iPhoneで柔術 auが最もお得な光ファイバー固定回線セット割引  固定回線セット割引も考えたらauが一番得である! ドコモは通話定額強制ボッタクリだしソフトバンクはネット優先の旧プランユーザーは大損のボッタクリ詐欺

http://buzzap.jp/news/20150131-docomo-au-softbank-hikari-mobile-set/

携帯各社の光回線セット割引比較、「ドコモ光パック」「auスマートバリュー」「スマート値引き」のどれが一番お得なのか
2015年1月31日10:00 by shishimaru | カテゴリー モバイル | タグ auスマートバリュー, KDDI, NTTドコモ, コラム, スマート値引き, ソフトバンクモバイル, ドコモ光パック

3月1日のサービス開始が正式発表された「ドコモ光」「SoftBank光」と、かねてからKDDIが展開している「auひかり」。

いずれも最大1Gbpsの光ファイバーを用いた通信サービスで、携帯電話とのセット割引「ドコモ光パック」「auスマートバリュー」「スマート値引き」を適用できる点がポイントですが、どのサービスが一番リーズナブルなのでしょうか。利用シーンごとに比較してみました。

◆光回線単独ではほぼ同じ料金
まず把握しておきたいのが、光回線単独契約の場合。1Gbpsプランの場合、プロバイダ込みの最安料金を比較すると、基本的に戸建向けはドコモ光、auひかり、SoftBank光すべてが5200円で横並び。マンション向けはソフトバンクが3800円と一番安くなっています。

なお、auひかり公式ページによると、マンションによっては共用部分まで光ファイバーを引きこみ、メタルケーブルで分配する「VDSL方式」でのサービス提供となり、その場合は最大100Mbps・月額3800円となります。

・一戸建て向け
ドコモ光(戸建):5200円
auひかり ホーム:5200円
SoftBank光:5200円

・マンション向け
ドコモ光(マンション):4000円
auひかり マンション:4050円
SoftBank光:3800円

◆「ドコモ光パック」「auスマートバリュー」「スマート値引き」の違いは?
そして今回、最も大きなトピックとして注目を集めているのがセット割引。「ドコモ光パック」「auスマートバリュー」「スマート値引き」のいずれも携帯電話と光回線を組み合わせることで利用料金が割り引かれますが、各社ともアプローチが大きく異なります。

・ドコモ光パック
「光データMパック(5GB)」の800円から「光シェアパック30(30GB)」の3200円までと、データパックの容量に応じた割引額を設定。さらに長期契約者向けの「ずっとドコモ割」も別途適用されますが、最低でも6年以上、個人向けパックに至っては11~16年契約する必要があります。

・auスマートバリュー
毎月最大1410円を2年間、その後は934円を永年割り引くという分かりやすい内容。ただし「データ定額2、3」などの小容量パックを契約した場合、割引額は永年934円となります。

・スマート値引き
ドコモ同様、パケットパックの容量に応じて月額500円~2000円まで割引額が変動。3年目以降の割引額は500~1008円です。

◆セット割適用時の料金をいろいろなパターンで検証してみた
それではさっそく、さまざまなパターンを想定してセット割適用時の月額料金を検証してみました。各パターンで最も低い料金を赤、最も高い料金を青で色付けしてあります。

なお、パケットパックは最も安価になるもの(パケットパック+データの追加購入も含む)を選択したほか、ドコモの「U25応援割(通信量1GBボーナス)」、auひかり・SoftBank光のセット割引に必要な固定電話(500円)および光BBユニット・Wi-Fiマルチパック・ホワイト光電話セット(500円)の料金も加味。

記事を見やすくするため、計算の内訳は別記事に掲載してあります。

<1人暮らし>
・ライトユーザー(月間通信量2GB、マンション住まい)
ドコモ光パック(カケホーダイ&パケあえる):1万500円
auスマートバリュー(カケホとデジラ):1万116円
auスマートバリュー(LTEプラン):1万74円
スマート値引き(スマ放題):1万300円
スマート値引き(ホワイトプラン):1万734円

・ミドルユーザー(月間通信量5GB、マンション住まい)
ドコモ光パック(カケホーダイ&パケあえる):1万1200円
auスマートバリュー(カケホとデジラ):1万1140円
auスマートバリュー(LTEプラン):1万74円
スマート値引き(スマ放題):1万778円
スマート値引き(ホワイトプラン):1万734円

・ヘビーユーザー(月間通信量7GB、マンション住まい)
ドコモ光パック(カケホーダイ&パケあえる):1万2700円
auスマートバリュー(カケホとデジラ):1万2840円
auスマートバリュー(LTEプラン):1万74円
スマート値引き(スマ放題):1万2778円
スマート値引き(ホワイトプラン):1万734円

<3人家族>
・ライトユーザー(両親2GB・子5GB、戸建て住まい)
ドコモ光パック(カケホーダイ&パケあえる):2万3000円
auスマートバリュー(カケホとデジラ):2万3422円
auスマートバリュー(LTEプラン):2万2272円
スマート値引き(スマ放題):2万3200円
スマート値引き(ホワイトプラン):2万5002円

・ミドルユーザー(父子5GB・母2GB、戸建て住まい)
ドコモ光パック(カケホーダイ&パケあえる):2万4000円
auスマートバリュー(カケホとデジラ):2万4446円
auスマートバリュー(LTEプラン):2万2272円
スマート値引き(スマ放題):2万5200円
スマート値引き(ホワイトプラン):2万5002円

・ヘビーユーザー(家族全員7GB、戸建て住まい)
ドコモ光パック(カケホーダイ&パケあえる):2万8200円
auスマートバリュー(カケホとデジラ):3万570円
auスマートバリュー(LTEプラン):2万2272円
スマート値引き(スマ放題):3万700円
スマート値引き(ホワイトプラン):2万5002円

<4人家族>
・ライトユーザー(両親2GB・子5GB、戸建て住まい)
ドコモ光パック(カケホーダイ&パケあえる):2万8400円
auスマートバリュー(カケホとデジラ):3万12円
auスマートバリュー(LTEプラン):2万7796円
スマート値引き(スマ放題):2万9700円
スマート値引き(ホワイトプラン):3万1436円

・ミドルユーザー(父子5GB・母2GB、戸建て住まい)
ドコモ光パック(カケホーダイ&パケあえる):2万8400円
auスマートバリュー(カケホとデジラ):3万1036円
auスマートバリュー(LTEプラン):2万7796円
スマート値引き(スマ放題):3万1700円
スマート値引き(ホワイトプラン):3万1436円

・ヘビーユーザー(家族全員7GB、戸建て住まい)
ドコモ光パック(カケホーダイ&パケあえる):3万7000円
auスマートバリュー(カケホとデジラ):3万8860円
auスマートバリュー(LTEプラン):2万7796円
スマート値引き(スマ放題):3万9700円
スマート値引き(ホワイトプラン):3万1436円

◆auスマートバリュー×LTEプラン(旧プラン)が強すぎる
今回複数のケースを想定して月額料金を算出する中で、本当に驚かされたのがすべてのケースにおいてauスマートバリューとLTEプラン(旧プラン)の組み合わせが安いという点。

どのような状況であってもコンスタントにほぼ最安料金となるため、「そもそもあまり通話をしない」「LINEなどで済ませてしまう」といった事情から通話定額がいらないのであれば、第一に検討してみた方が良いと思われます。

◆通話定額が必要ならドコモ光パックはオススメ
また、上記のケースとは逆で、通話定額が必要なのであればオススメしたいのがドコモ光パック。

1人暮らしではソフトバンクのスマート値引きに遅れを取ることがあるものの、基本的に家族で契約した場合、U25応援割のパケットボーナスもあって、auやソフトバンクの通話定額プランより安上がりになります。

◆家族が増えるほど損をするソフトバンク、旧プランの割引も少なめ
一方、残念ながら割高になることが多かったのがソフトバンクのスマート値引き。

ドコモ同様、基本的に通話定額プラン「スマ放題」をプッシュしているソフトバンクは、10GB以上のパケットパックで一律2000円を値引くことで、1200~3200円と値引きに幅があるドコモより割安感をアピールしています。

しかしSoftBank光でスマート値引きを適用する場合、「光BBユニット・Wi-Fiマルチパック・ホワイト光電話セット(500円)」を別途契約する必要があるため、実際の値引き幅は一律1500円と考えたほうが妥当ということに。

つまり「データ定額パック・大容量10」を除く各パケットパックではドコモのほうが値引き幅が大きく、おまけに大容量パックになればなるほど両者の差は広がってゆくため、家族が増えるほど損をしてしまう構図が生まれるわけです。

さらにau同様、旧プランと組み合わせたセット割引も提供されているものの、その割引額は1回線あたりわずか500円。スマートバリューを連想させるネーミングであるにもかかわらず、あまり安くならない点には注意すべきではないでしょうか。

◆au、ソフトバンクは長期割引の強化が必要
以上のことから、「通話定額が不要ならau、必要ならドコモ」という結果になった光回線とのセット割引。プランが多く、割引の内容や適用条件が複雑怪奇なこともあって、一目見ただけではなかなか判断できません。

ただ、そんな中でも確実に1つ言えるのが、「auやソフトバンクは長期利用者向けの割引を強化すべき」ということ。ドコモの場合、料金は基本的にずっと変わらず、さらに一定期間契約すれば長期割引の適用対象になるのに対して、auやソフトバンクは3年目からの割引額が下がるケースがあるためです。

各種手続きが煩雑なこともあり、一度契約してしまうと他社へ移りづらくなりがちな固定回線とのセット割引だけに、「長期間契約していて良かった」とユーザーに思わせるような形でのサービス拡充を求めたいところです。

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「在日」どうこうツイっている連中のクズぶりがわかるってものです。 「在日」だったとしても、日本の住人でしょうが。それを「国籍」うんぬんって言うのですか? モンゴルが、多様な民族を道具として使って支配したように、あるいは、武家が非人や庄屋を道具に使って百姓を支配したように、裏の支配者は「在日」を道具に使うのです。 だれも、モンゴル帝国を、漢民族やウィグルが支配していたとは言わないでしょうし、江戸時代は非人や庄屋が支配者だったなんて言わないでしょう。 「在日」が日本を支配しているなんて話を信じているようなバカは死んだ方がいいくらいです。 人質交換で向こうへやったらいいでしょう… まあ、おそらく、「カネ」といったら「小澤」、「剛腕」と言ったら「小澤」みたいな”刷り込み”工作ですよね? 「捏造」といったら「在日」、「裏」といったら「在日」みたいに”刷り込み”をして、なんでも「在日のせい」にしようという悪質極まりない非人道的な工作です。 こうしておくと、地震が起きても「在日のせい」になって、社会が混乱したときに「バカが9割」の日本人は朝鮮人虐殺に走って、間違っても財閥の金蔵や米蔵は襲わないというわけです。 このように、冷静にみれば「だれが工作員か」、手に取るようにわかるのではありませんか? そいつらこそが”本当の敵”であるということを、見抜いていなければいけませんよ。
















http://ameblo.jp/shyusui/entry-11982922384.html

偽装”緩和”に偽装”テロ”~目指すは戦時体制
2015-01-29 14:14:38
テーマ:床屋政談

”量的緩和”だ、「デフレ脱却だ!」と言われて…気が付けば政府が大量の国債を買っています…

そして、そのカネが軍需企業に流れ、国民の耐乏生活が厳しくなる中で企業は空前の利益を叩きだしている…


戦時中、国民は無理やり国債を買わされて耐乏生活を強いられる一方、そのカネが軍需産業に回って兵器生産に使われ、財閥は空前の利益を手にしていました。

いまは、国民に買わせなくとも、日銀や年金が勝手に買いますから強制は必要ありません。

また、「株が上がる」と思うので、皆、喜んで株を買います…


増税と貯蓄(投資)で、実体経済からカネを抜き取って金融経済に回し、そこから企業が利益を取っていく…


「いつか来た道」が、いま…少しだけ形を変えて…グローバルスケールで進行しているところです…


そんななかでのテロ騒ぎ…

不審な点、疑問点は解消されたのでしょうか?…


「イスラム国とされる」「信憑性が高い」…事実が確定していないがゆえの用語…

…にも関わらず、自衛隊だ!救出だ!と騒いだあべの怪しすぎる行動…


それで、さすがに「これではマズイ」と思ったか…”イスラム国”が”公式メディアで発表…

これによって、「イスラム国と特定された」ということですが…┐(?ヘ?)┌…


日本政府と「イスラム国」がグルの疑いさえあり、それも払拭もされてはいないのですが…


ちなみに、日本の警察一般は、日本の公安警察についてほとんど把握しておりません。

秘密工作が任務だからでもあり、やってることが「犯罪行為」だからです…


公安警察のスキルの研修を受けた警察幹部がびっくりして戸惑ったくらいです。

警察が取り締まるべき犯罪の実践実習みたいなことをやっていたわけですから…


目を世界に転じれば、アルカイダは、「アメリカがつくった」わけですし…

ロシア革命が日本の工作だったというのも有名です…

つまり、ソビエトをつくったのは日本…なんですよね…


しかし、だからといってアルカイダがアメリカの味方、ソビエトが日本の味方になるわけではない…

これが、情報工作の世界なのです。


したがって、イスラム国が「やらせ」でやっていたとしても、日本政府の人間の多くは知らなくても不思議ではありません。ごく一部の人間だけにしか事実は知らされないのが、諜報活動というものですから。

また「グル」であっても、日本政府と「イスラム国」が友好関係にあるとはかぎりません。


さて、そうしたことを踏まえて、この間、事実として明確になったものは何があったのでしょうか?

ほとんどありませんね…第一、「イスラム国」の正体自体が謎です。

アメリカの工作だったら日本政府にも”秘密”でしょうからねえ…


…ということは、様々な疑念はまだ解消されてもいないし、判断や評価もしようがない。

あべのチグハグで非常識な言動のみが明確な”事実”として確定しているだけなのです。


人質として拘束されたのはもっと前で…選挙のときは「そっちのけ」で放っておいて…

イスラム国を刺激するようなことをやりまくり、その上で「救出だ」と…


で?…どこに自衛隊を出すの?…「敵」はどこにいるの?…装備は?…人数は?…

「自衛隊を出すなら、殺す」って言われたら?…少なくとも「救出」は自衛隊では不可能ですよね?


戦時体制作りのための”お芝居”…

その疑念は、ちっとも解消なんぞしていませんよ。”お芝居”ではないというのなら、数々の不自然な疑念を招いたひとつひとつについて、合理的な説明が必要です。

普段は、国民の命など歯牙にもかけていないのに「テロは許さない」とフランスでも日本でも機敏に対応するのはなぜなのですか?


一貫して戦時体制づくりを推進しつつ、しかも、「敵」の憎悪を煽るテロや侵略に日本が加担しているのはなぜなんですか?



とりあえず現状で言われていることに基づいて考えてみても…

日本は、中国で日本人が死刑になっても放置しています。

何の要求もしないし、自衛隊も出すとはいいません。

麻薬を運んだくらいでは、日本では死刑になんぞならないにも関わらずです。


今回、後藤さんはともかく湯川さんは武器のビジネスで、銃を携行して行ったわけですね?

麻薬どころか、ムスリムを殺すための兵器を売り込んでいたのだとしたら?…

それに日本でだって銃器をもっていれば「犯罪」ですよ。


…ということは…湯川さんがある種の裁きを受けるのは、やむを得ないことかもしれないのです。

これを助けにいくようでは、中国で日本人が死刑になるたびに、韓国で日本人が犯罪に巻き込まれるたびに軍隊を出さねばならなくなります。

バカも休み休み言え…ってことになるでしょう…


だいたい…人質救出のために、隊員や国を危険や不利益に晒してよいのでしょうか?


天候の悪い日に、遭難者を捜索しないことは平時でもありますよ…

また、東北の震災以降、いのちの危険がある場合は救出せずに逃げろと”お達し”がでているのですよ。


どうして、危険と不利益を覚悟で「救出」しなくてはいけないのですかね?


国民の命なんて、端から気にかけていないあべしんぞうが「テロは許さない」「人質救出」…


軍隊派遣がホンネだよね?


しかし、派兵すれば諸外国から「日本に野心あり」と警戒されるようになりますよ…

それはいいのでしょうかね…


人質は必ずしも助けない…それは軍事の常識ではないですか?



テロを煽ったあべが、さらに何の勝算もない、意図も不純な自衛隊派兵をクチにする…

勝つための戦争ではなく…再び国を滅ぼすための戦争に、あべは突き進もうとしていますよね?…

(-""-;) そして、あべや日本政府の自作自演の茶番ではない、「イスラム国」とは”グル”でもないのだったとしても…

(゙ `-´)/ あるいは、あべが、アメリカの工作のコマとして、テロの煽り役、日本戦争態勢構築役をやっているわけではなかったのだとしても…

(そうならそうで、では、どういうことだったのかという説明がほしいところですが…)

(`(エ)´)ノ 相手に主導権を握らせるような人質交渉は、通常”下策”とされるものなのです。

つまり、こういう”戦い方”でいかねばならない…




だから…「自己責任」うんぬん、「在日」うんぬんなんて関係ない…

そういうあさっての方向に議論をもっていって、わけをわけをわからなくするのも”工作”なのでしょう。


津波だ、噴火だって時に、まず自分の安全を確保するということを…

いちいち「逃げ遅れたら”自己責任”」なんて言わないでしょう?

そら…”自己責任”っちゃあ、自己責任でしょうが、”自己責任論”として語ることではないでしょう…


また、隣の子を人質に取った誘拐犯が、自分に対して「身代金を払え」と言ってきたとき、あなたは「それはお隣に請求しろよ」って言いますか?

「在日」どうこうツイっている連中のクズぶりがわかるってものです。

「在日」だったとしても、日本の住人でしょうが。それを「国籍」うんぬんって言うのですか?


モンゴルが、多様な民族を道具として使って支配したように、あるいは、武家が非人や庄屋を道具に使って百姓を支配したように、裏の支配者は「在日」を道具に使うのです。

だれも、モンゴル帝国を、漢民族やウィグルが支配していたとは言わないでしょうし、江戸時代は非人や庄屋が支配者だったなんて言わないでしょう。

「在日」が日本を支配しているなんて話を信じているようなバカは死んだ方がいいくらいです。

人質交換で向こうへやったらいいでしょう…


まあ、おそらく、「カネ」といったら「小澤」、「剛腕」と言ったら「小澤」みたいな”刷り込み”工作ですよね?

「捏造」といったら「在日」、「裏」といったら「在日」みたいに”刷り込み”をして、なんでも「在日のせい」にしようという悪質極まりない非人道的な工作です。

こうしておくと、地震が起きても「在日のせい」になって、社会が混乱したときに「バカが9割」の日本人は朝鮮人虐殺に走って、間違っても財閥の金蔵や米蔵は襲わないというわけです。


このように、冷静にみれば「だれが工作員か」、手に取るようにわかるのではありませんか?

そいつらこそが”本当の敵”であるということを、見抜いていなければいけませんよ。

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柔術 競技柔術を席巻するミヤオ兄弟 キーナンコーネリアスたちを代表するモダン柔術の体系の技術はストリートファイトで使えるのか?!  ヒクソン クロン サウロヒベイロ シャンジらアンチモダン柔術 オールドスクール柔術への回答! モダン柔術はストリートファイトでも有効である! 証拠映像!






















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ブラジル人以外で初めて黒帯を獲得した12人の柔術家の一人ジョンルイス





打撃ストライクはダンコージから教わり
組み技グラップリングはジーンラーベルから教わり黒帯を獲得
ヒクソン道場で青帯のままカーウソンジュニアとVTを戦い
それ以前は無名時代バーファイトで同じバーのファイター ロシアのナショナルチームのトップ柔道家イゴールジノビエフとマブダチになり
カーウソンジュニアとVTで戦ってしまったルイスはヒクソン道場にいづらくなり
カーウソンチームに合流
その後ペデネイラスと独立 ウェンデル・アレクサンダーらと共に共同経営者に
ルイスはヒクソン門下の青帯から飛び級でペデネイラスから黒帯を獲得

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日本のキングダムのリングにも上がったブラジル人以外で初めて黒帯を獲得した12人の柔術家の一人ジョーモレイラ道場のリックルーセロ

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懐かしの名勝負 90年代最高の柔術家にしてグレイシーバッハの後継者マーシオフェイトーザを破ったアメリカ人ボブバス

Bob Bass vs Marcio Feitosa 1995 BJJ Pan Am's


Marcio Feitosa vs Bob Bass 1996 BJJ Pan Am

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懐かしの因縁試合 ジャンジャックマシャードvsロイハリス

Roy Harris vs. Jean Jacques Machado (1998 Black Belt Challenge)



大昔の格通(1998年の奴だったと思う)でも記事になっていたのですが
マシャード門下だったロイハリスがヒーガンマシャードを相手にスパーで足関節(確かヒールホールド)をボッコボッコに極めまくってしまい
そこは当時から足関節を邪道視する柔術界
師匠に対し足関節を極めるとは不敬!
と怒り心頭になっジャンジャックマシャードがロイハリスをボロ雑巾に極めまくって道場から破門!
そこで中国式破門のようにただ追い出すんじゃなくてジョーモレイラ道場を紹介し

その因縁の二人が公式で試合をしたのがこのイベント

確かジョンルイスがクラウジオフランカという本場ブラジルでも名の通った黒帯に勝ったイベントでも有名ですね

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(`ε´) あべが「テロを許さない」「断固戦う」みたいなことを言う… ∑(゚Д゚) え?事実かどうかわからぬうちから、そんな反応? 雪が降ろうが、放射能が降ろうがゴルフやって寿司だかてんぷらだか食ってた人が?… (=`(∞)´=) つまり、グルなんだろ?おまえら!自作自演!! 9.11やイラク戦争、遡ればベトナム戦争のトンキン湾事件に関東軍の満州事変… 川・ε・川 アメリカは、パールハーバーをわざと攻撃させ… ( ̄^ ̄)b 日本の大本営も空襲警報も解除して、わざと原爆を投下させた… (-""-;) 今回も、やっぱりグルなのね~って結末が見えているじゃない?







http://ameblo.jp/shyusui/entry-11981606022.html

おれおれ”イスラム国”詐欺
2015-01-25 21:53:12NEW !
テーマ:床屋政談

振り込め詐欺の年間被害額が、2014年は450億に届きそうなんだとか…

テレビじゃ「被害者は悪くない。悪いのは騙す方だ」な~んていってるけど…

(`(エ)´)ノ_彡あまやかすんじゃねえ!…

…と、思いますな…

かといって、笑いものにして、傷口に塩を塗り込むようなことをしろというわけでもないけどね…


「騙される方が悪い」というときの「悪い」は、道徳の話ではない…

「騙される方がバカだ」という意味なんで…

だったら、反省してバカでなくなりゃいいんでしょ。それをいつまでもグダグダと「自分を責める」…


「反省」とグダグダ「自分を責める」のは、違うんだよね…

「反省」は具体的に自分の悪かったところをみつけて修正することだから、それらの一連の作業が済んだら、「もう今度は騙されないぞ」という”自信”に変わる。

だが、”グダグダ”は、そういうことをしないから、いつまでも引きづる…

それは、生き方が間違ってるんだから、本人が気づくまで苦しむしか仕方がないんだよ…

世間様が、余計なお世話なんぞしなくてよろしい…


もっとも、身近にそういうのがいて、いやでも関わらせられるってこともあるわけだから、そういうときの助けになるようなことを教えてもらえばいいや…


かつて、日本は戦争で国を滅ぼした。軍隊で国を滅ぼした。

その反省をしない怠け者たちが、のうのうと生き長らえ、一部は憲法改正などを唱えている…


みな「軍部に騙された」な~んて言ってたんだぜ?

だけど、やっぱり「騙される方が悪い」のではないのかい?

いまどき憲法改正なんて言ってる連中をみると…

「騙された」というやつを、甘やかしてはいかんとつくづく思うね~


今年、2015年の振り込め詐欺被害は、もう少しで240億円が確定するところだった?…

(-。-;)…なにせ、「おれおれテロリスト!」が画像をアップさせ、「2億ドル払え!」って言ってきたんだからw

パロディー画像で、さんざんコケにされていたようですがwww


( ̄ー ̄; 政府が2億ドル振り込んだら、「お笑い」でしたね~

(ノ´▽`)ノ 「振り込め詐欺注意」って言ってる本人が、まさにハマるところだったわけですから。


(  ゚ ▽ ゚ ;) 「おれおれ」ってきたら、まずどうするんでした?

∑ヾ( ̄0 ̄;ノ 「おカネを払う」…ですか?…

∑(-x-;) 指示に従い、暗証番号などを教える…のでしたか?…


( ̄∩ ̄# まず相手がだれか、事実かどうかを確認すべきでしょ?

(-""-;) それがいまだに「イスラム国とされる」と報じられている始末…


(◎`ε´◎ ) しかも、わざわざあべが「信憑性が高い」などとコメント…はあ?ってなもんよ…

(#`ε´#) 証拠もないのに、あべが「信憑性が高い」とのたまったら、事実ってことになるのかよ?


( ̄∩ ̄# つまり、事実は何も確認されていない…ジョークかもしれないって段階で、この騒ぎ…

(`ε´) あべが「テロを許さない」「断固戦う」みたいなことを言う…


∑(゚Д゚) え?事実かどうかわからぬうちから、そんな反応?


雪が降ろうが、放射能が降ろうがゴルフやって寿司だかてんぷらだか食ってた人が?…

(=`(∞)´=) つまり、グルなんだろ?おまえら!自作自演!!

9.11やイラク戦争、遡ればベトナム戦争のトンキン湾事件に関東軍の満州事変…

川・ε・川 アメリカは、パールハーバーをわざと攻撃させ…

( ̄^ ̄)b 日本の大本営も空襲警報も解除して、わざと原爆を投下させた…

(-""-;) 今回も、やっぱりグルなのね~って結末が見えているじゃない?



!(´Д`;) … ”STAP”劇場が終わったと思ったら…

…今度は”イスラム国”劇場だ…ヽ((◎д◎ ))ゝ愛と感動のサスペンス劇場…


(  ゚ ▽ ゚ ;) 「人質どうなっただろ~ね~」って、心配してますが…そっち見てちゃだめでしょ…

これ、いつもの”メクラマシー”…”あっちむいてホイ!”作戦ですからね…


(゙ `-´)/ 政府がうらでこそこそやってる姿が見えていますか?…

( ̄∩ ̄#9m 結局、フランスのも日本のも、やらせテロなのよ!

(-。-;)b で…人を殺したから、これはやらせじゃないと思うバカもいる…

(゙ `-´)/ だからさっき、例に引いたのよ…パールハーバーと原爆投下を…

パールハーバーでは米兵2000人、原爆では市民15万人以上が犠牲になった…

(ノ゚ο゚)ノ 片や「戦争を始めるため」、片や「戦争を終わらせるため」…

(`(エ)´)9m 政府はやらせのために、平気で人を殺しますよ…

そんなことも知らない世間知らず、歴史オンチで、よくも今まで生きてこられましたねってことよ…

むかしっから、こんなこと「ふつう」にあること…「三国志」にも多くの例がある…


鄭文という武将が投降してきたので諸葛孔明は秦朗の首を取ってきたら信じようともちかける…

 そして、見事取ってきたので、その首をよく見せてみろっという…

だが、即座にそこでニセモノと見破ってしまう…

(`×´) 今回、「拘束された」とされる湯川氏は兵器商人で政府の許可をもらって潜伏していたわけでしょ?だとすれば、この秦朗の弟のように、敵を騙すための犠牲になったのかもしれませんね?

(゙ `-´)/ ネットの画像はいくらでも加工できますから、事実はまだわかりませんが?…

ま~、とにかく、戦争を始めよう、誘導しようって時の常套手段で「ふつう」のことなんだってことです

( ̄^ ̄)b 孔明は、このときこれを利用して、司馬懿軍を罠にかけ秦朗も討ち取ってしまうのです。

(◎`ε´◎ ) こういうところが「2億ドル払え~」って言ってる人たちとは根本的に違うところ…

策略が成功したと思った司馬懿軍は行動に出ますが、そこで子供たちにたしなめられる…

「紙切れ一枚を信じるのですか?いつも慎重な父上らしくない!」と…

これで司馬懿は命拾いしました…


孔明の罠に落ち、秦朗は司馬懿の身代わりになる形で死に、後詰めで駆け付けた司馬懿本人も、さんざんに討たれてしまうのですから…

( ̄^ ̄)b ですから、軽々に「紙切れ一枚」ならぬ、テレビやネットを信じてはいけないのですよ…

(=`(∞)´=) それは、滅びの道…

(-""-;) おれおれ詐欺被害で立ち直れなくなった人々の辿る道と同じ道なのですよ…

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レスリングベアてご存知でしょうか? 極真の有名なやらせ映画 地上最強のカラテ に出ていた調教されている熊です ウイリーの時はこういった事故が起こらなくて良かったですね~(汗) ちなみにプロレスでも昔はよく出演していたそうですよ トニーガレントだのダニーホッジだのデストロイヤーだのw 最近はバラエティで色物芸人タレントがこのレスリングベアと共演していましたっけ 藤原喜明もバラエティ番組でレスリングベアと一緒に馬鹿やってましたなぁ…







Grizzly Face to Face - Hollywood Bear Tragedy - Hollywood's Killer Bear from Randy Miller on Vimeo.







bear2.jpg


http://www.ngcjapan.com/tv/lineup/prgmtop/index/prgm_cd/523

ハリウッドスターだったクマの悲劇

原題:Hollywood Bear Tragedy

番組内容
最高のパフォーマーだったクマが引き起こした悲劇。野生動物を娯楽目的で扱う問題とは?

ランディ・ミラーは、大型動物を扱うプロの動物トレーナーだ。飼育している12頭の巨大な捕食者は、すべてハリウッドスターである。中でもロッキーは、“業界で一番よく働くクマ”としてランディのナンバーワンの存在だった。しかし2008年4月22日、ロッキーが自身とランディの人生を変える出来事を引き起こしてしまう。人を殺したのだ。
この番組では、ランディのいとこであり一番の親友でもあったステファン・ミラーをロッキーが殺してしまう悲劇的な1日を再現する。カリフォルニア州漁業狩猟局と検視官は、この出来事を不慮の事故と判断。ロッキーは殺されることは免れたものの、制限された規制のもと生活することになった。小グマの頃から育て、愛情を注いできたロッキー、そしてもう働くことはないであろうパフォーマーのロッキーに対し、ランディは今、責任を感じている。また、問題はこれだけではなかった。ランディはキャリアの中で初めて、恐れを抱いているのだ。ハイイログマの専門家やハリウッドの監督、動物トレーナー、目撃者を参考に、ロッキーや他の飼育されているクマたちの行動および生活スタイルを、野生のクマのそれと比較、対比させる。また巨大で予測できない捕食者との仕事に潜む危険を調べ、野生動物を娯楽目的で扱う問題についても論じる。

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湯川遥菜 植芝盛平 宗道臣 中村天風 沖正弘 西郷四郎 牛島辰熊らは満州浪人 大陸浪人だった? おぞましき大陸浪人の実態 麻薬に戦争 おぞましき世界

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%99%B8%E6%B5%AA%E4%BA%BA

大陸浪人

大陸浪人(たいりくろうにん)とは、明治初期から第二次世界大戦終結までの時期に中国大陸・ユーラシア大陸・シベリア・東南アジアを中心とした地域に居住・放浪して各種の政治活動を行っていた日本人の一群を指す。

目次

1 主な大陸浪人の肖像
2 概要
3 通史的概観
4 大陸浪人とされる人物
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目

主な大陸浪人の肖像

岸田吟香
曽根俊虎
岡本柳之助
荒尾精
宮崎滔天
内田良平
伊達順之助
権藤成卿
二葉亭四迷
川島浪速
横川省三
山田良政

概要

支那浪人(しなろうにん)とも称するが、活動範囲は支那(中国本土)に限らず、朝鮮半島・満洲・シベリアなど、後に日本勢力の進出する舞台となった地域と重複する場合が多い。彼らは表面上は特定の組織に所属せず、自らを「浪人」や「(脱藩)志士」になぞらえたことから、大陸浪人・支那浪人という呼び名が発生したと言われている。

「大陸浪人」の定義づけは難しく「国家主義・対外膨張論を抱いて大陸各地に居住・放浪した民間日本人の通称」と定義する文献[1]もあるが、そういう傾向はあったとしても全ての大陸浪人が日本の対外進出を支持していた訳ではない。また、日常の公務・職業から離れた場所で大陸浪人と同じような活動を行っていた軍人・官吏・一般居留民など組織に属する人々もおり、更には「大陸浪人」と称しながら実際には軍部や南満洲鉄道に代表される現地の日系企業と結び付いて個人の利得活動のために暗躍する人々も存在するなど、その範囲を定めることは難しい。ただ、様々な目的をもった「大陸浪人」とされた人々の多くが私的な活動を通じて、自らの政治的な理想を反映させる形で日本の外交政策に何らかの影響を与え、アジアにおける日本のイニシアチブの確立を目指そうとしたことは間違いない。
通史的概観

初期の大陸浪人は征韓論などによって大陸への軍事的行動が初めて議論された時期に中国や朝鮮へと渡った不平士族や商人たちがルーツとされ、甲申政変など李氏朝鮮末期の政争に彼らが関与したことでその行動が注目されるようになった。続いて登場したのが、1870年代から80年代にかけて青年時代を過ごした若者たちであった。彼らは少年期あるいは誕生前に幕末・明治維新の騒乱期を迎え、士族反乱や自由民権運動の挫折と明治政府体制の確立によって新しい国家作りに参加できなかった層でもあった。彼らは続く欧化主義への反感などから国家主義あるいはアジア主義に目覚め、日本を飛び出して中国大陸や朝鮮半島に活動の舞台を求め、日本の大陸への進出に何らかの形で関与しようとしたのである。彼らは開港場の日本人商店などを拠点として現地の風俗習慣や政治・経済事情を探索する一方、玄洋社・黒龍会・東亜同文会などの日本国内の国家主義・アジア主義団体とも連携を取った。特に玄洋社を率いた頭山満は、後に政治家の犬養毅(後の内閣総理大臣)とともに「大陸浪人の二大巨頭」との異名を得るほどの大陸浪人たちの後援者として知られるようになった。また、日本政府の対外政策に関わる調査や軍部の直接的あるいは間接的支援による兵要地誌の調査などに従うこともあり、そうした活動を通じて中国語や複雑多様な現地情勢に通じた「支那通」と呼ばれる人々を輩出することになる。だが、その一方で政府・軍部あるいはその路線に協力する日本の財界より様々な口実による資金援助を受けるきっかけを得たことにより、その後の大陸浪人の方向性を定めることにもなった。

日清戦争や日露戦争においては、こうした「支那通」が日本軍に積極的に協力して通訳や諜報、後方攪乱、特務工作などに従事した。だが、こうした戦争を通じて日本の対外進出を軸とした大陸政策が確定していくと、大陸浪人は次第にその範囲内での活動に限定され、むしろ積極的にこうした風潮に参画することで日本政府・軍部及び世論の対外強硬論を導き、自己の存在感を認めさせようとした。

辛亥革命以後の中国の分裂状態は大陸浪人に日本の大陸政策に基づいた新たな活躍の場を与え、その再生産を促した。だが、中国革命の進展による軍閥の没落と統一の進行は大陸浪人の活動やその利益に相反するものとなり、大陸浪人の立場は日本の国家主義に基づいて中国側と対峙するものにならざるを得なくなった。そして、満洲事変とそれに続く日中戦争は大陸浪人にまた新たな活動の場を与えることとなった。
大陸浪人とされる人物

名倉松窓
岸田吟香
岡千仭
池上四郎
曾根俊虎
彭城中平
樽井藤吉
井田武雄
宮崎駿児
岡本柳之助
金子彌平
小沢豁郎
荒尾精
根津一
大垣丈夫
近衛篤麿
長谷川辰之助
安達謙蔵
中野二郎
横川省三
川島浪速
西郷四郎
石川伍一
鈴木天眼
山田良政
権藤成卿
石光真清
井深彦三郎
末永節
平山周
宮崎滔天
安永東之助
西原亀三
内田良平
沖禎介
工藤忠
山中峯太郎
甘粕正彦
伊達順之助
里見甫
小日向白朗
児玉誉士夫
許斐氏利

脚注
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^ 『日本歴史大事典』「大陸浪人」項目

参考文献

高野澄「大陸浪人」(『社会科学大事典 12』(鹿島研究所出版会、1975年) ISBN 978-4-306-09163-4)
平野健一郎「大陸浪人」(『国史大辞典 8』(吉川弘文館、1987年) ISBN 978-4-642-00508-1)
岡部牧夫「大陸浪人」(『日本史大事典 4』(平凡社、1993年) ISBN 978-4-582-13104-8)
岡部牧夫「大陸浪人」(『日本歴史大事典 2』(小学館、2000年) ISBN 978-4-09-523002-3)
升味準之輔『日本政党史論 第三巻』東京大学出版会、1967年、第8章「東洋経綸」第1節「大陸浪人」、第2節「辛亥革命の周辺」。
『東亜先覚志士記伝 上中下巻』黒龍会出版部、1934年、1935年、1936年。
『対支回顧録 下巻 列伝』東亜同文会内 対支功労者伝記編纂会、1936年。
『続対支回顧録 下巻 列伝』大日本教化図書株式会社、1941年。

関連項目

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/411.html

満州事変は日本が麻薬商売でぼろ儲けする為に行なった極悪非道な侵略
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/411.html
投稿者 中川隆 日時 2010 年 9 月 21 日 20:00:32: 3bF/xW6Ehzs4I

(回答先: 満州事変は、日本の一方的な侵略だったのか? 投稿者 西岡昌紀 日時 2010 年 9 月 21 日 04:06:11)


昭和天皇が満州事変を起こした目的


【満州帝国と阿片】日の丸はアヘンのトレードマーク

北朝鮮による覚せい剤密輸事件が新聞を賑わしているが、そんなの大日本帝国が侵略地中国において行ってきた阿片ビジネスと比べれば、カワイイもんだ。


ケシ類未熟果実に傷をつけて滲出する乳液を乾燥乾固したものが阿片だ。阿片に含まれているモルヒネは、鎮痛・鎮静・催眠・快楽をもたらす薬剤となる。末期癌患者に使用されることが多い。しかし、連用すると中毒となり、常用しないと禁断症状に苦しむこととなる。モルヒネにアセチルを化合したのがヘロインで、薬効・中毒作用は、更に強くなる。中毒に陥ると、増量して使用しないと禁断症状を起こして死亡するし、常用すれば衰弱して早死にする恐ろしい麻薬だ。この阿片の中毒作用を利用して儲けようとする悪いやつは後を絶たない。国家自体が関わって中国へ密輸したのが、オランダとイギリス、そして我が日本なのだ。

1840年、イギリスは、中国(清王朝)への阿片密輸を禁止された事に貿易の自由を妨害したなどと恥ずべき口実で阿片戦争を仕掛けた。中国は敗北し、イギリスの阿片の毒牙はますます中国民衆を蝕んでいった。中国の弱体をみて、欧米列強は不平等条約を強要し、清王朝は阿片亡国・植民地化の危機に陥ることとなる。

麻薬中毒の恐ろしさに、1912年にハーグ阿片条約、1925年国際連盟によるジュネーブ阿片条約が結ばれたが、欧米の帝国主義者たちは自国への阿片の弊害を防いでも、中国への阿片密輸は続け、それに日本も加わっていった。中国の阿片中毒者(隠者)は増加し、消費される阿片は900万貫(当時5億円)に上った。輸入額を減らそうと中国国内のケシ栽培を認めたが、かえって阿片中毒者を増やすこととなった。1912年、辛亥革命後の中華民国による阿片禁止も、軍閥との抗争や内乱で進まず、そこへ日本の侵略が始まってしまった。

日本は、阿片戦争に驚き、当初は、ケシの栽培や阿片の輸入を厳禁した。しかし、すぐに、医薬品としての鎮痛・麻酔剤としてモルヒネ・ヘロインが必要となり、日本は、阿片の製造・売買や輸出入を政府の許可・専売制とした。

やがて、中国侵略に伴い、中国の阿片問題に介入していくのである。日清戦争後に台湾を領有したことで、日本は阿片中毒者対策で阿片を必要とし、ケシ栽培と阿片輸入は本格化することとなった。

大阪府三島郡福井村の二反長音蔵(にたんおさおとぞう)は、台湾で必要な阿片の殆どを輸入に頼っている貿易赤字を改善するため、内務省の後藤新平の支持で、ケシ栽培に取り組んだ。モルヒネ純度の高いケシの品種改良に成功して、大阪府・和歌山県・京都府・岡山県・福岡県の医薬品原料の商品作物として、農村の収益を高めた。

さらに、遼東半島・山東半島・満州そして上海租界地では、日本陸海軍の特務部が、治外法権の特権を利用して阿片の密売を公然と進めた。医薬品や中毒是正の目的とは無関係となり、中国人相手の阿片・麻薬販売の利益を得ることと、中国民衆の阿片中毒による弱体化が主目的となったのである。このとき陸海軍の手先として活躍したのが笹川良一、児玉誉士夫たちだ。戦後右派の黒幕となり日本を動かしていく曲者たちは阿片で莫大な財産を手中にする。自民湯なんぞ阿片の金で動いていた麻薬党なのである。

拡大した市場は、もはやイギリスの阿片密売の比ではなく、大規模なものとなっていった。植民地朝鮮半島でも、中国への阿片輸出のため、3万~8万人が従事して、毎年、約8千haのケシを栽培し、毎年、約4万キロもの阿片を製造することとなった。

阿片・麻薬の需要は増大し、三井物産と三菱商事が、ドイツ・イラン・トルコ・シンガポールの阿片・麻薬を一手に輸入していた。英仏によって、中国華僑の活躍した東南アジアにも阿片の弊害は及んでいったのだ。実に欧米に成り代わった日本は大東亜阿片圏と言うべき阿片の毒牙をむき、三井・三菱の阿片船がアジアを往来した。

三井物産は上海へ、1938年4月に約3万トン、1939年1月に約7万トンもの阿片を運び込み、南京維新政府の財政を助けた。三菱商事は三井の3.5倍もの量を1939年2月に満州の大連へ運び込んでいる。

南満州進出、21カ条要求、満州事変と中国への日本の侵略は拡大、さらに日中戦争へと突入する。日本は、中国の占領地に満州帝国を始めとする傀儡政権を次々とデッチあげていく。

これらの傀儡政権や親日の軍閥は、日本軍の擁護の下に、阿片を政府・地域の許可・専売制として、阿片・麻薬の利潤を日本軍と分け合った。傀儡政権の満州・内蒙古では堂々とケシが大量栽培されていた。

