ハビエルバスケスのグレイシー柔術動画





















| 未分類 | コメント(0)

ヒーロングレイシーのVine動画 11

| 未分類 | コメント(0)

サプリメントは百害あって一利なし! なるべく自然のものを 卵と牛乳をとるべし! 詐欺師集団であるサプリメント業界を太らせる必要など皆無である!

http://blogos.com/article/76369/
「サプリメントは効果なし」米医学誌がバッサリ

ビタミンやミネラルなどのサプリメントは健康効果がなく、十分な栄養を取っている人にはむしろ害になる可能性があるという研究結果を、アメリカの医師らが医学誌アナルズ・オブ・インターナル・メディシンで発表しました。論文のタイトル「もう十分:ビタミンやミネラルのサプリメントに金を浪費するのはやめよう」が衝撃的だったこともあり、米メディアが一斉に報道し、話題になりました。

論文を発表したのは米ジョンズ・ホプキンス大の教授ら。新たに発表された3つの研究結果をまとめたもので、心臓血管疾患やガン、認知症や言語記憶、心筋梗塞、いずれに対してもビタミンやミネラルなどのサプリメントは効果がなかったとし、過去の研究から、ベータカロチンが肺がんリスクを高める可能性や、ビタミンEや高容量のビタミンAの摂取が死亡率を高める可能性などが明らかになっているため、安易な摂取は避けるべきとしています。唯一ビタミンDに関してはさらなる調査が必要としていますが、サプリメントの健康効果に関する議論は終わったと結論付けています。

著者の一人であるミラー医師は、CBSニュースに「健康になりたいのなら、効果のないサプリメントに浪費するのはやめ、果物や野菜、ナッツ類、豆類、低脂肪の乳製品などの食品を食べて運動すべき」と語っています。健康食品業界はこれに異を唱え、健康的な食生活を送ることができない人の栄養補助にサプリメントは必要だとしていますが、心臓血管疾患とガンの調査を行ったフォートマン医師は、ニューヨークタイムズ紙に「悪い食生活をサプリメントで補えるなんて思うな。サプリメントをたくさん摂取すればファストフードをたくさん食べても大丈夫だなんて考えるべきではない」と語っています。

これまでも、サプリメントの効果は疑問視されていましたし、政府が健康食品の安全性を検査していないことも問題視されていました。今秋には、フィラデルフィア小児病院が、安全性や効果を証明できないことを理由に院内の薬局でのサプリメントや健康食品の販売を禁止し、リスクを説明してもなお摂取を希望する患者の親には病院側の免責を認める証書への署名を義務付けています。

論文の著者らは、効果が証明できないにもかかわらず、現在アメリカ国民の半数が何らかのサプリメントを摂取し、健康食品業界の売上は伸び続け、2010年には280億ドル(約2兆9千億円)に上っていると懸念しています。

消費者庁によると、日本も健康食品業界の売上が1兆7千億円に上っており、単純計算すれば一人当たりの消費額はアメリカより多いことになりますから、他人事ではないでしょう。

論文で述べているのはビタミンやミネラルの効果のみで、健康食品のすべてに当てはまるわけではありませんが、飲むだけで健康になったり痩せたりする魔法のような成分などないのですから、本当に健康になりたければ、医師らの言うように、安易に健康食品に頼らずにバランスの良い食生活を心がけるしかないでしょう。

| 未分類 | コメント(0)

世界最後の時間無制限ベアナックルVT リオヒーローズ

| 未分類 | コメント(0)

相撲賭博のカラクリ

http://chusha.hypernomad.net/somo-tobaku/1.html
第1回 《八百長が反社会的行為になるとき》
    野球賭博と相撲賭博はつながっている

 2010年5月20日、夏場所が開催されている最中に、野球賭博事件が発覚した。報じたのは『週刊新潮』(5月27日号)で、大関・琴光喜が暴力団を胴元とする野球賭博に関与、阿武松部屋の床山、床池の誘いを受け賭博に参加し、床山の兄の元幕下力士に1億円の口止め料を払うように恐喝されているというものだった。

 この報道をきっかけに、野球賭博問題は角界を揺るがすことになり、相撲協会は今回の八百長発覚と同じように、力士の調査に乗り出した。その結果、琴光喜が野球賭博への関与を認め、さらに、なんと65人もの力士や親方がなんらかのバクチをしていたことを認めることになった。

 その内訳は、野球賭博に29人、賭け麻雀、ゴルフ、花札などの賭博36人の計65人である。その後、警視庁の組織犯罪対策第3課は、賭博開帳図利の疑いで、阿武松部屋、境川部屋、時津海部屋など三十カ所以上を家宅捜索し、今回の八百長発覚につながるケータイが押収されたのである。

 この野球賭博のキーマンは、2011年1月26日に逮捕された阿武松部屋の元力士・山本俊作容疑者だった。この山本容疑者の容疑を追っていくと、彼の父親が暴力団員であり、野球賭博ばかりか相撲賭博に関わっていたことが濃厚になる。

 ここにいたると、大相撲の八百長は、取り組み自体が暴力団の資金源になるので、問題の根は深くなる。

 相撲の取り組みの結果は、注射の話し合いがついていれば、事前にわかる。しかし、これを知り得るのは、当事者や中盆などの互助サークルだけである。しかし、この情報を、相撲賭博を開帳する胴元が知り得たらどうなるだろうか?

 いくらでも、情報を持たない客からお金を巻き上げられる。これこそが、本当の八百長であり、イカサマ賭博である。

 大相撲の注射が反社会的な行為となるのは、こういうときである。力士同士が互助会として星の回し合いをしているだけなら、かわいいものだ。しかし、相撲賭博にまで力士が手を出していたとなると、それは、注射相撲とはまったく意味が違ってくる。

 およそギャンブルこそが、もっとも公平性を求められるゲームである。初めから勝敗がわかっているゲームに賭ける者はいない。ところが、何人かの力士は、自分たちが行う相撲賭博にまで手を出し、注射を行っていた形跡がある。

http://chusha.hypernomad.net/somo-tobaku/2-1.html

第2回 《相撲賭博の実態》
    “東西張り”から、最近は“幕内5番”が主流に (1)

野球賭博とは、ハンデを付けたチームの試合のどちらかにはり、その勝ち負けを争うもの。相撲賭博も仕組みは同じで、そもそも野球賭博で味をしめた胴元たちが始めたと言われている。

 相撲賭博の基本は勝敗当て。つまり、丁半バクチと同じだが、野球賭博と同じようにハンデが付く。相撲の場合は都合よく東西に分かれているので、「東が勝つか西が勝つか? さぁどっち?」という単純発想からスタートしている。

 以前、わたしたちが関係者から聞いたところでは、「最近は不況だから、バブルのころのようなことはないね。あのころは、もうやったらめったら賭けが集まったし、お相撲の人間の情報も金で買い、しこたま儲けた連中もいた」ということで、当時は、幕内の全取組を対象に、東か西かのどちらかに賭けるという形式で行われていたという。

 「幕内の勝負は20番ある。だから東の11勝9敗とか、12勝8敗とかなるわけで、たとえば東に10万円張ったとすると、勝てば胴元に1万円戻して19万円がフトコロに入ってくる」

 「ただし、単純に東か西かじゃ話にならない。野球だってハンデあるから、相撲にもこれを付けた。たとえば、東のニイハン(2.5)とかいうふうにすると、み〜んな頭をひねって張ってくる。それで東西の張りが同じになれば、胴元は損はしないとい仕組みになっている。2.5付いているときというのは、11勝9敗じゃ負け。ハンデ足して11対11.5になってしまうから。12勝8敗なら12体10.5で勝ち。この辺が微妙で、ハンデは上から降りてくる」

 上というのは、暴力団の上層部。胴元中の胴元(大胴)で、ここから、中胴、小胴、走り胴というように、野球賭博と同じように張りの客の間を網の目のように組織化されて賭博が行われていくという。

