ロンダラウジーvsホリ―ホルム

ロンダ・ラウジー





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ロンダ・ラウジー

Ronda Rousey.jpeg

基本情報


本名
ロンダ・ジーン・ラウジー
(Ronda Jean Rousey)

通称
ロウディ (Rowdy)
アームバー・クイーン (Armbar Queen)

国籍
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国

生年月日
1987年2月1日(28歳)

出身地
カリフォルニア州リバーサイド

所属
チーム・ハヤスタン
グレンデール・ファイトクラブ

身長
168cm

体重
61kg

リーチ
168cm

階級
バンタム級

バックボーン
柔道

テーマ曲
Bad Reputation
(ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツ)
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獲得メダル


アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国


女子 柔道


オリンピック

銅 2008 北京 70kg級

世界柔道選手権

銀 2007 リオ・デ・ジャネイロ 70kg級

世界ジュニア柔道選手権

金 2004 ブダペスト 63kg級
銅 2006 サントドミンゴ 63kg級

パンアメリカン競技大会

金 2007 リオ・デ・ジャネイロ 70kg級

パンアメリカン大陸柔道選手権大会

金 2004 63kg
金 2005 63kg
銀 2006 63kg

ロンダ・ラウジー(Ronda Rousey、女性、1987年2月1日 - )は、アメリカ合衆国の総合格闘家、元柔道家。カリフォルニア州リバーサイド出身。元UFC世界女子バンタム級王者。元Strikeforce女子バンタム級王者。チーム・ハヤスタン/グレンデール・ファイトクラブ所属。北京オリンピック柔道70kg級銅メダリスト。アメリカの女子柔道史上初のオリンピックメダリスト。

母親のアン・マリア・ラウジー・デマルスは元柔道家で、1984年の世界選手権56kg級で優勝している[1]。



目次 [非表示]
1 来歴 1.1 柔道 1.1.1 母親との関係

1.2 総合格闘技
1.3 UFC

2 人物・エピソード
3 戦績 3.1 プロ総合格闘技
3.2 アマチュア総合格闘技

4 獲得タイトル
5 出演 5.1 映画
5.2 CM

6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク


来歴[編集]

へその緒が巻きついて産まれてきた影響で、6歳頃までは言いたいことが上手く言葉に出来ない言語障害があったが、言語聴覚士との訓練で障害を克服した[2]。8歳のときには、父親がソリ滑りの事故で背骨を骨折、合併症を引き起こして余命宣告を受けた後に自殺している[3]。

柔道[編集]

8歳までは水泳をやっていたが、父親が亡くなったのをきっかけに柔道に転向した[2]。

16歳のときにジム・ペドロ・シニアとジミー・ペドロの親子に出会い、途中に別のコーチに変更することもあったが2003年から2009年まで指導を受けた[2]。2012年ロンドンオリンピックの柔道78kg級金メダリストのケイラ・ハリソンはラウジーの後輩で、同じペドロ門下生として普段の練習は勿論のこと、ペドロの自宅に住み込みで厳しい合宿を行うなど切磋琢磨した練習仲間でもある[4]。

2004年、8月に17歳でアテネオリンピックに63kg級で出場し、一回戦で敗退したが[5]、10月に開催された世界ジュニア柔道選手権に63kg級で出場し、金メダルを獲得した。

2006年、世界ジュニア柔道選手権63kg級に出場し、銅メダルを獲得した。

2007年、階級を70kg級にあげ、世界柔道選手権で銀メダル、パンアメリカン競技大会で金メダルを獲得した。

2008年、北京オリンピックの70kg級に出場。準々決勝でオランダのエディス・ボッシュに敗れたが、敗者復活戦を勝ち上がり、銅メダルを獲得[6]、アメリカの女子柔道選手で初のオリンピックメダリストになった[4]。

柔道関係者からは2012年のロンドンオリンピックで金メダル獲得を期待されていたが、ラウジー自身は質実剛健で反復的な柔道生活に飽きていたため、オリンピック直後のインタビューで、1年ほど休養を取ってローンを組んでサーフィンやドライブなどやってみたいことを楽しみ、柔道一筋だった日々の埋め合わせをしてから大学進学などを考えたいと述べた。同じインタビューで総合格闘技転向について「わからないわ。総合格闘技のコーチの知り合いがいて、パンチの打ち方を練習してから試合に出てみないかと誘われているの。だからパンチの練習をやってみるかもしれないけど何も決まっていないわ」としていた。その後はバーテンダーとカクテル・ウェイトレスとして3件の店を掛け持ちで忙しく働きながら、しばらく普通の生活を送った[3][7][8]。