満州帝国では、約3000万人が20万貫の阿片を吸引し、毎年4万貫の阿片が輸入され、約7万町歩のケシ栽培が行われていたと言われている。

阿片王と呼ばれた二反長音蔵は、満州の長白・臨江・安図へ3回、また満州の熱河省へと指導に赴いている。長白市だけでもケシ栽培は216万坪にもなっていた。中国軍閥の張宗昌(阿片将軍)は日本軍と組んで。吉林・黒竜江省で50~60万貫のケシ栽培を扱ったという。

内蒙古の山西・チャハルの傀儡政権「蒙古連合自治政府」でも阿片が製造され、張家口には阪田組のヘロイン製造工場があった。阿片・塩・鉱山物が政府の重要な財源となっていたのだ。

日本の占領地経済をまとめていた興亜院が阿片・モルヒネを製造・輸入・販売を管理する組織となり、中国民衆を阿片漬けとしていったのだ。

日本軍の占領地で、日の丸を掲げて商人が阿片も販売したため、中国人が、日の丸を阿片販売の商標だと思っていたという笑えない話も残っている。

さすがに、日本政府による阿片販売は国際問題とされ、国際連盟の議題となっている。
『天津の日本人居留地は、今や世界のヘロイン製造、及び阿片喫煙の神経中枢として知られている。洋行あるいは外国商会名で経営される阿片あるいはヘロイン魔窟の数はまさしく千を超えている。

しかのみならず、白色麻薬を公然販売するホテル店舗、その他の建物が数百ある。……中国人・ロシア人及び外国人が汚れた板の上に横たわっており……魔窟の第1室には朝鮮人の女が。ヘロインと不純物とを混合する仕事に忙しい。……注射は汚い注射器で、時には自製の物でなされる。針は決して洗ったり、消毒したり、取り替えることはない。

梅毒が自由に針を介して一人の阿片常用者から他の者へ蔓延する。私は、胸一面が腐って壊疽のような肉塊をなしており、拳全部を差し込むことができるような穴が体にある阿片常用者を幾人も見たことがある。こんな腐敗しつつある辛うじて生命を保っている死体に、麻酔剤の注射器を次から次へと差し込むのである。(国際連盟阿片諮問委員会議事録よりエジプト代表ラッセル・パッシャの陳述)』

なんとも酷い、日本による阿片汚染の実態である。これが大東亜共栄圏の実態である。

シンゾーの祖父岸信介は1936年10月に満州国国務院実業部総務司長(満州国における行政機関。同国は議会を持たなかったため、国政の最高機関であった)に就任。満州時代に関東軍参謀長の東条英機や日産コンツェルンの総帥鮎川義介ら軍部や財界要人と関係を結んでいった。阿片による莫大な金が岸に動いたことは容易に想像できる。
http://www.asyura2.com/07/bd50/msg/347.html


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第一章 「満州国」建国前夜の中国東北部におけるケシ政策の様子


第2節 満州に蔓延するケシ栽培

 1 馬賊とアヘン

●「良馬」と「新車」と「アヘン」

 アヘンはその当時は流行りで現代的なものとみなされ、来客があればまずおもてなしとしてアヘンが出された。コーヒーや紅茶のような感覚だったのだろうか。戦後の日本では三種の神器や3Cなどと言われた家電などの持ち物が、いわばステータスシンボルのように扱われた。それと同じように、このときのお金持ちの条件として三つの条件が挙げられた。それは「よい馬に乗り」「新車を持ち」「アヘンを吸うこと」である。アヘンを吸うことが富裕層のシンボルであったのは現在の日本から見れば驚くべきことだが、現在の感覚では高級タバコを揺らすか、ドンペリを飲むのと同じ感覚なのかもしれない。

 この習慣は中国人だけにとどまらず、満州に来て久しい他国の外交官もまたアヘン中毒に侵されて「芙蓉癖にかかった」といわれた。ここからアヘン吸飲が習慣と化して、一文化となってしまった様子を窺うことができる。


●馬賊の定義

 満州をはじめ中国東北地方で活動する武装勢力である馬賊も、またアヘンと非常に強いつながりがあった。日本の馬賊観は非常に曖昧なもので、映画に登場するような満州を駆け巡る自由奔放な集団から、時に単なる野盗・山賊と同程度の扱いを受ける。当時の書物にも「小規模かつ稚拙な略奪技術しか持たない集団」や「山間部を頭目以下全員が徒歩で移動しているもの」まで馬賊としていることもあったという。

 まず、馬賊というものを定義しよう。馬賊をただ単に「馬匹に乗った匪賊」と定義してしまうと、森林が深く土地が肥沃でしかも官憲の目が届きにくい東三省に古くから居ついた「馬匪」と呼ばれるものと、区別がつかなくなる。澁谷由里氏の定義を参考にすると、略奪、放火、暴行、破壊、誘拐、脅迫を行なう「胡子」などと呼ばれる匪賊の中のカテゴリに属する一つの特徴を持った勢力が、馬賊であるという。その上「頭目・副頭目は騎馬であること」であって「武装自衛集団であること」であることが、馬賊であると定義している。今後小稿で馬賊と述べる場合は、この条件を満たしている者のみをいうので悪しからずご了承いただきたい。

 満州にはあちらこちらに略奪活動を行なう匪賊がおり、必然的に土地の有力者たちは管轄内での略奪活動などを防ぐために独自の自衛の手段を必要とした。馬賊の定義に「武装自衛集団である」ということがあるのには実は大きな意味がある。有力者は土地を守ってもらうことの見返りとして、馬賊に資金提供と身を隠すための活動基盤を与えたのだ。馬賊は強力なスポンサーを得て、与えられた土地を基盤に勢力の拡大と、略奪した物資の管理を行なって勢力を拡大した。馬賊はその土地に住む者と協力関係を築き、馬賊は基盤を手に入れた代わりに物資を安く融通するともあっただろう。

 また、馬賊も独自財源としてアヘンに一目おいていた。アヘンを確実にものにするために管轄する土地の農民に対して安全を確保して、ケシの栽培を許可した。その代わり、未許可のケシ栽培は許さないなど、馬賊がその土地を実質的に支配する小軍閥のような役割を担うようになった。満州の人々は馬賊の襲来を恐れると同時に、馬賊と共存共栄する道を探り、馬賊はアヘンをもとに独自の道を歩み始め、中国東北部に馬賊の時代が到来する。張作霖はそのような中で出現し、台頭することになる。


●馬賊・張作霖

 馬賊が武装自衛集団であることの意味を、張作霖が馬賊になりたてだったときを例に見てみよう。日清戦争の退役軍人であった張作霖は、地元の声望家の趙占元に戦功を見込まれて、娘を娶るだけではなく、趙は自らの保安隊として張作霖を抜擢した。張作霖の保安隊、すなわち自衛集団の仕事は土地を守ることだが、彼らの最初の仕事は、原則として約1ヘクタールにつき銀一両で引き受け、趙家廟を中心に付近七ヵ村を担当したといわれる。その一方で彼らは「保険料」を受領していない地域では匪賊と同様に、略奪、暴行、放火、誘拐などの犯罪行為を展開した。彼らは「馬賊」であるが、時に匪賊と混同される理由はそこにあった。


 すなわち、馬賊は一定の活動拠点を有して、有力者や住民と密接な関係を形成しているため、山塞や水塞を根城にするただのアウトローな盗賊像とは性格を異にしている。また、馬賊は武力自衛集団として各地方の有力者に雇われているので、賃金や武力によって解雇の危険をはらんでいる。しかしながら、実績を重ねて多くの土地有力者から土地を任され、管轄する土地が多くなれば多くなるほど馬賊の勢力の増強に直結する。そのため、馬賊同士で勢力を確保するために縄張り争いをしたり、力を示すために雇い主である有力者に功績を示そうとしたりした。私が思うに、馬賊は自衛武装集団であるので、もともと馬賊ではなかったその土地の人間も、食い扶持を得るために積極的に馬賊に入ったことだろう。また、馬賊だったものが閑散期、あるいは病気やけが、頭目との反目などの理由で匪賊や馬賊稼業をしていない時には、次の呼び口がかかるまで行商人や労働者になったり、宿屋や食堂などのサービス業で臨時雇いの口を探したり、地主に雇われて力仕事その他家事・雑用をしたり、技能があれば職人として生活したり、賭博で生計を立てたりさまざまだっただろう。このようなことがあったので、民衆と馬賊との垣根は低く、協力関係の構築や仕事の鞍替えもそんなに困難なことではなかっただろう。

●アヘンと軍隊

 馬賊にとってアヘンは換金して運営資金を得るためのものであるため、現金と同程度の価値を持った非常に重要な物資だった。また、現在でもモルヒネがは医療で使われているように、馬賊はアヘンを時に医療用にも使った。その例として、足を弾丸によって折られた者の足に包帯を巻いて、その上に幅3センチ、長さ15センチほどの板切れを3枚、骨の折れている部分にあてがって、その上にまた包帯を施し、小指の頭ほどに丸めたアヘンを飲ませ、さらにアヘンを吸わせたところ、うめき声も出さなくなり、翌日の軍の引き上げも彼は遅れをとらず山をのぼって移動したということがあったそうだ。戦場では衛生兵が負傷兵にモルヒネを与えることで、痛みから引き起こされる体力消耗を防ぐ処置が行なわれている。この実例はそれと同じ効果を狙ってのことで、麻酔の医薬としてアヘンが馬賊の間で利用されていたことを知る好例である。


 その他の使用例としてアヘンは褒章として賞与されたり、戦場に向かう前の兵士の士気を高揚させるためや休憩の時にも与えられ消費された。アヘンを兵士に積極的に与えた例として、東北軍閥出身の張宋昌の部隊は「双槍部隊」と呼ばれていた。そう呼ばれるには少し笑える理由がある。例えば十字軍が「右手に槍、左手に聖書」と敬虔な戦士の姿が表現されるが、「張宋昌・双槍部隊」は「右手に槍、左手にはアヘンキセル」を持っている姿を指して両手に槍というユーモアを利かせたネーミングになっている。この双槍部隊はアヘン中毒の症状が比較的軽いうちはアヘンの効果で忘我状態になるために、正気では考えられないほど果敢に攻撃を仕掛けたために「常勝部隊」と呼ばれた。しかしアヘンの毒は確実に兵士の体を蝕み、最終的には戦うどころではなくなって「烏合の衆」となるまでに落ちぶれたという笑うに笑えないエピソードが残っている。

●馬賊はアヘン王国の憲兵隊

 話を少し戻そう。矢萩富橘氏は著書で「「阿片=馬賊=森林=需要」の関係を絶たないと、阿片の王国は安全といわざるを得ない」と指摘している。満州を「阿片の王国」たらしめているのは、そもそもアヘンがあるためであり、それを保護する馬賊がいて、ケシの栽培及び馬賊や匪賊を隠す森林が豊富で、なんと言っても大市場が近くにあるためだ。言い換えれば、「阿片の王国」が瓦解するということは、アヘンの存在がしないことはいうまでもなく、馬賊がいなくなれば治安は安定して取締りがしやすくなり、森林がなくなれば密栽培を行えるような場所がなくなり、需要がなくなれば工芸作物であるアヘン栽培の意味がなくなる。ところが実情は、満州は阿片、馬賊、森林、需要と4拍子そろっており、立派な「阿片王国」といわざるを得ない状況だった。

 保険区で強固な武力と活動基盤を持った馬賊がアヘンの取引とケシの密栽培しているので、それを上回る軍事または経済的なパワーでなければその土地でのアヘン栽培を止めることは無理だろう。馬賊の資金源は、前述のようにアヘンの取引で手に入れるものと、有力者から武装自衛団として雇われるものとで収入を得ていた。馬賊はもちろん各地に存在し、それぞれが勢力を拡大するために日夜軍事的な抗争や交渉を重ねていた。そのためには軍事費はどれだけあっても足りなかったことだろう。需要は引き手数多である、作ればばたちまち売れるアヘンを馬賊が積極的に保護し、奨励したことは想像に易い。馬賊のスポンサーである満州各地の有力者もアヘンを財源にしていたことはまた想像に易い。彼らはその土地を馬賊に守らせたのであるから、馬賊はアヘン王国の憲兵隊と言っても言い過ぎではないだろう。

 付け加えるなら、「満州国」が成立した後でも「満州国」官憲の影響力の及ばなかった場所では、政治は馬賊の自由裁量によって行われた。彼らは唯一の営利事業として、夏季にケシの栽培から利益を得ていたという。満州で馬賊がその土地の実権を握っていて、それが公然の事実となっていたことを知る好例である。即ち、馬賊はこのような経緯をたどって、一大軍閥となる力を蓄えてきたのである。

●満州第一的作物

 アヘンのもたらす経済効果はすさまじく、ひとつの寒村にすぎなかった村を大きな町へと変貌させる力がある。奉天省の安図県を例にすると、はじめは数十戸にすぎない部落であったのが、アヘンの取引がはじまるとまたたく間に四百戸まで成長した。アヘンの収穫期には、買い付けに来る商人だけでなく、それを目当てに劇団が吉林や奉天方面から来るだけでなく、遊女も多数集まってきて、まさにお祭り騒ぎの様子を見せた。

 ケシの栽培が農民にどの程度の収益をもたらしたのだろうか。当地の単位を使って申し訳ないが、大体約五千[土向](一[土向]は六反四畝)で収入は四百万円を上下していたといわれる。ちなみにこれは大正年末間の推算であって、現在に換算するともっと多額になるだろう。この数字はその地方の作物である小麦、材木、大豆の収入を遥かに上回っていた。アヘンは満州にとって「特別な農作物」であり、満州を代表し国際的な作物であった大豆を遥かにしのぐ「第一の作物」となっていた。アヘンは間違いなく満州の経済の一部を担っていた。そして、アヘンその高い換金性と高い需要で華北でも実質的に通貨として扱われるほどの信頼性を確立していくまでになる。いわば、貴金属とおなじような扱いを受けることになる。そうなったのは「阿片王国」を支えた馬賊の力のなすところが大きいといえるだろう。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA024680/history/d1-4.htm


第一章 「満州国」建国前夜の中国東北部におけるケシ政策の様子


第2節 満州に蔓延するケシ栽培

2 ケシ栽培が支える軍閥の財政

●揺らぐ中央政府とケシ栽培が進む地方政府

 繰り返しになるが、清朝が禁煙章程を出したときには諸省では既にアヘン税が主要な財源となっていて、地方官が禁煙を実行しようにも、代替財源の確保が困難という状況で実現は不可能だった。その後の禁煙運動によってある程度は取締りが進んだが、ケシの栽培の習慣は暗に残ってひそかに続けられた。辛亥革命の頓挫によって軍閥割拠の時代になると、今まで存在していたアヘン禁止令は空文化した。中央政府は求心力を失って軍閥を取り締まることが困難になり、軍閥は独自の道を歩むためにケシの栽培あるいは、アヘンの取引きに財源を見出すことになる。

 中央政府は違法なケシの栽培を律すべき立場にあるにもかかわらず、窮乏のあまりかそれとも現実に合わせようとしたのか、中央政府ですらアヘンの取り扱いを行おうとした。これに対して拒毒会という禁煙の運動を推進する団体はこのような中央政府の政策を強く批判した。拒毒会は政府内務部が議会で提案した禁煙案を「お役所文書で、具体的な全く計画がない」と切り捨て、地方各軍閥がケシを栽培しアヘン取引をしているのを中央政府は放任しているどころか、それを研究して専売の準備を進めていると糾弾している。中央がこのような様子であるので、軍閥は何はばかることなくアヘンに手を伸ばした。


●全国にはびこる黒色恐怖

 ケシの栽培地として著名であった陝西省では小軍閥が割拠し、それぞれの区域でケシの強制栽培を行っていた。この項では満州国と似て工芸作物を育て貨幣経済が浸透している陝西省を取り上げる。1920年代に入ると、軍閥はケシ栽培から収益を上げると同時にアヘン税を取り立てた。アヘンの被害は黒色恐怖と呼ばれ、中国に農業生産力の衰退と農民破産をもたらした。陝西省では清末期アヘンと綿花が基幹作物であったが、満州と違って中央政府の力がおよびやすく禁煙は比較的よく進んだのだろう。辛亥革命を境に、軍閥の指揮のもとでケシ栽培はより収益の高い綿花の栽培へと代わって行った。ところが、北京政府が国民資産保護のために1922年に綿花の輸出を禁じたことから綿の価格が低下して綿では財政が維持できなくなった。軍閥は財政を維持するために禁止されているはずのケシの栽培を解禁した。比較的アヘンがおさまっていた陝西省でもこの有様であるので、中央政府の力が及びにくい辺境の様子は推して知るべしである。

●国内アヘン戦争の勃発

 アヘンは豆、麦、綿などの作物に比較して容積あたりの利益が大きくてしかも腐敗せず、銀と同じ価値で扱われている。とりわけ鉄道など大量輸送手段を持たない軍閥は、持ち運びが容易でしかも大きな利益の上げることのできるアヘンに目をつけないはずが無かった。アヘンの取引で得た資金は占領地の拡大のための軍事力の増強に充てられ、各地で軍閥同士がアヘン税の入手とアヘン販売権を得るために、土地の支配権を巡ってを争った。

 天津と上海は当時、世界最大級のアヘン市場だった。上海市場の覇権を巡って1925年の浙奉戦争が発生した。上海の市場に「西土」と呼ばれる熱河アヘンをもたらして利益を得た山東の軍閥にして、「双槍部隊」を有していた張宋昌と、それと対立する孫伝芳の戦いである。この争いは最大の市場を巡って、強大な軍閥同士がぶつかりあったために「国内アヘン戦争」と呼ばれた。このように販売権を巡る争いは、一地方のみに収まるレベルの話ではなく、強大な軍閥を背後に、実に大きな広がりのもとでおこなわれていたことがわかる。


●唯一の生命線

 1926年にはアヘン税が「各部隊唯一託命之法」と言われるほどまでに、財政のウエイトを占めるようになった。いったんアヘンが解禁されると、ケシ栽培の勢いは留まることを知らず、福建では2000万元の軍費がすべてアヘン税に依拠する状態といわれ、陝西、雲南、四川、貴州、福建、湖南、河南、安徽、湖北、甘粛などの主要各省がアヘン税に財政を依存している状態であった。もはやアヘン無しでは政権の維持すら厳しく、アヘンに命運を託しているといっても過言ではない。


●泥沼にはまるアヘン政策

 次に軍閥が設置したアヘン税について述べたいが、アヘン税は名前を変えながら多種多様に存在するため、ここで全てを網羅することは不可能なので、代表的なものを紹介していく。

 まずは、ケシ栽培を奨励する税でケシ栽培を行っていようがいまいが、土地面積単位で徴収する「指煙借款」「煙畝派款」「善後専款」。アヘンの運搬、販売税として1000両ごとに100元徴収する「剿匪」。アヘン吸飲証明書を発行するための「灯税」。アヘン商人がアヘンの取引き1両につき1角を納める「印花税」。このように様々な形でアヘンに関する収入を得ようと躍起になった様子が伺えるが、中国は表向き禁煙を旨としていたので、上述のように税の名目にアヘンという名前を隠している。だから税収も公然としては行われず、秘密裏に賄賂のような形で行われるケースもあった。

 ここで軍閥は実にうまいシステムを考え付く。それは昨年の実績をもとに同程度の税金を前もって課しておくというものである。そうすると栽培しなかった農家への罰としての効果だけではなく、栽培面積の維持にも役に立つ。農民としては、出来高に関係しないために決して栽培面積を減らすができない。もちろん金額を高めに設定すれば、栽培面積を増やすこともできた。

 このように軍閥がケシの栽培をほしいままにしてたためにケシ栽培は拡大し、アヘンの流通量は増加した。そのためにアヘンの価格は暴落し、陝西省では1920年から24年の間で価格は10分の1まで低下した。結果アヘンは民衆にまで広くいきわたり、アヘン吸飲の習慣が広がることとなった。2007年現在、まさにアフガニスタンがこのような状況にあるのではないかと、私は危惧している。このような事態を引き起こしたのも、財政をアヘンに頼り、アヘンを積極的に進めて真っ当な経済発展をしようとしなかったためであろう。底なし沼のような状況に、中国全体がはまりつつあった。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA024680/history/d1-5.htm


 第2節 満州に蔓延するケシ栽培

3 熱河の湯玉麟 ~ある軍閥のケシ栽培拡大政策~


●熱河都統・湯玉麟

 先に述べたように熱河では軍費等の経費を捻出するため、1921年に熱河都統の姜桂題がケシ栽培を解禁した。ケシの栽培の解禁とはその土地の支配者がケシ栽培を公認する代わりに税金をかけることを意味し、熱河の都統はこの方針を代々継承してきた。とりわけ1926年に熱河都統に就任した湯玉麟政権はケシ栽培の拡大政策を推進した。湯政権になってから熱河の栽培面積は増加し、熱河は満州や平津の市場にアヘンを出荷する中国でも屈指の生産地となった。そのため「満州国」が成立すると、熱河はアヘン目当てに関東軍などからマークされることになる。

 まず湯玉麟の経歴について述べよう。彼は土黙特旗出身のモンゴル人で漢民族に牧草地を奪われると「馬賊」になり、張作霖の初期からの250人の配下のうちの一人に加わる。バブジャブと抗争したり、張作霖の娘を背負って奮戦するなど張作霖の信頼厚く、1926年から熱河の統治を任される。しかしながら、アヘン吸飲と賭博と売春に明け暮れて圧政をしいたと言われる。彼を弁護するわけではないが、いかにも馬賊出身らしい放埓な性格であったのだろう。彼は関東軍が熱河作戦を展開して熱河が「満州国」に組み込まれる1933年まで、熱河に君臨することになる。

●増税と栽培面積拡大を進める湯政権

 「ケシ栽培の拡大の第一の原因は、軍閥の悪辣な強制栽培にあり」と指摘されているが、湯政権も強制栽培を行った。熱河ではケシの栽培面積に応じて税金がかけられており、栽培面積の拡大はそのまま政権の税収の増大につながった。湯が着任する1925年までは、「禁煙罰款」と称してケシを栽培する土地1畝につき6元徴収したが、湯政権になるとそれに1畝3元の禁地印花税を加えて、1畝9元と増税した。しかしこの政策はただの増税にすぎない。このとき、農民にとってメリットになる大きな政策がとられなかった上に、アヘンの収穫に失敗するか、ケシの栽培が不作であった場合を考えると、この増税は農民にとってリスクのみが増えた結果になり、控えようとは思っても好んで栽培しようと思わなくなるのは当然だろう。

●ケシ栽培面積拡大の責務を担った禁煙総局

 そこで湯は27年に減税と同時に栽培面積拡大のための組織を作り、栽培面積を増加させようとした。まず禁地印花税を廃止し、さらに禁煙罰款を7元として2元の減税を行って、栽培の促進を図った。そして禁煙総局を承徳に設置し栽培を奨励、監督する機関した。禁煙総局の下部組織である禁煙分局を各地に設置した上で、県長を分局長、公安局長を副分局長としてそれぞれ任命して巨大な組織を作った。禁煙と銘うってあるのは、ケシの栽培を統制することで最終的にはアヘンの根絶を目指すという「たてまえ」のためである。当時、中国禁煙と銘打って罰金や税金を徴収することが多く、それが財政上の大きなウエイトを占めていた。この「禁煙」総局も税金である「禁煙」罰款も例外ではなく、たてまえのためにつけられた名前である。

 さて、その組織の実態は、単なる徴税機関だけではなく、湯政権の中央部と地方行政機構が連携して、各地にきめ細かく栽培のノルマ(以下「比額」)を割り当てる機関であった。実際の働きは4段階に分けられる。最初に禁煙総局が毎年各県ごとにに「比額」という栽培面積のノルマを割り当てることから始まる。次にその「比額」を受けて各県にある分局は、県下の村落に栽培面積を割りふり、それを受けて村落の保甲長が各栽培農家に最終的に割り当てる。第三段階として、農民が播種を終えると保甲長が播種面積を県分局にまとめて報告する。最後に、報告を受けた県が調査員を派遣して実際の播種面積と合致しているかを確認、その上で禁煙総局が各県に検査員を派遣して報告された面積(以下、実在畝数)を確認した後に、実際畝数にもとづいて県の分局の責任で、保甲長が農家から禁煙罰款を徴収。県の分局を通じて禁煙総局に納入させる仕組みだった。また、ノルマである「比額」に達しなければ、達成の程度に応じて増税し、来期は「比額」に達するように仕向ける策も採られた。

●奨励金を設けても…

 湯政権最初の年であった26年度の失敗は、ケシ栽培政策が増税のみで振興策がとられなかったことに原因がもとめられる。それに対し27年からは「比額」に応じた奨励金および増税のシステムがとられるようになった。割り当てられた「比額」よりも実在畝数、すなわち徴税可能な土地が1割多ければ罰款徴収額の10%が支給された。更に実在畝数が1割増えるごとに10%を加算して県分局に地方の財源として還元し、地方の協力を仰ごうとした。

 「比額」をきめ細やかに割り当ててノルマを農家ごとに詳細に設け、そのための奨励金を提示した。しかしその初年度の27年は、いかんせん「比額」が大きすぎ、7470ヘクタールの「比額」に対し、実在畝数は僅か2753ヘクタールと目標の37%にも達しなかった。28年は更に奨励金の増加という手厚い奨励策をとった。実在畝数が比額より1割増の場合は還元される罰款徴収額は30%、2割増の場合は40%、3割以上であると50%の支給と、前年度より大きな奨励金を餌に栽培面積の増加を狙った。しかし奨励金を払う額をできるだけ抑えようとしてか、「比額」を昨年度よりさらに上回る9620ヘクタールとしたため、協力をあおげなかったのだろうか、実在畝数は昨年度よりもさらに低下して2110ヘクタールとなって、実に「比額」の22%で税収は前年度比25%減と惨たる結果に終わった。

 なぜここまで成果が上がらなかったのだろうか。31年の実在畝数が5882ヘクタールであることから考えても、2500ヘクタール前後が熱河全体の栽培の限界であったとは考えづらい。禁煙罰款を徴収できるケシ栽培地がこの程度にとどまったのには、労働力とケシの栽培に向く土地の少なさという問題そして、実在畝数を調べて報告する役人の不正という大きな二つの問題があった。1927年から1932年の湯政権下のケシ栽培の成績を下表の表―1に示す。

表―1 湯政権下のアヘン政策推移表

●ケシ栽培を広げられない農民事情

 ところで実際にケシを栽培するのは農民である。ケシの栽培が大きな利益をもたらすことは間違いなかったが、栽培面積に比例してかかる税金と痩せた土地、そして労働力の不足がケシ栽培の増加に待ったをかけた。

 熱河の農民は生活ケシを栽培のみで生計をたてていたわけではなく、自らを養う食料も作って生活をしていた。ここで問題になるのは熱河の痩せた土地事情である。痩せた土地では同じ作物を同じ方法で栽培しても、豊かな土地のそれに及ばない。熱河では栽培面積に応じて税金がかかってくるが、日本の太閤検地とは違って土地の地力は一切税金に考慮に入れていない。土地が痩せていようが肥えていようが税金は同じである。どこで栽培しても同じなので、農民は決して安くない税金を払うならばと、ケシの栽培を行う土地はできるだけ肥えた土地を選んだ。参考までに、白菜や大根、あるいはタバコなど通常の作物を栽培した場合の利益を紹介すると、10元程度になるという。1畝あたり7ないし9元という禁煙罰款の高さがわかるだろう。

 熱河特有の農業事情として、先に述べたように灌漑の整った「園地」で農業が行われていた。そこは決して肥沃といえない上にさして広くもなく、その限られた中で自身を養う食材を作る必要があった。熱河の農家の一戸あたりの平均栽培面積は1934年1,37畝、1935年が1,25畝、1936年が1,37畝ときわめて小さいことが特徴である。この「園地」以上に農地を持つことによる労力の増加を考えると、人々は農地拡大にj踏み出せずにいた。なぜなら、栽培地をあまりに増やすと一家でまかなえる農作業の許容範囲量を超えて、人を雇う必要が出てくる。そうすると人件費が発生するため、わずかな経済基盤しか持たない一般の農民はおよそ農地の拡大という冒険に出ることは難しかっただろう。

 このような状況であったために、農民は単純に栽培面積を増やすということは難しかったといえる。それでも表-1のように年を追うごとに栽培地が増えていったのはアヘンの栽培に成功し、経営を拡大する農民が少しずつ増えていって、はじめは園地の中の傍らだった栽培から、だんだん栽培の不安定な乾燥地や水辺といった場所に進出したからだと推測できる。

●脱税、横領、接待…利益を貪る役人

 役人の不正は歴史的につき物であって、現在も繰り返されている。「歴史は繰り返す」のだ。閑話休題、繰り返しになるが、実在畝数の確定にはまず分局が現地で調査し、後に禁煙総局が分局の調査面積が正しいかを直接調査して定めているように、多くの役人が関わっている。多くの役人が関わることで、地方と中央の連携が強固になるという利点はあるが、役人によっては不正を行うものがいた。朝陽県のある分局の管轄する地区の記録をもとに役人の不正を紹介しよう。

 熱河中央にある禁煙総局は各県に実在畝数の調査・確定のために初調査員、複調査員、特査員を派遣する。ところがこの数字がおよそ信用できるものではなかった。というのも彼らが地方で実地調査するために派遣されたときに、地方の役人は中央に収める税金を少なくするために実在畝数を少なめに報告させようとしてあの手この手を尽くして丸め込み買収した。この買収工作のときには毎回大洋1万元が使われ、一人ひとりの手に渡っていくお金は合計すると積もり積もって1千万元以上になるという。「毎年アヘンの収穫期になると、県長と公安局長が財を成すチャンスが来る」と言われた。今も昔も特権を持つ役人が肥える様は悲しいかな、変わらない。

 朝陽県のある地区のデータを下に、役人の不正を見ていこう。ここの禁煙罰款は1931年の時、1畝につき10.5元であり、湯政権が定めた禁煙罰款の9元2角より多い。名目は農民は調査員の活動にかかる費用を負担するためであるが、その他にも実在畝数と禁煙罰款額を捏造し脱税することを狙って、激しい不正が行われていた様子が数値となって現われている。どれほど不正が行われ、中央へ納税を逃れて地方が脱税しようとしたか計算をしてみた、詳しくは下の表-2を参照していただきたい。

 表の説明をしよう。まず実在畝数を2400畝と偽って報告している。実際の栽培面積に比べると1600畝の差があるため、禁煙罰款の9元2角との積を行うことで14720元を脱税していることになる。そしてそこでは禁煙罰款を余計に1元3角徴収しているため、実際の栽培面積である4000畝との積を求めると5200元となって、合計すると19920元であって、正規の禁煙罰款とほぼ同じ程度の金額そっくり中央に納めずに脱税していることになる。

 こうして集められたアヘン税の収入は千余万元となるが、そこから警察や県役人、禁煙局などの役人たちが「甘い汁」を吸い取って残ったものがようやく省の財政に収まる。それでもアヘン税の収入は3~400万を下らなかった。この様子は当時の人言葉を借りるなら「私は県長や警官の不正に至っては、僅かしか伝えることができないが、枚挙するときりがない」とすっかり慣習化してしまったせいか、お手上げの状況だった。このときはまだ熱河湯政権の影響力が小さかったせいだろうか、役人が役得により利益を貪り、中央の税収増大に全く協力的でなかった様子が伺える。


表-2 1931年の朝陽県のある地区の脱税額計算表


●湯政権の「アメとムチ」

 非協力的な地方に厳しい農業事情を抱える熱河であるが、劇的な変化が28年から31年の間に発生している。まず表-1戻っていただきたい。28年から31年の間に奨励金の増加をするどころか、逆に29年には禁煙罰款が1畝につき9元、31年には9元2角と増税すら起きているにも関わらず、実在畝数は29年が3287ヘクタール、30年には4768ヘクタール、そして31年には5882ヘクタールと急激な増加を見せている。32年こそ満州事変の混乱を受けて3048ヘクタールにとどまったが、確実に実在畝数は増加している。

 この変化を引き起こしたのは、「比額」の低下と、「比額を下回ってはいけない」いう厳命である。30年には比額を急激に下げて4680ヘクタールと奨励金を入手可能な範囲まで下げる政策転換も行われている。しかし、そのような小手先の政策が功を奏したというよりも、湯政権が安定期に入って地方からの支持が拡大したことが原因だろう。為政者が変わり、しかも禁煙総局という新たな試みがなされると、地方政府にとっては全面支持する前に「まず様子見」をしようという気持ちが働いたために協力的な態度をとれなかったのだろう。ところが、禁煙罰款で徴収された税金が結果的に中央政府の政策に活かされて、熱河全体の経済を潤していたことに気がつくと、地方には湯政権と禁煙総局に対してある種の信頼が芽生えた。地方にとっても敢えて不正を働き続けて懲罰を受けるよりは、懲罰を受けない程度に申請して湯政権に対して協力的な姿勢を示したほうが都合よくなったのだう。

 先に計算したように、地方にとってみれば禁煙罰款の数割という程度の奨励金よりも、不正を働いて得ることのできる金額のほうがはるかに莫大であったので、奨励金の制度だけ釣られたとは考えづらい。湯政権はアメとムチを使い分けた。アメが奨励金の増加なら、ムチは地方への締め付けの強化である。「ケシの栽培地が被害を受けた」と虚偽の報告をして税を免れようとした者が、調査を受けて罰せられるなど、禁煙総局が確固たる力をつけてきて、満州事変が起きるまでは順調にアヘン税の徴収は増加した。

●鴉片王国・熱河

 ところが湯政権下で、アヘンは制限されるどころか大いに生産・販売されて市場にあふれた。熱河は張作霖死後に湯玉麟を主席として半ば独立国化し、張作霖を次いで中国東北部第一の軍閥となった張学良は湯玉麟を放置したので独立王国化傾向はますます強まった。当然、国民政府が29年から行った蒋介石の禁煙政策にも、熱河湯政権まったく無関心でアヘンは野放し状態であった。「禁煙薬店」と書いてある店では禁煙どころかアヘンが販売され、「保運公司」というアヘンを北平、天津、遼寧各地に軍人が輸送することを保護する機関が公然と存在した。禁煙総局や禁煙分局の門前には7~8人の軍人が待機しているという有様で、熱河ではアヘンの流通が官民上げて行われていた様子が見られる。

 熱河は政府の指導のもとで、「アヘンの栽培」から「収買」と「市場流通」と「消費」の流れが作られ、アヘンの一大供給地の様相を示していた。また馬賊が根付き、国境線が近くて取締りが困難にして、平津市場という消費地が近いことだけでなく、半ば独立王国化して、中国中央政府の影響を受けにくかったので、「鴉片王国」と称されるまでになった。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA024680/history/d1-6.htm


第二章 水面下の日中アヘン戦争

 「満州国」は建国にあたってアヘンの政府専売による利益を予算に組み込んでいた。そのために是が非でも専売を実現しなければならなかったが、専売の実現のためには数多くの課題がある。「満州国」も例外ではなく、アヘン専売体制設立のために3つの課題があった。第一に、「アヘンの販売ルート制限と流通経路の独占」第二に「アヘンの安定入手と供給を続ける機構の作成」第三は「消費者の把握・管理」である。

 何故ならば、専売を行う物品にニーズがなければ利益をあげるどころか、根本的に売れない。そして、専売を行う政府が安定してアヘンを入手して適切に供給し続けることができなければ、民衆は政府を信用できなくなって闇マーケットが発生し、必然的に専売体制が崩れる。もちろん販売ルートまで完全に独占してシェアを握らなければ、専売そのものが成り立たたず、価格統制をはじめとして市場統制ができない。

 「満州国」の専売体制確立にあたって影響を与えた大きな存在は二つある。まず前章で述べたような満州という地域の特殊性と、あとは同じく中国東北部で勢力を持つ関東庁と関東軍の関係が、直接あるいは間接的に影響を与えることとなって、「満州国」が展開するアヘン政策に大きな影響を与えた。本章では、日本だけでなく東北軍閥が行ってきたアヘン政策を通して「満州国」でのアヘン専売に与えた影響を見ていく。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA024680/history/d2.htm

1 日本のアヘン専売経験

 一言でアヘン専売といっても、販売対象やアヘンの入手方法など、専売の目的と形態は様々である。時系列で日本のアヘン栽培経験並べるなら、「日本」「台湾」「大連・旅順」「青島」「朝鮮」であるが、それぞれ境遇が全く違い、専売がとられた意図も違っている。6回目の専売となる「満州国」では、これらの成功や失敗の経験に学ぼうとして、調査隊を各地に派遣した。


●島国での専売1 日本 アヘンの進入絶対禁止

 最初に、国外のアヘン専売うんぬんよりも、日本として国内ではアヘンに対してどのような態度をとるのかが課題になった。日本は幕末からアヘン戦争後の中国の惨たる姿を目にしているため、アヘンの恐ろしさを知らないはずが無かった。そのため、まずはアヘンの大量流入を是が非でも食い止めることが先決であった。この課題に対して、日本は島国であることを最大限に利用して、国内へのアヘン大量流入を水際で防止することに成功した。

 ところがアヘンやモルヒネは医療用として必要なものであったために、完全にシャットアウトしてしまうと逆に都合が悪いことが発生する。そこで明治政府は、阿片法を制定して国内でのケシ栽培を厳重に統制し、同時に海外からの輸入も厳しく制限することで、アヘンを必要量だけ入手する道を確保した。そして医療目的という名目で、必要量だけ輸入し、必要な業者等に限定して販売しようとした。これが日本のアヘン専売であって、アヘンの拡大防止と必要量確保ということに主眼が置かれている。

●島国での専売2 台湾 アヘン社会となっていた台湾

 日本と違って、台湾は日本が入植するまでにアヘンが社会に浸透しており、財政、経済、民政と様々な分野で問題が顕在化していた。具体的には、アヘン税収入が台湾政府の重要財源であり、アヘン吸引の習慣がついたので中毒者が多く、輸入業者がアヘンを商品として利用して儲けていた。このような様子だったために、台湾を統治するに当たって、対アヘン政策を無視して通ることはできなかった。台湾総督府はまず、野放しだったアヘンを統制し、中毒者にアヘンを提供する必要があった。

 台湾では日本と共通点がある。まずケシの栽培が国内で行われておらず、大陸と陸続きではなく四方を海に囲まれている島国であるということだ。なので、麻薬の流入を水際で食い止められて、しかも国内のケシ生産対策を行う必要が無かったために国内流通の管理がしやすかった。アヘンの入手という観点で見てみよう、後藤新平が民政長官であった時代は、イギリスからのアヘンの貿易がいまだ続いていた時代であったので、麻薬の入手は容易にできただろうし、需要も十分すぎるほどあったことは想像に易い。

 台湾での専売が利益を目当てにしたと批判されることがあるが、私は専売から利益が上がったというのは総督府が狙った一義的な効果ではなかったと考える。総督府が台湾を統治するにあたって台湾政府が従来から行っていた政策を踏まえ、民心に混乱が起きないようにするのは当然である。新しく外からやってきた侵略者が従来の政府の政策やその土地の実情を無視した政策を行って反発や反乱やひずみを招いた例は歴史上どれだけでも存在する(妙な批判をする気は無いが、今の日本が妙にアメリカナイズされているのはそのひとつだと思うのだがいかがなものでしょうかね)。既にアヘン吸引の習慣が根付いた台湾社会では、日本が流通ルートの制限や特定中毒者に供給するという積極介入しなければ、アヘンの氾濫が進んだだろう。アヘンの氾濫はそのまま政府の求心力を下げるため、総督府はアヘンの専売を行わざるを得ず、結果として利益を上げたというのが実情ではないだろうか。

 台湾でのアヘン専売は「公然漸禁主義を採用した世界に誇るべき後藤民政長官の成功であった」と評価されていた。「満州国」でのアヘン専売体制設立時でも、専売の成功例の模範として調査員が派遣されていた。

●大陸での専売1 関東庁専売局 大連と旅順 中国の方式に倣う

 日露戦争後、1905年に日本が大連と旅順を租借すると、遼陽に関東都督府が設立されたが、そこは台湾とも違う独自のアヘン流通事情があった。日本が租借した大連は中国の貿易の一大拠点であったため、アヘンが流入する一大拠点だった。中国大陸の広大さやアヘン中毒者の多さ、そして完成されたアヘン流通のネットワークを思うと、およそ台湾とは規模が違うために、アヘンを禁止しようにも関東都督府の力の及ぶ範囲ではなかった。中国大陸のわずか一部の港を抑えるに過ぎない日本が、これからこの土地を足がかりに大陸侵攻をはかろうと考えたとき、従来の慣習に従うか、それとも制度を変えて抵抗を招くかどちらがいいかは言うまでもない。台湾はこれ以上侵略する土地が無いために、民心の安定が第一であったが、旅順大連では大陸侵攻を進めるため、日本は従来の政策をまず受け継ぐことにした。

 台湾総督府と関東都督府の違いは、台湾総督府がアヘン専売を行おうとしたのに対して、関東都督府ではアヘン自体は取り扱わない代わりに、在地のアヘン商人に特別な税をかける見返りとして特許証を発行してアヘン取引を許可したことにある。1915年、関東都督府がこの土地で支配力をつけてくると、台湾の方式を参考に、アヘン輸入を政府独占にして専売をすると改めた。台湾と違って四方を海に囲まれてはいないが、大連は半島の地形で水際で食い止めることが容易という便利な地理的条件であったため、アヘンの独占に成功した。商人から特許費を徴収するよりも関東都督府がアヘンから得る利益は相当なものとなった。

 1919年に、南満州鉄道の警備のために関東軍が作られ、関東都督府は、関東軍と関東庁とに分裂した。分裂後でも、アヘン専売は関東庁に継承された。すでに中国東北部では、日本や朝鮮を出て、大陸で一山当てようとする大陸浪人らがアヘンなどを元手に、中国で「一旗組」として各地で暗躍していた。彼らは中国内陸の奥深くまで進出し、特に薬学に関する知識はないが、アヘンを「薬屋」と称して売り歩いていた。関東庁はこの大陸浪人をアヘン販売工作の尖兵として利用した。

 その一方で関東庁は大連宏済善堂の戒煙部を設立した。名前こそ、アヘンを戒めることを前面に押し出しているが、仕事内容はアヘンの専売を行う機関で「人々の耳目を欺く」中国流の名づけ方だった。1920年以前には大連は「日本人が中国に向けて麻薬密輸の重要な基地になっている」と指摘されるまでに至った。関東庁のアヘンが、中国東北部で流通することが「満州国」のアヘン専売に多大な影響を与えることになるがこれは後述する。


