近頃のテレビ番組ですが、日本が外国人から見て素晴らしいとか、あるいは日本人が世界で大活躍しているとの趣旨の、何とも嬉しいような恥ずかしいような。日本国の良さを大宣伝するとの目的で各テレビ局が、同じような『同工異曲』の類似番組ばかりを作っているのである。 一斉に始まった、この日本を最大限ヨイショするとの、ポジティブなナショナリズム高揚番組の氾濫ですが、なにか変ですよ。 一昔前には『ここが変だよ。日本人』と言う番組があったのですが、『日本は素晴らしい』との自慢番組のテレビ業界での氾濫ですが、在特会の見苦しいヘイトスピーチとか出版界での嫌韓嫌中のヘイト記事の出版物の氾濫と対になった、究極のナショナリズムの姿なのかも知れない。 病的に極限まで右傾化する我が日本国ですが、もう、最後の最後の日本崩壊(カタストロフ)の直前に辿り着いているのですよ。多分。









http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/4986915eb7848bb5d5c739c476179e7b


褒めてもらいたい日本人 
2015年03月30日 | 社会
(とうとう富士山の大噴火が始まる?にも見えるが、実は2015年3月25日。メキシコ、サン・ニコラス・デ・ロス・ランチョス市近郊のポポカテペトリ火山の火口から煙と灰が上がる)

積極的自閉症「自慰」ナショナリズム『超大国アメリカと組んで中国を封じ込める心算だった安倍晋三』

『気が付けば、一人ぼっちの日本』
『価値観外交』とか『地球儀を俯瞰する外交』を標榜して短時間で世界50カ国を訪問して膨大な額の援助と引き換えにして『中国包囲網』を構築してアメリカに褒めてもらおうとした日本国の安倍晋三首相であるが、早々と『中国封じ込め』を宣言したのが裏目に出た。
このような相手がある戦略は公言するものでは無い。
封じ込める相手にこちら側の思惑が気付かれない様に、密か裏に回って誰にも判らないように行うから成功する。
『北斗の拳』のようにワザをかける前に堂々と公言するのはプロレスとかアニメの世界だけである。(アメリカのキューバ封鎖は国力が月とすっぽん程の違いがあったからで、日中では逆に中国の方が数倍も日本より経済規模が大きい。しかも、そのアメリカでも半世紀後に『封じ込め』政策の失敗を認めている)
日本が画策した無理筋の中国包囲網(封じ込め)ですが、気が付けば日本の引きこもり(日本封じ込め)の結果に終わりそうである。
中国が主導したアジアインフラ投資銀行(AIIB)であるが、イギリスなどG7の先進国やサウジアラビアやロシアなど大産油国、南シナ海で中国と敵対しているベトナムなど東南アジア諸国だけでは無くて韓国や台湾、カナダ、ニュージーランドやオーストラリアなど親米同盟国が軒並み参加を表明する事態になり、いまや日米を除くほぼ全ての世界の主要国がバスに乗り遅れないように先を争う参加する有様になっいてる。
安倍晋三の『価値観外交』(中国包囲網の強化)の大失敗(日本の孤立化)は誰の眼にも明らかなのである。

『「日本っていいよね」がブーム あふれる日本アゲの正体』

近年、“日本っていいよね”ブームが起きている。テレビ各局は日本大好きな外国人が登場する番組を競うように放送。書店をのぞけば、『世界が見た日本人もっと自信を持っていい理由』『そして日本経済が世界の希望になる』といった本がズラリと並ぶ。
精神科医の香山リカさんは日本人の持つ欧米への強いコンプレックスを払拭したいのだろう、とこの状況を分析している。
長く日本で暮らす外国人はどう感じているのか。お笑いコンビ「パックンマックン」のパトリック・ハーランさんが言う。
『日本人が自分たちをヨイショしているという否定的な見方がありますが、普段は気づかない自国の良さをきちんと理解し、そこを伸ばせばいいと思う。確かに少し大げさな部分もありますが、海外ではアニメやゲーム、禅、茶道、武士道など、文化的な面で以前より注目されているのも事実。武術は、日本へ学びに来る外国人も多く、競技人口が減っていくなかで生き残り策としても大切。今こそ日本を世界にアピールできる大チャンスなんです』

上智大学の吉野耕作教授(社会学)は、番組をどう捉えるかは視聴者しだいだと強調する。
『視聴者には、自分も海外に出ていきたいという気持ちと、日本の良さを確認したいという二つのベクトルがある。それは個人の経験や感じ方によります』

