猿でもわかる「ポツダム宣言」

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今日も伝聞に頼った凡百のブログ
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大阪のぽっと出の芸人として「は」相当長く持ったし、そのまま「過剰な」パフォーマンスさえしてなければ大都市の首長をもっと続けられたと思う。その意味では慎太郎と同じようにいくら自己顕示欲が強くても、人気はそれなりに保てたのにやはりソウカ?の裏切りというか蝙蝠ぶりにやられてしまったようである。

いずれにしても

2008年ぐらいから彗星のように政界に躍り出て、つねに何らかの話題を提供し続けてきた点、おなじテレビタレントとしては、当時一世を風靡していた「エドはるみ」や「世界のナベアツ」なんかと比べると消費期限が意外に長かった分、評価できるのではないだろうか。

というのは

僕が報道の現場を退いてから突然現れた「政治家?」であるから、会ったこともないし,彼のことは全然知らないし、また、知りたいと思ったこともないからよくわからないのである。

したがって

いわゆる「テレビタレント」としてテレビジョン受像機を通してしか彼のことは認識していないので、個人としての橋下徹の「肌触り」や「空気感」がつかめずコメントしづらい。

つまり

バーチャルな彼しか知らないから、得意の「直感」が語れないないのである。

また

では弁護士としてどうかといわれても昔から言ってるように「♪あなた弁護士私は芸者おなじ稼業の口車」だと思っているから職業としてもあまり信用できないのである。

それを前提に

彼と大阪都構想と維新について若干記憶をたどってみると、、、、、

おもえば

なんとなくスマホが市民権を得て浸透していった歴史と「僕の中では」なぜか重複しているように感じてしまうのだ。

それは

逆に自分が時代に取り残されてきたことであると言えなくもないが、自分としては、そもそもそのような類いの「電話機?」も同じ類の「政治家?」もいらない、というより社会の弊害だと思っているからかもしれない。

ただいえることは

橋下徹という人物が好きか嫌いかという問題と都構想の是非と住民投票というシステムの是非はそれぞれまったく別の問題であることを我々は認識しなければならないということであろう。

それを

ごちゃ混ぜにして語ることの愚は当ブログの読者であれば当然わかることなのだろうが、注目すべきは「いざとなれば」自民も共産も「党」は同じ船に乗るということである。

ということは

政界プロレス興行がそもそも香具師の「シノギ」でしかなく、掟破りの別なやくざがシマを争うもんなら自分の既得権益が荒らされるのではないかという不安をもち,直ちに昨日の敵とも一致団結して闘うということである。

つまり

自党の党利党略が国民や市民より重要であると少なくともパルタイ「党」は考えているということが、図らずも露呈したということなのだ。

もちろん

立場てきにサヨクとしては橋下徹は不倶戴天の敵なのだが、すくなくとも「改革」とくに公務員の既得権に関する「改革」らしき「臭い」に「党」は敏感に反応してしまうのだな~と改めて感じてしまった。

たしかに

橋下徹は非人道的なレイシストでかつ国粋主義であってどうも虫が好かない、、、からといっても、二重行政をそのまま放置したままの役人天国の現状は打破しなければならないと一方では強く思っている。

ただ

そのやり方の無鉄砲さとやろうとしている人物があまりにも????であったから今回は失敗したが、このような行政にたいする「改革チャレンジ」がこれで萎んでしまうことになってはならないと思う。

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猿でもわかる「ポツダム宣言」
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ややアクセスには難があるがベルリンは目と鼻の先だし、いくら学校で現代史を学期末時間切れで教わらなかったと言っても、折角ドイツ観光をするのなら一度訪れた方がいいと思う。

そうでなくても

ポツダムの建物、とくにツェツィーリエンホーフ宮殿は優雅で美しい。

ところで

「たとえ」いくら学校で教わったとしても、聞いてなかっただろうし、聞いてたとしても理解できなかったであろう劣等生のオボチャマは、その後、一国の宰相にまでなったのであるが、歴史的「ポツダム宣言」の内容など知っている筈もないだろう。

