神谷明は、俳優業と比較して、「権利料」が格段に低かった声優業の収入面に関して、自ら先頭に立って交渉していたといいます。本人としては、「後輩たちの生活向上のため」矢面に立つ覚悟で臨んだのでしょう。しかし結果的に、テレビ局や製作側と決裂する最悪の形となり、自分が降板することで責任を取ることになったようです。





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神谷明「名探偵コナン」の毛利小五郎声優の降板理由!現在も干されている?

神谷明
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神谷明「名探偵コナン」の毛利小五郎声優の降板理由!現在も干されている?
出典:http://laughy.jp

神谷明「名探偵コナン」の毛利小五郎声優の降板理由!現在も干されている?

神谷明が「名探偵コナン」の毛利小五郎役を降板した理由とは?

神谷明は、元祖美少年から、ロボット戦隊のヒーロー、かたや二枚目半?のスナイパーに、ニャロメ(平成版)と、シリアスからギャグまで七色の声を駆使して多くのファンを魅了してきた声優です。しかし、2009年に、国民的人気アニメ「名探偵コナン」の毛利小五郎役を突如降板させられたことをご存じでしょうか。



探偵役の毛利小五郎といえば、主人公コナンの謎解きになくてはならぬ大事な役どころ。この件に関して、神谷明は、「私の不徳の致すところ」と、はっきりとした理由を語らなかったことから、ファンの間ではさまざまな噂や憶測を呼んでいます。元来、「声優」という仕事は、今のように脚光を浴びた華やかなものではなく、売れない俳優が食べていくための「副業」という地味なイメージでした。

神谷明は、俳優業と比較して、「権利料」が格段に低かった声優業の収入面に関して、自ら先頭に立って交渉していたといいます。本人としては、「後輩たちの生活向上のため」矢面に立つ覚悟で臨んだのでしょう。しかし結果的に、テレビ局や製作側と決裂する最悪の形となり、自分が降板することで責任を取ることになったようです。

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神谷明は新人のギャラに関わって現在もまだ干されている?

神谷明本人が、「ナカイの窓」に出演して語った話によると、今の声優の収入は、一番下のランクで、1本30分として1万5千円。再放送の権利料を含めても2万7千円くらいで、相当キャリアを積まないと、昇給もできないのだとか。「自分たちが頑張らないと若い人たちが大変」と、毎回交渉を続けていた結果、「降板」になってしまった神谷明のその後はどうなのでしょう?

「干されてしまった」という噂は、本当なのでしょうか。神谷明は、現在、「冴羽商事」という事務所を立ち上げて、声優活動の他に、ナレーションや、司会業、講演会や、コンサートのマネージメントなどの仕事を手広くやっています。1946年生まれで御年70歳ですが、「冴羽商事」に掲載されている「冴羽コラム」(神谷明のコラム)を読む限りでは、「今日も朝からスケジュールで一杯です!」と、干されるどころか超エネルギッシュな様子。

ちなみに「冴羽商事」の名前は、北条司不朽の名作「シティハンター」から頂いたそうです。

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神谷明の声優代表作ランキング!声優経歴がスゴ過ぎる!

神谷明の46年にわたるスゴ過ぎる声優経歴と代表作とは?

神谷明は、1970年「劇団テアトル・エコー」の研究生時代に、伝説の魔女アニメ「魔法のマコちゃん」の千吉役でデビューしました。声優歴は、なんと46年という、スゴ過ぎる経歴を持つ神谷明ですが、初めて主演を勝ち取ったのは、デビュー3年後の1973年、「バビル二世」の浩一役でした。「ロプロ~ス!」「ポセイド~ン!」なる、神谷明の天下の宝刀「叫び」は、「バビル二世」で開花したのです。

その後、「ゲッターロボ」や「勇者ライディーン」などのロボットアニメの主人公役でも、「叫びの神谷」は健在。売れっ子になった一時期は、何本もの仕事を抱え、命の声を潰してしまった苦い経験もあるそうです。1980年代には、「キン肉マン」や「シティハンター」「北斗の拳」など、「週刊ジャンプ」に掲載された人気漫画が次々とアニメ化されて大ヒット。

この時期の作品は、神谷明の代表作となり、実力声優としての地位を不動にします。また、アニメの仕事だけでなく、007シリーズのボンド役で人気のピアース・ブロスナンの吹替も担当しており、ブロスナンの甘いマスクに神谷明の美声がぴったりマッチしていました。

神谷明の声優代表作人気ランキングには毛利小五郎も!

神谷明は、輝かしい声優歴を持ち、まさに百戦錬磨の声優ですが、彼の代表作で人気ランキングを付けるとしたら、何がトップにくるのでしょう。ネット上でのランキング1位は、神谷明の代表作である「シティハンター」の冴羽獠です。2位には、「北斗の拳」のケンシロウが選ばれました。

1位に選ばれた「シティハンター」の主人公・冴羽獠は、性格が二枚目からハードボイルド、三枚目と幅広く、神谷明自身も、「ケンシロウのシリアスさと、キン肉スグルのコミカルさの両方を受け入れてくれるから、自分にとって一番思い入れの強いキャラ」と語っています。

しかし、ランキングには、「名探偵コナン」の毛利小五郎役を推すファンも声も多数あり、今さらながら、降板になってしまったことが本当に惜しまれます。

神谷明は「元祖声優アイドル」の頃から筋金入りのチャレンジャーだった!

神谷明を語る上で忘れられないエピソードがあります。伝説の名作「宇宙戦艦ヤマト」が劇場公開され、空前の声優ブームが起こった1970年代後半のこと。当時のトップ声優の1人だった神谷明は、「元祖声優アイドル」として、人気絶頂期にありました。そんな声優ブームの真っ只中、神谷明は、突如TBSラジオの主婦向け生ワイド「こんにちは神谷明です」のパーソナリティとして登場し、ファンを唖然とさせます。

アニメとは無関係の上、神谷明の名前さえ知られていない主婦層に飛び込んだ彼の無謀な挑戦は、当時の声優界やファンから、多くの批判を浴びました。しかしながら神谷明は、「声優としての職業に胡坐をかきたくない」と、楽に稼げた声優の道を外れてまでも、記者並みの取材メモを作って果敢に挑んだそうです。

高卒後に一旦就職するも、演劇の道捨てがたく、再びアマチュア劇団に入団。食えるようになったのは30過ぎてからという苦労人、神谷明ならではの決断だったのでしょうが、それにしても、彼の意志の強さは昔から筋金入りではありました。これと決めたらテコでも動かない頑固さゆえに、相手から誤解を受けることはありますが、面倒見が良く、気遣いの人でもあるので多くの後輩声優から慕われています。

中でも名字が同じということで、「2人は親子なの?」と噂の出た、現「声優アイドル」神谷浩史は、神谷明を尊敬しており、ラジオで「僕のお父さん」との発言をしています。最近では表舞台の仕事が少ないように感じられる神谷明。70歳の今だからこそ演じられる「叫びの神谷復活!」を、ファンは心から熱望しています。

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人はなぜ格闘に魅せられるのか――大学教師がリングに上がって考える の著者 ジョナサン・ゴットシャルのMMAトレーニング動画

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世界最大のアマチュアMMA IMMAF

















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国際総合格闘技連盟





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国際総合格闘技連盟
International Mixed Martial Arts Federation


略称
IMMAF

設立年
2012年

設立者
オーガスト・ウォレン

種類
総合格闘技組織

本部
スウェーデンの旗 スウェーデン
ストックホルム

メンバー
59の国と地域

会長
ケリス・ブラウン

ウェブサイト
公式サイト

国際総合格闘技連盟(こくさいそうごうかくとうぎれんめい、英: International Mixed Martial Arts Federation、略称IMMAF)は、アマチュア総合格闘技を統括する組織。アマチュア総合格闘技世界選手権を開催している。59の国と地域が加盟している[1]。世界アマチュアMMA連盟とも。



目次 [非表示]
1 歴史
2 主催大会
3 加盟国 3.1 パンアメリカ
3.2 アジア
3.3 ヨーロッパ
3.4 オセアニア
3.5 アフリカ

4 脚注
5 外部リンク


歴史[編集]

2012年2月29日、スウェーデン総合格闘技連盟の会長オーガスト・ウォレンが創設した[2]。

2014年、FILAが主催していたアマチュア総合格闘技世界選手権が総合格闘技が認定競技から除外され打ち切られたため、同年からIMMAFが引き継いで開催した。

2015年5月26日、日本のアマチュア組織「日本MMA連盟」が加盟した[3][4]。

2015年7月2日、イギリス柔道連盟の前会長ケリス・ブラウンが新会長に就任した[5]。

2015年11月、ヨーロピアン・オープン選手権を初開催した。

主催大会[編集]
アマチュア総合格闘技世界選手権
アマチュア総合格闘技ヨーロピアン・オープン選手権
アマチュア総合格闘技アフリカ・オープン選手権

加盟国[編集]

加盟コミッションは以下の通り[6]。

パンアメリカ[編集]

バハマの旗 エンパイア・ミックスド・マーシャル・アーツ・バハマ
ブラジルの旗 ブラジルMMAアスレチック委員会
カナダの旗 カナディアン・コンバット・アライアンス
コロンビアの旗 コロンビア総合格闘技協会
エルサルバドルの旗 エルサルバドルキックボクシング&MMA連盟
パラグアイの旗 パラグアイキックボクシング&MMA連盟
トリニダード・トバゴの旗 トリニダード・トバゴ総合格闘技連盟
アメリカ合衆国の旗 全米総合格闘技連盟

アジア[編集]

バーレーンの旗 バーレーン総合格闘技連盟
インドの旗 全インド総合格闘技協会
日本の旗 日本MMA連盟
ヨルダンの旗 ヨルダン総合格闘技連盟
カザフスタンの旗 カザフスタン総合格闘技連盟
レバノンの旗 レバノンMMA委員会
マレーシアの旗 マレーシア総合格闘技協会
ネパールの旗 ネパール国立武術連盟
パキスタンの旗 ミックスド・マーシャル・アーツ・パキスタン
シンガポールの旗 シンガポール総合格闘技連盟
タジキスタンの旗 タジキスタン総合格闘技連盟
タイ王国の旗 タイ総合格闘技連盟

ヨーロッパ[編集]

オーストリアの旗 オーストリア総合格闘技連盟
アルバニアの旗 アルバニアフリーファイティング連盟
アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン総合格闘技連盟
ベルギーの旗 ベルギー総合格闘技連盟
ブルガリアの旗 ブルガリア総合格闘技連盟
チェコの旗 チェコ総合格闘技協会
デンマークの旗 デンマーク総合格闘技連盟
エストニアの旗 エストニア総合格闘技連盟
フィンランドの旗 フィンランド総合格闘技連盟
フランスの旗 フランス総合格闘技コミッション
ドイツの旗 ドイツ総合格闘技連盟
ジョージア (国)の旗 ジョージア国内総合格闘技連盟
ギリシャの旗 ギリシャレスリングMMA
ハンガリーの旗 ハンガリープレミアムMMAリーグ
アイスランドの旗 保留中
北アイルランドの旗 アルスター・アマチュアMMA協会
アイルランドの旗 アイルランドアマチュアパンクラチオン協会
イタリアの旗 イタリアグラップリング&総合格闘技連盟
リトアニアの旗 リトアニア総合格闘技連盟
ルクセンブルクの旗 ルクセンブルクMMA連盟
ノルウェーの旗 ノルウェー総合格闘技連盟
ポーランドの旗 ポーランド総合格闘技連盟
ポルトガルの旗 ポルトガルMMAアスレチック委員会
ルーマニアの旗 ルーマニア総合格闘技連盟
ロシアの旗 ロシアMMA連盟
スペインの旗 スペインオリンピックレスリング連盟
スウェーデンの旗 スウェーデン総合格闘技連盟
スイスの旗 スイス総合格闘技連盟
チュニジアの旗 トルコ格闘技&自己防衛連盟
ウクライナの旗 全ウクライナ格闘技連盟
イギリスの旗 イギリスMMA連盟

オセアニア[編集]
オーストラリアの旗 オーストラリア総合格闘技連盟
ニュージーランドの旗 ニュージーランド総合格闘技連盟

アフリカ[編集]

カメルーンの旗 カメルーン総合格闘技ナショナルリーグ
エジプトの旗 エジプトMMA委員会
ガーナの旗 ガーナ総合格闘技連盟
モーリシャスの旗 モーリシャス総合格闘技連盟
セーシェルの旗 セーシェル総合格闘技協会
南アフリカ共和国の旗 ミックスド・マーシャル・アーツ南アフリカ

脚注[編集]

1.^ Members IMMAF公式サイト
2.^ About IMMAF IMMAF公式サイト
3.^ 【JML】総合格闘技での五輪参加を目指し世界組織に加盟 eFight 2015年5月26日
4.^ 日本MMA連盟 JMMAF発足! 酒井正和 オフィシャルブログ 「スマッシュの挑戦」 2015年5月26日
5.^ Recent Judo Chairman Kerrith Brown Appointed as IMMAF President IMMAF公式サイト
6.^ Members IMMAF公式サイト

外部リンク[編集]
IMMAF公式サイト

執筆の途中です この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJキックボクシング/PJプロレスラー)。




カテゴリ: アマチュア総合格闘技団体
2012年設立

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A2%E7%B7%8F%E5%90%88%E6%A0%BC%E9%97%98%E6%8A%80%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%81%B8%E6%89%8B%E6%A8%A9

アマチュア総合格闘技世界選手権





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アマチュア総合格闘技世界選手権


開始年
2011年

主催
国際総合格闘技連盟

サイト
公式サイト
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IMMAFアマチュア総合格闘技世界選手権(IMMAF World Championships of Amateur MMA)は、国際総合格闘技連盟(IMMAF)が主催するアマチュア総合格闘技の国際大会。男子9階級、女子4階級で実施されている。1か国につき1階級1名まで出場できる[1]。



