更に陰の実力者として元陸軍憲兵大尉の 甘粕大尉 がいました。 大杉栄や伊藤野枝を殺害したとされる人物です。 甘粕は表面的には満州国通信社や満州映画協会の理事などをしていましたが、 陰で里見甫と協力して中国大陸を舞台に数々の怪事件に関係し陰の帝王と言われていました。 里見甫が甘粕を通じて満州の影の部分に関係した事がわかります。 * 福家俊一  政治家、元上海大陸新報社長 「塩田潮著 岸信介」の中に書かれた話 里見は上海で阿片の総元締めをやっていた。・・・・ その莫大な阿片の上がりが軍事機密費として使われた。 関東軍が1株、満州国政府が1株、甘粕が1株という形で持っていた。 それが 月に80万円にもなる。(現在の20億円位) だから、甘粕は満州国の役人や軍人が内地(日本)に出張する時は、 飲むなら赤坂の「長谷川」、泊りは「帝国ホテル」に行けという調子で、後から一括して支払ってやっていた。





























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里見甫と満州と岸信介 記事専用プリント対応ページ

最終更新日:2014/05/28 17:01

闇の帝王としての里見は莫大な阿片の財力があるため、

興亜院、軍、政治家までがその金を頼りにするようになり、

満州国、国策会社、その他各方面に資金が流れるようになりました。

満州は各部署の代表は中国人がなっていましたが、実権は全て日本人が持っていました。

例えば皇帝は溥儀で、その下に国務総理(総理大臣)、各部大臣がいますが、そこまでは中国人です。

しかし国務総理を補佐するために国務院総務庁長官を、各部大臣の下に各部次長を置き、

そこが実際の権力を持っていました。

   *満州国組織の実権

国務院総務庁長官(最高権力者)

初代 駒井徳三(関東軍特務部長)

以降 大達茂雄

 星野直樹(日本の大蔵省から、A級戦犯)

 武部六蔵

 古海忠之(大蔵省から、中国の軍事裁判で18年の刑)

総務庁次長     岸信介(商工省から、A級戦犯、総理大臣)

各部大臣次長  実業部    岸信介

             法制局    武藤富男

             交通局    平井出貞三

そしてこれら満州国の人事権は内面指導と言う形で関東軍参謀第3課が持っていたので、

国の最高権力は関東軍が握っていた事になります。

岸信介が満州に行った時の第3課の課長は山下奉文でした。

当時の関東軍は司令官上田謙吉大将、参謀長板垣征四郎、憲兵隊司令官東条英機で、70万の大兵力でした。

* 古海忠之の回想録(岩波書店「世界」から)

重要事項は全部関東軍司令官の承認を経なければならなかった。

「何々の件承認ありたるに付き命により通牒す。関東軍参謀長」

という書面が総務長官に来なければ、政府は仕事をする事が出来なかった。



更に陰の実力者として元陸軍憲兵大尉の


甘粕大尉


がいました。

大杉栄や伊藤野枝を殺害したとされる人物です。

甘粕は表面的には満州国通信社や満州映画協会の理事などをしていましたが、

陰で里見甫と協力して中国大陸を舞台に数々の怪事件に関係し陰の帝王と言われていました。




里見甫が甘粕を通じて満州の影の部分に関係した事がわかります。

* 福家俊一  政治家、元上海大陸新報社長

「塩田潮著 岸信介」の中に書かれた話

里見は上海で阿片の総元締めをやっていた。・・・・

その莫大な阿片の上がりが軍事機密費として使われた。

関東軍が1株、満州国政府が1株、甘粕が1株という形で持っていた。

それが



月に80万円にもなる。(現在の20億円位)



だから、甘粕は満州国の役人や軍人が内地(日本)に出張する時は、

飲むなら赤坂の「長谷川」、泊りは「帝国ホテル」に行けという調子で、後から一括して支払ってやっていた。





当時実質的に満州の政治と経済を動かしていたのは、よく言われる「2キ3スケ」という5人の人物でした。

2キ    東条英機  星野直樹

3スケ   岸信介  松岡洋右  鮎川義介(日産の創始者)

