現実の大山倍達と漫画 現実と大山倍達自著との違い テコンドーと大山倍達の関係

こちらが大山倍達を主人公にした原作梶原一騎 漫画つのだじろうの空手バカ一代より
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こっちが現実の大倍達山先生





※まず全然ロンゲちゃうやん!

とかいうツッコミもあるでしょうが

現実の大山倍達先生は腰から上は足が全く上がりません
戦前の空手自体 多彩な蹴りが存在しなかったのも原因でしょう
戦後の空手の回し蹴りとかはムエタイのパクリです

漫画じゃ帽子を蹴り飛ばすシーンもありますが
若い頃から足の上がらない大山先生にそのような芸当が出来るとも思えません

戦後になってから現代では空手の蹴りも発達し
サソリ蹴りとか三日月蹴りとかカカト落としなど多彩な蹴りが現実に使えるようになりました
フルコンタクト流派の青野楓さんが本当に漫画の様に帽子を蹴り飛ばしています



http://ameblo.jp/626kaede/entry-11985161517.html

空手
テーマ:kaede
検索ワードたまーにしか見ないんだけど、
青野楓 流派 って結構ある。(笑)
流派は実戦のフルコンタクトです。


空手系の検索ワードが多かったので今日は空手について書きますね!


空手を始めたきっかけは、小学校2年生のときにいつも喧嘩する男の子がいて勝ちたくてお父さんが空手してたのは多分知ってたので空手やりたいって自分から言ったと思います。
きっかけについては親も私も曖昧な記憶なんです。(笑)なんとなく覚えてる範囲で(笑)


体験か見学にいって返事する間もなく入会してたと思います。


蹴りが好きで同じ道場の子には負けなかったです。でも試合は弱かったです(笑)
初めての試合で一個上の男の子にいきなり顔蹴られて負けてから試合大嫌いで早く終わりたいって思ってました。(笑)いやいや出てましたね。
高学年で優勝したら携帯買ってくれる約束して初めて優勝しました(笑)


中1で初段受けました。うちの道場では当時なかなか黒帯はとれませんでしたが4年生ぐらいから幼稚園の年の子たちの指導してたので黒帯とることができました。10人組手ちゃんとしましたよ。人生初の鼻血をだしながら。(笑) あれは辛かったけどいい経験です。


それからは部活をしていたので空手は休部状態でした。ちなみに部活はソフトボールで副キャプテン、サードでした。(笑)中学は部活ばっかりでしたね。日焼けしすぎて真っ暗でした(笑)


高校にはいって部活しようと思ったけどハイレベルすぎてやめました。(笑)髪を切るのがまず嫌だった。w
帰宅部になって親の道場の指導の補助をしていました。選手は中学で引退でしたね(笑)教える楽しさと子供がだいすきだったので私は選手より指導側がいいなと思いました。小さい子ってなかなかゆうこと聞いてくれないし集中してくれないけどすごい吸収してくれるし一緒に頑張っただけ成長してくれるから貴重な歳の成長過程を見れるのは幸せだなと思いました。


今は空手はやってません。辞めてはいないけど。
関西にしか道場がないからできないの。
私の最終の目標は道場やりたいです。大好きな空手をたくさんの人に知ってもらいたい。自分の身は自分で守る時代ですし精神的にも成長できます。
なので今はアクションをはじめ、色んなことにチャレンジして自分を知ってもらうことからやっていかないとなと思っています!


なんか長々と書いてしまったけど、、
私はりなさんやきゃのんのように実績なんてほぼないです(笑)だけど空手が好きな気持ちは同じだと思う!




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あとよく聞かれるのがバレエやってましたか?
やってません。(笑)身体はむかしから柔らかかったけど一時期かたい時期もあった!毎日やればまたできるようになりました。

それからこの写真、前蹴りじゃなくて蹴り上げでもなくて回し蹴りです。自分でもこんな高く上がってるって思って蹴ってないから写真みてびっくりする(笑)気持ちわるいよねw


これはPHPさんに取材していただいたときのものです。いつまで販売してるかわからないけど月刊なのでお早めに。見つけたら買ってねー♡
http://www.php.co.jp/magazine/php/




空手について書いてみたけどたまにはこんなお話もどうかな?また検索ワード見て記事考えますね(笑)

https://plus.google.com/111028910472061823412/posts/B48CptuFNiH
【嫌韓流・韓国の国家機密】テコンドーと大山倍達の関わり