2009年、谷本歩実の紹介でコマツに1年間柔道留学する契約を結び、1年ぶりに柔道に復帰をして、ペドロの道場で2ヶ月間練習した後にハリソンやペドロと共に日本へ渡った。日本で大歓迎で迎えられるが、わずか4日後にラウジーは自分にとって必要なことではないと、コマツ側に相談もせずにアメリカへ帰国してしまう。残っていたメンバーも居づらくなり6週間後に帰国している[4]。

帰国後、母親に総合格闘家になる夢を打ち明け、最初は「とんでもない」と言われてしまうが、説得をして1年間は見守ってくれるよう了解を得て、晴れて総合格闘家へ転向した[3]。

母親との関係[編集]

世界選手権金メダリストである母親は経験を生かしラウジーに柔道に関して様々なアドバイスを送ったが、ラウジーのコーチを立て、出すぎたことはせず常に二番手以下に徹した。ラウジーはこのことについて「彼女がそうしてくれて嬉しかったわ。私にはママが本当に必要だったのよ、トレーニングの不満をママにぶつけることが出来たわ。それに、たまにコーチが嫌いになることもあるでしょ、ママのことは嫌いになりたくなかったからね」と述べている[2]。

ラウジーが11歳のとき、柔道の練習中に親指を骨折して泣き出したところ、母親に練習が終わるまで柔道場を走らされたことがあった。ラウジーはその時は酷い母親だと思ったが、あとで「怪我をしても戦わなければいけない時があるの。そして、あなたはそれが出来る才能があるってことを知る必要があったの」と言われたエピソードがある[2]。

「ロンダは負けず嫌いなの。たとえ相手がずっと大きくても、ずっと強くても、彼女は切り抜ける方法を探し出そうとするの。ロンダが13歳のときに道場に練習に来た40歳代の全日本チャンピオンと対戦したわ。彼はロンダを投げ飛ばしたの。ロンダは帰り道でずっと泣いていたわ。そしてこう言ったの『ママ、彼を投げることが出来なかった、どうやっても投げることが出来なかった』。彼女はこうは考えなかったみたいね『相手は体格が2倍以上も大きい全日本チャンピオン、だけど私は13歳の柔道初心者』、彼女は『私は彼をやっつけることが出来る』と考えていたのよ」とラウジーが幼少の頃から負けん気の強さを発揮していたエピソードを語っている[9]。

総合格闘技[編集]

2010年8月6日に開催されたCombat Fight Leagueでアマチュア総合格闘技デビューを果たし、1R23秒腕ひしぎ十字固めで勝利した[10]。 その後、アマチュアで2戦し、いずれも勝利している。

2011年3月27日、King of the Cageでプロデビュー。

2012年3月3日、Strikeforce: Tate vs. Rouseyの女子バンタム級タイトルマッチでミーシャ・テイトに挑戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収め王座獲得に成功した[11]。

2012年8月8日、それまでUFCの女子部門設立に否定的だったUFC代表ダナ・ホワイトがショウタイムのロンダ・ラウジー特別番組の中で「もし次の10年の間にUFCに上がる女子選手がいるとすれば、それは多分ロンダ・ラウジーになるんだろうな」と発言した[12]。

2012年8月18日、Strikeforce: Rousey vs. Kaufmanの女子バンタム級タイトルマッチでサラ・カフマンと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収め初防衛に成功した。

2012年11月、UFCと契約。UFC初の女子選手となった[13]。

2012年12月6日、Strikeforce女子バンタム級廃止に伴いUFCに移籍。そのまま初代UFC世界女子バンタム級王者に認定された。

UFC[編集]

2013年2月23日、UFC初参戦となったUFC 157でリズ・カムーシェとUFC史上初となるUFC世界女子バンタム級タイトルマッチを行い、1Rに腕ひしぎ十字固めで勝利し、タイトルを防衛した[14]。この試合はPPVを約50万件販売して、女子格闘家がメインイベントに登場した試合としては最高記録を樹立した。これまでの最高記録はボクシングのレイラ・アリ対ジャッキー・フレージャー・ライドの12万5千件であったが大幅にこれを更新した[15]。

2013年12月28日、UFC 168にてミーシャ・テイトと再戦。再三テイクダウンを奪い、3Rに腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収めるも、試合直後のテイトからの握手を拒否し観客からブーイングを浴びた。

