サムラングフォードと並ぶヘビー級ボクシング 無冠の帝王サムマクベイが柔術家と他流試合




http://www.bloodyelbow.com/2013/2/18/3993346/martial-chronicles-sam-mcvea-MMA-Australia-Ju-Jitsu-Boxing

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柔術の闇 ロイド・アーヴィン事件 これまでの流れ その1










































































































































































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柔術の闇 ロイド・アーヴィン事件








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柔術の闇 ロイドアーヴィン事件 証拠映像があるにも関わらず強姦魔の一人に無罪判決!

http://cafe.quietwarriors.com/?eid=871322
柔術ニュースいろいろ その2

●今年の初めに柔術界を震撼させたチーム・ロイド・アーヴィンのレイプ事件。チームメイトの女性をレイプしたとのことで逮捕され、その後ロイド自身の過去のレイプ事件まで明るみになったり、現在継続中的なロイドのあらゆることが明るみになって離脱者続出、、、というあれですが、そのチーム・ロイド・アーヴィンのレイプ事件で告訴されていたニコラス・シュルツとMatthew Maldonado(マシュー・マルドネード?発音わかりません)のうち、Matthew Maldonadoの無罪が確定しました! 陪審員により完全無罪という判決になったそうです。うそーーーー!? (ニコラス・シュルツのほうはまだ判決が出ていないそうです)

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軍国主義で戦争まっしぐら!  日本の自由と平和と民主主義が死ぬ時

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http://hibi-zakkan.net/archives/33464138.html
【広瀬隆さんより】緊急!! 特定秘密保護法案を閣議決定

カテゴリ:広瀬隆秘密保護法

全国のみなさま  広瀬隆です
添付ファイルをご覧ください。そして下記のサイトをご覧ください。

山本太郎が解説する・・・特定秘密保護法案・国家安全保障会議・通信傍受法/愛知弁護士会の矢崎暁子さんに訊く。

日本版「国家安全保障会議(NSC)」創設法案とセット

http://taro-file.net/archives/385847.html 

以下、傑作です(管理人より)

恐ろしいですなぁ~。。。

憲法改悪
秘密保護法
NSC法案

そして

武器輸出三原則、見直しへ 初の国家安保戦略原案に明記
2013年10月22日05時00分

安倍政権は21日、「安全保障と防衛力に関する懇談会」(座長・北岡伸一国際大学長)を開き、外交・安保政策の指針となる初の国家安全保障戦略(NSS)の原案をまとめた。「国際協調主義に基づく積極的平和主義」を基本理念に、武器輸出三原則の見直しを打ち出した。政権は今後、与党の意見も聴き、NSSに基づいて作られる新防衛大綱とともに12月に閣議決定する方針。 
http://www.asahi.com/articles/TKY201310210589.html 

武器もバンバン作って、輸出もして、これまた

軍国主義で戦争まっしぐら!

(´; ω ;`) 

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グレイシー一族と柔術が日本でメジャーになるきっかけ 新宿京王プラザホテルにて

http://tsuda.ru/tsudamag/2012/09/811/

町山:ないですね。でも今も彼のことは尊敬していますよ。岩上さんとのエピソードで最も印象的なのは、やはり角川春樹を追っていた時のことです。ある日、岩上さんに「町山、作家の夢枕獏さん好き?」って訊かれたんですよ。好きですと答えたら、今から会わせてくれると言う。その時、夢枕さんが新宿の京王プラザホテルで缶詰になって原稿を書いていたらしく、これからそこへ行くと言うんですよ。喜んで連れていってもらうと、ホテルの部屋にいたのは夢枕さんだけではなく、マンガ『グラップラー刃牙(バキ)』の連載が始まったばかりだったマンガ家の板垣恵介さん [*49]、パチンコマンガが大ヒットした谷村ひとしさんもいて、夢のようなメンツが揃っているわけです。

津田:ずいぶん濃い顔ぶれですね……。そのメンバーで何して遊ぶんですか(笑)。

町山:みんなでビデオを観るって言うんですよ。ブラジルから格闘技のビデオが届いて、ブラジリアン柔術の中のグレイシー柔術というのがめちゃくちゃ強いらしいと。アメリカの「アルティメット」[*50] という格闘技選手権でもグレイシー柔術がダントツで強いらしいんだけど、よくわからないから観てみようよ、なんて言って楽しそうにしているんです。

津田:ヒクソン・グレイシー [*51] たちが話題になる前の話ですよね。

町山:日本ではまだ誰もグレイシーファミリーなんて知らなかった時代です。それでビデオを観たんだけれど、何が起こっているのかよくわからないんですよ。素人撮りのカメラで画質も粗いから。選手が揉み合ってて、明らかに上からマウントしているほうが突然タップアウト——ギブアップするんですよ。実際は、責められているように見えたほうが下から締めていたんでしょうね。でも、誰もポルトガル語がわからないし、その場では「よくわからないけどそんなに強くないんじゃないの?」という意見で一致しました。その後、夢枕さんは市原海樹という選手を自費でアルティメットに送り出すことになるんだよね。

津田:それにしても何と言うか……すごい現場に立ち合っていますね……。

町山:でしょ? だって板垣恵介が一緒にいたんだよ? 『グラップラー刃牙』だよ? だから僕、そこに連れていってくれた岩上さんを尊敬してるの(笑)。

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最強伝説 ヒクソン・グレイシー

最強伝説 ヒクソン・グレイシー最強伝説 ヒクソン・グレイシー
(2013/11/05)
不明

商品詳細を見る

http://www.yosensha.co.jp/book/b146109.html
最強伝説 ヒクソン・グレイシー これから出る本

最強伝説 ヒクソン・グレイシー

決戦直前にヒクソンが山に籠もった本当の理由とは? 400戦以上勝ち続けられた理由とは?

ジャンル
ムック

シリーズ
スポーツ

出版年月日
2013/11/05

ISBN
9784800302649

判型・ページ数
A4変

定価
本体1,500円+税

ネット書店を選択

選択して下さい

内容紹介
目次

LA発! 独占インタビュー240分!
ヒクソン・グレイシー
「私が勝ち続けられた理由
そのすべてを話そう!」

歴史を変えた衝撃の闘い!
『PRIDE.1』(1997年10月11日・東京ドーム)
ヒクソン・グレイシーvs髙田延彦

メディアは、『PRIDE.1』ヒクソン×髙田戦をどう報じていたか…
ヒクソンの勝利で歴史が変わった
「プロレス時代」終焉…「総合格闘技時代」へ

365日ぶりの再戦…「最強伝説」を不動のものに
『PRIDE.4』(1998年10月11日・東京ドーム)
ヒクソン・グレイシーvs髙田延彦

ヒクソン・グレイシーと闘った男の「決戦直前」と「その後」…①
髙田延彦
「負けて悔しい。でも、とても充実した時間を過ごせた」

ヒクソン、最後の闘い!
決死の船木を絞め落とす
『コロシアム2000』(2000年5月26日・東京ドーム)
ヒクソン・グレイシーvs船木誠勝

ヒクソン・グレイシーと闘った男の「決戦直前」と「その後」…②
船木誠勝
闘いに敗れ会見場に向かう時、
笑みを浮かべていた。そして、衝撃の引退発表!


INTERVIEW
クロン・グレイシー
「私が父・ヒクソンから教えられたこと」

INTERVIEW
渡辺孝真(アクシス柔術アカデミー代表)
「ヒクソン先生から“本当の強さ”を教えてもらった」

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柔術魂のWEBサイトOpen

http://jiujitsu.mods.jp/box/

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ボクシングの見切り 剣の見切り が出来る達人 世界王者は動体視力が優れているわけでもなく反射神経が優れているわけでもない 空間認識能力が常人よりも遥かにずば抜けている 柔術家はこの能力を高めるべし!



http://matome.naver.jp/odai/2138043401762960601

物事の本質をとらえるチカラ"空間認識能力"を鍛えよう!

この空間認識能力が優れた人は、IQも高い傾向にあるそうです。意識する事で高められる能力ですので、一度試してみてはいかがでしょうか。

更新日: 2013年09月30日

[ppp_comさん] ppp_comさん

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空間認識能力...?

GettyImages Photo by Stockbyte / Stockbyte

空間認識能力...?

"物体の位置・方向・姿勢・大きさ・形状・間隔など、物体が三次元空間に占めている状態や関係を、すばやく正確に把握、認識する能力のこと"

出典空間認識能力とは - Weblio辞書

空間把握能力ともいわれます

"空間認識能力は、視覚・聴覚などの協力で成立し、主に右脳によってコントロールされている"

出典空間認識(認知)能力 カウンセリング 発達障害・大阪・神戸・京都・奈良・滋賀・和歌山・兵庫 ミュゼ

■この能力に長けている人の特徴

なんだかカッコいい能力

GettyImages Photo by Chad Baker / Photodisc

なんだかカッコいい能力

"スポーツや芸術の分野で天才と呼ばれている人は、とりわけこの空間認知能が発達している"

出典2ページ目|第2回 リーダー力アップのための3つのポイント|脳医学者 林成之の「逆境を打破する勝負脳講座」|株式会社日立ソリューションズ

ビジネスの分野でもそれは同じです。
優れた経営者や管理職などは、比較的この能力が高い傾向にあります。

"空間認識力の優れた人は,ものごとの全体像をぱっと把握し,本質を見抜くことに長けています"

出典6. 使えるアイデアを発想するのに欠かせない“空間認識力”

いろいろな情報が,瞬間的に組み合わされ,組み立てられ,形になってしまうのでしょう。

"地図を見てパッと地形を認識してその地形の状況を把握する能力もこれに当たります"

出典川上コーチの少年野球コーチング・空間認識

逆にこの能力が足りない場合、方向音痴になりがち

"一般的に男性のほうが空間把握能力が高く、方向音痴の人間は空間把握能力が低い"

出典空間把握能力

大昔から男性は、家族を守るために、外敵の位置を把握するために空間認識力を必要としてきた、といわれています。

■スポーツで分かる、空間認識能力

位置関係を瞬時に認識

GettyImages Photo by Stockbyte / Stockbyte

位置関係を瞬時に認識

"サッカーなどで、回りの選手を良く見て、決定的なパスを出す"

出典空間認識力を磨く 記憶力!集中力!脳を鍛える脳トレ情報!!

ビッチを上空から見ているようにプレイをするといいますが、これには高い空間認識能力が要求されます。中田英寿選手などは、非常に優れた空間認識能力を持っていると言われています。

"バッターがフライを打ち、あなたの方に打球が飛んできました。"

出典空間認知力と脳の関係について【空間認知力の機能と仕組み】

空間認知力が優れていれば、打球の動線を予測し、落下点にすばやく行くことができます。しかし、空間認知力が劣っていると、前進しすぎてボールが後ろに行ってしまい、慌てて取りに行く羽目になります。後ろすぎることもあるでしょうし、まったく的外れな場所に立っていることもあるでしょう。

■この能力が求められる職業

是非活かしたいですね

GettyImages Photo by David De Lossy / Digital Vision

是非活かしたいですね

"空間能力・論理性を発揮する仕事
スポーツ選手・エンジニア・建築家・会計士など"

出典一目瞭然!男女の違い | 文明への灯~豊かさへの道標 - 楽天ブログ

"ICは建築の一部を担う仕事なので、収まりも考慮することから図面からの空間把握能力は必須"

出典インテリアコーディネーターの仕事の本音|インテリアコーディネーター 給料・年収・転職・就職・独立情報

IC = インテリアコーディネーター

"パイロットなどの職業に圧倒的に男性が多いのも、空間認識力の違いがあるためと言われています。"

出典男女の性質が違うのはなぜか | 人生を賢く生きる知恵

■空間認識能力は鍛えられます

レッツトレーニング!

GettyImages Photo by Jupiterimages / Brand X Pictures

レッツトレーニング!

"空間認識能力は目を開けている状態よりも閉じている状態の方が活発に稼働する"

出典空間認識能力とLD・ADHD カウンセリング 大阪・神戸・兵庫・奈良 山手心理

目の前に置いてある物を取るなどの日常の中で何気なく行なっている作業を、両目を閉じて直観を働かせて行なうだけで、空間認識能力は鍛えられるようです。

"姿勢が正しく保たれていないと、身体のバランスが崩れてしまい、空間認知能は働きにくくなる"

出典「空間認知能」を鍛えよう!! 前半 - hakuunの未来ノート

正しい姿勢、水平な目線を維持すると、物事を正確に理解したり、身体をコントロールしたりすることがしやすくなる。

"正多面体を展開して位置関係を当てる"

出典お手軽!方向音痴を治すトレーニング(ナナピ) - エキサイトニュース(1/2)

頭の中で想像してみましょう

出典www.kantokushi.or.jp

頭の中で想像してみましょう

"毎日の通勤経路をいくつか用意し、日によって変えると、知らず知らずのうちに空間認識能力が鍛えられる"

出典安蒜会計事務所・・・経営にも役に立つイメージ思考

知らない場所に行く場合、あらかじめ地図を見てイメージをつくっておき、実際にはイメージを手掛かりに目的地をめざします。カーナビなど便利な道具が普及していますが、脳の空間認識能力は衰えていきます。

"部屋の片づけをする"

出典運動神経の鍛え方|スポーツメンタルの知識

片付けは、決められたスペースを効率良く使わないと、上手く部屋が片付きません。
上手く片付ける工夫は空間認知能力を働かせてくれます。
ちなみに、引越し屋さんのバイトなんかも空間認知能力が鍛えられます。

無料でプチ脳トレ☆誰でもカンタン☆1分の~とれ勝負!

http://noutore1minute.blog82.fc2.com/blog-category-4.html

誰でも気軽に、カンタンにできる無料のプチ脳トレゲーム。面倒な登録やインストールは一切不要!脳年齢診断もできます!

方角を認識する事で、空間認識能力を確認できます。

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柔術プリースト104

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68年前のブラジルの勝ち組と負け組と現代日本の勝ち組と負け組

http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/4e85422ad5ae40a75c567257859148c9
日本政府が決めた危険ライン年間被曝量1ミリシーベルト以上の地域

2013年10月23日 | 政治





『チェルノブイリ原発事故の避難基準は年間1ミリシーベルト』

2011年3月11日以前に環境省が決めた、年間被曝線量の最大限界の数値は1msv以下である。
日本政府の被曝基準の根拠は、チェルノブイリ原発事故の発生で人権侵害や住民保護で数々の問題点があった旧ソ連でも、放射能汚染では5ミリシーベルト以上の地域では住民全員の強制疎開で、汚染レベルが5ミリ以下1ミリシーベルト以上では避難したい人には全面支援したことに由来している。
1msvの年間被曝線量は厳しい基準ではなくて、『例外なく、これだけは守る必要がある』最低限の目安(最大限界の数値)である。
記事上↑に掲げた黄色のエリアは、2013年5月末にテレビ東京が放送した年間被曝線量1msvを超えた危険地域であり、地図では東北から北関東にかけての日本列島が広く汚染している。
2011年末の野田佳彦政権の収束宣言は嘘八百で、今でも福島第一原発事故が少しも収束していない。
青森県以北の北日本、愛知県岐阜県富山県以西の西日本を除く、東京都を含む日本の人口で40%、面積では3分の1の地域が今でもメルトダウンした福島第一原発から放出される放射性汚染物質粒子の降下物によって日本が日々汚染している。(近頃マスコミで流行る汚染水ですが、多分もっと悪い情報の擬装工作の煙幕であろう)
被曝上限の1msvとは、健康人が浴びても影響がないと科学的に証明された数値(閾値)ではない。
1msv以上の被曝者には日本でも68年前のヒロシマ・ナガサキでは被曝手帳が交付されて今でも健康診断や医療費が全額国庫負担で無料にしている。
ところが、ヒロシマと被曝量が同じでもフクシマでは全額個人負担とは無茶苦茶。ダブルスタンダードの極みであり。

『付け火して煙よろこぶ田舎もの』

NHKの朝ドラ『あまちゃん』が終了してロスあま現象が起きているとマスコミが報道しているのですが・・・
私としては俗悪な勘違い番組が『やっと終わってくれた』と心底ほっとして喜んでいるので、ロスあま現象など到底信じられない話ですが、何と共産党機関紙の赤旗でも好意的に取り上げている。
都会で落ちこぼれた若い女性が一度は捨てた故郷に帰り海女になって人生を見つめなおすとの、あの脳短気なお気楽番組の、いったい何が良かったのでしょうか。さっぱり分からない。
大嘘に程がある偽善か、『放射能は安全・安心、心配ない』の極悪プロパガンダである。
NHK朝ドラの舞台である岩手県の一部地域にも年間被曝線量1msv超えの危険地帯が広がっている。
見て腹が立つことはあっても、その逆の感動はゼロ。
そもそも都会より田舎が良いなら今のように過疎になりません。
田舎が住み辛いので若者が全員住み慣れた故郷を捨てて都会行くから、日本中で過疎が進行しているのです。
ところが都会人の半分は田舎暮らしに憧れていて『何時かは自分も都会を出て自然が豊かで人情が篤い田舎に住みたい』と思っているのです。
無いものねだりですね。
民放で『人生の楽園』なる番組があり中高年の都会人が一念発起して、突然田舎暮らしを始める話を美談仕立てで放送する。
もう、話が無茶苦茶。
離島とか山奥で中高年のサラリーマンが農業やレストランで経営が成り立つなど妄想かゆめ物語。
私の連れ合いは農家出身なのですが田舎暮らしが嫌で都会に出てきたので、実家の近くに家を買って将来は田舎に帰る話をしたらテレビ番組とは大違いで、一言『あなた、自分ひとりで住みなさい』といわれました。私の方の実家では無いのですよ。
経験者なので田舎暮らしの濃密過ぎる人間関係の鬱陶しさを見に染みて知っているのです。

『ブラジルの勝ち組と負け組』

68年前、日本は連合国軍に無条件降服する。
ところがブラジルの日本人移民の中では、日本敗北の事実を認めない『勝ち組』と、現実を認める『負け組』に分かれて争った、何とも不思議で悲惨な日本人同士の内紛(テロ)が行われるのです。
1945年に日本はポツダム宣言受諾で無条件降伏したのですが、その後でも以前と同じに『神国不敗神話』を信じていた、日本の敗北を認めない狂信的な理解不能の困った人々はいたのです。
今の我々から見れば狂気としか思えないブラジルの『勝ち組』ですが、今の日本では68年前より悲惨である。
いま日本全体が福島第一原発事故の放射能汚染を認めない『勝ち組』と、放射能被害の現実を認める少数派の『負け組』に分かれて醜く争っているが、悲劇と言うよりも最早究極の喜劇ですね。
圧倒的な多数派の『勝ち組』が幾ら全員で口を揃えて現実を無視しても、福島第一原発事故の目の前の悲惨な事実は少しも変わらないのです。

『日本人全員を「勘違い」に誘導する小泉純一郎』

現在の病的な右傾化現象も、日本経済の根本的凋落も10年前の小泉純一郎首相の責任は大きい。
マスコミが大きく取上げる小泉純一朗の反原発ですが何時もの小泉マジック(ペテン)です。詐欺的な手品で腹立たしい限りである。
100万キロワット級原発が1日稼動するだけで広島型原爆で数発分(年間では千発分)の死の灰が貯まり続けるが、我が日本国は半世紀も原子力発電を続けているので、原子炉建屋内の使用済み燃料プールは満杯状態。
福島第一原発のメルトダウンが起きていなくても日本中が核のゴミで溢れて将来の破綻は目に見えている。
現実問題として稼動したくても出来無くなるのです。
この事実は原子力ムラの全員が熟知しているのですが、日本国の原発の基本構造が破滅している事実は、誰も口に出すのが不都合なので黙っているだけ。
今回小泉純一郎が喋ったのは、大人が全員知っている『王さまが素っ裸』を、頑是無い子供が口に出したアンデルセン童話程度のレベルですよ。そもそもが馬鹿馬鹿しい神話の類である。
日本経済の土台を破壊した詐欺師の小泉ですが、日本の10万年先を心配してみせる。
ところが今の日本国の最大最高の大問題である、目の前の福島第一原発の放射能汚染に対しては、一言も口に出さない徹底振り。
基本的に悪党のペテンか、詐欺師の手品の類である。
時事通信によると、『脱原発、小泉氏との連携期待』と題して、共産党の志位委員長が、『理が通っている。私たちとも接点はある。原発ゼロの一点でどんな立場の人とも大いに協力を図っていく』と述べ、脱原発に絞っての連携に期待を示したらしいが支離滅裂。この愚か者が。
(反原発で小泉純一朗と組めるなら、その前に小沢一郎とも組める筈)

『大手マスコミの悪どい手品(ペテン)』

『小泉元首相にはさらにプレーして欲しい』とマスコミは好意的に報道している。
山本太郎とか小沢一郎、みのもんたは目の前の差し迫った福島第一原発のことを問題としているのでバッシングに合うか、マスコミに完全無視されるのです。(最高度のタブーに抵触するから叩かれる)
遥か先を心配する小泉の反原発とは似ているようで、まったく本質部分が別物。少しも似ていないのです。小泉は安全パイだから絶対に叩かれない。
10万年先を心配する小泉発言は少しも危険でない。
小泉の反原発は絶対安全なので大喜びで日本のマスコミのワイドショウが大騒ぎ。日本ばかりかニューヨーク・タイムズの社説でも取上げる。
ところが、山本太郎や小沢一郎、みのもんたは今現在の福島第一原発の一刻も猶予が許されない放射能汚染を問題としている。
大手マスメディアは福島第一原発事故の放射能汚染は危なすぎるので一切無視なのです。
本来なら全員避難させる必要がある放射能高濃度汚染地帯に、今でも数百万人もの日本人が取り残されているのに全員で『知らぬ存ぜぬ』と見て見ぬふりをしている無責任。
無条件降伏の完全な負け戦なのに、未だに『日本へ負けていない』『日本は勝っている』と主張する狂信的な『勝ち組』が政府やマスメディアを牛耳って出鱈目を言い続けているのであるが、到底正気とは思えない。
いくら全員で、徹底的に不都合を隠しても今後の小児甲状腺がんの爆発的発症は止められない。
隠して隠せるなら意味があるが、次から次ぎへと『日本』はどんどん悪くなる。
10万年先ではなくて数ヶ月先か数年先か程度の、ほんの少し早いか遅いかの違いなのです。ごく近い将来に『悲惨な日本の敗北』の真実は全てが必ず明らかになる。
いまの日本全体で必死になって行っている擬装工作は根本的に、まったく意味が無いのである。

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adcc2013 無差別級決勝サイボーグvsブシェシャは前科のあるブシェシャがまたもやフレンドリー八百長に手を染める クロングレイシーはオール一本勝ちで優勝

無差別級決勝 サイボーグvsブシェシャ

これが問題の八百長試合



































































クロングレイシー
ノーギデビュー戦で極める事の出来なかったアンディウォンに一本勝ちし
北岡悟を問題にせずに一本勝ちしたヘンゾ門下生ゲイリートーナンやJTトーレス相手にも一本勝ち 
決勝では相性が抜群に良い柔術現役黒帯世界ムンジアル王者オタービオソウザにも一本勝ち
全試合一本勝ち!

