山本七平『日本はなぜ敗れるのか』より 従軍慰安婦は旧日本軍指揮下にあることを明記

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山本七平『日本はなぜ敗れるのか』より



日本はなぜ敗れるのか 敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)日本はなぜ敗れるのか 敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)
(2012/10/01)
山本 七平

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山本七平
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山本 七平(やまもと しちへい、1921年12月18日 - 1991年12月10日)は、山本書店店主。評論家として、主に戦後の保守系マスメディアで活動した。

目次

1 経歴
1.1 年譜
1.2 受賞歴
1.3 イザヤ・ベンダサンとの関係
1.3.1 山本による説明
1.3.2 山本死後の扱い
2 思想
3 学術上の業績
4 エピソード
5 評価
6 著書
6.1 日本論
6.2 自らの軍隊経験を中心に述べたもの
6.3 評伝
6.4 中国古典に関するもの
6.5 コラム・時事評論
6.6 聖書・キリスト教関連
6.7 その他
6.8 全集
6.9 イザヤ・ベンダサンの著作
7 翻訳
8 参考文献
9 脚注
10 関連項目
11 外部リンク

経歴
年譜

1921年12月18日 - 東京府荏原郡三軒茶屋(現在の東京都世田谷区三軒茶屋)で、クリスチャンの両親(山本文之助、八重)の間に長男として生まれる。名の「七平」は神の安息日(日曜)生まれから命名される。兄弟姉妹は姉2人と妹1人。父方のいとこおばの夫は玉置酉久(大石誠之助の次兄)。
1937年 - 青山学院教会で洗礼を受ける。
1942年9月 - 太平洋戦争中のため、青山学院専門部高等商業学部を21歳で繰り上げ卒業する。10月、第二乙種合格で徴兵され、陸軍近衛野砲兵連隊へ入隊。その後、甲種幹部候補生合格、愛知県豊橋市の豊橋第一陸軍予備士官学校に入校する。
1944年5月 - 第103師団砲兵隊本部付陸軍砲兵見習士官・野戦観測将校(のち少尉)として門司を出航、ルソン島における戦闘に参加。1945年8月15日、ルソン島北端のアパリで終戦を迎える。同年9月16日、マニラの捕虜収容所に移送される。
1947年 - 帰国。
1956年 - 世田谷区の自宅で聖書学を専門とする出版社、山本書店株式会社を創業する。のち山本書店は新宿区市ヶ谷に移転。
1970年 - イザヤ・ベンダサン著『日本人とユダヤ人』を山本書店より発売する。
1979年 - 大平内閣の諮問機関「文化の時代」研究グループの議長を務める 。
1984年 - 中曽根内閣の諮問機関「臨時教育審議会」の第一部会専門委員を務める 。
1991年 - 膵臓癌により自宅で死去した。遺骨の一部はイスラエルで散骨された。

受賞歴

1973年 - 第35回文藝春秋読者賞受賞
1981年 - 第29回菊池寛賞受賞
1989年 - 和歌山県文化表彰にて文化賞受賞

イザヤ・ベンダサンとの関係
山本による説明

当初『日本人とユダヤ人』の著者ではないかと言われることについて、山本は「私は著作権を持っていないので、著作権法に基づく著者の概念においては著者ではない」と述べる一方で、「私は『日本人とユダヤ人』において、エディターであることも、ある意味においてコンポーザーであることも、否定したことはない。」とも述べている[1]。

後に、1987年のPHP研究所主催の研究会では以下のように説明している。

山本書店を始めた頃に帝国ホテルのロビーを原稿の校正作業にしばしば使用していたら、フランク・ロイド・ライトのマニアということがきっかけで、ジョン・ジョセフ・ローラーとその友人ミンシャ・ホーレンスキーと親しくなった。キリスト教が日本に普及しないのはなぜかという問題意識のもと、3人でいろいろ資料を持ち寄って話し合っているうちに、まとまった内容を本にしたのが『日本人とユダヤ人』である。ベンダサン名での著作については、ローラーの離日後はホーレンスキーと山本の合作である。ローラーは在日米軍の海外大学教育のため来日していたアメリカのメリーランド大学の教授で、1972年の大宅壮一ノンフィクション賞授賞式にはベンダサンの代理として出席した。ホーレンスキーは特許関係の仕事をしているウィーン生まれのユダヤ人、妻は日本人[2]。
山本死後の扱い

