相手が吹き飛ぶとかやってるのはヤラセですよ。彼らが持ってる合気のイメージがそういうもので、それを弟子を使って再現して「私は合気の達人で〜〜す!」とか言ってるだけで。ああいうデモンストレーションをやってる時点で合気とは何かをわかってない。なんでインチキをやるかというと、合気ができないからやるわけですよね。そもそも合気の道場は世の中にたくさんありますけど、そこで合気は身につかないですから











http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar761278

デイブ・シュルツの親友が語る「フォックスキャッチャーの時代」/レスリング五輪銀メダリスト・太田章



2015-04-01 00:01
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実際に起きたレスリング五輪金メダリスト射殺事件を映画化した『フォックスキャッチャー』。アメリカ有数の財閥の御曹司ジョン・デュポンが私金を投じてレスリングチームを作るも、自らが雇い入れたコーチを撃ち殺してしまうという悲劇的な事件だ(逮捕されたデュポンは統合失調症と診断され、獄中死した)。レスラーの息遣いと御曹司の狂気がスクリーンから迫ってくるこの映画を語っていただく太田章氏(早稲田大学スポーツ科学部教授)は、レスリング競技でロサンゼルス五輪、ソウル五輪と2大会連続銀メダルを獲得した実力者。まさしく“フォックスキャッチャーの時代”を生きた男であり、デュポンの凶弾に倒れたコーチ、ディブ・シュルツの親友でもあった。



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非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! par14は大好評インタビュー9本、8万字オーバーで540円!!  試し読みも可能です! http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar760930


①スターダム世IV虎vs安川惡斗は不穏試合ではない!!

②北原光騎が天龍引退に万感の思いを込めて「佐山シューティング、天龍同盟、SWS……」

③ビル・ロビンソン最後の弟子・鈴木秀樹「プロフェッショナルレスリングを大いに語る」

④Uと馬場を支えた黒衣の絵描き! 更級四郎 キミは「ほとんどのジョーク」をおぼえてるか?

⑤ご意見番・小原道由が世IV虎vs安川惡斗をぶった斬る!

⑥高校球児がアメリカに渡りUFCを目指すまで〜松田干城のボストン生活〜

⑦小佐野景浩×安西伸一 『ゴング』×『週プロ』天龍番だった男たち

⑧インディの聖地・新木場1stリングとは何か? 管理人を直撃!

⑨達人は実在する! 日本最後の幻想・柳龍拳ロングインタビュー

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――太田先生の親友であったデイブ・シュルツ射殺事件を映画化した『フォックスキャッチャー』についてお聞きいたします。


太田 非常に難しい映画でしたねぇ。映画全体の出来は素晴らしいけど、焦点を当ててるのはレスリングというマイナースポーツでしょ。さらにレアにしようとして監督がいろいろと演出してましたよね。レスラーの歩き方、練習の仕方とかね。



――先生から見てもリアルな描写だったんですね。


太田 映画と同じく実際のデイブとマークは性格が対照的な兄弟で、2人揃ってオリンピックの金メダリストで仲がよかったんです。弟が兄をチーム・フォックスキャッチャーに誘ったことにより、兄が非業の死を迎えてしまったという。あの事件からだいぶ時間は経ってるんだけど、当時は本当にショックな事件でね……。インターネットが出始めた頃なので、情報はあまり行き渡りませんでしたが、日本のスポーツ新聞でもこの事件は大きく扱われて。どうも偏った男同士の愛があったというふうにも書かれたんですね。


――映画の中でも、ディポンとマークのホモセクシャルの関係性を匂わすシーンがありましたね。


太田 真夜中にマークとデュポンがレスリングの練習をやりながらハアハア言ってね。ジョン・ディポンにそういう毛があるんじゃないか、と。殺されてしまったデイブはそっちにモテるタイプじゃないんですよ。身体も筋肉質じゃないし。でも、マークは逆でね。デュポンが恋心を持ったマークには出て行かれて、とくに興味のない兄だけがコーチとしてデュポンのもとに残った、と。そこをメディアが面白おかしく書かれてしまったから。デュポンはお金はあっても友達もいない、親の愛も受けていない。孤独な男だったんでしょう。じつはシュルツ兄弟も幼い頃に両親が離婚していたので、いつもお父さんお母さんがそばにいたわけじゃなかった。2人で寄り添って生きてきたところはあるんです。だから孤独を抱えた男3人が主役の映画というわけなんですよ。



――先生はデイブのお葬式に出られたんですよね。


太田 デイブの追悼式に出るためにアメリカに渡りました。そこには彼らのお父さんお母さんも出席していたんだけど。お父さんはデイブのために自分で作った歌を陽気に歌ったり、笑いながら昔話をするんです。そうやって集まったみんなをなんとか笑わせようとするんですけど、逆にデイブの不在が明らかになってしまってよけいに寂しくなっちゃいましたよねぇ。今回の映画も見れば見るほど笑えないし、泣けもしない。自分の中では親友が突然亡くなったわけですからね。いまでも「いったい何があったんだ……?」という気持ちでいっぱいなんですよね。


――映画でもよけいな説明は一切省かれました。


太田 当時も何が起きたのかがわからないという声はありました。そのうえ日本ではアメリカ現地のニュース番組はどこも放送してなくて、NHKのBSで『ナイトライン』という番組を同時通訳で流してるだけだったんです。その『ナイトライン』でいかにジョン・デュポンが狂っていたかを報道してるんですよね。デュポンの従兄弟は言うには「彼は精神を病んでいた」と。「そばにいたあなたたちが気付かないと本人も気がつかない。先に警告していればこんな事件は起きなかった」とまで言うんですから。番組の司会の方も誰が悪いとか決めつけるじゃなくて「なぜこういう事件が起きたか」を必至に探ろうするんですけど、やっぱりわからないわけですよ。デュポンは愛国心からアメリカのレスリング協会に寄付をして、チーム・フォックスキャッチャーも結成しました。それなのになぜ自分のチームのコーチを殺すのか、と。


