石油王アブダビ王族主催 世界最大のノーギイベント ADCC 2015

Jeff Glover vs Geo Martinez ADCC 2015

| 未分類 | コメント(0)

本物と偽物のジークンドー 中村頼永先生が出ているのが本物のダンイノサント派ジークンドーで謎の中国人マスターがやっているのが系譜捏造の偽物ジークンドーです

こちらが本物


こっちが偽モン

| 未分類 | コメント(0)

柔術は実戦には不向き? 使えない? いいや! 最も実戦向きの戦国時代の組み討ちを源流に持つマーシャルアーツである! それはやらせ映画やフィクション漫画ではなく現実で証明され尽くしている!













***夕刊柔術新聞***~列車テロリスト制圧の英雄兵士は柔術家~http://www.bbc.com/news/world-europe-3402336121日、パリ発国際急行列車内でAK47や拳銃を所持し、武装蜂起を計画したテロリ...

Posted by 柔術新聞 on 2015年8月24日


https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=404332453093451&id=171387569721275

柔術新聞

8月24日 23:23 · 編集済み ·
.

***夕刊柔術新聞***

~列車テロリスト制圧の英雄兵士は柔術家~
http://www.bbc.com/news/world-europe-34023361
21日、パリ発国際急行列車内でAK47や拳銃を所持し、武装蜂起を計画したテロリストをアメリカ空軍兵士含む3人が素手で制圧。
このうちの1人スペンサー・ストーンさんは、グレイシー・リスボンの支部で練習する柔術家。
http://www.bjjee.com/…/us-hero-serviceman-that-stopped-ter…/

トイレで犯人達がマガジンを装填する音を聞きつけたスペンサーさんは一番最初に犯人に立ち向かい、その拳銃を取り上げる。
他の皆も武器を取り上げ、その銃で犯人を制圧する中、柔術家であるスペンサーさんはバックグラブを離さず、犯人をチョークアウトで切って捨てたそう。他の2人もスペンサーさんの勇気を褒め称えています。

このニュースはBBCやその他のメディアでも大きく取り上げられ、オランド仏大統領、そしてオバマ大統領に絶賛されることとなりました。
http://sp.mainichi.jp/select/…/20150823k0000e030100000c.html

France train shooting: Hollande thanks 'heroes' who foiled gunman - BBC News

French President Francois Hollande thanks three American men hailed as heroes for overpowering a heavily-armed gunman on a train






















| 未分類 | コメント(0)

柔術アニメ science cat BJJ

| 未分類 | コメント(0)

賞金総額650万円!!! 東京開催! 石油王アブダビ王家主催! アブダビ・グランドスラム柔術大会 ライブ配信中!

| 未分類 | コメント(0)

エディブラボー主催サブミッション決着オンリーイベント EBI 4の煽り動画

| 未分類 | コメント(0)

ミッドナイト柔術新聞

ミッドナイト柔術新聞



小林元和先生DVD&江端講平選手セミナー




| 未分類 | コメント(0)

ハレックグレイシー主催のサブミッション決着オンリーイベント メタモリスを超える人気と面白さ? エディブラボー主催のサブミッション決着オンリーイベント EBI

EBI 1 Eddie Bravo Invitational - FEATHERWEIGHTS




EBI 2 Eddie Bravo Invitational - BANTAMWEIGHTS




EBI 3 Eddie Bravo Invitational - OFFICIAL

| 未分類 | コメント(0)

長野俊也先生が語るBABジャパンと福昌堂 クエストの舞台裏

暴いておやりよドルバッキー (角川文庫)
大槻 ケンヂ
角川書店(角川グループパブリッシング) (2011-03-25)
売り上げランキング: 269,118


暴いておやりよドルバッキー
大槻 ケンヂ
ぴあ
売り上げランキング: 662,579



http://yusin6.blog77.fc2.com/blog-entry-417.html

本の感想
『暴いておやりよ ドルバッキー』 大槻ケンヂ著 ぴあ刊

 遅ればせながら、いつも私の本を紹介していただいている大槻ケンヂさんの御著書を読みました。

 これは『ぴあ』の連載を纏めたものに『本の雑誌』とかのエッセイも加えてあるそうなんですが、私の本『武術のヒミツ』についても感想文が書かれていました。

 元会員で読んだ人が「基本的に誉めていない」と言っていたんですが、別に批判的に書いている訳じゃないし、単にツッコミを入れて楽しんでもらった様子が感じられます。単純に茶化しているんじゃなくて、大槻さんのハートに響くものが有ったんだと解釈してます(ギャグの波長が合うとか?)。

 中でも、私が笑ってしまったのは、“古武術世界からの恐怖新聞”と『秘伝』を紹介しているところで、まあ、その筋の人達は怒るでしょうけど、ここまで的確な譬えはあり得ないよな~と思いましたよ。

 そうだよな~。アレを読んで信じ込んでしまったら、寿命が縮みそうだもんね。

 一般の格闘技愛好者が武術を胡散臭いと感じる最大の要因は、「武術の本が怪し過ぎるから」なんだと思いますよ。

 まあ、初めて読んだ人は学研のムーを読んでいるような錯覚に襲われるんじゃないでしょうか? 『秘伝』に限らず、中国武術の専門誌『武術(ウーシュウ)』なんかも同じノリでしたよね。

 これって、何故か判りますか?

『秘伝』も『武術』も企画立案した人が同じだからです。現在のBABジャパンの社長の東口さんが企画したんですよね。『フルコンタクトKARATE』もそうだし、東口さんは元々、『月刊空手道』の編集長だったから、武道・武術の出版プロデューサーとしては極めて敏腕な人だと言えると思いますよ。

 あのモンスター?小島一志さんだって、東口さんが認めて『月刊空手道』の編集長を譲ったそうですね。失敗したと思ってるみたいですけど・・・。

 東口さんは福昌堂で新しい雑誌を出そうとして失敗した責任をとって辞めたと聞いていますけど、偉いな~と思うのは、やっぱり見返してやろうと思ったからなんでしょうが、アメリカのパンサープロの武道ビデオを輸入販売する会社を興して、その宣伝媒体として『秘伝』の前身である『秘伝・古流武術』を、心眼流の島津先生を顧問に、当時、古流武術の研究家として愛隆堂で寺尾正充の名前で活動していた平上信行氏を具体的な編集の相談役として創刊したんですね。

 で、当時、甲野さんや黒田鉄山師範が頭角を現したり、大東流六方会の岡本正剛先生が注目されて大東流の合気ブームが起こりつつある時期に重なって順調に売上を伸ばし、自社制作ビデオも作り始めていたんですね。

 確か、クエストさんが少し早く武道・格闘技のビデオ制作専門会社として発足していたんじゃなかったでしょうか? 当時の『秘伝・古流武術』には広告が載っていたので、BABとクエストが別の会社であることを気づかない人が結構いましたね。

 その後、『秘伝』の好調っぷりに対抗する意味で福昌堂でも古武術専門誌『極意』が創刊されたり、東口さんに反発した平上氏が愛隆堂から『極意相伝』という専門誌を出したりしましたが、いずれも部数が伸びずに休刊。平上氏は『秘伝』に逆戻り。

『極意』休刊と共に編集担当の塩澤さんは福昌堂を退社し、しばらくフリーで仕事していたらしいんですが、生活の心配をした島津先生の口利きで『秘伝』編集部に入り、現在は編集の責任者として活躍されています。この辺りの事情を客観的に見ても、競合誌の編集をしていた人を受け入れたんだから、東口さんは立派だな~と感心しましたね。

 と、こう書くと、東口さんの偉人伝みたいになっちゃいそうなんですが、でも、私個人は、武術の世間的イメージを怪しいものにしてしまった責任は有ると思うので、評価は半々です。

 第一、“武道や武術に対して何の愛着も無い人”なので、“優秀なビジネスマン”として認められるだけです。それを悪いことだと責めるのは酷でしょうが・・・。


 えぇっと、それで・・・大槻ケンヂさんの神秘武術への興味津々っぷりがよく判ったんですが、疑問点を三つ挙げてくれていらっしゃったので、これについてかい摘まんでお答えしておこうと思います。

1,秘伝とされている技術の信憑性。合気、発勁、触れずに倒す、等。
(これについては一応、納得されているようなので割愛します)

2,奇妙な動作の物理的な意味。型、スローモーな太極拳の動き、立禅、等。

 これについては、説明が足りなかったな~と反省しております。一応、『武術のヒケツ』『武術のシクミ』で個々の技の意味とか用法なんかは解説しているから、その後は理解してもらえたかも知れませんけれど、「潜在能力が発揮しやすくなる」と私が書いているのは、(頭が良くなるとかそういうことは一応、置いといて)主に“重心移動力”を駆使することについてなんですよね。

 私は“潜在能力”と表現する時は、「本来もっていて出せる能力」という意味であって、超常能力のことではないんですよ。例えば、1tの重さのパンチなんて空手やボクシングを何年修行しても普通のやり方ではとても出せないですよね? でも、重心移動によって生じるエネルギーを乗せれば誰でも力学的にこれくらいは出せるようになる。

 発勁が“押す力”になりやすいとしても、普通、50~80kgくらいある人間をポーンと数mも跳ね飛ばすというのは、軽く車がぶち当たったくらいの衝撃力は必要な筈ですよね。計算上、1tくらい誰でも出せるというのは、これを見ても解ります。

 私が「筋力に頼るのは無駄が多いから自分はやらない」と言っているのは、重心移動で力を出した方が簡単だし突き蹴りの加速空間も筋肉を絞り込むタメもいらないからです。

 そして、この体内の重心を自在に操作できるようにするために立禅や太極拳の訓練が有効だということなんですよ。

 無論、これらの訓練は“力”の出し方とコントロールを学ぶものであって、具体的な攻防の技術と、打撃の威力を跳ね飛ばすのでなく内臓に作用させてダメージを重くする秘訣は別に学ばないといけません。

 ただ、1tクラスの衝撃力を内臓に作用させたら、どうなりますか? 普通の人間なら命に関わるダメージになりますよ。まだ、押し飛ばされるほうが安全なんですよ。

 だから、秘伝にして隠したという面も有ります。私だって全力でコレを打ち込むなんて怖くてできませんよ。ごく軽く打ってもムチ打ちになったりしてしまうんですから。

 それと、通常の打撃格闘技の試合では互いに動きながら打ち合うので、たとえ1tの重さのパンチやキックが打てても、それを百パーセント相手に作用させられることはそうそうありません。インパクトが多少、殺されたり半減するんですよ。もし、棒立ちになってるところに全力で一発で入れば簡単に倒れるでしょう。

 中国の内家拳では相手を固定しておいて発勁を打ち込むやり方が多いのも厄介なところですが、これも一般的には隠されているので知らない人が多い。

 多くの中国武術家は、この点を無視して、長く修行していればいきなり戦えるようになるのだと勘違いしているので、一向に戦えるようにならないままなのです。当たり前ですけどね。「戦い方を教えない」んだもん・・・。

 私みたいに自分で考えたほうが早いと思うんですけど、武術の伝統を重んじ過ぎる人は、そういうことを考える行為を否定したがる。私は研究家なんだから、放っといてよって感じですね。

 それはまた別の話として、大槻さんが「え~~っ? だったら、別に武術などせずに、頭に本を乗っけて落ちないようにウォーキングでもしていればよいのでは?」という感想を書かれたのは、御本人はツッコミのつもりでしょうが、実は全くおっしゃる通りで、現に私もそんな練習してましたし、舞踊に注目したのもそういう理由なんですよ。

 武術が中心軸を確立することに拘るのは、「重心移動の力を駆使するためには、まず重心のバランスが崩れない(軸が崩れない)ようにする必要がある。その次に、バランスを崩さないように動き、歩き、戦えるようになれば、次第に重心移動の力を駆使して戦えるようになる」という直感的な共通認識が有ったと私は考えています。

 だから、大槻さんがいきなり飛躍したトンデモ理論だと感じたのは、“重心移動の力”の具体的な実感が無かったから、そう感じられたんだと思います。これは自分に体感が無ければ具体的に理解することは無理があるでしょう(武術の型稽古は、その体感を伝達していく教育システムだと言えば理解してもらえるでしょうか?)。

 実際、本の編集担当者もまったく同じように感じていて「長野さんらしくない。飛躍し過ぎています」と指摘されていたんです。が、この点については私はちっとも飛躍しているとは思えないんですよ。だって、直立して歩くことって動物の身体構造上、とんでもないエポックメイキングになっていると思うんですよ。

 重力という地球が発している“力”を足かせとして考えるのでなく、むしろ積極的に利用することを考えたのだから、やはり武術の歴史は凄いものだと私は思いますし、それを忘れて筋肉信仰するスポーツ理論では先が見えていると思います。

 重力を感じて身体を考えることは、さらに人間の進化を促す切っ掛けになると私は思っています。それは人間が人間以上の存在になることを求めた様々な試みの中に鍵が隠れていると思うからです。

 考えてみてください。生まれたまま何の訓練も教育も受けない人間はどんな存在になるでしょうか? 訓練や教育は、人間を進化させるための装置として人間が自ら考案したものです。教育を受けられない地域に生まれた人間が、そこから別の場所に移されて教育を受けたら、以前の自分に対して人間として目覚めていない存在だったと感じるのではないでしょうか?

 百年前の人間が現代にやってきたら異世界に来たと感じるでしょう? 携帯電話なんか見たら霊現象だと勘違いするんじゃないかな? 『地下鉄に乗って』で、過去にタイムスリップした堤真一が万札出したらびっくりされるっていう描写が有りましたけど、我々は急激な変化に慣れているだけで、客観的に人類を見れば年単位で何万年分も加速度的に進化している筈ですよ。

 これは良いか悪いかは別にして、人間は自らを進化させることを選んだからこそ地球の支配者として自己を認識させている。人間と同等の知能を持つと言われるイルカやチンパンジーとの違いが、ここにあると私は思っています。

 我々は、それが当たり前だと慣れ過ぎて、認識できていないだけです。インチキを神秘と思う人は何げない日常の中の神秘に気づかない。優れた科学者が文学的なロマンチストだったりするのも、この辺りに理由があると思いますね~。

 宮本武蔵が柳生石舟斎の切り花の茎の切り口を見て、並の遣い手ではないと戦慄を覚えたという、あの感性がないと武術修行は中々難しいもんだと思う・・・ナンテネ?(スンマセン! 物凄く遠回しに自慢しちゃったよ~ん)


3,で、それ実際強いの?

 う~む。口で何と言ったって疑問が残るでしょうからね。ズバリ! 「一般的に現代の競技武道や格闘技をやっている人達と五分の条件で闘ったら勝てる武術家はかなり少ないでしょう」と、現実的にお答えしておきます。

 例えば、「長野さんが極真のトーナメントに出たら勝てますか?」と聞かれたら、「負けます!」と断言します。剣道、柔道、スポーツチャンバラ、総合格闘技、ボクシング等々の試合に出場しても同様に「負けます!」と躊躇なく言っちゃいます。

 だって、専門にやっている人達の練習量はハンパじゃないですよ。週に一回、道場で一時間半くらい、「いい汗かいたな~」って、練習後の居酒屋でビール飲んでる40過ぎたオッサンが勝てるなんか思ってたら誇大妄想がいいところでしょう?

 私、そんな勘違いするほど若くないっスよ~(と、油断させておいて、翔べ!必殺うらごろしの市原悦子みたいにドスでどすっと刺して「要は、勝ちゃあいいんだよぉ~」って言うのが武術です・・・って、これで納得してくれるのかな~、大槻さん?)。

 もっとも、いくら護身術だからって言っても言い訳みたいに思われるのもシャクなんで、現在、試合に使える技も色々と研究しております。別に否定する必要も無いし、試合で勝ちたいと思う人には勝たせてあげたいから・・・。


 え~っと、余談ですが(って、余談ばっかりじゃ~?)、電波人間タックルの欄外解説の箇所で、タックルの最後の必殺技が“スーパーサイクロン”となっていましたが、これは“ウルトラサイクロン”の間違いだと思います。

 だって、タックルが「ウルトラサイクロンッ!」と叫んでドクターケイトをやっつけた時、「オイオイ。石ノ森の代表作ライダー・シリーズで円谷の代表作のウルトラって言葉使っちゃダメだろう?」ってツッコミ入れたから、間違いないと思います・・・(はっ? そういえば、『キャプテン・ウルトラ』は東映で円谷プロとは無関係だったような?)。
 え~、文中、読者にとって意味不明の脱線が続きましたことを慎んでお詫び申し上げます・・・。




『マンガでわかる! 芦原カラテ 実戦サバキ入門』 スキージャーナル刊

 おぉ~・・・小島さんの大暴走で泥を塗られてしまった芦原空手の、漫画・写真での技術解説・DVDが三位一体となった技術指導書が出ました!

 西山先生の技術解説で英典館長の監修、空手界のアイドル小林由佳さんも出ていて、漫画は空手や中国武術等々の専門雑誌やムック本での漫画で知られる坂丘のぼるさん。

 これは素晴らしいっ!

 DVD付き教本は普通になりましたが、これに漫画がついているというのはエポックメイキングですね~。

 スキージャーナルさんは、一体全体、どうしたの?ってぐらい、斬新な企画を進めていますね~。

 同社の武道雑誌は、『剣道日本』だけの筈ですが、空手に古武術?、古流剣術に韓氏意拳、さらにストリートダンスの本も出していたような・・・?

 今はどこの出版社も出版不況の煽りで元気を失っているものですが、スキージャーナルさんはやる気満々ですね。

 芦原空手は小島ダークゾーンに引き込まれかかっていたから、この本の出版は脱出の弾みがついて良いのではないでしょうか?

 やっぱり、武道は実際に技を示してこそ真価が評価される訳ですからね。

(私も夏からフルスロットルで頑張るぞぉ~! DVDも再販、新作製作始めますよ)

| 未分類 | コメント(0)

ゴング格闘技 秘伝 レビュー & 企画要望

GONG(ゴング)格闘技 2015年10月号

イースト・プレス (2015-08-22)


月刊 秘伝 2015年 08月号

BABジャパン (2015-08-12)


Fight&Life(2015年10月号)
Fight&Life(2015年10月号)
posted with amazlet at 15.08.25

フィットネススポーツ (2015-08-22)


ゴング格闘技の見どころはやはりマーシオクロマドインタビュー後編でしょうか
ルタリーブリエスポルチーバがノーギ柔術でもトップの成績を残し
ノーギ柔術に参加し続けているんだとか

今やブラジル全土 海外にも普及が進んだルタリーブリですが
やっぱり柔術とは普及面では比較になりません

ルタの競技イベント コンテストの数自体がまだまだ柔術と比較すると少なく例えイベントを開いてもトップ選手が出ないことも多く
それ故にオーガナイズがしっかりした柔術のノーギイベントにルタドールたちが参加し続けるんだとか

スポーツライクな今時の柔術家 ルタドール万歳といった記事の内容なんですが
それはそれでかつてのヒクソン ヘンゾ カーウソン軍団 ウゴ マルコファス時代の
スポーツとは全くの別の意味での素手の戦い 決闘なら負けないみたいな時代が無くなり
道場VTとかも無くなってしまうのは正直寂しいですね…
う~ん…
他にも超二流と呼ばれた男との増田氏の対談
岩崎正寛インタビュー

月刊秘伝
では平さんのグレイシー連載

ファイト&ライフは
嶋田裕太選手のアメリカ修行カラーレポート

ファイト&ライフで珍しくも柔術の記事が白黒ではなくカラーだという事で買ってしまった…
キャッチレスリングの指導者でもあるエリックパーソンの柔術とは違ったポジションを無視したサブミッションというのが面白いですね
リコチャッパレリのレスリング道場だの
流石は柔術だけに狭まれることのない植松直哉先生の直弟子らしい修行先です


これらの雑誌編集部への要望なんですが
柔侠伝の作者 バロン吉元さんにインタビューとかしてくれませんかね?
男柔侠伝とか見たらバーリトゥードというかグレイシー柔術の匂いを感じざるを得ないんですよね
バロンさんが拓大柔道部へ取材に行ったのは間違いないでしょうし
その時にブラジルのエリオグレイシーとの柔術の試合とかサンタナとのバーリートゥードとの事とか聞いてたんでしょうか?
カーウソンとかエリオグレイシーもそうだけれど昔の世代の人が次々亡くなっている昨今ですんで今のうちにインタビューして
バロンさんからグレイシーとか木村政彦とかバーリトゥードとかブラジリアン柔術とかソ連のサンボとか拓大柔道部 高専柔道 七帝柔道について色々聞いて欲しいです
色々面白い話が聞けそうだし…
ああ
そうそう
バロンさんは西郷四郎が大東流合気の使い手という設定でアフタヌーンで連載されていて
西郷派大東流にも取材を実行されているとのこと

ただ合気ニュースのスタンレープラニンさんによれば西郷派大東流は系譜が捏造との話だったりしますが
まぁ その辺の細かいツッコミはどーでもいいでしょう

アフタヌーンの連載でも玄洋社を始めとする権力相手に戦う西郷四郎のお話が良かったですよ

最後に柔術家が主人公の柔侠伝とか描かないんでしょうかね…
新柔侠伝連載時にグレイシーとかに取材とかしていたら面白かったと思うんですがね…
惜しいな…
ホントに…

秘伝も松田隆智さんの記事とか描いているんですから
日本で初めて 八極拳 陳式太極拳 を紹介 公開した男組の原作者 雁屋哲 池上遼一にインタビューしてくれませんかね?
松田氏と雁屋さんの喧嘩別れは関係者の間では有名ですが
あの時代に本物の中国武術が拳児以前から紹介され
多くの若者が熱中したんですよね
その頃のお話とか聞くのもいいと思うんですよ

男大空とか古流ネタも色々あって面白くて
抱え大筒だの諸賞流の当身ネタだの
神骨拳法とか初見の骨法を雁屋風にアレンジした日本独自の拳法という描写が

後の堀辺の骨法へと繋がっていたと思うんですよね
絶対 堀辺は男大空読んでいたでしょうしw
三角で受けて、丸で攻め、四角で固めるw(実際に三角で受けるというパクリを格通で紹介w)
その手のパクリとか大好きだったんだなw
堀辺w

まぁ 雁屋さん自身は格闘技とか武術とかにはさほど関心は無くて専ら好きで深く関心があるのは相撲なんでしょうけれどもね
作品のいい題材になるから武術とか武道とか取材しているんであって

そういえば雑誌媒体といえば
福昌堂の月刊空手道とフルコンタクトカラテが合体して一つの雑誌になりましたが
それって来る東京五輪の際に空手を公開種目化する為に極真を始めとするフルコンとJKFを始めとする伝統空手組織が五輪化のために手を組んだのと関係あるのでしょうかね?

個人的にはウーシユウ 武術も復活させて空手道&フルコン&武術ウーシユウ
という雑誌名で出したらいいかと

いや
その論点で言えば古武術の専門誌 極意も復活させて

空手道&フルコン&武術ウーシユウ&極意

という雑誌を出せば今よりも読者数が増えて売れると思う

ダメか?

かなり胡散臭い雑誌になりそうか?

それはそうと空手と違って柔術の大物たちから
リオ五輪に柔術とかノーギとかを公開種目にとかいう話は全く聞かないなぁ…
需要は当然欧米のアマチュア格闘競技で今一番の勢いがあるので当然あるのだが…
その辺は五輪の黒幕のヨーロッパの五輪マフィアの気持ち次第?(フランスの柔道関係から猛反対食らって当然ダメかもしんないですが)
五輪と言ってもかえって利権で搾り取られそうなのでカーリーニョスとかは無関心なようですな…

| 未分類 | コメント(0)

BJJ-WAVE

BJJ-WAVE

BJJ-WAVE Vol.5 最新ニュース 7/21 by Kinyabjj on Mixcloud



https://www.mixcloud.com/KinyaBJJ/bjj-wave-vol5-%E6%9C%80%E6%96%B0%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9-721/

BJJ-WAVE Vol.6 台湾インターナショナル総括&最新ニュース 7/31 by Kinyabjj on Mixcloud



https://www.mixcloud.com/KinyaBJJ/bjj-wave-vol6-%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB%E7%B7%8F%E6%8B%AC%E6%9C%80%E6%96%B0%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9-731/

BJJ-WAVE Vol.7 最新ニュース 8/7 2015 by Kinyabjj on Mixcloud



https://www.mixcloud.com/KinyaBJJ/bjj-wave-vol7-%E6%9C%80%E6%96%B0%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9-87-2015/

BJJ-WAVE Vol.8 ドゥマウ沖縄総括&アジア戦略 8/11 2015 by Kinyabjj on Mixcloud



https://www.mixcloud.com/KinyaBJJ/bjj-wave-vol8-%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%9E%E3%82%A6%E6%B2%96%E7%B8%84%E7%B7%8F%E6%8B%AC%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E6%88%A6%E7%95%A5-811-2015/

| 未分類 | コメント(0)

Jiu Jitsu NERD 6レビュー追記漏れ

A12305_I1.jpg

アイドルキ○オ…

いや…
アイドル好き黒帯柔術家座談会

で見るべきものがあるとすれば
それは中井さんクラスの人が名前とか顔をすぐに覚えてくれているということでしょうか
関西草分け時代に関西トップの宮本さんとか三島さんとか谷さんみたいなトップを覚えているだけじゃなくて
俺らみたいなコミュ障で底辺の柔術愛好者オタでもすぐに名前と顔を覚えてくれている
これはこれで愛好者の人間からしたら自身が憧れ目標としてるトップの柔術家の先生が自分に話しかけてくれる
無名のプレイヤー 愛好者からしたらそりゃー大変嬉しいもんですよ
ホント

でも今はどうかはわかりませんが昔の柔術の関係者たちは
中井さんに限らず 早川さん 大賀さん 若林太郎さんなんかもすぐに顔を覚えてくれていましたよね

というか昔は関西でソコソコ名前が知られていたのかも
弱いけれどひびきのコブラ会とか極柔塾とか阪大柔道部とか柔専館とかあちこちに出稽古行きまくってましたからね
まぁ もちろん休みながらマイペースでやっていたわけですけれども…

あと中井さんといえばブドージェイクとの対談で
連盟のことについても触れてましたね
地方じゃ連盟主催のイベントには閑古鳥が鳴いて連盟非公認のドゥマウだのブルテリアだの 柔術プリーストカップだのヒクソン杯だのには三桁 数百人クラスの参加人数が当たり前ですからねぇ…
その事については中井さんも触れていて
最近改善されて連盟非登録の人間でも出られるようになって
地方でも連盟公認イベントが大分マシ というか改善されそれなりに盛り返しているんだとか…

そういった興味深い話も描かれているので是非一読することをお薦めします!
まあ…アイドルキ○オ…座談会は正直あれですが…

| 未分類 | コメント(0)

Jiu Jitsu NERD 6 レビュー追加

A12305_I1.jpg

おっと!
描き忘れてました。
やっぱブドージェイクと中井さんの対談は必見でしたね!
アイドルオタ座談会はアレですが…

動画投稿サイトの発達で競技大会DVDは全く売れなくなったとか
パケタの映像コレクションの行方とか
柔術競技大会DVDではなく柔術教則ものが売れるとか
MMAはアメリカでも見る人は大変多いけれども柔術の様にやる人が多いわけではなく競技者人口自体は意外と少ないんだとか
柔術の教則ものと違ってMMAの教則ものは作っても売れないとか

柔術の人口は日本でプライドをやっていた頃よりも
日米双方ともに以前とは比較にならないほど増えているんだとか
あと柔術大国アメリカでもノーギの人口自体は柔術に比べるとフツーなんだとか…
意外とノーギ人口の伸びは柔術ほどでは全くないようです
ギありの柔術は歳を取っても出来るけれどノーギは若いうちにしか出来ないんだとか

あとやっぱアメリカでもIBJJFの柔術が一番メジャーで他の組織はマイナーだとのこと
プロの柔術イベントではハレックのメタモリスよりもエディブラボーのEBIの方が最近は人気が高くて面白いだの

面白い話が満載です

| 未分類 | コメント(0)

ヒクソングレイシーが唱えるインビジブル柔術 見えない柔術の後継者 ヘンリーエイキンスの動画














| 未分類 | コメント(0)

「Jiu Jitsu NERD」06号 レビュー  ヒクソングレイシー門下黒帯ヘンリーエイキンスのヒクソングレイシーが唱えるインビジブル柔術 見えない柔術とは?

