ヒクソングレイシーを日本に呼んだ男 元フルコン編集長 山田英司が語る グレイシー柔術よりも打撃格闘技のほうが実戦的である?? 柔術 柔道 サンボ プロレスはホモで空手 ジークンドー ムエタイ テコンドーはSMである??  空手二段の女性が惨殺された比叡山女子大生殺人事件

http://tanyslabo.com/lecture/season01/yamada_03_121231

山田さんのお話を聞いていると、ものすごくよく分かるし、
一方でなんとも言えず複雑な心境でもあります。
山田さんはホリオン・グレイシーの思想については
どう思われているんですか? あの思想って
非常に明確じゃないですか?
山田

ホリオンのどんな思想?
谷川

いわゆる空手もキックボクシングもあくまで競技でしかなくて、
実戦であれば、密着して寝技になって、
そこで勝負が決するんだという考え方です。
それがグレイシーの思想として圧倒的な支持を得て、
一時代を築いたわけですけども、
ああいった明確さがほしいんですよね。
山田

いや、ホリオンが言っていたのは
単にブラジルでの決闘の話なわけよ。浜辺で一対一で闘って、
周りは手を出してはいけないっていうのが
ブラジルの決闘の仕方だよね。
でも日本でそれをやったらすぐにボコられちゃうからね。
谷川

“果たし合い”の発想ですよね。
だからこそ分かりやすいという。
山田

そうそう。だからホリオンが言っているのも
結局ひとつの競技に過ぎないのよ。
「ブラジルではそうやって決闘してますよ」っていうだけの
話であって、その感覚っていうのは万国共通ではないし、
日本、中国、タイ、どこでもそのルールが
通せるっていうわけじゃないでしょ?
だからホリオンの考え方は理論として全然だめなの。
谷川

では山田さんの場合はどこまで許容できるんですか?
山田

それは僕が決めることじゃないよ。
昔のひとが決めた型があるんだから。
日本や中国の歴史の中で培われたものがあるし、
タイでは殴る蹴るっていう考え方になったし。
谷川

ボッカラボンですよね。
山田

ガビガボン!
(その後の調査によると「ガビガボン」ですらなく、「カビー・
 カボーン」「クラビクラボーン」と呼ばれていることが判明。
 さらにその後の調査では、「ガビガボン」と「ガビガボーン」
 はタイ語の発音的には正しく、「クラビクラボーン」が間違い
 であることが判明。「細かいとこですけど、「クラビクラボー
 ン」は間違いですよ。タイ人に言ったら笑われてしまいまし
 た。KRの発音記号を、タイ語を知らない人が雑誌で発表す
 る時に英語式に「クラ」と書いてしまいました。英語でも“K
 URA”じゃないと「クラ」と読みませんけどね。タイ語で
 は、KRは「ガ」という音になります。従って、「ガビガボー
 ン」はタイ人に言っても通じます。その他の表記は、全くタ
イ人に通じないため、私が実際の発音に近いように表記を改め
たのです。(by山田英司)」)
photo03
谷川

昔のひとが決めたものっていう考え方なんですね。
じゃあ山田さん自身の許容範囲というのはないんだ。
山田

ないない。
自分で許容範囲なんてものを決めちゃったら、
ホリオンと同じ過ちをおかしちゃうからね。
谷川

そういうことかぁ。
山田

ホリオンは彼らのあの闘い方が実戦だと信じてるの。
でもそんなことは世界中の誰も認めてないよって。
谷川

そうですか?
逆にものすごく認められてるような気がするんですけど。
山田

それはさっきも言ったようにプロレスファンだからでしょ。
ホモだから。
谷川

SM派の人たちは認めてないよと。
実戦であんなグレイシー的な展開になんて
ならないということですね。
山田

ビーチのやわらかい砂の上でやるからあんな闘いになるけど、
路上の固い地面でやったらまた展開は
大きく変わってくるからね。
まず基本的に日本でも中国でも実戦に寝技っていう
概念はないのよ。相撲もそうだけど倒れたら終わりじゃん。
それは戦(いくさ)だったらその時点で
殺されちゃうからなのね。
だからいかに倒されないようにするかっていうことが
テーマになるの。
谷川

当時の人たちの考え方が
格闘技の下地になっているわけですよね。
だからルール作りというか、許容範囲を
どこまでにするかっていうのが大事な課題ですよねぇ。
山田

どうだ、難しいだろ?
谷川

難しいですね。でもなんとなくわかってきましたよ。
要は「ホモ対SM」っていうことですよね!
山田

そういうことザンス。
谷川

今日はありがとうございました!またお願いします!

※う~ん…
そもそも山田氏の絶賛しているドッグブラザーズてマシャード柔術の門下生なんですが…
その辺は無視か??
柔術 ММA ノーギが台頭するに従って地上最強の候補から空手と中国武術ムエタイが外れてしまったことに対する苛立ちとも受け取れますな

あと山田英司はゲイが嫌いだとw
でも三島由紀夫はゲイですが彼が好んだのは柔道ではなく空手とボディビルだったような…

確かにプロレス関係者にゲイが多くてボブサップもその洗礼を受けたのは業界じゃ有名なネタですし
ジャイアント馬場がゲイなのは有名だったですしね

でも実話マッドマックスで描かれた石井×アンディのゲイ実録マンガはネタなんでしょうか?
それとも実話なんでしょうかね??w

んで実戦論ですが正直戦場で寝た状態は危険だの何だの言いますが
戦場の実戦論なんて時代によってコロコロ変わるもんなんです
昔は弓とか剣とか槍とか刃物が使われて
ちょっと前まで戦場で馬に乗ってサーベルだの軍刀など使ってたんですが
今じゃ余計な荷物になるんで軍刀やサーベルの代わりに銃剣を使用してその手の刃物類はほとんど見なくなって
グルカ族のナイフのような携帯性 万能性に優れた刃物以外誰も持ち歩かなくなったのが今の時代です

んで現代の戦場ですがあらゆる局面 全ての局面に対応したノウハウが軍隊格闘には必要なんで
米軍とかじゃフツーに柔術が採用されており
ロシア軍とかでも大昔からサンボが採用されています

というか街頭で襲われて最悪な状態
相手が馬乗りになって直接手で首を絞められたときの対応とか既存の空手とか中国武術 ムエタイで出来んのか?と問いただしてやりたくなるんですが…

そもそも空手二段の女性が暴漢に

絞め殺される

という無残な事件があったのを忘れているんじゃないでしょうか?

女性は山田氏の師 松田隆智老師の空手の師の一人にしてC・W・ニコルの空手の師 金澤 弘和先生の道場の二段だとのことです

以下参照

比叡山女子大生殺人事件

http://birthofblues.livedoor.biz/archives/50757247.html

【凶悪事件ログファイル】 比叡山女子大生殺人事件


 

不定期掲載の凶悪事件ログファイル。
事件を上手に纏めているスレがありましたのでご紹介。

加害者は無期懲役で服役中です。

事件概要

比叡山女子大生殺人事件 ウィキペディア

比叡山女子大生殺人事件(ひえいざんじょしだいせいさつじんじけん)とは、1989年8月31日、京都に一人旅に訪れていた早稲田大学の女子大生(当時25歳)が、比叡山でテント生活を送っていた当時48歳の男に強盗と強姦の目的で殺害された事件。被害者の女性は過去に痴漢にあった経験から空手を学んでおり二段を持っていた。





【空手二段】比叡山女子大生殺人事件【全裸絞殺】

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/07/24(月) 20:52:45 ID:???
【事件概要】
1989(平成元)年8月31日、
千葉県野田市から旅行に来ていた早大四年の女性(当時25)が、
比叡山延暦寺の横川中堂秘宝館で目撃されたのを最後に、行方不明となった。