●大陸での専売2 青島 軍部の財政確保のために

 第一次大戦のさなかに行われた山東出兵によって、青島は暫くの間中国に返還されるまで日本の支配下に入った。ここでも当然のようにアヘンの専売は行われた。ここでもアヘンは社会に浸透しており、日本はこれを利用して占領地区の財政確保を行った。この時も、関東庁方式を取ったのだろう、日本占領軍が麻薬商人や大陸浪人を集めてアヘンを売りつけたという記述が残っている。青島軍政署のアヘンによる収益は毎年300万円を下らなかった。青島と大連では、ともに税関を日本が掌握したためアヘンが流入しやすく、しかも日本が軍政を敷いていた上に、更に治外法権という助けが日本にあったので、従来から行われていたアヘン販売に対して中国が大々的に反発することができず、専売は山東が中国に返還されるまで順調に進んでいった。

●大陸での専売3 朝鮮半島 密売商人とのアヘン獲得合戦

 日本の占領地であり、中国東北部と陸続きである朝鮮もアヘンから逃れることができなかった。第一次世界大戦後の1919年はアヘンの価格が高騰した。この状況を利用して朝鮮ではアヘンを収穫しモルヒネを製造して中毒者に販売することで利益を得ようとした。そのために10000貫もの増産をはかったが、現実は厳しく政府の買い付け量と栽培面積では大きなずれがみられた。即ち、相当量のアヘンが密輸にまわるかして、政府の手に収められずに密売市場に流れたため、アヘン、モルヒネの政府入手と専売を行うという目論見は失敗に終わった。

 朝鮮は現地消費がされるだけでなく、中国東北部や平津市場など、近隣の地域に需要が大きい。密売市場に流れたのは、密売商人が収穫の時期に政府よりも好条件でアヘンを買い付けたためだろう。「満州国」もこの種の問題を抱えることになる。大陸であるので船舶を管理する島国とは勝手が違って制限するのにキリがなく、どこからでも商人はやってくる。しかも商人は政府よりも好条件を直接農民に示すために、アヘンは密売市場に流れた。この専売の失敗も「満州国」に参考にされた。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA024680/history/d2-1.htm


2 中国東北部に蔓延する関東庁アヘン


●アヘン市場の激戦区 中国東北地方

 「満州国」が建国する前の東北軍閥時代、奉天や瀋陽など中国東北部の各都市はアヘン市場の激戦区で、各地からアヘンが集積した。代表的なものを挙げると、熱河アヘン、北満アヘン、朝鮮アヘン、そして関東庁からのアヘンが流入してきており、ともに中国東北部という巨大市場をめぐって競争していた。

 各勢力は獲得した市場を守り、権益を拡大するために自らの利益そ脅かすアヘンに対して厳しい態度で臨んだ。例えば関東庁関係の警察が、鉄道などの中で関東庁以外のアヘンや麻薬の密輸送を発見した場合は、アヘンや麻薬を没収した。もちろん、関東庁のアヘンはお咎め無し、あるいはいくぶんかのみかじめ料を取って没収することは無かった。

 アヘンの密輸送を取り締まっているのは何も関東庁警察だけではなく、地元の軍閥や有力者など多数いるので、密輸送はその手口を巧妙化させてきた。アヘンのにおいを消すために味噌樽に入れたり、時計や大工道具に細工をして二重底を作ったり、食品に混入したりするなど、さまざまな手口で摘発をすり抜けてきた。

 関東庁は出来高制の奨励金制度を使って警察に密輸送の摘発をすすめ、さらに警察が没収したアヘンを今度は自らの息がかかった商人に売り下げることで利益を得た。詳しくは次に述べるが、張学良も自らの管轄下で日本関係者に対する出店禁止や店舗貸し出し禁止などの措置を行うことで、日本・朝鮮人商人の進出を食い止めて、それぞれ自らの利益確保に躍起になった。

●関東庁のアヘン専売の仕組み

 関東庁の専売局の仕事は、三井物産からペルシャ産アヘン、トルコ産アヘンを入手し、更に警察が各地から没収したアヘンを生アヘンのまま州内の小売業者や州外販売を受け持つ特許商人に売り下げるだけの単純作業であった。仕事がそれだけで済んだのは、アヘンの内陸部への通り道であった満州鉄道(以下、満鉄)で関東軍が関東庁のアヘン麻薬販売商人を守って商業活動を保護しており、「売りやすい」環境を確保していたからだろう。

 しかし表向きは禁制品のアヘンを空手で保護するわけにはいかず、警察や関東軍はいくらかのみかじめ料を得て業者を見逃していた。要するに袖の下である。まとめると、警察が関東庁が管轄する以外のアヘンを没収すると、奨励金が警察個人のボーナスとなるだけでなく、関東庁は奨励金と警察の人件費だけでアヘンを手に入れることができる。更に警察は関東庁のアヘンをいくらかで見逃せば自らの収入になる。いずれにしてもアヘン密輸送の摘発さえ成功すれば関東庁が儲かるうまい仕組みが出来上がっていたのだ。

●「満州国」と関東庁の対立

 しかしながら、これによって「満州国」がアヘンを購入し満鉄で満州に運ぶ時に、ひとつの問題が噴出することになる。それは、「満州国」関係者が満鉄でアヘンを輸送している最中に、関東庁の警察に没収されることがあったということだ。この事実が何を物語るかというと、少し後の話になるが、同胞であるはずの「満州国」の専売アヘンすらも関東庁の専売アヘンにとっては市場を争うライバルのひとつでしかなかったということだ。おりしも戦争の準備にどの勢力もおわれ、軍資金はどれだけあっても足りない時代である。こともあろうに、日本人どうしが裏で争うという事態が起きてしまったのだ。

 ところが「満州国」は、関東庁を裁く手段を持たなかった。というのも、「満州国」は基本方針として1932年3月9日に「暫く従前の法令を援用するの件」を公布していたので、法令等一切張学良政権を継承して同じとしていた。そのため、「満州国」としては日本・朝鮮人は治外法権によって守られて手が出せない状況だったために、「満州国」警察として関東庁側の人間を裁くことはできなかった。


 中国東北部近辺ではアヘンの需要は豊富であった。それは前章で見たように、軍閥などがケシ栽培とアヘン取引を奨励してそこからあがる税金などを財源にした上に、アヘン吸飲を野放しにした影響である。それが原因で、満州にはありとあらゆる産地のアヘンが進入することとなり、関東庁からのアヘンも利益を求めて進出する余地があった。「満州国」としてアヘン専売を確立するために障害になったのは、満州に流入するアヘンが実に様々な地域から来ていることだけでなく、特に厄介だったのが治外法権を盾にして取締りを逃れてきた日本・朝鮮人と、同胞ながらも市場を争う関東庁だった。「満州国」は巨大市場で需要が十分にあるにもかかわらず、「満州国」が専売体制を確立するためには、関東庁との確執を超えるという大変な課題が残った。 
http://hp.vector.co.jp/authors/VA024680/history/d2-2.htm


3 張学良と関東庁のアヘン戦争

●張作霖もアヘンに手を伸ばす

 繰り返しになるが、アヘンの販売ルートの確保は軍閥や地方政府などにとって財政上重要な問題であった。自らの息のかかった商人が発展すれば、販売税や販売特許費の徴収で自らの財政が潤うことになる。それゆえに市場をめぐった争いは時として政治色を帯びるし、浙奉戦争のように勢力同士の軍事衝突が起きるなど一大事として取り扱われてきた。

 馬賊出身で奉天の軍閥であった張作霖は1927年、第二次奉直戦争によって奉天票が暴落して財政難に陥ったとき、挽回策として奉天全省禁煙局禁煙章典を公布し、アヘン禁止を解禁して財政を立て直そうとしたことがあった。アヘンの売買を公認して商人から販売許可税をとるか、専売体制を築こうとしたのだろう。しかし、それは内外の批判を浴びて数ヶ月で撤回せざるを得なかった。批判は法律や人道上の理由もあるだろうが、本音は奉天にある程度のマーケットを持つ政府・軍閥が、張作霖が市場介入を行うことで利権を失うことを恐れたというところにあるだろう。また、張作霖に各地から流入し、奉天に氾濫するアヘンを御する力があるかどうかも現実問題として浮かび上がってくる。張作霖は「未遂に終わった」というのが正しいところではないかと私は考える。

●アヘン禁止を行う張学良

 このとき張作霖と対照的に勢力を盛り返した国民党は、自らの勢力下で禁煙運動を行った。張作霖死後、張学良は易幟後に国民政府に倣って28年9月の国民政府の禁煙法施行条例にのっとり、率先してアヘン吸引癖を改めて禁煙運動を推進し始めた。

 張学良が1929年に出した禁煙令は中華民国法に則りアヘンの吸飲、売買、所持を禁止して、違反者には5年以下の徒刑、5000元以下の罰金を科した。張学良がアヘン禁止を敢行することで、奉天ではアヘンは禁制品となって「表向き」はアヘンは消滅し、日本・朝鮮人の麻薬商人や密売人は張学良の勢力下で排除された。以下に張学良政権のアヘン禁止を具体的に見ていこう。

●実体の伴わない禁煙

 さて、本当に張学良は禁煙を行ったのだろうか。禁煙とは要するにアヘン吸引の悪癖を取り除いて社会がアヘンに頼らないようにすることである。張学良の場合は、一部では成功したといえないこともないが、本格的な禁煙を行ったかといえば答えは否だろう。

 張学良政権が朝鮮人による鉄道を利用した密輸を取り締まった例こそあるが、張学良自身も同じく満州に流入するアヘンや商人を利用して、名目上は禁煙のためとしてみかじめ料や特許費を入手して財源となしていたと考えるのが妥当だろう。

 というのも、そもそも禁煙政策を何度と無く出している国民政府自身がアヘンの密売で利益を手に入れていた事実があるからである。アヘンの生産地にして消費市場であった満州はいうまでもないだろう。即ち、国民政府の禁煙は国際会議の場で自らの立場を良く見せるための一種のパフォーマンスに過ぎなかっただろう。

●張学良と関東庁のアヘン戦争

 張学良政権で日本勢力下のアヘン麻薬販売人が排除されたのは、禁煙と称して商売仇を公権力を借りて市場から駆逐しようとした狙いがあったのは疑いない。禁煙令を出す前は張学良時代の奉天城内でも、関東庁のアヘンと熱河アヘン、朝鮮産や北満のアヘンが市場を争っていた。張学良政権にしてみれば、神出鬼没するアヘン商人に対応するだけでも大変な話なのに、さらに逮捕し、実刑を下す「取締る」番となると「治外法権」という壁に阻まれて難しかった。たとえば瀋陽ではモルヒネ所持のかどで逮捕しても、日本の領事館から引渡しを要求されるという事件が発生した。

 そこで張学良政権はきりのない「取り締まり」から「封じ込め」へと方針を転換することにした。張学良政権は、日本側の活動基盤を奪うために満州鉄道付属地をの外で中国人家主に日本・朝鮮人への土地家屋の貸し出しを禁じた。結果、彼らは治外法権で守られた満州鉄道付属地に追いやられ、活動の規模を縮小せざるを得なかった。

●聖域・満鉄付属地

 満州鉄道付属地について少し説明しよう。日本が日露戦争後に、東淸鉄道南部線とその沿線の付属地をロシアから譲り受けた「戦果」である。そこは治外法権で守られて中国が介入できない土地であるだけでなく、そこの軍隊および警察は関東庁が管轄していた。そのため、付属地は鉄道沿線の大都市から小都市へと関東庁アヘンを供給する格好の中継基地として栄えた。東北軍閥による関東庁アヘン封じ込めの結果、日本側のアヘン商人は付属地に追いやられることになったが、張学良政権にとって付属地は追い込むことのできる最大の範囲にして、不可侵領域、即ち「聖域」となっていた。

●張学良と湯玉麟

 日本を封じ込め、関東庁のアヘンを拒否した張学良はどこのアヘンの流入を希望したのだろうか。私は熱河ではないかと推測する。

 何故なら熱河と張学良のお膝元である奉天は鉄道でつながっており、熱河のアヘンは平津市場のみならず満州にも大量に流入できる条件が備わっていたからであろう。もちろん、理由はそれだけではない熱河でないといけない理由が別にある。前章で述べたように、熱河の湯玉麟政権はアヘンによって確固たる「鴉片王国」の地位を確立していた。湯玉麟は易幟後も熱河で半分独立王国化して、しかも張学良がそれを放置していたのは、強大な財源を有しているため張学良としても従がわせるのは難しい。むしろ「鴉片王国化」した熱河を取り締まることの困難さは目に見えている。むしろ張学良としては熱河のケシ栽培の責任は放置して、しかも湯政権に責任転嫁できるために、熱河が独立王国化していたことは好都合だったのだろう。また、湯玉麟は張学良にとって父親の朋友で、張作霖を暗殺した日本を恨んでいたため、彼の存在は張学良にとって頼もしい存在だっただろう。

●「満州国」に与えられた課題

 張学良政権の禁煙を総括すると、封じ込め戦略によって日本の侵略と商売敵を排除すると同時に、自らの利益を確保しようとするだけではなく、「禁煙を行っている」とアピールすることで自らの体裁を繕おうしたということができる。

 「満州国」建国後、張学良は兵器の工場であり、アヘン販売権を持っていた根拠地、奉天を取られたことで急激に弱体化することになる。彼はその上国民党の方針のためにほぼ無抵抗に満州を占領され、国民党側に引き込まれることとなった。張学良が満州を去った後、「満州国」が専売を確立するためには、張学良からそれ以前の時代のアヘン流入源を完全に把握して、管理下に置くという課題が残された。 
http://hp.vector.co.jp/authors/VA024680/history/d2-3.htm


三章 「満州国」アヘン専売開始

 前章の冒頭でも述べたが、アヘン専売体制設立のために3つの課題があった。第一に、「アヘンの販売ルート制限と流通経路の独占」第二に「アヘンの安定入手と供給を続ける機構の作成」第三は「消費者の把握・管理」である。「満州国」は現地でケシの生産が隆盛をきわめており、しかも内外にアヘンの需要が大きく流通網が発達しているという二点で、日本が今まで専売を行ってきた地域とは事情を異にしている。本章では、「満州国」がいかにこの三つの課題を克服していったかを検討していく。

 そもそもなぜ「満州国」はアヘンの専売をしなければならなかったのだろうか。「満州国」建国の予算には多額の公債が最初から組み込まれていた。その公債はどこから手に入れるかというと、アヘンの専売の収益を担保にして公債を得ることが決まっていた。もしもその借款が得られなければ、まったく建国の計画自体が変わってしまう恐れがあったために、是が非でもアヘン専売によって収益を確保しなければならなかった。そのため湯政権のように、ケシの栽培に税金をかけるということだけでは足りず、台湾や関東庁のように完全に政府主導でアヘンの入手から販売まで掌握して、収入を増やさなければならなかった。

 アヘン専売開始が難航するのに対して、「満州国」の予算は時のたつにつれて膨らんでいった。その深刻さは当時の人にもやはり認知されており、関東軍参謀長が「アヘン収入と税関収入を迅速に増やさねばならない」と陸軍次官に充てた手紙の中で発言するまでに至った。

 
 この省は「満州国」のアヘン専売体制について述べるが、日本も数年前まではタバコと塩が専売されていた事実を頭に入れておかなければならないと思う。みなさんが専売を考えるヒントになれば幸いである。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA024680/history/d3.htm

1 人々を虜にするアヘン政策

●湯政権下の人々とアヘン

 「満州国」での専売は日本にとって実に6例目の専売となるが、そこではアヘン吸飲の習慣もアヘンが伝来して以来広がっているようで、役人をはじめ宿の主人、果ては村長から小学校の先生までアヘンの中毒であったりする様子が、日本人旅行者などにより目撃されている。満州はアヘンの一大消費地であることに湯玉麟は目をつけ、栽培税だけでなくさらに税収を得るため、アヘン吸飲を許可制にしていた。消費者から「灯税」という名目で吸飲者からキセル1本ごとに大洋2元を徴収して、アヘンの消費者たる民衆を管理していた。

●進化する消費者戦略

 「満州国」はこれを参考に専売の効果をより上げるために、これよりもう一歩踏み込んだ消費者の管理を行った。

 専売に当たっては消費者に対する政策も、アヘン入手などアヘンそのものに対する政策と同じくらいに重要になってくる。なぜなら全てのアヘン吸飲者が密売アヘンに手を出さずに国家の専売アヘンを使用すれば、それだけで専売の効率が上昇し収入が増加するからだ。更にアヘンをすいやすい環境を抵抗することで、今までアヘンを吸飲しなかった者が、アヘンに手を出して消費者が増大すれば更に販売拡大が見込める。「満州国」の阿片法はこの二点に目をつけ、政府の許可のないアヘンの吸飲を禁止したのみならず、2条では「アヘンの吸飲は許さないが、成年にしてすでに中毒者で救済措置が必要なものはこの限りでない」と、アヘン禁止を明文化していることはしているが、「不在此限」という言葉が制限をゆるくしている。アヘンの吸引政府公認の許可証は一応存在したが、発行のためには中毒者であることを証明する必要が無かったため、人々は容易に許可証を手に入れることができた。その上「満州国」は「漸減方針にもとづく断禁主義」と称して、少量のアヘンを中毒者に配布する便宜を図ったため、民衆はアヘンを容易に手にすることができた。「満州国」は中毒からの更正の手立てをこれといって用意しなかったためアヘン吸飲者は増える一方だった。要するに、中毒者を増やして税収を増やすことだけを主眼に置いただけであった。

 アヘンの流通も、「満州国」が指定した商人のみが、卸売商人と小売商人となることを許されたため、「満州国」政府の力を国内の隅々まで及ぼすことが図られていた。

 「満州国」のアヘン政策が湯政権の「灯税」よりも進んでいるというのは、商人、消費者双方の管理を強めたためということができる。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA024680/history/d3-1.htm


第2節 「満州国」内のアヘン市場シェア独占へ

1 「混沌とする『満州国』黎明期のアヘン市場」

●公然と営業を始めるアヘン店

 満州事変で張学良の勢力が駆逐されると、封じ込め政策で満州鉄道付属地に押し込められざるを得なかった。押し込められた日本・朝鮮の関東庁アヘンを取り扱う商人たちは、日本軍の進出と共に満州各地で商売をはじめることになる。満州事変の前までは取締りを受けていたために隠れて営業をしていたアヘン商人も、事変後には公然と看板を掲げて目抜き通りで営業を開始することになる。奉天では日本商店の大部分が隠れていたのを大々的に商売を始めるようになったため、新規開店のアヘン店はその数は600以上、奉天城外の大西関と小西関では150軒にも達した。奉天に留まらずハルビンでは中国人街の傅家甸にアヘン店があったが、目抜き通りのキタイスキー街と大正街に500店が出店進出した。市全体で1000軒に達する。そして吉林に800軒、チチハルに500軒、営口に500軒と、煙館と麻薬店が急増する様子が、張学良撤退後の空白地に見られた。

●取締まる権利を持たなかった初期「満州国」

 奉天でのアヘン店の出店者の割合は日本が4割、朝鮮が5割、中国が1割で中国人は日本人用心棒を雇って営業の安全を確保し、「治外法権」で守られていることを照明するために幟として日章旗を掲げて経営をしていたこのため、現地の人は日章旗がアヘン店を示すマークであると勘違いすることも起きていた。中国東北部に旅行した日本人が、中国の奥地まで日章旗があるのを見てこんなところまで日本の栄光が届いていることと、民衆の敬虔さに感動したことがあるという、「にほんむかしばなし」に出てきそうな笑えない話も残っている。

 この盛況ぶりは、「満州国」は政策を東北軍閥と同じようにすると宣言してしまったため、日本・朝鮮人を取り締まることができなかったことに起因する。現実に1931、32年と関東庁のアヘン専売益金が増加したことと、関東庁警察の没収アヘン量の増加からも、日本の進出ぶりをみることができる。

 満州事変の動乱のため、今まで東北軍閥下である程度のアヘン規制の枠があったが、それが外れてしまったために自由な商売活動を行っている店舗が林立してしまった。それがアヘンフリーマーケットの形成であり、そこでは関東庁アヘンであれ熱河アヘンであれ、さまざまなアヘンが「満州国」政府からの統制を受けずに流れ込んでいた。

 アヘンフリーマーケットの問題は何を置いても専売の妨げになることである。効率のよい専売を目指すなら政府が販売請け負うのが一番である。そうすると、フリーマーケットは密売市場ということになる。そうであれば専売を行うということは、まず混沌とするアヘンのフリーマーケットの管理が必要である。そして、フリーマーケットの解消のためには、政府主導で違法な業者が取り扱うアヘンは没収あるいは買い上げをして、商売を禁止すればよい。そして、そこで得たアヘンを政府が再び管理の下で売り下げれていくことで利益を上げることができるという効果も見込める。

http://hp.vector.co.jp/authors/VA024680/history/d3-2.htm

第3節 アヘン獲得に奔走する「満州国」

  1 「『満州国』内のアヘンの統制」


 「満州国」のアヘンが入手ルートは大きく分けて二つある。一つ目は関東庁のように外国に頼ることと、もうひとつは中国で調達することである。しかし、実際は専売に十分な量が調達ができなかったためアヘンの専売開始が計画に狂いが生じた。アヘンの購入をすすめるため、あらゆる方面から入手しようとさまざまな対策が講じられたが、満州という特殊な場所でのアヘン収買は、ペルシャアヘンを企業から買って売り下げるだけの関東庁方式しか行わなかった関東庁出身の役人には荷が重かった。しかしどの方法とろうにも軍閥の影響や国際関係上の問題、さらに関東庁との確執で入手までには困難を伴った。

●フリーマーケットからアヘンの入手をはかる

 まず「満州国」は、アヘンを巷にあふれるフリーマーケットに求めた。もし密売商人を取り締まってフリーマーケットからアヘンを手に入れることができたならば、アヘンの入手はもちろん、密売商人を政府側に取り込んでそれを政府側の小売人として組織し、専売機構の整備もすることができるという一挙両得の成果を挙げることができるはずだった。

 個人や業者からのアヘン収買を目指して、1932年の10月に「暫行阿片収買法」が公布された。その法律はアヘン所持者は県長や指定する商人に自己申告で売ればよいというシステムで、餌として収買に応じた者には刑法及び禁煙法の適用を免除するということで、業者からの穏便なアヘンの収買を目指した。決して安くない収買金額を設定したにもかかわらず、実際に取り締まるべき「満州国」の警、アヘン業者から営業税を徴収して業者を保護し自らの給料に当てるなど、業者と警察が密接な関係を持っていて取り締まりに非協力的であった。

その上、フリーマーケットの業者のほとんどが営業者を日本・朝鮮人としているか、あるいは中国人が営業者でも名義を借りているか、日本人を用心棒として雇っていたため、商人の多くは治外法権で守られている状態であって、「満州国」警察では手が出せない状況であった。そのため、収買の成果を十分にあげることができずに、50日以内で収買の終わる予定が11月6日に「暫行阿片収買法中改正の件」の公布で更に50日延長した。しかし、日にちを延ばすだけで根本的な問題を解決しないことには、フリーマーケットからのアヘンの収買は進まなかった。収買のための機構づくりを進め、11月18日に収買と売り下げを業務とする「専売公署」設置を決めた。官制が決まっても、なんとか収買量を増やそうとして熱河アヘンの流入地の錦県と、吉林省奥地の梨樹鎮、アヘン産地の三江地方の富錦に、収買人を軍の護衛で派遣して直接収買に従事させたが、まだアヘンが足りないという入手ルートの貧弱さを示す状況であった。

 そこで、より強制力を伴ったアヘンの収買を行うことにした。1932年12月20日の「阿片緝私法」で専売公署員に警察権を与えて武器を携帯させて独自の緝私員を組織し、アヘン法違反を摘発、密売アヘンを強制没収する体制を目指した。これは11月30日に公布した阿片法の違反者を「満州国」の専売官員が逮捕して、阿片を押収するときなど、捜索・押収・逮捕の中で警察官吏、緝私隊、軍隊に応援を求めることができるというものだった。それだけではなく関東庁の警察に倣って「査獲私土奨励規則」という奨励金制度も同時に公布して、取り締まりに従事した官員や密告者に報奨金を与えるというものだった。それは何のしがらみもない専属の取締り隊ができて大きな期待がもたれたが、阿片法の施行と同時に緝私法も施行されるので、取り締まりの開始は今しばらく待たねばならなかった。

 阿片法が施行され緝私法による押収が始まっても、成績は予想に反して空振りとなった。なぜなら事前に取締りが始まるという情報が密売業者に漏れて、「満州国」警察の手の届かない満州鉄道付属地にアヘンを避難させてしまったからだ。満州鉄道付属地は関東庁警察が管轄するため、「満州国」の法律は適用されず押収することはできなかった。また、「満州国」の警察も協力を渋った。そもそも警察が取り締まりに非協力的なのは、先に述べたように活動のための財源が不十分で、それをアヘン密売業者に頼っていることからきていることだった。そこで警察を管理する民政部は、アヘン専売の利益の一部を財源として要求することを取り締まりの条件につけたが、それは至極当然のことだっただろう。そのような状況下なので、1月と2月はまだ緝私隊ができていないので憲兵隊だけが取締りをし、3月になって専売公署が関東庁の退職警察官から緝私隊を結成して取締りを開始した。民政部もその中で折れて、3月に一斉取締り令を警察に出した。それにもかかわらず入手量は目標としていた30万両の6割の184,815両にとどまった。またしても「満州国」に満州鉄道付属地と治外法権という壁が立ちはだかったことになる。

業者が取り締まりを避けたのは何故だろう、それは阿片法によって小売人の指定を受けた業者はフリーマーケット時代よりも劣悪な条件に陥るからであろう。政府が指定していない闇の密売卸売商人より買うよりも、割高な専売アヘンを買わねばならなかったこと、保証金を500円おさめること、臨検として警察が調査にやってくること、路地裏に移動して看板を規制されることが嫌われた。これを守れば業者は違法と取り締まられる心配はなくなったが「仕入れ値の増加」「取り締まりの強化」「立地条件の悪化」「余計な支出の増加」を招き、みかじめ料を払っていた時代よりも商売環境の悪化は否めなかった。この条件の悪さでは、まだまだ「満州国」の影響力が小さい時期に好んで「満州国」に属そうという業者は出なかったことだろう。まだまだ「満州国」にとってフリーマーケットをすぐに完全に取り締まり、アヘン収買をするということには、ハードルが高い状況にあった。
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第3節 アヘン獲得に奔走する「満州国」

  1 「『満州国』内のアヘンの統制」


 「満州国」のアヘンが入手ルートは大きく分けて二つある。一つ目は関東庁のように外国に頼ることと、もうひとつは中国で調達することである。しかし、実際は専売に十分な量が調達ができなかったためアヘンの専売開始が計画に狂いが生じた。アヘンの購入をすすめるため、あらゆる方面から入手しようとさまざまな対策が講じられたが、満州という特殊な場所でのアヘン収買は、ペルシャアヘンを企業から買って売り下げるだけの関東庁方式しか行わなかった関東庁出身の役人には荷が重かった。しかしどの方法とろうにも軍閥の影響や国際関係上の問題、さらに関東庁との確執で入手までには困難を伴った。


●フリーマーケットからアヘンの入手をはかる

 まず「満州国」は、アヘンを巷にあふれるフリーマーケットに求めた。もし密売商人を取り締まってフリーマーケットからアヘンを手に入れることができたならば、アヘンの入手はもちろん、密売商人を政府側に取り込んでそれを政府側の小売人として組織し、専売機構の整備もすることができるという一挙両得の成果を挙げることができるはずだった。

 個人や業者からのアヘン収買を目指して、1932年の10月に「暫行阿片収買法」が公布された。その法律はアヘン所持者は県長や指定する商人に自己申告で売ればよいというシステムで、餌として収買に応じた者には刑法及び禁煙法の適用を免除するということで、業者からの穏便なアヘンの収買を目指した。決して安くない収買金額を設定したにもかかわらず、効果は今ひとつ上がらなかった。というのも、既に「満州国」の警察や役人が、アヘン業者から営業税を徴収して業者を保護し、なかば公認しているため、わざわざこの法律に従うメリットが見出せなかったのだ。

●進まぬ「暫行阿片収買法」

 その上、フリーマーケットの業者のほとんどが営業者を日本・朝鮮人としているか、あるいは中国人が営業者でも日本人名義を借りているか、日本人を用心棒として雇っていたため、「満州国」警察では手が出せない状況であった。当然といえば当然だが、収買の成果を十分にあげることができずに、50日以内で収買の終わる予定が11月6日に「暫行阿片収買法中改正の件」の公布で更に50日延長した。しかし、根本的な問題を解決しないまま日にちだけ伸ばしても、フリーマーケットからのアヘンの収買は進まなかった。

 進まないフリーマーケットからのアヘン買い集めに対して、機構づくりをはじめた。11月18日に収買と売り下げを業務とする「専売公署」設置を決めた。官制が決まっても、なんとか収買量を増やそうとして熱河アヘンの流入地の錦県と、吉林省奥地の梨樹鎮、アヘン産地の三江地方の富錦に、収買人を軍の護衛で派遣して直接収買に従事させたが、まだアヘンが足りないという入手ルートの貧弱さを示す状況であった。

●アヘンの強制押収へ

 進まぬ取締りを打開するために、とうとう「満州国」は強硬手段に出ることになった。警察や役人が商人と共生して役に立たないならと、「満州国」は1932年12月20日、「阿片緝私法」を制定し、専売公署員に警察権を与えて武器を携帯させて独自の緝私員を組織し、アヘン法違反者を摘発、密売アヘンを強制没収する体制を作ろうとした。これは11月30日に公布した阿片法の違反者を「満州国」の専売官員が逮捕して、阿片を押収するときなどに、警察官吏と緝私隊と軍隊が互いに協力することができるというものだった。

 それだけではなく「満州国」は関東庁の警察に倣って「査獲私土奨励規則」という奨励金制度も同時に公布して、取り締まりに従事した官員や密告者に報奨金を与えた。関東庁とも警察とも関係を持たない専売機関専属の取締り隊ができて大きな期待がもたれたが、ただひとつ問題があった。「阿片緝私法」は阿片法に基づいて行われるため、阿片法の施行が行われてはじめて緝私法も施行されるので、取り締まりの開始は今しばらく待たねばならなかった。

●期待外れの効果

 待ちに待った阿片法が施行され。緝私隊による押収が始まっても、成績は予想に反して空振りとなった。理由は至って簡単である。事前に取締りが始まるという情報がどこからか密売業者に漏れて、「満州国」警察の手の届かない満州鉄道付属地にアヘンを避難させてしまったからだ。満州鉄道付属地は関東庁警察が管轄するため、「満州国」の法律は適用されず押収することはできなかった。

 また、「満州国」の警察も協力を渋った。繰り返しになるがそもそも警察が取り締まりに非協力的なのは、彼らの活動を維持する財源が不十分で、財源をアヘン密売業者に頼っていることからきていることだった。そこで警察を管理する民政部は、アヘン専売の利益の一部を財源として譲渡することを協力の条件としたが、考えれば至極当然のことだった。

 そのような状況なので、阿片法施行前の1月と2月はまだ緝私隊ができていないので憲兵隊だけが取締りをし、3月になってようやく専売公署が関東庁の退職警察官から緝私隊を結成して取締りを開始した。民政部もその流れの中で折れて、3月に一斉取締り令を警察に出して取り締まりに協力した。

 それにもかかわらず、情報漏えいがきいたのか、入手量は目標としていた30万両のわずか6割の184,815両にとどまった。またしても満州鉄道付属地と治外法権という壁が立ちはだかったことになる。

●満州傘下に入ろうとしない業者たち

 業者が「満州国」の保護を得られて公然として商売できるというのに、わざわざ取り締まりを避けたのは何故だろうか。それは阿片法によって小売人の指定を受けた業者はフリーマーケット時代よりも劣悪な条件に陥るからである。

 指定業者になるデメリットを列挙しよう。「満州国」の専売アヘンの方が密売業者のアヘンより高かったこと、保証金として「満州国」に500円おさめること、臨検として警察が調査にやってくること、出店が制限され路地裏に移動することなどが嫌われた。もちろん、これを守れば業者は違法と取り締まられる心配はなくなったが「仕入れ値の増加」「取り締まりの強化」「立地条件の悪化」「余計な支出の増加」を招き、みかじめ料を払っていた時代よりも商売環境の悪化は否めなかった。この条件の悪さでは、まだまだ好んで「満州国」の影響力が小さい時期に属そうという業者は出なかったことだろう。まだまだ黎明期で国づくり真っ最中の「満州国」にとってフリーマーケットをすぐに完全に取り締まり、アヘンの収買はハードルが高かった。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA024680/history/d3-4.htm

2 朝陽寺事件と熱河アヘン


 「満州国」のアヘンの専売は関東軍の中でも高い関心事で大いに議論され、そこでも根本的に専売アヘンの不足が問題とされた。そこで関東軍から入手源として名前があがったのが熱河であった。アヘンの専売体制設立の大きな役割を担った古海忠之は、「関東軍が亜片産地たる熱河省を侵攻すると同時に、亜片政策は財政収入確保の緊急必要を理由とし、早くも採用せられることになった」と証言しているように、熱河作戦の必要をアヘンの面からも見出しているのみならず、熱河をアヘンのひとつの大きな流入源とみなしていた。

●秘境・熱河

 ところが、熱河は日本にとって秘境の地と見なされていたていた。というのも熱河では1921年にケシの栽培が解禁され、アヘン吸飲も規制されていなかったため、仮に商人が密売アヘンを持っていっても、あまり収益を上げることができなかったために、日本・朝鮮人は好んで進出しようとしなかったために、日本側にとって縁遠い地域とみなされていた。そのため、従来戦争開始の口実として使っていた「日本居留民の保護」という名分では、熱河には侵攻することは難しかった。そのため、熱河支配者の湯玉麟の名前を「満州国」の建国宣言に加えたり、熱河省長兼熱河軍区司令という肩書きを与えたりして「満州国」の体制になんとか組み込もうとしたが、湯はそれを突っぱねた。これを受けて「満州国」を建国者たる関東軍はすぐに熱河に侵攻することは難しいと判断し、「満州国」は湯玉麟を熱河の取引を通じて取り込もうとする方針を採った。

●石川権四郎拉致

 そこで「満州国」が熱河アヘン入手のキーマンとして任命したのは石本権四郎である。彼はかつて関東庁にいた時代にペルシャアヘンが大量に余って関東庁が窮すると、中国人商人への大量売り下げに成功したという功績があった。そのときに功績に対する見返りとして熱河アヘンの取り扱いを認められて彼は財をなした。即ち彼は熱河での活動経験があるだけでなく、湯玉麟とも個人的に交際があったので、熱河アヘンの買い付けに行く者として適任だった。


 石本は命を受けて4月半ばに交渉のため承徳に向けて奉天を発つと、7月のはじめには買い付け交渉は成功した。ところが、交渉が成功し帰路の朝陽寺で石本権四郎が義勇軍に拉致されるということで、この交渉は頓挫した。この拉致事件を朝陽寺事件という。

●朝陽寺事件を呼び込んだもの

 朝陽寺事件は熱河のなかで湯玉麟の手の届かないところで反満抗日の義勇軍が蜂起した事件である。これは私の推測だが、義勇軍の中には満州に残った張学良の部下たちもいたと思われる。これは石本権四郎が「満州国」側にアヘンと利権とをもたらすものだと知った義勇軍が、石本を拉致してアヘン輸送計画を頓挫させようと狙ったものではなかろうか。

 なぜ義勇軍側に情報が流れたかというと、石本の熱河訪問は隠密行動ではなく、比較的公然の情報であったからではないか考える。朝陽寺事件は日本でも東京朝日が「アヘン取引交渉のため」と石本の熱河訪問の意図と交えて報じられていた。民間の新聞社が容易に手にいれることができる程度の情報であったのだ。その記事を見て驚き慌てた外務省が内務省に「満州国」のアヘン専売の記事の差し止めを命じたほどである。もし、そうでなければ熱河側の日本を憎む人間が張学良や義勇軍に情報を流したのかもしれない。要するに、熱河では中国側の抵抗が強く、いまだ日本・「満州国」を歓迎する状況ではなかったことを象徴する事件であった。

●朝陽寺事件の後始末

 石本の拉致は「満州国」と熱河の間に軍事的緊張を生み出した。ところが「満州国」としては軍事行動を起こそうにも北満で反乱が起きていて、およそ熱河に軍事力を裂くわけには行かず、さらに悪いことに折しも7・8月と高粱の繁茂期を迎えて奇襲攻撃の危険があって軍事的に不利な状況であった。更に偶然人事異動の時期にあったので、これを機会に熱河に攻め込むには分が悪かった。石本救出のために関東軍は熱河に侵入すると熱河軍と小競り合いが起きたが、「満州国」としては穏便に済ませたかったので湯政権と「石本の釈放」と「北票支線の交通統制」の約束を取り付けると、7月22日には朝陽寺から早々と撤兵した。

 しかし、義勇軍側が石本の解放に応ぜず、8月19日に直接交渉に向かった「満州国」の一団が汽車で襲撃されると、悪化する熱河情勢の中、もはや石本の救出はおろか熱河アヘンの入手もあきらめざるを得なかった。東北における張学良政権崩壊後にも残った東北軍閥の影響力をうかがい知ることができる。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA024680/history/d3-5.htm


3 「イランからアヘンを手に入れる」

 阿片法公布によってアヘンの専売開始が近づく中で、熱河のアヘンの入手が石本の拉致で不透明になったために、「満州国」はかねてより進めていた関東庁と同じ方式の外国からアヘンを入手に力を入れた。ところが関東庁のアヘン輸入元であるペルシャは、国際アヘン法で中国への輸出が禁じられている以上、中国に直接売り出すことはできない事情があった。ペルシャは「正当政府」の輸入許可証がなければ輸出しないという取り決めを自主的に守っており、ペルシャとしては「満州国」を承認してアヘンを販売する意向はあったが、「満州国」を正統政府と承認することと、国際阿片法違反のみが問題だった。

●正式な国家と認められない「満州国」

 「満州国」の承認問題は、国際連盟の場でリットン報告書をもとに42対1で承認されなかった。これが日本が国際連盟を脱退する引き金になったことから、満州国を承認するか否かは重大な外交上の問題を含んだことであることは明白である。もちろん、ペルシャアヘンの獲得の話が出た当時はまだ日本が国際連盟を脱退していない1931年の6月のことである。アヘン入手にあたって、ペルシャとの交渉自体は順調に進んだが、日本の外務省は「満州国」のアヘンの輸入及び専売体制の実施が日本に対する非難の材料を与え、国際上の立場を危うくするということで、「満州国」に対して輸入の中止を強く迫った。その結果、「満州国」は熱河アヘンを当てにしていったん断念することになった。

●最後の望み、絶たれる

 専売体制を打ち立てるために日本から満州へ招聘された難波経一がやってきたのは、まさにフリーマーケットからの買い上げを行いつつ熱河アヘンの狙っている時期だった。難波は天津でのアヘンの買い付けに活路を見出し、自ら買い付けに出かけた。天津は熱河、寧夏、甘粛のアヘンが集う中国第二の密売市場であり、そこで大口の買い付けを行おうとしたが、買い付け量が膨大なために隠密に行うことが難しく、表沙汰になることが必定だった。このため、国際的な立場の悪化を恐れた外務省の指示で望みを託した天津の買い付けが中止になると、ペルシャアヘンの輸入を認める風潮がだんだんと日本政府から出てきたのだ。

●輸入は成功したが…

 薬用アヘンの名義で「満州国」はアヘンをペルシャから求めると、ペルシャ政府は「満州国」を日本の属地とみなし、アヘンの輸入が始まることになった。これによって、「満州国」はペルシャからの輸入に頼ることになった。このときの買い付け量は古海忠之の証言を参考にすると三井物産が買い付けて、約二百万両(記憶明確ならず)ほどであったらしい。これまで懸念を大きく示していた日本政府にアヘンの輸入が認められたのは、アヘン入手の必要性を日本政府も気がついていながらも、あくまでペルシャアヘンは最後の手段と思われていたからであろう。にもかかわらず、とうとう実行に移したのはもしも国際的に非難を受けることになっても日本は「満州国」が医薬用として勝手にやったこと」として責任をなすり付ける逃げ口上がせめて存在したからではないだろうか。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA024680/history/d3-6.htm


4 熱河作戦の真の意義

●湯政権の継承

 「満州国」は当初から熱河の占領とアヘンの獲得を同じ意味で見ていた。熱河作戦はともすれば日中戦争の一部で、北京に進行するためのステップとして見られがちだが、「満州国」のアヘン獲得という裏の意味も持っていた。朝陽寺事件以来すっかり熱河アヘン獲得は暗礁に乗り上げていたため、アヘンを手に入れるための強硬手段に出たことになる。熱河作戦に際して「満州国」は、奉天の政府機構接収に失敗した痛い経験を反省して、アヘンを入手とスムーズな機構接収を目指し、阿片工作班を派遣して熱河のアヘン政策を接収しようとした。まず工作班は湯玉麟政権の禁煙善後管理局-もと禁煙総局-を接収して、熱河でのアヘン政策を受け継いで熱河における栽培の実態を把握し、専売公署承徳弁事処を設置して「満州国」の専売公署の支配下に置いた。

 ところが禁煙善後管理局は「ケシの栽培地を拡大し」、「ケシ栽培税を農民から徴収する」機関であったため、「満州国」とは違ってアヘンを政府が直接買い上げてはいなかった。また熱河ではアヘンは規制されておらず、販売も吸飲も自由であったために、「満州国」は敢えて阿片法を熱河では適用せず、これまでどおり吸引は自由とした。このほうが、熱河の民政を行ううえで有利だと考えたのだろう。ただし熱河省のアヘンに対する方針は「省境出入の阿片はすべて専売公署の命令で処理する。各地に専売公署の収納機関を設置し、阿片の収納統制を強化し専売効果の貫徹をはかる。阿片関係各機関は一般設治工作班と密接な連絡を保持すべし」と定めており、最終的にはアヘンの流通をコントロールするという意思がはっきりと示されていた。

●商人に流れる熱河アヘン

 熱河の農民はもともと直接商人にアヘンを売って収入を得ていた。ところが「満州国」が入ってきて、専売公署が直接アヘンを買い上げるという方針に大きく転換すると、変更を熱河の農民に告知するため、専売公署は収買を知らせるために伝単を飛行機でばらまくなどして宣伝活動を行った。ところが熱河では1921年のケシ栽培解禁以来、すでに強固なアヘンの土着流通ルート形成されている上に、「満州国」の阿片法を実施しないで従前のように自由で取締りを行わないというので、奉天などのフリーマーケットのように緝私隊が押収することも取り締まることもできずにいたため、なかなか農民たちは収買に応じなかった。更に、禁煙分局が禁煙善後管理局の機能を引き継ぎ、湯と同じ方式で「比額」を割り当てて栽培の目標を達成しようとしても、実施のための十分な財力が無く、人々の信頼もつかめなかったのでスタートと同時に、熱河のアヘン事情は八方塞がりの状態に陥った。これを解決するには、アヘンを実際に手にしている在来のアヘン商人を取り込む必要があった。

