドでいつ

も「メキシコのアカデミズムのフェミニストな

んて特権階級のフレサばかりだから」などと嘯

き、「労働者階級」や「インディオ」の女性の

現状こそが知りたいなどと言い、まわりを困ら

せる「先進国」の人類学者を苦笑ながらに会議

に誘ってくれたのはミチョアカン州立女性研究

所 (Instituto Michoacano de la Mujer) の教員で

あった。「発表したかったら要旨とあなたのデー

タを研究所の方に送って、発表前までには原稿

を提出して」などといいながら手渡してくれた

パンフレットが謳う会議の目標は以下のような

ものである。

・エスニシティの視点からジェンダーの諸関係

に関する分析と考察を促進する。

・エスニックな差異に敏感なジェンダーの視点

を公共政治に導入する緊急性を熟考する。

・多文化的な文脈を、女性に対する公共政治の導

入に際して当てはめていくことを分析する。

・政治、社会そして理論的な環境における多文

化的な文脈に配慮するジェンダーのパースペ

クティブから、公共政治を導入する必要性に

対する熟考を促進する。

具体的にここでの「多文化」を具現化するの

が、プレペチャと呼ばれるミチョアカン州を中

心に居住するエスニック集団であるが、その他

にも、コスタリカ、パナマから参加した黒人系

ラテンアメリカ女性や、ドイツ系カナダ人女性

によるユダヤ系に関する議論、モロッコ男性と

結婚したスペイン女性によるイスラムに対する

ステレオタイプ批判という発表が見られた。

会議はミチョアカン州立女性研究所を中心と

する州政府の各機関により開催された。研究所

の助成により招かれた多くの発表者に混じって、

プレペチャ女性の参加者およびその家族が、市

のソカロ(中央広場)に面した瀟洒な「アラメ

ダ・ホテル」に滞在し、期間中はそこから会場と



Page 3

マチスモを通して見るラテンアメリカ・フェミニズム

27

なる州政府迎賓館へと送迎バスで足を運んだ。

とりわけ目に付いたのは、政府関係者あるいは

発表者のパリッとしたスーツ姿と独特の民族衣

装に身を包んだプレペチャ女性のコントラスト

であった。それを際立たせたのが、観光化され

たコロニアルな教会の風景であり、クリスマス

前のデコレーションであり、欧風なホテルの内

装であった。しかし、そこで見受けられたのは

外見の差異に留まらず、ジェンダーやフェミニ

ズムといった概念に対する姿勢でもあったよう

にも思われる。

メキシコをはじめとするラテンアメリカ地域

では階級やエスニシティが教育へのアクセスを

強く規定する。また、植民地主義に起因するスペ

イン語支配は教育や公共政治の空間を透明な形

で支配してきた。「ミチョアカン会議」における

ひとつのエピソードを紹介しよう。会場となっ

たミチョアカン州政府迎賓館入り口では、プレペ

チャ―スペイン語の同時通訳のためのイヤホー

ンが準備され、入場する観衆に配られていた。

しかしながら、現実的には発表のすべてがスペ

イン語によってなされたため、実質その機能を

果たすことはなかった。やがて、通訳の存在を

十分に意識していたプレペチャ共同体からの女

性のプレペチャ語による質問によって事態は急

変する。イヤホーンを着用していたのはプレペ

チャの参加者のみで、その質問者の発言が理解

不能なため会場はざわついた。通訳が「我々は

きちんと通訳している。イヤホーンをしていな

いのはあなたたちではないのか。」と叫ぶ。「当

たり前」に使用することが可能であると考えら

れるスペイン語という媒体があくまで複数ある

言語のひとつである、という事実が顕わになる

瞬間。皮肉にも、マイクロフォンを通じた再度

の通訳は以下のように始まる。「スペイン語しか

解さないあなたたちに、プレペチャで話すのは

どうかとも思うが、私はこの言語に誇りを持って

いるので、これで質問をさせて頂きます」。穿っ

た見方をするならば、そこで同時に明るみにで

たのは、女性の間に共通に存在すると想定され

る「問題」を語ることの困難であり、西欧出自

のフェミニズム(およびそれへのアクセスを可

能とするアカデミズムという特権的地位)と先

住民共同体における現実との間の関係なのかも

知れない。

ペルーのフェミニスト、ビルヒニア・バルガ

スがその論考「ラテンアメリカにおけるアカデ

ミアとフェミニスト運動」

3

において論じるよう

に、70 年代の左翼運動の潮流内部において醸成

されてきたラテンアメリカのフェミニズム運動

においては、フェミニズムを言説化する役割を

担うアカデミズムと、それを「応用」する「現

場」であることが期待される運動との乖離が見

られたという。そこでは、ラテンアメリカ女性

が生きる現実に立脚しないアカデミズムの知と、

イデオロギー的・ラディカルに過ぎ、「非科学

的」な運動の中でのフェミニズムが対立関係に

あった。こうした乖離は、例えば、別のプレペ

チャ女性による次のような批判に見るように、

現実問題としてこの地域に影を落としている。

「我々は豪華なホテルや、無料の食事に釣られ

てやってきたのではない。我々は共同体に現に

起こっている問題を告発するためにやってきて

いるのだ」。自らを「闘士 (luchadora)」と定義

する彼女の主張は、会議の中でお飾り的な存在

を期待されたプレペチャ側からの、アカデミズ

ムや、政府機関への批判でもあったのだ。

3 Vargas, Virginia, “Academia and the Feminist Move-

ment in Latin America”, in Making Connections: Womens

Studies, Womens Movements, Womens Lives. Taylor & Fran-

cis, 1993, p.148



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28

林和宏

対立する差異?