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医者に殺されない47の心得 医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法

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多くの著名な 格闘家 プロレスラー 武道家 が病気で晩年寝たきりになって苦しみぬいてボロボロになって亡くなっています
果たして日本の医学の常識は正しいのか?
戦後731部隊の生き残りがトップに座った日本の医学の常識は欧米のそれとはハッキリ言って違います
医療マフィアに殺されない為にこの書を読む事を是非お勧めします
そして定期健診やガン検診など絶対に受けない事をお勧めします

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関東全域で子供が白血病の前段階に!   好中球減少

http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/265578c71d5a5dfa67bb46f3aeb74c78
関東全域の子どもの白血球中の「好中球」割合が、明らかに減少へ●「好中球」減少は「白血病 前段階」

2013-10-22 12:50:24 | 放射能汚染



関東全域の子どもの白血球中の「好中球」割合が、明らかに減少へ

「好中球」の減少って、簡単に言うと「白血病 前段階」

371. 2013年10月20日 16:40:08 : MVEswqjBG2

●「好中球」の減少って、簡単に言うと「白血病 前段階」なんですね!
知ってました?

======================================

●東京・小平市の三田医院の三田茂院長に聞く
● 関東全域の子どもの白血球中の「好中球」割合が、明らかに減少へ(ママレボ編集長通信)
●Finance GreenWatch » 13 原発 » 東京・小平市の三田医院の三田茂院長に聞く
10月 20th, 2013 | http://financegreenwatch.org/jp/?p=37341
原発事故以降、おもに首都圏の大人や子ども合わせて、のべ1,500人の血液検査や甲状腺エコー検査を行ってきた三田医院(東京都小平市)。事故から2年半経過しようとしている今、三田医院の三田茂院長に、血液検査の結果から見えてきたことをお聞きしました。

◇放射線の影響がわかる「白血球分画」という検査

Q 三田医院で行っている検査について、詳しく教えてください。
三田;当医院では、2011年10月ごろから、「白血球分画(はっけっきゅうぶんかく)」を含む血液検査と、甲状腺エコー検査を実施してきました。
 白血球は、5種類の球(好中球、好酸球、好塩基球、単球、リンパ球)からできているのですが、その5種類の割合を調べるための検査を「白血球分画」と言います。

★ 放射線をたくさん浴びる仕事に携わっている人は、毎年「電離放射線健康診断」という検診を受けなければならないのですが、その電離放射線健康診断の項目の中心が「白血球分画」です。
 今、甲状腺エコー検査のことばかりクローズアップされていますが、放射線の影響を調べるためには、むしろこの「白血球分画」の検査をする必要があると思っています。

Qつまり「白血球分画」を調べることで、人体が受けた放射線の影響がわかるということでしょうか。
三田;ええ。血液は「骨髄」で作られていますが、骨髄は放射線の影響を受けやすい臓器のひとつです。そのため、放射線の影響を強く受けると、骨髄で作られる血球の質や、割合に変化が生じるのです。
 白血球分画の値は、体にちょっとした炎症があっても変動しやすいので、当院ではあらかじめ炎症反応がないか肝機能の状態は正常か、といったことを調べ、状態が良くない場合は回復してから再検査してもらうことにしています。
 同じ地域で数百人、数千人の白血球分画を調べることによって、その地域の傾向がわかります。つまり、数値の平均が良くないエリアは、「ここには住み続けないほうが良い」といった行動の指針にできる結果が得られるのではないでしょうか。
 ちなみに、今、福島県で実施されている福島県民健康管理調査の中でも、原発事故当時、政府が定めた避難区域等に居住していた住民に対してのみ、この「白血球分画」の検査が行われています。しかし本来は、福島県はもちろん北関東や首都圏の住民まで、「白血球分画」の検査をすべきだと思います。

◇「好中球」の値が平均値を下回っている

Q 子どもたちの「白血球分画」の数値に変化が起きているそうですね。
三田;はい。当院に検査に訪れる子どもは、ほとんどが東京や千葉、神奈川、埼玉、北関東などのエリアに住んでいますが、これらの子どもの白血球中の「好中球」の割合が、明らかに減少してきています。
 医者の一般的な教科書である「小児・思春期診療最新マニュアル」(日本医師会編)には、小学生の「好中球」の基準値は、3000~5000と記されています。つまり、3000が基準値の下限値なのですが、事故以降、当院に検査しにやってくる小学生の平均値は2500にまで下がってきているのです。4000くらいの値の子どもが最も多いのが正常なのですが、分布図を見てみると、ピーク値が全体的にずれてきているのです。(イメージ図参照)
 繰り返しますが、「好中球」の値は、「小児・思春期診療最新マニュアル」に記されているように、健康な小学生なら3000~5000であることが望ましいのです。 しかし、当院に検査に来る子どもたちの平均値は、下限値の3000を切って2500まで下がってしまいました。これは、非常に問題ではないかと思います。

Q 白血球に占める「好中球」の割合が減少することで、どんな弊害が生まれるのでしょうか。
三田;よく、「好中球」の減少=免疫力の低下、と考える人がいるのですが、そうではありません。「好中球」というのは、通常、白血球全体の約60%を占めており、体内に侵入した細菌やカビなどを内部に取り込んで殺菌する働きをしています。「好中球」は、いわば免疫の中の「最後のとりで」であり、その前段階でいくつも菌などを抑える働きをしているシステムがあるのです。だから、「好中球」が減ったからといって風邪をひきやすくなるとか、感染症にかかりやすくなるといったわけではないのです。  ただ、「好中球」の値があまりに低いと、風邪をひいて万が一こじらせたときに敗血症になったりと、命取りになりかねないので注意が必要なのです。
・・・ また、数値の異変だけでなく身体的な異変もあります。
 2011年の夏は目が充血して真っ赤になっている子どもが多かった。一番多いのは、目の下にクマがある子ども。副鼻腔炎などもふえました。副鼻腔炎は、以前は治療すればすぐに治っていたのですが、軽いぜんそくを伴うような副鼻腔炎が長引くケースがふえています。そういう子どもでも、西のほうで保養するとよくなっています。

◇できれば、東日本から移住してほしい

Q 「好中球」の値が下がるということは、放射能汚染の影響なんでしょうか。
三田;東京でも福島原発由来の放射性物質は飛散してきましたし、汚染されたゴミが大量に燃やされていますから、呼吸によって空気中に含まれている放射性物質を取り込んでいる可能性は否定できないと思っています。何度も言いますが、原発事故以降、大量の放射性物質が放出されたわけですから、医者は、それまでとは違う症状がふえた場合「まず放射線の影響を考えてみる」というのが本来あるべき姿勢だと思います。

Q 「好中球」の値が低かった場合、どうすればいいのでしょうか。
三田;当院で検査する子どもの数値を見ている限り、たとえ「好中球」の値が低くても、西の方面へ最低でも2週間以上保養に出れば、多くの場合、数値は回復する傾向が見られます。
・・・ しかし本当は、できれば東日本から移住していただきたい、と私自身は思っています。
 それは子どもだけでなく、大人にとっても同じです。

Q 大人の「数値」にも異変が起きているということでしょうか?
三田;大人の場合、血液検査の数値に目立った変化が生じているわけではありませんが、日々診療するなかで、来院される患者さんの状態が明らかに原発事故前とは変わってきています。
 ご高齢者のぜんそくが、とにかく治りづらくなっている。薬でコントロールできていた人が、効かなくなっているのです。また、今まで症例の少なかった病気で来院する人がふえています。たとえば、リウマチ性多発筋痛症という50代以上がかかりやすい病気があるのですが、この病気は10万人に1.7人くらいがかかる病気です。
 当院が立地している小平市は、人口約18万人ですから、年にひとりかふたりの計算ですよね。3.11前は、一年にひとり当院で診るか診ないか程度だったのですが、今は同時期に10人以上もの患者が治療中です。

◇医者たちに立ち上がってもらいたい
Q チェルノブイリ原発事故の後も、地元の医者は患者の異変を察知していたようですね
三田;ええ、地域の患者さんをていねいに診ている医者なら、異変に気づくと思います。
 だから、私は3.11以降、何度も医者のグループに「子どもたちの血液検査をしてください」と呼びかけてきました・・・

Q 血液検査を受けたい場合には、どうしたらいいでしょうか。
三田;できれば、近所の病院か、かかりつけ医に行って「放射線の影響が心配なので、血液検査をしてください」と、率直にお願いしてみてください。イヤな顔をする医者もいると思いますが、そうやって少しずつ医者の意識を変えていってほしいと思います。できれば、甲状腺エコー検査と合わせて、一年に一度受けることをおすすめします。
 血液検査の必要項目は以下にあげましたので、病院で検査を依頼するときの参考にしてください。
<必要な血液検査項目>
・血算(白血球数、赤血球数、ヘマトクリット、ヘモグロビン、血小板数、白血球分画)
・血液生化学(AST, ALT, γ-GTP, TG, HDL-C, LDL-C, HbA1c, 空腹時血糖, 血清クレアチニン,尿酸)
・甲状腺機能検査(FT4, TSH)
・CRP(炎症を調べる)
http://momsrevo.blogspot.jp/2013/09/no6.html

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柔術界の大学教授 大賀幹夫先生の教則動画































































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山本太郎一人のみが反対 東京五輪招致 共産党も社民党もナチのベルリン五輪に手を貸す 放射能でお・も・て・な・し

http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/4e68846245b302a71d360091edbb7ba8
山本太郎が山本宣冶になる日本の無残

『山宣ひとり孤塁を守る』

山宣の愛称で親しまれた山本宣治は共産党が非合法化された中で、日本初の普通選挙が行なわれた1928年の衆議院議員選挙に無産階級の唯一の政党である労農党として京都二区から当選。
山本宣治はNHK大河ドラマ八重の桜の新島襄のように1906年カナダのバンクーバーで5年間働きながらキリスト教系の社会科学や生物学を学ぶ。東大卒業後に京都帝国大学や同志社大学の講師を歴任。
1929年3月5日、治安維持法の最高刑をそれまでの懲役十年から死刑か無期懲役に変える緊急勅令の承認案の審議で、全国会議員中で山本宣治一人が反対するが、東京神田の宿舎に戻ったところを刺殺される。39歳の若さだった。
『山宣ひとり孤塁を守る だが私は淋(さび)しくない 背後には大衆が支持してゐるから』との墓碑銘を大山郁夫が書いている。
山宣なきあと、浜口首相襲撃事件、血盟団事件、5.15事件など首相や蔵相、財界人が襲撃されるテロルの嵐が吹き荒れ、日本は満州事変から日中全面戦争、第二次世界大戦に突入して1945年に無条件降伏して滅亡する。
『山宣ひとり孤塁を守る』から8月15日の『玉音放送』まで日本はほぼ一直線。破滅の道を挙国一致、全員でまっしぐらに突き進んだのである。

『山本太郎ひとりが反対』

衆参両院は10月15日、2020年東京五輪とパラリンピックの成功に向けた努力を政府に求める決議を採択したが、722人の全国会議員中ただ1人、参議院で無所属の山本太郎(38歳)だけが反対した。
衆議院は満場一致の賛成。
決議は衆参両院とも同じ内容で、共産党社民党も賛成する。 
五輪開催をスポーツ振興や国際平和への寄与にとって意義深いとして、『元気な日本へ変革する大きなチャンスとして国民に夢と希望を与える』と、目の前の福島第一原発の惨状を完璧に無視する無責任極まる凄まじい内容である。
今の福島は、最悪だったチェルノブイリ原発事故の9年後よりも遥かに悪いのですよ。
原発事故から9年後の2020年のオリンピック開催など悪い冗談である。
『放射能でお・も・て・な・し』など、ブラックジョークにしても不真面目すぎて到底笑えない。
一字違いで大違い。
『おもてなし』ではなくて、『ひとでなし』である。
衆参両院で東京五輪成功の、能天気な『国民に夢と希望』決議を受け下村博文文部科学相は『オールジャパンで推進することが重要だ。成功に向け最善の努力を図る』と語るが、これ以上に国民の夢と希望を打ち砕く最悪な話も無い。

『トレードオフの関係にあるオリンピックと福島第一原発』

原子力規制委員会の田中俊一委員長は10月16日、新潟県柏崎刈羽原発の再稼動審査について福島第1原発と関連付けて『今起こっていることが解決できるという心証は持てない。そういう意味では不十分だ』と、東京電力にとっては新潟県と福島県の二箇所の原発が、事実上トレードオフの関係にあるとして不快感を表した。
東電本社の福島第1原発の要員は1000人に対して、世界最大規模の柏崎刈羽原発(新潟県)の要員は、停止中の現在でも1200人、管理部門も入れると1300人である。
放射能の被曝上限オーバーでベテラン作業員が次々と離脱する中、綱渡り的な福島第1原発に加えて、柏崎刈羽原発が稼動すれば益々人員確保が困難になることは明らか。
今オールジャパンで『国』が総力で当たる必要があるのは7年後のオリンピックではない。
目の前の福島第一原発の放射能被害の拡大停止である。
東電本社の福島第1原発と柏崎刈羽原発の関係以上に、日本にとっては原発とオリンピックは、一方が良いなら他方が悪くなるトレードオフの対立関係にあるのは誰の眼にも明らかな事実である。
どちらか一方の成功が、必ずもう一方の足を引っ張るのです。

『二律背反の対立関係』

日本が東京五輪を一生懸命頑張った分だけ、最優先すべき福島県など放射能汚染地域からの住民避難や福島第一原発事故の処理が、かならず後回しになり疎かにされる。
今でも小児甲状腺がん大量発症が政府やマスコミが一丸となり挙国一致の大政翼賛会状態で隠されているのですよ。
オリンピックで全世界から大勢のアスリートや観光客を呼ぶ予定なら、大本営発表の情報隠蔽は良くなる事はなく、今よりももっと悪化する。
原発には反対しながらオリンピックには賛成した共産党社民党などが考えているらしい、『日本政府は五輪成功の為に福島原発を真面目に頑張るだろう』は机上の空論で、現実には成り立たない夢物語である。
原発反対の政治姿勢が本物であれば73年前の1940年の東京オリンピック以上に、2020年開催の東京オリンピックは、日本の自主的な『五輪開催権の返上』以外の選択肢は無い。
幾ら屁理屈を捏ね回そうと今の日本国が福島第一原発事故の真っ只中であり放射能の汚染が進行しつつある。
日本が国家存亡の瀬戸際にある事実を無視して、能天気に『オリンピック賛成』は到底成り立たない。
『元気な日本へ変革する大きなチャンス』とか『国民に夢と希望を与える』などは無理筋の暴論であり無茶苦茶。
今からでも遅くないから、原発事故の収束を『オールジャパンで最善の努力を図る』ためにオリンピックは断るしかない。
原発が暴走する中でのオリンピックなど狂気の沙汰である。
山本太郎のように、理論上は断固反対するしか残された道が無いのである。

『安倍晋三の法螺話(大嘘)を手放しで賞賛する石原慎太郎』

晩節を汚すシーラカンスの様な右翼反動の化石人間、日本維新の会・石原慎太郎共同代表(81歳)が見苦しい。
10月16日衆院本会議で41年ぶりに代表質問に臨んだが、可哀想に時折ゴホゴホと咳き込みながら68年も前に滅んだ大日本帝国の亡霊に付きまとわれて『米国が一方的に速成した憲法に歴史的な正統性があると思うか』と現行の日本国憲法の無効を主張する。
石原慎太郎は日本が68年前に完膚なきまでにアメリカ軍に敗けたとの認識が無いのである。(日本が勝っていれば論理に整合性があり、主張は正しい)
他党が福島原発の汚染水問題を『コントロールされていない』と追及したのに、A級戦犯の東条英機の背後霊に支配されているらしい石原慎太郎は逆に、『首相の権威で(汚染水の影響を)否定したことは東京への五輪招致の最大の功績』とおだて上げる始末。
贔屓の引き倒しであるが、確かに石原慎太郎が指摘したように安倍晋三が『日本国首相の権威』で、→『放射能汚染や健康被害を真っ向から否定した』ことが、→今回の『東京への五輪招致』にとって、→『最大の効果があった』のは事実である。
その意味では、2020年東京オリンピック招致は、『安倍晋三の功績である』と言っても少しも間違いでは無い。
もしも2020年オリンピックに誰かの人名を冠するとしたら安倍オリンピック(アベリンピック)と呼ばれるであろう。

『嘘をついてまで欲しい幸せが東京オリンピックだった日本国の無残』

最新の世論調査によると安部首相がオリンピック招致IOC総会で福島第一原発の放射能が『完全にブロック』、『コントロールされている』演説を事実では無い(その場しのぎの嘘八百)と思っている一般市民は8割にも達する。
ところが同じ世論調査で2020年オリンピックの東京開催の決定は『良かった』と答えたのも8割だったから驚きである。
日本国の8割の人々は、安倍首相が福島第一原発事故で真っ赤な嘘で世界を騙して、オリンピック東京開催が決定したと知っているのです。
槙原敬之のヒット曲『SPY』の台詞では無いが、『嘘をついてまでほしい幸せがオリンピックだったのかい』といいたい。
それほどまでして日本人は福島第一原発事故後の自分たちの惨状(日本国の無残)を忘れたいのか。
オリンピックは神聖なものと勘違いしている善良過ぎる人が多い我が日本国で、安倍首相の招致演説が口から出まかせの嘘八百だと全員が知っている。
ところが、同時にオリンピック招致を喜んでいるのです。
真っ赤な嘘の『安倍のペテンが上手く行った』と思っているのですから破廉恥である。
日本国や日本人が現在の様に、これ程極限まで劣化したとは情けない。
日本の道徳や尊厳を極限まで破壊した石原慎太郎や安倍晋三は少しは恥を知れ。

『無知なのか、詐欺師なのか』

天然馬鹿なのか、極悪非道な悪党なのか不明だが、アルゼンチンのブエノスアイレスで日本国首相の安倍晋三は、『健康は過去も現在も将来も問題ない』(安全・安心、心配ない)と胸を張って言い切った。
ところが、福島県の子供達が44人も小児甲状腺癌の発症で全摘出手術を受けたか受ける準備をしているのですよ。
小児甲状腺がんは極めて稀な病気で100万人で0~1人(甲状腺学会では1~2人)程度しか発症しない。
チェルノブイリ事故の9年後にベラルーシでは事故前の50倍の11万人当たり1人が発症している。
ところが、福島県検討委の8月発表(二次検査終了者9万4千人)では約2000人に一人との驚愕的な信じられない数字である。
日本は原発事故から2年半の時点でも、チェルノブイリ原発事故の最悪だった9年後よりも十倍以上も悪い。
福島第一原発は一向に収束する目途さえ立たず、汚染水どころか青森県以北を除く東日本には、破壊された原子炉から今でも放出され続けている放射性汚染物質粒子が降りそそぐ。
チェルノブイリよりも、今の時点でも日本のフクシマが比べられないほど圧倒的に悪い。
間違いなく最悪の健康被害が予想される2020年度のオリンピック開催など、計画するだけでも非人道的な犯罪行為で狂気の沙汰である。
ましてや開催を喜び賞賛するなど論外。
余りに日本が惨めである。
今の安倍自民党政権とか野党各党やマスコミが考えているような、7年後に日本の東京で、オリンピックが何事も無く予定どうりに開催されることは、天地が引くり返っても金輪際有り得ないのである。

