新日本プロレス 仲野信市の証言 1984年のUWF第3回佐山聡より プロレスのセメントスパーは立ち技からのフリースパーではなく寝技オンリーの限定スパーだった! タックルもテイクダウンもスパーでは使わないかなり偏った練習内容だった!

仲野信市
「新日本プロレスの道場にはスパーリングという言葉はなくセメントもしくはガチンコと呼ばれていました

関節技あり チョークスリーパーあり フォールなしの サブミッションレスリングと言われるものです

タックルも一応教わるけれど 打ち込みのようなものだけで 立ち技を専門的に教わることはありません

長州力さんやマサ斎藤さんのような レスリングをやってきた人たちにタックルを学んだりもしません

新日本プロレスには 相手をどうやって倒すか という発想はなかったんです

セメントは基本的に強い人が四つん這いになり 僕ら若手に 

『攻めて来い』 

というところから始まります

見よう見まねで必死に攻めているうちに いつのまに下になっていて あとは散々痛めつけられるだけ(笑)

関節技だけでなく たとえば腹で僕らの口をふさいで息ができないようにしてくる

動かない死ぬと思うから必死です

タップしても全然許してくれません

『まだ極まってないぞ 逃げろ逃げろ』

って
キツいですよ(笑)

向こうも僕らの限界がわかっているから ギリギリまで追い込むんです

僕らから最後の力を引き出しておいてから ようやく力を緩めて

『強くなったなぁ』

と褒めてくれる

コーチの山本小鉄さんからはこう言われました

『リング上のプロレスにはセメントの技術は必要ない

ただし ほかの世界の人間と戦うときに プロレスラーは絶対に負けられない

だから いざとなったら相手の目に指を入れる覚悟を持ちなさい

けれど 強くなればそんなことは必要ない

そのために身につけておかないといけないのがセメントの技術なんだ』

って」




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KBJJA BJJ PRO JAPAN

【KBJJA BJJ PRO JAPAN】アダルト茶帯ルースター級


【KBJJA BJJ PRO JAPAN】アダルト茶帯フェザー級


【】アダルト黒帯ライトオープンクラス

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柔術は実戦で使えるのか? ストリートファイト動画 山田英司編集長には是非ストリートファイトでこういう目にあってほしいw




まぁ
山田英司なら
どうせレンガを拾ってウンタラとかいうカーズ様発言するんやろうなぁ
そんな発言する時点でワムウより弱いやつ認識されるんやでw
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柔術プリースト 255

Jiu Jitsu Priest #255

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柔術で生まれ柔道 高専柔道 七帝柔道には無い独特のガードワーク 足の使い方 インバーテッドガード



http://www.mma-core.com/videos/Artem_Lobov_vs_Ryan_Hall_TUF_22_Finale_Part_1/10117649

http://www.mma-core.com/videos/Artem_Lobov_vs_Ryan_Hall_TUF_22_Finale_Part_2/10117650

http://www.mma-core.com/videos/Artem_Lobov_vs_Ryan_Hall_TUF_22_Finale_Part_3/10117651

インバーテッドガード

いわゆる肩を支点にしながら回転するガードワーク

日本で初めて伝わったのはマルコバルボーザ先生がセミナーでインバーテッドの基礎 ドリルワークを紹介して

日本全国の柔術家に広がったのが始まりだと思います

本とかDVDではライアンホールとかコブリンヤが最初に教えたのが始まり?

ヒクソンとかホイラー ミノタウロノゲイラなどの世代には無かったガードワークです

コブリンヤ メンデス兄弟 ファブリシオヴェウドゥム辺りから柔術 ノーギ MMAにも広がったと思います

現在のモダン柔術やモダンノーギには最も基礎的な動き ガードワークですが

実戦 ストリートファイト MMAでも使えるのか?

という問いが出そうですが

ライアンホールのMMAの試合ではインバーテッド系 逆さ状態のガードからの足関節をバンバン使っていますね

要するに打撃があろうとフツーに使えるという事なんです

それと実は

このインバーテッドガード

柔道には存在しなかったガードノウハウ

柔道の歴史上使われなかった足の使い方なんです

七帝柔道 高専柔道にも存在していませんでした

エリオ系グレイシー一族のようなオールドスクールスタイル にはない動き
そして柔道には無かった足の使い方

それが現在進行形のモダン柔術のコア 核ともいうべきノウハウがインバーテッドガードです

このノウハウの最大の特徴はオールドスクール時代からの足の使い方ガードワーク同様一人でも壁を使ったり
床で練習が出来るという点でしょうか

Xガード シングルレッグXガード スパイダー クロスガード ハーフガードでは一人ドリルは無理ですからねぇ

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日本ブラジリアン柔術連盟 JBJJF公式 KBJJA 主催 JBJJF協力 BJJPRO JIu-JItsu Championshipライブ動画

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柔術は実戦で使えるのか? 柔術家が泥棒を撃退!

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体罰の5つの副作用 『閉ざされた扉のかげで―家族間の愛と暴力』(M.ストロース著)には、体罰を受けてきた人は、配偶者への暴力が多い、子どもへの暴力が多いといった研究例が紹介されています。

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http://bylines.news.yahoo.co.jp/usuimafumi/20130302-00023704/


体罰の5つの副作用: 体罰の定義「体罰の心理学」反対するなら根拠を持とう


碓井真史 | 新潟青陵大学大学院教授(社会心理学)/スクールカウンセラー


2013年3月2日 17時55分配信

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体罰に関する朝日新聞の記事:各メディアが大きな報道をしました。


大阪の市立高校、女子柔道と、体罰の問題が大きく話題になりました。学校現場では体罰は違法ですが、ある程度の体罰は必要だとする容認派の人も根強くいます。なぜ体罰はいけないのか、心理学的に考えてみましょう。

◆体罰とは:体罰の定義◆

体罰の定義:体罰とは、親、教師、コーチなどが、指導する上で与える肉体的苦痛を伴う懲戒です。つまり、殴ったり長時間立たせたりする懲らしめです。体罰だと非難された人が、「体罰ではなく指導である」などと反論することがありますが、指導目的であるのは当然です。そうでなかれば、ただの暴力です。

体罰禁止というと、殴りかかる生徒に何もできないのかと言う人もいますが、そういう生徒を押さえつけたり、一時的に教室外に連れ出したりするのは、体罰ではありません。ただし、どの程度のことが体罰になるのかは、子どもの年齢や状況によって変わり、体罰の定義は機械的には決められないと文科省も考えています。

2013.3.13.補足

2013.3.13文科省が体罰の具体例を明示(読売新聞)
2013.3.13文科省が体罰の具体例を明示(読売新聞)

◆体罰は効果的か◆

一時的に人を動かす方法として、体罰や暴力は、とても効果的です。暴力でサイフ奪うことができますし、竹刀で殴れば、私語をやめさせることもできるでしょう。しかし、強力だからこそ、様々な問題が生じます。

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◆体罰の「副作用」(危険性)◆

○体罰の副作用1:人間関係を悪くする

体罰を受けると、相手を恨んだり、憎んだり、恐れたりします。心理学の研究によれば、やる気はコーチや先生との良い人間関係の中で生まれます。体罰で無理に動かしても、本当のやる気は出ません。親子の場合、言うことをきかせたとしても、親子関係が悪くなっては、もちろん困るでしょう。非行少年をただ殴っても、彼らは殴った相手と社会を恨むだけでしょう。

○体罰の副作用2:自主性の喪失、心の健康被害

圧倒的な暴力の前では、人は無力になります。元巨人軍の桑田さんが、「体罰は自立を妨げる」と語っているように、体罰で無理やり言うことを聞かせた結果、模範囚のように言いなりになり、自主性や積極性が失われる恐れがあります。

子どものころの体罰で精神疾患を持ちやすくなる、という研究結果も報告されています。

大人になってから、子どもの頃受けた体罰の苦しみを告白する人も、大勢いるでしょう。

アンケートの結果から(読売新聞2013.3.19)
アンケートの結果から(読売新聞2013.3.19)

女子柔道の選手のみなさんも、体罰により心身共に深く傷ついたと語っています。女子柔道”失望と怒り”全文参照。

補足(2013.3.20)

日本オリンピック委員会(JOC)による「暴力行為を含むパワハラ、セクハラについてのアンケート調査」の結果、選手の約11・5%が「暴力やパワハラなどを受けた経験がある」と回答しました。

○体罰の副作用3:暴力を教えてしまう

幼いときから体罰を受けると、大人の思いとは裏腹に、「必要があれば暴力を振るっても良い」と誤解して学んでしまいます(心理学用語で言うと「モデリング」「観察学習」)。暴力事件を起こす少年や、家庭内暴力を振るう少年が、幼いときから体罰を受けるなど、暴力が身近にある環境で育っていたことなどは、珍しくありません。

また、子どものころから体罰ばかりを受けていると、親や指導者になったときに、体罰以外の教育、指導方法が使えなくなる(思いつかなくなる)場合も、あるでしょう。

『閉ざされた扉のかげで―家族間の愛と暴力』(M.ストロース著)には、体罰を受けてきた人は、配偶者への暴力が多い、子どもへの暴力が多いといった研究例が紹介されています。

○体罰の副作用4:他の指導法を学べなくなる・さらに高圧的になる

体罰の効果は、強烈です。だからこそ、この方法に頼ってしまうと、他の方法を学べなくなってしまいます。普通は、親も先生も苦労しながら、どうしたらこの子に教えることができるかと、あの手この手を使ってみます。そうして、この子にとっての良い方法を、大人も学んでいくのです。

体罰という強烈な罰を使用し、子ども、生徒が服従する体験を重ねると、態度がさらに高圧的になり、体罰を与えている感覚が麻痺し、体罰が増加していく危険性があります。

○体罰の副作用5:いじめの誘発

いじめに関する教育心理学的な研究によれば、いじめを誘発しやすい担任のパターンがあります。一つは、ただの友だちのような優しいだけの先生。クラスに統制がとれず、いじめが生まれやすくなります。もう一つのパターンが、高圧的な先生です。子ども達が先生のまねをして、他の子ども圧力をかけるようないじめが生まれやすくなります。

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◆罰の効果の限界◆

罰は、一般に何をしてはいけないかは教えても、では何をしたら良いかは教えません。強い体罰による恐怖で、私語のない静かな教室は作れるかもしれませんが、勉強への意欲関心は、高まらないでしょう。激しい体罰を与えればスポーツを愛するようになるでしょうか。

補足(2013.3.20)

JOCの柔道に関する報道によると、選手達は園田監督の体罰をとても恐れ、監督にメッセージカードを渡したり、「園田組」というTシャツを作ったりしていました。それらの信頼関係は、体罰を避けるための工夫であり、を全部演技だったと述べています。

◆少年犯罪と罰◆

悪いことをした人には、制裁が必要です。犯罪少年の中には、少年院に入って初めて反省する人もいるでしょう。しかし犯罪心理学の研究によれば、少年と少年院の職員との人間関係ができないと、更正は難しいとされています。

また、非行少年たちも「罰を受けないようにしよう」とは思っています。ただ彼らは、「だから、ばれないようにしよう」と思ってしまうのです。

◆愛のムチ◆

愛のムチが絶対にないとは言いません。殴られたことで、愛が伝わり、人生やり直す人もいるでしょう。しかし、「愛のムチ」を気軽に口にし行為を正当化する人は、おそらく愛のムチではありません。

◆調教師のムチ◆

ライオンの調教師は、ムチを持っています。しかし、このムチでライオンを叩いて芸をさせているわけではありません。動物に芸を教える方法は、基本的に「報酬」です。

ムチは、俺がお前たちのボスだという権威の象徴です。見た目の怖い先生、大きな怒鳴り声なども、痛みや恐怖で人を動かすものではなく、権威の象徴でしょう。

◆体罰を与える人、受ける人、社会、時代◆

かつては、社会全体に体罰がありました。殴る方も殴られる方も、身体的、精神的に慣れていました。軍隊で上官が部下の尻を叩く際には、決して骨が折れるような叩き方はしませんでした。殴られるときには、歯を食いしばり、しっかりと立っていました。

しかし、現代では両者共に慣れていないために、心身共に大きな傷を負うことがあります。叩く側が感情的になっているとなおさらです。

アメリカの一部やシンガポールでは、体罰が合法ですが、本人に納得させ、親の承諾を得、校長や訓練を受けた教師が、決められた回数だけ、叩きます。怪我がないように、細心の注意が払われます。

また、偶発的な体罰の場合には、与える側と受ける側の力の差が問題になることもあります。体が大きくて強く、多少乱暴な文化に慣れている人は、この程度のことは体罰ではないと感じるのですが、受ける側には、心身のダメージが大きいこともあるのです。

◆スポーツと体罰◆

スポーツの世界には、ピラミッド型の上下関係があるでしょう。うまく機能すれば、良い意味での体育会系として、上司の指示に責任を持って従う、率先して行動するということになるでしょう。

 厳しくも楽しいスポーツを 
 厳しくも楽しいスポーツを 

しかし、悪い面が出てしまうと、上からの命令が絶対になってしまいます。またスポーツは、肉体的な苦痛が伴うものです。ある程度の負担がかからないと、体も強くなりませんし、面白くありません。

これらの方向が誤った方向に行くと、体罰になるのでしょう。一部のスポーツ集団では、昔から体罰が加えられ、それが良しとされてきました。しかし、現代社会はそれを許しません。体罰なしの新しいスポーツ文化が必要ではないでしょうか。

今回の事件を受け、日本体育学会も緊急声明を出しています。




体罰による運動部の指導は、~決して容認できるものではありません。実験心理学の研究成果が示すように、閉じられた空間の中で人を罰する権限を持たせると、その権限は次第にエスカレートしていき、他方で罰を受ける側もそれを甘受するようになります。同様に無気力で無抵抗な人間を作り出すという実験結果も見られます。


出典:日本体育学会理事会 緊急声明

◆高校と女子柔道関係者のみなさんへ◆

大きく報道された関係者のみなさん。深く、大きく傷ついていることと思います。学校の場合は、悪い意味での注目が集まり、校外で校名を出しにくいなど、「スクール・トラウマ」となっているでしょう。学校全体が傷ついていますから、学校全体の癒しが必要です。もう一度、すばらしい学校、すばらしい女子柔道になることを、期待し、応援しています。

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体罰  「しかし今度、日本人捕虜を見て大いに失望した。上級者は威張り散らし、下級者はうそといい逃れに終始している。話し合いや理屈のいい合いもなく、すぐ上の者が下の者を殴りつける。弱肉強食とは日本人集団のことをいうのではないか」(佐藤悠『モンゴル吉村隊事件凍土の悲劇』より)

http://plaza.rakuten.co.jp/bluestone998/diary/201303150000/

体罰、近代日本の遺物 「持たざる国」補う軍隊の精神論(15日の日記) (2)


テーマ:政治について(14501)

カテゴリ:社会問題

 政治学者の片山杜秀氏は、2月19日の朝日新聞に寄稿して、わが国の教育現場の「体罰」は日本軍に起源をもつと述べている;



 教師に体罰を受けた。東京の私立小学校。しつけは厳しい。私語するとひざを打たれる。耳を引っ張られる。痛かった。

 まるで軍隊教育だ。よくそう思った。当時はまだ戦後約四半世紀。兵隊生活を描く映画やマンガが氾濫(はんらん)していた。しばしばビンタの場面があった。その亜種のようなスポーツ根性物も多かった。しごきの描写が凄(すご)かった。

 実際、日本の軍隊では体罰は日常茶飯事だった。戦後5年めの座談会。政治学者の丸山真男は徴兵体験をこう振り返る。「(なぜ殴られるのか)考えているうちに十くらい殴られてしまうん(笑声)ですからね」

 軍隊での暴力的指導はいつからのことか。明治維新期の建軍当初からか。そうでもないらしい。敗戦時の首相、鈴木貫太郎は海軍軍人。日清戦争前に海軍兵学校を卒業した。自伝を読むと、その頃の兵学校は暴力と無縁だったという。

 転機は日露戦争。元陸軍大将の河辺正三が戦後に著した『日本陸軍精神教育史考』にそうある。相手は超大国。ロシア軍は大人数で装備もよい。「持たざる国」の日本が張り合えるのか。大慌てで新規徴兵した。しかし中身が伴わない。練度が低い。弾も少ない。戦闘精神も上官への服従心も不足。おまけに敵は西洋人。体格がいい。小柄な日本人が白兵戦を挑むとなるとつらい。

 苦心惨憺(さんたん)のやりくりの末、日露戦争は何とか負けずに済んだ。が、次は分からない。仮想敵国は西洋列強ばかり。常備戦力を彼らに太刀打ちできるほど増やす。装備も訓練も一流にする。そうできればよい。しかし、日本は人口も武器弾薬も工業生産力も足りない。結局、期待されたのは精神力だ。戦時に動員されうる国民みなに、日頃から大和魂という名の下駄(げた)を履かせる。やる気を示さぬ者には体罰を加える。痛いのがいやだから必死になる。言うことも聞く。動物のしつけと同じ。

 もちろん軍隊教育だけではない。大正末期からは一般学校に広く軍事教練が課された。過激なしごきは太平洋戦争中の国民学校の時代に頂点をきわめた。

 『日本人はどれだけ鍛へられるか』という戦争末期の児童書がある。日本人はしごかれると英米人よりもはるかに高い能力に達するという。理屈はよく分からない。でもそう信じれば勝てるという。これぞ精神論である。

 戦後、日本から軍隊は消えた。しかし暴力的指導の伝統はどうやら残存した。「持たざる国」の劣位や日本人の体力不足は気力で補うしかない。日本人は西洋人に個人の迫力では劣っても、集団でよく統率されれば勝てる。そういう話は暴力的な熱血指導と相性がよい。体格の立派な外国人と張り合うスポーツの世界ではなおさらである。

 先日、人前でずっと座っていなければならないことがあった。それを眺めていたお客さんが言った。「あんなに堅苦しく膝(ひざ)を揃(そろ)えていなくてもよいのに」

 なるほど。しかし私はそういうとき、膝を崩すと昔の先生が叩(たた)きにこないかと今でも心配してしまうのだ。からだは決して体罰を忘れない。それでピシッとしているのだからよいとも言える。が、もう一度してくれとは決して思わない。



2013年2月19日 朝日新聞朝刊 13版 16ページ「体罰 近代日本の遺物」から引用

 武器弾薬の不足や兵隊の体力の不足を精神力で克服するとは、実に呆れた発想で、敗戦直後の昭和天皇もそれが誤りであったことを述懐していた。その悪しき伝統が、現代まで引き継がれていたとは、これまた呆れた話だ。自民党などは、文部科学大臣経験者までが「体罰を禁止するのは、警察官から拳銃を取り上げるようなものだ」というような発言をしたそうであるが、よく話し合って悪しき伝統と決別するべきである。

http://judo.daa.jp/z%20taibatu.htm

体罰問題 ~日本帝国陸・海軍の悪しき風習の残存~

 大阪市立桜宮高2年のバスケットボール部主将の男子生徒(17)が、顧問の男性教諭(47)から体罰を受けた後の12月23日に自殺した問題に始まり、その後、全国で体罰問題が次々に明らかにされ、直近では柔道女子日本代表の園田監督やコーチが、選手に暴力やパワーハラスメント行為をしていたことを15人の女子選手が日本オリンピック委員会に告発する問題が出てきた。

 これらの問題に対して、問題を起こした張本人の管理・監督者である大阪市教育委員会や全日本柔道連盟は、体罰と自殺との因果関係は明確でない、といって顧問教諭をかばったり、当人は反省していると言って即座に監督続投を発表した。これらの問題に対して、マスコミや知識人と言われる人達が様々なことを発言しているが、私には上面の議論にしか感じられない。私はこれらの本質は戦前の日本帝国陸・海軍時代から続く日本の悪しき風習が現在まで続いているのだと感じている。

 帝国陸・海軍の悪しき風習とは何か?幾つかをいかにまとめる。
 ①日常的な暴力
    軍隊内での暴力が日常的に行われていたことは、今更説明するまでもないだろう。海軍の工藤俊作は、艦内での鉄拳制裁を厳禁したとか、同じく海軍の谷口尚真が海軍兵学校における生徒の鉄拳制裁を禁止したという話が残るくらいこれらは珍しいことであった。私の父はラバウルだったか、南洋の島に送られ、毎日病気で死んでいく戦友を看取り、マラリアに罹って体重が30kgまで落ちて日本に帰って来た話をしていた。軍隊では日常的に暴力を振るわれ、班の所有物が足りない時には別の班から盗んでくるようメチャクチャなことを教育されたと話していた。叩かれることを恐れていてはやっていけない組織であったようだ。そういう意味では現在問題になっている高校や女子柔道と同じである。日本に帰ってきて憲兵になって、福岡市付近を見回っていた時に長髪?の為か理由は忘れたが、九大の学生を捕まえて竹刀が折れるまで叩き上げた話もしていた。自慢話ではなく、そんな出鱈目なことが自分も含めて日常的に行われていたという反省が強かったと思う。
 ②庇い合いの風習
    陸海軍トップの悪しき風習の一つが、庇い合いである。どんな間違いを犯しても責任を問うということをしない。トップ仲間内で庇い合うのである。兵隊の下っ端には容赦なく責任を取らせるくせにトップ同士では責任を問わずに庇い合う。実例はいくらでもある。服部卓四郎、辻政信、牟田口廉也など。興味があったら調べたらよい。そういう意味ではアメリカ軍は厳しい。TOPとして失敗を犯したり、無能だと判断されると即座に首を挿げ替えられる。旧日本軍など問題にならない位アメリカはそういう点は厳しい。良いか悪いかは別にして、戦後も日本は企業同士が談合したり、護送船団方式と言ってみんな仲良くをモットウにしていたが、アメリカは良いものは良い、悪いものは悪い、と合理的に判断する理性を有していた。だから京セラやソニーなど戦後立ち上げられた有名な企業は最初にアメリカで実力を示したのである。庇い合うということは、悪いことを悪いと改める能力や風土が無いということである。
 ③真実を直視せず、改めることができない体質
    戦争でも会社の経営でも何でもそうであるが、敵を知り、己を知る。これがベースであり、最も大切なことである。しかし、太平洋戦争中、日本軍は真実を直視することなく、大本営のデマを流し続けた。それによって国民だけでなく、軍隊内部も政府関係者も天皇陛下も欺いた。真実を直視すれば、自分達が責任を取らねばならなくなるという自己保身の気持ちも十分働いていただろう。そもそも旧帝国陸海軍の指導者たちは、部下を何千人、何万人無駄死にさせても何とも思わないが、自分達が責任を取るのは嫌だという卑怯者ばかりだったから、真実を直視できなかったのだろう。真実を直視できなければ、改善・改革もできないのは当たり前である。

 さて、これら帝国陸・海軍の出鱈目な指導者達は戦後どこに行ったのか。政治家になり、経営者になり、企業の幹部になり、自衛隊の幹部になり、現在の日本にこれら悪習を存続させたのである。

 元々、日本は世界で最も子供が生き生きとしている国だと南蛮人たちが報告している。日本では子供を甘やかしこそすれ、体罰と言うものは無かった。南蛮人がなぜ日本人は子供を鞭打たないのかと驚いているのである。

 体罰が導入されたのは、明治政府になって富国強兵を進める過程であろう。学校で軍隊で。

 体罰の問題では常に管理者が、体罰した人間を庇い、擁護する。世論がどう動いて、世界がどこに進んでいるのかを直視できない硬直した頭。正に帝国陸・海軍と同じ体質なのである。

 1月12日付朝日新聞に『体罰 恥ずべき、ひきょうな行為』と題して桑田真澄氏が体罰について語った記事が載っている。「私は中学まで毎日のように練習で殴られていました。・・・・・殴られるのが嫌で仕方なかったし、グラウンドに行きたくありませんでした。今でも思い出したくない記憶です。・・・・・私は、体罰は必要ないと考えています。・・・・・・監督が采配ミスをして選手に殴られますか?スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です。・・・・・今はコミュニケーションを大事にした新たな指導法が、多くの本で紹介もされています。子どもが10人いれば、10通りの指導法があっていい。「この子にはどういう声かけをしたら、伸びるか」。そう考えた教え方が技術を伸ばせるんです。・・・・・・殴ってうまくなるなら誰もがプロ選手になれます。私は、体罰を受けなかった高校時代に一番成長しました。「愛情の表れなら殴ってもよい」という人もいますが、私自身は体罰に愛を感じたことは一度もありません。・・・・・・・」

 私は野球に全く興味が無いので桑田氏のこともあまり知らなかったが、苦しい思い出も含めて良く語ってくれたと思う。体罰は人の心に一生の傷を与えるのである。

(2013年2月4日 記)

http://www.asahi-net.or.jp/~kf3n-akmt/taibatsu.html

これは1992年1月、筑波大学体育研究科に提出の修士論文の概要である。


学校教育における体罰についての研究
     ―体育指導を中心に―

             
              秋本 信孝
序 本論文の動機および目的
 学校教育の現場で行われてはならないはずの体罰を、特に最近目の当たりにしたり、聞いたりすることが多くなった。
 管理主義教育の現場では特定の教師(体育教師であることが多い)が下士官的役割を担わされ、時として心ならずも、やがて自発的に体罰におよぶことになる。
 授業では秩序維持のために、スポーツ部活動では勝たんがためにしごき、体罰が行われている例がある。ある調査によれば、体罰を受けた者の8割が体罰に対して肯定的であり、少なくない者が自分が指導者であったならば体罰を行うと答えている。このように、体罰の再生産が現在でも起こっているのである。
 なぜこのようなことが起こるのかを、体育指導(体育授業、スポーツ部活動、体育行事)での実態を通して、体罰の根源を文化的・構造的に明らかにするのが本研究の目的である。

第一章 先行研究と学校教育および体育指導について
 1. 学校における体罰についての先行研究の考察
 学校教育での体罰の歴史を扱ったものとしては、江森一郎『体罰の社会史』がある。江森の研究は江戸時代の寺子屋、郷学、藩校ではほとんど体罰がなかったことを資料を駆使して立証している。さかのぼって、昭和初期に乙竹岩造が『日本庶民教育史』全三巻(1929年刊)の寺子屋教育の研究があるが、これの下巻の「第6篇 興隆期庶民教育の全国的総括 第6章 訓育の方法」で体罰を扱っている。乙竹の研究は、「斯かる過酷なる体罰は甚だしき頑童にたいしてのみ稀に加えられたもので、決して常に慣用されたもので無いことは、前表の数字に拠っても知られる」と、言い切っている。
 近年になって、特に1980年代初頭“荒れる中学校”を中心に教師による体罰が目立つようになって、体罰に関する論文や書籍が出されるようになった。
 体育・スポーツとの関連での体罰を中心に論じた単行本は見当たらないが、1980年代の後半に入り、体育界でも体罰問題が取り上げられるようになった。
 1986年の第37回日本体育学会の体育社会学シンポジウムで、「体育教師の体罰問題」がテーマとして取り上げられ、1989年の体育学会の特別シンポジウムでは「スポーツ・体育における攻撃性と暴力行為」が組まれた。1990年にはスポーツ教育筑波国際集会で、「スポーツ倫理の教育」の分科会が設けられた。1991年には、体育学会第42回大会で「スポーツ指導者の暴力的行為の実体とその影響━過去体験に関する調査より━」が発表されている。
 2. 学校教育
 3. 体育指導
 ここでは一般に使用されている通例に従った。学校における身体活動全般を示す概念として体育の名辞が使用され、通称「第三体育」と呼ばれるようになったが、ここではこれと同じに、教科としての体育科と部活動や行事などの特別活動を含んだ概念として体育の名辞を使用する。
 4. 学校教育と軍隊教育の結びつき
 学校教育が軍隊教育とどのようにして結びつくかということについて、佐藤秀夫は次のように述べている。「近代的な学校が、全国民を対象にした低コストの教育をするためには、どうしても集団的な教授の形態をとる。はみ出る人間にはびしびし懲戒を加える必要が発生するわけです。集団的な統制、規律というものが近代公教育に不可欠であった時代には、日本の場合も欧米の場合も、その直接のモデルは、軍隊に求められました。ですから、軍隊の集団規律がそのまま公教育の学校に入ってくる。」このように規律維持を契機として、軍隊教育の方法が学校教育に入ってきた、という。
 日露戦争後は、今までの兵学の常識を越える軍事力が必要であり、「総力戦」であることを戦陣訓として残した。また国内には厭戦気分があり、兵士の逃亡も相次いだため、軍は国民に服従の観念の徹底をはかる必要に迫られたのである。以後一貫して軍は教育に要求(干渉)するようになる。その点で、臨時教育会議での教育政策の方策は、その後の教育に対する影響は大きく※、1917(大正6)年の「兵式体操振興ニ関スル建議」も1925(大正14)年には、文政審議会が学校における軍事教練の実施を可決し、同年の文部省と陸軍省の覚え書きにより、体操科主任に配属将校をあてることになった。「陸軍現役将校学校配属令」がこれであり、これにより現役将校が学校に入り、軍の教育への主導権が確立した。
※久保義三著『日本ファシズム教育政策史』41頁(明治図書 1969年)によれば、審議会には軍部の代表である 山梨半造中將が財閥の代表や右翼の代表とともに会議 に列し、発言権を持ったことが書かれている。

第二章 子ども観と体罰
 1. わが国と外国との子ども観の比較
 2. 体罰と類似概念
 事典によると体罰は「肉体的苦痛を与えることによって教育上の目的を達成しようとする方法」(3)と、説明されている。
 体罰の類似概念
 「しごき」「いじめ」「校内暴力」「暴力」についてはここでは省略。
 3.わが国の学校史にみる体罰
 明治初期「学制」以後教育令(1879年)以前の近代学校において、体罰規定を含んでいるところは一つもない。
 1879(明治12)年の教育令は「自由教育令」とも呼ばれたが、これの第46条に「凡学校ニ於テハ、生徒ニ体罰(殴チ或ハ縛スルノ類)ヲ加フヘカラス」と、体罰禁止が法制上明文化された。前年文部省が上奏した「教育令布告案」では次のようになっていた。「第75条 凡学校ニ於テハ、生徒ニ体罰ヲ加フ可ラズ。」
 江森はこのことについて「日本ではなぜ学校体罰の禁止が、近代教育思想の体罰的構造に反して、教育法規にすんなりと早期に定着したのか、ということである。学校体罰法禁の西欧先進国であるフランスでさえ、教育令の規定より8年遅れている。それは、わが国の伝統思想の中に国民のエートスとして、体罰を残酷とみる見方が定着しているとすれば、この課題設定はあっさりと氷解してしまうことになる。本書はこれまで、まさにそのことを明らかにしてきたつもりである。」
 江森の論に従えば、維新期の指導層である中央政界の武士出身者には、体罰否定思想は抵抗なく受け入れられ、海外の新思潮も多く紹介されたが、改正教育(1880年)以後から、文部省の軌道修正がみられるのである。1882(明治15)年には軍人勅諭の発布、1889(明治22)年大日本帝国憲法・皇室典範の発布、1890(明治23)年教育勅語の発布とつづき、天皇制国家の基礎が作られていった。1879(明治12)年天皇が提示した教学聖旨をめぐり、開明派の伊藤博文と儒学派の元田永孚の間に起こった徳育論争があったが、天皇制国家体制は教育勅語にみられるように忠孝を教育の基礎とする元田らの思想をその拠り所とするものである。
 しかしこの間もわが国では法制上は、ほぼ一貫して体罰禁止の明文を掲げていた。1900(明治33)年の第三次小学校令では「小学校校長及び教員ハ教育上必要ト認メタルトキハ児童ニ懲戒ヲ加フルコトヲ得但シ体罰ヲ加フルコトヲ得ス」(第47条)と、懲戒権を認めた上で、限定条項として体罰禁止が規定されることになった。この規定は、国民学校令(1941年3月公布、同年4月施行)においても「国民学校職員ハ教育上必要アリト認ムルトキハ児童ニ懲戒ヲ加フルコトヲ得但シ体罰ヲ加フルコトヲ得ズ」(第20条)として継承された。
管理主義教育
 管理主義教育とは、教育における形式化と事務化である。教育対象たる子どもをモノとしてみるのである。戦前の教師とは違い「威重」を持たない教師は、体罰も事務的に、公平に行うようになるのである。森川の言うように、無道徳化(善悪の区別のなさ・まじめに物事を考えようとしない・強きに屈し、弱きをくじくなど)した子どもたちを取り締まり、体罰を加える教師はともに犠牲者の側面を持つのである。
 4.軍隊教育における体罰・陵辱
日本の軍隊教育の要は「服従」の徹底にあったといってよい。そして服従の徹底は軍事訓練だけではできないことを悟った、軍部中枢は、兵営内(内務班)での教育を軍事訓練以上に重視した。
ヒトをモノとして見る訓練をする場が兵営内での生活である。その訓練の主要な手段が体罰(私的制裁)であった。私的制裁はやられているだけでは忠実な兵は生まれない。次の年に入隊してくる初年兵や下級の兵に私的制裁を加えることによって、自己を忠節に富んだ兵に変化させるのである。
軍隊内務書
 1908年の軍隊内務書は5度ほど改正され、1943年(昭和18)には『軍隊内務令』と改称され改正される。しかし、1908年の軍隊内務書が改正の全期間を通じて基礎となっており、日露戦争以後、太平洋戦争敗戦までの兵営生活と軍隊教育の基本となったのである。日本軍の特質を形成したのは、この1908年の軍隊内務書にあるといえよう。
内務班での生活
事例1
 小松 軍隊の中でも上等兵というものが殴るね。内務班において。
 飯田 それはこうなんです。一つの階級的組織に入っておりますから、将校が直接兵隊を殴るというケースは一番少ない。将校はむしろ下士官を殴り、下士官は上等兵位まで殴る、上等兵は直接兵隊を殴る、将校が兵隊を殴るというのは、非常に特別な場合なんですね。将校は或る程度おうようにしておるわけなんで、そのかわり下士官をしぼり、下士官は上等兵を、兵隊はどこにも当るところがないから馬に当るとか。(笑声)
 小松 ですから厩をみて馬が非常に荒れている、また馬にきずのある中隊に、大体制裁が盛んだというようなことがいわれてますね。(笑声)(飯塚浩二『日本の軍隊』より)
事例2(略)

 暴力的威圧は、相手の思想と人格を変える力としては弱い。暴力に屈することによって、人間は行動を暴力行使者の意図に従属させる。この状態を永続する関係として設定すること、これが1908年軍隊内務書でいい、帝国軍隊最後の1943年の軍隊内務令まで続いた「服従ハ軍紀ヲ維持スルノ要道タリ故ニ至誠上官ニ服従シ其ノ命令ハ絶対ニ之ヲ励行シ習性ト成ルニ至ラシムル」ことである。したがって、この「至誠」は権力的・暴力的威圧の消滅とともに消滅する。しかし戦後であっても、権力的・暴力的威圧が維持されたところでは、「至誠」ではなく力関係によってある種の秩序が維持されたのであった。その2つの例を次にあげる。
事例4
 見棄てられた戦場レイテの兵は、この間に潰乱状態に陥った。(中略)
 脊梁山脈の谷間には、戦線離脱兵が到る所にいた。彼等は通りかかる輜重兵に頼んでも、部隊の形をとっていないから、米を渡して貰えない。そこで強奪し、後で罪が発覚しないように殺してしまった、と信ぜられている。これらの若い輜重兵はもはや軍紀の通用しない山の中で、固苦しいことをいったので殺されたのであった。
「それより生きる道がなかったのだから仕方がなかった」と十六師団配属の野砲第二十二聯隊の生き残りの一人はいっている。今日でもその行為を悪いなどと夢にも思っていないのである。(大岡昇平『レイテ戦記』より)
事例5
 「しかし今度、日本人捕虜を見て大いに失望した。上級者は威張り散らし、下級者はうそといい逃れに終始している。話し合いや理屈のいい合いもなく、すぐ上の者が下の者を殴りつける。弱肉強食とは日本人集団のことをいうのではないか」(佐藤悠『モンゴル吉村隊事件凍土の悲劇』より)

