少林寺拳法宗道臣と秘密結社緑龍会と世界紅卍字会とナチス 児玉機関の知られざる関係

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http://m-ken.blog.eonet.jp/weblog/2011/02/post-1ac3.html

黒龍会と満鉄と古歩道



先般、古歩道の福岡講演の動画をクローズUPしたダス。

ベンジャミン・フルフォード 熊本講演 8/27(金)19時~



そのビデオには黒龍会のことに触れていた。

日本松林寺拳法の創始者である宗道臣(中野益臣)は内田良平が主宰する政治結社「黒龍会」の付属道場「天真館」では、「自剛天真流」と「講道館柔道」の双方を指導した。

少林寺拳法



戦前後に紅卍教と大本教の出口王仁三郎と黒龍会との関わりは有名である。

偶然だが、この少林寺の師範になると昔は少林寺の胸元の卍が赤にあるのです。

少林寺拳法 (shorinji kempo) 柔法 三角技法 森道基 表・裏投




なにもご存知ない方はこのウサンクサイ秘密結社のようなものが実在するのか?と疑問に思われるでしょうが

しかし、この黒龍会は実在するのです。

そして満鉄とも関係があるのです。

満鉄とは当時の日本のスパイ最高機密機関であるのです。

そのことが草柳大蔵先生の実録満州鉄道調査部に記されている。

実録満鉄調査部




そして満鉄には、かつて少年期に私が修行した日本松林寺拳法の創始者の宗道臣が特務機関で日本の為に命をかけて任務にあたっていた。

これも不思議な縁だがオイラが少年期に四国の本山で宗道臣と右翼のドンと言われる笹川良一とのやり取りを直接この目で見た。

【笹川良一】1981年少林寺拳法全国大会



「CIAの対日工作」より大物右翼はCIAの協力者であった。


大物右翼はCIAの協力者であった。

処刑されたA級戦犯者の間の生死を分けた一線はなにだったのだろう?

答えは「秘密のファイル・CIAの対日工作」、著書 春名幹夫の著書のP257から明らかにされている。

その本によると児玉や笹川は戦後GHQからCIAの情報協力者として命の引き換えとして利用されたと秘密のファイルに明記されている。

秘密のファイル〈上〉―CIAの対日工作




アメリカ―CIAは、日本に対して何をしてきたのか。戦前・戦中の情報戦、占領期のキャノン機関、児玉誉士夫、笹川良一の活動など、昭和史の転換点には、つねにアメリカの情報工作があった。米国立公文書館に眠っていた膨大な機密書類の発掘とその分析、そして関係者多数の証言から、アメリカによる対日工作の実態を浮かび上がらせる。歴史上の疑問と疑惑に答える日米関係裏面史。

↓に宗道臣にまつわる記事がある。


【特務機関】少林寺拳法創始者 宗道臣について2




日本少林寺拳法の振動共鳴と不思議な縁

そして何百人といる四国の多度津の金剛禅総本山の日本少林寺拳法の有段者の試験に来ている拳士や参観父兄なのどの前で迎賓挨拶をしようとして、もたもたしている笹川良一に宗道臣は「笹川君はやく祝辞を述べたまえ」と恫喝したのです。

日本広しと言えどもあの右翼のドン笹川良一をクソミソに恫喝出来るのは宗道臣ぐらいと泉州尾崎道院の私の恩師マスター新保が言っていた。


僕が少年拳士の少林寺の修行で座禅で七分呼吸ををマスター新保から伝授してもらっている時に「七分呼吸とは一旦吸い込んだ息を丹田まで下ろして10分の内7分をゆっくりと吐きながら3分を残したまま再度、7分の息を吸い込み再び丹田に下ろす」と教えられて子供ながらにして、その丹田に下ろす方法が全く出来なった。

単純な僕はマスター新保に「新保先生!丹田に息を下ろすにはどうすれば出来るのですか?」と幾度なく質問した。

おそらくマスター新保は忘れていると思うが、僕はうまく丹田に下ろすことが出来ないで精神統一が出来ずに子供ながらに自分に納得できないでいた。この少年期の修行で僕は七分呼吸で息を丹田に下ろす方法を会得した。

この体験があるからスパ・リフレでサウナの中で瞑想して丹田呼吸をしたときに意識が共鳴したのだろう。


この時の様子は以前のブログでも書いている。

この少林寺拳法は映画にもなった。

映画『少林寺拳法』ダイジェストfull-Shorinji Kempo "The Killing Machine"



少林寺拳法・開祖宗道臣について・第一

少林寺拳法・開祖宗道臣について・第二



M総合研究所: 十四経絡七百八穴は電気的信号を発して振動して共鳴する

2008年1月9日 ... またM総合研究所を通じて自身が興味を持った参考文献の著書を何百冊と拝読して参りました。 .... 僕は少年期に日本少林寺拳法を習い、宗道臣から四国の少林寺本山で直接叱られて、笹川良一と宗道臣の関係を知った。


神坂新太郎の談話室

満州鉄道調査部には日本少林寺拳法の創始、宗道臣先生も調査員として隠密行動をされていたと聞いております。 また、私の過去に不思議なご縁で船井幸雄先生と最近、共同
出版されている副島先生とも以前、M総合研究所で「経済安全保障問題」をネットで ...



そして僕が、尊敬する少林寺の師範で5段の紀州白蓮の副道院長から宗道臣のことを酒席で伺ったが事実です。


このように僕はホントに不思議な縁と体験をしている。

スパ・リフレで少林寺で会得した瞑想法の七分呼吸で丹田に息を思いっきりため込んで瞑想していると突然、貨幣制度の虚しさが込み上げて来た。

その瞬間に小型UFOから脳が振動する「ギュルル・ギュルル・ギュルル」と言う異音を受けた。


僕はこのM総合研究所を通じて自分が体験してきた事実のことを魂の振動として真実を残して来た。

僕は、本当に偶然の上に偶然がかさなり、不思議な縁と不思議な体験がこのように数珠繋ぎなのです。

http://blog.livedoor.jp/manas0129/archives/2013-06-02.html







2013年06月02日





2013年06月02日

八重の桜





NHK大河ドラマ八重の桜を楽しく見ている。

このドラマで自分が注目しているのは、なぎなたの殺陣の美しさと西田敏行演じる家老 西郷頼母である。

錫杖稽古をしているので、なぎなたの殺陣はわかるが家老の西郷頼母???誰それ??と読者の方は思うかもしれないが、家老西郷頼母は、会津藩に高級武士のみが受け継いでた武術 「御式内」の伝承者で、弟子は武田惣角そう、合気道開祖植芝盛平氏の師匠である、さらに息子は講道館四天王の西郷四郎、姿三四郎のモデルです。

武道好きにはたまらない内容なんですよこれ

ちなみに西郷四郎は晩年は宮崎滔天という政治活動家の元に、大アジア主義に傾倒して孫文を助けたりしする活動をするんですが、その彼らの活動を助けたのが、大アジア主義を掲げた頭山満 内田良平という戦前の大物右翼ですね、これに協力してたのが同じ九州出身の宗重遠、そして孫で後の宗道臣なんですよね。

開祖の戦前人脈って調べると面白く頭山満 内田良平の関係で関東軍の板垣征四郎・石原莞爾さらに、大本教の出口王仁三郎(ここの信者にいたのが上芝盛平氏)

さらに石原莞爾って牛島辰熊八段と共謀して、木村政彦を持って東条英機暗殺を試みた人物だ

そいやあ、開祖も50年史によれば張作霖爆死事件に関与してるし。
関東軍と親しかったんだろうね。

右翼 関東軍 宗教家 武道界(内田良平の父も武道家で、弟子は昭和の剣聖 中山博道)

誰かまとめて本出して購入するからww

 写真は世界紅卍字会、当時の中国で赤十字のような活動をしていた団体、アジアでは当時 世界紅卍字会の方が多かったそうだ。

知っている人は勉強家の拳士ですが、少林寺拳法は世界紅卍字会を模範とし黄卍教団として設立されている後に少林寺拳法となる。

 ちなみに世界紅卍字会の有名会員は内田良平 笹川良一 出口王仁三郎 岡田茂吉 植芝盛平 安岡正篤 右翼 宗教家 思想化のオンパレード

まあ色々考えさせられますな。

少林寺拳法の金剛禅の教えの根底は大亜細亜主義なんでしょうね。

http://marukado.net/20051120-/2chhokuzen.html


ちなみに正誤の確認はしてませんのでそこんとこよろしくです




1 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/08/28 08:02 ID:3pjhOjrs
禅は大きく分けて天台禅と達磨禅に、達磨禅は南禅と北禅に分類できますがなんで道臣さんは一番マイナーな北禅をチョイスしたんでしょうねぇ?
義和団と禅は関係ないよね??
本家の中国少林寺は現在曹洞宗(南禅)だとなんかで読んだし。不思議だ。



3 名前:1 投稿日:01/08/30 00:56 ID:kkWRgHRM
でも少林寺をなめちゃだめだ。
禅宗を標榜する宗教法人としてはむっちゃでかい勢力だぞ。
本気で信心してる人がいるかどうかは知らんけど。
とにかく今の日本に北禅の大きな宗派が存在しちゃっているというのは確か。


4 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/08/30 01:55 ID:rTFckAE2
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=997295920&ls=50

で宗道臣さんをしらない人がいます 教えてあげて。


5 名前:1 投稿日:01/08/30 22:31 ID:Ef0A4.2k
もうその話題終わっちゃってますねぇ。
言わずと知れた(?)日本少林寺拳法の開祖。
中国の少林寺とは無関係だとのグレーな噂もある。
ま、武道のルーツなんてどうせいいかげんだからいいんだけど宗派、とくに禅のルーツはむっちゃ大事なはず。
だれか知らん?


6 名前:名無しさん 投稿日:01/08/31 11:23 ID:VY/PrKEo
禅のルーツはお釈迦さまが菩提樹の下で座禅を組んで悟りを開いたのが仏教の始まりで座禅を組むのはお釈迦さまと直結する行為だとテレビで見たよ。
武道の本を読んでいたら宗道臣と大山倍達は意見が合わなくて考え方が全然違っていたが、一つだけ同意する意見があった。それは自分たちのやっている
武道のルーツは古代インドにありと・・・・


7 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/08/31 13:19 ID:8o8d/un6
「中国の少林寺とは無関係だとのグレーの噂」って...
無関係なのは既にはっきりしてる。というか開祖自身がとっくの昔に認めたでしょ。
今は中国と無関係な日本の武道を名乗っているが。

習いかじった空手と八光流柔術の中伝どまりの技を混ぜて一派を興したのはいいが、国交断絶をいいことに中国では武術は滅びて自分が唯一の中国拳法の伝承者だなどと言っていた基地外。
まともな研究者が反論すると、本部の行動部隊が大挙して押し寄せて脅してたのは有名な話。
今となっては馬鹿者の代表としてのエピソードだ。
一時泥縄で台湾人武術家にこっそり習おうとして大金を巻き上げられたのも笑い話の一つ。

こんなドキュソ団体をまともに取り上げるのは、無意味だよ


8 名前:1 投稿日:01/09/01 16:26 ID:VfOIkHPU
>7
もうそういうお話は聞き飽きたの。
誰か禅も語れるヒトっていないの?


9 名前:ジェット・リー 投稿日:01/09/01 17:30 ID:KRyqIKiE
禅の話はよくわからないが、>>7の話は初耳。
幼い頃、少林寺拳法を少し習っていたのでショックだな~。
日本の少林寺って、中国の少林寺と本当に関係ないの?


10 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/09/02 01:12 ID:Mai4ucm6
7のような話は良く聞くけど、憶測がいっぱい入っている。
そうじゃないと憶測しているひとも実はけっこういたりする。
もし興味があるなら武道版に行けばいい。少林寺のスレは荒れるW)
おいらは開祖の哲学、好きだよ。


11 名前:1 投稿日:01/09/02 21:36 ID:O7K6rTsg
宗道臣氏は、武術は金剛禅思想を啓蒙するための餌にすぎない、といった意味の発言をしています。
金剛禅思想ってのはよーするに半ばは他人の幸せを考え、実践できる心身を供えた人を いっぱい育ててこの世に楽園を築こう、という ほとんどプラグマティズムみたいな思想です。この考え方は漸悟禅によって裏打ちされているらしいです。


12 名前:1 投稿日:01/09/04 00:19 ID:mnrgzb8g
敗戦後GHQの眼をかいくぐって拳法を布教するために踊る宗教というたてまえで道場やってたそうです。
きっとそのころから宗教法人になったんだと思うんですが・・・。


13 名前:1 投稿日:01/09/05 01:13 ID:/E2ZHuVw
少林寺拳法における信仰の対象は「大宇宙の大生命」ダーマです。
ダーマとはdharmaの英語読みのようです。
伝統仏教では「真理」を意味することは周知の通りです。


14 名前:1 投稿日:01/09/06 01:10 ID:uPo6aPMo
少林寺拳法は霊性を認める。これは日本の禅には認められない特徴。
人は霊止であり、大宇宙の大生命ダーマの分霊である、というのが少林寺拳法の教義の根本です。宗教っぽい?
人間を特別視しているところが中国っぽくはあるような気がします。
日本では神道と混交して、山川草木悉有仏性、的になってるからね。


15 名前:ジェット・リー 投稿日:01/09/06 16:59 ID:uqISK27g
レスありがとうございます。
なるほど武道板というのがあったんですね。
まだ行ったことなかったので行ってみます。


16 名前:1 投稿日:01/09/07 00:50
拳禅一如という四文字熟語は少林寺のうたい文句のひとつ。
これ、沢庵和尚の剣禅一如のパクリかとおもったら実はぜんぜん違う。
剣禅一如のほうは、剣と禅、極めれば同じ、相通ずるものが有るくらいの意味かな。
一方少林寺の拳禅一如は、拳は肉体、禅は精神を意味していて、実は同根だといっている。微妙ながら一応は一元論になってる。
ちなみにたまに極真の人が拳禅一如を語るとき、何を勘違いしてか少林寺風の説明をするときがあって笑っちゃいます。ますたつそーさいが泣くよ(w


17 名前:1 投稿日:01/09/08 02:29
宗道臣は白蓮教系の団体、義和団から拳技を持ち帰ったという。
んで、白蓮教といえば浄土宗仏教の呪術化した邪教として知られてます。
どっかで北禅と関係あんのかどうかはしんない。 弥勒信仰の浄土系宗教なんであんまし関係なさそうな・・・。


18 名前:1 投稿日:01/09/08 23:56
中国には道院・紅卍字会という道教系の宗教団体があった。
この名前を見た少林寺関係者はみ~んな思うはずだ。「うちんとことなんか関係あんの?」と。
私は未だに少林寺の道場をなぜ道院と呼称するのか知らない。紅卍字会との関係も知らない。だれか知ってたら教えて!!
紅卍字会と日本の大本教はおんなじだ、というご神託が両団体で出たということでもしかすると少林寺は大本と関係あったりするかもしれない。
そんなことあったりすると少林寺と会気会合気道は宗教上親類関係だってことになっちゃうかもしんない。
おもろくない?


19 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/09/09 00:10
そもそも少林寺拳法というネーミングがおかしいんじゃ?
中国拳法の少林拳とは流派も違うみたいだし。


20 名前:1 投稿日:01/09/09 07:13
>>19
いちおー本家の少林寺で向こうの拳法家さんから法統を受け継いだということになってはいますね。教範では。
ただ、少林寺で修行したとも少林拳を習ったとも書いていない。技術体系は道臣氏のオリジナリティがたぶんふんだんに盛り込まれていて原型をあまり残していないのかもしれない。重要なのは氏が少林寺では得度していない(はず)ということ。あの思想が全部オリジナルならそれはそれですごいと思うんだけど
そんなことないっしょ?


21 名前:1 投稿日:01/09/10 01:56
有段者だけが香川の本山への寄進によって手にできる少林寺拳法教範。こんなんでも一応有段者なもんで頑張って本山にいって手に入れた。
その前半部は思想と宗教的な意味合いの記述で占められている。割と一生懸命読んだつもりなんだけど、どーも開祖の悟りに対する記載がない。
拳法は易筋行という修行法なのだそうだけど少林寺拳法を習うと悟れるとも書いてない。
禅は常に悟りを目標に誓願をたてるのだと思っていたのだがどんなもんなんでしょ。
読みが足らないのかな?


22 名前:1 投稿日:01/09/10 23:23
教範には六祖慧能と神秀のお話まで出てくる。
んで、拳法みたいなのはある日かつ然とできるようになるものじゃなくて常に研鑚を怠らずに徐々に習得するしかないから漸悟禅の北禅なのだそうな。
ある掲示板の書き込み(2チャン以外)で、「中国にはまだ北禅(北宗禅)の修行僧がたくさんいると聞いた」という拳士さんの書き込みを見たことがあります。
でも北禅てのはとーの昔に廃れたはず・・・?
実は本場中国には北禅のお寺さんがけっこうあったりするのかな?
大体本場少林寺の坊さんってなんか拳法使えるのか?


23 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/09/11 03:21
天台禅と達磨禅、という分類はあまり意味がない。

もともと禅というのは「阿字観」という密教系の修行法が発展したもの最澄は文字通り「修行法のひとつ」として日本に伝えたが、それを教義そのものに昇華したのが達磨ことボーディダルマさん。 基本的にやることもやってることも同じ。

北宋禅と南宋禅の違いもそんなにはない、密教との兼学をするかしないか
兼学をどこまで重視するかしないかの差。


24 名前:1 投稿日:01/09/12 02:58
うれしー!はじめて宗教学的レスだーーー。 実は辛かったのよ(w
ところで天台と達磨の時間的関係が逆ですよ。 天台大師は達磨よりあとに生まれている。
天台の記した摩訶止観に、達磨禅でいう不立文字などの特徴的な概念が含まれていないのは両者が独立に発展してきたことを示していると思います。達磨以後、天台の概念がいわゆる禅宗に吸収されているけれど天台の禅は禅宗のそれと比べてずっと具体的な修行法に富んでいるという特徴がある。
私の知識はあってます?ソースは絶版の摩訶止観です。

ところで北禅は漸禅漸悟なんじゃないの?
これは南から見た偏見なのかな。


25 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/09/12 04:46
不立文字も教外別伝も義玄が創唱者だと思われ。達磨がそれを言ったとする記録は乏しく怪しい。
最澄は「修行メソッドとしての禅」を伝えただけだから、その部分が抜け落ちていて当然。そも達磨自身が「宗派としての禅」の成立を意識していたかどうか、ちょい怪しい。大乗仏教成立の過程で起きた「専修」というムーブメントのなかで、数ある修行法のなかから「これが合理的だからこれにしなさい」と強く勧めた程度ではないか、とする考え方もある。
一宗派としての成立に至った原動力は、むしろ中国伝来以降の熟成期間と中国人僧の精進にあり、とするのが宜しかろうか。

日本の少林寺って、宗教法人格もってたのか・・・


26 名前:1 投稿日:01/09/13 00:41
同意&勉強になるなあ。
最澄が持ち帰った禅法と禅宗のそれが質的にかなり異なっていることはたぶんご存知でしょう。
天台では具体的なしきたりや道具立てが細かく設定されていて親切。
こうしたらこうなると言うことが書き記されている禅法最強の教科書「摩訶止観」「小止観」もある。
一方不立文字、教外別伝がたてまえの禅宗ではそういう様式は師家によってぐんぐん変わる。ちなみに禅に阿字観を取り入れている禅宗宗派を私は知らない。そんなわけで、禅の立場から見たら天台禅と達磨禅に分けて考えるのはそれほど無理ではないと思うのですがいかがでしょう?