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KIMURA  木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

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桜庭和志先生の教則動画

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秘密保全法 蘇る治安維持法 特高警察 秘密警察 自由と民主主義が終わる日

http://tanakaryusaku.jp/2013/10/0008053
【秘密保全法】 治安維持法知る年配者 「怖さに気付いた時はもう遅い」


2013年10月14日 22:10 このエントリーをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 livedoorクリップ Clip to Evernote



無所属の山本議員。「超党派で秘密保全法に反対する仲間を作る」。15日から始まる国会への抱負を語った。=14日夕、数寄屋橋 写真:田中龍作=
無所属の山本議員。「超党派で秘密保全法に反対する仲間を作る」。15日から始まる国会への抱負を語った。=14日夕、数寄屋橋 写真:田中龍作=
 
 明日(15日)から始まる臨時国会でとんでもなく恐ろしい法案が提出される。秘密保全法(特定秘密保護法案)だ。行政の長が秘密指定すれば、国民は一切知ることができない。何が秘密事項なのかも知ることができない。違反すれば10年以下の懲役だ。

 秘密保全法の危険性を訴えて北海道から沖縄まで全国20都市を行脚した山本太郎議員がきょう、東京で街頭に立った。山本議員が国会開会前日の街宣の場に選んだのは、買い物客などで賑わう数寄屋橋だ。

 「国会では(数の論理で)決着がついている。秘密保全法(の成立)を止めるためには皆さんの力を借りるしかない」。渾身の力を振り絞って訴える山本議員の作戦は、国会議員にファックスやメールを送りつけることだ。

 自分の選挙区の有権者から「秘密保全法に賛成したら次の選挙では投票しません」と言われたら、そしてそれが1万通を超えたら国会議員には相当なプレッシャーだ。山本議員はこうして地元の国会議員にプレッシャーをかけるよう呼びかけてきた。

 「この日本でどれだけの不当逮捕があるか。被曝を止めろ、原発を止めろと運動をしている人が、ただそこにいたというだけで逮捕されている。そのうえこんな法律(秘密保全法)が通ったらどうなるか」。

 「(権力の)狙いは言論弾圧。奴隷になれということ…(中略)僕たちは奴隷じゃない。言いたいことを言う権利がある。知りたいことを知る権利がある。皆さん、秘密保全法を止めましょう」。

夏の選挙戦ほどではないが、有権者は山本議員の演説に熱心に耳を傾けた。=写真:諏訪都=
夏の選挙戦ほどではないが、有権者は山本議員の演説に熱心に耳を傾けた。=写真:諏訪都=

 山本議員の街宣をネットで知り足を運んだ支持者や通りがかりの人で、会場は黒山の人だかりとなった。Ust中継をする姿が目立った。演説に耳を傾けていた人々に話を聞いた―

 「(マスコミ)報道が本当の事を伝えていないことがさらに分かった。こんな恐ろしいことが今動いていることも私たち大多数の人は知らない。これが一番怖い」(40代主婦・都内)

 「秘密保全法はアメリカの法律をモデルにしていると言われるが、アメリカに住んでいて本当のことが伝えられていないことを肌で感じていた」(米国在住の長かったアーティスト・20代男性)

 昨日(13日)の脱原発デモに参加していた年配者にも話を聞いたー

 「治安維持法が生活を支配してくるようになったと気付いた時はもう遅い。今の段階では皆、秘密保全法に怖さを抱いていない。(怖さを)抱いた時にはもう遅い。(私は)治安維持法を見てきたので知っている」(79才男性・札幌市)

 自民党の石破茂幹事長はテレビ番組や講演会で「特定秘密保護法案を今国会で成立させる」と強い意欲を示している。衆参ともに自公が過半数を握る。提出されれば可決成立は免れない。

 山本議員が呼びかけるように「秘密保全法賛成」の地元国会議員にファックスかメールを送りつけるしかないようだ。

《文・田中龍作 / 諏訪都》

http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52050283.html

2013年10月16日




本澤二郎の「日本の風景」(1431)

<「天皇中心の神の国」へ驀進する永田町>
 未明に目が覚めてしまった。夢に加藤紘一が現れたせいで、彼が最後の挑戦をした森喜朗内閣を思い起こした。同時に京都の野中広務のことなどが、次々と記憶から蘇ってきた。よく知る小渕恵三首相が、小沢一郎にドスを突きつけられ、衝撃で倒れると、官房長官の青木幹雄・幹事長の森、そして野中らが、宏池会の池田行彦を除外して談合、政権を森に移行させた。政権は右翼派閥の岸信介の人脈が手にした。右翼の正体は「日本は天皇中心の神の国」という森発言で、証明され、内外に衝撃を与えた。自民党右翼の思想的根幹は、戦前と同じものだった。其れが小泉内閣を経て、今は安倍内閣である。天皇を神と崇めるカルトの政権が、永田町を驀進している。





<カルトが舞う秋祭りの季節>
 時は、あたかも天皇族の宗教である神社神道の秋祭りの最中だ。明日17日は、戦争神社の靖国の例大祭と称する儀式が始まるという。韓国・中国は公然と、ワシントンはこっそりと安倍参拝にNOの警告を発している。
 皇居の奥の院でどのような占いの儀式が行われるのか、誰も知らない。想像するに、キリスト社会で成長した皇太子妃は、ある種の複雑な感情を抱いているものか。なかなかなじめないのかもしれない。
 庶民レベルでは、神社に備え付けの「神輿(みこし)」という他愛のない担ぎ物を、酒を浴びた若者が担いで気勢をあげる。太鼓をたたき、笛を鳴らして部落に「祭礼」気分を盛り上げる。ただ、それだけのことで、戦前戦後の貧しい時代を思い起こす老人も少なくない。
 もっとも、最近は神輿を担ぐ若者がいない。担ぎ屋に依頼する神社も多いらしい。モノ不足のころは子供に茶菓子を振りまいて動員させ、雰囲気を作ったものだが、現在の塾通いの幼児の動員は厳しい。
 農家の古い家には、今も神棚を祀っているのかもしれない。これも実のところ、迷信に近いものだが、先祖代々、といっても神社を国教と定めた明治期からだ。近代に気付いた人間にとって、とてもついてはいけない精神的遺産である。むろん、こうした類の日本人は少数派であるが、永田町の右翼議員にとっての精神的な支柱となって、そこから彼ら独特の歴史認識が生まれることになる。その象徴が森発言である。
 過去を美化、正当化する根源なのだ。
<天皇制国家主義と改憲軍拡>
 戦前の日本帝国・日本軍国主義は、明治期に確立した天皇中心の国家主義によってもたらされた。筆者は日本の国家主義を天皇制国家主義と定義している。強い国家は戦争をいとわない。戦争の出来る改憲軍拡は必要不可欠なのだ。したがって、戦後の日本国憲法は、この政治制度を否定するところから始まった。
思うに、この天皇制国家主義の根幹が、神社神道という現在は一つの宗教法人なのである。近代法は、宗教は自由である。何を信仰しようが、しまいが自由である。もはや日本人は、カルト信仰の神道からの縛りから解放されている。逆に、神道の側は「マツリ」「祭礼」でもって市民生活にもぐりこもうとしている。
 一部の無知蒙昧の氏子(うじこ)という輩が、これに狂奔していることも事実である。
 右翼議員は、この祭礼をことさらに重視、自己の政治宣伝に利用することになる。天皇制国家主義の基盤は、決して強固なものではない。
<恐怖の特定秘密保護法>
 右翼議員はしかし、そこに精神的エネルギーを求めることになる。左翼もそうだが、目的のために手段を選ばない。ナチス流もOKなのだ。反対派を逮捕拘束できる手段としての特定秘密保護法は、権力を掌握した右翼勢力にとって、権力の維持・強化に必要不可欠なのだ。安倍が「強い意志」で断行する、との決意表明を、臨時国会召集日の演説で公言した。平成の治安維持法だ。

 一部新聞報道によると、防衛省の「防衛機密」は2011年末に3万752件とすごい件数だ。2007年から2011年の5年間に3万4300件も廃棄したものの、これの全てが国立公文書館に移行、保存されなければならないのだが、なんと1件も保管されていない。日本は恐ろしいほどの秘密国家・独裁国なのである。
<首相独裁の国家安全保障会議>
 憲法に違反する深刻な事態を放置してはなるまい。直ちに法改正によって、保管し公開しなければ民主国家とはいえない。
 権力の分散を前提とする議会制民主主義は、彼らには不都合である。国家安全保障会議を創設して、権力の集中・強化を図ろうとする安倍の思いである。
 「日本は天皇中心の神の国」に抵抗した加藤の乱を封じ込めると、小泉内閣という天皇のために死んだ戦争神社・靖国参拝派が登場、いまや本丸である平和憲法と戦争する自衛隊派兵に挑戦する安倍内閣ということになる。
 森政権の守護神となった野中広務は、極右の守り神として北京で重視されている?歴史の皮肉である。むろん、加藤紘一も日中友好派としての地位を維持しているが。北京も混乱している。
2013年10月16日7時15分記

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柔術プリースト 103

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落ちぶれたグレイシー一族がプロレス入り

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131015-00000001-tospoweb-fight

日本でプロレス&格闘技がオワコンと言われて久しいが唯一勝ち組企業ブシロードをバックに持つ新日本プロレスだけは景気が良いらしい
そんな景気のよさの裏返しかMMAではすっかり落ち目のホーレスと実際にはグレイシーではないダニエルシモーエスことダニエルグレイシーがなんとプロレスをするらしい
前回のボンバイエはリアルファイトだが今回はマルメラーダ 八百長のリングにグレイシー一族が上るのである
グレイシー一族も落ちるとこまで落ちたものである
父で伝説の柔術家だったホーウスはこれを知ったらどのように感じるのだろうか?
俺の中のグレイシー一族はこれで死にました…

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武士道へのアンチテーゼ 侍支配への抵抗 百姓一揆が描かれた 白土三平の サスケ 被差別部落を描いた カムイ外伝

http://1000ya.isis.ne.jp/1139.html
白土三平
カムイ伝
小学館叢書 1988~1989
ISBN:4091878512

 山丈(やまじょう)という巨人が「カムイ!」と一声吠えて去っていく。日置藩と花巻村と夙谷(しゅくだに)の日々。そこに3人の少年がいた。

 正助はダンズリが非人の女に生ませた子だ。足が速く、身軽な少年に育っていた。けれども、小六が目付の橘軍太夫の策謀にあって下人(げにん)の身分に落とされ、その娘のオミネが領主に犯されて自害してしまったのがくやしい。小六はそれがもとで発狂していた。正助はそういう境遇に甘んじていることに腹をたて、下人を脱して本百姓になることを決意する。
 草加竜之進は日置藩の次席家老の嫡子で、笹一角のもとで剣法修行にあけくれている。橘軍太夫の子の一馬を御前試合で破ったのが自慢だったが、領主の日置弾正の巻狩りに加わったとき、誤ってオミネの腿を矢で射った。それを謝りに小六を訪ねるうちにオミネを好きになる。そのオミネは領主に犯されて自害する。竜之進は怒りをおぼえるが、計略にはまって逃亡せざるをえなくなる。小六は白痴に近いようだが、哭きいさちるスサノオのようだ。
 あるとき領主が参勤交代で江戸に向かうと聞いた竜之進は、軍太夫を倒すために行列に切りこんだ。笹一角が応じ、事態は混乱。そこへカムイがあらわれて竜之進と一角の髷を切り、かれらを夙谷の非人部落に連れていく。
 3人目のカムイは正助や竜之進よりまだ小さい少年である。夙谷に非人として住む弥助の子であるが、生まれてまもなく河原にいた山丈に握り飯をあげたことで、みんなからカムイと呼ばれていた。物乞いに甘んじる部落の連中を嫌って、単身で生きようとする。そこにはカムイとほぼ同じころに生まれた白狼の姿がいつもつきまとう。このオオカミもカムイと呼ばれた。

 3人の少年がすべて臑に傷をもって出揃うところまでが『カムイ伝』の序曲になる。いったいどのように物語が進むのか、まったくわからない。やがて正助は本百姓になり、竜之進は剣を磨き、カムイは忍者になるのだが、しばらく進むとほかにも重要な脇役が何人も出てくるのがわかる。登場人物はべらぼうに多い。全巻で300人をこすだろう。
 たとえば、花巻村には正助の親友になるゴンと、ゴンに思いを寄せる明美がいる。カムイは双子らしかったが、一人は死んだ。姉にナナがいる。枯木屋敷に住む横目は軍太夫の部下で、忍法の素養をもっている。手下にキギスがいて、その横目の一人娘のサエサがカムイに心を寄せていた。飛礫(つぶて)がうまい少年タブテもカムイに従いたい。水無月右近は丹下左膳めいた素浪人で、故あって横目とカムイの両方を打倒しようとしている。さらに花巻村には密告屋のシブタレが、玉手村に一身に繭を育てる苔丸がいる。苔丸は物語の最後まで生き残る。
 こうした面々がのちに日置藩で百姓一揆が勃発するときに、複雑相互にからみあう。偶発的にそうなっていくのではない。身分と村落という社会がそうさせる。『カムイ伝』は「分」の社会哲学がマンガになったのである。

 では物語はどう進んで、どのような結末を迎えたかというと、これはいまもって未完の作品なのだ。話はまったく終わっていない。未完とはいえ、いまぼくの手元にある小学館叢書版では第15巻まで続く。マンガや劇画ではめずらしくはないけれど、かなりの長編である。
 それなのに白土三平は1971年の「ガロ」に、「いまやっと『カムイ伝』三部作のうち、第一部が終わったところだ」と書いた。それどころか、そのあとに「物語の真のテーマはいまだに現れていない。なんと不可解なことであろう」と自分で書き加えた。本人に「なんと不可解なこと」と言われては、われわれは対応を失うばかりである。

 そもそも『カムイ伝』が前衛マンガ誌ともいうべき「ガロ」に始まったのが1964年で、それから8年にわたって連載がえんえん続き、その後は全15巻のシリーズ本にもなったのに(新書判では21巻になる)、やっと第一部が終わったというだけなのだ。それでも当時はその継続がすぐに期待されたのだが、待てども待てども再開の気配もなく、やっと17年後の1988年に今度は「ビッグコミック」にその場を移して(そのときはもう「ガロ」は終刊していた)、『カムイ伝』第二部が再開された。
 あまりに長い中断で、こんな例は唯一、埴谷雄高の『死霊』がおもいあわされる程度だが、白土三平は埴谷のように中断や遅筆を自慢しなかったし、その理由を叙述もしなかった。黙って再開した。ところがその第二部も2000年に中断され、いまなおそのままになっている。いま作者は74歳くらいだろうから、はたして完結するのかどうか、どんな予断も許されない。

 いったいこのような作品をどう扱ったらよいのか。白土三平の思想と才能を褒めちぎるだけなら、おそらく『忍者武芸帳』のほうがいいだろう。影丸伝説の一大叙事詩ともいうべきこの作品は、1959年から1962年まで3年にわたって貸本文化のなかで彗星のごとく輝いた長編だった(単行本で全16巻になる)。
 すでに戦後日本マンガ史の金字塔という評価も定まっている。大島渚によって映画化もされた。その後の忍者マンガや忍法小説の原型は、すべて『忍者武芸帳』のなかにある(忍者ブームはその前から小説にもマンガにもあった)。時代も永禄7年(1564)から天正10年(1582)のあいだに限定されていて(信長時代)、前半は奥州の最上(もがみ)領だけが舞台になっている。『カムイ伝』にくらべるとストーリーも格段にわかりやすく、影丸の正体を追うという読者の関心にも焦点がある。ぼくは2度読んだが、2度とも堪能できた。影一族と明智十人衆の熾烈な攻防のなか、百姓たちの闘争の烽火がしだいに立ち上がっていく構成には、まったく破綻がない。

 しかし、白土三平はやっぱり『カムイ伝』なのだ。これほど日本のマンガ作品のなかで悪戦苦闘をした作品はないし、作者が全力を傾注して、なおその作品に打ちのめされていった作品もない。
 壁をつくりながらそれに攀じ登り、作者がその壁を相手に格闘したままなのだ。
 『忍者武芸帳』も百姓一揆をテーマにしたが、そこにはまだしもアレクサンドル・デュマがいた。エンタテイメントがあった。影丸はヒーローだった。『カムイ伝』はデュマじゃない。カムイもヒーローじゃない。『カムイ伝』の白土三平はいわばジュール・ミシュレやフェルディナンド・セリーヌやアントニオ・ネグリなのである。
 いや、そのような比喩では語れない。『カムイ伝』は70年代以降の日本の社会思想の変転そのものであり、その変転を全体小説のごとくに収容しようとした白土三平の、壮絶きわまりない社会思想実験の軌跡なのである。
 未完だし、それも三部作のまだ半分も進んでいないというのだから、その実験の評価を"確定"するわけにはいかないが、それでも今日の体たらくの日本に、1964年に構想した物語が壮大なスケールをもって解体し、蘇生し、また異常な食風景になっていく過程を見ることは、やはりだれかが引き受けていかなければならないことなのだろうとおもわれる。

 白土三平については、以前から四方田犬彦がすぐれたクリティックをしつづけてきた。2004年にはその決定版ともいうべき書き下ろし750枚の『白土三平論』も上梓した。四方田こそは『カムイ伝』解体神話と蘇生伝説の本気のウォッチャーであるだろう。
 なにしろ四方田は『サスケ』を読んで、10歳のときに微塵隠れの術をいろいろ試した少年だった。それから40年、ずうっと白土三平のマンガを読み、その背景の文脈に目を凝らしてきた。白土三平において柳田国男や南方熊楠を、白土三平において大島渚と中上健次を、白土三平においてゴダールと大岡昇平を考えてきたのだ。四方田を借りないで、白土について何が書けるものかというところだ。しかも四方田は今後は『甲賀武芸帳』の石丸少年に倣って茸についての書物を執筆するのが老後の夢だというのだから、これは何をか言わんやなのだ。

 四方田ほどではないけれど、白土三平に伴走してきた読者はそうとうにいたはずである。とくに60年代後半から70年代前半までは、白土は社会思想をマンガにできる教祖ですらあった。
 たとえばその一例だが、『白土三平論』によると1967年に「サンデー毎日」が「いい感じのする日本人」を選んだらしいのだが、そのとき吉永小百合・宇野重吉・大江健三郎を押さえて白土がダントツの1位になった(なぜ宇野重吉がベスト3にはいったのかはわからない)。
 これは60年代後半にいかに白土ブームが日本列島を覆っていたかということで、しかも新左翼系や学生や知識人のみならず一般の劇画ファンまでもが、まだ階級意識とか唯物史観とか差別問題をヴィヴィッドなものとしてうけとめていたことをあらわす指標のひとつになっていた。白土を見るには、まずこのことを出発点にする必要がある。
 ところが『カムイ伝』第一部が終わった1971年には、四方田によると白土の劇画を読んでいたのは一握りに激減していたという。70年安保と全共闘運動の終焉とともに、白土ブームはあっけなく終わってしまったのだ。燻し銀のように光っていた白土の「抵抗の道徳」やそれにもとづく「コミューン幻想」に、あっというまに無責任な終止符が打たれてしまったのだ。

 その後のことは明々白々で、日本マルクス主義の退嬰と学生左翼の撤退とともに白土はまったく読まれなくなった。劇画ブームはマンガ一般のブームとなり、少女マンガや少年コミックや大人マンガやギャグ・マンガが流行し、アニメとゲーム・キャラのほかは手塚治虫の再来ばかりが何度も取り沙汰されることになったのだ。
 そのあいだ、白土についてはわずかに解放出版社から中尾健次の『「カムイ伝」のすゝめ』が刊行された程度だったのである。
 四方田や中尾の分析を借りながら、今夜は往時の白土三平の格闘をビデオ早送りしてみたい。

 白土劇画の基本には一貫して「忍者」と「差別」と「村落コミューン」という問題の生き方が流れている。すでに最初のヒット作品『甲賀武芸帳』で忍者の日々を描いたのはむろんだが、老いた牧十馬という銃術家にコミューンをつくらせていた。このような発想が白土の初期から芽生えていたことは、白土の生い立ちにも関係がある。
 白土は1932年に岡本唐貴の三男に生まれた。岡本唐貴は知る人ぞ知る、左翼の道を歩みつづけてきた画家で、プロレタリア美術の歴史では必ずその名をのこしてきた社会活動家でもあった。
 1923年に二科展に入選し、作家やアナキストや美術家たちの「アクション」同人となり、1925年には村山知義と読売新聞で紙上論争したりした(村山と父親が酒を酌み交わして議論していたのを、白土はよく憶えているという)。その後は「人間集団主義」を唱えて絵画の復活をめざし、さらに「モニュメンタリズム」を提案すると、20年代後半には社会主義リアリズムにも日本プロレタリア美術家同盟にも加担した。このころ黒澤明が岡本唐貴の指導で絵を習っている。岡本の油絵と黒澤のコンテを比較すると、かなり似通ったものがある。
 戦後になると岡本は日本共産党にも入り、親ソ連派の活動を開始していった。日本アンデパンダント展に連続出品するかたわら、1967年には松山文雄と『日本プロレタリア美術史』を執筆した。

