空手の黒幕 笹川良一と大山倍達の関係

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笹川良一は本当に悪人だったのか? 悪名の..|なぜ東電の幹部は逮捕されないのか? を再.. ブログトップ
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笹川良一氏と大山館長の生き方について 悪名の棺 笹川良一伝 工藤美代子著 [格闘技]


悪名の棺―笹川良一伝
前回の笹川良一氏の本の評判が良かったので、書きたかったことを追加します。

笹川良一氏は空手界の主流であった伝統派空手の全日本空手道連盟(全空連)の会長を務めていました。私は、大学時代に全空連の大会で、空手着を着た笹川氏が20枚くらいの瓦をジャンプした正拳の一撃で割る試し割をTVで見ましたが、「あんな正拳で割れる訳ないだろ!」と怒りを覚えたことを覚えています。
笹川氏は空手の鍛練を積んだとは聞いていませんので、おそらく何らかの仕掛けが会ったのだと思います。

その当時、笹川氏から大山館長に対して全空連の傘下に入るように何度も要請があったようです。しかし、大山館長は頑として断り続けました。特に笹川良一氏に関しては、空手をやったことがない素人が会長職についていることに対して反発していました。
これについては梶原先生のマンガでよく書かれていたので、私もかなり洗脳され笹川氏に対して非常に嫌悪感を感じていました。

全空連側とは、私の知る限りでは都合三度、会合を持った。最初は築地スエヒロ、二回目が糸山英太郎の経営する新日本会館、そして最後が赤坂の料亭<千代新>でである。
最初と二度目、大山に請われて私も同席した。先方は江里口栄一専務理事、顧問である佐々木真太郎(糸山英太郎の実父)、糸山といった顔触れであったが、いずれの場合も物別れとなり、そして三度目、笹川良一全空連会長が直接大山に会って説得したいとのことで、会合の場として<千代新>を指定してきたのだった。
技術部長として貴君を遇する用意がある、といった話が江里口理事より持ち出され、大山の真対いに座を占める笹川全空連会長が重々しく頷いてみせた。(中略)このとき、大山が崩していた膝を揃えて座り直した。笹川会長をまっすぐに視て、やや高みから口を切った。
「大変光栄なお話ではありますが、辞退させていただきます。講道館と武徳会のふたつがありました頃、日本柔道が一番レベルアップしたのと同じように、われわれ空手の世界に於いても、いくつかの流派が存続し合った方がプラスであろうと考えておりますもので----」
一瞬、全空連会長の顔が朱をそそいだようにみえた。重苦しい沈黙が座を支配した。
「この話はこれまでだ。お互い裃は脱ぎ捨てようではないか」
笹川が破顔してみせ、それで大山もまた膝を崩した。ざっくばらんな話が交わされはじめたところへ綺麗どころが続々と入来し、みるみる活況を呈した。(「大山倍達との日々」真樹日佐夫)

私はこの記載を読んで、笹川良一氏の大山館長への対応に対して器の大きさを感じました。
この本には書いていませんが、この時全空連側は大山館長に対して1億円以上の現金を差し出したそうです。真樹先生は隣で「受け取っちまえよ、館長!」と心の中で叫んだそうですが、結局大山館長は辞退し、真樹先生は館長への畏敬の念を強くしたそうです。

また、もと極真会館の評議員で糸山英太郎氏の盟友であった河合大介氏との会話では、真樹先生の大山館長に対する思いが述べられています。

河合「大山氏をどう思われます?」
真樹「どうって、それはまあ・・・」
河合「かつては非常に魅力的な人物であった――。違いますかな」
真樹「いや、同感だな」
私は深く頷いた。
(彼に初めて会った二十年の昔、並はずれたスケールの大きさにいたく魅了されたことは動かせない・・・)自信とやさしさに充ちていた壮年の日の大山の姿が鮮明に脳裡に甦った。なぜか、胸を締めつけられるような寂寥感をおぼえずにはいられなかった。
真樹「人間は変容するということだろうか、月並みな言い方をするならば・・・」
私が言うと、今度は河合が深く頷き、
河合「まさしく」
と応じた表情がこよなく侘しげであった。(「大山倍達との日々」真樹日佐夫)

工藤氏の本では、笹川氏と児玉誉士夫との違いは、笹川氏は子供の頃から金持ちの環境で厳しく育ったのに対して、児玉は貧しい家に育ったため、金に対する根本的な考え方が違ったのではないかと書いています。
笹川氏の本を読んで、笹川氏がよく言っていた台詞が西郷隆盛の、「児孫のために美田を買わず」であったことに驚きました。皮肉にも大山館長も同じことを常々語っていました。そしてさらに「私が死んだあとに財産というものが残っていれば、私の墓につばをかけよ」とも語っていました。

若き日の大山館長は、笹川氏から提示された大金よりも自分の理念を優先しました。それは真樹先生をも感動させるような潔さでした。しかし、人は年月が経つと変わるのが常です。
笹川氏が毎年何千億円もの大金を自分や家族に残さずに死ぬまで福祉活動につぎ込んできたのに対して、大山館長はどうだったのでしょうか?

そう考えて、改めて笹川氏への畏敬の念を強くしました。

笹川氏に関しては、以下もご覧下さい。
・笹川良一は本当に悪人だったのか? 悪名の棺 笹川良一伝 工藤美代子 を読む

http://blogs.masoyama.net/?eid=145

【古記事】剛柔流が極真に送った果たし状(1976年)



JUGEMテーマ:空手

まぁ、四半世紀以上昔の話なので、そう気分を害する人もいないでしょう…ですよね?
1976年の「週刊大衆」に載った5ページほどの記事なのですが、「"ケンカ空手"大山倍達氏が"剛柔流空手"に果たし状をつきつけられた一部始終」というセンセーショナルなタイトルです。
解説は後に回すとして、まずは本編…。


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その手紙を見たとき、極真会館館長の大山倍達氏(五四)は、あの大きな体をブルンと揺すって、吠えるようにいったという。
「香川のヤツ、生意気じゃあないか!」
九月九日に書留で発送されたその手紙は、事情を知らぬ第三者が読めば、別になんということもない、ていねいな試合の申し入れ書だった。
〈永らく御無沙汰致しました〉
から始まって、罫紙一枚に達筆なペン書き。 映画『史上最強の空手』をホメたあと、
〈つきましては、来る十一月二十二日、剛柔流の全国大会を日本武道館で開催することになりましたので、大会終了後、引きつづき同館で貴極真会との間に親善試合を行ひ、空手道の何たるかを勉強したく思ひますので御高配の程お願ひ申し上げます〉
署名は《剛柔流八段 香川治義》である。
だが受取った大山氏は、平静ではいられなかった。 香川氏を「虎の威を借る狐」「負け犬の遠吠え」と口をきわめてののしる。 「虎」とは全日本空手道連盟」(全空連)会長の笹川良一氏のことだ。


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香川治義


つまり、手紙の署名が剛柔流となっており、いかにも香川氏個人の資格らしく見えるものの、実は全国の剛柔流をまとめた剛柔会が空手界最大の組織(百万人)である全空連に所属していることから、大山氏の目には「敵は全空連にあり」と映ったのかもしれない。
事実、香川氏は剛柔会副理事長であると同時に、全空連の常務理事でもある。
全空連と極真奨学会・極真会館は、どちらも発足は三十九年。 そしてどちらも文部省認可の財団法人でありながら、空手道に対する考え方をまったく異にして対立してきた団体である。
それに大山氏は戦前、早稲田大学専門部当時に、松濤館、剛柔流の二流派を学んだことがある。 香川氏とは二十年前、浅草の山口剛玄氏が指導する剛柔流道場で顔見知りの間だった。 それだけに、言葉はていねい、〈親善試合〉とは書かれているものの、実は"挑戦状""果たし合い"ともいうべき内容の手紙を送りつけてきた香川氏に対して、複雑な怒りを覚えたのは当然だったのかもしれない。


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中央下に大山倍達、左下に香川治義


「香川の狙いはわかっている。 売名じゃないか。 われわれに対する嫉妬だよ!」
大山館長はののしり続ける。
香川氏と浅草で顔を合わせていた当時の剛柔流は七、八万人。 極真会館は百人ほど(全国十支部)の、吹けば飛ぶような存在だった。
それが今、極真会館は国内三十万人、海外六十ヵ国(六百支部)の勢力に成長したのに比べ、剛柔流は公称三十万人とはいうものの、実質は十数万人にすぎない。
しかも極真会館と同じく大山氏が代表している国際空手道連盟は昨年十一月、東京都体育館に世界三十五ヵ国の選手を集めて、第一回世界空手選手権大会を開催している。 全空連は世界空手道連合の名のもとに世界選手権大会を過去三回開いた実績を持つが、剛柔流としての実績はない。
この格差は、誘われて全空連に所属した剛柔流と、誘いを断って独自の道を進んだ極真会館との差であるという。
「香川の嫉妬。 敗け犬の遠吠え」
と大山氏がいうのも、そのあたりの事情をさしているといえそうだ。


大山倍達浅草剛柔会.jpg
左から大山倍達、間山統正、山口剛玄、香川治義


石を割るならハンマーを持て

香川治義氏(五六)の体も大きい。 医者からは三十五歳なみの肉体と太鼓判を押されたそうだが、ドスの効く声を荒げて「嫉妬や焦りとは無関係」と断言する。
直接のキッカケはこの夏一般上映された『地上最強のカラテ』(昨年の国際空手道連盟主催の第一回世界空手選手権大会を記録編集した映画)。
香川氏の周囲に「あれが空手だと世間の人に思われては、まともな空手が具合わるい」、「いっぺん、ホンマのところを見せてやれ」という声が渦を巻いた。
香川氏の結論は明快だった。
「あれは空手ではない。 サーカスである」
むろんそれらが、大山氏の研鑽によって、独自に築き上げられたものだということは否定しない。 しかし、「あれを空手と呼ばれるのは困る。 大山流格闘術とでもいっていただきたい。 あれらが空手になんの役に立つ! 引田天功にでもやらせたらいい!」
そして十冊以上におよぶ大山氏の著書や『空手バカ一代』などの漫画、テレビ、映画を通じて、人々がもっとも印象深く記憶している大山空手のハイライト部分についても、遠慮会釈のない批判が飛ぶ。
手刀によるビンの首切り(ビンは動かず、首だけがすっ飛ぶ)や、正拳によるローソクの炎消しは、「浅草の香具師のほうがよっぽどうまい」のだし、百キロの氷割りや二十枚の瓦割りは、「相撲取りやレスラーなど、力持ちに教えれば、すぐ割れるようになる」
大山氏が千葉県の清澄山に一年半こもって体得したという自然石割りも、「石を割るならハンマーを持って歩け。 長い年月、石割りの修業をするなら、他にやるべきことがあるはずだ」
そして、大山氏が千葉県館山やメキシコで試みたという牛の角折り、牛殺しについても、「空手が対象としているのは人間であって、動物ではない」ときめつける。


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左:山口剛正 右:大山倍達


巷間、人々が極真会館の空手を"ケンカ空手"と呼び、著書のタイトルにまでなっている点についても、「まったく品がない。 われわれは文部省認可団体として、教育上、こんなものは広められない。 空手はそんなガラの悪いものではない」
ここまでいわれて、大山氏が反論しなければ、今度は大山ファンが納得するまい。
大山氏にいわせれば「オレは香川の親を殺した仇でもないのに、なんで彼は直接電話でいって来ないのか!」となる。 本人同士が直接接触すれば、すぐその場で決着をつけてやれるのにというのだ。
だいたい「空手と呼ぶな」とは、なんたるお節介だろう。 極真会館は独自に発展してきており、剛柔は剛柔で別の道を歩んできている。 どっちを選ぶかは青少年の自由ではないか。
「そんな強制はどこかほかの国でやれ。 言論の自由を標榜する日本で、何を思い上がったことをいう。 人種差別と同じではないか!」
牛の角折り、牛殺しを非難するなら、とりあえず山羊の角でも折ってからにしてくれ! というのだ。 やれもしないで、それを達成した者を非難するのは、コロンブスの卵と同じではないかー。
実は『少林寺拳法』の著書である宗道臣氏も、その著書の中で〈牛を殺す方法は、もっとらくで有効な技術がほかにあるし、煉瓦や瓦は建築に用いてこそその価値があるものであり、それを割ってみせるために何年も修業しなければならないとすれば、おそらく現代人の大部分は、これを習う気がしなくなるであろう〉と書いていた。
大山氏はそれを否定しない。 それはまさしくその通りなのだという。 だが、続けて言う。
「もし、牛殺しや石割りを邪道だというなら、邪道で結構。 だが鍛え上げた力のバロメーターをなんで計るか! 人間を相手に試しますか! 浅草時代、私の石割りや、指二本で十円玉を曲げたのを見て、驚いていたのは香川であり、山口剛玄ではなかったのか!」
ケンカというのならば、もっともケンカに強いのはヤクザである。 しかし、極真会館はヤクザでもないし、ケンカの道具を教えるところでもない。 アマチュアとして、ルールにもとづいた空手を修業しているのだ。

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左:山口剛玄 右:大山倍達



お前敗けたら子分になれ

ここに大山氏が語ったひとつのエピソードがある。
あるとき、全空連に所属する糸東会という流派の某氏が、
『空手バカ一代』の作者、梶原一騎氏を訪ねて「少年誌への連載を中止してほしい」と申し入れた。 「空手は礼によってはじまり、礼によっておわるもの。 あなたの連載は青少年に悪影響を与える」という理由だった。
梶原氏は答えた。 「今の読者は聖人君子の空手を望んではいない。 ブチコワシ空手を望んでいる」
この直後、この少年誌を出している出版社へ投書は舞込んだ。 《主人公のモデル・大山倍達は婦女暴行、殺人を犯した男である》 ーー出版社は「前科者をヒーローにはできない」と、取締役、編集長、梶原氏を警視庁へ派遣し、大山氏の罪科を調査させた。
婦女暴行ーーその事実ナシ。 殺人ーー終戦直後、赤坂署管内でアリ。 但し、相手はヤクザでドスを抜いて攻撃してきたため、正当防衛。 無罪。 出版社は連載を続行した。
「私は二十二年の全日本空手選手権で優勝して以来、いつも異端者扱いだ。 私一人に、各派の烏合の衆が寄ってたかって、イヤガラセをしてくるんだよ」
だが、香川氏があえて極真会館に挑戦状をつきつけ、試合中の死亡事故その他、いかなる事態が生じても全空連に迷惑がかからぬよう、ずべての責任を自分が負うつもりで《剛柔流八段・香川治義》と署名した決意の深さは、単なるイヤガラセとか技術の優劣を競うとかいったことからだけでは生じてこないように思われる。
香川氏の根本的な試合の狙いは、「両者がどうしても相容れないものなのか、それとも相容れられるものなのか、試合を通して眺めてみたい」ということ。
遠回しないい方だが、結局は挑戦状を受取った大山氏が、「香川よ。 オレと勝負しろといいたい。 オレが敗ければオレの子分になるんだ!」と息巻いたのと、ほぼ同じ内容を指していると思われる。
表向きは香川氏個人の挑戦であっても、その意味するところは、組織をかけての戦いであるに違いない。
「正統派の空手の味を味わってもらったうえで、今度こそ全空連に所属してもらうぞ」ーー香川氏はおそらく、それを極真会館につきつけたかったのではないだろうか。
両者とも「試合に遺恨は残さないようにしたい」とはいいながら、全空連と極真会館の対立の根は深く、長い。 両組織のもっとも大きな差は空手道への考え方の差に表れている。 全空連が空手をスポーツとして普及させようとしているのに比べ、極真会館はそれを武道として広めようとしていることである。
(中略)
日本最大の空手組織としての全空連が、学生、実業団、自衛隊、各流派を傘下におさめて、スポーツ空手としてのルールで空手界の統一を図ろうとしていることからすれば、あなどりがたい有力団体としての極真会館が、まったく別のルールで勢力を伸ばしつつある現状は、実に脅威であるに違いない。
(中略)

