五千年の歴史を持つヨガだが現在のアーサナ(ポーズ)中心のヨガは実は19世紀末~20世紀初頭ヨーロッパからのスウェーデン体操をはじめとする西洋の体操、ボディビル、民俗的な武術やダンスの影響を受けて出来たもので純然たるインドのヨガはプラーナーヤーマ(呼吸法)中心の非バラモン階級のナータ派ヨガである ヒクソンも実践する太陽礼拝が出来上がったのはヨーロッパのスウェーデン体操をはじめとする西洋の体操、ボディビル、民俗的な武術やダンスからの影響である







ヨガ・ボディ: ポーズ練習の起源
マーク・シングルトン
大隅書店
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http://itotakeshi.blog33.fc2.com/blog-entry-100.html

ヨガ・ボディ【伊藤武のかきおろしコラム】


こんにちのハタヨガは、ハタ・ヨーガ開祖ゴーラクシャのそれとは全くの別もの。前者はポーズ主体で、解剖学を修め、『ヨーガ・スートラ』を聖典とする。後者はプラーナーヤーマを主とし、マルマと脈管の身体を定め、タントラにもとづいている。
どうして、こんなに違ったものになってしまったのだろう?
ずっと疑問に思っていたのですが、名古屋のO氏に奨められた『ヨガ・ボディ』(シングルトン著、喜多千草訳、大隅書店刊)を読んで、合点がいきました。
インドと西洋の矜持(きょうじ)とアイデンティティと葛藤が千々に乱れ、紊(みだ)れたまま、綴(つづ)りあわされたのが、今のヨガ。その経緯は、さまざまな立場の人の思わくが縺(もつ)れに縺れた、複雑怪奇な物語となりますが、かいつまんで述べれば——

18世紀、ムガル帝国が衰退します。かわって伸張したのが大英帝国(この時点では東インド会社)。そのイギリスの侵略に、武器をとって抵抗したのがシヴァ派——おもに全裸で暮らすことを信条とするナーガ派と、ゴーラクシャに始まるナータ派の人びとでした。
『ヨガ・ボディ』には「武装したヨーギンの集団」とあります。ナーガ派はたしかに軍隊のように訓練された戦闘組織ですが、ナータ派はそうではない。ナータに帰依した土豪の兵、というのが正しいかと思われます。たとえば、ネパールのグルカ兵。グルカとは「ゴーラクシャに帰依した人びと」の意。グルカ兵はイギリスの侵略をはね返し、ネパールの植民地化を妨げます。
これはナータ派のレジスタンスが成功した例ですが、インドではイギリスの近代兵器の前に、シヴァ派の民兵はことごとく潰されてしまいます。勝者は敗者をきびしく弾圧しました。ハタ・ヨーガのほんらいの担い手であるナータ派は、息も絶え絶えの状態に陥ってしまいます。
19世紀後半、「アーリヤ人侵入説」の生みの親、マックス・ミュラーに代表される欧米のインド学者たちは、ヨーガの聖典として『ヨーガ・スートラ』と『バガヴァッド・ギーター』を高く評価します。そして、ヴェーダーンタ哲学・ヴィシュヌ派・バクティ(神への親愛)をヒンドゥー教の正統とするいっぽうで、タントラとシヴァ派を迷信にみちた野蛮な宗教と断じます。なかでもナータ派とそのヨーガ(ハタ・ヨーガ)は最悪の、悪魔の宗教と見なされました。多くのインド人が、かような白人学者の御説に染まってしまうのも、仕方ないことといえましょう。
1893年、ヴィヴェーカーナンダが、シカゴの国際宗教会議において、ヨーガをテーマにした講演で大成功をおさめます。1896年、彼は『ラージャ・ヨーガ』を発表。ヴェーダーンタの御旗のもとに、『ヨーガ・スートラ』と『バガヴァッド・ギーター』を依拠の聖典とし、タントラ的なもの、ハタ的なものを極力排した、新しきヨーガの夜明けを告げる大著でした。
のちにハタはかたちを変えて復権を果たしますが、その後のインド・ヨーガは、おおかたはヴィヴェーカーナンダの敷いたレールに乗ったもの、といって差しつかえありません。

19世紀のインドでは、こうした宗教・ヨーガ界の潮流と並行して、もうひとつの運動が進行していました。「身体とのポジティブな関わり」です。
ヒンドゥー、とくにバラモンは、身体をカルマの巣として不浄視する傾向にありました。スポーツをふくめ、身体につよい関心をいだくことは、はしたない、とされていたのです。
しかし、イギリスを介し、身体を鍛えることは神意にかなうこと、という風潮がじわじわと広がっていきます。近代的な解剖学・生理学にもとづいたスウェーデン体操がひろく行なわれるようになりました。さらに世紀末になると、ボディビルが大流行。
ヴィヴェーカーナンダの『ラージャ・ヨーガ』が世に出た同じ1896年、第1回近代オリンピックが開催されると、インド人の「身体への熱いまなざし」はピークに達します。
20世紀に入ると、インド全土で反英感情が高まっていきました。と、ヒンドゥーのアイデンティティは、白人の始めた健康体操やボデイビルに拒否反応をしめし、「国産の体操・自前の身体鍛錬法」に目を向けるようになります。それこそ、ヴィヴェーカーナンダの切り捨てたハタ・ヨーガの一部の、
——アーサナ
にほかなりませんでした。
また同じころ、カラリパヤットほかイギリスによって禁圧されていた土着の武術も、次々と息を吹き返します。表だっては、アーサナを行なうヨーガのアカーラ(道場)で、武術が錬られました。もっとも、警邏の者に見つかると厄介ですから、武術の型がヨーガの連続ポーズのごとく行なわれます。
ともあれ、スウェーデン体操をはじめとする西洋の体操、ボディビル、民俗的な武術やダンスが、
——HATHA YOGA、ASANA
の名のもとに再編されていくのです。
ハタの伝統的な「八十四アーサナ」に含まれぬポーズのほとんどは、そうして20世紀に入ってから開発されたものです。伝統アーサナには本来、連続ポーズはありません。ダイナミックな英雄のポーズ(ヴィーラバドラ・アーサナ)は武術の型のアレンジですし、太陽礼拝(スーリヤ・ナマスカーラ)はボディビルダーが始めたものでした。
西洋文明をすでに知り、ナータ派のヨーガとは切り離されたところでの再スタートでしたから、タントラの身体観はなじみません。西洋の解剖学や、体操、ボディビルの方法論が借用されました。
「これらは西洋のものと考えられているが、じつはインドのヴェーダが起源である」と今日のどこぞの国のようなことをいって、それらを採りいれることを正当化し、ハタの聖典ではない『ヨーガ・スートラ』を戴いて権威づけし……、現代ヨガのいっちょあがり、というわけです。