だからといって

「読んでなんかいね~よ」と開き直るものいかがなものか。彼はもう学業不振のただの「落ちこぼれ」ではなく、曲がりなりにも今は総理大臣なのだから。

少なくとも

へたすれば一国の命運すらも彼の手中にあるのかもしれないのだ。

それゆえ

このような総理大臣を持った国民は不幸であるといえよう。

さはさりながら

先日国会で行われた党首討論で、共産党の(学校では優等生であっただろう)志位が(劣等生の)安倍に、「ポツダム宣言」に関する認識を質問したのである。

この時、

志位がいくら「過去に日本が行った戦争は、間違ったものという認識はあるか」なんて問うたところでぼんくら晋三に答えられるわけがないだろうと僕は思った。

そしたら

案の定、志位が立て続けに「70年前に日本はポツダム宣言を受け入れた。ポツダム宣言では、日本が行ったのは間違った戦争だったと明確に記している。総理はこの認識を認めないのか」と聞い糾すと、。安倍は「ポツダム宣言は、つまびらかに読んではいないが、日本はポツダム宣言を受け入れ、戦争が終結した」とわけのわからん曖昧な、他人事のような返事をしたのである。

そもそも

戦後の対日処理方針を表明したこの「ポツダム宣言」で今日の日本が(良くも悪くも)存立しているのだから、その内容を読んでいないのなら、果たして一国の総理が務まるのだろうかと不安にならぜるを得ない。

それでも

その彼を国民の大多数が支持しているのだから、、、、「まっ、いいかぁ~」。(お前はピザ屋の上司かっ!)



ちなみに原本は英文でかかれているので、参考までに宣言の現代語約を示しておこう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ポツダム宣言
1. 我々、アメリカ合衆国大統領、中華民国主席とイギリス首相は、我々の数億の国民を代表して協議した結果、この戦争終結の機会を日本に与えることで意見が一致した。

2. アメリカ、イギリス、そして中国の陸海空軍は、何度も陸軍、航空編隊の増強を受けて巨大になっており、日本に対して最後の一撃を加える体制が整っている。この軍事力は、日本が抵抗をやめるまで同盟国によって維持できるものだ。


3. 世界中の自由な人々は立ち上がった。それに対してドイツが採った無益かつ無意味な抵抗の結果は、日本の人々に対しても極めて明快な例として示されている。現在日本に向かって集中しつつある力は、ナチスの抵抗に対して用いられた力―全ドイツ民の生活、産業、国土を荒廃させるのに必要だった力―に比べると、測り知れないほど大きいものだ。決意をもって、我々の軍事力全てを投入すれば、日本軍は壊滅し、また、日本の国土は焦土と化すだろう。


4. 日本が決断する時は来ている。知力を欠いた身勝手な軍国主義者によって制御され続け、滅亡の淵に至るのか。それとも、理性の道を選ぶのか。


5. 我々の条件は以下の通り。条件からの逸脱はないものとする。代替条件はない。遅延も一切認めない。


6. 日本の人々をだまし、間違った方向に導き、世界征服に誘った影響勢力や権威・権力は、排除されなければならない。無責任な軍国主義が世界からなくなるまでは、平和、安全、正義の新秩序は実現不可能である。


7. そのような新秩序が確立されるまで、また日本の戦争遂行能力が壊滅したと明確に証明できるまで、連合国軍が指定する日本領土内の諸地点は、連合国軍がこれを占領するものとする。基本的目的の達成を担保するためである。


8. カイロ宣言の条項は履行されるべきものとし、また、日本の主権は本州、北海道、九州、四国及びわれわれの決定する周辺小諸島に限定するものとする。


9. 日本の軍隊は、完全に武装解除されてから帰還を許し、平和で生産的な生活を営む機会を与えることとする。


10. 我々は、日本を人種差別し、奴隷化するつもりもなければ国を絶滅させるつもりもない。しかし、われわれの捕虜を虐待した者を含めて、全ての戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を行うものとする。日本政府は、日本の人々の間に民主主義的風潮を強化しあるいは復活するにあたって、障害となるものは排除する。言論、宗教、思想の自由及び基本的人権の尊重が確立されなければならない。