稲垣武は、上記研究会での説明および夫人の山本れい子の証言をもとに『怒りを抑えし者』(PHP研究所、1997年)「第9章ベンダサンとその時代」において、『日本人とユダヤ人』は、2人のユダヤ人(ローラーとホーレンスキー)との対話を参考とはしているが、構成も文章も山本のものと結論付けている。

同様に、『山本七平ライブラリー』編集部もライブラリー13および14(文藝春秋、1997年)の奥付の初出一覧の脇に、ベンダサン名の諸作品はほぼ山本の著作、もしくは山本を中心とする複数の外国人との共同作業、と考えられるというコメントを付している。

2004年『日本人とユダヤ人』が角川oneテーマ21シリーズ(角川書店、2004年)から山本七平名で出版されたり、ベンダサン名で連載された「ベンダサン氏の日本歴史」(『諸君!』文藝春秋1973年1月以降22回掲載)が山本著『山本七平の日本の歴史』(ビジネス社、2005年)として単行本化されるなど、山本の死後10年以上経過してからはベンダサン名の著作が事実上山本のものとして扱われることが多い。

『七平ガンとかく闘えり』(KKベストセラーズ、1994年)では、息子である良樹の筆で、ベンダサンはあなたではという母の問に対して「まあ、そういうことなんだよ」と答えたと記されている(34ページ)。
思想

日本社会・日本文化・日本人の行動様式を「空気」「実体語・空体語」といった概念を用いて分析した。その独自の業績を総称して「山本学」と呼ばれる。

山本は、『現人神の創作者たち』のあとがきで、「もの心がついて以来、内心においても、また外面的にも、常に『現人神』を意識し、これと対決せざるを得なかった」と語っている。山本は、クリスチャンであるだけでなく、父親の親族に大逆事件で処刑された大石誠之助をもっていた。これらのことが、山本の日本社会・日本文化・日本人に対する思考の原点であるといえよう。

特に、日本人のかつての教養であった中国古典に関する論考には独特なものがあり、『論語の読み方』『「孫子」の読み方』『帝王学―「貞観政要」の読み方』など、多数の論考がある。山本によれば、これらの漢籍に対する研究は、内村鑑三ら、戦前のキリスト教徒が「キリスト教徒なら孟子を読むべきだ」と主張していたこと、山本の父が内村の雑誌を読んでいたことに起因しているといっている[3]。特に『「孫子」の読み方』には、旧日本軍の将校時代に感じた「余りにも非論理的な精神力万能主義の為に旧日本軍が負けた」という考察から、精神論を廃した「孫子」を再度捉え直そうという姿勢が見られるという[4]。

その山本が、最も力を入れて執筆した作品が、『現人神の創作者たち』と『洪思翊中将の処刑』である。前者は、「そんなに打ち込んでは命がもたないよ」と言われながら執筆されたものであり、後者は、「一番書きたいものを書いてくれ」と請われて執筆したものであった[要出典]。

『現人神の創作者たち』は、いかにして尊皇思想が生まれたかを探求した作品である。山本は、日本に亡命してきた明の儒学者朱舜水を起点とし、山崎闇斎、浅見絅斎、安積澹泊、栗山潜鋒、三宅観瀾らの議論を追いながら、尊皇思想が形成されていく様子を描いた。そして、その尊皇思想が、社会全体にどのような影響を与えたかを、元禄赤穂事件をめぐる当時の言論状況をたどることであきらかにしたのであった。山本は、尊皇思想の影響は今もなお残っているのだと語っている。