●きっかけは関東庁の取り締まり強化

 ところが、関東庁の政策の転換が満州の専売公署に熱河のアヘンを大量にもたらす契機となった。張学良政権が倒れ、アヘンのフリーマーケットが中国東北地方各地に形成されると、満州鉄道付属地を経由して汽車で多くのさまざまな地区の密輸アヘンが流入してきた。そんな折の33年1月に「満州国」が阿片法施行するに当たって、懸案であった満州鉄道付属地のアヘン取締りを関東庁に要請した。関東庁は専売を強化する意味と、要請を受けて40名の業者を特許小売人に指定し、その上で関東庁アヘンの公然販売を続けたが、同時に専売アヘン以外すべてのアヘンの徹底して没収しはじめた。

 それには当然関東庁が満州の市場を確保しようとした意図が見て取れる。これらのアヘン商人はもちろん関東庁のアヘンだけを扱っていたわけではなく、商売の規模が大きくなるにつれて北満産・熱河産をはじめとして多くのアヘンを取り扱っていた。この結果として関東庁専売アヘン以外を取り扱っていたために、指定商人からもれた商人は、指定からもれただけに留まらずとたんに取り締まられる立場に陥った。

●敵の敵は味方 商人と協力体制を結ぶ

 関東軍の保護を離れたために、「満州国」に協力を申し出ることで生き残りを図る商人が出現した。その中の一人である張玉軒は、熱河にパイプを持っていたために、関東庁からの指定商人からこそ漏れたものの、熱河のアヘンを取り扱う能力を持っていた。ここで熱河アヘンを買い集めたい「満州国」とアヘン商人として生き残りをはかりたい張玉軒らの商人の利害が一致してた。「満州国」は彼に熱河アヘンの収買を委託して、ようやく熱河のアヘンを2ヶ月で44万5000両買い集めることにようやく成功した。ここに熱河作戦の目的はようやく完遂することができ、「満州国」の専売アヘンが出揃うめどが立ったことになる。

●まとめ

 東北軍閥の市場統制・封じ込め政策の反動として、軍閥崩壊後に政府の市場統制の力が弱まると満州の各地でフリーマーケットが出来上った。「満州国」が専売公署といった官制をまず公布して収買と販売の機構を制定しても、力及ばず満州には無法状態のままに各地からアヘンが流入するに任せる状態が暫く続いた。アヘンの無法な流入は市場争いをますます激化させ、関東庁としても自らの市場を確保するために規制の強化に乗り出さざるを得なかった。それがもとで「満州国」に協力を申し出る商人が出現した。張学良が行った日本の封じ込めは、アヘンの市場占有を巡って行われた綱引き合戦、換言すれば武力を伴わないアヘン戦争ともいえよう。仮に張学良が封じ込めを行わなかったとしても、アヘン商人たちは占領の混乱を利用して関東軍占領後の各都市において、新政権下で利益をいかに獲得できるかを争ったことだろう。それゆえに密売アヘンは市場に氾濫して、およそ強制手段を伴う対策を講じなければ、販売ルートとアヘン入手のルートを政府が独占して、専売するということは難しかっただろう。「満州国」は前政権のままを行わず、あえて専売を行おうとしたので、いわば専売の「産みの苦しみ」を味わったともいえる。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA024680/history/d3-7.htm

終章

 ●その後の「満州国」

 様々な問題を越えてスタートした「満州国」のアヘン専売は、まだまだフリーマーケットの問題など全てを乗り越えたわけではなかったが、「満州国」の影響力が次第に強まるにつれて、専売体制が次第に強固なものへとしていった。その成果が次第に目に見えて現れるようになって、「1934年朝陽の専売分署では、毎日チョコレート色をしたアヘンが持ち込まれ、買い上げられていた」という姿が見られるまでに「満州国」の政策が浸透した。

 懸案だった関東庁の問題も、1934年の在満機構改革によって、関東庁アヘンの満洲流入が阻止されるようになると、「満州国」主導でアヘンの流通ルートの統制ができるようなった。更に、満鉄付属地も満州に帰属することになって、「満州国」の手の届かない「聖域」が消え、問題はひとつずつ確実に解決されていった。

●やはり期待されていた専売の収益

 「満州国」はアヘンの専売を事前に予算に組み込み、古海忠之や難波経一等によって準備が進められていた。アヘンの専売利益には予算上大きな期待がかけられており、専売開始に問題を抱えていたが、数多くの事例を参考にし、各地からアヘンを手に入れてでも現実化しなければならず、やめるということははじめから選択肢になかった。。アヘンを財源にすることは清朝末の各省政府から、中国の各軍閥、蒋介石の国民政府はもちろん日本も台湾総督府や山東、朝鮮や関東庁で行われており、それぞれが大きな収益を得ていた。禁煙政策や国際社会の非難というせめぎあいの中でも、官民問わずケシ栽培は中国に根付いて、なかなか排除しがたいものとなった(何度も繰り返すが、まさにアフガニスタンがその状態だろう)。

●満州の農業・経済とケシ

 満州は貨幣経済が発達しており、藍やケシなどの工芸作物が育てられ、農民たちはそれの売買と自給自足することで生計を立てていたが、特にアヘンは高値で取引されるために、大きな現金収入源となった。その利益に目をつけた軍閥などの為政者は、ケシの栽培や取引に印花税や禁煙罰款など様々な税金をかけて税収を増やしてきた。熱河を例にとると、ケシの栽培面積に応じて税収を得ていたので、ケシ栽培地の拡大が財政収入増加に直結した。湯玉麟はケシ栽培面積を増加させるために「比額」を割り当てていた。このように各軍閥はケシ栽培の奨励や強制を行っていて、ケシ栽培面積は中国で拡大し続けた。

●馬賊

 満州に根付いた「馬賊」もケシ栽培とアヘン流通に関わっていた。「馬賊」はただの盗賊集団とは違い、各地の有力者の保護を背後にした武装自衛集団であった。「馬賊」は武力で他の「馬賊」などと勢力を争い、アヘンの市場たる活動基盤とスポンサーである有力者を獲得していった。アヘンは腐らず、少量で多額の収益をあげ、きわめて換金性の高い品物であったため、「馬賊」にとっても格好の収入源となった。「馬賊」はケシの栽培を行うだけでなく、侵略をするとなるとアヘンなどの略奪を行うことで、財政基盤を作って勢力を拡大していった。また、「馬賊」は時としてその土地の為政者のように振る舞うこともあり、間島では満州国が成立した後の1934年でも自治を行った。

●張学良の日本封じ込め

 東北軍閥下の満州はアヘンが流入するに任せる状況にあり、熱河、北満、関東庁、朝鮮など様々な産地のアヘンが各々市場を争っていた。関東庁は日露戦争の結果手に入れた満鉄付属地を利用し、治外法権を利用してそこをアヘンの中継地として、東北各地へアヘンを密輸していた。張学良は日本側の利益になるのを嫌い、禁煙政策を行ってアヘンを規制し、日本・朝鮮人のアヘン商人を付属地まで追い込んで封じ込めた。するといったん日本関係のアヘン商人の活動は縮小した。ところが満州事変が起きると、張学良の封じ込め政策の反動が起きた。「満州国」成立の混乱を狙って、封じ込められていた日本関係のアヘン商人が中国東北部各地に進出し、アヘンのフリーマーケットが堂々と出来上がった。「満州国」はこのような無法地帯ともいえる状況の中でアヘンの専売に乗りださねばならなかった。

●専売体制確立のための3つのこと

 アヘン専売体制樹立のためには「流通経路の独占」「原料の獲得、製品の販売の機構」「消費者統制」の三つの事業を行う必要がある。
 まず消費者統制は、東北軍閥時代では民衆のアヘンの吸飲は放置するか、「灯税」を徴収してきた。「満州国」は民衆の統治を強化するために、阿片法によってアヘン吸飲者を登録制にして許可証を与えて、消費者を管理下に置こうとした。東北軍閥がアヘン吸飲に対して制限を行ってこなかったことは、まずアヘン吸飲者の拡大をたすけた。そして、日本が行ってきた専売の経験とあわせて、「満州国」のアヘン消費者管理にプラスに作用したといえる。

 「流通経路の独占」は、東北軍閥時代と変わらず存在した関東庁からのアヘンが最も障害となって立ちはだかった。東北軍閥の警官が治外法権を有する日本、朝鮮人を裁けなかったように、「満州国」警察も「暫く従前の法令を援用するの件」を1932年3月9日に公布したため、彼らを取り締まることはできなかった。しかしアヘンの流通を掌握するためには、不許可の業者は徹底的に取り締まらなければならなかった。「満州国」の成立後の日本、朝鮮人商人の進出とフリーマーケットの成立は、張学良の封じ込め政策の反動も一因であるが、やはり関東庁の保護という影響のほうが大きかったといえる。

 「原料の獲得、製品の販売の機構」成立とは専売公署の成立のことと、その業務であるアヘン収買のことである。小稿では、専売体制の確立に主眼を置いたために主にアヘンの獲得について重点を置いて述べてきた。アヘンの獲得源としてフリーマーケット、熱河、天津、ペルシャと候補が上がった。フリーマーケットでは「暫行阿片収買法」で穏便に買い上げようとするも効果が薄く、「阿片緝私法」によって強制的に一斉押収を試みた。ところが、従来から存在するアヘンの販売機構をいきなり切り崩すのは困難で、更に取り締まりを知って満鉄付属地に逃げたアヘン業者も存在したことからも、満足な効果は上げられなかった。

 天津からの入手は専売公署の難波経一自ら買い付けに行ったが、国際的な非難が強まることを恐れた外務省の指示で途中で中止し、同じ理由でいったんはペルシャからの輸入も止められたが、熱河でのアヘン入手が難航すると、輸入が始まった。その熱河アヘンの入手は、熱河にパイプを持つ石本権四郎が交渉に赴くも、朝陽寺事件が発生すると熱河と関東軍と対立が激化し、熱河アヘンの入手はあきらめざるを得なかった。このときにペルシャアヘンの入手にようやく成功した。

 それに加えて、熱河侵攻に際して、湯政権の禁煙善後管理局を接収して、農民たちにアヘンを売りに来るようにと専売分署を各地に設けた。伝単を飛行機で飛ばすなどの宣伝活動を行ったが、在来の商人によってなかなか売りに来るものはこなかった。しかし、関東庁が増え続ける密売アヘンの規制を強化したことで事情は変わってくる。アヘン商人の張玉軒が関東庁の指定商人からもれたため、生き残りのために満州国に協力を申し出た。彼が熱河アヘンの収買に協力することで、「満州国」は熱河からの入手のめどが立ったことになる。

 結果天津からはアヘン50万両、「満州国」内よりアヘン20万両、ペルシャよりアヘン200万両を手にいれ、合計270万両のアヘンで、アヘン専売の基礎を作ることができたということで、何とか1933年の3月にアヘン専売にこぎつけることができた。熱河アヘンは専売開始には間に合わなかったものの、アヘン専売体制強化には大いに役立った。

●東北軍閥が与えた2つの影響

 長々たらたらと論文を書いてきたが…以上より、アヘン専売体制設立時に、「満州国」以前の政権である東北軍閥が与えた影響は、大きく二つに分けられると考える。「東北軍閥の時に形成されたアヘンの販売ルートや人々の習慣を崩すことに伴う困難」と「張学良政権崩壊後に蜂起する義勇軍や残党の反満抗日のための抵抗」である。
 前者は東北軍閥の政策の反動によって発生したアヘンフリーマーケットや、「満州国」以前に満州に根ざした商人らによる販売機構を切り崩すこと、これ自体が新参者である「満洲国」にとっては障害となった。

 後者の反満抗日勢力に代表されるのは、朝陽寺事件に代表される中国側の抵抗である。張学良政権が倒れるとその残党が関東軍の侵略の迫る熱河に集結し、張学良が裏でその糸を引いていたことも考えられる。また、本論ではあまり触れられなかったが、北満のアヘンが入手できなかったのは馬占山の反乱があったためであるし、熱河での抵抗は紛れも無く抗日勢力によるものであろう。ところで、何よりもアヘン政策は民生に深く関係する。そのために、満州独自の事象である「馬賊」をはじめとした匪賊と民衆の生活をより深く検証し、あらゆる気候条件や地理条件を持つ満州の中で特定地域を指定することで、「満州国」のアヘン専売の政策の浸透の程度を見て取ることができるだろう。また、張学良が行ってきた近代化政策と、それに抵抗して日本に協力した土着の旧勢力の政策を対比することでも、満州事変を三次元的に捉えることができるだろう。

 日本人にとって、馬賊は一種の自由の象徴であり憧憬の対象でもあった。拳銃を片手に原野を馬で疾走する姿が日本人の前に映しだされてきた。その満州の大地ではケシが咲き、アヘンが蔓延していた。日本は関東総督府の時代からそれに関わることになり、栽培と奨励、収買から販売といった政策が秘密裏、あるいは公然と行われた。日本の中国への進出は中国東北部を侵略するまで達すると、日本は「満州国」を設立して「王道楽土」「五族協和」を声高に叫んだ。しかしその中では逼迫する財政確保のためにアヘンの専売を行い、後に極東軍事裁判で裁かれるだけでなく、満州のみならず中国各地にアヘン禍を残してきたことは消えぬ事実である。

それでも芥子の花は咲き続ける…

http://hp.vector.co.jp/authors/VA024680/history/shushou.htm


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自民党「大物」政治家の資金源

 「小泉総理の父、祖父が、第二次大戦中、中国侵略を進めた大政翼賛会の政治家であり、安倍晋三官房長官の祖父が、中国侵略の中心人物、岸信介であり、麻生太郎外務大臣の祖父が、中国侵略軍の中核に居た吉田茂である」という家系の意味するもの。

 1939年4月、陸軍省軍事課長、岩畔豪雄を中心に、三井、三菱、大倉財閥の出資で満州に「昭和通商」という商社が作られた。
 主な業務はアヘン密売であり、実働部隊として岸信介、佐藤栄作、池田勇人、吉田茂がアヘン密売に関与し、満州国の運営資金をアヘン売買で調達した。

 これは、1894年の日清戦争で勝利した日本の内務省衛生局長、後藤新平が、「満州経営の資金調達のため、アヘンを国策として売買すべし」と主張して以来の日本の国策だった。後藤は、後に満鉄初代総裁になっている。

 戦後、自民党から出て首相になった4人の人物が、膨大な部署のある軍部の、しかも満州の、たった1つの部署に集中していた、というのは偶然にしては余りに不自然である。
 4人の首相は、全員麻薬売買を中心的に担い、右翼の「大物」と言われる児玉誉士夫等は、むしろアヘン売買では「小物」であり、4人の首相が麻薬売買の中心に居た。

 中国における麻薬の売人が、戦後4人も日本で首相になった、その理由としては、アヘン売買の利益が敗戦とともに日本に持ち帰られ、自民党「大物」政治家の権力獲得資金源になって行った可能性が、極めて高い確率で考えられる。
 侵略戦争の中核に居た人物等の末裔が、現在、政治権力の中枢に居るのは偶然ではなく、彼等の活動資金の源に理由がある。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49243912.html


狂人達の世界帝国建設の夢

 1932年、中国に侵略を続ける日本軍は満州帝国を建国する。満州の運営資金は、事実上アヘン密売業者里見甫が全て出資し、表側の満州帝国総裁が後藤新平であれば、裏側の総裁が里見であった。
 里見は中国大陸全土に及ぶ自分のアヘン密売網を侵害する者がいれば、直ちに惨殺する殺人鬼であり、アヘン密売の利益を全て満州建国に注ぎ込む私利私欲の無い指導者として、日本軍部の軍人皆の恐怖と尊敬の的となった。

 また関東大震災の混乱に乗じ、戦争に反対するアナキスト大杉栄とその妻を絞殺した警察官甘粕正彦も、満州帝国の治安維持責任者となり、里見と共に帝国の治安を乱す者を容赦無く惨殺する殺人鬼として二人三脚で活躍した。
 一方、甘粕は満州鉄道映画製作部を指導し、「中国大陸の新しい帝国を舞台にしたロマンチックな映画」を製作する「ひ弱」でロマンチックな映画青年でもあった。

 甘粕と里見には、新しい大帝国に賭けるロマンチックな夢、情熱が巨大であればあるほど、その夢の障害になる者に対して凶暴な殺人鬼となる点が共通していた。
 大帝国建設、世界制覇という政治・経済的ロマンティシズムが大量殺戮を生み出す点は、里見、甘粕、ヒトラー、ジョージ・ブッシュあるいはロックフェラー、ロスチャイルド全員に共通する人間的欠陥である。彼等は全員世界制覇という「自分の夢」の中の住人であり、「現実世界」に生きてはいない。自分の行う大量殺戮の「現実」が見えず、見ようとしない。そのような「現実逃避型」の人間に政治を行う資格は無い。

 しかし、世界制覇、世界統一というロマンチックな夢は、最も一般市民、庶民に熱烈な支持を受ける。帝国建設というロマンチックな夢の実現の障害物を大量殺戮する殺人鬼ほど、民衆の絶大な支持を得、絶対的権力者となる。ナポレオン、ヒトラー、スターリン等への民衆の熱狂的支持はそれを物語っている。

 世界帝国実現のロマンチックな夢には、冷静な計算が必要になる。石油も鉄鉱石もなく戦争に突入する日本軍部には冷静な計算が無かった。三流の夢である。
1つ1つの企業、地域、国を順次支配下に置き、その経営、運営を成功させて行くロスチャイルド、ロックフェラー、ブッシュ一族には一流の計算能力がある。
ロマンチックな夢、狂人のような殺人鬼、冷静な実務家は1人の人間の中で共存し得る。カミソリのように頭脳の切れる優秀な天才こそ狂人になる。彼等は一流の狂人である。
 実務に優秀でロマンチックで壮大な夢を語り得る政治家ほど魅力的ではないか?政治的ロマンティシズムの行き着く先はヒトラーである。

 ナチスへの反省から生み出されたこの政治学の基本は、最近全く議論されなくなってしまった。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49604157.html


1897年、日清戦争に勝利した日本は中国を支配するチャンスを手に入れる。
当時内務省衛生局長であった後藤新平は、中国に日本の支配下にある大帝国を作るべきであると強く主張し、帝国運営に中国大陸でのアヘン売買の利益を充てるべきであると主張する。

これは、日本国内の食品、薬品の安全管理の総責任者、内務省衛生局長がアヘン売買を全面的に推進する意向を示したものであり、日本の暴力団は一斉に中国でのアヘン売買に乗り出す。

後に中国大陸のアヘン売買を独占する、アヘン帝国を作り上げる里見甫もその一人であった。里見は、東条英機内閣成立の最大資金源となり、東条が日本を第二次世界大戦に本格的に突入させて行く。
広島、長崎への原爆投下という悲惨な結果を生み出した戦争は、里見のアヘン資金が引き起こしたものであり、それを推進したのが後藤新平であった。
後藤は後に初代満州帝国総裁となり、アヘン売買による満州帝国建国という国策は決定的になる。

里見のアヘン帝国は、中国とベトナム、ラオス国境にまで及び、ゴールデン・トライアングルと呼ばれる、戦後一貫して世界最大の麻薬生産地帯であったこの地域は、まさに後藤の国策と里見の活動によって形成される事になる。(アフガン戦争後はアフガニスタンが世界最大の麻薬生産地帯となっている。)

また里見のアヘン・ビジネスのパートナーとなるイスラエルのアイゼンベルグは、中国共産党に深い人脈を作り、一貫して中国共産党のアヘン売買の実働部隊となるイスラエルのアイゼンベルグ社を戦後、設立する。
世界の麻薬ビジネスの礎石を、まさに里見と後藤が築いた事になる。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49600765.html


1842年、アヘン戦争に敗北した中国清王朝は統治能力を失い、事実上アヘン売買を仕切る宗財閥と、それを支えるイラクのサスーン財閥に中国の経済的支配権が移る。
 上海の古式豊かな外灘(バンド)と呼ばれる街並、建築物は、全てサスーンが建造した物であり、上海の街を作ったのはまさにサスーン財閥だった。

 サスーンは上海を起点に中国中部から南部=華中・華南を結び、さらにフランス領インドシナ(ベトナム、ラオス、カンボジア)を結ぶ中南支横断鉄道建設を計画し、中国北部を支配する日本の満州鉄道と連結し、中国全土と東南アジアを鉄道で統一しようとしていた。

 第二次大戦中、日本の諜報組織はアヘン売買を手掛け、中国においてはフランス諜報組織、宗財閥、アヘン売買組織サスーンと協力関係にあった(協力しなければアヘンは入手できない)。サスーンは英国諜報組織MI6と協力し、中国全土に「キングス・サービス」という諜報組織のネットワークを張り巡らせた。

 中国北部の日本の諜報組織、東南アジアのフランス諜報組織は、鉄道で統一される「大アジア」の中核、サスーンの諜報組織の補完物であった。

 現在の中国の中央銀行、香港上海銀行はサスーンの銀行に店舗を間借りして設立された。中国国民党・蒋介石の最大資金源がサスーンであった。このサスーンと宗財閥の実働部隊であったアジア全域に及ぶ李一族は、現在も中国の李鵬首相(元)、李承全国家主席、台湾の李登輝総統、シンガポールのリー・クアンユー首相(注)等を結ぶ李一族の地下経済ネットワークとして、共産主義中国の崩壊後を担うアジアの統一政権の基盤を着々と準備しつつある。

 アジア全域を支配したサスーン財閥に優秀な後継者が育たなかったため、壮絶な縄張り抗争と殺し合いの末、アジア全域のアヘン密売を握ったのがイスラエル最大の軍事産業アイゼンベルグ社であった。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49431165.html


 日本に訪れた昭和初期の大不況で、生活に困った日本人の多くは中国大陸に渡った。それは日本のヤクザ、暴力団も同じであった。
生活に困った日本人は、日清戦争以後、半ば日本と世界各国の植民地のようになった中国に渡り、莫大な利益を求めて中国でビジネスを行った。

 その中で、三井、三菱といった大財閥に資金を出資させた右翼の大物、里見甫(はじめ)の昭和通商という企業は、目立たないが最大手の企業であった。里見がそこで扱うのは麻薬、アヘンであった。アヘンを扱う暴力団のフロント企業に、三井、三菱といった大財閥が出資していた事になる。

 中国大陸のアヘン市場は、アヘン戦争以降イラク出身のサスーン財閥の独占市場であったが、英国軍部と結び付いたサスーンは、中国大陸とアヘンの供給地東南アジアにおいて、フランス軍が勢力を伸ばし、さらに日本軍が中国大陸において大規模な侵略を始めると、少しずつその勢力範囲を狭めて行った。
 中国国民党を支持していたサスーンは、中国共産党とは折り合いが悪く、最終的に共産党が政権を取ると、サスーンは中国のアヘン市場を失う事になる。

 この世代交代につけ込んだのが里見であった。里見は三井、三菱を背後にした資金力と飛び抜けた商才で、中国の地下経済を支配する青パン、紅パンと呼ばれる秘密結社にまで幅広く人脈を広げ、一時期は英国を始めとしたアングロサクソンを排除し、中国のアヘン市場を支配下に置いた。
 その背後には、サスーンを中国アヘン市場から追い出し、次の世代の中国アヘン市場を狙うアイゼンベルグ社(後にイスラエル建国の中心となる)と里見との提携があった。米国全土の麻薬組織、マフィアの「統一」を果たした「殺人株式会社」の軍事部門アイゼンベルグと、日本の大物右翼、三井、三菱財閥が連携していた。この日米マフィア連合が英国麻薬業者の追い出しを行っていた。麻薬争奪戦争であった。

 アイゼンベルグは第二次世界大戦中、戦後におけるイスラエルの建国を目指して日本に「研修」に来ていた。後進国の日本がどのようにして産業を育成したかは、これからイスラエルを建国しようとするアイゼンベルグにとって、一つのモデルとなる。
 日本政府が国営で八幡製鉄所を作り、経営が軌道に乗り、一定の時期が来ると民間に企業を「払い下げ」、民間企業、新日鉄としたその手法はアイゼンベルグによって十分に研究、吸収され、戦後イスラエルの産業復興の手法として、アイゼンベルグによって生かされる。

米国最大のマフィア組織であるアイゼンベルグと、日本の大物右翼、ヤクザである里見甫はここで出会う。アイゼンベルグの経営者ショール・アイゼンベルグは、1940年に新日鉄の会長であった永野重雄の娘と結婚している。そこから日本の産業界のイスラエル人脈は延々と続く事になる。現在の麻生外務大臣の経営する、麻生セメントの親会社ラファルジュ(フランスのセメント会社)のさらに親会社がアイゼンベルグである。

 この昭和通商で、里見甫の部下として「金儲け」のため麻薬売買を担った人物達の中に、右翼の大物、児玉誉士夫、そして岸信介、佐藤栄作、池田勇人がいた。
これは、戦後の日本で自民党の総理大臣になる面々が「偶然」にも昭和通商で麻薬売買を行っていたという事ではなく、中国のアヘン売買で「荒稼ぎ」した里見甫とイスラエル、アイゼンベルグの資金が、戦後の日本の権力者を生み出して来た事を意味する。

 日本が第2次世界大戦に突入して行く契機となったのが、東条英機の大政翼賛会の結成であった。野党までが戦争賛成なる「挙国一致」体制の成立で、野党による与党のチェック、戦争反対の声が完全に抹殺されてしまった。

東条英機はこの大政翼賛会の結成を、野党議員の「金による」買収で成し遂げた。その買収資金の提供を求め、東条が「泣き付いた」相手が右翼の大物、里見甫であった。里見とアイゼンベルグの麻薬資金が日本の戦争体制を「成立」させていた。
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1941年、上海のプロテスタント教会を次々と日本軍のスパイ組織、上海海軍武官府・特別調査部の兵士達が急襲する。日本の諜報組織は、プロテスタント教会が麻薬組織サスーンの事務所になっているとの情報を得て、教会を急襲した。

元々、中国の小さな地方都市に過ぎなかった上海を開発し、租界と呼ばれる街路を整備したのは、麻薬業者のサスーンであった。

第二次大戦中までは、上海の街並みの全ての建築物が、サスーンによって建造されたと言われる程、上海はサスーンの街であった。

しかし満州帝国を建設し、さらに南下しようとする日本軍にとって、敵国・英国と一体化したサスーンの上海支配を壊滅させる事は必要不可欠であった。そこにはサスーンの麻薬組織を破壊し、日本軍部の資金源である里見甫の昭和通商に、アヘン売買を独占させる目的もあった。

 教会を急襲した当時の上海海軍武官府・特別調査部の記録によると、教会の地下にはサスーンの事務所が置かれ、そこからは英国諜報組織MI6の中国エージェントの名簿、秘密結社フリーメーソンの祭壇、おどろおどろしいフリーメーソンの儀式の用具が発見されたと言う。

 日本の軍部は、このフリーメーソンの祭壇を見て、「頭のおかしなカルト」が関わっているといった程度の認識しか持たなかった。その事が、後に日本の太平洋戦争における壊滅的敗北という事態を招く、諜報上の大失敗になるとは全く予想もしていなかった。

 当時、日本軍は東南アジアに侵攻していたフランス軍と協力関係にあった(注)。中国の中部、南部を支配する英国に対し、北部を支配する日本軍と東南アジアのフランス軍で挟み撃ちにする戦略であった。
フランスは日本にとって敵国であったが、敵の中に「協力者」を作るのは諜報の常識であり里見に協力するアイゼンベルグは、フランス軍と日常的に連絡を取っていた。アイゼンベルグは日本に到達する前に、イスラエル国家建設を目指して、世界各国のユダヤ人街を巡り、各国の財閥に支援を仰いでいた。

当時、フランスの統治下にあったアルジェリアの経済界は、ユダヤ人街が独占支配しており、アイゼンベルグはアルジェリア支配のため、ユダヤ財閥と一体化していたフランス諜報部に深い関わりをもっていた。
東南アジアを支配するフランス軍の実態は、そこでゴムや米作の大農園を経営するフランスの穀物商社ドレフュスであったが、後にドレフュスはアイゼンベルグ社の子会社になる。

このパイプでフランス軍と日本軍は密通していた。

 しかしアイゼンベルグは単に日本で技術を学び、中国で麻薬売買を行い、利益を得るためだけにアジアに来ていたのであろうか?

 1935年、ロンドンでは国際ユダヤ財閥会議が開かれ、サスーンの街である上海から東南アジアに至る中南支横断鉄道の建設と、それを要とした南アジア大帝国の建設、その地域の資源開発が決議されていた。その出資者は、アイゼンベルグとサスーン、ドイツのオットー・ウルフ財閥、ロスチャイルドであった。

アイゼンベルグは日本と協力しながら、同時に日本の敵国・英国サスーンとも協力し、中国中部、南部、東南アジアに渡る南アジア大帝国を作り上げようとしていた。アイゼンベルグは、そこにイスラエルを建国しようとしていたのだ。

 そのアイゼンベルグが日本に「協力」する意図は、アイゼンベルグの南アジア大帝国により、中国北部の日本の満州帝国を「飲み込み」、アジア統一大帝国イスラエルを建国する事にあった。

稚拙な諜報能力しか持たない日本政府が、夢にも想像出来ない戦略であった。
そしてアイゼンベルグは、麻薬売買において自分と対立するサスーンとも結び、日本、英国、フランスのどの国が戦争に勝利しても、そこにイスラエル建国の可能性を確保する戦略を取っていた。

そこには、米国の過酷なマフィア戦争を勝ち抜いてきた、戦略家アイゼンベルグの才覚が見事に発揮されていた。

石油も鉄鉱石もなく米国との戦争に突入してゆく、粗末な外交能力しか持たない日本、ロンドンのユダヤ財閥会議の動きさえ察知出来ていない稚拙な日本の諜報能力、これが日本を壊滅に導く。
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1941年、創立と同時にCIA(当時はOSS)は、中国において急速に勢力を伸ばしつつあった中国共産党の実態調査に取りかかる。

 中国に全くコネクション(つながり)の無かったCIAは、ボスである英国諜報組織MI6に依頼し、MI6の中国における出先機関であった麻薬密売組織サスーン財閥に協力を要請する。しかし中国国民党と連携し中国南部に帝国を作ろうとしていたサスーンは、共産党とは関係が険悪であり、結局中国南部の帝国建設でサスーンに協力していたアイゼンベルグをCIAに紹介する。

 アイゼンベルグと共に満州建国資金をアヘン売買で稼ぎ出していた里見甫の元に、CIA局長ワイルド・ドノヴァンから派遣されて来たのは、ドノヴァンの親友で部下でもあるウィリス・バード中佐と北京語の通訳としてパレット大佐であった。

 アイゼンベルグと里見は、後にCIAの中国支部の事務所が設置される延安にバードを連れて行き、中国共産党の諜報組織の代表、恵生に引き合わせる。後に中国共産党の諜報組織、中国特務機関(中国のCIAに該当する)の長官として戦後長く君臨し、中国共産党の秘密警察、暗殺部隊の指揮官として中国の政治家・官僚達に恐れられる事になる中国共産党の「影の実力者」恵生である。

結局パレットの通訳では時間がかかり過ぎるため、英語の出来る通訳として、この会談には江青女史が同席する事になった。毛沢東夫人の江青である。

 会談では、日本軍と戦闘を繰り返す中国共産党に米軍とCIAが全面的に協力する事が決定される。

(山極晃著「米戦時情報局の延安報告と日本人民解放連盟」大月書店) 

 米軍にとっても日本軍は敵であり、CIAと中国共産党は利害が一致していた。

世界の動きが見えていた里見は、石油も鉄鉱石もなく米国との戦争に突入して行く日本政府の無能さに軽蔑しか感じていなかった。日本の国の枠から飛び出し、アイゼンベルグと共に英仏と協力しながらアヘンを売買していた里見は、もはや日本人ではなく「帰るべき故郷」の無い国際人になっていた。

 満州は里見にとって自分の作った芸術作品であり、日本国家とは何ら関係が無かった。無能な日本国家が滅亡する事を里見は嘲笑していた。

そしてこの時に始まった中国共産党とイスラエル・アイゼンベルグ、CIAの協力関係は、2007年現在まで絶える事なく継続し続けている。

 71年の米国、中国の国交回復、CIA出身のヘンリー・キッシンジャーによる米国、中国の経済協力関係等は、この諜報における中国と米国、イスラエルとの一体化のごく一部が表に出たものに過ぎない。米国が中国にミサイル技術を供与してきたイスラエル・ルートがこれである。(売ったのはCIA放送局と異名を持つCBSTV社長ウィリアム・ペリーである。)戦後、中国共産党の核兵器開発を担って来たのはアイゼンベルグ社である。事実上、中国をボスとしている北朝鮮の核兵器開発の技術はパキスタンから学んだものであったが、パキスタンの核兵器開発を担ってきたのがアイゼンベルグであり、そこに北朝鮮を同席させて「学ばせた」のはアイゼンベルグである。

特に軍事面では、中国共産党とはアイゼンベルグの事である。  

 この中国共産党、CIA、アイゼンベルグの協力関係は41年に始まっていた。

恵生、アイゼンベルグ、CIAの会談では、中国共産党がその活動拠点の山間部、農村でアヘンを生産し、CIAとアイゼンベルグ、里見がそれを売り捌く事で一致を見る。この会談後、中国共産党は特に福建省南部、江西省の井崗山地域でアヘンを大々的に生産し始める。その利益は中国共産党、イスラエル・アイゼンベルグ、CIAの間で折半される。

この構造は2007年現在まで変わらない。アヘン販売ルートを支配しているアイゼンベルグとCIAは、中国共産党には無くてはならない協力者である。

このアヘン取引を基本に、イスラエル・アイゼンベルグは核兵器技術と最新鋭の通常兵器を中国共産党に販売し、CIAも中国に兵器を販売し続けて来た。

中国共産党は、アヘン売買の利益を兵器購入代金に充てて来た。中国共産党、イスラエル・アイゼンベルグ、CIAは皆「同じ商売仲間」である。

 70年代初頭、ベトナム戦争により中国政府と米国政府が対立していた時も、中国特務機関とCIAのビジネス・パートナーには何ら変化は無かった。

敵と結ぶ、それが諜報である。

 国家同士が激しく対立する時、諜報機関同士も激しく対立するならそのような諜報機関は三流四流である。国家同士が激しく対立する時、敵国と今までにも増して親密な友好関係と利害の一致を裏側で作り出す、その事によって戦争は回避され自国民の生命が守られる、それが諜報の仕事である。国家にとっての敵国と利害の一致を作り出し、戦争を回避し国民の命を守る・・諜報の本質は自分の国家を裏切り、自分の愛する国家の国民の命を守る事にある。自分の愛する国家の国民の命を守り、自国を裏切り、敵国にも睨まれ、孤立して犬死にする事が諜報員の仕事である。誰も気付かず評価もされず、しかし自分の愛する自国民の命が戦争の回避で救われ、その事を唯一自分の勲章として名誉を感じ、犬死にして行くのが一流の諜報員の仕事である。

第二次世界大戦中は、中国アヘン売買の利益は3等分され、一方では満州帝国を壊滅させようとする中国共産党とCIAの武器購入費用となり、他方では里見の満州帝国を守るための武器購入費用となった。敵国同士の資金源が同一である矛盾など、中国共産党もアイゼンベルグもCIAも里見も誰も問題にせず、矛盾などとは考えない。それが諜報というものであり戦争というものである。これが「当然の常識」であるという認識がないと、「世界の実相」は 遂に最後まで見えて来ない。
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 1932年、満州帝国初代総裁に就任した後藤新平は、同盟国ドイツでヒトラーの兵器を独占的に製造するクルップ社の重役ゲハイムラート・ウィーネフェルトを顧問に採用する。やがてウィーネフェルトがヒトラーの命令で駐米ドイツ大使に転出すると、その秘書フリードリッヒ・ハックがそのまま満州帝国総裁顧問に就任する。

 ハックは当時、ベルリン日本領事館の名誉領事であったドイツ軍のアドルフ・シンツィンガー元陸軍少佐と「シンツィンガー・ハック社」という兵器商社を経営する武器商人であった。ハック社は日本軍、特に日本海軍御用達の大型機械、
戦艦用部品専門の商社であり、ハック社が無ければ日本が中国侵略に使用する武器、食料、軍需物資を運搬する船舶が動かなかった。

 このハック社のもう一人の共同経営者で、日本と欧州を行き来し、日本が中国侵略に使用する兵器、太平洋戦争に使用する軍艦部品、その工作機械を日本、満州に運び込んでいたのがポール・ブルームというアイゼンベルグの親友であった。

 ブルームがヨーロッパで買い付けて来る兵器と軍艦部品は、アイゼンベルグと里見甫が行う中国でのアヘン密売の利益で支払われた。日本の中国侵略戦争は、アヘン密売人アイゼンベルグとその親友・武器密輸商ブルームが陰で支えていた。

 このハック社の創業資金は、南アフリカの金塊業者オッペンハイマー一族から出ていた。ブルームは第二次世界大戦後、CIAの初代日本支局長になり、吉田茂首相を連日呼び付け、戦後日本の国家政策を全て決定して行く。
 軍人で政策には精通していないダグラス・マッカーサーが、表向きの日本の支配者であれば、 ブルームは国会で通過する法案の細部まで細かな命令を出す「裏側の支配者」となる。

 かつて吉田茂首相は、満州で里見甫の経営するアヘン密売会社「昭和通商」の社員、里見の部下としてアヘン密売に従事、日本の中国侵略資金の捻出を担当していた。そのアヘンの利益で吉田茂、里見からブルームは満州帝国に納入する兵器の代金を得ていた。満州帝国をアヘン密売と武器密売で支えた吉田茂とブルームが、首相とCIA日本支局長として、事実上、戦後の日本の進路を独裁的に決定して行く。
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第二次世界大戦中、中国大陸で満州帝国国務院に勤務する一方、里見甫の経営するアヘン密売会社「昭和通商」で、吉田茂等と共にアヘン密売に従事し、満州帝国建設資金を調達していた岸信介は、戦後、戦争犯罪人として巣鴨拘置所に収監される。
巣鴨から釈放されると岸は、満州帝国の日本語新聞「大陸新報」の社長であった福家俊一と密談を重ね、日本に新しい政党を作る準備を始める。

福家は満州時代、アヘン密売を巡り里見の情報屋として、新聞「大陸新報」の情報ネットワークを駆使し他のアヘン密売組織を「摘発」し、里見は福家の情報の下、他の密売人を次々に殺害して行った。
福家は戦後、里見のアヘン資金を日本の政界に持ち込むエージェントとして、岸首相、福田赳夫首相、美濃部亮吉東京都知事の選挙資金を拠出する「政界仕掛け人」と呼ばれる事になる。

53年、自由党から出馬し国会議員となった岸は、54年、米国で「2大政党制」を強く主張するロックフェラーの民主党に習い、日本民主党を旗揚げし幹事長となる。この日本民主党には社会党等の労働運動勢力も含まれていた。
岸のその行動は2007年現在の小沢一郎と極めて類似している。(小沢の著書には、ロックフェラーが推薦文を書いている)
岸の政界資金は福家を通し里見から出ていた。

52年4月25日付の日本統治軍GHQの「防諜レポート」には、里見と福家が密談し岸に政界工作資金を提供している点について、「要監視、注意」と報告を出している。

55年8月、日本ではまだ無名であった岸は、重光葵外相と共に訪米しダレス国務長官と会談し、雑誌「ニューズウィーク」の表紙を飾る。重光外相は一切報道されず、無名の岸が「次期日本の総理大臣」と報道され、一躍米国で有名になったのである。

満州帝国に武器を納入していた武器商人ポール・ブルームは、OSS(CIA)の欧州責任者アレン・ダレスの部下であり、ブルームの納入する兵器代金は中国でのアヘン売買の利益で支払われ、実際に支払っていたのは里見であった。

この資金が欧州での米国スパイ組織ダレス機関の活動資金として役立っていた。岸はその里見の部下であった。岸は訪米し満州時代からのビジネス・パートナー、ダレス兄弟の1人と会談しただけであった。

ニューズウィークはダレスのボス、ブッシュ大統領一族の経営するハリマン銀行会長エイブリル・ ハリマンが創立した雑誌であった。

ブッシュのボス、ロックフェラーが2大政党制度を強く主張し米国で民主党の絶大な支援者である事を、岸はボスの里見から教えられていた。
ロックフェラーのコピーを日本で行うよう、岸は里見から指示されていたとも言える。
岸は訪米中、ニューズウィークの編集長オットー・カーンの紹介で、戦後日本の政治家としては初めてロックフェラー三世と会談する。岸はロックフェラーの「お墨付き」を貰って来たのである。

 日本に帰国すると岸には24時間、ロックフェラーとブッシュの子分、ニューズウィーク日本支局長オンプトン・パケナムが「英語語学教師」として付き従う事になる。岸は24時間、ロックフェラーとブッシュに監視される事になる。

57年、岸は里見のアヘン資金で首相となると、6月、即座に訪米しアイゼンハワー大統領、ロックフェラー三世と会談し、日本に永久的に米軍を駐留させる事で同意する。
ゴルフ好きであった岸を会談の合間にゴルフに誘い出し、一緒にゴルフコースを回ったのは、常に祖父プレスコット・ブッシュであった。
ブッシュと岸がゴルフをしている間に、ブッシュの経営する軍事産業専門の投資会社カーライルの子会社、デュロン銀行社長ダグラス・デュロン国務次官が、日本に米軍を常駐させる日米安保条約の素案をタイプし、また日本の自衛隊に売り付ける兵器の見積もりを計算していた。

65年、里見が亡くなると、岸は恩師の死に涙を流しながら達筆な毛筆で「里見甫」と大書する。その文字がそのまま里見の墓標に刻印される事になる。

里見の資金を引き継ぐ後継者が、岸信介である事を遺族全員が認めていたからである。その岸の人脈と金脈を引き継ぎ、首相となったのが現在の安倍総理である。
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現代日本を作った男ブルーム

第二次世界大戦後、初代CIA日本支局長となり、日本の主要官庁責任者、大臣、首相を連日呼び付け、政策、法律の細部に渡り細かな指示を与え、事実上戦後日本の「運営者」となるポール・ブルームは、1898年、日本の横浜に生まれた。
南アフリカの金塊生産を独占するオッペンハイマー一族の末裔であるブルームの父母は、横浜で金塊取引業を営んでいた。