億単位の金と技術部長の肩書

香川氏は極真会館のルールを「武道とスポーツを混同した中途半端なもの」と攻撃する。
「武道というなら、顔面・首などを攻撃しちゃいかんという例外はない。 首から上は鍛えようのない部分だから、本当に当たれば死ぬ。 しかし、武道というなら、それも仕方ないはずだ。 だが、首から上は安全(スポーツ的)にしておいて、多少当てられてもこたえない、ボディビルで鍛えた部分はいくらでも当ててかまわん(武道的)というのは調子がよすぎる」


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従って、極真会館と試合をする場合、スポーツとしての果たし合いになるか、中間はあり得ない。 だから、「事前によほどルールを打合わせておかないと、猪木VSアリ戦のように噛み合わない試合になっては困る」(全空連専務理事・江理口栄一氏)といった心配も出てくるのだが、四十七年に体協に加盟して以来、全空連の目標のひとつはオリンピックへの参加。 大山氏も昔流のルールから脱皮して、安全第一のルールに切り替えるべきだという意見もある。
和道会最高師範の大塚博紀氏は現在の"寸どめ"方式を昭和四年に考案して、三十五年ごろに試合形式として確立させた人だが、日本の武道の本来は「出来れば闘わんですむこと。 闘わんですむ社会をつくること。 そういう思想をもった人物を育てること。 どうしたら相手を叩きのめせるかを目的とするような空手は、政府が禁ずればよろしい」とまでいい切る。
だが大山氏の考案した極真会館ルールは、百数十回におよぶ海外での死闘を通じて確立されたものだけに、やはりひとつの説得力を持っている。
「外人は常に確証を求める。 日本の武道精神が平和の確立にあるといっても、まず勝負に勝ってみせなければ、海外では通用しない。 だから体力的に優る外人と対等に闘えるルールの確立が必要だったのだ」
オリンピック参加は大山氏も望むところ。
ただし日本で最強の選手が出場すべきで、そのためには、すべてを全空連に統一するより、一方でスポーツ空手があり、一方で武道空手がある中で、両者が切磋琢磨し合って発展してゆくほうが強者を生み出しやすい条件ができるという。


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「昭和初期、寝技の武徳会柔道と立技の講道館柔道がみがき合って、柔道の黄金時代をきずいたように、二つの団体があってなぜ悪い」
十年ほど前、笹川良一全空連会長が全空手のの統一を呼びかけていたころ、極真会館へも誘いが来た。
「人を介して、億単位のカネを用意するから、技術部長としてどうかといってきた。 さんざ非難されたが、私の技術を認めていたわけだよ。 私は二つの団体があってもいいという理由で断り、笹川さんも理解してくれた。 ところがどうだ。 そのときカネをもらって全空連に入ったのが剛柔、その他の流派じゃないか!」
むろん、香川氏はギョロリとした目玉をむいて否定する。
「われわれはみな、無料奉仕です。 大山氏にもその他にもカネが出たなんてあり得ない」(全空連教範部長・有本富英氏)

試合は10月末か11月末か…

大山氏が香川氏を「カネと権力にくっつくダニみたいな男」と誹謗すれば、香川氏は大山氏を「周囲の人間にヤキトリにされている哀れな男」と中傷する。
いうほうもいわれたほうも決して愉快ではないはず。 両者の対立は長いアツレキの中から生じてきたもので、簡単に氷解するようなものではないのかもしれない。 それを読者に理解してもらったうえで、さて、香川氏が叩きつけた挑戦状の返事はどうなったのか?
返事は九月十三日付の書留で発送された。
〈あいにく館長は、先々週、北米から帰ったあと、すぐにまた東南アジア方面へ出張致しました。 帰国は今月二十日すぎになると思われます〉
返書の署名は〈極真会館委員会代表 今村栄一〉そして〈こういうお申し出があった場合は一応、毎年行われる全日本大会に参加をお願い致して居ります〉とあって、今年の第八回オープントーナメント全日本空手道選手権大会は十月三十、三十一日の両日だと説明。
〈是非、貴会からも何人かの精鋭のお申し込みをお願いしたいと存じます〉
署名者の今村氏、評議員の真樹日佐夫氏、師範代の郷田勇三氏の説明によると、こうなる。
「館長が帰国されてからではまに合わない。 逃げたと思われるのもイヤですから、すぐ委員会で検討して、返書を出しました」(今村氏)
「こういう手紙はしょっ中来る。 いちいち対応していられない。 ウチのオープントーナメントはキックだろうがボクシングだろうが、誰でも出ていいと公表しているんだから、試合を申し込むなら、まず敵城へ乗り込んで、ここへ出て優勝してみろといいた。 剛柔流からは福島の拳和会も出ている」(真樹氏)
「ガタガタいう前に、まず弟子を出場させて優勝してみろ!」(郷田氏)
決戦は十一月二十二日か、十月三十、三十一日か……
香川氏は「十月三十、三十一日はアジア大会の日程とぶつかる」という。 また大山氏も「十一月十日までは『地上最強のカラテ・パートⅡ』のためにメキシコに行く。 二十日までかかるかもしれない。 十二月はブラジル選手権だし」
日程的には、両者とももっと詰める必要がありそうだ。


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ただし、こうした試合そのものに不賛成だという人もいるので、ご紹介しておこう。 糸東会の根岸雄一師範はズバリ「反対」。 前出、有本部長も「大山さんには勝手にやらせておけばいい」。 そして全日本学生空手道連盟師範の髙木房次郎氏は、「果たし合いとは二十世紀にずい分面白いことをなさるなって思いますね。 前時代的なことをやる空手界をね、ぼくは自ら恥ずかしいと思いますよ」


…という事で以上です。 長かったー。 下手に省略して双方の言い分を損ねたら嫌だなぁと思った結果、殆ど省略せずに書いてしまいました。
まぁ、私の視点から判定しますと、正直、香川治義先生の極真に対する批判は言い掛かりですねw
何を以て極真が空手じゃないとするか、空手とは何を以て成立するのかを言わないので、第三者からは憤慨する理由も分からない。
1972年に極真が出した声明文から10年近く、大山倍達と笹川良一は舌戦を繰り広げていました。 その中に香川先生が割り込んで来た事から、大山総裁は笹川氏が差し向けたんだろうと判断したのですが、この時の舌戦が尾を引いたのか、その後オリンピックに関する話し合いで極真側と全空連が同席した際にも、剛柔流関係者はいませんでした。 この事件が無ければ、もう少し自著で剛柔流の話が出ていたかも知れませんね。
そう言えば全空連の他の先生方が割と醒めているのは、大山総裁が笹川氏個人に的を絞っている為、あまり係わりたく無いみたいです。 別の記事にはこんなコメントがありました。

「ヘタに反論でもして、常に宣伝用の材料を探している大山に利用されてはつまらない。 反論するなら、理事会としてではなく、笹川さんが個人でやったらよろしい」(全空連関係者)

ところで、「空手道名鑑」を見ていたら香川先生の項目が少し面白かったです。 この本にはどこの団体の段位なのかが明記してあるのですが、香川先生は「全空連 八段」でした。 見る感じ、他の剛柔流の方は「剛柔流 ○段」と書いてありますし、全空連の段位も書かれる方は「空手協会 ○段 全空連○段」 とあります。 だから何だって話なんですけどねw
それでは、また。

参考文献:
Masutatsu Oyama, What is Karate? Revised edition, Tokyo-News Co., 1959
週刊大衆 10/21号 双葉社 1976年
週刊大衆 2/16号 双葉社 1978年
月刊空手道 1994年10月号 福昌堂 1994年
月刊空手道 1997年11月号 福昌堂 1997年
空手道名鑑 空手道名鑑編集委員会監修 創造 1977年
巨人 大山倍達の肖像 -ゴッドハンドの軌跡 国際空手道連盟極真会館監修 コア出版 1984年

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12119149877



全日本空手連盟と国際空手連盟は、対立しているように見えて裏では繋がっています...




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yasukunihayatoさん

2014/1/818:39:15
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全日本空手連盟と国際空手連盟は、対立しているように見えて裏では繋がっていますか??

国際空手連盟は、極真空手の「マス大山」崔永宜総裁ですが、崔総裁は国際空手連盟の初代会長に統一教会日本支部の久保木会長を迎えましたよね。そもそも、崔総裁は戦後直後は統一教会日本支部初代会長の大山高誉の家に住んでいました。

一方、全日本空手連盟は初代の会長が笹川良一。笹川良一は、統一教会傘下の国際勝共連合の会長でした。
つまり、「統一教会」というところで全日本空手連盟と国際空手連盟は繋がるんですが、やはり裏では繋がっているんでしょうか??


補足
「裏」という言葉を使いましたが、あまり裏表は関係なく、要するに全空連の利益になることは極真や国空の利益にもなるってことですよね。普通に空手をしている人にはわからないと思いますが、統一教会と繋がっていることは勝共連合と繋がり、勝共連合と繋がっていることは日本の裏社会=北朝鮮と繋がっていることを意味するのです。勝共連合は保守を装っているだけですから。

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arb19731012さん
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2014/1/821:49:07
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それは多少なりと繋がっていましたよ。プロレスで例えると、新日と全日が対立はしていても、坂口と馬場さんが裏で色々と話し合っていたみたいなもんです。


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質問した人からのコメント

2014/1/15 21:04:58


成功 ありがとうございました。
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nai99han99さん
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2014/1/907:47:37
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こんにちは。全日本の元会長笹川先生と大山極真総裁は表向き仲が悪かったけど裏でつながっていた…と言う話しですよね?
しかし、考えてみて下さい。「裏」とはどういう事か?大学や市役所にうまくコネで裏口で入れてもらう、交通違反をしてももみ消してもらう。税金をうまく安くしてもらう、最近どこかの連盟でありましたが、経費で贅沢な食事などする…こういう事が社会で言うところの「裏」ですよね。全日本と極真が裏でつながっていても、あんまりそういうメリットってないと思います。そりゃ全日本と極真も元は同じ空手からの出生なんで、両方に顔の効く人、あなたの言うように統一協会の関係の人が何かパイプ役でいたかもしれない。でもそれは「裏」でもなんでもなく、お互い一緒やろうと調整であって別に普通の事です。現在を見ればわかるけど笹川先生も大山先生もお亡くなりになり、世の中がコンプライアンス遵守が重要の世の中になり「裏」のお特も全世の中的に減ってるんじゃないですかね?喧嘩するほど仲がいいなどとも言いますが、昔は「どっちが強い?」なんて言い争って熱かった時代でした。今はコンプライアンス重視。お互いに粛々とやってます。オリンピックもまた遠退いたんで、しばらくはこの状態でしょうか。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10146095320


空手にかんして 全空連は暴力団のドンと言われた故笹川良一がつくりました 少...




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ID非公開さん

2015/5/2900:44:57
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空手にかんして

全空連は暴力団のドンと言われた故笹川良一がつくりました
少林寺拳法や合気会にも役員でいました。

極真も稲川会?柳川会?

正道会館も石井が逮捕されるまでは山口

結局、ヤクザと関係の無い空手団体なんて存在しないということでしょうか

閲覧数:418 回答数:6
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on_fight_onさん
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2015/6/112:35:21
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県単位のトップも結構、暴力団とつき合いのある人間が全空連県の代表になっていることが多いです。その団体の後援会長は自民党の国会議員であることが多いです。

実際、私もその道場に所属していました。


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the_university_of_kyushuさん
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2015/6/111:30:36
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はい

全ての格闘技、武道は

暴力団と親交を有しています


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mementomori1702さん
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2015/5/2923:36:42
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笹川良一を暴力団のドンと一括りにしてしまうと、その人を見誤ってしまいます。
笹川良一が右翼の大物である事は間違いなく、私も若い頃はかなりの偏見を持っていました。 笹川良一と言う人は第二次大戦には戦前から反対の立場を取っており、東条英機を真っ向から批判していました。
しかし、戦争後には「アジアに植民地を作り、搾取を続けてきた欧米諸国が、ただ戦勝国と言うだけで敗戦国の日本を裁くのは片手落ちであり、戦争の責任の一端は日本のみならず欧米にもある。」と言う信念の元に欧米批判を繰り返し、自らGHQに乗り込んで自分をA級戦犯にしろといった人物でした。
その際に母親に「生きて戻れないかもしれない。」と言い、母親は「立派に死んで来い。」と返して励ましたそうです。
笹川良一はA級戦犯の容疑で収監されましたが、獄中の中からでも誤解によって戦犯指定された人々の救済に尽くし、その救いの手は当時日本人であった「朝鮮人」「台湾人」のBC級戦犯者にも及んでいました。
結局、笹川良一は戦争に反対していた為、容疑不十分で釈放されましたが、その後は酒もタバコもやめて、戦犯者やその家族達を支援し続け、その遺族からの感謝の手紙は膨大な量に上ったにもかかわらず一切公表しませんでした。
知られざる社会的貢献としては、天然痘の撲滅に甚大な協力をしており、インドでは笹川良一が天然痘を撲滅したと言われるほどですが、やはりその事を宣伝していません。
それ以外にもハンセン病患者の救済にも努め、自ら改良型ワクチンの被験者一号になり、さらに各国のハンセン病患者の慰問を行うなど、その目線は弱者に優しいものです。
以上のことを暴力団のやることだと思いますか?
全空連にしろ、少林寺・合気道にしろ、笹川良一と言う懐の深い人物に感銘を受けたのではないですか?
むしろ誇ってもいいくらいだと思いますが。