 そんな父のもとに白土は育ったのである。ちなみに妹の岡本颯子は150冊もの著書がある絵本作家になっている。
 さて、ここに決定的な経緯がひそんでいた。その岡本一家が戦時中の1944年、長野県の真田村に疎開したのだ。2年間ほどの疎開だったようだが、白土三平はそこで中学校(いまの松代高校)に通い、近くの真田信綱を祀った信綱神社や真田幸村の菩提寺で遊んだ。紀州九度山の真田幸村の拠点ではなく、そこに真田家が出身したほうの拠点だ。のちにそこ(いまは上田市真田町)を訪れた四方田によると、かつての真田村こそは「忍者と差別と村落の原型」を白土三平にインプリンティングした土地だったにちがいないと感じたという。

 白土がマンガ家になった経緯にもふれておかなくてはならない。東京に戻ってきた岡本一家の日々、16歳の白土が紙芝居にかかわったことが特筆される。唐貴の友人の作画家の金野新一や加太こうじに出会い、「なかよし会」「ともだち会」といった紙芝居づくりの会に加わったのだ。白土は『ミスターともちゃん』『カチグリ・カッチャン』などの紙芝居をつくった。
 1952年、20歳になった白土は紙芝居を描くかたわら、指人形劇団の太郎座にもかかわった。学校などをまわり、それなりの意欲も示したようだが、太郎座は解散した。それとともに紙芝居が急速に衰えていった。1957年、白土は春子と結婚し、旧知の牧かずまのアシスタントをしながら、いよいよマンガを描くようになる。『こがらし剣士』がデビュー作だ。
 このころ白土の生涯を決する長井勝一と会った。長井は当時は貸本をプロデュースする日本漫画社にいたが、のちに「ガロ」を創刊する。あの長井だ。長井に出会って白土は貸本マンガにとりくんだ。それが『嵐の忍者』や『甲賀武芸帳』である。
 ついで長井が三洋社をおこすと、白土はそこから『忍者武芸帳』を刊行しはじめた。それが1959年のこと、「少年サンデー」「少年マガジン」が創刊された年だ。ついでにいえばこの年には「週刊現代」「週刊文春」「朝日ジャーナル」「朝日ソノラマ」も創刊された。水原弘の「黒い花びら」が大ヒットし、長嶋が天覧試合の阪神戦でサヨナラホームランを打った。日本が敗戦後の15年をへて、ついにメディア爆発した年である。
 それからのことは省略するが、1961年に『シートン動物記』『赤目』『真田剣流』『サスケ』が、1962年に『忍者武芸帳』を完結すると、『少年剣士宮本武蔵』(四方田はこれが中断されたことを惜しんでいる)が、翌年には『ざしきわらし』『鬼』『スガルの死』が発表され、1964年に「ガロ」に『カムイ伝』が鳴り物入りで連載開始されたのである。
 途中、赤目プロが組織されて、『ワタリ』『風魔』『カムイ外伝』などが連載されるけれど、大島渚によって『忍者武芸帳』が映画化され、「サンデー毎日」で第1位の日本人になった1967年以降は、すべての連載をおえて『カムイ伝』だけにとりくんだ。

 忍者と村落コミューンに異様な関心を集中させてきた白土三平について、あらかたの背景がこれでわかったとおもうが、これを『カムイ伝』のその後の物語の展開にかぶせてみると、さらに興味深いことがあきらかになってくる。
 1967年のことは先に書いたが、このとき白土はあまりの苛酷な仕事ぶりで体を壊した。継続中の連載は何本もあるし、頼まれた単発も何本もある。多忙をきわめた白土は房総半島に引っ越して静養し、そこから連載を次々に完結させて『カムイ伝』だけにとりくむようにした。その後、白土は今日にいたるまでずっと房総を離れていない。何度か転地しながら漁村と海を体に滲みこませている。
 このことが『カムイ伝』の次の展開に反映されたのだ。すなわち日置藩の海側の漁師町の五代木がクローズアップされた。白土は『忍者武芸帳』のときもそうだったのだが、猛烈に学習をしながら物語の背景と細部をつくっていくタイプのマンガ家である。一揆や差別問題や徳川社会史についても、その知識と洞察はしだいに濃くなっていく。
 同様に、自身の環境や業界や政治経済状況との相互関係にも真摯にとりくんだ。いいかえれば、それらを正直に作品にとりこんだ。房総への転居は、こうして『カムイ伝』の第2幕に影響をもたらした。
 かくて『カムイ伝』は最初の転換を見せていく。能でいうなら「破」が始まっていく。そこに、日置藩に隠されていた恐るべき秘密があるらしいことがあかるみに出て、カムイたちの忍者群がその探求にさしかかるという裏のプロットが動き出す。

 物語は正助が念願の本百姓となって、花巻村で綿の栽培に成功するところから、農村社会の「理想」の準備に入る。農機具を改良し、旱魃にそなえて井戸を掘り、肥料の人糞を蓄えるために公衆便所をつくり、子供たちには勉強会をつくる。若者組もできあがってきた。
 正助は新田開発の許可をとり、理想に燃える。江戸に行っていた竜之進も振袖火事をきっかけに戻ってきて(だいたいの時代がわかるとおもう)、これを手伝っていた。ところが、日置藩は藩札の発行によって財政テクニックを弄するばかりで、花巻村の綿と新田もその藩札によって買い叩かれてしまう。モノはカネに負けるのだ。徳川資本主義とでもいうべきものに、正助の理想は蹂躙されるのだ。
 抜け目のない商人の夢屋七兵衛が暗躍しているとも伝えられてきた。栽培や開発にかかわってきた百姓たちは怒りはじめた。正助は一揆の扇動者としてお上に睨まれるようになっていく。
 カムイのほうはといえば、「夙の三郎」という名で忍者になって、鷹匠の百舌兵衛(もずべい)の配下にいる。忍(しのび)の掟は厳しく、おいそれと勝手なことはできない。風のトエラが抜けたときは、忍者頭からその殺害を命じられた。赤目も抜忍になっていた。カムイは赤目を追わされ、さらに一揆の扇動者の正助の暗殺を言い渡された。忍者はテロリストでもある。
 しかし赤目には逆襲され、さらに夢屋の手によって助けられてしまう。カムイは任務を果たせない。こうしてカムイも忍者社会のなかで追いつめられていく。

 ここで、物語はいったん日置藩が秘めているという謎の解明に焦点が移る。そもそも外様(とざま)の小藩がろくな経営もできず問題ばかりおこしているのに取り潰されないことには、何かの裏の事情があるはずだったのである。
 この秘密を解くため、公儀隠密の搦(からみ)の手風(てぶり)は日置に入って、寺社の過去帳や日置領見聞録などを調べはじめた。どうも日置藩には亀にまつわる怪事件が多い。亀を食べて斬られた者たちが何人もいるし、鼈甲師も不審な死をとげている。蔵六屋敷の名をもつ城代家老の屋敷の池には亀が無数に飼われている。蔵六とは亀の異称であった。
 一方、カムイも変身して美粧の鏡隼人として、その秘密を解こうとしていた。カムイにのこされた道は任務で成果を見せるか、抜忍になるか、どちらかなのだ。心ならずも二人は力を出し合い、競べあいしながら、秘密に迫る。風鳴りの谷で妖しく光る亀の甲羅を割ると、内側が黄金になっている甲羅には文字が読めた。和歌の上の句である。さらにもう一匹の亀を捜しあて、甲羅の内側をこじあけると、はたして黄金の中に下の句がある。合せてみると「風鳴りに眠れる六蔵のうちに有りて日を仰げば乱(あや)立ちぬ」というメッセージだった。
 大凧をつかっての上空からの地形スポットの確定がおこなわれた(こうした忍者の道具立ては以前から白土の独壇場で、そのような場面のたびにコマ外に詳細な解説がつく)。狙い定めた地点に突風によって姿をあらわしたのは、蔵六神という巨大な石碑である。その中に古文書が隠されていた。そこにはなんと大御所徳川家康が「ささらもの」(簓者・筅者)であることが暴露されていた。

 家康が卑賎の出身であるとは、これまで何度も議論されてきた"偽史の定番"ともいうべきもので、古くは村岡融軒から八切止夫まで、新しくは南條範夫から隆慶一郎まで、たびたび議論され、たびたび小説や映画のフィクションに応用されてきた。白土三平がどのようにしてこの偽史に関心をもったかはわからないが、これは『カムイ伝』のストーリーの隠れた要になっている。
 しかし、白土はこの家康賎民説をおもしろがったのではなかった。幕藩体制としての体制社会とそこに支配される日置藩と、任務を遂行する忍者たちの宿命とを、ぐるりとつないで構造的な矛盾を露呈させるようにするために、この謎をもちこんだ。『カムイ伝』はその全編が身分制度に対する強烈な問いであり、ということはその身分制度をつくりだした徳川社会システムそのものが問われているのだ。
 カムイはその身分制度のなかで非人扱いされることを嫌い、あえて忍者になった青年である。忍者がどいうものかは、すでに白土の父の好敵手であった村山知義が『忍びの者』でもあきらかにしている。ぼくも第929夜にそのあらましを書いておいた。

 忍びの任務は秘密の任務である。それゆえ秘密の任務の対象がさらに大きな秘密にかかわるのなら、大なる秘密と小なる秘密は暗闇で激突するか(その両者の暗闇での闘いを描写してきたのが日本の忍者ものである)、あるいは大なる秘密が小なる秘密を食べ尽くすか、互いにドグラマグラになるかということになる。
 カムイも与えられた任務を遂行していけば、その天下の秩序を律する身分制度とどこかでぶつかっていくしかなかった。とくに幕府の秘密を暴けば、徳川幕府そのものが解体しかねない。それでは少年カムイがもともと願った身分制度の超越はおこせない。全体が捩れて変容するだけなのだ。

 四方田は、このように設定された家康賤民の秘密は「それ自体が閉じられ自己完結していると信じられた世界を、内側から解体させていくような醜聞であり、幾何学に譬えていうならば、クラインの壷に開けられた小さな穴」になっていると指摘した。
 つまり『カムイ伝』は支配と被支配、差別と被差別のあいだを抉(えぐ)るために、そこに百姓一揆が隆起していくプロセスと、忍者が任務を遂行することによって抜け忍として自身の立場を喪失していくプロセスとを、二重にも三重にも多重にも組み回して掘りこんでいった物語なのであるが、そのどの一点にも全体の矛盾が噴き出るように仕組んだ物語でもあったのである。
 白土はその数多くの一点を束ねる最大の一点に、徳川幕府最大のスキャンダルをもってきた。それならこれは一点が崩れれば全体が崩壊しかねないという物語構造なのである。
 しかし社会の総体というものは、たとえどのような政変や戦争がおころうと、そのまま変節をくりかえして生きながらえるようになっている。それを登場人物たちや白土三平自身がどのように受けとめられるのか。人間はどう受けとめるのか。このあとの『カムイ伝』はそこを白土自身が挑戦していくという恰好をとる。壮絶な試みだといっていい。

 白土はそこでひとまず、社会のいかような変化も切り抜ける男を導入した。夢屋七兵衛だ。数百人にのぼる登場人物のなかで、唯一出自があきらかではない人物で、それゆえ身分社会からも挟み撃ちになってはいない。赤目とともに御蔵島から島抜けをして、房総の浜辺で江戸勧進頭の仁太夫に拾われ、乞食たちのあいだで頭角をあらわした人物だ。
 盆送りの川に流された野菜に目をつけて、これをさっさと漬物にして大儲けをするような商才の持ち主だ。カネさえあればどんな事態も切り抜けられるという、今日ならば金融株式主義者の典型である。
 これを悪徳商人にしてしまうなら、つまらない。そんなお定まりの時代劇を白土は書こうとはおもわない。そうではなく、理想に挫折する者たちが続出するなかで、一人、ひょっとして理想をものにする人物の危険な可能性として夢屋七兵衛は選ばれたのだ。
 案の定、赤目はこの夢屋に身を任せ、ひとつ運試しをしようかとおもう。夢屋は五代木に質屋を開いてカツオ船を入手して、漁民を低賃金で働かせて儲けると、材木や贋札づくりにまで手を出した。どんな権力にも対応するドライフール(猫かぶりの道化)なのである。けれども赤目はさすがにその貪欲につきあいきれない。

 かくて物語はしだいに「破」から「急」に移っていく。残された主人公はもはや個人ではなくなっている。農民そのものであり、村人そのものである。
 いや、自然と生活をかかえた村落そのものだ。白土はそこをこそ描きたくて、ここまで物語を引っ張ってきた。
 だからこのあとは忍者間の抗争は退いていく。暗闇の暗闘は白昼の激闘に変わっていく。個々の取引や権謀術数も脇のプロットに変わっていく。そのかわり正助やゴンや苔丸と百姓たちが真ん中で立ち上がり、困難に直面し、そして白昼に挫折する。それでへこたれるわけにはいかない。時代に拮抗し、状況を変革する力をそのプロセスで獲得しなければならない。
 そのうち日置藩そのものにも危機がやってきて、お取り潰しの瀬戸際に立つ。幕府以外はどこもかしこも同じ宿命なのである。そういうときには、新たなロールプレーも現出される。なかで、竜之進が木の間党を率いてゲリラ活動を展開するというのがめざましい企図になるのだが、白土はその成功すらおぼつかないものに描こうとする。
 物語は急速に、どの場面でも矛盾を見せていく。そこへ自然の猛威も加わってくる。材木の過剰伐採は大雨によって地滑りとなり、クマザサの急成長は野ネズミの大量発生を促した。白土が『赤目』や『サスケ』で何度か描いてきた食物連鎖に由来する異変は、『カムイ伝』でもくりかえし人間を襲うのだ。むろんオゾンホールや環境ホルモンの問題までは予告されていないけれど、村人たちが土中の寝地蔵をもって雨乞いにあたるエピソードには、石をぶつけられて沈んでいく地蔵の微笑として、おそらく今日のテレビ・ドキュメンタリーの手法に似たものを感じさせよう。

 結局、洪水が日置藩の全域に飢饉をもたらした。人事をこえる災害が人事を激発させたのである。食えなくなった百姓は打ち壊しをはじめるが、それによって犠牲者が出ることを恐れた正助は打ち壊しに反対し、苔丸や竜之進と意見対立してしまう。
 そこへ隣の望月藩の一揆衆がなだれこむ。ぐずぐずしていた村人たちに代わって、隣からフリーライダーがなだれこんだのだ。いわば難民がなだれこんだのだ。日置の村々は大混乱になる。正助は夢屋の力を借りて一揆衆たちをアグリ銅山に送りこみ、なんとか危機一髪をしのぐのだが、苔丸は苔丸で夙谷の非人たちに故郷を捨てることを促し、自分は現地に留まることを決意する。正助は失業者の群れを救いたい。
 しかし事態はとまらない。ここについに「逃散」という大量エクソダスがおこる。徳川社会での最も悲劇的な出来事だ。もはや内部改革の手が尽きるのだ。これがおこれば村はカラッポだ。大半は日置を捨て、江戸大森の海苔養殖場に移っていくことになった。しょせん村民は供給をもたらしてくれるところへ移動する需要者なのである。流民なのである。そんなことはマルクスを借りるまでもなく、徳川の貧困な村落のすべてにおこったことだった。

 日置藩は取り潰された。天領になった。それまでの努力はこういう首尾なのである。藩主はそれも知らず、松平伊豆守に家康の秘密を書いた文書を必死で送りとどけ、自身の延命のカードにしようと試みた。だが、伊豆守はその文書を庭先であっさり燃やし、徳川幕府最大の出自の秘密をふたたび封印することになる。藩主も口を封じられて殺される。
 それでどうなるかといえば、村々がやっといっときの小康をとりもどすなか、新たな代官として錦丹波がやってきて、新たな火種をつくり、ここについに百姓の最後の一揆が巻き起こるのだ。『カムイ伝』にはすでに数十回におよぶ大小の一揆が描かれてきたのだが、これは140ページを費やしての最大の一揆である。あれこれの理屈による反乱ではない。妥当すべき権力に向かって革命をするのでもない。カタストロフィに似た反乱、いや理由なき氾濫なのだ。こういうものを描かせては、白土はさすがにその徹底したリアリズムは圧倒的である。徳川社会と人間の欲望と倫理の矛盾を描いて余すところがない。
 このような描写は手塚治虫にはないものだ。なぜならそこにはいっさいのドラマトゥルギーがないからだ。白土自身が村々の隅々を写しとる数台の同時カメラとなったドキュメンタリー本体なのである。数台のレンズをもったガルシア・マルケスが白土一人の手持ちカメラとなったのだ。

 一揆は大勝利におわった。しかし一揆の首謀者はこの社会では公儀に背いた犯罪者なのである。正助やゴンたち30人は京都の二条屋敷に護送され、次々に拷問を受ける。けれども正助はすべては江戸の大白州で申し上げたいと言って屈しない。ゴンは壮絶な最期をとげ、残りの二十数名も死んでいった。
 もはやいっさいの努力は無駄におわったのかもしれない。『カムイ伝』全15巻が物語ってきたものの存在証明は、こうなれば正助が江戸北町奉行の白州で何を陳述できるのかにかかるだけだった。しかし正助が言い得たことは、百姓こそが田畑を守る者であるということと、こんな状況ではいつまでたっても一揆が絶えないということと、「民なくして国もなく、我らなくして日本国はありえない!」と絶叫することだけだったのである。
 これが『カムイ伝』全15巻の、白土三平のいう第一部のすべての結末なのである。そうだとしたら、これは巨大な挫折と壮絶な幻滅の物語であるとしかいいようがない。いったいテーマはどこにあったのか。いや、この不透明に雪崩れていった事態そのものがテーマだったのだ。そうだったのだろうか。そうだったのだ。それ以上の説明ができないように、『カムイ伝』はいったん終わったのだ。なんといっても作者自身が第一部をおえた時点で、「物語の真のテーマはいまだに現れていない。なんと不可解なことであろう」と書いたのだ。

 なんとも陰惨である。なんともやりきれない。むろん白土自身がこの結末にたじろいだにちがいない。
 それなら1988年にやっと再開された第二部は、この挫折と幻滅を補うものかといえば、実はぼくはまだその詳細を読みこんでいないのだが、ざっと読んでみたかぎりは、まったく別の様相を呈している。もはや白土独特の農本主義的な農民社会の描写はそこになく、むしろ職人や本草学や民間信仰や、さらには洋学が浮上して、新たな社会状況に対応する人間の姿が活写されている。それとともに幕府の体制側の矛盾についに手がおよんでいる。
 これならば物語は、たとえていうならアレクセイ・トルストイをこえる大長編として期待がもてそうなのだが、最初にも書いたように、これまたいまは中断されたままなのだ。まさに白土三平自身が物語と化していて、社会の揺動の波間にふたたび絶句しているかのようなのだ。なんだか、今日の日本社会を寓意しているような沈黙だ。

 白土三平とは何だったのか。非ハリウッド、非ディズニー、非手塚治虫。ここまでは白土三平のファンならずとも気がつくことである。反差別、反搾取、反権力。これは白土三平ならずとも、すでに社会思想が訴えてきたことだ。
 しかし、白土三平はこれらの「非」や「反」にとどまらなかったのではないかと、ぼくは感じている。白土三平は日本の「聖と賤」の秘密を描かざるをえないところまで展出してしまっていて、それなのに徳川社会の村落にとどまらざるをえなくなった矛盾に喘いだのだ。それは浅草弾左衛門がついにその役割を明治に入って放棄することで、近代社会に突入していかざるをえなかった宿命に似た宿命を、白土三平が背負ったということなのである。「絶対矛盾の自己同一」に向かうしかないところへ投企してしまったのに、それを天皇や祭祀や仏教社会に向けないことによって背負ったのだ。
 もしそうだとすれば、白土三平は真の意味での「負」のマンガ家なのである。「非」や「反」を超えたマンガ家なのだ。それを知るには白土三平が『カムイ伝』の筆を折ってから描きつづけた神話シリーズに目を向けなければならない。そこには「火の鳥」が一匹とて飛んでないはずである。




動画:カムイ外伝vol.2 低画質 音ズレあり 

動画:カムイ外伝vol.3 低画質 音ズレあり 

動画:カムイ外伝vol.4 低画質 音ズレあり 

動画:カムイ外伝vol.5 低画質 音ズレあり 

動画:カムイ外伝vol.6 低画質 音ズレあり 

動画:カムイ外伝vol.7(完) 低画質 音ズレあり 

























































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わたしゃ宮本武蔵の兵法指南のバイブル五輪書は大好きですが新渡戸稲造と武士道は大嫌いですのでここに武士道の闇を公開

http://homepage3.nifty.com/aab/busido.htm                        

         日本「武士道」の謎を暴く

                              台湾日本綜合研究所長

                                     許介鱗

                              





1.序

 

日本の武士道精神とはいったい何か。一言でいえば、武士道の要訣とは、死を看破し、「死を恐れず」、主君のために何のためらいもなく命を捨てて身を捧げることである。このような思想は伝統儒家の「士道」に対する一種の反動でもある。儒家の「士道」は君臣の義を重んじ、「君臣義合」、「父子天合」の人倫観念をもつが、日本の「武士道」は主君のために死を恐れず、命はいらないという覚悟を根本とする。