――太田先生もチーム・フォックスキャッチャーに行かれたことがあるんですよね。


太田 デイブの自宅に2週間くらい滞在しました。デュポンにも会って握手しましたよ。細くて、ふにゃっとした冷たい手でしたし、一度も目を合わせてくれなかった。嫌な感じはしたんですが、レスラーからすれば、チーム・フォックスキャッチャーは羨ましい場所だったんですよ。練習環境にも恵まれているし、無料であんなにたくさん部屋のある豪邸にも住めてね。


――そのうえ給料がもらえるわけですよね。


太田 生活の心配をすることなく練習ができるわけです。ただ、ディポンは気まぐれで「何時間以内に敷地から出て行け!」みたいなことを選手に突然言うんですって。そんなことをされるとコーチたちも困るんですよ。選手たちはお金が欲しいわけじゃなくて、純粋にレスリングがやりたいだけなんだから。コーチたちは「気分次第でクビを切ったりしてはいけない」とデュポンをなだめるんですけど、デュポンは言うことを聞かないわけですよ。そうしてるうちにレスラーやコーチたちがフォックスキャッチャーを離れていってしまったんですね。デイブも出ていこうとした矢先に撃ち殺されてしまったんじゃないかと言われてますね。


――絶好の環境を捨てたくなるほど、デュポンの性格は歪んでいたということですか。


太田 我慢すれば恵まれた環境にいられるんですけど、限界は限界だったんじゃないですかね。当時、デュポンと養子縁組をして彼の全財産を受け継ぐ約束?をしたというレスラーもいたんですよ。その人間も途中でいなくなってしまいましたから。


――全財産を受け継ぐ約束って……。



太田 91年頃の話ですけどね。そのレスラーはまったくの無名だし、レスリングの実績もなく全然強くなかった。レスリングが強くなりたくてフォックスキャッチャーに来た中のひとりでしたけどね。デュポンとそんな約束をしたので「ラッキボーイ」と言われてたんですよ。


――いったいどういう関係だったんでしょうかね……。


太田 ふたりのあいだにどういった“愛”があったのかはうかがい知れないですけどね。最終的にデュポンの全財産の8割をブルガリアのレスリング協会の会長が受け継ぎました。


――バレンティン・ヨルダノフですね。


太田 彼はフォックスキャッチャーのコーチだったんですけど、身元保証人がデュポンだったんです。デュポンが殺人をしようが何をしようがデュポンが身元保証人であるということで、デュポンが刑務所に入ったときも彼が必要な物をすべて用意して、身の回りの世話もしていたんですね。



――この映画にはMMAのシーンも何度か挿入されていますが、その意味がわからなかったという方が多いですね。


太田 あの映画だとマークがソウル五輪のあとすぐにMMAに出たことになってるけど。UFCが始まったのは93年からだからね。


――マークがフォックスキャッチャーにいるときにUFCが始まったことになってますね。



太田 レスラーたちがUFCぽい番組を見たことはあったかもしれないとは思いますけど、まだ始まっていないんだから。


――映画の中に、マークらチーム・フォックスキャッチャーのレスラーたちが、テレビでMMAイベントを鑑賞する場面がありましたね。「なんでレスラーがこんな試合に?」「金のためじゃないか」という会話もあって。映画のラストはマークがMMAのケージに向かうところで終わりますが、実際にマークはフォックスキャッチャーを離れたあとにUFCでMMAデビューします。対戦相手はゲーリー・グッドリッジ。映画の中にレスラーたちが眺めていたテレビ画面にも映しだされていたのもグッドリッジでした。つまり監督はフォックスキャッチャー以降のマークの人生も暗示したかったんでしょうね。マークは食うためにフォックスキャッチャーにも入るし、のちにUFCに出る。この映画は競技者としてどう食べていくかというテーマも内包されていたと思うんです。


太田 正直、当時は、レスリングで活躍してもなんにも残らないです。金メダルを獲ってもね。アメリカは日本より酷い扱いなんですよ。

http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar760943


柳澤健ロングインタビュー「レスリングとオリンピック まだらのルーツ」



2015-04-01 00:01
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映画『フォックスキャッチャー』であらためてクローズアップされたアマチュア・レスリング。Dropkickメルマガではレスリング銀メダリスト太田章先生にこの映画について語っていただいたが、この格闘競技はどこで生まれ、どうやって拡がっていったのか。いまから2年前の2013年2月に『1976年のアントニオ猪木』『日本レスリングの物語』などの著作で知られる柳澤健氏にレスリングのルーツを辿る取材をしている。大好評だった鈴木秀樹インタビューでも触れられた「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」の起源にも言及しているので、18000字にも及ぶロングインタビューを再録しよう。取材した時期は、レスリングが五輪競技から除外されるという緊急事態が起きた直後であった。



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非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! par14は大好評インタビュー9本、8万字オーバーで540円!!  試し読みも可能です! http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar760930


①スターダム世IV虎vs安川惡斗は不穏試合ではない!!

②北原光騎が天龍引退に万感の思いを込めて「佐山シューティング、天龍同盟、SWS……」

③ビル・ロビンソン最後の弟子・鈴木秀樹「プロフェッショナルレスリングを大いに語る」

④Uと馬場を支えた黒衣の絵描き! 更級四郎 キミは「ほとんどのジョーク」をおぼえてるか?

⑤ご意見番・小原道由が世IV虎vs安川惡斗をぶった斬る!

⑥高校球児がアメリカに渡りUFCを目指すまで〜松田干城のボストン生活〜

⑦小佐野景浩×安西伸一 『ゴング』×『週プロ』天龍番だった男たち

⑧インディの聖地・新木場1stリングとは何か? 管理人を直撃!