9月2日、女性の自宅に一千万円を要求する脅迫電話がかかる。
9月9日、山中で女性のリュックサックが発見される。

9月10日午後4時、東海自然歩道近くの雑木林で、遺体となって発見された。
遺体は靴と靴下以外は何も身に着けておらず、着衣の上に横たわっていた。
翌日の司法解剖の結果、死因は首に巻き付けられた紐による絞殺と断定。

9月13日午後9時、大田正雄(当時48)を殺人の疑いで逮捕。
「金と強姦目的」と自供(後に強姦目的は否定)



4 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/07/24(月) 22:38:50 ID:???
【被害者女性】
●外見
 身長163センチ。肌は日焼けしている。スポーツで鍛え上げた、やや肩幅の広い体格をしている。
「最近痩せて色が白くなり、綺麗になった」との証言もある。
髪は長く(約25センチ)、後ろで束ねている。
京都市内で撮影された写真では、白いTシャツに紺のジーンズ、白に赤線の入った
スニーカーを履いていた。

 殺害時も同じ服装と見られていたが、検死の結果、上半身はブラジャー(産経新聞調べ)、
タンクトップ、Tシャツ、長袖シャツを着用。下半身は柄の入ったトレパンだった。
なお、これらは全て脱がされ、遺体の横や下に散乱していた。

●人となり
生前の彼女については証言が非常に多い。共通しているのは
「真面目で生一本」
「しっかりした性格で意志が強い」
「ボーイッシュ(親しい友人や家族には一人称が『俺』など男言葉だったらしい)でありながら几帳面」
といったところ。それを示すエピソードにも事欠かないが、とりあえず省略。

ただ、担任教師いわく
「男にしてみれば、真面目すぎて、冗談を言ったら怒られる、という近寄りがたいような
存在だった」とも。
事件当時も、親しい男性はいなかった模様。



5 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/07/24(月) 22:43:20 ID:???
●体力、そして空手
中学・高校とも無遅刻無欠席。
中学時代は陸上部で長距離と砲丸投げをやり、高校では男女一緒に走るマラソンで、
4位になったことがある。
体力には自信があったようだが、体育系大学の受験には失敗している。

高校3年、
「痴漢に遭ったのをきっかけに、空手を始めた」(本人談)
以後7年間、稽古に励む。
自宅前の路上での空手の稽古や、トレーナー姿でジョギングをする姿は、
近所でも評判だったという。
翌年には初段、事件の前年には二段に昇格。

だが比叡山では、空手で凶行を逃れることはことはできなかった。 
恵まれた体格や「スポーツウーマン」「空手二段の女丈夫」のイメージが強く、
当初は複数犯説(=一人では無理)もよくきかれたが、実際の彼女は抵抗する間もなく
仮死状態にされている。その後、痴漢よりも酷い目に遭ったわけだ。

●学問
受験に失敗後、日大文理学部に入学。ここでの卒業論文は死後出版され、
国会図書館に寄贈されている。
また、麗澤大学のアグネス=チャンの講義を受けたことがあり、彼女が寄稿している。
日大卒業後、早大二文美術科に学士入学。ここで仏像に魅せられ、
将来は仏師になって国宝級の芸術に直に触れることを志すようになる。
京都に来たのも、研究論文のためだった。

順調ではないが個性的な学歴だ。この事件で未来の女性仏師を失ったのは、大きな損失といえる。



6 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/07/24(月) 22:45:41 ID:???
●事件当日までの足取り
論文のため6月に上海へ行ったところ、あろうことか天安門事件が発生、
強制送還の憂き目に遭う。
これを取り戻すため、京都行きを決定。8月26日に自宅を出発し、9月2日には帰宅予定だった。
26日に京都に入ると、8月30日までは何事もなく市内各地を回っている。

8月31日午後8時に旅館をチェックアウト。京都駅から路線バスとケーブルカーで比叡山山頂へ。
根本中堂などを見学した後、東海自然歩道を歩いて、横川に向かった。

その途中で、太田と遭遇することになる。


つづく



12 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/07/25(火) 21:30:04 ID:???
【犯人・大田正雄】
●略歴
和歌山県出身。中学卒業後、滋賀・大阪・和歌山の各地で職を転々としていた。

昭和61年頃から比叡山にやって来るようになる。人の多い都会が苦手な一方、
山が好きだったらしい。
7~9月は叡山でテント暮らし、それ以外の季節は工員や土木作業で
金を貯めていた。

●性格
周囲の証言は辛辣を極める。(新聞雑誌もそういう証言だけ載せるので)
まとめると、「人間嫌いで酒好き、勤労意欲に乏しい」といったところ。殺人犯として
特筆すべき人格ではない。むしろ地味。にもかかわらず当時騒がれたのは、
『比叡山でテント暮らし』という生態が異様に思われたからだろう。

オートバイを盗んだり、レストランで飲食物を盗んだり(現行犯逮捕→起訴猶予で釈放)
手癖が悪かったのは確か。
皮肉にも被害者と同じく、仏教の知識は豊富だった。しかし肝心な根気、そして信仰心に欠けていた。
そんな人間がこの事件だけ、悪知恵と行動力を発揮した。

●外見
身長175センチ、白髪交じりで痩せた身体つきだが、山暮らしで腕力や足腰は強い。
一見人のよさそうな顔をしている。
犯行当時、一部報道では作務衣姿と報じられていたが、シャツにトレパン姿だったようだ。
『叡山=僧侶』の先入観からか。



13 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/07/25(火) 21:33:22 ID:???
●テント暮らし
一応言っておきます。真似しないで下さい。

テントと言っても、布やビニールシートを周囲の木に張っただけ。内部のスペースは2畳余り。
じめじめした杉林の中で、大田いわく「ムカデが気味悪かった」とのこと。
ろうそくで明かりをとり、食事は水を入れて柔らかくしたカップラーメン中心。あとカップ酒。
木の実や山菜も食べていた。

昼間は時々大津市側に下りることもあるが、ひたすら山中をフラフラする毎日だった。
雨が降ればテントにこもっていた。
長年の山暮らしで、比叡山の地理をすみずみまで知り尽くしていた。比叡山はまさに、
大田の庭だったと言える。


そんな大田と被害者女性が、東海自然歩道で顔を合わせたのは、午後2時頃だった。



14 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2006/07/25(火) 23:09:04 ID:iY55Rowv
【犯行】――自供を中心に

 その時、大田の所持金は1万円を残すのみとなっていた。
「一人旅の女性なら誰でもいい。殺して金を奪おう。ついでにカラダも……」
腹を決めた大田の目にとまってしまったのが、一人で歩いていた被害者女性だった。
 長袖シャツにトレパン、スニーカー。リュックを背負いウエストポーチを腰に巻いていた。彼女はいつも、
こうした格好で出かけていたという。

 声をかけられ、彼女は気さくに応じた。並んで歩きながら、大田は旅行の目的や予定を聞き取る。
「地元の優しいおじさん」のような大田を、女性はまったく警戒しなかった。
大田は「話好きで、人のよさそうな女の子に見えた。『近道を教えてあげる』と言えばついてくると思った」
と述べている。
 横川中堂に行くことを知ると、大田は途中で引き返し、ビールを飲みながら彼女を待つことにした。
そこは山道の分岐点で、ハイカーや一人旅の女性がよく通る要所だった。大田はそれを知っていたから、
先ほどの女性も帰りにここを通ると踏んでいた。

 横川中堂から、秘宝館へ。ここで女性は30分ほどかけて仏像を見学した。目撃した職員は、
「背が高くて体格がよく、物静かな娘さんでした。髪を後ろできりっとたばねた姿が印象的でした」
と語る。
 帰りぎわ、職員が『ありがとう』と声をかけると、彼女は軽く会釈した。おそらくはアグネス=チャンの
語るように、恥ずかしそうに笑いながら。
 さらに別の職員が、秘宝館の方向から歩いてきて横川中堂側の階段を一人で降りている
女性を目撃。これが生前最後の目撃情報となった。