目次 [非表示]
1 歴史
2 開催履歴
3 脚注
4 関連項目
5 外部リンク


歴史[編集]

2011年、FILAが第4回グラップリング世界選手権、第2回パンクラチオン世界選手権と同日にセルビアで初開催した[2]。

2014年、FILAの再編でグラップリング、総合格闘技が認定競技から除外され開催が打ち切られたが、同年から2012年に設立されたIMMAFが引き継いで開催した[3]。

2015年、アメリカ合衆国の総合格闘技団体「UFC」、アマチュア総合格闘技団体「Tuff-N-Uff」と提携し、UFCファイトパスでの放送を開始した[4][5]。

2017年、IMMAF主催となってからは7月の「UFCインターナショナル・ファイトウィーク」期間中にラスベガスで開催されていたが、11月にバーレーンで初開催される予定[6]。

開催履歴[編集]




大会名

開催年月日

開催地

7 IMMAFアマチュア総合格闘技世界選手権 2017年11月12日 - 11月19日 バーレーンの旗 首都県マナーマ
6 IMMAFアマチュア総合格闘技世界選手権 2016年7月4日 - 7月10日 アメリカ合衆国の旗 ネバダ州ラスベガス
5 IMMAFアマチュア総合格闘技世界選手権 2015年7月11日 - 7月6日 アメリカ合衆国の旗 ネバダ州ラスベガス
4 IMMAFアマチュア総合格闘技世界選手権 2014年6月29日 - 7月5日 アメリカ合衆国の旗 ネバダ州ラスベガス
3 FILAアマチュア総合格闘技世界選手権 2013年6月12日 - 6月15日 カナダの旗 オンタリオ州ロンドン
2 FILAアマチュア総合格闘技世界選手権 2012年11月15日 - 11月18日 ロシアの旗 モスクワ州ラメンスコエ
1 FILAアマチュア総合格闘技世界選手権 2011年9月29日 - 10月1日 セルビアの旗 ベオグラード

脚注[編集]

1.^ 「MMAはスポーツ」だと証明したい 世界MMA連盟CEOインタビュー(2) スポーツナビ 2015年10月29日
2.^ 【記録】グラップリング・パンクラチオン世界選手権 過去の日本選手成績 日本レスリング協会公式サイト 2012年10月18日
3.^ FILAグラップリング(関節技のあるレスリング)が存続へ 日本レスリング協会公式サイト 2013年11月2日
4.^ 【UFC & IMMAF】UFCがIMMAFとのパートナーシップを更新。世界大会がFight Passで視聴可能に MMAPLANET 2016年5月3日
5.^ TUFF-N-UFF IS PROMOTER FOR 2015 IMMAF WORLD CHAMPIONSHIPS SHERDOG 2015年3月26日
6.^ 2017 IMMAF WORLD CHAMPIONSHIPS IMMAF公式サイト

関連項目[編集]
レスリング世界選手権
グラップリング世界選手権
パンクラチオン世界選手権

外部リンク[編集]
IMMAF公式サイト

執筆の途中です この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJキックボクシング/PJプロレスラー)。




カテゴリ: 世界選手権
総合格闘技の大会
UFC


https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201510280001-spnavi



総合格闘技を五輪種目にするために

世界MMA連盟CEOインタビュー
パンクラス
2015年10月28日(水) 12:00













「IMMAF」をご存じだろうか。正式名称は「International Mixed Martial Arts Federation」。UFCからもサポートを受ける世界最大のアマチュアMMA組織だ。翻訳すると世界MMA連盟となり、今年7月にはラスベガスで世界選手権を開催した。


 先日、このIMMAFのCEOであるデンサイン・ホワイト氏が来日。UFC JAPANを視察するとともに、総合格闘技団体パンクラスの酒井正和代表と旧交を温めた。


 聞けば、デンサインCEOはかつて柔道家として五輪に3度も出場したことがあるという。英国の英雄は、なぜMMAの世界組織の代表となったのか?


(聞き手:布施鋼治)

「MMAはスポーツ」だと証明したい 世界MMA連盟CEOインタビュー(2)



UFCからの要請で活動をスタート


世界MMA連盟「IMMAF」のデンサイン・ホワイトCEO(左)が来日。パンクラスの酒井正和代表(右)と旧交を温めた

世界MMA連盟「IMMAF」のデンサイン・ホワイトCEO(左)が来日。パンクラスの酒井正和代表(右)と旧交を温めた【布施鋼治】


──今年7月、ラスベガスで開催された世界選手権は大盛況だったと聞きました。


 29カ国から129名の参加がありました。カテゴリーは男子9階級、女子4階級です。パンクラスの酒井正和代表と初めて出会ったのもこの大会でした。そもそも日本はアジアの中でも最重要国なので、IMMAFにとっても日本は重要なパートナーと考えています。しかもアジアのマーケットは大きいので、酒井代表と一緒にやれるということは、われわれIMMAFにとっては大きなターニングポイントだと捉えています。


──現在の肩書はIMMAFのCEOと聞いております。就任した経緯は?


 昨年11月に「IMMAFのCEOになって欲しい」という打診を受けました。その2年前から組織は誕生していたけど、今後IMMAFがもっと発展していくために、あるいはもっと改革していくために自分の存在を求めたというのがきっかけです。


──プロフィールを見ると、過去3度も英国代表として五輪に出場するなどずっと柔道畑を歩んでいます(最高位は5位)。にもかかわらず、なぜMMAに興味を抱いたのですか?


 もともとIMMAFの代表はブラウンさんという方で、もともとは英国柔道連盟の要人だった。そうした中、以前からIMMAFのサポートをしているUFCから「もっとアマチュアの活動を活性化してほしい」という要請があった。そこで英国柔道連盟のチェアマンを11年間務めていた私に白羽の矢が立ったわけです。そこで当時のIMMAFの重役たちとも面接し、彼らの合意を得たうえでCEOに就任しました。



3カ年計画で組織を改革


──どうやって組織を改革しようという計画を立てたのですか?


 MMAをスポーツとして認知させよう。それがひとつの課題だと思っています。スポーツといえば、五輪。そこでIOC(国際オリンピック委員会)への働きかけが第一です。五輪種目になることがスポーツとしての認知を早める。


──しかし、一朝一夕で片づく問題ではありません。


 だからMMAのスポーツ化を推進させるためにやることはいっぱいあります。まずはコーポレート・ガバナンス(企業の不正行為の防止と競争力・収益力の向上を総合的にとらえ、長期的な企業価値の増大に向けた経営の仕組み)を整えていく。たとえばそれはアンチドーピングだったり、それに付随したメディカルの部分だったり、大会の開催計画だったりするわけです。


──今後の大会開催計画は?


 いまのところアメリカ、アフリカ、欧州、アジア、オセアニアの5大陸・地域の大会と世界選手権の開催を考えています。さらに参加選手による各階級のランキングを作成することも。そういったことを3カ年計画に基づいて細かく作っていく。IOCに一番近いところにスポーツコート(スポーツ仲裁裁判所)という組織があるけど、原則としてすべての競技の連盟が必ず加盟しなければならない。なので、IMMAFもスポーツの中のひとつとして、そこに加盟しようと思っています。そのためにはまずスポーツコートに事細かな3カ年計画を提出しなければなりません。



子供でも危険でないルール整備が必要


スポーツとして発展させるには子供でも危険でないルール整備などが必要となってくる

スポーツとして発展させるには子供でも危険でないルール整備などが必要となってくる【田栗かおる】


──現段階におけるIMMAFの課題は?


 MMAをスポーツとして分かってもらうための努力が足りなかったということでしょう。まずはレフェリーのあり方や資格、あるいはルールの整備ですね。そういったものをきちんと構築していかないといけない。現在私はそこに注意力を割いています。


──歴史のある競技なら指導要項が存在するのが当たり前。しかしながら、MMAにはまだそういった類のものが存在しません。


 MMAの場合、それまで各ジム、あるいは個人レベルでそれなりのトレーニング方法があった。でも、本当に世界的なスポーツだったら、世界の誰が見ても共通な指導方法があるべきでしょう。ルールもそうです。選手たちはどういうステップでテクニックを習得していくのか。コーチをやるにしても本当は資格が必要なのです。そういったレギュレーション(規則)がMMAにはなかったのです。


──耳の痛い話ですが、それが現実です。


 ルールの明確化も必要になってくるでしょう。さらにスポーツだったら、老若男女を問わずにできるものでなければいけない。


──しかし、子供にパウンドやヒジは危険すぎるのでは?


 やっぱりスポーツは子供もできるかどうかが重要な問題になってくる。現実問題として子供にやらせるとしたら、どういうルールでやらせたらいいのか。そういったところのレギュレーションも必要になってくるけど、私には柔道での実績があるので、それに基づいていろいろ考えているところです。子供をいきなりケージに入れて、パンチやアームバーをさせるべきではない。まだできてはいないけど、子供向けのMMAを始めるためのプログラムを作ろうと思っています。


──なるほど。


 柔道や空手は帯によってグレード(級・段)が分かれているけど、MMAも色による昇級制を考えたい。IMMAFはMMAというスポーツに対してしっかり責任を負う立場にありますからね。MMAというスポーツをやることで、それが安全なスポーツであるというレギュレーションを作っていかないといけない。



■プロフィール:デンサイン・ホワイト


1961年12月21日生まれ(53歳)

英国出身。12歳から柔道をスタート。84年のロス五輪から3度五輪に出場した。引退後、英国柔道連盟のチェアマンを11年間務める。現在はIMMAF CEO。英国在住。

https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201510290001-spnavi



「MMAはスポーツ」だと証明したい

世界MMA連盟CEOインタビュー(2)
パンクラス
2015年10月29日(木) 11:00













 スポーツとしてのMMA発展を願うIMMAF(International Mixed Martial Arts Federation)のデンサイン・ホワイトCEOは綿密に3カ年計画を立て、それを実行に移している。今年11月には英国で欧州選手権を開催するが、来春早々にはIMMAFに認可された日本のMMA組織──JMMAF(Japan Mixed Martial Arts Federation)協力のもと、日本でアジア選手権開催の青写真を描く。デンサインCEOに聞くアマチュアMMAの未来予想図──。

(聞き手:布施鋼治)

総合格闘技を五輪種目にするために 世界MMA連盟CEOインタビュー



統一ルール、指導方法などが必要


IMMAFのデンサインCEO(左)とパンクラスの審判部長で、JMMAFコミッショナーでもある梅木良則氏

IMMAFのデンサインCEO(左)とパンクラスの審判部長で、JMMAFコミッショナーでもある梅木良則氏【布施鋼治】


──デンサインCEOが長らく携わってきた柔道は五輪スポーツとして世界中で認知されています。対照的にMMAは一部ではいまだものすごく偏見を持っている人がいるし、中には大会の開催を禁止している国もあります。


 先週もフランスでロシア人のプロモーターがMMAの大会を強行開催して現地では大問題になりました。


──フランスではMMAの大会開催が禁止されていますからね。


 そうです。ノルウェーやアイスランドなど世界の中にはまだMMAを禁止している国がある。そういった国々には「MMAはストリートファイトの延長ではないのか」という偏見がある。そういった偏見を失くすためにはユニファイド(統一)ルールを明確化して、「MMAはスポーツ」ということを証明していきたい。そのためにはメディカル(医療体系)の整備も必要になってくるでしょう。大会があるごとにIMMAFが大会のメディカルをカバーする、つまりMMAがひとつのスポーツとして安全だということをプログラム化していく。それは指導方法にしても同じです。IMMAFが練習メニューを作り、それをプログラム化していく。世界中どこのジムにいっても、資格のある人が教えているようにしないといけない。



早急なプロ昇格は競技の発展にならない


──現在の加盟国は?


 50カ国が加盟しています。もうすぐ正式発表できると思いますけど、ロシアの加盟も決まっています。より多くの国々から、より多くの選手が参加することによって競技の質は上がっていく。大陸・地域選手権を開催する主催国は国のステータスが上がり、貢献度をアピールすることもできるようになるでしょう。ちなみにこの間の世界選手権もそうでしたけど、今後開催される大陸・地域選手権はすべてUFCファイトパス(UFCの登録制デジタル映像配信サービス)を通して160カ国に放送されることになります。そうすることでMMAをさらにスポーツとして認知させたい。


──UFCがIMMAFをサポートする理由は?


 UFCにとってIMMAFは新しいタレントを発掘する舞台なのです。例えば(今後設定される)IMMAFのランキングに入っている選手はいやがうえにもUFCがチェックしているので、プロデビューするチャンスを与えられやすい。


──プロとアマのボーダーは?


 そこです。IMMAFが大会を数多く開催したい理由のひとつとして、いまは世界中ですぐプロになってしまう選手があまりにも多すぎることがあげられます。結局実力が伴わなければ、プロに昇格してもすぐ負けて辞めてしまったりするケースも出てくる。つまり早急なプロ昇格は必ずしも競技の発展につながらない。そこでIMMAFとしては公式のレギュレーションがあるプログラム化された大会を定期的に開催していくことで、しっかりと実績を作ったアマチュアがプロに昇格するという流れを作りたいのです。個人的な考えですが、どんな選手でも少なくとも3〜4年のアマチュア経験は必要だと思います。そして、個々の実績を具体化させるために今後開催する大会ではポイント制を導入したい。実績に応じてポイントを与え、それに応じてランキングを作成するというシステムです。


──柔道の世界ランキングに似ていますね。


 その通りです。柔道のシステムをかなり踏襲しています。ただ、国際柔道連盟には200の加盟国があるけど、IMMAFはまだそこまでには至っていない。なので、今年11月、英国のバーミンガムで開催される欧州選手権は参加国をオープンにしたい。一応欧州という冠はついているけど、IMMAFの加盟国だったら、誰でも参加できるようにしたい。先の世界選手権は1カ国につき1階級1名までだったけど、今回はオープン選手権として1カ国1階級2名までOKにしたい。階級は先の世界選手権より女子で1階級増やす予定です。バーミングガムの大学の体育館で開催する予定ですが、現段階では200名以上の出場を見込んでいます。スムーズに大会を進行させるため、トリプルケージを使おうと思っています。



女子の盛り上がりにも注目


現在UFCではロンダ・ラウジー(左)を中心に女子の活躍も光っている

現在UFCではロンダ・ラウジー(左)を中心に女子の活躍も光っている【Getty Images】


──アジア選手権はいつ頃開催する予定?