その5人のバックに甘粕正彦がいて、甘粕を中心にして10人ほどの会をやっていました。

他のメンバ-には古海忠之や政治家の椎名悦三郎がいます。

正式な名称もないような会ですが、

さらにその陰のバックとして里見甫が阿片の販売益という面で関係している事は間違いないでしょう。

満州からの帰国後商工大臣になった岸信介の選挙資金の出所が里見だったという説がありますが、

あながち出鱈目とはいえないと思います。



その他の話としては

* 里見甫の墓に刻まれた「里見家の墓」という文字は岸信介が書いている。

* 古海忠之(満州国国務院総務庁長官)が里見の墓誌を書いている。

「・・・・支那事変の拡大とともに大本営参謀影佐禎昭の懇望により上海に移り

大陸経営(注:阿片政策)に参画、国策の遂行に当った」

古海は戦後、岸信介の世話で東京卸売りセンタ-の社長になっています。

* 佐藤栄作(後の総理大臣) 中支那振興会社社員  里見資金の援助を受けた


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始めに~阿片とは 記事専用プリント対応ページ

最終更新日:2014/03/01 11:08

日本軍(国家)が戦争中に行なった行為の中で、一般的にあまり知られていない事が色々ありますが、

その中に、国家自らが阿片の販売を取り仕切り、莫大な利益を上げていたという行為があります。

中国支配のために阿片中毒患者を国が率先して増やしていったという反人道的な面は勿論ですが、

阿片の販売から上がる収益を得る事が目的でもありました。

これは重大な問題でしょう。



東京裁判の判決では

1 満州国の経費を賄うため

2 中国軍の抵抗を弱めるため

と印されています。

しかしその後うやむやになり国民にも注目されませんでしたし、

戦後の歴史にも残りませんでした。

それは日本が阿片・麻薬を取り締まる

4つの国際条約(日本は批准していた)を無視した犯罪であることを自覚していたため、

敗戦時に徹底的に資料を焼却し、関係者も口を閉ざしていたからです。

このレポートではこの問題を書きます。



[ 阿片とは ]

   阿片はケシの花から作ります。

ケシは5~6月頃美しい10センチ位の白い花を咲かせます。(赤や紫もある)