>日本の少林寺って、宗教法人格もってたのか・・・
少林寺は3っつの顔を持っています。
宗教法人、学校法人、財団法人。技と同様多彩なのだ。


27 名前:1 投稿日:01/09/14 01:29
少林寺拳法で用いられる手印は二種類だけ。 合掌と結手である。
坐禅を組むときも結手。法界定印を結ぶ拳士は見たことない。この結手、臨済でも似たような印があったりする。なんという名かはしらないけど初心者用らしい。左親指を右手で握るか挟むかして、さらに左の4本で包み込む印。 でも実は結手はこの印とは微妙に違う。両親指の腹どうしを絡めてから右で包み、上から左で包むと言うのが正しい決手。私見だが、この少林寺独特の印は大極のシンボルを意味している。金剛禅思想に出てくる用語も陰陽の影響を多く受けている。両方とも中国道教由来でしょ。
きっとこの思想は道教の影響を色濃く受け継いでいるんじゃないかな?


28 名前:1 投稿日:01/09/15 00:50

大極じゃなくて太極だった。 2ちゃんで誤字の修正は野暮か(w
ちなみに少林寺拳法と太極拳はホントに全く違う。
だいたい少林寺拳法には中国拳法に一般的な発勁などの勁に関わる技法は(多分)ない。
”気”も使わないし合気もない。
あるのは「梃子の理」などの味気ないものばかり。
もっと神がかった技の方が道教っぽいような気もするのでやっぱ関係ないかもね。
おかげ様で合気道創始者の植芝盛平は神がかった伝説の人なのに宗道臣はただの人のまんまです。


29 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/09/15 04:51
ここの少林寺気功や武術はどうですか?
http://www1.odn.ne.jp/~shaolin/

台湾でも少林寺武術というのは割りと良く知られてるようですが、これは一体どこから渡って来たものか分かりませんか?


31 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/09/15 20:51
1のスレの立て方が不味い。

これじゃ拳法と禅の両方に興味のある人しか寄ってこない、果たしてそんな人が何人いるのやら・・・だいたい少林武術のことは知っていても崇山のことは知らない人の方が多いし、そも日本の少林寺が宗教法人として活動していることも知らない人の方が多い。
この場合一番盛り上がるスレの立て方は、こうだ。

「拳法をエサに宗教活動をする日本の少林寺」
「えせ宗教、えせ拳法の開祖=宗道臣」

まあ、あれるけどね・・・


32 名前:1 投稿日:01/09/15 22:52
>>31
なるほどね。今後の参考にさせていただきます。
でもこのスレの方が情報の精度は高いぞ。
情報が集まらないというちょっとした欠点はあるが(w


33 名前:1 投稿日:01/09/15 23:57
>>29
崇山少林寺の門前には少林拳の専門学校があるという。 この学校、組織としてはお寺とは全く別個の団体。少林寺の名声を聞いて中国各地から集まってくる若者どもを収容していると聞く。お寺との関係は、多分大病院の門前薬局のようなもの。あるいはアメリカの大学の語学学校みたいなものだと思います。
よーするに緩やかな経済的協力関係が成り立っているんだろうな。語学学校の先生がPh.D.すら持っていないように(アメリカの大学では学位は必須)、この最高師範とかいう人、得度なんかしていないと見ていい。だって写真で髪の毛が生えてるんだもん(w
ま、日本にある団体と似たようなもんじゃないかな。ただ、地の利がある分だけ本物っぽく見えちゃうけど。私としては、拳法の修行を通して悟りを開いちゃったりしている本当のお坊さんの存在を知りたい。 どっかにいないかな?


35 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/09/16 02:27
1はこのスレで何がやりたいのか。

1.拳法のはなし
2.禅宗のはなし
3.日本の少林寺を禅宗の一派として認めて欲しい、というPR
4.拳禅一如の思想による拳法の修行を「仏道修行」だと認めて欲しい、というPR

1.なら板違い。2.なら他スレへ。3.は努力次第。4.はムリでしょう。


36 名前:29 投稿日:01/09/16 06:22
そういう事情ですか
>得度なんかしていないと見ていい。
確かに出家ではなく、在家の弟子と書いてあります。
ただし真偽の程は分かりませんが、崇山少林寺周辺の専門学校とは違うと受け取れる記述があります

それと写真集を見るとハッケイはあるみたいです。
日本の少林寺には気功はないのですか?


37 名前:1 投稿日:01/09/16 11:17
>>35
禅宗の話。というか少林寺拳法の思想の背景になっている宗教のお話。
PRの意思はま~ったくございません。どんな結論でもアクセプトいたします。

>>36
気功はないです。
宗氏はリアリストです。
ただ、経絡を使うので「気」そのものは否定していないみたい。


38 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/09/16 11:48
少林寺ではないけど、武道と禅と両方嗜む方といえば、剣の達人、大森曹玄老師が居られました。また鎌倉松ヶ岡文庫の鎌田茂雄博士も、合気道をやっておられました。既にお二人とも亡くなられましたが、著書を読むと良いのでは?

それと北宗禅、南宗禅についてですが、南宗禅=曹洞系というのは誤りです。勿論、日本道元宗の元である曹洞宗をはじめ、五家七宗は全て慧能門下の南宗禅ですが、中国宋時代を代表するのは曹洞宗ではなく臨済宗です。日本曹洞宗は、現在末派寺院数が最も多い伝統的仏教の包括宗教法人ですが、禅思想、禅文化的には見るべきものは特にありません。

それと23も随分と勘違いしているが、天台智ギの『摩迦止観』や『天台小止観』が様々な禅宗の『坐禅義』の大本になっているのは事実だが、智ギは597年に没している。一方、菩提達磨が一人の人物かどうかは別として、基本的には536年没説が一般的である。

また日本天台宗の最澄が持ちかえった禅は、黄梅弘忍から玉泉神秀の系統、つまり北宗禅の系列であり、嵩山普寂、瓦官道セン、行表と続いた流れである。であるからこそ、最澄は比叡山に大乗戒壇の設立を悲願としたのであり、 彼が持ちかえった大乗戒は達磨の一心戒に他ならない。

つまり禅が密教の一部であるというのは勘違い、正確には日本には先に密教が入ってきただけの事。
仏教は本来、瞑想により自分の心を見つめて行く教えであり、むしろ護摩を焚いたり、水をかぶったりするような、ヒンズーにも似た密教的儀式こそ後に加わったもの。

10数年前嵩山に登った、その当時も少林寺近辺には拳法の学校が沢山あったよ。日本少林寺拳法が禅であるとは、多度津の連中を見ていてもとてもそうとは思えないが、中国少林寺に拳法があることは事実。

南禅は黄梅弘忍より曹渓慧能に伝わった流れですが、中国禅五家七宗はすべてこちらになります。

それから、最澄が持ちかえった禅は、基本的に北禅です。
その為、最澄は


39 名前:1 投稿日:01/09/16 14:04
>38
極めて興味深いお話ばかりです。

>その為、最澄は
是非ぜひ続きをお聞かせください。お願いいたします。


40 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/09/16 14:48
失礼、下三行は消し忘れです。
他には特にありません。


41 名前:1 投稿日:01/09/17 03:07
>>38
いくつか教えていただきたいことがあります。 まず、最澄さんが持ち帰った禅が北禅だとのこと。これは他所でも見たことがある内容です。でも天台宗なのになんで?日本に伝わる南禅とは手も足も組み方が逆。坐禅前には五体倒地までしちゃうし阿字観も重要なメソッドのひとつ。私はこれを両・止観に基づいた天台独特の禅法だと勝手に思い込んでいたのですが、実は北禅の特徴だったのでしょうか。


42 名前:OB 投稿日:01/09/17 11:56
日本少林寺拳法は宗教法人を名乗っているのに宗教ではないちょっと変わった団体だと思います。私を含め部員のほとんどは宗教に入っているという気持ちはなく、単なる体育会系の部に入部しているという認識だったと思います。 (もう26年も前の話です。)
スレと関係ありませんが、なつかしかったので、ごめん。


43 名前:38 投稿日:01/09/17 19:04
>>1
いっぺんには長いので…。
>でも天台宗なのになんで?
先ず最澄が14歳で得度した時の師匠である近江国分寺の僧、行表(722~797)は、大和興福寺の瓦官道セン(702~760)に付いて得度し、具足戒を授かっている。道センは遣唐使に請われて中国からきた律宗の人だが、中国で嵩山普寂より北宗禅を学んでいる。法相宗道昭に次いで、日本に禅を伝えた2番目の人。行表もまた、道センから具足戒を授かり、律部、禅及び法相、華厳の教学を学ぶ。最澄は入唐前に師である行表より三論戒律禅などを学んでいる。中国仏教史から見れば、天台教学は華厳教学以前の古い教学であり、遣唐使の時代には中国では半ば廃れていた。


44 名前:38 投稿日:01/09/17 20:12
中国での○○宗とか、南都六宗の○○宗と言う場合の「宗」の意味は、今みたいなセクトではなく、強いて言えば、「○○専攻」みたいなニュアンスである。

で、最澄が何故、古い天台智ギを引っ張りだして来たかと言えば、それは当時の南都の僧侶が権力と結びつき堕落していたからである。純粋な青年であった最澄は、鑑真和上がもって来た『摩迦止観』などを読み、智ギの説く思想に感銘を受けた。智ギもまた、現実肯定である華厳教学に批判的であった一人であり、だからこそ五時八教の教判で華厳を最初に持って来ている。ただ、この華厳思想と天台(法華)思想との問題は、後の山家山外の対立に繋がるなど、簡単にどちらが上とか下とか、いかない問題である。

で、最澄は大乗仏教には「大乗戒」が相応しい、と主張した、最澄は入唐して龍興寺道邃から「大乗戒」を授かった。
しかし中国では比丘戒などを授かった上で、菩薩戒である大乗戒を授かったのに対して、最澄は大乗仏教は菩薩戒のみで良いとしたのが大きな特徴で、他に例を見ない。

ではこの「菩薩戒=大乗戒」とはいかなるものかというと、『梵網経』や『持自瑜伽論』などに見られる「十重四十八禁戒」や「三聚淨戒」がそれであるが、これらは「傳述一心戒文」として菩提達磨がシナに持ってきたものを、天台智ギの師である南嶽慧思が書写し伝えたと言われている。


45 名前:38 投稿日:01/09/17 20:32
五体投地の礼拝は禅宗では当たり前。その為に袈裟には坐具が付いている。

脚の組み方だが、『天台小止観』と臨済の『坐禅儀』を比べてみると、確かに結跏だと小止観は、先ず左の脚を右の足の上に載せ、それから右の足を左のモモに載せると書いているが、坐禅儀では先ず右の脚を左に乗せて云々と逆である。しかし半跏の場合は、どちらも左の足を右の足に乗せるように書かれていて、あんまりこの辺はどっちでも良いように思える。


46 名前:1 投稿日:01/09/18 09:33
詳細なお答えをありがとうございます。 五体投地は禅宗では当たり前なんですね。日本の禅宗では行われていないようですが。北の禅は漸悟禅との認識は正しいでしょうか?これは「止観」とも共通しているようですが・・・


47 名前:38 投稿日:01/09/18 10:11
当然日本の禅宗も礼拝といえば、五体投地の礼拝であり、日常的礼拝には三拝が行われている。
また儀式によっては九拝式や十八拝式もある。

北宗が漸悟で、南宗は頓悟というのは一般に言われていることですが、ものごとはそうステレオタイプでは無い。北宗にもそれまでの価値観から転換する頓悟の部分が当然ある筈ですし、南宗だってコツコツと積み上げるからこそ、竹の音にハッと気付くわけで、何もせずに寝転がっていて頓悟する訳じゃない。

強いていえば漸悟と言うことを大切にするのが北宗で、強いていえば頓悟の立場を大切にするのが南宗と、解釈すべきだと思います。


48 名前:1 投稿日:01/09/19 01:33
よくわかりました。ありがとうございます。五体投地に関しては私の全くの勘違いだったようです。
ホームページのサーフィンをして確認してきました。
>>38
>10数年前嵩山に登った、その当時も少林寺近辺には拳法の学校が沢山あったよ。
>日本少林寺拳法が禅であるとは、多度津の連中を見ていてもとてもそうとは思えないが、
>中国少林寺に拳法があることは事実。
素晴らしい!少林寺に実際にいらしたのですね。現在の少林寺境内でも拳法が行われていそうな感じでしたか?
(映画、「少林寺」みたいに)
私の印象としては拳法家はお寺の外の建物にしかいないんじゃないかなという感じ。
私は嵩山に上ったことはありません。他からの情報からの感想ですが。


49 名前:38 投稿日:01/09/19 07:40
私が少林寺に行ったのは86年のこと。少林寺の裏山、つまり嵩山五乳峰の頂上にある達磨面壁洞に登ったのが大変印象に残っている。千段近い石段を登っていると、見晴らしも良く周囲の山々は牧草地帯で牛の放牧も行われていた。向うの山の山頂付近を、行者と見られる二人連れが歩いていたのも、何だかな?という記憶がある。
少林寺自体はそれほど大きなお寺では無いが、境内の中にも観光客向けと思われる臘人形展で見られるような僧侶の修行の様子が、人形によって紹介されていたが、その中に、やはり拳法を行っている様子が在ったことを、今写真で確認した。あと少林寺の印象は、寺の横に塔林と呼ばれる、大きなストゥーパ型のお墓が沢山林立していて、それらは寺の歴代の住持のものと思われ、歴史をかんじさせた。
で、少林寺拳法の学校だが、仰せの通り寺の中では無く、門前に幾つもあるのだが年齢層に依ってか、道の左右に幾つもあった。それもかなり広大な敷地で。少林寺の中だが、我々は観光客が入れない寺の内部に通してもらってお茶を頂いたが、拳法らしい部分はその人形しか見受けられなかった様に思われる。


50 名前:1 投稿日:01/09/19 23:43
詳細で私にとって大変貴重なレポートです。極めて興味深く読ませていただきました。
嵩山少林寺そのものが重要な観光資源になっているのでしょうから拳法をイメージした蝋人形があるのは至極当然のことと思いました。もし現在も行としての拳法が引き継がれているのならば、このメディアの発達した時代にもう少しクローズアップされていてもおかしくない様に感じます。少林寺の修行僧による中国拳法の修行はすでに過去の話である可能性が高いようですね。
ところで嵩山の宗派はやはり曹洞宗ということでよろしいですか?


51 名前:38 投稿日:01/09/20 11:06
>ところで嵩山の宗派はやはり曹洞宗ということでよろしいですか?
日本では曹洞宗が、最も数が多い教団なんで、禅といえば曹洞宗だと勘違いされている向きもあるのでしょうが。中国では唐時代から宋時代にかけて禅宗が全土を席巻しました。特にこれは全て六祖慧能からの別れで、五家七宗といって南岳、馬祖、百丈の流れから、イ仰宗、臨済宗黄龍派、臨済宗楊岐派が生まれ、また青原、石頭のながれから雲門宗、法眼宗、曹洞宗が生まれ繁栄しました。
しかし宋時代後期になると、中国の禅は殆ど臨済宗楊岐派が占めるようになり、他は滅んでいってしまいます。その後、明時代になると、念仏と坐禅を併修する念仏禅へと変遷していきます。江戸時代に渡来した隠元も念仏禅ですので、我が国では黄檗宗と名乗っていますが、 中国には黄檗宗なるものはありませんし、隠元の墨蹟の落款が「臨済正宗」と押されていることからも、隠元は臨済宗楊岐派の僧侶であることが明らかです。
さて今日の中国では、文化大革命の法難を乗り越えて、伝統的仏教は大切にされている様ですが、少林寺が何宗かは良く分かりません。
というのも宗派と言う概念が、中国では日本のようなセクト的概念と異なるからです。
ただ、今日の少林寺でも念仏禅が行われている様ですので、流れ的には臨済宗楊岐派の流れを汲むと考えた方が自然でしょう。


52 名前:1 投稿日:01/09/20 21:39
そうしますと、私の聞きかじりの知識は間違いだったと言うことですね。 たぶん曹洞宗の方の文章の中で少林寺が紹介されていたのだと思います。
少林寺は全ての禅宗のふるさとですからね。ところで現代中国において北宗禅はやはり滅んでいると考えたほうがよさそうですが拳法修行をしていた時期の少林寺がどのような立場に属していたのかはとても興味があるところです。
宗道臣氏の言うとおり漸悟禅を実修していたのでしょうか。


54 名前:1 投稿日:01/09/22 01:15
もうひとつ質問です。
>日本少林寺拳法が禅であるとは、多度津の連中を見ていてもとてもそうとは思えないが、
とありますが、「多度津の連中」のことはどの程度ご存知なのでしょうか。
一応彼らにも座る機会は設けられています。


55 名前:1 投稿日:01/09/23 01:58
私は5年ほど拳法を道院(町道場)で修行したことがあるけれどちゃんとした座り方の講義を受けたことはない。
でも座る機会そのものは幾度かあった。なんとなく見よう見まねで過ごしてしまったので不正確ですが少林寺の座り方は
①板の間に座布を用いないで直接座る
②半跏趺坐
③手印は結手
④数息観は用いないらしい
⑤調息と称する独特の呼吸法を使用する
⑥終了時には床に長い棒の全体をビシっと叩き付ける音で急速に覚醒させる
といった特徴があります。


56 名前:1 投稿日:01/09/23 18:35
少林寺拳法では坐禅とは書かずに座禅と書きます。重要じゃないか・・・。


57 名前:38 投稿日:01/09/24 08:18
お返事遅くなりました。多度津は父の出里で、もう30年ぐらい前になりますが、子供のころ夏休みになるとよく遊びにいきました。拳法のある山のすぐ下のトンネル近くに禅寺があって、そこの尼僧さんに可愛がってもらったので、お寺に泊ったりもしていました。当時は拳法も全盛だったのか、良く少林寺拳法の旗をつけたジープが町を走りまわっていて、その様子はあたかも映画で出てくるMPみたいで、子供心に怖かった思い出があります。
あそこの山の上には公園があって登っていったりもしましたが、「拳法のところには近づくな」と言われていたように覚えていますので、当時かなり傍若無人であった様です。