私の発表は、「エスニシティそれともジェン

ダー? エスニシティとジェンダー!!―チカー

ナの経験より (¿Étnia o Género?... ¡Étnia y

Género!!: De la experiencia chicana)」と題し、

チカーナ・フェミニズムについて論じた。そこ

での焦点は、60 年代後半、黒人公民権運動の影

響を受け活発化したチカーノ運動における男性

主義の問題である。自らの地を持たない「根無

し草」と定義される米国におけるメキシコ系。

彼らのアイデンティティを支えたのは、自らの

ルーツを保証する単線的な歴史や均質的な文化

の再創造であった。そこでは、バリオへと結び

つく「メキシコ」そして「アステカ」が戦略的

に流用される。こうした中で同時に彼らに採用

されたのは、典型的な「メキシコ文化」のひと

つとして語られる「マチスモ」という男性文化

であった。通常、否定的に語られるこの男性性

は、こうした運動というコンテクストにおいて

は差別的なアングロ社会に立ち向かう「強き男」

の象徴として読み返される。同時にここで想定

されたのは、マチョのアイデンティティを裏支

えするステレオタイプ的な女性像である。つま

り、「伝統文化」や「慣習」といった修辞は運動

内部の女性を家父長的な姿勢で管理するという

意味合いにおいてチカーナ・フェミニストから

の批判を受ける。

ここで重要なのは、こうした運動におけるフェ

ミニストが直面したジレンマである。運動を主

導する男性指導者からフェミニストたちはエス

ノ・ナショナリズムの均一性を分断する「裏切

り者(=マリンチェ)」と糾弾されることになる。

この他にも、Agabachadas や Agringadas(米国

人の蔑称である「ガバチョ」や「グリンゴ」化し

た女性を指す)、あるいは、男性嫌いの「レズビ

アン」などといった名前がフェミニストに宛が

われた。ここに見るのは文字通り「マチョ」よ

り「ガバチョ」を優先課題とする、つまりジェ

ンダーの問題をエスニシティの問題の後に解決

されるべきとする論理である。エスニシティか

ジェンダーか、というまさしく二者択一式の問

題提起にしか繋がらなかったのである

4



チカーナのような議論はその「異種混淆」な有

り様から、昨今メキシコにおいても盛んなポス

トモダニズムやカルチュラル・スタディーズの

主張であるとされる反本質主義などへの関心に

も後押しされて、アカデミックな発表において

は「受ける」テーマであるように思われる。すで

に言及したディプロマドにおいても、ジュディ

ス・バトラーの構築物としてのセックスやダナ・

ハラウェイの言説の個別性を示唆する「位置付

けられた知」といった議論は、女性の本質を批

判し、自然と目されるその差異があくまで社会

的・文化的な出来事であることを説明するに際

して盛んに流用されている。例えば、同ディプ

ロマドの講師であるマルセラ・ラガルデ

5

はラテ

ンアメリカ女性のアイデンティティを、言語や

宗教あるいは政治の同質性を超え出るシンクレ

ティズム (sincretismo)、多様性 (diversidad) そ

して変容 (transición) というキータームから定

義している。また、その著作がディプロマドの

テクストの一つとして採択されており、メキシ

コにおけるフェミニズムの代表的論客として知

られるラマスも、フェミニズムが女性・男性の

実践が生物学的本質に起因するものではなく、

4 この議論に関しては、別のところで、林和宏「戦略と

してのマチスモ―チカーノ運動と交渉される「男らしさ」」

(『京都ラテンアメリカ研究所紀要』第 4 号、2004 年、京

都外国語大学) として整理している。

5 Lagarde, Marcela, “Claves identitarias de las lati-

noamericanas en el umbral del milenio”, Ana Maria Portugal

and Carmen Torres (ed.), El Siglo de las Mujeres, Isis Inter-

nacional Edicones de las Mujeres, No. 28, 1999.