 武士道が重視したのは君臣の戒律であり、「君は君たらざるも」(君が暴虐無道でも)「臣は臣たらざる」(臣が臣道を尽くさない)べからず、であり、忠を尽くすことは絶対的価値だった。中国の原始儒学は孝を本とし、孝を尽くすことこそ絶対的価値だった。もし「父に過ちがあり」、子は「三度諫めても聞き入れられなければ、号泣してこれに随う」が、もし「君に過ちがあり」、臣が「三度諫めても聞き入れられなければ、これより逃れる」のである。武士道論者は、儒家の「士道論」は命を惜しみ、死を恐れる私心を覆い隠すことにあり、それは人倫を見極め主君の道徳がどうであるかに重きを置いてはじめて生死を選択するので、死に直面して潔くない、と考える。ただ純粋で徹底的な覚悟の死だけが武士道の人より強いところである。武士道の徹底的な覚悟の死では、その容貌、言葉遣い、立ち居振舞いも人と違う。武士社会は礼儀を重んじたが、封建社会階層秩序を尊び従うだけでなく、さらに進めて「礼儀正しい」ことこそ、武士が人より一段強い表現だった。武士は「潔く死な」なければならず、君が切腹といえば切腹しなければならなかった。これは日本の鎌倉武家時代以来の伝統である。



2.『葉隠』は武士道精神の源流

 

日本の武士道の古典は『葉隠』と呼ばれ、江戸時代の佐賀藩(肥前鍋島藩)に伝わる武士道の伝習書である。「葉隠」とは樹木の葉陰のような、人から見えないところで主君のために「身を捨てて奉公する」意味である。この書は佐賀藩士・山本常朝(1659-1710)

が伝述し、同藩藩士・田代陳基が聞き書きして整理したもので、18世紀初めの1716年『葉隠聞書』写本が完成、計11巻1200節余、『葉隠』あるいは『葉隠集』と略称される。巻一、巻二は武士の心得修養を講じ、巻三は鍋島藩祖・直茂、巻四は初代藩主・勝茂、巻五は二代目藩主・光茂(山本常朝の主君)およびその嫡子すなわち三代目・綱茂、巻六は鍋島藩古来の事蹟を講じ、巻七、巻八、巻九は鍋島藩武士の「武勇奉公」の言行を講じ、巻十は他藩の武士の言行、巻十一は補遺である。

 

 『葉隠』が表現する武士道精神は果断に、いささかの未練もためらいもなく死ぬことである。一般の人びとは生命に執着するが、武士道はそれに否定的態度をとり、死だけが誠で、その他の功名利禄は幻だと考える。一人の人間が名利を捨てて、「死身」を以て義勇奉公する際に、この世の真実が見える。武士が標榜したのは精神上の優越である。つまり、心理的にまず己に勝ってはじめて他人に勝つことができるのである。まず「自分の命をいらなくする」ことができてはじめて「他人の命をもらう」ことができる。これは日本の武士に人一倍強い道徳律だった。「命がいらない」ことと「人の命をもらう」ことは密接に関わっており、「葉隠」の教訓は非常に残酷な武士の論語だった。



 たとえば佐賀鍋島藩祖直茂はその子勝茂に、「斬首に慣れるには、罪人を斬首することから始めるように」と言って、西の門内に十人並ばせ、斬首を試させた。勝茂は続けて九人の首を切って、十人目が健康そうな若者であるのを見ると、「もう十分斬った。こいつは生かしてやれ」、と言ったので、この男は斬られずに済んだ[1]。日本の軍人が中国を侵略した際の「百人斬り」の残酷な典型をここに見ることができる。



 『葉隠』の著述者・山本常朝一家の典故も髪の毛を逆立てさせるものである。

 山本常朝の異母兄山本吉左衛門は父親山本神右衛門の指示通りに、5歳で犬を殺し、15歳で罪人を斬殺した。[昔の]武士たちは14、15歳から斬首の実習を始めた[2]。このように武士は子供の頃から刀を身につけて成長し、人を斬殺しても気にしないような精神を養った。

 

 武士道の本義は日本の戦前の教育勅語の教えのように、「義勇公に奉じ」を最高原則とし、これは武士が「人に奉公する」ための心の準備で、非常に残酷で非人道的だった。例を挙げると、佐賀鍋島藩四代目吉茂は若いとき非常に粗暴で、家臣の中で気に入らぬ者の妻の悪口を扇に書いて付きの者に渡し、「この扇を見せてどんな反応をするか報告せよ」と言った。家臣は扇を見た後で誰が書いたかも知らず、すぐに扇を破った。付きの者はありのままを報告した。吉茂公曰く、「主人が書いたものを引き裂くとは無礼者。切腹を命ず[3]。」武士道の世界では、「切腹は武士道の最も忠義の証」である。山本常朝も、武士が尽くすべき忠義は殉死を以て最高とする、と言っている。



 身の毛がよだつような話がある。江戸屋敷の倉庫見張り番・堀江三右衛門は倉庫にあった金銀を盗み、逮捕され供述を迫られた後で、「大罪人につき拷問死」の命が下された。まず体中の体毛を焼き尽くし、爪を剥ぎ、足の筋を切断し、きりなどの道具で責め苛んだ。しかし、彼は泣き叫ぶようなことはせず、顔色一つ変えなかった。最後に背骨を立ち割り、煮えたぎった醤油をその上にかけると、彼は体を反らせて死んだ[4]。



 武士道は義、忍、勇、礼、誠、名誉、忠義などの徳目を重んじると伝えられているが、実際には残酷無情で、見るに忍びないものだった。中世の鎌倉時代、源氏一族の親兄弟(源義朝、源為義、源為朝)は、骨肉の殺戮の末、正式な跡継ぎが途絶えていた。北条氏の策謀により功臣たちの命脈も途絶えた。日本の戦国時代の無情は血なまぐさい殺戮史がその証拠である。主君殺しには、将軍義輝に反逆して殺した松永弾正、父親殺しには、父齋藤道三を殺した齋藤義龍、兄弟殺しには、家主の地位を継ぐために長兄の死後次兄およびそれを支持するすべての家臣を殺した今川義元、実の子殺しには、織田信長の言うことを聞いて実の長男徳川信康を自害に追い込んだ江戸幕府初代将軍徳川家康がいる[5]。日本の武士の残酷さ、非人道性はそこここに見られ、武士道精神のもう一つの真実を見ることができる。



3.迷走する武士道「旅順大虐殺」



 甲午戦争[日清戦争]は第一次中日戦争(1894-95年)とも呼ばれるが、当時の日本の陸軍大将・大山巌が第二軍を指揮し、1894年11月21日に中国[清]北洋海軍基地旅順港への攻撃開始後、旅順大虐殺事件が起こった。『日本外交文書』では「旅順口虐殺事件」と称し、英米はPort Arthur AtrocitiesあるいはPort Arthur Massacreと称している。これは日本の武士道精神の中国での最初の発威だったかもしれない。



 旅順大虐殺の犠牲者数はいったいどれぐらいだったのか。

 1895年、遼東半島をめぐる「三国干渉」により旅順が中国[清]に返還され、中国[清]の遼東接収委員・顧元勲は、旅順の遺骨、遺灰埋葬地に「万忠墓」をつくった。記録された受難者は約一万八千人だった。1948年「万忠墓」再建の際、記載された犠牲者数は二万人余だった。中国の歴史学者・孫克復、関捷編著『甲午中日陸戦史』(黒龍江人民出版社、1984年)は、これにもとづき犠牲者数は二万人余であると主張した。1994年3月、「旅順万忠墓紀念館」建設時、万忠墓を再発掘、整理し、「日本軍は旅順市区に侵入後、手に寸鉄を持たぬ平民庶民に対して四日三夜の野蛮な大虐殺を行い、二万近い無辜の同胞が惨殺された」と記載した[6]。



 当時の旅順市の居住人口は約二万人余だった。1895年3月号の『北米評論月刊』(North American Review)の報道によれば、「旅順市街に残った中国人は36人だけだった」という。彼らは死体の搬送、埋葬に使われたのである。



 日本軍第二軍の法律顧問として従軍した日本の国際法学者・有賀長雄は、彼の著作『日清戦役国際法論』(陸軍大学校、1896年)において、当時市街にあった死体の総数は約二千であり、非戦闘員約五百体を含んでいた、と述べている。もちろん日本側は加害者であり、日本軍に非戦闘員(平民)の虐殺があったことを隠蔽しようとした。明治天皇が宣戦の詔勅で「苟モ国際法ニ戻ラサル限リ各々権能ニ応シテ一切ノ手段ヲ尽クスニ於テ必ス遺漏ナカラシムコトヲ期セヨ」と、日本の軍人に戦時国際法を厳守し、日本は「文明国」であるとして欧米に重視させるよう求めていたからである。しかし、旅順には日本軍と行動をともにしていた4人の外国特派員記者がおり、旅順大虐殺事件を目撃した。

 欧米の従軍記者の中で、アメリカとフランスのヘラルド(Herald)のガーヴァー(Garver)が買収されて日本を擁護する立場に立った以外、その他のイギリスのタイムス(Times)のコーエン記者(Thomas Cohen)、スタンダード(Standard)のウィリヤース記者(Villiers)、アメリカのワールド(The World)のクリールマン記者(James Creelman)の3人は語気に若干の違いはあるが、日本軍が犯した虐殺の罪行を強烈に非難している。



 たとえば、1894年11月20日にニューヨークで発行されたWorldの編集標題は「旅順港の惨殺で少なくとも二千人の手に寸鉄を持たぬ人びとが日本軍に虐殺された」というもので、日本軍の暴行を激しく批判、日本人は文明の皮膚をまとい、野蛮な筋骨をもった怪獣であり、「日本は今や文明の仮面を脱ぎ捨て、野蛮な本性をあらわにした」と攻撃する内容だった。さらにイギリスのタイムス(Times)の記者も、日本軍は捕虜を縛ったまま虐殺し、平民とくに女性も虐殺した事実があることを明らかにした。



 日本人自身の証言によれば、日本郵船の貨物船遠江丸の一等運転手林治寛の体験は、「旅順口陥落ノ時上陸セシニ、死屍相積、三畳々散ヲナシ実ニ酸鼻ノ残(惨)状ヲ見シ。内ニ老アリ、幼アリ、婦人アリ、稚児アリ。未ダ死ニ至ラサルモノ伸(呻)吟ノ声、今ニ猶ホ耳ニ存スト」[7]というものだった。



 当時の日本の外相・陸奥宗光は、日本軍の虐殺のスキャンダルが国際社会に伝わらないように、手を尽くして外国通信社を買収した。たとえば、機密電報で駐英代理公使・内田康哉にイギリスのCentral Newsを金銭で買収し、タイムスの旅順大虐殺報道と異なる論調を提起させ、旅順市民に対するある種の残虐さは中国人逃亡兵の仕業と言わせるよう指示した。内田が返電で買収資金の不足を伝えると、外務省は予備金から日本円2000円を為替で送ると回答した。イギリスのCentral Newsは日本の情報工作にサービスする十分な報酬を得た。[8]



 他方、ロイター通信社(Reuters)の買収は当時の駐独公使・青木周蔵によって行われた。陸奥外相は「ロイター電信会社」(Reuters Telegram Company)が日本のために有利な情報を流すことで606ポンドの報酬を与えることを承諾した。当時横浜にあったジャパン・メール社も『Japan Mail』と『Japan Weekly Mail』を発行していた。社長のブリンクリーはロイター社の通信員でもあった。陸奥外相は内閣書記官長・伊東巳代治に、ジャパン・メール社に対して日本政府が毎日流す戦争情報をロンドンに電送するよう求めさせた。ブリンクリーへの陸奥の働きかけが成功すると、日本政府は補助金の名目で毎月ジャパン・メール社に一定の補助金を与えた。甲午戦争[日清戦争]後の論功行賞で日本政府はブリンクリーに「勲三等旭日章」ならびに恩賞金5000円を授与した。[9]



 しかし、ロイター社にはReuters Telegram CompanyとReuters International Agencyとがあり、日本政府は前者と契約を結んで金を与えて買収していたが、後者は相変わらず日本に不利な虐殺の情報を伝えていた。当時『時事新報』を掌握していた世論の泰斗・福沢諭吉は「旅順の殺戮 無稽の流言」を書いて弁解した[10]。お雇い外国人ハウス(Edward House)を通して欧米の通信社、ワールド等に弁解が提示され、虐殺事件の沈静化を図り、日本国内でも虐殺事件の存在が忘れられた[11]。日本政府は、虐殺事件の徹底調査を行わないうちに、「旅順口占領に関する誤聞」として、ドイツ駐在青木公使、イギリス駐在内田公使、アメリカ駐在栗野公使、ロシア駐在西公使、フランス駐在曽祢公使、イタリア駐在高平公使等、欧米の各駐外公使に対して、各国への弁解のための弁明書を伝達した。[12]



 しかし、英米の新聞の、旅順大虐殺を目撃した記者の報道により、日本の大本営も、参謀総長から大山巌軍司令官に宛てた公文を持たせた人員を旅順に派遣し、きちんとした説明を求めざるをえなかった。大山の返信は11月21日の旅順市内の兵士と人民に対する殺戮を認めたが、旅順の住民の多くは中国軍と関係があって抵抗を試みのだとか、黄昏時ではっきり見えずに殺戮が生じたなどと弁明していた。この他、捕虜の殺害については、反抗、逃亡に対する懲戒だと強弁し、日本軍と関係のある略奪行為は一概に否認した。要するに、参謀本部に対する大山巌の弁明書からわかることは、虐殺の規模の大小、虐殺の原因には弁解がなされているが、日本軍第二軍司令部は「旅順虐殺」の事実の存在をやはり認めているということである。



 当時の首相・伊藤博文は「旅順大虐殺」事件のことで大本営と協議した結果、日本が戦勝した以上、日本軍の士気を保ち、この事件の真相を調査して首謀者を懲戒してはならず、一貫して弁明する方針で国際世論に対応することを決定した。



 日本政府が日本軍による中国の庶民の虐殺を追究せず、ひたすら列強に対して日本が「文明国」だと弁明し、中日甲午戦争[日清戦争]は「文明国」の日本が「野蛮国」の中国を打ち負かしたのだと一貫して宣伝して以後、日本軍はさらに憚ることなく中国人を虐殺できるようになったのである。



 日本の武士道はここに至って、欧米列強に尻尾を振って金を送り嘘でごまかし、弱国中国に対しては反対に虐殺凌辱しても恬として恥じないというところまで堕落してしまった。



4.武士道が台湾で威を振るう



『台湾総督府警察沿革誌』等の資料によれば、日本は台湾占領後の数年間に、少なくとも以下の数件の大虐殺を行っている。これは日本の武士道の台湾での発威というべきである。



一.大??の大放火、殺人 1895年、馬関条約[下関条約]後、日本軍は台湾に上陸した。台北と新竹の間の大??渓沿岸の地区には猛者汪国輝、三角湧樟脳製造業者蘇力、樹林地主王振輝らがいて、それぞれ「住民自警団」を率いて自衛していた。7月12日、日本軍がこの地区に進軍すると、汪らは抵抗した。7月16日以後、日本軍の援軍が到着して、虐殺を繰り広げた。日本軍は大??以東、三角湧までの間のすべての村を抗日義軍とみなし、大??街を放火するよう命令を下した。かくして、4万人前後の繁華街は、7月22日から連続して3日間、遥か三角湧街にまで延焼し、20数里絶え間なく、あたり一面、寒々とした焦土へと変わり、焼失した住宅は合計1500戸余、死傷者は260人だった。抗日のリーダー汪国輝は日本軍に武士道のやり方で斬殺された[13]。



二.大?林の婦女暴行 1895年8月30日、日本軍は雲林地方に入り、9月2日大?林、すなわち今の嘉義県大林鎮に到達した。この地のリーダー簡精華は装備戦力が日本軍の相手にならないことをよく知っており、人びとが塗炭の苦しみをなめるのが忍びなかったので抵抗を放棄し、住民に道路を清掃し、食物を提供して日本軍を歓迎するよう命令した。ところが、予期に反して日本軍は簡に200人の女性を差し出すよう要求した。簡が応じなかったところ、日本軍は簡氏一族の女性60人余を強姦、殺害した。簡氏は激怒し、雲林の民衆を招集し、9月3日から弓矢、棍棒、落とし穴、自作の銃で日本軍を襲撃した。その後、簡精華は辜顕栄の誘いを受け、苦痛を忍んで帰順を受け入れたが、1ヶ月経たないうちに、自ら左手の血管を切り、自宅で失血死した。地元の人びとはその忠義に感動し、「簡忠義」として偲んだ[14]。



三.蕭壟街の惨殺 1895年10月10日、日本軍混成第四旅団が布袋嘴(嘉義地方)に上陸すると、当地の義軍のリーダー林崑岡は決死隊の勢いで郷里を守った。しかし、武器が粗悪で相手にならず、蕭壟街(今の台南県佳里鎮)まで退いた。そこで、日本軍は大がかりな捜索を行い、千人近い村民が渓谷のそばの雑木林の天然の溝や谷に隠れたが、嬰児の泣き声で発見されてしまった。日本軍は兵を派遣して長い坑の頭尾両端を遮断し、坑内に向けて一斉に20分近く激しく銃撃した。凄まじい叫び声と泣き声はこの世の地獄のようで、坑に避難した台湾人は一人として災いを逃れられず、嬰児、女性も一人として生き残らなかった。真に残酷さの極みであった[15]。



四.雲林大虐殺 台湾中部の雲林地方に「大坪頂」と呼ばれる山地があり、三面は渓谷に囲まれ、東南は険しい山地につながり、地勢は険しく、柯鉄率いる柯氏家族が住んでいた。日本軍が北から南下した際に、簡義ら抗日分子が続々と風雨を避けてこの地に来た。1896年4月1日、雲林県地方は台中県に併合され、雲林支庁が斗六に設けられた。6月10日、日本軍混成第二旅団の守備隊が雲林地方に進駐を開始した。当時大坪頂には抗日分子千余名が集結しており、決死の覚悟で抗日を誓い、大坪頂を「鉄国山」と改名し、全島に檄文を発し、日本人を台湾から駆逐するよう呼びかけた。6月16日、日本軍の一連隊が斗六に進入すると、「鉄国山」の抗日軍はその鋭鋒を避け、深山に退いた。それから6月22日に至るまで、日本軍は雲林地方で血なまぐさい虐殺を行い、全部で4295戸の民家が焼かれ、六千人の民衆が惨殺された[16]。日本軍を歓迎した約50人の順民までもが殺された。



 当時の台湾高等法院院長高野孟矩は雲林大虐殺事件について次のように証言している。「漫然兵隊ヲ出シテ六日間ヲ費シ七十余庄ノ民屋ヲ焼キ良匪判然タラサル民人三百余人ヲ殺害シ附近ノ民人ヲ激セシメタルハ全ク今般暴動蜂起ノ基因ト認メラル故ニ土匪何百人又何千人ト唱フルモノ其実際ヲ精査スレバ多クハ良民ノ父ヲ殺サレ母ヲ奪レ兄ヲ害セラレ又子ヲ殺サレ妻ヲ殺サレ弟ヲ害セラレタル其恨ニ激シ又家屋及所蔵ノ財産悉皆ヲ焼尽サレ身ヲ寄スル処ナク彼等ノ群中ニ投シタルモノ実ニ十中七ハニ位シ真ニ強盗トシテ兇悪ヲ極ムル輩ハ十中二三ニ過キサル。」[17]



 1896年7月4日香港の英字紙『Daily Press』が日本軍の6月16日から6月22日までの雲林大虐殺事件を明らかにしたことにより[18]、日本軍が台湾民衆を虐殺した事実が国際的な関心を引き起こした[19]。日本政府はしばしば関係部局に、香港の新聞の土匪に関する報道を取り消すよう訓令し、また拓殖務次官に外事新聞[20]に(作り上げた)事実を掲載するようにし、外国の新聞ではこのことを隠蔽するようにした。しかし、雲林大虐殺を契機として、台湾各地では連鎖的に日本の統治に対する不満が爆発し、各地で抗日運動が起こった。国際世論の圧力の下で、第二代の台湾総督桂太郎が退任を余儀なくされた。皮肉なことに、就任した第三代の総督乃木希典は甲午戦争[日清戦争]の旅順大虐殺で責任を負うべき旅団長だったのである。



五.阿公店大虐殺 第四代台湾総督・児玉源太郎と民政長官・後藤新平は「台湾近代化」の生みの親で、彼らは台湾に「懐柔政策」を実行した「能吏」だ、と讃えるものがいるが、彼らにはもつれた麻を切るごとく人を切る日本の武士道の本性があり、大虐殺によって抗日台湾人を鎮圧して台湾統治の基礎を確立したことを見落としている。児玉は1898年に台湾総督に就任、11月12日からの、台湾中南部の抗日軍に対する、日本人が「大討伐」と呼んだ大規模攻撃の展開を決定した。この「大討伐」は台南県知事が台湾総督に提出した報告によれば、殺害した人数は2053人に達し、負傷者は数え切れない。焼かれた民家数は、全焼が2783戸、半焼が3030戸だった。家屋の全焼、半焼、家財の焼失などの損害は、当時の貨幣価値で3万8千円余に達した。[21]中でも被害がもっとも残酷だった阿公店地方には、安平、打狗(高雄)に住む外国人がおり、日本軍の残虐暴力に議論が沸きおこり、イギリス長老教会牧師ファーガソン(Duncan Ferguson)等は『香港日報』(Daily News)に投書し、日本軍の人間性を喪失した大虐殺の人道問題を提起して、国際世論の非難を巻き起こした[22]。



