現代ビジネスより 中井祐樹&増田俊也 対談

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49520
ニッポンにはいま、格闘技が足りない!作家・増田俊也と格闘家・中井祐樹が出した「結論」


細田 マサシ











神楽坂「la kagu」で行われた、最強を求める二人のトークライブ(写真提供/新潮社)

伝説のトーナメントを振り返る

『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』で大宅壮一ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞を受賞した作家・増田俊也氏と、柔道とブラジリアン柔術を極め、現在は「パラエストラ東京」の代表として柔術の普及に力を注ぐ伝説の格闘家・中井祐樹氏。北海道大学柔道部の先輩・後輩である二人が、このたび、『本当の強さとは何か』(新潮社)という対談書を出版した。

本書には、心の弱さや、体の弱さに悩む人の助けとなるような、強くなるための思想や思考法がふんだんに詰め込まれている。格闘技ファンはもちろんのこと、すべてのスポーツマンやビジネスマン、あるいは主婦まで、誰もが参考にすべき、そして心を震わされる言葉が満載だ。

この対談書の発売を記念して、去る7月28日、神楽坂の「la kagu」にて、増田氏と中井氏のトークイベント「本当の強さとは何か?」が開催された。平日にもかかわらず満員盛況となったこのイベントの一部をここに特別公開!

増田 中井祐樹は、現代の格闘技界においてレジェンドになりうる存在だ、と僕は思っている。「柔道の鬼」の木村政彦、極真空手創始者の大山倍達に並ぶと言ってもいいかな。

中井 いやいやいや、よくないですって!(笑)

増田 でも海外に行くと、格闘技関係者で「ユーキ・ナカイ」の名前を知らない人がいないんだから。

その中井のすごさや強さを一人でも多くの人に知ってもらいたくて、今回はこの対談本を作ったわけだけれど、やはり中井の伝説を語るうえで、VTJ95(バーリトゥード・ジャパン・オープン95)は外せないよね。

中井 自分の口から「伝説」とは言えませんが、広く知られるようになったきっかけは間違いなくVTJ95ですね。

増田 総合格闘技の黎明期といえる1995年4月20日、日本武道館で行われた「VTJ 95」。世界中から格闘家が集結する中、中井は過酷なワンディトーナメントにエントリーされたわけだけど、あれは壮絶だったよね。1回戦で「喧嘩屋」の異名をとるオランダの空手家、ジェラルド・ゴルドーとぶつけられて、いきなり右目負傷でしょう(※筆者註・その後失明していたことが判明)。それなのに、あれよあれよと勝ち進んでさ。決勝ではあのヒクソン・グレイシーと闘うって……凄い経験だったと思う。

中井 北大の先輩である増田さんに、そこまで言っていただけると本当に嬉しいですね

増田 中井は謙虚だから自分ではそう言わない。だから、僕が言わなきゃ仕方がないんだよ(笑)。さて、VTJ95について振り返ってほしいんだけれど、その大会の「源流」ともいうべき、第1回のUFCが1993年にアメリカ・コロラド州で開かれた。ヒクソンの弟、ホイス・グレイシーが優勝して、「僕の兄は僕の10倍強い」という有名な言葉を残して、グレイシー柔術の強さを見せつけた大会だった。

当時は「アルティメット大会」と呼ばれていたけれど、あれから早いもので23年が経った。この当時、中井はすでにプロ修斗の選手だったでしょう。現役格闘家の眼から、あの大会はどう映っていたの?

中井 僕がプロ格闘家になったのは1993年でしたが、当時はグレイシー柔術なんて誰も知らない時代でした。UFCも、今でこそ世界で最も人気のある格闘技イベントとなっていますが、最初は雑誌の記事を読むくらいで、「へえ、こんなのやったんだ」というぐらいでしたね。第一回大会をビデオで観たのは、随分後になってからでした。

増田 じゃあ、そんなに関心あったわけではなかったと。

中井 日本でも活躍していたアメリカ出身の格闘家、ケン・シャムロックがホイスに準決勝で負けたと知って「ああ、シャムロックが負けたのか」とか思ったくらいですね。ただ、僕の師である佐山(聡)先生から「中井はいつか、グレイシーとやることになるかもしれないよ」とは言われていたので、どういうものかなという興味はありましたが。

増田 最初のVTJが行われたのが94年でしょう。そこでヒクソン・グレイシーという選手が日本に来た。そして、いともあっさり勝ち進んで行った。俺はそのときの様子が本当に不思議でね。戦って呆気なく敗れた選手が「いやいや、次やれば俺が勝つ」とか口々に言うんだけど、結果誰一人として勝てない。「これは一体何なんだ」と。

中井 ヒクソンの戦い方は、「相手の力を出させずに勝つ」、そんな感じでしたよね。僕も正直、あの試合を見ていても、グレイシーの凄さというものがなんなのかわかりませんでした。
ヒクソンの強さの秘密