香山さんは、内向きのベクトルへ大きく進んでしまう理由は国内の不安にあるという。
『本当は国ではなく自分自身をほめてもらいたいが、今は個人を承認してもらえる機会が少ない。
雇用不安や社会とのつながりを保てないで、自分が何者かという属性がどんどん削がれていく。
そして最後に残るゆるがない属性が日本人。努力しなくてももてる肩書みたいなものです。個人として満たされていないから、最後の拠り所が“日本人である私”なのでしょう』

肩書は日本人──。こんな寒々しい響きだけが残らなければいいのだが。
週刊朝日 2015年1月30日号より抜粋

『日本を「ポジる」番組が増えている! 香山リカ「ナショナリズムとして末期的」』

NHKの朝ドラでは外国人ヒロインが活躍、バラエティー番組ではハーフタレントがもてはやされる。近ごろは、海外で暮らす日本人を取り上げた番組も多い。
共通するのは“日本を持ち上げる”妙な感じだ……。
『朝の情報番組でも、外国人旅行客に日本のいいところを聞くというコーナーがある。
好きで日本に来ているのだから、いいことを言うに決まっているのに、視聴者から評判がよく、数字がとれると聞きます』

そう話すのは、精神科医の香山リカさんだ。「日本最高!」というポジティブすぎるテレビ番組を「ポジナショナリズム」と呼んで論評する。
『プロ野球ファンが、絶対に勝てない状況で前向きに勝利宣言することを『ポジる』という。
マイナス要因にまったく目を向けず、日本は世界から愛されているという根拠のない自信をもっている。ナショナリズムとしては末期的な状況です』

外国人が日本を語る形式の番組は過去にもあった。1998年から4年間放送された「ここがヘンだよ日本人」(TBS系)だ。しかし香山さんは「今、こんな番組を作ったら、自虐番組だとか反日番組だとか言われて大変なことになるでしょうね」と苦笑いする。

「日本を批判する番組は、やっぱり今の時代と逆行していると思います」
そう語るのは「世界ナゼそこに?日本人」(テレビ東京系)の総合演出を担当するプロデューサーの水谷豊さんだ。秘境と呼ばれるような遠い異国で暮らす日本人に密着する内容。このように、海外で暮らす日本人を紹介するバラエティー番組も、ここ数年で急増していて「世界の村で発見!こんなところに日本人」(テレビ朝日系)、「世界の日本人妻は見た!」(TBS系)などがある。

「10年くらい前は、あまり知られていない国を取り上げても視聴率はよくなかった。今はそんな国でも数字がとれるから不思議ですね」(水谷さん)

 世界の隅々にまで目を向けた番組は一見グローバル化の表れのようだが、日本の内側を見つめ直す意図があるという。
「海外で暮らす日本人は、望郷の思いをもって生活しています。味噌汁がまったく飲めない場所で、味噌汁を飲んで自国を懐かしみ、その良さを再認識する感覚。こうした日本人心をくすぐるものを視聴者は求めているのだと思います」
週刊朝日 2015年1月30日号より抜粋

『日本ヨイショのポジティブナショナリズム』

近頃のテレビ番組ですが、日本が外国人から見て素晴らしいとか、あるいは日本人が世界で大活躍しているとの趣旨の、何とも嬉しいような恥ずかしいような。日本国の良さを大宣伝するとの目的で各テレビ局が、同じような『同工異曲』の類似番組ばかりを作っているのである。
一斉に始まった、この日本を最大限ヨイショするとの、ポジティブなナショナリズム高揚番組の氾濫ですが、なにか変ですよ。
一昔前には『ここが変だよ。日本人』と言う番組があったのですが、『日本は素晴らしい』との自慢番組のテレビ業界での氾濫ですが、在特会の見苦しいヘイトスピーチとか出版界での嫌韓嫌中のヘイト記事の出版物の氾濫と対になった、究極のナショナリズムの姿なのかも知れない。
病的に極限まで右傾化する我が日本国ですが、もう、最後の最後の日本崩壊(カタストロフ)の直前に辿り着いているのですよ。多分。
今の日本ですが、1945年8月15日の敗戦の少し前と酷似していて、何から何まで少しも違いが無い。(国際連盟の常任理事国だった時代の日本は世界五大国の一つだったし、今の国際連合下の日本は世界第三位の経済大国)
世界の常識とは隔絶した特殊な日本的悪弊が蔓延して、社会全体を蝕んでいるが誰にも止めれない悲劇。