 走り胴に集まるのは、多くて40〜50万円。それでもテラ銭は1割だから、1日4〜5万円の売り上げになる。小胴ともなると100万円を越え、中胴を経て大胴までいくと、数千万円から億の金が動いていたという。

 ところが、この“東西張り”は、若・貴の登場でガチンコ相撲が増えるとともに衰退していった。というのも、それまで胴元は注射を仕掛けて、張りのかたよりを逆転できたのに、できなくなってしまったからだという。力士のほうでも、こうした賭博に協力し、注射で転ぶことで礼金を入れていた者たちが減り、相撲賭博はウマ味がなくなってしまったのだ。


第2回 《相撲賭博の実態》
    “東西張り”から、最近は“幕内5番”が主流に (2)

 もちろん、景気が悪くなったということもある。が、それ以上に言えることは、相撲自体の変質だった。

 そこで、この10年間ほどの間に登場してきたのが、“幕内5番”という賭けだ。

 これは、幕内の取組から5番を選び、東西どちらかが勝つかを当てるというもの。全取組の“東西張り”についていたハンデは消え、そのかわり、3勝2敗なら倍返し、4勝1敗なら3倍返し、5勝0敗なら4倍返し(この逆に負けると同じ倍率で払わなければならない)という工夫がなされている。

 つまり、10万円張って3勝2敗で勝つと、19万円もどり、4勝1敗なら28万円、5勝0敗なら37万円戻ってくるというわけだ(いずれも10万円に対して1万円のテラ銭が引かれている)。

 今回の八百長発覚をさらに調べると、この“幕内5番”を現役力士がやっていたことが明るみに出る可能性がある。自分で自分が登場する賭け事にベットできるのだから、結果はいくらでも操作できる。

| 未分類 | コメント(0)

相撲における八百長の歴史

http://chusha.hypernomad.net/history_1/1_origin.html
第1回 そもそも八百長とはなにか? その言葉の起源

 まずは「Wikipedia」の八百長の項目から、「由来」のところを以下引用する。

 八百長は明治時代の八百屋の店主「長兵衛(ちょうべえ)」に由来するといわれる。八百屋の長兵衛は通称を「八百長(やおちょう)」といい、大相撲の年寄・伊勢ノ海五太夫と囲碁仲間であった。囲碁の実力は長兵衛が優っていたが、八百屋の商品を買ってもらう商売上の打算から、わざと負けたりして伊勢ノ海五太夫の機嫌をとっていた。

 しかし、その後、回向院近くの碁会所開きの来賓として招かれていた本因坊秀元と互角の勝負をしたため、周囲に長兵衛の本当の実力が知れわたり、以来、真剣に争っているようにみせながら、事前に示し合わせた通りに勝負をつけることを八百長と呼ぶようになった。

 なお1901(明治34)年10月4日付の読売新聞では、「八百長」とは、もと八百屋で水茶屋「島屋」を営んでいた斎藤長吉のことであるとしている。

 この記述をさらに解説を加えると、明治35年の鎗田徳之助『日本相撲伝』では、八百長が碁で手加減していたことを憤った伊勢ノ海がこのことを吹聴し、さらに相撲興行の売買で賄賂を払ったことを「八百長を取られた」と言ったことから、賄賂の隠語として広まっていたと記されている。(『日本相撲伝』の「八百長とは相撲社会に用ゆる賄賂の代名詞なり」から)

 つまり、八百長は明治30年代に誕生した言葉で、『日本相撲伝』によろば、「賄賂」の代名詞として使われていたようだ。

 同じような意味で、明治時代には「ペテン」が使われていたが、ペテンと八百長は区別されていた。

 ペテンは、いわゆる禁手行為に当たるようなズルい手を使うこと。これに対し、八百長は「わざと真剣に試合をしないで、引き分けあるいは試合を預かりにしてしまう」(試合結果を出さない)ことだった。そのために賄賂もありということだったらしい。

 明治時代の相撲は、「引き分け」「預かり」があり、勝ち負けをつけない相撲が多かった。これを八百長といい、わざと試合をしないで勝ち負けをなくしてしまう。当時は1場所10日だったから、8勝以上した力士が「負け」を増やさないために引き分けに持ち込もうとして試合を長引かせることが多く、それが「八百長」として激しく非難された。

 ちなみに、八百長こと斎藤長吉が亡くなったのは、1901年(明治34年)である。

http://chusha.hypernomad.net/history_1/2_1.html

第2回 明治時代の新聞に見る八百長 〈1〉

 《1910年(明治43年)1月30日讀賣新聞》

板垣伯の八百長

 去廿六日板垣退助伯が友綱部屋で太刀山、国見山以下を集めて八百長相撲を攻撃して一場の訓示演説を為し太刀山以下は今後一切八百長はやらぬと云ふ証書を書た訓示は兎に角証書はチト臭いなと思つて居ると其実今場所打上後八百長に就て八方より攻撃を受け殊に退隠する筈の国見山を或る関係から登場させたりして大相撲が徹頭徹尾八百長に終つたと奮慨した者すらあるので是では次場所の人気にも関すと遂に老伯爵を煩はして訓示演説及誓の証書となつたのだと素破抜く者がある八百長訓示などは愈々以て馬鹿にしてテ居る処が少々早まつて東方に相談に及ばなかつたので目下東西重訳の間に衝突を起して居ると

第2回 明治時代の新聞に見る八百長 〈2〉

 《1910年(明治43年)6月14日朝日新聞》

角觝評話(十日目)猪口才なる八百長

 二段目や十両取の分際にて、星勘定の結果、猪口才なる八百長政略は、小腹の立つこと夥多し、二段目や十両取は邁進敢行の勇無かるべからず、徒らに星を計算し、昇級進歩を土台にして、角力を取るべき時にあらず、たヾ猪勇を振つて突進し、遮二無二敵を殪すに腐心すべき也、彼等の目的は星にあらず、進級にあらず、たヾ相手を打倒すにあり、而して星を取り進級するは第二の事柄なり、若武者の戦場に臨むは千貫万貫の賞禄を目的とするものにあらず、花々しき一戦して、名ある武士の首級を得んが為め也、角觝道の若武者たる二段目十両の力士も此心掛なかるべからず、小錦、荒岩、梅ケ谷、常陸山等名力士の売出し時代を見よ、勝負は別問題として立合を重んじ、只偏に花々しき働きを為さんと期せり、然るに今の新進等は星の計算に頭を使ひて、八日、九日、十日頃となれば、所謂帳場相撲を取る事、一見嘔吐を催さしむ、有望力士槙ノ島と浦ノ浜との立合に、此八百長を見るに至りしは、彼等の前後思ふに付けて、転た憤慨に堪へざるものあり、槙も浦も共に新進の若武者、今よりして勘定相撲の八百長は猪口才といはずしてそも何ぞ、今日は力士よりも見物が見巧者となって、土俵ギハのジワ/\投げ、同体の丸預(づぶ)位は先様御承知の次第也、人をツケ馬鹿にすべからず


