無神論 歴史に記録されている世の中で最も極悪で残酷な罪は、宗教という名の下に行われている

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無神論





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最初に無神論者と自称したポール=アンリ・ティリ・ドルバック男爵
無神論(むしんろん、英語: atheism、ラテン語: atheismus)は、世界観の説明に神の存在、意思の介在などが存在しない、または不要と主張する考え方である。



目次 [非表示]
1 定義と範囲
2 語源
3 歴史 3.1 古代から中世 3.1.1 キリスト教との関係

3.2 日本近世期における無鬼論
3.3 近代

4 主張・発言
5 無神論と社会 5.1 西洋における意味
5.2 イスラムにおける扱い

6 著名な無神論者
7 脚注
8 参考文献
9 関連項目
10 外部リンク


定義と範囲[編集]

「無宗教」と混同されがちだが、無宗教は特定の宗教を支持しない状況を指しており、積極的に神を否定する無神論と厳密には区別して考えられるべきである。唯物論や機械論を無神論とみなす者もいるが、これらの理論は霊魂や物質世界への超越的な力の介入を否定しているのであって、必ずしも神の存在を否定しない。

無神論は一般的には既存宗教と対立するとみなされる考え方であり、両者の間には軋轢が生じることも多い。しかし、近年では科学の発展や浸透に伴って唯物論的な考え方が一般に受け入れられてきており、無神論に対する風当たりは弱まってきているとされる。一方で、保守的な地域では無神論に対する根強い不信感もある。さらに、アメリカ合衆国で台頭したインテリジェント・デザイン論のように、表向きでは科学と宗教の融合ないし折衷を自称しながら、実質的に自然科学を排斥する運動も見られる。厳格な無神論者は、宗教に対する激しい敵意を抱くことも多い。共産主義国における宗教の弾圧や虐殺などが無神論と結び付けられることも多い[要出典]。

神の観念は実に多様であるため、神の定義如何によってどんな考え方も無神論とみなしうるし、その逆も成り立つ。故に一部の一神教徒が汎神論宗教や仏教を「無神論」とすることがあり、逆に一部の多神教徒が一神教徒を「無神論」とすることもある。そのため無神論にはいくつかの定義が存在する。
広義には、また歴史的には「一神教におけるような唯一絶対の造物主を認めない立場」を指す。
狭義には、「神もしくはその他の類似の名前の付いた、人間や自然を超えた存在すべてを認めない立場」を指して無神論と呼ぶ。

広義の定義に当てはめれば、仏教や儒教は無神論的宗教であるが、狭義の定義に当てはめれば有神論的宗教とみなされる。現在のキリスト教的世界観では広義の定義が定着していると言えるが、多神教的世界観では狭義の定義が一般的な無神論の定義として扱われることが多い。

無神論は、神の存在についての考察や議論を避ける消極的無神論と、神の不在を明言する積極的無神論に分けられる。無神論の明確な対義語は有神論である。理神論や汎神論は、無神論と対義的に扱われることもあるし、消極的無神論の一部とみなされることもある。消極的無神論と不可知論は、時に見分けがつかないか重複する。積極的無神論者は常に宗教を批判するわけではない。したがって、反宗教主義と積極的無神論は区別されなければならない。宗教批判を行う強い無神論者は、しばしば「戦闘的無神論者」と呼ばれる。この語は信仰を持つ人を愚かであると見なすような、節度を越えた宗教批判へ非難の意味を込めて用いられることもある。

キリスト教の教義では神は、人間の「生前の行動が、最後の審判(死後の裁き)での判断基準となる」としている(解釈されている)が、全知全能たる神が、どの人間が正しい行動をとり、どの人間が正しくない行動をとるかを前もってわからないわけがないはずであり、この「全知全能たる神」の存在に関しての解釈(または説、説明)は、矛盾する点が指摘されている(予定説を参照)。

