ウルトラセブン 遊星より愛をこめて  森氏は部落解放運動に関与していた頃、今井正監督の映画『橋のない川』の上映阻止運動に参加した。『橋のない川』のテーマは、被差別部落の解放にあったのだが、それが広島の学校で上映された後、女子学生が自殺し、それが上映阻止運動を呼びおこした。しかし、森氏はその運動へのかかわり方は間違っていたと総括する。













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【発掘】「幻の12話」を20年間追い続けた男 (映画宝島)

2011-07-06 | Japan 日常生活の冒険


1992年7月2日発行「映画宝島 Vol.2 怪獣学・入門!」を編集した町山智浩氏の記事を発掘。

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『ウルトラセブン』の第十二話「遊星より愛をこめて」は現在、TVでもビデオでも見ることができない。そこに登場したスペル星人に関する記述も、出版物からその姿を消している。この「幻の十二話」に二十余年間もこだわり続けている人物がいる。

森直彦氏、一九五六年生まれ。現在、精神遅滞者の更正施設で生活指導員として働きながら、スペル星人事件の関係者に質問状を送ったり会見したり、事件の顛末を調査研究し続けている。学生時代は、「狭山闘争」などの被差別部落の解放運動に積極的に参加していた彼は、かねてから気になっていたスペル星人放送中止にいたる正確な事実関係を知りたいと考えた。努力の末、ついに糾弾側の人物に接触し、回答の代わりに『“ひばく怪獣”問題資料集』という小冊子を受け取った。

「糾弾した側が、抗議書やそれに対する回答、新聞記事などをまとめたものですが、そこに記された事件の経過に怒りをおぼえました。これは市民運動として最低だ、と」(森氏)

その資料によれば、ことの発端はこうだ。昭和四五年(70年)、小学館の学習雑誌『小学二生生』十一月号に掲載された「怪獣決戦カード」の怪獣のなかのスペル星人の写真に「ひばくせい人」との説明書きがあった。それを発見した中学一年の少女が、原爆被害者団体協議会の委員をつとめる父親N氏に相談、父親は小学館に抗議の手紙を書いたが、その回答を待たずに朝日新聞が記事としてとりあげたため、問題は拡大していった。ちなみにN氏一家は被爆者ではない。

その後、他社の出版物からも「スペル星人」の記述が集められ、すべてが激しい糾弾にさらされた。「被爆星人」というネーミングをしたのは、脚本の佐々木守、監督の実相寺昭雄はじめ、作品 の作り手たちではなかったのだが、結局、制作プロはこのスペル星人の登場する「遊星より愛をこめて」を欠番とし、以後、あらゆるメディアへの露出を「封印」した。

糾弾側の主張はこの一点につきる。「被爆者を怪獣あつかいするのは差別の助長につながる」

「まず第一の問題は、この『遊星より愛をこめて』という作品が問題になったのではないということです。直接の対象は出版物における表現だったので、この『問題資料集』を読んでも作品のストーリーや演出、セリフなどへの、糾弾側の言及はありません。制作プロ側は回答のなかで再三、作品そのものは核兵器の恐ろしさを訴えたものである、と説明しているにもかかわらず、糾弾側はまったく作品そのものを見ようとはせずに否定し去ったのです」(森氏)

森氏は部落解放運動に関与していた頃、今井正監督の映画『橋のない川』の上映阻止運動に参加した。『橋のない川』のテーマは、被差別部落の解放にあったのだが、それが広島の学校で上映された後、女子学生が自殺し、それが上映阻止運動を呼びおこした。しかし、森氏はその運動へのかかわり方は間違っていたと総括する。

「ぼくたちのグループは作品そのものを見もせずに糾弾したわけです。でも、後になって、ちゃんと見たうえで糾弾すべきかどうか考えるべきだったと後悔しました」(森氏)

次に「怪獣」あつかいしたという事実そのものがないことである。『“ひばく怪獣”問題資料集』という書名どおり、糾弾側は一貫して「星人」を「怪獣」として語っている。しかし『ウルトラセブン』における宇宙人というものは、「獣」ではなく「別の星の人間」なのである。ましてやこの「遊星より愛をこめて」では、スペル星人は地球人の女性と愛し合う「人間」として描かれているのだ。

「糾弾側の背景にあるのは“怪獣もの”に対する無知と偏見です。糾弾側の資料には何度も“たかが怪獣”という記述が見られます。それこそ差別ではないでしょうか」(森氏)

糾弾側のN氏は「これまで二年間も『ひばく怪獣』の存在自体に気づかなかった不明を恥じる」と述べている(問題になったのは本放送後三年目だったが)。

「ゴジラのことは知らなかったんでしょうか。二年どころか三十年も前からずっと『被爆怪獣』だったのに。糾弾側はスペル星人の肌の火傷跡を問題視してますが、ゴジラや『地球防衛軍』のミステリアンはどうなるんでしょう。それに放射能の被害者としての怪獣はそれこそ数え切れないほどいますよ。アメリカ映画の怪獣なんてほとんどそうだし......それを全部糾弾するつもりですかね」(森氏)

「怪獣」になぞらえられるのは、核の被害者だけではない。日本の「鬼」は異民族、西洋の「龍」や「悪魔」は異教徒の象徴だった。そもそもすべての怪獣は「異形の者」ではないか。しかし、怪獣映画とは、そうした被迫害者を蔑視するためのものではなく、虐げられ追いつめられた者の怒りと悲しみを市民社会にぶつけるドラマなのである。

ウルトラ・シリーズでは、金城哲夫、上原正三という沖縄人自身が、沖縄人を怪獣や宇宙人に象徴させ、差別への怨念を表現している。これを書いている私自身(注・町山(柳)智浩氏)、在日朝鮮人であるが、そういう形でしか訴えられない怒りや悲しみはあると思っている。上原氏が在日朝鮮人差別の悲劇を、宇宙人の物語として描いた「怪獣使いと少年」は、私にも深い感銘をもたらした。しかし、スペル星人糾弾の先頭に立ったのは、差別の当事者ではない「善意の」市民運動家であった。そもそもこの「遊星より愛をこめて」は、核兵器を全廃した近未来の地球を舞台にし、そこに核の悲劇を背負った宇宙人を登場させることで、平和と繁栄に溺れ、核の恐怖を忘れたすべての日本人を批判しているのだ。

しかし、糾弾の直接の対象になった出版物には安易にスペル星人を「悪の怪獣」としているものも多く、すべての人が作家の深い意図を理解できるわけではない。そして、そうした表現で傷つく人びとがいるのも事実である。

ただ、これだけは断言できる。糾弾側は少なくとも一度でも作品を見るべきであった。

未だ、関係者のほとんどは森氏への回答を保留し、すでに他界した人も多い。それでも森氏はこの「スペル星人復権運動」を続けていく気概である。

「早く解き放されてただのファンに戻りたいんですけどね。でもいつまでも隠蔽されたままじゃ作品も浮かばれないし、これはぼくが過去に間違った差別糾弾運動に加担したことに対する、自分なりのケリのつけ方でもあるんですよね」(森氏)



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