2時49分発の、横川発最終のバス(当時)に彼女の姿はなかった。乗り遅れたのか、歩きたくて
乗らなかったのかは、分からない。



15 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/07/25(火) 23:11:40 ID:???
木製の道標に腰かけていた大田のところに、先ほどの女性が戻ってきた。
大田は女性に、
「三千院に行きたいが、近道はありませんか」
と尋ねられたという。

狙い通りの展開。大田は真意を隠し通したまま、
「私はこの山で仙人のような生活をしていて、近道はよく知っている」と言うと、
先に歩きだした。女性もその後についてくる。
そこは近道などではなく、袋小路の獣道だったのだが……

足元にクマザサが生い茂る、うっそうとした杉木立の中。二人はかき分けるように獣道を
進んだ。日中でもあまり陽がささないうえ、前日に大雨が降り、地面はまだ濡れている。
「何度もつまずき、滑り、木にしがみついた」
と、現場に行った新聞記者は述べている。
被害者女性は、こんな道が近道だと信じて疑わなかったのだろうか。

大田がどのように被害者をついて来させ、
どうやって襲い、
彼女に何をしたか。
次回ではさまざまな説を、可能な限り紹介したい。



19 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/07/26(水) 23:21:15 ID:???
【襲撃】

被害者女性は空手二段。当時としては長身で体格もよかった。
痴漢に遭ったというトラウマもあり、簡単に屈服するとは思えない。
そんな彼女がなぜ、むずむざと殺されたのか。

まず、大田の供述によると、
「写真撮影にいい場所を教えてあげる」と言って、あちこちの写真を撮らせた。
また、お互いを撮影しながら進んだ。
女性は撮影に熱中し、大田に背を向けてカメラを構えてしまった。
その背後から、大田は彼女を襲った――

ということらしい。確かに殺害後、カメラを隠しているので、フィルムに大田が写っていた
可能性は高い。
疑問なのは、獣道のあちこちに『写真撮影にいい場所』があるのかということに尽きる。
よほど大田が言葉巧みに誘ったか、獣道の風景が女性の感性に訴えたのか。


そこから、脅して連れ込んだのではないかとする説もある。
被害者のズボンに切られたようなあとがあったことから、刃物で脅したのではないかと
いうわけだ。

ところが、遺体に抵抗した形跡はなかった。致命傷以外に目立った外傷もない。
前述の通り、もし相手が刃物を持っていても、必死に抵抗したのではないだろうか。
また、切られたあとは木の枝などによるものかもしれない。

やはり供述どおり、カメラを構えた隙に背後から襲ったと見るのが妥当だと思う。
勉強熱心だった被害者は、大田の巧みな説明に好奇心をそそられてしまったのかもしれない。



20 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/07/26(水) 23:23:31 ID:???
【殺害】

大田は背後から、女性の首に腕を巻きつけ、絞めあげた。
カメラを構えて両手がふさがり、相手に背を向け、しかも相手が襲ってくるなど夢にも
思っていなかっただろう。
当時から指摘されていたが、やはり空手二段程度で身を守ることはできなかった。

数分後、女性はとうとう意識を失い。仮死状態に陥ってしまった。
大田はとどめを刺す。背負っていたリュックの紐を抜き取り、もう一度女性の首を強く絞めて、
窒息死させた。
午後3時ごろだったと推定される。



21 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/07/26(水) 23:25:37 ID:???
【強姦はあったのか?】

腕で首を絞め、紐で絞殺。
この間に女性が犯されたのではないかという声も、当然聞かれた。
靴と靴下を履いただけの全裸状態に剥かれ、脱がされた衣類の上に仰向けに横たわっていた
のだから。

被害者は25歳。空手やスポーツで鍛えられた立派な身体を持ちながら、顔はどちらかというと
童顔だったらしい。
空手と仏像研究に打ち込み、日頃もTシャツにジーンズとラフな格好だった。ファッションや恋愛には
興味がなかったように見える。
だが、高校時代に痴漢に遭ったことといい、善人も悪人も惹きつける何かを持っていたのか。

大田もまた、ぐったりした彼女を前に欲情し、行為に及んだとしても不自然ではない。
剥ぎ取った衣類を裸体の下に敷き、挿入。欲望を満たした後、発覚を恐れて絞殺といったところか。
「挿入された痛みによって意識が戻り、慌てて首を絞めなおしたのかもしれない」と、
ある捜査関係者は述べている。もしそうだとすると、犯されていると知りながら何もできず、
死を迎えさせられたことになる。


この件について大田も当初、
「金と強姦が目的だった」
と明言している。ところが数日後には
「強姦はしていない。女性を裸にすることで、変質者の犯行に見せかけようとした」
と供述を変えている。どちらが真実か、自分は断定できない。
ただ個人的に思うのは、
「罪状に強姦が含まれると、裁判官の心証もずいぶんと変わるのでは」
ということだが。
ちなみに検死では、強姦されたかどうかは諸般の事情で「分からなかった」。



22 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/07/26(水) 23:27:45 ID:???
いずれにしろ、女性が文字通り身ぐるみはがれたのは間違いない。
大田は、シャツをブラやタンクトップごとたくし上げた。ズボンもショーツも脱がせ、
遺体の横や下に敷いた。
たとえ挿入しなくても『すべて』を見られており、忌まわしい視姦と言って差し支えない。
(また、『行為』は生前に行なわれるとは限らない)

リュックとウエストポーチを手に、大田はそそくさと修羅場を立ち去った。

後に残されたのは、全てを奪われ、仰向けに転がされた裸の女性だけ。
このあと彼女はなお十日間も、聖なるお山で素肌を晒し続けることになる。

だが間もなく、大田の自滅も始まる。それは被害者宅にかけた、脅迫電話から……


つづく



26 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2006/07/27(木) 22:57:23 ID:2k++3v/p
どうも。初めてこの事件を知った方が多いのは意外でした。ちなみに私も、
子供の頃にこの事件が起き、詳しく調べ始めたのはずっと後になります。

バブル絶頂期の1988~89年。この事件と前後して、
『幼女連続誘拐殺人事件』『女子高生コンクリート詰め殺人事件』という
日本犯罪史上最悪級の事件が相次いで発生しました。
それに比べると、この事件は犯人の面で地味ではあります。比較的早く捕まりましたし、
性格的にも著しく破綻しているわけではありません。

この事件を特別なものにしているのは、被害者なのです。確かに名前も特徴的でしたが、
その人となりはもっと個性的で魅力的でした。
文武に励み、仏師になる夢を追っていた女性が、もし無事であったら。
言っても仕方のないことではありますが。


では、続きをどうぞ。



27 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/07/27(木) 22:59:39 ID:???
【命の代価】

テントへと戻りながら、大田は戦利品のリュックサックとウエストポーチを調べる。
金目のものは現金3万9000円とトラベラーズチェック、カメラが入っていた。
トラベラーズチェックは本人しか使えない。カメラは質入れせず、
山中あるいは大阪市内で捨てたという。
結果的に、たった3万9000円のために女性は辱めを受け、殺されたことになる。

他にはスケッチブック、クレヨン、パンフレット、手帳なども入っていた。
女性にとって本当に大事だったのは、京都の思い出や研究成果がつまった、
スケッチブックやパンフレットだったはずだ。
しかし大田には価値がない。途中で、無造作に打ち捨てている。手帳はまだ、捨てていない。
そして、大田はなぜかウエストポーチをそのまま持っていった。これが後に、命取りとなる。

そして、大田はさらなる愚挙をしでかす。



28 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2006/07/27(木) 23:01:43 ID:2k++3v/p
【脅迫電話】

9月2日午前8時。千葉県某市の女性宅の電話が、突然鳴った。女性の母親が取る。
受話器の向こうから、関西なまりの男の声がしてきた。
男は母親の名前を正しく呼ぶと、こう告げた。
「八瀬から電話をしている。娘を預かっている。1000万円を京都まで持ってこい。誘拐だよ、誘拐」
大田は女性の手帳から自宅の電話番号を調べ、電話をかけたのだ。

