文科省が偽装表示を指示 原発マフィアが支配する国 日本列島

http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/8b74339b5346f28bba5e3c42d82dbe50
【偽装】線量計を分解すると細工が!!メーカ社長『文科省から、放射線量低くでるよう改造依頼あった』

2014-01-28 12:42:52 | 放射能汚染



【偽装】線量計を分解すると細工が!!

メーカ社長『文科省から、放射線量低くでるよう改造依頼あった』

http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/a5c8d307cd579188687947bc50f6d556 より(転載開始)

┏┓
┗■1.線量計に細工が!-- 石岡市内100箇所以上の放射線量を定期的に
        測ってきて、線量計を分解してみてわかった!
 └──── 東海原発の廃炉を求める石岡市民の会 合田寅彦

 私たちは一昨年から石岡市内の100箇所以上の通学路、公共施設、農道、コ
ンビニなどの地表の放射線量を定期的に測ってきました。事故から2年が経とう
というのに放射能数値は下がるというよりむしろ上がっている状態です。例を挙
げると、石岡保健センター:2・545(24・5・2)、「ひまわりの館」裏
駐車場:5・495(24・8・7)、石岡第一病院側溝:1・019(24・
8・9)、自然休養村センター:7・450(24・10・16)、八郷南中学
校給食出口:1・560(24・11・22)・・・・。数値はマイクロシーベ
ルト、カッコ内は測定日です。
 Aさんの線量計、Bさんの線量計、市役所から借りたC、Dの線量計をもとに
会員数人がそれぞれ手分けして測定するのですが、最近になって同じ場所を測定
していてそれぞれの線量計の数値にばらつきがあることに気づきました。いちば
ん高い数値が出るAさんの線量計以外の線量計にはおそらく基盤にカビでも付着
したのだろうと思い、B、C、Dの線量計を分解してみて驚きました。いずれも
センサーとおぼしきプレートの上に意味のないマジックの黒い線が引かれている
こと(計測にばらつきが出ることを想定してか)、それと線量計の先端の白くマ
ーキングしてある調整部分(ルーペでなければわからないが、4段階になってい
る)がいちばん低いところに合わされてあったのです。極小のドライバーで
時計周りにいちばん右に動かし、マジックの線をアルコールでふき取り、その上
で測定しなおしたところ、Aさんの線量計と同じ50パーセントほど高い数値に
なりました。これとは別に、地元の中学校で使っている線量計は、分解しても肝
心の調整部分のところが接着剤で固定して調べられないように細工が施されてい
ました。
 市が購入したC、Dの線量計はもとより、Bさんが購入した線量計にもこうし
た細工が施されているとしたら、メーカーが出荷にあたってなんらかの細工をす
るよう、どこか上の方からの指示があってはじめて出来ることではないか、と思い
ます。被災地等で今も放射能を測定している方々、ご自分の使っている線量計が
正しい数値をカウントしているかどうか一度分解して調べてみてはいかがでしょ
う。

(転載終了)



文科省「放射線量低く見せろ」

要求応じず解約になったオンライン線量計

http://www.j-cast.com/tv/2011/11/24114166.html?p=4 より(転載開始)
2011/11/24 Jcastテレビウォッチ

ここで週刊誌の話題から外れることをお許し頂きたい。これを読んでいただいている読者の中には、11月19日(土曜日)の朝刊で以下のような記事を目にした方もいるのではないだろうか。

「文部科学省は18日、福島県内の学校や公園で放射線量を計測する『オンライン線量計』を発注した業者との契約を解除したと発表した。測定精度が低く、結果の送信ができないなどのトラブルで納期が守られなかったためと説明している」(朝日新聞より)

東京新聞などは1面トップだった。この業者というのは東京都中野区にある「アルファ通信」(豊田勝則社長)で、社長は私もよく知っている。

簡単に経緯を書くと、福島の学校などに600台の線量計を設置する工事を「アルファ通信」が落札し、工事を始めたのが9月からだった。線量計を入れるカプセルの仕様が突然変更されたり、台風などもあったことで10月中旬の納期は双方了解して11月に延期した。次の納期は11月14日。600台のうち480台までは設置が完了したが、100台と少しが残ったのは事実である。文科省の契約解除の理由は納期遅れだけである。

しかし、文科省は会見で、記事にもあるように「測定精度が低く」てと計数管にあたかも欠陥があったように話しているが、これは事実とは異なる。いちばん文科省が問題にしたのは、「アルファ通信」の使用している計数管がアメリカ製であることだった。これはアメリで校正(検定のようなもの)をした国際標準の計数管である。

文科省がモニタリングポストなどで使っているのは、国内の日立系の会社の製品である。いまでは知られるようになってきたが、文科省が発表している放射線量は、モニタリングポストを高いところに据えたりして、市町村が発表している数値より低い。

子どもの背丈のところを測らないのでは意味がないという批判が巻き起こり、今回は地上50センチに設置することになった。しかし数値がモニタリングポストより高く出ることに怯えた文科省は、「アルファ通信」の線量計の数値が低く出るよう仕様変更することを強硬に要求してきたのである。

聞くところ、期限ギリギリになっても「アルファ通信」の技術者を丸一日缶詰にして、アメリカ標準ではなくここは日本なのだから日本標準にせよとの一点張りで、聞く耳を持たず。その結果、設置の仕事にも影響が出てしまったというのだ。

このことが指し示している最大の問題点は、文科省が発表している放射能の線量は人為的に操作され、低く出るようにせよとメーカー側に要求し、それを飲まなければ切るという理不尽とも思えるやり方をしていることである。「アルファ通信」側はこうした問題を含めて、記者会見を開く意向である。また、こうした官僚たちのいい分を、少しも検証することなく垂れ流す新聞にも猛省を促すつもりである。

(転載終了)






高田延彦「線量計持って福島行ってきた」
モニタリングポスト→3.8μSv 高田測定→20μSv
http://newskenm.blog.fc2.com/blog-entry-5965.html より

2013/04/12

まったく人気のない沿岸にポツンと
固定式オフィシャルの線量計。





http://p.twpl.jp/show/orig/hs3Mb (上記画像拡大)

2メートル離れて計ると。

こうなる。

オフィシャル線量計は除染した高い場所で
コンクリート上に設置してある。
これがオフィシャルな線量になるのかね?


http://p.twpl.jp/show/orig/ulh8r (上記画像拡大)

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柔術プリースト 番外編

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ヒクソングレイシー ホイラーグレイシー マルセロベーリンギ アルバロホマーノ  1986年のジナスティカナチュラル映像

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ブラック殺人企業ワタミがはびこる日本に終止符を 過労死防止基本法 過労死はあってはならないことを、国が宣言すること


シリーズ貧困拡大社会 相次ぐ若者の過労死 投稿者 LunaticEclipseProletariat

http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2012-10/22.html
2012年10月22日(月曜)再放送10月29日(月曜)

シリーズ 貧困拡大社会 相次ぐ若者の過労死


シリーズ貧困拡大社会 相次ぐ若者の過労死

過労死で亡くした息子を語る西垣迪世さん



今、過酷な労働環境を強いられ、過労死する若者が相次いでいます。厚生労働省のまとめでは(2011年度)、仕事でうつ病などの精神疾患を発症し死亡した「過労自殺」に認定された人のうち、半数以上が20代30代の若者が占めるようになりました。
背景には、経済状況が厳しさを増す中、若者が十分な指導や援助のないまま、“即戦力”として過剰労働を強いられたり、“使い捨て”にされているという実態があります。
番組では、ある大手電機メーカー子会社のIT企業で6年前に過労死した20代の男性の家族とその同期を取材。長時間労働が常態化し、労務管理も整わないまま、心身ともに追い込まれていく経緯を克明に描くことで、若い世代を浸食する「労働の貧困」の実態に迫ります。
出演者
菊池 桃子さん(タレント・戸板女子短期大学客員教授/専門「キャリア教育」)

湯浅 誠さん(反貧困ネットワーク事務局長)

■菊池桃子さん、湯浅 誠さんの収録感想をお読みになれます。http://www.nhk.or.jp/hearttv-blog//500/
番組情報
番組で取り上げた企業今回の番組で取り上げた企業は、西垣さんの労災が認められた後、遺族に謝罪、ソファやベッドを全フロアに入れるなど「労働環境の改善」を約束しています。また遺族も謝罪を受け入れ、和解。労働環境の改善を見守るとしています。
取材先・相談窓口
過労死110番過労死弁護団全国連絡会議事務局が行っている相談窓口です。業務上の過労やストレスが原因で発病した結果、死亡したり重度の障害を負った場合について、労災補償の相談を行っています。
電話:03-3813-6999(平日午前10時~正午・午後1時~午後5時)
NPO法人POSSE労働相談を中心に、若者の「働くこと」に関するさまざまな問題に取り組むNPOです。
残業代、有給休暇、解雇、労災などさまざま労働相談を受けつけています。
電話:03-6699-9359
ファックス:03-6699-9347
過労死防止基本法について西垣迪世さんら、遺族が成立を目指している法律。「過労死はあってはならないことを、国が宣言すること」「過労死をなくすための、国・自治体・事業主の責務を明確にすること」「国は、過労死に関する調査・研究を行うとともに、総合的な対策を行うこと」を求め、現在30万人を超える署名を集めています。

http://www.stopkaroshi.net/law/law.html

Home > 過労死防止基本法とは
過労死防止基本法とは

「1日8時間労働、週40時間労働」は今や世界の標準となっており、わが国でも労働基準法で定められていますが、十分に機能していません。

労働者は、いくら労働条件が厳しくても、会社にその改善を申し出るのは容易でありません。また、個別の企業が、労働条件を改善したいと思っても、厳しい企業間競争とグローバル経済の中、自社だけを改善するのは難しい面があります。

そこで、「過労死防止基本法」を定め、国が総合的な対策を行っていく必要があるのです。
◇私たちの求める過労死防止基本法

1. 過労死はあってはならないことを、国が宣言すること

2. 過労死をなくすための、国・自治体・事業主の責務を明確にすること

3. 国は、過労死に関する調査・研究を行うとともに、総合的な対策を行うこと

http://agentleaks.blog.fc2.com/blog-entry-13.html

ワタミ・渡邉美樹ペディア
渡邉美樹氏・ワタミグループについて報道された記事を保管している、「ウィキペディア(Wikipedia)」ならぬ「ミキペディア(Mikipedia)」である
ワタミで働き過労自殺
「神奈川労連」(労働相談)より抜粋
http://www.kanagawa-rouren.jp/archives/151


過労自殺 神奈川労連

2010.3.1
就職2カ月で過労自殺 居酒屋チェーン「和民」の26歳女性

 異常な長時間労働が原因と両親が労働災害認定を申請

森美菜さんは26才という若さで08年6月に自殺しました。名古屋から希望に胸を膨らませ「和民」(ワタミ)に就職するために上京した2ヶ月後に…こんな悲惨なことになるとは予期しないことでした。

亡き美菜さんは京急久里浜店に配属され(1)一週間の座学後、強制的に長時間労働 (2)最大7日間連続の勤務 (3)研修もまったくないまま、なれない大量の調理業務 (4)休日や勤務終了後もレポート書きに追われ、十分な休息時間がとれなかった (5)体調不良を訴えていたにもかかわらず会社はなんら適切な措置をとらなかった (6)さらに朝3時に閉店後も電車が動いていないため帰宅できずお店にいて始発電車で帰ることとなり、過度な疲労と精神的負担が蓄積されました。

名古屋に住む両親が横須賀労基署に労災を申請。労基署は残業時間100時間を超える労働に従事していたことを認めましたが、業務外と決定しました。その理由は、「心理的負荷評価表」の評価の当てはめかたに、大きな問題があります。美菜さんは一週間の会社の研修が終わり、いきなり交代深夜勤務さらに残業もさせられたことについて、「勤務形態に変化があった」として評価表の1にランク付けされました。そして長時間労働は認めましたが総合評価は「中」であり業務外としました。

「和民」の働かせ方に大きな問題があります。所定労働時間、労働基準法を無視して「長時間労働」「連続した深夜勤務」の常態化により美菜さんは心身ともに疲労困憊し26歳という短い生命を絶ちました。

現在、業務上と認めさせるために、両親は労災保険審査官に対し審査請求を行いました。働くもののいのちと健康を守る神奈川センターは両親といっしょに業務上の認定になるよう奮闘しています。3月下旬には結論が出る予定となっています。皆さんのご支援をお願いします。








「朝日新聞」(2013年8月2日0時4分)より抜粋
http://www.asahi.com/senkyo/senkyo2013/news/TKY201308010413.html


朝日新聞 ワタミはブラックじゃない


(参院の注目新人)「ブラックじゃない」 渡辺美樹氏

【大津智義】――自民党は大勝したのに、当選後に「想像を超える逆風だった」と話していましたね。

 「マスコミや一部の政党から『ブラック企業』批判の標的となった。週刊誌に書かれた1行1行に違うと言いたいことは山ほどあったが、おもしろおかしく書かれる恐れがあったので反論はしなかった。打たれるがままのサンドバッグ状態だった」

(中略)

――労災での過労自殺は何が原因なのでしょうか。

 「なぜ採用したのか。なぜ入社1カ月の研修中に適性、不適性を見極められなかったのか。なぜ寄り添えなかったのか。本当に命がけの反省をしている」


朝日新聞 何故採用したのか









「過労自殺労災認定書 謄本」より抜粋

ワタミ 過労自殺労災認定書 謄本 



この謄本は原本と相違ないことを認証する。

平成24年2月14日
神奈川県労働者災害補償保険審査官
               竹 下 輝 雄


ワタミフードサービス 過労自殺労災認定書 謄本

横須賀労働基準監督署が平成21年7月9日付けで審査請求人に行った、労働者災害補償保険法(昭和22年法律第50号。)による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分は、これを取り消す。

理由

第1 審査請求の概要
 1 審査請求の趣旨及び経過

(1)趣旨
審査請求人(以下「請求人」という。)の審査請求の趣旨は、主文同旨の決定を求めるということにある。
(2)経過
請求人の亡子森美菜(昭和56年12月1日生、以下「被災者」という。)は、平成20年4月1日、東京都大田区羽田1-1-3 所在のワタミフードサービス株式会社(以下「会社」という。)に入社し、同月13日からは横須賀市久里浜1-5-8 所在の和民京急久里浜駅前店(以下「久里浜店」という。)に配属となった。
被災者は、入社後、平成20年4月10日まで本社において座学の研修を受け、2日間の休日後から久里浜店のキッチン業務に就いていたが、同年6月12日自宅のアパートから離れたマンションより墜落死した。
その後、所轄警察署により自殺及び事故の両面から捜査が行われたが、自殺で完結した。
請求人は、被災者の死亡は業務上の事由によるものであるとして、横須賀労働基準監督署長(以下「監督署長」という。)に遺族補償給付及び葬祭料の請求に行ったところ、監督署長は、本死亡は業務上とは認められないとして、これを支給しない旨の処分をした。
請求人は、この処分を不服として、本件審査請求に及んだものである。










「NHKオンライン」(02月21日 18時02分)より抜粋
http://www.nhk.or.jp/shutoken/lnews/1003166661.html


居食屋「和民」で過労自殺 (NHK)

 入社2か月で自殺 労災と認定

 4年前、大手居酒屋チェーン「和民」で働いていた26歳の女性社員が、入社から2か月後に自殺したことについて、神奈川労働局は、残業が月に100時間を超えるなど過労が原因だったとして、女性の死亡を労災と認定しました。

  労災と認定されたのは、大手居酒屋チェーン「和民」で働いていた森美菜さん(当時26)です。
遺族の代理人によりますと、森さんは平成20年4月に「ワタミフードサービス」に入社し、神奈川県横須賀市内の店に配属されましたが、入社2か月後に自殺しました。

  遺族は「長時間の深夜勤務や、残業が続いたことが原因だった」などとして労災の認定を申請しましたが、平成21年に横須賀労働基準監督署は仕事が原因とは認めず、遺族が神奈川労働局に審査を求めていました。

 これについて神奈川労働局の審査官は、「残業が1か月あたり100時間を超え、朝5時までの勤務が1週間続くなどしていた。休日や休憩時間も十分に取れる状況ではなかったうえ、不慣れな調理業務の担当となり、強い心理的負担を受けたことが主な原因となった」として、今月14日付けで仕事の過労が原因による労災と認定しました。

  森さんの両親によりますと、手帳に記された日記には亡くなるおよそ1か月前に「体が痛いです。体がつらいです。気持ちが沈みます。早く動けません。どうか助けて下さい。誰か助けて下さい」と書かれていたということです。

 母親の祐子さん(57)は、「一生懸命頑張ってると思っていました。なぜ、もっと早く、苦しんでいることに気づいてやれなかったのかと悔やんでも悔やみきれません」と話していました。
父親の森豪さん(63)は、「娘が自殺に追い込まれたのは、会社に責任があったと認めてくれたことに感謝したい。これをきっかけに従業員を大切にする会社に生まれ変わってほしい」と話していました。

 一方、ワタミフードサービスは「決定の内容を把握していないので、コメントは差し控えたい」としています。








「ワタミ株式会社」(2012.2.21 本日の一部報道について)より抜粋
http://www.watami.co.jp/pdf/120221.pdf


過労自殺の報道に遺憾

平成24年2月21日

各 位

ワタミ株式会社

本日の一部報道について

本日、一部報道におきまして当社グループが運営する店舗に勤務していた元社員につき労災と認定されたとの報道がありましたが、報道されている勤務状況について当社の認識と異なっておりますので、今回の決定は遺憾であります。


以 上

本件に関するお問い合わせ先
ワタミグループ 広報グループ 電話:03-5737-2784



ワタミ株式会社 トピックス一覧








「Doshin web どうしんウェブ:北海道新聞の速報ニュース」(02/21 20:38)より抜粋
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/dogai/352327.html


日記に悲痛の声
自殺した森美菜さんが手帳に書いた日記

 ワタミ社員の過労自殺を認定 入社2カ月の26歳女性

居酒屋チェーンのワタミ5 件フードサービス(東京)社員だった森美菜さん=当時(26)=が入社2カ月後に自殺したのは「長時間労働による精神障害が原因」として、神奈川労働者災害補償保険審査官は21日までに、遺族の労災申請を不支給とした横須賀労働基準監督署の決定を取り消し、労災と認定した。遺族側の弁護士が同日発表した。

 決定書は「時間外労働は月約140時間以上で休日を十分取得できる状況ではなかった。業務の負荷が主因で適応障害を発病し、自殺を思いとどまる力が著しく阻害されていたと推定できる」とした。決定は14日付。






「読売新聞」(2012年2月21日20時58分)より抜粋
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120221-OYT1T00984.htm


 自殺のワタミ社員、一転して労災認定

 居酒屋「和民」を展開するワタミフードサービス(本社・東京都大田区)の女性社員(当時26歳)が2008年に自殺したことについて、神奈川労働者災害補償保険審査官は「(自殺は)業務による心理的負荷が原因」として、遺族の労災申請を認めなかった09年7月の横須賀労働基準監督署の処分を取り消し、労災と認める決定をした。

 決定は14日付。

 決定書によると、女性社員は08年4月に入社し、神奈川県横須賀市の店に配属されて調理を担当。最長で連続7日間の深夜勤務を含む長時間労働や、休日に行われるボランティア研修に参加するうちに精神障害となり、入社から約2か月後の同年6月、自宅近くのマンションで飛び降り自殺した、とした。4~6月の2か月間の時間外労働時間は計約227時間だった。






「しんぶん赤旗」(2012年2月24日 金曜日)より抜粋
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-02-24/index.html




(15) B版 [社会] 社員過労
ワタミよ 再発防げ 遺族「働く人を大事に」

 神奈川労働者災害補償保険審査官が労災と認めた、居酒屋「和民」(わたみ)で働いていた森美菜さん=当時(26)=が2008年、過酷な勤務で自殺に追い込まれた事件―。遺族側は、店舗を運営するワタミフードサービス(本社・東京)に謝罪、損害賠償、再発防止策を求めています。
(神奈川県・河野建一)



 父親の森豪さん(63)は「個人の責任ではなく、会社の責任だと審査官が認めました。ワタミには働く人を大事にする会社になってほしい」と話します。
 美菜さんは08年4月、ワタミに入社し、神奈川県横須賀市内の店舗に配属され、わずか2カ月後の6月に飛び降り自殺しました。
 同社の就業規則では、労働時間は午後4時から午前1時となっています。しかし、勤務の実態表(遺族側作成)を見ると、美菜さんは午後2、3時ごろに出勤し、平日は午前3時すぎまで働いた後、電車がないため同5時すぎまで店舗にとどまりました。週末は午前5、6時ごろまで勤務。休日は早朝の研修会などに参加し、リポートも作成していました。

 「体が痛いです。体が辛いです。気持ちが沈みます。早く動けません。どうか助けて下さい。誰か助けて下さい」

 美菜さんが手帳に書いた日記には、悲痛な訴えが残されていました。
 今回の決定で審査官は、約1カ月間の時間外労働が140時間を超え、休憩・休日も十分に取得できる状況になかったと認定。「本件精神障害は業務による心理的負荷が主因となって発病した」と判断しました。
 一方、ワタミは「今回の決定は遺憾」とのコメントを出しました。

 遺族を支援してきた「働くもののいのちと健康を守る神奈川センター」の菊谷節夫事務局長は「ワタミは決定を誠実に受け止めるべきだ。会社としての体をなしていない」と批判。遺族代理人の堤浩一郎弁護士は「ワタミが再発防止策を講じるということが非常に重要な要求になる。会社があまりにもひどい対応だったら、提訴に踏み切らざるを得ない」と話しています。






「東京新聞(夕刊)」(2012年3月6日 火曜日)より抜粋
http://www.tokyo-np.co.jp/




11 D版
ワタミ入社2ヵ月 過労自殺の元社員 「助けて」届かぬ叫び
「社会奉仕掲げ、使い捨て」遺族憤り

 居酒屋チェーン店「和民」を経営するワタミフードサービス(東京)の社員だった森美菜さんは、入社二カ月後の二〇〇八年六月、二十六歳で命を絶った。先月、神奈川労働者災害補償保険審査官は、職場での過労による自殺だったとして労災を認めた。夢を抱いて入った職場のはずが―。遺族は「娘のような悲劇を繰り返してほしくない」と訴え、同社に謝罪や勤務体制の改善を求めている。
(中沢誠)



 「誰か助けて下さい」。遺品の手帳を開くと、〇八年五月十五日のページには、美菜さんの悲痛な叫びがボールペンで走り書きされていた。その約1カ月後、社員寮近くのマンションから飛び降りた。
 駆け付けた母の裕子さん(五七)は、娘の部屋の光景が今も脳裏から離れない。殺風景な室内に、ピンク色の化粧ポーチ、カラフルな色のシャンプー、リンス。そばにあったレシートが、亡くなる数時間前に買ったことを物語っていた。
 「娘は部屋を明るくして、少しでも気分を変えようとしていたんでしょうね」。人知れず悩み、もがいていたまな娘を母として救えなかった自分を悔いている。

 小さいころから、人に貢献する仕事に就きたいと思っていた美菜さん。そうした思いが、「社会奉仕」を掲げるワタミを志望した動機だった。「深夜まで働く居酒屋の会社で大丈夫なのか」という家族の不安をよそに、美菜さんは内定後、勉強会や合宿に参加するうち、ワタミの企業理念に心酔していった。

 入社後、配属された神奈川県横須賀市の店舗で担当したのは、調理法や注文が多い刺し身などを扱う仕事。一週間の座学で、調理場に立たされた。
 連日の午前四時~六時までの深夜勤務に加え、休日も課題リポートや、ワタミが設定したボランティア活動に割かれた。
 ほとんど眠らずに、午前七時からの東京都大田区の本社である研修に参加することもあった。それでも一番早く出勤して仕込みをし、無遅刻、無欠勤だったという。

 やがて周囲に「眠い」「疲れた」と漏らすように。勤務実態について審査官は「残業時間は月約百四十一時間に上り、過労による精神的ストレスから自殺した」と認めた。

 亡くなった当日の研修に提出したとみられるリポートは、ワタミへの批判がつづられていた。父の豪さん(六三)は、「ワタミは社員に『奉仕せよ』と言いながら、使い捨てにしている」と憤る。

 ワタミのグループ会社が経営する有機野菜農場で働きたかったという美菜さん。夢を尋ねるワタミの社員アンケートに、こう答えている。「一番興味があるものは、生きるということ。人と生を支える土に関係する仕事がしたい」

「真摯に対応する」ワタミ

 森美菜さんの死後、遺族は二〇〇八年八月、横須賀労働基準監督署に労災を申請。労基署は〇九年七月、「業務によるストレスは中度で過労が自殺の原因とは認められない」と請求を退けた。遺族は不服として、裁判の二審に当たる神奈川労働局の神奈川労働者災害補償保険審査官に申し立てた。審査官は労基署の判断を覆し、美菜さんの労災認定が確定した。

 森さんの過労死認定の報道を受け、グループを統括するワタミの渡辺美樹会長が「労務管理できていなかった認識はありません」と、自身の短文投稿サイト「ツイッター」に書き込むと、サイト上で批判が殺到。渡辺会長は「三日間考え続けた」として、三日後の書き込みでは「一層の法令遵守。社員に寄り添う会社づくりを約束します」と結んだ。

 ワタミは六日、本誌の取材に「当社で把握している勤務状況は報道されている内容と異なる。決定書の内容を精査中だが、真摯に対応する」と答えた。






「関西テレビ放送 KTV (スーパーニュースアンカー / ANCHOR)」(2012年5月7日)より抜粋
http://www.ktv.co.jp/anchor/today/2012_05_07.html#02


若者を追い込む過労死 社会でなくす法制定を

過酷な長時間労働でうつ病など心の病気を発症する人が増えています。
最近は自ら命を絶つ若者も少なくありません。 過労死をなくすため新たな法律を作って欲しいと訴える親たちの叫びです。
過労死をなくすため新たな法律を作って欲しいと訴える親たちの叫びです。

【母・森祐子さん】
「なぜもっと早く助けに行かなかったのだろうと。もっと早く行っていれば助けられたのに…」

森豪さん、祐子さん夫婦の娘、美菜さんは4年前、自ら命を絶ちました。
26歳でした。

美菜さんは2008年に居酒屋チェーンの「ワタミフードサービス」に入社。
わずか2週間の研修のあと店舗に配属され、慣れない調理場での深夜勤務が続くようになりました。

【美菜さんの手帳】
「体が痛いです。 体が辛いです。 どうか助けてください。 誰か助けてください」

関西テレビ スーパーニュースアンカー

これは美菜さんの勤務表です。
両親がワタミから提出された資料や同僚の証言をもとに作りました。

午後3時頃から始まる仕事は明け方近くまで続きました。 さらに社宅が徒歩で帰れる場所に用意されなかったため、仕事が終わってから始発電車が走るまでの2時間近くを店で待機しないといけませんでした。
1ヵ月の時間外労働は過労死ラインといわれる月80時間を超える141時間にもなりました。

関西テレビ スーパーニュースアンカー

【父・森 豪さん】
「(電話で)『疲れとるか?』と聞くと『当たり前や』とかそんな感じの『とにかく眠いから早く(電話を)切って寝たい』と言う。そんなことを言う子ではなかったのでこれは大変な状況だなと思った」
【母・森祐子さん】
(娘は)「休みの日が休みならば、まだなんとかなるけれどそうじゃないからね」と言っていた。

休日には研修やボランティア活動が不定期に組み込まれ、休みがほとんどない状態でした。

【自殺の2週間前 2008年6月1日の美菜さんの手帳】
「未来が見えない。だけど心配してもしょうがない。 ため息がでる。少々鬱(うつ)かな。ほら!みな、がんばって!!きっと大丈夫だよ! もう一人のみなより」

入社から2ヵ月が過ぎたころ、美菜さんは社宅近くのマンションから身を投げました。
26歳でした。

【父・森 豪さん】
「私たちも自責の念の戦いね。自分たちが娘をあんなところに入れてしまった。だけど、あの会社がまともだったら死ななかったので、そういう気持ちを抑えて会社を正していくということをやらないといけない」

ワタミは関西テレビの取材に対し、
「森さんがお亡くなりになったことについてはとても悲しく二度と起こってはならないことだと受け止めています」とコメントしています。

しかし遺族と協議中であるということを理由に、4年が経った今もワタミはどこに問題があったのか自ら明らかにする姿勢を見せていません。






「東京新聞」(2012年5月17日 07時03分)より抜粋
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012051790070319.html


残業で不正手続き ワタミ過労死 労使協定 形だけ

 居酒屋チェーンを展開するワタミフードサービス(東京)に入社二カ月後に自殺した森美菜さん=当時(26)=が、長時間労働などを理由に過労死と認定された問題で、同社が労働基準法で定められた労使間の手続きを踏まず、従業員に時間外労働をさせていたことが、会社側への取材で分かった。手続きが形骸化すれば、経営者側の思うままに従業員側に長時間労働を強いることも可能だ。同様の違反はほかの企業でもみられ、専門家は「適正な手続きが担保されないと、過労死を助長しかねない」と警鐘を鳴らす。

 この手続きは「時間外労働・休日労働に関する協定(三六(さぶろく)協定)」。厚生労働省労働基準局監督課は、ワタミフードサービスについて「適正なやり方とは言えず、労基法に抵触する」と指摘している。

 労基法上、時間外労働は禁じられているが、労使間で三六協定を結べば認められる。三六協定を結ぶには、経営者側は店や工場ごとに労働組合もしくは、従業員の過半数の推薦で選ばれた代表との合意が必要となる。

 ワタミフードサービスは毎年、「和民」など全国五百三十のチェーン店(四月一日現在)で三六協定を結んでいる。同社は労働組合が無く、協定を結ぶには、店舗ごとに社員やアルバイトの過半数の推薦を得た代表と合意しなければならない。しかし、実際は違った。

 親会社ワタミの法令順守部門を担当する塚田武グループ長は「店長がアルバイトの中から代表を指名し、協定届に署名させている」と、手続きが形骸化していたことを認めた。

 同社は全店の協定届に、従業員の代表を「挙手で選出」と明記していたが、塚田氏は「挙手している前提で記載していたが、実態として行っていなかった」と釈明した。

 森さんが勤めていた神奈川県内の店では当時、月百二十時間まで時間外労働を認める三六協定が結ばれていた。ワタミは「次回の三六協定の更新時から、適正な手続きに改める」としている。

 森さんは二〇〇八年六月に自殺。労災を認めた神奈川労働者災害補償保険審査官によると、月の時間外労働時間は厚労省が過労死との関連が強いとする八十時間を上回り、約百四十時間に及んだ。






「東京新聞」(2012年5月17日 朝刊)より抜粋
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012051702000093.html


【社会】労働条件 言うがまま 協定 店長指示でバイトが署名

東京新聞 ワタミの過労自殺

 あらかじめ時間外労働の上限時間が書き込まれた三六協定届に、店長の指示でアルバイトが署名する-。新入社員森美菜さんが過労自殺したワタミフードサービスでは、違法な手続きで、従業員に時間外労働させていた。会社から一方的に提示された労働条件を、受け入れるしかない従業員。労使対等とは名ばかりの実態が浮き彫りになった。 (中沢誠、皆川剛)

 森さんが働いていた「和民京急久里浜駅前店」(神奈川県横須賀市)。この店の三六協定届には、労使協定を結ぶ労働者側の代表は、「挙手による選出」と印字されていた。しかし、男性アルバイトは「協定届を見たことはないし、挙手で代表を選んだこともない」と打ち明ける。

 「会社側から三六協定の説明を受けたことはない」。首都圏で店長や副店長を務めた男性(30)も、そう証言する。男性は同意した覚えのない協定届を根拠に、毎月三百時間ほど働いていた。

 ある現役店長は「全従業員の意思を確認する時間もない」と明かす。自分の店の時間外労働の上限を知らない店長までいた。

 ワタミによると、毎年の協定更新の際、店長が経験の長いアルバイトの中から代表を指名。すでに時間外労働の上限時間が記載された協定届を印刷し、アルバイトが署名をして本社に返送するやり方が常態化していた。

 ワタミの辰巳正吉・ビジネスサービスグループ長は「大きな不都合やクレームは起こらなかったので、踏襲してきてしまった」と話している。

 <三六協定>時間外労働を例外的に認めた労働基準法36条の規定から取った通称。同法で定める労働時間は1日8時間、週40時間。この時間を超えて働かせるには、労使合意に基づき書面で上限時間などを定めた協定を結び、労働基準監督署に届け出ることを36条で義務付けている。協定にも月45時間の上限はあるが、上限を超えて働かせられる「特別条項」もあり、労使の力関係で時間外労働は青天井になりうる。

◆労働者の声反映を

 労働問題に詳しい鵜飼良昭弁護士の話 三六協定を結ぶ際に、「百二十時間も働けない」という労働者の声が反映される適切な運用ならば、過労死は防げただろう。労使協定は労働時間や賃金控除など、さまざまな労働条件に影響する問題で、組合のない企業でも、労働者が声を上げられる法制度や環境づくりが大切だ。






「東京新聞」(2012年5月26日 朝刊)より抜粋
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012052602000098.html


【社会】自殺後 是正勧告10件 残業 月100時間超も

ワタミフードサービスが二〇〇九年以降、経営する居酒屋などで、時間外労働・休日労働に関する協定(三六(さぶろく)協定)に定められた時間外労働の上限時間を超えて従業員を働かせていたとして、労働基準監督署から十件の是正勧告を受けていたことが、会社側への取材で分かった。〇八年六月に新入社員の森美菜さん=当時(26)=が過労自殺した後も長時間労働が残っている実態が明らかになった。
 三六協定は労使合意に基づき、例外的に従業員の時間外労働を認める手続き。協定で定めた上限時間を超えて働かせた場合は、労働基準法に抵触する。
 親会社のワタミによると、ワタミフードサービスは〇八年十月から、経営する「和民」など居酒屋全店の時間外労働の上限を、三六協定を結んで一斉に月百二十時間から七十五時間に引き下げた。
 是正勧告を受けたのは、首都圏や関西の居酒屋の九店舗と本社。〇九年二件、一〇年三件、一一年三件、今年二件だった(四月末現在)。協定の時間外労働の上限を、最長で一人当たり月三十数時間を超えていたという。