1897年の日清戦争に勝利した日本は、中国大陸での資源開発や投機ビジネスに乗り出し、続々と富裕層とビジネスマンが中国へ渡航して行った。
また後に満州帝国総裁になる内務省官僚、後藤新平の「中国でのアヘン密売を奨励し、その利益で中国に大帝国を建設すべし」という主張に合わせ、日本の暴力団、右翼組織が続々と中国での麻薬ビジネスに乗り出して行った。
そして崩壊寸前であった中国の清王朝の発行する紙幣など誰も信用せず、当然、中国満州でのアヘン取引は金塊で決済されていた。その金塊を供給していたのが南アフリカのオッペンハイマー一族であり、その日本支部ブルーム一族であった。

1842年のアヘン戦争以来、中国で行われる米国のアヘン貿易を独占して来たのは、ブッシュ大統領一族のラッセル社であった。中国大陸でブッシュ一族の行うアヘン貿易の決済も、ケミカル銀行を窓口としてオッペンハイマー一族の提供する金塊で行われていた。
ケミカル銀行は、シティバンクの経営者でもあるジェームズ・ベーカー一族の経営する銀行である。

1991年、父ブッシュがイラクと湾岸戦争を行った時の国務長官ベーカー、2007年現在のイラク戦争に協力するように、ドイツ、フランスを説得して回った子ブッシュの欧州特使ベーカー、その一族はアヘン戦争時代から、ブッシュ一族のアヘン密売のマネージャーとなっていた。

かつては、ブッシュの行うアヘン密売の決済をベーカーがケミカル銀行でマネジメントし、現在はブッシュの行う湾岸戦争とイラク戦争を、相変わらずベーカーが閣僚、特使としてマネジメントしている。

現在でも世界各地で行われる麻薬密売の決済には、南アフリカのオッペンハイマー一族が提供する金塊が使用されている。その代表的窓口となっているのが、 決して警察が立ち入る事の出来ないオフショアである、英国領バミューダの投資会社ミノルコの口座であるが、この麻薬密売の決済企業ミノルコは、ベーカー一族の経営するシティバンクの代表取締役ウォルター・リストン、シティバンクの顧問弁護士ロバート・クレアが経営している。

アヘン戦争の昔も現在も、麻薬密売の決済は、ブッシュ大統領、そしてベーカー一族の銀行シティバンクとケミカル銀行が行っている。
また現在でも、麻薬密売に使われる金塊はオッペンハイマー一族が提供しているが、カナダの金塊生産を独占するオッペンハイマーの子会社、バリック・ゴールド社の経営者が父ブッシュである。
アヘン密売人ブッシュが、オッペンハイマー一族の「子分」である事は、今も昔も変化が無い。

1900年代初頭、続々と中国大陸での麻薬密売に乗り出した里見甫など、日本の暴力団の麻薬「決済」を担ったオッペンハイマー日本支部が、横浜のブルーム一族であった。そのブルームが、つまり南アフリカのオッペンハイマー一族が、戦後日本の進路の全てを細部に渡り決定して来た。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49605378.html


1945年、第2次世界大戦に敗北した日本に米軍が上陸して来ると、日本の政治は米軍の命令通りに行われ米軍の指揮下に入る。日本の総理大臣を毎日呼び付け、連日細かい指示を与えたのがCIA日本支局長ポール・ブルームであった。
ブルームが2007年現在の日本の出発点を決めていた。

ブルームは1898年、日本の横浜に生まれた。世界の金塊GOLD、ダイアモンドを独占支配する南アフリカのオッペンハイマー一族にブルームは属していた。父母は横浜で貴金属商を営み、中国に金塊を輸出していた。

当時、日本は中国へ軍隊を送り込み侵略戦争を行っていた。日本の軍隊に必要な武器、弾薬、ジープ、戦車等の購入費用に困った日本政府は、中国で麻薬、アヘンの密売を命令し、その利益で武器を購入していた。
当時、中国は国家が崩壊状態であり、国の印刷する紙幣というものが無かった。
日本政府の麻薬密売と武器購入は金塊で支払いが行われていた。ブルーム一族はその金塊を提供していた。

中国での戦争が拡大すればするほど、武器はたくさん必要となり、支払いのための金塊もたくさん必要となった。貴金属商のブルーム=オッペンハイマーにとって、戦争によって商売が拡大した。オッペンハイマー一族は、商売の拡大と共に優秀な営業マンを必要とした。
オッペンハイマー一族が目を付けたのが、日本育ちのポール・ブルームである。

中学卒業と同時に、ブルームは本家のオッペンハイマーに呼び寄せられ、ジュネーブのハイスクールに入学する。その時ブルームは、米国のCIAヨーロッパ支局長アレン・ダレスの下で諜報員(スパイ)としての訓練を開始する。
現在のブッシュ大統領一族は、オッペンハイマーのカナダ支部であるバリックゴールド社の経営者であり、オッペンハイマーの提供するダイアモンドを使った
ドリル製造会社ドレッサー社の経営者である。石油を掘り出しダイアモンドを鉱山から掘り出すためのダイアモンド・ドリルのメーカーである。
ブッシュ大統領一族は、オッペンハイマー一族の下請け人一族であり、CIAの創立資金を提供していたのが、このブッシュ大統領一族であった。
オッペンハイマーの優秀な営業マンとしての教育を、オッペンハイマーの下請け人ブッシュ一族=CIAが請け負った事になる。

当時、ヨーロッパではナチス・ドイツ=アドルフ・ヒトラーがユダヤ人を大量に殺害しその財産を奪っていた。ヒトラーがユダヤ人から奪った貴金属、金塊の販売を担当していたのが、ブッシュ一族の経営するユニオン銀行であり、ユニオン銀行のヨーロッパ支店長が後にCIA長官になるアレン・ダレスであった。
ブッシュ一族のユニオン銀行のヨーロッパ支店長ダレスが、そのままCIAのヨーロッパ支局長であった点にブッシュ=オッペンハイマー一族とCIAの一体化が読み取れる。ブルームはこのダレスによって育てられ、後にCIA日本支局長となる。

こうして見ると、CIAがブッシュ=オッペンハイマー一族の「私的」な情報収集組織=スパイ組織として発足している事が分かる。

当時、CIAヨーロッパ支局長のダレスの下には、ブルームの他に同じオッペンハイマー一族のヘンリー・キッシンジャーがいた。
ブルームは日本へのCIA工作員=スパイであり、キッシンジャーはソ連(ロシア)に対するCIA工作員(スパイ)であった。同じダレスの部下として、同じオッペンハイマー一族として、ブルームとキッシンジャーはジュネーブの地で、しばしば共に食事や個人的交友をしたであろう事が想像される。(資料が残っていないため、この点は想像である。)

スパイを養成するには子供の頃から訓練しなければならない事は、高校時代からダレスに教育されたブルームが一番知っていた。1945年、CIA日本支局長となったブルームは、日本人のCIA工作員(スパイ)となる人材を探し始める。
ブルームは、当時、日本の吉田茂首相を毎日呼び付け、日本の政治に様々な命令を下していた。ブルームはしばしば吉田茂の自宅を訪問もし、深夜まで吉田首相と会談した。その時ブルームが目を付けたのが吉田茂首相の孫であった。
ブルームは吉田首相の孫を自分の家に引き取り、子供の頃から工作員(スパイ)として徹底的に教育し育て上げる。
この吉田首相の孫が、2007年現在の麻生太郎外務大臣本人であり、日本の次期首相候補の最有力者である。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49607501.html

第二次世界大戦後、日本に進駐して来た米軍GHQには、冶金(やきん)課という部署が設けられた。金塊を生産する国ではない日本に、金塊、貴金属を扱う専門部署が設けられた事は、極めて奇妙であった。

 日本軍は第二次大戦中、中国大陸や朝鮮半島で中国、朝鮮の人々を多数殺害し、その財産を略奪し、また中国においてアヘンを密売し、その莫大な利益を蓄積していた。
 戦争終結間際、日本軍はその莫大な利益を金塊、プラチナ、ダイヤモンドに代えて飛行機で日本本国に持ち帰っていた。その莫大な貴金属は日本各地に隠され、また日銀の地下金庫に保管されていた。

 その隠された財産を摘発、没収するため、GHQには貴金属担当の専門部署が設けられていた。

 戦後GHQは、日本軍の隠した貴金属を次々と発見していくが、発見されたものは米国政府の命令で米国本土に送り、米国の財産としなければならなかった。
 しかし、日本軍部が自己所有として記録に残した貴金属と、実際に米国本土に送還された貴金属の量には圧倒的な「差」があった。日本軍の隠した貴金属摘発を担当したのは、GHQのマッカート少将であったが、実際に実務を仕切ったのは冶金課長のジョージ・パーディであった。 

 なおパーディがGHQから貴金属を奪うに当たっては、オッペンハイマー一族のポール・ブルームCIA日本支局長が当然大いに協力した。

http://alternativereport1.seesaa.net/article/49605569.html


 第二次世界大戦後、CIA日本支局長として日本に米軍基地を常駐させる等、現在の日本の政治路線を事実上決定し、また2007年現在の麻生太郎外務大臣を育てたポール・ブルーム。第二次大戦中、CIAにおけるブルームの上司は、後にCIA長官となるCIAヨーロッパ支局長アレン・ダレスであった。

当時CIAの活動資金は、ブッシュ大統領一族の経営するユニオン銀行から出ており、ダレスはユニオン銀行ヨーロッパ支店長でもあった。


ブッシュ=ダレス=ブルームは、第二次大戦中における日本の軍事力増強に全面的に協力していた。ブルームの経営する(つまりブッシュの経営する)武器密輸商「シンツィンガー・ハック」社は、日本海軍の軍艦建造に必要な軍艦部品、金属を専門に輸出していた。敵であるはずの米国が日本の軍事力の増強の中心にいた。日米戦争=日本と米国の対立・戦争は「茶番劇」であった。

一方、1930年代、米国議会に日本との戦争実行を強く働きかけていたのはブッシュの経営するハリマン銀行社長エイブリル・ハリマンであり、日本との戦争に備え米軍が兵器を大量に購入し始めると、その兵器を製造し「金儲け」に専念し始めたのもブッシュのハリマン銀行の支配下にある軍事産業であった。

日米戦争・・米国政府に武器を売り付け「金儲け」するブッシュ一族は、同時に部下のブルームを使い、日本に兵器と軍事物資(鉄鋼製品、ニッケル、チタン等の希少金属)を販売し利益を上げていた。

また、日本に鉄輸出を禁止し、米国国内での「日本との開戦論」をアオった悪名高い「ハル・ノート」の起草者コーデル・ハル国務長官は、ブッシュの顧問弁護士だった。

第二次世界大戦で日本人と米国人が戦争で殺し合う、その兵器は日米両方ともブッシュ一族が製造し、殺し合えば殺し合う程、ブッシュ一族に大金が転がり込む仕組みになっていた。

日本との戦争を開始したルーズベルト大統領の大統領選挙資金は、バーナート・バルークが大部分出資し、バルークがルーズベルトの閣僚人事の全てを単独で決定していた。この「ルーズベルト政権の独裁者」バルークは、ブッシュのハリマン銀行の社員であった。

日本への鉄輸出を禁止し、他の業者を排除し、日本への軍事用鉄鋼輸出の独占体制を作ったのがブッシュであり、その実働部隊がブルームである。

このブルームの弟子・麻生太郎が、2007現在の日本の次期首相候補である。

戦争が誰の自作自演であるか明らかである。

ブルームが日本軍に納入した兵器、軍事物資の代金は、日本政府直属の麻薬密売人、里見甫(はじめ)が全額支払っていた。日本が中国に侵略し建国した満州帝国で麻薬密売を担当し、日本の戦争資金を作っていたのが里見であった。

ブルームがブッシュの命令で日本軍に兵器を運び込み、里見が支払う。里見はブッシュ=CIA=ブルームのパートナーであった。

米国との戦争を開始した日本の東条英機内閣。その東条が総理大臣となった時の選挙資金を出していたのが、ブッシュのパートナー里見であった。

日本と戦争を始めたルーズベルトの大統領選挙資金を出していたのもブッシュ一族であった。戦争で日米に兵器を売り「金儲け」したのもブッシュであった。

戦争が誰の自作自演であるか、極めて明確に出ている。

1840年、アヘン戦争で英国が勝利すると、中国での麻薬売買が急速に拡大する。この麻薬密売を担当したのが青パンと呼ばれる中国マフィアである。不思議な事に、この青パンは麻薬代金を手形で支払っていた。手形は支払期限が来るまで現金に出来ない。しかしインド等から麻薬を密輸してきた船舶会社、密輸人は、すぐに手形を現金化して再び出航したい。そこで、この手形を支払期限前に買い取り現金化し、手数料を取る(手形の割引)銀行が必要になる。しかし相手は中国マフィアであり、手形の支払日に中国奥地に逃亡し、または暴力で支払いに抵抗して来る可能性がある。従って、この手形を現金化する銀行は中国マフィアのボスとして中国全土を監視下に置き、マフィアの逃亡を許さず、しかも「力づく」でマフィアに支払いを強制出来る中国マフィアの支配者=帝王でなければその任務は務まらない。この手形銀行がブッシュ一族のハリマン銀行であった。

ブッシュ一族は、中国の闇社会の帝王として君臨する独裁者一族であった。

日本の満州帝国の支配人=資金の元締めである里見は、このブッシュ一族の麻薬ネットワークの一部を担っていた。中国麻薬密売におけるブッシュのパートナー里見。そしてCIA経営者ブッシュの部下ブルーム。この2人が日本軍の軍事力を作り上げていた。

そして里見の麻薬ビジネスのパートナーには、後にイスラエルを建国し、世界最強のスパイ組織モサドを創立するショール・アイゼンベルグがいた。

2007年現在、ブッシュ大統領が「イスラエルを中心に世界を統一する」=NWOニューワールドオーダー=新世界秩序を作ると主張する理由がここにある。

また、里見の部下には右翼の大物で、後に中曽根康弘元首相の総理大臣選挙資金源となる児玉誉士夫がいた。児玉は戦後CIA日本エージェント=工作員となる。従って国鉄を民営化しJRを作った中曽根元首相は、CIAの対日本工作資金で首相になった事になる。

また、児玉は自民党の創立資金を出資した人物であり、自民党がCIAの対日本工作として、CIAの下部組織として創立された事が分かる。

また、里見の麻薬密売組織の部下には、吉田茂(後に自民党総理大臣、2007年現在の外務大臣麻生太郎の祖父)、佐藤栄作(後に自民党総理大臣)、池田勇人(後に自民党総理大臣)、岸信介(後に自民党総理大臣、2007年現在の安倍晋三首相の祖父)がいた。

日本の自民党と歴代総理大臣がCIAの対・日本工作として「作り出され」て来た歴史が、この中国麻薬密売組織の中に明確に浮かび上がって来る。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49607677.html

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湯川が単なる兵器ヲタクでないことは居酒屋で杯を掲げるほど親密な自民党国会議員である元外務官僚(ベネズエラ特命全権大使)国安正昭が彼会社の顧問であることやご存知元航空幕僚長の田母神俊雄とも(彼は知らないと言っているが)何らかの関与があり、 あまつさえ、 湯川遥菜の会社の顧問である元茨城県議で自民党水戸支部事務局長木本信男および信男の長男の自民党市議・木本信太郎がおり、湯川がやっている(とされる)「アジア維新の会」のシリア支援募金の住所が木本信太郎の事務所の住所になっていて担当者名が「きもと」になっている事実。 したがって 湯川が自民党政府の別動隊としてかっての満州浪人的な「役割」があったのではないかと「推測」されているのはいたしかかたないのだ。










http://blog.livedoor.jp/shunzo480707/archives/4815023.html

「日本人人質事件」、、、どうも奥歯にモノが挟まった
ネット上では様々な流言蜚語が飛び交っており中にはアラビア語に翻訳されたり、イスラム国関係者とみられるSNSに対して位置情報で特定されることにも配慮せず挑戦的な折り返しの書き込みもあり、テロのターゲットとして特定される危険もある。

ゆえにわがブログも死は恐れないものの、これ以上バカでありたくないので発信を控えてきた。

しかし事実関係としてハッキリしておきたいことは、、、「ある」


それは

湯川が単なる兵器ヲタクでないことは居酒屋で杯を掲げるほど親密な自民党国会議員である元外務官僚(ベネズエラ特命全権大使)国安正昭が彼会社の顧問であることや、

10313401_248713928653127_522581993710562449_n

ご存知元航空幕僚長の田母神俊雄とも(彼は知らないと言っているが)何らかの関与があり、

あまつさえ、

湯川遥菜の会社の顧問である元茨城県議で自民党水戸支部事務局長木本信男および信男の長男の自民党市議・木本信太郎がおり、湯川がやっている(とされる)「アジア維新の会」のシリア支援募金の住所が木本信太郎の事務所の住所になっていて担当者名が「きもと」になっている事実。


したがって

湯川が自民党政府の別動隊としてかっての満州浪人的な「役割」があったのではないかと「推測」されているのはいたしかかたないのだ。

ということは

あのイスラム学者の田中考がおもわず「日本政府としてはイラクやシリアでの裏工作を彼がばらす前に消されて欲しいだろうねぇ」とつぶやいているようにイスラム国との交渉がまったく初めてではなかったことを示唆している。

外務省は以前から後藤の家族や「そのほか」のルートを通してイスラム国とやり取りをしているけれど、基本的に埒が明かないので切迫したイスラム国側がネット動画を世界に発信して表ざたにしたのであろう。

その根拠として安倍晋三の正式な英訳コメントを「そのまま」聞けば彼らが反撃にでるのもうなずける。

We are also going to support Turkey and Lebanon. All that, we shall do to help curb the threat ISIL poses. I will pledge assistance of a total of about 200 million U.S. dollars for those countries contending with ISIL, to help build their human capacities, infrastructure, and so on.

つまりどう読んでも彼らと闘っている国をサポートしたいといっておりhuman capacities, infrastructure, and so on.が「付け足し」に取られても仕方がない。ヒトの喧嘩に飛び入りして加勢してやると言ってるようなものだ。


それはともかく

もう一人の人質後藤健二君なんて僕が業界を去ったあと注目されだしたのであったこともないからまったく知らない。ただ彼のような立場の人間の実態はそれなりにリアリティとして認識している。

つまり東大早慶以外の大学から大した血縁コネもなくTBS系の制作プロに入りその後独立した「報道」ジャーナリストはたくさん知っているが、番組のスタッフでもなく、すべて自前(交通費を含め)で撮った「映像」をコーナーとか特集でちょっと放送したからといって「それほど」外注費がもらえるわけではない。またどちらかといえばボランティア風の講演依頼や本原稿依頼があったにせよ潤沢な資金があるはずもない。

ところが

言い方は悪いが「兵器ヲタク」と「流れ者のジャーナリスト」、しかも思想的には正反対と「思える」二人の関係はマスコミで喧宣されている「以前」からあったのだ。ただの「ぷー太郎兵器ヲタク」を助けるためにベテランで海千山千のジャーナリストが「急いで」しかも「命がけで」救助にむかった「理由(わけ)」がどうしてもわからない。

後藤健二が人道的で優しい聖人君子、、、涙で訴える実母、、、僕にはどうしても個人的に「単に」そうとは思えない。

資金源やその他の推移から彼らの、、、、もしくは湯川遙菜のもう一つのミッションそれをサポートする後藤健二という「図式」が、、、、、

もしあるとするならば、それが失敗したのだから

当然、日本政府の英米豪の爆撃実施中の国家と「親密な」連携の元、「やるべきことは」決まってくると「思われる」。

また現在もそして過去にも湯川救出が出来る可能性を日本の当局が潰しており、その家宅捜索された彼ら中田考、常岡浩介らの申し出を今も拒否していることからも秘密のミッションに関わった「人質の二人が消えてほしい」と考えられても仕方がないだろう。


、、、、、、、、などと「妄想」する脳梗塞老人であった、、、、、、。

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今月のゴング格闘技お勧めです! 特にジョッシュバーネットインタビュー! ヒーロン へナーグレイシーに真っ向反論! ヘッドロックとネッククランクは全然違う!

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売り切れ大続出! 出版業界ではこれをベストセラーというんでしたっけ? ミリオンセラーではないですよね?

http://tfikebukuro.blogspot.jp/2014/10/dvd.html

2014年10月16日木曜日
新作「ブラジリアン柔術教則本」DVD3枚付

こんにちは、早川です。

新作「ブラジリアン柔術教則本」が完成し、11月上旬に全国の書店で発売されることになりました。

これまで、「果てしなく続くブラジリアン柔術(仮)」のコードネームで紹介してまいりましたが、構想から5年を経て、ようやく完成しました。

192ページの本と、DVD3枚・6時間超がついて、2700円+税となります。価格と収録分量のコストパフォーマンスは、これまでにない作品であると思います。

収録されているテクニックは、トライフォースのビギナークラスで指導しているカリキュラムをそのまま再現しています。

競技柔術において、白帯から青帯になるまでに学ぶべきと考える150種類のテクニックを厳選し、整理し、レッスンの順序を構成しました。

1レッスンにつき5種類のテクニックを収録しているので、全30レッスンとなります。ちょうど1ヶ月で1サイクル出来る分量になっています。

柔術の教則本ではあまり見かけたことがない、構え方、受け身といった基本動作も、もちろん余すところなく収録しています。

アカデミーではすでに3年以上前から本カリキュラムを実施しているので、芝本や澤田らもこれらのテクニックの練習と指導を5万回くらい繰り返しています。

全てはここから始まります。

本ブログ以降、何回かに分けて紹介記事を書いていこうと思います。

http://tfikebukuro.blogspot.jp/2014/10/blog-post_19.html

2014年10月19日日曜日
ブラジリアン柔術教則本コラム(1) グローバルネーミング

こんにちは、早川です。

本作品では技術名称の制定を行いました。柔術のテクニックは、同じ技術であっても、ある先生はAガードと呼び、ある地方ではBガードと呼ばれている。そのような状況が長年続いてきました。公式技術名称は国際連盟ですら制定しておりませんので、これは仕方ありません。ですから私としては、少なくともトライフォース内で通用する共通言語を作りたいと考えました。

技術や技術論を語る上では、共通言語が不可欠だと思います。「指導者と指導者」、「指導者と生徒」、「生徒と生徒」、この3つのラインで同じ技術名称を共有出来れば、道場としてのレベルも飛躍的にアップ出来ると考えています。

たとえばAガードという名称が出た際に、その名称からイメージされるテクニックの認識が、それらのライン間で速やかに一致すれば、Aに対するディフェンスや、Aを習得していることを前提とした応用テクニックBについて、教えたり学んだりすることがシームレスに行えるようになります。

現状のトライフォースのクラスフォーマットでは、先の先の技術まで突っ込んだ指導がなかなか出来ないというジレンマを長年感じています。応用技術に関しては全体練習では教えることは出来ず、各自への個別指導という方法を取らざるを得ません。もちろん究極的な領域に関しては個別指導が結局必要なのですが、基礎知識の共有領域を増やすことにより、全体練習においても、少なくとも現状よりは先のステージに踏み込めると考えています。

また現在流通している多くの技術名称は、主として柔道からの借り物であることも、柔術家としては寂しく思っていました。柔術は初期柔道の子供(または生き別れの兄弟?)のようなものですが、80年以上の長きに渡ってブラジルで独自の進化を遂げたことも事実です。それならば、競技としてのアイデンティティーを確立する為に、柔道用語に頼らない表現も積極的に用いるべきではないかと思いました。

現在親しまれている俗称の中には、かつて中井先生や私が便宜的に命名したものが多くあります。例えばフックガード、たとえばヒップスロー、海外ではそのように認識されていない技術名称の数々が、日本柔術界の隅々まで浸透してしまっています。ワンハンドチョーク等の名称もトライフォースではかなり親しまれていますが、著作「はじめてのブラジリアン柔術」を作る時に私が思いつきで考案しただけでした。色々な事をそろそろ正していきたい思います。

技術名称を制定するに当たっては、ベースとなる言語は英語としました。次いでポルトガル語を、必要に応じて日本語も使用しています。よって書籍のほとんどのページに英語のカタカナ読みが記載される事になります。

これだけグローバル化し、国際交流も盛んなスポーツです。トライフォースのクラスにも外国人が参加しない日はありません。今後も多くの弟子達が海外で試合をしたり、海外の道場で修業をすることになるでしょう。指導者にとっても、生徒にとっても、この先の柔術の行き着く地点を考えれば、自ずと英語ベースで考える必要があります。

名称の選定に当たっては、以下の優先順位に基づきました。

1.国際的にすでに認知されている名称がある場合は、そのまま採用する。

2.国際的に2,3個の代表的な俗称が競合している場合は、そのいずれかを採用する。

3.国際的に俗称が氾濫しどれも決定力を欠く場合は、適当な名称を考案する。

4.3の考案に際しては、固有名詞を避け、人間の体の部位や動作を表すシンプルな言葉で極力表現する。

候補名称が出揃った時点で、外国人会員のダニエルに監修を要請し、検証してもらいました。その結果、文法的にも違和感のない単語を選択出来たと思っています。

http://tfikebukuro.blogspot.jp/2014/10/blog-post_35.html

2014年10月20日月曜日
ブラジリアン柔術教則本コラム(2) 書籍の持つパワー

こんにちは、早川です。

ビデオオンデマンドでの教則が主流になりつつある中、本作品をあえてDVDで、しかも単体では出さず書籍と合わせて出す事にこだわったのは、私が書籍の持つパワーを信じているからです。

全国の書店にこの作品が陳列され、ブラジリアン柔術とトライフォースの存在を知ってもらうことにこそ、この企画の価値があります。トライフォースの可能性を、あらゆる方向へ広げるための、土台作り、インフラ作りがようやく完了したという思いです。

オンラインコンテンツは重要ですし、次はその準備に入ります。しかしYouTubeをはじめとしたインターネットに動画を垂れ流すだけでは、やはり片手落ちの普及になると思っています。業界の第一人者としての私の使命は果たせません。

価値があると信じているものでも、より多くの人に見てもらわなければ意味がありません。書籍はその一翼を担えるものであると確信しています。柔術を知らない人にも、もしかしたら手に取ってパラパラとめくってもらえるかもしれません。これから何かをはじめようかなと思う人達に、うったえかけるものがあるかもしれません。

本のサイズにもこだわりがあります。ビジネスバッグに収納出来、いつも傍らに置いてもらえるサイズを選択しています。視聴環境や音のマナー、スマホの充電残量などに左右されないツールとしても、書籍はまだまだ有用であると思っています。

http://tfikebukuro.blogspot.jp/2014/10/blog-post_23.html

2014年10月23日木曜日
ブラジリアン柔術教則本コラム(3) 護身術的なアプローチ

こんにちは、早川です。

本作品にはトライフォース柔術アカデミーにおけるベーシックカリキュラムを収録していますが、テクニックの説明において護身術的なアプローチを一切行っていません。それが一つの大きな特徴だと思っています。

青帯取得カリキュラムというからには、立ち技でのセルフディフェンスが含まれていたり、グラウンドにおいても「ここで殴られたら」的な説明がなされているのかな、と思われる方も居られると思いますが、そういった技術や説明は一切省きました。

私は護身術を長年に渡って学び、指導を行ってきましたが、私自身はグレイシーファミリーでもなければ、そのアソシエーションに加盟しているわけでもありません。よって私の流派における基本カリキュラムに、しかも会員がマストで学ぶべきものとして、それらを網羅するべき意義、使命、必要性はないと判断しました。

私は、競技柔術の第一線で戦ってきた者として、競技柔術を志す者達をゼロから育てて導くためのツールとしてこのカリキュラムを作りました。それこそが私のやるべきことであると思いました。

しかしながら、本カリキュラムを完全習得し、そこに一定の戦術的な知識とトレーニングを加えれば、ストリートファイトにおける護身術としても、みなさんの柔術は有効に機能してしまうと思います。競技柔術のポイントシステムは、そもそも実戦における有効なポジションに加点されるように作られているからです。

http://tfikebukuro.blogspot.jp/2014/10/blog-post_25.html

2014年10月25日土曜日
ブラジリアン柔術教則本コラム(4) メイキングストーリー

こんにちは、早川です。

本作品は、私の柔術人生のひとつの集大成ともいえる作品になりました。そのメイキングストーリーを少し書き記しそうと思います。

構想は5年前、2009年に出版社さんから企画のGoサインが出て以降、まずアカデミー内でスマートフォンによる動画の仮撮影を開始しました。スタッフ、インストラクターに手分けしてもらい、4年以上前から私の指導動画をコツコツと撮り続けました。気付いたら20時間以上撮り溜めていました。

撮影と同時進行で、撮影済テクニックの取捨選択とブラッシュアップを繰り返し、グループ分けをし、教える順序を決めていきました。これが気の遠くなるような作業で、本当に4年も掛かってしまいました。途中何度か挫折しそうになりました。しかし自分自身へのチャレンジと思い、寝る間を惜しんで作業に没頭しました。

本作品は、これまでの私の著作とは趣旨が異なります。『私の得意技全集』的な物ではなく、白帯が青帯になるためのカリキュラムになっています。青帯になるためのカリキュラムということは、基本中の基本の技術を全て網羅した技術書ということになり、それはすなわち、トライフォースの技術体系を確立し、会員が学ぶべき技術要件を明確にしたということになります。

芝本をはじめとするインストラクター陣には、当初より仮撮影した動画を共有してもらい、池袋と新宿の各クラスでは、本作品の原型となるテクニックを3年前から教え始めています。それゆえに、本番で撮影の受け手を引き受けてくれた佐藤インストラクターも、DVD撮影初体験とは思えないくらいスムーズに仕事をこなしてくれていました。

2013年8月、いよいよ本番の撮影は開始したのですが、10レッスン分撮ったところで撮影は一度頓挫しました。池袋アカデミーの早朝、あるいは深夜の空き時間を利用して少しずつ撮っていたのですが、騒音が許容範囲を超えてしまいました。

過去にいくつかの著作を池袋アカデミーで撮影した時には気にならなかったのですが、今回の作品においては、私と出版社さんが求めるクオリティーが高まり過ぎていたのです。その後、出版社さんが新設する専用スタジオを使用することが決まり、そのスタジオの完成を待ち、撮影を再開したのは2014年の春でした。

池袋アカデミーで撮影した10レッスン分の動画は全て破棄し、スタジオで一から撮り直しました。写真の撮影枚数も数万枚に及びました。その中から、本で採用する写真を私自身が全てピックアップしました。キャプション(説明原稿)も途方もない分量でしたが何とか書き上げました。DVDを作る作業はもちろん大変でしたが、本を作る作業はそれを上回る労力が要りました。

動画の撮影時において大変だったことは、如何に簡潔に説明をまとめるかでした。DVDの容量の関係で、1テクニックの実演と説明に割ける時間は3分以内という制約がありました。本来であれば1テクニックにつき5分は説明したいところでしたが、与えられた時間の中で、出来る限り分かりやすく要点を詰め込みました。

ざっと思いつく限りの製作秘話でした。

http://tfikebukuro.blogspot.jp/2014/10/blog-post_59.html

2014年10月28日火曜日
ブラジリアン柔術教則本コラム(5) アカデミーの公式教材

こんにちは、早川です。

本作品において、個人的に非常に力を入れて書き上げたのが、各レッスンの扉ページごとに書いたそれぞれのレッスンの説明文章です。

各1ページしかありませんが、ガードポジションとは何か、マウントポジションとは何か等、ごくごく当たり前のことを、シンプルかつ分かり易く私なりに書きました。

柔術の予備知識が全くない方達も想定しているので、その方達が読んで分かるようになるべく力を割きました。

アカデミーにおいても、例えば「クローズドガードとは何か?」を語る時間はなかなか持てません。「今日はクローズドガードからのサブミッションをやりましょう」と言うだけです。毎回各ポジションの詳細説明をすることが出来れば良いのですが、レッスンに初心者が一人混ざる度に、そこだけに時間を割くわけにもいきません。

生徒全員に「置き去り感」を持たせない事も重要ですが、中には「自分のためだけに話してくれているのかな?」という気まずさを持たれる方もおられます。また反対の立場から見れば、上級者を置き去りにしているとも言えます。

私自身も、入門者時代、中堅時代、トップ選手時代、勤務指導者時代、経営指導者時代と、これらの過程で様々な心理を経験しているので、クラスの進行については色々思うところがあります。

一つの解決策として、私はトライフォース柔術アカデミーの公式教材としてそのまま利用出来るアイテムを作ろうと考えました。

新しく入門された皆さんに、ブラジリアン柔術の基礎知識や、トライフォースの公用語を知ってもらう為です。最初から手元に置いてもらい、レッスンの予習、学習、復習用の教材として役立てて頂こうと思いました。

公式教材があれば、レッスン内でインストラクターがなんとなく口にした用語も、各自でちゃんとフォローすることが出来るようになります。

インストラクターの側も、誰がどこまで何を知っているか、この生徒さんに向かっていきなり「エビ」という言葉を使って大丈夫だろうか?等の心配をする事は、基本的にはなくなります。

http://tfikebukuro.blogspot.jp/2014/11/blog-post_7.html

2014年11月7日金曜日
ブラジリアン柔術教則本コラム(6) 指導フォーマット
ブラジリアン柔術教則本 サンプルページ

本作品、およびカリキュラムにおいては、「トライフォースにおける統一化、あるいは均一化された指導フォーマット」を私が明示しています。それ以上でもそれ以下でもありません。

何の事かと申しますと、このカリキュラムで私が示した指導方法は、金科玉条のごとき絶対的なものとして世に問うてるわけではないということです。当たり前ですが。

私の教え方は「数ある正解の中のひとつ」に過ぎません。もっと言えば「おそらく間違いではないであろう方法の中のひとつ」くらいに思って頂ければ幸いです。

何なら間違っている可能性すらありますので、より良き物にしていけるように、このカリキュラムの定期的なブラッシュアップが必要であると考えています。TF代表指導者のみんなの力を借りながら、それを行っていく予定です。

しかし今回、いずれにせよ初めてカリキュラムを統一し、均一化しました。そこに価値を置いています。トライフィースのインストラクターは、各員が独自の方法で基本テクニックを教えることはありません。

私が、アカデミーのインストラクター全員で共有すべきと考えているテクニックは、木で言えば根っこの部分、あるいは幹の部分だけです。

簡単に言いますと、みんながバラバラのやり方で基本を教えてたら生徒が混乱しちゃうから、どれでも良いんだけど、どれか一つの教え方にとりあえず統一しようぜ、ということです。

指導方法に共通フォーマットが存在せず、インストラクターごと、日ごとに基本コンセプトの教え方が変わってしまっていては、説明の整合性がなくなり、生徒が技術を正しく理解する事が難しくなります。

また指導フォーマットがなければ、インストラクターの個人的裁量=マンパワーに依存する部分が大きくなってしまい、アカデミー側がインストラクターに求めるハードルも必然的に高くなり、成り手が益々不足してしまいます。

アカデミーの代表者として、採用したインストラクターに対して「お前の好きにやってみろ!」と指示するのは、何となく格好良い感じはしますが、ようするに「こちらには育成ノウハウや方針が何もないから適当にやってくれよ」と言っているのに等しい行為だと思っています。

これらはもちろん、組織として事に当たる場合においての話です。1人でアカデミーの経営と全クラスの指導を行える状況であれば、そのようなフォーマットは必要ないかもしれません。帯やストライプの査定なども個人の裁量のみで問題ないでしょう。

しかしトライフォースにおいては、これから増えていく認可スクールとインストラクターの知識や技術、指導フォーマット、帯の評価基準などを可能な限り統合し、会員のみなさんに分かり易く示していくことを目指しています。

私自身、車の教習所などでも、昨日の教官と今日の教官の言っていることが違う場合に、納得が出来ずなかなか対応出来ないタイプでした。

初日の教官に「俺はハンドルはハの字では持たない(きっぱり)。」と言われて、翌日の教官の前でそれを行ったら激怒される的な。

学ぶ側からすれば、「お前なりのアレンジとかコツとかどうでもいいから、とにかく正しい方法を一つ教えてくれよ」と、私は常にそういう葛藤を抱えていました。

柔術におきかえると、ベリンボロのやり方は手や足の位置の違いで数えきれない程あるんだろうけど、エビのやり方くらい統一してくれよ。いやエビにも色々あるんだろうけど、まず無難なやつ1個教えてよ、ということになります。

インストラクターの「個性」や「オリジナリティー」を尊重する事はもちろん大切ですが、個人の力不足や努力不足を棚にあげて、単に格好付けているだけという状況には気をつけなければいけません。

そういったものは、基本的なことを全てこなした上で見せるからこそ、格好良かったり評価されたりするのだと思っています。その意味においては、トライフォースのインストラクター陣には、各クラスにおいて存分に個性を発揮してもらっています。

http://tfikebukuro.blogspot.jp/2014/11/blog-post_68.html

2014年11月10日月曜日
ブラジリアン柔術教則本コラム(7) インストラクター資格


本作品には、トライフォースの指導員育成ツールとしての機能を持たせています。

インストラクターとしての才能や適正を潜在的に有している者は多数います。そういった人材を掘り起こすためには、まず彼ら自身がその才能を確認し、自覚する機会を持ってもらう必要があります。

その点において、誰でも気軽に手に取って見ることが出来る安価なDVD&BOOKというツールは有用です。まず何をどうやったらインストラクターになれるのか、これを各自で密かに見てもらえばよいわけです。

インストラクターになるための最初のハードルが、ある日意を決して行う「アカデミー代表者への直訴」では、江戸時代の一揆ばりに誰もが尻ごみしてしまいます。

トライフォースでは、2004年の設立当時から研修システムを導入し、インストラクター資格を付与してきましたが、声掛けするのはやはりアカデミー代表者からになりますので、そのオファーはとてつもなく重く受け止められがちです。

「自分ごときが・・・」、「実力が・・・」、「実績が・・・」と言って断られてしまうこともしばしばありました。しかし「自分こそが指導者になるべき人間だ。心技体、実力、実績、俺は全て申し分なし」と思ってインストラクターになる人間などほぼいないでしょう。どんな道にも最初の一歩があるのです。

トライフォースのレベル1のインストラクターの資格を取得するためには、このベーシックカリキュラムを正確に再現出来ることが条件となります。

カリキュラムを正確に指導出来るということは、早川光由と全く同じ技を教えていることになります。個人の実力や実績などは横に置いておき、再現能力のスキルのみを自分の中で確認して頂ければ良いのです。

再現能力を確認する為に、今後トライフォースではテクニック検定のようなものを実施したいと考えています。インストラクターを目指す方は、前段階としてまずはその検定にチャレンジして頂こうと思っています。

もちろん、特にインストラクター志望でない会員であっても、技能チェックの為に検定を受けることは出来ますし、他道場の方の受験も可能にしようと思います。テクニック検定の合格者は全員ウェブサイトに記載します。

インストラクターの資格を取得する為には、その上で研修コースに参加し、コミュニケーション能力や管理能力も査定する必要があります。資格は資格に過ぎず、検定に合格する事と、インストラクター資格を付与する事、そしてさらには実際にアカデミーの指導員に採用する事は、分けて考えています。

インストラクター資格取得者は、認可インストラクターリストに登録され公開されます。これは指導員バンクのようなものです。各支部から、または他のアカデミーからのオファーがあれば、柔術指導者としての道が開ける可能性を広げたいと思っています。

http://tfikebukuro.blogspot.jp/2014/11/blog-post_13.html


2014年11月13日木曜日
ブラジリアン柔術教則本コラム(番外編) 無の構え

コラムもラスト2回です。今回は番外編です。

ブラジリアン柔術教則本には、その制作の最終段階において、すべり込みで加えることになったテクニックがいくつかあります。そのうちの一つが「構え方」です。

きっかけを与えてくれたのは、TF池袋の女性会員さんでした。

2014年7月21日、TFネットワークの交流戦である「TFチャレンジvol.6」が開催されました。その日、試合に初挑戦したその女性会員さんは、試合開始と同時に、全く構えることなく相手に向かって直進していきました。

それを見たトオル先生が「うおお、無の構えだ」と叫びました。まるでヒクソンvs西良典におけるヒクソンのようであり、私とトオルさんは失礼ながら笑ってしまいました。

と同時に私はあることに気付きました。

その方からすれば無理もないのです。構え方なんて教わった事なかったのですから。構え方について、私が通常のクラス内で言及することはほぼ皆無でした。

初心者にとっては、試合で相手と対峙したときに、どのように構えたらよいのか、これは重要な問題であり、全く笑いごとではありません。初心者用の教則本としては、欠かすことの出来ないピースであると気付きました。

その後、芝本らとも相談し、最もスタンダードな構え方を、教則本に一つだけ収録する運びとなりました。

http://tfikebukuro.blogspot.jp/2014/11/blog-post_15.html

2014年11月15日土曜日
ブラジリアン柔術教則本コラム(8) 最終話 さらば愛しき者たちへ

本記事を持ちまして「ブラジリアン柔術教則本コラム」は最終回となります (タイトルに意味はありません)。

本書の一般販売も無事開始致しました。すでにお手元に取って頂いている方もおられると思います。写真はジュンク堂池袋店様です。中井先生、ヒクソンの本と同じ並びのコーナーに設置して頂いたようです。

お陰さまで、本書は発売と同時にほぼ売り切れ状態となり、書店、インターネットでの注文は、現在難しい状況です。ご迷惑をお掛けしておりますが、再入荷の目処が立つまで今暫くお待ち下さい。

コラムの最終回は、本の内容とは関係ない視点から書こうと思います。

本企画における最大の達成目標は、私自身が欲しかったアイテムを、ビジネスとして成立させて、プロに制作してもらう、これに尽きました。

トライフォース柔術アカデミーの公式教材ではありますが、一般向けとして活用できるコンテンツに仕上げることにより、それを実現させることが出来ました。

当たり前の事ですが、売れると判断されなければ、出版社に企画が通ることはまずあり得ません。なので私のアイデアを丁寧に説明し、理解を得る必要がありました。

なので企画が通った時点で、私の目標の半分は達成出来ており、作品が完成した時点で、残りの半分も達成しました。あとは出版社さんの領域です。

実際のところ、アカデミーの公式教材を作ろうと思えば、写真付きの教則本も、DVDも、自主制作で作れると思います。しかしそれをプロのクオリティで作るとなると大変です。

何とか作れたとしても、労力や費用の割には、コストの回収方法が道場での手売りくらいしかないとなると、良いアイデアもなかなか実行に移せません。

こうして改めて考えると、本プロジェクトは、私の考えうる最高の形で成就させることが出来たと思います。

5年前に私が新明や芝本らに語っていた「5年後のビジョン」は100%達成出来たと思います。なので「10年後のビジョン」もきっと実現することでしょう。

直近では、ウェブサイトのリニューアル、そしてオンライントレーニングサイトの開設といったプランが控えております。一つずつ着実に実行に移していこうと思います。

http://tfikebukuro.blogspot.jp/2014/12/b.html

2014年12月4日木曜日
B柔術教則本コラム 番外編(2) キムラアームロック

こんにちは、早川です。

ブラジリアン教則本を手に取って頂いたみなさんに、いくつか確認して頂きたい点がございます。以下の記事をお読み下さい。


「103ページ キムラアームロック 写真3」

サムレスグリップはレギュラーグリップの誤記載です。

サムアラウンドグリップと言った方がトレーニングに精通している方には伝わると思いますが、本書では「普通の掴み方」という意味でレギュラーグリップという名称を用いています。