『洪思翊中将の処刑』は、朝鮮人でありながら帝国陸軍で中将まで昇進した洪思翊を扱った作品である。洪は、帝国陸軍の軍人である一方で、抗日運動家と秘密裡に関係を持ち、その家族を支援するなど(自身が抗日運動に参加することは拒んでいる)、きわめて複雑な生き方を強いられた人物であった。山本の洪に対する執着の理由のひとつは、そこにあったと思われる[独自研究?]。洪は、太平洋戦争後、戦犯として処刑されるが、軍事法廷において一言も発することはなかった。山本は、この作品で、その沈黙の意味をあきらかにしようとしたのであった。
学術上の業績

山本学は、社会学の中心理論である「構造-機能分析」に限りなく近いという専門の社会学者からの指摘がある。したがって山本の本は社会学を学ぶ者にとって重要な文献となるようである[5]。

山本は終始一貫して在野の評論家として過ごしたが、在野の期間が長かった小室直樹などから評価され、アカデミズムでもしばしば取り上げられた。1979年に『日本資本主義の精神』が刊行されたとき、世は経済体制は資本主義と社会主義のどちらが優れているか、ということがまだ真剣に議論されていた時代である。この山本の本はユニークな日本人・日本経済論として読まれ、あまり重要視はされていなかったようであるが、のちのソ連解体や共産圏諸国の改革を経ると、現在では資本主義か社会主義かという経済体制はあまり重要ではなく、その国に資本主義の精神があるか、あるとすればどのような特徴を持った精神かということが重要で、その特徴によってその国の経済の強みや弱みが生まれる、ということが理解されてきているようである。したがってこの山本の本は、早い時期に日本の資本主義の精神の特徴を論考していた点で、高く評価されるべきものと思われる[6]。

『現人神の創作者たち』は、日本の政治思想史、天皇制研究で他の代表的な研究、たとえば丸山真男『日本政治思想史研究』『現代政治の思想と行動』、藤田省三『天皇制国家の支配原理』などに匹敵する研究という評価もされている[7]。
エピソード

「臨時教育審議会」の委員の会合が終わった後のインタビューで、「もちろん制限はあると思います。国が教育をするわけじゃないですから」と答えていた。教育の主体はあくまで親、ということを言いたかったものと思われる。戸塚ヨットスクールの問題については、「暴力では教育はできないんですね、聖書にも~という話があって、暴力では教育はできないんですね」と答えていた。また家庭内暴力については、「飽食暖衣、逸居して教なくんば即ち、禽獣に等し、ということですね」と答えていた。
外国人を相手にした講演会で、日本の家庭において、女性の地位が低いのはなぜかという質問に答えて、「では皆さんの国で、亭主が自分の給料を全て妻に渡す国がどれくらいあるか」と反論した。
小室直樹との親交は長く、小室が研究に没頭して倒れ入院したとき、山本は小室の生活を支援するため、小室が『ソビエト帝国の崩壊』(光文社、1980年)を執筆するための手助けをした。いくつかの偶然が重なったとはいえ、結果的に小室を論壇に登場させたその功績は大きいと思われる。また山本と小室には、二人の長時間にわたる討論によって成立した『日本教の社会学』という本がある。
『小林秀雄対談集 歴史について』(文藝春秋 1972年)で、小林秀雄が、河上徹太郎、今日出海との対談で『日本人とユダヤ人』に触れ、「ベンダサンという人が『語呂盤』という言葉を使っている」ことを紹介し、「フランスの教育におけるテーム(作文)の重大性というものはとても日本では考えられぬということを、以前パリにいたとき、森有正君がしきりに言っていた。テームの問題には、数学の定理まであるということを彼は言っていた。面白く思ったから覚えているのだが、それが、今度ベンダサンの本を読んで、はっきりわかった気がした。」「もっと微妙なことを言っているが、まあ読んでみたまえ。面白い。」と述べている。