 勧告を受けた十件のうち三件の時間外労働は、厚生労働省が過労死との関連があるとする「過労死ライン」の月八十時間を超える勤務になっていた。

 是正勧告を受けた店舗には本社が指導し、改善を図ったという。
 ワタミ・ビジネスサービスグループの辰巳正吉グループ長は「客入りが予定を上回る場合もあり、上限時間をはみ出すことは現実にある。社員の業務の一部をアルバイトに委譲したり、必要人数に向けて採用活動するなど質と量で上限内に収まるよう改善を進めている」と話している。






「東京新聞」(2012年5月26日 朝刊)より抜粋
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012052602000099.html


【社会】法令順守 追いつかず 急成長ワタミ「労使一体」

 ワタミフードサービス(東京)に入社して二カ月で自殺した森美菜さん=当時(26)=の同僚だった元男性社員(26)は、入社時の本社研修を忘れない。
 同期の一人が会場で「労働組合はあるんですか」と尋ねると、人材開発部の社員が即座に答えた。「うちにそんなものはないし、必要ありません。問題が起これば迷わず相談してください」。会場がざわめいた。
 四年たった今も、ワタミグループに労働組合はない。「創業者の渡辺美樹氏は社員を家族と言ってはばからない。その思想が背景にある」と元幹部は説明する。
 だが、“娘”だった森さんの葬儀に渡辺氏の姿はなかった。
 ワタミの法令順守担当の塚田武グループ長は「わが社は労使対等というより労使一体。問題があれば内部通報制度もあり、従業員の意見を集約する機能を十分果たしている」と話す。親会社のワタミは創業十四年で東証一部に上場。〇五年にはチェーン店が五百を超えた。社長だった渡辺氏の「二〇〇八年千店舗達成」の大号令に加え、介護分野など事業の多角化にも乗り出す。ある店長経験者は「むちゃな拡大路線で現場にひずみが生まれていた」という。元取締役も「会社の急成長の裏でコンプライアンスが追いついていなかった」と語る。森さんが自殺した〇八年前後は、ワタミフードサービスで労務管理の問題が噴出した時期だった。三十分単位で勤務時間の端数を切り捨てていた残業代の未払いが発覚し、アルバイトの解雇をめぐる訴訟も起きた。ワタミフードサービスは、この年を境に時間外労働の上限を全店一斉に短縮。店舗のパソコンで一分単位で出退勤時間が記録できるシステムに改めた。塚田氏は「いけいけドンドンの創業時と違い、会社が大きくなると法令順守が求められるようになり、企業として成熟していった」と説明した。
 ワタミの中堅幹部によると、今年二月、森さんの労災認定を、会社は驚きを持って受け止めたという。中堅幹部は「労働基準監督署は不認定だったし、労務管理も改善が進んだ。森さんの件は社内的には終わった話で、青天の霹靂(へきれき)だった」と明かした。
 森さんの労災認定の際、神奈川労働者災害補償保険審査官が指摘した、森さんの月百四十時間の時間外労働について塚田氏は「当時から異例だった」と言い切る。
 だがワタミフードサービスでは今も、従業員の意思が反映されないやり方で三六協定が結ばれ、労働基準法に抵触する状態が続く。従業員は、経営側の言うがままの労働条件を受け入れるしかない。
 渡辺氏は森さんの労災認定後、短文投稿サイト「ツイッター」に「労務管理ができていなかったとの認識はない」と書き込み、批判にさらされた。

 今月、渡辺氏に三六協定の手続きが適正かなどについて取材を申し込んだが、回答は「遺族と協議中のためコメントは控えさせていただきます」だけだった。

   ×  ×

 手帳に「誰か助けて」と書き残し、新入社員の森さんは自ら命を絶った。「過労死」という言葉が生まれて、今年で三十年。過労死はなくなるどころか、年々増え続けている。会社の利益を追求するあまり、人命が軽視されていく。彼女らの悲鳴はなぜ届かなかったのか。過労死を生む背景に迫る。








「東京新聞」(2012年6月1日 朝刊)より抜粋
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012060102000216.html


【社会】<過労社会>和民に労基署勧告 不正な残業是正を

 居酒屋「和民」などをチェーン展開するワタミフードサービス(東京)が不正な手続きで従業員に時間外労働させていた問題で、労働基準法に抵触すると判断した労働基準監督署が五月下旬、関東地方の和民など三店舗に是正勧告したことが分かった。

 親会社のワタミによると、是正勧告を受けたのは、二〇〇八年に過労自殺した森美菜さん=当時(26)=が働いていた神奈川県横須賀市の店舗も含まれている。ワタミフードサービスは既に改善報告書を労基署に提出した。

 企業が従業員に時間外労働をさせるには、労働基準法三六条に基づき、労使間で労働時間の上限などについて合意した「三六(さぶろく)協定届」を労基署に提出しなければならない。ワタミフードサービスの場合、店舗ごとに従業員の過半数の同意で選ばれた従業員の代表が、会社側と三六協定を結ぶ必要がある。

 同社の三六協定届には、従業員の代表者について「挙手で選出」と記載されていたが、実際は店長がアルバイトの中から代表を指名する不正なやり方が常態化していた。

 ワタミの担当者は本紙の取材に「今後は、店長が従業員の中から代表を推薦し、書面で過半数の従業員から同意を得る選出方法に改める」と説明した。ワタミフードサービスは六月末までに全店の協定届を出し直す方針。

 ワタミフードサービスの不正な手続きを指摘した本紙の報道を受け、厚生労働省は五月十八日付で全国の労働局に、労基署で三六協定届を受け付ける際、労働者側代表の選出方法について不正な疑いがあれば、窓口で確認を取ることを徹底するよう通達を出した。






「東洋経済オンライン」(12/07/02 | 10:58)より抜粋
http://www.toyokeizai.net/business/strategy/detail/AC/2e5abdc967e9426c16787fcdbc177035/page/1/
http://www.toyokeizai.net/business/strategy/detail/AC/2e5abdc967e9426c16787fcdbc177035/page/2/


ワタミ株主総会 2012

 ワタミの株主総会はのべ参加者9500人と、東電抜き日本最大の株主総会に返り咲く(1)

 居酒屋大手で有料老人ホーム等も展開するワタミの株主総会が、6月30日、両国国技館(東京都墨田区)で開催された。議長を務めたのは桑原豊社長。所要時間は例年通り、10~12時の第1部が株主総会、13~16時の第2部がワタミ感謝祭/渡邉美樹LIVE2012という2部構成だった。

 出席した株主数は3200人だが、1部と2部を合わせ、のべ9500人が参加する日本最大級の株主総会になった(昨年は7300人)。「剰余金の分配」「取締役5名選任の件」「監査役2名選任の件」「補欠監査役選任の件」という4件の会社提案はすべて承認された。

 冒頭、議長の桑原社長が、国技館の場所がとれず、株主総会開催の時期が例年に比べて遅れたこと、つれて配当の支払いが7月にずれ込んだことについて謝罪。また、女性従業員が過労で自殺したとされる問題については、「労災認定にかかわる報道で心配をかけて申し訳ない。現在、遺族とは協議中なので詳細については話せない。このような悲しい事故が2度と起きることがないように、より社員の健康管理や労働環境の整備に取り組んでいく。改善すべきことについてはすでに改善している」と説明した。

 ワタミの幹部が公の場でこの労務問題について言及したのは今回が初めて。ただその後、5時間にわたる株主総会でこの問題が取り上げられることはなく、渡邉美樹会長の講演でも一切言及はなかった。また総会中、株主ほか参加者ら20人以上が質問に立ったが、労務問題に関する質問はなかった。

 10~12時に開かれた第26回株主総会では、議長の桑原社長を中心にスライドを使って業績の説明を行い、20分ほど風力発電や配当に関する株主からの質問に答え、4つの議案を可決した。その後、経営幹部らが外食、介護、宅配弁当、農業などそれぞれの事業について今2013年3月期の見通しを説明。株主ほか参加者から、急成長する宅配弁当の将来性に関する質問などに答えた。



ワタミ株主総会 2012

 ワタミの株主総会はのべ参加者9500人と、東電抜き日本最大の株主総会に返り咲く(2)

 お昼休みを挟み、13時から始まる第2部は「ワタミ感謝祭/渡邉美樹LIVE2012」。アナウンサーの草野仁が司会を務め、渡邉会長の活動について映像や講演会、トークセッションなどさまざまな形式のイベントを実施した。

 特別ゲストとして渡邉会長が参与を務める陸前高田市(岩手県)の戸羽太市長や大相撲の貴乃花親方が登場し、トークセッションを行った。その後、渡邉会長が代表を務める「みんなの夢アワード2013」に触れながら「どうやって夢を叶えるか」というテーマについて話をし、会場からの質問に当意即妙に答えて、16時前に閉会となった。

 ワタミの株主総会は一部株主限定のスペースが設けられているが、「株主とは思いを共有する仲間。総会はどこまでもオープンに」(渡邉会長)という方針のもと、株主以外も事前に申請すれば、無料で参加することができる。今年の株主総会には3200人の株主以外に、株主の家族や友人など2300人が同伴者として参加。さらに取引先や従業員、一般来場者も含まれている。今回は貴乃花親方を交えたラジオの公開収録を実施するため、積極的にHPなどで参加を呼びかけたことも奏功。昨年を大幅に上回る参加者数となった。

 国技館の会場ではワタミの外食や介護といった取り組みを説明したブース以外にも、宅配弁当「ワタミの宅食」の販売スペースや、介護施設の入居相談会、キッズスペースなどさまざまな出し物も多くあり、家族連れの姿が目立った。

(松浦 大 =東洋経済オンライン)









「朝日新聞」(2012年8月3日17時49分)より抜粋
http://www.asahi.com/national/update/0803/TKY201208030414.html


朝日新聞 2012.8.3

過労自殺の和民社員遺族が受賞 過労死防止の中島富雄賞

 過労死をなくすために貢献した個人や団体を表彰する「第6回中島富雄賞」の授賞式が5日、東京都内で開かれる。今年の受賞者は居酒屋「和民」を展開する「ワタミフードサービス」で正社員として働き、過労自殺した森美菜さん(当時26)の両親、豪さんと祐子さん。式では、2人が娘との思い出や、労災認定を受けるまでの経緯を語る。

 同賞の事務局によると、美菜さんは2008年4月から正社員として勤務。深夜勤務などで心理的な負担が高まり、2カ月後に自殺した。豪さんと祐子さんの働きかけで今年2月、労災の適用が認められた。

 この賞は、大手外食チェーン「すかいらーく」に勤め、長時間労働が原因で過労死した中島富雄さんの遺族がつくった。授賞式は午後1時から東京都葛飾区のかつしかシンフォニーヒルズで。問い合わせはNPO法人労働相談センター内の事務局(03・3604・1294)へ。









「毎日新聞」(2012年09月20日 19時13分)より抜粋
http://mainichi.jp/select/news/20120921k0000m040025000c.html


毎日新聞 2012年9月20日


労災自殺:両親がワタミ会長らに申し入れ書 説明求める

 ワタミの外食チェーンを運営するグループ会社「ワタミフードサービス」の従業員だった08年に自殺し、今年2月に労災認定された森美菜さん(当時26歳)の両親が20日、東京都大田区のワタミ本社を訪れ、渡辺美樹会長らに事実説明を求める申し入れ書を提出した。

 美菜さんは同社の「地球上で一番たくさんの“ありがとう”を集めるグループになろう」というスローガンに共感し、08年4月入社。居酒屋に配属され、5月中旬に抑うつ状態となった。1カ月の時間外労働は141時間。自宅に帰れないこともしばしばで、自殺直前、美菜さんが会社に提出したリポートには「ワタミ文化とは、こういう現実をさすものなのだろうか」と記されていたという。

 父豪さん(64)と母祐子さん(58)はこの日、応対した社員を前に「どのようにワタミという会社は、娘を死に至らしめたのか」と文書を読み上げ、「会社の労働実態について、代理人ではなく社長や会長自身に考えてほしい」と訴えた。







「毎日新聞」(2012年10月7日 1面・4面)より抜粋
http://mainichi.jp/


毎日新聞 2012.10.7 朝刊一面


「どうか 誰か助けて」 ――若者の過労自殺

 「体が痛いです。体が辛いです。気持ちが沈みます。早く動けません。どうか助けてください。誰か助けてください」
 彼女が使っていた黒いシステム手帳を開くと、小さな字でそう走り書きしてあった。神奈川県の社宅で1人暮らし。連日のように深夜、早朝までの勤務が続いていた。
 国内外に約700店舗の外食チェーンを展開する「ワタミフードサービス」の新入社員だった森美菜さん(当時26歳)が長時間労働から、適応傷害、自殺に追い込まれたのは08年6月12日。「誰か助けて」とメモして1カ月。入社からわずか2カ月後だった。
 「その日以来、私たちの時間は止まったまま。来る日も来る日も、娘の姿が浮かびます」
 それから4年3カ月を経た9月20日。美菜さんの労災認定を受け、父豪さん(64)と母裕子さん(58)が東京都大田区のワタミグループ本社を訪れ、経営陣に、謝罪と損害賠償について直接協議に応じるよう申し入れた。
 長い道のりだった。横須賀労働基準監督署は09年7月に適応障害の発病は認めたが、業務上のストレス程度を「中」と判断して労災申請を却下した。遺族は神奈川県労働者災害補償保険審査官に不服を申し立て、今年2月に逆転認定、確定した。

(中略)

 この逆転認定について、渡辺美樹・ワタミ会長(53)は「労災認定の件、大変残念です。四年前のこと昨日のことのように覚えています。彼女の精神的、肉体的負担を仲間皆で減らそうとしていました。労務管理できていなかったとの認識は、ありません」とツイッターで発言した。

(後略)

6連勤 休日は研修

 神奈川県横須賀市。自殺した森美菜さん(当時26歳)が働いていた「和民」京急久里浜駅前店はモダンな駅舎から道路1本隔てたところにある。平日の午前1時に訪れた。台風の夜だったが、2組4人の客がいた。
 「本日は午前3時までです」。営業時間を聞くと、レジの男性店員が愛想良く答えた。営業は午後5時から午前3時まで。金、土曜日と祝日の前日は午前5時まで。周囲の店が閉まる時間帯に和民は営業を続ける。
 始発電車の時間を店員に聞くと、乗る路線と方向を確認し、わざわざ時刻表を持ってきてくれた。注文したフライドポテトは互いにくっついていた。
 「本社での調理研修3、4時間。卵焼きや焼きそばを作ったり、カツオの刺し身の切り方を教わった程度だった。美菜さんも調理業務に携わったことはないとのことだったので、非常に大変だったと思う」
 毎日新聞が入手した労災認定によると、美菜さんは配属後、キッチンで刺し身やサラダなどを作る「刺場」と呼ばれる調理業務を原則1人で担当させられていた。
 決定書によると、「刺場」は注文から15分以内に料理を提供するルール。美菜さんは分厚いマニュアルを横に置き、調理していたという。

 あてがわてた社宅は隣駅とはいえ、店舗から徒歩約40分かかる。美菜さんは午前3時半に仕事が終わっても、始発電車が動く午前5時37分まで店内で待機していた。
 閉店後、店から美菜さんが住んでいた社宅があったところまで歩いた。山道は暗く引き返したくなった。

 「休みが休みであればいいのだけれど……」。美菜さんは母裕子さん(58)への電話でつぶやいた。休日にもボランティア活動や研修会への参加が求められた。
 自殺する前日の08年6月11日。美菜さんは連続6日勤務の後の休日だったが、東京都大田区内の本社で午前7時から開かれた早朝研修に参加していた。この日、提出が課せられた「読書感想文」が遺品のパソコンに残っていた。課題図書は、ワタミ創業者の渡辺美樹会長(53)の著書「夢に日付を!」。

 渡辺会長はこの本の中で「大学を卒業した私は、会社を設立する資金づくりのために1年間、運送会社でドライバーとして働きました。その一年間はまさに地獄。実際、毎日が二〇時間以上の労働という極めて過酷な状況でした」と記し、2年後に社長になる「夢」が励みになったと説いていた。

 美菜さんはこんな感想をつづっていた。
<「夢」とは何だったろう? 何か楽しいものだったろうか? 今は、足元しか見えない。遠くを見通せる日は来るのだろうか? 日付を入れれば、見えるようになるのだろうか?>

 痛々しい文面が胸を突いた。美菜さんは美術系大学を卒業した。裕子さんは「農業にも関心を持っていた娘は居酒屋で3年頑張れば、ワタミの経営する農業で働けると夢を語っていました」と話した。
 死亡推定時刻は研修翌日の午前1時から2時。死因は墜落死。社宅近くのマンション階段の7階と8階の間に花柄の白い傘が立てかけられていたという。遺書はなかった。
 父豪さん(64)は「だれが、何が、娘を死に追いやったのか。死因は何なのか知りたい」と無念を語る。

 ワタミの矢野正太郎広報グループ長は再発防止策などについて「労働環境の改善を経営の重要課題と認識しています」とした上で①労働時間の把握、管理を効率的に行うためのシステム対応②心身面が不調な社員のための相談窓口の設定――などを取り組んでいるとした。

 美菜さんの両親は、渡辺会長をはじめとする経営陣から直接、謝罪の言葉を聞き、損害賠償の協議を求めたいと考えている。

 だが、両親の申し入れについて、ワタミ側は9月26日付の内容証明郵便で直接協議を拒否、弁護士を代理人に立てての協議を続けていく意向を繰り返した。

 豪さんは「事情を知らない弁護士ではなく、当事者同士で話し合うことで、ワタミの実態を明らかにし、経営者としての自覚を促していきたいのです」と訴えた。その声には静かな怒りがこもっていた。


浦松丈ニ(東京夕刊編集部)






「朝日新聞」(2012年10月30日)より抜粋
http://www.asahi.com/news/intro/TKY201210290299.html


朝日新聞 2012.10.30

過労死のわけ知りたい 経営陣との面会求める 「和民」勤務の娘が自殺 両親「再発防ぎたい」

 ワタミグループが展開する居酒屋チェーン「和民」に勤めていた娘を過労自殺で失った両親が、死後4年以上たった今も、「娘はなぜ死んだのか」と問い続けている。自分と同じ思いをする人をなくしたい。それが、過労死遺族の思いだ。

 「誰が、何が、娘を死に追いやったのか。ワタミは説明していません」
 9月20日、東京都内のワタミ本社。過労自殺した森美菜さん(当時26)の父豪さん(64)が、ワタミ経営陣との面会を求める申入書を、社員に向かって読み上げた。娘の遺影を抱えた母祐子さん(58)が、険しい表情でうなずいた。
 申入書には「私たちの時間は止まったままです」と書いた。「娘を死に至らしめたワタミの業務の実態を明らかにしなければ、再発防止はありえない」と豪さんは話す。

(中略)

 労災は認められたが、会社の労務管理を改めてもらい、新たな被害を防ぎたい――。そう思った夫妻はワタミに話し合いを申し込んだ。

 しかし、話し合いに出席するのは、会社の代理人の弁護士。
 会社はどのような考えで社員の労務管理をしているのか、そこに問題はなかったのか。本質的な問いには答えてないと感じる。夫妻は渡辺美樹ら経営陣との面会を求めている。

 ワタミの矢野正太郎広報グループ長は、「以前から労働環境の改善は経営の重要課題と認識している。労働時間の把握、管理も効率的に行うようにしている。心身面が不調な社員の相談窓口もある。森さん夫妻とは、これまで通り代理人を通じて話し合いを続けたい」という。






「東京新聞」(2012年12月29日)より抜粋
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20121229/CK2012122902000111.html


東京新聞 2012年12月29日 ワタミ 過労自殺


2012かながわ取材ノートから(9) 「ワタミ」過労自殺 人命軽視にSOS

 京急久里浜駅西口(横須賀市)を出てすぐに居酒屋チェーン「和民久里浜駅前店」はある。クリスマスの夜、午後八時を回っても客の入りは半分ほど。Jポップのクリスマスソングが流れる中、きびきびと若い女性店員が客の注文をさばいていた。四年前、この店で働いていた「ワタミフードサービス」(東京)社員の森美菜さん=当時(26)=が自殺した。入社して二カ月だった。今年二月、長時間労働によるストレスが主な原因として、労災が認められた。ワタミフードサービスは、労働基準法が定める労使手続きを踏まず、月百二十時間まで残業できる労働条件を従業員に押し付けていた。森さんは、その上限をさらに超える月百四十時間も残業していた。厚生労働省が過労死との因果関係が強いとする月八十時間の「過労死ライン」を大幅に超える残業時間だった。過労死、過労自殺の遺族が決まって口にするのは「二度と同じ悲劇を繰り返してほしくない」。森さんの両親も同じだ。

 なぜ娘は自殺しないといけなかったのか。今も、両親は会社に娘の自殺の原因究明を訴え続けている。

 労災認定後、両親は、ワタミ側と弁護士を通じて和解交渉に入ったが、ワタミ側は「直ちに会社の安全配慮義務違反には当たらない」と主張。再発防止策への明確な回答もなかった。

 両親は九月、ワタミグループ本社(東京)を訪ね、勤務実態の解明と再発防止のため、グループトップの渡辺美樹会長との直接交渉を求める要望書を手渡した。

 度重なる要求の末、ワタミ側が提示したのは「渡辺会長の同席は一回だけで、録音は不可。両親の立てた代理人とは交渉しない」というものだった。「まるで加害者意識がない」との両親の抗議に、ワタミ側は十一月下旬、簡裁に民事調停を申し立ててきた。

 森さんの父豪さん(64)は、「ワタミ側は金を払えばいいだろうという態度。何の反省もない。実態究明もないのに金も謝罪も再発防止もない」と憤る。

 ワタミフードサービスの過労自殺問題を機に、この一年、「過労社会」と題する報道を続けてきた。これまで過労死は真面目な人だから、ワーカホリックだったからなどと個人的な問題に矮小(わいしょう)化され、ややもすると自己責任のようにとらえられてきた。わが国は長い不況から抜け出せず、企業は長時間労働や非正規労働といったかたちで、従業員を犠牲にしてまで利益を求めようとして、労働現場は過酷さを増している。

 過労死は、このような人命軽視の働き方へのSOSだ。過労死は、特定の人だけにかかわる特別な問題ではない。 (中沢誠)











「働くもののいのちと健康を守る神奈川センター」(2011年2月22日号)より抜粋
http://www.geocities.jp/inokenkanagawa/newsindex.html


記者会見、横須賀労基署へ謝罪要求



働くもののいのちと健康を守る2011.2月22日号
神奈川センターニュースNO.199
発行:働くもののいのちと健康を守る神奈川センター
事務局:神奈川労連(℡045‐212‐5855、FAX045‐212‐5745)
メールinoken.kanagawa@gmail.com
http://www.geocities.jp/inokenkanagawa


記者会見、横須賀労基署へ謝罪要求

 「和民」で働いていた森美菜さんの過労自殺が業務上と認定

 2月21日居酒屋「和民」で働いていた森美菜さんの過労自殺が業務上と認定されたことを受けて、両親が記者会見を行ないました。また記者会見の前に横須賀労基署に出向き、謝罪を求めました。

再発防止を率先して行い、働く人を大切にする会社になってほしい

 記者会見で代理人の堤弁護士から美菜さんが過酷な労働実態のもとで、強い心理的負担により精神障害を引き起こし過労自殺にいたった経緯を説明し、神奈川労災保険審査官の段階で業務上の定となったことを報告しました。
 美菜さんの日記も紹介。働いてから1ヶ月余に日記には「体が痛いです。体が辛いです。気持ちが沈みます。早く動けません。どうか助けてください。誰か助けてください」堤弁護士とご両親と辛い毎日が綴られていました。

 美菜さんの父親は「自殺が会社の責任で会ったことが認められたことは娘の一番の供養になる。和民の責任は重大。再発防止を率先して行い、働く人を大切にする会社になってほしい」と述べ、「今回の認定を勝ち取るにあたって、弁護士を始め、いのちと健康を守る神奈川センターに支援していただきました」と挨拶。記者から多くの質問が出され、関心の高さを伺わせました。


横須賀労基署の署長が謝罪

 会社に対し謝罪や損害賠償など要請

 これから会社との交渉に入ります。2月22日に代理人堤弁護士と小花弁護士名で次の要望書を文書で会社に郵送。(1)故人の死亡につき深い謝罪をして欲しいこと(2)故人の死亡につき損害賠償義務を尽くしてほしいこと(3)貴社は今後の新入社員につき、故人と同様の事件が生じないよう万全の再発防止策をとった上、その内容を明らかにすること、というものです。

横須賀労基署の署長が謝罪

 記者会見前に横須賀労基署へ森美菜さんの両親と神奈川センター菊谷事務局長、稲木次長、前田次長、内山幹事が要請。労基署は都築署長と加古労災課長が対応。労基署に対し謝罪を求めるとともに、誤った決定やずさんな調査、時間の把握・とらえ方などの問題点について厳しく指摘し、労基署としての検証が必要だと強く要請。
 都築署長は「このたびのことについて、長い時間をかけてご両親に負担をかけたことをお詫びしたい」と謝罪。「検証した結果については要望に沿う形で年度内をめどに対応したい」と答えました。

 日本の異常さが明らか

 まともな労働時間、働き方、まともな賃金でないこと

  <小林忍さん(妻が過労死として認定された)からメールが寄せられました>
 ワタミの案件が労災適用の決定をした報道に接し大変うれしく思っています。1年ほど前に、現場の実態調査のために、小花弁護士・内山さんと一緒に横須賀の「和民」に行ったことを思い出します。大分時間が掛かりましたが、一つの山を越えることが出来て良かったですね。これから、ワタミとの戦いが大変だと思いますが、遺族の悔しさを少しでも和らげることが出来るように頑張って下さい。

 一日も早く改善を

 1月5日からデンマークに研修ツアーに行ってきました。北欧に行く度に思うことですが、日本の労働環境がとんでもない状況になっていることです。まともな労働時間、働き方、働かせ方、まともな賃金でないこと。北欧では、労働時間は週38時間(殆どの国は37時間ですが)「時間外労働をすることや時間外労働をしなければ生活できない」など日本の異常さが明らかです。
 ILO条約1号条約など未だ批准していない日本の状況を反映していますね。この状況を、1日も早く改善するために奮闘したいものです。










「わたなべ美樹 ツイッター」(2012年2月21日 - 20:55)より抜粋
https://twitter.com/watanabe_miki/status/171926030666309632


わたなべ美樹 労災の件が大変残念です ワタミ


労災認定の件、大変残念です。四年前のこと 昨日のことのように覚えています。彼女の精神的、肉体的負担を仲間皆で減らそうとしていました。労務管理 できていなかったとの認識は、ありません。ただ、彼女の死に対しては、限りなく残念に思っています。会社の存在目的の第一は、社員の幸せだからです






「わたなべ美樹 ツイッター」(2012年2月22日 - 9:26)より抜粋
https://twitter.com/watanabe_miki/status/172115048280502272


亡くなった彼女も学校つくりを応援している ワタミ 渡邉美樹


バングラデシュ 朝、五時半に、イスラムの祈りが、響き渡っています。たくさんのご指摘に、感謝します。どこまでも、誠実に、大切な社員が亡くなった事実と向き合っていきます。バングラデシュで学校をつくります。そのことは、亡くなった彼女も期待してくれていると信じています。











「ワタミ株式会社」(2012.2.24 2月14日付け決定された労災認定について)より抜粋
http://www.watami.co.jp/pdf/120224.pdf

遺憾から三日で一変


平成24年2月24日
各 位

ワタミ株式会社

2月14日付け決定された労災認定について

過日、報道のありました弊社グループ元社員に関する労災認定については、神奈川労働者災害補償保険審査官による決定の内容を精査の上、真摯に対応してまいります。

以 上

本件に関するお問い合わせ先
ワタミグループ 広報グループ 電話:03-5737-2784


ワタミ株式会社 トピックス一覧 変更後







「ワタミ株式会社」(2012.5.17 本日の一部報道について)より抜粋
http://www.watami.co.jp/pdf/120517.pdf


東証一部上場企業とは思えないプレスリリース


平成24年5月17日
各 位
ワタミ株式会社

本日の一部報道について

本日、一部報道におきまして当社グループ会社のワタミフードサービス株式会社の労使協定の締結の仕方について適切でない部分があったとの報道がありました。
当社といたしましては、適切な協定締結を進めてまいりましたが、各店舗における運用や本部における、その確認について徹底ができていない部分がありましたので、今後改善を図ってまいります。

本件に関するお問い合わせ先
ワタミグループ 広報グループ 電話:03-5737-2784


ワタミ株式会社 トピックス一覧 追伸








「MSN産経ニュース」(2013.12.9 19:05)より抜粋
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/131209/waf13120919150027-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/131209/waf13120919150027-n2.htm


ワタミ 和民 渡邉美樹 提訴 裁判 訴訟 ブラック


「ブラック企業の要素全部」「全く反省していない」不信、無念…ワタミ提訴で両親会見

 「助けて下さい」というSOSを残した居酒屋チェーン「ワタミフードサービス」の新入社員だった森美菜さん=当時(26)=の過労自殺は、若者に過酷な労働を強いる「ブラック企業」の問題がさまざまなところで取り上げられる中で、反響を呼んだ。ワタミ側に両親が「懲罰的慰謝料」を求めた背景には、原因調査や、遺族対応への不信感がある。

渡邉氏の理念240頁を暗記せよ

 「ワタミ側には『ブラック企業』の要素が全部あてはまっている気がする」。提訴後の記者会見で父の豪さん(65)はそう語り、母の祐子さん(59)は「全く反省していないから、娘の死と向き合ってくれないのだろう」と無念をにじませた。

 生前の森さんは、渡邉美樹氏の著書を課題図書としたリポートや、240ページ以上にのぼる「理念集」を暗記するために休日をつぶした。新卒研修は全員参加が義務付けられていたが、ワタミ側は当初「業務ではなく、自己啓発の時間だった」と説明していた。


ワタミ 和民 わたみん家 渡邉美樹 桑原豊 提訴 裁判 訴訟 過労死 自殺


 また、渡邉氏は平成24年2月の労災認定を受け、短文投稿サイト「ツイッター」に「労務管理ができていないとの認識はない」という趣旨の書き込みをしたほか、参院選への出馬を表明した今年5月には、自身のホームページで「ワタミグループをブラック企業と呼ぶことは、到底受け入れられない」と主張した。

 両親は渡邉氏らとの面会を再三求めたが、ワタミ側は無条件での面会を拒否し、損害賠償の金額を確定させるよう逆に民事調停を申し立てた。調停は今年11月に決裂し、提訴にいたったという。両親の目的は真相究明だ。豪さんは「なぜ娘が亡くなったのかを答えてほしいという一点で提訴した」と話した。







「ワタミ株式会社」(2013.12.9 本日の一部報道につい)より抜粋
http://www.watami.co.jp/pdf/131209_whd.pdf


ワタミ ワタミフードサービス 渡辺美樹 栗原聡 小林典史 懲罰的慰謝料 裁判 訴訟


平成25年12月9日

各 位

ワタミ株式会社
代表取締役社長
桑原 豊

本日の一部報道について

本日の一部報道におきまして、弊社グループで勤務をしていた故森美菜さんのご遺族様が弊社を提訴したという報道がありました。
ワタミグループの社員がお亡くなりになったことは、大変悲しく、重く受け止めております。
ご遺族の皆様には改めてお悔みを申し上げます。
ご遺族様とは本年1月より、調停の場で協議をさせていただき、過去の裁判例に則り和解のご提案をしてまいりましたが、誠に残念ではありますが合意に至ることができませんでした。
今後は、訴状内容を確認のうえ、誠実に対応してまいります。

本件に関するお問い合わせ先
ワタミ株式会社 ブランド広報グループ 電話:03-5737-2784


ワタミ 渡辺美樹参議院議員 栗原聡 小林典史 提訴 トピックス









【備考】「亡くなった森美菜さんの勤務状況表」(居食屋「和民」京急久里浜店)より抜粋


森美菜さんの勤務状況表

※ 赤がワタミ側の主張、黄色と緑は神奈川労働者災害補償保険審査官が認定した拘束時間



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究極の新旧対決! ハファエルメンデスvsパウロミヤオ



http://jiujitsushinbun.com/2014/01/%E7%8F%BE%E5%9C%A8%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E6%9F%94%E8%A1%93%E6%9C%80%E9%AB%98%E5%B3%B0%E3%81%AE%E8%A9%A6%E5%90%88%E3%80%81%E3%83%8F%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A8%E3%83%AB/

上記リンク先の柔術新聞さんで素晴らしい解説がされております

しかし胸と胸が合っていなくてもパスと見なされるんですか…
う~ん…
パスガードの基準が曖昧過ぎですね
訳わからん

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戦争に役立たない障害者に価値は無い 戦前の日本に見る富国強兵の障害者蔑視 日本の障害者の戦いの歴史

http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/rehab/r054/r054_002.html
日本の障害者の歴史

―現代の視点から―

花田春兆 *

A 近代以前

 1.神話・民間伝説

 日本の障害者は、歴史のはじまりと共に現われます。日本で一番古い書物の「古事記」によれば、日本で最初の男神、女神、聖書にたとえればアダムとイヴに当るイザナミ、イザナギ二神の間に生まれた最初の子が、どうも未熟児のCPだったらしいのです。3歳になっても体がグニャグニャなので、ヒルコと名付けられます。水田などに住んで人や動物の血を吸うヒルです。このヒルコは葦の船に乗せられて海に流されて、歴史の上からは姿を消してしまいます。

 そのヒルコが後の時代になって、民間伝説の中ではエビスと名を変えて、福の神としてリハビリテーションするのです。葦の船が無事に岸に流れついて、そこで魚釣りの神となったという話です。新しい国造りに忙しい当局者から消されたものが、庶民の力によって復活させられたのです。

 その他にも日本神話には、スクナヒコノミコトとかクエビコとか、小人だったり、歩行不能者であることを思わせる神がいます。身体に障害があっても、優れた頭脳の持ち主として登場しているのです。