11. 日本は産業の維持を許される。そして経済を持続し、正当な戦争賠償の取り立てに充当する。しかし、戦争を目的とする軍備拡張のためのものではない。この目的のため、原材料の入手はこれを許される。ただし、入手と支配とは区別する。世界貿易取引関係への日本の事実上の参加を許すものとする。


12. 連合国占領軍は、その目的達成後そして日本人民の自由なる意志に従って、平和的傾向を帯び、かつ責任ある政府が樹立される限りにおいて、直ちに日本より撤退するものとする。

13. 我々は日本政府に対し日本軍の無条件降伏の宣言を要求する。かつ、誠意を持って実行されるよう、適切かつ十二分な保証を求める。もし拒否すれば、日本は即座にかつ徹底して撃滅される。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

なお太字部分はぼけ老人の僕が勝手に太くしたものでありけっして、今のフクイチ(4)や晋三個人(6)や辺野古(12)についてのことでは「ない」。

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安保法制の整備ってな~に?
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相手が容易に納得しないであろうと思われる場合、それでも正直に真正面から説き伏せるか、嘘を付いて誤魔化すかしかないのですが、前者はまず無理だし、後者は詐欺(犯罪)に抵触しそうだし、、、

それに、

ばれたら責任を追及されたくはない、、、、そういう場合、「宦官」たちの考えることはただひとつ、簡単な話をわざと複雑難解にして煙に巻くことであります。

そにようにして、

いつものように「彼らは」彼らの言葉でいう「平和法」を(ふつうにいえば「戦争法」を)、なんとか本国会でも通過させたいと思っているのです。

ここで、(途中ですが)

念を押しますが、僕はこれらの法案の賛否や是非を「ここで」論っているのではありません!

いわゆる、

「サヨク」の反対とか、いわゆる「ウヨク」の賛成とかには何の興味もないのですからそういう「えせ国防論」に
組するつもりはありありません。

だだ、

いくらぼけ老人であっても(ぼけは事実ですが)、、、、たとえ僕がいくらぼけても、まだ「それほど」白痴ではないつもりですし、「それほど」卑怯にもなりたくもありません。

だから、

簡単なことで難解な言葉を駆使したり、恣意的な日本語の誤用などということは、「実は」文学としても美しく「は」ないといいたいだけなんです。

その

典型が件の「霞が関文学」法案であると申しておるのです。


ところで

僕はたとえ不条理で矛盾して「悪政」であっても美しければ「僕、個人として」は容認する変人なのですが、現在の権力の醜悪さにはどうしても耐えられないのです。それがたとえ悪政だったとしてもルードリッヒⅡの時世であったら耐えられたとおもうのです、、、(例としてふさわしくありませんけれど)。

その

正反対が今の内閣が国会にだした安保法制関連法案ですが醜いことこの上ありません。なんて不潔で汚らしく悪趣味でごたごたしているのでしょう。

そのうえ

具体的内容が何度説明されても「さっぱり」わからないのです。

なぜなら

国民馬鹿だから理解できないのではなく、「かれら」が煙に巻こうとしているからなのです。


なんども繰り返します。

僕は法案の是非賛否を「ここで」論う気はありません!ただ汚いものが嫌いだと申し上げているだけなんです。

なぜなら

それをつくった(おそらく文Ⅰ出身の)連中の卑屈さや邪悪な企みが個々の法律の条文の隅々に沁みついているからなのです。そのこびり付いた死臭の「やうな」、すくなくとも決して「かぐわしく」はないにおいに激しく嫌悪しているだけなんです。

だって

「いままで息子が凶器を持つと危険だから取り上げていたんだけど、俺(オヤジ)も弱ってきたし、仕方ねーから息子にナイフぐらいは持たせないとな。もうひとりじゃやってらんねーんだよ」