大山 倍達(おおやま ますたつ、1923年(大正12年)7月27日(旧暦6月4日) -1994年(平成6年)4月26日)
別名:マス大山。韓国名は崔 永宜(さい・えいぎ、チェ・ヨンウィ、최 영의)
他に、崔猛虎・大山猛虎・大山虎雄・崔倍達など
男性武道家・空手家
国際空手道連盟総裁・極真会館館長 極真空手十段
父・崔承玄と母・金芙蓉の6男 1女の第4子として朝鮮全羅北道金堤市で生まれた。
1964年(昭和39年)日本国籍を取得/帰化
俳優藤巻潤の妹と結婚
韓国の戸籍 1922年7月27日生まれ
1923年生まれでは新暦と旧暦の誕生日が一致しないため、実際の生年は1922年と推定される。
1970年代 週刊少年マガジン 劇画『空手バカ一代』の主人公。

◎ 劇画「空手バカ一代」の虚構
・著書には必ず記されていた多くの逸話は殆どが虚構。
・少年時代の「満州生活」は偽りであり、満州で学んだという武術「チャクリキ」は全くの虚飾。
・中学卒業間近、トラブルを起こし父から勘当され…密航で来日したというのが史実。

大山倍達正伝 小島一志・塚本桂子 著 新潮社
http://blog.livedoor.jp/samurai_mugena2/archives/4700904.html

◎ 大山倍達兄弟の長兄・崔永範氏
「日本が戦争に勝つ事を殆どの朝鮮人は願っていた」
「教育が遅れていた朝鮮に日本が沢山の小学校を作ってくれた。日本語を強制された事はない。むしろ日本人教師が懸命にハングルを学んでいた」

◎ テコンドー創始の際、これに深く関わっていると言われている。
・このため韓国に極真空手の支部を置かなかった。
極真空手が韓国に進出したら、テコンドーが潰れてしまう
Numbers 1985年5月20日号
・大山倍達は、テコンドーの試合体系に多大な寄与を与えた。
1966年、崔泓熙将軍に頼まれて、テコンドーの完成に協力してくれました。
大韓テコンドー協会日本総本部会長 金辰圭
大山倍達正伝
・ただし、大山氏はテコンドー側の「空手はテコンドーが発祥と言ってくれ」との依頼にこうも言われています。
「そんな恥知らずな真似ができるか!」

◎ テコンドー韓国発祥の「近代武道」(通説)
1940年代に日本国から空手が韓国に伝わり、コスンドー、タスンドーの名称で広まる。
その後テコンドーが正式名称になった。

崔泓熙テコンドー総裁の証言
・1966年、私の友人が、大山倍達が日本の国籍を取ろうとしていると教えてくれた。
・私は彼に会って、彼が日本国籍を取るのを止めさせようとした。
・韓国は彼のような人間が必要だから、韓国に帰ってくるべきだと告げた。
◯ 大山倍達氏談

「自分は朝鮮で生まれたが、幼い頃日本に来た。佐藤栄作首相のおかげで今日ここまで成功することができた。佐藤首相が自分に日本人になることを勧めてくれたんだ」

「単純に考えて、自分はこのような環境の中でやっていけるとは思えない」

『テコンドー・タイムズ113号(2000年1月発行)崔泓熙総裁へのインタビュー』

次回、「卑怯者、力道山」

http://42186467.at.webry.info/201507/article_5.html


読後感想 A Killing Art テコンドーの語られざる歴史

<< 作成日時 : 2015/07/10 10:54 >>

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読後感想 A Killing Art : The Untold History of Tae Kwon Do (殺す技術: テコンドーの語られざる歴史), Alex Gillis 2008 ECW Press