 民間伝説といえば福子伝説というのが日本各地に存在しています。障害児が生まれるとその家は栄える、という言い伝えです。そうした子供が生まれると、その子が一生困らないように……と、家族全体が心を合せて仕事に励む結果が、その家を栄えさせることになるのでしょう。その家族にとっては非常な努力と苦労の結果に違いないでしょうが、近所から見ると、いかにも障害児が福を招き寄せるようにも見えたのでしょう。見方を変えると、この福子伝説の広がりが、障害児たちを生かすことに役立ったことになるのだと思います。

 福の神といえば時代はぐっと近くなるのですが、七福神信仰というのがあります。7人の福を守る神々ということで、この7人を乗せた宝船の図を飾ったり、新年にはそれぞれの神をまつった神社を7ヵ所参拝して回るという習慣が、江戸時代の庶民の間には盛んだったようです。

 ところがこの7人の神の中でただ1人の女神である弁天を除いた他の6人は、どうも障害者としての傾向が強いようです。さっきあげたエビスをはじめ、精薄とか水腫症とかの症状が見られるのです。こうした見方はなにも私だけのものではなく、江戸の同時代の人がすでに指摘しています。

 ここで注意したいのは、この7人の神のもとの国籍です。純粋に日本といえるのはェビスくらいのもので、他は中国であり、インドであるのです。エビスと並んで代表的なダイコクも日本では大国主神となっていますが、どうもインドのダイコクテンが源であろうとの解釈も可能なのです。説明する紙数がないので飛躍的な論理となりますが、障害者は外国人並みに少し違った人間と見られていたのでしょう。そして外国人を見る機会が多ければ、障害者も特別に意識しないですんだのだと思われます。

 仏教や漢字文化の伝来が示しているように、日本文化の基礎が確立していたその時期は、中国や朝鮮半島との交流も盛んで、外国人を見る機会はあったのです。そして、中国を通じてシルクロードとも結ばれていたのです。

 また、そうした神話や民間伝説を語り継ぐ役を果たしていたのが、老人であり、盲人をはじめとする障害者であったことも、忘れてはならないでしょう。盲人の記憶力のよさもあげられますが、これらの人々は狩とか田畑に出るよりも、家にいてイロリの火を守ったことが考えられます。イロリは人々の集まる場所であり、今でいうならば情報の中心を把握していたことになるので、重要な位置を占めていたことになりましょう。

 2.古代統一国家

 奈良に都を定めた天皇家の古代国家は、当時の中国の唐を手本にして、中央集権の国家を創ろうとします。土地と人民をすべて国の直轄化におこうとしたのです。その時の法律に障害者対策が明示されているのです。税の減免措置がそれです。人数割りで分けた土地から納めさせる米や麦を、障害者がいる場合には、その障害者の障害度によって、納めさせる量を減らしたのです。このような障害者への減免措置が法律に明示してあるのは、この時の他には、現代(太平洋戦争以後)まで無かったことと思われます。それだけ税の取り立てがきびしかった表われでもありましょうが、障害者を1人の立派な公民として扱い、しかも障害度に応じて対応していることは確かなのです。但し減免といってもまるっきりゼロになるわけではなかったので、その分だけ家族や村全体としての負担が増えることになるケースもあるわけで、それに苦しんで土地から逃げ出さねばならなくなる人々もあったようです。もっとも健康な人でも税に追われたり、税を嫌ったりして逃げだす人々はいたようです。

 この奈良時代は仏教が国の宗教となり国家の権力と結びついたのですが、その中で現在の社会事業と呼べるものが発足しています。大阪の四天王寺などに建てられた悲田院(養老施設)とか、施薬院(医療施設)がそれです。こうした公立の施設は、その後あまり記録されていないようです。国家統一のために犠牲となって多くの地方豪族が滅ぼされた争乱や、無理な土地制度の皺寄せで家を失い、家族の保護を受けられなくなった老人や障害者が多くなっていたとも考えられましょう。

 この奈良時代の天皇家のスターとして、光明皇后の名があげられましょう。当時としては新興貴族であった藤原氏の期待を集めていたのです。この光明皇后が貧しいハンセン氏病患者の看病をした話が伝えられています。ハンセン氏病はこの頃すでに現われていて、それ以後も各時代を通じて社会問題となり続けるのです。障害者で明らかに歴史に現れてきているのは、盲人とハンセン氏病者だ、と言えるでしょう。

 次の平安時代は、京都が都となり、貴族の時代になります。優美で典型的であることが重んじられた貴族の生活では、個性的な(?)障害者は好まれなかったと思われます。形の異ったものは、よい評価を得られなかったでしょう。同じ貴族の家に生まれても障害者は、宮廷のサロンには出にくかったに違いありません。都の西の郊外の嵯峨に昼も帳(絹のカーテン)をおろして住んでいる学者がいたという話が残っています。内部疾患の可能性が強いのですが、ともかく障害を持った人が、学問に打込んでいたとの想像が湧きます。この例のように都を離れた郊外の別荘で暮らすのが、貴族の障害者たちの姿だったかもしれません。

 また、東の郊外には、清流のほとりに琵琶の名手が住んでいた、とあります。この人は悲しみのあまり泣きすぎて目が見えなくなったのだ、と伝えられています。盲人と音楽の結びつきを示す話です。

 また、南の郊外の岩倉には心の病い(精神障害)の姫君が浴びた滝というのがあります。この噂が広まって、滝参りをする者が増えたのですが、すぐに治る人ばかりではありません。長逗留となって近所の農家にあずけられる子供も出来ました。こうしたケースが発展して貴族の精薄児が農家の養子となることがよく行なわれるようになります。貴族としては付添いを付けての滞在費などの面倒が軽くなり、農家としては土地争いなどが起きた時に守って貰える、という双方のメリットがあったのです。あずけられる精薄児や精神障害者にとっても、町の中の生活よりも郊外の田園生活に移ることによって、今でいう開放療法の効果を得られたことにあったのでしょう。

 江戸時代中期の俳人与謝蕪村の俳句に、“岩倉の狂女恋せよほととぎす”というのがあるのも、これと関係あるのでしょうが、岩倉という土地と精神障害者との深い関係は、つい最近まで続いていたのです。驚くことに千年近い歴史なのです。

 3.中世

 ヨーロッパでいう中世に当たるのが日本にあったとして、ここでは鎌倉時代・室町時代を対象とすることにします。武士による政権が鎌倉と京都の室町にあったところからそう呼ばれるのです。仏教が貴族の間から庶民にまで広く広がって行き、人々の考えの中心を支配するまでに浸透して行った時代です。

 この仏教思想の中で障害者に最も影響を与えたのは、因果応報の理念でしょう。悪い原因を作れば、必ず悪い結果がもたらされる、という科学的なとも評価出来る理念なのです。悪いことの種子を播かぬように……、との戒めの意味で使われるならよいのですが現れている事柄から逆に、結果においてどんなにか悪い事をしたに違いない、という評価を与えて、その人を責める結果を招いたのです。それもその人の生まれる前の責任まで問われるのですから、たまったものではありません。しかも、形の異ったものを好まない傾向が強まって、普通でないものは劣悪なものだ、とする障害者観が結びついていくのですから障害者やその家族は実に肩身の狭い思いで生きて行かねばなりませんでした。

 その反面、生きている間によい事をしておけば死後もよい結果が得られる、との信仰から、困っている人への施しをすることは、習慣ともなっていったようです。でも、それが本格的な救済として効果をあげていたかどうかはわかりません。寺院とか僧侶個人がそれぞれに救済事業をしていた記録は残っていますが……。

 こうした障害者が歴史から隠れて行くこの時代、体力が優先した武士の社会だったという時代に、注目されるのは盲目の琵琶法師たちの活躍でしょう。

 鎌倉政権を創った源氏によって滅ぼされたライバルの平氏の、その一族の華やかな盛衰を壮麗な文学作品にまとめたのが「平家物語」です。この物語はそれぞれにまとまった沢山のエピソードを数珠(ロザリオ)のように連ねたものですが、一気に書かれたものというよりも、核になるものはあったでしょうが、その1つ1つのエピソードは語り継がれて行く間に、洗練されて現在残っているような形になったと思われます。もともとこの物語は読まれるよりも、琵琶を伴奏として節をつけて語られることによって、一般庶民にまで親しまれる性質を持っていて、その語り手が盲目の琵琶法師たちなのです。そしてこの物語を現在の形にまとめたのが、これも琵琶法師の1人で名人とたたえられた明石覚一です。室町政権の創始者の足利尊氏の従兄弟とも伝えられるこの盲人は、琵琶法師たちや広く盲人たちの社会的地位の向上を目指して、検校制度(盲人独特のギルド制度とでもしておきましょう)を制定します。この検校制度については後で触れることにします。

 4.戦国時代

 室町政権は内紛と反乱に悩まされることが多く弱い面を持った政権でしたが、その末期には無力化して、各地の大名はそれぞれ自分の勢力の拡張を図って、内戦が各地で続く時代を迎えます。

 天皇家をはじめとする貴族はもちろん、一般庶民も常に生命の危険にさらされて生きにくい世の中でしたから、行動が自由に出来ない障害者たちは、まさに生きにくい世の中だったに違いありません。

 但し、実力本位の時代ですから、障害者でも能力さえあれば、十分に認められ重要視された時代でもあったのです。

 天下を統一して戦国に一応の終止符を打った豊臣秀吉の軍師だった竹中半兵衛は、秀吉に仕えた時、すでに結核に冒された内部障害者でしたし、豊臣の勢いが増大する以前には天下無敵と恐れられた武田の軍師の山本勘助は、片眼の上に片足を引きずっていた身障者でしたし、秀吉に仕えて北陸の大名にまでなった大谷刑部は、ハンセン氏病にかかって盲目になりながらも、最後まで大名として活躍していました。

 このように活躍できた障害者はもちろん例外的な存在で、一般の障害者はよくても“くぐつ”の群れに入って、流浪の一生を送ったのだろうと想像されます。

 琵琶法師たちが1人または数人の盲人だけで行動していたのに対して、くぐつは障害者の集団というよりも障害者も加わった集団と言う方がよいでしょう。多い場合は20人から30人或いはもっと多い人数が一座を組んで、各地を移動していたらしいのです。くぐつというのは操り人形という意味を持っていますが、人形使いだけでなく、曲芸師や奇術師、踊り子、琵琶や笛や太鼓などの演奏家たちを含んだ一座だったようです。クル病・カリエス・盲人などの障害者が、その中で演奏や道化役をしていたことは確かでしょう。こうした集団は平安朝の頃から存在していて、ずっと後世まで続くのです。

 聴力・言語障害者となると、障害者の中でも特に歴史に現れてきません。辛うじて拾うとすれば 「古事記」の中とか、「古事記」が生まれた時代の皇族関係者の中に、それらしき人影が見られる程度でしょう。ただ、この室町時代から戦国時代へかけて盛んに催されるようになった舞台芸能の“狂言”には、視力・肢体などの他の障害者とともに聴力障害者が登場します。

 その代表とするにはどうも不適当なのですが、「三人片輪」というのがあります。

 “仔細あって片輪者を多勢抱えよう”という人の許へ、“唖(おし)・座頭・躄(いざり)”の3人がやって来て雇われたのはよいのですが、主人の留守に酒に酔ってしまい、主人が帰ってみると3人の障害が以前とそれぞれに違っていて、3人ともにせ者だったことがバレてしまう……というお話です。

 現代風に言うと、雇用促進の実践者を悪用したような話ですが、にせ者が現れるくらいですから、本物がいて抱えられていた事実があったと見ても間違いはないでしょう。

 特に狂言には、座頭物として分類の1部門なすくらいに、盲人は多く登場して来ます。

 座頭の2人連れが河を渡ろうとして通りかかったいたずら者に利用されてしまったり、女房を盗まれたあげく猿にひっ掻かれたりなど、どれも芳しい話ではありません。しかし、障害者を特になぶり者にしたのではなく大名とか僧侶とか当時の権力者たちをなぶっているのですから、その点では“平等”なわけですし、そうした狂言があることは、座頭仲間だけでの旅行(巡業)がされていたり、座頭も立派に結婚をしていたということを証拠立てているのです。

 なお戦国の内戦に当って、攻撃する側の軍隊の道案内の役に聾唖者が好んで使われたという話が伝わっています。他人と喋らないから秘密が保たれる点を買われたらしいのですが、どうも気分のよい話ではありません。

 5.江戸時代(近世)

 豊臣から政権を奪った徳川家は、政権の所在地に江戸を選び、以後260年にも達する長期安定政権を築きあげます。

 この間に徳川一族から15人の将軍が立つのですが、その中で九代目の家重と十三代目の家定の2人には、明らかにCPの症状が見られるのです。特に家定の方は、ハリス(アメリカの初代駐日公使)の「ニッポン日記」にその様子が詳細に記入されています。そうした強い言語障害まである身障者が将軍でいられたのも、親子代々間じ職を継ぐという世襲制度と、変革を許すまいとする強固な官僚制度の支えがあったからでしょう。それも最高の権力者である徳川本家だからこそ出来たことで、他の大名をはじめとする家では出来なかったでしょう。徳川政権ではそうした状態を見つければ、それを理由にしてその家をつぶすことを、常にねらっていたからです。

 そうした身障者の将軍を2人も出しながら徳川政権は、身障者保護の政策を打出していません。例外としては盲人保護政策があり、これは手厚くて、かなり徹底したものでした。検校制度の公認と奨励がそれです。検校制度はとても一口に言えないぐらい複雑なものですが、大まかにいうとすれば盲人たちを検校・勾当(こうとう)・座頭(ざとう)・市(いち)の4段階に分け、1番上の検校ともなると社会的に大名の位の待遇を受けたと言います。外出は立派な駕龍(かご)に乗り、大名と同じ人数のお供が付きました。位が1段階上るごとに相当な金額を納めなければならないのですが、そのかわり適当に配当金もあって、相互扶助のシステムになっていました。

 こうした身分制度(しかも金で買っていける)への批判はあるでしょうが、この制度によって保護され、またそれなりの権威を保てたことがプライドにも影響したのでしょう。この江戸時代には優れた盲人たちが輩出します。

 あんま・ハリ・灸(きゅう)など医学的な面で盲人の職業をひらいた杉山検校、琴の名人として琵琶に代わる音楽を普及して、その演奏と指導を盲人の職業として確立していった八橋(やつはし)検校、歴史学者として当時の第一人者ともなった塙保己一(はなわほきいち)などは特に有名です。

 もちろん、優れた名を残すような盲人よりも、そうでない人の方が多いのは当然でしょう。それら多くの盲人のために、位を買うお金をつくらせるという理由をつけて、徳川政権は盲人に金貸し業をさせました。公認の金貸しですから威張ったものでした。公認を笠にして強引な取立てもやったようです。金持ちの商人などは、金の無い盲人に陰で金を回しで金貸しをさせていたらしいのです。あくどくやりすぎて嫌われることもあったようですが、嫌われるだけの力は持っていたと言えましょう。

 この時代になると、武士ばかりでなく、江戸や大阪の商人たちをはじめとして庶民にも学問をする環境が育ってきます。そうした町人の子供相手の個人企業の小さな学校が、寺小屋と呼ばれるものです。ことに注目されるのはその寺小屋で学んでいた子供たちの中に、意外にも障害児が割合いとしては多くいた、という記録が残っていることです。学問するようになったとしても、まだまだ文盲が大部分の世の中ですから、簡単でも読み書きソロバンが出来れば、たとえ体は人並みに動かない体でも生きていくには困らない(経済的に)だろうし、軽蔑されることもないだろうから……と親は思ったに違いありません。

 また、この時代に庶民の間で盛んになった俳句には、足の悪い人や盲人などの障害者たちも多く親しみ、名を残している人々もいます。文学の世界では日本ではあまり類が無い怪奇小説の作者で有名な上田秋成(うえだあきなり)は、幼い時わずらった天然痘(てんねんとう)がもとで両手の指に一生涯治らない障害を負っていました。

 庶民の芸術としては、欧米にも有名な浮世絵があります。[葛]飾北斎(かつしかほくさい)といえば特に優れた画家ですが、この人のスケッチの中に「いざり車」を見かけました。いざりが乗る車で、平たい木の箱に小さな木の車輪を付けて、手で地面を掻いかり棒で押したりして進むのです。描かれている身なりの貧しさからして、盛り場や寺社の境内などに行って物乞いをして生きていた乞食(こじき)ではないか、と思われます。

 将軍でもなく、検校などにもなれない庶民の障害者の姿がそこにあるような気がしました。

 そうした物乞いをして生きなければならないような障害者でも生きて行ける一つの要素としては、町というか、もう少し狭い隣近所の親睦に役立っていた隣保(りんぽ)組織の働きがあったと考えられます。武家屋敷とか大きな商店を除いては江戸の庶民の住居は、長屋というスペースの狭い1階建ての集合住宅でしたから、人々は顔を会わせないではいられなかったのです。それに徳川政権はキリスト教の抑圧を徹底するために、相互に監視させるねらいもあって相互の連帯を強化させる政策をとっていました。オーバーに表現すると、すべての責任は長屋全体で負わなければならない、という具合いでした。その真のねらいがどうであれ隣近所の相互扶助のシステムが障害者にプラスしていたことは確かでしょう。

B 近代以後

 1.明治・大正

 徳川の封建政権を倒して、天皇制のもとに江戸を東京と名を変えて都とした新政府は、欧米先進国を目ざして近代化に取り組みます。

 その明治時代以後のことは、語る人も多いと思うので少し簡単にしたいのです。

 近代化の基盤として教育に力が注がれます。学齢期を定めて全国民に教育を受けることを義務づけた学制が公布されたのは1873年でしたが、間もなく盲学校・聾学校が開設されます。学制が布かれても学校へ行かない人もまだまだ沢山いた頃ですから、盲人やろうあ者のために特に学校を作るというのは、非常に注目されることでしょう。肢体障害児のための小学校が出来たのはそれよりずっと遅れて50年後の昭和期に入ってからなのですが、これは学校に来れさえすれば、読み書きは特別に工夫しなくても普通に教えればいいからということなのでしょう。惜しいことに受賞はしませんでしたが、日本で最初にノーベル賞の候補者になった医学博士の野口英世も、明治の新しい時代の勢いと、小学校教育の成果の現れと見ることが出来ましょう。赤ん坊の時にいろりに落ちて火傷して手の指が棒のように固まってしまったのを、同年輩の子供たちにからかわれた口惜しさが、彼の負けん気を刺激して、学問に精を出させる起爆剤となったのです。彼のこの話は小学校の教科書にも載るほどに有名となり、その不屈の精神と見事な業績は障害児への励ましとなり、一般の児童にも大きな影響を与えるものとなっていました。

 改革といえば政治面ばかりでなく、文学にも新しい動きが現われています。その中で、言葉の遊びになろうとしていた俳句を、近代的な詩としてよみがえらせる基礎を築いた人が正岡子規です。彼は俳句だけでなく短歌や文章にも新しい生命を与える成果をあげていますが、驚くことに彼はその仕事の大部分を、肺結核からカリエスとなって歩行不能ばかりか、寝床に釘付けになった状態でなしとげているのです。この影響でというわけでもないでしょうが、日本独特の短詩と内部障害者を含めての障害者との関係は、より一層深まっていきます。

 もちろん改革にともなう犠牲もあったでしょう。禄を失った武士が困ったように、検校制度が廃止されて困った盲人たちも多かったでしょう。でも、あんまとか三味線を演奏することなどで収入を得られる盲人はまだよい方でした。それの出来ない障害者はどうだったでしょうか。

 乞食はいつの代にもあったでしょうが、見世物に出て生活していく方法がなされるようになったのは、江戸時代の中頃からでしょうか。見世物とは珍しいものを一般の人に見せて、見物料をとる興行です。珍しいものの中に、小人や奇形などの障害者が入れられていたのです。そうした人が何か芸を見せればもっと効果的でした。手の無い人が足で太鼓をたたくとか、口で字を書くとか、……です。若い頃は見世物に出ていて辛い思いをした、と語っている障害者に、私も会ったことがあります。もちろん見世物として一生を終った人も多かった筈です。

 2.大正・昭和初期

 大正デモクラシーと呼ばれる短い時期を過ごすと、日本は急速に軍国化を進める軍の勢力に引きずられて行きます。富国強兵、つまりともかく国を経済的に富ませ強い軍隊を持つことが、先進国に追いつく一番の近道だとする政策は明治以来とられて来ていましたが、それが極端になってしまうのです。すべてに優先して軍備が進められて、その結果が泥沼の戦争へと突入して行きます。そうした中では障害者は、生産性を高めるという点からも十分ではないという見方をされていましたし、ましてや兵隊になることは出来ませんから、国のためには役に立たないのだという考えが次第に広まって行きました。多くの障害者にとって生きにくい世の中になって行くのです。

 もちろん、そうした世の中の進み方に巻き込まれずに障害者の生き方を考えている人はいました。周りの人々にも、障害者自身の中にも、です。障害児も同じ児童なのだから教育を受けなければ可愛想ではないか、と肢体不自由児のための学校を作る運動が起こり、そんな子供に大事な国のお金を使うより、それだけのお金を他の普通の子供に使った方が効果的ではないか、という反対意見を押し切って、開校にこぎつけたのもその頃でした。

 障害者として問題となり、また目立った実績をあげていたのが、盲人とハンセン氏病者であったのは、この頃も同じでした。

 盲人の宮城道雄と岩橋武夫、ハンセン氏病の北條民雄は有名です。

 2人の盲人が死んだのは戦争が日本の敗戦によって終わってからのことですが、主な活躍期から見てここであげておきます。

 宮城道雄は琴の演奏家として、また作曲家としてあまりにも知られています。現在私たちが耳にする琴の曲は多くが彼の曲だと言ってもよいでしょう。伝統的な琴に新しい時代の生命を吹き込んだのです。

 岩橋武夫は自分ではキリスト教の神学者として多くの書物を著わす一方で、あんまだけに安住してしまって学問をかえりみない大部分の盲人たちにもどかしさを感じて、そんなことをしていたら人間が揉めなくなるぞと警告を発して、成人盲人たちのためにライトハウスという施設を設けて、点学による学問の普及に努めたのです。また、奇蹟の人であるヘレンケラーを前後3回にわたって日本に招き、障害者に希望を与えるとともに、一般の人々の障害者に対する考えを変えさせるのに役立ったのですが、その第1回目の折りは、日本と中国の戦争が決定的に本格化してしまった年、1937年でした。

 ハンセン氏病の北條民雄は、伝染予防のために療養所に収容されて、それまで生きて来た社会から完全に隔離されてしまう苦悩と悲しみを書いた小説が、高い評価を受けて社会的なセンセーションを捲き起こしたのです。また、ハンセン氏病の短歌作家としては、明石海人(あかしかいじん)などが注目されました。

 戦争は中国大陸から太平洋・東南アジアヘと拡大してしまいます。軍事色はさらに戦時色へと強められて銃をとれるかとれないかが、人間の価値をきめる基準となった世の中だったのです。障害者がどう見られ、どう扱われていたかはほぼご想像願えると思いますが、ご想像していただくよりも遙かにひどいものだったと思います。障害者なんか役に立たないから早く死んでしまえ、と行きずりの軍人から乱暴されて障害を一層ひどくさせられた人も、嘘ではなく現実にいたのです。

 中には若い男が戦場にかりだされて労働力が極端に不足したために、私のような障害者でも働くことが出来た、と言うような人もいることはいましたが、それもアメリカ空軍による本土爆撃が始まると、とてもそれどころではなくなるのでした。爆弾に追われ、戦闘機の機銃掃射に追われ焼夷弾の猛火に追われるようになると、頼れるのは自分の手足より他には何も無いことになってしまいます。そうした極限状態になると、人間も動物的能力だけが問題になる存在になってしまうのです。動物的能力だけの存在になる時、障害者がいかに無力な存在になるかは、特に言うまでもないでしょう。

 空襲の激化によって、小学生は学校ごと都会から田舎へと避難させられていました。肢体不自由児の養護学校も同じでした。そしてそれについては、避難していた土地の軍の将校から、いざとなったらこれを飲ませるようにと大きな器に入った青酸カリが、校長に渡されていたという話が残っています。

 戦争が終わった時、ああ、これが生きのびる事が出来た、と思った人は多いでしょうが、障害者もそうした思いは同じだったのです。

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インチキアベノミクスの化けの皮が剥がれる アベノミクスで円安になった影響で貿易赤字が拡大 日銀が崩壊し 国際金融財閥  IMF 世界銀行が日本列島を支配する

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-489.html
【アベノミクスはアベノリスク】アベノミクス!日銀異次元緩和はハイパーインフレを呼ぶ!アベノミクスだけで日本経済は復活できない!
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マスコミでは「アベノミクスで株価が上がった」と騒いでいますが、これは実体の無い株価上昇のため、いずれは急激な転落に転じることになるでしょう。事実、アベノミクスで円安になった影響で貿易赤字が拡大しています。それも過去最大の貿易赤字なのです。


☆貿易赤字8兆1699億円、2年連続で過去最大
URL http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130418-00000262-yom-bus_all
引用:
読売新聞 4月18日(木)8時59分配信
 財務省が18日発表した2012年度の貿易統計によると、輸出額から輸入額を差し引いた貿易収支は8兆1699億円の赤字となった。

 年度の赤字額としては、現行の統計が始まった1979年度以降、最大となり、2年連続で最大を更新した。海外経済の減速で、欧州や中国向けの輸出が振るわなかったほか、原子力発電に代わる火力発電向け燃料の輸入が増え、赤字額が膨らんだ。

 年度ベースの貿易赤字は2年連続で、赤字額は11年度(4兆4221億円)の約1・8倍だった。暦年ベース(12年1~12月)の赤字額は6兆9411億円だったが、その後の円安の進展により燃料費の輸入額をさらに押し上げた。
:引用終了


安倍首相は「円安で稼ぐ!」などと述べていますが、逆に日本の富が海外に流失しています。今の世界では紛争や災害の影響で資源価格や食料価格の上昇が発生しており、少しでも円安になると簡単に価格が上昇してしまう状況です。このような状況でバンバン円を刷りまくって円安にしてしまったら、資源や食料価格が上昇してしまうことなんて誰でも簡単に想像することができます。

そもそも、「円安にして輸出で儲かる」と言っても、日本の大企業の大半は円高の時に工場の大半を海外に移転してしまっているのです。なので、円高だろうが円安だろうが関係無く、一定の利益を得ることが出来るような体制になっています。

安倍首相は日銀に大規模な円の増刷を決定させました。この影響で円安は2~3年続くと同時に、今までよりも早い速度で円安が進行する可能性があります。為替の取引などをしている方は良いかもしれませんが、日本全体で見れば、急激な円安は急激な物価上昇を引き起こすことに繋がります。
*私自身は適度な円増刷には賛成です。今回の増刷はやり過ぎな上に、国民に配るための具体案も無いので賛成できません。

ジョージ・ソロス氏の投資アドバイザーを務めたことがある藤巻健史氏も述べていますが、日銀の異次元緩和は円安と物価上昇を引き起こすだけではなく、国債の暴落で日銀が崩壊する可能性を秘めています。


☆日銀異次元緩和は「政府と心中宣言」、ソロス氏嘘つかない-藤巻氏(2)
URL http://www.bloomberg.co.jp/news/123-ML4FSV6KLVS801.html
引用:
藤巻氏は「日銀資産のうち、国債の割合がさらに増えて80%から90%が日本国債になる。国債本位制となり、国債の信頼が崩れたら紙幣の価値がなくなる。日銀は国と運命共同体になる」と述べた。インタビューは11日に行った。

日銀は3、4日に開いた金融政策決定会合で、消費者物価 上昇率2%という目標をできるだけ早期に実現するため、マネタリーベースを2年間で約2倍、日銀の国債保有額と平均残存期間を2年間で2倍以上に拡大することを決定した。長期国債の購入についてこれまでの月約4兆円から、毎月の国債発行額の7割に当たる7兆円強とする。

藤巻氏は、「私のモルガン銀行勤務時の日銀国債保有高は50%以下、マネタリーベースは約40兆円が常識だった。それを2年後に270兆円にするとしており、実務家としての私の感覚では、とんでもない数字だ。7倍にマネタリーベースを増やすことは、天と地がひっくり返るようなオペレーション」と説明した。

ハイパーインフレで地獄味わう

さらに、「白川方明前総裁が副作用が怖いからやらなかったことを、副作用を無視してとんでもないことをやるのは、ものすごい大きな賭け。この賭けは失敗してハイパーインフレが起きると思う。日銀は単なる紙幣印刷工場に変わった」と指摘した。

日銀の大胆緩和による将来のインフレ高進の懸念も強まっている。藤巻氏は、「安倍晋三首相と黒田総裁はハイパーインフレにゴーサインを出した。アベノミクスで、国債を買って市場に資金を供給、円が急落すれば、2%のインフレ目標を達成できるが、その後、制御できないだろう」と予想。「インフレからハイパーインフレになった時に、金利が急騰したら国債を買う人がいなくなり、資金を吸収する手段がない。預金封鎖と新券発行しか方法はなくなるだろう。ハイパーインフレになれば国の財政は持つかもしれないが、国民は地獄を味わうことになる。大変危険なことに一歩踏み出した」と解説した。

長期金利 の指標となる新発10年債物国債利回りは5日に過去最低の0.315%を記録した後、約2倍の水準となる0.62%まで跳ね上がった。藤巻氏は、「アベノミクスで、国債を買って市場に資金を供給し、円が急落すれば、2%のインフレ目標を達成できるが、その後、制御できないだろう」と予想する。

国債バブル

さらに「じゃぶじゃぶの資金が今は国債に行って、国債バブルになっている。薄くなった風船が破裂寸前なのを予知して、市場では早く逃げようと思い始めた人がいて、国債が大きく売られたのだろう。国債トレーダーの不安の象徴。あれだけ売りが出たのを見るとポートフォリオマネジャーも怖いと思うだろう」と分析した。

外国為替市場で円は11日、対ドルで1ドル=99円95銭まで円安が進行し、4年ぶりとなる100円の大台に接近した。藤巻氏は、ハイパーインフレ・財政破たんへの対応策として、ドルを中心とした外貨建て資産、円プット・ドルコールのオプション、日本国債のプットオプションなどを挙げた。

その上で、「財政破綻のヘッジとして、外貨建て資産を持っている。米国株、ドルのマネーマーケットファンドなどを保有している。為替では200円台までは行かないが、100円台で一番長いもので5年以内のオプションを持っている。ドル・コールオプション、日本国債のプットオプションを持っているのは、自己破産したくないから」と説明した。

ソロス氏の意見尊重すべき

ジョージ・ソロス氏は5日、CNBCとのインタビューで、日銀の政策が円の一斉売りをもたらすリスクを警告。「実際すでに起きていることだが、円が下落し始めれば、日本国民は円が下がり続ける可能性が高いと気付き、自分たちの資金を海外に移そうとするだろう。そうすれば、円は雪崩を打って下落する可能性がある」と語った。
:引用終了


それとも、安倍首相は最初から日銀を崩壊させて、国際金融機関に安値で売り渡そうとしていたということなのかもしれません。
安倍首相の行動を見ていると、どうにも日本人を締め付けるような方向に導こうとしているように感じます。首切り自由化法、機密保全法、インフル特措法、TPP条約、原発再稼働など、安倍自民党がこの数カ月でした行動を振り返ってみると、アベノミクスや北朝鮮問題の影に隠れて滅茶苦茶なことを次々にしていることが分かります。

安倍首相は親の代から朝鮮統一教会とも繋がっていますし、彼はマスコミや2ちゃんねるなどで取り上げられているほど「日本好きではない」ということだけは覚えておいたほうが良いでしょう。

いずれにせよ、ハイパーインフレと円暴落が発生したら日本円の価値は無くなってしまいますので、今のうちに金などの現物に少しずつ移動しておくことをオススメします。
金の価格はもう少し下落する余地がありますが、円暴落などが本格化すれば、一気に劇的な速度で値上がりを始めますので要注意です。

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柔術プリースト115  ミヤオ兄弟大暴れ

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足尾から来た女 田中正造と足尾鉱毒事件 強い国造りと棄民政策 明治も平成も変わらぬ日本 日本は野蛮国なのか?





http://www.nhk.or.jp/dodra/ashio/
足尾から来た女

http://www.nhk.or.jp/dodra/ashio/html_ashio_midokoro.html
100年前の日本で
"国によって故郷を奪われた人々"がいた―

激動の時代の中、たくましく生き抜いた一人の女の物語

「足尾から来た女」


明治末。栃木県谷中村は足尾銅山の鉱毒で田畑を汚染された。田中正造の闘いもむなしく、村は16戸にまで激減。国は住人に村を捨てるように命じ、残った家の強制執行に踏み切った。

この谷中村の娘が田中正造の仲介で社会運動家・福田英子宅に家政婦として派遣された史実をもとに、一人の女性が見知らぬ東京の地で石川三四郎や幸徳秋水ら社会主義者たち、さらに石川啄木や与謝野晶子など多彩な人物と交わる中で成長する姿を描く。

故郷を失う苦しみを味わいつつ人間としての尊厳を守り、たくましく生き抜くヒロインを、NHKドラマでは連続テレビ小説「カーネーション」以来の単独主演となる尾野真千子が演じる。


ストーリー


谷中村に住む貧しい農家の娘・新田サチ(尾野真千子)は、兄の信吉(岡田義徳)の仲介で「東京に出て雑誌『世界婦人』を主宰する福田英子(鈴木保奈美)の家政婦をしてくれないか」と正造先生(柄本明)に頼まれる。時は明治39年、政府は足尾銅山の操業を守るため、渡良瀬川下流の谷中村を池にし、鉱毒をそこに沈殿させようとしていた。東京に向かうサチには、国の監視役・日下部錠太郎(松重豊)が同行し、正造と福田家に集まる知識人をスパイさせようと言葉巧みに命じる。