さて数年前、知人が少林寺の有段者で、かなりの高段位を取る試験の話を伺いましたが、演舞など実技以外に、禅的な内容のペーパーテストがあるそうで、「これはどういう意味でしょう」と聞かれことが在ります。内容は、初歩的なものであったと記憶していますが、一応説明しましたが彼は余り理解できないでいるようでした。そういう点から鑑みても、少林寺拳法は直接禅的境涯を養うものでは無いと言えます。


58 名前:1 投稿日:01/09/24 23:02
当時の少林寺は傍若無人・・・だったのですか。近づくな、とはかなりのものですね。昔の少林寺拳法の噂はどうやら本当らしい。やーさんも手を出せない、腕に物言わせる様な集団だったそうです。今みたいに小学校の先生が生徒をひっぱたいたらクビになっちゃうようなご時世では想像すら難しい。関係ないけど日本少林寺拳法は学校法人で高校とか運営してます。
どんな教育方針なんだろ? ところで今の多度津は少林寺拳法で結構潤っているらしくて少林寺饅頭なんてのも売られています。時代は変わった・・・。

さて、ペーパーテストのお話ですが、少林寺のペーパーテストは結構厳しい^^;
論文も書かなきゃいけないし一夜漬けくらいする拳士は多いんじゃないかな?お知り合いの拳士さんは禅的な内容をよく理解できないようだということですが普段の稽古は禅とは全く関係ないので当然なのです。それどころか多分拳士の99%位は >>42 のOBさんの様に宗門であるという意識さえ持っていないと思います。
ただ、一応はそういった禅的問題を出題して採点をする側の人がいると言うことは少林寺拳法が禅を目指していると言うことはできるのではないでしょうか?ところで語句の説明を理解できないことと禅的境涯を養えていないことは必ずしも一致しないのではないでしょうか。
まあ、その問題の内容にもよりますね。

あと、余談ですが学校の部活動のように宗教チックなものを導入し辛い環境の場合、日本少林寺拳法は宗教の面をはずしてしまいます。宗教行事として鎮魂行を行っているのですが学校では省略されるようです。OBさんが宗教じゃないと仰るのも無理からぬことではあります。


59 名前:38 投稿日:01/09/25 09:28
>>1
なるほど~、でもその人8段なんですよね~。

〉ただ、一応はそういった禅的問題を出題して採点をする側の人がいると言うことは
〉少林寺拳法が禅を目指していると言うことはできるのではないでしょうか?
〉ところで語句の説明を理解できないことと禅的境涯を養えていないことは
〉必ずしも一致しないのではないでしょうか。

まぁ、無理矢理そういう風に解釈することも出来ますが、ではその採点をしている人に禅的境涯が在るか否かが問題になりますし、在るとしたらそれは誰から証明されたものなのか?と言うことが問題になります。結局、創始者が剣術のテクニックは別にして、中国傳燈の禅を標榜するには、正しい法系にのっとっている必要があるわけですが、それは北宗禅云々と言っている以上、伝統禅的にも、仏教史学的にも、怪しいとしか言い様が在りません。
まぁ、自らを権威付ける為に持ち出してきたと考える方が、素直に理解できますね。1さんのお話から窺える範囲では、少林寺拳法の主張している宗教性は、専門家から見ればかなり怪しいです。

P.S>造船業も寂れて、多度津自体が今は過疎化して全く元気の無い町です。
そんな中、少林寺の本山が若干は町の経済に寄与しているかもしれません。
でも、少林寺本山自体にも昔の活気はありません。
最近は、東京や大阪など、大都市の支部のほうが力をつけているんじゃ無いですか?


60 名前:1 投稿日:01/09/26 02:03
そうですか。八段の方ですか・・・。 昇段して八段になられたのですね。段位の意味のほとんどが技の習熟なんだ。
座る機会はあってもそれが見性に結びついたりはしていないと見て間違いなさそうなんですね?
まあ、ペーパーテストで認める禅的境涯ってのも変なお話ですが。

>北宗禅云々と言っている以上、
>伝統禅的にも、仏教史学的にも、怪しいとしか言い様が在りません。

やはりそういうことになりますか。現代に北宗禅はまずはまったく生きていないのですね。
確かに誰かに認可を与えられたと言う話はとんと聞いたことがありません。そういう意味では伝統仏教を語るのはおかしいですね。もっとも少林寺拳法は定義から言えば新興宗教なのでしょうが。

ところでお話ついでにその禅的境涯とはどんなものなのかお教え願えますでしょうか?


61 名前:38 投稿日:01/09/26 16:16
〉ところでお話ついでにその禅的境涯とはどんなものなのかお教え願えますでしょうか?
音を♪に置き換えても、その♪の示す音を知り得ないなら音を伝えることが出来ないのと同様、心を記号に置き換えても、その記号の示す心を知り得ないなら伝える事は出来ません。

しかし同時に、今まで私がここでレスしてきた文章全てが、けして禅的境涯と無関係ではありません。禅とはどう言うものかについて申し上げてきたつもりでもあります。

>現代に北宗禅はまずはまったく生きていないのですね。

ここで問題なのが北宗禅と南宗禅と言う従来の分け方なんですが、確かに神秀は「心は明鏡台の如し云々」と言い、慧能は「本来無一物」と言った訳ですが、慧能は神秀の後からコメントしていますので、そりゃ神秀が差別の相から書いてれば自分は平等の立場から書くのは容易でありまして、ずるいと言えばずるいかもしれないんですよ。

前にも言ったように、仏教はそういうステレオタイプなものでは無くって、平等則差別であると同時に、差別則平等であるからこそ不一不二なのであり、無であり、中道であり、空である訳です。勿論、家風と言う物は確かにそれぞれに存在しますが、北宗禅と南宗禅が断絶されたかのように見る現代の風潮は全くナンセンスです。どちらもそれぞれを含んでいるのであって、その時の立場によって現れている面が違うだけに過ぎません。


62 名前:38 投稿日:01/09/26 16:17
〉そういう意味では伝統仏教を語るのはおかしいですね。
〉もっとも少林寺拳法は定義から言えば新興宗教なのでしょうが

宗教と言う概念が、明治以降の近代に入ってから西洋的な概念になり、
さらに昭和24年以降新宗教法人法施行以降は要件を満たせば宗教法人になり、
すなわち宗教の定義が形式的になったわけですが、宗教法人であっても本来の意味での
「宗なる教え」では無いものも多いし、宗教法人で無くってもマルチ商法やセミナーなど
西洋キリスト教的な意味においての、または社会学的な意味においての宗教じみたものは
枚挙にいとまありません。

となると、今日宗教であるか、否かはさしたる意味を持ち得ません。
要は、その人の人格が如何なるものか?が重要であって、仮にすばらしい人格者がいて
その人格を作り出したのが、特定の教えであったらばその教えを学べば良いのでしょう。


63 名前:1 投稿日:01/09/27 00:06
う~ん。示せるのは月を指す指のみといったところですか。 確かに色盲に赤を言葉で説明するようなものなのでしょうが例えばあったかい色なんだと教えていただければ私としても想像を膨らますことができて楽しかったかも。 大変でしょうからもちろん無理強いはいたしません。聞き流してください。
私はまた禅的境涯というのが宗家によって異なることもあるのではないかと思ってお聞きしたのです。
臨済の岩頭の禅など曹洞からみれば無茶もいいところだと聞きます。アプローチがことなればその結果得られる境涯もまた異質となると考えても不自然ではないと思うのです。少林寺拳法のアプローチの方法はそういう意味で日本の伝統禅のそれから大きく逸脱していることは間違いないでしょう。
それともたどり着く山頂は常にひとつだと考えてよろしいのでしょうか。


64 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/09/27 01:01
>>61
このスレ黙ってROMしていましたが禅に関する38さんの書いてることってほとんど本で読んだことそのまま丸写ししてるだけですよね。
そのネタ本に北宗禅と南宗禅は結局同じものだと書いてあったのでしょうか?
それは明らかに間違いです。五祖弘忍は何故、神秀ではなく慧能を法嗣としたのかその点を考えないと。二人の偈は表と裏の関係ではなく全く正反対のことを言っています。厳しい言い方かもしれませんが38さんは禅のことを全く理解していませんね。
禅は学問や知識で理解するものではありません。あなたもしばらく坐ってみてはいかがでしょう。


65 名前:38 投稿日:01/09/27 08:37
>>1
>私はまた禅的境涯というのが宗家によって異なることもあるのではないかと思ってお聞きしたのです。
>アプローチがことなればその結果得られる境涯もまた異質となると考えても不自然ではないと思うのです。

何度も言うように、それぞれに家風はありますが、禅とは一真実でありますから、真実が異なることは有り得ません。
違うと言うのであれば、それはどちらかが真実ではないのでしょう。

〉少林寺拳法のアプローチの方法はそういう意味で日本の伝統禅のそれから
〉大きく逸脱していることは間違いないでしょう。
〉それともたどり着く山頂は常にひとつだと考えてよろしいのでしょうか。

上とは全く逆の質問ですね。アプローチが違えば得られるものも異なる筈だ、と言いながらも、山頂は一つと言うのは可笑しな話です。
アプローチが違っても、得られるものが同じであるから山頂は一つである、と言えるのではないでしょうか。

お話を伺っていると、1さんは少林寺拳法を学ぶことによって単に武術を習うのみならず、宗教的な心の開発を行いたい様ですね。
私はそれをけして批判する者ではありませんが、禅僧である私の立場から言えば、少林寺拳法に禅のエッセンスがあることは判りますが、拳法だけで禅を学ぼうとするのには無理があります。むしろ禅は禅で学ぶことによって、少林寺拳法がより深く理解できるのではないでしょうか。同様のことは茶道などにも言えると思います。


66 名前:38 投稿日:01/09/27 09:05
>>64
こんにちは。ご指摘有難うございます、確かに史実などは辞書などを参考しましたが、全て私の見解に基づいて書いたものであって、けして受け売りではありません。ただ未だ未熟者ですから見解が間違っていると言うご批判ならば甘んじて受けます。
さて、
>五祖弘忍は何故、神秀ではなく慧能を法嗣としたのかその点を考えないと。
>二人の偈は表と裏の関係ではなく全く正反対のことを言っています。
と言うことですが、私はけしてそうだとは思いません。 ひょっとしたら64さんは、ご自分の禅体験でいささかの信心脱落底を得て六祖の方が、神秀よりも素晴らしいとお考えになったのかもしれませんが、神秀もまた五祖の元で長年修行してきて、700名の雲水の首座となったお方です。我々のような、というと貴方には失礼ですが、その程度の境涯であろう筈がございません。それでも敢えて「時時努めて払拭せよ」というのが神秀の立場であった訳です。
それに六祖は全くの文盲であったという事になっていますが、それで何ゆえ人が読む金剛経を理解したり、神秀の偈を読んでもらって、すかさず自分の偈を作って書いてもらうことが出来たでしょうか。 それをそのまま鵜呑みにするのは、釈尊が摩耶夫人の右腋からうまれて、すぐに七歩歩いて天上天下云々言った事を史実として信じるのと同様に、無謬な事です。
六祖が本覚的立場であったのに対して、神秀は始覚的立場であったに過ぎない事。これは唐末以来、曹洞が本覚的立場であったのに対して、臨済が始覚的立場であるのと同様です。身心脱落、脱落身心、坐ってそれで良いとするから今のていたらくなのでしょう。我々は、平等一枚を体験した後、差別の現実でどう働いていけるかを重んじます。


67 名前:64 投稿日:01/09/27 21:35
驚きました。私はあなたが一般の方だと思ったので易しい口調で言ったのですが禅僧だったとは。だとすればもう少し厳しいことを言わねばなりません。その文から察するにあなたは曹洞宗の方ですね。昔から曹洞宗では悟りを得る方が少ないのは何故でしょう。その点を考えたことはありますか?

>六祖の方が、神秀よりも素晴らしいとお考えになったのかもしれませんが、
>神秀もまた五祖の元で長年修行してきて、700名の雲水の首座となったお方です。
>我々のような、というと貴方には失礼ですが、その程度の境涯であろう筈が
>ございません。

弟子が700名いようが1000名いようがそのような権威主義では達磨の心など掴めません。達磨には1人しか弟子は居なかったのですよ。神秀が差別、慧能が平等で真理を答えたというのなら何故、五祖弘忍は慧能にだけ印可を与えたのでしょうか。2人とも同じことを立場を変えて言っているだけなら2人に印可を与えるはずです。まさか伝法衣が1つしかなかったからなどとは言わないでしょうね。あなたも本当に見性すれば達磨大師や六祖慧能の心に一足飛びに繋がります。悟りに深浅はないのです。ただし、悟後の修行が出来ていないと単なる一枚悟りになってしまうだけです。
悟りに深浅なし。ただ悟後の修行に深浅があるのみ。あなたが今やるべきことはこんな2CHで遊ぶことではないはず。
私が今2CHに居るのはあなたとは全く別の理由です。
 老僧末上入(わしはまっさきに入る)
趙州の慈悲心は今でも生きていますぞ。


68 名前:1 投稿日:01/09/27 22:45
なんかエライ事になってきた。
私としてはもっともっと遊んでいてほしいのに(泣)


69 名前:38 投稿日:01/09/28 09:36
>>1
私遊んでるつもりではないですが…(^-^;

>>64
先ず、私は臨済宗のものです。貴方は曹洞宗系の、それも原田老師系の方だと存じます。仰る事すべて承知しました。
「ここで遊ぶ暇があったら他にする事があるやろ」
他でも色々とやっているのですが、「るつぼ」以来こういうところで色んな方に出会うのも面白いのですよ。
貴方は2chのお地蔵さまを自負されているようなので、これからも頑張ってください。


70 名前:64 投稿日:01/09/28 20:06
>>69
>貴方は曹洞宗系の、それも原田老師系の方だと存じます。
私は臨済の系譜です。曹洞ではありません。あなたが臨済宗だとすれば更に始末に追えない。曹洞系であれば仕方がないと思っていたが臨済系でそのていたらくとは。あなたは一体どこの僧堂で修行をしていたのですか。
法身は透りましたか?
機関は透りましたか?
言詮は透りましたか?
まだまだ難透や向上もありますぞ。
最近の坊主は見性すらせず寺に帰っていく者もいると聞く。これでは今世紀中に達磨の眼は潰れてしまうだろう。 あなたが一般の方であればこんな厳しいことは言わないが禅僧なのだから。これでも随分手加減しているのですよ。


71 名前:1 投稿日:01/09/28 22:56
>38
>>69 そうですね。失礼いたしました。
あなたはいつも私の質問に真剣に答えてくれていました。

>64 >>67
私のような素人の衆生としては38さんのような方が知識を分け与えてくれることはとってもありがたい。禅の坊さんは時間を大切にすることは一応は知っているつもりですがその生活は他人とのコミュニケートを犠牲にしなければ成り立たないようなものなのですか?


72 名前:38 投稿日:01/09/29 07:51
>>私は臨済の系譜です。曹洞ではありません
そういう言いまわしはさしずめ人間禅ですか?それとも正統の臨済なおでしょうか?
まぁどちらでも構いませんが、それだけ仰るのであれば貴方は一枚持ちなのでしょうが、貴方の師はどなたですか?

>あなたは一体どこの僧堂で修行をしていたのですか。
虎渓です。

勿論、私は貴方のような師家分上のものではありませんが、丸っきりの無眼子とも思っておりません。ただ、いずれにせよ臨済の名を持ち出すのであれば、公案の数だけを数えてもそれが実生活で生かされなければ何もならない事ぐらいは御存知の筈。私の身の処し方をご心配頂いているようですが、それなりに布教活動もし、時々僧堂にも通参しております。上求菩提・下化衆生は一つのことと存じておりますので、ご心配には及びません。
臨済系の僧侶の方であればいずれお会いする機会もあるでしょう。
それよりあなたこそ、大丈夫ですか?


73 名前:64 投稿日:01/09/29 18:37
達磨の眼は潰れた。
この似非坊主の眼で。
これ以上の言葉は無し!


74 名前:1 投稿日:01/09/29 23:34
>64
あなた何言ってるの? ごく客観的に言ってこの討論あなたのほうが分が悪い、というか変。
「禅問答」に逃げないできちんと答える練習をしましょう。理もわからずに理外の理がわかってたまるものですか。
正直不愉快です。とっとと出て行って下さいませ。


75 名前:1 投稿日:01/09/29 23:39
さて、実は明日から海外転出の用がありまして、多分1週間ほど書き込みができなくなります。
今度見たときこのスレがまだあったらまたお会いしましょう。
SeeYou~


76 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/09/30 07:30
>>74
お前の主観だろ? 禅のぜの字も知らんのに客観的っておいおい。w
禅を知る人間から見ればどっちが正法かは一目瞭然。38のような松原泰道もどきが禅をダメにした。
もう一度修行のやり直しだろうな。


77 名前:38 投稿日:01/09/30 12:13
まぁ、ネット上でゴチャゴチャ言ってるだけの人に何言われても構いませんよ。(*^^*)


78 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/09/30 12:17
俺も、64支持。
38のは禅じゃない。


79 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/09/30 13:03
顔の見えない相手を 罵倒する 誠実に答える。

宗派に関係なく人間としてどちらが優れているかは素人でも解る事だ
また、見識が広くある程度の域に達した人間は凡人の理解に苦しむ事を言う事がある。


80 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/09/30 13:11
>>79
まあ一般人としてはそれがごく普通の感覚だろうな。でもな、君がもう少し禅を知れば違う意見を言うだろう。
もし、私の話が嘘だと思うなら2人のやり取りを禅の師家に見てもらえば一発で答えが出るよ。


81 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/09/30 13:21
見性した禅僧が一知半解の禅僧を罵倒する。殴る。蹴る。 こんなのは当たり前。相手を悟らせるための方便。その奥にある菩薩の心を見て取れなければどうにもならない。64は一般人にそれをしてるわけじゃないからね。禅僧に対しそれをしてるのです。


82 名前:38 投稿日:01/09/30 19:51
ハイ、有り難い事です。 かつて、ある老師が「托鉢とは下座行だ。」と提唱で仰ったと聞きました。さしずめ私がこちらで叱咤罵倒して頂けるのも、皆様の老婆心からの事、まさに現代の下座行をさせて頂いていると、感謝致しております。

ただ私はネット上で観念的に禅を語るものとは異なり、現実社会の中で実際に人々と共に生きております。老婆心ながら申し上げますと、ネットで「禅とは云々」と声高に語る輩にはお気をつけ下さい。魑魅魍魎の野狐がウロウロしております。


83 名前:38 投稿日:01/09/30 19:55
さて明日から私も京都、島根へ出張ですのでしばらく参れません。1さん同様、又スレがあればお会いしましょう。


84 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/09/30 21:35
>>82
そんな棄て台詞言ってるようではお寒いかぎり。表面上は冷静さを装っても心の地獄は隠せないよ。本当に感謝してたら今ごろこんなところにいないはず。 こうして禅はだめになっていくのだろうな。


85 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/10/01 01:35
わーい!!禅と禅のケンカだあー!おもちろーい!!


