レーニン 働かざる者食うべからず かつて、レーニンがこの言葉を使った際には不労所得で荒稼ぎする資産家達を戒める為のものであった。どうも、社会主義国家を目指したレーニンが、資産家を批判するために、この言葉を使ったそうですね。つまり、大前提として、社会主義国家が資本主義を批判したものみたいなんですよ。それが、資本主義国家である日本で当たり前のように使われている。おかしくないですか?そもそも、資本主義国家である以上、不労所得を得る資産家の存在は大前提のはず。資産家たちの支配階級が、労働者階級を縛り付けるために「働かざるもの食うべからず」を広めたんじゃないかと勘ぐってしまうくらいおかしい。ちなみにソ連では「働かざるもの食うべからず」は憲法で定められていたそうです。












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http://jiyu-works.com/category7/category5/entry27.html


$本当に「働かざるもの食うべからず」なのか









いまの日本では、





「働かざるもの」は、





「食うべからず」





らしい。





早い話、働かない人間は、死ねという意味だよね。





オレは、この考え方に、大反対。





人間は生きているだけで価値があり、





「何かをしなければ価値がない」





という価値観には大いに疑問を感じている。





「働かざるもの食うべからず」





という者は、もし自らが働かなくなったら、もしくは働けなくなった場合、食わない生き方を実践してくれる(もしくは死ぬ)と、オレは信じている。





・・・多分、生き続けると思うが。





そういうことを言う人間は、自分自身も身を切るような労働環境に身を置いてきたのだろう。





「自分自身もつらかったけど、頑張った。だから、おまえも頑張れ」





と、いうことなのかもしれない。











だけどね、





「頑張ったのは、自分の為だけなのに、他人をそんな風に断じるのは、心の胆力が足りていない」





と、思わないのだろうか。





とはいえ、社会は、みんなの労働で成り立っている部分もあるので、それぞれの人ができる範囲で働いて、稼いだ範囲内で生きていけば、それでいいんじゃないのかな。と思う。





その結果、労働時間が週に2日でも、週に5日でも、いいじゃないか。





もっと、働くことについて、柔軟な捉え方ができる社会になることを願っているよ。






後日、調べてみた





なんだか、すっきりしなかったので、もう少し深く調べてみた。





「働かざるもの食うべからず」の出所は、





聖書の一節らしいよ。





If any would not work ,neither should he eat.



「働こうとしないものは、食べることもしてはならない」





だって・・・。





その後、ソビエト(社会主義国だった)の初代指導者のレーニンは、





「不労所得者の荒稼ぎを戒める意味」





として、この言葉を利用したらしいよ。



ソ連の憲法(1936:スターリン憲法)にも明記されてる。






In the USSR work is a duty and a matter of honor for every able-bodied citizen, in accordance with the principle: "He who does not work, neither shall he eat".





「ソ同盟においては、労働は、『働かざる者は食うべからず』の原則によって、労働能力のあるすべての市民の義務であり、名誉である。」







まあ、社会主義国であれば、みんなが平等に生きる源泉として、労働を称揚することは理解できるかな。





ひるがえって、いまの日本で、この言葉は、経営者,管理職など、企業体の上部層が、従業員・労働者などの、会のヒエラルキーの者に対して、過剰に搾取するための方便となっているような気がすごいするんだよね。





また、びっくりするのが、そういうことを言われた下層ヒエラルキー層が、さらに下のヒエラルキー層(パート、アルバイト、フリーター、ニート、主婦など)に、同じような発言をする。





ありえん・・・。





労働に対する日本の道徳教育・価値観教育は、「他人に対して優しくない方に偏っている」とオレはやっぱり思うんだな!