ということ「だけ」なんです。

そしていま

それだけのことを侃々諤々、いい大人が雁首それえて「あーでもない」「こーでもない」と唾を飛ばしあっているのはただただ醜いとしか言いようがないじゃありませんか。

そして

それは限りなく空虚(うつろ)なんです。やればやるほど、、、。

なぜなら

それぞれの立場にそれぞれの欲があり、自らの司司(つかさつかさ)で自ずからの既得権を主張しているだけのことでしかないのですから。

そして

それは賛否以前のもんだいなんです。ただたんに醜悪なだけなんです。
 

「こんなことって、あたし信じられません~ずっと騙されていたんですね~」。

宇能鴻一郎ふうに?いえば、そういうことなのです。

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我、反日に非ず、ただ事実を述べるのみ。
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中国がいわゆる(強気の?)「防衛白書」をだした。日本の国会での「安保法制」論議が白熱しはじめている「最中」の、まさにグッドタイミングであるというべきか?

そうでなくても

中国の「強行策?」や(反日的な?)のコメントが日本国内の右傾化を逆に推進している結果になっているのはなんという皮肉であろうか。安保法制に対する日本政府の意味不明な「説明」を百万回聞くよりも中国からのこうしたメッセージが発せられるだけで、日本の「嫌中感?」といった国民感情を刺激し、安倍内閣の軍事力行使拡大の企みを容易にさせているのである。

もちろん

日本国内の報道の、これらの事象の伝え方に「煽り」や「偏り」に原因がないとはいえない。また中国の「困ったチャン」ぶりを過大に取り合げ「抑止力」の必要性を恣意的に強調している政府の姿勢に問題がないとはいえない。

しかし、

中国以外の外国のメディアでもこのことに警戒感を漂わせる報道が盛んになされているのも事実である。

たとえば、

中国の南沙諸島進出等に対する危機感はむしろ欧米のメディアのほうが大きく扱っているように「ぼくには」思えるからである。

なんとならば、

ワシントンでもこれらはしばしばニュースのヘッドラインのトップで伝えられているのだ。

ちなみに

21日、米国防総省のウォレン報道部長は、中国が領有権を主張する南シナ海・南沙諸島の岩礁を埋め立てて人工島を造成していることに触れ、いくら中国に威嚇されても(アメリカは)さらに島の12カイリ以内に米軍機を進入させてこの一帯は「国際空域」だと行動で示すことになると表明しているのである。

もとより、

国際法では、海岸線から12カイリ以内は領空・領海と定められているから、一概にこれを米中の「チキンレース」とは言えないが互いにテーブルの上で握手し下では足でけり合っているおなじみの外交のパターンが続いていることは確かであろう。

また

同じく国防総省のウォレン部長は、こうもいって中国側をけん制している。

「航行の自由の原則を訴える目的で、係争海域に艦船や航空機を意図的に送り込む”航行の自由作戦”を南シナ海で今後も続けていく、、、」また記者団に(中国側が自国の範囲であると主張している)12カイリ以内にまで派遣するのかとさらに問われると、彼は「次の措置はそれになる」と答えているのである。

なにも

これはアメリカだけのことではない。世界中で中国のルール違反の「行儀の悪さ」が警戒され鼻をつままれているのだが、それがあまり表に出ないのはいずこも経済的苦境に遭って巨大な「中国マネー」を当てにするしか方法がないからである。

しかし

考えてもみよう。

いまからおよそ40年前の日本人だって「かなり」行儀が悪かったように「僕の」実体験として感じている。

たとえば

そのころパリで学生だった僕が野暮用があってホテルのロビーで座っていると、いきなり団体の日本人のオッサンが「君、オペラ座はどこかね?近いんだろ」と横柄に声をかけてきた(おそらく顔を見てツアコンだと勘違いしたのだろう)。そばに山ほど仏蘭西人がおりしかも周辺には親切なホテルのボーイたちが暇そうにしていたのにもかかわらずである。

