古代オリンピックの格闘技の実態 キリスト教によって滅亡に追い込まれた古代オリンピック

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私の世界・面白い話のネタ―『驚異の古代オリンピック』

ネットのナショナルジオグラフィック・ニュースからです。

『驚異の古代オリンピック』の著者トニー・ペロテット氏の話ですが、古代と現代のオリンピックの違いが余りにも面白いので、少し長いのですが全文載せておきます。

特に、「古代オリンピックと聞くとセンチメンタルになりがちです。しかし、紳士的な振る舞いや騎士道といったロマンティックなイメージのほとんどは、19世紀ビクトリア朝の学者の創作です。古代ギリシャの人々は極度の個人主義でした。選手は何より自分のために戦い、都市国家は二の次でした。2位という概念もありません。互いの健闘をたたえ握手したり、紳士的に背中をたたくなど、ビクトリア朝時代に創作された理想は事実ではなく、敗者は裏道を通ってそそくさと帰宅し、母親にも口をきいてもらえないほどでした。競技会の1カ月前には、近くの都市エーリス(Elis)への集合が義務づけられていました。これが選手村の起源です。過酷なトレーニングが待っており、基準に達していない者は振るい落とされました」などというのは、私的には「古代ギリシャの方が好み!」と思ってしまうのです。ただし、決して参加選手としてではありません。見る側としての話です。

少し柔道に縁があるので、格闘競技(特にパンクラチオン)は好きなのです。「哲学者プラトンは大のレスリング好き」は何かうれしい気がします。

古代パンクラチオン

打撃技と組技(グラップリング)を組み合わせた古代ギリシアの格闘技で、試合の勝敗は相手がギブアップすることで決せられた。競技者は腕を上げることでギブアップしたことを示すことができたが、多くの場合ギブアップは一方の競技者の死亡を意味した。ルールは“目潰しと噛み付きの禁止”の2つのみで、肋骨や指、首などを折る行為も許されていた。(=ウィキペディア)

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『古代オリンピックの驚くべき姿(1)・(2)

まるでスポーツだけでは不十分とでもいうように、古代オリンピックは“異教的な娯楽の詰め合わせ”だったという。今年のロンドン五輪にも劣らない印象的な開会式に続いて行われたのは、“古代のウッドストック・フェスティバル”だった。公衆衛生の欠如、売春のまん延、骨折、動物の生贄、ドーピングなどの疑問について、『驚異の古代オリンピック』(原題:The Naked Olympics: The True Story of the Ancient Games)の著者トニー・ペロテット(Tony Perrottet)氏に解説してもらった。

◆オリンピック競技会は紀元前776年から紀元394年まで、4年に1度開催されていました。定期的なイベントとしては古代で最も長続きしましたが、その理由は何でしょう?

壮大なショーだったからです。スポーツは心を奪うような祭典の一部にすぎませんでした。古代世界で最も神聖な場所で開催された、最初にして最高の宗教行事だったのです。伝統的で神聖な雰囲気に包まれていました。現代のオリンピックも大規模なイベントですが、宗教的な要素はありません。当時はスポーツと同じくらい、生贄や儀式に時間が費やされました。

◆現代の競技会は競争、友情、文化という高貴な理想を掲げています。昔も同様の理想があったのですか?

古代オリンピックと聞くとセンチメンタルになりがちです。しかし、紳士的な振る舞いや騎士道といったロマンティックなイメージのほとんどは、19世紀ビクトリア朝の学者の創作です。おそらく当時の競技会の理想で最も印象的なのは、期間中の停戦でしょう。観客や選手が安全に会場までたどり着けるよう配慮した聖なる停戦です。ただし、古代ギリシャ人はすべての戦争を止めようとするほど理想家ではありませんでした。ギリシャ外に起因する戦争は続けられていました。つまり、競技会の運営が妨げられることを嫌ったのです。

◆古代オリンピックの起源は?

時間のかなたに消え去ってしまいました。神話的な理由はいくつもあったようですが、確かな起源を知る者はいません。本質は最高神ゼウスにささげる祭典競技で、ギリシャではいくつものスポーツ大会が催されていましたが、ゼウスの神聖さのおかげで特にあがめられるようになったのです。

◆開会式の内容は?

現代と同じくらい壮大でした。選手は整列して神殿に入り、雷をも操るゼウスの像の前で宣誓を行います。血が滴るイノシシ肉がささげられており、選手たちはルールの遵守と不正の防止を誓います。

◆選手はどのような準備をしましたか?

競技会の1カ月前には、近くの都市エーリス(Elis)への集合が義務づけられていました。これが選手村の起源です。過酷なトレーニングが待っており、基準に達していない者は振るい落とされました。

◆選手は特別な食事をとっていたのですか?

