アドルフに告ぐ

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アドルフに告ぐ





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アドルフに告ぐ


ジャンル
ストーリー漫画、歴史漫画

漫画:アドルフに告ぐ


作者
手塚治虫

出版社
文藝春秋

掲載誌
週刊文春

レーベル
文春コミックス 他

発表号
1983年1月6日号 - 1985年5月30日号

巻数
文春コミックス全5巻 他
テンプレート - ノート

プロジェクト
漫画

ポータル
漫画

『アドルフに告ぐ』(アドルフにつぐ)は、手塚治虫による日本の歴史漫画作品。



目次 [非表示]
1 概要
2 あらすじ
3 主な登場人物
4 登場人物の結末
5 史実との相違点 5.1 ヒトラーユダヤ人説とヒトラーの人となりについて
5.2 実際の第二次世界大戦下のドイツや日本との差異
5.3 ヒトラー以外の実在人物に関する相違点
5.4 実際のユダヤ人文化・歴史との差異

6 コミックス
7 ラジオドラマ 7.1 キャスト

8 舞台 8.1 主なスタッフ・キャスト

9 翻訳
10 脚注
11 関連項目
12 外部リンク


概要[編集]

1983年1月6日から1985年5月30日まで、『週刊文春』(文藝春秋)に連載された。

第二次世界大戦前後のドイツにおけるナチス興亡の時代を背景に、「アドルフ」というファーストネームを持つ3人の男達(アドルフ・ヒットラー、アドルフ・カウフマン、アドルフ・カミルの3人)を主軸とし「ヒトラーがユダヤ人の血を引く」という機密文書を巡って、2人のアドルフ少年の友情が巨大な歴史の流れに翻弄されていく様と様々な人物の数奇な人生を描く。

作品の視点は主にカウフマンとカミルであり、ヒトラーは2人のドラマからやや離れて描かれているにとどまっている。これらに日本人の峠草平が狂言回しとして加わり、ストーリーが展開する。ベルリンオリンピックやゾルゲ事件、日本やドイツの敗戦、イスラエルの建国など、登場人物たちは様々な歴史的事件に関わる事になる。『陽だまりの樹』と並び非常に綿密に設定された手塚治虫の後期の代表作。

本作でも手塚のスターシステムは健在で、手塚漫画の悪役キャラクターであるアセチレン・ランプとハム・エッグが重要な役柄で登場している。

1986年(昭和61年)度、第10回講談社漫画賞一般部門受賞。

生前の手塚が対談で語ったところによると、当初は空想的・超現実的傾向の強い作品を構想していたが、週刊文春側の要請で「フレデリック・フォーサイスタイプ」の作品になった[1]。また、途中の休載や単行本の総ページ数の制約により、中東紛争の歴史を背景にラストに至る必然性を描写したり、ランプや米山刑事などの「その後」について予定していたドラマなどはすべてカットされることになった[2]。

あらすじ[編集]

Plume ombre.png この節にあるあらすじは作品内容に比して不十分です。あらすじの書き方を参考にして、物語全体の流れが理解できるように(ネタバレも含めて)、著作権を侵害しないようご自身の言葉で加筆を行なってください。(2014年8月)(使い方)

1983年、イスラエル。1人の日本人男性がひっそりと墓地の一角に佇み、ある墓の前に花を供えた。彼の名は峠草平。40年前、3人の「アドルフ」に出会い、そしてその数奇な運命に立ち会うことになった彼は、全ての終わりを見届けた今、その記録を1冊の本として綴ろうとしていた。

時は1936年8月、ベルリンオリンピックに湧くドイツへと遡る。協合通信の特派員であった峠草平は、ベルリンオリンピックの取材にドイツに派遣されていた。8月5日、取材中にベルリン留学中の弟・勲から1本の電話が入る。勲はおどおどした調子で草平に「重大な話があるから明後日の夕方8時に必ず自分の下宿に来てほしい」と頼んだ。峠は個人的な話だろうと思い、弟の深刻さを理解しないまま電話を切った。

8月7日、勲との約束の日がやって来た。草平の取材しているオリンピック競技は棒高跳びから始まり、アメリカ勢3人と日本2人のしのぎを削る争いとなった。その後雨が降り出し競技は中断。決勝は日没後にもつれ込んだ。そのため草平は弟との約束の時間である8時に間に合わなかった。

ようやく競技が終わり、草平は急ぎ足でタクシーに乗り込み、勲の住んでいるベルリン大学の西通りへ向かったが、勲は何者かに襲われ、無残な姿となっていた。しかも勲の遺体は予想もしない形で持ち去られ、行方不明になってしまう。さらには事件そのものが跡形もなく消されてしまった。

自分が約束に遅れたために、勲を死なせてしまったと悔やむ峠は、勲の遺した謎を追って奔走するが、彼自身にも危険が迫る。アセチレン・ランプとの邂逅、そして勲の元恋人を名乗る謎の女ローザの出現。様々な奇禍を重ねながら、物語はやがて日本へとその謎の舞台を移して行く。