そこで

少し頭にきた僕は両手を広げフランス語で自分はベトナムから来たばかりだと何度も言いつのったらそばの団体の一員と思しきおばさんが「この人ベトナムとかいってるみたいよ」といいまた別の叔母さんも「ベトナム人にしちゃ黒くないわねえ~」とか、件のオッサンまでも「南洋の奴らだって日本人みたいのがいるんだよ」とかいいだし、今度は僕が日本語が分からないと思ってこそこそおしゃべりした挙句、「指さし」ながら笑いつつ立ち去っていったのである。

これは、

いまなら問題になりそうな発言・行動であるが、このような行動も格好も恥ずかしくなるような日本人の観光客が「当時は」沢山いて金だけばら撒いていたのはついこないだのことなのだ。だから初めて海外旅行を楽しんでいる現在の中国人観光客をみていたずらに嫌中感をふくらますのはいかがなものかと考える。

もちろん、

観光客と国家の「行儀の悪さ」は「質」が違うかもしれないが、大日本帝国だって最後はけっして国際的に「お行儀」がよかったとは言い難い。

あえて、

いうなら新興国と老大国、エネルギーを持て余している若者と枯れた老人とでは違うのは当然であろう。若者の暴走を食い止める老人の智慧がこそが期待されるのである。

にもかかわらず、

それを煽っていっそう暴走を駆り立てている老人もいるようだ。


ところで

安倍晋三も、もう還暦を超えているんだってね~。


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ロヒンジャーを何とかしてやりたい、、、、。
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ヒトの運命は過酷なものである。

なに不自由なく楽しく生きている人もいれば飢餓に苦しむしかないだけの「地獄」に「今」存在している人々もいるのだ。

改めて

酷い!と思う。

かって、

僕はロヒンジャー(ロヒンギアともいうらしい)という人々が「存在」しているということは、当時「軍事政権」から逃れてきたビルマ人(ミャンマーともいうらしいが)で日本に来ていた人たちを取材していた時、彼らから「ちらっと」聞いたことがあったが、いつの間にかその存在すらも忘れていた。

ところが、

いま、にわかにそのロヒンジャーが世界的な問題になっている。

じつは、

きくところ、というか「僕が」聞き及んでいたことから察するに、これには歴史的に根深い~ふかぁい問題が横たわっていると考える。

ちなみに、

件の亡命ビルマ人は当時も今もロヒンジャーを嫌っているし、彼らの政治的カリスマ・スーチーさんですら手をこまねいているほど難しい問題なのだ。

つまり、

調べてもらえれば分かることだが、この遠因はアングロサクソンの統治時代の失策?から来ている、、、と僕は思う。さらに、これに旧日本陸軍が「解放者?」としてビルマの仏教徒農民(今のスーチさんの支持基盤の一つ)とつるんだりし、その際ロヒンジャーがイギリス側についたりしたために、いっそう問題を複雑化させているのである。

そのけっか、

ビルマ内でのごく少数のイスラームでもあるロヒンジャーは民主的?(つまりスーチーさん支持者)な反軍事政権派の仏教徒であるビルマ人からも恨まれているのだ。もちろん軍事政権も彼らをずっと迫害してきている。

つまり

詳細はここでは省くが、要するに大国の思惑に翻弄されつづけ、おまけにビルマ国内でも政治的な理由から棄民扱いを受け続けてきており、彼らに対する解決策は事実上八方ふさがりなのである。

だから

「人道的に」、、、

というはたやすいが東南アジアの複雑な政治情勢も絡み現実的にロヒンジャーを救済するのは容易ではない。

ただ

僕個人の考えをあえて言えば、そこに苦しんでいる人がいれば歴史も理屈もへったくれもない!何とかしてやるのが人情というものであろう。


日本政府も国会で機雷掃海云々とか能書き垂れている暇があったらそれこそ何隊でもなんでもいいからとにかく出動させて困っている人たちを助けるってのが先決だろう、、、と「ぼくは」考えてしまうのである。