86 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/10/01 02:56
こいつらホントに臨済僧なの?
この狭隘さは「騒動宗」のほうちゃう?


88 名前:38 投稿日:01/10/01 07:59
>>86
彼はともかく、私はそうです。(恥)^-^;
>>84
ご指摘の通り、到らないのでスイマセン。 ただ話しを元に戻すと、であるからこそやはり「時時努めて払拭すべし」ところが必要なのだと思います。
>>70で、彼が公案の体系を持ち出していますが、臨済にだって修行の段階はあるのです。ただ南宗禅が頓悟を主張したのは、段階的カリキュラムさえこなしていけば、自動的に悟りが開けるのでは無い、以前の精神とは次元の異なる価値の大転換が必要である、と言う事を主張したのであり、けしてコツコツやる事を否定したのではありません。
一方、北宗禅だってコツコツやりさえすればそれで良いと思っていた訳では無く、やはり進退極まってこそ新たな世界が開ける事ぐらいは承知していない筈が無いでは無いですか。 ただ見性したからと言ってそれで良しとして、以後無軌道に生活すればやはり元の木阿弥です。神秀はそういった人間の心の弱さを見ていたのではないかと思います。
あ、バスの時間だ!それでは~

まさに拳法の話ですな(615期生)

89 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/10/01 19:13
臨済宗の僧は必ず専門の道場で一定期間修業しないと一寺の住職にはなれない。
38さんは虎渓という僧堂で修行していたとカキコしていたが私の持ってる臨済宗の修行僧堂一覧みたいな本にはそんな僧堂載ってないんだがなぁ。
どうも怪しいな。神秀と慧能の話にしても現代の禅匠が聞いたら卒倒するようなこと言ってるし、38さんは本物の禅僧か?



91 名前:1 投稿日:01/10/04 04:42
ども。お久しぶりです。なにやら盛り上がってたようで。
>>89
虎渓という僧堂は実在するみたいですよ。


92 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/10/04 06:19
>>91
して、その根拠は?


93 名前:1 投稿日:01/10/04 15:13
>>92
ん~と、HP見た。


94 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/10/05 06:29
>>93
ああ、岐阜の永保僧堂のことか。 いつから虎渓僧堂と呼ぶようになったんだろう。虎渓という地名だからそう呼ぶのかな。
でもなんとなく見えてきましたわ。私も結構、禅は勉強してるんですが白隠禅(臨済禅)は隱山派と卓州派に分かれるようですね。臨済の宗風を最も残しているのが隱山派らしいです。卓州派は中川宋淵老師の前後の法系以外はこれといって人物が出ていないと聞きます。
虎渓僧堂はどうやら卓州派のようですね。ま、これ以上の説明はヤボですね。解る人には解るんでしょうから。


95 名前:1 投稿日:01/10/05 15:15
禅の話は面白いしためにもなるんだけど
誰か少林寺との関係とか教えてくれるともっと嬉しいんだけど・・・

>>65
>お話を伺っていると、1さんは少林寺拳法を学ぶことによって単に武術を習うのみ
>ならず、宗教的な心の開発を行いたい様ですね。
そ、それは誤解です。 私のは単なる興味本位な好奇心でして、少林寺拳法にそのような特徴があるかどうかを知りたかっただけです。 少林寺拳法をされている方の意見が全くないんで一応は経験者と言うことで私見と可能性を述べているだけで気持ちの上では全くの中立のつもりです。だいたい私ごときが少林寺拳法側に立って議論しようものなら結論は見えてます。少林寺に申しわけなさすぎる。
できれば宗教としての少林寺拳法を理解している方の意見を聞ければなと思って立ち上げたスレなんですが・・・。
そんな人いないのかな?


96 名前:38 投稿日:01/10/05 18:00
>>94
>いつから虎渓僧堂と呼ぶようになったんだろう。
開単以来です(藁

>>1
>私のは単なる興味本位な好奇心でして、少林寺拳法にそのような特徴が
>あるかどうかを知りたかっただけです。
了解。残念ながら少林寺やって無いので、ご質問に答えられずに残念です。
でも、花大にも少林寺あるから、誰か答えてくれるかも。デハ~


97 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/10/05 19:51
>>96
>(藁
なんてレスつける禅僧がどの程度の者かは大体想像がつくでしょう。
解ったら引き上げますか。ご同輩。


98 名前:38 投稿日:01/10/05 20:50
爆藁!


99 名前:1 投稿日:01/10/07 05:06
少林寺の拳士は実際に坐る。
これは私が実際に経験したのだから間違いない。 でも私が言うのもなんだが、彼らは何を考えてこの作業をしているのだろう。習慣か?精神統一にでも役立つと思っているのか?拳士のひと~、誰か見てんでしょ~?おしぇーてよぉ。
だーれも見てなかったらシャレならんな。(汗


100 名前:Syami 投稿日:01/10/08 11:07
合掌

 出遅れてしまいました。些かですが少林寺拳法と陳式太極拳を修行している者です。 勉学宜しゅう!

>> 27
 金剛禅は、開祖のお話、経歴、門内での作法、道訓等から思うに色々な思想のコンポジットで有ると思っています。仏教をベースに、道教、儒教なども取り込んでいると思います。 例えば、「道院」と言う呼称。これは私が知る限り道教で使われる名前ですよね?仏教でも「道院」と言う呼び方は有るのでしょうか?
また、結印に関しても常用するのは「結手印」ですが、これも道教で使われるものですね。「火炎印」と少し似ているけれど、かなり違う。
法界定印は我々は行いませんね。これは武術的な意味合いから、揃えている拇指を手で掴まれたら、相手の片手で我の両手を制されてしまいますからね。これ以外に、以前は短時間の坐禅を行うときは外縛の独鈷印も使ってたんですよ。 真言も今より使ってたし。
「如意棒」にしても我々が使うのは道教で使われる物に似ていますね。

道訓に至っては更にいろんな物が混在している。禅宗の方達にも、道教の方達にも宗教的には「うっさん臭い集団」と思われているのでは? でも、言っている事は私は悪くないと思っていますし、面白いとも思っています。でも私は少林寺拳法は禅宗と言うより原始仏教に近いと思うのですよ。

「気」については教範に有る通り。しかし、あの本に書かれてある坐禅の方法は「気功」で学ぶ事と何ら変わりは有りませんね。また、「発勁」は高手の方は極普通にお使いですよ。


101 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/10/08 18:49
ただ、その剄は内功によって得たものじゃないんでは?


106 名前:1 投稿日:01/10/09 03:39
>>100
あなたのような人を私は待っていました(感涙)。 教えていただきたいのは、少林寺が禅でも道教でも良いのですが坐ることによって何を目指しているのかです。道教のことは禅のこと以上に知らないんですけれどやっぱり同じように「悟り」を目指してるのでしょうか。
それと、基本的なことで申し訳ありませんが坐禅を組むとき目は半眼ですか?


107 名前:Syami 投稿日:01/10/09 09:36
>> 106

 こんにちは。今年の5月ぐらいから2ch遊びを始めた者です。武道版に居ます。さて、我々が坐る事によって求めるもの?何でしょうねー?私は、呼吸法と精神統一による心身調整と思っています。実際、あの呼吸法は気功で中丹田と下丹田を意識させる初心者用の功法と全く変わりません。あの「調息法」によって丹田の位置を意識し、その後に「周天法」に進みます。我々はそこまでやりませんね。

さて、「悟り」?こちらで仰る「悟り」とは如何なるものなのでしょう?道教の「悟り」は仏教の求めるところとは随分違うと思います。
乱暴に言ってしまうならば、仏教は自分の在り様を知るためのメソッド、
儒教は「仁」に代表されるように、対人関係における自分を学ぶためのメソッド。
道教は「自然」あるいは「宇宙」と自分との関係を知る為のメソッドと捕らえています。
もちろん私見です。仏教も古い教典を見ると、宗教的かつまた神秘的な表現は少なく、実生活を通して「中道」の在るべき姿を説いた一種「実用書」めいたところも在ると感じます。

それと、我々の坐禅の方法では目は瞑ります。坐禅を修行のメインに据えている方々の中には、月輪観、日輪観、阿字観などをなさる方もおいでですが、我々は自分の内側を意識することに酔って集中します。一種の数息観と言っても良いかも?

>> 101
貴方の仰る「発勁」や「内功」とは如何なるものですか?ま、これはスレ違いなので、武道版にでも行って語りましょう。

>> 31
 確かにその様なタイトルにした方が人は集まったかも。


108 名前:1 投稿日:01/10/09 17:03
>>100
そうしますとやはり少林寺拳法の禅法は禅宗のそれとは違うと考えて良いのでしょう。 真言を唱える禅宗を私は知らない。ただ、私が知らないだけかも知れない^^; ここら辺はできたら38さんにでもご登場願えればと思うんですけどまだいるかな~?
少林寺で唱えていたという真言ってどんなものでしたでしょうか?


109 名前:38 投稿日:01/10/09 22:00
>>1
>まだいるかな~?
仕事の合間に覗いてますよ~(w
真言というと、真言宗や天台宗だけのように感じますが、要は呪であり陀羅尼でしょ?禅宗の普段読むお経は殆どが呪や陀羅尼です。また韋駄天諷経では、真言も唱えます。 むしろ真言でない経は般若経典系と甘露門だけの様な気がします。思いつくまま大悲咒、消災呪、ブチンソンシン陀羅尼、ギャクオン神呪、リョウゴンシュウ、皆呪文ですよ。


110 名前:Syami 投稿日:01/10/10 00:20
や、これは面白くなってきた。

現在我々が唱える真言は「ナム ダーマ」だけですね。
以前は「ノウマクサンマン ダーマ」と唱えていました。
もう一つあったけどなんだったかなー?

外縛独鈷印は坐禅以外に、活法や整法を行う時にも結んでいましたねー。
真言もこういう時に唱えていたとか。

あと、これは坐禅を組む時の観相の一つですが、吸気の時に「宇宙の霊気我に入る。」
呼気の時に「ダーマの霊性我より発す。」
と心中に唱えるように学びました。意密の一種??


111 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/10/10 01:16
僕も5年ほど前崇山少林寺行ったことありますよ。近くで子供がサンドバッグ相手に拳法の練習してました。
しかしこんなところで高度な議論が続いてますね。珍しい。禅系統のスレにはわけのわからんヒッピー禅に荒らされることが多いのですが。

しかし虎渓山を知らずにでかい顔してる人がいるとは失笑ですね。南禅寺派で国宝の建物が2つもある名刹なのに・・・(笑。歴史の資料にも載ってますよね。すると38さんは私の先輩ですか、頑張って下さい。なかなか内容的には難しくて大変です。


112 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/10/10 01:39
自作自演痛いw


113 名前:1 投稿日:01/10/10 02:33
38さん、解説有り難うございます。
Syamiさんの話を伺っていると少林寺拳法の禅は天台の禅法に似ているような気がします。
あちらでも確か月輪観や阿字観のときには目を瞑っていると読んだことがあるような。
もしかして開祖は天台から禅をピックアップしてきたのかも? それだったら北禅を唱えても間違えではありませんよね。道教の影響を受けているのは大陸で属していた団体のためでしょうか。

ところで外縛の独鈷印って、あのよくテレビで忍者が忍法使うときにやる人差し指を合わせて伸ばす印のことですよね?法界定印とおんなじで人に制せられる可能性があるので使わなくなったのでしょうか。なんにしても少林寺で印や真言まで使っていたなんて初耳でわくわくしてしまいます。


114 名前:38 投稿日:01/10/10 08:58
>>111
ん?だれやろ~?
こんなとこウロウロしてるのは、さしずめ○坊○さんかな? あんまりここで身内の話すると顰蹙買うから止めときましょう。(藁

>しかし虎渓山を知らずに…云々
良いやん、別に。 多分彼らは東京の人でしょ。谷中とかで坐ってるんでしょ?
ま~秋月系の人らだわ、物言いが。教団嫌いだからネ。


115 名前:Syami 投稿日:01/10/10 13:48
 こんにちは。私は「禅を」深く学んだわけではないので、勉強になります。
私の仏教の師としては、増谷 文雄先生が上げられます。後は金岡 秀友先生。
つまり原始仏教や、密教系になる訳です。

以前台湾を旅行した時、見学に入った寺院では表には仏像があったものの、裏に回ったら道教の神からヒンズーの神までがごっそり祭られていました。そして現地の方々もこれらの像を分け隔てなく礼拝していました。西遊記等を読んでも、仏様以外に道教の神仙が当たり前の様に出てきます。あの時代にギリシャ神話やキリスト教が伝わっていたら、きっとキリストも顔を出したのでは??要するに、中国での民間信仰としては「現世利益」を与えてくれるような神ならばなんでも崇拝すると言った事の様です。
善し悪しは別にして、おおらかな事ですね。

開祖の著作にも在るように、開祖は中国で先ずは道教を学んでいます。その後、世界紅卍会で色々な宗教、武術に触れ、これが金剛禅のバックボーンになっていると私は考えています。金剛禅と名乗り、禅宗の一派を標榜するのは少林寺系の技法を多く学び、少林寺で伝法の儀式を得、白衣殿でインスピレーションを受け、夢で達磨の教示を得たと言う体験からこうしたとご本人にも仰っておいででした。


116 名前:Syami 投稿日:01/10/10 13:49

1さんは坐る事にちょっとこだわっておいでの様ですが、そもそも「禅」とは 「単」に「示」すであって、坐る事では無いですよね?
門外の者が言うのも難ですが、禅の修行者は、作務をしていても、食事をしていても歩いていても、寝ていても「禅」だそうです。
我々も坐りますが、これは我々の修行の主たるところではありませんね?

以前は鎮魂行の時には真言を唱えていたのですが、最近まで唱えませんでした。これは「宗教法人」以外の所から、宗教色を押さえたいと言う要望が出たからです。最近になって復活したのは、宗教法人としての色をもっと出さざるを得なくなったからとの事。ある意味で文部省対策が在ったかも知れません。昔も真言は唱えていたものの、その説明は必ずしもされない道院が多かったですからネ。

個人的にはこの様に「混沌」とした所も少林寺拳法修行の面白いところだと思っています。他の「ちゃんとした」門派の方々には随分「胡散臭い」宗教団体だと思われている事でしょうね?これはある意味仕方が無いことだとも思っています。

ここで一つ私が日頃唱えている「げ」を記しておきます。
南伝 相応部教典 7,4
漢訳 雑阿含経 42,1153より。
邦訳 増谷 文雄先生

「もし人、故なくして、悪語を放ち、怒罵をあびせ
清浄にして無垢なる人を汚さんとせば、その悪かえって己に帰す。
たとえば
土をとってかの人に投ずるに、風に逆うてかえって自らを汚すがごとし。」

ご存じ瞋恚説法でした。


117 名前:38 投稿日:01/10/10 18:23
>>Syamiさん
はじめまして。私は少林寺拳法の事は判りません。また金岡さんも『秘鍵』ぐらいしか読んだ事がありません。
ただ、心の置き場所について考えてみるのは面白そうです。余談ですが、現在の臨済では坐る際の印を意識する事は殆どありません。僧堂にもよりますが、単に両手を組み合わせるか、法界定印かのいずれかです。呼吸法はいわゆる数息観を基本にしていますが、最近面白い事を聞きました。それは、禅には二つの流れがある、という事です。


118 名前:38 投稿日:01/10/10 18:24
一つは、白隠が説いた様に臍下丹田に上気しようとする氣を、呼吸法で収めていく方法。「氣は心」と言う様に、つまり丹田に心を置く方法です。
道元も『永平広録』で、師である如淨から「呼吸は臍下三寸でする」と教わったと書いてます。また如淨は道元に「淨曰く、元子、坐禅の時、心を左の掌の上に置くべし」と言われたと聞きます。左の掌は坐禅すると臍下丹田になります。これらは心を臍下丹田一箇所に集中する方法ですが、このような方法は、何も禅に限らず中国では古来より神仙の丹錬術として行われていて、古くは『黄帝内経』や『老子』『荘子』などにも見られるものです


119 名前:38 投稿日:01/10/10 18:25
もう一つは、心を一箇所に止めないグループです。それは例えば、達磨であり、六祖であり、臨済であり、沢庵であります。 達磨は慧可に「心を持ち来れ」と言い、「心」が限定的で無い事を説き、六祖もまた、神秀の「心は明鏡台の如し」に対して「本来無一物」と、心を固定化する事を否定しました。また臨済は「心法無形」とか「眼に在っては見ると言い云々」と言って、心は常に私達の面門より出たり入ったりしていると説きました。
そうして沢庵は『不動智神妙録』で「心の置所」をハッキリこう言ってます。
「心を臍の下に押しこんで働かないのも、不自由で用に立たぬとすれば、どこに心を置いたらよろしいか。」
「右手に置いたら、右手に心を取られて、動きが自由にならぬ。眼に置いたら眼に取られて働きが欠ける。~云々~
どこか一つ所に心を置けば、ほかの方がお留守になってしまう。」
「どこにも置かぬことだ~中略~心を一方に置かなければ、十方に行き渡るのだ」


120 名前:38 投稿日:01/10/10 18:25
では白隠や道元、或いはこのスレで話題になった(爆) 「心は鏡の様だから、毎日奇麗に磨かなイカン」と言った、神秀などは間違いか、と言うとけしてそうでは在りません。沢庵は言います。「然れども仏法の向上の段より見れば、(心を)臍の下に押込めて余所にやらぬと云うは段が卑しくし、向上に在らず。修行稽古の時の位なり。」
つまり、修行する時は臍下丹田に心を集中して坐るわけですが、働く時には心をどこにもとどめずに、自由自在、活發發地に働かさなくてはならない、という事です。

私は、この心を「一心」としてとどめるグループと、心をどこにもとどめないグループを比べた時、前者は中国的な思想であり(禅はよく学者に仏教ではなくシナ思想だと言われますが)後者は仏教的な思想である様に感じます。
それは言いかえれば、天台本學思想と中論・空思想との対比にも似て、非常に興味深いのです。


121 名前:Syami 投稿日:01/10/11 00:22
38さんはじめまして。
一つご提案なのですが、番号の固定ハンドルは及びし難いので、何か他のハンドル名をお作りになりませんか?