 来年2〜3月にはやりたいですね。


──開催国は?


 日本です。もともとアジア圏には14カ国しかなく、IMMAFにはまだ4〜5カ国しか加盟していない。日本でアジア選手権をやることが、アジアにMMAを広めるいいきっかけになるんじゃないかと期待しています。日本にとっても自国で開催することで世界中の注目を集めることができる。日本からMMAを広めるいい機会になるでしょう。そもそもMMAは日本が発祥の地。柔道もそうだけど、海外の選手が日本の大会に出場して優勝したり、入賞したりするとものすごく名誉だし、評価されるんですよ。


──欧州選手権とそんなに間隔を空けずに開催する予定なんですね。


 IMMAFが開催する大会はそんなにインターバルを空けたくない。少なくとも11月に欧州選手権をやる時にはアジア選手権の開催告知をしたい。その方が参加者もスケジュールをとりやすいだろうし、裏方も大会の準備をしやすい。2〜3月というのはまだ企画段階の話ですけどね。


──現在UFCではロンダ・ラウジーを筆頭に女子が脚光を浴びています。その影響はアマチュアにも及んでいますか?


 IMMAFでも女子は盛り上がっていくでしょう。実際ラスベガスの世界選手権でも女子の試合はすごく良かった。通常格闘スポーツを広めていくためには時間を要するけど、女子MMAに関していえばロンダの人気がすごいので、女子の観客層の関心が増えているように思えます。


──ちなみにアマチュアの女子ファイターはどんな競技出身者が多い?


 やっぱり何らかの格闘技のキャリアがあったうえでMMAを始める人が多いですね。MMAを目指している選手のモチベーションのひとつとして、「プロがあるから」というのがある。柔道だとお金のためではなく、五輪に出ることが目標になっている。ロンダも柔道を続けていれば、もっと上のメダルを目指すことができたはず。ただ、実際柔道家時代の彼女の生活は困窮していて、MMAファイターになってからようやく成功を収めた。MMAはプロとしての目標を作りやすいのです。


 今回のインタビューを通して、デンサイン氏がMMAをスポーツとして捉え、いかに競技化していくかというところに腐心していることがよく分かった。その方法論は従来の格闘技界にはない、五輪種目である柔道をベースに考えていることも興味を引いた。純度の高いスポーツにするためには、既存の法則だけに則っていてはある一線を越えることはできない。


 また、来春にも日本でアジア大会を開催する計画を立てているという話は日本のみならず、アジア全域のアマチュアファイターにとって朗報だろう。これまではアマチュアの上位概念としてはプロしかなかったが、アジア大会を開催することで、アマチュアのさらにその先──国際地域大会や世界大会を目指すことができるようになる。


 ホスト国としての重責を担う日本にとっても、これほど大きなチャンスはない。アジア大会はアマチュアMMAのステータスをさらに高める可能性を秘めている。その運営を全面的にサポートするJMMAFにとっても、アジア大会の開催で世間にスポーツMMAをアピールする絶好の機会だ。いまやJMMAFは日本のアマチュアMMAの一大勢力になりつつあるが、アジア大会の開催をきっかけにさらに発展することができるか。


■プロフィール:デンサイン・ホワイト


1961年12月21日生まれ(53歳)

英国出身。12歳から柔道をスタート。84年のロス五輪から3度五輪に出場した。引退後、英国柔道連盟のチェアマンを11年間務める。現在はIMMAF CEO。英国在住。

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ストリートファイト動画 タックルでテイクダウンした方がまさかのノックアウト負け! テイクダウンした時に相手にギロチンされちゃった 頭を抱えられていたので  自分の頭をもろに打ってしまいましたね


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マニュエル・ベラスケス

日本のボクシングにおける死亡事故数


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E7%A6%8D

リング禍





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リング禍(リングか)とは、おもにボクシング・プロレスなど格闘技の試合に起因して競技者が深刻な負傷をしたり、死亡に至る事故を指す用語。



目次 [非表示]
1 概説
2 ボクシングにおけるリング禍 2.1 原因に対する指摘 2.1.1 階級別の死亡事故件数
2.1.2 ラウンド別の死亡事故件数

2.2 団体システムへの影響 2.2.1 3本ロープから4本ロープへ
2.2.2 15ラウンド制から12ラウンド制へ

2.3 防止策の検討 2.3.1 ヘッドギア
2.3.2 試合時間の短縮
2.3.3 スパーリング方法の見直し

2.4 日本での対策 2.4.1 日本関連の事例 2.4.1.1 JBC発足まで
2.4.1.2 JBC発足以降


2.5 日本国外のリング禍 2.5.1 日本国外の事例
2.5.2 米国における最初の死亡例

2.6 勝者の深刻な受傷例

3 プロレスにおけるリング禍 3.1 日本人選手のリング禍 3.1.1 練習中に死亡した事例
3.1.2 その他

3.2 日本国外でのリング禍

4 他の格闘技におけるリング禍
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク


概説[編集]

Question book-4.svg この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2016年12月)

リング禍という言葉は、直接的な原因が試合行為にあり、競技者が死亡、または深刻な障害を負った場合に用いられる。

必ずしも負けた側がリング禍に至るとも限らず、試合の勝者がリング禍に至る場合もある。試合以外でも、スパーリングなどが原因で練習中、練習後に死亡する場合などもリング禍の一種と言える。

試合行為において脳挫傷、脳出血など頭部・頸部の受傷に至った場合、予後問題ないとしても引退は免れず事実上の選手生命の終了に等しい(日本では赤井英和の例が広く知られる)。通常、スポーツで競技の最中に競技者が引退を余儀なくされるような負傷をした場合は重大な事故であると言えるが、ボクシングでは脳挫傷など重体患者の発生自体が重大な事故として大きく報道されることは無い。

一般的に、スポーツにおける競技中の事故は、対象の負傷や生存の有無などの結果にかかわらず発生した段階で「事故」と認識、定義されるのに対して、リング禍とは過程ではなく、事後の結果が定義を決定する言葉であると言える。

ボクシングにおけるリング禍[編集]

ボクシングは相手の頭部を狙って殴る競技であるため他の打撃がある格闘技と比べても打撃が頭部へ集中する、そのため頭部を殴られた衝撃で脳出血などで死に至るリング禍が多発している。試合中にリング上で意識を失いリング禍に至る場合もあれば、KO、判定如何にかかわらず試合を終えた後に意識を失い、リング禍に至る例も多い。ほとんどのコミッションではボクサーへ試合前後の検査を実施しているものの突発性の高いリング禍の場合、直接的な予防は困難を極める。アメリカ合衆国の各州のコミッションでも、幾度と無く安全面での改革が行われているがリング禍は現在でも続いている。

ヘッドギアを装着して行うアマチュアボクシングやスパーリングは安全であると思われがちだが、ヘッドギアは擦り傷・切り傷・腫れを防ぐためのものであり、打撃から脳震盪や脳挫傷を防ぐためのものではないためアマチュアボクシングやスパーリングでもリング禍は起きている。文部科学省が平成24年7月にまとめた資料[1]によると、ボクシングは「学校運動部活動中に起きた死亡・重度障害事故」の競技種目別発生頻度(10万人当たりの発生件数)で1位の自転車(29.29件)に次ぎ、2位(18.13件)となっている。これは4位の柔道(4.8件)を大きく上回る発生頻度である。

今日、マスコミなどで事後に報道されるプロボクシングの試合でのリング禍以外にも練習中のスパーリングや、アマチュアの試合でもリング禍は世界的に発生している。また、直接的にどの試合が原因か分からなくとも、試合行為による蓄積的な悪影響で最終的にパンチドランカーになったり、失明など深刻な障害を持つに至った場合などもリング禍の一種であるという見方もできるが、それらが出来事としてのリング禍として社会的に認識されているとは言い難い。

原因に対する指摘[編集]

階級(体格、体重)とパンチの威力は比例関係にある。階級が重くなるほどダウンやKOの割合が高くなり試合が早いラウンドで終わることになる、逆に階級が軽くなるほど決定力は低下し試合が長引くことが多くなり、結果としてより多くのパンチを浴び続けることになる。

軽量級、中量級は重量級に比して明確にパンチの回転力で勝りパンチが相手に命中する回数が多くなる(例えば、世界戦においてラウンド中500発以上の有効打が記録されているのは全てミドル級(70kg)未満の試合であり、400発以上の有効打が記録されている試合も、20試合中15試合がミドル級(70kg)未満の試合である[2])。

日本では軽量級に競技人口が偏っているため軽量級で行われる試合が多い、そのため結果的に軽量級のリング禍がほとんどを占めているが、世界的に見れば競技人口の多いライト級やウェルター級近辺でのリング禍が多い。

階級別の死亡事故件数[編集]


フライ級以下

バンタム級

フェザー級

ライト級

ウェルター級

ミドル級

ライトヘビー級

ヘビー級

54人(8.0%) 67人(10.0%) 102人(15.2%) 127人(18.9%) 116人(17%) 93人(13.8%) 50人(7.4%) 53人(7.9%)

(マニュエル・ベラスケスのボクシング死亡事故集より)


パンチを頭部に浴び続けダメージが蓄積した試合中盤や終盤にリング禍が起こりやすいという指摘もあるがこれも統計から特にそのような傾向は見られない。

ラウンド別の死亡事故件数[編集]


1ラウンド

2ラウンド

3ラウンド

4ラウンド

5ラウンド

6ラウンド

7ラウンド

8ラウンド

9ラウンド

10ラウンド

11ラウンド

12ラウンド

13ラウンド

14ラウンド

15ラウンド

16ラウンド

16ラウンド以降

45人 62人 54人 82人 49人 95人 46人 71人 44人 92人 13人 35人 10人 10人 13人 9人 14人

パンチによる頭部への影響は打つ側と打たれる側の要素が複合するためリング禍の要因を特定するのは難しいとする見方も多い。

また、日本では1995年1月10日より健康管理面に配慮する目的で、試合数時間前の当日計量から前日計量へと変更になったが、これ以降にリング禍が急増していることから、前日計量実施でより無理な減量が可能になったことや、計量から試合までの時間が長くジム側が出場選手を監視できない故、計量後の暴飲暴食(アルコールの摂取も)をコントロールできないことも一因ではないかとの指摘もある。

団体システムへの影響[編集]

3本ロープから4本ロープへ[編集]

1962年3月24日、アメリカ・ニューヨークで行われた世界ウェルター級タイトルマッチでエミール・グリフィスに12ラウンドKO負けとなった王者ベニー・パレットが4月3日に死亡した。パレットは当時の3本ロープの間から半身を外へ出した格好で、剥き出しの鉄柱でしかなかった当時のコーナーポストとグリフィスのパンチに挟まれるようにして衝撃を受けており、これが直接のダメージを招いた原因とされた。世界王者として最初の死亡事故であった。この後、コーナーポストにはビニールカバーを施すことが義務付けられ、リングの3本ロープを4本ロープに増やすための指導が行われた[3]。

詳細は「パレット事件」を参照

15ラウンド制から12ラウンド制へ[編集]

1982年11月13日、アメリカ・ラスベガスで行われたWBA世界ライト級タイトルマッチで王者レイ・マンシーニに挑み、14ラウンドTKO負けを喫した金得九が試合後に倒れて脳死の診断を受け、4日後の11月17日に生命維持装置を外されて死亡した。金得九の死から3か月後には金得九の実母が自殺し、さらに翌年の7月には当該試合を裁いたレフェリーのリチャード・グリーネまで自殺してしまう。それらをマスコミが大々的に報道し一連の事柄が全米で社会的な注目を浴びたことなどが、1983年にWBCが世界戦を15ラウンド制から12ラウンド制へと変更する契機になった[3]。その後、WBCに追随する形で1987年にWBAが変更、以下IBFなどの世界王座認定団体も世界戦を12ラウンド制に変更した。

防止策の検討[編集]

ヘッドギア[編集]

谷諭、大橋元一郎、大槻穣治らによる研究では、回転加速度を伴う外力は、そうでない外力と比べて脳震盪を引き起こす傾向が強く、脳により多くのダメージを引き起こすとされている。ヘッドギアの着用は回転加速度の効果を強めるため、この点では脳へのダメージの回避に逆効果とされている[4]。また、国際ボクシング協会 (AIBA) の医療委員会委員長を務めるチャールズ・バトラーによれば、別の研究では精鋭男子 (Elite Men)のアマチュア選手においてヘッドギアを着用しないことによって脳震盪の発生が減ることを示唆するデータがあるという。さらにヘッドギア着用時には横の視界が悪くなることで頭部がより狙われやすくなるという見方もあり、これらのことからAIBAは2013年6月1日から精鋭男子選手の国際試合でのヘッドギア着用を禁止している。バトラーは、女子や若年選手は相手に脳震盪を起こさせるほどのパワーがない場合が多いため、切り傷防止用として引き続きヘッドギアを着用するべきだとしているが[5]、女子、ジュニア、ユース選手にも非着用のルールが順次適用される見込みである[6]。

試合時間の短縮[編集]

女子ボクシングの試合や一部興行の試合で行われているように1ラウンドの時間を通常の3分間よりも短い、アマチュアボクシングと同じ2分間にすることで試合時間の短縮を図り、頭部への負担を低減する試合形式もリング禍の可能性を減少させる方法のひとつである。しかし世界的には未だラウンド2分間の試合は広く行われているとは言えず、日本ボクシングコミッション(JBC)が統括する日本においてもリング禍による犠牲者や脳挫傷などの重体に至る選手が絶えない中、現在もプロボクシングの公式戦は全てラウンド3分間で行われている。

