世界の歴史にその名を残した大量虐殺集団ナチスへの貢献に尽力していた殺人犯、それが「チベット大虐殺」捏造映画の原作本を書いた人物でありダライ・ラマ14世の師でもあったハインリッヒ・ハラーの正体である。

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CIAとチベットの関係
「もう一つのアメリカ政府」とも呼ばれる米帝の諜報機関CIA(アメリカ中央情報局)とはこのように対外テロリストを育成する危険極まりない卑怯卑劣な工作機関である。そしてダライ・ラマ14世とはそのようなテロリスト育成機関に育てられたテロ集団の指導者である。



目次
1. CIAが作ったチベットゲリラを閲兵するダライ・ラマ14世
2. ダライラマグループがCIAから金銭を受け取ったと述べる
3. 王柯『多民族国家 中国』(岩波新書)より
4. 1959年、チベット武装勢力反乱の真相
5. CIA ダライ・ラマ側に対中闘争の資金と武器の援助していた
6. 動画:CIA とチベット:関係者の証言



CIAが作ったチベットゲリラを閲兵するダライ・ラマ14世




ダライラマグループがCIAから金銭を受け取ったと述べる

World News Briefs; Dalai Lama Group Says It Got Money From C.I.A.

Published: October 2, 1998

NEW DELHI, Oct. 1— The Dalai Lama's administration acknowledged today that it received $1.7 million a year in the 1960's from the Central Intelligence Agency, but denied reports that the Tibetan leader benefited personally from an annual subsidy of $180,000.

The money allocated for the resistance movement was spent on training volunteers and paying for guerrilla operations against the Chinese, the Tibetan government-in-exile said in a statement. It added that the subsidy earmarked for the Dalai Lama was spent on setting up offices in Geneva and New York and on international lobbying.

The Dalai Lama, 63, a revered spiritual leader both in his Himalayan homeland and in Western nations, fled Tibet in 1959 after a failed uprising against a Chinese military occupation, which began in 1950.

The decade-long covert program to support the Tibetan independence movement was part of the C.I.A.'s worldwide effort to undermine Communist governments, particularly in the Soviet Union and China.

[日本語要約]

1998年10月2日、ダライ・ラマ14世側はCIAから170万米ドルにのぼる資金援助を1960年代に受けていたことを認めた。

援助資金は、志願兵の訓練や対中華人民共和国戦用のゲリラへの支払に費やされた。またダライ・ラマ14世への助成金は、スイスや米国での事務所設立や国際的なロビー活動にも充てられた。

長年にわたってチベット独立運動を支援したCIAの秘密工作は、中華人民共和国・ソビエト連邦などの共産圏を弱体化させる目的の一環でもあった。



王柯『多民族国家 中国』(岩波新書)より

中国少数民族問題の概説書である王柯『多民族国家 中国』(岩波新書)には以下の記載がある。

出典:王柯『多民族国家 中国』(岩波新書)のP141

すでに一九五七年から、アメリカCIAは中国政府に不満を抱くチベット族住民に対する軍事訓練をおこない、無線連絡の技術を教えて機材も提供しはじめた。一九五八年からはアメリカで訓練を受けたチベット族の人、および武器と生活物資などを飛行機でチベット現地へ運び、空中投下した。しかしニクソン大統領が一九七二年に中国を訪問し、アメリカがチベットに対して実施してきた経済支援と武器の空中投下、無線連絡機材の提供などを全面停止した。それから、アメリカ政府はまるでチベット問題を忘れたかのように口にしなくなったのである。




1959年、チベット武装勢力反乱の真相

平和解放前、西蔵(チベット)では上層僧侶と貴族の独占による封建農奴制が敷かれ、膨大な数の農奴は農奴制の足枷が外れることを切実に求めていた。中央人民政府はチベットの歴史と現実的な特殊な状況を考慮し、チベットの社会制度を改革する上で極めて慎重な態度を取り、改革の時期はチベットが独自に決定する方針をとった。