中井 ただ、ちょうどその頃に、グレイシー柔術の使い手であるエンセン井上が修斗に入ってくるんです。あれが本当に大きかった。

増田 エンセン井上がグレイシー柔術を修得しているというのは、最初から言われてはいたんだよね。

中井 彼はハワイに住んでいて、ヒクソンの兄であるヘウソン・グレイシーの自宅で家族同然に生活していた時期があった。あまり知られていないんですが、実は相当深いところまで柔術を修得しているはずなんです。そういった存在は、それまで日本にはいなかった。彼が修斗に来たことは、日本の総合格闘技の歴史を語る上で大きな意味があったと思うんですよ。

(※筆者註:その後、エンセン井上はUWFインターナショナルの道場に出稽古に行って、桜庭和志とも練習に励む。桜庭のその後の快進撃にも大いに影響を与えている)

彼は「ホントはこれ教えちゃいけないんだけど…」なんて言いながら、僕にいろいろグレイシー柔術のテクニックを教えてくれました。そういう意味では、僕にもグレイシーのエッセンスは入っているということになるのかなと思いますね。

増田 ちなみに、中井は僕と同じく、北大(北海道大学)で七帝柔道をやっていたわけだけど、七帝柔道の技術はMMA(総合格闘技)に通用するものだった?

中井 それは……似ているようですけど、MMAでは使えなかったと思います。実際エンセンと練習しながら「俺は今まで何をやっていたんだ」と愕然としたことが何度もありました。ただ誤解してほしくないのは、決して七帝柔道が劣っているという意味ではないんです。総合で使えるかどうかということであって、やはり七帝柔道と総合格闘技は、競技としては別ですから。

増田 なるほどね。それで、VTJ94で日本人格闘家が軒並み敗れて、翌年のVTJ95にいよいよ「日本最後の切り札」として中井が出場することになるんだけど、やっぱり、この大会に合わせていつもとは違う練習をしていたの?

中井 自分よりも身体の大きい選手とやるんで、とにかく下にならないことを念頭に練習をしました。フットワーク1時間とか、倒れてもすぐ立ってとか……ただ、基本的にはそう特別なことをしたわけではなかったように思います。

増田 あの日のことは僕も色んなところで書いているからここでは割愛するけど……とにかく、ジェラルド・ゴルドーに勝ち、グレイグ・ピットマンに勝ち、ヒクソンまで到達する。中井にとってもそうだけど、日本のMMAにとっても記念碑的な大会だったと思う。実際に彼らと戦ってみてどうだった?

中井 当たり前の話ですけど、みんなデカイんですよ。それを承知で出たわけですが。もちろん、ゴルドー戦で眼をケガしたことがクローズアップされがちなんですけど、あの日の僕はとにかく楽しかった。それは間違いないんです。

増田 それで、勝ち進んでヒクソンと戦うわけだよね。ヒクソンには、実際どんな印象を持った?

中井 印象は……僕は寝技で勝負してやろうと思って早々に寝技に引き込むんですけど、やっぱり力の差はありました。技術の高さ、これほどまで差があるのかと痛感しましたね。
グレイシー一族の、なにがスゴイのか

増田 俺ね、グレイシーって本当に凄いって思っている。批判する人も多いし、今でこそPRIDEの後期に、ホイラーやホイスが敗れたことで評価を下げたように見えるかもしれないけど、でもそれまでの十年間、彼らの戦法や攻略法というのは、まったく解けなかったんだよ。「フェルマーの最終定理」みたいなもんで(笑)。


昨年末、息子・クロンの勝利を祝うヒクソン・グレイシー(中央後ろ)

中井 ホントそうですよね。今の時代に彼らを批判するなんて容易いことです。かつては、あの技術体系を超えられなかし、解読すらできなかったんですから。

増田 グレイシー一族って、たった10年、20年であのシステムを創り上げた。それだけでも特筆に値するのに、彼らが決してフィジカルエリートでもなんでもないというのも凄いわけでね。たとえば室伏広治みたいにトップエリートの血が入って、その上で英才教育を受けて、さらに血のにじむような努力を重ねたというのなら話は別だよ。

日本の柔道五輪代表でもプロ野球選手でも、みんなフィジカルエリートのトップで、とんでもない競技人口のトーナメントを勝ち上がったフィジカルヒエラルキーのトップ中のトップ。でも、ヒクソンもホイスも体格はそんなに素晴らしいわけでもない。つまり、技術だけでトップに立ったわけでしょう。

中井 凄いことなんですよ、本当に。

二人の北大での出会いから、グレイシー柔術その他の格闘技の魅力について、そして、強くなるための思考法、鍛錬法を記した、まさに「最強」を求めた一冊(amazonはこちらから)