仏教は宗教学の類型では無神的宗教と呼ばれ、無神論とされることが多い[1]。フォイエルバッハやジークムント・フロイトのように神を人間の発明とする考え方は、仏教に通じるとされる[2]。ショーペンハウアーは仏教を「完璧」と言ったことがあり、エンゲルスも部分的ではあるが仏教の空を評価した[3]。しかし、仏教においてはキリスト教的な意味における「全知全能たる神」の存在を「考えていない」だけに過ぎないとする見方がある[要出典]。仏教では、そのような問題を無意味な議論として忌む傾向が強い。このような考え方はむしろ不可知論に近いとされるが、不可知論は「存在の可能性」を想定した上で、その「不可知」を論じている点など、根本的な違いがある(詳しくは、諸法無我、ブッダ(仏)と神等を参照)。また、仏教自体が宗教ではなく衛生学であると(好意的に)解釈したニーチェのように、仏教を宗教とはみなさない者もいる。

神について「敬して遠ざける」としている儒教についても、神の存在を完全に否定していることから無神論とみなされる場合が多い。事実、儒学者の中には無神論を積極的に唱える者も存在しており、「宗教として扱われる思想ではない」という見解が多い。神道を汎神論の一種と見なす考えも存在する[要出典]。「汎神論」=「無神論」という考えからすれば、神道もまた無神論の一種ということになる。

上述の通り、今日においても宗教学はキリスト教中心主義的な定義を行っており、唯一神教以外の宗教は無神論とみなされがちである。仏教などを無神論として分類する欧米の学者に対しては、それらの宗教の中で自説にあう側面のみを選択的に取り上げているという批判もある。

より中立的な定義として、神またはその他の名を持つ、人間を超えた超自然的な存在を考えない立場のことを無神論とするという意見もある。この場合、既存の宗教はほぼすべて有神論に分類され、純粋な唯物論や機械論が無神論となる。

共産主義国家、マルクス・レーニン主義政権国家の多くでは、虐殺や宗教施設(聖堂・モスク・寺院など)の破壊を含む手段で宗教弾圧が行われ、キリスト教徒やイスラム教徒を始めとする宗教の信者は過酷な迫害に苦しんだ。マルクス・レーニン主義無神論(英語版)を参照。

語源[編集]

一般的な語源は古代ギリシャの「atheos」「asebs」「atheots」である。古代ギリシアの民族や国家(ポリス、ギリシアの都市国家)においてその守護神を信じない「ある人々」(例:アテナイで女神アテナを信じない人たち)を示した。

キケロがラテン語で翻訳したことから、ラテン語を語源とする説もある。無神論者はラテン語で「atheus」という。

歴史[編集]

詳細は「無神論の歴史」を参照

古代から中世[編集]

古代インドにブッダと同時代人のアジタ・ケーサカンバリンがおり、彼を中心とする順世派(チャールヴァーカ Cārvāka)は無神論的な思想を展開した。神のような超越的な原理でなく、社会倫理やその改革を訴えた。

古代ギリシアでは、まずデモクリトスやエピクロスが唯物論に基づく無神論的な思想を提唱し、ローマ時代にはルクレティウスがそれをより明確な無神論の形で提唱した。

キリスト教との関係[編集]





ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハが書いた『キリスト教の本質』(1841年)は エンゲルスやマルクス、シュトラウス、ニーチェなどに多大な影響を与えた




爆破され崩れゆく、救世主ハリストス大聖堂
原義から、原始キリスト教徒は「ギリシアの神・ローマの神を信じない者」という意味で無神論者とされた時期があるが、中世や近代ではキリスト教の宗教観に反対する立場をとる者が無神論者を名乗ることが多い。反キリスト教的な無神論者の中には、マルクスやニーチェのように、むしろ古代ギリシャに傾倒した人物が少なからずいる。

日本近世期における無鬼論[編集]