2014年2月22日、UFC 170でレスリング五輪銀メダリストのサラ・マクマンと対戦し、首相撲からの膝蹴りで1RTKO勝ちを収め、3度目の防衛に成功。また、自身のキャリアにおいて腕ひしぎ十字固め以外での初めての決まり手となった。

2014年7月5日、UFC 175でアレクシス・デイビスと対戦し、開始16秒でKO勝ちを収め4度目の王座防衛に成功。パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞した。

2014年7月16日、ESPY賞の最優秀女性アスリート賞を受賞した[16]。最優秀女性アスリート賞を格闘家が受賞するのはラウジーが史上初。

2014年12月16日、リーボックとスポンサー契約を結んだ[17]。

2015年2月28日、UFC 184のUFC世界女子バンタム級タイトルマッチでキャット・ジンガーノと対戦し、開始14秒でストレートアームバーを極めて一本勝ちを収め5度目の防衛に成功、UFC最短防衛記録を更新した。パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞した。「ジンガノはスロースターターと言われていたので、逆の事を仕掛けてくる(試合開始直後の飛び膝蹴り)のは想定していたわ。(最後のストレートアームバーは)長年の柔道の経験で本能のまま体が自然に動いたとしか言いようがないわね。」とラウジーは試合後に述べている[18]。

2015年5月12日、スポーツ・イラストレイテッドの表紙を「ロンダ・ラウジーは世界で最も優秀なアスリート」の見出しと共に飾った。女子格闘家が表紙に起用されるのはプロボクサーのクリスティ・マーチン以来2人目とのこと[19]。

2015年7月15日、ESPN主催のスポーツ界のアカデミー賞といわれるESPY賞で、セリーナ・ウィリアムズらを抑えて最優秀女性アスリート賞を2年連続で受賞。さらに、世紀の一戦を制したばかりのフロイド・メイウェザー・ジュニアやゲンナジー・ゴロフキン、ドナルド・セラーニらの男性ファイターを抑えて最優秀ファイター賞も受賞した。総合格闘家の最優秀ファイター賞受賞は男女を通じてラウジーが史上初の受賞者となった[20]。

2015年8月1日、UFC 190のUFC世界女子バンタム級タイトルマッチでベチ・コヘイアと対戦し、開始34秒でKO勝ち。3戦連続で開始1分以内の勝利となった。パフォーマンス・オブ・ザ・ナイトを受賞。

2015年8月21日、ABCの朝の看板情報番組「グッド・モーニング・アメリカ」にゲスト出演し、UFC 195で行う7度目の防衛戦の相手がホリー・ホルムに決定したことを発表した[21]。

2015年8月28日、UFC 193で予定されていた、ロビー・ローラーとカルロス・コンディットのUFC世界ウェルター級タイトルマッチが、ローラーの親指の負傷により、UFC 195に延期。その影響により、UFC 195で予定されていたラウジーの防衛戦が、UFC 193に移動した。[22]

2015年11月15日、UFC 193のUFC世界女子バンタム級タイトルマッチでホリー・ホルムと対戦。2Rにホルムの左ハイキックからパウンドを浴び、TKO負け。キャリア初の敗北を喫した。これにより、計6回防衛、約3年間保持していたベルトを失った。