しかし、チベットを統治していた上層グループの一部は自らの利益を守ろうと根本から改革に反対し、永久に農奴制を維持しようとしていた。そして、「17カ条協定」を故意に破棄し、祖国分裂活動を激しく展開した。

1952年、1955年、1956年に反乱者は分裂・破壊活動を繰り返し、1957年にはその激しさを増し、反乱武装組織を発足し、「チベット独立」および改革反対のスローガンをかかげ、幹部を虐殺し、交通を封鎖し、中央の派遣機関や部隊を襲撃し、至る所で略奪、人民殺害、婦女暴行を行った。

中央人民政府は民族団結の精神に則り、チベット地方政府が責任を持って反乱分子を処分し、社会の治安を守るよう再三にわたって催促。チベット地方政府のガロン〈高級官僚〉に対して「中央のチベット地区での改革先送りに変更はなく、将来改革を実施する際も平和改革の方針をとるつもりだ」と報告した。しかし、チベット上層は中央のこのような仁義を尽くした態度につけこんできた。

チベットの武装反乱は、始めから海外の反中国勢力の支援を受けてきた。米国のノーマン・C・ホール著「米国とチベットと中国」には、1957年米中央情報局(CIA)がかつてチベット人反乱分子を米国国内で訓練し、チベットに送り返して分裂・破壊活動を指図していたと書かれている。1975年9月5日に香港で出版された「遠東経済評論」には「米国中央情報局のチベットに対する陰謀」として、米国がかつてチベットの反乱分子に大量の武器・弾薬を提供していたことが記載されている。

チベットでは農奴制度をどうにか堅持したい農奴主と国外の反中国勢力が結託し、反乱活動は瞬く間に蔓延した。1959年3月10日にラサで発生した大規模な武装反乱は入念に画策して引起されたものだ。

ダライ・ラマは2月7日、チベット軍区のトウ少東・副司令員らに「チベット軍区文化芸術工作団が内陸部で学んできた舞台はすばらしいものだと聞いた。私も一度観てみたい。その手配をお願いできますか」と自ら要求してきた。トウ副指令員らは即座に快諾、都合のいい時間と場所を確認したところ、ダライ・ラマは3月8日、10日午後3時にチベット軍区の講堂で舞台を観るといい、チベット軍区側は接待の準備を周到に行った。

にもかかわらず、拉薩墨本(市長)は3月9日夜、「ダライ・ラマが明日、軍区の宴会に出席し、舞台を観ることになった。漢人は飛行機を準備し、ダライ・ラマを北京に連行するつもりだ。どの家庭からも人を出して、ダライ・ラマの住むノルブリンカに舞台を観に行かないよう陳情しよう」と市民を煽り、翌日朝、2千人以上がノルブリンカに集まった。そこでさらに「軍区はダライ・ラマを毒殺するつもりだ」というデマを流し、「チベット独立」「漢人出ていけ」のスローガンを叫んだ。

反乱分子はその現場で、退任したチベット地方政府のガルンや、当時チベット軍区の副司令員だった桑頗・才旺仁増氏を殴打し、さらに自治区準備委員会委員だった堪窮巴拉・索朗降措氏を石で打ち殺し、その死体を市中まで馬に引きずらせてみせしめにした。その後、反乱の指導者はいわゆる「人民代表会議」「チベット独立国人民会議」を次々と開き、反乱武装勢力の組織と拡大に努めた。

ノルブリンカは反乱分子の監視下に置かれ、ダライ・ラマとの連絡は困難を極めたが、中央の譚冠三・代理代表はなんとか愛国人士を通じて3月10日と11日、15日にダライ・ラマに宛てて3通の手紙を出した。譚冠三氏は手紙の中で、ダライ・ラマの立場に理解を示し、彼の安全を気遣うとともに、チベット地方政府に反乱分子の荒れ狂った軍事挑発を直ちに制止するよう要求した。ダライ・ラマも3月11日、12日、16日に譚冠三氏にそれぞれ3通の返事を出した。その中には、「反動的な分子らが私の安全を守ることを口実に、私に危害を加える活動を行っている。私はこれを抑えようと八方に手を尽くしている」「反動グループの違法行為は、私にとって悲しい限りだ・・・私の安全を守るという名目で発生した、中央と地方の関係を引き離す深刻な事件に対し、私はあらゆる手を尽くして処理にあたっている」と書かれていた。16 日の手紙には、地方政府の官僚らを「教育」し、「厳しく責任を問うた」とし、数日後には軍区に赴く意向を打ち明けた。このダライ・ラマが自ら綴った三通の手紙の原本を、かつて新華社の記者が撮影し、その写真は公開されている。