負無しとは無意味也

 力士が議論家となりて、溜の苦情が帝国議会の名論卓説よりも更に事面倒なるに至つては、木戸銭を払つて見物する好角家は、お情けで入れてもらふ傍聴人よりも一層惨めの事也、溜の苦情も程度問題也、屁理屈をこねかへして、お客様を悩ます程に、強情を張るべき理由無し、四本柱の検査役と行司との見解に依つて、夫に道理あるものとせば、いヽ加減に承服するが男ならずや、今日の土俵に近江富士と明石龍との一番、近江の上手投げを明石下手に打ち返して、充分勝利の相撲なるに、東溜の大ノ川が苦情に依て、約四十分位の時間を空費せり、当時は検査役も行司も、西の勝ち星を認めしを、大ノの強情に依つて、結局西方の星、東方負無しと極まる、そも/\負無しといふ理屈が、勝負を主眼とする相撲道に存在すべき道理か、半星を協会が持出すとなれば、東方は協会を言負かしたる事となる、相撲が議論で勝つたりとてそも何の誉かある、馬鹿もこれ程に増長すれば世話なし也、畢竟優勝旗などいふ厄介者あつて、星勘定をする為めに、無学極まる力士等が、非論理の理屈をさへ主張するなり、今日大ノの駄苦情は吾人甚だ之を憎む

http://chusha.hypernomad.net/history_1/3.html

第3回 戦前の相撲読本に記された八百長の例

 鍵富寿吉『相撲読本』(1942年、昭和17年刊)に記された八百長の例を、以下いくつか挙げておきたい。(■以下の要約文は、「閾ペディア」より引用)

江戸時代の大横綱・谷風の話。佐野山という弱い力士がいたが、家は貧乏で親孝行だと谷風は知っていた。そこで、ある年の湯島天神の相撲興行の際、わざと佐野山に負けてやった。そこで集まった投纏頭(なげはな)が600両余りで大成金になった。佐野山は感激して力士をやめて故郷大坂へ帰り、佐野屋権平という米屋を始めて成功したという。

浄瑠璃『関取千両幟』では、猪名川が鉄ヶ嶽に負ける八百長相撲をしろと強要されるが、八百長をせずに正々堂々と勝負する(その裏で猪名川の妻が自ら遊女になって賞金をこしらえていた)という話である。これは当時の実在の力士の稲川と千田川の勝負をもとに作られた架空の話である。実際には人気のあった稲川があっさり千田川に負け、稲川がわざと負けたと噂になった。

明治四十三年六月場所の十日目、東の関脇・朝潮(後の高砂浦五郎)と西の張出大関・国見山との対戦。国見山が右膝を脱臼したことに気づいた朝潮が、その隙に乗じて勝ちを取るのは潔くないと考え、国見山の体を支えていた。それに気づいた行司が「水だ」と声を掛け、一旦水入りとなった。その後取り直しとなったが、国見山も強気に出られず、ついに引き分けとなったという。

国技館の出来た翌年の明治四十三年、新進の太刀山が駒ヶ嶽とともに人気があった。二人の対戦となったとき、預かりとしようという約束で土俵に上がった。打ち合わせ通り土俵際で同時に落ちようとしたところ、太刀の体が少し早く着いてしまい、駒ヶ嶽に軍配が上がった。その後物言いの結果、太刀が半星、駒に丸星ということになった。

大正初年、大阪で東西大合併の相撲が行なわれた際、常勝将軍・太刀山が大阪の横綱・大木戸との一番に破れた。これは、太刀山がふんどしをつり上げようとしたところ、大木戸のふんどしがゆるんで肩まで持ち上がってしまった。うっかり離せば股間が出てしまうので困っていると、その隙に大木戸ががぶり寄り、寄り出しで勝ちを収めた。

大正初年ごろの大阪には小若島と小染川という花形力士がいた。ひいき客が「どちらも負かしたくない」というので、お客同士が八百長談を成立させ、両力士に伝えてどちらも負けないように八百長相撲を取れと伝えた。客が言うのでいつも分けか預かりを続けていたのだが、一般の観客もそれを喜んで満足していたという。

| 未分類 | コメント(0)

柔術プリースト 112 メンデス兄弟日本再上陸 メンデス サトシがライトスパー感覚で圧倒 3強は金持ち喧嘩せず

| 未分類 | コメント(0)

バイタル柔道DVD版

0030000000092.jpg

バイタル柔道DVD版
http://ejudoshop.shop29.makeshop.jp/shopdetail/003000000009/
※本日大量の注文があり、現在在庫切れ、入荷待ちとなっております。次回発送は12/30頃を予定しておりますので、ご了承の上注文お願いいたします。(2013/12/24)

幻の名作柔道ビデオ「バイタル柔道ビデオ版」がついにDVD化されました。

第1作「私の得意技」(投技編、固技編)
第2作「柔道指導上達法」
第3作「柔道家・岡野功 柔道にかけた情熱」

の3本を、1作品(2Disc)にまとめた決定盤です。

本物の技を作ること、無差別で通用する技を作ることにこだわった岡野功の柔道を、いまこそご堪能ください。第1作と第2作は技術指導映像、第3作は東京五輪や伝説の「日ソ対抗柔道」などの貴重な映像を豊富に使用したドキュメンタリーです。



Disc-1

第1作【私の得意技】

立技編(40分)

・相四つの場合の技の掛け方

右背負投、背負落、背負投→右小内刈
二段小外刈、大内刈、大外返 など

・ケンカ四つの場合の技の掛け方

右背負投、右小内刈、左一本背負、
二段小外刈、出足払 など

固技編(32分)

・相手が仰向けの時、足の方からの攻め方

・相手がうつ伏せの時の攻め方

・自分が仰向けで下からの攻め方 など

Disc-2

第2作【柔道指導上達法】

前編(40分)

良い柔道とは、練習方法
崩しとは、打ち込みの基本
捨て稽古の狙い、……など

後編(40分)

攻撃のための体さばき
ケンカ四つの特殊な攻め方
技をかけるチャンス
受け・防禦 など

第3作【柔道家・岡野功 ~柔道にかけた情熱~】(45分)

東京オリンピック、全日本選手権における活躍を中心に、激しい稽古やトレーニングを交えて“無差別での戦い”を追求した岡野の情熱と勝負哲学を紹介する。

| 未分類 | コメント(0)

特錬の剣道



http://rocketnews24.com/2013/07/05/345165/

【衝撃格闘動画】警察剣道の試合が怖すぎると話題
WOWOWクオカードプレゼント新規契約で「テッド」クオカード1000円分もれなくプレゼント!12月31日迄www.wowow.co.jp

Ads by Yahoo! Japan

原田たかし / 2013年7月5日
コメント33

katebaiinoka_580

剣道には「礼に始まり礼に終わる」という言葉がある。相手と激しく打ち合うことからも、特に礼儀を重んじているのだ。また、「剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である」と言われるのもその精神からだろう。

だが、そんな剣道のイメージを大きく変えてしまう試合動画がネットユーザーに大きな衝撃をあたえている。Youtubeにアップされた動画のタイトルは、その名もズバリ「勝てばいいのか」だ。

・全国警察剣道選手権大会
舞台は2012年の『全国警察剣道選手権大会』。各都道府県警察ならびに皇宮警察から選抜された選手が優勝を争う、警察官の剣道日本一を決める大会だ。ルールは時間無制限の一本勝負、レベル的には「全日本剣道選手権大会」と並ぶ国内最高クラスである。

・皇宮警察とは
ちなみに皇宮警察とは、天皇皇后両陛下や皇族各殿下の護衛、そして皇居、赤坂御用地、御用邸などの警備を専門に行う警察のこと。採用されるには狭き門を突破しなくてはならない。つまりは「警察のエリート中のエリート」といえよう。

・「ここまでやるのか!」と衝撃
そんな皇宮警察所属の選手(白の道着)の戦い方が、とにかくスゴイと話題なのだ。序盤には激しい体当たり。相手が倒れたら追撃の雨が降り注ぐ。強烈な「突き」に悶絶している相手の選手を見てしまうと、「ここまでやるのか!」と衝撃を受ける。

この動画に対し、ネットユーザーたちは様々な反応を示している。まずは、

「警察剣道こえーー」
「防具を付けた殺し合い」
「スポーツか武道か」
「剣道でも剣術でもなく殺意むき出しで突っ込んでる感じだな」
「相手にダメージを与えるための試合なのかね。異常だよ。」