しかし、大田は本気で金を脅し取ろうとしていなかったようだ。
大田が被害者宅に電話をかけたのはこれが最初で最後だった。身代金目的の誘拐なら、
受け渡し方法を細かく、数度にわたって指示するものと思われる。たとえ人質が死んでいたとしても。

では、なぜ電話したのか。大田は、
「娘は名古屋に行くことになっているだろう」
などと、1分近くも会話を交わしている。どうやら、万一女性が蘇生していたらと、家の様子を探ったらしい。

結局母親が、
「お金は用意できない」
と答えると、
「じゃあ娘の命はないよ」
との言葉を最後に、電話は切れた。もちろん、すでに女性の命は絶たれているのだが。
『ハリのある、関西なまりの男の声』――母親は、大田の声をはっきり覚えていたという。

両親はすぐに、警察に通報。千葉県警と京都府警は内偵を開始した。



29 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/07/27(木) 23:04:16 ID:???
【下山】

大田は厚かましくも、9月4日まで比叡山にいたらしい。さすがに捜査の手を恐れたのか
手帳を捨て山を下りると、大阪に向かった。

スポーツ紙の求人を見て、大阪市平野区の工場を訪れ、住み込みで働きはじめた。
取り立てて変わった様子はなく、仕事も手際がよかったという。
ただ、同僚には『警察に追われている』と漏らしていたという。同僚も同僚で、真面目に受け取らなかった。
食堂ではビールを飲みながら(またか)、イヤホンでラジオを聴いていたという。
捜査の進展を確認していたのだろう。


警察は依然として、女性の足取りをつかめないままだった。新たな脅迫電話もない。
9月8日。千葉県警と京都府警は、ついに公開捜査に踏み切る。
『京都を一人で旅していた女子大生が行方不明。自宅に、1000万円を要求する脅迫電話』
新聞各紙は夕刊で一斉に報じた。当然週刊誌やテレビも動き出す。
大田逮捕までの約1週間、数多くの憶測と証言が飛び交った。ここからは事態の進行とともに、
真偽入り混じる数々の新聞・雑誌記事を取り上げていきたい。


つづく



31 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2006/07/28(金) 22:08:26 ID:lh6JoXSG
やはり、本当に死んだのか不安になり、様子を確かめたのでしょう。
それが合理的な判断だったかは別として。

いつも思うのは、この事件が今起きていたら、ということです。2chには
スレが乱立し、犯人と被害者への憶測が飛び交っていたのでしょうか。
見てみたいような、見たくないような。
また、ニュース映像などがネット上で入手できたかもしれません。
当時の映像が残っていないのは、本当に残念です。

では、続きをどうぞ。



32 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/07/28(金) 22:14:24 ID:???
【取材合戦始まる】
警察発表を基にしているため、新聞の第一報はどこも似たり寄ったりだった。

『千葉県某市の早大四年、○○○○さん(25)が、旅行中の京都で行方不明になった。
8月26日から30日まで京都市内の旅館に宿泊。31日にチェックアウトしたが、
同日夜に宿泊予定の名古屋のホテルには姿を現さなかった。
9月2日には男の声で自宅に、1000万円を要求する脅迫電話がかかってきた。
警察は女性が何らかの事件に巻き込まれたと見て、公開捜査に踏み切った。

女性は身長163センチ、やや肩幅が広い。
失踪当時の服装は白いTシャツに紺のジーンズ、スニーカーを履いていた』

前日まで、この事件は一切記事にならなかった。公表前に、独自に取材した報道機関も
ないようだ。
警察の情報管理が優秀だったのか、それともマスコミが……

ともあれ、マスコミにとっては公開捜査=報道解禁である。
各社は続々と千葉県某市に乗り込むと、女性の家族や知人に取材を始めた。



33 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/07/28(金) 22:16:40 ID:???
【美談また美談】
女性の知人たちは、口々に女性の人物像やエピソードを語った。
さっそく、
「痴漢に遭ったのをきっかけに空手を習い始め、今では二段の腕前。
自宅の路上で空手の稽古をすることもある」
という、彼女を象徴するような話が出る。なお、最初は空手の段が初段か二段かで混乱があった。
他にも、
「母親がケガをした際には一人で家事をこなした。近所でも評判の、活発で明るいお嬢さん」
「さっぱりした性格で、中学では陸上部で砲丸投げの選手。男勝りの強い女の子だった」
などなど、誰に聞いてもいい話ばかり。そして締めはお決まりの、
「無事に帰ってきて、あの明るい笑顔を見せてほしい」
しかし、それを『偏った評価だ』と非難することはできないだろう。してどうする。


さらに取材範囲は広がる。高校時代の担任や早稲田で卒論指導をしていた教授も直撃。

高校の担任いわく
「最近では珍しい『質実剛健』タイプ」「独立独歩で、自分でこうと決めたらやり抜く子」
「男に誘われたからといって簡単についていくような子じゃない」
など、性格を細かに語っている。
ちなみに、「男には真面目すぎて、近寄りがたい存在だった」と後で語ったのもこの担任。

早大の教授いわく
「分からないことは積極的に質問してくる。いつもの笑顔で、ひょっこり姿を見せてくれれば
いいのだが」

さらにさらに、とんでもない人までインタビューされたのだが、それは後で。



34 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/07/28(金) 22:24:18 ID:???
だが知人とはいえ所詮は他人。辛かったのは報道陣が自宅に押し寄せた、女性の
両親であろう。張り込みの警官が伝言することもあれば、直接家の前で
コメントすることもあった。

病気だった父親が、メモを片手に玄関に立ち、
「ご心配とご迷惑をおかけし、申し訳ありません。とにかく、早く帰ってきてほしい」
と語る。
母親はドア越しの取材に
「この一週間、ほとんど眠れません。ただ無事でいてさえくれれば」
と答えたり、玄関で
「皆様の配慮に感謝しています。今後とも色々とお世話になるでしょうが、
よろしくお願いします」
とメモを読み上げた。

さらに、電話での取材もあった。
「行方不明になって日がたつので疲れています」
という答えだったらしい。そうとしか答えようがないだろうに。



35 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/07/28(金) 22:40:57 ID:???
【あの推理作家】

驚くのは夕刊フジで、推理作家の故・山村美紗にインタビューしている。

「事件の詳しい内容は知らないが、拉致された可能性が強いと思う。
旅先の京都で知り合って、少し仲良くなった男が、誘拐を企てたのでは。
実家のことは、話しているうちにそれとなく聞きだせるし」

「京都の根っからの住人じゃないかもしれない。京都は周りの目が厳しい所だから、
すぐ噂になる。一回身代金要求を拒否されて、あっさり諦めるのを見ると、
昼間でもぶらぶらしているような男じゃないかしら」

「しかしこの設定、まるで小説みたいね」

当たっているかどうかの判断は、皆さんにお任せします。
なお、彼女はこの事件を題材に「京都・比叡山殺人事件」を執筆……してません。
いくらなんでも。



36 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/07/28(金) 23:05:31 ID:???
【京都での日々】
一方、女性の足取りも少しずつ明らかになっていく。

26日に京都到着後、几帳面な彼女は毎日自宅に電話し、絵葉書を送っていた。
このエピソードに時代を感じる。
27日は南禅寺、六波羅蜜寺などを見学している。
28日は空手道場の友人と京都市内の仏具屋を訪ね歩き、写真を撮ってもらっている。
この写真は公開捜査に使われ、新聞雑誌にも載っている。

29日は忙しい。午前中に三十三間堂を見学。午後には著名な仏師を訪ねて、
仏像の彫り方や修理の方法を質問している。
次いで京都国立博物館の美術院国宝修理所を訪れ、学芸員に就職先があるかどうかを尋ねた。
「女性は修理員として採用していない」と断られる。そういう理由が通る時代だった。