スパーリング方法の見直し[編集]

頭部を強打するようなスパーリングでは、ヘッドギアをつけていてもリング禍の可能性は試合と同等に存在する。スパーリングや試合行為などで頭部に打撃を被った後は、頭部に負担をかける行為を控え休息を取ることが望ましい。悪例としては練習の一環としてスパーリングを行い頭部に打撃を被った直後にサンドバッグを殴るなどの練習をした場合、スパーリングでの負担に加え、バッグを殴った際に発生する反動衝撃などの負荷が頭部にかかることにより、追加的に脳への負荷を増大させる可能性が考えられる。

選手や監督者は日頃の練習などでも細心の注意を払うことが望ましい。

最も現実的かつ確実なリング禍の防止法は、あらゆる点において選手が自主的に頭部へ負担をかける事自体を極力減らすことである(極論として頭部への攻撃禁止がある)。ボクサーにとっての究極的なリング禍の防止法は極力試合を、ボクシングを控えることだが、ボクシングファンはボクサーに対しより多く試合をすることを望んでおり、また、ボクサーがボクシングにおける地位を向上させるには当然、より多くの試合で勝利し評価を高めなければならない。

試合数だけでなく試合時間についても同様の構図が存在する。長い時間試合を見たいというファンの心理、およびそれに迎合する興行的観点から、興行の構成の中核にあたるような選手や人気選手が4回戦や6回戦といった短いラウンド数の試合を行うことは敬遠される。今日、一定の経験や実績を積んだボクサーは10ラウンド制の10回戦試合を行うのが常であり人気選手同士の試合では、たとえノンタイトル戦でも12ラウンドで行われる場合もある。

このようにボクシングファンのボクシングへの向き合い方はリング禍の防止努力からは対極に位置し、そうしたボクシングファンの要望を実現することで、プロボクシングビジネスが成り立っている。

また、WBAなどの世界王座認定団体では世界タイトル戦、下部タイトル戦、次期挑戦者決定戦など自団体に関連した特定の12回戦の判定でジャッジの採点による勝敗結果が不適切であると判断した場合、両選手に再戦の指令を出す場合があるが、選手の競技努力とは無関係な、ジャッジの採点の間違いという外的な理由で、最も苛酷で長い12ラウンドの試合を選手に行わせることは、リング禍防止の観点からいえば最悪の措置といえる。

日本での対策[編集]

1952年4月21日のJBC発足以降、日本のプロボクサーの試合中のダメージによる死亡事故は37件(2010年2月23日現在)[7]。プロボクシングの公式戦以外では、高校、大学の部活動での練習や試合中に発生したリング禍がしばしば報道される一方で、プロボクサーが脳挫傷などの重篤に至っても死亡しない限りはリング禍として報告されないことが多く、また外国人招聘選手が帰国後に死亡した場合も同様に報告されない。

1977年には日本での死亡事故が多発、世界的にリングの安全性が見直されることになり、WBAはそれまで中量級で使用していた6オンスグローブを大きめの8オンスへ変更するようルールを改定した。(6オンスグローブはその後も使用されることがあったが、1990年代始めに安全面への配慮という目的からWBCで廃止され、数年のうちにWBAが追従、JBCは1996年から移行し、2001年8月1日にルールを改定した。)また偶然のバッティング規定を新設し、3R以内に続行不能となった場合は引き分けとし、4R以降はその時点の採点表によるものとした[8]。

この後、1980年代には減少傾向にあったものの1990年代には再び急増し、1977年の試合によるものも含めて10名のプロボクサーが死亡した。1997年10月13日の日本スーパーフライ級王座決定戦での死亡事故を受け、同月末、JBCは緊急の健康管理委員会を開き、事故防止対策を協議した。

この健康管理委員会でまず争点となったのがスタンディングカウント制度で、WBA、WBCのルールではカウント8での試合続行により深刻な事態へ進行することを避けるため、すでに10年以上前に廃止されていた。日本でも試験的に廃止されたことがあったが、レフェリーからはストップのタイミング判断の際、観客の違和感以上に、ストップをかけられた側のボクサー・陣営から不満の訴えがあった場合のトラブルが懸念され、安全という観点からは逆効果との声もあり、スタンディングカウントをとるローカルルールが引き継がれていた。しかしJBCの小島茂事務局長(当時)がレフェリーを説得し、スタンディングカウント制度は1998年2月1日付で廃止されることが決まり、この日以降は選手控室にも告知された。加撃されたボクサーがロープに寄りかかり攻撃も防御もできない状態にあればレフェリーはダウンと裁定してカウントはせず、即座にTKOとして試合を停止することになった。

また、この1997年10月末の健康管理委員会では前日計量を当日計量へ戻すべきとの意見もあったが、再検討の結果、極力、世界と共通のルールとし、また体力回復に時間を長くとれるというメリットを重視して、既定通りの前日計量が続行された。ただし前日に正式な計量を行う他、統計をとるために便宜上行われていた当日計量を恒久的に実施することとなった[9]。

2009年には、1月28日の59.5kg契約8回戦で開頭・開腹手術を要する事故、3月21日の日本ミニマム級王座決定戦で死亡事故が起きたことを受け、4月14日、JBCと日本プロボクシング協会の合同で健康管理委員会が開かれ、再発防止策としてMRI検査の実施など5項目がルール化を検討されることになった[10][11]。また、2010年2月19日の50.0kg契約8回戦での死亡事故を受け、同じく合同の健康管理委員会で再発防止策が協議されている[12]。

日本関連の事例[編集]

1940年代にマニュエル・ベラスケスがボクシングにおける死亡事故のデータを収集し始め、その後も連綿と続く The Manuel Velazquez Collection によれば、1950年から2011年にかけて、東京で26件の死亡事故が起きており、世界で最もボクシングでの死亡事故が多い都市となっている[13]。日本関連で起こった事故には次のようなものがある[3]。タイトルマッチの記述においては煩雑になるのを避けるため、勝敗結果にかかわらず、対戦前の王者を「王者」として記載している。

JBC発足まで[編集]
1.1902年1月24日、横浜市でエキシビションマッチを披露したアフリカ系アメリカ人のアーネスト・パドモア(パドモアの階級は不明。ただし、相手はミドル級)が、数時間後に足の冷たさと痺れを訴え、病院へ送られたが処置のしようがなく、午前1時半に死亡。検視の結果、スポーツ心臓によるものであった[14]。
2.1930年8月29日、西宮市でフィリピン人選手ボビー・ウィルスに9RTKO負けした前日本ライト級王者小林信夫(帝拳)が翌月1日に死亡。日本関連選手で最初の死亡事故となった。
3.1940年11月13日、東京で日本大学の韓国人アマチュア選手が脳震盪を起こした後、死亡[15]。
4.1944年3月29日、今井清(第一)が死亡。
5.1947年11月30日、小宮信雄(埼玉)が死亡。
6.1948年1月29日、ライト級8回戦に判定負けした小山省吾(日新)が同年3月16日に死亡。

JBC発足以降[編集]

字下げのある行に記載した事故は、JBCが発表する過去の件数に含まれていないもの。アマチュア選手の他、JBCのボクサーライセンスを持たない国外のプロ選手や、プロテスト中の選手の事故、日本のプロ選手のスパーリング中の事故はカウントされていない。





The Manuel Velazquez Collection および日本ボクシングコミッションによる、日本のボクシングにおける死亡事故の発生件数。1952年から2013年までの各年度のアマチュア・プロ別の事故数と、1952年までに起きた6件の事故を含む累計。原因となった試合の翌年以降に死去した例は、試合が行われた年度に算入。1.1952年4月24日、寺田保(大星)が死亡。
2.1955年3月19日、名古屋市で10回戦に判定勝利した横井義春(松田)が同月22日に死亡。
3.1958年2月4日、国本士成(東亜)が死亡。
4.1964年8月16日、東京で6RKO負けした長谷川稔(田辺)が同月20日に死亡。
5.1966年8月18日、東京で8RKO負けした久保義実(新和)が死亡。 1.1967年8月24日、全日本選手権でポイント負けしたアマチュア選手が病院へ運ばれて手術を受けた後、脳内出血で死亡[16]。
2.1969年11月6日、前年度西日本ミドル級新人王の二宮盛一(大星)が、スパーリング中のダメージにより脳の外傷で死亡。ライスファイトは1969年3月30日に行われた札幌での6回戦(判定負け)であった[16]。
3.1970年3月5日、プロテストで顎への右フックでダウンを喫した17歳の選手が起き上がれず、脳内出血により開頭手術を受けたが、翌日に死亡[17][18]。

6.1973年1月26日、グアムでフィリピン人選手フレッド・ザヤスとのスーパーフェザー級10回戦に8RKO負けした直後に倒れた親川昇(野口)が翌日に死亡[19]。日本関連選手が国外試合で死亡したのは初めてであった。
7.1973年8月22日、渡辺人志(大川)が死亡。
8.1977年1月3日、木村孝仁(高橋)が死亡。
9.1977年1月28日、ムサシ後藤(熊本)が死亡。
10.1977年7月19日、成田利彦(協栄河合)が死亡。
11.1977年8月20日、水野雅之(松田)が試合で意識を失い、1996年5月10日に死亡。
12.1977年8月26日、大幸勝則(山田)が死亡。
13.1978年5月2日、東京で4回戦に2RKO勝利した大和克也(本庄)が翌月28日に死亡。
14.1978年10月13日、東京でライト級4回戦にKO負けした黒井俊明(ヨネクラ)が翌年8月18日に死亡。
15.1979年10月7日、内海修一(セキ)が死亡。
16.1981年8月4日、東京でフライ級4回戦に1RKO負けした浦山純人(角海老)が同月10日に死亡。
17.1982年10月19日、東京でスーパーバンタム級10回戦に9RKO負けした小林直樹(金子)が同月21日に死亡。
18.1984年1月7日、秋田市でライトフライ級10回戦に6RKO負けした木村功(センタースポーツ)が同月9日に死亡。
19.1986年5月9日、名古屋市でのプロデビュー戦で、フライ級4回戦の最終回に顔面への連打を受けてKO負けを喫した22歳の小林健二(角海老宝石)が、リング上で意識を失い、2日後に死亡。当時JBCの事務局長を務めていた小島茂によれば、前年度より脳の検診を実施するようになってから初の死亡事故であった[20]。
20.1987年6月24日、東京でジュニアウェルター級4回戦で3回KO負けした21歳の小沢真尚(全日本パブリック)が脳内出血で手術を受けたが、8月10日に肺炎を併発し、意識を回復することなく死亡が確認された[21][22]。
21.1990年6月14日、札幌市でバンタム級10回戦に10RKO負けした米坂淳(北海道)が試合後の控室で意識を失い、4日後に脳挫傷で死亡[23]。対戦相手は後のWBC世界バンタム級王者薬師寺保栄であった。
22.1991年12月1日、名古屋市でジュニアフェザー級10回戦に10RKO負けした勝又ミノル(高村)が意識を失い、脳の外傷で緊急手術を受けたが、昏睡状態に陥り、翌日に死亡[24][25]。 1.1992年5月16日、高校生のアマチュア選手がトーナメントの試合後にコーナーで倒れ、脳の外傷で死亡[16]。

23.1992年12月19日、大阪でライト級8回戦に7RKO負けした23歳の浜川泰治(アポロ)が意識を失い、翌月(1993年1月)7日に死亡[25][26]。
24.1995年9月5日、東京での日本バンタム級タイトルマッチにて王者川益設男に判定負けしたグレート金山(ワタナベ)が同月9日に死亡。日本タイトルマッチ史上初のリング禍となった。金山は同年2月28日、王者として川益の挑戦を受け、10回判定負けで王座陥落。しかし、その判定結果が物議を醸し、JBCは川益に対し再戦を命じていた。その再戦で起こった事故である。
25.1995年12月12日、スーパーライト級でTKO負けして昏睡状態にあった26歳の伊藤光幸(秋田松本)が脳内出血で死亡[27]。
26.1996年4月3日、大阪でフェザー級8回戦に判定勝利した中島徹也(ハラダ)が昏睡状態に陥り、意識の戻らないまま5年後の2001年12月2日に死亡。
27.1996年7月21日、鈴木敦(上滝)が死亡。
28.1997年2月10日、東京でスーパーライト級8回戦に判定引分となった24歳の平沼浩幸(松戸平沼)が控え室で倒れ、昏睡状態にあったが、脳内出血のため、同月24日に死亡した[28]。
29.1997年2月24日、東京でスーパーバンタム級8回戦に8RKO負けした都田俊宏(協栄)が2005年10月に死亡。
30.1997年10月13日、東京で日本スーパーフライ級王座決定戦に7RKO負けした大雅アキラ(協栄)が同月19日に死亡。
31.1998年10月12日、東京でスーパーバンタム級10回戦に9RKO負けした28歳の片桐賢(極東)が、開頭手術を受けたが昏睡状態に陥り、同月27日に死亡[29]。 1.2000年1月16日、17歳の高校生アマチュア選手が試合中に2度ダウンした後、猛攻撃を受けて意識を失って倒れ、病院に運ばれたが、脳の外傷により8日後に死亡[30]。
2.2001年10月24日、福岡県久留米大学のアマチュア選手竹森大樹がスパーリング中に急性硬膜下血腫となり翌月14日に死亡。

32.2002年3月24日、東京でのフライ級6回戦に判定負けした伊礼喜洋(八王子中屋)が翌月9日に死亡。 1.2002年12月9日、東京でバンタム級8回戦に6RKO負けしたタイ人選手ヨードシン・チュワタナが帰国後試合4日後に昏睡状態になり、2日後にバンコクの病院で死亡した。
2.2004年1月22日、埼玉で16歳の高校生アマチュア選手がスパーリング中に脳内出血で死亡した[30]。