人物・エピソード[編集]
初期の頃はヒールとして、ブーイングを浴びる事が多く、本人は「私はいつだってヒールになりたかった」「スポーツ界においてはスポーツマンシップに反する瞬間こそが最も印象的な場面になる」などと語っていた[23]。しかしエキサイティングかつ圧倒的な内容で試合に勝ち続けたことで注目を集め、本人の個性も受けて人気がブレイク。格闘技の枠組みを超え、NBAのレブロン・ジェームズ、コービー・ブライアント、シャキール・オニール、レジー・ミラー、NFLのアーロン・ロジャース、ラリー・フィッツジェラルド、レジー・ブッシュ、女子サッカーのアレックス・モーガン、ホープ・ソロ、女子テニスのキャロライン・ウォズニアッキ、女子スキーのリンゼイ・ボン、俳優のシルヴェスター・スタローン、ラッパーのリル・ウェイン、歌手のデミ・ロヴァート、ナイル・ホーラン、ニック・ジョナス、俳優のクリス・プラット、ドウェイン・ジョンソン、マーク・ウォールバーグ、有名司会者のラリー・キング、キッスのポール・スタンレーなど多方面から応援・賞賛を受ける存在となっている[24][25][26][27]。
ラジオのインタビューで冗談半分で総合格闘技ルールならフロイド・メイウェザー・ジュニアにも勝てると発言したことが物議を醸す。その直後に、一般紙のロサンゼルス・タイムズが読者に勝者予想アンケートを実施したところ、ラウジーが勝利するとした予想がメイウェザー勝利予想を10%以上上回った[28]。それから約1年半後に、大手スポーツ専門局のESPNも同様のアンケートを実施するが、ラウジー勝利予想は74%にも達し、メイウェザー勝利予想の26%を大幅に上回った[29]。また、メイウェザーと対戦経験があるビクター・オルティスやマニー・パッキャオも総合格闘技ルールでならラウジーはメイウェザーに勝てる、と発言している[30][31]。過去に性差を超えた男女対決は、ボクシングで1999年10月9日にワシントン州アスレチック・コミッションの認可を受け公式試合として行われたことがあり、女性ボクサーのマーガレット・マクレガーが男性ボクサーのロイ・チョウに判定で勝利している[32]。
ラウジーと同じジムで柔道を練習していたプロボクサービック・ダルチニアンが「女に投げられたり、極められたりする事など有り得ない」と豪語したところ、ラウジーに何度も投げられ、腕ひしぎ十字固めを極められかけたエピソードがある。ただし、両者の間に遺恨が生まれたという事はなくダルチニャンはインタビューでその事実を潔く認めており、スパーリングパートナーとして快く胸を貸している[33]。
モハメド・アリの娘で元ボクシング世界王者のレイラ・アリからは『私に勝てる女性は世界中を探しても居ない。ロンダ・ラウジーは小さすぎるもの、私の3歳の娘と同じぐらいのサイズだわ』[34]と、4階級制覇の元ボクシング世界王者のアン・ウルフからは『ロンダ・ラウジーをめちゃめちゃにしてやる。ボクシングでも総合格闘技でも構わない、ストリートファイトでもいいのよ』[35]と、引退した伝説の女子ボクサー達から挑発されている。
ESPNが女性アスリート専門サイトとして設立したESPNWが「史上最高の女性アスリート」を決定するトーナメント形式のファン投票を実施。ラウジーは、テニスのシュテフィ・グラフやマルチナ・ナブラチロワ、ビリー・ジーン・キング、陸上競技のフローレンス・グリフィス=ジョイナー、伝説的マルチスポーツ選手のベーブ・ディドリクソン=ザハリアス、サッカーのアビー・ワンバックやミア・ハム、バスケットボールのダイアナ・トーラジ、レーシングドライバーのダニカ・パトリック、体操のナディア・コマネチなどの、名だたる女性アスリートの中を勝ち残り、決勝でセリーナ・ウィリアムズを破って、史上最高の女性アスリートに選ばれた[36]。
チャリティー活動にも積極的で、世界中のセレブリティのチャリティー活動がまとめられているチャリティー・ディレクトリーサイトのLook to the Starsが2015年に選定した「最もチャリティー活動を行ったアスリート20人」に選出された。飢餓地域への米の調達を目的としたフリーライスコンテストをUFC 184で行ったことや、柔道を通じて少年・少女をサポートするゴンパース柔道の活動、精神衛生機関への寄付を目的としたチャリティーTシャツ「Don't be a D.N.B」の販売(D.N.BはDo Notihing Bitchの略で、男に頼るだけの何も出来ないビッチにはなるなという意味)といったチャリティー活動が認められたもの[37][38]。ビヨンセはこの「Don't be a D.N.B」の趣旨に共感し、ラウジーが「Don't be a D.N.B」について語っている一節を自身のコンサートのオープニング映像に使用した[39]。
2013年に雑誌タイムの「世界を変える30歳以下の人物30人」の1人に選ばれた[40]。
経済専門誌フォーブスが発表した「2015年版 世界女子スポーツ選手長者番付」でラウジーは8位にランクインした[41]。
エメリヤーエンコ・ヒョードルの大ファンであり、彼の子供なら57人産みたいと語った事もある[42]。
過去にバーテンダーやカクテル・ウェイトレスとして働いていた経験があり[42]、酒についての知識を持っているが、ほとんど酒は飲まない。お気に入りの酒はマルベックとピノ・ノワールとのこと[43]。
2015年5月に自叙伝『マイ・ファイト/ユア・ファイト』を執筆して発売。ウォルマートは内容が暴力的すぎるとして店頭販売を禁止したが[44]、それでも売れベストセラーになった。2015年8月には、パラマウント映画が『マイ・ファイト/ユア・ファイト』の映画化権を獲得。ラウジーが主演で本人役を演じ、マーク・ボンバックが脚本担当で映画化が決定した[45]。
映画館で「JUNO/ジュノ」を女友達と観賞していたところ、ラウジーの後ろの席で五月蝿く騒いでいた若者グループの中の女がラウジーの座席に足を乗せて座っていたため、ラウジーの頭にその足が何度も当たっていた。ラウジーはマナーを守るように注意をするが、再び足が頭に当たった時ついに怒り、女のブーツを掴み取って映画館内に投げ捨てた。すると、その女の彼氏がラウジーの前に立ちふさがってブーツを取って来いと命令した。ラウジーはそれを拒否して通路からどくように警告するが、男が体を押してきたので男の襟元を掴んで空いているほうの手でパンチを食らわせ、掴みかかってきた若者グループの別の男も柔道技で投げ飛ばして返り討ちにしたエピソードをABCのトーク番組「ジミー・キンメル・ライブ!」にゲスト出演した際に披露した[46][47]。
マイク・タイソンはロンダ・ラウジーの大ファンであると公言し[48]、「ロンダ・ラウジーは30年前の全盛期の俺みたいだ」と絶賛している[49]。
あまりに強すぎるため男性アスリートとの対戦もたびたび取り沙汰されるが男性アスリートたちは冗談交じりではありながらも以下の様に述べている。 レブロン・ジェームズ(ラウジーと対戦したらどれぐらい持つと思いますか?の質問に)『彼女が終わらせたい時間までだろうな。ESPY賞の会場でラウジーに挨拶をしたかったんだが、ケツを蹴っ飛ばされたくなかったから挨拶出来なかったんだ』[50]。
シャキール・オニール『ラウジーと対戦したら45秒ぐらいは持つかな』[51]
マイク・タイソン『ロンダ・ラウジーは俺を負かしかねないな。14秒で試合を終わらせたぜ、マジかよ』[52]
ジェレミー・リン『ロンダ・ラウジーにビビってるよ...』[53]

