嘉納治五郎といい山田英司といい武器持った戦いに寝技なんて云々言ってますが戦場ではこういう状況も起こり得るんですよね

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ヒストリエ(8) (アフタヌーンコミックス)
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わたしゃアフタヌーンはパラダイスレジデンスくらいしか読まないのですが
ヒストリエのこのシーンを見て改めて柔術というものは戦場での組み打ちが源流だと痛感
立ち技原理主義者の講道館の嘉納治五郎も中国武術家の山田英司も実戦というものを考えた場合
武器持った相手に組み伏せられた状況とか一切考えてないんですよねぇ
一体どうして?
実戦じゃ寝技に入ったら横やりが入るとか言いますが
実際のストリートファイトでも放置状態
横やりなんて入らないのは動画見てもわかります
それとも武術家は集団でしか戦えないのでしょうか?

それと相手も集団で自分たちよりも多い人数だという場合とか一切考えには入らない?
武術家なのに最悪のケース考えない?
おかしいでしょ
それ
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コメント

No title

山田氏はブログで「戦場では刺されるからタックルだけはしてはいけない」と言ってるようですね。相手がタックルしてこないことを前提にしてるのがもう笑っちゃいます。山田氏はタックルの対処をそもそも知らないでしょうし教えることもできるはずがないので生徒には「タックルは必要ない」と言ってるんでしょうね。
対多人数とか言ってますけど、一人のタックルも対処できないのにどうやって対処するんだっての笑
そんなことも想定できないから女子便所に連れ込まれるんでしょうね笑

2015年|11月|16日|00:31 |from 竜二| URL

No title

これですね
http://yamada.fullcom.jp/?eid=60

一応練習してるみたいですね
http://yamada.fullcom.jp/?eid=208

でもこんなこと言ってますね笑
http://yamada.fullcom.jp/?eid=271

2015年|11月|16日|00:41 |from 竜二| URL

No title

山田センセイ
色々と突っ込みどころあるんですけれど
まずコンバットサンボ ボエボエサンボにも相手を抱えてから頭から落とす
というノウハウがあること知ってるんでしょうか?
というか明治の古流柔術の乱取りノウハウとか
型稽古でもそんな技術ありますよ

この人言っていることが矛盾ありまくりなんですがね
まるで骨法の堀辺センセイとか長野センセイと同じで

2015年|11月|16日|23:02 |from 西田大作| URL 【編集】

No title

そして出ると思った!
喉掴み潰し!
武術系の先生が競技格闘技を批判する時の伝家の宝刀なんですよ
このノウハウ
琉球空手、ばか一代の今野敏先生といい
長野俊也センセイといい
必ずこれを例にとる!
そういえば中国武術の金鷹拳も喉握り潰しやってましたっけ
ヤングガンカルナバルという作品で

ですがコレ
ドヤ顔している武術先生諸氏には失礼ですけれど
グレイシーのベーシック 
セルフディフェンスやってる奴と話したら

ナニソレ

て事になり試しにやってみたら
その腕を完全に固定され捻られ簡単に極められました

襟と袖しか掴まない投げ技しか頭にない一般の競技柔道の人には極まるかもしんないけれど

グレイシーの人たちには間違っても極まりませんよ
このノウハウ

ていうか明治の古流柔術家 柔道家たちは嘉納始めこの腕を極めるノウハウを知ってますのでまずかかりません

ボエボエサンボやってる人にもこんな技のど潰し仕掛けようもんならフツーに同じように腕を破壊されるでしょうね
ドヤ顔している武術先生諸氏は

2015年|11月|17日|07:56 |from 西田大作| URL 【編集】

No title

http://www.kyokushinkan-jyonan.com/bui.htm

ちなみに喉握り潰しとかはこんなノウハウ
多くの武術先生みたいにスタンドでやればフツーに腕極められると思いますが

こちらのサイトのように寝技 ニーインザベリーから指鋏、虎口をやれば有効だと思います
寝技だとスタンド 立った状態とは違い相手を固定出来ますからね

2015年|11月|17日|12:38 |from 西田大作| URL 【編集】

No title

そういえばムエタイ選手がMMA選手にギを掴まれてコントロールされて打撃が出来なかったいうんは

富木謙二が嘉納治五郎に嘉納先生だったら相手が殴りに来たらどう対処しますか?