33.2004年3月15日、東京でのスーパーバンタム級10回戦に0-2で判定負けした24歳の能登斉尚(フラッシュ赤羽)が翌日軽い頭痛を訴えて入院、安定していた容体が22日未明に急変し、硬膜下血腫で緊急手術を受けた後は意識不明のまま翌月2日に死亡した。試合後のコミッションドクターの検診では異常は認められなかった[31]。
34.2005年4月3日、大阪で日本スーパーフライ級王座の初防衛戦に10RKO負けした王者田中聖二(金沢)が同月15日に死亡、挑戦者は後のWBA世界スーパーフライ級王者名城信男であった。
35.2008年5月3日、東京でスーパーライト級6回戦に6RTKO負けした張飛(明石)が同月18日に死亡した。
36.2009年3月21日、東京で日本ミニマム級王座決定戦に10RKO負けした辻昌建(帝拳)が同月24日に死亡した。 1.2009年10月12日、福岡でスーパーバンタム級10回戦に10RTKO負けしたタイ人選手サーカイ・ジョッキージムが試合終了とともに意識を失い、急性硬膜下血腫により3時間後に福津市の病院で死亡した。

37.2010年2月19日、東京でフライ級8回戦に8RTKO負けした八巻裕一(野口)が急性硬膜下血腫により緊急手術を受けたが[32]、同月22日に死亡と判明した[7]。
38.2013年12月20日、東京でスーパーフライ級4回戦に4RTKO負けした21歳の岡田哲慎(ランド)が急性硬膜下出血により緊急手術を受けたが、翌2014年1月6日に死亡した[33]。岡田は空手など武道の経験はあったが、ボクシング経験は無くジム入門後7ヶ月の間に2度テストを受けプロテストに合格、この試合が岡田にとってデビュー戦であった[34]。

日本国外のリング禍[編集]

日本国外の事例[編集]

代表的な例として、世界タイトルマッチで起こった死亡事故に次のようなものがある[3]。煩雑になるのを避けるため、勝敗結果にかかわらず、対戦前の王者を「王者」として記載している。この他、2005年4月2日にアメリカ・デンバーで行われた女子アマチュアの選手権大会では、3RKO負けしたベッキー・ザーレンテスが試合中に意識を失い、数時間後に死亡した。これは認可試合で女子ボクサーが死亡した最初の事故となった。
1897年12月6日、ロンドンで行われた世界バンタム級タイトルマッチで王者ジミー・バリー(アメリカ)に20RKO負けしたウォルター・クルート(イギリス)が死亡。
1947年6月24日、クリーブランドで行われた世界ウェルター級タイトルマッチで王者シュガー・レイ・ロビンソン(アメリカ)に8RTKO負けしたジミー・ドイル(アメリカ)が死亡。
1962年3月24日、ニューヨークで行われた世界ウェルター級タイトルマッチでエミール・グリフィス(アメリカ領ヴァージン諸島)に12RKO負けした王者ベニー・パレット(キューバ)が上述の通り、同年4月3日に死亡。
1963年3月21日、ロサンゼルスで行われた世界フェザー級タイトルマッチでシュガー・ラモス(キューバ)に10RTKO負けした王者デビー・ムーア(アメリカ)が2日後の3月23日に死亡。
1980年9月19日、ロサンゼルスで行われたWBC世界バンタム級タイトルマッチで王者ルペ・ピントール(メキシコ)に12RKO負けした後、意識不明となったジョニー・オーエン(イギリス)が同年11月3日に死亡。
1982年11月13日、ラスベガスで行われたWBA世界ライト級タイトルマッチで王者レイ・マンシーニ(アメリカ)に14RKO負けした金得九(韓国)が上述の通り、4日後の11月17日に死亡。
1983年9月1日、ロサンゼルスで行われたWBC世界バンタム級王座決定戦(史上初の暫定王座決定戦)でアルベルト・ダビラ(アメリカ)に12RKO負けしたキコ・ベヒネス(メキシコ)が3日後の9月4日に死亡。
1995年5月6日、ラスベガスで行われたWBC世界スーパーフェザー級タイトルマッチで王者ガブリエル・ルエラス(アメリカ)に11RTKO負けしたジミー・ガルシア(コロンビア)が開頭手術後も意識不明のまま、同年5月19日に生命維持装置を外されて死亡。
1999年10月9日、ホセ・ルイス・バルブエナ(ベネズエラ)戦で10RTKO負けした元WBA世界スーパーバンタム級暫定王者カルロス・バレット(ベネズエラ)が、試合後に担架で運ばれ、同月12日死亡。
2002年6月22日、ラスベガスで行われたWBO世界スーパーフライ級タイトルマッチでフェルナンド・モンティエル(メキシコ)に6RTKO負けした王者ペドロ・アルカサール(パナマ)が2日後の6月24日早朝に意識不明となり、この日の午後、病院で死亡。
2005年9月17日、ラスベガスで行われたIBF世界ライト級タイトルマッチでヘスス・チャベス(メキシコ)に11RTKO負けした王者レバンダー・ジョンソン(アメリカ)が5日後の9月22日に死亡。
2007年12月25日、韓国で行われたWBOインターコンチネンタルフライ級タイトルマッチで王者崔堯森(韓国=元WBC世界ライトフライ級王者)が挑戦者ヘリ・アモル(インドネシア)に12回判定勝ちするが、試合終了直後のリング上で意識不明となり、9日後の2008年1月3日に死亡。
2013年1月26日、インドネシアで行われた試合で17歳のボクサー(3勝3敗1分)が8回TKO負けした直後にリング上で意識不明となり、数日後に脳溢血で病院にて死亡[35]。
2013年10月19日、メキシコで8回KO負けしたフランシスコ・レアルが頭開手術を受けるが3日後に死亡。レアルは前年の2012年3月31日にアメリカのテキサス州でエフゲニー・グラドビッチに10回TKO負けをして、リングから担架で運び出され病院に入院しており、レアルの健康面を考慮しアメリカではボクシングライセンスが停止されていた状態にあった[36]。
2013年11月16日、メキシコでホルヘ・アルセに8回KO負けしたホセ・カルモナが試合後に昏睡状態となり2度の脳手術を受ける。元々カルモナはアルセと試合予定ではなかったが、アルセと対戦予定だった選手2人が負傷したことで試合の5日前に急遽決まった試合であった[37]。
2014年5月、フィリピンで行われた試合で14歳のボクサーが2ラウンドにノックアウトされたあと病院へ運ばれるが到着前に死亡。亡くなったボクサーは1ラウンドに鼻血をだしドクターチェックを受けるが試合は続行され、2ラウンドにめまいを訴えレフェリーが試合をストップしたと伝えられている[38]。
イギリスで「ホワイトカラーボクシング」と呼ばれるセミプロの試合で、32歳の男性がリングを降りた後に意識を失い病院へ運ばれるが死亡。この試合はセミプロの団体であったためイギリスのコミッションの管轄下で運営されていなかった[39]。
2014年10月28日、南アフリカのヨハネスブルグで女子プロボクサーのPhindile Mwelaseが死亡。Phindile Mwelaseは2週間前の試合で6ラウンドKO負けした後こん睡状態に陥り病院に運ばれるが意識不明の状態が続いていた[40][41]。

米国における最初の死亡例[編集]

1842年9月13日、ニューヨーク州ウエストチェスター郡のヘイスティングス・オン・ハドソンで[42]約2000人の観衆が見守る中、英国人のクリストファー・リリーとアイルランド人のトマス・マッコイが[43][44]、119ラウンド[45][43][46]、2時間41分にわたって戦った[42][43][44][47]。この試合は1838年に制定されたロンドン・プライズリング・ルールズの下で行われた[43]。ライトヘビー級の試合とされるが[44]、リリーは23歳、140ポンドで、マッコイは20歳2か月、137ポンド(ともにスーパーライト級相当)。身長はリリーの方がマッコイよりも1インチ高かった[45]。自信のあったマッコイは、「勝利、さもなければ死」を意味する黒いハンカチをロープに結び付けていた[43][44]。

試合は13時に開始された。マッコイは初回に左耳から血を流し、5回に口を打たれてダウンした時には、何らかの反則を訴えている。7回には唇と首が血で染まっていた。この回、リリーの左を腹に受けてマッコイはダウンし、立ち上がると何らかの反則を訴え、ジャッジは同意。レフェリーもこれを認めた。各ラウンドの詳細な経過を記した Life and Battles of Yankee Sullivan では「ここで試合は終わるべきだった」とされているが、マッコイ陣営は寛大にもマッコイの反則勝ちを拒否して、試合の続行を要求した。15回にマッコイは鼠径部のあたりを打たれて反則打を訴え、ジャッジは再び同意。この時もマッコイ陣営はアドバンテージは要らないと言って反則勝ちの権利を放棄している[45]。マッコイは15、16回までは優勢だったが[42][43]、その後、形勢は不利になっていく。しかし、リリーが非常に冷静に試合を運ぶ一方で、マッコイはセコンドの制止もないままに入れ込んだ状態で戦い続け、63回を迎えて初めてセコンドから少しセーブするように指示を受けるが、その回もマッコイはラッシングを止めない[45]。70回にはマッコイの両目は黒く腫れ上がって左目は塞がり、唇もひどく腫れ上がり、胸に血が流れ落ち、息も絶え絶えで、構えながらも喉から血の塊を吐き出そうとしていた。76回になると試合はより凄惨なものになり、観客は停止を求めて叫んだが、マッコイは毎回リングに出て行った[45][43]。86回には、リリーがほぼ無傷で入場時とほぼ変わらない状態であったのに対し、マッコイの両目は塞がり、鼻は折れて潰れ、鼻からも口からも夥しい血を流していたにも関わらず、両者のセコンドは試合を続行させた。リリーは毎回マッコイからダウンを奪い、マッコイは鼻や口のみならず両目からも血が噴き出すようになっていた[42]。

89回には試合をプロモートしたリリー陣営のヤンキー・サリバンらが、「死ぬまでやらせてどうする? マッコイはもう勝てない」と試合を止めようとしたが、マッコイのセコンドについていたヘンリー・シャンフロイドは「まだ始まったばかりだ」と拒否[45][43]。マッコイは自分の血で喉を詰まらせ、塊を吐き出しながら、続行を求めた[43]。107回には、マッコイは窒息感に苦しむように腫れた舌を突き出して口を開いていた[45]。しかし、80度以上もダウンを奪われながらも、118回が終わるとマッコイはセコンドに「手当てしてくれ。そうすればまだやれる」と言い、次の119回を戦った[45][43]。120回が始まろうとする時、マッコイは動くことができず、15分足らずのうちに死亡した[42][48]。この結果、リリーが勝利[45][48]。検視結果では、血が肺に流れ込んだことによる溺死(窒息死)であった[43]。

1791年の Delaware Gazette 紙などでは、トマス・ダニエルがジェームズ・スミスとのベアナックル・ファイトで命を落としたことが簡単に記されているが[49]、一般的にはこのリリー対マッコイ戦が、米国における死亡事故の最初の記録とされている[43][46][44][47]。18人の関係者が騒乱罪や過失致死罪で逮捕・起訴され[43]、その後ベアナックル・ファイト、懸賞試合への批判が高まることになった[47]。

勝者の深刻な受傷例[編集]
1996年4月3日、日本の大阪で行われた安野一也と中島徹也のフェザー級8回戦で、判定勝ちした中島が試合後意識不明の重体となる。その後中島の意識は戻らず、2001年12月に死亡した。
2006年3月18日、アメリカのエヴァンズビルで行われたケビン・ペイン(en)とライアン・マラルドのウェルター級8回戦で判定2-1で勝利したペインがリング上から担架で病院へ搬送され、翌日に死亡。病院の検死官代表のアーニー・グローブスは外傷性脳出血が死因だと述べた。その後、ペインは試合前に周囲の人間に頭痛を訴えていたかもしれないが、コミッションドクターには一切の異変も告げなかったということが報告された[50]。
2007年12月25日、崔堯森とヘリ・アモルのWBOインターコンチネンタルフライ級タイトルマッチ12回戦で判定勝ちした崔が試合後意識不明の重体となる。2008年1月2日に脳死宣告をされ、翌1月3日に家族の要望で生命維持装置が外され死亡した。

プロレスにおけるリング禍[編集]

プロレスにおけるリング禍は、その競技の特性上などからマット禍という表現が用いられることも多い。

プロレスの場合、それぞれ投げ技・打撃技・関節技などお互いの技の攻防が中心であり、プロレスラーは身体を徹底的に鍛え抜き、「受身」の技術も含めて技による打撃・衝撃に耐えうる様に訓練していることや、試合中の選手相互の間合い、そして相手選手の身体に過剰な負担が掛かる危険な技は頻用しないという暗黙の了解によって、1980年代後半までは、試合中において選手生命に影響する深刻な受傷があったとしても、死亡に至る事故は非常に少なかった。

古くは、外国人でキラー・バディ・オースチンやオックス・ベーカーがリング禍を「起こした」側として有名であるが(オースチンの場合はフィクション[51])、こと昭和期の外国人レスラーに関する限り、オースチンやベーカーのほか、スタン・ハンセンによる「ブルーノ・サンマルチノ首折り事件」やキラー・コワルスキーによる「ユーコン・エリック耳そぎ事件」など死亡事故に至らずとも、(たとえ不測の事故であったとしても)起こした側の武勇伝という形で興行団体に商業的に利用されていたのがプロレス特有の業界事情ではある。

しかし、1990年代以降、全日本プロレスを中心としてより過激なパフォーマンスを求める方針として、受け身の取りにくい非常に危険な技が数多く考案され多用される風潮が強くなってきた。これらの過激な技の応酬によって身体へのダメージが着実に蓄積され、深刻な後遺症を与えることも少なくない。また、本来ならばリングに上がることは到底無理な健康状態であったにもかかわらず、団体の運営・興行上の都合や選手自身の経済面の問題などからリングに上がり技を受け続け、致命的な事故に繋がった可能性を考えなければならない事故例も見られる様になった。後述する三沢光晴の死亡事故についても「過激な技を長年受け続け、身体(特に首)へのダメージが深刻なまでに蓄積されていたにもかかわらず、ノア社長兼同団体のトップ選手としてリングに上がり続け、大きな負担の掛かる技を受けなければならなかった」ことを遠因の1つとして見る向きもある。