主な登場人物[編集]
峠 草平(とうげ そうへい)本作の狂言回し。協合通信のドイツ特派記者。茨城県新治郡土浦町(現在の土浦市)出身。W大[3]陸上部の元花形選手。スポーツマンらしい正々堂々とした、一本気でおおらかかつタフな性格の持ち主。復讐としてローザをレイプし自殺に追い込むなど冷徹な一面を見せることもあるが、作中では多くの女性に想いを寄せられる。ドイツに留学している弟がおり、ベルリンオリンピックに湧くドイツで取材中、弟から掛かってきた一本の電話が彼の人生を大きく変える事になる。本作品の狂言回し役ではあるものの、彼自身は3人のアドルフ全員と物語途中で別離(ヒトラーに至っては直接会ってすらいない)しており、最期を看取っておらず、語り部に近い立場にいる。そのため本作の一連の事件は峠草平の回想で語られている。最後については#登場人物の結末参照。アドルフ・カウフマンドイツ人外交官にして熱心なナチス党員のヴォルフガングを父に、日本人の由季江を母に持つハーフの少年。大人しく、繊細な性質で、日独混血である事にコンプレックスを抱きながら育つ。神戸の山本通りで裕福な暮らしを送る一方(姓のKaufmannは商人のこと)、下町のユダヤ人のパン屋の息子で同名のカミルとは親友であった。しかし、父親の強い要望によりアドルフ・ヒトラー・シューレ(AHS)への入学が進められ、抵抗を試みるも、ある秘密からカミルを守った結果、ドイツ本国へと送られてしまう。カミルとの強い友情と、再会を胸に日本を発つが、AHSでの教育は徐々に彼をナチズムに染めていく。ヒトラー・ユーゲントとしての活動の中、カウフマンは裕福なユダヤ商人の娘、エリザと出会う。彼女に一目ぼれしたカウフマンは、ついには日本への亡命計画を立案し、エリザにカミルを頼るように言い含めると、強引に実行させてしまう。その一方で優秀生としてヒトラーに面会し、表彰されたカウフマンは大いに感銘を受け、ナチズムとヒトラーへの傾倒を深めていく。さらには列車内で中国人のスパイを捕まえる手柄を立て、小さな英雄として二度目の面会と表彰を受け、ヒトラーから秘書になるように命じられる。ヒトラーの身近で仕えるうち、その人柄、そしてある重大な秘密を知ることとなったカウフマンは、ヒトラー個人への思い入れを深めていく。やがて筋金入りのSD(親衛隊保安部)幹部となった彼は任務を冷酷に遂行してゆくが、ヒトラー暗殺計画でヒトラーの狂気を知り、尊敬していたエルヴィン・ロンメル元帥の死を通じ、自身の在り方に疑問を抱くようになる。ロンメルの逮捕に躊躇したことから、左遷させられてユダヤ人の絶滅強制収容所への移送に従事するが、ランプによって秘密文書に関する新たな任務に抜擢される。ヒトラーの出生についての秘密文書を求めて終戦間際にUボートで来日、親友カミルと、片思いであったエリザと再会するも、エリザとカミルが婚約したことを知って激怒、エリザを強姦した挙句、カミルと絶交する。唯一の肉親である最愛の母、由季江にも縁を切られながら、峠や小城を拷問にかけ、カミルを追い詰めて秘密文書を探し当てるも、当日の新聞で祖国の敗戦とヒトラーの死を知り、全てに絶望する事となる。最後については#登場人物の結末参照。アドルフ・カミルドイツから神戸へと亡命したユダヤ人であり、元町でパン屋「ブレーメン」を営む一家の息子。長い日本暮らしのため、流暢な関西弁を話すことができる。自分の信念を貫き、何事も簡単には諦めない、逞しい精神の持ち主。ハーフであることが原因でいじめの対象となったカウフマンをかばったことから、彼と親交を深め、親友となる。偶然、父親たちの秘密会議を漏れ聞いた事から、ヒトラーの秘密に触れ、結果的に本人の知らぬところでそれがカウフマンとの別れを呼ぶこととなってしまった。やがてその秘密をめぐる事件に巻き込まれ、恩師の小城と共に命がけの活躍をする事となる。その後ドイツに渡ったカウフマンとは戦時下の通信規制により疎遠になるが、カウフマンの手配で日本に亡命したエリザ・ゲルトハイマーを預かり、共に暮らすうちに恋仲となる。大戦末期、来日したカウフマンと再会するも彼が嫉妬に狂ってエリザを強姦したことを知り激怒、彼と絶交する。最後については#登場人物の結末参照。小城 典子(こしろ のりこ)アドルフ・カミルや草平の弟、勲の恩師である小学校教師。同人誌で反戦詩を発表したためにアカの疑いをかけられて特高にマークされ、彼らから過酷な拷問を受けていた。草平の弟、勲から送られた文書を預かり、それによって草平、カミルと共にナチスの文書を巡る陰謀に巻き込まれる事となる。峠 勲(とうげ いさお)草平の弟。ベルリン大学に留学している。共産主義の学生活動を行っていたが、付き合っていたローザ・ランプ(アセチレン・ランプの娘)によってゲシュタポに密告されて殺され、遺体も社会から抹消された。しかし死ぬ前に、入手していたヒトラー出生の秘密についての文書を小城に託していた。赤羽(あかばね)特別高等警察の鬼刑事。草平が持つ重要書類を奪うべくあらゆる卑劣な手段を駆使し峠を苦しめる。彼ともみ合ったときに頭を負傷し脳に障害を負ったため、免職され精神病院に入院したが、脱走。キャラクターの基本設定は、手塚治虫漫画のスター・システムにおけるアセチレン・ランプと並ぶ悪役キャラのハム・エッグである。後述のランプに比べれば多少はコメディ色があるものの、本作では基本的に滑稽さを封印し、執拗で頑迷な特高刑事を演じている。最後については#登場人物の結末参照。ヴォルフガング・カウフマンアドルフ・カウフマンの父。ヘッセン州出身。表向きは神戸の駐日ドイツ総領事館職員だが、その正体は目的のためなら殺人や拷問も厭わない非情なスパイである。東京大使館のリンドルフ一等書記官に頭が上がらない。非常に強権的で威圧感溢れる人物であり、繊細な性格の持ち主である息子のアドルフは常に父に怯えていた。第一次大戦時に帝政ロシアの捕虜となり、そこでランプと知り合った事が、後にナチスへ入党するきっかけとなったようである。第一次大戦終戦後、ドイツへ帰国。その後日本へ留学し由季江と知り合った。機密文書の行方を追っていたが、病に倒れ帰らぬ人となる。息子のアドルフがアドルフ・ヒトラー・シューレに入学後、亡き父が腕利き情報員としてドイツでは有名であると知り、驚きの手紙を母に出している。峠 由季江 / 由季江・カウフマン(とうげ ゆきえ / ユキエ・カウフマン)アドルフ・カウフマンの母。美しく心優しいが、芯は気丈な性格。夫であるヴォルフガングと死別した後、ある事で峠と知り合いとなる。後に神戸の自宅でドイツ料理店「ズッペ」を始め、ボーイとなった峠と再婚。帰国した息子アドルフとの再会を喜ぶも、ナチスとヒトラーに忠誠を誓って狂気に奔り、カミル等を痛めつける息子の姿に衝撃を受け、決別する。最後については#登場人物の結末参照。本多(ほんだ)大阪憲兵隊司令部付大佐。由季江とはヴォルフガングとの結婚前から顔馴染みであり、恋心を抱いていた。職務に忠実な軍人であり、建国にかかわった満州国を「王道楽土」として強い思い入れを抱いている。ゾルゲ事件の発覚後、息子の芳男が組織の末端としてスパイ行為を働いていたことを知り、芳男を自ら射殺する(表向きは自殺)。最後については#登場人物の結末参照。アセチレン・ランプゲシュタポの極東諜報部長。ヒトラー出生の秘密についての文書を追っている。「氷の心臓を持つ男」との異名を持つ冷酷な男。娘ローザが自殺した原因が草平にあることを確信し、その仇討ちのためにも執拗に文書と草平を追う。日本に帰国した彼と例の文書を追って日本までやって来るが、足を負傷し任務に失敗して帰国する。この最中草平を殺害しようと襲撃した際、返り討ちに遭って重傷を負うが、さらに民家の2階から投げ落とされても気絶せず立ち上がるなど、草平曰く「化け物」のように頑丈な肉体の持ち主である。ドイツに帰国後、親衛隊将校となったアドルフ・カウフマンに出会い、半ば錯乱状態にあったヒトラーがカウフマンを危険人物と思い込んだことであわやカウフマンが危機に陥った時に助け舟を出した。その後、カウフマンに草平の抹殺と文書の抹消(焼却)を依頼するものの、この件でカウフマンから本心では「要は失敗の尻拭いじゃないか」と見下されていた。自身は第二次世界大戦末期のベルリン陥落直前までベルリンに残っている。ヒトラーの遺言で遺言執行人、そして次期ナチス党首に指名された党官房長のマルティン・ボルマンに総統地下壕にいるユダヤ人(アドルフ・ヒトラー)の殺害を命令され、遂行する。赤羽刑事役のハム・エッグとともに、手塚漫画の二大悪役スターであるアセチレン・ランプが、滑稽さを封印して出演。多少はコメディシーンのあるハム・エッグと異なり、ひたすら冷酷で怪物的なタフさを持つゲシュタポ将校を的確に演じている。最後については#登場人物の結末参照。イザーク・カミルアドルフ・カミルの父。神戸元町で妻のマルテと共にパン屋「ブレーメン」を営んでいる。同胞のユダヤ人がヨーロッパで弾圧されている現状に心を痛めており、神戸のユダヤ人社会における、自分達の安寧を乱しかねないゴタゴタに関わりたくない一部の人間から脅迫されるも決意を変えることなく、ミールユダヤ神学校の学生500人を日本に亡命させるためリトアニアに向かう。だが、当初の話と違って亡命を希望するユダヤ人の数が多すぎるためにどうすればいいのかわからず途方に暮れる中、混乱した現地で財布と身分証をすられてしまい、ついには密入国の難民の疑いをかけられ逮捕。ドイツに送検されユーゲントにおいてアドルフ・アイヒマンの意向によりアドルフ・カウフマンに射殺される。射殺の直前、カウフマンに気付いて助けを求めるも、運悪くエリザの件と自身がハーフという事で微妙な立場に置かれていたカウフマンにはアイヒマンの命令通りに射殺するしか手が無く、直後にカウフマンは「神戸の親友のおやじさんだが、ここにいるはずがない」とアイヒマンに語っている。仁川(にがわ)刑事。妻は関東大震災の際に濡れ衣を着せられ、暴徒に虐殺されている。そのために「真実」を追い求めて職務に励んでいる。草平を追及した後、彼の言葉に耳を傾けて良き協力者となるが、ランプに射殺される。仁川 三重子(にがわ みえこ)仁川の娘。草平のことが気になっていたが、本多芳男と互いに一目ぼれし、恋仲となる。父親をドイツ人(ランプ)に殺害されたためドイツを憎んでいる。父の殉職後、草平と同居していたが、芳男が死んだことを知り、彼が目を離した間に家出。太平洋戦争後、小城の故郷で再会する。お桂(おけい)戦死した恋人の故郷(小城と同郷)で居酒屋を営んでいる。身体に刺青のある任侠肌の女。本人の回想場面以外では「おかみ」と呼ばれている。重傷を負って警察に追われていた草平を助け、介抱するうちに恋心をいだき、三重子に対して密かに対抗心を持つ。家出して仁川の死んだ地(小城の故郷)に赴いていた三重子を保護し、戦後は共に草平と再会する。米山兵庫県警刑事。芸者芳菊(本名本多サチ。芳男の叔母)殺しでアドルフ・カウフマンの父であるヴォルフガングの周りを捜査する。Q大陸上部出身。大学は違うが峠の先輩に当たる。峠に一連の出来事について小説に書くように勧める。ドクトル・リヒャルト・ゾルゲ実在の人物。ソ連情報部の第1級スパイだが、ナチス党員のドイツの新聞記者として日本に派遣され、ソ連のためにスパイ活動を行う。コードネームは「ラムゼイ」。本作では、防諜責任者の土肥原賢二大将に目をつけられ、日本の警察に身柄を拘束される。取り調べの末、自分が身も心も疲れ果てて、完全に折れてしまったことを恥じる思いを露わにしながら、自らがスパイであることを自供する。本多 芳男(ほんだ よしお)本多大佐の一人息子。ゾルゲ機関の一員として活動、コードネームは「ケンペル」。仁川三重子と恋人関係となる。親しかった中国人が日本人に惨殺された過去の経緯、および共産主義運動に傾斜していた叔母(本多サチ)の影響から、大佐の息子という立場を活用し、ソ連のために日本軍についてのスパイ行為をしている。最後については#登場人物の結末参照。エリザ・ゲルトハイマードイツ在住の裕福なユダヤ人一家の娘で、家族構成は両親と弟。祖先に中国人の血が混じっていることもあり、東洋風の雰囲気と黒髪の持ち主である。ヒトラー・ユーゲントに所属していたアドルフ・カウフマンに一目惚れされ、彼の手引きで、ユダヤ人狩りが本格的に行われる前に日本へ亡命する手筈を整えるが、家族、とりわけ父親は実力者のヘルマン・ゲーリングとコネを持っていたため、これまで色々とお目こぼしをしてもらっていたことから危機感に乏しく、亡命も既得権益を手放すことになると躊躇していた。このため、エリザの亡命自体は成功するも、父親はまだ家に残っていた財産を取りに妻や息子と共に家に戻ったところでユダヤ人狩りに駆り出されたカウフマン達と鉢合わせし、結果的にエリザ以外は全員ナチスに逮捕されてしまうが、これによってカウフマンはフリッツが言うところの「ユダヤ人の娘に惚れて、ユダヤ人の肩を持つ裏切り者」としての嫌疑から逃れることが出来た。亡命後は神戸で暮らし、アドルフ・カミルと婚約する。しかし、文書抹消のため潜水艦で来日したカウフマンがカミルと彼女の婚約に激怒。婚約の撤回を要求され拒否するも、諦めきれないカウフマンに騙され、強姦されてしまう。そのことがカミルに発覚し、2人の友情が破綻する要因になった。戦後はカミルと結婚しイスラエルに渡る。夫の死後、イスラエルを訪問した草平と再会する。マルティン・ボルマン実在の人物。ナチス党官房長。ヒトラーの前では忠実な部下を演じていたが、密かに後継者の座を狙っている。本作ではベルリン陥落の際に、ヒトラーが後継者である総統の座を自分ではなくカール・デーニッツに、首相をゲッベルスに指名する一方で、自分が彼等より格下の党大臣に指名されたことに憤り、ランプにヒトラー処刑を命じる。作中でボルマンのその後は描かれていないが、史実では部下と共にベルリン脱出を図るも失敗し、自決している。アドルフ・ヒットラー実在の人物。ナチス・ドイツ総統。ヒステリックで一度、自分の考えに没頭すると周りが見えなくなる。本作ではユダヤ人の血が入っているという設定であり、ユダヤ人を根絶やしにせんとしながらも自身の血に苦悩する。戦況の悪化から物語途中から精神的な均衡を失い疑いをかけた部下を次々と粛清する。史実でも大戦末期から精神衰弱気味になり、1945年4月30日に総統地下壕で妻のエヴァ・ブラウンとともに自殺したとされるが、本作では同日にランプに撃たれて死亡している(ランプが自殺に見せかける形で殺害したため、作中でも史実同様に自殺したことになっている)。アドルフ・アイヒマンナチス親衛隊中佐(作品初登場時は大尉)。ドイツによるホロコーストの実行者の一人で実在の人物。本作では当初、ユーゲントにいたカウフマンを含めたハーフの面々に対して「純粋なアーリア人でないからこそ、よりたくさん努力しなければならない」と称してユダヤ人を的にした殺人訓練を課し、カウフマンにイザークを射殺させるが初めて人間を撃つカウフマンが手間取って急所以外の場所に弾を撃ち込むなど上手くいかないのに対し「1人殺すのに弾を無駄にするな!次は1発で仕留めろ!」と叱責した。その後、カウフマンの左遷先の上官(この時の階級は少佐)として再会を果たすが、多くの者と同様に総統が狂っていることは知っているが部下も正気では務まらないとの考えをカウフマンに語った。なお、再会時にカウフマンから先術の過去の一件について言及されるも、アイヒマン本人はあまり重要な思い出として捉えてはいなかった。史実では大戦終結後にバチカンなどの助けを受けてアルゼンチンに逃亡したが、イスラエル諜報特務庁に捕えられイスラエルで処刑される。ヨーゼフ・ゲッベルス実在の人物。ドイツ宣伝相。ヒトラーに非常に心酔していた人物として知られているが、本作ではベルリン陥落直前のヒトラーの命令を「世迷い言」とし、破り捨てるなどの描写がある。この時の命令は「急死したルーズベルトに比べて穏健派であるトルーマンと講和し、ナチス・ドイツとアメリカが力を合わせて共通の敵(ソ連)と戦う」といった、まさしく非現実的なものであった。フリッツ・ボーデンシャッツAHS時代のカウフマンの同級生。日本人との混血児でありユダヤ人との関係があるカウフマンをからかっては喧嘩をしていたが、本人曰くクリスマスプレゼントを交換し合った仲で、カウフマンがエリザと密会した場面を盗撮した写真をネタに強請るも、その一方で「あのユダヤ人娘との付き合いは止めないとろくな事にならない」と一応忠告するなど仲はそこまで険悪ではなかったようである。ヒトラー暗殺未遂事件の際に反乱分子の一人として拷問を受け、カウフマンに助けを請うが「次の同窓会では会えそうにないな」と見捨てられ粛清される。エルウィン・ロンメル陸軍元帥。ヒトラー暗殺未遂事件の際に反乱分子の一人とみなされた。「砂漠のキツネ」の異名を持つドイツの英雄で名将だったため、さすがのカウフマンもこれに異議を唱え極秘に電話で本人に警告したが、暗殺未遂事件の関与は否定するもヒトラーに失望していたため何の行動もせずに自宅に留まった。ヒトラーの命令で毒を呷り、粛清される(表向きは事故死として公表された)。
登場人物の結末[編集]
峠 草平文書を巡って特別高等警察に拷問された揚句、協合通信を辞めさせられたが、終戦後、ベルリンオリンピック時に知り合った新聞記者に、「君しかいないんだ!」と乞われて復帰。その記者の勤め先に入社し、作家兼記者となった。カウフマンの母親である由季江の再婚相手となったが終戦直後に死別している。その他の足取りについては他の登場人物やあらすじの項も参照。アドルフ・カウフマン終戦後はユダヤ人による執拗なナチスの残党狩りに追われ、レバノンの荒野で行き倒れ寸前になっていたところをアリ・モルシェード達パレスチナゲリラに拾われ、共に「黒い九月」のメンバーとしてイスラエルと戦う。アラブ人の妻を娶り子をもうける。ささやかな安らぎの中でわが身を振り返り、子供に正義として人殺しを教える恐ろしさを痛感していた。しかし妻と子は街中で起こった戦闘の巻き添えで殺され、そのイスラエル軍部隊を指揮していた将校がかつての親友アドルフ・カミルだと知り、カミルへの復讐と決闘を決意。「アドルフに告ぐ」というタイトルのビラを発行し、各地に貼り出す。これによって組織の調和を乱す存在としてアリ達に危険視された挙句、カミルとの決闘の場(ジザール高地のナビ地区。実在しない)へとやって来たアリ達を待ち伏せし皆殺しにした。国家の「正義」に翻弄された自身を自嘲気味に振り返った後、現れたカミルに復讐の想いをぶちまけ、一対一で戦った果てに死亡する。アドルフ・カミル神戸大空襲で母親のマルテ・カミルと家財を失い、戦後はイスラエルに渡る。そこでイスラエル軍の軍人となり、ゲリラ曰く「ナチス以上の残虐」を行う。戦時中、ドイツ軍に捕らえられた彼の父親イザーク・カミルがカウフマンに殺害されていたことを知り、復讐を決意。決闘の末にカウフマンを射殺する。その際、「あの世でパパにあやまってこい…また来世で会おう」と漏らし、かつての親友への哀惜の涙を流す(ラジオドラマ版では、「アドルフ・カウフマン…地獄で会おうぜ」と言い哄笑する)。1983年に軍を退役した直後、シーア派パレスチナゲリラによるテロに巻き込まれて死亡する。赤羽峠から文書のありかを聞き出すため、カミルと小城を捕獲するようにカウフマンから命令され、2人を捕えて峠の目の前で拷問を行う。ちょうどそこにアメリカ軍機が来襲し、空襲に巻き込まれて死亡。由季江峠との間に子供を身篭るも、それから間もなく神戸大空襲によって重傷を負う。峠の願いを聞き届けた本多大佐の手配で設備の整った阪大病院へと送られるが、植物状態となってしまう。終戦後に帝王切開で娘を出産するも、ほどなくして死亡する。本多大佐敗戦後、連合国軍から戦犯として処刑されることを覚悟する。植物状態の由季江を見舞い、その時峠にねぎらいの言葉を述べた後「由季江と2人きりにさせてくれ」と頼み、由季江にキスをしたのち、自宅で小刀及びピストルで自決した。本多芳男ゾルゲ機関の一員としてソ連のために日本軍についてのスパイ行為をしていたが、ゾルゲの逮捕により発覚。本多家の名誉を守るため、父である本多大佐によって殺害される(表向きは自殺)。アセチレン・ランプボルマンから命じられた重要任務であるヒトラー射殺を執行後、姿を消す。その後の消息は描かれていない。
史実との相違点[編集]