成る程、勉強になります。
「黄帝内経」と言うと「素門・霊枢」ですね。 私も少林寺拳法の整法を勉強する時に一通り読みました。 む、すると「坐禅」は道教からきたものと考えるべきなのですか?また、御坊の仰る「心」とは意識とか意念と言うべきものなのでしょうか?

「不動智神妙録」は私も勉強しましたが、自由闊達な禅風は非常に面白いと思いました。 内に向く心、外に向く心、ひいては何処にでもあり、何処にもない、囚われない心とでも申しましょうか?そんな印象を受けた事を覚えています。
ではまた、ご教示お願いいたします。


122 名前:38改 投稿日:01/10/11 21:10
私Web上で使ってるハンドルは一つなので、余りコテハンを複数持ちたくありません。
よって上記のようにしました。同じ事ですが…(^-^;

「心」ですが、その時々に応じて様々な意味に使っていますが、 そのまま「心とは何か?」と問われれば、「生命の別名」と思います。ただ、上記の場合は多分に「意識」と言うようなニュアンスが強い事は言うまでもありません。スイマセン、土日に壇信徒の方を連れて京都行くので準備に追われてます。
月曜までレスできません。


123 名前:光の子 投稿日:01/10/11 22:13
 心をどこかにとどめようとする、磨こうとする、というのは「心があると思う我」を(心がここにある、という思いによって生じた)我の内にとどめ、その我によって観想された心を磨く、ということのような気がします。それは正しい、間違い、というよりも心を仮定した「主体」によって認識・意識しその結果生じている「心」によってまた「心」を見ようとするような、ある種のもどかしさがあるのかも。

 丹田への気の集中は私も時々行いますね。もっとも、私の場合は禅ではなく仙道で、丹田に集中させるより全身に熱と圧力となった「気」を巡らすことが中心ですが(いわゆる小周天)。硬気功・武術にも一時興味を持っていたけど、軟派な私にはあわず....。


124 名前:1 投稿日:01/10/12 02:18
光の子さん、こんにちは。
だんだん役者がそろってきた。
密教の人も来ないかな^^


125 名前:Syami 投稿日:01/10/12 10:34
密教と言えば…。
我々は高段者なると「法器」と称して錫杖、如意棒、金剛杵を使います。 如意棒と言っても雲形ではない短い棒状のものです。
これも道教から来ている様です。金剛杵は基本的に五寸の「独鈷杵」を使います。(本山に在るのは1尺ぐらいあるけど。) これは有名な密教の法具ですね。他の宗派でもこのような「金剛杵」は使うのですか?


126 名前:1 投稿日:01/10/14 04:24
密教系の方、いらっしゃいませんねぇ。
まだどこかに頼みに行こうかな。
>125
ところで法器って拳法では武器に使用するのですよね?
他に用い方はあるのでしょうか。 道教や密教でも武器から発生したのかな?


128 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/10/15 07:55
一点集中と言いますが、 下丹田に気が溜まっていく事によって自我が消えていき、無我になるという話しがありますが?


129 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/10/15 07:56
腹脳というやつです


130 名前:光の子 投稿日:01/10/15 09:12
>>128

 気が丹田にたまっていく事によって、というより一度丹田に集まった気がそこから全身、さらに自分の周囲にまで広がっていく事によって、という感じですかね、私の場合。


131 名前:128 投稿日:01/10/15 11:46
元、仙道連の人が書いた本にそういう事が書いてあったので引用しました
腹脳を鍛えていく事が宇宙意識へとつながると


132 名前:1 投稿日:01/10/16 06:09
少林寺拳法で言うダーマ(Dharma)は大宇宙の大生命ってことになってるんだけど
この解釈はダルマ(Dharma)を法と訳する禅仏教でもOKなんでしょうか。
同じ事なの?


133 名前:38改 投稿日:01/10/17 07:26
>>132
法(ダルマ)に限らず、心や仏性というような言葉も、全て生命という意味であり、 そういう解釈に陥りやすい訳です。また私もかつてはこんな風に理解していました。自分の生命は大いなる生命から縁に依って取り出された生命、だから死んだら大いなる生命に帰って行くと。
しかし、そうなると永遠不滅の大いなる生命が一つある、という風になってしまうので、これは諸法無我・諸行無常を唱える仏教では無くなってしまいます。
いわゆる本覚思想ですね。
正しくは、禅は空間的にも時間的にも、大いなる生命と自己の生命とを別に見るのでは無くって、自己の生命がそのまま大いなる生命であると見るのです。
沢庵の『不動智神妙録』に「間、髪を入れず」という項がありますが、まさにこの事で自己の生命と大いなる生命の間に「髪の毛一本も入る隙間が無い」というのが、禅の生命観であり、法は十方に遍く満ちている、と言う事なのです。


134 名前:1 投稿日:01/10/18 08:37
>>133
なるほど。そうなりますってえと、個人の生命がダーマの分霊だと考える金剛禅は禅じゃないってえことになるんですね?
こだわるようですが、天台の方ではどうなんでしょうか。


135 名前:Syami 投稿日:01/10/18 23:37
さてこそ?
我々の道訓の
「凡そ人心は神なり仏なり。神仏即ち霊なり。 心に恥ずるところ無くんば神仏にも恥ずるところなし。」
から解釈すると、まさに「禅の生命観」そのものと感じられるのですが?


136 名前:1 投稿日:01/10/20 08:27
>>135
でも少林寺では「分霊」という言葉を明確に使用していますよ。
わけみたま即ち禅じゃない、というのが134の解釈。
あるいは日本で発展した南禅的な禅じゃないというべきか。


137 名前:Syami 投稿日:01/10/20 09:05
ふーむふむ、成る程。わけみたまかー。成る程。

個人的には「分御霊」の場合は本当に別れているように思うのですが我々の場合は分かれてはいるモノの、別れては居ないと言う様に理解しています。この解釈は如何なものでしょうか?


138 名前:1 投稿日:01/10/20 20:14
その解釈はSyamiさんの解釈ですか。それとも少林寺拳法がそう解釈していると受け取ってよろしいのでしょうか。


139 名前:Syami 投稿日:01/10/21 01:09
私の個人的な解釈です。
残念ながら、少林寺拳法の修行の中でこう言う議論は殆どされていませんね。
実は子供の頃に道訓の
「一動一静、総て神仏の観察するところ、報応昭々として豪厘も赦さざるなり」
と言うのを覚えた時にイメージしたものが未だに残ってるのです。
分かれたと言ってもつながっているから、これが可能なんだなーって。
レベルの低い話で申し訳ないです。


140 名前:1 投稿日:01/10/21 19:33
>レベルの低い話で申し訳ないです。
いえいえとんでもございません。
Syamiさんの教えて下さるいにしえの少林寺の修行内容は金剛禅のバックボーンを知る手がかりとしてめっちゃくちゃ貴重です。
もっと他にも、今では消滅してしまったような修行法や道訓などはありませんか?


141 名前:Syami 投稿日:01/10/22 20:46
>>140

>今では消滅してしまったような修行法や道訓などはありませんか?
宗教的なと言う事ですよね?ならば、
行法として断食行、托鉢行、長時間の座禅など。

道訓は現バージョンしか知りませんが、以前は般若心経を読み下したものを唱えていた時代もありました。
「観自在菩薩、真般若波羅密多を行ずる時五蘊は云々・・・」
と言うヤツですネ。

また、聖句は現行のものに加え、もうひとつ有りました。
「総て悪しき事を為さず、善き事を実践し自己の心を清むる事、これ諸々の仏の教えなり。」

やー、流石に覚えているもんだなー。このように以前は自己帰依を説く聖句が三つ並んでいたのです。別に消さなくても良かったように思うんですけどネ。


142 名前:1 投稿日:01/10/23 06:14
有り難うございます。断食までしていたのですね。拳法の修行というか体育とは正反対な修行法だ。これは宗教ですね。
ところで世界紅卍字会のスレに注目すべき書き込みが有りました。どう思われますか?


143 名前:Syami 投稿日:01/10/23 12:35
さぁて?ノーコメントですね。
コメントするほどの材料も無いことですし。
何か誤解してるだけじゃないかなぁ?

でも、中国でも「道院」と言う呼称は道教の修行場に対するものになってる様です。仏教だったら「寺」とか「寺院」とか言ってますよ?崇山近辺で道教もやってたかも知れないけど、少林寺でやってるとは思い難いなぁ?…と、思います。


144 名前:1 投稿日:01/10/24 03:57
崇山の古いパンフに道院の文字があって引用したと卍字会のスレに書いてありました。
38改さん、ご存じない?


145 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/10/24 20:40
いわゆる少林寺珍宝はへたれによる、へたれのための、へたれの拳法踊りだから、禅なんてどうでもいいのさ。
税金払いたくなかっただけさ。中野踊りの詐欺師め。


146 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/10/25 09:57
>>144
すみません。確認したら、道院ではなく、活佛院でした。記憶違いで、お騒がせして申し訳ありません。達磨大師正統継承者とも書いてありました。
ところで、少林寺拳法は道院であり、禅宗なんですか?


147 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/10/25 20:44
少林寺は踊りの流派です。


148 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/10/25 22:50
○○流とか色んな流派はあるの?


149 名前:1 投稿日:01/10/26 04:19
少林寺拳法は一流一派です。分派したら少林寺は名乗れない。商標登録してあるのだ。(マジ)

>>146
卍字のスレの方ですね。ようこそおいで下さいました。
もし達磨のことでもう少し詳しいことがわかったら教えてくれませんか?

少林寺拳法の言う道院は町道場くらいの意味だと思います。(・・・よね、Syamiさん?)
でもとっても変な感じなので(禅を名乗っているから)このスレを立ててみました。


150 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/10/26 08:22
>>149
達磨寶巻という本ご存知ですか? 小さな本ですが、中国や韓国では結構読まれているようです。日本語版は入手するのは極めてむずかしいですが。私も持っていたのですが、内容がむずかしいので、専門家にプレゼントしてしまいました。
前半は、達磨大師がインドから中国へやってきて、武帝に会い、神光に法を授けるまで、後半は、丹の練り方が書かれています。私のような無知な者が読むと、どこが禅の開祖なのかとも思いますが、問題は、達磨大師がなぜ、インドから中国に来たのか? そしていったい何を伝えたのか?ですね。このあたりは、禅ではどのように説明されているのでしょう?


151 名前:Syami 投稿日:01/10/26 12:39
さて?でも、恐らくはそうであろうと思います。
開祖は中国において道教も学んでいたので、この辺の用語または思想等は結構混沌としている様に感じています。
そこが私にはまた面白く感じられるのです。他から見ると少々胡散臭く感じるかも知れませんが…。


152 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/10/26 14:49
私の言った嵩山少林寺は、禅宗ではなく、一貫道系の分派別派だと思われます
嵩山少林寺を語っているのかもしれませんし、あるいは門前市の拳法道場の如く多少は縁があるのかもしれません。紅卍も多分、同じ流れだと思います。私達は道院といえば、別派という感覚です。そこでは、達磨大師は開祖ではなく、伏儀から始まる道統の祖師のお一人にすぎないのですね。もちろん天命をインドから中国に運んだ(戻した)という点では、重要な分岐点ではあるのですが。
何を伝えたかというと、一般には正法という言葉で簡単に説明されてしまうのですが、正法とは、正しい教えではなく、まさしく以心伝心、教外別伝、不立文字の超生了死の法そのものであって、仏典や教義ではなかったのですね。単伝という厳しい時代であり、一人にしかその法は伝えられなかった。禅家の6祖慧能祖でしたか、そこで天命継承は禅家を離れ、儒家に移ったとされています。
これが一貫道の基本的なスタンスであり、そういう意味では、仏教とか道教とかの枠にとらわれてはおりませんが、達磨大師から数えて18代目の弓長祖以降、普伝を機に、いわゆる祖師はいなくなり、残念ながら唯一天命を伝えるはずの団体が、分裂してしまっているという現状です。
主神の他に、弥勒(天盤)、南海観音(副天盤)、天然(道盤)の三佛を奉っておりますので、すぐわかります。


154 名前:1 投稿日:01/10/28 05:41
>>152
今の少林寺が一貫道系の分派別派である可能性があると仰っているのですか?
何にしても達磨さんが別の系統の宗祖でもあったなんて驚きです。
38改さん、知ってた?


155 名前:38改 投稿日:01/10/28 13:49
久しぶりに覗いたら私へのフリがあったんで(^_^;
いや、知りませんでした。ただ、例えばイエスキリストもユダヤ教では預言者の一人、聖人の一人であった様に記憶していますが、そういう風に有名人を自分ところの系譜に加えるというのは、色々な宗教でよく見られることです。仏教における守護神としての天部も同様ですし、わが国では神仏習合でお寺の守護神として、お稲荷さんやその他の神様も祭られています。

>>150さんへ
禅の事を系統立てて正確に知りたいのであれば、『禅への鍵』ティクナットハン春秋社を読まれることをお勧めします。


156 名前:1 投稿日:01/10/29 03:59
>>150
五祖弘忍のあと、その天命というのは慧能には伝わらずに儒家に移ったと言うことですね?
それとも慧能までは”天命”を知っていたのかな。弘忍や慧能の弟子に儒者がいたって事??
正道の意味は禅と同じみたいですけれど。


157 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/10/29 09:59
1さん、38改さん

あまり禅に関係なさそうなので、一貫道という考え方もあるということでご理解ください。ただ、正法の意味は禅とは違うと思います。
表現しにくいのですが、たとえば仏教で最高の境地まで極めた方が、最後にいただく涅槃への切符のようなもので、これは主神の命を受けた明師から直接面授されなければ、自力では絶対得られないものと説きます。昔は単伝という時代であり、当代随一の聖人にしか、その法を伝えることが許されませんでした。だから釈尊は、迦葉尊者だけに正法眼蔵涅槃妙心の法を伝え、達磨大師は神光だけに直指人心見性成仏の法を伝えました。
こういうとお叱りを受けると思いますが、道元禅師の時代には、すでに禅家に天命はなく、それを素直に嘆かれたのが「眼横鼻直空手還郷」というお言葉なのですが、もちろん禅の方は、この言葉に深い意味を託されているのですが、その法を受けると、眼横鼻直や直指人心の意味は簡単にわかってしまう(悟って
いるという意味でなく文字通りの意味)のです。その法が、一貫道の名前の由来でもあります。


158 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/10/29 11:08
>>156
慧能祖までは伝わりました。


162 名前:38改 投稿日:01/10/30 09:02
>>157
わかりました。
まぁ、この件に関して私がこれ以上何も申し上げることはないです。「解釈」というものは色々な立場がありますから…。ただ我々は解釈に基づいていないのです。自分の立場だけは明らかにしておきます。


164 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/10/30 11:47
解釈ではないのです。まあ、打ち止めと仰られましたので、これ以上は触れませんが、道元禅師が、なぜ「眼横鼻直なることを認得」したと仰ったのか、なぜ得道と仰らなかったのか、お考えになったことはありますでしょうか?
眼横鼻直という言葉は、天機に触れてるんじゃないかと思うくらい、きわどい言葉なんですが…。それをあたりまえのことを了解したと、禅宗では解釈されていると知り、私が拍子ぬけしたほどです。


169 名前:1 投稿日:01/11/02 06:02
中国で禅と道教は混交しているとものの本で読みました。道教の神様祭ってるとかじゃなくてもっと形而上学的にね。宗道臣は混交している状態の禅をそのまんまもって帰ってきたのかも。そしたら日本の、純粋培養されて洗練された禅から見たらとってもうさんくさくなっちゃったんじゃないかな??


170 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/11/02 08:12
正統禅は、今韓国にあると言ってた人がいましたよ。韓国の新聞社の元社長ですが。
もっとも大中華、小中華ですから、話が膨らんでしまうのですが。


171 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/11/02 08:16
禅は、日本で純粋培養されたとのことですが、中国では禅というくくり自体があまり一般的ではないのかな? 中国人の友人も少林寺は道院だといってましたし、道院という言葉自体が幅広い気がします。宗氏が、その状態のまま持ってきたということは、それはそれで興味深いです。


172 名前:Syami 投稿日:01/11/02 13:55
>>169
ふむふむ、成る程。

>>171
>中国人の友人も少林寺は道院だといってましたし
>道院という言葉自体が幅広い気がします。
ほうほう、そうでしたか。これは実に興味深い。


176 名前:1 投稿日:01/11/05 08:17
>>171
少林寺が道院なら少林寺拳法道場が道院なのも納得です。


177 名前:38改 投稿日:01/11/05 08:54
ヨガとは瑜伽のことで、仏教では唯識派のことを瑜伽派というのよ。瑜伽による三昧によって解脱を求むるを説いたのが『瑜伽論』。
もちろん瑜伽は仏教以前からウパニシャドにも書かれているし、ジャイナ教でも用いられているが、外道の瑜伽は絶対唯一の神を念じて解脱を得ようとするところが、空を説く仏教とは異なる。カタカナだと違うものだと思うことが、現代日本人の浅はかさか?


178 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/11/05 11:49
ヨガを外道と決め付けるのが、空を説く仏教?


179 名前:Syami 投稿日:01/11/05 12:19
ここで38改さんの仰る「外道」とい言うのは「他の方法」と言う意味なのでは?