UFC解説のジョー・ローガンも「ラウジーはUFCの男子バンタム級でなら50%の選手に勝てる」と発言しているが[54]、これに対しラウジーは「それは現実的じゃない。男が女を殴る事は許容されるべきじゃない」「本当に馬鹿げたアイデアよ」と反対している[55]。
ニックネームである「ロウディ」は自身が子供の頃からロディ・パイパーの大ファンで、「ラウジー」と語呂が似ている事から使用しているが、ニックネームを使用するにあたり、ラウジーは敬意を払い直接パイパーの元を訪れて使用許可を得ている。UFC190で勝利した直後のインタビューで「パイパーは父と一緒に天国でこの試合を楽しんでくれたと思う」と語り、前日に急逝していたパイパーに追悼の意を表した。パイパーが逝去する数週間前にもパイパーの自宅を訪れ何時間も話していたほど親交が深かった[56]。
ポケットモンスターが好きで、ポケットモンスターシリーズは全てクリアしており今でも現役でプレイしている。過去にはポケモン好きが高じてポケモンの掲示板の管理人だったこともある[57]。一番好きなポケモンにはミュウを挙げ[58][59]、自身のポケモン歴とミュウへの思いについて以下のように語っている。『最初はポケモンカードからはじめたの。一番最初に引いたカードはハクリューだったわ。それからゲームを遊んだの、最初はポケモン 青(日本ではポケットモンスター緑として発売)だったわね。一番最初に捕まえたポケモンはヒトカゲだったわ。すぐにハマったの。その夏はとても体重が減って小さな子供になったのよ、ゲームを止められなかったの。横に大量のクラッカーとミルクを置いて寝転んでずっと遊んでいたのよ、止められなくて』、『ポケモンスナップでパーフェクトスコアを出したことがあるのよ。でも、ミュウを攻撃するのを避けられないのよね… 私はミュウのことを愛してるの。ミュウは私のお気に入りなの。でも、ほら…芸術的な写真を撮るために…時々ポケモンを攻撃しなければいけないのよ…』[60]『一番好きなポケモンはミュウよ。ミュウは全てのポケモンの祖先なの。ミュウから全て生まれたの。初代ポケモンではミュウは捕まえられないのよ。手に入れるにはラベンダータウンを使うほかなかったわ。だからミュウが貰えるトーナメントに出場するためにポケモンのイベントがあったショッピングモールまで足を運んだの。他のファンたちに混ざって何時間も列に並んで待つのは好きよ。とにかくミュウとミュウの証明書が欲しかったの。証明書は今でも家の壁に飾ってあるわ』[61]。
ドラゴンボールも好きで、子供の頃にはドラゴンボールZをビデオテープが擦り切れるほど繰り返し見て、人造人間18号になりたいと思っていた。中でもベジータの大ファンで、ベジータに"マンガの片思い"をしていた。精神と時の部屋で一緒に修行をするなら悟空よりベジータだと述べている。理由は、悟空はとても良い人で友達としては楽しいだろうけど付き合って2週間もすればイライラしてくると思う、ベジータとは社会や政治について興味深い議論が出来そうとのこと。2015年3月にWWEのレッスルマニア31にゲスト出場した時にはベジータの『IT’S OVER 9000!!』Tシャツを着てリングに上がった[60][62][63]。
2011年、炎の体育会TVに北京オリンピック銅メダリストとして出演。高橋茂雄、つぶやきシロー、ねづっちの3人と柔道対決を行い、全て一本勝ちした。