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jpamuna6534さん
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2015/5/2920:59:30
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物ではなく人を売る?商売だとヤクザは顔を突っ込んできます
芸能界、風俗、水商売、習い事の教室など
品物をヤクザに取られると頭にきますが
品物ではなく身体を使うものだと
そんなにムカつかないんですよね
元手が0みたいなもんだから
空手も習い事ですから


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asarin_haraさん
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2015/5/2916:20:35
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いまどき、ヤクザ絡みの団体なんて存在しないでしょ。
全空連系列なんてそんなことやってたらJOCから除名されちゃいますよ。


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hibikiwataru3さん
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2015/5/2900:47:14
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ありますよ。
ばかばかしくて具体名は挙げませんけど、戦後のドサクサじゃあるまいし、拳骨が金になる時代じゃないです。

http://ameblo.jp/fujiyamapapa/entry-11771578165.html


#1432『「時代の嵐」・・在日朝鮮人と空手に見る戦後史』



2014-02-14 11:03:00
テーマ:【記事】













國體の護持こそ日本精神















今は冬期ソチオリンピック開催中だが、オリンピック競技にテコンドーという武道がある。韓国の崔泓煕(チェ・ホンヒ)が日本に留学中に学んだ松濤館(流)空手を元に、アレンジし体系化した武道である。こう書くと、韓国がまたパクリ云々との声が聞こえてきそうだが、大東亜戦争前から朝鮮半島には日本の空手道場があった。武道、特に大東亜戦争後の一部の空手の歴史を見ると、そこには在日朝鮮人の歴史が深く関わり、それはそのまま日本の裏戦後史でもある。









空手には沖縄伝来の伝統派と、新興のフルコンタクト系という二大系統がある。其々に流派や会派、団体が無数に存在する。拙稿では新興のフルコンタクト系について記す。フルコンタクト系の総本山といえば言わずと知れた極真会館がある。日本はおろか世界各国の格闘技や団体に影響を与えた会派(厳密には流派ではないが分裂後、流派的側面もある)である。しかし極真会館は創始者が在日朝鮮人であるが故に、最近はインターネット上での誹謗中傷も多い。日本発祥の空手ではあるが、空手を含む武道を修業するのは今も昔も総じて外国人が多い。日本人は批判はするが血や汗を流す稽古を嫌う。昨今は自らは見るだけかバーチャルなゲームに夢中である。









「極真」の創始者は在日朝鮮人の大山倍達(崔永宜=チェ・ヨンイ※かつては崔倍達=チェ・ペダル、大山猛虎、崔猛虎とも名乗った)。1970年代に一大ブームになった劇画「空手バカ一代」のモデルである。大山倍達は10代の頃に単身来日、空手を学ぶ。伝統派の松濤館(流)では大竹一蔵に可愛がられ船越義豪と交流、剛柔流では曹寧柱に学び、山口剛玄とも交流した。この山口剛玄と曹寧柱が「最終戦争論(世界最終戦論)」の帝国陸軍中将石原莞爾に心酔、石原莞爾の主宰する東亜連盟に参加しており、大山もまた多大な思想的影響を受けていき、後に民族運動に傾倒していく。この東亜連盟の流れから、戦後は東條英機暗殺を企てた事で知られる柔道の牛島辰熊(不世出の柔道家と云われた木村政彦の師)とも交流している。極真会館設立の遥か昔の話である。戦後間もない頃の空手界には、大山以外にも在日朝鮮人空手家が普及に尽力している。尹曦炳が興した韓武館は大山と交流があったという。









既に拙稿にも記している通り、戦後の在日朝鮮人は、共産主義の在日本朝鮮人連盟から反共産主義勢力が分裂、現在の朝鮮総聯に続く武闘組織である在日朝鮮民主統一戦線と、民団に続く在日朝鮮建国促進青年同盟が激しい抗争を繰り広げた。この在日朝鮮建国促進青年同盟に曹寧柱、大山倍達は参加、激しい抗争に明け暮れていた。当時、共に抗争した仲に町井久之(鄭建永=チョン・ゴニョン)がいる。愚連隊の関東町井一家から東声会(後に三代目山口組舎弟)を起こし、同会解散後はバブル期名を馳せた、六本木TSK・CCCの東亜友愛事業組合のオーナーとして知られている(山口組三代目に取り次いだのは、反共勢力に武闘面からヤクザの結集「関東会(後に関東二十日会)」を考えていた戦後日本史に残る大物フィクサー、児玉誉士夫)。大山は戦後間もない頃、元満州鉄道総裁襲撃にも参加したが本人と面識があったのか、その場で襲撃グループに「この人には手を出すな」と助けている。大山の強さに全員手を引いたという。この元満州鉄道総裁が、後に極真会館会長として終生大山を後援していく衆議院議員になる毛利松平である。









かつての極真会館は新興流派であったが、大山の著書(出自や戦後期の抗争等は一切隠され脚色されていたが)や劇画、映画により勢力を拡大していた。これに児玉誉士夫と並ぶ大物フィクサー笹川良一(全日本空手道連盟会長)が目をつけ傘下に収めようとした。笹川良一は旧満州では児玉誉士夫の児玉機関で、日本少林寺拳法創始者の宗道臣と共に機関員だった。宗道臣が日本少林寺拳法という武道団体を設立し、対抗心から全日本空手道連盟会長になり、この頃破竹の勢いの極真会館に触手を伸ばしたと云われる。しかし大山は破格の条件にも関わらずこれを一蹴している。大山曰く「今さら親分は変えられない」。当時、日本の首領(ドン)と云われた笹川良一との会席に同席したのは、義弟の真樹日佐夫と当時の極真会館会長毛利松平。毛利は笹川良一を前に無言で下を向いていたという。また、この頃の極真会館には相談役として元三代目山口組柳川組の柳川次郎(梁元錫=ヤン・ウォンソク)も席を置いている。また極真会館創成期には在日朝鮮人ネットワークから世界キリスト教統一神霊協会(統一教会)とも深い関係にあった(この頃の統一教会は反共の国際勝共連盟を持ち、自民党を中心に保守系議員を支援、一代勢力であった)。高弟らにも在日朝鮮人が多数いたが韓国系が多い。









極真会館設立後、大山は毛利松平の勧めで帰化している。大山の死後、二代目を継いだ松井章圭(文章圭=ムン・ジャンギュ)は帰化に批判的という。松井は極真会館の世界大会優勝後に一時極真会館を離れ、大山の紹介で許永中(ホ・ヨンジュン※イトマン事件で現在服役中)の秘書をしていた。ここにも在日朝鮮人ネットワークがある。極真会館は大山の死後に分裂した。表向きの理由は松井の運営云々や遺言状とされるが、松井の出自も一因と云われている。松井を否定したのは日本人の門弟ばかりだからである。しかしその後にも松井の元を去った者がいる。当時の松井の後見人、盧山初雄(盧初雄=ノ・チョウン)。極真会館は先に記したように大山以下韓国系朝鮮人が多数だが、盧山は大山がライバル視していた中村日出夫(拳道会創始者、北朝鮮系在日朝鮮人)にも師事していた時期もあり、北朝鮮系とも云われている。組織の運営路線の違いと云われる。









中村日出夫は山梨に修徳会という道場を構えていたが、劇画や映画等で派手に勢力を伸ばす大山とは対照的に、目立つ事は一切しなかった。盧山は極真会館を離れていた時期、この修徳会の内弟子である。中村日出夫は、後に高弟らが拳道会を設立し、初めて会長として表に出てきた感がある。因みに朝鮮学校の空手部は全て拳道会空手であり、同会は公安の監視対象とも云われている。総聯の家宅捜索等で機動隊と対峙するなかに指導員らが見られるのか。かつての在日朝鮮民主統一戦線が源流なのかと想像される。中村日出夫もまた達人と云われた空手家であるが、大山倍達と共に故人である。二人は在日朝鮮人であり、戦後の激しい時代の嵐の最中、また冷戦時代には対立に翻弄されながらも壮絶に生き抜いた不世出の空手家であり、現在では語ることも出来ない、隠さなければならない過去があったにせよ、彼らも真の武人であろう。これもまた日本空手の歴史であり、大東亜戦争後の日本の歴史でもある。


























武道とは修業する過程で武士道=日本精神を身につけていくものと考える。そこに本来、人種や政治、宗教の入り込む余地はない。しかし在日朝鮮人であるが故、戦後の一時期の民族運動による激しい抗争、冷戦時代には反共勢力結集に利用されたり、また、政治家やアンダーグラウンドに関わりながらも、こと空手に関しては一途に進まれた方々がいた。今も道場で汗を流す門弟らは圧倒的に日本人であろう。だが、日本人以上に日本精神を持つ在日朝鮮人の武人がいたし、今もいる。極真会館や拳道会のみならず、他の流派会派にも在日朝鮮人の武人が汗を流す道場は数多とある。拙ブログはこれらを反日朝鮮人とかインチキ空手等と批判するものではない。現在の韓国、北朝鮮を見れば筆者も怒りを覚える。しかし、昨今インターネットの普及により故人を貶めるような誹謗中傷が数多と見られるが言語道断である。そのような輩に日本人の魂はない。日本人を名乗る資格もあるまい。真の日本精神とは血ではない。日本精神とはその魂である。















※文中の敬並びに故人の表記省略。

http://maguro.2ch.net/test/read.cgi/budou/1394974646/905
■全空連より脱会?除名?日本空手協会Ⅰ■

905 :名無しさん@一本勝ち:2014/05/04(日) 02:58:53.73 ID:OdtE57Mt0>>895
その乱脈した伝統空手界を財力と権力で一つに、纏め上げたのが、
モーターボート競走会の笹川良一連合会長なんですよ。

財力って、賭博の売上だろ?
伝統派が纏まっていたか?
全空連って、そもそも全ての伝統派が加入しているのか?
全空連の為に和道流も全空連和道会と反全空連派の和道流空手道連盟に分裂したのでは?
剛柔流も分裂したよね。
空手協会も笹川良一が会長の時代も脱退したことがある。
歴史を偽造するのは、在日の特色といえる。

空手界の統一が大切というならば、天皇杯を独占しようという考えを改め、
除名処分を速やかに撤回すべきだ。

http://episode.kingendaikeizu.net/21.htm
系図でみる近現代 第21回
近現代人物のエピソード、系譜・閨閥など、系図を交えて紹介。
笹川良一 糸山英太郎 家系図 [系図1] (※転載禁止)

第21回 「世界は一家、人類みな兄弟」、そして二人は“首領”と“怪物” 笹川良一、糸山英太郎。さらに笹川第二・第三世代。(03.9.23記)



[系図1]


笹川良一・糸山英太郎家系図



■“首領”笹川良一


大方の予想通り、2003年9月20日に行われた自民党総裁選は、
小泉さんの勝利で決着しました。

最大派閥の橋本派からは、藤井孝男元運輸相が立候補していましたが、
当初、橋本派からは、三人が名乗りをあげ、その中の一人に、
笹川堯(たかし)元科学技術担当相(群馬2区選出・66歳)の名前がありました。


言わずと知れたあの、元日本船舶振興会会長・笹川良一の次男にあたりますが、
政治に関心のない方でも、この笹川堯氏の名前は、新聞等で目に触れる機会が、
年に一度は、あったかと思います。

それは、高額納税者番付の国会議員部門。
今年5月に発表された2002年分では、第2位でしたが、
’99~’01年では、3年連続トップでした。

笹川尭氏には、「日本のドンを乗り越えろ」という著書(’86年)もあり、
そこでは、庶子であった自身・三兄弟の境遇と、
父・笹川良一との関係を垣間見ることが出来ます。


“日本の首領”、“競艇界の首領”と言われた笹川良一。

家庭の事はほとんど、省みる事がなかったが、
いつも「世界と国家」の事ばかり考えていたと、笹川堯氏は言います。
そして、この方ほど、毀誉褒貶の激しい方も、めずらしいのではないでしょうか。

海外での評価は、概ね高く、
人口抑制問題、天然痘やハンセン病(ライ病)の撲滅における功績により、
スイス・ジュネーブのWHO(世界保健機構)本部には、胸像が置かれています。
また、’84年、カーター元米大統領来日時には、一緒にジョギングをしたりもしました。

日本でも笹川会長が、母親を背負った「孝子の像」というのがありますが、
日本では、元右翼、黒幕、目立ちたがり、売名家、ギャンブルのカネだから・・・・、
といった見方もされていますが、
CMで、♪戸締り用心、火の用心♪、子供たちに囲まれてニコ顔で
「一日一善!」と叫んでいた姿は、非常に印象深かった事は確かです。


200歳まで生きると豪語していましたが、’95年に96歳で亡くなりました。
現在も競艇界においては、ファン投票によるオールスター戦「笹川賞」に名を残し、
また笹川一族は、大いなる力を握り続けています。
笹川堯氏自身も現在、群馬県モーターボート競走会の名誉会長等を務めています。
簡単に系図を描いてみますと、 [系図1]


■“怪物”糸山英太郎


そして、先頃行われた埼玉県知事選挙(8/31)の候補に、名前が取り沙汰され、
色気も出たようだが、結局、出馬せず、
裏方に徹する事を改めて認識した?人物が、糸山英太郎氏(61)。

実は、糸山氏と笹川堯氏・三兄弟には、共通点があります。
それは、庶子すなわち、どちらも本妻の子では、ないという事です。
しかし、どちらも本流に踊り出ました。


糸山氏は、平成8年に衆議院議員(埼玉3区選出)を辞職、政界から引退、
そして、平成9年、ザ・イトヤマタワーを竣工し、経営・教育・投資等に力を注ぎ、
現在、「糸山政経塾」を主宰、日本再生のため、後進の指導・育成にあたっています。


アメリカの経済雑誌「フォーブス」2003年版によると、
世界長者番付(資産10億ドル以上)において、72位にランクされ、資産総額41億ドル(約4800億円)。
日本で、第3位にランクされます。(ちなみに1位は佐治信忠サントリー社長)
本人の弁によると、前年(世界118位)よりランクアップしたのは、周りが資産を減らした事に尽きる。
すなわち、世界ITバブルに踊ることなく、着実な投資を行ってきた結果だといいます。

現在、糸山氏は、三菱重工業の個人筆頭株主であり、
日本航空(日本航空と日本エアシステム合併)の第3位株主でもあります。


糸山英太郎氏といえば、私のイメージでは、30年程前、「怪物商法」という著書で
華々しく登場、ベストセラー、そして、昭和49年に政界に打って出、
参議院議員全国区より13位で最年少当選(32歳)。

しかし、一転、、ニュースは選挙違反報道一色になったという非常にハデな記憶が残っていますが・・。


岳父・笹川了平が、逮捕されたその選挙違反に関しては、
2002年に出た糸山氏の著書「金儲け哲学」によれば、
「そのときの私には選挙にカネを使う発想はなかった。当時は全く身に覚えのないことだった。」
と、述懐し、その選挙違反となった要因を派閥がらみの件も含めて、いくつかあげていますが。


ところで、実際には、糸山英太郎氏が当初、世にその名を知らしめたのは、株の世界であった!