ははぁ?瑜伽と言うのは絶対唯一神を念じて解脱を得ようとするのですか。この場合の「絶対唯一神」とは何になるのでしょうか?寡聞にして識らずで、瑜伽は呼吸法と操体を以て瞑想する単なるメソッドと思っていました。


180 名前:38改 投稿日:01/11/05 20:13
仏道以外の思想・宗教を外道と言うのです。
現代日本語の概念と仏教語では自由、平等、差別などもすべて意味が異なります。

>ははぁ?瑜伽と言うのは絶対唯一神を念じて解脱を得ようとするのですか。
失礼、文脈が紛らわしかったようで、括弧付けます。
「外道の瑜伽」は絶対唯一の神を念じて解脱を得ようとするところが、空を説く仏教とは異なる。

>この場合の「絶対唯一神」とは何になるのでしょうか?
さぁ、良くわかりません。
『望月』によると自在神isvaraとしています。


181 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/11/06 08:15
>>180
一般人には、キリスト教以外の宗教は邪教と言ってるのと同じように聞こえますよ。最後の文脈から言ってもそう取れます。
立場を明らかにするのは結構ですが、ご自分の歩んだ道が唯一絶対だという雰囲気が漂っています。
ヨガにはうるさい方々が大勢いますので、ご自愛を。


182 名前:1 投稿日:01/11/06 08:31
ヨガの瞑想では目を閉じてしまうところが禅と区別できるところのひとつ。禅瞑想中では畳に針の落ちる音でも知覚できるが、ヨガでは逆にあらゆる外的刺激に反応しなくなる。なんてことが脳波の研究からわかっていることだそうな。ちなみに少林寺拳法の瞑想では目を瞑る。(とSyamiさんが仰っていた)
脳波見てみたいね^^


184 名前:1 投稿日:01/11/07 04:54
禅瞑想は自立訓練法とも区別されるそうな。


185 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/11/07 08:52
技法の差など大した意味はない。禅もめざすところは同じじゃないの?一の意味を知らずして、只管打坐しても瞑想しても同じ。一に統べる、一に止まるから正。外に神を求めるからわからない。


186 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/11/07 08:58
ただ只管打坐して瞑想している時じゃないけどね。


188 名前:大王蛇 ◆m2MmHxX2 投稿日:01/11/08 02:07
>1
 それを言うなら「自律訓練法」だ。
確かに「インスタント禅」とも呼ばれるが、禅とは区別すべきですな。


189 名前:1 投稿日:01/11/08 09:29
>>188
失礼、間違えました。2ちゃんでも誤字はいやだ(w
ところでインスタント禅といえば、LSD服用者の脳波と禅瞑想中の脳波もまた区別されるそうな。

>>185
技法のせいかどうかわからないけど脳波で区別されるんだってば。サイエンスの結果を無視しちゃいかんよ。


190 名前:143 投稿日:01/11/08 10:36
無視するつもりはないけど、だからどうなの?と聞きたかったのです。区別してどちらが選れてるとか区別すること自体にあまり意味はないと言っただけ。
それより、後段の文章には目がいかなかったのかな?わざとわかりにくく書いたのに。少しとげとげしくてゴメンなさいね。


191 名前:マルコシアス 投稿日:01/11/08 12:47
ほんまもんの少林拳は秘教みたいですよ。気功の訓練も当然する。 禅は座るだけと思ってる人も多いようだが、ダルマが行っていた禅は口伝によれば、仙道の内功と同じでシコシコとハラを練っていたようだ。白隠にしろ、物外にしろハラのできた奴は、みんなシコシコしてる。座るだけの奴も多くいただろうが、それでいっちゃった奴は天才だと思うね。今や、ハラを無くした坊主達ばかりだが、そういう奴等は先達と同様、シコシコ
ハラを練ることをお薦めしたい。シコシコしなくては悟れんぜよ。公案?無意味だ。そんなものは。

流派とかこだわる必要も全くないと思うな。いいとこは積極的にとってくべきだな。どんどんスパイすべしだ。オカルトにもどんどん手をだすべきだ。
神秘現象なんかも面白いと思うなら無視する必要もなし。インスタント禅も多いに結構。仙道なんかでは、外丹に属するものだろうが、そういうものは悟りの一助になろう。シロシベだのダツラだの。いいよ、かなり。気功も併用せねば大した効果はないだろうけど。

もともと、仏教にしても、仙道にしても、ヨーガにしても、秘伝に属するものでは共通する修業法って多い。肝心要なのは、修業の本質的な部分を見極めることだな。末端(例えば、ナニナニ流がどうしただとか、誰の道統だとか。こんなの無意味よ。仏道が権威をもった時代ならともかく今は無用の長物よ。そんなことにこだわるなら、東大に行けば良い。)に目を向けても何らも得るものはない。じゃ、何が本質かといえば、シコシコすることよ。

シコシコさえすれば、弱者の集う少林寺拳法ですら、力を持った者を輩出することが可能となるだろう。少林は弱者の群れと評したが、宗道臣じたいは優れた人だと思います。それにしても、少林寺は金を横領したとか悪いウワサばかりだ。


192 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/11/08 13:02
おっと、やっとお話の通じそうな方がいらっしゃいましたね。達磨さんが、伝えたものが禅といってる段階で、もう壁作ってるようなもんだからね。趣旨大賛成です。少林拳が、達磨さんの痕跡を残しているとすれば、まさしく秘教だけど、多分今は形だけだと思うな。それを道院だとか、禅だとか言ってるのを聞いたら達磨さん、笑っているだろう。
それとハラをシコシコですが、私は実証したわけではないので、偉そうなことは言えないけど、気功と組み合わせるのは、先天と後天を組み合わせるためのもので、先天こそ達磨さんの伝えたもの、と伝承されてます。


193 名前:38改 投稿日:01/11/08 20:06
>>191
>ダルマが行っていた禅は口伝によれば、仙道の内功と同じでシコシコとハラを練っていたようだ。
あなたがどう考えようとあなたの自由だが、誰もが知る有名な人物などの名を借りて、自論を展開するのは如何なものか?


194 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/11/08 20:14
で、達磨大師って実在の人物なん?


195 名前:1 投稿日:01/11/09 06:07
>>190
>無視するつもりはないけど、だからどうなの?と
>聞きたかったのです。区別してどちらが選れてるとか
>区別すること自体にあまり意味はないと言っただけ。
方法論が違い、結果として脳波や環境への応答に相違が認められる。普通の思考回路の人ならばここで両者が違う何者かを目指しているんではないかと考えるのではないでしょうか?みてくれは同じだけど内容が実は違うんだな、と具体的に示してくれたのがこの手の研究の面白いところだと思います。
区別して、だからどうなの、と言うことは簡単だけど、その相違からいろんな可能性が導き出せるのは確かだしいきなり「結局到達点は一緒だ」と結論してしまうのは少なくとも論理的ではないでしょう。
私には未だにロジックが通用しない禅的思考法にはついていけないところがあるのですが、多くの場合むしろロジックを避けて通るための方便に禅的な会話が用いられているように思えてなりません。

>少しとげとげしくてゴメンなさいね。
いえいえ、こちらこそ。率直にやりましょう。^^


196 名前:光の子 投稿日:01/11/09 08:01
>>131
>ハラを練ることをお薦めしたい。シコシコしなくては悟れんぜよ。
 これは、仙道の小周天で陽気を発生させる呼吸法(武息)を指していると思いますが、仙道の「還虚」と禅の「悟り」はかなり性質が違うのかもしれない。仙道はいわば「生死」に対する執着です。禅のように「生死」が生じる根源を悟って生死自体を離れるというよりも、絶対的な生命力を手に入れ「永遠に生きる」という発想がある(それも、現世志向がきわめて強い)。

 なお、仙道で「腹をシコシコ」するのはごく初期の段階が中心です。全身に気が生じるようになると逆に極端に呼吸が深く幽かになる真息、さらには呼吸がほぼ停止する胎息が中心になるとされているので。というか、大抵は小周天をやっている段階で、すでに意識の集中だけで全身に強烈な熱と圧力が生じるようになるのでいつまでも武息をやっていると熱にやられます(^^;。


197 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/11/09 08:34
>>193さん
聞く耳持たぬ人が、混沌とした2ちゃんで何求めてるの?日本の常識や定説を論拠にする方が、私達にはよっぽど違和感があるよ。 熟成しすぎて危機感がない。だから既存の宗教に限界がでてきて、新宗教が現れたんじゃないの? あなたの歩んだ道を否定するつもりなど、さらさらないけど、只管打坐で萬霊萬民をどう救うつもり?

1さん、論理的思考はもっともだけど、結論先に言わなければ、スタンスの違いがわからないと思ったもので。決して禅問答のつもりはないです。

<私には未だにロジックが通用しない禅的思考法にはついていけないところが
<あるのですが、多くの場合むしろロジックを避けて通るための方便に
<禅的な会話が用いられているように思えてなりません。
おっしゃる通りです。でも、ロジックで理路整然と説明できるものなら、大師も苦労されなかったはず。慧可も大師を数珠で殴りつけるようなことはなさらなかったでしょう。ご興味なければ、無用の話ですのでまた出直します。


198 名前:変人 投稿日:01/11/09 09:16
>>196
仙道の解説かなり面白い。
私とはスタンスが違いますが、非常に参考になります。


199 名前:光の子 投稿日:01/11/09 10:10
>>196
 おっとレスの番号は131ではなく191でしたね。仙道的な「気を練る」内功や動功は、禅から見れば「悟り」とは直接関係のない(さらに言えば「生」への執着を強めかねない)「健康法」といった感じなのでしうか。有用ではあっても、それ自体は悟りではなく「生」の世界のレベルのもの、と。


200 名前:マルコシアス 投稿日:01/11/09 13:06
>光の子さん

>なお、仙道で「腹をシコシコ」するのはごく初期の段階が中心です。全身
>に気が生じるようになると逆に極端に呼吸が深く幽かになる真息、さらには
>呼吸がほぼ停止する胎息が中心になるとされているので。というか、大抵は
>小周天をやっている段階で、すでに意識の集中だけで全身に強烈な熱と圧力
>が生じるようになるのでいつまでも武息をやっていると熱にやられます(^^;。
いや、武息というのは、大周天が完成した後も、使えるものですよ。まあ、その段階に至れば、文息という言い方が適当かもシレンガネ(笑)。武息とは下腹を鍛えるものであり、ハラには様々なレベルがある。例えば、植芝盛平と山岡鉄舟のハラ(丹田のことネ)は違うでしょ。あれはね、大周天ができても丹田を練りつづけてんだ。胎息に関してもレベルの深浅は当然ある。それは軸(主に衝脈を中心とする)とハラのでき如何に比例する。一時間程度しか息を止められない人もいれば、30日も息を止めてられる人もいるでしょう?

あとね、熱にやれれるということに関しては、頭に入ってこないことと、冷性の気でできた軸を確保していればまず大丈夫だと思うよ。下丹田に関しても、熱でできたものだけとは限らないんだな、これが。ま、いいか。

基礎行法とされる小周天に関しても、あれにもレベルがある。背骨の運動性だ高まり、細かく自由自在に背骨の一個一個を動かせるようでなくては小周天をしたかいはない。武息をとことん深めた段階で小周天に挑めば、すぐにでも大周天ができるほどだ。


201 名前:マルコシアス 投稿日:01/11/09 13:07
悟りについては、その定義にもよるけど、丹田もなく軸もなく悟りだなどと抜かしているのは、俺自身の考え(飽く迄、俺自身の考えだが)ではちゃんちゃらおかしい。日本古来の悟りとはハラですよ。戦前までは庶民に至るまでアイツはハラができているできていないなどと人を評価したものだ。よく、できた人とか評価するだろう。あれは何ができたかというと、ハラだ。ハラができてるかどうかを見ているわけだ。
生死の極限を越えるものはハラだ。武士が禅を修したのも生死を超越するためだ。仏像をみれば、分かるだろう。羅漢でもいい。何故あんな特徴のある腹をしているのかね?絵画でも、ハラをクローズアップしたものが非常に多いということは周知の事実であろう。肉体的には主に腸腰筋の発達によるものであるが(身体運動としても各段の飛躍があるため古来、インド拳法、中国武術、日本武術の秘伝的メソッドとして修されてきた。)
そこに秘密がある。神経系の活性化とも無関係ではない。

2ちゃんのような軽々しい場だから、ちょっと面白い話をしようと思うけど、凄い丹田ができて呼吸の真に至ると、凄まじい現象に遭遇する(しない人もいるみたい。)。それはね、一息ごとに宇宙が誕生し崩壊するとかいったものだ。確固たる実在的基盤を持った世界が生成するわけだ。その広大無辺の世界を単なる目撃者にとどまることなく「生きる」のである。ちなみに、植芝盛平はこの境地に達していたこれが最終到達点というわけではないが、仙道やハラを練る禅を弛まず励行すればこうした境地にも達するかも知れない。これは、健康法なんてレベルじゃないよなー。
別に信じろって言ってるわけじゃないが、仙道にしろヨーガにしろ禅にしろ、その真に達したところは凄まじいものだと思いますよ。


202 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/11/09 14:19
凄い話だな。力んでないところに凄みを感じます。
マルコシアスさん自身は、どの辺まで進んでらっしゃるんですか?


204 名前:1 投稿日:01/11/10 07:14
>>197
スタンスの違いはまあわかりました。ただ、禅問答ではないと仰るのでしたら次にその結論に至った筋道を教えていただきたいと思います。
禅的思考については理解できているとは言い難いですが興味はとーってもあります。ほんと。でなけりゃこんなスレたてませんって。


205 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/11/10 08:41
>仙道なんかでは、外丹に属するものだろうが、
>そういうものは悟りの一助になろう。シロシベだのダツラだの。いいよ、かなり。
>気功も併用せねば大した効果はないだろうけど。
こんな話し聞いた事ありません。どうやって服するの?
ほんまものの鉱物の外丹精製できる人知ってますか?


206 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/11/10 08:48
シコシコって固有名詞?腹を練る事を指しているだけですよね?


207 名前:変人 投稿日:01/11/10 11:09
マルコシアスさん
私は、丹田呼吸法と禅を併用してやっている。
まあ、それをドッキングして考えるのは大変面白い。私は接点はあるとしても、そこまでは考えていなかった。
丹田呼吸法、こちらは即効性がある。対人恐怖症の方は、それが顕著である。まあ、それはそれ。「悟り」となるとイササカ私として認識不足かな?
「禅」は全く違う観点で捉えているので、そこのところも私の認識不足かな?私としては疑問であるが、一応今後の課題としたい。しかしねー、ハラ、と「悟り」。面白い考えであることは間違いない。


208 名前:ジャガー 投稿日:01/11/10 11:50
>>207
ハラと悟りというのはまともな気功、武術の世界では一般常識ですよ。文献を多く読み、知性があれば分かることですよ。


209 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/11/10 12:36
ハラの悟りねえ。腹が据わらせて、何をしたい?サバイバル能力は確かにハラと密接な関係がある。
だが、生死を超えるのはハラじゃなかろう。


210 名前:変人 投稿日:01/11/10 13:51
>>208
武術における「悟り」とは、覚悟の→「覚醒」→「悟り」。の「悟り」かと思う。いわば、武術は覚悟が大事。
「禅」の「悟り」とは意味が違うのではないでしょうか?どうも、そこが噛みあっていないような気がするのですが・・

それに、文献と知性がドッキングして「正解」の論法も早計かと思う。
まあ、自論を展開したまでの事で、すべてを否定している訳ではないが・・


211 名前:1 投稿日:01/11/11 10:49
>>200
>ハラのでき如何に比例する。一時間程度しか息を止められない人もいれば、30日も
>息を止めてられる人もいるでしょう?
本論には関係ないけど・・・ 30日息止めてたら逝ってしまいます、絶対。
疑問持たないでそのまま信じられるのはちょっとやばいよ。


214 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/11/12 08:35
>>204
まぁ、やめときましょう。私の考えでもありませんし。私が興味あるのは、達磨大師が、何を運んできたかだけです。
禅には全く興味ありませんけど、禅の言葉の中には、本来の意味が失われているけど、それを示す言葉がたくさんあります。

38改さん、大変失礼な言葉を連ねてしまい、申し訳ありません。
禅の方は、他スレでもそうですが、なかなかまともにご返事いただけないですね。ちょっと残念でした。それでは。


215 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/11/12 17:36
内丹修行法に、「玄関一竅」というのが出てきます。
これについてどうお考えでしょうか?


216 名前:1 投稿日:01/11/13 04:27
>>214
>禅には全く興味ありませんけど、禅の言葉の中には、本来の意味
>が失われているけど、それを示す言葉がたくさんあります。
そうなんですか。例えばどんなのでしょう。

一貫道というのも座は組むのですか?組み方は?目は瞑りますか?
そこから得られるものは最終的には禅と同質だと仰っているのですよね。


217 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/11/13 08:31
こんなこというと禅の方は怒るんだろうが、正法眼蔵、直指人心、眼横鼻直、教外別伝、以心伝心、不立文字、三宝、…。私達は、身を持って理解しますよ。といっても悟っているわけではなく、言葉の表面的な意味はね。いずれも、玄関一竅のことです。詳しいことは天機ですからここでは語れませんが。
ちなみに他宗教でも同じ意味の言葉がたくさん残っています。十字架、聖霊の宮、玄牝の門、谷神、橘の小戸、天の岩戸、…。

守玄という坐法があります。方法は内丹に近いですね。ただし、最大の玄関が開いてますから、最終的に禅と同質とは言えません。
私は熟達しておりませんが。



218 名前:1 投稿日:01/11/13 09:40
んで、目は瞑りますか?
道教の座法も結跏趺坐なのですねぇ。


219 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/11/13 12:09
なんか、まじめに相手してませんね。簡単に聞ける話じゃないのに(グスン)
オリジナルの大師の話に近いかも。本家に近いだけに。
やっぱり出直そうっ


220 名前:1 投稿日:01/11/14 08:50
あれれ、言葉がわるかったかな?私は本気で聞いていたのに・・・。玄関の話にも興味はありますが、まず座法をと・・・。
これでもネットで調べてみたのですよ。詳しくはわからなかったけれど。


221 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/11/14 10:07
座り方や眼はヨガや仙道と変わりませんよ。ただ、玄関が開いてないと、中心がないですから、基本的に違います。私達は、内功は、ご神仏との対話の時間です。法輪を転ずとは、玄関を通して、ご神仏の世界と先天の気の交換をするんですね。もちろん、仙道のような感覚も生じます。
ご神仏の世界というのは、気の世界ではありません。ヨガでも頭頂のチャクラが開くと、気の世界との交流ができるようですが、根本的に違います。


222 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/11/14 14:08
検索するとやたら、法輪功関係が出てきますが、玄関について具体的に触れているところは、ぼかしている古書よりは驚きですが、どうも違う物を言って いるようです。しかし、法輪功をおそれる共産党の気持ちもわからないではないですね。ただの気功集団ではなさそうです。


223 名前:1 投稿日:01/11/15 09:45
やっぱり目を開いて座るのは禅だけなんだ。
これは、金剛禅他宗教由来説に一票だな。


224 名前:Syami 投稿日:01/11/15 11:00
なんでも、開眼、もしくは半眼で坐ると集中によって偶に在らぬモノが見える事があるので本門は瞑目とすると仰っていましたよ。


225 名前:1 投稿日:01/11/16 07:52
>>224
へー、そうなんですか。
昔は宗氏は開眼で座っていたと言うことでしょうか??
もしそうなら瞑目は宗道臣のオリジナル??


227 名前:Syami 投稿日:01/11/16 10:20
>>225
残念ながらその時は「はぁ、そんなものですか。」と聞き流してしまいました。
嵩山はどうなんでしょうね?