と質問したら

富木の襟を掴んで殴ってみてごらんといい

富木が殴ろうとすると襟を使って崩して富木をコントロールし殴らせなかったというエピソードを

何かの本で見た気がするんですけれど

ハテ?
何の本でしたっけ

その話と被りますなぁ

2015年|11月|18日|00:33 |from 西田大作| URL 【編集】

喉握りつぶしは立ち技なら突き指しそうですね。
だいたい目をつくだの喉潰すだの法治国家の日本でやったら後が大変でしょうに笑
そんな技より山田氏は襟の切り方、袖の切り方から柔術道場なり少年柔道教室なりで教わってから格闘技教えて下さいって感じです笑
山田さんは掴まれて離し方も対処方法も知らないからそのまま便所まで連行されるしかなかったんでしょうけどw
プロレスラーと密室に二人きりになっちゃう時点で武術家としてもダメダメでしょうに。

2015年|11月|18日|01:00 |from 竜二| URL

だいたいあやしい武術の人は自分たちだけが危険な攻撃をする事ができて、ナゼか相手がそれをしない事が前提になってる事が多い気がするんですよ。
やれ寝技あったら噛み付くだの、目をつくだの、金的打つだの喉掴むだの。
なんで自分たちだけできると思ってるのかな笑
それこそタックルで頭から落として金玉握り潰すサイコな柔術家がいるかもしれないですしね笑

2015年|11月|18日|01:26 |from 竜二| URL

富木と嘉納のエピソードは面白いですね。
襟を掴んでコネクトし、相手が仕掛ける前に動きを感じて崩した。
グレイシー柔術でいうところのコネクトを実践して見せたわけですね

2015年|11月|18日|02:01 |from 竜二| URL

No title

http://kimuramasahiko.blog.fc2.com/blog-entry-2124.html
噛み付き教えている先生ならいますよ
欧米で

ミャンマーのカチン族の戦闘ノウハウとかいうかなり怪しいプロフィールですがw

ただしサイコな先生ではなく記事読んだらまともなMMA グラップリングの先生でしたw

噛みつきも対処法とかあって例えば前腕を噛みつかれたら相手を壁とかに押し込んで云々

とか軍隊格闘術でもその手の噛みつきのノウハウがあるんですよね

衣服ごと噛みついたら歯が持っていかれるとか

ちなみにグレイシー一族で相手に噛みつくサイコというかギャングな男はハイアンですね
実際この人やってましたw

2015年|11月|18日|07:54 |from 西田大作| URL 【編集】

No title

https://www.youtube.com/watch?v=MSRqGhKmsM8
ちなみにハイアンが最後の最後に耳に噛みついたファイトがこれです

2015年|11月|18日|20:18 |from 西田大作| URL 【編集】

No title

そうそう
やれ刃物ありの実戦にタックルすると刺されるとか言いますけれど
山田氏はこの宮本武蔵の記録そのものを否定するおつもりなんですかね?

まぁ
吉岡一門が滅んだのは武蔵云々じゃなくて
自らが起こした事件であったことは後の研究者によってわかっているので
武蔵の記録全てが史実というわけじゃないんでしょうけれど