うーん、じゃあね~ん(*^^)v

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%83%8D%E3%81%8B%E3%81%96%E3%82%8B%E8%80%85%E9%A3%9F%E3%81%86%E3%81%B9%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%9A

働かざる者食うべからず





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「働かざる者食うべからず」(はたらかざるものくうべからず、英語: He who does not work, neither shall he eat.)とは、労働に関する慣用句である。



目次 [非表示]
1 意味
2 歴史
3 参考文献
4 脚注
5 関連項目


意味[編集]

働こうとしない怠惰な人間は食べることを許されない。食べるためにはまじめに働かなければならないということ。

歴史[編集]

[icon] この節の加筆が望まれています。

新約聖書の『テサロニケの信徒への手紙二』3章10節には「働きたくないものは食べてはならない」という一節がある。



If any would not work, neither should he eat. 「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」

これが「働かざる者食うべからず」という表現で広く知られることとなった。ここで書かれている「働きたくないもの」つまり「怠惰なもの」とは、当人の責任によらず、「働きたくても働けないため、人の世話になっている」といった、止むを得ない生活をしている人のことではなく、正当で有用な仕事に携わって働く意志をもたず、拒んでいる者のことである。

ソビエト社会主義共和国連邦およびソビエト連邦共産党(前身はボリシェヴィキ、現在はロシア連邦共産党)の初代指導者ウラジーミル・レーニンは、同党の機関紙「プラウダ」第17号(1919年1月12日発行)にて論文「競争をどう組織するか?」を寄稿し、「働かざるものは食うべからず」は社会主義の実践的戒律であると述べた。かつて、レーニンがこの言葉を使った際には不労所得で荒稼ぎする資産家達を戒めるためのものであった。その後憲法典では1936年制定のソビエト社会主義共和国連邦憲法(スターリン憲法)では第12条にこの表現がある(1991年ソ連崩壊でこの憲法は失効)。



In the USSR work is a duty and a matter of honor for every able-bodied citizen, in accordance with the principle: "He who does not work, neither shall he eat". 「ソ同盟においては、労働は、『働かざる者は食うべからず』の原則によって、労働能力のあるすべての市民の義務であり、名誉である。」

近年の日本では、本来の意味から離れ、経営者にとって都合の良いプロパガンダに変わり、「失業者は食わずに我慢しろ」「営業成績の悪い営業マンは給料を与えない」という意味で使われることがある。日本は社会主義国のように労働の機会のすべてを握っていないので、すべての失業者に適当な職業を紹介できない。よって、職業安定法などで失業対策をする義務を負っている[1]。なお、職業安定法による失業対策自体は、雇用を生み出しているのではないため、不景気の際には雇用を生み出す施策を講じることも求められる。

現実的に働いていない者の中から「(病気、障害などで)働きたくても働けない」者を選別するのは簡単なものではない[2]ために、ベーシックインカムの議論も生まれている。

参考文献[編集]
用例でわかる故事ことわざ辞典 学研辞典編集部 2005年 ISBN 978-4053017994
ベーシックインカム入門 山森亮 光文社 2009年 ISBN 9784334034924
日本国憲法とは何か 八木秀次 PHP研究所 2003年 ISBN 9784569628394

脚注[編集]

[ヘルプ]
1.^ 憲法読本第3版 杉原泰雄 岩波書店 2004年 ISBN 9784005004713 p144
2.^ ベーシックインカム入門 山森亮 光文社 2009年 ISBN 9784334034924 p60

関連項目[編集]
ニート
ヨシフ・スターリン - スターリン主義
働けば自由になる
不労所得
格差社会 - 自己責任 - 新自由主義

http://働きたくない.net/blog/2016/01/23/post-221/

「働かざるもの食うべからず」は社会主義国家が資産家を批判した思想にすぎない

2016/1/23 2016/1/23 働きたくない


akanohiroba

「働かざるもの食うべからず」という言葉がありますよね。

誰が考えたのか知りませんが、本当に最悪な言葉だと思います。



そもそも「食うべからず」といって柔らかくしているように見えますが、「死ね」と同意語ですよね。
「食う権利は無い」って「死ね」と同じですよね。

「働きたくない? ならば、死ぬがよい。」ってことですよね、コレ。

sinugayoi

いくらなんでも、あんまりじゃないですか?



「○○は死ぬべし」という言葉が平然とまかりとおっているって、おかしくないですか?