A12305_I1.jpg

見所はもちろん橋本欣也さんの思いきり趣味に走りまくった
おっさん…いや 黒帯柔術家たちの気持ち悪いアイドルオタ座談会などではもちろんない!(爆)

やっぱりヒクソングレイシー門下黒帯ヘンリーエイキンスのインタビューでしょう!
ヒクソン門下で競技イベント コンテストには一切出ず
ヒクソン直伝のインビジブル柔術 見えない柔術の後継者だとも言われているというヘンリーエイキンス

動画を見ても本を作ったとしてもヒクソンの柔術は理解できない
細かい部分は動画や本では教えることは出来ない柔術
それがヒクソンの見えない柔術 インビジブル柔術なのだという
その動画がこちら



























ちなみにわたしゃアイドルには関心はありませんがミリオンドールというアイドルオタを主人公にしたアニメの在宅派アイドルオタ主人公の少女すう子ちゃんは好きです

| 未分類 | コメント(0)

「Jiu Jitsu NERD」06号

A12305_I1.jpg



http://www.b-j-j.com/143_12305.html



100% 柔術オンリーマガジン「Jiu Jitsu NERD」06号




『Jiu Jitsu NERD』Vol.6

出版社: JIU-JITSU NERD 編集部

種類:小冊子

言語:日本語

フルカラー:64ページ。

価格:700円

コンテンツ:

■インタビュー

『ムンジアルWゴールド記念』

ベルナルド・ファリア



『ムンジアル優勝記念』

橋本知之



『初対談実現』

中井祐樹×ブドージェイク



『アブダビの柔術シーンを語る』

パウロ・ピント



『インヴィジブル柔術の神髄とは?』

ヘンリー・エイキンス



■大会レポート

ムンジアル

パン

コパ・デ・バンコク

プリーストカップ仙台

コパ・ラスコンチャス

ドゥマウ

コパ・ブルテリア

ASJJFジャパンオープン

コパ・デ・サイタマ

一騎討2

台湾インターナショナル

JBJJF全日本選手権



『世界のタタミから』

台湾BJJ(台湾)



特別企画

『アイドル好き柔術家・特別座談会』




100% 柔術オンリーマガジン「Jiu Jitsu NERD」06号
100% 柔術オンリーマガジン「Jiu Jitsu NERD」06号





商品番号 vb-806
商品名 100% 柔術オンリーマガジン「Jiu Jitsu NERD」06号
定価
販売価格 700円
税別価格 648円
メーカー
送料区分 送料別
配送タイプ 指定なし
在庫


| 未分類 | コメント(0)

柔術プリースト 194  バリカタ柔術RADIO  22

Jiu Jitsu Priest #194


生田誠のバリカタ柔術RADIO #22

| 未分類 | コメント(0)

西南戦争 戊辰戦争で猛威を振るい幕末に人斬りと恐れられた中村半次郎 田中新兵衛の剣は示現流ではなく実は下級武士の実戦剣法 自顕流の方である

https://www.shinchosha.co.jp/books/html/610104.html

薩摩の秘剣
―野太刀自顕流―






 はじめに
 
 剣豪小説や歴史・時代小説のファンなら「示現流」をご存知だろう。幕末から明治にかけての激動の時代に、一撃必殺で鳴らした薩摩藩秘伝の剣術である。敵対する新撰組隊長・近藤勇が「薩摩の初太刀をはずせ」と最大限の警戒を払った示現流は、薩摩隼人の「チェストー!」の叫びとともに猛威を振るい、桜田門外の変、寺田屋事件、生麦事件など、数々の事件に関わり歴史を動かした。
 しかし、これは必ずしも正確ではない、と言えば驚かれるだろうか。実は薩摩にはジゲン流と呼ばれる剣は二つあり、多くの小説やドラマはこれを混同してしまっているのである。
 示現流ではないジゲン流、これを「自顕流」と書く。正確な名称は「野太刀自顕流」である。
 示現流と自顕流のもともとの由来はまったく別だった。示現流は、江戸時代に完成され、多くの城下侍の間で稽古されていたもので、薩摩藩公認の御留流(藩外不出)。一方の自顕流は、平安期より時代の流れに翻弄されながら極秘裏に伝えられ、幕末の頃には、地方の郷士と呼ばれる比較的貧しい半農半士のような人たちが、「実戦最強の剣法」として一心に学び取った。
 桜田門外の変の有村次左衛門、寺田屋事件の大山綱良、生麦事件の奈良原喜左衛門は、いずれも自顕流の使い手だった。さらに、京都に上っていくつもの暗殺計画にかかわり“人斬り”と恐れられた中村半次郎(桐野利秋)や田中新兵衛も、西郷従道、伊地知正治といった維新政府での出世組も、やはり自顕流の門弟だった。
 下級武士が活躍した維新の世にあって、おびただしい戦いの場で実際に使われ、時代を動かしたのは、実は「示現流」ではなく「自顕流」のほうなのである。近藤勇が恐れた「薩摩の初太刀」も、もちろん後者を指していた。
 今でも鹿児島では、「明治維新は薬丸流が叩き上げた」と言われる。自顕流は代々、薬丸家によって伝えられてきたため、“薬丸流”の通称がある。江戸時代の一時期、この薬丸家の者が、示現流を伝える東郷家の門弟になったりすることから、後の歴史作家の方々のみならず、歴史の専門家に至っても両者を混同する間違いを犯しているのは、「示現流」にとっても「自顕流」にとっても遺憾なことである。
 本書を書かせていただくことになったのは、双方の存在と来歴を明らかにし、いずれもが江戸期以降、現代まで薩摩の精神的礎の一部を担っていることを示したかったからである。そして、その背後には、「刀は抜くべからざるもの」という、一見相矛盾するかのごとき思想が息づいていることも記しておきたい。

 平成十六年甲申十二月

伊勢神宮道場にて記す

| 未分類 | コメント(0)

ベタなネットウヨクの法則 オタク。ロリコン率高し。 児童ポルノ法改正に反対だが、規制を強く推進する自民党にはダンマリ。逆に民主党は賛成に傾きつつあると言って批判する。 もしくは野田聖子一人の所為にして自民党を擁護する。 あるいは創価公明のせい。麻生に漫画を政治利用されて悦ぶ。 そして自民の表現規制もダンマリ。 「はだしのゲン」の規制は諸手を上げて大喜びしてやんの。 作中では米軍や在日朝鮮人の犯罪もこれでもかと描いてあるのだが、恐らく彼らの読んだ「ゲン」はそういったページが虫に食われてたんだろう、うん。「はだしのゲンは反天皇・共産圏のプロパガンダ」らしいが、果たして一度チラッと読んだだけで「洗脳」されるよい子なんぞいるんだろうか? このように、左派系の本はチラッと見ただけでも左派思想に洗脳できる「有害図書」だと考えている。 普通漫画を政治利用しようとまで考えてる政治家が「ごめんやっぱ規制するわ」などと言い出したら怒りを露わにしていいはずなのに、それでも無視して盲従する姿を見ると、自爆テロとかやる奴の気分がほんの少しだけ理解できる。

















http://wiki.chakuriki.net/index.php/%E3%83%99%E3%82%BF%E3%81%AA%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%A6%E3%83%A8%E3%82%AF%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87

ベタなネットウヨクの法則



Tweet


2









保護検討中
このページは、現在保護が検討されています。詳しい経緯、及び議論はノートへお願いします。

2ch.jpg
2ちゃんねる認定
このページは2ちゃんねるっぽいです。サイト趣旨に沿った形に編集するか、2ちゃんねるに書いてください。今後の経過によっては保護が検討されたり、削除検討の対象になることもあります。本件に関する詳細はノートを参照してください。

Uncyclopedia.JPG
アンサイクロペディア認定
このページはアンサイクロペディアっぽいです。サイト趣旨に沿った形に編集するか、アンサイクロペディアに書いてください。
今後の経過によっては保護が検討されたり、削除検討の対象になることもあります。本件に関する詳細はノートを参照してください。


目次 [非表示]
1 全般
2 分野別
3 結論
4 関連項目


[編集] 全般
1.ニートで一日中パソコンに張り付いている。 2ちゃんねるに常駐。特にニュース速報+板に多く生息。 ニコニコ動画で政治MADを作って民主党を叩く。 叩くというか、おもちゃにしている。

VIP板にも多く棲息。
このサイトは完全にネトウヨによるネトウヨのためのネトウヨのサイト。 今アクセスしてみたら「差別」でブロックされた…
たけし軍団のフライデー襲撃事件を肯定。奴らはマスゴミ襲撃ならやってもいいという犯罪者軍団。 朝日新聞阪神支局襲撃事件も肯定。 それは連中が嫌っている朝日新聞だからでは?産経新聞が襲撃されたら逆に騒ぐと思う。

筑紫哲也氏が亡くなった時祝電を送った罰当たりなネトウヨもいたとか
電通社長の成田豊氏(出自が在日韓国人)死去の際も同様に喜ぶネトウヨ 成田社長は外地生まれの生粋の日本人、電通も「日本電報通信」という明治の頃に出来た企業を起源に持つんだが……

産経新聞に何かあった場合にどう反応するか知りたい。何だ、かだ、言っても「マスゴミ」の一つだから。 「産経のデマは綺麗なデマ」が持論だからお咎めなし。脳内で記事と言うよりネトウヨの主義主張を新聞に書く阿比留とかいう記者を支持しているから産経に対しては大甘。 まるっきり、アメリカの核実験や軍拡は叩いて中国の軍備増強は見てみぬふりをする売国左翼どもと同じ思想である(以下、9参照)。

産経の「読者サービス室から」の投稿を読むと「ああ、ネトウヨが老害人になったからこうなるのか」と思う。


なおそこの人達からすれば電車の色を単色に塗ることすら「売国行為」に相当するらしい。
航空会社利用の際にANA、Peach、バニラエアを避ける可能性がある。これはANAの設立に朝日新聞が関係する為。

Yahoo!ニュースのコメ欄にも数多く棲息。 政治とは全く関係のないニュース(特にコリアンエンタテインメント関係)にも寄ってきては散々荒らしまくる。もうね、アh(ry しかもそういう書き込みに対して「私もそう思う」をクリックしていく。 そのため、記事本文後のトップ5が見るに堪えないほど悲惨な状態になる。

政治ネタ(反日ネタ)には嬉々として食いつくくせに、そういうエンタテイメントネタだと「くだらない」とか「日本の話題を出せ」とか言い出す。 だからと言って日本のよくテレビに出るような芸能人の話題を出した所で「興味無い」「ゴリ押し」「ステマ」のオンパレード。要するに彼らはアニメや声優関連の話題しか興味が無いからである。


韓国発(聯合ニュースなど)の記事なのに、記事中に「独島」って書いてあっただけで異様に噛み付く。

最近ではAmazonのレビューにも多数群がるようになってきた。 中国・朝鮮に批判的だったり右派系の政治家・言論人の書籍に高評価を付けて絶賛し、下記のフジテレビデモのスポンサー企業の製品や韓国特集をした雑誌、反右翼的な書籍等に対して低評価を付けてコキおろす事が日常茶飯になっている。 ちなみにその手のレビュアーの他のレビューを見ると萌えアニメ・漫画・ゲームを絶賛している事が多い。

サーチナ、レコチャイの日本age、韓国叩き記事が大好物。 中国は、日本と韓国が仲悪くしてもらうことが国益なのにね。


少しでも自分達が主張出来る場があればそこに群がって来る印象がある。 どんな関連のない話題であろうと最終的に韓国と結びつけて叩く技を持っている。 「ネット右翼の4人が集まり、ネット上で『なぜ我々は何事も半島ネタに結びつけてしまうのだろうか』を議論した。3時間後、彼等は『韓国人のせいだ』と結論を出した」
お笑い芸人インパルスのコントで、板倉扮するニュースキャスターが贔屓のアイドルがミュージシャンと交際していることを知って、報道番組でのコメントで「この殺人事件の犯人はギターでガイシャを殴り倒し、弦で首を絞めたのでしょう」と無理矢理こじつけていた…というネタがあったが、このキャスターと彼らは何が違うと言うのだろうか?


2chのまとめサイトが大好き。まとめサイトも来る人が増えるのでネトウヨ系のことばかり言う。 おかげで最近小中学生にネトウヨが増えた。
ニコニコ動画も大概。 ニコニコ動画でもやっぱりネトウヨが増えた。



国を愛してるはずなのに、国の為になることは何一つやっていない。むしろ害悪。 しかし日本といえども各地域にばらしたら・・・(下の方参照)
この人達が動くと、日本のイメージが良くなるどころかむしろ悪くなる。 しかし当の本人達はその事に全く気が付いていない。 そして批判する者こそ絶対悪として自らを正当化するか、もしくは反日の偽善者と戦う孤高なアンチヒーローを気取るかのどちらかしかない。両極端だなあ。


彼らの愛しているのは現実の日本ではなく、脳内日本というよりも脳内大日本帝国だったりする。 それ故に現実の日本は反日国家と見なしていたりもする。 んで、その「のーないだいにほんてーこく」のイメージを提供してくれた小林よしのり等の論客も今では「反日」と叩く。永遠に自身を(日本をではない)ヨイショし続けてくれる存在でない限り絶対に信用せん、というイスラム原理主義者並の石頭。 だから、批判されたらそれが「反日サヨクの工作だ!!」と脳を通してないんじゃないかって速度で食らいつく。「俺は韓国も嫌いだが~」などと書いても「黙れ反日野郎」と返す始末。自ら味方を減らしてどうする。
自分をヨイショしてくれてる存在が、自らの利権ほしさだということに全く気付いていない。豚もおだてれば木に登るとはよく言ったものである。
結局は「日本が好き」なのでは無く「愛国主義を高らかに宣言して日本のイメージアップに貢献している(と思い込んでる)俺様大好き」。自分以外の日本国民は正直どうでも良いし、更には現実世界を中心に充実した生活を謳歌する人間が妬ましくてしょうがないまである。だからネトウヨ程「人の不幸は蜜の味」「メシウマ」的考えに傾く。



下記のフジテレビデモに関連したスポンサー企業の不買運動はもとより韓国芸能人をCMに起用した企業の製品の不買運動だったり抗議と称して恐喝したりと日本企業への攻撃・テロとしか言いようのない行為をしていたりもする。 サムスンやヒュンダイ、LGのような韓国企業ではなく日本企業に怒りというか憎悪の矛先が向いてしまうと言う所は何とも・・・・・・。

教科書とマスコミの情報は嘘で、2ちゃんのコピペが彼らにとっての真実である。 で、そのコピペの情報源は伝聞でしょ?
現代日本人は生まれた時から知らず知らずの内に教育やマスコミ情報によって反日的なるものを刷り込まれていて、ネットの情報はそういった反日的なるものから身を守るワクチンのように考えているようにも見える。 ま、そういう発想も間違いではないよね。黒塗り教科書に代表される日本の右から左への転向の変わり方は凄いもんがあるし。 今の大物の「親米保守」連中みんな、戦前戦中は「暴支膺懲、鬼畜米英」を叫んでた反米だったんだがw 諂う対象にアメリカが追加されただけでちっとも「左転向」なんかしてないぞww
戦前戦中に熱烈な皇国論者・軍国主義者だった人間が戦後に民主主義・平和主義の熱烈な信奉者に転じたという話は聞いた事があるが。


結局のところ、ネットで信頼できる情報などマスコミ以下であることに気づこうともしない。仮にそうだとすれば、なぜスマイリーキクチは某殺人事件の犯人扱いされていたんだ?


なぜかアニヲタと声優ヲタを兼ねているケースが多く、「アニヲタ≒ネトウヨ」とさえ喧伝されている 迷惑な話だぜ。韓流好きなアニオタだっているぞ。大概そういう奴も韓国のマスメディアや政府は嫌いだけど。 居ても相当なレアケースなのは確か。でなければ深夜アニメの合間に韓国ドラマの番宣が流れる度に実況やツイッターが「チョン死ね」「失せろチョン」と言った言葉で埋め尽くされたりなんかしない。
まあ朴璐美(父が在日2世で母が韓国人)ファンもいる事だし全員が全員という事はなかろう。



2.オタク。ロリコン率高し。 児童ポルノ法改正に反対だが、規制を強く推進する自民党にはダンマリ。逆に民主党は賛成に傾きつつあると言って批判する。 もしくは野田聖子一人の所為にして自民党を擁護する。 あるいは創価公明のせい。


麻生に漫画を政治利用されて悦ぶ。
そして自民の表現規制もダンマリ。 「はだしのゲン」の規制は諸手を上げて大喜びしてやんの。 作中では米軍や在日朝鮮人の犯罪もこれでもかと描いてあるのだが、恐らく彼らの読んだ「ゲン」はそういったページが虫に食われてたんだろう、うん。
「はだしのゲンは反天皇・共産圏のプロパガンダ」らしいが、果たして一度チラッと読んだだけで「洗脳」されるよい子なんぞいるんだろうか? このように、左派系の本はチラッと見ただけでも左派思想に洗脳できる「有害図書」だと考えている。


普通漫画を政治利用しようとまで考えてる政治家が「ごめんやっぱ規制するわ」などと言い出したら怒りを露わにしていいはずなのに、それでも無視して盲従する姿を見ると、自爆テロとかやる奴の気分がほんの少しだけ理解できる。

自民党内のリベラル派(加藤紘一氏など)や民主党内の右派(松原仁氏など)の存在はほとんどが無視する。 但し真性の左翼(河野洋平氏など)は批判する、また民主党内の保守勢力はいずれ地方行きか左翼化と無視。

おそらくネットをやりまくるあまりオタクになり同時にネット右翼になったと思われる。 逆にドン引きして左に転向する人も多いがな。 何だかんだ言ってネトウヨに成りきれなかった人はちょっと右寄りの中間思想に落ち着く。

と言うよりか、ヲタクになりやすい人はネトウヨになり易い。現実世界で散々虐げられて自宅とネットにしか居場所が無くなり、そういう人間が手っ取り早く没頭できる、しやすい趣味がアニメ漫画ゲーム。で、自らは「日本人であること」しか誇れるものが無いので自ずとそういう思想に傾く。 そのため、自分が没頭してきた漫画やアニメの反戦思想(後述)すら綺麗さっぱり忘れてしまう。
これは余談だが、イスラム圏での自爆テロの実行犯は大半が貧困層、失業者、孤児などの社会的弱者らしい。何も持たないから、「君たちは所属するコミュニティのために死ねば英雄になれるよ」と吹きこまれてそのまま実行する。人間を鉄砲玉に変えるのに、民族主義というのは一番手っ取り早い方法なのだ。


「オタクだけどそんなに右翼ではない。」とか言う奴がネトウヨ。ちなみに俺はこの分類だった。サーセン。
単なる「オタク」っていうと日本人全員がネトウヨっていうことになりますよ? 基本的アニオタ=ネトウヨ。 大概ネットじゃ韓国ネタ=バカにしていい物って感じだしねー


どんな売国行為をしても萌えアニメに絡んでいれば親日。逆にどんな愛国行為をしても萌えアニメを批判すれば反日。 そのため保守派すら平気で反日扱い。少なくともお前らよりは100倍日本を愛してると思うぞ。

オタクがネトウヨと言われると必死に否定するが、アニメやゲームなどのネットのコミュニティでは必ず韓国への悪口が書き込まれているのを見ると、オタク=ネトウヨだと思われてもしょうがない。 ツイッターのアニメアイコンはネトウヨ率高し。 更に日章旗がくっついていたら完璧。

日本のアニメなんて海外から「日本のアニメスタジオは政府から反戦プロパガンダ作品を作るように言われてるのか!?」って言われるほど左寄りなんだがその辺はどうなんでしょ。

アニメにキムチが出てきただけで発狂。 KOFとかやったことないのかなあ。
某アニメにサムゲタンが出てきたその日にはそれはそれは恐ろしい事に。

反対に過剰にオタクを嫌っている場合も。この場合は中高年ウヨが多く、オタクのみならず現代の若者文化を総じて嫌っている節がある。 若者、若者文化は左派の象徴。とにもかくにも若者が憎くて仕方がない。
無茶なトンデモ理論でオタクや若者を左派と結び付ける。 こういう奴は媚米派も叩く。

アニメ嫌い、ヲタク嫌い属性のある人はネトウヨというよりただの右翼。保守思想即ち現代の若者文化に対する嫌悪、と言うのはある程度筋が通ってるし。叩きありきで矛盾だらけかつ筋を通す気も更々無いからネトウヨと呼ばれ蔑まれるんだ。

最近は「艦隊これくしょん」なる実在した戦艦を美少女に擬人化したブラウザゲームが人気だそうで、ネトウヨ&萌えヲタの食い付きがいいようだ。 「ガールズ&パンツァー」や「刀剣乱舞」も然り。そして艦これブームとアニヲタの主義嗜好を反映してか、メロンブックスで朝雲新聞まで販売しだす始末。


3.自称「愛国者」だが、東京以外の日本国内の地域(特に大阪)は叩いてもかまわないと思っている。 批判された時の言い訳は「だって○○は日本じゃないし」。
基本的に「日本=東京」だと思っている。 後は北方領土や竹島、対馬、尖閣諸島、沖ノ鳥島といった領土関係で揉めている所だけが日本のモノになれば満足。 「大阪やるから、竹島返せ!」等といった発言がそれを象徴している。 竹島みたいな小さな小島を返してもらう代わりに、世界有数の規模を誇る大都市を韓国にあげようだなんて…、ネットウヨクの方々はよっぽど韓国の事が好きなんですね。 嫌いだったら話題にするのも憚られるって!



最近は東京を「トンキン」と呼んで叩くこともある。
「反日の巣窟である沖縄を日本から切り離して尖閣を守れ」なんて主張を読んだときには笑い死にするかと思った。
福島が原発事故を起こした後は「福島は日本じゃない(なくなった)から問題ない」という切り捨て宣言。


4.「民度が低い」が口癖。 実生活でも「民度が低い」などと発言してしまい、周りの人達から引かれるハメになる。
実は一番"民度が低い"のは自分じs(ry そのくせ「日本人は民度が高い!チョンやシナみたいなことは我々はしない」と言いながら「チョンやシナの反日団体」と同レベルのことをするのだからお笑いである。 在特会が陰陽太極旗を反日団体のように踏んでいく動画が投稿されたことがあったが、肝心要の韓国のネットでは火病ったどころか鼻で笑われたらしい。


民主党系や左派・革新系の候補が選挙で当選した地域は無条件で低民度扱いする。しかし、自分は投票にすら行かない。 投票には行かなくても民主党系や左派・革新政党を誹謗中傷するビラ撒きは一生懸命やるのにね。


5.カルデロンのり子氏の事件のとき、本人だけでなく周辺の住民にも迷惑がかかることを考えず、氏の通っている中学校まで押しかけたのは大体この連中。
6.要するに「平気でダブルスタンダードを行う構ってちゃん」。しかも反論できないとなると幼稚な捨てゼリフや根拠のない「お前在日だろ」「半島に帰れ」でしかレスポンスできないヘタレ。議論下手。なのに一部では「保守論客」気取りもいるのでお笑い。 こいつらが独裁スイッチでも持ってたら2日で日本は滅びるね。 朝日新聞に「ネトウヨをやめた男」という記事が載ったことがある。ある日「さすがにいつまでも日本の恥を晒すわけにはいかん」と判断したネット配信やってた右翼の男が「私はもうネトウヨとしてのデモ参加や恣意活動は行いません」と生放送で言った結果「死ねーーー!!」「地獄に堕ちろ裏切り者」「在日が自ら自白したww」とか言うコメが1000個以上流れたとか。うーむ、こいつらパブロフの犬かいな。


7.オカルトや陰謀論(特にユダヤ陰謀論)を信じやすい。トンデモ学者やトンデモ自称ジャーナリスト(リチャード・コシミズこと輿水正とか武田邦彦とか)の言うことを鵜呑みにする。 特に東日本大震災以降増えてきている気がする。
東日本大震災は「HAARP」と呼ばれる地震発生装置でアメリカのユダヤ富豪によって起こされた、らしい そして反米・反原発化し、気づいたらなぜか左転向するものも。
科技庁の探査船「ちきゅう」が実は東日本壊滅の密命を帯びていて、三陸沖の海底に原爆仕掛けて爆発させたから、という話もある。……すみません、ツァーリ・ボンバ級原爆を、水深1万メートルの日本海溝の更に地下2万4千メートルに、誰にも気づかれずに埋設する技術があったら是非ご教示頂きたい。これの方がずっと売国的行為だろ。

そんなトンデモ理論やオカルトを本気で信じ、あろうことか「拡散」までしようとしたネット右翼が「情強」だと称しているのには笑いを通り越して末恐ろしさも感じる。自ら洗脳されたがっているんじゃないかと。
「日本は在日に支配されている」云々と言っている事は、オカルトものに出てくる世界は宇宙人や闇の勢力(有名な所で言えばフリーメーソンやイルミナティ)に支配されているといった与太話とまるっきり同じである。 そうそうそれそれ!「マンガ嫌韓流」シリーズがまさにそれだった。
ジョン・カーペンター監督のB級SF映画「ゼイリブ」のようなものだろう(最もこの作品は社会風刺でもあったりするが)。この映画ではエイリアンが人間社会のエリート・富裕層のフリをして巧妙な手口を使って人類を支配しているが、人類の大多数はそういった事に気付いていない・・・・・、となっているので。


8.最近では屋外でも活動したりする人間も少なからず見受けられる。しかしながら警察によるガードの内側で威勢が良かったり、子供や老人相手に罵声を浴びせたりとか明らかに自分達に危険が及ばない安全圏内で活動しているとしか思えない。 警察は昔から保守・右翼に甘く左派に厳しい。ただ、在特会のデモを見ると警察にも悪態をついている。 とうとう朝日新聞に彼らをあげつら…報道した、「敵がいる」というコラムまで載ってしまった。ネット上での感想は…まあ、予想通りですよ。 「マスメディアは我々のデモを報道しろ!」→報道する→「我々に対する捏造歪曲報道を行った売国メディアを糾弾せよ!」大抵この流れ。絶賛しなければ気がすまないらしい。

で、こういったことに「やりすぎだ」と冷めた視点で告げるとすぐに(ry なんで、自ら進んで自分が批判するような連中と同じことやりたがるのかしら。
海外メディアによると「すげー! KKKですら今時『殺す』だなんて言わないのにー!!」驚くところそこじゃないから。

これらに対して「もうネットウヨクとは言わせねえ」と言ってた保守論客もいたが、と学会会長・山本弘(あ、左右対称だ)は「それもそうだな、じゃあ『嫌韓レイシスト』って呼ぶわ」とあっさり反論した。

9.体罰を好む。 戸塚ヨットスクール校長の戸塚宏を支持している。
実際に入学したらおそらく彼らが体罰を受けることになる。
特高警察の復活を夢見てるんじゃなかろーか。

10.真正右翼の三島由紀夫には無関心。酷いネットウヨクになると「三島由紀夫」という名前すら知らない。 弟がまさにそのパターン。母も弟の影響を受けて右傾化しているが三島先生には冷淡。ハーレクイン読むくらいなら三島先生の小説を読め(怒)。

11.反マスコミ感情の延長線上なのか、一般に芸能界・芸能人も嫌う傾向にある。 しかし「愛国的」発言をした芸能人はもちろん別。 それでも最近では「媚びてる」「迎合」などと言って叩くケースも出てきている。



[編集] 分野別

→ベタなネットウヨクの法則/分野別

[編集] 結論
1.とまあここまでたくさん批判材料があるにもかかわらず、自分たちが信じていることを1mmも疑わない。 彼らに言わせれば「我々は常に正しいことを言っているのに!! なぜ誰も信じないんだ!! このクソ反日売国奴共め!!!」・・・もうツッコみきれない。

2.ところで、ネトウヨがこのページを見たらどう反応するのだろうか?「chakuwikiは在日のスクツだ」とか言うのだろうか。 このページにキレるどころか、ベタな左翼の法則にも「サヨクはもっと下劣だ!!美化すんじゃねぇ!!」とかいちゃもんをつけると思うよ、多分。
実際最近chakuwikiは左傾化していると思う。 正直左にもいっていないと思う。バカ故に考えも混沌としているんだろう。
chakuwiki内でも、ネトウヨが喜びそうなページ(というかネトウヨが書き込んだと思われるページ)はあるけど。 そしてそんなページをTwitterなどで「正しい情報」として拡散しているのが非常に滑稽かつ馬鹿である。 少なくともあのページがChakuwikiで一番閲覧数が多い(メインページを除く)辺り、彼らは「バカが集めた噂」ですらWikipedia並みの真実だと思っているんだろう。