増田 だから、今のMMAを見て、それを基準にグレイシーを「遅れている」って批判するのはどうなのかなって思うよ。そりゃあ今のMMAを基準にしたら原始的なものだよ。でもMMA、バーリトゥードに使える技術を開発したのは、間違いなくグレイシー一族で、世界中のフィジカルエリートの格闘家たちが挑んでも10年間も退け続けた。いかに彼らの技術が突出していたかという証左だよ。

まずは敬意を表するのが先でしょう。第1回UFCで、ホイスが旋風を起こさなかったら、今は何も始まってないんだからさ。

中井 もともとブラジリアン柔術の始祖で、ヒクソンやホイスの父であるエリオ・グレイシーが、細くて体力がない人でした。「それでも勝つにはどうすればいいか」を突き詰めて、寝技を徹底的に鍛えれば簡単には負けない、というところに辿り着いた。総合格闘技でもノールールでも負けない格闘技、というところからスタートしているんですよね。もともと強くはない人間を、「負けない格闘家にする」という発想には、それだけで敬意を払いたくなります。

増田 そんなヒクソンとの試合が、中井にとってMMA最後の試合ってことになったわけで、そこから柔術に転向するわけだけど……それはどこかのタイミングで決めていたの?

中井 いえ、そういうわけでもなかったです。VTJ95の半年後に「ジアン・マチャドと柔術マッチをやってくれ」っていう依頼があって、最初は「なんで道着に戻んなきゃいけないんだ」って抵抗がありました。

増田 じゃあ「柔術でやろう」という決意はどこで固まったの?

中井 96年に朝日(昇。修斗四天王の一人)さんが、ホイラーとやって負けるんですよ。そのときですね、はっきり意識が変わったのは。柔術って、こんなにすごいのかと。

増田 あの試合というのは、朝日選手という日本のトップの選手が、何もさせてもらえないで敗れてしまうわけだよね。

中井 そうです。そこで自分が柔術の黒帯になって、ホイラーと戦えるくらいのレベルになれば、他の選手の刺激にもなるし、みんなに柔術のテクニックも教えられるだろうと思ったんです。

増田 そうすることで、日本の総合のレベルも勝率も確実にアップするわけだからと。

中井 ブラジリアン柔術の動きも技術も、まだ日本には知れ渡っていなかったですから。それで柔術人口も増えれば、日本のレベルの底上げにもつながりますし。
強くなるための心の持ち方、教えます

増田 実際、中井は引退後「パラエストラ東京」を創設して、「柔術を伝える、教える」ことを中心に活動を始めた。日本の格闘技のレベルは確実に底上げされたと思う。会社員や主婦までが、柔術を習うようになったわけで、それはひと昔前では考えられないことだよね。

ところで、柔術を習う一般の会員さんとの関わりとか、どこまで続けられるのかといった年齢的な悩みとか、そのあたりどう考えているの?(会場に柔術を習っている40代の男性がおり、「40を過ぎてくると体が動かなくなる。加齢との向き合い方を教えてほしい」との質問が出たことを踏まえて)

中井 まあ、僕自身の気持ちでいえば、確かに30すぎると、疲れがとれないとか、ケガが治りにくいとかいろいろあるんですけど、ただ、ある程度の年齢に達することでわかることもあるんですよね。今、自分は46ですけど、現役選手のようなペースでは無理だけど、自分のペースというものを掴めてきました。そういうペースを掴めるようになるかどうかが、物事を続けられるコツだと思うんです。

増田 そのコツをつかむには、やっぱり経験が必要なんだよね、

中井 で、自分の場合、どうやって強さを維持するかということですが、自分のペースを保ちつつ、誰の相手もする、ということです。例えばUFCファイターの相手もするし、大学生とも相手をする。はたまた、今日見学に来た人とも相手をする。そこで一本取られてもいい。

取られたら悔しいんですけど、僕は現役の選手ではないので、負けることにそこまで臆病にならなくていい。だから、負けて学ぶことが増えるから、さらに強くなれる、という考え方でいますね。

増田 何事もそうなんだけど、続けるということは難しい。特に自分が強くなっていることを実感できないと、格闘技の場合は続ける意欲がなくなってしまう。

中井 一般の会員さんは、忙しい仕事をやりくりしながら、夜遅くに道場に来たりしている。「すごく頑張っているな」ってつくづく思いますね。だから強くなってほしい。こちらの指導にも熱が入ります。「続けるモチベーション」ということを改めて考えると、やっぱり帯制度というのは偉大なんですよね。あれは凄い。誰にでも身近な目標を与えられるから、続ける意欲につながる。

増田 帯制度を発明した、講道館の慧眼なんだよね、そこは。

中井 例えば青帯の人がいるとしますね。UFCに出ていた吉田善行も青帯。上田将勝も青帯。「黒じゃなくて青帯かよ!」って揶揄する人もいますけど、一般の会員の方にすれば、青帯を取れば彼ら一流選手と並べられる!という意欲につながりますからね。あのブロック・レスナーも青帯ですから(笑)。