大体、どんな人でも「死ね」と言われたらつらいですよね。

それなのに、平然とこの言葉を使う人がいる。
こんなの絶対おかしいよ。



で、ちょっとWikipediaで調べてみたんですよ。


働こうとしない怠惰な人間は食べることを許されない。
食べるためにはまじめに働かなければならないということ。

ひえええ、怠惰な人間は「死ね」ということですよね。

犯罪者でも「死ね」と言われないのに、「働きたくない」は「死ね」になるのか…
そんなに「働きたくない」はダメなことなのか…


かつて、レーニンがこの言葉を使った際には不労所得で荒稼ぎする資産家達を戒める為のものであった。

どうも、社会主義国家を目指したレーニンが、資産家を批判するために、この言葉を使ったそうですね。
つまり、大前提として、社会主義国家が資本主義を批判したものみたいなんですよ。

それが、資本主義国家である日本で当たり前のように使われている。

おかしくないですか?



そもそも、資本主義国家である以上、不労所得を得る資産家の存在は大前提のはず。

資産家たちの支配階級が、労働者階級を縛り付けるために「働かざるもの食うべからず」を広めたんじゃないかと勘ぐってしまうくらいおかしい。

ちなみにソ連では「働かざるもの食うべからず」は憲法で定められていたそうです。


「ソ同盟においては、労働は、『働かざる者は食うべからず』の原則によって、労働能力のあるすべての市民の義務であり、名誉である。」

なお、ソ連は崩壊したわけで、こんな憲法は20年以上前にとっくに失効しています。

なのになんで「働かざるもの食うべからず」という言葉が平気でまかりとおっているんだ…

そういえば、日本の憲法では「勤労の義務」があるなぁと思って読み進めていると、


「勤労の義務」は日本国憲法第27条第1項に規定されている教育・納税と並ぶ日本国民の3大義務であるが、そもそも、日本のような資本主義社会において、労働は倫理的性格の活動でなく、労働者の生存を維持するためにやむをえなく行われる苦痛に満ちたものである。
人類の最終目的が、全てを機械化・自動化するによることにより、生きる為に必要な労働から解放されることであるならば、「働かざる者食うべからず」は時代錯誤と言えるのかもしれない。

Wikipediaさんが「時代錯誤」といってくれた!∩( ・ω・)∩バンジャーイ

そもそも、労働が義務というのがまずもっておかしいですよね。
義務にもかかわらず、労働したくても出来ない状態があったり。
働きたくても働けない人も憲法違反になるわけです。
どんな国だ…

さらに、義務という言葉を利用してなのか、明らかに人道的でない労働環境を用意して「働かざるもの食うべからず」と言ったり。

こんなの絶対おかしいよ。



まぁともかく「働かざるもの食うべからず」の語源がソ連にあり、資産家に向けた社会主義国家の思想だというのがよーくわかりました。
それが、言葉尻だけとられて、都合の良いように使われている感じですね。

「お客様は神さまです」みたいなものですね。
これも、歌手の三波春夫さんが「神さまにささげるようなつもりで歌う」という意図でいったのに、客のほうが「お客様は神さまだろうが!」となったり。

言葉って難しいものですね…

http://www.clinic-nishikawa.com/archives/1829

働かざる者食うべからず

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投稿日:2014年11月24日|カテゴリ:コラム


「働かざる者食うべからず」という慣用句がある。英語だと「He who does not work, neither shall he eat」だ。ソビエト社会主義共和国連邦を立ち上げたウラジーミル・レーニンが社会主義の実践的戒律として掲げた言葉だ。
実はこの言葉の出典は新約聖書「テサロニケの信徒への手紙二」3章10節にある「働こうとしない者は、食べることもしてはいけない」による。本来、働きたくても病気やけがで働けない者に対して「食うな」とは言っていない。
レーニンもこの言葉を不労所得で荒稼ぎする資産家たちの生き方に対する戒めとして掲げたのであって、働きたいにも拘わらず何らかの理由で働くことができない者は、社会で救済しなければならないと考えていた。
だが、最近この言葉は「失業者は食わずに我慢しろ」とか「営業成績の悪い社員の給料は下げて当然」のように経営者にとって都合よく曲解されて使われる傾向がある。
正当な理由なくして勤労を拒否してはならないという精神は、現在の日本国憲法にも謳われている。第27条に「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」とあり、勤労は教育、納税とならんで国民の3大義務とされている。