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マチスモを通して見るラテンアメリカ・フェミニズム

29

言語や表象の秩序に帰属する極めて文化的な出

来事であることを暴露したことを評価しつつ、

ジェンダー概念の発明の功績を女性の脱本質化

に求めている

6



とりわけ、こうしたフェミニストの中で最近、

サパティスタ民族解放軍 (EZLN) や先住民問題、

ポストモダンあるいは多文化主義などといった

キーワードを駆使し、メキシコの様々な媒体に

おいて発言を増やしている一人がエルナンデス・

カスティージョである。今年(2004 年)一年で

も、師にあたるレナート・ロサルド、メアリー・

ルイーズ・プラットや、チャンドラ・モハンティ

を勤務先の「社会人類学高等研究所 (CIESAS)」

に招くなどその姿勢は、いわゆる「第三世界フェ

ミニズム」と呼ばれる理論動向と明確に共振し

ている。例えば、その「ポストモダニズムとフェ

ミニズム」と題された論考で、彼女はその議論

をチカーナ・フェミニストの代表的論客である

グロリア・アンサルドゥーアのそのあまりに知

られたフレーズ「なぜなら、私は同時にすべて

の文化の中にいる、、、」から出発している。そ

して、その本質主義批判の一環は具体的に先ほ

どの会議の焦点でもあるプレペチャのアイデン

ティティ論議へも向かう。そこで引かれるのは、

例えば、以下のような共同体の男性指導者の発

言である。

我々は宣言する。彼の名のもと、彼の言葉に

より。我々の褐色の心奥深くに古より播種さ

れた真の言葉で、尊厳と尊敬を持って我々が

6 Lamas, Marta, “Cultura, género y epistemología”, in

Valenzuela Arce, José Manuel (coord.), Los estudios cultur-

ales en México, Conaculta-Fonca, 2003, p.332-333. 本書に

関しては、昨年本誌書評において紹介している。メキシコ

のカルチュラル・スタディーズの現在を多角的に解説した

もので、今日のメキシコにおけるジェンダー研究に影響を

与える思想の動向を知る上でも参考となる。なお、筆者は

他に、同国のカルチュラル・スタディーズを歴史的な流れ

の中に配置し、分析する論考を現在準備中である。

どのような民であるか、を。我々が「我々の

民はこのようである」と言うとき、それは、

我々の血の中に、身体の中に、そして皮膚の

中に、歴史を通じて、すべての希望そして英

知、文化、言語、アイデンティティを持って

いるからである。そしてそれらは、すべての

根、樹液、茎、花そして種子を通じて我々の

父と母が我々に委ねたものである。決して忘

れ去られ、喪失しないように、彼らは我々の

脳裏に、そして心に種を撒きたかったのであ



7



以上の引用は、2001 年 3 月 2 日から 4 日に

かけてミチョアカン州ヌリオにて開催された

第 3 回全国先住民会議 (El Congreso Nacional

Indígena) におけるプレペチャのリーダー、フア

ン・チャべスの発言で、同年 3 月 12 日のホル

ナダ―モレロス誌に掲載されたものである。こ