増田 やっぱり、精進しようと考えるんだよね。帯の色で進級するシステムっていうのは向上意欲と非常にリンクする。「自分より下の帯の人に負けたくない」とか。

中井 柔術をやりはじめると基本「足りないことだらけ」であることに気づくんですよね。だから、技も覚えたい。体力もつけたい。やることがいっぱいあって大変なんですよ。だから面白いし、続けたくなる。一本取られて悔しいと思うようになれば、それは強くなっているということ、心が生きている証拠です。
「死の恐怖」は感じているのか

増田 強くなりたいとは誰もが思うけれど、それを突き詰めて「腕の一本なくしてもいいから、相手に勝ちたい」とまで考えている人もいるよね。真剣にやればそうなる。俺だって北大柔道部のときは「腕の一本ぐらいなくなってもいい。それでも勝ちたい」って思ってた。そんな思いで試合をしてケガをしたときに、主治医の先生が「人生は長いんだよ」って言うんだけど、そんなこといくら言われても、その時はわからないんだよ(笑)。

中井 そうなんですよね。「人生って長い」というのが、若い時は実感としてわからない。

増田 わからないんだよ。でもね、そうやってケガしながら打ち込んできて、後悔はないわけ。まったくない。周りから見たらちっぽけな世界の些細な出来事なんだろうけど、でも自分にとってはすごく大切な時間でね。だから、柔術をやっている人、格闘技をやっている人、いろいろいるけど、その時の自分の気持ちを一番大事にしてほしいと俺は思う。

中井 わかります、それはよく分かりますね。

増田 だって、中井はMMAを続けたかったけど、ゴルドー戦のケガもあって、総合格闘技で戦うためのライセンスが下りなかったわけでしょう。やりたくてもやれないっていうのは、これはきついよな。

中井 あのときは……きついですよね。「なんで俺だけ」という気持ちにもなるし。

増田 そんな、まさに「死闘」ともいうべき戦いを続ける中で、「死の恐怖」を覚えたことはあった?

中井 柔道や柔術をやるなかでは、ないですね。受け身さえとれたら死なないっていうのがありますから。ただ、総合格闘技には打撃があるんで、死と隣り合わせなのは間違いないとは思いました。

増田 それはVTJのときに思った?

中井 あのときはさすがに死ぬかもしれないと思いました。でも、通常の修斗の公式戦でも思うことはありました。打撃がある試合は当たり所が悪ければ死んでしまいますからね。

増田 そうだよなあ。

中井 だから僕は、総合格闘技のリングに選手を送り出すときは、「自分の教え子が死ぬかもしれないんだ」という覚悟を持って送りだしています。だからこそ、こちらも「死なないための技術」を必死で教えなければならないんですよ。

増田 ちなみに、会員さんのなかで、実際に総合格闘技や柔術の大会で試合をするまでになる人の割合ってどれくらい?

中井 試合するのは10人に1人くらいかな…。でも、特に試合を勧めることはないです。試合が全てではないですし、事実、「体を丈夫にしたい」という思いで柔術を習っている人も、必死に練習していますから。そこに分け隔てはありません。とにかく、少しでも興味を持たれたなら、一度道場覗いてみてほしいですね。僕がやさしく、相手をしますから(笑)。
なぜ、いまの格闘技は面白くないのか

増田 MMAの歴史を紐解いてみると、さっきも言ったように、93年の第1回UFCから23年が経ったわけでしょう。今は格闘技が競技化、スポーツ化したといわれたりもしている。ある人は「格闘技として、重要な何かが無くなっている」と言ったりもする。はたしてどうなんだろう?

中井 「異種格闘技戦」とか「アルティメット」とか「VTJ」とか、競技化していない時代の他流試合って、やっぱり刺激的で面白いんですよ。違う格闘技がぶつかり合ったときの化学反応を見るのもそうだし、そもそも、今までやったことも見たこともないものだから。その方が面白かったという意見はわかります。事実「最近の総合格闘技はあんまり面白くない」という意見も聞きますよ。

増田 やっぱりよく聞くんだ。

中井 聞きます。技術に特化するようになると、専門家は面白くても、ふらっと見た人が楽しめるものになるかといったら微妙ですよね。だから「UFCが全米で大人気!」って聞いても、本当にそうなのかなあって疑問に思うんですよ。本当にああいう試合を、アメリカのお母さんたちは楽しんでいるんだろうかと(笑)。