テコンドー関連の英文電子書籍をアマゾンでサーチしていたら読者レビューで評価が高かったのが本書。ゆっくり読むつもりが読み始めたら引き込まれてしまい一気に読了した。一言で言うとおそろしくブラック。去年の夏に読んだ「大山倍達正伝」に似た、暗澹たる気持ちになった。http://42186467.at.webry.info/201407/article_3.html 大山倍達こと崔倍達の二重の人生、大山死後の極真空手の分裂騒動など比べものにならないくらい、半島解放とその分断、朝鮮戦争、ベトナム戦争、朴正煕暗殺や全斗煥拉致、ソウル五輪招致やテコンドーの五輪競技化などに関わるテコンドーの歴史の闇は深い。崔総裁をはじめ実在関連人物へのインタビューや韓国語文献を含む豊富な資料を活用しており、各章ごとに出典がこれでもかとリストされている。
著者はカナダ人、テコンドーをこよなく愛すITFテコンドー歴の長い有段者で、10歳の娘さんをWTF道場に通わせている。彼は最初と最後に、このような経緯のあるテコンドーなのに何故テコンドーをつづけ、かつ自分の娘にも習わせているのかと自問し、彼なりの答えを出している。

ここは本書の内容には触れず、本書を読みつつ考えたことを少々綴りたい。
執拗に我が国を目の敵にし、昨今我が国との関係がとみに悪化した韓国という隣国の有りようについても考えさせられた。韓国が実際に国民国家として歩み始めたのは日本支配終焉による独立以後で、日本国家と日本人が明治に経験した国造り、富国強兵、国威高揚、に相当することを本来の国土人口の半分のサイズで東西冷戦下、北朝鮮との軍事対立というきわどい状況でやってきたということ。(肩を持つ訳ではないがそれは大変な困難なことだと言える) それを支える拠り所を残念ながら反共、反日というアンチ主義に求めるところが多かったということ。その状況は未だに続いており、北朝鮮の脅威は依然として存在し、徴兵制度は未だに続いている。そのような中、テコンドーはナショナリズムを支える数少ない有効重要なツールの一つとなった。
テコンドーの源流は空手だと本書も言い切っているが、この時代、空手を実戦で殺す技術として用い、磨いたのは日本人よりも韓国人だと思われるというと語弊があるだろうか。本書によれば朝鮮戦争やベトナム戦争、国内外の反体制派学生の拉致拷問にテコンドー家が多く関わっている。また、大山倍達正伝によっても日本でも終戦直後の暴力団闘争に関わった者の多くに在日朝鮮人、韓国人が関わっていて大山倍達など在日コリアン空手家も多くいたと知れる。論理の飛躍が甚だしいかもしれないが、ある意味、幕末の動乱期に日本の剣術各流派が百家争鳴、最後の華を咲かせたのと同様に、殺傷技術としての空手も動乱の半島においてより必要とされ、その面でもテコンドー創業期の人材には事欠かなかったのではないか。その殺傷技術は一般化の過程で発展した試合ルールに沿った両派テコンドーのスタイルとは全く異なって別個に存在しているはずだ。
先にも述べたように、テコンドーの普及発展は韓国ナショナリズムの発揚に強く結びついていた。そこに、巨大な野心を持ち、乱世の梟雄にもたとえられそうな二人の人物がテコンドーを大きくし、彼らの間の個人的確執がITFとWTFの間の競争と化し、南北対立も絡んで、執拗強引な五輪誘致とテコンドー五輪競技化へと繋がっていく。日本が戦後の平和を謳歌している間に、本来沖縄、日本に源流を持つ武道が韓国でテコンドーと命名され、独自の韓国礼賛神話のパッケージとともに世界各地に輸出され、空手を蹴落として五輪競技となったのはある意味、必然的だったのかもしれない。

スポーツや武道の組織は大きくなると金や縄張り争いがこれまた必然的に出てくるものであろうか。最近のFIFA騒動もそうだし、本書よりも後の出来事ではあるが、日本でも他の国々でもテコンドーを巡る内紛や金の問題が発生している。

こういった経緯が闇、スキャンダルであることは明らかではあるが、だからと言ってテコンドーの全てを否定することは必要ないし、出来ない。大山倍達の伝説の多くがハッタリであったことや極真の分裂扮装が極真空手の価値を否定することにならないのと同様である。著者が本書の終わりで述べようとしているのはその辺りであり、尊敬できる師、素晴らしい稽古仲間、ひたむきに修行して、人生を豊かにしたり、自信をつけたり、健康を向上させている人々があちこちにいる。昨今の嫌韓の中ネット上で、テコンドーを辞めようか逡巡していた自衛隊員の方に賛否両論が多々あった中「格闘技に罪はない。」と回答している人がいた。その通りだと思う。