30日は東寺へ。仏具店で、数珠を入れる袋も買っている。こんなものを買っているあたり、
本当に信心深かったんだなと驚く。
この間数回、旅館に彼女あての電話が来たが、すべて知人からのものだった。

そして31日、チェックアウト。従業員は語る。
「『お世話になりました』と明るく出ていきました。口数の少ない落ちついた女性でした。
『今回の旅行は雨にたたられて』とこぼしていました」
そう、27日と30日に京都では大雨が降っている。それにもめげず、彼女は京の街中を
熱心に歩いて回っていたのだ。



37 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2006/07/28(金) 23:08:24 ID:lh6JoXSG
【そして比叡山へ】
JR京都駅に、女性は大型のリュックサックを預けた。
その数時間後。比叡山山頂へのケーブルカーの中で、神奈川から来た老夫婦が
彼女と会話していた。
彼らは2時間ほど行動を共にし、正午ごろ、別れたという。

「女性は比叡山で行方不明に」――これがフィクションだったらどんなに良かったことか。
次の日、事態はさらに絶望的な方向へと突き進んでいく。


つづく



39 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/07/30(日) 21:21:17 ID:???
【リュック発見】

9月9日午後、横川中堂から約1キロ下流の大宮川の川辺で、捜査員が木の枝に引っかかった
リュックサックを発見した。
調べたところ、ふたの部分に女性の苗字と千葉県の住所が書かれていたため、女性のものだと
断定された。
リュックはモスグリーンで、縦35センチ、横40センチ。ふたは開き、中は空っぽだった。

このニュースは10日の各紙に掲載され(テレビだとさらに早かったはず)女性が何者かに
襲われた可能性がますます高まった。

そして。



40 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/07/30(日) 21:23:41 ID:???
【遺体発見】

10日午後4時すぎ、東海自然歩道から脇に300メートルほど入った林の中で、
捜査員が女性の死体を発見。
殺害から10日後、女性は再び全裸の身体を人目に晒された。
リュックが見つかった現場からは西へ直線距離で約1キロ、道をたどれば
約3キロ離れていた。
すぐ近くには樹齢300年の大木『玉体杉』がある。ここは行者や密猟者の他は、
ほとんど人通りのない場所だった。

女性は頭を北に、足を南にした状態であおむけに倒れていた。
着衣はスニーカーと靴下以外全て脱がされて、遺体の横や下に散乱。
泥で汚れたうえに変色した衣類は、上着と下着の区別もつかない状態だったという。
スニーカーだけ残したのは、面倒だったのか大田の趣味だったのかは分からない。
かろうじてスニーカーは失踪当時の特徴をとどめており、警察は遺体が
女性のものであると判断した。
また、遺体の周囲には女性の所持品であったクレヨン・スケッチブック・パンフレットも
落ちていた。

1.女性宅に脅迫電話がかかっていること
2.現場が人のほとんど通らない場所であること
3.遺体の状況
警察はこれらの事実から、女性が何者かに山中で襲われ、強姦後殺された殺人事件とみて、
合同捜査本部を設置。本格的な捜査に乗り出した。

「女子大生誘拐事件」から「女子大生全裸殺人事件」へ――話題性を増したことで、
新聞・雑誌の取材熱は一気に高まった。
これからわずかな期間の間に、おびただしい量の情報が活字となってあふれることになる。


つづく



43 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/07/31(月) 21:04:52 ID:???
【悲報走る】

遺体発見の一報が入ると、被害者女性宅では雨戸が次々と閉められた。
両親はショックで寝込んでしまったという。

それでも10日午後10時、大学教授の父親が玄関前に現れた。寝間着姿のまま、
顔はやつれきっていた。少し前に肺を患い、退院したばかりだった。
「取り乱しており、気持ちの整理がつきません」
と断ったうえで、父親は用意したメモを読み上げた。
「警察から、遺体が娘だと聞きました。でもやはり、信じられない。心当たりがありません。
現地にいつ行くかは、これから皆と話し合って決めたいと思います。
皆さんのこれまでのご配慮に心から感謝しています」
新聞によって文面が大きく異なるが、これが要旨だった。

彼を取り囲み、フラッシュを浴びせる報道陣、およそ50名。配慮……してるか?
この数がいかに世間の注目を集めていたか、そしていかにあっという間に忘れ去られたかを
物語っている。



44 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/07/31(月) 21:06:54 ID:???
【ヒロインのあらわなお姿】

さて。この記事を読ませたい(=売りたい)と思った時、最も強調するのはどこか。
おそらく、「遺体が裸だった」という点ではないだろうか。
事実、多くの新聞雑誌がその方法をとった。

調べた中で、最後まで「裸」という文字を使わなかった新聞は1紙だけ。
(その1紙も、服を脱がされていたことは書いていた)
タブロイド紙の双璧フジ・ゲンダイは当然大見出しにでかでかと「全裸」と載せ、
リード文にも本文にも書き、ある意味期待を裏切らない。
週刊誌ではフライデー・ポスト・アサヒ芸能・FOCUSが大見出しに「全裸」「半裸」と
大書。本文にも「スニーカーを履いただけの全裸」とか「全裸で絞殺」とかが盛りだくさん。
当たり前か。(ただ、そうしない雑誌も意外と多かった)

悲しいけど、このスレのタイトルも同類なのよね。



46 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/07/31(月) 22:47:07 ID:???
【あふれ返る思い出】

失踪直後からいっぱい出ていた女性についての証言は、彼女が殺人事件の被害者に
なったことでさらに増加した。

●空手
「よく家の前の道で、空手の練習をしたり、トレーナー姿でジョギングをしていました」
「7年間、男子と一緒にきつい練習に耐えた。ボーイッシュな感じだったが、道場の
掃除を率先してするなど、細やかさもあった」

●勉強
「高校の頃は文芸部と美術部に所属。絵本作家を夢見ていたこともあり、紙芝居を熱心に製作。
文化祭には、自宅で徹夜で展示作品の油絵を仕上げる。芸術に関して人一倍の興味を持っていた」
「すすんで留年したほど仏像に魅せられていた。将来は仏師になって、国宝級の芸術に
直に触れるんだと常々言っていた」
「日大を卒業する前に教育実習で高校に来た。授業熱心で生徒にも慕われていた」

●性格
「本当に生一本」「いまどきにしては珍しいしっかり者」
「男の子みたいな行動力のある子」「男勝りの強い女の子」「大人しくてマジメ」
「ひたむきな努力家で几帳面」「活発な一方で慎重なところも」「しっかりした娘さん」
活発なのか大人しいのか……

●その他
「小学生の頃、ランドセルを背負ったまま家に遊びに来た」
「いつもジーパンにスニーカー、デイパックを背負った姿。ボーイフレンドもいなかったようです」
「体格が良くて、見るからに強そうな感じの女性。襲いかかろうなんて気を起こす男はいないと思う」
微妙に失礼な発言が混じっていますよ。

「黒丸だけ読んだ、乙」と言われてもおかしくない。
ここまで細かいエピソードが次々に出てくるのも、珍しいのではないだろうか。
何が、そうさせたのだろうか。

遺体のあられもない状況を書きつつ、生前の美談を満載。
それはコインの両面のように思えてならない。このスレもそうだが。



48 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/07/31(月) 22:50:03 ID:???
【犯人は誰だ】

同時に、犯人について、数多くの推測が飛んだ。
やはり一番多かったのが
「空手2段の女丈夫=とても一人では太刀打ちできない=複数犯ではないか」
という意見。
実際には空手2段といえども初老の男一人にあっさりと殺されてしまったのだが。

実は「空手2段は強い」というイメージが先行する中で
「空手2段程度では型を重視するため、実戦でそれほど役に立たないのではないか
=単独犯もありうる」
という意見は出ていた。素人にも、状況が試合とずいぶん違うことくらいは分かる。