評価

『私の中の日本軍』において、自らの軍隊経験から、日本刀は2~3人切ると使い物にならなくなると主張した。刀は鉄製品であり鈍らでも1人目の首が切れて4人目が切れないなどありえない。無抵抗の捕虜の首を切ったのか?武装した軍人の体をヘルメットごと切ったのか?民間人を洋服ごと切ったのか?手が滑って石に当たって刃がが大きくかけたのか?切った人は精強な軍人なのか?疲労困憊していた初年兵なのか?同じ刀を使った場合でも、状況によって切れ味は1,000倍も違う。この部分は、文学者の文学的表現と言われる。また、戦地という劣悪な状況下で日々酷使され、満足に手入れも出来ず自然とナマクラになってしまった刀に限った話[8]であり、本来の日本刀の性能について誤解を招くものだという批判がある[9][10]。さらに、同書における『戦ふ日本刀』からの引用は、自説に都合の良い部分のみを引用した不正確なものだという批判もある[11]。また、山本は本多勝一との百人斬り競争における論議において、イザヤ・ベンダサンの名義で、持論である「日本刀は2~3人斬ると使い物にならなくなる」という論理を中心に本多を批判した。この論理はこの論争の後に一般に広がった。
浅見定雄は、『にせユダヤ人と日本人』において、『日本人とユダヤ人』における翻訳の誤りを指摘し(たとえば、聖書の「蒼ざめた馬」を山本は間違った訳であると言うが、これは正しい訳であるなど)、山本の語学力を批判した。山本が訳者となった、浅見自身の師である聖書学者の著書を題材に、山本が高校生レベルの英文を理解できず、明らかな誤訳をしていることも具体的に示し、「ヘブル語やアラム語はおろか、英語もろくに読めない」人物だと批判した。また浅見によると『日本人とユダヤ人』によって、一般に流布されていた「ユダヤ人は全員一致は無効」という話も、実は完全な嘘あるいは間違いであり、「こんな無知な人が何をどう言おうとも、現代イスラエル国の裁判所や国会で全員一致が無効とされるわけではなく、また世界各地のユダヤ人が、さまざまな集会から家族会議まで、あらゆる生活場面で全員一致をやっている事実が消えてなくなるわけでもない」と批判した。また「ニューヨークの老ユダヤ人夫婦の高級ホテル暮らし」というエピソード[12]も、実際にはあり得ない話で、「この話は全部、一つ残らず、まったく、ウソ」であると指摘した。そして、同書が「小説ではなく評論」である以上、「解釈の違いは別にして評論の対象は実在しなければならない」にも関わらず「本書は作り話の上に成り立っている」ことから、「本書の価値はゼロどころかマイナス」であると指摘した。
浅見は他にも、あるホステルの主人が、ユダヤ人を「においで嗅ぎ分けた」という話[13]や、「関東大震災で朝鮮人が虐殺されたのは、体臭が違うからと語った老婦人」なども、山本がでっち上げた作り話だと断じた。浅見はこの他にも、数多くの誤りを指摘している。
山本は、かつて田中角栄が有罪となったロッキード事件でコーチャン氏がアメリカ議会の公聴会で宣誓したか否かについて「キリスト教徒は誓わない」と断じて当時の宣誓文を翻訳した宗教学者佐伯真光の訳文を批判し、両者で激しい論争となった。晦渋な文章をもって曖昧な論を操る山本に対し、無駄のない精緻な論理と文献学の綿密な手法、該博な現代アメリカの宗教に関する学識をもって反駁した佐伯によって完全に論破された。その経緯は本多勝一編『ペンの陰謀』「佐伯/山本論争」に詳しい。その際、山本がなぜそうした誤解をしたのかが分析され、彼が“not~at all”という熟語を知らないという学者としては信じがたい事実がかえって明るみに出た。山本は「空気」に代表される独特な直感からの論考に一定の評価があるが、かえってその独自な直観に頼りすぎ過信しすぎて時に事実を尊重せず、また晦渋な文章に表れるように論理的思考の欠如は否めず、根本的に学問の基礎訓練が不足していたと言わざるをえない。