少なくともこの試合については有名で史実と見て間違いないと思います

宮本武蔵は塩田流という古流柔術の流派の開祖にあたる柔術家の師匠だったそうですから
さもありなん
という記録です

2015年|11月|18日|20:49 |from 西田大作| URL 【編集】

No title

http://yamada-estate.com/kendo/kendou.files/kengoden/miyamotomusashi.htm

十三歳で、最初の他流試合を行うことになる。 

諸国修行の新当流の遣い手、有馬喜兵衛が相手であった。有馬は他流試合の数をかさねつつ廻国をつづけてきた、豪の者であった。 彼

は平福に到着すると、佐用河原に金磨きの高札をたて、何人なりとも望みしだい他流試合に応ずるとの文言を記した。 弁之助は噂を聞い

て手習いの帰りがけに河原へ寄り、高札に墨を塗りつけ、平田弁之助、明朝試合を所望と記して帰った。 正蓮庵の庵主はその日の暮れ

方に、有馬喜兵衛からの位者の訪問をうけて驚愕した。

彼はひたすら使者に詫びた。「なんと申しましても本人は十三歳の子供でございます。ふとしたいたずら心から有馬殿のご高札にさようない

たずらをしたのでごぎりましょうが、なにとぞお見逃し下さりませ」 使者は事情を聞くと庵主を喜兵衛の宿に伴った。 喜兵衛は叔父の陳謝

をひとわたり聞いたのち、答えた。「庵主殿の仰せらるることは、しかとあい分った。

拙者も子供のいたずらに目くじらをたてるつもりはござらぬ。しかし廻国修行の身で、高札に墨を塗られたままでひきさがっては、あらぬ噂を

たてられるやも知れぬ。それゆえともかくも明日約定の刻限に、本人とご貴殿が河原の矢来内へ参られ、見物の群衆に事の次第を申しの

べていただきたいが」 庵主は承知した。 彼は庵にもどると弁之助を呼び、きびしく叱責して、翌朝彼とともに河原へ出向いた。弁之助は脇

差を腰に、縁の下からとりだした長尺の棒を杖について河原へむかった。 黒山の見物人をかきわけ矢来のうちへ入り、庵主が喜兵衛に詫

びをいいかけたとき、弁之助は矢庭に声をかけ、棒をふるって打ちかかった。「喜兵衛とはお前か、尋常に勝負してやらあ」喜兵衛は抜きう

ちに応じ、たちまちすさまじい争闘がはじまる。 十三歳ではあるが大柄で敏捷な弁之助は、練達の武芸者を相手に一歩もひかず打ちあう。

「こりやえらいことじゃが。子供が本気で掛かっていきよるぞ」 見物人たちは熱狂した。 平福村は困州、播磨、但馬、岡山へ通じる街道の

交叉する土地で、他流試合はしばしばおこなわれ、住民ほ兵法を見る限が肥えている。 弁之助は喜兵衛の刃をかいくぐり、棒を投げすて

組みつくと、彼を頭上にさしあげ地面へ叩きつける。

喜兵衛が起きあがるまえに、弁之助の杖のめった打ち
が彼の頭蓋をみじんに打ちくだいた。

2015年|11月|18日|20:50 |from 西田大作| URL 【編集】

No title

ようするに武蔵が刃物持った有馬にタックルして抱えて地面に叩き落とし棒で滅多打ちにして殺してしまったんです

これはあまりにも有名な記録です

それは大抵の人なら武術かじってもいない
格闘技やったこともない人でも知ってる武蔵の実戦記録です

それなのに武術にタックルは不要?
ちゃんちゃらおかしいですなwwwwww

柔術を学んだダンイノサントを見習って
柔術の道場かMMAの道場 いやサンボの道場でもいいから
タックルと寝技を馬鹿にしたことに対し詫び入れて

一からグラップリング勉強して出直して来い!

て言いたいですなぁ

2015年|11月|18日|20:59 |from 西田大作| URL 【編集】

大変興味深いコメントありがとうございます。
宮本武蔵のことは全然知らなかったです。古流柔術をしていたなんてビックリです。うーん。思わぬところで凄い話を聞いてしまいましたね。ある意味山田氏にも感謝かも笑

2015年|11月|18日|21:22 |from 竜二| URL

嚙みつきマスターの人は確か戦争で捕まえた人の心臓を食べる風習があった云々と言ってた人ですね。
人間を牛みたいにサバキそうですね…。一刻も早く廃れて欲しい武術です笑
嚙みつきといえば昔、某空手のH山氏が雑誌でグレイシーなんてお遊びみたいなこと言ってまして。山田氏がらみの雑誌だったと記憶してるんですが。
その記事の中で十字固め掛けられてその脚に噛み付く写真を見て大爆笑しちゃいました。素足ならともかく相手がGパンとか履いてたら歯無くなるぞって笑
そもそもその前に腕極められてんじゃねーか笑
で、何年も経ったある日、そこの先生がとあるグレイシー柔術の先生の無料セミナーに参加してたんですよね。空手着で。しかもそこの空手団体の名前の入った黒帯締めて。いいおっさんなんだから道着や帯くらい買えよっつーの!空手の師匠にも失礼だろうが。
某ブラジルブログに写真がバーンと載ってたからよっぽどコメントしてやろうかと思いましたがかわいそうなのでやめときました笑

2015年|11月|18日|22:01 |from 竜二| URL

No title

にしても寝技は実戦では使えない云々は日本史の否定につながります

日本で最も古い柔術の流派は武蔵生誕の土地でもあり岡山の竹内流です

その竹内流の分家 片岡家には寝技における乱取り技法を体系化した組討ちの型

というものがあります

by月刊秘伝2007年7月号
http://www.geocities.jp/minamoto_hitotsugu/bihin.html

BAB 月刊 秘伝

■ 1.月刊 秘伝(2007.7、BABジャパン) 特集 必ず勝負を決する!仕留める柔道 極め技に賭けた”実戦柔道家”たちの系譜 ━ 関西柔術界のカギを握る竹内流(備中伝)の寝技体系が導く  ”足挫き=足がらみ”という解