などなど、つまりは「もはや剣道ではない」的な反応だ。一方、別の反応としては

「これは突き飛ばされる方が悪い。軟弱すぎる。」
「32秒のとこは微妙だけど後は普通な気がする」
「ただ、倒れた相手に対しての突き技は悪意があるな。やっちゃいけんよ。」
「突き飛ばしはまぁいいけど2段突き飛ばしはダメっすよ」

などの意見もある。また、「犯罪者を相手する警察が行う剣道は、普通の剣道とは違う。これくらいの気合いが必要ともいえる」などの意見もあった。いずれにしても、剣道のイメージが大きく変わってしまう一戦であることには間違いない。武道好きなら必見である。

| 未分類 | コメント(0)

ブラジル移民の100年より 前田光世

http://www.ndl.go.jp/brasil/column/kodekoma.html
アマゾンに闘いを挑んだ無敗のコンデ・コマ

1990年代後半に日本の格闘界でも一世を風靡した「グレイシー柔術」。
「ヴァーレ・トゥード」(ポルトガル語で「何でもあり」の意)というルールで行われた異種格闘戦での、ブラジル出身のヒクソン・グレイシーらグレイシー兄弟の活躍によって、その名は強く印象付けられた。「柔術」という言葉の古めかしい響きと、スポーツ化した現代の柔道と大きく異なった実戦的な格闘スタイル。講道館という同じルーツを持つ柔術が、ブラジルという別天地で全く異なる進化を遂げていたことは格闘ファンに大きな驚きを与えた。

その起源を辿っていくと、「コンデ・コマ」(コマ伯爵)の愛称で呼ばれた前田光世という一人の日系移民に行き当たることは、熱心な格闘ファン以外にはあまり知られていない。しかも単にグレイシー柔術の起源というだけには全く収まりきらないほどに、前田の人生のスケールは大きい。

画像『中米を行脚していた33歳頃の前田光世』
『中米を行脚していた33歳頃の前田光世』の標準画像を開く

前田は明治11年(1878)に青森県中津軽郡船沢村の裕福な農家の長男として生まれた。少年時代には既に米俵2俵を軽々持ち上げ、宮相撲などでその腕っ節を発揮していたという。明治29年(1896)に青森県尋常中学を2年で中退して家出同然で上京し、創立されたばかりの早稲田中学に編入した。そこで柔道に出会い、翌年講道館に入門する。その翌年末には無段者どうしの三本勝負で行われる月次(つきなみ)勝負で黒帯直前の兄弟子らを次々と投げ、最終的には十人抜きをやってのける。この頃から前田の名は講道館内で徐々に知られるところとなっていった。東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学した前田は、明治34年(1901)には三段まで昇段し、学習院や陸軍幼年学校などで柔道を教えるようになる。講道館内でも頭角を顕わし、嘉納治五郎から直接指導を受けた高弟が「講道館四天王」と呼ばれていたのにちなみ、その次代を担うものとして轟祥太、佐村嘉一郎とともに「講道館三羽烏」と称された。

ページ先頭へ

明治40年(1907)、講道館四天王の一人、富田常次郎が講道館から米国に派遣され(注釈1)柔道の普及活動を行うことになり、体力の最盛期を過ぎた富田の同伴者として、当時まさに勢いに乗っていた前田が選ばれた。常々「大陸に渡って馬族か海賊になりたい」と大陸雄飛の夢を語っていた前田にとって、まさに渡りに船の誘いだった。

まず二人はアメリカ東海岸から普及活動を始め、陸軍士官学校やコロンビア大学で形見せと練習試合を行い、入門者を募った。練習試合では、身長164cm、体重68kgと日本人としても大柄ではない前田を見て、楽に勝てると踏んだ大柄なフットボール選手や体操教師が挑んできたが、自慢の腰の強さと相手の力を利用した投げ技などで、これを退けていった。このような活動や、明治41年(1908)に日本が日露戦争に勝利したことによる日本ブーム・柔術ブームが起こっており、入門者の集まりも悪くはなかった。しかし、練習で投げつけられることを苦にしてか、反復の多い単調な稽古を嫌ってか、長続きするものがなかなかいなかった。また、ブームに便乗した日本人の偽柔道家たちが各地でレスラーに勝負を挑まれて無残に負け姿を晒しているのも、前田らにとって悩みの種であった。

画像『キューバにて柔道着の前田』
『キューバにて柔道着の前田』の標準画像を開く

西海岸に活動の場を移した富田と離れ、東海岸に留まった前田は、これらの問題を解決しようと、新聞に広告を出し、積極的にレスラーなどの挑戦を受けて公開勝負を行うことにした。アメリカ人に本物の柔道を見てもらい、柔道の実戦における有効性を宣伝しようと考えたのだ。初めての公開勝負は、ブッチャーボーイというプロレスラーで、182cm113kgの巨漢だったが、一本目は巴投げ、裏投げといった投げ技からのピンフォールし、二本目は腕の関節を極め、完勝した。これから始まることになる、世界を股にかけた異種格闘行脚の記念すべき第一戦であった。異種格闘のためルールは対戦ごとに変わり、柔道着の着用を相手に拒否され、半裸のレスリングスタイルで戦わなければならない時もあったが、柔道着を着用した試合では千試合負けなしだったとも伝えられている。

その後もアメリカ各地で公開試合を行って柔道の宣伝に務めたが、普及活動の結果は芳しくなく、結局アメリカに見切りをつけ、明治40年(1907)、イギリスに渡ることとなった。イギリスでは柔道の名は既に知られており、教室を開くとアメリカとは違って熱心な入門者にも恵まれた。イギリスでも同じように各地で講演会と公開勝負を行うほか、当時盛んに行われ始めていたレスリング大会にも参加した。そんな中初めてボクサーとの対戦も行い、これに勝利している。この時とった戦法は顔と鳩尾をガードしながら身を屈めて素早く突進し、相手の足をとって倒してから腕の関節を極めるというもので、ヴァーリ・トゥードにおけるグレイシー柔術の戦方の原型がここで既にできあがっていた。

ページ先頭へ

ベルギーやフランスなどでも試合を行った後、招かれてスペインに渡り、ここで「コンデ・コマ」の別名が生まれる。前田がバルセロナに入った所、日本人柔道チャンピオンを称するものが講演会を行うとの広告を見たが、それは前田も既知の人物で、とてもチャンピオンと呼べる実力の持ち主ではなかった。そこでこれを懲らしめようと、前田だと知られて逃げられないように、別名を名乗って対戦を挑むことになった。なかなかいい名前が思いつかず困り、またその頃金欠で困り、ということから「前田コマル」と最初は思いついたが、そこから「コマ」だけとってスペイン語で「伯爵」の意味である「コンデ」を先につけ、晴れて「コンデ・コマ」の誕生となった。コンデ・コマとして勝負を挑んだ前田だったが、相手もすぐに前田だと気づいてしまい、勝負からは逃げられてしまった。しかしこれに懲りたこの人物は柔道チャンピオンを名乗るのを止めたという。(世界横行柔道武者修業 / 前田光世記,薄田斬雲編 東京:博文館,1912)

画像『20代半ばで渡米した頃』
『20代半ばで渡米した頃』の標準画像を開く

次いでヨーロッパを後にして中南米に向かうことになる。キューバやメキシコでも格闘の興行は盛んに行われており、小兵の前田が大柄なレスラーを手玉にとる様に観客は熱狂し、大いに人気を博した。その後グァテマラからパナマへと中米を南下した後、南米大陸に入り太平洋岸まわりでペルー・ボリビア・チリ・アルゼンチン・ウルグアイを歴訪し、大正3年(1914)にサントス港から上陸、初めてブラジルの土を踏む。しばらく海軍兵学校で柔道を教えた後、翌年には北上して永住の地となるアマゾン河口の都市ベレンに到着する。アメリカでの活動時に排日機運を肌で感じていた前田は、中南米を転戦するうち、自然に日本人の第二の発展地を探すようになっていた。そしてアマゾンの大自然や、ベレンのヨーロッパ風の美しい街並み、現地の人々の鷹揚さなどに触れ、こここそがその地であると確信したのだった。ここから前田の人生の第二幕が始まる。