『加藤周一の「日本人とは何か」と似ているようで180度逆の今のポジナショナリズム』

知の巨人加藤周一1919年~2008年(大正8年~平成20年)によれば、
日本人を『一言』で説明すれば、『国学』の本居宣長以来『日本人とは何か』との問いを、しきりに発して倦むことがない特異な国民であるといえる。わが国で『日本人とは何か』という問いが繰り返されるのは、実は日本人であることが、何を意味するかが、はっきりしないところが原因している。
なぜ、はっきりしないのか。
日本人は、例えばイギリス人にとってのフランス人のような自分を相対化出来る他者を持つことが歴史的に一度も無かった。日本人は、基本的に自分自身を客観視することが出来ないで、今まで来てしまったので『日本人とはなにか』がよく分からない。
『自分を客観視する』とは、『他者の目で自分自身を見つめなおす』ことに他ならないのである。この、『他者の目』が日本では圧倒的に不足していた。
英仏や独仏の国民は、お互いに相手を見ている。
欧州人は相手を観察するだけではなく、相手の目の中に映った『自分自身の姿』を観察することに歴史的に慣れている。他人の目はこの場合に、『自分自身が何であるか』を知るための鏡だ。
国境を接する他国民を観察し、その結果と比較することによって、自分自身の定義が容易になるだろうという程度の話ではない。
それ以前に、もしも他人の目の中に『自分を写す鏡』を見出すことが出来ないなら、何処に自分自身の姿を客観視する手法があるだろうか。他人を観察するのと同じようには人は『私』(自分自身)を観察することは理論上不可能なのだ。
しかし不幸にも、日本人は一度も他国民の目の中に自己の姿を読むことが出来なかった。今までは、いかなる他国民も日本を客観的には見ていなかったからである。
(一般的欧米人で日本の位置が正確に答えれるものは少ない。今でも多くの欧米人たちは韓国と日本とを世界地図の上で正確に区別出来ない。)
西洋人の目に映った日本とは今ならソニーやホンダ・トヨタ、戦の時は神風特攻隊の操縦者、過去に遡ってはたかだか江戸時代の版画の巧妙な素描家にすぎなかったということである
ところが日本側でも相手を見ていなければ問題は簡単で、その場合には今のように『日本人とは何か』との問い自体が生まれない。
(加藤周一の、『他人の目で中で「私」自身が客観化されていなければならない』ですが、これは『私』を『自分の子供』と言い換えれば誰にでも納得出来るだろう。
自分の子供を客観視出来る親は滅多にいないどころか、世の中に一人もいないのである)

『彼我の非対称性』

問題点の大きさ深刻さは、実は日本人は必死になって絶えず『外を見ていた』が、外からは見られていなかったという一方的な関係によるとことに尽きる。
中国と日本の関係は数千年(記録が残っているものだけでも1500年)の長い歴史があるにもかかわらず(国交回復した1970年代以降の期間を含めて)長い期間、独仏のように相互作用を含むものではなかった。西洋と日本の関係も同じである。
日本が必死になって異常な関心を集中して先進的な『外側』(古代中国や近代の西洋)を見つめていたときに、当の相手は(独仏がお互いを見つめているようには)日本を見つめてはいなかったのである。
西欧に対する強い関心と相手の無関心は必然的に『日本とは何か』との問いを呼び覚まさずにはおかない。すなわち反省がはじまるのである。
しかし、反省では『日本人とは何か』の決定的な答えは得られない。
『得られない』以上、同じ反省は時代毎に繰り返されるほか無かったのである。
しかも『日本人とは何か』という問いの核心は、実は我々自身とは何か』という問いであり、この『われわれ自身とは何か』との問いの核心は、『われわれは何を欲するのか』という意思の問題である。
しかしこの場合、過去の日本人にはこのような特徴があったとの答えは、『日本人とは何か』の答えにはならないのである。
何故なら、過去の日本人は、現在はもういない。
同じ意味で未来の日本人も何処にもいないので、『日本人とは何か』の核心は、今現実の日本に存在している『自分自身とは何か』という意味の『問い』だった。
その意味では本居宣長の(今までの、あるいは大昔の)『日本とは何か』との国学の発想は根本的な誤解(勘違い?)であると主張している。

『反性することを忘れた日本人』ほめてもらいたい日本人

他に比べて際立った日本人の最大の特徴とは、大昔から極最近まで『延々と反性を続けていた』ことではないだろうか。
ところが、ここにきて突然反省することを止めてしまった日本人たち。
(1352年前の663年に『我等先を争はば、敵自づから退くべし』とのおごり高ぶる(反性を忘れた)超ポジティブな倭国軍は白村江の戦いで唐と新羅連合軍に大敗している。400年ほど前にも豊臣秀吉が明と朝鮮の連合軍に対して同じ間違いを犯している。70年前にもソ連やアメリカの連合国相手に同じ間違いを犯して大敗している)
『日本人とは何か』の加藤周一が、今の日本で勃興した異様なポジナショナリズムを見て『何と言うか』と想像すれば実に興味深い。
(こんな日本人は今まで『見たことが無い』と言うだろうか。
それとも70年前の敗戦直前の日本人と『そっくり同じだ』と言うだろうか)

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