これだけネトウヨを批判しても在日認定されないで済む場所なんて、ネット上ではこのページくらいしかないだろう。 つアンサイクロペディア
「オルタナティブ@政治経済」とか「てきとう」とか そのかわり人権擁護しても対象が気に入らないとネトウヨとか言われることあるけどな。
特ア関連の人権問題、男性差別、オタク、日本人に対してのヘイトや差別表現など。批判するとどっちがネトウヨかわからないようなことになる。(なんせあれだけネトウヨを嫌っているくせにこれらのものに差別的かつ非論理的だから)もう何が右翼で何が左翼かわからないからこんな区分けは捨てよう(提案&円満な結論) ぶっちゃけた話をすると、右翼からトカゲの尻尾切りをされた保守派(過激派)の奴らがそう呼ばれているだけだから、もはや単なる蔑称として使われてるってのもある。だから山本弘も言ってるが「ネットウヨクと呼ぶのすら右翼に失礼」であり別の名称を与えるべきってのも一般的な解釈としていいと思うんだ、俺は。「自分を大切にするということは他人を大切にしないことではない」と言う言葉は名言だと思うよ。 明らかに右翼と関係ないものや真逆の位置するものが含まれている話をしてるのに保守派でひとまとめとか・・・。

| 未分類 | コメント(0)

江戸時代の暗部を描いたアニメ サムライチャンプルー 17話の アイヌエピソード




http://blog.livedoor.jp/catman7/archives/15493118.html




17話のサイドストーリー


Kazumi 「YOU~向日葵~」
Kazumi 「YOU~向日葵~」



17話(1stシーズンの最終話)を改めて見ていて、色々と発見がありました。エンディング曲がこの回はMinamiさんではなく、「Kazumi(produced by:MINMI)」の曲でした。そして、島歌や瞽女(ごぜ)歌のように、日本の伝統的な音楽も挿入歌になっているんですが。アイヌ音楽伝承者の安東ウメ子さんと、民族楽器のトンコリを演奏されるOKIさんによる『ベカンベ・ウク』という曲です。アイヌの民「オクル」が罪人として松前藩から追われるというストーリーの中で、疫病により故郷の人々が死に絶えてしまったという回想シーンで流れている「ほいや~あ ほい~」という曲です。この曲は安東ウメ子さんの アルバム「IHUNKE(イフンケ)」に収録されています。ところが、04年7月15日に大腸ガンで亡くなられたそうなんです。なので、04年9月28日にオンエアーされた17話のエンディングの最後に「Umeko ando. may her soul rest in peace.」といったお悔やみのメッセージがクレジットされています。「安東ウメ子さんの魂が安らかに眠れますように」といった意味かと。さすが、音楽に対する愛のある時代劇アニメです(TÅT)。
◎安東ウメ子さんとOKIさんの詳細は、こちらへ⇒ CHIKAR STUDIO

| 未分類 | コメント(0)

例えば、第五九師団第百十一大隊の下士官であった新井正代氏は「強姦したことがバレないための口封じにその後は必ず殺害してきた」と手記に書いている(笠原十九司『日本軍と治安戦』p163)

姑娘 (講談社文庫)
姑娘 (講談社文庫)
posted with amazlet at 15.08.16
水木 しげる
講談社 (2010-08-12)
売り上げランキング: 4,217


不思議旅行 (中公文庫)
水木 しげる
中央公論社
売り上げランキング: 683,517



e0cc35ad829e25d995ebe2208e70ce73.jpg


http://d.hatena.ne.jp/dj19/20100820/p1


■[戦争][歴史]水木しげる『姑娘』に描かれた皇軍兵士による強制連行と性暴力 水木しげる『姑娘』に描かれた皇軍兵士による強制連行と性暴力を含むブックマーク 水木しげる『姑娘』に描かれた皇軍兵士による強制連行と性暴力のブックマークコメントCommentsAdd Starairpress7 (green)GerardvanacoralpeacemediaGl17zakincowattotabbybywardt-kawaseVitalsineknnn4321rsantiargon

意外と知られていない?戦争漫画


『水木しげる戦記ドキュメンタリー・全4巻』(1991年から1992年にかけて講談社から出版)

第1巻『総員玉砕せよ!』、第2巻『敗走記』、第3巻『白い旗』、第4巻『姑娘』

この中の『総員玉砕せよ!』は メジャーな戦争漫画であるが、それ以外の3巻が、朝ドラ『ゲゲゲの女房』の影響からか、ことし7月から8月にかけて講談社から文庫化され復刻されていることを知る。


5つの短編漫画がおさめられている戦争漫画『姑娘(クーニャン)』



姑娘 (講談社文庫)


姑娘 (講談社文庫)
posted with amazlet at 13.05.29

水木 しげる
講談社 (2010-08-12)
売り上げランキング: 8,316



Amazon.co.jpで詳細を見る





この表題作になっている戦争漫画『姑娘』の方は読んでいないのだが、漫画化される以前の実話が、サンケイ出版『水木しげるの不思議旅行』(1978年)*1に載っている。手元にあるのでテキスト化してみた。


水木しげる『水木しげるの不思議旅行』サンケイ出版,1978年, 第16話 予期せぬ出来事 p154~p156



水木しげるの不思議旅行 (1978年)


水木しげるの不思議旅行 (1978年)
posted with amazlet at 13.05.29

水木 しげる
サンケイ出版
売り上げランキング: 1,388,342



Amazon.co.jpで詳細を見る




 終戦後、ぼくが武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)へ通うために、金がなくて、月島で魚屋をやっていたころの話である。

 仲間に山野という男がいて、彼はぼくの顔を見るたびに、姑娘(クーニャン)の話をするのだった。姑娘とは、中国語で“娘さん”というような意味だが、中国大陸で戦った兵隊にとっては、なんとなくなつかしい呼び名である。

 ある日、山野氏が例によって姑娘の思い出を話しはじめた。

ーーそうやなあ、わしが分隊長で、ある村に行ったときのことや。村長の娘がえらいべッピンやと聞いたもんやから、兵隊連れて、早速おしかけたんや。なにしろ、そのころは、娘探すのが仕事みたいなもんやったからな。

 ところが、村長は「そんなもの、おらへん」といいはる。あたりまえやな、いるちゅうと、日本兵は娘をつれていってしまうんやから。それから、どうされるかは、いくらノンビリした中国人でもわかるわな。村人もいっしょになってキーキーわめきたてるもんやから、俺たちは、結局手ぶらで帰らされた。

 せっかく来たのに手ぶらやなんて、おもろうないわな。ムシャクシャしてるので、倉の中に一発ブッ放した。

 そしたら、あんた、倉の箱の中で、コトッと音がしてだれかおるような気配がする。すぐ開けさせて調べたら、おった、おった、ものすごい美女がおるねん。どうやら村長の娘らしかったが、広東の大学を出て帰ってきたところだったらしいわ。

 村長以下、涙を流しながら“連れていかんでくれ”いうとったが、俺も含めてみな若い。なにいいくさる! てなもんで、引き連れて帰ってきた。

 俺の部屋に一カ月くらいおったろうか、ある夜、妙に真剣な顔で、

“あなたと、一度契ったからには、妻となり、どこへでもついていきます”

といいよる。

 俺の中隊に出発命令が出たのに、

“一度、日本人の男に抱かれた女は、帰る所がない”

 というて、俺の側から離れへん。

“日本軍は女を連れて行軍するなんてことゆるされてへん”

と一生けんめいいうとるのに、まるで馬の耳に念仏じゃ。

 結局、その娘は出発前夜にピストルで自殺しよった。可哀想なことをしたと思うけど、人間の一生なんてわからんもんやな、倉のもっと奥のほうにかくれとったら、あの娘も死なんですんだかもしれんし、第一、美人の娘がいるなんて噂を俺達が聞きつけんかったら、よかったんやーー。

 さすがに山野はこのときうなだれていたが、考えてみればその姑娘は、息をひそめて隠れていたのだろう。それなのにコトッと音がして見つかってしまったのは、まったく予期せぬ出来事だったに違いない。

(以下略)


■ここでは、日中戦争に出征した経験を持つ元・日本兵(分隊長*2)から、中国の村落においておこなわれた日本軍による婦女の強制連行や強姦といった性犯罪の話が、当事者から分隊単位で行われていたと告白されているのだが、これが犯罪にあたるという意識はほとんど無いままに悲話として語られている。

■「強姦の話は部隊仲間内では自慢しあうことがあっても、軍隊社会から出た一般社会においては自分が強姦をおこなったとは言えないものである。」「他人の強姦行為について証言している元将兵でも、自分がおこなったと証言できる人は少ない。」(笠原十九司「日本軍と治安戦」p163p164より)とのことであるから、おそらく水木先生がラバウルに出征した経験を持つので、同じ仲間意識が働き心がゆるんだことで、このようなことを語ったのではないかと思われる。

■この中隊では陵辱した婦女を連れて歩くことを中隊長が厳しく禁止していたようであるが、中国の山西省に出征した作家の田村泰次郎氏や「兵士達の沖縄戦語り継ぐ会」の発起人である近藤一氏が所属していた部隊では、強姦した婦女を裸のまま行軍させていたとの証言がある*3。(「田村泰次郎の作品や近藤一さんの証言が、ほぼ事実にもとづいていることがわかるのは、二人の部隊の上官にあたる住岡義一(独立混成第四旅団第十三大隊第四中隊附少尉、後に第十三大隊教育主任)が、戦後、述べる太原戦犯管理所において記した詳細な供述書の内容と符号するからである。」(笠原十九司「日本軍と治安戦」p18より)

■一番最初にリンクを貼ったサイトによれば『姑娘』のあとがきで水木先生は「やはり、日本人として、そういうことは反省しないといけないと思う。」と述べているとのこと。


(追記 8/21)真偽を確かめることが不可能なのであまり推測で述べることはしたくないのですが、

ブコメより


id:KGV 「犯罪にあたるという意識」は当然あり、女が短銃を手にするというのも不自然なので実際には自殺じゃなくて射殺したのだと思う。田村泰次郎の友人の軍属だった批評家が仲間内でそういう話をしていたそうだ。 2010/08/21

たしかに「犯罪にあたるという意識」から発覚することを恐れ殺害した可能性も在り得るのではないかと思ったので追記させていただくことにした*4。




Yahoo!知恵袋 - 水木しげる先生の姑娘ってどんな話なんですか?

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1333530568

戦記漫画『姑娘』の大まかなあらすじが載っているが、水木先生が聞いた話に、後半部分にフィクションを付け加え描かれているようである。


関連リンク、参考書籍
•◆ 美しい壺日記 ◆ 「慰安所はまさに地獄の場所だった」…水木しげる
•日本軍将兵の証言・手記にみる慰安婦強制の実態 - Transnational History 日本軍将兵の証言・手記にみる慰安婦強制の実態 - Transnational History
•浜田知明の山西省での従軍体験(3) - dj19の日記 浜田知明の山西省での従軍体験(3) - dj19の日記
•中国における「皇軍」の実態



日本軍の治安戦――日中戦争の実相 (シリーズ 戦争の経験を問う)


日本軍の治安戦――日中戦争の実相 (シリーズ 戦争の経験を問う)
posted with amazlet at 13.05.29

笠原 十九司
岩波書店
売り上げランキング: 448,802



Amazon.co.jpで詳細を見る









*1:内容は、雑誌『月刊小説』昭和52年(1977年)1月号~昭和53年8月号にかけて連載されていた水木先生の戦前から戦後にかけての奇妙で不思議な体験談に何編か書き加えた全22話の短編集となっている。Amazonで詳細を見る水木しげるの不思議旅行 (1978年)

*2:階級はおそらく伍長か曹長といった下士官であると思われる

*3:田村泰次郎氏と近藤一氏については前にも一度、こちらのエントリとコメント欄で触れているhttp://d.hatena.ne.jp/dj19/20100418/p1

*4:例えば、第五九師団第百十一大隊の下士官であった新井正代氏は「強姦したことがバレないための口封じにその後は必ず殺害してきた」と手記に書いている(笠原十九司『日本軍と治安戦』p163)

| 未分類 | コメント(0)

歴史修正主義者がアイヌを存在しないものにしておきたい最大の理由 アイヌの先祖 縄文人を侵略し土地を強奪したのは和人(大多数の日本人の先祖)が大陸からの侵略者  泥棒 強姦魔 殺人鬼集団 弥生人の子孫だからである

20141111_860571.jpg


http://kuso-chishiki.jugem.jp/?eid=2113

帝国の功罪(5)【ていこくのこうざい(ご)】

2014.11.11 Tuesday 21:57


今回から数回、江戸後期~明治初期にかけて最後に日本になった2つの地域、北海道と沖縄を検証してみることにする。

北海道の光と影~先住民族アイヌ

五畿七道明治以前、この地に最も近い首都を持つ国である日本の一部でありながら日本の統治が完全には及ばない地域があった。当時蝦夷(えぞ)と呼ばれた北海道である。そもそも沖縄と同様、古代に呼称された五畿七道と呼ばれた行政区画に北海道は入っていないことからもわかる。図にあるように東山道と呼ばれた中部地方と東北地方の圏外に位置する蝦夷地は、首都から遠いことも有り、時の権力者にとってはどうでも良い地域だったとも思われる。

そして蝦夷地には、樺太、千島を始め、ロシア領内にも共通する種族、先住民のアイヌ族がいくつかの部族に分かれそれぞれが集落を形成していた。


アイヌ:wiki
アイヌは、北海道・樺太・千島列島およびロシア・カムチャツカ半島南部にまたがる地域の先住民族である。母語はアイヌ語。19世紀に列強の国々が領土拡張するにあたり、多くの先住民族が当該国に編入されたが、アイヌも同様の運命をたどった。現在、日本とロシアに居住する。

アイヌ


しかし社会体制が確立し、食料需給が安定すると人口が増え食料が不足する。おのずと生活圏の拡大を図るが、諸部族が同様に自分たちの優先的生活圏を拡大しようとすると必然的に争いが起きる。主権領域の争い、その領域内の収穫物の争い、生活資源と食料の奪い合いとなり、アイヌ部族同士が争ったこともある。この図式は古代から現代に至っても何も変わらない。生活資源と食料の争奪戦は殆どの場合戦争になっている。現代においても産業資源や食料はもはや戦略物資となっており、その確保のために各国は血眼になって世界中をあさっているわけだ。

日本人(和人)との接触は古くからあり、アイヌ部族との戦いも起こっているが、まず気をつけねばならないのは各時代の中央政権がこの北の地を正確に把握していないことにある。その理由は正確な地図の不在や交流・情報の少なさがすべてであろうが、あまりにも辺境にあったためそれらを改善する意味も理由もなかったのが大きいと思われる。

しかし古代においてはアイヌ族もしくはその関連部族が関東~東北地方一体にも居住していた可能性があり、総じて蝦夷(えみし、えびす、えぞ)と呼ばれて辺境の異端種族として中央政権に追われるように生活圏が北上していった可能性がある。つまり日本の先住民である縄文日本人の血統を残す民族だったかもしれないのだ。

いずれにしても海洋系または大陸系・半島系の渡来人たちとの混血によって現日本人のルーツが形成されていく過程において、彼ら原日本人は辺境に押しやられていった可能性は否定出来ない。また同時に縄文人と弥生人との入れ替わり時点でその文化性や慣習の違いで民族間抗争などが頻発し、はからずも民族移動が起こったのかもしれないが・・・この辺りは、稲作の伝来ルート等と併せて確立された定説が存在しない。ただ、アイヌ族のDNAの特徴が現在の日本人(本州人:和人)よりも沖縄人に近いと言う説がある点でも、アイヌは日本人が太古に行った侵攻あるいは民族(人種)的同化に影響されて北端へ追いやられた種族であると思われるのである。


近年の遺伝子調査では、アイヌとDNA的にもっとも近いのは琉球人の次に和人で、アイヌ人個体の3分の1以上に和人との遺伝子交流が認められた。他の30人類集団のデータとあわせて比較しても、日本人(アイヌ人、琉球人、和人)の特異性が示された。これは、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成、おそらく縄文人の系統を日本列島人が濃淡はあるものの受け継いできたことを示している。アイヌ人集団にはニヴフなど和人以外の集団との遺伝子交流も認められ、これら複数の交流がアイヌ人集団の遺伝的特異性をもたらしたとされる。

縄文人と弥生人
<画像元:successのブログ「【遺伝子解析】 アイヌと琉球が遺伝的に最も近縁-縄文型」>

この地が不毛の大地であることこそが古来の原日本人の末裔を温存し、ロシア・ツングース系の交流と合わせて独特の文化を持った民族を生み出した最大要因だったと思えるのである。

稲作文化も北端のこの地には伝わっていただろうが、寒冷地のため明治以降でなければ本格的な農作(米作)も行われず、漁・狩猟と野草の採取など、縄文時代の生活スタイルが長く続いたことが、米の収穫が収入に直結していた古代からの日本の価値観において、米作ができない不毛の大地に対する関心が高くなかったことは容易に想像できるし、生活のすべてが厳しい自然環境との戦いである北の蝦夷地であることに加え、津軽海峡で海に隔絶されたことが本州の支配権力が及びにくかったことがあげられる。

そのため日本人(和人)との争いも主に当地の領有もしくは交易権を認められた代官・領主との争いで、アイヌが国家ではない部族社会であるため、地方行政官である支配・管理者による争いは戦争というよりは地域紛争の規模であったと思われる。しかし当時のアイヌ人口がかなり多かったのか、日本側の記録に残されるほどの大きな衝突も有史以来かなりの数で起こっている。


蝦夷征討:wiki
蝦夷征討(えみしせいとう)とは、日本の古代において蝦夷に対して朝廷が行った征討である。中央史観の強かった時代には蝦夷征伐と呼ばれた。
(中略)
年表
景行天皇40年 : 蝦夷の謀反、日本武尊が征討(伝説)。
仁徳天皇55年 : 蝦夷の反乱、上毛野田道が派遣されるが伊峙水門で敗死(伝説)。

敏達天皇10年(581年) : 蝦夷の寇。
舒明天皇9年(637年) : 蝦夷反乱し入朝せず、上毛野形名が妻の活躍により征討に成功。
大化3年(647年) : 渟足柵設置。
大化4年(648年) : 磐舟柵設置。
斉明天皇4年(658年) : 阿倍比羅夫が遠征し、降伏した蝦夷の恩荷を渟代・津軽二郡の郡領に定め、有馬浜で渡島の蝦夷を饗応する。
斉明天皇5年(659年) : 阿倍比羅夫蝦夷を討ち、一つの場所に飽田・渟代二郡の蝦夷241人とその虜31人、津軽郡の蝦夷112人とその虜4人、胆振鉏(いぶりさえ)の蝦夷20人を集めて饗応し禄を与える。後方羊蹄に郡領を置く。粛慎と戦って帰り、虜49人を献じる。
斉明天皇6年(660年) : 阿倍比羅夫は、大河のほとりで粛慎に攻められた渡島の蝦夷に助けを求められ、粛慎を幣賄弁島まで追って彼らと戦い、これを破る。同年、比羅夫は夷50人余りを献じる。
和銅元年(708年)頃 : 出羽柵設置。
和銅2年(709年) : 蝦夷が良民を害し、巨勢麻呂、佐伯石湯、紀諸人らが征討に出発。諸国の兵器を出羽国に送る。
和銅5年(712年) : 出羽国設置
養老4年(720年) : 陸奥国の蝦夷の反乱、按察使上毛野広人殺害。多治比県守征討。
神亀元年(724年) : 海道の蝦夷の反乱、陸奥大掾佐伯児屋麻呂殺害。小野牛養、出羽の蝦夷を征討。大野東人が多賀城築城
天平5年(733年) : 秋田城(出羽柵を移動)設置。
天平9年(737年) : 牡鹿柵設置。
天平宝字3年(759年) : 雄勝城・桃生城築城。
神護景雲元年(767年) : 伊治城築城。

宝亀元年(770年) : 蝦夷の宇漢迷公宇屈波宇賊地に逃げ帰り、道嶋嶋足ら派遣。
宝亀5年(774年) : 紀広純、大伴駿河麻呂派遣、桃生城に侵攻した蝦夷を征討(~宝亀6年)。(三十八年戦争の開始)
宝亀7年(776年) : 陸奥国、蝦夷征討。志波村の蝦夷反逆、佐伯久良麻呂投入、胆沢地方の蝦夷征討。
宝亀8年(777年) : 出羽において戦闘継続、出羽国軍蝦夷に敗れるも翌年までには一旦反乱収束。

宝亀11年(780年) : 陸奥国長岡郡に蝦夷侵入。覚鱉城(かくべつじょう)築城。伊治呰麻呂の乱(宝亀の乱)勃発、牡鹿郡大領道嶋大楯、紀広純殺害。多賀城炎上。藤原継縄、大伴益立、紀古佐美、大伴真綱、安倍家麻呂ら投入。百済王俊哲投入。出羽国府後退とする説あり。
天応元年(781年) : 藤原小黒麻呂投入。戦果を挙げ征夷軍一旦解散。

延暦8年(789年) : 紀古佐美、佐伯葛城らによる蝦夷征討。大規模な対蝦夷軍事行動はじまる。巣伏の戦いで征夷軍大敗。巨勢野足投入。
延暦10年(791年) : 文屋大原、大伴弟麻呂、百済王俊哲、多治比浜成、坂上田村麻呂投入。
延暦13年(794年) : 征夷副将軍坂上田村麻呂による蝦夷征伐。
延暦16年(797年) : 坂上田村麻呂、征夷大将軍に任官。
延暦20年(801年) : 坂上田村麻呂、閉伊村まで平定。
延暦21年(802年) : アテルイ、モレら降伏、処刑。胆沢城築城。
延暦22年(803年) : 紫波城築城。
延暦24年(805年) : 藤原緒嗣、蝦夷征討と平安京造営の中止を奏上。
弘仁2年(811年) : 幣伊村征討。和賀郡、稗貫郡、斯波郡設置。文屋綿麻呂蝦夷征伐終了を奏上。

貞観11年(869年) : 貞観地震
元慶2年(878年) : 出羽の夷俘反乱(元慶の乱)
天慶2年(939年) : 出羽の俘囚反乱(天慶の乱)
永承6年(1051年)-康平5年(1062年) : 安倍氏征討(前九年の役)。
延久2年(1070年) : 延久蝦夷合戦
永保3年(1083年)-寛治元年(1087年) : 清原氏征討(後三年の役)。
康和6年(1104年)-永久元年(1113年)頃 : 藤原基頼が「出羽常陸并北国凶賊」を討つ。
文治5年(1189年) : 奥州藤原氏征討。(奥州合戦)
文永5年(1268年) : 津軽の蝦夷反乱。安藤氏討たれる。
元応2年(1320年)-嘉暦3年(1328年) : 安藤氏の乱(蝦夷大乱)。

このおびただしい紛争の跡を見ると、辺境の種族、蝦夷の民(ほとんどがアイヌ系と思われる)による蜂起、内戦が数年~数十年に一度起こっていたことがわかる。如何に先住民と新興の和人たちが紛争を繰り返しながらアイヌ族たちを追い詰めていったか・・・。まるでアメリカ大陸でインディアンたちを蹂躙していくヨーロッパ人たちのようではないか(^^;)

ただ、これほど頻発した辺境における内乱が日本史の中でも目立たないのは、やはり中央政権に与える影響が殆どなかった点が大きいかもしれない。「文治5年(1189年) : 奥州藤原氏征討。(奥州合戦)」とは当初匿っていた源義経を討ちとった藤原泰衡を鎌倉幕府に対する反乱勢力として討伐した戦いである。「前九年・後三年の役」とともに日本史に比較的詳しくない人でもわかる歴史がこの2つぐらいしかない事でもわかるように、多くは政権運営に支障の出る反乱勢力でなければ歴史の表舞台には出てこない。アイヌが部族社会であり、勢力を統一して日本の王権(政権)を脅かすことがなかったために歴史に埋もれたと思われる。

その意味では元々琉球王国という他国だった沖縄は別にしても、この北の辺境には支配の徹底をするだけのために武力抗争が行われ、アイヌ族たちを圧迫していったようにも見える。


コシャマインの戦い:wiki
応仁の乱のちょうど10年前の1457年(康正3年、長禄元年)に起きた和人に対するアイヌの武装蜂起。現在の北海道函館市にあたる志濃里(志苔、志海苔、志法)の和人鍛冶屋と客であるアイヌの男性の間に起きた口論をきっかけに、渡島半島東部の首領コシャマイン(胡奢魔犬、コサマイヌとも呼ばれる)を中心とするアイヌが蜂起、和人を大いに苦しめたが最終的には平定され、松前藩形成の元となった。

シャクシャイン像シャクシャインの戦い:wiki
1669年6月にシブチャリ(現北海道日高振興局新ひだか町の静内地区)の首長シャクシャインを中心として起きた、松前藩に対するアイヌ民族の大規模な蜂起である。

シャクシャイン像<画像元:明治以前の北海道 ―明治の礎・北海道開拓 ―水土の礎>

クナシリ・メナシの戦い:wiki
1789年(寛政元年)に東蝦夷地(北海道東部、道東)で起きたアイヌと和人の衝突。事件当時は「寛政蝦夷蜂起」と呼ばれた。


室町時代の頃には和人に対するアイヌ族の反乱という記述が出てくるが、和人たちが彼らを蝦夷という曖昧な呼称でなく民族(種族)名を使っている点で「異国の文化を持つ民族」としてようやく認知した証拠かもしれない。


アイヌの歴史:wiki
年表(抜粋)
1604年 - 松前慶広、江戸幕府からアイヌとの交易独占を認められる。以後、和人(本州)との交易窓口が一本化されて必需品輸入の生命線を握られたため、アイヌの松前藩への従属が強まり、不平等な交易によるアイヌの不満が、和人に対するアイヌ蜂起の一因ともなった。

1786年 - 最上徳内択捉島と得撫島を探検。幕吏として最初に択捉島・得撫島を探検した徳内は、このときロシア人が居住していること、択捉島現地人の中にキリスト教を信仰する者がいる事を確認している。

1800年 - 伊能忠敬が蝦夷を測量。

1807年 - ニコライ・レザノフの部下、ニコライ・フヴォストフ(ロシア語版)らが択捉島や樺太に上陸、略奪や放火などを行う(フヴォストフ事件:文化露寇)。幕府は東北諸藩の兵で警固を強化。西蝦夷地(北海道日本海岸・オホーツク海岸・樺太)も公議御料(幕府直轄領)とし、樺太アイヌを含む全蝦夷地のアイヌ人の宗門人別改帳が作成されるようになる。箱館奉行を松前に移し松前奉行を置く。アイヌに対する和風化政策がおこなわれる。

1809年、間宮林蔵が樺太が島であることを確認し、それまで属した西蝦夷地から北蝦夷地として分立する。また、山丹貿易を幕府公認とし、アイヌを事実上日本人として扱った。

1821年 - 日露関係の緩和を受け、幕府は蝦夷地を松前藩に返還する。このころ以後、蝦夷地への和人移住が増加し、アイヌの生活・文化の破壊が顕著となる。

1854年 - 日露和親条約締結、北海道が日本領、得撫島以北の千島列島がロシア領に決まる。ただし、樺太方面の国境はこれまでどおり未確定とすると決められた。

1867年 - 日露間樺太島仮規則調印。樺太全域が日露雑居とされる。


独自の生活様式・言語を持ったアイヌ族だったが、何故か文字を持とうとしなかった。すべて口述と実技指導による伝承で民族の文化を保ってきたことはある意味で驚きでもあるが、ロシアや日本などの近隣の強大な力による支配に対抗できるはずもなく、それぞれの文化圏に取り込まれ、同化されていく。

西欧列強の帝国主義にさらされた幕末から明治初期、アジアの大半の国は列強に飲み込まれアイヌも例外ではなかったわけである。かろうじて幕末に日本が北海道の地を日本領として確保したのは、その多くが現地住民(アイヌ)の存在によるものであることは間違いないが、その代償に彼らが得たものは極めて不利なものだったに違いない。

今アイヌの子孫たちは現存するものの、アイヌ語の話者は極めて少なく、ユネスコによって2009年2月に「極めて深刻」な消滅の危機にあると分類された。支配者の都合で民族的多様性を消されつつある彼ら少数民族。明治維新と大日本帝国は、彼らの大地・北海道をどう開拓していったのだろうか。

アイヌ語
↑※歴史的にアイヌ語が使用されたと考えられている範囲

次回は明治維新以降の北海道開拓時代について検証を試みる予定である。

| 未分類 | コメント(0)