ちなみに、某大学の心理学部教授の分析。
「犯人は若い精神病者。日頃から女性に押さえつけられた立場にあったのが爆発」
ふーん。

他には、
「怪しい紳士風の男」
「女性に声をかける不審な車」
といった情報も流れた。

共通していたのは「土地勘のある人物」という点くらいで、しかもそれは誰でも考え付くはず。
犯人逮捕までの間は、多くの大学教授や推理作家、そして記者や読者による
「探偵ごっこ」の時間でもあった。殺人事件はいつでもそうだが。



49 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/07/31(月) 22:52:48 ID:???
【自滅、始まる】

その頃、真犯人、大田正雄の耳にも、遺体発見の報が届いた。
ここで大田は、よせばいいのに信じがたい行動に出る(いつものことか)

遺体が発見された10日以降、大田は捜査本部に数回にわたって電話を寄せる。
「現場の東海自然歩道付近で被害者らしい人を見た」と。

さらには、
「女性が殺された現場近くでバッグを拾った。以前、窃盗容疑で逮捕された
ことがあり、当時、世話になった刑事さんに詳しく話をしたい」
と大津署に電話をかけ、捜査に協力するそぶりさえ見せたのだ。そして実際に、
誰も大田をマークしていなかったのに、自分からのこのこ大津署へ出向いてしまう。

長期化するかと思われたこの事件は、人々の知らないところで急展開を迎えはじめた。
主に、犯人の頭の悪い行動によって。


つづく



53 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/08/02(水) 22:02:38 ID:???
【司法解剖】

明けて11日早朝。
被害者女性の母親が、遺体確認のため新幹線で京都に向かう。
この一日は遺族や警察があわただしく動いた。

比叡山の現場では、警察による遺体の鑑識や遺留品捜し、聞き込みが始まった。
午前8時半から150人を投入し、女性のリュックサックが見つかった付近と、
遺体発見現場周辺を重点的に捜索。左足の下から女性の腕時計が発見された。

ちなみに9時から、延暦寺阿弥陀堂で女性の法要が営まれている。

午前11時35分に遺体の鑑識が終了した。遺体は担架で11日ぶりに比叡山を下り、
午後0時20分に、京大医学部の法医学教室に搬送された。

司法解剖は午後3時から行なわれた。

まず、女性が通院していた歯科医のカルテと歯の治療痕が一致し、遺体が
被害者女性であると断定された。
そして、遺体の首には布製のひもが、数回巻きつけられたままになっていた。
体の他の部分に死に繋がるような傷がなかったことからも、死因が絞殺であると
断定された。
着衣については、上半身の衣服はたくし上げられ、下半身の衣服は脱がされて
遺体の下に敷かれた状態だった。
生殖器も調べられたが、犯されたという物的証拠は最終的に確認できなかった。



54 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/08/02(水) 22:04:46 ID:???
午後、女性の母親が京都に到着し、捜査本部のある京都府警下鴨署を訪れた。
身元の確認を要請されていた母親だが、
「変わり果てた娘の姿は見たくありません」
と、遺体は見ないままだった。
結局、この日までに見つかったリュックサックなどを娘のものだと確認するに
とどまった。

午後8時10分、遺体が宇治市の会館に仮安置される。思えば殺害、鑑識、
司法解剖と何日も肌を露出した状態だった。ようやくこのあたりで遺体に服が
着せられ、女性の死後の恥辱も終わったのだろう。

この日、近畿管区警察局がこの事件を「管区指定4号事件」とした。これに伴い
合同捜査本部は捜査員をさらに増やし、103人体制とした。



55 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/08/02(水) 22:07:03 ID:???
【対面と会見】

9月12日昼すぎ、宇治市の会館の霊安室で、女性の母親がようやく娘と対面した。
せめてもの慰めか、棺は花や人形で綺麗に飾られていたという。

母親はハンドバッグから経典を取り出し、しばらく声を出さずに読経。娘が大事に
していた人形を職員に、
「お棺に入れてやって」
と手渡した。室外にもすすり泣きが漏れていた。

午後2時。斎場で、母親に見守られ、女性の遺体は荼毘に付された。

夕方 母親は上京区の京都放送会館で記者会見。喪服姿のやつれた表情だったが、
義弟に付き添われ、約10分間会見した。

「事件発生以来、警察や報道関係の方々(←そうかなあ)、本人と交友関係のあった皆様に
協力をいただき厚く御礼申し上げます。
一人の人間の生存を信じた多くの人々のご努力に、心よりお礼を申し上げます」

「本日、娘と自宅に帰れることになりました。25年間、一生懸命に体を鍛え、真剣に
生きた娘の姿を遺骨の節々に感じました。親としては、もう少し仏像の研究をして論文を
仕上げ、人生の区切りをつけさせてやりたかった。
京都を愛し、京都でこのような事件に巻き込まれたことが残念でなりません。
私はこれからも、娘と語り合い、京都の話をしていきたいと思います」

「胸騒ぎがして寝つけなかった時に電話があった。娘の行動を大変よく知っており、
娘の名前を正しく呼び、私の名前まで知っていた。40歳前後の男で、ちょっとどすをきかせた声でした。
自分の欲望のために若い生命を奪った犯人への憤りは、言葉に表せません」
(『欲望』という表現が意味深である)

最後に、
「死ねる子を箱に納めて親の名をねんごろに書きし道に捨てめり」
と詠み、母親の会見は終わった。その言葉は、私ごときのレスよりはるかに重く響く。



56 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/08/02(水) 22:09:29 ID:???
【終わりの始まり】

話はその朝に戻る。

大田正雄は働いていた工場の社長に
「交通事故を起こした。警察に行かなければならない」と話し、給料を2万円前借りした。
ここでも嘘をつき、大田は工場を去った。2万円は……返ってこなかったと思う。

数日前に電話をかけた知り合いの大津署員と、大田はJR大津駅で落ち合った。
女性のウエストバッグを拾ったと打ち明ける一方で、殺人については厚かましくも否定する。

アリバイを述べ、自分が無関係であることを強調しようとしたのだろうか。
だが、バッグについて「拾った」「もらった」と話は二転三転。アリバイもあいまいだった。
さらに脅迫電話の声と年齢的に似ていること、比叡山の地理に詳しいことも疑惑に拍車をかけた。
警察は大田が事件と関わりがあると見て、厳しく追及を始める。


すべては、時間の問題だった。



57 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2006/08/02(水) 22:11:45 ID:Rh/WgkKw
【逮捕】

9月13日。
現場が報道陣に公開されているころ、朝から警察は大田を追い込みにかかっていた。
午後7時すぎ、大田は犯行を自供。

午後9時、大田正雄は殺人の容疑で逮捕された。


つづく



59 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2006/08/03(木) 21:32:46 ID:GmNHK0Yc
【葬式無用】

午後9時半ごろ、犯人を逮捕したとの連絡が被害者女性の自宅に入った。
「娘にはかわいそうな思いをさせたが、犯人が捕まったので、第2の犠牲者が
出なくて良かったと思います。遺骨が帰ってきたら、犯人が捕まったよと報告したい。
安らかに眠ってほしい」
父親の代わりにおばが玄関先に現れ、父親の言葉を報道陣に伝えた。

その後、玄関の門にはこんな張り紙が張られた。
「本日はご多用中遠路ご来訪くださいましてありがとうございます。
生前、格別ご好誼をいただき肉親として心から感謝しております。
なお、娘の固い遺志により、通夜、葬儀、告別式などのことは行いませんので
悪しからず、ご諒承(りょうしょう)ください」

「自分が死んだら葬式などはしてほしくない」
女性は生前、周囲にそう語っていたという。その理由は記事に残っていない。
ただ、25歳の若さにして、彼女が自分の最期に理想を抱いていたことは確かだ。
冗談ではなく真剣だったからこそ、家族も彼女の言葉に忠実に従ったのだろう。
こうして彼女は最期まで『独立独歩』を貫いた。



