あの日本中が浮かれたムード、お祭騒ぎ一色の空気を見たとき、今、オリンピックに反対したら非国民と言われるだろう。 それの何倍もの強さの排斥感、いわゆる村八分的なものが、戦時中の非国民という言葉にはあったんだろうなと実感できたんです。

「トミノ流のトミノ」vol.015 
http://chokumaga.com/magazine/?mid=101

■非国民と呼ばれる発言。

“非国民”という言葉があります。
戦争中、戦時体制に異を唱えた者に使われた言葉で、裏切り者というニュアンスが非常に強いイヤな言葉です。

ただ、僕のような年代でも、非国民と呼ばれることの痛みや面倒くささはよくわからないんですよ。
戦記物なんかを読むと、非国民というレッテルを貼られたときの恐さみたいなものは想像はつくのですが、実感としてはよくわからない。

それがつい先日、似たような空気を感じたのです。
なんだと思います?
東京オリンピック決定のあの日です。

あの日本中が浮かれたムード、お祭騒ぎ一色の空気を見たとき、今、オリンピックに反対したら非国民と言われるだろう。
それの何倍もの強さの排斥感、いわゆる村八分的なものが、戦時中の非国民という言葉にはあったんだろうなと実感できたんです。

正直、僕は東京オリンピックにはあまり賛成ではありません。
20年までに東日本大震災レベルの地震があるかもしれないし、福島原発の問題も解決してはいないでしょうから。
しかし、そんなことを口走ろうものなら非国民と叩かれることは確実です。

つまり、世論がこのように沸き立っちゃうと、
それに対して少しでも異議申し立てをした者へのバッシングには理屈はいらないんです。
自分の希望を体現する事象は無批判に受け入れ、それを認めないものは徹底的に排除する。

こういう群集心理は確実にあって、特に今はネットがその主舞台になるのでたちが悪い。

匿名性というバリアの内側で便所の落書き気分でそれをやるから制御が効かないんですね。
まったく困ったものです。
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