現実の歴史を題材にとって描かれた本作ではあるが、史実との相違点として以下の点が挙げられている。ただし、手塚の歴史漫画では『火の鳥』鳳凰編の橘諸兄と吉備真備の関係など、話の都合上、意図的に史実を改変しているとおぼしきものも存在する。

ヒトラーユダヤ人説とヒトラーの人となりについて[編集]

本作は「アドルフ・ヒトラーはユダヤ人である」という説を前提として創作されたものである。ヒトラーの父アロイスが父親のわからない私生児であり、またナチスの高官であったハンス・フランクがニュルンベルク裁判で絞首刑になる直前に著した『死に直面して』の中で「ヒトラーの祖母がグラーツのユダヤ人の家で家政婦をしていた時に生んだ私生児がヒトラーの父であった」と記述したことから、この説は信憑性を持って語られるようになった。

手塚は、例えば『火の鳥』でも騎馬民族が弥生時代に入植し日本の支配層に入ったとする「騎馬民族征服王朝説」など、しばしば流行の学説を作品に取り入れて作品を作っており、この設定もその一環と推測される(騎馬民族征服王朝説も現在では否定されている)。手塚自身は本作の執筆終了後、『キネマ旬報』に連載していたエッセイの中で「最近、その父親、つまりアドルフ・ヒットラーの祖父にあたる人間は、ユダヤ人フランケンベルガーだった、という説がつよくなってきたそうである。もし事実だとすれば、ヒットラーは存命中必死にこの汚点をかくそうとしたであろう。これはぼくの「アドルフに告ぐ」の物語のひとつのテーマになっている」と記している[4]。しかしこの仮説は手塚が連載を始めるかなり前にヴェルナー・マーザー、グラーツ大学のニコラウス・プレラドヴィッチ教授が行った調査などで否定され、現在ではほとんど支持する専門家はいない。ヒトラーの祖母クララがいた時代には、グラーツではユダヤ人は追放されており、存在していなかった(詳しくはアドルフ・ヒトラー#シックルグルーバー家の項を参照)。

また、作中でヒトラーはウィーン時代極貧生活を送っていたとされるが、実際は親の遺産や恩給を受給し、絵画や絵巻書の製作でそこそこの生活が出来ていた。貧しかったのは食生活だけで、下宿先の夫妻が食事を勧めても自分で入手した物以外は口にしなかったとされる。

悪化する戦況の中、ロンメルに原爆開発による戦況逆転を語る場面があるが、実際はヒトラーは原爆には「ユダヤ人の科学」として関心を示さなかったとされている(ナチスを逃れアメリカに亡命したアインシュタインはじめ、原爆の理論には著名なユダヤ人の科学者が多く関わっていた)。

実際の第二次世界大戦下のドイツや日本との差異[編集]
SDに所属できる一般親衛隊隊員は純粋アーリア系であることを家系の3代以上前まで遡って証明することが絶対条件の一つで、日系ハーフであるカウフマンが入隊することは原則不可能だった(親衛隊 (ナチス)#親衛隊員についてを参照)。そのことを意識してか、手塚は作中でカウフマンを「ヒトラーのお気に入りのため異例の抜擢をあずかった」という但し書きのような描写を付け加えている。一方、ゲシュタポ隊員である駐日ドイツ大使館のリンドルフ一等書記官が、腕きき諜報員のヴォルフガング・カウフマンやオイゲン・オット大使を若いながら威圧するなど、親衛隊幹部は若くても出世が早いという表現は事実に即している。
ヒトラーユーゲントがユダヤ人の家屋を破壊し、さらには処刑する場面が登場するが、実際に「ヒトラーユーゲントが」「組織的に」ユダヤ人迫害へ関与した事実は無い(団員個々人の行為に関してはこの限りではない)。
真珠湾攻撃を行う空母「赤城」が建造当初の三段飛行甲板に描かれているが、実際の真珠湾攻撃時点での「赤城」は、すでに全通飛行甲板一段に改装されていた。
カウフマンは北極回りのルートの潜水艦で日本に戻っているが、当時の技術水準では潜水艦が北極海の氷の下を突破して航海することは不可能である[5]。史実の遣日潜水艦作戦は大西洋・インド洋経由でおこなわれた。また、潜水艦同士の戦闘描写があるが、実際に潜航中の潜水艦同士が交戦した事例はない。

ヒトラー以外の実在人物に関する相違点[編集]
開戦前にホワイトハウスでフランクリン・D・ルーズベルトが直立しているが、実際のルーズベルトは小児マヒの後遺症で立つ事ができず車椅子を使用していた(ただし、ルーズベルトの車椅子姿をとらえたメディアはほとんど無い)。
また、ルーズベルトが真珠湾攻撃をあらかじめ察知していたが敢えて奇襲を許した旨の描写があるが、これは現在にいたるまで日本などで議論されているものの、それを示す確証は無く、否定する専門家も多い(真珠湾攻撃陰謀説を参照)。
ヒトラーの秘書トラウデル・ユンゲがメガネをかけた男性軍人として描かれているが、実際には非軍人の女性である。

実際のユダヤ人文化・歴史との差異[編集]
カミルは「エホバ」という単語を連呼するが、近現代のユダヤ教で神の名前を口にすることはタブーとされている(ヤハウェを参照)。
ラストでカウフマンはカミルに対して安息日である土曜日の正午に決闘に来るようにビラを貼り、カミルも応じるが、ユダヤ教徒が安息日に労働を行うことは原則禁じられている(ただし、決闘を労働と見なさなければその限りではない)。
パレスチナ問題が戦後になってユダヤ人が移住してから始まったとしているが、実際にはパレスチナへのユダヤ人の入植(シオニズム)はそれ以前の19世紀末から開始されている。またパレスチナでは1929年の嘆きの壁事件を始め、戦前の1930年代後半の段階ですでに入植したユダヤ人・パレスチナ人・駐留イギリス軍の間で三つ巴の内戦が展開されていた。さらに大戦中からイスラエル独立までイギリスは白書政策に基づきパレスチナへのユダヤ人の移住を厳しく制限していた(一応、登場人物らが入植したのは1948年のイスラエル建国後とただし書きがある)。
カウフマンがパレスチナ人女性と結婚しているが、非ムスリムの男性がムスリムの女性と結婚する場合は必ずイスラム教に改宗しなければならない。しかし、カウフマンがイスラム教に改宗していることを窺わせるような描写は無い。
カミルがイスラエルでシーア派のテロによって殺されたと述べられているが、イスラエル国内にシーア派はいない(隣国レバノンにはシーア派の武装集団ヒズボラの本拠地があるが、イスラエル国内でのテロ活動は少ない)。
カミルがカウフマンの遺体に向かって「来世でまた会おう」と言う場面があるが、ユダヤ教では来世や転生の考えは無く、作中でもカミル自身が仏教と比較してそのことについて言及している描写もある(ただし、日本育ちのカミルが仏教の思想に影響を受けたと考えることもできる)。

コミックス[編集]

1992年に文庫本(全5巻)で再発されて150万部を売り上げた。これが漫画文庫本が広く刊行される嚆矢となった。
『アドルフに告ぐ』(文藝春秋)全4巻
文春コミックス『アドルフに告ぐ』(文藝春秋)全5巻
文春文庫ビジュアル版『アドルフに告ぐ』(文藝春秋)全5巻
My First WIDE『アドルフに告ぐ』(小学館)上、下巻
手塚治虫漫画全集『アドルフに告ぐ』(講談社)全5巻 1巻 ISBN 978-4-06-175972-5
2巻 ISBN 978-4-06-175973-2
3巻 ISBN 978-4-06-175974-9
4巻 ISBN 978-4-06-175975-6
5巻 ISBN 978-4-06-175976-3

ビッグコミックススペシャル 手塚治虫の収穫『アドルフに告ぐ』(小学館)全3巻 1巻 ISBN 978-4-09-182065-5
2巻 ISBN 978-4-09-182066-2
3巻 ISBN 978-4-09-182067-9


2009年には文春文庫で全4巻に編集され刊行された。
文春文庫『アドルフに告ぐ』全4巻
集英社ホームリミックス『アドルフに告ぐ』(ホーム社/集英社)上、下巻
手塚治虫文庫全集『アドルフに告ぐ』(講談社)全3巻

ラジオドラマ[編集]

1993年3月15日にTBSラジオにてドラマスペシャルとして放送された。同年、放送批評懇談会は中央からローカル局を含め1992年度に放送された全てのラジオ番組において最も優れた番組として『アドルフに告ぐ』を選び、第30回ギャラクシー賞ラジオ部門大賞を贈呈した。のちにドラマCDとしても発売された。

キャスト[編集]
峠草平:柄本明
アドルフ・カウフマン:風間杜夫、鎌手宣行(少年時代)
アドルフ・カミール:上杉祥三、内田崇吉(少年時代)
由季江・カウフマン:二木てるみ
小城典子:倉野章子
赤羽警部:大塚周夫
ヴァルター・ランプ:村松克己
ゲラルド・カウフマン:宮川洋一
本多大佐:佐藤慶
峠勲、本多芳男:安藤一夫
エリザ・ゲルトハイマー:岡坂あすか
米山刑事、クランツ:上田忠好
リヒャルト・ゾルゲ、部長、リンドルフ:内山森彦
カミルの母:此島愛子
お桂:田島令子
絹子:松阪隆子
語り:佐藤オリエ

など。

舞台[編集]

1994年「劇団俳優座 」創立50周年記念公演(脚本:原徹郎 演出:亀井光子)。2007年「劇団スタジオライフ」手塚治虫生誕80周年記念公演。2015年7月戦後70年の節目として同劇団で、アドルフ・カウフマン、峠草平、ヒトラー等主要キャストを同じ役者+若手でのダブル・トリプルキャストにて再演した[6]。同年6月には、時を同じくして別カンパニーとして「KAAT神奈川芸術劇場・シーエイティプロデュース」でも上演。

主なスタッフ・キャスト[編集]




2007年[7]
劇団スタジオライフ公演

2015年[8]
KAAT神奈川芸術劇場
シーエイティプロデュース

2015年[9]
劇団スタジオライフ公演


脚 本
倉田淳 木内宏昌 倉田淳

演 出
倉田淳 栗山民也 倉田淳

アドルフ・カウフマン
山本芳樹
荒木健太朗[* 1] 成河 山本芳樹
松本慎也
仲原裕之[* 1]

アドルフ・カミル
小野健太郎
松本慎也[* 1] 松下洸平 奥田努
緒方和也[* 1]

峠草平
曽世海司 鶴見辰吾 曽世海司
藤波瞬平[* 1]

アドルフ・ヒトラー
甲斐政彦 高橋洋 甲斐政彦

ヴォルフガング・カウフマン
寺岡哲 谷田歩 船戸慎士

由季江・カウフマン
三上俊 朝海ひかる 宇佐見輝

イザーク・カミル
藤原啓児 石井愃一 藤原啓児

マルテ・カミル
篠田仁志 吉川亜紀子 大村浩司

クライツ・ゲルトハイマー
篠田仁志 - 曽世海司
藤波瞬平[* 1]

エリザ・ゲルトハイマー
吉田隆太 前田亜季 久保優二

絹子
吉田隆太 - 深山 洋貴

小城典子
林勇輔 岡野真那美 鈴木智久

本多大佐
石飛幸治 谷田歩 牧島進一

本多芳男
仲原裕之 大貫勇輔 仲原裕之

赤羽刑事
奥田努 市川しんぺー 大村浩司
牧島進一[* 1]

米山刑事
牧島進一 - 牧島進一

仁川刑事
河内喜一朗 安藤一夫

仁川三重子
関戸博一 北澤小枝子

リヒャルト・ゾルゲ
下井顕太郎 -

アドルフ・アイヒマン
大沼亮吉 斉藤直樹

マルティン・ボルマン
河内喜一朗 石井愃一

ゲルハルト・ミッシェ
船戸慎士 - 倉本徹

アセチレン・ランプ
倉本徹 田中茂弘 倉本徹

エヴァ・ブラウン
深山洋貴 彩吹真央 深山洋貴

クルツ
政宗 -

シャウブ
- 大貫勇輔

フリッツ
- 林田航平

カウフマンの妻
- 西井裕美

アリ・モルシェード
- 薄平広樹

少女
- 小此木麻里

リトアニアの警官
- 吉野雄作
江口翔平[* 1]

1.^ a b c d e f g h 役替わりで公演

翻訳[編集]

英語では"Message to Adolf"として翻訳された他、ブラジルやフランス、スペイン、オランダでも翻訳された。ドイツでも翻訳(Adolf)されたが、期待外れだった[10]。

脚注[編集]

1.^ 『手塚治虫対談集―続「虫られっ話」』(潮出版社、1995年)に収録された巖谷國士との対談での発言。
2.^ 池田啓晶『手塚治虫完全解体新書』集英社、2002年、p174 - 175。この内容は、手塚が手塚治虫漫画全集の本作第5巻に収録した「あとがきにかえて」と題した文章(さらに初出は1985年6月に刊行された『手塚ファンmagazine vol.5』に掲載された「『アドルフに告ぐ』回想」)が元になっている。
3.^ W大がどこの大学を指しているのか明確には描かれていないが、拷問された際に、早稲田大学の校歌を口ずさむ場面がある。
4.^ 『観たり撮ったり映したり』キネマ旬報社、1987年、P225
5.^ これは当時の潜水艦がディーゼルエンジンと蓄電池による通常動力型しかなく、長期の潜行が困難だったためである。 北極海横断潜行に世界で初めて成功したのは、1954年に就役した世界初の原子力潜水艦「ノーチラス号」の航海による。
6.^ “舞台「アドルフに告ぐ」終戦70周年の2015年夏、再演決定!”. 手塚治虫オフィシャルサイト (2014年8月6日). 2016年8月30日閲覧。
7.^ “舞台『アドルフに告ぐ』公演ページ”. 劇団Studio Life公式ページ. 2016年8月30日閲覧。
8.^ “舞台「アドルフに告ぐ」KAAT神奈川芸術劇場”. KAAT神奈川芸術劇場公式ページ. 2016年8月30日閲覧。
9.^ “スタジオライフ公演『アドルフに告ぐ』2015年”. 劇団Studio Life公式ページ. 2016年8月30日閲覧。
10.^ ベティーナ・ギルデンハルト「『他者』としての『ヒットラー』」(伊藤公雄『マンガのなかの<他者>』臨川書店 2008年pp.196-221)。