日本においては幽鬼、すなわち霊魂や鬼といった妖怪の存在を否定する「無鬼論」として始まる。無鬼論は、儒学における「気(万物を構成する要素)」と「祭祀(招魂といった先祖崇拝)」の解釈(現象と関係)に伴う矛盾から発展していったものであり[4]、西洋のような一神教による絶対的な世界観を科学解釈によって徐々に崩された(科学的な根拠の積み重ねによる否定の)上で成り立ったものとは異なる。中国の朱子は、気(現代でいえば、原子のようなもの)の集まりが「生」と捉え、気の離散が「死」と解釈した上で、気の離合集散によって魂魄の現象を合理的に説明しようとした(魂魄の項の「儒学における魂魄現象の解釈」も参照)。結果、霊性を否定しかねない矛盾した論考(一度、離散した気=魂魄は二度と戻らない=死と主張したために、祭祀による招魂儀礼を行うことに矛盾が生じた)に至ってしまい、後世、林羅山といった儒学者に鬼神(魂魄)の有無について半信半疑な立場を取らせ、江戸期日本の朱子学者を「無鬼論者」(伊藤仁斎)と「有鬼論者」(荻生徂徠)に二分させた。

多神教(道教や神道など)では、先祖を人物神として祀る信仰観から、祭祀による招魂儀礼が行なわれるが、魂魄=気の離散が死であり、離散した気は二度と戻らないとする朱子学の主張(仏教の輪廻転生を否定するために生み出した合理的論説)は、一部で無神論にも通じることになる。

近代[編集]

フランスの啓蒙思想によって、無神論は飛躍的に発展した。

フランスの思想家ドルバックは無神論、唯物論、運命論を唱えた。ドルバックは、ヴォルテール流の理神論や汎神論ではなく、最も早い時期に無神論を唱えた思想家の一人である。おそらくドルバックに先行するのは、ジャン・メリエ(英語版)ただ一人である。ドルバックの自然観の根底には、人間は理性的な存在であるという確信がある。全ての宗教的な原理から道徳を切り離し、自然的原理だけに道徳を還元するというのが彼の目論見であった。主著『自然の体系』では、あらゆる宗教的観念や理神論的観念を排して、無神論と唯物論と運命論(科学的決定論)を説く。しかし、しばしば矛盾とも思える様々な主張の寄せ集まりであると批判されてもいる。

19世紀後半のドイツは合理主義及び自由思想の影響を受けて無神論の卓越性が増し、フォイエルバッハやアルトゥル・ショーペンハウアー、マルクス、ニーチェなど多くの顕著な哲学者は神の存在を否定した[5]。特にフォイエルバッハの『キリスト教の本質』(1841年)はマルクス、シュトラウス、ニーチェら若い哲学者に熱烈に歓迎され、キリスト教は前代未聞の激しい攻撃に晒された。マルクスは「宗教は民衆の阿片である」とし、またニーチェはユダヤ教―キリスト教の精神構造を「ルサンチマン」にあると『道徳の系譜』で論じた。またラッセルは、宗教や信仰を死や神秘的なものへの恐怖にあるとした[6]。

無神論の一形態に人間中心主義 (anthropocentric) がある。人間中心主義は倫理及び価値の源として人間性を支持し、個人が神や宗教に依存しないで道徳的な問題を解決することを主張する。代表的な論者にマルクス、ニーチェ、フロイト、ジャン=ポール・サルトルなどがいる。朝鮮民主主義人民共和国および朝鮮労働党が主張するチュチェ思想も、この一種といえる。

主張・発言[編集]