ページ先頭へ

前田が着いたころベレンはちょうど入植三百年祭の最中で、そのイベントの一つとしてアマゾン一の勇者を決めるという触れ込みでルッタ・リブレ(レスリング)の大会が行われていた。前田はこれに飛び入りで参加すると、優勝を収めてしまった。既に「コンデ・コマ」の中南米各地での活躍はこのアマゾンの地にも届いていたが、その強さと礼儀正しい立ち振る舞いを直接目にしたベレン市民は、尊敬の眼差しをもって前田を迎えた。警察や兵学校で柔道を教える傍ら、道場への入門者を募ると、地元の名士やその息子たちが続々入門してきた。スコットランド系の事業家ガスタオン・グレイシーも、後に生意気盛りの息子カーロス(注釈2)への柔道の手ほどきを前田に頼むことになる。また整体の知識を生かして訪問マッサージなども行っていたことでベレンの上流社会にも溶け込み、「プロフェッソール・コンデ・コマ」と呼ばれ日本人の顔役のような存在になっていった。

画像『「玖瑪(キューバ)の四天王」』
『「玖瑪(キューバ)の四天王」』の標準画像を開く

この間キューバやメキシコに遠征したり、ベレンでも度々公開勝負を行っていた前田だったが、齢40を越えた大正11年(1922)、格闘家としての活動に区切りをつけて、本格的にアマゾンへの入植事業に関ることにする。大正13年(1924)には腎臓の病を患って入院中、親切に看護にあたったイギリス人のデイジー・メイ・イリスと結婚し、その後セレスチという養女も迎えた。

そんな前田の動きと同調するかのように、日本側でもサンパウロ州偏重だった移民政策を見直すとともに、新たにアマゾンが有望な入植地として検討され始めた。また、アマゾンの地元パラー州側でも、未だ手付かずのアマゾン開墾の希望を日本人に託そうとしていた。その視察に外務省の嘱託員や駐ブラジル大使、鐘紡の調査団などがアマゾンを訪れると、州政府要人にも顔の利く存在となっていた前田は、積極的に案内役を買って出、アマゾンの有望性を熱心に説いてまわった。

ページ先頭へ

その後前田自身も外務省の嘱託となり、アマゾン入植のための国策の南米拓殖会社が設立されるとその現地代行会社の監査役となった。さらに上塚司らによるアマゾニア産業が設立されると、その取締役となり、州政府との交渉や入植者達の世話に奔走した。

しかしそんな前田の思いとは裏腹に、アマゾン流域での農地開墾を目指した日本人の入植の試みは難航した。アマゾンへの入植者たちをベレンに迎え、「帰ってくるなよ」と気合を入れて入植地に送り出す前田だったが、しばらくすると夢破れて帰ってくる者が後を絶たなかった。そんな時、帰ってきた入植者たちに悲しい顔で怒るそぶりはみせるのだが、結局家へ連れ帰って食事を振る舞い、ベレンの街での仕事を世話するのが常だったという。

本格的にベレンに居を定めてからの20年近くをアマゾン入植事業に捧げた前田だったが、そうこうする内に持病の腎臓病が再発し、昭和16年(1941)11月、遂にアマゾンの発展をその目にすることなく63年の生涯を閉じた。その葬儀では、ベレン市街から墓地までの道のりをベレン中の自動車が列を作って棺を見送った。結局富田とともに渡米して以来、前田が再び祖国日本の土を踏むことはなかった。ベレンで私設大使のような存在になってからは、日本の政府筋からも帰国の誘いがあったが、自らの信念であるアマゾン入植が道半ばであるからか、現地の家族を慮ってか、望郷の念に駆られつつも誘いを断り続けていたという。

ページ先頭へ

昭和5(1930)年に前田が送った私信には次のような言葉が書かれていた。
「勿論、植民は一両年にして栄華の実を結ぶものではないので、小生の死体が墓の下に朽ちて白骨となった頃、この辺に日本人前田―コンデ・コマの墓標はある筈だと、繁栄した同胞移民の手で苔の生えた小さな墓標が探し出される日があることを信ずる。その時小生の霊魂は不滅に残って自分の信念が貫徹されたことをどんなにか喜ぶ事であらう。」
日本人の持ち込んだ苗による胡椒の栽培がトメアスで成功し、アマゾンに空前のピメンタ(胡椒)景気をもたらすのは、前田が生涯を閉じてから5年あまり後のことだった。
注釈1 これ以前に四天王の一人、山下義韶がアメリカに渡り、セオドア・ルーズベルト大統領に柔道を教えるなどの活動をしている。
注釈2 前田に4年程習った後、1925年にリオデジャネイロに移り、そこで弟エリオらと共にグレイシー柔術アカデミーを興した。

ページ先頭へ
【参考文献】(<>内は当館請求記号)

薄田斬雲『日本柔道魂前田光世の世界制覇』 東京  鶴書房 1943 <YD5-H-789.2-Su82ウ>
前田光世通信、薄田斬雲編『新柔道武者修業:世界横行 第二』 東京 博文館 1912 <YD5-H-332-275>
丸島隆雄『前田光世:世界柔道武者修業』 東京 島津書房 1997 <FS37-G212>
神山典士『ライオンの夢:コンデ・コマ=前田光世伝』 東京 小学館 1997 <FS37-G204>
古谷敏恵『神秘境大アマゾンを探る』 〔東京〕 タイムス社 1929 <556-360>
山田義雄『アマゾン暮し三十年』 東京 東都書店 1958 <296.2-Y226a>
野木 將典「実践倫理 前田光世(コンデ・コマ)― 一千戦無敗の男"柔道と開拓"」(『國士舘大學武徳紀要』 (18) [2002.3] pp.1~42 <Z71-E596>)

| 未分類 | コメント(0)

どうもグレイシー柔術 ブラジリアン柔術 バーリトゥードの事を指し示しているようです

https://www.jstage.jst.go.jp/article/budo1968/16/1/16_108/_pdf
ブ・ラ ジルにおける護身術に関する一考察 - J-Stage

| 未分類 | コメント(0)

知られざる史実! 講道館柔道vs古流柔術の警視庁決戦は行われてなどいなかった! 全ては講道館の嘘だった! 日本国内で講道館柔道 高専柔道=七帝柔道 以外で生き残った柔道 警視柔道! 溝口紀子 著 性と柔 より p49~51

性と柔: 女子柔道史から問う (河出ブックス)性と柔: 女子柔道史から問う (河出ブックス)
(2013/11/12)
溝口 紀子

商品詳細を見る


現在 日本の柔道の段位は講道館によるもののみであると思われているが 実際は警視庁には講道館とは別の独自の段位制度が存在し 五段まで段位を発行している
最も警視庁武道が飛躍したのは 第五代警視総監に就任した三島通庸の時代だったといわれている
在任中は再三 武術大会を開催し武道を奨励した
有名な 姿三四郎 のモデルとなった西郷四郎も三島の前で試合をした
一八八五年一一月八日 三島は本郷の向ヶ丘にあった弥生神社にて奉納武術大会を開催した
このとき全国から知名の剣士や柔術の強豪を集め 今日の全日本選手権大会に匹敵する内容であったという
さらに翌年第二回大会が開催されたときには 三島は総監として武術大会を開催した
当時 柔術界の新興勢力としてようやく注目されはじめた講道館も参加し 柔術対講道館対決 檜舞台は警視庁という一大スペクタルであった
一方では警視庁対講道館の血の決戦というようにも伝えられていたようであるが 警視流柔術も複数の古流柔術から成り立っていたため 実際は 柔術対柔道 すなわち古流柔術対新興勢力の講道館という対戦に注目が集まったのが事実と思われる
また当時の講道館は 富士見町時代と呼ばれ 西郷四郎 富田常次郎 山下義韶 横山作次郎の講道館の俊英が活躍した
警視庁武術大会の試合については一般的に 講道館は公の最初の他流試合として参加し 以降三 四年間にわたって警視庁武術教師諸家に圧勝する実力を示した さらに 創業日なお浅き講道館は世人の予想を裏切って圧勝し ここに柔術諸流を統一したのである
講道館が圧勝し 柔術の雄戸塚楊心流も降り 豪勇をもって鳴る中村半助などの古豪も柔術界から去っていくといわれるように 講道館の優勢を伝える記述がほとんどであるが 講道館がどのように圧勝し 柔術諸流を統一したのか その経緯は明らかにされていなかった
これまで試合記録などは残っておらず実際のところは未だ不明である
しかし警視庁の 警視庁武道九十年史 によると 内務省警保局 一九〇四年七月号 警察協会雑誌 には同年六月二九日 三〇日に行われた警視庁演武大会の様子が詳細に記されている