住み込み先の福田家には、美貌の女主人・福田英子と年下の恋人・石川三四郎(北村有起哉)を中心に、幸徳秋水、大杉栄など時代を代表する社会主義者たちが出入りしていた。明治40年2月。足尾銅山の賃上げ闘争を支援する社会主義者達の言論活動は警察の弾圧に繋がり、石川三四郎も投獄されてしまう。三四郎の逮捕に罪の意識を感じたサチは福田家を飛び出すが、戻り着いた故郷で目にしたのは国の強制執行で打ち壊される自分の家だった。しかも強制執行の中心にいたのは、兄の信吉だった・・。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%AD%A3%E9%80%A0
田中正造





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日本の旗 日本の政治家
田中 正造
たなか しょうぞう

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生年月日
1841年12月15日(旧暦天保12年11月3日)

出生地
下野国安蘇郡小中村(現・栃木県佐野市小中町)

没年月日
1913年9月4日(満71歳没)

死没地
栃木県足利郡吾妻村下羽田(現・栃木県佐野市下羽田町)

所属政党
立憲改進党、憲政本党

配偶者
大沢カツ



日本の旗 衆議院議員


選挙区
栃木県第3区

当選回数
6回

任期
1890年7月2日 - 1901年10月23日
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田中正造生家
田中 正造(たなか しょうぞう、天保12年11月3日(1841年12月15日) - 1913年(大正2年)9月4日)は、日本の政治家。日本初の公害事件と言われる足尾銅山鉱毒事件を告発した政治家として有名。衆議院議員選挙に当選6回。幼名、兼三郎。下野国安蘇郡小中村(現・栃木県佐野市小中町)出身。



目次 [非表示]
1 生涯 1.1 生い立ち
1.2 初期の政治活動
1.3 足尾銅山鉱毒事件 1.3.1 衆議院議員
1.3.2 議員辞職 - 直訴

1.4 その後の活動
1.5 正造の最期 1.5.1 正造の墓の所在地


2 正造の祖について
3 その他のエピソード
4 登場する作品 4.1 映画
4.2 テレビドラマ

5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
8 外部リンク


生涯[編集]

生い立ち[編集]

生まれは名主の家ではあったが、田中本人によれば村では中流でそれほど裕福な家ではなかったという。

父の跡を継いで小中村名主となり、幕末から村民らと領主である高家六角家に対して政治的要求を行っていたが、このことがもとで明治維新直前の慶応4年(1868年)に投獄された。なお、この時の牢は縦横高さともに1mほどしかない狭いもので、立つことも寝ることもできない過酷な構造だった。翌年に出所。

明治3年(1870年)、江刺県花輪支庁(現・秋田県鹿角市)の官吏となった。翌年、上司の木村新八郎殺害の容疑者として逮捕され、投獄されている。これは物的証拠もなく冤罪だったと思われるが、正造の性格や言動から当時の上役たちに反感を持たれていたのが影響したらしい。

1874年(明治7年)に釈放されて小中村に戻り、1876年(明治9年)まで隣の石塚村(現・佐野市石塚町)の造り酒屋蛭子屋の番頭を務めた。幕末に大沢カツと結婚しているが、その結婚の年については諸説ある。

初期の政治活動[編集]

1878年(明治11年)、区会議員として政治活動を再開。栃木新聞(現在の下野新聞)が創刊されると、翌年には同紙編集長になり、紙面上で国会の設立を訴えた。また、嚶鳴社や交詢社に社員として参加している。

1880年(明治13年)、栃木県議会議員。1882年(明治15年)4月、立憲改進党が結党されると、その年の12月に入党している。県令(現在の知事)だった三島通庸と議会で対立。自由民権運動のなかで、加波山事件に関係したとして1885年(明治18年)逮捕されるが、三島が異動によって栃木県を去ると年末に釈放された。1886年(明治19年)、県会議長。

足尾銅山鉱毒事件[編集]

詳細は「足尾鉱毒事件」を参照

衆議院議員[編集]

1890年(明治23年)、第1回衆議院議員総選挙に栃木3区から出馬し、初当選する。田中は帝国議会でも当初は立憲改進党に属していた。この年渡良瀬川で大洪水があり、上流にある足尾銅山から流れ出した鉱毒によって稲が立ち枯れる現象が流域各地で確認され、騒ぎとなった。

1891年(明治24年)、鉱毒の害を視察し、第2回衆議院議会で鉱毒問題に関する質問を行った。1896年(明治29年)にも質問を行い、群馬県邑楽郡渡瀬村(現・群馬県館林市)の雲龍寺で演説を行った。

1897年(明治30年)になると、農民の鉱毒反対運動が激化。東京へ陳情団が押しかけた。当時このような運動には名前がついておらず、農民らは「押出し」と呼んだ。田中は鉱毒について国会質問を行ったほか、東京で演説を行った。農商務省と足尾銅山側は予防工事を確約、脱硫装置など実際に着工されるが、効果は薄かった。

1900年(明治33年)2月13日、農民らが東京へ陳情に出かけようとしたところ、途中の群馬県邑楽郡佐貫村大字川俣村(現・明和町川俣)で警官隊と衝突。流血の惨事となり、農民多数が逮捕された(川俣事件)。この事件の2日後と4日後、田中は国会で事件に関する質問を行った。これが「亡国に至るを知らざれば之れ即ち亡国の儀につき質問書」で、日本の憲政史上に残る大演説であった。2日後の演説の途中で当時所属していた憲政本党を離党した。当時の総理大臣・山縣有朋は「質問の意味がわからない」として答弁を拒否した。この年の川俣事件公判の傍聴中、田中があくびをしたところ、態度が悪いとして官吏侮辱罪に問われ、裁判にかけられた。なお、川俣事件は仙台控訴審での差し戻し審で、起訴状に担当検事の署名がないという理由で1902年(明治35年)に公訴不受理(一審で無罪だった者については控訴棄却)という判決が下り、全員が釈放された。

議員辞職 - 直訴[編集]

1901年(明治34年)10月23日、田中は議員を辞職[1]したが、鉱毒被害を訴える活動は止めず、主に東京のキリスト教会などで鉱毒に関する演説をたびたび行った。





明治天皇に直訴を行う様子が刻まれている「田中正造翁遺徳の碑」
(茨城県古河市) 古河は谷中村=現・渡良瀬遊水池周辺最大の都市で支援者も多く、また田中らが上京時に古河駅を利用したことから現在まで縁の多い地の1つである
12月10日、東京市日比谷において、帝国議会開院式から帰る途中の明治天皇に足尾鉱毒事件について直訴を行う。途中で警備の警官に取り押さえられて直訴そのものには失敗したが、東京市中は大騒ぎになり、号外も配られ、直訴状の内容は広く知れ渡った。直訴状は、幸徳秋水が書いたものに田中が加筆修正したと伝えられる。田中は即拘束されたが、政府は単に狂人が馬車の前によろめいただけだとして不問にすることとし(田中本人の言及による)、即日釈放された。田中は死を覚悟しており、釈放後、妻カツ宛に自分は(12月)10日に死ぬはずだったという意味の遺書を書いている。また直訴直前に迷惑がかからないようにとカツに離縁状を送っているが、カツ本人は離縁されてはいないと主張している。

1902年(明治35年)、川俣事件公判の際にあくびをした罪で重禁固40日の判決を受け服役。このとき聖書を読み、影響を受けた。この後の田中の言葉には「悔い改めよ」など、聖書からの引用が多くなる。ただし、キリスト教への改宗はしなかった。

その後の活動[編集]

1902年(明治35年)、渡良瀬川下流に貯水池をつくる計画が浮上。建設予定地となっていた埼玉県川辺村・利島村の反対運動に参加。計画は白紙になった。

1903年(明治36年)には栃木県下都賀郡谷中村が貯水池になる案が浮上。田中は1904年(明治37年)7月から実質的に谷中村に住むようにしている。同年、栃木県会は秘密会で谷中村買収を決議。貯水池にするための工事がはじめられた。

1906年(明治39年)、谷中村議会は藤岡町への合併案を否決するが、栃木県は「谷中村は藤岡町へ合併した」と発表。谷中村は強制廃村となるが、田中はその後も谷中村に住み続けた。1907年(明治40年)、政府は土地収用法の適用を発表。「村に残れば犯罪者となり逮捕される」と圧力をかけ、多くの村民が村外に出たが、田中は強制破壊当日まで谷中村に住み続けて抵抗した。結局この土地が正造の終の棲家となる。

1908年(明治41年)、政府は谷中村全域を河川地域に指定。1911年(明治44年)、旧谷中村村民の北海道常呂郡サロマベツ原野への移住が開始された。

正造の最期[編集]

土地の強制買収を不服とする裁判などがあり、この後も精力的に演説などを行ったが、自分の生命が先行き長くないことを知ると、1913年(大正2年)7月、古参の支援者らへの挨拶まわりに出かける(運動資金援助を求める旅だったともされる)。その途上の8月2日、足利郡吾妻村下羽田(現・佐野市下羽田町)の支援者・庭田清四郎宅で倒れ、約1ヵ月後の9月4日に同所で客死した。下野新聞によれば、死因は胃ガンなど。

財産はすべて鉱毒反対運動などに使い果たし、死去したときは無一文だったという。死亡時の全財産は信玄袋1つで、中身は書きかけの原稿と新約聖書、鼻紙、川海苔、小石3個、日記3冊、帝国憲法とマタイ伝の合本だけであった。なお、病死前の1月22日に、小中の邸宅と田畑は地元の仮称旗川村小中農教会(現・小中農教倶楽部)に寄付していた。邸宅は現在、小中農教倶楽部が管理している。

雲龍寺で、9月6日に密葬が行われ、10月12日に佐野町(現・佐野市)惣宗寺で本葬が行われた。参列者は数万人ともいわれる。

田中の遺骨は栃木・群馬・埼玉県の鉱毒被害地計6箇所に分骨された。このため、墓は6箇所にある。なお、このうち1箇所は1989年(平成元年)に公表されたもので、それ以前の文献では5箇所とされていた。

足尾銅山は1973年(昭和48年)に閉山となったが、現在でもその跡は残っている。

正造の墓の所在地[編集]
佐野町(現・佐野市) 惣宗寺 - 正造の本葬が行われた寺
渡瀬村(現・館林市) 雲龍寺 - 正造の密葬が行われた寺。また、鉱毒対策事務所が置かれていた寺でもある。
旗川村(現・佐野市) 浄蓮寺 - 田中家の菩提寺
藤岡町(現・栃木市) 田中霊祠 - 田中を葬るために谷中村跡につくられた祠。後に藤岡町堤外に移転。
利島村(現・加須市) - 川辺村民と利島村民が協力し、利島小学校(現北川辺町立西小学校)敷地内につくった。
久野村(現・足利市) 寿徳寺 - 1989年に公表された6番目の分骨地。





惣宗寺にある墓






雲龍寺にある墓


正造の祖について[編集]

『姓氏』(樋口清之監修・丹羽基二著)によると、『尊卑文脈』に記している岩松氏の一族という。足利義純の子の岩松時朝(時兼の弟、泰国の兄)が田中次郎と称し、足利郡田中郷に定着したと伝わる。子の時国、孫の満国は足利尊氏に従い、戦功を立てて正造の代まで至ったという。

その他のエピソード[編集]
正造の天皇直訴の当時、盛岡中学の学生であった石川啄木は、天皇直訴の報を聞いて、「夕川に 葦は枯れたり 血にまどふ 民の叫びのなど悲しきや」と、その思いを三十一文字に託した。

登場する作品[編集]

映画[編集]
『襤褸の旗』(1974年、日本)吉村公三郎監督、三國連太郎主演
『赤貧洗うがごとき〜田中正造と野に叫ぶ人々〜』(2006年、日本)池田博穂脚本・監督、石神明治主演

テレビドラマ[編集]
『足尾から来た女』(2014年、NHK)柄本明が田中を演じる。

脚注[編集]

1.^ 『官報』第5494号、明治34年10月24日。

参考文献[編集]
『田中正造全集』(岩波書店)
城山三郎『辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件』(1962年、角川文庫)
林竹二「田中正造の生涯」(1976年、講談社)
大石真『たたかいの人―田中正造』(1971年、偕成社文庫)
島田宗三「田中正造翁余録」上・下(1972年、三一書房)
山岸一平『死なば死ね殺さば殺せ―田中正造のもう一つの闘い』(1976年、講談社)
日向康『果てなき旅』(1978年、福音館日曜日文庫)
渡良瀬川研究会『田中正造と足尾鉱毒事件研究』1号~13号(1978~2003年、伝統と現代社→論創社→随想舎)
田中正造大学出版部『救現』1号~9号(1986年~2005年、随想舎)
ケネス・ストロング『田中正造伝 嵐に立ち向かう雄牛』(1987年、晶文社)
佐野市郷土博物館『田中正造と足尾鉱毒』(1988年、佐野市郷土博物館)
下山二郎『鉱毒非命 田中正造の生涯』(1991年、 国書刊行会)
布川了『田中正造と足尾鉱毒事件を歩く』(1994年、随想舎)、『(同)[改訂]』(2009年、随想舎)
布川了『田中正造たたかいの臨終』(1996年、随想舎)
布川了『田中正造と天皇直訴事件』(2001年、随想舎)
布川了『田中正造と利根・渡良瀬の流れ それぞれの東流・東遷史』(2004年、随想舎)
砂川幸雄『直訴は必要だったか 足尾鉱毒事件の真実』(2004年、勉誠出版)
立松和平『毒―風聞・田中正造』(1997年、河出文庫)- 毎日出版文化賞受賞
立松和平『白い河 風聞・田中正造』(2010年、東京書籍)
花崎皋平『田中正造と民衆思想の継承』(2010年、七つ森書館)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%B0%BE%E9%89%B1%E6%AF%92%E4%BA%8B%E4%BB%B6

足尾鉱毒事件





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足尾鉱毒事件(あしおこうどくじけん)または足尾銅山鉱毒事件(あしおどうざんこうどくじけん)は、19世紀後半の明治時代初期から栃木県と群馬県の渡良瀬川周辺で起きた足尾銅山の公害事件。原因企業は古河鉱業(現在の古河機械金属)。

銅山の開発により排煙、鉱毒ガス、鉱毒水などの有害物質が周辺環境に著しい影響をもたらし、1890年代より栃木の政治家であった田中正造が中心となり国に問題提起するものの、精錬所は1980年代まで稼働し続け、2011年に発生した東北地方太平洋沖地震の影響で渡良瀬川下流から基準値を超える鉛が検出されるなど、21世紀となった現在でも影響が残っている。

日本初の公害。



目次 [非表示]
1 経緯 1.1 鉱山の近代化
1.2 鉱毒公害の発生
1.3 被害の拡大
1.4 閉山

2 政府の鉱毒対策 2.1 第一次
2.2 第二次
2.3 戦後

3 鉱毒反対運動 3.1 明治期
3.2 足尾町での運動
3.3 大正期・昭和期・平成期

4 植林・治山事業
5 古河側の主張
6 注釈
7 文献
8 この事件を扱った作品 8.1 小説
8.2 映画
8.3 テレビドラマ

9 関連項目
10 外部リンク 10.1 官公署
10.2 NPO法人・労働組合
10.3 企業



経緯[編集]





1895年頃の足尾鉱山




煙害により崩落を続ける足尾の山(赤倉山麓) 2005年3月撮影
鉱山の近代化[編集]

現在の栃木県日光市足尾地区では江戸時代から銅が採掘されていたが、江戸時代前期をピークとして産出量はいったん低下し、幕末にはほとんど廃山の状態となって国有化された。

明治維新後、民間に払い下げられ、1877年に古河市兵衛の経営となる。古河は採鉱事業の近代化を進め、1885年までに大鉱脈が発見された。さらに西欧の近代鉱山技術を導入した結果、足尾銅山は日本最大の鉱山となり、年間生産量数千トンをかぞえる東アジア一の銅の産地となる。当時銅は日本の主要輸出品のひとつであり、全国の産出量の1/4は足尾銅山が占めていた。しかし精錬時の燃料による排煙や、精製時に発生する鉱毒ガス(主成分は二酸化硫黄)、排水に含まれる鉱毒(主成分は銅イオンなどの金属イオン)は、付近の環境に多大な被害をもたらすこととなる。

鉱毒公害の発生[編集]

鉱毒ガスやそれによる酸性雨により足尾町(当時)近辺の山は禿山となった。木を失い土壌を喪失した土地は次々と崩れていった。この崩壊は21世紀となった現在も続いている[1]。崩れた土砂は渡良瀬川を流れ、下流で堆積した。このため、渡良瀬川は足利市付近で天井川となり、足尾の山林の荒廃とともにカスリーン台風襲来時は洪水の主原因となった。 鉱毒による被害はまず、1878年と1885年に、渡良瀬川の鮎の大量死という形で現れた。ただし、当時は原因が分かっておらず、これを8月12日に最初に報じた朝野新聞も、足尾銅山が原因かもしれないというような、あいまいな書き方をしている。1885年10月31日、下野新聞が前年ごろから足尾の木が枯れ始めていることを報じ、これら2つが足尾銅山と公害を結びつける最初期の報道と考えられる。

被害の拡大[編集]





田中正造
次に、渡良瀬川から取水する田園や、洪水後、足尾から流れた土砂が堆積した田園で、稲が立ち枯れるという被害が続出した。これに怒った農民らが数度にわたり蜂起した。田中正造はこのときの農民運動の中心人物として有名である。なお、この鉱毒被害の範囲は渡良瀬川流域だけにとどまらず、江戸川を経由し行徳方面、利根川を経由し霞ヶ浦方面まで拡大した。田畑への被害は、特に1890年8月と1896年7月21日、8月17日、9月8日の3度の大洪水で顕著となった。

1892年の古在由直らによる調査結果によれば、鉱毒の主成分は銅の化合物、亜酸化鉄、硫酸。

1901年には、足尾町に隣接する松木村が煙害のために廃村となった。このほか、松木村に隣接する久蔵村、仁田元村もこれに前後して同様に廃村となった。

対策の節で述べる工事が1897年から1927年にかけて行われると、表だった鉱毒被害は減少した。しかし、渡良瀬川に流れる鉱毒がなくなったわけではなかった。他の地域と異なり、渡良瀬川から直接農業用水を取水していた群馬県山田郡毛里田村(現太田市毛里田)とその周辺では、大正期以降、逆に鉱毒被害が増加したと言われる。1971年には毛里田で収穫された米からカドミウムが検出され出荷が停止された。古河鉱業はカドミウム被害は認めていないが、群馬県がこれを断定した。

閉山[編集]

1973年までに足尾の銅は掘りつくされて閉山、公害は減少した。ただし、精錬所の操業は1980年代まで続き、鉱毒はその後も流されたとされる。1989年にJR足尾線で貨物が廃止になると、原料鉱石の搬入量が減少し、鉱毒はさらに減少したとされる。

しかし、どの時代も科学的な分析がほとんどされていないため、公害の内容はあまり明らかにはなっていない。

明確に分かっている鉱毒の量は、1972年度、環境庁が足尾町に設置した測定局における二酸化硫黄(亜硫酸ガス)濃度が、旧環境基準に適合していなかった。足尾町内1局の測定局のうち、1局が不適合で、都市内全測定局の値が不適合となったのは、測定局のある都市の中では、この年度、足尾町のみである(ただし当時の環境白書は、鉱毒被害とは明示していない)。1981年9月7日に足尾町の中才浄水場から排出された排水から、基準値の2倍、協定値の3倍の銅が検出されたというものがある。このほか、毛里田村鉱毒根絶期成同盟会などが独自に測定した値などがある。

2011年3月11日、1958年に決壊した源五郎沢堆積場が再び決壊。鉱毒汚染物質が再度渡良瀬川に流下した。同日発生した東北地方太平洋沖地震が原因と思われるが、詳細は不明である。この際は、下流の農業用水取水地点において、基準値を超える鉛が検出された。また、堆積場と渡良瀬川の間にあるわたらせ渓谷鉄道の線路が破損。同鉄道は運休を余儀なくされた。

1899年の群馬栃木両県鉱毒事務所によると、鉱毒による死者・死産は推計で1064人。これは、鉱毒被害地の死者数から出生数を単純に減じたものである。松本隆海は、すべてが鉱毒が原因だとはいえないかもしれないが、当時の日本は出生数のほうが多いにもかかわらず、死者数のほうが多いのは、鉱毒に関連があるとしている(実際には、鉱毒が原因で貧困となり、栄養状態が悪化して死亡した者が多く含まれていると考えられるが、田中正造や松本はこれらも鉱毒による死者とすべきだとしている)。この数値は、田中正造の国会質問でも使用された。

鉱毒激甚地であった当時の安蘇郡植野村字船津川地区(現佐野市船津川町)の死産率は明らかに全国平均を超えていることも鉱毒事務所は指摘している。松本隆海は、『足尾鉱毒惨状画報』(1901年)で、安蘇郡界村字高山(現佐野市高山町、当時の人口約800人)で、5年間で兵役合格者がわずか2名しか出ておらず(適齢者は延べ50名)、しかも、その合格者のうち1名も入隊後10日で病気で除隊となったという逸話を紹介している。田口掬汀は、海老瀬村の鉱毒被害者向けの診療所の医師に聞いた話として、忙しくて統計はとっていないが、ひと月に2300名を越える患者を診断し、うち半数が眼病であったが、これは地質が及ぼす結果だろうとこの医師は推測していることを佐藤儀助編『亡国の縮図』(1902年)で紹介している。また、元谷中村村民の島田宗三は、自身の父と祖父は、鉱毒水を飲んで胃を冒されて死亡した、と主張している。






足尾砂防ダム、松木川へ向って流れてい行く足尾精錬(株)から排出された煙(1999年4月15日撮影)




足尾砂防ダムとその上流の松木川へ向って流れていく煙(1999年4月15日撮影)

政府の鉱毒対策[編集]

1891年からたびたび田中正造が国会で質問したにもかかわらず、政府は積極的には鉱毒対策を行わなかった。この時代は、1891年刊行の吾妻村民らによる鉱毒の記録集『足尾銅山鉱毒・渡良瀬川沿岸事情』を発刊直後に発売禁止にするなど、言論封殺が主な対策であった。

第一次[編集]

1897年、鉱毒被害地の農民が大挙して東京に陳情(当時の表現では押出し)を行うなど、世論が高まると、同年3月、政府は足尾銅山鉱毒調査委員会を設置し、数度の鉱毒予防令を出した。特に大規模なものは1897年5月の第3回の予防令で、古河側に、排水の濾過池・沈殿池と堆積場の設置、煙突への脱硫装置の設置を命令した。これらはどれもが数十日の期限付きで、一つでも遅れた場合には閉山するというものだった。古河側は当時珍しかった電灯などを活用し、24時間体制で工事を行った結果、すべての工事が期限内に間に合った。

しかし、これらの装置は、満足に役には立たなかった。政府は長年、この予防令による工事と、後述する渡良瀬川の改修工事(1927年竣工)で鉱毒問題は解決したとしてきたが、1993年、『環境白書』で、当時の対策が不十分で、根本的な解決とはならなかったことを認めた。

具体的には、濾過池・沈殿池は翌1898年には決壊し、再び下流に鉱毒が流れ出した。煙突の脱硫装置も、当時の技術レベルでは機能せず、効果は無いに等しかった。堆積場からの鉱石くずの流出は、既に1902年の第二次鉱毒調査委員会で指摘されている(しかし、第二次鉱毒調査委員会は特にそれを問題視することはなかった)。

被害民の一部は、鉱毒予防工事の効果はないものとみなして再び反対運動に立ち上がり、3回目(1898年9月)と4回目(1900年2月)の大挙上京請願行動(押出し)を決行した。4回目の押出しでは、農民側と警察側が衝突して大勢の逮捕者が出た(川俣事件)。しかし、実はその翌年(1901年)の秋には、工事の効果が現れはじめ、新聞も農地がかなり回復していると報道した。たとえば、10月6日付の『東京朝日』には、「激甚被害地を除く他は極めて豊作」と出ている。ただし、これらの報道については、当時のマスコミのみの取材能力では、渡良瀬川沿岸全域を調査したとは考えられず、一部地域のみの情報を元にしたものであるという指摘がされている。

第一次鉱毒調査委員会はこれ以外に、鉱毒被害民に対し免租を行った。これは農民の要求を受け入れたものだが、この措置のおかげで選挙権を失うものが続出、誰も立候補できずに村長が選べない村も出るという弊害も生まれた(当時は一定額の直接税を納めないと選挙権が得られなかった)。

第二次[編集]

明治34年(1901年)12月10日、日比谷において田中正造が明治天皇に足尾鉱毒事件について直訴を行ったが、警備の警官に取り押さえられて失敗。しかし、東京市中は大騒ぎになり、号外も配られ、直訴状の内容は広く知れ渡った。田中の直訴後、学生が相次いで団体で足尾見学に向かうなど、世論の盛り上がりにあわてた政府は、1902年に第二次鉱毒調査委員会を設置した。同委員会は1903年に、1897年の予防令後は鉱毒は減少したと結論づけ、洪水を防ぐために渡良瀬川下流に鉱毒沈殿用の大規模な「遊水池」を作るべきとする報告書を提出した。しかし、第二次鉱毒調査委員会は、前述のとおり、予防令による工事で鉱毒は減少したとは結論づけたが、鉱毒が消滅したという調査結果はない。

同調査会の結論は「作物に被害を与える銅分は、予防工事前の残留分で現業によるものは少ないとして古河鉱業の責任を解除した」(由井正臣『田中正造』)ものだったが、実際、1903年10月には「被害地の稲は豊作」になり、田中正造も「被害地豊作の実況」と題する演説をして歩いた(『田中正造全集・別巻』477頁)。 この演説で正造は、「豊作の原因は断じて工事の効果ではない。去年の大洪水による山崩れで、新しい土が被害農地にかぶさったためだ」と抗弁した。この説は2006年現在、国土交通省も支持している。

しかし、群馬県山田郡側の鉱毒被害は、この時代、逆に増加したといわれる。理由は不明だが、大正時代、製錬方法が浮遊選鉱法に変更されたことにより渡良瀬川を流れる鉱石くずの粒が細かくなり、浮遊したまま川を流れるようになったため、上流部の渡良瀬川右岸に多く流れ込んで堆積するようになったと考える研究者がいる。群馬県側の鉱毒被害および鉱毒反対運動については後述する。この時代、鉱毒が減ったような報道が多くされたのは、鉱毒発生当初は山田郡は鉱毒激甚地とはみなされていなかったため、マスコミが取材に訪れなかったためだと考える研究者がいる。

第二次鉱毒調査会の報告書を受け、栃木県、群馬県、埼玉県、茨城県の境に、鉱毒沈殿用の渡良瀬遊水地が作られた。当初、埼玉県側に作られる予定であったが、激しい反対のために栃木県側に予定が変更された。この土地は元々、農業を主な産業としていた栃木県下都賀郡谷中村であった。

谷中村には田中正造が住み、公害運動の拠点となっていたことから、運動をつぶすための決定だといわれた。谷中村はこれに激しく抵抗し、隣の藤岡町との合併案を否決した。谷中村は1906年に強制廃村となり、藤岡町に合併された。また、渡良瀬川の河川工事もこの時代に行われた。

1910年から1927年にかけ、谷中村を遊水地にし、渡良瀬川の流れの向きを変えるなど、大規模な河川工事が行われ、洪水は減少した。しかし、足尾の山から流出する土砂が下流で堆積するのは止まらなかった。また、下流地域での鉱毒被害が減っただけで、新たな鉱毒の流出が消滅したわけではなかった。政府が当時のこれらの対策が不十分であることを認めたのは、前述したとおり1993年であった。

戦後[編集]





渡良瀬川側から見た足尾砂防ダム(1997年7月22日撮影)
1947年のカスリーン台風以降、政府は渡良瀬川全域に堤防を作った。この堤防工事は20年ほどかかった。堤防の竣工以後、渡良瀬川では大規模な洪水はない。

土砂の流出を防ぐため、1960年、足尾町に防砂ダムの足尾ダム(通称、三沢合流ダム)が作られた。容積500万立方メートルで、利根川水系の砂防ダムとしては最大。また、日本でも最大級の砂防ダムだとされる。2003年現在の堆砂率は67%。

渡良瀬川の治水と首都圏への水道供給を主目的にした多目的ダム、草木ダムが渡良瀬川上流の群馬県勢多郡東村に作られた(1977年竣工)。このダムは鉱毒対策を目的の中に入れていなかったが、参議院議員近藤英一郎(当時)が商工委員会で質問を行った結果、このダムについては「水質保全に特に留意」することとされた経緯がある。鉱毒を下流に流さないようにするための半円筒形多段ローラーも採用された。このダムは常時水質検査が行われ、結果が随時公表されているが、そのような多目的ダムは日本にはほとんど存在しない。竣工が銅山の閉山後だったこともあり、水質検査では異常な値はあまり検出されていない。

1976年7月30日、群馬県、栃木県、桐生市、太田市と古河鉱業の間で公害防止協定が締結された。ただし、後述する毛里田地区鉱毒根絶期成同盟会はこの協定への参加を拒否した。この協定に基づき、水質検査などが行われている。鉱毒被害地の農地の土地改良も、公害防止協定締結後に行われた(後述)。

なお、協定に基づく水質検査の結果、降雨時の堆積場からの水質が環境基準を超えていることがあることを群馬県が2005年に指摘している。

鉱毒反対運動[編集]

明治期[編集]

鉱毒反対運動は、現在の栃木県佐野市と栃木市藤岡町で盛んであった。最初の運動は、1890年、栃木県足利郡吾妻村(現在の佐野市吾妻地区)会が足尾鉱山の操業停止を求める決議を採択した。

佐野出身の衆議院議員田中正造は1891年以降、たびたび国会で鉱毒の質問を行い、鉱毒の害は全国に知れ渡った。栃木県は鉱毒仲裁会をつくり、古河側が、1893年頃に農民に示談金を払い、1896年6月末までに対策を行って鉱毒をなくすという内容で示談を行わせた。これに対し、田中正造はこの示談を行わないよう運動を行った。しかし、1896年の大洪水でさらに鉱毒が拡大し、対策がなされていないことが判明すると、農民側は示談契約書を根拠に再度交渉を行った。このとき、古河側が農民に若干の示談金を与えるかわりに、それ以前、以後の鉱毒被害の請求権を放棄するという内容の永久示談に切り替えた。このため、この後には鉱毒問題はないという主張もされる。しかし、示談金の受け取りを拒否した農民もおり、鉱毒反対運動はこの後も続いた。

森長英三郎によれば、1893年の時限付き示談の内容は、古河市兵衛が農民8414人の被害地4360町96畝06歩に対し76602円96銭9厘を支払うというもので、1896年の永久示談は農民5127人の被害地2207町43畝14歩に対し30119円23銭2厘を払うというものであった。森長の概算によれば1893年の示談の平均は1反あたり1円75銭、1896年の示談の平均は1反あたり1円54銭である。





鉱毒事務所がおかれた雲龍寺
反対運動が最も盛んになったのは、1896年の洪水以降で、田中正造の主導の元、10月4日、群馬県邑楽郡渡瀬村(現在の館林市下早川田町)にある雲龍寺に、栃木・群馬両県の鉱毒事務所が作られた。ここは、被害農民の集結所となった。この後、東京への陳情に出かける農民と警官隊との衝突も起きた。このような陳情には当時名がついておらず、農民らは「押出し」と呼んだ。布川了によれば、大規模な押出しは明治期に6回行われている(1897年3月2日、1897年3月24日、1898年9月26日、1900年2月13日、1902年2月19日、1902年3月2日)。第3回押出しで、与党議員であった田中は農民等を説得して大部分を帰郷させたが、直後に政権が崩壊。田中は第4回押出しを行うための機関、鉱毒議会を現地栃木・群馬県で組織させた。押出しについては川俣事件も参照のこと。

1896年には群馬県議会が足尾銅山の操業停止を求める議決(『鉱毒ノ儀ニ付建議』)を行った。一方、栃木県議会は1890年に足尾銅山の調査を求める議決を行っていたが、鉱毒被害地と足尾銅山双方の地元であるという事情から議会が紛糾し、1896年には鉱毒に関する議決は行わなかった。

当時、日清戦争・日露戦争のさなかであった政府としては、鉱山の操業を止める事はできず、反対運動を食い止めるため、政府は運動の盛んだった谷中村の廃村を決し、1907年強制破壊が行われる。その後、村民は主に隣の藤岡町や群馬県板倉町にあたる地域、下都賀郡の他の町村、古河町(現在の古河市)、那須郡、北海道常呂郡佐呂間町に移住した。また、元谷中村民以外も一緒に移住したが、実質的には元谷中村民救済の意味が強かった。なお、佐呂間町にある「栃木」という地名は、この移住の際につけられたものである。移住を拒否し、破壊された谷中村の自宅跡に住み続けた元村民もいる。ただし、1917年には全員が村を退去した。

鉱毒反対運動は、谷中村の廃村や、渡良瀬川の大工事による洪水の減少などにより次第に弱まり、特に1902年以降、足利郡、梁田郡、安蘇郡、下都賀郡、邑楽郡の鉱毒被害地が豊作になると弱体化した。さらに運動の中心人物であった田中正造が1913年に没するとほぼ消滅した。しかし、群馬県山田郡の鉱毒被害は止まず、この地区ではこの後も鉱毒反対運動が続いた(後述)。

足尾町での運動[編集]

煙害に困った足尾町赤倉地区の住民が1920年に煙害問題安定期成会を結成。古河鉱業と直接交渉を行った。しかし、土地柄、銅山との商取引で生計を立てている者が多く、運動は盛り上がらなかった。最終的に、銅山に全く依存していない数軒のみが賠償を受けることに成功したが、逆に町内の分断を招いた。

大正期・昭和期・平成期[編集]





オットセイ岩(手前)と源五郎沢堆積場(対岸奥)。間にわたらせ渓谷鉄道の線路がある。川は渡良瀬川
渡良瀬川から農業用水を取水していた中流右岸の待矢場両堰普通水利組合(現在の待矢場両堰土地改良区。主に群馬県山田郡、邑楽郡の町村に用水を供給していた)と三栗谷用水普通水利組合(現在の三栗谷用水土地改良区、主に足利郡右岸に用水を供給)は、古河側と永久示談を行わず、期限つきの示談交渉を数度にわたり延長する方式をとっていた。しかし、1902年、1904年に古河側は状況が変わったとして示談延長を停止。両組合は、賠償請求額を算出するためにそれぞれ独自にたびたび足尾の現地視察などを行った。1917年、待矢場両堰普通水利組合は、渡良瀬川には鉱毒はなくなっていないとする意見書を群馬県知事に提出した。