『ヨガ・ボディ』の著者は、そしてわたしも、現代のハタヨガにケチをつけているわけではありません。現代ヨガの創始者たちは、それぞれにハタ以外の伝統的ヨーガを修め、みずからの経験と知恵を結集して、それまでのインドにはなかったユニークな身体的実践法を編み出していったのですから。
それが生まれて、すでに100年。立派な伝統といえるでしょう。

http://www.acoyoga.jp/2011/02/yj.html

YJ最新号の興味深い記事




現在出ている『ヨガジャーナル日本版』vol.15 にとても興味深いエッセイが載っています。

マーク・シングルトン氏が書いた「ヨガの大いなる真実」。
なんともまぁ大層なタイトルではあります。そんなこと今まで知らなかったの? 何てナイーブなの? 所詮はすべてが欧米人のコンテクストで語られているじゃん!という思いも正直あります。それでもやはり、こうして調査研究した結果を分かり易く伝えようという文章は非常に楽しく大変勉強になります。4ページにもわたるものですが、写し書きすると自分の頭にも入りやすいので、少し抜粋してみます。

まずは冒頭から
「冬の薄日がケンブリッジ大学図書館の高い窓から差し込み、一冊の黒い革の装丁をほのかに照らしていた。私は本のページを操りながら、馴染みのあるポーズをとっている男女の写真の数々を眺めた。戦士のポーズ、ダウンドッグのポーズ、ウッティタ・ハスタ・パダングシュターサナ(手で足の親指をつかむポーズ)、次のページにはヘッドスタンド、ハンドスタンド、スプタ・ヴィラーサナ(横たわった英雄のポーズ)......あたかもアーサナのテキストに載っていそうな写真だ。だが、それはヨガの本ではなく、20世紀初頭のデンマークで生まれた体操、「プリミティブ・ジムナスティクス」についての記述だった。
その日の夕方、自分のヨガクラスで生徒たちの前に立ちながら、私はさっきの発見を思い返していた。いま自分が教えているヨガのポーズのほとんどが、1世紀ほど前にひとりのデンマーク体操の先生が考案したものと同じだなんて......。その人物はインドに行ったこともなければ、アーサナを習ったこともない。それなのに5秒カウントから腹部の「引き締め」、ポーズからポーズへのダイナミックなジャンプ移動まで、すべてが驚くほどヴィンヤサヨガに似ていた。それらはどれも私が知っているものばかりだ!
  時が過ぎても好奇心は収まらず、もっと調べてみることにした。そこでわかったのは、このデンマーク体操が19世紀にヨーロッパ人の運動法を大きく変えたスカンジナビア体操のひとつであることだった。スカンジナビア体操はヨーロッパ各地に広まり、陸海軍をはじめとして多くの学校での身体訓練の基本となった。そしてその流れはやがてインドにもたどり着く。YMCAインドの調査によれば、1920年代に「プリミティブ・ジムナスティクス」はインド亜大陸でもっとも人気のあるエクササイズのひとつで、その上をいくのがP.H.リングが開発したスウェーデン体操だったという。私はいよいよ混乱してしまった」

どうですか? おもしろいと思いませんか?

かくしてシングルトン氏は 「もし日々実践しているヨガが由緒ある古代インドの伝統でないとしたら、いったい私は何をやっているのだろう?」 という疑問に突き動かされて独自の調査研究を開始していきます。

数々の文献:「ヴェーダ」「ヨガ・スートラ」「ウパニシャッド」「ヨガ・ウパニシャッド」「ゴーラクシャ・シャタカ」「ハタヨガ・プラディピカ」etc.

数々の先人たち:スワミ・ヴィヴェーカーナンダ、スワミ・クヴァラヤナンダ、T・クリシュナマチャリヤ、K・パタビ・ジョイス、B・K・S・アイアンガー、インドラ・デヴィ、T・K・V・デシカチャー etc.