せっかくですので、技術的なポイントも明記しておきます。

キムラを掛ける場合、相手の手首をサムレスグリップで掴んでしまうと、親指側からあっと言う間に手を抜かれてしまいますし、相手の手を前方に押し出すことも出来ません。よって必ず親指を回して掴みます(詳しくはDVDをご確認下さい)。

なおアップライトでキムラを極める場合は、両手ともサムレスグリップに持ち替えます。これはグリップブレイクを掛けるためです。レギュラーグリップを用いると、相手の手首から自分のグリップがすっぽ抜けてしまうので注意して下さい。


「111ページ クロスガード(フットワイパー)」
本のタイトルには上記のように表記されていますが、DVDのテロップ「クロスガード(ニーリング)」が正しいです。フットワイプというテクニックは、アドバンストカリキュラム以降に登場します。


「144ページ ラッソーの解除」 他
本とDVDで手順が微妙に前後しています。本書にはそういったテクニックも若干数ございますが、本とDVDのどちらの手順を用いても問題ございません。

http://tfikebukuro.blogspot.jp/2014/12/b_6.html

2014年12月6日土曜日
B柔術教則本コラム 番外編(3) 説得力と実感

こんにちは、早川です。

番外編(2)では、キムラアームロックについて踏み込んだ説明を書きました。

今回のコラムでも私のインストラクション技法を少し述べてみたいと思います。これはトライフォースのインストラクター研修でも必ず伝えているマニュアルの一つです。

技を教える際には、大筋の手順の説明すると同時に、

1.なぜそうするのかという「理由」

2.なぜそうなるのかという「技の仕組み」

3.そうしないとどうなるのかという「失敗例」

この3つを補足として加えると、技の説明に「説得力」が生まれます。

しかし本書、及びDVDでは「これはこうして下さい」と断言する形で行っている説明がほとんどです。

これは1テクニックにつき説明時間が2分という時間的な制約があったことから、そのような方針でやりきろうと判断しました。

私の過去の著作「柔術技法」のような詳細説明を期待されていた方には、少し物足りない部分もあるかもしれません。

しかし初心者に対して、あまり多くの情報を伝えすぎるのも実はよくありません。断言した事をその通りに再現してもらうことに集中してもらった方が良い場合もあります。

そういった意味では、本書はバランスの取れた教材になっていると思います。

ちなみに、トライフォースの実際のクラスでは、前述のような補足説明を必ず行っています。しかしそれでもあまりダラダラと話さないよう時間を決めて説明をしています。

セミナーではもちろん長時間の説明を行う事もありますが、通常クラスではフォーマット通りやることに主眼を置いています。

しかしたまに脱線することもあります。一昨日がまさにそうでした。以下内輪ネタが少々加わります。ご容赦下さい。

その日の夜のビギナークラスには、17年前からの同門である中田さんが参加されました。普段は私が指導しないシフトだったのと、中田さんも稀にしか練習に来られないのとで、私のクラスに参加されるのは数年ぶりという状況でした。

普段の私のクラス内では、私がそういうオーラを出してしまっているのか、みなさんは個別にはあまり質問をしてくれません(笑)。しかし中田さんは問答無用に聞いてきます。それに答える形で、色々と横道にそれた話や説明をすることになりました。

私は「パートナーがどのようにこの技を受けるべきか」ということもよく説明していますが、安全な受け方、怪我をしない受け方について特によく指示します。

これらのコツは私の長年の練習と指導における経験則から、私のインストラクション技法に蓄積させたものです。

シットアップスイープを受ける際の足首のフォームについては、実は私自身が中田さんの膝の靭帯を断裂させてしまった事がきっかけで、その後、私のインストラクション技法に加えたものでした。その本人が今日参加してくれているということで、クラスでもその話題を展開しました。

あの時は、つま先を外側に向ける座り方(カエル足?)をしている中田さんに対して、私が全体重を浴びせてしまい、中田さんの内側靭帯を断裂させてしまいました。今も塩原がよくその座り方をしているので、いつもヒヤヒヤしながら見ています。

自分が押さえ込む時も、いわゆるそのカエル足ではなく、”正座”や”爪先立ち”を私が推奨しているのは、みなさんが膝の靭帯を痛めないか不安なのと、股関節の柔軟性が必要だからです。

カエル足で腰を反らせてすり上げるようにして押さえる技法も、腰への負担があるので私は基本技法としては教えていません。あくまでもオプションとして教えています。

「25秒押さえたら勝てる柔道」と、「20秒押さえたら反則を取られる柔術」とでは、抑え込みの目的や質が根本的に変わってきます。

シットアップスイープを掛ける際の体の起こし方も、過去に「腹筋が1回も出来ない会員さん」に教えた時の失敗を教訓とし、いきなり体を起こして手を後方に着くのではなく、横を向きながら起き上がっていく今のインストラクション技法に切り替えました。

このように、私は自分の経験則で得たコツを、何十年間もスタンダードとされてきた技法よりも、時として優先させています。セルフディフェンスとしての柔術を白帯時代に学んで以降、競技柔術家としての私はほぼ独学でここまで来ましたので、自分の直感には従うことにしています。

直感と言っても第六感的なものではなく、経験則とは切り離せないものだと考えています。

例えば、送り襟絞めを掛ける際の手首の使い方についても、手首を手前に返す、奥に返す、斜め前方に曲げる、瓶の蓋を開けるように捻る等々、伝えられているあらゆる方法を18年間試して来ましたが、実際に私が最も有効であると考える方法は1種類ですので、それのみを教え続けています。

なぜその1種類になったのか。理由はしごくシンプルです。それは実際にスパーリングや試合において相手を絞め続けて、最もナチュラルだと実感した手首の形がそれだったからです。

私は実践を繰り返すことによって得られた実感を最も大切にしています。その実感が経験則となり、また新たな直感をもたらします。

こういったものは、自分で流した汗以外、他のものからは到底得られるものではありません。修行期における気の遠くなるほどのスパーリング量によってのみ、得られるものだと思います。

http://tfikebukuro.blogspot.jp/2014/12/b_8.html

2014年12月8日月曜日
B柔術教則本コラム 番外編(4) 復活の呪文

こんにちは、早川です。

「ブラジリアン教則本」を実際にご覧になられた皆様から、英語名称のカタカナ表記の羅列に面喰らったというご意見をたくさん頂戴いたしました。

確かに私も今でこそ慣れてしまいましたが、頭をまっさらにして改めて目次ページを見てみると、何かの暗号が書き記してあるかのように思います。復活のじゅもんのようです。

TF五反田代表のトオルさんからも、原案を見せた時に「分かりにくいと感じました」という指摘を受けました。私ももちろんそう思っていました。しかしこれに関しては、グローバルネーミングという私のコンセプトに基づいてこのまま先行して参ります。

私も業界は長いので、どういったものがスタンダードになっていくのかは熟知しているつもりです。道場の設備、大会のフォーマット、道衣のブーム、柔術の技法、帯叩き等の慣習、業界用語に至るまで。最近の分かりやすい例では「コンバッチ」ですかね。

コンバッチを最初に聞いた時の抵抗感は私ですら半端なかったです(笑)。しかし私がまさにそれを連盟の責任者として普及させていく立場でしたので、そのように努めました。定着までは意外と速かったです。

名称に関して「この方向で行こう」と思えたきっかけの一つに、実は芝本とのトレーニングセッションの存在がありました。ウェイトトレーニングの種目は、全て英語名称のカタカナ表記であり、それをトレーナー側も、アスリート側も、熟知していることが普通であることを知りました。細かいグリップの作り方にもちゃんとした名称があり、誰でも当たり前のように知っています。驚きました。

トレーニング業界は、海外で主流になりつつある新しいメソッドも、素早く導入される土壌があると感じます。抵抗なく受け入れたり、取り入れたりする文化があるなと感じました。トレーナーの知識のアップデートも盛んですし、その為の各種セミナーや交流等の機会がたくさんあります。

トレーニング自体が欧米発信の文化なので、英語名称がそのまま輸入されたのでしょう。よって海外の情報を素早くキャッチし、メソッドをアップデートさせる環境が、トレーニング業界にはすでに備わっていたということです。

ブラジリアン柔術に関しては、やはりオリジナルが日本であるという事実があり、柔道の技術名称が公式に存在していますので、ブラジリアン柔術の技術であっても、柔道にそれと類似している技術があれば、抵抗なくそれらの名称が使われています。

ただし適当な名称が見当たらない場合、または名称自体がキャッチーな響きであった場合は、ポル語や英語をそのまま受け入れていますね。たとえばベリンボロ。ベンリボロをあえて「回転式尻裏頭入れ背後奪取方」と呼んだりする人はいないでしょう。

ようするに、線引きをどこにするか、機軸をどこに持っていくかという話になると思います。そしてその線引きに沿って一貫性を持つことが大事なのではないかと思います。

(ちなみにXガードやトップからのベリンボロも、文部省後援制作・ビデオ『高専柔道』をご覧になった事がある方であれば、その原型はすでに日本にあった事はご存じでしょう)

最後に余談ですが、骨法の堀辺師範が、流派の技術体系を全て日本語で表現しようとしていた試みは圧巻でした。まだ私は格闘技を始める前でしたが、格闘技通信などを読んで師範の試みを読み取り、個人的に興味深く思っていました。言ってみれば私と逆の発想でしょうか。

たとえば腕絡み。私の記憶が正しければ、師範はキムラを「腕ひねり腕絡み」、アメリカーナを「腕返し腕絡み」と呼んでいました。確かに技のイメージが湧くネーミングです。柔道ではここまでの分類はおそらくされていないと思いますので、独自の試みといえるでしょう。

師範は、マウントポジションは馬乗り、バックマウントは亀乗りと最後まで呼んでおられたと思います。ニーオンベリーは確か「横馬」と呼ばれていました。ものすごい徹底ぶりです。

横馬に関しては、もはや馬は関係ないのでは?と思ったり、馬目線なのか何なのか考えてしまいました。ということでありまして、堀辺師範には、まさにベリンボロに「回転式尻裏頭入れ背後奪取方」と名付けるかのごとく一貫性を感じました。

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関西の柔術合同練習会 定期的に行われるという事です 誰でも参加可能だということですよ 皆さん







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柔術プリースト 164

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折角欧米人を処刑したのに非公開で、しかも目隠しなし。 使用したサバイバルナイフは首の直径より小さい代物で血もほとんど飛び散らない。無理に無理を重ねたハリウッド製の擬装映像である。 人間死ぬ時は結構忙しいので、この斬首写真のように行儀良く出来ない。 余裕がまったく無いので目や口を閉じ忘れるのですよ。目を大きく見開いていて、口をあけているので、実物はこの写真よりも恐ろしげに見える。 これはテレビドラなどの殺人描写と同じで簡単すぎるし、一番胡散臭いのは死ぬ人が礼儀正しすぎる(行儀が良すぎる)ことなのですが、基本的にインチキ映像ですよ。欧米による欧米のための欧米のテロなのです。 (46年前のアポロ11号と同じで、この映像の人物が実際に殺されているかどうかはまったく不明だが、画像自体がニセモノであることは疑いない) 今回の日本人人質事件(殺害予告)では流石に、マスコミも映像の作為に気が付いたが、中東ではなくて欧米の最新技術による編集が行われている。













http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/b4b7413017790d9cc63926fe5805ca40


飛んで火にいる冬の安倍
2015年01月22日 | 政治

『AFPの配信動画では、大写しのイスラエル国旗をバックに演説していた安倍首相』

日本政府ですが、殺害が予告されている日本人の命を本気で救う気があるのだろうかと疑う驚くべき映像である。
飛んで火にいる夏の虫と言うか。カモがネギを背負ってナベに飛んできたというか。日本の安倍晋三首相ですが、イスラエルとAFP(フランス通信社)に、まんまと嵌められているのです。

人質解放を訴える安倍首相の会見を正面から見ると、日の丸とイスラエルの国旗が並んでる構図なのですが、気のせいか何故か(演壇の配置で)日本の日の丸より、ダビデの星のイスラエル国旗側に安倍晋三が片寄って立っている。
一般市民の無知は本人だけの恥程度で済む。しかし安倍晋三首相(政府外務省)の無知は国家・国民を危うくする許されない犯罪行為である。
イスラエルと日本の友好表明の場なら両国の国旗の並立も頷けるが、イスラム過激派による日本人人質の命の危険が迫っている場面では、余りにも不適当で危険極まりない行為で、あいた口が塞がらない、世界の16億人のイスラム教徒を敵に回す心算なのだろうか。
過酷な情報宣伝戦の世界では何気ない小さなミスが致命傷にもなるが、相手はすかさず日本政府の今回のお粗末な手落ちをついてくる。
正面から見ても多少問題なのだが、側面からならもっと問題に見える。
フランスの通信社(AFP)が世界中に配信した動画映像では右側にある日の丸がまったく映っていない。
大きなイスラエル国旗の前で日本国首相の安倍晋三が喋っているように見える、なんとも作為的な映像を世界に配信していたのである。

『アングルが違うと、まったく別の景色が見えてくる』

なんと、AFPの配信した動画映像では、日本国の安倍晋三首相は大写しのイスラエル国旗のダビデの星をバックにしてテロを批判する演説していたのである。(偽造とまではいえないが、限りなく偽造に近い恣意的なインチキ映像であり、悪質な『印象操作』の類)
AFPはテレビカメラを正面ではなくて、あらかじめ安倍首相とイスラエル国旗が一直線になるように右側に配置していた。(演壇の配置は日本側では無くて、現地のイスラエル側が行ったと思われる)
表現の自由(風刺の自由)を標榜して、イスラム教の預言者ムハンマドを笑いものにしていたシャルリ・エブド社はテロ後の風刺画の再発行では、イスラム教徒相手にアラビア語やトルコ語でも出版しているのですが、イスラム教徒の怒りの火に油を注いでいるのです。
考えうる最悪の時期に、以前の予定していた通りにイスラエルを訪問して、パレスチナ人大虐殺の張本人であるネタニエフ首相と会談してイスラエルと日本の友好関係をアピールするなど、稚拙で下品で幼稚なシャルリ・エブド社と同じ穴のムジナと思われても仕方が無い。
安倍晋三(日本政府)はイスラエルが『何をしたか』を知らないのであろうか。
国家のトップの無知無能は74年前の東条英機でもフクシマのメルトダウン事故の5年前の安倍晋三でも同じで、必然的に最悪の結果を否応無く招き寄せるのである。

『戦争犯罪を繰り返すイスラエルの極右政権』

『田中龍作ジャーナル』8月1日記事(浴室の壁には血のりがべっとりと付き、夥しい数の弾痕があった。筆者が撮影できたのは、先の3遺体の搬出を待ってからだった。=1日午前11時頃 )
【ガザ発】村人たちは浴室に押し込められ射殺された 虐殺のフザー村

イスラエル軍が国連が運営している学校を短期間に6回も砲爆撃してハレスチナの避難民を大虐殺したことは、何しろ場所が国連施設なのでマスコミが報道した。
ところが、ガザ市南東部のイスラエルに近いフザー村(人口7000人)で起きたハレスチナ人の虐殺は大手マスコミは一切報じない。恐ろしい真実を取材しているのは田中龍作ジャーナルの様な組織に属さないフリーランスの一部のジャーナリストだけなのです。

イスラエルを『戦争犯罪』で訴追するのが目的で、パレスチナ(ハマス)は国際刑事裁判所(ICC、オランダ・ハーグ)のローマ条約に署名したがアメリカやイスラエルは何としても阻止する算段である。
長年にわたってイスラム教の預言者ムハンマドを笑いものにしていた稚拙で下品で幼稚なシャルリ・エブド社への、いわゆる『テロ』ですが、イスラム過激派が風刺画の阻止を目的にしたかの様に報道されているが、時期的に見るとこのテロ事件はパレスチナ自治政府のIOC加盟の進行状態と一致する。
政治的見ればパレスチナの加盟による国際刑事裁判所(ICC、オランダ・ハーグ)のイスラエルの訴追阻止が目的の『猫だまし』である可能性の方がはるかに高い。
イスラム教過激派だと思われているISIS(イスラム国)やアルカイダですが、本物のイスラム教徒であるならメインになる筈の対イスラエルテロが一切無い不思議。基本的に何かの擬装なのです。

『待ち望まれていたテロ事件』欧米による欧米人(一神教徒)のための欧米のテロ

今回発生した日本人二人の殺害予告のインターネット動画ですが、以前の投稿動画では、この『逝きし世の面影』ブログを含め今までに多くの疑問点が出されていたが、マスコミも、やっと真相の一端に辿り着いたようです。
投稿動画の撮影には2台から3台のカメラを使っていて、高度な編集技術を駆使したものであり現地の中東ではなくて欧米の最新技術が使われた『偽造映像』なのです。
アメリカは中東とか北アフリカで対テロ戦争を行っているが、ことごとく失敗していて、解決するどころか紛争をどんどん拡大させているのですが、大失敗の対テロ戦争と同じことを中南米では10年以上速く対麻薬戦争を始めていて、同じように大失敗して解決するどころか益々収拾不能の泥沼に陥っているのですから不思議である。
アメリカの対テロ戦争の結果中東や北アフリカの各国がボロボロになる。ところが、同じことが対テロ戦争でも当て嵌まり、中南米のメキシコとかコロンビアがボロボロになる。
ほとんど同じことをアメリカは長年繰り返しているのですが、CIAがテロや麻薬に手を出しているのは公然の秘密であり、対テロ戦争でも対麻薬戦争でも同じで泥棒と警官が同じ人物なのです。
火付けと消防が『同じ』なのですから、アメリカが積極的に介入すればするほど、収拾するどころか余計に悪くなるのは当然だったのである。

『何かを大きく報道するとは、別の何かをマスコミが報道しない最善の方法』

アメリカが故意に失敗したインチキ臭い対テロ戦争と、同じように失敗した対麻薬戦争の二つの擬似戦争ですが、何れもたぶん主役は米軍では無くてCIAなどの諜報機関なのです。
アメリカでは軍経験のまったく無いCIA長官が軍トップの国防長官に連続してなる椿事が起きていたが、逆の中東軍司令官で対テロ戦争の実質的最高司令官だったベトレイアスCIA長官が愛人に機密情報を漏らしたとの大スキャンダルが発覚して失脚するが、余りにもCIAがらみらしい胡散臭い謀略話なのである。
今回の日本人2名の人質事件ですが、欧米人による欧米人のための欧米のテロというか、CIAによるCIAのためのCIAの擬装テロの可能性が非常に高い。
イスラム過激派を名乗っているが、何で見せしめとして、欧米人や日本人を標的にして肝心のユダヤ人は標的にしないのですか。
基本的にインチキの猫ダマシか間違った結論に誘導する赤いニシンですね。イスラム国の正体ですが基本行動が丸々建国当時のサウジアラビアそのものなのです。
サウジと言動が少しの違いも無いISiS(イスラム国)ですが、一番の不思議はその豊富な資金源の出所である。
しかし『イスラム国=サウジアラビアの外人部隊』だと仮定すれば、不思議な『数々の謎』はすべて簡単に解明する。
ISIS(イスラム国)のスポンサーはサウジアラビアであり、アメリカやイスラエルの諜報機関の支援で動いている傭兵組織なのである。
サウジが金を出しアメリカやイスラエルが支援した『外人部隊』なので、反アラブ主義のシリアのアサド政権とかシーア派主導でイランに近いイラク政府を積極的にISIS(イスラム国)が攻撃するのは当然だったのである。
逆に今のオバマ政権がイスラエルのガザ侵攻後に、唐突に今までの方針を180度変更してイスラム国への空爆に切り替えた方が不思議である。(前年にはISISを応援する目的で、ケリー国務長官はシリアを空爆すると張り切っていた)
今回の唐突な日本人人質事件のネット公開ですが、実際に撮影されたのは大分前ですよ。(今は真冬で現地は可也寒い)
何故この時期に公開されたかの謎ですが、イスラエルがらみの何かの不都合を隠したいのです。
イスラエル軍がシリアのゴラン高原で、越境空爆でヒズボラの幹部とかイラン革命防衛隊幹部12人を殺害したことが発覚したが、このニュースを出来る限り小さくしたかったのかも知れません。

『サウジアラビアとイスラエル欧米諜報機関の二人三脚による擬装映像』

テレビ撮影用のピンマイク付きの欧米人の斬首映像ですが、イスラム過激派テロリストから至近距離から銃撃され、何発も命中しているのに、決して死なない不死身のノーベル平和賞のパキスタン少女マララと同じで、現地の実情を何も知らない純真な(疑うことを知らない)欧米人仕様で、欧米人によって作られているプロパガンダ映像なのである。
そもそも『見せしめ』目的の斬首なのですから公開処刑で無いと話にもならない。
サウジアラビヤ(ISISイスラム国)の行う本物の斬首刑では、インターネットで配信された非公開(被害者と加害者の2人だけ)では無くて、大勢の一般市民の見物客が周りを取り囲んでいる。
サウジアラビアとかイスラム国(ISIS)の支配地域では斬首は唯一の一般庶民の娯楽であり公開処刑後に遺体や首は、広場などに晒されるのが普通なのです。
宣伝用ビデオなのですから、ISIS(イスラム国)が非公開で撮影する必要性がまったく無い。(非公開で撮影されている時点で、『別の目的』のための偽造であることが判る)

折角欧米人を処刑したのに非公開で、しかも目隠しなし。
使用したサバイバルナイフは首の直径より小さい代物で血もほとんど飛び散らない。無理に無理を重ねたハリウッド製の擬装映像である。

人間死ぬ時は結構忙しいので、この斬首写真のように行儀良く出来ない。
余裕がまったく無いので目や口を閉じ忘れるのですよ。目を大きく見開いていて、口をあけているので、実物はこの写真よりも恐ろしげに見える。
これはテレビドラなどの殺人描写と同じで簡単すぎるし、一番胡散臭いのは死ぬ人が礼儀正しすぎる(行儀が良すぎる)ことなのですが、基本的にインチキ映像ですよ。欧米による欧米のための欧米のテロなのです。
(46年前のアポロ11号と同じで、この映像の人物が実際に殺されているかどうかはまったく不明だが、画像自体がニセモノであることは疑いない)
今回の日本人人質事件(殺害予告)では流石に、マスコミも映像の作為に気が付いたが、中東ではなくて欧米の最新技術による編集が行われている。
首切りは、フランスでの1980年代の死刑廃止までギロチンですよ。サウジアラビアは今でも公開での首切りなのです。斬首自体は少しも珍しくない。
今のイスラム国(ISIS)ですが、ミニサウジアラビアなのですが、首切りには必ず目隠しが絶対条件であり、この写真のように『無し』だと、首切り時に処刑される人がどうしても動くので上手く処刑出来ないのです。使用したサバイバルナイフですが、あれは幾ら何でも駄目でしょう。刃渡りが首回りよりも短いので、動画のようには切断出来ない。昔の日本でも今のサウジアラビアでも首切りは長刀を用います。
何故毎回毎回ビデオ声明を読み上げる人物(イギリス人のラッパー)が現地では考えられないほど小さなナイフを振りまわして演説しているかの謎ですが、今後自分が欧米で殺人罪で訴追された時に、映像が擬装であり『冤罪である』と主張するために、わざと『本物ではない』ことを証拠として残しているのでしょう。
事前に、保険をかけているのです。

日本人でも欧米人でも先進国では何れも事情が同じで、昔は人の死や誕生は普通の家庭で家族に見守られながら営まれていたのですが、今では生まれるのも死ぬのも病院で専門家が受け持ち、汚い部分を見なくても済む。
本物の死を知らないのは子供達だけでなく大人もが例外ではない。大部分の人は本物の人の死を知らないのです。目の前で人が死ぬ現場に立ち会っていない。
だから光市事件で『殺せ』『殺せ』の大合唱が不真面目な橋下徹を筆頭にネットウョの子供達がはやしたてるのでしょうが、世界中が頭が空っぽで目が節穴のネットウョ状態で有るとでも勘違いしたのか、インチキ臭い処刑映像をインターネットで流されるの現状ですが本当に腹がたつ。間死ぬ時は忙しい

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殺害期限をカウントダウンして茶化すフジ産経グループ
2015年01月23日 | 社会

『腐敗堕落の極み』もう日本は終わっている
殺害期限”をカウント? フジ「めざましテレビ」に非難の声
21日朝のフジテレビ系情報番組「めざましテレビ」には目を疑った。番組が始まってすぐ、画面の左上にテロップで「対策室設置から約14時間30分」と表示されていたのだ。2時間35分の番組の間、イスラム国関連のニュースを報じるタイミングで、30分、1時間刻みに経過時間をずっと表示していた。

「イスラム国」のビデオ声明を受けて20日午後3時、首相官邸の危機管理センターに官邸対策室が設置された。イスラム国が「72時間以内」の身代金支払いを要求しているため、起点を“勝手に”対策室設置時刻に置いて経過時間をカウントしているのだ。米大ヒットドラマの「24」じゃあるまいし、悪ふざけが過ぎやしないか。

「人の命が“見える”ような報じ方です。お祭り騒ぎしていると受け取れます。後藤さん、湯川さんの親族や知人が見たらどう感じるか配慮に欠けていますね。02年9月の日朝首脳会談に関する報道を思い出します。拉致被害者リストの顔写真や氏名の横に『生存』『死亡』『不明』などと色を変えて表記したり、生存者に『赤丸』を張り付けて選挙番組のようでした。当時も酷い報道だと感じましたが、今回のフジの“ノリ”も同じ。人命がかかっているということを理解しているのでしょうか」(立大教授・服部孝章氏=メディア論)
時間表示についてフジテレビは「カウントダウンというような意図はなく、参考情報として、放送時点での、政府対策室設置からの経過時間を表示したものです」(広報部)とコメントしたが、「いったい何の参考だ」とツッコみたくなる。
ちなみに22日朝の番組では経過時間のテロップ表示はやめていた。“参考情報”はどうしたんだ――。
「めざましテレビ」については、フランスの風刺画新聞社の襲撃事件の報道で、番組スタッフが偶像崇拝がタブーの在日イスラム教徒に「ムハンマドの戯画」を見せて感想を聞き、ネット上で批判されてもいる。
テロップも戯画もバラエティー感覚の“演出”なのだろうが、ヒドすぎる。
日刊ゲンダイ 1月22日(木)15時21分配信


『アルジャジーラが、日本のTwitterで起きている「#ISISクソコラグランプリ」を報じる』

中東の主要メディアで世界的な影響力がある衛星テレビ『アルジャジーラ』が21日、ISIS(イスラム国)が、湯川遥菜氏と後藤健二氏の日本人2名を人質にとって200億円以上の身代金を要求している事件に便乗して日本のTwitterで起きている『#ISISクソコラグランプリ』を報じている。
日本人2名の生命の危機(殺害予告)に対し、ISIS(イスラム国)の画像を面白おかしく加工してツイッターで発表すると言う、不謹慎極まるものだが、 処刑の時間をカウントダウンしたマスコミ(産経新聞の系列のフジテレビ)よりも2万倍は健全に見える。
ISIS(イスラム国)の日本人人質動画を嘲笑している日本の『#ISISクソコラグランプリ』ですが、少なくともイスラム教の予言者ムハンマドを正面から笑い飛ばして『風刺画だ』『表現の自由が有る』と開き直ったフランスの不愉快なシャルリ・エブド社の主張よりもはるかに健全である。
21日のアルジャジーラはTwitterから『不快であり、人質の生命に対して脅威を及ぼしている』とともに、『テロにユーモアで対向することはできる』という賛否双方の意見を紹介している。


ひざまずく号泣兵庫県議と和製ベートーベンの河内の守、危険物を振り回すSTAP小保方晴子博士の日本の三馬鹿名物(日本国のマスコミが作り上げた赤っ恥トリオ)

ISIS(イスラム国)が作成した余りに露骨な編集作業の人質映像に爆笑する北朝鮮の金正日と取り巻きの軍人グループ

トルコ風の焼き肉料理ドネルケバブの店員をしているISIS(イスラム国)テロリストの創作(ニセモノ)画像だが、本物の日本人脅迫人質ビデオ映像よりも余程違和感が無く見られるから不思議だ。

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シャルリ・エブド社襲撃事件に抗議し、パリで数カ国の政治家らが追悼行進に参加した写真は捏造されたものだった。ドイツ経済ニュース(Deutsche Wirtschafts Nachrichten, DWN)が報じた。政治家らが行進する姿を捉えた一枚は全世界を駆け巡った。パリでは11日、100万人を越える市民が行進に加わり、テロ事件での犠牲者への連帯を示した。ニュースに踊った文句は、その行進の先頭列には欧州の首脳らがし、追悼行進で市民と政治家らが一体感を示したというものだった。ところが、実際はこの写真は作られたものであった事が発覚した。











http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/fbc2323975ae8a41c59a176e9941013b

美しい虚像と醜い実像 「真実」を報道しないマスコミ

2015年01月20日 | 政治






パリのテロ犠牲者哀悼行進、政治家の行進姿は捏造

『写真のアングルが違うと、まったく別の景色が見えてくる』




シャルリ・エブド社襲撃事件に抗議し、パリで数カ国の政治家らが追悼行進に参加した写真は捏造されたものだった。ドイツ経済ニュース(Deutsche Wirtschafts Nachrichten, DWN)が報じた。
政治家らが行進する姿を捉えた一枚は全世界を駆け巡った。パリでは11日、100万人を越える市民が行進に加わり、テロ事件での犠牲者への連帯を示した。ニュースに踊った文句は、その行進の先頭列には欧州の首脳らがし、追悼行進で市民と政治家らが一体感を示したというものだった。
ところが、実際はこの写真は作られたものであった事が発覚した。
政治家らは行進の先頭を歩かず、レオン・ブリュム広場へと続く封鎖された横丁を歩いており、政治家の後に続いていたのは「人民」ではなく、治安維持機関の職員らだった。
政治家らの小さな団体の後ろは空白だった。DWNによれば、ル・モンド紙は撮影が行われたのは地下鉄のVoltaire駅付近だと確証づけた。
1月 14 , ロシアの声 ・ The Voice of Russia(Japanese)


『北朝鮮も真っ青の偽造写真』

ニホン国のマスコミですが折角美味しい素材が目の前に転がっているのに横並びの『自主規制』で1行も書かないとは情けない。
通常の政治的なこれ等のデモでは10万人程度の規模となる。ところが、今回の風刺画でパリだけでも100万人以上が集まり抗議デモをして、その先頭にドイツのメルケルやウクライナのポロシェンコなど欧州各国の首脳がスクラムを組んで行進したかに見える『報道写真』ですが、真っ赤な嘘。
北朝鮮も真っ青の偽造写真なのです。
実は一般市民のデモとは別に、欧州首脳だけが治安要員に守られて、コッソリとデモ?をして写真だけ写してお茶を濁していたことをドイツの経済紙が報じたとロシアが暴露する。(150万人のデモでは無くて、たった150人のデモだった)
今回の連帯デモですが、ロシアのプーチンは呼ばれていない。
ついでに言うとアメリカのオバマ政権も誰も高官を派遣していない。日本の安倍晋三はゴルフで暇を潰していた。
米露日以外でも、もちろん主要なイスラム国は全員が不参加である。
『世界の首脳が参加した』どころか、米ロの両国が(ついでに日本も)参加しなかったが、パレスチナ人を大虐殺したイスラエルの極右政党の何人もの閣僚や首相が参加しているのですから、何をかいわんや。
欧州が不磨の大典だという報道の自由だの人権だの民主主義だの、全てがまやかし(擬装)なのです。



すべてのマスコミが自主規制して隠したデモ行進でのインチキ写真といえば、何と言っても日本国内では報道されなかった2012年のロンドンオリンピックでの日本選手団の強制退場場面であろう。(開会式を見ていたロンドン在住の日本人がネットに投稿して大問題になり、仕方なく後日共同通信が報じている)
我が日本国はアジア・アフリカの弱小国では無くてオリンピックには毎回数百人規模の大選手団を派遣しているのだが、 ロンドン大会開会式に現れたのは10分の1以下の少人数だった。



橋本聖子団長など日本側選手団役員やJOCは日本選手団が強制排除されることを事前に知っていたので競技日程の関係で開会式に残りたくない(参加したくない)選手だけを選抜して開会式場に送り込んでいた。
オリンピックの聖火の点火など晴れがましい開会式典から日本選手団だけを強制的に締め出すことは日本側だけでは無く、世界のマスコミも事前に熟知していたのである。
日本のマスコミは入場行進の最初の場面だけを写して屈辱的な日本選手団の途中退場を報じなかったが、海外のマスコミではもっと酷くて最初から 日本だけを抜いて報じていた。
日本選手団は選手293名、役員225名、合計518名で、最大規模だった北京大会に次いで史上2番目に大きい選手団だったが、入場行進はアルファベット順でウサイン・ボルトが旗手を務めた94番目のジャマイカ(Jamaica)の次は95番目の日本(Japan)を丸ごと抜いて放送せず、直ぐ後ろの96番目のヨルダン(Jordan)へと映像をつなげている。

『デモ当日の時事通信の記事では』
【パリ時事】フランス連続テロ事件の犠牲者を悼むため仏各地で実施された大行進について、 仏内務省は11日、全国の参加者の合計が少なくとも370万人に達したとの推計を発表した。
仏メディアは、第2次世界大戦中の1944年の「パリ解放」時を超える「前例のない規模」だと報じている。行進は同日夜に終了し、目立った混乱はなかった。
このうちパリの行進に加わったのは160万人超とみられ、98年にパリのシャンゼリゼ通りに集まってサッカー・ワールドカップ(W杯)のフランス優勝を祝った150万人の記録を上回った。
パリ解放の際には4年にわたったナチス・ドイツの占領が終了し、全国で多くの国民が集会などを開いて自由を祝った。
正確な人数は定かではないが、フランスでは史上最大の人出の象徴と位置付けられている。
大行進にはキャメロン英首相やドイツのメルケル首相ら欧州主要国を中心とする40人超の各国首脳も参加。
参加者は事件の犠牲者の遺族に先導され、市中心部レピュブリック広場から東部ナシオン広場までの約3キロを練り歩いた。 
1月12日 時事通信

普通に読めばキャメロン英首相やドイツのメルケル首相が3キロの150万人の大デモ行進の先頭を歩いたと誤解する、間違いに誘導するインチキ報道である。
大槻義彦はデモの翌日の1月13日 『フランスでの大規模デモ、単なる『表現の自由』運動か?!』と題して批判している。
『予言者ムハンマド』の風刺画を載せた、フランスの週刊誌に対する攻撃は世界(とくに欧米)の批判の的になっている。当のパリ では何と150万人の抗議デモが続いている。どんな大きな政治デモでも10万人程度であるからフランスの抗議デモの大規模さが分かる。
それと同時にこのデモの大規模さによって『宗教戦争、宗教間憎悪』の凄さが分かる。今回のようなケースは仏教国との間には起こりえないことのようにも見える。
キリスト教、イスラム教では、争う相手の宗教に対して『やられたらやり返せ』『敵対する相手を殺せ』『殺してころして殺しまくれ』と教えているではないか。このことは実は仏教でさえも同じ教えの経典があるのだ。
とくに『神、仏を冒涜したものには死を』という教えがある。まさにこの度のイスラムの攻撃はこれにのっとったものである。『イスラム教は野蛮で品がない』とメディアは伝えるがそれならキリスト教はどうだ?!
アメリカでは1952年、最高裁判所が『’’神聖を汚がす’’ことを禁じるすべて法律を違憲とする』という判決をくだした。つまりアメリカではキリスト教の教祖などの神聖を汚しても罪に問われないことになった。逆に言えばアメリカでは1952年までキリスト教の神聖を汚した者は処罰されたのだ。
たとえばイギリスでは1697年キリストをペテン師と呼んだ学生が絞首刑になった。日本でも仏教がかった新興宗教、オーム真理教の教祖を批判した評論家、弁護士などが襲撃された。
フランスでの150万人の超大規模デモは単なる『言論の自由のため』と考えるべきではない。これは他宗教、とりわけイスラムへの報復の意味合いがあることを忘れてはなるまい。欧米世論が『イスラムは野蛮で品がない』というなら『宗教は皆、似たり寄ったり』と付け加えるべきである。
2015-01-13(大槻義彦の叫び)
信者以外に迷惑な我が日本国の一神教もどきのインチキ靖国神社(国家神道)とか創価学会の存在は不愉快だが、本物の一神教は紛い物の靖国神社や創価学会よりも、もっと桁違いに不愉快なのです。

『稚拙で下品で幼稚(私はシャルリ・エブドではない)』

アメリカのニューヨーク・タイムスのコラムニスト、デービッド・ブロックスは『私はシャルリ・エブドではない』とのコラムで『われわれのほとんどは、同紙が得意としていた「意図的に他者の感情を害する」類のユーモア使っていない』と批判する。
また風刺画家は『シャルリ・エブドの掲載した風刺画は、稚拙で下品で幼稚である』と明確に指摘している。
イスラムの最高権威であるエジプト・カイロのアズハル(Al-Azhar)は13日、仏風刺週刊紙シャルリー・エブドの風刺画について『憎悪をかき立てるだけ』、『平和的共生に資するものではなく、イスラム教徒が欧州や西側社会に溶け込むのを妨げる』と非難するだけでは無くて、ローマ教皇のフランシスコも、『言論の自由は他者を侮辱する権利ではない』とシャルリ・エブドの風刺画を批判しているのです。
それにしても日本の明仁天皇にもいえるが、古き良き権威と伝統の守護者(保守)が『左翼に見える』のですから何とも困ったことです。

ローマ法王とか今上天皇などの本来『保守の中の保守』(古き良き権威と伝統の権化)が左翼扱いされるなど、本来あってはならない椿事で、これは社会全体にとって、可也危険な兆候です。
シャルリ・エブド風刺週刊紙は預言者モハメッドの新たな風刺画を発行しているが、フランスなどキリスト教社会では間違いなくイスラム教徒は少数派(弱者)である。
絶対的な権力とか権威を笑い飛ばすなら『風刺』になるし、社会的にも値打ちが有る。

ところが、『内容が同じ』ように見えても、逆の圧倒的な弱者を強者が笑うのは風刺とは呼ばない。
これは日本の在特会のヘイトスピーチと同種の愚かで下品で幼稚な行為ですよ。『表現の自由』とは言うがシャルリ・エブドはユダヤを扱った風刺画の類は即座に不掲載処置をとっている。


欧州諸国ですが第二次世界大戦のホロコースト懐疑論やユダヤ(イスラエル人)批判は法律で厳格に禁止(懲役5年)しているのに、ダブルスタンダードの極みで旧植民地だったイスラム批判は無制限で、『言論の自由』を錦の御旗にして擁護するようでは、当然今回の様な騒動は起きてしまうでしょう。

『わざわざエルサレムでネタニエフと会談する安倍晋三の浅知恵』

1月19日、中東を訪問中の安倍晋三首相はテルアビブではなく、エルサレムでイスラエル首相と会談し経済や防衛での相互協力や資金援助を申し出て大歓迎されている。(今回安倍晋三が中東にばら撒く財政支援は総額2900億円もの膨大な額)
イスラエルが首都だと主張するエルサレム(占領地)ではなく、世界各国がテルアビブに在外公館を設けている理由を安倍晋三は理解出来ないのである。
安倍首相が、フランスで起きたテロ事件を強く非難したのに対し、ネタニヤフ首相も『テロが世界中に広がるのを食い止めなければならない』と応じたというが、イスラエルとは時代錯誤の欧米列強の最後の植民地主義の残滓であるだけでは無く、旧約聖書によって建国された禍々しい政教一致の神聖宗教国家で有る事実を無視しているのである。

安倍晋三はアメリカ(イスラエル)の機嫌だけを気にしているが、欧米キリスト教社会の理不尽な攻撃でどれだけイスラム世界が傷ついているか(民族差別や宗教差別)との考察がゼロなので、自分が何をしているのかの自覚が無い。

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エリジウム

http://putlocker.is/watch-elysium-online-free-putlocker.html

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=84532

極端な格差社会、そして健康格差~エリジウム









 監督は、地球に暮らすエイリアン難民と人類の対立を描いた2009年のデビュー作「第9地区」で、米アカデミー賞4部門にノミネートされたニール・ブロムカンプ。出演はマット・デイモン、ジョディ・フォスター。そして、どんな病気でもあっという間に治す機械まで登場する――。こうなると、この欄で取り上げないわけにはいきません。

 「エリジウム」(2013年/米国、9月20日全国公開)。エリジウム(elysium)は、英語で極楽とか理想郷、楽園という意味。SFエンターテインメントですが、社会的なメッセージもしっかり込められています。ストーリーを試写会資料などからまとめると――。


 21世紀末から地球は環境汚染と人口増加で荒廃し、一握りの富裕層は、地表から400キロ上空にあるスペースコロニー(宇宙に建造された人工の居住地)「エリジウム」に移り住んだ。しかし、地球に遺のこされた人々は、手を伸ばせば届きそうなのに決してたどり着けないエリジウムを見上げながら、汚染や貧困のなかで生きるしかすべがなかった。

 2154年、ロサンゼルスのスラムに暮らすマックス(マット・デイモン)は、ロボット製造工場でまじめに働いていたが、ある日現場で大きな事故に遭い、余命5日間の宣告を受けた。エリジウムには、どんな病気や傷でもあっという間に完治することができる医療ポッドがある。しかし、防衛長官デラコート(ジョディ・フォスター)は地球からの移民を禁じ、密入国者は容赦なく排除する。それでもマックスはエリジウム行きを決意、コンピューター付きのマシンと体を結合させ、命の危険にさらされながらエリジウムへ向かう――。






宇宙に浮かぶエリジウム


 エリジウムの設定は、幅3キロ、直径60キロのドーナツ状のスペースコロニー。ドーナツはスポークで結ばれ、回転して重力を作ります。このタイプのスペースコロニーは、1970年代にスタンフォード大学で提案され、「スタンフォード・トーラス型」と呼ばれるそうです。

 地球は荒廃し、ほこりっぽく、高層ビルはボロボロ。色彩をひと言で言うと「茶色」です。一方、宇宙に浮かぶこの巨大なドーナツにカメラが近づくと、植物やきれいなビル、水面などが鮮やかに目に飛び込んでくる。このあたりの映像が対照的でおもしろい。





エリジウムの内部。豊かな自然と建造物は今の地球と変わらない


 そして、エリジウムの各家庭(?)にある医療ポッドがすごい!昨年9月、このブログで映画「プロメテウス」を紹介した時、「全自動手術台」について「すごすぎる!」と書きましたが、これはそれどころじゃありません。

 医療ポッドに横たわってパネルをチョチョイと操作すれば、がんはすぐに治すわ、壊れた体の組織もあっと言う間に元通りにするわで、もう、ドラえもんもびっくりの夢の機械。医師は完全に失業しそうです。おまけに、何と「若さ」さえも持続できるらしい。ちなみにデザインは、イタリアのファッションブランドのヴェルサーチだそうな。





ヴェルサーチがデザインした医療ポッドのコンセプトアート


 さて、この映画で医療ポッドは、地球とエリジウムとの「格差」を象徴する極端な一例に過ぎません。でも、経済的に富む人たちが良い医療を受けて健康を維持する一方で、貧しい人たちが満足な医療を受けられずに健康を害してしまうという「健康格差」は、すでに現在の私たちの社会に存在する事実なのです。

 お笑いコンビ「ハリセンボン」の近藤春菜さんがやる「マイケル・ムーアじゃねえよ!」のギャグでおなじみ、マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画「シッコ」(2007年/米国)では、医療費が支払えず病院に行けないために傷口を自分で縫う人や、指を事故で2本切断して高額な中指の縫合手術はあきらめざるを得なかった人、入院したのに治療費を支払えないために病院から車で連れ出されて路上に捨てられた人などを取り上げ、米国の医療制度を鋭く批判しています。

 国民皆保険制度がしっかりしている日本では、さすがにこうした極端なケースはほとんどありません。でも、経済的な格差が健康の差につながることをうかがわせる調査は国内でも少なくないのです。

 日本福祉大教授の近藤克則さんの著書「健康格差社会」は、収入や学歴、社会的地位の差の拡大が健康状態に悪影響を与えると警鐘を鳴らしています。調査によると、貧しく低学歴の高齢者ほど要介護状態やうつ、不眠、骨折につながる転倒の回数が多く、生活保護を受けている高齢者は、所得が200万円以上の人に比べ、死亡率が男性で3・1倍、女性は2・2倍高かったそうです。

 今年8月24日の本紙夕刊社会面(東京本社版)に掲載された岩永直子記者の記事では、国立社会保障・人口問題研究所の部長の調査で、所得の低い家庭の子どもは入院する割合が高く、病気からの回復力も落ちるなど、所得による健康格差があることが分かった、と書いています。

 これら日本の「経済格差による健康格差」は、医療制度の問題というよりも、食生活や住環境の悪さで病気になりやすいこと、自己管理に必要な知識や病院に連れて行く時間的な余裕がないことなど、複合的な原因が推測されています。こうした格差の解消に向けて、国は総合的な貧困対策を行わなくてはなりません。

 さて、エリジウムに乗り込んだマックスは、あるミッションを遂行すべく、壮絶な戦いに挑みます。ラスト、私は予想以上に感動しました。欲を言えば、児童養護施設で育ち、つらく厳しい生活を送ってきたマックスの「状況」だけでなく、「感情」がもっと詳細に描かれていれば、ラストできっと私は涙を流したでしょう。マット・デイモンは好きな俳優なんですけどね。




「エリジウム」
9月20日(金)から、新宿ピカデリー他全国ロードショー
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント

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8万人の大英帝国柔道連盟が国内の柔術連盟(BJJ)と友好関係に! 村社会のフランス柔道連盟 国際柔道連盟とは真逆の自他共栄の精神!