1924年には干ばつがあり、これは、水源地の足尾の山林が荒廃して保水能力を失ったためだと考えた両組合は、それぞれ別個に活動を行い、1925年には群馬県側の農民ら数千人の署名が集められ、貴族院、衆議院、内務大臣、農務大臣宛てに請願書が提出される。この内容は主に、鉱害による損害賠償請求が行えるようにして欲しいというものだった(当時は原告に立証責任があったため、裁判で勝つ見込みがなかった)。この要望は1939年に実現した。

一方、三栗谷用水は、鉱業取り締まりや鉱業法改正の嘆願書を内務・農林・商工大臣宛に提出。この嘆願書は1926年から1933年までほぼ毎年提出された。なお、この時代、両水利組合が共同で行った運動も若干ある。

1936年に三栗谷用水は古河鉱業から事業資金の一部8万5千円を提供させ、取水口の改良工事を行い、それまでの渡良瀬川からの直接取水から、伏流水を主に取水する方式に変更した。この際、古河側は永久示談を要求。今後一切現金提供を求めないという条文が契約書に盛り込まれたが、工事は1950年の第4次工事まで続き、最終的に古河側は総工費3200万円の4%にあたる119万円を負担した。第4次工事で、用水本流上に中川鉱毒沈砂池(1948年竣工)が設けられ、下流部の鉱毒被害は激減した。しかし、最新の鉱毒防止装置の維持費は、その後も用水利用料増加という形で農民の負担となった。なお、事業そのものは1967年竣工の第5次まで続いたが、第5次工事には古河は金銭を負担していない。

1938年、1939年には渡良瀬川で大洪水があり、鉱毒が再度農地に流れ込んだ。同年、渡良瀬川改修群馬期成同盟会が結成され、内務省に対して渡良瀬川の河川改修や水源地の涵養などを求める陳情が行われた。陳情は1940年までに22回行われた。1940年、政府はこの事業に予算をつけるが、第二次世界大戦のため、あまり大規模な改修は行われなかったらしいという推測もある。政府が渡良瀬川の大改修を行うのは戦後であった。

これ以降の時代は、国策である銅の増産に協力しない者は非国民であるという主張がされるようになり、鉱毒反対運動は一時下火になった。

1945年、終戦となり、言論・集会への弾圧が行われなくなると、翌1946年、群馬県東部の渡良瀬川流域の農民が集まり、足尾銅山精錬所移転期成同盟会が結成された。この会はすぐに鉱害根絶同盟会と名称を変更し、古河鉱業と直接交渉を行った。周辺市町村は渡良瀬川改修群馬期成同盟会を沿岸鉱毒対策委員会と名称変更して鉱毒反対運動を続け、1953年、鉱害根絶同盟会は官製の対策委員会に吸収される形でいったん消滅した。対策委員会は古河鉱業から土地改良資金の20分の1(800万円)を受け取り解散した。800万円は、待矢場両堰土地改良区(水利組合が名称を変更したもの)の口座に入金された。

これらの資金を基に、待矢場両堰も三栗谷用水と同様、伏流水を取水するための工事を行ったが、用水の規模が違いすぎ、伏流水のみでは必要量を確保できなかった。待矢場両堰はその後も渡良瀬川からの直接取水を続けた。

しかし、1958年5月30日、足尾町オットセイ岩付近にある源五郎沢堆積場が崩壊。崩れた鉱石くずが渡良瀬川を流れ、渡良瀬川から直接農業用水を取水していた群馬県山田郡毛里田村(現在の太田市毛里田)の田畑に流れ込んだ。この後この地で再び鉱毒反対運動が盛んになる。

6月11日には毛里田村の農民らが足尾を訪れるが、古河側は自身に責任はないという主張を繰り返した。しかし、国鉄には、鉱石くずの流出で線路が流れたことに対して補償金を払っていたことが直後に判明。住民らが激怒し、7月10日、毛里田村期成同盟会(のちの毛里田地区期成同盟会)が結成され、これを受け、さらに8月2日、群馬県桐生市、太田市、館林市、新田郡、山田郡、邑楽郡の農民が中心となって群馬県東毛三市三郡渡良瀬川鉱毒根絶期成同盟会が再度結成される。古河側は150万円の見舞金を提示したが、毛里田村民側は賠償金の一部としてでなければ受け取れないと拒否。また、この交渉過程で、1953年に土地改良資金を提供したときに、永久示談を行ったと古河側は主張。当時の契約書も提示された。この契約書に関しては、1966年、参議院商工委員会で鈴木一弘委員(当時)が有効性があるのかと問いただしたところ、農林省、通産省の担当者は、それぞれ、契約書に署名した水利組合理事長に独断でそのような契約を結ぶ権限があったか疑わしく、また、契約後も鉱毒被害が発生していることから、永久示談の成立には否定的な答弁を行っている。

この時期の鉱毒反対運動は、最大の被害地、毛里田村期成同盟会(のちの毛里田地区期成同盟会)が活動の中心となった。この後、バスを使った押出しが行われた。明治期のものと区別するため、昭和期のものは昭和の押出しと呼ばれる。同年設置された政府の水質審議会指定河川から渡良瀬川が除外されたことも運動を大きくする原因になった。

1962年、水質審議会に渡良瀬川専門部会を設け、毛里田村期成同盟会会長の恩田正一が会長を辞職すれば審議会委員に加えてよい、という内容の政治的な妥協がはかられた[2]が、当初、毛里田村同盟会は同盟会の運動の分断を図ろうとするものだとして激しく抵抗した。また、そのような主張が認められるなら、同じく委員になっている古河鉱業の社長もその職を辞すべきだという主張もあった。しかし、恩田はこれを受け入れ、会長を辞職した上で水質審議委員となった[2]。しかし、この恩田の意見はほとんど無視されたため、1964年10月5日、再び押出しが行われた。水質基準は経済企画庁の提案による銅0.06ppmという値で、1968年に決定された。毛里田地区期成同盟会(毛里田村期成同盟会が名称変更したもの)は、0.02ppmを主張したがこれは受け入れられなかった。

この間、1966年9月ごろ、足尾町の天狗沢堆積場が決壊。再度、鉱毒が下流に流れた。しかし、古河側はこの事実を公表しなかった。期成同盟会の住民は、群馬県からの連絡でこの事実を知った。

1971年に毛里田で収穫された米からカドミウムが検出され、直後、農民らは80年分の賠償金120億円を古河鉱業に請求した。1972年、群馬県は、米の汚染は足尾銅山の鉱毒が原因と断定。3月31日、農民971人が古河鉱業に賠償金総額39億円の支払いを求め群馬県公害審査会に調停を申請した。4月3日、県は毛里田地区の土壌汚染についても足尾銅山の鉱毒が原因と断定。1974年に、農地359.8haを土壌汚染対策地域農用地に指定した。

1974年5月11日、群馬県公害審査会から事件の処理を引継いだ公害等調整委員会において調停が成立し、古河鉱業は15億5000万円を支払った。これは、古河側が鉱毒事件で責任を認めて賠償金(契約書上の文言は「補償金」)を支払った最初の出来事である。(それ以前の資金提供は常に「寄付金」「見舞金」「協力金」などの名目で、賠償金ではなかった)ただし、古河鉱業側は、銅の被害のみを認め、カドミウムについては認めなかった(農民側も、調停申請にはあえてカドミウム問題は提示せずに早期解決を目指したという理由もある)。このときの調停の内容に含まれていた土地改良は、1981年に始まり1999年に完了した。古河鉱業は土地改良事業費43億4000万円のうち51%を負担し、残りの大部分は国と群馬県が負担した(ごく一部を桐生市と太田市が負担)。土地改良には農民の金銭の負担はない。





毛里田地区の祈念鉱毒根絶碑。「土」の字をかたどっている。記念碑としなかったのは、鉱毒問題が解消していないためで、鉱毒の根絶を願い建立された。1977年建立
毛里田地区の鉱毒反対運動は、どこからも主だった支援を受けず、農民の手弁当による活動であるところが他の同種の運動と大きく異なる。ただし、支援の申し出がなかったわけではなく、受け入れ体制が整わなかったのが支援を受けなかった理由であるという。

毛里田地区の調停成立直後の1974年11月18日、群馬県桐生市で桐生地区鉱毒対策委員会が設立され、農民444人が古河鉱業に対し交渉をもった。1975年11月18日和解が成立し、古河鉱業は銅などによる鉱毒被害を認め、2億3500万円を支払った。

1974年10月25日、太田市韮川地区鉱毒根絶期成同盟会の農民546人が、13億円の賠償を古河鉱業に請求。1976年12月1日、和解が成立し、古河鉱業は1億1千万円を支払った。

毛里田地区で申請漏れになっていた住民が、公害等調整委員会に調停を申請。1977年12月、390万円で和解が成立した。

1994年、毛里田地区鉱毒根絶期成同盟会と、韮川地区鉱毒根絶期成同盟会が合併。鉱毒根絶太田期成同盟会(会長:板橋明治)となった。

2000年、2003年、2004年に、群馬県は農用地土壌汚染対策指定地域を追加指定。これまでに指定され、まだ解除されていない農地も含め、2005年現在の対策指定地域は53.74haである。2000年以降の追加指定地は、大部分が1970年代の調査が不十分で調査洩れになっていた地域と考えられている。

2004年、桐生市議会は、足尾町の中才浄水場に自動取水機の設置を求める要望書を採択した。

植林・治山事業[編集]



渡良瀬川縁付近まで下りてきたニホンカモシカ(写真中央)(わたらせ渓谷鉄道 間藤—足尾本山間、1997年7月22日) ニホンカモシカの部分をトリミング

渡良瀬川縁付近まで下りてきたニホンカモシカ(写真中央)(わたらせ渓谷鉄道 間藤—足尾本山間、1997年7月22日)

ニホンカモシカの部分をトリミング


荒廃した足尾地区の森林を復元するため、1897年、当時の農商務省により足尾に植林が命じられ、以後、現在(2006年)に至るまで治山事業が続けられている。ただし、明治期と昭和初期には植林が行われなかった時代がそれぞれ数年ずつあった。

治山事業に要した費用(荒廃地復旧経費)は、前橋営林署(現在の関東森林管理局群馬森林管理署)によれば、
1897年~1899年 31,111円
1906年~1913年 405,917円
1914年~1926年 99,590円
1927年~1940年 163,484円
1947年~1975年 1,659,574,000円

である(1976年以降も植林事業は行われている)。前橋営林署の治山事業は、国有林を対象に行われている。このほか、栃木県が1958年ごろから別に民有地に治山事業を行っている。栃木県が植林している民有地は、ほとんどが古河機械金属の所有地である。税金を投じて私有地への大規模な植林を行うことに批判もある。

1988年に前橋営林署が足尾地区の治山事業に使用した金額は、2億9400万円であり、栃木県は5億8500万円を投じた。

1999年に建設省が足尾地区の治山事業に投じた金額は、20億3000万円であり、栃木県は8億円、林野庁は2億5000万円を投じた。

このほか、古河鉱業は1960年に国有林復旧への協力金として政府に約360万円を支払った。これは1957年~1960年分として支払われ、これ以前の分については時効だという解釈がされた。

古河側の主張[編集]

足尾鉱毒事件に関しては、主に被害者側の視点での記述が多いが、中立性を確保するため、古河側の主張も併記する。ただし、古河側が直接、鉱毒に関して言及している例は非常に少ない。古河側の直接的な文献で、鉱毒に関する言及が多い文書には、古河鉱業刊『創業100年史』(1976年)がある。なお、古河鉱業は鉱毒という語を用いず、「鉱害」という語を用いている。

これによれば、1740年に既に渡良瀬川沿岸で鉱毒による免租願いが出されていることが当時の文献から確認でき、鉱毒は古河の経営になる前から存在したと主張している。また、当時は圧力があって文献では残っていないが、1821年に鉱毒被害があった、という研究も紹介している。

古河側の主張によれば、(第1次)鉱毒調査会による鉱毒防止令による工事と、大正時代までに行われた渡良瀬川の治水工事により、鉱毒は「一応の解決をみた」(『創業100年史』より)と述べている。この時代、待矢場両堰普通水利組合などが鉱毒に言及していたことについては記述がない。

源五郎沢堆積場崩壊事故後の毛里田地区鉱毒根絶期成同盟会との交渉については(それ以前から鉱毒問題に関しては)、「つねに前向きの姿勢で対処してきた」(『創業100年史』より)と述べている。古河側が時効の成立を主張したことなどについては言及がある。1974年の調停で、鉱毒問題については「終止符が打たれた」(『創業100年史』より)と述べているが、古河鉱業がカドミウム汚染に関する責任を認めていないことについての言及はない(1976年に結ばれた公害防止協定への言及もないが、協定成立年とこの文献の発行年が同年であることから、編集に間に合わなかったという可能性もある)。

注釈[編集]
1.^ なお、19世紀にここで山火事があったことから、山が禿げたのは山火事が原因だという主張もある。
2.^ a b 宇井純「技術導入の社会に与えた負の衝撃」国連大学人間と社会の開発プログラム研究報告、1982年(「戦後の低迷と再発」の章を参照)

文献[編集]
待矢場両堰普通水利組合『待矢場両堰々史』(1922年)
内水護『資料足尾鉱毒事件』(1971年)
古河鉱業『創業100年史』(1976年)
渡良瀬川鉱毒根絶毛里田期成同盟会『祈念鉱毒根絶の碑』(1977年)
東海林吉郎、菅井益郎『通史足尾鉱毒事件 1877-1984』(1984年)
佐野市郷土博物館『田中正造と足尾鉱毒』(1988年)
板橋信次郎『毛里田村を主とする鉱毒記録抜き書き』(1992年)
布川了『田中正造と足尾鉱毒事件を歩く』(1994年)ISBN 4-938640-61-9
待矢場両堰土地改良区『待矢場両堰土地改良区史』(1996年)
広瀬武 『公害の原点を後世に-入門・足尾鉱毒事件』(2001年)ISBN 4-88748-067-9
砂川幸雄『直訴は必要だったか』(勉誠出版、2004年)ISBN 4585053166
高崎哲郎『百折不撓―鉱毒の川はよみがえった』(2004年)ISBN 4-7972-2622-6
太田市『環境白書 平成16年度』(2004年)
田中正造大学出版部『救現』1号~9号(1986年~2005年)ISBN 4-88748-117-9(9号のもの)
群馬県『平成17年版 環境白書』(2005年)
渡良瀬川研究会『田中正造と足尾鉱毒事件研究』1号~14号(~2006年)ISBN 4-88748-146-2(14号のもの)
立松和平『毒――風聞・田中正造』毎日出版文化賞受賞(東京書籍、1997年)
林竹二『田中正造の生涯』毎日出版文化賞受賞(講談社新書)
城山三郎『辛酸』(1979年)

この事件を扱った作品[編集]

小説[編集]
『暗黒告知』(小林久三)
 立松和平『毒――風聞・田中正造』毎日出版文化賞受賞(東京書籍、1997年)
 『辛酸』田中正造と足尾鉱毒事件(城山三郎)

映画[編集]
『鉱毒』(日本、1976年)
『鉱毒悲歌』(日本、1980年代ごろ)
『赤貧洗うがごとし ― 田中正造と野に叫ぶ人びと』(日本、2006年)

テレビドラマ[編集]
『足尾から来た女』(NHK、2014年1月放送)

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Jiu Jitsu NERD



一番期待していたカート・オジアンダーの記事がまるまるへヴィメタ一色で肝心の柔術には全く触れずじまい…
橋本欣也さん
仕事しろ

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実に面倒くさい話なんですが
御世話になった道場や先生方 家族兄弟にまでとばっちりが食らいそうなんでブログの表示を一部変えることにします

まー
文句が有るのでしたら何時でもスパーリング ローリングでお相手致しますよ
ということで

コロコロハンドルネーム変えて私が早川光由先生に足関節仕掛けただの
某先生が何処の黒帯かもわからんだの
デマを垂れ流したり某先生の名誉を汚すような行為は正直勘弁してもらいたいもんです

私の思想や考えはあくまで私個人のものであり御世話になった道場や先生 私の家族兄弟たちには一切関係ないので
私に文句がお有りなら正面からどうぞ
いつでもお相手いたします

by西田大作

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MMAに怯えるムエタイ関係者たち







http://cafe.quietwarriors.com/?eid=871041

2012.03.31 Saturday

タイ政府がMMAを禁止


昨日のニュースですが、タイ政府が国内でのMMAイベントを禁止したとのこと。



その公式理由は「あまりにも残酷だから」だそうです。

・・・って、えええ? 小さい子供がムエタイのリングに上がるのはOKなのに?

これは、残酷だからというより、ムエタイで甘い汁を吸ってる政治家が、MMAに邪魔されたくないというだけでは? ムエタイは会場を埋め尽くす観客を動員でき、世界中から外国人観光客を呼び込むこともできるし、テレビ放送しても視聴率が高い。そんなところに新興勢力であるMMA(外国のビジネス)が入って、お客さんがそちらに移動してしまうと困る、というのがホントのところではないでしょうか。

それにしても残酷だからって、タイって新聞とかでも血だらけの死体の写真とか、デカデカと普通に載せてる国ですよね。おまけにバンコクには死体博物館があったりしますよね(今もあるのでしょうか?実は私、この博物館に関するスピーチをしたことあるんです、笑) この博物館、死体がたくさんホルマリン漬けされてたりして(大人の犯罪者の死体とか)、相当気持ち悪いんですが、こっちの方が残酷なような・・・

そうはいってもタイは私の好きな国ベスト3のひとつなんですが(笑)


MMAの興行は禁止ですが、ジムで練習したりするのは自由だそうで、現在どんどんMMAを練習する人が増えてるそうです。UFCとかで成功したらファイトマネーは桁違いだしね。

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沢村忠のキックボクシングブーム時代 知られざる野口ジム事件 ムエタイの誇りを傷つけられたタイ人の怒りが爆発

http://www.mekong.ne.jp/directory/society/noguchigym.htm
 社会(事件)-日タイ関係

       野口ジム襲撃事件(キックボクシング事件)

   日本の経済進出を前に高まりつつあったタイ国内の反日感情が現れた事件(1972年10月)   
 

 関連テーマ・ワード

●タイ・ボクシング

  (ムエタイ、モワイタイ)

 

 西洋ボクシングが拳のみを使うのに対し、タイ・ボクシングは拳だけでなく、ヒジやヒザ、足を使って攻撃をする。タイ・ボクシングのワザは、9つの部分(頭、両拳、両膝、両脚)を使うことからナワ・アウット(9武器)と称し、①頭や額で突くもの6ワザ ②拳で殴るもの24ワザ ③ヒジで突くもの30ワザ ④ヒザで突くもの12ワザ ⑤脚(すね、くるぶし、足の甲)で蹴り、踏みつけ、挟むもの36ワザ の計108手があり、それぞれに名前がある。

 1ラウンド3分で5ラウンド制。

 体重別にクラスが分かれている。

 試合に先立って、ワイクルー(拝師舞)という薫陶をいけた恩師に対し感謝をささげて吉祥を祈る儀式を行う。

 

 
 

  タイの国技キックボクシングを長らく日本に紹介し、日本とタイのボクシング界の親善に尽くしてきたとも言われる野口修氏が社長として率いていた日本のキックボクシング界の草分け、野口プロモーション(本社、東京都目黒区)は、1972年10月10日、野口修社長の実弟恭氏をコーチ役としてバンコク市内の目抜き通りに「野口キックボクシング・ジム」を開設。日本から選手16人を呼び、タイ随一といわれる近代設備のジムで練習させ、それを見物かたがたお茶を飲む喫茶店の施設を備えた派手な店構えだった。

 しかし、このジムの看板が「タイボクシングジム」ではなく「キックボクシングジム」であったこともあり、「タイの国技を汚すものだ」という一部タイ世論の強い反感を買い、1972年10月15日夜、同ジムにピストル弾3発が打ち込まれたのに続き、10月16日には高校生と見られる一団の抗議デモが押し寄せ、ガラス瓶で大ガラス1枚が割られる騒ぎが起った。

  両事件とも同ジムの閉店後の出来事だったため、けが人は出なかったが、更に10月16日夜には、日本・タイ対抗のキックボクシング試合が行われた市内のラーチャダムネンボクシングスタジアムで、野口社長がタイ・ボクシング関係者の1人に顔面をなぐられる事件も起きた。10月17日にも同社長の手元には「殺す」「日本の犬」など激しい文面の脅迫状が舞い込んだ。

 野口キックボクシングジム開設の翌日(1972年10月11日)からタイの代表的な大衆タイ字紙「タイ・ラット」が、”野口ジムは神聖なタイの国技を冒すものだ。タイ・ボクシングという名前を使わないことは、日本製のキックボクシングを押し付けようとするもので、悪質な経済侵略だ”と”ジャップ”という言葉まで使って激しいキャンペーンを始め、同紙は10月17日付では、1面に「Go Home、野口!」と野口氏の写真入りで書きたてた。

 10月17日、野口氏は、タイ側のプロモーターと一緒に会見し、「名前もタイ・ボクシングに変える。タイとの親善が目的なのだから」と語るが、10月18日には、紛争の発端となった問題の「野口キックボクシングジム」の大きな看板がすべてはずされ、ガラス張りの公開練習場の使用も中止され、ジムは閉鎖となった。野口修社長自身は、10月18日午前バンコクを離れ、香港経由で10月19日夜帰国した。

 この「野口キックボクシングジム」は、1972年10月9日に開店したタイ大丸デパートの豪華な新店舗を中心とする商店街「ラチャダムリ・アーケード」の一角を占めていたが、1972年10月18日にはタイ大丸に爆弾をしかけたとの脅迫電話がバンコクの警視庁あてにかかっている。更に1972年11月にはタイ全国学生センターにより全国的な日本製品ボイコット運動が進められ、野口ジム事件が起った頃から日本の経済進出に対する抗議の運動が高まっていくことになる。

   参考文献:

    *1972年10月の日本主要各紙

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500年の歴史を持つムエタイの殿堂 陸軍系ルンピニースタジアムが移転 旧ルンピニーと新ルンピニーの比較

SAM_2251.jpg

ルンピニーimage

http://supportasia.blogspot.jp/2013/06/blog-post_18.html

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実は単なる胃腸粘膜のヒバク 最近流行の嘔吐や下痢を「ノロウィルス」の一言で片付けようとしている現代日本の腐敗した現実

http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/129cf089460b4fcf895ed8ed5a5d1623
実は単なる胃腸粘膜のヒバク>最近流行の嘔吐や下痢を「ノロウィルス」の一言で片付けようとしている
2014-01-21 14:31:05 | 放射能汚染

実は単なる胃腸粘膜のヒバク>

最近流行の嘔吐や下痢を「ノロウィルス」の一言で片付けようとしている

飲食に因る内部被曝 (もと渋谷区民)

2012-12-24 07:27:58

消化器からの内部被曝は吸気被曝と比べ危険度は低いと言うものの、
事故から約二年という時間の経過と共に体内被曝の蓄積が深刻化していると実感します。

私の見聞する範囲でも、初期ヒバクの影響の少なかったであろう人々に
ヒバクの初期・中期症状が次々に出てきています。

まずは喉の痛みや口内炎、または吐き気嘔吐や腹痛下痢、
概ね共通してこれらの症状から始まるようです。

(私自身も喉の痛みや下痢が初期症状でした。)

続いて、

鼻炎、中耳炎、空咳、喉ポリープ、喘息、気管支炎、肺炎、

ねっとりした黄緑色の痰や鼻水、

鼻血、首や肩の倦怠感や腫れ痛み、

首まわりにつく脂肪、

首に急スピードで現れる黒子、目脂(やはり、ねっとりしている)、

目の充血、結膜炎、眼痛(高眼圧)、

頭痛、眩暈、過活動膀胱、腎盂炎、胃腸炎、

心臓痛、腰脚腕の筋肉痛、関節痛、

肋骨や手足の骨痛、顎痛、歯肉炎、歯痛、

爪の異常(黒い、凸凹、横線、剥がれ)、

手足の捻挫や骨折(殆どが小指)、

皮膚病(赤い炎症のほかに頭皮のフケやシラミも)、

子どもの発育不全や学力低下、

大人の精神不安定(神経の苛立ちなど)や認知能力低下、

気力意欲の低下、意識の喪失などなど。

因みに、最近流行の嘔吐や下痢を「ノロウィルス」の一言で片付けようとしているのが
国やマスコミからは見え見えなんです。

酷い話しです。

単なる胃腸粘膜のヒバクです。

ヒバクの本当の怖さはガンなどより
むしろこのような一見ありがちな病名の症状に隠されていることだと思います。

たいていヒバクとの関連性を疑いもしない、もしくは無視する傾向です。

注意喚起すると、こちらが精神異常者扱いされるということも
充分に学習しましたので、放射能のことを考えたくない人々への心配は
キッパリとやめるようになりました。

311後に福島の事故や政治の話題を出来ない人、
愛のない人、真摯に生きていない人とは
他の会話も成り立ちませんから、
お付き合いできる人はごく限られます。







ノロウィルス 2006年度の流行時には、

27,616人の患者数が確認されているが、2010年までは死者ゼロ

03. 2012年12月26日 23:59:03 : Nbmrmnm05s
今年のノロウイルスは新型と報道されているが、このウイルスでは常にリコンビネーションが起きている。今年になって、特別、強力な新型ウイルスが出現したわけではない。
http://mainichi.jp/select/news/20121208k0000e040168000c.html
2006年度の流行時には、27,616人の患者数が確認されているが、死者は昨年まではゼロである。
宮崎県で起きた死亡事例は、近年には見られないことだった。
http://www.mhlw.go.jp/topics/syokuchu/kanren/yobou/040204-1.html#04

今年の流行は、放射性物質の取り込みによる免疫機構の弱体化が手をかしている。しかし、政府マスコミは、放射性物質から、国民の目を逸らせようとしている。





・人体の免疫システムに対する障害として、

 ノロウィルス蔓延への放射能の影響も十分考えられる

・静岡県。小学校低学年で 『鼻血』 目だっている。

 授業参観で、急に鼻血をだした児童に対して「またか」という反応。

10. 2012年12月27日 09:40:46 : auCzAOomyY
静岡県です。うちの小学校の低学年で鼻血が目だっているそうです。

そういう現象はたぶん全国津々浦々でしずかに起きているのではないかと思います。学校ではおおげさなことにはしたくないので、放射能とは関係ないと言っています。

先日、授業参観に行ったら、急に鼻血を出した児童に対して、学級の子どもたちは「またか」という反応でした。

そういう身近な話題を話題として表に出してゆけば、全国の状況が分かるのではないでしょうか。学童には「ノロウィルスに対する注意書き」が貼られていました。

人体の免疫システムに対する障害として、ノロウィルス蔓延への放射能の影響も充分考えられます。地元の医者で子どもたちの尿の放射能検査をしている方があって、県中部の市の子どもの尿からもセシウム137が0.1ベクレル/㎏検出されていました。

食べ物などには充分に気をつけている家庭のようですから、一般家庭の子どもたちの状況は推して知るべしです。ペトカウ効果などを考えると、低線量による内部被曝は静かにじわじわとわたしたちの身近に浸透しているように思います。





・ノロウイルス感染の確定診断を下すには、便を調べなければならないが、

 保険上特定のグループや人しか適応されない

・ノロが大流行と煽られ、ちょっとの下痢で、

 もうノロと思い込むという思考システムが意図的に誘導されている

17. 2012年12月28日 02:34:35 : mXAObWlGkE
ノロウイルス感染の確定診断を下すには便を調べなければならないが、これは保険上特定のグループや人しか適応されない。
ノロが大流行と煽られ、そのため、ちょっとの下痢で、もうノロと思い込むという思考システムが意図的に誘導されている。
あのブタ株インフルエンザの時、たった二人の感染者が出ただけで、学級閉鎖として、いかにも大流行が来ていると一般人に刷り込み、恐怖心を煽った、あのふざけたいかさまシナリオと同じだ。

免疫力の低下は、あらゆる疾患に頭をもたげ始めている。





茨城県取手市、児童の心臓検査で 『要精密検査の子が急増』

19. 2012年12月28日 05:56:06 : q30e0mOg82
これは免疫関連ではないが、取手で児童の心臓検査で要精密検査の子が急増しているそうだ。





死因が被曝の影響か、別の病気によるものかを証明するのは

非常に厄介で、裁判に持ち込んでも勝ち目はない。

28. 2012年12月29日 02:52:50 : pPJ5gJb78A
死因が被曝の影響か、別の病気によるものかを証明するのは非常に厄介で、
裁判に持ち込んでも勝ち目はない。

政府は補償を逃れるためには何でもする。

これから今までになかった奇妙な病気が流行するだろう。十分に気をつけることだ。





放射線による人体の免疫システム異常により、

その他の細菌に対しても免疫が弱り、感染が増加

31. 2012年12月30日 00:02:49 : GYMi5CZ6qk
>もし放射線による人体の免疫システム異常であればその他の細菌に対しても免疫が弱るはず
マイコプラズマ肺炎、急増
RSウイルス感染症
季節はずれインフルエンザ流行
風疹患者数の増加
O157感染症の増加
その他にも色々ある。




免疫システムの異常は血液検査で ある程度判断できる

32. 2012年12月30日 06:43:23 : 4B0RQ0oGeQ
免疫システムの異常は血液検査であるていど判断できる。免疫機能に特化した
検査のほうがよいだろう。









茨城県取手市 チェルノブイリ強制避難レベルの汚染

『福島第1原発の7Km圏内、立入禁止地域の汚染に匹敵』

http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/05a21af7c11a8ddb716da022b202efc8

・・これら12地点は、全面ガスマスクを着用しなければならない場所だ。

恐ろしいことだ。初期の阿見町のデータに驚いていたが、取手はそれ以上にとてつもなく汚染されていた。

取手市民はPDF表をよく見て、全面ガスマスク着用の必要な高濃度汚染地帯からは逃げ出したほうがいいぞ。





もう公共交通には乗れない!

国交省はバス運転手の「心筋梗塞や脳梗塞」増加を織り込んでる

http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/11f0adb0c892a886c25a2957bea92526

★児童、生徒の心電図異常増加 茨城!(1月4日の読売新聞)
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=70617
http://www.asyura2.com/12/genpatu29/msg/524.html

取手市の市立小中学校の学校検診で、

心電図に異常がみられる児童、生徒の数が、昨年度から増加していることが、

生活クラブ生協取手支部など市内3団体の調査でわかった。

(略)

検査は小中学校の1年生に実施し、毎年度5月に1600~1700人が受診。

精密検査が必要とされた子供は、2010年度までは最高で1・79%だったのが、11年度は2・38%、12年度は5・26%になった。





(茨城)震災後3/12に通常時の約10000倍の放射能を記録 

平常時0.02μSv/hr→200μSv/hr

http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/0ef5a9a40c9c8945bc1e26916c677fbe







白斑は、被爆症状(アルビニズム白色症)!

どんどん追加されていく滑稽なまでのごまかし病名!

http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/3289546111525ed36580fb4c4cc307bc

43. 2013年8月20日 03:28:45 : khYMufwVz6
(1)日本以外の世界のお医者さんの役割=「人の命を救う」こと!
(2)日本のお医者さんの役割=「原発を救う(推進の)」ため、人の命を偽ること!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【どんどん追加されていく滑稽なまでのごまかし病名!~がんばれ~次に期待だ!】
★★ 「?I師(会)マニュアル?」(第2版)
【1】奇形の増加→【風疹】のせいにする!(?風疹に感染させる?)→堕胎させる
【2】心筋梗塞の増加→【熱中症】のせいにする!(子供もなっているのに!)
【3】被爆症状(発熱、炎症等)の増加→【手足口病】のせいにする!
【4】被爆症状(アルビニズム白色症:白斑)→【カネボウ】のせいにする!