ようするに戦国時代の頃から存在した竹内流に寝技の型が有るってことです

それなのに実戦に寝技は不要?
武術家にあるまじき考えですなぁ

古流柔術といえば大東流とか合気道系 八光流みたいな立ち技系 合気系の武術ばかりになってしまい

寝技なんて古流には存在しなかったかのように認識されてしまって

寝技は実戦では使えんなんて言う
こんなトンチンカンな武術家 山田英司が出てくる始末
全くもって嘆かわしい限りです

2015年|11月|18日|22:08 |from 西田大作| URL 【編集】

No title

ベアナックル空手の羽山威行先生ですかw
腕十字の時は足に噛み付くw
ブルースリーの怒りの鉄拳とか燃えよドラゴンとか見てましたね
きっとw
燃えよドラゴンの場合はブルースリーではなくとろい蹴りのジョン・サクソンがやってましたなぁw

ちなみに武蔵が塩田流の開祖ではなく
塩田流の開祖の人物の師匠が武蔵です
当時の兵法は剣だけ 柔らだけに特化したものではなく組みあり剣ありの何でもあり兵法だったんですね

2015年|11月|18日|23:18 |from 西田大作| URL 【編集】

No title

http://btbrasil.livedoor.biz/archives/55626849.html
これですね
国際F.S.A拳真館空手の方なら他にもセミナーでお見かけした覚えがあります

ですので元骨法の矢野先生みたく先生に言われてセミナーに参加して敵方の技術盗む

みたいなことでもされてたんかもしれませんね

2015年|11月|25日|12:46 |from 西田大作| URL 【編集】

No title

そもそもこの手の寝技は実戦には使えない
というトンデモ理論を発信したのは元々は

他流の悪口なら大山倍達先生と並ぶと言われる少林寺拳法の宗道臣先生なんですよね

戦後の昭和の時代は木村政彦 とかルスカ ヘーシンクが日本のプロレスでやられ役 負け役を演じていたので

プロレス最強論を唱えていた昭和世代の人たちからは柔道最弱論が広く唱えられていたんですよね

梶原一騎の漫画の影響でも

極真空手最強論が

現実のリアルファイトではなく

漫画

を通じて広がり

柔道はこれまた極真のやられ役 負け役で柔道最弱論が広まっていた時代なんですよね

大山倍達氏は実際に柔道の経験もあったけれど
ご自分の専門誌で柔道は最弱とか言ってたくらいですからね

少林寺拳法も例外ではなく柔道の寝技は実戦では使えないとこれまた宗道臣氏自身が描いていますね
自著で

そんなぞんざいな扱いを受けていた柔道が急激に評価を上げたのはグレイシー以降

組み技の 寝技のリアルファイトが行われるようになってからですよ

ホント
柔道の先生たちはグレイシーたち
柔術家にちったぁ感謝しろ!
ていいたくなりますなぁ

グレイシーとか柔術家の活躍で柔道の評価
木村政彦 高専柔道 七帝柔道の評価が上がったんですからねぇ

それなのにグレイシーとか柔術が現れた時点で柔道よりレベルが低いみたいなことを柔道の大家たちから言われる始末(例 木村政彦門下の蔵本孝二先生の発言とか)

2015年|11月|25日|21:07 |from 西田大作| URL 【編集】

No title

山田英司はそういった梶原一騎 大山倍達 宗道臣の
マインドコントロールを受けて

ああいった考え

昭和格闘技の洗脳からいまだに冷めない可哀想な人といった感じでしょうか

昭和の格闘技なんてハッキリ言っちゃえば

八百長と漫画の世界です

リアル 真実なんてこれぽっちもありません!

嘘 虚飾に満ち満ちた世界

小川直也じゃないけれど

皆さんいい加減に目を覚ましてください!

て言いたくなりますよね

それとも気づいてはいるけれど若くて元気な時代に
インチキ中国武術だのインチキ古武術にうつつを抜かしてリアルファイトといえば腹の出たおっさんとのムエタイくらいしかやってこなかった…

かといって今から寝技やって自分よりも若い連中にボコられるのはイヤ

山田英司の心境はそんなところなんでしょうかね?