昭和46年8月から翌47年3月まで、大阪・北浜を舞台に繰り広げられた「中山製鋼所株仕手戦」。
株価は、その期間、ニクソンショック後の安値630円から、3800円にまで暴騰した。
(バブル時にもこの値は、抜けず)

元々、含み資産に注目して中山株を買った弱冠29歳の“若造”糸山氏だったが、
その会社側の株主軽視姿勢を問題視して、増資を求め会社に乗り込んだところ、相手にされなかった。
そのため、株を買い増し始め、総株数の25パーセント弱にあたる452万株集めた。

ところが、そこに立ちふさがったのが、日本有数の大金持ちといわれ、
株のカラ売りの大御所、名古屋の近藤紡社長近藤信男だった。

株を下げさせる事により値幅を取り、儲けを得る(逆に株が上がれば、損になる)
“日本一の相場師”の出現にさすがの糸山氏も青ざめ、血の小便を流したが、
そこを側面から、援護射撃してくれた人物がいた。
それは、父であり、そして伯父であった!

結局、「売り方」は、渡す株がないため、決済出来ず、
近藤紡側から頭を下げて、解け合いの申し出があり(決済値・3380円)、
「買い方」の本尊として主役をつとめた糸山氏は、この戦いに勝利をおさめたのであった。


糸山氏は親の七光どころか、自身を二十一光だと言ってはばからない。
[すなわち、佐々木真太郎・笹川了平・笹川良一(伯父)、三氏の七光の合計]

七光をうまく活用するのも、ひとつの才能であり、その親を持った子の特権である。
むしろ、その特権を活用しきれないような時こそ、己の不甲斐なさを恥じるべきだろうと。

またこうも言う。
どこにも七光どころか一光も無さそうに見える父親にも、“人生経験”という
子には絶対にない光がある。これを活用しない手はないとも。


18歳の時、父から勘当されていた糸山氏は、20歳で中古外車のセールスマンになり、
最初の一年間で業界日本一の販売記録を樹立、その後、独立し、儲けていたが、
契約者に35万円の金が返せない事態に陥り、自身を35万円で父に身売りした。

父のゴルフ場経営会社にキャディとして入社、スタートし、
その後、さまざまなアイデアを駆使して、のし上がって行き、そして、
新日本企画を設立、ゴルフ会員権ブームにも乗り十指を超える会社を経営するに至った。

そのアイデアの一つに昭和39年、新日本会館(レストラン・宴会・結婚式場等)の経営を
任された時の企画にこういうのがありました。

当時、時代は、まだ“性の解放”の黎明期であったが、
「現在、妊娠中の女性の挙式(すなわち、“できちゃった婚”!)は無料、そして、
ハワイへの新婚旅行ご招待、一年以内の赤ちゃん誕生に、一年分の森永ミルクプレゼント!」

時代を先取りした面白い企画だと、マスコミが飛びつき、その話題性で、
“婚前交渉”の有無に関わらず、多くのカップルが殺到したらしい。


こういったエピソードが30年前の著書「怪物商法」で紹介されていましたが、
今回の「金儲け哲学」にも同じく紹介されています。
ただし、一言、付け加えてありますが


「実は、この30数年後にまさか、自分の娘が“できちゃった婚”をするとは、
予想だにしていなかったが・・・・・。」


★そして、笹川第三世代すなわち、笹川良一の孫の世代の話題と言えば、
少々、のぞき見趣味も入りますが(^^;)、こういうのがあります。

iモード生みの親の一人・松永真理さんが、iモード誕生までを描いた著書「iモード事件」に、
NTTドコモ入社二年目で当時(’97年)、24歳の笹川貴生氏(笹川陽平長男)が
開発メンバーの一人として登場します。
そのエピソードの一部を抜粋すると、


企画会議で、ディズニーランドに関するある企画が出た時の事、
それまで黙っていた笹川が口を挟んだ。

「ディズニーランドを運営しているオリエンタルランドに知り合いがいますから、
早速アポを取って、企画を持ちこんでみますよ」

なかなか積極的でいいじゃないか。
そして、ある日

「アポが取れました」
「やったじゃない」

「はい。オリエンタルランドの社長なんですけど」
「知り合いって、社長のこと?」

一同唖然、呆然。


そして、彼の得意なカラオケの持ち歌は、「兄弟船」らしい。

しっ、しぶい!!若いのに。

しかし、やはり笹川さん、“舟”が、お好きなんですね~。


★他にも別にこういった話題が、

・笹川順平氏(笹川陽平次男)が、フジTVアナウンサー宇多麻衣子と結婚。(2001年)
・笹川和弘氏(笹川堯次男)が社長を務める関東開発(桐生競艇施設管理会社)と
 桐生市(群馬県)が桐生競艇廃止・撤退問題で、対立、大揺れ。
・笹川博義氏(笹川堯三男)が国政をめざして、奮闘中(群馬3区)。


■少々、私の思い出話を。

私が学生時代、かれこれ20年以上前になりますか、
ある空手の大会で笹川良一会長を拝見した事がありました。

多分、当時で、80歳ぐらいのお年で、案外、小柄なように見受けられました。
全日本空手道連盟の会長をされていた関係で、来場されていたと思いますが、
普段は、あのお馴染みの、白地で前に緑・赤・黄・青の横線が入り、
背には、日の丸、「世界一家」「人類兄弟」と書かれたジャージを着用されていました。

そして、エキジビションとして、「瓦の試し割り」をする段には、颯爽とした道着姿に
早替わりされていて、私達は、その試し割りの瞬間を固唾をのんで待ちました。

何段かに積まれた瓦を前にして、その瞬間、笹川会長は、
会場中に響き渡る気合(奇声?)とともに、ピョーンと俊敏に飛び上がり、
そして、腰の入った正拳突きで、見事、瓦をたたき割られました。
高齢とは、思えぬその鋭い動きを見て、

「さすがわ、ササガワさん!やっぱり、違うな~。」としみじみ思ったものでした。
本当、現役バリバリ、お元気でした。


ところで、お元気と言えば、笹川さん、一説によれば、
お子さんの数は、認知しているだけでも、
子だくさんで有名なあの徳川第11代将軍徳川家斉より、ずっと多いらしい・・・。

「へぇ~~~~」  

徳川幕府を凌駕する笹川幕府か!?
唖然、呆然を通り越して、その豪快さ、甲斐性ぶりに、まさに、脱帽。
まさに、“昭和の怪物”!


とてつもない富と権力を握った者は、
「時代は進化すれど、昔も今も、人間(男)の本質・法則は変わらない。」

と、いったところでしょうか。


しかし、笹川会長、世界の人口抑制問題には貢献されたようですが、
自身にまでは、手が回らなかったと、みえますね。


そして、最後はやはり、この正式フレーズで、


「世界は一家 人類みな兄弟
月はお隣り 火星は遠い親類」!!




●笹川良一家系図
笹川良一
笹川良一 長兄/日本船舶振興会(現・日本財団)会長・B&G財団会長、衆議院議員/
S6.国粋大衆党結成、総裁 S8.大阪市郊外に日本最初の防空飛行場を建設 陸軍に献納
14.12~15.1純国産機「大和号」で独・伊に飛びムッソリーニと会見 17~20衆議院議員
20.12.11巣鴨拘置所入所(A級戦犯容疑) 23.12釈放 26年競艇事業に入る
30.全国モーターボート競走会連合会会長 37.10日本船舶振興会設立・会長
39.建国記念日制定の要請を行い、2/11を休日にした。57.4国連平和賞受賞 H7.7逝去。
笹川良一
笹川鎮江 妻/当初は“東京の本妻さん”と呼ばれた。筑前琵琶の名手で吟詠家。
高校より東京に出た笹川堯の養母。H15.3逝去
笹川勝正 群馬県モータボート競走会会長/笹川良一長男/
笹川堯
笹川堯 衆議院議員、献血供給事業団会長、群馬県モータボート競走会名誉会長/
笹川良一二男/
笹川博義
笹川博義 衆議院議員(自民党)、群馬県議、ヤマト発動機社長/笹川堯三男/
明治大学中退/
平成24年12月、衆院選に出馬、初当選。
■笹川博義 自由民主党
笹川陽平
笹川陽平 日本財団会長(2011年~)・理事長(1989~2011年)、全国モーターボート競走会連合会名誉会長/
笹川良一三男/
フィランソロピー活動の先駆者。世界60大学を結ぶ奨学金ネットワーク、
中国の医師2000名のための研修制度の設立、アフリカの食糧増産運動や
チェルノブイリ原発事故の被災児への検診などを手がける。
世界的視野に立ったNGO活動の立案、実行の第一人者。
2001年5月WHO(世界保健機構)ハンセン病制圧特別大使に就任。
■笹川陽平ブログ
笹川陽平
笹川春二
  (しゅんじ) 良一次弟/元大阪府モーターボート競走会会長
笹川春隆 日本ボートサービス社長
笹川了平 良一末弟/元大阪日日新聞社主、元群馬県モーターボート競走会会長/
娘婿が糸山英太郎
佐々木真太郎 元新日本観光興業社主/ゴルフ場経営者。戦後、初めてゴルフ場を作った人物/
S44年長者番付No.1
糸山英太郎
糸山英太郎 新日本観光会長・社長、湘南工科大学理事長・総長/元自民党衆議院議員
糸山英太郎

http://nippon-senmon.tripod.com/hantou/kimu_mui/km_karate.html

「朝鮮人」としての『空手バカ一代』崔永宜はなぜ、大山倍達と名乗ったか?

(宝島30 1994年7月号)

極真空手の創始者大山倍達が亡くなった。日本のマスコミが触れなかった彼の民族意識を『空手バカ一代』の裏に読み解く。

金武義(きむ・むい)

四月二十六日、大山倍達が肺癌で死去した。

「梶原一騎氏原作の『空手バカ一代』の主人公で、国際空手道連盟総裁、極真会館館長の大山倍達氏が……東京・中央区の病院で死去した。七十歳だった。(略)

韓国ソウル生まれ。一九四七年に戦後初の全日本空手選手権で優勝。牛を素手で倒すなどの修業を続け、海外でもプロレスラー等各種の格闘技家と試合。手刀でビールびんを切り捨てる技は『神の手』と称された。(略)六四年、空手界の常識だった寸止めをやめ直接相手を倒すフルコンタクト(直接打撃制)を取り入れた極真空手を旗揚げし、国際空手道連盟を創設した(略)」(四月二十七日付朝日新聞)

今や全世界に千二百万人もの門弟を持つ極真空手の創始者であった彼の死は、格闘技、スポーツ界にとどまらず、一般各紙でも報じられた。しかし、韓国ソウル生まれであることは触れられていても、彼自身が韓国人であったことに言及した記事は、少なくとも僕が探してみた限りでは皆無であった。たしかに後に日本に帰化しているとはいえ、まったく触れないとは……。

「たしかに私は韓国で生まれました。本名はチェ・ヨンイ(崔永宜)だ。満州、韓国で育って十六歳で日本軍の兵隊として山梨県の部隊に入隊したんだ」

生前の大山倍達自身、スポーツ誌『Number』(八九年五月二十日号)のなかでそう認めている。それは、高見沢秀の「もうひとつの『空手バカ一代』というルポで、日本における梶原一騎・原作の『空手バカ一代』と同じく、大山倍達を主人公にした『大野望』という劇画が韓国に存在するという事実の報告から入って、日韓の「大山倍達像」の共通点と相違を考察した好編である。この『大野望』は韓国でベストセラーになり、この劇画を通して韓国人は誰もが在日同胞の英雄として、大山倍達の名を知っている。

日本でも、現在、二十代後半から三十代になる男たちに、初めて大山倍達の名を教えたのは『空手バカ一代』だったはずだ。大山倍達の死をきっかけに、ぼくは、十何年ぶりかに『空手バカ一代』全巻を読み直してみた。そして、大山と梶原一騎が紡いだ伝説のなかに隠された、在日同胞の真実の一片を捜してみようと思う。

マス・大山は何と闘っていたのか?

『巨人の星』の星飛雄馬、『あしたのジョー』の矢吹丈、『タイガーマスク』の伊達直人。

一九七〇年前後に少年たちを熱狂させた梶原劇画のヒーローたち。マス・オーヤマもその一人だが、他の主人公たちと決定的に違っていたのは、少年たちがただ憧れるだけでなく、こぞって彼のマネをしたことである。

本人の大山倍達でさえ全盛期の二十代でしか出来なかったという秘技中の秘技「三角飛び」がなぜか全国の小学校の校庭で乱れ飛び、手刀のビールびん切断をマネしようとして(コーラやバヤリースのびんで代用したものだ)手にケガをするヤツが続出した。『空手バカ一代』がテレビアニメになった後は、柔道部に入る者がガタ減りになり、その代わりに流派は何であれ街の空手道場に入門を志願する者が激増したという話も聞いた(そして、厳しい稽古に耐え切れずまたたく間にみんなやめてしまったというオチもつく)。

なぜ、マス・オーヤマは、こんなにも強く少年たちの心を魅きつけたのだろう。

まず、なによりも大きいのは、彼が実在の人物であるという点だ。

『空手バカ一代』は、彼がアメリカ修行中、単身マフィアのオフィスに拉致される場面から始まる。絶体絶命の境地にあって、ナイフとピストルを突きつけてくるマフィアどもを彼は「孤拳」「正面蹴り」など、空手の技を用いて一瞬のうちに倒してしまう。

「孤拳とは、コブシを握らず、手の甲の一番固い部分で打つ技術である(中略)コブシを握ったら相手は警戒するが、孤拳なら相手は無防備に近寄ってきてくれる」

「人間は、顔を攻撃されると後ろにのけぞり、腹を強打されると前にうずくまる習性がある(中略)腹を狙ったのは、相手がうずくまることで、その後ろにいる敵の障害物となってくれるからである」

大意で引用しているので文章の正確さは欠いているかも知れないが(以下同)、マス・オーヤマが浪花節的な"ド根性"ではなくあくまでも自らの理論に基づいた空手技術で闘っていることはおわかり頂けると思う。すでにこの時点で彼は、大リーグボール一号や、フジヤマ・タイガー・ブリーカーの荒唐無稽さとは無縁の存在だったのである。

格闘技ブームの現在でこそ、漫画にも高等テクニックの理論解説が入るが、『空手バカ一代』が週刊少年マガジンに連載されていた七〇年代当時では、それはまったく画期的なリアリズムだったのだ。

しかも、大山ケンカ空手は、ボクシングやプロレスといったスポーツではなく、街場(ストリート)の喧嘩(ファイト)で通用する実戦格闘術である。強くなりたいと願う少年たちにとって、マス・オーヤマは、現実に現れた救世主であった。もしかしたら、ぼくにも憎いいじめっ子のあいつをやっつけることができるかもしれない--。

男の子の心を虜にするには、ただ単に"強い"だけではいけない。むしろ、同じ"強さ"でも、体制に守られたそれには、少年たちは拒否の態度を示す。例えば、大相撲の若・貴兄弟はギャル人気を勝ちえることはできても、少年のヒーローにはなりえない。少年の心情を捕らえて離さないでおくためには、もう一つの要因--"試練"が必要なのだ。

"逆境からのチャレンジ”は、梶原劇画に共通したプロットである。飛雄馬は花形やオズマ、ジョーは力石、タイガーは馬場・猪木に己の弱さ小ささを思い知らされ、その悔しさをバネに血の滲む努力をし、「強くなる」。

しかし、この原稿のために『空手バカ一代』全巻を読み返していて、ぼくはあることに気づいた。『空手バカ一代』の主人公・大山倍達に限っては冒頭からとてつもなく強いのである。コミックス第一巻の半ばで、早くも空手日本一の座についてしまうくらいだ。その後も、”赤サソリ"の異名で怖れられたプロレスラー、タム・ライス等、たしかに続々と強敵は登場するが、全編を貫くライバルはついに登場しない。にもかかわらず、このマンガのサブタイトルは「激闘! 大山倍達伝」である。

では、大山倍達--マス・オーヤマが生涯を通じて闘っていた相手とは、いったい何なのだろうか?