柔術プリースト 193 バリカタ柔術RADIO 21

Jiu Jitsu Priest #193


生田誠のバリカタ柔術RADIO #21

| 未分類 | コメント(0)

猿でも安倍でもわかるポツダム宣言 日本が決断する時は来ている。知力を欠いた身勝手な軍国主義者によって制御され続け、滅亡の淵に至るのか。それとも、理性の道を選ぶのか。

http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/13/potsdam-declaration_n_7985790.html?ncid=tweetlnkjphpmg00000001


ポツダム宣言には、何が書かれているのか(現代語訳)



The Huffington Post | 執筆者: HuffPost Newsroom



投稿日: 2015年08月14日 09時59分 JST 更新: 2015年08月14日 10時02分 JST

POTSDAM 1945






シェア
390


ツイート
187









コメント
4

印刷







1945年8月14日、日本政府は、アメリカ・イギリス・中国・ソ連の4カ国が日本に無条件降伏を要求したポツダム宣言の受け入れを決めた。ポツダム宣言とは、どのような宣言だったのか。現代語訳を掲載する。

ポツダム宣言は、1945年7月26日、ドイツのポツダムにおいて、アメリカ・イギリス・中国(のちにソ連も参加)が発した対日共同宣言。日本に降伏を勧告し、戦後の対日処理方針を表明したものだ。では、その内容は、一体どんなものだったのか。英語で書かれた文書を現代語訳したものを紹介しよう。(※外務省の日本語訳はこちら)。

---

ポツダム宣言
1. 我々、アメリカ合衆国大統領、中華民国主席とイギリス首相は、我々の数億の国民を代表して協議した結果、この戦争終結の機会を日本に与えることで意見が一致した。

2. アメリカ、イギリス、そして中国の陸海空軍は、何度も陸軍、航空編隊の増強を受けて巨大になっており、日本に対して最後の一撃を加える体制が整っている。この軍事力は、日本が抵抗をやめるまで同盟国によって維持できるものだ。


3. 世界中の自由な人々は立ち上がった。それに対してドイツが採った無益かつ無意味な抵抗の結果は、日本の人々に対しても極めて明快な例として示されている。現在日本に向かって集中しつつある力は、ナチスの抵抗に対して用いられた力―全ドイツ民の生活、産業、国土を荒廃させるのに必要だった力―に比べると、測り知れないほど大きいものだ。決意をもって、我々の軍事力全てを投入すれば、日本軍は壊滅し、また、日本の国土は焦土と化すだろう。


4. 日本が決断する時は来ている。知力を欠いた身勝手な軍国主義者によって制御され続け、滅亡の淵に至るのか。それとも、理性の道を選ぶのか。


5. 我々の条件は以下の通り。条件からの逸脱はないものとする。代替条件はない。遅延も一切認めない。


6. 日本の人々をだまし、間違った方向に導き、世界征服に誘った影響勢力や権威・権力は、排除されなければならない。無責任な軍国主義が世界からなくなるまでは、平和、安全、正義の新秩序は実現不可能である。


7. そのような新秩序が確立されるまで、また日本の戦争遂行能力が壊滅したと明確に証明できるまで、連合国軍が指定する日本領土内の諸地点は、連合国軍がこれを占領するものとする。基本的目的の達成を担保するためである。


8. カイロ宣言の条項は履行されるべきものとし、また、日本の主権は本州、北海道、九州、四国及びわれわれの決定する周辺小諸島に限定するものとする。


9. 日本の軍隊は、完全に武装解除されてから帰還を許し、平和で生産的な生活を営む機会を与えることとする。


10. 我々は、日本を人種差別し、奴隷化するつもりもなければ国を絶滅させるつもりもない。しかし、われわれの捕虜を虐待した者を含めて、全ての戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を行うものとする。日本政府は、日本の人々の間に民主主義的風潮を強化しあるいは復活するにあたって、障害となるものは排除する。言論、宗教、思想の自由及び基本的人権の尊重が確立されなければならない。


11. 日本は産業の維持を許される。そして経済を持続し、正当な戦争賠償の取り立てに充当する。しかし、戦争を目的とする軍備拡張のためのものではない。この目的のため、原材料の入手はこれを許される。ただし、入手と支配とは区別する。世界貿易取引関係への日本の事実上の参加を許すものとする。


12. 連合国占領軍は、その目的達成後そして日本人民の自由なる意志に従って、平和的傾向を帯び、かつ責任ある政府が樹立される限りにおいて、直ちに日本より撤退するものとする。

13. 我々は日本政府に対し日本軍の無条件降伏の宣言を要求する。かつ、誠意を持って実行されるよう、適切かつ十二分な保証を求める。もし拒否すれば、日本は即座にかつ徹底して撃滅される。

| 未分類 | コメント(0)

米軍を唖然とさせた日本軍の人命軽視 重傷病者には「自決」を要求

日本軍と日本兵 米軍報告書は語る (講談社現代新書)
講談社 (2014-02-28)
売り上げランキング: 532


日本軍と日本兵 米軍報告書は語る (講談社現代新書)
一ノ瀬 俊也
講談社
売り上げランキング: 839


http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44635


米軍から見た帝国陸軍末期の姿
〜本当に天皇や靖国のために戦っていたのか?

【特別公開】一ノ瀬俊也=著『日本軍と日本兵』1


現代新書カフェ


コラム一覧


Social Bookmark,Share

Hatena::Bookmark


mixi チェック


Google Reader


Delicious


Digg submit


Stumble It!


FriendFeedで共有




文字サイズ変更

小さめに文字サイズ変更


大きめに文字サイズ変更



print

rss













upperline



行進する日本兵 〔photo〕Getty Images

「規律は良好」「準備された防御体制下では死ぬまで戦う」「射撃下手」「予想外の事態が起きるとパニックに」……あの戦争の最中、米軍は日本兵について詳細な報告書を残していた。”敵”という他者の視点から、日本人には見えない問題をえぐった話題の書、一ノ瀬俊也『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』より「第二章 日本兵の精神」を特別公開します(全3回)。




日本兵の戦争観

対米戦争についてどう考えたか

この章では、米軍のみた日本陸軍兵士(捕虜となった者も含む)の精神や意識のかたちについて、士気や死生観、そして性の問題にも注目しつつ考えていきたい。兵士たちはこの対米戦争の行く末をどう考えていたのだろうか。

先にとりあげた元捕虜の米軍軍曹(*)は、IB(**)1945年1月号「日本のG.I.」で日本兵たちの言動を次のように回想している。

*この軍曹は日本軍の捕虜になり、戦争中に解放された。1年以上共に暮らした日本軍兵士の日常生活や風習を〈他者〉の視点で細かく観察、報告。 **米陸軍軍事情報部が1942-46年まで部内向けに毎月出していた戦訓広報誌Intelligence Bulletin(『情報公報』)。日本軍とその将兵、装備、士気に関する多数の解説記事が載っている。

日本兵は5年間服役すれば日本に帰ってよいと言われている。5年の服役を終えて帰国する日本兵の一団をみたことがある。彼らは幸運にも戦争から抜けられるのを非常に喜んでいた(今や80パーセントの日本兵が戦争は苦痛で止めたいと思っている、しかし降伏はないとも思っている)。1943年に私が出会った日本兵は完全に戦争に飽いていた。彼らは熱帯を呪い、家に帰りたいと願っていた。ある者は東条〔英機首相〕を含めた全世界の指導者に棍棒を持たせて大きな籠の中で戦わせ、世界中の兵士たちはそれを見物したらいいと言った。

日本兵は降伏しようとしてもアメリカ軍に殺されると教えられているが、私のみるところ、それは降伏をためらう主要な理由ではない。恥(shame)が大きな影響を与えている。都会の日本兵は映画のおかげで親米(pro-American)である。皆お気に入りの映画スターがいて、クラーク・ゲーブルやディアナ・ダービンの名前がよくあがった。私がアメリカで買える物を教えてやると彼らは驚いたものだ。むろん田舎者は信じようとしなかったが、都会の者は熱心に聞いていた。

日本軍の最初の一団はアメリカへ行くものと確信していたが、1942年11月、南西太平洋に出発する前にはこの戦争は百年戦争だと言われ、そう信じていた。

日本軍の最後の一団は戦争に勝てるかどうか疑っていた。日本の市民の何人かは、日本はもうだめだと言った。彼らは生命の危機を案じ、日本陸軍が撤退して置き去りにされたら占領地の住民に皆殺しにされるのではないかと怯えていた。

日本兵たちの多くは「百年戦争」と教えられた戦争を倦み呪っていたこと、同じ日本兵にも都会と田舎では相当の文化的格差があり、特に前者は本当のところ「親米」であったことがわかる。ディアナ・ダービンは1938年正月に主演映画『オーケストラの少女』が日本で公開された人気女優で、若き日の田中角栄は翌39年に徴兵で陸軍に入った際、彼女のブロマイドを隠し持っていたのを上官に見つかり殴られたそうである(戸川猪佐武『田中角栄猛語録』1972年)から、軍曹の話は不自然ではない。


一ノ瀬俊也『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』

軍曹の見た日本兵たちは確かに「望みは世界を征服して支配民族になること」であり、「我々を打ち負かした後はロシアを取り、続いてドイツと戦うのだと言っていた」(前掲「日本のG.I.」)。

しかしその一方で前出の映画に象徴されるアメリカ文化の強い影響下にあり、「親米」でもあった。これは、対米戦争当初の日本にはアメリカ人に対する蔑称らしいものがなく「鬼畜米英」が盛んに叫ばれるのは44年に入ってから、つまり実際には対米戦意が高いとはけっしていえなかったという、現代の歴史研究者の指摘を裏書きする(前掲吉田裕『シリーズ日本近現代史(6) アジア・太平洋戦争』2007年)。引用文中の「日本の市民」とは移民などで現地にいた在留邦人を指すか。

米軍軍曹は戦地の日本兵たちの娯楽について「映画(初期の勝利を宣伝官が観せている)も、古いアメリカの映画もある。日本兵はアメリカの唄と踊り付きミュージカルコメディをみると熱狂する」とも語っている。戦地ですら日本軍兵士が敵米国製映画に「熱狂」していたとの証言は、彼らの〝対米戦争観〟の内実を考えるうえできわめて興味深い。

名誉意識

IB「日本のG.I.」の米軍軍曹は日本兵たちの名誉意識、つまり軍人としての誇りや戦って死ぬための大義について、次のような観察をしていた。

日本兵たちは天皇のために死ぬことが最高の名誉だと教えられている。彼らはヤスクニ神社に祀られ、一階級進められる。しかし大きな戦闘だと兵は二階級進められる(戦死すれば)。田舎者はたいへん素晴らしいことだと思っているが、教育を受けた都会の者はだまされない。多くの者が〝Little Willie〟を切実に求めている〔44年3月、独ベルリン空襲で高射砲に撃破されつつもかろうじて生還した米軍B-17爆撃機〝Little Willie〟号になぞらえ「帰還」を意味するか〕と言う。

同じ日本人でも、靖国神社をめぐって「都会の者」と「田舎者」の間に温度差があるという指摘は興味深い。お上の教える殉国イデオロギーに対する批判精神の強弱は、それまでの人生で受けてきた教育の場と長さに比例するのだろう。天皇のために死んで靖国へ行くためでなければ、日本兵たちはいったいなぜ戦うのか。軍曹は続けて言う。

だが一方で皆降伏したり捕虜になったら祖国には戻れないと信じている。もしそうなれば殺されると言っており、もっとも教育のある者ですらも同じく信じている。この信念が、彼らを強敵たらしめている基本的要素の一つである。体罰への恐怖もまた、戦場での働きの重要な要素である。個人的には、日本兵は頭脳と自分で考える力を考慮に入れる限り、三流の兵隊だと思う。私は数人の、どの陸軍でも通用する兵隊に出会ったが、それはあくまで数人に過ぎない。

天皇や靖国のためではなく、味方の虐待や体罰が怖いから戦っているに過ぎないという軍曹の指摘を踏まえるならば、日本軍兵士は敵アメリカと戦うための明確な大義を「自分で考え」、敵を激しく憎むことができなかったことになる。このことが米軍側から「三流の兵隊」呼ばわりされるに至った根本理由だったのかもしれない。

ところで軍曹は「日本兵は互いに愛情を持たない。例えばあるトラック中隊は上級将校の命令がない限りよその中隊を手伝おうとしない。トラックの仕事がないとのらくらしている」とも述べて、日本兵たちの態度に奇異な印象を示していた。

これは前出の法社会学者・川島武宜が日本の「非近代的=非民主的社会関係」を支配する原理のひとつに挙げた「親分子分的結合の家族的雰囲気と、その外に対する敵対的意識との対立」すなわち「セクショナリズム」そのものである(前掲『日本社会の家族的構成』)。もっと卑近な言い方をすれば、自分の属するムラ(=中隊)の中では互いに酒を飲み助け合うが、ヨソ者には冷たいといったところか。日本陸軍はその末端において、天皇や「公」への忠誠よりも仲間内での「私」情により結合する組織であった。

日本陸軍が1943年の『軍隊内務令』(軍隊生活の規則書)制定にあたって軍内にはびこる「親分子分の私情」や「功利思想」を完全否定し「大元帥陛下に対し奉る絶対随順の崇高なる精神」を改めて強調せざるを得なかった(拙著『皇軍兵士の日常生活』2009年)のも、こうした日本兵たちの日常的態度をみればよく理解できる。

捕虜との会話

これとは別に、米軍が日本兵捕虜に行った尋問からも、彼らの戦争観や戦いの行く末についての考えを知ることができる。

IB1943年5月号「日本兵捕虜から得た情報」は「数人の捕虜が、アメリカ合衆国、イギリスとの戦争に行くのは嫌だったと述べている。一人の捕虜は、日本の兵士や水兵たちが戦争に負けるのではないかとの見通しを語っていたと述べた。彼はロシアが日本に向かってきてウラジオストクを爆撃基地として使うのではないかとひどく恐れていたと述べた」と報じている。

米英との戦争だけでも負けそうなのに、ソ連までが攻めてくるのではないかという恐怖心が兵士たちの間に存在し、その士気を押し下げていたのだろう。

同記事によると、少なくとも二人の日本兵捕虜が、上官からの扱いを恨んで脱走したという。「うち一人はマラリアでニューギニアの休養所(rest camp)に入れられ、上官から〝怠け者〟と責められて〝蹴られ、小突かれ、殴られた〟。彼はこの扱いに絶望的となり、オーストラリア軍の戦線にたどり着くまで3日間ジャングルをさまよった」という。

もう一人は「ガダルカナルで割り当てよりも多くの米を要求したら将校に叱られたのでジャングルに入りこみ、米軍の戦線にたどり着いた」という。数は少数かもしれないが、日本陸軍にも上官の振る舞いや待遇に不満を持ち脱走、敵軍を頼った者がいたのだ。

軍上層部はこれを「奔敵(ほんてき)」と呼び、すでに日中戦争の時から問題視していた。その件数は確認されただけで1937~43年度までに152件にのぼっている(陸軍省『陸密第二五五号別冊第八号 軍紀風紀上等要注意事例集』1943年1月28日)。

これらの日本兵捕虜たちは自分の行く末に関する米軍の尋問に対し、先に示した友軍兵士たちの「万一捕虜になったら国には絶対帰れない」という認識(本書62頁参照)とはいささか異なる趣旨の答えをしていた。

捕虜の多くは、捕まったのは終生の恥(life-time disgrace)であると語った。最近尋問されたある捕虜は、祖国に帰ったら全員殺される、父母さえも自分を受け入れないだろうと言った。しかし、何らかの手心が加えられるかもしれないとも述べた。別の捕虜は、生まれ故郷でなければ、帰国して普通の生活ができると思っていた。(前掲「日本兵捕虜から得た情報」)

捕虜たちにとっては皮肉にも「生まれ故郷」の人びとこそが最大の足かせとなっていた。逆に言うと、「生まれ故郷」以外なら元捕虜の汚名を背負っても何とか生きていけるだろうという打算をはたらかせる者もいたのである。皆が皆、『戦陣訓』的な「恥」イデオロギーを内面化させ、その影響下で日々の生活を送っていたのではない。

なお、ある捕虜は「惨敗した連隊長は「面子(メンツ)を保つ(saving face)」ため部隊の編成地に戻されて厳重に処罰され自殺すると述べた」という。確かに1939年のノモンハン事件で複数の日本軍連隊長が敗北の責任をとらされて自決に追い込まれた事実があり、こうした噂の伝播が将校をして部下もろとも絶望的な抵抗に駆り立てさせたとも考えられる。

日本軍の兵士に対する待遇に関しては、ほかにもいろいろなことが捕虜たちの談話から読みとれる。たとえば、「日本の下士官兵は給料を家族に仕送りするのを禁じられていた。彼〔捕虜〕はこれに関して、下士官兵は給料の全額で必要な品物を買うべきだというのが陸軍の考えだと説明した」(IB「日本兵捕虜から得た情報」)という。日用品を買う程度の給料しか与えられない徴兵兵士たちは、故郷に残してきた家族の生活を案じていたのだ。

日本兵の日記を読んでみた

米軍は戦場に遺棄された日本兵の日記を捕獲して解読、彼らの士気を探ってはIBで自軍将兵に報じていた。対米戦下の日本兵の士気、意識とはいかなるものだったのだろうか。

IB1943年2月号「日記からの引用」には、おそらくガダルカナル島で捕獲した日本兵の日記が引用されている。

この兵士は「九月二九日──この日を待っていたかのように、敵機が円を描いて機銃掃射の的を探し始めた。とても恐ろしく、将兵は何もできなかった。機銃掃射は一日に六、七回やって来て我々は明らかに怯えていた。我々は二九日の夕暮れを待っていた。この日が最後の総攻撃である。最初こそ、奇襲により敵の駐機所まで接近できたが、反撃は猛烈であった」と優勢な敵機に叩かれて士気の下がった現状を悔しく思うとともに、「擲弾筒(てきだんとう)は敵を震駭させるのにもっとも有効である。しかし、射程がわずか二五〇メートル〔約二七五ヤード〕に過ぎず、使う機会がほとんどないという欠点がある」と書いていた。この兵士は銃剣でも小銃でもなく擲弾筒こそをもっとも有効な〝対米戦用兵器〟と見なしていたのである。

また、「敵〔米軍〕の偽装は実に有効である。敵を発見するのは困難で予想だにしない犠牲が出た。五〇〇メートル〔約五五〇ヤード〕以上では偽装は判別できないので細心の注意が必要だ。偽装に対する訓練も必要だ」とあり、日本軍もまた米軍陣地の偽装を見抜けず苦戦していたこと、つまり偽装は日本軍の専売特許ではなかったことが読みとれる。

先に米軍が日本兵を〝l〟と〝r〟の発音で識別しようとした話を紹介したが、彼らは近づく日本兵に日本語で話しかけることでも敵味方を区別していた。日記には「斥候は敵〔米軍〕の射撃に引き返してはならない。斥候の中には敵の話し声が聞こえるまで陣地に潜入し、結局誰何(すいか)され撃たれても自分を保ち任務を遂行した者もある。敵には日本語を解する者もいる。「ダレカ?(そこを行くのは誰だ?)」の声に騙されてはならない」とある。

空襲により落ちる士気

米軍は捕獲した日本兵たちの日記から「日本兵は我々の兵器、特に爆撃機をかなり恐れており、これで彼らの士気を動揺させうること」を読みとった(IB1943年1月号「個々の兵士」)。確かに手も足も出ないまま一方的に爆撃されるのは怖かっただろう。

この記事に引用された日本兵の日記には「我が対空砲火に効果がないため、敵(米国飛行機)が旋回しては重要地点に爆弾を投下する。我々は小銃しか持っていないので、唯一できるのはその場から逃げることだけだ。飛行機をみて逃げるとは、軍人らしくもない」、「数発の爆弾が落とされた。爆撃はほとんど被害はないにもかかわらず、非常に恐ろしい。人としての不安な心を思い返しただけでも恐ろしくなる。労務者たちは警報が鳴り響くと同時に蜘蛛の子を散らすように逃げ去ってしまう。兵士も敵の飛行機を見たら内心では逃げたいのは間違いない。高級将校も、誰よりも先に逃げるだろう」といった嘆きの声が並んでおり、航空戦力の劣勢こそがもっとも日本兵の士気を低下させたことがわかる。

とはいえ、IB1944年6月号「日本兵の士気と特性」に出てくるある日本軍中尉のように、

我々は空軍について、米独より要するに1世紀遅れていた。ニューギニアの戦いで我々は空軍の価値を第一に認識した。平和な故郷で暮らしている人々は中国における我が空軍の優越について語っていた。実に子供じみた会話であった。ロッキードやノースアメリカン、もしくは50~60機の爆撃機編隊による連続爆撃を受けずして、空軍の重要性を真に理解することは不可能だろう。この戦争は補給戦であることもわかった。船舶輸送が勝敗の鍵を握っている。通常の補給線を維持するだけでも空軍が重要となる。ああ、空軍さえあれば! 兵卒ですら同じ意見をいっている。

と航空戦力の劣勢が自軍の劣勢に直結していることを認めつつも、続けて「米軍と豪軍はどうか? 彼らが自慢してよいのは物質力だけだ。みているがいい! 我々は絶滅戦争(a war of annihilation)に突入するだろう。全陸軍の将校と兵がこの思いで米豪軍を皆殺しにする欲求をかき立てている」と語り、改めて闘志を燃やす者もいた。

彼にとってこの戦争はまさしく「絶滅戦争」であった。日本軍のなかには確かにこうした烈々たる戦争観、敵愾心を抱きながら対米戦を戦っていた者もいたのだが、それがすべてだったと断じるのは米軍側の分析をみる限り難しい。




規律の乱れ

多くの日本兵は負け戦が込んでくると、米軍側に奔らないまでも士気をひどく低下させ、各種の犯罪も多発した。

IB1943年6月号「日本軍についての解説──その文書から」は「ニューギニアのある地域における日本軍の軍紀は、完璧にはほど遠い状態だった」と断じ、その理由として、ある日本軍の小冊子に「作戦中、軍紀にふれる犯罪が多数発生した。精神力の弛緩と気力不足のためである。軍紀にふれる犯罪は以下のもの。略奪・強姦(もっとも多い)、住居侵入(次に多い)、命令違反(多くは酒に酔って)、軍装備品の破壊、脱走、立入禁止区域への侵入、無許可の歩哨位置離脱、秘密文書の紛失、特に暗号書」と書いてあったことを挙げている。

またIB1943年4月号「日本軍についての解説─その文書から」が「1942年9月11日、ニューギニアのある日本軍司令官が発した指示の要約」として「嫌な事は忘れ、よい事だけを覚えておくように努めよ。ヒステリー女と同じようにくよくよしても無駄だ。我々は皆食糧不足でやせ細っているが、乗船時にやつれた表情を見せてはならない。「武士は食わねど高楊枝」というではないか。[解説・彼はあまりに自尊心が強いので、食物不足に苦しんでいることを認められない]。これは、現在でも見習うべきことだ」との一文を載せたのも、日本軍が負け戦という現実を精神論で克服ないし糊塗しようとしたことの現れだろう。

同じ記事に、42年12月1日ニューギニアのある日本軍司令官が出した「会報」が引用されている。そこでは、

我が部隊の一部は昨日(30日)、敵が固定無線通信所の地域に侵入したので退却したとの報告を受けた。分遣隊の全憲兵が徹底的に調査中である。

命令もないのに守備地を離れる者は陸軍刑法に照らして厳重に処罰、もしくはその場で処刑されることを忘れるな。容赦はしない。軍紀を振作し勝利の基礎を固めるため、逃亡者は厳しく処罰する。

銃や刀のない者は、銃剣を棒に結びつけよ。銃剣もない者は木槍を常時携帯せよ。銃剣のみで、何の武器も持たず歩いている者がある。各自すぐに槍を用意して、まさに突撃せんとしつつある部隊のごとく準備を万全にせよ。患者にも準備させよ。

と、士気の低下や多発する逃亡に重罰で対処しようとした日本軍の姿が浮き彫りにされている。今日、我々の抱く日本陸軍イメージが「ファナティック」とされているのはこうした精神論の跋扈をうけてのことであり、それはけっして間違ってはいない。

ただ、日本軍将校たちは空虚な精神論のみで兵の士気を鼓舞しようとしたのでもない。

IB1944年6月号「日本兵の士気と特性」は「ブーゲンビル島タロキナにおける対米総反撃の直前、日本軍将校たちは部下の士気を高めるべく、部下に米軍の戦線内にはもし手に入れば3年間は持つほどの糧食と煙草があると言った」し、「将校たちはその他の機会にも同じ目的でこの種の発言をしている」と報じている。将校たちは食べ物=実利で釣ることによっても、部下たちの戦意を何とか奮い立たせようとしていたのだ。


一ノ瀬俊也『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』

しかしこのブーゲンビル島の日本軍守備隊は精神論を行き着くところまで行かせてしまい、なんとも奇矯な行動をとるに至った。IB1944年9月号「(短報)ヤルゾ!(Yaruzo!)」によると、同島トロキナにいた日本軍司令官は戦意の低下を防ぐため、次のような奇妙な命令を出した。おそらく捕虜の証言だろう。

米軍撃滅のため、朝夕の点呼時に次の訓練を行うことにする。
一 眼を閉じ、片方または両方の拳を握りしめて振り上げ、〝チクショー!(Damned animal !)〟と叫ぶ。そうすればヤンキーどもも怯えるだろう。
二 続いて上級将校が〝ヤルゾー!(Let's do it !)〟と叫び、部下が〝ヤリマス!(We will do it !)〟と唱和する。
三 最後に、将校が刀を右手に握り、決然たる袈裟斬りの構えを取る。刀を振り下ろし〝センニンキリ!(Kill a thousand men !)〟と叫ぶ。

「チクショー!」と絶叫する将校たちは真剣だったのか、上から言われて渋々やっていたのか。部下はそれをどうみていたのか。何とも戯画的な帝国陸軍末期の姿であった。

第2回「米軍はいかにして日本兵を投降させたか」はこちら→

一ノ瀬俊也(いちのせ・としや)
1971年福岡県生まれ。九州大学文学部史学科卒業、同大学大学院比較社会文化研究科博士課程中退。博士(比較社会文化)。現在、埼玉大学教養学部准教授。専攻は日本近現代史。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44637



米軍はいかにして日本兵を投降させたか
〜その周到すぎる心理作戦

【特別公開】一ノ瀬俊也=著『日本軍と日本兵』2


現代新書カフェ


コラム一覧


Social Bookmark,Share

Hatena::Bookmark


mixi チェック


Google Reader


Delicious


Digg submit


Stumble It!