2015年|11月|25日|21:28 |from 西田大作| URL 【編集】

No title

そもそも戦場で寝技は使えないとかいうのが大嘘だというのは

大英帝国のSAS格闘術とかイスラエルのクラブマガを見てもわかると思うんですけれどもね

彼らが柔術とかMMAのノウハウ取り入れているのは
現在出ている

SAS格闘術 クラブマガの教則本を読んでも一目瞭然だとわかる筈です

教則本には柔術の寝技が紹介 指導されています

そもそもSAS格闘術の専門家はインドのヨガの瞑想だのロシアのシステマがまだ世界に広まっていなかった頃から
そういった情報を仕入れたり研究したりしているくらいですからねぇ
ブラジルの柔術も当然のことながら研究されてるんですよねぇ

というか山田氏が学んだロシアの軍隊格闘術ボエボエサンボに寝技 サブミッションがある時点で気づけよ!

て感じですな

2015年|11月|25日|21:39 |from 西田大作| URL 【編集】

No title

F.S.A拳真館の羽山先生は柔術は刃物相手に通じない
だの
山田英司は柔術はブラジルでしか通用しない護身術だの
言ってますが

ブラジルの柔術ギャングのストリートファイトとか抗争がどんなもんか知っててこんな平和ボケ言ってたんでしょうかね?
ハイアンとタデウの抗争じゃ刃物と拳銃沙汰ですよ!
ハイアン ヘンゾと並ぶ柔術ギャングのマカコなんてショットガン抱えて街を歩くような人間ですよ!

そういったブラジルの柔術ギャングとかルタリーブリギャングの先生の道場に羽山先生みたく刃物見せびらかしたらハッキリ言って無事じゃ済まないですよ!

2015年|11月|26日|12:49 |from 西田大作| URL 【編集】

No title

話の流れとは関係ないですけど、昔、H氏のところで「3日の研修でフランチャイズ加盟が可能」的な広告を見たことがあります笑
今はどうなのか知らないですけど・・。
H氏は元々少林寺だったはずなので西田さんのコメントを読んで納得しました。

柔道の人は柔術を下に見る傾向があるのは確かですね。
ホイスと吉田が戦う前の古賀稔彦の発言とかまさにそうですしね。
ただあの山下が初期UFCのホイスの活躍に好意的らしいという記事をどこかで見た記憶があるのですが、本当かどうかはわかりません。

山田氏はとりあえずサンボを習いに行って田中先生とスパーしてみてほしいですね。ぶっこわされますよ笑

2015年|11月|27日|11:53 |from 竜二| URL

No title

流石にサンボの先生が初心者相手に壊すスパーなんてやらないと思いますw

そういえば山田センセイはセミナーでちょこっと学んだグリップきりで専門家のグリップを本気で切れるとか思っているから可愛いもんですなぁ

ちょっと学んだくらいで実戦で使えるんだったら楽なもんですわ
ドリルとかスパーやらで実戦で試さないと試合では使いもんにならんのに…
それに
グラップラーには握力80㎏とかもゴロゴロいるというのに(実際昔スパーで揉まれた人の中にそういう人もいました)
セミナーで習った技を中国武術オタ同士でちょこっと反復するだけで使いもんになるんだったら苦労はいりません


ああ

そうそう

寝技といえば秘伝の世界で神格化されてる

大東流合気の武田惣角先生

が柔道家の

村井顕八先生と他流試合で果し合いをし

寝技で絞め落とされ

その後は刃物を隠し持つというww
そういったエピソードが八光流の奥山先生と大東流の鶴山先生の本で暴露されちゃっていますww

http://kimuramasahiko.blog.fc2.com/blog-entry-2538.html

2015年|11月|29日|00:43 |from 西田大作| URL 【編集】

No title

山下先生がグレイシーに対して好意的な発言をしたというのは中井さん?松原さん?だっけ
がゴング格闘技か何かの本で発言していたような気が…
すんません
私もよくは覚えていません

ただし
山下先生の公式サイトで
柔術に関する記述がありましたね
http://www.yamashitayasuhiro.com/kouenroku/detail.php?ID=2027