第三章 事例にみる体罰
 1.体育授業における事例
事例1、事例2(略)
事例3
 授業が始まった。(中略)極め付けは「連続呼唱」という集団走である。1人が「連続呼唱、呼唱、呼唱、呼唱」と叫ぶ、全体が「おー」と応じる。続けて、1人が「そーれ」、全体が「いっち」、その後交互に、「そーれ」、「にいい」、「そーれ」、「さん」、「そーれ」、「しい」、全体で「1、2、3、4」と叫んで走るのである。教師生活23年目にして初めての経験であった。未だにこの意味がわからないのである。なお、水泳の授業の欠席、見学は1回につき1回の補習を受けなくてはならず、11月に入っても冷たいプールに入らされていた生徒がいた。これなど人権侵害ものであろう(3)。
 ※この「連続呼唱」であるが、ある人が言うには、自衛隊のやり方ではないかということである。未だ確かめてないのではっきりはしないが。なおこの事例でのプールの件については体罰に当たるかどうか見解の分かれるところかと思うが、体罰に近いものとして取り上げた。
事例4
 ある日の1年生男子の体育授業のことであった。ペースランニングを行っているところをS教諭が見ていた。何人かの生徒がわざとゆっくり走っていた。Zは「それでは時間内に入れないぞ、もっとペースを上げろ」と叫んでいた。するとSが突然彼らをトラックから呼び出し、いきなり殴る・蹴るの体罰を始めた。「おめえらふざけんじゃねえよ、もっとまじめにやれ」と言いながら。Zからは50メートルほど離れていたので止められなかった。
事例5(略)
 2.クラブ・部活動における事例
事例6
 県の農業系高校の大会(バスケットボール)に参加したときのことである(B高には園芸科が一クラスあった)。強豪といわれたM農高に勝ったのはよかったが、試合後M農高の監督が「なんでてめえらはB高なんかに(失礼な!)負けたんだ」といいながら一人の生徒を殴ったり蹴ったりし始めた。勝ったB高の生徒は自分たちが勝ったために彼が殴られているのを目の前にしてうれしさも吹き飛んでしまった。「なにもあんなことしなくてもいいのになあ」とつぶやく者もいた。私もいたたまれなくなってB高の生徒とともにその場を離れたが、その監督の暴力を止められなかったことを後悔している。暴力は強いものには向かわない。殴られた上級生は下級生に、殴る相手のいない下級生は監督に似た犬をいじめているという笑うに笑えないことが現実にあったのだ。このように暴力支配は人格破壊をももたらす。※
※城丸・水内編『スポーツ部活動はいま』の拙著部分
 下級生が監督に何となく似ている犬をいじめているということと、軍隊での事例1にみられるような兵が馬をいじめるというのがダブってブラックユーモアである。このように抑圧された者のはけ口は常に弱い者に向かうのは、いつの時代も同じといえる。
事例7
 昭和60年3月23日未明、一人の女子高校生が一枚の遺書を残し、自宅で首をつり、自殺した。
 両親の起こした損害賠償請求の訴えに対しては、1992年1月現在、岐阜地方裁判所からの判決はまだ出ていない。
事例8、事例9(略)
 3.体育行事における事例
事例10
 1976年5月12日、茨城県水戸市立第五中学校体育館において、3年生の体力診断テストの補助要員として出された2年8組の中央委員・S君が、「何だ、Kと一緒か」と小声でいったとの理由で、K教諭に叱責され、平手および手拳で頭部を数回「殴打」された。8日後S君は脳内出血で死亡。
 4. 体罰に関する調査から
第四章 結論
 1. 学校における体罰の根源は軍隊教育から
 体罰がわが国の学校教育の場で盛んに行われるようになったのは、近代に入ってから、それも日露戦争後である。
 ではなぜ明治の途中から体罰が瀰漫してくるかについて、ひとつは学校のような大きな集団を統率する方法を軍隊以外には求めるところがなかったためそこに求め、その訓練方法を採用したためである。その軍隊の訓練の要は、「命令―服従」であり、それを徹底させる方法が暴力的威圧(体罰)であった。師範教育の寄宿舎を兵営をモデルにしたり、兵式体操(教練)を取り入れ、退役下士官(後には現役将校)を学校に配置することにより軍と学校との連携が緊密になり、これらの軍人を通じても学校に体罰が広がった。
 2. 戦前と現在の体罰の相違性と共通性
 戦後の民主化の過程で、学校教育での体罰はあまり見られなくなるが、1970年代以後体罰が社会問題化してくる。現在の体罰は、戦前のそれと同じものであろうか。70年代にあっても、軍隊体験のある教師はすでに少数であった。しかも体罰実行者の多くは若い教師である。子どもも変わってきている。無道徳化(善悪の区別のなさ、まじめに物事を考えない、強気に屈し、弱気をくじく)した者には体罰をしてでも直すのが教師である、と。はみ出る者に対しては体罰が待っている。現在の企業社会では、はみ出る者は不良品としてはじき出される。企業に心身ともに捧げた者には過労死が待っている。このような社会状況を反映して、教育効果を焦る教師が体罰を行使するようになるのである。取締り主義的管理主義教育の現れである。
 戦前の教育を否定したことが戦後教育のはじまりであったが、新しい時代に合う訓練方法は開発されないまま、今日に至っている。第3章の事例3でみたようなことも復活している。それは形としてだけ残存しているのではなく、社会の深層中に残っていたのである。体育・スポーツの分野においては、一部大学や運動部の中に戦後もずっと存在していた。その点では戦前のものと同じといえる。
 3. 日本的集団を考える
 みんなが一緒に同じようにする。これが日本の集団の特徴である。伝統的な地域社会だけでなく、企業でも、運動部でも同じような練習をみんな揃ってやる。違うことをするものは嫌われる。意見の一致が理想で小数意見の存在は不幸なこととみなされ、極端な場合はそういう意見を持つ成員を集団の外に追い出す。これが村八分である。小数意見を含んだ集団ではない。何か行動を起こすとき、どうするかを決めなければならないが、この決定権は多くの場合、長老であったり、監督であったり、とトップの者が持っているのである。このような集団で生き残るには、なるべく自分の意見を言わない、目立たないようにして成り行きに任せるのが庶民の生活の知恵となる。そうしていれば伝統的な地域社会では仲間が守ってくれたが、現在の社会では、競争的な集団主義が加わり、最近の過労死の例のように、みんなが働いている中で自分だけ休めないと、働き、ついには逝ってしまうように、己の肉体にさえ主体性を持ち得ない状況が進行しているのである。取締り的管理主義教育の現場では体罰をやらないことは目立つことである。殴る側も、殴られる側も、己が己自身の主人公になること、主体性を確立することによって体罰禁止の条項が生きてくるのではないか。
 4. 今後体罰問題を考えるために
 体罰は、第三章で取り上げた体育指導の場面だけで起こっている現象ではない。また学校教育の中でだけ起こっているわけでもない。
 体罰の根源を明らかにするためには、体罰は体育・スポーツに固有の現象ではなく、組織のありかたにかかわる問題なので、体罰を醸成する組織の解明が必要である。それとともに、身体とはなにかを考える必要がありそうだ。今回はこの問題にはほとんど触れられなかった。
 体罰をなくすため当面やれることは何か考えてみると、
 ①主体性の確立。体罰否定を決意することであり、己自身が己の主人公になりることである。
 ②学校現場では、生徒定員の削減や持ち時間数の削減などの勤務条件を良くしてゆとりを持って教育に従事できるようにすることである。
 ③学校教育法(第11条)の懲戒権を認めたうえで、限定として体罰を禁止するという法構成になっているが、これはは1900年以来変わっていない。少々過激な提案になるが、この条項の改正をする必要がある。

参考文献 省略




体罰についてより深く知りたい方は次の所へリンクしてみてください。

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モデル美女二人がMMAに挑戦! DO THE MUSCLE 総合格闘技ノススメ

DO THE MUSCLE 総合格闘技ノススメ ー













恒例行事となっていた年末の格闘技番組もいつの間にか消え、最近はテレビで死闘を目にする機会もほとんど無くなった。漂う血とマニーのスメルから、欲深き血に餓えたケダモノの世界、と勘違いされ敬遠されているのか。倫理観の崩壊した某掲示板には、「気絶させるのが目的って倫理的にどうなの?」といった書き込みもある。

格闘技界の不振は、かつての桜庭やヒクソン・グレイシーのような、万人の魅了するスターの不在が原因らしい。しかし、自称事情通によると、真の原因はドラマの欠如にあるそうだ。そんな噂を聞きつけたVICE Japanスタッフの勘違いが発端で、二人の女性をネタにした、ドラマ捏造プロジェクトがスタート。

犠牲者は、大塚桃子(20歳)。細長い手足に華やかな顔立ちで、そうそうお目にかかることのない容姿を誇る、福岡出身のモデル。肉体的にも精神的にも格闘技に向いているとは思えない、と傍観者の弁。実は、自薦。敏感マネージャーにも日々叱咤激励されている。傍観者はいつでも手前勝手だ。そんな風評を覆すべく頑張っていただきたい。

とはいえ、大塚ひとりでは、怪我による離脱、ご乱心、といった恐れもあるので、押さえにヴァイス・イナムラ(23歳)。顔がボコボコになるのはイヤ。これ以上男が寄って来なくなったらどうしてくれるんだ!と不満をこぼしているようだが、そんなこと知ったことではない。公開されれば、フェチ野郎どもがYouTubeのコメント欄に、いなむらタンハァハァ、とかなんとか書き込むのは目に見えている。

とにかく、二人の練習は始まった。

まだ序章すら始まっていない。「総合格闘技への意気込み?まずはお買い物?ンなことどうでもいいから、泣き喚きながらとっとと練習しやがれ!」…そんな声しか聞かれない中、果たしてこのシリーズ、ドラマとして成立するのか。興味のある皆様、ドラマが盛り上がるまでお付合いいただければ幸いです。

後日、よくよく考えてみれば、プロレスはじめ、格闘技が世間の注目を集めるのは、スーパー・スターの活躍があってこそ。力道山、アントニオ猪木、ジャイアント馬場、タイガー・マスク、沢村忠、ベニー・ユキーデ、その他大勢。いつの時代も、ファンが熱狂するヒーローがいた。ファンはヒーローたちが繰り広げるドラマを楽しみにしていたはずだ。二人はヒーローでもヒロインでもなんでもない…

しくじった…

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 しかし、これは2名の機動隊員がたまたま差別思想をもっていたという話ではない。実は、警察組織の中では、こうした沖縄差別、外国人差別は日常化しており、今回の一件はそれがたまたま露呈したにすぎない。全国紙の公安担当記者がこう解説する。「警察組織内部、とくに警備や公安の間で、沖縄の基地反対派への差別的な悪口がかわされるのは、けっして珍しい話じゃない。彼らは、基地反対派にかぎらず、共産党、解放同盟、朝鮮総連、さらには在日外国人などに対しても、聞くに堪えないような侮蔑語を平気で口にする。我々の前でもそうですからね。これにはもちろん理由があって、警察では内部の研修や勉強会、上司からの訓示など、さまざまな機会を通じて、警察官に市民運動やマイノリティの団体、在日外国人などを『社会の敵』とみなす教育が徹底的に行われるからです。その結果、警察官たちには、彼らに対する憎悪、差別意識が植え付けられていく。軍隊ではよく、敵国の人間を自分たちとまったくちがう下等な生物扱いをして兵隊の戦意を煽るといいますが、それとまったく同じやり方ですね」実は、こうした警察の“差別思想養成教育”の存在を裏付けるような話をキャッチした。警察では「専門の雑誌を使って、極右ヘイト思想を警察官に植え付けている」というのだ。その専門の雑誌というのは「BAN」(株式会社教育システム)。聞きなれない名前だが、警察官しか読むことのできない警察官のための月刊誌だという。「『BAN』は警察官専用の『29万人のための総合教養情報雑誌』というフレコミで、警官の昇進試験の対策本を出版している警察の天下り会社が発行しています。警官ならば、直接購入もできますが、そのほとんどは各警察署の図書係を通じて購入するシステムです。たしか警察の図書係を通じて買うと、割引になるんじゃないですかね。各警察署で推薦、斡旋もしていますし、いわゆる警察の“推薦図書”“専用雑誌”ですね」(警察関係者)ところがその“警察推薦専用雑誌”の最新号、2016年11月号を調べてみると、とんでもない人物が寄稿していることがわかった。同号は「どうする沖縄 米軍基地の今後」という特集を組んでいるのだが、あの恵隆之介氏が寄稿しているのだ。恵氏といえば、沖縄出身のジャーナリストを自称しているが、元海上自衛隊で基地反対派に“デマ攻撃”を仕掛けてきた人物。たとえば、先の沖縄県知事選では“翁長氏の娘は北京大学に留学”“その娘の婿は中国子党出身”などとメディアで語っていたが、当時、翁長氏の娘は「埼玉の小さな大学」におり、未婚だった。
































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http://lite-ra.com/2016/10/post-2648.html
「土人」発言の背景…警官に極右ヘイト思想を教育する警察専用雑誌が! ヘイトデモ指導者まで起用し差別扇動

編集部警察 .

2016.10.26.


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BAN_161026.jpg「月刊BAN」2016年11月号
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 安倍政権が沖縄県高江で強行している米軍ヘリパッド建設をめぐり、大阪府警の機動隊員が反対派市民に「ボケ、土人が」「黙れコラ、シナ人」などと差別発言をした事件で、府警は「軽率で不適切な発言で警察の信用を失墜させた」として発言者2名を懲戒処分にした。

 しかし、これは2名の機動隊員がたまたま差別思想をもっていたという話ではない。実は、警察組織の中では、こうした沖縄差別、外国人差別は日常化しており、今回の一件はそれがたまたま露呈したにすぎない。全国紙の公安担当記者がこう解説する。


「警察組織内部、とくに警備や公安の間で、沖縄の基地反対派への差別的な悪口がかわされるのは、けっして珍しい話じゃない。彼らは、基地反対派にかぎらず、共産党、解放同盟、朝鮮総連、さらには在日外国人などに対しても、聞くに堪えないような侮蔑語を平気で口にする。我々の前でもそうですからね。これにはもちろん理由があって、警察では内部の研修や勉強会、上司からの訓示など、さまざまな機会を通じて、警察官に市民運動やマイノリティの団体、在日外国人などを『社会の敵』とみなす教育が徹底的に行われるからです。その結果、警察官たちには、彼らに対する憎悪、差別意識が植え付けられていく。軍隊ではよく、敵国の人間を自分たちとまったくちがう下等な生物扱いをして兵隊の戦意を煽るといいますが、それとまったく同じやり方ですね」

 実は、こうした警察の“差別思想養成教育”の存在を裏付けるような話をキャッチした。警察では「専門の雑誌を使って、極右ヘイト思想を警察官に植え付けている」というのだ。

 その専門の雑誌というのは「BAN」(株式会社教育システム)。聞きなれない名前だが、警察官しか読むことのできない警察官のための月刊誌だという。

「『BAN』は警察官専用の『29万人のための総合教養情報雑誌』というフレコミで、警官の昇進試験の対策本を出版している警察の天下り会社が発行しています。警官ならば、直接購入もできますが、そのほとんどは各警察署の図書係を通じて購入するシステムです。たしか警察の図書係を通じて買うと、割引になるんじゃないですかね。各警察署で推薦、斡旋もしていますし、いわゆる警察の“推薦図書”“専用雑誌”ですね」(警察関係者)

 ところがその“警察推薦専用雑誌”の最新号、2016年11月号を調べてみると、とんでもない人物が寄稿していることがわかった。同号は「どうする沖縄 米軍基地の今後」という特集を組んでいるのだが、あの恵隆之介氏が寄稿しているのだ。

恵氏といえば、沖縄出身のジャーナリストを自称しているが、元海上自衛隊で基地反対派に“デマ攻撃”を仕掛けてきた人物。たとえば、先の沖縄県知事選では“翁長氏の娘は北京大学に留学”“その娘の婿は中国太子党出身”などとメディアで語っていたが、当時、翁長氏の娘は「埼玉の小さな大学」におり、未婚だった。

 しかも、今回の機動隊による「土人」「シナ人」差別発言についても、恵氏はFacebookでこんな投稿をしていた。

〈昨年、翁長知事は国連人権委員会で「沖縄人は先住民、自決権を尊重せよ」と自己差別的発言をしました。要するに自らを一種の「土人」とアピールしたのです。
 今度は大阪府警の機動隊員が基地反対派左翼に「土人」と発言しただけで「差別」ですって?〉

「土人」の意味を強引にすり替えることで、かえって自身の差別意識をさらけ出している恵氏だが、恐ろしいのは、警察推薦の雑誌がこんなトンデモな言論を放つ人間を堂々と起用していることだろう。

 もちろん内容も推して知るべしで、くだんのFacebookで恵氏は「BAN」に書いた記事をこう紹介している。

〈私は幸運にも本日発売の全国警察官雑誌「BAN」沖縄特集にその実態を書きました。要するに恩知らずの左翼をグサリと批判しました。
 沖縄に派遣されて基地反対派に罵声を浴びせられながらも必死に国家秩序維持に頑張る警察官諸兄に大きなエールとなると確信します。〉

 恵氏の文章が警察官の沖縄差別、基地反対派への憎悪を煽ることになるのは確実だが、「BAN」のこうした偏向記事は同号だけの話ではない。バックナンバーを見てみると、執筆者や登場人物には、極右、ヘイト言論人がずらり。そのラインナップは「正論」(産経新聞社)や「WiLL」(ワック)と同じ、いや、「ジャパニズム」(青林堂)レベルの“ネトウヨ雑誌”かと見紛うほどなのだ。以下、ざっと挙げてみよう。

 まずインタビューの人選からして、その傾向がモロに出ている。数々の歴史修正発言を繰り返し、沖縄ヘイトにも定評のあるネトウヨ作家の百田尚樹氏(15年9月号)、大物保守論客でこれまた歴史修正主義者である渡部昇一上智大学名誉教授(14年11月号)に西尾幹二電気通信大学名誉教授(14年9月、8月)、近年では報道弾圧活動も行っているイエローハット創業者・鍵山秀三郎氏(14年7月)、嫌韓ヘイト本や歴史修正本を量産している呉善花拓殖大学教授(14年2月)。

外国人に対する差別意識の植え付けと思しき記事もある。たとえば、16年9月号で「初めて明るみに出る『在日』外国人犯罪の実態」と題した記事を寄稿しているのは、ネトウヨ雑誌「ジャパニズム」常連の元警視庁通訳捜査官・坂東忠信氏。坂東氏は「BAN」の常連でもあるのだが、今年10月発売の著書『在日特権と犯罪』(青林堂)のほか、これまで多くの反中嫌韓本・ヘイト本を上梓してきた。

 また、「BAN」を購入できるのは警察職員のみにもかかわらず、歴史認識の特集が多いのも特徴的だ。14年11月号の特集「『慰安婦問題』って何?――反日を加速させる韓国といかに付き合うか」は、タイトルからしてネトウヨ雑誌さながら。寄稿者は“慰安婦問題は存在しない”が持論の「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会)会長・西岡力氏、「平成文化チャンネル桜」キャスターで最近積極的に沖縄ヘイトを展開している大高未貴氏らである。

 歴史認識に関しては、15年6月号から同年12月号にかけても複数執筆者による「戦後70年シリーズ~戦後史はここから始まった~」なる連載を行っているのだが、その執筆陣は、戦前の修身教育復活を提唱する小池松次氏、戦後日本や憲法への攻撃を繰り返す作家の吉本貞昭氏、そして保守系コミンテルン陰謀史観でおなじみの倉山満氏だ。

 さらに、日本最大の極右団体「日本会議」に関わる人物の姿までちらつく。たとえば年始の特集では、2年連続(「平成27年 躍進する日本」「平成28年 輝け日本」)で新田均皇學館大学教授が登場。14年3月号では高橋史朗明星大学教授が「立ち直りに欠かせない『親学』」なる記事を寄稿している。両者は日本会議の事務方的存在といわれる元生長の家活動家グループだ。

 他にも、「BAN」の過去3年間の寄稿者をあげていくと、一色正春氏(元海上保安官)、潮匡人氏(評論家)、加瀬英明氏(外交評論家)、河添恵子氏(作家)、黄文雄氏(評論家)、渡邉哲也氏(経済評論家)……などなど、タカ派国防論者から日本スゴイ本やヘイト本著者、日本会議代表委員、さらにはネトウヨツイッタラーまで勢揃い。

 しかし、一番驚かされたのは、06年11月号の特集「外国人犯罪の現場」だ。なんとこの特集に、近年のヘイトデモの中心人物のひとりである瀬戸弘幸氏を登場させ、持論を展開させているのだ。

瀬戸氏はネオナチ思想に傾倒し、在特会の桜井誠元会長や、主権回復を目指す会代表の西村修平氏らとともに、「行動する保守」を名乗る運動を牽引してきたキーパーソンで、「NPO外国人犯罪追放運動」なるヘイト団体の顧問も務めている。2010年代に各地のヘイトデモが社会問題化するなか、警察はなぜヘイトスピーチの被害者ではなくヘイトデモ隊を守るのかと批判が殺到していたが、ヘイトデモの代表的存在が警察専門誌に登場していたのだとすれば、それも納得がいく。

 それにしても、極右言論界とヘイト界隈をごった煮にしたようなこんなトンデモ編集方針の雑誌を、中立公正であるべき公務員の警察が組織をあげて推薦し、図書係を通じて購読を斡旋していたというのは、今更ながら問題の根深さを感じずにはいられない。

 いや、警察はたんにこの雑誌を斡旋していただけではない。「BAN」の発行元である株式会社教育システムは、前述したように警官の昇進試験の対策雑誌や警官向けの専門書を出版している会社なのだが、同社には多数の警察OBが天下りしている。そして、同社の代表取締役に名前を連ねているのは、元神奈川県警監察官室長のT氏なのだが、このT氏は神奈川県警時代、不祥事事件で、逮捕、起訴されているのだ。

 この不祥事は、県警の外事課警部補が覚せい剤使用を打ち明けたにもかかわらず、本部長の指示により組織ぐるみで事実をもみ消しそうとした事件。当時“警察の警察”とよばれる監察官の室長の役職にあったT氏は不祥事を正す立場にありながら、具体的な隠蔽工作を主導したとされ、本部長の共犯として執行猶予付きの有罪判決を受けた。

 そんな人物に、警察の昇進試験対策の出版物を取り扱う会社を任せ、半独占的に警察に出入りする権利を与えているというのは、さすが身内に甘い警察というしかないが、いずれにしても、この天下り会社と警察組織の関係を考えると、同社が発行している「BAN」の内容は、当然、警察上層部の意向を反映したものと言えるだろう。右派界隈の外国人差別や沖縄差別の意識を刷り込み、現場の警官の士気を高める――。

 しかも、「BAN」のケースは、氷山の一角にすぎない。前述したように、警察組織内では差別意識を植え付けるような講演や勉強会が日々行われており、その結果として、今回の高江で「土人」「シナ人」発言が出てきたのだ。

 あらためて指摘しておくが、差別発言を行った機動隊員を処分するだけでは問題は解決しない。この警察の構造的問題の根源を断たねば、その弾圧や暴力の矛先はますます市民に向かっていく。そのことをゆめゆめ忘れてはならない。
(編集部)

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アサイーカフェさんの記事より エリオグレイシーの孫と木村政彦の孫が初遭遇!



http://cafe.quietwarriors.com/?eid=871803

2016.10.25 Tuesday

エリオ・グレイシーの孫と木村政彦の孫が出会った!


エリオ・グレイシーと木村政彦が戦ったのは1951年10月23日。

その65年後、ヒーロン・グレイシーがハワイでセミナーを行った時のこと。

なんとその場に木村政彦の孫が現れました!





木村政彦の孫を紹介された我らがヒーロン様、



「僕のおじいさんがエリオ・グレイシーで、あなたのおじいさんが木村政彦だって!?



・・・じゃあ、僕達ここで戦う?」



と、相変わらずヒーロン節炸裂させていました(笑)


いやあ、それにしてもなんかわけもなくうれしいですねぇ!(なんでだろう?)

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プロレスの闇 プロレス界の暴力体質 アントニオ猪木が力道山から受けた想像を絶する暴力! 力道山は猪木にとっての反面教師だった!

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http://matome.naver.jp/odai/2135947343432380601


アントニオ猪木が力道山から受けた想像を絶する体罰の数々
力道山の付き人時代にアントニオ猪木が受けた体罰・虐待の数々についてまとめました。

更新日: 2016年03月09日


yamadayamaさん









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■理不尽な虐待





走行中の自動車から突き落とされた。



出典
力道山 - Wikipedia























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encrypted-tbn1.gstatic.com















力道山先生のクルーザーに乗せていただきまして、そこで海の真ん中ぐらいで"寛至(猪木の本名)、降りろ"って言われたんです。"先生、ここはマズイです"って言っても、"うるせぇ、降りろ"と言われましてね。1時間半泳いで東京に着きました



出典
加藤浩次 「アントニオ猪木の放送できない話」 | 世界は数字で出来ている
























GettyImages















汽車で移動するときに疲れていてウトウトして眠ってしまうと火のついた葉巻を腕に押しつけられた。



出典
アントニオ猪木自伝: 猪木寛至



















飼い犬を番犬として教育する際の実験台にされていた。



出典
力道山 - Wikipedia























出典
encrypted-tbn2.gstatic.com















■とにかく殴られた





亡くなる前のことを聞かれたときには、わたしは暴力を振るわれた思い出だけだと答える。



出典
アントニオ猪木「不滅の闘魂」



















機嫌が悪いと殴られ、試合内容が悪いと殴られた。



出典
第2章〜宿命のライバル馬場〜: プロレスの証言者 アントニオ猪木























出典
pds.exblog.jp















何度も殴られた。蹴られた。灰皿を割れるほどぶつけられた。



出典
バックナンバー一覧



















何故殴られたのか、理由がわからないことも多かった。いや、ほとんどそうだったかもしれない。



出典
アントニオ猪木自伝: 猪木寛至



















■ゴルフクラブでも殴られた





酔っぱらった力道山からゴルフクラブで思い切り頭を殴られた。その後、熱が下がらずに一週間ぐらい寝込んでしまった。



出典
アントニオ猪木自伝: 猪木寛至
























GettyImages















便所に行こうとした猪木の背をめがけて、力道山はゴルフクラブを打ち下ろした。



出典
:: 立ち読み || 猪木詩集「馬鹿になれ」 || 角川書店 ::



















■呼ぶときは「アゴ」





ちゃんと名前を呼んで貰ったことなんてほとんどなく、大抵は「アゴ」。「おいアゴ」である。気に入らないと「乞食野郎」とか「この移民のガキ、ブラジルへ追っ帰すぞ」と怒鳴られた。



出典
アントニオ猪木自伝: 猪木寛至























出典
www.nikkansports.com















力道山に面白がられ「死神酋長アントニオ猪木」のリングネームがつけられそうになったこともあった。



出典
第2章〜宿命のライバル馬場〜: プロレスの証言者 アントニオ猪木



















■ヤクザの前で一升瓶をラッパ飲み





ポンと投げられた一升瓶の栓を抜き、上を向いてぐるぐる回しながら一気飲みをしなければならない。飲み終わるまでは息継ぎが出来なかった。力道山はごつい灰皿を掴んで「失敗するとぶん殴るぞ」と脅す。



出典
アントニオ猪木自伝: 猪木寛至











力道山が接待のために連れてきた暴力団関係者の前でやらされた。







■猪木が最も屈辱的だった仕打ち





巡業先の旅館で師匠の力道山に靴を履かせる度に、「なんだその履かせ方は、この移民野郎!」と怒鳴られると同時に、持っていた靴ベラをひったくられ、頬を思いきり打たれた。



出典
:: 立ち読み || 猪木詩集「馬鹿になれ」 || 角川書店 ::



















旅館には力道山見たさに大勢のファンが詰め掛けていた。人の目が気になる年頃に、大勢の人達が見ている前で恥をかかされた悔しさだけは忘れられない。



出典
アントニオ猪木自伝: 猪木寛至



















■俺は力道山のようには…猪木の決意





俺は力道山先生みたいに弱い者イジメだけはすまい



出典
:: 立ち読み || 猪木詩集「馬鹿になれ」 || 角川書店 ::











初めて靴ベラで殴られた日にそう決意したという。












GettyImages



関連サイト





アントニオ猪木 IGFプロレスリング | アントニオ猪木が会長を務めるIGFプロレスリング公式サイト


http://www.igf.jp/


アントニオ猪木が会長を務めるIGFプロレスリング公式サイト。大会GENOME、最新情報、チケット情報、猪木ストア等のコンテンツ。プロレスを元気に!イノキゲノムフェデレーション

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柔術アニメ





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柔術プリースト 254

Jiu Jitsu Priest #254

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福島は広島型原爆4,023倍、チェルノブイリの4倍の放射能を放出と東電が発表

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http://ameblo.jp/64152966/entry-11352648651.html


福島は広島型原爆4,023倍、チェルノブイリの4倍の放射能を放出と東電が発表


2012-09-12 07:54:13

テーマ: ブログ

福島は広島型原爆4,023倍、

チェルノブイリの4倍の放射能を放出と東電が発表










http://www.examiner.com/article/fukushima-cesium-equals-4-023-hiroshima-bombs


この事実は日本語では発表されない ↑




Satoko Kato · Musashino University






福島は広島型原爆4,023倍、

チェルノブイリの4倍の放射能を放出した、

と東電が正確に発表したらしいが、

なぜか英語での発表で日本語では発表されていない。

ニュースにもなっていない。




確か国の発表では

福島よりもチェルノブイリのほうが多くの放射性物質を放出していて、

福島は広島型原爆の170発分と言っていたと思うけど、

全然違う!













わんわん

管理人




これは酷い、あまりにも酷い話です。

日本国内では、全く報道されていません。

日本国民を殺そうと考えているとしか思えない。




世界に対しては、どんなウソも直ぐにバレルので、

本当の事実を止む無く公表した訳ですが、

日本国民は、どんなウソでも簡単に信じるから、

適当なウソで誤魔化して来たという事になります。







やはり、あの噂の話は本当だったんですね。




━─━─━─━─━─





原発・放射能に関する、『ある噂』

http://ameblo.jp/64152966/entry-10992788405.html



ある知人が、最近、親戚に言われたと今、電話がきた。

親戚は国会の事務局に長年いる人。


「今の政府の言う事を信用するな。




数値は本当じゃない。




都内でも十五歳以下の生存は保障しない。


海外か遠くに逃げろ。静岡くらいまでは危ない」





元総理とも懇意にしている親戚の話に、


僕の知人は困惑していました。





━─━─━─━─━─







日本国内の原発放射能の専門家たちが、今後、数十年の

被曝による影響を試算して、数千万人の日本国民が、

その影響を受け、数百万人の人が何等かの病気を発症し、

数十万人から数百万人の人が、これからの数十年の間に

ガンを発症し、その内の何割かの人が死に到ると予想しています。




しかし、これはあくまでも、政府・東電の発表したものを元に

予測している訳で、話がまるで違って来ました。

これは、本当に恐ろしい話です、皆さん。




思えば、去年の311の大地震からなる福島原発の幾多の

爆発からなる放射能放出の時からそうでした。

放射能雲拡散シミュレ-ションを国内で報道しませんでした。




信じられますか、皆さん!

こんな国が、一体、世界のどこにあるでしょうか!

(IAEAからの要請で、仕方なく2週間ほど流れましたが)




政府もマスコミも同罪です。

政府・マスコミの流すものは、ほとんど信用出来ない事が、

はっきりとして来ました。




更に言えば、福島県の人たちは、更に酷い情報統制下に

置かれている上に、安全デマを御用学者によって垂れ流され

殺されようとしています。




こういった事を平気で行っている政府や自治体の話す事を

いまだに信じきっている市民の皆さんは、心の底から考え直した

ほうが良いです。

そうでないと、本当に殺されてしまいます。










下のグラフは、日本の四分の一の放射能を放出した

チェリノブイリ原発事故周辺諸国の人口動態グラフです。







チェリノブイリ累計数百万人死者の内、

低線量被爆死者数は一体どれだけ ! ?

http://ameblo.jp/64152966/entry-11069165216.html








$wantonのブログ














東海アマ管理人

@tokaiama 東海アマ管理人




チェルノブイリ事故による

ウクライナ国内だけの犠牲者が150万人と政府推計




ロシア・ベラルーシなど周辺諸国を合わせれば数百万人は

平均寿命グラフどおり





菅内閣はチェルノブイリ事故で死者が28名と公表

http://p.tl/mECW








ウクライナ政府は同事故で

150万人(大半が子供たち)死亡と公表

http://p.tl/4b5U










http://ameblo.jp/64152966/entry-10864409829.html









――








安保隆


AmboTakashi
安保隆 tokaiamaがリツイート





昨日のTVタックルでも桜井充議員が、年間20ミリにしたのは

1ミリだと住めなくなってしまうからからだとはっきり言いました。




つまり、1ミリにしてしまうと避難の対象に、つまり賠償金の対象に

なるということで、福島市、郡山市、二本松市を合わせると60万人

以上が対象に、さらに内部被ばくも合わせて1ミリにすると仙台も

対象になってしまうわけでそういったことから20ミリに決定したと

いう健康上の理由からではないということ。




このことを「子供の成長」標榜する学校にはわかってもらいたい




http://ameblo.jp/64152966/entry-10909709146.html









--------------------------------------------------------










ほとんど全てが

ウソだったんだね!



皆さん!




出来るだけ早く逃げて!

http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/c61332351d06c44c1b52d1821d9c062a


こんな諸外国向け「真実報告?」を東電はしていた>チェルノブイリの4倍以上。広島原子爆弾の4023倍。

2014-06-12 22:36:40 | 放射能汚染



<こんな諸外国向け「真実報告?」を東電はしていた>

チェルノブイリの4倍以上。広島原子爆弾の4023倍。

恐怖の後出しジャンケン!?2 (徒然熊)
2013-03-07 05:53:25
http://www.examiner.com/article/fukushima-cesium-equals-4-023-hiroshima-bombs
・・・・・こんな諸外国向け「真実報告?」を東電はしていたのですね。

チェルノの4倍!?、広島原爆の4023倍!?

国内のマスメディアはチェルノの1/6、・・・と(北海道新聞も!)

堂々と粉飾報道。

誰を信じるべきか明白ですね。

そして、いくら神経質になっても、「やり過ぎ」「気にし過ぎ」という事はない!!

・・・にしても、

外国(西側の)メディアに対しては素直になり過ぎか、東電は!