「ヨガの歴史を掘り下げて調べていくうちに、パズルのピースが少しずつ埋まりはじめ、ようやく全体図が見えてきた」

そして、驚くべき真実(彼曰く)を発見します。
「近代ヨガのアーサナはインド生まれではない!?」

「クリシュナマチャリヤはダイナミックなアーサナ練習法を考案した。それは主として、身体鍛練の時代精神に寄り添うインドの若者に向けられたものだった。クヴァラヤナンダの練習法と同じく、ハタヨガとレスリングの鍛練法と、近代ヨーロッパ体操を組み合わせたもので、それ以前のヨガの流儀には見られないものだった。
 こうした実験がやがていくつかの現代アーサナ練習法へとつながっていったが、中でも特筆すべきは、今日アシュタンガヨガとして知られるスタイルだ。この練習法を用いたのはクリシュナマチャリヤの豊富な指導歴の中ではごく短期間だったが、結果的にはこれがヴィンヤサ、フロー、パワーヨガなどアメリカのヨガスタイルの誕生に大きな影響を与えることになった」

「つまり、近代ヨガとは、ヨガという大樹に新しく移植された接ぎ木にすぎないと。(中略)ヨガを数多くの根や枝をもつ古代の大樹と考えることは、真の”伝統”に背くことでもなければ、ヨガと称するものをすべて無批判に受容することでもない」

「近代ヨガにおける西洋の文化的、精神的影響を知ることで、私たちが伝統というものをどう理解し、かつ誤解するか、どんな希望や不安を抱くか、また新しい何かを生むにはいかに多くの要素が関与するかということが分かる。さらに、ヨガの練習への認識が変わり、ヨガを通して自分が何をしようとしているのか、それが自分にとってどんな意味があるかを考えるきっかけにもなる。ヨガの練習自体と同じく、こうした知識は、自分の置かれた状況や自分の本質をも明らかにしてくれる(続く)」

『ヨガジャーナル日本版』vol.15(2011年1月28日発売)
p.76 - p.80 特別寄稿「Yoga's Greater Truth」
・text by Mark Singleton
・translation by Yasuko Tamaiko

*マーク・シングルトン:自らも熱心なヨギであるヨガ研究者。ケンブリッジ大学で神学の博士号を取得。近著「Yoga Body : The Origins of Modern Posture Practice」

http://ohsumishoten.com/books02-07.html


ヨガ・ボディ ― ポーズ練習の起源 ―








ヨガ・ボディ
―ポーズ練習の起源―
マーク・シングルトン 著/
喜多千草 訳

定価(本体2,800円+税)
2014年9月30日発売
A5判並製/352頁
ISBN 978-4-905328-06-3 C0020








〒520-0242
滋賀県大津市本堅田5-16-12
コマザワビル 505号

大隅書店
Ohsumi Shoten,Publishers
TEL 077-574-7152
FAX 077-574-7153
MOBILE 090-1137-2382
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今日、私たちはヨガと言えば独特のポーズを連想するが、ポーズ練習を中心に据えたその スタイルは、なんとインド古来のものではなく、19世紀末から20世紀初頭にかけての近代 化に際して、欧米の体育、ボディビル、女子体操などの要素を取り入れながら、インド国 民のための体育の技法として創られたものだった! ヨガ実践者が読んでおくべき最も洗 練されたヨガの教養書のひとつであり、近現代の歴史書としてもすこぶる興味深い一冊。







謝 辞
はじめに
第1章 略史:ヒンドゥーの伝統におけるヨガ
第2章 ファキール、ヨギン、ヨーロッパ人
第3章 ヨガの大衆的イメージ
第4章 インドと国際的身体文化
第5章 近代インドの身体文化:その停滞と実験
第6章 身体文化としてのヨガ I:強さと気力
第7章 身体文化としてのヨガ II:ハーモニアル体操と奥義ダンス
第8章 メディアとメッセージ:ビジュアルイメージとアサナ再興
第9章 T・クリシュナマチャルヤとマイソールのアサナ再興

文 献
索 引
訳者のことば







マーク・シングルトン(Mark Singleton)
ケンブリッジ大学神学部にて博士号取得。近代国際ヨガについての研究・執筆を行っており、本書以外の著書に、Roots of Yoga (2015)、編書に、Yoga in the Modern World, Contemporary Perspectives (2008)、Gurus of Modern Yoga (2013)などがある。ヨガの実践者としても、サトヤナンダ・ヨガ、アイアンガー・ヨガでは、認定講師の資格を持つ。現在、アメリカのインド研究所の研究フェローとして、インドのジョドプル滞在中。








喜多千草(きた・ちぐさ)
関西大学総合情報学部教授。博士(文学・京都大学文学研究科現代文化学系二十世紀学専修)。専門は技術史。








スズケー【ハート*フール】
名古屋総合デザイン専門学校卒業。受賞歴に、第67回 毎日広告デザイン賞 最高賞など。作品掲載書籍に、『MEHNDI design book』『MEHNDI style book』『メヘンディ デザイン帖』などがある。








近代ヨガの進化について、深く考えさせてくれる素晴らしい本。熱心なヨガ実践者なら、この素晴らしい練習の歴史と本質について思いを馳せ続けることはとても大事だ。練習は生きているからこそ、実践者すべてがその創造と再生に関わっている。一切の決めつけは捨てよう!
ゴヴィンダ・カイ(アシュタンガヨガ、サーティファイド・ティーチャー)

ヨガって何なんだろう? 現代の日本や欧米で広く練習されているポーズ主体のヨガが、どのような文脈から生まれたかを、熱心なヨガ実践家(アシュタンガヨガ3rdシリーズ)でありケンブリッジ大学神学博士号を取得した著者が緻密な調査をもとに紐解く一冊。高名なグルたちが20世紀のインドという時代背景の中で、どのように「現代ヨガ」を提案するに至ったかが窺いしれる、驚くような史実に満ちている。ヨガ講師が読んでおくべき一冊。
サントーシマ香(「ヨガピープルアワード2014」ベスト・オブ・ヨギーニ賞受賞)