警視庁に於いては六月二十九日 三十日の両日を試合とし 同庁内演武場に於て同庁管下全体を通ずる演武大会を催し 撃剣には皇宮警察署員 柔術には講道館員を招待したるに 両日とも非常の盛会にて警察協会東京支部より金若干員を寄贈してその壮挙を賛け 二十九日 撃剣組合せの順序は 五級上位以上を三階級区分し 三級以上甲 四級以上乙 五級以上丙 甲五組 乙四十五組 丙 六十三組とし 各勝者に賞品を授与したるに 実に二百有余に及びたり(中略)
唯憾むらくは柔道試合に於て斯の挙不成立に至りしは隔靴掻痒の嘆なきに非ざるも 時節柄士気を鼓舞するに於て頗る有益なる効果あるを認めたり〔警視庁総務部教養課 1965 47〕

ここで筆者は 柔道試合が竜頭蛇尾に不成立で終わったことを嘆いている
どうして不成立に終わってしまったのか真相は定かではないが 当時から古流柔術と講道館の対決は緊張感があるものだったことが窺える
剣道に比べると演武大会試合記述が全くみあたらなかった
一九四七年 三年の占領時下 学校柔道は禁止されたが 講道館柔道と警察柔道は禁止にならず活動を続けることができた
警察官にとって警察柔道は必修であり 一九四八年から第一回全国柔道大会が開催されている
警視流柔術は古流柔術諸流とは違い 戦前は武徳会 講道館とバランスよく関係を保ちながら独自の警視流柔術を紡いできた
さらに敗戦直後は GHQによって学校柔道が禁止されていた状況にもかかわらず 警視柔道にはお咎めがなく独自の活動を継続することができた
そして今日もその独自性を継承し 講道館とは異なる試合規定 段位制度を保持している

http://blog.livedoor.jp/masuda_toshinari-about/archives/30744842.html
怪物選手たちとの凄絶な乱取りシーンの描写


——『七帝柔道記』のなかで北海道警の特練(五輪などを目指すために全国の強豪大学から選りすぐりの選手を集めた柔道のトップ集団)への出稽古が出てきますが、あまりに凄絶で……。コンクリートの上に叩きつけられたり、立ったまま壁に押しつけられて十字絞めで落としては緩めることを何時間も続けられて絶叫するシーン……。頭突きやヒジ打ちを受けて、寝技でヒザを落とされて涙を流しながら向かっていくシーン……。完全に打撃ありの総合格闘技ですね。あんな乱取りを30年近く前に、柔道界でやっていたことが驚きでした。


増田俊也 普通の人が見たら、ただの暴力です。でも、あんな経験はあのときしかできなかった。それを「体で感じること」「魂に刻みつけること」、それが若いときにできたのは幸せだった。道警の選手たちには感謝してます。


——感謝?


増田俊也 ええ。今でも北海道警特練の選手たちには感謝しかない。地方の公立高校でちょっと柔道が強くなった気でいた僕の天狗の鼻をへし折ってくれたことに本当に感謝しかないです。あれがあったから僕は謙虚に生きられるようになったし、本当に成長できたと思うからです。だから心から当時の道警特練の選手たちに感謝しています。


——なるほど……。


増田俊也 僕はね、この作品をあらためて読み直してみて、柔道ってなんだろう、武道なのかスポーツなのかってずっと若い頃から考えてきて答が出てなかったんですけど、何となくわかってきたんです。もしかしたら武道っていうのは自分から進んでオーバーワークをやってみることなんじゃないかと。あるいは自身の想像できない場所に身を置いてみることじゃないかと。それが武道なんじゃないかと。スポーツと武道を区別する部分はそこにあるんじゃないかと。非日常に身を置くことじゃないのかと。


——たしかにあまりの練習量に苦しみながら自問自答するシーンが印象的でした。


増田俊也 乱取り本数が多すぎるでしょう。いわゆるスパーリングが。トップ柔道家やわれわれ七帝柔道の選手は普段の軽い練習時でも乱取りだけで2時間も3時間もやってます。合宿や延長練習になると4時間も5時間も6時間もやる。これって効率を完全に無視してますよね。科学的じゃない。プロボクサーや大相撲力士のスパーの量を聞いて北大柔道部員が苦笑いするシーンがあるじゃないですか。マイク・タイソンでさえ、スパーは1日3分20ラウンドくらい、1日1時間でしかない。信じられない乱取り量ですよ、柔道は。


——たしかに。


増田俊也 それをね、練習の効率とか強度の問題にしたら、たしかに科学的ではないかもしれない。でも、それが武道ではないかと。木村政彦先生も岡野功先生も量から入って質も高めようと努力していました。トップ柔道家はみな同じ問題に立ち向かうんです。そのうえでそれぞれが結論を自分で出していく。その過程が大切なんじゃないかと思いました。自分で答えを考えていくその過程こそが武道そのものの思想なんじゃないかと思いました。だからね、良いか悪いかではなく、実際にやってから考える、それが武道じゃないかと。


——なるほど……。武道とスポーツの違いはオーバーワークや極限の練習をやることによって非日常を体感・思考することだと

スポーツ柔道とコマンド柔道に分ける方法もある


増田俊也 武道必修化で柔道事故問題が問題になって、柔道の荒々しい部分、実戦的な部分、そういったものが削られていくのはちょっと心配でもあるんです。だから、サンボにコマンドサンボとスポーツサンボがあるように、柔道も分けたらいいんじゃないでしょうか。授業用のライト柔道と、競技用の柔道のふたつに。もしかしたらその上に打撃ありの総合格闘技としてのコマンド柔道も作ったほうがいいかもしれない。


——コマンド柔道ですか。


増田俊也 講道館内にその研究施設を作って。実際、全国の警察特練クラスがやっている柔道はそれに近かったですからね。彼らは逮捕術(防具を着けて打撃も許された日本拳法に近いもの。最後は制圧、逮捕を旨とする)もやってますし、後から考えると、いわゆるSAT(特殊急襲隊)に入っている選手も当時大勢いたでしょうから。隠れてそれも訓練してたんだと思うんですね。当時はSATの存在が世間に隠されてて、僕が知ったのは社会人になってから。1995年の函館空港ハイジャック事件の時です。当時は道警では機動隊銃器対策部隊で、そこに警視庁のSATが支援して道警が突入したんですが、その中にも僕と乱取りした人はたくさんいたと思いますよ。


——考えてみれば警察組織と軍隊は、世界のMMA(ミックスド・マーシャル・アーツ、日本語では総合格闘技と呼ばれる。柔道やレスリングの投技や寝技のほか空手やボクシングの打撃技も許される。ブラジルのグレイシー柔術が祖)が始まる前からそういうものを想定して訓練せざるを得なかった。