稲垣武は『怒りを抑えし者 評伝 山本七平』で山本を絶賛した。
小室直樹は、『論理の方法』(東洋経済新報社、2003年)の中で、丸山真男の業績について論じているところで、「丸山教授の偉いところは、知識がそんなに少なくても大発見をしたところです。驚くべき大発見をしています。物事の本質を見抜く能力が凄い。その意味で山本七平氏もよく似ています。山本氏もそれこそ典型的な浅学非才の人。キリスト教の大家なんて言うのは嘘です。専門家と称する人が『聖書』の読み方が間違っているなどと言うのだが、あの人の偉いのはそんなところにあるのではない。ほんの僅かな知識で本質をずばりと見抜く。だから日本史なんて少ししかやらないにもかかわらず、崎門の学、山崎闇斎の学こそ明治維新の原動力になったということをはっきり知っている。」と書いている。
辛口の書評で知られた谷沢永一には、「昭和四十五年から六十二年まで、足かけ十八年間における山本七平の著作三十二冊から、その急所を引き出し、山本学の大筋を読者に眺めわたしていただきたいとひそかに願った」として書かれた著作があり、たとえば『「空気」の研究』について、“この「空気」というのはちょっとコメントをつけにくいが、言われたらいちどにわかることである。これを最初に持ち出した着眼はすごいと思う。日本人のものの考え方、意思決定の仕方に、もしエポックを見つけるとするなら、この『「空気」研究』が書かれたときではないか。”と述べている[14]。
山本は著書『空想紀行』で偽フォルモサ人のジョルジュ・サルマナザールが書いたとされる偽書『台湾誌』を紹介した。イギリス社交界でもてはやされた偽のフォルモサ人(フォルモサは台湾列島にあるオランダ人が領有した台湾とは別の島と主張)であるサルマナザールと、本当に中国で18年間布教をし極東情勢を知っていたイエズス会のファウントネー神父の真贋対決で、サルマナザールは縦横無尽の詭弁で勝利を得た。サルマナザールは極東情勢が殆ど伝わっていなかった英国で、イギリス国教会と対立するイエズス会が極東情勢を故意に隠蔽していると非難し、ファウントネー神父もその陰謀の片棒をかついでいるとするなどの詭弁を繰り返しているが、山本はこのときのサルマナザールの詭弁の論法を分析し、『対象そのものをいつでもすりかえられるように、これを二重写しにしておくこと。これは"フェロモサ"と"タイワン"という関連があるかないかわからない形でもよいし…』などと細かく分析し『以上の原則を守れば、今でも、だれでも、サルマナザールになれるし、現になっている。』と記述している。これは自らが偽ユダヤ人として活躍した山本の面目躍如たるものがあるとする人もいる[15]。
自らを外国人と称し、発言に重みを増す行為はヤン・デンマンやポール・ボネなども行っていたとされる。また、『醜い韓国人』の著者が韓国人ではなく日本人ではないかと言われた際にも、韓国側から当時公然の秘密であったイザヤ・ベンダサンの事例が提示され(雑誌SAPIO)、日本の出版界の体質が批判された[16]。