関連項目[編集]
アドルフ・ヒトラー
ナチス
ヒトラーユーゲント
ホロコースト
日本のユダヤ人
名誉アーリア人

外部リンク[編集]
手塚治虫公式サイト内作品ページ
舞台舞台『アドルフに告ぐ』 Studio Life公式ページ
舞台『アドルフに告ぐ』 KAAT神奈川芸術劇場公式ページ

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漫画「アドルフに告ぐ」とゾルゲ事件(1)


手塚治虫は晩年の大作「アドルフに告ぐ」について、こう述べている。

「・・・・『アドルフに告ぐ』は、ぼくが戦争体験者として第2次世界大戦の記憶を記録しておきたかったためでもありますが、何よりも、現在の社会不安の根本原因が戦争勃発への不安であり、それにもかかわらず状況がそちらのほうへ流されていることへの絶望に対する、ぼくのメッセージとして描いてみたかったのです。
もう戦争時代は風化していき、大人が子供に伝える戦争の恐怖は、観念化され、説話化されてしまうのではないか。虚心坦懐に記録にとどめたいと思って『アドルフに告ぐ』を描きました。なかでも、全体主義が思想や言論を弾圧して、国家権力による暴力が、正義としてまかり通っていたことを強調しました。・・・・」
(「ぼくのマンガ人生」 手塚治虫 岩波新書 1997年 p92~93)

DSC_0042
手塚治虫記念館特別展示「アドフルに告ぐ」

このとき、手塚は「戦争体験が風化」して、ふたたび戦争が勃発するのではないかという「不安」、「それにもかかわらず状況がそちらのほうへ流されていることへの『絶望』」とまで、強い表現で戦争の危機感を訴えていることに注目したい。そこには、経験したものでないとわからない切実感があるのだろう。
それからまもなく20年近い年月が経たが、もしも手塚が生きていたら、今日の世界状況、アジア情勢、日本国内の政治情勢を、どう論じるだろうか。手塚治虫の危惧したとおり、今は、新たな「戦前」なのだろうか。
私は手塚治虫の切実感に軍配をあげたいと思う。


昭和の終わりに、まるで符節を合わせるようにして亡くなったことが、今更ながらに惜しまれる「マンガの神様」だったとつくづく思う。

周知の通り、漫画「アドルフに告ぐ」は、第二次世界大戦前後の日本及びドイツでの全体主義・軍国主義の時代を舞台にしている。
そこに「アドルフ」というファーストネームを持つ3人の男達(アドルフ・ヒットラー、アドルフ・カウフマン、アドルフ・カミル)が交錯するストーリー展開を主軸としている。
「ヒトラーがユダヤ人の血を引く」という機密文書を巡る角逐、2人のアドルフ少年の友情が巨大な歴史の流れに翻弄され、破綻していく悲劇。

そのなかで、作者自身の分身という「狂言回し役」の新聞記者・峠草平らをはじめ、多様な実在、架空の人物を登場させ、それぞれの織りなす数奇な人生航路を描いたと評価されている。
ともかく面白いから、ついついストーリーを追うことだけに嵌ってしまい、手塚治虫の問題意識を見逃してしまいそうだ。

DSC_0007
アドルフ・カウフマン

  ヒトラーがユダヤ人の血を引くのではないかという、一時流行した言説にヒントを得て、マンガならではの表現の融通性を生かし、虚実織り交ぜた筋書きだった。

もちろん、「ヒトラー=ユダヤ人説」は、今日では学問的にはほとんど否定されているようだ。600万人ものユダヤ人を虐殺したという、ナチス・ドイツの張本人にユダヤ人の血が流れているというのだから、常識が引っくり返るような着想だった。

これは「火の鳥」で「騎馬民族説」を採用したことにもあてはまるが、一時世間で話題になったテーマを採り上げ注目を引く手法。手塚自身も認めていることだが、漫画だからこそ多少「ナンセンス」な動機が許容される融通性を生かした。

ヒトラーの出生にかかわる「超秘密事項」をつかんだ共産主義者や自由主義者と、これを抹殺しようとするナチスの諜報関係者との壮絶な暗闘。そこに実在と想像上の登場人物を織り込んだ、いかにも手塚マンガらしい、起伏に富んだストーリーで人気を博した。

それに、手塚マンガの場合は悪役でも憎めない「可愛げ」があるのだ。柔らかい円を基調にした人や動物の絵柄に、その秘訣のひとつがあるそうだ。
しかし、やはり根本的には、作者の育った宝塚の豊かな自然、そして比較的恵まれた家庭環境などが親しみやすさに反映しているように思う。
だから、かなり深刻なテーマを扱っているのだけど、そこにほっと救われるようなユーモアや優しさがあるのではないだろうか。また、そう感じさせる工夫が施されている。
ただし、面白さだけを消費するのでは、もったいないなとも思う。

「アドルフに告ぐ」は今改めて読んで見ても、現代史を学ぶひとつの恰好の手引になるのではないかと思われる。そのうえで、あの時代の「真実」を更に自分なりに掘り下げてゆけばいいのだろう。作者の本当の狙いも、そこにあるのではないか。

ヒトラーの出生証明書類を巡る角逐は、やがて当時の日本でゾルゲを頂点とする国際スパイ組織にまでたどり着くやに見えた。そこからソ連に送られれば、ヒトラーには致命的なダメージとなるだろう。ソ連だけではない。日本を舞台にアメリカもフランスのエージェントもこの情報を手に入れようと激しい争奪戦が展開された。
証拠書類をゾルゲに渡そうとする地下活動家と、これをなんとか阻止したいゲシュタポや特高刑事たちの、息詰まる壮絶な角逐。

DSC_0046
手塚治虫記念館に展示されたゾルゲ

しかしその試みは、惜しくも実現直前で潰えた。
官憲によるスパイ組織の一斉摘発のためだが、ここで特高にスパイ容疑で捕捉され尋問を受けるリヒャルト・ゾルゲが登場する。(第25章)

拘置所の取調べでゾルゲが自白する様子を描いているのだが、私にはやや唐突な印象を覚えた。いわゆる「ゾルゲ事件」はもっと大きな裾野があって、「アドルフに告ぐ」では傍流の事件なので全体像が描かれていないのが惜しい。これでは要するに一外国人スパイの話に過ぎない。手塚が存命していれば、また別の大作に発展できたかもしれない。

昭和16年10月18日、東条英機を首班とする内閣が成立した、まさにその日にゾルゲグループは一斉検挙された。そして、10月24日に東京拘置所の取調室で、とうとうゾルゲは自白。その場で大泣きする場面を手塚は克明に描いた。
そこでいろいろ調べて見ると、まずこのときのゾルゲの振る舞いは、確かな資料をもとに描いたことがわかった。

孫引きになるが、秦郁彦著「昭和史の謎を追う 上」(文芸春秋社刊 1993年)を引用すると、
「・・・・つまり、1941年秋のゾルゲは、『進も地獄、退くも地獄』という窮地に追いつめられていたわけだが、彼は死の直前までソ連と国際共産主義への忠誠を捨てず、毅然とした態度で通した。吉河検事は、逮捕から一週間後に東京拘置所の2階教誨室で彼が告白した瞬間の情景を次のように回想している(三国一朗『昭和史探訪』)。」

「・・・・ゾルゲは下を向いて『紙をくれ』と言った。また、『鉛筆をくれ』と言った。渡してやると、その小さな紙片に書きました。自分で。『自分は1926年いらい国際共産主義者であった。今でもそうである。』とドイツ語で書いて、その紙を僕のほうへ投げるように差し出してきた。これはゆるぎない自白ですよ。
ぼくはびっくりしてゾルゲを見た。と、ゾルゲはいきなり上着を脱いで床に叩き付けて『負けた、はじめて負けた』と言って、こんどは机に手をついてワイワイ泣くんです。・・・・・・」

「アドルフに告ぐ」では、あくまでヒトラーの秘密の出生書類をめぐる闘いがストーリーの主旋律なのでやむを得ないが、その背景までは詳述できなかったのだろう。ゾルゲほどの大スパイが、最後になって身もふたもなく大泣きしながら自白に至った経過について知りたくなった。

既述したように、手塚治虫は「正義」の名のもとに残酷なユダヤ人迫害が行われ、侵略戦争が正当化された時代の暗部を書き遺したのだが、ゾルゲもまた「正義」を信じて国際共産主義に身を賭したわけで、秦郁彦氏が突き放した指摘をしているように、その志が成就したとはいいがたい。むしろ無慚にも裏切られた可能性も垣間見える。

自白では「日本の警察に負けた」無念さを嘆いているように見えるが、その実はゾルゲ自身が「正義」と信じた世界観があえなく破綻したことを、ここで暗示しているように私には思えた。

リヒャルト・ゾルゲについては、もう少し自分なりに調べてみたいと思った。

http://hiroshia.vivian.jp/archives/3091



漫画「アドルフに告ぐ」とゾルゲ事件(2)


調べてみると、ゾルゲ事件関連については、これまでにも多くの出版物があったことを知った。

ゾルゲ事件の真相を明らかにしようという試みは、敗戦後から始まった。日本のような極東の島国で、ましてや昭和前期の息苦しい閉鎖的な軍国主義の時代に、こんなに国際的なスケールの大事件が勃発したことは前代未聞だった。
そもそも、西欧から最も遠い「地球のはて」の日本列島には、似つかわしくない事象に見える。それだけに、多くの研究者の探究意欲を強く刺激した面もあるのだろう。

ゾルゲを頂点とする、いわゆる「国際諜報団ラムゼイ」の活動領域はソ連、ドイツ、中国、日本にわたり、当時の複雑な国際関係や国内事情を反映している。このため、多数の世界史的人物が相互に絡み合う興味深い事案なので、これまでに多様な角度から研究されてきたようだ。
ずぶの素人としては、いきなり専門的な研究書に入るよりも、まずはとっつき易い映像でおおまかな流れを押さえてみようと、2003年の映画「スパイ・ゾルゲ」を見てみた。

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篠田正浩監督がライフワークと位置づけた大作映画だ。
コンピューターグラフィックスを駆使して昭和初期の上海や東京の情景を再現、人気俳優も多数登場させ20億円もかけたという。そのわりに、どうも面白くない映画だという感想が多かったらしいが、私自身はもっと別の感慨を持った。

思うにこの映画は、事件の背景を可能な限りその時代の状況において再現理解させるために、相当の苦心をしたのだろう。
21世紀初頭の平和な日本で、あの暗い時代のリアリティーを再現するためには、実際の映像記録も入れて、どうしても説明調にならざるを得なかった面があるのではないだろうか。
わずか80年前後の過去だが、これが同じ国とは思えないほどに風景も社会も異なるからだ。

何より観客の時代感覚が決定的に違う。

その落差を埋めるための説明にとらわれたので、多数の細切れ事象を繋ぎ合わせたぶん、ぶつ切れの羅列となった。だから全体として俯瞰すると、単調に見えてしまうきらいは確かにある。
しかし、昭和初期の歴史を学びたいと思った私にはおおいに参考になった。

1931年(昭和6年)生まれの篠田正浩監督は、敗戦の年には14歳だから、いわゆる「戦中派」最後の世代。きっと「軍国少年」の教育(洗脳)を一方的に注入されたのではないか。そのあげくに、過酷な戦災と敗戦、焦土を多感な心に刻印したであろう。
そして変わり身の早いおとなに強い不信を持ったのではないだろうか。青少年は純真なだけに、国家や為政者への懐疑を持ったことだろう。

ちょうど、木下恵介監督の「二十四の瞳」に登場する子供たちにあたる世代ではないだろうか。同世代には、子供のうちに痛ましい戦争の犠牲者になった人が多い。大人たちの愚かな「不始末」のお陰で、一番被害を受けた世代ではないだろうか。
「鐘のなる丘」という、戦災孤児たちの美しくも悲しい歌もあった。戦争を知らない私ですら、だいぶ後だが心に深く染み入る歌の意味を知ったものだ。

映画の説明臭さは、暗黒の昭和初期に生い立ち、戦争を運命的に体験した一人として、現代日本との大きな落差を前に、なんとかそのギャップを埋めようとした結果なのではないだろうか。
平和な時代に生まれ、それが当たり前の、屈託のないいまどきの若者に、なんとか自分の育った時代をわからせたい、と。ちょうど「蟻の兵隊」さんのひとりであった奥村さんが、靖国神社に遊ぶ若者と試みた対話が噛み合わない様子に似ている。