増田俊也 柔道は出稽古という制度が昔からあって、そういうものがトップ柔道家たちには日常風景になっていた。その原始的なMMAの感覚を体験できるのは、昔は柔道界にしかなかったんじゃないでしょうか。それをトップ柔道家でもない七帝柔道、北大の選手なのに体験することができた。これは本当にありがたいことです。それはね、やっぱり七帝柔道精神、「自分で天井を作らない。限界を想定しない。限界を突き破る」そういう精神で、フィジカルの圧倒的に劣る僕らがトップに立ち向かっていくからこそ体験できたんですよ。


——なるほど。

※増田さんが出稽古で体験した実戦柔道
五輪柔道とは違う異質の柔道
それは戦前から生き残った警視柔道
警察の特錬や警備部門 皇宮警察の警備 護衛が行う実戦向け警視柔道だと思われます
警察の特錬剣道も一般の剣道とは違い体当たり 足払いもフツーに訓練で行われていると聞きます
警備 SP SAT 機動隊辺りは荒っぽい軍隊のような実戦訓練の柔道 剣道 逮捕術をやっている
戦後の五輪スポーツと化した講道館柔道が失くした実戦柔道 竹刀競技と化した剣道が失くした実戦剣道
を警視柔道 特錬柔道 特錬剣道 逮捕術は現在も維持しているのでしょう
京都府警の特錬 警備の柔道は高専柔道の流れを汲んでいるという話で寝技が強いとのことです

| 未分類 | コメント(0)

2013 BULL TERRIER OPEN ミヤオ兄弟大暴れ! アマゾンら日本のトップに大量得点で圧倒し実力差を見せ付けるも一本勝ちはならず! プライドを傷つけられたパウロミヤオが怒髪天をつく!





















ちなみにパウロはドゥマウ浅草では無差別 階級別共に驚異的強さでオール一本勝ち…
ですのでなお更腹が立つのでしょうね…

| 未分類 | コメント(0)

Jiu Jitsu NERD2013年・年間最優秀試合賞 選考プレゼンテーション

| 未分類 | コメント(0)

事故処理に50兆円以上使っている国の汚染水タンクの穴を塞いでいるのはガムテープである


| 未分類 | コメント(0)

七帝柔道記がコミック化

http://blog.livedoor.jp/nhbnews/archives/52361893.html

【メディア / 書籍 /DVD 】 「七帝柔道記」(角川書店)の「ビッグコミックオリジナル」での漫画連載決定! 作画は「おかみさん」などの女性漫画家。  < 角川書店
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(新潮社)で大宅賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞した増田俊也氏の北海道大学柔道部時代の自伝的小説「七帝柔道記」(角川書店)の漫画化、連載が決まりました。

連載は新春スタート。

連載媒体は「ビッグコミックオリジナル」(小学館)。

漫画家は「おかみさん」(小学館)などの女性漫画家、一丸氏です。

「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(新潮社)の「週刊大衆」誌上での漫画連載(題名は「KIMURA」。作画は「プロレススーパースター列伝」の原田久仁信)に続き、格闘技漫画連載の大連載が並行して進みます。

「KIMURA」はすでに第0巻と第1巻が発売されていますが、第0巻プロローグ編では北海道大学出身の中井祐樹がジェラルド・ゴルドーやヒクソン・グレイシーと戦う場面が原作者増田俊也氏の視点で描かれています。

「KIMURA」では高専柔道、「七帝柔道記」では七帝柔道、格闘技の寝技の源流が描かれます。

http://big-3.jp/bigoriginal/

※しっかし週刊大衆と言いビッグコミックオリジナルといい若者が絶対に読まない系のかなり年配のオッサンしか読まない系のジジイ御用達雑誌じゃないですか…
せめてイブニングとかグランドジャンプあたりで連載して欲しかったわ…

| 未分類 | コメント(0)

サプリメントに医学効果なし プラシーボ効果 サンボラボの足立先生の説が立証


| 未分類 | コメント(0)

柔術プリースト111

| 未分類 | コメント(0)

ドゥマウ浅草 ミヤオ兄弟日本再上陸!

| 未分類 | コメント(0)

ビルクーパーが時間無制限バトルで賞金ツイスターを実行


http://cafe.quietwarriors.com/?eid=871339
ビル・クーパー、エディ・ブラボーから$200ゲット!
日曜に行われたDreamという大会。

この大会は出場費たったの30ドルで必ず3試合させてくれたりと(大会によって違います)、私の周りでも大人気の大会。毎月のように大会を開いていて、ここのところどんどん大きくなってきています。

日曜日のサブミッションオンリーの大会には、ビル・クーパーがライト級に出場したのですが、準決勝戦で試合を見ていたエディ・ブラボーがビル・クーパーに向かって「ツイスター極めたら$100やるぞ!」と叫びました。

すると、ビル・クーパーはそれから1分以内にツイスターで相手からタップを奪いました!



エディはその100ドルに更にボーナスで100ドル足して、200ドルをビルにあげたんだとか。



こういうドラマはいいですね!!

その動画です↓



ちなみにビルはこの大会、時間無制限なのに、

第一試合 ギロチン 5:53
第二試合 アームバー 5:15
第三試合 ツイスター 3:40
第四試合 アームバー 6:00

トータルの試合時間 20:48

というすごさ。

それにしてもビル、えらく外見変わったなぁ。シブいです。



試合の途中?終わったら?こんなこともしているいいパパです(笑)


(写真はすべてGrapple TVのケニーのもの)

| 未分類 | コメント(0)

大賀幹夫先生の時間無制限バトル 



実力差が拮抗して無いと時間無制限は意味を成さない事がわかりました

| 未分類 | コメント(0)

かつて木村政彦が時代で味わった 言論の自由 知る権利 表現の自由が弾圧される日本 日本は北朝鮮化 戦前の自由の無い日本に戻る恐ろしい時代に突入しようとしている

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-1375.html

【言論弾圧】特定秘密保護法案をtwitterで批判した市議に自民・公明が「反省」要求決議!
tujikoujigiinn1213.jpg
何時の間にか、日本は独裁国家になっていたようです。12月12日、埼玉県越谷市議会はツイッターで特定秘密保護法案を批判した辻浩司市議(民主党)に対して、「反省を求める決議」案を可決しました。辻氏は特定秘密保護法案の慎重審議を求めていたのですが、自民と公明は意見書の提案そのものを阻止。それについて、辻氏が「越谷市議会では、自民・公明の不当な反対で、意見書の提案そのものを阻止されました」とツイッター上で呟いた結果、自民党と公明党が激怒して今回の反省を求める決議が可決されたようです。

日本では国会議員も言論の自由は保証されているので、自民党がこのような事でわざわざ決議をしたことにビックリしました。あまりにも汚い言葉を使っていたり、酷い誹謗中傷をしていたわけでもないのに反省決議。これでは「意見を言うな」と言われたのにも等しいです。
石破幹事長がかなり滅茶苦茶な発言をしていますが、自民党の一連の動きを見ると、本気で人権と表現の自由を破壊しようとしているのが分かります。

来年には共謀罪や児童ポルノ改正案などを提出するという話もありますが、このままでは色々な意味でヤバいです。かつての保守系の自民党議員は小泉元首相のドタバタで居なくなってしまいましたし、憲法改正だけは何としても防がないと、個人の権利は完全に奪われてしまうことになるでしょう。


☆秘密法で自公批判ツイート 市議に「反省」決議 越谷市議会
URL http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013121302000122.html
引用:
埼玉県越谷市議会は十二日、辻浩司市議(38)=民主党・市民ネットワーク=に「反省を求める決議」案を賛成多数で可決した。辻氏は、特定秘密保護法案の慎重審議を求める意見書案を市議会に提出しようとしたが、「自民、公明の不当な反対で阻止された」と、短文投稿サイト「ツイッター」に投稿。激怒した自公両会派が「反省」を要求した。自公の対応に市民からは批判の声も上がった。