増田 確かにアメリカのお母さんは楽しめていないかもしれないね(笑)。

中井 そんな中で、ファンタジー満載な選手が華麗な一本勝ちを決めたり、強烈なダウンシーンを見せたりすると、「ああ、面白いな」となるわけでね。そういう試合は一般の人でも喜ぶ。でも皮肉なことに、積極的な一本狙いの選手は必ずしもチャンピオンになれなかったりしますからね。

増田 難しい問題だよなあ。

中井 ですから、一見分かりづらい技術のことや、画面では伝わらない選手のマインドなんかを、テレビや雑誌などの媒体でわかりやすく伝えていくのも、自分の役割かなと思っています。自分は格闘技ってそんなに難しいものではないって思っているんですよ。例えば、ツイッターをやっているんですけど、なんでも答えてますよ、僕は。140字でほとんどのことは答えられると思っています。

増田 ツイッターでQ&A、やってるよね(笑)。

中井 石原裕次郎から美空ひばりから格闘技まで、わかりやすく伝えられますよ(笑)。

増田 なるほど(笑)。

中井 格闘技……これは持論ですけど、国民全員がやるべきでしょう!と思っています。自分に自信をつけるのは格闘技が一番いいんですよ。あんまりしょっちゅうは言わないけれど、絶対そう思っています。それができないなら、すべての小中学校の体育館に綱を吊るすぐらいはしてほしいですよ。腕を鍛えるための綱をね。ねえ。増田さん、増田さんからも「綱行政」を広めるように訴えてくださいよ。お願いします(笑)。

増田 中井も今後は嘉納先生(嘉納治五郎=講道館柔道の創始者)みたいに、本をたくさん出して、いろんなことを伝えていかなきゃいけない。技術書もそうだけど、格闘技の根幹にある思想もね……嘉納先生はそういう思想書もいっぱい残している。中井もその必要はあると思う。この本が、そのきっかけになればとも思っているんだけど。

中井 綱行政を広めるきっかけに(笑)。

増田 それも含めてね(笑)。

中井 卒業論文が書けないと思って、大学を中退したクチですから、書くのは苦手ですけどね。でも、自分の考えは今後、どんどん発信していけたらいいな、と思います!

増田 中井の言葉は、格闘家だけでなく、サラリーマンを筆頭に「日々を闘う人たち」にも刺激になると思うんだ。だから俺も中井が言葉を広めていくための手伝いができればと思ってる。

(協力・新潮社)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39471
[総合格闘技]
近藤隆夫「日本でのデビュー間近! クロン・グレイシーが父ヒクソンを語る」


スポーツコミュニケーションズ







昨年は青木真也にも一本勝ち

偉大な父を越えると誓うヒクソンの次男クロン。撮影:真崎貴夫

 ヒクソン・グレイシーの息子クロン・グレイシーの総合格闘技デビュー戦は、日本で行われることに決まった。

 日時、対戦相手などの詳細は未定だが、その舞台は今秋、関東圏で開催される新イベント『REAL FIGHT CHAMPIONSHIP』となる。そのことが先日、ヒクロン、クロン同席の記者会見で発表されたのだ。

『PRIDE1』(1997年10月11日、東京ドーム)のリングでヒクソンが高田延彦と対戦し、勝利した時、クロンは、まだ9歳の子どもだった。あれから約17年が経つ。クロンは25歳になり、現在、ロスアンジェルス空港の近くに自らの道場(クロン・グレイシー柔術アカデミー)を開き、多くの選手たちに柔術を指導しながら、自らもファイターとして活躍している。

 19歳の時にヒクソンから黒帯を授与され、数々の柔術大会に出場。昨年6月にはロスアンジェルスで開催された『Metamoris2』で、サブミッションルールの下、青木真也と対戦し、ギロチンチョークを決めて一本勝ち。その4カ月後の10月には、同じくサブミッションルールの世界大会『アブダビ・コンバット(ADCC World)2013』77キロ未満級に出場し、優勝も果たしている。

 満を持しての総合格闘技デビューというわけだ。

 そんなクロンと昨年秋に、ロスアンジェルスで会った。彼と、いろいろ話をしたが、その一部をお届けする。彼の父ヒクソンについての話だ。

――あなたは父ヒクソンから柔術の指導を受けてきた。マンツーマンでの指導は厳しかったのだろうか?
クロン: いや、そんなことはありません。それに、実際は2人だけで練習をしたことなんて、ほとんどありませんよ。

いまは「最高の父」に感謝

――そうなの?
クロン: ええ。マンツーマンで練習することなんて年に1度か2度です。もちろん、柔術についての話はよくしましたし、アドバイスももらいましたが、練習を常に一緒にしていたわけではありません。
 私は小さい頃に柔術を始めました。これはグレイシー家に生まれれば、誰もがそうすることです。でも父から、「世界一のファイターになれ」とか「プロのMMA(総合格闘技)ファイターになれ」と言われたことは1度もないんです。
 それどころか、「こういう練習のやり方をしなさい」とか、「これだけ長い時間、練習をしなさい」と言われたことさえないんです。私は柔術のトレーニングを父に「やれ」と言われてやってきたわけではありません。これまでに私は、自分の人生について、「こういう風に生きろ」と言われたことも教えられたこともないんです。