監督よりもすこし上の戦中世代を両親に持つ私には、そう思える。

あの時代の場面設定なしでは、ゾルゲや尾崎の真実は描けないからだ。

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映画「スパイ・ゾルゲ」から。ゾルゲと尾崎秀実

篠田監督はゾルゲと尾崎に相当な思い入れをしたようだが、割り切っていえば、歴史事実に則しつつも、それはあくまで監督が理解したゾルゲや尾崎秀実であるに違いない。

映画では尾崎もゾルゲも単なるスパイではなくて、明確な政治思想を共有する「同志」であった。思想信条に身命を賭すような生き方は、今の若者にはあまり流行らない。
ゾルゲはコミンテルン(共産主義インタナショナル)に尾崎を推薦もしたという。ゾルゲはもともと確信的な共産主義の組織活動家であり、尾崎は「協力者」。思想的に共鳴したからこそ、互いに生死を共有する統一戦線が組めた。二人は日本の植民地主義や帝国主義戦争には反対であり、当時唯一の社会主義国ソ連邦を信奉し護ろうとして動いた人なのであった。

映画製作は、昭和3年生まれの手塚治虫が昭和の終わりに「戦争の再来」への危機感を強く意識して「アドルフに告ぐ」を描いた意図とも繋がるのではないだろうか。
「アドルフに告ぐ」も、とても面白い長編漫画だが、その中には手塚の平和への強い願いが込められている。
漫画では、共産主義者や自由主義者が「アカ」と呼ばれて凄惨な弾圧を受ける場面があった。史実に基づいている。

私は、娯楽作品としてのこの映画自体の出来栄えを、高みにたって批評するよりは(もちろん素人の私にはその能力もない)、この世代の人々の歴史体験に思いを馳せることにも意味があると思う。

テーマのシビアさを考えると、映画の娯楽性だけで安易な評価を下してしまうと、大事な視点を見落としはしないか。



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篠田正浩監督

そう考えると、映画のほうは「尾崎検挙」で幕を切った直後に、列強の植民地支配に苦しむ昭和初期の上海の情景にスイッチ・バックしたことはうなずける。まずは日本帝国主義による中国政策の失敗があったことを強調するためだ。

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上海で中国人デモを弾圧する日本軍(映画「スパイ・ゾルゲ」

列強に食い荒らされる上海の実情を、目の当りにしたアメリカ人ジャーナリスト、アグネス・スメドレーと尾崎秀実が、抑圧される人々への共感からゾルゲにつながっていく過程を諜報団の始まりに設定したことには、監督のゾルゲ事件「解釈」が反映している。

しかし、この時点ではまだ尾崎秀実はゾルゲの正体を知らなかった。
尾崎は朝日新聞の「シナ専門家」だったが、搾取され抑圧される「シナ人」への同情があった。

一方のゾルゲはソ連赤軍第4部の諜報員として、上海で活動していたが、そのあと、日本帝国主義の中国侵略の意図と対ソ連政策を探るためだった。

やがて二人はそれぞれのルートで日本に入り、ゾルゲの要請にもとずいて再び情報を交換し合うようになる。再会の場は奈良・東大寺。
このとき、尾崎は上海でアグネス・スメドレーから「ジョンソン」と紹介を受けた人物が、実は国際共産主義者「リヒャルト・ゾルゲ」であることを知った。
尾崎は最後まで共産党員ではなかったかもしれないが、この時代、日本軍国主義への反対を志向すれば、事の成り行きとして、共産主義への共感は近くなったのだろう。

事実、融和的な社会改良案ではもはや時代の深い闇を克服できないほどに、日本自身は行き詰まっていた。
私は、その主たる遠因は明治維新に発する近代日本の国体の「歪み」に発するように思うが、映画のテーマではないので、これは別途検討してみたい。

尾崎自身は家族に累が及ばないように、妻子にも自分の正体を明かさなかった。「革命家」らしく考え抜いた上でことだろうと思う。検挙後の特高の肉体的拷問に屈して自白をせざるを得なかったものの、絞首刑の最後まで信念の情報提供者であって「金も受け取らず、国民を売ってはいない」殉教者だった。篠田監督としては、ここは絶対に譲れなかったのだろう。

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尾崎秀実

一方のゾルゲは、青年時代に帝政ドイツの熱に焦がれ、第一次世界大戦に意気揚々参加したものの、戦場の現実は悲惨極まりなかった。3度の負傷にまみれた。戦争を起したウイルヘルム2世の帝国主義政策の現実に失望、「世界革命」をめざす共産主義に傾倒する。同時期のドイツには同じような経過をへてコミュニストになった青年が多かったようだ。

理想主義的な「インタナショナル」の歌が流れる場面がある。
私自身も学生時代のアルバイト仲間でひとり、見事にインタナショナルを歌った友人がいた。理想主義的な印象があった。まだ「社会主義」に魅力が残っていたのだ。

ゾルゲは、その明晰な頭脳と行動力を買われ、赤軍第4部の優秀な諜報員として上海に、やがて日本の動向を探るために東京へと派遣されて来たのだった。以後、足掛け8年の日本での諜報活動は、驚くべきことに天皇が臨席する「御前会議」のトップ・シークレットまで正確に捕捉していた。

尾崎は「シナ問題」に精通したジャーナリストとして、近衛首相のブレーン「朝飯会」の一員に推薦され、やがて満州鉄道調査部に入った。帝国のハイレベルの情報に接する立場を得た。一方のゾルゲは表向きドイツのジャーナリストとして、日本の政治経済事情に通じる優秀な専門家という、高い評価を受けていた。更に、ナチの党員証まで取得、ドイツ大使の個人的な信頼を得て、まんまと大使館内に一室を提供されるまでになった。
かくて二人は高度な国家機密を収集し、正確な分析をほどこし、密かにモスクワへ送る任務に就いた。

当時の日本の政治的・軍事的動向は、そのままモスクワに筒抜けだったというのだから驚く。ゾルゲによると、ロンドンやワシントンよりも日本の国内情勢に精通していたのは、実にモスクワだった。しかし、世界革命を身上とするイデオロギーには諜報、謀略、そしてときに目的を達するための「粛清」や「暗殺」までも付き纏う。
いつの間にか、「人間」が革命の手段に貶められるからではないだろうか。

生態の分かりにくい閉鎖的な島国の内部事情を、この暗黒時代に比類なき正確さで把握してみせたインテリジェンスは凄い。
しかもスパイ行為だけでなく、対ソ連戦争を回避するために、あえて情報操作まで行ったらしい。今日の水準から見ても、あの時期によくもこんなに大胆不敵な諜報活動ができたものだと思う。

アメリカ帰りの沖縄出身者宮城與徳(アメリカ共産党員)や天才的な通信技師タウンゼント、フランスの通信社員ヴーケリッチなど一騎当千の諜報員や技師がゾルゲの脇を固めた。ゾルゲは優れたオルガナイザーでもあったのだろう。
80年前、歴史も文化も言語も異なる極東の異境で、「外国人」たちが命懸けの国際諜報組織を維持運営するなどということは、並みの能力でできるわざではないと思う。それほど「コミュニズム」が思想としての魅力を持ち、有能な人材を得た時代だったのだ。

漫画「アドルフに告ぐ」で問題になったヒトラー出生の秘密は、このゾルゲ諜報団(ラムゼイ)に今一歩で繋がる寸前だった、という設定だった。

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手塚治虫記念館から



30年代後半ゾルゲの最大の諜報目的はソビエト防衛のため、日本に「北進」(シベリア侵略)意図があるかないかを正確に読み取ることだった。折からのナチスの台頭で、東西の二正面作戦の危機を回避したいスターリンにとっては必須の情報源の一つだった。ソ連の生き残りがかかっていた。
息を飲むような緊張の諜報活動によって、「独ソ不可侵条約」違反のドイツ軍が東部戦線に170~90個師団以上を集結しているというトップ・シークレットをいち早くモスクワに打電。さらにはABCD包囲網に閉じ込められ「対日禁輸」で石油の枯渇に悩む日本に、北進の意図がないと送信したものの、その貴重なゾルゲ情報は当初採用されなかったようだ。映画ではスターリンのゾルゲへの強い猜疑心が原因であったとされるが、このスターリンの歴史的判断ミスは、専門家の間では今も謎とされる。ドイツ軍の動向については、同じ種類の有力情報が、ドイツに潜入したスパイからも、もたらされていたにもかかわらず、スターリンはドイツの先制攻撃を許してしまった。

この時代のスターリニズムの非道さは映画「カティンの森」でも描かれていた。日本にいるあいだに、ゾルゲを派遣した人々も故国では失脚・粛清されていた。実はゾルゲの帰国を心待ちにしていた妻も、ゾルゲをドイツのスパイと断じた当局から粛清されてしまった。つまりいつの間にかゾルゲとソ連の絆は限りなく細っていたようだ。

ある種の「偽装」かもしれないが、同時代人にゾルゲ自身は「おお法螺ふき」「大酒のみ」「女たらし」と酷評されることが多かったようだが、8年もの過酷な諜報活動では、正常な神経ではいられなくて当たり前だと思える。しかも帰るべき祖国での、自らの足場もかなり絶望的だった。俊敏なゾルゲはそれが良くわかっていたのだろう。

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映画「スパイ・ゾルゲ」特高の摘発

目的がほぼ達成された昭和16年秋、任務を完了しつつあったゾルゲたちは帰国準備の直前で特高に検挙された。それは偶然にも東条英機内閣の成立の日であった。カリフォルニア出身の宮城が捕まったことから芋づる式に挙げられたわけで、まさに一網打尽の摘発だった。

これについては、元共産党員の伊藤律の裏切り原因説などがあったが、今だに決着が着いていないようだ。
行方不明だった伊藤律が突然、亡霊のように再登場したときの騒ぎ(1980年)を憶えているが、なぜこの人物がそんなに話題なのか、昭和史に疎い当時の私にはよくわからなかった。(最近、これを東條英機の近衛文麿追い落としの謀略と見る視点も出ている)

更に、冷戦崩壊後から旧ソ連や東ヨーロッパの情報が濾出し始め、新たなゾルゲ像が発掘されてきているようだし、中国、特に上海での活動実態などの研究はまだ未開拓だという。スケールの大きな事件なので、これからも新しい発見や分析が期待できるのだろう。
ゾルゲ自身についてもドイツとの「二重スパイ説」が根強くあり、映画の中でも尾崎はそれを疑っている場面がある。国家やイデオロギーを股にかけた諜報活動というのは、まことに微妙なものだと思った。

いずれにせよ「世界革命」を目的に生きてきたゾルゲは、自分の帰るべき祖国がすでにスターリンの「一国共産主義」のために大きく変貌してしまい、まさに秦郁夫氏が指摘するとおり「進むも地獄退くも地獄」の行き詰まりにあることをはっきり認識しつつも、最後まで国際共産主義者としてその生を全うしたことになっている。その苦しい胸のうちが乱脈な行動に現われたのだろう。
今日、振り返って見ると、ゾルゲが最後まで忠誠を尽くしたソ連はもはやない。結局、さしも稀代の大スパイ・ゾルゲも「正義」に翻弄されたのだった。
だから篠田監督は、その祖国ソ連が「開祖レーニン」とともに崩壊する映像記録を挿入した。

2.26事件の青年将校もまた同じ位相で描かれている。
この時代の日本の深刻な経済不況は今日の比ではない。都市では大学を卒業しても職にありつけない失業者があふれ、農村の疲弊は目に余る惨状だったようだ。
ゾルゲやアメリカ共産党員の宮城與徳の眼を通して、当時の東北農村の悲惨きわまりのない貧困振りを描いた。
駅で外国人に物乞いする子供や、売春街に身売りをせざるを得ない貧しい家庭の子女は、同時にまた青年将校や兵士たちの家族であり、「尊皇討奸」を掲げる決起将校たちの強い叛乱動機になった。多くの国民が同情した理由もそこにある。
しかし、体制側の政府要人たちは、そこに国体を揺るがす「コミュニズム」との類似性を嗅ぎ取っていた。(近衛上奏文などはその典型に見える)
ところが天皇を奉じた「決起」は、逆に天皇によってあっさり「賊軍」と裁断されてしまう。叛乱軍将校に同情的な軍首脳は、かえって叱責を受けたくらいだという。

こうみると、漫画「アドルフに告ぐ」で、幼馴染ながら最後は命を懸けた果し合いをせざるを得なかった二人の「アドルフ」と同じ位相になっていることに気付く。
つまり、「国家」や「民族」、「イデオロギー」、あるいは「信仰」を「正義」と信じて命を懸けた人々が、まさにその「正義」の故に裏切られ、無残に死んでいった「悲劇」を描かざるを得なかった。
フルシチョフのスターリン批判にもつながる。ここに、戦争と革命の時代を経験した人々の深刻な教訓があるのだろう。それは「革命が裏切られ」た挙句に逢着するニヒリズムに流れやすい。

そこにはまた、上から鼓吹される「正義」への強い「不信感」があるように思う。果たしてどこに「正義」などというものがあるのか。

一見平和で、史上最も繁栄したか見える戦後の日本。
だがその底流には戦争を経験した世代の、深い「虚無感」が流れる理由がそこにあるのではないだろうか。
表面だけが取り繕われただけで、根本的な「不条理」はずっと置き去りにされてきた。
だから、「戦後は終わっていない」のかもしれない。
経済的な復興で表向きを「化粧直し」しただけで、何も本質的な解決をしないままなのだろう。