しかし、3月 17日夜、ダライ・ラマはガルンの索康、柳霞、夏蘇などの反乱の指導者に脅迫されてラサを逃げ出し、反乱武装勢力の「根拠地」である山南に向かった。その後、反乱が失敗し、再びインドに逃げた。

ダライ・ラマがラサを去った後、反乱分子は約7千人集め、3月20日明け方に党・政府・軍の機関に向けて全面攻撃を開始。人民解放軍はやむなく、当日午前10時に命令を受けて反撃した。愛国心あるチベット族の僧侶や人民の支援により、わずか2日間でラサ市の反乱は徹底的に平定。その後、反乱分子が長期的な拠点としていた山南地区でも反乱を平定、他の地域に波及していた反乱武装勢力も相次ぎ崩壊した。平定の過程で、人民解放軍の軍紀は厳正で、多くの僧侶らから真摯な擁護を受けた。(編集KA)

「人民網日本語版」2009年3月12日



CIA ダライ・ラマ側に対中闘争の資金と武器の援助していた

2012.07.15 07:00

中国人民解放軍が1949年にチベットに侵攻し、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世を事実上の軟禁状態にし、監視下においていた際、米中央情報局(CIA)がチベット支援のため、ダライ・ラマ側に年間18万ドル(当時のレートで約6480万円)と軽火器を提供するとともに、チベット兵に軍事訓練などの支援を行なっていたことが分かった。米ニューヨークを拠点とする中国専門情報Webサイト「多維新聞網」が報じた。

米政府が1959年3月のダライ・ラマのインド亡命後、資金援助などを行なっていたことは知られているが、それ以前にもCIAが資金とともに軽火器などを提供していたとの事実が明らかになるのは初めてだ。

それによると、ダライ・ラマの密使が1951年、ニューデリーの米国大使館とカルカッタ(現在のコルカタ)の米国領事館を訪れ、当時独立国だったチベットが中国共産党に対抗するために、ダライ・ラマへの支援提供や武器の援助を要請した。

これに対して、東西冷戦下で、共産主義のアジア各地への波及を恐れていた米政府はダライ・ラマへの資金援助などを了承するとともに、機関銃などの軽火器を提供することを決めた。さらに、チベット国内のほか、米国の米軍基地でチベット兵に軍事訓練を行なうことも約束した。

これらの交渉はダライ・ラマの2番目の兄、ギャロ・トンドゥプ氏が担当していたが、ダライ・ラマにとって交渉結果は事後承諾の形で報告されており、いまでも平和主義者で、非暴力主義で知られるダライ・ラマが当時、軍事闘争路線を承認したというわけではなさそうだ。

CIAがチベット軍を援助し、中国人民解放軍相手のゲリラ戦を支援する作戦は「セイント・サーカス(St. Circus)」とのコードネームで呼ばれ、チベット内の2か所の基地で3000人のチベット兵を武装させて軍事訓練を実施し、活動資金も提供したという。

1959年にダライ・ラマがインド亡命した後も、軍事的支援は続けられ、訓練は中国国境に近いネパール北西部の拠点を中心に行われた。また、CIAはゲリラ戦を行なうチベット人兵士259人を米コロラド州の基地に連れて行って軍事訓練を実施したという。訓練のプログラムは殺人、射撃、誘拐、爆撃、爆弾製造などで、訓練を受けたチベット兵は神出鬼没に中国領内に現れ、人民解放軍部隊を相手にかなりのダメージを与えたとされる。

