現代思想2013年10月増刊号 ブルース・リー 没後40年 蘇るドラゴン p160より ポスト植民地 ポスト帝国の 日本のカラテ 韓国武道を日本武道系ネトウヨが叩く一方で戦前の日本武道の沖縄起源 中国福建省起源を闇に葬った過去には触れたくない理由 唐手から空手に名称が変わった訳とは

今日こそ空手は日本の武道であるというイメージは定着しているが 歴史をたどれば それが自明のことではないことが分かる
中国南部に起源を持つとされる 沖縄の武術 唐手 は船越儀珍らによって日本内地に紹介され 一九二〇年代以降 帯の色による昇段制度など講道館柔道にならった制度を取り入れつつ 大学のサークルなどを通じて普及していく
しかし こうした普及の過程で その起源に関する言説には変化が見られた
船越の一九二二年の著作 琉球拳法 唐手 では 唐手 は沖縄独特の拳法と位置づけられていたのに対し
同じ著者による 空手道教範 では唐手という表記は 支那拳法 と同一視される恐れがあり
沖縄の武術 から手 と言はんよりも 既に日本の武術 から手 となっている今日 においては不適切であるとされ 唐 の字を廃して 空手 という表記に改めるということが記されている
ここにおいて 空手は中国南部の起源のみならず 沖縄のものであることも否定されている
後者の執筆に先立つ一九三五年 空手は大日本武徳会により 柔道の下部単位として承認を受けていたが 船越の後者の著名に 空手道 という 柔道 剣道 にならった 道 という文字が使用されているのはこうした敬意によるものでろう
その一方で 戦中から終戦直後の空手の展開を見れば 大山や 大山が師と仰いだ曹寧柱の他に 防具を着用した直接打撃による空手の試合形式を採用した韓武館を設立した尹曦炳など 戦前 戦中に空手を学んだ朝鮮半島出身者の活躍が目立つ
戦後韓国でテコンドーの創設に関わった者の多くは戦前に松濤館などで空手を学んでいたが そのことも 裏を返せばそれだけ朝鮮半島出身の空手家の存在が際立っていたことを示している
戦前において空手が 日本の武術 となったことは 多民族からなる植民地帝国としての当時の 日本 の要素がそこに混入することを意味しており そのことが戦後直後の空手の展開にも影響を与えていたと考えられてよう 
戦後アメリカのエンターティーメントにおける空手のイメージの浸透過程で大山ら朝鮮半島出身者が活躍したことも こうした文脈から捉えることが可能であろう
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