60 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/08/03(木) 21:38:26 ID:???
【逮捕翌日】

明けて14日、犯行動機などについて本格的な調べが始まった。
殺害方法や動機についてはすでに詳しく説明しているので、ここでは繰り返さない。

大田は「申し訳ないことをした」と後悔している様子で、調べには素直に応じたという。
……それが何になるというのか。

正午すぎ 遺骨を抱いた母親がようやく京都から帰宅した。
遺骨を家にしまい、玄関に現れた彼女は
「犯人逮捕は新幹線に乗った後だったので聞いていませんでした。本当に犯人が
逮捕されているのならうれしい」と、やつれきった表情で語った。



61 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/08/03(木) 21:40:52 ID:???
【祭りのあと】

被害者の後は加害者がマスコミの餌食になった。
大田の半生と山暮らしが取り沙汰され、
「エセ破戒僧」「霊峰オオカミ」と散々な呼ばれ方をする。
「『酒を飲ませろ』とわめいた」「尼僧を追いかけ回した」といったエピソードが
まことしやかに書かれたが、それらはどうやら別人であったようだ。つまり、
紙上にデマが踊ったことになる。

実像は、>>12>>13で述べたとおり、拍子抜けするほどの小物である。
事件の与えた損害の大きさに対して、この人間の小ささが妙に腹立たしい。

殺害方法も詳しく解説された。
「悲劇を繰り返してはならない」「女性の一人歩きは危ない」と、
ありきたりな教訓もよく聞かれた。


だが、大田逮捕から1週間もたつと、すでに『解決』したこの事件は急速にメディアから
消えていく。9月16日に延暦寺で行なわれた回向法要の記事が取材としてはほぼ最後で、
あとは検証記事に変わり、遅くとも翌週には新聞雑誌は取り上げなくなった。

あれだけ騒がれた事件が、多くの人々の記憶から消えていった。
この板は「懐かしニュース」だが、この事件はまさに「忘れ去られたニュース」となりつつある。



62 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/08/03(木) 21:43:19 ID:???
【裁き】

大田はどうなったのだろうか。

10月4日、京都地検が大田を強盗殺人罪で京都地裁に起訴した。
11月20日の初公判では、罪状認否で起訴事実をほぼ認めた。

1990年3月6日、論告求刑公判。
検察側は
「霊地比叡山で惨殺したうえ、被害者の両親に脅迫電話をするなど残虐、
執ような犯行で地域社会に恐怖を与えた」
として無期懲役を求刑した。

3月30日、判決公判。
裁判長は「人を疑うことを知らない被害者を裏切った責任は大きい」として、
求刑通り無期懲役を言い渡した。

そう、女性一人をあんなに辱めて殺しても、死刑にはならない。
うがった見方をすれば、大田は不安定な山暮らしから、逮捕されたことで
衣食住が保障されたとも言える。

大田が控訴したのか、現在の生死は、などは残念ながら分からない。
ただ生きていようと死んでいようと、社会に与えた損害をあがなえるはずもない。
女性は戻ってこない、それがすべてだ。



63 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/08/03(木) 21:52:37 ID:???
【事件の影響】

比叡山では「女性の一人歩きは危険」との看板が立つようになった。
同じ注意書きはガイドブックにも必ずといっていいほど載っている。
女性の命取りになったバスについては、最終発車時刻が延びた(はず)。

仏教美術界にとって、未来の研究家・仏師を失った意味は小さくないだろう。
彼女の死を乗り越え、後続(特に女性)が出てきてほしいと願う。
また「女性は修理員として採用していない」という京都国立博物館の姿勢は
変わったのだろうか。



64 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/08/03(木) 22:17:29 ID:???
【残された言葉】

1989年の暮れ、女性がよく利用していた奈良の旅館の女将に、
『女性からお礼のはがきが届いた』。女性の生前の言葉遣いをまね、
父親が代筆したものだ。
「みんな、俺のこと心配してくれてるってな。ありがとう。こんな事でへこたれてねえ。
今までどおり勉強してるから心配しないでくれよ。じゃあね、バイバイ」
「いろいろ親切にしてくれたから、俺、奈良での勉強は、いつも精一杯やれた。
本当にありがとう」
活発だったという女性の、肉声が伝わってくるようだ。

そして1993年。女性の日大での卒業論文が、本として出版された。
70ページ足らずなので、自費出版だと思われる。
この本の前文を、アグネス=チャンが書いている。そこから、等身大の彼女の姿を
うかがい知ることができる。

「いつも運動をした後のように、ちょっぴり紅潮した頬で……大きな瞳でまっすぐに
私の話を聞いていました」
「わからない時は目と目の間にちょっぴりしわができ、面白い時は白い歯を見せて笑い、
悲しい話の時は涙を流してくれました」
「授業が終わると彼女はよくデスクにやって来て……質問しました。そしていつも
スポンジのように私が話したことを吸収してくれました」

「短い人生の中で彼女は、十分に役割を果たしました」
そう、信じたい。


終わり



65 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2006/08/03(木) 22:22:38 ID:GmNHK0Yc
一応、以上で書きたいことは書きました。誰かが質問してきたら、答えられる範囲で
答えたいとも思うし、このままdat落ちも、それはそれでいいのかもしれませんね。

なお今回、多くの新聞雑誌を参考にしましたが、テレビ・ラジオの記録はまったく
入手できていません。メディアの一部でしかないことをご了承ください。

では、また。



173 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2006/09/05(火) 22:13:15 ID:g409eHYP
仏師を目指していること、卒論のために京都に来たこと。
被害者と話をしたのだから、大田もその辺の事情は分かったはずだろう。
そして大田も大田なりに、仏教への興味を持っていた。二人には相通ずるところがあった。

なのに遺体の状況は、『金と女体にしか興味がない』と言わんばかりだった。
新聞記事によれば、腕時計まで外され、脚の下に置かれていたらしい。
本当に『剥ぎ取る』『剥きあげる』って言葉がぴったり来る。
しかも妙齢の女性の裸体を、何にも覆わず仰向けで放置と来た。それも叡山に。

困窮すると、人は簡単に信心を捨てハイエナになれるんだな。



184 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2006/09/10(日) 10:25:08 ID:ZfS/anlN
>>181
この事件がきっかけで、比叡山中やガイドブックに注意書きが書かれるようになりました。
ですから、彼女の受けた辱めは尊い犠牲だったと言えるのかもしれません。
失われたものが多すぎますが。

>>182
秘宝館については>>141
『秘宝館に女性が』と聞いたら確かに驚きますが。

その女性は被害者の母親だと思います。
遺体を確認・引き取りに行き、取材に何度も応じた気丈な方です。

娘に対して怒っていたんですか。
もちろん一人娘を失った悲しみと犯人への怒りは大きかったと思います。
それはそれとしても、世間を騒がせたことは親として申し訳なく感じたのでしょうか。
確かに簡単にできることではないですね。
娘が裸で殺され、それが日本中に知れ渡ったことは痛恨事だったでしょう。
娘の名誉を守りたいがどうにもならないという現実が、怒るという行動になったのかも。



185 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2006/09/10(日) 11:07:11 ID:ZfS/anlN
犯されたのか清い身体だったのか。
警察発表は『局部や内臓(肛門のことでしょうか)を調べたが分からない』
大田は当初『強姦目的』とした供述を『犯していない、服だけ剥いた』と変更。
結局、公式な結論が出ていません。
もし犯されたのだとしたら、一般的に遺族は伏せるでしょうね。あえて公表し、
事件の残酷さを訴える遺族もいますが。

