キングダム 高田道場 高田 安生 桜庭ら高田派閥のプロレスラーに柔術を教えたセルジオ・ルイスの正体は? の解答

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グレイシー柔術の真実

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高田vsヒクソンに衝撃の新事実が!


ece1246a.jpg柔術黒帯の花くま先生の連載こそありますが、柔術とはおよそ無縁とも思われる格闘技&プロレス雑誌の「kamipro」に柔術に関連したオッ!と思われる記事が掲載されています。

そこでは『「高田延彦“最強”座談会「北尾戦、バービック戦、ヒクソン戦の真実!」』という座談会が掲載されていて、Uインター、キングダムに思い入れのあるパネラーが当時のことを振り返っているのですが、そこで興味深い新たな事実が明かされています。

それは高田vsヒクソン戦の前にあの〝ヒクソンを最も追い込んだ男〟として知られるセルジオ・ペーニャを招聘しvsヒクソンを想定したトレーニングをしていた、というもの。

セルジオ・ペーニャの経歴は「GONG GRAPLLE Vol.2」(現在入手困難。道場の友達に借りよう!資料的勝ち抜群の必読本!)に詳しく出ているので興味のある方はそちらを読んで頂きたいと思いますが、簡単にいうと80年代に柔術の試合で当時、無敵を誇っていたヒクソンに対し、試合終盤までポイントでリードしヒクソンに黒星をつける寸前までいった選手なのです。

結局、セルジオ・ペーニャはヒクソンの必殺技のマウントからの十字絞めで試合終了30秒前に一本で負けてしまうのですが、この試合とヒーガン・マチャド戦はヒクソンが負けそうになった試合として今も語り継がれています。

このセルジオ・ペーニャの元には植松直哉選手らも練習に訪れたことがありますが、まさかあの高田もがセルジオ・ペーニャの教えを受けていたとは意外な事実です。

でもその教えというのはヒクソンに対し「これをやったらダメ!」という禁止事項ばかりを教えたらしく、それを見た高田は「じゃあ何をやったらいいんだ!」となり、何もできなくなってしまったそうです。

そして高田は周知の通り、ヒクソンに2度までも成すすべなく敗れるのですが、さらに興味深いのはここから。

当時、Uインター所属だった桜庭も当然のようにセルジオ・ペーニャの教えを受け、実際にスパーなどもして(さらに極められて!)いたそうで、そのときに柔術のテクニックに触れて高田は「これをやられたらマズい」と思い、桜庭は「こうすれば勝てる」と思ったといいます。

そしてこのセルジオ・ペーニャとの練習での成果が後に桜庭の名前を一気に上げた「UFC JAPAN」でのマーカス・コナン戦での勝利につながるのです。

なんとも興味深いこの事実。

まさか「kamipro」でセルジオ・ペーニャの名前を目にするとは。

詳しくは現在発売中の「kamipro」を読んで下さい!

その「kamipro」にはこの座談会の他に若林太郎氏のインタビューも収録されています。

そちらも必読の内容になっていますよ!
http://diary.nbjc.jp/archives/2036690.html
「あのときヒクソンはセルジオの骨折した部分をはたいたんだ。そしてマウントを奪った」(byヒカルド・ピレス)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%BC
400戦無敗というマスコミの報道はもちろん誇張されたもので、本人が積極的に公言したわけではない。「ビーチでのストリートファイトも含めてそれぐらいの試合を経験した」と本人が佐山聡に語ったところ、それがキャッチフレーズとして使われ続け、今日に至っている。柔術を始めて間もない頃や米国のサンボの試合で敗れているが、本人はそれを隠すことなく認めている。しかし、道場での試合を含めて無敗というのは明らかな嘘で、叔父であるカーウソン・グレイシーの道場では何度も関節を極められて降参している。