研究者によって書かれた『ヨガ・ボディ』の豊富な引用文献により、わたしたちは「身体を育む」分野のルーツについて、思いを馳せることができる。この本は、ヨガに興味を持つすべての人にとって、素晴らしい情報源だ。
パトリック・オアンシア(ヨガジャヤ・ディレクター)

斬新でいて丁寧に調べられている繊細な分析によって、インド文明の象徴とされているポーズをとるヨガが、実は紛れもなく植民地時代とポストコロニアルの時代のグローバル化の産物だったということが明らかになった。
ジョセフ・S・オルター(『現代インドのヨガ:科学と哲学の間の身体』著者)

この本は優れた研究書であり、近代ハタヨガの歴史的・文化的背景を明らかにした、刺激的な本である。私はこの本を、熱心にヨガをしているすべての人に是非お勧めしたい。
ジョン・フレンド(アヌサラヨガ創始者)




http://ohsumishoten.com/guide/reading/yogabody.pdf

謝 辞
Acknowledgments
v
はじめに
Introduction
3

1

A Brief Overview of Yoga in the Indian Tradition
略史:ヒンドゥーの伝統におけるヨガ
33

2

Fakirs, Yogins, Europeans
ファキール 、ヨギン、ヨーロッパ人
45

3

Popular Portrayals of the Yogin
ヨガの大衆的イメージ
71

4

India and the International Physical Culture Movement
インドと国際 的 身 体 文 化
105

5

Modern Indian Physical Culture: Degeneracy and Experimentation
近代インドの身体文化:その停滞と実験
123

6

Yoga as Physical Culture I: Strength and Vigor
身体文化としてのヨガ
I
:強さと気力
147

7

Yoga as Physical Culture II: Harmonial Gymnastics and Esoteric Dance
身体文化としてのヨガ
II
:ハーモニアル体操と奥義ダンス
185

8

The Medium and the Message: Visual Reproduction and the
Ā
sana Revival
メディアとメッセージ:ビジュアルイメージとアサナ再 興
211

9

T. Krishnamachar ya and the Mysore
Ā
sana Revival
T
・クリシュナマチャルヤとマイソールのアサナ再興
227

Notes
278
文 献
Bibliography
296
索 引
Ind e x
332
訳者のことば
337
目 次
Yoga Body:
The Origins of Modern Posture Practice
by Mark Singleton
First edition was originally published in English in
2010
.
Copyright ©
2010
by Oxford University Press Inc.
This translation is published by arrangement
with Oxford University Press.
iii
Contents
謝 辞
この本の構想は、多くの人に支えられて形になった。初期版に完
璧で深いコメントをしてくれたピーター・シュライナー。現代イン
ドのハタ・ヨガ実践者について教えてくれ、ジョードプルにあるナ
ータ派寺院のマハーマンディルの壁画画像を見せてくれたジェーム
ズ・マリンソン。サンスクリット表記のひどい誤りを指摘してくれ
たグドラン・ブーネマン。ここ
5
年ほど近代ヨガについて語り合っ
たダグマーとドミニク・ユジャスティク。ヨガの同時代的な発展の
ありようを見つめている『
LA
ヨガ・マガジン』編集長のフェリシ
ア・
M
・トマスコ。この本が博士論文だった段階でアドバイスをく
れたギャビン・フラッドとディヴィド・スミス。オックスフォード
大学出版局を通じてコメントを寄せてくれたジョセフ・
S
・オルタ
ーとケネス・リーバーマン。原稿を読んでコメントをくれたケンブ
リッジ大学クィーンズ・カレッジのエイヴィンド・カース。ケンブ
リッジ大学神学部時代に研究を指導してくれたジュリウス・リプナ
ー。こうした面々には非常にお世話になった。
エリザベス・ド・ミシェリスとスザンヌ・ニューコムと私が
2006

4
月に開催したケンブリッジ大学神学部での近代ヨガ院生ワーク
ショップの参加者の方々、特にその後も交流を続けてくださった
方々には、この本に展開したアイデアを洗練出来たことに感謝して
いる。なかでも、このワークショップに先立って身体文化や近代ヨ
ガについての考えを語り合ったエリオット・ゴールドバーグには感
謝に堪えない。ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンのヴィヴィ
エンヌ・ローとロニト・ヨーリ=トラリムには、『アジア医学:その
sample
v
謝 辞
Acknowledgments
伝統と現在』誌の
2007
年のヨガ特集号の編集を助けてもらったし、
オーストラリアのクィーンズランド大学のジャン・マリー・ビルネ
とは、『近代のヨガ』

Singleton and Byrne (eds.)
2008

で、ともに編集に携わ
った。こうした編集作業を通じて、同じ近代ヨガ研究分野の世界中
の研究者たちと交流を持つことが出来たことは、この本に大いに役
立った。
そして、サンタ・フェのセント・ジョンズ・カレッジのミーム図
書館司書ローラ・クーニーには、この本の仕上げの段階で、数々の
面倒な図書取り寄せのリクエストに応えていただき、大変感謝して
いる。また、マサチューセッツ州のスプリングフィールド・カレッ
ジのバブソン図書館司書ページ・ロバーツには、インドの
YMCA

身体文化プログラムについての資料提供にご尽力いただいた。バン
ガロールの
YMCA
身体文化学校の上級スタッフでヨガ研究者のシュ
リ・ヴァスデヴァ・バットには、
2005
年のカルナタカでの調査で大
変お世話になった。
2005
年にサンスクリットのヨガ文献を読むのに、ユーモアを交え
ながらご指導くださったインド、マイソールのシュリ・
M