戦績[編集]

プロ総合格闘技[編集]



総合格闘技 戦績

13 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
12 勝 3 9 0 0 0 0
1 敗 1 0 0 0

勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× ホリー・ホルム 2R 0:59 TKO(ハイキック→パウンド) UFC 193: Rousey vs. Holm
【UFC世界女子バンタム級タイトルマッチ】 2015年11月15日
○ ベチ・コヘイア 1R 0:34 KO(右ストレート) UFC 190: Rousey vs. Correia
【UFC世界女子バンタム級タイトルマッチ】 2015年8月1日
○ キャット・ジンガーノ 1R 0:14 ストレートアームバー UFC 184: Rousey vs. Zingano
【UFC世界女子バンタム級タイトルマッチ】 2015年2月28日
○ アレクシス・デイビス 1R 0:16 KO(パウンド) UFC 175: Weidman vs. Machida
【UFC世界女子バンタム級タイトルマッチ】 2014年7月5日
○ サラ・マクマン 1R 1:06 TKO(ボディへの膝蹴り) UFC 170: Rousey vs. McMann
【UFC世界女子バンタム級タイトルマッチ】 2014年2月22日
○ ミーシャ・テイト 3R 0:58 腕ひしぎ十字固め UFC 168: Weidman vs. Silva 2
【UFC世界女子バンタム級タイトルマッチ】 2013年12月28日
○ リズ・カムーシェ 1R 4:49 腕ひしぎ十字固め UFC 157: Rousey vs. Carmouche
【UFC世界女子バンタム級タイトルマッチ】 2013年2月23日
○ サラ・カフマン 1R 0:54 腕ひしぎ十字固め Strikeforce: Rousey vs. Kaufman
【Strikeforce女子バンタム級タイトルマッチ】 2012年8月18日
○ ミーシャ・テイト 1R 4:27 腕ひしぎ十字固め Strikeforce: Tate vs. Rousey
【Strikeforce女子バンタム級タイトルマッチ】 2012年3月3日
○ ジュリア・バッド 1R 0:39 腕ひしぎ十字固め Strikeforce Challengers 20 2011年11月18日
○ サラ・ダレリオ 1R 0:25 腕ひしぎ十字固め Strikeforce Challengers 18 2011年8月12日
○ シャルメーヌ・ツイート 1R 0:49 腕ひしぎ十字固め HKFC: School of Hard Knocks 12 2011年6月17日
○ エディエンヌ・ゴメス 1R 0:25 腕ひしぎ十字固め KOTC: Turning Point 2011年3月27日

アマチュア総合格闘技[編集]



総合格闘技 戦績

3 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
3 勝 0 3 0 0 0 0
0 敗 0 0 0 0

勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
○ テイラー・ストラットフォード 1R 0:24 腕ひしぎ十字固め Tuff-N-Uff: Las Vegas vs. 10th Planet Riverside 2011年1月7日
○ オータム・リチャードソン 1R 0:57 腕ひしぎ十字固め Tuff-N-Uff: Future Stars of MMA 2010年11月12日
○ ヘイデン・ムニョス 1R 0:23 腕ひしぎ十字固め CFL: Ground Zero 2010年8月6日

獲得タイトル[編集]
北京オリンピック 柔道 女子70kg級 銅メダル(2008年)
第4代Strikeforce女子バンタム級王座(2012年)
初代UFC世界女子バンタム級王座(2012年)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%A0