柔道には大ざっばに言って背負い投げや内股といった立ち技を重視する講道館柔道と、寝技を得意とする流派の二つがありますが、私が得意なのは立ち技でし た。私の師匠は寝技の達人で、稽古が始まったらすぐ「寝る」ような人でしたが、私は「寝る」のが嫌いで、その頃盛んだった立ち技一本でやっていました。お かげで、柔道を長くやっても耳の形が変形せずに済みました(笑)。
それに対して、戦前戦中の旧制高校では寝技を中心とした柔道が盛んでした。有名なところを挙げれば、新日鐵の永野重雄さんや読売の正力松太郎さん、作家の井上靖さん。こうした人達は寝技が得意だった。寝技の方が、より実戦的だったからでしょう。
私は大学の道場に通うかたわら、水道橋の講道館にもよく稽古に行っていました。そこに、当時全盛だった栃錦や若乃花をはじめとした相撲取りも来ていたので す。彼らの稽古を見たのですが、ほとんどの柔道選手は立ち技では太刀打ちできない。そこで寝技に行く。横綱や大関に勝つには、彼らの首を絞める、つまり完 全にチョークするんです。そうすると彼らはすぐ「まいった」したものです。
後年、外国出張に行った折に、私が柔道をやっていると知っている現地法人の人などから、「ここにも柔道場がありますよ」と誘われたことが何度かありまし た。行くと、身長2メートルもあるような大きな外国人が出てくる。その場合は、寝技に持込み、最後に首を絞めて勝つというのが私のスタイルでした。外国人 というのは不思議と、「落ちる」(絞め技によって呼吸困難になり一時的に気絶する)ことをひどく嫌がるのです。一度落ちたらもうこの世に帰って来られない のではないかという、「落ちる恐怖」があるようなんです。日本人は基本の段階でみんな「落とされる」練習をしますが、外国ではやらないようです。同じ柔道 といっても、国によって微妙な違いがあるところが面白い。
ところが近年、ブラジルのグレイシー柔術の選手が日本にやってきて、日本の格闘家やレスラーと試合をしていますが、これがめっぽう強い。今は日本の柔道よ り強いのではないかとさえ言われています。グレイシー柔術は寝技中心ですが、明治時代にブラジルへ柔道を広めに渡った前田光世の教えが、現地で100年の 間に独自の発展をして、日本に逆輸入されているわけです。
米国の駐日大使をしていたトーマス・フォーリーさんもグレイシー柔術をやっていました。私は大使が離日されるときに、柔道着をプレゼントしました。オリン ピックの柔道をみていても、たとえばサンボ(ロシア)や韓国・モンゴル相撲の出身者は、すくい投げや諸手刈りなど、講道館柔道にはあまりみられない、昔の 柔術の技を持っている。最近、日本人選手がやられているのは、全部、そんな技です。しかし考えてみれば、日本から外国に出て行ったものがまた日本に戻って くるというのは、経営においてもよくあることです。日本的な経営手法が外国に伝わって、向こうで作られた製品が日本市場に入ってくる。これが国際化であ り、色々なものがミックスされて一つの国際的な基準、デファクトスタンダードができるのです。
深夜にテレビでときどき、K-1やプライドや総合格闘技の番組を観ることがありますが、観ながらそんなことを考えることもあるのです。

2015年|11月|29日|17:44 |from 西田大作| URL 【編集】

No title

幻想系武術の世界で神格化された武田惣角が柔道の寝技で締め落とされたエピソードです

http://www.daitouryu.com/japanese/column/jujutsu/col_shime.html

惣角あっさりと寝技と絞技に完敗しいるのである。
 『奥山龍峰旅日記』には、この場でのことを克明に書かいる。

 後に惣角は当時の反省として、村井氏を何処までも素人扱いして敗れた、痛恨の思いから、次の一節を残している。

 これが惣角の言う、「油断あれば、どんな達人でも、素人に敗れる。音無きに聞き、姿なきを見る。一見して相手を制し、戦わず勝ちをえる事が《合気》の極意なりき」であった。
 この事は、鶴山晃瑞著『図解コーチ・合気道』(成美堂出版)の冒頭にも記されていたが、いつの間にかこの本(大東流を説明した格調高い本であったが……)は絶版になってしまった。
 強気と、気位で押し切った惣角であったが、こうまで言わせるのは、余程自分自身に、侮りがあった事の反省であろう。
 この後、惣角はこの出来事の反省として、衣服に刃物を隠し(これは著者が曾て武田時宗先生から直接聞いた話である)、万一の場合はこれを用いるという作戦に出たという。