さて、広辞苑によると勤労とは「心身を労して勤めに励むこと」とある。平たく言えば汗水たらして働くことを言う。時代とともに仕事の形は変わっていくとしても、勤労の本質は変わらないはずだ。
ところが、このところ勤労を誤解している者が多くなっているように思う。筋肉を使って汗を垂らすことは単なる苦痛であり、下等な勤労と考えるようになった。
生活保護を受けている若者に「被災地の復興や、東京オリンピックで人が足りないと言っているから、その気になれば仕事はあるんじゃないの?」と尋ねると「いや僕に合った事務仕事はないんですよ」と返ってくる。体を使う仕事は端から頭にないようだ。
それどころか勤労そのものをできる限り避けた方が良いものと考える人も少なくない。生活保護費でFX取引をやっている者もいる。
だが、まともに働こうとしない者の気持ちも理解できなくはない。なぜならば、今の世の中は勤労しない者の方が甘い汁を吸う仕組みになっているからだ。汗水垂らして働く者は正当な対価を与えられず搾取される一方である。
エアコンの効いた部屋でパソコンや電話1本で株や通貨の売買をするだけ。働かずして金儲けをする者が恥ずかしげもなく大手を振って歩く世の中の仕組み。
会社を興しても社業で世の中に貢献し、社員の生活を安定することを目標にせず、株式市場への上場を果たし、株価が上がったところで会社を叩き売って己のみが財を成すことを目標にしている者もいる。会社までもが金儲けのための商品になっている。そこで働く社員の顔は頭に浮かばないのであろうか。
会社は株主のものと言うが、とんでもない話だ。株主よりも社員が優先されてしかるべきだろう。
人のためになる勤労をし、その報酬として金を頂くのが本筋だと思うのだが、いつの間にか金儲けそのものが目標となり、勤労はその途中に立ち塞がる、何とか避けたいハードルになってしまったようだ。こんな価値観の中で若い者に汗水たらして働けと言っても無理というものだ。

こういう歪んだ価値観に拍車をかけるのがアベノミクスと自称する経済政策。なんと物価と株価が上がることを景気上昇の指標だという。
数字を操って一つの物を二つに見ることができる経済評論家とやらは納得かもしれないが、一つは一つにしか見えない私には物価と株価だけが上昇するだけで日本の生産力、経済力が向上するとは到底思えない。
いやむしろ多くの国民が疲弊して、国の力は損なわれると考える。利するのは円安差益で見かけ上の利益が増大する一部の大企業と、何ら生産に寄与することなく、株や外貨の売り買いをするだけで金儲けしている不労所得者の連中だけだ。

最近、再生可能な社会への転換の観点から江戸文化が世界中で見直されている。江戸時代の士農工商というヒエラルキーもあながち封建時代の悪しき差別制度として否定はできないのではなかろうか。
軍事を預かる士をトップとすることの是非はともかく、命をつなぐために最も重要な食料を生産する農民を尊び、次いで食料以外の様々な物品の生産にあたる職人を大切にし、自らは何も生産せずただ売り買いの差益で財を成す商人をもっとも卑しいとした考えは今こそ蘇るべきだ。

ソビエトの壮大な共産主義の実験は、競争原理を組み入れなかったことで失敗に終わった。ベルリンの壁崩壊は資本主義の共産主義に対する勝利の象徴と言われる。だが、自己中心的な欲望をどこまでも肥大化させる資本主義が最善とも思えない。この欲望システムは早晩地球を食いつくしてしまうだろう。
勤労を尊ぶ、そして勤労が報われる健全な社会の到来が望まれる
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