それとも、この英文記事がデタラメだというのか?
(いえ、やはりこちらが真実でしょうね。・・・)



上記URLからの情報(英文原文は、URL先を参照。和訳できなかった部分を一部省略)

Fukushima nuclear cesium fallout equals 4,023 Hiroshima bombs

最新の東京電力のセシウム放出量の推定

セシウムだけで4023個の広島爆弾に等しいと発表。

チェルノブイリの4倍以上

水曜日に、東京電力は以前に考えられていたよりも24倍高く、
4023個の広島爆弾に等しいセシウムが福島から漏れたと発表した。

最後の8月東京電力(東京電力)はセシウムの15000テラベクレルが、

日本で福島原子力発電所から流出したと推定していた。

一テラベクレルは1兆ベクレルに相当します。

当時、Telegraph紙は推定セシウムリリースは

第二次世界大戦中に日本に投下された

原子爆弾原子爆弾が唯一のセシウムの

89テラベクレルをリリースしていたように

”168個の広島の爆弾に等しい”と報告していた。

水曜日に、東京電力は福島から漏れた放射性物質の改訂推計を発表した。

それは昨年8月の推定値よりも24倍高く、
4023個の広島爆弾に等しいセシウム漏れを表しています。

見積もりは、大気中にセシウム放射線の85000テラベクレルを
放出していると推定、チェルノブイリの4倍以上です。

東京電力が新たに改定した福島から放出された放射性物質の量も、
すべて込みのものではなく、
災害時の開始から全体の日付の範囲をカバーしていません。

合計の大気開放の推定値は、
3月12日の間から31日までに収集されたデータ(2011年)に基づいている。

東京電力は、4月に大気中に放出される放射線の量を記載し、
次の月の間に月にリリースされた量のわずか1%である可能性が高い。

その量は ”取るに足らない”とみなされ、新たな見積もりには含まれません。

太平洋に漏出した放射線の推定量は、
3月26日から2011年9月30日に収集したデータから外された。

東京電力は、このデータは ”限られた面積で取得した少量のデータ ”
から収集されたと警告し、

さらにそれらの推定値の

”まだ有効性を調査するためにさらなるデータを集める必要がある”と警告した。

また、新しい推定は、

東京電力が貯蔵タンクに収集した汚染水に漏出した水ピットに
漏れた放射線量の数値については、提供しませんでした。

昨年6月、東京電力は、地下水ピットに漏れた放射線の量は
大気中に放出される放射線の量の、最大でほぼ2倍以上になると推定。

(終わり)






<ドイツから見た日本>

ドイツ人「福島で海開き??? 日本人は頭おかしいのか?」
http://newskenm.blog.fc2.com/blog-entry-18822.html より引用

ドイツ人「福島が海開きをしたらしいが、放射能汚染は大丈夫なのか?」(ドイツの反応)

Fukushima offnet ersten Badestrand 

福島県 2年ぶりの海開き日本の福島県いわき市は、原発事故後初めての海開きに踏み切った。楽しみにしていた何百人もの人々がこの海を訪れた。しかしもちろん、放射能への不安は依然として残ったままだ。

東京では、太陽の光が差し、笑っている子供たち、それを満足した顔で見守る母親たちがみられる。
さらに、いわき市の勿来海水浴場で楽しそうにしている人々の写真をみると、日本はあの全てを破壊した津波や、福島県原子力発電所でおこった原子力事故などから、元の日常に戻ったと思うかもしれない。
しかしその考えは間違っている。福島県は、水質は安全なものだと判断し、海開きに踏み切った。
このような決定に対する国への不信感は、増すばかりである。

c59
日本人って、ちょっと変だと俺は思う。だって、今完全に危険なとこに居るんだぜ?

abominog
私だったら、申し訳ないけど福島沿岸地域は少なくとも1万年から2万年避けるわね…

franco_potente
海開き?永遠に住めないとこで?みんな泳ぎにいって生きて帰ってこれるの?3本の腕になって?

schlachtvieh
どうやら、このことが後に取り返しのつかないことになる、っていう考えは日本人にはないみたいだな。
なんとなく日本は、もう全部良い方向にもっていきたいような感じがする。

MiniDragon
勇気ある日本人?普通ではないわね!
http://blog.livedoor.jp/trans_vienna/archives/5696392.html

(引用終了)







福島の癌化のスピードはチェルノブイリの5倍。尋常でない。

”甲状腺癌、白血病の報告が次々と届いている”

http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/c1b246f7df066f7b64a47b5474b8abe8

 * 「FRCSRJP・みんなのカルテ@FRCSRJP

  @YuriHiranuma FRCSR

   甲状腺癌、白血病の報告が次々に届いています。

  半年前、つまり事故から一年目にして発症の萌芽があったと思われます。

    チェルノブイリで癌の発症は5年から10年かかりましたが、

   癌化のスピードはチェルノブイリの5倍です。」




保険会社の幹部、死因や癌増加の驚愕データに恐怖して

『どんどん退職』『東京や日本から逃げ出してる』
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/b091f9b58fbc900f262f79e6943a6621
2014-05-14



東京駅 年間被ばく量57mSvに等しい線量。

これは、チェルノブイリ避難レベルの10倍(ENENews 2012/2/25)
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/765f09f4d751f5a23d6082fbd6f3c794
2014-04-03



<2011年3月東京から逃げる人でごった返していた!!>

子供にビニール袋を頭からかぶせて
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/2c74abdc4be2ba4fc3e5045d804b1376
2014-01-28

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清水潔「「南京事件」を調査せよ」 『極論を言ってしまえば、虐殺があろうとなかろうと私には無関係である』取材を開始する前、著者はこんな風に思っていたという。興味は事実か否かだけにあり、虐殺があったにせよなかったにせよ、それが事実であれば自分にとってはそれでいい、というのが著者のスタンスだ。しかし、南京事件を含む周辺の様々な取材を通じて、著者の考えは変わっていく。『虐殺があろうとなかろうと私には無関係…。取材を始めた頃の私はそう思っていた。だが…、なんということだ。122年を遡った先で私の到来を待っていた「事実」は、愚かな思考を完膚なきまでに叩き潰してくれたのだ―。「おまえは本当に戦争と無縁だったと言い切れるのか?」大陸の寒風が、私の頬をピタピタと打つ。けれど、それでも私はそれをなかったことにしてしまおうとは思わない。「事実」に一歩でも近づくことこそが、私の仕事だからだ。歴史にはおぞましいものもある。だからといって事実を修正できるはずなどないのだ。』
































「南京事件」を調査せよ
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http://butao.hatenadiary.com/entry/2016/08/31/032623


『「南京事件」を調査せよ』を読まずに死ねるか!

 書評 社会 考え方






8月はあわや何も書かないで終わろうとしていたが去る25日に大変な本が刊行されたので紹介せずにはいられなくなった。8月はその他にももろもろ事件があり、もやもやした気持ちになっていたけれど、とりあえずこの一冊の感想にぶつけてみたい。それだけ昨今のいろいろの事柄が集約された本だったと思う。



その本とは清水潔『「南京事件」を調査せよ』だ。以前に紹介した『南京事件 兵士たちの遺言』というドキュメンタリー番組を制作するにあたって著者が調査した内容に、追加調査したことなどを交えて書籍化したものだ。あのすごい番組の制作の内幕をより詳しく紹介しているということだ。



そうなのだ。もてラジでもずっと推している清水記者の新刊だ。読まずには死ねない本だ。「またかよ!」とか言われそうだけど、みんなが清水記者の本を読むまで勧めるのをやめない。必要な本なのだ。とりわけ日本を生きる我々にとっては。だからこの期に及んでも知らない人は、まず『桶川ストーカー殺人事件』を読んで欲しい。何も言わず。何も前知識ももたず。



『桶川ストーカー殺人事件』はノンフィクションに属する本なので、実際に不幸な被害者もいるから不謹慎なことなのだが、あえて言わせてもらうと単純に面白い本だ。ミステリーものなどを好きな人はぜひ気軽に手にとってもらいたい。本当にあった話であって、とんでもないミステリーでもある。そして事件に挑むのは著者でもある清水記者だ。清水記者が事件をひたすら追いかけ、やがて警察も把握していないとんでもない真相にたどり着く。ぜんぶ本当のことだから驚愕する。こんな事が実際にありえるなんてという気持ちになる。



清水記者はまさに現代の名探偵といえる。ただしシャーロック・ホームズやミス・マープルのように、1を聞いて100というように、ズバズバと事件の本質を言い当てる安楽椅子探偵ではない。靴をすり減らしながらあちこち訪ね歩き、司法の壁に阻まれたり、脅されたり、汗と泥にまみれながらも、不屈の意思で事実を積み上げていき、最後に真相にたどり着くというハード・ボイルド式の名探偵だ。



清水記者は『桶川ストーカー殺人事件』の後も、北関東連続幼女誘拐事件の調査に乗り出す。こちらも『殺人犯はそこにいる』という一冊にまとまっている。最近になって文庫版も出たので絶対に読んで欲しい。こちらでもたいへんな労力を払って、冤罪の男性も無実を晴らし、隠蔽された連続事件の真相にせまっている。なんどでもいうが、全部事実に即した内容であって、虚構のストーリーではない。しかしミステリー小説でもなかなかここまでのストーリーは作れないのではないかという興味深さで迫ってくる。



このように書くと、なんだか茶化したような物言いになってしまって心苦しい面もあるが、興味本位でも良いので、多くの人に読んで欲しいのでこういう紹介にしている。



清水記者がその著書で何度も何度も訴えているのは「発表報道」と「調査報道」の違いだ。



「発表報道」とは、警察が「○○○○について××××と記者会見で発表しました」というようなことを、ただただ記事としてまとめただけのことを言う。



それに対して「調査報道」というのは、記者が自分の意思で、自発的に見聞きしたことや、調査したことを報道することを指す。



現代の日本のマスメディアは、圧倒的に前者が多いということだ。記者が足を使って調べたことや、見聞きしたことを自分の頭で考えて記事にまとめたものよりも、いわゆる「公式発表」といったことが紙面の中心になっている。そしてそちらのほうが尊ばれる風潮にすらある。



記者クラブに加盟した大新聞による「公式発表」の前には、地方紙や週刊誌の「スッパ抜き記事」などは、「三流紙のたわ言であって、信ぴょう性に欠ける」などという目で見られ兼ねない。記者が労力を費やして調査した記事よりも、警察や政府の記者会見を、ただそのまま書き起こしただけの記事が尊ばれるなんて…。



これと似た現象が、かつて日本にもあった。戦時中の「大本営発表」というやつだ。



僕らが歴史の時間などに習ったことは「昔の日本人は大本営発表という根も葉もない情報を信じて戦争に協力してしまいました」という事だった。子供のころは「昔の人はバカだなぁ」などと思っていたもんだが、現代の人間は「大本営発表」を笑えるだろうか。現代で「大本営発表」などというと「根も葉もない公式情報」を揶揄する言葉として使われる事が多かったはずだが、気がつけば現代人も「大新聞の書き立てる公式発表」ばかり信じていたりする。「津波で原発がメルトダウンして危険ですよ」という話よりも「メルトダウンなんて起こっていない」という公式発表を重視したりしていた。当時だっていろいろの事を検証したり見聞きしたりして「日本は戦争に負けてる」と言っていた人もいたはずだ。しかし大半の人は「敵空母撃沈!」みたいな大本営発表の方が心地良かったのだろう。



清水記者の信条はあくまでも「真実が知りたい」ということだ。たとえそれが恐ろしい事であっても真実を追求する。警察がどう発表しようと関係がない。おかしな所があれば徹底的に調べてみる。その情熱と労力たるや頭がさがる。結果として桶川ストーカー殺人事件や、北関東連続幼女誘拐事件の真相に迫ることになった。もちろんその他の事件なども調査されていて、それらの活動の一端は『騙されてたまるか 調査報道の裏側』という新書にもいくつか紹介されている。興味をもった方はあわせて読んでいただけたらと思う。



前置きのようなものが長くなってしまったが本題は『「南京事件」を調査せよ』という本だ。タイトルにある「調査」とは、ここまでながなが説明してきた、「調査報道」的なスタンスでの調査を意味するということは言うまでもない。そして「南京事件」とカッコでくくられているのは、「いわゆる南京事件」といわれる「事件なのかどうなのかすら定かではない」というあやふやな事象すべてを調査してやる!という清水記者の決意の現れであろう。相手はなにしろ80年ちかく前の「歴史」になりかけているものだ。そして被害者は30万人とも40万人ともいわれている。もしくはゼロとすらも言われている。途方も無い調査に思える。



ちなみに「南京大虐殺」についての日本政府の「公式見解」はこうなる。

外務省のHPからの引用だ。


日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/

もし「発表報道」として「南京事件」を取り扱うとするならば、これがそのまま記事になるということだろう。



つまり「そりゃ戦争だから民間人に迷惑があったことは否定することは不可能だけど、人数とかはまったくわからないし、1人かもしれないし40万人かもしれないけど、証拠もないし今さら特定することも困難ですよ」というわけだ。



被害者の人数すら特定されていない事件……。そんな無責任なものがあって良いのだろうか。



『桶川ストーカー殺人事件』では殺害された1人の女子大生の謎を清水記者が調査した。



『殺人犯はそこにいる』では5人の幼女の失踪事件を清水記者が調査した。



しかし南京の問題に関しては、そもそもの事件がどんなものであったのか、被害者が何人いるのかすらぼやけてしまっている。仮にも事件だといっているものに、諸説あってよくわからないなんてことがあっていいのだろうか。挙句には南京大虐殺なんてものは無かったという話まで飛び出してくる。



肝心の事件の経緯にしたって、戦後のどさくさでほとんどの史料が「意図的に」処分されてしまっている(やましいことが満載だったという推測しか出来ない)し、ものすごく時間が経ってしまったことによって、当時のことを知るものもほとんど生き残ってはいない。



じゃあ真相を知るためにはどうするのか。実は処分されずに現代まで残っていた史料があったのだ。それは南京攻略戦に従軍した兵士たちの手帳の記録や日記だった。そういう手帳や日記をたくさん集めて保管していた人が福島県にいたのだった。当事者たちの記録。まさに一次史料と呼べる代物だった。これらの記録の裏付けがあるのかという調査が始まる。日付から逆算して、当時そういう事が起こり得たのかとか、複数の記録や他の日記帳、証言などと照らし合わせながら、相互の記述や証言に矛盾点が無いかなどを検証していく。中国まで訪れて聞き込みや現地調査もしていく。とんでもなく骨の折れる作業を清水記者はやっていく。



その結果として、南京で行われたとてつもなくおぞましい真実がわかってくる。背筋が凍るような恐ろしい話だった。



「南京事件」の調査についての中心的な成果は先に紹介したドキュメンタリーでもだいたいやっていたのでそちらを見てもらうのが先かもしれないが、こちらの書籍版ではより詳しく歴史的な背景が説明されている。現代の話からはじまって、南京事件の話、南京事件の後の話、そして南京事件より以前にあったこと。日本では知られていない「旅順虐殺事件」なんかの話も出てくる。それなりに知名度があるはずの重慶爆撃にしたって、実はちゃんと習ったことのある日本人は少ないのではないか。歴史はその一部分だけ切り取っても不可解なものでしか無かったりするが、その前を知れば「さもありなん」と合点がいったりもする。教科書では唐突に「南京大虐殺がありまして…非難されてまして…」とか出てくるから納得できないのもムリはない。



本書はそのたくみな構成によって、いやでも歴史の連続性というものを感じ取れるようになっている力作だ。70年、80年前にあった問題は、それ以前にもあった問題でもあるし、今現在を生きる我々にも起こっている問題だったりもする。自分の親の親の問題であり、親の問題であり、自分自身にもつきつけられた問題でもある。「南京事件」というのは教科書の中の話ではなく、今に至る地続きの話であることを人はしばしば忘れてしまう。言ってしまえばたった80年前のことだ。かろうじて生きている人だっているのである。しかし「歴史」という言葉は便利なもので、そこに閉じ込めてしまうとどこか別の世界のお話のようになってしまう。本の中には清水記者の祖父や父親が従軍していた話も出てくる。僕の祖父も職業軍人で戦死している。生まれる前にはこの世にはいなかった祖父がなんのために戦死したのか、後で戦争の本を読んでいて「ああ、こういうことで」と思ったりもした。誰だって歴史のつながりからは逃げられないし一部でもある。



「歴史に学ぶ」とは端的にいえば「同じ失敗を繰り返さない」ということなのに「今回は上手くやれるはずだ」なんてつい考えてしまう。だから広島に「過ちは繰り返しません」などと石碑を立てておいて、一方ではアホみたいにたくさん原発を建て続けた挙句、ついには不幸な事故を起こしてしまってたりする。「原発ならコントロール出来るだろう」とか言いながら。それでまた再稼働なんて言っている。性懲りもなく「次はうまくコントロール出来るだろう」とか言ってしまう。人類は永遠に「歴史に学ぶ」という姿勢をもてないのかと呆れてしまう。



『「南京事件」を調査せよ』は今に生きる日本人なら全員が読んで欲しい本だ。今このタイミングだからこそ必要だと判断して出された渾身の一冊だ。決して南京事件を謝れとかではない。そんな情緒的な話ではないのだ。とにかく今の日本人にいちばん必要なことは過去の失敗をできるだけ正確に知ることに違いない。知らないことには先に進めないのだ。しっぽを追いかけるアホの犬みたいに、同じ所をぐるぐる廻るのは虚しいじゃないか。



清水記者は言う。「知ろうとしないことは罪だ」と。とにかく、知って欲しい。


hon.bunshun.jp

http://hon.bunshun.jp/articles/-/5134

インタビュー・対談




『「南京事件」を調査せよ』 (清水潔 著)

南京事件は「あった」? 「なかった」? 「知らない」と言う人が一番無責任。

『「南京事件」を調査せよ』 (清水潔 著)

聞き手「本の話」編集部







2016.08.29 07:30

著者が取材と制作にあたった日本テレビ「NNNドキュメント 南京事件 兵士たちの遺言」が2015年に放送され大きな反響を呼んだ。ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞をはじめ、たくさんの賞を受賞。その放送からこぼれた情報を含め、大幅な追加取材で書籍化した。


『「南京事件」を調査せよ』 (清水潔 著)

――清水 潔さんといえば、桶川ストーカー殺人事件の報道で捜査本部よりも先に犯人にたどり着いたことで知られ、「殺人事件」取材のプロというイメージがあります。今回、南京事件を取り上げたきっかけは何ですか?

 いや、別にいつも殺人事件の取材ばかりやっているわけではないんですよ。テレビで報道の仕事をしていると、たとえば昨年は戦後70周年の節目番組を作らなければならない、という事情もあります。

「南京事件」とは1937年、日中戦争のさなかに日本軍が、当時の中国国民革命軍の首都・南京を攻略。その際に、多数の捕虜や民間人を虐殺し、強姦や放火、略奪までおこなったとされている事件です。このテーマを、調査報道のスタイルで取り上げることができないだろうか、と思ったのがきっかけです。少し調べてみたら、小野賢二さんという市井の研究者が27年間も調査を続けておられ、実際に南京攻略戦に従軍した兵士が現場で書いた従軍日誌(陣中日記)を、31冊もコツコツと集めていた。これは大変なことで、貴重な一次資料です。この遺された日記を中心に、裏付けや現場取材をして制作した番組が、「NNNドキュメント 南京事件 兵士たちの遺言」です。



小野賢二さんが集めた兵士の日記の一部

――日本テレビで放送されたのは深夜枠でしたが、直後から大変な反響だったそうですね。

 SNSを中心に、たくさんの意見が寄せられました。ほぼ9割が「よく放送してくれた」などの賛意を表するものでしたが、中には「南京事件って本当にあったんだ」という意見もあり、なかったと信じている若い人が多いことを実感しました。

 私自身、それほど戦史に詳しかったわけではないんです。最初に「南京事件」について調べ始めた時、その被害者数の振幅に、まずびっくりした。戦時中のことで正確な記録はそろっておらず、日中双方、政府や学者、一般人まで、自分が信じる根拠に基づく説を述べるわけです。それぞれが主張する人数が、数千人から数十万人まである。ふだんはひと一人の命は重い、と事件取材をしている感覚からすると、この振り幅は「何だこりゃ」です。おまけに「被害者数はほぼゼロ」という人までもいる。

 被害者がゼロとは、何もなかった、ということですよ。一部の本や新聞では「南京事件はなかった」と書いているんです。これはすごいことです。普通ならば事件が「あった」ところから話は始まりますよね。まさか「今日は、どこそこで火事がありませんでした。殺人事件がありませんでした」とは報じない。それを、なぜかわざわざ「なかった」と言うわけです。たとえば、アメリカ政府が「東京大空襲はなかった」と言い出したら? これは大変でしょう。

 それに加えて、「なかった」ことの証明は、実は一番むずかしい。「悪魔の証明」という有名な言葉がありますが、何かが「ある」ことを証明するには、確たる証拠を一つ示せばいい。ところが、「ない」ことを証明するには、示された証拠や可能性を、一つ一つすべて潰さなければならないからです。

 実際にあった話で、本にも書きましたが、ある事件の被疑者が「川のこの辺にピストルを捨てた」と供述した場合、捜査陣は現場だけでなく、下流のすべての流域、さらには海まで延々と底をさらい尽くさなければ、「ピストルは捨てられていない」ことの証明はできないのです。

――この本を書くために足かけ2年取材したそうですが、テーマは史実であっても、清水さんのアプローチは、あくまでも「調査報道」なのですね。

 ボブ・ディランの言葉ですが、「俺にとっては右派も左派もない あるのは真実か真実でないかということだけだ」。私の記者人生もまさにこの通りで、思想に興味は無い。「事実」に一歩でも近づくのが最大の目標です。だから、結論は「あった」でも「なかった」でもいいんですよ。しかし、そのどちらかを言うために、何をどこまで調べるか。

 人が一人死ぬと、その人生が断ち切られるだけでなく、家族や友人に言葉に尽くせないダメージを与え、未来も変えてしまう。一つの死が「なかった」という人は、そうした現実のすべてを否定することになるんです。「あるはずがない」とか、「あったはずだ」という言い方も、事実とは言えない。そして、「知らない」という人は一番無責任だと思います。本当は知ろうとしないだけ。知ろうとしないことは罪なのです。


清水潔(しみずきよし)


南京長江大橋のたもとで。

1958年、東京都生まれ。ジャーナリスト。
日本テレビ報道局記者・解説委員。
雑誌記者時代から事件・事故を中心に調査報道を展開。著書に『桶川ストーカー殺人事件――遺言』、『殺人犯はそこにいる――隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』などがある。日本推理作家協会賞、新潮ドキュメント賞、日本民間放送連盟最優秀賞など受賞多数。本書で描かれている「南京事件」のドキュメンタリーで、ギャラクシー賞 テレビ部門優秀賞、「放送人グランプリ」2016準グランプリ、平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞などを受賞した。

http://blacknightgo.blog.fc2.com/blog-entry-3162.html

「南京事件」を調査せよ(清水潔)僕は「歴史の授業」が嫌いだったのだけど、そのことを人に説明する時によく、「南京事件」を引き合いに出すことが多かった。
たかだか100年も経っていない「南京事件」が、起こったのか起こっていないのかの論争が存在しているくらい歴史というのはファジーなものだから好きになれない、というように。

「南京事件」を引き合いに出すことが正しいかどうかはともかくとして、この感覚は常に僕の中にある。
例えば、僕は学校で「鎌倉幕府の成立は1192年」と習ったが、確かこれはもう否定されているはずだ(今何年と教わっているのかは知らない)。教わったことがどんどん変わっていく。しかしそれは、理系の知識も同じだ。新しい発見があれば、どんどん教科書の記述は変わっていく。
それは、まあ仕方ないことだと思う。

僕がどうにも受け入れられないのは、例えば歴史的事件の背景にある動機や理由などについてだ。
確か織田信長だか豊臣秀吉だかが朝鮮出兵をしたような記憶がある。それに対して、こういう動機で彼は朝鮮出兵を決めたのだ、というようなことをきっと学校で教わるのだろう。
しかし、そんなもの正しいかどうかなんてどうやって判断するんだ、と僕は思ってしまう。
何かの本に記述はあるのかもしれない。でも、その記述が正しいかどうかの保証はどうなされるのだろう?客観的事実に関する描写なら、複数の記述を突き合わせればその真偽は判断できる可能性が高い。しかし、内面の事柄に関しては、ほとんど検証など出来ないのではないか、と僕は感じてしまう。

僕にとっての「歴史」というものの認識の根幹には、そういう考え方がある。基本的に、「これが正しい」とされていることの正しさは怪しいな、と思っている。
そして、そういうことを一言で表すために僕は、「南京事件」を引き合いに出すことが多かったのである。

『「南京事件」取材の最大の障害は年月の経過だった。
終戦は70年目を迎えることになるが、「南京事件」は更に遡る77年前だ』

77年前の出来事。ギリギリ関係者が存命であるかもしれないというタイミング。そんなタイミングで著者は、「南京事件」の調査報道に携わることになった。

本書のベースとなっているのは、NNNドキュメント「南京事件 兵士たちの遺言」という番組である。著者である清水潔氏が手がけた番組だ。この番組は、「平和・協同ジャーナリスト基金賞『奨励賞』」「ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞」「メディア・アンビシャス賞」「放送人の会・準グランプリ」など様々な賞を受賞したドキュメンタリーであり、『大手メディアのほとんどがなぜかこの事件から目を逸らす』と言われている「南京事件」を真正面から扱ったものとして大いに話題になったようだ。

『番組はSNSなど、ネット上でも相当な話題となっていた。
書き込みにはこんなものもあった。
<南京事件って本当にあったんだ。中国の捏造ではなかったのか!>
そう信じていた人が多いことを改めて確認した。』

著者自身についても先に書いておこう。
著者は、「桶川ストーカー殺人事件」で、警察よりも先に犯人に辿り着くという執念の取材により、調査報道の新境地を拓く。「足利事件」の冤罪を証明し、それを足がかりとし「北関東連続幼女誘拐事件」の存在を明らかにした「殺人犯はそこにいる」も、調査報道のバイブルと評される。常に事実を追い求め、細かく細かく「正しいこと」を積み上げることによって誰にも到達出来ない地平に達する著者の取材のあり方には、恐らく誰もが驚愕させられることだろう。

『「事実」に一歩でも近づくことが最大の目標だ』

『資料取材の基本は「原典に当たれ」だ』

今回の南京事件の取材においても、過去の調査報道のスタイルを踏襲し、細かく事実を積み上げていくことで、否応なしに南京事件の発生の有無に決着が着くような形で取材を進めていく。「一次資料に当たること」「たった一つの一次資料を信用せず、複数の方向からその真偽を確認すること」「解釈や説明ではなく、事実を積み上げること」など、取材のイロハではあるのかもしれないが、そのイロハに忠実に徹底的に従うことで、未だに議論の尽きない南京事件というものを炙りだしていこうとする。

今回の取材のキーマンとなったのは、小野賢二という人物だ。小野氏の存在がなければ、著者の取材は、著者がこれまでやってきたスタイルではとても実現できなかっただろう。

小野氏は化学メーカーを勤めあげ、定年後ある活動を始めた。それは、地元福島県から徴兵された元兵士を探しだして、南京での出来事を聞き取り続けているのだ。

そんな小野氏は、貴重な資料を手にしていた。それが、元兵士から手に入れた日記と、取材の様子を記録した映像やテープだ。
著者の取材は、小野氏と出会ったことでようやくスタートラインに着くことが出来た。

『捕虜の虐殺。これが事実ならば「加害者の告白」ではないか。
殺人事件でいうなら自供調書ということになる。
しかもだ。これが大事なのだが掲載されていた日記は一人のものではなく、合計19名分もあった。そしてその多くが何らかの形で捕虜の虐殺に触れていたのだ。』

著者は、日記の原典や取材テープに当たり、そこで描写されていることが事実であるのか否か徹底的に調べることにした。南京事件についての記述だけにとどまらない。いつどこに上陸したのか、なんという船で向かったのか、日記に書かれているような場所が本当に中国に存在するのか…などなど、日記の記述全体から、現在でも検証可能な情報を抜き出しては、その真偽を確定していく。日記や取材テープにはすでに、元兵士による虐殺の証言が存在している。だから日記や取材テープの信ぴょう性を高めることで、南京事件の存在を証明できると考えたのだ。

そうやって、僅かな記述も無視せずに、複数の情報を突き合わせることが可能なものを徹底的に洗い出すことによって著者は、南京事件と呼ばれるものがどういうものであり、そこで一体何が起こったのかを、大部分を何らかの裏付けによって支えられながら描写することが可能になった。死亡者数などははっきりとしないものの、南京における日本兵によるかなり大規模な虐殺は存在した、と著者は結論付ける。

しかし、本書においてこの結論は、著者の目的の半分である。

『そしてまた、放送後には私の中に別の疑問が残ったのである。
なぜ、この事件は強く否定され続け、闇へと封じ込まれようとするのか。真相を求める人々が多いにもかかわらず、大手メディアのほとんどがなぜこの事件から目を逸らすのか。そして現代に生きる人たちは、本当に戦争と無関係なのか、そもそも私自身はどうなのか…。そんなことについて書き残したくなったのだ。
これが本書を世に放つ理由だ。よってテレビで放送した「南京事件」の枠組みとは大きく異なっている』

著者の関心は、南京事件を取り巻く様々な言説や動きにも向けられていく。

著者は、南京事件の取材の過程で、南京事件以外の虐殺についても調べている。南京以外の外国の地で日本軍が行ったもの、日本国内で行われたもの、逆に日本人が虐殺に遭ったもの…。調べれば調べるほど戦争には虐殺がつきものなのだということが分かってくる。

しかしその中においても、南京事件というのは特異な存在感を持つ。

『しかし別れ際に小野さんはこんな言葉を口にしたのである。
「取材協力はしますけど、本当に放送なんてできるんですかね。これまでもNHKなどは、東京や福島の放送局から何度も来ましたけど、みな一度きりでしたよ。これを報じようとして新聞社で飛ばされた記者も知っています。難しいですよ南京事件は…」』

『テレビ番組で「南京事件」を報じることについて意見を聞く。またご本人の取材や出演は可能かと打診した。すると実にあっさりとこう言われてしまった。
「お止めになった方がよろしいと思いますよ。何しろ“両方”から矢が飛んできますからね。出演もご遠慮させて頂きたいですね」』

南京事件だけがなぜこうも特殊な論争が存在するのか。著者はそこに結論を見出すことはないが、南京事件という歴史的事件の特異さから、中国という国への違和感、戦争における被害者と加害者の立場など様々な方向に思考を広げていく。

そしてその一つに、現在の政治の動きがある。

『不思議なのはなぜ、わざわざ「なかった」と言い出すのかである。
産経新聞の連載もそうだ。
本来、報道とは何らかの事象が「起きた」ことを伝えるのが基本である。
事件や事故が起きる。状況を伝える、そのために目撃者が登場する…。
ところが連載記事では「見なかった」という人を取材し、「なかった」という結論に転化していた。実に不思議な報道である。』

南京事件は一つの要素に過ぎないだろうが、著者は、安保法案の成立や、政府によるマスコミへの介入などの「きな臭い動き」を作中に絡めながら、過去の歴史が、現在の政治の動きに影響を与えているのではないか、という空気を切り取っていく。報道ステーションのコメンテーターだった古賀茂明氏の降板、国際的な「報道の自由度ランキング」の低下などに触れながら、日本における「言論の自由」が揺らぎ始めている様を描写し、そこに安保法案の成立を推し進め、日本が再び戦争に突入する状況を生み出しつつある現政権の動きを見る。戦争に突入することでまた南京事件のような虐殺が起こりうるであろうこと、そして起こってしまった南京事件という出来事を否定したり矮小化したりすることで政治的な立場を有利にしようとすること。それらは、南京事件という一つの出来事とだけ直結する問題ではないが、南京事件を含む歴史という大きな枠組みが、現代を生きる僕らの生活に実は直結しているのだ、という現実を改めて認識させる。

『極論を言ってしまえば、虐殺があろうとなかろうと私には無関係である』

取材を開始する前、著者はこんな風に思っていたという。興味は事実か否かだけにあり、虐殺があったにせよなかったにせよ、それが事実であれば自分にとってはそれでいい、というのが著者のスタンスだ。

しかし、南京事件を含む周辺の様々な取材を通じて、著者の考えは変わっていく。

『虐殺があろうとなかろうと私には無関係…。
取材を始めた頃の私はそう思っていた。
だが…、なんということだ。
122年を遡った先で私の到来を待っていた「事実」は、愚かな思考を完膚なきまでに叩き潰してくれたのだ―。
「おまえは本当に戦争と無縁だったと言い切れるのか?」
大陸の寒風が、私の頬をピタピタと打つ。
けれど、それでも私はそれをなかったことにしてしまおうとは思わない。
「事実」に一歩でも近づくことこそが、私の仕事だからだ。
歴史にはおぞましいものもある。だからといって事実を修正できるはずなどないのだ。』

日本の政治が、戦争に向き始めている。そういう雰囲気はそこここで感じ取れる。実際に日本が戦争に突入するかどうか、それは誰にも分からない。しかし、南京事件を深く掘り下げていくことで著者は、戦争というものが何を生み出しうるのか、戦争というものが人間をどう変えうるのかを描写していく。戦争を経験した世代が年々減り続けている今、日本人にとって戦争はリアルなものではなくなってしまった。戦争のリアルを体験した人の言葉を、僕らはもっと知るべきなのではないかと感じた。

『黒い革張りの日記を遺した上等兵は、戦後にこんな一文も記している。
<日本も自衛隊を作り、年々国費を増やして増強を図っておりますが、いつかは再び戦争を予想していることと思う。もっとも自衛力を少しも持たずにいることは安心出来ないが、戦争までやるようなことは絶対に無いようにして貰いたい。どれほどの国民が犠牲になって我が故郷の土を踏むことが出来ず、親子に会うこともなく異国の丘に消えて行った何十万の戦友を思えば、自然と涙が流れて来るのであります>』

戦争を経験した上等兵とは違った形で、著者も、今を生きる我々に問いかける。「日本国民」という大きな集団に対してではなく、「わたし」「あなた」という個に対して。

『兵を戦地に送り込むのは国家であろう。しかし戦い、傷つき、家族を失い、苦しむのは、結局は個々の人間だ。国家がその苦しみを救えるはずもない。ならば宿命を背負うか、謝罪するか、最後に決めざるを得ないのは、私達個々ではないか。
それぞれが歴史に学び、事実を知り、憂い、死者に黙祷せずしてどうするのか。
そうして二度と国を破滅の危機に追い込まぬことこそが、本当の意味の愛国心ではないのか。それこそが「国を守る」ということではないのか』

『知ろうとしないことは罪である』という声に突き動かされて様々な取材に携わってきた著者。もちろん、どんなこともすべて何もかも知る、なんていうことは出来ない。世の中、知らないことだらけだ。しかし著者が言いたいことは、「常に知ろうとする意識を持て」ということだろう。今の知識量で満足するな。今の関心の範囲で満足するな。そういうことだ。

「知る」にも様々なレベルがあるだろうが、本書を読んだだけで知った気になる、というのもまた怖いことだろうと感じる。もちろん、一般人のレベルで出来ることは限られている。しかし、常に「知る」ための「行動」を伴うこと。そういう意識は持っておきたいと強く思わされた。


『「なかった」と言うのは、本当は、あったことを知っているから言っているのだと思います。知っていて、それでも「なかったことにしたい人」が言っているんじゃないかと思います』

ある海軍兵士の言葉だ。すべてに当てはまるわけではないだろうが、本書を読むと、なるほどと思わされる一言である。

清水潔「「南京事件」を調査せよ」

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南京事件 兵士たちの遺言 さて、最後に、こんなことを言っている人がいます。署名を募っているのだそうです。「そもそも、南京大虐殺など無かった」と…。さらに、自民党の原田義昭・国際情報検討委員会委員長が、「南京大虐殺や慰安婦の存在自体を、我が国はいまや否定しようとしている時にもかかわらず、(中国が)申請しようとするのは承服できない」などと発言したり、二階俊博・自民党総務会長が、「ユネスコが『(南京事件で)日本は悪い』というなら、ユネスコの資金はもう日本は協力しないと言えないとしょうがない」と言っていて、そしてさらに、安部首相本人が、昨年、特攻隊資料を記憶遺産申請の手続きに入るようにと、自ら指示をしていました。ちなみに、この世界記憶遺産の文部科学省の担当者は、籾井勝人・NHK会長の娘である籾井圭子氏です。もうこのような愚かなことを言う大人が、この先どんどんと減っていく日本であることを、心から願っています。そのためにもわたしたちは、とんでもない『歴史修正に熱心』で、浅はかな言動を繰り返す政権を、必ず倒さなければなりません。
