現代と同様、理にかなっているとは思えない食事もありました。しかし、伝統的な食事は非常にシンプルで、オリーブ、パン、フェタチーズ(ヤギや羊の乳から作られるチーズ)に適量の肉というメニューです。定められた方法で食べるトカゲの肉など、運動能力を向上させる強壮剤も多数出回っていました。

◆なぜ選手は裸だったのですか?

真相はわかりません。あるランナーの腰布が外れ、つまずいたことをきっかけに、すべての選手が身に着けるのをやめたという説もあります。古代ギリシャの文化を語る上で、裸体を欠かすことはできません。裸は人々の自己顕示欲や虚栄心に訴えました。しかし、ペルシャやエジプトなど他の文化から見ると、ギリシャの男たちが互いの体に油を塗り、泥の中でのたうち回る姿はとても奇妙な光景であり、性的倒錯の原因であると考えられていました。

◆同性愛は認められていたのですか?

古代ギリシャに同性愛という言葉はなく、大人の男同士の性行為は極めてショッキングと考えられていたでしょう。ただし、スポーツの世界では、少年との性的な関係が一般化していました。思春期を迎える前の少年を指導するという名目でした。このような行為は社会的に認知され、教育の一環と考えられていましたが、公然と話題に上ることはありませんでした。

◆女子は参加しなかったのですよね。

その通りです。既婚の女性は観客席への立ち入りさえ許されませんでした。ただし、若い女性や未婚の女性は入場できました。オリンピックの優勝者と結婚させたい一心で、父親が娘を観戦に連れて来ていました。売春もまん延しており、地中海沿岸の全域から女性が集められました。売春婦はオリンピック開催の5日間だけで、1年分に相当する金額を稼いだようです。

◆女子だけのスポーツ大会もあったそうです。

いわば第2のオリンピックです。オリンピアで開催され、ゼウスの妻ヘーラー(Hera)に捧げられました。丈の短いチュニックで走り、女部族「アマゾーン」の戦士をたたえて右胸をはだけていました。スパルタでは、女子のレスリングも行われていました。ローマの元老院議員が、伝説的に美しくて筋肉隆々と言われたスパルタの女子選手を見に、遠路出かけて行ったという面白い話があります。その議員は興奮して闘技場に躍り込み、女子選手と戦ったそうです。勝敗についてはわかりませんが、彼自身はきっと楽しんだことでしょう。

◆男子選手はどれくらい人気があったのですか?

神のような待遇も夢ではありませんでした。オリンピックで勝利すると、驚くべき富と名声を得ることができました。一生働く必要がないほどです。その名は世代を超えて語り継がれ、まさに歴史の一部になりました。

◆なぜギリシャでスポーツ熱が盛り上がったのでしょう?

2つの理由が考えられます。まず、ギリシャの素晴らしい環境です。地中海性気候で雄大な自然が広がり、水泳も、山歩きも楽しめます。裸で一日中走り回っても問題ない気候です。さらに、ギリシャの人々は驚くほど負けず嫌いです。理由は何であれ、すぐに勝負を挑みました。

◆それでも、スポーツは“古代のウッドストック・フェスティバル”の一部にすぎないそうですね。観客にとってはどのようなイベントだったのでしょう?

古代オリンピックの観客は非常に多くの苦労を経験しました。何より、アテネから会場に来る場合、340キロも歩かなければなりませんでした。競技場に到着しても観客席はなく、草で覆われた丘があるだけでした。スタジアムという言葉の語源はギリシャ語のスタディオン(stadion)で、“立つ場所”を意味します。衛生設備もなく、強い悪臭が漂っていました。ただし、伝統を肌で感じられる素晴らしい雰囲気がありました。(伝説によれば)ゼウスが父親とレスリングしたその丘に立っているのですから。

◆どれくらいの人が集まったのですか?

観客は推定4万人です。そのほかに、商人、物書き、芸術家、売春婦、その世話係などもほぼ同規模で集まったようです。

◆当時の有名人もいたのでしょうか?

哲学者プラトンは大のレスリング好きでした。身分を隠して観戦に訪れては、簡素な宿に滞在していました。大会が終わると、知り合った人々をアテネの自宅に招待し、そこでギリシャ一番の有名人だとわかるといった具合でした。古代ギリシア三大悲劇詩人の一人、ソポクレスもハンドボールの大ファンでした。ギリシャの知識人の多くはスポーツが大好きでしたし、オリンピックは作品を発表する場でもありました。ヘロドトスの有名な『歴史』も、最初に発表されたのはオリンピックでのことでした。

◆収益は上がったのですか?