外交問題?なものは後からなんとでも外務省得意の屁理屈をつければいいことだと感じたりしている。

だって

ロヒンジャーに生まれたばっかりに餓死していく子供がいくらでもいるのだ。

すべては

「運命」のなすがまま、明日は我が身、僕の棲んでるところでは「今日」突然大量の火山灰に見舞われた。

思わぬ不幸が、、、運命が、

いつ襲ってくるか誰にも分からない。

困ったときは相身互い、理屈なんていらないから「具体的に」お互い助け合って生きていくしかないのだと「僕は」思う。

おんなじ「人間」じゃないか。

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棄権するとこうなるのだ!
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日本の国会では相変わらず既に宗主国での議会演説で約束した内容が「議決多数」で追認されるに決まっている結論ありきの「消化試合」を延々と儀式のように続けているようだ。

これは、まあ

質の悪い戦後生まれの伝統芸能の類いといったところであろう。

ところで

こうした白痴を日本中に蔓延させ今や国会にまで送り込んでいるということは、アメリカが唯一成功した日本への顕著な占領政策成功の例であるといえよう。

というのも

国会で「あーでもない、こうでもない」と与野党くんずほずれつ白痴たちの饗宴がつづいているのも基本はアメリカの明白な占領方針の「原則」が貫かれているからである。

戦後70年、それが成就してまことにめでたい!!!

そこで、

万歳三唱の前に「念のために」くだんの「原則」を再確認しておくのもわるくない。

たとえば、

日本降伏後にGHQが矢継ぎ早にだした「日本人劣化作戰」の概要とは次のようなものである。

それはまず

「無氣力人間を作る」ことからはじまって、「無信念人間を作る」とか、

また

「義理人情抹殺、家族制度の崩壊、先祖を崇拝する心を無くす、軍事的に自立させない、戰爭放棄させる、3S政策(スポーツ、セックス、スクリーンの娯楽によって日本民族の高い精神を崩壊させる)、政治・経済・情報・エネルギー・食料において自立させない、衣食住をダメにする、食事をガタガタにする(農藥、添加物、肉食)、水に塩素をばら撒く、空氣を電磁波、放射能によって汚す、心の持ち方や教育をメチャクチャにする、、、」等々であったことが歴史的にも明白に書かれている。

にもかかわらず

「戦争放棄させる」部分以外はすべてアメリカの思惑通りになっているのに、今度はアメリカの都合で自国の戦争を手伝わせる運びとなったものだから、晋三たちは浮かれて自分でも何を言っているのか分からなくなっているのである。

さらに

オツムの弱さでは晋三に引けを取らない軍隊上がりの某防衛大臣がちんぷんかんぷんであるために、さらにこの異常な論戦(白痴の宴)に拍車をかけているようだ。

ただ、

すでにアメリカ議会で発表しているのだから、日本国内でちんぷんかんぷんであろうが、言いすぎた野次で謝ろうが全然かまわないのだ。

だって、

最後はシャンシャンで終われるようになっているのだから。

だから、

自らそうしてしてしまった国民に僕は再び言いたいのだ。(ぼけ老人は「チュウボウえ~ご」を何度も繰り返すのだ)

It is no use crying over spilt milk.   

もう

遅いけどね。棄権者諸君!

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パブロ・イグレシアスってだあれ?
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風貌はまさにヒッピーであるが彼にただよう知性は半端じゃないと感じる。この「何もかもが」行きづまった世界に、それを「打ち破る」かもしれなないニューヒーロが「果たして」現れたのだろうか?

たとえ、

そうじゃなかったとしても、、、、すくなくとも「僕は」彼を信じたい。

たとえ、

それが軽薄なポピュリズムで一過性のものだとニヒリストから非難されようとも、もはや彼しかいない、これしかないと、「僕は」おもう。

かって

西班牙には僕の気に入っている天才がたくさんいた。たとえばフランシスコ・ゴヤ、アントニ・ガウディ、パブロ・ピカソ、、、言い出せばきりがない。そして、いま、世界中で注目を集めている(すくなくとも見識のある人間は、、、)人物がまた西班牙に出現したように思えてならない。

なぜなら

彼は言う、「政治は何が正しいかということとは関係ない。成功することが全てだ」

、、、、いままで絶対に、まして左翼チックな政党が言いそうにないことを、西班牙で彗星のように出現したポデモス党の党首パブロ・イグレシアス(写真)はしらっと言ってのけているし、実際、選挙で勝利し「成功」をしている。