こでは彼(チャべス)の言葉はプレペチャの民

のそれを代表するものであり、それがすべての

民の意思を宣言するものであることが仮託され

ている。エルナンデスは、この詩的にすら響く

この発言にも生物学決定論的な修辞が寄生して

いることを指摘し、これが複数のアイデンティ

ティや文化的混淆性の獲得の阻害となっている

ことを指弾する。同時に、そこでは均質な「女

性」の名のもとに、こうした男性主義を批判する

アングロ・フェミニズム内部での人種主義も俎

上に乗せられる。彼女も言うように、インディ

ヘナの女性は都市のフェミニストの言説により

構築された「女性」というカテゴリーに疑問を

付しているのである

8

。ラテンアメリカ、ここで

7 Hernández Castillo, R. Aida, “Entre el etnocentrismo

feminista y el esencialismo étnico. Las mujeres indígenas

y sus demandas de género”, in Deabate Feminista, Año 12,

Vol. 24, Oct 2001, p.216.

8 Hernández Castillo, R. Aida, ibid, p.219.



Page 6

30

林和宏

は、とりわけメキシコにおいてもフェミニズム

にそうした差異に対する意識が以前から存在し

なかったわけではないが、西欧中心主義的でド

ミナントなアカデミズムのフェミニズムによっ

て蔑ろにされてしまう。インディヘナのフェミ

ニズムは、このようにして、都市フェミニズム

のエスノセントリズムとエスニックな本質主義

とに同時に対抗する la doble militancia に従事

することを宿命付けられてきた。エルナンデス

は、こうしたフェミニズムの「ホモフォビア」

(バトラーよりの引用)の再検討が開始される

のが、インディヘナ集団からのフェミニズムの

発露であり、かかる問題意識を分節化すること

を可能にした大きなイベントのひとつとして、

1994 年のサパティスタの蜂起をあげる

9



もちろん、発表者として参加した「ミチョアカ

ン会議」およびその他の会議において、私が表現

しようとしたのは、単なるジェンダー・アイデン

ティティの多様性ではないし、インディヘナの

女性によって提唱されるフェミニズムを、都市

のそれに代替させようということでもない。ま

た、「差別的なグリンゴの社会で使用される戦略

的な本質主義としてのマチスモくらい大目に見

てよ」というものでももちろんない。こうした

会議やディプロマドなどを通して経験するラテ

ンアメリカ女性内部の多様性、異種混淆性と同時

に、対照的ともいえるような、「我々 (nosotras)」

意識、汎地域的な「マチスモ」への抗議が混在

する「ラテンアメリカ・フェミニズム」の対話

のプロセスに、見てきたような二者択一を乗り

越えるような可能性を見出したいのである。

9 Hernández Castillo, R. Aida, “Posmodernismo y fem-

inismo: diálogos, coincidencias y resistencias”, in De-

sacatos, Núm. 13, invierno, 2003, pp 118-120.