『フクシマ、真実を目指す戦い』

日本人口の大きな部分が著しいレベルの汚染を体内に蓄積しつつある

Global Research誌「フクシマ、真実を目指す戦い」(全訳)

http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/e6ee9265f2a86cc8f9c811163f352611 から一部

 フクシマの核事故は悪夢である。漏れ出た放射能は亡霊のように日本国中をさまよっている。かつては安全だった生活が、いまや悪性の病気と死をもたらす忌むべき災厄に付きまとわれているのだ。

 人口の大きな部分が著しいレベルの汚染を体内に蓄積しつつあり、それは人々の健康に対する悲劇を準備している。

 流産と胎児死亡数の急激な増加が不都合な何かが起こっていることを最初に告げるだろう。生まれ持った機能不全の数の上昇が暗転の開始でありそれが未来永劫続くことになる。

甲状腺障害と心臓病と幼児や児童の白血病罹患率の上昇がその後に続くだろう。最初の10年間とその後に癌の罹患率も急増するだろう。

(中略)

日本政府、原子力安全委員会そして東京電力はすでに、人々がいま起きていることを見ないようにさせ続けるために、その権力が及ぶあらゆることをするだろうと表明している。

表面化しつつある健康への危機は消去されるように予定されている。

過去に世界中に撒き散らされた放射能を元に作られ時間をかけて確かめられた被害予測はもとより、フクシマ事故の医学的な衝撃の評価に関連するデータは決して集められないだろう。

人々に対する放射能の量は恐ろしいほどに過小評価されるだろう。

低レベルの内部被ばくにともなう障害はリスクについてのありとあらゆる議論から抹消されるだろう。

核開発のアジェンダを支える学術雑誌は、人々が苦しむ健康上の傷害は無かったと明示するいんちきな研究であふれるだろう。

小児白血病件数の増加は、津波被害による混雑した避難生活で広められた未知のウイルスか何かのせいである、などとされることだろう。

(この理屈はいま、原子炉近くに住む5歳未満の子供の白血病の増加が放射能によって起こされたことを否定するために流行している。)

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「PM2.5」と「被曝疾患」との「罹病&発癌率」の違い 現在の甲状腺医学界を筆頭にした日本の医学界&マスコミ の姿勢に至極違和感を感じる おぞましき日本の医学ムラとマスゴミムラ

http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/855eee082cb5b683858398cb3340d22f

PM2.5疾患「MAX10倍」に対し被曝疾患「MAX100~1万倍」(罹病&発癌率)比較にならない
2014-01-21 23:49:39 | 放射能汚染

PM2.5疾患「MAX10倍」に対し被曝疾患「MAX100~1万倍」(罹病&発癌率)比較にならない

★<甲状腺疾患> チェルノブイリの(中長期的な)最悪のケースを想定すると

 「平均発病率の約7800倍」(ベラルーシ・ゴメリ州ホイニ. キ地区(郡))

(岡山大学の津田教授)

【PM2.5疾患「MAX10倍」に対し被曝疾患「MAX100~1万倍」(罹病&発癌率)比較にならない】 (TM)2013-03-07 11:20:42

〔甲状腺がん「被曝の影響、否定出来ず」〜疫学専門家インタビュー 〕
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=dB5UhtGXQ_w
岡山大学の津田教授の後半の話をじっくりお聞きください。

「PM2.5」と「被曝疾患」との「罹病&発癌率」の違いを
明確に述べています。

特に被曝疾患の典型症例としての
今回の甲状腺疾患に関し、
現状でも「平均発病率の約100倍に相当」
チェルノブイリの(中長期的な)最悪のケースを想定すると
「平均発病率の約7800倍」
(ベラルーシ・ゴメリ州ホイニ. キ地区(郡))

に比して
PM2.5の場合は、1立方メートルあたり10マイクログラムの増加ごとに
1.03~1.1倍の罹病率、1.2倍の発癌or罹病死率なので
仮に、
【PM2.5が基準値超え、外出自粛呼びかけ 熊本県 】
http://ksrd.yahoo.co.jp/PAGE=DT_ACTIVE/OUTLINK=1/QID=10103284665/SIG=12f72tmg4/EXP=1362626199/*-http%3A//www.nikkei.com/article/DGXNASDG0501M_V00C13A3CR0000/
の最も汚染のひどかった時期の
「北部の荒尾市で午前5~7時の1時間値が
大気1立方メートル当たり90~101マイクロ(マイクロは100万分の1)グラム」
を想定しても、最大でも約10倍の罹病&発癌率なので
被曝疾患と比較にならないほど軽微な問題。

つまり、疫学専門家の岡山大学の津田教授の視点からみても
放射線被曝疾患の問題を過小評価して
PM2.5疾患の問題を過大評価して

いる現在の甲状腺医学界を筆頭にした日本の医学界&マスコミ
の姿勢に至極違和感を感じておられるようです。

放射能汚染が深刻化しつつある中で、
あまりにも作為的に「PM2.5疾患」を過大評価して
報道&発表している背景に政治的意図を感じられませんかね?

私も、被曝隠しを真の目的とする
あまりにも(「PM2.5疾患」に関する)
偶発的&恣意的な日本の医学界&マスコミの
発表&報道姿勢に反吐が出そうでした。

つまり、
あまりにも作為的に「PM2.5疾患」を過大評価して
偶発的&恣意的に報道&発表している
日本の医学界&マスコミの背後に
IAEAを黒幕とする原子力関連組織の薄汚い政治的意図を感じられませんかね?

もちろん
尖閣諸島問題に対する世論の反中意識を過剰に高めようとする
政治的意図も寄与しているのでしょう。

政治家もマスコミも国民を愚弄する点において
心底腐りきっているという事です。
原発を今日の状況下において強いて推進する意図も
裏では(憲法9条に反してまでも)核兵器製造を継続する
意図がみえみえなのであって、経団連あたりも
核兵器密売によって多額の賄賂&収益を失いたくないがために
裏工作に必死なわけです。

【核兵器を作りたいという動機から始まっている 小出裕章 】
http://ameblo.jp/m08068469/entry-11483456390.html

今日の世論操作の醜さは、
戦前のナチスドイツの宣伝部や戦前の大本営発表を
ある意味大きく越えるものとは思われませんかね?

いったん国家を解体して、不良分子をすべて排除してから
新たに国家を作り直さなければならないほど、
日本は腐りきっており追い詰められていると思われませんか?

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Metamoris 3 ホイラーグレイシーvsエディブラボー決着戦!

Metamoris 3 Gracie VS Bravo


http://cafe.quietwarriors.com/?eid=871361

2014.01.21 Tuesday

Metamoris 3 開催決定!


絶対もうないだろとみんなが思っていただろう(実際サイトにも「多くの人はもうないだろうと思っていただろうけど」と書いてます、笑)メタモリス3ですが、ついに3月29日に開催が決定しました!



http://metamoris.com/

対戦カードは

エディ・ブラボー vs. ホイラー・グレイシー
ハファエル・メンデス vs. クラーク・グレイシー
キーナン・コーネリアス vs. ヴィニー・マガリャエス
ディーン・リスター vs. ヘナート・ババル
ギィ・メンデス vs. サミール・シャントリ
ザック・マックスウェル vs. ショーン・ロバーツ

だそうです!

当然ライブストリーミングもやるのですが、そのコメンテーターはケニー・フローリアンとジェフ・グローバー♪

前回のMetamoris 2の反省を踏まえて、ジャッジもポイントもなし!(当たり前だ!)

今回の会場は席が700席だけらしいです。わざと700席だけにしていると書いてますが、今までが大きいところでやりすぎて結構ガラガラだったから?

チケットは1月24日から発売開始で、値段は最低100ドルはするそうです。

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ウラジミールプーチン先生 山下泰裕先生 井上康生先生 教則動画



http://www.yamashitayasuhiro.com/hitokoto/060124b/

プーチン大統領からのメッセージ

昨年の12月20日から25日にかけて、井上康生とサンクトペテルブルグへ行ってきました。プーチン大統領が執筆された『柔道わが人生』という本の付録のDVDの撮影のためです。

11月20日に東京でプーチン大統領とお会いしたときには「1月くらいに」と考えていましたが、ポンポンッと話が進んで、急遽――。



12月21日と22日には、井上康生とDVDのためのビデオ撮影で、柔道をしました。24日には、プーチン大統領と井上とで、ロシアのこどもたちに柔道教室を開きました。その後、さらにDVDのためのビデオ撮影をしました。その時のプーチン大統領はリラックスされていて、とてもよい映像が撮れたと思います。

井上康生は、「柔道って、すごい。すごい力がある。改めて柔道のすばらしさを感じました」といっていました。どうやら、プーチン大統領にぞっこんになってしまったようです。



ビデオ収録の合間の23日の夜、プーチン大統領にイタリアンをごちそうになりました。11月にも東京でごちそうになりました。ひと月あまりで2度目ですから、いいのかなとも思いましたが、非常に楽しい会食でした。話の内容も豊富で、ことにプーチン大統領は日本のことをよく勉強されていてとても詳しく、ビックリさせられることばかりでした。

プーチン大統領は食事の間、井上康生にほほえみながら話をしたり、うなずいたり、オーナーやオーナーの奥様やシェフなどにも心を配られていて、とても暖かい人間味を感じました。一国の代表というときには、KGB出身ということあるのでしょう、感情を表に出さないようですが、この夜は、生身の人間を感じました。

帰りの車で井上康生に、「うまかったな!」と問いかけると、「味なんか、全く、分かりませんでした」といっていました。緊張している様子でもなかったんですけど――。



宿舎に戻ってから、プーチン大統領が私にしてくださったたくさんの話の内容を思い返してみました。

私は、柔道を通して、日本とロシアのためになんとか役に立ちたい、日本とロシアが仲良くなって欲しい、力を合わせてやって欲しいという思いで外務省とともにさまざまな活動をしてきました。





プーチン大統領は、これまでの私の活動を把握していて、よく理解してくださっていたのです。だから、プーチン大統領が盛んに日本のことを話題にされたのは、「日本とロシアのために応援してくれて、ありがとう。私も日本が好きだし、互いに難しい問題を抱えているが、これからももっと努力するつもりだ」というメッセージが込められていたからなのだと感じました。」というメッセージが込められていたからなのだと感じました。



※追記:嘉納治五郎国際柔道大会(2006年1月14日・15日、日本武道館)で日本にいらした世界各国の方々から、サンクトペテルブルグでのプーチン大統領とのことについて話しかけていただきました。たくさんの国にあのときのことが伝わったのでしょう。

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世界最悪のブラック大企業 東京電力とその下請けの悪魔たち 命を蝕まれる原発作業労働者たち

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http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/10840b79572d09e135b972e7599005b9

フクシマ原発作業員の給与明細が公開される 人の命の値段って安いんだな
2014-01-15 22:00:00 | 放射能汚染

フクシマ原発作業員の給与明細が公開される 

人の命の値段って安いんだな 
http://newskenm.blog.fc2.com/blog-entry-1247.html

東京電力の三次下請け企業で働いている40代の作業員A氏は、現在、福島第一原発で汚染された瓦礫の撤去などをしている。大量被爆する可能性もある危険な仕事だ。そのA氏が怒りをぶちまける。

「本当に許せません。私は日当1万3000円で働いていますが、他の企業の仲間から話を聞くと、元請けは作業員一人当たり一日5万円を一次下請けに払っているというのです。
つまり一次、二次、三次と仕事が流れるうちに、3万円以上もピンハネされていたんですよ。多少の手数料は必要でしょうが、7割も給料が引かれるなんて納得できない。
今年9月、社長に『ちゃんと給料を払ってください』と言うと、こう言って脅されました。『ピンハネなんてどこでもやっている。イヤなら辞めろ。その代わり作業員が一人欠ける損害賠償として100万円払ってもらうからな!』と。こう言われては、労働者は我慢するしかありません」また新潟県の柏崎刈羽原発などで働いていた30代の二次下請け企業のB氏は、震災後に福島入りした作業員だ。
彼も汚染水の処理など危険な仕事に従事しているが、支給金額には憤りを感じるという。
「放射線量の高い作業現場で働くため危険手当も出るという話だったので、福島に来ました。でも危険手当など、一度ももらったことがありません。
手当がなければ、日当は柏崎刈羽と変わらない1万5000円。これでは、何のために危険な作業現場で働いているのか分からない。今後も手当が払われないようなら、法的手段に訴えることも考えています」こうした不満は、本誌にだけ寄せられているわけではない。ピンハネや手当の不払いは、日常的に行われているという。
それをうかがわせるような書類がある。左上に掲載した、給料明細書や契約書などだ。この書類を入手した、共産党いわき市議の渡辺博之氏が解説する。
「これは長崎県の建設会社から福島第一原発へ、昨年7月に派遣された40代の作業員Cさんのものです。
Cさんは建設会社から『作業は原発敷地外』と言われていましたが、実際には原子炉建家内の汚染水処理などをさせられました」原子炉建屋の汚染水近くでは、100ミリシーベルト以上の線量がある場所もある。

全文はソース先で
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33954


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JIU JITSU PRIEST CUP2014 in TOKYO 時間無制限バトルでクラシックスタイルの杉本選手(ヒクソングレイシー系アクシス)が時代の最先端を行くモダンスタイルのART OF JIUJITSU(メンデス兄弟)の石井拓選手に一本勝ち! 時間無制限バトルで塚田選手が2連敗! 同じく時間無制限バトル アンデウソン高橋の試合は配信されず!

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柔術プリースト 114

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チャールズ・ガスパー 1 Step Closer To Modern Jiu-Jitsu 販売中

チャールズ・ガスパー 1 Step Closer To Modern Jiu-Jitsu
http://shop.fullforce-pro.com/?pid=69114944

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中国武術 合気 古流 をお勧めしない理由 金をぼったくられます 有名な先生でも最悪ン十万円とかあるとか… いわゆるオウム真理教と全く変わりありません

http://editbox.seesaa.net/article/376107480.html

そうだ、中国へ行こう⑧                  龍吟

 そもそも中国の武道界とは、弟子が持てる資産を売り払って師匠に仕えた等といった話が美談として語られる世界です。

 以前、ここでも書いた拳法家のお父上にあたる人がやはりそうでした。新中国成立前からかなりの資産家だったのですが、家財をはたいて莫大な金銭を有名な拳法の師匠に貢ぎ、技を習得したと言われています。

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舛添要一の正体

http://hibi-zakkan.net/archives/35661532.html

【広瀬隆さんより】忘れない、舛添要一の罪

カテゴリ:広瀬隆原発・電力



舛添





都知事選の対決が決まった。

 宇都宮さんは、いさぎよく出馬を辞退して、運動の統一に情熱を注ぐべきと思う。宇都宮さんが惨敗する姿は見たくない。

 そこで、みんなの敵・渡辺喜美と組む、民衆の敵・ 舛添要一について・・・広瀬隆


 舛添要一が、ずっと原子力産業の広告塔として動いてきた人間であることを、改めて都民に広く伝えていただきたい。

 彼は、今回の都知事選に出馬するにあたって、 「医療・福祉をしっかりしなければならない」と語ったが、これは驚くべき二枚舌である。

 2007年7月29日に自由民主 党参議院議員に当選した舛添要一は、2007年8月27日~9月12日辞任表明・崩壊までの2週間だけ、安倍晋三内閣厚生労働大 臣をつとめた。その後、引き続き安倍のピンチヒッター、福田赳夫内閣の厚生労働大臣に居すわった。その年末、2007年12月に 年金不払い者への全員支払いを約束した公約を破って、国民から悪罵を浴びたのが、舛添要一だ。


 さらに2007年12月20日には「厚生省が引き起こした薬害」のため、C型肝炎患者が国家の責任を明確に認定させるため、患 者全員の一律救済を求めて、年末の寒風吹きすさぶ街頭で、患者の悲しみと苦難の涙を流し、必死に訴えた。ところが舛添要一はそれ を足蹴にし、法律論を楯に国家の犯罪を認めず、患者の線引きを譲らなかった。患者が「今日までに総理の決断を求める」との必死の 声をあげたことを、日本人は忘れたのではなかろうな。2008年以後も、福田康夫改造内閣で厚生労働大臣に居座り、患者を無視し て、およそ人間として最低の人格を示した。その年9月1日に、福田首相が辞任を表明した。この無責任内閣の閣僚だった人間が、「医療・福祉をしっかりしなければならない」だって?

 おそるべき候補者だ。



見て!広瀬さんが言うとおり
これが、今日の記者会見で舛添の本性だ!
↓↓↓



舛添要一氏が都知事選出馬を表明 「私も脱原発です」
http://www.huffingtonpost.jp/2014/01/14/masuzoe-tokyo_n_4593372.html?utm_hp_ref=japan-politics
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2014011400591




何が 「私も脱原発です」だ!この野郎。

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柔術がリオ五輪で五輪種目に??























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実はダムには治水効果など無い 環境を破壊するのみである マスゴミを妄信するべからず ダムは巨大構造物であるだけに人の心を引きつけやすく、「ダムができれば安心」というダム神話まで生まれた。しかし、これは錯覚である。わが国の地形は急峻で、地質は脆弱なため、治水に有効な大規模ダムをつくれる適地が少なく、治水には適していないといっても過言ではない。

imamoto04.jpg
http://yamba-net.org/problem/mokuteki/kouka/

八ッ場ダム事業の問題点
ダム建設の目的
(更新日:2012年6月6日)
期待できない治水効果

カスリーン台風再来時の八ッ場ダムの治水効果

利根川中流(群馬県前橋市付近)

利根川中流(群馬県前橋市付近)
八ッ場ダム建設の目的の一つである「治水」は、国による利根川の治水計画をベースにしています。
利根川の治水計画のもとになっているのは、1947年のカスリーン台風洪水です。八ッ場ダムの計画が1952年に最初に浮上した理由も、カスリーン台風の再来に備えるためということでした。ところが、2008年6月6日の政府答弁書は、カスリーン台風再来時の八斗島(やったじま)地点(群馬県伊勢崎市にある利根川の治水基準点)の洪水ピーク流量が、八ッ場ダムがある場合もない場合も同じであり、八ッ場ダムによる削減効果がないことを認めるものでした。

カスリーン台風の大水害

利根川の治水計画は、1000人以上の死者を出したカスリーン台風(1947年)規模の水害が襲うことを想定し、200年に一度の洪水に備えて作られました。しかしカスリーン台風の大洪水は、未曾有の集中豪雨に加え、戦争直後という当時の時代状況によってもたらされたとの見解もあります。
コラム『戦争がなかったら』 ―1999年9月15日の上毛新聞より―

「第二次世界大戦がなかったら、カスリーン台風の災害も起こらなかった。 戦中の食糧難を解消のため赤城山麓の開墾、エネルギー源のための木材の供出などで乱伐され、森林は消えていった。そこへ大雨を降らせたカスリーン台風の来襲。保水力を失った山はその水を一気に川に流すしかなかった。・・・(以下略)。」

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赤城山

赤城山
利根川の治水計画の基準地点は、群馬県伊勢崎市の八斗島(やったじま)です。上の図はカスリーン台風の際、八斗島と八ッ場の両地点でどれだけの流量があったかを計算した旧建設省の資料をもとに作成されたグラフです。八ッ場の上流域とその他の流域を比べると、夏のあいだ南東の季節風の影響で赤城山や榛名山の南麓で大雨を降らし、八ッ場より上流域の降水量が少なくなることがあります。
カスリーン台風の際も、関東平野部では大雨が降りましたが、八ッ場より上流域の雨量は少なく、時間がずれていました。たとえ当時八ッ場ダムがあったとしても、利根川下流の洪水を防ぐ治水効果はなかったことがわかります。

最近の洪水で検証してみると

最近で最大の洪水は1998年9月洪水で、八斗島地点のピーク流量は9,220m3/秒でした。これは1949年のキティ台風のあとでは最も大きい洪水ですから、最近約50年間で最大規模の洪水ということになります。
1981年から八ッ場ダム予定地に近い岩島地点で流量観測が行われるようになりましたので、机上の流量計算モデルではなく、岩島地点の観測値から八ッ場ダムの治水効果をより正確に求めることができるようになりました。八ッ場ダムの効果が最も大きくなる条件で求めた結果は図1のとおりです。
16_04

八斗島地点における八ッ場ダムの水位低減効果は最大で13cm程度で、そのときの水位は堤防の天端から4m以上も下になります。この計算は、八ッ場ダム地点での削減効果がそのまま八斗島地点に反映されるという前提で行ったものです。実際には下流への流下に伴ってその効果は小さくなりますので、八斗島地点における八ッ場ダムの水位低減効果は7~8cm程度と推測されます。

また、図2は堤防の天端と同洪水の痕跡水位(最高水位の痕跡)を八斗島地点から栗橋地点(埼玉県)までの区間について示したものです。どの地点とも痕跡水位は堤防天端から約4m下にありますので、八ッ場ダムによるわずかな水位の低下が意味のないものであることは明らかです。

16_05

利根川治水の第一人者である大熊孝氏は、八ッ場ダムの住民訴訟において2008年7月29日、水戸地裁の証人尋問に出廷しました。大熊氏による証言は、八ッ場ダムを必要とする根拠となってきたカスリーン台風洪水の際(1947年)、洪水流量は実測されず、過大に推測されていること、さらに、カスリーン台風再来の計算流量は大きく水増しされていて、それをもとにした国の治水計画には科学的根拠がないことを論証するものでした。

証人尋問調書(水戸地裁 2008年7月29日)
大熊孝氏による意見書(2008年1月16日)

非現実的な治水計画

図 利根川・八斗島地点の年最大流量

上の表は、八斗島(やったじま)において、年間の最大流量を示したものです。
1935年以来、1万m3/s (s = 秒) の洪水に備えるとしていた利根川の治水計画は、1万7000m3/sの洪水流量(実際は1万5000m3/s程度)と推定されたカスリーン台風を経て1949年、1万7000m3/sに改訂され、さらに1980年、流域の開発が進んだことを理由に2万2000m3/sとされました。しかし戦後、森林の生長と共に洪水の出方は小さくなり、1950年以降、洪水規模が1万m3/sを超える記録はありません。

群馬県伊勢崎市八斗島

群馬県伊勢崎市八斗島
国土交通省は、想定される洪水流量を2万2000m3/sとし、そのうち河道整備で1万6500m3/s、残りの5500m3/s分を上流ダム群で対応するとしています。既設の六ダムで1000m3/s、八ッ場ダムで600m3/sを調節するということですが、それでも3900m3/s分は残ります。半世紀かけてようやく六基のダムが完成し、八ッ場ダム計画以外に新規のダム計画がない中、今後新たに十数基のダムを造らなければ完結しない治水計画は、根本から見直す時期に来ていると言えそうです。

中止が続く利根川上流部のダム計画(八ッ場ダム住民訴訟・原告の準備書面から)
ア 日本では平成8年度からダム計画が次々と中止されてきている。貯水容量100万m3未満のダムも含めると、平成16年度までに中止されたダムは国土交通省関連の直轄ダム、水資源機構ダム、補助ダムを合わせて97基にもなる。利根川水系でも9ダムが中止になってきた。そのうち、次の4基は八斗島地点の上流部に位置していた。

〈中止になったダム計画〉
(有効貯水容量は水資源開発公団の「2003事業のあらまし」と川古ダム、平川ダム、栗原川ダムのパンフレットによる〔甲B第10~13号証〕)
有効貯水容量 中止決定年
川古ダム 4,500万m3 2000年度
平川ダム 4,400万m3 2000年度
栗原川ダム 4,550万m3 2002年度
戸倉ダム 6,400万m3 2003年度
計 19,850万m3
イ これらはいずれも治水と利水の目的をもつ多目的ダムである。中止の主な理由は水需要の増加がストップしたため、利水予定者がダム計画から撤退したことにある。治水目的が残っているにもかかわらず、いとも簡単にダム計画そのものが中止になったことは、ダムの治水目的がさほど重要ではないことを如実に物語っている。この4ダムの有効貯水容量の合計は19,850万m3になる。その半分を治水容量だとすれば、約1億m3を洪水調節に使うことができる。それは利根川上流における洪水調節容量の全必要量約54,000万m3の20%にあたる。ダムによる洪水調節がどうしても必要なものならば、利水上の必要性がなくなっても、治水目的だけのダムに変更してこれら4ダムの計画を推進したはずである。全貯水容量約2億m3を「治水」に振り向ければ約37%となる。ところが、利水目的がなくなると、簡単にダム計画そのものを中止してしまっている。この事実が示すように、ダムの治水目的はきわめて軽い存在なのである。
ウ このように利根川水系ではすでに立案されたダム計画でさえ、利水目的がなくなれば、治水目的が存在しているにもかかわらず、中止されてきているのであるから、新たに治水目的を持つダム計画を策定して建設することは1基でもほとんど無理だと考えざるをえない。
エ 以上のように、利根川の治水計画で必要とされている上流ダム群のうち、約7割はこれから計画して建設することになっているが、それはほとんど不可能なことである。利根川の治水計画は実現不可能な数多くのダム建設を含むものになっている。

ダム建設のために後回しにされる河川改修

利根川の河川予算の推移を見ると、図3のとおり、八ッ場ダム等のダム建設費が増加してきているのに対して、河川改修の事業費は年々急速に減少してきています。次に述べるように、洪水に対する安全性を高めるためには堤防の強化対策が急がれているのですが、それを含む河川改修の事業費がダム事業のために年々削減され、河川改修が後回しにされてきているのです。

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破堤の危険性をはらむ利根川の堤防

河川改修には二つの課題があります。一つは河道整備(堤防の嵩上げや河床の掘削等)を行って流下能力を高めること、もう一つは堤防の強化を進めることです。図2でわかるように、利根川は流下能力の面では整備がそれなりに進んでいますが、後者の対策が遅れています。堤防は何度も改修を重ねてきたため、十分な強度が確保されているとは限りません。洪水時に河川の水位が高い状態が維持されると、水の浸透で堤体がゆるんで堤防が崩れたり(すべり破壊)、あるいは堤防にみず道が形成されて堤防が崩壊したりする(パイピング破壊)危険性があります。2004年7月の豪雨で新潟県の五十嵐川(信濃川の支流)の堤防が100mにわたり、決壊して、凄まじい被害をもたらしました。

国土交通省が利根川の堤防の安全度を調査した結果を情報公開請求で入手して、整理した結果の一例を図4、図5に示します。利根川中上流部(群馬県伊勢崎市付近から茨城県取手市付近まで)の左岸と右岸とも、すべり破壊・パイピング破壊の安全度が1を大きく下回っている堤防が随所にあることがわかります。利根川の他の区間も同じような状況です。

利根川では危ない堤防がこれほどあるにもかかわらず、堤防の強化対策を後回しにして、治水効果が希薄な八ッ場ダム等のダム建設に河川予算の大半が注ぎこまれてきました。

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天然のダムー 吾妻渓谷

吾妻渓谷

吾妻渓谷
八ッ場ダムは群馬県の景勝地、吾妻渓谷に建設される予定です。吾妻川は吾妻渓谷で急速に川幅を狭め、両側の岸壁がせまる狭窄部が約3.5kmにわたって続きます。
国土交通省は100年に一度の大水の際、吾妻川を流れる3900m3/sのうち2400m3/sを八ッ場ダムで調整し、1500m3/sを下流に流す計画を立てています。けれども、吾妻渓谷は”天然のダム”であり、人工のダムによる治水効果は限定的なのではないか、という疑問がかねてより投げかけられてきました。

2007年9月、群馬県西部を台風が襲いました。この時、吾妻渓谷上流部では3日雨量356mmが観測され、100年に一度の大雨であることが確認されました。ところが、下流側の観測地点における水量は、八ッ場ダムの完成後に想定されている1500m3/sよりはるかに少ない1200m3/sでした。2007年の大雨は、吾妻渓谷が自然の洪水調節効果をもつものであることを立証したのです。

曲がり角にある治水政策

利根川上流部(群馬県渋川市)

利根川上流部(群馬県渋川市)
治水に対する考え方は今、転換期にあると言われています。
明治時代半ば以降、利根川では、治水事業によって洪水流量がかえって増え、さらに大規模な治水計画を立てるという“いたちごっこ”を繰り返してきました。連続堤防で川を直線化し、洪水をできるだけ早く海に押し出す手法は、それまで水害に悩まされてきた沖積平野の土地利用を進める上で、大きな成果を上げました。しかし、洪水がないことを前提とした流域開発は、川が溢れると大きな被害を生む社会構造をつくる原因ともなりました。

平成10年、群馬県前橋市の県庁付近では、台風によって河川敷に駐車していた車が流される被害が発生しました。水害を想定していない私たちの社会では、川の一部ともいえる河川敷に水があふれることさえ予想外の出来事だったのです。

以前とくらべて遥かに水害が減った今、さらに「より安心で安全な暮らし」を追求しようとすれば、私たちは限りなく堤防を高くし、ダムを造り、山河を破壊し続けなければならないでしょう。

洪水を川に押し込める治水政策は、結果的に洪水エネルギーを集中させ、洪水にもろい地域を生み出すことになりました。近年、こうした治水のあり方に対する反省から、洪水エネルギーを分散させ、土地利用計画と一体となった流域治水のあり方が関西の淀川などを中心に盛んに議論されるようになってきました。

ダム建設が自己目的化してしまった現状から、流域住民の安全の確保を目的とした本来の河川行政へ、すみやかな政策転換が求められています。
「川は地球における物質循環の重要な担い手であるとともに、人にとって身近な自然で、恵みと災害という矛盾のなかにゆっくりと時間をかけて、地域文化を育んできた存在である、と定義すべきである。
この川の定義が念頭にあれば、いまのように川がダムだらけになることはなかったに違いない。川を地球の血管にたとえれば、ダムは川を遮断し、土砂や落ち葉を溜めこみ、魚の往来を阻害する血栓であり、川にとって、“敵対物”でしかないからである。しかるに、20世紀は“ダム文明の世紀”とばかりに日本ばかりか世界中で安易にダムがつくられ、川の物質循環を破壊してきたのである。」

―『技術にも自治がある』(大熊孝著、農文協)より―

これからの治水のあり方について

これまで河川工学の世界では、ダムは治水に欠かせないという学者の意見が殆どでしたが、2001年に国土交通省近畿地方整備局により設置された「淀川水系流域委員会」では、ダム事業に依存したこれまでの治水のあり方が根本から問い直されることになりました。同委員会の委員長を務めた今本博健氏(京都大学名誉教授・河川工学)は、「ダムは治水機能からみても、きわめて限定的な効果しかない」として、全国のダム事業を見直す必要性を訴えています。
2011年、国交省関東地方整備局が八ッ場ダムの検証の結果、八ッ場ダム建設継続は妥当との結論を出す中、今本氏は「八ッ場ダム検証の抜本的なやり直しを求める声明」を79名の科学者らと共に発表し、八ッ場ダムの本体着工に反対の意思を表明しました。(2011年10月26日)
さらに声明文の発起人は、「ダム検証のあり方を問う科学者の会」(共同代表:今本博健、川村晃生)を発足させ(2011年11月1日)、国交省主導のダム検証により全国のダム事業が推進されている現状に警鐘を鳴らす活動を続けています。(2012年5月現在、「科学者の会」の呼びかけ人11名、賛同人126名)

「ダム検証のあり方を問う科学者の会」発足(2011.11.1)
NHK時論公論 「八ッ場ダム『事業を継続』 検証は十分か」(2011.12.22)
「科学者の会」、国交省の有識者会議に関して要請書と公開質問書提出(2012.5.23)

これまでの洪水対策は、一定規模の洪水を「想定」し、想定した洪水規模に合わせたダム計画を立案し、これを推進することに重点を置いてきました。しかし、2004年7月の新潟・福島豪雨では上流に幾つものダムがあったにも関わらず堤防の決壊により多数の死者が出るなど、ダムの治水効果は「想定外」の自然災害には対応できないという事実が次第に明らかになってきました。
2011年3月11日の東日本大震災は、人間の「想定」による「災害対策」がいかに無力であるかを私たちに見せつけました。人命を守るという治水の原点に立ったとき、ダム事業偏重の現在の河川行政は、大きな転換を迫られていると言えるでしょう。

5月29日、「八ッ場ダムを考える1都5県議会議員の会」と「八ッ場あしたの会」では、今本博健氏らを講師に迎え、群馬県庁記者クラブ対象の学習会を開きました。当日の資料を掲載します。
なぜ私がダムに反対するのか-淀川の常識・利根川の非常識-
今本博健(河川工学・京都大学名誉教授)
1 はじめに

ダムは、水没を伴い、水や土砂の移動の連続性を遮断する。水没は住民の移転を余儀なくするだけでなく、地域社会を崩壊させる。水や土砂の移動の連続性の遮断は、生態系に大きな影響を及ぼし、海岸侵食を引き起こすなど、自然環境を破壊する。

こうしたことから、関係住民だけでなく、環境への関心が高い人たちを中心として、ダムへの批判が高まっている。もちろん、これらは事実であり、それに異を唱えるつもりはない。

私の専門は河川工学であるが、厳密にいえば河川の流れについての実験的研究をしてきただけであり、河川整備のあり方について専門家というほどの知識を持っているわけではない。

幸いだったのは、大学を停年退官する直前に淀川水系流域委員会が設置され、その委員として河川整備のあり方に6年間向き合うことができたことである。大げさにいえば、その間、寝食を忘れて取組み、「人の命を守るのが治水であり、ダムによる治水では人の命を守れない」と考えるに至った。つまり、これまでの治水は一定限度の洪水を対象にする定量治水であるが、これをいかなる規模の洪水に対しても人の命を守る対策を最優先で実施する非定量治水に転換すべきであると気づいた。このことが私がダムに反対する契機となった。

さらに幸いだったのは、淀川水系流域委員会で河川整備のあり方を議論した嘉田由紀子委員が滋賀県の知事となり、当時の志を忘れず、知事としてあるべき治水を実現しようと奮闘されていることである。淀川水系には流域の47%を集水域とする琵琶湖が存在し、治水および利水に大きな貢献をしている。因みに、琵琶湖の貯水量は275億m3であり、わが国のすべてのダムの貯水量の合計約200億m3より大きく、近畿圏の1500万人が利用している。また、湖面積は約674km2であり、1mの水位変化で6.7億m3の水を貯めることができる。これはわが国最大の徳山ダムの総貯水量6.6億m3を上回る。

これに対し、利根川水系には、河川整備のあり方を議論した経験のある知事はおられず、琵琶湖に相当する湖もない。これら二つが淀川での考えが利根川で通じない一因かもしれない。淀川流域の知事たちはダムによる治水から脱却しようとし、利根川流域の知事たちはそれを踏襲しようとする。淀川の常識は利根川にすれば非常識なのである。もちろん逆もいえる。いずれが普遍的な常識かは歴史が判断するであろう。

ここでは、私がダムに反対する理由である「治水のあり方(理念)」についての私の考えを示すとともに、「ダムによる治水の限界」、いまの治水における喫緊の課題である「堤防補強」について説明する。
2 治水のあり方(理念)

治水の理想は「いかなる洪水に対しても住民の生命と財産を守る」ようにすることである。しかし、これを実現するのは不可能である。現実には、被害を防止できるのはある大きさの洪水までであり、それを超える洪水に対しては被害の軽減をはかるのが精一杯である。ただし、生命については、いかなる洪水に対しても守られねばならないが、それは避難により実現できる。

問題は「これをどのようにして実現するか」であるが、具体的な方式として二つがある。

一つは、まず被害防止の対象となる洪水を設定し、それに対応した対策を行うもので、「定量治水」という。

定量治水では、治水安全度(対応できる洪水の大きさで評価される)は対象洪水の大きさに一致するが、それは対策が達成された時点のもので、それまでは低いままである。また、対象洪水に対応した対策(定量洪水対策)に重点をおくあまり、対象を超える洪水への対策(超過洪水対策)や「溢れた場合の対策」がおろそかになりがちである。このため、対象を超える洪水が発生した場合だけでなく、対象以下の洪水で壊滅的被害になる。

さらに、これまで大洪水が発生するごとに対象洪水を大きくしてきたため、定量洪水対策すら達成する見込みが立たなくなっている。このため、当面の対策として、対象洪水を切り下げることにより実現性を高めようとしているが、計画の達成を困難にしているダム計画をそのまま踏襲しているため、抜本的な解決になっていない。