本書は原文の英語版のみにしておくのはもったいない。日本語訳、韓国語訳、その他の言語に翻訳されより多くの国の人々に読んでもらう価値があると信ずる。多くのことについて考えさせられた。


http://ameblo.jp/fujiyamapapa/entry-11771578165.html



#1432『「時代の嵐」・・在日朝鮮人と空手に見る戦後史』



2014-02-14 11:03:00
テーマ:【記事】













國體の護持こそ日本精神















今は冬期ソチオリンピック開催中だが、オリンピック競技にテコンドーという武道がある。韓国の崔泓煕(チェ・ホンヒ)が日本に留学中に学んだ松濤館(流)空手を元に、アレンジし体系化した武道である。こう書くと、韓国がまたパクリ云々との声が聞こえてきそうだが、大東亜戦争前から朝鮮半島には日本の空手道場があった。武道、特に大東亜戦争後の一部の空手の歴史を見ると、そこには在日朝鮮人の歴史が深く関わり、それはそのまま日本の裏戦後史でもある。









空手には沖縄伝来の伝統派と、新興のフルコンタクト系という二大系統がある。其々に流派や会派、団体が無数に存在する。拙稿では新興のフルコンタクト系について記す。フルコンタクト系の総本山といえば言わずと知れた極真会館がある。日本はおろか世界各国の格闘技や団体に影響を与えた会派(厳密には流派ではないが分裂後、流派的側面もある)である。しかし極真会館は創始者が在日朝鮮人であるが故に、最近はインターネット上での誹謗中傷も多い。日本発祥の空手ではあるが、空手を含む武道を修業するのは今も昔も総じて外国人が多い。日本人は批判はするが血や汗を流す稽古を嫌う。昨今は自らは見るだけかバーチャルなゲームに夢中である。









「極真」の創始者は在日朝鮮人の大山倍達(崔永宜=チェ・ヨンイ※かつては崔倍達=チェ・ペダル、大山猛虎、崔猛虎とも名乗った)。1970年代に一大ブームになった劇画「空手バカ一代」のモデルである。大山倍達は10代の頃に単身来日、空手を学ぶ。伝統派の松濤館(流)では大竹一蔵に可愛がられ船越義豪と交流、剛柔流では曹寧柱に学び、山口剛玄とも交流した。この山口剛玄と曹寧柱が「最終戦争論(世界最終戦論)」の帝国陸軍中将石原莞爾に心酔、石原莞爾の主宰する東亜連盟に参加しており、大山もまた多大な思想的影響を受けていき、後に民族運動に傾倒していく。この東亜連盟の流れから、戦後は東條英機暗殺を企てた事で知られる柔道の牛島辰熊(不世出の柔道家と云われた木村政彦の師)とも交流している。極真会館設立の遥か昔の話である。戦後間もない頃の空手界には、大山以外にも在日朝鮮人空手家が普及に尽力している。尹曦炳が興した韓武館は大山と交流があったという。









既に拙稿にも記している通り、戦後の在日朝鮮人は、共産主義の在日本朝鮮人連盟から反共産主義勢力が分裂、現在の朝鮮総聯に続く武闘組織である在日朝鮮民主統一戦線と、民団に続く在日朝鮮建国促進青年同盟が激しい抗争を繰り広げた。この在日朝鮮建国促進青年同盟に曹寧柱、大山倍達は参加、激しい抗争に明け暮れていた。当時、共に抗争した仲に町井久之(鄭建永=チョン・ゴニョン)がいる。愚連隊の関東町井一家から東声会(後に三代目山口組舎弟)を起こし、同会解散後はバブル期名を馳せた、六本木TSK・CCCの東亜友愛事業組合のオーナーとして知られている(山口組三代目に取り次いだのは、反共勢力に武闘面からヤクザの結集「関東会(後に関東二十日会)」を考えていた戦後日本史に残る大物フィクサー、児玉誉士夫)。大山は戦後間もない頃、元満州鉄道総裁襲撃にも参加したが本人と面識があったのか、その場で襲撃グループに「この人には手を出すな」と助けている。大山の強さに全員手を引いたという。この元満州鉄道総裁が、後に極真会館会長として終生大山を後援していく衆議院議員になる毛利松平である。