無神論者の指摘・主張・発言には以下のようなものがある。
神の存在や、神が存在することで我々の世界、我々の精神にどのような影響があるのかを、飛躍や矛盾なく論理的に説明することができない。現時点でその存在や影響を証明できない、「神の存在」以外で説明がつくのであれば、存在しないものと考えても差し支えはない。(オッカムの剃刀)
「全知全能の神が存在するなら、その神は『全知全能の神が知らない物』(あるいは『全知全能の神が持ち上げられない大きさの岩』)を作れるか。」というパラドックスが解決できない以上、全知全能の神は存在しない。(全能の逆説、ただしここでは神=全知全能と定義している。「神」という存在が全知全能であるかという問題があり、このままでは無神論を証明はできない)
全知全能の神が存在するなら、なぜ社会悪や不幸が存在するのか説明できない。社会悪や不幸を神が解決できないのなら、それは全知全能ではないし、また全知全能であるにもかかわらず解決しようとしないのなら、それは神とはいえない。
信仰とは、立証責任を果たさずに、「あるものはある」という同語反復(トートロジー)で、押し付けてくる(ドーキンス)
インドで、宗教とよばれるものは、あまりに恐ろしく、わたしは掃き清めたかった。それは盲信、反動、ドグマ、偏見、迷信、搾取である(ネルー)

無神論と社会[編集]

現代では憲法によって信仰の自由が保障されているが、宗教的に保守的な国や地域(イスラム教国や、アメリカ合衆国やヨーロッパ諸国等の一部地域)では、無神論者であることを口にすることがタブーとされることが多い。神を信じず、信仰の対象を持たない人間は、気違い、悪魔を信仰する者(サタン)、道徳のない者、無教養扱いにされることがある。欧米では、これら有象無象の誤解や不利益を回避するための方便として、神や霊魂の存在を必ずしも肯定しない「思想」を持つと主張する場合もある。もっとも近年の欧米では、無神論を口にすることへのタブー意識は低くなってきている。それでも周囲との軋轢を避けるために、無神論の代替語として不可知論を用いる場合がある。リチャード・ドーキンスはこうした「無神論者」へのいわれなき差別を是正すべきだとしている[7]。

西洋における意味[編集]

欧米の保守的な一部地域では、「無神論者」という表現は非常に大胆な表現であり、無慈悲な人物像を連想させてしまうため、注意が必要となる。ただし、一般的には無神論は哲学上の立場として広く受け入れられている。

アメリカ軍の認識票には、葬儀を行う都合上、宗教を記入する欄が存在しており、略記号を用いて刻印されているが、無神論者は未申告として刻印される。ただし、第二次世界大戦中はナチスがユダヤ人を差別したため、ユダヤ教が未申告として刻印されていたこともあるので、一概に未申告=無神論者とは言えない。

イスラムにおける扱い[編集]

イスラム教の価値観では、無神論であることは悪として扱われる。無神論者であるということは無明時代の人間であるということであり、文明を知らない原始人のような者と見なされ、異教徒(ズィンミー)よりも下位として扱われる。エジプト、イラン、サウジアラビアなど、戸籍や入出国に関する書類に宗教欄の記載が必須の国では、無神論者と宣言することが不利な扱いになる場合もある。特にイランやサウジアラビアなど、シャーリアが法制度となっている国では、法的権利の制限を受けることもある。

著名な無神論者[編集]

詳細は「無神論者の一覧」を参照
エピクロス、ルクレティウス、デモクリトス - 古代ギリシア
ディドロ、ヴォルテール、ガッサンディ、サド、カミュ、サルトル、ラヴェル - フランス
富永仲基(儒教、仏教、神道を否定する無鬼論)、山片蟠桃 - 日本
カール・マルクス、ニーチェ - ドイツ
マリ・キュリー - ポーランド
ジークムント・フロイト - オーストリア
ドーキンス、キューブリック、ホーキング、アトキンス、ラッセル、チューリング、ジェームズ・ワトソン - イギリス
ラヴクラフト、チョムスキー、ミンスキー、シャノン、アシモフ - アメリカ
毛沢東 - 中国
レーニン、トロツキー、スターリン[8] - ソ連
ケーサカンバリン - インド
ピーター・フランクル - ハンガリー

脚注[編集]