南京事件 兵士たちの遺言 投稿者 tvpickup

http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/ba7c323938bb4c49f843826f525a69cc


『南京事件・兵士たちの遺言』文字起こし(その1)

2015年10月14日 | 日本とわたし


先日の10月4日に放送された、NNNドキュメント“シリーズ戦後70年”『南京事件・兵士たちの遺言』の、文字起こしをしました。
ビデオをここに転載することができませんので、重要だと思われる場面を切り取りました。
なので、とても長い記事になると思います。
けれども、わたしたちが知らずにいてはいけない事実が、このビデオの中にたくさん存在しています。
どうか、時間を見つけて、目を通してください。

↓以下、文字起こしはじめ

南京事件 兵士たちの遺言/NNNドキュメント
http://www.at-douga.com/?p=14681

中国を貫く大河長江。


下流域では、揚子江とも呼ばれています。


岸辺に寄り添う町の一つが南京です。


揚子江に近いいくつかの場所に、慰霊碑が建てられています。


今から78年前の、日中戦争当時の、悲惨な出来事を伝えるためです。


『南京虐殺』『南京事件』などと呼ばれるこの事件は、1937年12月以降、日本軍が行ったとされる中国人への残虐行為です。




中国側は、犠牲になった人の総数を、30万人以上と主張しています。


戦後日本で行われた東京裁判では、20万人以上が犠牲になったとされ、


松井石根元陸軍大将が死刑になりました。


以後、犠牲者の数については、多様な意見が飛び交います。


日本では、数万人や20万人など、議論にもなってきました。


近年、ネット上などにおいては、「あれは虐殺ではない」、


または、「抗議そのものが無かった」、という声まで上がっています。


日本政府の見解は、
「非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは、否定できない」としつつ、
「被害者の具体的な人数については諸説あり」
「正しい数かを認定することは困難である」としています。



南京陥落。
当時、勇ましく伝えられた『南京攻略戦』。


しかし、日本国内では、残虐行為は伝えられていませんでした。


南京戦に参加した兵士は、
「南京で見たことは、決して口外するな」


公式な記録の多くは、終戦時に処分されたと言われています。


一枚の写真があります。


防寒着姿で倒れている多くの人々。
これは、南京陥落後の中国で、日本人が入手した写真といわれています。
はたして、南京で撮られたものでしょうか。

これば、南京戦に参加した、ある兵士が書き綴った日記です。


『捕虜セし支那兵ノ一部五千名余、揚子江ノ沿岸ニ連レ出し、機関銃ヲ以テ射殺ス』
『年寄も居レバ子供モ居ル。一人残ラズ殺ス』

それは、加害者側の告白でした。
この日記を書いた元日本兵は、
「何万という捕虜を殺したのはこれ、間違えねえ。
俺は生きて帰って、しゃべって、それから死にてえなと思って 」


兵士たちの遺言と、残された日記が伝えるものとは。
多くの部隊が手柄を競った、南京攻略戦。
その中の、ある部隊の記録を遡ります。



南京事件を長く調査している人がいます。
福島県出身の小野賢二さん(66)。


小野さんは、地元である福島県から、南京攻略戦に参加した部隊があることを知り、興味をもって調べ始め、すでに27年が経ちました。

「福島県会津若松にあった歩兵第65聯隊という、その人たちの証言を聞いて、証言を聞いた上でまあ、証拠としての日記を中心に集めてきたという、それを延々とやってきただけですね」
「俺が証言を聞き始めた頃は、ちょうどみんな80歳以上ですからね。
だから(あうな?)見解があったんですけど、一応その中でも200人、には一応、なんらかのかたちで、あの…話は聞きました」
「そのみんな、亡くなったんじゃないですか。もう100歳以上ですからね、生きてても」
「一応用意したんで。これはひ孫のおもちゃ箱から出てきたもの、陣中日記ですね」


兵士たちが綴った戦の記録。
小野さんは、元兵士たちの家に何度も通った、と言います。


集めた日記は、コピーを含めると31冊。
そこに書かれていたのは…。








「これは本人からもらった、譲ってもらった」

「支那事変日記帳」と書かれてますねえ。これはわりと、戦後貼ったんでしょうかね」


古めかしい革張りの表紙に、年季の入った赤い背。
昭和12年9月から、南京が陥落するまでの3ヶ月間、ほぼ毎日書かれています。
今から19年前に亡くなった、陸軍の上等兵の遺品です。


男性は山砲兵、歩兵第65聯隊と行動を共にしました。
日記には、ごく普通の農民だった男性が、身重の妻を残し、戦場へ向かう様子が記されていました。




『10月3日
午後6時頃、いよいよ上陸して、支那の土地を踏んだ。
空襲となり、我が優軍の打ち出す高射砲機関銃は、火花を散らし…、
これが本当の戦争かと思った』


上海などに上陸した上海派遣軍。


当初の作戦任務は、居住していた日本人の保護でした。


しかし…。
これは陸軍の命令書です。
軍部の判断で、当時中国の首都だった南京攻略を目指すのです。


日本を発って一ヶ月。
日記からは、次第に故郷の話題は消えていき、食べ物についての記述が増えていきます。

『11月4日、ひし(水草の種子)を採って食す者、落花生を掘りきりて煮る者などもある』


突然のことだった南京への転戦。
後方支援はほとんどありません。


『11月16日
食糧の補給は全然無く、支那人家屋より南京米、その他の物を徴発して、一命を繋ぎ前進す』


徴発とは、強制的に、民間人から物質を集めることをいいます。
そして、2ヶ月前まで、ごく普通の農民だった男性が、ついに、民間人に対して、銃口を向けたというのです。

『11月17日
ニャー(若い中国人女性と思われる)を一人連れてきたところ、我らの目を盗んで逃げたので、直ちに小銃を発射し、射殺してしまう』


『11月25日
実に戦争なんて面白い。
酒の好きな者、思う存分飲むことが出来る』


12月、日本軍は、南京に迫っていきます。
中心部は高い城壁で囲まれた、巨大な要塞です。


日本軍のとった作戦は、幾つもの部隊による、完全包囲作戦でした。


上等兵が所属していた山砲兵第19聯隊は、歩兵第65聯隊などと隊を組んで、揚子江沿いを遡って行きました。


この包囲作戦で、中国兵や多くの民間人が、揚子江を渡れずに取り残されました。


12月13日、ついに南京陥落。


その後、松井元陸軍大将の、入場式が行われました。




揚子江沿いを遡っていた上等兵たちの部隊は、武器を捨てて降伏してきた多くの中国兵を、捕虜にします。




『12月14日
途中、敗残兵を1800名以上捕虜にし、その他、たくさんの正規兵で、合計5000人の敗残兵を捕虜にした』


捕虜はその後も増えていき、1万人を超えていきます。
そして…

『12月16日
捕虜せし支那兵の一部五千名余、揚子江の沿岸に連れ出し、機関銃を以って射殺す。
その後、銃剣にて、思う存分に突き刺す。
自分も此の時ばかりと、30人も突き刺したことであろう。
山となって居る死人の上をあがって、突き刺す気持ちは、鬼をもひしがん(?)勇気が出て、力いっぱい突き刺したり。
ウーンウーンと呻く支那兵の声。
一人残らず殺す。
刀を借りて、首をも切ってみた』


投降した捕虜を殺害することは、國際法で禁じられていました。

調査をしてきた小野さんは、日記を書いた上等兵に、インタビューをしていました。


この映像は、今から21年前に撮影されたものです。
山砲兵第19聯隊・元上等兵:
「機関銃を持ってきて、バババーッと捕虜に向かって撃っちゃったんだ。


捕虜はそりゃあみんな死んだけれども、中には弾に当たんねえ兵隊がいっかもしんねえから、みんな着剣してその、死骸の上を突いて歩け」と。
ザッカザッカ突いて歩いた。
もうおそらく、そうだなあ、30人くらい突いたと思うが、うん。
何万という捕虜は殺したのはこれ、間違いねえ」


これは、同じ作戦に参加していた、別の兵士(歩兵第65聯隊・第八中隊少尉)の日記です。
『一万七千二十五名の三分の一を引き出し、射殺す』


さらに違う兵士(山砲兵第19聯隊・第八中隊伍長)の日記にも、
『揚子江畔にて銃殺』


歩兵第65聯隊(第四中隊少尉)の兵士の日記


小野さんが入手した日記や写しは、合わせて31冊。
その多くが、捕虜の銃殺に触れていたのです。


中にはこんな日記も。
「これは、16日の記述が消されてますね。インクだから消されちゃう」
「ああ、これ、12月15日まではあって、その後無い」

銃殺があったとされる16日だけが、消されて空白になっていました。


戦後になって、諸説飛び出した南京事件。
その根拠の多くは、戦後になって記された文書や証言でした。
一方、これらの日記は、戦場で書かれたもの、つまり、一次資料です。


上等兵の日記の記述に、不自然な点や矛盾が無いか、さらに調べてみることにしました。
日記によれば、上等兵は、ここ神戸港から、白馬山丸という船に乗って、上海に向かったと記されています。


港のそばにある資料館を訪ねました。
白馬山丸の記録が残されていました。


船は、民間からの徴用船でした。


最大時速は13.3ノット。一時間に、およそ15マイル進むことになります。
日記では、上海までは5日間かかっています。
上海までの直線距離は、およそ830マイル(約1336キロメートル)。
日記の記述と矛盾しないことがわかりました。


上海上陸後の足取りの確認は、できないのでしょうか。
防衛省の研究施設に、軍の公式な報告書が残されていることがわかりました。


上等兵が所属していたのは、山砲兵第19聯隊です。


上等兵の書いた10月の日記と、照らし合わせてみます。


「大塲鎮、という場所ですね。陥落の日、と書いてありますが、こちらの資料にも、大塲鎮粉砕し、というふうに書かれています」


日記と公式な記録は、符合しています。
ただ、この部隊の12月以降の報告書は、ここでは見つけることができませんでした。
「この先の、南京に行った時の分が無いんだな」
プツリと消えた、聯隊の公式記録。


しかし、別の資料が、日記を裏打ちしていました。
これは、従軍していた新聞社のカメラマンが撮影した、65聯隊が捕虜にした、中国人の写真です。


これを報じた新聞によれば、捕虜の数は、一万四千七百七十七人。


翌日の報道では、『大漁鮨詰め』と表現した上で、
『弱ったのは食事で、これだけの人間に食わせるだけでも大変だ。茶碗を1万5千個も集めることは、到底不可能』
などと、苦労話が書かれていました。


捕虜のその後をとらえた、一枚の写真があります。(歩兵第65聯隊の兵士が所有)
欄外には、『幕府山の捕虜』


この写真は、福島の65聯隊の日本兵が、所有していたものです。
着剣した銃を担ぐ日本兵の隣には、後ろ手に縛られ、防寒着を着た捕虜も写っています。
裸足の足元には、冬の西日が、長く影を伸ばしています。


12月16日、捕虜は、揚子江西の、中国軍の海軍施設へ連行されたといいます。


当時、日本軍が使っていた機関銃です。


その引き金を引いたという兵士の、音声が残っていました。

歩兵第65聯隊・元第三機関銃隊兵士(1990年収録):
「この方(捕虜)を“お客さん”て言うんだよね。
『今晩はお客さんが来て、お客さんを処理するんだ』と。
そして、“ピー“という呼び子の、将校の呼び子の合図で、一斉射撃。
ダダダダダダダダと始まる』


暗闇に響く、銃殺の合図。
“ピー“

処刑はこの日だけで終わらなかった、といいます。
翌17日、現場は、揚子江の別の河川敷。
これは、65隊の伍長が、後日スケッチしたものです。


河原に集められた捕虜を、日本兵の機関銃が、半円形に囲んでいます。


同じ現場に居たという、別の兵士の証言。
歩兵第65聯隊・元第一大隊本部行李係二等兵(1994年):
「とにかく、1万も集めるっちゅうだから、相当広い砂原だったね。
有刺鉄線か何か、後ろ、周囲に張ったでなかったんかな、あれ」


機関銃隊に所属していた兵士は…。
歩兵第65聯隊・元第一機関銃隊二等兵(1994年):
「機関銃乗せて高くしてね、砂を積んでこう盛って、こうやって撃ったんだから。
5.6発撃ったんでも百、サブロクジュウハチ…200発ぐらい撃ったのかな、うん。
ダダダダダダダダと、一斉に死ぬんだからそりゃ」


二日間で、多くの捕虜の命が、奪われていったといいます。


何冊もの日記や証言から浮かび上がってきた、南京事件。
私たちは、現地取材のため、中国へ向かいました。


戦後、大きく発展を遂げた町、南京。


戦争の傷跡は、今はかなり少なくなったといいます。


市街の所々に残る城壁。
その一部に、痕跡がありました。


事件に関わる資料が展示されているという、(南京)虐殺記念館。


私たちは、館内の撮影を申し込んでいました。
ところが、一ヶ月の交渉の末、明確な理由が示されないまま、断られてしまったのです。


残されたのは、数少ない手がかりです。
・歩兵第65聯隊第二中隊伍長のスケッチ


スケッチに描かれた、捕虜の銃殺場面。
あの、鮨詰にされた捕虜収容所から、捕虜たちはいったい、どこに連れて行かれたのでしょうか。

スケッチには、捕虜収容所から、揚子江へ連行する経路が描かれていました。


ある兵士は “幕府山を右にまわり1時間ちょっと” と証言しています。


手前に描かれている細長い山が、幕府山です。


当時の日本軍の地図には、幕府山には、中国軍の砲台が記載してあります。


私たちは幕府山へ。


探してみると、山頂付近に、中国軍の砲台跡が残されていました。


眼下には揚子江。そして中洲が見えます。


伍長の書いたスケッチと、ほぼ一致していました。
スケッチに描かれた場所は、この辺りと推定できます。
そして、その前日の16日の銃殺が行われたという海軍施設は、少し上流の、この辺りでした。

*文字制限のため、次の記事に続きます→

http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/9b25a9537e947d2eda1d271ab9ce8791


『南京事件・兵士たちの遺言』文字起こし(その2)

2015年10月14日 | 日本とわたし


続きです。

私たちは、取材で浮かび上がった情報を、CGにしてみました。
揚子江岸に建っていた、中国軍の海軍施設です。


16日の昼間、日本兵がやって来て、コンクリートの壁に、いくつもの穴を空けました。
そこに機関銃を設置。
銃口は、揚子江側に向けられています。


そして、夕暮れを待ちます。
あの上等兵の日記には、
『捕虜せし支那兵の一部5千名を、揚子江の沿岸に連れ出し』

《声》歩兵第65聯隊元第三機関銃隊兵士:
「捕虜が、歩かされてやってきたんですよ、夕方暗くなってきて」

後ろ手に縛られた捕虜たち。
揚子江とトーチカのようになった建物に挟まれ、逃げ場はありません。
そして、合図で始まる一斉射撃。


山砲兵第19聯隊上等兵の日記
『その後、銃剣にて、思う存分に突き刺す』
『一人残らず殺す』

翌17日が、河川敷での銃殺でした。
河原には、鉄条網が張られました。
外側に砂を盛って台座が作られ、機関銃が並べられます。
機関銃の上にはシートが、聯隊本部と連絡する野戦電話も引かれました。
辺りが暗くなり、やがて捕虜たちが到着。
そして、岸辺に用意された2本の松明に、火が灯されます。


《声》歩兵第65聯隊・元第一機関銃隊二等兵
「合図があったわけだ。一斉にもう、機関銃撃ったんだから」

機関銃同士の相打ちを防ぐために、この松明の間を狙って、引き金を引いたといいます。


伍長のスケッチの余白には、この時の、


『撃たれまいと、人から人へと登り集まる様、即ち人柱は、丈余(3メートル以上)になっては崩れ、なっては崩れした。


その後、片っぱしから突き殺して、夜明けまでそのところに石油をかけて燃やし、柳の枝を鍵にして、一人一人引きずって、河の流れに流したのである』


揚子江の岸辺が処刑場に選ばれたのは、多くの死体を処理するためだった、といいます。
揚子江で起きた銃殺での犠牲者の、正確な総数は、今もはっきりとはしていません。
戦後になって、
「捕虜を解放するために、揚子江岸に連行したが、暴動を起こされたので、やむなく銃撃した」
という証言が、為されたことがあります。


しかし、小野さんが31人から集めた、戦中の一次資料には、解放するという話は全く書かれていませんでした。


捕虜の銃殺。
地元の南京では、直接事件を知る人を見つけることは、できませんでした。


ところが、揚子江沿いで、銃殺を目撃したという日本人が、大阪に居ることがわかったのです。
南京での銃殺を目撃したという、96歳の男性。
当時18歳だったこの男性は、海軍兵士として南京戦に参加した際に、揚子江岸での銃殺を目撃したといいます。


「12月18日というのは、あのー、午後の2時頃に、突然、機関銃の射撃音が響いてきて、河川敷の中に、火を噴く機関銃と、倒れてワイワイ…』

これまで確認できた処刑場所は、2箇所でした。
そして、海軍兵士が見た18日以降の場所は、この辺り。
銃殺は、揚子江沿いの幾つかの場所で、行われていたことになります。


「銃殺は連日続いていた」と、この男性は言います。
しかしなぜ、海軍兵士が南京に居たのでしょうか。

「『海風』がある。これがその時の」
「あ、船ですか」


第24駆逐隊の海風。
男性は、この駆逐艦で、信号兵をしていたと言います。


あまり知られてはいませんが、海軍は揚子江をさかのぼり、南京戦に参加していたのです。


防衛省が保管している、海軍の公式記録にも、海風が。




海軍兵士は、駆逐艦の上から、こんな光景も目にしていました。
「南京の上海で停泊中、その時に、いかだに死体の山を積んだのが、4隻流れてきました」

いかだについては、軍の公式記録にも記載されていました。
『敗残兵、南京上流よりいかだにて逃走せんとす』




駆逐艦から銃殺を目撃したのは、その二日後だといいます。

「いわゆる陸軍のね、重機関銃の銃座が片っぽにあって、河川敷にトラックで運ばれてきた、25人か30人程度の人が、重機関銃の標的にされて、撃ち殺されてたということですね」
「はじめはダダダンダダダンダダダンと、やがてはタタタンタタタン、タン、タン、タンともう、
残り少なくなったら、弾は一発でボン、ボンと、狙い打ちしているようなのが、音聞いてわかるというふうに慣れてしまった」

男性は、南京での戦いを終え、長崎県の佐世保へ戻ると、海軍士官から、ある注意を受けたと言います。


「『南京で見たことは、決して口外するな』ということを注意されましたね」



南京事件は、戦後になって表面化しましたが、78年が経った今も、論争が絶えません。
私たちは、捕虜の銃殺に関わった部隊の記録や、目撃者の取材を行ってきました。
現地では、被害者側の声を聞くことにしました。

南京市政府から、事件の被害者とされる中国人を、3人紹介されました。
被害者として来日し、講演をしたこともあります。

一人目は、当時10歳だったという男性。
親戚や近所の住民などと、店の地下に隠れているところに日本兵が来た、といいます。
余昌祥さん(88):
「おじを含む若者たちは、上に隠れていましたが、日本軍が来て、7人が殺されました」


二人目は、当時13歳だったという男性。
チン(草冠に今)洪桂さん(91)。
日本兵によって住んでいた家が放火され、中に居た幼い弟が死んだ、というのです。
 

私たちは、二人の証言について、裏付け取材を試みましたが、当時の状況はすでに大きく変わり、他の目撃者も見つかりませんでした。

三人目の女性は、1928年生まれのアイ(草冠に又のような漢字)義英さん。
9歳の時、農民だった父親と親戚を、殺害されたといいます。

「村人が、日本軍を歓迎すると言い出しました。
日本軍と握手をしましたが、関係なく殺されました。
日本軍は、村の広場に村人を一列に並ばせて、機関銃で十数人、射殺しました」


翌日、村に再び日本兵が現れ、アイさんの父親を連れ去った、といいます。
「父は、首を刺されて死んでいました。顔は血だらけでした。
叔父も死んでいました。
私は、父の手をずっと握って、泣いていました」


日本兵の仕打ちは、それだけではなかった、といいます。

「若い娘を見つけたら、強姦します」


親戚の女性も連れて行かれ、強姦されたと訴えました。


現在は、南京中心部に住んでいるというアイさん。
日本軍が来た時に暮らしていたのは、郊外の許巷村だったといいます。

これまで私たちが取材してきた、揚子江の銃殺とは別の場所です。


南京市政府担当者と別れた私たちは、単独で、事件があったという許巷村へ。


南京の中心部から、直線距離でおよそ45キロ。
田園風景が広がる場所に、村はありました。
取材開始から一時間後、
「なんか今、おじいさんが、おじいさんが来てね」


この村で暮らす男性。
彼は、村で起きた事件のことを、聞いたことがある、というのです。

「どこですか?どこで殺されましたか?」
「あそこです」


「村の年寄りが、『旗を持って日本兵を迎えに行こう』と、村人に呼びかけていました」


「日本兵は、子どもたちには手を出しませんでした。
しかし、若い村人たちは、縛られて裸にされ、殺されました」

「一般の方がここで、射殺されたということですね」
「民間人です。農民です」
「兵隊ではない、農民の方」

日本兵を歓迎した農民たちが殺された。
それは、アイさんが語った内容と同じでした。

取材を続けると、村人たちが集まってきました。
そして、アイさんは昔この辺りに住んでいた、村のはずれに一家の墓がある、と教えてくれました。


「アイ・イーインは、私の叔母さんです」


「お墓を案内してもらえる」
「そんなに遠くありません」

男性は、私たちがインタビューしたアイさんの、親戚だといいます。
村のはずれに建つ、一族の墓。
墓石は近年作られたものだそうです。


78年が経った今、たどり着けたのはここまででした。



民間人の殺害。
それは、当時海外メディアにより、指摘されていました。


南京の特派員たちが、報じていたのです。


そして、現在の日本政府も、非戦闘員の殺害や、略奪行為等があったことは否定できない、という公式見解を示しています。


南京陥落時、中国兵の中には、軍服を脱ぎ捨て、民間人に紛れ込む者もいたとされます。
日本軍は、そんな、兵隊と民間人の区別が出来なかったり、あるいはほとんどしないまま、殺害した例もあるといいます。

私たちの手元にある、一枚の写真。
防寒着姿で倒れている、多くの人々。
これが南京で撮られたものならば、後ろの河は揚子江と考えられます。


調べる手がかりは、後方に写っている、特徴的な二つの山の稜線。


そして右手には、なだらかな丘陵が続いています。


対岸に、似た地形がありました。





戦争を振り返る時、日本人は、自分たちを被害者として考えることがあります。


しかし、多くの命を奪ったという一面も、忘れてはなりません。


歴史を踏まえ、これからどう進んでいくべきか、今、問われています。


↑文字起こし終わり



わたしは、今の夫と暮らし始めたことで、違う国々の人たちと話す機会が多くなって初めて、この南京事件のことを知りました。
その時にはもう、30代の後半に差し掛かっていました。
ひょんなことから、南京のことが話題に上がり、その時わたしは無邪気に、「え?なんのこと?」と口にしたのでした。
その途端、普段はとても優しくて、ひょうきんな台湾人のジョイが、顔を真っ赤にして叫んだのでした。
「どうして知らないの?そんないい年をして、どうして知らないの?」
今にも掴みかかってくるほどの勢いで、目には涙がたまっていました。
わたしは本当に驚いて、それから家にすっ飛んで帰り、慌ててそのことについて調べるために、図書館に走って行ったのを覚えています。
今からもう20年近く前のことです。

わたしは、同じく戦争犯罪に当たる原爆投下による被害については、幼い頃から興味を持ち、同じように図書館に通っては調べたりする子どもでした。
そして、調べれば調べるほど、このような惨たらしい殺戮が仕事であり、目的となる戦争、軍隊、そして軍産複合体の存在を、憎々しく思ってきました。
でも、基本は、犠牲者としてのもので、加害者としての認識は、あまり強いものではありませんでした。

理不尽に奪われた命。
それが数人なら、数十人なら、数百人なら、数千人なら、数万人なら、数十万人なら、数百万人なら…。
戦争は人や生き物を殺し、町や村や自然を破壊し、終わった後も膿を出し続けます。
そんなとてつもない暴力を、研究し、計画し、命令し、それに従えるだけの人間としての心の破壊をし、実行に移すことが、どうして罪に問われないのでしょう。
こんなひどい犯罪が、どうして戦争という名の元に、やらなくてはいけないことのような嘘が、まかり通っているのでしょう。
戦争は犯罪であり、戦争を指令した者はみな罪人として、その結果がどうであれ、勝った側も負けた側も、どちらも極悪罪人として裁きを受けるよう、法律を作るべきだと思います。


さて、最後に、こんなことを言っている人がいます。
署名を募っているのだそうです。


「そもそも、南京大虐殺など無かった」と…。

さらに、自民党の原田義昭・国際情報検討委員会委員長が、
「南京大虐殺や慰安婦の存在自体を、我が国はいまや否定しようとしている時にもかかわらず、(中国が)申請しようとするのは承服できない」などと発言したり、
二階俊博・自民党総務会長が、
「ユネスコが『(南京事件で)日本は悪い』というなら、ユネスコの資金はもう日本は協力しないと言えないとしょうがない」と言っていて、
そしてさらに、安部首相本人が、昨年、特攻隊資料を記憶遺産申請の手続きに入るようにと、自ら指示をしていました。
ちなみに、この世界記憶遺産の文部科学省の担当者は、籾井勝人・NHK会長の娘である籾井圭子氏です。

もうこのような愚かなことを言う大人が、この先どんどんと減っていく日本であることを、心から願っています。
そのためにもわたしたちは、とんでもない『歴史修正に熱心』で、浅はかな言動を繰り返す政権を、必ず倒さなければなりません。

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しかし日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、掠奪や放火も頻発した。日本軍による虐殺行為の犠牲者は、極東国際軍事裁判における判決では20万人以上(松井石根司令官に対する判決文では10万人以上)、1947年の南京戦犯裁判軍事法廷では30万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している。一方、日本側の研究では20万人を上限として、4万人、2万人などさまざまな推計がなされている。犠牲者数に諸説がある背景には虐殺の定義、対象とする地域・期間・埋葬記録・人口統計など資料に対する検証の相違が存在している。


















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講演録:南京事件の真実は?
←目次へ
和解
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最終更新日:2014/06/21 9:19

講演テ-マ

「今も論争が続く南京事件の真実は?」

日時   2012年10月19日(金)午後6時から

場所   東京都内某所

主催   都内NPO団体

[和解]

  黒板に和解と言う文字を書きました。

最近の外交問題、特に中国や韓国とのギクシャクを見ていると、

どうも日本は周辺の国々と和解が出来ていないのじゃないかと言う気がします。

先の戦争で日本がアジアの国々に迷惑を掛けた件でです。

ドイツやイタリアは和解が出来ています

じゃあ和解とは何なのだろうか・・・・その辺りから考えてみようと思います。

日常生活でも交通事故やケンカがあります。

レストランの食中毒、エレベ-タ-事故、今回の東電の原発事故もあります。

そのような時にどのようなステップで和解になるのか?

* 調査

まずどんな事件だったのか自ら調査、検証をしますね。

原発事故でも東電・政府・国会・民間と4つの事故調査委員会があります。

勿論他人の手に委ねる事が正確なのかもしれませんが、

自らが「どこに問題があって、どこにミスがあったのか」を検証する事は大事なことです。

それが第一歩です。

* 責任者処罰

問題を起こした責任者が誰なのか?

これを明らかにすることも大切です。

会社だったら責任者のクビか格下げ、犯罪なら刑務所・・・

色々な処罰が行なわれます。

* 謝罪

よく調査をしました。

そして責任者を処罰し二度と繰り返しません。

大変申し訳ありませんでした。

なんとか許してください・・これが謝罪です。

これは迷惑を掛けた相手に対してきちんとなされなければなりません。

これをしないと誠意がないとみなされます。

* 償い・賠償

ですからこれだけ迷惑料をお支払いします。

誠意を形で示すと言う事です。

交通事故の保険、離婚の慰謝料、原発事故の賠償金・・・皆そうですね。

これらのことが出来て初めて和解へと進む事が出来るのです。

そして二度とこのような事を繰り返さないために

改善して次の世代に申し送りします、という作業があります。

* 祈念施設

記憶を後世に残すため、事実や資料を展示する施設を作ります。

靖国神社や原爆ド-ム・・・沢山あります。

* 教育

次の世代に正しい歴史を伝えるようにきちんと教科書に記載し、教育に生かします。

これらのことが全てできた時に初めて和解です。

さて日本はきちんを和解の条件を満たしているでしょうか?

上記のことを改めて一つ一つ考えると、どれ一つきちんとしていません。

戦勝国が勝手に東京裁判を開いたと言う人がいますが、そのとおりです。

そのとおりですが結局は私達や国家は自らがなにもしていないと言う事です。

ですから戦後育ちの人たちは何も知らないで民主主義の中で育ちました。

それは素晴らしい事なのですが、

周辺諸国の国々と和解が出来ていないのだという事も知らないで育ったのです。

何も知らないと言う歴史観の中で中国や韓国との揉め事を考えるとどうしてもギクシャクしてしまいます。



何も知らないため、戦後の平和運動や平和教育は「日本は被害者」である、という事が中心で

「原爆を落とされた」「空襲はひどかった」「沖縄はひどかった」「暮らしが大変だった」・・・

だから二度と戦争はイヤだとと言うことになります。

そこには「日本は加害者だった」と言う視点が抜けているのです。

さて前置きが長くなりました。

本題に入ります。



戦後の日本人の間でよく真相が知れらていないことの一つに南京事件があります。

よく事件の事を南京大虐殺と言いますが、

虐殺だけではなく多くの忌まわしい事件を含みますので私は南京事件と呼んでいます。

いまだに南京事件があったのかなかったのかと言う論争があります。

南京事件の事実は確定している
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最終更新日:2014/06/21 9:24

学問的には南京事件の事実は確定した事です。

どんなに確定した事でも、なかったと主張している人が数人いる。

ただそれだけの事です。

しかしその数人の声がとても大きく、新聞や雑誌などの手段を持っているので

本屋さんに本が一杯並ぶのです。

ですから若い人は、ついそうなのかなあ~と思ってしまうのです。

学者で言えば秦郁彦先生と言う方、私から見るとかなり右よりな研究者ですが、

それでも約2万人の殺害があった事を認めています。

研究者では一番少ない数字でしょう。

又、旧日本陸軍の将校クラブ、偕行社と言います。

今でもあります。

皆、かなりご高齢なので確か資料を靖国神社の資料室に移したと思います。

その偕行社では、世間であまり南京大虐殺と騒ぐので、

機関紙「偕行」で南京事件に関するアンケ-ト調査をしています。

会員向けの調査と雑誌連載です。

対象は旧陸軍の将校ですから一番正確ですね。

「証言による南京戦史」と言う連載は1984年4月号から85年2月号まで連載されました。

ところが当初の目的とは逆に虐殺の証言がどんどん出てきてしまったのでした。

その結果、連載終了翌月の3月号で書くはずだった責任者畝本氏の総括は中止になり

編集者が代わりに総括を書いています。

* 総括的考察

・・・・中国人民には深く詫びるしかない。まことに相すまぬ、むごいことであった・・・・

そして虐殺の人数を3000人~6000人(畝本氏)、13000人(板倉由明氏)として機関紙の連載は終了しました。



政府レベルでも2006年に日中間で歴史共同研究がスタ-トしました。

当時の安倍晋三総理と中国の胡錦濤国家主席の合意でスタートしたのです。

日本側の座長は北岡伸一東大教授。

中国側座長は歩兵社会科学院近代史研究所長です。

研究会は2010年1月31日に共同研究報告書を発表しました。

その報告書の日本側論文です。

* 日中歴史共同研究

・・・・昭和12年12月10日、日本軍は南京総攻撃を開始し、

最初の部隊は12日から城壁を突破して城内に進入した。

翌13日、南京を占領した。・・・・

中支那方面軍は、上海戦以来の不軍紀行為の頻発から、

南京陥落後における城内侵入部隊を想定して

「軍紀風紀を特に厳密にし」という厳格な規制策(南京攻略要領)を通達していた。

しかし日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、市民に対して

集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、掠奪や放火も頻発した。

日本軍による虐殺行為の犠牲者は、

極東国際軍事裁判における判決では20万人以上(松井石根司令官に対する判決文では10万人以上)、

1947年の南京戦犯裁判軍事法廷では30万人以上とされ、

中国の見解は後者の判決に依拠している。

一方、日本側の研究では20万人を上限として、4万人、2万人などさまざまな推計がなされている。

犠牲者数に諸説がある背景には

虐殺の定義、対象とする地域・期間・埋葬記録・人口統計など資料に対する検証の相違が存在している。

宣戦布告がなされず「事変」にとどまっていたため、

日本側に、俘虜の取り扱いに関する指針や占領後の住民保護を含む軍政計画が欠けており、

また軍紀を取り締まる憲兵の数が少なかった点、

食料や物資補給を無視して南京攻略を敢行した結果、

略奪行為が生起し、軍紀弛緩をもたらし不法行為を誘発した点などが指摘されている。



国家同士の正式な共同研究です。

ですから南京事件があったということは日本国家の正式な見解と言って良いでしょう。

国家がきちんと認めたことを公の地位にある人が否定する事はおかしい事です。

ドイツでは犯罪になります。

まあ友人と一杯飲みながら自説を展開するのは良いでしょうがね!