図1は定量治水における安全率と洪水規模の関係を示したもので、河川での対策だけで計画規模まで安全率が1に保たれるが、それを超えると途端に0になる。また、現在の堤防は手近な土砂を積み上げただけできわめて脆弱である。このため、対象より小さな規模の洪水で破堤することがある。破堤すればその時点で安全率は0になり、壊滅的被害に直結する。なお、ここでの安全率は、被害がない場合を1、壊滅的被害となる場合を0、その間を被害の程度に応じて0~1としているが、あくまで定性的なものである。

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図1 定量治水における安全率と洪水規模の関係

もう一つは、対象洪水を設定せず、いかなる洪水をも視野に入れつつ、実現性のある「溢れさせない対策」と「溢れた場合の対策」を同時並行的に積み重ねる方式で、これを「非定量治水」という。

非定量治水では、対策の選択が出発点であり、治水安全度は選択された対策によって決定されるが、対策を積み重ねることで治水安全度も順次大きくなる。また、実現の可能性をもとに対策を選択するので、対策ごとの治水安全度の向上は小さくても確実に高められる。

図2は越水にも耐える堤防補強をした非定量治水における安全率と洪水規模の関係を示したもので、溢れない場合の安全率は1で、溢れても急激に0にならない。また、第一次対策だけでなく第二次、第三次と対策を積み重ねることによって、被害を防止できる洪水の大きさも順次大きくなる。

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図2 非定量治水における安全率と洪水規模の関係

また、治水安全度と時間の関係を見ると、図3のように、定量治水では計画が達成されたとき治水安全度が飛躍的に高くなるが、達成までに時間がかかり、その間住民は危険に晒されたままとなる。非定量治水では少しづつではあっても対策が完了するたびに治水安全度は高くなり、対策を重ねることで段階的に高くすることができる。なお、定量治水で異常に高い治水安全度を目標としたり、非定量治水で高め続けたりすることは、実現性や財政面から見て必ずしも得策とはいえないことに注意する必要がある。

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図3 治水安全度と時間の関係
3 ダムによる治水の限界

ダムの歴史は古く、ピラミッド建設用石切場の労働者の飲料水を確保するために造られたというエジプト・クフ王朝時代(紀元前2750年頃)のサド・エル・カファラダムまで遡られる。わが国では、飛鳥時代の616年に狭山池が完成されているが、かんがい用であった。つまり、ダムはもともと使うための水を貯めるためにつくられたのである。

治水用として本格的に用いられるようになったのは戦後のことである。昭和25年(1950)に国土総合開発法が施行され、その中心に多目的ダムが置かれた。治水への補助が手厚かったため、利水や発電と抱き合わせにされたきらいがある。

ダムは巨大構造物であるだけに人の心を引きつけやすく、「ダムができれば安心」というダム神話まで生まれた。しかし、これは錯覚である。わが国の地形は急峻で、地質は脆弱なため、治水に有効な大規模ダムをつくれる適地が少なく、治水には適していないといっても過言ではない。

ダムの治水機能をまとめると、次の通りである。

ダムの治水機能が発揮されるのは、河道の流下能力以上でかつ計画規模以下というきわめて限定的な洪水に対してだけである。

降雨域が集水域を外れた場合は機能が発揮されないという不確実性がある。ダムによる治水が「ギャンブル治水」と言われる所以である。

しかも、堆砂により貯水容量は減少し、短い場合は数年で、長くても数十年から数百年で治水機能を失う。

図4は、安全率と洪水規模の関係について、ダムによる定量治水と堤防補強をした非定量治水を比較したものである。

(1)の定量治水は、計画高水M1までを河道で流下させ、それを超える基本高水M2までをダムで調節しようとしている。安全率はM2まで1に保たれるが、それを超えると途端に0になる。

(2)の非定量治水は、越水にも耐える堤防補強により河道の流下能力の実力は、余裕高の部分を流れる流量も流下能力に見込むことができるので、MRにまで増大される。それを超える洪水に対しても、堤防補強により氾濫量が抑制されるので、安全率は徐々に低下するだけで途端に0になることはない。

(3)は両者の安全率を比較したものであるが、MRまでは全く互角であり、MRからM2の領域では定量治水が優位な領域がわずかに存在するが、M2を超えると非定量治水が圧倒的に優位となっている。定量治水が優位な領域はダムの堆砂が進むと小さくなり、やがて消滅するが、非定量治水の安全率はいつまでも持続するので、総合判断すれば非定量治水が優位である。

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図4 定量治水と非定量治水の比較

以上より明らかなように、ダムの治水機能は、限定的で、不確実であり、持続性もない。要するに、ダムでは人の命を守れないのである。

このことは、わが国にはすでに900基近くの治水を目的とするダムがありながら、人の命を守れなかった例が枚挙にいとまがないほど多いのに対し、ダムがあったお蔭で守れた例は皆無といえるほど少ないことから明らかである。

最近の水害ではダムの操作への住民の不満が大きい。事前放流をすれば水害を防げたというのが住民の主張である。しかし、たとえ事前放流をしたとしても被害を防げないのがほとんどである。ダムでは水害を防げないことをよく認識する必要がある。
4 堤防補強

定量治水の象徴をダムとすれば、非定量治水のそれは堤防補強である。堤防は洪水防御の最後の一線であるにもかかわらず、多くは手近な土砂を盛り上げただけで、堤体材料として吟味された適切な材料でつくられているとは限らない。このため、図5に示すように、堤防を超える越水、流れによる洗掘、堤体内への水の浸透などによって容易に破堤する可能性がある。破堤すれば壊滅的被害になるのは必至である。

堤防補強は河川管理者の重要な任務であるが、長年にわたってきわめて消極的であった。もしそれがダムが有利にするようにするためであったとすれば、許されない行政の「不作為」である。

その経緯を示しておく。

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図5 破堤の原因
アーマー・レビー(鎧型堤防)

アーマー・レビー(鎧型堤防)

スーパー堤防(高規格堤防)

スーパー堤防(高規格堤防)
フロンティア堤防(難破堤堤防)

フロンティア堤防(難破堤堤防)

耐浸透・耐侵食堤防(淀川での例)

耐浸透・耐侵食堤防(淀川での例)
ハイブリッド堤防(鋼矢板)

ハイブリッド堤防(鋼矢板)

ハイブリッド堤防(ソイルセメント地中連続壁)

ハイブリッド堤防(ソイルセメント地中連続壁)
図6 各種の堤防補強工法

堤防補強が実施されだしたのは1970年代になってからである。アーマー・レビー(鎧型堤防)と称される堤防のり面をコンクリート・ブロックなどで覆う補強が加古川などで試験的に実施された。しかし、堤防を覆うと堤体の点検ができないという理由で中止された。これは表向きの理由で、昭和51年に長良川で計画高水位以下で破堤したため、管理の瑕疵を問われるのを恐れたためではないかと噂された。この破堤を契機に、堤防についての情報は公開されなくなり、堤防補強についての研究も中止された。

つぎに現れたのがスーパー堤防(高規格堤防)である。首都圏や近畿圏の河川が破堤すれば国全体に及ぼす影響が大きいとして、昭和62年(1987)に河川審議会が超過洪水対策として実施することを提案した。堤防幅を広くすることにより、たとえ越水しても破堤しないようにするものであるが、まちづくりと一体として進める必要があるため時間を要し、堤内地の地盤を嵩上げするため経費も莫大になる。6河川の872kmを対象に平成22年(2010)4月までに約7000億円の事業費が投じられたが、完成・整備中は約50km(全体の5.8%)にとどまっていた。このまま整備を続けても全計画の完成には400年かかり、事業費も12兆円に膨らむと試算されたため、2010年の事業仕分けで、「10年に1回、20年に1回の洪水もクリアしていない場所があり、そちらの方が優先順位は高い」として「廃止」された。

この間、全国で破堤による壊滅的な被害が相次ぎ、 平成10年(1998)に堤防補強が重点施策に取り上げられるとともに、越水しても破堤し難い堤防として裏のりにも保護工を施したフロンティア堤防(難破堤堤防)が提案され、雲出川や那珂川などで先行実施されるとともに、河川堤防設計指針にも位置づけられた。しかし、平成13年(2001)の川辺川ダムに関する住民討論集会で、住民に「萩原堤防を補強すればダムは不要ではないか」と指摘され、予算に計上していた萩原堤防の補強を中止されるとともに、平成14年(2002)には設計指針から耐越水堤防に関する記述が削除された。

こうしたなかで淀川では、堤防補強を最優先で実施すべきとの淀川水系流域委員会の主張が受け入れられ、平成15年度(2003)から裏のり尻のドレーン工を設置した洗掘と浸透を対象とする補強が実施されだした。この補強では侵食に対する補強が計画高水位までであったため、委員会は堤防天端までの補強を求めて国交省の方針を批判した。

このような批判さなかの平成20年(2008)6月に、国交省河川局防災課長名で堤防の両のり面と天端をコンクリートブロックやアスファルト舗装で補強した耐越水堤防(巻堤)を推奨するとの通達が出された。巻堤はアーマー・レビーに他ならないが、越水を考慮したのは大きな前進と思われた。しかし、それもつかの間で、同年11月には廃止してしまった。越水に耐えればダム計画に影響すると考えたとしか思えない。

新たな堤防補強として注目されるのがハイブリッド堤防(混合型堤防)である。堤防天端の両肩から鋼矢板を打ち込んだり、堤防の中央にソイルセメント壁を設置することによって、洗掘や浸透だけでなく越水にも耐えさせようとするものである。これに対して、堤防は土でつくり異物を入れないという土堤原則からはずれる、浸透した水が抜けないので堤体が膿んで弱くなる、地震で鋼矢板周辺に隙間ができ水が堤体内に入りやすくなるといった理由で、国交省河川局は一顧だにしようとしなかった。しかし、国民新党と新党日本の共同要求で平成23年度(2010)から検討が開始されることになった。まだ真剣みにかけるものの、一歩前進ではある。
5 おわりに

定量治水は明治29年(1896)に河川法が制定されてから現在まで一貫して踏襲されてきており、ダムの治水面における論拠になっている。

平成21年(2009年)8月の総選挙で「コンクリートから人へ」をマニフェストに掲げた民主党へと政権が交代し、「ダムに頼らない治水」に政策転換されるかにみえた。しかし、政策転換を必要とする理由として挙げたのは「ダムは、河川の流れを寸断して自然生態系に大きな悪影響をもたらすとともに、堆砂(砂が溜まること)により数十年間から百年間で利用不可能になります」であった。そこにはダムの治水機能の限界についての認識が欠落している。

政策転換を実現するため同年12月に国交大臣の私的諮問機関として設置された「今後の治水対策のあり方に関する有識者会議」は最悪であった。「今後の治水理念を構築し、提言する」ことを目的としているにもかかわらず、それをせず、ダムの検証手続きの作成と検証結果の点検に堕している。

民主党は河川官僚の手玉にとられ、有識者会議は科学者の良心を放棄して河川官僚の御用機関になっている。

かくして、不要なダムがつくられ続け、日本の河川が駄目になっていく。

それを正すのは国民であるが、国民の意見はマスコミに左右されることが多い。国民が正しい判断をできる報道、それをマスコミに期待したい。

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ロシア当局の調査によると、除染作業労働者のうち90%は病気に。多くの人が白内障になった。

http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/239144d9816f2266580c0b22f35225d5
ロシア当局の調査によると、除染作業労働者のうち90%は病気に。多くの人が白内障になった。
2014-01-07 22:52:17 | 放射能汚染

ロシア当局の調査によると、除染作業労働者のうち90%は病気に。多くの人が白内障になった。

★放射線レベルが低いほど 癌の急激な増加が起きる前の潜伏期間が長くなる
★癌以外の疾患の発症が増加していることが見出された。それは主に心臓血管系と胃の疾患
★ロシア当局の調査によると、除染作業労働者のうち90%は病気になっている。多くの人が白内障になった。
★ドイツでは、チェルノブイリ事故直後の9ヶ月間に、新生児の染色体異常であるトリソミー21(ダウン症候群)に著しい増加があったことを科学者たちは見出した
★脳腫瘍 チェルノブイリ事故前と比べて20倍に

高い放射線レベルに曝されたリクビダートルのような人々の間では、高い死亡率とほぼ100 %の罹患率が見られる。
原子炉の事故から25年後になって、癌その他の疾患が、長い潜伏期間のせいで、事故直後には想像もできなかった規模で発生した。

IPPNW「チェルノブイリ健康被害」新報告と、
首相官邸資料「チェルノブイリ事故との比較」との驚くべき相違
http://peacephilosophy.blogspot.jp/2011/04/blog-post_17.html より(転載開始)
2011/04/18

2012年4月26日、チェルノブイリ事故26周年に追記。この投稿がきっかけとなって、ピースフィロソフィーの翻訳チームにより、このIPPNWドイツ支部のレポート全訳が本になりました。
合同出版『チェルノブイリの原発事故がもたらしたこれだけの人体被害』(松崎道幸監訳・矢ケ崎克馬解題)

(松崎道幸「福島とチェルノブイリの原発事故の比較に関する首相官邸ホームページ専門家グループ解説の医学的疑問点」も併せてお読みください。)

IPPNW(核戦争防止国際医師会議-1985年ノーベル平和賞受賞)のドイツ支部がまとめたチェルノブイリ原発事故25年の研究調査報告が4月8日に発表されました。英語サイトはここです。 レポートのリンクはここです。論文の中でも特に重要である、5-11ページの「論文要旨」、「WHOとIAEAにより発表された公式データの信頼性欠如に関する注記事項」、「核戦争防止国際医師会議と放射線防護協会は要請する」の和訳をここに紹介します。チェルノブイリ事故25年、その人体と環境に対する夥しい被害の全容がこの研究により明らかになっています。そして、首相官邸のホームページで公開された、日本政府のチェルノブイリ事故への見解がこういった最新の見解と大きく相違することを指摘します。

論文要旨

「原子力産業はチェルノブイリ並みの破局を毎年繰り返す恐れがある」
ハンス・ブリックス(1986年、IAEA国際原子力機関当時事務局長)



この論文はチェルノブイリの惨事にもたらされた健康被害で妥当と思われる指摘を含んでいる研究論文を評価しています。この論文の著者たちは、方法論的に正確であり、理解可能な分析を選ぶことに重点を置きました。すでに述べた方法論的な困難があるので、この論文の目的は、明らかに間違っているIAEAの統計と対比して「正しい」統計を示すことではありません。「正しい」統計など見つけるのは無理だからです。これらの研究結果は、私たちがチェルノブイリの健康被害を論じるときに、どれぐらい幅広く多様な健康被害を扱わなければいけないかという指標を提供することしかできないのです。

チェルノブイリの惨事により特に放射線に被ばくした集団は、

a.事故後除染に関わった人たち(除染作業労働者liquidators, 「リクビダートル」と呼ばれる)83万人(ヤブロコフ、2010年)

b.30キロ圏と他地域で高度な汚染があった場所から避難した人たち 35万4千人(ヤブロコフ、2010年)

c.ロシア、ベラルーシ、ウクライナの高放射線地域の人々 830万人(ヤブロコフ、2010年)

d.ヨーロッパ全土の比較的低度の被ばくをした人たち 6億人(フェアリー、2007年)

チェルノブイリによる追加被ばくの結果として予想される病気、健康被害として

a.ガン。ただし、多くのガンは25-30年の潜伏期があることを注記しなければいけない。今のところ、甲状腺ガン、乳ガン、脳腫瘍しか見られていない。しかし除染作業労働者たちは他のさまざまな臓器にもガンを発生させている:前立腺ガン、胃がん、血液のガン、甲状腺ガン。

b.先天性異常:奇形、死産、子どもの数の減少。

c.癌性でない病気。多くの臓器が影響を受ける:脳障害、老化の加速、心理的障害。

研究結果要旨

1. 低レベル放射線(0~500 mSv)の影響は体系的に監視、調査された。特に、遺伝的影響はチェルノブイリ以前には不明確であった。この研究は、細胞ならびに細胞内の分子構造に関する研究によって補強されている。にもかかわらず、ICRPは100 mSv を胎児の奇形をおこす限界線量として規定し続けている。この主張は多くの研究で無効性が明らかになっている。

2.遺伝子の不安定性や巻き添え効果(放射線に直接影響されていない細胞の遺伝子の変化)などの予期せぬ影響が見いだされた。

3. 放射線レベルが低いほど、癌の急激な増加が起きる前の潜伏期間が長くなる(2000年までにPierce と Prestonにより放射線影響研究所RERF 研究の中で確認された)。

4. 遺伝子の不安定性は遺伝子により受け継がれ、世代を経るごとにねずみ算式に増加してゆく。除染作業労働者と放射線被ばくのない女性の間に生まれた子どもたちの染色体異常を示す多くの研究結果が、被害を受けた3つ全ての共和国の研究センター(モスクワ、ミンスク、キエフ)で入手できる。蓄積効果の最初の兆候は、被曝した親から生まれた子供に発生する甲状腺癌であろう。しかしながら、これはまだ確実とはいえない。

5. 癌以外の疾患の発症が増加していることが見出された。それは主に心臓血管系と胃の疾患であり、神経・精神疾患の症例は低線量被曝の身体的影響であることが見いだされた。後者は主として除染作業労働者とその子供たちの研究において見いだされた。

6.ロシア当局の調査によると、除染作業労働者のうち90%は病気になっている。すなわち、少なくとも74万人が重い病気にかかっている。彼らは老化が早く、平均より多くの数々のガン、白血病、身体上、そして神経・精神的な病気を患っている。多くの人が白内障になった。潜伏期間が長いため、今後、ガンの発生率が高くなると予想される。

7.独立した研究によると、11万2千人から12万5千人の除染作業労働者が2005年までに死亡している。

8.現存する(複数の)調査によると、チェルノブイリによる乳児の死亡は約5千である。

9. 遺伝的および催奇形障害(奇形の発生)も、直接の被害を受けた3国にとどまらずヨーロッパ諸国でも著しく増加した。バイエルン州だけでも、チェルノブイリ後になって先天的奇形が1000から3000人増加したことが見出された。恐らく、ヨーロッパで1万人以上の重篤な奇形が放射能によって起こされた可能性がある。チェルノブイリ事故の結果として西ヨーロッパで10万から20万件の妊娠中絶があったとIAEAが結論づけているが、報告に上らない症例の推定数はさらに多い。

10.UNSCEAR(国連原子放射線影響科学委員会)によると、チェルノブイリ近辺で1万2千人から8万3千人の子どもが先天奇形を持って生れており、世界全体では3万人から20万7千人の遺伝子障害を持った子が生まれている。予測される被害全体のうち10%のみが、被ばく一世代目に見られる。

11.チェルノブイリ事故後、ヨーロッパで死産や奇形が増えただけでなく、女児と男児の胎芽の比率が変わってきている。1986年以降、生まれてくる女子の数が男子に比べ有為的に少ない。

Kristina Voigt とHagen Scherbの論文によると、1968以降の統計で、チェルノブイリ以降、ヨーロッパで生まれて来る子どもの数が予測に比べて80万人も少ない。この論文では全ての国を対象にしていなかったため、 チェルノブイリ以降「生まれてこなかった」子どもの数は約100万人と、Scherb は予測している。大気圏核実験後もこのような影響が見られた。

12.ベラルーシだけでも、事故以降1万2千人以上が甲状腺ガンを患っている(Pavel Bespalchuck, 2007)。WHOの予測では、ベラルーシのゴメリ地域だけで、5万人の子どもたちが生存中に甲状腺ガンを患うであろうということである。全部の年齢集団を合わせたら、ゴメリ地域だけで10万の甲状腺ガンという計算になる。

13. ベラルーシとウクライナで調査された甲状腺癌の症例に基づいて、Malko (2007)は将来の発症数を推定し、これに放射線の因子を加算した。彼の計算では1986年から2056年までの間に92,627人が甲状腺癌になる。この計算は除染作業労働者の甲状腺癌を含んでいない。

14.チェルノブイリ以降、1976年から2006年までの推移の中で、チェルノブイリ以降、スエーデン、フィンランド、ノルウェイの新生児死亡率は15.8%増加している。Alfred Korblein の計算では、1987年から1992年の間に、新生児死亡は1209人増加している(95%信頼区間:875人から1556人)。

15. ドイツでは、チェルノブイリ事故直後の9ヶ月間に、新生児の染色体異常であるトリソミー21(ダウン症候群)に著しい増加があったことを科学者たちは見出した。この傾向は特に西ベルリンと南ドイツで顕著であった。

16.Orlov と Shaversky は、ウクライナの3歳以下の子どもたちの間で、脳腫瘍が188例見られたと報告した。チェルノブイリ以前(1981から1985)では9例だった―1年平均にしてみてると2例にもならない。1986年から2002年の間に179人が脳腫瘍の診断を受けている-1年平均で10人以上である。

17. 南ドイツのより強く汚染された地域では、神経芽細胞腫と呼ばれる非常にまれな型の腫瘍を発症した子供の特異な集団が見出された。

18. ウクライナのチェルノブイリ省によって発表された論文は、各種疾患症例の何倍もの増加を記録した。1987年から1992年で、内分泌系の疾患は25倍、神経系6倍、循環器系44倍、消化器60倍、皮膚および皮下50倍、筋骨格系および精神的変調53倍であった。避難者の内健康な人の数は1987年から1996年の間に59%から18%にまで低下した。汚染地域の集団では52%から21%に、そして特に悲惨なのは、高レベルの放射線に曝された親から生まれた子供たちで、チェルノブイリ事故からの放射性降下物の直接の影響は受けていないにもかかわらず、健康な子供の比率は81%だったものが1996年には30%に低下した。

19.数年間、タイプ1糖尿病(インシュリンに依存する糖尿病)が子どもと青年層に急激に増えた。

20.白血病やガンといった目立つ症例よりも、癌性ではない疾病数がはるかに上回っている。



チェルノブイリ地域における被災者全体の健康状態の変化の全貌は、残念ながら現在に至るまで確実に総括されていない。北半球の全住民にとってこの惨事が何であったのか総括されていないことはいうまでもない。この論文で言及した数値は、一面では恐ろしく高く、別の面ではかなり低く見えるかも知れない。しかしここに集められた研究のほぼ全てが比較的少人数の集団を対象にしたものであったことを考慮しなければならない。発症率にほんのわずかな変化があったとしても、より多人数の集団に当てはめた場合、それは広範囲に及ぶ深刻な健康被害の前兆であるかも知れない。

結論

大規模で独立した長期にわたる研究がなされていないので現在の状況の全体像を示すことはできないが、いくつかの傾向を指摘することができる。高い放射線レベルに曝されたリクビダートルのような人々の間では、高い死亡率とほぼ100 %の罹患率が見られる。原子炉の事故から25年後になって、癌その他の疾患が、長い潜伏期間のせいで、事故直後には想像もできなかった規模で発生した。

癌以外の疾病の発症数は、以前に想像されていたよりもずっと劇的なものである。除染作業労働者の早期の老化のような「新しい」症状は、研究では未だに答えを出すことができない疑問を呈している。

2050年までに、さらに何千もの患者がチェルノブイリ原子力事故の影響として診断されることだろう。原因と、顕在化した身体症状との間には長い時間差があるので、油断はできない。チェルノブイリは終わっていない。

特に悲惨なのは、死産したり、幼くして死んだり、奇形や遺伝病を持って生まれたり、通常ならば決して発症することのない病気を抱えながら生きることを余儀なくされた、何千人もの子供たちの運命である。

チェルノブイリによって起こされた遺伝的欠陥は全世界を今後長期間にわたり苦しめ続けるだろう。多くの影響は、二世・三世の世代にならないと明らかにならないだろう。

健康被害の程度は未だに明らかではないとしても、福島の原子力事故によってもたらされる苦難は、同等の規模であり、将来的にも同様の展開となることは予測できる。

(翻訳 酒井泰幸、乗松聡子)



WHO と IAEAにより発表された公式データの信頼性欠如に関する注記事項 (報告8ページ)

国際原子力機関(IAEA)と世界保健機関(WHO)により2005年9月に組織された「国連チェルノブイリ・フォーラム」 において、発表されたチェルノブイリの影響に関する研究結果は、きわめて首尾一貫性の無いものだった。たとえば、WHO と IAEAの報道発表は、最も深刻な影響を受ける集団では、癌と白血病により今後最大4000人が死亡する可能性があるとしている。しかしながら、この論文の根拠としたWHO の報告では、実際の死者数を8,930としている。これら死者数はどの新聞記事にも取り上げられることはなかった。WHO 報告書の引用元を調べると、癌と白血病による死者数の増加として1万~2万5千人という数字に行き当たる。

これが本当ならば、IAEAと WHOの公式声明はデータを改ざんしていると合理的に結論づけることができる。IAEAと WHOによるチェルノブイリの影響に関する説明は実際に起こっていることとはほとんど無関係である。

チェルノブイリ・フォーラム もまた、「原子放射線による影響に関する国連科学委員会」(UNSCEAR)でさえも旧ソ連以外のヨーロッパ地域での合計線量(放射線障害の一般的尺度)はチェルノブイリ地域での対応するデータよりも高いと推定したことを考慮に入れていない。核惨事からの合計線量は、その53%がヨーロッパに、36% がソ連の被災地域に、8% がアジアに、2 %がアフリカに、0.3%がアメリカに、それぞれ飛散し分布した。

S. Pflugbeil は、報道発表と、WHO 報告書、その引用元(Cardis ら)の間に不一致があったことを、2005年に既に指摘した。現在まで、チェルノブイリ ・フォーラムと、IAEA、WHO のいずれも、自らの団体の分析結果が、癌 と 白血病による死者数が公式発表した数より2~5倍も多くなる可能性があるなどとは、一般に知らせるべきではないと考えている,

およそ5年が過ぎて2011年になっても、どの 国連機関もこれらの数値を訂正していない。チェルノブイリの健康被害に関する最新の UNSCEAR 出版物は、チェルノブイリの影響に関して被害を受けた3カ国で発表された多数の研究結果をどれ一つ反映していない。小児と若年者の甲状腺 癌、除染作業労働者の白血病と白内障が6,000 例あったことだけが、最新情報として報道発表に唯一追加された数字である。そして、2011年に UNSCEAR 委員会は以下のように宣言した。「以前の UNSCEAR 報告書も含む過去20年の研究を元に、チェルノブイリ 事故の影響で深刻な健康リスクが発生することを大多数の人々が恐れる理由は何もないと、UNSCEARは結論づけた。唯一の例外が、小児期あるいは若年期に放射性ヨウ素に被曝した人々と、高い線量の放射線に被曝した結果より高い放射線起因のリスクを算定しなければならない除染作業労働者である。」(翻訳 酒井泰幸)


核戦争防止国際医師会議と放射線防護学会は要請する(報告10-11ページ)

1. 西側諸国政府と国際原子力機関(IAEA)は、チェルノブイリ地域の事故の影響に関するデータを収集中である。彼らは、放射線被ばくの影響を解明するために病人を利用しておきながら、この全ての想像をはるかに超越する規模の大災害の犠牲者に医療的援助をほとんど提供していない。医師として、この事態を許すことはできない。

したがって、われわれは、ドイツ連邦政府および他の欧州諸国政府と国連に対して、チェルノブイリ地域の被ばく者に有効かつ長期的な援助の実行を求める。

2. チェルノブイリ惨害の経過とその後の長期的な健康影響に関する基本的重要データは公にされていない。西側諸国でも東側諸国でも秘密扱いとされている。このことによりチェルノブイリ事故の影響を公平かつ科学的に解明することが極めて困難となっている。IAEAなど核開発を是とする国連の諸機関は、科学的妥当性の疑われる手法でチェルノブイリのデータを不適切に利用し、この惨害の影響を出来るだけ少なく見せかける企てを進めている。科学的見地からこのような事態は許し難い。

したがって、われわれは、ドイツ連邦政府ならびに他のヨーロッパ諸国の政府、国連に対し、科学者と諸団体ならびにこの問題に関心を持つ市民がチェルノブイリの惨害に関するデータに自由にアクセスすることを認めるべきであると要請する。

さらに、われわれは、ドイツ連邦政府ならびに他のヨーロッパ諸国の政府、国連が、原爆被爆者に関する広島研究にならい、チェルノブイリ事故の健康影響の推移に関する広範な疫学的比較調査を継続するよう要請する。その際には、乳幼児期、小児期および出生前にチェルノブイリ事故に遭遇した集団に特別の注意を払った調査を行う必要がある。

3. チェルノブイリの惨害、米国ハリスバーグの原子炉(訳注:スリーマイル島原発事故のこと)における炉心溶融、そして特に今回の福島の原発惨害(current nuclear catastrophe in Fukushima)、およびこれまでに東西世界で起きた事故寸前の多数のトラブルは、いつでもどこでも重大な原子炉事故が発生する危険があることを示している。

原子力発電に依存する多くの国々は人口密度が高い。例えば日本の人口密度はチェルノブイリ地域の15倍である。福島事故の健康被害の大きさは、その大災害の進展経過に左右される。数年あるいは数十年経たなければ被害の全貌は明らかにならないだろう。もしドイツのビブリスの原子力発電所で大事故が起きたなら、ライン・マイン地方の人口密度が高いことにより、人的、経済的被害はチェルノブイリより一桁大きいものとなるだろう。核エネルギーの利用は、基本的に無責任で償いようのない行為であると言える。

したがって、われわれは、ドイツ連邦政府ならびに他のヨーロッパ諸国の政府に対し、出来るだけ速やかにすべての原子力発電所の閉鎖を実行するよう要請する。

さらに、IAEAはその憲章で核エネルギー利用の推進をうたっている。(訳注:IAEA憲章第2条(目的):[IAEA]は、全世界における平和、保健及び繁栄に対する原子力の貢献を促進し、及び増大するように努力しなければならない)しかしながら、福島の核災害が発生した今、IAEAは、その設立目的を見直すことを真剣に考慮すべきである。

電離放射線の健康影響に関して、WHOは1959年にIAEAと締結した拘束力のある取決め*を廃棄すべきである。WHOの第一の目的は人々の健康でなければならない。

*訳注:IAEAの合意なしにはWHOが核の健康被害についての研究結果等を発表できないとする世界保健総会決議12-40に対する批判については下記参照http://en.wikipedia.org/wiki/World_Health_Organization#IAEA_-_Agreement_WHA_12-40 

「真実を知らぬ者はただ愚かなだけだが、
真実を知っているのにそれを偽りだと声高に叫ぶのは罪である」
ブレヒト著「ガリレオ・ガリレイ」より

(翻訳 松崎道幸)

以上で、IPPNWレポート5-11ページの訳を終えます。翻訳にご協力いただいた酒井さんと松崎さんに感謝いたします。

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次に、首相官邸のホームページにあった「チェルノブイリ事故との比較」を見てください(下に引用)。これによると、チェルノブイリ事故で放射線が原因で亡くなったとされる数は、28名の作業員と、小児甲状腺ガンで15名だけ、合計43名のみです。この人たちと、6000人の小児甲状腺ガン以外は放射線被害はなし、としています。官邸資料が言う「20年目のWHO,IAEAなど8つの国際機関と被害を受けた3共和国の合同発表」とは、「チェルノブイリフォーラム」のことです。対象集団が60万人しかなく、過小評価と批判されるこの報告でさえ、「放射線被ばくにともなう死者の数は、将来ガンで亡くなる人を含めて4000人である」と言っているのです。この報告に準拠していることになっているこの官邸の資料はそれに触れていません。そしてこの「フォーラム」報告自体が、それが準拠しているWHOの報告の内容と矛盾しているというのが上記のWHO,IAEA公式データ「信頼性欠如」の注記で指摘されています。

2006年のWHO報告では死者は9千件(対象集団は740万人)、IARC(国際ガン研究機関)論文では1万6千件(対象集団はヨーロッパ全域5.7億人)と報告されています。(参照:京大・今中哲二論文「チェルノブイリ事故による死者の数」)他にも多数公的・民間機関の研究結果はありますが、ここでは、数ある研究の中でも被害を低く見積もっているといわれる公的機関の研究結果の重要部分でさえ、官邸資料は無視しているということを強調しておきます。また、この官邸資料は英語に翻訳して、国際社会に対し「これが日本の見解である」と発表する予定があるのかを問いたいです。

また、このサイトの「原発問題ビデオ集」(このページの上部からリンク)と、「必見 チェルノブイリ被害」で、チェルノブイリ関連のビデオ(日本語字幕つき)を紹介しているのでご覧ください。

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以下、官邸ホームページより。(4月23日追記:当初掲載されたものと、その後、脚注をつけて差し替えられたもの両方を引用します。)

チェルノブイリ事故との比較
http://www.kantei.go.jp/saigai/senmonka_g3.html 
平成23年4月15日

チェルノブイリ事故の健康に対する影響は、20年目にWHO, IAEAなど8つの国際機関と被害を受けた3共和国が合同で発表し、25年目の今年は国連科学委員会がまとめを発表した。これらの国際機関の発表と福島原発事故を比較する。

原発内で被ばくした方
*チェルノブイリでは、134名の急性放射線傷害が確認され、3週間以内に28名が亡くなっている。その後現在までに19名が亡くなっているが、放射線被ばくとの関係は認められない。
*福島では、原発作業者に急性放射線傷害はゼロ、あるいは、足の皮膚障害が1名。

事故後、清掃作業に従事した方
*チェルノブイリでは、24万人の被ばく線量は平均100ミリシーベルトで、健康に影響はなかった。
*福島では、この部分はまだ該当者なし。

周辺住民
*チェルノブイリでは、高線量汚染地の27万人は50ミリシーベルト以上、低線量汚染地の500万人は10~20ミリシーベルトの被ばく線量と計算されているが、健康には影響は認められない。例外は小児の甲状腺がんで、汚染された牛乳を無制限に飲用した子供の中で6000人が手術を受け、現在までに15名が亡くなっている。福島の牛乳に関しては、暫定基準300(乳児は100)ベクレル/キログラムを守って、100ベクレル/キログラムを超える牛乳は流通していないので、問題ない。