著書
日本論

存亡の条件 日本文化の伝統と変容 ダイヤモンド社、1975年 のち講談社学術文庫
比較文化論の試み 富山県教育委員会、1975年 のち講談社学術文庫
日本人と原子力 核兵器から核の平和利用まで 対論:小松左京、今井隆吉、秦郁彦 ワールドフォトプレス 1976
「空気」の研究 文藝春秋、1977年 のち文庫
日本人と聖書 対談集 TBSブリタニカ、1977
受容と排除の軌跡 主婦の友社、1978年
日本人の人生観 講談社学術文庫、1978
日本資本主義の精神 なぜ、一生懸命働くのか 光文社カッパブックス、1979年 のち文庫、PHP文庫
勤勉の哲学 日本人を動かす原理 PHP研究所、1979年 のち文庫
日本人的発想と政治文化 日本書籍、1979年
「あたりまえ」の研究 ダイヤモンド社、1980年 のち文春文庫
日本人と「日本病」について 岸田秀対談 文藝春秋、1980年 のち文庫
日本教の社会学 小室直樹対談 講談社、1981年
日本人の社会病理 小此木啓吾対談 講談社 1982 のち文庫
日本的革命の哲学 日本人を動かす原理 PHP研究所、1982年 のち文庫
現人神の創作者たち 文藝春秋、1983年、ちくま文庫上下 2007年
一九九○年の日本 福武書店、1983 「一九九○年代の日本」PHP文庫
近代日本の虚像と実像 大濱徹也対談 同成社 1984
西暦2000年そのとき日本は 柳田邦男共編 講談社 1984
日本型リーダーの条件 講談社 1987 のち文庫
日本人とは何か。神話の世界から近代まで、その行動原理を探る PHP研究所、1989年 のち文庫
日本人の土地神話 日本経済新聞社 1990
日本人とアメリカ人 PHP研究所 1993
山本七平の日本の歴史 ビジネス社、2005年
なぜ日本は変われないのか さくら舎、2011年

自らの軍隊経験を中心に述べたもの

ある異常体験者の偏見 文藝春秋、1974年 のち文庫
私の中の日本軍 文藝春秋、1975年 のち文庫
一下級将校の見た帝国陸軍 朝日新聞社、1984年 のち文春文庫

評伝

洪思翊中将の処刑 文藝春秋、1986/ちくま文庫上下 2007
近代の創造 渋沢栄一の思想と行動 PHP研究所 1987
昭和天皇の研究 その実像を探る 祥伝社、1989、のち同黄金文庫
江戸時代の先覚者たち 近代への遺産・産業知識人の系譜 PHP研究所 1990
徳川家康 プレジデント社、1992/ちくま文庫上下、2010.12

中国古典に関するもの

論語の読み方 いま活かすべきこの人間知の宝庫 祥伝社ノンブック、1981年
帝王学 -「貞観政要」の読み方 日本経済新聞社、1983年 のち文春文庫、日経ビジネス人文庫
参謀学 -「孫子」の読み方 日本経済新聞社、1986年 のち文庫
指導力 -「宋名臣言行録」の読み方 日本経済新聞社、1986年 のち文庫
現代の処世 飽食時代の菜根譚 講談社 1986

コラム・時事評論

無所属の時間 新しい視点を生む物の見方・考え方 旺史社、1975年 のちPHP文庫
「常識」の研究 日本経済新聞社、1981年 のち文春文庫
時評「にっぽん人」 読売新聞社、1981年
派閥 なぜそうなるのか 南想社 1985 「「派閥」の研究」文春文庫
「御時世」の研究 文藝春秋 1986
「常識」の非常識 日本経済新聞社、1986年 のち文春文庫
「常識」の落とし穴 日本経済新聞社、1989年 のち文春文庫

聖書・キリスト教関連

聖書の常識 日本人は知らなすぎる 講談社、1980年 のち文庫、「聖書の常識・聖書の真実」講談社+α文庫
聖書の旅 白川義員写真 文藝春秋、1981 のち文庫
旧約の風景 善養寺康之写真 講談社 1982
ガリラヤの道 善養寺康之写真 講談社 1984
山本七平の旧約聖書物語 三省堂、1984年 のち徳間文庫
十字架への道 善養寺康之写真 講談社 1984
人間としてみたブッダとキリスト 山本七平・宗教を語る 原書房 1984
歴史の都エルサレム 善養寺康之写真 講談社 1984
ビジネスマンのためのマーシャール 講談社 1988
禁忌の聖書学 新潮社 1992 のち文庫
山本家のイエス伝 山本れい子、山本良樹共著 山本書店、1996年 「すらすら読めるイエス伝」講談社+α文庫
山本七平とゆく聖書の旅 山本良樹編 山本書店 1997