A
・ナラ
シムハンと
M

A
・ジャヤシリ博士、『ヨガ・スートラ・バーシャ』
読解でお世話になったラクスミ・タッタカルヤ教授にも感謝してい
る。バンガロールの
K

V
・カルナ博士には、父親である
K

V
・ア
イヤーの想い出を語っていただき、さらに他では得難い文献や写真
資料などを見せていただいた。そして
T

R

S
・シャーマ教授には、
1930
年代、
40
年代のマイソール時代の記録や想い出をご教示いただ
いた。また聞き取り調査に応じてくださったシュリ・
K
・パタビ・ジ
ョイス、シャンカー・ナラヤン・ジョイス、アナント・ラオ、
A

G
・モハン、プネの個人蔵書を自由に使わせてくださった
B

K

S

アイアンガーに大変感謝している。
また、私のヨガの師たち、特にシュリ・
K
・パタビ・ジョイス、
シャラート・ラングスワミ、
B

N

S
・アイアンガー、ルドラ・デ
ヴ、ハミシュ・ヘンドリ、バーバラ・ハーディング、サシャ・ペリ
ーマンにも感謝している。練習の励みとなってくれた仲間たち、ル
ーイ・エトリング、ノーマン・ブレア、エマ・オーウェン=スミス、
ナイジェル・ジョーンズ、タラ・フレイザー、ロモーラ・ダヴェン
ポート、ルイーズ・パルマー、ジェニファー・モリソンにもお礼を
述べたい。そして、いつも笑いを振りまいてくれたローリン・パリ
ッシュにも感謝する。
このプロジェクトは、ケンブリッジ大学の国内研究奨学金や、神
学部やシドニー・サセックス・カレッジの旅費助成の数々がなけれ
ば成り立たなかった。奨学金・助成金を与えていただいて感謝して
いる。そして、最後に、エリザベス・ド・ミシェリス博士に、
6

間にわたるご指導と友情に対して厚くお礼を申し上げたい。
vii
vi
YOGA BODY
謝 辞
sample
はじめに

この本の概要
この本は、国際的に拡がるアサナ
(ポーズ)
をとることを中心にした近
代ヨガが、どのように始まったかを研究したものである。今日、欧米で
ヨガといえばもっぱらアサナ練習のことであり、そのようなヨガの教室
はいたるところにあり、今では、中東、アジア、ラテンアメリカ、オー
ストラリアでも同じような状況になりつつある。「ジム」タイプのヨガ
は、インドでも都市部の富裕層で人気が再燃している。ヨガ人口の統計
は正確なものがないものの、ポーズをとるヨガが人気を博しているのは
間違いないと言えよう

1

1990
年代以降、ヨガは数億ドル規模のビジネス
となり、アサナの知的所有権の激しい法廷闘争もいくつも起きている。
スタイル、シークエンス、ポーズなどが、個人や会社、政府などによっ
てフランチャイズ権が与えられたり

2
、著作権が設定されたり、特許を
受けたりしているのだ。また、ヨガのポーズを使った商品は、ケータイ
からヨーグルトまで幅広い。
2008
年には、アメリカのヨガ実践者は、年

57
億ドルをヨガ教室、ヨガ旅行、ヨガグッズに支出すると推計された

Yoga Journal
2008

。これはネパールの
GDP
のほぼ半分に当たる

C.I.A.
2008


こうした世界的なヨガ・ブームにもかかわらず、
(瞑想用の座位を除いて)
アサナが本当にインドのヨガ実践の伝統において中心的なものだったと
いう証拠はほとんどない。ヨガ流派の多くが正統的ヨガを伝えていると
sample
3
はじめに
Introduction
主張しているにもかかわらず、中世からある身体重視のハタ・ヨガでさ
え、アサナ中心であったという確証はない
(第
1
章参照)
。今日のアサナ中
心のヨガのありようは、近代以前にはみられなかったものなのである。
1800
年代後半には、主に英語圏でのヨガの再興がインドで始まり、ヴ
ィヴェカナンダ

1863
-
1902
年)
の教授法などにより、実践的なテクニック
や理論が生まれた。しかし、その頃の新しいヨガのありようにおいてす
ら、今日ほど盛んなアサナ練習はみられなかったのである。むしろアサ
ナや他のハタ・ヨガのテクニックは、ヴィヴェカナンダや同時代の人び
とには、はっきりと不適切で悪趣味だとして退けられていたのだ。結果
として、再興した英語圏に広まるヨガの世界では、アサナはほとんど影
を潜めていたのである。そこでこの本は、まず、なぜ近代ヨガの草創期
にアサナが避けられていたのか、またどうしてそれが大きく変化してア
サナが含まれるようになったのかを解き明かそうとするものである

3

そんな始まり方をしたアサナ練習が、どうして今日、国際的に拡がるヨ
ガの基本として、これまでに広く受け入れられるようになったのか。ど
うして近代ヨガの創始者たちの青写真にはアサナが含まれていなかった
のか、また、どうしてそれが復活出来たのか。
1890
年代のヴィヴェカナンダの時代には、ポーズをとるヨガの実践は
「ヨギン」
(あるいは「ヨギ」)
と結びつけられていた。この用語は、厳密に
はナータの系統に属するハタ・ヨガ実践者を指すが、広く苦行者、魔術
師、大道芸人などを指すこともあった。また、よくイスラム教徒の「ファ
キール」と混同されることもあり、ヒンドゥーの宗教的構造の中では、
あまりよくないものとみなされるようになっていた。ハタ・ヨガの大道
芸的ポーズは、後進性や迷信と結びつけられていたため、
科学的
000