ところが、ある捜査員が解剖所見について取材に応じていました。
以下、『週刊ポスト』の記事です。

「遺体はほとんど裸に近い半裸で、スニーカーを履いているだけでした。
抵抗した形跡がなく、身体には扼殺痕以外は、外傷らしい外傷はありません。

したがって、突然、襲われた状態で、まったくの無抵抗で、首を絞められ
一瞬のうちに気を失い、仮死状態になったと考えられる。

その状態で服を脱がされて、仮死状態のまま犯され、さらにもう一度、
強く首を絞められて殺されています。
犯したときに意識が戻り、あわてて首を絞めなおしたのかは、大田を調べてみなければ」

反応のない被害者女性を、人形のように剥いて犯したといったところでしょうか。
あと、大田を吐かせてどうなったんだ。悲しいかな、その後の記事がないのよね。


犯されたとすれば処女喪失だったのか。被害者の年齢・性格からして微妙なところ。
これはまったく報道されていないので、不明です。調べて分かるものなのだろうか。
実は逆の例ならあります。昭和7年の『坂田山心中事件』では、
『嫁入り前の被害者女性が処女だった』
という報道が大々的にされました。朝日新聞とか。やはり遺族の意向があったと思われます。
それも戦前ですからかなり強力に。



191 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2006/09/12(火) 21:07:55 ID:vO+3dj2b
母親も教師だったため、厳格というか、躾がしっかりした家庭だったのは確かなようだ。

無遅刻・無欠席、きちんと挨拶・お礼をするといった基本は当然。
掃除や雪かきを率先してしたり、母親がケガをした際には家事を一人でこなすなど、
「女丈夫」というイメージとはまた違った一面が見られる。
また、京都では毎日親に電話をし、手紙を書いていたという。

一人称が「俺」で男言葉だった点には疑問が残るが、「ちゃらちゃらした娘になるよりは
質実剛健な方がいい。悪い虫もつかないし」とか思っていたのかもしれない。
それは母親が「(空手で)変な奴ならやっつけちゃう」と近所の人に話していたという
記事からもうかがえる。
もっとも男言葉は家族や友人相手だったようで、見知らぬ人には礼儀正しかったのだろう。
犯人相手にも。



192 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2006/09/12(火) 22:00:15 ID:vO+3dj2b
一方で娘の行動や進路については、彼女の意思を尊重していたと思われる。

家の前で空手の稽古をし、将来は仏師を目指し、一人で中国まで旅する。
心配はしていただろうが、娘の決断を信じ、任せていた。
結果、文武両道の女性に成長した。両親の方針が間違っていたとは思えない。

ただ、この事件ではそれがことごとく裏目に出てしまった。

勉強熱心がゆえ女一人で比叡山に、それも体力に自信があるがゆえ徒歩で奥まで。
何より、犯人の素性を見抜けなかった。生前、
「空手道場で、人間はみんな平等で、みんな同じということを、体で覚えた」
と彼女は言ったらしい。それは不自然なほど美しい性善説だ。
痴漢にあった彼女は強くなることで、悪い男を徹底的に遠ざけようとしたのだろうか。

そして、犯されたのだとすれば、運動で鍛えた肉体に犯人が惑わされたからかもしれない。
違う人間もいるということを、最期に体に覚えさせられたということだ。

彼女を責めるのではなく、その不運がつらい。



194 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2006/09/13(水) 21:42:46 ID:vqiPGITD
低い山は自然より人間のほうが怖いようで。

 大田の服装・性格については当時から混乱が見られた。
「作務衣姿」で「傍若無人な性格。飲食店で『うどんを食わせろ、ビールを飲ませろ』と
わめいたり、女性の参拝客(または尼僧)を追いかけ回したりした」
というのが当初流れた人物像だった。そのイメージは比叡山という舞台も相まって、
未だに根強い。

 ところが、実はそれらのエピソードは、大田によく似た別人のものだということが
分かってきた。比叡山に、大田以外にもそんなのが住み着いていたのか。それはともかく。
 大田の性格は比較的おとなしく、乱暴者というよりは何を考えているか分からない
不気味な存在だったようだ。

 作務衣について言えば、下山後働いていた工場の社長が
「部屋に作務衣は干していなかった」と証言している。
 また、犯行直後の大田らしき男を見たという証言もある。
その時どんな格好をしていたのかというと、Tシャツにジーパン。被害者女性と同じだ。
修行僧ではなく、地元のおじさんを装って被害者女性に近づいたらしい。
そして汗びっしょりだったという。性交が理由かどうかは分からない。
 やっぱり作務衣だったという可能性もないわけではないが、記事を日付順に追っていくと
以上のように推測される。

あと、>>193で『素泊まり』という単語が出たので。女性が泊まっていた旅館は素泊まりで、
夕食は菓子パンを買って食べていたらしい。
もっと高級な宿を想像していたのだが、意外である。かなり旅慣れていたのだろう。



197 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2006/09/14(木) 22:47:24 ID:az1H/GC9
調べてみたところ、女性が宿泊していた旅館は、東本願寺近辺に今もあるようです。

当時の新聞記事によれば、
「東本願寺のすぐ東側にあり、京都駅から歩いて10分足らず。
50年の歴史を持つ二階建て旅館で全部で10部屋。素泊まり四、五千円、
一泊二食でも八千円~一万円という値段から外人客や出張のビジネスマンに
よく利用され、最近は小グループの女子大生らの利用が特に多くなっていた」
とのこと。まさに>>195のとおり、簡易宿泊施設などではなかったのですね。



198 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2006/09/14(木) 23:10:49 ID:az1H/GC9
女性の、京都市内での行動は新聞・雑誌記事によれば大体以下の通り。
真面目の一言に尽きる。

8月26日 チェックイン

8月27日 大雨にもかかわらず、永観堂や南禅寺、東山動物園(←なぜ)などを見学
六波羅蜜寺に参拝。宝物館の参拝芳名録に記名

8月28日 東京都内の空手道場で知り合った友人(女性)と
仏具屋を訪ね歩き、友人の実家に行く。このとき写真を撮ってもらっている。
夕食も共にし、「比叡山に行くのなら、雨の日はやめたほうがいい」とアドバイスされる。

8月29日 東山区の仏師の工房を訪れ、作品を見せてもらう
京都国立博物館の美術院国宝修理所を訪れ、修理員として就職先があるかどうかを尋ねる。

8月30日 また大雨。東寺見学、六波羅蜜寺でテレビロケに出会う
「カメラのライトで仏像がはっきり見えてうれしかった」らしい
仏具店で、数珠を入れる袋一つを買う

8月31日 チェックアウト、比叡山へ

旅館には女性あてに3本の電話が入った。この電話も当初怪しまれていたが、
すべて知人からのもので事件とは無関係だった。



250 名前:早稲田二文[] 投稿日:2006/11/25(土) 03:43:17 ID:7RKTlo+T
この本、大学の図書館に有った。ってか、このひと二文だったのか…



251 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2006/11/25(土) 07:10:20 ID:+57FpPWR
>>250
遺族から寄贈されたのかも。


昭和55年4月~58年3月 駒込高等学校
昭和57年ごろから、都内の空手道場に通い始める
昭和59年4月~62年3月 日本大学文理学部中国文学科
麗澤大学のアグネス=チャンの夏期集中講義を受講。
遺作は日大の卒論。
国語の教育実習で駒込高校に来た事がある
昭和62年4月~ 早大2文、美術科の3年に学士入学。仏教美術史を専攻

ということらしい。知人降臨に期待。
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| 未分類 | コメント(2)

コメント

論点が大分ズレてますよ。結局あなたもホイスと同じて、間違えてますよ。

2017年|04月|09日|22:42 |from -| URL

No title

論点ではなく視点が貴方や山田英司とは異なるのですよ

私は弟子とプロレスごっこを演じるインチキ宗教の教祖そのものの武術の先生とは同類の人間ではありません

ホイスと同じくリアルファイト 現実の世界の人間でいたいです
妄想の世界で空論ほざいて弟子からお金を騙し取っている人間にはなりたくはないですね

2017年|04月|14日|19:46 |from 西田大作| URL 【編集】

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