その他

現代の超克 ダイヤモンド社、1977年
イスラムの発想 アラブ産油国のホンネがわかる本 対話 加瀬英明 徳間書店 1979
空想紀行 講談社、1981年
夏彦・七平の十八番づくし 私は人生のアルバイト 山本夏彦 サンケイ出版、1983年 のち中公文庫
人間集団における人望の研究 二人以上の部下を持つ人のために 祥伝社ノンブック、1983年
意地悪は死なず 山本夏彦対話 講談社、1984年 のち中公文庫
「色即是空」の研究 般若心経の読み方 増原良彦共著 日本経済新聞社 1984
小林秀雄の流儀 新潮社 1986 のちPHP文庫、新潮文庫
危機の日本人 日本人の原像と未来 角川書店、1986年
一つの教訓・ユダヤの興亡 講談社 1987
経営人間学 「資本主義の精神」の先駆者たち 日本経済新聞社 1988
乱世の帝王学 山本七平の武田信玄 徳間文庫 1988
人を動かす人を活かす 星野仙一対話 かんき出版 1989
昭和東京ものがたり 1-2 読売新聞社 1990
父と息子の往復書簡 東京-ニューヨーク 山本良樹 日本経済新聞社、1991年
漢字文化を考える 中西進共編著 大修館書店 1991
静かなる細き声 PHP研究所、1992年
民族とは何か 村松剛、渡部昇一対談 徳間書店 1992
人生について PHP研究所、1994年 のち文庫
宗教について PHP研究所、1995年
指導者の帝王学 歴史に学ぶ現状打破の思想 PHP研究所 1996
宗教からの呼びかけ 山本書店 2000
日本はなぜ敗れるのか-敗因21か条 角川ワンテーマ21、2004年

全集

山本七平ライブラリー 1-16 文藝春秋、1997年
山本七平全対話 1-8 学習研究社、1984-1985年

イザヤ・ベンダサンの著作

日本人とユダヤ人(山本書店、1970年)のち角川文庫
日本教について あるユダヤ人への手紙(文藝春秋、1972年)のち文庫
にっぽんの商人(文藝春秋、1975年)のち文庫
日本教徒 その開祖と現代知識人(角川書店、1976年)のち文庫
日本人と中国人 なぜ、あの国とまともに付き合えないのか 祥伝社 2005

翻訳

人間の歴史 ミハイル・イリーン 岩崎書店 1954
文明の歴史 イリーン 岩崎書店 1954
ルネッサンス イリーン 岩崎書店 1955
からだの科学 頭から足のさきまで A.ノヴィコフ 山本書店 1956
生物の生態 N.J.ベリール 山本書店 1956
歴史としての聖書 ウェルネル・ケラー 山本書店 1958
聖書の生いたち F.ケニヨン 山本書店 1959
概説聖書考古学 G.アーネスト・ライト 山本書店 1964
旧約聖書の人びと 全4 F.ジェイムズ 山本書店 1967-1968
聖書の考古学 ガーリャ・コーンフェルト 講談社 1981
聖書をこう読む マンフレート・バルテル 小川真一共訳 講談社 1982
日本人への警鐘 ラッセル・ブラッドン ダイヤモンド社 1983
権力の解剖 「条件づけ」の論理 J・K・ガルブレイス 日本経済新聞社 1984
アッティラ王が教える究極のリーダーシップ ウェス・ロバーツ ダイヤモンド社 1990

参考文献

稲垣武 「怒りを抑えし者 「評伝」山本七平」(PHP、1997年) ISBN 4569553230
会田雄次・佐伯彰一対論 「山本七平と日本人 一神教文明のなかの日本文化をめぐって」(廣済堂出版、1993年) ISBN 4331504182
高澤秀次 「戦後日本の論点 山本七平の見た日本」(ちくま新書、2003年) ISBN 4480061193
山本れい子他 「山本七平 ガンとかく闘えり」 (山本書店、増補改訂版1999年)
小室直樹 『日本資本主義崩壊の論理』(光文社、1992年) ISBN 4334012655
谷沢永一 『山本七平の叡智』(PHP研究所、新版2007年) ISBN 4569693466