 そして奥山龍峰師は同書の中で、惣角の白河(福島県南部)での武士崩れの人足と、口論から喧華をし、「斬るに斬ったり三十六人」という一節で、「惣角は柔の人ではなく、剣の人であった」と述べている。
 つまり龍峰師の解釈によれば、剣や、その他の刃物を持たせれば、強いが、素手ではそんなに大した事が無かったと締め括っているのである。
 確かに、現実にもそんな人がいる。著者の経験から、素手では大した事はないのであるが、刃物を握らせると、突然、人が変わって獰猛になり、手がつけられないという人は、確かに居るものである。

 当時柔道五段の猛者でありながら、八光流にも属していた村井氏は、師匠である奥山龍峰師から「この事は絶対に他言するな」と口止めされるが、これは後になって『奥山龍峰旅日記』に詳しく記され、事の次第が漏洩する事になり、「大東流は、柔道の足許(あしもと)にも及ばぬ」という評論がなされる事になる。

2015年|11月|29日|17:49 |from 西田大作| URL 【編集】

No title

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%BA%95%E9%A1%95%E5%85%AB

村井 顕八(むらい けんぱち、或いは むらい あきらはち[1]、明治22年(1889年)11月8日?‐没年不明)は、北海道出身の柔道家(最終段位は八段)、後に八光流柔術に転じ師範となった。

旧制中学在学中に柔道参段を取得、明治末期、村井が北海道小樽商業高等学校の生徒だった頃、同校の柔道部に所属する傍ら、柔道場を開き指導していた。この頃、『小樽新聞』と『北海タイムス』に掲載された武田惣角の対談記事の中で、惣角の柔道を貶す発言が記されていたのを読み、札幌の惣角の宿泊先に行って詰問した。その場でも惣角が柔道を侮る発言をしたため、惣角と試合を行い、前絞めで上から惣角を絞め落とした。惣角は顕八戦以降、肌身離さず体中に武器を携帯するようになり、家族にも妄りに体を触らせることはなかったという。

その後、講道館に移った村井は三船久蔵(村井・三船とも当時は五段)と試合を行い、これも首絞めで勝ったという。

これらの試合について、のちに師の奥山龍峰(八光流開祖)が緘口令を布いたので、『奥山龍峰旅日記』で明らかにされるまで公表されなかった。

http://www2.odn.ne.jp/meiqbudokan/mori14.html

◎柔道家村井顕八氏の実像は?
<敬称は略させて頂きます>

村井顕八は生没年不明。八光流誌『護身道』から僅かにその雄姿(八光流師範として演武をしている写真)と、村井のその後を物語るエピソードをいくつか拾う事が出来る。
以下、村井のエピソードを箇条書きにて紹介する。

①北海タイムスという地元新聞に武田惣角の記事が掲載された際、小樽高商の柔道部を背負っていた村井が、札幌にある惣角の宿舎を訪れ、得意の首〆で惣角を〆落としている。
※新聞紙上で惣角が柔道の悪口を言ったのが出来事の発端。『奥山龍峰旅日記』に記載有。
②その後、講道館本部付きとなった村井は、当時、同じく五段だった三船久蔵とも対戦、首〆で三船を〆落としている。その後、三船に義兄弟を強要し、契りを結んだと云われている。
※当時の三船は、自分を〆落とせる者はいない、と豪語していたそうである。
③植芝盛平と棒術対柔道の試合を行う。植芝は狭い場所で思うように棒を操れず村井五段に投げられる。
④村井、八段の折り、嘉納治五郎館長に段位を返上。単身満州に渡り馬賊の頭領となる。終戦の年の二月、銀行を通して東京の留守宅に二百万円もの巨額の金を送金している。
※当時の小学校の校長の月給が百五十円前後の時代。後に、平和条約の発効後、政府が海外送金の補償をする事となったので、宙に浮いていた大金は奥山龍峰を保証人に立てる事でその一部が村井の元に戻された。
⑤昭和三十年頃八光流師範となる。九十歳位まで板橋区で健在。(昭和三十年代末?)