ホリー・ホルム





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ホリー・ホルム

Holly Holm.jpg

基本情報


通称
ザ・プリーチャーズ・ドーター
(The Preacher's Daughter)

階級
バンタム級(総合格闘技)
スーパーライト級 - スーパーウェルター級(ボクシング)

身長
173cm

リーチ
178cm

国籍
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国

誕生日
1981年10月17日(34歳)

出身地
ニューメキシコ州アルバカーキ

スタイル
サウスポー

プロボクシング戦績


総試合数
38

勝ち
33

KO勝ち
9

敗け
2

引き分け
3
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ホリー・ホルム(Holly Holm、女性、1981年10月17日 - )は、アメリカ合衆国の総合格闘家、元プロボクサー、元キックボクサー。ニューメキシコ州アルバカーキ出身。ジャクソンズMMA所属。現UFC世界女子バンタム級王者。ボクシング時代は18度世界王者に輝いた世界3階級制覇王者で、長年パウンド・フォー・パウンドのトップに君臨した。



目次 [非表示]
1 来歴 1.1 キックボクシング
1.2 ボクシング
1.3 総合格闘技

2 戦績 2.1 総合格闘技
2.2 キックボクシング

3 獲得タイトル
4 関連項目
5 脚注
6 外部リンク


来歴[編集]

キックボクシング[編集]

格闘技を始める前は、サッカー、水泳、体操などをやっていた。ダイエット目的でエアロビクスダンスを行うために通っていたジムで、キックボクシングのクラスを見かけ”凄くイケてる”やってみたいと一目惚れ、エアロビクスダンスを習っていたインストラクターがキックボクシングも教えていたこともあり、キックボクシングをすぐに始めた[1]。キックボクシングは、アマチュア戦績6勝0敗2分、プロ戦績2勝1敗で[2]、ボクシングへ転向した。

ボクシング[編集]

2002年1月25日、地元アルバカーキでプロボクシングデビューをTKOで飾った。

2004年6月27日、リタ・トゥリーシにTKO負け。

しかし12月10日にはテリー・ブレアーとIBA女子ライトウェルター級初代王座決定戦を行い、3-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。

2006年6月10日、アンジェリカ・マルティネスとWBA女子ウェルター級の初代王座を争い、判定で王座獲得。2階級制覇達成。

2006年12月1日、トリーシャ・タートンとIFBA世界スーパーウェルター級王座決定戦に挑み、判定で王座獲得。3階級制覇達成。

2007年3月22日、ライト級との2階級制覇を狙うアン・サクラートを判定で退け、WBA女子世界ウェルター級王座の初防衛に成功、WBC女子世界ウェルター級王座の獲得にも成功、WIBA世界ウェルター級王座の獲得にも成功し、IFBA世界ウェルター級王座の獲得にも成功した。IFBA世界ウェルター級王座はミリアム・ブラカチェ、ベリンダ・ララキュエントの挑戦を退け2度防衛。

2008年6月13日、メアリー・ジョー・サンダースと対戦し、3-0の判定勝ちを収めIFBA世界スーパーウェルター級王座の初防衛に成功した。

2008年10月17日、メアリー・ジョー・サンダースとIBA女子スーパーウェルター級王座決定戦を行い、1-0の判定で引き分けた為、王座獲得に失敗した。

2009年1月23日、ミリアム・ラマールを3-0判定で退け、WIBA世界ウェルター級王座の初防衛に成功。

2009年6月5日、地元アルバカーキで無敗のWIBA世界ライトウェルター級王者ドゥダ・ヤンコビッチをTKOで倒し、WIBA世界ウェルター級王座の2度目の防衛に成功。

2009年8月28日、テリー・ブレアーを3-0判定で退け、WIBA世界ウェルター級王座の3度目の防衛に成功。

2009年12月4日、アルバカーキでビクトリア・シスネロスに判定で圧勝。当初、この試合は女子パウンド・フォー・パウンド最強とも言われるメリッサ・ヘルナンデスとの4度目の防衛戦となる予定であったが、ヘルナンデスが試合直前で出場を拒否。そのためたまたま観客として来場していたシスネロスを急遽代役を立てることになった。

2010年、WIBA世界ウェルター級王座に加え、ヤンコヴィッチの王座剥奪に伴いWIBA世界ライトウェルター級でもスーパー王座に認定。3月20日、ボクシングに復帰したチーベル・ホールバックを判定で退け王座防衛。しかし、その後休養扱いとなり、最終的には返上。