想像の「ラテンアメリカ・フェミニスト」共同体

ヒメナ・ブンステルは、ラテンアメリカに見

られる男性性に対する信仰であるマチスモを、

「グローバルな家父長制におけるラテンアメリカ

的な表明」

10

と定義している。ここに見るのは、

汎地域的な男性主義「マチスモ」の存在である。

無論、ここで私が強調したいのは「どうせ男な

んて」という普遍的な男性支配の問題ではなく

(メキシコで私のような外国人がマチスモにつ

いて発言するとき必ず質問されるのが、「お前

の国にもあるんだろ?」という問いである)、ス

ペイン語話者が「マチスモ」に持つであろう言

語への関心である

11



80 年代に入ってラテンアメリカにおいては、

女性をめぐる環境が大きく変容した。例えば、

国本はそれを、(1) 経済危機による(インフォー

マル・セクターも含む)女性の社会進出の活発

化、(2) 政治の民主化に随伴する女性運動の可視

化、および (3) グローバル化の 3 点から特徴付

けている。とりわけ第 3 点と密接なかかわりを

持ち、ラテンアメリカ社会をも包囲した IMF・

世界銀行を主導とする構造調整政策は、社会階

層間、都市―農村間、民族間の格差を作り出し、

あわせて貧困の女性化を招来することに帰結し



12



10 Bunster, Ximena, “La tortura de prisioneras políti-

cas: un estudio de esclavitud sexual femenina”, Portugal,

Ana Maria, “Que es ser feminista en América Latina”, in

Movimiento Feminista: Balance y Perspectiva, ISIS interna-

cional, 1986, p. 13 よりの引用。

11 例えば、愛知県豊田市のペルー人コミュニティの家族

を分析の対象とした学生(ペルー人)から、ある日本人と

結婚したペルー女性が日本人男性を「マチョ」と呼んでい

る事実を聞いたことがある。ここでこの女性が「マチスモ」

という言葉をつかって表現しようとしたものは果たして、

いわゆる日本語での「家父長制」などと同義なのでろうか。

それの含み持つコノテーションを理解することは、両文化

の間に介在する差異を理解することに等しいと考える。言

語に照準するということはこういう意味合いにおいてであ

る。

12 国本伊代「序章  20 世紀最後の四半世紀の変化をめ

ぐって」国本編『ラテンアメリカの新しい社会と女性』新



Page 7

マチスモを通して見るラテンアメリカ・フェミニズム

31

70 年代のいわゆる「新しい社会運動」の文脈

で、ラテンアメリカのフェミニズムは盛り上が

りを見せるが、彼女らが糾弾したのは人権弾圧

を省みない権威主義体制と、それを批判する左

翼運動の中に存在する「マチョなレーニスト」

(Sternbach et al, 1992) であった。国家安全保

障や開発を至上命題とする前者の言説において

は、西欧キリスト教的家族観が流用され、「家長」

としての男性/再生産機能を担う女性、といっ

た伝統的な性役割が強調される。その他方で、

「マチョなレーニスト」から、フェミニストは西

洋の理論に洗脳されたプチブルジョアで、個人

の自己実現に専心し、ラテンアメリカの現実を

無視する少数派と批判された。先にあるべきは

社会主義を通した解放であり、それが成就した

暁に女性への抑圧が解決されるという論理が優

位であった。例えば、チリにおけるサルバドー

ル・アジェンデ政権を批判した右派の女性組織

(Poder Femenino) が、「フェミニスト運動」で

ある、と左派に理解されたのもこうした文脈に

おいてであった。つまり、女性の解放の名のも

とに国を売る「帝国主義の手先」として考えら

れたのである

13

。同様に、右派やカトリック教

会といった勢力からは、国民文化やキリスト教

的家族道徳などを侵害するものとしてフェミニ

スト達は批判の矢面に立たされることになる。

「マチョなレーニスト」にとって、フェミニスト

には善悪 2 つの種類しか存在しない。善きフェ

ミニストとは、階級闘争の中で正しき位置付け

を認識し、革命の推進に協力するもので、悪し

きフェミニストとは、移植されたブルジョア思

想、イデオロギー的帝国主義に従属し、階級闘

評論、2000 年、26-27 頁.

13 Sternbach et al, 1992, “Feminisms in Latin America:

From Bogota to San Bernardo”, in Signs: Journal of Women

in Culture and Society, 17 (2), 1992, p.394.