上海事変の拡大
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最終更新日:2014/06/21 9:32

次は南京事件と言うものはどのようにして起きてきたのかについてお話します。

実は南京事件は第二次上海事変が拡大していったものです。

1937年8月9日上海で日本海軍陸戦隊の大山勇夫中尉が中国保安隊員に射殺されたことから、

中国軍と日本海軍陸戦隊が衝突しました。

当時上海にいた日本軍は海軍特別陸戦隊が5000人で、

これに対して中国軍は5万人以上といわれ、

在留邦人を守るために日本は大量の陸軍を派遣することになりました。



その後の経緯を時間を追って整理してみましょう。

8月12日 国民党中央執行委員会は戦争状態に突入することを秘密決定しました。

8月13日 朝9時からの閣議では派兵に消極的だった石原作戦部長の意見は抑えられ、

       内地から2個師団の派兵が決定された。

8月13日 夕方中国軍は先制攻撃を開始し、中国空軍も第3艦隊旗艦「出雲」や陸戦隊本部を攻撃しました。

8月14日 消極的だった米内光政海相も「出雲」を攻撃されたことから臨時閣議では強硬な意見へと変わり

「不拡大方針」の放棄を主張し、南京占領の提言を始めました。

8月15日 近衛内閣は政府声明を発表し、杉山陸相の意見で「不拡大方針」はそのままで、

「暴戻支那軍」を「膺懲」すると言う、「南京政府断固膺懲声明」

いわゆる暴支膺懲声明を発表しました。

これが上海事変の始まりです。

注:暴戻-ぼうれい、ぼうるい・・・残酷で人道に外れている事

  膺懲-打ち懲らしめる事

8月15日 上海派遣軍が編成され、予備役の松井石根大将を指揮官として

その任務の範囲は「海軍と協力して上海付近の敵を掃滅し上海並びにその北方地区の

要線を占領し帝国臣民を保護すべし」という限定されたものでした。

8月17日 日本は閣議で従来からの「不拡大方針」を放棄する事を決定した。



このようにして第二次上海事変は始まったのです。

この時に軍部に追従した近衛首相の様子を批判している外交官がいました。

日記を見てみます。

*外交官石射猪太郎 外務省東亜局長の日記から

8月31日 近衛首相の議会草稿を見る。

軍部に強いられた案であるに相違ない。

支那を膺懲とある。

排日抗日をやめさせるには最後までブッたたかねばならぬとある。

彼は日本をどこへ持って行くというのか。

アキレはてた非常時首相だ。

彼はダメダ



余談になりますが、避難する在南京の日本大使館館員や日本人居留民を

保護する中国政府に関する資料があります。

それによると引き上げる日本人に対して、

中国人から危害が加えられないようにと国民政府は特別列車を用意し、

40名の護衛用の憲兵や2人の外交部の係官まで随行させて丁重に扱っています。

青島に着くまでの停車駅でも厳重な保護を与えています。

注:もし立場が逆で日本だったら、またその後の南京での日本軍の暴行を考えると、

  国民党政府がきちんとした紳士的な政権だった事が分かります。

*庄司得二「南京日本居留民誌」から 1940年

停車場構内の柵外には黒山のような人集まり、

列車をさして何事か語り合いおるもホ-ム内には人影なし。

停車すると同時に護衛の憲兵ただちに列車の外側に並列し

柵内を警戒しおる巡捕にて二重の警戒線を張り、

列車付近に一人として群集を寄せつけず、厳重警戒をしおれり。

その後停車のたびごとに注意しおりたるに、

いかなる小駅にても同様にて、実に行き届きあれり・・・・

拡大派と不拡大派
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最終更新日:2014/06/21 9:27

当然ですが陸軍内部では第二次上海事変を拡大するか拡大しないかと論争が続いていました。

拡大派としては、杉山元陸相、田中新一軍事課長、武藤章作戦課長、永野佐比重支那課長等が中心で、

中国軍の実力を軽視し、断固として一撃を加えれば早く終わる、と主張していました。

司令官に任命された松井石根大将は拡大派で、南京まで戦争を拡大したかったようです。

彼は南京まで行くつもりだったので8月18日の送別会で不満を表明し、参謀本部から注意されています。

* 参謀本部総務部長中島鉄蔵少将から上海派遣軍飯沼守少将への注意 (飯沼守日記から)

作戦命令も勅語も手続きは同様にて、作戦命令も勅語と同様のものにて、

これを批判するごときは不謹慎なれば、よく言うておいてくれ

それでも松井はその後も不満を漏らしています。

* 参謀本部首脳との会合での発言

国民政府存在する限り解決できず・・・・

蒋介石下野、国民政府没落せざるべからず・・・・

結末をどこにすべきやの議論あるも、

だいたい南京を目標としてこのさい断固として敢行すべし、

その方法はだいたい5~6師団とし、宣戦布告して堂々とやるを可とす・・・・



不拡大派は石原莞爾作戦部長が中心で「対ソ連を目標にした軍備拡張のため、

中国とはあまり深入りしないほうが良い」と主張していました

* 石原莞爾中将回応答録から

・・・・然るに責任者の中には満州事変があっさり推移したのと同様、

支那事変も片付け得るという通念をもつものもいました。・・・・

事変がはじまると間もなく傍受電により孔祥肌煕は数千万ドルの武器注文をどしどしやるのを見て、

私は益々支那の抵抗、決意の容易ならざるを察知いたしました。

即ちこの際、戦争になれば私は之は行くところまで行くと考えたので、

極力戦争を避けたいと思い、又向こうも避けたい考えであったようです。

さらに今日のようになったのは真に残念であり、又非常なる責任を感ずる次第であります。

* 同じく石原莞爾中将回応答録から

今次の上海出兵は海軍が引きずって行ったものといっても差し支えないと思う・・・・

私は上海に絶対に出兵したくなかったが実は前に海軍と出兵する協定がある・・・

注:1937年7月11日の北支作戦に関する陸海軍協定のこと

事変と戦争
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最終更新日:2014/06/21 9:34

このようにして少しずつ第二次上海事変は拡大していくのですが、ここで戦争と事変の説明をします。

日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦・・・皆戦争です。

ところが満州事変、支那事変、上海事変等は事変と呼びます。

戦争まで大規模にならない小競り合いを事変と呼び、大本営は作られません。

それと大事なことは戦争だと戦争に関する国際法規を守らなければなりません。

逆に言えば事変だと国際法に縛られないで何でも出来ることになるのです。



当然のことですが日本軍では戦争とするか事変とするかで相談が行なわれています。

結論から言うと事変にしたのですが、その理由は次のことが考えられます。

*事変とした理由は

簡単に中国軍にを打撃を与えて早く終わると思っていた

正式に宣戦布告をする大義名分がなかった

石油、鉄をはじめ多くの物資をアメリカから輸入していたため、小競り合いだという名目にしておきたかった

ハ-グの陸戦に関する条約を逃れるため

ハーグ条約に関することは陸軍の資料にもあります

*8月5日の陸軍次官通牒「陸支密第198号 交戦法規の適用に関する件」(原文カナ)

現下の情勢に於いて帝国は対支全面戦争を為しあらざるを以って「陸戦の法規慣例に関する

条約其の他交戦法規に関する諸条約」の具体的事項を悉く適用して行動することは適当ならず

      注:都合が悪いからハ-グ条約を適用しない事にする

天皇の意思
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最終更新日:2014/06/21 9:35

その時点で天皇はどのように考えていたのでしょうか?

天皇は青島にも不穏な動きがあることから、戦線を拡大しないで

上海、青島を重点的に打撃を与えて早く終わらせたかったようです。

*天皇の「御下問」 8月18日 軍令部総長、参謀総長(閑院宮)宛て  (原文カナ)

戦局漸次拡大し上海の事態も重大となれるが青島も不穏の形勢に在る由

斯くの如くにして諸方に兵を用ふとも戦局は永引くのみなり 

重点に兵を集め大打撃を加えたる上にて我の公明なる態度を以て

和平に導き速に時局を収拾するの方策なきや

即ち支那をして反省せしむるの方途なきや

勅語と全面戦争
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最終更新日:2014/06/21 9:36

宣戦布告はしないが、一応それに変わる勅語を出すことが

8月25日の首相・陸相・海相・外相の4相会議でが決定され、

9月4日、第72臨時議会開院式勅語で「中華民国の反省を促す」戦争目的が発表されました。

事変でありながら全面戦争であると公言したのです。

* 9月4日の杉山陸軍大臣訓示。(現代文に要約)

・・・・今回の事変はその原因は南京政府の従来からの国策から生じたものである。

すなわち抗日排日がこのところ顕著になりそれに容共政策が加わって激成したものである。

これは過去我が帝国が経験したこととは全く異なるものである。

すでに全面戦争に移行したことを深く覚悟しなければならない・・・・

南京爆撃
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最終更新日:2014/06/21 9:44

陸軍の動きを話しましたがその時海軍ではどうしていたのか。

海軍では1937年8月15日、在南京の日本人たちが避難してから数時間後に大爆撃を始めました。

海軍木更津航空隊所属で前年に完成した世界的な新鋭機96式陸上攻撃機20機が、

長崎の大村基地から約600キロを4時間で飛んで渡洋爆撃をしたのです。

海軍省では「世界航空戦史上未曾有の大空襲」を宣伝しましたが、この空襲は国際法違反でした。

* 開戦に関する条約  1907年ハ-グで締結  日本は1912年に批准

締約国は、理由を付したる開戦宣言の形式

または条件つき開戦宣言をふくむ最後通牒の形式を有する明瞭かつ事前の通告なくして、

その相互間に、戦争を開始すべからざること

* 陸戦の法規慣例に関する条約  1907年ハ-グで締結  日本は1912年に批准

防守せざる都市、村落、住宅または建物はいかなる手段によるも、

これを攻撃または砲撃することを得ず

当然ながら違法な爆撃に対する抗議が出ました。

*8月29日には南京に駐在する欧米5ケ国の代表が出した抗議書

いかなる国の政治的首都、とりわけ戦争状態にある国の首都にたいする爆撃にたいして、

人間性と国際的礼譲についての配慮を必要とするような抑制について、

日本側当局は適当な配慮を促すべきである。(中略)

爆撃は、かかげられた軍事目標にかかわらず、

現実的には教育や財産の無差別の破壊、および民間人の死傷、苦痛に満ちた死につながる。

*9月28日 国際連盟総会において「日本の中国都市爆撃非難決議」が全会一致で可決

諮問委員会は、日本航空機による支那における無防備都市の空中爆撃の問題を緊急考慮し、

かかる爆撃の結果として多数の子女を含む無辜の人民にあたえられたる生命の損害にたいし

深甚なる弔意を表し、世界を通じて恐怖と義憤との念を生じせしめたるかかる行動にたいしては、

何らの弁明の余地なきことを宣言し、ここに右行動を厳粛に非難す

*政府内にも批判  外務省東亜局長 石射猪太郎の日記から

10月4日  日本の新聞はもう駄目だ

7日  世界は今や日本に向ってあらゆる言葉をもって非難をあびせている。

  それは決して驚くことではないが、憂うべきは日本自体の無反省だ



南京爆撃では日本海軍は誤爆(無差別爆撃)を許可する通達を出しています。

*南京空襲部隊制空隊の戦闘要領に関し希望事項  海軍第13航空隊戦闘詳報から

爆撃はかならずしも目標に直撃するを要せず、

敵の人心に恐怖を惹起せしむるを主眼とするをもって、

敵の防空砲火を考慮し、投下点を高度2千ないし3千メ-トル付近に選定し、

かつ一航過にて投下を完了するごとく努められたし・・・・

  注:目標に当たらなくても良い、爆弾は全て投下するとは、無差別の許可です。

日本の海軍省の記録では、8月15日の渡洋爆撃から始まって、12月13日の南京占領にいたるまで、

海軍の南京爆撃は50数回におよび、延べ参加機は900余機、

投下爆弾は160余トンにおよんだとされています。


南京への戦争拡大
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最終更新日:2014/06/21 9:48

上海戦では中国側の防衛力が強大で日本側はかなりの死傷者を出しました。

当初の松井石根率いる上海派遣軍に対して大本営はどんどん兵力を増強し、

さらに柳川平助中将率いる第10軍(通称柳川軍団)が組織され広州湾から上陸しました。

その結果形勢は逆転し中国軍は撤退しました。

その時日本軍は最初の計画通り上海だけで戦争をやめるべきかどうか、

或いはそのまま戦争を続行してあわよくば南京まで進撃するのか議論が分かれました。

軍中央では拡大を防ぐため制令線を決めてその線より先に進撃しないように命令しましたが、

結果として第10軍の暴走をきっかけとして南京への進撃が始まってしまったのです。

その経緯を資料を交えて整理します。

*軍内部の不一致 陸軍省軍事課長の田中新一の手記。

南京攻略に関し、陸軍省首脳部は慎重論、

軍務課長柴山謙四郎大佐のごときは南京攻略は

地形上不可能の理由をもって南京作戦阻止を大臣・次官に意見具申す。

参謀本部作戦課は積極的なり・・・・

軍中央の方針は拡大を防ぐため中支那方面軍の任務は上海付近の敵の掃討とし、

拡大しないように進出制令線(作戦範囲)を決めました。

*参謀総長指示

中支那方面軍の作戦地域は概ね蘇州、嘉興を連する線以東とする

それ以降の流れですが、時間を追ってざっと言いますと、

* 11月9~13日 中国軍の退却が始まる

* 退却した中国軍を追撃して日本軍は制令線を無視して追撃を始めた

* 11日15日 現地の第10軍は独断で南京に追撃する事を決定。

* 19日 第10軍は傘下各師団に追撃命令を出した事を参謀本部に報告

* 20日 参謀本部は第10軍の独断決定に驚き、

 「第10軍の南京追撃は臨命第600号指示(作戦地区)の範囲を逸脱している」

 直ちに中止、制令線から撤退せよと命令を出した。

* 24日 中支那方面軍から「事変解決を速やかならしむるため、現在の敵の頽勢に乗じ

 「南京を攻略するを要す」との意見書が参謀本部に届く

 大本営は制令線の撤廃を指示した。

注:軍の中央は抑えようとし、現地軍が暴走したのです。

* 25日 方面軍は体制を整えるために、無錫、湖州の線で爾後の作戦を準備せよと命じた

 しかし第一線部隊はこの命令も無視した。

注:現地の方面軍は待機命令を出しましたが、第一線部隊は無視したのです。

天皇の攻撃命令
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最終更新日:2014/06/21 9:50

大本営の命令は天皇からの命令と同じですから、

現地軍は天皇の命令を無視して独断で南京に進撃して行ったことになります。

現地軍の暴走を止められなかった天皇は仕方なく追認してしまったのです。

* 12月1日、大本営は大陸命第7号で戦闘序列を発令し、

さらに「中支那方面軍は海軍と協同して敵国首都南京を攻略すべし」という大陸命第8号を下しました。

すでに南京に向けて進撃していた日本軍は命令後3ルートに分かれて南京城に進攻しました。

注:戦闘序列とは軍の臨時編成ですが、実際には作戦命令です。

天皇が中国を敵国と断定しました。

初めてのことです。

南京突入
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最終更新日:2014/06/21 9:53

正式に天皇から攻撃命令が出たのですから、今度は南京城突入の一番争いが始まりました。

現地軍は12月8日の4時頃飛行機で日本語と中国語の「投降勧告文」を城内に投下しました。

*勧告文

日軍百万すでに江南を席巻せり。

南京城は正に包囲の中にあり、

戦局の大勢よりみれば、今後の交戦はただ百害あって一利なし・・・・

日軍は抵抗者にたいしてはきわめて峻烈にして寛怨せざるも、

無辜の民衆および敵意なき中国軍隊にたいしては寛大をもってし、これを犯さず・・・・

しかして貴軍交戦を継続せんとするならば、

南京はいきおい必ずや戦禍を免れ難し。

しかして千載の文化を灰燼に帰し、十年の経営はまったく泡沫とならん。

よって本司令官は日本軍を代表し貴軍に勧告す。

すなわち南京城を和平裡に開放し、しかして左記の処置に出でよ。

        大日本陸軍総司令官  松井石根

この勧告文が守られれば良かったのですが、

その後一切守られる事はなく南京事件と言われる忌まわしい事が起きてしまったのです。



12月13日に南京は陥落し一応戦争は終結しました。

天皇は司令官松井石根に対して「ご苦労であった、将兵を慰労せよ」と告げました。

天皇の命令を無視して暴走をしていたのに、結果として「お褒めの言葉」を賜った。

ですから司令官は感激して,すぐ正式な南京城入城式を行うと決めたのです。

戦闘終了直後で治安が悪いため多くの幹部は反対しましたが入城式は強行されました。

実は副司令官は皇室の朝香宮だったため、万が一のことがあると困ります。

そこで入城式の前に南京をきれいに片付ける事が決められました。

そして数万の捕虜が殺害されたのです。

つまりこの殺害は戦争終了後の殺害と言うことになりますね。

南京で起きた多くの事件
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最終更新日:2014/06/21 9:54

南京事件では虐殺について多く語られます。

色々な論争も主に虐殺についてだけです。

しかし実際には虐殺以外にも多くの事件が起きているのです。

簡単な項目だけあげて見ます。

・ 無差別大空襲

海軍の空襲に関してはさっき述べました

・ 放火と掠奪

今回は時間の関係で説明を省略しします

・ 強姦と慰安所

1ケ月で2万人を越えるといるレイプ事件がありました。

このため「レイプ・オブ・南京」と言われるほどです。

次に説明します。

・ 毒ガスの使用  後で別項目にします

・ 占領後の麻薬問題  これも後で別項目にします

強姦と慰安所
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最終更新日:2014/06/28 14:40

南京ではあまりにもレイプ事件が多く発生したため現地軍は困っていました。

そのために慰安所の設置が急がれたのです。

資料を見ていただきます。

慰安所の設置に関して

* 1937年12月11日 飯沼守上海派遣軍参謀長 日記

・・・慰安所の件方面軍より書類来り実施を取計ふ・・・

* 12月19日  同上日記

・・・迅速に女郎屋を設ける件に就き長中佐に依頼す・・・

* 12月28日  上村利道上海派遣軍参謀副長 日記

・・・軍隊の非違愈々多きが如し。

(参謀部)第二課をして各隊将校会報を招集し参謀長より厳戒する如く手続きをなさしむ・・・

南京慰安所の開設に就いて第二課案を審議す・・・

中支那派遣軍の最後の総司令官だった岡村寧次大将が戦後講演した内容にも強姦の事が出て来ます。

* 1954年4月18日   偕行社での講演

・・・・軍司令官着任後まず某師団長を訪問したところ、

同師団長は「私の師団の将兵は戦闘第一主義に徹し、勇剛絶倫なるも掠奪、強姦等の非行を軽視し、

団結心強きも排他心も強い。

南京事件は前師団長時代のことであるが

相当暴行をしたことは確実である云々」と、公平率直に報告した。・・・・・

当時各師団は数十名の慰安婦を同行していた。

兵站の重要なる一機関になっているが、強姦予防のために上司も黙認という有様であったのである。

日露戦争時代には慰安婦の同行は無かったが強姦も無かったのである。

我が陸軍では、昭和7年春第一次上海事変の際、海軍に倣って、公然慰安婦を設けたのが最初である。

その当時極めて少数であったが、この慰安婦同行を始めてからは、

全くこの犯罪が無くなったのを記憶している。

然るに昭和12年の今日慰安婦を同行しても、なお多くの強姦する者を続出するのである。・・・・

       (注:この講演の内容は従軍慰安婦が軍の関与であるとはっきり認めている内容です。)

毒ガスの使用
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最終更新日:2014/06/28 14:42

毒ガスについては説明の必要はないでしょうから資料だけ見てください。

* 南京攻略に関する意見送付の件、丁集団参謀長発次官あて  昭和12年11月30日付

                     (丁集団とは第10軍の事  原文カナ)

南京を急襲により奪取し得えざる場合の攻略案

この場合に於いても正攻法の要領に力攻することを避け左記の要領に依り攻略す

急襲案と同一要領により先ず南京に急迫して包囲態勢を完了し

主として南京市街に対し徹底的に空爆特に「イペリット」及び焼夷弾を以ってする

爆撃を約一週間連続的に実行し南京市街を廃墟たらしむ・・・・

本攻撃に於いては徹底的に毒瓦斯使用を使用すること極めて肝要にして

此際毒瓦斯使用を躊躇して再び上海戦の如き多大の犠牲を払う如きは忍び得ざるところなり

注:上海上陸の際、毒ガスを使用して日本軍にも被害が出ました

占領後の麻薬問題
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最終更新日:2014/06/28 14:49

阿片に関しては日本人里見甫が関係していました。

里見は陸軍特務機関に命じられ中国の裏社会を傘下に置き阿片の販売を仕切っていました。

* アメリカ人のベイツ(M.S.Bates金陵大学歴史学教授)「報告書」   1938年1月25日

Ⅰ.形勢の急激な悪化

いまの世代の人は、アヘンが南京で大量に供給され消費されるとはついぞ知らなかったし、

それが臣民と浮浪者を惹きつける方式で大っぴらに売り出されるとも知らなかった。

とりわけこれまで5年間、政府が長期にわたって真剣にこの種の貿易を禁止し続けたのと、

加うるに過去30年教育に努力したのとで、

アヘンは使用量がごく僅かであり、ヘロインは全く知られていなかった。・・・・

今や市政当局ないしは庇護を受けた人々が、誰はばかることなくアヘンを販売している。

万をもって数えられる民衆が病みつきとなり、児童と多くの青年男女も含まれている。

数千人がこの種の商売に従事している。

統治者当局の圧力の下で、麻薬吸引に耽溺する新しい世代の人たちが出現した。・・・・

公然たる吸引家庭の登録が、街に広告として貼り出され、

彼らの産物が吸引者に健康と活力とを増進させるホラを吹き、

政府側のある新聞が、市民を吸引所へと誘いをかけている。

Ⅱ貿易、価格、営業量

*アヘン

政府の保存資料で調べたならば、

南京では土膏行75軒だけ(今では200軒)がアヘンを販売していると人々は見なすかもしれない。

けれども忘れてならないのは、

まだ数としては非常に多くの、色々な名称の様々な規模の旅館や妓楼があり、

加うるに個人の家庭に置かれている吸引用ランプで、免許証のあるのもないのも、

いずれもが売買の仕事をしている。

私の家に近い小さな地区には、市区の人口稠密な所ではないのに、

あからさまな交易と販売のセンタ-が14ケ所ある。

過去何日かの間に、日本人慰安婦と朝鮮人慰安婦がいるある一軒がアヘンを80箱買い込んだ。

組織系列の販売人が言うには、2週間前に日本の代理店がイランのアヘンを200箱余り運んできたが、

その船荷はアヘン管理局と何らかの関係があったらしく、そのため留め置かれずに済んだ。

アヘンは主として大連から上海を経て南京に供給されていて、それを示す証拠が充分にある。

つながりある官吏が抑えている下での毎日の販売は原則として6,000オンスに制限されている。

少なからざる販売が付近の村で行われていて、実際の販売総額は必然的に原則を上回っている。

それでも6,000オンスとしても、毎日の卸価格は6.6万元、毎月220万元となる。

注:日本の代理店とは三井物産だと思われる。

*ヘロイン

アヘンの取引と同様にヘロインにも恐るべき破壊性がある。

ヘロインの営業総額の新たな伸びも、邪悪の世界に立ち込めていて、

アヘンの金額と大体同じであろうし、それと関わっていいる人数もそれ以上かも知れなし。

ヘロインは吸引がずっと簡便で、しかもごく少量で効き目が生じる。

時価で言うと、麻薬中毒患者一人で廉価なアヘンなら毎日5角から1元吸わなければ駄目だが、

ヘロインなら3~4角で済むと思われている。

ある推定では、大体5万人がヘロインを吸っていて、南京の人口の1/8に相当するが、

それよりずっと高い推定もされている。

ヘロインの取引は全くの私営で、小売商、露天商、行商人と広汎に分散し、

代理店の親友関係とおして掌握している。

ある友人は販売するところを72ケ所知っている。

一般的に言われているのでは、日本軍の情報部門がヘロインの

半ば組織的な取引に密接に関係していて保護を与えている。

かなりの地位のある代理店が言うには情報部門に記録があり、

南京を中心にした取引額は毎月300万元という。

この手の取引の殆どが日本の会社の経営に帰し、

それらの会社が表面では缶詰などの食料品や医薬品をやっていて、

背後でヘロインを売りさばいている資料が充分にある。

ハーグ条約
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最終更新日:2014/06/28 15:00

先ほどのお話の中で事変と戦争の違いを説明しました。

戦争するのに法規があることも妙な話ですが、戦争法であるハ-グ条約の条文を資料で見ます。

下線を引いたところ(黄色線)を見ると日本軍はことごとく違反しています。

ですから違反を隠すために戦争にしないで事変にしたのです。

必要な点だけお話して、あとは資料を見てください。



*「陸戦の法規慣例に関する規則」 抜粋です。 (原文カナ)

前文

・・・・一層完備したる戦争法規に関する法典の制定せらるるに至るまでは、

締約国は、その採用したる条規に含まさる場合においても、

人民及び交戦者の文明国の間に存立する慣習、人道の法規及び公共良心の要求より生ずる

国際法の原則の保護及び支配のもとに立つことを確認するをもって適当と認とむ・・・・

第1款

第1章 交戦者の資格

第1条[民兵と義勇兵]

戦闘の法規及び権利義務は独りこれを軍に適用するのみならず

次の条件を具する所の民兵及義勇兵団にもまたこれを適用す

(注:便衣兵やゲリラにも戦闘の法規及び権利義務を適用するということです)

第1 部下の為に責任を負う者その頭にあること

第2 遠方より看別し得べき固著の徽章を有すること

第3 公然と武器を携帯すること

第4 その動作に於いて戦闘の法規慣例を尊守すること

民兵又は義勇兵団をもって軍の全部又は一部を組織する国においては

之を軍の名目中に包含す

第2条[群民兵]

いまだ占領せらぜらる地方の人民にして敵の接近するに方り

第一条に遵て編成するの逞なく自然武器を操りて侵入軍隊に抗敵する者にして

戦闘の法規慣例を遵守する者は交戦者と看做すべし(注:自然発生のゲリラ)

第3条[兵力の構成員]

交戦国の兵力は戦闘員及び非戦闘員を以て之を編成することを得、

敵に捕獲せられたる場合には二者均しく俘虜の取扱を受ける権利を有す

第3章 俘虜

第4条[俘虜]

俘虜は敵の政府の権内に属し、これを捕らえたる個人又は軍団の権内に属することなし

俘虜は人道をもって取り扱わるべし俘虜の一身に属するものは、

兵器、馬匹及び軍用書類を除くの外、依然その所有たるべし

第7条[給食]

政府(注:日本政府)は、その権内にある捕虜を給養すべき義務を有す交戦者間に

特別の協定なき場合においては、

俘虜は糧食、寝具及び被服に関しこれを捕らえたる政府の軍隊と対等の取扱を受くべし

第2款 戦闘

第1章 害敵手段、攻囲及砲撃

第22条 [害敵手段の制限]

交戦者は、害敵手段の選択につき、無制限の権利を有するものに非ず

(注:勝ったから何をやっても良いと言うのではない)

第23条 [禁止事項]

特別の条約をもって定めたる禁止の外、特に禁止するものは以下の如し

イ. 毒又は毒を施したる兵器を使用すること

ロ. 敵国又は敵軍に属するものを背信の行為をもって殺傷すること

ハ. 兵器を捨て又は自衛の手段尽きて降を乞える敵を殺傷すること

注:毒ガス、細菌は禁止ですし・・・

  許すと騙して殺してもいけない・・・・

  兵器を捨てた敗残兵は殺していけないと言う事です。

  日本軍は総てに違反しました。

第25条 [防守されない都市の攻撃]

防守せざる都市、村落、住宅又は建物は、如何なる手段によるも、これを攻撃又は砲撃することを得ず

注:無防備都市を攻撃してはいけないと言う事です。

  日本の南京・重慶爆撃も違反、アメリカの空襲も原爆も違反、イラク攻撃も違反です。

第3款

第43条 [占領地の法律の尊重]

国の権力が事実上占領者の手に移りたる上は、占領者は絶対的の支障なき限り、

占領地の現行法律を尊重して、

なるべく公共の秩序を回復確保する為施し得べき一切の手段を尽くすべし

第46条 [私権の尊重]

家の名誉及び権利、個人の生命、私有財産並びに宗教の信仰及び遵行は、之を尊重すべし。

私有財産は、これを没収することを得ず。

第47条 [掠奪の禁止]

掠奪は、之を禁止す。

第52条 [徴発と課役]

現品徴発及び課役は、占領軍の需要の為にするに非ざれば、

市区町村又は住民に対して之を要求することを得ず。(中略)

上記徴発及び課役は、占領地方における指揮官の許可を得るに非ざれば、之を要求することを得ず。

現品の供給に対しては、なるべく即金にて支払い、然らざれば領収書を以てこれを証明すべく、

かつなるべく速やかに之に対する金額の支払を履行すべきものとす

中支那派遣軍の問題
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最終更新日:2014/07/05 13:03

次の話に行く前に、何故この時期の日本軍は多くの問題を起こしたのか?その話をします。

色々な原因が考えられますが、根底にあるのは中国人蔑視でしょう。

現在でも中国人蔑視や敵視する人がいるのですから当時当時はもっとひどかったと思います。

それ以外の原因として考えられる事は・・・・

1 後方からの補給準備がまったく欠けていたので、

  南京に殺到した各部隊は民間人からの徴発に食料を依存し、略奪暴行の原因になった

2 中支那方面軍には外交や渉外の機能がなかった。

  また国際法を熟知した軍の法務官が少なかった。

  そのため日本の公使館や領事館との連携も取らず外交官は軍の暴行をとめる事が出来なかった。

3 軍は軍規風紀維持について関心がなかった。

  方面軍には元々直属の憲兵がいなく、個々の派遣軍や第10軍所属の憲兵しかいなかった。

  20万の日本軍に100人前後の憲兵では取り締まる方法がなかった。

  特に12月17日の入城式時点では南京城内にはわずか17名の憲兵しかいなかったため、

  兵士の非行を止めることが出来なかった。

4 軍中央にはもともと南京攻略までするつもりがなかったため、

  何故南京を攻略するのか、占領後南京をどのようにするのか、基本方針がなかった。



時計を見たらだんだん時間がなくなってきましたので、

南京事件の細かい内容は省いて、少し飛ばして次に進めましょう。



今でも南京事件はなかったと主張する人がいます。

そんなに人数はいません。恐らく10人位かと思います。

それでも次々と本を出版し声高に主張しますから世間を混乱させてしまいます。

受け売りで主張する人は沢山いますね。

某市長もそうだと思います。

次からはなかったと主張する人たちが話題にすることを中心に説明と事実を述べます。

南京事件の期間は
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最終更新日:2014/07/05 13:04

南京戦はいつ始まっていつ終わったのか?

この期間を長くすれば被害が増え、短くすると被害が少なくなるのは当然のことです。

時期を整理すると

・ 1937年11月6日 中国軍の撤退を受けて日本軍は上海から南京へ追撃を始めた

・ 12月1日 天皇の南京攻撃命令

・ 12月4日 日本軍が中国軍の防衛線を突破

・ 12月10日 日本軍総攻撃開始

・ 12月13日 南京陥落 戦闘終了

・ 1938年2月28日 日本の傀儡政権「中華民国維新政府」樹立

多くの研究者は1937年11月6日から1938年2月28日までを事件の期間として調査をしています。

当然のことだと思います。

南京の地理的範囲
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最終更新日:2014/07/05 13:04

これも同じことで、場所を狭く限定すると被害は少なく、広くすると被害は増えます。

上海から南京まで全部を含めると広大な広さになりますので、南京周辺に限定するべきかと思います。

では南京の広さはどの位あるのでしょうか?

次の地図を見てください。

中国の行政区では市の下に県があります。

実際には行政区としての南京市は南京城内(南京特別市)及び

近郊6県(六合県・江浦県・江寧県・凓水県・句容県・高淳県)が含まれます。

その6県にもそれぞれ県城と農村部があります。

全部合わせた地域を行政区の南京と呼び、その面積は東京・埼玉・神奈川を合わせた位のかなり広い面積です。

つい私達は南京戦と言うと南京城区の事だけを取り上げてしまいますが、

中国軍は南京城を防衛するために郊外に陣地を作りましたから戦闘や虐殺も郊外が多くなっています。

地図では斜線を引いている小さな部分が南京城区です。

そしてさらにその中の1/8位の場所に在南京の欧米人達が国際安全区を作りました。



*近郊6県を含めた南京の行政区の地図です。

中ほどの斜線の部分が南京城内ですから、いわゆる南京は狭い範囲です。



SCN_0088 南京全図



次に 国際安全区のお話をします

国際安全区と南京安全区国際委員会
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最終更新日:2014/07/05 13:04

安全区とはどのようなものだったのでしょうか?

委員になったメンバ-です。

1  アメリカ人のキリスト教関係で宗教的或いは人道的信念に基づいて南京にとどまった人。

  職種は大学講師・医師・看護婦・宣教師・・・などです

2  南京のアメリカ大使館メンバ-で上記のアメリカ人の保護のために残りました

3  南京のドイツ大使館やドイツ商社員。

4  外国人ジャ-ナリスト

5  日本人の牧師も1人いました



国際委員会は、1937年11月22日に市民の安全を守るための声明を発表し、

アメリカ大使館を通じて中国と日本に難民区の安全の保障をするように申し入れました。

* 声明文の内容

デンマ-ク人、ドイツ人、イギリス人、アメリカ人より構成される国際委員会は、

南京およびその近郊において、不幸にも戦闘が行われた際の避難場所として、

安全区を設置することを日中両国の当局へ提起したい。

国際委員会は、設定される安全区に関して、以下のような特別な条件を認めさせることを保証する。

すなわち、同区内に軍事施設および通信所を含む事務所を置くことはできない、

また同目的に使用することもできない。

市民警察がピストルを携帯する以外は誰も武器を持つことはできない。

何らかの戦闘能力を有する兵士および将校が、同区を通行することは許されない、など。

国際委員会は、これらの約束事項が十分満足に履行されるように、安全区を検閲・監視するつもりである。

国際委員会は、民間の避難民の面倒をみるのに便利で適当な場所として、以下に示す地域の指定をしたい。

(中略:細かく地区を定めています)国際委員会は、安全区の境界を関係者に分かりやすく示すために、

白旗か他の了解を得られた標識をもちいてはっきりと表示するつもりである。

国際委員会は、両国の当局に提出した通告に対する双方の了解が得られた日をもって、

安全区の効力が生ずることとしたい。

国際委員会は、上記の条件がみたされた場合には、日本当局は人道的理由から、

この安全区の民間的性格を尊重してくれるよう切に希望する。

委員会は両国の責任ある当局が市民のために慈悲深い配慮を示すことが、

双方に名誉をもたらすものと信じるものである。

中国当局との必要な交渉を可能な限り短期的に達成するために、

また難民を保護するための適切な準備がなされるために、

委員会はこの提案に対する日本当局の即答を、喪心よりお願い申し上げる。

国際委員会は本アピ-ルにたいして、好意ある理解が得られるものと確信している。

以上謹んで提案する。

できるだけ早急に日本大使に伝えていただきたい。

そして、当該の委員会に対する回答・文書を私宛に送ってください。



この申し入れに対しての返事ですが、

中国当局からは、委員会の提起した条件を全面的に遵守するという回答がアメリカ大使館に寄せられました。

日本からは12月4日に上海の日本領事館を通して次のような回答がアメリカ大使館に出されました。

* 日本の回答(長いので要約します)

1 提案された地域が、南京城壁の内側にあってかつ広大であること、

  安全区の周囲に効果的に外界との交通を遮断する自然の地形や建物がないことを考慮すると、

  安全計画地域を維持する側に十分強力な人員(列強諸国)が備わっていなければ無理であると思われる。

2 提起された地域内や周辺には中国軍の施設や用地があって、

  中国軍がそれを利用しないということは考えられない。

3 2.と重複するため 省略

4 日本当局は、安全区の発起人たちの高邁な動機には敬意を表するが、

  同区を爆撃しないとか、砲撃しないとかの約束を与えられる立場にはない

5 しかしながら、そこが中国軍によって軍事目的に使用されない限りにおいて、

  また、中国軍が防衛施設を建設せず、さらに中国部隊を配置しない限りにおいて、

  日本軍はそのような場所を攻撃する意図をいささかも有しないのは、当然と思われてよい・・・・



このように安全区を設定したのですが、日本軍は約束を守らず暴虐の限りを尽くしたのです。

南京の人口は
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最終更新日:2014/07/05 13:05

次は南京の人口の話です。

南京の人口は20~25万人だから30万人も殺せる訳はないと言います。

皆さんよく考えてみてください。

大きな中国の首都南京、しかも国際都市で世界中から人が集まっていた都市が20~30万人の人口があるでしょうか?

大まかですが色々な機関で調査されています。

・ 日本軍南京特務機関の南京市政概要から

        1937年3月末 1,019,667人  200,810戸 首都警察庁調べ    南京城区の人口

         38年2月末   200,000人  南京市自治委員会と特務機関が推計  安全区の人口

         39年9月  戦前は100万、そのうち、25万は漢口に、25万は上海に、5万は香港に

                現在は4~50万どまりなり
・ 行政機関の調査(注:日本軍の支配下です)

         38年10月末 329,488人   82,195戸  南京市自治委員会調べ

         39年10月末 552,228人  132,403戸  南京特別市調べ

         41年3月末  619,406人  140,439戸  南京市政府調べ

・ 金陵大学社会学教授 ルイス・スマイスの当時の調査

        戦争勃発前の南京城区             100万人

             37年11月初旬(陥落の直前)     50万人

              近郊4県半          120~135万人

注:南京城区100万人と近郊150万人を合わせると、

  南京全体としては250万以上がすんでいたと思われます。

・ ジョン・H・D・ラ-ベ報告書

        ・・・南京の人口は、私が7月に出発したときには、約135万人でした。

限定された調査ですから実際には周辺も合わせて300万人くらいの人口がいたと考えられます。

それならば20~25万人と言う数字はどこから出てきたのでしょうか?