⑨達人は実在する! 日本最後の幻想・柳龍拳ロングインタビュー

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――レスリングがオリンピックの中核競技から除外されるというニュースで、世間的にも大騒ぎになっています。レスリング関係者、経験者は当然なんですが、一般のスポーツニュース、ワイドショー、ラジオのニュース番組あたりでもかなり大きく取り上げられてますね。


柳澤 でも、基本的に日本人はレスリングに関心がないと思いますよ。関心を持つのは4年に一回だけで。


――まあオリンピックのときだけですよね。


柳澤 そのオリンピックだって、どれだけの人がしっかり見てるかというと疑問でしょう。


――トーナメント全体を見るというより、日本人のメダル争いしか気にしてないっていう。


柳澤 私は普段、ほとんどテレビを見ないんです。だから、たまたま見たテレビでレスリングが扱われたり、今回だったら福田富昭さん(日本レスリング協会会長)が出てくると、凄くびっくりする。


――記者会見をやってましたね。今回の件は日本レスリング協会だけの問題ではないんですけど、日本で記者会見をやってるっていうので騒動の大きさもわかるというか。


柳澤 福田さんはFILA国際レスリング連盟の副会長(※現在は退任)でもありますからね。マイナースポーツであるレスリングにとっては、事件はないよりあったほうがいいっていう感覚なんですよね。


――話題になることが大事、と。


柳澤 グッドニュースでもバッドニュースでも、ニュースはないよりあったほうがいい。今回の問題にしても「レスリングがオリンピックからなくなる=日本の金メダルが減る」という危機感があったからこそ、みんなはレスリングがどれほど大切なものかを認識できた。逆にいえば、ニュースがなければ認識しなかった。


――そういう意味では、もしかしたらいいニュースなのかもしれないわけですか。


柳澤 あながち悪いことばかりじゃないなっていう感じがします。もちろん「この危機を乗り越えられれば」という前提があっての話なんですけど。


――まさにそこなんです。柳澤さんは今回の除外の危機、乗り越えられると思われますか?


柳澤 その前に、オリンピックというのがどんなイベントなのかを話しておいたほうがいいでしょうね。近代オリンピックが始まったのは1896年のアテネ大会からなんですが、なぜこの年、この場所なのかご存知ですか?


――古代オリンピック、つまり原点の場所だからアテネなんじゃないですか? で、クーベルタン男爵が提唱した……くらいしか知らないです(笑)。


柳澤 普通そんなもんですよね(笑)。クーベルタンがどこの国の人かというと、フランスです。この頃のフランスで何があったか。1870年に始まった普仏戦争、プロイセンとの闘いに負けて大ショックを受けた。


――プロイセンっていうのは、いまでいうドイツですか。


柳澤 そう。ドイツ人って、フランス人より身体がデカいんですよ。フランス人はラテンだから、ゲルマンより小さい。いまサッカーを見てても、それは感じますよね。


――ドイツとか、あとオランダの選手はデカくて屈強な感じですよね。逆にフランスは華やかな技巧派。昔は“シャンパンサッカー”なんて言われてました。


柳澤 普仏戦争の結果、フランス人は「我々が負けたのは身体が弱いからだ」っていう思想を持つようになった。そこで、「強靭な肉体」を作ろうというフィジカル・カルチャーが生まれた。ボディビルも、そこから出てきたんですよ。力持ちコンテストが流行ったりして、強健な、ムキムキの肉体にみんなが憧れるようになったんです。


――フランスは芸術の国っていうイメージがありますけど、フィジカルカルチャーの国でもあるわけですね。


柳澤 かつては労働によって自然に身体が鍛えられてたんだけど、近代文明の発達によって身体が弱くなった。そこで「戦争に勝つには、やっぱり身体が大きく、強くなければ」という思想が生まれてくる。その思想の中には「世界に冠たるヨーロッパ、特にフランスは古代ギリシャの文明を受け継いでいるんだ」っていう主張も含まれている。捏造ですけどね(笑)。


――その主張が近代オリンピックの開催に結びつくんですね。戦争に負けたフランス人が始めたのがオリンピックだと。


柳澤 古代ギリシャの彫像を見ると、素晴らしい肉体を持っている。それはスポーツが盛んだったから、オリンピックという文化があったからだということになって、それを復活させたんですね。そこでさっきの質問の答えが出てきます。近代オリンピックが1896年にアテネで始まったのはなぜか? アテネである理由は「我々は古代ギリシャからの文明を受け継いでいるんだ」っていう由来作りのため。1896年アテネの4年後に、1900年にパリで開催するためなんです。


――あぁ〜、なるほど。


柳澤 20世紀という新しい世紀はフランスと共にが始まる、と。20世紀は1901年からですけど、1900年のほうが区切りっていう感じがしますから。そのタイミングで、フランスを世界の盟主とした、肉体を賛美する新しい文化を発信しようとした。パリ万博と同時開催ですね。


――戦争に負けたフランスが、新たに「ここが世界の中心なんだ」とアピールしにかかったわけですね。それに正統性を持たせるために、古代ギリシャを使ったというか。


柳澤 そうそう。パリで近代オリンピック第1回を開催しちゃうと、「どうせフランスだけのお祭りだろ」となってしまう。だから、その4年前にアテネでやって権威をつけておこうということなんです。


――いったん遡ったという。


柳澤 だから知っておいてほしいのは、近代オリンピックというのはフランス人がフランスを美化し、正当化し、賛美するためのものだということです。言ってみればその程度のもの(笑)。


――「オリンピックの商業化」とか「本来の精神が……」って言われますけど、もともとがフランスのプロパガンダに近いイベントだっていう(笑)。


柳澤 さらにその背景を説明すると、当時のヨーロッパの思想的潮流もあるんです。それまで、ヨーロッパはキリスト教に非常に抑圧されてた。建物も教会だけは立派だけど、普通の民家はみすぼらしい。みんな貧乏だったわけです。だから、オスマントルコにもさんざんにやられちゃった。『シンドバッドの冒険』に代表されるイスラムの商人が世界中を駆け巡っていた時代、ヨーロッパの商人たちはまったく活躍できなかったんですよ。結局、それはヨーロッパがローカルで貧しくて、キリスト教に抑圧されていたからなんですね。


――は、はい……。


柳澤 あ、ちゃんとレスリングの話に戻るから大丈夫ですよ(笑)。だからキリスト教って、スケールは大きいけれどいまの新興宗教みたいなものなんです、基本構造としては。


――人々の精神を抑圧して、だから余計に頼らざるをえなくする、みたいな。


柳澤 ええ。長いあいだキリスト教に抑圧され続けたフランス人は、ついにブチ切れてフランス革命を起こした。王権神授説は有名ですけど、王の権威はキリスト教の神に由来します。王を倒す革命は、神を否定することなんです。以後フランスには「信じるべきは神ではなく、人間の理性だ」という考え方が出てきた。キリスト教に代わって理性教みたいなものが生まれる。それが19世紀のヨーロッパなんです。神が支配するんじゃなく、理性ある人間が支配する世の中を作ろう、と。