*福島の周辺住民の現在の被ばく線量は、20ミリシーベルト以下になっているので、放射線の影響は起こらない。

一般論としてIAEAは、「レベル7の放射能漏出があると、広範囲で確率的影響(発がん)のリスクが高まり、確定的影響(身体的障害)も起こり得る」としているが、各論を具体的に検証してみると、上記の通りで福島とチェルノブイリの差異は明らかである。

長瀧重信 長崎大学名誉教授
(元(財)放射線影響研究所理事長、国際被ばく医療協会名誉会長)
佐々木康人(社)日本アイソトープ協会 常務理事
(前 放射線医学総合研究所 理事長)

(4月23日追記:いつ更新されたか不明ですが上記官邸資料が差し替えられています。更新版を下に貼り付けます)

チェルノブイリ事故との比較

平成23年4月15日

チェルノブイリ事故の健康に対する影響は、20年目にWHO, IAEAなど8つの国際機関と被害を受けた3共和国が合同で発表(注1)し、25年目の今年は国連科学委員会がまとめを発表(注2)した。これらの国際機関の発表と福島原発事故を比較する。

原発内で被ばくした方
*チェルノブイリでは、134名の急性放射線障害が確認され、3週間以内に28名が亡くなっている。その後現在までに19名が亡くなっているが、放射線被ばくとの関係は認められない。
*福島では、原発作業者に急性放射線障害はゼロ(注3)。

事故後、清掃作業に従事した方
*チェルノブイリでは、24万人の被ばく線量は平均100ミリシーベルトで、健康に影響はなかった。
*福島では、この部分はまだ該当者なし。

周辺住民
*チェルノブイリでは、高線量汚染地の27万人は50ミリシーベルト以上、低線量汚染地の500万人は10~20ミリシーベルトの被ばく線量と計算されているが、健康には影響は認められない。例外は小児の甲状腺がんで、汚染された牛乳を無制限に飲用した子供の中で6000人が手術を受け、現在までに15名が亡くなっている。福島の牛乳に関しては、暫定基準300(乳児は100)ベクレル/キログラムを守って、100ベクレル/キログラムを超える牛乳は流通していないので、問題ない。

*福島の周辺住民の現在の被ばく線量は、20ミリシーベルト以下になっているので、放射線の影響は起こらない。

一般論としてIAEAは、「レベル7の放射能漏出があると、広範囲で確率的影響(発がん)のリスクが高まり、確定的影響(身体的障害)も起こり得る」としているが、各論を具体的に検証してみると、上記の通りで福島とチェルノブイリの差異は明らかである。

長瀧 重信 長崎大学名誉教授
(元(財)放射線影響研究所理事長、国際被ばく医療協会名誉会長)
佐々木 康人 (社)日本アイソトープ協会 常務理事
(前 放射線医学総合研究所 理事長)
------------------------------------------------------------------

原典は以下の通り。
[注1]. Health effect of the Chernobyl accident : an overview Fact sheet303 April 2006 (2006年公表)
http://www.who.int/mediacentre/factsheets/fs303/en/index.html 


[注2]. United Nations Scientific Committee on the Effects of Atomic Radiation, SOURCES AND EFFECTS OF IONIZING RADIATION UNSCEAR 2008 Report: Sources, Report to the General Assembly Scientific Annexes VOLUMEⅡ Scientific Annex D HEALTH EFFECTS DUE TO RADIATION FROM THE CHERNOBYL ACCIDENT Ⅶ. GENERAL CONCLUSIONS (2008年原題/2011年公表) P64~
http://www.unscear.org/docs/reports/2008/11-80076_Report_2008_Annex_D.pdf 


[注3]. (独)放射線医学総合研究所プレスリリース「3月24日に被ばくした作業員が経過観察で放医研を受診」2011.4.11
http://www.nirs.go.jp/data/pdf/110411.pdf 


(官邸資料更新版引用おわり)

(官邸資料の英語版ができました。リンクはこちらです。)



(転載終了)





リクビダートル

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%83%93%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB より

リクビダートル(露: Ликвидатор ; Ликвидаторы Чернобыльской аварии)とは、1986年4月26日のチェルノブイリ原子力発電所事故の処理作業に従事した人々。原語は清算人の意味で後始末を行う人を指し、しばしば清掃人、事故処理班、解体作業者、決死隊等と翻訳・説明される。
概要

リクビダートルの総数は60~80万人、そのうち1986年と1987年に作業にあたった約20万人が大きな被曝を受けたとされている。事故処理作業時の平均年齢は約35歳。ウクライナ、ベラルーシ、ロシアそれぞれでリクビダートルの国家登録が行われている[1]。ロシアに住むリクビダートルのうち65905人(平均被曝量120ミリシーベルト)を対象に1991年から1998年までを追跡した結果によると、その間の死亡は4995件(7.6%)であった[2]。ベラルーシでのある調査によると、地元一般住民に比べて結腸癌や膀胱癌、甲状腺癌がはっきりと過剰に発生している[3] 。

リクビダートルは、ソビエト連邦政府から表彰され、危険な労働の代償として、住居・高額の年金・無料の医療などが生涯保障された。ソビエト連邦崩壊の後、これらの特権は分離独立したウクライナ・ロシア・ベラルーシの政府に引き継がれた。しかし、経済の低迷が続くなか、年金は大幅に目減りし、医療費は事実上自己負担を求められている。

ウクライナ放射線医科学研究所所長ブロディミール・ベベシコらは、ウクライナに住むリクビダートル20万人の健康状態を追跡調査。癌による死者の調査は、1992年から資金不足で打ち切られる2000年まで、9年間毎年行われ、リクビダートルの癌による死亡率は事故後年々上昇し、2000年には一般住民の3倍に達していたことがわかった。

旧ソビエト連邦政府によってリクビダートルとその家族4万人のための集合住宅がキエフに設けられた。事故から10数年以上たって、この集合住宅では病気で死亡する人が急増。移住してきた4万人は、2万人にまで減っている。[4]

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血糖の基準値が変更 ※健康被害はこうやって隠蔽される!! 心疾患の死亡率は福島がトップ 厚生労働省の統計表によると平成23年の死亡原因で心疾患の死亡率は福島がトップ。 (10万人あたり226) 前年度に比べ心疾患の死亡率増加が全国では3.1%に対し福島は14.3% 宮城13.2%、茨城10.5%、岩手8.3%

http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/ca260b78aae3d343110749fa5ae76c5a
こないだの葬式で会ったばかりの親族が、次には亡くなる番という驚きの事態。今ではバタバタ死んでいく感じ
2014-01-08 20:39:52 | 放射能汚染

こないだの葬式で会ったばかりの親族が、

次には亡くなる番という驚きの事態。

今ではバタバタ死んでいく感じ

22. 2014年1月08日 10:11:33 : zAqvFE5tQE
うちの親族の場合:自分が生まれた日以降
東日本大震災前死亡者 0人(葬式なし・出席する機会皆無)
震災1年後~ 既に4人死亡(葬式連続・直近では42歳男持病もなしだが突然死)

こないだの葬式で会ったばかりの親族が、次には亡くなる番という驚きの事態。

うちの家系は本当に長生きだなぁと思っていたのだが、
今ではバタバタ死んでいく感じ。親族皆、東海地方在住なのに。

なぜって・・・? 

やっぱり原発事故前と後では格段に空気が違う。



血糖の基準値が変更 ※健康被害はこうやって隠蔽される!!

 (変更前)経過観察 ⇒ (変更後)正常

01. 2012年8月22日 22:04:01 : CDziocwod2

そういえば……私自身の血糖値(へモグロビンA1c)も昨年ガクンと上がり、ドキリとした。

その時の医師判定は③の経過観察だった。

そして最近もらった今年の健診結果!

昨年とほぼ同じ値なのに、医師判定は、意に介さなくて良い①だった!

……血糖の基準値が変更になったそうだ。 

今度は、ゾ~~ッ!とした



・草刈関係の死亡事例が増えてる

・なんでも屋(仕事の多くは草刈)のおやじが急死

・自分も草刈して、救急車を呼ぶめまいに襲われ、後遺症のこったまま

05. 2012年8月25日 00:18:22 : DnEJDBSEbw
草刈関係の死亡事例が増えてるよね。
何でも屋をうたってるが その仕事の多くは草刈がほとんど。

俺もなんでもや屋のおやじが急死したから、しょうがなくて自分で実家の草を刈っ
た数日後に救急車を呼ぶめまいに襲われて、後遺症が残ったままの状態だ。
なんとか自炊はできるけど、まっすぐに歩けやしない。

放射能かどうかなんてどうでもいい。

こうやって、いつかは死ぬんだ。
そんな国なんだ、この国なんて・・



厚生労働省の統計表によると 平成23年の死亡原因で

心疾患の死亡率は福島がトップ

21. 2013年4月02日 17:18:42 : hlVKtml8KE

厚生労働省の統計表によると平成23年の死亡原因で心疾患の死亡率は福島がトップ。
(10万人あたり226)
前年度に比べ心疾患の死亡率増加が全国では3.1%に対し福島は14.3%
宮城13.2%、茨城10.5%、岩手8.3%



チェルノブイリの経験で、死者・病者の大洪水が起きるのは事故後6年目

このときは誰の目にもおかしいとわかるそうだ

05. 2013年12月10日 12:25:46 : uMukO6nRuc
チェルノブイリの経験で、死者・病者の大洪水が起きるのは

事故後6年目くらいらしい。

このときは誰の目にもおかしいとわかるそうだ。

今も汚染地では死者は増えているが、

葬儀屋、医者、役人とかでないと気付かない。

何万人レベルで死人が増えても、死者の数パーセントだからだ。

ただ家族に死者の出た人は、

過去になかったような火葬場の異常な待ちに驚くはずだ。



都内、知り合いのお父さんが亡くなり、火葬10日待ち。

06. 2013年12月10日 12:43:44 : aiMZAOJQqY
都内、2ヶ月ほど前に知り合いのお父さんが亡くなったのだが、
火葬は10日待ちだったそうだ。
まだ序の口。数年後は恐ろしいことになっているだろう。



・本当に、僕の身の回りでも、芸能人も、

 ガンで死ぬ人の話をよく聞くように。もの凄い勢いでガンが増えてる

・セシウム健康被害として、心筋梗塞。

 心臓がキュッとなったらヤバいです

10. 2013年12月10日 17:56:23 : qP1NLoxFE6
本当に、僕の身の回りでも、芸能人も、

ガンで死ぬ人の話をよく聞くようになりました。

もの凄い勢いでガンが増えているように感じます。(実体験)

自民党の甘利ちゃんも舌ガンですよね。

舌はリンパ線に近いので

もの凄い勢いでがん細胞がリンパ腺に乗って全身にバラまかれます。

彼ももう政治の第一線への復帰は難しいでしょうね。

関東以北では、これからもの凄い勢いでガンが増えるでしょうね。

あとセシウム健康被害として、心筋梗塞とかですね。

心臓がキュッとなったらヤバいです。



京都で

 90歳母親が「洗濯物取り入れ途中のベランダでの突然の心肺停止」

 その従兄弟の娘が、今年の5月に乳がんになっていることが解った・・
 まだ、30歳を超えた、健康志向の大手製薬会社の正社員

20. けろりん 2013年12月11日 03:46:59 : xfW5FN1G6ouU2 : mIzjmXkIJI

先月のはじめに、従兄弟が突然死した・・・
東京は練馬区在住の60歳半ばの、健康体の女御だ

これまでの葬儀関係での突然死は、自殺か交通事故死以外
遭遇したことがなかったな・・・
会社をやっている関係上、付き合いもサラリーマンよりは
若干多いので・・かれこれ100件以上もの葬儀には出ているが、
今回の身内の件では、正直驚いているトコロだ・・・

政府厚生省・地域役所・医療関係機関が・・・判で押したように
統計的な情報を秘匿しているので、真相が闇の中だ・・・


京都に里帰りしていて、心臓を弱らせている90歳を超える母親を慰労して、
帰った矢先の洗濯物取り入れ途中のベランダでの突然の心肺停止・・・
これは、単なる偶然・・なのか?
その従兄弟の娘が、これまた・・今年の5月に乳がんになっていることが解った・・
まだ、30歳を超えた、健康志向の大手製薬会社の正社員だ・・
なんでだ???・・・これも、単なる偶然・・なのか?


東京は、どうなっているんだ???・・実際のトコロ・・・???


90歳の、その従兄弟の京都在住の心臓に問題がある母親の方が
先に『 突然死 』するのなら・・・まだ、解る
『 突然死 』なんぞ・・初めてだ・・・



・内部被爆による晩発性障害の発生は、被爆5~10年後にピークを迎える

・私の友人の内科医は、赴任先の福島県立医大をやめ、
 奥さんと小学生の二人の子供を連れて逃げました。
 「何と言われようと、逃げるが勝ちだ」

25. 2013年12月11日 15:12:56 : iZqc3BIhIE
内部被爆による晩発性障害の発生は、被爆5~10年後にピークを迎えます。
ちょうど2020の五輪の祭典が迫るころ、
日本は小児の白血病や甲状腺癌の爆発的増加で地獄と化しているでしょう。
でも、「因果関係は証明できない」と、誰も責任を取りません。
私の友人の内科医は、赴任先の福島県立医大をやめ、
奥さんと小学生の二人の子供を連れて逃げました。
「何と言われようと、逃げるが勝ちだ」
確かに。



団塊世代は今、60代後半でまだまだ元気。

彼らの寿命が来たときに火葬場が混雑するのはわかるが、

すでに混雑が始まるのはどう考えてもおかしい

67. 2013年12月15日 05:30:42 : aiMZAOJQqY
人口の最大のピークである団塊世代は今、60代後半でまだまだ元気だ。
あと10-20年は生きられる。

彼らの寿命が来たときに火葬場が混雑するのはわかるが、すでに混雑が始まるのはどう考えてもおかしい。

団塊世代を含めて、「別の理由で」人が多数、死に始めていると考えるのが自然だろう。
その理由は、放射能による被曝であることはほぼ間違いない。

何も火葬場の混雑だけではない。

他の投稿を見てもわかるが、歌舞伎界を含め芸能人が多く亡くなったり病気で倒れたりしているし、
総人口も3/11以降、はっきり減少している。
毎日のように急死・病死の情報が流れる。それも高齢者だけではなく、若者や中年も亡くなってる。

これらを説明できるのは、ただ一つ放射能被曝しかない。
これ以上に科学的、論理的な結論はない。

チェルノブイリで何が起きたかを見れば、これから何が起こるかは明らかだ。
十分に科学的根拠はある。

統計的にはっきりするのは、5年後10年後だ。
そのときになってから、避難したり汚染食品に気をつけてももう手遅れだ。

大地震後に大津波が来ることを知っていた人は、3/11のときも直ちに高台に避難して難を逃れた。
チェルノブイリで何が起きたか知っている人は、すでに避難したり食生活に気を使っている。同じことだ。

あなたは「大津波が来るから逃げろ!」と叫んでいる人を、
「科学的根拠なしに不安を煽るだけ」と批判するのか。

大津波は来ないこともあるが、すでに首都圏までひどい放射能汚染に晒されていることは、複数の測定結果を見ても明らかであり、被害が出るのは100%確実だ。

この先、政府や自治体はいかに被曝被害を隠蔽するかに腐心するだろうが、
被害規模は数十、数百万人規模に及び、決して真実を隠すことはできないだろう。

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1400km離れた場所での除染作業員8人中、約10年内に7人が死亡 *東独/チェルノ

http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/6f8e791cd79cc639df827b7e9253b680
1400km離れた場所での除染作業員8人中、約10年内に7人が死亡 *東独/チェルノ
2014-01-07 23:22:48 | 放射能汚染

1400km離れた場所での除染作業員8人中、

約10年内に7人が死亡 *東独/チェルノ

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1284465767?fr=rcmd_chie_detail より
2012/3/29 tamikotea2さん

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20120328-00000053-jnn-... リンク切れ
〔チェルノブイリ原発事故、除染の盲点〕
チェルノブイリ原発事故の際、1400キロも離れた場所で除染作業を
していた作業員が相次いで7人も死亡した。
1986年4月、旧ソ連のチェルノブイリで起きた原発事故直後、
原発から1400キロほど離れた東西ドイツ国境で
多くのトラックが足止めされた。
当時、ウクライナや東欧から農産物など安い物資が
西ドイツに運ばれていたが、
西ドイツは放射能汚染を恐れ東側からの入国を拒否、
車両が列を成した。
そこで、東ドイツ政府は運送公社の職員8人に
「トラックの除染」を命じた。

すでに放射性物質に汚染されていたトラック。
しかし、作業員たちはマスクなどで防護もせず、
モップを使い除染の作業をこなした。
その数は100~200台に上る。
任務は洗車だけではなく、
エンジンに送る空気をろ過する「エアフィルター」の交換。
(このフィルターにはほこりや細かいちりなどが付着)
除染作業は2か月で終わったが、

3年後に悲劇が始まる。

まずフィルターを交換していた作業員(30代)が肺がんで死亡。
その後10年のうちに除染の作業員8人中6人が全てがんで死亡。
更にその後、1人が「直腸がんと前立腺がんを相次いで発症して」死亡。
これで、当時除染に当たった作業員8人のうち7人が
がんで死亡したことになる。

東ドイツ政府の命令を受けた放射線の専門家たちの線量メモによると、
彼等が作業中に浴びた線量は最大毎時2レントゲン=毎時20ミリシーベルト。
これは国際的な基準で原発作業員が年間で許容される被ばく量に相当、
それを1時間で浴びてしまう計算。

「私は日本でも被害者が出るのではと不安を感じている。
大量の放射線を浴びれば病気になり、がんで苦しんで死ぬことにもなる。
そう考えただけでも気が重くなる」
(当該除染作業員の唯一の生存者:オットー・ツェルナーさん(79))

原発事故の現場から遠く離れた場所で起きた「被ばく」をどうとらえるのか
警鐘が鳴らされています。



彼等の場合、最大20mSv/h×○時間×2か月
というあまりに過酷な作業環境のため、
更には「低線量長期被ばく」の実態が不明瞭のため
適切な比較はできませんが、リスク的側面では
福島第一原発事故後の作業員のみならず、西日本方面でも
前述類似作業の長期的「除染」従事者からも
特に3年後以降十分起こりうる悲劇と思われませんか?

補足~参考~

【IPPNW「チェルノブイリ健康被害」新報告と、
首相官邸資料「チェルノブイリ事故との比較」との驚くべき相違 】
http://peacephilosophy.blogspot.jp/2011/04/blog-post_17.html
http://peacephilosophy.blogspot.jp/2011/05/blog-post_22.html

http://peacephilosophy.blogspot.jp/2011/05/blog-post_08.html



**上記への回答** wildpengin01さん

予言・・いや!断言します。十年後の癌発生率は間違いなく増加します。
そして因果関係は不明・・・と結論付けされます。





どうもおかしい。体調が狂い始める隣人が増えている。

 放射能は真っ先に目・鼻・口を直撃する。

ドイツでは「体全体の放射能汚染」を測定してくれるが、

 日本政府と医師会が禁じているという。

http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/2f4fa5e44499122c441b4371c857de51

<チェルノブイリ症候群>
友人が送ってくれたチェルノブイリ症候群は、
特定非営利法人「チェルノブイリへのかけはしの公式サイト&ブログ」である。
それによると、甲状腺がんの多発ばかりではない。
さまざまな症状が出る。個人の弱いところ、持病の悪化である。
「頭痛・めまい・ぼうっとする・考えがまとまらない・ハイとうつになる・
ノイローゼ・てんかん・知性に異常」
3・11以後の症状にこうしたことが起きていないかどうか。
「目・鼻・口・喉・声帯・性器関連の炎症・子供でも
のちのち白内障になる・声が出なくなる・口内炎・鼻血・歯茎の出血・虫歯の悪化」
「咳・痰・カラ咳・繰り返す風邪・気管支炎・肺炎・喘息」
思い当たる症状がいくつもあるようなのだ。
「下痢・軟便・食欲がない・吐き気・嘔吐・揚げ物にむかつく・胃が痛い」
「突然、襲ってくるだるさ・眠い・立っていられない」
「脱毛・徐々に抜ける」
「夜中に腎臓のあたりが痛くなる・腎臓炎・膀胱炎・おねしょ」
「中耳炎を繰り返す」
「アレルギー症状の悪化・手の皮がむける・傷が治りにくい」
「心臓が痛い・夜中に胸が痛い・血圧異常・息がきれる・突然死」
「骨の痛み・骨の異常」
「生理不順・出血異常・乳がんの増加」
「甲状腺の異常」
「リンパ節のハレ」
ドイツでは体全体の放射能汚染を測定してくれるが、
日本政府と医師会が禁じているという。
恐ろしい政府と東電の罪は計り知れない。

**************************

事故からまる2年が経過しようとしています。
極論して言えば、対象地域のほとんどの方に
自覚症状が出始める時期だと言う事です。

>チェルノブイリ症候群

自分の身辺で思い当たる節はないですか?



>放射能被害は、真っ先に抵抗力のない中高年に襲いかかる。
幼い子供を直撃する。
無事に生き残った人間も将来、大きなダメージとなって
人生を狂わされるだろう。チェルノブイリ症候群が裏付けている。

ほとんどの日本人が、中長期的には

後悔する事になるのではないでしょうか?





急に視力が落ちて眼科へ、「白内障初期」の診断。 

”先生に「放射線からでしょうか?」と聞いたら「うん」”

http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/9a36f22327a495904ca80bde53439955





NHK「チェルノブイリ原発事故その10年後」ネステレンコ教授パート書き起こし より 

驚くべきデータが語られる。

原子力物理学者ワシーリー・ネステレンコ教授

残念なことに多くの子どもたちの身体が今も放射能にむしばまれています。

例えば事故現場から200キロ以上離れた村でも、子どもたちのうち23パーセントが白内障にかかったり、失明したりしています。

その村では84パーセント以上の子どもたちに不整脈が見られました。

まるで心筋梗塞の予備軍です。というより、すでに多くの若者が心筋梗塞にかかっているような状況です。

およそ80パーセントの子どもが、胃炎や潰瘍を患っています。

特にひどいのは12歳から15歳の子どもたちです。

胃の粘膜が萎縮し、まるで70過ぎの老人のようになっています。

つまり放射線の影響を受けた子どもたちは、命の炎を急速に燃やし尽くし、将来病気になることが確定しているんです。





子どもで白内障が多発したチェルノブイリのエリアでは、

”白内障の子どもたち” は 皆死んだ

@KinositaKouta Oct 08, 2013 06:22:41 GMT
若い人の白内障は被曝で間違いなく増えます。

子どもで白内障が多発したチェルノブイリのエリアでは、

その白内障の子どもたちは皆死んだと、

バンダジェフスキー博士は話しています。



福島県 被災から1ヶ月半 『 黒ラブ9歳 糖尿病⇒白内障で失明 』 

殆ど寝たきり。急速に悪くなった

@minako_genki @2951hideo @tokaiama @KinositaKouta
福島県です

被災から一ヶ月半

糖尿病になり白内障で失明してしまいました

急速に悪くなりました

雨の日も雪の日も朝晩の散歩をしてました

黒ラブ九歳 殆ど寝たきりです



【被ばくの影響】あらゆる病気が数十倍になる

@tokaiama 2011.07.27 06:30
低線量長期被曝の影響が顕著になるのは半年後、そろそろ。

最初にリンパがやられ白血球減少、

生殖腺にセシウム蓄積、生殖遺伝子が破壊される。

血管内被曝の累積により脳梗塞・心筋梗塞による突然死が激増。

飛蚊症や白内障が激増。

メカ不明だが糖尿病が激増することも知られ、

あらゆる病気が数十倍に



千葉市の5歳児
 「両目の中心がドーナツ状に白くぼやけて見える」

チェルノブイリでは ”子供の白内障の多発” がきっかけで
 避難が決まった村も

@Natsukorin_666 2011.08.11 17:04
うわ、とうとう目にきましたね。
チェルノでは子供の白内障の多発がきっかけで
避難が決まった村もあると聞きました。
@hanayuu: 千葉市の5歳児
「両目の中心がドーナツ状に白くぼやけて見える」
tinyurl.com/3aqktsp





http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/b6e9ef6e8c63ee4bbde61771b4679019 から

福島で頭が2つある子供が生まれている。

完全にこれはチェルノブイリの再来なんです(緑の党の演説から)

「福島で頭が2つある子供が生まれてる」緑の党木村ゆういち氏
http://www.asyura2.com/13/genpatu32/msg/500.html より引用開始
投稿者 パラサガン 日時 2013 年 7 月 13 日

子ども達を放射能から守るネットワーク@ちば
http://takumiuna.makusta.jp/e224399.html

「南相馬市の方で福島で頭が2つある子供が生まれている。

無脳症の子ども生まれてる。

完全にこれはチェルノブイリの再来なんですね」


「西郷村というところでは昨年夏以降から奇形の子が生まれている。

これがTVでやならい真実です。

これを言う為に立候補したんです」


参議院議員選挙に緑の党から立候補している木村ゆういち氏が

九州電力本店前で行った演説動画です。

木村さんは福島市から九州への避難者です。

http://www.youtube.com/watch?v=TId2blLTL3c&feature=player_embedded (演説動画)

チェルノブイリでは5ミリで強制移住です。

20ミリシーベルトまで妊婦子供住んでよしとする日本。

自民党の改憲が進み言論の自由が奪われる状況になれば

真実はますます伝わらない社会になるでしょう。

(引用終了)



http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/a9a6b4d441d2cec16bf74eb07d521fe4 から

福島の除染費用は400兆円。

1家族に4000万払って移住させた場合、23兆円。

http://lnnl.blog81.fc2.com/blog-entry-4757.html より

「除染ができるのか

官邸の中であらかたの数字を出したのが

400兆かかると言っているんですよ、福島のなかで。

400兆かけて除染ができたらまだいいですよ。

これがドブに捨てたらもう日本の国おわりです」

福島の除染の政府試算が400兆……。

菅谷氏によると

「福島県は土地の7割が山林であり、

その山を完全に除染するためには木を根こそぎ切り落とし、

岩肌がすべて見えるほど徹底して行う必要がある。

そんなことは無理だろう」

はっきり言って福島の除染は無理なんです。

そして木下氏はこうも語ってます。

「福島の子どもたちを避難させない方がおかしくて、

何回も何回も官邸の中で何プランも上がっているんです。

それをやらないんです。

で、やった方が経費がかからない、除染するよりも。

なのにそんな単純な判断も(当時の菅首相は)しないんです。

だから信じられないことばかりなんですよ。

3月から僕の中で起きていることは。

日本の社会がここまで腐ってたのかと」

それから

「移動費用として一家族あたりに4000万円を払ったとしても、

災害復興費用の23兆円には到底届かない。

除染よりも強制移住にお金を使った方が遥かに効果的では…」

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巨大マスゴミTVでは一切報道されない事実! 『海側井戸で210万ベクレル=最高値を更新』 [自民党&東電の怖さ] BS朝日に新潟県知事生出演 「私が自殺することはあり得ない」と前置きし、車での尾行、メール、マスコミへのリークなど数々の圧力があると発言していた。 同番組に出演していた元官僚の古賀さんの自宅前にハクビシンの死体が。近所の警察に言うと、偶然ではあり得ないと。 口封じのため東電、自民党は何をするか分からない。

http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/cbb01e14cfa1398168adbe14a9c1b47c
福島原発で、今、再び異常な大変な事態が起きている?『海側井戸で210万ベクレル=最高値を更新』
2014-01-11 10:38:33 | 原発の異常情報

福島原発で、今、再び異常な大変な事態が起きている?

『海側井戸で210万ベクレル=最高値を更新』

『海側井戸で210万ベクレル=最高値を更新』『地下水の放射能濃度急上昇=海か...
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12118585512 より
blue_train22さん 2013/12/28

『海側井戸で210万ベクレル=最高値を更新』
『地下水の放射能濃度急上昇=海から10メートルの井戸』
『継ぎ目の止水材劣化か=タンクせき225トン漏水』

福島原発で、今、再び異常な大変な事態が起きている?


東電は、再稼働の準備などしている要員がいるなら、
柏崎刈羽原発の要員の全員を、福島原発の汚染水対策に振り向けるべきではないのか?

・・・

『継ぎ目の止水材劣化か=タンクせき225トン漏水-福島第1』2013/12/27 時事

「東京電力福島第1原発で、放射能汚染水を貯蔵するタンク群を囲む二つのせきにたまった水が最大で225トン漏れた問題で、東電は27日、コンクリート製のせきの継ぎ目をふさぐ止水材が劣化していた可能性が高いと発表した。東電は「劣化は想定していなかった」と説明している。
東電によると、目視では水漏れが見つからず、コンクリートにもひび割れはなかった。新しい止水材で継ぎ目をふさぎ、内側に水を張ったところ水位は低下せず、漏れた水は劣化した止水材から地中に染み込んだとみられる。東電は今後、せき周辺の土壌を回収する。」

『海側井戸で210万ベクレル=最高値を更新-福島第1』

「東京電力は27日、福島第1原発2号機の海側にある観測用井戸で26日に採取した地下水から、ストロンチウム90などベータ線を出す放射性物質が1リットル当たり210万ベクレル検出されたと発表した。この井戸は上昇傾向が続いており、最高値を更新した。
東電によると、井戸は護岸から約40メートルの場所にあり、これまでの最高値は19日の同190万ベクレルだった。東電は地下水のくみ上げによる影響と説明しているが、詳しい原因は分かっていない。」

『地下水の放射能濃度急上昇=海から10メートルの井戸-福島第1』

「東京電力福島第1原発で放射性物質に汚染された地下水が海へ流出している問題で、東電は27日、1、2号機タービン建屋より海側にある観測用井戸で26日に採取した地下水から、ストロンチウム90などのベータ線を出す放射性物質が1リットル当たり2300ベクレル検出されたと発表した。前回23日の採取では検出限界値である同24ベクレルを下回っていた。
東電によると、この井戸は護岸から約10メートルの距離にある。これまでここで採取された地下水の濃度の最大値は10月3日の同72ベクレル。」

・・・

汚染水漏れ事故はどんどん悪化している。

11月4日;54万ベクレル
11月9日;55万ベクレル
11月10日;71万ベクレル
11月25日;91万ベクレル
11月28日;110万ベクレル
12月2日;130万ベクレル
12月9日;150万ベクレル
12月12日;180万ベクレル
12月20日;190万ベクレル
12月26日;210万ベクレル

海は世界共通であり、海洋汚染は国際犯罪と言える。


国は前面に立つと言っているが
国の力で、関西電力や九州電力の原発要員の数千人/数万人を、福島原発の汚染水対策や廃炉対策に投入すべきでは?


初歩的なミスを頻発し、汚染水タンクの管理も、汚染水漏れの収束もできない東電。
汚染水漏れ事故と、ただ途方に暮れている事故原発の廃炉、資金も人材も全く不足しており、東電1社で解決できるはずもないのでは?


公的資金が投入され、汚染水漏れ対策費用をケチって問題を深刻化し、除染費用も賠償費用も修繕費用も十分に払わずに、電気代を値上げして、会社を黒字化した。黒字ならば、払うべき費用を払い、電気代を下げるべきでは?


人類史上未曽有の大事故を起こした犯罪公務員企業、不正な随意契約/天下り/選挙資金供与/寄付金など不正/癒着/汚職の巣窟である犯罪公務員企業、「東電」を国民は決して許さないのでは?

もし東電を会社更生法に基づいて正しく破綻処理しないなら、資金的にも人材的にも道徳的にも、東電社員は永遠に生き地獄に置かれ続ける。
優秀な人材はどんどん流出しており、現在の東電は、もはや震災前の東電とは違う。


新潟県柏崎刈羽原発の再稼働などさせて良いのか?あまりにも危険過ぎるのではないか?
新潟県ではギネスに乗るような大地震が頻発している。
再稼働させたら、確実に次の事故が起きるのでは?

・・・

◆『泉田新潟県知事が激白! 「東電まかせではまた事故が起こる」』2013/10/31 週刊朝日

◆細川元首相、原発再稼働を「犯罪的な行為だ」と批判!
『原発ゼロへ共闘 細川・小泉元首相「国民運動を」』 2013年11月12日 東京

◆小泉元首相の原発ゼロの主張は、原発は即時ゼロ!
・原発再稼働は即時中止!
・核燃料サイクルは即時中止!
・原発のコストは他の電源よりも高い!

『脱原発は郵政民営化の比ではない壮大な事業 小泉元首相が日本記者クラブで講演』 動画 2013.11.12.
http://www.youtube.com/watch?v=QOXsnZiTjwk

◆『経産省の嘘 燃料費が 3.1兆円増??』 @河野太郎 2013年11月20日
「原発停止の影響による焚き増しのための燃料費の増加は1.4兆円から1.6兆円と、経産省が「実績」と称している額のおよそ半分に過ぎない」

◆『原発「安価」神話のウソ、強弁と楽観で作り上げた虚構、今や経済合理性はゼロ』 東洋経済



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drstj2さん

こんなに汚染流出にも、テレビでは 原発事故がなかったかのようです。

東電は、柏崎再稼働のために福島の人手を減らし、作業員は足りず疲弊、ミス続出。もともと海に流すつもりで、溶接ではなく質の悪いボルトを使ったと思います。
作業員は被曝して下請けなど安い賃金で汚染現場で働いている。そもそも自民党と東電は共犯なのですから、国民に不都合なことは隠蔽していくでしょう。
自民党は、再稼働重視で福島に真剣でない。


日本の土地は脆弱で、地震も多く災害も多い。

こんな日本に原発を乱立した自民党の罪は重い。
震災直後の対応が、批判されますが、電源鉄塔にすら耐震補強のない原発を放置した原発を作った自民党は、罪に問われませんか。

原発利権に群がった政治家も

原発事故は世界規模の汚染被害をもたらします。長きにわたって…

[自民党&東電の怖さ]
BS朝日に新潟県知事生出演

「私が自殺することはあり得ない」と前置きし、車での尾行、メール、マスコミへのリークなど数々の圧力があると発言していた。

同番組に出演していた元官僚の古賀さんの自宅前にハクビシンの死体が。近所の警察に言うと、偶然ではあり得ないと。

口封じのため東電、自民党は何をするか分からない。

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