脚注

^ 山本七平「ベンダサン氏と山本七平氏」『実業の日本』1977年10/1(1899号)49-50頁
^ 山本七平「一出版人の人生論」『Voice』PHP研究所、1992年3月、特別増刊山本七平追悼記念号、28-30頁
^ 『論語の読み方』の冒頭の文章より
^ 文庫版『「孫子」の読み方』(日経ビジネス人文庫)所収の守屋淳による解説。守屋によれば、この書物の孫子の解釈は、元軍人として東南アジアで幾度も死線をくぐり抜けた山本の体験が如実に反映されたものとして、戦争を体験していない学者に比して貴重なものであるという。
^ 『日本教の社会学』(講談社)参照
^ 文庫版『勤勉の哲学』(PHP文庫)の中の解説、小室直樹『日本資本主義崩壊の論理』(光文社)など参照
^ 小室直樹は、『三島由紀夫が復活する』(毎日コミュニケーションズ)の中で、「戦後における天皇制研究のきわめてすぐれたものとして、我々は、丸山真男教授と彼の門下生によるもの、山本七平氏によるものを持っている。」と書いている。ここでの、彼の門下生とは藤田省三、山本七平氏によるものとは、『現人神の創作者たち』を指していると思われる。小室の『天皇恐るべし』(ネスコ)、『天皇の原理』(文藝春秋)などの論考には上記書物からの影響が見られる。
^ 旧日本軍の軍人が持っていた日本刀の一部は「本来の日本刀の性能」からすれば粗悪なものであったという事実はあるものの、当時の将校私物軍刀々身の大半は本鍛錬の日本刀であり、軍官給品初め現代科学の力を使った特殊軍刀はそこらの日本刀を凌駕する性能や耐久性を持っていた。また、両者とも関の孫六や「先祖伝来の宝刀」(波平)などの俗に言われる名刀を使用し、それを報道されているのでこの場合には全く当てはまらない。また「軍刀=全てが粗悪」といった誤り偏った風評や偏見が今もなお蔓延っている事実を考慮する必要がある。
^ 秦郁彦「いわゆる「百人斬り」事件の虚と実(二)」『政経研究』2006年2月
^ 日本刀を用いた通り魔殺人事件が1985年9月19日に下関で起きているが、山口大学医学部付属病院精神科に通院していた犯人(当時37歳)は、亡くなった父親が箪笥にしまっていた日本刀を持ち出し母親ら4人を殺害、さらに6人に重傷を負わせている。
^ 秦郁彦「いわゆる「百人斬り」事件の虚と実(二)」『政経研究』2006年2月 P96-P97
^ 英語版(リチャード・ゲイジ訳)の『日本人とユダヤ人』からは完全にこのエピソードはカットされている。浅見は、英訳本では、原書の記述の中で、アメリカ人の常識から見て事実ではない、おかしいと思える箇所が多数にわたり説明無しにカットされたり勝手に書き換えられており、この部分のカットもその一例であると指摘している。
^ 浅見は、この記述も英訳本からはカットされていることを指摘している。もしカット無しに英訳されていたら、この部分だけでも裁判となり、事実調査が行われただろうと述べている。
^ 『山本七平の智恵』(PHP研究所、1992年)
^ 原田実『トンデモ偽史の世界』楽工社
^ 『醜い韓国人』は韓国人協力者はいるものの、韓国人なら当然知っているような事柄にも誤りがあり、ほとんどの内容は加瀬英明が書いたものとされている。

関連項目

正論
香山健一
渡部昇一
日本学
日本人論
比較文学
山本七平賞
場の空気

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