 辻氏は法案が衆院で可決されたのを受け、今月二日に「法案の強行採決に反対し、慎重な国会審議を求める意見書」案の提出を市議会に申し出た。自公が「法案は国会で審議中であり、緊急性はない」などと反対し、提出は見送られた。

 辻氏が三日にツイッターで自公の対応を「不当だ」と批判したため、自公は「看過できない」と十一日に辻氏の反省決議案を提出。採決は十二日午前一時過ぎにずれ込んだ。
 傍聴席で採決の結果を見守った約三十人の市民からは、自公への怒りの声が渦巻いた。
 介護士の男性(60)は「意見書案は、自公が推進した特定秘密保護法に反対するような内容だったから握りつぶされたのだろう」

 別の男性(61)は「辻さんのツイッター発言程度の発信もできないなら、言論がどんどん封殺されていく。特定秘密保護法の施行後の日本の社会を先取りしているようだ」と憤っていた。
:引用終了

☆辻こうじ ‏@koji2454
URL https://twitter.com/koji2454
引用:
越谷市議会では、自民・公明の不当な反対で、意見書の提案そのものを阻止されました。 特定秘密保護法案について、小金井市議会から慎重審議を求める意見書が出ました! http://katayamakaoru.net/?p=2130 @katayamakaoruさんから

私の会派が「特定秘密保護法の強行採決に抗議し、慎重な国会審議を求める意見書」を緊急提案したことについて「緊急性がない」との理由で自民党市民クラブ、公明党越谷市議団が議会運営委員会で反対をし提案できなかったことについて「不当な反対で阻止された」と私がツイートした件

特定秘密保護法がこれだけ広範な層の反対運動を巻き起こしているのは、国民が物が言えない暗黒社会に日本社会が突き進もうとしていることへの警戒感からだ。「私はあなたの意見に反対だ。しかしあなたが発言をする権利は私は最大限尊重する」。これが民主主義社会の基本原則ではないのか。

私のツイッター問題について今までにないたくさんの応援のメッセージをいただいています。今回の一件は、表面的には私の表現の問題ですが、やはり特定秘密保護法に象徴される強権政治の臭いを重ねて考える方が多いのだと思います。一つ一つにお返事をしお礼を述べたいところですがご容赦ください。

越谷市議会は自公に支配されていると思う方もいるかもしれないが、実態は違う。自民党市民クラブと公明党市議団を足しても過半数はいかない。しかも今回は保守系や自民党員議員からの反対もあった。可決を決定付けたのは、民主党の公認・推薦議員で構成する清流越谷の4人の賛成があったからだ。

誤解しないでいただきたいのは、一番近くで私と最後まで闘ってくれたのも、同じ会派の民主党議員だった。民主党という公党組織としての見解を市民に明らかにしてもらいたい。
:引用終了

☆特定秘密保護法の慎重審議を求めた辻こうじ市議のツイートに、越谷市議会が「反省を求める」決議
URL http://matome.naver.jp/odai/2138689069738925501
引用:
【事件概要】
● 11月26日、衆議院で特定秘密保護法が強行採決、審議は参議院へ

● 12月2日、民主党・市民ネットワーク、慎重審議を求める意見書を越谷市議会に提出
● 議会運営委員会の自民・公明の委員、「緊急性なし」と反対
● 辻こうじ市議、「なぜ緊急性がないと考えるのか」
● 自民・公明の委員、(辻市議いわく)緊急性なしを説明できず
● 委員会、全会一致を見られなかったとして提出を了承せず

● 3日(4日?)、辻こうじ市議、「不当な反対で提案を阻止された」とツイート
● 5日、自民・公明の委員、「不当」「阻止」は不適切ではと指摘

● 11日、自民・公明の市議団、辻こうじ市議に「反省を求める」決議案を提出
● 12日深夜1時すぎ、紛糾の末、「反省を求める」決議案可決
:引用終了

| 未分類 | コメント(0)

ゴング格闘技 クロングレイシー ヒクソングレイシー が泣いた

| 未分類 | コメント(0)

福島第一原発事故の処理には、なんと国家予算を超える54兆円かかるという試算が出ている それがすべて国民負担になることは必至 原子力マフィア国家日本の棄民政策

週刊 ダイヤモンド 2013年 12/21号 [雑誌]週刊 ダイヤモンド 2013年 12/21号 [雑誌]
(2013/12/16)
不明

商品詳細を見る


http://hibi-zakkan.net/archives/34908242.html

【広瀬隆さんより】重要! 週刊ダイヤモンドのお知らせです

カテゴリ:広瀬隆原発・電力


週刊 ダイヤモンド 2013年 12/21号 [雑誌]

全国のみなさま  広瀬隆です

 明日12月16日発売の12月21日号、週刊ダイヤモンドは、東電の大特集です。

 一昨年の事故直後にかなり議論されていたことが、現在ではまったくテレビと新聞に出なくなったが、

 
福島第一原発事故の処理には、なんと

国家予算を超える

54兆円

かかるという試算が出ている。それがすべて

国民負担になる

ことは必至だ。この金を 国民が支払え、というのが日本政府の方針だ。

 いや、読んでいると、これが原発の宿命だという結論が、誰の頭にも浮かぶ。日本人の経済は断崖絶壁にある。

 特に、この38頁~48頁に、すさまじい事故処理のおそろしい現実が列記されている。文中に「困難」や「課題」と書かれているのは、ほとんど 「不可能」という意味である。

 これでも懲りずに、原発再稼働を唱える電力会社の幹部と、日本政府、経産省は、完全に頭のおかしな、狂った集団だということが、子供でも分る。

 ろくでもない連中が、この大特集の前後に山のように登場しているが、そのゴミ人間はどうでもよい。


 この重大事を議論しない国会議員は、即刻辞任だ。議員の資格はない。

 政治生命が終ったのは、自民党・公明党と、「みんなの党」渡辺喜美だけではない。

 クズを集めた国会が、日本人に必要なのか・・・



売り切れ必至です。お早目に

| 未分類 | コメント(0)

ヒーロングレイシーのVine動画 10





| 未分類 | コメント(0)

ヒーロングレイシーのVine動画 9









| 未分類 | コメント(0)

ヒーロングレイシーのVine動画 8









| 未分類 | コメント(0)

小坂光之介先生の自主制作映像 クエストのとはまた違います



http://bjjplus2013.blogspot.jp/2013/12/blog-post_17.html
高専柔道動画【小坂光之介 寝技の基本】



増田俊也氏の「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(新潮社刊)、「七帝柔道記」(角川書店刊)で改めて柔術家を熱く注目させる“高専柔道”。七帝時代の映像はなかなか残されていませんでしたが、昨日以下のような動画がネット上で話題にあがりました。

高専柔道 小坂光之介 寝技の基本

小坂光之介氏と言えば、名古屋大学柔道部の元師範で、30年以上、高専柔道の寝技を知る数少ない指導者として数多の名選手を輩出しました。あの井上靖の自伝的小説「北の海」の登場人物のモデルにもなった人物です。そんな小坂氏の技術紹介映像です。



76分に及ぶ映像で、高専柔道の寝技基本を事細かく紹介しています。スイープなど英語を一切挟まず、動作の一つ一つを全て丁寧に、全て日本語で解説して非常に解りやすい。技紹介なのに三角でも形に入るだけではなく、しっかり極めている印象があり、この時代の選手たちは競技ではなく、“武道”として学んでいたのが伝わってきます。

現在の柔術でも活かせる技術が多いので、是非柔術家の皆さんに観てほしい動画です。

※youtube動画は消える場合がございます。ご了承ください。

| 未分類 | コメント(0)

ヒーロングレイシーのVine動画 7









| 未分類 | コメント(0)

ヒーロングレイシーのVine動画 6









| 未分類 | コメント(0)