実は国際安全区に逃げ込んだ人数なのです。

安全区委員長のドイツ人ラ-ベの書いたものに出てくる数字を読み違えたものと思われます。

(意図的かもしれませんが)

便衣兵は殺害してよいのか
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最終更新日:2014/07/13 11:35

民間人も捕虜も殺害していない、殺害したのは全て便衣兵だ。

便衣兵の処分は国際法で認められている、と言う人がいます。

しかしそれが間違いである事は先ほどの資料「ハ-グ条約の第1条」で明らかです。

死者は戦闘で死んだのか
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最終更新日:2014/07/13 11:37

戦闘中だから死亡しても仕方がない、と言う人もいます。

しかし先ほど述べたように、

戦闘が終わって入城式の前に殺害したのが分かっているだけで数万人いますから

この説明も間違えている事が分かるでしょう。



日本政府や国民は知らなかったし、国民政府や中国共産党や国際連盟は何も言わなかったのだから、

実は南京事件はなかったのだと言う主張があります。

事実はどうなのかは次に説明します。

日本政府や国民は知らなかったか
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最終更新日:2014/07/13 11:48

メディアの言論が統制されていましたから日本国民が知らなかったのは当然の事です。

しかし日本政府は現地の外交官から報告を受けて全部知っていました。

国際安全区の委員長ラ-ベは毎日のように報告書を日本大使館に提出し、

大使館では本国の外務省に打電しています。

ただ政府は軍部の暴走を止めることができなかったのです。

ラ-ベの報告書はゆっくり読んでください。



*ラーベの報告書 報告書の番号はNo.426まであり、最後は翌年2月5日です。

  最後に書いてある名前はラ-ベに訴えた人の名前です。

154 1937年12月26日午後4時、13歳の少女が陳家巷6号で、3名の日本兵に強姦された(王)

158 12月27日夜11時~12時の間、3人の日本兵が司令部から検査に派遣されたと称して、

自動車に乗って大学の正門から入ってきた。門衛は脅かされて警報を出す事が出来なかった。

また女性を捜すのに無理矢理つきあわされた。

3人の娘がこの兵隊たちに強姦された(その中の一人は11歳になったばかりである)。

その中の一人は拉致されて行った。(ベイツ)

159 12月26日、この日は3~4人一組の兵隊が数組、延べ7度も宣教師資格訓練学校に押し入ってきた。

数え切れない略奪でわずかに残っていた衣服、食品と現金も奪われてしまった。

彼らは6名の女性と12歳の少女を強姦した。

夜、12~14人で組んだ沢山の兵隊が4度も押し入り、20人の女性を強姦した。

177 1月2日15時、シュペ-リングとフィッチ先生が呼ばれて寧海路13号の家へ向った。

4人の日本兵がそこへ押し入って略奪と強姦を行おうとしていた。

日本兵たちはシュペ-リング先生が黒い卍の腕章を着けているのを見ると

“ドイツ人だ、ドイツ人だ”と叫びながら逃げ去った(シュペ-リング)

178 1月3日、現在大学病院に入院している一人の女性が次のように報告している。

1937年12月30日、彼女は他の5人の女性と一緒に銅銀巷6号の家から、

日本の軍官の衣服を洗って欲しいと騙されて連れ出された。

日本兵は彼女たちを西の郊外の建物に連れて行った。

彼女らは状況からみて日本軍の病院だろうと判断した。

ここで、確かに昼間は衣服の洗濯をさせられたが、夜は毎晩彼女たち全てに強姦が繰り返された。

年令の高い女性では一晩に10回~20回、若くてきれいな女性は40回の多きにのぼった。

1月2日、2人の日本兵がこの女性患者をへんぴな校舎のところへ連れ出し、

銃剣で10回彼女突き刺した。

4回は彼女の頚で頚肉は刺されて脊髄に達するほどに切れている。

1回は手の関節を、1回は顔を、4回は背中を突き刺している。

この女性はおそらく回復できるであろうが、しかし頚は曲がらなくなってしまった。

2人の日本兵は彼女が死んだものと思って彼女を放置した。

別の日本人が見つけ、あまりにひどい彼女の様子をみて中国の友人たちのもとへ送り届けた。

これらの中国達がその後病院へ送り届けたのである。   (ウイルソン医師)

185 1月9日朝、クレ-ガ-とハ-ツは、一人の中国平民が一人の日本軍将校と一人の日本兵に引き立てられて、

安全区の中にある山西路のそばの池で処刑される情景を見た。

クレ-ガ-とハ-ツがそこへ着いたとき、

この男性は薄氷を割った池の中に腰まで浸かってよろよろと立っていたが、

将校の命令に従って、日本兵は一つの砂袋の後ろに腹ばいになって射撃を開始した。

第一発は男性の肩に当たり、第二発は外れ、第三発で彼は射殺された。(クレ-ガ-、ハイツ)

我々は日本軍隊の合法的な処刑に対して抗議する権利は当然持っていない。

しかし上で見たような処刑方式は疑いもなく不当であり、残酷である。

またこの機会にもう一度、日本大使館の先生方と個人的な談話で

いつも取り上げている問題について述べておきたい。

死体によって池が汚染されるため、安全区内の水源は大々的に減少した。

或いは破壊されたと言える。

長期にわたって水が不足する時期には、

こういう状態がきわめて危険であることをとりわけ指摘しておきたい。

特に市の水道管はほとんど回復していないのだから。

190 1月14日、難民一家が大学付属中学から自分の家に戻った。

途中で登録証を貰い、自分の家の門に貼った。

これがあれば日本兵の騒動を受けなくてすむと言われている。

しかし家に戻って1時間もしないうちに、5人の兵隊が彼らの住居に、男を追い出し数名の女子を強姦した。

1月15日この家の人は再び中学に戻って住むようになった。 (ベイツ)

210 1月21日の夜間、高家酒館44号で2名の日本軍兵士が女性を探し求めていたが、

幸いにもこの家の女性たちは一昨日金陵大学付属中学に行ってしまっていた。

この2名の兵士は人から煙草と金銭をゆすった。

この家のひとは大変貧しかったので、彼らは隣の家に入った。

そこで、彼らは2名の女性を見つけ、なんと夫の目の前で彼女たちを強姦した。

1月22日、この2名の兵士は更に2名の仲間を連れてこの家の前でにやにやしながら立っていた。(ゾ-ン)

211 1月25日の午後、鼓楼病院は一人の女性を収容した。

彼女は夫と安全区の宣教師訓練学校付近の藁葺き小屋に住んでいた。

12月13日、日本兵は彼女の夫を拉致して行った。

彼女も城南の某所に連れて行かれ、そこで拘禁されて、毎日7~10回も強姦された。

夜になって少しばかり休ませるだけであった。

彼女は既に病気に罹り、状態が非常に悪くなっていたので、5日前になってようやく釈放された。

彼女は既に3つの性病:梅毒、淋病、下疳に罹っている。

非常に悪質で、すぐに伝染する病気である。

彼女は短期間中にこの病気に罹ってしまった。

彼女は解放されるとすぐに安全区に戻ってきた。(ウイルソン)

この若い女性は、安全区の茅葺小屋から日本兵に拉致され、城南に38日間も閉じこれました。

その間、毎日7~10回も輪姦された。

そのため、彼女は3種類のもっとも悪質な性病にかかってしまっただけではなく、

陰部の大部分がひどくただれてしまったので、日本兵はようやく彼女を釈放した。

というのは、彼女はもはや彼らの性欲のはけ口としては役に立たなくなったからである。

彼女は1938年1月26日に教会病院(鼓楼病院)に送られてきた。

この写真はそれから数週間後に撮ったものである。(注:原書には写真があります)

彼女が日本兵に拉致されたその日に、

彼女の夫(警察官である)も日本軍に連れて行かれたが、

その後は杳として行方が知れない。

その他に連れて行かれた数千人と同じようにすでに殺されたと断定できる。



この様な報告書がNo.426まで続いているのです。

国民政府は知らなかったか
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最終更新日:2014/07/13 11:51

中国でも報道されなかったという主張も誤りです。

蒋介石は南京が日本軍に占領された直後の

12月24日にアメリカのル-ズベルト大統領に窮状を訴える手紙を出しています。

長文ですが全文です。

*蒋介石からル-ズベルト大統領への手紙

        ワシントンD・C

        アメリカ合衆国大統領ル-ズベルト閣下

「中国は有史以来、現在進行しているような容易ならぬ機機に直面した事はかってありませんでしたし、

極東の平和が今日のように破滅的危機にさらされたこともありませんでした。

この5ケ月の間、中国は日本を相手に生死をかけて戦ってまいりました。

最新鋭の武器で武装しながら、中世の野蛮さの特徴であるような残酷さを発揮した日本軍は、

中国に上陸して以降、陸・海・空軍でもってつぎつぎに都市を攻略し、

この間、少なからぬ外国人を含めて、無数の非戦闘員を虐殺し、

莫大な施設・財産・及び宗教寺院、慈善施設さえも容赦することなく破壊してきました。

日本軍は、中華民国の首都を含めて、南京―上海鉄道沿線の都市や町を不法に占領したうえに、

いまや華北の大部分を不当に占領しています。

日本軍国主義者によって「中華民国臨時政府」と称する傀儡政権が北平(注:北京のこと)につくられました。

日本軍はさらに侵略の矛先を四方八方にいっそう拡大しています。

現在の見通しでは、日本軍は江蘇省北部、山東、長江流域及び華南への侵攻を企てていると思われます。

われわれは持てる軍隊をすべて動員し、最善をつくし日本軍の襲撃と戦ってきました。

わが国家の尊厳を守ろうという固い意思のもとに、

われわれは多大な犠牲、すなわち人的資源、商業・産業を犠牲にしてきました。

わが国家が平和と尊厳のうちに生存せうることを願ってわれわれは血を流しているのです。

われわれは通常の意味でいう戦争を戦っているのではなく、

わが領土に対する非道な侵略に抵抗し、苛烈な攻撃に反撃しているのです。

われわれは、中国国家の自由のために、そして人類の共通の脅威に対して戦っているのです。

われわれはわれわれ自身を守るとともに、条約の精神の尊厳を守るために、

とりわけ9ケ国条約にうたわれた中国の主権と独立および領土的・行政的一体性が、

日本および他の調印国によって尊重されるために戦っているのです。

われわれは野蛮な日本軍に降伏などいたしません。

日本政府がその侵略政策をあきらめるまで、中国の国政がわれわれの手にもどるまで、

そして国際条約における領土不可侵の理念が守られるまで、われわれは抵抗しつづける覚悟です。

中国国民は、戦争を通してアメリが中国を道義的に支援してくれていることを知り感謝しています。

大統領閣下のすぐれた指導のもとにアメリカ政府が、固有の正義心と、

極東の領土保全をとなえる伝統的な政策に基いて、すべての法と条約に定められた権利を尊重し、

国際関係における平和を持続するするのに必要な法と秩序を維持するために

最善をつくされることをわれわれは知っています。

世界平和の大義と連帯とがなるべく早い時期に成功をおさめるための戦いを可能とするような

効果的な対中国援助をアメリカ国民が与えてくれるように、閣下に対し、ならびに閣下を通じて、

この危機に際して中国国民に代わり私が緊急に訴えるという非礼をお許しください。

大統領閣下がそのためにはらわれる努力のすべてに対して、

中国国民は永遠に感謝することを忘れないものと私は確信するものです。

1937年12月24日                蒋介石



さらに蒋介石は1938年7月7日に「全国の軍隊と国民に告げる書」

「世界の友邦に告げる書」「日本国民に告げる書」という3つの文章を発表しています。

その中の「日本国民に告げる書」にどう書かれているか引用します。

*日本国民に告げる書

・・・・貴国の出征将兵はすでに世界で最も野蛮、最も残酷な破壊力になっていることを

諸君は知っているだろうか。

貴国がいつも誇っている「大和魂」と「武士道」はすでに地を払い消滅してしまった。

毒ガス弾ははばかることなく使用され、麻薬販売は公然とおこなわれ、

すべての国際条約と人類の正義は貴国の中国侵略軍によって乱暴に踏みにじられてしまった。

その上一地区が占領されるごとに放火・略奪の後、

遠くに避難できないわが無辜の人民および負傷兵に対し、

そのつど大規模な虐殺をおこなった。・・・・・

とりわけ私が口にするのも耐えられないが、

言わざるを得ない一事は、すなわちわが婦女同胞に対する暴行である。

10歳前後の少女から5~60歳の老女までひとたび毒手にあえば、一族すべて逃れがたい。

ある場合は数人で次々に辱め、被害者は逃げるまもなく呻吟して命を落とし、

ある場合は母と娘、妹と兄嫁など数十人の女性を裸にして一堂に並べ強姦してから惨殺した。・・・・

このような軍隊は日本の恥であるだけではなく、人類に汚点を留めるものである。・・・・

中国共産党は知らなかったか
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最終更新日:2014/07/13 11:52

日本軍と戦っていた中国共産党が何も言わなかった。

これもよく言われることです。

実際の資料を見てみましょう。

*中国共産党の論文  週刊誌「群像」1938年1月1日(武漢で発行されていた)

敵軍の暴行は最近開始されたものではなく、

「9.18」以前にすでに各種の残虐事件がひきおこされ、わが民衆が虐殺された。

「9.18」に敵軍がわが東北・華北ではたらいた残虐な行為は、すでに世の共に知るところとなっている。

しかし、南京・上海沿線、とりわけ南京市の大虐殺は、

人類有史以来空前未曾有の血なまぐさい残虐な獣行記録をつくることとなった。

これは中国の全民族に対する宣戦にとどまらず、全人類に対する宣戦でもある。

敵の凶悪な残忍さは、人道と正義を血で洗い、全世界・全人類の憤怒と憎悪をよびおこした。

国際連盟は知らなかったか
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最終更新日:2014/07/13 11:54

それでは国際連盟はどうだったのでしょうか?

これも次の資料を見ていただければ分かります。

* 国際連盟理事会決議文

1938年2月1日付  「内容―中国政府の提訴にもとづく決議案」

理事会は、極東情勢を考慮し、前回の理事会以降も、紛争が継続し、

さらに激化している事実を遺憾の意とともに銘記し、

中国国民政府が中国の政治的経済的再建に注いだ努力と成果にかんがみて、

いっそうの事態の悪化を憂慮し、国際連盟総会が1937年10月6日の決議によって、

中国に対する道義的支援を表明し、

あわせて、連盟加盟国は中国の抵抗力を弱体化させ、

現下の紛争における中国の困難を助成しかねないいかなる行動も慎み、

それぞれが中国支援拡大の可能性を検討すべきであると勧告したことを想起し、

国際連盟加盟国にたいして上記の決議に最大限の注意を喚起し、

東アジア紛争に特別な利害を有する理事会加盟国が、

同様の利害関係国との協議を通じて、極東紛争の公正な解決に寄与するため、

今後のあらゆる手段の可能性を検討するいかなる機会も逃さないことを確信する。

添付書類 国際連盟理事会第6会議議事録

1938年2月1日付 「内容―中国政府の声明」

ただいま読み上げられました決議案を拝聴しました。

本決議案に関する中国政府の見解を表明する前に、

最近数ヶ月間に起った出来事を述べ、

現下で連盟理事会が何をなし得るか、

我が国の切実な要求は何か、についての中国政府の見解を申し述べたいと思います。

第18回連盟総会が、昨年10月6日、

日本の中国侵略にたいする中国政府の抗議に関連して決議を採択した後も、

日本軍は中国領土への無慈悲な侵略を続け、これをいっそう激化させています。

華北の日本軍は黄河を渡り、聖なる山東省の都であり、孔子の生地でもある済南を占領しました。

華中では11月、中国抵抗軍が、陸海空が一体となった日本軍の激烈な攻撃に対して

3か月に及ぶ抵抗をおこなったすえ、上海地方からの撤退を余儀なくされました。

南京に脅威が迫ったため、中国政府は首都を南京から1000マイル離れた重慶に移すことを強いられました。

日本軍が漢口と南京にたいして加えた執拗な攻撃の結果、

12月には、この2つの重要な都市と最も肥沃で人口の多い長江流域が日本軍占領下に入りました。

東京裁判とパル判事
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最終更新日:2014/07/21 11:27

東京裁判でインド代表のダラビノッド・パル判事が判決に反対した事から、

南京事件を否定する人は裁判が不当だったと主張しています。

パル判事は法に厳正で、どんな圧力を受けても自分の信念を曲げない立派な法律家です。

実はパル判事は南京の事件を全面的に認めています。

その上でその全ての刑事責任を松井一人に負わせることに反対したのです。

*パル判事の発言  東京裁判資料  洞富雄編「南京大虐殺事件資料集」から

本件に「おいて提出された証拠に対し言い得るすべてのことを念頭に置いて、

宣伝と誇張をでき得る限り斟酌しても、

なお残虐行為は日本軍そのものが占領した或る地域の一般民衆、

はたまた戦時俘虜に対し犯したるものであるという証拠は圧倒的である。

問題は被告(松井石根)に、かかる行為に関し、どの程度まで刑事責任を負わせるかにある

*同上

本官がすでに考察したように、証拠に対して悪く言うことのできる事柄をすべて考慮に入れても、

南京における日本兵の行動は凶暴であり、

かつベイツ博士が証言したように、

残虐はほとんど3週間にわたって惨烈なものであり、合計6間にわたって、続いて深刻であったことは疑いない。

事態に顕著な改善が見えたのは、ようやく2月6日あるいは7日過ぎてからである。

弁護団は、南京において残虐行為が行なわれたとの事実を否定しなかった。

彼らは単に誇張されていることを訴えているのであり、

かつ退却中の中国兵が、相当数残虐を犯したことを暗示したのである。

そしてその上で松井の無罪を主張した理由をこう述べています

本官は松井大将としては本件に関連し、

法的責任を故意かつ不法に無視したとみなすことは出きない。・・・・

彼としては当然、両軍の司令官ならびに軍紀風紀を維持し

処罰を加える任務を帯びている他の高級将校に依存しうるのであった・・・・

本官の判断では、市民に関して南京で発生したことに対し、

同人を刑事上責任ある者とするような不作為が同人にあったことを証拠は示していない

つまりパル判事南京の虐殺を否定しているのではなく、

松井石根一人に罪を押し付けることに反対しているだけなのです。

東京裁判の判決
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最終更新日:2014/07/21 11:31

時間が完全になくなってきました。

最後は東京裁判のお話です。

東京裁判は勝者による一方的な裁判だから納得できない、と言う人がいます。

しかし天皇も日本政府も東京裁判の判決を受け入れました。

そしてその結果、講和条約(サンフランシスコ条約)が結ばれて、戦後の日本は平和国家として繁栄してきたのです。

東京裁判を否定する事は戦後の日本を否定する事になります。



東京裁判は1948年11月に判決が下されました。

判決文は膨大なので南京事件に関するものを資料とします。

*判決文  第八章 通例の戦争犯罪   11月11日 朗読

1937年12月の初めに、松井の指揮する中支那派遣軍が南京市に接近すると、

100万の住民の半分以上と、

国際安全地帯を組織するために残留した少数のものを除いた中立国人の全部とは、この市から避難した。

中国軍は、この市を防衛するために、約5万の兵を残して撤退した。

1937年12月12日の夜に、日本軍が南門に殺到するに至って、

残留軍5万の大部分は、市の北門と西門から撤退した。

中国兵のほとんど全部は、市を撤退するか、武器と軍服を捨てて国際安全地帯に避難したので、

1937年12月13日の朝、日本軍が市に入ったときには、抵抗は一切なくなっていた。

日本兵は市内に群がってさまざまな残虐行為を犯した。

目撃者の一人によると、日本兵は市内を荒らし汚すために、まるで野蛮人の一団のように放たれたのであった。

目撃者達によって、市内は捕らえられた獲物のように日本人の手中に帰したこと、

同市は単に組織的な戦闘で占領されただけではなかったこと、

戦いに勝った日本軍は、その獲物に飛びかかって、際限のない暴力を犯したことが語られた。

兵隊は個々に、または2~3人の小さい集団で、全市内を歩きまわり、殺人・強姦・略奪・放火を行なった。

そこには、なんの規律もなかった。

多くの兵は酔っていた。

それらしい徴発も口実もないのに、中国人の男女子供を無差別に殺しながら、兵は町を歩きまわり、

遂には所によって大通りや裏通りに被害者の死体が散乱したほどであった。

他の1人の証人によると、中国人は兎のように狩りたてられ、動くところを見られたものは誰でも射撃された。

これらの無差別の殺人によって、日本側が市を占領した最初の2,3日の間に、

少なくとも1万2000人の非戦闘員である中国人男女子供が死亡した。

多くの強姦事件があった。

犠牲者なり、それを護ろうとした家族なりが少しでも反抗すると、その罰としてしばしば殺されてしまった。

幼い少女と老女さえも、市内で多数に強姦された。

そして、これらの強姦に関連して、変態的な嗜虐的な行為の事例が多数あった。

多数の婦女は、強姦されたのちに殺されその死体は切断された。

占領後の最初の1ケ月に、約2万の強姦事件が市内に発生した。

日本兵は、欲しいものは何でも、住民から奪った。

兵が道路で武器を持たない一般人を呼び止め、

体を調べ、価値のあるものが何も見つからないと、これを射殺することが目撃された。

非常に多くの住宅や商店が侵入され、掠奪された。

掠奪された物資はトラックで運び去られた。

日本兵は店舗や倉庫を掠奪した後、これらに放火したことがたびたびあった。

最も重要な商店街である太平路が火事で焼かれ、さらに市の商業区域が一劃々々とあいついで焼き払われた。

なんら理由らしいものもないのに、一般人の住宅を兵は焼き払った。

このような放火は、数日後になると、一貫した計画に従っているように思われ、6週間も続いた。

こうして、市内の約1/3が破壊された。

     中略

後日の見積もりによれば、日本軍が占領してから最初の6週間に、

南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は、20万以上であったことが示されている。

これらの見積もりが誇張でないことは、

埋葬隊とその他の団体が埋葬した死骸が15万5000人に及んだ事実によって証明されている。

これらの団体はまた死体の大多数が後ろ手に縛られていたことを報じている。

これらの数字は、日本軍によって、死体を焼き棄てられたり、

揚子江に投げ込まれたり、またはその他の方法で処分されたりした人々を計算に入れていないのである。

         後略

終わりに
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最終更新日:2014/07/21 11:32

時間がオ-バ-してしまいました。

まだまだお話しすることが沢山ありますし、

中途半端かもしれませんが今日はこの位で終わりとします。

後は若干質問やご意見をお伺いしたいと思います。

もし次の機会を頂ければ残りや別のお話もしたいと思います。

今日は長い時間有難うございました。

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マイケル・ムーアの世界侵略のススメ

http://watch5s.to/movie/where-to-invade-next/watch/server-1-picasa-0.html

http://miyearnzzlabo.com/archives/37714


町山智浩『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』を語る

2016/5/17 たまむすび

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町山智浩さんがTBSラジオ『たまむすび』の中でマイケル・ムーアの最新ドキュメンタリー映画『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』を紹介していました。


マイケル・ムーアの集大成作品、『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』のポスターが完成しました。公開は5月27日(金)です。#マイケルムーア #世界侵略のススメ pic.twitter.com/fYKAwWbziC
— マイケル・ムーアの世界侵略のススメ (@sekaishinryaku) 2016年3月16日



(赤江珠緒)今日、町山さんが紹介してくださる映画は、私も見たいなと思っていた映画ですよ。

(町山智浩)ああ、そうですか?

(山里亮太)もうじき、日本でも。来週ぐらいの公開なんですよね。今日のやつ。

(町山智浩)あ、そうなんですね。5月27日。もうすぐ公開なんだ。はい。『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』というタイトルの映画です。このマイケル・ムーアっていう人は日本でも……世界一有名なドキュメンタリー映画作家ですね。この人は、いちばん当たった映画は『華氏911』という2004年の映画で。2004年当時、ブッシュ大統領がやっていたイラク戦争に真っ向から反対したドキュメンタリーだったんですけど。これ、世界のドキュメンタリー映画史上最大のヒットになりましたね。

(赤江珠緒)ああー。しかも、面白かったですしね。

(町山智浩)そうですね。ただ、当時は賛否両論だったんですよ。日本でも、アメリカでもね。つまり、戦争をやっている最中だったのと、「イラク戦争は正しい」って言っている人たちが多かったんですよ。そういう論調が日本でも結構あってですね。はっきり言うと、産経新聞ですが(笑)。でも、実際はイラクは911テロとか大量破壊兵器っていう戦争の理由自体が後で否定されて。嘘だったと。しかも、10年以上たったいまでも、泥沼が続いてるんで、完全に間違った戦争だったんですね。

(赤江珠緒)うん。

(町山智浩)で、マイケル・ムーアは正しかったわけですけども。これに関しては。ただ、正しくない方がよかったですけどね(笑)。本当に悪い結果になっちゃったわけですけど。で、今回、マイケル・ムーアのこの映画のタイトルが『世界侵略のススメ』っていうタイトルなんですが。世界侵略、関係ないですね。この映画ね。中身。

(山里亮太)関係ない?

(町山智浩)関係ないんですよ。これ。マイケル・ムーアが世界中のいろんな国に行って、その国の税金がどういう風に使われているのか?っていうのを見て回るという映画なんですね。

(赤江珠緒)へー。

(町山智浩)だから、まず最初にイタリアに行くんですけども。そこでは、税金っていうわけでもないんですけど。労働状況を見るんですね。すると、イタリアはだいたい1日8時間以上、絶対に労働しないんですよ。それで、昼休みが2時間もあって、お家に帰ってご飯を食べて。で、国が定めた最低の有給休暇が35日間あって。

(赤江珠緒)35日!?

(町山智浩)そう。で、外国に行ったりいろいろできてですね。あと、子供ができたら男の人でも2週間とか休めて。有給で。で、1年に8週間休みがあるとかね、そういった状況が見せられるんですけども……アメリカって、国が定めた有給休暇がないんですよ。

(山里亮太)あ、そうなんだ。

(赤江珠緒)ないんですね。へー。

(町山智浩)そう。日本も、あるけども使われてないですよね? で、そういうのを見せていくんですよ。で、なぜこういう映画をマイケル・ムーアが作らなきゃならなかったか?っていうのがね、わからないと思うんですよね。これをただ見た人は。

(赤江珠緒)うん。
マイケル・ムーアが世界の国を見て回る意味
(町山智浩)これね、日本だと、日本の人ってよく、「フランスではこうだよ」とか、「アメリカではこうだよ」って言われると、「ああ、じゃあ日本は遅れているな。なんとかしなきゃ!」って思いますよね。

(赤江珠緒)はい。

(町山智浩)そういう人が多いですけども。いわゆる”出羽守(でわのかみ)”みたいなね。「○○では……」っていうやつですけど。アメリカ人は、そういうことが全くないんですよ。

(赤江・山里)ふーん!

(町山智浩)外国で何があっても、気にしないんですね。

(赤江珠緒)ああ、そういう考え方?

(町山智浩)それは、マイケル・ムーア自身が2007年に『シッコ』というドキュメンタリー映画を作ったんですね。「シッコ(Sicko)」っていうのは「病気」っていう意味なんですけど。おしっこじゃなくて。その映画の内容は、「アメリカ以外の国には大抵、国民健康保険、国民医療保険があるんですよ」っていう風にアメリカ人に教える映画だったんですよ。

(赤江珠緒)うん。

(町山智浩)日本にもありますよね。国民健康保険が。アメリカには、この間までなかったんですよ。

(赤江珠緒)そうですよね。だから、虫歯だけでも大変って言いますよね。

(町山智浩)そうなんですよ。貧乏な人は病気になると、そのまま死んでいくだけだったんですけど。で、オバマ大統領が2010年にすごい戦いの果てに、やっと国民全員に医療保険を与えられる法律を作ったんですけども。その前に作られたのが、そのマイケル・ムーアの『シッコ』だったんですね。

(山里亮太)うんうん。

(町山智浩)でも、共和党はいまでもそれを撤廃するって言ってるんですよ。初めて医療保険を持った人から奪い取ろうとしているんですけども。その理由は、「国が国民に医療保険を与えるのは共産主義だ」っていう風に言ってるんですよ。で、それにオバマ大統領が「いや、健康保険は共産主義とは関係なくて、世界中どこにでもあるから」って言っても、聞かないんですね。みんな、アメリカ人は。

(赤江珠緒)うん。

(町山智浩)そう言っても、「他の国のことなんか、知るか!」って言うんですよ。「なぜならば、アメリカは特別だ。世界一グレートな国だから、他の国の真似なんかしない。他の国は劣っているから」って言うんですよ。アメリカ人は。

(赤江珠緒)自信はすごいあるんですね。
アメリカは特別な国
(町山智浩)それはね、アメリカ独特の例外主義(エクセプショナリズム・Exceptionalism)って言われる、独特の考え方なんですね。それは、「アメリカは神が我々に与えた約束の地で、最終的なゴールだからそれ以上先はない」っていう考え方なんですよ。

(赤江珠緒)ふーん!

(町山智浩)非常に宗教的な考え方なんです。アメリカ最高!っていうのは。で、アメリカ人って一生の間に海外旅行に行く人が2割ぐらいしかいないんで、外国に興味が基本的にないんですよね。

(赤江珠緒)そうなんですってね。

(町山智浩)で、この『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』っていう映画は、それを医療保険以外にも、いろんな分野に広げて。他の国ではいったいどういう生活が行われているのか?っていうのをアメリカ人に教えるというドキュメンタリーなんですよ。

(赤江珠緒)はー!

(町山智浩)だからそれを日本人が見る意味っていうのもまた別にあるんで、それを考えた方がいいと思うんですけど。たとえば、フランスに行くとフランスの給食っていうのは栄養士が、本当に栄養のバランスを取れた料理を出していると。

(赤江珠緒)はい。

(町山智浩)当たり前のように聞こえますけど、僕、前にこの『たまむすび』で話したんですけど、アメリカの場合は栄養士がアメリカのジャンクフードの大手企業にお金をもらっているから、ジャンクフードを(給食に)入れているっていうお話をしましたよね?

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(赤江珠緒)ありましたね!

(町山智浩)それで、ミシェル・オバマ大統領夫人がなんとかそれを改善しようとしてるんだけども、ジャンクフード会社がその改善事業にお金をブチ込んじゃうから改善できないっていう話もしましたけども。

(赤江珠緒)うん、うん。

(町山智浩)それとか、あとフィンランドは世界一子供たちの勉強ができるらしいんですよ。で、英語が話せるのは当たり前で、全員で英語をしゃべっているんですけども。これ、日本以外のアジアも、ほとんどそうですけどね(笑)。

(赤江珠緒)そっかー。うん。

(町山智浩)みなさん、アジアに行かれてわかったと思いますけど、大学を出ている人たちは全員、英語をしゃべれますね。日本以外の国はね。で、まあそういう問題なんですけども。アメリカでは、現在国民の29%が親よりも学歴が低くなっているんですよ。

(赤江珠緒)へー!

(町山智浩)親は大学に行けたのに、子供は大学に行けないっていうのが29%。国民の1/3ぐらいになっているんですよ。

(山里亮太)へー!

(町山智浩)それとか、あとマイケル・ムーアはポルトガルに行くんですね。で、ポルトガルでは、15年ぐらい前に覚醒剤とか麻薬とかマリファナとか、一切の薬物使用を、個人的な所持とか使用では一切罪に問わないっていうことにしたんですよ。

(山里亮太)ええっ?

(町山智浩)やり放題です。ポルトガル。で、これでどうなったか?っていうと、まずアメリカも日本もそうなんですけど、犯罪のかなり多くの割合が覚醒剤か麻薬の使用なんですよね。刑務所に入っている人の女性とかは、覚醒剤使用がすごく多いんですよ。

(山里亮太)うん。

(町山智浩)その分の裁判費用とか警察の費用とか刑務所の費用が、一切ゼロになりましたね。これで、ポルトガルは。

(赤江珠緒)ああー、そうか。うん。

(町山智浩)で、アメリカなんかも本当に麻薬の犯罪がトップなんで、税金が刑務所で彼らのために使われている状態なんです。ほとんど。だから、アメリカで大麻を解禁しようっていうのは、まずその部分の税金をカットするっていうのがあるんですね。

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(山里亮太)へー!

(町山智浩)もうひとつは、ポルトガルでは覚醒剤とか麻薬の個人所持を一切罪に問わなくなったおかげで、薬物の使用者が激減したんですよ。

(山里亮太)えっ?

(町山智浩)薬物中毒患者が激減したんです。

(山里亮太)あれ? なんか、自由だから逆なイメージがありますけども。

(町山智浩)いや、別に誰にでも言ってもいいことだから、病院にみんな行くようになったからです。

(赤江珠緒)ああー!

(町山智浩)「犯罪」っていうことだと、おおっぴらにできないから、治療しないんですよ。誰も。捕まっちゃうから。

(赤江珠緒)すごく逆転の発想ですけど、結果、よかったんですね。

(町山智浩)そう。だから「捕まえない」っていうことにしたから、みんな普通に治療するし、家族にも相談するし。おおっぴらだからみんな治療するし、完治するし。だから、麻薬患者、覚醒剤中毒は激減したんです。

(赤江珠緒)ふーん!

(町山智浩)それとか、ノルウェーでは死刑が完全に廃止なんですね。で、殺人を犯しても無期懲役もないんですよ。その代わり、刑務所では罰を与えるんではなくて、シャバに出た後にどうやって働くか?っていう。その後の生活とか、社会に復帰することだけを徹底的にやるんですよ。

(山里亮太)えっ?

(町山智浩)だから、出るとすぐに働いて、社会に溶け込めるんで。再犯率がわずか2割なんですね。

(赤江珠緒)ああ、それはいいですね。いいことですね。

(町山智浩)はい。でも、アメリカの場合は再犯率はなんと8割なんです。

(赤江珠緒)えっ! 高いな!

(町山智浩)そう。刑務所に入れば入るほど、犯罪者になるんですけど。これは、まず最大の理由が、刑務所を民営化してるからです。経費削減、削減でもって、刑務所を民営化したために刑務所がただ閉じ込めるだけの施設になっちゃっているんですよ。

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(山里亮太)ああー。

(町山智浩)だから、出た後になにもできないし、生活力がなくなっちゃうんでまた犯罪を繰り返すんですよ。

(山里亮太)そうか。犯罪をするしかなくなっちゃうんだ。出ても。

(町山智浩)そう。たとえば、麻薬にしてもそうだけど、麻薬をやっている原因とかそういうものを究明していって、それを潰していくっていうことをするんですね。北欧では。でも、アメリカの場合には……日本もそうですが。刑務所に入れて、はい、それだけですよ。その原因を追求して、一人ひとりに対してカウンセリングを行ったりはしないわけですよ。

(山里亮太)うん。

(町山智浩)まあ、そういう事態になっていて。あとは、アイスランドに行きます。マイケル・ムーア、次。で、アイスランドはご存知の通り、サブプライムローンの時に金融破綻に巻き込まれて、財政が破綻しましたよね。国のね。

(赤江珠緒)うん。

(町山智浩)現在、立ち直っているらしいんですよ。で、立ち直っている最大の理由は、閣僚たちを全部入れ替えたとかもあるんですけど。いちばん大きかったのは、そのギャンブル的な投資をやったやつらを全員刑務所にブチ込んだんですよ。

(山里亮太)へー!

(町山智浩)ところが、サブプライムローンの破綻自体を引き起こしたアメリカの金融関係者は誰一人、起訴もされていないんですよ。

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(赤江珠緒)ああー!