争を分断するものであった

14



また、域内に共通の別の問題意識としては、

ラテンアメリカが直面する帝国主義との対峙と

いう意識がある。ラテンアメリカ・フェミニズ

ムは、その運動を大陸における帝国主義に対す

る闘争の一部とみなしている。彼女らにとって

各国固有の問題とともに重要なのは、いかに女

性の健康・衛生にまつわる基準や人口政策が、

一部の国際機関や多国籍企業の論理に支配され

ているのか、という部分であった。そのような

「マチスモ」の文化、新たな植民地主義の問題を

共有するラテンアメリカ・カリブ地域で、フェ

ミニスト達の意見交換がなされるようになる契

機が、1981 年 7 月コロンビア・ボゴタで開催さ

れた『第 1 回ラテンアメリカ・カリブ・フェミ

ニスト集会 (El Primer Encuentro Feminista de

Latinoamérica y el Caribe)』である。ラテンア

メリカ全域から 200 名もの参加者を見たこの集

会は、1979 年よりベネズエラのグループ「共謀

(La Conjura)」により提唱され、コロンビアの

女性グループとの連携により実現を見ることに

なった。ナバロの報告が言うように、同地域の

フェミニスト運動は大きく左派政党とのつなが

りを保っており、多くは自らを「社会主義フェ

ミニスト」と定義していた。しかし、こうした

運動の中で明らかになったことは、フェミニス

トであることと、同時に左翼政党活動に従事す

ること、という二重のコミットメント (la doble

militancia) は、自己矛盾に直面するという事実

である。つまり、民族の解放を志向するはずの

左翼政党が持つ性差別的・マチスタ的性格がフェ

ミニストの性の解放と相容れないものと考えら

れたのだ

15

。そういう理由から、80 年代の集会

14 Ibid, p.402-403.

15 Navarro, Marysa, “First Feminist Meeting of Latin

American and the Caribbean”, in Signs: Journal of Women

in Culture and Society, 8 (1), 1982. p.156.



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32

林和宏

においては、「自律性 (autonomía)」の問題がそ

の焦点となる。

この『集会』は、この 81 年を皮切りに、83

年のリマ(ペルー)、85 年のベルティオガ(ブ

ラジル)、87 年タスコ(メキシコ)、90 年サン・

ベルナルド(アルゼンチン)、93 年コスタ・デ

ル・ソル(エル・サルバドル)、96 年カルタヘナ

(チリ)、99 年のフアン・ドリオ(ドミニカ共和

国)、2002 年プラジャ・タンボール(コスタリ

カ)、そして 10 回目を迎えるこの集会は 2005

年 10 月にサンパウロ(ブラジル)での開催が

予定されている。第 2 回の集会ではすでに 600

名の参加と 3 倍増を見、今回(10 回)も、主催

者側は 1500 人から 2000 人規模の参加者を見

込んでいるが、そこからもこの集会の発展・注

目度が窺われる。

ソニア・アルバレスは、この『集会』がラテン

アメリカ地域にもたらしたリージョナルなフェ

ミニストの政治的アイデンティティの確立、共

有のフェミニスト「文法」の設定や、ブルジョア

で帝国主義的な欧米のフェミニズムとは異なる

フェミニズムの台頭、を評価している。彼女も

言うように、ローカルな運動は 2 つの大きな理由

から国民国家という枠組みを越えたトランスナ

ショナルな連携を模索する。そのひとつが、周

縁化されたグループのアイデンティティを(再)

主張し、その共有に向けた連帯を志向すること

であり、もうひとつの理由が、そうしたひとつ

上の次元を経由することによって得られる影響

力の、ローカルな文脈への「ブーメラン」効果で

ある。焦点となるのは、従来グローバル→リー

ジョナル→ローカルといった具合に、トップダ

ウン的に浸透するものと考えられる女性政策の

ありようがあくまでリージョナル、ローカルな

段階で「翻訳」されているという事実である。

また、こうした集会のメリットは、とりわけ、ホ

ストとなる国においてフェミニズムの可視化を

促進する役割を果たすとともに、そのローテー

ションは各地域固有の問題をリージョナル、グ

ローバルな問題関心とつき合わせて検討するこ

とを可能にする。それにあわせて、この集会は、

その効果として、レズビアンや黒人女性などの

個別のアイデンティティ・ベースのネットワー

クを生み出し、運動内部のルートを複雑化し、

豊穣なものにしていくのである。集会を通して

醸成される、域内の反男性主義/排他的ナショ

ナリズムを基礎とする「ラテンアメリカの女性

である」という帰属感を、アルバレスらは B・ア

ンダーソンを捩って「想像のラテンアメリカ・

フェミニスト共同体」と呼んでいる。そこに見

るのは、輻輳する多様なアイデンティティと「ラ

テンアメリカ性」とが排除しあうことなく重な

り合う姿であり、そこにこそ「本質」と「構築」

の対立といった議論以前に存在する本来的なア

イデンティティのありかを見るのではないだろ

うか

16



今後の課題

アルバレスらも言っているように、開催から

四半世紀を迎えようとするこの会議には議題に

おいて明確な変容が見られている。とりわけ 80

年代の焦点は先にも触れた自律性の問題であり、

左翼政党や革命的組織の中においてフェミニズ

ムがどのようなスタンスを保持して行くべきか、

というところが焦点となったが、90 年代にはそ

れが、ラテンアメリカ地域の直面する政治的民

主主義と経済的新自由主義における「グローバ

ル・ネオリベラル家父長制」へと問題が課題とし

て提示される。この動向は、例えば、21 世紀最

16 Alvarez, Sonia E. et al., “Encountering Latin American

and Caribbean Feminisms”, in Signs: Journal of Women in

Culture and Society, 28 (2), 2002, p. 539.