何よりも歴史認識問題が、日本人自身の中で決着しないまま戦後70年の時が過ぎた。これは「蟻の兵隊」でも指摘した。
たまたま生き残れた喜びは同時に、無残に死んだ仲間への負い目と裏腹だったのかもしれない。父の葬儀に参列してくださった戦友の方々から、その苦しい胸のうちを伺った。
私たち戦後生まれにとってのヒーローには「戦争」の影を背負った人が多いと思う。横綱大鵬もそうだった。司馬遼太郎の問題意識もここにあったようだ。

そういえば、全国民注視の中、1972年ルバング島から帰還した横井庄一さんの最初の言葉は、ハンカチを眼にあてながら「恥ずかしながら帰って参りました」だった。たまたま一緒にテレビを見ていた戦中派の叔父が、「そっとしてやって欲しいな」とポツリと述べたことを今も思い出す。

そういう視点でこの映画を観た。

http://hiroshia.vivian.jp/archives/3131


漫画「アドルフに告ぐ」とゾルゲ事件(3)


たぶん中学1年のときではなかったかと記憶するのだけど、「自分は元特高だった」と自称されていたYという英語の先生がいた。
今思い出しても、元特高なのに英語の先生というのも面白いが、私たち戦後生まれの生徒は「特高」というものがどんなものかよく分からないので、好奇心で聞いていただけだった。

Y先生は「英語にはリズム感があるのだ」とおっしやって、机の上面を鞭みたいなもので叩きながら、リズムをとって「ジッシズ・ア・ペン」みたいな抑揚をつけた音調で発音練習を施された。
先生は確か頭髪が天然パーマで、元特高というだけあってなるほどいかつい相貌と鋭い眼光をされていたけど、普段は生徒に優しい教師であったと記憶する。お昼の給食も、私たち生徒とともに仲良く一緒に食べていた光景を思い出す。

ただし宿題をサボったり、授業中にいたずらをすると、丸い木の棒でふくらはぎを「ピシャリ」と叩く。これがなかなか上手くて、叩かれた跡が残らないのにとても痛い。先生は「殴り方」のうまさを自慢されていたが、あの棒は怖かった。なるほどこれが元特高なのかなと、感心したものだ。
学校での「体罰」など考えられない今日だろうが、私たちのころはもっとのんびりした田舎の学校生活だった。

Y先生は授業の合間に
「見ろ、日本語というのはこんなに遅れた後進国の言語だ。書くのにやたら時間のかかる漢字があって、その上にひらがな、かたかななんて七面倒な文字がある。整理できてないから複雑なだけだ。それにくらべると、英語はたった24文字で済む。とても合理的だ。この差で日本は戦争に負けたんだ。しっかり英語を勉強せい。」
みたいな話をされたことがあった。私は勉強が嫌いだったが、こんな雑談はよく覚えている。妙に感心したからだろう。
Y先生が本当に元特高だったのか、そして日本語がそんなに遅れた後進性の言語なのかは、私にはわからない。
ただ、戦時中の「特高」という言葉のニュアンスが、なんとなく具体的に想像できた。そして、戦争に負けた日本人がこの敗戦国をどう認識していたかが伺われる。



昭和16年10月、東条内閣発足のまさにその日に一斉摘発で逮捕されたゾルゲやそのグループも、おそらく相当酷い扱いを受けたのだろう。(ゾルゲたち外国人は警視庁外事課が取り調べた)
例えば、沖縄出身のアメリカ共産党員で画家の宮城與徳は取り調べの最中、2階の窓から飛び降り自殺を図ったものの、死ぬことができなくて結局すべてを自白した。密室の拷問には耐えられなかったからだろう。素朴で献身的な諜報員だったようだ。そこから芋づる式にグループ全員が摘発された。
映画の中で、宮城は尾崎秀実に共産党員になった理由を、アメリカでの東洋人差別に加えて、沖縄人であるために日本人からも差別されたからだと述べている場面がある。細かい点だが見逃せない。
今も沖縄問題は、なんら本質的な解決をしていない。ゾルゲの時代のだけの話ではない。

その尾崎も素っ裸にされて竹刀で滅多打ちに殴打される場面がある。この時代に「アカ」のレッテルを貼られて当局に捕まることは、恐ろしい拷問が待っていた。暗黒の軍国主義時代に「思想犯」「非国民」として断罪され、人道にもとる迫害を受けた人々の名誉と人権は回復しているのだろうか。国家の過ちとして、正式に謝罪すべきではないだろうか。



漫画「アドルフに告ぐ」では、共産主義者でなくても、日本の戦争政策に反対の意見を持つ教育者や自由・平和主義の文筆家たちが次々に激しい弾圧を受けた事実が描かれている。当局の過酷な追及を逃げ回り、中には自ら首を吊って自死する人々もいた。
戦前の昭和初期とは、そんな非道な暗黒時代だったのだろう。

手塚治虫は「ガラスの地球を救え」でこう述べている。

「人間狩り、大量虐殺、言論の弾圧という国家による暴力が、すべて”正義”としてまかり通っていた時代が現実にあったことが、・・・・ついこの間の厳然たる事実だったのです・・・・」(光文社知恵の森文庫 48ページ」
手塚にとっては同時代の事実だった。

「ぼくたちは、この世の中が百八十度転換して、昨日までは”黒”だったものが、きょうは”白”と、国家によって簡単にすり替えられた現実を目のあたりにしている世代ですから、その恐怖をなんとしてでも伝えたかった。・・・」(同49ページ)

今の憲法で思想・信条の自由が規定されているということが、どれほど大切な意味を持つか改めて痛感する。ここはGHQに感謝しなくてはなるまい。
軍事独裁政権の苛酷な人権侵害は戦後世界にあってもアジアや中南米でたくさんの事例がある。戦後日本では概ね戦中戦前のような事態は避けられた。あって当たり前の空気が欠乏してはじめてその貴重さに気づくように、この憲法の理念をおろそかにしては、自分の首を絞めることになるだけだ。

「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」
(日本国憲法第19条)

日本国憲法
さらに、もし日本がソ連に占領されていたらどうなっただろうか。
それは、映画「戦場のピアニスト」や「カティンの森」で見たポーランドの運命に近いものになっていたのではないだろうか。つまり冷戦終了までは、窒息しそうな息苦しい全体主義の時代が長く続いていた可能性が高い。

政治権力の奪取に偏った「革命思想」。モンスター化した権力は目的と手段をひっくり返す倒錯現象を生み、一番肝心な「人間」を見失い、手段化した。かくて国家は悪魔的な「人間抑圧システム」へと変貌し、その暴力は徹底的に自己を正当化した。

冷戦終結は資本主義の勝利というよりは、「欠陥品」である社会主義イデオロギーの内部崩壊なのだろう。それこそ「歴史的必然」。
「社会的諸関係の総体」には暖かい血が通っていなかった。

一方、様々な矛盾はあっただろうが、ともかくGHQに占領され、「自由主義諸国圏」に入れてもらって来れたことは、戦後日本人にとっては幸運だったと言ってよいと思う。
皮肉なことを言えば、アメリカの軍事力の庇護のもとで経済活動に専念できたのだ。今は、その戦後体制や思想が根本的に揺らいでいる。



さて、第一次大戦中のドイツ帝国で真面目に祖国を信じて戦い、三度も「名誉の」負傷をするほど献身的に貢献したものの、帝国主義戦争の無意味さを痛感した青年ゾルゲは、野戦病院の看護師や医師から社会主義を学び、1919年にドイツ共産党に入党する。
そしてコミンテルンの理想主義的な運動に参加した。思い込んだら徹底して実践する性格が伺われる。
ちょうど中国では五・四運動の年だ。毛沢東や周恩来が歴史に登場する頃にあたる。朝鮮半島でも「三・一独立運動」が起こった。

しかし、こと志とは違ってゾルゲの前途は決して恵まれた道ではなかった。

スターリンの登場でコミンテルンは変質してゆく。そのためにゾルゲも、所属をコミンテルンから赤軍諜報部に移さざるを得なかった(1929年)のは不本意だったようだ。それでも理想を捨てずに最後まで頑張ったのだろう。もう、元には戻れない。
そのミッションは、とうとう極東の日本にまで到達した。

この弱肉強食の野蛮な帝国主義の時代、世界で唯一の社会主義国家ソ連は東西両国境をナチス・ドイツと日本軍国主義に挟まれ、存亡の際にあった。独ソ不可侵条約(1939年)、三国同盟(1940年)、日ソ中立条約(1941年)という具合に、仁義なき合従連衡が続く。

ゾルゲは持ち前の智力・体力を尽くして、はるか極東の異国に自分の主宰する諜報組織を見事に作り上げた。それは余人の追従を遥かに許さぬ達成と言っても過言ではないだろう。
歴史も文化も異なる島国で、日本軍の「北進」を阻止するための諜報活動にあたった。場合によっては情報操作まで試みた。

ゾルゲの行動を活写した力作として「引き裂かれたスパイ」(上下 ロバート・ワイマント著 新潮文庫 平成15年刊)は、とても読み応えがあって参考になった。

この作品の特徴は訳者・西木正明氏の「あとがき」によると

「現代史の研究家や、このジャンルで仕事を続けている作家にとってゾルゲ事件は情報の宝庫といっていい。ゾルゲ事件を調べることによって、悲劇的なあの戦争の実相に迫れるだけではなく、副次的にさまざまな事柄をあぶり出すことが出来るからだ。
・・・・・本書は、通常の意味での翻訳とはいささか異なる作業の結果生まれたことを、読者におことわりしておかねばならないだろう。
すなわち、翻訳者によって原作の一部が削除ないし加筆されているのだ。当然ながらこのことは、通常の翻訳とは異なり、内容そのものについても、翻訳者が責任の一端を担うことを意味している・・・・
ゾルゲの生涯を描くことは、すなわちあの時代を描くことだと、長い間このテーマをあたためてきた。ゾルゲが命懸けで守ろうとした社会主義の祖国も、今やない。いろいろな意味で、深い感慨を覚えさせられた作業だった。・・・・」

また映画「スパイ・ゾルゲ」の篠田監督も次のように「解説」を寄せている

「・・・・すでに映画『スパイ・ゾルゲ』のシナリオは完成していて、製作の準備に入っていた。読了とともに、ワイマント氏の仕事を早く知っていたらと後悔したものである。ゾルゲ研究では最新の著作であることから、それまで先行した研究著作を上回る資料の発見、解釈の進展などが進み、私はある種の羨望さえ抱いたものである。・・・・リヒャルト・ゾルゲ事件を中心に据えなくては昭和の日本は見えて来ない・・・・・」

ゾルゲ引裂かれたスパイ

しかしその結末は、余りにも孤独で悲惨な最後を迎えたことになる。ときに46歳。

想像を絶する過酷な条件下での諜報活動で、身も心も荒んでゆくゾルゲ諜報団(ラムゼイ)。頼みの綱の通信使クラウゼンも、夫婦ともに逃げ腰になってきた。身辺に迫る監視、尾行の恐怖に神経の休む暇もなかっただろう。ましてや閉鎖的な島国で、言葉の壁も大きい外国人だ。覚悟したこととはいえ、生身の人間、とうに限界点を超えていたことと思える。日本での諜報活動は、すでに8年を経過していた。

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ゾルゲの功績を讃える旧ソ連切手

しかも、もしも社会主義の祖国ソ連に帰ることができたとしても(そこには妻カーシャが待っていた)、スターリンの粛清にあうことがほぼ確実であった。鋭敏なゾルゲは充分それを自覚していたと思われる。
フルシチョフが回顧録で述べているとおり、ボルシェビキ革命の大多数の功労者がすでに抹殺されていた。

ちなみにフルシチョフ時代にゾルゲの名誉回復が行われ英雄に祭り上げられたのだが、「後の祭り」感は否めないし、それもまた権力者の「政治利用」に近い。
もともと社会矛盾の克服と理想世界の実現を描いて立ち上がり、命懸けで共産主義に飛び込んできた人々だけに、さんざん政治に翻弄された末路は悲惨だ。

切手になったゾルゲ

この間の事情は「国際スパイ ゾルゲの真実」(NHK取材班 下斗米伸夫 平成7年刊)が参考になった。
ロシアのマルクス・レーニン主義研究所元部長であったフィリソフ氏の証言を以下に引用しよう

「・・・・1920年代の終わり、コミンテルンによる国際共産主義運動は、スターリンの影響で政治方針を変化させていきました。・・・・・ゾルゲは、コミンテルンに導入された新しい方針に、反対の立場をとっていました。そして、1928年から29年にかけては、コミンテルンの議長だったプハーリンを筆頭に、そうした考えを持った人たちは、次々とコミンテルンから追い出されていったのです」(同書51ページ)

国際スパイゾルゲの真実_

特高の取り調べに対して、最後は大泣きして自白したというゾルゲの心境を想像するに、たんに日本の警察に負けたという以上の「敗北」を意味していたのではないか。

父はドイツ人、母はロシア人だった。両親の国どちらへも帰ることのできないゾルゲの末路は、縁もゆかりもない極東の異人たちの尋問と監獄、そして絞首刑だった。意地の悪いことに、これ見よがしにその日はソ連の革命記念日だったという。

私は自分が生まれ合わせた平和な戦後日本が、いかなる歴史的経過を経て今日に繋がったのか、父祖の時代を振り返って考えるときに、R・ゾルゲの数奇な軌跡がとても参考になると思った。

本当に気の塞ぐような暗い話だが、手塚治虫が言い残したように「ついこの間の厳然たる事実」だったのだ。

そして、今更ながらに「戦後体制」の有難さを噛みしめた。

http://hiroshia.vivian.jp/archives/3198

漫画「アドルフに告ぐ」とゾルゲ事件(4)