なぜ、在日だと言ってくれない

『空手バカ一代』への思いは、やはり、とりわけ、彼が同胞であることを知った在日少年たちに強かったに違いない。

ぼくは伊豆半島のイナカに生まれ育った在日二世である。東京や大阪と違い、イナカには在日のしっかりしたコミュニティはない。『空手バカ一代』の愛読者であったが、より身近に感じるようになったのは、小学校五年の夏、民族学校主催の夏期学校に参加してからである。

夏期学校とは名ばかりのこじんまりとしたもので、地域に往むせいぜい十人くらいの生徒を教えるために、夏休みに民族学校の生徒が講師として派遣されて来る。そこで「カギヤピョ」(ハングルのイロハのこと)を習ったり、先生を囲んで雑談をしたりする。偉大な金日成主席の革命業績とやらの時間もあったけど、まあ今回はそれは置いておこう。

ぼくたちのところにやって来た女性講師は、あるとき、やわらかな大阪弁でこう教えてくれた。

「在日同胞でも、立派な人はたくさんいてはいるんよ。何にもガッカリすることはないんよ。歌手の西城秀樹なあ、あの人かて同胞やし(ここで女の子たちが"えーっ!"と言った)ジョニー大倉がそうやろ。ロッテの張本のことはみんな知ってるやろうし、空手の大山倍達かてそうなんや」

二学期が始まって学校にいくと、相変わらず、「空手バカ一代」ごっこがはやっていた。

ぼくはみんなに、こう言ってやりたい気持ちになっていた。

--マス・オーヤマは、ウチの国の人間なんだぞ!ぼくの中で、この漫画へのそれまで以上の愛着、大山倍達という空手家に対する敬愛の念がそれまで以上に強く湧いてきていた。

だが、彼が在日同胞であることを知ったがために、従来にはなかった寂しさも持たざるを得なくなった現実があったのも、また事実だった。

--なぜ、彼は、一言、自分が在日だと名乗ってくれないんだろう。なぜ、俺の本名はチェ・ヨンイだと言って、ぼくたちに希望を与えてくれないんだろう……。

大山倍達に限らず、カ道山光浩にしても、張本勲にしても、戦後の日本スポーツ界をリードしてきた同胞たちは、なぜかみんな通名(日本名)ばかりを用い、いまひとつ、ぼくたち在日少年の「味方」になりきれてくれていなかったのだ。彼らのうちの一人でも、堂々と本名宣言をしてくれれば、ただそれだけで、どれだけの数の在日少年少女が精神的に救われたことだろうか。

ところが、「空手バカ一代」で全編を通して強調されるのは、民族は民族でも日本民族の方、もっぱら「大和魂」であり「古き良き日本の心」なのである。

「日本人の血」?

特にそれは、コミックス四巻からスタートするアメリカ武者修行編において著しい。少し粗筋を追ってみよう。

「第一回全日本空手選手権」で優勝した大山倍達だったが、その実戦ケンカ空手は「邪道」呼ばわりされ、四国で闘牛を倒し、北海道でヒグマと闘っても、日本の空手界に受けいれられることはなかった。むしろ、

「牛には催眠薬が注射してあったのだ。あれなら勝てて当然、大山は空手日本一どころかとんでもないペテン師よ」

といったデマが流布されてゆく。自分が誹誘されたことよりも「武道の心」を失っていた日本に絶望した大山倍達は、アメリカヘ武者修行の旅に出ることにする。

柔道の遠藤幸吉とともにアメリカに着いた彼を待っていたものは、反日感情に満ちた白人の世界だった。初日からマス・オーヤマは演武のビールびん割り、ブロック割りで観客の度肝をぬくが、すぐに憎悪にさらされる。

「キル・ザ・ジャップ!!」

「リメンバー・パールハーバー!」

御当地アメリカの善玉レスラーたちは、ファンのヒステリックな声援に応えるべく、次々に大山に闘いを挑むが、ブロック割りでは白らの拳を痛め、試合では数分で病院送りにされてしまう。やがて、マス・オーヤマの名は、アメリカ社会で差別と貧困に喘いでいた日系人たちの英雄となっていった。

どうにかアメリカ武者修行も軌道に乗ってきたころ、マス・オーヤマは、あるコーヒーショップでボーイとしてコキ使われている「トシオ」という日系少年と知り合う。トシオは、マス・オーヤマに敬意を払わない。それどころか、涙ながらに食ってかかる。

「日本人や日系人でうまくやっているヤツなんて、何かずるいことをしているに決まっている!」

アメリカ社会の厳しい現実を突いたこの一言は、マス・オーヤマの胸にずしりとこたえる。トシオは十五歳の若さで下層労働者として辛酸をなめ、その両親も働いても働いてもいっこうに報われない人たちだったのだ。オーヤマは、自分一人が日本の武道家として名をあげればそれでよいのか、という疑問にとらわれる。

実はそのとき、オーヤマの飲み物にはクスリが混入されていた。このまま連戦連勝をされてはかなわないと考えた悪徳プロモーターの仕組んだ買である。その夜の試合のころになると、ちょうどクスリは効き目を発揮し、カラテ・デビルことマス・オーヤマは無様な敗北を喫することになっていたのだ。

ところがオーヤマは、いっも通り危なげなく勝利をおさめてしまう。相手レスラーは「そんな馬鹿な」という顔でKOされ、ファンは落胆し、プロモーターどもの間では責任のなすりあいが始まる。

すべての陰謀が明かるみに出た後、ではいったい誰が俺を救ってくれたのか、とマス・オーヤマは考える。実はそれは、彼への反感をむきだしにしていたはずの、他ならぬトシオだったのだ。夜の公園でトシオは言う。

「あんたは、日系人のぼくに、日本人として接してくれた。日系人の役に立ちたいというあんたの言葉が嘘でもいい。そう言ってくれたこと自体が、嬉しかったんだよ」

トシオは、カウンターの中から飲み物にクスリが落とされるのを目撃、職を失う覚悟でマスターの眼を盗み、再び普通の飲み物とすりかえておいたのだ。

「人の善意に……日本人の血に触れた感動が、静かに私の心をひたしていった。その夜の勝利の喜びよりも大きく--大山倍達・談」

力道山の「空手」チョップ

トシオ少年との出会いを経てマス・オーヤマは、「祖国の役に立ちたい」とより強く願うようになり、"日系人無料招待デー"というイベントを企画した。だが、ここでもひと騒動が持ち上がってしまう。会場に詰めかけた日系人たちは当初、マス・オーヤマの空手に、遠藤幸吉の柔道に熱狂する。しかし、「ブルドッグ」の異名をとる白人レスラーが次のような台詞を叫んだ途端、皆、それまでの興奮が嘘であったかのように脅え、静まりかえってしまうのである。

「うるせえ!イエローモンキーどもめ」

負け犬の遠吠えにしか思えない「ブルドッグ」の一言に、なぜ"同胞"日系人たちはこんなにも脅えてしまうのか。理解できずに呆然とするオーヤマに、事情通がこう説明する。

「日本から移民した時代からよそ者として白人社会に圧迫され、太平洋戦争中の収容所暮らし……そして祖国日本の敗戦と、ぬきさしがたく身にしみこんだ白人コンプレックスのあらわれです」

そこで、マス・オーヤマはその場で「ブルドッグ」に挑戦し、見事な勝利をおさめるのだが、ゴングが鳴る前、彼はこう自らに誓うのである、

「その劣等意識を根こそぎ吹き飛ばして、民族の誇り、新しい生命力にめざめてもらうのも大山空手の使命!」

シーンとなっていた観衆は、マス・オーヤマの圧勝劇に再び元気を取り戻し、彼と遠藤の二人を胴上げする。

「われらのヒーローを胴上げだあっ」

「いつもわれわれを見下している白人をのばしてくれてありがとう」

「なんだか生き抜く元気が出てきたぞお!」

あげく、孫娘をぜひ嫁にもらってほしいというお婆ちゃんが出てきたり、それを回りがひやかしたり、「日系人無料招待デー」は大成功に終わる。その後も"国辱レスラー"グレート東郷が改心し、正統派のレスラーに転向すべくマス・オーヤマに弟子入り志願するエピソードがあり(東郷は、"ミーだってヤマトダマシイを持ってるね!"などと言う)、天下のFBIが格闘技の教官として彼を招き、日本の武道の第一人者として手厚く遇するエピソードがあるが、このように『空手バカ一代』アメリカ修行編は、空手家・大山倍達のサクセスストーリーであると同時に、彼の闘いを通して、戦争に敗れた国「日本」が、宿敵である「アメリカ」に雪辱を果たし、民族の誇りを取り戻すという構造も持っているのである。これは、彼が在日であることを考えると、実に奇妙だ。

そこで改めて思い起こされるのが、同じく在日朝鮮人であった力道山こと金信洛(キム・シンナク)の闘いぶりである。戦勝国「鬼畜米英」の攻撃に耐えに耐え、ついに「堪忍袋の緒が切れて」、伝家の宝刀「空手チョップ」で成敗し、観客は敗戦のウサを晴らす。彼もまた、過剰なまでに「日本の心」を意識し、それを演じ続けた。

日本の国技である相撲から出た力道山は、プロレスを開拓して「日本人」の英雄になった。日本の武道界から疎外された大山倍達は、笹川良一が主宰する「全日本空手道連盟」にはついに合流することないまま、「日本のカラテ」を世界に知らしめた。

実は韓国版『空手バカ一代』である『大野望』の主人公・崔倍達(チェ・ペダル)が取り組むのは、空手ではなく、朝鮮の国技テコンドーである。あくまで日本の武道の土俵で、在日が「地上最強」になったことに意味があるのかもしれない。

ともかく、『空手バカ一代』の「アメリカ」を「日本」に、「日系人」を「在日朝鮮・韓国人」に置き換えてみれば、これこそはまさに在日同胞が熱望してやまなかった物語である。だからといって、大山が闘い続けた敵とは、実は彼を疎外した日本そのものだったのだ--とまでは言うつもりはない。しかし、少なくとも、青春期を大山、力道山、そして「殺しの軍団・柳川組」の柳川次郎という三人の在日ヒーローに囲まれて育った梶原一騎が、そのことをまるで意識しなかったはずがない。

「倍達」の意味

正直に言えば、今でもぼくは、彼に、より公な場で「自分は在日だ」と言って欲しかったとの思いがないではない。だが、そのいっぽうで、彼はゴッドハンドのオーヤマ、牛殺しの倍達でよかったのかもしれないとも思う。

『Number』誌のインタビューに答えて、本名は崔永宜だと認めた大山倍達は、さらにこう語っている。「ペダルというのは倍達の韓国読みで、高貴な意味があるらしい。大山倍達というのは父がつけた名だ」

たしかに、「倍達(ペダル)」という名は、朝鮮民族にとって非常に由緒のある名前てある。ぼくがふだん使っている天理大学編纂の『現代朝鮮語辞典』でひいてみると、倍達とは、「朝鮮の上古時代の称号」となっている。つまり日本における「ヤマト」などのように、朝鮮の国家・民族そのものを、誇りをこめて言うときに用いられてきた言葉なのである。

さらに遡れば、朝鮮には「檀君紀元」という建国神話(日本で言えば、『古事記』『日本書紀』にあたろうか)があるが、すでにこの中にペダルという言葉は出現している。

ファヌングという神が、どうしても人間になりたいと願い、地上--朝鮮の大地に降りてきて、百日間の試練を課される。その試練の二十一日目にファヌングは人間となることが許され、民族の始祖となる。彼がもうけた子供が古代朝鮮の最初の王となる檀君である。

朝鮮では檀君の生年から、民族独自の紀元を数える(ちなみに、今年一九九四年は檀君紀元四千三百二十七年になる)のだが、檀君の檀の字、その木へんは"パクタル・ナム"という木のことであり(白樺科の樹木らしい)、そのパクタルが時代とともに音が変化して、ペダルとなったのである。

つまり、大山倍達自身は自分が朝鮮民族であることを隠していたわけではなかったし、世界に知れ渡った彼の名前そのものが、その出自を、矜持とともに表現していたのだ。

ともかく、「空手」という東洋の武道を世界に広めた男は、朝鮮民族の出身だった。それはそれで充分にすばらしいことだったと言えるだろう。「日本の大山」でも「韓国(朝鮮)の崔」でもなく「世界のマス・オーヤマ」になったのだから。

さようなら、空手バカ一代。

在日少年に希望を与えてくれた男--。

(文中敬称絡)

朝鮮半島(韓国民団と韓国・朝鮮総連と北朝鮮)

http://satoru99.exblog.jp/20046224


暴かれる真実・もう私たちを騙せない



これまでの社会では事件をメディアが報道したものを、読者は嘘であるはずがないと信じ込んできたものですから、メディアの操作が出来る立場の人たちには、いくらでも世論を恣意的に作り出して、自分たちに都合の悪いことは隠しておきことができました。しかし、ネットの時代となり個人は自己体験を含めて発進できるようになると、真実が次々暴露されてしまいます。信じるか信じないかは個人の自由ですが、いかにこれまでメディアによって扇動されてきたかが分かると意識も変わるでしょう。