FriendFeedで共有




文字サイズ変更

小さめに文字サイズ変更


大きめに文字サイズ変更



print

rss













upperline



1945年8月15日、グアムの収容所で頭を垂れる日本兵捕虜たち〔photo〕Getty Images

太平洋戦争中、米軍は最新の軍事情報を得るために日本兵を捕虜にしたかった。しかし、降伏を禁じられ、捕虜になるのは「恥辱」とされていた日本兵はなかなか投降しない。そこで米軍が展開した周到な情報戦とは? 一ノ瀬俊也『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』より「第二章 日本兵の精神」を特別公開します(全3回。第1回「日本兵の戦争観」はこちら)。




日本兵と投降

日本兵捕虜を獲得せよ

米軍のみた日本軍兵士たちはけっして超人などではなく、勝っていれば勇敢だが負けとなると怯えた。それにもかかわらず彼らの多くが死ぬまで戦ったのは、先に引用した米軍軍曹の回想にもあった通り、降伏を禁じられ、捕虜は恥辱とされていたからである。(→第1回参照)

しかし米軍側は最新の軍事情報を集めるためにも日本兵を捕虜にしたがっていた。そのため彼らは、まず自軍将兵に捕虜獲得の重要性を繰り返し説くことからはじめた。

IB(*)1943年7月号「日本兵捕虜」が「日本兵は投降するのか?」と問題提起する記事を載せたのは、「米軍はすでに数百人の日本兵を捕虜にしている……彼らは長く絶望的な抵抗の果てに補給を断たれ増援の見込みもなくなり、帝国陸軍が本当に無敵であるのかについて疑いを持ち始めた」、したがって「答えは明らかに『イエス』だ」と結論づけることで、読み手の自軍将兵に日本兵をもっと大勢捕虜にするよう奨励する意図があったからと思われる。

*米陸軍軍事情報部が1942-46年まで部内向けに毎月出していた戦訓広報誌Intelligence Bulletin(『情報公報』)。日本軍とその将兵、装備、士気に関する多数の解説記事が載っている。

この「日本兵捕虜」は、「ガダルカナルでかなりの数の日本兵が日本語の放送と宣伝ビラにより投降した。放送は両軍の戦線が近接し、かつそれなりに安定しているときを見計らって行われた」と前線での投降勧告の様子を報じているのだが、意外なことに当の米軍兵士がこれを妨害したと述べている。

これに応え、日本側はまず一人を手を挙げて送り出した。もし彼が傷つけられなければ他の者も出てくる。しかし「すぐ撃ちたがる(Trigger-happy)」米兵が発砲すれば出てこなくなる。「撃ちたがる」米兵は前記のような状況のみならず、斥候に出ているときやその他「沈黙は金」とされているときにも盛大なへまをやらかすことがある(ガダルカナルで長期間を過ごしたある報道特派員が、下級将校や下士官兵に対するジャングル戦のアドバイスを求められ、開拓地のインディアンのように静寂を保つこと、ねずみを待ち受ける猫のように辛抱強くあることだ、と言った)。

このように米軍側にも日本兵をみたらとにかく「撃ちたがる」者がいて、それが日本兵の投降を妨げ、結果的に自軍の損害を増やす一因となっていたことがわかる。

ガダルカナルの米軍は、捕まえた日本軍「労務者」のうち志願した者を一人、二人と解放してジャングルに向かわせ、他の者を米軍の戦線まで連れて来させるという計画を実行した。彼らは役目を完全に果たして他の者を一週間以内に米軍戦線まで連れてきた。かくして捕らえられた「捕虜たちの反応」は次のようなものだった。

日本兵たちはおおむねよき捕虜である。彼らは厚遇に感謝し、実に協力的である。

ある日本の高級将校は米軍将校に日本語で話しかけられてもはじめは名前以外一切の情報を与えなかった。やがてアメリカの厚遇により信頼が生まれ、ためらいなく話すようになった。「拷問でも何でもやってみろ、何も話さないから」と彼は言ったものだ。「でも厚遇してくれるなら知りたいことは何でも話す」。

また、投降した日本軍の中尉は、退却する部隊の殿(しんがり)になれと命じられたことを明かした。「なんで俺が殿に?」と彼は問い返した。「他の奴らは逃げていったじゃないか、俺は貧乏くじを引くような間抜けにはならないぞ」。

ほぼすべての捕虜が、捕まれば殺されると思っていたと述べた。

数名の捕虜に「将校たちから米軍に虐殺されるぞと言われたか?」と聞いてみた。

全員が否定した。「いや、そんなことは全くない」と一人が応えた。「戦いの一過程としてそうなるだろうと思っていただけだ」。

兵のみならず将校のなかにも、自分への評価や待遇に不満があれば寝返る者がいた。よく日本軍将兵が投降をためらった理由に「米軍の虐待」が挙げられるが、捕虜たちはこれを明確に否定している。

先にも述べたように日本で「鬼畜米英」などの言葉が登場したのはガダルカナル敗退後に政府が国民の敵愾心昂揚のため、米軍兵士の残虐性を強調するキャンペーンを繰り広げてからの話である(前掲吉田裕『シリーズ日本近現代史(6) アジア・太平洋戦争』)。日本兵にとって「米軍の虐待」が降伏拒否の理由となったのはこれが効き出して以降のことかもしれない。

これに似た日本兵捕虜の発言は、1942年ソロモン諸島で日本軍と戦った海兵隊員の話にも出てくる。

IB1942年11月号「ソロモン諸島作戦」によると、ある米海兵隊将校は「〔日本兵〕捕虜はみなアメリカに捕まったら殺されると思っていたと述べた。しかし上官にそう警告されたわけではなかった」と語ったという。

日本兵捕虜たちが「全員が降伏という不名誉のため、絶対に日本に帰ることはできないと主張した」ことからみて、すくなくとも1942~43年ごろの日本軍将兵が降伏を拒否したのは、プロパガンダによる虐待への恐怖心よりもむしろ、自分や家族が被るであろう社会的迫害へのそれが主たる理由だったのではないだろうか。

日本軍の士気─亀裂拡がる

1945年秋に日本本土上陸を控えた米軍は、IB1945年9月号に「日本軍の士気──亀裂拡がる」と題し、日本軍将兵の士気状態とその変化に関する詳細な分析記事を掲載した。これは米軍が戦争を通じて蓄積してきた対日心理戦研究のエッセンスであり、その水準を知るうえでも非常に重要と思われる。

この記事はまず、「戦争初期のころ、生きて捕まる日本兵はまれで、戦死者100人に1人の割合であった」が「沖縄、フィリピン作戦の後半では死者10人に1人の割合で捕虜になっている」こと、「自発的に投降して無傷で捕まる兵、将校(隊長の者もいる)の割合も増加している」ことを強調している。これは何も人道精神の発露などではなく、「日本兵を最後の1人まで根絶やしにする必要がなければ、それだけ米兵の命も助かるのでよい傾向といえる」からに過ぎない。

確かに日本兵たちは「捕虜になる不名誉と、それが本人や家族に及ぼす結果を怖れている。さらに、敵手に落ちれば虐殺されると宣伝されている」が、心理作戦を適切に行えば彼らの士気を低下させ、投降させることも可能である。

では、実際の心理作戦ではどこにつけいるのか。

日本兵は「他国の兵と同じように、自軍の上官に対して疑いを持つ。多くの体罰を受けているし、上官が兵よりたくさんの食べ物、酒、女性を得たり、兵が戦っているのに上官は後退を命じられる(しばしば起こる)のを見れば差別されていると感じている」し、上官の方も「〔部下への〕指導力を失うと断固たる行動も、変化する状況に自分を合わせることも難しくなると感じている」。だから、そこを衝いて両者を分断すればよい。

また、日本兵は「ホームシックにかかり、家族を心配している。彼は精神の高揚を保つ手紙をほとんど受けとっていないし、この数か月間、自らは体験していなくとも、周囲の者から日本本土への猛爆撃の悲惨さについて聞かされている」から、そこへつけ込むことでも士気を低下させられる。

では、いかなる具体的手法で日本兵の思考を変えさせてゆけばよいとされたのか。

まず第一に、それまでの人生における思考習慣を変えさせること。日本兵の士気に亀裂を入れるため、米軍(記事では連合軍)はこれまで次の「くさび」を入れてきたという。

くさび1 直属の隊長および上位の指揮官の能力に対する疑いを持たせる。

くさび2 個人に死を要求する、最高軍事指導者の究極的目標の価値に疑いを持たせる。

くさび3 日本の戦勝能力について疑いを持たせる。日本は同盟国がみな敗北し、アジアの人々には離反され孤立している。さらに、連合軍の戦略、物量、精神上の優勢に直面している。

くさび4 戦死の意味に疑いを持たせる。日本兵にとって、無駄死によりも生きて新日本を再建し、大和民族を維持することのほうが尊い〔はずだ〕。

さらに、日本兵の恐怖を取り除くため二つの攻略法がとられてきた。

まず「米軍に捕まったら虐待される」という恐怖を取り除くために、「捕虜はよい待遇──適切な食事、衣服、煙草など──を米兵の手より受けられる」と教えること。

次に、将来の不名誉への恐怖を取り除くために、「お前はこの戦争を幸福にも免れた数千人の一人に過ぎない」と教えること。多くの捕虜は自分だけが捕虜になったと思い込んでいるのでこれを否定し、「アメリカの勝利は明白なので戦争が終わったら家に帰って家族と普通の社会生活を営める」と保証してやるのである。

心理戦の手法

IB1945年9月号「日本軍の士気──亀裂拡がる」は、日本兵に「降伏」の言葉は厳禁、日本人の心理に照らせば「我々のほうへ来い」「名誉ある停戦」などとしたほうが効果的であるとも指摘している。

「日本人の心に深くしみこんだ『面子(メンツ)を守る』という性質から、受け入れがたい現実を覆い隠すに足る言葉が見つかる。思いも寄らなかった行動も、適切な慣用句が見つかれば、一つの言葉で受け入れられるようになるのだ」。つまり、これは降伏ではなく停戦なのだと自分に言い訳するための理屈を教えてやればよいというのである。

心理戦第一の宣伝手法は宣伝ビラを飛行機から撒くことである。「日本兵によく読まれ、効果があったのは、フィリピンで使われた落下傘(パラシュート)ニュースのような新聞〔形式のビラ〕を撒くことであった。最近の米軍ビラは捕らえた捕虜に試してみることで用法に多大の改善が加えられている」。

第二の手法は拡声器で、「多くの場合、日本兵捕虜がもとの所属部隊に呼びかけることで、アメリカ軍は日本兵を殺さないという絶対的な保証が得られた」。

第三の手法は、「捕虜を捕まえた地域に戻して戦友に投降を勧誘する」ことである。「この手法を拡声器と組み合わせたことで一定数の捕虜が得られた。この任務に出た日本兵で戻らない者はなかった」とされる。

捕虜は米兵の命を救う

IB「日本軍の士気──亀裂拡がる」によると、米軍対日心理戦担当者たちの最大の仕事の一つは、実は味方の「第一線将兵たちに捕虜獲得の必要性を納得させること」であった。担当者たちは味方に次のように呼びかけねばならなかった。

捕虜から得た情報は戦術上も戦略上も大変役立つし、「我々のビラを書くのを手伝い、拡声器で話し、野外へ出て他の捕虜を連れてくる。加えて、戦友に生きて捕まったところをみられた捕虜は、米軍が捕虜を虐待しないことの生きた証である」と。こう言わねばならなかったのは、逆の事態が多発していたからに他ならない。

そうして投降者を一人でも殺してしまえばどうなるだろうか。「日本兵の間に生きている、捕まれば殺されるとの確信を深めてしまう。日本陸軍における噂の伝達が我が方のそれと同じくらい速いのは間違いない。捕虜一人は何千枚ものビラを上回る価値がある。そして、潜在的捕虜を一人殺せばそれ以上の破壊的効果が生じるだろう」。

米軍がここまで捕虜獲得にこだわったのは、いったん捕らえた日本兵捕虜は実に御しやすく、有用だったからである。

「日本軍の司令官が出した膨大な命令は、彼ら自身が、陸軍の大部分を占める単純な田舎者(Simple-Countrymen)は連合軍の尋問官がうまく乗せれば喜んで何でも喋ってしまう、と十分認識していることの証である」。

何でも、というのは捕虜たちが「日本軍の築城計画を図に描き、我が方の地図を修正し、日本軍の戦術的弱点を論じ、味方の陣地占領のため用いる戦術までも示唆」したことを指す。

日本兵捕虜たちがかくも協力的だった理由を、米軍は次のように理解していた。

捕まった日本兵は通常虐待された後で殺されると思っているが、「命が救われたと知ると、彼は好意を受けたと感じる。日本人は誰かの好意や贈り物を受けたら最低でも同等のお返しをしなければ顔(face)──自尊心、自信の同義語──がつぶれてしまう。捕虜たちにとって命という贈り物にお返しをする唯一の方法は、我々が彼に求めている物、特に情報を与えることであるようだ」。

日本人は貸し借りに生真面目な性向だから、まずは「助命」という恩を着せよ、というのである。

よって、捕虜への乱暴な扱いはその面子をつぶして情報価値を失わせる最短の道であり、「彼の上官がしばしば耳に吹き込んでいるところの、白人は野蛮人であり、捕虜を虐待した後でためらいなく殺すという宣伝を裏書きする」。しかし「親切、公正な扱いは白人の威信を高め、捕虜にその捕獲者への新たな敬意とともに、自らの顔を取り戻したいという欲求をもたらす」。

つまり米軍という他者に自分は役に立つ、有用な存在だと認められたい日本人の心理をうまく利用せよ、とのアドバイスである。

今日、日本兵捕虜が米軍の尋問に対し戦艦大和や零式戦闘機の性能などの最高機密をいとも簡単に喋ってしまった事実が知られている(中田整一『トレイシー 日本兵捕虜秘密尋問所』2010年)。その背景には、米軍側が日本人の心理をかくも詳細に分析し、しかもIBなどの閲覧容易媒体を通じて末端まで周知させていたことがあろう。もちろん、こうした啓発記事の存在は、捕虜をとりたがらない米兵が最後までいたことの証拠でもある。

戦後に書かれたもと日本軍捕虜の体験記を読むと、米兵が非常に親切であったとの記述を目にすることがあるが、その背後に実はこうした冷徹なる〝計算〟が隠れていたと言わざるを得ない。実際、IB「日本軍の士気──亀裂拡がる」は自軍将兵に対し、次のような損得勘定そのものと言うべき呼びかけをしていたのだ。

前線将兵は捕虜にしうる日本兵に対し、私情を交えぬ態度をつちかうべきである。捕虜に対する侮蔑と嫌悪という自然な感情を許せば、それは必要のない嫌がらせにつながり、我々の得られる情報は減ってしまう。一方、正しい扱いは、連合軍将兵の命を救い作戦の完了を早めるであろう、時宜にかなった価値ある情報をもたらす。

日本軍の尋問は腕力

対する日本軍部内の情報漏洩防止策はどうなっていたのだろうか。以下に掲げるのは米軍が掴んだ日本側の対策である(IB1945年9月号「日本軍、防諜を強化」)。

日本軍も敵に情報をとられていることは気づいており、防諜に敏感になっていたが「防諜の機運は最初にレイテで起こり、沖縄で高まった」というから対応は後手後手である。

具体的な防諜策は各部隊の将校、下士官兵が相互に、あるいは民間人と接する際の規則を定めること、部隊が作成した機密書類は高い格付けを与えて地名・部隊名は記号で表示し、役割を終え次第処分すること、暗号化された文を電話で平文に置き換えたり、部隊の移動・装備・組織などに関する事項を電話で話すのを禁止することなどである。

兵たちの郵便についても「我が方のそれと同じくらい厳重な検閲が行われ」「葉書は抜き取り検査だが、封書やその他封筒入りのものはすべて、中隊長か高位の将校により開封、検閲される」という。注目すべきは「沖縄戦の終わりに至るまで、日本兵の死体から個人を特定できる物が何一つ見つからなかったとの報告が多数なされている」ことだ。

前出のIB1945年9月号「日本軍の士気──亀裂拡がる」も「最近の日本軍の命令は、もし兵が不運にも連合軍の手に落ちたとき、その親切な扱いに騙されてはならぬと強調している」と述べている。これらの報告をみるに、日本側も戦争の最終段階では自軍将兵が捕虜となる可能性を否定できず、一定の対策は講じていたようだ。

ところで、逆に日本軍が捕らえた連合軍捕虜から情報を引き出す際の手法はどうだったのか。「日本軍、防諜を強化」の一年ほど前に出た、IB1944年6月号「日本軍の諜報と防諜の手段」は「敵〔日本軍〕のある海軍少尉が捕虜を扱う際の観点」として、次の心得を挙げている。この少尉はおそらく捕虜で、記事はその尋問結果であろう。

a.捕虜は可能な限り個別に分けるべきだ。

b.捕虜間の会話、意思の疎通は制限すべきだ。

c.捕獲した文書、メッセージなどの情報価値を持つ物は、捕虜からの聴取と組み合わせて用いるべきだ。それらは調査に便利な手法で分析、整理されねばならない。肝心なのは捕虜を得て文書を可能な限り完全に分析することだ。

d.尋問にあたっては腕力が指針とならねばならない。敵の言葉は我々とは違うからだ。口をすべらせて詳細な分析を引き出したり、遠回しな尋問法〔特に尋問者が語彙に乏しい場合〕を用いて成果を挙げるのは困難である。だから〔特に尋問側にとっては〕正式な聴取のほうが容易である。尋問中は勝者は優れていて敗者は劣るという空気をみなぎらせるべきだ。必要があれば質疑に筆談を用いてもよい。

e.尋問の目標が定まるまでは、捕虜に将来の不安を覚えさせ、精神的に疲弊させるのがよい。その宿舎、食べ物、飲み物、監視についてしかるべく考慮せよ。

私は、日本軍の捕虜尋問は言語の壁もあってか力に頼った強引さ、拙速さが目立ち、先にみた米軍の柔軟で手の込んだ尋問手法にはとうてい及ばないとみる(ただしこの日本軍少尉は「米兵〔捕虜〕の話し好きな性向に気付いて」いるとIB同記事は付記、注意喚起している)。

金銭的待遇

日本兵の士気・心理状態を考えるうえで、実は給料や留守家族への生活援助といった物質的待遇も見逃せない。

本書でたびたび引用しているIB1945年1月号「日本のG.I.」に出てくる米軍軍曹は、戦地の日本兵の金銭事情について「民間人に売れると思った物は何でも盗む。彼らの賃金は世界中の陸軍でおそらく一番低い。最下級の兵は日本では月に3円もらう。戦地に出ると月に約3ドル相当の金をもらう。しかし占領地では物価が2000パーセント値上がりしているため、ほとんど何も買えはしない」と書いている。葉書一枚が3銭だから小遣い程度の額に過ぎず、これではあまり士気も振るわなかったろうと私は思う。

かくも給料が安いのに、兵士たちの留守家族はどうやって生活していたのか。米陸軍省軍事情報局が1943年3月に出したパンフレット『諸外国陸軍の士気向上活動(Special Series No.11 Morale-building Activities in Foreign Armies)』は、日本軍兵士の留守宅に行われた生活援助について、次のようにかなり的確な解説をしている。

日本兵の「出征」にあたってはそれぞれ厳粛な行事を行って敬意を払い、国のみならず村の大切さ、ありがたみを深く感じさせる。留守宅に関する兵士の安心感は、隣人たちが家族の農作業を手伝うことにより高められる。婦人、在郷軍人など多様な団体もまた留守宅の面倒をみる。


一ノ瀬俊也『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』

これをみるに、日本兵が留守家族の生活困窮について抱いていた心配の解消は政府ではなく「村」すなわち近隣社会の手に委ねられていたといえる。万一兵士たちが敵の捕虜となり、卑怯にも自分だけ生き残ったとすれば「村」は家族への農作業援助を打ち切るだろう。私は、これこそが彼らが投降を忌避した最大の理由のひとつとみるし、米軍もそれを知っていた。

そのような日本兵家族に対する物質的待遇の低さは、『諸外国陸軍の士気向上活動』がドイツ軍について「徴兵兵士の妻に夫が民間人だったときの収入の30~40パーセントを保証し、将校、下士官兵の子育てのため21歳未満の子どもには一人月額10ライヒスマルク(約4ドル)、二人20マルク、三、四人25マルク、四人以上30マルクの手当を支払っている」と解説しているのとは対照的である。

→第3回「米軍を唖然とさせた日本軍の人命軽視」はこちら

一ノ瀬俊也(いちのせ・としや)
1971年福岡県生まれ。九州大学文学部史学科卒業、同大学大学院比較社会文化研究科博士課程中退。博士(比較社会文化)。現在、埼玉大学教養学部准教授。専攻は日本近現代史。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44638



米軍を唖然とさせた日本軍の人命軽視
〜重傷病者には「自決」を要求

【特別公開】一ノ瀬俊也=著『日本軍と日本兵』3


現代新書カフェ


コラム一覧


Social Bookmark,Share

Hatena::Bookmark


mixi チェック


Google Reader


Delicious


Digg submit


Stumble It!


FriendFeedで共有




文字サイズ変更

小さめに文字サイズ変更


大きめに文字サイズ変更



print

rss













upperline




米軍がスケッチした戦死者を弔う日本兵の様子。彼らの目には、宗教精神の薄さが奇異に映った。

日本兵は味方兵士の「遺体」回収にものすごく熱心だった。しかし、その一方で、苦しんでいる傷病者の扱いは劣悪で、撤退時には敵の捕虜にならないよう「自決」を強要した。このような態度を米軍はどう見ていたか? 一ノ瀬俊也『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』より「第二章 日本兵の精神」を特別公開します。


個人とその生命を安易に見捨てた過去の姿勢を、現代の日本社会は脱却できたと言えるのだろうか……。




日本兵の生命観

葬送と宗教

日本兵の宗教観と死生観について、米軍はどのように観察していたのだろうか。

本書にたびたび登場する元捕虜の米軍軍曹は、日本軍将兵の死者に対する弔い方、宗教精神のあり方を次のように詳しく描写している(IB*1945年1月号「日本のG.I.」)。

*米陸軍軍事情報部が1942-46年まで部内向けに毎月出していた戦訓広報誌Intelligence Bulletin(『情報公報』)。日本軍とその将兵、装備、士気に関する多数の解説記事が載っている。

ある兵が戦死すると、中隊で儀式としての火葬を行う(上図)。戦死がいかに素晴らしいことかを思い起こさせるためなのは言うまでもない。3×8フィート〔0.9×2.4メートル〕の大きな穴を掘り、木を詰める。その上に遺体を置いてさらに木を加え、ガソリンをかける。中隊全員が礼装で整列し、隊長が演説する。彼は遺体にあたかも生きているかのように語りかける。彼がいかに偉大だったか、兵が自ら死地に飛び込むことがいかに素晴らしいかを語り、死者を昇進させる。

隊長が頭を下げ、中隊は着剣して「控え銃(つつ)」の姿勢を取る。隊長がたいまつを薪に投じ、兵は火の側へ歩んで頭を下げ、穴の正面に置かれた小さなテーブル上の碗から碗へ灰を移す〔焼香のことか〕。火が燃え尽きると、燃え残った骨から灰を取り除く。小さな木箱が置かれていて大変丁重に扱われる。箱は真っ白な布で包まれ、兵がそれを最寄りの司令部まで持って行く。将軍からその部下に至るまで全員が敬礼しなくてはならない。箱は息子の遺灰をヤスクニ神社に置けるというので狂喜することになっている両親の元へ送られる。


話を残った灰に戻そう。灰は集められて埋められる。墓として美しい小山が築かれ、その上に兵の氏名、階級、認識番号、死に様を短く書き込んだ、墓石にも似た角材が据えられる。墓は美しく整えられ、小さなテーブルが正面に置かれる。食事時には食べ物が載せられる。ケーキ〔餅か〕、ビール、果物、そして煙草も加えられる。しかし夜になると米と水のみが残される。戦友たちは食べ物を腐らせてしまうほど愚かではなく、そういつまでも置いておきはしない。

兵たちは毎日の朝夕に整列して宮城の方角を向き頭を下げ、祈りの言葉を唱えて再び頭を下げる。多くの日本人は宗教的ではないが、皆宗教性を帯びた小さな袋をベルトに結わえている。これは陸軍の配給品で全員が持ち運ぶことになっている。葬式を除き、陸軍が宗教的行事を催したことは一度もみたことも聞いたこともない。

戦場での丁重な葬儀の様子がわかる。異文化からの観察ゆえところどころ奇妙な解釈があり、実際の靖国神社に遺灰は置かれないし、「宗教性を帯びた小さな袋」すなわちお守り袋は軍の配給品ではない。

ただ、米軍軍曹の解釈はともかく、各種行事の描写自体はおそらく事実だと思う。日本陸軍が宗教精神とはほぼ無縁の軍隊だったことが、米国人たる彼の眼には奇異に映ったのだろう。日本人はあまり意識しないことだが、日本軍ほど宗教性の薄い軍隊は世界史的にみると実は異質な存在なのかもしれない。

日本軍の遺体回収

日本人の心に太平洋戦争が悲惨な戦いとして刻印されている理由の一つは、補給途絶により見捨てられ飢死、病死する者が膨大だったからである。だが、IB1943年10月号「米軍観戦者による日本軍戦法の解説」が報じる戦場の日本軍は、決して兵士を見捨てる冷酷な軍隊ではなかった。この点は日本兵たちの有する死生観とも関係があろう。

死体の回収 日本軍は遺体の回収に多大の困難を感じている。彼らは傷者はおろか遺体回収のためにさえ、米軍陣地の数ヤードそばまで這い寄ってくる。死体は埋葬、または火葬されるため、殺害者数を見積もるのは難しい。

このように、前線日本軍は義務を果した味方兵士の遺体にはきわめて丁重で、万難を排して回収しようとしていた。這い寄ってきた兵の行動は上官の命令に従った結果とも、戦友愛の発露による美挙とも解釈できるだろう。

しかし、次の米軍兵士の回想を読むと、日本兵の間に戦友愛なるものは本当に存在したのかとさえ思う。

日本兵はおそらくジャングル内の細菌による手の皮膚病にかかっている。我々もそうだ。彼らは我々ほど野戦の衛生に気を使わない。不潔である。野戦病院を占領すると驚くほど汚れている。どうすれば我慢できるのかわからない。日本兵は死者には丁重だが、急いでいるときは傷病者を置き去りにしてしまう。もし彼らにまだ銃の引き金を引く力が残っていれば、そうすることを強く求められる。(IB1944年9月号「米軍下士官兵、日本軍兵士を語る」、強調引用者)

「死ぬまで戦え」という軍の教えを自ら実行した死者には実に「丁重」だが、生きて苦しんでいる傷病者への待遇は劣悪で、撤退時には敵の捕虜にならないよう自決を強要している。もはや「戦果」よりも「戦死」それ自体が目的化しているかのようである。

日本兵にとって戦友の命は軽いものだと米軍は判断した。戦後日本人の間には「日本軍の本当の強さの源泉は……友を逝かせて己一人、退却し、降伏できないというヨコの友情関係にあった」との見解がある(河原宏『日本人の「戦争」』1995年)が、米軍からみた日本軍像とは著しく異なる。

次に、日本軍の病者への態度、すなわち医療体制に対する米軍の評価をみていこう。

終戦後に出されたIB1946年3月号「日本の軍陣医学」は、日本軍の医療体制に対する総括的な評価を行っている。

米軍は「軍事作戦の圧力にともなう日本軍医療の崩壊は、南西太平洋における連合軍の飛び石作戦に対する、日本軍敗退の一因となった」と述べて医療の崩壊を日本軍敗退の一大要因と指摘、「衛生への配慮が勝敗を決めるうえでとくに重大であった作戦を、重要度の順に並べる」と「ココダ道、ガダルカナル、ブーゲンビル、西ニューブリテン、アドミラルティ、ラエ─サラモア、ブナ─ゴナ、そしてニュージョージア─レンドバ」であったという。

医療が戦の勝敗を決めるとはどういうことか。例えば、「ガダルカナル作戦での勝敗の差は、日本兵がマラリア、脚気、腸炎で弱って敗北が明らかになるまではわずかであった。ガダルカナルには4万2000人の日本軍がいたとされるが、その半分以上が病気や飢餓で死亡し、負傷者の80パーセント以上が不適切な治療、医療材料の不足、後送する意思と能力の欠如により死亡したとみられる」と説明されている。

IBが「もっとも医療的要素の影響を受けた」と指摘するココダ道作戦とは、日本軍が東部ニューギニアのゴナからココダ道を南下して要地ポートモレスビーを占領しようとした作戦で、1942年8月に開始され、各自が武器、弾薬、運べるだけの米を担ぎ、糧食の不足は現地調達で補うことになっていた。

作戦の開始当初3000人だった日本軍兵力は「多くの者が山登りの間に飢餓と脚気で死んだため、この困難な行軍を完遂した者は片手に満たなかった」。IBは「部隊全体で生き残った者は50人に満たなかったであろう。ほとんどの者は脚気や飢餓で、若干はマラリアで死に、戦闘で倒れた者は比較的わずかであった」と栄養・医療を無視した無謀極まる作戦の帰結を簡潔にまとめている。

ガダルカナルの医療

IB1946年3月号「日本の軍陣医学」によると、1942年8月から翌年2月まで続いたガダルカナル作戦は「間違いなく医療の要素がもっとも顕著に働いた、例外的な大作戦」であった。同記事には、

いくつかの戦闘の得点差はわずかだったし、〔日本軍による〕飛行場の再奪回もかろうじて防げたし、敵の若干の地上総攻撃は成功しかけたし、失敗はわずかな違いで成功に転じ得たし、連合軍の絶対的な海上優勢にもかかわらず米軍は飛行場を失っていたかもしれない──敵軍が健康状態を良好に保てていれば。

と彼の有名な陸軍参謀・辻政信(ガダルカナル島作戦を終始強気で指導、戦後の1950年に回想記『ガダルカナル』を執筆)が読んだら喜びそうなことも書いてある。

しかし敗退しジャングルへ追われた日本軍に「防虫剤はなく蚊帳はわずかで、アクブリン、キニーネによる有効な薬剤治療体制もなかった」し、兵が「治療を受けるため戻るのは奨励されなかった」のに対し、米軍は開豁地やヤシの森、稜線上の草原に陣取ったうえ「病人はジャングルからよく整備された野戦病院に送られ、休息と適切な治療を受け、状況が許せばすみやかに後送された」のだから、勝敗の行方はおのずと明らかであった。