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マチスモを通して見るラテンアメリカ・フェミニズム

33

初に開催されたコスタリカにおける集会のマニ

フェストを読む限り、当面の課題として残ってい

るようである。無論、これは単線的なプロセス

を表現するものではないことは断っておかなけ

ればならない。90 年代に入っても、内戦の最中

にあった中米などにおいては la doble militancia

にまつわる問題が明確に存在していたし(上の

エルナンデスもこの用語を今日のインディヘナ

におけるフェミニズムと直面する課題に言及す

る際に使用している)、「過去」の出来事であっ

た人権侵害などの問題の記憶が今日においても

ラテンアメリカのフェミニズムを拘束している

ことも指摘されねばならない。例えば、第 6 回

(93 年)の集会が開催されたエル・サルバドル

では、右翼政治家によってフェミニストはレズ

ビアン、共産主義者、あるいはファラブンド・

マルティ国家解放戦線 (FMLN) の構成員である

といった糾弾がなされ、さらには、キューバか

らのフェミニストが入国拒否にあうなど問題は

国際化する

17

。最終的には、国連の平和維持活

動の下で、集会は無事に幕を閉じるが、こうし

た、問題の重層性・個別性は充分に認識される

べきである。

主体の変容にも注意を払わなければならない。

とりわけ 90 年代の特徴は、フェミニスト NGO

が、ラテンアメリカ・フェミニズムの拡散に大

きな役割を果たしたことである。こうした専門

化・トレーニングされた NGO が国内・国際的

な問題に積極的に介入していく。ラテンアメリ

カ各国政府機関には女性を対象としたものがあ

るものの、それは恒常的スタッフと資金の不足

といった問題を抱えているが、こうしたところ

に NGO が入り込んでいく。アルバレスは、こ

17 2003 年、つげ書房新社より邦訳された『女性のアイデ

ンティティの再建を目指して』では、エルサルバドルの女

性が直面した la doble militancia の問題が証言などを通し

て克明に綴られている。ぜひ参照していただきたい。

のような現象をラテンアメリカ・フェミニズム

の NGO 化 (NGOization) と呼んでいるが、そ

の含意とは、かつて国家の領域だと想定されて

いた公共サービス分野に NGO が進出してきた

というところにある。そこには、まさに “non-

govermental” というよりも “neo-” という方が

ふさわしいような、ラテンアメリカにおけるフェ

ミニスト NGO のあり方を見ることができる。

また、いわゆるラテンアメリカ女性のディアス

ポラへの関心も高まっている。初期においては、

米国やヨーロッパの参加者たちは「外国人」と

みなされていたが、第 8 回にいたってはその部

会に「ディアスポラ」が設けられ、それぞれが

直面する問題が議論され、理論や経験の交換が

促進されるようになってきている

18



バルガスも言うように、ラテンアメリカにお

いてジェンダーを考察することは、帝国主義、

植民地主義そして資本主義といった要因を考察

することでもある。有色の女性を有徴化するこ

うした各種の不均衡な権力関係を炙り出そうと

するラテンアメリカのフェミニスト運動は、そ

の内部の多様性から滋養を得てきた

19



例えば、「ミチョアカン会議」において発言し

た一人の祈祷師 (curandera) の批判は、共同体

の一人のアメリカ人神父に向けられていた。彼

女によると、その神父は共同体の成員が異教徒

(pagano) であること、そして、治療をはじめと

する共同体の文化を非文明的であると批判する

ことにより、共同体の成員に改宗を求めている

というのである。とりわけ、治療に随伴する儀

18 Alvarez, Sonia E., “Translating the Global: Effects of

Transnational Organizing on Local Feminist Discourses and

Practices in Latin America”, in Meridians: feminism, race,

transnationalism, 1 (1), 2000, p. 34.