花のあとに出来る楕円形の実を刃物で傷つけて出てきた乳液が阿片です。

その乳液を乾燥させて餅状にしたものが「生阿片」、

それを精製して練膏状にしたものを「阿片煙膏」と言います。

阿片の作用はそれに含まれる5~15%のモルヒネによるものです。

そのため阿片を精製して「モルヒネ」が作られます。

さらにそのモルヒネを加工したり合成したりしてジアセチルモルヒネを作ります。

それは通称「ヘロイン」と呼ばれます。


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日本での生産・販売の概要 記事専用プリント対応ページ

最終更新日:2014/05/28 16:22

阿片やモルヒネは主として医療用(痛み止め)に多く使われるため、

戦争があると負傷兵の治療に大量に消費されます。

ケシは日本には江戸時代中頃に入ってきたといわれ、当初は自由販売が主で、

栽培は大阪の三島郡でされていました。

1875年(明治8)には阿片専売法が制定され、その後は国家管理になりました。



大正時代になると大阪を始め、岡山、福岡、高知、広島等多くの地域で栽培されるようになります。

特に第一次世界大戦(1914年~18年)で外国からの医薬品が不足したため、急速に国内生産が増えてきます。

そして世界大戦終了後、今度はモルヒネが余ってしまったため、各国は中国に販売しようとします。

そこに日本が割り込んで膨大な市場を手に入れようとするのです。



当初日本では阿片からモルヒネを生産することが出来ず、ドイツやイギリスから輸入していましたが、

第一次世界大戦を契機として国内生産に踏み切りました。

1915年(大正4年)に星製薬(株)、大日本製薬(株)、(株)ラジウム商会、三共(株)が

独占的に国から台湾阿片を払い下げ、モルヒネやヘロイン生産を行ない莫大な利益を上げるようになるのです。

その後、モルヒネやヘロインの生産はどんどん増えて、中国に密輸できるようになって来ました。



そして遂に日本が阿片扱いの世界のトップクラスになったのです。

     * モルヒネの生産量  昭和10年  世界で 約31トン

                         アメリカ  6.3トン

                         ドイツ   6.3トン

           フランス  4.0トン

                         日本    3.1トン

        ヘロインの生産量  昭和10年  世界で  0.67トン

                         日本    0.25トン (世界で第1位)



これだけの量が日本国内で消費されるわけはなく、大部分が国策として中国に密輸されたものと思われます。

* 「国際阿片問題の経緯」 宮島幹之助 著 1935年   ジュネ-ブ国際阿片会議の日本委員

・・・・日本国内にはヘロイン、コカインの中毒者が多いという事実もないので、

他の疑惑を招くのは当然である。・・・・

異常なる多量の製造と消費と相まって、

麻薬の不正輸出あるにあらずやとの疑惑は依然として残っている。

http://www.oshietegensan.com/war-history/war-history_a/4900/
阿片と日の丸 記事専用プリント対応ページ

最終更新日:2014/05/28 17:02

阿片の販売は非公式ですが日本の国策でした。

実際に販売の手足になったのは朝鮮人や中国人が多かったのですが、

植民地や占領地でしたから治安も悪く危険も伴いました。

その為安全策としてアヘンの販売所では日本人を用心棒として雇ったり、

「日の丸」の旗を掲げることが多かったようです。

その為、一般の中国人の中には「日の丸」の旗を日本の国旗と思わずに、

阿片の販売所の旗だと思っていた人が多かったのです。

* 陸軍中将 池田純久著「陸軍葬儀委員長」から (元・参謀副長)

・・・・かれらは治外法権を盾に日の丸の国旗を掲げて公然とアヘンを売っているのである。

だから中国人のうちには、日の丸の旗を見て、これがアヘンの商標だと間違えているものが少なくなかった。

時々日本の国旗陵辱事件がおこり外交問題に発展することがあったが、

よく調べてみると、中国人はそれを国旗とは知らず、アヘンの商標だと思っていたという、

まったく笑い話のような滑稽談さえあった。

実にみっともない話です。

しかしアヘンでも、住民虐殺でも、多発した強姦事件でも、必ずそこには「日の丸」の国旗があったのは事実です。

私たち日本人には過去の事でも、被害者から見ると「日の丸」に良い感情を持たないのは当然かもしれません。

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最後に 記事専用プリント対応ページ

最終更新日:2014/03/01 11:15

戦争が悪いことなのは当然です。

その上にアヘンによって中国人を中毒患者にし、財産を収奪したことは戦争行為とは別です。

完全に反人道的な犯罪です。

しかもその利益で傀儡国家を運営し、戦争資金とし、一部の日本人は財産を手に入れました。

そしてそのみっともなさに誰一人として事実を解明し反省もしていないのです。



里見甫が何故東京裁判で裁かれなかったのか?

里見自身が不思議がっていたという後日談があります。

結果として戦後知らん顔をして、政治権力や財界の中心で活躍できた人が沢山いた事は事実です。



アヘンの問題で分かった事は、

満州国をはじめ日本が中国各地に作った多くの傀儡政権の赤字を埋めるために、

官・民・裏社会が一丸となってアヘンの入手、確保、販売に狂奔したことです。

官は外務省を始めとする役所・政治家・陸海軍・興亜院であり、

民は三井・三菱をはじめとする商社であり、

裏社会は里見機関その他です。



考えてみると現代日本の多くの問題が政官財癒着にある事と同じように思えます。

これだけの犯罪を犯した人たちが誰一人として罪に問われる事なく戦後日本の政財界に君臨していたのですから

その延長として現在があるのは仕方がないかもしれません。
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