●講道館柔道有段者として記録が残っている可能性が有る。又、大きな大会・公式の試合結果などの記録が発見されれば、氏の実力を客観的に推測出来る筈である。

●上記、①②③は村井本人が奥山龍峰に語ったものである様だ。つまり、客観的証拠が無く、証人もいない。
●④⑤は事実である事を奥山龍峰が確認し、客観的にその事実が証明されている。

★考察

『奥山龍峰旅日記』の初版は昭和三十三年。当時、武田惣角の名を知る者は現在よりも可成り少なかった筈。
武田惣角の名声と武勇伝、大東流合気柔術が広く知られる様になったのは、昭和50年以降。松田隆智氏の著作や合気ニュース等の影響が大きい。
当時、村井氏が惣角翁を〆落とした事を公言しても、その名声に箔が付く事は無かったであろう。従って、しばしば言われる、村井氏の「売名行為」という見方は的外れ。
現在、惣角無敗伝説を信じる者は多い。
「惣角が柔道に負けるワケがない」という見方は、晩年に不自由な躰で巨躯の柔道高段者と立ち会い、これを破った事が新聞に掲載される等の事実があった事にもよる。
今日、柔道というと、細かいルールに制約された中でチマチマとポイントを稼いで相手に勝つ、いわゆるスポーツ柔道のイメージが強いが、惣角の時代にはコンデ・コマ=前田光世の様な実戦柔道家も多く存在した筈である。
村井は明らかに他流試合を苦にしない実戦柔道家タイプであろう。後の名人三船十段とも互角以上の勝負を展開し、八段まで昇段した事が事実であるとすれば、その技量は前田光世に匹敵、或いは凌駕するのではないだろうか。


【記述の追加 H19.11.4】
村井の生年は明治22年(1889年)11月8日であることが後日判明した。
戦時中、つまり50代の半ばで既に講道館柔道八段であって、しかも、6歳年上の名人三船久蔵と同時期に五段であったという事実から、氏の並外れた技量が推測出来る。

【追記】H26.5.6

今回、『柔道年鑑』によって村井氏の段位について検証を試みた。
(『柔道年鑑』は国立国会図書館のサイトで閲覧出来ます)

●大正11年
村井顕八=三段
三船久蔵=六段
●大正14年
村井顕八=三段
三船久蔵=九段
●昭和14年
村井顕八=三段
三船久蔵=九段

ネット上では大正11年から昭和14年までの検証しか出来ないが、村井氏の講道館段位に関しては「三船氏と同時期に五段だった」というのは、明らかな間違いである。
三船氏が大正11年からたった3年で9段に昇段している事から、村井氏が昭和14年以降八段にスピード昇段した可能性もゼロではないと思うのだが・・・ネット上では検証不可能。

村井氏の段位については、今後も検証を継続して行きたいと思う。

2015年|11月|29日|17:56 |from 西田大作| URL 【編集】

刃物を隠し持つってもうキチガイの世界ですねー
自分が望んで果たし合いして負けそうになったら刃物で対抗って末代までの恥ですよ笑
ハナから刃物で戦うこともできず正面から素手で戦っても勝つ自信もないならもうやめちまえって感じですね笑

2015年|11月|29日|18:02 |from 竜二| URL 【編集】

No title

山下氏のホームページがあったんですね!貴重な情報ありがとうございます!しかも若乃花と乱取りしてたんですね!衝撃的な話です。
記事の中のトーマスフォーリー氏が柔術してたとのことなので少し調べたら2013年にお亡くなりとのことで84歳だったとのこと。じゃあ少なくとも70歳代までは練習してたってことですよねー。いやー励みになります。

2015年|11月|29日|22:47 |from 竜二| URL

No title

山下氏の記事の中にさらっとありましたけど「寝技のほうが実戦的」と山下氏が書いてるのがまた衝撃です。
柔道を極めた人の言葉だけに説得力ありすぎです。

2015年|11月|29日|22:52 |from 竜二| URL

No title

失礼
誤解されているようですので補足です
記事そのものは山下先生が描いたものではなく
山下先生と親交の深い財界トップ

奥田碩 日本経済団体連合会会長 トヨタ自動車会長

が描いたものです

こういった日本の財界トップが柔術とかグレイシー 高専柔道について描くことが凄いです

高専柔道には新日鐵の永野重雄や読売の正力松太郎 作家の井上靖といった
後の財界の大物 マスコミの黒幕 文壇の大御所
が名を連ねていて柔道界を支援していましたからねぇ

それら高専柔道のトップで財政界のトップが柔術とグレイシーを語れば面白かったでしょうね

まぁ
格闘技マスコミにその手の人脈があるとも思えないので無茶な企画でしょうけれどもね

2015年|11月|30日|00:45 |from 西田大作| URL 【編集】

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