19 Vargas Valente, Virginia, “Movimiento de mujeres en

América Latina: un reto para el análisis y para la acción”, in

Mujeres, crisis y movimiento: América Latina y El Caribe,

ISIS internacional, 1987, pp. 85-86.



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34

林和宏

礼における女性の役割を観察した神父はそれを

「売春婦のやること」であると厳しく論難した

という。このような、文脈においては、上での

ジェンダーとエスニシティという二項対立は複

雑な交錯をみせる。「主役」であるプレペチャ・

フェミニストからの批判にさらされ渋い表情を

していた非プレペチャ(と思われる人達)も思

わずここでは盛大な拍手を送り、この「グリン

ゴ」の文化的植民地主義に対する厳しい糾弾に

賛辞を送る。

こうしたアイデンティティの交錯を我々は、

「マチョなレーニスト」やチカーノ運動の男性指

導者がした如く、「ジェンダーかエスニシティ

か」、「マチョかガバチョか」という二者択一の論

理にすり替える必要はないはずだ。そこでは、

女性は共同体に蔓延るマチスモを批判すると同

時に、その共同体を搾取の対象とする新たな植

民地主義に対峙する。会議の中で、プログラム

の隙間に生じた、先住民女性のふとした批判を

通じて気づかせられたことは、ラテンアメリカ

において、フェミニズムが直面してきた問題の

縮図であった。そこで我々が考えるべきは、彼

女らが「異種混淆」であることではなく、なぜ

彼女らがそうでありえるのかを問うことではな

いだろうか。取り出されずに真新しい袋に包ま

れたままのイヤホーンを返却しながら、そこで

自らが無意識に加担してしまっていた何かにつ

いてふと考えさせられた

20



□■

20 例えば、こうしたことを考えさせられたのが、ハワイに

おけるナショナリズムとフェミニズムの関係を論じたハウニ

ナ=ケイ・トラスク『大地にしがみつけ―ハワイ先住民女性

の訴え―』(原題は、From a Native Daughter: Colonialism

and Sovereignty in Hawai’i)によってである。邦訳(春風

社、2002 年)された『大地にしがみつけ』の「日本の皆さ

まへ」においてトラスクは、ハワイの観光産業がもたらす

環境・文化の破壊を説き、それに大きく日本人観光客が加

担していることを指摘している。また、そこでは、ハワイ

が、沖縄と同様に、アメリカの軍事的植民地であり、アイ

ヌの民と同様に自らの土地を奪われた民族であることが言

及され、我々に日常的な想像力の喚起を要請している。

http://blog.livedoor.jp/unanina0512/archives/19106681.html

Machismo



マチスモ


それは
男性優位主義
男らしさを強調する生き方


を意味する言葉です。



彼らが祖先の文化を重要視していることからメキシコ文化の1つとして語られる


マチスモ


まさに
これがチカーノムーブメントの背景にあります。


この時代
強き男の象徴とされたものだが、


では逆にチカーナ達は
どのような立場を強いられていたのかと疑問に思う私。


チカーノ、チカーナ達が周囲から差別化される中で

第一が男
第二が女


チカーナ達にとっては性差別を感じていた。


※日本も昔はそうでしたよね




以下は
多くのチカーナ達を奮起させた詩である。


"Chicanasが被った抑圧はこの国ではほとんどの女性が受けたものとは異なる。Chicanasは虐げられ た国籍の一部であるため、これらは、La Razaに対して実践人種差別にさらされます。チカーノ の圧倒的多数が労働者であるが、Chicanasもである。労働者階級の搾取の被害者は、それに加え て、女性たちの残りの部分とともにChicanasは、性別で下の位置に追いやられているしたがって、 ラザの女性は抑圧のトリプルフォームを被る:虐げられた人々の国籍のメンバーとして、労働者とし て、女性として。"

- Mirtaビダル(1971)




こういったことから
チカーナフェミニスト運動が始まる。



※フェミニズムとは、性差別を廃止 し,抑圧されていた女性の権利を拡張しようとす る思想・運動、性差別に反対し女性の解放を主張 する思想・運動などの総称です。



私はこの運動を知って
チカーナの男らしさというものが少しわかった気がする。


chicana power

唯一共通すること
同じ女性として


それは
計り知れないこと。



奮起されたチカーナ達



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エスターヘルナンデスの絵画
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