近代
00

0
なヨガの再興にはお呼びでないと考える人が多かったのである。この
本の前半は、こうしたヨギンが、旅行記や研究書、ポピュラー文化、ヨ
ガ実践の文献の中でどのように描かれていたのかを調べ、ハタ・ヨガの
同時代的イメージを探る。これは後半で、ハタ・ヨガがどのように変化
し、インドの宗教的・社会的構図の中で位置付け直されていったかを考
察する基礎となるものだ。
この本は、重要な知られざるヨガの発展の歴史に光を当てるものだ。
近代ヨガの研究といえば、
1890
年代半ばに行われたヴィヴェカナンダに
よるアサナなしのヨガ宣言から、
1920
年代に始まったアサナの間をつな
ごうとしてこなかった。ド・ミシェリス

De Michelis
2004

とオルター

Alter
2004
a

は、この歴史の空白時期を扱った研究ではあるものの、どうしてア
サナが排除されていたのに名誉回復出来たのかについては、充分には説
明出来ていなかった

4
。そこで、この研究では、今日の国際的ヨガをつ
くり上げてきた要素は何だったのかをみつけ、
B

K

S
・アイアンガー
やそのほかの指導者たちによって
1950
年代に開花した、国際的アサナ革
命の前史を明らかにする。
この前史には、国際的な身体文化運動や、それが
19
世紀から
20
世紀へ
の転換期にどのようにインドの青年の意識に影響を与えたかという問題
も含まれる。似非宗教の様相を示していた身体文化は、
19
世紀にヨーロ
ッパでブームとなっていたが、それがインドに渡って、ヒンドゥー愛国
主義と結びついた。そこで、
インドの
0000
身体文化を育てようとする中で、
ヒンドゥーの伝統的エクササイズとしてアサナ再興の道がついたのであ
る。欧米の身体文化の流れをくむアサナ練習がインドで発展し、やがて
それが欧米に還流し、「奥義的体操」と合流して、
(ヨガの伝統とは何の関係
もなく)
19
世紀半ばのヨーロッパとアメリカで流行したのだ。今日知られ
ているポーズ中心のヨガは、欧米の汎宗教的な身体文化とヴィヴェカナ
ンダ以降に起こった「近代」ハタ・ヨガの言説との対話の結果生まれた
ものだといえる。それは常にインドのハタ・ヨガの伝統に根ざしている
とされているものの、ポーズ中心のヨガは、その伝統の直系を継承して
いるとはみなせないのである。
5
4
はじめに
YOGA BODY

資料・方法論・射程
この研究はまず、
1800
年代後半から
1935
年頃までの英語で書かれた大衆
的なヨガ・マニュアル本を調べるところから始まった。ド・ミシェリス

De Michelis
2004

では、「近代ヨガ」はヴィヴェカナンダの『ラージャ・ヨ
ガ』

Vivekananda
2001
(
1896
)

に始まると定義されたが、神智学協会による
M

N
・ドヴィヴェディ

Dvivedi
1885
,
1890

や、ラム・プラサド

Prasad
1890

など
の少数の例外を除いて、だいたい実用的な英語のヨガ・マニュアルがひ
とつのジャンルとなったのも、確かに『ラージャ・ヨガ』以降である。
ただし、
J
・ゴードン・メルトンは、ラム・プラサドの本を
最初に
000
「ヨガ
練習を普及させようと解説した本」と評価している

Melton
1990
:
502

。ケ
ンブリッジ大学図書館と、ロンドンの大英図書館のインド事務所が所蔵
している本の文献調査をしてみたところ、
1920
年代以前には「アサナ」
や「ハタ・ヨガ」というキーワードでは、人気のある教科書はかなり少
なかった。そこで、その後、スタンフォード大学のグリーン・ライブラ
リーとカリフォルニア大学バークレー校の図書館でも文献調査を行った
が、アメリカの文献についてもほぼ同じような結果となった。しかし、
この文献調査のおかげで、現在入手可能なインド・イギリス・アメリカ

1930
年代までに英語で書かれたヨガ実用本を網羅的に確認することが
出来たのである。しかし、第二次世界大戦後は、ヨガに対する興味が非
常に増大したために、ヨガ本の数も増えたし、自分自身でも懐かしい本
もいろいろあったのだが、この時期は文献調査の対象外であったので、
私がもっとも詳しいわけではない。ただ、第二次世界大戦後の英語のヨ
ガ・マニュアルは、以前とは格段に異なって
ポーズ
000
中心になったという
傾向だけは間違いなく指摘出来る

5

こうした文献調査を通じて、いくつかの研究テーマが立ち上がってき
た。まず、なぜアサナやハタ・ヨガは初期のヨガ・マニュアルにほとん
ど現れなかったのか。次に、なぜ
20
世紀半ばになってポーズをとるヨガ
がこれほどまでに流行し始め、アジア圏以外ではむしろヨガといえばポ
ーズをとるヨガとして普及したのはどうしてか。さらに、今日のヨガ実
践やその信念の体系は、果たして「近代的」な類型に属しているのだろ
うか。また、もしそうであれば、しばしばつながりが主張されている中
世のハタ・ヨガ伝統との関係はいかなるものであったのか。
ボンベイを中心に活躍したシュリ・ヨゲンドラ