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国連が日本政府の消極的態度に失望していること、ヘイト言論がやがて実際の殺人に繋がる事例が歴史的に多くあること、週刊誌等が多用する「反日」「売国」等の恫喝的言葉とも通底していること、ヘイト言論を叫ぶ者が言う「特権の享受」には根拠が無いこと等を、論理的・多面的に紹介していた。



http://sun.ap.teacup.com/souun/16367.html

「ヘイトスピーチ「今のNHK」でこれを作った国谷裕子さんとスタッフに敬意を表したい:山崎 雅弘氏」  憲法・軍備・安全保障
https://twitter.com/mas__yamazaki

昨晩のNHK『クローズアップ現代』、ヘイトスピーチについて取り上げていたが、ジャーナリズムの仕事として濃い内容だったと思う。

「死ね」「自殺しろ」「大虐殺やりましょう」等、どれほど酷い言葉を路上で叫んでいるか、叫ぶ者の顔も加工せず映し「これが今の日本の現実だ」と視聴者に伝えていた。

国連が日本政府の消極的態度に失望していること、ヘイト言論がやがて実際の殺人に繋がる事例が歴史的に多くあること、週刊誌等が多用する「反日」「売国」等の恫喝的言葉とも通底していること、ヘイト言論を叫ぶ者が言う「特権の享受」には根拠が無いこと等を、論理的・多面的に紹介していた。

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週刊誌以外の「ヘイト本」への言及が無いこと、ヘイト団体と現首相や現警察トップの関係に触れていないこと等、まだ「踏み込む余地」はあると思うが、予備知識の無い視聴者の問題意識を喚起する有益な番組だったと思う。

「今のNHK」でこれを作った国谷裕子さんとスタッフに敬意を表したい。

> 【NHK総合】2015年1月13日放送◆クローズアップ現代「ヘイトスピーチを問う~戦後70年 いま何が~」: http://youtu.be/Pvud79sP42M @YouTubeさんから 見逃した方は、是非、ご視聴を♪



曽我豪編集委員「政治記者として、最高権力者である総理大臣がどういう思いで政治をしているのかを確かめる取材機会を大事にしたいと考えています」(朝日)http://bit.ly/1IutPxY

「費用は、安倍首相の分も含めてマスコミ側がすべて負担し、割り勘にしています」

朝日は自社編集委員が首相と頻繁に会食する理由について「首相の思いを確かめるため」と弁明しているが、ジャーナリズムの責任放棄としか思えない。

権力を監視する立場の人間が、監視対象と頻繁に会食して「仲良くなり」「監視対象の思いを確かめ」心情的に共感すれば、厳しい監視ができるはずもない。

国家の秩序維持と指導者の側から見た政治思想の宣伝を最優先事項とする社会主義国の宣伝機関とは違う、民主主義国のジャーナリズムは、監視対象の「思い」などの主観的要素は一切無視して突き放し、実質的に「どんな政治が行われているか」「誰を利する政治か」を国民に知らせるのが仕事じゃないのか。

首相が大手メディアと会食しながら、心の内にある「思い」を全部正直に話してくれていると朝日新聞社が理解しているなら、お目出たいと思う。

首相がそこで口にするのは「自分が大手メディアにどのように認識されたいか」という政治的意図に基づいて取捨選択した情報だけで、本当の気持ちなど喋らない。

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旧日本軍の捕虜となった米国人を描いた映画「アンブロークン」の日本での公開が禁止 ネトウヨが支配する国ニッポン

http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/51390-

アンジェリーナ・ジョリー監督の映画「アンブロークン」の日本公開が禁止

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アンジェリーナ・ジョリー監督の映画「アンブロークン」の日本公開が禁止




アンジェリーナ・ジョリー監督による、旧日本軍の捕虜となった米国人を描いた映画「アンブロークン」の日本での公開が禁止されました。



この映画は、アメリカで昨年12月25日から公開され、4730万ドルの興行収入を挙げていますが、日本では公開が見送りとなる見込みです。
アメリカの大手映画会社・ユニバーサルピクチャーズが制作した、この映画の日本公開は、日本の配給会社・東宝東和が請け負うことになっていましたが、東宝東和は今回の日本公開中止の理由については発表していません。
インターネットによる日本の独立系右翼は、様々なブログやサイト上で、大々的にこの映画への反対を示しています。
この映画は、第二次世界大戦中に日本軍の捕虜となり虐待を受けた元五輪選手で、アメリカ軍のパイロットだった、ルイス・ザンペリーニ氏の生涯を描いた映画です。
外国の配給元企業はおそらく、日本における映画館でのこの映画の公開権や家庭用映画としての販売権を買い取ることになると思われますが、これまでに日本国内でこの映画の公開に名乗りを上げた企業はありません。
これ以前にも、複数の映画が日本の右翼の怒りを煽り、日本での公開に際して問題に直面しています。
例えば、2009年に公開されたアメリカのドキュメンタリー映画「The Cove」(ザ・コーヴ、入り江の意)は、和歌山県で行われているイルカの追い込み漁について描いていますが、これは日本の右翼の大規模な抗議を招きました。
日本の映画作家の想田和弘氏も、『上映禁止が懸念されるドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」を論じる』という討論会を行っており、日本国民から批判され、左翼、韓国と中国の諜報員として非難されています。
こうした過激な反応により、日本では映画産業における自己検閲という現象が生じています。

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柔術プリースト 163

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柔術プリースト 162

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数年前に日本の賞味期限切れ食品のラベルを張り替えた食品擬装が相次いで大問題になっていたが、今ではもっと病状が悪化して政府やマスコミ、総がかりで賞味期限切れの腐った安倍自民党や創価学会を日本人に無理やり押し付けているのである。 (本体が腐敗しているのでヘイトスピーチの在特会などの色々な汚いウジムシが大量に発生するのは当然だった)

http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/50eee708051d642ba7fb02d6afbb6c6f

創価学会ばかりのNHK大河ドラマに大ブーイング
2015年01月17日 | 宗教

『風向きが変わってきた』日本国のタブー創価学会に吹く逆風?

史上最低の視聴率だった2年前のNHK大河ドラマ『平清盛』を抜きそうなのが、2015年から始まった『花燃ゆ』の不評である。
産経新聞や安倍晋三などの常軌を逸した朝日バッシングに便乗してヘイト記事を連載していた体制べったりの右翼週間紙である週刊新潮が、主演女優井上真央(28)が破壊的カルト宗教創価学会の熱心な信者であることをすっぱ抜くが、自公両党の見苦しい内輪もめの可能性も有る。

嵐・松本潤&井上真央の交際に“宗教”の壁が浮上か - DMMニュース

『ジャニーズの滝沢秀明(32)、俳優の松山ケンイチ(29)、そして日本アカデミー主演女優賞の井上真央(28)。彼らにはNHK大河ドラマの主役を務めたという以外に“ある共通点”が存在する。その共通点とは、創価学会の会員であるということだ。
1月2日に開かれた創価学会の新年執行会の席上において、役員から、「大河主役の井上さんは生粋の学会っ子で、少年少女部会には欠かさず参加していた」という発言が飛び出し、学会員たちを喜ばせたのだという。
真偽を問うため、同誌記者が井上の母親を直撃すると信仰を認め、聖教新聞を購読していることも認めたという。
このタイミングで井上が創価学員であることを明らかにしたのはなぜか。

同誌は、井上が大河ドラマの主役になったことは大いに関係があるとして、「今年は4月に統一地方選があるため、選挙で戦う会員たちの士気を高めるとともに、彼女の名前を出すことで票集めや勧誘の枕に使おうと考えている」というジャーナリスト・乙骨正生氏のコメントを掲載している。

本人がカミングアウトしたわけでもないのに、選挙の道具に利用される形の井上は気の毒だが、やはり気になるのは、恋人である嵐・松本潤(31)との行く末。
創価学会といえば、異なる宗教を認めていないことで知られる。松本も学会員であれば話は早いだろうが、仮に違った場合、結婚へのハードルは上がるのではないだろうか。
「両親が活動家の2・3世の場合、結婚と同時に入会を迫られるのは必至で、入会してくれないなら結婚できないと言われるケースは多い。両親が未活動の場合であれば、説得できないこともない」(創価学会員)と、両親が熱心な学会員かそうではないかでかなり違ってくるという。
ただ井上自身も「『朝晩の勤行』とされる『唱題』と言われる儀式を1日2時間行なっているという話があります」(同・会員)というから、やはり「生粋」の熱心な活動家といえそうだ。
今まではファンも“お似合いカップル”と温かい目で見守ってきた松潤&井上カップル。これをきっかけに世間の風当たりが強くなるという事態にならなければいいのだが。』
2015.01.15 11:50 DMMニュース

『最終回を待たずに史上最低の視聴率記録を樹立したNHK大河ドラマ平清盛』

2012年12月23日の最終回の放送を待つまでもなく、史上最低の平均視聴率という不名誉な記録を作ってしまった2年前のNHK大河『平清盛』の大失敗。出だしで史上初の一桁視聴率を記録したりドラマの主要な舞台となる兵庫県知事から『画面が汚い』とクレームがつく脚本や演出の失敗が大きいという意見はあるものの、史上最低の低視聴率の主因は主演した松山ケンイチ(29歳)の配役ミス。
チンピラ時代の軽い清盛なら何とか我慢できたが、回を追うごとに沈む太陽さえ扇で招き返したという大人物中の大人物『平清盛』とのイメージギャップが際立ってきた。
そもそも松山ケンイチは1年間も続くNHK大河ドラマの主役を張れる役者では無かったのである。
(威厳も貫禄も無い軽薄な松山ケンイチでは、最初から平清盛役が無理筋であり『このままでは失敗する』程度は誰にでも判るのに、NHKでは『二年毎に主役を創価学会にする』との裏の取り決めでもあるのだろうか)
「マイナーすぎる」「恋愛ドラマかと」・・・ NHK大河「花燃ゆ」さらに視聴率ダウン
NHKの新しい大河ドラマ「花燃ゆ」は、初回の視聴率が歴代ワースト3となって話題を呼んだ。2回目は、さらに視聴率が下がっており、今や1ケタ台もささやかれるほどだというのだ。
「花燃ゆ」については、発表当時から疑問や心配の声が数多く上がっていた。主人公が、明治維新の精神的指導者だった吉田松陰ではなく、その妹の文(ふみ)という一般には馴染みのない人物だったからだ。
『16.7%、13.4%と下がり、1ケタ台も噂に』
NHKでは、そうしたネックを解消したいと考えたのか、「幕末男子の育て方」といったキャッチフレーズで番宣を大量に流し、ドラマでは「イケメン俳優」も数多く起用した。
ところが、ふたを開けてみると、2015年1月4日の初回の視聴率は16.7%と、過去15年間においても最低に落ち込んだ。これは、54回を数える大河ドラマ史上で、「春日局」(1989年)の14.3%、「花神」(1977年)の16.5%に次ぐワースト記録でもある。
さらに、11日放送の第2話では、女優の井上真央さん(28)がヒロインの妹役として顔を見せたものの、番組の視聴率は、3.3ポイント落として13.4%にまで下がった。
平均視聴率で過去ワースト1の12.0%を記録した12年の「平清盛」でさえ、初回から1か月は17%台をキープしている。しかし、今回の「花燃ゆ」は、それも上回れないレベルでのスタートとなってしまった。
「花燃ゆ」について、ネット上では、「ドラマとしてはよくできてた」などと評価する向きもあったが、その内容について手厳しい声は多い。
「題材があまりにもマイナーすぎる・・・」「恋愛ドラマかと思った」「普通に吉田松陰主人公にすればええやん」
安倍晋三首相の地元・山口県が舞台になっているため、NHKがその意向に合う女性主人公にした結果なのでは、といううがった見方もあった。

『「NHKとして1つの冒険」と評価も出る』
今回の「花燃ゆ」は、大河ドラマとしてはどうなのだろうか。
放送評論家の松尾羊一さんは、忠臣蔵や信長・秀吉といったテーマでないと視聴率を上げるのは難しいといい、今回の「花燃ゆ」は、今後1ケタの視聴率に落ち込む可能性もあるとみる。
ただ、今や若い人はNHK大河を見ず、放送の積み重ねによる固定ファンが見る人の約半分を占めるだろうとして、その内容によらず視聴率が10%台半ばぐらいになってもおかしくはないという。
吉田松陰の妹を主人公にしたことについては、「NHKとしては1つの冒険をしており、僕はわりに期待しています」と明かした。女性主人公としては、平均視聴率が24.5%にまで達した2008年の「篤姫」のケースも松尾さんは挙げた。
『妹が明治の偉人たちとどう接したのか、そして、松陰がどういう教育観で偉人たちを育てたのか、人間関係のドラマから浮き彫りになることにファンは興味を持つと思います。確かに、NHKも言うようなホームドラマ的な要素はありますが、その中で、伊藤博文や高杉晋作といった見どころとなる人物も出てくるのではないでしょうか』
1月18日放送の次回第3話では、妹の文と後に夫となる幕末の志士、久坂玄瑞との出会いが描かれる。初回の視聴率がワースト1の「春日局」は、平均視聴率で歴代ベスト3となる32.4%の記録を残しており、「花燃ゆ」が今度どうなるか注目されそうだ。
2015年1月15日 19時27分 J-CASTニュース

『失敗が最初から約束された不思議な展開に、』

大河ドラマ『花燃ゆ』(主演井上真央)について1月15日発売の週間新潮を皮切りに続々と批判記事とか暴露記事がマスコミに掲載されだしたのは異様である。
これでは今後心機一転『人気が出る』ことは金輪際無いと予想される。
大河ドラマ『花燃ゆ』は破壊的カルト宗教の創価学会と極右国粋主義者の安倍晋三の護摩すり(地元山口県の村おこし)だったことは関係者なら誰でも知っているが、今までは日本のタブーであり大手マスコミは内緒にしていたのである。
それまで知名度が低かったが成功した2008年放送の『篤姫』は宮尾登美子と言う大作家のしっかりした原作が存在していたことが大きい。もちろん主役(宮崎あおい)の人選も大事であるがそもそも篤姫は薩摩藩から徳川13代将軍家定の正室になった歴史上の人物である。
知名度なし、史実なし、原作なしの『ないない尽くし』の今回のNHK大河ドラマ『花燃ゆ』とは大違い。
『NHKとしては一つの冒険』とでもしないと辻褄がまったく合わないが、そもそも『冒険』とは『危険を冒す』との意味ですよ。(アドリブ厳禁で古典落語でさえ何回もリハーサルを繰り返すNHKにとっては最も不似合いな言葉である)
今回の様な最初から破滅が見えているホームドラマ風の『NHKとしては一つの冒険』大河ドラマという摩訶不思議で支離滅裂。あまりにも不気味すぎるのである。

『無責任な破壊的カルト宗教にしても酷すぎる』同じ内容なのに、反対から賛成に突然転ぶ

東京からの指示で橋下徹の『維新の会』に賛成した大阪の公明党議員の露骨過ぎる裏切りには呆れ果てる。
その場その場での思いつきの無責任な口先男橋下徹の今までの主張とは、そもそも道州制であるが大阪府知事時代に自分の言いなりにならない大阪市の平松市長と対立したことから、唐突に大阪市を解体して府と合体する『大阪都』構想を言い出した。
思いどうりにならない玩具を壊す我侭で不真面目な子供の発想であり、大阪市の解体では新しく区議会とか公選区長の選出など問題が山積みなのですが、疑問質問には一切答えず強引に推進を主張するが、2014年末の総選挙では大きく後退している。(大阪は12議席から4議席に激減)
今までの大阪の公明党議員は大阪都の協定書に反対していた。直近の議会で否決された同じものを今年になったら『維新の会は総選挙で大阪では得票数では第一党だったから』とのこじ付けで、賛成に転じて住民投票を実現することになるが2012年末の総選挙ではもっと断トツで第一党だったが反対している。
東京から言われて反対から賛成にコペルニクス的に180度引っくり返った公明党であるが『破壊的カルト宗教だから』といってしまってはお終いだが、余りにも無責任で恥知らずにもほどがある。

『賞味期限切れで腐りだし悪臭を放つ橋下維新と、最初から中まで腐っている創価学会(公明党)』

三百代言の橋下徹は大阪都を『おおさかと』と音読みと訓読みをごちゃ混ぜにして喋っているが、聞かされるほうは何とも気持ちが悪い。本来は音か訓かどちらか一方に揃えるべきである。
『大阪都の正しい読み方』であるが、日本から数千キロ離れた『ミクロネシアの小さな島、ヤップより』では、雅に『おおさかのみやこ』にするか、勇ましく『だいはんと』と呼ぶべきであると提案している。(日本国内では見えないことでも、案外外からなら明瞭に間違いが分かる場合が有るから面白い)
大阪人は新し物好きでお笑い好きなので、横山ノックの様な破廉恥漢でも一時的には拍手喝采で大人気を博するが、ノーパン喫茶と同じで冷めるのも早い。橋下徹(維新の会)の賞味期限も切れてしまったのである。
『賞味期限切れ』といえば、2012年12月16日の総選挙で野田民主党から政権を禅定された安倍晋三と自民党であろう。
2年が経過して最早誰が見ても賞味期限切れなのだが唐突に2014年12月14日に総選挙を行い『ラベルを新しく張り替えた』と主張しているが腐臭が凄まじい。
数年前に日本の賞味期限切れ食品のラベルを張り替えた食品擬装が相次いで大問題になっていたが、今ではもっと病状が悪化して政府やマスコミ、総がかりで賞味期限切れの腐った安倍自民党や創価学会を日本人に無理やり押し付けているのである。
(本体が腐敗しているのでヘイトスピーチの在特会などの色々な汚いウジムシが大量に発生するのは当然だった)

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まさに「ヒトラーの手法」であって、常識のある人が鼻白みシニシズムに陥る間隙をぬって、ありもしないことを論い、頭の弱いややもすれば世間から疎外された人々を「熱狂」させるのにちょうどよい手段が「歪んだ愛国心」と人種差別であろう。

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http://blog.livedoor.jp/shunzo480707/archives/4810393.html



「不寛容な社会」を作る張本人・安倍晋三


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社会全体が閉じてきている。

このような内向きの思想の増長は社会に認めてもらいたい願望が現実と著しくかい離したとき歴史的もたびたび起こっている。古くは関東大震災時の朝鮮人大虐殺、新しくは「ヘイト」ではないけれど暴走族にもその類型を見ることがある。

もちろん

「反知性」こそがウリの今の権力が格差をより先鋭化させ、下層の下にさらなる「バーチャルな下層」を設定し己の「不遇感」を上や外に向かわせるのでなく、下へ下へと向かわせるように意識的にしていると考えられるのだ。アメリカでのプアーホワイトこそがKKKの源流であることからもそれはよくわかる。

これこそが、

まさに「ヒトラーの手法」であって、常識のある人が鼻白みシニシズムに陥る間隙をぬって、ありもしないことを論い、頭の弱いややもすれば世間から疎外された人々を「熱狂」させるのにちょうどよい手段が「歪んだ愛国心」と人種差別であろう。

このことは

彼らが「表現の自由」を隠れ蓑にし、あとまで政治的言論であるとの「表面上の装い」をまとうだけで、警察の動きが途端に鈍くなってしまう現状を散見するだけも明らかであって、そもそも警察組織が政治や権力の「真の意図」を受けやすい「後進国」においてこれらの「意図的な」ヘイトスピーチに迅速な取締りが遂行されず放置されるような事態も起きる傾向にあると思われてならない。

ゆえに、

これは一握りの粗野な人間の暴走のように思わせて「実は」権力に雇用された「狗」の疑いも払拭できない。だからいかにも政府と距離を置くような巧みな「演出」も疑わざるを得ないのだ。こうした日本の現状に国連人権委員会は人種差別を禁止する法律にヘイトスピーチを加えるよう日本に求めている。

ところが

日本では裁判所も動き始めているけれど、あくまで「建前」に終始し、腰が引けているのである。なぜならば日本は「人権」を高々と掲げるたとえば最高法規たる憲法より日米安保を事実上「上位」に於いてきた「非法治国家」(砂川判決によれば)だからであるといえよう。

それゆえに

少なくとも、反米主義で日本の帝国主義の過去を郷愁する「一水会」の創設者鈴木邦男さん自体が朝鮮人差別を否定しており、これほど大きな排外感情は見たことがないと憂慮しているのだ。

おなじく新右翼団体「統一戦線義勇軍」のもと関東若頭であった山口祐二郎さんも弱いものがさらに弱いものを叩くことに、

「~ヘイトクライムをしている側も生きづらさを抱えている。仕事につけない不器用な人もいる。人生がうまくいかないのを全部外国人のせいにしている。傷ついてひねくれて、そんな解釈に至ったんでしょうけど~」

                                                     、、、と嘆いている。

社会に疎外され匿名で「危なくない」犯罪に走るものが多い。食品に爪楊枝をいれたりするような人間も「とりあえず」大丈夫だという妙な安心感の上で自分をアピールしているものが多いのだ。

どうせアピールしたいのなら

山口組総本家に一人で乗り込むとか、国会に玄関から堂々突入するとかすればいいのに、それは「絶対」しない。「強いものには逆らわない」というのが彼らの鉄則なんだろう。静かな住宅街とかおとなしい商店街でわめき散らすことをネットに上げて「自慢」している。つまり自分が卑怯であることを自ら自慢している「オツムがよくない」連中であるのが実態なんだろう。

しかし

問題はその「彼ら」こそが権力がひそかに期待し婉曲的に援助している「かもしられない」と疑える「望ましい」人間なのかもしれないと疑ってしまう。安倍晋三の「ネトウヨ」ぶりが顕著で「ありすぎる」からである。

たとえば

アメリカへの無償の愛(予算)は増やすけれど、対米従属の自分たちだけの「不文律」に逆らったら予算を削るというような子供のいじめを平気で実行する(翁長氏への扱いを見よ!)「反知性」内閣を根っこから支えてくれるのは最下層の「にせ愛国者」であると安倍晋三が考えているとしか思えない。

http://blog.livedoor.jp/shunzo480707/archives/4807949.html

ふらんすへ行きたしと思へども


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パリとパリ近郊で連続して起きた二つの事件は一義的には約9万の国家の「軍事力」総動員ような大騒ぎでようやく制圧された。それを見て僕はふとゴルゴ13が「一人軍隊」であることをおもいだしたりした。

それはともかく

バスティーユ近くの新聞社を7日に襲撃した2容疑者は最終的にシャルル・ドゴール国際空港の北約10キロにある印刷工場に立てこもったが、当局の強行突入によって2人は殺害された。 一方、9日昼にはパリ東端のバンセンヌにあるユダヤ系のケバブ店(日本人がいうシシカバブっぽい食材?)に男が侵入して立てこもったけれど、こちらも、印刷工場とほぼ同時刻に当局が突入し、容疑者を殺害した。

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ところで、

この広い公園のあるバンセンヌといえばメロト一番線で(ポルトというぐらいだから)パリ市街地の端っこにあり、僕のかっての歩行徘徊範囲であってリヨン駅からも遠くない。

下町で猥雑ではあるがあらゆる人種と文明が入交り、パリ市内に「しては」物価が安くいかにも巴里でマロニエの街路樹が続く街である。(あった)

そこいらが、

事件の現場になったことは、報道の自由とかテロ反対とバカみたいに繰り返す糞マスコミの関心とは「まったく別に」個人的に残念で悲しい。まさに人種のるつぼのなかでぼろぼろの格好のおばさんも高そうな金ぴか紳士も渾然としてすり減った石畳を歩き、何の違和感もなく「存在」していた、、、「あの」街はどうなっていくのだろう。

これにより、

この事件の真相は本質的にはなにも解決しておらず、ますます「文明の衝突」は深刻な闇と混迷に陥っていくことになる。そして結果的に各国のレイシストやネオナチ、つまりはヘイトクライムをするような人間共を勢いづかせることになっていくことであろう。

つまり、

いままで何となく「共存」してきた貧乏な下流同志が、さらにその下流を求めて相争うという先進国の病が蔓延し、さぞ、表面的に遺憾の意を顕しているだけの支配層や一部の富裕層が腹の中でほくそ笑んで行く羽目になるのだろう。金持ちの安全を神経質に守るため官憲やガードマンにつねに監視されている戒厳令下を思わせる街、、、乞食もギャングもビジネスマンもジャーナリストも関係なくデクスプレスを飲んでいたあの風景はもう失われることだろう。

「正義」だと己だけ信じてやまない過激な行動こそが彼らに「真の敵」を見失わさせ、皮肉にも異論、マイノリティーへの弾圧を助長させてしまうのである。残念だ。

あの、けだるい、厳格なようで、いい加減な「かなり」不潔な、、、しかしとっても蠱惑的な「街の灯」は。やはり、モジリアニあたりで終わっていたのだろうか。

ということは、

こういうことがおきると、欧米列強の長年にわたる侵略も人権弾圧も差別も「正当化され」田母神やルペン的な超右翼の台頭を許すことになっていく歴史の必然が繰り返されるのが危惧される。


~いずこも同じ秋の夕暮~フランスも日本もアメリカも、、、、世界中に(デンマークでさえ)異人種排斥運動がたかまっているという。いすれ日本でもヘイトクライムのバカたれどもが、わが意を得たりと威張り散らすことだろう。

さらに

残念なことに、総理大臣ですら正月の自分のスコアを「国家機密」であると冗談を飛ばせるほどおごり高ぶっていることである。安倍晋三と桜井某との違いが分からない、、、というより知能の程度も含めて「まったく」同じではないかと思えるほどだ。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

遠いパリで起きた事件はいろんなことも思い出させ少し頭が混乱してきた。


「ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し

せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。

汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて

われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ

うら若草のもえいづる心まかせに」。

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『日本の水道水は世界から見れば高級ミネラルウオーター並の水準(品質と安全基準)だった』 とても飲めたもんじゃない海外の水道水 アメリカ並みに衛生状態の悪い日本のマクドナルドの実態

http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/f93f3f42fd12ceff9347cdcb01b33d6b

TPP(アメリカ基準)を先取りした?世界企業マクドナルドの異物混入事件

2015年01月14日 | 経済





モスクワ・マクドナルド営業停止 (閉店したマクドナルドのモスクワ一号店の写真を撮る市民)




『ソ連崩壊前後、大行列を作った1号店も』 ニュースを先取りしていた5ヶ月前の産経新聞の記事

ロシア政府は20日、ファストフード大手マクドナルドのモスクワ市内4店舗で衛生上の違法行為があったとして営業停止を命じた。
監督当局は国内438店舗の一斉検査の可能性を示唆するとともに、21日に中部スベルドロフスク州やタタルスタン共和国でも立ち入り検査を開始。米露がウクライナ危機に端を発した制裁合戦を繰り広げる中、識者は「この命令は見方の偏った政治的な決定に基づく」と指摘、ロシア政府がマクドナルドを狙い撃ちした可能性がある。
営業停止を受けた1店舗は1990年に米企業として初めて開業した1号店。モスクワ中心部プーシキン広場に位置し、開業当初はハンバーガー求めて市民らが大行列を作り、ソ連崩壊前後の名物にもなった。現在も1日約1万2000人が訪問し、高収益をあげていたという。
(2014.8.21)


『アメリカ文化としてのマクドナルドのハンバーガー』


人間の歯まで見つかったマクドナルドの異物混入の酷さと多さは呆れ返るが何ともアメリカらしいのである。

これが日本企業ならとっくの昔に全店舗を自粛休業しているだろうし、保健所の立ち入り検査が行われて矢張り強制的に閉店に追い込まれている。

何故日本国内のマクドナルドが平常のとおりに営業し続けているかが不思議であるが、TPPを先取りして日本の規則や商習慣を無視してアメリカ基準で商売しているとすれば分かり易い。

一足速く世界企業のマクドナルドが日本国内の衛生規準では無くて、本国のアメリカ食品医薬局(FDA)の基準でハンバーガーを売っているのである。


『食品混入率、ウジムシなら何匹までならOKなのか、』アメリカ食品医薬品局(FDA)が認めている安全な基準値とは

マカロニならネズミの毛が225gあたり、4.4本までならOK

缶詰のマッシュルームなら100gあたりウジムシが19匹までならOK

香辛料(タイム)なら昆虫の破片(体の一部、糞、排泄物)が10g当たり325個までならOK

レーズン(干しぶどう)ならショウジョウバエの卵が10オンス(283g)あたり34個までならOK
チョコレートケーキなら 昆虫の破片が100gあたり59個までならOK

ピーナツバターなら砂や土が100g当たり、25mgまでならOK

トマトソースなら蝿の幼虫(ウジムシ)や卵が100gあたり14匹までならOK

リンゴを使った加工食品ならカビが11%までならOK

小麦粉ならネズミの毛が50gあたり1本までならOK




『水道水を何の心配も無く、生のまま飲めるのは日本国だから』 外国でミネラルウオーターが売れる理由とは

米、ギズモードが伝えたところによると、アメリカ、ニューヨークの水道水には、たくさんの目に見えないサイズの小さいエビがウヨウヨ。
このニュースが報じられるやアメリカのネットでは『水と一緒にエビも食べられるなんてお得だな』とか、『ベジタリアンは水も飲めないじゃないか』とか大いに盛り上がっているという。
エビに見える微生物は、カイアシ類の一種(ケンミジンコ)で大きさは0.5ミリ以下。調査ではニューヨークの水道水にはカイアシ類が200種類近くもいる。ニューヨーク市の水道水はアメリカ環境保護庁の審査に合格しているが、機械的ろ過作業をしていないので、池や湖、貯水池に生息する微生物が混入する。
日本人では濾過無しの上水道水など常識では考えられない異常事態である。
アメリカ的な価値観では、水道水に混入されている微生物は完全に無害であり飲んでもOK。 動物プランクトンのカイアシ類は食物連鎖では重要な生き物でむしろ、これらの微生物がまるでいない環境の方が心配だとする見方も有る。

『日本の水道水は世界から見れば高級ミネラルウオーター並の水準(品質と安全基準)だった』

大阪市水道局が浄水技術と水道水の安全性をPRするために売り出した水道水を500mlのペットボトルに詰めただけの『ほんまや』(価格100円)が2011年に国際的な食品の品評会モンドセレクション第50回ワールドセレクションで金賞を受賞している。
ところが、翌2012年平松市長を追い落とした維新の橋下徹が千五百万円の赤字を理由に生産中止を決断。『ほんまや』は東日本大震災に救援物資として無料で送られていたので赤字は当然だったのである。
口先男の橋下が市長就任直後『もうかってもいないのに売る必要はない。民業圧迫だ』と中止したが2014年には水道民営化を進める目的で再度販売を画策する。その場その場の不真面目な思いつきで振り回される大阪市民が一番迷惑している。
(他にも、橋下は泉北ニュータウンの唯一の足である泉北高速鉄道を畑違いのハゲタカ外資のヘッジファンドに売却すると決定して、地元選出の維新の会議員の造反で党が分裂して、以後は過半数を割り小数与党に転落するが自業自得のお粗末過ぎる悪行である)

『5秒ルールの正しさを証明してイグ・ノーベル賞に輝いたアメリカ人女子高生 』

ジリアン・クラークは食べ物を床や地面に落としてしまっても『5秒以内なら拾って食べても大丈夫』という、世界的に有名な都市伝説『5秒ルール』の実験を行って、条件次第では十分に成り立つことを証明し、見事イグ・ノーベル賞を受賞している。
『床に落ちて、食べても良い時間』は世界基準では『5秒間』であるが、高温多湿で病原菌が繁殖しやすい我が日本国は『3秒間』と60%なのである。
5秒ルールではなくて国内基準では『三秒ルール』として知られているが、グローバルスタンダードだから良い(ローカルルールだから駄目)と言うものでは無い。
日本人なら蝿入りのお茶は絶対に飲まないが、イギリス人の場合にはお茶の中に飛び込んだ蝿を助け出して飲み干す。ロシア人は少しも気にせず蝿ごとお茶を飲み干すと言う。(ただし、この話は対ソ干渉戦争での私の父親が目撃した一世紀近く前のシベリアでの出来事)
清潔好きな日本人なら常識の食器の『水洗い』も実は日本独自の風習であり、欧州一清潔だと思われているイギリスやドイツなどは家庭でも一流レストランでも食器洗剤をすすがない。『水洗い』の一工程が省略されるので指で確かめると食器が微妙にネットリしている。
欧州では日本人ボランティアが食器洗剤を水洗いして、感謝されるどころか逆に『水の無駄遣いである』と苦情を言われる。
日本人的には到底耐えられないが、歴史や文化、宗教が異なる欧米基準では食器を洗った後の、僅かの食器洗剤の残りなど『些細な問題』として誰も気にしないのである。

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古代オリンピックの格闘技の実態 キリスト教によって滅亡に追い込まれた古代オリンピック

http://masaki-knz.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-8af6.html

私の世界・面白い話のネタ―『驚異の古代オリンピック』

ネットのナショナルジオグラフィック・ニュースからです。

『驚異の古代オリンピック』の著者トニー・ペロテット氏の話ですが、古代と現代のオリンピックの違いが余りにも面白いので、少し長いのですが全文載せておきます。

特に、「古代オリンピックと聞くとセンチメンタルになりがちです。しかし、紳士的な振る舞いや騎士道といったロマンティックなイメージのほとんどは、19世紀ビクトリア朝の学者の創作です。古代ギリシャの人々は極度の個人主義でした。選手は何より自分のために戦い、都市国家は二の次でした。2位という概念もありません。互いの健闘をたたえ握手したり、紳士的に背中をたたくなど、ビクトリア朝時代に創作された理想は事実ではなく、敗者は裏道を通ってそそくさと帰宅し、母親にも口をきいてもらえないほどでした。競技会の1カ月前には、近くの都市エーリス(Elis)への集合が義務づけられていました。これが選手村の起源です。過酷なトレーニングが待っており、基準に達していない者は振るい落とされました」などというのは、私的には「古代ギリシャの方が好み!」と思ってしまうのです。ただし、決して参加選手としてではありません。見る側としての話です。

少し柔道に縁があるので、格闘競技(特にパンクラチオン)は好きなのです。「哲学者プラトンは大のレスリング好き」は何かうれしい気がします。

古代パンクラチオン

打撃技と組技(グラップリング)を組み合わせた古代ギリシアの格闘技で、試合の勝敗は相手がギブアップすることで決せられた。競技者は腕を上げることでギブアップしたことを示すことができたが、多くの場合ギブアップは一方の競技者の死亡を意味した。ルールは“目潰しと噛み付きの禁止”の2つのみで、肋骨や指、首などを折る行為も許されていた。(=ウィキペディア)

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『古代オリンピックの驚くべき姿(1)・(2)

まるでスポーツだけでは不十分とでもいうように、古代オリンピックは“異教的な娯楽の詰め合わせ”だったという。今年のロンドン五輪にも劣らない印象的な開会式に続いて行われたのは、“古代のウッドストック・フェスティバル”だった。公衆衛生の欠如、売春のまん延、骨折、動物の生贄、ドーピングなどの疑問について、『驚異の古代オリンピック』(原題:The Naked Olympics: The True Story of the Ancient Games)の著者トニー・ペロテット(Tony Perrottet)氏に解説してもらった。

◆オリンピック競技会は紀元前776年から紀元394年まで、4年に1度開催されていました。定期的なイベントとしては古代で最も長続きしましたが、その理由は何でしょう?

壮大なショーだったからです。スポーツは心を奪うような祭典の一部にすぎませんでした。古代世界で最も神聖な場所で開催された、最初にして最高の宗教行事だったのです。伝統的で神聖な雰囲気に包まれていました。現代のオリンピックも大規模なイベントですが、宗教的な要素はありません。当時はスポーツと同じくらい、生贄や儀式に時間が費やされました。

◆現代の競技会は競争、友情、文化という高貴な理想を掲げています。昔も同様の理想があったのですか?

古代オリンピックと聞くとセンチメンタルになりがちです。しかし、紳士的な振る舞いや騎士道といったロマンティックなイメージのほとんどは、19世紀ビクトリア朝の学者の創作です。おそらく当時の競技会の理想で最も印象的なのは、期間中の停戦でしょう。観客や選手が安全に会場までたどり着けるよう配慮した聖なる停戦です。ただし、古代ギリシャ人はすべての戦争を止めようとするほど理想家ではありませんでした。ギリシャ外に起因する戦争は続けられていました。つまり、競技会の運営が妨げられることを嫌ったのです。

◆古代オリンピックの起源は?

時間のかなたに消え去ってしまいました。神話的な理由はいくつもあったようですが、確かな起源を知る者はいません。本質は最高神ゼウスにささげる祭典競技で、ギリシャではいくつものスポーツ大会が催されていましたが、ゼウスの神聖さのおかげで特にあがめられるようになったのです。

◆開会式の内容は?

現代と同じくらい壮大でした。選手は整列して神殿に入り、雷をも操るゼウスの像の前で宣誓を行います。血が滴るイノシシ肉がささげられており、選手たちはルールの遵守と不正の防止を誓います。

◆選手はどのような準備をしましたか?

競技会の1カ月前には、近くの都市エーリス(Elis)への集合が義務づけられていました。これが選手村の起源です。過酷なトレーニングが待っており、基準に達していない者は振るい落とされました。

◆選手は特別な食事をとっていたのですか?

現代と同様、理にかなっているとは思えない食事もありました。しかし、伝統的な食事は非常にシンプルで、オリーブ、パン、フェタチーズ(ヤギや羊の乳から作られるチーズ)に適量の肉というメニューです。定められた方法で食べるトカゲの肉など、運動能力を向上させる強壮剤も多数出回っていました。

◆なぜ選手は裸だったのですか?

真相はわかりません。あるランナーの腰布が外れ、つまずいたことをきっかけに、すべての選手が身に着けるのをやめたという説もあります。古代ギリシャの文化を語る上で、裸体を欠かすことはできません。裸は人々の自己顕示欲や虚栄心に訴えました。しかし、ペルシャやエジプトなど他の文化から見ると、ギリシャの男たちが互いの体に油を塗り、泥の中でのたうち回る姿はとても奇妙な光景であり、性的倒錯の原因であると考えられていました。

◆同性愛は認められていたのですか?

古代ギリシャに同性愛という言葉はなく、大人の男同士の性行為は極めてショッキングと考えられていたでしょう。ただし、スポーツの世界では、少年との性的な関係が一般化していました。思春期を迎える前の少年を指導するという名目でした。このような行為は社会的に認知され、教育の一環と考えられていましたが、公然と話題に上ることはありませんでした。

◆女子は参加しなかったのですよね。

その通りです。既婚の女性は観客席への立ち入りさえ許されませんでした。ただし、若い女性や未婚の女性は入場できました。オリンピックの優勝者と結婚させたい一心で、父親が娘を観戦に連れて来ていました。売春もまん延しており、地中海沿岸の全域から女性が集められました。売春婦はオリンピック開催の5日間だけで、1年分に相当する金額を稼いだようです。

◆女子だけのスポーツ大会もあったそうです。

いわば第2のオリンピックです。オリンピアで開催され、ゼウスの妻ヘーラー(Hera)に捧げられました。丈の短いチュニックで走り、女部族「アマゾーン」の戦士をたたえて右胸をはだけていました。スパルタでは、女子のレスリングも行われていました。ローマの元老院議員が、伝説的に美しくて筋肉隆々と言われたスパルタの女子選手を見に、遠路出かけて行ったという面白い話があります。その議員は興奮して闘技場に躍り込み、女子選手と戦ったそうです。勝敗についてはわかりませんが、彼自身はきっと楽しんだことでしょう。

◆男子選手はどれくらい人気があったのですか?