ところが、これらの資金提供や軍事援助は1969年に突然中止となる。当時のニクソン政権の大統領補佐官だったヘンリー・キッシンジャー氏が対中関係改善を模索していた時期と符合しており、ニクソン大統領の決断だったとみられる。


※管理人注:記事中に「チベットに侵攻」とある箇所があるが、正しくは「チベットを解放」である。くれぐれも間違いのないように。なぜ「解放」なのかについては「中国のチベット平和解放は侵略ではない」を参照のこと。



動画:CIA とチベット:関係者の証言




関連項目
統一教会とチベットの関係
ナチスとチベットの関係
オウム真理教とチベットの関係


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統一教会とチベットの関係
南朝鮮起源の反共カルト宗教である統一教会は長らく反中工作活動を行ってきたことで知られるが、その一つとして大々的に行われてきたのがいわゆる「フリーチベット運動」である。

ダライ・ラマ14世が2007年に統一教会の教祖・文鮮明に祝電を送ったことや、自由チベット協議会が統一教会系の反共主義団体である世界平和連合の集会に堂々と参加していることからも明らかなように、いわゆる「フリーチベット運動」とは統一教会が深く関与する中国分裂工作の一つなのである。



目次
1. ダライ・ラマ14世が2007年に統一教会教祖の文鮮明に送った祝電の内容
2. 自由チベット協議会が統一教会の集会に参加
3. ペマ・ギャルポは統一教会系新聞である世界日報のコラムニスト
4. 動画:統一教会とフリーチベット ダライラマは文鮮明に祝電を送っていた。



ダライ・ラマ14世が2007年に統一教会教祖の文鮮明に送った祝電の内容

チベット仏教聖者 ダライ・ラマからの祝賀メッセージ内容

尊敬する文鮮明総裁、韓鶴子総裁。先日文亨進様を招待する機会があり、文総裁ご夫妻の世界平和と世界宗教に対する遠大な使命に関して深い対話を持てた機会がありました。

今回開催される世界平和首脳会議に文享進様の友人であるラマ王も招待してくださり誠に感謝をささげるものでございます。文総裁の88歳米寿生誕と韓鶴子総裁の65歳生誕を心からお祝い申し上げます。尊いみ旨を成就することができるよう祝福がともにあることを願います。

ダライ・ラマ



自由チベット協議会が統一教会の集会に参加

世界平和連合公式サイト曰く:
『「このままでは日本は滅びる〜共産主義は間違っている〜自由アジアと連帯せよ!」と題し東京議員・有識者救国セミナーが三月七日、 東京・新宿の都議会会議室で行われ、約百五十人が参加した。 国策研究地方議員協議会による主催、自由チベット協議会、日本ウイグル協会、全世界脱党支援センター及び本連合(IFVOC)/ 世界平和連合(FWP)が協催団体として加わった。』

※世界平和連合は統一教会系の反共主義団体。



ペマ・ギャルポは統一教会系新聞である世界日報のコラムニスト

チベット族出身の反中活動家であり日本において「チベット侵略」や「チベット大虐殺」などの歴史捏造を流布しているペマ・ギャルポは統一教会系新聞である世界日報のコラムニストである。

世界日報のサイトより。




動画:統一教会とフリーチベット ダライラマは文鮮明に祝電を送っていた。




関連項目
CIAとチベットの関係
オウム真理教とチベットの関係
ナチスとチベットの関係


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オウム真理教とチベットの関係
ダライ・ラマ14世は、あの地下鉄サリン事件を起こしたカルトテロリスト集団であるオウム真理教の教祖・麻原彰晃の師であった。オウム真理教の教義や教則などもその多くがダライを由来としているものであり、それだけダライは麻原およびオウム真理教に多大な影響を与えていた人物なのである。

ダライ・ラマ14世の存在があったからこそカルトテロリスト集団のオウム真理教がこの世に誕生し、地下鉄サリン事件その他の凶悪事件もこの世で発生し得たと言っても過言ではない。そのような凶悪なカルト宗教を生み出すことに一役買った悪魔のような坊主が率いる「亡命集団」がもしもチベットの独立国家を建国などしようものなら、一体どのようなおぞましい政教一致国家が誕生するのか、想像するのも恐ろしい話である。