228 名前:1 投稿日:01/11/17 04:36
なんぼなんでも嵩山は開眼でしょう。
禅宗と銘打っているところで瞑目して坐禅している所なんてあるんだろうか??
少林寺拳法以外で。


229 名前:1改 投稿日:01/11/17 07:12
1です。
38改さんに倣って1改と名前を変更させていただきます。
今後ともよろしく。


230 名前:1改 投稿日:01/11/18 11:01
逆に禅以外で開眼しているとこってあるのだろうか・・・。


231 名前:1改 投稿日:01/11/21 06:00
さて、それでは今までのまとめといきましょう。

1.少林寺拳法は宗教法人格を持つ。(学校法人、財団法人も併せ持つ)
2.その宗教性は現在かなり薄れつつあるが明らかに宗教である。印を組み真言を唱え断食まで行っていた。
3.少林寺拳法には独特の座法がある。調息なつ特殊な呼吸法と瞑目が特徴である。観法を行う拳士もいる。これらは道教及び天台と共通している。
4.その思想、行法は少なくとも日本の禅宗と一致しない点が多々ある。かなりうさんくさいらしい。
5.道教とのコンポジットである可能性は極めて強い。少なくともそれらの一部は道院・紅卍字会なる道教系組織に由来している。
6.禅宗の言うところの「悟り」は目指していない。

てなところでしょうか?


232 名前:Syami 投稿日:01/11/21 16:27
う~ん、そんなところでしょうかねぇ。
敢えて申し上げるならば「少林寺拳法」を「金剛禅」と書いた方がより正確では?

ところで、浅学にして申し訳ないのですが、「禅宗の言うところの『悟り』」とは如何なるものでしょうか?


233 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/11/21 17:51
自分は禅はやったこともなければ、歴史などについても全くの無知ですが、多分、〈無限〉に触れる、あるいは成る瞬間のこと、又、それを契機に起こる認識の変化のことではないでしょうか?


234 名前:38改 投稿日:01/11/21 19:40
久々に通りがかったら…。

>>Syamiさん
>ところで、浅学にして申し訳ないのですが、「禅宗の言うところの『悟り』」とは
>如何なるものでしょうか?
貴方も人が悪いねぇ(^_^;


235 名前:Syami 投稿日:01/11/21 21:52
>>234
や、これは38改さん、お久しぶり。

>貴方も人が悪いねぇ(^_^;
いやいや、それは誤解です。
衷心から、この板でこれを問うたらどのような答えが得られるかと思ったモノで。


236 名前:1改 投稿日:01/11/22 02:50
禅宗の言うところの悟りとは、自己が他者と(日本では山川草木を含む全てと)区別のない本質を持っていると同時に自己がこの宇宙で絶対唯一の存在であることを同時に理解した状態のことを指しています。

なんてことをしゃあしゃあと書いちゃあいけないんだろうな^^; もちろん私は字面しか理解していません。
38改さん、こんなところでいいでしょうか?

金剛禅ではこういうわけのわからない(一般人にとってです。誤解の無いよう。)目標を掲げるよりも、心身を鍛えて実社会でリーダーシップを取れ!そんときゃこういうアウトラインでおやんなさい、という極めて実践的な指導をしています。ここらへんは昔から変わってませんよね?syamiさん。


237 名前:Syami 投稿日:01/11/22 14:28
>>236
そですねー。実に単純明快、且つ実践的で子供にもわかりやすい。

あっ、痛てっ!誰でいっ?石ぃ、投げたヤツぁ!?
はっ?あ、貴方は管長先生?冥界からお戻りで?
はい?単純明快で実践的だって言っても、実践しなけりゃ話にならんと??
うっ、ご、ごもっともで…。
いやー、しかし、幾ら嵩山少林寺がルーツだからって、無理やり「禅宗」を名乗らなくっても…
あ、いえ、私はこの名称は大好きなんですけどネ、教義から考えると無用の混乱が…あっ、ごっごめんなさいぃっ!きゃ~っ


238 名前:1改 投稿日:01/11/23 02:16
^^;


241 名前:1改 投稿日:01/11/27 08:51
悟りの内容に関してひと悶着位あると思っていたけれどそうでもないみたいね。ま、本題と関係ないからここで話しても仕方ないけれど。さて、この板でのスレの寿命も尽きたようですのでかねてからの密かな懸案を実行いたします。いえ、たいしたことはありません。このスレを武道版に移植してみるだけです。
さて、あれるかな?もちろんこちらも下がりきるまでは見届けますので好きなこと書いてください。
話題を提供してくださった皆様方ありがとうございました。
ではでは~~


242 名前:1改 投稿日:01/11/28 09:59
ちなみにリンク先は
http://sports.2ch.net/test/read.cgi/budou/1006819836/l50


243 名前:名無しさん@1周年 投稿日:01/11/28 14:13
少林寺拳法って、社団法人じゃなかったけ?


244 名前:1改 投稿日:01/11/29 03:27
>243
コピペで失礼

少林寺拳法の関係団体には、少林寺拳法の普及を通じて社会に寄与する「 財団法人 少林寺拳法連盟」の他に、宗 道臣が提唱した金剛禅の教えを広め、 門信徒を教化育成するための「宗教法人 金剛禅総本山少林寺」、 少林寺拳法を通じて個人の資質の向上を図り、以って社会の福祉に寄与できる指導的社会人を育成する「 学校法人 禅林学園/日本少林寺武道専門学校」、そして世界各国での少林寺拳法の普及活動を統括し、支援していく「 少林寺拳法世界連合(WSKO)」がある。
 ちなみに、少林寺拳法連盟の登録会員は140万人。また、海外28ヶ国にも普及し、WSKOによって各地区講習会や4年に一度の国際大会なども開催されている。

少なくとも昭和55年までは社団法人を名乗ってるけど、今は違うみたいね。
詳しいことはわからないけれど・・・。


245 名前:1改 投稿日:01/12/01 02:51
武道版でこんな質問をされました。
>禅宗の悟りと古代仏教の悟りって、どこがどういう風に違うのですか?
違うのですか??


246 名前:38改 投稿日:01/12/01 16:13
おぉ~、めちゃ運良いと言うか、縁があると言うか…。
雅子様女児出産情報探しに、久々に立寄ったら「まだやってる~」て覗いちゃいましたよ~(^.^)
で、お答えします。

真理は普遍的であるから、違っちゃ真理じゃないのよ。


247 名前:1改 投稿日:01/12/02 18:58
やっぱりそうなりますか>38改さん
でも各派で、これぞ真理!って言ってる境地が実はちょっとずつ違っちゃってるなんて面白い話はありませんかねえ。


248 名前:変人 投稿日:01/12/03 08:32
うむ。話が面白くなってきました。age.


249 名前:無学 投稿日:01/12/11 01:29
心身学道
悟りを言葉で表現するというのはちょっとムリなんではないでしょうか?


250 名前:1改 投稿日:01/12/11 09:02
そうなんでしょうね。だからこの手の話題は誰も相手にしてくれない。
でも言葉にもあらわせないのに何を根拠に真理はひとつなんて言えるのだろう。
きっと座らなければわからないことがあるのだと思います。
掲示板じゃきついんでしょうね。


251 名前:変人 投稿日:01/12/11 10:47
>>250
>だからこの手の話題は誰も相手にしてくれない。
言い表わす表現は、各各違っても帰結するところ同じかと思いますね。ある共通点を見つけたら、そこのところを掘り下げますと、以外に共通項を見出せるかと思います。言葉尻だけ捉えますと、全くそこのところは観えてこないですが・・。


252 名前:1改 投稿日:01/12/18 05:52
どなたか水想観にお詳しい方おられますか??
禅で行われる観法と聞いたのですが・・・。


253 名前:1改 投稿日:01/12/23 09:19
密教系の座法について教えていただけませんか?
このスレじゃ無理かな。

http://www.saitamadouin.com/lounge.html

『達人の心得』(2015/12/23)

私は武術はしませんが以前テレビで合気道の達人の演舞を観た事があります。数人あるいは10人以上の相手をいとも簡単に触れるか触れないと思いきや投げ飛ばしていました。

合気道の開祖は植芝盛平という方ですが道院の修方でもあります。植芝先生は、数々の武術を習得いたしましたが大元教の信者でありました。出口王仁三郎先生が中国満州に布教に行かれた時随行もいたしました。その時の逸話に、飛んでくる銃の弾丸の軌道が白く見え簡単に避けたと言われています。「合気とは敵と戦い、敵を破る術ではなく世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。」「合気とは、各人に与えられた天命を完成させてあげる道であり、愛の道である。」とも述べていたそうです。

また、インターネットで「道院」を検索すると日本少林寺拳法のサイトが検索されますが、各道場を道院と名乗ります、かつてその教義書の中に道院の名前の由来が中国済南に発祥した精神修養団体によるものであると書いてあった記憶があります。まさに紅卍字会であると思いました。日本少林寺拳法の創始者は宗道臣という日本人であります。宗道臣著の「少林寺拳法奥義」という本の中に宗氏の生い立ちと思想が書かれています。

少林寺拳法は武術ではありますが、その根本には正義と善の教えがあり、弱き者を助ける慈悲の心、仏道を説いています。宗氏自身が道院の修方であるかは定かではありませんが、宗氏の拳法との出会いは18歳の時中国大陸で陳良という老師の弟子となり中国武技にふれたことに始ります。又後に一.二年の命といわれた病を陳老師の医法によって救われ、そして数々の拳法を学び崇山少林寺本山の伝法の印可を受けたのでした。

この本の中でダーマという言葉が出てきます。
「ダーマは見ることも聞くこともできない存在であり、また祭祀の対象や礼拝の対象になり得るようなものでない。しかし、目や耳で認知することはできなくともそこになんらかのはたらきの存在を直感することができる。ダーマとは法則 真理 全宇宙を統一する力 正義 最高の存在などの宗教的、道徳的、社会的、倫理的の意味に用いられている。要約すれば宇宙最高の真理であり、最高の秩序であるということである。それはまた宇宙に存在する一切の現象の根源となっているものである」と述べています。達人の真髄は心の鍛錬と修養にあるのでしょう。宗氏が道院と名付けたのも、心の修養を重じ慈善を行っていた当時の道院のことをよく知っていたからだと思います。




この本の中にまた、宗氏の師である陳老師は軍閥の流れをくみ呉佩孚将軍の下で行動されたこともあると記述されています。呉将軍は有名な人物であり、道院の修方であります。道院の経典太乙正経午集の巻末にも張作霖と並んで道名と氏名が記されています。


笹目先生の本の中に呉将軍について次のような文章があります。

北京道院に属していた王鉄珊先生を、人よんで王鉄老と敬称していた。ある時“開封”に行ってこい、との壇訓があった。

 開封!何の御用かあって行くのだろうか。その用命の内容については、何も示されていない。ただ行って来いというだけである。

呉佩孚
1974~1939








考えに考えを練った結果、開封に道院を創れということだナ、と思った。しかしながら開封には誰一人親しい者もなく、何の手がかり脚がかりもなかった。
どうしたらよいものかと王先生は日夜考えぬいた。フト思い浮かんだのは、呉佩孚将軍の相貌である。この人は中国屈指の有力者であると同時に、仏教信者で有名である。中国仏教の会長であって、その宗教的会合に於いて二三度会ったことがある程度に過ぎなかったが、その呉佩孚将軍が開封督軍として河北個師の指揮監督権を有し、地方軍閥の実力者である。

 とにかく行ってみよう。と考えを定めた王鉄老は、北京を発って京漢鉄路を、開封に旅立ったのである。



 督軍公署の大看板のある衛門を訪ねると、銃剣の衛兵が毅然として起っていて、便服の一介の素浪人王鉄珊が案内を乞うには、あまりにもいかめしい衛門であった。入るにも入り難く、去るには忍び難い神命を胸に抱えて、行きつ戻りつしていると、衛兵からとがめられた。そこで王鉄珊は素直に言った。

 「こんなみずぼらしい格好で、信じて貰えないかも知れないが、私は仏教会の会合で、しばしば大将軍にお目にかかっている者ですが、重要な問題を提議しようと思って、北京からわざわざやって来た者ですが、大将軍に王鉄珊という者が参った、とお取次ぎ願えないでしょうか」、と真心をこめて一平卒に過ぎない巡邏の衛兵に申し入れたのである。あたり前ならば、一喝の下に追い返されるのだが、不思議にもその巡邏兵は、門衛の日直将校に取り次ぎ、日直将校も亦素直に副官部に伝達したのである。王鉄老は、しばらく衛兵所に待たされたが、やがて呼び出されて案内兵に随行して中門を入ると、接待室の一室に通された。ここで待つこと久しくして副官が現れて用件を詳細に聴取された。

 「燕京(燕京とは北京の古名である)の仏教会において、大将軍の尊顔を拝することしばしばですが、たまたま私用で当地に参りましたので、大将軍のご機嫌伺い方々、宗教上の問題で、大将軍のご教示を仰ぎ度い、と思って立ち寄った」と淀みなく副官に来意を告げた。

 奥に消えた副官は、再び姿をあらわして王鉄珊を、呉佩孚将軍の居室に導いてくれたのであった。



王鉄珊!宗教上の問題って何かね、と尋ねられた。そこで王鉄老は一呼吸した上で、私は本来仏教徒でして、将軍の主宰する会の一員として、真面目な信仰を続けて居りますが、この数年来ご承知の済南に起こった道院の主唱する、天唯一神、至聖先天老祖の偉大なみ教えにも深く傾倒しているのです、と道院信仰の実体について縷々として述べたのであった。王鉄老は元来、弁舌の豊かな人ではないということは、定評の人である。その人が、仏教哲理にくわしい有数な時の権勢呉将軍の前で、何をしゃべったというのであろう、自分自身もさっぱり覚えていない。然るに将軍は応えいった。

 王鉄老!若冠にして吾は釈尊の教理に開眼し、仏法の尊厳は知ってはいるが、未だ神威を知る機会はなかった。恰度今、この北支一体は大旱魃に見舞われ、この冬三尺の積雪を見ることが出来なければ、春耕は望むことが出来ないと、官民共に嘆声をあげている時だ。それ程偉大なるご神威の出現を説くならば、断固そのみ力の顕現を示して貰い度いと思う。若しこの目、この体を以って感得することが出来たならば、呉一個の力をもって、この地に大道院の創設を引受けよう。と、力強い言葉を聞いたのであった。だがその将軍の言葉の裏には、王鉄珊のひたむきな新興宗教礼賛を嘲笑するようなひびきが無いでもなかった。けれども王鉄珊は素直に将軍の言葉を腹中に納めて督軍公署を辞去し、その夜のうちに京漢線を北上し、北京道院に帰り着くと、正位ご神前に額づき、呉佩孚将軍との対談内容についてご報中を申し上げたのであった。

 御神前を離れて道院の門前に起つと、摩訶不思議!チラホラ雪が降って来たではないか。厳然として王鉄老は門扉の逆木に腰を下ろし、食うことも飲むことも忘れて、一毛一厘と重なり積んでゆく雪を眺めて、夜を徹したのであった。一昼一夜にして積雪はなんと、六尺(二メーター弱)にも達したのである。

 保線区の分担において、最大の人力を用いて除雪作業の結果、数日後にやっと開通した。

 王鉄老は、再び監軍公署を訪れて呉佩孚将軍に閲したが、ただニコニコと笑顔を見せただけで何をいおうともしなかった。

 呉佩孚将軍は言った。王鉄老 余は完全に貴下の軍門に降った。いや、貴下の説かれるご神威の前に膝まづくこともやぶさかではない。雪解けて民は春耕にいそしむ芽出度い頃、吾等は、約束通り宇宙最高神の道院創り始めよう・・・・」と。

かくして開封道院は出来上ったのである。

http://rapt-neo.com/?p=27081
真実を知り行動する人
Posted at 00:42h, 31 5月

RAPTさん、更新ありがとうございます。
学生時代ですが、少林寺拳法をやっており、その当時は胸元に卍の紋章をつけて練習しておりました。
卍がナチスのハーゲンクロイツに似ていることから、何かしら、揶揄され時。
「何でやねん!!こっちは昔からの禅で、向こう卍は、やってることも、それとは全部、逆やろ!!」
と思っていましたが、宗道臣と言うカリスマの開祖が亡くなられて、名前だけの2代目、
ブランド物とエステの金儲け主義の娘(3級)が、世界での普及うんたらで、卍をスパッと辞めてしまったんです。
私自身は、何か、伝統が世界の一部の偏見に負けたような気がして、悔しかったのですが、以前のRAPTブログでの、
紅卍、緑龍会、ナチスの関係のお話で、正直、腰が抜けてしまい、色々と腑に落ちることがあったのです。
まず、宗道臣という方は少林寺を名乗っていますが、有名な壁画を世界遺産にしようと、日本から金をばら撒いて交流?
はありますが、名前だけで少林寺でちゃんとは修行していません。
太平洋戦争の時は、満州で諜報部員をやっており、その時に笹川良一、人脈と繋がりを持っており、
何故か戦後、お寺や神社でも無いのに宗教法人を簡単に取っています。(ほとんどの拳士も知りませんが、現在でも宗教法人です。)
また、満州に来ていた出口王仁三郎やその用心棒の、合気道の創始者、植芝盛平に影響を受けたようです。
つまり、少林寺拳法の卍というのは、ナチスの卍と同じだったんです。
中国の河南省にある、本山はインドから達磨大使(だるまさん)が、禅と共に武道を伝えたのが始まりで、
そもそも達磨は、この世には神も仏もいないから、心体を鍛えろと言った人で、宗教とは程遠いモノだったんです。
確かに、昔見た、ジェット・リーの映画も、頭がみんな坊主なだけで、坊主とは程遠いイメージでした。
RAPT理論を知ることで、大きな覚醒の転換時期が来ているのを感じます。
今まで、良かれと思って祈っていたモノが、悪魔だったとか、私も熱心なヒットラー・ユーゲントの一人で、
号令に合わせた突き蹴りの練習が、まるで、ベルリンでの軍事行進に思えて、もう笑えないコメディーです。
表向きの偽善者には気をつける!!無知からの脱却!!
素敵な世界が訪れますよう、みなさんと一緒に、お祈りいたします。

http://book.geocities.jp/japan_conspiracy/0202/p002.html

■ 「卍」の復活

ナチス・ドイツが崩壊して2年後の1947年、早くも日本でナチスのマークが復活した。それは 少林寺拳法だった。これは、偶然「卍」のマークだったというより、ナチス存続のため、日本において武道の一種として復活させたものだ。目的は、子供たちにナチスの精神を普及させることだった。豊富な政府の資金によるプロパガンダで世界にも広まったようだ。最近このシンボルマークに対する批判からマークを変更しているが、卍のイメージは消えない。シンボルマークを変えても、精神が間違っていれば何の意味もない。

■ 少林寺拳法と 少林拳

はっきり言って、少林寺拳法には日本の国家的陰謀が渦巻いている。 少林寺拳法の創始者 宗道臣は中国大陸における日本陸軍の 特務工作員だった。 そして、 義和団事件の生き残りの中国拳法の達人陳良老師から少林拳を学んだ。義和団事件は日本の陰謀だった。その事件の名前がよく示す。