――「神は死んだ」っていうやつですね。


柳澤 そうです。ニーチェみたいな人が出てきて、理性を持った人間こそがこの世界に秩序をもたらすんだ、と。だからルーブルの外壁には、19世紀、20世紀の指導者の像がたくさんあるんですよ。


――人間こそが世の中を支配するという背景があり、その中でフランスに肉体賛美の文化が生まれて、
それが国威発揚のオリンピックにつながってくる。そういう流れなんですね。


柳澤 人間が秩序をもたらすっていうことは、人間のあいだの上下関係も自分たちで決めちゃうってことです。「我々が上で、君たちは下だからね」と。それで世界中を植民地にしていって。とにかく自分たちでなんでも決めちゃうわけですよ、ルールを。メートル法もフランス人が作ったものなんです。地球を測って、子午線の4千万分の1を1メートルに決めた。いまの世の中も、そういう近代ヨーロッパの思想の流れの中に存在していると考えて、まず間違いないです。


――「IOCは理事の人選に偏りがある。ヨーロッパ中心すぎる」っていう批判があるけど、もともとそういうもんなんだと。その背景には、ヨーロッパが決めた“世界の秩序”があるわけですね。しかも、それはいまも変わってない。オリンピックの場合は、さらにそこに古代ギリシャという由来もくっつけて。……あ、そういえばレスリングのグレコローマンって「ギリシャ・ローマ」っていう意味ですよね。もしかするとそれも由来作りのためですか?


柳澤 そういうことです(笑)。じゃあフリースタイルはっていうと、イギリスが絡んできます。当
時、世界の覇権を争ってたのはフランスとイギリスですよね。メートル法はフランス人が作りましたけど、時間はイギリスのグリニッジ天文台が基礎になってます。その場所が経度0度=子午線ということにして、いわゆるグリニッジ標準時を決めた。中心の場所をロンドンにするかパリにするかで、凄く揉めたらしいですけど。


――時間とか距離とか、あらゆる基準をイギリスかフランスが決めていったし、その覇権争いが凄まじかった。


柳澤 なんでも争うんですよね。そうなると、レスリングでも争う。フランスにグレコローマン・レスリングがあるとなると「イギリスにもレスリングがなければいけない」という発想になる。そこで出てきたのがフリースタイルです。


――あ、フリースタイルを制限したものがグレコローマンってことじゃないんですね。


柳澤 違うんですよ。フランスのグレコローマンに対抗するためのものなんです。そのフリースタイルっていう名前も、じつは第二次大戦後のもの。その前はキャッチ・アズ・キャッチ・キャンと呼ばれてました。


――あ、ようやく我々にも耳なじみのある言葉が出てきました(笑)。


柳澤 よかった(笑)。でも、『Dropkick』読者のみなさんが聞いてる話と僕が知ってる話は、多分ちょっと違うと思います。まず、なぜキャッチ・アズ・キャッチ・キャンという名前なのか。これは「どこを掴んでもいい」っていう意味です。


――それが文字どおりの意味ですよね。


柳澤 なぜそういう名前かというと、「足を掴んでもいいですよ」ってことからきてるんですよ。


――「グレコローマンとは違いますよ」と。


柳澤 だからキャッチ・アズ・キャッチ・キャンは、グレコローマンより先にあったものじゃないんです。「どこを掴んでもいい」という競技名は、下半身に触っちゃいけないグレコが先にあるからこそ出てくる。グレコローマンがあったから、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンができたんです。


――ボクシングとか柔道とか、制限されたルールの格闘技に対してのバーリ・トゥードみたいな感じなんですかね。


柳澤 ああ、そうかもしれない。バーリ・トゥードはポルトガル語の「なんでも全部」って意味ですからね。余談ですがブラジルでは、ピクルスもチーズもトマトも何もかも乗っけたハンバーガーのことを「ハンバーガー・バーリ・トゥード」って言うんですよ(笑)。つまりヨーロッパ大陸、フランスのグレコローマンに対して、あとから出てきたのがキャッチ・アズ・キャッチ・キャン。第二次世界大戦以前のレスリング界において、グレコローマンが毎年世界選手権を行っていたのに対して、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンの世界選手権は一度もなかった。要するにオリンピックのときに行なわれるマイナー競技にすぎなかったんです。


――それが広まっていったのには、どういう経緯があるんですか?


柳澤 これはジャガイモ飢饉が原因なんですよ。


――レスリングとジャガイモ飢饉に関係があるんですか……。


柳澤 アイルランドでは、小麦はイギリスにぶん取られちゃうんで、主食はジャガイモだった。ところが、19世紀にジャガイモに「胴枯れ病」という疫病が発生したから大飢饉が起こり、餓死者も大量に出てしまった。アイルランド人は大挙して新天地アメリカに移民します。アイルランド人の多くは、もともと炭鉱で肉体労働をやってたりして身体が強いんですよ。


――アメリカでも肉体労働とかについて、いまでも警官や消防士はアイリッシュが多いって聞きますね。


柳澤 ええ。アイルランドの肉体労働者がやっていたスポーツが、ボクシングでありキャッチ・アズ・キャッチ・キャンなんです。


――イギリスではラグビーが上流階級のスポーツなのに対して、アイルランドでは炭鉱夫の娯楽だっていう話もありますね。基本的に激しいスポーツが好きなんでしょうね。身体も強いし。


柳澤 ボクシングもキャッチ・アズ・キャッチ・キャンも、基本的にはアイルランド人のものだと思っていいでしょうね。


――アイルランド人はボクシングやキャッチ・アズ・キャッチ・キャンの元祖で、そのアイルランド人がアメリカに移民して、戦後アメリカの力が強くなって……という流れなんですね。