目次
1. ダライ・ラマ14世と麻原彰晃のツーショット写真
2. オウム真理教の麻原彰晃とダライの関係
3. ダライ・ラマの称賛を“金で買った” 上祐氏が古巣・オウムに爆弾
4. ペマ・ギャルポとオウム真理教の関係
5. 動画:ダライ・ラマ14世とオウム真理教の麻原彰晃の関係



ダライ・ラマ14世と麻原彰晃のツーショット写真

※画像クリックで拡大。



『平和と友好のきずな - 麻原彰晃尊師とダライ・ラマ法王の親交』
『海を越え、届けられる真理教信徒の善意と布施』





オウム真理教の麻原彰晃とダライの関係

▽オウム真理教の麻原彰晃とダライの関係

オウム真理教の起こした一連の凶悪事件は世界に衝撃を与えた。1995年3月、日本の地下鉄で起こったサリン事件では12人が死亡し、5千人余りが負傷した。2004年2月27日、東京地方裁判所は13の罪名で教祖の麻原彰晃に死刑を言い渡した。2006年9月、最高裁の抗告棄却によって死刑が確定した。

地下鉄サリン事件の発生後、平和を愛する世界中の人々が怒りの矛先を麻原彰晃とオウム真理教に向けていた頃、ダライは共同通信を通じて、「オウム真理教は仏教の教義を広める宗教であり、麻原彰晃は自らの友人である」との意見を発表し、大きな反響を呼んだ。ダライはなぜこのような意見を発表したのか。それは、麻原彰晃という邪教の指導者が実のところダライの「生徒」だったからだ。ダライのこのような汚れた過去に対し、良心を失ったメディアは見て見ぬふりをし、二人の関係をなかったもののようにしている。

ダライはこれまで12回にわたって日本を訪れている。1984年の訪問では当時29歳の麻原と会ったという情報もある。麻原は1986年、インドを訪れた後にオウム真理教を正式に設立。翌1987年、麻原は再びインドを訪れ、ダライと会っている。この時、ダライは麻原に対し、「親愛なる友人よ、日本の仏教はすでに退廃してしまった。このまま行けば、仏教は日本で消えてしまうだろう。あなたは故郷で本当の仏教を伝えなければならない。仏の境地を知るあなたは最良の人選だ。あなたが日本で布教することを私はとても嬉しい。そうすることは私の仕事を助けることでもある」との内容の発言を行った。この会見時、ダライは麻原に祝福を与え、「師弟関係」を結んだといわれる。

ダライは自らの「生徒」の働きにとても満足していた。1995年の事件が発生するまでの8年間、二人は5回にわたって顔を合わせ、手紙のやりとりをしばしば行っていた。1989年、麻原は10万ドルをダライに寄付し、ダライは証書と推薦状をもってこれに返答した。ダライは東京の関連部門にあてた推薦状の中で、「麻原彰晃は能力のある宗教的指導者であり、オウム真理教は大乗仏教を広め公共の善を促す宗教だ」とし、「オウム真理教への免税を許可するべきだ」とまで書いている。オウム真理教はこの証明書と推薦状によって、日本政府が正式に承認する宗教団体となった。その後、大量の資金を蓄積してサリンの研究と生産を行ったのは周知の通りだ。

麻原は日本で合法的な地位を得た後、ダライに感謝状を送り、「私たちの希望はチベットができるだけ早くチベット人の手に帰ることです。私たちはそのためにできるだけの援助をしていきます」と述べている。麻原はダライの指示を受け、チベット地域に2回にわたってもぐりこみ、「布教活動」を行っている。麻原はダライが自らの指導者であることを正式に認めている。オウム真理教の教義や教則なども多くがダライを由来とするものだ。