日本軍のマラリア被害については、「明らかに日本軍の全員が島への上陸後4~6週間以内にマラリアで苦しみ……非常に悪性だった結果、死亡率は例外的にすさまじいものとなり、作戦終了までに部隊全体の四分の一を超えたかもしれない」と見積もられた。

米軍のみたガダルカナル島(以下、ガ島と略)日本軍の野戦病院は地獄そのものであった(日本兵捕虜の証言か)。

日本軍はガダルカナルに円滑に機能する野戦病院を作ることができず、病人の扱いは敷物か地面上に寝かせ、ときにわずかなヤシの葉ぶきの小屋を与えるというものだった。野外診療室の衛生はひどいものだった。病人は特に夜間、壕内の便所へ行くのをいやがったため排泄物が敷物のすぐ近くに積み重ねられ、雨が降ると差し掛け屋根の壕のすぐ近くまで流れてきた。キニーネその他の薬の供給は激減し、病兵は食塩水不足のため代わりにココナツミルクを注射されたこともあった。食料は極度に不足していてヤシ、草、野生の芋、シダ、タケノコ、そしてワニやトカゲまでもが非常糧食として食べられた。

ここで米軍は何とも異様な日本兵観を披瀝している。「この状況で興味深いのは、戦線の向こうで苦しんでいた多くの日本兵が、米軍にマラリアを植え付け続ける人間宿主(human reservoir)となっていたことである」。彼らにとっての日本兵とは、死病の病原体を溜め込み、まき散らしてくる「宿主」に他ならなかった。

マラリア以外にも食糧不足による脚気、腸炎が多発して日本軍に大損害をもたらした。「前線部隊に送る食料の盗みや荷抜きが多発したため、第一線の将兵は後方の兵よりもひどく苦しめられた」という。

負傷した将兵も「適切な治療施設がなく、常に包帯に雨が染みこみ、マラリア、脚気、腸炎のような悪疫が流行していたため、傷兵の死亡率は80パーセントを超えていたはずである。ガダルカナルから後送された傷兵の数は少なく、傷兵の大多数は死んだとみるのが妥当である」とされている。

IB「日本の軍陣医学」は、ガ島における日本軍の総戦死者数と死因を次のように見積もっている。

おそらく、ガダルカナルで死んだ日本兵のうち、三分の二は病気で死んだ。戦闘で死んだとみられる日本兵の数は1万を超えず、実数はもっと少ないはずである。ガダルカナルで我が軍と対峙した4万2000の日本軍のうち四分の一以下が戦死・戦傷死し、四分の一以下が撤退し、残りの半分以上──2万以上──は病気と飢餓で死んだ。対照的に米軍の死者・行方不明者は1500以下であった。

実際の犠牲者数は、ガ島の日本軍総兵力3万1400名中2万800名が「戦闘損耗」、その内訳は「純戦死」5000~6000名、「戦病に斃れた」者1万5000名前後、とされている。一方米軍の戦死は約1000名であった(防衛庁防衛研究所戦史室『戦史叢書 南太平洋陸軍作戦〈2〉ガダルカナル・ブナ作戦』1969年)。米軍側は日本軍の総兵力こそ過大視したものの、死因の割合についてはそれなりに正確に算定していた。

このように、ガ島の戦いは、「決定的であったか否かは別としても、医療の要素が米軍のはるかに犠牲の少ない勝利に貢献した」のであった。

日本軍の医療観

IB「日本の軍陣医学」は日本軍の医療体制がかくも低レベルであった理由として、「その根深い欠陥、すなわち劣った個人教育、貧弱な設備、ばらばらの組織、西洋の基準に照らせば『ヒポクラテスの誓い』をとうてい満たせない患者への態度」を挙げている。

興味深いのは、それらが米軍が日本兵捕虜から医療体制の証言を引き出して分析した結果であること、この証言から我々がよく知らない当時の日本軍医療の実態や将兵の軍に対する感情がわずかなりともうかがえることである。

例えば、「すべての命令は兵科将校が発して伝達され、捕虜の言によれば医務上の要請に対する考慮はほとんど何も払われない。軍医将校に影響力はほとんどなく、その意見が採り上げられるのは困難である。日本の軍事指導者は、進歩的な手法や新技術を、支出が増えるため認めない」と日本軍軍医らしき捕虜が自国軍隊の視野狭窄ぶりに対する憤懣を並べた記述がある。

日本軍の短期決戦思想に基づく補給の軽視はよく指摘されるが、医療もまた当事者の言によれば「金がないから」という実に官僚的な理由で軽視されていたのであった。

次の記述も軍医、もしくは十分な治療を受けられないまま捕虜となった傷病兵の証言だろうか。上から一方的に〝滅私〟と称して苦痛への我慢を要求する日本軍のやり方が、結果的に兵士たちの精神力・体力─軍の戦力ダウンとなって跳ね返っていたことがわかる。

厳格なる軍人精神のおかげで、ささいな訴えは軍医の注意を引かない。さらに、もしいたとすればだが、不平を言う兵は怠け者呼ばわりされて仲間はずれにされる。ささいな病気は兵士が自分で治療することを求められ、これが性病の報告上は低い発生数、結核の高い発症率の理由となっている。前者は軍の病気とは認められず、後者は発見されたときには病状がはるかに悪化している。

ここでIBの論評は狭い軍事の枠組みを越え、東西比較文化論的な色彩を帯びてくる。

「患者に対する日本軍の典型的な態度は西洋人には理解しがたいものがある。敵は明らかに個人をまったく尊重していない。患者は軍事作戦の妨げとしかみなされないし、治療を施せばやがて再起し戦えるという事実にもかかわらず、何の考慮も払われない」。

患者を役立たずと切り捨てる精神的態度が「日本人」なり「東洋人」特有のものとは思えないが、個人とその生命を安易に見捨てた過去の姿勢を現代の日本社会がどこまで脱却できているかは、常に自省されるべきだろう。

薬剤不足と連合軍捕虜の解放

さらに日本兵捕虜は、日本軍病院への医薬品補給の内幕に関する証言も残している。

日本軍は治療材料を倹約する必要があった。捕虜の言によると、サルファ剤〔抗菌剤〕は生の裂傷には使われず、淋病の合併症や肺炎、その他の治療が効かない傷に限って用いられた。1943年3月以降、日本陸軍ではそれらの薬不足のため、使用は厳しく統制されることになった。捕虜は〝優良〟とみなされているバイエルの薬の量が減ったと述べている。アスピリン、モルヒネ、コカインはほとんど使えず、キニーネは不足している。しかし最大の関心事は脱脂綿、繃帯の不足である。

これらの証言が正確かどうかを日本側の史料で判定するのは困難だが、薬剤についても舶来のドイツ製品を有難く使っていたこと、海上輸送が途絶するなかで傷者の治療にもっとも必要なはずの繃帯すら品不足だったことなどは事実のように思える。これでは、ガ島以外の日本軍野戦病院でも同じかそれ以下の、地獄のような光景が広がっていたはずだ。

ところで、日本軍は戦争末期に至るまで、退却の際に味方重傷病者を捕虜とされぬよう殺害していた。

IB「日本の軍陣医学」は1945年の「沖縄作戦で日本軍が自軍の負傷者を殺したさらなる証拠」として「大田提督〔大田実少将・沖縄海軍部隊指揮官〕の指揮所の通路には数百の死体が整然と並べられていた。遺体の多くには手当て済みの傷があった。皆同じ時間に死んだようにみえた。さらに注射で殺された形跡があった」事実を挙げ、「この種の行いは〔日本兵〕捕虜によって繰り返し報じられている」と述べている。

同記事の執筆者が気にしていたのは、こうした日本軍の自軍傷病者に対する冷酷な扱いよりもむしろ、本土決戦で味方の連合軍兵士が日本軍に捕らえられたときどう扱われるか、その撤退時に口封じのため殺されはしないかということであったろう。IB「日本の軍陣医学」は、そのことを匂わせる次の記述で締めくくられている。

〔1945年5月、ボルネオ島に進攻した〕タラカンの連合軍からは〔沖縄での〕この慣習に背く、有望な報告がきている。蘭印兵捕虜は日本軍司令部がフクカク〔複郭?〕地区から撤退するのに先立ち、傷者は糧食を与えられて連合軍の戦線へ行けと言われ、歩けない者は司令部地区の後方に残されたと述べている。

ボルネオの日本軍が実際に白人捕虜を解放したかはわからないが、もしかしたら敗色の濃い戦争末期の日本軍司令官の中には敗戦後の連合軍による責任追及を予測し、捕虜を殺さず釈放した者がいたのかもしれない。

米軍側はこれを「有望」とみて味方全軍に周知し、士気低下を防ごうとしたのではなかったか。IBはそうした日米両軍の思惑についての示唆も断片的ながら与えてくれる。

医療と性病予防

日本軍医療の実態については、例の元捕虜の米軍軍曹も性の問題とあわせて証言しているので、以下に引用してみたい(IB1945年1月号「日本のG.I.」)。

各中隊に衛生兵がいてマラリアの発作やその他の病気の手当てをする。本当に具合が悪いと幸運にも病院へ送られることがある。

マラリアが兵士たちに悪影響を及ぼす、なぜなら彼らは40~60人で一つの蚊帳の中で寝ているからだ。蚊帳にはいろいろな大きさがあるが、個人用が与えられるのは将校だけだ。キニーネは大量にあるが兵たちは服用法の指示を守らない。多くの者は捨ててしまう。

かくも大人数が一つの蚊帳の中で寝るというやり方について、多くの者が私に不満を述べた。彼らはこのようなマラリアの高感染率が何を引き起こすかを理解できる程度には賢かったのだ。

日本人のきれい好きについてはいろいろ耳にしてきたが、兵営生活で風呂をどうしているのかについて自分の目でみてきた。まず、二つのガソリンのドラム缶を持ってきて上部を切り取る。そして両方のドラム缶に水を入れ、片方の下で火を焚いて暖める。ドラム缶の横に木の床板を置いて足に泥が付かないようにする。湯が適当な温度になると上位の将校が呼ばれて入浴する。数分間湯に浸かり、冷水で洗い流す。兵たちが入浴するたび、湯は控えめに言ってもわずかに濁っていく。30~40人が同じ湯で入浴する。階級が低ければ低いほど長い間待たねばならない。

当時のアメリカ人も「日本人はきれい好き」というイメージを持っていたようだが、実際は先に述べた隊の食堂と同じく、とても清潔とは言えない生活ぶりである。マラリア予防もその重要性は皆わかっていたはずなのに、実態はきわめていい加減で不満を招いた。兵がマラリア予防薬のキニーネを捨ててしまうのは、味がひどく苦いからだろう。

先にIBが日本軍は性病を「軍の病気」とは認めず、ろくに治療もしないと指摘していたことを紹介したが、確かに軍曹の目撃した日本軍部隊でもそうだった。

兵営のある街では週に一回外出が許される。食事をしたり音楽を聴く陸軍クラブがある。クラブには現地の女性がいて会話をする。しかし多くの日本兵の目的は買春であり酒である。性病に感染するとしこたま殴られ、わずかばかりの名誉も剥奪される。そのため民間の医者や薬屋へ行ったり、自分で治療しようとする。多くの者が感染している。性病検査はほとんど行われない。自分が捕虜になっている間、わずかに一度きりであった。

日本軍将兵の性病感染率についての正確な数字はもはやわからないだろうが、「感染するとしこたま殴られ」るせいで実際はよけい高くなっていたことが容易に想像できる。

IBとは別の米軍史料である米陸軍省軍事情報局パンフレット『諸外国陸軍の士気向上活動』(1943年5月、前出)は、日本軍将兵の「性的要素」すなわち買春の実情について「将校の間では、芸者と一夜を共にできるかもしれない芸者パーティーがまれに行われる。徴集兵はわずかの金しか持たぬため、その土地の安い売春宿で我慢せねばならない。肉体的な欲求は満たせるが、ロマンチックな気分は損なわれてしまう」と解説している。

これは、同書がドイツ軍の性管理について、若くて魅力的、志願した女性のいる衛兵付きの慰安所を軍の直轄下に設置し、兵の買春前に医学的検査をしている、行為時の飲酒は厳禁、相手の女性には兵の勤務記録にイニシャルで署名させている(ポーランドでの事例)と報じているのとはだいぶ様子が異なる。もちろん全ドイツ軍が常にそうだったということではないだろうが。

米陸軍が同書で各国陸軍兵士の買春事情に関心を払ったのは「性病感染率は士気(morale)の明確な指標である」、つまり感染率が低ければ軍の士気は高く、その逆もまた然りとみなしていたからである。

士気は軍隊組織を成立させる重要な要素であるから、これを良好に維持することもまた軍隊に求められる能力のひとつである。一国の軍隊の医療と士気の間には密接な関係があり、その良否が戦の勝敗を左右することもある。だが米軍側の各種記述をみるに、彼らが日本軍に下した評価は、どうしようもなく低いと言わざるをえない。

小括

日本兵たちの生と死をめぐる心性を「天皇や大義のため死を誓っていた」などと容易かつ単純に理解することはできない。米軍の観察によれば中には親米の者、待遇に不満を抱え戦争に倦んでいる者もいたからである。


米軍による日本兵の分析はまだまだあります。つづきはこちらで。

その多くは降伏を許されず最後まで戦ったが、捕虜となった者は米軍に「貸し借り」にこだわる心性を見抜かれて、あるいは自分がいかに役に立つかを示そうとして、己の知る軍事情報を洗いざらい喋ってしまった。

日本兵は病気になってもろくな待遇を受けられず、内心不満や病への不安を抱えていた。戦死した者のみを大切に扱うという日本軍の精神的風土が背景にあり、捕虜たちの証言はそれへの怨恨に満ちていた。これで戦に勝つのは難しいことだろう。

にもかかわらず兵士たちが宗教や麻薬(!)に救いを求めることはないか、あっても少なかった。それがなぜなのかは、今後の課題とせざるをえない。



一ノ瀬俊也(いちのせ・としや)
1971年福岡県生まれ。九州大学文学部史学科卒業、同大学大学院比較社会文化研究科博士課程中退。博士(比較社会文化)。現在、埼玉大学教養学部准教授。専攻は日本近現代史。

| 未分類 | コメント(0)

侵略者である日本本土の日本人から虐げられたアイヌの民を主人公にした冒険活劇 カムイの剣

カムイの剣 (ハルキ文庫)
矢野 徹
角川春樹事務所
売り上げランキング: 301,674


51pGL9IU9AL__SS500_.jpg






























http://madhatter91965.web.fc2.com/non/kamui-no-ken.htm

冒険時代活劇「カムイの剣」-父殺しの物語-
カムイの剣DVD

カムイの剣 [DVD]

目次

はじめに
ストーリー
小説1巻およびアニメ前半
小説2巻およびアニメ後半
小説3巻
小説4巻
小説5巻
感想
次郎と天海、西郷
父殺しの物語
謎のフルベッキ写真
「カムイの剣」に登場する実在の人物、事物、事件(リンク集)
トリデシリャス条約とアレクサンデル6世
次郎とおゆきの近親相姦的恋愛感情に関して



はじめに

いつか取り上げようと思っていたが、矢野徹作の小説「カムイの剣」及びそれを原作とした同名角川アニメ映画のレビューを書いてみることにした。

いささか唐突な取り上げ方だが、今回思い立ったのには理由がある。

「アイヌ神謡集」作者、故知里幸恵さんの記念館が着工、と言うニュースを最近見かけ、この作品のことを思い出したから、と言うのが一点。
知里さんは明治期に生きたアイヌの女性である。言語学者金田一京助氏にその語学的才能を買われて東京の氏の邸宅にて下宿していた。
19歳の若さで夭折されるが、亡くなられる直前にアイヌの神謡(神話・伝説)を日本語に訳し記録した。アイヌには固有の文字がない為である。それが「アイヌ神謡集」だ。
彼女のこの業績がアイヌ文化見直しの契機となった。
アイヌに関してここでは詳しく論じないが、江戸時代以前、さらには近代に入ってからも日本国政府主権を握り続けた「和人」とは別の文化を持つ民族が日本国内に存在していた、そして現在も存在している事は目を背けてはならない事実だと思う。

もう一点は映画版DVDが廉価版で再版され、久しぶりに映画版を観ることが出来たからであったりする。
実は私はLDを持っていたのだが、後輩に貸したところそのアパートが火事となり、焼失してしまっていた。その時LDは既に絶版。
やがてDVDが発売されたが、すぐに売り切れ。元々不当に評価が低い作品で初回プレス数が極端に少なかったらしい。
オークションで捜すと…3万円オーバー、うぬぬ。と言うわけで手が出なかったのだが今回三千円弱で手に入った。待ってて良かった。

さて、「カムイの剣」。タイトルが似ているのでよく勘違いされるが白土三平の「カムイ伝」とは何の関係もない(笑)
主人公次郎は和人とアイヌの混血児である。物語の舞台は当初東北地方下北半島~蝦夷(北海道)さらにカムチャッカを越えベーリング海峡を渡ってロサンゼルスまで次郎の冒険は続く。…しかも道中ほとんどが徒歩である(原作小説1・2巻、およびアニメ映画版。原作小説は5巻まで発行されているが未完に終わっている)

舞台となる時代は幕末~明治維新。西暦1868年明治元年まで(小説1・2巻。および映画版)戊辰戦争終結1869年(3巻)岩倉訪欧使節団、さらに日本の政変1871年~(4・5巻)となる。
日本が近世から近代国家へと生まれ変わる歴史が非常にダイナミックに躍動した時代であり、戦国時代と並んで、もっとも人気のある(などというと不謹慎かもしれないが)時代である。NHK大河ドラマでも度々取り上げられ、一般にも極めてよく知られている年代だ。

その時代、300年続いた徳川政権。絶大なる権力に一人立ち向かった青年の物語。それが「カムイの剣」なのだ。

小説は私の所蔵している文庫版1巻が1984年初版となっている。おそらく雑誌に掲載された記事を元に文庫化したものなのじゃないかと思うのだが、調べてみたけれどもよくわからない。第2巻の巻末にこの作品への星新一氏の手放しの賛辞がある。「文庫化」という言葉があることからそれ以前に単行本化はされていたのだろうとは思うのだが…(後日改めて調べてみたら立風書房から1970年に刊行されていたようだ)
アニメ映画は1985年、角川映画として公開された。監督はりんたろう。劇場版「銀河鉄道999」シリーズを監督した人物である。特筆すべきは背景美術を男鹿和雄が担当していることではないだろうか。男鹿は1987年宮崎駿にスカウトされ、ジプリ映画の背景を手がけ高い評価を受けている(「となりのトトロ」も男鹿である。ついでに出崎統「あしたのジョー2」も)
更に音楽監督に宇崎竜童、和太鼓の林英哲。忍者の戦闘シーンに和太鼓とケチャを使用した斬新な演出はこの作品とは切っても切り離せない。
ついでに(あくまでついで/笑)主役次郎のボイスキャストは「ザ・ラスト・サムライ」で好演した真田広之である。

私は映画を観て、その面白さに取り憑かれてから小説を読んだのだが、小説もまた面白かった…と一応書いておく(笑)矢野徹の独り言がなければなおさら良い小説だったのだが。

ストーリー

以下に1・2巻、及び映画版のストーリーを述べる。基本映画版を使用。ストーリーが短く破綻無くまとめられているため。小説版の設定は括弧くくりで解説する。
ネタバレ情報も含まれているので、映画を観よう!小説を読もう!と考えてらっしゃる方は、そのつもりでお読みいただきたい。
ちょっとだけストーリーが知りたい…という方はウィキペディアをご覧いただきたい。
「カムイの剣」ウィキペディ

Youtubeにあった予告編。何故か埋め込めないのでリンクしておく。
「カムイの剣」予告編

海外サイトだが「カムイの剣」の冒頭20分ばかりの動画を収録しているサイトがあった。
「カムイの剣」冒頭



とか言ってたらYoutubeに今アップされてました。そのうち削除されるかもなので観たい方は今のうちに。DVDもよろしくね!

ストーリー

旧角川文庫版1巻カムイの剣 (1) (角川文庫 (5610))表紙より次郎の必殺技?「カムイ無拍子」の構え。ここから手を左右に開き抜刀する。

江戸時代末期。
下北半島、佐伊の村で旅人宿を営むつゆに育てられた捨て子、アイヌと和人の混血児次郎。
十四歳になった次郎がある日帰宅すると養母と義姉さゆりが惨殺されていた。
遺体のそばに捨て置かれた短刀、本当の父母との唯一の絆でもある日月螺鈿の和刀を次郎が手にした時、村人達にその姿を目撃され、母姉殺しと誤解されて山中を逃げまどう事になる。
疲労も限界に達した頃、次郎の前に旅の僧が現れる。名は天海。天海は真の下手人太郎佐は仏ヶ浦にいると次郎に告げる。
母と姉の仇を討つため天海と共に仏ヶ浦に到着した次郎。そこで見たのは顔に大きなやけど痕をおった男だった。次郎は手にした短刀で仇を討つ(小説では天海により既に殺されている。アニメでもとどめを刺したのは天海)

天海は松前に派遣された公儀御庭番頭領だった。行く当てのない次郎は松前(蝦夷)の白神屋敷で天海に忍びの者として育てられる。
天海の部下、三平から学問を、そして天海の嫡子である真吾から忍術を学んだ。
一人前となったある日、やはり忍者であったらしい次郎の父親の手がかりがシノピリカ・コタン(小説ではカムイ・コタンである。コタンとはアイヌ人の集落)にあるらしいと天海から聞かされ、その探索を命じられる次郎。
次郎の後を真吾を頭とした忍者達が追う。
天海「矢は放たれた」

アイヌの少年ウラカと仲良くなった次郎はコタンへ赴き、そこで実母オヤルルと再会する。(原作では「ウラカ」ではなくて「ウカラ」である。単に発声しやすさを重視しての改名だと思われる)
オヤルルはコタンの長の娘だったが十数年前和人、太郎佐と駆け落ちし、やがて一人でコタンに戻ってきた。村を出た時、村の秘宝であった「カムイの剣」は太郎佐によって持ち出されていた。そしてカムイの剣こそ今次郎が身に帯びている短刀だった。オヤルルは今は村はずれで一人、暮らしている。
太郎佐が実の父親と知り、またオヤルルと太郎佐の駆け落ちも天海から命を狙われ、逃れるためだったと聞かされた次郎は天海に対して大きな疑念を抱く。実は自分は生まれた時から天海の手の内で弄ばれていたのではないのか?
実は太郎佐はある財宝の謎を解き明かしたが、その謎を解く鍵を巧妙に隠し、姿をくらませていたのだ。天海は次郎の成長を待ち、次郎を太郎佐と同じ状態に追い込めば同じような行動を取り、財宝の謎を解く鍵を探し当てるだろう、と考えていた。
痺れ薬を飲まされ、体の自由を奪われた次郎はカムイの剣でオヤルルが惨殺される現場を目撃する。オヤルルを殺したのは真吾だった。

母殺しの罪でアイヌ達にとらわれる次郎。ウラカに助けられ牢を脱出した次郎は太郎佐の遺品を納めた墓から英文の手紙を発見する。これこそが天海の捜していたもの、太郎佐が隠したイギリスの伝説的海賊、キャプテン・キッドの隠し財宝を示す暗号の一部だった。(小説では文様に見せかけて装飾文字でオヤルルの家の扉に掛けられた飾板に暗号はあった)
父と母の墓前で「カムイの剣」を握りしめ、アイヌの霊峰「カムイ・ヌプリ(神の山、または魔の山)」を見上げて次郎は天海への復讐を誓う。その額には父母のもう一つの形見であるアイヌ模様の布をバンダナのように巻いて。(原作ではこの布は出てこない)
「天にも地にも俺が頼りとするのはお前だけだ…(中略)…既に退路はない」

真吾の隙を突き捕虜とした次郎は天海の企みを知ることとなる。さらにオヤルル殺害時と同じ痺れ薬を使用し、真吾を自分の身代わりとして天海配下の忍者にとどめを刺させた(原作では天海自身が真吾に毒手裏剣を打ち込む。アニメでは「投網の孫六」と呼ばれる天海配下の忍者である)
天海配下の忍者達と次郎との壮絶な追跡劇が繰り広げられる。追撃の中、次郎は暗号文の半分を奪われてしまう。
真吾に代わり陣頭指揮を執る「十勝半蔵」(アニメ版では太郎佐に傷を負わせ、養母と義姉を殺したのは半蔵である。原作では名前のみの登場)に重傷を負わされた次郎が治療をしている最中、分身の術を操る女忍者「おゆき」が襲撃。次郎は居合い技「カムイ無拍子」でおゆきを退け、逃げ延びる。

傷つき疲労から気を失った次郎は安藤昌山とアイヌの少女チオマプに助けられた。(チオマプはアニメオリジナルキャラクター)
昌山は異端であるとされ幕府より追われて蝦夷地に住み着くようになった老学者である。(原作では安藤昌益の孫とされている)
二人の元で次郎は傷を癒すと共に昌山に「世界」に関しての知識を授かる。
「あの度し難い馬鹿者ども(幕府役人)が『天下』と称するのはこの鼻くそみたいなところじゃ」
地球儀の日本を指さし、次郎に説明する昌山。ひなびた村で少年時代を過ごし、忍者としての修行しかしてこなかった次郎にとっては、始めて知ることばかりだった。次郎は始めて世界の広さを目の当たりにしたのだ。

次郎は人生の師として昌山を信頼するようになっていた。英文暗号文の翻訳を昌山に依頼する。まさかの時のためにと写しを取っておいたのだ。

“Hear, O Heavens,and Give Ear,
O Earth; for the Lord has Spoken
Where the Sun rises and the Moon
Rises the Elysium Lies.”
「天よ聞け、地よ耳を傾けよ。
エホバの語りたもう言葉あり。
日の昇り、月もまた昇るところに
至福の地ありと。」

日と月…次郎が昌山に言われるままカムイの剣の日月螺鈿をはずすと、巧妙な仕掛けで隠されたさらなる暗号と地図が!地図はアメリカのものだった。
昌山は暗号文の翻訳に励み、体力を回復した次郎は狩りに出掛けていた。
と、次郎を追う三平とおゆきの姿を遠方より確認する。
すぐさま出立することになった次郎は昌山に伴われてセセキの海岸へと急ぐ。小舟で国後島へ行き、そこから異国船に乗り込む予定だ。自分が異国へ行くときのために集めておいた船賃代わりの砂金を、暗号の翻訳と共に昌山が次郎に手渡す。
海岸へ二人がたどり着こうとしていた時、「危ない!」と、チオマプの声が響く。
とっさにカムイの剣を抜き地面に伏せた次郎の身代わりとなり昌山は毒吹き矢を身体に受け、倒れる。三平達とは別ルートで次郎を追っていた「松前三人衆」と呼ばれる手練れ達だった。(原作ではおゆきも含めて『松前四人衆』と呼ばれる。吹き矢を得意とする『渡島の勘助』変装と着物を使った身代わりの術を使う『積丹のお春』催眠術を得意とする『大沼の喜平次』である。おゆきはお春の妹。ちなみにお春は美女として描かれているが実は男性)
最後の息で昌山は次郎とチオマプに語りかける。
「そなたに会えて儂の人生も無駄にならなかった気がする…(チオマプに向けて)こら、戻れと言ったじゃろうが…」
手練れの三人に苦戦する次郎。勘助、お春をなんとか倒すものの、喜平次の術に捕らえられ、気絶してしまう。
とどめを刺そうと短刀を抜いた喜平次が次郎に覆い被さったとき、次郎の腕に手裏剣が打ち込まれる。痛みで意識を取り戻した次郎は喜平次を返り討ちにする。
「俺に味方?」いぶかる次郎。

セセキの海岸で次郎を見送るチオマプ。そこに僧服姿の天海が現れる。
昌山と次郎が何を話していたか、詰問する天海。チオマプは何も答えず自らの喉を次郎の手裏剣で突く。
「たわけが」
(蝦夷地での次郎の逃亡と天海忍者軍との追撃はアニメではかなり省略されている。次郎は和人に虐げられるアイヌをことあるごとに救い、アイヌの救世主のように崇められるが、その反面お尋ね者として幕府への密告の対象ともなっている)

国後島に銃声が響く。米捕鯨船「カリフォルニア」号の船員が現地民とトラブルを起こし放った銃声だった。一人はしけに乗り遅れた黒人船員サムを次郎は助ける。昌山から教わった片言英語で自分がメリケンに行きたいことを伝えた次郎は、サムと共に小舟でカリフォルニア号に向かう。
しかし乗船前に再びおゆきの襲撃を受ける。何とか乗船した次郎だが、おゆきは錨を結びつけたロープを足場に船内まで追撃する。
宙を舞い次郎にとどめの一撃を食わせようとするおゆきはサムの機転でロープに足を取られ、甲板に叩きつけられ気絶する。
船長ドラスニックとの交渉により、砂金を船賃として米本土まで連れて行って貰えることになった次郎。しかし船長は船員とトラブルを起こさないこと、おゆきの面倒を看て介抱してやること、を条件に付けた。
おゆきは思いの外重体で、幾日も意識を取り戻さない。次郎は彼女を着替えさせ、また口移しで食事の面倒も看るのだった。
ようやく意識を取り戻したおゆきは次郎とサムの会話から目的地がカリフォルニア、サンタカタリナ島だと知る。
おゆきが意識を取り戻したことを知らない次郎が口移しでスープを飲ませようとしたとき、次郎の砂金を狙って襲いかかってきた船員をおゆきはふくみ針で撃退する。
「どうして私を助けた。何故殺さなかった」と次郎に問うおゆき。
次郎は「お前は何故俺を助けた」と問い返す。おゆきは何も応えられなかった。

船内でトラブルを起こしたことを理由に船を下りなければならなくなった次郎。サムも同行すると主張するが、ドラスニック船長に拒否される。
「お前は儂の奴隷だ、勝手なことは許されん!」
次郎は砂金でサムを買い取り自由にする。
次郎に好感を抱くようになっていた船長は次郎に進言する。それは傷つけた相手に謝罪すれば、アメリカまで連れて行ってやる、という取引だったが次郎は拒絶する。「俺が謝る理由は何もない」
(以上第1巻)

旧角川文庫版2巻カムイの剣 (2) (角川文庫 (5611))表紙より次郎、天海一騎打ちの一場面。天海の胸、竜のデザインが初期設定とは異なり「日本むかし話」の竜のような感じになっている。狩野派風、かな?