六.帰順式場に誘き出しての惨殺事件 児玉と後藤の台湾中南部の抗日勢力への対応は、軍警の大規模な「討伐」以外に、投降を呼びかけ、誘き寄せて殺す策略を使った。これがいわゆる「土匪招降帰順政策」であり、画策者は児玉長官、立案参与者は後藤民政長官、総督府事務官阿川光祐、策士は白井新太郎で[23]、中でも雲林の騙し討ちが抗日軍でもっとも人を驚かせる事件だった。1902年、斗六庁長・荒賀直順は警務課長・岩元知と投降を呼びかけて殺戮する計画を密かに画策した[24]。



 5月14日、斗六庁長・荒賀と当地の守備隊長、憲兵分隊長は5月25日に帰順式を開いて騙し討ちすることを画策した。5月18日、岩元警務課長は林?埔、?頭?、土庫、他里霧、下湖口の5人の支庁長を招集し、帰順式典を行う真意と段取りを指示し、斗六、林?埔、?頭?、西螺、他里霧、内林の6ヶ所を式場とすることを決定、各市庁長に十分な準備をするよう命じた[25]。



 帰順の意思を示した抗日の各リーダーに対しても、表面的には甘言を弄し、彼らの帰順を許したが、内心では徹底的な殲滅を企てていたので、張大猷以下265人の抗日分子をこの年の5月25日に誘い出すことを決め、6ヶ所でそれぞれ帰順式を行うと公言した。すなわち、一.斗六式場60余人、二.林?埔式場63人、三.?頭?式場38人、四.西螺式場30人、五.他里霧式場24人、六.林内式場39人である。その後、機関銃で6ヶ所同時にすべて殺戮した[26]。このような投降を誘い、騙して殺戮した事件に関して、日本人は口実を設け、5月25日、帰順式場での妄動により、一斉に殺戮したと説明しただけであり、騙して殺した事実を隠蔽した。



七.??<口+年>大虐殺 1915年余清芳が台南の西来庵「食菜堂」を中心として抗日運動を推進、展開していた頃、日本軍警は誘き出して殺す計略を使って、台南??<口+年>(玉井)付近の後?、竹圍、番仔?、新化、内庄、左鎮、茶寮等二十余村落住民3200余人を、老幼を分けず、次々に殺戮した[27]。日本人はこのような世にも悲惨な大殺人に対して隠蔽の限りを尽くした。たとえば、秋澤次郎が著した『台湾匪誌』は「匪賊の暴動」と「聖恩が洪大で果てしない」ことを饒舌に叙述している以外に、前述の騙し討ちの事実を示していない。しかし、その文中には騙し討ちのかすかな手がかりを覗き見ることができる。たとえば、文中で「斯くて残匪の誘出終るや総督府に於ては、彼等の中で罪状最も重く大正四年十一月の大赦の恩典に浴する能はざる者は假令投降したとはいえ、国法を抂げて刑を全免するが如きは国家の威信を傷くるものであるから、夫等の者に対しては厳粛なる処刑の必要を認めたのである。」[28]と書いており、抗日リーダー江定らはこのように投降を呼びかけられて処刑されたのである。



 後藤新平は『日本植民政策一斑』で彼が台湾を統治していた五年間に法にもとづいて「殺戮した匪徒の数」は11950人に達した[29]と公然と述べている。日本のいわゆる「匪徒」とは、いうまでもなく、すべて「抗日」の台湾人のことだった。



 台北市文献委員会副主任委員・王国?編著『台湾抗日史』によると、「台湾が日本人の手に落ちて五十と一年になろうとしているが……わが同胞で虐殺に遭った総数は約40万人近く、焼かれた家屋は乙未年(1895年)内だけでも三千余に達し、婦女の淫虐、壮丁の奴役にいたっては、その精神上の損失はさらにはかりがたい[30]。」



 現在、日本の右翼分子はしばしば日本の五十年の台湾植民地統治の成功を「近代化」と称賛し、多くの台湾の学者も追随して台湾の「植民地化」は「近代化」であるといっている。もし台湾の日本への割譲後、日本の武士道が台湾で威を振るい、台湾ではじめて「近代化」の成果があったのであれば、台湾人は腰抜けで、台湾人自身には「近代化」の能力がない、というに等しいのではなかろうか。



5.新渡戸はなぜ英文版『Bushido』を出版したのか



 新渡戸はなぜ1899年に『Bushido』を著して武士道に新たな解釈をしたのか。『武士道』の出版はどのように新渡戸の登竜門となり、富貴栄華を獲得する足がかりとなったのか。もっとも主要な秘訣はアメリカ人女性メリー(自称「万里」Marry Patterson Elkinton 1857-1938)を妻としたことである。当時日本は甲午戦争[日清戦争]で中国に勝利し、二億三千万両、ほぼ三億六千万円に相当する賠償金と台湾植民地を獲得したが、日本軍には「旅順大虐殺」、「領台大虐殺」の残虐行為があり、列強は依然として日本を野蛮国と見なしていた。日本は日本軍の行為は「武士道」の行為であり、一種の崇高な品徳であると国際的に説明しなければならなかった。



 新渡戸は1884年アメリカに留学し、アメリカのボルティモアに新設されたジョンズ・ホプキンス大学に入学した。同学には後の大統領ウイルソン(Woodrow Wilson)がいた。彼は在学期間中の1886年アメリカ人女性メリーと知り合った。メリーはフレンド派の信徒(通称クエーカー教徒)で愛国者であり、新渡戸も愛国者で、メリーを追うために彼もフレンド派の信徒になった。メリーの父親は日本人を野蛮な民族と考え、メリーと新渡戸との結婚に反対したが、二人は5年間交際した後、1891年に結婚した。当時メリーは33歳、新渡戸は28歳で、年齢差は5歳だった。結婚後二人は東京に居を構えたが、日本という海の中に漂う孤島のようなもので、居住環境は完全にアメリカ式だった。メリーは初めて日本人と結婚したアメリカ人女性で、日本語を話さず、日本人の考え方や行動様式にもかまわず、文化的にも心理的にも、元通りアメリカ人の行動様式(American way of life)のままに日本で生活した。しかし、彼女は夫の英文書『Bushido(武士道)』に協力し、日本の伝統と欧米を比較し、日本の武士道と欧米の騎士道の相似性を詳述して、日本の切腹、敵討等は決して野蛮ではないと弁解した。美しく上品な英文の助けを借りて、この書は欧米読書界を風靡し、新渡戸稲造の名前は瞬く間に世界に伝わった。かくして、「武士道」を語ることは「新渡戸」を語ることであり、「新渡戸」を語ることは「武士道」を語ることになり、その名は天下に知れ渡った[31]。これ以後、新渡戸は京都帝国大学教授(1904年)、第一高等学校校長(1906年)、アメリカのカーネギー財団(Carnegie Foundation)交換教授(1911年)、東京帝国大学教授(1915年)、東京女子大学校長(1918年)、国際連盟事務次長(1919年)等、一段一段階段を登りつめた[32]。



 新渡戸は『Bushido』初版序説で、「この小著の直接の端緒は、私の妻が、かくかくの思想もしくは風習が日本にあまねく行なわれているのはいかなる理由であるかと、しばしば質問したことによるのである」[33]と述べている。武士道の掟は西洋人から見ると野蛮で、円滑に説明する方法を考えなければならなかったので、彼女に理解させ、彼女を納得させることができるまで、再三討論した。新渡戸のこの著作は他にアメリカの女性の友人アンナ(Anna C. Hartshorne)の協力を得ている。彼女と彼女の父親ヘンリー(Henley Hartshorne)は1893年に日本を訪れ、新渡戸の家で何年も暮らした。アンナが残した手紙は彼女が『Bushido』の著述に深くかかわっていたことを証明している。残されている記録によると、新渡戸の手が震えて書き続けられなくなったとき、アンナは新渡戸の口述を聞き取り、彼に替わって筆記したという。新渡戸はこの書の序の末尾でアンナに対する感謝の気持も明らかにしている[34]。



 このように英文で新たな解釈を示した『武士道』が、義和団事件が発生した1900年、アメリカのフィラデルフィアで出版された。フィラデルフィアはペンシルバニア州にあり、ギリシア語で「友愛」の意味をもつ。植民地時代からフレンド派の信徒ペン(William Penn)

が建設を指導し、1776年にアメリカ独立宣言、翌年、憲法が発布された歴史的記念都市となった。この書の出版は折りしも欧米人が「日本精神」と中国の「義和団」(西洋人はBoxerと称した)を比較評価する機会となった。この書は日露戦争勃発後の1904年、アメリカ人の協力により、比較的大きな出版社から再版された。日露戦争で日本はロシアの白色人種に勝利したおかげで、国際的に日本への関心と興味が深まり、英文版の『武士道』はベストセラーになった。新渡戸はこのときから日本精神、日本倫理学の権威となり、世界にその名をあげた。1905年日露戦争戦勝の年、明治天皇はとくに『武士道』の作者新渡戸を宮中に召見したが、当然メリー夫人も随行して皇居で拝謁した。



 日本が日露戦争でロシアを打ち負かすことができたのは、実際にはアメリカ金融資本の援助に依拠していた。当時ドイツ系ユダヤ人が創設した投資銀行クーン・レーブ商会(Kuhn, Loeb & Co.)の社長は、ドイツ生まれでアメリカに移住、帰化したシフ(Jacob H. Schiff)であり、彼は彼のヨーロッパのユダヤ系金融資本家の友人ロスチャイルド(Lord Rothschild)とともに、ロンドンとパリでロシアが戦債を工面しようとしているのを封鎖し、シフのクーン・レーブ商会が責任をもって日本の日露戦争時の四回の外債募金を行い、合計三億五千万米ドルを募金で獲得した。これは日露戦争時の日本の戦費のほぼ半分である[35]。シフは戦後の1906年日本に赴いた。明治天皇が召見し、日露戦争の挙債の功労に感謝して「勲一等瑞宝章」を贈った。シフは対露戦争の協力者だったからこそ明治天皇が召見し、新渡戸夫婦は日本が対外戦争に従事する際、「武士道」精神で包装した功労により召見を得たのである。



 新渡戸稲造が明治天皇に呈上した『上英文武士道論書』からも、彼が武士道を著した真意を完全に理解できる。

「伏て惟るに、

皇祖基を肇め、

列聖緒を継ぎ、洪業四表に光り、皇沢蒼生に遍く、声教の施す所、徳化の及ぶ所、武士道?に興り、鴻謨を輔けて、国風を宣揚し、衆庶をして、忠君愛国の徳に帰せしむ。斯道

卓然として、宇内の儀表たり。然るに外邦の人猶ほ未だ之を詳にせず、是れ真に憾むべ

きことなりとす、稲造是に於て武士道論を作る。」

「稻造短才薄識加ふるに病羸、宿志未だ成す所あらず、上は

聖恩に背き、下は父祖に愧づ。唯僅に卑見を述べて此書を作る。庶幾くは、

皇祖皇宗の遺訓と、武士道の精紳とを外邦に伝へ、以て国恩の萬ーに報い奉らんことを。

謹で此書を上り、乙夜の覧を仰ぎ奉る 誠惶頓首。」

明治三十八年(1905年)四月京都帝国大學法科大學教授從五位勳六等農學博士新渡戸稻造 再拜白[36]



 この書は1899年に出版後、数回の増訂、再版を経て盧溝橋事変翌年の1938年、矢内原忠雄によって翻訳された日本語版が岩波書店で出版され、日本の『武士道』論の決定版となった。この書の第十六章「武士道は尚生くる乎」は「武士道は我国の活動精神、運動力であったし、又現にさうである」と断定している[37]。



 「王政復古の暴風と国民的維新の旋風との中を我国船の舵取りし大政治家たちは、武士道以外何の道徳的教訓を知らざりし人々であった」。「現代日本の建設者たる佐久間、西郷、大久保、木戸の伝記、又伊藤、大隈、板垣等現存せる人物の回顧談を繙いて見よ――然らば彼等の思索及び行動は武士道の刺戟の下に行なはれし事を知るであらう」[38]。



 たしかに、佐久間、西郷、大久保、木戸、伊藤、大隈、板垣らは、日本の「王政復古」の維新事業を推進し、日本が「上下一体の皇国」となることを促した志士であり、しかも、日本も甲午戦争[日清戦争]、日露戦争を経て「皇国を世界第一等の強国」にした。しかし、日本の「内政」の成果はアジア隣邦への「外征」の犠牲の上に成り立っていたのである。



 佐久間象山は「東洋道徳、西洋芸術」論を提唱した思想家で、彼はイギリスが発動したアヘン戦争をひたすら自己の利益を図り、礼儀廉恥を知らないと評した。彼の理想は日本という「皇国が世界第一等の強国となる」ことであり、日本の志士が「開国進取」の方向へ向かうよう啓蒙することだった。佐久間は最後に幕府の上層一橋慶喜および将軍徳川家茂に拝謁し、「開国」の時流を語り合ったが、「倒幕」、「攘夷」の志士に暗殺された。



 西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允は「王政復古」明治維新の三大功臣である。西郷は「征韓論」が有名で、不平士族に擁立されて謀反を起こし、戦いに敗れて自刃した。大久保は明治初年欧米視察の機会を得、欧米列強が虎視眈々としている様子を見て、「内治」を先行させることを主張し、「征韓」に反対したが、1874年「征台」、「台湾処分」の主張に転じ、中国への「強硬外交」の推進へと至った。1878年、不満士族に暗殺された。木戸孝允は「尊皇攘夷」の志士で、初めは「征韓論」を唱え、下級武士の不満の捌け口を作ったが、1872年に岩倉外交使節団に随って欧米を巡歴して帰国後、態度を改めて「征韓」に反対し、「征台」にも反対した。西南戦争中に死亡した。伊藤は日本の内閣制の創設と明治憲法制定の功臣であり、第二次組閣時に海軍を拡張し、中日甲午戦争[日清戦争]を挑発、強行し、日露戦争後、韓国併合のために日韓協約を締結し、初代韓国総監に任命されたが、韓国の愛国志士安重根に暗殺された。



 大隈は1874年日本が「征台」に出兵したときの事務局長官で、第一次世界大戦時に組閣して対独宣戦、中国に対して二十一ヶ条の要求を突きつけ、山東におけるドイツの特殊権益を日本に移すことにつとめたが、日本の右翼玄洋社社員来島恒喜に爆弾を投げられて片足を失った。板垣は「征韓論」の首脳で、征韓論の失敗により下野し、後に愛国公党、自由党等各種政党を組織し、政治活動に参加、対内的に「自由民権」を主張したが、対外的に「征韓」、「対中国開戦」を主張した。



 以上の歴史から見て、日本の武士道思想の影響下の大政治家は日本にとってたしかに明治維新の功臣だったが、隣邦の民衆にとっては明らかに対外武力侵略の元凶だったことがわかる。もし隣邦の被侵略者の立場から見るなら、日本の武士道思想は否定されるべきものである。



 新渡戸の「武士道」論の中で中日甲午戦争[日清戦争]をいかに論じているかを見てみよう。

 「矮小ジャップ」の身体に溢るる忍耐、不撓並に勇気は日清戦争に於て十分に証明せられた。「之れ以上に忠君愛国の国民が有らうか」とは、多くの人によりて発せられる質問である。之れに対して「世界無比!」と吾人の誇りやかに答え得るは、之れ武士道の賜である[39]。



 日本人にとっては武士道の賜だとしても、旅順で大虐殺に遭った中国人、日本が台湾を占領したときに大虐殺に遭った台湾同胞も日本人と同じように武士道の残酷さを讃えるだろうか。



 新渡戸は再度強調している。

 「鴨緑江に於て、朝鮮及び満洲に於て戦勝したるものは、我々の手を導き我々の心臓に搏ちつつある我等が父祖の威霊である。之等の霊、我が武勇なる祖先の魂は死せず、見る目有る者には明らかに見える。最も進んだ思想の 日本人にてもその皮に掻痕を付けて見れば、一人の武士が下から現はれる」[40]。

 日本の武士道の武力や権勢の魂魄刀の下の中国人、朝鮮人、琉球人、原住民族は、もし独立した自由意志をもつ人間であれば、日本帝国主義の蹄鉄の下に屈服を願うはずはないのである。



 新渡戸は1920年から国際連盟事務局次長を7年間つとめ、日本の国際的宣伝工作の責任を負った。帰国後、貴族院議員に就任、太平洋問題調査会理事として瀋陽事変[満洲事変]後、日本軍の中国東北出兵に弁解し、1933年死去した。彼のアメリカ人の夫人メリーは盧溝橋事変の翌年の1938年に亡くなった。彼ら夫婦は1904年から05年の日本の対露戦争を支持しただけではなく、1931年の瀋陽事変[満洲事変]以来、1930年代に、一貫して日本軍の中国での軍事行動は正しいと弁護した。換言すれば、「武士道」新解釈の意図は、欧米列強に対して、日本の東アジア侵略の理論を弁解し正当化することだった。



6.結論



 新渡戸は台湾製糖業の改革において重要な役割を演じた。彼は台湾総督府の招請を受け、1901年2月、台湾総督府技師に就任、5月、民政部殖産課長に昇格、11月、新設の殖産局局長に任命され、1902年6月、臨時台湾糖務局新設時、局長も担当、1903年10月、京都大学法科教授に転任、台湾で三年四ヶ月を過ごした。



 彼の台湾での具体的功績は1901年9月に「糖業改革意見書」を提出し、最大の課題が保守的な農民に新品種、新技術を採用させることであるとの考えを示したことで、児玉源太郎、後藤新平に対し、プロイセンに馬鈴薯を普及させるために強制力による実行を厭わなかったプロイセンのフレデリックⅡ世(1712-1786)のように、台湾の専制啓蒙君主となることを進言した。かくして、新渡戸の提案の下で、「台湾糖業奨励規則」が作成され、総督府が奨励金を支出し、外国から甘蔗の新品種を取り入れ、蔗苗と肥料を購入する費用、開墾費用、灌漑および排水費用、製糖機械器具費用等各種の手厚い補助を与える一方、臨時糖務局を設立、台湾伝統の糖<广+部>を淘汰し、糖業の「近代化」を進めた。しかし、その結果は、台湾人自営の糖業を駆逐して日本本土の糖業資本を台湾に侵入させ、台湾の製糖業を独占することだった。



 新渡戸は植民地主義を肯定し、植民地は新領土であると認識していた。彼はイギリスの保守党の指導者ソールズベリー(Robert Salisbury 1830-1903)の「膨張的国民は生きる国、非膨張的国民は死ぬる国である。国家はこの二者中その一に居る」との論点を肯定し、活力をもつ国民は必ず膨張して領土獲得を求めると考えた。したがって、新渡戸の植民政策は、客観的には日本の統治の理論を正当化することにあった[41]。新渡戸は九一八事変[満洲事変]後さらに帝国主義の方向に向かい、1932年の「満洲国建国」時、「満洲国」は「民族自決」だといい、故ウイルソン大統領さえ満足するはずだと述べた。彼が勤めた国際連盟に対して、日本が1933年3月に脱退したとき、彼は、国際連盟は政治機関たるべきなのに、どうして司法機関のように日本を糾弾する誤謬に陥っているのかと批判し、一貫して日本の行動を弁護した。このときの新渡戸は明らかに国際主義の擁護から帝国主義の擁護へと転じていた。



 戦後、日本銀行が1984年に紙幣の図案設計を変更した際に、福沢諭吉像を一万円、新渡戸稲造像を五千円、夏目漱石像を千円の図案に採用した。この三人は武士道への積極的称賛を示しており、三人の見方は一致していたとはいえ、微妙な差が存在していた。しかし、明治期の日本人がかなり武士道の影響を受けていたことも示している。



 福沢は1884年10月の中国分割図において、日本が台湾を割取することを予言し、新渡戸稲造は日本の台湾割取後の1899年、「武士道―日本人の魂」を著し、甲午戦争[日清戦争]で鴨緑江、朝鮮、満洲戦役に打ち勝ったのは日本人の祖先の霊魂であると褒め称えた。以上二人の侵略精神は侵略、植民された人民からいえば、日本人に追随して称賛する道理はない。



 夏目漱石の武士道に対する積極的評価は1910年日本海軍の潜水艇で事故が起こり、14人の船員全員が脱出できず、艇内で死亡したことと関連する。夏目は艇長佐久間勉の遺書に「小官ノ不注意ニヨリ陛下ノ艇ヲ沈メ部下ヲ殺ス 誠ニ申訳無シ サレド艇員一同死ニ至ルマデ皆ヨクソノ職ヲ守リ沈着ニ事ヲ処セリ」と書かれていたことと、以前イギリスの潜航艇が同様に不幸な事故に遭遇したときに船員が死を免れるために争って窓のほうへ逃げようとして遺体が折り重なっていた状況とを比べて、間違いなく日本の武士道のすばらしさに感動したのである。日本海軍の一指揮官は武士であり、「陛下ノ艇ヲ沈メ」、「部下ヲ殺」したことに、かくも責任を痛感したことこそ、文学者夏目漱石を感嘆させたのであり、これこそ武士道が敬慕を受けるところなのかもしれない[42]。