(町山智浩)だから、またやるでしょう。だからこれは、アメリカ人のためにマイケル・ムーアは作っているんですけど。「アメリカは外国に比べてなんて、ひどいことになっているんだ」と。ただ、面白いのは、そこでマイケル・ムーアがいろんな人たちに取材するわけですよ。刑務所の人とか、学校の先生とかに。すると、みんな言うのは、「私たちはアメリカをお手本にしてこういった改革を成し遂げてきたんですよ」って言うんですよ。

(赤江珠緒)うん!

(町山智浩)で、逆にマイケル・ムーアが「アメリカにはこんなもん、ないですよ」って言うと、みんなびっくりするんですよ。「ええっ? アメリカがお手本だったのに!」って言うんですよ。

(赤江珠緒)うん。
アメリカがお手本だった
(町山智浩)っていうのも、国民の平等を成し遂げた世界最初の民主主義国家っていうのはアメリカなんですよね。独立宣言をした時に、「全ての人間は生まれながらにして平等である」と宣言して。それはもう、画期的なことだったんですね。その頃、ヨーロッパでは貴族が大金持ちで、それが大勢の貧しい人たちを奴隷のように使って君臨していて。貧しい人に生まれたら、農民に生まれたら一生農民でいるしかないっていう世の中だったのに、アメリカでは誰でも自由に、好きなものになれるっていう国を作ったわけですよね。

(赤江珠緒)そうですよね。

(町山智浩)農民の子でも、大統領になれると。そうなんですけど、そっから世界中でやっと民主主義が始まったのに。アメリカはいま、いちばん出遅れているわけですよ。出遅れじゃないですね。出だしは早かったんだけど、どんどん遅れちゃったんですね。でも、公立学校っていうのを世界で最初に作ったものアメリカなんですよ。死刑を最初に廃止したのもアメリカなんですよ。婦人参政権もアメリカで最初に実現しているんですよ。ワイオミングで。

(赤江珠緒)だから、やっぱり人権っていうイメージがすごく強いですけど。

(町山智浩)それは、正しいんですよ。アメリカはずーっとリベラリズム(自由主義)。人権の国だったんですよ。だから、1968年まで、人権重視の福祉国家だったんですよ。アメリカはずっと。で、それが1930年に大恐慌が起こって、バブルが崩壊したんですね。で、民主党のルーズベルト大統領が政権を取った時に、あまりにもバブルがひどかったんで、これは金持ち、金融関係が暴走しているから、それをコントロールして、金持ちに集中している富を税金で徴収して、それを貧しい人たちに再分配して、仕切り直しをしようとしたんですね。

(赤江珠緒)うん。

(町山智浩)その「仕切り直し」っていうのの英語の訳で「ニューディール(New Deal)」っていうんですけど。ニューディール政策。

(赤江珠緒)ああー、ニューディール政策!

(町山智浩)はい。で、これが1968年まで、だから38年間ぐらい続くんですよ。アメリカで、ニューディールが。で、いわゆる「リベラル」っていう言葉がありますけど。リベラルっていうのはニューディールに対して賛成っていうのをリベラルっていう意味なんですね。アメリカ的には。で、日本は戦後、このニューディール主義、リベラリズムのもとに、日本の戦後っていうのは始まったんですよ。

(赤江珠緒)うんうん。

(町山智浩)自民党ってもともと、自由党(Liberal Party)から発生しているんですよ。

(赤江珠緒)そうですね。名前から言うと、そうですね。

(町山智浩)日本も戦後はリベラリズムで自由主義だったんですよ。でも、それが1980年から新自由主義(ネオ・リベラリズム)っていうのに変わるんですよね。で、その時にそれをやったのが共和党のロナルド・レーガン大統領なんですけども。そのネオ・リベラリズムっていうのは基本的には「経済を国がコントロールしたり、国が福祉を国民に与えたりすることは国民の自由を奪うことなんだ」という考え方なんですよ。

(赤江珠緒)うーん……

(町山智浩)で、国の力とか福祉を小さくすることで、実力重視の競争社会、自由主義競争を加速しようという考え方なんですね。そうすると、それが成功したという形で、いわゆるレーガノミックスっていうので、企業とかが利益をどんどんあげていったんですけども。

(赤江珠緒)うん。

(町山智浩)これは、なにがそれを実現したのか?っていうと、まず、人員削減をガンガンやる。それで、効率化をする。大きい企業がどんどんどんどん小さい企業を乗っ取っていくのもOKにする。つまり、規制をしないっていうことなんですね。企業の自由な行動に対して。

(赤江珠緒)うんうん。

(町山智浩)これ、弱肉強食の世界になっちゃったんですよ。

(赤江珠緒)そうですね。「規制をしない」っていうと言葉はあれですけども。守ってもらえないっていう。逆を見るとね。

(町山智浩)国は守らないっていうことですね。でも、レーガン大統領は「福祉にたよっている人間っていうのは寄生虫なんだ」ってことを言ったんですね。

(赤江珠緒)えっ、そこまで?

(町山智浩)「それは、恥ずかしいことなんだ」という風に言って、福祉を受けること自体が恥ずかしいっていう気持ちを非常に人々に植え付けていったんですよ。その一方で、ずっとそのレーガン政権から始まって、ずっとこの後、ブッシュ政権まで続きますけど……あ、現在まで続いてますけど。共和党はずっと議会を基本的には支配してますからね。民主党の人が大統領になっても、基本的には議会が共和党に支配されていると変わらないわけですけども。

(赤江珠緒)うん。

(町山智浩)彼らがやったいちばん大きなことっていうのは、金持ちの所得税を減税したことなんですよ。ニューディール時代っていうのは大金持ちの所得税率っていうのは最高で9割だったんですよ。

(赤江珠緒)うん!

(町山智浩)で、レーガン大統領が大統領になる直前の1980年でも7割だったんですよ。それを、3割まで落としたんですよ。

(赤江珠緒)あっ、ずいぶん落としたんですね。ええ。

(町山智浩)そしたら、どうなると思います?

(赤江珠緒)それはもう、どんどん差が広がりますね。

(町山智浩)格差が異常に広がっていくわけですよ。金持ちと貧乏人の。で、しかも公共事業をカットしたんですね。ニューディール政策でいちばん大きかったのは、橋を整備したり、ハイウェイを作ったりして、アメリカっていう国を整えていったんですよ。いろんなものを作って。それは、レーガン政権になってから、やらなくなったんです。公共事業っていうのは。

(山里亮太)はい。

(町山智浩)だから、アメリカにある橋とか道路とかの多くは、1930年代、40年代、50年代に作られたものがいまだにあるんですよ。だから、グチャグチャに落ちるんですよ。でも、減税しちゃったから。金持ちに。で、出てきたのがドナルド・トランプなんですよ。

(山里亮太)おっ、ここに。
ドナルド・トランプの国内政策
(町山智浩)ドナルド・トランプって右派だと思われているけど、実は国内政策は完全に左派なんですよ。

(赤江珠緒)へー、うん。

(町山智浩)共和党がやってきたことと全部逆にやろうとしているんですよ。たとえば、国民医療保険もオバマケア自体は負担が大きいから変えるけども、国民医療保険は新しいやり方で続行するとトランプは言っているんですよ。もっといいものにね。

(赤江珠緒)うん。

(町山智浩)で、共和党はソーシャルセキュリティーっていう年金制度も民営化しようって言ってるんですけど、ソーシャルセキュリティー(年金制度)には手を付けないってトランプは言っていて。で、共和党が撤廃しようと言っている老齢者医療補助も、トランプは手を付けないと。共和党はそれを撤廃しようとか民営化しようとか言ってるわけですけど、それもトランプは維持するって言ってるんですよ。

(山里亮太)えっ?

(町山智浩)だから、民主党の主張とほとんど同じなんですよ。で、さらに公共事業も行うって言ってるんですよ。で、さらに日本車とか海外からのものに38%の税金をかけるって言ってるんですよ。

(赤江珠緒)そうですね。

(町山智浩)これ、民主党も保護貿易なんですよ。TPPにも反対なんですよ。トランプは。それでさらに最近は、富裕層に対しても増税するって言い出しました。

(赤江珠緒)あっ、そうですか!

(町山智浩)はい。これ全部、いわゆる白人ブルーカラー(低所得者層)の票を取ることができますよね。これでね。

(赤江珠緒)そうですね。

(町山智浩)政策を変えているんですよ。トランプはどんどんどんどん。

町山智浩 ドナルド・トランプの共和党大統領候補指名権獲得を語る
町山智浩 ドナルド・トランプの共和党大統領候補指名権獲得を語る
町山智浩さんがABCラジオ『おはようパーソナリティ道上洋三です』に電話出演。アメリカ大統領選挙で共和党候補としての指名獲得がほぼ確実となったドナルド・トランプについて、お話されてい...
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(赤江珠緒)あれ? 割といい政策じゃないですか?

(山里亮太)いま、聞くとね。

(町山智浩)そうです。貧しい人たち向けの政策です。要するに、共和党が取りこぼしていた部分なんですよ。ずっと貧しい人たちは我慢して、自分たちが不利になる共和党に投票をし続けていたんですね。キリスト教を守ってくれるから。白人を守ってくれるから。銃を持つ権利を守ってくれるから。でも、どんどん貧乏になっていって、金持ちばっかり得する政策ばかり通されていたんですけど、トランプが出てきました。「はい、あなたたちはいままで、共和党に騙されてました」って言っちゃったんですよ。

(赤江珠緒)ええーっ?

(町山智浩)だから、ごっそりトランプが持っていきますよ。

(赤江珠緒)あ、以前に町山さんがね、「トランプはもしかしたら民主党からの刺客かもしれない」っておっしゃってましたけど。もう民主党にそんなに寄っているんですね。

(町山智浩)これ、だからね、マイケル・ムーアは最近のインタビューで「トランプはいま、このままの政策……貧乏な人を救済する方向にもって行ったら、サンダースの票を取っていくだろう」って。

(赤江珠緒)ああ、サンダースさんのね。はいはい。

(町山智浩)この福祉策はほとんどサンダースさんと変わらないんですよ、実は。

(山里亮太)そうだ。サンダースさんもだって、「ウォール・ストリートからの金を学生に」って言ってるんですよね。

(町山智浩)そう! 反ウォール・ストリートで福祉優先だから。で、しかもその自動車に税金をかけるわけでしょ? 日本の自動車に。したら、デトロイトとかミシガンとか、民主党が徹底的に強かったところも持っていきますよ。デトロイトとか、オハイオとか。デトロイト、オハイオを取ったら、勝ちますからね。大統領選。

(山里亮太)うわー! え、じゃあ本当にトランプの可能性は、結構出てきてるんですね。

(町山智浩)あるんですよ。そう。マイケル・ムーア自身はサンダース支持なんですけども、サンダースの福祉政策をトランプが持って行こうとしているから。だからこれはすごいことになっているなと思います。この映画『世界侵略のススメ』を見ると、アメリカ自体が抱えている福祉でいちばん進んでいた国がどんどんダメになっていっている現状もわかるし、日本はずっとアメリカを目標にしてきたけど、それでいいのかな?っていうことですよね。

(赤江珠緒)そうですね。

(町山智浩)「国が強くなればいい。国が金持ちになればいい。GDPがいちばんになればいい」って思っているけど、そうじゃなくて、「一人ひとりの国民が幸せかどうか」で国の良し悪しは判断されるべきじゃないか?っていう映画ですね。

(赤江珠緒)そうか。レーガンさんの前と後でそんなに違うんですね。

(町山智浩)違うんですよ。

(赤江珠緒)その前の印象が強すぎたんだね、アメリカのね。

(町山智浩)そうなんですよ。アメリカのいい印象っていうのは、実はその前のアメリカなんですよ。人権の国、自由の国アメリカっていうのは。

(赤江珠緒)ねえ。ふーん。これはいまの世界状況が見えてきて、ねえ。

(町山智浩)っていうか日本はずーっとアメリカを尊敬してきたけども、それは戦後しばらくのアメリカなんですよね。リベラルだった頃の。で、いまもついて行ってるけど、それでいいのか?っていうことですね。国の本当の豊かさをどこで測るべきか?っていうことが考えさせられると思います。はい。

(赤江珠緒)今日は日本でも5月27日から公開される『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』をご紹介いただきました。町山さん、ありがとうございます。来週は日本に戻ってこられるということで、スタジオで来週はお待ちしております。

(町山智浩)はい。スタジオから。よろしくお願いします。

(赤江珠緒)はい。お願いします。

<書き起こしおわり>

http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20160613/Myjitsu_006932.html
映画「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」で浮き彫りになった日本の貧困さ
まいじつ 2016年6月13日 21時30分 (2016年6月16日 11時06分 更新)
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出典:https://pixta.jp

映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』(2002年)でアカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞し、『華氏911』(2004年)ではカンヌ国際映画祭の最高賞(パルム・ドール)を受賞したマイケル・ムーア監督の最新作『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』が上映中だ。

同映画は、ムーア監督自身が主にヨーロッパの国々に行き、その国の優れた社会システムや政策を見て回り、アメリカでも取り入れたらどうだと提言する内容。これが日本の貧困さをあらためて浮き彫りしていると話題になっている。

ムーア監督が最初に行くのはイタリア。イタリアでは年に30~35日もの有給休暇があり、消化できなかった休暇は翌年に持ち越せる。アメリカは有給休暇の法的制度がなく、一般的な会社ではゼロらしい。また、昼休みが2時間あり、自宅に帰ってランチを食べる様子が写し出される。

フランスでは小学校の給食を取材すると、おいしそうなフレンチのフルコースが並んでいる。アメリカの給食を見せると、フランスの子供たちがまずそうだと拒否反応を示す様子がおかしい。

スロベニアの大学は授業料が無料。これに対して、アメリカでは多額の借金を背負いながら大学を卒業する若者が珍しくないという。映画にも、アメリカで授業料が払えなくなってスロベニアに留学しているアメリカ人学生が登場する。

アイスランドでは1980年に世界初の女性大統領が誕生し、完全な男女平等が実現している。…

会社の役員は40~60%が女性でなくてはならない。金融立国であるため、リーマンショックのときは多大な影響を受け、国内の銀行はほとんど国有化される事態になった。しかし、それでも女性経営者の銀行一行だけは生き残ることができた。男は野心的かつ自己中心的で、利益追求のためには一攫千金のリスクを取りたがるが、女性は総じてリスクを避けるという。子供の子育てのために協調を選び、利他的だというのだ。

この他にも、次のような驚きの現実が映画の中で紹介される。

・宿題がないのに学力ナンバーワンの国フィンランド
・死刑がなく、懲役刑の最長期間が21年でも再犯率は世界最低のノルウェー
・麻薬の使用は他人に迷惑を掛けるわけじゃないので合法なポルトガル
・休日や退勤後に上司がスタッフに連絡をすると法律違反なドイツ

教育費と奨学金で世界最悪の日本は、企業における女性役員比率も低過ぎる。ムーア監督はアメリカ社会の欠点を次々と指摘するが、それは日本の欠点と重なっているものが多い。

日本はアメリカと違い、有給休暇が法的に制度化されているが、厚生労働省の『平成27年就労条件総合調査』によると、民間企業の有給休暇取得率は47.6%である。50%を下回る状態がずっと続いている。これでは制度化されていても、あまり意味がない。

大学の授業料の問題は深刻だ。日本の奨学金の約9割は日本学生支援機構の貸与奨学金であり、そのうち金額ベースで約7割が有利子だ。…

日本の奨学金を借りている大学生は、卒業時には約300万円の“借金”を背負うことになる。OECD(経済開発協力機構)のデータによれば、日本は『授業料が高く奨学金も充実していない国』とされており、先進国では唯一日本だけだそうだ。

一方で、『授業料は安いが奨学金が充実していない国』は、イタリア、スイス、メキシコ、フランス、ベルギー。『授業料が安く、なおかつ奨学金も充実している国』はノルウェー、デンマーク、フィンランド、スウェーデン。アメリカは『授業料は高いが奨学金が充実している国』であり、オーストラリアとニュージーランドもこのグループに入る。要するに、日本は先進国の中で最悪の教育制度だということだ。

アイスランドの男女同権も日本には耳が痛い話。ILO(国際労働機関)の報告書によると、日本の女性管理職比率は11.1%で、108の国・地域別ランキングでは96位。アジアではフィリピンが47.6%で唯一のトップ10入り。中国が16.8%で85位なので、日本は中国よりも下ということになる。

アメリカでは史上初の女性大統領が誕生する可能性が出てきた。しかし、日本は女性の国会議員があまりに少なく、女性首相どころではない。国のトップが「女性が輝く社会」とスローガンをぶち上げなければいけない状況は、アメリカよりもかなり周回遅れと言えよう。

【画像】

※foly / PIXTA

http://www.in-activism.com/entry/Where_to_Invade_Next

世界のジョーシキを略奪!!「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」感想・レビュー | Where to Invade Next
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Where to Invade Next [DVD] [Import]

こんにちは!つっちーです。

ドキュメンタリー好きですか。あらゆる映画が好きなんですが、たまにドキュメンタリーって観たくなりますよね。

“ドキュメンタリー(長編)映画監督”というと、有名な人はたくさんいますがその中でもドキュメンタリー映画監督の第一人者と言えば「マイケル・ムーア」監督です。

その彼の発売前の最新作「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」を視聴してみたのでそのレビューです!

※今回、その他いくつかの作品のレビュー依頼を販売元の企業からいただきまして、発売(レンタル)前のサンプルディスクを手に入れました!金銭の授受はありませんので公平にレビューしまっす!


目次

[表示]


あらすじ
マイケル・ムーアの世界侵略のススメ [DVD]

あらすじと言ってもさほど語ることはありません。なんせドキュメンタリーですからね。ご存知、アメリカの銃規制をテーマにした『ボウリング・フォー・コロンバイン』で一躍有名になった「マイケル・ムーア」監督の最新作です。

※2016年10月12日(水) ブルーレイ&DVD 発売!2016年10月7日(金)レンタル開始です!

その彼が、世界のジョーシキを根こそぎ侵略するというのが今作。

邦題が「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」で原題が「Where to Invade Next」。若干邦題との差はありますが大体近い意味です。侵略といいつつも、簡単に言うと、アメリカ以外の様々な国から、良いところを盗んでアメリカに持って帰ろう、という話です。彼らしいブラックユーモアのあるタイトルですね。

順番が前後するかもしれませんが、ざっくり内容をまとめると下記の通りです。

イタリア共和国の労働環境
フランス共和国の給食
フィンランド共和国の教育
スロベニア共和国の大学
ドイツ連邦共和国の労働者
チュニジア共和国の男女平等
ポルトガル共和国の犯罪
ノルウェー王国の刑務所
アイスランド共和国の男女平等

これらの国々にお決まりのアポなし?突撃インタビューでそれぞれのいいところを略奪していこうとします。


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作品概要

※記事軽量化のためサムネイルで表示されています。通常の動画同様クリックで再生されます。また、AMPでご覧の方はテキストリンクから動画をご覧ください。
▶映画『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』予告編 - YouTube

製作:2015年,アメリカ
日本公開:2016年5月27日
上映時間:119分
原題:『Where to Invade Next』
映倫区分:PG12




「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」感想・評価

f:id:Daisuke-Tsuchiya:20160908180140p:plain
画像元:http://sekai-shinryaku.jp/index.html

※注意!ネタバレアリ

いくつかモノ申したいことはあるんですが、まず一番初めに言いたいのは、ムーア監督作品の中ではマイルドで毒が少ないです。 『ボウリング・フォー・コロンバイン』、『華氏 911』、『シッコ』などでは、痛烈に社会風刺(アメリカを主軸に)している作品が目立ちましたが、今作はあまり毒がありません。

また、扱われている国々はヨーロッパがほとんどで、アジア圏は一切出てきません。ですので、アジア人にとっては、ぶっちゃけどうでもいい話になってしまいそうな気もします。

そして当然ながら、アメリカをベースにしていることもあり、アメリカの社会を全く知らないまま観ると「……」となる映画かもしれません。

では次章よりもう少し内容に踏み込んでいきます。


1.イタリア共和国の労働環境について

▶映画『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』本編映像”イタリアの休日” - YouTube

「イタリアは有給いっぱいだぜ!その結果生産性が上がったぜ!」という章です。

取り上げている企業が体力のある会社や福利厚生のしっかりした会社なので、全部が全部ではないと思います。イタリアにおいても貧困層はいますので。

ただ、やはり海外在住経験がある身としては、イタリアの労働環境は日本も少し見習いたいと思いました。日本も世界的に見れば、実はそこまで悪くない労働環境なんですが、それでも働き過ぎ(働いてもいいが対価が低かったり福利厚生が悪い)な気がします。


2.フランス共和国の給食

▶映画『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』本編映像”フランスの給食がスゴい” - YouTube

「フランスの給食凄いぜ!」という章。

給食でフレンチのフルコースが出てきます。使用している器も全て陶器。アメリカと比較すると雲泥の差と言った感じです。

日本に置き換えるとやはり食事は大事だと思います。海外滞在中に付き合っていたフランス人に聞いたことがあります。彼女曰く、食べ物が美味しい国は「1位:フランス、2位:イタリア、3位:日本」だそうです。僕も割とこれには同感です。食で人間形成ってあるのかもしれません。


3.フィンランド共和国の教育

▶映画『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』本編映像”宿題のないフィンランド” - YouTube

「フィンランドの学力世界ナンバー1だぜ!」という章。

宿題無い、授業短い、なのにバイリンガルどころかマルチリンガルな人々が多い国です。

この章は個人的にとても興味深かったです。日本人ももっとのびのび教育の方が良いのかもしれませんね。フィンランドにならって統一テスト廃止しましょう。


4.スロベニア共和国の大学

▶映画『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』本編映像”【借金】の意味が通じない学生” - YouTube

「スロベニアは大学の授業料無料だぜ!」という章。

外国人の生徒でさえも無料になるんだとか。借金という概念がそもそもなく、学生たちもエネルギッシュです。

留学するならスロベニアですね。


5.ドイツ連邦共和国の労働者

▶映画『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』本編映像”ドイツの経営陣と労働者” - YouTube

「ドイツの労働時間はクッソ短いぜ!」 という章。

1週間の労働時間はたったの36 時間、そして労働者は14時には帰宅するそうです。何て素晴らしい。監査役に労働者(従業員)が何人も入ることで、現場の声が反映され、労働環境が改善されたり、終業後の社員にコンタクトを取るのは絶対NGなど、素晴らしすぎます。

また、自国の過ちを見つめて、徹底的に学ばせる姿勢も、同じ敗戦国としては見習いたいですね。日本ももう少し自国の行いを学ばせた方が良い気がします。


7.ポルトガル共和国の犯罪

▶映画『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』本編映像”ポルトガルの警察” - YouTube

「ポルトガルはドラッグ所持も使用も(ほぼ)合法だぜ!」という章。

ポルトガルでは麻薬の使用では逮捕されることはなく、その結果使用率も下がったそうです。実際使用者の9割は安全でピースフルな人たちばかりなんだそうです。死刑制度へのありかたなど個人的に一番興味をそそる章でした。

ポルトガル人の友人は一人いますが、この辺の話はしたことがないので今度聞いてみようと思います。コロンビア人の友人が同じようなこと言ってたのを思い出しました。


8.ノルウェー王国の刑務所

▶映画『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』本編映像”ノルウェーの刑務所” - YouTube

「ノルウェーの刑務所快適すぎるぜ!」というのが本章。

受刑者がとてもいい暮らししてます。もちろん牢獄ではなく、一軒家で、殺人事件に合った遺族は果たしてどう思うのだろうと思いましたが、そのへんについてもふれています。 ノルウェーには死刑制度はなく、最長21年、殺人事件発生率の低さ世界1位だそうです。

こんな環境で育っていれば、否が応でも犯罪者に対する「復讐」という概念自体が消滅するのかもしれません。


9.アイスランド共和国の男女平等

▶映画『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』本編映像”アイスランドの女性リーダーたち” - YouTube

「女性が活躍しまくる国だぜ!」という章。

男女平等をいくら掲げてもなかなか平等にはなっていません。それがアイスランドでは、世界初の女性大統領、企業の役員の40~60%は女性など、本当の意味でも男女平等の国です。企業だけでなく議会でも女性の社会進出が目覚ましいんです。

本編ではリーマンショックと絡めた話になってますが、狭いコミュニティだけではなくもっと広い視野(私たち)が大切なんだということに女性ならではの視点がありそうです。


「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」評価

個人的な感想を言うとすれば、(国ごとに他の様々な問題があるにもかかわらず)いい面だけ切り取った、何とも「う~ん」と思わされる映画というのが率直な感想です。

とは言ってもさすがマイケル・ムーア監督。(いい側面のみ切り取っているので)内容を信じる信じないは別として、とてもわかりやすい描写になっています。

 総合得点:60点/100点

 ・オススメ度:★★★☆☆
 ・ストーリー:★★☆☆☆
 ・キャスト:★★★☆☆
 ・映像:★★★☆☆
 ・演出:★★☆☆☆
 ・設定:★★★☆☆

アメリカの抱えている諸問題やバックグラウンドなどを分かっていればより楽しめる作品です。


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愛国心あるのは分かるけど痩せようぜ、ムーアさん!




歩いてるの見てるだけで息苦しそうだぜ!






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あとがき

マイケル・ムーア監督の集大成という触れ込みがあったので、期待値が高かった分、もっと監督らしさが出ても良かったかなと思います。ただ、今作はこれまでアメリカをディスりまくっていた監督が、(カナダばかりだったのが)初めて外に目を向けたという意味で、見応えはあるんじゃないでしょうか。

きっと彼は愛国心の塊なんだと思います。常に自国(アメリカ)をディスりながらも、「このままじゃダメだ、もっと良くしなくては。」という愛国心が根底に常にあると思います。

ジャーナリストであり、ドキュメンタリー映画監督であり、テレビプロデューサーであり、テレビディレクターであり、政治活動家でもある彼の集大成映画、是非観てみて下さい!

http://toyokeizai.net/articles/-/120408


マイケル・ムーアが世界中を「侵略」する理由
「良い制度は持ち帰って米国も見習うべき」
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壬生 智裕 :映画ライター
2016年05月31日
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「マイケル・ムーアが世界中を「侵略」する理由 「良い制度は持ち帰って米国も見習うべき」 | 映画界のキーパーソンに直撃 - 東洋経済オンライン」をはてなブックマークに追加
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『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』では、マイケル・ムーア監督が世界中で「各国のいいとこ取り」を試みる (C)2015, NORTH END PRODUCTIONS
過激なアポなし取材と歯に衣着せぬ物言いで、社会問題を独自の視点で一刀両断してきたマイケル・ムーア。銃規制をテーマにした『ボウリング・フォー・コロンバイン』で米アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を、対テロ戦争を題材とした『華氏911』でカンヌ国際映画祭パルムドールを獲得するなど、国内外を問わず絶大なる評価を受けている。
しかし、現在、全国公開中の最新作『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』では、天敵であったはずの米国防総省の片棒を担ぎ、ムーア自らが“侵略者”となって世界各国に潜入するという驚きの展開を見せている。ムーア監督がそこで見たものは、「イタリアの労働環境」「フランスの給食」「フィンランドの教育」「スロベニアの大学」「ドイツの労働者」「ポルトガルの犯罪」「ノルウェーの刑務所」「チュニジアの女性進出」「アイスランドの男女平等」などなど。今のアメリカに必要なものをムーア監督は根こそぎ持ち帰ろうと試みる。
本作は、アメリカ国内に巣くうタイムリーな問題を批判し続けてきた不屈のジャーナリスト、マイケル・ムーアにとっての集大成とも言うべき作品となった。そんなムーア監督に新作への思いを聞いた。
「国防総省の協力」というのはファンタジー
この連載の過去記事はこちら

――国防総省の指令ということで、海外に行ったそうですが、彼らの協力体制はどうだったんですか?

あれは皮肉であり、ファンタジーだよ(笑)。協力してくれることはまったくなかったよ。

――しかし、ムーア監督がミッションを遂行するべく世界各国をまわる様子が、まるでジェームズ・ボンドのようでしたが。

まさに。その通りだね(笑)。

――髪の毛もワイルドなロン毛になっていて。カッコ良かったですよ。

サンキュー(笑)。

――この映画を作る際に事前のリサーチは行ったんですか?

あまりリサーチはしなかった。というのも、実際にいろんな国に行ってみて発見するものにしたいという心意気で行ったわけだからね。だから取材対象の内容については事前にリサーチはしなかった。ただ行けばきっとすばらしい結果が待っているんだろうな、といういい予感はしていた。イタリア人が有給休暇をたくさんとっているという話を聞いた時も、ポルトガルでドラッグを解禁しているのに犯罪者がいないという話を聞いた時も、僕は驚いていたと思うけど、あれは本当のリアクションなんだ。ニュース番組やドキュメンタリーなんかは、あらかじめ答えを用意した上で取材をするわけだけど、そんなわざとらしい芝居をするべきではない。だから前情報がなく、素直な気持ちで話を聞きに行ったんだ。

――こうなったら侵略した成果を公約に、ムーア監督が大統領選に出てくださいよ。

大統領選になんか出馬しちゃったら、忙しくなっちゃうからね(笑)。僕はのんびりと生活したいし、やめとくわ。
フランスの給食をムーア監督が取材。本格的なフランス料理が出てくる様子にビックリ (C)2015, NORTH END PRODUCTIONS

――ここで描かれていることはアメリカにはないものだとおっしゃっていましたが、これは日本にもないものばかりでもあるように思いました。

君の言う通り。この映画を観ていただけると、日本の皆さんにとっても学べる要素がたくさんあると思う。

――これをすべてアメリカが取り入れたら、アメリカはすばらしい国になると考えているんですよね。

そうだね。この映画に出てくる制度を見習ってアメリカでも取り入るようになったら格段に良くなると思う。実際に取り入れるべきだという声もたくさん聞いているしね。

――日本の政治家がこういう映画を観に行ったという話はなかなか聞きません。どうやったら彼らに映画を観てもらうことができますかね?

でも、実際は観てくれているんじゃないかな。たとえ本人が観ていないとしても、きっとまわりのスタッフなんかが観て、薦めてくれているだろうしね。というのも、政治家としての保身という意味合いもあるだろうけど、やはり選挙の戦略を立てる上で、国民の大多数が何を考えているかは知らないといけないわけだから。アメリカは広大な国だけど、少なくとも数百万人が観れば、それなりの影響力はあるからね。

――そうだといいんですが。ただ、日本では文化に理解がある政治家がそれほど多くはないんですよ。

ハハハ。まあ、そういう石頭は観ても分からないだろうから、ほっとけばいいんじゃない?
国民の多くはトランプ候補には投票しないよ

――一方、アメリカではドナルド・トランプが大統領候補になっていて、日本でも心配する声が多くあがっていますが、彼はアメリカをいい国にしてくれるのでしょうか。

君たちが心配するのは当然だよ。ただ、そこまで過剰に心配する必要はないと思う。アメリカで選挙権を持つ80%くらいは、女性や有色人種、18歳から35歳までの若者層であって。トランプはその層をひどく侮辱しているからね。だから彼にはきっと投票はしないよ。だから大丈夫じゃない? きっと彼は当選しないよ。

――この映画では、女性の進出がテーマとなっていますが、アメリカで女性進出が進んでいないというのが意外でもあったのですが。

まだまだアメリカだって議会の割合は20%くらいだし。人口にしたら50%が女性なわけだから、まだまだ頑張らないといけないよ。

――日本も同じようなものです。いや、むしろもっとひどい状況です。

それは君たちが何とかしろよ(笑)。
問題の根源は「私たち」より「私」という考え方
マイケル・ムーア/(Michael Moore)/1954年4月23日、アメリカ・ミシガン州フリント生まれ。22歳で新聞「フリントボイス」を創刊し、ジャーナリストとして活動を始める。1989年にデビュー作『ロジャー&ミー』を発表し、スマッシュヒットを記録。さらにアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を獲得した『ボウリング・フォー・コロンバイン』(2002)、カンヌ国際映画祭パルムドールに輝いた『華氏911』(2004)が大ヒットを記録した。その後も『シッコ』(2007)、『キャピタリズム マネーは踊る』(2009)など、アメリカ国内に巣くうタイムリーな問題を批判し続ける不屈のジャーナリストとして確固たる地位を確立している。ミシガン州トラバース・シティ在住。トラバース・シティ映画祭の発起人を務め、2つの映画館 The State Theatre と Bijou by the Bay を運営している (C)2015, NORTH END PRODUCTIONS

――ヨーロッパ各国からこれだけの「学ぶべきこと」があるのに、アメリカがそれを実現できない理由とは何なのでしょうか。

やはり、アメリカ人のシステムの根本にあるのが、「私たち」ではなく、「私」というところに問題があるんだと思う。

――それは助け合いや思いやりが足りないという意味ですか。

そうだね。アメリカ人というのは助け合いの精神がなくて、基本的に個人主義なんだ。

――それは最近のことですか? というのも、今回の映画では「オズの魔法使い」のフッテージ映像を織り交ぜるなど、どこか古きよき時代のアメリカへのノスタルジーを感じたのですが。

いや。アメリカにいい時代なんてなかったよ。昔は黒人がバスに乗るにも隔離されていたわけだし、さらに時代をさかのぼれば、ネーティブアメリカンへの大量虐殺を行ってきた国だからね。ドナルド・トランプは「すばらしい時代を取り戻す」と言っているけど、すばらしい時代がいつあったんだと言いたいよ。

――となると、やはりムーアさんが大統領選に出るしかないですね。

自分はまだ殺されたくないんで、やめとくよ(笑)。

――ムーアさんはアメリカの諸問題を過激に追及してきましたけど、もちろん根っこにあるのは、アメリカへの愛ですよね。

その通り。アメリカは大好きさ。ただ国粋主義的に大好きってわけじゃなくて、やっぱり故郷だからね。まさに自分は、これからもこの土地で生活していかなきゃいけないわけだからね。
【ドキュメンタリー映画まとめ】

【ドキュメンタリー・ノンフィクション】観た後に考えさせられる映画厳選10選【おすすめ】 - 非アクティビズム。 【ドキュメンタリー・ノンフィクション】観た後に考えさせられる映画厳選10選【おすすめ】 - 非アクティビズム。

http://machinaka.hatenablog.com/entry/2016/05/27/173132

お馬鹿な映画と思ったら、、、まさかまさかの号泣!! 「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」批評
アメリカ映画 ドキュメンタリー 爆笑映画 絶賛回 感涙映画
list



こんにちは! Machinakaです。 今回批評するのはコチラ!!









「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」





http://www2.bikechannel.info/wp-content/uploads/2013/02/img_970351_21277765_0.jpg







すみません、間違えました。あまりにもタイトルが似てるもんでw







正しくはコチラの画像↓↓









http://static.blogos.com/media/img/4076/ref_l.jpg



はい、「華氏911」や「ボーリング・フォー・コロンバイン」で日本でもお馴染みの、マイケル・ムーア監督の最新作ですね(^o^)

非常に楽しみですーー!!















1.劇場鑑賞情報&あらすじ





実は私、映画館でマイケル・ムーア作品を観るのはこれが初めて!!

数年前に映画にハマった私。

大作映画ならまだしも、マイケル・ムーアなんてわざわざ映画館で観に行かねぇよ!!と思ってたんですが、人は変わるんですねぇ。。。 公開初日に観に行きました!