柳澤 一つの流れとしては、ですね。ちなみにキャッチ・アズ・キャッチ・キャンが誕生したのは、18世紀後半のイギリス、ランカシャー地方です。


――ランカシャー・レスリングの語源ですね。


柳澤 ランカシャーには炭鉱がたくさんあって、アイルランド人が出稼ぎに来てたんですよ。賭けボクシングとかキャッチ・アズ・キャッチ・キャンも、アイルランド人が始めたもので。そこではレフェリーは反則をしてないかどうか、フォールしているかどうかを見るだけです。ちなみにアームロック、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンでいうダブルリストロックも、フォールのための技なんですよ。


――関節を極めるためのものじゃなかったんですね。


柳澤 プロレスラーが「お客さんの前でつまらないものは見せられないから、試合前に本当の決着をつけておこう」というときに関節技を使う人はいたかもしれないですけど。観客の前で関節技で決着がつけるキャッチレスリングを行っていたとは、私は考えてないです。「ギブアップ」による決着が、記録にまったく残っていないからです。あ、そうそう。キャッチ・アズ・キャッチ・キャンと興行の話もしなきゃいけませんね。


――いまの「裏の決着」の話でいくと、表で見せてた別のものがあるってことになりますよね。


柳澤 さっきも話したように、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンがフリースタイルっていう名称に変わったのは1948年のロンドンオリンピックからです。名称変更したのは、推測ですけど、「キャッチ」という言葉に、あまりにもプロレスの匂いがつきすぎていたからじゃないかと思います。


――ヨーロッパではプロレスのことを「キャッチ」って言いますよね。


柳澤 「キャッチ=プロレス」というのが、ヨーロッパの常識です。だから、それを嫌ってフリースタイルに変えたのではないかと。

http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar842239


【武道の幻想と現実】矢野卓見「合気の達人は存在しますよ」



2015-08-01 00:00
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合気とは何か――? Dropkickサイトでも取り上げた柳龍拳や、最近「巌流島」に登場した渡邉剛など、実戦で無残にも敗れ去る自称“合気の達人”たち……。合気の達人は存在しないのか、合気の技術は通用しないのか? 合気の幻想と現実を探るべく訪れたのはヤノタクこと矢野卓見の道場だ。
合気を源流とする骨法にかつて身を置いたヤノタク。独自に研鑽を励むうちに師匠に疎まれていった経緯は、こちらのインタビュー(http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar483646)をぜひ読んでいただきたいが、「合気の習いたいなら俺が教えてあげますよ」というヤノタクに武道の幻想と現実を語ってもらった。合気道、好きか嫌いかはっきりさせろ♪(骨法のテーマ調)。




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par18 http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar841870

◉天田ヒロミが見たK−1天国と地獄!! これが格闘技バブルの実態だ!
「谷川さんがやるようになってK−1はダメになりました」

◉横井宏孝「リングスの怪物くん」ゼロゼロ年代プロ格青春記……
「格闘技は前田さん、プロレスは橋本さんが師匠でした」



◉元祖・黒魔術「世紀の呼び屋」康芳夫インタビュー
「猪木vs人喰い大統領、空手家vs虎」恐るべき構想……


◉スイッチスタイルでUFC復活勝利!川尻達也インタビュー
「網膜剥離を乗り越えて――」クラッシャーはこうして進化していた!

◉「プロレス 点と線」
プロレス事情通Zが業界のあらゆる情報を線に繋げて立体的に見せるコーナー。
「巌流島フジテレビ中止の衝撃」「華名引退の謎」「ヒョードル復活」「人毛デスマッチとは何か」等……。


◉プロレス女子が格闘技をやってみた結果/二階堂綾乃インタビュー

◉笹原圭一の「書評やれんのか2015」
「江口寿史の正直日記/江口寿史」
「舞姫/森鴎外」
「横道世之介」

http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar841870
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――つい先日『巌流島』というイベントに“合気の達人”を自称する60歳の方が出場されたんですが、試合では何もできずに負けてしまったんです。


矢野 その試合の記事はなんとなくは読みましたけど。


――矢野さんは以前「合気道の道場に通っても無駄。合気の習いたいなら俺が教えてあげますよ」とおっしゃってましたけど、本当に合気の達人は存在するのかを含めて聞かせてください。


矢野 合気の達人は実在しますよ。


――ホ、ホントですか! どこにいるんですか?


矢野 ……俺かなあ? ハハハハハハ!


――達人は目の前にいた!(笑)。


矢野 まあ俺が合気を身につけた経緯を含めて話をしますけど、まず合気にはどんなイメージがあります?


――自称“合気の達人”のデモンストレーションにもありましたが、わずかな力で相手を吹き飛ばしたりするイメージはありますよね。


矢野 一般的にはそうですよね。簡単に言うと、合気というのは、相手を投げ飛ばす技術ではないんですよ。そういうことを言ってる合気の人間がいたら、全部インチキですね。


――なるほど(笑)。


矢野 そういう人間はまず合気自体がわかっていない。合気がわかってないからそういうインチキなことを言う。


――ちょっと触れただけで相手が吹き飛んだり、痛がるのはインチキなんですか?


矢野 インチキというか、簡単に言えば、タネがありますよね。手品というには手品師の方に失礼なんですけど。


――たしかに手品師には失礼なクオリティなものが多いですね(笑)。


矢野 相手が吹き飛ぶとかやってるのはヤラセですよ。彼らが持ってる合気のイメージがそういうもので、それを弟子を使って再現して「私は合気の達人で〜〜す!」とか言ってるだけで。ああいうデモンストレーションをやってる時点で合気とは何かをわかってない。なんでインチキをやるかというと、合気ができないからやるわけですよね。そもそも合気の道場は世の中にたくさんありますけど、そこで合気は身につかないですから。


――すると、なんのためにの合気道道場なんですかね(笑)。


矢野 なぜ身につかないかというと、要は型稽古しかやらないじゃないですか。開祖が作った型をそのとおりに再現するだけ。たとえばですよ。“自転車に乗る型”があったとして、自転車にも乗らずにその型をやり続けて自転車が乗れます?