以下の記事は友人がyahoo智慧袋で見つけたものですが、戦後史がいかに歪曲して伝えられてきたかを物語るものとして面白いので転載します。現安倍政権や拉致問題、北朝鮮に対しても見方、考え方が変わるかもしれません。

「日本人はどうして、朝鮮人である力道山にあんなにも夢中になってしまったのでしょうか?何か国家的な策略があったのでしょうか?」

★ ベストアンサーに選ばれた回答

当時のプロレス協会幹部は、元A級戦犯で釈放された児玉誉士夫(東スポオーナー)と民団を作った東声会の町井。放送したのが、元A級戦犯で釈放された正力松太郎の日テレ。何故多くの外人レスラーと八百長試合ができ、元相撲取りなのになぜ必殺技が空手チョップか。元A級戦犯の笹川良一が空手が好きで、空手連盟会長だからです。

まず、明治維新とは、ジャーディンマセソン商会(ロスチャイルド)の代理人の武器商人グラバーが江戸幕府に不満を持つ薩摩長州に武器を与えて江戸幕府を倒してロスチャイルドかいらい政権を作ったもの。

その後軍部が暴走しますが、ロスチャイルドつまりフリーメイソンであるマッカーサーが再度日本に乗り込みますが、その下でGHQ参謀2部を担当したのが、ロスの米国での代理人ロックフェラーです。

昭和電工事件で参謀2部ウィロビーが主導権をとり、東京裁判での死刑を恐れる巣鴨拘置所のA級戦犯 岸信介、児玉誉士夫、笹川良一、正力松太郎(元警察官僚)を工作員として釈放。ウィロビーは後のCIA共同設立者。

ロックフェラーは将来、ロスチャイルド支配を逆転することを狙い、逮捕歴のある抗日活動家 文鮮明と、将来朝鮮人に日本を支配させるとの約束で組みました。
岸は死んだ安倍晋太郎の名前を名乗る朝鮮人を婿とし、死んだ日本人家族の名前を名乗る朝鮮人を集めて朝鮮人エセ保守政治家集団自民党清和会を作りました。 (管理人注 安倍晋三はその息子、その後の清和会のボスは中曽根康弘)

岸と笹川が逮捕歴ある抗日活動家文鮮明の統一教会を導入。この工作がばれないように、正力に間抜けな日本人を育成させるため読売・日テレを支援。力道山に笹川仕込みの八百長必殺技空手チョップで米国八百長試合をさせて凱旋帰国させ、CIAコネの外人レスラーで八百長試合をさせます。リングの掃除をするのがロックフェラーの三菱電機の掃除機風神。グラバーと岩崎の三菱のマークは岩崎土佐の三つ葉柏とロスチャイルド(元の意味はロートシールト:赤い楯)の赤い楯を組み合わせたものでその後、ロックフェラーが代理管理していました。下山事件は社会不安を起こしてロスチャイルドに意図を知られぬままにエセ保守朝鮮人勢力の人気を得るもので、GHQ参謀2部のキャノン機関によるもの。

オウムの正体が統一教会と創価で、社会不安を起こして清和会政権を作るためだったのと同じ。CIAと岸の戦後砂糖横流しで成長した在日砂糖菓子企業ロッテ・グリコ・森永と中曽根が組んだグリ森事件も同じ。ロスチャイルドに意図をしられないように自民政権を維持するのが創価の役目。満州国国務院の岸の子分の満州鉄道調査部が電通となります。

元警察の岸内閣国家公安委員長正力が民団町井のパチンコ利権を作り、岸の親戚の平沢勝栄がパチンコ警察官僚・パチンコ議員連盟事務局長。元右翼の笹川と児玉が右翼を朝鮮人化してアジアの対立を煽り、ロッキード等のロックフェラーの兵器が売れる環境をつくります。(管理人注 パチンコ産業と焼き肉屋に韓国籍が多いのはこのためです)

中国との友好を推進して兵器ビジネスに邪魔な田中角栄とニクソンには、ロッキード事件とウォーターゲート事件を仕掛けました。エセ保守朝鮮人出版社文藝春秋の朝鮮人立花隆がロッキード事件を煽ります。無名無価値の賞だった芥川賞は、朝鮮人エロ小説作家石原慎太郎をかついでキャンペーンを始め、日本人離れしたルックスを持つと称賛された石原ゆうじろうがスターとなり、日テレで太陽にほえろ。(管理人注 田中角栄の経世会の人物は若くして怪死し今や全て故人であるのに、清和会の人脈は全員ピンピン御存命であるのとは対照的です)

読売の野球も間抜けな日本人を育成し工作がばれないようにするもの。その後、将来の清和会の人気を盛り上げるため、文鮮明の抗日仲間の金日成と将来朝鮮人政権を作るため といって、統一教会信者が統一教会の聖地北朝鮮に渡航し、招待所で幹部待遇の暮らしをして拉致被害者と名乗ります。

当時は北朝鮮帰国事業があり、膨大な数の日本人妻が渡航していて日本語ネイティブにはまったく困っていません。だから、拉致騒動の中心には、CIA長官ブッシュの息子や児玉が販売代理人をしてたロックフェラーの兵器企業ロッキードの兵器を売るための広報紙産経の古森とか平沢とかCIA関係者しかでてきません。

空手好きの笹川はその後空手ヒーロー仮面ライダーを始め、統一教会信者が主役を演じます。KCIA工作員キムヒョンヒによる、大韓航空機が爆破されたという作り話もありましたが、間抜けな日本人は嘘を見抜けません。キムヒョンヒは元々韓国KCIAの工作員であり、北にいたことはありません。自称拉致被害者の統一教会信者が口裏を合わせます。金日成は文鮮明がKCIAだと気づかなかったのです。

リーマンとライブドアによるフジテレビ買収をやってみたりもしましたが、しかしすべての計画がロスチャイルドにばれて、シティーバンク・メリルリンチ・リーマン等のロックフェラー企業が潰されました。田中角栄の子分でロッキード事件の裏を調べてロックフェラーの工作を知った小沢一郎が代理人となりました。(管理人注 経世会最後の生き残り、小沢一郎の政治生命を奪うための工作が未だに止まないのはご存知の通り)

さらには

拉致被害者としてマスゴミに登場する蓮池透氏は被害者じゃなくて加害者だという説
正直に言います

 今さら隠していても仕方がありませんので、私が知っていることをすべて言います。私(横井邦彦)は1986年に日本で蓮池薫氏に会っています。正確には、拉致されそうになったという方が正しい言い方だと思います。拉致被害者が日本で拉致未遂事件を起こしていたなどという話は、にわかに信じがたいからこれまで黙っていたのです。

 テレビで蓮池薫氏が飛行機のタラップから降りてくるのを見たときには、「あのヤローだ」ということはすぐに分かりましたが、この時期は私とマルクス主義同志会の関係が極端に悪くなっており、最終的に私がマルクス主義同志会から追い出され、赤星マルクス研究会をつくり、ホームページを立ち上げるという私の人生の大きな転回点だったので、私自身が拉致問題どころではなかったということも大きな理由の一つです。
 
 それに、赤星マルクス研究会を立ち上げてすぐに、「実は私は」などと名乗り出ることは、私自身の売名行為のようで気に入らなかったし、あの頃はまだ蓮池薫氏の家族が北朝鮮に残っており、彼に「お前、あの時のヤツだろう」などというのも酷だと思ったので黙っていました。
 
 しかし、今の私は失うものは何もないです。だから正直に言います。私は、1986年当時愛知県の小学校の教師でした。私の勤務していた小学校は愛知県西春日井郡西春町にある鴨田小学校という学校でした。3月の下旬のことでしたが、その時私は視聴覚担当をしていたので、鴨田小学校の体育館で、卒業式の練習を終えて、一人で会場の放送用具の整理をしていました。蓮池薫氏はそこへやってきました。
 
 そこで30分ぐらい彼と話をしました。彼の話は彼が拉致被害者であるということと、いろいろな理由で北朝鮮につれてこられたり、自分の意志で北朝鮮に来たりした日本人は100人以上いるということ、自分はそういう人たちの“面倒を見る立場”に置かれているということ、北朝鮮の赤軍派で内部闘争があり、北朝鮮当局が田宮を指導部からはずしたがっているということ、北朝鮮に来れば田宮の代わりに私を指導部に入れたいということ、私を北朝鮮に連れて行くために、“潜水艦ではない船”で秘密裏に日本にやってきた 等々でした。
 
 もちろん私ははっきりと蓮池薫氏の申し出を断りました。日本の革命運動を北朝鮮でやるということの意味がまったく分からない、日本の革命運動は日本でしかできないのではないかということと、私と北朝鮮政府の見解は大きく異なっており、私は北朝鮮を社会主義国家だと思ったことはないというのが断った主な理由でした。
 
そうしたら蓮池薫氏は、ここまで秘密を漏らしたらこのまま返すことはできない、力ずくでも北朝鮮に連れて行く、というとんでもないことをいいだしたのです。しかし、残念なことに蓮池薫氏はそれを実行することはできませんでした。 私は蓮池薫氏に彼が私を拉致することができない理由をはっきりと説明しました。いうまでもないことですが、私は3月いっぱいで小学校を退職し、社労党(社会主義労働者党)から参議院愛知地方区に立候補することが正式に決まっており、それはもう記者会見を開いてマスコミにも伝えていたからです。

 国政選挙の立候補予定者が突如としていなくなることの意味を考えなくてはならない、これは普通の人がいなくなるのとはまったく意味が違うのだと、しかも私は労働者階級の利益を守るために立候補するといっているのだから、私を拉致することは朝鮮労働党が日本の労働者階級にケンカを売るのと同じだと、朝鮮労働党が日本の労働者階級の敵となってなお生存を続けることは絶対的に不可能であるというようなことを言った記憶があります。
 
私と蓮池薫氏が話をしている間に、夕方だったのではっきりとは見えませんでしたが、私たちのまわりには数名(二、三人)の不審な人物がいました。蓮池薫氏は私の話を聞いて、その中の指揮者とおぼしき人物のところに相談に行って、数分の間、話をした後で私のところへ戻ってきて、今回はあきらめるといって去っていきました。
 
 (なお、「指揮官とおぼしき人物」は横田めぐみさんのダンナ称する人物とよく似ていたような気がしますが、蓮池薫氏のように数十㎝の至近距離で直接言葉をやりとりしたわけではないのではっきりと断言できません。)この時、蓮池薫氏は私にくだらない脅し文句をいくつか言ったような気がしますが、それはすべて忘れてしまいました。以上が私が知りえた出来事のすべてです。
 
 それで拉致被害者が全部は死んではいないという根拠ですが、一つは、蓮池薫氏は拉致被害者の中でも多くのことを知りうる立場にあり、彼が私に言ったことの多くはそれなりに当たっていたということ。二つ目は、蓮池薫氏のように北朝鮮で特別の任務を与えられて生きていた拉致被害者は彼だけではなく、その他にもいるのではないかということ。そして、そういう人々は殺されたり強制収容所に送られる理由はないので、彼らがいまだに生きている確率は高いということです。
 
 なお、こういうことは被害者である私が語るよりも、加害者である蓮池薫氏が語るべきことがらなのではないですか。何しろ彼は当事者であり、すべてを語ると言っているのだから、私の拉致未遂事件を含めて、すべてを語る責務は私にではなく、彼の方にあると思います。以下略
 
もう一つおまけに
何故「救う会}は北朝鮮と武器・覚醒剤密輸をしている暴力団住吉会が深くかかわっているのか

なんだかイグチセンセが喜びそうな日記になってしまいました。いずれも真実であろうと思っています。私は国籍や人種で人を差別するような人間ではありませんし、特別韓国嫌いというわけでもありませんが、大切なのは真実を良く知ったうえで物事は考えるべきであると主張したいのです。

http://sanjyoumaki.blog136.fc2.com/blog-entry-675.html
「芦原英幸正伝」小島一志・小島大志
 「館長、ワシがこの窓蹴破ると言っちょるんです。こんな腰抜け支部長は置いといて、館長が芦原を外に放り出してくださいよ。アンタ『牛殺しの大山』と言われちょるんでしょ。何頭もの牛を殺したんでしょ。熊も退治したって聞いてますけん。ワシみたいなヒヨッ子潰すのなんて簡単やないですか。破門だ除名だ手回しのいいことせんでも、今ここで決着つけてくださいよ」
 一歩一歩自分に近付きながら威嚇する芦原の前で、大山倍達は明らかに怯んだ表情を見せた。

 上は、1980年3月9日の極真会館支部長会議の場面。証言者は某大道塾の代表など。
 この会議で伝説の空手家・芦原英幸は、極真会館を破門され、同年9月8日芦原道場は正式に永久除名されました。
 破門の理由は、上納するべき公金の横領や、本部に無断での支部道場他県進出の疑いなど。
 1944年12月に広島県能美町に生まれた芦原英幸が東京に出て大山道場に入門したのは1962年。
 1年足らずで黒帯を允可された天才少年は、新たに西池袋に建立された極真会館総本部道場で3年を過ごし、破竹の勢いで勢力を広げる日本少林寺拳法を牽制するため、少林寺の総本山がある四国の愛媛に極真会館国内支部の草分けともいうべき愛媛支部を立ち上げました。
 本書では、少林寺拳法の開祖・宗道臣が右翼のドン笹川良一と昵懇であったため、愛媛を地盤とし25年間国会議員を務めた大山倍達の盟友である毛利松平が、少林寺拳法の勢いを削ぐために、極真で最も使い手だった芦原英幸を愛媛に迎えたということになっています。芦原は愛媛県警に空手を指導する傍ら、他流派の道場を軽々と道場破りしていきました。
 二宮城光はじめ全日本空手選手権やキックボクシングで活躍する優秀な空手家を育成する一方、「サバキ」という特殊な実戦技術を空手に織り込んだ芦原英幸の名声は、「空手バカ一代」に第2の主人公として登場したことで、最高潮になりました。
 ケンカ十段。しかし芦原英幸本人が梶原兄弟は許せないと言っていた通り、あれは梶原一騎の100%の創作であり、全国区で有名になったプラスのことよりもマイナスのほうがはるかに大きかったのです。
 何よりも大山倍達の嫉妬を生みました。大山は芦原英幸という天才空手家を愛する一方で憎悪していました。
 自由闊達、豪放磊落な自信家の反面、繊細で臆病な一面もあった芦原英幸。
 彼の異能力とでもいうべき戦闘能力は、空手どころか人間の域を超えていました。
 50歳という若さで10万人に1人の難病に倒れた英雄の、最後の夢とはなんだったのか。
 「大山倍達正伝」を著した小島一志・大志父子による渾身の武道ノンフィクション。