ブラジリアン柔術がUFCでその名を世界的に知られるようになる以前は、その大会自体がまだ小規模で、しかも不定期開催だった。そのため、彼の実際の戦績を正確に把握することは極めて難しい。また記録に残る公式な試合より、ストリートファイトの経験のほうが多いともいわれている(GRACIE WAYを参照)。
道場では多くの弟子を持つが、自ら黒帯を与えたのは2006年1月に公表した時点で20人に過ぎない。そのうち日本人は1人だけ(アクシス柔術アカデミーの代表、渡辺孝真)である。
自然な生き方を追求しており、ヨーガなどの技術も取り入れた独特のトレーニングを行う。食事も可能な限り自然食に近いものしか口にしないという。船木戦前に取材を受けた際には、フライパンで炒めて油脂分を取り除いたツナ、スクランブルエッグ、ライ麦パンを常食していることを明かしている。
ジャン・ジャック・マチャドが18歳の頃、ヒクソンの個人レッスンを受けていた時期がある。ヒクソンは練習場所をリオデジャネイロのグレイシーウマイタ、午前6時半からと指定していたという。
ヒクソンが2006年6月頃リオにいたとき、パウロ・フィリォと練習を行った。そのときのことをパウロはインタビューの中で、ヒクソンほど技の知識の豊富な人に今まで出会ったことがないと、驚きとともに答えている(ADCC NEWSより)。
『GRACIE MAGAZINE』でのインタビューによれば、柔術の試合の90%は絞め技で終わらせていたという。
ヒクソンがリオで柔術大会に出ていた1980年代の最大のライバルはセルジオ・ペーニャ(Sergio Penha)(オズワルド・アウベス(Osvaldo Alves)の最高の弟子の1人)だったといわれている。1981年11月29日、Carioca Jiu-Jitsu Championship大会(AABB体育館)で2人は対戦した。当時ヒクソン74kg、ペーニャ84kg。はじめパスガードされるなどしポイント0-12でリードされていたが、終盤、機を見計らっていたかのように息を吹き返すと逆襲に転じ、テイクダウンを成功させたあとは即座にマウントをとりチョークで逆転勝利を収めた。
ハニ・ヤヒーラのキャッチコピーは「ヒクソンの弟子」になっているが、これは現実とは異なる。詳細は彼の項目を参照。
要求[編集]

ヒクソンをはじめ、グレイシー一族は試合に先立ってルールの変更を要求することが多かった。彼自身も「頭突きや肘打ちありの試合は流血になることが多く、観戦する人に嫌悪感を与えるから禁止にすべきである」と主張してルールの変更を要求したことがある。一般的に、頭突きや肘打ちありのルールはヒクソンのように寝技が得意な選手には有利とされるが、船木誠勝戦では敢えてその要求をごり押しした。

レイ・ズール戦[編集]

プロとしての初試合は、ルタ・リーブリの選手、レイ・ズール(PRIDEに参戦したズールの父)との試合であり、試合は2度行われている(2回目の試合がビデオGRACIE IN ACTIONに収められている)。1回目は1980年4月25日、ブラジリア市内の体育館で観客も少ない中で行われた。当時ヒクソン20歳。弟ホイラー(当時11歳)の証言によると、父エリオはホーウスに出場させたかったが、ホーウス自身が「もしズールが勝ったら私が次に出るが、彼はヒクソンに勝てない」と言い、ヒクソンに譲った。

当時のズールは身長192cm、体重81kg、年齢35歳。

試合は10分3ラウンド。開始早々ズールがヒクソンの腰をめがけて進んできたところを、ヒクソンは膝蹴り。これでズールは歯を2本折るがひるむことなく攻める。その後ヒクソンはズールにリング外に3度投げ出されながらも、2ラウンド目の2分経過時に裸絞めで勝利した。

ヒクソンは「この試合が今までで一番タフな試合だった」と語る。試合後ズールはヒクソンに近づき勝利を称えつつ「君には父親やホーウスという助けがある。しかし自分はそうではなく自分だけでここまできた」と述べたという。ヒクソンはこれを受けて「ズールがいかに特異な選手であったか、そして家族や神にどれだけ感謝しなければいけないか、この言葉によって気づいた」と述べている(GRACIE MAGAZINE参照)。

ヨーガ[編集]

ヒクソンはトレーニングの中にヨーガを取り入れている。ただし、このヨーガにはヒクソン独自のアレンジが加えられているため本来のヨーガとは多少異なる。

ヨーガの直接の師である、リオデジャネイロ在住のオーランド・カニが教えるエクササイズは、ヨーガとカラリパヤットと太極拳を組み合わせた、呼吸法がベースとなる独特なもの。動物の自然なしなやかさを身に付けることで格闘家の動物的本能を伸ばすことが目的という。このカニのもとでヨーガを学んだブラジルの格闘家は多い。