――難しいですね。


矢野 そういうことですよ。かたちを真似しただけで自転車には乗れない。自転車を乗るにはバランスを保つ実地訓練をしないといけないんです。結果的には乗れたかたちをトレースにしたところで自転車は乗れないんですよ。


――野球で素振りだけをやったところでボールは打てないようなもんですか。


矢野 この角度から来た球をこのタイミングで……という素振りは意味があるんです。素振りというのは実戦を想定するから意味があるんです。タイミングの練習、身体をどうスムーズに動かすかという。


――合気の型稽古も何か目的をやってれば意味があるということですか?


矢野 いやあ、合気の道場でやってる型は、それをやり続けたところで、あらゆるシチュエーションに対応できないというか、合気は身体をどう使うかなんで……。たとえばここにぶら下がってるサンドバック、力いっぱい押せば動きますよ。でも、地面を踏ん張る足の力を腕に伝えることで、無理に力を入れなくてもサンドバックは前にドーンと動くんです。これが合気です。


――要は正しい身体の使い方が“合気”というか。


矢野 そうです。それは皆さんも普段の生活で無意識にやってることでもあるんですよ。


――そこを意識化することが型稽古というわけですね。


矢野 そうです。自分の動きの中に意識的に合気を取り入れることで機能向上するというか。だから合気というのは攻撃にも使えるし、防御にも使える。


――矢野さんはどこで合気を習得したんですか?

http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar776909


“雀鬼”桜井章一×笹原圭一「PRIDEと生きた時代」



2015-04-23 13:53
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Dropkickのジャン斉藤です。じつはここ最近体調を崩して寝込んでおりまして「元・日本テレビアナウンサー 倉持隆夫が語る全日本プロレス中継」「更級四郎×ターザン山本 ジャイアント馬場を動かした男たち」「狂気のピエロ 矢野啓太はプロレス界最後のシューターなのか」インタビューの更新作業が滞っています。本当に申し訳ありません。週明けにはいくつか更新いたしますが、それまで誌面のほうで掲載しました雀鬼・桜井章一と、元PRIDE広報・元DREAMプロデューサーの笹原圭一氏の対談をご覧ください(2012年に収録したものです)。雀鬼はわたしく斉藤の麻雀の師匠であり、ヒクソン・グレイシーとは親友関係にありますが、そのきっかけを作ったのは笹原さんでした――。なお絶賛休載中でした笹原さんの書評連載は来週から再開いたします。そちらもご期待ください!




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②北原光騎が天龍引退に万感の思いを込めて「佐山シューティング、天龍同盟、SWS……」

③ビル・ロビンソン最後の弟子・鈴木秀樹「プロフェッショナルレスリングを大いに語る」

④Uと馬場を支えた黒衣の絵描き! 更級四郎 キミは「ほとんどのジョーク」をおぼえてるか?

⑤ご意見番・小原道由が世IV虎vs安川惡斗をぶった斬る!

⑥高校球児がアメリカに渡りUFCを目指すまで〜松田干城のボストン生活〜

⑦小佐野景浩×安西伸一 『ゴング』×『週プロ』天龍番だった男たち

⑧インディの聖地・新木場1stリングとは何か? 管理人を直撃!

⑨達人は実在する! 日本最後の幻想・柳龍拳ロングインタビュー


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――桜井会長と笹原さんがお知り合いになったのは、会長とヒクソン・グレイシーの対談がきっかけなんですよね?


笹原 いや、じつはボクがこの業界に入る前に下北のお店でお会いしてるんです。20歳ぐらいのときですね。


雀鬼 あ、そうなの? 


笹原 会長はおぼえてらっしゃないと思いますけど(笑)。下北に会長のお店ができてまだ間もなくの頃です。ボクは大学生の頃から麻雀が好きだったこともあったので仲間内と「桜井章一のお店ができたらしいから行ってみよう」ってことで上京したんですよ。


雀鬼 へえー、そうだったんだ(笑)。


笹原 お店に足を踏み入れたら会長がいらして。地方から来たことを伝えたら凄く良くしていただいて、柳史一郎さんの小説『伝説の雀鬼』にサインしてもらったり。


――つまり一人の雀鬼ファンだったんですね(笑)。


笹原 もともとボクが勝手にお慕い申し上げていて、PRIDEをやるようになったときに、ボクが桜井章一に会いたいという理由もあってヒクソンとの無敗対談を企画したんです(笑)。それが97年のことですね。


雀鬼 あれから笹原さんにはよくしてもらってね。こんなジジイが毎回PRIDEに行くなんてちょっとおかしいんじゃないかなって思いつつもさ(笑)。というよりさ、斉藤はわかると思うけど、あんまりオレって興奮しないじゃないですか。


――何が起きても冷静沈着ですよね。


雀鬼 でもね、PRIDEのリングを観に行くときは凄くワクワクしたんだよ。「なんでこんなにワクワクするんだろう……!?」っていうくらい。そういうものを観させていただいたことは本当にありがたいことで。女の子がデートしてくれるっていってもちっともワクワクしないのにね(笑)。


笹原 女の子よりPRIDEでしたか(笑)。そういえば、ボクはVシネマ『雀鬼』シリーズにチョイ役で出させていただいて。赤坂のバーという設定で会長がそこのマスター、ボクはお客さんです。『まいっちんぐマチコ先生THE MOVIE』以前に出演歴があったんですよ(笑)。


――『まいっちんぐマチコ先生』がデビュー作じゃなかった、と(笑)。


雀鬼 人の縁って不思議だね。それまでプロレスや格闘技界からはだいぶ離れていた。力道山まで遡るかなあ……。


笹原 力道山からヒクソンですか(笑)。


雀鬼 俺は遠藤(幸吉)さんと親しくさせてもらったから、日本プロレスの道場にもよく顔を出していたんだけど。そういえば、PRIDEの道場で小路(晃)や戦闘竜と取っ組み合いをやったことがあったな(笑)。


――何をやってるんですか(笑)。


雀鬼 でも、ヒクソンと知り合うまではけっこう距離が空いていたんだ。たまたま格闘技の雑誌を読んでヒクソン・グレイシーという人間の考え方に共鳴したというか興味を持ったんです。「このヒクソンという人間は実際にはどんな動きをするんだろう」ってね。


笹原 そこにボクがタイミングよく対談の企画を投げたわけですね。


雀鬼 そこからヒョードル、ノゲイラ、シウバと興味ある人間と接点が持てたっていうのは本当にありがたいです。しかし、笹原さんはどうしてこの業界に入ったの?