それに、

もともと、かれはヒッピーでもホームレスでもなくれっきとした大学(スペインでは東大のような感じ?)の教授でもあるのだ。

ただ

彼は象牙に中に閉じ持ってはいなかったというだけである。

とにかく、

彼は日本で言えば思想は丸反対であるけれど橋本徹と山本太郎を足して2で割った「ような」人気を博し、西班牙のみならず欧州でも話題になっていると言えば分かりやすいだろう(考え方はどちらかといえば山本太郎に近いけれど)。

ただ、

違うのは彼は選挙に勝って「成功」していることである。これは当たり前のことだが彼には左翼にありがちな「よく頑張った」とか「惜敗」とかいう「負け癖」がない、、、「ここが」画期的なのである。

さらにいえば、

彼は共産党の「固い?」綱領に縛られたクラシックな西班牙の(いわゆる)インテリ左翼ではない。けれども現代の世界を病ませている原因をしっかりとサヨクと同じように明確に指摘し、その終焉を目指している。

それは

もちろん何の終焉かといえば経済至上主義であり、グローバル資本主義であるというだけだ。

そういうことだけど

彼が従来と違うのはそれを大衆に彼らの言葉で訴え、大衆を味方にしていることなのである。かれは決して「愚民として」反対派を切り捨てない。徹底して言わせ、そして丁寧に彼らの意見を聞き、最後は自分の味方にしてしまう不思議な魅力を備えているところが全然違うのだ。

だから、

我が国の某志位君や某みずほちゃんとは全く違うのである。(笑?)

ところで、

彼が昨年初頭に「ポデモス(Podemos)」という政党を立ち上げた時、大政党(サヨクを含め)はポデモスを「単なる反緊縮(福祉削減、切り捨て?)のポピュリズム」とか「市民運動の延長。数カ月で消滅する」と言って相手にしなかった。

しかし、

ポデモスは政党設立からわずか4カ月後のEU選でスペインの第4勢力となり、昨年秋には支持率が与党を抜いた。そして今やポデモス党首・イグレシアスが首相になる可能性すら囁かれているのである。

あらためて、

どこが、いったい従来の「サヨク」、とくに日本の「サヨク」と違うのだろうか?ここで我々はさらに彼の演説に耳を傾けてみる必要があるだろう。

彼はこうもいっている。

「僕たちのDNAには敗北が染みついている。左派の人間は概ねそうだろう。左派は連立を組むのが好きだ。『君たちと僕たちと彼らが組めば15%、いや20%の票が獲得できる』などと言う。だが、僕は20%なんか獲得したくない。僕は勝ちたいのだ。勝つためには、我々は左翼であることを宗教にするのをやめなければいけない。左翼とは、ピープルのツールであることだ。左翼はピープルにならなければならない」。

そしてさらに、

「僕たちの言葉は往々にして排他的で、美辞麗句や専門用語が多く、レフトな思想の持ち主にしかわからない。そしてソーシャル・メディアは、左翼の厳格なる言葉遣いの規範に外れると言って左派同士が攻撃し合う場所になっている。正しい言葉で喋ったり、書いたりしていない人物は怪しいとされ、時には裏切り者とさえ呼ばれる」、

「こんなことでは左派は単なる文化的反逆児でしかない。大勢の右派の群れから自分は離れていることを主張しているだけの、ほんの一部の反抗者、またはエモいガキである。だが、社会のあり方についてうるさく批評することではなく、社会を変えることを望むのであれば、左派はそのアプローチを根本から考え直す必要がある」 、

「ポデモスのアプローチは、『政界の外にいる人々にとっては、右とか左とかいう概念は関係ない』という前提に基づいている。人々が最も考えるのは、説得力があり、一貫性があり、自分が理解できる言葉で伝えられた問題だ。数百万人の支持を掴むのは、統計や事実ではない。僕たちは人間だから、感情に訴えられるのだ」