ヒクソンは彼のもとで1986年から1988年の終わり頃まで修行。カニは、ヒクソンは特殊な例であり今までで最高の弟子とし、非常に高い評価をしている。ヒクソンはそこからさらに彼独自に発展させている。彼のヨガのエクササイズの場面がよくテレビで放映されたことがあり、今のヨガブームの一翼を担った面も多少あると思われる。

本人によって続行される「ヒクソン幻想」[編集]

現在、MMAの試合からは完全に遠ざかったヒクソンであるが、本人がインタビューで答える内容からすると、いまだに世界のトップレベルの強豪と拳をまじえ戦いを制するだけの実力は秘めていると自称している。2009年に入ってからも(ヒクソンは50代)UFCヘビー級王者のブロック・レスナーやエメリヤーエンコ・ヒョードル相手に勝つ策はあると断言しているが実行はされていない[1]。

しかし、2010年9月26日のニコニコ動画における生放送番組に出演した際、視聴者から試合を行わなくなった理由について問われると「疲労や怪我の回復が遅くなった」と答えており、事実上選手としての引退を認めている。

















※高田延彦 桜庭和志 安生洋二ら高田派閥のプロレスラーに柔術を教えた黒帯柔術家セルジオルイス
聞きなれない名前ですんで今一ピンと来なかったのですが
ヒクソンと引き分けた男セルジオルイスの正体
それはフルコンではサジュオペニャンという呼び方でも知られる
ヒクソングレイシーを最も苦しめた男
Sergio Luiz da Penha
セルジオペーニャでした

既にブラジルブログでも紹介されていましたね

しっかし別冊宝島や泣き虫を読みましたが教わっておきながら言いぐさが酷い
コーチとしては最悪だの
ヒクソンの回し者だの

ヒクソンに負けた時の言い訳としてコーチの責任になすりつけるという
毎度ながらプロレスサイドの言い訳がましさが見苦しいですなぁ

やれ腰を痛めていただの(by高田)
やれ前日に酒を飲んでいただの(by安生)
ヒクソンからの回し者だの やる気が削がれただの(by高田 by鈴木健)

お前ら いい加減にさらせ!

あんだけ言い訳出来ない負けをしておきながら醜悪なまでの言い訳三昧…

そもそも桜庭や金原 ヤマケンが強くなったり柔術対策出来るようになったのも
ペーニャのコーチのお蔭だろうが!

な~んも知らない状態
ガードポジションもろくに知らない状態だったら瞬殺バーゲンセールでやられてるだろーが!

ったく恩知らずにも程があんなぁ
これだからプロレス関係の人間は誰一人として信用できねーんだよ
ったく…

ちなみに高田や安生らがヒクソンと引き分けた男というフレーズをばらまきたいようですが

実際にはペーニャはヒクソンと2度試合をし2度とも一本負けしています


ヒクソンはペーニャと戦い
1試合目は3分以内で一本勝ち
2試合目は大苦戦しながらも一本勝ち(しかも苦戦の原因はキムさんの破水 あわや流産か母子危篤の状態 入院騒動 ハクソンの出産による不眠 休息不足)

要するに一回も引き分けてはいないんですよねぇ…
(その辺の詳細は
ゴンググラップルvol 2
格闘ストライキングスピリット
柔術レジェンズ
フルコンタクトKARATE 94年7月号
に描かれています)

それがプロレスマスコミにかかれば引き分けた男にされるんですからなぁ…

いい加減にさらせ!

この大ウソつきのペテン師どもが!
(まぁ
これに関してはペーニャ自身がそう公言している可能性も無くはないが…)

あと安生のヒクソン道場破り事件についてもこの際だから言っておこう
安生は高田の兵隊です
ボスである高田の命令無しに動くとは到底思えません
にも関わらず自分一人でやっただの
安生が勝手にやっただの

ああ?
んなわきゃねーだろ!
上の許可がなきゃコンビニにも行かせてもらえない上下関係が封建制度並みの日本のプロレスでそんな好き勝手出来るわきゃねーだろ!
しらばっくれんのも大概にせーや!
ボケ!

他にも別冊宝島で一番頭にきたのはホクソンに対する発言
あれは俺ですら頭に来たくらいだからクロン道場の人間が見たら怒るどころの騒ぎじゃなくなるだろ…
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