1.^ Buddhism and Atheism
2.^ Walpola RahulaのWhat the Buddha Taught 1974 51~52頁
3.^ 「自然の弁証法」
4.^ 加地伸行 『儒教とは何か』 中公新書 11版1995年(初版1990年) p.207
5.^ Subjectivity and Irreligion
6.^ 「自由人の信仰」
7.^ 「神は妄想である」および項目「リチャード・ドーキンス」を参照
8.^ Stalin's Brutal Faith

参考文献[編集]
アンリ・アルヴォン『無神論』文庫クセジュ474、白水社。
Zuckerman, Phil. "Atheism: Contemporary Numbers and Patterns." The Cambridge Companion to Atheism. Ed. Michael Martin. Cambridge University Press, 2007. Cambridge Collections Online. Cambridge University Press. 03 February 2012 doi:10.1017/CCOL0521842700.004

関連項目[編集]
有神論
非有神論
不可知論
反実在論
汎神論
汎神論論争
理神論
無神論論争
無神論者の一覧
科学主義
反宗教主義
懐疑主義
マルクス主義
無神論者バスキャンペーン
戦闘的無神論者同盟
無神論の歴史

外部リンク[編集]
「Atheism and Agnosticism」 - スタンフォード哲学百科事典にある「無神論と不可知論」についての項目。(英語)
「Atheism」 - Skeptic's Dictionaryにある「無神論」についての項目。(英語)




カテゴリ: 無神論
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「神はいない?」偉人たちの無神論的な50の格言












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偉人たちの無神論的な50の格言TOP
日本では無宗教の感覚が強い人が多いと思いますが、逆に普段あまり宗教や神を意識しないので、無神論についてもあまり深く考えたりしないのではないでしょうか。

正しいかどうかや支持するかどうかはともかく、宗教色の濃い文化で、なおかつ無神論的主張をするに至った偉人たちの格言には、それなりの理由や意味があります。

そんな「偉人たちの無神論的な50の格言」の紹介です。

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ジョージ・カーリン(George Carlin)
偉人たちの無神論的な50の格言01
1.「宗教は常にありえない物語を説いている。考えてもみてくれ。見えもしない奴…が空に住み、そいつが毎日毎分の全てをお見通しで、さらにその見えない奴が、10個のしてはいけないことを並べている。そしてしちゃいけないことをしたときには特別な場所へ追いやられ、そこには永遠に続く火や煙や拷問や激痛が用意されている。そこでこの世の終りまで焼かれ、叫び、苦しみ続けるのである。だが、そいつには愛があり、そして愛があり、さらに愛があり、金を必要としている」

2.「無宗教:預言者のいない団体」

3.「私は教会と国が完全に分離することを希望する。思うにこの二つの団体は別々でさえも、かなり我々をメチャクチャにしてくれるので、二つが一緒になれば、死は免れられない」

フリードリヒ・ニーチェ(Friedrich Nietzsche)
偉人たちの無神論的な50の格言04
4.「どっちなんだ?人間が神の失敗作なのか、それとも神が人間の失敗作なのか」

5.「信仰とは真実を知りたくないという意味である」

6.「信念は嘘よりも危険な真実の敵である」

アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein)
偉人たちの無神論的な50の格言07
7.「私が自然界に見るものは、不完全な理解しか得られない素晴らしい構造をしており、思慮ある人を謙遜させるのである。これはまさに宗教的な感情であって、神秘主義とは何の関係も無い」

8.「神の存在とは私が真面目に受けとれない人類学の概念のようである。人間界の外に意思やゴールがあることが全く想像できない。…科学は道徳を犯すと責任をなすりつけられてきた。しかしそれは不当である。人間の倫理は、人情や教育、社会のニーズや結びつきを基本とすべきで、宗教を基本とする必要はない。もし人が死後の見返りの期待や罰の恐怖によって束縛されるなら不幸と言えるであろう」

9.「人々がただ罰を恐れ報酬を望むというだけで善良なら、我々は実に哀れむべき存在だ」

マハトマ・ガンディー(Gandhi) - インド独立の父、宗教家
偉人たちの無神論的な50の格言10
10.「歴史に記録されている世の中で最も極悪で残酷な罪は、宗教という名の下に行われている」