[1] 和辻哲郎、古川哲史校訂『葉隠』(東京、岩波書店、1973年)上冊、191頁。

[2] 同上、中冊、161頁。

[3] 同上、中冊、184頁。

[4] 同上、下冊、52頁。

[5] 『日本残酷物語』、『歴史と旅』臨時増刊(東京、秋田書店、1992年3月)164-187頁。

[6] 秦郁彦、佐瀬昌盛、常石敬一編著『世界戦争犯罪事典』(東京、文藝春秋社、2002年)27-31頁。[引用部分は同書29頁の「紀念館」のプレートの写真によるものである]

[7] 檜山幸夫『日清戦争―秘蔵写真が明かす真実―』(東京、講談社、1997年)117頁。

[8] 井上晴樹『旅順虐殺事件』(東京、筑摩書房、1995年)28-30頁。

[9] 『旅順虐殺事件』31-32頁。

[10] 石河幹明『福澤諭吉傳』第三巻、(東京、岩波書店、1932年)756頁。

[11] 『世界戦争犯罪事典』31頁。

[12] 『旅順虐殺事件』90頁。

[13] 杉浦和作『明治二十八年台湾平定記』(台北、1896年)71頁;日本参謀本部編『明治二十七八年日清戦史』、許佩賢訳『攻台戦紀―日清戦史、台湾篇』(台北、遠流、1995年)184-193頁;許佩賢訳『攻台見聞―風俗画報、台湾征討図絵篇』(台北、遠流、1995年)150-152頁;許世楷『日本統治下の台湾―抵抗・弾圧』(東京、東京大学出版会、1984年)50-51頁。

[14] 『攻台戦紀』248-253頁;『攻台見聞』294頁;『譲台記』60頁、63頁、64-65頁;『瀛海偕亡記』11頁、15頁;姚錫光「東方兵事紀略、台湾篇上」、『台海思慟録』所収61頁;洪棄生『瀛海偕亡記』(台北、台湾銀行経済研究室、1959年)24-25頁。

[15] 『攻台見聞』422頁;『譲台記』69-70頁。

[16] 台湾総督府『陸軍幕僚歴史草案』巻一、6月21日の項;台湾総督府警務局編『台湾総督府警察沿革誌』第二編、上巻(東京、緑陰書房、1986年、復刻版)432頁、436頁。

[17] 苫地治三郎『高野孟矩』1897年、252-253頁。

[18] 『台湾史料稿本』巻六、58頁。

[19] 『台湾総督府警察沿革誌』第二編、上巻、436頁;『公爵桂太郎傳』乾巻、735頁。

[20] 『台湾総督府公文類纂』23巻永久乙種第十門軍事、明治29年7月11日。

[21] 『台湾総督府警察沿革誌』第二編、上巻、512頁。

[22] 『台湾総督府警察沿革誌』第二編、上巻、512頁。

[23] 台湾総督府法務部編纂『台湾匪乱小史』(台北、台南新報支局、1920年)22頁。

[24] 『台湾総督府警察沿革誌』第二編、上巻、454頁。

[25] 『台湾総督府警察沿革誌』第二編、上巻、457頁。

[26] 『台湾総督府警察沿革誌』第二編、上巻、460-461頁。

[27] 『南投県革命志稿』176-181頁。

[28] 秋澤次郎『台湾匪誌』(台北、杉田書店、1923年)295頁。

[29] 後藤新平『日本植民政策一斑』(東京、拓殖新報社、1921年)27-28頁。

[30] 王国?編著『台湾抗日史』(甲篇)(台北文献委員会、1981年)327頁。

[31] 石井満『新渡戸稲造傳』(東京、関谷書店、1934年)172-173頁。

[32] ジョージ・M・大城「メリー・P・E・新渡戸―戦前の国際人新渡戸稲造の妻」、『新渡戸稲造研究』第八号(1999年)143-166頁。

[33] 新渡戸稲造著、矢内原忠雄訳『武士道』(東京、岩波書店、1969年)11頁。

[34] 同上、13頁。

[35] Walter LaFeber,The Clash―A History of U.S.-Japan Relations,Newyork,W.W.Norton&Company,1997,p.81.

[36] 矢内原忠雄編『新渡戸稲造文集』(東京、故新渡戸博士記念事業実行委員、1936年)492-494頁。

[37] 『武士道』126頁。

[38] 『武士道』127-128頁。

[39] 同上、129頁。

[40] 同上、137-138頁。

[41] 北岡伸一「新渡戸稲造における帝国主義と国際主義」、岩波講座『近代日本と植民地4―統合・支配・論理』(東京、岩波書店、1993年)179-203頁。

[42] 俵木浩太郎『新・士道論』(東京、筑摩書房、1992年)6-7頁。前のページに戻る

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戦後から現代まで日本を支配した黒幕 戦争屋 死の商人にして原発マフィアの黒幕ジャパンハンドラーズ

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http://matome.naver.jp/odai/2137481285312171101
日本を操るアメリカの政府高官”ジャパンハンドラー”って何?
検索用:ジャパン・ハンドラー ジャパンハンドラー リチャード・アーミテージ マイケル・グリーン ジョセフ・ナイ カート・キャンベル ウィリアム・マーティン 日米安保 日米原子力協定
更新日: 2013年08月26日
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ジャパンハンドラー
特にアメリカ合衆国の対日外交において、日本政府の手法を知り尽くし、日本政府中枢をコントロール出来る“ジャパン・ハンドラー”(日本を飼い馴らした人物)

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今日、日本の社会では、アーミテージ(元国務副長官)やジョセフ・ナイをあたかも神様の代弁のように扱っている。日経新聞など、節目節目にアーミテージなどを呼んで、日本の世論に発言させている。安倍首相に至っては、米国訪問でのスピーチの時にこれらの人々に感謝の言葉を述べている。滑稽以外の何物でもない。

出典アーミテージ等「ジャパンハンドラー」は米国を代表する人々ではない:孫崎享のつぶやき:孫崎享チャンネル - ニコニコチャンネル:社会・言論


「ジャパンハンドラー;孫崎 享氏」  憲法・軍備・安全保障

http://twitter.com/magosaki_ukeru

ジャパンハンドラー;

今日対日政策ではいわゆるジャパンハンドラーという人々がいる。

多くは米国の産軍協同体と密着し、日米軍事協力を最優先させている。

普天間問題で鳩山首相を揺さぶった。

その時活躍した人にはアーミテージ(元国務省副長官)、キャンベル(国務次官補)ゲーツ国防長官、カーチス・コロンビア大教授、マイケル・グリーンがいる。

この人々が日本の政治家、マスコミ、官僚、財界人を動かし、鳩山首相を辞任に追い込んだ。

そして国民もそれが正しいと思った。

私が残念に思うのはいわゆるジャパンハンドラーという人々は必ずしも米国政治の主流の人々でないということである。

人気blogランキング <-- クリックしていただくと、より多くの方に読んでいただけます。応援よろしくお願いします。


日本の重要性が相対的に後退し、産軍協同体のみが強い関心を持つ異例な中でこの人々が力を持っていることである。

ライシャワーの顧問、パッカードが普天間騒動の時、

「残念、海兵隊の論理が国防省の論理。国防省の論理がホワイトハウスの論理」と嘆いた。

鳩山追い落としが進行した中、擁護に回った人々もいた。

これらの人々と連携を組めなかったのが残念であった。

その考えを紹介する。

カプチャン(クリントン時代国家安全保障会議欧州部長)、アイケンベリー(プリンストン大学教授)は米国内で発言力を持つ。

両名は10年1月21日NYTで「新しい日本、新しいアジア」発表、

内容:

「オバマ政権は鳩山首相の新しいアプローチを拒絶するよりは歓迎すべき、日本は多くの点で、欧州がとってきた道を歩み始めている。

冷戦の終焉とともに欧州は地域統合のペースを上げ、ワシントンからの独立志向。

米国は結果としてより独立した欧州の利点を享受、日本が中国との関係を深め、日中が仏独間の良好な関係の回復と同じ事を繰り返せるかも知れない。

米国に屈服する日本より、自己主張をし、独立した日本の方が東アジアにより貢献する。」

一部の民主党に伝えるも連携できず残念



孫崎享のつぶやき

アーミテージ等「ジャパンハンドラー」は米国を代表する人々ではない



2013-05-26 08:083

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今日、日本の社会では、アーミテージ(元国務副長官)やジョセフ・ナイをあたかも神様の代弁のように扱っている。
 日経新聞など、節目節目にアーミテージなどを呼んで、日本の世論に発言させている。
安倍首相に至っては、米国訪問でのスピーチの時にこれらの人々に感謝の言葉を述べている。
 滑稽以外の何物でもない。
 重要なことは、アーミテージ等は米国の代表ではない。
 どちらかというと、これらの人々は共和党の人脈につながり、オバマ大統領に対抗する勢力を代表している。
 このグループのいうことを聞いてもオバマ大統領等の政権関係者は全く評価しない。
 私がこういう台詞を述べても説得力がないかもしれない。
 しかし、もし、同じセリフをニューヨーク・タイムズ紙の東京支局長が述べたらどうなるのか。信頼度はぐっとあがるだろう。それがおこっているのである。
 5月31日付(現在発売中)の週刊朝日は「安倍首相は外交音痴」という題


知日派





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この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2011年12月)

知日派(ちにちは)あるいは知日家(ちにちか)とは、日本の社会・文化などに対して深い理解を持ち、影響を及ぼすことができる外国人を指す言葉である。親日・反日とは別問題である。

特にアメリカ合衆国の対日外交において、日本政府の手法を知り尽くし、日本政府中枢をコントロール出来る“ジャパン・ハンドラー”(日本を飼い馴らした人物)を指すことが多い。この意味での代表としてリチャード・アーミテージ、マイケル・グリーン、ジョセフ・ナイ、カート・キャンベルらがあげられる。


2013年02月19日14:01


「原発属国・日本」に恫喝を加えるアメリカの原子力版ジャパン・ハンドラーの正体が見えた!

カテゴリ日米関係原発属国問題
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Comment(4)


アルルの男・ヒロシです。

pdf

 
















 2013年2月19日の「日本経済新聞」の2面にオバマ政権の原子力政策担当の高官が日本の脱原発に対して率直な意見を述べている記事はありました。この記事を丁寧に読むと、日本における脱原発はどうやってアメリカの属国から脱するかという問題と不即不離の関係にあることがまるわかりです。

 










この記事に登場するのは、オバマ政権で米エネルギー省の原子力諮問委員会の「国際委員長」を努め、政策助言を続けるエネルギー関連コンサル会社の「ワシン トン・ポリシー・アナリシス」の代表である、ウィリアム・マーティン William Flynn Martin という男です。注目すべきは「レーガン政権におうてエネ省副長官」であった経歴でしょ う。要するにアメリカサイドの「原子力ムラ」のボス級の人物です。日経新聞は、見下げ果てたぐらいに、最近では「ジャパン・ハンドラーズ」の広報宣伝機関 紙に成り果てています。大学3年生の就職活動生の知らない真実ですね。

 更に詳しい経歴は新聞記事を紹介した後に見て行きましょう。

martin
































 ※ 核不拡散で日米連携強化 米エネルギー省 原子力諮問委国際委員長 ウィリアム・マーチン氏に聞く :日本経済新聞 http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20130219&ng=DGKDZO51871600Z10C13A2EA1000

 まず、マーティン先生、「日本の原発依存度は30%がベスト!」と派手に断言しています。



――安倍政権で動き出した日本の原発政策の転換をどうみるか。
  「日本のエネルギー需要の大きさをよく調べて考えなければならない。これからの選択肢としてエネルギーの供給源は石炭、石油、天然ガス、原発、代替エネル ギーだ。首相が政策を見直すのは国家の経済的な競争力や環境、安全性を踏まえ、バランスの取れたエネルギー供給を考える必要があると判断したのだろう。す べてのエネルギーの需給をみれば、電力部門で原発は少なくとも全体の30%は必要だとの結論に達するだろう」


  あーあ、「多くでも30%」じゃなくって「少なくとも30%」とか言っちゃっています。随分大きく出たものです。そして、「少なくとも30%」の根拠は一 切示していません。「石炭、石油、天然ガス、代替エネ」といろいろ並べているくせに、「原発が3割」も必要というのはどういう了見なのでしょうか。

 さて、続いてマーティン先生、日本が脱原発できないハードルの最たるものであるところの「原子力版の日米安保条約」であるところの「日米原子力協定」に言及されています。

 民主党政権ではここまで露骨にこの協定の名前を出す人は高官でもあまりいなかった。阿吽の呼吸という感じでした。ただ、民主党政権の高官はこのマーティンにもお伺を立てているようです。それでけんもほろろに「脱原発は許さん」と叱られたわけです。

 マーティンさん、この「日米原子力協定」という大看板をバババーンと掲げて論戦を挑んできています。


――日米関係にどう影響するのか。
  「米国が日本の原発政策に強い関心があるのは、日米が原発の様々な分野で連携しているためだ。日本は(原子力の平和利用を目的に核物質の供給や管理で連携 策を定めた)米国との原子力協定に基づき、原子力の技術開発を進めている。日米の協力は日本のためだけでなく、米国のためでもある。日本が技術開発をやめ れば、日米関係にも重大な悪影響を与えるに違いない」


 来ました、恫喝です。「日米関係に重大な悪影響」。来 ましたね~。こういう恫喝は、日本に対する総会屋であるマイケル・グリーンやリチャード・アーミテージの得意分野ですが、マーティンさんもなかなかドスが 聞いています。これを言えば、日本の外務省はイチコロで戦う勇気すらないことをわかっているのでしょう。そして日本の利権まみれの原発村がこれを側面から サポートします。

 この外圧と内圧の絶妙なハーモニーが指圧効果を外務省や関係当局にもたらすわけです。この指圧理論はずっと前に小泉政権時にACCJ(米商工会議所)の講演会で語られた内容です。

 そして、マーティンさんの経歴にレーガン政権のエネルギー省副長官というものがあったことを思い出して下さい。

 詳 しくは後で調べなければなりませんが、私が言い切ってしまうと、レーガン政権で「1988年・日米改定原子力協定」を締結した時、日本は中曽根”バーコー ド”康弘政権でしたが、アメリカのエネ省のカウターパートはこのマーティン副長官ではないかということです。と思ってウィキペディアを調べたらやっぱりそ うでした!


US-Japan relations: Long interested in US-Japan energy relations, Martin was Chairman of the US-Japan energy working group that produced the 1983 Reagan-Nakasone Joint Statement on Japan-United States Energy Cooperation [79].
He was also active in approving and testifying on the US-Japan Nuclear Cooperation Agreement of 1987 and was the lead witness of the Reagan Administration in support of the agreement before the United States Congress in December, 1987. His testimony can be seen here [80]. More recently, Martin has been coordinator of the Santa Fe Energy Seminar that brings senior Japanese and US government and private sector leaders together to discuss the importance of nuclear energy and its impact on the global environment, world economy and non-proliferation [81]

William Flynn Martin - Wikipedia, the free encyclopedia http://en.wikipedia.org/wiki/William_Flynn_Martin


  1983年の中曽根・レーガンの日米エネルギー協力に関する共同声明に深く関わっていたということですね。これでウィリアム・マーティンが「原子力版ジャ パン・ハンドラー」であることは100%確実になりました。脱原発運動でも「真の敵」の実名を明確にすることが重要になります。日本は敗戦後はずっとアメ リカの属国なのですから、その大きな枠組から真実をえぐり出さなければダメです。意味がありません。

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 マーティンはもともと1950年生 まれで、MITで原子力テクノロジーについて学んでいます。その後、レーガン政権で国家安全保障会議(NSC)のエグゼクティブ・セクレタリーという聞き なれないポストを経験したあと、問題のエネルギー省長官(1986-1988)に就いています。

 その前にMIT時代には、ロックフェ ラー系のローマ・クラブが提出した「成長の限界」レポートを出した後に議会でその内容を議論するために開かれた公聴会のメンバーであったほか、その後、米 初代原子力委員会事務総長のキャロル・ウィルソン教授のもとでMITのエネルギープロジェクトの計画担当主任を努めたり、パリに出向してヘンリー・キッシ ンジャー元国務長官とビルダーバーグ会議前名誉議長でベルギーの原子力関連にも関連の深いエティエンヌ・ダヴィニオン元欧州副委員長(写真下)が設立した、 IEA(国際エネルギー機関)やOECD、国連のエネルギー計画のメンバーとして調査研究をしています。

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 私はロックフェラー系のエリートの言う「成長の限界」理論というのは、イカサマで、欧米の権力エリートに強迫観念のようにつきまとっているマルサス主義の現れからくるものだと思います。自分たちの権 力基盤を勃興する新興国の「無駄飯食い」の人口爆発が脅かすと彼らは考えている。そこで化石燃料の保全やその他の代替エネルギーとしての原子力に注目し、 ウラン資源を押さえていこうとベルギー・フランスの原子力子爵であるダヴィニオンとキッシンジャーが組んでIEAを作ったということもあると思います。

  さて、マーティンが原子力の専門家として華々しくデビューしたその時に1979年に米国においてスリーマイル事故が起こります。これがアメリカの原発推進 にブレーキを掛けてまだその後遺症から抜けられていないのは御存知の通り。その後、1986年にはチェルノブイリが起きます。

 その後、 アメリカ国内では原子力リスクをどのように低減するのか、欧米諸国ではない国々との間でどのように原子力覇権を争うのかということを国家安全保障会議やビ ジネスの面々を交えて議論になったはずです。それも詳しく調べる必要がありますが、ここではそれを作業仮説として前提にして議論を進めます。

  そこで出てくるのは、アメリカ国内だけではなく、同盟国にも原子力リスクを負担させたらどうかという考え方です。そこで、日本国内のタカ派・核武装派をた ぶらかして、88年の日米原子力協定の中に、アメリカが日本に使用済み核燃料の再処理を認めるという条項を入れさせたのでしょう。いざとなれば核武装した いと思っているタカ派にとってはこのアメリカの申し出は魅力的だったはずです。東電首脳の中にも核武装派はいるでしょう。

 日本の使用済み核燃料が、拡散することをアメリカは嫌がった、しかし、日本の使用済み核燃料をアメリカがすべて引き受けるのもリスクが高い。当面は欧州・英国で再処理させるとしても。、いずれは日本国内に再処理工場を作らせなければならない。

 そ のことによって、日米が共同で(と言っても日本に原子力企業は買収させたが)今後、アジアなどに原子力技術を輸出する場合に、日本で再処理をするというこ とで、アメリカにとってのビジネスリスクを低くするという思惑がある。マーティンの日経新聞のインタビューからここまで読み解かなければなりません。

  要するにこれは「バックパッシング」と同じです。安全保障理論においては自らが負うべき安全保障リスクを同盟国に責任転嫁をすることをバックパッシングと いいます。別の言葉で言えば、オフショア・バランシングとも言います。このことによって安倍首相はこれまでのアメリカが担ってきた安保責任を押し付けられ る形で今、中国を封じ込めさせられています。中国とアメリカは緊張しないで日本を代わりに前衛に立たせるやり方です。

 それと同じ事をアメリカの原子力ムラは日本にやらせようとしています。それがマーティン元エネ省長官の「原子力は最低30%」発言の意図です。

  アメリカは既存の高コストの大型の軽水炉ではなく、ビル・ゲイツが出資した「テラ・パワー」などの劣化ウランを使った小型炉を新しい原子力技術として模索 しています。要するに軽水炉のようなある程度、完成してもはや中国でも作り始めたような技術移転済みのテクノロジーは属国にアウトソーシングしてしまえば いい、という合理的な考えをしているわけです。

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 アメリカは関連技術や特許、設計図などを抑えておけばいいという知財戦略でもあります。おそらくその小型原発が技術的に軌道に乗った段階で、アメリカの方から「軽水炉はやめてもいいよ」といった許可がおりるような段取りになっているのでしょうと私は推測します。

よって、このようにマーティン元副長官は語ります。日経から。


――中国が原発輸出に積極的だ。
  「中国だけでなくロシアも積極的だ。現在、世界には400基を超える原発がある。今後、20~25年で少なくとも150基は増設されるだろう。この10年 にわたって国際原子力機関(IAEA)は安全確保のための基準を積極的に示している。原発を新たにつくる国はこの基準に適合させることが重要になる」
 「中国などは日米と競争できるように原発の安全性を高めようとしているが、いまのところ日米と比べて安全性は劣る。インフラが整っていない発展途上国で、原発の安全確保と核不拡散をどう進めるかがこれから大きな問題になる」


 で すから、日本において脱原発運動をしている人にお願いしたいのは、原発リスクは究極的には事故時の「被曝リスク」ではあるのですが、それ以前に「属国であ る日本」というリスクという国家戦略に手枷足枷が掛けられているのでエネルギー政策がうまくいかないということであることをまず最優先に認識してほしいと いうことです。恐怖心だけではダメであるということです。