「国際スパイ ゾルゲの真実」(NHK取材班 下斗米伸夫 平成7年5月 角川文庫)は、ゾルゲ事件の真実に迫る名著だと思った。

特に独ソ戦(1941年6月22日)勃発前後から約半年の諜報戦は、まさに迫真の史実だったことがよくわかった。
不可侵条約(39年)を一方的に破棄したナチス・ドイツの、不意打ちの大侵略を西から受け、存亡の際に立ったソ連とスターリンの最大の懸念材料は東側の日本帝国の出方だった。日本にどれくらいの「北進」の可能性があるかを探るゾルゲ諜報団の活動はこの時期、まさにその真骨頂を発揮したといって過言ではない。

日本国内にも、卑しいことながらドイツの攻勢を「好機到来」と見て、三国同盟を根拠に「日ソ中立条約」を破棄して参戦すべきと公言する者がいた。あるいは、ナチスに食い荒らされて、ソ連が抵抗力を失ったあとでシベリヤを無傷でいただけば良いというような、姑息な意見もあったようだ。
これが誇りある武士道の国とは思えないような、性根の腐った政治家や軍人がいたのだった。そこに繋がって金儲けを企んだ者もいたのだろう。

昭和16年秋、荒波にもまれる小船のように国際情勢に翻弄された挙句、日本は無謀にも南部仏印進駐に舵を切った。それは長引く日中戦争の始末に行き詰まり、ABCD包囲網に封じ込められ、まるで窮鼠猫を噛むがごとき選択だった。
今更言っても始まらないが、米英との軍事衝突は国策上の大失敗だった。こうして日本の戦争指導者は、真相を知らされていない全国民と、アジアの罪なき人々を奈落へ突き落とした。
まさに地獄絵図の始まりだった。

多くの日本人がのぼせあがって自らを見失っていたとき、ゾルゲは帝国日本の破綻を的確に予測してモスクワに報告していたのだった。

ゾルゲの日本人妻・石井光子へのインタビューによると、この昭和16年10月4日、まさに逮捕の半月前、私服刑事が周囲を見張る銀座のレストランでゾルゲと光子の間にこんな会話があったという。

「・・・・日本がアメリカと戦争をするというのよ。・・・・私は、・・・・日本は日米交渉でうまくやるって言ってやった。・・・・・そうしたらゾルゲは、いや、・・・・日本は電撃戦やるって言ったの。私はそのとき、そうかなあ、と思ってたら、(その後)日本は本当に宣戦布告しないで戦争をやったものね。・・・・」

そして
「・・・・『アメリカはモノイイデキマス。絶対に日本は勝てない。やったら負け、必ず負ける』ってそう言ってた・・・・」とも証言している。

半月後の17日、ゾルゲは逮捕された。
そして翌日12月8日、日本は本当に真珠湾奇襲を敢行してしまった。不意討ちの「戦果」に過ぎないのに、愚かにも国民は熱狂してしまった。真相を見抜けなかったのだ。

巻末に付された解説文を参照してみよう。

国際スパイゾルゲの真実

「・・・・ゾルゲは、単なるソ連のスパイというには巨大であり、スターリン体制と、天皇制国家、そしてナチス・ドイツの運命にかかわった人物として・・・・・多くの人物によって論じられてきた。」(p263 下斗米伸夫)

「・・・・このことは、ゾルゲ事件の一つの性格を物語る。とくにゾルゲや尾崎は情報を入手し、それを通報するというよりも、それ自体が情報源であるような存在だった・・・・」(p298  尾崎秀樹)

「・・・・ゾルゲは個々の情報をそのまま通報しているわけではない。今回公表されたKGB文書のラムゼイ報告を見ても明らかなように、ゾルゲは入手した情報を綜合し分析した上で、それぞれの答えを出していた。指令に応じたものだけでなく、独自の判断でとりあげた問題もある。三国同盟の締結、独ソ戦開始の時期、北進から南方への対外政策の切り替えなど、最高機密に属する情報が多く、しかもそれを正確につかんでおり、報告そのものは短文だが、その裏に秘められたゾルゲの的確な状況の把握が感じられる・・・。」(同 p307)

これらの解説は、この事件の規模の大きさとゾルゲの卓越したな情報収集力、分析力を物語っている。

漫画アドルフに告ぐ

漫画「アドルフに告ぐ」では大阪憲兵隊長の子息でありながら「アカ」の地下活動に従事、父の部屋に入って軍事機密を接写して「ラムゼイ」に送る「本多芳男」が登場する。もちろん架空の人物だが、機密文書をこっそり高性能写真で撮るという行為は、実際にゾルゲがドイツ大使館で行っていたことだった。

また、芳男が機密文書をもうひとりの地下活動家に手渡す場面がある。
互いにまったく見知らぬ地下活動家どうしだが、予め所定の書店の店先でお互いの「暗号」を交わす。
芳男の合図は「私はこの本をとてもおもしろく読みました。一番おもしろいのは25ページです。」、相手は「おれは73ページが一番おもしろいと思うね」と応じている。
これで互いの認知工作は完了して、その直後に芳男はしおりに入れた写真のネガを書籍にはさんで渡す。例のヒトラーの出生書類だ。

これは、実は獄中で書いた「ゾルゲの手記」(みすず書房 現代史資料1962年)に類似の記述があるので、これを読んで手塚治虫がヒントを得たのだろうと思われる。

たとえば、手記の中でゾルゲはこう記している
「・・・・彼ら(伝書使)との連絡は、モスクワと打ち合わせたうえで行われた。連絡の場所、日取り、面会方法に関する条件などすべて無線で打ち合わせるのであった。伝書使とわれわれがお互いを知らない場合は、特別な標識、合図の言葉、お互いを確認するための一連の文句を無線で打ち合わせて決めた・・・・」と、具体的ないくつかの事例を挙げている。

このゾルゲの手記は、獄中で書き残されたもので、冒頭に
「左に掲ぐるはゾルゲの取調に当り、本人に作製せしめたる手記にして独逸大使館関係コミンテルン及日本に派遣された経緯、支那時代、諜報活動関係、連絡方法、其の他6項目に亙り、其の内容は今後の検挙取締上熟読玩味すべきものあり。」
と解説文のあることから、ゾルゲ事件の取調官や裁判関係者に資料として提供されたものであることがわかる。

当然ながら獄中のゾルゲ自身も、その意図を充分認識しており、自分の置かれた状況を仔細に考量したうえで書いたに違いない。
この手記がどう取り扱われれるか、きっとあらゆる可能性を想定しながら慎重に作成したのであろう。
そのうえおそらく、彼はこの手記がたんに当面する裁判記録としてだけではなくて、自分自身のいわば「人間記録」として後世に残ることをも予測していたはずだ。

だからゾルゲの人となりを再現する上で、とても興味深い第一級の資料だ。そう考えてこの手記を解読することには、今日の時点でも大いに意味があるように思った。

切手になったゾルゲ
旧ソ連で切手になっをたゾルゲ

歴史的な背景を確認しながら彼の人生を詳細に追うことは、第1次大戦から第2次大戦に至る「戦争と革命の時代」20世紀を、リヒャルト・ゾルゲに沿って学ぶことにもなると思われる。
そして、ゾルゲ評価の分かれるあり様はまた、現代史を読み解く、それぞれの史観や政治的立場の違いを浮き立たせることになるのだろう。

それほどにゾルゲの存在は大きい。

http://hiroshia.vivian.jp/archives/3217

漫画「アドルフに告ぐ」とゾルゲ事件(5)


昭和18年9月29日東京刑事地方裁判所第9部の判決文を読んでいて、興味深い文面に気づいた。

この判決でリヒャルト・ゾルゲは死刑判決を受けているが、判決理由の冒頭にわざわざ大袈裟な表現で
「被告人は嘗て『カール・マルクス』が『第一インターナショナル』を創設したる当時其の書記として活動したる『アドルフ・ゾルゲ』の孫にして・・・・」
とあるのには、この時代の雰囲気が感じられて興味深い。

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みすず書房 現代史資料

まるで、極悪人「カール・マルクス」の直系の血を引くおどろおどろしき末裔、といった描き方なのだ。なにか時代劇の捕り物の口上のような始まりなのだ。この事件当時の日本の治安当局が、共産主義者をどう見ていたかを雄弁に物語っているように思われる。
言葉つきも、いかにも居丈高なのだ。国家が民衆を睥睨していた。

では、同じ資料の中に収録されているゾルゲの手記をあたってみよう。ゾルゲは本当に「悪漢の血筋」なのだろうか。

みすず書房 1962年刊の「現代史資料 ゾルゲ事件1」には(一)と(二)に分かれて手記が収録されていて、同書の解説によると

「・・・・本文テキスト(一)は、内務省警保局偏『昭和17年中に於ける外事警察の概況』の512-35ページに拠る。本文の最初にある特高警察の前書によれば『左に揚ぐるはゾルゲの取調に当り、本人に作製せしめたる手記にして、・・・・・その内容は今後の検挙取締上熟読玩味すべきすべきものあり』と書かれているが、おそらく本テキストは、1941年10月18日検挙されたゾルゲの、ほぼその一週間後27日月曜日(毎日9時より3時まで)より開始された司法警察官に対する供述の内容を基として、特高警察が内部用にサム・アップし、手記の形式に整えたものではないかと想像される。従って本テキストは判決のさい証拠として採用されていない。・・・・真に手記というべきものは本書にリヒアルト・ゾルゲの手記(二)として掲載されているもので、ゾルゲが検事に対し、自らタイプして提示したものである・・・・・」
とある。

つまり手記は二つ残っていて、(一)は
「・・・司法警察官の訊問調書が本書に収録されていないために、この時期のゾルゲの供述は、本テキストによって知るほかない」性質の資料であって、(2)については

「1941年10月以降、ゾルゲ自身がタイプで打った原稿(ドイツ語)に基づくものである。生駒佳年氏(当時東京外語教授)によるその邦訳全文は1942年2月、司法省刑事局刊『ゾルゲ事件資料』(2)に前半を、1942年4月司法省刑事局刊『ゾルゲ事件資料』(3)に後半が印刷され、政府の関係者に配布された。・・・・・」ものという。

また、「生駒氏の訳された日本文は英訳されて、1951年8月のアメリカ下院非米委聴問会において、証拠書類として提出された・・・・」(いずれも同書)
とあるが、別途後述するように、戦後冷戦期のマッカーシズム時代に占領軍GⅡのウイロビーにも「利用」された。それは、冷戦時代を反映していて「共産主義」の恐ろしさを宣伝するためだった。この頃、ハリウッドは「冬の時代」を経験した。

ゾルゲ事件担当検事であった吉河光貞氏が1949年2月19日、極東軍GⅡの命によって提出した供述書によると

「1941年10月私は東京地方裁判所検事局に勤務を命じられていた検事でありました。・・・・・当時東京拘置所に拘禁されておりましたリヒャルト・ゾルゲに関し、検事の取調を行うよう命ぜられました。私は取調を1942年5月まで行いました。・・・・・取調べの進行中、リヒャルト・ゾルゲは、すすんで私に対し、彼の諜報行動の全体のアウトラインに関する記述を作製の上、提出したいと提議しました、この提案によって、リヒャルト・ゾルゲは私の目前で検事取調室において、ドイツ語でその供述を作製しました・・・・その供述の1章または1節のタイプが終わると、ゾルゲは私の前で読み、私のいる前で、削除や追加をしたのち、私の方へ手渡したのです・・・」

吉河氏の述べるところによると、氏自身ドイツ語も英語も不十分だったが、ゾルゲは話がむつかしくなるので通訳を取調べに入れることには反対したという。そこで吉河検事は不十分ながら辞書の助けをかりて、手記や訊問調書をゾルゲとともに合作したという。原文はドイツ語だったのだろう。
そして、取調べのおわたったあと生駒氏が正式の通訳に採用され、日本語翻訳文を作製したものらしい。ドイツ語の記述についても異論ないかどうかゾルゲに訊ねたうえでゾルゲの署名を付した。
このときのドイツ語の唯一の原文テキストは司法省の戦災で亡失しているが、訊問調書の写しは保存されていて、戦後アメリカ占領軍によって没収されたという。
ただし、この手記が起訴の材料にまでなるとは、ゾルゲ自身は書くとにきは知らなかったらしい。

このときの「言葉の壁」が、取調べに大きな困難を与えたことも興味深い。ゾルゲに通訳として接した生駒氏が後年に貴重な回想を残している。
「・・・・・本来ならば検事の取調べと予審廷での訊問は別の通事を用いなければならないのだが、その時は他に人がいなかった為再び私が通事を依頼される仕儀となった・・・・」(同現代史資料)

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戦後進駐軍に接収されたあとの「巣鴨プリズン」

この当時の日本で、ドイツ語を母国語とする外国人を取調べ、裁判にかけることがいかに困難な作業であったかを彷彿させると同時に、故郷から遠く離れた極東の異国で、言葉も満足に通じないなか、刑事被告人として極刑も想定しながらの孤独な獄中生活を送ったゾルゲの心中も思いやられる。

ところで本題にもどって、ゾルゲが祖父の思想的影響をどれだけ受けていたのかというと、この手記を読む限り、そうはいえない。
たとえば手記(二)第3章 「ドイツ共産党員としての私の経歴」(同現代史資料214項)を紹介すると