笹原 最初に名古屋で就職した会社は格闘技とはまったく無関係だったんですけど、その会社の社長がヒクソンと知り合いだったんです。それでその社長と高田(延彦)さんと知り合いが「高田vsヒクソンをやれないか」というところから話が始まって。


雀鬼 うん、うん。


笹原 ボクは格闘技好きだったこともあって、そのプロジェクトに関わるようになったんですよね。その宣伝活動の一環として会長とヒクソンの対談をセッティングしたです。あの対談、二人が会った瞬間に、空気が変わりましたよね。


雀鬼 なんか緊張感があったよね。


笹原 話し始めた瞬間にヒクソンの表情が変わったんですよ。当時のヒクソンってもの凄くたくさん取材を受けていたんですけど、あんなヒクソンを初めて観ました。ヒクソンが「オレのことをこんなに理解してくれる人がいるんだ……」みたいな空気になったことは過去にはなかったんですけど、会った瞬間に打ち解けあえて。


雀鬼 自分の中でもそういう感じはあった。ヒクソンは日本語がわかんないし、俺も英語はあんまりわからないけども。握手をしてお互いに身体を触って「柔らかいねえ」っていうジェスチャーを交わしたところから対談は始まったんだよ。


笹原 言葉は通じてなくてもお互いの目がキラキラしてる感じがあったんですよねぇ。


雀鬼 途中からPRIDEはヒクソン抜きにして進んだじゃないですか。笹原さんはどういった心境だったんですか?


笹原 もちろんヒクソン・グレイシーは人間的に凄く興味があった選手だし、PRIDEという企画を作った選手なので、彼が上がらなくなったことに関しては凄く残念でしたけども。そこから何か新しいものを作っていくしかないなと思ってやってましたけど。


雀鬼 でもさあ、笹原さん。あの頃のヒクソンって日本人にとっては「敵」だったじゃないですか。


笹原 そうですよねぇ。


雀鬼 ね。いわゆるプロレスラーを応援するファンが多かった。PRIDEには「日本人vsガイジン」「プロレスvs柔術」みたいな構図があったりしてさ。


笹原 そこは我々も商売的にあえて煽っていたところがあると思いますけどね(笑)。




雀鬼 オレも小ちゃい頃はそれで興奮していたわけですから。それはプロレスの流れというか、シャープ兄弟という敵がいたから力道山は英雄だったわけでしょう。でも、会場にいると「周りは全員、ヒクソンの敵か……?」と思うときがあったんですよ。


――ボクも会長の隣で高田延彦の応援をしてましたからね(笑)。


雀鬼 この野郎はふざけてるし、後ろでも高田選手を応援してる騒がしいヤツがいるかと思ったら浅草キッドのお二人だったりな(笑)。とにかく「グレイシーは敵だ!」っていうムードがあった。


――グレイシーってなかなかプロモーターに対しても心を開かないイメージがありますね。


笹原 まあ、彼らはプロとしてそういうポーズを取ってるところはあると思いますけども。普段は馬鹿話をしたり全然普通でした。でも、ヒクソンはあまりそういう隙を見せなかったと思いますけど。ヒクソンは常にヒクソン・グレイシーでしたね。


雀鬼 そこは24時間、ずっとヒクソン・グレイシーでいるっていう感じだよね。


笹原 ボクが見るかぎりでは、リラックスしてるところはありますけど、「眠っていてもライオン」みたいな雰囲気でした。


雀鬼 いや、彼は持ってるね。品じゃないけど、野生の心みたいなものを。ヒクソンは自然が好きじゃないですか。


――試合前に山ごもりしてましたね。


笹原 ああ、試合前に「山を用意してくれ」と言われてましたね(笑)。いまだとちょっと考えられないです。当時だからこそできたんだと思いますけれど。


雀鬼 ホントだよねえ。「ジムの設備があるところで練習したい」とかだったらわかるけど、「山を用意してくれ」ってね(笑)。


笹原 「木があって、水があって」っていろいろとリクエストされました。いまそんなファイターがいたら「ふざけんな!」とって思いますけど(笑)。


雀鬼 そういうことが許された時代だったんだよね。そこはやっぱりグレイシー柔術という価値観を下げたくないわけですよね。だから交渉にも非常にうるさかったのかもしれないですよ。


――結局、ヒクソン最後の試合は『コロシアム2000』の船木戦になりましたけども、そのあとPRIDEからオファーはされていたんですか?


笹原 いろいろマッチメイクを考えるなかで、かならず名前は出てきた選手ですね。実現できる、できないという話じゃなくて。PRIDEはヒクソンと高田さんが産み落としたイベントですから、どうしても名前は出てきますよね。


雀鬼 ヒクソンはやる気ではいたんですよ。ただね、息子さん(ハクソン・グレイシー)が……。
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コメント

No title

たとえば合気揚げというのがありますが、
相手の腕が伸びて肩が詰まったようなあの技の「完成形」。
あれは強力な力や勢いによる誤魔化しであの体勢にもっていったり、
脱力させたり死に体にしてからあの体勢にもっていったりしているのではなく、
ヒョイと反射に働きかける仕掛けを施すことで結果的に
「ああなってしまう」のです。
あの体勢にさせるベクトルを与えてああさせているのではありません。
堀川幸道氏系統では本気で抵抗する部外者に気軽に掛けて
六方会動画そのままの現象を起こしてくれる師範がわりと居られ、
確認も可能となっています。
もちろん先生方は合気を万能などと謳っておらず
「まあお座敷芸みたいなものですよ」
とおっしゃいますので叩くようなものでもありません。
インタビューに応えておられる方は本来反射を利用する合気を、「力の通し方、伝え方」だと勘違いしているんですね。