ドイツの週刊誌「フォーカス」は、「ダライの支援がなければ、麻原彰晃が自らの宗教帝国を作ることは不可能だった。ただの治療師であり詐欺師でしかなかった麻原が数年の短期間であっという間に大教団の教祖となるのも、ダライの支援がなければこれほど簡単ではなかったはずだ」と指摘している。ダライが麻原をこれほど重用したのは、麻原からの金銭支援をあてにしていたためだけではなく、麻原を通じて日本の仏教を改革したいと考えていたためだ。ダライが麻原と結託したのは、「チベット独立」を支援する弟子たちを日本に増やしたかったからにほかならない。ダライのこの勝手な計算は邪教の崩壊という結果に終わった。自己の信徒の生命を損なう邪教が目立つ中で、ダライの高弟である麻原彰晃が作り出したオウム真理教は、教団外の罪のない人々をテロ攻撃する教団として、人々に大きな衝撃を与えた。(「鳳凰週刊」よりダイジェスト、編集MA)

「人民網日本語版」2008年12月25日



ダライ・ラマの称賛を“金で買った” 上祐氏が古巣・オウムに爆弾

2015年01月21日 08時00分

オウム真理教元信者高橋克也被告(56)の第2回の裁判員裁判が19日、東京地裁で開かれ、元幹部の上祐史浩氏(52)が証人出廷した。

オウム裁判に証人として出るのは初。現在は麻原彰晃死刑囚(59)と決別して、新団体「ひかりの輪」代表の立場だ。法廷では古巣への冷静な批判を繰り広げた。

オウム教義は「ヨガ団体にチベット密教とキリスト教の終末思想が入った寄せ集め」と指摘。当時、入信した若者たちは上祐氏を含めて、「ノストラダムスの大予言」やアニメにかなり影響されていたと語る。

「私は第3次世界大戦が起こると思っていた」。裁判後の会見では「『宇宙戦艦ヤマト』も『機動戦士ガンダム』も世界大戦を描いた。ハルマゲドンのキーワードがいくらでもあった」と述べた。

幹部しか知らない仰天事実も明らかに。サリン事件後、麻原死刑囚が「1995年の11月には戦争だ!」と発言したと証言した。「11月」「戦争」という言葉は記憶しているという。サリン以上のテロの可能性があったとは恐ろしい。

また、教団がダライ・ラマ14世に莫大な寄付をしていたことも明らかに。「麻原は100万ドルを目標にして、たぶん1億円を超えた」。80年代後半、ダライ・ラマは麻原と対談して称賛の言葉を贈っている。

「お金の取引で、高名なダライ・ラマが称賛の言葉を贈ると思えず、信じた」と上祐氏。ダライ・ラマは89年にノーベル平和賞を受賞。名僧ブランドでオウムの信用が上がったことは、信者獲得の一因に違いない。

高橋被告とは出家の時期が近いが「付き合いがない。要するに影の薄い男」と振り返る。謝罪の言葉が出ないことに「心の中が整理できてない。(信仰心が)残ってなければ、宗教的に正当化できない事件だった。個人の関与は別にして、教団の関与は明らか。それでも(謝罪が)ないのは、麻原への信仰が残っていると考えるのが合理的」と指摘した。



ペマ・ギャルポとオウム真理教の関係

日本において「チベット侵略」や「チベット大虐殺」などの歴史捏造を流布しているチベット族出身の反中活動家でありダライと麻原を引き合わせた張本人でもあるペマ・ギャルポも当初はオウム真理教との関係を持っていたが、後に関係を切っている。

彼は1999年2月25日に宗教関連団体「大阪国際宗教同志会」の講演「チベット仏教とは何か」において以下のように発言した。

それから、「オウム」の問題......。オウム真理教の問題に関しても、私はもちろん加担しました。なんていうかな、麻原彰晃さんがある程度、偉くなるのにですね、良い意味でも悪い意味でもそれなりに貢献したのは事実です。というのは、彼をインドに最初に紹介したのは私だったんです。しかし、その時は、私なりの打算がありました。私は今までに二回詐欺に遭ったことがありますけれども、よく考えてみますと、その詐欺師だけが悪いのではなく、自分の中にもちゃんと計算(打算)があるんですね。ですから、不可能なものを可能であろうと信じたりするんです。