また、日本においては、小規模会場などで比較的容易に興行を行える様になり、道場やトレーニング機材を持たないなど充実した練習環境を持たないインディペンデント団体やプロモーションが乱立する様になった。練習に専念できる機会に乏しいために絶対的な練習量が足らず、受け身が取れない様な素人同然のレスラーが安易にリングに上がることも多々見られる。インディペンデント系以外の団体においても演出上、芸能人など本職のレスラー以外がリングに上がり戦う(ハッスルなど)などプロレスラーのボーダーレス化が進んだことで、予期せぬ事故が発生することもあり得る様になった。迅速な救命・救急措置に欠かせないリングドクターについても、資金面の問題などを理由に一部の大手団体以外は常駐しておらず、一部のレスラーやレフェリーなど関係者が救命術など講習する動きなどはあるものの、リング禍防止への取り組みは未だ鈍いのが現状である。

日本人選手のリング禍[編集]

日本国内のプロレス興行において、日本人選手が試合中の事故により死亡した事例は5例発生している。
1997年8月15日、プラム麻里子(JWP)が、広島市での試合中に尾崎魔弓のライガーボムを受けて意識不明となり、救急搬送され開頭手術を受けたが、翌16日、脳挫傷及び急性硬膜下血腫による急性脳腫脹のため死亡。日本プロレス史上初の試合中の事故による死亡事例となった。
1999年3月31日、門恵美子(アルシオン)が福岡市での試合中に吉田万里子にキーロックをかけていた際、自身の体を持ち上げられてそのまま側頭部からマットに落とされて意識不明となり、開頭手術を受けたが、9日後の4月9日、急性硬膜下血腫及び脳挫傷のため死亡。
2000年4月14日、福田雅一(新日本プロレス)が、宮城県気仙沼市での試合中に柴田勝頼のエルボーを受けて意識不明となり、開頭手術を受けたが、5日後の4月19日、急性硬膜下血腫のため死亡。日本における初の男子選手の試合中の事故による死亡事例。
2009年6月13日、三沢光晴(プロレスリング・ノア代表取締役兼選手)が、広島市での試合中に齋藤彰俊のバックドロップを受けて頸髄離断を発症、心肺停止状態となり病院へ搬送されたが同日夜、死亡。
2015年11月3日、グラン・ハマチ(フリー)が東京都足立区での試合後、体調不良を訴え、緊急搬送先の病院で死亡[52]。

練習中に死亡した事例[編集]

道場などでの練習中に死亡した事例も何例か発生している[53]。
1975年、全日本女子プロレスのオスカル一条が、道場での練習中に倒れ、死亡。
1995年1月27日、新日本プロレスの練習生が練習後に道場で倒れ、4日後に脳挫傷で死亡。
1997年7月、大日本プロレスの練習生が道場での練習中に倒れ、脳内出血で死亡。
2003年7月28日、ジャイアント落合(格闘家)が、プロレスデビューを目指してWJプロレス道場へ出稽古中に意識不明となり、開頭手術を受けたが、11日後の8月8日、急性硬膜下血腫の為死亡。
2008年10月18日、RofC我道會館の新人選手が新木場1stRINGで行われた合同練習内にて、練習に参加したレスラー同士でダブルインパクトの練習を行ったところ、技を受けた選手が後頭部から落下、頭から落ちて首の骨を折り、技を受けた選手は、事故から6日後の10月24日に死亡[54]。
2010年6月23日、アパッチプロレス軍の力丸が、練習中に意識不明となり病院に搬送、急性硬膜下血腫と診断。7月13日、肺動脈血栓塞症のため死亡[55]。
2011年12月16日、都内のジムで、「Happy Hour!!」においてプロレスデビューが内定していたソフトボール経験者の女子大生が、練習前のウォーミングアップ中に倒れて緊急搬送、脳卒中の疑いで手術。21日に容体が急変し、急性心不全で死亡[56]。

その他[編集]

また、試合中・練習中の事故で死亡には至らなかったものの、重度の後遺症を伴う深刻な受傷となり、引退表明こそしていないものの実質的にリタイア状態となっている事例もある。SWSにおける片山明(第4頸椎脱臼骨折)、FMWにおけるハヤブサ(頸椎損傷)、ZERO-ONEにおける星川尚浩(急性硬膜下血腫)の事故例などが相当する。

その一方で、全日本女子プロレスにおける北斗晶(首の骨折)、大日本プロレスにおける山川竜司(頭蓋骨骨折)、新日本プロレスにおけるザ・グレート・サスケ(頭蓋骨亀裂骨折、所属はみちのくプロレス)、新日本プロレスにおける高山善廣(脳梗塞、事実上のフリー)の事故例の様に、選手生命に影響しかねない傷病を負いながらも、休養とリハビリを挟んで復帰を果たした事例も見受けられる。

日本国外でのリング禍[編集]

主な事例を挙げる。
1971年6月13日、アルバート・トーレスが、アメリカ・ネブラスカ州オマハでの試合でオックス・ベーカーのパンチ攻撃を心臓部へ受け、3日後に死亡[57][58]。
1972年2月21日、ルーサー・リンゼイが、アメリカ・ノースカロライナ州シャーロットでの試合中に心臓発作を起こし、同日死亡[59]。
1972年8月1日、レイ・ガンケルが、アメリカ・ジョージア州アトランタでの試合でオックス・ベーカーのパンチ攻撃を心臓部へ受け、同日死亡[57]。
1978年6月30日、マイク・マーテルが、プエルトリコ・ポンセでの試合でホセ・ゴンザレスのパンチ攻撃を心臓部へ受け、同日死亡(ゴンザレスは1988年のブルーザー・ブロディ刺殺事件でも知られる)[60]。
1993年10月26日、オロが、メキシコ・メキシコシティでの試合中に倒れ、同日死亡(心臓発作、脳内出血など死因に諸説あり)。
2000年1月7日、ゲーリー・オブライトが、アメリカ・ペンシルベニア州ヘイゼルトンでの試合中に心臓発作を起こし、同日死亡。
2003年11月29日、ムーンドッグ・スポットが、アメリカ・テネシー州メンフィスでの試合中に心臓発作を起こし、同日死亡[61]。
2015年3月21日、ペロ・アグアヨ・ジュニアが、インディー団体であるWrestling in Tijuanaにてマニックと組んでレイ・ミステリオ & エクストリーム・タイガーとの対戦中にミステリオのドロップキックを喰らった際に受け身を取れずに頭部をロープへと強打。首の頚椎を損傷して逝去した[62]。

他の格闘技におけるリング禍[編集]

ボクシングと同様に頭部を殴打したり、ボクシングにはない腕以外による競技行為として頭部を蹴ることが認められている競技にムエタイ、空手、総合格闘技他、多数が存在するが、ボクシングと比較するとリング禍は発生し難い。ルールの差異による試合展開の違い、ラウンド数や試合時間の違い、競技行為の多様性による殴打の頻度の違いなど競技の差異による様々な発生差異の理由が存在するが、脳に衝撃を与え損傷させうる競技行為が行われる以上は、脳挫傷、リング禍の可能性は常に存在する。

日本国内では、キックボクシングで1件のリング禍が確認されている。正道会館の選手がキックボクシングの試合でKO負けを喫し死亡した。総合格闘技ではアマチュア修斗で1件確認されている。

海外の総合格闘技ではアメリカで4例、その他の国で6例のリング禍が確認されており[63]、1998年にウクライナの大会に出場したダグラス・デッジが試合の2日後に死亡した例や、韓国で2005年4月にGimme5という興行で総合格闘技の試合後に競技者が死亡した[64]例などがある。

相撲では投げの打ち合いで頭から落ちていくことがよくあるが(親方も「投げの打ち合いは手をつかずに顔から落ちろ」と教えることが多い)、髷によって頭が保護されており、少なくとも本場所中に頭部強打が直接の原因となって死亡した事例はない[65]。

脚注[編集]

1.^ “学校における体育活動中の事故防止について(報告書) 図 5-3. 中学校・高等学校での運動部活動における死亡・重度生涯事故 -競技種目別発生頻度-”. 文部科学省 (2012年7月). 2013年9月15日閲覧。
2.^ Record Book CompuBox Online
3.^ a b c d 死亡事故についての参考資料:
「ボクシング百科全書 - リング禍」『日本ボクシング年鑑2005』 ボクシング・マガジン編集部編、日本ボクシングコミッション/日本プロボクシング協会協力、ベースボール・マガジン社、2005年4月30日発行 ISBN 4-583-03849-6、188頁。
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6.^ Nitin Sharma (2012年3月13日). “Boxers can fight till 40: AIBA” (英語). The Indian Express 2012年3月15日閲覧。
7.^ a b 八巻裕一選手死亡 JBC設立後37例目の犠牲者 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年2月23日閲覧
8.^ 1977年の事故後の動向についての参考資料:
芦沢清一 「特別読物 日本のリング変遷史〈III〉 昭和41年〜63年」『ワールド・ボクシング』7月号増刊、日本スポーツ出版社、1993年7月31日発行 共通雑誌コードT1009804071109 雑誌09804-7、128-129頁。
9.^ 1997年の事故後の動向についての参考資料:
芦沢清一 「スタンディングカウントの廃止と前日計量について」『ワールド・ボクシング』4月号増刊、日本スポーツ出版社、1998年4月10日発行 共通雑誌コードT1109804040751 雑誌09804-4、80-82頁。
10.^ ボクサーの死、根絶へ本腰 王座戦の悲劇きっかけ JBC(1/2ページ)・(2/2ページ) 朝日新聞 2009年7月1日閲覧
11.^ JBC・JPBA合同健康管理委員会を開催 日本ボクシングコミッション 2009年4月14日
12.^ JBC・JPBA合同健康管理委員会報告 日本ボクシングコミッション 2010年3月18日
13.^ Joseph R. Svinth (2011年10月). “Death under the Spotlight: The Manuel Velazquez Collection, 2011 – Table 9: Cities reporting six or more boxing deaths, 1950-2011”. EJMAS. p. 15. 2013年3月24日閲覧。
14.^ Fatal Prizefight – Yokohama Pugilist Died After Sparring With Jack Slavin The Morning Oregonian 1902年2月5日 p. 5 (英語)
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16.^ a b c Joseph Svinth Death under the Spotlight: The Manuel Velazquez Boxing Fatality Collection – The Data (pdf) Journal of Combative Sport 2011年 (英語)
17.^ Japanese Fighter Critical After KO St. Petersburg Times 1970年3月9日 p. 2C (英語)
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19.^ Japanese Boxer Dies 18 Hours After Collapsing The Press-Courier 1973年1月28日 p. 20 (英語)
20.^ Boxer dies The Times-News 1986年5月12日 p. 18 (英語)
21.^ 郡司信夫「日本」、『ボクシング・マガジン』5月号増刊(『日本ボクシング年鑑』 1988年版)、ベースボール・マガジン社、1988年5月15日、 p. 17。
22.^ Japanese boxer dies Manila Standard 1987年8月10日 p. 12 (英語)
23.^ 大池和幸 愚行、悲劇…引退も考えた 日刊スポーツ 2008年1月9日
24.^ ロイター Japanese Boxer Dies of Brain Injury ロサンゼルス・タイムズ 1991年12月3日 (英語)
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51.^ “Wrestler Profiles: "Killer" Buddy Austin”. Online World of Wrestling. 2011年3月27日閲覧。
52.^ “お知らせ”. 『黄金郷の風』 (2015年11月4日). 2015年11月4日 閲覧。
53.^ 新米プロレスラーの死亡事故相次ぐ - リアルライブ2012年01月06日閲覧。
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55.^ アパッチプロレス軍 - BATTLE SCHEDULE
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60.^ “Michel Martel: Forgotten great”. SLAM! Sports (October 11, 2004). 2011年12月21日閲覧。
61.^ “Moondog Spot dies during match”. SLAM! Sports (November 30, 2003). 2013年9月7日閲覧。
62.^ “Perro Aguayo Jr. passes away in Tijuana hospital after match last night (Updated)”. Wrestling Observer. 2015年3月21日閲覧。
63.^ 英語版ウィキペディアの「Fatalities in mixed martial arts contests」より
64.^ 試合は開始1分程で競技者の目の出血負傷により終了。競技者が試合後の控え室で目の治療を受ける最中に呼吸困難となり死亡した。死因は持病の心筋梗塞と公表され、持病を認識していながら予備検診を怠って試合に出すなど興行を主催した側の問題が報道された。競技中の事故ではなく、格闘に限らず他の激しい運動行為でも起こるこのような事例がリング禍に含まれるかどうかは見方が分かれている。
65.^ 張り手などで一時的な脳震盪を起こした例はある。

関連項目[編集]
パンチドランカー
マニュエル・ベラスケス
2008年10月18日のリング禍
意識障害 - Japan Coma Scale / Glasgow Coma Scale / Emergency Coma Scale




外部リンク[編集]
Death under the Spotlight The Manuel Velazquez Boxing Fatality Collection
BoxRecにおけるカテゴリー:リング禍で死亡したボクサー

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パンチドランカー





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パンチドランカー

Gatica1.png

分類および外部参照情報


診療科・
学術分野
精神医学

ICD-10
F07.81

DiseasesDB
11042

eMedicine
sports/113

パンチドランカー(dementia pugilistica、DPと略す)とは頭部への衝撃から生じる脳震盪を起因とする神経変性疾患及び認知症に似た症状を持つ進行性の脳障害疾患のこと。また、そのような状態にある人間を指す。ボクサーに多く見られる疾患であること、最初に見つかった発症者がボクサーだったことから、慢性ボクサー脳症、外傷性ボクサー脳症、拳闘家痴呆、慢性ボクシング外傷性脳損傷、パンチドランク症候群などの別称がある。最近の研究でボクサーだけでなくアメリカンフットボールやアイスホッケー、プロレスリング、その他打撃系格闘技など繰り返し頭部へ衝撃を受けることのあるコンタクトスポーツのアスリートにも発症することが分かり、慢性外傷性脳症と呼ばれるのが一般的になっている。