それゆえ

少なくとも僕はこのパブロ・イグレシアス君に一縷の望みを持っているのである。
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このブログをいつも読まれている諸賢は「このことを」どう思われるか?ご意見を頂きたい。

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「♪分かっちゃいるけど~」が霞が関で流行る訳?
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「わかっちゃいるけどやめられない」のである。

とはいえ、

安倍はなぜか病的に高揚し完全に気が狂っているからもう何を考えているのか分からないし、まともに教育を受けた(内容を理解した)とは「思えない」から、論外であろう。

が、しかし、

少なくとも「フツーに」中高生時代を送ったであろう防衛大臣や外務大臣は安保法制が「無理筋」であることは十分理解している筈である。それゆえ法案に憲法を上手く擦り合わせるしかないという苦し紛れの本末転倒答弁しかできなくなってきているのだ。

またそれを、

分かったうえで改憲を進めている船田の苦悶の表情も新劇の俳優みたいで、やたら「臭く」、印象深い。

でも、

人間さまざまな置かれている立場や情況で、安倍本人以外は「わかっちゃいるけどやめられない」ことがたくさんあるということもこの「鳥獣戯画?」を見ているとよくわかる。

その証拠に、

よくわかっている筈の高村や菅は個別大昔の判例を持ち出して弁護士特有の屁理屈を並べてみたり、また開き直って「違憲ではないという学者もいる」と強弁してみたり、、、、と、その苦労たるや大変なものである。

いずれも、

与党は「♪わかっちゃいるけどやめられない~」とスーダラ節の大合唱をするしかないのであろう。


そもそも、

中高生に戻って「憲法」というものの存在そのものをたどれば(成蹊での世界史の授業など「劣等生」安倍君はもう思い出したくもないだろうけれど)、、、、

それまで、

教皇・皇帝といった普遍的、超国家的な権力がヨーロッパを単一のものとして統べるというような社会(ヨーロッパ)が、1648年のウエストファリア条約によって終焉をむかえ、以降、対等な主権を有する諸国家が、外国の存在を前提として勢力均衡の中で国益をめぐり合従連衡を繰り返す国際秩序が形成されることになったことぐらいほとんどの「普通の」中高生ならしっていよう。

だから、こそ

この国際秩序を今日まで続かせるためには、教皇や皇帝(つまり神に近い)に代わって国家を統べる(かつ縛る)ための「規範のようなもの」が必要だったのであり、これがその国の「憲法」と呼ばれるものであったのだ。

したがって、

この「立憲主義」を採用しているのがウエストファリア以降、近代国家と言われるものであることも「普通の」国民なら教わっている筈なのだ。

その

原理原則を変えてしまおうというのなら、わからんでもない。そこまでの度胸と信念があるのなら敵ながらあっぱれ!僕は反対だがそのような意見も拝聴に値するだろう。

でも、

それはつまり約500年曲がりなりにも保たれてきた国民国家という秩序のオーダーをこの先の数百年は変わっていくのかもしれないと考える稀有壮大な思考であって(齢90を超えてキッシンジャーあたりはそれを模索しているようだが)、安倍晋三がそこまで考えているとは到底思えない。

ではなぜ

文Ⅰ、高等文官ををクリアーして、とうぜん近代国家における憲法とは何かということを知らないはずがない宦官どもがこの論理矛盾を黙認しているかといえば、、、

やはり、

「♪わかっちゃいるけど、止められない」のである。

その理由はたくさんあるだろうけれど、実はその一つに老いた偉大な保安官の助手になって二丁拳銃拳銃をぶっ放したいと本気で考えている官僚が実際にいるのには驚いてしまう。

たぶん「僕もゲームがやりたかったけど四谷大塚の会員を維持するためのお勉強が忙してできなかった」そのトラウマをバーチャルな戦闘に一種の憧れとして抱えてしまっているのかもしれない。

「わかっちゃいるけどやめられない」

というのは「知性」とは関係ないことが多いのだ。それゆえにサドやマゾがインテリに多いのもうなずける。

そして、

このような「病気」が蔓延している日本社会を憂わずにはいられないのである。
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