11.「キリストは好きだが、キリスト教信者は好きではない。キリスト教信者はキリストのようではない」

マーク・トウェイン(Mark Twain)
偉人たちの無神論的な50の格言12
12.「聖書の理解できない部分がひっかかるんじゃないんだ。理解出来る部分がひっかかるんだ」

13.「人は信じているということによって教会から受け入れられ、知っているということよって追い出される」

14.「神に欠けているものは罪の自覚さ。キャラクターの統一性だ。プロテスタントやカトリックといった何かにならんといかんだろう。全部はダメだ」

15.「状況によって、神を冒涜する言葉は、祈りよりも安息をもたらす」

16.「『我ら神を信ず』 それが真実だったとして聞こえがいいとは思えない」

トーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson)
偉人たちの無神論的な50の格言17
17.「凝り固まった偏見による不安を全て振り払いなさい。弱い心は卑屈にうずくまっているものです。どんな事実やどんな意見に対しても、根拠をしっかり立てて法の下に照らしなさい。神の存在でさえ、勇気を持って疑問を持ちなさい。神が存在するならば、愚かな恐怖心への服従よりも、根拠を立てることへの敬意に賛同されるにちがいありません」

18.「私たちは知ることを恐れ、知らぬことを恐れる。それが我々の日常であり希望もない。全ての哲学、全ての教義の概念も現実からの単なる逃避にすぎない。表面的な変化は戦争、革命、改革、法律、そしてイデオロギーによってもたらされ、そのどれもが基本的な人間の、そして社会の本質を変えることに失敗している」

ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)
偉人たちの無神論的な50の格言19
19.「信仰を通して見ることは、理由と言う目を閉じてしまうことである。キャンドルを消せば朝日がシンプルに見えるのと同じことである」

20.「教会よりも灯台のほうが役に立つ」

ヴォルテール(Voltaire)
偉人たちの無神論的な50の格言21
21.「もし神がイメージどおりに我々をお創りになったのなら、きっと神にそのお返しをしているのであろう」

22.「不条理なものを信じているものは悪事を犯す」

スティーヴン・ホーキング(Stephen Hawking)
偉人たちの無神論的な50の格言23
23.「ブラックホールが示唆することは、神はさいころを振るだけでなく、全く見えないところに投げるということである」

24.「秩序を神の御名によってたとえるとしたら、それは非人格的な神であろう。物理学には人格的なところはほとんどない」

ジッドゥ・クリシュナムルティ(Jiddu Krishnamurti)
偉人たちの無神論的な50の格言25
25.「伝統というものは我々の精神安定剤となる。そして精神が安定すると退廃の道をたどる」

26.「自分の信仰することを繰り返し主張することは不安の表れである」

クリストファー・ヒッチンズ(Christopher Hitchens)
偉人たちの無神論的な50の格言27
27.「証拠のない主張は、証拠のない主張として却下される」

28.「ファルウェルに浣腸してやったら、棺はマッチ箱で済むよ」
※ジェリー・ファルウェル:「キリスト教右翼の父」と呼ばれ、キリスト教の価値観に基づいて妊娠中絶や同姓愛、ポルノに反対し、政治面でも大きな影響を与えた米国のキリスト教指導者、2007年73歳で死去。
ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)
偉人たちの無神論的な50の格言29
29.「宗教は幻想である。そしてそれは本能的な欲望と調和してしまう力を秘め持っている」

カール・マルクス(Karl Marx)
偉人たちの無神論的な50の格言30
30.「宗教は抑圧された生き物のため息であり、心なき世界の心であり、また、それが魂なき状態の心情であると等しく、…つまり、それは民衆の阿片アヘンである」


ジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw)
偉人たちの無神論的な50の格言31
31.「信仰を持つものが無神論者より幸せだという事実は、酔っ払いがしらふの人間より幸せなことに似ている」

ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal)

32.「宗教のために行われる罪でなければ、人間はあれほど完全に楽しそうに悪事を行わない」

リチャード・ジェニ(Richard Jeni)

33.「基本的に君たちは、どちらが妄想の世界に良い友人を持っているかで殺しあってるんだ」

スティーヴン・ワインバーグ(Steven Weinberg)

34.「宗教があろうとなかろうと、善い人は善い行いを、悪い人は悪い行いをする。しかし宗教によって善い人も悪い行いをする」

デロス・マッコウン(Delos B. McKown)

35.「見えないのと、存在しないのは、よく似ている」

エドワード・ギボン(Edward Gibbon)

36.「宗教のことを一般人は真実とみなしており、賢者は偽りとみなしており、支配者は便利とみなしている」

ロバート・グリーン・インガーソル(Robert Ingersoll)

37.「我々の知らないことは神である。知っていることは科学である」

黄檗希運(おうばく きうん/Huang Po)

38.「愚者は自分の思いより見えるものを無視する。賢者は自分の見えるものより思いを無視する」

ベンジャミン・ディズレーリ(Benjamin Disraeli)

39.「知識の限界で宗教が始まる」

作者不詳

40.「人に魚を一匹与えれば一日の食事になるだろう。人に釣り方を教えれば一生の食事になるだろう。人に宗教を与えれば一匹の魚を願いながら死ぬであろう。

デイブ・バリー(Dave Barry)
偉人たちの無神論的な50の格言41
41.「もし栄光とともに万物を創造した神がいて、その神がメッセージを人間界に伝えようとするとしても、ヘアスタイルのおかしなテレビの人間を使わないだろう。

エピクロス(Epicurus)

42.「もし神が悪を妨げる意思はあっても力が無いなら全能ではない。力はあるが意思が無いなら邪神である。力も意思もあるなら悪はどこから来るのだろう。力も意思もないなら、なぜ神と呼べるのだろう」

エリック・ホッファー(Eric Hoffer)

43.「『熱狂的な信者』の反対は『熱狂的な無神論者』ではなく、神がいようといまいと気にしない『穏便な皮肉屋』である」

ビル・メイハー(Bill Maher)
偉人たちの無神論的な50の格言44
44.「飛行機を建物に飛び込ませるなんて信仰に基づくものだ。宗教は神経疾患だと思うね」

45.「アメリカでよく使われるフレーズに「我ら神を信ず」というのがあるが、そこだよイエス・キリストが求めているのは。紙幣の上でね」

ポール=アンリ・ティリ・ドルバック男爵(Paul-Henri Thiry, baron d'Holbach)

46.「時の初めに戻るなら、無知と恐怖心が神を創ったことがわかる。幻想や熱意や虚偽が神を着飾るのである。弱さが神を崇拝させるのである。軽信が神を維持するのである。慣例、敬意、圧制は、人を盲目的に従事させることに役立つ。自然に対する無知が神を生んだのなら、自然に対する知識が神を破壊するように計算されているのだ」

ビル・ヒックス(Bill Hicks)

47.「もしユダヤ人が神を殺したと思えるなら、ユダヤ人を崇拝するね」
偉人たちの無神論的な50の格言47
アイザック・アシモフ(Isaac Asimov)

48.「きちんと読めば、聖書には無神論のための思いつく限りの最も強い根拠がある」

ホセ・ベルガミン(Jose Bergamin)

49.「疑いの余地のない信仰とは、信仰ではなく迷信と呼ぶ」

アーサー・C・クラーク(Arthur C. Clarke)
偉人たちの無神論的な50の格言50
50.「人類の一番の悲劇は、道徳が宗教にハイジャックされたことだ」

(3/19)追記:Arthur C Clark氏は本日(2008年3月19日)心肺機能不全のため、90歳の生涯を閉じたそうです。ご冥福をお祈り申し上げます。

Top 50 Atheism Quotesより
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