カムチャッカの氷原に取り残される次郎、おゆき、サム。三人はペトロパブロフスクの港を目指す。
道中、シベリア狼の子供をおゆきは拾い育てる。
(小説では狼の名前は「ペトロ」となっている。ペトロパブロフスクの近くで拾ったからである)

ペトロパブロフスクの港。やっとたどり着いた三人だったが、天海は既に先回りしていた。
次郎はサムに残りの砂金を渡す。船に乗れと。
そのわずかな隙におゆきは次郎を襲うが、それは彼女の次郎への恩返しでもあった。あえて次郎の当て身をくらい、気絶する。まだ彼女は天海の部下なのだ。報告を遅らせることで次郎を助けようとしたのだった。

何度言い聞かせても次郎について来ようとするサムと二人でベーリング海峡横断を決意した次郎。そこへ天海、半蔵、三平、おゆきが道を阻む。
天海から与えられたリボルバー銃を空に向けて放つおゆき。たちまち雪崩がおき、忍者達も次郎も散り散りに逃げまどう。
雪崩が去った後、合流できたサムとおゆきは次郎を追いサンタカタリナ島を目指す。

ヴァージニアシティ近くで白人ガンマンに虐待されていた碧眼のインディアン少女、チコを助けた次郎は、彼女の集落で歓待を受けた(「インディアン」という表記をするかどうかは議論のあるところかとも思いましたが、ここでは作中の表記を尊重しました)
チコの父親の名前はジェロニモ。しかしチコは本当はフランス人だとジェロニモ夫妻は語る。行き倒れとなったフランス夫人の赤子を預かったのだと。
ジェロニモから贈られたインディアン衣装をまとった次郎は、サンタカタリナについてチコに問う。
ヴァージニアシティの酒場「サンタカタリナ」に赴いた次郎はその名前の由来を尋ねるが、白人ガンマンはインディアンの事など誰も相手にしない。決闘となるが、忍者次郎は難なくガンマンを退ける。
次郎にサンタカタリナ島のことを教えてくれたのは新聞記者マーク・トウェインだった。後に「トム・ソーヤーの冒険」等の作者となる人物だ。
ロサンゼルス沖のサンタカタリナ島を目指し、旅立つ次郎。次郎を生涯の伴侶と決めたチコは養父母から一冊の日記を送られる。それはチコ、本名ジュリー・ルシェルの母親の日記だった。
(小説では日記ではなく手紙になっている)

サンタカタリナ島に到着した次郎。しかし同じ頃、ロサンゼルスに到着したおゆきとサムは天海に捕らえられてしまう。
暗号通りキッドの財宝を探し当てた次郎。しかしそれは僅かなスペイン金貨がチェストに納められていただけだった。「キャプテン・キッドの財宝とは、たったこれだけのものか…」個人の財産としてはあまりあるものだが、キッドの財宝は国家機関が争い合うほどのものではなかったのだ。
そこへ天海、半蔵、三平、おゆきが現れる。
天海は三平を拘束していた。三平こそ太郎佐と共に薩摩より公儀隠密に遣わされた逆間諜。旅の途中、幾度も次郎を助けたのは三平だった。「三平を守りたくば、言うとおりにせい」
言われるまま次郎は半蔵に背後をとらせ刀を突きつけられる。
天海はおゆきを名指し、次郎をこの場で討つなら命は助けてやろう、と申し出る。躊躇するおゆき。
「弟を殺すのはしのびんか」含み笑いを浮かべる天海。
実はおゆきこそ佐伊の村のつゆの娘さより。赤子の頃すり替えられた、太郎佐の血をひく次郎の異母姉だった。
天海は次郎への意趣返しにおゆきを次郎の前で陵辱しようとする。その一瞬の隙を突いて今ではすっかり成長した白いシベリア狼が天海を襲う。おゆきは短刀を抜き、最後の力で天海の心臓を射抜いた。しかし、鬼面のごとき形相で天海もまたおゆきに刃を突き立てる。
呆気にとられた半蔵の隙を突いてカムイの剣で半蔵の片腕を切り落とす次郎。半蔵の後を追う三平を横目に倒れかかるおゆきを抱きとめる。
断末魔の天海が岩壁の前の玉座のごとき椅子に腰掛けると、岩壁が移動を始める。中からは眩いばかりの黄金の山の輝き。これこそ真のキッドの財宝だった。
黄金を前にする次郎とおゆき。「次郎…」それがおゆきの最後の言葉だった。

サンタカタリナ島の岬に作られたささやかなおゆきの墓。花を供える次郎と白狼のもとに白いドレス姿で現れたチコ。チコは母親の日記から彼女の父親フランソア・ルシェルはフランス諜報部の人間だったと次郎に語る。そして長崎で「テンカイ」という忍者と相打ちになって死亡したのだと。
「影だ。あやつならそのぐらいのことはやる」
三平は長崎で死んだのも、ここで死んだのも天海の影武者だったのではないかと推測する。
次郎が財宝を元にサムの手配で買い求めた船が届いた。「サムエル号」その船を預かるのはドラスニック船長だった。
(小説ではドラスニックは再登場しない。有色人種にも好意的な、当時としては進歩的な白人男性として描かれてはいるが、次郎達を極寒のカムチャッカで降ろすときに「彼らが有色人種であるのが救い」だと自分を慰めている)

日本に帰国し、小栗上野介、小笠原佐渡守、天海の密談を確認した次郎はやはり天海が生きていたことを知る。
幕府はキッドの財宝を取り逃し、財政再建に腐心していた。勘定奉行小栗上野介(天海の上司)は蝦夷地を担保にフランスから600万ドルの借款を取り付けた。
次郎は伊賀の里を訪れ、自分の私兵となる忍者を雇い入れようとする。
伊賀頭領の代理として話をする藤林源十郎に対し自分は薩長に与する者でも幕府の者でもないと打ち明ける。
「俺に大義名分はない。奸賊天海を倒し、亡き父太郎佐をはじめとする人々の無念を晴らしたい」
「おぬし太郎佐の倅か?」縁側で煙管をふかしていた道案内の老人が始めて口を開く。この老人こそ伊賀服部一族の頭領だった。
「伊賀衆8人、一人5千両として支度金のべ8万両、ここにそろえられるかな?」
一人5千両なら4万両では?と問う次郎に、「天海相手の算術じゃ」と煙に巻くような口調の老人。次郎は承諾した。警護として8人の伊賀衆が次郎、源十郎と共に堺港に旅だった。
数日後8万両の支度金が伊賀の里に運ばれてきた。受領する頭領だったが、呵呵と笑い始める。
「罠に掛かったな、次郎」
実は頭領に変装した半蔵だった。次郎の配下となるべき8人の警護人は全て途中で半蔵の部下とすり替わっていた。天海が伊賀頭領に働きかけ、既に罠が張られていたのだ。
「頭領だましたか!」
どこからか頭領の声が次郎に応える「おぬしとの約束も今果たす。頂戴したのは支度金16人分。望み通り伊賀衆あと8人お渡し申そう」
どこからか現れた新手の伊賀衆8人。天海配下の忍者達との剣戟が繰り広げられるが、次郎達は8人を切り伏せ、さらに半蔵にとどめを刺した。次郎は養母と義姉の仇を討つ。
しかし老いた頭領は戦いで致命傷を受けていた。
「構わん。太郎佐は儂の倅。孫の手助けが出来たわ」
次郎は伊賀服部家の直系だった。
(サンタ・カタリナ島以降の描写は小説とアニメで大きく異なる。次郎は三平が去った後に、キッドの真の財宝を独力で発見する。暗号文の解読に疑問を持ったためである。メキシコに渡った次郎は、「エゾ国のプリンス」を名乗り、豪邸を構えて歴史学、語学の勉学に励む。更にアメリカの市民権を取得。チコが訪ねてきたのはその頃となる。準備が整ったところで貿易商社サムエル商会を設立し、日本に帰国する。次郎は幕府伊賀同心組に接近するが、そこにいたのは太平楽になれた忍者とは名ばかりの集団だった。唯一忍びとしての能力を示した伊賀衆組頭、藤林源十郎を味方に付け、伊賀の里へ赴く。次郎が雇おうとしたのは伊賀衆30人。アニメと同様の罠が仕掛けられていたが、統領は60人の伊賀衆を次郎に提供する。また、伊賀の里では天海が直接指揮を執っており、次郎と天海、さらに実は生きていた真吾との決着もここでつく。また帰国後三平は真吾により罠に掛かった次郎を助けるため、殺害されている。次郎の父は太郎佐ではなく三平だったのでは?との示唆もされている)

源十郎をはじめとして9人の忍者を同志とした次郎は、倒幕軍を援助してさまざまな戦場で戦う。
松前白神屋敷も炎に包まれる。天海は次郎にこの場での決着を申し出るが、「春になり五稜郭が落ちるとき、お前の依って立つものは悉く失せよう。その時また会おう」との言葉を残し、その場を去る。

次郎はサムエル号内の食堂で船をドラスニックに任せ、源十郎、サム、さらにはジュリーにも別れを告げた。一人佐伊の村を訪れる次郎。天海により焼き滅ぼされた村。佐伊屋の前に一輪の牡丹を供え、次郎は白狼と共に去っていった。牡丹はおゆきが常に髪に挿していた花である。

1869年。函館戦争勃発。これが旧幕府軍と新政府軍の最後の戦いとなる。
砲声とどろく戦場を白狼を従えて歩む次郎。
アイヌ模様のバンダナ、同じくアイヌの上着、インディアンのパンツにモカシン(革靴)。腰には日月螺鈿の和刀カムイの剣。
次郎の前方より、幽鬼のように姿を現したのは僧服姿の巨人天海。
天海が僧服を脱ぎ捨てると、その下から現れたのは昇り龍の戦衣装。
天海が構えると、次郎は白狼を下がらせ、自らも構える。
次郎と天海の死力を尽くした、一対一の決闘が始まる。
戦いの最中、次郎はアイヌ模様のバンダナを天海に切り裂かれ、それは風に舞い宙に飛んでいった。

戦いを終えた次郎は三平と再会する。西郷隆盛の乗馬の口取りをしている。
「おはんが次郎さか。会いとうごわんした」
次郎に親しく挨拶する西郷。
しかし、次郎にはその西郷に天海の面影が重なる。何も応えず会釈して去る次郎。

次郎はカムイ・ヌプリを目指して歩み去る。
(原作小説2巻、3巻の一部)

以上が小説1・2巻および主に劇場版のあらすじである。もう少し簡単に収めたかったのだが、この後これを元に語りたいこともあり、長文となってしまった(汗)

次回は小説版のその後と感想を述べたいと思う。

「カムイの剣」ハルキ文庫

「カムイの剣」ハルキ文庫版全一巻。続きは…でそうにないな/笑(旧文庫版1・2巻相当)


小説版3巻以降のストーリー

以下、小説版のストーリーを紹介する。実際には映画の後半部分と3巻は時代が被ってしまう。小説2巻では、1868年(江戸幕府最後の年であり明治元年でもある)開城された江戸城に次郎が登城するところで終わっている。3巻はそれの続きとなる。

カムイの剣3巻カムイの剣 (3) (角川文庫 (5953))村野守美作画の洋装の次郎。粗い水彩画のように見えるが実際は??年齢も増し落ち着いた雰囲気で描かれている。

3巻「明治開国」編

天海打倒を果たした次郎は、キッドの財宝の資金力を背景に世界的貿易商社サムエル商会を設立した。次郎はそれを隠れ蓑に情報網を組織する。
さらにはインディアン娘チコことフランス女性ジュリー・ルシェルと結婚。結婚式にはジュリーの養父母アパッチ族のジェロニモ夫妻、さらには西郷隆盛夫妻も参列した。

初夜の床で愛し合う次郎とジュリー。ジュリーは白人でありインディアンの心を持つ自分を自ら「混血児」と呼び、次郎もまた自分は文字通り和人とアイヌの混血児であり、日本で生まれたがアメリカで知識と愛することを学んだ、その意味でも混血児だ、と語る。
日本とアメリカの、東と西を、異なる人種をつなぐ役に立つ人になって、とジュリーは語る。

しかし、喜びもつかの間、次郎を危険人物と見なしたフランス、ロシア、プロシアは次郎の暗殺を計画していた。さらにはアメリカからはピンカートン探偵社の密偵が次郎の動向を探る。
榎本武揚率いる旧幕臣軍蝦夷共和国を訪れた次郎は、総裁榎本、陸軍奉行大鳥圭介、元新撰組副長土方歳三らと面会。西郷からの親書を榎本に届けるが、二度にわたり暗殺の標的とされる。次郎は共和国がプロシア人に貸借した土地、ガストネル農場に潜入。そこで相まみえたのは「松前四人衆」の直弟子ともいえる天海配下の忍者の残党だった!

次郎は日本国の行く末を考えるようになっていた。どのような政治形態がよいのか、その中での自分の役割は?

函館戦争が始まり、土方は戦死、榎本、大鳥は投降する。敗北を悟った榎本は「今後の日本国に必要となるため」との書簡と共に「海律全書」を新政府軍参謀黒田清隆に送った。自らは切腹するつもりであったが、その寸前に介錯人に止められる。この事に感激した黒田は榎本助命のために奔走した。

次郎は西郷を通して若き明治天皇に謁見し、日本と世界情勢を説く。
(誤解されがちですが「ジェロニモ」はアパッチ賊の酋長ではないそうです。酋長の血筋ではあったようですが。「ウルトラマン」に登場した「怪獣酋長ジェロニモン」の影響でしょうか/笑。「ジェロニモ」という名前も彼の本名ではなく、彼を恐れたメキシコ人が「ジェロニモ」と名付けたのだとか。「ジェロニモ」はスペイン語ですが、英語に於ける「ジローム(ジェローム)」の事。インディアンは真の名前を名乗らないのが普通の為、「ジェロニモ」が通称として定着したようです。本名は「ゴヤトレー・ニモ」次郎のアメリカ国籍の名前は「ジローム・カムイ」義理の父の名前から貰ったものらしいです。なお帰国してからの次郎は本名「服部次郎佐」通称「神居次郎」と名乗っています)

カムイの剣4巻カムイの剣 (4) (角川文庫 (5995))こちらも同じく村野作画。若者らしい一途さと力強さを感じさせる。小説3巻以降の次郎のイメージにぴったり。

4巻「世界への道」編

1871年(明治4年)岩倉具視欧米視察団に随行することとなった次郎。しかし、次郎の新たな敵、ユダヤ人による組織「シオン同盟」とアメリカ秘密情報局に所属するクレイグ・トーマス元南軍中佐率いる特殊部隊が次郎の命を狙っていた。
岩倉使節団は渡米のため「アメリカ号」に乗船。しかし船内には最後の松前衆「千軒の万」が潜んでいた。
渡米途中、トラブルが起こる。インディアン部族に育てられたジュリーを侮辱するアメリカ人を次郎が銃殺した!
船長を裁判官として、アメリカ公使、岩倉大使が見守る中、被告次郎の船内裁判が開かれる。

カリフォルニアに到着した次郎はマーク・トゥエインと再会、さらにニューヨークにてヤコブ・シフというユダヤ人と会見しシオン同盟に対する考え方を改める。
さらにイギリスでは普仏戦争に敗れ亡命中のナポレオン三世と面談。ジュリーの父親フランソア・ルシェルの死の真相を知ることとなる。

同じ頃、ロシア、ドイツ、オーストリアの三帝会談が行われていた。それは白人主権による地球支配という目的のもと、日本占領という点で了解を得た。
さらにロシアでは異能者セルゲイ・エフィモヴィチ・ラスプーチン(ロシア革命の引きがねともなったかの怪僧ラスプーチンの叔父)が秘密警察によりペテルブルグに召還されていた。

カムイの剣5巻カムイの剣 (5) (角川文庫 (6015))強国ロシアの陰謀に立ち向かう次郎。というところだろうか。ペン画のように見える。配色がいい感じだ。これも村野作画。

5巻「ロシア南進策」編

徳川幕府、最後の伊賀集組頭として藤林源十郎は千軒の万の隠密任務を解く。自由な一個人として自らの好きに生きて良いのだ、と源十郎に諭された万は次郎の依頼で源十郎とともに清国への潜入を決意する。

次郎はカール・マルクスと会見。その見識に触れ、日本の行く末を新たな目で見据えるのだった。
ロシア、アメリカ政府はそれぞれ次郎抹殺を撤回し、むしろ日本新政府に隠然たる力を持つ次郎を操り自国の利益に結びつけようと考えるようになっていた。
アジア侵攻の為、不凍港を確保したいロシアは満州旅順港がなんとしても欲しい。その為、日本と清国の戦争を扇動し、清国保護の目的で満州に派兵するつもりであった。日本政府を誘導するためには次郎を利用できる。次郎を操るため、ジュリーとその子供達の誘拐を画策していた。
アメリカはロシアのアジア進出を警戒し、ロシアの力を削ぐ為に日本を利用するつもりだった。次郎はアメリカ国籍をもつアメリカ人なのだ。

1873年(明治6年)およそ2年ぶりに日本に帰国した次郎。ジュリーとの間に生まれた双子の男子、フランソアとタローは満4歳に成長していた。次郎はサムを通じてサムエル商会アメリカ情報部から妻子がロシア公使と面会するときにはくれぐれも警備を厳重にするように、との報告を受けた。

次郎が日本を離れていた2年の間に、日本では大きな政変が起きようとしていた。
士族の不満は高まり、征韓、征台といった海外侵攻が叫ばれていた。士族の不満を国外に向け、政府へ向く矛先をかわそうというのが岩倉、木戸派の狙いだった。西郷は当初士族を使い捨てにしようとする、この政策に反対するが、汚職等不正行為の絶えない新政府に見切りを付け、逆に征韓を強く進めるようになる。
征韓の口実を作るため、自分が朝鮮国に大使として赴き斬られてくる、というのだ。西郷の思惑では、そのどさくさにさらなるクーデターを起こし、明治新政府をも打倒するつもりであった。
岩倉の策謀に敗れた西郷は辞任し、郷里薩摩へと帰って行く。

清国に潜入した源十郎と万は前日本駐留、現在は清国駐留のロシア公使ビュッツォフからロシア南下政策の陰謀を探り出す。
日本が清国と戦争になってもロシアは介入しない。そんなことをすればロシアそのものが疲弊してしまう。日本、清国が争い疲弊している間にロシアは朝鮮半島を取る、と。

同じ頃、セルゲイ・ラスプーチンは諜報員としての最後の実地訓練を受けていた。それはアジアへの派遣を前提とした訓練だった。

…残念ながら矢野徹の小説はここで長期に渡り休筆され、2004年矢野徹が亡くなるまで続きが書かれることは無かった。

感想

1~2巻では文字通りの冒険小説として描かれ、星新一などは「日本でも五本の指に入る」傑作だとの賛辞を送っている。
幕末という時代、ほんの150年ばかり前の時代に生きた一人の日本人次郎が、「混血」の「捨て子」という社会的弱者の立場で、村社会で生まれ育ち、一つの権力によって、「忍者」という表社会とは断絶した一つの機能としての役割しか持ち得ない道具に仕立て上げられる。家族を殺され、友人を殺され、師を殺され、自分が関わったほぼ全ての人間を権力の名の元に殺される。さらにその権力によって虐げられた民族、アイヌやアメリカインディアン、金で売買される黒人奴隷、を友としてその理不尽さを身をもって知る次郎。

次郎の旅01

次郎の旅02

角川映画株式会社DVD「カムイの剣」チャプターマップより
殆ど徒歩ってのがすごい

小説では全巻に渡ってこの点が特に強調されている。リアルにこの時代を描こうとすれば、当然避けては通れない部分なのかもしれない。当時の日本、ひいては世界の列強国を見回しても、今の我々が考えているような形での「民主主義」などという制度は存在しない。
君主制議会制度はヨーロッパ各国で行われているが、参政権が全ての人間に平等に与えられていたわけではない。女性に選挙権が与えられたのは、ヨーロッパ先進国においても1900年代に入ってからがほとんどだ。
アメリカにおいても1865年(1868年が明治維新の年である。その3年前だ)南北戦争が終結し、黒人に公民権が与えられ、表面上の「奴隷解放」が行われるが、人種隔離政策は公然と20世紀半ばまで続けられた。
日本でも江戸時代以前の身分制度は言うに及ばず、明治以降になっても「北海道旧土人保護法」なるものが1899年~1997年まで施行されていた(アイヌ文化振興法施行により廃止)表向きアイヌの保護が目的だが、当初、実際にはアイヌ文化の破壊、土地の収奪が目的であり植民地支配的民族同和政策の一環として施行されたもののようだ。アメリカ政府のインディアンに対する「民族浄化」政策と酷似している。
たびたびアメリカを引き合いに出して申し訳ないが、私は特にアメリカを非難したいわけではない。アメリカがそれだけ親しい国なので、他国よりも多少歴史を知っている、というだけである。

法律の元となる倫理道徳は、時代により異なる。その時、その場所では当たり前だったことが、別の時代の人間から見ると非人道的であったり、野蛮であると感じられることは、むしろ当然であるのかもしれない。
言語や生活習慣、文化の異なる複数の人種が邂逅したとき起こる軋轢、その解決手段は武力であり、結果勝者が支配層となり、敗者が被支配層となる。それで当然の時代がかつて存在した。いや、現代もさして変わってはいないのかもしれない。

勿論、私は人種差別主義者ではない。むしろ逆だと思う。
道徳観の違う、異なった時代では人種差別は当然であった、と言いたいのではなく、それはそれで事実として受け入れなければならない、と言いたいに過ぎない。現代の人間の尺度で過去の人間をはかるのは、必ずしも正しくない。

100年後の人類にとっては、現代の人間がひどく野蛮に見えるのかもしれない。「牛や豚を殺して食べるなんて、21世紀の人間はなんて野蛮な人々だったのだろう」なんて言われているかもしれないのだ。200年前、誰も月に行けるなんて考えていなかった。100年後、生物を食物源として殺さずに生きていける時代になっていないと、誰に言えるだろう。
誤解を受けるといけないので一応書いておくが、私は菜食主義者でもなければ過激な動物愛護主義者でもない。特定の宗教の狂信者でもない。これはあくまで比喩である。

ただ、それを間違っていた、と考えるならその事実を問題提起と考えて、今後どうするか?が、問題なのだ。
200年前の人間に考える力が無かった、とは思えない。ただ知識は今の我々から見れば浅薄だったかもしれない。
広い見識こそが、偏見を克服するし、その偏見の元となった社会的経済的問題を解決する…助けになる。知識だけが万能ではないのだが、必要なものであることは確かだ。
実際の所、現代がかかえているエネルギー問題や、環境問題をどう解決すればいいのか私には皆目見当もつかない…

天海を倒した後の話となるが、本作品中3巻での次郎とジュリー結婚初夜の晩の語り合いはそう言う意味でも極めて重要な意味を持つシーンなのだ。

次郎はこの時代の矛盾に真っ向から立ち向かおうとし、数々の悲劇を目にする。その抑圧が後半、キッドの財宝を手に入れ、財力と知識を武器に天海を追い詰めていく復讐劇に説得力と共感、解放感を与えているといえる。次郎にとってはその矛盾の源、権力の象徴こそ天海だからだ。

小説3巻以降は1・2巻とは10年以上時代を経て書かれたこともあったのか、冒険小説、というよりも歴史小説のような体裁をとっている。
維新後の次郎の活躍を描くものだが、ラスプーチンの(おそらく)次郎の妻子誘拐の為の派遣直前で終わっているところが非常に残念だ。
ラスプーチンはロシア秘密警察アフランカメンバーで表向き催眠術師、ということになっているが実は超能力者でテレパス。次郎との対決が非常に楽しみだったのだが…
また、3巻以降では小説部分とは別に矢野徹の自叙伝的な記述が随所に見られ、その部分が興味深くもあり、かつ、小説としては興を削ぐものとなってしまっているのが残念だ。小説として書き上げて欲しかったし、完結させて欲しかった。

映画版では前述した「人種差別的描写」は最低限に抑えられているが、やはり作品のテーマとしては意識して描かれている。
次郎の最後の決闘の場面。次郎はアイヌとアメリカインディアンとの折衷とでも言うべき衣装で天海に臨む。これは虐げられた民から権力への復讐である、その象徴とも読み取れる。天海を倒したとき、アイヌ模様のバンダナがちぎれ飛ぶのも、束縛から解放されたことのシンボルだろう。

何はともあれ、劇場版は華麗で新奇な映像、音楽と映像の調和、斬新な演出、意外なストーリー展開で、二時間にもわたる長編でありながら飽きさせない。おそらくりんたろう監督の最高傑作だと思うのだが…ちまたの評価はあまり高くないようだ。
SFアニメ全盛期に地味な時代物、さらに村野守美の劇画調のキャラクター(人によってはこれも地味に見えただろう)というのが、興業が揮わなかった理由の一つとは思う。
今、改めて見れば「これは無駄なカットだな」と思える場面も確かにある。
しかし、何より問題だったのは広報がこの作品、及びアニメーションのことを理解していなかったからではないだろうか?
「カムイの剣」映画予告編。全体的には良くできていると思うのだが…「驚異の実写感覚で迫る…」なんてコピーが使ってある。
可笑しい(笑)「実写感覚」が具体的に何を示しているのかよくわからない。実写映画的演出手法という意味なのだろうか。
何れにしろアニメ映画で「実写感覚」を売りとするのは矛盾している。アニメーションには実写とは異なる表現媒体としての優位さがある。だからこそアニメーションを作る意義があるはずだ。であるにも関わらず「実写感覚」を売りにしてはいけない。
「驚異のアニメ感覚で迫る…」なんてコピーの実写映画を仮定すればこの滑稽さは理解いただけると思う。
時代的に「実写映画」→大人向け、「アニメ映画」→子供向け、故に「実写映画」の方が作品として高級。という理解があった上でのコピーなのだろうけれども。
おそらく角川映画の広報が作ったコピー、と勝手に推測しているが…もしりんたろう監督の指示だったとしたら、私のりんたろうへの評価はがた落ちである(笑)

映画雑誌でもその「実写感覚」が批判されていた、と私はおぼろげに記憶していたのだが、こちら様のサイトにそこいらの事情が少し詳しく解説してある。

映画フェイスさん該当ページ
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/75473/2672396