神のような待遇も夢ではありませんでした。オリンピックで勝利すると、驚くべき富と名声を得ることができました。一生働く必要がないほどです。その名は世代を超えて語り継がれ、まさに歴史の一部になりました。

◆なぜギリシャでスポーツ熱が盛り上がったのでしょう?

2つの理由が考えられます。まず、ギリシャの素晴らしい環境です。地中海性気候で雄大な自然が広がり、水泳も、山歩きも楽しめます。裸で一日中走り回っても問題ない気候です。さらに、ギリシャの人々は驚くほど負けず嫌いです。理由は何であれ、すぐに勝負を挑みました。

◆それでも、スポーツは“古代のウッドストック・フェスティバル”の一部にすぎないそうですね。観客にとってはどのようなイベントだったのでしょう?

古代オリンピックの観客は非常に多くの苦労を経験しました。何より、アテネから会場に来る場合、340キロも歩かなければなりませんでした。競技場に到着しても観客席はなく、草で覆われた丘があるだけでした。スタジアムという言葉の語源はギリシャ語のスタディオン(stadion)で、“立つ場所”を意味します。衛生設備もなく、強い悪臭が漂っていました。ただし、伝統を肌で感じられる素晴らしい雰囲気がありました。(伝説によれば)ゼウスが父親とレスリングしたその丘に立っているのですから。

◆どれくらいの人が集まったのですか?

観客は推定4万人です。そのほかに、商人、物書き、芸術家、売春婦、その世話係などもほぼ同規模で集まったようです。

◆当時の有名人もいたのでしょうか?

哲学者プラトンは大のレスリング好きでした。身分を隠して観戦に訪れては、簡素な宿に滞在していました。大会が終わると、知り合った人々をアテネの自宅に招待し、そこでギリシャ一番の有名人だとわかるといった具合でした。古代ギリシア三大悲劇詩人の一人、ソポクレスもハンドボールの大ファンでした。ギリシャの知識人の多くはスポーツが大好きでしたし、オリンピックは作品を発表する場でもありました。ヘロドトスの有名な『歴史』も、最初に発表されたのはオリンピックでのことでした。

◆収益は上がったのですか?

地元の農家や興行主は間違いなく大金を稼いでいましたが、主催者の収入はありませんでした。主催者は貴族階級で、金もうけは目的にせず、入場料も取らなかったためです。古代ギリシャで最も重要なイベントを主催したという名声を求めていたのです。

◆至るところで酒宴が行われていたようですね。

ええ、初の“スポーツバー”は古代ギリシャにあったのです。泥酔する人は多くありませんでしたが、オリンピックが開催される5日間はここぞとばかりに楽しみました。寝る間も惜しむほどです。学生が中心となり、どんちゃん騒ぎに発展しました。

◆古代オリンピックには宗教的に深い意味があったと聞いています。

古代世界では、ゼウスの聖域が最も神聖な場所でした。神も人々と同じくらい、スポーツの結果に関心を持っていました。選手は神に生贄をささげ続け、初期のオリンピックでは、神々も競技に参加していると考えられていました。

◆聖火リレーなど、現代の五輪で行っているイベントがいくつかないようですが。

聖火リレーが導入されたのは、ナチスが開催した1936年のベルリンオリンピックです。ヒトラーは古代ギリシャに魅せられ、スパルタ人は優れた人種「アーリア人」の先祖であるという理論を持っていました。このつながりを印象付けようと、仲間の一人が、オリンピアからベルリンに聖火を運ぶというアイデアを思い付いたのです。聖火リレーの起源は非人道的でしたが、現在ではすばらしい伝統に変わっています。

◆では、聖火そのものは?

すべての聖域に永遠の炎がありました。古代ギリシャの文化では、象徴としての炎が重要な役割を果たしていました。

◆競技に話題を移しましょう。観客は戦車競走を最も心待ちにしていたようですが、その理由は?

最も貴族的な競技であり、同時に極めて暴力的でした。 “インディ500”(カーレース)の古代版とでも言いましょうか。その緊張感たるや、映画“ベン・ハー”のクライマックスを思い出してもらえればわかっていただけると思います。21台の戦車がスタートを切り、衝突を繰り返した結果、1台しかゴールできなかったレースもあります。どれくらい危険か想像できるでしょう。

◆最古の競技は短距離走だったようですが、マラソンは?

古代オリンピックにマラソンはありませんでした。当時は5キロのドリコス(dolichos)が最も長距離でした。マラソンは19世紀末のビクトリア朝時代に生まれた競技です。「マラトンの戦い」に関する伝承がベースになっています。マラトンからアテネまでの42.3キロが距離の基準になりました。

◆考えてみれば5キロさえ大変だったでしょう。運動靴はおろか、丸裸で走ったわけですから。

トラックに砂を撒いて衝撃を緩和していましたが、でこぼこは当たり前です。古代ギリシャの人々は頑丈な足だったのでしょう。生まれたときから靴を履かずに走り回っていれば、足の皮が厚くなったはずです。

◆現代の五輪では、十種競技が最も名誉ある競技の一つであり、選手としての偉大さが試されるとみなされています。古代ギリシャの五種競技は、どのように考えられていたのでしょう?

五種競技は円盤投げから始まり、幅跳び、やり投げ、短距離走、レスリングと続きます。勝者はそれぞれの競技では必ずしも最高の選手ではありません。しかし、その多才さと能力をたたえられました。

◆とても暴力的な競技もありますね。

レスリングは現代のグレコローマンスタイルとよく似ています。しかし、ボクシングはかなり違い、ラウンドも体重制限もありませんでした。近代オリンピックの格闘技と最も異なっているのが「パンクラチオン」です。打撃技と組技の組合せで、目つぶしと噛みつき以外は何でもあり。首や肋骨を折る攻撃も珍しくありませんでした。

◆チームスポーツがありませんね。

古代ギリシャの人々は極度の個人主義でした。選手は何より自分のために戦い、都市国家は二の次でした。2位という概念もありません。互いの健闘をたたえ握手したり、紳士的に背中をたたくなど、ビクトリア朝時代に創作された理想は事実ではなく、敗者は裏道を通ってそそくさと帰宅し、母親にも口をきいてもらえないほどでした。

◆現代のトップ選手と比べて優れていたのでしょうか?

それはわかりません。古代ギリシャの人々はわれわれと異なり、熱心に記録することはなく、ストップウォッチもありませんでした。その瞬間、勝つことがすべてだったのです。古代ギリシャの遺伝子プールは現代よりはるかに小さく、せいぜい数百万でした。一方、現代のスポーツ選手は世界中に散らばる数十億人から選ばれたエリートです。

◆なぜ紀元394年に幕を閉じたのでしょう?

当時の支配者、ローマ帝国皇帝テオドシウス1世が異教的な行事をすべて禁止したからです。キリスト教徒はオリンピックを嫌悪していました。肉体をたたえ、裸で走り回り、酒を飲み、密通する。すべてが許し難いことでした。一千年余りの歴史を重ねたオリンピックの終幕は、永遠に続くと思っていた古代ギリシャの人々にとって衝撃的な出来事だったでしょう。』

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結論 ヘイトスピーチと排外主義の黒幕は安倍政権である













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ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会



http://ddnavi.com/news/219995/

書店に溢れる「ヘイト本」にNO! 「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」立ち上げ

2014.12.23
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『NOヘイト! 出版の製造者責任を考える』(加藤直樹、明戸隆浩、神原元:著、ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会:編集/ころから)

『NOヘイト! 出版の製造者責任を考える』(加藤直樹、明戸隆浩、神原元:著、ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会:編集/ころから)

 “韓・嫌中”を題材にした本が書店の特設コーナーに堂々と平積みにされ、電車の車内吊り広告では隣国を嘲笑し、侮蔑するかのような週刊誌記事の見出しを目にすることが珍しくなくなった現在の日本。こうした隣国への差別感情を煽るような言説が溢れる出版業界の現状に対し、業界の中から自らの製造責任を考えようとする団体「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」が立ち上がった。同会の呼びかけ人は都内の出版社に勤務している岩下結氏。会の立ち上げの経緯、この現状に対する問題意識を岩下氏に聞いた。

「ヘイトスピーチや排外主義に関する状況が大きく変わり始めたのは、2011年から2012年にかけてだと思います。民主党政権に批判が集中する中で右寄りの言説が勢いづき、その一方で、韓国の李明博大統領の竹島上陸と中国との尖閣諸島をめぐる騒動で、韓国や中国をはっきりと敵と認識することが許されるような状況ができてしまいました。そんな状況が続き、去年ぐらいから嫌韓・嫌中、偏狭なナショナリズムを煽る〝ヘイト本〞が目立つようになってきました。在日特権を許さない市民の会(在特会)によるヘイトデモが問題になってきましたが、こちらも同じ下地から生まれてきたのだと思います。ただ、ヘイト本を消費している人は実際にデモを行っている人に比べて桁違いに多い。会を立ち上げた直接的なきっかけは、日本の書店の棚がヘイト本で溢れている状況について、ツイッターで議論になっているのを見て問題意識を持ったことです。そこでは書店に対する批判や擁護、さまざまな意見がありましたが、出版社の立場からの発言はほとんどありませんでした。そもそもヘイト本を作っているのは出版業界。その中からこの問題をどう考えるのかという動きが出てこないのはおかしいと思ったんです」

 岩下氏は出版関係者に幅広く声をかけて有志を募り、同会のフェイスブックページを開設。こうして立ち上がった同会には多くの賛同が寄せられ、今年7月4日には日本出版労働組合連合会と共催でシンポジウム「『嫌中憎韓』本とヘイトスピーチーー出版物の『製造者責任』を考える」を開催した。さらに10月30日には、このシンポジウムの内容をまとめた『NOヘイト! 出版の製造者責任を考える』を出版。同書では、メディアの製造者責任、ヘイト本を売らざるを得ない書店員たちの思い、出版業界人の意見交換、表現の自由とヘイトスピーチ規制など、さまざまな観点から書店にヘイト本が氾濫する現状についての分析がされている。

「ヘイト本に関して、隣国の文化や歴史認識、首脳を批判したり揶揄したりしているだけで差別ではないという擁護がありますが、冷静な批判なら、あえて扇情的なタイトルをつける必要はない。最初から貶めたいという動機が見え隠れします。そういった本が書店に堂々と大量に置かれることによって差別感情を肯定し、差別を正当化してしまうかもしれません。それは私たち日本人の人権侵害に対する意識の低下にもつながるし、最悪の場合にはヘイトクライム(人種的憎悪に基づく犯罪)を引き起こすかもしれません。さらに、隣国への歪んだ敵対感情は、日本の政策決定に関して冷静な判断を妨げることにだってつながりかねないでしょう。戦前、現実にそういうことがあったわけですから、そこには言論や表現の自由とは別個に、私たちメディアの責任があるはずです」

 現在、同会ではさまざまな出版社の社員や書店員、フリーライターら約20人のメンバーが活動。ネット上では会の趣旨文を公開し、出版に関わる仕事をしている人を条件に賛同を募っているが、すでに700筆を超える署名が集まっている。

「青臭いかもしれませんが、最終的には、やはり業界の個々人の良識にかけているところはあります。ただ、今はこれが良識に関わる問題だという認識がされていません。私たちがこうした現状をおかしいと言い続けること、そして今回出版した本をきっかけに業界の人々がそういう意識を持ってくれるようになれば、少しずつ趨勢は変わっていくと思っています。おかげさまで反響も大きく、数では勝てませんが、この本がヘイト本への対抗として多くの書店に置かれるようになってほしいですね。今後も出版業界としての責任を考え、ヘイト本の売れ方の分析や業界の構造的な問題も含めて議論を重ねていくつもりです」

取材・文=橋富政彦(『ダ・ヴィンチ』1月号「出版ニュースクリップ」より)

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ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会 そういえば駅のキヨスクとか書店でも異様なヘイト本 ヘイト雑誌がどかどかと置いてるなぁ… JRはヘイトスピーチ支持者なんだろうか?? あんなんがあるせいで書店には足運ばずネット注文コンビニ受け取りばっか利用するようになったわ… 最近…

http://www.magazine9.jp/article/other/15485/

書店に行くといつの頃からか目につくようになった、いわゆる「嫌韓嫌中」本。電車に乗れば中吊りにも、駅売店のビラにも「嫌韓嫌中」を煽る雑誌や夕刊紙の広告が並びます。路上ではヘイトスピーチ(差別煽動表現)が横行し、排外主義が私たちを覆い始めていることを感じずにはいられません。こうした風潮に、出版業界内から「NOヘイト!」の声を上げはじめたのが「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」です。設立された経緯や行ってきた活動、またこれからの展望について、メンバー3人にお話を伺いました。
写真右から:岩下結(いわした・ゆう)1979年生まれ。社会科学系出版社勤務。真鍋かおる(まなべ・かおる)1964年生まれ。人文系出版社勤務。森幸子(もり・さちこ)1976年生まれ。小規模総合出版社勤務。
会の立ち上げを
フェイスブックで呼びかけたわけ


――まず「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」は、どのような経緯で設立されたのでしょうか。会の立ち上げを呼びかけた岩下さんから、お話しいただけますか。

岩下
 ここ数年、中国や韓国を敵視したり揶揄したりする書籍が書店に堂々と並べられるようになって、今や「嫌韓嫌中」本は何万部も売れるひとつのジャンルとして確立しています。そうした現状がさすがに度を越していると感じ、出版業界の内部から「これでいいのか?」と問題提起をしたいと思ったのが、今年の2月くらい。周囲の人に声をかけたりしているうちに話がまとまってきて、フェイスブックページ開設が3月の中旬です。3月29日に行った最初のミーティングが正式の立ち上げになるかと思います。
 メンバーとして活動しているのは、おおよそ20人。出版社の社員、編集であったり、営業であったり、その他には小さな出版社の経営者、書店員さん、フリーランスの編集者やライターもいます。


――出版業界の中で会を立ち上げるにあたって、フェイスブックで呼びかけたわけですね。口コミではなく、SNSを使おうと思ったのはなぜですか。

岩下
 当初から業界としての動きにするのと同時に、世論の後押しが欠かせないと考えていたので、ネットと現実の活動が並行してあるべきだと考えていました。もともと面識のある範囲を超えて広がっていくことを目指すには、ネット上の拠点が必要だろうというのがありました。
 もうひとつは、ネット上で目的がはっきりした会の名前を掲げれば、きっと賛同してくれる人たちがいるだろうと考えたからです。というのは、僕自身がもしそういう会ができれば、絶対に賛同すると思っていましたので。それで、まずは簡単にできるフェイスブックページをつくってみたところ、即座に「いいね!」が1週間で500くらいいったので、これはニーズがあるな、と。


――真鍋さんと森さんのお二人は、どういうきっかけでこの会に参加されたのでしょうか。

真鍋
 僕の場合、まさにフェイスブックがきっかけです。3月に会のフェイスブックページを見たら、岩下さんが関わっていることがわかった。岩下さんとはずいぶん前にどこかでお会いしていて、お名前は覚えていたので、すぐに「参加したい」と伝えました。


 私はSNSではなく、リアルなところでのつながりです。出版業界内で出版社の人にとどまらず、取次(※)、書店、印刷、製本、デザインの方などが集まって交流する懇親会に参加しています。それで岩下さんとはもともと面識がありました。2月に行われたある講演会で岩下さんにお会いしたときに、「こういう会を立ち上げたい」というお話を直接聞いたんです。
 そのときに私は、書店がこれほどひどい状態になっていることに気づいていなかったんですよ、恥ずかしいんですが。本屋さんに行くのは、目的の資料を買うためだったり、文芸書の棚に行くくらいでしたから。それに、SNSを利用していなかったので、ネット上の動向にもきわめて疎かったんです。だから岩下さんのお話を聞いて、「ええっ!」とビックリして、あらためて大手書店の棚をしみじみ眺めてみたら、隣国を貶めるようなタイトルの本があっちにもあり、こっちにもあり、そっちにもありで、「ああ、これはよろしくないな…」と思ったのが、参加を決めたいきさつです。

※取次……出版取次。出版業界独特の流通形態として、製造者(出版社)と小売(書店など)をつなぐ問屋の役割を担っている。出版社は書籍や雑誌を取次に納品し、取次から全国の書店に配本される。全国の出版取次会社は約100社。
「嫌韓嫌中」本は
いつから伸びだしたのか


――森さんは「書店の状態に気づかなかった」ということですが、岩下さんと真鍋さんは、「嫌韓」や「嫌中」を掲げた本の売れ行きが伸びるのをいつ頃から認識していましたか。

岩下
 いつ頃とははっきり言えないのですが、『マンガ嫌韓流』(山野車輪著、2005年刊)や『国家の品格』(藤原正彦著、2005年刊)あたりから、「保守的」な言説の書籍がベストセラーになったことは何度かありましたよね。そして、櫻井よしこのような「論客」がつぎつぎ本を出す流れの中で一定のジャンルとして成立して、現在まで進んできたんじゃないでしょうか。

真鍋
 僕は、1993年から96年に週刊誌の編集部にいたので、「南京大虐殺の嘘」とか、小林よしのりの『戦争論』とか、「新しい歴史教科書をつくる会」などを検証する記事をよくつくっていたんです。だから、いわゆるナショナリズムの台頭という意味では、そのあたりからずっと関心はもっていました。ただ、ここにきて一気に噴出したなという感じはしますね。

岩下
 20年かけて、段階的にフェーズが進行してきたんでしょうね。街頭でのヘイトスピーチが過激化するのと並行するように、大手出版社が「嫌韓嫌中」本を出しても許容される空気ができてきて、右派と言えるような思想性がないものも含め、社会全体が何となく排外主義に傾いているのが、この1、2年の顕著な傾向ではないかと思います。


――そうした現状に歯止めをかけるべく、会の立ち上げから現在まで、どのような活動をされてきたのでしょうか。

岩下
 最初のミーティングでは、どういう活動をしていこうかと話し合うことから始めました。まずできることとして、出版界の中で賛同者を広げることと、シンポジウムを開こうという話になりました。
 そこで、会の趣旨を書いた文書を公開して、ネット上で賛同者を募ることになったんです。賛同者は「出版に関わる仕事をしている人」という条件付きだったのですが、最終的には700筆以上集まりました。それによって、「出版関係者にも憎悪や差別を煽る傾向を危惧する人がこれだけいますよ」ということを可視化できたと思っています。
 そうしたネット上の活動と並行して、7月4日には、出版労連(日本出版労働組合連合会)との共催で、“「嫌中憎韓」本とヘイトスピーチ――出版物の「製造者責任」を考える――”というタイトルのシンポジウムを開催しています。関東大震災のときの朝鮮人虐殺について書いた本『九月、東京の路上で』(ころから刊)の著者加藤直樹さんの講演と、出版関係者によるディスカッションを行い、立ち見も出るほどの盛況でした。
 そして、その内容をまとめた本が『NOヘイト! 出版の製造者責任を考える』(ころから刊)としてまもなく出版されます。
自分の仕事との
折り合いのつけ方


――皆さんは本業の仕事をしながら、会の運営にも参加されているわけですが、普段は会社でどのような本をつくっているのでしょうか。


 小さいですけれど総合出版社なので、写真集とか、子ども向けの写真絵本とか、テレビ番組とタイアップの本とか、エッセイ集、歴史の本、経済学の専門書なども。何でもやっているものですから、説明するのは難しい(笑)。それでも、憲法が生かされた、よりフェアな社会づくりに貢献できるような本をつくりたいなとはいつも思っています。

真鍋
 僕の場合は、主に日本近現代史の本です。書店では、ほとんど人文書の棚に置かれる本ばかり。それも、まさに「嫌韓嫌中」本の歴史認識からいえば、対極に位置するものが多いですね。近刊は、日露戦争開戦当時の「定説」を問い直す本で、これなんか司馬遼太郎の『坂の上の雲』が好きな人はたぶん激怒するでしょう。「暗い昭和」ならともかく、「明るい明治」を批判した本を買ってくれる読者は本当に少ないので、「読者が少ないところを狙ってどうするんだ」と思いながら、せっせと本をつくっています(笑)。

岩下
 僕は逆に、その時々に話題になっているところに飛びつくタイプの編集者です(笑)。自分で企画を立てるようになった2005年頃から、ちょうどゆとり批判、若者バッシング、ニート批判といった流れが出てきた。そんな風潮に反発を感じていたので、当時はそこが自分の本づくりのフィールドだと思って何冊かつくりました。
 しかし、そんな若者論ブームも消費し尽くされて、2009年頃から一気に鎮火しました。どうしても編集者として売れるか売れないかの判断をしますから、もうこのジャンルは伸びない、とわかってしまう。追い続けなければいけないのに、読者の関心の低下が見えてしまうし、自分の中でもモチベーションが落ちていく。そういう経験をしているので、出版界のあり方がおかしいんじゃないか、何でこうなっちゃうのかなとずっと考えています。

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左から、森さん、真鍋さん、岩下さん。


――活動をしていく上で、出版関係者であるがゆえの悩みは何かありますか。


 最初のミーティングのときに、会のコンセプトとして、「ああいう本はいけないよ」といわゆるヘイト本に反対の立場を表明することに対して、「それは違うんじゃない?」という意見が出ましたね。つまり「反対することで現状を変えられるのか?」と。より広い支持を集めるには、声高に「反対」と言うよりも…。

岩下
 ラブ&ピースみたいな(笑)。そういう意見も出ることは、僕もあらかじめ予想はしていました。立ち上げのときにいろいろな人に、特に若手中心に声をかけたのは、はじめから方向性を共有した人の集まりにはしたくなかったからです。デモなどに積極的に参加していない人でも、興味をもってくれそうな人には声をかけました。結果的に、大手から中小まで、勤めている会社の規模や傾向にかかわらず、さまざまな人が参加してくれました。
 だから、集まったメンバーも「ああいう本はけしからん」という意識を完全に共有している人ばかりではなかったんです。たとえば『永遠の0』を読んで泣いた人を批判できるのか? とか、特定の雑誌や出版社を名指しで批判するのか? といった疑問も出ました。それも一理あります。でも、だからといって「ヘイト本よりも、もっといい本を読みましょう」と言うだけでは現状を止められないし、何より差別を受ける人たちが傷つくのを放置していいのかという意見もあって、方向性については最初にかなり議論しました。
「嫌韓嫌中」本と
表現の自由との葛藤


 それと、出版関係者として「反対」を表明する場合、表現の自由との関係は必ず指摘されることで、この問題についても「会」としてどう考えていくのか、という葛藤があります。表現の自由の問題は、社会的にこれからコンセンサスをつくっていく課題ですし、私たちもこの半年間で走りながら勉強しているところです。
 ただ、これまで会のメンバーで議論をしてきて言えるのは、路上で展開されているヘイトデモのように、誰が見てもすぐに「ヘイト」と認識できるものと、出版物とは違っているということですね。「ヘイト」かどうかの線引きが、出版物の場合、非常に難しいです。煽情的なタイトルの本や週刊誌の見出しもありますが、他国の政治、経済、社会の論評や歴史書の体裁だったり、いわゆる愛国本だったり、もっと裾野の広い、あるいは歴史修正主義にからむ深層の問題だと思います。
 国連自由権規約委員会が7月24日、日本政府にヘイトデモの禁止や犯罪者の処罰等を勧告したことで、ヘイトスピーチ規制に注目が集まっていますが、出版物についてどういう対応の仕方がありうるのか、まだまだ議論の途上ですよね。『NOヘイト!』の中で、弁護士の神原元さん、社会学者の明戸隆浩さんに寄稿していただいていますが、私たちも引き続き議論を深めたいと思っています。

真鍋
 僕は書店で平積みされている「嫌韓嫌中」本を見るたびに、「自分だったら、編集者としてつくれるのか?」と自問自答しています。自分だって組織の中にいたら、つくらざるを得ない状況になるかもしれない。だから、この会に参加しようと思ったのは、出版に携わる者としての、怖さとか、良心の痛みとか、後ろめたさというような、内面を刺激するような動きをしたいなと思ったわけです。「嫌韓嫌中」本をつくっている版元に、「こんな本、つくっちゃダメだ!」と言ったって逆ギレされるだけで、「食べて行くためには仕方ないだろう!」と言われたら、何も言えなくなってしまう。みんな、この出版不況の中で、お金を稼ぐために必死で働いているんですから。
 しかし、そうは言っても、隣国への「憎悪」をまき散らすような本を自宅に持って帰って、自分がつくった本だと子どもに見せられますか?──そんな問いかけを、会の活動を通して発していきたいと思っています。

岩下
 真鍋さんがおっしゃったように、生業にしているのは大きいですね。誰しも、自分が正しいと思う仕事で食えているわけではないし、所属する組織のなかで異議を唱えることは難しいです。だけど、誰もが「本当はこんな本は出したくないよ」と思いながら「でも売れるから仕方ないんだよね」と言い訳しながらつくった本が、結果的に差別や戦争を誘発してしまうとしたら、あまりにバカバカしい。
 ただ、自分も例外ではないことは自覚しているんです。僕のいる会社は、差別や民族対立を助長するような本は出していない。それでも企画会議では「これは面白いんだけど、難しすぎる」とか「もっと売れそうなタイトルをつけようよ」とか、「ちょっと煽りが入ってるけど、帯文句だからいいよね」とか、そういうことは仕事上やっている。それは「嫌韓嫌中」本のつくり方と何ら変わらないんですよね。
 と思うと、そうした本をつくっている編集者の気持ちもわかる気はします。好き好んでつくっているというより、「いい本」だけで産業が存続できるというようなキレイゴトを言えないのが今の出版業界です。
 だから、議論もありましたけれど、会としては「ダメなものはダメ」と言いつつ、同じ構造の中にいる者として「そこは踏みとどまりましょうよ」と。奥歯に物の挟まったような言い方になっちゃうんですが、そういうスタンスで呼びかけています。


――呼びかけが広がってきている感触はありますか。

岩下
 幸い、早い時期から複数の新聞記者が関心をもってくれて、7月のシンポジウムの後などもあちこちで記事にしてもらいました。フェイスブックページへの「いいね!」は10月で3000を超えています。ヘイトスピーチに関心のある人たちには、こういう会があることはだいぶ知られるようになってきていると思いますが、そうではない同業者への浸透は、まだこれからですね。

真鍋
 会の活動を広げるには、営業の人間に働きかけることも必要ですね。版元の営業のほうが横のつながりがあって、よその版元は何をやっているのかを知っている。僕ら編集者は対著者だけの仕事ですけれど、営業は横断的に仕事をしていますから。


 営業の人たちは書店さんや取次の方ともお付き合いがありますし、営業、取次、書店は売れる売れないをじかに見ている人たちですものね。

岩下
 ただ、営業は編集よりも、もっと好き嫌いが言えない職種だと思うんです。書店に行って「この本を置かないでくれ」とか「この本は嫌い」という話はできませんからね。だけど、売り場の現実を知っているのは営業なので、彼らの力を借りて売り上げデータなどから、ヘイト本がどういった層にどの程度売れているかの分析もしてみたいですし、どう伝えれば賛同してもらえるのかも考えていかなくてはいけないでしょうね。

その2へつづきます

書店に行くといつの頃からか目につくようになった、いわゆる「嫌韓嫌中」本。電車に乗れば中吊りにも、駅売店のビラにも「嫌韓嫌中」を煽る雑誌や夕刊紙の広告が並びます。路上ではヘイトスピーチ(差別煽動表現)が横行し、排外主義が私たちを覆い始めていることを感じずにはいられません。こうした風潮に、出版業界内から「NOヘイト!」の声を上げはじめたのが「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」です。設立された経緯や行ってきた活動、またこれからの展望について、メンバー3人にお話を伺いました。
写真右から:森幸子(もり・さちこ)1976年生まれ。小規模総合出版社勤務。岩下結(いわした・ゆう)1979年生まれ。社会科学系出版社勤務。真鍋かおる(まなべ・かおる)1964年生まれ。人文系出版社勤務。
「嫌韓嫌中」本の「つくり方」


――前回は「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」の立ち上げから活動の内容、そして活動を進めていく上での悩みもお聞きしました。
 お話の中で皆さんは、憎悪や差別を煽る本をつくっている編集者の多くは「生活のために心ならずもつくっているのではないか」とおっしゃっていましたが、最近の本のタイトルなどを見ていると、本当に中国や韓国を敵視していて、確信的に「正しい本をつくっている」といった編集者も増えているのではないかと思うんです。そういう同業者に対しては、何か言いたいことはありますか。

真鍋
 いや、そういう編集者には会ったことはないから(笑)。


 私も会ったことはないです。「日本はこんなに素晴らしいよ」と、「愛国」的なことをポジティブに伝えようというのなら、まだ想像できる気も…。だけど、中国や韓国のことをネガティブに露骨にバッシングするような本をつくる気持ちとは、どのようなものなのでしょうね。

岩下
 僕も、つくり手側は直接には知りませんが、読み手は知っていますよ。親類や友人どうしの会話のなかでも「中国なんてね…」みたいな発言はよく出てきますし。そうすると、もともとそれに批判的なスタンスをもっていない編集者だったら、「中国や韓国が嫌いな人はいっぱいいるんだから、そういう本をつくれば売れるんじゃないか」というのは、職業的には正しい考えですよね。ヒットの「2匹目、3匹目のドジョウを狙え」というのは、どこの出版社でもやっていることですから。
 ただ、その本の読者にどんな影響を与えているかということはよく考えてほしいなとは思いますね。

真鍋
 何でもいいから売れる本をつくらなければいけないような環境にいたら、僕も「2匹目のドジョウ」を狙おうと思うでしょう。「中国はけしからん。韓国は嫌いだ」とテレビを見ながら口にする人は身近にいっぱいいますから、「嫌韓嫌中」的な言説を発している筆者を探す。そういうことを喋っている人、書いている人、新聞、雑誌、テレビ、ネット、いろいろなメディアを見れば、大体ピックアップできます。で、「これは!」と思う人の書いたものを集めて読んで、自分なりの切り口が見つかれば、執筆依頼の手紙を送って会いに行く。本づくりの基本は同じですから。でも、いつも自分がつくっている本と同じような部数しか売れなかったら、そこは「能力に問題あり」ということで、ものすごく落ち込むような気がします(笑)。
 かつて、朝日新聞の記者だったむのたけじさんが、敗戦直後、自らの戦争責任を感じて退社されましたが、編集者として自分も同じようなことができるとは思えません。すぐに時流に乗っかった、売れ筋の、読者の「空気」を読んだ本づくりを始める姿を想像してしまいます。そういう自分に釘を刺しておきたいというか、みんな自覚がないまま加担してしまう可能性があることを、考えてほしいと思っています。

岩下
 1945年8月15日を境に、ころっと民主主義者になった人たちがいたように、また同じことが起こるだろうと想像できてしまうのが悲しいことではあるんですが。近年の出版の動きを見ていると、先の戦争で経験しているんだから、もうちょっと学習しようよと言いたいですね。
会の名前は、個々人の意思表明


――会の名称を「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」としたのは、「自分は加担しない」という個々人の表明でもあるわけですね。


 私は、もちろん「加担したくない」という気持ちが強いです。加害者になるということが感覚的にとても怖いんです。被害者になるかもしれない恐怖よりも、加害者になる恐怖。自分が加害者になったときに、どう後始末するのかとか、落とし前をつけられるのかと想像すると、それが自分にとっては恐ろしい。だから、担当した本で誰かを傷つけるとか、それだけは絶対に避けたいといつも思っているんですね。

真鍋
 僕は、『スペシャリスト─自覚なき殺戮者─』というナチ戦犯のアイヒマン裁判のドキュメンタリー映画を観たときに、「あそこに出てくるアイヒマンは自分かもしれない」と思ったんです。アイヒマンは裁判で「命令されたことを実行しただけだ。自分に責任はない」と主張します。それは大なり小なり、どの時代でも、どんな局面でも、日本社会のそこら中で、みんな生きていく上で「仕方がない」と自分をだましながらやっているはずなんです。僕は、編集の仕事をする上で、そういう恐ろしさみたいなものを形にしたいんです。それが自分にとって、本づくりの原点になっているのかなと。
 その原点というのは、中学生のとき本多勝一の『中国の旅』を読んだんですが、そこで初めて平頂山事件のことを知りました。日本軍が中国・撫順近郊の集落・平頂山の住民を殺害した事件です。「このときの日本兵と自分の違いは何だろう?」と考えたわけです。あの状況で自分が日本兵だったら、「撃ちたくありません」なんて言えるわけがないと思ったんですよ。当時の僕は、学校社会の中で同級生の顔色をうかがいながら過ごしていて、そんな自分に違和感をもっていたからです。思春期特有の自意識過剰からくるものだったのかもしれませんが、とにかく周囲に引きずられやすい自分の弱さを克服したかった。そのために、柔道部に入ったり、医者になれば最前線に行かなくていいんじゃないかとか、法律を学べば暴力に抗えるかもとか、子どもながらにいろいろと悩みました。結局、戦争にならないように考えるのは歴史だと思って、史学科に入っちゃったんですけどね(笑)。
 そうして社会人になり、編集者になってからは、自分も含めて「空気」に弱い日本人に「それでいいのか?」と、歯止めをかけるような本をつくり続けてきました。出版不況と言われ続けて、「嫌韓嫌中」本がベストセラーになるような時代に、自分は何のために本をつくっているのかと思ったら、子どもの頃から考えてきたことに、ひたすらこだわるしかないんじゃないかと思っています。

岩下
 森さんは「加害者になるのが怖い」と言ったけれど、それは誰でもそうだと思うんですね。自分の手で誰かを傷つけたり殺したりするのは、すごく怖いことです。後から良心の呵責に苛まれるかもしれないし。ところが、戦争中の日本兵のように、まわりが撃てば自分も躊躇なく撃ってしまう。それが真鍋さんのおっしゃる「空気」ということだと思うんです。
 今もまさに似たような状況で、「韓国ってしつこいよね」とか「中国って見苦しいよね」という「空気」が社会全体で共有されている。出版業界でも、みんな「嫌韓嫌中」本を出しているから「うちはもっと強烈な見出しをつけよう」と、どんどんエスカレートする方向に流れていますよね。だからこそ、すべての出版関係者は、本をつくる側の責任に気づいてほしいんです。
差別的なPOPがあっても驚かない


――出版界の最近のトピックとしては、書泉グランデのツイッターアカウントのツイートがネット上で大きな話題になりました(※)。あの事件についてはどう思われますか。

※書泉グランデの事件……9月26日、東京・神保町の大型書店、書泉グランデのツイッター公式アカウントに「嫌韓嫌中」本を積極的に推薦するツイートが掲載され、抗議が殺到。書泉グランデはツイートを削除、公式サイトで謝罪文を公開している。


 私はもう、単純にビックリしちゃって。だって、あのツイートには「隣国が嫌いな方、なぜ嫌われているのか気になる方、植民地支配…」と書いてあって。しかも著者が「在特会」代表の桜井誠で、タイトルが『大嫌韓時代』でしょう。それが「オススメ」って…。

岩下
 僕は正直「またか」くらいの感想でしたね。大型書店のほとんどは、公式サイトにベストセラーになっている「嫌韓嫌中」本をいっぱい載せているし、店内にはヘイトスピーチまがいのPOP(※)が置いてあるから。書泉グランデは、右も左も何でも置く書店なので、ツイート自体にはさほど驚きはなかったですね。

※POP…ポップ。「Point of purchase advertising」の略。主に小売店で販売を促進するための広告・宣伝媒体を指す。書店では、版元(出版社)がつくった書籍のPRのために置かれているカードやパネルなどのこと。

真鍋
 僕の感想も、岩下さんとまったく同じです。書泉グランデは、POPやいろいろなものがゴチャゴチャ置かれていて、鉄道・ミリタリー・旅・精神世界なんかが好きな人がわくわくするような本屋さんですよね。そういう売り場でどうやったら本が売れるかと考えたら、ああいうツイートになったんでしょう。
 僕はむしろ「どういう人が書いたのかな?」という興味がありました。僕も営業から自分が担当した本のPOPをつくるよう頼まれることがあります。そのときは、どういう書店の、どの棚で、どんなお客さんが来るかを想像しながら、原稿をつくりますので、書泉グランデの人も同じように、自分のツイートがどういう反響を呼ぶかなんてまったく考えず、普段接している人に本を買ってもらいたいと思ったら、こんな言葉が出てきました…という程度のツイートだったんじゃないでしょうか。隣のおじさん、おばさんに「買ってね」みたいな文面でした。


――ハンナ・アーレントの言葉、「凡庸な悪」のように、普通の人でも組織の中にいたら、思考が止まって何でもできてしまう、ということでしょうか。

岩下
 組織の中ということもありますが、資本主義の大きなシステムの中で、ニーズがあればそこに商品が供給されるわけですから、何も考えずにやっていれば自然とこうなる。
 こう言うと怒られそうですが、僕自身ある時期から書店に行くことが苦痛になってきたんですよね。どの書店でも、愛国本やバッシング本が大々的に宣伝されていて、うんざりするというか。
 自分がつくった本がどこに置かれているか確かめに書店に行くんですが、まわりはそういう本ばっかりで、「これじゃ、とても見つけてもらえないし、そもそもそういう関心の読者はここに来ないよな…」と暗い気持ちになります。もはや全国の書店で、読書好きの人たちにとっては、心地の悪い状況がジワジワと広がってきているんじゃないか。
業界構造が生む「嫌韓嫌中」本


 だけど、「嫌韓嫌中」本が増えていることの前提には、新刊発行点数が多すぎるという出版界の構造があって、それは自分たちにそのまま跳ね返ってくる話なんですよね。多様なニーズに応じてという面もありますが、必ずしも古典になるような息の長い本ばかりつくっていないと、自分でも自覚がありますから。そういう構造があるので、そもそも書店さんは日々大量に配本されてくる新刊本を満遍なく売るのは不可能だし、売れている本をもっと売ろうとすれば、こういう結果になってしまうと思うんですよ。

岩下
 そう、それはあるんですよ。過剰に生産して投入しているのは出版社の側で、書店さんはそれを置いて少しでも売ろうとしているだけ。つらいんですよね、そこが。
 新刊に比重がかかって、良書が書店の棚に長く置かれるというようなことを、もはや期待できない構造がある。結局、そういう最悪の状況の中で生まれてしまったのが、「嫌韓嫌中」本というジャンルだと思うんです。


――そういう意味では、出版業界の積年の問題が噴出して、“鬼っ子”になったのが「嫌韓嫌中」本なんですね。

岩下
 もうひとつ同じ構造から発している問題として、新書の雑誌化というのがありますね。どこの出版社でも新書をつくるようになって、定価の安い新書が広がってきたことで、週刊誌のような単発のテーマで手軽につくっては、あっという間に消えていく、そんなつくり方をしてきた結果でもあると思います。
 それぞれの出版社の一貫性みたいなものとか、整合性とか、その本が学問的に正しかったのかどうかとか、そうした責任の問われ方が一切なくなって、「売れたからいいでしょう」というつくり方を僕ら自身してきた。結果、出版業界自らが反知性主義を後押ししてきてしまったということもあるんでしょうね。


 自分の仕事を振り返ってみると、私たちも、いかに内容をわかりやすくして、いかに定価を抑えるかという方向でつくってきた本がたくさんあります。わかりやすく提示するために、内容もどんどん角をとって、やさしく、やさしく書き改めていただく。
 難しいことをわかりやすく書くって、本来は大変な作業ですよね。古典になるような教養新書を出している出版社が数社しかなかった時代は、執筆する研究者も編集者も、ものすごい苦労をしていたはずです。ところが今、出ている新書の内容は基本の基本というか、かつての教養書のような意味合いでのわかりやすさではない。これを読んだ人が、その先に難しいものを読むのだろうかと疑問に思うような…。新しい発見があるというより、自分が考えていることを後押してくれて安心できる。そんな本が多くなっているような気がします。自戒を込めてですけれど。

岩下
 新書でも単行本でも、今は「こうだ」と断定する本のほうが売れるのは間違いない。そのためには、なるべく複雑さを排除して単純化し、揺れとか葛藤はないほうがいい。その点、「嫌韓嫌中」本はすごくわかりやすくつくってあって、タイトルや小見出しのつけ方などもよくできていると言われます。だけど、わかりやすければ内容は二の次というのは違うだろう、と。世の中のことをほんとうに正しく理解しようとすれば、単純化してはいけない部分というのは必ずあると思います。つくり手としては、そこにジレンマが常にあるんです。
 やはり、本は形として残るものですから、後世から見て恥ずかしくない本をつくることを考えたいですよね。後々に対してちゃんと責任を果たせるのか、本をつくるときに、そこは絶対に忘れてはいけないと思います。


――それでは最後になりますが、「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」では今後どのような活動を行っていくのか、お聞かせください。

岩下
 7月に開催したシンポジウムの内容をまとめた本が、10月30日に出ました。『NOヘイト! 出版の製造者責任を考える』というタイトルで、版元はシンポジウムで講師をしてくだった加藤直樹さんの著書『九月、東京の路上で』と同じ「ころから」という出版社です。
 今、僕たちが会を始めた頃よりもさらに嫌韓嫌中や朝日新聞バッシングが勢いを増して、店頭ではバランスをとろうにもとれない状態だと思います。でも、この1冊をその隣に置いてもらうことで、今の状況を客観的に見る契機になるかもしれない。そういう形で、全国の良識ある書店さんに使ってもらえたら嬉しいです。
 それから、準備中のプロジェクトとして、神保町にこの本の屋外広告を出したいと考えています。この間、三省堂や書泉といった神保町の象徴ともいえる書店が相次いでバッシングを受ける事態がありました。僕たちも、出版の象徴である神保町の大手書店で嫌韓嫌中を煽るようなことはやってほしくないという思いがあると同時に、それを書店への批判や否定で済ませたくはない。だから、本や本屋さんって面白いですよ、出版も捨てたものじゃないですよ、というメッセージを込めたいんです。
 費用はクラウドファンディングを通じて集める予定です。多くの人の目に触れる広告を出すことは、業界内で無関心な人へのアピールにもなりますし、これからの出版の希望につながると思いますので、ぜひご協力ください。お願いします。

(構成・写真 マガジン9)

※「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」趣旨文はこちらです。お読みになり、賛同される方はご署名ください。

※クラウドファンディングについては、「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」のフェイスブックページに発表される予定です。

◎読者プレゼント◎
『NOヘイト! 出版の製造者責任を考える』(ころから)を
5名の方にプレゼントします。

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件名を「NOヘイト!希望」としてお申し込みください。

※申し込み締め切りは、11月12日(水)です。
(当選の発表は発送をもってかえさせていただきます)

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