1897
-
1989
年)
とスワミ・
クヴァラヤナンダ

1883
-
1966
年)
の業績、それに
T
・クリシュナマチャルヤ

1888
-
1989
年)
とマイソール時代の有名な弟子たちの教えにより、ハタ・ヨ
ガ的アサナ練習が注目を浴びたのはよく知られている。こうした人びと
とその弟子たちのおかげで、国際的なヨガの世界でポーズをとるヨガが
これほどまでに盛んになったといって過言ではないし、彼らの出版物は
近代アサナのありようを確かめる上で、この研究の貴重な資料ともなっ

(第
6

9
章)
。しかし、そうした出版物からだけでは、ヴィヴェカナ
ンダがヨガを近代的実践者に向けて普及してから、ハタ・ヨガ実践がヨ
ガの中心的実践へと推移するまでの、
30
年間の空白の時期をきちんと説
明することは出来ないのである。どうしてクヴァラヤナンダらが、アサ
ナを使って、人気のヨガという領域をつくり上げることが出来たのか。
また逆に、ヴィヴェカナンダが新しい潮流において、なぜアサナを避け
るべきだと考えたのか。
こうした疑問からこの研究は、
17
世紀から
20
世紀初頭までのヨーロッ
パの旅行記や学術書、大衆メディアに現れたハタ・ヨガやヨギンの表象
を調べることへと進んだ。リチャード・シュミットの
1908
年のハタ・ヨ
ガ的な「ファキール主義」についての研究により、ベルニエ

Bernier
1968
(
1670
)

、タヴェルニエ

Tavernier
1925
(
1676
)


J
・ド・テヴェノ

Thevenot
1684

、フ
ライヤ

Fr yer
1967
(
1698
)

といったヨギンに関する早い時期の記録が存在す
ることがわかった。そして、それらを実際にひもとくと、さらにムンデ


Mundy
1914

、オヴィントン

Ovington
1696

、ハーバー

Heber
1828

、ベルナ
7
6
はじめに
YOGA BODY
ールの選集

Bernard (ed.)
1733
-
36

といった記録が参照されていることもわか
った。こうした過去の記録からは、ヨギンやそのポーズによる苦行が、
倫理的・法的な批判や嫌悪の対象であり気味の悪いものとされていたこ
とがはっきりしたのである。また、ヨーロッパの学者や英語で教育を受
けたインドの学者による
19
世紀の学術書でも、似たようなハタ・ヨガ実
践への態度が見られた。調査した学術書には、
E

W
・ホプキンス、
W

J
・ウィルキンス、
M
・モニエ=ウィリアムス、そしてマックス・ミュラ
ーのものが含まれている。そして、
19
世紀末のヨギンの位置付けについ
ては、
1884
年以降に行われた
S

C
・ヴァスによる初期のハタ・ヨガ文献
の翻訳が非常に役に立った。また
C

R

S
・アヤンガー

Ayangar
1893


B

N
・バネルジェ

Banerjee
1894

、パンチャム・シン

Sinh
1915

の翻訳も参
考にした。ヴァスの翻訳が特に役立ったのは、それが、
1920
年代以降の
ハタ・ヨガの近代的な「医学的」解釈を広めるきっかけとなり、ハタ・
ヨガ実践を正統化する理由付けを提供した重要文献だったからである。
これまでの研究では、英語圏でのヨガの発展にとって大事なこの時期が
見逃されていたのだ。
大衆メディアにおけるヨギンの表象に関しては、
19
世紀のイギリスの
グラフ誌『ストランド』『ピアソンズ・マガジン』『スクリブナー・マガ
ジン』、
19
世紀から
20
世紀への転換時期については、奥義に関する文献で
「ファキール・ヨギ」とその技について書かれたもの、その後について
は、大衆的なインドの民族誌などの文献のほか、想像上のインドのヨギ
ンが登場する初期の映画なども取り上げた

6

18
世紀の「ポーズの達人」

1800
年代後半に現れる「大道ヨギン」の前身にあたるヨーロッパの大道芸)
の新聞広告
は、二次文献の注からたどり着いたもので、ケンブリッジやロンドンで
入手することが出来たものである。こうした、ベルニエ以降のヨーロッ
パのインド旅行記や、
19
世紀のオリエンタリスト学者たちや大衆メディ
アがとらえたヨギンの表象をみれば、初期の英語圏ヨガにおけるヨギン
の位置付けや、どうしてハタ・ヨガが初期のヨガ・マニュアルで触れら
れなかったのかがよくわかる。初期のヨガ啓蒙者のうち、もっとも重要
なスワミ・ヴィヴェカナンダと
H

P
・ブラヴァツキー夫人の
2
人が書き
残した文献は、当時のハタ・ヨガへの態度が記録された貴重な資料であ
る。ただ、こうしたヨーロッパの解釈以前から、ハタ・ヨギンがインド
のカースト制のはみ出しものであったことには、注意しておかなければ
ならないだろう。インドのヨガ再興の動きでハタ・ヨガが含まれなかっ
た理由は、こうした位置付けに淵源をもつからである。
以上のような資料から、ハタ・ヨガが初期の英語圏ヨガに含まれなか
った理由ははっきりさせることが出来たが、それがその後なぜ復活出来
たのかはこれだけではわからない。そこで次に、もう一度ヨガ・マニュ
アル本の調査に立ち戻る必要があった。そしてまず、マニュアルに現れ
たハタ・ヨガのアサナは、だいたいいつも体操と比較されていたことが
わかってきた。こうしたポーズの解釈は、ヴァスによるハタ・ヨガ「古
典」文献翻訳などの解釈とは著しく異なっていたのである。こうして新
しくつくられた英語圏のヨガの文脈では、肉体に関する概念体系や哲学
的内容が、近代的な健康とフィットネスに関する語り口へと変化した。
大英図書館やケンブリッジ大学図書館に所蔵されている
18
世紀から
20