それと同じように、麻原さんの時もやっぱり、日本の仏教とチベットの仏教は兄弟みたいなものだけれども、もし麻原さんがチベット仏教の信仰者になれば、これは息子みたいになるから......、と本当に思ったんです。そうしたら、もっともっとこちらが直接、何事もお願いしやすくなると思ったんです。そういう過去がありました。ただ、何カ月もしないうちにいろんなことが判ってきて、最後には、私は「麻原さんとはお付き合いしないほうがいい」ということを、ダライ・ラマ法王庁に申し上げました。

1999年2月25日 ペマ・ギャルポ

なお、「彼をインドに最初に紹介したのは私だったんです」の「インド」とはインドのダラムサラにあるダライ・ラマ14世のチベット亡命政権のことである。



動画:ダライ・ラマ14世とオウム真理教の麻原彰晃の関係




関連項目
ナチスとチベットの関係
統一教会とチベットの関係
CIAとチベットの関係


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ナチスとチベットの関係
世界の歴史にその名を残した大量虐殺集団ナチスへの貢献に尽力していた殺人犯、それが「チベット大虐殺」捏造映画の原作本を書いた人物でありダライ・ラマ14世の師でもあったハインリッヒ・ハラーの正体である。

まったくこの者にしても、米帝にしても、日本右翼勢力にしても、当の自分ら自身が人殺しの犯罪者であるくせにその事実を棚上げして中国に「チベット大虐殺」などという濡れ衣を着せるとは実に片腹の痛い話である。

ちなみに「チベット大虐殺」が捏造であることは「「チベット大虐殺」は反中勢力が捏造した嘘」を読めばわかる。



目次
1. ハインリッヒ・ハラーの暴かれた過去



ハインリッヒ・ハラーの暴かれた過去

▽ハインリッヒ・ハラーの暴かれた過去

ドイツの週刊誌「シュテルン」は1997年5月28日、ダライの啓蒙教師として有名なハインリッヒ・ハラーとナチスとの関係を決定付ける証拠を明らかにした。ハラーとナチスとの関係はそれまでにもたびたび問題になっていたが、文献的な証拠が不足しており、ハラー自身もナチスとの関係を否定していた。「シュテルン」が暴露したのは、ベルリンの連邦資料館で発見されたハラーの原資料。80ページにわたるこの資料によると、1912年7月6日に生まれたハラーは1938年5月4日にナチ党に入党し、党員番号「6307081」を持っていた。ナチ親衛隊のメンバーでもあり、所属部隊は「38部隊」、隊員番号は「73896」。資料にはハラーの手書きの履歴書もあり、ハラーが1938年4月1日に親衛隊での活動を始めたことが記されている。それ以前の1933年10月からもオーストリアで当時非合法だった突撃隊の活動に尽力していたという。この履歴書には、襟にナチスのシンボルをつけたハラーの証明写真も貼られている。

「シュテルン」は、「ナチスとの関係について追究を受けたことのないハラーは、何の妨げもなくスーパースターになってしまった」と論じる。ハラーは西蔵(チベット)に逃げ、1946年頃にはダライの教師も務めた。その後、ハラーの著した「チベットの7年」は大きな反響を生み、40余りの言語に翻訳され、読者は5千万人を超えるベストセラーとなった。ハラー自身も、「人権の擁護者」との名声を受けるようになった。とりわけハリウッドが巨額を投じて同書を映画化(「セブン・イヤーズ・イン・チベット」)したことから、ハラーは西側諸国で英雄視されるようになった。だが、ハラーの真実の過去が明らかになった今、人々はもう一度考えなおしてみるべきではないだろうか。半世紀にわたって嘘をつき世界の人々をだましていたハラーのような人の言論にどれほどの信頼性があるのか。自らの過去をでたらめでかためたハラーのような人がチベットの状況に対して下した評価が客観的で公正なものだったといえるのか。

「人民網日本語版」2008年12月25日



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