地元の農家や興行主は間違いなく大金を稼いでいましたが、主催者の収入はありませんでした。主催者は貴族階級で、金もうけは目的にせず、入場料も取らなかったためです。古代ギリシャで最も重要なイベントを主催したという名声を求めていたのです。

◆至るところで酒宴が行われていたようですね。

ええ、初の“スポーツバー”は古代ギリシャにあったのです。泥酔する人は多くありませんでしたが、オリンピックが開催される5日間はここぞとばかりに楽しみました。寝る間も惜しむほどです。学生が中心となり、どんちゃん騒ぎに発展しました。

◆古代オリンピックには宗教的に深い意味があったと聞いています。

古代世界では、ゼウスの聖域が最も神聖な場所でした。神も人々と同じくらい、スポーツの結果に関心を持っていました。選手は神に生贄をささげ続け、初期のオリンピックでは、神々も競技に参加していると考えられていました。

◆聖火リレーなど、現代の五輪で行っているイベントがいくつかないようですが。

聖火リレーが導入されたのは、ナチスが開催した1936年のベルリンオリンピックです。ヒトラーは古代ギリシャに魅せられ、スパルタ人は優れた人種「アーリア人」の先祖であるという理論を持っていました。このつながりを印象付けようと、仲間の一人が、オリンピアからベルリンに聖火を運ぶというアイデアを思い付いたのです。聖火リレーの起源は非人道的でしたが、現在ではすばらしい伝統に変わっています。

◆では、聖火そのものは?

すべての聖域に永遠の炎がありました。古代ギリシャの文化では、象徴としての炎が重要な役割を果たしていました。

◆競技に話題を移しましょう。観客は戦車競走を最も心待ちにしていたようですが、その理由は?

最も貴族的な競技であり、同時に極めて暴力的でした。 “インディ500”(カーレース)の古代版とでも言いましょうか。その緊張感たるや、映画“ベン・ハー”のクライマックスを思い出してもらえればわかっていただけると思います。21台の戦車がスタートを切り、衝突を繰り返した結果、1台しかゴールできなかったレースもあります。どれくらい危険か想像できるでしょう。

◆最古の競技は短距離走だったようですが、マラソンは?

古代オリンピックにマラソンはありませんでした。当時は5キロのドリコス(dolichos)が最も長距離でした。マラソンは19世紀末のビクトリア朝時代に生まれた競技です。「マラトンの戦い」に関する伝承がベースになっています。マラトンからアテネまでの42.3キロが距離の基準になりました。

◆考えてみれば5キロさえ大変だったでしょう。運動靴はおろか、丸裸で走ったわけですから。

トラックに砂を撒いて衝撃を緩和していましたが、でこぼこは当たり前です。古代ギリシャの人々は頑丈な足だったのでしょう。生まれたときから靴を履かずに走り回っていれば、足の皮が厚くなったはずです。

◆現代の五輪では、十種競技が最も名誉ある競技の一つであり、選手としての偉大さが試されるとみなされています。古代ギリシャの五種競技は、どのように考えられていたのでしょう?

五種競技は円盤投げから始まり、幅跳び、やり投げ、短距離走、レスリングと続きます。勝者はそれぞれの競技では必ずしも最高の選手ではありません。しかし、その多才さと能力をたたえられました。

◆とても暴力的な競技もありますね。

レスリングは現代のグレコローマンスタイルとよく似ています。しかし、ボクシングはかなり違い、ラウンドも体重制限もありませんでした。近代オリンピックの格闘技と最も異なっているのが「パンクラチオン」です。打撃技と組技の組合せで、目つぶしと噛みつき以外は何でもあり。首や肋骨を折る攻撃も珍しくありませんでした。

◆チームスポーツがありませんね。

古代ギリシャの人々は極度の個人主義でした。選手は何より自分のために戦い、都市国家は二の次でした。2位という概念もありません。互いの健闘をたたえ握手したり、紳士的に背中をたたくなど、ビクトリア朝時代に創作された理想は事実ではなく、敗者は裏道を通ってそそくさと帰宅し、母親にも口をきいてもらえないほどでした。

◆現代のトップ選手と比べて優れていたのでしょうか?

それはわかりません。古代ギリシャの人々はわれわれと異なり、熱心に記録することはなく、ストップウォッチもありませんでした。その瞬間、勝つことがすべてだったのです。古代ギリシャの遺伝子プールは現代よりはるかに小さく、せいぜい数百万でした。一方、現代のスポーツ選手は世界中に散らばる数十億人から選ばれたエリートです。

◆なぜ紀元394年に幕を閉じたのでしょう?

当時の支配者、ローマ帝国皇帝テオドシウス1世が異教的な行事をすべて禁止したからです。キリスト教徒はオリンピックを嫌悪していました。肉体をたたえ、裸で走り回り、酒を飲み、密通する。すべてが許し難いことでした。一千年余りの歴史を重ねたオリンピックの終幕は、永遠に続くと思っていた古代ギリシャの人々にとって衝撃的な出来事だったでしょう。』
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