「1914年から1918年にわたる世界大戦は、私の全生涯に深刻な影響を与えた。・・・・私はこの戦争だけでりっぱに共産主義者になったものとおもう。・・・・・」
とあるし、肝心の祖父については
「・・・・私は、祖父が労働運動に尽くしていたことを知っていた。そして父の考えは祖父の考えとはまるで正反対だったことも知っている。・・・・」
と客観的に触れているが、祖父の思想・行動がゾルゲが共産主義を主体的に選んだことに何らかの影響があったとは読み取れない。

判決文そのものは、そのあと事細かな罪状を大量かつ克明に書き連ねていて、読んでいても飽きるほどだが、そこは役人仕事でおそらくゾルゲの証言を正確に逐次反映した内容なのだろう。しかし、ゾルゲと取調べ側との間には神経戦にも似た取引があって、それ相応の妥協や合意はもちろんあったようだ。
更には日本側でも固有の国内事情があって、特に軍部の憲兵隊と内務省管轄の特高警察との縄張り争い、反目も指摘されている。こうした複雑な状況の中で「国際諜報団」は摘発され、取調べを受け、そして裁判、判決へと進んだのであったのだ。
最終的に上告棄却は昭和19年1月。

特高側も、最初からゾルゲや尾崎のような大物が網にかかると想定していたわけではなかった。日本人共産主義者を虱潰しに取り締まり検挙しているうちに、芋づる式に宮城にたどり着いた。それがこんなにスケールの大きな国際ネットワークにたどり着くとは、想像の埒外だったようだ。

検挙(41年10月)後の司法省の発表は翌1942年6月16日で、ゾルゲや尾崎の検事調書が済み、証拠堅めが成ったあとだった。国民一般に周知されたのはこれが初めてだった。

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その中の司法内務両当局談には
「国際諜報団事件については、捜査当局の不眠不休の努力の結果やうやくその全貌を明白ならしめ、不逞組織を根柢より覆滅することを得たのであるが、大東亜戦争の開始に先立ち、これを検挙することを得たについては真に関係当局の労を多としなければならない・・・・」(同542項)
「・・・当局としては、今次事犯の経験に鑑み、この種不逞分子に対する取締を一層強化しその徹底を図ると共に・・・・」(同)と記している。

そして「・・・・上層部その他の有識層の各位において、軽々に国際的秘密事項に関する論議をなし不識の間に秘密事項を察知せられるが如きなきやう格段の自粛自戒を切望してやまない・・・」(同543項)
といった具合に取り締まり方の権威をもって、居丈高に関係者を恫喝している。剥き出しの権力意思だ。

ともかくいきなり「不逞組織」「不逞分子」と決めつけて憚らない。しかも「治安維持法違反」の罪科を適用するために、国体変革や私有財産制を否定する革命運動と強引に関連付けた恣意性は否めない。
そもそもゾルゲの諜報活動はソ連のための行動であって、日本共産党の非合法活動と直接の連携はない。また、ソ連当局からも、ゾルゲたちは現地共産党と連携することは厳しく禁じられていたと、手記でも予審でもゾルゲは述べている。
それにゾルゲの身分は、すでにコミンテルンからははずれていた。スパイ行為だから「国防保安法」や「軍機保護法違反」「軍用資源秘密保護法」違反に問われることはゾルゲたちも覚悟のうえだろう。しかし、日本の共産主義革命を取り締まる「治安維持法」違反で外国人のスパイ活動を裁くのは、やや無理筋を感じる。手記を見てみよう。

「・・・・かくして、コミンテルンから分離された結果、私に課せられた任務の性質にははっきりした変化が認められた。私は、中国及び日本の共産党とは一切の交渉を禁ぜられ、勝手に会うことは勿論、彼らを援助することも許されなかった・・・・」(同141項)

「・・・・組織上私がモスクワとそんな関係にあるかという点については、私には何らの説明を与えられなかった。従って、私は一体どんな機関に所属しているのか不明であった。また、私の方からも敢えてこの点について尋ねてみることをしなかった・・・・私がいろいろと考えてみた結果得た結論は・・・・党の最高部、従ってソヴィエト政府の最高部で使用されたことは確かである・・・・」(同142項)

「・・・以上を要約するとこういうことになる。私は、日本におけるスパイ団の長として直接、かつ専らソヴィエト共産党中央委員会との間に関係を持っていた。なお、私の仕事の技術面と若干の諜報活動については赤軍の第4本部にも属していた。前にも述べたように、コミンテルンと私の関係は単に間接的なものにすぎなかった。・・・」(同143項)
微妙な言い回しながら、日本における共産主義革命には直接関与していないと、はっきり述べているのである。

しかし、ソ連赤軍の配下であることだけを衝かれると、今度は憲兵隊にまわされかねない。特高がこの事件をあくまで自分たちの縄張りで裁こうとした思惑が「治安維持法」適用につながったのだろう。当初取調べにあたった警察庁外事課の大橋部長の証言では、ゾルゲも憲兵に捕まると、いきなり銃殺になるのではないかと恐れたから、特高の説得に応じたのだという。取調べ、公判はこうした事情を反映した「合作」なのではないだろうか。

しかし、この段階ではまだゾルゲは助かる可能性に希望を持っていたようだ。確かにスパイではあっても同盟国のドイツ人であり、ドイツ側がどうでるか不明であったし、肝心のソ連とも日ソ中立条約を結んでいるので、折からの太平洋戦争の動向も含めてゾルゲにはまだ脱出可能性が充分あると思えたのだろう。
かつて上海では蒋介石政府のもとで「ヌーラン事件」(1931年)といって類似の事例があったが、最終的にソ連の干渉でスパイは国外退去というかたちで命拾いしている。
しかしその後のソ連のゾルゲ事件への態度(まったく無視だった)や国際関係の変化、戦時下の日本という異常な条件の下では、不幸にしてゾルゲの願いは叶わなかった。
こうして極刑が確定した。

「 本件上告はこれを棄却す。  昭和19年1月20日       大審院第一刑事部」

いずれにせよ、手塚治虫の傑作漫画「アドルフに告ぐ」に描かれた、「アカ」と呼ばれた人々に対する残酷な人権侵害は、こうした政情のもとで白昼堂々と行使された暗黒時代だった。治安維持法は拡大解釈され、共産主義者以外の人々でも容赦なく取り締まり、検挙し、拷問した。戦争に反対する人は無論、政府の政策に疑問を表明する人はたちまち「アカ」として残虐な扱いを受け、その家族は「非国民」として社会から村八分の扱いを受けた。宗教統制に従わない教団も徹底的に弾圧された。
この時代の日本では、「自由」が完全に窒息していた。

この判決文冒頭の表現や司法内務当局発表文も、そうした社会状況を反映しているのであろう。亡くなった叔父がよく「・・・大正生まれは本当に(歴史の)被害者で損した」と問わず語りに話してくれた言葉を思い出す。

同書巻末の「歴史の中での『ゾルゲ事件』」によると、

「・・・・1941年10月ゾルゲら検挙の報は、日本の支配層に電撃のように伝わった。それは、厖大な流言の洪水を招いた。・・・・・一般の人民は、つぎの司法省の発表まで、何も知らされることがなかった。それは、検挙の翌年1942年6月16日・・・」

「この発表ののち、敗戦まで日本国民がゾルゲ事件についてふたたび聞くことはなかった。ゾルゲの刑死したのは、1944年11月7日、ロシア革命記念日であったが、その発表は行われなかった。・・・・」とある。

戦時中の国民には、本当のことは知らされていなかった。
こんな国家犯罪は絶対に許されない。わずか70数年前のことだ。これからも、都合の悪いと思う勢力が歴史の真相を隠そうとするだろう。
その時代に生きた手塚治虫は、自らが生きた酷い歴史の真実を後世のために描き残していたのだと思った。

http://news.kodansha.co.jp/20161113_c01


『アドルフに告ぐ』手塚治虫最高傑作? ナチスと日本特高警察の「正義」

レビュー


歴史


草野真一



『アドルフに告ぐ(1)』
(著:手塚治虫)

2016.11.13

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自分メモ
















アドルフ・ヒットラーはたいへん優秀な政治家であった。

第一次大戦の敗戦と世界恐慌が重なって、当時のドイツは最悪だったと言っていい。政治家ヒットラーはそれを救ったのである。少なくとも、当時のドイツの景気が戻った要因のひとつが、ヒットラーの政策にあったことは、疑いようがない。

彼は景気浮揚策として、アウトバーン(高速道路)の建設を進め、積極的な公共投資をおこなった。これははじめから失業者対策を狙っておこなわれたから、あえて機械化比率を抑制し、雇用を促進する形で進められている。

公共事業をやれば景気は上昇する──これは、日本の高度経済成長を支えた論理とまったく同じだが、裏付けがまったく違う。日本の場合はケインズ経済学あって公共投資が行われているのに対し、ヒットラーにはそんなものなかったのだ。したがって、彼はカンと経験則だけでこれをおこなったのである。大したもんだというほかはない。

もうひとつ、ヒットラーの政策で影響が大きかったのは、アーリア人(ゲルマン民族)の優位を訴えたことだった。アーリア人はたいへん優れた人種(支配人種)である。すべての有色人種に勝っている。ドイツとはそんな優れた人種によって建国された国なのだ。なぜあなたは誇りを持たないのか。ヒットラーはうちひしがれたドイツ国民にそう訴え、鼓舞したのである。本作にも印象的に描かれているベルリン・オリンピックとワーグナーの音楽は、その証明だ。

血統や血筋を持ち上げて、わが民族は優れていると語ることは、多かれ少なかれどの民族もやっている。もちろん日本もやっている。お家芸と言っていいほどだ。大和魂、日本男児、大和撫子、枚挙に暇がない。戦前~戦時中ならなおさらだ。



この理屈をより強力なものにするためには、比較対象を設定すればよい。ヒットラーはこれをユダヤ人とした。アーリア人の純血を汚すユダヤ人は排除してしかるべきだ。こうして、悪名高きユダヤ人大虐殺は実行された。

自分を他人より優れたものと見なしたい。他者を自分より劣ったものと考えたい。そんな気持ちは、誰にだってある。私にもあるし、あなたにもある。ヒットラーはそこをくすぐったのだ。人種を優劣の理由とすれば、多くのものを包含することができる。なんにもない人も勇気づけられるのだ。おそらくはヒットラーも不遇時代に、この考え方で救われた経験があったのだろう。

アインシュタインもボブ・ディランもユダヤ人だから、ヒットラーの考えは誤りだったということができる。だが、これは「ユダヤ人は劣っていない」ことを証明してはいても、「優れた民族と劣った民族がある」ことが間違いだとは言っていない。ひょっとすると現代科学にはこれを証明できてしまうのかもしれないが、主張することはタブーになっている。第二のホロコーストを生みだす論理だからだ。


本作『アドルフに告ぐ』はヒットラーとナチス・ドイツの時代を描いた歴史大河作品である。ヒットラーをふくむ3人のアドルフがたどる数奇な運命を描いている。ことに、ふたりのアドルフ──アドルフ・カウフマンとアドルフ・カミルはそれぞれドイツ人とユダヤ人であり、子供時代を親友として過ごしながら、ナチス・ドイツの国家戦略によって引き裂かれ、反目したまま生涯を終えざるを得なかった。

本作の掲載誌は「週刊文春」。大人向け有名週刊誌への連載は、作者にとっても新しいチャレンジだった。マンガを読む習慣のない大人の読者に、何を訴えるか。何を知らせるか。それを考える瞬間がきっとあったにちがいない。これは、そのうえで出てきたテーマなのである。



ナチスと日本の特高警察がおこなった残虐は、しつこいほどに描写されている。臨終が近いアドルフ・カウフマンの述懐「子どもに殺しを教えることだけはごめんだ/世界の子どもが正義だといって殺しを教えられていたら、いつか世界中の人間は破滅するだろうな」は本作の大きなテーマとなっている。

失業者に職を与えることは正しい。打ちひしがれた人に勇気を与えることは正義である。正義を実行することが悪いはずはない──この非の打ちどころのない論理が、そのまま悪にも変わり得ることを、本作は語っている。

民族の問題は、移民の問題をふくめヨーロッパでは毎日のように論じられている。ここ日本でも、単純に先延ばしにしているだけで、いつかは向き合わざるを得ないテーマだと誰もが知っている。本作がアクチュアリティを失うことは、たぶんないだろう。

言うまでもなくそれは不幸である。作者もそう考えるにちがいない。

この作品を手塚治虫の最高傑作と語る者も多い。(ここではマンガの表記にしたがい「ヒトラー」ではなく「ヒットラー」とした)

電子あり

『アドルフに告ぐ(1)』書影


アドルフに告ぐ(1)

著:手塚治虫

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神戸に住むドイツ領事の息子のアドルフは、パン屋の息子でユダヤ人のアドルフを通じて、アドルフ・ヒットラーの秘密を知る。その秘密とは……!?  第2次世界大戦を背景に、3人のアドルフの運命を描く著者の代表作。

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草野真一

早稲田大学卒。書籍編集者として100冊以上の本を企画・編集(うち半分を執筆)。日本に本格的なIT教育を普及させるため、国内ではじめての小中学生向けプログラミング学習機関「TENTO」を設立。TENTO名義で『12歳からはじめるHTML5とCSS3』(ラトルズ)を、個人名義で講談社ブルーバックス『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの?』を出版。「IT知識は万人が持つべき基礎素養」が持論。2013年より身体障害者になった。

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