 うん、真偽はともかくとして面白かったですね。
 私もヘナチョコの小心者ながら武道格闘技の黒帯を2本持っており、逃げ足の速さだけは負けることのない男です。
 同じ道場系列内に芦原会館3段の実績をもっていた先輩もおり、芦原空手の片鱗くらいは知っています。
 素人がよく間違えますが、芦原会館は1980年の時点で極真会館を破門されており、いわゆる極真空手ではありません。
 技術体系も異なったものです。というか、本書で極真会館の元幹部が言っているように、芦原会館はどんどん少林寺拳法になっていきました。それは組手を垣間見て私も感じましたが謎でした。少林寺の敵として四国に送り込まれながら、芦原英幸は極真を離れて少林寺に近くなっていったのです。
 なぜでしょうか? 極真空手創成期に、上段後ろ回し蹴りやローキック、背足での回し蹴りなど空手の基幹となった技を編み出した芦原英幸が、どうして弱いことで有名な日本少林寺拳法のノフハウを学ぼうとしたのか。
 本書にはその謎が書いてあります。少しでも武術をかじった方なら理解できるかと思いますが、芦原英幸という人間のハイセンスが伺える内容でしたね。組織として極真に勝つには同じことをしても勝てないし、喧嘩に強いだけではメシは食えないどころか、食いっぱぐれるのですよ。日本では護身術のほうが強くできているのです。
 芦原英幸は、プロレスはじめ格闘技という言葉が大嫌いでそれ系雑誌の取材をかたくなに拒んでいました。
 さらに本書の読みどころは、もうひとつ。それは、正道会館を設立した弟子・石井和義のクーデター。
 これはなかなか読み応えがありました。一部著者の推測もありますが、おそらく事実なのでしょう。
 芦原英幸が生涯許せないと思っていたのは、梶原一騎と石井和義です。大山倍達にはピストルを持った刺客を送られたこともありますが、一応、大嫌いといってもかつての空手の師匠ですからね。
 話はそれますが、本書に載っている黒崎健時による大山倍達批判は凄まじいものでした(笑)
 さて、K1の石井さん。芦原英幸のカバン持ちで空手選手としてはまったくの無名だった石井和義という、芦原会館月給11万円の関西の指導員が、多くの芦原門下生や指導員を引き抜き、新団体正道会館を設立したのは1981年のことですが、わずか1年後には会場が満員になるような全日本選手権を開催しています。その成功の裏には何があったのかということが赤裸々に書かれています。まあ、想定内ですけどね。
 芦原英幸の葬儀の際、故人の遺志により焼香を断られた石井和義は、「おまえら大阪湾に沈めたろか」と吠えて、つばを吐いたそうですが、そんな人間のやっていた興行を喜んで観ていた我々は本当に情けないと思いましたね。
 私はチャンプア・ゲッソンリットというタイのムエタイ選手が大好きであり、正道会館の選手はともかく、彼のファイトだけは夢を与えてくれる本物であったと思いたいです。
 余談ですが、本書にはかつての正道会館日本チャンピオンである佐竹雅昭の述懐が載せられており、石井和義に対してボロクソ言っています(笑)
 そういった誰それの誰それに対する悪口とか読むだけでも、本書はなかなか面白いです。
 東孝と芦原の言い合いとか、黒崎健時、大山泰彦や郷田勇三も出てきますからそりゃマニアにはたまりません。
 よく書けたなあ、と思いますね。
 結論。大山倍達は、芦原英幸を怖れていた。これがすべての真実なのでしょう。
 芦原のサバキは芦原の前にもなく、後にもない――名言です。

http://d.hatena.ne.jp/lelele/20061010/1160448297
■「空手バカ一代」&「仮面ライダー」&統一教会 11:44 CommentsAdd Star


「不思議ナックルズ Vol.8」(ミリオン出版)に興味深い記事が掲載されていました。

それは『「空手バカ一代」と「仮面ライダー」に隠されたメッセージ』という記事です。

記事の内容は、第一に「空手バカ一代」(以下、「バカ一代」という)の主人公であり極真会館の創始者である大山倍達は、日本と韓国の二重国籍を持っていたこと。第二は、「バカ一代」の内容は原作者・梶原一騎がつくり出した虚構であり、とりわけ読者に日本の武術「空手」を紹介しつつ大山を日本人だと思わせたことは問題だという指摘。


第三は、「バカ一代」の連載がはじまった一九七一年に、韓国でも「大野望」というテコンドーの使い手を主人公とする「バカ一代」とそっくりのマンガが連載開始となったこと。第四は、統一教会の傘下である国際勝共連合と、70年当時に同連合の名誉会長であった笹川良一とのつながり、そして笹川と日本の空手界との深いつながりを指摘。


第五は、大山は笹川が会長をつとめた全日本空手道連盟には加盟しなかったが、笹川の懐刀であった自民党代議士・毛利松平が極真会館二代目会長になるなど、大山と笹川は太い資金パイプで結ばれていた点。第六は、以上のことから反共つながりとして「朴大統領-統一教会-岸・福田-笹川良一-毛利松平-大山倍達」という人脈が浮かびあがること。


結論として、記事の筆者である佐田恭三さんは、日韓同時にはじまったマンガによる「倍達伝説」の背景は、「当時の両国の内政危機を反映させた右派勢力の民間工作だった」と指摘している。くわえて、「バカ一代」と同時期にマンガ連載がはじまり、71年にはテレビ放映がはじまった「仮面ライダー」についても、同番組の主演男優である藤岡弘(現・藤岡弘、)が統一協会員であったからこそ、政治的な力がはたらいて新人である彼がいきなり同番組に主演できたことを指摘。ライダーの技に空手が導入されたのも、政治的な力が働いていたのではないかという。


さて、この記事を読んだ私は、まず単純に「へぇ~、そうだったのか」と思いました。リアルタイムで「バカ一代」を愛読していたし、「仮面ライダー」を視聴していたので、その裏に隠された思惑(どこまでが本当のことなのかは、微妙な感じもしますが)があきらかになり、おもしろがって記事を読むことができました。


一方、当時の反共勢力が巧妙に、子ども向けのメディアに反共的なメッセージを入れ込んでいたのだとしても、私自身はまったくそれに気づくことはありませんでしたし、その影響もほとんど受けていません。「バカ一代」も「仮面ライダー」も、ただただヒーローものの楽しくスリリングな物語として見聞きしていただけでした。極真会館に入りたいなどとは思いませんでしたし。これらのマンガやアニメにのっかって、極真会館に入ったり、反共活動をした人って、どれくらいいるのでしょうか。すくなくとも、私の周囲にはいなかったような気がします。


佐田さんは記事の末尾で、共産勢力が弱体化したのにともない、反共勢力の必要性がなくなった現在、上記で紹介した70年代のような反共側によるメディア戦略はありえないものの、「国家の内政が危機的になれば、どんな政治的メッセージもメディアに入り込んでくるものなのだ。そのことを私たちは注意しなければならない」とまとめています。

まったくそのとおりだと思いますが、少年時代に楽しく視聴した「バカ一代」と「仮面ライダー」という作品を、政治的な思惑が裏にはあったということで、単純に断罪してしまうような切り口はどうかなあ、とも思いました。


ちなみに「藤岡弘、」さんについては、いきなり名前の最後に「、」をつけたり、ご自宅で見たという不思議な振る舞い(by 藤岡さんの自宅で取材した知人による)から、「ちょっと変わった人だなあ」とは思っていましたが、統一協会員であることは知りませんでした。本人が公言しているのかな?


いずれにしても、大山さんも藤岡さんも、みずから「私は統一協会員です」といってはいないのであれば、統一教会に賛同したり協力していたというだけで「統一教会と深い関係にあった」とか「統一協会員」と決めつけてしまうのはどうかと思いました。いうなれば、それは戦旗派の雑誌「理戦」に論文を投稿しているから、宮台さんは戦旗派の人間だと決めつけてしまう愚のようなものです。人の風評、とりわけ宗教や政治にかかわるものについては、そういうことに注意しながら読む必要がありましょう。


あと、「不思議ナックルズvol.6」の記事では、「アニメ・キャラ姓名判断」というのがおもしろかったです。のび太は大大吉、ドラえもんは凶だとか……。

http://movie.walkerplus.com/mv18845/review/
「仮面ライダー」誕生秘話 (投稿日:2010/2/14)
 大東亜戦争後、進駐軍の命令によって日本古来の伝統武道が一時期禁止された時代がありました。柔道・剣道・空手道・少林寺拳法…その後、財団法人が設立されることにより、各流派は一本に統一されてしまい独自の流派は日本体育協会からは除外されたのです。例えば私が長年稽古をしてきた空手道に限って言えば、財団法人・全日本空手道連盟(略して全空連)と言う組織が空手道の正式公認団体であり、その下に四大流派の剛柔流、和道流・糸東流・松涛館流を中心として様々な流派が加盟しています。

 但し、剛柔流には大きく分けて剛柔会と剛柔流があり、和道流にも和道会と和道流が存在します。これらの一方の組織が本家本元を主張しているので、一方は全空連としての大会に出場することは出来ません。国体も同じ選考基準になるので、選手は全空連への登録を考えなければなりません。松涛館流に至っては、空手道の統一を悲願としていた笹川良一氏によって、全空連が出来る前に、社団法人・日本空手協会が設立され、松涛館流イコール日本空手協会でしたが、現在では国際松涛館空手道連盟と世界松涛館空手道連盟と言う団体が分派しています。

 笹川良一氏が全空連の前に日本空手協会を作ったのは、当時の社会主義思想・共産主義思想の対抗手段として空手道の統一を考えたことにあります。TVドラマの「仮面ライダー」は武器を持たずに悪の帝国ショッカーと戦いますが、この企画には笹川良一氏の資金が動いています。石ノ森章太郎とTV局はそれによって、徒手空拳で戦うヒーロー「仮面ライダー」を創り上げ、蔓延する共産主義国家を悪の帝国ショッカーに見立てました。

 現在の日本国内での正式公認団体は、財団法人・全日本空手道連盟と社団法人・日本空手協会のみであり、当初は全空連への参加を考えていたフルコンタクト空手の大山倍建は組織内の問題からこれを拒否しました。極真会館は財団法人・国際空手道連盟を名乗っていますが、財団法人が冠になっているのは、極真財団と言う身体障害者ボランティア団体であって、分裂した極真各派は支部長連盟派が唯一NPO団体の資格を取っただけで、あとはすべて任意団体なのです。

 以上の記述はドキュメンタリー映画「永遠なる武道」のレビューから脱線してしまっていますが、武道家は芸術家でもあって、自分の主義主張を統一されることを極端に嫌います。映画では統一されることを拒否した武道家たちが登場し、古武術の魅力を見せてくれます。私は高校二年生の時期に、社団法人・日本空手協会の門下生となり大学では日本空手協会系の体育会に所属、社会人となって極真会館総本部門下生となりました。自分の体験から言って最強の空手流派と言うものは存在しません。どの流派にいても一番稽古を積んだ人間が一番強い筈ではないでしょうか。

 最後に私は剣道を全く知りませんが、現在の財団法人・全日本剣道連盟の選手権の大会を見ることがあります。統一された剣道も魅力がありますが、柳生新陰流(柳生十兵衛)と二天一流(宮本武蔵)の戦いや、新撰組の天然理心流で一番の剣客だった沖田総司と神道無念流の免許皆伝の永倉新八(暗殺された芹沢鴨も神道無念流の免許皆伝)は誰が強かったのか、北辰一刀流の免許皆伝には坂本龍馬や新撰組の山南敬助、「壬生義士伝」の吉村寛一郎がいますが、統一されない各流派によるオープントーナメントを見てみたいと思いませんか。

http://homepage1.nifty.com/uchidajuku/jukucho13.htm
各他流派主催の選手権大会について







ようやく春らしい気候になってきました。空手も大会シーズン真っ只中という感じで、毎週のように各流派が大会を主催され、また内田塾会員もそれらの大会に参加し、大活躍をしております。
今回は、日本の空手界の流派について、またそれら流派と内田塾のお付き合いについて、塾長にお話を伺いました。



電脳小僧 「現在国内には、無数の空手団体があることは、先日も伺いました。今回はそれらの団体と内田塾がどのようにお付き合いしているのか、またこれからどのようにお付き合いしていくのかをお聞かせください。」

塾長 「まず、各流派ではそれぞれ個々の団体で『連盟』を作っている。そして『連盟』ごとにルールが細かく分かれている。」

電 「よく『~流』とか、『~連盟』とかっていうのですよね。」

塾 「そう、そのため、『オリンピックに参加できるのは国内唯一の団体』と定めている『JOC(=日本オリンピック協議会)』には、オリンピック競技として認可されていないのが現状なんだ。」

電 「先日話題になったテコンドーは2団体だったんですが、それでも統一に苦労してました。」

塾 「それが空手に至っては国内だけで実に約300以上もの団体(流派、連盟等)が存在する。」

電 「テコンドーとは比べ物にならない数ですね(苦笑)」

塾 「空手の世界組織の頂点である『WKF(=世界空手連合)』、その傘下として『全日本空手道連盟』が存在し、これには『松涛館流』『和道流』『剛柔流』『全日本実業団連盟』『全日本学生連盟』『日本高校連盟』等が所属している。」

電 「はい、どれもよく耳にする団体ばかりですね。」

塾 「余談だが22~3年前までは『極真会館』も所属していた。」

電 「あれ?過去形なんですか?」

塾 「そう、全日本空手道連盟の創設者である故・笹川良一先生と、極真会館の創始者である大山倍達先生の間で意見の相違が生じ、極真は連盟より脱退されたものと記憶している。」

電 「あれまあ・・・知りませんでした。」

塾 「フルコンタクトカラテに至っては、その極真や少林寺からの先生方が、各々の理想に向かわれ、現在フルコン派の中でも多数にわたり分類されるようになった。これが日本のフルコンタクトカラテの主な歴史だ。」

電 「短いながら、複雑そうな変遷を経てきていますね、日本のフルコンタクトカラテ界も・・・。で、内田塾としては?」

塾 「そこなんだよ。内田塾としては、ゆくゆくはWKFとともに歩んでいきたいという意向が強い。色々な団体と交流を持ち、立ち上げた組織なので、今まで様々な団体よりお誘いは受けていたのだが、現在日本のどの連盟にも所属してはいない。」