紀初頭にかけてのヨーロッパの体操マニュアルを調べてみると、英語で
のヨガ本著者たちは、紛れもなく、そうした近代の身体文化の概念を使
ってハタ・ヨガを説明しようとしていたことがわかる。しかも、健康と
フィットネスの文脈にうまく合わない部分は削除してしまったようなの
だ。
こうした観点に合致する例が、リン、サンドウ、
YMCA
に淵源をもつ
スカンジナビアのシステムであった。これらの
3
つは、インドの身体文
化形成に大きな影響をもった舶来のシステムであり、そのためにそれに
合わせた新しいハタ・ヨガのありようにも、当然大きな影響があったも
のである。このうちインドの
YMCA
の身体文化プログラムについては、
複数の情報源に当たっているが、まずは、
1887
年にルーサー・ハルセイ・
9
8
はじめに
YOGA BODY
グリックが
YMCA
の身体文化プログラムを最初に始めた場所であるマサ
チューセッツ州スプリングフィールド大学のバブソン図書館。次に、イ
ンドの
YMCA
身体文化学校の草分けであるチェンナイ校の本やアーカイ
ブ記録、そして、バンガロールの
YMCA
身体文化学校の資料とそこでの
聞き取り調査が主な情報源である。またインドの近代的身体文化につい
ては、このほかマハラストラ州の雑誌『ヴィヤーヤン:ボディビルダー』
や、
K
・ラマムルティのほか
P

K
・グプタや
P

K
・ゴースといった、イ
ンド人で身体文化に関する著作があった人びとの作品群も大事な資料と
なった。さらに、同時代のイギリスの身体文化雑誌にも手を延ばすこと
になり、『健康と力』『スーパーマン』といった雑誌で、国際的な身体文
化の文脈でのヨガとフィットネスの関係について調べたのである。

6
章と第
9
章に使った、
1930
年代のマイソールやバンガロールでの
ヨガ練習の様子については、本人が練習に参加したか、近い親戚が参加
していたという人への聞き取り調査が、主な情報源となっている。それ
らはすべて
2005
年に
3
ヶ月現地調査をしたときに行ったものである。こ
うした聞き取り調査対象者は、だいたい
80
歳代か
90
歳代になっており、
ひとりなどは
100
歳を超えていた生き証人たちであり、その後の国際的な
近代ヨガの発展を見てきた人びとである。そうした人びとを探して聞き
取り調査した理由は、その当時にヨガなどの身体文化を練習するのはど
ういう感じだったのか、当事者に聞きたかったからであり、キーパーソ
ンとなる
T
・クリシュナマチャルヤや
K

V
・アイヤー周辺の「ボディビ
ルディング・ヨギ」の様子を伝えてもらいたかったからである。
研究対象となった空白時期は、かろうじて証言者が生き残っている時
期にあたり、ときとして記憶は曖昧になっている。ほぼ半世紀前のこと
を老人に語ってもらおうというわけであるから、細部ははっきりしない
か、ほとんど覚えていないということも多い。しかも、近代ヨガでは派
閥もあれば利害関係もある。特に、
T
・クリシュナマチャルヤの伝説に
関しては、彼の教えから派生した、ポーズをとるヨガの各流派にとって
の大いなる関心事でもある
(第
9
章参照)
。現代の国際的なヨガの世界で
は、何が真の正統的な練習法であるかという正統性の議論は熱く、とき
に偉人化や記憶の改竄によって権威がつくり上げられている場合すらあ
る。そこで、背景を踏まえて聞き取り内容を解釈する必要があった。こ
うした難点はあるものの、聞き取り調査することによって、カルナタカ

1930
年代のヨガや身体文化の練習の様子について、それを行わなけれ
ば得られなかった貴重な情報が得られたし、珍しい文献に触れる機会に
も繫がった。
聞き取り調査を受けてくれた人びとのうち、主たる情報源となったの
は、マイソールでのクリシュナマチャルヤの弟子であったという
3
人で、
世界的に有名で最近亡くなったシュリ・
K
・パタビ・ジョイス、そこま
では有名ではないがマイソールのヨガ指導者である
B

N

S
・アイアン
ガー、そして、
T

R

S
・シャーマ教授である。シャーマ教授について
は、かなり時間をかけ、また数回にわたり、マイソールのヨガ・シャー
ラについて語ってもらった。また、ポーズをとるヨガでは世界的に有名

B

K

S
・アイアンガーは、何度もお願いしたにもかかわらず、この
問題について聞き取り調査を受けることは拒否したが、その代わりにプ
ネの研究所にある個人蔵書の使用を許してくれた。私が接触したクリシ
ュナマチャルヤの弟子のうちの
5
番目の人物は、チェンナイでのクリシ
ュナマチャルヤの弟子で有名な指導者である
A

G
・モハンであり、聞
き取り調査も受けてくれたが、マイソール時代のことについては直接の
経験はない。
ここで、マイソールのジャガンモハン宮殿の公式記録の管理をしてい
るシュリ・
M

G
・ナラシムハンが、クリシュナマチャルヤのヨガ・シ
ャーラの記録が含まれている
1930
年代、
1940
年代の年次報告を見せてくれ
たことにも触れておきたい。彼の妻、
M

A
・ジャヤシリ博士と、義兄
弟のシュリ・
M

A
・ナラシムハンは、私のハタ・ヨガ理解を助けてく
れ、サンスクリットで書かれた、『ハタ・ヨガ・プラディーピカー』に対
11
10
はじめに
YOGA BODY
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