クロンにインタビューする筆者。撮影:真崎貴夫

――自分で柔術家になることを選んだと?
クロン: はい。柔術に人生を捧げると決めたのは私自身。ですから、困った時も、壁にぶち当たった時も自分で解決してきました。そうだから柔術を続けてこられたし、これからもモチベーションを高く保って続けていけるんだと思います。

――でも周囲は、あなたのことを「ヒクソンの息子だ!」と特別な目で見ますね。
クロン: それはそうでしょう。よくわかっています。私は偉大なファイターであった父のことを尊敬していますし、周囲に対しての誇りでもあります。しかし、そのプレッシャーに押しつぶされるようなことはありません。
 実際、私はこれまでに試合でいくつも負けました。失敗も多く経験したんです。でも、それはよい経験でした。チャレンジをして成功したらうれしい。でも失敗することもあるんです。それは、すべて私の責任においてのことなのですから。

――父ヒクソンのことを、どう思っている?
クロン: 最高の父です。これまでに柔術や格闘技に限ったことではなく、いろいろな話をしてもらいました。でも、そこには「教えてくれた」ことと、「教えてくれないことで教えられた」ことがあるんですよ。
 自分で考え、自分で行動し、自分で成功を喜び、自分で失敗から学ぶ。自分の行動は自分で責任をとる。それらのことを、父は私たちに教えたかったんだと思います。おかげで私は、自分でモチベーションを生み、高めることが現在できています。家族の問題もいろいろとありましたが、いまは父にとても感謝しています。

 ヒクソンがファイターとして生きた頃から時代は流れた。格闘技の人気度も異なる。そんな現在、クロンは闘いを通して私たちに何を訴えかけてくれるのか? 再び日本に格闘技熱をもたらせてくれるのか?

 今秋に予定されているクロン・グレイシーの総合格闘技デビュー戦を楽しみに待ちたい。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/37475
[格闘技]
近藤隆夫「ヒクソン・グレイシーインタビュー『本当はヒョードルと闘うはずだった』」


スポーツコミュニケーションズ







老いを感じない400戦無敗の男

ヒクソンと筆者。『クロン・グレイシー柔術アカデミー』の前で。

 ヒクソン・グレイシーが現役を引退すると発表したのが2006年だったから、それからもう7年が経ったことになる。ラストファイトは2000年5月26日、『コロシアム2000』(東京ドーム)での船木誠勝戦……それから数えれば13年。長い歳月が経過した。

 ヒクソンはどうしているのだろうか?
 久しぶりに彼と話したいと思い、連絡をとり、先日、ロスアンジェルスで会った。

 現在、ヒクソンは故郷リオ・デ・ジャネイロに戻って暮らしている。だから、サンタモニカ近くにあった彼の道場『ヒクソン・グレイシー柔術センター』は、すでに閉じられている。その代わりに25歳になった彼の息子クロンが、ロスアンジェルス近郊の街カルバーシティに『クロン・グレイシー柔術アカデミー』を開設した。

 そこには、ヒクソンもよく顔を出している。リオ・デ・ジャネイロとロスアンジェルスをよく行き来しているようだ。私たちはクロンの道場で待ち合わせた。

 ヒクソンは今月(11月)21日に54歳になる。だが、私の前に現われた彼に老けたイメージはなかった。現役を引退した後も、好きなエクササイズ、スイミングにサーフィン、それに柔術のトレーニングも続けているようで、シェイプされた肉体を保っていた。

 ただ、目が少し優しくなったように感じた。それは笑顔を浮かべていたからだけではないだろう。闘いから解放されると、人の顔は変わる。
消えなかった右足の痛み

体つきだけを見ると、50代半ばとはとても思えなかった。

 待ち合わせたのが午後1時。それから夕方まで4時間以上、話をした。聞きたいことは山ほどあったから、それでも時間が足りず、翌日もサンタモニカのビーチで、また話をした。

「現在の生活」「視力を失いながら闘った船木戦」「高田延彦との再戦前、椎間板ヘルニアに悩まされたこと」「ウゴ・デュアルチとのビーチファイト」「ストリートファイトの数々」「安生洋二が道場破りに来た理由」「引退を決断した時の心境」「息子クロンについて」「尊敬する兄、ホーウス・グレイシーとの想い出」「現在の総合格闘技に対して」……などなど。とても有意義な時間だった。