認知症や神経変性疾患とは脳内で実際に起こるメカニズムが違い、頭部(脳)への衝撃による外傷が発症の起因となるなど異なる疾患であるが、症状が似ている事に加え、死後に脳を解剖することによってしか最終的な診断ができないことから、これらの疾患と混同されることが非常に多い。

ボクシングをはじめてから平均して15年後ぐらいに発症する選手が多く、ボクサーの約20%が患っていると言われている[1]。



目次 [非表示]
1 要因
2 症状
3 対処法
4 予防法
5 研究
6 CTEと診断された事例 6.1 アメリカンフットボール
6.2 アイスホッケー
6.3 プロレスリング

7 疾患の疑いがある選手
8 フィクションでの使用例
9 脚注
10 関連項目


要因[編集]

頭部に強い衝撃を繰り返し受けることがパンチドランカーの危険因子になると一般的には考えられているが、頭部に衝撃を繰り返し受けている全てのアスリートが発症しているわけでは無く、2005年ごろから本格的な研究が始まったばかりの疾患ということもあり詳しいことはまだ判明しておらず、遺伝の可能性や被曝の程度など様々な研究調査が続けられている。

格闘技におけるダウンは、いわゆる脳震盪が最大の要因である。「震盪」とは、激しく揺り動かす・激しく揺れ動く、という意味で、脳震盪とは脳が頭蓋内で強く揺さぶられることを指す。脳震盪により、大脳表面と大脳辺縁系および脳幹部を結ぶ神経の軸が広い範囲で切断などの損傷を受けることで、ダウンが起こる。

ボクシングは他の格闘技と比べて頭部へダメージが集中するためパンチドランカーに陥り易いとされていて、実際2015年1月30日に発表された、米国クリーブランド・クリニックを中心とした研究グループが4年間に渡って収集分析した研究結果でも「ボクサーは総合格闘家と比べて、年齢にかかわりなく全般的に結果が悪く、ボクサーの脳容量は総合格闘家よりも小さく、知的に後れを取っていた」と実証された[2]。アルバータ大学が2015年11月に発表した、試合後に選手が義務付けられているメディカルチェックを10年分、総合格闘家1,181人、ボクサー550人を対象に再調査した結果でも、切り傷や捻挫などの軽症を負ったのはボクサーの49.8%に対して総合格闘家が59.4%と上回ったが、脳震盪や失神、骨折や目の損傷などの重症を負ったのは総合格闘家の4.2%に対してボクサーが7.2%と上回り同様に実証された[3][4]。その理由については、ボクシングは攻撃が許されている範囲が頭部と胴体に限定されているため、ルール的に頭部へダメージが集中しやすい構造となっており、関節技やローキックなど頭部以外へダメージが分散される他の格闘技よりも頭部のダメージの多くなっていることや、特にプロボクシングは勝利のために相手をノックアウトすることを狙う格闘技であり、興行という観点からも派手なノックアウト勝利を至上とする風潮が根強いためノックアウトを奪いやすい頭部への打撃が多いこと、ボクシングは試合時間(ラウンド数)が他の格闘技より長いためダメージが蓄積しやすいこと、などが指摘されている。

ボクシング、空手、キックボクシング(K-1)、総合格闘技、プロレスなどの格闘技選手に限らず、競技中に激しい衝突が起きるラグビー、アメリカンフットボールなどの選手、落馬事故によって頭部への受傷を経験した競馬の騎手、またスポーツ選手以外にも、爆風で飛ばされた兵士、家庭内暴力の被害者、ヘッドバンギングの経験者などにもパンチドランカーの症状が見られることがある。

症状[編集]

具体的な症状は以下の通りであるが、同様に脳の器質的障害に起因する認知症の症状などにも類似した各種障害や人格変化が現れることが往々にある。
頭痛・痺れ・身体の震え・吃音(どもり)・バランス感覚の喪失
認知障害(記憶障害・集中力障害・認識障害・遂行機能障害・判断力低下・混乱等)
人格変化(感情易変、暴力・暴言、攻撃性、幼稚、性的羞恥心の低下、多弁性・自発性・活動性の低下、病的嫉妬、被害妄想等)


ボストン大学医学部のロバート・キャントゥらによる研究では、慢性外傷性脳症の重症度について4段階のステージを設定している[1]。
ステージ1 頭痛
ステージ2 鬱、攻撃性、怒り、短期間の記憶障害
ステージ3 認知障害
ステージ4 本格的な認知症、パーキンソン病(体の震え、歩行障害)

脳内で起こる症状
前頭皮質、側頭皮質及び側頭葉の萎縮から来る、脳重量の減少。
側脳室と第三脳室の膨張がしばしばあり、稀な事例として第四脳室膨張が見られることもある。
青斑核及び黒質の蒼白。
嗅球、視床、乳頭体、脳幹、小脳の萎縮。
さらに病状が進んだ場合 海馬 、内嗅皮質、扁桃体の著しい萎縮が見られることがある。

選手生活を引退した後、数年経過して発症することが多い。これらの症状が悪化することによって社会生活だけでなく、日常の生活でさえ著しく困難になる場合もある。

対処法[編集]

パンチドランカーとその症状を避けるためには、周囲の証言を聞き出すことや定期的な脳の検査(脳室拡大および白質の瀰漫性萎縮)を続けることが必要不可欠である。どんな小さなサインも見過ごさないようにすることが、悪化させない最良の手段である。近年では、多くの格闘技団体で試合前後の脳の検査を義務付けている。

予防法[編集]

脳への影響は打撃による累計的な損傷量、つまりダメージの蓄積がもっとも警戒すべき点であるとされている。それゆえ選手・競技者としてのキャリアが豊富かつ長期に渡る者や、激しいファイトを特徴とした選手ほど細心の注意が求められることになる。 最大の予防法は、脳にダメージを与えないことである。とは言っても、格闘技を行う以上、頭部へ打撃を全く貰わないというのは難しい。ディフェンス能力を徹底して高めたり、スパーリングでは、全力で顔面を殴らない。ヘッドギアを必ず着用する。キャリアが長期になるほど危険であるので、引退の時期を誤らないように注意することも重要である。

研究[編集]

数多くのNFLスター選手を筆頭に、NHL選手、プロレスラー、MLS選手、ボクサーのミッキー・ウォードなどが死後、CTE研究のために脳を提供することを表明している。

CTEと診断された事例[編集]

現在のところ、技術的側面から生きている間の診断は不可能で、死後に脳を解剖することでしか最終的な診断ができない。

アメリカンフットボール[編集]

2005年にはじめてアメリカンフットボール選手の脳からCTEが発見される。CTEと診断された最も若いアメリカンフットボール経験者は17歳[5]。2013年1月までにアマチュアを含むアメリカンフットボール経験者50人の脳からCTEが確認されており、そのうち33人が元NFL選手[6]。2013年4月9日には約4200人の元NFL選手が脳震盪の危険性を隠していたとしてNFLを告訴している[7]。

アイスホッケー[編集]

2009年にはじめてアイスホッケーの選手の脳からCTEが発見される。他に有名選手を含んだ数人のNHL選手がCTEと診断されている。

プロレスリング[編集]

2007年、妻と子供を殺して自殺したWWEのプロレスラー、クリス・ベノワの脳からCTEが発見される。2009年、アンドリュー・マーチンの脳からCTEが発見される。

疾患の疑いがある選手[編集]
モハメド・アリ(ボクシング) パーキンソン症候群、体の震えや筋硬直、喋りと動作の緩慢を特徴とする神経変性疾患[8]。
シュガー・レイ・ロビンソン(ボクシング) アルツハイマー病[9]。
高橋ナオト(ボクシング) 著書「ボクシング中毒者」で告白。自転車で真っ直ぐ進むことが出来ず電柱にぶつかる、手の震えを抑えきれずにラーメンの汁をこぼしてしまう。
たこ八郎(ボクシング) 引退の原因となった。一時期二桁以上の文字すら記憶できなかった程の記憶障害や寝小便等の排泄障害にも悩まされたという。
佐竹雅昭(空手) - 著書「まっすぐに蹴る」で、日常生活も困難になっていたことを告白した。
前田宏行(ボクシング) 自らのブログで告白し、引退することを明言。
フロイド・パターソン(ボクシング) アルツハイマー病、妻の名前を覚えられないほどの記憶障害が原因でアスレチックコミッションを辞任[10]。
ゲーリー・グッドリッジ(K-1、総合格闘技) - 告白し、引退。自身の発言によると軽い認知障害があるといい、会話の途中で何を話していたか分からなくなるとしている。
ウィルフレド・ベニテス(ボクシング) 心神喪失状態。
ジェリー・クォーリー(ボクシング) アルツハイマー病、認知症、1983年にCTスキャン撮影で脳萎縮を確認。引退後、食事と着替えに介護者が必要となる。
マイク・クォーリー(ボクシング)
ジミー・エリス(ボクシング) アルツハイマー病、晩年は既に亡くなっていた妻をまだ生きていると思い込んでいた。
エミール・グリフィス(ボクシング) 晩年は全面的な介護が必要となった。
メルドリック・テーラー(ボクシング) 医学的理由でボクシングライセンスの交付を拒否され引退[11]。

引退後、テレビのインタビューで現役時代とは違い酷く吃った喋り方で話し現役時代を知る視聴者に大きな衝撃を与えた。
ジミー・ヤング(ボクシング) 自身の麻薬関連の裁判で慢性外傷性脳損傷であるとして減刑を求めた。
ボウ・ジャック(ボクシング) 重度の認知症。椅子に座りなにもない空中にひたすらパンチを繰り出していた。
アーニー・テレル(ボクシング) 認知症。
ウィリー・ペップ(ボクシング)
ボビー・チャコン(ボクシング)
レオン・スピンクス(ボクシング) 認知症。
フレディ・ローチ(ボクシング) パーキンソン病。

フィクションでの使用例[編集]
ロッキー5 - シルヴェスター・スタローン
あしたのジョー - 矢吹丈、カーロス・リベラ
はじめの一歩 - 猫田銀八、ラクーン・ボーイ、幕之内 一歩
がんばれ元気 - 海道卓
ボーイズ・オン・ザ・ラン - 鈴木
喧嘩商売 - マイルズ・バンバー
仮面ライダーオーズ/OOO - 岡村一樹
あいくるしい - 中川竜一
天上天下唯我独尊 - 安岡条二

脚注[編集]

1.^ a b “Chronic Traumatic Encephalopathy (Brain Damage)”. BOXING.com (2013年2月17日). 2013年6月26日閲覧。
2.^ “頭への衝撃で脳の処理速度が遅くなる、ボクサー1試合ごとに0.19%のペース「ボクサーの方が頭を打たれる」、脳が小さくなる原因に?”. MEDエッジ (2015年2月11日). 2015年3月2日閲覧。
3.^ “New study reveals that boxing leads to more serious injuries than MMA”. Bad Left Hook (2015年11月6日). 2015年11月20日閲覧。
4.^ “ボクシングと総合格闘技ではどちらがより過酷なのか:研究結果”. ライフハッカー (2015年11月20日). 2015年11月26日閲覧。
5.^ “Brain bank examines athletes' hard hits”. CNN.com (2012年1月27日). 2013年6月26日閲覧。
6.^ “故ジュニア・セーアウの脳に慢性外傷性脳症確認”. アメフトNewsJapan (2013年1月10日). 2013年6月26日閲覧。
7.^ “引退選手4,000人超参加の脳震とう訴訟、聴聞会開催”. アメフトNewsJapan (2013年4月9日). 2013年6月26日閲覧。
8.^ “He is simply ... The Greatest”. ESPN.com (2013--). 2013年6月26日閲覧。
9.^ “Bittersweet Twilight For Sugar”. SI.com (1987年7月13日). 2013年6月26日閲覧。
10.^ “Can medical technology save boxers from brain death?”. SALON.com (1999年5月1日). 2013年6月26日閲覧。
11.^ “Quitting Time”. SI.com (2002年6月3日). 2013年6月26日閲覧。

関連項目[編集]
ボクシング
リング禍
マニュエル・ベラスケス
認知症
アルツハイマー型認知症
パーキンソン病 - モハメド・アリやフレディ・ローチが罹患しているが、脳のダメージ蓄積が発症の直接の原因であるのかは不明。



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表 ·
話 ·
編 ·


スポーツ障害
頭・脳の障害
脳挫傷 - 脳震盪 - パンチドランカー

首の障害
外傷性頸部症候群 - バーナー症候群

肩の障害
ベネット損傷 - SLAP損傷 - 野球肩(三角筋炎 - 腱板炎 - リトルリーガーズショルダー) - 水泳肩 - テニス肩 - ゴルフ肩 - バレーボール肩 - バドミントン肩 - 投擲肩

上腕の障害
上腕二頭筋長頭腱炎

肘の障害
離断性骨軟骨炎 - 野球肘 - テニス肘 - ゴルフ肘 - 水泳肘 - 岩登り肘 - バドミントン肘 - 卓球肘 - 投擲肘

前腕の障害
コーレス骨折 - ボウリング腕

手の障害
腱鞘炎(ド・ケルバン病) - キーンベック病 - TFCC損傷

腰の障害
腰椎分離症 - 腰椎すべり症 - 椎間板ヘルニア - 梨状筋症候群 - 筋筋膜性腰痛 - 卓球腰 - サーフィン腰 - スノーボード腰 - サイクリング腰 - スキー腰