映画の紹介、感想も詳細に渡ってます。私がこれ以上書くことはほとんどないや^^

次郎と天海、西郷

AmazonのDVDレビューでは大半の方に支持されている、劇場版「カムイの剣」だが、一人だけ星一つ評価の方がおられる。
その方は「意味不明のラスト」と書かれている。
「ラスト」とはおそらく、天海との決闘を終えた次郎が西郷隆盛と出会い、西郷に天海の面影をみる。次郎は西郷には何も応えず、会釈して去る。
このシーンを指しているのではないだろうか。
原作小説においては西郷と天海が瓜二つであることが明記されている。そして、おそらく兄弟であるらしい事が示唆されているのだが…
劇場版に関してはこの説明はない。ここで唐突に二人が瓜二つで、兄弟であるらしいことを示しても作劇上なんの意味もない。
私は映画をはじめに観たわけだが、その時はこう感じていた。
伊賀屋敷で次郎はこう語っている。「官軍であれ、幕府軍であれ所詮首のすげ替えが行われるだけの事。俺に大義名分はない」
つまり、西郷に天海の面影をみる、というのは天海と同じ、非情な権力者としての影を見たのではないか?と、思ったのだ。
しかし、後々考えるに、それは妙だ。
映画の制作者が、原作小説を読んでいない、とは考えにくい。少なくとも監督や脚本家(真崎守)は読んでいるだろう。小説では、西郷は次郎に対してもっとも友好的な人物の一人として描かれている。また3巻においてはジュリーとの結婚式で、次郎の親代わりもつとめている(3巻の発行は1984年12月のようなので、映画製作の最終調整中といった時期かとは思われるが)
さらにその後の実際の歴史を考えると、西郷を権力の象徴、と見るのは無理がある。
明治六年の政変で西郷は失脚し下野しているのだ。その後西南戦争が起こることとなり、西郷は介錯人に首を切らせる。
この史実を考えると、私が映画を見終わった後に考えた解釈もいささか釈然としない。
次郎は西郷に何を見たのか?天海とは次郎にとってどういう存在だったのか?を改めて考えてみて気付いた。
あぁ、これは「父殺し」だと。

父殺しの物語

以前友人に聞かれたことがある。
「いつ父親を殺しました?」
「さぁ、いつだったかよく覚えてないけど、多分大学生の時」
と、私は答えた。
端から聞くとなんだか物騒な会話だが、もちろんこれはリアルな「殺人」の事を語っているわけではない。
心理学的な象徴的意味に於ける「父殺し」である。
私の父母はまだ健在だ(笑)

心理学的な意味に於ける「父殺し」または「親殺し」は、少年期から成人になるための、一種の「通過儀礼」と見なされている。
私の心理学的な知識はフロイト、ユングで止まってしまっているのだが、理解している限りで解説してみる。

「親」とは子供に対して二面性を持った存在である。
全てを許し与えてくれる、「慈愛」の体現者としての親。
もう一つは子供を束縛し、自らの価値観を押しつける「支配者」としての親である。
子供が成長し、自我が目覚めると「支配者」としての親との対立が始まる。
子供は親から離れようとするが、親は子供を支配下から手放したがらない。
通常は子供が自らの価値観を獲得し、第三者の異性からの愛情を勝ち得、経済的、精神的に独立することで親離れが完了する。
親と対等の関係を築くこと。これが「親殺し」である。

「カムイの剣」に話を戻す。
養母、義姉を殺害されて以後、次郎の親代わりとなり、経済的、精神的に支えたのはまぎれもなく天海である。次郎にとって天海は権威を持ち、逆らうことは許されない「支配者」としての父、そのままの人物だ。
天海にとっての次郎は、か弱い、取るに足らない小物であり、自分の意のままになる存在だ。天海がそのように育てたのである。

天海の手の内から逃れるべく、次郎は抵抗する。キッドの財宝を得(経済的独立)、チコ(異性)の愛情を勝ち得、昌山から、またアメリカでの勉学で自らの価値観を磨いた(自己の価値観の確立)。
最後に成すべき事は?そう父親に成長した自分を認めさせることだ。
キッドの財宝を手に入れた次郎にとっては、自ら手を下さずとも天海を倒すことは可能だったはずだ。幕府に、あるいは新政府に働きかけて天海を無防備にする。そして暗殺。しかし次郎はそうしなかった。
成長した自分を認めさせる、その為には降ってわいたように手に入れた財宝の力ではなく、自ら個人の、一個の生物としての力で天海を屈服させなければならない。次郎にとってこれは己の存在を賭けた、避けては通れない試練だったのだ。
だからこそ次郎は天海の権力の衣をはぎ、権力を持たない一個の人間とした。そして自らも一人で天海に立ち向かったのではないだろうか。

カムイの剣で脳天から一突き、致命傷を負った天海の顔は驚愕から徐々に菩薩の如き穏やかな表情へと変化する。 『たくましゅうなったのう、次郎』と語っているように、私には感じられた。

決闘を終えた次郎は西郷と出会う。西郷の顔に天海の面影が重なる。
次郎は西郷に「慈愛」の体現者としての父親をみたのではないだろうか?
三平をはじめ多くの薩摩士族が西郷に共感し心酔する。しかし、次郎は三平のようにその懐に入っていくことを拒んだ。
やり方は違えど、天海もまた「恐怖」という武器を使い、西郷同様多くの支持者を得ていたのではないか。自分もかつてはそのうちの一人だった。
信頼できる人物に自分の行く末を託すのはある意味安易な生き方である。それは自らの判断力を棚上げすることにもなる。
たとえその相手が慈愛に満ちた西郷であろうとも、次郎は自ら築き上げた価値観の元、一人で生きていく道を選んだ。
西郷に背を向ける次郎はそう決意しているように思えるのだ。

長々とした文章となってしまったが、「カムイの剣」話は取りあえず終了^^
読んでいただいた方ありがとうございます。
文章表現のおかしな所、読みにくい所などはそのうち徐々に修正させていただくかもしれません。

謎のフルベッキ写真

最後にオマケで「維新英傑そろい踏み」(笑)の「謎のフルベッキ写真」をご紹介しておきます。
西郷隆盛や高杉晋作、今話題の坂本龍馬まで一同に会した幕末写真…とされています。詳細はリンク先をご覧下さいませ。

謎のフルベッキ写真

グイド・フルベッキ ウィキペディア

ダブルクリックすると大きな画面が開きます
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Verbeck_picture.jpgより
撮影:1868年上野彦馬

西郷隆盛だとされているのは写真ほぼ中央、洋服姿の親子(フルベッキ親子)の真後ろ、画面やや左側を向いている人物です。坂本龍馬とされているのは最前列右から4人目のこれまた左側を向いている人物。

「カムイの剣」に登場する実在の人物、事物、事件(リンク集)
網羅的なリンク集ではないことをまずお断りしておく。名前だけ出てきた有名人は上げていけばきりがないのだ(笑)
なるべく小説、アニメ登場順に書き出していったつもりだが、必ずしもそうでない部分も多い。関連性を考え、関連人物を並べたところもある。
リンク先は基本日本語版ウィキペディアである。記述の公平性を少しでも高めようとすると個人サイトよりもその方がよいと思ったからだが、ウィキペディアに書かれていることも必ずしも正しい情報とは言えない、ということもご周知いただきたい。

人物日本人
安藤昌益 作中では次郎の師、安藤昌山の祖父とされる医師。平等思想を唱えた。
小栗上野介(忠順)
幕府勘定奉行。天海の上司。
小笠原佐渡守(小笠原長行) 幕府老中。同じく天海の上司に当たる。
西郷隆盛(吉之助) 維新三傑の一人。維新政府内、作中で最も次郎に好意的人物の一人として描かれている。
大久保利通 薩摩を代表する維新三傑の一人。西郷を切り捨て、新しい建国を目指す。
岩倉具視 維新新政府内での西郷の政敵。岩倉使節団大使。アメリカ号内の裁判では被告次郎の裁判を見届ける。
榎本武揚 蝦夷共和国総裁。新政府軍を相手に最後の幕臣軍を指揮した。
大鳥圭介 蝦夷共和国での榎本の同志。
土方歳三 元新撰組副長。同じく榎本の同志。函館戦争にて戦死。
明治天皇 大政奉還後、江戸城で次郎の教授を受ける。
三野村利左衛門 三井屋大番頭。次郎の情報源の一つ。
徳川慶喜 幕府最後の徳川将軍。維新後、源十郎に「元幕府、伊賀衆忍びの者は伊賀衆組頭、藤林源十郎に従うこと」という書き付けを与えた。
人物外国人
キャプテン・キッド(ウィリアム・キッド) イギリス、スコットランド生まれの海賊。多くの有力貴族から支援された私掠船船長でもある。彼の隠し財宝がこの作品の発端となる。
ジェロニモ 次郎の妻となったジュリーの養父。作中では酋長と表記されている。
マーク・トゥエイン(トウェイン) 新聞記者、作家。次郎にサンタ・カタリナ島の事をレクチャーする。数年後再会。アメリカ号内での事件の証人となる。
ブリュネ大尉(ジュール・ブリュネ) フランス陸軍。幕府軍軍事顧問として招かれる。函館戦争に参加するがフランス艦へ避難し本国に送還される。おそらく「ザ・ラスト・サムライ」の主人公のモデルの一人。
ユージン・ヴァンリード(ヴァン・リード) 蝦夷共和国にて榎本にハワイ侵略・ハワイ亡命を薦めるオランダ系アメリカ人商人。
ガルトネル プロシア人貿易商。榎本政府と土地租借の条約を結ぶ(リンク先はガルトネル開墾条約事件)
グラバー(トーマス・ブレーク・グラバー 薩長に武器を輸出したイギリス商人。作中ではサムエル商会の息の掛かった人物。
メルメ・デ・カション(メルメ・カション) フランス公使レオン・ロッシュ通訳。作中ではフランソア・ルシェル殺害に絡む重要人物。(リンク先はレオン・ロッシュ)
モンブラン伯爵(シャルル・ド・モンブラン) フランスでの次郎の情報源の一つ。
ヤコブ・ヘンリー・シフ(ジェイコブ・シフ)
ドイツ生まれのユダヤ人銀行家。ニューヨークで次郎と会見する。
フルベッキ(グイド・フルベッキ) 致遠館(英学校)で教鞭を執るオランダ系アメリカ人、法学者・宣教師。岩倉の会話に名前だけ登場。フルベッキ写真も参照のこと。
デ・ロングアメリカ公使(チャールズ・デロング) 岩倉使節団に同行するアメリカ公使。日本使節に対して好意的、かつ公正な人物。
ユリシーズ・グラント大統領 第18代アメリカ大統領。次郎、使節団と面談する。
カール・マルクス 「共産党宣言」「資本論」で著名な思想家。次郎と面談する。
オットー・フォン・ビスマルク ヴィルヘルム1世時代のドイツ首相。使節団と面談する。
グレゴリー・ラスプーチン ロシア革命の引き金ともなった、怪僧。作中ではグレゴリーの叔父、セルゲイが秘密警察部員として登場する。(グレゴリーもホンのちょい役で登場する)

事物・事件
アイヌ 日本とロシアにまたがる北方先住民。次郎はアイヌと和人の混血児である。
和人 日本列島に住む多数派民族。(リンク先は大和民族)
インディアン アメリカ大陸の多数派先住民族グループの呼称。
奴隷 人間でありながら所有物とされる者。
カムイ アイヌにおいて神格を意味する言葉。
松前藩 現在の北海道に居所を置いた藩。
服部氏 日本の氏族の一つ。戦国時代徳川氏に仕えた。
藤林氏 伊賀流、上忍三家の一つ。
明治維新 江戸幕府倒幕から明治新政府にいたる一連の革命、改革。
蝦夷共和国 明治元年から翌年にかけて北海道に短期間存在した佐幕派による政権。
岩倉使節団 明治4年から6年にかけてアメリカ・ヨーロッパに派遣された海外使節団。
ピンカートン探偵社 作中ではピンカートン探偵社創立者、アラン・ピンカートンの息子、ビル・ピンカートンが登場する(実在の真偽不明。リンク先はピンカートン探偵社)
トリデシリヤス条約(トリデシリャス条約) 1494年スペインとポルトガルとの間で結ばれた「新世界」領土分割方式を定めた条約。法皇アレクサンデル6世により承認された。第4巻「船内裁判」にて次郎がその時の法皇の言葉を引き合いに出すシーンがある。
シオン同盟
三帝同盟 1873年、ドイツ・オーストリア・ロシア間に結ばれた同盟。その前年、1872年三帝国の皇帝で会談が開かれた(三帝会談)小説中ではその様子が語られている。
征韓論 不平士族の不満をそらすための、国外への侵攻政策。
西南戦争 1877年(明治十年)九州地方で起こった、日本最後の内乱。

トリデシリャス条約とアレクサンデル6世

白人優位主義が当然だった当時、その法律を逆手にとってアイヌに差別的な日本の悪徳役人を次郎が懲らしめる、というエピソード。

次郎の恩人でもあるアイヌの少女セトナとウカラ(アニメにおけるウラカ)はサムエル商会の社員、次郎の身の回りの世話をするためアメリカ号に乗り込んでいた。二人は恋人同士でもある。
岩倉使節団随員長山文治郎が、セトナを言葉巧みに自室に連れ込み性的暴行を加えようとするが、ウラカによって助けられる。
船内での女性客への暴行事件として船長にその裁定が委ねられる。

「カムイの剣」4巻 7 船内裁判 p.90~93より引用

 この時代、役人は市民に奉仕するもの、などという考えはまったくなく、かれの頭にあるのは、アイヌ原住民による官吏への脅迫と侮辱の罪ぐらいのところだったのだろう。
サムエル商会社員が襲われた事件だというので、カムイの次郎も社長として、船長室へ同行することになり、長山のほうは同僚の一人を連れてきた。
女性乗客に対する暴行未遂の訴えとあっては、船長も無視することができない。それでまず事情を聞くことになったが、犯人の長山は、なぜ悪いのかわからないようだった。
「なぜそんなことをしたのか?」
という質問には、
「だいぶ長いあいだ女を抱いていないからな」    
という、船長も唖然とするほかない答。
カムイはいった。
「もうすこし真剣になられたらどうです? アメリカ合衆国の法律によると、強姦はときによると死刑になる罪ですぞ」
長山は平然と答えた。
「ここはアメリカではないし、強姦はしていない」
船長はそれを聞いて、
「この船内は、アメリカ国内と同じ法律を適用するし、強姦しようとしたことだけでも、重大な犯罪なのですぞ」
長山の同僚は、眉をよせて尋ねた。
「アイヌを、人間扱いしなければいけないといわれるのか?」
船長はもう一度唖然として答えた。
「当然のことですよ……すべての人は平等に作られていると、リンカーン大統領もいわれました。何人に対しても悪意を持たず、慈愛の心をもって接するべきだとも……」
そいつは勢いこんでいった。
「アメリカ人はインディアンを平等に扱っているといわれるのですか? 日本のアイヌは
貴国のインディアンと同じ……」
カムイは手を上げて船長に発言を求め、長山たちにむかって話した。
「きみたちは、白人と同じ間違いを犯そうとしていますな?」
「どういうことだ?」
「スペインとポルトガルのあいだで結んだトリデシリヤス条約というのをご存知か?」
「知るものか?」
と、長山はいまいましそうに答え、カムイは忠告した。
「あなたがたに、かりにも外交官になろうとする望みがおありなら、知っておかれるほうがいい。一四三九年から翌年にかけて、コロンブスが第一回の航海からもどってくる前に、(注:原文ママ。コロンブスが最初の航海に出たのは1492年、翌年スペインに帰国している)新しく発見される世界の島々を、その両国のあいだで分けあうための条約が結ばれた。グリーンランドとブラジルのあたりを結ぶ子午線、日本の四国とオーストラリアあたりを結ぶ子午線を、それぞれ法王境界線として……」
「法王境界線?」
「法王アレキサンデル六世が仲裁に入ってきめたので、そう呼ばれる。前の境界線より東はポルトガル、西はスペインの所領としたんだ」
「それがどうしたのです、カムイどの?」
と、長山の同僚は、わけがわからんといった顔つきで尋ねた。
「そのとき法王がいった言葉が、こんどのことに関係してくるのですよ……スペイン人やポルトガル人が島々を新しく発見し占領するときには、当然、原住民とのあいだに争いがおこる。そのとき、もちろん白人を殺してはいけない。たとえ、占領するときの邪魔になろうとも、だ。しかしながら、有色人種は人間とは考えられないから、殺しても罪にならぬ。ただし、キリスト教に帰依しているものは、人間に準ずるものとして、みだりに殺さないこと、と法王はさとしたのだな……」
「それがどうしたと、わたしは聞いているのですが?」
「まだおわかりにならぬのかな、いまの考えでいけば、白人はあなたがたを殺しても罪にならない」
「なぜです?」
「おわかりにならぬのか、政府の役人ともあろうものが。論理的帰結でしょうに。あなたがたは、わたしと同じ有色人種だからだ!」
「何だと!」
「あなたは、セトナがアイヌ人種だから暴行を加えてもいいという。罰の対象にはならないと。その愚かな考えの根底にあるのは、この馬鹿な法王とまったく同じだ。ところが人種的にいえば、アイヌ民族は白人らしい……この二人があなたがたを殺しても罪にならぬ理屈……反対に長山さん、あなたは白人種の娘を犯そうとした。有色人種の男性による白人娘への強姦未遂……これは白人のトーン船長にすれば、あなたを帆桁に吊るしてもいい罪状なのですぞ!」
船長は大きくうなずき、長山は次郎にむかってなぐりかかり、そして一瞬のうちに気絶していた。
「ミスタ・カムイ、あなたはこの日本政府の役人を殺したのか?」
顔色を変えたトーン船長にむかって、次郎はにやりと笑った。

無論次郎は長山を殺してはいない。この件は長山の過失とされ、壊された船室の扉、およびセトナの衣服に損傷が与えられていた場合にはその補償を長山がする、ということで落ち着く。

法皇アレクサンデル6世の発言とされている部分に関しては、少し調べてみたがネット上では情報ソースを確認できなかった。
法皇を侮辱する記述ともとれる事を、情報ソースもなしに矢野徹が作中で書く、とはちょっと考えられない、と個人的には思っているが、正直なところ裏付けはとれていない。
ただ、このアレクサンデル6世はローマカトリック教会が最も腐敗堕落した時期の法皇であり、その代名詞ともされる法皇だということは付け加えておく。

アイヌ=コーカソイド(白人)説は今では否定されていることも付け加えておく。
矢野徹がこの説を支持していたのか、あるいは明治という時代に合わせてこのような記述をしたのかは不明である。


次郎とおゆきの近親相姦的恋愛感情に関して

サンタカタリナ島にて、実は次郎、おゆきは太郎佐の血をひく異母兄弟と判明する。
太郎佐・オヤルルの子=次郎、太郎佐・佐伊の村のツユの子=おゆき、という訳である。
天海「そうとは知らずにお互いにひかれあい、まんまと追跡は成功した」

互いに血のつながった兄妹・姉弟が、惹かれ合うという事例が2008年にあったのでご紹介しておく。

双子の男女が知らずに結婚、婚姻無効に 英国(msn産経ニュース 2008.1.12 09:31)
一応、記事全文をコピペしておく。

 【ロンドン=木村正人】英国で別々の両親の養子となった双子の男女が血のつながりを知らないまま結婚、その後、双子と分かり裁判所から「近親結婚」にあたると婚姻を無効とされたケースが11日、英上院の審議で報告された。英BBC放送などが伝えた。

 ある上院議員が裁判官から聞いた話として紹介した。双子の詳細については明らかにされなかったが、2人は「双子とは知らなかった。お互いに避けがたい魅力を感じた」と結婚した理由を話しているという。上院議員は「近親結婚の悲劇を事前に防ぐためにも、養子となった子供たちには血のつながった親が誰なのか知る権利がある。隠しても真実はいずれ分かるのだから」と話した。

 専門家によると、双子の男女は血縁を知っていると拒絶反応を示すが、知らないとお互いに強くひかれる傾向があるという。養子縁組だけでなく、生殖医療が進む中で、子供たちに血のつながった親を知らせる方法が問題になりそうだ。


| 未分類 | コメント(0)

安倍首相、ストレスと福島の桃を食べて嘔吐する #自ら放射能の危険性を証明してしまった歴代最初の首相か

TKY201307310447.jpg






http://www.news-postseven.com/archives/20150810_341383.html?PAGE=1

安倍首相に異変か 真夏の永田町に怪情報が浮かんでは消える

2015.08.10 07:00



mixiチェック












■ 稼げる副業なんて全部嘘?いいえ syouken.biz

嘘の副業に騙されないで、本物で稼ぐ!貴方がこれから見る情報が本物です/提携

Ads by Yahoo! JAPAN




























 真夏の永田町に〈官邸内に異変か〉──という怪情報が浮かび、消えたかと思うと、また別のところで立ち上る。

 内容はかなり具体的だ。時は礒崎陽輔・首相補佐官の「法的安定性は関係ない」発言で国会が紛糾していた7月30日、場所は官邸5階の総理執務室である。この日、安倍晋三首相は午前中の参院安保特別委員会の審議に出席した後、昼食のためにいったん官邸に戻り、12時に福島県の「ミスピーチ」の表敬訪問を受けた。“異変”はその後に起きたとされる。

〈総理がストレスの蓄積から昼食を摂るのを拒むほどの身体の不調を訴えて嘔吐した。(官邸常駐の)医者の応急措置を受けた〉──という情報である。

 官邸詰めの番記者の間でも、当日、「(総理や官房長官の執務室がある)5階が一時バタバタし、外部とも連絡を取っていた。何かあったようだ」と騒然となった。

 国会では連日、安保法案審議が続き、国民の反対デモは広がりこそすれ、鎮まる様子はない。これまで安定していた内閣支持率は30%台に急落し、それに加えて戦後70年談話や側近の失言への対応で首相は神経をすり減らしている。

 潰瘍性大腸炎の持病がある安倍首相には、8年前に病状悪化が原因で政権を降りた過去がある。情報を掴んだ一部の自民党議員や公明党幹部が“法案審議に影響を与えかねない”と心配して真偽の確認に走った。

「大したことはなかったらしい。おおかた前の日に好物の脂っこいものでも食べて、官邸の医務官から胃薬か何かもらったんだろう。それが大袈裟に伝わったんじゃないか。総理は午後の審議も通常通りこなした」(自民党議員)

 確かに、安倍首相は午後からの安保審議に予定通り出席し、夜は自民党議員の資金パーティーに続いて榊原定征・経団連会長ら財界人との宴席をはしごしている。常識的に考えると、体調が悪い人にこなせる日程とは思えない。体調異変情報はいったん消えた。

 ところが、翌々日の土曜日(8月1日)に3時間近く、「ジム」に行ったことで噂は吹き返した。

 安倍首相は時折、休日に六本木のホテルにあるフィットネスジムに通う。「健康づくりのため」と称しているが、不思議なことに、あれほど健康パフォーマンスに余念がないにもかかわらず、そこで運動する様子をメディアに公開したことはない。「総理のフィットネス通いは隠れ蓑。ホテルで医療チームの検査を受けている」という見方が、記者や議員の間では半ば常識となっている。

 前出の自民党議員も、「もし体調に懸念があるようなら、週末にフィットネスに行くはずだと注目していたら、本当に行ったから驚いた。30日は無理して午後からのスケジュールをこなしてみせたのかもしれない」と再び情報が錯綜した。

※週刊ポスト2015年8月21・28日号

| 未分類 | コメント(0)

長崎市長の言葉で 会場から拍手が一気に 落ち着きがなくなる安倍晋三


http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/400.html
「長崎市長の言葉で 会場から拍手が一気に 落ち着きがなくなる安倍晋三 」 犬丸治氏
http://www.asyura2.com/15/senkyo190/msg/400.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 8 月 09 日 23:33:05: igsppGRN/E9PQ
   

 



「長崎市長の言葉で 会場から拍手が一気に 落ち着きがなくなる安倍晋三 」
http://sun.ap.teacup.com/souun/18060.html
2015/8/10 晴耕雨読


犬丸治氏のツイートより。https://twitter.com/fwgd2173

>BBC News Asia Japan remembers the Nagasaki atomic bomb - 70 years on: http://bbc.in/1EgU3Rc












>mai 長崎市長が、「不安と懸念の声にこたえ、真摯な審議を」と安保法制に言及したところで会場から拍手が!NHKのカメラは安倍アップ。





>菅野完 「いま憲法の理想が揺らいでいるのではないでしょうか?」という長崎市長の演説で、拍手が沸きおこた瞬間に、安倍総理をドアップにしてキョドった安倍ちゃんを画面いっぱいに映したNHKのカメラマンさん、ナイス!


>こたつぬこ 長崎市長平和宣言「戦争をしないという理念は永久に変えてはならない。広島、長崎、沖縄、そしてアジアの人々を苦しめた惨禍を忘れてはならない。日本政府に訴える、核抑止力に頼らないでください。安保法制の審議のもと、日本国憲法の理念が揺らいでいる懸念が広がっています(会場から盛大な拍手)


>バカボンのパパなのだ! 目が泳ぎ出したのだ!RT @hiromi19610226: この 長崎市長の言葉で 会場から拍手が一気に 落ち着きがなくなる安倍晋三








>こたつぬこ 被曝者代表平和への誓い「原水爆禁止運動にはげまされ、時代の山ではなく運動のなかでいきてきた。政府がすすめている安保法制は、被爆者の思いを根底から覆すものであり、到底許すわけにはいきません(会場から盛大な拍手)」


>BuddyLee 長崎の被爆者代表の谷口さんの記事だ。 Japanese pensioner reveals horrifying scars 70 years after Nagasaki http://t.co/1yjfOB25I0 via @MailOnline




>こたつぬこ 原爆投下70年の、長崎市長と被爆者代表の平和への希求と安保法制への怒りは、これから世界中に広く発信されますよ。これまでにないインパクトで。


>荻上チキ (総理あいさつの時、会場から野次をあげた男性がいた。会場でプラカードをかかげようとして、警備に止められる方も数人。その人たちは、かわりに腕でバッテンマークを作って抗議していた)


>こたつぬこ NHK昼のニュースのトップで長崎市長の安保法制への懸念。長崎市長が読み上げているときの、目が泳いでいる安倍をアップで映す。


>きむらゆい@フォーラム4 TBSニュース11時30分 長崎水爆投下の日 長崎市長は「日本国憲法の平和の理念が今揺らいでいる」と。その時大きな拍手が起こり、カメラは安倍の目がキョロキョロと泳ぐのを捉えた。ニュースの前のサンモニでの報道も見事。











>布施祐仁 被爆70年の長崎は谷口稜曄さんが被爆者代表としてスピーチしたのか。谷口さんの存在自体がどこに日本の進むべき道があるかを示していると強く思う。 「平和への誓い」谷口さん―長崎平和祈念式典 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a


>荻上チキ (ちなみに、来賓献花時、山本太郎議員の名前が呼ばれたとき、会場からざわめきと拍手が…)


>Kenneth Roth #Nagasaki atom bomb especially pointless. After Soviet advance, Japan was surrendering anyway. http://bit.ly/1Mc654E






>北丸雄二 NYタイムズの論説。広島と長崎との原爆投下の意味は全く違う。少なくとも長崎は意味がなかった。ソ連が進軍した時点で、日本はいずれにしても降伏したのだから、との論旨。米国にも被爆者たちに心を寄せる冷静な分析が目立ち始めている。


>國枝孝弘長崎平和宣言が、今年もさっそく11カ国語で公開されています。本当に尊いことです。少しでも多くの世界中の人に読まれるように…http://t.co/3F1cQ3bzjK

>kazukazu88 長崎追悼のニュースを見てたら、BBCの解説で安倍を普通にナショナリストと言うのですねw


>nekoya_3 日本を除いた「世界の常識」かと・・・


>Midori Fujisawa BBCの長崎慰霊式のライブでは、ナショナリストだけでなく「歴史修正主義者」とも言ってましたよ。


>風間新吾首相官邸のfacebook、6日の広島式典で安倍が「非核三原則」に言及したことになっているのか。安倍が歴史修正主義者とは知っていたけど、数時間前の事実まで修正するとは最速記録だな。

| 未分類 | コメント(0)

ガロ級~プルーマ級 ルースター級~ライトフェザー級のジョアオミヤオが無差別級優勝













imge03adda0zik5zj.gif
6bf4660c.jpg

| 未分類 | コメント(0)

柔術プリースト 192  バリカタ柔術RADIO 20

Jiu Jitsu Priest #192


生田誠のバリカタ柔術RADIO #20

| 未分類 | コメント(0)