 彼から聞いた話をひとつ紹介しておきたい。それは引退を決意した理由についてだ。

 彼は言った。「本当は最後に(エメリヤーエンコ・)ヒョードルと闘うはずだったんだ」と。

――それはいつのこと?
「2006年。テキサス州にいるプロモーターからで、彼は新たなMMA(総合格闘技)のイベントを起ち上げようとしていた。そこでヒョードルと闘わないかというオファーだった。ファイトマネーを含む条件も私を満足させるものだったし、試合までの準備期間も十分に保たれていた。このオファーを私は受けたかった。

 でもひとつ、不安があったんだ。それは右足に強い痛みを感じていたことだ。だが試合までには、まだ8カ月ある。ならば何とか治せるのではないかとも考えた。でも右足の痛みは、何らかの怪我によってもたらされたものではなく、長年の動きの積み重ねから来ているものだったから厄介な気がした。

 オファーを受けるべきかどうか迷ったよ。結局、私は、あの時、契約書にサインをしなかった。それによって試合ができなかったことは、とても残念だったが、いまでは、それで良かったと思っている。8カ月経った後も足の痛みは消えなかったんだ」
引退は神のお告げ

――いまも、右足は痛むのですか。
「普段の生活では、痛みは感じないよ。それに普通に(柔術の)練習をする分には支障がないところまで回復した。だが追い込んだ練習はもうできない」

――そのことで現役引退を決意したと……。
「そうだ。あの時に思ったんだ。納得のいく条件でもらったオファーを断っておいて、足の回復を願いながら、次のオファーを待ち、別の試合に出るというのは筋が通らないだろう、と。それは私の理念に反する。心は『まだ闘えるぞ』と言っていた。でも肉体がついていかなかった。

 きっと神様は私に告げたんだ。『もう闘わなくていい』と。そう思うに至って現役を引退することを決めたよ」

 今月16、17日には愛知県武道館で『ヒクソン・グレイシー杯国際柔術大会2013』が開催される。それに伴い、ヒクソンは息子クロンとともに来日する。

※ヒクソン・グレイシーへのインタビュー全文は、現在発売中のムック『最強伝説ヒクソン・グレイシー』(洋泉社)に掲載されています。


撮影:真崎貴夫
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/36077
[レスリング]
近藤隆夫「五輪競技であることが、そんなに大切か?」


スポーツコミュニケーションズ







「曲げられない」では生き残れない?

『曲げられない女』を思い出した。

 3年ほど前、日本テレビ系列で毎週、放映されていた菅野美穂主演の連続ドラマだ。

 司法試験に9年続けて落ち、それでも弁護士になる夢を諦めない主人公、荻原早紀は世間の雰囲気に流されることなく、また損得勘定で生きようとはしない「曲げられない女」。立場は弱く、常に悩みを抱える彼女だが、正義感は強く、自分の感情に正直だ。

 そして毎回、自分が不利な状況に追い込まれることを恐れずにキッパリと言う。

「そんな○○なら、私には必要ありません!」と。

 損をしてでも、自分の意志を貫こうとする人間をあざ笑う世の風潮に主人公が貧しいながらも立ち向かう痛快なドラマだった。

 さて本題。先日、ロシアで開かれたIOC(国際オリンピック委員会)理事会で、「残り1枠」をめぐっての候補競技が3つに絞られた。レスリング、野球・ソフトボール、スカッシュ。

 1度は2020年五輪の実施競技から除外されたレスリングが最終候補となり、存続の可能性を残している。最終的に、どの競技が採用されるのかが決まるのは、アルゼンチンで開かれるIOC総会。9月8日だ。

 ロシアでのIOC理事会の後、何人かの日本のレスリング関係者に会った。彼らは異口同音に言う。

「まさか(レスリングが)除外されるとは思わなかった」
「もしも(レスリングが五輪競技に)残れなかったら大変なことになる。ここだけは絶対に踏ん張ってもらわないと困る。本当に五輪から外れたら、日本の競技人口は半分以下になってしまいますよ」

 そして続ける。
「そのためにはルール変更も仕方ないでしょう。エッと思うことがあっても、それで五輪の場に残れるならやるべきでしょう」
何のために競技はあるのか

 話を聞きながら私は妙な気分になったが、これはレスリングに限ったことではない。

 野球も同じだ。「試合が長すぎるというのなら7イニング制にする」としている。それだけではない。「3ボールで四球、2アウトでチェンジにすればいいじゃないか。何よりも五輪競技に戻ることが優先」と言いだす指導者もいるくらいだ。

 ちょっと待ってほしい。一度、冷静になって考えてみては、どうだろうか。

 何のためのレスリング、何のための野球……何のために、それぞれの競技は存在しているのだろうか。五輪というイベントへの参加が、その競技にとって、それほど絶対的に譲れないことなのだろうか。

 レスリングは、日本でも決して人気競技ではない。五輪が行なわれる年だけ、世間から多大な注目を集める競技だ。日本選手権レベルの大会でも、例年は客席に座るほとんどは関係者で空席が目立つ。だからこそ「五輪競技でなければ」との思いが関係者には強いのだろう。