公開館数はあまり多くない中、マイケル・ムーアのイメージとは似ても似つかないTOHOシネマズみゆき座で鑑賞してまいりましたーー!!!







f:id:Machinaka:20160527150929j:plain



初日公開ということもあり、配給会社の人が入り口付近にゾロゾロといました。それはいいんですけど、スクリーンの入り口近くで予告編上映中にも関わらずお喋りするのは良くないぜ! 私は前の方に座ったので良かったですけど、、、



もしかして東宝映画の邪魔をしてたの!? まぁそれは冗談として笑









さて、あらすじです。

まずは予告を見て下さい!!



www.youtube.com





もうね、お馬鹿全開ですねww



マイケル・ムーアが世界征服するノリで海外旅行へ行って、楽しんできましたー。みたいな感じの映画にも移ります。



まぁ、映画のプロットはこれだけで十分ですww









2.マイケル・ムーアの遍歴







過去記事でこの映画の宣伝をする時に、マイケル・ムーアの履歴に触れていますが、コチラの記事でも改めて書いてみたいと思います。



まずこちらがマイケル・ムーアのお顔 2016年で62歳になります。



http://tamashige.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_733/tamashige/091222E38080E3839EE382A4E382B1E383ABEFBDA5E383A0E383BCE382A2E3808EE382ADE383A3E38394E382BFE383AAE382BAE383A0E3808F002.jpg?c=a1



アメリカを中心に、ブッシュ政権や銃社会へ問題点を突き付け、アポ無し取材を敢行しまくってアメリカ政府から嫌われまくっているおじさんですね笑



自動車工場で働く父や祖父の元で育ったマイケル・ムーア。ミシガン大学に入学も、1年で中退して隔週刊誌を出版していました。この頃は社会派ジャーナリストとして真面目に働いていたんですが、彼なりの正義感から上司の命令に逆らって、出版社をクビに。。



次に目指したのは映画監督で、1989年、彼の故郷の自動車工場の閉鎖を題材とした映画「ロジャー&ミー」を公開。

デビュー当時からアポ無し取材、過激発言が話題となりました。



www.youtube.com





これをきっかけに、彼はドキュメンタリー作品をテレビと映画に公開。タイトルを観る限りは過激なタイトルで、目立ちたがり屋のおじさんなのかなぁーと中高生当時は思ってました。





『ロジャー&ミー』 - Roger & Me (1989年)
Pets or Meat: The Return to Flint (1992年)(テレビ番組)
TV Nation(1994年)(テレビ番組)
『ジョン・キャンディの大進撃』 - Canadian Bacon (1995年)
『ザ・ビッグ・ワン』 - The Big One (1997年)
And Justice for All (1998年)
『マイケル・ムーアの恐るべき真実 アホでマヌケなアメリカ白人』- The Awful Truth(1999年)(テレビ番組)
The Awful Truth-Episode #1.1 (1999年)(テレビ番組)
『ボウリング・フォー・コロンバイン』 - Bowling for Columbine (2002年)
『華氏911』 - Fahrenheit 9/11 (2004年)
『シッコ』 - Sicko (2007年)
Slacker Uprising (2008年)
『キャピタリズム〜マネーは踊る〜』 - Capitalism: A Love Story(2009年)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%82%A2#.E7.A4.BE.E4.BC.9A.E6.B4.BE.E3.82.B8.E3.83.A3.E3.83.BC.E3.83.8A.E3.83.AA.E3.82.B9.E3.83.88.E6.99.82.E4.BB.A3





ただ、彼のドキュメンタリー作品は圧倒的に面白いんですよね。映画として成立しやすいように、エンタメ成分がかなり多めなんです。

やたらと映画のシーンを入れたり、地獄の黙示録で使われるような壮大過ぎるクラシック音楽を入れたり、観客にとっては面白いドキュメンタリー映画になっているのが特徴なんですね。

ちょっとやり過ぎな気はしますけど笑



その証拠として、「華氏911」は、6万ドルの予算に対して、2億ドルの興行収入を叩き出しましたからね! ドキュメンタリー映画で200億円以上儲かったんですよ、奇跡に近いですwww







http://ecx.images-amazon.com/images/I/51KSVN9HXYL._SY445_.jpg



この映画が出た時はまだ中学生でしたから、全く興味がなく、ハリーポッターやロードオブザリングにブヒブヒ言ってましたww



あぁ、リアルタイムで観てれば面白かったんだろうなぁーーーー!!!



今オバマ大統領でやっても面白く無いもんねー。 



次はトランプ大統領で、、、って、当選して欲しくないですけどww

















3.急に老け込んだマイケル・ムーア





アポ無し突撃取材のスタイルを貫く彼には、政府も黙っていません。





1999年にアメリカのロックバンドで有名なレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの曲の「Sleep Now In The Fire」のPV撮影を、あろうことかニューヨーク証券取引所前にてゲリラ的に敢行するなどして、実際にニューヨーク市警察に逮捕されます。
この事が原因で、ホワイトハウスのブラックリスト入りを果たすきっかけとなりました。



2007年の5月にムーアがアメリカ政府当局の許可を全く得ずにキューバ訪問をしていた事も話題になり、これまた財務省による捜査を受ける事になります。
彼は「私は事前に渡航許可を求める申請書を出した」と主張したようですが、実際には許可は出されておらず、それによって彼は、要注意人物のレッテルを張られてしまったようです。

http://stuporglue.com/rekishi/keireki.html





ホワイトハウスのブラックリスト、政府当局から「要注意人物」とレッテルを貼られる。もう、実質的にアメリカ追放ですよww







そして、本題。

この映画の予告編を観て思ったのですが、彼が急激に老けてるんですよねw ワタシ的には、アメリカ政府によって彼が迫害を受け、暗殺が出来ないので老化薬を大量に打たれた結果なのでは、、、と勝手に妄想しちゃってますww



前回も書きましたが、以下の引用記事を読んで下さい↓↓



「ボーリングフォーコロンバイン」や「シッコ」などのドキュメンタリー映画で有名になった監督です。この顔見たら、ピンと来るんじゃないかな。



f:id:Machinaka:20160503232023j:plain

http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/images/2008/01/03/moore.jpg







そして、今回のマイケルムーアのお顔がこちら、、、写真左ね。





f:id:Machinaka:20160503232117j:plainhttps://hlo.tohotheater.jp/images_net/movie/013258/GALLERY013258_5.jpg







特殊メイクなんじゃないかってくらい、急激に老けてます、、、





彼は過激すぎるドキュメンタリー映画を撮り続けた結果、アメリカのホワイトハウスにブラックリスト入りするという、なんとも不名誉な記録を残してしまいました。



アメリカを敵に回してしまったマイケル・ムーア。最近は日本のメディアにも出なくなったけども、、、



2009年の「キャピタリズム」以降、なんと6年もの空白がありました。

この時のお顔がこちら







f:id:Machinaka:20160503232911j:plain

http://f-freepocket.com/wp-content/uploads/2011/09/CCF20110903_00012.jpg



もう一度出しますが、本作の時のお顔



f:id:Machinaka:20160503233033j:plain

https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16781437/rc/2016/03/27/4a0a0852bb4562df0e90aee84849caca695882a0_xlarge.jpg



やっぱり老けすぎだよ!!! 何があった!?!?





とまぁ、マイケルに何が起こったのか。そんなことを妄想しながら映画見ると楽しいんじゃないかと。映画の内容は、ぶっちゃけどうでもいいんですけどww



machinaka.hatenablog.com



やっぱりおかしいですよねw いくらなんでも、急に老けこみすぎww



62歳ってこんなものなのかなぁ、、、。とっても苦労した顔に見えます笑



さて、前置きが長くなりましたが、、、、映画の感想です!!



















4.最初は爆笑珍道中!!







まず、最初のシーンで「やっぱアホだなぁ」と思いました笑



監督自身はアメリカから追放された身にも関わらず、



「ある日、アメリカ軍から話が舞い込んできた。 どうしたら世界を侵略できるのか、教えてくれ」







「アメリカ軍が出来ないなら俺がやってやる!」

と意気込んで星条旗を掲げて行くのですが、、、

http://img.cinemacafe.net/imgs/thumb_h1/211389.jpg



と、半ば自虐的とも取れるアホな設定から映画がスタートしますww









つまり、「世界侵略」という名目で主にヨーロッパの国々とチュニジアに行って取材をしてくるんです。





簡単に紹介すると、

・イタリア→有給休暇が4習慣!?

・フランス→給食は高級料理!?

・ノルウェー→独房が一軒家!?



など、それぞれの「国の良いところ」を面白おかしく紹介していくんです。





この時は、なんてバカな映画なんだ。。と笑っていたのですが、、、















5.まさかの号泣! ドイツは凄い!













まさかマイケル・ムーア作品で泣かされるとは、、、













ドイツでの取材回はメチャクチャ感動してしまいました。。。





マイケル・ムーアがドイツを取材するといったら、、「世界侵略」と言ってるだけあって、『「あの指導者」がやったことをどうやって教育するか』を取材してるんですが、、、

ドイツの教育の凄さに驚き、小学生の気持ちになって考えると、涙が止まりませんでした。。。





もはや隠すまでもないですけど、、

ドイツのホロコースト教育は、本当に徹底的なんですよ。。



生まれも育ちも日本の私は、ドイツの厳しい教育に尊敬を覚えました。

ドイツの小学校でユダヤ人虐殺について教えるシーン。教科書で座学するだけでなく、ある「実習」授業があるのですが、、、多分日本人の皆さんではやったことがないような、衝撃的な内容の授業が行われます。

その内容は、映画で確認してください!!



私はドイツに旅行したことがあるのですが、ドイツ人って他の国に比べて、すっごく優しいんですよね。もっと言えば、「人のために良い行いをしたい」って考えて実践する人が多い。

余談ですけど、スーツケースを持って電車に乗ろうとしたら、ドイツ人の男性が「持ってやるよ!」とスーツケースを持って、運んでくれたんです。

私は女性でもなければ、おじいちゃんでもなく、元気ビンビンのヤングメンですよ!!

入り口で戸惑っていたわけでも、スーツケースを運ぶのに苦労している様子を見せたわけでもありません。



こんなこと、日本でやる人います!?



「ドイツ人は贖罪を求めている」その言葉を実感できました。





日本ではちょっと前に、漫画「はだしのゲン」を撤去せよ! と要請があったニュースをご存知ですか?



www.huffingtonpost.jp



こんなのは愚の骨頂! あれは「暴力的表現が強い」漫画ではなく、「ありのまま」を描いている貴重な資料なんですよ!! 日本もドイツを見習え!

















6.最後はメッチャ社会派じゃん!





マイケル・ムーアは、旅行先で必ずアメリカとの比較を入れてくるんですね。例えばフランスの給食を取材したとき、アメリカの給食の写真をフランスの小学生に見せて



https://i.ytimg.com/vi/nE9-GHQWXnQ/maxresdefault.jpg





と絶句させるんです。



各国の良い所を紹介して、最後はアメリカの惨状を見せてオトす。そんなくだりを何回も何回もやるわけですな。



ただ、最後に訪れた国チュニジアで、今のアメリカに最も必要なメッセージが投げかけられます。





「自由でリベラルな国、アメリカンドリームを掴める国、サイコーな国」というイメージは過去の産物で、今のアメリカは金持ちに優しく、貧乏者には厳しいんです。リーマン・ショックの政府の対応で、分かったかと思いますが。







実は、世界各国へ旅行に行ったのは、「今のアメリカに足りないモノ」を持っている国に行って、「アメリカに行くにはどうすればいいか?」を真剣に考えてる映画なんですよ。





おそらく、テレビや新聞を見ていただけでは、「アメリカは良い国」にしか写らないと思うんです。そういう報道姿勢ですから。

今まで日本もアメリカを目標として、アメリカにヨイショしながら国づくりをしてきましたけど、この映画を見ると、「あれ、アメリカを目標にしていいのかな?」と疑問が生まれてくる映画だと思います。



私は、町山智浩さんのラジオを聞いてましたので、アメリカがいかにヤバイ国かってことは知ってましたが。。。おそらく、アメリカのことをよく知らない多くの日本人にとっては衝撃を受ける内容だと思います。





マイケル・ムーアだからってバカにすることなかれ! 



是非劇場で泣いて、笑ってほしいと思います!



オススメです!!!





以上です!

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あまくない砂糖の話 遺伝子組み換え食品は危険 ──作品中にも、トウモロコシを原料に異性化糖などが作られていることが大きな問題として描かれています。そこに必ず関与してくる遺伝子組み換えについてどう思いますか?また、遺伝子組み換えについてアプローチしていく予定はありますか? 異性化糖というのは日本で開発されたと伺いました。果糖よりもさらに甘いということで、砂糖の40パーセントの甘さの蜂蜜を超えて、異性化糖は砂糖の50パーセントくらいの甘さです。こういったものが開発されるのは遺伝子組み換えも含め、非常に危険だと思います。アメリカでは遺伝子組み換え表示が厳守ではないところもありますので、私はすごく反対です。























http://www.webdice.jp/dice/detail/5066/


映画『あまくない砂糖の話』―日本人も知らずに毎日スプーン20杯摂っている!

健康食品も実は砂糖だらけ!自ら実験台となった監督が警告












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映画『あまくない砂糖の話』―日本人も知らずに毎日スプーン20杯摂っている!


映画『あまくない砂糖の話』より、スティーヴン・フライ © 2014 Madman Production Company Pty Ltd, Old Mates Productions Pty Ltd, Screen Australia ALL RIGHTS RESERVED

食品に含まれる砂糖の量にフォーカスしたオーストラリア発のドキュメンタリー『あまくない砂糖の話』が3月19日(土)より公開される。摂取カロリー量は変えずに、人が一日に平均して口にするティースプーン40杯分の砂糖を、低脂肪などヘルシーであることを掲げる食品から60日間摂り続け、身心の変化を収めたのは、デイモン・ガモー監督。自ら実験台になり、砂糖との付き合い方について分析している。webDICEではデイモン・ガモー監督のインタビューを掲載する。

昨年公開された『パパ、遺伝子組み換えってなぁに?』は、アメリカのジェレミー・セイファート監督が、子どもたちの食の安全を守るべく、遺伝子組み換えの真実を明らかにするために突撃取材を敢行するドキュメンタリーだったが、本作のガモー監督は、実験に協力する研究者をキャラクター化したり、同じオーストラリア出身の俳優ヒュー・ジャックマンが砂糖の歴史を解説するシーンで司会として登場させたりと、随所にユーモラスな演出を交えることで、身近な食の問題に斬りこんでいる。インタビューにもあるように、ガモー監督のエンターテイメント性に溢れた仕上がりとなっている。


健康食品だと謳われていても実際はそうではない

──今回、砂糖に関する映画を作った背景として、オーストラリアでは砂糖の過剰摂取が問題になっていたのでしょうか?

近年よく言われているのは、子供たちが糖尿病や肝臓病にかかっているということでオーストラリアでは非常に問題になっています。この現象は30年前までは無かったので、食べ物に何かしら関係があるのではないかと思っているときに、スーパーでトマトスープの缶詰のラベルをみるとティースプーン8杯分の砂糖が含まれているのを見つけました。これはコーラと同じ砂糖の量です。このように、我々は知らない間に砂糖を摂取してしまっているので、そういう意味で、間違った知識が世の中には出回っている、健康食品だと謳われているものであっても、実際はそうではないというのがわかってきたのです。

映画『あまくない砂糖の話』デイモン・ガモー監督

映画『あまくない砂糖の話』デイモン・ガモー監督

──今回の実験で一日に摂取したティースプーン40杯分の砂糖というのは、オーストラリアの人々が日常的に摂取している量なんですよね?

そうですね、オーストラリアの人々は1日にティースプーン40杯分の砂糖を摂取していると言われています。WHOの基準では、適量は一日にティースプーン6杯分となっているのですが、この日本でも平均1日ティースプーン20杯分と聞きましたので大幅に上回っていますよね。健康に対して問題になっているのは砂糖だけではないですが、砂糖はその問題を大きく担っていると思います。

映画『あまくない砂糖の話』より © 2014 Madman Production Company Pty Ltd, Old Mates Productions Pty Ltd, Screen Australia ALL RIGHTS RESERVED

映画『あまくない砂糖の話』より © 2014 Madman Production Company Pty Ltd, Old Mates Productions Pty Ltd, Screen Australia ALL RIGHTS RESERVED

──この映画を作る際に影響を受けた、参考にした映画はありますか?あれば具体的に教えてください。

一つ挙げるならモーガン・スパーロック監督の『スーパーサイズ・ミー』です。マクドナルドを1日3食食べるという内容で、実験する前からある程度の結果はなんとなくわかっていたと思うのですが、本作では、いわゆる“ヘルシー”な食べ物と宣伝されている食品を60日間食べてどのような影響があるか、そして“ヘルシー食品”に含まれている砂糖は問題ではないのか?という実験を行いました。

カラフルな色使いで子どもたちへアプローチ

──今回の実験でどこが一番辛かったですか?また、実験後、体を元に戻す際に辛かったこともあれば教えてください。

実験中で一番辛かったのは、最後の2週間ですね。精神的にここまで左右されるとは思っていなかったし、そろそろ娘が産まれてもおかしくない時期だったので、太ったままアメリカにいて娘の出産に立ち会えないかもしれなかったのです。そういった理由もあって、最後の2週間はずっと家に帰りたいと思っていました。

映画『あまくない砂糖の話』より © 2014 Madman Production Company Pty Ltd, Old Mates Productions Pty Ltd, Screen Australia ALL RIGHTS RESERVED

映画『あまくない砂糖の話』より © 2014 Madman Production Company Pty Ltd, Old Mates Productions Pty Ltd, Screen Australia ALL RIGHTS RESERVED

──「このドキュメンタリーを作る」「こんな実験をやる」と聞いた時のご家族の反応を教えてください。

正直、やる前ははっきりと結果がでるかわからず、映画として成り立つ結果が出るかどうかの方が周囲や家族にとっては不安要素でした。実験を行う中で、思っていた以上に危険なことがわかり、妊娠中の妻も心配していたのですが、結果としてこの映画を作れたことはすごく喜んでくれました。

映画『あまくない砂糖の話』より © 2014 Madman Production Company Pty Ltd, Old Mates Productions Pty Ltd, Screen Australia ALL RIGHTS RESERVED

映画『あまくない砂糖の話』より © 2014 Madman Production Company Pty Ltd, Old Mates Productions Pty Ltd, Screen Australia ALL RIGHTS RESERVED

──ヒュー・ジャックマンが出演していますが、彼が出演した経緯を教えてください。また、彼は完成した作品を観たのですか?感想はいかがでしたか?

彼が出演してくれたことはラッキーでした。彼自身もともと健康に気を遣っていたので、話をもちかけるとすぐに賛同してくれました。若い世代に伝えたいという我々のメッセージにも共感し、参加してくれることになりました。彼自身も映画を観てすごく気に入ってくれて、周囲の友人に薦めたり、子供たちにも見せたと言ってくれました。

映画『あまくない砂糖の話』より © 2014 Madman Production Company Pty Ltd, Old Mates Productions Pty Ltd, Screen Australia ALL RIGHTS RESERVED

映画『あまくない砂糖の話』より、ヒュー・ジャックマン © 2014 Madman Production Company Pty Ltd, Old Mates Productions Pty Ltd, Screen Australia ALL RIGHTS RESERVED

──内容からするとシリアスなアプローチもあったと思うのですが、ダンスやアニメーションなどを用いて楽しいアプローチをした理由を教えてください。

製作中、事務所の壁に貼ってあるオスカー・ワイルドの「真実を聴衆に伝えるなら、笑わせないと殺されるぞ」という名言をずっと見ながら取り組んでいました。また、子どもや家族に見てほしいとう気持ちが第一にありましたので、子どもも飽きず、かつ大人にもきちんと伝わるように、アニメを取り入れたり、ミュージック・ビデオ風にしたり、エンターテイメントとしてどこまでコマーシャル性を広げられるかという部分に気を遣っていました。結果として、たくさんの人たちに見てもらうことができてよかったです。砂糖業界が販売促進のため、カラフルな色使いで消費者へアプローチする部分を逆手にとって、この映画でもカラフルな色使いをして子どもたちへアプローチしました。また、子どもたちの集中力も続くよう、1シーンを2分半以内に収めるようにしました。

映画『あまくない砂糖の話』より © 2014 Madman Production Company Pty Ltd, Old Mates Productions Pty Ltd, Screen Australia ALL RIGHTS RESERVED

映画『あまくない砂糖の話』より、ヒュー・ジャックマン © 2014 Madman Production Company Pty Ltd, Old Mates Productions Pty Ltd, Screen Australia ALL RIGHTS RESERVED

正しい情報を公の場に出せない現状

──オーストラリアでは最もヒットしたドキュメンタリー映画になり、オーストラリア・アカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞も受賞しましたね。観客の反応はどうでしたか?

ここ30年ほど、低脂肪が健康的という感覚を強く持っている人がほとんどです。そして、脂肪に気をつけているにも関わらず病気がどんどん増えてきているという中で、低脂肪である分、糖質が高くなっている食品も多いということがわかり、観客はショックだったようです。ラベルを見て栄養素をきちんと確認するということを学べたというのが一番大きな反応だったと思います。

映画『あまくない砂糖の話』より © 2014 Madman Production Company Pty Ltd, Old Mates Productions Pty Ltd, Screen Australia ALL RIGHTS RESERVED

映画『あまくない砂糖の話』より © 2014 Madman Production Company Pty Ltd, Old Mates Productions Pty Ltd, Screen Australia ALL RIGHTS RESERVED

──この映画がきっかけでオーストラリアの社会で変わったことはありましたか?砂糖の摂取量を減らそうという社会的、もしくは民間の試みがあれば具体的に教えて下さい。

ヒットして多くの方に観てもらえたので、消費者の意識が高くなり、消費者側から食品業界へラベル表示をより明確にという呼びかけがあるなど、様々なことが起きています。グラムではどうしてもわかりづらいので、ティースプーンの杯数で表示するなど、わかりやすいラベル表示にする運動です。健康的なイメージで売っていても、ラベルを見るとそうでない食品はたくさんあります。そういう意味でラベルの表示をもっとしっかりしようという方向性ではありますが、食品業界の問題もあるので現在は様々な討論が起きています。

業界でも低糖質のものがたくさん発売されているので、政府より先に、まず消費者から声を上げてもらえたことが良かったです。また、ニュージーランドでも議会できちんと取り上げてもらい、病院では糖質の高い飲料を禁止する条例もでき、非常にインパクトのある作品になったと思います。学校でも教材として使用され、子供たちに食文化を伝えるプログラムを取り入れられて良かったです。

映画『あまくない砂糖の話』より © 2014 Madman Production Company Pty Ltd, Old Mates Productions Pty Ltd, Screen Australia ALL RIGHTS RESERVED

映画『あまくない砂糖の話』より © 2014 Madman Production Company Pty Ltd, Old Mates Productions Pty Ltd, Screen Australia ALL RIGHTS RESERVED

映画館だけでなく、オーストラリアの学校に導入され食育プログラムを作ることが出来たり、作中にも出てくるアポリジニの先住民に食育のワークショップが組まれたり、また、食の正しい情報を配信するアプリの製作が行われるなど、文化的に様々な情報を伝える手段になりました。オーストラリアだけでなく、イギリスやニュージーランドでも行政の間で上映され、新たに条例を作る事例もありました。

また、アメリカでも様々な反響があり、私自身もパブリシティのツアーを周ったのですが、NBCをはじめABCなどの番組に出演しました。その際には、毎回必ず米国砂糖連盟から弁護士がやってきて、糖尿病や肝臓病という言葉の使用を一切禁止してきました。実際問題、食品会社とテレビ業界というのは密接に繋がっているので、正しい情報を公の場に出せないという現状があります。

映画『あまくない砂糖の話』より © 2014 Madman Production Company Pty Ltd, Old Mates Productions Pty Ltd, Screen Australia ALL RIGHTS RESERVED

映画『あまくない砂糖の話』より © 2014 Madman Production Company Pty Ltd, Old Mates Productions Pty Ltd, Screen Australia ALL RIGHTS RESERVED

遺伝子組み換え食品は危険

──作品中にも、トウモロコシを原料に異性化糖などが作られていることが大きな問題として描かれています。そこに必ず関与してくる遺伝子組み換えについてどう思いますか?また、遺伝子組み換えについてアプローチしていく予定はありますか?

異性化糖というのは日本で開発されたと伺いました。果糖よりもさらに甘いということで、砂糖の40パーセントの甘さの蜂蜜を超えて、異性化糖は砂糖の50パーセントくらいの甘さです。こういったものが開発されるのは遺伝子組み換えも含め、非常に危険だと思います。アメリカでは遺伝子組み換え表示が厳守ではないところもありますので、私はすごく反対です。

映画『あまくない砂糖の話』より © 2014 Madman Production Company Pty Ltd, Old Mates Productions Pty Ltd, Screen Australia ALL RIGHTS RESERVED

映画『あまくない砂糖の話』より © 2014 Madman Production Company Pty Ltd, Old Mates Productions Pty Ltd, Screen Australia ALL RIGHTS RESERVED

──今も砂糖の少ない生活をしているのですか?

砂糖を一切摂らないということではないですね。ときどきチョコレートなどの砂糖が含まれているものも食べますが、極力は野菜やフルーツ、魚など自然の食べ物を摂るようにしています。現代では、そのバランスが逆になっていると思うので、それが問題だと思います。

──なぜオーストラリアの人はそんなに砂糖を取るのでしょうか?

オーストラリアの人々は、どこに砂糖が含まれているのかを知らないのだと思います。チョコレートなどのお菓子類なら知っているかもしれないが、そうではないシリアルや低脂肪ヨーグルト、トマトスープなどにも非常にたくさんの砂糖が含まれていることを知らないのです。

映画『あまくない砂糖の話』より © 2014 Madman Production Company Pty Ltd, Old Mates Productions Pty Ltd, Screen Australia ALL RIGHTS RESERVED

映画『あまくない砂糖の話』より © 2014 Madman Production Company Pty Ltd, Old Mates Productions Pty Ltd, Screen Australia ALL RIGHTS RESERVED

──この映画はオーストラリアの小中学校で教材として取り入れられているそうですね。子供たちはどのように受け止めているのでしょうか?

子供たちの反応をみることが、本作で一番やりがいを感じる瞬間です。製作の際も、子どもたちに向けての表現は特に意識した部分でした。子供たちの感想としては、食についてもっと学びたいという意欲のある質問が多かったので、若い世代がより健康に生活できるチャンスをつくることができたと思っています。

映画『あまくない砂糖の話』より © 2014 Madman Production Company Pty Ltd, Old Mates Productions Pty Ltd, Screen Australia ALL RIGHTS RESERVED

映画『あまくない砂糖の話』より © 2014 Madman Production Company Pty Ltd, Old Mates Productions Pty Ltd, Screen Australia ALL RIGHTS RESERVED

──最後に、日本の観客にメッセージをお願いします。

食に関しては、伝統的な食文化が根付いており、アメリカやオーストラリアと比べて健康的な食生活を送れていると思いますが、日本に来るたび、自動販売機で砂糖の多い飲料が増えていると感じますし、これから加工食品もより増えていくと思うので、そこには非常に気をつけてほしいです。

子供たち、今後の未来の世代に対して強く伝えたいのですが、身体的なことだけではなく精神的な意味でもどれだけ食文化が大切かということを知ってほしいです。食というのは、いわば車のガソリンと一緒で、違うガソリンを違う車に入れても走らない。そういう意味で、正しいものをきちんと選択してほしいと思います。

(オフィシャル・インタビューより)




『あまくない砂糖の話』チラシ

映画『あまくない砂糖の話』
2016年3月19日(土)より、シアター・イメージフォーラム他全国順次公開

監督・脚本:デイモン・ガモー
製作:ニック・バジアス
出演:デイモン・ガモー、スティーヴン・フライ、イザベル・ルーカス
原題:That Sugar Film
配給:アンプラグド
2015年/オーストラリア/102分/5.1ch/16:9シネマスコープ

公式サイト

▼映画『あまくない砂糖の話』予告編

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柔術プリースト 253

Jiu Jitsu Priest #253

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伝説のルタドール イワンゴメスのVT映像が遂に見られます! リンク先にジャンプ! ブラウザによっては表示 再生されないのでフラッシュ表示 再生できるブラウザでご覧ください

http://globoesporte.globo.com/pb/noticia/2013/11/livro-conta-historia-de-ivan-gomes-lutador-paraibano-que-nunca-perdeu.html

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http://igf123da.blog.jp/archives/889978.html


藤原組長が猪木の姪、ファニーと再会!イワン・ゴメスとの失敗談を語る

GENOME9 2009.8.9 有明コロシアム
藤原さんがイワン・ゴメスとのエピソードを語っています。

組長に任せんかい!より

今から35年前、猪木さん、坂口さん、山本小鉄さんと共にブラジル遠征した事がある。私はまだ25歳、入門2年目で山本小鉄さんの鞄持ちだった。もちろん、私にとって初めての海外旅行だった。旅行会社から配られた、小さな本でポルトガル語を一生懸命勉強した。ブラジルの旅では、1人で買い物に行ってみたり、1人で夜の街に出掛けたりもした。その後、バーリトゥードのチャンピオンだったイワン・ゴメスが来日した。私は彼のテクニックの中から何かを学ぼうと、積極的にスパーリングパートナーを買って出た。因みに、ヒール・ホールドと呼ばれる技は、彼から学んだ技だ。私生活でも彼と行動を共にしていた。もう一つ学びたい事があったからだ。それはポルトガル語である。ゴメスはポルトガル語と片言の英語しか話せなかったのだが、なんとか私達の会話は成立していたのだ。ある日、猪木さんの弟が奥さんと生後何ヶ月かの娘さんを連れて、来日した。私は可愛い赤ちゃんに、ゴメスから教わった言葉を試してみたくなった。「お嬢ちゃんきれいだね」のつもりで「ボセエボニータ、ファゼアモア」と言ってしまった。母さんの顔色が変わり、睨みつけられたのだった。何かとんでもない事を言ってしまったと気付いた私は、ゴメスの前に行って問い詰めた。ゴメスはゲラゲラ笑いながら言いやがる。私が言った意味は「一発やらせろや」だったのだ・・・。謝らねばと思ったのだが、時すでに遅し。チャンスは無かった。しかし、それから30数年後、日本でその女の子と再会した。名前をファニー猪木さんと言う。私は彼女に謝った。ところが当時彼女は赤ちゃんだ、覚えている訳はない。それから暫くして、又お会いする事が出来た。彼女はあの後、電話で母さんにこの話をしたらしい。母さんはこの事件をしっかりと覚えていて、笑いながら「気にしなくていいわ」と言ってくれたという。

ファニー猪木さんは啓介さんの娘さんで、猪木さんの姪。寛子さんの従姉妹。サイモンさんの親戚になるんですかね。猪木一族の1人です。ポルトガル語が話せるので、猪木事務所があった頃はLYOTO選手のマネージャーを務めていました。

ファニーさんは、先日、藤原さんが参加した西口プロレスで小猪木さんの元マネージャーでしたので、その時に会ったようです。現在はミュージシャンとして幅広く活動をされているようです。

この1974年12月のブラジル遠征で、イワン・ゴメスが発掘されて留学生として新日本に来たんですよね。1976年の8月、2度目のブラジル遠征では木戸さんをフロントチョーク、ストロング小林さんをKO、ルスカとは大流血の壮絶なセメント戦を展開し伝説となっています。
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初戦のリオデジャネイロではいきなりルスカと対戦。

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ゴメスは約1年間の新日本での修行を積み凱旋。ルスカはレスリングスタイル。

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ゴメスの掌打がルスカの目に入ったか。ルスカはブチ切れ反則のストレートパンチで応酬。

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セメントを仕掛けたゴメスが返り討ちに。大流血のゴメス。ルスカのKO勝利。

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納得のいかないゴメスと観客を猪木さんが入ってきて収めた。
後日、ルスカとレフェリーの高橋さんはリオデジャネイロ体育協会より追放処分を受けました。

2戦目のブラジリアではストロング小林さんを顔面蹴り、ストレートの打撃でなんとKO。ルスカ戦でもそうですが、どうしても勝ちたいゴメスはセメントを仕掛けたようです。
画像は後ほど。探してみます。
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3戦目はサンパウロの木戸戦。

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とにかく、この打撃が特徴です。隙あらば仕掛けてきます。

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木戸さんも打撃をかいくぐり捕まえようとしますが、逆に片足タックルから持ち上げて後ろに放り投げる。

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左のハイキックが炸裂。木戸さんがグラついた。

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組み付けばヒザ蹴りを飛ばしてくる。木戸さんは何とかグラウンドに持ち込もうとする。木戸さんが寝技を得意としてることを熟知しているゴメスは付き合わず。

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ロープに追い詰めても、木戸さんは、なかなかブレイクせず、ゴメスも油断することなくガード。猪木プロレスですね。

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風貌はヘンゾに似ている。

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最後はフロントチョークで決着。いわゆるプロレスの動きのない試合ですね。

イワン・ゴメスはカーウソン・グレイシーからグレイシー柔術を学び、1974年12月に新日本がブラジル遠征した際に、バーリトゥードの王者と称して猪木さんに挑戦してきました。猪木さんはアキレス腱固め等で従来と違う極め方をしていることに着目。逆にゴメスも知らない技があることに興味を持ち、今度は猪木さんに弟子入りを志願。

猪木さんも新しい技術を取り入れるために新日本にゴメスを入れました。ゴメスは38歳の若さで亡くなりましたが、新日本にアキレス腱固めやヒールホールド等の技術を伝授した功績は後のUWFを経て、日本の格闘技界が発展する上で大きな影響を受けています。

それにしてもプライベートのゴメスの話は珍しいですね。私生活を共にしたという藤原さんならではのエピソードですね。→

※実際問題ゴメスが仕掛けるのならばボディではなく顔面を思い切り殴るはずです
逆にルスカが顔面から殴ったという事はルスカ側が仕掛けたと見るべきでしょうな
しかもゴメスがバックに回ってさてこれから絞めようかという瞬間にストップをかけてルスカ勝利の裁定を下すという事は新日本プロレス側が逆にルスカを焚きつけて仕掛けたと見ていいんでしょうね
それが寝技ではルスカが圧倒されてバックに回られてやられそうになったんで慌ててストップをかけたというのが真相でしょう
いかにも薄汚いプロレスラーの連中がやりそうな手ですわ

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柔術界の爆乳アイドルマッケンジーダーンがMMA2戦目 クラークプラッタで一本勝ち!




Legacy FC 61: Mackenzie Dern x Montana Stewart 投稿者 gbogdani

http://mmaplanet.jp/61019
【Legacy FC61】体重オーバーのマッケンジーがクラークプラッタで一本勝ち
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2016.10.15

other MMA
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Legacy FC61,
マッケンジー・ダーン

<118.75ポンド契約/5分3R>
マッケンジー・ダーン(米国)
Def.1R3分25秒by クラークプラッタ
モンタナ・スチュアート(米国)

MMA2戦目となったマッケンジーは3.75ポンドオーバーでキャッチウェイト戦に、序盤はスタンドでパンチやヒザ蹴りを見せたマッケンジーに対し、スチュアートも右を2発返す。マッケンジーはテイクダウンからマウントを奪取。パウンドを入れて腕十字へ。これはし逃れスチュアートがトップを取るも、マッケンジーは全く焦る素振を見せない。

すぐにラバーガードからオモプラッタへ移行し、そのまま左肩を極めに掛かる。スチュアートが前転するも、マッケンジーはオモプラッタの態勢のまま両腕を首回りでクラッチしRNCクラッチへ。直後にスチュアートがタップ。形的にはクラーク・グレイシーの得意技クラークプラッタだった。

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アントニオ・カノーヴァ(Antonio Canova, 1757年11月1日 - 1822年10月13日)は、イタリアの彫刻家。ミノタウロスを殺すテセウスのニーインザベリー

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HOUYHNHNM Unpluggedで柔術特集!

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「カーロスとエリオは別に何も発明していない。グレイシー一族最強はジョージだ。彼はグレイシーファミリーを離れ、タケオ・ヤノ、オノブラザースから学んだ。一族真の王者はジョージなんだ」ジョゼ・ゴメス(イワン・ゴメスの弟)https://t.co/CocDpqCTW5














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柔術 イン ストリートファイト 今時のストリートファイトでは三角絞めがフツーに使われます!

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