2016年|01月|26日|13:17 |from  | URL 【編集】

Re: No title

> もちろん先生方は合気を万能などと謳っておらず
> 「まあお座敷芸みたいなものですよ」

コメントありがとうございます
合気上げなんかは典型的な宴会芸ですよねぇ

やり方さえわかれば誰でも出来るトリックですしね

実戦ではノーギ
手首をグリップされた時
掴まれた時の外し方のノウハウ

とかで応用できると思います

実際に伝説のレスラー
笹原 正三
がそのノウハウ

古流柔術でいう手ほどきのノウハウを使って五輪で金メダルを獲っています

合気道とか大東流のノウハウはそういった身体の構造を利用したノウハウが多いですねぇ

余談ですが
この手を掴まれた時のノウハウはグレイシー一族のセルフディフェンスのノウハウとかロシアのボエボエサンボのノウハウにも基本の技術として教えていますね
古流柔術でいうところの手ほどき

2016年|02月|03日|22:05 |from 西田大作| URL

No title

>やり方さえわかれば誰でも出来るトリックですしね

大東流以外で一般に行われている、合気を習得していなくてもできる反射を利用しない合気上げですね。
八光流や合気道でも「自分の耳を触るつもりで」とか
「持たれた部位のことを忘れて手を上げる・突き出す」とかいったコツで成功しやすくなりますね。
肘を曲げて突き出すのは八光流を祖とするとされる少林寺でも多用するようですね。

ただそういった類のやり方でいつまでやってもベクトルを与えるだけで
記事のインタビューされている方が勘違いしている運動と変わらず、
岡本正剛師範が見せていたようないわゆる「合気」の習得は一生不可能ですけどね。
ただ汎用性有効性は「力の伝達のさせ方・通し方」を工夫し練る類のものも劣ってはいませんがね。

大東流の合気は、合気を修得し弟子をとっているような師範ですら
繊細な条件が揃わなければ掛かりが悪くなったり外れたりするもので、
それ故に「宴会芸です」と言わしめているのであり、
自由攻防でもその条件に自分から持って行ける技量や
自由攻防そのものの技量を獲得した修行者・伝承者がいたら結構使えると思われます。

ただ習得困難さと現象の面白さから合気の習得そのものをゴールとしてしまう修行者が多く、
合気の実用を見る機会はなさそうですね。

2016年|02月|08日|01:15 |from  | URL 【編集】

No title

尤も実質合気の元祖ともいうべき武田惣角も
限定された状況でしか使えなかったかどうかは何とも言えません。
他の記事で武田惣角を過大評価されておられる方と議論なさっていたようですが、
合気習得のみに熱を上げるのは後世の人間であって
惣角自身は武術家として合気以外も万遍なく鍛練していたでしょうし、
そうであると同時に合気をあらゆる局面で自在に使えたガチな柔術家であったとしても、
惣角も人間ですから柔道家に後れを取ることもあったでしょうね。

2016年|02月|08日|03:02 |from  | URL 【編集】

No title

https://www.youtube.com/watch?v=PktrsNtJ16U
岡本正剛先生にしろ塩田剛三先生にしろ実際強いんでしょーが
演武でやってるパフォーマンスの殆ど全てがインチキとやらせの八百長プロレスでしょうね

2016年|02月|25日|12:47 |from 西田大作| URL 【編集】

No title

実際 塩田先生に危うく木刀をぶつけそうになって
門下生が木刀を寸止めをした演武を私も見ましたし…

2016年|02月|25日|12:49 |from 西田大作| URL 【編集】

No title

柔道の仁木征輝先生とか平野時男先生とか阿部謙四郎先生とかレスリングの笹原正三先生が合気を勉強して実用 リアルファイトに役立てているので

合気 糞の役にも立たない

などとは間違っても言いませんが逆に
神秘化したり宗教化したり
東大出の詐欺師 高岡英夫ばりのインチキ科学で騙すのもいただけませんね

2016年|02月|25日|12:53 |from 西田大作| URL 【編集】

No title

個人的には合気の中では柔道視点の富木合気道が大変興味があります
柔道の試合で使える崩しとか紹介していますしね
他の合気の先生たちは(大東流各道場の先生方 合気会 養神館など合気道の先生方)
競技とか試合とか関係ないのでプロレス演武が酷くて
どうしてもカルト宗教化してしまっていて
先生によっては触れてもいないのに投げられちゃうインチキ宗教と化している道場もあるので見るに耐えませんね
ハッキリ言って

2016年|02月|25日|19:58 |from 西田大作| URL 【編集】

No title

このページのインタビュー記事の中でも「合気道道場では合気は~」などといった発言がありましたが、
そもそも合気道に合気という技術は存在しません。
塩田先生の合気も植芝盛平が合気を出来なかったから後から堀川幸道から学んだとされていますね。
高度な崩し=合気でもありません。
では合気とは何か? というと、
相手の生理的な反射を引き起こす技術です。
カエルの解剖で刺激に反応して筋収縮を起こすあれですね。
おっしゃる通り神秘要素もゼロです。
掛けられればわかりますが、
試す気満々協力する気ゼロでも体がのけ反ったり重心を浮かされ爪先立ちになったりするといった現象として現れます。

岡本先生や塩田先生の演武で指定した場所をしっかり掴み
そのかわり柔軟かつ自由な対応をしないというところまでは約束事でしかありませんが
出来る人の技を受ければわかりますが触れてからの技は基本的にガチで効かされており演技ではないですね。
効かす為の稽古をしてきているのだから当然ですが。


>岡本正剛先生にしろ塩田剛三先生にしろ実際強いんでしょーが

対峙から仕留めるところまでを学ぶ柔道合気道を身に付け、
あれほど自在に動けて合気も習得していた塩田先生は強かった可能性がありますが、
触れたところからの技である合気をメインにやってきた岡本先生が強かったかは疑問ですし
ご本人も強さに関心は無かったのではないかと思いますね。


>柔道の仁木征輝先生とか平野時男先生とか阿部謙四郎先生とかレスリングの笹原正三先生が合気を勉強して

この先生方はおそらく合気に触れたことすら無いと思われます。

2016年|02月|26日|19:05 |from  | URL 【編集】

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