かつての極真会館は新興流派であったが、大山の著書(出自や戦後期の抗争等は一切隠され脚色されていたが)や劇画、映画により勢力を拡大していた。これに児玉誉士夫と並ぶ大物フィクサー笹川良一(全日本空手道連盟会長)が目をつけ傘下に収めようとした。笹川良一は旧満州では児玉誉士夫の児玉機関で、日本少林寺拳法創始者の宗道臣と共に機関員だった。宗道臣が日本少林寺拳法という武道団体を設立し、対抗心から全日本空手道連盟会長になり、この頃破竹の勢いの極真会館に触手を伸ばしたと云われる。しかし大山は破格の条件にも関わらずこれを一蹴している。大山曰く「今さら親分は変えられない」。当時、日本の首領(ドン)と云われた笹川良一との会席に同席したのは、義弟の真樹日佐夫と当時の極真会館会長毛利松平。毛利は笹川良一を前に無言で下を向いていたという。また、この頃の極真会館には相談役として元三代目山口組柳川組の柳川次郎(梁元錫=ヤン・ウォンソク)も席を置いている。また極真会館創成期には在日朝鮮人ネットワークから世界キリスト教統一神霊協会(統一教会)とも深い関係にあった(この頃の統一教会は反共の国際勝共連盟を持ち、自民党を中心に保守系議員を支援、一代勢力であった)。高弟らにも在日朝鮮人が多数いたが韓国系が多い。









極真会館設立後、大山は毛利松平の勧めで帰化している。大山の死後、二代目を継いだ松井章圭(文章圭=ムン・ジャンギュ)は帰化に批判的という。松井は極真会館の世界大会優勝後に一時極真会館を離れ、大山の紹介で許永中(ホ・ヨンジュン※イトマン事件で現在服役中)の秘書をしていた。ここにも在日朝鮮人ネットワークがある。極真会館は大山の死後に分裂した。表向きの理由は松井の運営云々や遺言状とされるが、松井の出自も一因と云われている。松井を否定したのは日本人の門弟ばかりだからである。しかしその後にも松井の元を去った者がいる。当時の松井の後見人、盧山初雄(盧初雄=ノ・チョウン)。極真会館は先に記したように大山以下韓国系朝鮮人が多数だが、盧山は大山がライバル視していた中村日出夫(拳道会創始者、北朝鮮系在日朝鮮人)にも師事していた時期もあり、北朝鮮系とも云われている。組織の運営路線の違いと云われる。









中村日出夫は山梨に修徳会という道場を構えていたが、劇画や映画等で派手に勢力を伸ばす大山とは対照的に、目立つ事は一切しなかった。盧山は極真会館を離れていた時期、この修徳会の内弟子である。中村日出夫は、後に高弟らが拳道会を設立し、初めて会長として表に出てきた感がある。因みに朝鮮学校の空手部は全て拳道会空手であり、同会は公安の監視対象とも云われている。総聯の家宅捜索等で機動隊と対峙するなかに指導員らが見られるのか。かつての在日朝鮮民主統一戦線が源流なのかと想像される。中村日出夫もまた達人と云われた空手家であるが、大山倍達と共に故人である。二人は在日朝鮮人であり、戦後の激しい時代の嵐の最中、また冷戦時代には対立に翻弄されながらも壮絶に生き抜いた不世出の空手家であり、現在では語ることも出来ない、隠さなければならない過去があったにせよ、彼らも真の武人であろう。これもまた日本空手の歴史であり、大東亜戦争後の日本の歴史でもある。


























武道とは修業する過程で武士道=日本精神を身につけていくものと考える。そこに本来、人種や政治、宗教の入り込む余地はない。しかし在日朝鮮人であるが故、戦後の一時期の民族運動による激しい抗争、冷戦時代には反共勢力結集に利用されたり、また、政治家やアンダーグラウンドに関わりながらも、こと空手に関しては一途に進まれた方々がいた。今も道場で汗を流す門弟らは圧倒的に日本人であろう。だが、日本人以上に日本精神を持つ在日朝鮮人の武人がいたし、今もいる。極真会館や拳道会のみならず、他の流派会派にも在日朝鮮人の武人が汗を流す道場は数多とある。拙ブログはこれらを反日朝鮮人とかインチキ空手等と批判するものではない。現在の韓国、北朝鮮を見れば筆者も怒りを覚える。しかし、昨今インターネットの普及により故人を貶めるような誹謗中傷が数多と見られるが言語道断である。そのような輩に日本人の魂はない。日本人を名乗る資格もあるまい。真の日本精神とは血ではない。日本精神とはその魂である。















※文中の敬並びに故人の表記省略。
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