 加えて、五輪競技から外れれば、国際レスリング連盟はIOCからの助成金は受けられなくなり、スポンサードしてくれる企業の数も減ってしまうことになる。いままでのように運営することも難しくなるかもしれない。
「そんな五輪なら、必要ありません」

 でも、それらは実はたいしたことではないのではないか。

 人気が低下し、競技人口も減るだろうが、レスリングができなくなるわけではない。レスリングという競技に魅力を感じたなら、その人は始めるし、取り組み続けるのである。単にメジャーでなくなるに過ぎない。

 いや、世界的に見れば、レスリングほどの認知度なら五輪競技でなくなってもメジャー感を失わずにすむかもしれない。もし仮に、マイナー化しても、それの一体、何がいけないのか? 本質を見誤るよりも、はるかにマシなように思う。

 それでも、「メジャーであり続けたい」と関係者は願う。もちろん気持ちはよくわかる。でも、だからといって、「IOCの言うことは何でも聞きます。何でも聞きますから五輪から追い出さないでください」とひれ伏すような態度を、あっさりと見せてしまってよいものだろうか。

 レスリングは高貴な格闘技である。私は今回のレスリング界の動きを見ていて、違和感を覚え、寂しい気持ちになった。レスリング界が損得勘定抜きに、プライドを持って毅然としたメッセージを発することはできなかったのだろうか。

「そんな五輪なら、私たちには必要ありません」と。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/35004
コメンテーター・ジャパン

邦丸: 今日のニュースはこれです。


伊藤: 朝日新聞1面。「背水の陣レスリング アメリカとロシアが共闘、イランとも連携」

 オリンピックからのレスリング除外の衝撃が世界に広がっています。政治では角突き合わせがちなロシアとアメリカが共闘に動きます。また、アメリカは核問題でぶつかるイランとも手を携える構えです。オリンピック三連覇するなど「霊長類最強」の異名をとったロシアのアレキサンドル・カレリン氏は、地元メディアに「オリンピックの基盤を崩すレスリング排除が計画で終わることを望む」と語りました。

 ロシアオリンピック委員会のジューコフ委員長は、レスリングを排除しないようIOC(国際オリンピック委員会)に書面で正式に要請すると表明しました。アメリカのレスリング協会も過去のオリンピックメダリストを集め、IOCに働きかけることを決めました。リッチ・ベンダー会長は国際大会が開かれるテヘランを週明けに訪れ、同じように打ちのめされている国々と話し合うと言います。日本やロシアのほか、外交関係が途絶えているイラン、キューバとも連携をとりたいと述べました。

邦丸: 今日、一般紙一面などでかなり大きくこのニュースを取り上げております。米
ロが協調するのはわかるんですけれど、イランも仲間に入ろうじゃないかとい
うことになってくると、「イランもかいっ」って感じになってきますよね。

佐藤: 政治性が出てくるでしょうね。

それと、プーチンさんはレスリングも含めて格闘技を強化するというのが国策だという考えで、本人も柔道の専門家であるとともに、ロシアの伝統競技で柔道やレスリングを取り入れた「サンボ」というのがあるんですが、このサンボ協会の会長なんですよ。

邦丸: そうなんですか。

佐藤: ジューコフとかカレリンとか出てくるし、そして出ているのは『ロシア新聞』
なんですが、これは大統領令で作られている新聞で、官報なんです。ですから
ロシアは「国策としてレスリングを絶対に残す」と、こういう強い主張ですよ
ね。それでアメリカとイランをつないだり、キューバをつないだりということ
も併せてやってしまおうと、こういうことを考えているわけでしょ。

邦丸: 裏には十分、政治的な駆け引き、取り引きがあるんですね。

佐藤: これは政治そのものですよね。要するに、オリンピックもそこにおカネが下り
ますから。

 私の想像ですけれど、レスリングはグレコローマンスタイルでオリンピック発祥のときからあるんだから、マラソンとレスリングは絶対に除外されることはないということで、おそらくロビー活動をしていなかったと思うんですよ。そうすると、パイは一定で、ではレスリングはどのぐらいおカネになるのかということになると、オリンピック官僚たちがもっとカネになる種目をどんどん入れるようになってきた。つまり、商業主義の問題だと思います。

邦丸: 最終決定は9月ですから、まだ猶予期間ではあるものの、一度除外と言われた
種目が復活する可能性は低いと言われるなかで、アメリカとかロシアとか日本、そしてイラン、トルコのようなレスリングが盛んな国が、「ジョーダンじゃねえ」ってんで、これでもし、覆るようなことになったら、それはそれでどうなんだろう、という声も出てくるでしょうね。

佐藤: 私は覆ると思いますよ。

・・・(略)
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