2010年8月6日、ジェイミー・クランピットとIBA女子ライトウェルター級王座決定戦を行い、1回TKO勝利を収め王座に返り咲いた。

2011年6月10日 ビクトリア・シスネロスを3-0の判定で破り、プロ通算30勝を達成した。

2011年12月2日、アン=ソフィー・マシスに番狂わせで7回KO負けを喫した。

2012年6月15日、ダイレクトリマッチにてアン=ソフィー・マシスに10回判定勝ちで雪辱を果たし、IBA女子世界ウェルター級王座とWBF女子世界ウェルター級王座を獲得した。

2013年5月11日、メアリー・マギーに10回判定勝ちで、IBA女子世界ライトウェルター級王座とWBF女子世界ライトウェルター級王座の防衛に成功。

メアリー・マギー戦を最後にボクシングを引退して総合格闘技に転向することを発表した[3]

総合格闘技[編集]

2011年3月4日、総合格闘技デビュー戦、クリスティーナ・ドンケをローキックで倒し、2回TKO勝利を収めた。

2011年9月9日、ジャン・フィニーを左ミドルキック一撃で倒し3回KO勝利を収めた。

2013年2月28日、ケイティ・メリルを右パンチのボディショットで沈め2回TKO勝利を収めた。

2013年7月19日、アラナ・ジョーンズを左ハイキック一撃で倒し2回KO勝利を収めた。

2013年10月11日、ニッキ・クヌーセンを右ミドルキックからの膝蹴り連打で2回TKO勝利を収めた。

2013年12月06日、アンジー・ヘイズから3回判定勝利を収めた。

2014年4月4日、初代Legacy FC女子バンタム級王座決定戦でジュリアナ・ヴェルネルと対戦し、左ハイキックで倒したところにさらにパンチを打ち込みレフェリーが試合を止め、5回TKO勝利を収め王座獲得に成功した[4]。

2015年2月28日、UFC初参戦となったUFC 184で女子バンタム級14位のラケル・ペニントンと対戦し、2-1の判定勝ちを収めた。

2015年7月15日、UFC Fight Night: Mir vs. Duffeeで女子バンタム級11位のマリオン・レノーと対戦し、判定勝ち。

2015年11月15日、UFC 193のUFC世界女子バンタム級タイトルマッチでロンダ・ラウジーと対戦。2Rに左ハイキックからパウンドを浴びせ、TKO勝ち。無敗のまま、新王者になった。

戦績[編集]

総合格闘技[編集]



総合格闘技 戦績

10 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
10 勝 7 0 3 0 0 0
0 敗 0 0 0 0

勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
○ ロンダ・ラウジー 2R 0:59 TKO(ハイキック→パウンド) UFC 193: Rousey vs. Holm
【UFC世界女子バンタム級タイトルマッチ】 2015年11月15日
○ マリオン・レノー 5分3R終了 判定3-0 UFC Fight Night: Mir vs. Duffee 2015年7月15日
○ ラケル・ペニントン 5分3R終了 判定2-1 UFC 184: Rousey vs. Zingano 2015年2月28日
○ ジュリアナ・ヴェルネル 5R 1:50(ハイキック→パウンド) Legacy Fighting Championship 30
【Legacy FC女子バンタム級王座決定戦】 2014年4月4日
○ アンジェラ・ヘイズ 5分3R終了 判定3-0 Fresquez Productions: Havoc 2013年12月6日
○ ニッキ・クヌーセン 2R 1:18 TKO(膝蹴り) Legacy Fighting Championship 24 2013年10月11日
○ アラナ・ジョーンズ 2R 2:22 KO(ハイキック) Legacy Fighting Championship 21 2013年7月19日
○ ケイティ・メリル 2R 3:02 TKO(パンチ) Bellator 91 2013年2月28日
○ ジャン・フィニー 3R 2:49 KO(ミドルキック) Fresquez Productions: Clash in the Cage 2011年9月9日
○ クリスティーナ・ドンケ 2R 3:58 TKO(ローキック) Fresquez Productions: Double Threat 2011年3月4日

キックボクシング[編集]
プロキックボクシング 3戦2勝1敗
アマチュアキックボクシング 6戦6勝0敗2分

獲得タイトル[編集]
UFC女子世界バンタム級王座
IBA女子世界ライトウェルター級王座
WBA女子世界ウェルター級王座
IFBA世界スーパーウェルター級王座
WBC女子世界ウェルター級王座
WIBA世界ウェルター級王座
IFBA世界ウェルター級王座
初代Legacy FC女子バンタム級王座
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