大腿の障害
大腿骨頭すべり症 - 筋断裂 - 肉離れ

膝の障害
離断性骨軟骨炎 - ランナー膝(オスグッド・シュラッター病 - 腸脛靭帯炎 - 棚障害 - 鵞足炎) - ジャンパー膝 - サッカー膝 - 平泳ぎ膝 - バレーボール膝 - バスケットボール膝 - テニス膝 - ジョギング膝 - ウォーキング膝 - サーフィン膝 - スノーボード膝 - 卓球膝 - スキー膝 - 膝蓋骨脱臼 - 半月板損傷 - 靭帯損傷(外側側副靭帯損傷 - 内側側副靭帯損傷 - 前十字靭帯損傷 - 後十字靭帯損傷) - 関節軟骨損傷

下腿の障害
シンスプリント(脛骨過労性骨膜炎) - コンパートメント症候群 - アキレス腱炎(アキレス腱周囲炎 - アキレス腱滑液包炎) - アキレス腱断裂

足の障害
フットボール足 - サッカー足 - フットサル足 - サイクリング足 - スケート足 - テニス足 - 足底筋膜炎 - 踵骨骨端症 - 捻挫 - モートン病

その他の障害
疲労骨折 - 筋痙攣 - イップス - ハンガーノック






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神経変性疾患
ボクシング用語
スポーツ障害
パーキンソン病

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マニュエル・ベラスケス





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曖昧さ回避 この項目では、反ボクシング活動家のマニュエル・ベラスケスについて説明しています。 楽器製作者のマヌエル・ベラスケスについては「マヌエル・ベラスケス」をご覧ください。
サッカー選手については「ホセ・マヌエル・ベラスケス」をご覧ください。


マニュエル・ベラスケス(Manuel Velazquez, 1904年12月6日 - 1994年1月)は20世紀の反ボクシング活動家、及びリング禍情報収集家。



目次 [非表示]
1 来歴
2 スポットライト下の死-マニュエル・ベラスケス ボクシング死亡事故集- 2.1 判明した死亡者数
2.2 年代別死亡者数
2.3 国別死亡者数
2.4 死亡事故が起きたラウンド
2.5 階級別死亡者数
2.6 死亡原因
2.7 死亡する兆候が現れた時間
2.8 年齢
2.9 その他

3 脚注
4 関連項目
5 外部リンク


来歴[編集]

フロリダ州タンパに生まれる。10歳の時に家族とともにイリノイ州シカゴに移住。

1920年、15歳の時に学校を中退、オークパークの鉄道会社の機関車の車庫で働き始める。19歳の時に州兵となりF大隊第131歩兵隊に配属される。

1924年から25年までの1年間兵役を務めた後タンパに戻り路面電車のオペレーターとなる。この時期にベラスケス自身もボクシングジムへ通っている。

1927年にニューヨークに移った後、地下鉄の案内係として働き始め、プロボクサーのピート・ネボと交友関係をもつようになる。

ネボは1936年に27歳でプロボクサーを引退、1週間に2、3試合戦ったこともあったという。ネボはキーウェストに移り住んだ1938年に、自分を"punchy"(パンチドランカーの意)と罵倒した男を暴行、傷害容疑で逮捕された。裁判所はネボはボクシングでの後遺症により精神的な責任能力が無いと判断し、9月1日に病院での生活を強制する判決を言い渡した。この一件の後、ベラスケスはボクシングの後遺症に関する情報を新聞記事から収集し始めた。反ボクシング活動として新聞社や連邦議会議員に手紙を送るなどしたが、そのほとんどは無視された。同年、多発性硬化症の為に地下鉄を退職。

病の為、既に歩行に杖を必要とする状態であったが1940年から政府役所の事務員として59年まで就労を続けた。

59年に引退した後、タンパの政府補助の施設で過ごし、後にアリゾナ、次に移ったグリーンヴィルで生涯を閉じるまで余生を送った。1994年1月没。89歳。

ベラスケスは死の直前、自身が集めた新聞記事の切り抜きなどボクシングでの事故に関する情報をまとめたファイルを、格闘技研究家のロバート・W・スミス(en)に送った。この調査集はスミスから90年代中期にジョセフ・R・スヴィンスに渡り、『Death under the Spotlight: The Manuel Velazquez Boxing Fatality Collection(スポットライト下の死-マニュエル・ベラスケス ボクシング死亡事故集-)』という題名で、スヴィンスと有志による調査と研究が現在でも続けられている。これはインターネット上に公開されており、世界中のボクシングに関する死亡事故の情報と統計が随時更新されている。

スポットライト下の死-マニュエル・ベラスケス ボクシング死亡事故集-[編集]

前述のとおり、ベラスケスの意思を継いだジョセフ・R・スヴィンスを中心に世界中の有志によって現在も情報収集・調査が続いているボクシング死亡事故資料である。ただし新聞の切り抜きやインターネットの記事などを頼りに手作業で収集している資料のため、実際に起ったリング禍を全て網羅しているわけではない。

判明した死亡者数[編集]


2000年7月

2001年12月

2004年1月

2005年5月

2006年4月

2006年12月

2007年11月

2011年10月

938人 1,101人 1,197人 1,255人 1,326人 1,344人 1,465人 1,865人

(過去に遡って判明した分も含む)

年代別死亡者数[編集]


1800年以前

1820年代

1830年代

1840年代

1850年代

1860年代

1870年代

1880年代

1890年代

1900年代

1910年代

1920年代

1930年代

1940年代

1950年代

1960年代

1970年代

1980年代

1990年代

2000年代

37人 42人 26人 28人 28人 27人 30人 41人 134人 112人 149人 223人 212人 123人 148人 117人 97人 83人 84人 103人

国別死亡者数[編集]


アメリカ

イギリス

オーストラリア

メキシコ

日本

フィリピン

南アフリカ

アルゼンチン

ニュージーランド

インドネシア

フランス

ドイツ

イタリア

キューバ

カナダ

スペイン

ベネズエラ

チリ

その他の国

871人 333人 155人 53人 47人 40人 36人 29人 28人 27人 25人 22人 16人 15人 14人 12人 12人 10人 120人

(以上は2011年10月までに判明した調査結果データから[1])

死亡事故が起きたラウンド[編集]
プロボクシング


1ラウンド

2ラウンド

3ラウンド

4ラウンド

5ラウンド

6ラウンド

7ラウンド

8ラウンド

9ラウンド

10ラウンド

11ラウンド

12ラウンド

13ラウンド

14ラウンド

15ラウンド

16ラウンド

16ラウンド以降

45人 62人 54人 82人 49人 95人 46人 71人 44人 92人 13人 35人 10人 10人 13人 9人 14人





プロボクシングにおける1890年から2007年11月までのラウンド別の死亡事故件数(上の表をグラフ化したもの)アマチュアボクシング


1ラウンド

2ラウンド

3ラウンド

4ラウンド

29人 49人 90人 11人

階級別死亡者数[編集]





アマチュアボクシング・プロボクシングにおける1920年から2007年11月までの階級別の死亡事故件数(左上の表をグラフ化したもの)

フライ級以下

バンタム級

フェザー級

ライト級

ウェルター級

ミドル級

ライトヘビー級

ヘビー級

54人(8.0%) 67人(10.0%) 102人(15.2%) 127人(18.9%) 116人(17%) 93人(13.8%) 50人(7.4%) 53人(7.9%)

死亡原因[編集]


首部を含む頭部の損傷

心臓発作

その他(内臓破裂等)

80% 12% 8%

死亡する兆候が現れた時間[編集]


リング上

リングを降りた後(控え室、帰宅後)

1週間以上経ってから

75% 20% 5%

年齢[編集]
プロボクシング 死亡平均年齢は23.1歳(最年少12歳、最高齢45歳)、1980年以降の死亡事故1335件中923件(68%)がプロボクサーが死亡した事例。
アマチュアボクシング 死亡平均年齢は20.5歳(最年少13歳、最高齢41歳)、1980年以降の死亡事故1335件中293件(22%)がアマチュアボクサーが死亡した事例。
トレーニング中 死亡平均年齢は23.5歳(最年少11歳、最高齢50歳)、1980年以降の死亡事故1335件中126件(9%)がトレーニング中(プロ55件、アマチュア71件)に死亡した事例。

その他[編集]
1890年以降に起きた死亡事故1335件のうち1230件(90.7%)が試合中のダメージを原因とした死亡事故、125件(9.2%)がトレーニング中の死亡事故。
1920年以降に起きた死亡事故のうち61件(5.4%)が勝った選手もしくは引き分けた選手が死亡した事例。
1732年以降に起きた死亡事故のうち何らかのタイトルマッチで死亡した事例は65件(4%)。
2000年以降に女子ボクサーが死亡した事例は2件。

(以上は2007年11月までに判明した調査結果データから[2][3]。)

脚注[編集]

1.^ “DEATH UNDER THE SPOTLIGHT: THE MANUEL VELAZQUEZ COLLECTION, 2011 (*PDF)”. Joseph R. Svinth (2011年10月). 2013年6月24日閲覧。
2.^ “DEATH UNDER THE SPOTLIGHT: THE MANUEL VELAZQUEZ COLLECTION A Presentation, 2007”. Joseph R. Svinth (2007年11月). 2013年6月24日閲覧。
3.^ “DEATH UNDER THE SPOTLIGHT: THE MANUEL VELAZQUEZ COLLECTION, 2007”. Joseph R. Svinth (2007年11月). 2013年6月24日閲覧。

関連項目[編集]
リング禍
パンチドランカー

外部リンク[編集]
スポットライト下の死-マニュエル・ベラスケス ボクシング死亡事故集-




カテゴリ: アメリカ合衆国のボクシングに関する人物
タンパ出身の人物
1904年生
1994年没

https://ja.wikipedia.org/wiki/2008%E5%B9%B410%E6%9C%8818%E6%97%A5%E3%81%AE%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E7%A6%8D

2008年10月18日のリング禍





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このページ名「2008年10月18日のリング禍」は暫定的なものです。(2009年10月)

2008年10月18日のリング禍(にせんはちねんじゅうがつじゅうはちにちのリングか)は、2008年10月18日に中小プロレス団体(インディー系)に所属する選手が練習中に死亡した事故(リング禍)。プロレスにおける問題が浮き彫りになった[1]。なお、この記事の名称は便宜上につけたものである。



目次 [非表示]
1 概要
2 問題点
3 その後
4 背景
5 脚注
6 外部リンク


概要[編集]

2008年10月18日、新木場1stRINGの貸しリングで佐野直を中心にインディー系のプロレスラー3団体による合同練習を行い、A(25歳)も練習に参加していた。その最中、Aの所属する団体の代表の菅原伊織と、同じ団体に所属するB(34歳)でダブルインパクトの練習を行うことになり、菅原がAを肩車して、BがコーナーポストからAをめがけてダイブした。この結果、Bのコーナーからのラリアットによって、Aは頭からまともにリングに落下。頸椎骨折による脳幹損傷という致命傷を受けたAはただちに病院へ運ばれたが、6日後の10月24日に死亡した[2]。

問題点[編集]

事故当時のAは平塚市に住む会社員であり、2008年4月に入門して8月にデビュー。試合経験は2度のみであった。Bも会社員であり、Aと同僚だった。所属団体は自前のリングを持っておらず、週に数回地元の柔道場へ集って畳の上で受身の練習や筋力トレーニングを行い、時折マットを持参して投げ技を練習する程度であった[1]。Aがリングを使って練習を行ったのは当日で3回目であり、入門以前に格闘技の経験もなかったため素人同然と言ってもよく、プロレスラーにとって重要な受身も出来ず、教わる機会もなかった[1]。

ダブルインパクトは合体技の1つで、片方がターゲットを肩車し、片方がコーナーポストからターゲットめがけてダイブしてラリアットをたたきつけるという物で、フィニッシュにも使われる大技であるが、それだけに危険性も高い。肩車をする選手には体勢を変えて、相手が受身を取りやすいよう落下させる配慮が必要になる。しかしAもBも技を掛けたことがなく、掛けられたこともなかった[1]。

その後[編集]

2009年2月、死去したAの遺族は佐野直、菅原伊織、Bを 業務上過失致死容疑で刑事告訴した(2011年3月に不起訴処分)[3]。

2010年8月27日、警視庁東京湾岸警察署は、技を掛けた2人を技術が未熟なのにもかかわらず危険な技を掛け、Aを死亡させた疑い、練習の責任者だったプロレスラーを安全管理を怠った疑いで過失致死容疑で書類送検した[4]。

背景[編集]

プロレスは、全体を統括する団体がなくライセンスが存在しない。このため、基本的な練習を行っていなくてもリングに上がって試合をすることができる。集客力のない弱小団体はチケットの売り手として選手を入団させている場合もある[1]。

受身もまともに取れない素人に対して危険なプロレス技を仕掛け、プロレス技の危険性を認識していない人間が指導をしていたことが今回の事件に繋がっており、起こるべくして起きたと考えられる。

ライセンス制については微妙な問題であり、ライセンス制のボクシングで、死亡事故が起きることは少なくない。また、ベテラン選手についても「アブドーラ・ザ・ブッチャーとテリー・ファンクが、現在のコンディションでライセンスを取れるかどうか怪しいからといって、彼らを強制的に引退させるなどということが可能なのか?」というように、ライセンス制に疑問の声が上がることがある。

脚注[編集]

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1.^ a b c d e 「会社員レスラー死亡 「実験台…起こるべくして起こった事故」」、産経新聞東京朝刊、2008年12月24日、第1社会面。
2.^ 「会社員レスラー死亡 今年10月 危険技で首強打 警視庁が捜査」、産経新聞東京朝刊、2008年12月24日、第1社会面。
3.^ 「プロレス練習で会社員死亡 団体代表ら書類送検へ」、中日新聞朝刊、2009年6月16日、社会面。
4.^ “死亡事故でプロレス団体代表らを書類送検”. ニッカンスポーツ・コム (2010年8月27日). 2013年9月15日閲覧。

外部リンク[編集]
由利大輔さん死亡事故の真実
新人プロレスラー 由利大輔さん 悲劇の事故死を追求する会




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新木場
2008年10月

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