電 「なるほど。いわば『無所属』なんですね。」

塾 「『無所属』というより、特にうたってはいないが『内田塾』自体が一つの『連盟』としての活動を行っているよ。」

電 「言われてみれば、先日の『フロンティア』や、今回の『JAPAN GAME』など、内田塾が中心となって、それに内田塾に賛同してくださる団体が参加・協力してくれています。たしかに、すでに『連盟』ですね。」

塾 「話が戻るが、それゆえに、各々の連盟の傘下に無い場合は、試合などの案内が来ない場合があるんだ。」

電 「はい。先日の白蓮の全日本ジュニア大会にしろ、案内状が来ませんでした。」

塾 「うちは白蓮さんの連盟に加盟していないからね。保護者の方から、『どういう基準で選手を輩出しているのか?』という苦情に近い問合せもあったが、こちらとしては選手の出し惜しみはしないよ。」

電 「確か今回(白蓮会館さん)の大会は、事務局に参加案内が来たのではなく、塾長が個人的に大会開催の噂を耳にされたんですよね?」

塾 「細かく言うと、古川指導員が耳にし、私に伺いを立ててきて承諾したんです。そして白蓮さんに問い合わせたところ、出場してもらって構わないという許可が出たので、『非公開』という形で参加した次第です。加盟はしていないが、白蓮さんとは普段から良いお付き合いさせて頂いているからね。」

電 「普通、事務局に案内が来た公式の大会は、このHPにちゃんと掲載しています。」

塾 「そういう大会は、内田塾として皆さんに呼びかけるので、ご理解よろしくお願いします。」

電 「それと、JAPAN GAMEの開催が近づいてきました。」

塾 「それなんだが、私の記憶が正しければ、少年部では過去の大会において、新大阪支部より1名、九州本部より1名の優勝者しか出ていない。」

電 「あれ?そうなんですか?他流派の大会では、ほぼ全クラス、入れ替わり立ち代り誰かが優勝しているのに?」

塾 「まあ、リベンジというわけでもないだろうが、それだけ無名で優秀な選手がまだまだたくさん隠れているという事なんだろうね。JAPAN GAMEにはそういう選手が出場してくるという事だ。該当する少年部の選手は、「今年こそは自分が優勝するぞ!」という気持ちをより強く持ち、稽古に励んでください。」

電 「保護者の皆さんも、選手のメンタルな面でのサポート等、苦労が多そうです・・・」

塾 「保護者のみなさまのご協力には日々感謝しておりますが、私も含め、師範・師範代・指導員以下、みんなが協力して、今度の大会では納得できるよい成績を収められるよう精進しておりますので、さらなるご理解ご協力をよろしくお願いいたします。」

電 「(あれ?今回はいじめられなかったぞ・・・・・らっきぃ~v(^◇^)/ )」

塾 「(ここで何もいわなければ、無言のプレッシャーになるはず・・・・でも電脳は鈍いからダメかな?)」

http://martin310.exblog.jp/18805086/



戦中・戦後から今日まで続くCIAの傀儡統治の実態を知っておこう。「児玉機関と笹川良一」~ドイツ国営放送

2013年 10月 17日


戦後の日本・欧州の視点 No.3-1 児玉機関と笹川良一.flv

http://www.youtube.com/watch?v=vSSwdGV9UHg

戦後の日本・欧州の視点 No.3-2 児玉機関と笹川良一.flv

http://www.youtube.com/watch?v=2rF2SKbetWo





『東条英機と東京裁判 日本は何をまちがえたのか?』
(TOWN MOOK完全保存版)より引用


A級裁判打ち切りで釈放された戦犯たち

A級戦犯容疑者の逮捕・拘留は米軍進駐後まもない1945年(昭和20)9月12日の東条英機、嶋田繁太郎ら39人の逮捕を皮切りに、合計で118人にのぼった。

 
日本の保守党の55年体制の功労者こそ岸信介

日中戦争~太平洋戦争の中枢として、A級戦犯容疑者の岸信介は1000日余りの巣鴨の牢獄では、
「冷戦が悪化すれば、首を絞められずにすむ、それがわれわれの頼みの綱であった」と
「牢獄から生きて帰る自分」のことしか考えなかった。
 戦後の冷戦から、アメリカによる秘密の、『A級戦犯をソ連対策に流用する』作戦で使われることになった、
「幸運のA級戦犯の考えたのは、自分の命だけ」であった。

 日本人が、戦争を指揮し作戦を実行したA級戦犯の岸信介ら戦争の中枢としての責任を問う事はなかった。
   

日本のフィクサーになるスガモ卒の児玉誉士夫

 児玉誉士夫(こだまよしお)は自由党創設時からの大スポンサーであり、その後、自民党長期政権下では「日本の黒幕」「戦後最大のフィクサー」として暗躍した。
 ロッキード事件でも、A級戦犯容疑者の重みを最大限に発揮して、日米の裏パイプ役を果たしていた児玉が暴露された。
 1945年(昭和20)12月、児玉が戦犯容疑で逮捕された時は35歳。
老人が多いA級戦犯の中では最年少だが、その大物ぶりが注目された。G2のウィロビー少将は「児玉と笹川良一の釈放は日本社会に危険をもたらす」と、起訴するように勧告をしていたが、1948年(昭和23)12月、児玉は釈放され、以後CIAに協力するようになった。
 児玉は弁舌と筆も立ち、スガモプリズンでは、指導者とは名ばかりの小心翼翼の老人たちの獄中生活とその人間性を詳細に記録したスガモ日記『芝草はふまれても・巣鴨戦犯の記録』(1956年)を刊行して、大物ぶりをアピールした。

 児玉はさまざまな事件に関与して人出獄を繰り返し、日中戦争中は陸軍参謀本部嘱託として汪兆銘政権を援助した。さらに1941年(昭和16)11月に、笹川良一の裕介で海軍の物資調達機関「児玉機関」を設立し、上海に本部を置いて鋼やボーキサイト、夕ングステンなどのレアメタルの買い付けをはじめ、大量の海軍軍需物資を取り扱った。終戦の1945年(昭和20)8月15日には特攻隊創設者の軍令部次長大西瀧治郎中将の自決にも立ち会った。

 終戦時には児玉機関の資産は32億円の巨額にものぼり、その秘匿分のダイヤ、プラチナ(7000万円相当)を辻嘉六(つじかろく)の紹介で鳩山一郎の日本自由党らに献金、これが同党の結成資金となった。
 鳩山一郎、河野一郎ら党人派と親しく、1955年(昭和30)に自由民主党が誕生した後も大きな影響力を持って政界の汚れ役を引き受けた。
 だが1976年(昭和51)のロッキード事件で、その虚像が一挙に暴かれた。
 1978年に児玉はロッキード社の秘密コンサルタントとなり、第1次、第2次FX(自衛隊の次期主力戦闘機)選定やその後のトライスター(旅客機)売り込みに暗躍して、約23億6880万円を受け取ったことの脱税、外為法違反で起訴された。
 しかし、児玉は判決を待たず。1984年(昭和59)に72歳で亡くなった。


もう一人の「日本のドン」は世界的社会奉仕家に

 児玉と同じく『日本のドン』と言われた男に笹川良一がいる。
 笹川は1931年(昭和6)に国粋大衆党総裁となり、1939年(昭和14)12月には日独伊三国同盟締結を促進するため純国産機『大和』でドイツ、イタリアに飛行、イタリアではムッソリーニと会見した。
 1942年(昭和17)4月の翼賛選挙で衆議院議員に当選した。
 敗戦の年の12月、『超国家主義者、暴力、愛国結社の主要人物』のA級戦犯として連座、スガモプリズンに拘置された。半世紀後に出版された笹川の『巣鴨日記』(中央公論社)によると獄中ではオロオロするばかりの老人のA級戦犯たぢを助け、若いBC級戦犯には自分の食べ物を分け与えて、その家族の面倒を徹底してみるといった義侠心が強調されでいる。

 しかし、当時の検察局の資料と比較すると、戦中の行動はかなりの自己弁護、歪曲が施されており、日記とは大きな落差があることが指摘されている。
 また、戦後の活躍の場になる競艇は獄中で見た『ライフ』誌のポートの写真を見てアイディアがわき、釈放されるとモーターボート竸走法の制定に走り回り1952年(昭和27)に金国モーターボート競走会連合会、1962年(昭和37)には日本船舶振興会(日本財団の前身)を創設して会長に。

 その膨大な収益金の一部を国内外の団体に寄付、世界では著名な社会奉仕家として知られるようになった。
 1982年(昭和57)には国連平和賞を受賞して、「日本の黒幕」「日本のドン」といったイメージとはまったく別の一面をのぞかせている。


日本のメディア王に復活した正力松太郎

 もうひとつ注目される戦後活躍組はメディア関係のA級戦犯容疑者である。当時の3大新聞社、通信社のトップがいずれも逮捕された。
 朝日新聞は緒方竹虎(編集局長。小磯国明内閣の国務相兼内閣情報局総裁)、下村宏(同副社長、昭和20年鈴木内閣の国務相兼情報局総裁)、読売新聞は正力松太郎(同社長、小磯内閣の顧問)、毎日新聞の社賓として[皇国史観]で戦争の旗振り役の徳富蘇峰(大日本言論報国会会長)古野伊之助(同盟社長、日本新聞連盟理事)らである。

 新間からテレビの雄、日本のメディア王にのし上がる正力松太郎(読売新聞社主・日本テレビ創業者・社長)は、わが国では初の民間テレビの導入や原子力政策をめぐってCIAと協力して導入した事実が、米公文書で半世紀ぶりに明らかにされた。(有馬哲夫『日本テレビとCIA~発掘された正力ファイル』新潮社)
 正力は警視庁警務部長の後、昭和初期に読売新聞の経営者となり、徹底した大衆路線とラジオ欄の創設、シャイアンツの前身のプロ野球を創設して、朝日、毎日に肩を並べる大新聞に育て上げた。

 戦争中の大政翼賛会総務などの経歴でA級戦犯で1945年(昭和20)12月3日に巣鴨に収監された。
正力は逮捕されることを予期して秘かに“英語の勉強”に取組んでいた。
『巣鴨に入る直前、CIAから40億円で読売を買収したいという話がもちこまれた。正力は心を動かされたが、務台光雄(後の読売新聞社長)が断固反対して、正力は折れて、CIAの買収話はつぶれた」(佐野眞一『巨怪伝』文藝春秋)
 1947年(昭和22)9月の追放解除後はテレビに目をつけ、1953年(昭和28)、日本テレビ放送網を創立して社長。衆議院議員にも当選。北海道開発庁長官、原子力委員会委員長、科学技術庁長官を歴任した。

 この日本テレビ設立の裏には、米CIAと正力の深い結びつきがあった。
正力の暗号名はPODAMで「CIA正カファイル」は474頁にものぼり、CIAが極秘に正力を支援する作戦計画が詳細に記録されている。
 日本テレビには米の技術、資金、特許が提供されたが、放送目的は娯楽、教育ばかりでなく、反共主義の親米プロパガンダ・メディアとしでの役割を担わされた。

 緒方竹虎は朝日の編集責任者として東条とは正面から対決したリベラルな新聞人である。
朝日の記者から政界に出た中野正剛との交友は有名で、「戦時宰相論」で東条に対して自刃した中野の葬犠委員長を東条、憲兵の妨害にもかかわらず引ぎ受けた。
 1944年(昭和19)、小磯国昭内閣の国務相兼内閣情報局総裁に就任、大政翼賛会副総裁を兼任。
 1945年(昭和20)に大日本翼賛壮年団団長となったが、その点がA級戦犯として追及される要因となった。
 1945年(昭和20)末にA級戦犯に指名され、翌年に釈放されたが公職追放となった。この追放解除後の1952年(昭和27)に自由党から衆院議員に当選。すぐ第4次吉田茂内閣で副総理格兼内閣官房長官として入閣した。引続いて第5次吉田内閣でも国務相(副総理)として、一貫して吉田を助けて保守本流の形成に尽力した。
 1954年(昭和29)に吉田が退陣した後に、自由党総裁に就任した。そして1955年(昭和30)の保守合同によって自由民主党が結成されると、総裁代行委員の一人となった。
自由民主党の初代総裁は鳩山で、その次は緒方と首脳部の間で話はついていたが、1956年(昭和31)1月、67歳で急死した。


財界人のA級戦犯は全員免責された

 財閥関係、財界人ではA級戦犯として12人が逮捕されたが、結局、全員免責された。キーナン検事は、軍閥ほど財閥の戦争犯罪を追及しなかった。
 財閥解体はGHQの「財閥解体指令」のほうにまかされ、三井・三菱・住友・安田の本社をはじめ、83社が特殊会社に指定され、11家族計56人が財閥家族の指定を受け、その持株と財産は国家に買い上げられた。
 A級戦犯となった財界人で、その後の復活、活躍したのは日産コンツェルンの鮎川義介、日立コンツェルンの久原房之助らである。
 鮎川義介は日産コンツェルン(現・日産自動車などの前身、日産化学、日本油脂など)の創設者だが、満州事変後の軍需インフレを利用してのし上がった新興財閥である。のち軍部と共に満州に進出、1937年(昭和12)、満州重工業社長となって「三スケ」の一角を占めて満州経済のリーダーとなり、東条内閣では内閣顧顧問を務めた。
 その点がひっかかり、1945年(昭和20)12月に逮捕されて20ヵ月間拘置されたが、不起訴釈放となった。
 獄中で戦後の経済復興は中小企業の育成しかないと考えた鮎川は、1953年(昭和28)に参議院議員になり、中小企業助成会、「日本中小企業政冶連盟」(中政連)を組織して、40万人もの大組織に育て上げ中小企業の教祖的な存在となった。

 岸とは満州以来の太いパイプが続いて、1958年(昭和33)2月、岸内閣最高経済顧問に就任し、日米貿易問題で首相特使として渡米するなど、昭和30年代の日本の政治、経済の中枢で活躍した。
 一方、義弟にあたる久原房之助は「鉱山王」から久原財閥の総帥となり、その豊富な資金をパックに政界に進出して田中義一内閣で逓信大臣に、1936年(昭和11)の2.26事件では右翼に資金提供した容疑で連座したが、その後立憲政友会(久原派)総裁に復活するなど[政界の惑星]と呼ばれた。
 1945年(昭和20)年11月19日にA級戦犯容疑で逮捕されたが、釈放された。
そして公職追放解除後は衆議院議員に復帰して、1955年(昭和30)には日中・日ソ国交回復国民会議会長として訪中し、毛沢束、周恩来らと会見し、1961年(昭和36)には来日したソ連副首相・ミコヤンとも旧交を温めた。「アジア合衆国論」を唱えて、意気軒昂で、1965年(昭和40)、95歳で人生の幕を閉じた。
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