少林拳は中国河南省嵩山に伝わる武術。その歴史は古く、各派の武術に大きな影響を与えたことから「天下の武術少林より出ず」と謳われている。少林拳は日本ではしばしば「少林寺拳法」と呼ばれる。しかし、両者は全く異なる。

結局、日本は中国の伝統武芸の名称を混乱させ、そのイメージをナチスに結びつけた。今日でもネット上で中国政府をナチスと呼んで侮辱する日本人は多い。ナチスは日本そのものだ。 ある漫画家など、未だに「 ショーリンケン、コンフー、つまりカラテ!」などと、中国の少林拳を空手と結びつけ、子供たちを惑わそうとする。

ナチスの旗

少林寺拳法
1947年シンボル



少林寺拳法
2005年シンボル


http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-177.html

【ヒトラーを洗脳しナチス結成に繋げた”緑の始祖鳥” 世界紅卍会=大本】
2013/07/05
17:40

こんにちは、今回はトンデモない話題です。

断っておきますが、私は決して反日ではありません。

君が代を歌うと目頭が熱くなるような超愛国者です。

それでも、知ってしまった以上、書かなければなりません。

HITLER.jpegHAGEN.jpeg


今回は緑の始祖鳥がチベットを通じ、ヒトラーを洗脳し、ナチス結成に至るまでの経緯を説明します。

尚、この記事は、下記サイトからの抜粋で構成されていますが、この記事に不足している部分を補足し、記事にしました。
 
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha200.html

(Wikipediaより)

カール・ハウスホーファー

ミュンヘン大学にて大学教授資格を取得。ハウスホーファーは地政学の創始者の一人である。1919年にハウスホーファーは教え子としてルドルフ・ヘスと知り合い、1921年にはアドルフ・ヒトラーと出会った。1923年のミュンヘン一揆の際には逃亡するヘスを一時匿い、ランツベルク刑務所に収監されていたヒトラーと面会した。ヒトラーはハウスホーファーの生存圏の理論に興味を覚え、「生存圏を有しない民族であるドイツ人は、生存するために軍事的な拡張政策を進めねばならない」として、ナチス党の政策に取り入れた。しかしハウスホーファーは「(ヒトラーが)それら(地政学)の概念を理解していないし、理解するための正しい展望も持ち合わせていないという印象を受けたし、そう確信した」と見てとり、フリードリヒ・ラッツェルなどの地政学基礎の講義をしようとしたが、ヒトラーは拒絶した。ハウスホーファーはこれをヒトラーが「正規の教育を受けた者に対して、半独学者特有の不信感を抱いている」事によるものであるとみていた[1]。

(転載終わり)

ドイツにハウスホーファーという地政学者がいました。

彼は単なる著名な地政学者というだけではなく、オカルト思考がありました。

1908年から数年間、武官として日本に滞在し、その間に日本の文化、風習に強い関心を持ちます。

日本人独特の(今も残っている?)一体感、霊感に憧れたそうです。

彼は下記のように、多くの日本に関する著書を書いた程、日本に惚れ込んでいました。

『大日本(大いなる日出ずる国)』(1913年)
『日本の地理的闡明におけるドイツ人の分け前』(1914年)
『日本帝国』(1920年)
『日本の国情』(1921年)
『日本帝国の地理的発展』(1921年)
『日本及び日本人』(1923年)
『太平洋地政学』(1924年)

彼はベルリンに「ヴリル協会」という秘密結社をつくります。

この結社の目的は、アーリア人種の根源を探り、ヒンズー教のクンダリニー・エネルギーに相当する“ヴリル”の気力を呼び起こすために精神集中訓練を行なうこと。

ハウスホーファーは、“超人”の秘密を所有するチベットの結社と関係があると称し、イギリスの作家で神秘主義者のブルワー・リットンの、未来の超人種に関する著書『来たるべき民族』を字義通り受け入れていました。

ハウスホーファーはランズベルク刑務所において運命的な出会いをします。

1923年、ミュンヘンのビヤホール暴動に失敗して捕らえられていたアドルフ・ヒトラーとの会見です。

この会見は、ヒトラーの片腕であり、ミュンヘン大学で教授の教え子でもあったルドルフ・ヘスの仲介によって実現。

ハウスホーファーは毎日のようにヒトラーを訪れては、ユダヤ人によるドイツ支配を崩し、優秀なゲルマン民族によって全世界が支配されねばならないと説きます。

そして、オカルティズムによる世界征服という思想をヒトラーに植え付けたのです。

彼はヒトラーの共同執筆者となり、『我が闘争』を書き上げます。

こうして、ハウスホーファーは1920年代にはヒトラーの政治顧問を務めました。

そして彼は、ヒトラーの第2の“秘教助言者”となったのです。

ハウスホーファーやその他の「ヴリル協会」後押しにより、ナチスは何度もチベットに調査団を派遣。

1926年から1942年まで毎年派遣された調査団は、チベットの僧侶に接触し、深い関係を築きあげました。

ナチスに協力してくれたのはチベットの一派だけで、彼らはドイツでは「緑の男の会」として知られていました。

これは数百年におよぶ日本の「緑龍会」との強いつながりから来ていたといいます。

えっ緑龍会?

この緑龍会ってなんでしょう?

ベン古歩道さんのいう、黒龍会、白龍会は有名ですよね?

緑龍会?・・・どうやら日本の始祖鳥派閥の一派のようですね。

ここでは、日本皇室に仕える組織、始祖鳥の一派と仮定します。


卍と鍵十字・・・昔からなんでお寺のマークが酷似しているのか気になっていました。

子供の頃、タミヤの模型でドイツ軍の戦車や、歩兵を組み立てるのが趣味だったのですが、

学校で地図の授業中、お寺に鍵十字が使われているのはなんでだろうと思ってました。

まあ、結局は鍵十字じゃなくて、反対向きの卍だとわかり、これはただの偶然だと判断しました。

しかし!それが偶然ではなかったのです。

ガガ〜〜ン!!

出口王仁三郎で有名な大本ですが、大本が提携していたのが”紅卍会”

          Red_Swastika_Society_member.jpg
                   世界紅卍会のメンバー

世界紅卍会は中華民国全土に広がった道院。

「先天の大道」を中心に五大教(道、佛、基、儒、回)を奉ずる宗教団体で、日本の大本教は道院と同じ宗旨であるとして提携していた。(Wikipedia)

日本にも日本紅卍会がある。

以前、名無し先生からいただいたコメントを思い出した。

大本は、綾部町に住む出口なおが興し、開祖となる。この大本の特色としては、教主が代々女性であり、女系相続の世襲です。初代教祖・出口なおの娘婿の出口王仁三郎は、出生地が亀岡市。王仁三郎は、玄洋社の頭山満と、黒龍会の内田良平と昭和9年7月22日に東京・九段会館で、「昭和神聖会」結成しました。この発足が、第二次大本弾圧の直接の引き金になったといえるでしょう。五代目教主・出口紅の父・広瀬静水が、「世界連邦日本宗教委員会会長」を務めていたことと、「人類愛善会」という外郭団体を通じて、『世界連邦運動』の促進をしています。

2000年2月9日に、綾部市とエルサレム市(イスラエル)の間で友好都市宣言が締結されています。
『世界中の国家を一つに統合した上で、世界連邦の樹立を目指す』国際的な非政府組織が『世界連邦運動』を推し進めています。鳩山由紀夫元総理は、2012年11月21日に政界を引退することを明言しましたが、その前の11月8日には、日本にある世界連邦系の団体である世界連邦日本国会委員会の次期会長に選ばれました。

なんですと・・・出口紅・・・紅卍

大本と紅卍会は提携どころじゃなく、同じ祖を持つ団体。

ベルリンでは、ヒトラーは「青衣の魔術師」とも「緑の手袋をした男」とも呼ばれるチベット教団の指導者と定期的に会っていた。

透視力と予知力に定評のある僧侶で、新聞紙上でドイツ議会で選出されるナチスの代表議員を三たび正確に予言した。

更にヒトラーがドイツの指導者になる正確な日付ばかりか、第二次世界大戦が始まる日付まで予言した。

この正確な予言がオカルトに興味を抱くナチ党員の間でたちまち広い関心を呼び、ヒトラー同様ヒムラーもまたチベットのラマ教に強い関心を抱くようになった。

そしてベルリンにオカルト訓練カレッジを開設して、SSの幹部に特に魔術課程をとるように命じたのであった。


尚、「緑龍会」とは、ハウスホーファーが日本駐在の武官時代に入会した秘密結社である。

「緑龍会」の会員たちは人間に内在する神秘能力を修行によって開花させようとしていたらしい。

また、この会の起源はチベットにあったという。

そしてハウスホーファーは「緑龍会」に入会を許された、たった3名のヨーロッパ人のひとりだったという。

この「緑龍会」所属の7人の会員がドイツの会にも参加していたそうだ。

この「緑龍会」に関しては不明な点が多く、その存在自体を否定している研究家もいるが、いずれにせよ、日本にひそかに伝えられている何ものかを汲み取ろうと試みていたことはまず間違いない。

実際、ハウスホーファーの日本理解は驚くほど深いのである。彼は流暢な日本語を話し、日本に関する著書をたくさん残している。

チベットと日本そしてドイツをつないだ「緑龍会」とは何か

緑龍会については、秘密結社というだけで、実体は不明であるが、ハウスホッファーは日本駐在武官の時代に、日本でこの結社の会員になった。したがって、緑龍会は日本に存在したことになるのだが、日本ではほとんど知られていない。

ドイツに協力したのはチベットの緑龍会のメンバーであるが、ハウスホッファーは緑龍会は数百年に及ぶ日本とのつながりを持っていたと考えていたようだ。しかし、このような情報は人では得られない。

「大本神示」の最大の特徴は「石屋の陰謀」という当時は誰も知り得なかった国際陰謀集団の存在を予言したことである。

そして、日本に降りたいくつかの神示を総合してみると戦争は利害に基づく軍事的覇権争いではなく、経済システムの破綻を戦争のせいにして再構築することが目的だったようだ。

仕掛け人は「どちらが勝っても、戦争が経済システムのリセットに必要な規模で起これば良い」と考えているということなのである。

「日月神示と日本の地下都市」 神々の地政学 シャンバラ / アガルタ・ネットワーク 山田久延彦   徳間書店


ん? シャンバラ??

ウィキってみました。

シャンバラ・・・日本のボーカルバンド。→シャンバラ (バンド)・・・そっちじゃねーよ、バシッ!!

シャンバラ・・・

「時輪タントラ」で説かれる理想の仏教国のこと。語源はサンスクリット語で「(幸福を)維持(もしくは用意、収集、養育)するもの」などの意味。Shambalah:シャンバラーとも。→シャンバラ (チベット)。シャングリラも参照。オウム真理教が日本で樹立しようとしていた祭政一致の専制国家構想については、日本シャンバラ化計画を参照。

え? 日本シャンバラ化計画??

日本シャンバラ化計画(にほんシャンバラかけいかく)は、オウム真理教が日本で樹立しようとしていた祭政一致の専制国家構想。

公安調査庁はこの計画をもって、オウム真理教を破壊活動防止法や無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律に該当するテロ組織と規定している。

はい、これですべて繋がりました。(オームまで釣り上げちゃいました)


①ヒトラーを洗脳しオカルト化したのはハウスホッファー

②ヒトラーはチベットに興味を示し、頻繁に調査団を派遣している。

③ハウスホッファーは日本駐在武官の時代に、日本で緑龍会の会員だった。

④緑龍会とは、日本皇室始祖鳥の一派である。

⑤その下に大本教=紅卍会がある。

⑥ハーゲンクロイツ鍵十字は紅卍会から来ている。

結論:ヒトラーを洗脳し、ナチスを結成させた大元は大本である(ダジャレじゃないですよ)。
 
そして、その大本教は日本の中心、皇室始祖鳥の下部組織である。

ナチスを作る目的で、ハウスホーファーをオカルト化し、ヒトラーを洗脳し、ナチスを結成させ、第二次世界大戦に導いたのは、日本始祖鳥だということになり、つまり、ヘッセン繋がりであるということ。

そう考えると、日独が同盟を組んだのも、あのタイミングで真珠湾攻撃に出たのも、納得がいきます。


これを知っているアメリカを始めとする外国人は、日本(始祖鳥)を今でも恐れているはずですよ。

だから、古歩道氏の言っている事も、少しは真実(始祖鳥が恐れられている事)が入っているんですね。


むかし書いた記事で、ヒトラーの予言・・・という記事を書いたのを思い出しました。

http://jfcoach.blog49.fc2.com/blog-entry-124.html

まだ、名無し先生に出会う遥か前の時代の記事です。長いですが、貼付けます。

(自分で自分の記事の転載開始)

「国民諸君、同志諸君、最後まで戦い続ける諸君に敬意を表する。すでに戦況は……私はベルリンと運命をともに……しかしナチスは不滅である……たとえ米ソがいったんは勝つように見えようとも……。
そうなのだ、それは砂の上の勝利だ。彼らは世界の真の支配者ではないからだ。彼らの背後で操る者……ユダヤ……イスラエル……世界的なユダヤ国際資本……。
米ソは……おそらく1990年代ごろまで、対立と妥協を繰り返しつつ、世界を運営しようとする。しかししょせん……ヨーロッパと日本、東アジア、イスラム諸国、インド……いずれ世界は米ソの手に負えなくなる。そのときユダヤはみずから……に乗り出す。
あわれなアラブ4ヶ国……最終戦争。東西が激突するだろう。ユダヤはそれに勝って全世界……なぜならそれが彼らの『旧約聖書』の約束だからだ。黙っておけば必ずそうなる。しかし、私がそうはさせない。そのための手を、私は死ぬ前に打っておく。それが最後の秘儀である。それによって人類はわれわれを受け継ぐことになる。
しかも見よ、そのあと、わがナチスの栄光、ラストバタリオン……。それが真のハーケンクロイツの日だ。カギ十字の日だ。そのときラストバタリオンが現われる。ユダヤを倒す。世界を支配する。永遠に……そしてナチスは甦る。真のヒトラーの時代が来る。必ずだ。
甦ったナチスの軍団とその強力な同盟がそのとき来る。宇宙からの復讐のカタストロフィとともに来るぞ。それからが真の究極だ。真の終わりで真の始まり、真の淘汰、天国の地獄、21世紀のその年に、人類の驚くべき究極の姿……ではそれを明かそう。諸君、それは人類……」

ここで空襲警報のサイレンがけたたましく入った。そのためヒトラー最後の放送も、ここでプツンと途絶えてしまった。
その日が1945年の4月2日だったなら、彼はこのあとなお、4週間ほど生きる。しかしともかく、彼の国民への最後の呼びかけは、こういう重大で狂おしい、しかし不完全な形で終わってしまったのだ。

(中略)

しかし人類はそれでも滅びない。わがドイツの一部と米ソの中心部、日本や中国は深い傷を負いながらも生き残る。ただ諸君、それでも人類はいなくなるのだ。いまの意味での人類は、そのときもういない。なぜなら、人類は2039年1月、人類以外のものに“進化”するか、そうでなければ“退化”してしまっているからだ。」

「それをもっとはっきり言えば、人類の一部はそのとき、人類から、より高度なものに進化して、神に近い生物になっている。人類から神のほうへ進化するのだから、それは『神人(ゴッドメンシュ)』と呼んでかまわない。
残りの大部分は、これも進化なのか退化というべきかわからないが、一種の機械になっている。ただ操られて働いたり楽しんだりするだけの、完全に受動的な、機械的な反応しか示さない『ロボット人間』になっているのだ。それまでの気候異変と環境異変、政治と娯楽と食物、それから起こる突然変異が、そのようなロボットのような人間を大量に生み出す。
神人のほうも同様で、同じ原因から生まれてくる。ただ突然変異が大脳にプラスに働いて、進化の方向がロボット人間と別方向になるだけだ。その前段階の『超人(ユーベルメンシュ)』たちも、より進化して神人になる場合がある。
いずれにせよ、彼らはいまの人間の数次元上の知能と力を持つ。彼らは団結して地球を支配する。それまでのあらゆる危機や問題は、彼ら神人たちの知能と力で急速に解決されていく。」

「ロボット人間たちのほうは、それに従って生きるだけだ。これはある意味では気楽な身分だ。戦争も気候も経済も、神人たちによって制御されてしまうので、ロボット人間たちは神人たちの認める限度で、多くのものを与えられる。食物と住居も、職業も娯楽も恋愛も教育も、時には思想さえも与えられる。
ただロボット人間たちは、与えられ、操られていることを意識できないようになる。自分たちの意識では、何もかも自分で選択して勝手に生きているのだと思う。しかし、じつは神人たちがすべてを見通して、管理工場の『家畜』のように彼らを育て飼うことになるのだ。
こうして人類は、完全に2つに分かれる。天と地のように、2つに分かれた進化の方向を、それぞれ進みはじめる。一方は限りなく神に近いものへ、他方は限りなく機械的生物に近いものへ。これが2039年の人類だ。その先もずっと人類はこの状態を続ける。
そしておそらく2089年から2999年にかけて、完全な神々と完全な機械的生物だけの世界が出来上がる。地上には機械的生物の群れが住み、神々がそれを宇宙から支配するようになるのだ。」


出口王仁三郎の予言を思い出します。(でぐち おにさぶろう、1871年8月27日(明治4年7月12日) - 1948年(昭和23年)1月19日)は、新宗教「大本」の二代教主輔。事実上の教祖。

彼の予言によると、日本には2度の建て直しが起きる。

一度目は第二次世界大戦に敗れ、二度目はロシアが攻め込んで来る。というものです。

そればかりか、イギリス、アメリカ、ドイツ、イタリアなども一斉に日本を潰しにくるそうです。

そして、広島、長崎の原爆とは比べられないほどの被害を受け、日本人は3500万人になってしまうという内容です。

明治維新から資本主義を取り入れ、経済発展を遂げ、軍国主義に走った結果、天罰を受け、焼け野原になりました。戦後、再び日本は経済発展を遂げ、今度は金を払ってアメリカの基地を引き止めている。国民は堕落し、物理的な幸せを追い求め、もはや神の国の住民ではなくなってしまった。

だから、神はもう一度日本を破壊するのです。

しかも、その規模は第二次大戦とは比較にならないほどのものなのです。
 
(自分で自分の記事の転載終わり)


名無し先生に出会う前に、かなり惜しい記事を書いていたのですね。

その当時は、大本とナチスを結びつけることは不可能でした。

先生に会ってから、信じられないようなお話の連続で、すっかり覚醒してしまいました。

もう私は、普通の体に戻れないのです。

それでは
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