 だから、既存原発の再稼働と核燃料サイクルの問題も大きく分けなけれ ばならない。青森の六ケ所村で核燃料の再処理をさせることがアメリカの究極の目的です。燃料の方だけをおさえておいて国際管理すれば、極論すれば、幾ら原 子炉が中国製だろうが、インド製だろうが構わないということです。しかし、それだけでは技術が継承されないから、GEやウェスティングハウスは、日本企業に製 造をアウトソーシングしているということです。徹底したリスク分散の発想です。

 だから私は原発再稼働は厳格な条件付きで容認しますが、核燃料サイクルは断固反対です。 その再稼働原発でも使用する燃料はMOX燃料ではなく、通常のウラン燃料であることが当然です。その厳格な条件によって日本に48基ある原発を最終的には 数年以内に15基に減らすことを提唱します。

 その間に立地自治体にロシアや豪州、カナダの天然ガス輸入基地を設けるとか、強力な火力発 電の発電所を設けるとか、あるいは場合によっては、十分に数を減らしたことに対する見返りと技術継承の意味で新設原発を建設することも手法としては、完全 に否定することはしません。30年ものの炉を10基持つよりは、新型炉を1基つくることはリスク的には低いからです。その上で、日本における軽水炉を徐々 にフェードアウトしていけばいいのです。(10 old reactors for one new reactor)

 より大きな問題は「原発そのもの」ではなく「核燃料サイクル燃料」なのです。安全基準の議論は国内だけで完結できます。条約に近い協定である日米原子力協定がすべての根源です。国内法は条約に勝てないという法解釈をまず変える必要がある。
 
 敵を見誤ってはならない。日本の原子力ムラの背後にいる、アメリカのマーティン元副長官のような原子力官僚たちがすべてのシナリオを描いている黒幕です。日本の反原発派に足りないのは戦略的思考と合理的選択です。■


「※国民よ気付け、日本の中枢は米国戦争屋ジャパンハンドラーに乗っ取られている」  


米中韓朝のみならず、
世界からもバカにされる
日本の支配層と
お人好し国民:

日本の中枢は
クリックすると元のサイズで表示します米国戦争屋
に乗っ取られていることがバレバレ

1.安倍総理の訪米:予想通り、
クリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示しますオバマ大統領の素っ気ない応対

 安倍総理は先日、

 2013年2月21日に訪米、

クリックすると元のサイズで表示します

参考

TPP参加を喧伝する売国奴たち
クリックすると元のサイズで表示します

TPP:顔ぶれ見ると凄く納得。
日頃より日米同盟強化を説いている人々でした。
26日読売
「民主・維新・みんなのTPP賛成派、議連設立へ。
民主党クリックすると元のサイズで表示します枝野、
日本維新の会中田、
みんなの党の浅尾が中心。
会合では、川口順子らが参加する
自民党のTPP賛成派議員との連携を検討する方針も確認」

by 孫崎 享

「自民党 TPP 断固反対」ポスターが爆笑を呼んでいる
クリックすると元のサイズで表示します
http://www.asyura2.com/13/senkyo144/msg/430.html

なぜ内閣総理大臣は、
TPP=「平成の売国」を推進するのか?span>

http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-2380.html

・・・
・・・
・・・


米オバマ大統領と首脳会談を行いました。

この訪米は当初、1月に計画されていたのですが、

ようやく2月下旬に実現したものです。

しかしながら、オバマは

日本の外務省からせっつかれて、

しようがなく会ってやったという印象でした。

 このようなオバマの反応は、

本ブログNo.707にて

 すでに予想していましたが、

案の定、そうなりました
(注1)。

注1:本ブログNo.707
『安倍総理の1月訪米延期:オバマ新政権が、
日本を私物化してきた米国戦争屋と決別したことを
安倍氏はわかっているのか』
2013年1月8日
http://blue.ap.teacup.com/97096856/4512.html

参考

オバマ政権内の反戦主義閣僚と
米国戦争屋の暗闘開始
http://blue.ap.teacup.com/97096856/4527.html

日本を闇支配する米国寡頭勢力の覇権が
2013年に交代する兆しあり
http://blue.ap.teacup.com/97096856/4517.html

小沢首相シナリオ絶対阻止:
大掛かりな選挙不正の動機
http://blue.ap.teacup.com/97096856/4516.html
・・・
・・・
・・・

 オバマからみれば、

安倍総理も今の日本も、

オバマの宿敵・米国戦争屋の傀儡ですから、

オバマが安倍総理に対しても日本に対しても

快く思うはずがないのです。

なお、上記、米国戦争屋
(世界的寡頭勢力の主要構成メンバー)

およびそのロボット・悪徳ペンタゴンを構成する

クリックすると元のサイズで表示します日本人勢力の定義は

本ブログNo.687の注記をご覧ください。
http://blue.ap.teacup.com/97096856/4488.html

2.国民よ気付け、日本の中枢は
  クリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示します米国戦争屋ジャパンハンドラーに乗っ取られている

 今回の悪徳ペンタゴン・マスコミ《ゴミ》の

 安倍訪米報道振りと、

われら日本国民のみならず、

全世界の人々がテレビで観た

オバマvs安倍の記者会見の様子が

大きく食い違っていました。

 外務省の振り付け通りに

作り笑いする安倍総理の発言も、

マスコミ《ゴミ》の報道もみんな国民だましです。

 ところが、

 マスコミ《ゴミ》の世論調査では

安倍政権の支持率は

 70%を超えたようですが、

ほんとうでしょうか。

 この世論調査が正しいとすると、

日本の世論調査国民は、

みんな振り込め詐欺に

簡単に引っ掛かるレベルということになります。

3.バカバカしくて観ていられない日本の支配層

 昨年暮れ、安倍政権が誕生して以来、

日本の支配層の頓珍漢が観ていられなくなりました。

 もう、彼らを批判する意欲も失せてしまいました。

 それに乗せられる

お人好しの世論調査国民にもウンザリです。

どうせ、次期参院選では

自民が大勝するのでしょう。

今や、野党は存在しないに等しいわけです。

 このざまでは、

 オバマにはバカにされるし、

米中韓の国民にもバカにされるし、

あの北朝鮮からもバカにされるでしょう。

 平気で嘘をつく安倍総理、

平気で国民をだますマスコミ《ゴミ》、

無条件にアメリカの言いなりになる

財界のオンパレードです。

挙句の果てが、


TPPに大賛成する
国民
の蔓延とは!

参考

「TPP」という名の売国政策

http://blue.ap.teacup.com/97096856/4538.html
・・・
・・・
・・・

バッカじゃないの・・・。

 日本の中枢を米戦争屋に乗っ取られ、

彼らの言いなりになっていることに

何の疑問ももたないのは

世界でも日本人くらいでしょう。

日本はもうおしまいですね。

by 新ベンチャー革命

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世界が輸入を禁止している日本の食品 海外の人間が食べない物を日本に住んでる人間は食べているという現実

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=281733&g=132107
みんなの食への期待って、何?

281733 世界が輸入を禁止している日本の食品
 
宮谷和枝 HP ( 東京 ) 13/09/30 PM00 【印刷用へ】


世界が輸入禁止としている食品の一覧がありました。
日常私たちが口にしているものもたくさんありますが、大丈夫なのでしょうか?
とても気になります。

「世界が輸入禁止にしている食品」をチラシにしましたリンクより
引用します。

世界が輸入禁止にしている日本の食材ちらし ダウンロード⇒リンク

////////////////////////////////

農林水産省「諸外国・地域の規制措置(平成24年8月27日現在)」より、輸入禁止の食材を抽出しました。
輸入禁止ではなくても「政府作成の放射性物質の検査証明書」「産地証明(産地県)」を要求している諸外国・地域が多数あります。
詳しくは、農林省の資料をご覧ください。
(農林省資料のキャッシュ:リンク)

【韓国】
福島
ほうれんそう、かきな等、梅、ゆず、くり、キウイフルーツ、米、原乳、きのこ類、たけのこ、青わらび、たらのめ、くさそてつ、こしあぶら、ぜんまい、わさび、わらび、コウナゴ、ヤマメ、ウグイ、アユ、イワナ、コイ、フナ、アイナメ、アカガレイ、アカシタビラメ、イシガレイ、ウスメバル、ウミタナゴ、ムシガレイ、キツネメバル、クロウシノシタ、クロソイ、クロダイ、ケムシカジカ、コモンカスベ、サクラマス、シロメバル、スケトウダラ、スズキ、ニベ、ヌマガレイ、ババガレイ、ヒガンフグ、ヒラメ、ホウボウ、ホシガレイ、マアナゴ、マガレイ、マコガレイ、マゴチ、マダラ、ムラソイ、メイタガレイ、ビスノガイ、キタムラサキウニ、サブロウ、エゾイソアイナメ、マツカワ、ナガヅカ、ホシザメ、ウナギ、飼料

群馬
ほうれんそう、かきな、茶、ヤマメ、イワナ、飼料

栃木
ほうれんそう、かきな、きのこ類、たけのこ、くさそてつ、さんしょう、こしあぶら、茶、たらのめ、ぜんまい、わらび、ウグイ、イワナ、飼料

茨城
ほうれんそう、かきな等、きのこ類、たけのこ、こしあぶら、茶、原乳、メバル、スズキ、ニベ、ヒラメ、アメリカナマズ、フナ、ウナギ、コモンカスベ、イシガレイ、飼料

宮城
きのこ類、たけのこ、くさそてつ、こしあぶら、ぜんまい、スズキ、ウグイ、ヤマメ、マダラ、ヒガンフグ、イワナ、ヒラメ、クロダイ

千葉
ほうれんそう、かきな等、きのこ類、たけのこ、茶
ほうれんそう、かきな等は3市町(旭市、香取市、多古町)のみが対象。

神奈川


岩手
きのこ類、こしあぶら、ぜんまい、わらび、せり、たけのこ、マダラ、イワナ、ウグイ

【中国】
福島、群馬、栃木、茨城、宮城、新潟、長野、埼玉、東京、千葉(10都県)
全ての食品、飼料

【ブルネイ】
福島、東京、埼玉、栃木、群馬、茨城、千葉、神奈川(8都県)
全ての食品

【ニューカレドニア】
福島、群馬、栃木、茨城、宮城、山形、新潟、長野、山梨、埼玉、東京、千葉(12都県)
全ての食品、飼料

【クウェート】
47都道府県
全ての食品

【サウジアラビア】
福島、群馬、栃木、茨城、宮城、山形、新潟、長野、山梨、埼玉、東京、千葉(12都県)
全ての食品

【レバノン】
福島、群馬、栃木、茨城、千葉、神奈川(6県)
左記県における出荷制限品目

【シンガポール】
福島、群馬、栃木、茨城(4県)
食肉、牛乳・乳製品、野菜・果実とその加工品、水産物

【香港】
福島、群馬、栃木、茨城、千葉(5県)
野菜・果実、牛乳、乳飲料、粉ミルク

【マカオ】
福島
全ての食品
千葉、栃木、茨城、群馬、宮城、新潟、長野、埼玉、東京(9都県)
野菜・果物、乳製品

【台湾】
福島、群馬、栃木、茨城、千葉(5県)
全ての食品

【フィリピン】
福島
ヤマメ、コウナゴ、ウグイ、アユ

【米国】
福島
米、ほうれんそう、かきな、原乳、きのこ、イカナゴの稚魚、アユ、ウグイ、ヤマメ、ゆず、キウィフルーツ、牛肉製品、クマ肉製品、イノシシ肉製品、畑わさび、ふきのとう、わらび、こしあぶら、ぜんまい、たらのめ等

栃木
茶、牛肉製品、シカ肉製品、イノシシ肉製品、クリタケ、ナメコ、タケノコ、シイタケ、さんしょう、わらび、こしあぶら、ぜんまい、たらのめ

岩手
牛肉製品、タケノコ、シイタケ、せり、わらび、こしあぶら、ぜんまい、マダラ、ウグイ、イワナ

宮城
牛肉製品、クマ肉製品、シイタケ、タケノコ、こしあぶら、ぜんまい、ヒガンフグ、スズキ、ヒラメ、マダラ、ウグイ、イワナ、ヤマメ

茨城
茶、シイタケ、イノシシ肉製品、タケノコ、こしあぶら、ウナギ、シロメバル、ニベ、アメリカナマズ、スズキ、ヒラメ、ギンブナ

千葉
茶、シイタケ、タケノコ

群馬
茶、ウグイ、ヤマメ

神奈川


【ロシア】
福島、群馬、栃木、茨城、東京、千葉(6都県)
全ての食品

【ギニア】
47都道府県
牛乳及び派生品、魚類その他の海産物

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ファーストフード・ネイション

ファーストフード・ネイション - FAST FOOD NATION - 【吹替】





http://movie.maeda-y.com/movie/01055.htm
『ファーストフード・ネイション』
Fast Food Nation 2008年2月26日、ユーロスペース他、全国順次ロードショー 2006年/アメリカ、イギリス/108分/配給:トランスフォーマー 宣伝・配給協力:ザジフィルムズ
ダイエットに最適な映画

ハンバーガーやフライドポテトが大好きなお子さん、もしくはメタボ気味の旦那様をもつ奥さんは、迷わずこの映画に連れて行くとよい。これを見終わってもまだ食べたいというならば、それはもはや病気だ。

大手バーガーチェーンのある幹部は、パテから大腸菌が検出された件で、自社の食肉加工工場に調査にやってきた。愛想よく案内された工場の様子からは、雑菌が混入する余地はあまりないように思える。だが、周辺で聞き込みを続けるうち、その恐るべき実態が明らかになってくる。

脚本も書いているエリック・シュローサーの原作『ファストフードが世界を食いつくす』はとんでもない本で、私はかつてこれを読んだせいで大手バーガーショップでの食事に、かなりの抵抗を感じるようになってしまった。

ノンフィクションであるその内容を、劇映画として構成したのが本作。企業名を名指しする原作と違い、あくまで架空の企業となっているが、にわかには信じがたい実態が赤裸々に描かれている。

たとえば、不法移民を奴隷のように使う食肉工場。一家でやってきた移民らは、若い奥さんが工場長に体を売って、仕事を得ることも日常茶飯事。しかもその仕事は、驚くほど薄給で危険なものだ。男たちはミンチ機械に腕をもっていかれる危険と常に隣り合わせで、女たちは悪臭漂う生肉の解体作業に黙々と従事する。ここにいるのは、世界最大の外食産業たるファストフード業界の中でも、間違いなく最底辺に位置する人々だ。

そこからかなり上に登ったところに、各店舗で働くアルバイト店員がいる。さらにさらに雲の上に、本社のエリート幹部社員らがいる。この労働ピラミッドの各階層間は完全に断絶しており、もはや同じ会社で仕事をするものとは思えぬ様相を呈している。

この映画が突きつける現実のひとつがこれ。労働者がさらに下の労働者を食い物にし、互いに対立する構図。自由競争の美名のもとに作り上げられた、現代の奴隷制度である。持たざる者同士の連帯が今ほど必要な時代はないのに、それがうまくいかないのは、この巧妙なシステムがいかに効果的に機能しているかを物語っている。

次に、もうひとつのテーマである「食の安全性」だが、こちらは少々焦点が定まらぬ。これに関してファストフードが抱える問題点とは、大量生産と安価な提供を可能にするために、どうしてもそれを犠牲にせざるを得ないというものだ。

だがこれを見ると、ファストフードというより、肉食それじたいが嫌になってくる。それはそれで一つの考え方だが、この映画の本来のテーマとは微妙にずれている。

映画の最後、とくに普段都市部で暮らす観客は、食に対する価値観が揺らぐであろう驚愕映像を目にすることになる。しかし私はこのシーンをみて、これこそ10代のための教育教材にすべきだとさえ思った。安い食品、安い外食を求めることがどういう結果を招くのか。そろそろ私たちは気づかねばならない。安さを追求する"消費者の正義"は、こと食べ物に関してはまったく当てはまらないという事を、若い人にはぜひ知ってほしい。

最後に、撮影に協力した食肉工場の人々の勇気を称えて、本記事を終えたい。『ファーストフード・ネイション』は、いま、絶対に見るべき映画のひとつである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
ファーストフード・ネイション
移動: 案内、 検索
ファーストフード・ネイション
Fast Food Nation
監督 リチャード・リンクレイター
脚本 エリック・シュローサー
リチャード・リンクレイター
原作 エリック・シュローサー
製作 ジェレミー・トーマス
ジェフリー・スコール
マルコム・マクラーレン
出演者 グレッグ・キニア
イーサン・ホーク
パトリシア・アークエット
アヴリル・ラヴィーン
カタリーナ・サンディノ・モレノ
クリス・クリストファーソン
ポール・ダノ
撮影 リー・ダニエル
編集 サンドラ・エイデアー
配給 アメリカ合衆国の旗 フォックス・サーチライト
日本の旗 トランスフォーマー
公開 フランスの旗 2006年5月19日(CIFF)
アメリカ合衆国の旗 2006年11月17日
イギリスの旗 2007年5月4日
日本の旗 2008年2月16日
上映時間 108分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
イギリスの旗 イギリス
言語 英語
スペイン語
製作費 2400万ドル
興行収入 $2,059,246[1]
テンプレートを表示

『ファーストフード・ネイション』(Fast Food Nation)は、2006年に公開されたアメリカ映画。原作はエリック・シュローサーの『ファストフードが世界を食いつくす』で、シュローサーはこの映画の脚本も手がけている。シュローサーはドキュメンタリーを製作しようとしたが、撮影が難しいと判断しドラマを作ることにしたという。[2]

2006年5月19日にカンヌ映画祭コンペティション部門で初上映され、同年11月にアメリカで一般公開された。日本ではアメリカに1年3カ月遅れて2008年2月に公開された。セックスや麻薬の表現があるため、MPAAはR指定している。
目次

1 ストーリー
2 キャスト
3 制作
4 評価
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク

ストーリー

アナハイムに本社を持つハンバーガー・チェーン「ミッキーズ」。マーケティング担当のドンは社長に呼ばれ、大学が行った分析の結果、ハンバーガーのパテに大量の大腸菌が含まれていたと打ち明けられる。ドンは調査を始めるが、そこには工場の衛生問題、店舗における店員の意識、さらには移民問題、環境問題など、様々な要因が渦巻いていた。
キャスト
役名 俳優 日本語吹替
ドン グレッグ・キニア 内田直哉
ビート イーサン・ホーク
シンディ パトリシア・アークエット
アリス アヴリル・ラヴィーン
シルヴィア カタリーナ・サンディノ・モレノ
ルーディ クリス・クリストファーソン
ブライアン ポール・ダノ
アンバー アシュレイ・ジョンソン
ラウル ウィルマー・バルデラマ
パコ ルー・テイラー・プッチ
ココ アナ・クラウディア・タランコン
トニー イーサイ・モラレス
ベニー ルイス・ガスマン
マイク ボビー・カナヴェイル
トム・ワトソン マルコ・ペレラ
ハリー・リデル ブルース・ウィリス 小室正幸
デビ ダナ・ウィーラー=ニコルソン
ジョージ フランシスコ・ロサレス
制作

この映画は情報が流出しないよう「コヨーテ」[3]というコードネームで撮影が行われ、撮影地にはテキサス州のオースティンやヒューストン、コロラド州のコロラドスプリングス、メキシコなどが選ばれた。
評価

ニューヨーク・タイムズでは「マイケル・ムーアの『華氏911』に次ぐ政治的映画だ」と高い評価を受けていたが、興行収益は振るわずアメリカ国内では100万ドルを超えるにとどまった。[1]

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東京五輪で日本は潰れる ファシストナチスのベルリン五輪とファシスト安倍の東京五輪

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ヒクソン・グレイシー  心との戦い方

心との戦い方心との戦い方
(2013/10/31)
ヒクソン・グレイシー

商品詳細を見る


http://www.shinchosha.co.jp/book/506531/
心との戦い方

ヒクソン・グレイシー/著

「私が強かった理由――それは“心”が強かったからだ」。恐怖心に負けず、どんな時も心静かに。心の命ずるまま、流れる水のように……。無敗の格闘家が今初めてすべてを明かす! 数々の激闘をいかに戦ってきたのか? 波乱万丈の人生をどう生きてきたのか?

※ヒクソン本というとなんでこういう桜井章一本のような自己啓発本が多いんでしょうか?
桜井章一の影響をもろに受けたからなんでしょうか?

買うんですけどね
今回も

キム夫人という優秀なマネージャーがいなくなってからのヒクソンは殆んどメディアで扱われる事は少なくなった気がします
そんだけキム夫人が優秀なビジネスパートナーだったということでしょうか…
そういえばヒクソンが老けたとかよく言われていますがヒクソン自身は鼻毛が出ていても特に気にもしない無骨なブラジル男だって話です
それをキム夫人がメディアに出る時は必ずヒクソンにメイクまでして完全に管理していたんだとか(キム夫人は元々はブラジルでモデル業をしていました)
逆にヒクソンはそんなキム夫人の管理に
年々有名になればなるほど厳しくなる管理に絶えられなくなったのかもしれません
あくまで推測ですが

地上最強の嫁キムグレイシー

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